バーチャルパーク

 「バーチャルパーク」

 僕は街灯の下に佇んでいた。
 辺りは暗く、闇に覆われていた。
 街灯が落とすスポットの明かりから向こうは何も見えない。
 僕は暗闇に足を踏み出す勇気がなかった。
 だからと言って、ここに一生立っているわけにもいかない。
 いや、一つ道はある。
 朝になるのを待つのだ。
 太陽が昇れば、僕の見る景色は一変するだろう。
 しかし、いくら待っても朝はやってこないのだ。
 僕はそのことに途中で気がついた。
 この世界に朝はない。
 代わりに僕は入り口で受け取ったゴーグルを装着した。
 渡されたことを思い出したのだ。
 ぼんやりと、次第にはっきりと、周りの様子が見えてきた。
 芝生が敷き詰められた広場には一定の間隔でカプセルが並んでいた。
 僕は腕に巻いたバンドに目をやった。
 [39]とあった。
 僕は[39]のカプセルに向かった。
 僕はカプセルの中に足を差し込んだ。
 ウォーターベットのような形を得ない感触だった。
 カプセル内には色々な装置が付いていたが、僕は操作の方法がわからなかった。
 呼び出しの赤いボタンを押すと、スタッフがすぐにやってきた。
 スタッフの男性は口の前に人差し指を立て、僕に声を出さないように指示を出した。
 僕は黙って頷いた。
 スタッフは僕にイヤフォンと小型マイクを装着すると、僕に話をするように仰いだ。
 「操作の方法がわからない」僕は言った。
 「お忘れですね?」
 「いや、知らないんだ」
 「かしこまりました。どんな世界をお望みですか?」スタッフが言った。
 「特に考えていないな」
 「スリルはお望みですか?」
 「いや、ゆっくりしたいんだ」
 「かしこまりました。出会いはいかがですか?」
 「いいね」僕は微笑んだ。
 「かしこまりました」スタッフも微笑んだ。
 スタッフの男性はカプセル内の装置をカシャカシャと操作すると、「ごゆっくり」と言って、カプセルを閉じた。
 
 僕は海にいた。
 空は朝焼けでブロンド色に美しく輝いていた。
 僕は裸足だった。
 足先に冷たい水が触れた。
 僕はしばらく長いビーチを散歩した。
 向こう側から髪の長い女性が歩いてくるのが見えた。
 彼女は裾の長いワンピースを風になびかせていた。
 すれ違うその瞬間、彼女のかぶった帽子が風に飛んだ。
 少し迷ったが、僕はその帽子を追いかけなかった。
 女性は瞬間、僕にきつい視線を向けた後、慌てて帽子を追いかけていった。
 ワンピースの裾が水に濡れ、彼女の足にまとわりついていた。
 しばらくその様子を見ていたが、再び僕は歩き出した。

 僕は朝食をとるために、海の見えるカフェのテラス席にいた。
 テーブルにはよく冷えた白ワインのグラスが置かれていた。
 心地よい風が吹いていた。
 「ねえ、ご一緒にいかがかしら?」
 女性が僕の席にきて声をかけた。
 身なりのいい年配の女性だった。
 「ワインをボトルで頼んでしまって、やっつけるのに難儀してるの」
 彼女はチャーミングに笑った。
 彼女が振り返った先を見ると、テーブルの上に赤ワインのボトルが置かれていた。
 料理もそこそこに並んでいる。
 「誰かと待ち合わせをしていたんですか?」僕は尋ねた。
 「まあ、そんなところ」彼女は肩をすくめた。
 「せっかくですが」僕は言った。
 「あら、遠慮しないで。それともこんなおばさんの相手は嫌かしら?」
 「そんなことはないんですが」僕は言葉を濁した。
 「お互い、せっかくの休日ですもの。楽しみましょうよ」彼女は華やかに微笑んだ。
 「でも、用事を思い出したんです。申し訳ない」
 僕はそう言うと、席から立ち上がり歩き出した。
 ちょうど僕の席に料理を運んできたボーイとぶつかりそうになった。
 振り返ると、年配の女性が赤い唇をひくつかせて、僕を睨んでいた。
 僕は足早に店を出た。
 
 「只今より休憩に入ります」
 アナウンスが入り、ブザーが鳴った。
 自動的にカプセルが開き、シートが直立する。
 天井のライトが薄明かり程度に灯り、周りの様子がぼんやりと把握できた。
 僕はゴーグルを外し、伸びをした。
 他のカプセルの人たちも芝生のスペースに出てくつろいでいる。
 ふと視線を感じて振り返ると、髪の長い女性がこちらを見ていた。
 知らない女性だった。
 僕は体をストレッチしながら、彼女の視線を感じ続けていた。
 やがて、休憩が終わり、僕はカプセルに戻った。
 
 僕は街角に立っていた。
 ふと視線を感じて振り返ると女性が立っていた。
 休憩の時に見かけた女性と容姿は違うが、雰囲気は似ている。
 試しに僕はきびすを返すと、彼女の前を通り過ぎてみた。
 特に何も起こらなかった。
 ただ、ものすごい視線を感じただけだ。
 このままやり過ごすこともできた。
 僕は少し考えた後で、女性に声をかけてみることにした。
 「どこかでお会いしたことがありましたか?」
 「さあ」女性は強い視線を弱めずに言った。
 「よかったら、お茶でもいかがですか?」僕は言葉を続けた。
 女性はぎょろりと目玉を上に向け、空を睨みつけた。
 彼女は僕に視線を戻すと言った。
 「あなたと一緒にいくことにする」
 僕らは歩き出した。女性が僕に腕を絡めてきた。
 僕は嫌悪感を覚えた。
 
 「あそこへ行きましょう」
 女性がレストランを指差した。
 高価そうな上にセンスのない店だった。
 「あいにく、食事はさっきとったばかりで、腹は減っていないんだ」僕は言った。 
 「うそ!あなたは食事をまだしていないわ」
 女性は僕の嘘を暴くように、視線と人差し指を突きつけた。
 僕は黙ってレストランに向かった。
 彼女はたくさんの料理を頼み、視線を僕に向けたまま食べ続けた。
 僕は彼女に声をかけたことを後悔した。
 僕は席を立った。
 「どこへ行くの?」すかさず彼女が言った。
 「ちょっとトイレに」
 「嘘よ」
 女性に見つめられると、僕のお尻は勝手に椅子に張り付いた。
 僕は諦めて、突き刺さるような視線を浴びながら食事をとった。

 僕は休憩時間に救われた。
 ここでは定期的に休憩時間をとることが義務付けられているらしい。
 僕はもう帰ろうと思った。
 ところが、帰る手順がわからないのだ。
 僕はここにきた時と同様に戸惑った。
 僕は出口らしきところを探して、辺りを見回した。
 そうしている間に、さっきの髪の長い女性が近づいてきた。
 「先ほどはどうも」彼女は僕をじろじろ眺めながら言った。
 僕は曖昧に微笑んで、彼女と目が合わせないように目を伏せた。
 おかげで出口を探すことはできなくなってしまった。
 諦めかけたその時、彼女が僕の腕を掴んで歩き出した。
 僕は強い力に引きづられた。
 「どこに行く気だ」僕は声を上げた。
 彼女は歩みを止め、手を離した。
 どうやらそこは出口らしかった。
 フロントがあって、中に受付の女性が立っていた。
 「帰りたいんだが」僕は受付の女性に言ってみた。
 「お帰りですね。キーとゴーグルの返却をお願いいたします」
 僕は腕からバンドを外し、ゴーグルをカウンターの上に置いた。
 ふと見ると、髪の長い女性が背を向けて歩き出そうとしていた。
 「すみません。ありがとうございました」
 僕は彼女の後ろ姿に声をかけた。
 「いいえ」
 彼女は振り返ると強い視線を向けて言った。
 
 僕は建物の外に出た。
 歩き出してしばらくすると、僕は奇妙なことに気づいた。
 どこに帰ったらいいのか、わからないのだ。
 僕はとうとう歩みを止めた。
 何かを思い出そうとしても、思い出すべきものがあるのかさえ不明だった。
 僕は立ち尽くした。
 そこは公園のようだったが、闇に覆われたその先に足を踏み出す気にはなれなかった。
 踏み出したところで、僕には行き先がわからないのだ。
 そのうち僕はあることに気づく。
 腕に[39]と記されたバンドをはめているのだ。
 その文字は青い光で点滅していた。
 僕は自分のカプセルに向かう。
 「出会いは?」スタッフが僕の好みを聞く。
 「いいね」僕は答える。

 そこは見たこともない場所だった。
 行ったことのない場所とは違う。
 場所の質感が今までとまったく違うのだ。
 地面は硬く、なめらかで滑るような感覚だった。
 僕はアイススケートでもしているような足取りで前に進んだ。
 周囲の景色も見慣れないものばかりだ。
 けれど、さほど不思議には感じないのだ。
 曲がり角に差し掛かった時、何かにぶつかると思ったのと、実際にぶつかった瞬間はほぼ同時だった。
 僕は衝撃を受け、空中に放り出された。
 気づくと僕は人だかりの中にいた。
 大勢の目が僕を覗き込んでいた。
 「大丈夫かい?」誰かが僕に声をかけた。
 「ええ」
 僕は上半身を起こして、手足を動かしてみた。
 特に痛みはなかった。
 「何があったんですか?」僕は周りの人たちに聞いた。
 「事故だよ」誰かが答えた。
 「あそこから飛んできたんだ」誰かがはるか遠くを指差した。
 「僕は何にぶつかったんですか?」僕は聞いた。
 「人だよ」
 「人?」
 「よくあることさ」
 「その人は大丈夫なんですか?」
 「さあ」誰かが言った。
 「消えちまったよ」誰かが言った。
 「消えた?」
 「ぶつかった衝撃でね。よくあることさ」誰かが言った。
 その時、あの視線を感じた。
 僕は人垣をかき分け、辺りを見回した。
 しかし、そこには誰もいなかった。
 僕は視線を感じる方向を追いながら、その場を立ち去った。
 やがて、行き止まりに突き当たった。
 そこは大きな穴だった。
 覗き込んでも真っ暗で何も見えない。
 しかし、視線はその中から感じるのだ。
 「おーい」僕は穴の中に呼びかけてみた。
 「おーい」帰ってきたのは僕の声だった。
 穴に入るべきじゃないことはわかっていた。
 どのくらいの深さがあるかわからないし、底で何が待っているかもわからないのだ。
 とにかくいい感じはしない。
 それにも関わらず、僕はその穴に吸い込まれるような魅力を感じていた。
 僕は衝動を抑えきれずに、その穴に飛び込んだ。
 すいぶん長い間、落ち続けていたように思う。
 しかし、それは単に気のせいかもしれない。
 着いた先は何でもない広場だった。
 僕は拍子抜けした。
 しかし、少し経ってから僕は気づいた。
 あの視線はまだ続いているのだ。
 僕は視線に操られるようによたよたと歩き出した。
 池の中から魚が跳ね上がり、僕を睨みつけた。
 「お前か」
 僕は池の中に入っていき、魚を捕まえて締め上げた。
 魚は死ぬ瞬間まで僕を睨み続けていた。
 魚の目から涙が溢れ落ちた。
 かわいそうなことをしたと、僕は思った。
 そこで休憩時間になった。
 
 室内が明るくなると、僕はあの髪の長い女性を探した。
 「先ほどはどうも」僕は彼女に声をかけた。
 「どうも」彼女は微笑んだ。
 僕らは芝生の広場の端にあるベンチに向かい腰をかけた。
 「私はあなたに何度も殺されている」彼女は言った。
 「あの赤い魚もそうかい?」
 「曲がり角でぶつかったのも私。私の体は粉々に砕けて消えてしまった」
 「僕は君を殺す気なんてない」
 「知ってるわ。あなたはただ、出会いを望んでるだけ」
 「君が望んでいるのは何?」僕は彼女に尋ねた。
 「死よ」
 「まさか。そんなに若くて美しいのに、死にたいなんて」
 「わからないわ。ずっとそんな願望を持っていたような気もするし。ただ仕組まれた役割のような気もする」
 「だとしたら、僕は君を殺す役割ということ?」
 「それもはっきりとはわからないわ。でも、あなたと出会うと結果的に、私はあなたに殺される」
 「僕は君を殺したことを覚えていないんだ。休憩時間に入ると、記憶が消えてしまう。ごめんというか、何というか」
 「きっと、私の方がここに長くいるのね。最近、私は記憶が残ってしまうの」
 「それで、僕のことを怖い目で睨みつけるんだね。君は僕のことを恨んでいるんだ」
 「私はあなたを睨んでなんていないわ」
 「そうか。だったら僕の中の恐怖心がそう見せているのかもしれない」
 「きっと、そうだわ」
 「そういえば、僕もさっき魚を殺したことは覚えているんだ」
 「しだいに恐怖が浸透して、記憶として脳に刻まれていくのね。そうやって、私たちは恐怖に心をすり減らして、やがて疲れ切って死んでいくのよ」
 「ここを出ないか?」僕は彼女に提案した。

 僕らは彼女の誘導でフロントへ行き、チェックアウトを済ませた。
 僕らは手を繋ぎ、街の中に出た。
 ホテルに入り、僕らは抱き合った。
 僕らはとても固い絆で繋がれているように僕は感じた。
 ずっとずっと前から彼女のことを知っているような、とても懐かしい感覚が心に残った。
 「今日は私を殺さないのね」彼女が冗談めかして笑った。
 「まさか」僕も笑った。
 けれど、次の瞬間、僕は彼女に強い殺意を抱いていた。
 どこから湧いて出た感情なのかわからなかった。
 僕は休憩時間が来ることを祈った。
 けれども休憩時間はやってこない。
 僕の指が彼女の首筋にめり込んでいく。
 僕はその感触のあまりの恐怖に気がおかしくなりそうになる。
 僕は必死に彼女の首から手を引き剥がそうとする。
 ブチブチと繊維を裂き、骨が折れる感覚が指先から伝わってくる。
 こぼれ落ちそうな彼女の目玉が、僕を睨みつける。
 「休憩時間に入ります」
 そこでブザーが鳴る。
 なごやかな音楽とともに、ぼんやりとした明かりが灯る。
 僕の記憶が薄れていく。
 手に残っていた感触も薄らぎ、消えていく。
 ただ、僕にとっては彼女の強い視線だけが印象的なのだ。
 バーチャルパーク。
 僕らはこの公園から出ることはできない。
 僕らはともに罪を犯した囚人なのだ。

 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

バーチャルパーク

バーチャルパーク

芝生の広場には一定の間隔ごとにカプセルが並んでいた。[39]番。それが彼にあてがわれたカプセルだった。カプセルの中で彼は様々なバーチャル世界を体験する。そしてそこにはいつも彼女の視線があった。突き刺すような恐ろしい視線だ。やがて、彼と彼女との関係性が明らかになっていく。それは、殺す側と殺される側という役割だった。繰り返し、繰り返し、その役回りは襲ってくる。逃げることはできない。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-06-29

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted