ガールカウンセラー5th

不動

ガールカウンセラー5th
  1. 一 激白
  2. 二 内情
  3. 三 再確認
  4. 四 押しかけ
  5. 五 要請
  6. 六 対策
  7. 七 相談
  8. 八 対策
  9. 九 見通し
  10. 十 エピローグ

一 激白

 日曜日の昼、京橋茂は受験勉強をしていた。受ける大学は偏差値が高い法政大学なので、進級してすぐに勉強を始めていた。
 現在、鎖国状態である各国は資源エネルギーを自国で賄えるだけの人口調整をおこなっていた。その為、どうしても高齢者が邪魔になってしまっていた。
 国は何度もの議論の末、医療の内科と外科のみを後退させた。そのせいで、幼馴染の加納しいなが亡くなっていた。
「休憩するか」
 ある程度区切りがついたので、部屋を出て階段を下りた。階段の下は玄関になっていて、玄関の正面にはリビングがあった。
「あれ、真理のやついないのか」
 外出の少ない妹だったが、今日は靴がなかった。
 リビングに入ると、母親がテレビを見ていた。テーブルにはコップが置いてあり、その横にはスナック菓子があった。
「あ、休憩?」
 茂に気づいた母親が、ゆっくりと顔を上げてそう言った。
「ああ」
「食べる?」
 茂の様子を見て、母親がスナック菓子を薦めてきた。
「いや、いらん。それより真理は外出してるんだな」
「え、そうなの?珍しいね。何も言わないで外出するなんて」
 いつもは母親に行き先を告げて、出かけることが多いのだが、今回は無断での外出のようだ。
「それは珍しいな」
 茂は母親の脇を素通りして、奥のキッチンで麦茶を飲んだ。
「そういえば、今日も行くの?」
「ん?ああ、勿論。卒業するまでは行くつもりだよ」
「あっちの家にはちゃんと伝えてるの?」
「許可は取ってるよ」
 毎週日曜日は、しいなに線香をあげに加納家を訪れていた。これは卒業までは続けるつもりでいた。
「茂。ちょっと話さない?」
 母親が真面目な顔で、自分の隣に座るよう促してきた。
「なんだよ」
 特に拒む理由もなかったので、休憩ついでに話を聞くことにした。
「菜由さんとは、結婚しないの?」
 茂個人、断固として拒否したはずのことを母親がなぜか蒸し返してきた。
 午前中、尋ねてきた葛木一家がお詫びも兼ねて訪問してきて、葛木の母親から娘である菜由子との結婚を持ち出されたのだった。
「しねぇ~よ。そもそも俺、あいつ嫌いだ」
 これは本人にも伝えていて、粘着質な性格と強引過ぎるところが本当に嫌いだった。
「あんなに美人なのに」
「美人だから結婚するって、ありえねぇだろう」
「今の時代そうでもないんじゃない?」
 今の国の結婚制度は、二夫二妻で誰でも二人の配偶者がもてるようになっていた。しかし、二度離婚してしまうと、二度と結婚できない制度という縛りがあった。
 この制度の最大の欠点は、父親の給料の配分制だった。二人の妻を娶ると、父親の給料は五割は同居者、三割は別居者へ配分されて、手元に残るのは二割しかなかった。
「今の時代、二人と結婚する男なんていねぇ~よ」
 男性の間ではこの制度への反発が強く、差別だという言葉も多く飛び交っていた。
「でも、結婚しないと独身税が引かれるよ」
 独身税は、一律で給料の三割は取られていた。
「重荷を抱えるよりいいだろう」
「お、重荷?」
「あ、なんでもねぇ~」
 これは失言だと気づき、即座に取り繕った。
「とにかく、俺に結婚願望はねぇ~よ」
「ふ~~ん。まあ、いつまでその強がりが持つかは楽しみだね~」
「どういう意味だよ」
「あそこまで積極的な家族に、押しに弱い茂がどこまで耐えれるかな~ってね」
「・・・」
 母親の嘲笑に、茂は言葉が出なかった。
「あははっ、冗談よ。これは茂が決めることだから、慎重に選びなさい」
「選ばねぇ~よ。まあ、葛木の積極性は利用してみるさ」
「酷いね。あんなに好きでいてくれるのに」
「望んだわけじゃねぇ~。一方的な好意は迷惑なだけだ」
「ふ~~ん。じゃあ、茂が好きになればいいじゃん」
「簡単に言うなよ。嫌いな相手を好きになることは、胃潰瘍になるのを覚悟しないとできん」
 これは何度か心掛けてみたが、失敗に終わっていた。しかも、この時代に易々と病気になるわけにはいかなかった。
「結婚したら、ストレス死しそうだね」
 茂の例えに、母親がおかしそうに言った。
「半年であの世逝きだな」
 しかし、その憶測には現実味があったので嘲笑いながら認めた。
「そんな自虐的にならなくても・・・」
 これに乗ってくるとは思っていなかったようで、母親が呆れ返った顔をした。
「もう結婚の話はやめよう。どうせ、結婚する気もねぇ~し」
「今の段階ではそうかもね~」
 母親はそう言うと、無造作にスナック菓子を頬張った。
「そうそう、さっきお父さんから電話があってね~」
「ああ。そう」
「恵美さんのところはうまくいったそうよ」
 恵美とは父親のもう一人の配偶者で、ここ最近金銭面で困っていた。
「そりゃあ、良かった」
「茂に感謝してたよ」
「なんでだよ」
「うつ状態の茂を置いていったからよ。本当に心配してたわ」
「ふ~~ん。それは悪いことしたな」
「淡泊ね~」
「で、もう戻ってくんの?」
「う~~ん。どうだろう。真理の許可が必要かも」
「母さんもいい加減、真理を気にするのやめたら?」
 母親は妹に対して過保護すぎるので、何度目かの注意をした。
「それはできない!」
 しかし、母親が力強く拒否してきた。
「はぁ~、あれはもう治ってるんだから、心配する必要ないだろう」
「頭ではそう思ってるんだけど、心がどうしても無理なのよ」
 昔、真理は一度だけ難病に掛かり、入院したことがあった。今では元気なのだが、またいつ再発するか不安なようだ。
「あっそ。じゃあ、しょうがないな」
 無理に言っても、仕方ないので引くことにした。
「いつ子離れするんだか」
「そ、それは、だ、大学までよ・・たぶん」
 もう発言から自信がなさそうだった。
「もう戻るよ」
 設定した休憩時間を過ぎていたので、勉強を再開することにした。
「あ、ごめんね、勉強の邪魔して」
「いいよ。別に」
 母親の謝罪を軽く流して、リビングを出た。
 自室に戻り、勉強を続行した。あと1時間したら出かけるので、目標の箇所まで進めることにした。 
 しばらく勉強していると、突然携帯が鳴った。
「え?」
 電話はほとんど掛かってくることがないので、着信音に驚いてしまった。画面を見ると、立嶋の名前が映し出されていた。
「もしもし」
 とりあえず、電話には出てみることにした。
『あ、もしもし、京橋?』
 電話の相手は、同級生の立嶋琴音だった。
「ああ、そうだが」
『初めての電話だよ』
 立嶋の声は、興奮気味でテンションがいつもより高めだった。
「そうか。用件はなんだよ」
『特にないよ。ただ声聞きたかっただけ』
「あのな~、休日は勉強してるんだよ」
『へぇ~、凄いね。私は、未読の新聞を読み終わったところだよ』
「そ、そうか。どんな記事が目に付いた?」
 すぐにでも電話を切ろうと思ったが、我慢して話を振った。設定上、親友に位置付けている立嶋だったが、茂には葛木同様嫌いな相手だった。
『そうだね~。今回の国会で衆法の議案が出たんだけど、その中身が笑っちゃうものでさ~』
「なんだったんだ?」
『二夫二妻の改正なんだけど、少子化が未だに解消されないことを憂えていて、とうとう禁断の案が出てきたんだよ』
「ああ、それ読んだな~。確か父親の血縁同士の結婚が可決されたんだっけ」
『そうなんだよ~。近親相姦が法律で認められちゃったんだよね~』
「まあ、半分だから微妙なラインだな」
 母親の血縁同士の結婚は禁止だったが、父親の血縁は曖昧なままだった。それが今回の国会で可決してしまったのだ。
『あれはダメでしょう』
「そうだな。政府は少子化に焦っているみたいだったしな~」
 実際、政府はいろいろな議案を出していたが、どれもリターンよりリスクが高すぎだった。あとは些細な対策ばかりで全く成果が得られないでいた。
『これでまた家庭環境に不和が生じることになるね~』
「そうだな。でも、その法案でもう一つも可決したからいいんじゃねぇ~か」
『ああ、配偶者の血縁同士とは結婚できない制度だったね』
 一時期、男が姉妹二人と結婚して、問題提起されたことがあった。それをマスコミが大々的に取り上げ、風潮的にそれが悪いことだと印象付けられた。それが原因で、与党議員が議案を提出して可決されたのだった。
『あんなの単なる目暗ましでしょう』
「たぶんな。今回の父親の血縁同士の結婚を可決させる為のものかもな」
『国民の非難をできるだけ避けたくて、メディアを利用したのね』
「穏便にいきたかったんだろうな」
『どうかな。あれはあれで非難の的になるよ』
「そうなったら、またネットで炎上するだろう」
『でも、それはまだなってないみたいだね~』
「そうだな」
『少子化対策なんて、懐事情なのになんで結婚の制度にこだわるのか、私にはわからないかな』
「財源がないから、子育ての優遇まで手が回らないんだろう」
『それは昔からでしょう』
「まあな」
『しかも昔の方が財源多いのにできなかったみたいだし』
「老人を優遇してたみたいだな」
『そうそう、おかげで長寿になって余計お金が掛かってたみたい』
「これも政治に興味がなかった国民のせいかもな」
『そうかもね。あとマスコミ』
「そうだな。もう切っていいか?勉強したいから」
 これ以上話を進めると、マスコミへの不満が延々と続くので、ここで話を終わらせることにした。
『あ、そうだったね。ごめん』
「じゃあな」
『うん。明日ね~』
 立嶋が通話を切ったのを確認して、茂も電話を切った。
「これが毎日掛かってきたら、苦痛だな」
 携帯を見ながら、溜息交じりに本音を呟いた。
 それからは出かける時間まで勉強した。
「そろそろ行くか」
 時間になったので、部屋着から私服に着替えた。といっても、ハーフパンツをジーンズに履き替えただけだ。
 部屋を出て、リビングへ向かった。
「ちょっと、行ってくるよ」
 リビングのドアから顔だけ出して、母親に一声掛けておいた。
「ああ、うん。いってらっしゃい」
 テレビを見ていた母親が、軽い感じでそう返してきた。
 家を出ると、雲一つない快晴で太陽が西に傾き始めていた。
 歩きながら、今後の同級生の対応を考えた。前からずっと拒絶していたのだが、最近その二人の同級生が将来有望株ということが判明したので、取り込むことを検討していた。
 公園を通過して、加納家に着いた。加納家は二階建てで、周りの建物と比べると、広くて裕福な感じだった。
 茂は、いつものように門扉の横にあるインターホンを押した。
「はい?」
 出たのはおばさんだった。
「どうも、茂です」
「あ、はいはい」
 おばさんの返事は、いつもと違い少し慌てた様子だった。
「あ、あれ?」
 すると、門扉越しにいつもと違った風景が目に映った。
「いらっしゃい♪」
 おばさんが駆け足で門扉まで来て、つくり笑顔で迎えてきた。髪はセミロングのミルキーボブでいつもと変わらなかったが、服装はネイビーのブラウスに白のクロップドパンツで、明らかに部屋着ではなかった。
「ど、どうかした?」
 茂の訝しげな表情に、おばさんが少し表情を引き攣らせた。
「え、あ、はぁ。そこにいる柴犬に見覚えがあるんですが」
 中庭に柴犬が寝そべってくつろいでいて、かなり気になって仕方なかった。
「ああ、そうね。ちょっと、あ、預かってる?のかな」
「なんですか、それ?」
 おばさんの歯切れの悪い発言に、思わず首を傾げた。
「私もよくわからないわ」
「そうですか・・・お線香あげていいですか?」
 本人も答えに窮しているので、追求はやめておいた。
「あ、ああ、うん。どうぞ」
 おばさんは動揺しながら、茂を招いてくれた。
「すみません。お邪魔します」
 柴犬は気になったが、見間違いだと思い込んで玄関に入った。
「ん?」
 が、そこには明らかに見たことのある靴があり、その他に二足の靴があった。
「誰か来てるんですか・・・というか、妹が来てませんか?」
 抽象的に聞くのも面倒だったので、直接聞いてみた。
「う、うん。来てるよ」
「その他にも二人、いますね」
「う、うん」
 おばさんは、気まずそうに視線を泳がせた。
「何しに来てるんですか?」
 自分の考えでは線香をあげに来たとしか思えなかったが、おばさんの様子を見てそれは除外した。
「そ、それは・・・」
 茂の追求に、おばさんが言葉を濁した。
 すると、正面の階段から予想外の人物が下りてきた。
「どうも、こんにちは。京橋~♪」
 セミロングでポニーテールの美人が、嬉しそうに声を掛けてきた。
「なんでおまえがここにいるんだよ」
 それはクラスメイトの葛木菜由子だった。彼女は、ふくらはぎまでのジーンズに白のブラウスというラフな格好だった。これは茂の家に来た時の服装と変わっていなかった。
「用があったから」
 葛木が単調にそう答えると、後ろの階段からさらに三人の人物が下りてきた。
「え~~っと、なんでおまえらがいるんだ?」
 あまりの変な組み合わせに頭が追い付かず、その言葉が自然と口に出た。葛木の後ろには小学生の加賀未来がいて、さらにその後ろに幼馴染で最近まで疎遠になっていた前田正吾と妹の真理がいた。
「ど、ども」
 茂の視線に、未来が気まずそうに目を逸らした。彼女は、ツインテールで上は乳白色のフリルブラウスだったが、下はなぜかショートパンツで外出には向かない服装だった。
「本当にすごい行動力だな~」
 ここで正吾が、感心したような声を漏らした。彼は長髪を後ろで縛っていて、服装はストレートデニムに五分袖のカットソーのスタイリッシュな格好だった。
「そうだね」
 隣の真理が、正吾に同意するかたちでそう言った。妹は、背中までの長髪で上はチュニックに下はキャロットスカートを着ていた。
「目的が一緒だったからよ」
 葛木が代表して、一言で返してきた。
「あ、あの、おばさん。これってどういうことですか」
 四人から視線を逸らして、第三者であるおばさんに話を振った。
「え、えっと。う~~ん」
 どう答えていいかわからないようで、おばさんはかなり困った顔をした。
「まあ、京橋が戸惑うのもわかるわ」
 ここで葛木が、嬉しそうな顔で口を挟んできた。
「立ち話もなんだから、部屋に行きましょうか」
「おまえの家じゃねぇだろう」
 急に仕切りだした葛木に、茂は呆れた顔で指摘した。
「だって、家の人が黙ったままだし、ここで立ち話は嫌でしょう」
「だったら、おばさんに聞けばいいだろう」
 茂はそう言って、黙っているおばさんの方を向いた。
「上がっていいですか?」
「うん。どうぞ」
 おばさんも平静に戻って、手のひらを上に向けて招いてくれた。
「こうやるんだよ」
 茂は玄関を上がって、葛木に向かって皮肉の笑みを浮かべた。
「嫌味な人」
 それを見て、葛木がぼそっと愚痴った。
「じゃあ、俺は帰るよ」
 すると、正吾がそう言って帰ろうとした。
「え、なんで?」
 それに葛木が、驚きの反応を示した。
「もう俺は不要だろ。あとは任せた」
「待ちなさい」
 正吾の言い分が気に入らないのか、葛木が嫌な顔で呼び止めた。
「なんだよ」
「少しは話していきなさい」
 葛木はそう言って、おばさんを横目に目配せした。その横にいたおばさんを見ると、少し名残惜しそうに正吾を見ていた。
「全く、少しは周りを気に掛けなさいよ」
 葛木が呆れた表情で、おばさんから視線を外した。
「そうだな。これは俺が悪かった」
 葛木の真意を察したようで、正吾は帰ることをやめた。
「少し話しましょうか」
「え、あ、はい」
 正吾の誘いに、おばさんが嬉しそうに表情を緩めた。
「じゃあ、私たちは部屋に行こうか」
 二人が奥に行くと、葛木が再び場を仕切り出した。
「だから仕切るなよ」
「細かいな~。そんなんじゃあ、嫌われるわよ」
「おまえに嫌われるのなら、嬉しい誤算だな」
 話の流れで、思わず本音を口に出してしまった。
「それ、言っちゃダメだよ」
 これに葛木が、悲しそうな表情で注意してきた。
「そ、そうだな。悪かった」
 一応葛木とは友達という設定なので、今の言葉は失言だった。
「兄さんは、建前を磨く必要がありますね~」
 これを見た未来が、残念そうに茂に助言してきた。
「おい、真理。なんで葛木と一緒なんだ?」
 さっきは流れで聞けなかったので、歩きながら小声で聞いた。
「ん?たまたま会ったんだよ」
「なんで同行してんだよ」
「まあ、いろいろあるんだよ」
「怒らなかったのか?」
「菜由子さんにそれは無意味だね」
「それもそうだな」
 確かに、マゾっ気のある葛木には喜ばれるのは目に見えていた。
 部屋に着き、葛木がドアを開けて入った。部屋は八畳と広く、四隅にはベッドにテレビ、学習机、収納ボックスがあった。中央にテーブルがあり、それを囲むように絨毯が敷いてあった。しかし、あるのはそれだけで一人部屋にしては広く感じられた。
「あれ?ここってしいなの部屋じゃなかったっけ?」
 小学生の頃、茂はよくこの部屋に来たことがあった。
「そうだよ。今、未来ちゃんが使ってるわ」
 すると、後ろにいた妹がそんなことを言った。
「はっ?使ってる?」
 言ってることが理解できず、思わず聞き返した。
「まあ、座って話そうよ」
 葛木が茂の横を素通りして、絨毯に座ってからそう促してきた。
「あ、ああ」
 葛木の言われるがまま隣に座ると、その隣に真理が座った。
「・・・えっと、私から言おうか?」
 言い出しにくい雰囲気の中、葛木が未来に確認した。
「私から言います」
 未来はそう言って、何かを決意したように顔を上げた。
「ごめんなさい。私、嘘ついてました」
 そして、謝罪の言葉を口にした。
「へぇ~、そうなんだ」
 そんなこと誰にでもあることなので、軽い感じでそう返した。
「か、軽いわね」
 これに葛木が、呆れたように茂を見た。
「私は、しいな姉さんの妹で加納未来と言います」
「え!」
 未来の予想以上の激白に、茂の頭が真っ白になった。

二 内情

 未来の発言に、しばらく部屋が沈黙に包まれた。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
 この沈黙の長さに、妹が心配そうに茂の顔を覗き込んできた。
「し、しいなに妹っていったっけ?」
 茂の幼馴染だったが、見たことも聞いたこともなかった。
「隠してたみたいね」
 ここでなぜか葛木が、茂の疑問に答えた。
「私が拒絶していたので。といっても、ずっと入院していたので、この家にはいませんでしたけど・・・」
「そ、そうか」
 茂は、なんとか平静を保って表情を緩めた。
「そう言われてみると、しいなに似ているところもあるな」
「そうだね~」
 これには真理も同意して、まじまじと未来を見つめた。
「す、すみません。もっと早く言おうと思ったんですけど、なかなか言い出しづらくて」
「自分を受け入れてくれて、嬉しかったんだね」
「う、うん。お恥ずかしながら」
 真理の言葉に、未来が恥ずかしそうに頭を掻いた。
「じゃあ、最初っから俺たちのことは知ってたのか」
「はい。しいな姉さんが楽しそうに話していたので」
「そうか」
「せ、責めないんですか?」
「は、なんで?」
「だって、嘘をついてましたから」
「別に、気にしてねぇよ」
 それよりいろいろと考えることがあった。
「そうか~、しいなの妹なのか~」
 そう言いながら、正面の未来をじっと見つめた。
「兄さん。み、見つめられると、そ、その、恥ずかしいです」
 すると、未来が顔を赤らめながら視線を逸らした。
「う~~~ん。その反応はかなり危険だな~」
 それを見た葛木が、何か思うところがあるのか唸りながら困っていた。
「よし」
 茂は、少し頭を整理するために立ち上がった。
「え、どうしたの?」
 すると、真理が不思議そうに見上げてきた。
「ちょっと、しいなの仏壇に線香あげてくる。もともとそのつもりで来てるし、それに少し頭を整理したい」
「ご、ごめんなさい。まさかこんなかたちでばれると思っていませんでしたから」
 これに未来が、慌てた様子で謝罪してきた。
「いや、別に責めてるわけじゃねぇから。罪悪感を感じてるなら、それは不毛だぞ」
 少し勘違いしているようなので、ここは口頭で伝えた。
「え、は、はい」
「俺たちの思考を読めばわかることだろう」
「そ、それはそうですが」
「じゃあ、ちょっと行ってくるよ。二人とも未来を宥めておいてくれ」
 自分が元気づけるよりは、同性の方がうまくいくと思い、妹たちに任せた。
「ここで他力本願なんだ」
 これに妹が溜息をついて、責めた眼差しを向けてきた。
「おまえは友達なんだから、それぐらい容易いだろう」
「都合のいい時だけ、そういう言い方しないでよ」
 茂の言い分に、妹が嫌な顔で抗議してきた。
「じゃあ、葛木に頼むよ」
 仕方なく、隣の葛木に頼むことにした。
「しょうがないわね。任せなさい」
 葛木の方は特に反論もなく、快く受け入れてくれた。
「ありがとう。あとで頭を撫でてやろう」
 葛木の反応を見る為、報酬を与えてみることにした。しかし、頭を撫でることが報酬になるかどうかは怪しかった。
「・・・」
 そう思っていると、葛木が驚いた顔で茂を見上げてきた。表情を見る限り、報酬にならないような感じだった
「嫌なら別にしねぇけど」
 茂はそう言い残して、部屋を出ることにした。
「京橋!」
 すると、葛木が語彙を強めて呼び止めてきた。
「なんだよ」
「できれば、抱きしめてから頭を撫でて欲しい」
 茂の言葉と被せるように、葛木が上回る要求をしてきた。
「ふざけんな」
 葛木の厚かましさに、不快感を覚えながら部屋を出た。
 少し長い廊下を歩き、階段を下りると、リビングから正吾とおばさんの楽しそうな声が聞こえた。
「すみません。お線香だけあげときますね」
 リビングに入り、おばさんに一声掛けてから、仏壇のある部屋に移動した。
 仏壇の前で手を合わせて、線香を立てた。いつもより線香が多かったので少し嬉しかった。
 いつもは10分近く仏壇の前で感傷に浸っているが、あまり未来を待たせるのも悪いので、できるだけ早く戻ることにした。
「さあ、京橋。抱きしめて頭撫でて!」
 未来の部屋に入るなり、葛木が抱擁をせがんできた。
「条件が変わってるからできん」
 とりあえず、そう言い訳して拒否しておいた。
「報酬は、それでいいみたいですね~」
 未来は、茂にしかわからない言葉を口にした。
「まあ、金銭のやり取りよりは扱いやすいが、俺の心境としては複雑だな」
「こんなに好かれているのに、兄さんの気持ちは揺るがないんですね」
「まあ、人の感情に流されないことにしてるからな~」
 これは完全に二人だけの会話だった。その証拠に葛木が首を傾げて、妹は苛立ちをあらわにしていた。
「兄さん。ここは折れておくことが今後の為ですよ」
「そうかもな」
 そう答えながら、座ってる葛木の頭に手を乗せた。
「あっ」
 それに葛木が驚いて、目線だけを上げた。
「ま、約束したのは俺だし、頭は撫でてやるよ」
 葛木の頭を優しく撫でると、顔を赤らめて身を任せた。
「こんなもんでいいか」
 ちょっと面倒だったので、10秒で終わらした。
「あ」
 すると、葛木が名残惜しそうな顔をした。
「さてと、特に話すこともねぇんだが」
 未来の正面に座り直して、相手を緊張させないように言った。
「何か言いたいなら聞こうか。あ、謝罪とかはいらねぇ~から」
「は、はぁ~」
 そう促したが、何を言ったらいいかわからないようだ。
「京橋は、聞き方が下手だね~」
 葛木はそう言いながら、肩が触れ合うぐらい接近してきた。
「ちけぇ~よ。ちょっと離れろ」
「何よ。別にいいじゃん」
 茂の拒絶に、葛木が拗ねたように口を尖らせた。
「ダメです」
 隣にいたはずの真理が、茂たちの間に強引に座った。
「これ以上の誘惑は許しません」
「ただ近づいただけじゃん・・・」
 妹の睨みを受けて、葛木が小声で反論した。
「ふふふっ、楽しいやり取りですね」
 それを見た未来が、おかしそうに笑った。その姿は、若干しいなに似ていた。
「ど、どうかしました?」
 三人から注目されていることに気づた未来は、不思議そうな顔で茂たちを見た。
「なんでもないわ。それより、お兄ちゃんに言いたいことがあるんじゃないの?例えば、しい姉からの伝言・・とか」
 妹が話を進めようと、意味深な発言をした。
「え、ど、どうして・・・」
 これに未来が、驚いたように妹を見つめた。
「意図的に近づいたんだから、だいたいは察しはつくよ」
「お姉ちゃんは、さすがだね」
 未来はそう言って、照れながらはにかんだ。
「でも、伝言ってわけでもないよ。ただ、困ったら頼れる三人がいるって聞いてただけだよ」
「それが私たちってこと?」
「うん。まあ、そんな感じ」
 なぜか未来が、申し訳なさそうに視線を逸らした。
「三人か。具体的に誰なんだ?」
 これには興味があったので、茂から具体名を聞いた。
「え~~と、兄さんとお姉ちゃんと、あと・・正吾さんですね」
 最後は少し言いにくそうに葛木の方を見た。
「私じゃないんだ」
 これには葛木が落ち込んだ様子で嘆いた。
「その中で、一番信頼してたのは正吾さんでしたが、入院してからは兄さんに変わってましたね」
「まあ、再会したのは入院してからだからな。というか、その間に会ってたのか?」
 できるだけしいなの見舞いには行っていたが、一度も未来を見た記憶はなかった。
「え、はい。平日に会ってましたね。しいな姉さんから、メールが来てからしか行けませんでしたが・・・」
「そうか」
「でも、亡くなる1ヶ月前には来ないで欲しいって言われて行けませんでした」
 未来はそう言いながら、寂しそうな顔で項垂れた。
「多分、衰弱した自分を見て欲しくなかったと思います」
 姉であるしいなの意思を尊重して、見舞いには行かなかったようだ。
「未来ちゃんって、両親とはうまくいってないんだね」
 話が区切れたところで、妹の真理が話を変えてきた。
「両親は、私の能力を信じないよ。あの頃は、しいな姉さんしか信じてくれなかったし」
「一度しか言わなかったの?」
「一度言っただけで、精神科に入院させられた」
「そ、そう」
「だから、今は嘘をついて治療が良好に進んでる感じを出してる」
「大変だね。本当に」
 これは同情を誘ったようで、妹は感傷的な返事をした。
「ねぇ~。未来は、相手の思考がどういう風に届いているの?」
 何か気になることがあるのか、葛木が淡泊に尋ねた。
「えっと、声と同じですよ」
「いや、それはさっき聞いたわ。思考が相手に伝わるって、どういう原理なのか知りたくてね~」
 葛木は、横にいる茂たちにも話を振ってきた。
「考えることは頭で微細な電気が走ってるって言われてますから、それを受信しちゃうんじゃないですか?」
 これに妹が、自分の考えを口にした。
「なるほど、微細の電磁波を無意識に受信してるのか~。う~~ん。でもね~」
 妹の意見に納得したようだが、今一つ足りないものがあるようだった。
「音波と電磁波を言葉として、同じように認識するっていうのが、どうも信じられないのよね~」
「おそらくですが、声で聞こえるのと思考が届くのが頭で同じように処理しているのかもしれません」
 今度は未来なりの憶測を口にした。とても小学生とは思えない発言だった。
「音波を理解することと、電磁波で伝わることが一緒になる・・か」
「そうですね」
「何か、自分で気づいたこととかない?」
 その推測も今一つと言った感じで、未来に再び尋ねた。
「え、何かって?」
「例えば、こうしたら思考が聞こえなくなったとか」
「ああ、それなら遮蔽物があると、聞こえなくなりますね」
「え、それは相手の前に何かあれば、聞こえなくなるの?」
「はい」
「その遮蔽物はなんでもいいの?」
「なんでも?」
 未来は、葛木の言葉を疑問符をつけて復唱した。
「例えば、布とかプラスチックとか、要するに素材だね」
「そ、素材ですか?」
 葛木の質問は詳細すぎて、未来が困惑していた。
「そ。それぐらいはしてるでしょう」
「・・・」
 この言葉に、未来は黙ってしまった。
「もしかして、何もしてないの?」
「は、はい」
「そ、そうなんだ」
 これには葛木が呆れた様子で取り繕った。
「す、すみません」
 自分の不甲斐なさを恥じたようで、落ち込んだように俯いた。
「姉妹揃って不憫だね~。いいわ。しいなの後は私が引き継いであげる」
 人を極力遠ざける葛木が、珍しく率先して引き受けた。
「え、でも、お姉ちゃんにも手伝ってもらってますが・・・」
「読唇術をでしょう?」
「はい」
 葛木の言葉に、未来が申し訳なさそうに頷いた。
「お兄ちゃんは、一向に手伝ってくれませんが」
 突然、妹が笑顔で責めた発言をしてきた。
「相変わらず、京橋は優しいね」
 それを聞いて、葛木が表情を緩めた。
「なんで俺を褒めるんだよ」
「ふふふっ、私も同感ですね」
 葛木の賛辞に、未来が同調するかたちで微笑んだ。
「まあ、この場合はさすがと言うべきかな」
 すると、妹が自慢するように茂を褒めた。
「お兄ちゃんは、三人より二人の方がやりやすいから手伝ってくれなかったんでしょう」
 あまり伝わらないように心掛けていたが、もう察しているようだ。
「察するんじゃねぇよ。恥ずかしいだろう」
 茂は三人から視線を外して、この話を強引に打ち切った。
「まあ、読心術は真理に任せるとして。私は思考の妨害方法を模索してみるわ」
「え、本当にそんなことできるんですか?」
 葛木の積極的な手助けに、未来が驚きを隠さず食いついた。
「いや、それをこれから検証するのよ」
「あ、そうですね」
「その代わり、お願いがあるわ」
 何を思ったか、葛木が交換条件を持ち掛けた。
「え、なんですか?」
 急な展開に、未来が戸惑いながら聞き返した。
「きょ、京橋は取らないで欲しい」
 葛木は、切実な声で心から頼み込んだ。
「こいつ何言ってんだ?」
 予想外の発言に、茂は反射的に言葉を発した。
「普通、本人の前で言うかな~」
 さすがの妹も呆れ顔で葛木を見た。
「まあ、普通じゃねぇからな~」
 葛木の行動は、あまり理解できないことが多かったが、嫌いなところははっきりしていた。
「大丈夫ですよ。私は、葛木さんを応援してますから」
 未来が葛木の手を両手で握りしめて、力強く声援を送った。
「あ、ありがとう」
 本当に嬉しかったのか、葛木が感動して未来を見返していた。
「何、この茶番?」
 この話をなんとか打ち止めにする為、妹に話を振った。
「知らないわよ。一つだけ言えるのは、お兄ちゃんの取り合いしてるってことかな。いや~、モテるね~、お兄ちゃんは」
 場を収めたかっただけなのに、なぜか妹から冷徹な眼差しを向けられた。
「なんで怒ってんだよ」
 その理不尽な責められ方に、茂は少し腹が立った。
「菜由子さん。これだけははっきりさせときますが、私は容認できませんから」
 茂が言いたいことを、先に妹が牽制してくれた。
「はぁ~~~」
 すると、葛木が茂たちを見て大きな溜息をついた。
「むっ」
 それを見た妹が、眉間に皺を寄せた。どうやら、馬鹿にされたと感じたようだ。
「わかりますよ。葛木さんの気持ち」
 未来が深く頷いて、葛木の考えに共感した。
「兄妹揃って、狭量で困ってるよ~。でも、そこがまたいいんだけどね~」
 葛木は呆れ顔から一転して、嬉しそうに笑顔をつくった。
「つ、強いですね。葛木さんは」
「手に入りにくいものこそ、価値が上がるってことかな~」
「まさにブランドということですね」
「なかなかうまいこと言うね~」
 未来の返しに、葛木が上機嫌で褒めた。
「いえいえ、それほどでもないですよ~」
 それに照れながら謙遜した。そのやり取りを茂たちは黙って見ていた。
「そういえば、未来の能力は何人ぐらい知ってるの?」
「そうですね~。兄さんとお姉ちゃん、それに葛木さんに正吾さんですかね。あとはおじさん」
 葛木の突然の振りにもかかわらず、一人ひとり冷静に言葉にしながら指を折っていった。
「未来のクラスにはいねぇのか」
 一度、クラスで自分の能力を公言していたことがあったので、普通に気になって聞いてみた。
「あ、あれはなかったことにしてます」
「え、なんかあったの?」
 未来の苦い顔を見て、妹が食いついてきた。
「で、できれば聞いて欲しくないかな」
「あ、そう」
 いつもは執拗に聞いてくるのに、未来の拒否には素直に従った。兄としてそれは理不尽に思えた。
「じゃあ、琴音は知らないんだ」
 ここで葛木が、思いもよらない名前を出してきた。その名前に、未来がビクッと体を震わせた。
「あ、琴音とは会ったことがないのか」
 無意識で立嶋の名前を出したようで、思い直したようにそう言った。その発言には、茂がビクッと体を震わせた。
「あ、そうだ。今度紹介するね」
 葛木が名案だと言わんばかりに、未来に持ち掛けてきた。
「え、あ、いや、遠慮させてください」
 これには未来が苦笑いしながら謙虚に断った。
「え、どうして?彼女は、ちゃんと信じてくれると思うよ」
「あ、いえ、そういうことではなくて・・・」
 どう断っていいか悩んだようで、言葉を濁した。実際に未来は立嶋と会っていて、彼女の思考にかなり怯えていた。
「あれ?もしかして、会ったことある?」
 未来の挙動に、葛木が何かを察したようにそう言った。
「え、えっと・・・」
 言っていいのかを悩んだようで、茂の方を見つめてきた。その視線に対して、茂は首を小刻みに左右に振った。
「会ってますよ」
 二人の必死のアイコンタクトを余所に、妹が躊躇わず暴露した。
「ちょ、おまえ、ばらすんじゃねぇよ」
「え、何、どういうこと?」
 茂の狼狽に、葛木が動揺を見せた。
「いいじゃない、別に。どうせ琴音さんからボロが出るのは目に見えてるし」
 立嶋とは一度しか会ってないはずの妹がそう断言した。
「なんでそう言い切れるんだよ」
「う~ん。なんとなく?」
 どうやら、根拠もなくそう思っただけのようだ。正直、そんないい加減な思い込みで暴露して欲しくなかった。
「え、なんで真理が琴音のこと知ってんの?」
「家に来たからですが」
「は、な、え、は?」
 葛木は言葉を必死に紡ごうとしたが、驚きの声しか上げられなかった。
「ちょ、どういうことよ!」
 なんとか平静を保とうとしたようだが、発言した途端に近くにいた真理に掴み掛った。
「わ、どうしたんですか?」
 突然のことに妹が驚きの声を上げた。
「いつ来たのよ!」
「え、えっと、いつだっけ?」
 葛木の鬼気迫るような形相に、妹が混乱して思い出せないでいた。
「水曜日だよ。四日前だな」
 もう隠せなかったので、茂が淡泊に答えた。
「なんで言ってくれなかったのよ!」
「言ったら、おまえも来るだろう」
「ちっ、琴音のやつ、抜け駆けするとはいい度胸ね」
 妹から手を放して、不気味な顔で恨み言を口にした。
「そ、それで、な、何してたの?」
「何って?」
 言いたいことが全く伝わっていないようで、妹が首を傾げた。
「だ、だから、京橋家で何してたの?」
「え?ただ話をしただけですよ」
「ど、どんな話?」
「自己紹介とか、お兄ちゃんとの関係性とかですね」
「で、すぐ帰ったの?」
「いえ、夕飯も食べていきました」
「そ、そんな!」
 思っていた以上のことだったようで、力強く叫んだ。
 その後、立嶋に対して何やら不穏な言葉を呟いていたが、これは聞かなかったことにした。
「で、その時に琴音に会ったってこと?」
 葛木が気を取り直して話を進めたが、さっきより明らかに元気がなくなっていた。
「そ、そういうことです」
 未来は、少し怯えた表情で軽く頷いた。
「で、できれば、立嶋さんとは会いたくないです」
 そして、言いにくそうに自分の思いを伝えた。
「え、なんで?」
「あ、あの人の思考が難しい上に膨大過ぎて、頭が痛くなるんです」
「ふ~~ん。未来にはその情報を処理しきれないのね」
「そうなりますね。それにほとんどが政治経済なので七割近くわかりません」
「なるほど。小学生にはわけわかんないか」
「私には立嶋さんはかなりの障害です」
 未来はそう言いながら、申し訳なさそうに項垂れた。
「そっか。それだと無理に会えないわね」
「そう・・なりますね」
「琴音には悪いけど、これは内緒にしよっか」
「す、すみません。私の我侭で」
「いや、私に謝られても困るんだけど。でも、本人に内緒だから謝れないわね」
「そ、そうですね」
 ここにいない相手に律儀に謝るあたり、姉であるしいなにそっくりだと感じた。
「じゃあ、結論が出たところで、俺は帰るよ」
 長居してしまったことに気づき、早々に帰ることにした。
「え、帰るの?」
 葛木が意外そうな顔で、茂を見上げてきた。
「ああ、おまえは帰らないのか?」
「ん?用もできたし、もうちょっと居ようかと思ってるけど」
「外にいるペットは、そのままでいいのか?」
 茂は、ここに入る前に見た柴犬がずっと気になっていた。
「あ!忘れてた」
 言われて気づいたようで、慌てて立ち上がった。
「ごめん。私も帰るわ」
「あ、はい」
 これに未来が、葛木に合わすかたちで頷いた。
「あ、そうだ。未来って携帯持ってる?」
「え、あ、はい。持ってますけど」
 誰かの思考が邪魔したのか、返事にタイムログがあった。
「じゃあ、番号交換しとこっか」
 そう言うと、葛木がポケットから携帯を取り出した。
「え、いいんですか?」
「もう友達なんだから、いいに決まってるでしょう」
「葛木さん・・・」
 葛木の当然のような振る舞いに、未来が涙目になって感動した。
「で、携帯は?」
「え、は、はい。ちょ、ちょっと待ってください」
 未来が慌てて、携帯を机まで取りにいった。
「おまえは、いいのか」
 茂はそれを見て、妹に聞いてみた。
「え、何が?」
「番号交換しなくて」
「もうしてるよ」
「あ、そう」
 これは余計な気遣いだったようだ。
「はい。これ」
 未来が鞄から携帯を見つけて、葛木に差し出した。携帯は、二つ折りの旧型で学校の支給品だった。
「え、いや、赤外線でいいから」
「あ、はい」
 未来は慌てて、携帯を操作し始めた。
「はい。これでいいわ」
「あ、ありがとうございます」
「じゃあ、私たちは帰るね~」
 葛木はそう言って、部屋のドアを開けた。
「あ、お兄ちゃん。私はもう少しいるから、お母さんにそう言っておいて」
「え、まだいるのか?」
「うん。ちょっと、気になることがあってね~」
「そっか」
 妹の直観力はなかなか侮れないので、このまま残すことにした。
「じゃ、俺は帰るよ。見送りはしなくていいから」
「あ、はい。また明日ですね」
 茂は、未来の言葉を聞いてから部屋を出た。
「何か気になったのかな?」
 妹の発言が気になったようで、葛木が何気なしに聞いてきた。
「たぶん、おばさんのことだろう。親子にしては対応がよそよそしい感じだったし」
 玄関でしか見てなかったが、それでもその雰囲気は察知できた。
「ああ、なるほど。未来のこと病人みたいな扱いしてたしね~」
「そうなのか?」
「うん。腫物触る感じ」
「それは居た堪れないな」
「そうだね」
 階段を下りると、リビングから正吾とおばさんの声が聞こえた。もう帰るので、おばさんに挨拶しておくことにした。
「あの、お邪魔しました」
 茂より先に、葛木がおばさんに一声掛けた。
「あ、いえいえ。お構いもできず、すいません」
 おばさんが立ち上がって、こちらに歩み寄ってきた。
「いえ。では、私たちはこれで失礼します」
 葛木は、礼儀正しく頭を下げた。それにつられて、茂も会釈した。
「あ、はい、ど、どうも」
 おばさんは、その礼儀正しさに少し戸惑いながら会釈を返した。
「また、来ますね」
「あ、はい。また来てください」
 葛木の社交辞令に、おばさんが戸惑ったまま返した。
「今度は未来に会いに」
「え、あ、は、はい」
 葛木の明確な来訪目的に、おばさんが酷く動揺した。
「それでは」
 葛木は、その反応に満足した笑顔で玄関へ向かった。茂もその後を追うようについていった。
「あ、し、茂君」
 すると、おばさんが少し躊躇したように呼び止めてきた。
「なんですか?」
「み、未来と友達なの?」
「僕がですか?微妙なところですね。でも、少なくとも真理とは友達ですよ」
 一度、友達になることを拒否してるのでそこは未だに曖昧なままだった。
「あ、私は、友達になりましたよ」
 ここで葛木が、積極的に割って入ってきた。
「そ、そう・・・あ、あの子の病気はまだ治りかけだから、あまり無理はさせないで欲しいの」
「病気・・ね」
 その単語が気に入らないのか、葛木が顔をしかめた。
「大丈夫ですよ。ちゃんとフォローはしてますから」
 この場での説明は無理だと思い、とりあえず建前で返しておいた。
「あ、ありがとう。あの子にどう対応していいか、私たちも悩んでて」
 おばさんが言いにくそうに、茂に悩みを打ち明けてきた。それに葛木が不愉快そうな顔をしたので、おばさんから隠すかたちで間に入った。
「おばさん。少しの間、未来を僕たちに委ねてみませんか」
 葛木が何か言う前に、茂からおばさんにそう提案してみた。
「え?」
「おばさんが未来と普通に話したいのもわかりますから、ここは僕たちに任せて欲しいんです」
「で、でも・・・」
 何かを言おうとしたが、結局は言葉に詰まった。
「これはしいなの頼みでもあるんですよ」
 少し狡い気もしたが、ここはスムーズに話を進めるためにしいなの名前を出した。
「え、しいなが?」
 その名前に過剰な反応を示すと、途端に寂しそうな顔をした。
「だから、任せてもらえませんか」
「わ、わかった。茂君に任せる」
 不本意そうだったが、なんとか承知してくれた。
「ありがとうございます。あと、正吾も手伝ってくれますから安心してください」
 視界に正吾が入ったので、昔のように巻き込んでみた。
「って、ちょっと待てっ!」
 これに正吾が、昔のように食いついてきた。
「なんだよ。しいなの頼みを無碍にする気か」
 その反応に良さに、思わず悪乗りしてしまった。
「何っ!マジか?」
「ああ、おまえは頼れる人に選ばれてる」
「そ、そうか。なら、仕方ないな」
 その事実に、少しだけ嬉しそうに表情を緩めた。
「別に、彼は必要じゃないよ」
 すると、後ろの葛木が悪態をついてきた。
「という訳で、これからはちょくちょく顔を出しますので」
 その葛木を無視して、おばさんとの話を進めた。
「う、うん。なんかごめんね」
「謝らなくていいですよ。未来には、できる限り話かけてあげてください」
「そ、それはしてるんだけど、ちょっと話が噛み合わなくて」
「それでも構いませんよ。話しかけることが重要ですから」
「そ、そうなの?」
「はい。あと助言ですけど、あまり深く考えないことをお勧めしますよ」
「え?」
「それに注意していれば、いずれは話せるようになります」
 これは重要なことだったので、おばさんに真顔で伝えた。
「が、頑張ってみるわ」
 その思いが伝わったようで、真摯に受け止めてくれた。
「それじゃあ、僕は帰ります」
「うん。今日はありがとね」
 茂の笑顔に、おばさんも笑顔で応えた。
「はい。また来ます」
 茂はそう挨拶して、葛木と一緒に加納家を出た。

三 再確認

 外に出ると、葛木が大人しく待っているペットに目をやった。
「ちょっと待ってて」
 葛木はそう言って、庭にいる柴犬を迎えにいった。
「おまたせ」
 そして、柴犬のリードを引きながら、短い距離を駆け寄ってきた。
 すると、後ろの玄関のドアが開いて、正吾が出てきた。
「あれ、まだいたのかよ」
 もう先に出ていると思っていたようで、そんなことを口にした。
「前田君、あなたは別に未来に関わらなくていいから」
 門扉を出ると、葛木が正吾に面と向かってそう言い放った。
「残念だが、しいなに頼まれた以上それは無理だな」
 これに正吾が、力強い言葉で返した。
「ふん。わかりやすい人」
 それを見た葛木が鼻で笑って、正吾から視線を外した。
「そこまでの決意があるなら、私には止められないわね」
 葛木がそう言いながら、ポケットから携帯を取り出した。
「メールアドレスを教えなさい」
「は?なんでだよ」
「あなたと鉢合わせるなんて嫌だから、未来に会うなら連絡しなさい。私もするから」
「そこまで嫌わなくてもいいだろう」
「別に、嫌ってるわけじゃないわ。ただ鉢合わせることを考えると、私が不機嫌になるだけよ」
 正吾を前に、自分の主張を堂々と言った。
「それって、嫌いとどう違うんだ?」
 これには呆れて、思わず口を挟んだ。
「気持ちの問題」
「ダメじゃん」
 結局、嫌ってることに変わりはなかった。
「まあ、いいや。俺も美人を怒らせるのは嫌だしな」
 正吾は、少し落ち込んだように携帯を取り出した。
「はぁ~~、なんで美人って褒められたのに嬉しくないんだろう」
「嫌ってるからだろう」
 葛木の溜息交じりの暴言に、茂はすぐに指摘した。
「ほら、さっさと赤外線出して」
「慌てんなよ。すぐにやる」
 お互いが嫌々番号交換する光景は、酷く滑稽に見えた。
「じゃあな」
「ああ」
 正吾とは帰り道が反対だったので、その場で別れた。
「おまえ、正吾のこと嫌いなのか?」
 茂は、正吾を後ろ手に見ながら葛木に聞いた。
「うん」
「どこが嫌なんだ」
「生理的にかな~」
「そっか」
 ここは正吾を見習って嫌われようと考えたが、生理的だと対策のしようがなかった。
「それより、未来の親は今まで病院に入院させてたのね」
 未来のことが気になっているのか、葛木が話を切り替えてきた。
「まあ、子供の言うことなんて信じてくれねぇ~よ」
「だからって、入院させるかな~」
「家庭の事情だろ。あまり詮索はしない方がいい」
「それもそうだね~」
 これ以上は推測の域を出ないと感じたようで、茂の忠告を素直に受け入れた。
「ねぇ~、京橋~。お願いがあるんだけど」
 突然、葛木が甘えた声を出した。
「んだよ。気持ちわりぃ~な」
「設定を忘れないでよ」
「あ、わりぃ~」
 これは自分に非があるので、即座に謝った。
「で、なんだよ」
「正直、断れることを前提としての頼みなんだけどね~」
「なら、時間の無駄だな」
「そんなすぐに判断しないでよ~」
「俺のこと知ってるんだから、無駄な会話はできるだけ避けてくれ」
「い、いや、そんなには、し、知らないよ」
 なぜか葛木が、恥ずかしそうに謙遜した。
「未来って、放課後はだいたい京橋の家にいるんだよね~」
「まあ、そうだな」
 何度か未来を送っているのは知られていたので、それは簡単に推測できたようだ。
「これから放課後は、京橋の家に行ってもいいかな~」
「ふん。ダメに決まってるだろう」
「だよね~♪」
「そもそも、妹が一番拒絶するぞ」
「それもそうね」
 茂の指摘に、葛木はあっさり身を引いた。
 公園の広間まで来ると、あちこちで親子やカップルが見られた。この公園は、家族の憩いの場として有名な場所だった。
「ああいう家族風景って羨ましいよね」
「ふ~~ん。俺は、特に何も思わんが」
「ふぅ~~。少子化が叫ばれてる中、それは本当に残念なことだね~」
「そうだな~。ここは医療を復活させて、長寿を目指すしかねぇ~かもな」
「その法律が制定するまでどれだけの議論したと思ってるのよ」
「そのせいで若くして、死んだ命も数知れないがな」
「リスクなくして、リターンはありえないわ。改革っていうのはそういうものよ」
「そうだな」
 それはいまさらだった。医療の衰退は各都市でデモが起こるぐらいの反対運動があったが、それを軍と機動隊が捻じ伏せたかたちになっていた。
「なぁ~。葛木は、どっちがいいと思う?」
「どっちって?」
「人口調整の方法論だよ」
「ああ、結婚制度での調整と医療推進制度での調整の二択だっけ?」
「これは大まかな選択肢だがな」
「細かいことを言ってたら切りないもんね~」
「あと、エネルギーの拡充もなしだぞ」
「そうなると医療は必要だと思うし、今の結婚制度も捨て難い」
「結婚制度はいらんだろう」
「それは個人の価値観だよ。私的には半々がいいと思う」
「半々?」
「そ、結婚制度は一夫一妻で、内科と外科の医療は復活させて、30代まで受診させるみたいな感じかな」
「・・・」
 その発案は非常に考えさせられるもので、葛木を見つめたまま沈黙してしまった。
「え、どうかした」
 なかなか来ない返事に、葛木が不安そうな顔をした。
「それ、いいな」
「昔、その発案が出たんだけど、潰されちゃってるけどね~」
「あの時は、まだ外交が行われてた時代だったから、今とは状況が違うだろう」
「そうだね。でも、どうだろう。今の与党にはその気は見られないようだけど」
「そうだな。エネルギーの拡充を目指してから、医療に手を付ける予定みたいな感じだからな」
「今の研究じゃあ、エネルギーの大幅な拡充は無理だよ」
「ん、そうなのか?」
「うん。ネットで論文読んだことあるんだけどね~。今は技術の向上ばっかりだもん」
「それが大幅な拡充に繋がらないものばかりなのか?」
「うん。大まかな計算だと、せいぜい今の人口の一割程度だね」
「結構な人数じゃん」
「それが実用に至るまで、かなりの時間が掛かるよ。見立てでは最低20年は掛かるね」
「大幅な時間の割にエネルギーの大幅拡充は見込めない・・か」
「それに途中で断念する可能性もあるよ。予算不足で」
「なるほどね」
 なんとなく話を振ったが、予想以上の答えが返ってきた。
「ふむ。やっぱり、未来の言うとおりかもしれねぇ~な」
「ん、何が?」
「なんでもねぇよ」
 独り言に反応されたので、視線を逸らしてはぐらかした。
「なぁ、葛木」
「ん?」
「おまえは、俺から離れる気はねぇのか?」
「・・・」
 茂の発言に、葛木が無言で睨んできた。
「どうなんだよ」
「同じこと言うつもりはないよ」
「別に、しいなを気に掛ける必要もねぇ~ぞ」
「あー、やっぱり気づいてた」
 午前中の話を聞けば、すぐに気づくことだった。
「俺が転校するなら、俺についてこればいいだけだからな」
「そうだね」
 これには軽い感じで返してきた。
「やっぱり、しいなに頼まれたか」
「それもあるけど・・・」
 葛木は、感慨深く優しく微笑んだ。
「でも、今は私の意志でこうしてるから」
「そっか。で、距離を取ってくれないか」
 もう葛木に聞くのは、これで最後にした。
「葛木。俺に力を貸してくれないか」
「ちから?」
 変な頼み方だったようで、単語を復唱された。
「・・・うん。いいよ」
 葛木は、少し間を置いてから快く承諾した。
「内容をまだ言ってないんだが」
「京橋の頼みだったら、なんでも聞くよ」
 茂の呆れ顔を見て、葛木が笑顔を向けた。
「で、頼みは何よ。また受験勉強のこと?」
「まあ、それに近いものがあるな」
 話を続けようとしたが、もう自宅の目の前だった。
「明日にしよう」
「え、ちゃんと最後まで言ってよ」
「いや、もう家だし」
 茂はそう言って、自宅を指差した。
「じゃ、じゃあ、京橋の部屋で聞くよ」
 突如、葛木が赤面しながら挙動不審になった。
「ダメだ。俺は、勉強で忙しいんだ」
「手伝うよ~」
 理由をつけて断ったが、子供のように食い下がってきた。
「それは、土曜日だけでいい。それに愛犬をいつまでも連れ回すなよ」
 仕方なく、論点をずらすことにした。
「うっ、そ、それもそうだね」
 これには反論できず言葉に詰まった。柴犬は尻尾を振りながら、従順にずっと葛木の横についていた。
「じゃあな」
「うん。また明日ね」
 葛木は、手を振って帰っていった。
「やっぱり頼むのよそうかな~」
 さっきはノリで言おうとしたが、よくよく考えるとかなり長期間になるので、茂にとっては割に合わない気がした。
「う~~ん。悩みどころだな~」
 茂は頭を掻きながら、玄関に入った。
 リビングに入ると、母親は出ていった時と同じような格好でテレビを見ていた。
「母さん。他にすることないのか」
 自分は勉強で忙しいのに、こうものんびりされると思わず当り散らしてしまった。
「失礼ね~。これでもいろいろ考えてるよ」
「ああ、そうですか」
「それより真理は帰ってきてる?」
「いや、少し遅くなるんだってよ」
「どこにいるか知ってるの?」
「未来の家」
「そうなんだ。珍しいね」
「そうだな」
 茂は軽く相槌を打って、リビングを出ようとした。
「どこ行くの?」
「勉強だよ」
「精が出るのね」
「将来の為だ」
「頑張って」
「ああ」
 茂がリビングを出ると、玄関のドアが開いた。
「あれ、早いな」
 入ってきたのは妹だった。
「お兄ちゃんのせいで、居残った意味なかったよ」
「なんで俺のせいなんだよ」
「おばさんに未来ちゃんのこと、助言したでしょ」
「ああ、したな。普通に接してくれって」
「それ、私が言おうとしたのに、先に言っちゃってるんだもん。おかげで、おばさんに笑われちゃったよ」
「笑われることじゃねぇだろう」
「兄妹揃って言うことが一緒だね、って笑ってたよ」
 それを思い出したようで苦い顔をした。
「それはすまなかったな」
「別にいいよ。笑われたのは癪だったけど、未来ちゃんは満足そうだったから」
「あ、そう」
 その説明を聞く限り、三人で話し合おうとしたようだ。
「それより、菜由子さんは来てないみたいだね」
「ああ、なんとか言い包めて帰した」
「あ、そう。1日に二度も来ようなんて、あの人おかしいね」
「そうだな。あいつはかなり変だよ」
 ここは変という単語を力強く強調しておいた。
「お兄ちゃん。ちょっと話そうか」
 妹が靴を脱いで、茂の正面に立った。
「俺は、今から勉強しねぇといけねぇんだが」
 あまり時間を取られたくなかったので、上の自室を見上げながら言い訳した。
「未来ちゃんの口から、ちょっとだけ漏らしたことがあったんだけど~」
 妹は、わざわざ嫌らしい笑みを浮かべて詰め寄ってきた。
「回りくどいな。はっきり言えよ」
「だから、それを部屋で話そうって言ってるのよ」
「ちっ、わかったよ」
 茂は、当てつけのように舌打ちしてから二階に上がった。
「あ、先行っといて。お母さんに一声掛けとくから」
「ああ、わかった」
 妹はリビングへ向い、茂は自室へ向かった。
 自室の椅子に座ると、自然と溜息が漏れた。ただでさえ加納家で時間を食ったのに、さらに妹に時間を取られてしまうのは不本意だった。
 1分後、妹がノックもせずに部屋に入ってきて、いつものようにベッドに座った。
「で、未来が口を滑らせた内容はなんだよ」
「政治家」
 妹は茂をじっと見つめて、その単語を口にした。
「それが?」
「将来は、政治家になるんでしょう」
「いまさらだな。俺が法政大学を受験する時点で気づいてただろう」
 両親には伝えていたが、妹には話していなかった。
「まあ、その可能性は考えたけど、てっきり公務員を目指してると思ったよ」
「まあ、それも一つの手だな」
 妹の考えを選択肢の一つとして、組み入れておいた。
「大丈夫なの?政治家になるってことは誹謗中傷が付いて回るよ」
「ああ、覚悟の上だ。それにもうそれは経験してるしな」
「そういうのも掘り返されて、叩かれる覚悟があるの?」
「ああ」
「そっか、わかった。あと、お兄ちゃんの友達を利用するって未来ちゃんから聞いたんだけど、本当?」
「ああ、それか。でも、それは未来からの提案だぞ」
「え、そうなの?」
 その事実は聞いていなかったようで、驚きの顔になった。
「政治家は、人気稼業だからな。あの二人が使えるって言われて、本当に得心したよ。ちなみに、おまえもその中の一人だぞ」
「え!私も入ってるの?」
「ああ、おまえの直観力は当てになる」
「え、あ、ありがとう?」
 頼りにされていることにお礼は言ったが、疑問符がついていた。
「だから、おまえには是非とも協力して欲しいんだが」
「え、何を?」
「だから、政治活動をだよ」
「ああ、でも、早くても7年後だよね」
「いや、計画は来年から遂行したい」
「えっと、下準備ってこと?」
「そういうことだ」
「・・・私もそれをするの?」
 さっきから妹の返事に迷いが見られた。
「その為には、おまえの将来を犠牲にしてもらわないといけねぇんだが」
「・・・」
 さすがにこれには黙ってしまった。
「う~~ん。どういう風に犠牲になるの?」
「そうだな~。最初は官僚かメディアに入って欲しかったが、それはあの二人にしてもらおう。真理は、医療分野にいって欲しいな」
「官僚は私には無理だね。学力が足りない。医療も難しいと思うんだけど」
「安心していい。医療に関わるならどんな分野でも良い」
「結構幅が広いんだね」
「まあな」
「いいよ。わかった」
 まだ理由も告げてないのに、淡泊に承諾した。
「いや、まず理由を聞けよ」
「それは今から聞くよ」
「聞いてから判断してくれ」
「私の信条を忘れたの?」
 妹は、得意げにそんなことを言った。妹の信条は、家族の悩みは自分の悩みとしていて、悩んだ雰囲気を察すると必ずといっていい程首を突っ込んできた。
「いや、これはおまえの将来も関わってくるから、できれば悩んでくれ」
「必要ないよ」
 茂の配慮を一言で一蹴してきた。
「そ、そうか」
 あまりの堂々とした態度に、こちらが戸惑ってしまった。なぜこんなに悠然としているのかが不思議だった。
「で、理由は?」
「医療制度の復活」
「・・・マジ?」
 これには少し考え込んで、険しい顔を茂に向けた。
「ああ、勿論」
「えっと、知ってると思うけど、医療の衰退を戻すのは容易じゃないよ」
「知ってる」
「しかも、今も野党が何度も議案出して否決されてるんだよ」
「ああ。それも知ってるよ」
「それでもするの?」
「ああ。だから、協力してくれないか」
「うん、いいよ。ちょっと先が見えないけど」
「途中で辞退しても構わん」
「それはないよ」
 妹が髪を手櫛で解かしながら、気軽に言い切った。
「一方的な頼みは俺の気が引けるから、何か見返りを求めてもいいぞ」
「珍しく律儀だね」
「これはおまえの人生を長期間縛るものだからな~」
「まあ、考えとくよ」
 そう言うと、妹がベッドから立ち上がった。
「邪魔して、ごめんね」
「ああ、全くだ」
「そこは配慮してくれると嬉しいんだけど」
 茂の悪態に、妹が責めるように睨んできた。
「そうだな。せっかく受け入れてくれたもんな」
 自分の態度を反省して、椅子から立ち上がった。
「そうだよ。私の寛容さに感謝してよね」
 妹はそう言うと、偉そうに胸を張った。
「ああ、感謝するよ」
 妹の言い分はもっともだったので、感謝の意を表明する為に妹の右手を両手で握った。
「あ、いや、そこまではちょっと望んでないかな~」
 兄の感謝に、かなり戸惑った顔をした。
「もっと砕けた感じでいいよ」
「んーー、砕けた感じか~」
 妹の要望に少し悩んで、両手で握った手を片手にしてみた。
「ありがとう」
 自分でやってみて、これだと感じた。
「あのさ、兄妹なんだから握手はいらないよ」
「何ぃ~、これが一番自然な形だろう」
「まあ、友達同士ならそうかもね~」
「もー、面倒くせぇ~な」
 妹の注文の多さに、嫌がらせの如く思いっきり抱きしめた。
「ちょ、な、なななな何すんのよ!」
 これに妹が、あからさまに狼狽した。
「もうどんな形でもいいから受け取れよ!」
「わ、わかった!わかったから、離れて」
 妹が腕の中で大暴れして、茂を突き放した。
「信じらんない。普通、感謝で抱きつく?」
 そして、両腕を交わせて責めた眼差しを向けた。
「俺の誠意にちょこちょこ文句つけるからだよ」
「ちょっとからかっただけじゃない」
「俺もそれに乗っただけだ」
「それは私が悪いと言ってるの?」
「そう聞こえたのなら、悪かったな」
 ここは確信犯のように振る舞っておいた。
「ふん。それで妹にセクハラするとはいい度胸ね」
 茂の態度が癪に触ったようで、法律を持ち出してきた。
「セクハラ?悪いが、俺はフェミニストじゃねぇから、そんな用語は適応しねぇぞ。そもそも目的が違う」
「お兄ちゃんは、馬鹿だね。セクハラは加害者の心境は考慮なんかしないわ。被害者がどう思うかが重要だよ。それをされた事実と、被害者の心境でしか判決が下されないわ」
「まったくもって、理不尽な法律だな。これじゃあ、人に触ることすらできねぇ~」
「そうだね。女性は、好意のない異性に触られたくないからね~」
「これで男が消極的とか非難されたくねぇよな」
「むしろ、異性を遠ざけてるのは女性の方だもんね・・って、なんか話すり替えてない?」
「ちっ、ばれたか」
 さすがに強引過ぎたようで、看破されてしまった。
「まあ、今日は不問にするわ」
 妹が少し顔を赤らめて、部屋から出ていった。
 ようやく勉強をすることができるが、もう夕方になっていた。今日は夜更かしすることを覚悟した。

四 押しかけ

 休み明けの月曜日。茂は重い体を起こして、まぶたを擦った。時間はいつもより早い時間だった。
「ふぁ~」
 寝ぼけながら時計を見て、あと何分眠れるかを計算したが、どう考えても二度寝はできそうになかった。
 しばらく電子書籍でニュースを読んでいると、階段を上がってくる足音の後に、ドアが勢いよく開いた。
「お兄ちゃん!」
 そして、妹が叫びながら入ってきた。
「んだよ。うるせぇ~な」
 足音からして、慌てていることはわかっていたので、特に驚くことはなかった。
「って、起きてたんだ」
「さっき起きたんだよ」
「それより、どういうことよ!」
 妹が怒声を上げながら、茂に迫ってきた。
「何がだよ?」
 話が見えず、怪訝な顔で聞き返した。
「なんであの二人が家に来てるのよ!」
「もっと、具体的に言ってくれ」
 あまりの妹の慌てように、再度聞き返した。
「だから、琴音さんと菜由子さんよ」
 怒っているのに、二人をさん付けで呼んだ。これは母親の教育の賜物でもあった。
「え~~っと」
 寝起きでもある為、頭がいまいち働かなかった。
「だから、その二人が家のリビングにいるのよ!」
「はぁ、なんでだよ!」
 これには驚きのあまり叫んでしまった。
「それはこっちが聞きたいよ!」
 妹も茂に同調して怒鳴ってきた。
「あ~~、ちょっと頭が痛くなってきた。二度寝するか」
「ちょっと、現実逃避しないでよ!」
 ベッドで寝ようとする茂を、妹が引き止めた。
「これ、夢じゃねぇ?」
「違うよ。私だって信じられなくて、時間を置いて二度見したけど現実だったよ」
 どうやら、妹も一度は現実逃避したようだ。
「追い返してくんねぇ~」
「え、私が!お兄ちゃんの来客を?」
「俺には無理なんだよ。未だに付き纏われてるのが現状だし」
「う、うーん。琴音さんはできそうだけど、菜由子さんは無理だよ」
「やっぱり、マゾ相手は無理か」
「無理!責めても笑うだけだもん」
「あ、それ、わかる」
 これは1年の時に茂も経験していた。
「しょうがねぇな~。とっとと追い返すか」
「あ、お兄ちゃん。制服に着替えてから行った方がいいかも。あと、寝癖も直してよね」
 そのまま部屋を出ようとすると、妹が指図してきた。
「あ~、そうだな」
 指図されることは不本意ではあったが、来客中でもあるので、身だしなみを整えてから行くことにした。
「ったく、迷惑の話だな~」
「それ、私の台詞」
 愚痴を妹に掠め取られた。
「・・・おまえは、先行ってくれ」
 出て行く気配のない妹に、追っ払うように手を振った。
「私がここにいる意味がわからないの?」
「リビングは居心地が悪いんだろう」
「うん」
「だが、俺は着替えたいから、この部屋からは出ていってくれ」
「私は、別に気にしないよ」
「おまえの意見は聞いてねぇよ」
「気にしないで着替えていいよ」
 妹も茂の意見を聞いていなかった。
「ここで問答したくねぇんだが」
「気が合うね。私もだよ。早く朝食食べたいし、早く着替えてよ」
「なら、部屋の外で待ってろよ」
「はいはい、わかりましたよ」
 ここで妹がようやく折れて、部屋を出ようとした。
「ん?おまえは制服に着替えねぇ~のか」
 妹から着替えるよう言われたが、その本人は部屋着のままだった。
「私は、別にいいのよ」
「なんだ、それ」
 この一方的な言い分に顔をしかめた。
 着替えを終えて部屋を出て、妹と一緒に階段を下りた。
「私は完全無視するから、あの二人の対応はお兄ちゃんがしてよね」
「はいはい」
 茂の来客なので、これには素直に従っておいた。
「俺は、リビングに行く前に洗面所に行くから」
「そ、わかった」
 階段を下りて、視線を下に向けると玄関には見覚えのある靴が二足揃えてあった。
「はぁ~」
 本当に来てることに、深く溜息をついた。
 リビングを素通りして、洗面所へ向うと、妹が当たり前のようについてきた。
「って、なんでついてくるんだよ」
「私がリビングに一人で行ったら、お兄ちゃんの部屋に行った意味がないじゃない」
「なるほど」
 妹の言い分も納得できたので、許容することにした。
 一通り洗面所での日課を終えて、顔を拭いた。
「ほら、寝癖直ってないよ」
 妹はそう言うと、立ててある櫛を取って手渡してきた。茂はそれを無言で受け取って、寝癖を直した。
「身だしなみを整えるんだから、ちゃんと鏡見てよね」
「自分の顔が嫌いだから、できるだけ鏡は見ないようにしてんだよ」
「化粧下地をしたら、少しは好きになれるんじゃない?」
 茂の言い分に、妹が的外れの意見を出してきた。
「馬鹿だな~。顔骨格が気に入らねぇんだよ」
「小顔で丸顔のどこが気に入らないのよ」
 茂の主張に呆れながら、目を細めて詰ってきた。
「男の童顔は、子供っぽく見られるんだよ。それに肩まで髪を伸ばしたら、女に見られるし。あの時はショックでしばらく立ち直れなかった」
 そのせいで、憧れの長髪は断念してしまっていた。正直、正吾が羨ましくて堪らないことは内緒だ。
「メンタル弱すぎだよ」
 茂の落ち込みぶりに、妹が呆れ返った声を出した。
「うるせぇ~よ」
 妹に文句を言いながら、櫛を元の場所に置いた。
「早く髭が伸びねぇかな~」
 リビングに向かう途中、茂は顎を擦りながら呟いた。
「え~。お兄ちゃんに髭は似合わないよ」
「そんなことねぇよ。もし髭が伸びたら、長髪にでもしてみようかな~」
「それはダサいからやめた方がいいって」
「ふん。やってみねぇとわかんねぇだろう」
「いや、だいたい予想できるよ」
 これに妹が、顔を歪めて断言してきた。
「さて、気持ちを切り替えるか」
 リビングのドアの前で一度立ち止まって、一呼吸置いた。
「じゃあ、行くか」
 そして、気を引き締めてからドアを開けた。
「あ、ようやく来た」
 リビングに入ると、ソファーに座っていた葛木がこっちに顔を向けてきた。葛木の隣に平均顔でショートヘアの立嶋琴音がいて、その正面に母親が座っていた。
「さて、まずは来訪目的を聞こうか」
 葛木を睨みながら、まずはこちらが主導権を取った。
「え、う~ん。まずは、挨拶からしないかな」
 しかし、その主導権を葛木にあっさり奪い取られてしまった。
「ふぅ~、相手の方が上手だね」
 後ろの妹が溜息をつきながら、食卓に着いた。
「ちっ!おはよう」
 茂は、舌打ちしてから挨拶した。
「うん♪おはよう」
 それに葛木が、嬉しそうに返してきた。
「で、理由は?」
 威嚇の為、声のトーンを落として聞いた。
「茂。そろそろ朝食食べた方がいいよ」
 話を進めようとすると、母親が時計を指して急かしてきた。
「食べ終わってから聞く」
 こんなことで遅刻したくなかったので、朝食を取ってからにした。
 妹の隣で食事を始めると、なぜか葛木が茂の正面の空席に座った。
「んだよ」
 食べてる姿を直視されるのは、居心地が悪かったので、葛木を睨みつけた。
「こうやってると、夫婦みたいだな~と思って」
「・・・おまえは、朝から俺を不機嫌にしに来たのか」
 葛木のありえない発言に、こめかみに力が入った。
「私自身、朝から京橋の顔を見れてとても上機嫌だよ。でも、寝起き姿を見れなかったのは残念だけどね~」
 そう言いながら、葛木が感情を浮き沈みさせた。
「おまえの行動は、俺の精神状態と反比例するよな~」
「京橋が私を好きになれば、それは解決すると思うよ」
「なら、永久に解決しねぇな」
 食事をしながら、葛木を皮肉った。
「もしかして、設定を忘れてる?」
 これには眉を顰めて抗議してきた。
「忘れてねぇ~が、それを上回る行動をおまえがしてるんだよ。少しは自覚しろ。前に俺好みの女になるとか言ってた気がするが、こんなことするなら永久的に好きになれそうにねぇ~」
「それは困るね~。でも、こうしてるのは京橋の為でもあるんだよ」
「その理由を聞こうか」
 食事中だったが、話の流れで聞くことにした。
「ほら、一昨日から京橋にお弁当作ってるじゃん」
 その発言に、妹が横目で睨んできた。
「あれは断ったはずだが・・・」
 妹の顔を見ないように、とりあえず断っておいた。
「だから、それは無理だって」
「なんでだよ!」
「気持ちの問題」
 茂の怒声に、葛木が笑顔で言い切ってきた。
「愛されてるね~、お、に、い、ちゃ、ん!」
 妹が睨んだ目をさらに細くして、殺意を込めてきた。
「お弁当作ってきたの?」
 ここで母親が、会話に参加してきた。
「はい。これは私の気持ちがそうさせています」
 葛木は母親に向かって、恥ずかしげもなく言い放った。ここまでくると清々しさえあった。
「でね。学校とか登校中にお弁当渡すの恥ずかしいから、ここで渡そうと思って」
 葛木はそう言って、鞄から弁当箱を取り出した。
「真理。おまえって、弁当は売店とかで買ってるのか」
 弁当箱を見つめながら、妹に投げかけた。
「え、中学は給食だよ」
「あ、そうだったな」
 高校生活が長いせいで、完全に失念していた。
「なら、母さんにあげよう」
 仕方がないので、ここは母親に譲ることにした。
「あはは~、絶対貰いません」
 母親は空笑いしながら、敬語で断ってきた。
「あ、じゃあ、これから母さんが弁当作ってくれない?」
 これから先のことを考えて、母親に頼んでみた。
「無理」
 が、一言で一蹴されてしまった。
「じゃあ、お義母さん。これからお弁当は私が作ってきていいですか」
「うん、いいよ。むしろ頼んでいいかな」
 母親が茂の意思を無視して、勝手に話を進めた。
「はい。喜んで」
 それに葛木が、嬉しそうに受け入れた。
「いつも俺の意見を蔑ろにすんなよ」
 母親の呼び方は聞かなかったことにして、葛木に文句を言った。
「ちょっと待ってください。お義母さんってなんですか!」
 しかし、妹はそこは流したくないようで食い下がった。
「だって、両親の承認得てるから私にとっては義母だよ」
「ふざけないでください!本人の承諾がない以上、その呼び方は認めません!」
「そうだね~。そこが一番問題なんだよね~。どうしたら、許容してくれるかな」
 妹の発言を巧みに利用して、妹に質問した。
「そうですね~。とりあえず、お兄ちゃんから身を引くというのはどうでしょう」
 律儀にもその質問に答えていたが、断念を促すものだった。
「却下」
 その巧みな返しに、葛木は一言で拒否してきた。
「そんな拷問みたいなこと、私には耐えられないわ」
 そして、物凄く寂しそうな顔で項垂れた。
「うっ、手強いね」
「だろう」
 妹の小声の感想に、茂が同調した。
「真理」
 突然、母親が真顔で妹を見つめた。
「ん、何?」
「時間。やばいわよ」
「はぁーーー」
 時計を見た妹が目を見開いて、息を思いっきり吸い込んだ。
 そして、朝食を流し込むかたちで食事を終えた。
「早っ!」
 妹のあまりの速い行動に、茂は驚きの声を上げた。
「行ってきます」
 妹が食器をキッチンに持っていき、すぐさまリビングから出ていった。
「慌ただしいね~」
 それを見ていた立嶋が、その一言を口にした。
「ちょっと、悪いことしちゃったね~」
 これには葛木も少し罪悪感を持ったようだ。
「いや~、ああいう真理を見るのは、微笑ましくなるよね~」
 それに対して、母親は楽しそうに笑っていた。
「俺らも行くか」
 茂は立ち上がって、食器を片づけた。
「ねぇ~、これからは毎日ここに来ていいかな」
 キッチンから戻ってくると、葛木が神妙な面持ちで尋ねてきた。
「聞くだけ野暮だな」
「答えは変わらない?」
「ああ」
 茂はそう応えて、弁当箱を手に取った。
「せっかく作った物は粗末にはできないからもらってやるが、あんまりそういうことはして欲しくない。だけど、おまえの答えも変わらんだろう」
「うん」
「これは押し問答だな」
「そうだね~」
 葛木はそう言って、椅子から立ち上がった。
「一緒に出ていくと勘ぐられるから、先に外に出といてくれ」
「別にいいじゃん。ここから出るのも同じリスクだよ」
「もしかして、それが狙いか?」
「まあ、そうなるかな」
「なんで俺の嫌がることするかな~」
 茂は文句を言いながら、リビングを出た。
「だって、好きなんだもん」
 出る直前にそんな声が聞こえたが、聞かなかったことにした。
 二階の自室に戻って、鞄に弁当箱を入れてから部屋を出た。階段を下りると、葛木と立嶋が靴を履いて待っていた。
「じゃあ、行こうか」
 茂が靴を履き終わると、葛木が満面な笑顔でそう言ってきた。
「そうだな」
 いろいろ文句を言いたかったが、もう諦めて登校することにした。
「ちょっと待て」
 念の為、周りに人がいないかを確認してから外に出た。
「別に、私たちを気にする人なんていないわよ」
 茂の行動が不満だったようで、葛木が呆れ顔で指摘してきた。
「俺が気にしてんだよ」
 誰かに見られるというのは、自分の気持ちが落ち着かなかった。
「あっそ」
 葛木はそれを軽く受けながら、茂の横についた。
「ところで、昨日何を言おうとしたの?」
 昨日は時間の都合上、切り上げた話を葛木が持ち出してきた。
「ああ、そうだったな」
 立嶋にも言いたかったので、登校中に二人に説明することにした。
 学校に着くまでに、妹に話した内容を二人に伝えた。
「まあ、そういう訳だから、返事はあとでいい」
 教室に着いても、二人から返答がなかったので保留にしておいた。
 HRまで時間があったので、小説を読むことにした。
「おはよう」
 小説を読んでいると、女子生徒が挨拶してきた。あの二人以外からは滅多に挨拶されないので、普通に驚いてしまった。
「え、えっと、おはよう」
 そう挨拶を返して、顔を上げると学級委員長の三和霞がこちらを見下ろしていた。彼女は、セミロングの黒と茶が混ざった髪にウエーブがかかっていて、かなり目立つ髪型だった。
「欠席の件。担任から聞いたんだけど、あまり面倒は起こさないでくれないかな」
「どう聞いたかは知らねぇけど、休むことが面倒事になるのか?」
「欠席は別に構わないけど、一度学校に来てから帰るのは、面倒事になるのよ」
「わかった。休む時は家から出ないことにするよ」
「ええ、そうして」
「葛木にも言っておくよ」
 原因は葛木だったので、彼女にもそれを伝えておくことにした。
「え・・あ、い、いや、葛木さんには言わなくていいわ」
 さっきまで堂々としていた三和が、葛木の名を出した途端に挙動がおかしくなった。
「なんで?あいつも途中で帰ったみたいだぞ」
「そ、それは聞いてるけど。と、とにかく、それは伝えなくていいから」
「三和。おまえ、もしかして葛木が怖いのか?」
 最近知ったことだが、三和の葛木に対しての恐怖心が異常な気がした。
「そ、そんなことないわよ」
 否定はしたが、表情は強張っていた。
「そうか」
 これ以上は彼女の精神を掻き乱すことになりそうなので、ここで引いておくことにした。
 それから本鈴が鳴るまで、小説を読むことができた。

五 要請

 いつも通りの授業が着々と終わり、昼休みになった。いつもはコンビニで弁当を買っていたが、今日は必要がなかった。
「で、答えは出たか」
 登校時に説明は終えていたので、二人からの返事を聞いた。
「質問」
 それに立嶋が軽く挙手した。
「なんだ?」
「もしもの話なんだけど、手伝わなかったらどうなるの?」
「別にどうもならん。ただ今後は邪魔だから、俺に関わらないでくれ」
「それは友達解消ってこと?」
「まあ、そうなるな」
「それは嫌だな~」
「そこは許容してくれ。俺だって、正直余裕がねぇ~んだ」
 今まで立嶋には遠回しに拒絶していたが、これを機に直接遠ざける発言をした。
「ふ~ん。じゃあさ、手伝ったら一緒にいてくれるってこと?」
「はぁ?当たり前だろう」
「そっか。それが見返りってことなんだ」
「まあ、今はそうなるな。だが、稼げる年齢になったら、報酬は用意するつもりだ」
 今はまだ収入がないので、二人の善意に頼るしかなかった。
「まあ、立候補したら金は出せねぇけど」
 それをしたら、確実に選挙法違反になってしまうので、絶対にできなかった。
「そんなのいらないわ」
 これに葛木が、淡泊に拒否してきた。
「私もそれは望まないよ」
 立嶋も同じだったようで、葛木に同調した。
「じゃあ、断るってことか」
 二人からの拒否は少し意外だった。
「誰も引き受けないとは言ってないわよ」
「は?だって、金はいらねぇんだろう」
「それはいらない。でも、私たちは将来の伴侶なんだから、手伝うのは当たり前だよ。ね、琴音」
 葛木はそう言って、立嶋の方に話を振った。
「え、あ、うん。そうだね」
 急な振りに、戸惑いながらも控えめに頷いた。
「待て。その前提で話は進めたくねぇ~」
「なんでよ」
「おまえらは分配制度を使って、俺から給料を搾取するつもりか?」
 こうなると由々しき事態だった。
「・・・そんなこと考えてなかったけど、自然とそうなるね~」
「自然となるんじゃなくて、制度でそうなるんだよ!」
 これには語彙を強めて訂正した。
「くくくっ」
 これがツボだったのか、立嶋が口を押えて笑いを堪えていた。
「この際だから言っておく」
 このまま結婚を迫られるのは迷惑だったので、ここではっきりさせておくことにした。
「俺は、結婚する気はねぇぞ」
 これはしいなが亡くなった時に心に誓ったことだった。
「・・・えっと、冗談?」
 すると、葛木が困惑した顔で聞いてきた。
「いや、これはマジだ」
「なんでそんなに拒むの?」
 茂が真顔で断言すると、葛木が悲しそうな顔でそう言った。
「別に、おまえを拒むつもりで言ったわけじゃねぇよ。原因は父親だ」
「父親?」
 葛木が興味を持ったらしく、悲しそうな顔のまま顔を上げた。
「ああ。俺の父親は二妻でな。父親が二人に翻弄されているんだよ。特に金銭面で」
「そ、そう・・・」
 その事実に、葛木が言葉に詰まった。
「という訳だから、結婚はやめにしたんだよ」
 ここで引いてくれることを期待して、再びそう断言した。
「じゃあさ、取り引きしない?」
 気持ちを切り替えたのか、何かを決断したような目を向けてきた。
「取り引き?」
「とにかく、私の人生をあげるわ」
「いや、そこまで望んでねぇよ」
「ううん、あげる」
 軽く断ったが、力強い眼差しで言い切ってきた。
「だ、だから・・・その」
 そして、突然弱々しく正面を向いて俯いた。
「な、なんだよ」
「そ、傍において、あ、愛してください」
 身体をもじもじさせて、茂を上目づかいで見つめてきた。
「す、凄い、めげずに告白をした。しかも、可愛い」
 立嶋が驚愕した後、感想を口にした。
「なのに、なんでそんな顔できるの?」
 そして、今度は責めた眼差しを茂に向けてきた。茂は蔑視の眼差しで、その告白を受け止めていた。
「俺の気持ちを知って、それを言う神経が信じられねぇ~」
 未来が言っていた通りになりそうだったが、個人的には傍におく気はなかった。
「酷い言い草だね~」
 茂の冷静な返しに、立嶋が不快感をあらわにした。
「なら、おまえは嫌いな相手が一方的に告白したら、どうするんだよ?顔はイケメンでもいいぞ」
 責められるいわれはなかったので、仮定の話を持ち出した。
「ちなみに、立嶋の嫌いなタイプはどんなやつだ?」
「う~~ん。ナルシストとか、自信過剰タイプは嫌いかも」
「そいつが積極的に迫ってきたら、受け入れるのか?」
「無理かな」
 悩むどころかきっぱりと断言してきた。
「おまえ、それでよく俺を非難できたな」
 あまりの清々しい答えに、呆れた顔で返した。
「むしろ、ここで非難するのは当然だと思うんだけど」
 立嶋はそう言いながら、葛木を横目でチラッと見た。それにつられて葛木を見ると、絶望感を滲ませて落ち込んでいた。
「落ち込んでるよ。葛木さん」
「ここで言うことではなかったな」
 今にも泣きそうな葛木な見て、教室でこの話をしたことを酷く後悔した。
「葛木」
「ん、何?」
「おまえは、俺に嫌われないようにするって言ったよな」
「うん。言った」
「じゃあ、その強気な攻めはやめてくれ。俺がしつこい性格が嫌いなのは知ってるだろう」
「でも、受け身だと全然相手にしてくれないもん」
「まあ、前まではそうだったが、これからは頼りにしようと思ってる。だから、もうその性格は封印してくれ」
「・・・頼りにしてくれるの?」
 少し機嫌が良くなったようで、表情が戻ってきた。
「勿論だ。成果によっては、そ、その、おまえの望むことをしてもいい」
 少し抵抗を感じたが、この場を収めるにはそう言い繕うしかなかった。お金では動きそうになかったので、最終手段として相手の好意を利用することにした。
「ほ、本当に?」
 葛木の表情が明るくなり、甘い口調で聞いてきた。
「ああ」
 茂は、観念して頷いた。将来を考えると、葛木の能力は魅力的だった。
「だから、不本意かもしれんが、従順になってくれ」
「わ、わかった。頑張る」
 この要求に、葛木が決意な眼差しで快諾してくれた。
「そうか。ありがとう」
 これには感謝の意を表して、隣の葛木の左手を両手で握った。妹には拒絶されたが、友達だという設定では自然な行為だと思った。
「あ、え、う、うん」
 これに葛木が、動揺して顔を赤らめた。
「で、立嶋はどうだ」
 葛木から手を離して、今度は立嶋の返事を聞いた。
「う~~ん。どうしようかな~」
「嫌なら、断ってくれてもいいぞ」
「そうだね。断ることはしないけど、不安はあるかも」
「不安か。そうだな。うまくいくかはわかんねぇからな」
 確かに、立嶋の言い分はもっともだった。
「支援するにしても、何をすればいいの?一人一票は変わらないし、支援者を増やすにしても限界あるよ~」
「そうだな~。だから、できるだけ労働団体とかどこかの機関に属して欲しい」
 これは最重要事項なので、二人を交互に見て説明した。
「でも、それだと既得権になるから法改正は難しくならない?」
「え?ああ、なんか勘違いしてるみたいだな。機関に入って選挙運動するわけじゃないぞ。内部情報が欲しいだけだ」
「情報?」
「そう。選挙戦は情報が一番の要なんだよ。あと噂話とかな」
「・・・ああ、なるほど。よく考えるね~」
 立嶋は茂の言葉を察して、感心したように納得した。
「具体的に私たちはどこに進学したらいいの?それとも就職?」
 ここで葛木が、箸を止めて聞いてきた。
「そうだな。葛木は、官僚になってくれ」
 学歴的には難しいところだが、今は葛木にしか頼める人がいなかった。
「え!」
 この要求には、さすがの葛木も驚きの声を上げた。
「で、立嶋はメディア関係だな」
「あ、それは楽しそうだね」
 これには立嶋が嬉しそうな顔をした。
「って、ちょっと。私の就職先ってきつくない?」
 さすがにこの就職先には、葛木が慌てた様子で食い下がった。
「そうだな。だが、これはおまえにしか頼めない」
「え、えっと、頼られるのは凄く嬉しいんだけど、狭き門だよ」
「無理だったら、公務員でもいいぞ」
 強制するつもり毛頭なかったので、妥協案も提示した。
「官僚なったら、どんな見返りが期待できるかな」
「そうだな~、恋人になってもいい」
 正直答えたくなかったが、頼みを聞いてもらってる以上、それ相応の見返りでなくては申し訳ないと思った。
「官僚で恋人か~。先が長いな~」
 結婚までの道のりを試算しているのか、そんな独り言を呟いた。
「じゃあ、公務員だったら?」
「五つの頼みを聞く。ただし、短期的な内容だけだ」
「短期的?」
「ああ、結婚とか恋愛はなし。数回の行為も却下だ」
「なるほど」
 見返りの詳細に、葛木が頷いて納得した。
「あと、できる限りでいいから重役について欲しい」
 そうでなければ、わざわざその職に就かせる意味がなかった。
「わかった。やってみるよ」
 これには反論はなく受け入れてくれた。
「で、立嶋は?」
 葛木が了承てくれたので、今度は立嶋に聞いてみた。
「うん。いいよ。法の改正の手伝いなんて楽しそうだし」
「じゃあ、立嶋には見返りはいらねぇみたいだな」
 立嶋から軽い感じで承諾を得たので、勝手にそう解釈した。
「え~~、それはいるよ~」
「あ、そうなの?」
「お金はいらないけど、愛は欲しいな~」
 立嶋はそう言うと、笑顔で茂をじっと見つめてきた。これは明らかに葛木に便乗したかたちだった。
「わかった。できるだけのことをしよう」
 こちらの頼みを受け入れてくれたので、この条件を呑むことにした。
「それは嬉しいことだね~」
「こうなると、設定はもう意味ねぇ~な。破棄するか」
「え、なんで?」
 それを破棄する意味がわからないようで、立嶋が驚きの声を上げた。
「これからは俺の目的のために動いてもらうから、設定は障害になる」
「んー、それもそうだね。それに見返りが愛だもんね」
 立嶋が納得してから、にやにやと嫌な笑みを浮かべた。どうやら、その台詞が気に入ったようだ。
「さて、最初におまえたちに言っておくことがある」
 二人が茂に協力してくれることが確定した時点で、規定を設けようと思った。
「これからは、俺に従ってもらう。意見や助言があれば考慮はするが、無理難題はやめてくれ。これは最低限の決定事項だ。異論があるなら聞こうか」
「特にないよ」
「私も特には」
 二人は反論もなく、一言で承諾してくれた。
「そうか。ありがとう」
 これには二人に心から感謝した。
「じゃあ、今日から俺の家に来い」
「え、いいの!」
 茂自らの招待に、葛木が驚いて聞き返してきた。
「これからの進路とか、いろいろ話す必要があるからな。あと、葛木には別に頼みたいこともあるし」
「頼み?」
「それから、この計画には妹と未来も加担してくれるから」
 葛木の疑問はスルーして、その事実だけを伝えておいた。
「え、未来も?」
 これには葛木が驚きの顔をした。
「手伝ってくれる以上、未来にも立嶋を許容してもらわねぇとな~」
「でも、あの子には苦痛でしょう」
 少し立嶋を気にして、葛木が心配そうに囁いた。
「だから、おまえがなんとかしてくれ」
 昨日、自らそれを引き受けていたので、葛木に託すことにした。
「ああ、それならもう対策は考えてあるわ」
「早いな」
「考えれば、特に難しいことじゃなかったからね」
「そうなのか?」
「だって、壁越しでは聞こえないんでしょう」
「ああ、そう言ってたな」
「だったら、体のどこを隠せばいいかを確認すればいいのよ」
「それもそうだな」
「なんでしいながそれに気づかなかったのかは、不思議なんだけどね~」
「う~ん、そうだな~。でも、しいなだしな~」
 しいなは特に馬鹿だった為、そこはなんとも言えなかった。
「ふぅ~、しいなには甘いね~」
「馴染みだったからな。あいつの頭の悪さは昔からだった」
「あ、そう。まあ、付き合いは短かったけど、そこまでの馬鹿じゃないと思ったんだけど」
「ああ、初対面の人には過去の話ばかりで、一般的な話はあまりしないようにしてるんだよ」
「え、そうなの?・・・まあ、確かに昔話ばかりだったかも」
「そういう記憶力は良いからな。都合の悪いことはたいてい切り取るし、話を聞く限りは全然馬鹿には見えない」
 茂は、小学生の頃を思い出しながら苦笑した。
「なるほどね。でも、記憶力があるなら馬鹿にはならない気がするんだけど」
「あいつは勉強が大っ嫌いだから、基本頭に入らないんだよ」
「都合の良い頭してたんだね~」
 葛木が呆れながら、溜息をついた。
「あの~、誰の話?」
 除け者にされた立嶋が、耐え切れず口を挟んできた。
「琴音には未来のことを伝えるの?」
「ああ、手伝ってくれるしな」
 立嶋を無視するかたちで、二人で話を進めた。
「そうだね。琴音、もう時間がないから下校中に話すわ」
 時計を見ると、予鈴が鳴る時間だった。
「あ、そ、そうだね」
 立嶋が弁当箱を持って、教室から出ていくと同時に予鈴が鳴った。
「なあ、本当にいいのか?」
 三和の席を戻している葛木に、三度目の確認をした。
「私にしてみれば、京橋が受け入れてくれることが信じられないよ」
「苦渋の決断というやつだ」
「そっか。私は、本当に嬉しいよ」
 本当に嬉しかったようで、満面の笑みを浮かべた。
「そうそう、放課後・・って、帰りでいいや」
 葛木はそう言うと、慌てて自席に戻っていった。何気に葛木が最後に見た方向を見ると、隣の席の男子生徒が戻ってきていた。
 午後の授業が始まり、二人をどう動かすかを考えながら授業を受けた。
「じゃあ、帰ろうか」
 HRが終わると、葛木が帰り支度してる茂の席の前に立った。
「ああ、そうだな」
 茂は、少し急いで支度を済ませて立ち上がった。
「あれ?」
 廊下を出ると、葛木が声を上げた。いつも廊下で待ってる立嶋が見当たらなかった。
「どうしたんだろう?」
 立嶋がいないことに、葛木が少し戸惑いながら茂を見た。
「さあな。とりあえず、教室に行ってみるか」
「そうね」
 茂たちは、立嶋の教室に向かうことにした。
 教室の前まで来ると、まだ帰りのHRをしていた。
「どうしよっか」
「いつもなら帰るんだが、これからは待つことにしよう」
「そうだね」
 茂の言葉に、葛木が嬉しそうに頷いた。
 4分後、帰りのHRが終わったようで、教師が教室を出ていった。
「ごめん。おまたせ」
 立嶋が少し慌てながら、教室から出てきた。
 茂たちは、いつものように並んで下校した。
「今日はどうしたんだ?」
「うん。担任にお願いされちゃって」
「お願い?」
「頼むからHRまではいてくれって」
 立嶋が表情をつくって、担任の真似をした。
「あははっ~、似てる」
 それを見た葛木が軽く笑った。
「でもね。それ言われたのは、2週間前なんだよね~。今日まで無視してたんだけど、内申に影響しそうだからね」
「俺の為か?」
「う、うん。そうなるかな」
 これには少し恥ずかしそうに頬を掻いた。
「あ、ありがとう」
 ここは礼儀として、立嶋にお礼を言った。
「いえいえ、どういたしまして」
 立嶋は、その謝意を笑顔で受けた。
「HRにいたら、担任がビックリしてたよ。失礼だよね~」
 さっきのことを思い出したようで、呆れ返った表情で愚痴ってきた。
「いや、それは当然だと思うが」
「確かに」
 茂の意見に、葛木も賛同した。
「え~、そうかな~」
 これに立嶋が、不満そうに口を尖らせた。
「そういえば、昼休みのこと教えてよ」
 学校を出ると、立嶋が昼の話を引っ張り出してきた。
「ああ、そうだったね。その前に私の家に寄ろうか」
 すると、葛木が思いついたようにそう言った。
「ん、何かあるのか?」
「うん。未来の予防策でいろいろ用意してみたの」
「そうか。仕事が早いな」
 昨日の今日で用意したことには本当に感心した。
「あまりに不憫だったからね~」
 葛木はそう言うと、本当に憐れんだ表情をした。
「あんまり同情してやるな。あいつはそれを望まん。未来がしいな以外に話さなかったのもそれが理由だ・・と思う」
 そうは思っていたが、未来から直接聞いていなかったので、語尾は憶測にしておいた。
「ふ~ん。なんか根拠がありそうだね」
「まあな」
 根拠は、しいなの性格だった。昔から彼女は、他人からの同情されることを極端に嫌っていた。今思うと、同情されるたび未来の不憫な状態がいつも頭によぎっていたのだろう。
「まあ、知らなくてもいっか」
 葛木は、そこはあっさり引いてくれた。
「あの~、そろそろ私も仲間に入れてくれないかな」
 さっきから、ずっと会話に入れない立嶋が耐えかねて口を挟んできた。
「あ、ごめんごめん」
 これに葛木が、軽い感じで謝った。
「どっから話そうかな~」
「できれば、しいなって人からかな~」
「えっと、彼女を知らないんだっけ?」
「うん」
「長くなるな~」
 葛木は、少し面倒そうに茂を見た。
「そんなに長くならねぇだろう」
 茂は、葛木を横目に否定した。
「別に自分の経験を話すわけじゃねぇし、簡潔に言えばいい」
「それだと、しいなに対しての私の思いが伝わらないじゃない」
「必要ねぇよ。他人の先入観は邪魔なだけだ」
「そうかな?生きてたら言う必要はないけど、もう亡くなってるし」
 葛木がその事実を口にして、自ら落ち込んでしまった。
「ほら、そうなるからやめろって」
「うん。そうだね。話していく内に泣いてしまいそう」
 そこまでしいなの死を悲しむ葛木を見て、少しだけ好きになれそうな気がした。
「ごめん。詳細は省いて、簡易的に話すよ」
「う、うん。私もそっちがいい」
 葛木に配慮してか、立嶋はそれを受け入れた。
「しいなは、京橋の幼馴染で去年の12月に亡くなった人よ」
 簡易的に言うと、それだけで終わってしまった。
「ちなみに、俺としいなは小6の頃から疎遠だった」
 一応、そこだけは補足しておいた。
「ふ~~ん。で、その人は病気で亡くなったの?」
「ああ、医療が衰退したせいでな」
「なるほど。だから、医療制度を見直すために政治家になるんだね」
「そういうことだな」
「そっか。優しいね、京橋は」
 政治家になる理由を知って、立嶋が嬉しそうな顔をした。
「恥ずかしいから、それは言わないでくれ」
 この事実はできるだけ、口にして欲しくなかった。
「なんでそれが恥ずかしいの?」
「俺は天邪鬼だから、褒められるのは気恥ずかしいんだよ」
「なんか納得できる理由だね」
 これには立嶋も大いに頷いた。
「で、そのしいなに妹がいてね」
 話が区切れたところで、葛木が話を進めた。
「それが未来ってこと?」
「うん・・言ってもいいよね」
 口止めされてることもあり、不安そうに茂に聞いてきた。
「ああ、俺が許可する」
「未来はね。人の心が読めるんだよ」
 葛木が場の空気を読んで、軽い感じで暴露した。
「・・・えっと、心理学とかそういうの?」
 立嶋が怪訝そうな顔で、正吾と同じ解釈をした。
「いや、幻想的な意味だ」
 これは茂の方から勘違いを訂正した。
「電波みたいな感じ?」
「そう、それだ」
「えっと・・・冗談・・じゃないみたいだね」
 茂たちの様子を窺って、立嶋が慎重に発言した。
「ああ。冗談は言わねぇ~」
「そう。それは大変だね」
 立嶋は、未来のことを思い出すように視線を上に向けた。
「おまえの思考の複雑さと情報量の多さに驚愕してたよ」
「だから、あんなに怯えてたんだね」
「ちなみに、未来はおまえに会いたくないと言っていた」
 念の為、未来の言葉をそのまま伝えておいた。
「え?それ本人に言うかな、普通」
 思わぬ他人からの拒絶に、立嶋が困った顔をした。
「おまえは普通に未来に接触しそうだから、前もって釘を刺しておいた」
「言わなくても、それぐらいわかってるよ」
「それは悪かったな。察しが良くて助かるよ」
 これには素直に詫びておいた。
「でも、これから京橋の家に行くんだから、会う可能性高いんじゃないの?」
 葛木は、思いついたようにそんなことを口にした。
「ああ、いつもリビングにいるから、俺の部屋に直行すれば会うことはねぇよ」
「え、へ、部屋に、い、行くの?」
 ここでなぜか葛木が挙動不審になった。
「その間、葛木はリビングで未来の対応してくれ」
「え、私は部屋に行けないの?」
「俺の部屋に行くのは立嶋だけだ」
 茂の部屋には未来はいないので、来るのは無意味だった。
「そ、そんな~」
「何、この反応?」
 葛木の言動が理解できず、立嶋に疑問を投げかけた。
「・・・」
 それに立嶋が、悩んだ末に黙ってしまった。

六 対策

 葛木の家に着き、茂と立嶋は玄関前で待っていた。その間にしておかなければならないことがあったので、ポケットから携帯を取り出した。
「ちょっと、電話する」
 立嶋に一声かけてから、履歴から番号を選んでプッシュした。
「あ、もしもし」
『ん、どうかした?』
 三度目のコールで出たのは妹の真理だった。
「今から帰るんだが、未来はいるか?」
『いるよ』
「そうか。あの二人が協力することになったから、未来に伝えておいてくれ。あと、その二人も家に来るから」
『はぁっ!』
 茂の一方的な発言に、妹が不機嫌そうな声を上げた。
『どういう経緯でそうなったのよ!』
 あまりにうるさかったので、携帯を耳から少し離した。
「俺の独断だ」
『なんで、そんな重要なことを相談もなしにするのよ』
「相談したって、反対するだろう」
『うっ!それはそうだけど・・・』
「今、葛木の家の前にいるんだが、未来への対策があるみたいだから、おまえも手伝ってくれ」
『ええ~~~~』
 これには物凄く嫌そうな返事が返ってきた。
『昨日の今日でそれは凄いけど、個人的に会いたくないよ~』
「それはもう諦めてくれ。これからは頻繁に出入りするから」
『お兄ちゃん。どうしたのよ』
 茂の能動的な行動に、妹が訝しがってきた。
「将来のことを考えると、もう子供じみたことも言ってられねぇんだよ。おまえが許容できねぇなら、自宅以外でするけど」
 さすがに強要するのは気が引けるので、選択肢を与えた。
『狡いな~。そんなこと言われたら断れないよ』
 少し間を置いた後、溜息を吐きながらそう言った。特に脅迫めいたことは言ったつもりはなかったが、妹にはそう聞こえたようだ。
「まあ、できるだけ自分の部屋でするよ」
 妹に配慮して、極力会わせないように心掛けることにした。
『いやらしいことでもするの?』
「いや、ちょっと話をするだけだが」
 妹のからかいに真面目に答えた。
「あ、もう切るぞ」
 葛木が家から出てきたので、返事を待たず通話を切った。
「おまたせ」
 葛木は、重たそうに二つのトートバックを持ってきた。二つともパンパンに張っていて、大量に物が入っていた。
「何それ?」
 それを見た立嶋が呆れた様子で、荷物に目をやった。
「ん、実験品だよ。物で隔たりを作って、どの方向から聞こえるかを検証するの」
 葛木はそう言って、得意げに表情を緩めた。
「あ、京橋。これ持ってくれない?」
 一人で持つのは重いようで、片方のトートバックを突き出してきた。
「ああ、わかった」
 茂はそれを受け取って、中身を何気なく見てみた。
「って、これって、フルフェイスじゃねぇか」
 中にはバイクのヘルメットが入っていた。他にも物がごちゃごちゃしていたが、それが一番目立つ物だった。
「うん。お父さんから借りたのよ」
 葛木の父親は、バイク好きでバイク通勤していた。
「あれ?でも、バイクはねぇぞ」
 駐車場を見ると、バイクはなかった。
「ヘルメットは三つあるのよ。一つでいいのにね」
 これに葛木が、ここぞとばかりに愚痴ってきた。バイクにお金を費やす父親の気持ちが理解できないようだ。
「そうか」
 これ以上聞くと、深みにはまりそうだったので追求はやめておいた。
「最初にそれを装着してもらって、思考が読めるかを実験してみようと思ってね」
「それは名案だな」
「でも、これが成功したら、このバックに入ってる物の大半が不要になるんだけどね」
 葛木はそう言いながら、自分の持っているバックを持ち上げた。
「さっき誰に電話してたの?」
 歩き始めると、立嶋がそう切り出してきた。さっきの電話の相手が気になったようだ。
「ああ、妹だよ。おまえ達を連れていくって言ったら、驚かれて嫌がられた」
 ここは隠すことなく、二人に伝えた。
「相変わらず、嫌われてるね~。私」
 葛木一人が拒絶されたと思ったような発言だったが、それは的外れでもなかった。
「そうだな。でも、協力してくれる以上避けては通れねぇ~。だから、あいつには妥協させることにしたよ」
「そう。なんか悪いね」
「俺がおまえ達に頼んだことだからな」
「京橋って、最近成長しすぎだね」
 葛木が茂を見て、少し複雑そうな顔をした。
「そうだね。なんか大人びた感じだね~」
 立嶋もそれに同調した。
「政治家は、人気取りだからな~。嫌な人間でも受け入れるんだよ」
 褒められたことが嬉しくて、思わず図に乗った。
「今のは余計だよ」
「そうだよ」
 茂の一言で、賛辞から非難に転換された。
「八方美人は難しいな」
 将来それが重要になるので、その訓練は必要だと感じた。
「そうかな?京橋には簡単そうに見えるけど」
「それはどういう意味だよ」
「初対面ではいい顔するじゃん」
 それは母親の教育の賜物だった。
「人は、持ち上げることでだいたいの性格がわかるからな」
 母親の躾とは言いたくなかったので、打算的な理由にしておいた。
「営業的な接し方だね~。それって良いイメージないよ」
 葛木はそう言って、目を細めて蔑視してきた。
「おかげで、おまえの両親に気に入られちまったよ」
「裏目に出た訳ね」
「そういうことだな。世の中うまくいかないよな」
 ここは当てつけの如く葛木を皮肉った。
「そうだね。私には嬉しい誤算だよ」
 葛木は、それを軽く流して微笑んだ。やはり、葛木にはそういった責め句は通用しなかった。
「まあ、これからはおまえ達にも強要したいものだな」
「そうね。いろんなコネクションつくらないと支持率は獲得できないもんね」
「そういうことだ」
「でも、今の段階じゃあ琴音は難しいね」
 葛木はそう言って、立嶋の方に目をやった。
「そうだな。今の段階じゃあ無理だな」
 一方的に話してしまう立嶋には、無理難題だった。
「そんなことないよ~、最近は京橋とちゃんと会話してるし」
 これに立嶋が、拗ねたように反論してきた。
「じゃあ、俺たち以外の同年代で話せる人いるか?」
「いない!」
 今の自分の現状を胸を張って言い切った。
「だから、今の段階では、なんだよ」
「そう限定的に指摘をされると、反論できないね~」
 この具体的な指摘に、立嶋は言い返せなかった。
「これから、俺と一緒に直していけばいい」
「え、あ、うん。そうだね」
 茂の言葉に、立嶋が動揺を見せた。
「んんっ、私も手伝ってあげるわ」
 隣の葛木が喉を鳴らして、立嶋への協力を申し出た。
「あ、ありがとう」
 立嶋は、苦笑いしてお礼を言った。
「で、私たちはどうすればいいの?」
 話が区切れたところで、葛木が今後の予定を聞いてきた。
「過程は好きにしていいぞ。それに向けて、手助けが欲しい場合は頼ってくれ。お互いできる限りのことをしていきたい」
 行動を縛ることはあまりしたくないので、自分の考えで動いて欲しかった。
「そうね。京橋は、法政大学だよね」
「ああ、法律に関わる仕事だからな」
「じゃあ、私も同じにするわ」
 葛木は、軽い感じで進路を決めた。
「そうか」
 法政大学は、高学位なので官僚になる人も少なくなかった。
「官僚って言っても、いろいろあるんだけど。どこの省に行こうか?」
「当然。厚生労働省だ」
「だよね~」
 予想通りの答えに、軽い笑顔で受け止めた。
「私は?」
 立嶋も進路を気にしているようで、食い気味に聞いてきた。
「メディア関係だから、文系大学とか経済大学とかでしょうね」
 これには葛木が答えてくれた。
「ん~~、そうだね。京橋の行く法政大学って、都市をどのくらいまたぐ感じかな」
「四つの都市をまたぐな」
 交通手段は電車と車が主流で、各都市に二駅ずつ設置されていた。
「じゃあ、この都市の大学だと会いにくくなるね」
「そうだな。まあ、連絡手段はいくらでもあるから問題ないだろう」
 携帯やメール、テレビ電話、手段は数多くあった。
「うん。でも、会えなくなるのは寂しいよ」
「これから友達をつくれば問題ない」
「か、簡単に言うね」
 今まで友達づくりに悪戦苦闘していた立嶋には、この言葉は重かったようだ。
「まあ、そう慌てなくても、時間はあるからゆっくり考えればいい」
 あまり急かすと、混乱するので余裕を持たせることにした。
「法政大学の近くにそういうところってないかな」
 立嶋が少し悩みながら、茂たちに尋ねた。
「知らねぇ~な」
 その都市の情報は、法政大学以外興味なかったので知らなかった。
「あとでネットで調べてみればいいよ」
 葛木も知らないようで、立嶋にそう助言した。
 家に着いて、茂が玄関の前に立つと、二人は一歩下がった。
「ふぅ~」
 茂は大きく溜息をついて、ドアノブに手を掛けた。
「早く開けてよ」
 すると、葛木がじれったそうに急き立ててきた。
「焦らせるなよ。家に入るには、それ相応の心の準備があるんだよ」
「何それ?」
 葛木には理解できなかったようで呆れた声を出した。
「そこは察しろよ」
 さすがに妹が怖いと言うのは恥ずかしかったので、個々で察してもらうことにした。
 茂はドアをゆっくり開けて、中を覗き込んだ。
「なんか不法侵入みたい」
 すると、後ろから立嶋の呟き声が聞こえてきた。
「よし、入っていいぞ」
 妹が玄関前にいないことを確認して、二人を招き入れようとした。
「おかえり。お兄ちゃん」
 玄関に入ると、妹の声が二階から聞こえた。見上げると、階段の上に妹が仁王立ちしていた。
「ち、盲点だった」
 茂は、自分の注意力のなさを嘆いた。
「本当に連れてきたんだね」
「せっかくおまえに配慮して、会わせないようにしてたのに、なんでそこで待ってるんだよ」
 これでは電話した意味が全くなかった。
「それはありがたいけど、客を招くなら挨拶は必要だと思ってね」
 妹はそう言いながら、笑顔で階段から下りてきた。そのつくり笑顔は怒りの象徴だった。
「その心掛けは嬉しいが、今のおまえからは嫌悪感しか伝わってこないぞ」
「それはお兄ちゃんがそう捉えてるだけだよ」
 そう言うと、妹が茂越しに二人を見た。
「お二人は、そういう風に捉えていませんよね」
 そして、つくり笑顔のまま二人に聞いた。
「おまえな~。脅すんじゃねぇよ」
 返答に困っている二人を見て、妹の頭を小突いた。
「いたっ」
 強めに小突いたので、少し後ろに怯んだ。
 茂は玄関を上がり、二人に上がるように促した。
「立嶋は、まだ未来には会わせたくねぇから、俺と一緒に部屋に来い」
 とりあえず、立嶋だけは二階に上げておくことにした。
「わ、私も行くよ」
 これになぜか葛木が、積極的に言い寄ってきた。
「いや、おまえは未来への対応を頼むよ」
「ええ~~、そんなのあとでいいよ」
「はぁ~、せっかく重い荷物を持ってきたんだから、すぐにでも使って欲しんだが」
 茂は、持ってるトートバックを持ち上げてそう言った。
「何これ?」
 ここで妹が、バックの中身を見て首を傾げた。
「これから未来の特殊能力を検証する為の道具だよ」
 葛木の考えをそのまま伝えて、持ってるバックを妹に差し出した。
「ん?何?」
「おまえも手伝え」
「え、あ、い、いや」
 これに妹が戸惑いながら、バックを受け取った。
「じゃあ、俺と立嶋は部屋でこれからのことを話し合うから」
 茂は立嶋を連れて、二階に上がろうとした。
「え、ちょっと待ってよ!」
 しかし、葛木が慌てた様子で呼び止めてきた。
「ん、どうした?」
「わ、私も行くよ」
「いや、だから、おまえは未来の方を頼むよ」
「や、やだよ」
「はぁ?」
「私だけ除け者はやだよぉ~」
 葛木の子供じみた発言に耳を疑った。
「ど、どうしたんだ?」
 これには困惑して、妹に助けを求めた。
「私に説明を求めて欲しくない」
 答えたくないのか、苦い顔で拒否した。
「じゃあ、立嶋に聞こう」
「本人に聞いてよ」
 妹がぼそっと呟いたが、それをスルーして後ろにいる立嶋を見た。
「え、えっと、し、嫉妬かな」
 立嶋は葛木を気にしながら、たどたどしく答えてくれた。
「ああ、なるほど」
 何に嫉妬したのかは理解できなかったが、とりあえず納得した振りをしておいた。
「葛木。あとで頭撫でてやるから、未来のことを頼むよ」
 昨日、これが報酬になることがわかったので、それを利用することにした。
「それじゃあ、足りないよ」
 が、葛木は拗ねたように口を尖らせてきた。どうやら、その要求だけでは不満のようだ。
「じゃあ、いいや」
 ここで上回る要求を呑むと付け上がるので、軽めに突っぱねることにした。
「待って、それでいいから」
 すると、葛木が慌てた様子でその条件を呑んでくれた。
「なら、あとは頼んだ」
「う、うん」
 かなり不本意そうな顔をしていたが、敢えて無視して二階に上がった。

七 相談

 立嶋と一緒に二階に上がると、なぜか妹もついてきた。渡したはずのバッグは持っていなかった。
「なんでお前も来るんだよ」
 部屋の前で妹の方を睨んだ。
「お兄ちゃんの部屋を勝手に模様替えしたから」
「はぁ?」
「だから、その説明をしようと思って」
「なら、口頭で言えばいいだろう」
「そうなんだけどね~」
 妹は、何か言いにくそうに視線を逸らした。
「もしかして、葛木と一緒にいたくないのか」
「それもあるけど、実は未来ちゃんから頼まれてね~。二人っきりにして欲しいんだって」
「そうか」
 未来が望んだことだったら、それ以上は何も言えなかった。
 ドアを開けると、部屋に一つだけ物が増えていた。
「テーブルだけ置いたのかよ」
 ベッドと学習机の間には広く空いたスペースがあり、そこに小さなテーブルが置いてあった。これは父親の部屋にあるはずの物だった。
「これを囲めば、三人でも勉強できるでしょう」
「そうだな~。だが、場所が悪い」
 妹の言い分を聞きながら、茂はテーブルをベランダ近くに移動した。
「そっちだったら、壁が邪魔じゃん」
「いいんだよ。三人でテーブル囲むなんてことはねぇと思うし。それよりテーブルを用意するなら、座布団も欲しいところだな」
 床が絨毯とはいえ、来客をそのまま座らすのは気が引けた。
「ねぇ~、京橋~。私はどこに座ればいいの?」
 ここで立嶋が、周りを見回しながら尋ねてきた。
「そうだな。ここに座ってくれ」
 茂は、回転椅子を引いて座るよう促した。
「え、別にベッドでもいいよ」
 茂に配慮したのか、自らそう言い出してきた。
「はぁ~?馬鹿じゃないですか」
 茂が答える前に、妹が罵声を浴びせた。
「いいから、ここに座れ」
「え、あ、うん」
 妹に恐れを感じたのか、茂の指示におどおどしながら座った。
「さてと、少し話そうか」
 話を進めようとしたが、妹の方に目をやった。
「おまえは、ここにいるのか?」
「不都合でもあるの?」
 茂の発言が気に障ったのか、妹が責めるような眼差しで見返してきた。
「ねぇ~よ」
「なら、問題ないじゃない」
 妹はそう言うと、いつものようにベッドに座った。
「でも、何を話すの?」
「まずは、進路を決めよう。電子書籍をネットに繋げ」
「あ、そうだね」
 立嶋は鞄から電子書籍を取り出して、ネットで都市の大学を調べた。
「はぁ~、近くにあるのは一つだけだね」
 立嶋は画面を見て、溜息交じりに呟いた。
「でも、この大学って学位かなり低いぞ」
「そ、そうだね~。これだと軽く突破できるね」
「いや、ダメだ。学位が低すぎる」
「だよね~」
 茂の拒否に、立嶋が軽く表情を綻ばせた。
「まあ、近くにないならこの都市でいいんじゃねぇか」
 探すのも面倒なので、近くにある大学を薦めた。
「う~~ん。どうせなら、最高学位の経済大学がいいな~」
「受かる自信があるのかよ」
「ないね~♪」
 それに軽い感じで笑顔を見せた。
「最近は定員割れが多いから、受かる可能性は高まってるよ」
 すると、妹が何気なしに口を挟んできた。いつの間にか、茂の鞄から勝手に電子書籍を取り出して、画面を見つめていた。
「そうだな。できるだけ高い学位の大学に入ってくれ」
「それだと西の方に行くことになりますから、お兄ちゃんとこの都市とも離れることになりますね~」
 なぜか妹が嬉しそうな笑顔で皮肉ってきた。確かに、高い学位の経済大学はほとんど西に集中していた。
「友達と離れるのは嫌だよ」
 これに立嶋が、不満そうな顔で独白した。
「か、可愛いこと言いますね」
 心情を察したのか、妹が苦い顔をした。
「琴音さん。お兄ちゃんのことが好きですか?」
 妹は画面から顔を上げず、淡泊に聞いた。
「え、あ、うん。勿論」
 この意地悪に似た質問に少し動揺したが、自分の思いは素直に答えた。
「・・・恥じらいはないんですね」
「恥じらう?なんで?」
 その感情が理解できないのか、不思議そうに聞き返した。
「な、なんでって、恥ずかしくないですか?自分の思いを相手にさらけ出すのって」
「私にはそれはないかな~。恥ずかしく思うのは、自分に自信がないからなのかな?」
 告白に恥じらう感情が理解できないようで、妹の方を向いて尋ねた。
「恥ずかしいのは、自分の思いが相手に伝わるからですよ」
 立嶋の感覚のズレに、妹が面倒臭そうに説明した。
「ほら、おまえが友達欲しいって、俺に言ったみたいなことだよ」
 茂は、それを思い出して補足した。
「そ、それは恥ずかしかったかも」
 これには羞恥心があるようで、立嶋が顔を赤らめた。
「ふぅ~、あまり私から提案はしたくないんだけど、琴音さんにいじわるするのは気が引けるね~」
 本当に言いたくなかったようで、少し前置きが長かった。
「お兄ちゃんの行く法政大学の学部に、メディア学部がありますよ」
 妹が画面をいじりながら、無感情でそう言った。
「え、本当!」
 これに立嶋が、嬉しそうに電子書籍で調べ始めた。
「そんな学部あったっけ?」
「大学資料もらってるでしょう。あれにも書いてあるよ」
 一昨日、父親から法政大学に資料をもらっていた。どうやら、リビングのテーブルに置いてあった時に読んでいたようだ。
「来年からその学部を新設するから、今年から募集してるよ」
 妹はそう言って、茂を見上げて頬を緩めた。
「じゃあ、私もそっちを受けるよ」
「良かったな」
 内心では複雑だったが、ここは取り繕うことにした。
「でも、あそこは難易度高いぞ。しかも、今年から募集だから過去問がないんだが」
「あ、そうだね。どうしよう」
 茂の忠告に、立嶋が不安そうな顔をした。
「まあ、第一志望はそこにして、何校か滑り止めで受ければいいか」
「そうだね。でも、これから受験勉強か~。間に合うかな~」
 電子書籍をいじりながら、大きく息を吐いた。
「おまえ次第だな」
 これで立嶋の進路も決まったので、後は試験対策だけになった。
「そういえば、立嶋って塾行ってたよな」
「うん。実は今日塾なんだよね~」
「何っ!じゃあ、もう帰るか?」
「今日は休むよ」
 茂の焦りをよそに、立嶋が軽い感じで欠席を決めた。
「塾があるんだったら、受験勉強はそれでいいか」
「え、う、うん。でも、あの講師の説明が理解できないんだけど・・・」
「それ、前にも言ってたな」
「どうすればいいかな?」
 これには困った顔をして、茂を見上げてきた。
「知らねぇ~」
「突き放さないでよ~」
 茂の考えなしの言葉に、立嶋が悲しそうな顔をした。
「あのな~、こればっかりは理解力の問題だろう」
 理解力があさっての方向を向いている立嶋は、自分で調べ上げるという回りくどい勉強法を取っていた。
「何、どういうこと?」
 これには妹の方が気になったようで、積極的に話に入ってきた。
「立嶋が細かいことまで気にするから、相手の教えが中途半端にしか頭に入らねぇんだよ」
「私のこと理解してくれてるんだ」
 自分を理解してくれたことが嬉しかったのか、茂に笑顔を向けてきた。
「そのせいで、数学がかなり苦手だ」
 一応、それも補足しておいた。
「さすが親友だね」
 本当に嬉しかったようで、満面の笑みで見上げてきた。
「あ、そうそう。一番の問題点は、テストの問題文に難癖付けるところだな」
「は?」
 これには妹が唖然とした顔をした。
「えっと、意味がわかんないだけど」
「要するに、読解力が足りない」
 遠回りになったが、要約して妹に説明した。
「じょ、冗談?」
 あまりの理解できない事実に、訝しげな顔で聞き返してきた。それに茂は首を横に振って答えた。
「ふ、不憫っ!」
 妹が同情心たっぷりな演技で、悲しげな表情をした。
「なんか私、真理に同情ばっかりされてるんだけど・・・」
 その過剰な哀れみに、立嶋が悲しそうに嘆いた。
「琴音さん。塾に通って偏差値上がりました?」
「全然変わんない」
「塾って、いつから通ってるんですか」
「高1の夏休みぐらいからだよ」
「今まで、よくやめなかったですね」
「母親がやめさせてくれなくて」
「気休めでも通って欲しいっていう親心ですかね」
「たぶんね」
 立嶋も同じように思っていたようで、妹に同意した。
「じゃあ、これ以上通っても意味ないですね。やめることをお勧めしますよ」
 妹は、何かを悟ったように助言した。
「でも、渋るんだよね~」
「友達と勉強するとかでいいじゃないですか?」
「あ、それいいね」
 妹の提案に、立嶋が軽い感じで乗ってきた。
「じゃあ、これからここで勉強していいかな」
 立嶋は少し申し訳なさそうに、茂の方を見上げてきた。
「邪魔・・だな」
 今後のことを考えると、その言葉が口に出た。
「私を見捨てないでっ!」
 回転椅子をこっちに向けて、思いっきり泣きついてきた。
「おまえ。引っ付くなよ」
 座ったまま抱きつかれたので、後ろに下がると椅子ごとついてきた。
「なんでお兄ちゃんの周りには抱きつく人が多いんだろう」
 妹が溜息をつきながら、立嶋を強引に引き離した。
「ったく、琴音さん。友達でも異性に抱きつくのはやめてください」
「え、なんで?好きなんだから、抱きつくのは普通じゃないの?」
 妹の注意に、立嶋が当たり前のように首を傾げた。
「・・・なら、聞きますけど、それは同性でも抱きつくんですか?」
「勿論!」
 妹の意地の悪い質問に、立嶋は迷わず断言した。
「あ、そう・・ですか」
 妹はその堂々とした態度に、呆れた顔をした後に茂を睨みつけた。
「なんだよ」
 これには理不尽さを覚えて、妹を見返した。
「お兄ちゃんの友達は、癖の多い人が目立つね~」
「個人的にも不本意だよ」
 茂は大きく息を吐きながら、本心を口にした。
「そもそも歓喜余ったからって、抱きつくなよ」
 今後のことを考えて、茂から立嶋に注意した。
「ええ~~、葛木さんを抱きしめたんだから、私にもそれくらいは許容してよ~」
「あれは緊急措置だ。許容した覚えはねぇ~」
「じゃあ、どこまで許容してるの?」
「半径50cmまでの接近」
「そ、それは具体的な許容だね」
 あまりに明確の答えに、立嶋が苦笑いした。
「おまえ達の気持ちは嬉しい・・とは思う?が、俺の気持ちも考慮してくれ」
 嫌いな相手からアプローチされることに喜びが湧かなくて、言葉に違和感が出てしまった。
「おまえだって、嫌いな相手からの接触は嫌だろう」
 それでは伝わりそうになかったので、仮定の話を持ち出してみた。
「まあ、嫌いだったら触れられたくないね」
 立嶋は、考えた結果を口にした。
「それが今の俺との距離ってことだ」
「まだ、私たちのこと嫌いなの?」
 茂の言葉に、立嶋が寂しそうな顔をした。
「俺は相手から好感を持たれても、その相手を好きになることはねぇ~」
「お兄ちゃんは、人の感情に流されないもんね~」
 これに妹が、引き攣った笑顔で補足してきた。
「おまえのせいだよ」
「私のっ!当てつけはやめてよ」
 これには心当たりがないような口ぶりで反発してきた。
「まあ、自分の言動なんて、相手がどう受け止めるかは知らねぇもんな」
「何、その悟ったような感じ」
 茂のしたり顔に、妹が不満そうな顔をした。
「相変わらず短気だな。もうちょっと心に余裕を持てよ」
「最近のお兄ちゃんって、嫌な切り返しするようになったよね~」
「成長した証だな」
「なんか、お兄ちゃんの良いところがどんどん失われていってるね」
 皮肉なのか憐れみなのか判断できなかったが、残念そうな顔をした。
「おまえ、葛木と似たようなこと言うんだな」
「今のは撤回するわ」
 葛木と一緒ということが本当に嫌なようで、すぐに前言撤回した。
「いいな~、兄妹って」
 ここで立嶋が、羨ましそうに茂を見つめてきた。
「俺は、一人っ子の方が羨ましいよ」
 茂は妹を見て、当てつけのようにそう言った。
「嫌な感じ」
 それに妹が、不機嫌な顔で睨んできた。
「真理は、どう思う?」
 立嶋には妹の感想も気になるようで、積極的に妹に意見を聞いた。
「え、そうですね~。個人的には、満足してますよ。できれば、姉が欲しいところですね」
「やっぱり京橋のことが好きなんだね~」
「悪いですか?」
 妹はそれを否定することもなく、立嶋に聞き返した。
「ううん。可愛いと思う」
 妹の睨みを軽く流して、楽しそうに微笑んだ。
「はぁ~、なんかやりにくいな~」
 その笑顔に、肩透かしを食らったように脱力した。
「あ、そうだ」
 ここで何かを思い立ったのか、立嶋が不意に立ち上がり、妹と向かい合った。
「えい」
 そして、妹に勢いよく押し倒した。
「なっ!何するんですか!」
 驚いてはいたが、言葉遣いは敬語だった。
「だって、さっき好きなら同性でも抱きつくって言ったから。その証明」
「そんなの蒸し返す必要はありませんよ!」
 妹はそう叫びながら、立嶋を必死でどけようとした。
「わあ、髪サラサラだね~」
 立嶋が妹の髪を触って、葛木と同じような感想を口にした。
「お兄ちゃん!この人どけてっ!」
 立嶋には頼まず、なぜか茂に助けを求めてきた。
「はぁ~。立嶋、嫌がってるぞ」
 茂は、引き離す前に立嶋に注意をした。
「それって、私が嫌いってこと?」
 顔だけを茂に向けて、寂しそうな顔をした。
「違います。私は、好きでも同性には抱きついて欲しくないんです!」
 早く解放されたいようで、妹が早口でそう主張した。
「ああ、なるほど。それはごめん」
 これには納得して、ベッドから起き上がった。
「はぁ、はぁ~、二度も同性に抱きつかれるなんて」
 同性からの抱擁が受けれ難いようで、両手を交じわせて身震いした。
「ん~~、なんか違うな~」
 立嶋が何かを検証してるように、独り言を口にしていた。
「ねぇ~、京橋。お願いがあるんだけど」
「なんだよ」
「もう一回、抱きしめていいかな?」
「なんで俺の嫌がることを平気で聞いてくるんだよ」
「京橋が押しに弱いからかな~」
「人の弱点突くなんて、最低だぞ」
「お願い」
 こっちの非難を無視して、再度要求してきた。
「理由を聞こうか」
 強く反発することも考えたが、まずは動機を聞くことにした。
「二人を抱きしめたけど、京橋だけなんか不思議な感じだったから、もう一度検証してみたい」
「一つ聞きたいが、さっきは断りなしに抱きついたのに、なんで今は聞くんだ?」
「だって、さっき許容範囲を聞いちゃったから、もうできないよ。これ以上、京橋には嫌われたくないし」
 立嶋が悲しそうに目を潤ませて、茂を見つめてきた。
「おまえの協力する見返りは愛だったっけ?」
「う、うん」
「もし抱擁して嫌悪感を感じるなら、これからの要求は変えてくれる可能性はあるのか?」
 これは重要な局面になることを察して、個人的に最良な事態の確認をした。
「・・・どういうこと?」
 しかし、立嶋には全く伝わらず、不思議そうに首を傾げていた。
「説明下手だね~」
 それを見ていた妹が、呆れながら口を挟んできた。
「えっと、要するに嫌だったら、条件を変えてもいいってことかな」
「まあ、意味合いが変わるが、そんな感じだ」
 立嶋の言い分としては、自分に置き換えての発言だった。
「じゃあ、今回はその為の確認ということだね」
「そうなるな」
「じゃあ、お願い」
 立嶋はそう言って、茂に向かって両手を広げた。
「お兄ちゃん。マジでするの?」
 すると、妹がベッドに座ったまま蔑視の眼差しで見上げてきた。
「ああ」
 妹の蔑みを生返事で返して、どう抱擁するかを考えた。
「よし!」
 優しい抱擁では好感をもたれる可能性が高いので、強引で力強く抱きしめることに決めた。
「え、本当にやるの?」
 妹が今度は嫌な顔をして、再度聞いてきた。
「同じこと聞くなよ」
「いや、私がいるんだよ。妹が居る部屋で抱き合うなんて、恥ずかしいでしょう」
「そうか?両親を見てたら、ハグなんてまだマシだろう」
「なっ、そっちの免疫付けちゃったか」
 この意見に、妹が残念な人を見るような目をした。
「さっさと終わらそう」
 身構えている立嶋が少し可哀想に見えてきたので、さっさと実行することにした。
「なんか緊張するね」
 立嶋が正面の茂を見て、ぎこちなく表情を緩めた。
「お、お兄ちゃん。や、やめてくれないかな~」
 泣きそうな声がベッドの方から聞こえたが、それを無視して半歩前に進んだ。
 すると、立嶋が恥ずかしそうに俯いた。
「や、やめて」
 見てられないのか、妹が掠れ声で立ち上がった。その言動が二人の間に戸惑いを生んだ。
「えっと、ダメかな」
 泣きそうな妹を見た立嶋が、困ったように尋ねた。
「ダ、ダ・・メ」
 感情が邪魔をしてるのか、言葉が掠れていた。
「ダメっ!」
 そして、勢いよく茂の脇腹に抱きついてきた。
「お、おい」
 予想外のタックルに、茂はかなり動揺してしまった。
「お願い。お兄ちゃんからそんなことしないで」
 妹は、横にずれて茂の胸に顔を埋めてそう言った。
「ど、どうしたんだよ」
 妹の両肩を掴んで引き離そうとしたが、力強く抱きついていて引き剥がせなかった。よく見ると、全身を小刻みに震わせていた。
「本当に好きなんだね」
 立嶋が表情を緩めて、優しい目で妹の背中を見つめた。
「でも、狡いよ。独占するなんて」
 そう言うと、立嶋が妹と一緒に茂を抱きしめてきた。
「ふふふっ、こうやってると、私たちが家族みたいだね」
「はぁ~、なんか複雑な構図だな」
 かなり煩わしく思ったが、二人を引き離すのは諦めて、立嶋の腰に手を回した。
「ひゃぁっ!」
 脇腹を触られたことに、立嶋がくすぐったそうに身を跳ね上げた。
「あ、わりぃ~」
「いえいえ」
 茂の謝罪に、立嶋が恥ずかしそうに照れた。
「そろそろ、離れてくれねぇ~かな」
 10秒近くそのままにしていたが、二人とも一向に離れてくれそうになかった。
「琴音さん。離れてください」
 気持ちが落ち着いたようで、妹が二人の間から声を上げた。
「もうちょっとこのまま」
 立嶋はそう言って、嬉しそうに笑顔をつくった。
 すると、誰かが階段を上ってくる音がした。
「あ、やばい。誰か来る」
「え、誰かって?」
 急かしたつもりだったが、立嶋から悠長な反応が返ってきた。
「いいから、離れろって」
 そう言った瞬間、部屋のドアが開いた。
「検証終わったよ~」
 入ってきたのは、葛木だった。
「えっ!」
 葛木は、抱き合ってる光景を見てフリーズした。

八 対策

 葛木菜由子は、加納未来と向かい合って座っていた。彼女は、ツインテールの髪形に小学生の制服で、かなり可愛らしかった。
「なんで京橋の家なのに未来と二人っきりなのよ」
 どうせ思考も読まれるので、そのまま口に出した。
「すみません。二人っきりで話したかったので」
 未来はそう言って、礼儀正しく謝罪してきた。
「で、わざわざ二人っきりになった理由は何?もしかして、しいなが関係してるの?」
「はい。あの兄妹には少々刺激が強い話ですから」
「もしかして、しいなの死の原因かな」
「やっぱり言ってましたか」
「知って欲しかったみたいだからね。あれって、未来が教えたのかな?」
「はい、お見舞いの時に主治医の思考が入ってきまして。口外なのは知ってたんですが、耐えられず伝えてしまいました」
「確か、治療薬の不足だったっけ?」
「そうですね。年に決まった数の治療薬を配っていて、それを超える人数の場合は治療を断念する内情制度があるんですが・・・一応これを知ってるのは、ごく一部の政治家と医療関係者だけです」
「それにしいなが入ってなかったことだね~」
「発覚が早ければ、間違いなく治っていた病気です」
「でも、しいなは自分で良かったって言ってたよ。誰かの代わりに生き伸びるのは嫌だってさ」
 これは最後の面会の時に聞いたことだった。
「それは私にも言ってました」
「でも、この事実はあの二人に教えても構わないんじゃないかな」
「ダメですよ。お姉ちゃんはともかく兄さんは、しいな姉さんのことにはすごく敏感なんですから」
「いいよね~、あんなに好かれて。私も京橋に愛されたいよ」
 菜由子はそう言って、背もたれにもたれかかりながら脱力した。正直な話、亡くなったしいなが心底羨ましかった。
「あの内情制度ってさ。調べたけど、ネットでも全然公表されてないよね」
「医療機関の機密事項みたいですね~。おそらく、人口の微調整の為の制度でしょう」
「でも、ここ最近人口は減少傾向だけど」
「医療関係者は、さほどそれを考慮しないみたいですね。規定で増やすことができないらしいですよ」
「よく知ってるね」
 未来の情報の多さに少し驚いた。
「私が何年、病院に入院してると思ってるんですか」
「自然と情報が入ってくるのね」
「全然いいものじゃないですけどね。でも、この情報はしいな姉さんを死なせたくない一心で探った情報です。図書館で医療制度のことを調べたり、医者とか看護師の会話や思考を読んで今の医療制度の現状を照らし合わせたりもしました」
「・・・いろいろとやったのね」
 やっていることがあまりにもスパイじみていて、思わず映画の感想を聞いている気持ちになった。
「はい。あんなに頑張ったのは初めてでしたから、何度か体調を崩してしまいました」
「そう。つらかったね」
「そう・・ですね」
 それでもしいなを救えなかったことに、未来は悲壮な表情をした。
「そうそう。それを直すんだったね~」
 未来のせいで、ここ来た主旨を忘れていた。
「もう、この話は終わりにしよっか」
「え?」
 葛木の切り替えに、未来が少し戸惑った反応を示した。
「内情制度の話はまた今度ね」
「え、でも・・・」
 話し足りないのか、未来が渋ってきた。
「それよりは、未来のその特殊能力を封印することが最重要だよ」
 ここは優先させるべきことを明確化した。
「あ、ありがとうございます」
 未来が真意を汲んで、深々とお礼を言った。
「いえいえ」
 菜由子は、それを謙虚に受け流した。
「じゃあ、始めようか。まずはこれを被って」
 そう言って、トートバックからフルフェイスを取り出した。
「なんですか、それ?」
 見たことはあるようだが、被ったことはないようで興味深そうに聞いてきた。
「未来の能力を妨害方法を模索するのよ。そうすれば普通に外出もできるし、学校にも行けるかもしれないわ」
 自ら申し出たことなので、一日でも早く解決できるように全力を尽くすと決めていた。
「あ、ありがとうございます」
 菜由子の思いを読んだのか、歓喜から涙目になっていた。
「全く可愛いらしいわね」
 未来の純粋な笑顔に、菜由子も笑顔になった。
「とりあえず、それを被ってみて。私の思考が読めるかを検証しましょう」
「あ、はい」
 未来が慌てた様子で、フルフェイスを被った。
「お、重い・・し、ぶかぶかですね」
 大人用ということもあり、バランスが取れなくてフラフラしていた。
「あ、これは下げてね」
 未来の隣に座り、スモークシールドを下げた。
「わ、前も見づらくなった」
「どう、私の思考が読める?」
「う~~ん、読みづらいし、声も聞き取りにくいです」
「じゃあ、これは」
 今度はスモークシールドを上げて、再度聞いてみた。
「あ、さっきより読み取れますね」
「なるほど。あ、それと距離が離れるとどうなるの?」
「そうですね~。読み取りにくくなります」
「やっぱり電磁波かな~」
「さあ~、わかんないですね」
 自分のことなのに軽い調子で答えた。
「それよりこれ取っていいですか」
 フルフェイスが重いようで、支えている両手をプルプルさせていた。
「あ、いいよ」
 菜由子は、フルフェイスを取るのを手伝った。
「ふぅ~、重かったです」
 未来が大きく息を吐いて、首を回して慣らした。
 正面のソファーに立て掛けてあるバックを引き寄せて、持ってるフルフェイスをその傍に置いた。
「じゃあ、次はこれね」
 今度はニット帽を取り出して、未来に手渡した。
「帽子ですか」
「繊維系はどうなのかなって」
「はあ~」
 未来は、少し訝しげにニット帽を被った。
「どう?」
「よく読み取れますけど・・・」
「そう」
 未来の言葉を最後まで聞く前に、菜由子が強制的に遮った。
「繊維系はダメと」
 菜由子はそう呟きながら、次の物を取った。
「じゃあ、次はこれね」
 今度は食器の金属製のボールで、中には磁石が貼り付けてあった。
「なんですか、これ?」
「え、金属の中に磁石を付けてみたの」
「なんか順番が滅茶苦茶ですね」
「そうかな?結構、効率いいと思うけど」
「そ、そうなんですか」
 未来にはそれがわからないようで、首を傾げながらボールを被った。
「どう?」
「う~~ん。微妙に読めますね~」
「ふ~ん。中途半端なんだね。やっぱ磁石かな~」
 だいたいわかってきたので、今度は磁石で試すことにした。
「はい。読みにくくなるところを探すから、顔のどこかに当ててみて」
 菜由子はそう言って、A4サイズの薄い磁石を差し出した。
「わ、わかりました」
 未来はそう言いながら、磁石をまじまじと観察した。
「まずは正面ね」
「は、はい」
 未来が菜由子に顔を隠すように磁石を上げた。
「読める?」
「読めないですね」
「思考を読むのは、顔全体と磁石は決定だね」
 菜由子は満足して、未来から磁石を取り上げた。
「あとは、素材をいろいろ試してみようか」
 それからは、いろんな素材を試した。
「一日じゃあ、これだけしか集められなかったよ」
 持ってきた素材は6種類だけだった。
「いや、凄いと思います」
 未来は、感心したように褒めてくれた。
「結局、繊維以外はほとんど防げたね。やっぱり隙間がない素材だったら、うまくいくってことか。一番は磁石と金属みたいかな~」
「そうですね。他は少しだけ読み取れましたから」
「ということは、やっぱり電磁波か。そうなると、金属類かその合成繊維かな~。磁石で身に着ける物となると少なそうだしね」
「凄い考えてますね~」
 菜由子の思考を読んでいるようで、凄く感心した顔をしていた。
「よし。じゃあ、次は場所の特定だね」
 菜由子は、薄い磁石をハサミで三分の一に切った。
「はい。読みにくくなる場所を探してみて」
「あ、はい」
 少し乗り気になったようで、積極的に受け取ってくれた。
 そして、未来がいろいろと頭に当てて検証した。
「この三ヶ所ですね」
 未来がそう言いながら、おでこと左右のこめかみに当てた。
「やっぱり耳じゃないんだね」
「そうみたいですね」
 自分でも新発見だったようで、少し興奮していた。
「ここまでわかれば、もう簡単だね。バンダナ、帽子、鉢巻、ヘアバンドを金属か合成繊維の被り物をすれば、問題は解決するね」
「あ、ありがとうございます」
 対策が明確になったことで、未来が嬉しそうにお礼を言った。その純粋な笑顔と眼差しは、若干しいなに似ていた。
「ど、どういたしまして」
 その笑顔に、奈由子は思わず視線を逸らしてしまった。
「じゃ、じゃあ、今あるもので代用しようか」
 菜由子は思考を隠す為、バックにあるものから代用品を考えた。
「照れてますね」
 しかし、未来には通じなかった。
「そういう時は、気を使って何も言わなくていいわよ」
「あ、ごめんなさい」
 未来は、失言に気づいて口を押えた。
「まあ、いいわ」
 菜由子は未来を許して、その場で代用品を作った。といっても、薄い磁石を切って、ニット帽の内側に入れ込んだだけだった。
「はい。被ってみて」
「早いですね」
 その手際の良さに感心しながら、ニット帽を被った。
「どう?」
「あ、凄いです。思考がかなり小さくなりました」
「そう、それは良かったわね」
 この早期解決に思わず表情が緩んだ。
「思考が小さくなって、声が良く聞こえます」
 未来は興奮しながら、かなり嬉しそうな顔をした。
「く、葛木さん。本当に、本当にありがとうございます」
 歓喜余ったのか、涙目になっていた。
「こ、これで、よ、ようやく、わ、私も、ふ、普通に、か、会話が、で、できるん、ですね」
 そして、未来が大粒の涙を流しながら、言葉を切れ切れに出してきた。この涙は、彼女がどれほど思い悩んでいたのかを物語っていた。
「全く姉妹揃って、強がるんだから」
 菜由子は呆れながら、未来を抱きしめた。
「これで少しは他人を信用できるかな?」
 泣いている未来に、穏やかな声で問いかけた。
「は、はい」
 未来は泣きながらも、大きな声で返事をしてくれた。他人の本心を読むということは、人間不信になるのに十分な要因だった。今まで未来が他人と距離を置いていたことは、この泣き顔を見れば容易に想像できた。
「長かったね」
 その思いを勝手に汲んで、未来の頭を優しく撫でた。
「うん・・・本当に・・・長かったです」
 未来の言葉が重くて本当に痛々しかった。
 しばらく慰めていると、未来が落ち着きを取り戻した。
「さて、あの三人に報告に行こうか」
 京橋たちに報告しておこうと思い、未来から離れた。
「でも、その制服にニット帽は似合わないわね」
 よくよく観察すると、少し笑えてきた。これは少しでも未来の気持ちを紛らわすための振りでもあった。
「そ、そうですか」
 涙は残っていたが、表情は少し和らいでいた。
「ああ、そうだ。普通になったからって、京橋は渡さないよ」
「・・・ふふふっ、二度目の忠告ですか。大丈夫ですよ、二人の思いは知ってますから。でも、本人は本当に嫌ってますけど」
「それは知ってるわよ」
「どう攻略するんですか?」
「それは考察中よ」
「そうですか。もし、落とせなかったらもらってもいいですか?」
「だから、ダメだって」
「じゃあ、兄さんに頼まれたらどうしたらいいでしょうか」
「断って」
 これには一言で一蹴した。
「そ、そんな~」
「あのね~、未来が相手だと私たちに勝ち目ないのよ。微塵たりとも」
 これは京橋の対応を見れば一目瞭然だった。
「まあ、兄さんの感情を読み取ればそんな感じですね」
「だから、ダメ」
 小学生相手だったが、容赦なく睨みつけた。
「お、脅さないでくださいよ」
 そんな菜由子に、未来は引き気味に苦笑いした。
「京橋を取らないでね」
「いいですね、その一途な思い」
「そうだね。私も意外だよ。まさか、私が異性にこんなに尽くそうと思うなんて、信じられないわ」
 自分でもこんな気持ちは初めてだった。
「やっぱり兄さんは幸せ者ですね」
「そうだといいけどね」
 全然実感は沸かないが、そう願いたかった。
「じゃあ、京橋の部屋に行こうか」
「そうですね」
「一応、琴音もいるからね」
 琴音を拒絶していたので、それだけは先に伝えておいた。
「これがあるから大丈夫です」
 未来は即席で作った妨害ニット帽を両手で触って、嬉しそうにアピールした。
「あ、それとさっきの話なんだけどさ」
 目的は達したので、さっきの話を蒸し返した。
「なんですか?」
「医療の内情制度って、どこまで知ってるの?」
「えっと、各都市によって違うというのはわかってます」 
「それって、一つの都市ごとにその内情制度が存在するってことかな?」
「そうなりますね」
 菜由子の確認に、少し不愉快そうな顔で視線を泳がせた。
「一つ確認なんだけど、未来は今の医療制度をどう思う?」
 未来から全部聞くのは時間が掛かりそうだったので、本質だけを聞いてみた。
「利権とお金の奪い合いですね」
 すると、子供には似つかわしくない言葉が飛び出した。覚悟はしていたが、思った以上の実情だった。
「誰を蹴落とすかとか、患者数を水増ししてその分の懐に入れている人ばっかりでした。あれは醜くて聞いてられませんでしたね~」
「はぁ~、医療徴収制度を見直した方がいいかもしれないね」
 国民の医療費は無料だが、その費用は毎年ごとに各都市で税金として徴収していた。この制度は、患者が多いとその分を増税する仕組みになっているので、水増し分も徴収されているようだ。
「制度自体は問題はないと思いますが」
 何か思うところがあるのか、未来が不思議そうに反論してきた。
「あの制度って、緊急時の対応が不十分過ぎるでしょう」
「もしかして、5年前の感染病のことですか?」
「死者が三割にもなれば、死者の分の医療費は生存者が負担することになるからね。ただでさえ、感染者が多い上に死者の医療費まで負担させられたら、低収入の人は生活できなくなるわよ」
「あの時って、政府が医療費を立て替えてから、そのあとに全国から不足分を徴収したんでしたっけ?」
「そっ。そんな惨事があったのに、未だに医療徴収制度は見直されてないのよ。対策は組まれてみたいだけど、負担は国民への増税だもんね」
「それは医療機関が封じてるかもしれませんね」
 すると、未来から予想外の言葉が飛び出した。
「どういうこと?」
「確か、あの制度の中に内情制度が組み込まれてますよ」
「え、でも、それって各都市ごとに違うんでしょう」
「ええ。ですから、その内情制度を各都市で変えてるんですよ。その根本が医療徴収制度に入ってるんですよ」
 未来はしたり顔で冗舌に話した。これはもう子供の発言ではなかった。この子は、本当にしいなの妹なのかが疑わしくなった。
「だから、各都市で別々の専門医療が発展してます」
「なるほど。言われてみれば思い当たるわね」
 この事実には納得できた。眼科、歯科、美容外科、耳鼻科、数えればきりがないほどそれに特化した都市が思い当たった。
「ん?内情制度って、各都市で違うのよね」
「はい」
「ってことは、しいなが別の病院に移っていれば、病気が治る可能性があったんじゃない?」
「はい、ありました」
「病院側は、それを勧めなかったの?」
「勧めましたが、しいな姉さんがそれを断りました」
「はぁ~、理由は私に言ったのと同じなのね」
「すみません。私が先に教えてしまったせいです」
 未来は、申し訳なさそうに謝った。どうやら、内情制度を伝えたのは病院から勧める前だったようだ。
「これは京橋に伝えにくいわね」
「そうなんですよ。本当は会った時にそれを伝えて謝ろうとしたんですが、兄さんの精神力の弱さを知ってしまいまして」
「うつ病だもんね。そりゃあ、言えなくなるわ」
「は、はい。今は治りかけてますから、あまり強い刺激は与えたくなくて」
 未来はそう言って、徐々に表情が沈んでいった。
「まあ、時期を見るしかないわね。でも、もう一人で抱え込むのはやめなさい」
 そんな顔されると、こっちも感化されるので、未来の頭を撫でて宥めてみた。
「葛木さん」
 しかし、なぜか未来が残念そうな顔を向けてきた。
「な、何よ」
「撫で方が雑です。もう少し丁寧に撫でてください」
「直言するんだ」
「兄さんは、とってもうまかったですよ」
「未来も撫でてもらったの?」
「はい」
 これには本当に嬉しそうに頷いた。
「葛木さんと仲間ですね」
「あ、うん。そ、そうだね」
 それを思い出すと、恥ずかしくて顔が赤くなった。
「ふふふっ、よっぽど嬉しかったみたいですね」
 気づくと、未来がニット帽を取って思考を読んでいた。
「ちょ、ちょっと、それは反則だよ」
 未来からニット帽を取って、強制的に被せた。
「もう行くよ」
 年下にからかわれるのは抵抗があったので、足早にリビングを出た。
「ちょ、ちょっと待ってください」
 未来が慌てて、菜由子の後からついてきた。
「で、京橋の部屋はどこなの?」
 階段の前で足を止めて、未来に聞いた。
「階段の一番手前の部屋です」
 未来からそれを聞いて、階段をゆっくり上がった。
 部屋の前に立つと、声が少し漏れてきた。ノックするかを考えたが、何か不吉な感じがしたので、そのまま開けることにした。
「検証終わったよ~」
 軽いノリで部屋に入ると、京橋と琴音が抱き合っていた。

九 見通し

 京橋茂は、この状況をどう説明していいかを必死で考えた。
「・・・な、何してんの?」
 しかし、考えをまとめる前に葛木が沈黙を破った。
「実験?」
 自分でも判断しづらかったので、疑問符を付けて首を傾げた。
「なんの実験よ」
 さすがにこれには訝しげな顔をされた。
 仕方なく、懇切丁寧に経緯を説明した。
「ふぅ~ん。で、琴音はどうだったの?」
「え、えっと、真理がいたからよくわかんなかった」
 これに立嶋が、苦笑いしながら答えた。妹はの方は、気まずそうに茂から距離を取ってそっぽを向いていた。
「そっ。まあ、琴音だからいっか」
 葛木は、意外にも寛容にそれを流した。
「それより、未来の検証が終わったわ」
「早いな。どうだった?」
「結論から言って、電磁波の類かもしれないね。それがわかったら対策は簡単よ。って、あれ?」
 葛木は後ろを向いて、不思議そうに首を傾げた。
「なんで入ってこないのよ」
 そして、部屋の外の未来に声を掛けた。
「ちょっと、恥ずかしくなって」
「まあ、今は我慢しなさい」
「あ、は、はい。え、えっと、どうも」
 未来は恥ずかしそうに、小学生の制服にニット帽という奇抜な格好で入ってきた。
「に、似合わない」
 最初に反応を示したのは、妹の真理だった。
「まあ、これは代用で作っただけだから」
 葛木はそう言って、未来の被ってるニット帽を数回軽く叩いた。
「思考は読めないのか?」
「思考がかなり小さくなってます」
「そうか。それは良かったな」
「はい。葛木さんのおかげです」
 未来はそう言って、笑顔で葛木を見上げた。それにつられて葛木を見たが、彼女はじっとベッドの方を見ていて、こちらの会話は頭に入ってない感じだった。
「菜由子さん」
 その視線を遮るように、葛木の正面に妹が立ち塞がった。
「ベッドにダイブとか考えます?」
「うっ!」
 図星だったようで、顔を引き攣らせた。
「きょ、京橋」
 気まずさからか、妹から視線を外すかたちで茂を見た。
「なんだよ」
「ベッドで寝てもいい?」
「なんだ眠いのか?」
 葛木の意図がわからず理由を聞いた。
「え、あ、うん」
「じゃあ、もう帰れ」
 この時間に仮眠を取るのは、危険な気がしたので帰宅を促した。
「やっぱ眠くないわ」
 しかし、素早く言葉を訂正した。
「は?」
 これにはさらに困惑した。
「正直に言うね」
 葛木が気を取り直して、茂を見つめ直した。
「京橋の枕に顔を埋めたい」
 葛木が恥じらうことなく、堂々とそう言い切った。これにはこの場にいる全員がドン引きした。
「す、凄いですね」
 未来は、葛木から半歩後退しながら賛辞した。しかし、これは良い意味ではなく、明らかに悪い意味の方だった。
「ま、まさか、私たちの前でそれを言うなんて信じられない」
 妹は驚愕して、葛木から離れた。
「す、凄く積極的だね」
 立嶋の方は、あまりの積極的な発言に驚いていた。
「お、俺の臭いを嗅ぎたいのか?」
 茂は、ドン引きしたまま尋ねた。
「うん。というか、あの枕売ってくれない?」
 葛木の頼みが、気持ち悪い方に突き抜けた。立嶋以外全員の冷めた目が、葛木に集中した。
「あ、あのな~。好きなのはわかったが、さすがにそれはできねぇぞ」
「じゃあ、私の枕と交換しよっか?」
「そういう問題じゃねぇよ!」
 これ以上、葛木の発言は聞きたくなかった。
「ほらよ」
 茂は枕を取って、葛木に投げ渡した。
「え、い、いいの?」
 これには驚いたように茂を見た。
「臭いを嗅ぎたいんだろう。それぐらいなら、存分にすればいい」
「ちょっと、お兄ちゃん。ダメだよ」 
 妹が慌てて、葛木から枕を奪い取った。
「あ、ちょっと返してよ」
 妹に強奪された枕の返還を求めた。
「ダメです」
 妹は、枕を抱きしめて拒否した。
「ず、狡いよ~。独り占めなんて」
 葛木はそう言いながら、妹に詰め寄った。
「菜由子さんにはまだ早いです」
「ど、どういう意味よ」
「恋人になったら許可します」
 葛木の食い下がりに、妹が勝手に条件を付けた。
「じゃあ、最低5年は無理じゃん」
 これに葛木が、拗ねたように口を尖らせた。官僚になったら、恋人にするというのを真に受けているようだ。
「ふっ、菜由子さんは、お兄ちゃんを落とすのに5年も掛かるんですか?」
「なっ、し、仕方ないじゃん。積極的に攻めても手応えがないんだもん」
 妹の嘲弄に、葛木が動揺しながら必死で言い訳した。
「馬鹿ですね~。お兄ちゃんは押しに弱いですけど、しつこい人は嫌いですよ」
「それは最近知ったよ」
 妹の指摘に、葛木が拗ねた顔で茂を横目で見た。
「本人の前でその会話は控えてくれ」
 さすがに不愉快な気分になり、二人の会話に口を挟んだ。
「こうなったのは、お兄ちゃんのせいでしょう」
 妹が枕をベッドに置いて、責めるような目つきで反論してきた。
「別に、枕ぐらいいいだろう。不快感は拭えねぇけど、こっちに協力してくれる以上、見返りは用意しとかないと不平等だし」
「本当に頼んだんだ」
「勿論だ」
 これは自分から頼んだことなので、胸を張って断言した。その横で未来がにこやかな笑顔をしていた。
「ど、どうしたんだ?」
 そんな笑顔になるようなやり取りはしてなかったので、恐る恐る尋ねた。
「あ、いえ、スムーズな会話を聞くのは、テレビとかラジオでしかなかったので新鮮で・・・」
 未来が頭を掻きながら、嬉しそうにはにかんだ。その瞬間、部屋全体に哀憐の空気が漂った。
「・・・で、この五人で協力して、医療制度を復活させるの?」
 妹が気を取り直して、茂に聞いてきた。
「ああ。もう一人頼みたいやつがいるが、後回しにするか」
「え、誰よ?」
「正吾」
 未来の家で会うまでは考えてなかったが、正吾ほど扱いやすい人はいないと思った。
「正兄ぃ~?」
 これは意外だったようで、妹が顔を歪めた。
「しいなのことだったら、あいつは動くだろう」
「まあ、そうだね。簡単に動くと思うよ。でも、どこに就職させるの?」
「昔のままだと、警察だな」
「へぇ~、そうなんだ」
 正吾の将来の夢に、葛木が興味深そうに発言した。
「正兄を呼ぶの?」
 ここで妹が、複雑そうな顔で聞いてきた。
「まあ、近いうちにな」
 さすがに今から呼ぶのは気が引けた。
「あの~、私はどうするんですか?」
 すると、未来が遠慮がちに聞いてきた。
「未来は、公設秘書だな」 
 これは一番適材適所だと思った。
「ええ~~、私、それがいい」
 すると、葛木が猛反発してきた。
「ダメだ。おまえは、美人だから傍にいたら嫉妬されちまう」
 一応フォローとして、そう言い訳しておいた。
「び、美人って、そんな・・・えへへへっ」
 よほど嬉しいようで、にやけた表情で照れていた。
「わかりやすい反応するな~」
 それを見た妹が、呆れた表情で葛木を見た。
「惚れた強みかな~?」
 その横にいた立嶋が、そんなことを口にした。
「強み・・ですか?」
 これに妹が反応した。
「だって、周りを気にすることを忘れちゃうんだよ。京橋以外は、入り込む余地がないほどにね」
「それが強みですか」
「恋は盲目。これほどの強みはないよ」
「それは弱みじゃないんですか」
「え、どこが弱みなの?」
「だって、周りの意見を無視するんですよ。とても強みとは思えません」
「それは見解の相違だね。周りの意見を聞かないのは、相手をそれほど信頼してることだよ。私にはそれが弱みだとは思えないな~」
 立嶋はそう主張して、葛木を羨ましそうに見つめた。
「はぁ~、お兄ちゃんの友達って、本当に変な人ばっかり」
 そんな立嶋を見て、妹が溜息交じりに呟いた。
「秘書・・ですか。具体的に進路はどうしたらいいんですか?」
 未来は考え込むような仕草をして、不安そうな顔で聞いてきた。
「俺が政治家になるまでに国家試験に合格するだけでいいから」
「早くて7年後までですか」
「そうなるな。別に、学位は気にする必要はねぇからな」
 公設秘書は、議員の任命なので学歴は必要なかった。
「あ、そうなんですか」
 これにはホッとしたように、大きく息を吐いた。
「でも、国家試験の合格はかなり難しいから、覚悟しておいた方がいいわ」
 さっきまで恍惚としていた葛木が、まじめな顔で助言した。
「は、はい。わかりました」
 純粋な未来は、それを真摯に受け止めた。
「さて、そろそろ解散しよう」
 外を見ると、もう日が沈みかけていた。
「あ、そうですね」
 未来もそれに気づいて少し慌てた。
「俺は未来を送るから、葛木は立嶋と一緒に帰れ」
 いつも未来を見送っているので、二人の見送りはやめにした。
「そうだね。私も帰らなきゃ」
 葛木はそう言いながら、後ろのベッドを気にしていた。
「でも、その前にっ!」
 そう叫んだ葛木が、ベッドにダイブしようとした。
「甘いですよ」
 さっきまで立嶋の隣にいたはずの妹が、いつの間にか葛木の正面に移動していた。
「なっ!」
 予想外の妨害に、葛木が前につんのめるような姿勢になった。
「ちっ!」
 妹が舌打ちして、葛木をベッドから突き放す方しで押し倒した。
「なんでそこまで邪魔するのよ!」
 葛木が上半身を起こして、妹に文句を言った。
「二度同じことを言うつもりはありません」
 妹はそう言いながら、澄ました顔で立ち上がった。
「何してんだよ」
 この一連のやり取りに、茂は呆れてしまった。
「さっさと部屋から出ろ」
 部屋での揉め事は避けたかったので、一番出ていきそうにない葛木の背中を押した。
「え、ちょ、ちょっと。まだ用が」
 葛木が名残惜しそうな顔をしながら、押し出されるまでベッドを目で追った。
「真理がいる限り無理だ」
 ああなっては、どんな手を使ってでも徹底的に阻止するのが目に見えていた。
「ほら、おまえらも来い」
 葛木を押し出してから、立嶋と未来にも促した。
「葛木。おまえは、リビングにある荷物を取ってこい」
「わ、わかった」
 葛木は沈んだ声で、とぼとぼと階段を下りていった。
「葛木さんって、性格が粘着質だね」
 最後に出てきた妹が、溜息交じりにそう言った。
「そうだな。だが、あのしつこさは将来重宝するな」
「まあ、そうだけど。扱いには苦労しそうだね」
「手なずけてみるさ」
「まっ、頑張って」
 珍しく妹が葛木を許容した。
「悪いな」
 これには感謝して、階段を下りた。
「あれ、未来は?」
 玄関には立嶋しかいなかった。
「リビングに鞄取りに行ったよ」
「そっか」
 しばらくすると、リビングから二人が出てきた。
「立嶋。途中までバックを持つのを手伝ってやってくれ」
「言われなくても、そうするつもりだよ」
「余計な気遣いだったな」
 当たり前のように言われたので、軽く詫びを入れた。
「やっぱり優しいね」
 立嶋が嬉しそうに微笑んで、横目で茂を見た。
「一つ持つよ」
 葛木が玄関まで来ると、立嶋が手を差し出した。
「え、いいの?」
「勿論だよ」
 葛木の疑問に快く返事をした。
「ありがとう。じゃあ、お願い」
 葛木は、笑顔で一つのトートバックを手渡した。
 四人で玄関を出て、二手に分かれた。
「じゃあね」
「バイバイ」
 葛木と立嶋が手を振って、別れの挨拶をした。
「ああ、また明日な」
 茂がそう返すと、未来も遠慮がちに手を振った。
「ありがとう。葛木さん」
「いいのよ。お礼は一度でいいわ。それは代用品だから、明日にでも未来の要望をまとめよっか」
「要望?」
 これには意味がわからないようで、首を傾げていた。
「電磁波の防護材は糸でもあると思うから、帽子とかヘアバンドにするとかいろいろあるでしょう」
「えっと、葛木さんは裁縫とかできるんですか」
「う~~ん。やっとことないわ。だから、これから一緒にやっていけばいいわ。その方が楽しいでしょう」
 その光景を思い浮かべたのか、葛木が表情を緩めてそう言った。
「それは楽しそうですね」
 未来も嬉しそうに同意した。
「だから、しばらくはそのニット帽で我慢してね」
「はい。わかりました」
「じゃあね」
 葛木は未来に手を振って、立嶋と一緒に帰っていった。
「じゃあ、行くか」
「はい」
 未来が満面な笑みを向けて、自然と手を繋いできた。
「なあ、その帽子似合わないから取らねぇ~か?」
 ニット帽に学生服とランドセルはミスマッチすぎた。
「恥ずかしいですけど、嫌です」
 しかし、未来が力強く拒絶した。
「これは私の体の一部になりました。お風呂と寝るとき以外は外しません」
「それ、学校では取らないと怒られるぞ」
「あ、そうですね」
 この反応を見ると、言うまで気づかなかったようだ。
「ど、どうしましょう」
「完成品ができるまで休めば?」
「そ、それはできないですよ」
「ん、なんでだよ?」
「一応、学校に行き始めたばかりですから、欠席が続いたらまた入院させられちゃいます」
「なら、家族に相談すればいい」
「え?」
 これが意外だったのか、驚いた表情で茂を見上げてきた。
「その帽子があるんだから、面と向かって話せるだろう」
「あ」
 茂の言葉にハッとして、両手でニット帽を押さえた。
「そ、そうですね。もう両親の悲痛な嘆きも聞かずに済むんですね」
 未来は悲しそうな顔をして、小声で呟いた。あまりにも悲痛な言葉だった為、聞かなかったことにした。
 未来が何かを考え込んでいたので、気遣って黙って歩いた。
 結局、黙ったまま公園に着いたが、未来は手を放そうとしなかった。
「もう着いたぞ」
 未来から話してくれそうになかったので、茂から切り出した。
「に、兄さん」
「なんだ?」
「私の家についてきてくれませんか」
 未来が少し表情を緩めて、茂を見上げてきた。
「理由を聞こうか」
「両親と話したいんですけど、一人では勇気がなくて・・・」
 そう言うと、ぎこちない笑顔で全身を小刻みに震わした。
「頭でシュミレーションしてみたんですが、ど、どうしても言葉が見つからないんです」
 感情が湧き上がってきたのか、徐々に涙声になっていった。
「悪いけど帰るよ」
 ここは心を鬼にして、突き放す言い方をした。
「えっ!」
 この拒否に、未来が驚愕して顔を上げた。
「ど、どうしてですか?」
 そして、不安いっぱいの顔ですがりついてきた。
「あっ!」
 未来が帽子に気づき、それを脱ごうとした。
「ダメだ」
 茂は手で頭を押さえつけて、脱帽を阻止した。
「それはおまえの一部だろう。ここで脱ぐのはダメだ」
「で、でも!」
 茂の強行に、さらに不安そうな表情で見つめてきた。
「人の思いを知らないと不安か?」
 今まで人の思考を読んでいた為、察する能力が欠如していた。
「安心しろ。ちゃんと理由は説明するから」
「ほ、本当ですか」
 口頭での説明が信用できないのか、不安そうな表情のまま見上げてきた。
「これからは、相手の本心は探ろうとするな。それじゃあ、その帽子の意味がなくなる」
「そ、そうですね」
 これに未来が、複雑な顔で納得した。
「あ、あの、理由を聞かせてください」
 待ちきれないのか、茂を急かしてきた
「おまえは、俺たちから話し方は学んだはずだ。それを駆使して、両親と話してみろ」
「そ、それが理由ですか?」
「勿論だ」
「私は、話せないとは思っていません。両親に声を掛ける勇気がないんです!」
 未来は、心から底からそう叫んだ。
「おまえは、それも解消してるはずだ」
「え?」
「ネットに流しただろう。自分の動画を」
「あ」
 自分がしたことを忘れていたようで、ハッとして動きを止めた。
「あれだけの勇気があれば、両親と話すことぐらいなんでもねぇ~よ」
「あ、あれは、若気の至りです」
 あの行動を自分では、許容できていないようだ。
「おまえは若いから、恥をかいてこい」
「そ、そんな~」
 未来が苦い顔で、再びすがりついてきた。
「ここでおまえは、大人になれ」
「え?」
「これからは、恥をかく場が多くなる。それに尻込みしないように、今の内に慣れておけ」
「そ、それは将来のことですか?」
「勿論だ。おまえには期待してる」
 茂は、真摯に未来を直視した。
「あ、は、はい」
 未来は動揺して、一歩後ろに退いた。
「だから、ここで成長してくれ」
「わ、わかりました」
 茂の説得に、さっきまでの不安な表情が消えて力強く頷いた。
「あ、でも、うまくいかなかったら慰めてくれませんか」
 が、急に不安になったのか、弱々しく頼んできた。
「わかった。フォローは任せろ」
 その言葉を聞いて、未来が少し表情を緩めた。
「じゃあ、帰りますね」
 少し名残惜しそうだったが、茂に笑顔を向けた。
「ああ、頑張ってこい」
 茂はランドセルを押して、笑顔で元気づけた。
「はい」
 それに未来が、笑顔で応えてくれた。
 そして、帰っていく未来の背中を見えなくなるまで見送った。
「俺も帰るか」
 茂はそう呟いて、暗がりの公園を後にした。
 家に着き、玄関のドアを開けると、薄暗い玄関に誰かが立っていた。
「おわっ!」
 これには驚いて後ろに退いた。この瞬間、前にも似たような光景を思い出した。
「せっかく待ってたのに、失礼な態度だね」
 声の主は、妹の真理だった。
「この薄暗い中で佇んでたら、誰だって驚くぞ。電気ぐらい点けとけよ」
「そんなことしたら、電気代がかかるじゃん」
 茂の文句に、妹がけち臭いことを言い出した。
「で、ここで待ってた理由はなんだよ」
 茂は、靴を脱いで玄関に上がった。
「特にないけど、未来ちゃんが気になってね。なんか言ってなかった?」
「そんなの本人に聞けよ」
「聞きにくいから、お兄ちゃんに聞いてるんでしょう」
「俺に言うなら、友達のおまえに言ってるだろう」
「お兄ちゃんは、わかってないね~」
 妹が溜息をついて、小馬鹿にしてきた。
「何がだよ」
「未来ちゃんが一番心開いているのは、お兄ちゃんだよ」
「そうなのか?」
「うん。だから、聞いてるんだよ」
「そうだな~。あの帽子が未来の一部になったことと、両親と話し合いをするんだとよ」
「えっ、一人で大丈夫なの?」
 これには妹が敏感に反応した。
「ああ、最初は一緒に来て欲しいって言われたけど、強制的に一人で行かせた」
「な、なんでよ」
「あれほどの成長の場を潰したくねぇからだよ」
「せ、成長?」
「ああ。あそこで俺が行ったら、未来はずっと俺を頼る。独り立ちさせるためには、この機を逃す手はねぇ~」
「・・・」
 反論されると思ったが、何も言ってこなかった。
「なんかお兄ちゃんが別人になった気がする」
 妹はそう言いながら、寂しそうに大きく息を吐いた。
「なんだよ。俺が成長するのが嫌なのか?」
「なんか複雑な気分」
「なら、そろそろ俺に合わせなくてもいいぞ」
「ん、どういう意味?」
「もう学校で一人でいる必要はねぇ~よ」
「えっ・・き、気づいてた?」
「おまえの性格を考えれば、あの件だけで学校で一人でいることが不思議だったからな。最初はともかく、今は自分からそうなっただけじゃねぇのか」
 少し自信はなかったが、妹ならそうするような気がした。
「・・・本当に変わったね」
 茂の推測に、気まずそうに視線を逸らした。
「もう俺と同じ思いをする必要はねぇ~よ。あと、それを葛木のせいにするのもいただけない」
「まあ、確かにあの時は恨み言のように言ったけど、菜由子さんを許さないのは、あの件も含めてのことだよ」
「他にもあるってことか」
「そうだね」
 含みのある笑みを浮かべたが、理由は言わなかった。
「とにかく、友達はつくっとけ」
「・・・いまさら、無理だよ」
 妹が少し間を置いて、そう結論付けた。
「おまえならできるさ」
「なんで、そんなこと言い切れるのよ」
「俺の妹だからだ」
 妹は社交的な性格なので、人を引き付けるのは容易なはずだった。
「変な信頼が植えついてるね」
「あまり自分を低く評価するなよ」
 茂はそう言って、妹の頭を撫でた。
「もういい加減、兄離れの時期だ」
「要するに迷惑ってことだね」
 兄依存は否定せずに、拗ねたように口を尖らせた。
「そうじゃねぇ~よ。今後のためにそうしてくれって言ってるんだ」
「そっか。政治家だもんね。支援者を増やしておきたいんだね」
「そういうことだ」
「でも、お兄ちゃんは、友達二人しかいないじゃん」
「俺は、大学でつくる予定だ。正直な話、受験勉強に集中しないと受かる自信がない」
「あ、そう。なら、仕方ないね」
「理解してくれて助かるよ」
 妹の寛容さは本当に有り難かった。
「これから、おまえに頼ることが多くなるけど、よろしくな」
「しょ、しょうがないね~」
 これには少し照れながら承知してくれた。
「だから、おまえも困ったことがあったら、俺を頼れ」
「それじゃあ、兄離れできないじゃん」
 妹が笑いながら、矛盾を指摘してきた。
「あ、それもそうだな。じゃあ、未来とかにしてくれ」
 これは自分でも気づかなかったので、即座に前言を撤回した。
「でも、お兄ちゃんを頼ってもいいよね」
「あ、ああ。おまえが気にしないなら、別にいいけど」
 兄離れはして欲しかったが、一方的な要求は気が引けたので、できるだけ妹の要求は受け入れることにした。
「じゃあ、ちょっと気持ちの整理したいから抱きしめて」
 妹はそう言うと、恥ずかしそうに両手を広げた。この要求をされたのはこれで四人目だった。
「はいはい」
 妹には昔からよくしていたので、特に抵抗はなかった。
「ちょっと二人とも、いつまで玄関でしゃべってるのよ」
 妹と抱き合ったところで、母親がリビングから顔を出した。
「って、あ~、もしかしてお邪魔かな~」
 母親が気まずそうな声で、静かにリビングのドアを閉めた。
 しばらく抱き合っていると、妹が静かに泣いていた。
「大丈夫か?」
 茂は、いつものように頭を撫でて慰めた。
「もうお兄ちゃんは、一人じゃないもんね」
「ああ」
「もう私も学校で一人でいないくてもいいんだよね」
「ああ」
「私も変わっていいよね」
「ああ」
 ひとしきり泣くと、妹がすっきりした顔で茂から離れた。
「もう私は、不要かな」
「いいや、おまえは必要だ」
「じゃあ、お兄ちゃんの為に頑張るよ」
「ああ、頑張ってくれ」
「その代わり、今年いっぱい添い寝して」
「それは断る」
「ケチ」
 声は不満そうだったが、表情には笑みがこぼれていた。
「もう夕飯にしよっか」
 妹はそう言って、軽い足取りでリビングへ向かった。
「そうだな」
 茂は表情を緩めて、妹の後に続いた。

十 エピローグ

 加納未来は、門扉の前で自宅を眺めていた。気持ちの整理がつかず、日が完全に沈んでも家には入れなかった。強がって一人で帰ってきたが、目の前にすると尻込みしてしまっていた。
 駐車場にはまだ車が一台しかなく、家のリビングには明かりが点いていた。この現状から見て、父はいないようだ。
 ここにじっとしていても始まらないので、意を決して自宅に入った。
 玄関を上がり、リビングを素通りして、二階の自室に入った。部屋着に着替えて、ニット帽を被り直したが気持ちが進まなかった。
 部屋に入ってから、30分近く経ってしまい、余計に行きづらくなってしまった。
 しばらくすると、廊下に夕飯が置かれて、母が一声掛けて立ち去った。一人で食事することは、未来自身が望んだことだった。
 一人で夕食を食べながら、テレビを点けた。画面の中では、芸能人が流暢に話をしていた。昔はそれが羨ましかったが、友達ができた今ではその気持ちはあまり沸かなかった。
 食事が終わる頃に、一通のメールが届いた。
「誰だろう?」
 メールを開くと、真理からだった。
 ”未来ちゃんのことだから、まだ両親に伝えてないと思い、メールしました。私から一押しします・・・お兄ちゃんの為に頑張ってください”
 真理は、話している時とメールの文面は別人のように礼儀正しかった。
「ふふふっ」
 かなり余計なお世話だったが、それが未来には嬉しかった。
「ここまで励まされて、やらないわけにはいかないよね」
 そう独り言を口にして、気持ちの整理をつけた。
 食べ終わった食器を持って、部屋から出た。リビングに行く前に、キッチンへ向かった。
 自分が出した食器を流し台に置いてから、リビングに視線を向けて両親がいるのを確認した。
 そして、皿洗いをしながら何度も自分に言い聞かせた。
「よし」
 皿洗いを終えて、気を引き締めた。
 リビングに入ると、両親が仲よくテレビを見ていた。ニット帽のおかげで、両親の思考が小さくて聞き取りにくかった。
「あ、あのっ!」
 緊張で声が上擦ってしまった。
 これに両親が驚いた顔をして、未来の方を向いた。
「え、ど、どうしたの?」
 母は、まるで腫れ物に触るように返してきた。この接し方はいつものことだった。
「は、話が・・あるの」
 緊張が抜けずに、声が震えていた。
「座ろうか」
 父が気を使って、座るよう勧めてきた。
「ううん。このままがいい」
 あまり距離を詰めると、思考が読めてしまうので、そのまま話をすることにした。
「その帽子どうしたの?」
 ニット帽が気になったようで、母が聞いてきた。
「う、うん。葛木さんに作ってもらった」
 さっきのことを思い出して、嬉しくて少し頬が緩んだ。
「そう。良かったわね」
 未来の表情を見て、母が微笑んでくれた。いつもはこの時に思考が入ってくるので、建前と本音が垣間見ていたが、ニット帽のおかげで掠れてはっきりとは読めなかった。
「で、話はなんだ?」
 父は、話を進めるよう促してきた。
「う、うん。あの、少しの間、この帽子を被ったまま学校に行きたいの」
「え、それは別に構わないんじゃない?」
 これに母が、不思議そうに首を傾げた。
「いや、その、できれば、授業中でも被っていたいの」
「ど、どういうこと?」
 それが理解できないようで再度聞いてきた。
「要するに、脱ぎたくないってことだな」
 父は、未来の意図を察してくれた。
「う、うん」
 これにはぎこちなく頷いた。
「その帽子に何か秘密でもあるのか?」
「うん」
「説明はできないのか」
「前に言ったことだよ」
 クラスで自分の秘密を公言したことは両親も知っていて、その時は両親からの追及はなかった。
「また、それ?」
 これに母が癇癪を起した。
「それを抑えてくれるのが、このニット帽なの」
「なんでそんな嘘をつくの!」
 母が眉を顰めながら、強い口調で未来を責めてきた。やはり、母は信じてくれなかった。
「ふぅ~~」
 ここは執念場だった。これを乗り切らなければ、茂と真理の頑張りが無駄になってしまうと感じた。
「お父さん。お母さん。これから、私は二人の思考を読みます」
 未来は姿勢を正して、ニット帽を取った。今までこの手法は何度か考えたが、実際に両親を前にすると気が引けてできないでいた。
「何言ってるの!」
 未来の決意を踏みにじるように、母が物凄い形相で怒鳴ってきた。
「非科学的なことはわかってる。でも、信じて欲しいの」
 ここで引くことはできないので、母の顔を見ないように力強く言い切った。
「なんでそんなこと・・・」
 すると、母が一転して悲しそうに顔を伏せた。相変わらず感情の起伏が激しい母だった。
「まあ、落ち着きなさい」
 ここで父が、母を宥めるように肩に手を置いた。
「本当に読めるのか?」
「う、うん。信じて欲しい」
「・・・わかった。じゃあ、やってみてくれ」
「お、お父さん」
 父の言葉に、母が驚いたような顔をした。
「えっと、一応難しいこととかはやめてね」
 未来はそう前置きして、両親を見つめた。
「・・・あ、あと、顔に出すのもやめて欲しいな」
 両親の思考は明らかに表情に出ていて、それを口にしても半信半疑に見られるものばかりだった。
 すると、二人からどうでもいい思考が飛び交った。それを一つ一つ思考を言い当てていった。
 しかし、予想外のことに信じてくれるまで一時間近く掛かった。
「し、信じられない」
 母は、青ざめたように呟いた。
「なるほど。これが精神病の原因だったのか」
 逆に父は、冷静に受け止めていた。
「信じてくれた?」
 未来はニット帽を被り直して、二人に再度確認した。
「ここまで言い当てられたら、否定はできないな」
 父の方は寛容に受け入れてくれたが、母は現実を受け入れたくないようで頭を抱えていた。
「それをニット帽で抑えることができるのか?」
「うん。なんか電磁波で伝わってくるから、それを妨害すれば思考は聞こえにくいの。このニット帽に磁石が入ってて」
 説明する為、ニット帽を脱いで裏返しにした。
「ちょっと貸してくれ」
 父は、興味深そうにニット帽を観察した。
「でも、それは代用だから、しばらくしたらヘアバンドとかになるかも」
「なら、これは有り合わせの物なのか」
「うん。今日、葛木さんが作ってくれた」
 父の思考が少し邪魔だったが、読唇術のおかげでなんとか答えることができた。
「そうか」
 父はそう言って、ニット帽を返してくれた。
「だから、もう病院には戻りたくない」
 ニット帽を被り直して、真顔で両親に訴えた。自宅の居心地は悪かったが、負の感情が飛び交う病院には戻りたくなかった。
「・・・わかった」
 父が未来を見返して、その意思を尊重してくれた。
「ありがとう」
 この瞬間、少し肩の荷が下りた気分になった。
「う、嘘よ、嘘よ。こんなの私は信じないっ!」
 ずっと黙っていた母が、急に感情的に叫んだ。
「こ、こ、これじゃあ・・・」
 後半は声が小さく聞き取れなかったが、言いたいことは察しがついた。前に何度か思考から漏れ出たことがあったからだ。
「母さん。ここまで言い当てられたら、反論の余地はないだろう」
 父は眉を顰めて、母を優しく宥めた。
「で、でも、こんな非科学的な事象なんて・・・」
 母は未だに信じられないようで、悲痛な顔で何度も首を振った。やはり、母は一筋縄ではいかなかった。
「母さん・・・」
 母の嘆きに、父が同情心から母の肩に手を置いた。
「やっぱり、信じてくれないんだね」
 母の性格を熟知していたが、やはりこの程度では信じてもらえなかった。
「お母さん」
 未来は立ち上がって、母に近づいた。ここは勝負どころだった。母に論理的な言葉は絶対に信じることはないので、感情に訴えることにした。
「お姉ちゃんは、私のことを信じてくれたよ。私とちゃんと向き合ってくれた・・・でも、お母さんは私と向き合ってくれないんだね」
 話していくと、自然と目に涙が溜まっていった。
「わ、私だって・・・」
 未来の言葉に、母がひどく怯えた表情になった。
「私だって、好きでこんな力を持ったわけじゃないっ!」
 ここで自分の嘆きを吐露した。これには両親が驚いた表情で未来を見上げた。今まで自分の感情を抑えていて、こんなに感情をあらわにしたことは物心ついてからはなかった。
「知りたくもない思考、知りたくもない情報、それがいっぺんに頭に入ってくる苦しみを知ってる?意味もわからず、理解もできず、ただ言葉が無理やり頭にねじ込まれる気分がどんな不快なものか、全く理解できないよね!それを物心つく頃から、私は耐えてきた。人に気遣って、誰にも迷惑掛けないように努めてきた。人と話すことは苦痛の何物でもなかったよ。人間不信になって、何度も自殺を考えた。その思いもお姉ちゃんは理解してくれた。私のすべての思いを知った上でも、笑顔で接してくれた」
 一言二言で終わらすはずだったが、今まで溜めてきた言葉が次々と出てきた。
「そのお姉ちゃんが二人に託したはずだよ、私を!」
 何度も二人の思考を読んでいたので、両親へのしいなの言葉は知っていた。
「その思いを、お母さんは否定するの?」
「そんなことしてないわよ!」
 これには母が強く反発した。
「だったら、信じてよ。私を!科学なんかじゃなくて、私を信じてよっ!」
 自分の感情を抑えられず、心から叫んだ。
「お願い。わ、私を受け入れて!」
 8年間ずっと溜めこんだ思いを母にぶつけた。
「・・・母さん。信じてやろう」
 父はそう言って、母の肩に手を置いた。
「私は、お姉ちゃんにはなれないけど、そ、それでも、わ、私は・・・」
 その先を言うのに感情が邪魔して、言葉が途切れてしまった。
「もう、もういいよ」
 母は立ち上がって、未来を強く抱きしめた。
「ごめんなさい」
「・・・お母さん」
「弱くてごめんなさい。私は、あなたが怖かった」
「知ってたよ」
「そうだね。思考読まれちゃってたもんね」
「うん」
 言葉に感情が入り、母を強く抱きしめ返した。
「ごめんね。未来」
 母は、泣きながら謝罪してきた。それにつられて、未来も大泣きした。母の抱擁は3年振りだった。
「本当に・・ごめん」
 そんな未来を、母が優しく頭を撫でてくれた。久しぶりの母の温もりだった。
 泣き終わるまで、母はずっと抱きしめてくれた。ここまで近くなると母の思考が漏れてきたが、ずっと謝罪の言葉だけだった。
「未来。これからは一緒に食事をしようね」
 母が未来を見て、優しく微笑んでくれた。
「うん」
 その言葉が嬉しくて、自然と頬が緩んだ。
「買い物とか遊びに行こうね」
 母の思いのこもった言葉を口にした。
「うん」
 それが嬉しすぎて、歓喜の涙が溢れてきた。
「未来と・・一緒に」
 母もつられて涙が溢れていた。
 そして、再び母と抱き合った。それを父が微笑みながら、黙って見守ってくれた。
「さて、問題を解消していこうか」
 落ち着き始めた二人を見て、父が話を切り出してきた。
「まずは、精神病院の通院はやめる。それでいいか?」
「うん」
「で、今はその帽子がないと、相手の思考が読めるから、基本的には被っておきたいんだな」
「うん。外すと相手の思考によっては、頭が痛くなることもあるから・・・」
 これは立嶋の時に経験したことだった。
「なら、学校側にも申請しておこう」
「あ、ありがとう。お父さん」
 父の配慮に感激して、泣きそうになってしまった。
「だが、その前に、学校は1週間欠席しなさい」
「えっ」
 父の発言の意図がわからず、驚きの声を上げた。
「1週間、三人で旅行に行こう」
「え、でも、明日は仕事がありますよ」
 父の提案に、母が敬語で尋ねた。
「休みなさい。私も有給を取るから」
 父はそう言って、ゆっくりと立ち上がった。
「今まで未来にできなかったことを、これからは未来の為に費やす」
「お父さん」
 母にはその言葉が胸に突き刺さったようで、尊敬の眼差しで父を見た。
「未来。旅先でいろいろ話そう。未来の退院した後のことを是非聞きたいな」
「う、うん。いいよ」
 父の積極的な言動に、未来は戸惑いながらも頷いた。
「あと少し遅れたが、すまなかったな」
「あ、う、うん」
 ほとんど見ることのない父の謝罪に、未来は動じてしまった。
「できれば、思考の暴露はやめてくれ」
「それはしないよ。っていうか、もうできないよ」
 未来は、両手で触ったニット帽をアピールした。
「いや、過去の話とかだ」
「ああ、あれのこと・・・かな」
 思い当たることが数個あったので、それを思い浮かべた。
「そういう意味深なことを言わないでくれ」
 父が気まずそうに、母をチラ見した。
「え、何か言えないことがあるんですか?」
 母が心配になったようで、父に食いついた。
「あ、いや、そういうことではないんだが・・・」
 これは危機感を感じたようで、父が目を泳がせた。
「お母さん。大丈夫だよ」
 未来は、事態を収拾するために表情を緩めた。
「そ、そうなの?」
「うん。お父さんは、恥ずかしがり屋だから、やることが回りくどいだけだよ」
 内容を知っているので、安心させるためにそれだけは伝えておいた。
「未来。それはいろいろと暴露してるぞ」
 これに父が過敏に反応して、未来を制してきた。
「あ、ごめんなさい」
 失言したことに気づき、慌てて口を押えた。
「まあ、いいか」
 父が表情を緩めて、寛容に許してくれた。
「じゃあ、明日のために会社に電話しないとな。母さんも連絡はしておいてくれ」
「え、でも、どこ行くんですか?」
「それは未来に決めてもらおう」
 父は話の流れで、未来の方に顔を向けた。
「どこか行きたいところあるか?」
「・・・ちょっと考えさせて」
 行きたいところは思いついていたが、敢えて時間を置くことにした。
「ああ、明日までに考えておきなさい」
 父はそう言って、優しく微笑んでくれた
 両親が電話している間にお風呂に入って、二階の自室に戻った。
「はぁ~」
 ベッドに座ると、安堵の溜息が漏れた。
 ふと携帯を見ると、メールが届いていた。確認すると、真理からだった。
 ”そろそろ告白が終わった頃だと思い、メールしました。手ごたえはどうだったかを聞きたいので電話ください”
 これには嬉しくなり、すぐさま電話をかけた。
『もしもし』
 四コールで真理が出た。
「あ、お姉ちゃん?」
『うん。どうだった?』
「みんなのおかげでうまくいったよ」
『みんな・・か。まあ、菜由子さんの功績も大きいか』
「うん。かなり」
 この件に関して、絶対に否定はできなかった。
「あと、明日から1週間。旅行に行くことになっちゃった」
『え、そうなの?』
「お父さんが気を利かせてね」
『そっか。良かったね』
「うん」
『でも、寂しいね。1週間も未来ちゃんと会えなくなるのは』
「お、お姉ちゃん」
 その言葉が嬉しくて、感動してしまった。
『ど、どうしたの?』
「う、嬉しくて」
 涙を拭いながら、掠れ声で答えた。
『そっか』
 これに真理が、優しい声を掛けてくれた。
「葛木さんにも伝えておいてくれないかな」
『あれ?電話番号交換したでしょう』
「う、うん。会って2日しか経ってないから電話しづらくて」
『私だって、同じなんだけど・・・』
 葛木を嫌っている真理には、伝言は荷が重いようだ。
「だったら、兄さんに伝えてもらっていいかな」
『わかった。伝えておくよ。どうせ、明日もお兄ちゃんを迎えに家に上り込んできそうだし』
「え?」
『ああ、こっちのことよ。気にしないで』
 未来の声に、真理がそう言い繕ってきた。
『ところで、どこに旅行に行くの?』
「えっと、しいな姉さんとの思い出の都市かな」
『そ、そうなんだ』
 しいなの名を出すと、少しだけ戸惑った声が返ってきた。
「だ、だからね。お、お土産とか買ってこようかな~って思って」
 意を決して、真理にそう言ってみた。
『別に、気にしなくてもいいよ』
「あ、い、いや、個人的に買いたいの」
 初めてのお土産は、絶対に真理たちにあげたかった。
『ああ、なるほどね。じゃあ、お願いしようかな』
「う、うん。た、楽しみにしててね」
 お土産は自分のセンスが問われるので、少し高揚していた。
『あ、菜由子さんと琴音さんのはいらないから』
 突然、二人を排除するよう言ってきた。
「え、どうしてですか?」
 あの二人にもお土産を考えていたので、真理に聞き返した。
『う~~ん。未来の初めては、私とお兄ちゃんで独占したいからかな~』
「お姉ちゃん」
 再び歓喜が押し寄せてきて、涙が出そうになった。面と向かって言われたら、間違いなく抱きついていただろう。
『じょ、冗談よ。あの二人の分も買ってきてね』
 どうやら、未来を困らせたいだけのようだったが、違う反応が返ってきたことに戸惑ったようだ。
「うん。がっかりさせるかもしれないけど、頑張ってみる」
『お土産なんだから、自分の好みでいいよ。でないと、選ぶの難しいから』
「う、うん」
 真理の気遣いに自然と頬が緩んだ。
『じゃあ、明日も早いだろうし、もう切るね』
「うん、おやすみ。お姉ちゃん」
『おやすみ』
 それを聞いて、電話を切った。時間を見ると、もう9時を回っていた。
 二人に行き先を告げる為、ニット帽を被って階段を下りた。
「あれ、お父さんは?」
 リビングには母しかいなかった。
「お風呂よ。どうかしたの?」
「う、うん。行き先を言っておこうと思って」
「もう決まったの?」
「お姉ちゃんと一緒に行ったあの都市に行きたい」
「え、あの都市に?」
「あそこから始めたいの。唯一家族で行ったあの都市に」
「そっか」
 これに母が、嬉しそうに笑ってくれた。
「それと、行く前にお姉ちゃんのお墓参りに行きたいな。お姉ちゃんには伝えておきたいから」
「・・・そ、そうだね。伝えるべきだね」
 母は、目に溜まった涙を拭ってそう言った。
「いままで冷たくしてごめんね」
「大丈夫だよ、もう気にしてないから」
「優しいんだね」
 未来の寛容さに、母が表情を和らげてそう言った。
「茂兄さんのおかげだよ。退院後、いろいろお世話になっちゃった」
「そうなんだ。茂君には返せないほどの恩がいっぱいあるね」
「これから返していけば、大丈夫だよ」
「そうだね」
「あと、真理お姉ちゃんも」
「真理ちゃん・・か」
 真理の名前を出すと、少し表情を固めた。
「真理ちゃんには、あれがばれちゃったから、頭上がらないね」
「茂兄さんの連絡先の不正入手だね」
 昨日、真理が帰り際に母に尋ねてきたことだった。それに答えるかを悩んだようだが、真理の問い詰めに負けて吐露していた。
「真理お姉ちゃんは、ただ聞きたかっただけだから、引け目は感じなくていいと思うよ」
「そうだね。真理ちゃんの性格を考えれば大丈夫だよね」
「うん」
 未来の言葉に、母が安堵したように納得してくれた。それが嬉しくて未来も表情を緩めた。
「もう時間も遅いし。そろそろ寝なさい」
 母が時計を見て、未来に就寝を促した。
「あ、う、うん」
 いつもは寝ている時間だったので、部屋に戻ることにした。
「おやすみなさい」
「お、おやすみ。お母さん」
 2週間ぶりにその言葉を交わしてからリビングを出た。
 自室に戻り、すぐに就寝することにした。
 ニット帽を机に置いて、ベッドに倒れ込むと、自然と笑顔になった。入院していた頃は後悔や悩みばかりだったが、今では明日への楽しい未来を思い描けるようになっていた。
「これが希望なのかな~」
 最近までこんな感情はなかったので、言葉を口に出して再確認してみた。
「もう兄さん達には頭上がらないな~」
 呪縛の言葉だったが、表情がにやけてしまった。茂たちには本当に感謝しかなかった。茂の優しさ、真理の寛容さ、葛木の行動力、立嶋の思考の広げ方。三人にはお礼を言ったが、立嶋にはお礼は言えなかった。
 そんなことを考えていると眠気がきて、目を閉じると姉であるしいなの言葉が思い浮かんできた。
”未来に将来を与えてあげて”
 それがしいなが両親に残した言葉だった。過去を清算して、未来への展望を見い出して欲しいという願いのこもった言葉だった。

ガールカウンセラー5th

ガールカウンセラー5th

京橋茂は、将来の為に同級生二人を受け入れるかたちで協力を求めてみた。条件としては長期にわたり縛ることになるので渋ると思ったが、思いのほかあっさり引き受けてくれるのだった。 その後、妹の友達である未来の悩みが解消されるのだが、そのことによってもう一つの問題も解消する必要が出てきた。そのことで未来が助けを求めてきたが、茂は突き放すかたちで自ら解決するよう促すのだった。

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