ガールカウンセラー2nd

不動

ガールカウンセラー2nd
  1. 一 プロローグ
  2. 二 懇願
  3. 三 紙一重
  4. 四 朝礼
  5. 五 制度
  6. 六 設定
  7. 七 予定
  8. 八 傍迷惑
  9. 九 親友
  10. 十 エピローグ

一 プロローグ

 土曜日の午後、京橋茂と立嶋琴音は、学校の図書館で葛木菜由子に勉強を教えてもらっていた。立嶋は平均顔のショートヘアで、葛木は綺麗な顔立ちで肩まである髪を後ろで結わっていた。
 この図書館は公益社団法人で運営されていて、数多くの書物は紙ではなくデータとして保管されていた。
 小説や参考書は、電子書籍にデータ転送してから読むのが通例で、期限が過ぎるとそのデータは見れなくなるプロテクトが掛かっていた。本自体がないので、図書館には机や椅子だけ置かれていて、三人は丸机を囲むように座っていた。
「意外だね~。京橋って去年習ったこと覚えてないの~」
 葛木は問題を見て、だらけた口調で言った。
「ああ、ちょっとこの時期は込み入っていてな。その原因はおまえにもあるんだが・・・」
「そ、それなら、しょうがないね~」
 あまり蒸し返して欲しくなかったようで、茂から顔を逸らした。
 葛木とは半年以上前にある一件で疎遠だったが、3日前に彼女から仲直りしたいと言い出してきた。これには断固反発していたのが、あまりにしつこいので勉強を教えるという条件で、一緒にいることを許容していた。(仲直りはしていない)
「あの~、葛木さん。私にも教えてもらえないかな」
 茂の向かい側に座っている立嶋が、申し訳なさそうに頼んだ。
「えっ、あ~。そうだったね~。で、わからないところってここなの~?」
 葛木はそう言って、電子書籍の画面を差した。
「うん。この放物線がなんで表しているのかわからなくて」
 会話を聞く限り、数学の問題を聞いているようだ。
「いや、この放物線は上の式の代入数を表したものでしょう」
 立嶋の質問に、葛木は呆れながら答えていた。
「いや、そうなんだけど。わざわざ放物線で表している意味がわからなくて。別に表にする必要ないんじゃないかな」
「表にすることで代入しなくても、一目でわかるようにする為だろ~」
「でも、放物線だよ。見ただけじゃあ、わからないよ」
「んなこと知るか!そもそも問題に私情入れんなよ」
 立嶋の問題提起に、葛木が怒って立ち上がった。
「うるさい。ここは図書館だぞ」
 茂は、声量を下げて葛木を注意した。
「あ、ご、ごめん」
 周りの視線に気づいて、恥ずかしそうに座った。
「あのな~。問題は解く為にあるんだぞ~」
「でも、この問題文はわかりにくいと思わない?そもそも何を求めるのかなんて、詰まるところ代数だもんね。求める意味あるのかって感じ」
 立嶋は、子供みたいにぐちぐちと文句を言った。
「京橋~。私、琴音に教えるの無理そうなんだけど~」
 立嶋の愚痴に、葛木が真剣な目で訴えてきた。
「ああ、横で聞いていてもわかる」
 これはもう重症だった。個人的にも立嶋に教えたくなかった。
「あのな~、問題文への言い分はわかるけど、これはできるかどうかを問うてるだけだぞ」
 葛木を可哀想に思い、茂が説得してみた。
「う~~ん。問題を解く意味がわからない」
「だから、意味の問題じゃねぇよ。解けるかの問題なんだよ」
「解けないわ」
 これには立嶋が即答して首を振った。
「だろうな~」
 それは愚痴っている時点で判明していた。
「なら、素直にそれを教えてもらえよ」
「そ、そうだね。ごめんなさい」
 茂の指摘に従うように、葛木に頭を下げて謝った。
「前途多難だな~」
 それに対して、葛木が大きく溜息をついて項垂れた。
「もしかして、塾の講師にもそんなこと聞いてんの~」
「え、うん」
 葛木の質問に、立嶋は戸惑いながらも頷いた。
「これじゃあ、塾の講師が不憫だよ」
「立嶋。問題文への疑問はいいが、試験でそれは意味がない」
 茂は、電子書籍の過去問を眺めながら助言した。
「わ、わかってるけど・・・」
 これは自分でもわかっているようで、拗ねたように口を尖らせた。
「気になるんだよね~。問題文が酷い時は、腹が立って試験に集中できなくなるもん」
 それが立嶋のテストが平均点になる理由のようだ。
「問題の取り組む姿勢を変えてみたらどうだ?」
 視線を向けないまま、思ったことを立嶋に伝えた。
「どういうこと?」
 茂の助言は、立嶋には全く伝わらなかった。
「問題文への疑問じゃなくて、問題の真意を知れってことだよ」
「ごめん。全然意味がわかんない」
 二度目の言葉も彼女には伝わらなかった。
「それ、私もわかんないぞ~」
 それどころか、葛木にも意味が通じてなかった。
「もういいや。今のは忘れてくれ」
 説明が面倒になり、伝えることを諦めた。
「またぁ~。中途半端に話を切るのやめてよね~」
 これには立嶋ではなく、葛木が毒づいた。
「二回で伝わらないなら、もう諦める」
「まぁ~、確かにそれはあるけど、京橋の言葉ってたまに意味がわかんない時あるよね~」
「思考回路の違いかもな」
「要するに、京橋が変ってるってことだな~」
 葛木が薄ら笑いを浮かべながら皮肉ってきた。
「じゃあ、それでいいや」
 1年の頃は、この程度の言葉に反応していたが、今の茂には葛木の言葉に苛立ちを覚えなかった。
「む~、京橋の反応がにぶぅ~」
 茂の素っ気無さに、葛木が不満をあらわにした。
「人は、成長するもんだからな~」
「んん~~。京橋の長所が一つ消えちゃってるよ~」
 葛木にとっては、短気な性格が長所だと思っているようだ。
「普通、不寛容は欠点だろう」
「怒りは、人間の感情表現では大事な部分だよ~」
「そうかもしれんが、意図的にそれを引き出す意味がわからん」
「ええ~、だって楽しいじゃん~」
 葛木にはそれがたまらないようで、本当に嬉しそうな笑顔をつくった。
「なんか話が変わってるんだけど」
 ここで立嶋が、少し不満そうに二人の会話に割って入ってきた。
「あ~、すっかり忘れてたね~」
 葛木は本音を隠すことなく、立嶋の方を向いた。
「で、私はどうすればいいの?」
「琴音って、つまんないね~」
 葛木は、がっかりした顔で溜息をついた。今の皮肉で怒ることを想定したようだが、立嶋には空振りだった。
「え、何が?」
「なんでもないよ~。それより、もう一度教えるよ~」
 葛木は嫌味を諦めて、立嶋の電子書籍を覗き込んだ。
「いぃ~。問題文への疑問は口にしないでね~」
「わ、わかった」
 葛木の忠告に、渋々といったかたちで従った。
 その後、葛木は立嶋に親身になって教えた。さっき茂に教えた時より数段わかりやすかった。
「どう~、わかった~?」
 一通り教えると、葛木が立嶋の顔を覗き込むように聞いた。
「は、半分ぐらい」
 その言葉に、葛木が目を丸くした。
「ごめん。私には無理ぃ~」
 茂の方を見て、真剣な顔で首を振った。
「安心しろ。俺にも無理だ」
 あそこまで丁寧に教えても、立嶋には半分しか理解できないことが信じられなかった。
「えっ、ちょ、ちょっと二人とも。見捨てないでよ~」
 自分の現状を把握したようで、二人に懇願してきた。
「私は、パス」
 葛木は躊躇いなく、立嶋を見捨てた。
「そ、そんな・・・きょ、京橋」
 立嶋が悲しそうな顔をして、今度は茂を見つめてきた。
「え、えっと・・・」
 その眼差しに困ってしまい、立嶋から視線を逸らした。泣かれるのは嫌だったが、教える自信もなかった。
「うぅっ」
 この仕草が立嶋の感情を揺さぶった。簡単に言えば泣かれた。図書館で人目も憚らず、涙を流したのだった。それに二人は、狼狽するしかなかった。
「お、落ち着いて。そ、そうだ。他の友達とかに教えてもらえばいいだろ~」
 一番落ち着くべきは葛木だった。立嶋には茂と葛木以外友達はいなかった。
「おまえは口を慎め」
 余計な傷を増やす前に葛木を制した。
「立嶋。一つ提案いいか?」
 この状況を落ち着かせる為、思わせぶりな言い方をした。
「な、な・・に?」
 立嶋は、鼻をすすりながら目を擦った。
「さっき葛木に教えられたことを、おまえが俺に教えてみろ」
 立嶋がどれだけ理解して説明できるかを知ることで、何を理解できていないのかを浮彫にさせることにした。
「え、えっと・・・」
 立嶋がたどたどしく説明し始めたが、所々で葛木に訂正されていた。
 説明を終えた頃には、葛木の方が落ち込んでいた。自分の教えがここまで曲解されていることがショックだったようだ。
「私、教えるのに自身がなくなった」
「いや、おまえの教え方はわかりやすかったと思う。立嶋の思考回路が間違った方に向いてるんだよ」
「ひ、酷い」
「ああ、泣くのはやめてくれ」
 再び涙声を発したので、感情を抑えるよう言った。
「な、泣かないよ!」
 これには怒りの感情が沸いたようで、強い口調で怒鳴ってきた。
「大声もやめてくれ」
「あ、ごめん」
 茂の指摘に、立嶋が周りの視線に気づいて委縮した。
「じゃあ、おまえに教えることは不可能ということで、今日は散開にしよう」
 個人的には、聞きたいところも聞けたので帰ることにした。
「そうだね~。私も帰るよ~」
 葛木も茂につられるかたちで立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 立嶋は慌てて立ち上がり、茂たちを追いかけてきた。
 三人は図書館を出て、横並びで下校した。
「わ、私。もしかして見限られたの?」
 校門を出たところで、立嶋が二人の顔を恐る恐る覗き込んできた。
「まあ、そうなるな~。だって教えても理解できないんだもん」
 これに葛木が、ダルそうに答えた。
「そ、そんな・・・」
 その辛辣な言葉に、立嶋が項垂れた。
 葛木と別れて、茂と立嶋の二人になった。立嶋は落ち込んでいるようで、あれから全然しゃべらなかった。
「なあ、一つ聞いてもいいか?」
 この沈黙に耐え切れず、茂から話しかけた。
「な、何?」
 すると、立嶋から元気のない返事が返ってきた。
「おまえって、どうやって勉強してるんだ?」
「そ、そんなの教科書でだけど」
「あの感じなら、教科書通りに勉強しても、疑問が次々と湧いてくるだろう」
「気になったら、ネットで片っ端から調べてるよ」
「それじゃあ、試験の時はどうしてるんだ?」
「試験?」
 質問の意図がわからないのか、不思議そうに復唱した。
「試験の問題文をどう解いてるんだ?」
「な、なんでそんなこと聞くの?」
「気になったから」
 特に理由がなかったので、その一言だけ返した。
「まず、問題文を読んで気にならない問題から埋めていく感じになるかな。そのあとは問題文を見ながら、自分が納得するまで自己解釈してから解答欄を埋めてる」
「それしたら、時間が足りねぇだろう」
「うん。全然足りない。だから、だいたい平均点になる」
「そうか」
 ちょうど立嶋との帰宅の枝道だったので、話を切って立嶋と別れた。

二 懇願

 帰宅して、玄関を開けると、靴が二足揃えてあった。どうやら、今日も来客中のようだ。
 リビングに入ると、妹の真理とその友人である加賀未来が楽しそうに談笑していた。未来は、髪を左右で結わっていて、今日もフリル付きのファッションに身を包んでいた。
「あ、おかえり~」
 妹が長い黒髪を一度後ろで整えてから、茂を出迎えた。
「おかえりなさい。お邪魔してます」
 未来もつられるかたちで振り返り、軽く会釈してきた。
「ああ、今日は練習してねぇのか?」
 未来は、ある特殊能力を有していた。それは人の心が読めるという不憫な能力だった。しかも、言っていることと思っていることが同じように聞こえるという欠点しかないものだった。
「今日は話しながら、どこまで聞き分けられるかを試しているところだよ」
 妹は、読唇術の本を掲げてそう言った。ちなみに、読唇術は茂の発案だった。
「で、どうなんだ」
「う~~ん。まだ、練習段階だから、サ行から先はまだできないね~」
「カ行まではいけたのか?」
「・・・」
「・・・」
 茂の言葉に、二人は気まずそうに顔を逸らした。どうやら、カ行もダメなようだ。
「ま、まあ、頑張れよ」
 変な空気を察して、早足でリビングから出た。いつもはリビングの奥のキッチンで麦茶を飲むのだが、気まずさのあまりリビングから出てしまった。
 二階にある自室に入り、鞄から電子書籍を取り出して宿題を始めた。
 問題文を眺めると、自然と立嶋のことが頭に浮かんだ。あれは重症だと思ったが、本人の問題なのでどうしようもなかった。
「まあ、俺には関係ないしな~」
 そう自分に言い聞かせて、電子書籍に目を落した。
 日が落ち始める頃に、ドアがノックされた。
「どうぞ~」
 宿題を終えて、受験勉強をしていた茂は手を止めて、ドアの方を向いた。
「もう未来ちゃん帰るから、送ってあげて」
 すると、妹がドアを開けて顔だけ覗かせた。
「ああ、わかった」
 未来を公園まで送り届けるのが、今週からの日課になっていた。
 自室を出て、妹と一緒に階段を下りると、玄関で未来が待っていた。
「いつもすみません」
 未来はそう言って、頭を下げて恐縮した。
「いいよ。夕方は犯罪率が高くなるから」
「そうなんですか?」
 これには驚いたように目を丸くした。
「なんだ、知らなかったのか?」
「はい。時間帯には関係なく、犯罪めいた思考が周りでは飛び交ってますから」
 思考を読める未来にとっては、その事実は意外だったようだ。
 茂たちは、妹に見送られるかたちで家を出た。
「読唇術って、なかなか難しいですね」
 そう言いながらも、楽しそうに茂の手を繋いできた。
「少なくとも一朝一夕じゃあ、到底無理だな」
「ところで、今日は帰りが遅いようでしたが、何かありましたか」
 未来がさりげにそんなことを言い出してきた。
 面倒だったので、思考で伝えた。
「なるほど、葛木さんに勉強を教えてもらっていましたか」
「かなり不本意だけどな」
「兄さんは、葛木さんが嫌いですもんね」
 これは葛木と会った時に思考を読まれて、知られてしまったことだった。
「悩みでもあるんですか」
 未来が少し心配そうに、茂の顔を覗き込んできた。
「どうしてだ?」
「少し思考に乱れがありましたから」
「そうだな~。でも、俺の悩みというより他人の悩みだな」
「ふふふっ、兄さんも他人のことで悩むんですね」
 未来が茂を見つめて、嬉しそうに笑った。
「だから、俺は悩んでないって」
「そうでしたね。で、その人は何に悩んでいたんですか」
 未来の前だと、全部見透かされているような感覚だった。
「問題文への疑問が多くて、問題を解くまでの時間が掛かるんだとよ」
「なんですか、それ?」
 茂の説明に、未来が訝しげに首を傾げた。やはり、一度では理解してくれなかった。
「要するに、なぜこの問題文になっているかの意図を考るんだよ」
「なるほど。問題文にいちゃもんをつけるんですね」
「い、いちゃもん・・って、まあ、合ってるけど」
 子供の発言とは思えなかったので、少し戸惑ってしまった。
「その悩んでいる人は、葛木さんですか?」
「いや、違う」
「他に兄さんに友達いましたっけ?」
「言っとくが、葛木は友達じゃねぇぞ」
 勘違いしているようだったので、そこは訂正しておいた。
「えっ、そうなんですか。てっきり仲直りしたのかと思いました」
「一緒にいるのは、仕方なくだよ」
 茂は、その経緯を思い返した。これは口で説明するより手っ取り早いと思ったからだ。
「へぇ~。条件付きで一緒にいるんですか」
 未来はそう言って、納得したような顔をした。どうやら、思考が正確に伝わったようだ。
「葛木さんは、兄さんに対して執着心が強いようですね」
「そうなんだよ。なんでだろうな」
「なんだったら、葛木さんの心を読んでみましょうか」
「いや、それはやめて置こう。知らない方がいいこともあるから」
「そうですね。むやみに人の心は読むものではないですからね~」
 この言葉には、不思議と説得力があった。
 その後、公園に着くまで他愛のない話をした。
「ここまでですね。今日もありがとうございました」
 未来が繋いでいた手を放して、お礼を言った。
「ああ、じゃあな」
「はい」
 未来は元気よく返事をして、笑顔で帰っていった。それを見送ってから、茂も帰ることにした。
 公園を出ると、私服の葛木が壁にもたれ掛っていた。散歩時は常にTシャツにジーンズのラフな格好のようだ。その隣に、柴犬が行儀よく尻尾を振りながらお座りしていた。
「やっぱり今日もあの子の送り迎えか~」
 葛木はそう言って、笑顔でこちらに近寄ってきた。
「なんでいんの?」
 茂は、物凄く嫌な顔で聞いた。
「そんな顔しないでよ~」
「質問に答えてくれねぇ~か?」
「ただこの時間に合わせて、散歩していたからだよ~」
 確実に、茂に会うための散歩だった。
「なんか用か」
「あ、あのさ~、これから一緒に散歩しない?」
 葛木は、恥ずかしそうに目を逸らしながら言った。
「何言ってんの?」
 これには意味がわからず聞き返した。
「じゃあ、言い直そ~。で、デートしようか~」
 今度は体をくねらせて言い換えてきた。
「帰る」
 馬鹿にされているような気分になったので、無視して帰ることにした。
「ま、待ってよ~」
 が、予想通り葛木に引き止められてしまった。
「あのさ、これから勉強したいから帰らせてくれ」
 茂はうんざりした顔で、葛木に頼んだ。
「ちょっとぐらい話そ~よ~」
「前にも言ったが、話すことなんてねぇ~よ」
「そ、そんなこと言わずに~」
 いつものように葛木がしつこく食い下がってきた。
「なんかあんのかよ?」
「ちょ、ちょっと相談があって~」
「立嶋にでもしろ」
 面倒臭かったので、そう突っぱねた。
「ちょっと待てよ~」
 しかし、腕を掴まれて引き止められた。もうこのやり取りはうんざりだった。
「もう引き止めるのはやめてくれ」
「そうしないと帰るでしょ~」
「帰りたいから、引き止めないでくれ」
「帰らないで~」
 葛木はそう言って、掴んでる手に力を込めてきた。
「はぁ~~。手短にしろよな~」
 このやり取りを公道ではしたくなかったので、話だけ聞くことにした。
「あ、ありがと~」
 茂の妥協に、表情を緩めて手を放してくれた。
「ちょっと待ってろ」
 前回のことを思い出して、携帯で自宅に電話した。
 電話には妹が出て、少し遅くなるとだけ伝えた。
「で、なんだ?」
 携帯をポケットに仕舞ってから、葛木の方に振り向いた。
「ちょっと歩こ~」
「嫌だ。言っとくが、おまえに主導権はねぇ~ぞ」
「わ、わかったよ~」
 これに葛木が、膨れっ面で渋々承諾した。
 公園の入り口付近にあるベンチに二人で座ると、葛木が犬のリードを肘掛けに結んだ。
「実はね~。両親が会いたいって言っててね~」
「帰る」
 それを聞いた途端、茂は勢いよく立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待って!」
 葛木が両手で掴んで全体重を乗せて、しがみついてきた。
「放せってば!」
 本気で嫌だったので、葛木を引きずって歩いた。
「予想してたけど待って!」
 いつものだらけた口調が凛とした口調に変わっていた。
「おまえの両親と会うなんて、なんの嫌がらせだよ」
「だ、だって、両親がしつこいんだもん!」
「知らねぇ~よ!」
「お願い。一回でいいから会ってあげて!」
「嫌だ!」
「そんなこと言わず!」
 このやり取りが公園を出るまで続いた。傍から見ると、葛木が茂に結婚を迫っているように見えた。
「あのな~。なんで俺の嫌がることするんだよ」
 茂は立ち止まって、しがみついている葛木を見下ろした。
「私だって嫌だよ」
「じゃあ、断れよ」
「何度も断ってるよ。でも、両親がしょっちゅう京橋のことばっかり聞いてくるんだもん」
 葛木の家に一度だけ行ったことがあったが、その時に葛木の両親に凄く気に入られてしまうという最悪の事態に陥っていた。
「あ、おまえ、もしかしてそのために俺に近づいたのか?」
「それは違うよ~。本当に仲直りしようと思ったんだよ~」
「いや、別に仲直りはしてないぞ。そもそも、1年の時から友達じゃなかったし」
 葛木の性格が大嫌いで、今まで友達と思ったことは一度もなかった。葛木の家に行ったのも半ば脅されたかたちだった。
「そ、そんな!酷いよ!」
「そういう訳だから、帰っていいか?」
 落ち込んでいる隙に、葛木を置いて帰ろうと思った。少し罪悪感を感じたが、これで距離を置いてくれるなら、それはそれで良かった。
「私のこと、そこまで嫌いなの?」
「ああ」
「どこが嫌いなの?」
「強引な性格と人の感情を逆なでするところ。激昂した相手を見て、大笑いするところ。それが主な嫌いなところだな」
「それを直せば嫌いじゃなくなるの?」
「そうだな。あと、口調も直してくれれば言うことはねぇ~」
 葛木が諦めてくれるよう願いながら、いろいろ条件を付け加えた。
「じゃあ、それ直すから」
「人の性格はそう簡単に直らねぇ~よ」
「そ、そうかもしれないけど。でも、頑張るから」
「いや、無理しなくていい」
 予想外の宣言に、茂は戸惑ってしまった。
「そもそも、おまえは嫌われるためにその口調にしたんだから、別に俺に嫌われてるだけで直す必要はねぇと思うんだが・・・」
「私にとっては最重要なの!」
 これに葛木が、真剣な表情で叫んだ。
「そこまで俺と友達になりたいのか?」
 ここまで必死な葛木に、茂は引き気味でそう言った。友達がいない茂と友達になりたいということが不思議だった。
「京橋って、たまに間抜けになるよね」
 さっきまで真剣な表情だった葛木が、なぜか呆れ顔になった。
「なんのことだよ?」
「なんでもない」
 茂の困惑した表情に、葛木が顔を逸らしながら溜息をついた。
「それより、今日から性格も口調も直すことにするから、よりを戻そう」
 前回から、よりを戻すという言葉に執着していた。
「別に、押しつける気はねぇんだが」
「でも、京橋は今の私が嫌いなんでしょ」
「ああ」
「そ、そこは素直なんだ」
 茂の即答に、葛木は悲しそうに呆れ返った。
「じゃあ、今日から京橋の好みの女になるわ」
「は、なんで?」
 葛木の意図がわからず、眉を顰めて首を捻った。
「え、ここまで言ってもわかんないの?京橋って鈍いんじゃなくて、ただの馬鹿?」
 葛木は、呆れた顔で罵倒してきた。
「性格が直ってないようだが」
「あ、ごめん」
 自分の失言に気づき口に手を当てた。
「無理みたいだな~」
「こ、これからだよ」
 葛木が苦笑いして、視線を逸らした。
「それより、おまえの愛犬は公園に置き去りのまんまなんだが」
 公園の出口まで引きずって来た為、柴犬は公園のベンチに置き去りにしていた。
「あ!そうだった」
 葛木は、慌てて公園に戻っていった。その隙をついて、茂は走って帰宅した。
 家に着くころには、日が完全に沈んでから20分近く経っていた。玄関に入ると、薄暗い玄関の中に妹が待っていた。
「何してたの?」
 薄暗かったが、睨みつけるような視線を感じた。
「クラスメイトと話してた」
 名前はさすがに言えなかったので、そう答えることしかできなかった。
「前に言ってた女子?」
「ああ」
 茂は靴を脱いで、仁王立ちしている妹を通り抜けようとした。
「も、もしかして、か、かかか彼女?」
 妹が動揺しながら、ぎこちなく振り返った。
「冗談言うな。それはありえん」
 茂は、反射的に強く否定した。葛木と恋人同士になるなんて想像もしたくなかった。
「え?」
 それに妹が驚きの声を上げたが、それを無視して素通りした。
「あ、おかえり~」
 リビングに入ると、母親が笑顔で出迎えた。夕飯を用意していたが、食べずに待っていた。
「友達、できたんだね」
「俺は友達になりたくねぇんだが、相手がしつこくてな。走って逃げてきた」
「へっ?なんで友達になりたくないのよ」
 母親が訝しげに眉を顰めた。後ろの妹も興味深そうに、茂の話に聞き耳を立てていた。
「言いたくねぇ~」
 これ以上は二人には言えなかったので、強く突っぱねて椅子に座った。
 食事中、二人がしつこく追求してきたが、茂はそれを曖昧に濁した。
 居心地の悪い夕食を終えて、自室に戻って受験勉強を再開した。
「お兄ちゃんっ!」
 すると、妹が元気よく叫びながら部屋に入ってきた。
 それに驚いて、ビクッと体が跳ね上がった。おかげで書いていた字が歪んでしまった。
「な、なんだよ」
「今度、私も未来ちゃんを送っていくわ」
「はっ?」
 言ってる意味が理解できず、妹を見上げた。
「そのお兄ちゃんに言い寄ってくるクラスメイトを引き離してあげる」
 どうやら、さっきの食事中の話での態度を見て、勝手にそんな結論を出したようだ。
「ダメだ!」
 確かに茂にとっては助かるが、ここで妹が葛木に会うのは危険だった。
「な、なんでよ」
 茂の強い拒絶に、妹が少し怯んだ。
「これは俺の問題だ。おまえは関わるな」
「私の信条を忘れたの?」
「ああ、忘れた」
 茂は、白々しくそう言い切った。
「お兄ちゃん!」
 これに妹が、苛立ちをあらわにして睨んできた。
「悪いが、この問題におまえは関わって欲しくねぇ~」
「ど、どうしてよ」
「理由は言えない」
「な、なんで・・・」
 茂の強い意志に、妹が寂しそうな顔で俯いた。
「はぁ~、そんな顔すんなよ。大学受かったら、全部話してやる」
「今じゃダメなの?」
「ああ。今は勘弁してくれ」
「・・・わかった」
 入ってきた時とは対象的に、妹はとぼとぼと部屋から出ていった。茂はそれを見送りながら、少しだけ後ろめたさを感じた。
 月曜の朝、いつも通りに登校していると、その途中に当たり前のように二人が待っていた。
「おはよう」
 最初に、葛木が笑顔で手を振った。
「おはよう」
 立嶋も挨拶しながら駆け寄ってきた。
「ああ、おはよう」
 茂は、それをうんざり顔で返した。
「なんで不満そうなの?」
 葛木が眉を顰めて、文句を言ってきた。
「理由はわかってるはずだが」
「それより、一昨日挨拶なしに帰った理由を聞きたいわ」
 茂の皮肉を軽く流して、不満そうに土曜日のことを詰ってきた。
「そうだったっけ?てっきり話は終わったのかと思ったよ」
 これは嘘だったが、そう言い逃れすることにした。
「え・・・そう・・だったんだ」
「葛木さん。今日はどうしたの」
 葛木の困った顔をよそに、立嶋が不思議そうに尋ねた。
「何が?」
 葛木は表情を一変させて、立嶋の方を向いて首を傾げた。
「だって、口調がいつもと違うから」
「ああ、一昨日から直すことにしたの」
「え、な、なんで?」
「京橋に嫌われないためにかな」
 葛木が少し恥らいながら、視線を宙に向けた。
「そ、そう・・・」
 その反応に、立嶋が苦笑いした。
 その後、すぐに立嶋が昨日知った情報を一方的に話し始めた。それは教室に着くまで続いた。
「琴音の話って、割って入れる余地がないね」
 立嶋を見送りながら、葛木がそう言った。
「そうだな。1週間前にそれを直すよう言ったんだがな。もう忘れているみたいだ」
「そうなんだ」
 茂は、教室に入って自席についた。葛木も自分の席に歩いていった。
「なあ~、いつから葛木さんと一緒に登校するようになったんだよ」
 いつもは全く話しかけてこない横峰だったが、葛木のことに関しては積極的に話しかけてきた。茂は、彼がサッカー部のレギュラーということしか知らなかった。
「先週の木曜日からかな」
 茂は、ぶっきらぼうに答えた。できれば、葛木のことは抜きで話しかけて欲しかった。
「すげぇ~な。どう口説いたんだよ」
 横峰が周りを気にして、身を乗り出しながら小声で聞いてきた。
「口説いてない。あっちから言い寄ってきてるだけだ」
「マジかよ」
 これには信じられないといった表情で茂を見た。
「どんな魔術を使ったんだよ」
「そんなファンタジアなことはできねぇ~よ」
「比喩だよ。比喩。マジにとるなって」
 比喩表現で魔術ってなんだよと、つっこみそうになったが言葉にはしなかった。
「なあ、俺に紹介してくれよ」
「は?」
 茂は、横峰の言ってる意味が理解できず顔をしかめた。
「いや、だからさ~。俺も葛木さんとお近づきになりたいと思ってな~」
「なら、自分から話しかければいいだろ?」
 これは本当に面倒だったので、正論で返しておいた。
「前にそうしたけど、無視されたよ」
「そう。それは残念だったな。それが今の葛木との距離なんだろうな」
「それを近づけたいから、京橋に頼んでるんだろう」
「わかった。本人に聞いてみるよ」
 葛木本人はかなり嫌っているようなので無理だと思ったが、ほとんど初対話に近い横峰の頼みは断りにくかった。
「マジで!ありがとう」
 これには嬉しそうにお礼を言ってきた。
 本鈴が鳴り、この話は打ち切られた。

三 紙一重

 昼休みになり、横峰が目配せをしてから教室を出ていった。
「コンビニ行こっか」
 立嶋が茂の席まで来て、自分の弁当箱を机に置いた。
「あ、あのさ・・・京橋・・ちょっといいかな」
 両手を後ろにした葛木が、躊躇いがちに近づいてきた。
「なんだよ」
 電子書籍を仕舞いながら、葛木を見上げた。
「お、お弁当作ってきたんだけど食べて」
 葛木はそう言って、恥ずかしそうに弁当箱を差し出した。
「・・・」
 あまりの異常事態に思考が停止した。葛木の横にいた立嶋も、弁当を掴んだまま固まっていた。
「う、受け取ってよ」
 2分近く、動かない茂に葛木が痺れを切らせた。実際、両手を伸ばしていた両手がプルプルしていた。
「・・・」
 茂は、判断できずに返答ができなかった。
「な、なんか言ってよ!」
 さすがに葛木が、苛立ちをあらわにして声を荒げた。
「ああ~。ちょっと待てくれ。立嶋、これはどうしたらいいんだ?」
 経験のないことに戸惑って、立嶋に助けを求めた。
「えっ!わ、私!」
 急な振りに、立嶋も戸惑った。
「う、受け取ればいいじゃないかな」
「断ったらどうなると思う?」
「・・・私だったら泣くかも」
 自分に置き換えて想像したのか、少し悲しそうな顔でそう言った。
「ちょ、ちょっと本人を目の前にして、そんな相談しないでよ」
 すると、葛木が恥ずかしそうに口を挟んできた。
「仕方ない。もらってやるけど、次からやめてくれ」
 泣かれるのは困るので、今回だけ受け取ることにした。
「京橋って、こういうことされるのは嬉しくないの?」
 茂の粗雑な態度に、葛木が恐る恐る聞いてきた。
「ああ。正直対応に困るし、嬉しいというより恥ずかしさが強いな」
「じゃあ、もうやめる」
「ああ、そうしてくれ。ちなみに、どうしてそうなったんだ?」
「んん~。お母さんに相談したら、そうしろって言われた」
「あの人が?」
 葛木の母親はかなりロマンチストで、ほっとくと一人で思考を暴走させる傾向にあった。
「相談相手を間違えたな」
「そうかも。渡すのも恥ずかしかったし。この行為はお互いの為にならないね~」
「そうだな」
 それは茂も大いに賛同だった。
「あ、あの・・・」
 蚊帳の外にいた立嶋が、躊躇いがちに割って入ってきた。
「ってことは、コンビニに行かないの・・かな」
 最近では茂の昼食を買い行くついでに、立嶋はコンビニで飲み物を買っていた。
「今日は行く必要がなくなったな。でも、飲み物がねぇから自販機で買ってこよう」
「そ、そうだね」
 これに立嶋が、ホッとしたように表情を緩めた。
「葛木は、先に食べてていいぞ」
 一応、葛木に気を回してそう言った。
「い、一緒に行くよ」
 しかし、葛木は慌てた様子でついてきた。
「でも、お弁当って作るの面倒臭いね」
 廊下に出ると、葛木が愚痴ってきた。
「なんで?」
 それに立嶋が、不思議そうな顔をした。
「だって、朝早く起きなきゃいけないし、なにより何作るか悩むからね~。それに相手の味覚にも合わせないといけないし、好き嫌いも考慮しないといけないから、面倒なことばっかり」
「確かに、相手に合わせるのは疲れるかもね~」
 立嶋も経験があるようで、それには納得していた。
「いや、待て。おまえは、俺の好みとか知ってんのか?」
「1年の時からの付き合いなんだから知ってるわよ。それにコンビニ弁当ばっかりだから好みぐらい把握するでしょう」
「それはそうかもな」
 茂と立嶋は、自販機で飲み物を買ってから教室に戻った。
「そういえば、葛木に伝言があるんだが・・・」
席に座ると同時に、横峰のことを思い出した。その横峰の席は無造作に前方に動かされ、その後ろにある三和霞の席を葛木がくっつけてきた。
「え、何?」
 茂の言葉に、葛木が嬉しそうに顔を近づけてきた。
「横峰がおまえとお近づきになりたいって言ってるんだが」
 その名前を出した途端、葛木が心底嫌な顔をした。
「何それ?」
「知らん。よっぽどおまえのことが好きみたいだな」
 とりあえず彼の思いを伝えてみた。あの態度を見れば、誰だってわかることだった。
「生理的に無理」
 葛木はそう言うと、体の正面でバツを作った。
「だろうな」
 予想通りの答えに溜息が漏れた。
「なんでダメなんだ?」
 面倒だったが、理由だけは聞いておくことにした。
「2年の時に一回だけ声を掛けられたんけど、視線がいやらしくてね~。見られただけで悪寒がしたわ」
「そうか。じゃあ、本人にそう伝えておこう」
「そうしてくれると、私も助かるわ」
 葛木はそう言いながら、弁当を広げた。茂も受け取った弁当箱を開けた。
「へぇ~。まともだな」
 弁当箱は、色鮮やかで肉と野菜のバランスが取れていた。立嶋も興味深そうに覗き込んできた。
「そんなものレシピを見れば、誰でも作れるよ」
 茂の感想に、葛木が当たり前のように答えた。
「前にも思ったけど、葛木さんって料理上手だね」
 自分の弁当と見比べて、立嶋が凄く感心していた。
「自分でそう思ったことはないわ」
 本当に興味がないようで、素っ気なく否定した。
「あ、あの一つもらってもいいかな」
 立嶋が思い切った感じで、葛木に頼んだ。
「ん?いいけど」
 葛木は特に拒絶することなく、弁当箱を差し出した。
「あ、ありがとう」
 葛木にお礼を言って、箸でおかずを取って口に入れた。それを茂はじっと見つめた。
「あ、おいしい」
 立嶋の感想を聞いてから、茂も食事を始めた。
「確かに」
 茂も一口食べて、立嶋に同調した。味も自分好みの塩加減だった。
「何、疑ってたの?」
 これに葛木が、訝しげな眼差しを向けてきた。
「ああ、わりぃ~」
「最初に言ったでしょ。レシピ通りに作っただけって。ちゃんと味見もしてるわよ。まあ、味付けは少し変えたけど」
「そうなのか」
「コンビニのお弁当は味が濃いからね。私は、基本薄味なの。だから、少し塩分を多くしてあるわ」
 葛木が食べながら、淡々と説明した。
「へぇ~」
 それに立嶋が感心した。
 昼食を食べ終わり、葛木に弁当箱を返した。
「ありがとう。おいしかったよ」
 返す時に礼儀として、感想とお礼を言った。
「そ、そう。でも、もう作ってこないから」
 葛木は、気恥ずかしそうに視線を合わさずに弁当箱を受け取った。
「ああ、そうしてくれ」
 実際、これは二度として欲しくなかった。理由は、周囲の視線だった。周りからは好奇の目で見られているのを、食べ終わる頃に気づいた。それは葛木も同じだったようで、お互いにとってこれは恥ずかし過ぎた。
「初々しいやり取りだね」
 それを傍から見ていた立嶋が、微笑ましい表情で茶化してきた。
「あっ?」
 それに対して、茂が不愉快な顔で睨みつけると同時に予鈴が鳴った。
「あ、もう行かなきゃ」
 立嶋は、茂から逃げるように教室を出ていった。
「これ続けてたら、恋人に見られるかな~」
 突然、葛木が不穏なことを呟いた。
「いや、それはお互いのためにならないからやめよう」
「それもそうね」
 周囲の視線に晒されるのは葛木も嫌なようで、茂の説得を軽い感じで受け入れた。
 本鈴の2分前に横峰が教室に戻ってくると、葛木が足早で席に戻っていった。
「どうだった?」
 横峰は、席に座るなり身を乗り出してきた。
「ダメだった」
 横峰を気遣うのも面倒だったので、結果だけを先に報告した。
「ど、どうして?」
「いやらしい目つきに悪寒がするって言ってた」
 理由を求められたので、葛木の言葉をそのまま伝えた。
「うっ!き、きつい言葉だな」
 これにはショックを受けて項垂れてしまった。
 授業が終わり、放課後になった。
「帰ろうか」
 葛木が横峰の視線を無視して、茂の席の前に立った。
「そうだな」
 少し横峰が気になったが、彼は葛木に声を掛けることはしなかった。
 教室を出ると、廊下に立嶋が待っていた。
 茂たちは、並んで下校した。その間、立嶋のマシンガントークを聞き流しながら歩いた。
「じゃあ、また明日」
 葛木と別れて、立嶋と二人での帰宅になった。
「なあ~。おまえは、もう友達つくるのは諦めたのか」
「へ?何、唐突に?」
「だって、前に一方的な話は控えるって言ってなかったっけ?」
「ああ、そういえば忘れてたね~」
「だろうな」
 予想通り答えに、茂は本気で呆れてしまった。
「まあ、明日から頑張ってみるよ」
 その軽い発言に、これは長続きしないと思った。
 立嶋と別れて帰宅すると、妹と未来がいつものようにリビングで読唇術の練習をしていた。
 二人に挨拶してからキッチンに行き、喉を潤してから二階の自室で宿題を始めた。
 日が落ちる頃、未来を見送りに家から出ようとすると、妹が何か言いたそうに玄関まで見送った。
「お姉ちゃん。行きたそうでしたね」
 妹の思いを読んだようで、未来がそう切り出してきた。
「ああ。でも、ちゃんと断ってあるから大丈夫だよ」
「そうですか。ちなみに後ろからついてきてますけど」
 未来が後ろを振り返らず、茂に密告した。それを聞いて、茂は素早く後ろを振り返った。
「あっ」
 妹は、隠れることができずにその場で立ち尽くしていた。
「何してんだ?」
 茂は、妹を睨みながら問い詰めた。
「ちょ、ちょっとコンビニに行こうかと思って」
「未来」
 妹のあからさまな嘘に呆れて、未来に目配せをした。
「嘘ですね」
 これに未来が、単調に暴露した。
「み、未来ちゃん。なんでお兄ちゃんの味方するの?」
「だって、これはお姉ちゃんが悪いから。嘘は良くないよ」
「そ、それはそうだけど」
 さすがにこれには口ごもってしまった。
「頼むからついてこないでくれ」
「う~~~。わかったよ」
 妹は食い下がることはせず、とぼとぼと来た道を引き返していった。
「助かったよ」
 妹が家に入るのを見て、未来にお礼を言った。
「いえ、兄さんには私も助けてもらってますから」
 未来はそう言うと、笑顔で手を繋いできた。
 その後は、後ろを警戒しながら公園に向かった。
 公園まで歩いていくと、二人は自然と溜息が漏れた。理由は、正面に葛木がいたからだ。
「やっ!」
 その葛木が、元気よく手を挙げた。
「・・・」
「・・・」
 二人は、葛木を無視して公園に入っていった。それはもうひったりと言っていい程の阿吽の呼吸だった。
「無視しないでよ!」
 葛木が慌てた様子で、犬と一緒に二人の前に回り込んできた。
「なんでいるんだよ」
「なんで無視するのよ!」
 茂の質問に、葛木が張った声で覆い被せてきた。
「呆れたからだよ!」
 それに腹が立ち、キレ気味で答えた。
「で、俺の質問の答えはなんだ」
「会いたいから」
「なんだそれ?」
 理由が単純すぎて、思わず顔をしかめた。
「兄さん。葛木さんは、少しでも一緒にいたいみたいです」
 ここで未来が、茂に届くような小声で伝えた。
「俺の思いと真逆だな」
「そ、そうみたいですね」
 未来は、茂の心を読み取って苦笑いした。
「二人で何ひそひそ話してるのよ」
 このやり取りに、葛木が不機嫌そうに口を挟んできた。
「あのさ、ここで待ち伏せるのやめてくんねぇ~か」
「な、なんでよ~」
「おまえのそういう軽率な行動が、最悪な事態を招く可能性があるからだ」
 妹の激怒した顔を頭に浮かげて、葛木にそう忠告した。
「えっ!」
 すると、葛木が驚いて目を見開いた。
「だから、頼むよ」
「そ、それは・・えっと・・・」
 これに葛木が、気まずそうに口ごもった。
「どうしたんだ?」
 こんなに動揺されるとは思わなかったので、未来に小声で聞いてみた。
「なんか昔のことを思い出してるみたいですね」
「昔か・・なんかあったのかな」
「さあ?思考が乱れに乱れてるから、読みづらいです・・というか、この人凄く頭の回転が速いです。私が理解する前に、次のことを考えてます」
 未来は葛木の思考を読むうちに、徐々に驚愕の声を上げた。
「そんなに凄いのか」
「尋常じゃないです」
 茂の小声に、未来は真剣な顔で言葉を強めた。
「う~~ん。どうしよう」
 その間、葛木はずっと一人で悩んでいた。
「今のうちに帰るか」
「そうですね」
 この提案に、未来も乗ってきた。
「って、ちょっと待ってよ」
 さすがに目の前を素通りするのは無理があったようで、葛木が慌てて正面に立ち塞がった。
「じゃあさ、京橋が私に会いに来てよ」
 何を思ったのか、葛木から身勝手なことを言い出した。
「ふざけんな」
 これにはさすがにキレそうになった。
「葛木さん。ここは引いた方がいいですよ」
「な、なんでよ」
 思いがけない未来の介入に、葛木が怯みながら聞き返した。
「兄さんは、かなりあなたを嫌ってます。ここで引き下がらないと余計嫌われることになりますよ」
「そうだな」
 未来の指摘はその通りなので、茂は大きく頷いた。
「そ、それは困るよ~」
「葛木さん。気持ちはわかりますけど、嫌われたくないならここは引くべきです」
 未来は、大人びた口調で葛木を説得した。
「う、う~~ん。京橋。どうしよう」
 葛木が困った顔で、茂に助けを求めた。っていうか、本人に助けを求めてるかと呆れてしまった。
「帰れ」
「ううう~~。辛辣だよ~~」
 茂の容赦ない拒絶に、葛木が泣きそうな顔で項垂れた。
「い、痛々しいですね」
 葛木の表情と気持ちの沈みに、未来が顔を歪めた。
「・・・兄さん。少しだけ私のお願いを聞いてくれませんか」
 すると、未来が引き攣った顔を茂に向けてきた。
「なんだ?」
 話の流れを見て、安易に承諾するのが危険だと察して、先に内容を聞くことにした。
「葛木さんに優しい言葉を掛けてあげてください」
「・・・優しい言葉?」
 未来の意図が理解できず、その言葉を復唱した。
「葛木さんが喜ぶ言葉ですよ」
「生憎、そんな言葉は知らん」
「どこまで葛木さんに興味がないんですか」
 これには未来が目を細めて責めてきた。
「じゃあ、抱きしめてあげてください」
「はっ?」
「言葉がダメなら、抱擁が一番良いと思います。抱きしめられると心が落ち着きますし」
 抱擁されたことを思い出したのか、うっとりとした顔で言った。
「それは親が子供にすることだぞ。同級生がすることじゃねぇ~」
 未来の自信満々の意見に、茂は冷静に返した。
「えっ、そうなんですか?」
 未来にとっては、衝撃的なことだったようで凄く驚かれた。
「違うわ。私は、京橋に抱きしめられるのはかなり嬉しい」
 さっきまで落ち込んでいた葛木が、力強い言葉で未来に同調してきた。
「だから、抱きしめて」
 そして、両手広げて抱擁を求めてきた。
「嫌だ!」
 あまりの白々しい演技に、無性に腹が立った。
「本人も言ってることですし、抱きしめるくらいいいじゃないですか」
 自分の意見が認められたことが嬉しかったのか、未来がしたり顔で言い放ってきた。
「こんな公共の場での抱擁なんかできねぇ~よ!」
「じゃ、じゃあ、あっちの公衆トイレでする?」
 葛木が公園のトイレを指差した。あんな臭気の漂った場所で抱擁するなんて、とても正気とは思えなかった。
「ああ、わりぃ~。言い方が悪かったな。抱擁が絶対嫌だ!」
「そ、そこまで嫌がらなくても」
 再度の強い拒絶に、葛木が再び悲しそうに俯いた。
「か、可哀想に」
 それを見た未来が、なぜか同情して涙ぐんでいた。
「兄さん。いくら嫌いな人でも目の前で悲しんでる人をほっとくのは、酷いと思います」
 未来はそう言って、初めて茂を睨みつけてきた。
「同情でハグなんてありえねぇ~よ!」
 この流れは最悪だと感じて、強い口調で反発した。
「そ、そこまで嫌なんですね」
 茂の本心に、未来は悲しそうに溜息をついた。
「仕方ありません。葛木さん」
 茂の説得は諦めたようで、葛木の方に視線を向けた。
「え、な、何?」
「葛木さんが兄さんを抱きしめてください」
「へっ!」
 予想外の言葉に、葛木が驚きの声を上げた。その放言に茂も混乱した。
「兄さんは断固として譲らないので、ここは葛木さんが積極的に行動するしかありません!」
 なぜか最初の趣旨からどんどんずれて、葛木がますます嫌われる方に未来が誘導しているように見えた。
「待て!わかった。優しい言葉をかけてやるから、ハグだけは勘弁してくれ」
 このままでは葛木に抱擁されそうなので、最初の提案を受け入れることにした。
「そうですか。では、それでいきましょう」
 茂の妥協を、関係のない未来が笑顔で受け入れた。
「ええ~~。私的にはハグがいい」
 しかし、葛木は不満そうにごねてきた。
「葛木さん。ここで渋るようでは、さらに嫌われますよ」
 未来の言葉には、脅しに近いものがあった。
「うっ!そ、それは嫌だ」
「なら、ここは慎んで兄さんの言葉を聞きましょう」
「わ、わかった」
 さっきから年下の未来に、葛木が言い負かされていた。
 そして、二人が期待の眼差しでこちらを見つめてきた。
「・・・ところで優しい言葉ってなんだ?」
 優しい言葉というのが抽象的すぎて、何を言っていいかわからなかった。
「葛木。おまえはどんな言葉が嬉しいんだ?」
 わざわざ考えることも面倒だったので、直接本人に聞くことにした。
「えっと・・・す、好きって言って欲しい」
 葛木は視線を下に向けて、恥ずかしそうに体をくねらせた。
「それって告白ですよ」
 葛木の発言に間髪入れず、未来がつっこみを入れた。
「はぁ~~。わかった」
 すぐにでも解放されたかったので、それを受け入れることにした。
「え!いいんですか?」
 これには未来が驚いて、茂を見上げた。
「抱擁よりはずっとマシだ」
 これ以上、こんなことで時間を取られたくなかったので、さっさと終わらすことにした。
「好きだ」
 演技で感情は込めたが、気持ちは込めなかった。
「凄い。本当に言った」
 すると、隣の未来からそんな驚愕の声が聞こえた。
「あ、うっ・・・」
 告白を受けた葛木は、耳まで真っ赤にして硬直した。
「どうだ、嬉しいか?」
 感想を聞く為、動かない葛木に皮肉を込めて聞いてみた。
「わ~~~」
 すると、葛木が脱兎のごとく走って逃げていった。その横をリードで繋がれている柴犬が、嬉しそうに葛木と並走していった。
「ふぅ~。ようやく帰ったか」
「凄い人でしたね~」
 葛木が見えなくなると、未来がそんな感想を口にした。
「待ち伏せとかもう勘弁してくれないかな~」
「そうですね」
 茂の意見に、未来はしみじみと同意してくれた。
「あ」
 突然、未来が葛木の去っていった方を見て声を上げた。
 それにつられて顔を向けると、妹が早歩きで近づいてきていた。
「あ、お兄ちゃん。も~、何してるのよ~」
「何って、未来を送ってるんだが」
「お兄ちゃんが出ていって、どれくらい経ったか知ってる?」
 そう言われて、携帯を見るとかなり時間が経っていた。
「あ、危なかったですね」
 未来は妹から視線を外すことなく、茂に届くぐらいの小声で言った。
「そうだな」
 妹が来た方向からだと、確実に葛木とすれ違っていた。
「じゃあ、私は帰りますね」
 未来は笑顔でそう言って、肩まで上げた手を大きく振って帰っていった。
「何してたの?」
 それを見送りながら、妹が聞いてきた。
「未来と話してただけだ」
「そうなの?」
 葛木のことは話せなかったので、咄嗟に嘘をついた。
「そういえば、さっき変な人とすれ違ったよ~」
 二人で並んで帰っていると、妹が話を切り出してきた。
「そ、そうか」
 どう返していいかわからず、目が泳いでしまった。
「とっても綺麗な人でね。柴犬を連れてたんだけど、顔を真っ赤にして走ってたのよ。あれはきっと好きな人に告白したか、されたかのどっちかだと思うね」
 妹は、全く的外れな想像を自信満々に言ってきた。これには何も言わないことが、吉だと感じて適当な相槌を打った。
 その後、妹と雑談しながら帰った。こうして妹と一緒に並んで歩くのは久しぶりだった。

四 朝礼

 火曜日の朝、いつも通り登校すると、途中に立嶋と葛木が待っていた。
 葛木は恥ずかしそうに視線を泳がして、小声で挨拶してきた。
「今日は、昨日言ってたことを実践しようと思う」
 葛木をしり目に、立嶋が朝からテンションを高めで宣言してきた。
「そうか。まあ、頑張れ」
 それを茂で実践することが不満だったので、他人事のように応援した。
「何の話?」
 これに葛木が、不思議そうに立嶋に尋ねた。
「一方的な話し方を直せって言われたから、それを実践しようと思って」
「ああ、確かにそれは直した方がいいわね」
 それには葛木も賛同した。
「じゃあ、さっそく昨日の話題を一つ」
 立嶋はそう言って、間をつくるために咳払いした。
「最近、精神の病に多くの病名がつけられたんだけど。昔はよくあったことが病名で発表された途端、病院に行く傾向が強まってるのよ。それってどう思う?」
 いきなりどうでもいい話題が飛び出した。
「知らねぇ~よ」
 あまりの話題の振りの下手さに答えることを拒んだ。
「興味ないわね」
 葛木も同じ気持ちだったらしく、その一言で片づけた。
「え!それだけ?」
 予想外の対応だったようで、立嶋が驚愕した。
「もっとあるでしょう。病名がつくだけで人は大げさになるとか、病名があるだけで重症だと錯覚するとか」
 立嶋は、したり顔で持論を展開した。
「あのな~。俺たちがそんな話題に食いつくわけねぇだろう」
「確かにそうだね」
 これに葛木も同調した。
「話題を振るのは、相手がそれに興味を持ってるかが大事なんだよ」
「な、なるほど」
 茂の言葉に、立嶋が納得したような顔をした。
「ところで京橋と葛木さんは、どんな話に興味あるの?」
「急に言われてもわからん」
「京橋と同じ」
 茂と葛木は、無表情でそう返した。
「さっきの説得力が霧散した!」
 さすがにこれにはつっこまれても仕方なかった。
「これは立嶋がいろいろ話題を振って、徐々に知っていけばいいだろう」
 半年近くの付き合いだが、これでは初対面となんら変わりなかった。
「そんな下手な鉄砲じゃあるまいし」
「いや、振りは結構下手だったぞ」
「ええ~~、そんなことないよ。これでも練習してきたんだから」
 その練習風景は、あまり想像したくなかった。
「振りなんて練習してるようじゃダメね。自然にできなきゃ、他人との会話は難しいわよ」
「や、やっぱりそうなんだ」
 葛木の指摘に、立嶋が深刻な顔で受け止めた。
 そして、立嶋は何かを考え込むように黙ってしまった。
「琴音、大丈夫なの?」
 それを見た葛木が、心配そうに立嶋を横目で見た。
「大丈夫だ。頭の中で整理してるだけだから」
「変わってるね~」
「そうか?結構そういう人は多いと思うぞ」
「そうなの?」
 茂の言葉に、葛木は不思議そうに立嶋を見た。
 結局、立嶋は教室に着くまでずっと黙っていた。
 教室に入り、自席に座ると、隣の横峰が話しかけてきた。
「なあ、なんとか葛木に取り合ってくれないか」
「自分ですればいいだろう」
 昨日と同じことを頼まれたので、同じ答えを返した。
「できねぇ~」
「じゃあ、諦めるしかないな」
「それができないから頼んでるんだろう」
「頼む相手を間違えている気がするんだが」
「なんでだよ」
「俺の頼みは、ほとんど受け入れてもらえないから」
「そうなのか?」
「ああ」
 これは少し嘘だった。が、大半は受け入れてくれることはなかった。
「だから、友達になりたかったら積極的に自分から頼むしかないな」
「やっぱり、そうなるか・・・」
 これにはがっかりして、溜息をついた。
 今日は月に一度の全校朝礼だった為、全校生徒運動場に集合だった。
 葛木と一緒に教室を出ると、立嶋が教室の前で待っていた。
「葛木。横峰のやつ、諦めてないみたいなんだが」
 茂は、葛木の方を見ずに事実を伝えた。
「げ、マジで」
「ああ。かなりおまえに執着してるみたいだな。これを機に、付き合ってあげれば?」
 ここぞとばかりに皮肉も込めて提案してみた。
「冗談言わないでよね。絶対嫌よ」
「そうだろうな。まあ、対応は葛木に任せるよ」
 特に興味もなかったので、淡泊にそう言った。
「面倒だな~」
 葛木がそう言いながら、後髪を擦った。
「なんかいいね~。人に言い寄られるって」
 すると、隣の立嶋が羨ましそうに葛木を見た。
「全然良くないよ」
「同感だ。嫌いな相手が言い寄ってきても不快なだけだな」
「だよね~」
 茂の意見に、葛木も賛同した。
「これで葛木も俺の気持ちがわかったってことだな」
「ど、どどどどど~いう意味かな~?」
 突然の自分への批判にかなり動揺した。
「そのままの意味だが」
「い、今は違うよね」
 葛木の甲高い声から動揺が伝わってきた。
「微妙だな」
「び、微妙なんだ」
 これには悲しそうに項垂れた。
「京橋、あんまり葛木さんをいじめないで」
 見るに見兼ねたのか、立嶋が注意してきた。
「こ、琴音」
 この助け舟に、葛木が少し感動していた。
「そうだな。俺もいびるのは好きじゃないしな」
 そんな話をしてると、運動場に着いた。
 朝礼が始まり、朝礼台に校長が上がった。
 そして、いつものように冗舌に話し始めた。月一の全体朝礼だからか、数十分は確実にしゃべっていた。
「京橋。どうしたら私のことを嫌いにならないの?」
 葛木のしょんぼりした声が、茂の後ろから聞こえてきた。全体朝礼の整列はクラスごとで自由だった。
「二度同じことは言わねぇよ」
「性格?」
「そうだな。1年前のおまえは最悪だった」
 個人的ではあったが、本当に大っ嫌いだった。
「じゃあ、直したら好きになってくれる?」
「それは知らん」
 そんな仮定の話を持ち出されても、それだけで好きになれる自信はなかった。
「何よそれ~」
 これに葛木が、不満そうに囁いた。
 長い朝礼が終わると、立嶋が駆け寄ってきた。
「今日も長かったねぇ~」
 立嶋は、さっそく校長の話をしてきた。
「でも、最近の学校事情も変わってきたよね~」
 校長の話では、他校と共同行事の試行することを決定したらしい。
「他の学校と交流することで、行事の規模を大きくできるからな」
 最近の学校行事は、都市の活性化に向けて、大規模化することが多くなっていた。
 しかし、一つの学校での行事では都市の活性化は難しいので、他校と組んで一部の地域を貸し切って、大規模なものにすることが主流になっていた。
「でも、これって確か民間の支援団体が絡んでるのよね」
 これに葛木が、嫌な顔で話に入ってきた。
「当たり前だろう。これは学校行事と銘打っただけのお祭りなんだから」
「お祭りを学生に委ねるなんて、この都市はよっぽど人手不足なんだね」
「まあ、30年前に比べて四割近くは人口減ったからな」
 この学校は創立56年で30年前までは十クラスあったが、今では五クラスになっていた。
「少子化になると、大人は子供さえも利用するってことね」
 今の都市の現状に、葛木が空虚な顔で溜息をついた。
「まあ、理にかなってるんじゃねぇか。どうせ学校内での行事やったって身内しか来てくれないし。それにこの学校は進学校だから、専門的な行事なんて皆無だからな」
「それもそうだね~。去年なんて酷かったもんね~」
 去年は自校だけの校内行事をしたが、身内だけで客足は全然伸びなかった。
 昼休みになり、葛木と立嶋が茂の机の前に来た。
「あ、あのさ・・・」
 それを見た横峰が、葛木に恐る恐る声を掛けた。
「はぁ~、何~?」
 これに葛木が大きな溜息をついて、嫌々返事をした。しかも、前のだらけ口調に戻っていた。
「俺も一緒に昼食取ってもいいか?」
「残念だけど無理だね~。理由を聞きたいなら~、この場で言ってもいいけど~」
 葛木は、横峰を睨みつけるかたちで恫喝した。
「あ、え、えっと・・・」
 なんとなく理由を察したらしく、横峰の視線が宙を泳いだ。
「はぁ~、葛木、もうやめとけ」
 葛木の無愛想な態度に、見兼ねて発言を制した。
「そうだね~。横峰君、あまり私たちには関わらないでね~。じゃないと、きつい体験する羽目になるぞ~」
 葛木は、脅しにも近い物言いで睨みつけた。それはもう悪役顔負けの演技だった。
「だから、やめろって」
 茂は立ち上がって、葛木の頭を小突いた。
 葛木は何か言いたそうに茂を見たが、結局何も言わなかった。
「わかった。ここまで拒絶されて、付き纏うのはダサいから諦めるよ」
 横峰は落ち込むことなく、むしろ清々しいという感じで教室から出ていった。
「思いのほか、あっさりしてるね」
 蚊帳の外だった立嶋が、葛木の後ろで感心していた。確かに、この潔さを葛木にも見習って欲しかった。
「そうね。だけど、相変わらず視線はねっとりしていて不快だったわ」
「そうか?そんな感じはしなかったけどな」
「私も特にそんな感じはしなかった」
「そ、そんなことないわよ」
 茂たちの意見に、葛木が嫌な顔をした。
「とにかく、とっととコンビニに行くか」
 時計を見ると、昼休みになって5分経過していた。三人は、少し急ぎ足でコンビニへ向かった。
 コンビニで弁当を選んでいると、葛木も弁当を品定めしていた。
「これがいいじゃない?」
 葛木が弁当を手に取って、茂に薦めてきた。
「なんでおまえが選ぶんだよ」
 茂は、眉を顰めて文句を言った。
「だって、京橋ってだいたい三種類からしか選ばないでしょ。しかも高カロリーのばっかり。体に悪いよ」
「そうだな。だが、よく考えろ。コンビニ弁当は、大量の添加物が入っているんだ。その時点でどの弁当も健康ではないだろう」
「じゃあ、なんでコンビニで弁当買ってるのよ。売店の方がまだマシでしょう」
「混沌の中に行くぐらいなら、添加物を食べる方が数倍良い」
「どんだけ人ごみ嫌いなのよ」
 これには葛木が呆れ気味でつっこんだ。
「あそこに行くと、ストレスが溜まる」
 一度だけ行ったことがあったが、本当に最悪だった。それ以来、売店に行くことはなかった。
「やっぱり、私がお弁当作ってこようか?」
「いらん」
 それは即答で突っぱねた。
「ねぇ~、早く戻ろうよ」
 買い物を済ませた立嶋が、ペットボトルを片手に佇んでいた。
 茂は、適当に弁当を選んでレジに持っていった。
「またそれ~。前と一緒じゃん」
 レジ前で葛木が失礼な発言をしたが、定員は特に気にした様子はなかった。
「そんなこと気にしてたら、弁当なんて買えねぇよ」
 後ろの葛木にそう言って、会計を済ませた。
 コンビニから出て、少し急いで教室に戻った。
「でね、もう少子化を特番にするのはやめて欲しいと思わない?」
 教室に戻るまで、立嶋の一方的に近い話が続いていた。一応、何度か質問を挟むかたちにしていたが、振りが相変わらず下手くそだった。
「そうだな」
 独自の感想は特になかったので、頷くことしかできなかった。
「ネットが普及してるんだがら、テレビなんか見る人も激減してる中で、少子化対策の特番なんて誰が好き好んで見るのよ」
 立嶋がそう言いながら、呆れ顔で溜息をついた。おまえがそれを見てるだろうと、思わずつっこみそうになったが、なんとか抑え込んで言葉にはしなかった。
「確かに、最近の報道は経済を主点に置きすぎてる感はあるな。経済発展なんてもうこの国では必要ないのに」
 この国のインフラは充実していて、災害以外ではインフラの整備だけで事足りる状態だった。エネルギーも循環システムで賄えていて、子供だけの最低生活保障も導入されていた。あとはエネルギーを賄えるだけの人口を増加させるだけで、この国は平和的安定に向かうだろう。
 しかし、過疎化した都市は常に財政危機に陥っていた。国は大規模な都市に人口を集中させようとはしているが、未だに地元に執着している住民が頑なにそれを拒んでいた。
 農業や製造は今では地下を開拓して、そこで生産の機械化が進んでいたが、漁業だけは未だに人頼みするしかなかった。それが原因で、過疎化した住民に対して国は強く言えずにいた。
 一時期、養殖でそれを賄おうと国が大規模な養殖場を建設したが、養殖している魚が感染病に掛かり、魚が全滅する最悪の事態に陥った為、養殖はしばらく中断するかたちになっていた。
 昼食を食べながら、政治経済の話をしているのは変な感じだった。
「この話って面白い?」
 耐えかねた葛木が、いまさらながらに口を挟んできた。
「いや、大して面白くねぇな」
 これは茂の率直な感想だった。
「そうかな~。話題性としては1時間は話せると思うんだけど」
 茂たちの不評に、立嶋が不満そうな顔で言った。
「そうだな。話せるかもしれんが、面白いかどうかは別問題だな」
「そもそも学生が政治経済に関心がある人なんて少ないよね~」
 葛木のその意見には、茂も大いに共感した。
「じゃあ、何を話題にすればいいの?」
「そうね。ファッションとか、流行りものとか、恋愛とかじゃないの?」
 立嶋の質問に、葛木がまともな意見を列挙していった。
「私にとっては、経済も流行りものだと思うんだけど」
「そこは価値観の違いね」
 葛木は軽くそう言って、茂の弁当から唐揚げを取って口に入れた。
「おまえ、何してんだよ!」
 突然の暴挙に、茂は声を荒げた。
「これあげる」
 葛木は、自分の弁当箱から筑前煮の人参を茂の弁当に入れた。
「割に合わない物々交換だな」
「しょうがないな。じゃあ、これもあげるよ」
 今度は筑前煮のレンコンだった。
「いい、琴音。話題っていうのはね。こういう日常的なことで膨らませていくのよ」
 どうやら、説明のするための振りだったようだ。
「な、なるほど」
 あまりの自然なやり取りに、立嶋は感心していた。
「だから、私がさっき挙げたのはあくまでも一例よ。実際、私はファッションに興味ないし、流行りものにも関心ないわ」
「確かにそんなの話題にされても、答えようがねぇ~よな~」
 ファッションに全くといっていいほど興味のない茂にとっては、話題にされても困るだけだった。
「そういう訳だから、個人に合わせて話題を振るなら、まずは日常会話からその人が何に食いつくかを知るべきだね」
「人付き合いってそんなに面倒なの?」
 その事実に、立嶋が驚愕していた。
「それが普通だろう。立嶋は、それができねぇから友達いねぇんだよ」
「はぁ~~。面倒だな~。もう京橋だけでいいかも」
 そう言うと、流し目で茂を見た。
「なんでそこに私がいないのよ」
 それに葛木が、訝しそうに睨んだ。
「あ、ごめん。葛木さんもだね」
「もういい加減、さん付けはやめてよ。友達なんだから、名前かあだ名で呼んでよ」
「そ、そんな恐れ多いことできないよ」
「ちょっと、どういう意味よ!」
 恐縮した立嶋に、葛木が極度の反応を示した。
「ご、ごめん。なんか葛木さんって同年代と思えなくて」
「まあ、確かに見た目は年上って感じだよな」
 葛木は化粧はしてなかったが、凛とした顔で大人びていた。前は口調で台無しだったが、今なら年上のお姉さんに見えてもおかしくなかった。
「そ、それって、ふ、老け顔ってこと?」
「まあ、俺たちより年上に見えるからそうなるな」
 茂の感想に、葛木がショックを受けたように固まった。
「だ、ダメだよ。京橋!」
 これに立嶋が、叫んで制してきた。
「は、何が?」
 突如の叱責に茂は驚いた。
「女子に老け顔はタブーだよ」
「そうなのか?大人びてるとそんなに変わんねぇだろう」
「全然違うよ!」
 立嶋に再び怒られてしまった。
「葛木さん。今のは大人っぽいって意味だから」
 フォローしたつもりのようだが、茂の発言とさほど変わらなかった。
「きょ、京橋は、どう思う?」
「何が?」
「ふ、ふふ老け顔の人って」
 葛藤しているのか、言動が挙動不審だった。
「別に気にしねぇよ。そもそも、おまえは年相応に見えねぇだけで、十分美人だと思うぞ」
 葛木を褒めるのは癪だったが、これは茂の素直な感想だった。
「そ、そう」
 これに葛木の表情が一転して明るくなり、嬉しそうに笑った。
「そういえば、葛木に頼みたいことがあるんだが」
 昨日のことを思い出して、葛木に話を切り出した。
「何?」
 機嫌が良くなった葛木が、笑顔のまま見つめてきた。
「散歩するのはいいが、時間帯をずらしてくれ」
「な、なんでよ?」
 笑顔から一転して、不満そうな顔になった。
「できれば、あの場では会いたくない。控えてくれ」
「やだ」
 予想通りではあったが、即答で突っぱねられた。
「ちっ!じゃあ、交換条件を出そう。もし、俺の言う通りにしてくれるなら、一つだけ頼み事を聞いてやる」
「なんでそこまでするの?」
 その条件に、葛木が不快感を示した。
「それぐらいおまえの行動は危険だからだ」
 昨日妹とすれ違ったことを考えれば、あまり猶予はなくなっていた。
「私は、そういう交換条件は好きじゃないわ。なんか後ろめたさを感じるのよね~」
「おまえの価値感なんか知らねぇよ。じゃあ、逆にしよう。聞いてくれねぇ~なら絶交。いや、断交だ」
「一緒じゃん」
 茂の言い回しに、正面の立嶋から呆れた顔でつっこんできた。
「うっ!そ、それは嫌だ」
「どっちがいい?」
 弱みに付け込むのは心苦しいので、ここは葛木に選択させた。
「・・・ぜ、前者で」
 これに葛木が、顔を歪めて渋々答えた。
「なら、これからは鉢合わせしても、声を掛けるなよ」
「あれ、条件変わってない?」
「時間帯をずらしても、会う可能性はあるだろう。それとも、散歩ルートを変更してくれるのか?」
「う~~ん。まあ、そうしてもいいけど」
 葛木は、悩みながら言葉を濁した。
「ねぇ~。さっきから何の話?」
 除け者にされていた立嶋が、話の区切りに割って入ってきた。
「立嶋には関係ねぇ~よ」
 面倒だったので、説明を拒んだ。
「そんな言い方されたら、余計気になるんだけど」
 立嶋は、眉を顰めて口を尖らせた。
 すると、タイミングよく予鈴が鳴った。
「次の授業って、移動教室じゃなかったっけ?」
 茂は、追っ払うために立嶋を急かした。
「え、あ、そうだった」
 これに立嶋が少し慌てて、教室を出ていった。
「なんで、秘密にするの?」
 立嶋がいなくなったところで、葛木が不思議そうに聞いてきた。
「念の為だよ。おまえの真似をされたらかなわん」
 本当は面倒なだけだったが、敢えて含みを持たせた。
「しないと思うけどね」
「だから、念の為なんだよ。とにかく、今後は夕方には会わないようにしてくれよ」
「不本意だけど、従うわよ。その代わり私のお願い一つ聞いてよね。今は思いつかないから貸しにしとくけど」
「ああ、できるだけ聞いてやるが、俺のできる範囲にしてくれよ」
「わかってるわよ」
 葛木はそう言い残して、机を戻して自席に戻っていった。
 その後から、横峰が戻ってきた。
「おまえら、本当に仲良くなったな~」
 何が狙いなのか、横峰が話しかけてきた。
「こっちはそういうつもりはないんだけどな」
「羨ましい限りだな」
「好きな人ならそうかもな」
 横峰の何気ない言葉に、当たり障りのない言葉で返した。
 午後の授業が終わり、三人で下校した。
「で、昼休みのことはなんだったの?」
 校門を出た所で、立嶋が昼休みのことを蒸し返してきた。それを茂は完全に無視した。
「聞きたいの?」
 しかし、葛木が茂越しに答えた。
「うん」
「別に、大したことないんだけどね。私、犬飼ってるんだけど、その散歩中に京橋にたまたま会ってね。それ以来、私が京橋を公園で待つようになったのよ」
「京橋も犬を飼ってるの?」
「ううん」
 それに葛木が、首を振って否定した。
「なんかね・・・」
「葛木。これ以上は言うな」
 茂は、葛木を睨んで威圧した。
「はいはい、わかりましたよ。ごめん。これ以上は言えないわ」
 茂の意思を優先して、葛木が強引に話を打ち切った。
「な、何、何があるのよ」
「立嶋もそれ以上の詮索するな」
「なんで?」
「これ以上はプライバシーだ。侵害するなよ」
 追求が煩わしかったので、法律を持ち出して牽制してみた。
「わ、わかった」
 不満そうだったが、なんとか頷いてくれた。
 その後は、立嶋の一人のオンステージだった。珍しく、教師の授業の進め方の苦言が目立った。
「珍しいな。教師の愚痴なんて」
 こういうことはあまりなかったので、茂は少し気になった。
「私も不本意だよ。でも、この話題なら少しは関心持ってくれると思ってね」
「まあ、それはそうだな。俺個人としては、今までで一番聞いていられる話題だな」
 それを聞いて、立嶋が嬉しそうに笑った。
「でも、今まで授業は聞き流してたんだよね~。久しぶりに教師の授業を聞いたんだけど、説明省きすぎだよ。これじゃあ、塾の講師と同じだね」
 それを豪語する立嶋に、茂たちは唖然とした。
「・・・おまえ、マジか」
「・・・し、信じられない」
 最近、立嶋の欠点が多く目に付いてきた。
「おまえ、今までどうやって試験を乗り越えてきたんだ?」
「ネット。教科書の説明じゃあ足りなかったから、ネットで調べて自分なりにノートにまとめてる」
「それを今まで続けてきたのか」
「勿論。なんなら見てみる?」
 そう言うと、鞄から分厚いバインダーノートを取り出した。
「うわ、まだこんなもの売ってるのか?」
 ノート自体、十数年前から学校では使われなくなっていた。今ではバインダーノート自体が珍しく、授業ではほとんどがデジタルペンで電子書籍に直接書くことが当たり前になっていた。
「そうなんだよね~。商店街の文房具屋にしか売ってないのよ、これ」
 立嶋はそう言って、残念そうに溜息をついた。
「私、ノートは見たことあるけど、このタイプは初めて見た」
 茂から手渡されたバインダーノートを、葛木が興味深そうに観察した。
「なんかこういうのって、心惹かれるよね」
 葛木は、楽しそうにバインダーの構造をいろんな角度から検証していた。
「凄いね~。これって画期的だね」
 バインダーを開け閉めしながら、凄く感心していた。
「いや、これはもう遺物だよ」
 茂はそう言って、童心に返った葛木からノートを取り上げた。
「もうちょっと見せてよ~」
 しかし、葛木がノートを掴んできた。
「わ、わかったよ」
 駄々っ子のような行動に、茂は少し引き気味でノートを渡した。
「葛木さんって、こういうのに興味があるんだね~」
 それを見た立嶋が意外そうに、葛木を見つめた。
「俺も初めて知ったよ」
「でも、嬉しいね。自分の私物に興味を示してくれるなんて」
「そうか?うざくねぇ~か」
「そんなことないよ」
 茂の意見に、立嶋が嬉しそうに答えた。
 しばらく葛木は目を輝かせながら、バインダーをいじっていた。
「はい、もういいよ」
 そして、満足そうな顔でバインダーノートを茂に手渡してきた。
「あ、ここまでだね。じゃあ、また明日~♪」
 葛木が片手を挙げて、上機嫌で帰っていった。
「あいつ、完全に主旨を忘れてたな」
「そうだね。よっぽど興味があったんだね」
 茂たちは、少し呆れ気味で葛木の後姿を見送った。
 茂は、手に持ったバインダーノートを開いた。そこにはびっしりと文字が書き連ねていた。
「なんだ、これ」
 それが茂の第一声だった。説明文の文字は細かく、重要と思われるところには多彩な色の蛍光ペンで区分されていた。一ページ見ただけで瞬きが多くなった。
「おまえ、これっていつからしてるんだ?」
 ページのほとんどは空白かと思ったが、捲っていくとノート全体が文字で埋め尽くされていた。厚さだけで百ページは軽く超えていた。
「え?それは高校3年だけだよ」
「ちょっと待て、3年になってまだ2ヶ月も経ってねぇだろう。それだけで、この量になるのか?」
「全教科のものだから当然でしょう」
 そうは言っても、全教科で十教科ぐらいはあるが、その内の四教科は芸術の人文科学や体育と家庭科などの総合科学だった。
「おまえ、六教科でこんな枚数になったのか」
「そうなるね~」
 立嶋は特に感慨もなく、軽い感じで答えた。
 茂はページを眺めながら、呆れと驚きの複雑の心境に陥った。
「なんでこんなに詳細に書いているんだ?」
「だって、気になるでしょう」
「ここまでくると異常だぞ」
 茂は表情を引き攣らせて、再度ノートに目を落した。書いてあるのは、公民のページで法律を辞書から抜き出したかのように内容や施行、改正、年月日まで事細かく記載されていた。
「六法全書かよ!」
 これには思わずノートを地面に叩きつけたくなった。
「六法全書は、もっと長いよ。これは私なりにわかりやすくまとめただけだよ」
 それでも一つの法律が、ページの半分を占めていた。1ヶ月近くで、これだけの枚数になるのもなんとなく頷けた。
「ほとんどの法律は、少なくとも十回以上は改正してるのよね~」
「そうみたいだな」
 法律の施行の年月日の後ろに改正の回数が書いてあった。
「さすがに、改正前の内容を書くのは面倒だったから諦めたわ。どんだけ改正するのよって話だよね」
 立嶋が肩をすくめて、不満そうに愚痴った。
 それを聞きながら、茂はページを捲っていった。
「あれ?数学だけ、やけにページ数が少ないな」
 流し読みだったが、数学だけページ数はかなり薄かった。
「だって、数学って公式を書くだけだから、説明文が不要なのよ。おかげで一つの公式で1日調べることもあるわ。まあ、わからずじまいで終わることが多いけどね」
「それが放物線だったわけか」
「まあ~、そういうことだね。あれって、なんで図に表すんだろうね。あれほど意味のない行為はないと思うんだけど。どう思う?」
「特にどうも思わん。強いて言うなら、図に表すのは方程式のせいだろうな。放物線は、その副産物だと考えればいいだろう」
「そういわれれば、なんとなく納得できる気がするね~」
「そういう妥協も必要だ」
 立嶋との分かれ道だったので、バインダーノートを返した。
「京橋って、たまに説得力あること言うよね~」
 それを受け取りながら、茂の意見に感心していた。
「別に、そんなつもりはねぇよ。ただそう思っただけだ」
「ねえ、京橋が勉強教えてよ」
「やだ」
「なんでよ!」
「俺は、受験勉強で忙しいんだよ。おまえに教えている余裕はねぇ~」
「そんな邪険にしないでよ。あ、そうだ。京橋にいいことを教えてあげる」
 立嶋が何か思い立ったようで、偉そうに仁王立ちした。
「なんだよ」
「人に教えることで、自分の学力も向上するのよ!」
 自分の言葉に相当自信があるのか、握り拳をつくって力説した。
「そうだな。だが、おまえに教えることは学力向上にはならない」
「ど、どうしてよ」
 自負した発言が否定されたことに、立嶋が戸惑った表情をした。
「一つの単語でそこまで詳細に調べられたら、俺が教えてやれることはない。そもそもおまえが教えて欲しいのは問題の答えじゃなくて、それを問題にした経緯と意図だろう」
「え、う、うん。まあ、そうだけど」
「一つ確認するけど、放物線の方程式の解き方は知ってるのか」
「ううん。その公式は教科書とネットにあるものをただ書き写しただけだよ」
 立嶋のノートには、しっかりと放物線の方程式が事細かに書いてあったが、理解できているわけではないようだ。
「そうか、それは残念だな」
 この事実に、大きく溜息をついて項垂れた。
「何がよ~」
 これに立嶋が、再び不満そうな顔をした。
「確認するが、おまえの勉強法はネット頼りか?」
 茂は、バインダーを指差して確認した。
「そうだね~」
「言っとくが、知識を掘り下げても、受験勉強には役に立たないことが多いと思うぞ」
「うっ!そ、それは否定できないね」
 思い当たることが多いようで、立嶋が顔を歪めた。
「おまえは、受験勉強するよりも問題文の読解力が必要みたいだな。読んでわからなきゃ、解答もできねぇ~よ」
「そうだね。私にとっては問題文の方がかなり難解だね。なんであんなわかりにくい問題文にするのか理解に苦しむよ」
 問題の作成者にとっては、立嶋の方が理解に苦しむだろう。解答者が誤解しないように考え抜いた問題に、その言葉はあまりにも辛辣だった。
「もう帰るよ」
 立ち話は思いのほか人目につくので、居心地が悪かった。
「もうちょっと京橋の意見が聞きたいんだけど」
「珍しいな。自分からそんなこと言うなんて。前まで突っぱねてたのに」
「京橋だって聞いてるだけで、もともと意見なんて言わないじゃん」
「それはおまえが一方的にしゃべるからだろう。今まで俺に質問したことなんてなかっただろ」
「・・・た、確かにそうだったかもね」
 少し考えたが、思い当たることがなかったようで、苦笑いして視線を逸らした。
「とにかく、今日は遅いから帰るよ。話ならまた明日にしたらいいだろう」
 茂はそう言って、携帯を取り出して時刻を見た。
「あ、本当だ」
 立嶋も茂につられて、自分の携帯を見た。
「しょうがない、今日は帰ろっか」
「ああ、そうだな」
 立嶋と別れて、ようやく帰宅できた。

五 制度

 家に帰ると、いつものように二人がリビングで楽しそうに読唇術の練習をしていた。未来は、必死で妹の口を観察して、口真似をしていた。今日はラ行を練習しているようだ。
「おかえり~」
 妹がこちらに気づき顔を上げた。
「あ、おかえりなさい」
 未来もそれにつられて顔を向けた。
「今日も励んでるな~」
 この光景に茂の表情が自然と微笑んだ。
「お兄ちゃん。その顔はやめて。なんかむかつくから」
 それに妹が、嫌そうな顔で睨んできた。
「はいはい」
 妹の睨みを軽く流して、キッチンで麦茶を飲んでから、二階の自室に入った。
 鞄を机の横に置いて、椅子に倒れ込むかたちで座った。すると、気が緩んで溜息が漏れた。
 数分間、何もせず天井を見ていた。頭の中ではさっきの立嶋のことが気になっていた。立嶋の記憶能力はかなり高いことは半年の付き合いで知っていたが、あそこまでとは思わなかった。あのノートの枚数だけで学生の半年分の量を軽く超えていた。それがたった1ヶ月であの量は異常としか思えなかった。
「なんか劣等感感じるな~」
 そう呟くと、今から自分がする受験勉強が空しくなってきた。立嶋には致命的な欠点があるにしても、あれほどの記憶能力は今の茂には羨ましく思えた。
「ふう~。やるか」
 茂は深呼吸して、宿題をするために頭を切り替えた。
 日が落ち始めると、未来を公園まで送る為、宿題を中断した。
「なんかお疲れですね」
 家から出ると、未来が顔を覗き込んできた。
「ああ。少し落ち込んでる」
 さっきまで頭を切り替えて机に向かってはいたが、何度も立嶋と比較してしまう自分がいた。
「嫉妬ってやつですね」
 茂の考えを読んだようで、表情を緩めて見上げてきた。
「それは誰にでもありますよ」
「そうだな。でも、それは手に入らない」
「その通りです」
 未来は、悟ったように何度も頷いた。
「ところで、今日も葛木さんはいるんでしょうか」
「いや、ちゃんと話しておいたから、もう会うことはねぇよ」
「そうですか。結構潔いんですね」
「交換条件出したからな」
「交換条件?」
「ああ。不本意だったが、借りにさせてもらった」
「それは思い切りましたね~」
「あそこで妹と会うことだけは、絶対に避けたいからな」
「そこまで危険なんですか?」
 これには不思議そうに聞いてきた。妹が葛木を嫌っていても、せいぜい罵詈雑言を浴びせるぐらいだと思っているようだ。
「ああ。知ったら即座に暴力は振るいかねない。それぐらい嫌悪している。いや、これはもう憎悪かな」
「そ、それは危険ですね」
「一度、葛木の名前を口にしただけで、発狂したからな」
 高校3年になってから、母親への定期的な近況報告に再び葛木と同じクラスになったことを告げると、テレビを見ていた妹がそれに反応した。
 その後は、葛木に対しての恨み言が20分延々と続いた。茂は、恐怖からそれを黙って聞くことしかできなかった。
「発狂・・って、いくらなんでも言いすぎじゃないですか」
 未来が訝しがって、茂を見上げた。
「ああ、そうだな。ヒステリックの方が正しかったな」
 発狂だと精神に異常をきたすことなので、少し考えを改めた。
「それでも言いすぎだと思います」
 妹にとって、葛木の名前は既にヒステリックになる起爆剤になっていた。一度だけ、夕食時にテレビを見ていると、葛木という名前のタレントが出てきただけで、さっきまで楽しそうな顔が一転して不機嫌になり、強制的にチャンネルを変えたことがあった。それ以来、その番組を見ることはなくなった。
「やっぱり言いすぎじゃないですね」
 茂の思考を読んだ未来が、苦い顔で前言を撤回した。
「未来にも頼みたいことがあるんだが」
 この流れを利用して、未来にもやめて欲しいことがあった。
「なんですか?」
「そろそろ手を繋ぐのはやめないか」
「嫌です」
 茂の頼みを未来が笑顔で拒否して、少しだけ力を込めてきた。
「なら、交換条件でどうだ?」
 仕方なく、葛木の時のように提案してみた。
「そうですね・・・じゃあ、毎日帰る前に1分間抱きしめてもらえますか」
 未来は恥じることなく、真剣な表情で頼んできた。
「え~っと、無理かな」
「じゃあ、手を繋ぎます」
 少し残念そうでもあったが、表情はずっと笑顔のままだった。
「兄さんは、抱擁が嫌いなんですか?」
「おまえは、俺を犯罪者にしたいのか」
 未来を抱きしめる光景を思い浮かべるだけで、警察に通報されるのは目に見えていた。
「そんなことありません。あと、別れ際じゃなくてもいいですよ」
 茂の思考を読んで、謙虚にそう言ってきた。
「ちなみに、お姉ちゃんは抱きしめてくれましたけど」
 未来は頭を下げて、嬉しそうにはにかんだ。
「まあ、同性だからな。俺がしたら周りから変な目で見られるよ」
「変な目ってなんですか?」
「性犯罪って意味だ」
「ああ、なるほど。兄さんが私に淫らな行為をしてると、勘違いするってことですね」
 未来は、納得したように頷いた。特に恥じらいもなく、淡々とした口調だった。
「最近では、周囲の目がきついからな」
 警察沙汰になって以来、近所の目は厳しいものになっていた。捜査員の訪問は私服だった為、目立つことはなかったが、どこからかそれが漏れたようで、近所では京橋家は敬遠されていた。
「別に、兄さんの部屋でもいいですよ」
「いや、やめておこう」
 どっちにしろその行為は恥ずかしいので、きっぱりと断った。
「別のにしてくれねぇか」
「他の提案だと、手を繋ぐ方がいいです」
「そうか、それは残念だな」
「兄さんは、優しいですね」
「は?なんだ唐突に?」
「だって、嫌なら強引にでも振りほどけば、私も諦めますよ。でも、渋々ですが受け入れてくれてます。これは優しさですよ」
「まあ、そう言われればそうかもな」
「それに、あんなに嫌ってる葛木さんも受け入れてますしね」
「優しいというより、押しに弱いんだよ」
 これに付け込まれたら、茂は手も足も出なかった。これが欠点になったのは完全に妹がせいだった。
「兄さんって、モテるタイプですね」
「いや、今までモテたという実感は皆無だな」
「兄さんは、鈍いんですね~」
「なんでここで俺の感覚を否定するんだよ。周りの人間も検証すべきだぞ」
「それは問題ありません。既に検証済みです」
「いや、俺の周りの人間は一人しか会ってねぇだろう」
 茂の身辺では葛木にしか会ったことがないはずだった。
「兄さんは、馬鹿ですね~」
「今度は罵倒かよ」
 未来の純粋な言葉に、茂は少し戸惑ってしまった。
「まあ、兄さんはうぬぼれてるよりはこっちの方が大好きです」
「なんだそりゃ~」
 未来の告白に呆れてしまい、それ以上何も言えなくなった。
「兄さんは、近いうち彼女ができますよ」
「は?」
 突然の宣言に、茂は首を傾げた。
「でも、それは兄さんが受け入れればの話ですけどね」
「何?その予言じみた言い方」
 そう言うと、未来が驚いたように茂を凝視した。
「予言ですか!なんかいいですね」
 そして、目を輝かせて言葉を強めた。
「そうだ!予言者になったら、有名になれるかも」
 どうやら、予言という言葉が気に入ったようだ。
「早まるなよ。おまえは、思考を読むだけだろ」
「た、確かに。一人の思考だけじゃ、相談は難しいですね」
「そうじゃない。そもそも予言は恋愛や人間関係のことだけじゃないだろう。将来を予言してくれって頼まれたら、どうするんだよ」
「あ、そ、そうですね。それは無理ですね」
 未来は、がっかりして肩を落とした。敬語や言葉遣いは子供らしくないと感じるが、安直な考え方は普通の子供と変わらなかった。
 公園に着くと、未来が手を放して周りを見回した。
「本当にいないですね。葛木さん」
「約束はちゃんと守るみたいだな」
「前までは凄くしつこかった印象でしたが、彼女も少しずつ変わり始めてるんですかね」
 純粋なのか皮肉なのかわからないが、未来がそんな感想を言った。
「いや、ごねたから交換条件を出したんだが」
「でも、条件を呑んでくれるのは寛容になった証じゃないですか?」
「そうかもしれないな。でも、こっちとしては条件を聞いてねぇから内心怖ぇ~よ」
「ふふふっ、それは怖いですね」
 これに未来が、含みのある笑いをした。
「じゃあ、また明日ですね」
「ああ、またな」
 茂がそう返すと、未来は笑顔で手を振って帰っていった。
 この後、何事もなく家まで帰った。
「今日は早いね」
 リビングに入ると、妹がソファーに座ってフレークを食べていた。
「あれ?それ買ってきたのか」
「うん。今日、買ってきた」
 妹は、テレビを見ながら答えた。
「ただいま~」
 すると、玄関から開扉の音と同時に、母親の声が聞こえてきた。その声に、妹が慌ててフレークをキッチンの戸棚に隠した。
「あれ?珍しく茂がいる」
 買い物袋を持った母親が、意外そうな顔でそう言った。
「お、おかえり、お母さん」
 フレークを隠し終えた妹が、キッチンから顔を見せた。
「うん。ただいま。今から夕飯の支度するね~」
 母親はそう言って、笑顔でキッチンに入っていった。
「珍しく上機嫌だな」
「そうだね」
 妹が茂に同調して、キッチンの母親を見た。
「今日、仕事休みだったっけ?」
「ううん。確か仕事のはずだったけど」
「だよな」
「まあ、何か嬉しいことがあったのかもね」
 あまり深入りしたくないのか、妹がソファーに座ってテレビ鑑賞を再開した。茂も少し嫌な予感がしたので、気にしないことにした。
 いつもは20分程度でできる夕食が、今日は1時間近く掛かっていた。しかもいつもより二品多かった。これには二人も気になって、事情を聞くかどうかを悩んだ。
「お、お母さん。な、何かあったの?」
 すると、妹が躊躇いがちに母親に尋ねた。
「えっ、何が?」
「だ、だって、いつもより品数多いから」
「そうかな~。同じでしょ」
 口ではそう言ったが、上機嫌の母親は気持ち悪いほどにやけていた。
 茂は、追求するかどうか妹に目配せした。
 その結果、妹が聞くことになった。
「お、お母さん。今日は何かあった?さっきからずっと顔が緩んでるよ」
「え、そぉ~」
 母親は、自分の頬に手の平を当てた。
「で、何かあったの?」
「まあね。今度お父さんが帰ってくるって」
 よほど嬉しいようで、満面な笑顔になった。
「ふざけないで!」
 この言葉に、妹が椅子から勢いよく立ち上がって叫んだ。
「ど、どうしたのよ」
 これに母親が、怯えた表情で妹を見上げた。
「いまさら、何しに帰ってくるのよ」
「な、何しにって、ここはあの人の自宅でもあるのよ」
「都合が悪くなって、出ていった人でしょ!」
「そ、そんな言い方しないでよ。お父さんだって、それは悩んでたんだから」
「その結果、私たちを置いて出ていったんでしょ!」
「そ、それは・・そうだけど」
 これには言い返せず、顔を逸らした。
「母さんは、受け入れるのか?」
 激昂している妹を横目に、茂は複雑な心境で口を挟んだ。
「うん。そ、そのつもりだけど」
「やめてよ!私、あの人嫌い。自分の都合で家族を置いて出ていった人となんて一緒に住めない!」
「真理!それは言いすぎでしょ!」
 これには母親も立ち上がって怒鳴った。
「二人とも落ち着け」
 二人が茂の声に反応して、黙って椅子に座った。
「お母さん。お願い。三人で生活させて」
 興奮した妹が、目に涙を溜めていた。妹は感情的になると、涙腺が緩むという難点を持っていた。
「ま、真理」
 この懇願に、母親の心が揺れていた。
「一つ聞きたいんだけど、父さんといつ会ったんだ?」
「会ってないよ。メールが来ただけ」
 それを聞いて、妹が嫌な顔をした。自分から出ていって、戻るときにメール一つで済ますことに腹が立ったようだ。
「ちょっと、それ見せて」
 妹の顔を見ないように、茂は母親に頼んだ。
「い、いいけど」
 母親は携帯を取り出して、メールを開いて茂に渡した。内容は一文だけで戻りたいとあった。携帯を覗き込んでいた妹にもそのメールを見せた。
「ふぅ~」
 それを見て、茂は溜息が漏れた。隣の妹は、怒りに震えていた。
「ふざけないでよ」
 耐え切れないのか、妹が歯軋りして低音で愚痴った。父親は警察沙汰になってから、近所の目に耐え切れず家から出ていった、と妹は勘違いしていた。
「ど、どうしようか」
 母親が妹の態度に困惑して、茂に助けを求めてきた。
「母さんが父さんのもとに行くか、父さんを諦めるかのどっちかだな。少なくとも、この家に呼ぶのは今のところ無理そうだ。一緒に住むんだったら、真理の了承がないと話が進まないな」
 とりあえず、今の現状を言葉にした。
「残念だけど、無理だよ。私は、あの人を許すことができない。家族が一番苦しい時に出ていった人と、また一緒に暮らすなんて考えたくない」
「だそうだ」
 茂はそれだけ言って、母親に妹の話を流した。
「真理、それは勘違いだよ」
 母親は、誤解を解こうと試みた。
「勘違い?出ていったことは事実でしょう」
「そ、それはそうだけど」
 母親が説明する前に、妹が一言でバッサリ切り捨てた。
「という訳で、真理が納得してから考えよう」
 これ以上は、妹の機嫌がさらに荒れそうだったので、強制的に話を打ち切った。
 息苦しい食事も終わり、茂は自室に戻って受験勉強を始めた。
 この国は、現在少子化が深刻な問題になっていた。その為、政府は子供のみに最低生活保障を導入したが、あまり成果は得られなかった。
 何とか人口減少を食い止めようと試みた政府が次に目を付けたのが結婚制度だった。
 一時期、結婚制度は同棲婚が主流になったが、その分だけ離婚がたやすくなり、家族という感覚の軽薄化に繋がっていた。しかも、この同棲婚は男女ともに不倫が常態化して、一夫一妻の意味が完全になくなってしまった。
 こうなってくると憲法改正が余儀なくされ、与野党が乗り出した。
 与党は一夫一妻のままの案で、野党が提出したのは二夫二妻だった。この野党の案には多くの反発があった。近親相姦が多発するとか、それは不倫を認める行為だとか、それなら多夫多妻すればいいとか、多くの意見が飛び交った。一番多かったのが、一夫一妻は文化だという訳のわからない意見だった。それは同棲婚になった時点で崩壊しているだろうと、茂は強く思ったものだ。
 昔の少子化対策は、移民制度を取り入れていたが、ある変事をきっかけに移民での国の存続はできなくなってしまった。これは一つの国を除いて、どの国も同じだった。
 政治で数十年の議論していく間は同棲婚のままだったが、どんどん少子化は進んでいった。議論する猶予もなくなり与党案ではなく、野党案の二夫二妻を与野党が可決させた。理由は、女性の数が男性の数を大きく上回ってしまったからだと報道されていた。
 議案が通り、国民投票が実地され、その時の各地での荒れ模様は、今でもたまにメディアで流されていた。
 いろんな妨害工作やデマが各地で飛び交い、投票日に至っては有権者を通さないように妨害する人が出るほど荒れに荒れた。
 それらは警察の対応でなんとか投票を終え、投票率97%、5000票の差で二夫二妻の憲法が可決されたのだった。これが日本の初めての憲法改正だったことには、茂としては情けなく思っていた。
 憲法で二夫二妻の枠組みができたことで、結婚の法律も大きく変わった。長く議論された為、結婚制度は多くの制約が出来上がっていた。
 基本系は一夫一妻だが、最大二人目までは、配偶者を持てるようになった。しかし、二回の離婚が成立すると、二度と再婚はできないように制度で組み込まれた。これは結婚の軽薄化を防ぐ狙いだと報道されていたが、それなら同棲婚の時にしておけばいいのにと思ったものだ。
 そして、二人の配偶者の場合と離婚した場合の子供は、産んだ母親の元で育てることを義務付けた。
 茂の母親の配偶者も一時的ではあったが二人いた。配偶者の一人は茂の父親で、妹の真理とは父親が違っていた。その二人目の父親とは既に離婚していて、母親は茂の父親を信愛していた。その父親は、今はもう一人の配偶者の所に住んでいた。
 この法律ができて、既に20年は経過しているが、いろいろな問題が浮き彫りになっていた。
 その中で最大の問題が父親の血縁同士の結婚だった。母親の元で育てる兄妹や姉弟での結婚は当然禁止だったが、父親の血縁同士の場合が曖昧のままになっていた。血は繋がっているが、同じ環境で育ってない分、どう判断するのかを今でも政治家たちが議論していた。
「ああ~、疲れた」
 一通り受験勉強も終わって、茂は寝ることにした。ベッドに横になって目を閉じたが、夕食の時の話が気になってすぐには眠れなかった。
 朝になり、少し気分が優れなかった。重い体をゆっくり動かして、ベッドから這い出した。
 リビングに入ると、既に妹が朝食を食べていた。
「おはよう。お兄ちゃん」
「ああ、おはよう」
 挨拶されたので、反射的に挨拶を返した。
「茂も今から朝食食べる?」
 キッチンにいた母親が、リビングに顔を出して聞いてきた。いつもより少し早かったが、せっかくなので食べることにした。
「お兄ちゃん。ちょっと聞きたいことあるんだけど」
 妹が食べるのを一時中断して顔を上げた。
「なんだよ」
「お兄ちゃんは、あの人に帰ってきて欲しいと思うの?」
 あの一件以来、妹は父親のことをあの人と呼んでいた。
「帰ってきてくれたら、母さんの負担も少しは軽くなるとは思うな」
 父親の給料は、配偶者が二人いる場合のみ分配方式だった。同居してる配偶者に五割で、別居している配偶者には三割の分配が義務付けられていた。
「そ、それはそうだけど」
 家計の話になると、妹が言い返せず口ごもった。
「というか、おまえは父さんへの嫌悪感が凄まじいな」
「当然だよ。自分の息子を見捨てるなんて、親として最低」
 茂と顔を合わさず、苛立った様子で愚痴った。
「まあ、そう言ってやるな。父さんだって悩んだ末のことなんだよ」
「お兄ちゃんは、あの人に甘すぎだよ。結果的に見捨てたことには変わりないよ」
「結果だけ見ればそうだな」
 家族の中では、父親の立場が一番弱かった。これは昔からだったが、二夫二妻になって、さらにそれが酷くなっていた。子育ては女性が中心で、男性はあくまでもフォローでしかなかった。
「おまえは、手厳しいな。少しは父さんを許容してやれ」
「無理。あの人、私のこと避けるんだもん。血縁じゃないにしても、あれは酷いよ。せめて、私と会話して欲しいね」
「おまえの言葉はきついからな~。寡黙な父さんにとっては難しいだろうな」
 茂の父親も同様に二人の配偶者に給料を持っていかれた上、両方の家には居場所はなかった。父親と話す度に二人の配偶者は絶対に持たない方がいいと、息子の茂に何度も忠告するほどだった。
「あ、もう行かなきゃ」
 妹が時計を見て、食器を片づけてからリビングを出ていった。
「う~~ん。説得は厳しそうだね」
 母親は、妹が出ていったことを確認してから独り言のように呟いた。
「そうだな。父さんは、真理には何も言わねぇからな」
 父親は、妹にだけ理由を言わずに出ていった。理由を聞くと、怖いの一言が返ってきた。
「茂から真理に言ってよ」
「無理。さっきも聞いただろう。結果だけ言われたら何も言えん」
「どうにか理由を説明しないとね」
「いや、説明しても無理だと思う。真理は、家族を捨てたと完全に思い込んでるからな。どんな理由も受け入れてもらえねぇ~よ」
「変なところだけ頑固だからね~」
「しかも、嫌いになったらとことん嫌う性格だからな。あれをどうにかしないと、父さんが帰ってきても、この家の空気は最悪になる」
「それは避けたいね~」
 これに母親が、真剣に悩んで顔をしかめた。
「どうしよう」
「知らん」
「そんな投げやりに言わないで考えてよ~」
「人の性格を変えるなんて、不可能に近い至難なことだぞ。特に真理の場合、洗脳とかマインドコントロールするしか方法がねぇ~」
 妹の説得はしたくなかったので、大げさな物言いで突っぱねておいた。
「そ、そこまでする必要はないでしょう」
「なら、母さんが真理を言い包めてみたらいい」
「絶対無理。むしろ、こっちが言い負かされるよ」
「だろうな。じゃあ、諦めるしかねぇな」
「茂だったら、言い勝ちそうなんだけどね~」
 母親はそう言いながら、期待を込めた目を向けてきた。
「今回はしたくない」
「な、なんでよ~」
「父さんが出ていったタイミングが悪過ぎる。理由を俺から説明しても絶対に納得してくれねぇよ。むしろ、それを優先させたのかって激怒するな。そうなったら、もう父さんとの関係は修復不可能だ」
「そ、それは困るよ~」
「だから、俺からは言えねぇ~。というか、俺から理由を言うのが一番危険だと思う」
「じゃあ、どうしたらいいのよ~」
「だから、さっきも言っただろう。知らん」
「そんな~」
 茂の断言に、母親が悲しそうに項垂れた。
 朝食も食べ終わり、いつも通りの時間に家を出た。今日は雨だったので傘をさして登校した。
 コンビニをかなり過ぎたところで、二人が雑談しながら待っていた。
「おはよう~」
「おはよう」
 葛木と立嶋が、こちらに気づき挨拶してきた。
「珍しいな。二人で話してるなんて」
「そう?友達なんだから当然でしょ」
 茂の言葉に、葛木が笑って答えた。これには立嶋が、嬉しそうに表情を緩めた。
「ところで、なんで同じ場所で待ってないんだ?」
 いつも二人の待っている場所が、毎回違っていることが不思議だった。
「同じ場所だと、警戒されて避けられるから」
 この質問には、立嶋が睨みながら答えた。
「そ、そうか」
 茂は、その視線に怯んでそっぽを向いた。前に立嶋を二度ぐらい置いてきぼりにしたことがあり、その時は泣きはしなかったが、かなり酷く詰られたことを思い出した。
「私もそれ聞いた。酷いことするね。前も素通りしようとしたし」
 すると、葛木から余計なことを暴露された。
「え、そんなことあったの!」
 これに立嶋が、驚いて目を見開いた。
「うん。私が説得して事なきを得たけど」
「京橋って、友達甲斐ないよね」
「う~~~ん」
 立嶋の詰りに、本音を言おうかどうか悩んだ。
「京橋、ここは言わない方が無難だよ」
 茂の考えを察したのか、葛木が発言を制してきた。
「そうだろうな。やめとくよ」
 ここは葛木の助言に従うことにした。
「え、何を?」
 立嶋が話についていけず、訝しげな顔をした。
「なんでもねぇよ」
 茂はそう言って、歩みを速めた。
「ちょっと待ってよ~」
「全く都合が悪くなると、すぐ逃げるんだから」
 葛木の呆れた小声が、茂の耳に届いたが無視することにした。
 茂は、学校に着くまで歩みを緩めることはしなかった。
「結局、京橋のせいで話し損なったよ」
 そのせいもあり、立嶋が茂に対して文句を言ってきた。
「雨の日に話しながら、登校なんてしたくねぇよ」
「京橋って、雨の日って嫌いなの?」
「う~~~ん」
 この流れで、おまえが嫌いと言おうかどうか悩んだ。
「京橋、二度も迷うな」
 葛木が再び察して、今度は低音で威圧してきた。
「だから、なんなのよ!」
 茂たちの理解できないやり取りに、立嶋が苛立った様子で詰め寄ってきた。
「なんでもないです」
 少し怖くなったので、敬語で言い繕っておいた。
 階段を上がり、教室の前まで着くと、不満そうな立嶋と別れて教室に入った。
「あのさ、さっき琴音に何言おうとしたの?」
 すると、葛木が自席に行く前に聞いてきた。
「なんでそんなこと聞くんだよ?」
「どんな暴言か聞きたい」
「おまえに言ってる言葉だよ」
「私に!ってことは、き、きき、嫌いってこと、ね」
「まあ、そうなるかな」
 教室の前での立ち話は邪魔になるので、葛木を置いてさっさと席に向かった。
「京橋の馬鹿」
 後ろから葛木の罵倒の言葉が聞こえてきたが、敢えて甘受することにした。
「今日も仲良いな」
 そのやり取りを見ていた横峰が、羨ましそうな顔でそう言った。
「傍から見たら、そう思うかもな」
「贅沢な奴だ」
「贅沢・・か。面白い表現だな」
 思ったこともない言葉に、思わず笑ってしまった。

六 設定

 昼休みになると、立嶋がなぜか弁当箱と筆箱を持ってきた。
「じゃーん」
 そして、立嶋が茂の前に立って、その筆箱を突き出してきた。
「何それ?」
 これに後ろにいた葛木が、不思議そうに聞いた。
「筆箱だろう。なんでそんな遺物持ってきたんだ?」
「葛木さんが喜ぶと思って」
「私が?」
 葛木が自分を指差して、驚いた表情をした。
「ちょっと待て。長くなりそうな気がするから、先にコンビニに行かねぇか」
 昨日のことを思うと、コンビニでの買い物を優先させたかった。
「そうだね」
 立嶋もそれに同意して、筆箱を机に置いた。
「あ!盗まれるかもしれないから、机の中に入れてくれない」
「誰が盗むんだよ」
「いいから。お願い」
「わかったよ」
 ここで時間を取られたくなかったので、筆箱を机に仕舞った。
「ただの筆箱じゃないの?」
 葛木が興味深そうに、筆箱を目で追いながら聞いた。
「あれってギミックが凄くてね~。思わず買っちゃった」
 昨日のことがよほど嬉しかったようで、わざわざ持ってきたようだ。
「へぇ~。琴音ってそういうのたくさん持ってるの?」
「うん」
「今度遊びに行ってもいい?」
「え!い、いいかも?」
 突然のことに、立嶋の声が上擦った。
「なんで疑問形なのよ」
「う~~ん」
 これに立嶋が、嬉しさと困惑の表情をした。
「どうかしたの?」
「友達を家に招くのが、ちょっと不安になって」
「大丈夫よ。私にもその経験はあるから。家に招いたらその不安も一瞬で消えるわ」
「そうなんだ」
 葛木の言葉が気休めになったようで、立嶋は表情を綻ばせた。
「じゃ、じゃあ、こ、今度、あ、遊びに来てもいいよ」
 立嶋が照れながら、葛木を誘った。
「うん。じゃあ、今度の日曜日ね」
 すると、葛木がいきなり日付を決めた。
「え!」
 これには立嶋が驚き声を上げた。
「こういうのは、その場で決めるのがいいのよ」
「い、いや、で、でも、心の準備と部屋の掃除がまだ終わってないよ」
「そんなものいらないわよ」
 立嶋の言い分に、葛木が一言で突っぱねた。
「京橋も来る?」
 何を思ったか、さらっと茂を誘ってきた。
「い、いや、あの、それは勘弁して」
 これには立嶋が焦って、止めに入った。
「なんで?」
「だ、だって、異性は話が別だよ~」
「安心して。京橋は、私の家にも来てるから」
 ここで葛木が、再び余計なことを暴露した。
「は?」
 立嶋は唖然として、茂たちを交互に見た。
「二人って、そんな関係だったの!」
「どんな関係だよ」
 この抽象的な言い方に、茂は思わず顔を歪めた。
「こ、交際してたとか」
「絶対ないっ!」
 これには力強く言い切った。
「そこまで否定しなくても」
 茂の否定に、隣の葛木が不満そうに口を尖らせた。
「安心しろ。俺は、立嶋の家に行く気はねぇ~から」
 本当にそう思っていたので、ここで断言しておいた。
「相変わらず、付き合い悪いわね」
「おまえは、俺に真言を言わせたいのか」
「し、真言って、変な言葉使うわね」
 聞きなれない言葉に、葛木が少し戸惑った。
「おまえに対する皮肉だよ」
「そこは真言で言うんだ」
 今度は、呆れて口を半開きにした。
 雨が降っていたので、傘をさして校舎を出た。コンビニに着くまで、立嶋と葛木が日曜日の予定を決めていた。
 コンビニに入ると、立嶋はいつものように飲料コーナーに向かった。
「今日から私が選んでいいかな」
 後ろからついてきた葛木が、意味不明なことを言ってきた。
「はぁ~、なんでだよ?」
「私のおかずと半分ずつ交換しようと思って」
「何それ、冗談か?」
 あまりの唐突な提案に、葛木の方を振り返った。
「マジだよ」
「おまえの弁当って、そんな多くなかっただろう」
 昨日の葛木の弁当は品数こそ多かったが、弁当箱は小さく量が少なかった。
「安心して。今日はいつもより多く作っておいたから」
 茂の不満一杯の顔を見て、安心という言葉を使ってきた。
「なんで、そんなことするんだよ」
「だって、栄養バランス悪いでしょう。毎日、コンビニ弁当なんて」
「気遣いは有り難いが、迷惑だからやめてくれ」
「人の親切は快く受けるべきだと思うよ」
「おまえの思いは知らねぇよ」
「はぁ~~。京橋って冷たいね」
「そうだな。最近の葛木は、俺に対する態度が気持ち悪いぞ」
「ひ、ひひ酷い暴言」
 茂の真言に、葛木が悲しそうな顔をした。
「それは言いすぎだよ」
 すると、後ろから立嶋が非難してきた。
「これからはしゃべらないことにしよう」
 その指摘には、自分が葛木と同じ言動をとっていることに気づき自己嫌悪に陥った。
「って、そっちの方が数段酷い行為だよ」
 これには葛木が不満顔で抗議してきた。
「だが、このままじゃあ俺が嫌な奴になる」
「無視するのは最低な奴だよ」
「なら、俺は最低を取ることにしよう」
 どっちに転んでも印象は悪いので、ここは最低を甘受することにした。
「京橋。私、振出しに戻す気はないわよ」
「わ、悪かったよ」
 葛木の睨みに恐怖を感じてすぐに謝った。
 結局、弁当は茂が選びコンビニを出た。後ろで二人が何かしゃべっていたが、雨音で聞き取れなかった。
 教室に戻り、席に座ってから筆箱を取り出した。
「ほらよ」
「ああ、うん」
 立嶋が筆箱を受け取ると、机の端に置いた。
「それ、葛木に見せないのか?」
「京橋に話ができたから、これはまた今度」
 立嶋がそう言って、正面の席に座った。
 葛木が弁当箱を持ってきて、斜め後ろの席をくっつけてきた。
「さて、京橋。話がしたい」
 そして、背筋を伸ばしてそう言った。立嶋もそれにつられるかたちで、真剣な表情になった。
「な、なんだよ」
 二人の異様な雰囲気に、茂はかなり戸惑った。
「京橋が私たちを嫌いなのはわかったけど、態度に出すのはやめて欲しい」
「そうだな。さすがにちょっと罪悪感を感じたよ」
「なら、これから悪態はやめて」
「う~ん。難しいかも」
「そこは努力してよ」
 これに正面の立嶋が、呆れながらそう言った。
「そうだな。しゃべらない努力をしよう」
 そう言うと、二人があからさまに嫌な顔をした。
「う~~ん。これは重症だね」
 葛木は、深刻な表情で立嶋を見つめた。
「そうだね~。どうしよう」
 これに立嶋も困った顔をして首を捻った。
「京橋って、嫌いな相手ってとことん嫌うんだね」
 葛木の言葉に、茂の心が動転した。知らず知らずの内に、妹と同じ言動を取っていた。
「これは青天の霹靂だな」
 あまりの衝撃的な事実に、思わず独り言を呟いた。
「何か言った?」
 それが気になったのか、葛木が聞き返してきた。
「なんでもねぇ」
 茂は、複雑の思いで突っぱねた。
「仕方ない。これからは気持ちを入れ替えてみよう」
 今朝のことを思い出して、自分でそれを直してみようと思った。これが成功したら、妹も説得できると考えたからだ。
「えっ!心変わり早くない?」
 茂の簡易的な発言に、葛木が訝しがった。
「さて、どう気持ちを入れ替えればいいかな」
 葛木の不審な目は無視して、二人に聞いてみた。気持ちを入れ替えるにしても、設定が必要だった。
「って、演技するの?」
 これには葛木が複雑そうな顔をした。
「まあ、人の気持ちはそう簡単に変わらねぇから、設定することで先入観も払拭できるかと思ってな~」
「自分でそれを実践する意味はあるの?」
「だから、試すんだよ。それが嫌だったら、今まで通り嫌な奴か最低な奴になるだけだ」
「それは困るね~。でも、設定を私たちに決めさせるの?」
「自分ですると、どうしてもおまえ達に偏見が出るからな」
「確かにそうだね」
 茂の言い分に、葛木が大いに納得した。
「で、どういう設定でいくかだが。どういうのがいい?」
 茂は弁当を開けて、二人に聞いた。
「そんなこと急に言われてもね~」
 立嶋が困りながら、食事を始めた。
「京橋。おかずを半分交換するよ」
 すると、葛木が茂の答えを待たずに、コンビニ弁当を自分の弁当箱に引き寄せて、素早い箸捌きでおかずを交換した。
「はい」
 弁当を分け終わり、コンビニ弁当を元に戻した。弁当の中には、色とりどりの野菜と卵焼き、豚の生姜焼きが追加されていた。その一瞬の出来事に、茂は何もできなかった。
「うん。これでよし」
 葛木はそう言って、満足そうに食事を始めた。
 文句を言おうとしたが、気持ちを入れ替えると言った手前それは憚れた。二人にばれないように小さく舌打ちして、箸を進めた。
「まあ、設定は後回しにしようか」
 何も浮かばなかったのか、立嶋が設定を保留にしてきた。
「なんで?一つしかないじゃん」
 それに葛木が、意外そうな顔をした。
「何かあるの?」
「嫌いの反対のことをしたらいいわよ」
「反対って、好きになれってこと?」
「いや、嫌いの反対は無関心だぞ」
 立嶋の言葉に、茂は間髪入れず訂正した。
「京橋は、捻くれ者だね~」
 これに葛木が、溜息をついて肩を落とした。
「無関心だったら、無視と変わらないでしょう。だから、好きの設定にしてよ」
「う~~ん。厳しいけど、やってみるか」
 本心と正反対のことをするのが、どれぐらい苦痛かを確かめるには悪くない設定だと思った。
「なんか凄く嫌々だね~」
 茂の態度に、立嶋が眉を顰めた。
「ノリノリじゃねぇ~な」
「でも、好きって言っても、いろいろあるよね~」
「それはそうだな。まあ、普通に友達としてでいいだろう」
 ここは無難な設定から入ることにした。
「それがいいね」
 これに立嶋が、嬉しそうに同意した。
「ダメ!」
 が、葛木が強い口調で反対してきた。
「な、なんでだよ」
「好きの度合いは、こ、ここ、恋人ぐらいに設定にして」
 自分の意見なのに、恋人という言葉にはかなりの恥じらいが見られた。
「残念だが無理だ」
「な、なんでよ」
「付き合った経験がねぇから、どう対応していいかわからん」
「じゃ、じゃあ、こ、こ、こここ恋人になってみる?」
 葛木が顔を真っ赤にして、なんとかそれを口に出した。前は軽いノリで告白したのに、今回はかなり恥ずかしそうだった。
「死んでも嫌だっ!」
 この神経を逆撫でする発言に、設定が一瞬で崩壊した。
「な、なんでよ!」
「あのな~、設定を決めるのに、なんで付き合わなきゃいけねぇんだ。罰ゲームかよ!」
「罰ゲームって・・酷いよ、それ」
 茂の怒りに、立嶋が小声で非難してきた。
「私の場合、大っ嫌いだから大好きにならないとおかしいよ」
 すると、葛木が涙を必死で堪えるようにごねてきた。
「ちょ、泣くのは反則だぞ」
 この葛木の涙に、茂は物凄く動揺した。妹で何度も経験しているのだが、なんで女子は日によって、こんな態度が変わるのか不思議だった。
「泣いてない!」
「わ、わかったから、怒んなよ」
「じゃあ、大好きの設定にしてくれる?」
「え・・っと、わ、わかったよ」
 凄く不本意だったが、断ったら泣かれそうだったので承知するほかなかった。
「じゃあ、態度で示して」
 すると、葛木がすぐにそう要求してきた。
「態度?」
「大好きだったら、態度で示すものだから」
「そうなのか?」
 それは初耳だったので、立嶋にも聞いてみた。
「う~~ん。言葉ではわかるけど、態度で示すのは、付き合う前提がないと難しいと思うんだけど・・・」
 葛木を横目でチラチラ見ながら、躊躇いがちにそう言った。
「だそうだが」
 茂は、立嶋の言葉を横流しした。
「そ、それはそうだけど、京橋なら全然問題ないよ」
「それはどういう意味なんだ?」
 ここは葛木に聞かず、正面の立嶋に聞いた。
「態度で示すことを許可してるのよ」
 これに立嶋が、面倒臭そうに答えた。
「そうか。しかし、俺がしたくねぇな」
「そこは設定を守って、頑張ってよ」
 茂の難色に、葛木から説得ではなく、励ましの言葉が送られた。説得や押し付けが逆効果だと、ようやく悟ったようだ。
「そうだな。やってみるか」
 これでは切りがないので、ここは妥協することにした。
「じゃあ、立嶋は友達としての好意で、葛木は異性での好意ということで設定するけど、これは本人の前だけでいいよな」
「前だけ?」
 言葉の意味が伝わらなかったようで、葛木が首を傾げた。
「それ以外では自由に発言してもいいってことだ。まあ、例えるなら、愚痴や悪口、陰口はいいよな」
「言論の自由なんだから、許可はいらないと思うけど、前もってそれを私たちに言わなくてもいいと思う」
 この発言で、立嶋から不評を買ってしまった。
「あとはいつから始めるかだな」
「今からでいいんじゃない?」
「いや、心の準備が必要だから、1週間後にしようかな」
 考えていく内に、徐々にその設定に自信が持てなくなっていった。
 それを聞いた二人が、一瞬で白けた表情になった。
「ここはつっこむところかな」
 しばらくの沈黙の後、葛木が立嶋に感情のない声で尋ねた。
「そうだね。この時間返せって感じだね」
 立嶋も同調するかたちで、蔑視な眼差しを向けてきた。
「そんな目で見るなよ。わかったよ。今からするよ」
 二人の表情が怖くなって、自棄になって承服した。
「葛木。悪かったな」
 茂はそう言って、ゆっくりと葛木の頭に手を乗せた。大好きな設定だと、宥め方はこういうイメージしか出てこなかった。これは昔、妹を宥める時によくしていた行為だった。
「えぅ、いいよ。き、気にしてないから」
 この行為に、葛木の顔が一瞬で真っ赤になった。
「ありがとう。葛木のそういうところ・・・」
 この後の大好きという言葉が続かなかった。その葛藤だけで、胃に穴が開きそうだった。
「・・・」
 葛木は、後の言葉を期待を込めた目で茂を見上げていた。
「だ、大好きだよー」
 なんとか言葉を絞り出したが。棒読みになってしまった。一昨日は好きは一言だけだったのですんなり出たが、設定になると言葉が全然出てこなかった。それに教室でそれ言うのはさすがに恥ずかしすぎた。
「・・・何それ」
 これに立嶋が、声を殺して笑っていた。
「これは思っている以上にストレス溜まるな~」
「本人を前に設定崩したらダメでしょう」
 茂の本音に、葛木が顔を赤らめたまま注意してきた。
「これはやばい。前途多難だ」
 あまりの精神的苦痛に幸先不安になった。
「だから、本音が漏れてるって」
「ああ、わりぃ~。あまりに苦痛だったから、思わず・・あ、わりぃ~」
「無理そうだね」
 そんな茂を見て、立嶋が呆れた顔で溜息をついた。
「葛木。ちょっと設定を低くしねぇか」
「低く?」
「ああ、せめて立嶋と同じ設定にしねぇ~か?」
「なんで?」
「極端な設定変更は、ストレスが半端じゃねぇ~」
 茂は、胃のあたりを手で押さえて深刻さを訴えた。
「って、どんだけ嫌なのよ!」
 これに葛木が、眉を顰めてつっこみの如く文句を言ってきた。
「そうだな~。おまえが横峰を大好きって言うのと同じくらいだ」
「そ、それは深刻な傷になるわね」
 葛木は、それを想定しただけで一気に憂鬱そうな表情をした。
「京橋。さっきから葛木さんに対しての当たりがきつすぎるよ」
「そうだな。悪かったな。葛木」
 ここは宥めるように頭を撫でてみた。さっきやったこともあり、抵抗なく頭を撫でることができた。葛木の髪はサラサラで滑らかだったが、妹ほど艶やかではなかった。
「う、うん」
 すると、葛木の顔が一瞬で真っ赤になった。
「葛木さんって、わかりやすいね~」
 それを見た立嶋が、微笑ましい表情でそう口にした。
「琴音。あまり余計なこと言わないでよね」
「わ、わかってるよ~」
 葛木の睨みに、立嶋が委縮した。
「もういいか」
 茂が頭から手を引っ込めると、葛木が名残惜しそうな顔で茂の手をじっと見ていた。
「じゃあ、私は戻るね」
 予鈴が鳴ると、立嶋が弁当箱と筆箱を持って、教室から出ていった。
「京橋」
 葛木が茂を見つめてきた。
「なんだよ」
「・・・やっぱり、なんでもない」
 何か言いたそうだったが、悩んだ末に言うのをやめた。葛木は弁当箱を持って嬉しそうに自席に戻っていった。
「なんなんだよ」
 茂は、葛木の後姿を見ながらそう呟いた。
 午後の授業が始まり、生徒の大半は眠気と戦っていた。
 茂は空に目をやって、物思いにふけった。自分が決めたとはいえ、嫌いな人に対して真逆の対応を取るのは、想像以上な精神的苦痛を伴った。妹にそこまで強いるのは気が引けたので、この方法は諦めることにした。

七 予定

 授業が終わり、葛木がにやけながら近づいてきた。
「帰ろうか」
「おまえ、気持ち悪いぞ」
 その異質な態度に本音が漏れた。
「もう設定無視か!」
 これに葛木が、表情を一転させて怒鳴ってきた。
「いや、おまえの顔が・・・」
 再び本音が漏れそうになって、咄嗟に口を片手で押えた。
「わりぃ~」
 今にも怒り出しそうだったので、とりあえず謝っておいた。
「京橋。発言には注意してよね~。私が傷つくんだから」
「気をつけるよ」
 帰り支度をして、葛木と一緒に教室を出た。
「また暴言でも吐いた?」
 廊下で待っていた立嶋の第一声がそれだった。どうやら、廊下から教室の中を見ていたようだ。
「設定無視も甚だしいよ」
歩きながら、葛木が不満そうに愚痴った。
「設定は、もうやめようと思うんだが」
 自分にとって、不利益にしかならないと判明したので、設定を撤回することにした。
「自分で言っておいて、たった数時間で断念って早すぎでしょう」
「絶対ダメ!」
 呆れ返った立嶋の発言に被せるように、葛木が強く反発した。
「り、理由を聞いておこうか」
 あまりの気迫に、思わず聞き返した。
「嫌われるのは・・・嫌だよ」
 葛木が肩を落として、こもった声で言った。
「おまえ・・・」
 この発言に、茂は呆れてしまった。日頃の行いを棚に上げて、それを言うのは我侭以外の何物でもなかった。
「可哀想」
 しかし、立嶋が憐れみの眼差しを送っていた。
「そうか?身勝手すぎるだろう」
「それを言ったら、京橋もそうだよ」
 茂の本音に、立嶋が横目で詰ってきた。
「う~~ん。それは反論できんな」
 葛木を見ていると、それは強く否定はできなかった。
「葛木さんだって、ちゃんと設定は守ってるでしょう」
 後ろを歩いている葛木に気を使ったのか、聞こえないように小声で囁いた。
「何の話だ?」
「ほら、嫌われないために頑張ってる」
「う~~ん。微妙じゃねぇか。今みたいに強引なところは変わってねぇし」
「それは京橋が理不尽なこと言うからだよ」
 それに立嶋が、したり顔で反論してきた。
「二人でコソコソと何話してるのよ」
 すると、葛木が不愉快そうに割って入ってきた。
「なんでもないよ」
 これには立嶋が苦笑いして言い繕った。
「ふ~~ん」
「そ、そういえば、日曜日ってどうするの?」
 葛木の訝しげな表情に、立嶋が慌てながら話を切り替えた。
「あ~、そうだね~。朝の10時ぐらいでいいんじゃない?それより、設定の続きを・・・」
 葛木にとってよほど重要なのか、さっきの話しを蒸し返してきた。
「もうその話は終わったぞ」
 それを茂はきっぱりと打ち切った。
「まだ交渉の余地はあるよね」
「ねぇよ」
 面倒になりそうだったので、嫌な顔で断言した。
「そ、そんな・・・」
「京橋。少しは葛木さんに譲歩してあげたら」
 それを見兼ねたのか、立嶋からそう頼んできた。
「譲歩?一緒にいてやってるだろう。これはかなりの譲歩だ」
「その言い方は棘だらけでダメだよ」
 茂の言い方に、立嶋が不愉快そうに顔を歪めた。
「ふぅ~~」
 じゃあ聞くなよと棘のある言葉を呑みこんで、大きく息を吐いた。これでは妹と同じ様に堂々巡りだった。
「わかった。好きという設定はできなかったから、友達として普通にしてみよう」
 これ以上の譲歩は、茂にとって精神的に無理だった。
「普通?」
 すると、葛木が落胆した顔をそのまま上げた。
「ああ、要するに1年前と同じってことだ。それだったら、なんとか耐えられそうだ」
 あの頃は友達とも思っていなかったが、葛木はそう思っているようなので、それを利用しようと思った。
「言っておくが、これ以上は要求するなよ」
 また同じ問答は嫌だったので、釘を刺しておいた。
 それが功を奏したのか、二人はそれ以上何も言わなかった。
 しばらく、三人は黙ったまま歩いた。この状況には気まずさも漂っていた。
「ねえ、京橋」
 沈黙に耐えられなくなったのか、それとも何か考えついたからなのかはわからなかったが、葛木が話を切り出してきた。
「なんだ?」
「普通の設定ってことは、二人の頼みも普通に聞いてくれるの?」
 とてもさっきまで落ち込んでいたとは思えないほどの気軽さだった。
「おまえ、切り替え早すぎるぞ」
「いいから、答えて」
「まあ、そうなるな」
「じゃあ、今度の日曜日、琴音の家に一緒に行こう」
 今度は設定ではなく、それを蒸し返してきた。
「おまえ、本当にいい度胸してるな」
「だって、普通の設定になったなら、話も変わってくるよ」
 言い分としては正しいが、常識的には間違っていた。
「わかった、行ってやろう。だけど、肝心なことを忘れてるぞ」
「何を?」
 葛木は、本当に忘れているようで首を傾げた。
「断ったのは、俺だけじゃないってことだ」
「あ!」
 茂の指摘で思い出したようで、立嶋の方を素早く向いた。というか、この短時間で忘れていることが驚きだった。
「え、えっと・・・」
 終始の話を聞いていた立嶋は、かなり困った顔をしていた。
「お願い、琴音。京橋も連れてきていい?」
 葛木はそう言って、立嶋の右手を両手で握りしめて懇願した。
「うっ!」
 これに立嶋が口ごもった。
「お願い!」
 さらに追い込むように、今度はこもった声で立嶋に哀願した。これで断ったら、かなりの罪悪感が残るような頼み方だった。
「わ、わかった」
 さすがの立嶋もその返答しかできなかった。
「あ、ありがとう~」
 葛木は、握っている手におでこを乗せてお礼を言った。
「ど、どういたしまして」
 これに立嶋が、引き攣った表情でお礼を受け取った。
「あ、じゃあ、私こっちだから」
 そして、分かれ道に差し掛かると、葛木が笑顔で帰っていった。
「ど、どうしよう」
 二人きりになった瞬間、立嶋が茂に助けを求めてきた。
「何がだ?」
 立嶋の言葉にはいろいろな意味を含んでいたので、具体的な言葉を要求した。
「京橋。本当に来るの?」
「今の現状だと行くことになるな」
「そ、それは困るよ~」
「何かあるのか?」
 本人を前に失礼だとは思ったが、自分も他人のことは言えないので、そこは流すことにした。
「うん。ちょっと」
「そもそも、おまえは俺の家に来たがってただろう」
「それとこれとは話が別だよ~」
「まあ、そうだな。そういえば、最近は言わなくなったな」
「そうだね。葛木さんと一緒だと気が引けるから」
「へぇ~。おまえも気遣いができるようになったんだな」
 立嶋の成長に素直に感心した。
「京橋ほど鈍感じゃないからね」
 なぜかここで茂を皮肉ってきた。
「それにしても、葛木のあのしつこい性格は直す気ねぇのかな」
「昔からなの?」
「ああ、あいつの家に行ったのも、あのしつこさに負けたからだ」
「そうなんだ」
「あいつの執拗さは異常だ」
 茂は、1年前を思い出しながらしみじみと口にした。
「それより、日曜日どうしよう」
 立嶋があたふたとして、歩きながら困っていた。
「別に、葛木と同じ扱いでいいぞ」
「そ、そんなことできないよ」
「なんでそこだけ気を使うんだ」
「そこだけってどういう意味よ」
 茂の言葉に立嶋が食いついてきが、本音を言うと設定が崩れるので聞き流すことにした。
「とにかく、そんなに嫌だったら、今からでも断ればいい」
「あんな必死に頼まれたら断りづらいよ」
「じゃあ、どうしたいんだ?」
「京橋が来なければいい」
「それなら当日仮病でも使うか?」
「あ!それ、いいね」
「だけど、葛木にそれはかなり危険なんだよな~」
「何それ?」
「1年の時、あいつの家に招待されたんだが、当日に仮病で断ろうとしたら、看病するとか言って、自宅に来ようとしたことがあった」
「そ、それは・・・何とも言えないね」
 この事実に、立嶋が複雑な顔で苦笑した。
「で、どうしたの?」
「結局、仮病と白状して、あいつの家に行った」
「な、なるほど。騙すのにはリスクが付くってことだね」
「ああ。だから、あいつへの嘘は慎重にした方がいい。でないと、こっちが実害を被る」
「ん?でも、待って。それだと私の家じゃなくて、京橋の家に行けることになるんじゃないかな」
「・・・おまえは、俺の家で暴力事件の目撃者になりたいのか」
「へ、なんの話?」
「二人が俺の家に来るということは、そういう事件に発展する可能性があるってことだよ」
「意味がわからないんだけど」
「とにかく、そうなるんだよ」
 妹のことは、できるだけ説明したくなかったので強引に突き通した。
「まあ、よくわからないけどわかった」
 立嶋が珍しく茂の思いを汲んで引き下がってくれた。
「でも、これじゃあ振り出しじゃない?」
「そうだな。じゃあ、俺はこっちだから」
 都合よく分岐点に着いたので、立嶋と別れようとした。
「ちょ、ちょっと待ってよ。何も解決してないよ」
 すると、立嶋が慌てて茂の手を掴んできた。
「別に、今日じゃなくてもいいだろう」
「気になって眠れないよ」
「おまえって、もしかして神経質なのか」
「え?そ、そんなことない・・と思う」
 自分でも自信がないようで、目を泳がせた。
「自覚がねぇのか」
「そ、そんなこと指摘されたこと一回もないよ」
「友達いねぇからだろう」
「う!痛いところ突くね」
「じゃあ、俺帰るから」
 個々での立ち話は目立つので、さっさと帰ることにした。
「ま、待ってよ」
 が、立嶋が茂の袖を掴んで引き止めてきた。
「おまえも葛木と負けず劣らずしつこいな」
 茂は苛立ちを抑えながら、立嶋の方を振り返った。
「親友を見捨てないでよ」
「はぁ?し、親友?誰が?」
 予想外の発言に、茂の頭は真っ白になった。
「京橋が」
 茂を指を差して、立嶋は真顔で見つめてきた。
「いつから親友になったんだ?」
「葛木さんが友達になった時」
 この言い分には唖然としてしまった。
「・・・もしかして、その時に俺の位が上がったのか」
「うん、親友にランクアップした」
「そ、それはやめてくれ。俺とおまえの間にその言葉は重すぎる」
「重い?何が?」
 立嶋には理解できないようで、不思議そうに見返された。
「そこまで親しくないってことだ」
「そんなことないよ!もう半年近くの付き合いだから、かなり親しいよ」
「時間だけじゃあ、親友としての要素は弱いぞ」
「じゃあ、どういうのが親友になるのよ」
「そうだな。少なくともお互いの心を開くことが最低条件だな」
「心開いてるじゃん」
「おまえだけだろう!」
 これには間髪入れずつっこんだ。
「俺の意見なんて聞いたことねぇ~癖に」
「今聞いてるよ」
「それなら、期間的に葛木より親密度は低いぞ」
「違うよ~。私は、半年間心開いてたじゃん。だから、私にとっては親友に値するの」
「あっそ。俺は、そう思ったことすらねぇ~よ」
 他人との食い違いは誰にでもあるので、強く批判はできなかった。
「京橋。さっきから言動が酷いよ。設定忘れてるの?」
「あ、そういえば、そうだったな。ごめん。謝るよ」
「罰として、今日から親友ね」
 茂の失言に付け込んで、立嶋が強要してきた。
「はぁ?それだと設定が変わるだろう」
「罰だから変えて」
「おまえ・・やっぱり葛木に似てるな」
 5ヶ月前から思っていたことが、今この時を持って確信に変わった。
「そうかな?葛木さんほどじゃないと思うけど」
「いや、結構しつこいぞ」
「まあ、それはいいとして。今日から親友ね」
 茂の意見を軽く流して、笑顔でそう断言してきた。
「それだと、普通に家に招くことができるんだが・・・」
「う!揚げ足取られた」
 茂の指摘に、立嶋は顔を歪めて一歩後退した。
「あのさ、そろそろ帰っていいか」
 5分近くの立ち話は、通行人から微笑ましい表情で見られて恥ずかしいことこの上なかった。
「ダメ!」
 すると、立嶋が強い口調で拒否してきた。
「なんでだよ」
「だって、二人っきりで話すの久しぶりだから、もうちょっと話そうよ」
「変わったな。前まで自分の言いたいことだけ言って、満足してたのに」
「そうだね。三人になると、なかなか自分の話ができないし、京橋の意見も結構面白いしね。これは新発見だよ」
「そうか。それは良かったな。じゃあ、帰るよ」
「って、この流れは無視っ!」
「もう鬱陶しいよ」
「って、設定も無視っ!」
 立嶋から二度にわたってつっこみを入れられた。
「もう明日にしよう」
「ダメだって。そうだ、今から京橋の家に行ってもいいかな」
「嫌な提案してくんなよ」
「本当に設定を無視するんだね」
「これは非常事態への対応だよ。家に来るのは勘弁してくれ」
「そ、そんなに嫌がらなくても・・・そうだ。招いてくれるなら私の家に招待してあげるよ」
「デメリットの相乗になるな」
「そ、相乗って」
 茂の変わった言い回しに、立嶋の顔が引き攣った。
「とにかく断るよ」
 このまま押し切られると危険なので、足早に歩き出した。すると、その後ろから立嶋が追いかけてきた。
「だから、待ってよ~」
「まだ何かあんのか?」
 止まるのも面倒だったので、歩きながら返した。
「まだって、何も解決してないよ」
「今日はする気ねぇからな~」
「じゃあ、別なことでもいいから、もっと話そうよ」
 よっぽど話したいのか、立嶋がしつこく食い下がってきた。
「前言を撤回しよう。葛木以上にしつこい」
「京橋との会話って面白いね」
「俺は、全然楽しくねぇんだが」
「つれないな~。親友なんだし、家に招くぐらいの愛想があったもいいでしょう」
「おまえ、設定に格好つけて言いたい放題だな」
「あ、ばれた」
 立嶋がわざとらしく、茂から目を逸らした。
 しばらく、そんな押し問答が続いた。
「もう帰れよ」
 もう自宅の前だったので、立ち止って睨みつけた。
「・・・」
 しかし、立嶋がじっと茂の家を見上げていた。
「なんか言えよ」
「もうここまで来たし、招いてもいいじゃない?」
 立嶋はそう言うと、視線を茂に移した。
「・・・」
「なんか言ってよ」
 今度は、立嶋が言葉を催促してきた。いつの間にか、二人の立場が逆転していた。
「立嶋、それはちょっと洒落にならねぇ」
「安心して。本気だから」
「それはそれで笑えない」
 この状況は本気で笑えなかった。
「どうしたら、帰ってくれるんだ?」
「お邪魔しま~す」
 立嶋が駆け足で玄関の前に行き、ドアを開けた。
「あ、開いてる」
 開くとは思っていなかったようで、少し驚いていた。
「ば、馬鹿」
 茂は慌ててドアを閉めて、立嶋の前に立ち塞がった。
「何してんだよ」
「なんで鍵掛かってないの?」
「家に誰かいる時は、たいてい開いてる」
「不用心だね~。強盗とか泥棒に入られたら、どうするのよ」
「ああ、それは大丈夫だ」
「なんでよ?」
「家に盗む物はねぇから」
「でも、危険だよ」
「そうだな。おまえに入られる危険性は出てきたな」
「酷っ!親友に対してきついよ」
「親友だから、軽い冗談ぐらい言うさ」
「全然軽くないよ!」
 これに立嶋が、反発して怒鳴った。
 そんなやり取りしてると、茂の後ろのドアが開いた。
「お兄ちゃん?」
 ドアの奥から妹が顔を覗かせた。焦ってドアを閉めたせいで、ドアの音がリビングまで伝わったようだ。
「げっ!」
 妹の登場に、茂は慌ててドアを背中で押した。
「痛っ!」
 ドアから伝わる感触からして、ドアに足を挟んだようだ。
「何すんのよ!」
「おまえが来ると、こじれるから今は引っ込んでてくれ」
「何よそれ。と、とにかく、一回ドアを開けてよ。足が挟まってるって」
「ああ、悪い」
 茂は謝って、ドアから背中を離した。
 すると、ドアが開き素早く妹が出てきた。
「お、おまえ。出てくんなよ」
「家族で隠し事なんてやめてよね」
 妹はそう言って、目の前の立嶋に目をやった。
「この人、誰?」
 そして、不愉快そうな顔で茂を見上げてきた。
「ど、同級生だ」
 もう本人の目の前だったので、諦めてそう答えた。
「雑な紹介しないでよ」
 すると、立嶋が不満そうに茂を見た。
「初めまして。親友の立嶋琴音です」
 そして、礼儀正しく会釈をして自己紹介した。
「し、親・・友?」
 妹が言葉を噛みしめるように間を置いて復唱した。
「どういうこと?」
 立嶋から茂に素早く視線を移して、強い口調で睨んできた。
「何が?」
「友達がいるなんて聞いてないんだけど」
「ああ。言ってねぇからな」
「じゃあ、この人は何?」
 茂の言葉に、妹が立嶋を指して聞いてきた。人を指差すのは失礼だと思ったが、今はそれどころではなかった。
「同級生で親友という設定になってる」
「設定?」
 茂の変な表現に、妹が首を傾げた。
「京橋。その言葉は他の人には禁句だよ」
 これに立嶋が、不満をあらわに口を挟んできた。
「とにかく、立嶋。おまえはもう帰れ」
「ええ~~。せっかくここまで来たのに~」
 茂の雑な対応に、子供みたいに愚図ってきた。
「そうだよ。せっかく来てくれたんだから、上がってもらえば」
 無表情の妹が、冷徹な口調でその台詞を棒読みした。それを聞いて、茂は背筋が寒くなった。これはかなり怒っている時の口調だった。
「ほら、妹さんもこう言ってることだし」
 それを知らない立嶋は、嬉しそうに一歩近寄ってきた。
「立嶋。マジで帰れ」
 茂は、真顔で立嶋に警告した。妹から溢れんばかりの不吉なオーラが茂には感じ取れた。
「お兄ちゃん。親友にその態度は酷いよ」
 すると、妹が口調を戻さないまま注意してきた。
「うっ・・・」
 その視線に、茂は恐怖から数歩後ずさった。
「さあ、立嶋さん。上がってください」
 地獄の門に招くかのように、妹が玄関をゆっくりと開けた。
「え、あ、うん。ありがとう」
 茂の怯えが気になったようだが、妹の招きに応じた。
「な、なんのつもりだよ」
 立嶋が玄関に入るのを見て、恐る恐る妹に聞いた。
「お兄ちゃんは、少し黙っておいて。邪魔だから」
「何が狙いだ」
「今ね。未来ちゃん来てるから。心読んでもらおうと思って」
「お、おまえ!」
 これには驚きのあまり声が大きくなった。
「どうかした?」
 靴を脱ぎ終わった立嶋が、その声に反応した。
「なんでもないです」
 妹が淡泊に答えて、茂をひと睨みで口止めした。
「さあ、こっちです」
 妹はリビングのドアを開けて、入るように促した。茂は、それをただ見ていることしかできなかった。
「遅かったね」
 リビングから未来の声が聞こえた。
「あれ、ど、どちら様?」
 妹と立嶋がリビングに入ると、未来が立嶋を見上げて妹に尋ねた。
「お兄ちゃんの親友だって」
「そう」
 未来はそう言って、立嶋の全身を観察した。
「えっと・・・」
 この状況に、立嶋が理解できずにただ困惑していた。
「うっ!」
 突然、未来が少し顔を歪めた。
「どんな感じ?」
「え、何が?」
 妹の言葉に、未来が首を傾げた。
「立嶋さん。ちょっとトイレに行ってください」
「へっ、なんで?別に行きたくないよ」
「いいから行ってください。ここから出て、左の突き当りにありますから。10分ぐらいはトイレから出てこないでくださいね」
「なんで時間まで制限するの?」
 これには立嶋が戸惑った様子で首を傾げた。
「立嶋。今は逆らわない方がいい」
 ここで言い合いになるのは極力避けて欲しかったので、茂から立嶋にそう忠告した。
「何かあるの?」
 それに納得いかないのか、茂の方に近づいて小声で聞いてきた。
「今の妹は、かなり機嫌が悪い。これ以上、反論すると手が付けられなくなる」
「暴れるの?」
「いや、痛烈な罵詈雑言が飛んでくる」
「そ、それは怖いね」
 立嶋が引き攣った表情で、妹を横目で見た。
「早く行ってくれませんか」
「わ、わかった」
 妹の催促に、立嶋は渋々トイレへ向かった。
「で、あの人、どんなことを思ってた?」
 妹はそれを確認して、未来に感想を求めた。
「えっと、あの人は誰ですか」
 未来は状況が呑み込めず、妹ではなく茂に聞いてきた。
「俺の同級生で立嶋琴音」
 茂は、仕方なく妹の粗放な説明の補足した。
「なるほど、それでお姉ちゃんが苛立ってるわけですか」
「私のことはいいから!」
 それに妹が慌てて未来の口を塞いだ。
「ご、ごめん」
 塞がれた口から、未来の謝罪の言葉が漏れ聞こえた。
「もう、注意してよ」
 妹はそう言って、未来の口から手を離した。
「でも、初対面の人の考えはたいていは一緒だよ」
「そうなの?」
「うん。最初は、相手の観察から入るから。あとは人によって好奇心の違いが出るだけかな」
「それじゃあ、あの人は一般人と同じ思考ってこと?」
「うん。でも、少しだけど違うところがあったよ」
 未来は口に人差し指を当て、少し顔を上に向けた。
「他の人より、情報量が豊富だった」
「は、何それ?」
 言葉の意味がわからなかったようで、不思議そうに首を傾げた。
「これは未来の見解だから俺らにはわからんな」
 前にもこんなことがあったので、茂は冷静に受け止めた。
「そうでしたね。説明が足りなかったですね」
 未来は、照れて頭を掻いた。
「今は制限時間があるからやめとけ」
 茂はトイレの方を気にして、未来を制した。
「え~~。またですか~。たまには説明させてくださいよ~」
「たまにって、俺は説明を求めたことはねぇぞ」
「じゃあ、たまには求めてくださいよ」
「断る。長引きそうだし、何より相手の思考の特徴なんて知りたくねぇ~」
「兄さんは、つれないですね~」
 未来は、頬を膨らませて拗ねた表情をした。
「って、それよりどうなのよ」
 なかなか答えてくれない未来に、妹が食い気味に詰め寄った。
「う~~ん。わかりやすく言うと、口数が多い人」
「それはわかりやすいね。で、よくしゃべる人なの?」
 妹は、視線を茂に移して確認を求めてきた。
「ああ、よくしゃべるよ。一方的にだがな。まあ、話せばわかるよ」
「ふ~~~ん」
 茂の言葉に、妹が白けた顔で目を細めた。
「さぞかし楽しい学校生活なのね」
「冗談言うな。一方的に話を聞かされるのは苦痛なだけだぞ」
「そう?でも、あんな可愛い人が傍にいるなんて、嬉しいんじゃない?」
「可愛い?誰が?」
 今まで可愛いなんて思ったことがなかった茂は、妹の発言に思わず聞き返した。
「え?」
 この反応に、妹が驚いた顔をした。
「ほ、本気で思ってるよ」
 ここで未来が呆れながら、妹に耳打ちした。
「なるほど。お兄ちゃんの好みじゃないんだね」
「ああ、あいつは嫌いなタイプだ」
 これは本当なので、力強く頷いて肯定した。
「これも本音だね。顔ではなく性格が、みたいだけど」
 妹が未来に顔を向けると、未来がそれを察して補足していた。
「じゃあ、なんで親友なの?」
「それは設定だ」
「さっきもそれ聞いたね。設定ってなんなの?」
「言葉通りだ」
 茂がそう答えると、立嶋がトイレから出てきた。時計を見たが、10分も経っていなかった。
「立嶋が戻ってくるぞ」
 とりあえず、二人に声量を抑えて報告した。
「そう。なら、少し立嶋さんとお話してみましょうか」
 妹はほくそ笑みながら、敬語でそう提案した。
「ああ、そう。じゃあ、俺は自室で宿題でもしてるよ」
「え?一緒に居ないんですか」
 茂の逃避に、未来が意外そうな顔で聞いてきた。
「ああ。わざわざ心労を増やしたくねぇからな」
「なんの話?」
 トイレから戻ってきた立嶋が、複雑そうな顔で声を掛けてきた。
「立嶋。妹と話してみろ。日頃、俺と話してきたようにな」
「え?いいの?」
 これには少し嬉しそうに、妹の方をチラッと見た。
「ああ、本人も了承済みだ」
 茂はそう言って、背を向けて自室へ向かった。
「あ、あれ?どこ行くの?」
「ん、自分の部屋だ」
「え!一緒に居ないの」
「ああ。まあ、頑張れよ」
 茂は片手を振って、立嶋に声援を送った。
「え、あ、ちょ、ちょっと!」
 下から立嶋の困惑した声が聞こえたが、無視して二階へ上がった。

八 傍迷惑

 机に鞄を置き、ドアの端に目をやると、洗濯物が無造作に置かれているのに気づいた。茂は宿題を後回しにして、洗濯物を畳むことにした。
 のんびりと10分ぐらい掛けて洗濯物を畳み、クローゼットに仕舞った。
 すると、階段を駆け上がる音が聞こえてきて、ドアがノックされた。
「どうぞ~」
 嫌な予感はしたが、誰かまではわからなかったので、とりあえず入室してもらうことにした。
「兄さん!」
 予想外なことに、未来が慌てて部屋に入ってきた。
「どうかしたか」
 よく見ると少し涙目だった。
「あの人、怖いです」
 未来はそう言うと、茂に抱きついてきた。
「あ~~。あいつの思考どうだった?」
「お、恐ろしいです」
 未来は、青ざめた表情で茂を見上げてきた。
「それほどなのか」
「はい。頭が痛いです。凄い情報量と切り替えの早さについていけません」
「それって初めて経験なのか?」
「んん~~」
 茂の制服に顔を擦りながら、首を横に振った。
「でも、できるだけそういう人とは距離を置いてきましたから」
「それは悪かったな」
 あまりの動揺っぷりに、少し罪悪感を感じて未来の頭を撫でた。
「・・・兄さん」
 すると、少しずつ落ち着きを取り戻し始めた。
「大丈夫か?」
「はい」
 未来はそう答えて、ゆっくりと離れた。
「やっぱり兄さんと一緒が一番落ち着きますね」
「そうか?俺は、一人の方が落ち着くけどな」
「はぁ~。兄さんは、わかってないですね~」
「何がだよ」
「そうですね~。わかりやすく言うと、女心というやつですよ」
「それ、わかりにくくなってるぞ」
「女性にはわかるんです」
「なんで俺にとってわかりにくいこと言うんだよ」
「ちょっとした意地悪です」
 未来は、茂を見つめたまま微笑んだ。
「ちょっと、二人っきりにしないでよ!」
 階段の駆け上がる足音とともに、妹が勢いよく部屋に入ってきた。
「どうだった?」
 妹の様子を見たら、だいたい察しはついたが一応聞いてみた。
「酷かったよ。もう九割聞き流しだよ!」
 妹は、思いの丈を茂にぶつけてきた。
「だろうな」
 予想通りの反応に少し嬉しくなった。
「一人にしないでよ~」
 妹を追ってきたのか、立嶋も部屋に入ってきた。
「こいつまで連れてくんなよ」
 立嶋を指差して、妹に文句を言った。
「知らないわよ、そんなの」
 妹は不機嫌を前面に出して、そっぽを向いた。
「あれ?ここって、京橋の部屋?」
 立嶋は、興味深そうに部屋を見回した。
「ああ」
「男の人の部屋なんて初めて入ったよ」
 そう言いながら、部屋を観察し始めた。未来は少し怯えて、茂の後ろに隠れた。
「うう~~」
 茂の背中に隠れている未来は、立嶋の思考に困惑しているようで、顔を歪めて唸っていた。
「立嶋」
 茂はそれを察して、立嶋を呼んだ。
「ん、何?」
 観察を終え、いろいろ物色し始めた立嶋が茂の方を振り向いた。
「もう帰ってくんねぇ~か」
「ええ~。来たばっかりだよ~」
「ああ、悪いとは思うが・・・いや、思わねぇ~な」
「そこは言い直す必要ないと思うけど」
 これに立嶋が、表情を引き攣らせて指摘してきた。
「いいから帰れ」
 意図的に妹と未来を交互に見て、立嶋に目配せした。
「はぁ~、わかったよ」
 こちらの意図に気づいてくれたようで、一度目を閉じてから渋々承知した。
「今日は帰るけど、また来てもいいよね」
「ダメです!」
 茂が言おうとした言葉を後ろにいた未来が強く反発した。
「え!なんでその子が拒絶するの?」
「二人の代弁です!」
 未来は、力強い口調を緩めることなくそう言い放った。
「また来るかどうかは別として、今日は帰れ」
「来てからまだそんなに経ってないのにな~」
「元々、招く気なかったから、そこは問題にならねぇ~ぞ」
「親友に対して、その言葉はないと思うんだけど」
「そういえば、設定忘れてたな」
「京橋って、物覚え悪いの?」
「嫌なことはすぐにでも忘れてしまいたいタイプだな」
 立嶋の皮肉に、茂は胸を張って言い返した。
「それ、自慢になりませんよ」
 予想外なことに、後ろの未来からつっこまれた。
「まあ、今日は帰るよ。妹さんがさっきから睨んでるし」
 立嶋は、妹を横目にそう言った。
「ところで、おまえの話は好評だったのか」
 結果は二人を見れば一目瞭然だったが、皮肉を返すように聞いてみた。
「一人になった」
 茂から目を逸らして、結果だけを報告した。
「それが今のおまえの魅力だな」
「何それ?」
「つまり、友達がいないってことだ」
「う!嫌なこと言うね。京橋だって私たち以外友達いないじゃん」
「別に、友達をつくりたいなんて思ってねぇよ。自然に会話ができなきゃ、友達じゃねぇからな」
 少し恥ずかしかったが、ここは持論を展開させた。
「真の友達というやつですね」
 それに対して、未来が興奮気味にそう言い放った。
「え、あ、うん」
 まさか前に言ったことをここで引用されるとは思わなかった。(かなり恥ずかしい)
「京橋は、理屈屋だね~。悪いとは思わないけど、少し控えることを親友の私から勧めるよ」
「なんでだよ」
「人付き合いに理屈はあまり必要としないから」
「まあ、それはそうだな」
 これには反論できなかったので、素直に受け入れた。
「もういいでしょう。早く帰ってください」
 妹が痺れを切らして、口を挟んできた。
「はいはい」
 立嶋が観念したように部屋から出た。それを見送る為、茂も後ろからついていった。
「これでおまえを家に招かない理由がわかっただろう」
 妹と未来がついてこないのを確認して、立嶋にそう言った。
「そうだね。妹さんは、全然受け入れてくれなかったよ」
 階段を下りながら、立嶋が溜息をついた。
「それとあの子は何?妹?」
 階段を下りきった所で、立嶋が振り返って聞いてきた。
「あの子って未来のことか?」
「へぇ~、未来って言うんだ」
 どうやら、未来は紹介されなかったようだ。
「私が話し始めた時から、一気に顔色が悪くなったんだけど、あの子持病でも持ってるの?」
「持病か・・・まあ、持ってると言えば持ってるな。病気かどうかは知らねぇけど」
「何よ。その意味深な言い方?」
「説明していいかどうか悩んでるんだよ」
「そう。まあ、無理して聞こうとは思わないよ」
「それは助かる」
「じゃあ、また明日ね」
 靴を履き終わった立嶋が、茂に手を振って挨拶した。
「ああ。それとこのことは葛木には言うなよ」
 茂は後ろを気にして、小声で立嶋に忠告した。
「どうしようかな~。また、招いてくれるなら、考えてもいいよ」
 立嶋が弱味に付け込んで、性質の悪い条件を出してきた。
「・・・」
 それに返事ができず、心底嫌な顔をした。
「冗談よ。それにこのこと話したら、私が怒られそうだしね」
「怒られる?なんでだよ」
「勘かな。そうなるような気がする」
「なんだそれ?」
 立嶋の曖昧な言葉に、茂は首を傾げた。
「もう帰るね」
 茂の疑問には答えるつもりはないようで、立嶋は玄関を開けた。
「わ!」
 すると、玄関の外から驚きの声が聞こえた。
「え?」
 立嶋も驚いて、外にいる人を凝視した。
「あ、母さん」
 タイミング悪く母親が帰ってきた。今日の帰宅はいつもより早い時間で、おそらくだが買い物せずに直帰したようだ。
「ん、誰?えっと・・・もしかして、茂の彼女?」
 母親が立嶋の全身を観察して、ありえないことを口にした。
「母さん。あまり非現実的なこと言うなよ」
 茂は、嫌な顔で即座に反論した。
「初めまして。同級生の立嶋琴音です。京橋とは親友です」
 母親に対して、立嶋が会釈して自己紹介をした。
「茂!友達いたの?」
 これに母親が驚いて、立嶋越しに茂を見た。
「え?ああ、うん」
 一応、設定ということになっているので否定はしなかった。
「そう。まあ、立ち話もなんだし上がって」
 母親は嬉しそうに立嶋の背中を押して、再び家に上げようとした。
「ちょ、ちょっと、母さん。もう立嶋は帰るんだよ」
「え?だって、時間的にさっき帰ってきたんじゃないの?」
「いや、帰宅したのは30分前だけど」
「え、たった?」
「ああ」
「せっかく来てもらったんだから、もう少し居てもらいましょう」
 母親はそう言って、立嶋を強引にリビングに引き連れていった。
「なんて余計なことを」
 予想外の展開に、母親の強行を止めることができなかった。
「お母さんは、本当に場の空気を読まないね」
 突然、二階から妹の声が聞こえた。
「聞いてたか」
「そりゃあ、玄関での話し声は嫌でも聞こえるよ」
 妹が階段を下りると、その後ろから未来も下りてきた。
「私、帰る」
 未来は、気分が悪そうに玄関で靴を履き始めた。
「大丈夫・・じゃないみたいだな」
「今日は頭の中がごちゃごちゃしてます」
 未来はそう言って、悄然としながら玄関を開けた。
「送るよ」
 茂は少し心配になって、未来を送ることにした。
「私も行っていい?」
 玄関を出ようとすると、妹が少し躊躇いがちに聞いてきた。視線はリビングの方を向いていて、リビングに入りたくないようだった。
「今日は特別に来てもいいぞ」
「いいの?」
 茂の許可に、妹が驚いたように聞き返してきた。
「ああ。さっさと来い」
「うん」
 家を出て、茂を挟むかたちで並んで歩いた。
「兄さん。手を繋いでください」
 いつもは自分から手を繋いでき未来が、今日は手を差し出してきた。
「はいはい」
 落ち込んでいる未来に、今回は茂から手を握った。
「いつもそうしてるの?」
 それを見た妹が、意外そうな顔で繋いでいる手を見つめた。
「俺からしたのは、初めてだがな」
「そうしてると、本当の兄妹みたいだね」
「そうか?」
「ねぇ~。私とも手ぇ繋いでよ」
「はぁ?冗談で言ってるのか」
 妹の言葉に、本気で耳を疑った。とても正気で言ってるとは思えなかった。
「それはあまりしない方が良いと思うよ」
 これには未来が低い口調で制止してきた。
「な、なんで?」
 予想外のことだったのか、妹が動揺を見せた。
「お姉ちゃんが手を繋いでいたら、恋人に見られるよ」
「確かに、年齢的にもう厳しいな」
 茂は、未来の意見に大いに賛同した。
「お兄ちゃん。言葉は選んでよね」
 なぜかわからないが、妹が不満そうに睨みつけてきた。
「そうですよ。女性に年齢のことは禁句ですよ」
 茂の思考を読んだようで、未来が助言してくれた。
「家族でも禁句なのか?」
 少しは納得できたが、妹相手にその気遣いは不要に思えた。
「禁句ですよ。たいていの女性は気にするんですから」
「面倒だな、それは」
 この事実に、茂は大きく溜息をついた。
「じゃあ、まあ、恋人に見られてもいいかな」
 突然、空いていた手を妹が握ってきた。
「な、何してんだよ」
 茂は手を振りほどこうとしたが、物凄い握力で片手では外せなかった。
「放せって!」
「やっ!」
 妹は目を逸らしながら、子供みたいに拒否した。この拒否の仕方は、幼年期のことを思い出した。
「なんなんだよ」
 茂は困惑しながら、未来の手を離した。
「ちょっと、兄さん。手を離さないでください」
 離した手を未来が、両手で掴んできた。
「おい、とっととこの手を放せよ」
 妹に掴まれた手を挙げて、強い口調で命令した。
「お兄ちゃん。目立つから黙って歩いてよ」
「人目が気になるんだったら、手を放せば済むだろう」
 妹の意図がわからず、思わず声を張り上げた。
「嫉妬ですね」
「未来ちゃん。余計な発言はやめようね」
「わ、わかってますよ」
 妹の迫力に、未来が怯んで目を逸らした。
「これじゃあ、さらし者だな」
 茂たちは、行き交う人の好奇の目に晒されてしまった。
「これは思った以上に恥ずかしいね」
 妹が顔を真っ赤にして、俯きながら歩いていた。
「じゃあ、放せよ」
「なんかもう引くに引けなくなっちゃった」
「いや、すぐにでも引くべきだぞ」
「お兄ちゃんに言われると、反発したくなるよね~」
 茂に対してだけ天邪鬼の妹が、笑顔で手に力を込めてきた。
「仲良いですね~♪」
 このやり取りを見た未来が、微笑ましく観察していた。
「それより、兄さん。良かったんですか?」
「ん、何が?」
「立嶋さんですよ。今、おばさんと二人っきりなんですよ」
「ああ、いいんだ」
 茂としては、そこは特に気にしていなかった。
「うん。別にいいね」
 これは妹も同じ考えのようで同調した。
「聞き上手だからな」
「聞き上手・・ですか?」
「ああ。聞くことに関しては、右に出る者はいないぐらいだ」
 母親は他人から相談されることが多く、家族の悩みの引き出し方もかなりうまかった。
「そうだね~。言うまで退かないもんね~」
「いや、いくらなんでもそれは言い過ぎだろう」
 この妹の大げさな表現には、さすがに共感できなかった。
「そうかな~?言わないだけで、泣いた時はさすがの私もドン引きしたよ」
「俺は、そんな経験ねぇ~ぞ」
「え、あれ、そうなの?」
「ああ、泣かれたことはねぇ~」
「お、おかしいな。お兄ちゃんにもしてると思ってた」
「それはねぇ~な。たぶん、俺よりおまえを気に掛けてるんじゃねぇか」
「う~~ん。それは絶対ないと思うんだけどな~。あとで、お母さんに聞いてみようかな」
 妹は、訝しげに独り言のように呟いた。
「私の印象では、自己主張が強い感じでしたが」
「ああ、それもあるよ」
 未来の見解は、完全には否定できなかった。
「そうだね。お母さんは、頑固なところもあるからね~」
 さっきと同じように、妹が茂の意見に乗ってきた。
「ああ、思い込んだら、他人の話なんて聞かねぇしな」
「そうそう。一度それで口喧嘩になったこともあったね」
「あの時、俺は即座に自室に籠ったけどな」
「そういえば、いつの間にか消えてたね」
「くだらない口論に巻き込まれたくなかったからな」
 この時の口論の理由は、ドラマの結末の予想だった。話の流れから、明らかにどっちの主張も間違っていると思っていたが、口を挟むと面倒になりそうだったので、即座に退散したのだった。
「ドラマの結末ですか。それはどうなったんですか」
 未来は茂の思考を読んでから、興味深そうに聞いた。
「どっちも間違ってた」
 1週間後、ドラマの結末は茂の思っていた通りになった。その時、二人の気まずそうな表情は本当に滑稽なものだった。
「ふふふふっ、おばさんって面白い人なんですね」
 これは完全に茂の思考を読んで笑っていた。
 公園に着いて、二人はようやく手を放してくれた。
「立嶋さんは、明日も来るんですか?」
 未来はこちらに振り返って、立嶋の動向を聞いてきた。
「招く予定はねぇよ」
「そうですか。それは安心しました」
「立嶋のこと、嫌いなのか」
「嫌いというより苦手ですね。あそこまでの情報量を一瞬で頭に浮かべるなんて、尋常じゃないです。しかも、経済を中心としてますから、私にはまったく理解できません」
 その理由は未来特有なもので共感はできなかったが、不憫なことは伝わってきた。
「確かに、自己紹介の後に時事ネタだもんね。ついていけないよ」
 さっきのことを思い返したのか、妹が苦笑いした。
「まあ、あいつは一般的じゃねぇよな~」
「変な人ですよね」
 未来もしみじみと茂に共感した。
「じゃあ、帰りますね」
 未来はそう言って、律儀に会釈してから帰っていった。
「未来ちゃんも大変だね」
 未来を見送りながら、妹が同情の言葉を口にした。
「ああ、そうだな」
 未来にとっての友人選びは、人の思考が一番の制限になっていた。
「私たちだけでも未来ちゃんの理解者でいてあげようね」
「はぁ、なんだそれ?意味がわからん」
「要するに、今まで通りに接しようって意味」
「ああ、それなら大丈夫だ。俺とあいつの間に建前はねぇから」
「そうだね」
 妹はそう言って、少し嬉しそうな顔をした。
「お兄ちゃんって、最近無愛想になったよね」
「そうだな。その方が相手も不用意に近づいてこないからな」
「だから、クラスで浮いてるんだね」
「ああ」
「なんでわざわざ遠ざけてるの?」
「悪い意味で有名だからな。俺と友達になったら、そいつも悪い印象を受けるだろう。それを極力避けてるんだよ」
「優しいじゃん」
「立嶋は、それを軽く乗り越えてきてる。まあ、あいつの噂は前からあまり良くなかったから、俺と一緒いてもたいして変わらないようだな」
「なるほど。でも、なんで学校で有名になったの?確か警察に連れて行かれたのって、授業中で誰にも見られてないはずでしょう」
「ああ。警察に連行されたのを知ってるのは、ごく一部だよ」
「じゃあ、どうしてよ?」
「2年の時、担任がHRで遠回しに俺を非難してきたんだよ」
 それは潔白と証明された次の日のHRの出来事だった。
「非難?」
「精神疾患を抱えているなら、早めに申し出て欲しいとか言われたよ」
 あの時、精神的に不安定なのは茂だけだった。担任の発言後には、茂の悪評が広まっていた。
「最悪の担任だね」
「ちなみに、今も担任だな」
 今の時代、2年連続で同じ担任は特に珍しくなかった。
「だから、大学進学が厳しいんだね」
「まあな。何度か殴ってやろうかと思ったよ」
「私だったら、間違いなく教育委員会に訴えるね」
「残念だけど、それはやらねぇよ」
「なんでよ?」
「教育委員会に言っても、校長から教師に指導が入るだけで、教育委員会がその教師を指導することはほとんどない・・・ちなみに、校長と担任は共謀してる」
 これは言い難いことだったので少し間を置いた。
「え、なんで?」
「HRで俺を非難するように言ったのは校長だよ」
「マジ!」
「ああ。間違いないらしい」
 これは茂が、HRに非難されたことを母親に話したことで知り得たものだった。
 母親が親しい教育委員会の人に頼んで、校長を通して担任を厳重注意してもらおうとしたが、校長と担任が結託していることを告げられたそうだ。
 職員会議の場は、常に監視カメラが導入されていて、いつでも教育委員会が観覧できるようになっていた。その録画されている映像にしっかりと二人のやり取りが映し出されていて、実際に母親はそれを見せてもらったと言っていた。
「最悪な校長だね」
「学校を間違えた気がするよ」
「そこに進学したくなくなるね」
「でも、一番近くて偏差値の高い高校だからな~」
「そういえば、お兄ちゃんが受ける大学って遠いよね」
 ここで妹が、話を少しずらしてきた。
「ん?ああ、そうだな。それがどうかしたか?」
「高校は、お兄ちゃんの大学の近くにしようかな~」
「おまえ、一人暮らしでもしたいのか」
「ん?お兄ちゃんと一緒に住むんだよ」
「それだと母さんが一人になるだろう」
「あの人が戻ってこれば問題ないじゃん」
 妹が父親のことを指して言った。
「微妙だな。母さんは、おまえの方を最優先させると思うぞ」
 母親は父親を信愛はしていたが、妹の方は溺愛していた。
「・・・そういえば、そうだったね。少しは子離れして欲しいよね」
 それには妹も実感しているようで、困った顔で頬を掻いた。
「まあ、諦めて家から通えよ。俺は、優雅に一人暮らしするから」
「いいな~」
「まあ、受験に受かればの話だけどな」
 妹と話していると、いつの間にか家に着いていた。
「ただいま~」
 玄関を開けると、自然と口から出た。
「まだいるね」 
 妹が眉を顰めて、立嶋の靴を確認した。
「そうだな」
 茂もそれを見て、自然と溜息が漏れた。
 二人でリビングに入ると、立嶋と母親がソファーに座って、楽しそうに談笑していた。
「あ、おかえり~」
 母親が茂たちに気づき顔を上げた。
「夕飯の準備はしないの?」
 妹は、少し嫌味っぽく母親に聞いた。
「今日は残り物で済まそうと思ってね~。買い物はしてないのよ」
「そう」
 妹はそれだけ言うと、リビングから出ようとした。
「あれ、どこ行くの?」
「私の来客じゃないし、席を外すのは当たり前だよ」
 最初に家に招いた張本人が、そんなことを言うのかと呆れてしまった。
「じゃあ、俺も宿題がまだなんで」
 しかし、ここは妹に便乗して部屋に行くことにした。
「あ!そういえば、宿題忘れてた!」
 茂の言葉に、立嶋が思い出したように立ち上がった。
「じゃあ、もう帰れよ」
 これはチャンスだと思い、立嶋に帰宅を促した。
「そうだね。帰るよ」
 立嶋はそう言って、ソファーに置いてあった鞄を取った。
「ここですれば?」
 すると、母親が立嶋を引き止めた。
「え?いいんですか?」
「うん、勿論。なんなら、夕飯も食べてく?残り物だけど」
 そして、さらに余計なことを言い出した。
「ちょ、ちょっと、お母さん!」
 これには妹が慌てて母親に詰め寄った。
「どうかしたの?」
 その態度に、母親が首を傾げた。
「ちょっと来て」
 妹が母親の手を取って、リビングから出ていった。
「妹さん、どうかしたの?」
「おまえと一緒に夕食を取りたくねぇんだよ」
「それ酷くない?」
「だから、リビングから出たんだよ」
「なるほど・・って、それ京橋が言ったら、二人が出ていった意味なくなるよね?」
「確かに。親友から質問されたから、思わずしゃべってしまったな」
「ここで親友という言葉を使うなんて、ある意味凄いね」
「おまえが帰れば、万事解決なんだが」
「親友にそのひと言はないんじゃないかな」
「ああ、それは悪いな」
 無愛想にそう答えると、妹と母親が戻ってきた。妹を見ると、あからさまに不機嫌になっていた。
「お兄ちゃん。ちょっと出ていって」
 妹が茂を睨んで、リビングからの退場を通告した。
「なんでだよ」
「いいから、出ていって」
 理由を聞いたが、にべもなく突っぱねられた。
「はいはい」
 あまり食い下がると激昂するので、素直に引き下がることにした。
 茂はリビングから出て、二階の自室へ向かった。

九 親友

「行ったね」
 兄が二階に上がったことを確認して、真理は立嶋の方に顔を戻した。
「さて、立嶋さん。聞きたいことは一つです」
「な、何?」
 真理の目力に立嶋が怯んだ。
「お兄ちゃんのこと、どう思っていますか」
「し、親友だと思ってるけど」
「本音は?」
「へっ?」
「お兄ちゃんもいないし、本音を聞かせてください」
「・・・本音だけど」
 立嶋は、少し間を置いてからそう言った。その言葉に真理は訝しがったが、立嶋の目にはとぼけた様子は見られなかった。
「私はね、男女に友情は芽生えないと思ってるんですよ」
 真理は、真面目な顔で持論を言った。
「そうなの?」
 これに立嶋が、不思議そうに首を傾げた。
「ちょ、ちょっと真理。それはダメだって」
 突然、母親が少し慌てた様子で口を挟んできた。
「お母さんは、邪魔しないで」
「だから、茂との関係を聞くのはダメよ」
「な、なんでよ」
「琴音ちゃんって、友達二人だけなんだから」
 母親は、真理の耳元で気の毒そうにそんなことを言った。
「立嶋さんは、友達は二人しかいないんですか?」
「う、うん、まあ。でも、一人は微妙かも」
 立嶋の声は徐々に小さくなり、後半は聞き取りにくくなった。
「か、可哀想」
 その反応から痛々しさが伝わってきて、心が締め付けられた。自分と近い境遇に自然と涙目になった。
「って、私そんなに悲惨なの!」
 真理の憐れみの眼差しに、立嶋がショックを受けたようだ。(傷付けるつもりは毛頭なかった)
「ごめんなさい。きついこと言って」
 これには罪悪感から会釈して謝った。
「あの、これって何?」
 急にしおらしくなった真理に、立嶋が酷く困惑していた。
「ごめんね~。真理って感情的だから」
 母親は苦笑いしながら、立嶋を気遣った。
「でも、友達は選んだ方がいいですよ」
 真理は涙を拭って、立嶋にそう助言した。友達の少ない事実を知って、真理にとって、彼女への警戒心は少しだけだが払拭された。
「な、なんで?」
 話についていけないのか、立嶋が困惑した顔をしていた。
「だって、お兄ちゃんって無愛想でしょう」
 しいなが亡くなってからの兄は、精神に異常をきたしていて、真理が話しかけてもほとんど返事をしてくれなかった時期が最近まで続いていた。今はなんとか持ち直して、いつもの兄に戻りつつあった。
「そうかな?私の話に相槌を打ってくれるよ」
「拒絶されませんでしたか?」
「え、あ、うん。最初は酷い言葉を浴びせられた」
 それを思い出したようで、立嶋がかなり落ち込んだ顔になった。
「それでも一緒にいるんですね」
「う、うん」
 立嶋は、少しぎこちなく頷いた。兄は、精神が不安定でも押しの弱さは変わらないようだ。
「でも、最近は冷たい感じがする」
 立嶋はそう言うと、悲しそうな顔をした。
「ああ。そういえば、立嶋さんが一方的に話すんでしたっけ?」
 あの話し方では、口を挟むことも難しかった。おそらく兄自身は無視していたが、立嶋にはちゃんと聞いてくれていると勘違いしていたのだろう。
「えっ!なんで知ってるの?」
 なぜか立嶋が、目を丸くして驚いた。
「さっきお兄ちゃんが言ってましたから」
 それにさっき自分でも体験したばかりなので、十分予想できることだった。
「そうなんだ」
 それを聞いて、立嶋が納得した。
「それで、今でもそうなんですか?」
「ううん。話し方を直せって、最近になって言われたから、たまに話を振ってるよ」
 兄の精神が安定したのも最近なので、指摘された時期には納得できた。
「ふ~~ん。で、どう思いました?」
「相手の意見を聞くのは、久しぶりだったから少し高揚した」
「ふ、不憫」
 会話の醍醐味をこの年齢まで知らない立嶋が、本当に可哀想だった。
「あ、あのさ、その反応やめてくれないかな」
 真理の態度に、立嶋が遠慮がちにお願いしてきた。
「そうだよ、真理。琴音ちゃんに失礼だよ」
 さすがに母親も見兼ねて、真理を注意してきた。
「わかりました。お兄ちゃんの親友として認定します」
「は?」
 認定の意味がわからず、立嶋が目を丸くした。
「良かった。じゃあ、琴音ちゃん。今日は一緒に夕食を食べましょう」
 母親は、手を合わせて嬉しそうに言った。
「え、えっと」
 話についていけないのか、立嶋が本当に困った顔をしていた。
「もしかして、ダメなの?」
 その煮え切らない反応に、母親が悲しそうな顔で聞いた。
「いえ、そんなことはないですけど。一応、連絡しておけば大丈夫です」
「じゃあ、決まりね」
 それを聞いて、母親は嬉しそうにキッチンへ向かった。リビングには、真理と立嶋の二人になった。
「立嶋さん。無理かもしれないですけど、お兄ちゃんに恋愛感情を持ったらダメですよ」
「それって、異性に対して芽生える感情のことだよね」
「まあ、一般的には。例外もあるみたいですけど」
「私、そんな感情を一度も持ったことがないよ」
「え!」
 これには驚きのあまり唖然とした。
「やっぱり、そういう感覚って楽しいのかな」
「冗談ですか?」
 真理は、疑いの眼差しで立嶋を見つめた。
「何が?」
 しかし、素で見返されてしまった。
「冗談では・・ないみたいですね」
 立嶋の純粋な目に自然と溜息が漏れた。
「立嶋さんは、異性を見て感情が昂ぶったことはないんですか」
「ないね~。あ、でも、新しい情報を知るとかなり昂ぶるよ」
「それはただ好奇心を満たしているだけですよ」
「やっぱり、それとは感覚的には違うの?」
「全然違います」
「そうなんだ。それは興味深いね」
 立嶋はそう言って、楽しそうに微笑んだ。
「でも、それは相手がいないとできませんよ」
「そうだね。でも、それは困ったね。今は京橋しか異性の知り合いがいないから経験するのは難しそう」
「・・・立嶋さんって、一目惚れって知らないんですか?」
「ああ、そういえば、そんな言葉があったね。でも、残念だけどその経験もないね。妹さんは、そういうのはあるの?」
「妹さんはやめてください。真理でいいですよ」
 言われ慣れない呼び名に反応しづらかった。
「そうだね。ここじゃあ、京橋って苗字だから、名前で呼んだ方がいいね。これを機に京橋も茂って呼ぼうかな~」
 立嶋が最後は独り言のように口にした。それを聞いて、名前で呼ばれることを諦めた。
「やっぱり、妹さんでいいです」
「え、なんで」
 これに立嶋が驚いて、不思議そうに真理を見つめてきた。
「その代わり、お兄ちゃんのことは名前で呼ばないでください」
「え?」
「だって、急に呼び方を変えたら、周りが変に思うでしょう」
「・・・それもそうだね」
 周りと言っても二人しか友達がいないはずだったが、立嶋は迷うことなく、真理の言葉に従った。これには少し違和感を覚えた。
「でも、真理って呼ぶわ。こんなに親身になってくれた人も久しぶりだからね」
 真理にとって、それは少し心が痛む言葉だった。
「あと、私のことは琴音でいいよ」
 立嶋はそう言って、嬉しそうにはにかんだ。
「は、はぁ~」
 これには少し罪悪感を感じながら返事をした。
「できたよ~」
 エプロン姿の母親が、キッチンから顔を出した。
「どう、仲良くなった?」
「はい」
 それに立嶋が笑って頷いた。真理はそれを見て、さらに罪悪感を募らせて俯いた。
「それは良かったわ。真理、茂を呼んできて」
「わ、わかった」
 真理はリビングから出て、兄を呼びに行った。
 ※ ※ ※
 茂が宿題をしていると、階段を上がってくる音が聞こえてきた。
 ノックの後にドアが開くと、妹が落ち込んだ表情で入ってきた。
「どうかしたのか」
 妹から口を開く様子がなかったので、仕方なく声を掛けた。
「私って嫌な奴だね」
「そうだな」
 なんか面倒な雰囲気だったので、適当な相槌を打った。
「って、ここは慰める場面でしょう!」
「なら、さっさと言えよ」
「せっかく雰囲気をつくったのに台無しだよ」
 妹は、肩を落として溜息をついた。
「日頃の行いが仇となったな」
「お兄ちゃんは、ノリが悪いね~」
 このやり取りで緊張が解けたのか、いつもの妹に戻っていた。
「そういえば、夕飯はまだなのか?」
 時計を見ると、いつもより夕食時間が過ぎていた。
「あ、それで来たんだった」
 妹は、思い出したように言った。
「なんだそれ」
 これに呆れていると、下から母親の声が聞こえてきた。
 階段を下りて、リビングに入ると、立嶋が委縮した状態で席に座っていた。
「って、帰ってねぇのかよ」
 てっきり妹が帰したと思っていたので、これには驚いてしまった。
「あははは~」
 立嶋は、困った顔で空笑いした。
「琴音ちゃんって、両親はいるの?」
 すると、母親が何気にそんなことを聞いた。
「え?あ、いえ、母子家庭です」
「あ、ごめんなさい。もしかして、聞いたら悪かった?」
「いえ、特に気にしてません。私の家庭は一夫一妻で、父とは離婚して、今は母と二人で生活しています」
「あ、じゃあ、食事に誘ったのは悪かったかな?」
「そんなことはありません。母も特に気にした様子はありませんでしたし」
「へぇ~。寛容な人なんだね」
「いえ、ただ寡黙な人なんです」
 その言葉に、茂は少し反応した。
「そうなんだ。うちのお父さんも寡黙な人なのよ」
「あ、おじさんがいるんですか。今日は仕事ですか?」
「え~~と、今は別居してるのよ」
 母親は、妹に配慮して小声で言った。
「そ、そうですか。なんかすみません」
 場の空気が悪くなったのを察して、立嶋が謝った。
「べ、別に、気にしなくていいから」
 そうは言ったが、場が沈黙に包まれた。
「母さん。昔の癖かもしれないけど、初対面で家族構成を聞くのは失礼に値するぞ。特にこういう場では相応しくない」
 一夫一妻の場合はそれは会話の流れを作り出す一般的な手法だったようだが、二夫二妻になった今ではそれは御法度になっていた。今では家族構成がややこしくなり、今のように場が気まずくなるのが関の山だった。
「ご、ごめん。ちょっと気になっちゃって」
 茂の指摘に、母親が落ち込んでしまった。
 隣の妹が、我関せずといったかたちでテレビを点けると、立嶋がそれにつられてテレビをの方を見た。
「最近のテレビって、グルメとかクイズ番組が多いですよね」
 立嶋は飽きた感じで、母親に話を振った。
「そうね~。でも、ドラマもバラエティも出尽くし感があるから、民放では視聴率が取れないのよね~」
 今のテレビ事情はほとんどがネットでの専門チャンネルになっていて、国営放送と民間放送を合わせても三つだけになっていた。
「今はネットが広く浸透していて、選択できる時代になりましたから、専門チャンネルを利用する人が多くなりましたね」
「そうね~。これも時代よね~」
 二人は夕食を食べ終わるまで、テレビの先行きについて話していた。茂は話に参加する気はなかったので、黙々と食事をしていた。
 夕食が終わっても、二人の話が尽きそうになかったので、茂から声を掛けることにした。
「帰らなくていいのか?」
「え?」
 話に夢中になっていた立嶋が、茂の方を見上げた。
 茂は、時計を指差して時刻を知らせた。
「あ、もうこんな時間なんだ」
「宿題もまだだろう」
「あ!もう帰んなきゃ」
 立嶋が椅子から立ち上がって、ソファーに置いてある鞄を取った。
「じゃあ、お邪魔しました。あと、ごちそうさまでした」
 妹と母親に会釈して、リビングから出ようとした。
「待って」
 しかし、それを母親が呼び止めた。
「え?なんですか」
 これに立嶋が、足を止めて振り返った。
「茂、送ってあげて」
「はいはい」
 元々そのつもりだったので、素直に従った。
「え、送ってくれるの」
「まあな。ただのお節介だと思うんだが、嫌なら断ってもいいぞ」
「せっかくだし、断らないよ」
「そうか。なら、さっさと行くぞ」
「うん」
 立嶋より先にリビングを出ると、その後ろから立嶋が嬉しそうについてきた。
 靴を履いて、玄関を出ようとしたが、立嶋がまだ靴を履いていた。
「おまたせ」
「いや、別に待ってねぇ~よ」 
 靴を履くのを待っていただけなので、そんなことを言う必要は全くなかった。
「なんか言ってみたくて」
「あっそ。とっとと行くぞ」
「うん」
 茂たちは家を出て、立嶋の家へ向かった。
「いい家族だね」
 並んで歩いていると、立嶋がそんなことを言い出した。
「そうかもな」
 他人の家族と比較したことがないので反論もなかった。
「それよりも、母さんと意気投合してたな」
「そうだね。話しやすい人だったよ」
「立嶋は、年上の人とだったら会話できるみたいだな」
「私もちょっと意外だった」
「ってことは、話題性を同年代に近づけたら、友達できるんじゃねぇの」
「でも、同年代の話題ってどんなの?」
「さあ~~、人によるからな~。でも、少なくとも政治経済の話はやめとけ」
「そうだね。それは検証済みだからね」
 それは今まで何人にも話しかけていた立嶋が、一番わかっているようだった。
「まあ、女子なら芸能とかいいんじゃねぇか」
「芸能か~。人の名前は覚えるのしんどいんだよね~」
「そうだな。男子だったらゲームとかだな」
「ゲームも厳しいな~」
 茂の案に、立嶋が難色を示した。
「あとは、自分で頑張ってみろ」
「京橋も手伝ってよ」
「俺は、そこまで友達が欲しいなんて思ってねぇよ」
「じゃあ、親友として手伝ってよ」
「おまえな~。都合良くその言葉を使うんじゃねぇよ」
「だって、一人じゃ不安なんだもん」
「前まで、誰彼かまわず話しかけてた奴の台詞とは思えねぇ~な」
「ああ、あれは・・自棄になってたから」
 これは思い出したくないようで、苦い顔をして目を逸らした。
「そう・・・なのか」
 それを本人から聞くと、居た堪れないものがあった。
「でも、これからは他人とどう接すればいいか、わかったんじゃねぇか」
「まあ、たいていは。でも、私の話題って30代か40代だったんだね。これは新発見」
「考えればわかることだと思うけどな」
「全然そこに思いが至らなかったわ」 
「そうか。かなり遠回りしたな」
「そうだね。でも、悪くないと思ってるよ。京橋に会えたし」
「ポジティブだな」
 自分もその経験が何度かあったので、それは良いことだと感じた。
「京橋のおかげだね」
「はぁ?何がだよ」
「なんでもないよ」
 立嶋は、嬉しそうに茂を見返した。
「京橋って、恋ってしたことある?」
「は~、なんだそれ」
 唐突な質問に眉を顰めた。
「私はしたことなくてね。情報に興味を持つことは大いにあるけど、人に興味を持ったことがないのが原因かな?」
「知らねぇよ。まあ、恋なんて人それぞれ思いがあるからな。おまえの場合は、好奇心が人より情報を優先しただけだろう」
「そうかもね。今度から人に興味を持ってみようかな」
「なんだ?恋愛でもしたいのか?」
「ちょっと興味が出てきた感じかな」
「ふ~~ん。まあ、会話がスムーズにできれば、彼氏もできるかもな」
「そうかな」
 彼氏ができれば、親友の設定も不要になるので、茂にとっては大きなメリットだった。
「わかった。手伝ってやろう。だけど、話題に関しては自分で収集してくれ」
「いいの?」
「設定とはいえ、親友だからな」
 自分で言い出したことなので、もう設定を崩すのはやめることにした。
「できる限り協力しよう」
「なんか急に優しくされると気持ち悪いね」
「安心しろ、俺も同じ気持ちだ。だから、今後は俺に対して頼み事は控えてくれ。でないと、設定を無視して本音が出てしまう」
「そうだね。さっきまで本音の方が多かったもんね」
 立嶋はそう言って、微笑みながら夜空を見上げた。
「という訳で、これからは俺とおまえは親友だ」
「うん。わかった」
 茂の宣言に、立嶋が嬉しそうに頷いた。
「もうここでいいか?」
 いつもの分かれ道を数分近く歩いた所で、立嶋に聞いてみた。
「もうちょっと先だからダメ」
「おまえの家って結構遠いんだな」
「まあね」
「でも、この道だったら、俺の登校経路は遠回りにならねぇか」
「そうなるね。先週の月曜日は寝坊したから、そのまま学校の校舎で待ってたんだよ」
「なるほど。普通に登校したら、俺と一緒に登校するより近いのか」
「うん」
「なんでわざわざ遠回りしてまで、俺と一緒に登校しようと思ったんだ?」
「え、えっと、そ、それは・・・言えないかな」
「なんでだよ」
「わかんないけど、言いたくない」
 言えないから言いたくないと変わった。
「そうか。なら、仕方ないな」
 茂は、それ以上の追求は諦めた。
「聞かないの?」
 これに立嶋が、意外そうな顔で茂を見た。
「だって、聞かれたくねぇんだろう」
「うん、まあ、そうだけど・・・」
 立嶋はそう言いながら、何か言いたそうにこちらを見た。
「どうかしたか?」
「う~~ん。ほら、親友なのに隠し事とかするなって、言われると思って」
「はぁ~、馬鹿じゃねぇの。親友だって言えねぇことはいくらでもあるだろう」
「そう言われてみればそうだね。親友なんて初めてだから、制限がよくわからないね~」
「親友なんだから制限なんて設けるなよ。気兼ねなくいこうぜ~」
 ただでさえ設定で縛られてるのに、これ以上がんじがらめになるのが嫌だった。
「うっ!」
 すると、立嶋が顔を赤らめて、茂から視線を逸らした。
「どうした?」
 急に挙動不審になった親友に、茂は心配になって見つめた。
「な、なななんでもない」
 立嶋が顔を赤らめたまま、茂から不自然に視線を外した。
「おまえ、もしかして、照れてんのか」
「そ、そんなことないよ!」
「そうか、違うのか」
 茂は、立嶋の主張を疑うことなく受け入れた。
「も、もう、ここでいいや」
 立嶋は、少し慌てた様子で早口でそう言ってきた。
「せっかくだし、家まで送るよ」
「いや、もういいから。ありがとう」
 そう捨て台詞を残して、全速力で走っていった。
「なんなんだ?」
 茂は、立嶋を見送りながらそう呟いた。
 家に帰り、リビングに入ると二人はテレビを見ていた。
「あ、おかえり~」
 母親は表情を緩めて、茂を見て出迎えた。
「ああ。ただいま」
「お兄ちゃん。琴音さんに突飛な発言とかしてないよね」
 突然、妹から不機嫌な顔で睨まれた。立嶋のことを名前で呼んでいるのが気になったが、今は聞くタイミングではなかった。
「突飛?」
「意表を衝く言葉とか」
「なんだそれ?」
「ふぅ~。じゃあ、別の聞き方をしようか。琴音さんが狼狽とかしなかった?」
「狼狽?ああ、それはあったな。家に着く前に走って帰っていった」
「あ、そう。ちなみにどんな言葉をかけたの」
 妹が淡泊な口調で聞いてきたので、さっきのやり取りを説明した。
「なるほど。友達のいない琴音さんにとっては嬉しかったのかもね」
「そうなのか?でも、顔真っ赤だったぞ」
「へっ、なんで?」
「知らねぇよ」
 これには妹も理解できないようで首を捻った。
「これは惚れられちゃったかもね~」
 それを聞いていた母親が、楽しそうに口を挟んできた。
「もし、そうなら最悪の事態だな」
「え?なんでよ」
 茂の言葉に、母親が不思議そうに首を傾げた。
「ああ。そういえば、お母さんは知らなかったね。お兄ちゃんは、琴音さんのことが嫌いなんだよ」
「え!」
 これに母親は驚きの声を上げた。
「き、嫌いなの?」
 目を見開いたまま、再び顔を上げて茂を見つめてきた。
「ああ」
「じゃあ、なんで家に招いたの?」
「真理のせい」
 茂は、不愉快な顔で妹を指差した。
「私は、詰問しようと家に上げただけだよ」
「き、詰問って何よ」
 聞きなれない言葉に、母親が呆れながら妹に聞き返した。本当は未来に心を読ませるためだったが、咄嗟に別の理由にすり替えた。
「問い詰めるって意味よ」
「そんなこと知ってるわよ。なんで詰問するのかを聞いてるのよ」
「第一印象が嫌いだったから」
 ここは隠すことなく本音を口にした。
「は?」
 母親が眉を顰めたが、何かに気づいたようにハッとした顔になった。
「あ、ああ。茂と一緒にいたから・・・」
 その発言に、妹が母親の口を片手で押さえて途中で止めた。
「お母さん。余計な発言は控えようね」
 妹が眉を引き攣らせて、母親に顔を近づけた。
「ご、ごめん」
 妹の脅しに、母親が簡単に屈した。
「なんで俺と一緒にいると、真理が不快に思うんだよ」
 さすがにここまで聞けば、自然にその疑問に行き着いた。
「お兄ちゃん、この状況を見ても追求するの?」
「悪い、今のは聞かなかったことにしてくれ」
 とばっちりを恐れて、潔く身を引いた。
「お母さんは、琴音さんを気に入ったみたいだね」
 妹が手を放して、ソファーに座り直した。
「いい子だよ。でも、ちょっと話題が大人びてるね。私もついていくのがやっとだった」
「あいつ、話題の主軸は政治経済だからな」
「茂は、ついていけてるの?」
「半年近く聞いてれば、嫌でも知識がつく」
「半年も・・・そんな長く一緒にいてくれたんだ」
 これに母親が、複雑そうな顔で茂を見つめた。
「でも、よく興味ないことをずっと聞いてられるね。私だったら、ブチギレしてるね」
「そうだな。自分でも不思議だよ」
 初対面ではブチギレしたが、それでもめげずに話しかけてきた立嶋に、二度も怒鳴ることはできなかった。
「まあ、これで琴音さんは家族の周知になった訳だけど、もう連れてこないでね」
「勿論だ」
 妹に言われるまでもなく、連れてくる気はなかった。
「別に、そこまで拒絶することもないと思うんだけど・・・」
 そのやり取りに母親が、呆れた声で口を挟んだ。
「あ、宿題の途中だった」
 茂は時計を見て、そのことを思い出した。いつもなら宿題を終えて、受験勉強をしている時間だった。
「お兄ちゃんは、真面目だね~」
 妹は茶化しながら、テレビに視線を移した。
「真理は、宿題ないの?」
 ここで母親が、不思議そうに聞いた。
「あるけど、やんない」
「なんでやらないのよ!」
「教師がむかつくから」
「・・・何かされてるの?」
 妹の言葉に、一転して心配そうな顔をした。
「ううん、特に何もされてないよ」
「は?」
 これには肩透かしを食らい、目を見開いて脱力した。
「ホントに何もしなかったよ」
「それの何が不満なのよ」
 母親は、妹の不満に首を傾げた。
「なるほどね。おまえにも迷惑掛けてるのか」
 茂には妹の言いたいことが伝わって、勝手に申し訳ない気分になった。
「悪いな」
「いいよ。別に、お兄ちゃんが悪いわけじゃないから」
 茂の謝罪に、妹が軽い感じで首を振った。
「え!もしかして、いじめられてるの」
 母親もようやく察したようで、直球で聞いた。
「無視をいじめと言うなら、いじめられてるね」
 どうやら、今でも無視されてるようだ。
「そ、そんな!なんで言わなかったのよ!」
「言っても仕方ないから」
「教育委員会に言ってあげるわよ」
「やめて!おおごとにしたら、あれが事実だと思われる!」
 茂を気遣ってか、それを甘受してるような発言だった。
「で、でも・・・」
 妹の強い言葉に、母親が怯んだ。
「いいの。ようやくその噂も薄れかけてるから、蒸し返すのはナンセンスだよ」
「・・・わ、わかった」
 妹の気持ちを察したのか、母親は悲しそうに俯いた。
「辛かったね」
 そして、悲哀な顔で妹を抱きしめた。
「ちょ、やめてよ・・・恥ずかしい」
 本当に恥ずかしいようで小声になっていた。
「俺も抱きしめてやろうか?」
 自分が原因ということもあり、母親に便乗してみた。
「え!」
 これに妹が、驚きの声を上げた。
「まあ、嫌ならやらねぇけど」
 流れで言ってみただけで、断られることは前提としていた。
「してもらったら」
 母親は、妹から離れて微笑んだ。茂にはそれが皮肉にも見えた。
「い、いいよ。は、恥ずかしいし」
 妹は顔を赤らめて、必死で両手を左右に振って断った。
「少しは俺の気持ちもわかってくれたか」
 茂は、さっき手を繋がれたことをここで持ち出してみた。
「それとは次元が違うよ」
 妹がそれを察して、不愉快な顔をした。
「まあ、確かに」
「なんの話?」
 それが気になったようで、母親が口を挟んできた。
「なんでもねぇよ。じゃあ、宿題があるから」
 追求が嫌だったので、リビングから出ていくことにした。
 自室に戻り、ベッドに倒れこんだ。
「今後のことも考慮しねぇ~とな」
 茂は、天井を見上げながら呟いた。立嶋には、葛木のことを家族に言わないよぅに釘を刺す必要が出てきた。
「面倒臭ぇ~」
 天井を見ながら、大きく溜息をついた。目を閉じてから気持ちを整理して、ベッドから起き上がった。
「宿題するか」
 椅子に座って、明日の為に宿題を終わらすことにした。

十 エピローグ

 立嶋琴音は、息を切らせながら玄関のドアを閉めた。そのドアを背に息を整えた。
 しばらくその状態で気持ちも落ち着かせようとしたが、鼓動が治まる気配がなかったので、薄暗い玄関で靴を脱いで渡り廊下を歩いた。
 廊下の正面にはリビングがあり、明かりが点いていたが、そこに行く前に自分の部屋で着替えを済ませることにした。
 制服をクローゼットに仕舞い、自室の明かりを消してからリビングへ向かった。
「ただいま~」
 リビングのドアを開けて、テレビを見ている母親の後ろ姿に声を掛けた。
 母親がゆっくりと振り返って、無表情で頷いた。口も動いていたので、おかえりと言ったようだ。
 母親は、いつも声が小さく聞こえないことが多かった。腰まであるボサボサの黒髪に、顔半分は前髪で隠れていて、近寄りがたい雰囲気をかもし出していた。
「ごめんなさい。一人で食事させて」
 琴音は、母親に真っ先にそのことを謝った。
「いいのよ。気にしないで」
 テレビの音量にかき消されそうな声は、琴音の耳でなんとか届いた。
 琴音は、寄り添うかたちで母親の隣に座った。こうでもしないと母親の声は聞き取れなかった。
 母親は、消極的な性格で理屈屋だった。しかし、ほとんどの人は母親の声を聞き取ることができないようで、理屈屋ということを知ってるのは、今では琴音だけになっていた。
 母親の職業は声楽家の為、普段は極力小声で話すように心掛けていた。この小声で相手に伝わらなければ、諦めるほどの徹底振りだ。
 それが父親には耐えられなかったようで、小声をやめるように頼んだが、母親は断固として受け入れなかった。
 意固地になった父親は、そんな頑固な母親に小声をやめるか、離婚するかの二択を迫った。これは嫌がらせで言ったようだったが、母親はそれを真に受けて、その場で簡単に父親を切り捨てた。母親は、それだけ声に人生をかけていた。
 そして、琴音が中学生になる頃に苗字が変わった。琴音にはお互いの言い分が理解できたので、特にそのことには口を出さずに、ただ成行きを見守っていた。
 二人だけの生活が始まると、極端に会話が減った。琴音はこの雰囲気に耐えられず、一方的に話題を振ることに決めた。
 しかし、それには情報が必要になり、情報収集に躍起になった。母親が食いつきそうな話題を探していくと、主に政治経済に行きついた。
 琴音は、そこを中心に情報を集めていった。
 最初は言葉がわからず、何度も辞書を引きながら意味を調べた。それをしていく内に楽しくなって、細部まで調べるようになった。
 もともと口数が少なく消極的な琴音に友達と呼べる人はおらず、政治経済の話をしたくても母親以外いなかった。
 中学卒業の頃に、引っ越したいと母親が言ってきた。今まで貯蓄でなんとか家賃を払ってきたようだが、そろそろ厳しくなってきたと、包み隠すことなく話してくれた。琴音にとってもそれは願ってもないことだった。
 母親は近場に引っ越そうと考えていたようだが、琴音はそれを断って、この都市を出ることを主張した。これには母親も驚いていたが、琴音の意見を受け入れてくれた。
 琴音にとって少し偏差値の高い高校だったが、なんとか入試に合格して、学校近くの集合住宅に引っ越したのだった。
「ようやく友達になったのね」
 母親は、小声でそう言ってきた。
「前から友達だって」
 ずっとそう主張してきたが、母親は家に招かれるまで、絶対に友達と認めてくれなかった。その為、何度か京橋に頼み込んでいたのだった。
「あ、でも、今日から親友になったよ」
 言おうか悩んだが、自慢したかったので言うことにした。
「へっ、冗談?」
「う~~ん。どうだろう」
 設定なので、母親の疑問にはっきりとは断定できなかった。
「私は、親友だと思ってるよ」
「曖昧ね。でも、いいんじゃない」
 母親は、久しぶりに微笑んだ。それにつられて、琴音も微笑んだ。
「それで、宿題はどうしたの?」
 母親は、それとなく話を変えてきた。
「あ!忘れてた」
 これには慌てて立ち上がった。
「早くしてしまいなさい」
「うん」
 琴音は、リビングから出て自室に戻った。
 電子書籍に電源を入れて宿題を始めたが、京橋のことを思い返してなかなか宿題が捗らなかった。
 高校に入ってからも友達ができなかった琴音は、自分から積極的に話しかけるようになっていた。
 しかし、誰も話について来られないので、話し方を変えてクイズ形式にしたが、誰も興味を示してくれなかった。
 半年後には自棄になり、男子も含めて手当たり次第に話しかけるようになった。誰か一人ぐらいは話が合う人がいると思ったが、誰一人関心を持ってくれる人がいなかった。一時期、何人かの男子は話し相手にしてくれたが、1週間以上持たなかった。
 2年生になっても、友達ができなかったので、次は悩んでいそうな人に声を掛けることにした。この頃には、会話が途切れないよう自分が一方的にしゃべるようになっていた。
 冬になり、クラスの二つ隣の京橋に話しかけることにした。彼は、頬が少し痩せ気味で表情には絶望感が滲み出ていた。琴音には絶好の話し相手だと感じた。この時、京橋が常に一人でいる理由を知らなかった。
 昼休みに弁当を食べ終わって、京橋のクラスに入り、一人で弁当を食べている彼に近づいた。
 最初は相手の悩みを聞く為、何度か質問したが、強い口調で突っぱねられた。1年の時ならここで素直に身を引くところだが、自棄になっていた琴音にはそれを止めることができなかった。
 しつこく食い下がった結果、京橋に激怒された。自分自身そんなに怒られた経験はなかったので、驚きと恐怖で委縮してしまった。
 その間に京橋はクラスから出ていき、琴音はそれをただ見送ることしかできなかった。
 琴音は立ち尽くしたまま、両親の口喧嘩を思い返していた。口喧嘩といっても、父親が一方的に罵っているだけで、母親は何も返すことはなかった。あの時、なぜ母親が言い返さないのか不思議に思ったが、怒った人を目の当たりにすると、母親が黙っていた理由がわかった気がした。
 昼休みが終わり、授業中ずっと怒られた理由を考えていた。悩みを聞いただけで、あんなに怒られた理不尽さにだんだん腹が立ってきた。正直、こんなに怒りを覚えたのは小学生以来だった。
 HRが終わる頃には、溜まりに溜まった怒りを京橋にぶつけることにした。
 教室を出て、京橋のクラスを覗いたが、既にHRが終わっていてもう京橋はいなかった。学校から出られると、追うことができないので駆け足で校舎を出た。
 運よく、校門で京橋の姿を発見した。
 近づいて声を掛けようとしたが、昼休みのことが頭に過ぎり、その寸前で止まってしまった。
 京橋の後ろを歩きながら、どうするかを考えた。溜まった怒りは収まりそうになかったが、恐怖で声を掛けることはできそうになかった。この歯痒い気持ちのまま帰るのも癪なので、尾行することにした。
 いつもと違う道に新鮮さを感じながら、京橋の数十メートル後ろを何食わぬ顔で歩いた。
 京橋は、寄り道せずに一軒家に入っていった。琴音はそれを見送って、このまま帰るかどうかを考えた。
 すると、数分もしないうちに京橋が家から出てきた。
 琴音は、慌てて曲がり角に身を隠した。京橋は鞄は持っていなかったが、制服のままだった。
 学校とは反対方向に歩いていったので、琴音もそれについていった。
 そして、この都市で一番大きい病院の前で一度立ち止まった。
 琴音は警戒して、自販機の陰に隠れた。
 自販機から顔を少し出して、京橋の様子を見ていると、なぜか顔を両手で強く叩いてから病院に入っていた。
 どうするか少し悩んだが、ここまで来ると帰ることは頭になく、彼の後を追った。
 病院に入ると、消毒に使われるクレゾールの臭いが鼻についた。
 京橋は受付には寄らず、そのまま病棟に入っていった。
 京橋を追おうと走ろうとしたが、病院ということに気づき、足早で病棟に入った。
 しかし、既に京橋の姿はなかった。
 琴音は、近くの病室から覗いていくことにした。
 全部の部屋を見て回ったが、京橋は見つからなかった。
 不思議に思い、受付まで戻ろうとすると、横に階段があることに気づいた。
「ああ、二階か」
 琴音は階段を見上げて、ぼそっと呟いた。
 二階に上がると、階段近くの病室からわずかに声が漏れてきた。
 その病室を恐る恐る覗くと、背を向けた京橋とベッドに寝たきりの女の人が話していた。
 京橋の表情は見えなかったが、女の人は楽しそうに笑っていた。長い黒髪で頬がこけて、かなり痩せ細った感じだった。
 それを見て、京橋が精神が不安定な理由がわかった気がした。琴音は、少し胸が痛くなり頭を引っ込めた。
「あら、もしかしてお見舞い?」
 階段を上がってきた看護師が、廊下で立ち尽くしている琴音に声を掛けてきた。髪はセミロングの黒髪で、胸がかなり大きかった。
「え!えっと・・まあ、一応」
 動揺のあまり思わず嘘をついた。
「なんで入らないの?」
「え・・っと」
 咄嗟の嘘だったので、視線を泳がせて言い淀んでしまった。
 さすがに不審に思ったらしく、看護師が病室を覗いた。
「ああ、なるほど」
 看護師は、病室の中を見ただけで納得した。
「あの雰囲気にはさすがに入れないわね」
 どうやら、二人の会話に入れない状況だと思ったようだ。
「今じゃあ、お見舞いも両親と茂君だけなのよね。本人が望んだことだって言ってたけど、寂しくないのかしら?」
「そう・・ですね」
 話を合わせるために、その場凌ぎで相槌を打った。
「あの子、もう長くないから、最期の別れぐらい言っておいた方がいいわよ」
「え?」
 看護師の口から耳を疑う言葉が飛び出した。
「高齢化が進むって理由だけで、医学の退歩させた結果、10代の若い命を助けられなくなったのは、この国の悲劇よね」
 看護師はそんな捨て台詞を残して、廊下を歩いていった。
 琴音は、その場に呆然と立ち尽くしてしまった。その間、看護師の言葉が頭の中を反芻していた。
 その場で呆然としていると、誰かが階段を上がってくる足音で我に返った。
 琴音は、慌てて階段を駆け下りて病院を出た。なぜか胸が苦しくて、疲れてもいないのに息切れしていた。
 しばらく呼吸を整えたが、動悸がなかなか鎮まらなかった。考えがまとまらないまま、早足で帰宅した。
 家の玄関を開け、靴を脱いでそのまま自室に入った。鞄を放り投げてベッドにダイブした。
 自分がどれほど失礼なことをしたか、今になって罪悪感が沸々と湧き上がってきた。余命が間もないことは、あの衰弱した顔つきから察しがついた。
 最初は病床の母親だと思ったが、同じ10代という事実に衝撃を受けた。あの衰弱した顔を見る限り、とても同年代だとは思えなかった。頭の中では思考が飛び飛びで自分でも整理がつかないほど混乱していた。
 どれくらい時間が経ったのかわからなかったが、母親が真っ暗な部屋に入ってきた。
 母親は何かを呟いたが、琴音には聞き取れなかった。
「どうかした?」
 今度は、枕に顔を埋めている琴音の耳元から母親の声がした。
「ごめん。しばらく一人にして」
 琴音はそのままの状態で、母親を突っぱねた。
「それは無理ね。夕飯が冷めちゃう」
 しかし、母親は気遣いを見せることなくそう言ってきた。
「少しは気を使ってくれないかな」
「馬鹿ね。気を使ってないなら、一緒に夕飯を食べようなんて言わないわよ」
 確かに、母親は自分からそんなことを言うのは初めてだった。いつも一緒に夕飯を食べていたので、勝手に勘違いしていた。
「わかった」
 母親の言葉を汲んで、ベッドから起き上がった。
「酷い顔ね」
 琴音の顔を見て、母親が顔をしかめた。
「暗がりだからそう見えるだけだよ」
 二人でリビングに入って、いつものようにテレビの前で食事を取ることした。今日は気分的に、テレビを点ける気にはならなかった。
「もしかして、いじめられた?」
 しゃべらない琴音に、珍しく母親から話を切り出してきた。
 琴音は首を振って、それを否定した。
「なんでそう思うの?」
「ここに引っ越してから、琴音のそんな表情初めて見る」
「そうだね。私にとって、今のこの心境は初めての経験だよ」
「そう。どんな経験したの?」
「そ、それは・・・言いにくいよ」
「抱え込むより、話した方が気が楽になるわよ。それに話したら、大したことないかもしれないし」
 何も知らない母親が気を使ってそう促してきたが、今の琴音は怒りの感情が先にきた。
「死に際の人を目の当たりにして、大したことないなんて思えないよ!」
 思わずソファーから立ち上がり、思いっきり叫んだ。
 これに母親が、目を丸くして驚いた。
「あ、ご、ごめんなさい」
 自分が京橋と似たようなことをしていることに気づき、母親に謝った。
「いいのよ。こっちも軽率だったわ。でも、それは悲しいことね」
 母親がいつもの表情に戻って、少し寂しそうな声で言った。
「知り合いなの?」
 それには首を左右に振ることしかできなかった。
「病院でそんな人を見たから」
「病院?・・・経緯を聞いてもいいかしら」
「そうだね、でも、ちょっと長くなるから、夕飯食べてからにしようよ」
「そうだったわね。冷めたら本末転倒ね」
 母親は、微笑んで食事を再開した。琴音もそれを見てから箸を進めた。
 食事が終わり、母親に友達ができないことを含めて全部話した。
「情報量が多すぎて、どこから切り込むか悩むわね」
「最後だけでいいよ。別に、同情とか求めてないから」
 母親にも友達はいないので、同情は必要なかった。
「そう?じゃあ、初対面での不躾な態度を後悔してるのね」
「うん」
「というか、別に琴音が悪いわけでもないから難しいわね」
 母親が眉間に皺を寄せて、しばらく考え込んだ。
「この際、友達になってあげたら?」
「は?」
 母親の予想外の発言に、琴音は唖然としてしまった。
「その男子って、落ち込んでいるんでしょう」
「う、うん、かなり。精神的に不安定だよ」
「なら、悩みを聞くんじゃなくて、琴音がいろいろ話せばいいのよ。そうすれば、少しは気持ちが紛れるんじゃない?」
「でも、また怒られるかも」
 昼休みのことを思い出すと、声を掛ける勇気はなかった。
「そうね。でも、ここで引いたら、もう友達になれないわよ」
「そ、それはそうだけど・・・」
 それは言われるまでもなかった。というか、別に友達が彼でなくてよかったのだが、罪悪感から謝りたいとは思っていた。
「とりあえず、謝ってみようかな」
「謝る?なんで?」
「だって、失礼なこと言っちゃったし」
「それはやめた方がいいわね」
「どうして?」
「そもそも、謝る理由はどう説明するのよ。琴音は、ただ悩みを聞いただけでしょう」
「それはそうだけど・・・」
「それで謝るのは不自然だわ。それとも、病院まで尾行したことを伝えた上で謝るの?」
「それは、さすがに・・言えないよ」
「なら、謝るのはやめておいた方がいいわね」
 母親の指摘に、琴音は何も言えず俯いた。
「あとは、琴音が決めることよ」
 それだけ言うと、母親が立ち上がって食事の後片付けを始めた。母親がここまで相談に乗ってくれたのは、本当に久しぶりだった。
 時計を見ると、もう9時を回っていた。琴音は立ち上がって、キッチンの母親に一声かけてから、浴室へ向かった。
 お風呂に浸かりながら、明日のことをシュミレーションしたが、何度それをしても結果は全く変わらなかった。
 結局、寝るまで悩み続けたが答えは出なかった。
 次の日の朝、眠気が取れないまま学校に登校した。この時、まだ京橋に声を掛けるか悩んでいた。
 昼休みまでにどうするか決断しようと思ったが、その授業中は完全に寝入ってしまった。
 目を覚ますと、悩みすぎたせいか頭がすっきりしていて、もう昼休みになっていた。
 弁当を早食いして、とりあえず京橋のクラスへ向かった。
 教室の中を覗くと、京橋が昨日と同じ様に一人で昼食を取っていた。
 琴音は怒られるのを覚悟して、彼のもとに歩いていった。
 琴音が京橋の机の正面に仁王立ちすると、彼がそれに気づいて顔を上げた。
「友達になろう」
 それが琴音の第一声だった。謝ることができないなら、過程を全部省いて友達になることしか思いつかなかった。
 唖然としている京橋に、琴音は一方的な話を開始した。
 それが京橋との付き合いの始まりだった。
 宿題が終わる頃には、既に10時を回っていた。今日はいろいろあって情報収集はできなかったが、時間も時間だったのでお風呂に入って寝ることにした。
 ベッドに横になると、別れ際の京橋とのやり取りが思い浮んで、自然と表情がにやけてしまった。あれは琴音が憧れていた友達同士の自然な会話だった。明日から彼と話すことが楽しみで仕方なかった。
 しかし、京橋との会話でなぜ胸が高鳴ったのかは、恋愛経験のない琴音にはわからなかった。

ガールカウンセラー2nd

ガールカウンセラー2nd

土曜日の午後、図書館で京橋茂と立嶋琴音が葛木菜由子に勉強を教わっていた。 葛木が立嶋に数学を教えていたが、立嶋は全く理解できていなかった。それを茂も横で聞いていたが、葛木の教え方に問題があるように見えなかった。 二人は、立嶋に助言をするのだが、全く成果は得られなかったので、立嶋に教えることは諦め、下校するのだった。

  • 小説
  • 長編
  • 全年齢対象
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