ケータイと鶏がらスープとキムチと恋

菅野ラヴィル

家出した後、入院前に書きました。

SDカードの愛子

 虚構とは、ときに真実を凌駕する。この事実を実感したことのある人は、案外、多いのではないだろうか。だって、私たちは常にフィクションに囲まれて生きている。いや、育ってきた。生まれて一番に与えられるものは、ミルクや母乳、食べ物、そして衣食住に関する様々なものだろう。そのうちにでんでん太鼓的なものを、ばばあに与えられるかもしれない。ほらみろ、どうやら、人は「衣食住」という、生命を守るものだけでは生きていけないという、もしかしたら不幸な暗示が、訪れるのだ。生後0歳にして、だ。そしてたいていの人は、次に生命の存続に何ら関係のないと思われる、そう、フィクションに触れることになる。それは、テレビのアニメーションであったり、ディズニーやクレヨンしんちゃんのDVDが車中で流れていたり、または絵本を買ってもらう、という形でだ。フィクションに触れた私たちは、ドキドキや、わくわく、つまり「ここにないもの」への夢想、期待、憧れを抱くだろう。日常より、それは、とても突き刺すものであることもある。痛いこともある。焦燥を駆り立てることもある。そして、いつかのとき、私たちは、フィクションに涙する。慰めを得る。もちろんそうではない人もいる。けれどそれが顕著な人もいる。
ここに、41歳の夢想家がいた。ネットカフェで漫画ばかり読んでいる。ネカフェでシャワーを浴びたなら、バーで一人、ウイスキーのハイボールと、柚子の入った梅酒、どちらもとても濃いのだが………を飲む。そして携帯を操りながら、その日読んだ、マンガの枠の中、霧が立ち込めるその中を、うろんとした頭で歩き回るのだ。気づけば、パチパチという、花火のような音と、拍手が起きていた。どうやら、客の一人の誕生日であったようだ。彼女も笑顔でその小さなバースデーケーキと、顔を赤くした若い女性を見て、手を叩く。拍手であった。彼女は、若い女性を見ても、高校生を見ても、子供を見ても、「ああ、私にもあんなころがあったっけ」などとは、思ったことがない。どうやら、もしかしたら、一般的にそう述懐しがちな人たちよりも、必死らしいのだ。なんだか、汗をいつもかき、一生懸命生きているらしい。それは勿論、誰だって、一生懸命生きていることには違いない。けれど、どうやら彼女の場合、歩くということに際し、右の足を前に出すべきか、それとも左か、そのとき腕は振るべきか振らざるべきか、それにしたって一生懸命考え、必死の思い、もうそれはそれは、真剣勝負、私は今、右足から出した。変じゃないか。変ではないか。道行く人、果たしてみなそうしているのか、おかしかないか、勇気振りしぼって周囲を見てみよう、私を見て笑う人はいないか、子供は私を指さしていないかと、戦々恐々たる面持ちなのである。これを一概にただの「自意識過剰なおばあさん」と笑っていいものだろうか。ここで私は少しだけ思う。これが単純に「自意識」という若やいだものによるものだとしても、その自意識、失ってはいけない。私には理由をつまびらかに説明できぬまま、それは尊いもののように感じられるのだ。とても大切な。もし、自意識を、一切合切、失ってみたら、神は銀河鉄道から、あなたを落っことすでしょう。神様を勘違いしてはいけない。神様は背後に薪を背負っている。そしてそれはぼうぼうと燃え盛っているのだ。疲れた年寄りは許しても、オナニーばかりしているサルと、自意識を失った、原始人は許さないかもしれないと私は思う。
 そして、その憐れな彼女の名は愛子という。ありきたりな名前であるのは偶然で、父と母は、エホバの証人を信仰していた。愛、そして子。彼女は自分の名前について、よい名前だと思っているものの、エホバの証人は信仰していないのだそうだ。自意識、自意識の過剰。彼女の性格のこの傾向、行き過ぎたこの傾向の由来はやはり、フィクションだった。彼女の癖は、己をフィクションにしてしまうことだった。その証拠に、夜、自分で漬けた梅酒を少し飲みながら、小説を書いている。誰にも見せないのだそう。胸底奥深くしまい死んでいこうと、旦那にも秘密にして、にやにやと笑っている。誰かに見せる、勇気。そんなものとっくの昔に失ってしまった。なぜなら彼女は小食だったこと、お酒を飲みすぎる傾向にあったからだ。創作の欲求は別だ。創作の工夫も別だ。けれど、「発表」、これには体力を必要とした。うまく言った。そう、胸底奥深く。彼女の己の狡さ、怠惰さを、なんとなく、ごまかす、そして紺色のワンピースの似合いそうな、奥ゆかしく、秘密めいた印象すら与えるではないか。けれど。それは、運動も嫌い、食べるのってなんだか面倒くさい、そんな彼女の怠惰をごまかすための言い訳に過ぎなかった。彼女は洗濯ものを庭に干しながら考える。彼女は夫のTシャツを干した。一事が万事、そうなのだ。
 彼女は、考える。どうも私は寝相が悪いなあ。旦那とは別々のベッドで寝ているし、ベッドもセミダブルだけど、これは正解かもしれない。寝るときに置いた枕の位置、この枕におのが頭部が朝、乗っていた試しがない。そして、どうにもこうにも、年のせいか、肩や背中や腕が凝る。それは勇者ヨシヒコの持つ剣をぶすぶすと突き刺すようんなするどい、かなり弱ってしまうほど、強い痛みで、本当に最近参っている。病院で薬を処方してもらい、飲み始めて2週間近くになるが、あまり効果はない。いつになったら、この痛みから解放されるのだろう、それが目下の最大の関心事だ。いつ、この痛みから解放される? いつ? いつ? いつこの痛みから自由になれる? 
 私はよく人がやるように、夜寝る際にベッドで携帯を充電する。彼女は今夜もUSBに携帯をさした。彼女はどうも眠りが浅く、これも目下の少々の悩みではあるが、体が常に痛いということに比べると、それほどの悩みでもない。私は今日も洗濯した清潔な枕カバーに頭を置いて、目を閉じた。薬なら40分ほど前に飲んである。私は1時半頃に眠ったと思うのだが、2時半には目を覚ました。腹ばいなって考える。彼女は夢を見ていたらしい。泰孝君の夢だった。お寿司屋さんでカウンターに並んで一緒に茶碗蒸しを食べていた。泰孝君は、どうしてなんだろうと思うほど、彼女を追いかけて追いかけて、どんどんみっともなくなっていく。給料で旅行や、アクセサリーをそれはそれは一生懸命買う。彼女は、泰孝君にこう、ラインした。「もしかしたら、あなたを愛しているのかもしませんよ」。卑怯千万である。どうやら日頃のお寿司や、温泉旅行、アクセサリーのお礼にと、ふっと夜中に思いついた、計算こそないが、幼稚で浅はかで、なんの優しさもない一言メッセージであった。私は彼女がそうしたことに気が付き、これをすべて虚構にしようと、ラインをSDカードにダウンロードし、フィクションとしてすました顔をして、生ぬるい扇風機の風を受けながら、生ぬるい水をごくんと飲んで、眠ってしまった。
 次に彼女が目を覚ましたのは、3時40分くらいだった。その時は私はトモクンの夢を見ていてた。トモクンはとても背が高い。そして顎にひげをはやしている。私は気づいている。本当のことを言えば、彼女はトモクンの隣で眠るのが心底嫌なのだと。どうしていやなのだろう? と少々考え、彼女は、トモクンの体の毛深さに起因しているのではないかと、結論付けた。それはやはり彼女とトモクンの間にはそれなりの関係はあるものの、彼女は、トモクンとのホテルでの密会を、それを目的にしていなかった。トモクンは体に見合う、かなりの酒豪であったのだ。トモクンも彼女もいくら飲んでも吐くことはない。トモクンについては知らないが、彼女は大量のお酒を意識がちぎれるまで飲む。トモクンには独特の癖があり、彼女とトモクンの行いを携帯で動画を撮る。そしてそれを彼女に送り、彼女はそれもまたSDカードにダウンロードし、みんなみんな、フィクションにしてしまう。彼女はまた、その動画もすべて「ちぎれてしまえばいいのにな」と考えている。映像は、画素というもので構成されているらしいが、私なんて、みんな画素がバラバラになって、点になって、それらは霧散し、とても固くて、よそよそしい霧みたいになってしまえ、そのくらいまで、ちぎれてしまえ、そう思いながら、お酒を飲み続けるのだ。動画を再生することはないが、そのなかでトモクンは何回も、「愛ちゃん、愛ちゃん」と叫んでいる。その「愛」、「愛ちゃん」という名前、呼び名、これもSDカードの中でフィクションとなり、「愛」も「愛ちゃん」も意味が擦り切れるのか、何を意味した音声なのか、誰にも、トモクンにも、彼女にも分からなくなり、誰にも分らなくなり、音だって、そう、ちぎれていくのだろう、高さ、大きさ、音色、すべてがちぎれ、音は音ではなくなっていく、始めは、何かのうなり声で、それすらなくなり、音自体がなくなる。つまり無音になるのだ。画素の点の固い、霧中、無音。それが私の目指す虚構だった。フィクションだった。別に悲しいとも思わない。それが私の目指すフィクション。真実を凌駕する、真実よりも真実めいたフィクションだった。
 しばらく私は寝付けなかった。昔、全く眠ることができずにいた時期があった。あれはなんだか、奇妙に苦しかった。何かすればいいと父は私にアドバイスした。テレビを見る。音楽を聴く。本を読む。雑誌をめくる。私はそのアドバイスに従い、朝、新聞配達のバイクの音が聞こえると、めそめそと泣きだした。何回か自殺未遂を試み、成功しそうになったり、明らかに失敗し、困惑したまま病院が開く時間を待ってみたこともあった。冷蔵庫に入っていた缶詰のパイナップルを食べた。お腹が痛くなった。水道の水は夏のこの季節、確かに生ぬるい。けれどそれが気持ち良い。外は明るくなり、明るさは真空を想像させる。けれどそうではないとは、音の要素が、私にばらしてしまうのだ。なんだか今晩で初めて気持ちよく眠った。石塚さんから電話がかかってくる夢を見た。水曜日に会いましょう。石塚さんとは、一回、お酒を飲んだ後、1時間だけカラオケに行った。都内でIT関係の仕事の営業をしている。成績はいいらしい。千葉の流山に大きな家を建てた。趣味は食べ歩き。ある駅にある、少し有名な串焼きやで、串焼きともつ煮を食べて、ホッピーを飲んだ。私が店を出ると、石塚さんがそっとすぐ後から店を出た。私は精神病院で栄養士をしていると嘘をついた。あの店のもつ煮に入っていかなったこんにゃくは、水溶性食物繊維。石塚さんは、最近、健康を考えて、豆乳を飲み始めたのだが、と言った。私はそれはいいと言って、なるべくなら成分無調整がより良い、と付け加え、カラオケ屋で、酔ったキスを長くした。電話番号も交換したが、電話はかかってきていない。彼女は………、私から電話してみるべきだろうか、と1週間と4日間考え、SMSで「水曜日に会いましょう」とメッセージを送ってみた。けれど、2週間たった今、返事すらない。誰にも会いたくなんてないのに、どうしてもどうしても、石塚さんに会わなくては、とても会いたいからという強迫的な気持ちになる。セブンイレブン、ウェルシア、東武ストア、バス停まで歩く。それらは好きだが、特に誰かに会いたいなんて、どこかに行きたいなんて考えなくなった。自室でしゃがんだまま、猫の「みい」の頭を何時間でも撫でていたい。大きく暗い川の表面を、川を舐めていくみたいに葉っぱが滑っていく。とても速いスピードだ。朝、7時に泰孝君からのラインを告げる音で目をさました。携帯の画面を確認した後、また目を閉じる。目の裏側に意味をなさないアルファベットが並んでいる。よくわからない、Wi-Fiのパスワードみたいだ。それらがいくつか並んでいる。彼女は一つグレーになっているアルファベットの表記をタップした。すると石塚さんと串焼きともつ煮を食べたこと、ホッピーが濃すぎたこと、カラオケでキスをしたことはドキュメントとなり、携帯の内部ストレージに収められた。足りない。圧倒的に足りない。それはまだ、現実みたいだ。夜寝た時に見る夢だって現実だって言える。私はそのドキュメントをSDカードに移動させた。長かったキスもみんなフィクションとなり、私の手も足も、体全部もフィクションとなった。私は確かにこのストレージにいるけれど、彼女はあのストレージにいる。今晩分だけ。けれど、昨日までもこれを繰り返してきたし、明日からも繰り返すつもりだ。記憶を残した頭をベッドのどこかで見つけて、起きてしまうのならば。そうか、頭の中の石塚さんの言葉、「水曜日に会いましょう」は、きちんとした意味を持つ、現実の中で発した、私から、石塚さんへのメッセージだったのだ、と気が付いて恥ずかしいと思った。当たり前の女らしい、恋心と、未練である。
 確かに好き男性ならいるのだ。その人は私とは違う地平にいた。私は低い地平にいて、その人は高い地平にいる。その私のいる地平と、その人のいる地平は水平で、絶対に接することがない。悲しい出来事にぶつかると、ついででもあるかのように、気が狂う寸前のように、発狂しているように涙が出る。嗚咽と鼻水と、呪文と共に。私は頭の地肌から汗をかきながら、しばらくの間涙を流す。そして泣き止むとケロッとして、うっとりとした、とてもよい詩を読んだ後のような気分になる。もしくはとても面白いテレビを見てたくさん笑った後のような気分になる。どうしてもここにいて欲しい人。話しかけたい人。不機嫌になってしまう人。恥ずかしくなってしまう人。手を触ってみたい人。体温が私より少しだけ高い人。いつも唇が荒れている人。私の白いブラジャーの隙間に手を入れて欲しい人。湿った肌の湿度を確かめて欲しい人。冷たいベッドで裸で隣に寝て欲しい人。いつも笑っていて欲しい人。どうしてか知らないけれど、私のことを良く知っている人。閉じこもりたい人。廃墟で二人きりで暮らしたい人。夜の誰もいない公園で、目が合ったら笑いたい人。そうはいっても、その人を考えるとき、突き刺さる性欲と熱狂、その切実でとても切実すぎる思いとは裏腹に、とても激しい戦争映画を見ているような、マフィアの銃撃戦を見ているような気分にしかならない。とても冷めているのだ。どうでもいいのだ。あっちの方ではずいぶんと、命が失われたり、けがをする人が大勢いる。死に至るけがを受けた人もいるだろうし、倒れている人は瀕死の状態で、次の瞬間に死んでしまうのかもしれない。けれど、それはきっと「画素」で構成されたスクリーンなのだろうし、私には関係ないのだ。戦争やマフィアの抗争のフィクションが与える私への影響は、「そんな気分」にしかすぎない。ときにはジブリでさえ、私にはそんな風に映るのだ。熱狂と冷凍庫みたいな冷静。ずっと好きな人。小さな子供のその人を想像ですらできる人。シャーベットのアイス。それは平たい棒に刺さっている。つまりgrgrknだ。要するにガリガリ君。70円。消費税含めて75円。暑い夏、そのガリガリ君を握りしめて、恋しい人を追いかけてみた。すっと道を曲がる。私も曲った。家賃の高そうな高層マンション。気ちがいの女性が一人で住んでいる低い市営団地の影は、当たり前だが、高さが違う。そのでこぼこは異邦人を思い出させる。隅の花壇には、パンジーがぺしゃんこに枯れている。アイスは水滴を点々とたらしている。影しか踏まないように気をつけながら歩いた。円盤の陰。それは私がかぶる、大きな歪んだ帽子の影で、幽霊みたいだった。幽霊と押し入れ。あの人はどんどんさきに行ってしまう。そして90階あるように見える、高いビルに入っていった。私もビルの前まで行った。ビルの前で食べかけのガリガリ君は落っこちた。ぐしゃ、という音すらせずに。今、どんな建物の影も、薄く長く、私の帽子の影も薄い。どうしてかというと、夜になったからだ。月に血管みたいなグレーの筋が浮かんでいる。大きな月のそばに、大きな緑色の円盤が浮かんでいる。窓はオレンジ色にともる。暖かい色の星が反対側に浮かぶ。そこだけが、きっと優しい者たちがみんな、着地する場所なのだろう。そして、「救う」ということを、みんなが考える、そんな場所なのだろう。彼女はそう思い、家路についた。肌に触れる風は、悲しかった。
 昔入院していた病院にIさんという30歳程度の女性がいた。完全にイってしまっていて、フォーカスが他の誰とも違う。とはいっても私だって、外の人たちとはフォーカスが違っていたし、入院している誰もが、独自の場所にフォーカスを置いていた。そのフォーカスは常に移動するのも、入院患者の多くの人たちの特徴だったし、私もそうだった。Iさんは外泊ができなかった。お父さんが迎えに来ないと、外泊ができないらしかったが、お父さんはどうしても、迎えに来なかった。Iさんは外泊の日、外に通じるガラスドアの前の椅子に大きなバッグを膝において座っていた。ちょくちょく看護婦さんがやってきて、「Iさん、お父さん今、お仕事なんですって」、「Iさん、今、お父さん、ご親戚のお見舞いに行っているんですって」、「Iさん、今ね、お父さん、お友達とのボーリングを抜けられないそうなの」。だから、だから、Iさん、こんなところに身じろぎもせず、黒目の位置さえ変えず、座り続けていないで、一回病室にかえったらどう? Iさんが、外泊に成功したことを私は知らない。そしてIさんのお父さんもついぞ、見かけたことなかった。つまり、見舞いにすら来なかった。Iさんはいつもお小遣いにも困っていて、バスタオルを一枚しか持っていないらしかった。髪は年配の看護婦さんがカットしていた。あの頃はSDカードなんて知らなかった。あの頃は彼女なんていなかった。私は愛子という名前だったし、彼女は愛子ではなかったのかもしれない。正確に言えば。けれど、あの頃が良かったという思いはない。私はIさんに、いつか食べた、鶏のスープでできた、優しいラーメンを食べさせたかった。食べさせたいと言うと、なんだかおかしいのだが、無性に無理やりにでも、Iさんにその、鶏のスープの白い少しだけ白濁したラーメンを「食べさせたかった」のだ。そのためには、鶏の首を絞め、ばらばらにさばき、骨から、脂肪も、筋肉も、筋も取り除かなくては、美味しくて、透き通った優しいスープはできない。風通しはいいのだが、ブロック塀で囲まれた個室。音楽を流す機器もない。楽しいという感情もなければ、悲しいとも思わない。熱狂はもちろんないが、適度な温度の冷静さはある。今の結婚した私のアパートの自室ととてもよく似ている。床はアスファルトで、青いホースから、清冽で冷たい水が常に流れているもんだから、床はいつも清潔で、潤っている。首を絞められた鶏がいくつも並ぶ。私は骨から筋や筋肉をそぎ落とすのに難儀をするので、一計を思いつく。つまり万能包丁の歯の方を骨に直角に当て、ゴリゴリと音をたてながら、こすっていけば効率的というわけだ。私は明後日、リコンする。隣には匂いもしないが、キムチ工場が煙を立てている。キムチは鶏の首を絞めるなどして作るわけではない。けれど、私は自信を持っているのだ。この鶏のスープでできたラーメンは、心に湯気をたたせる力をもつ、とても暖かく、透明でドロップの形に似た、涙にとても似ているのだと。私はキムチをそれほど食べないし、詳しくもない。けれど、優しさは、次の片足を前に出す、勇気を与えてくれることがたまにはあるのだ。Grgrkn、ガリガリ君の反対、平たい棒に刺さった75円のシャーベットアイスの反対は「安心」。溶けない、バラバラにならない、落っこちない、あたたかい。Iさん、月極駐車場で、パンツを脱がずに、次に好きになる人は、こんな気持ちで好きになりたいわね。
 私は昔の私の夢を見た。私の涙は珍しく正確に枕をとらえ、私の使うシャンプーの香りのする枕カバーを濡らしていた。私の頬はそれに触れていて、目が覚めたとき、冷たいなあって感じた。

ケータイと鶏がらスープとキムチと恋

いさむくんの一年ほど前の作品です。

ケータイと鶏がらスープとキムチと恋

私は私を虚構にしたがる。すべてをSDカードに入れてすましている。「私」だって「彼女」というフィクションだ。康孝君もトモクンも石塚さんだって。けれど、本当に好きな人は地平線が違う。あくまでも水平な線のうえにいる。ガリガリ君は溶けてしまい、熱いアスファルトに落ちるけど。鶏柄でとったスープ。白濁したラーメンは、Iさんへの優しい気持ち。安心。あたたかいのだ。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted