アライグマがやる理由、僕がやらない理由

しばこまつだ

 ランドセルには色々な物が詰め込まれていたが、その中身のほとんどを僕は把握していなかった。
 僕はランドセルから何かを取り出すということはあまりない。
 日々、誰かから与えられる何かを押し込んでいくだけだ。。
 それは例えば、給食のパンだったり、配られたプリントだったり、返されたテストだったり、図工の時間に作った意味のない工作だったり、そんなものだ。
 ランドセルは物で溢れかえっている。
 教科書はすでに奥底に沈んで取り出せない。
 宿題のテキストもどこにあるのかわからない。
 学校は常に僕に何かを与えてくる。
 先生はだらしのない僕を叱る。
 けれど、僕はランドセルの中身にまったく興味を持てないのだった。
 
 ある日、僕は電柱に貼られたチラシを頼りに、腫れ上がったランドセルを背負って長い坂を登った。
 とても長い長い坂で、ランドセルは余計に重く感じられた。
 坂のてっぺんは山道の入り口とつながっていて、僕はチラシの矢印が示す通りに山を登った。
 やがて川が見えてきて、僕は上流に向かった。
 河原につくと、アライグマが僕を出迎えた。
 僕はランドセルを下ろしてアライグマに渡した。
 ギッと言って、アライグマはよろけた。
 「ごめんよ。重いんだ」僕は言った。
 ここは山の上のクリーニング店なのだ。
 僕のランドセルは限界を迎えていた。
 もう、紙1枚入らない。
 それに中からは得体の知れないおかしな色の液体が滴っていた。
 そこで、困ってここにやってきたという次第だった。
 アライグマが留め金を外すと、ランドセルのふたが弾け飛んだ。
 アライグマは驚いたように僕を見た。
 「ごめんよ。すごいんだ」僕は言った。

 アライグマは水辺に立つと、ランドセルを逆さにして振った。
 中に入っていた色々なものが、川に散らばって流れていった。
 僕は慌てた。
 僕にとっていらないものでも、失くすとまずいものというのはあるのだ。
 僕が慌てて川の中に入ろうとすると、アライグマはそれを制した。
 見ると、川にはたくさんのアライグマたちがいて、流れてきたものを拾い上げては洗っているのだった。
 それにずっと川下の方には小石を積み上げて作った堤防もあった。
 僕は感心した。
 アライグマたちは小さな手先で何でも丁寧に洗った。
 給食のコッペパンは、アライグマの手の中でみるみる小さくなっていった。
 「それはカビてしまったパンだから洗わなくていいよ」
 僕はおかしくなって、アライグマに声をかけた。
 アライグマは一瞬手を止めて僕を見たが、また洗う作業に戻っていった。
 パンはアライグマの手の中で回転しながら、小さくなっていく。
 とうとう跡形もなく溶けてしまうと、アライグマは何事もなかったように次の洗い物に取り掛かった。
 川には僕の色々なものがにぎやかに広がっていた。
 それはなかなか素敵な眺めだった。
 
 洗う作業が終わると、次は干す作業だ。
 今度は河原の石の上に僕の色々なものが広がった。
 乾くのを待つ間に僕はズボンの裾をたくし上げ、足を水に浸した。
 アライグマたちが寄ってきて僕の足を引っ張っぱっるので、僕は川床に尻もちをついてしまう。
 アライグマたちが寄ってたかって、僕の体を洗う。
 僕はくすぐったくてケラケラと笑ってしまう。
 口から水が入って、僕はぶくぶくと沈んでしまう。
 それでもアライグマたちは僕を洗うのをやめない。
 結局、僕も河原に干される。
 太陽で焼けた石がジュッという。
 気持ちのいい風が吹いている。

 僕が昼寝をする間に、アライグマは教科書やプリントにアイロンをかける。
 丁寧な仕上がりがこのクリーニング店のウリなのだ。
 とんとんと本やプリントの縁を整えて、ランドセルに戻していく。
 たて笛や定規はランドセルの脇に差し込まれていく。
 ランドセルは見違えるようになって、たくさんの隙間もできている。
 僕は彼らにお礼を言う。
 アライグマたちは自分たちが洗い上げたランドセルの出来栄えを、小さな手を顎に当てて眺めている。
 僕は何かお礼の代わりになるものはないか、ズボンのポケットの中を探ってみる。
 途端に中からくしゃくしゃのハンカチやらチラシやらビー玉やらコガネムシの死骸やら自転車の鍵やらが飛び出してくる。
 すかさず、アライグマたちはそれらを拾い上げて川に運んで洗い始める。
 それから干して、アイロンをかけて、僕のポケットに戻してくれた。
 僕は恐縮して、どうやってお礼をするべきかアライグマに相談してみる。
 「お礼はいりません。子供からお金は頂かない主義です。それにあなたは私たちにいい仕事をさせてくれた」
 アライグマはそう言って、満足気に頷いた。
 彼らは誇り高い職人なのだ。
 僕はもう一度丁寧にお礼を言って、山を下りた。

 母は僕が片付けが苦手なことを知っている。
 けれど、同時に諦めてもいた。
 母は雨の日に窓ガラスに伝うしずくを眺めているのが好き、というような女性だった。
 他のことにはあまり興味がない。
 だから僕がテストの答案を見せなくても、学校に提出するための書類を渡さなくても、特に問題はない。
 もちろん、母はランドセルが新品のようにピカピカになったことにも気づかない。 
 僕は自分の部屋に行き、椅子の背にランドセルをかけた。

 母はともかくとして学校での僕はいささか問題児だった。
 それは机から溢れ出た色々なものに始まる。
 僕の足元に散らばったものを見て、先生は男のくせにヒステリーを起こす。
 僕は床に落ちたものを拾い上げ、机の中に押し込む。
 けれど、それは机から押し返されてしまう。
 そんなものが僕の足元には5つも6つも散らばっている。
 僕は仕方なくもう一度拾い上げ、今度はポケットに押し込もうとする。
 けれども、ポケットからも押し返されてしまう。 
 そのうち先生が卒倒しそうな顔で目を剥いてヒステリーを起こす。
 たまたま僕が手に持っていたものが、問題のある生徒の親に向けて催された個人面談を知らせるプリントだったのだ。
 その個人面談の申し込み期間はとうに終わっていたし、僕はわざわざ職員室まで出向いっていって、母は仕事が忙しいこと、それにも増して母は病弱であるため、陽のあるうちの外出は大変難しい旨、先生に丁寧に説明をして面談の辞退を申し出ていたのだった。
 もちろん、母はそのことを知らない。
 だからこそ、プリントは今僕の手の中にあるのだ。
 「今週までに机の中を片付けるように!」
 先生は僕に指を突きつけると、プリプリしながら去っていった。

 今週中といえば、あと3日しかなかった。
 僕は隣の席の同級生を見た。
 同級生は僕から目をそらせてそっぽを向いた。
 僕は反対側の隣の同級生を見た。
 彼もそっぽを向いた。
 実は僕は前後左右の席の同級生から机の一部を借りていた。
 賃料はおやつだったり給食のデザートだったり、喧嘩の仲裁だったり、100点をとったテスト用紙だったり、そんなところだ。
 つまり僕は、子供にして報酬と引き換えに何かを依頼することに慣れているのだ。
 しかし、今回の交渉は不成立だった。
 そればかりか今まで預けていた荷物まで返されてしまった。
 彼らは友情よりも先生の評価、先生の評価よりも母親の機嫌を気にする人種なのだ。
 おかげで机の上は色々なもので山積み、問題も山積みだった。
 
 仕方なく僕は再び山を登って、アライグマに会いにいった。
 アライグマは僕の話を聞いてくれた。
 「でも、机が重すぎて僕の力ではここまで運ぶことができないんだ」
 僕は言った。
 アライグマは小さな手を頬に当て、首を傾げて何か思案しているようだった。
 そして、明日の放課後に一緒に机を運んでくれると言ってくれた。
 「でも、学校に君たちが来たら、大騒ぎになってしまうんじゃないかな」
 僕は心配した。
 アライグマは黒い手の平をぱたぱたと横に振った。
 大丈夫。問題ないということだった。

 翌日の放課後、僕は教室に残りアライグマを待った。
 アライグマはすました顔をして、2本足で歩いてやってきた。
 でも、どうやったって、アライグマはアライグマにしか見えないのだ。
 しかも、わらわらと10匹はいる。
 どうしたって目立たないわけにはいかない。
 彼らは机の上に置かれた色々な物ごと、ビニールのような布をかけて机を覆った。
それからアライグマたちは険しい顔をして歯を食いしばり、それを持ち上げようとした。
でもしばらくして諦めた。
 机が重すぎるのだ。
 彼らはまず机とセットになった椅子を持っていくことを諦めた。
 それから、僕を手招きした。
 僕も加わると机は持ち上がったが、今度は机の上の色々なものがボトボトと床に落ちた。
 アライグマは机の上に置かれた色々なものを持っていくことを諦め、教室にあるゴミ箱にそれらを捨てた。
 「あっ」僕は思わず声を上げたが、よくよく考えてみると必要なものなんて何もなかった。
 僕とアライグマたちは机を運んだ。
 その間にたくさんの人とすれ違った。
 そこで僕は気づいたのだけれど、どうやら皆には机もアライグマも見えていないようなのだ。
 きっとあのビニールのような布のせいだと僕は思った。 
 アライグマたちはその布を雨がっぱのようにまとっていた。
 
 長くて急な坂を登り、山道に入り、林を抜け、僕らはやっと川にたどり着いた。
 アライグマたちは水辺に行くと、嬉々として机を逆さにした。
 ところが、川に盛大にぶちまけられるはずの色々なものは何1つ出てこなかった。
 振っても出てこない。
 引っ張り出そうにも石のように固く詰まっていて、引っ張り出せない。
 髪の毛1本の隙間さえ見当たらない。
 アライグマたちはギュッと気合いのような声を掛けると、唐突に机を放り投げた。
 机は河原に敷き詰められた川石の上でバウンドした。
 けれど、やっぱり机の中身は何1つ出てこなかった。
 僕は机に駆け寄りダメージを確認した。
 脚の部分のスチールが少しへこんでいた。
 「乱暴に扱っては困るよ」
 僕はアライグマに苦情を言った。
 アライグマは両手の指先を絡めてむずむずと動かしている。
 何か鬱憤がたまっているようだった。
 机の物入れの裏側に穴を空けて、中の物を押し出すという提案もされたが、僕はそれも却下した。
 アライグマはますますやりきれない顔つきになって、手の平を掻きむしった。
 それはそうだ。
 机の詰まりを取るのが彼らの仕事ではない。
 彼らは洗いたくて仕方ないのだ。
 「どうだろう?こういった詰まりを取る専門家はいないのかな?」
 僕はアライグマに尋ねた。
 アライグマは小さなこぶしを顎に当てじっと考えると、そのこぶしでポンと手の平を打った。
 熟練の栓抜き名人がいるというのだ。
 それで、僕らは栓抜き名人に会うために、川を下って海に行くことになった。
 
 僕はアライグマが用意してくれたビニール製のいかだに彼らと乗り込んだ。
 海に着くまでの間、アライグマたちは楽しそうにキャッキャッとはしゃいでいた。
 それから小魚を捕まえるとよく洗って食べた。
 今日1日でずいぶんと日焼けしそうだった。
 
 海といっても彼らが目指すのはかなり沖合だった。
 そのため僕らは港に着くと、いかだを漁船に縄でくくりつけた。
 僕らは何度も頭から波をかぶった。
 いかだから振り落とされそうにもなった。
 そしてどうにか、目的の場所に到着した。
 僕らは栓抜き名人の到着を待った。
 その間にアライグマたちは浮き袋に体を通し、いかだから机を引きずり下ろして、海に浮かんだ。
 僕は子供だからいかだに残された。
 
 やがて大型の漁船が1隻、2隻と辺りに集まってきた。
 すると、急に海の色が黒く変わった。
 同時に海鳥が空を覆い尽くした。
 まずは小魚を狙ったカツオが跳ねた。
 そのカツオを狙って、大木のようなマグロが飛び上がった。
 その瞬間、モリの鋭い矢が空中を引き裂いた。
 僕はドキドキした。
 まるでこの世のハードボイルドをいっぺんに集めたようなワイルドさなのだ。
 アライグマたちは必死に机にしがみつきながら、波に弄ばれていた。
 その姿はまるでさっき川下りでキャッキャッとはしゃいでいた時みたいに、遊んでいるようにさえ見える。
 彼らはそのぐらい場違いなのだ。
 
 次のモリが放たれると、アライグマたちは矢の落ちる方向に向かって泳ぎだした。
 そして鈍い色をした獰猛な矢は、一直線にアライグマの胸を貫いた。
 「オイッ!」
 僕は驚きのあまり、思わずいかだの上から叫んだ。
 アライグマは苦しそうに薄目を開いて僕を見た。
 僕はアライグマを助けようと必死で手を伸ばした。
 アライグマは弱々しく微笑んで頷くと、間もなく波に飲み込まれていった。
 僕の目から涙が溢れた。
 アライグマは死んだのだ。
 しかし、他のアライグマたちはその様子をちらりと横目でやり過ごすと、果敢にも再びマグロの魚影に向かっていった。
 なんということはない。
 彼らは栓抜き名人に仕事の依頼に来たわけではなく、漁師とマグロの一騎打ちの現場に割り込んで、「栓抜き名人」つまり、モリの矢に僕の机の中身を引き抜かせようという作戦なのだ。
 僕は唖然とした。
 そうしているうちにまた1匹のアライグマが射たれた。
 ギャッ。
 さらに1匹。
 漁師はアライグマに目もくれていない。
 大きな魚影が気味悪く動くたびに、アライグマたちはモリの矢に飛び込んで命を落としていった。
 浮かんだ死体の肉を海鳥が降りてきてついばんだ。
 「もう、やめろー!」僕は泣き叫んだ。

 その時だった。
 マグロがジャンプしたかと思うと、その前にアライグマが立ちふさがった。
 そして、飛んでくる矢に見事、机を射抜かせたのだ。
 マグロが水しぶきを上げて水中に戻っていくのと同時に、まるでフェスティバルで打ち上げられる派手な花火のように、僕の机の中の色々なものが空に散りばめられた。
 僕はその様子を見上げた。
 アライグマたちもぽっかり口を空けて見上げた。
 漁師も。
 マグロも。
 海鳥も。
 まるで一瞬、時間が止まったようだった。
 
 僕はいかだを漕いで、生き残ったアライグマたちを回収した。
 色々なものはしばらく波間を漂っていた。
 アライグマたちはそれを見ていかにも悔しそうにギャアギャア騒いでいたけれど、やがてそれらが水中に消えていくと諦めがついたようだった。
 最後に空っぽになった机が、がっぽりと盛大に海水を飲み込んで、沈没船のように沈んでいった。
 それについて僕は別段、何の感情も持てなかった。
 どのみち、僕にとって最初から大事なものではなかったのだ。

アライグマがやる理由、僕がやらない理由

アライグマがやる理由、僕がやらない理由

ランドセルの中には色々なものが詰まっていた。けれど、どの中身も僕の興味を引かない。ランドセルには毎日、与えられたものが詰め込まれていく。やがて、ランドセルはいらないもので溢れかえってパンパンに腫れ上がる。僕はある日、山の上のクリーニング店を訪ねる。クリーニング店はランドセルを新品のようにきれいに洗い上げてくれた。しかし、その先には思いも寄らない展開が待っていた。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-07-20

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