【連載】生涯青春ラケットとジェットの物語 Book 2

万田 竜人(まんだ りゅうじん)

201 令和に連なる日の出を海上に臨む


海を臨む「景勝の良さ」と磨き抜かれた「おもてなし」そして食膳を彩る多彩にして
繊細な「ご馳走」を振舞う老舗旅館「望水(BOUSUI)」に、ご招待いただき・・・

私の喜寿(七十七歳)を祝っていただいたが、贅沢過ぎる時空間であった。
(望水は 伊豆 北川温泉郷の老舗旅館)

同時に鎌倉ファミリーの将来を背負う孫の航ちゃんの私立中学への合格を祝して、
中学受験におけるファミリーとしてのご苦労さん会を合わせてのお祝い会となると
望水の心楽萬宿から望む朝日の眺めは共に心地良く受け入れることが出来る。

心楽萬宿という言葉は、老舗旅館「望水」の心意気を表したもので・・・

海と一体化する専用露天風呂付きのプライベートリビングや北川漁港に上る獲れた
ての地魚を生かした料理の数々そして特別な「想い出つくり」を心を込めてお手伝い
致します、と、いうだけあって、その趣向には顧客を飽きさせない魅力がある。

中学への合格祝いには、お菓子と「キャンドル・サービス」があり、喜寿の祝いには翁
を祝うための紫色の帽子と「ちゃんちゃんこ」がルーム・アテンダントによって用意され、
家族写真としての撮影までが、おもてなしの一環として用意されている。

祝宴の翌朝は、和モダンな露天風呂から伊豆大島のシルエットを眺めることが出来て、
オーシャンビューな心楽萬宿の部屋に戻れば、海上に浮かぶ朝日の眩しさが、幸福感
を満喫させてくれる。

朝食は、昨夜のアワビの踊り焼きや和牛すき焼きとは、また、違った繊細さで目を楽し
ませ舌を満足させてくれる。昨夜のすき焼きのときに、卵を割った入れ物に甘いトマト
を馴染ませて和牛を味わう趣向には、老舗旅館ならではの伝統を感じ取った。

今回の伊豆へのドライブでは、鎌倉に前泊して、娘の着眼に沿う形で早朝に若旦那に
ハンドルを握っていただき、伊豆への到着も早く、伊豆高原の桜のトンネル群も端から
端まで暖かな天候の下でおおいに楽しむことが出来た。

したがって、午前十一時に予約していた苺狩りも、余裕をもって参加することが出来て、
朝食をたっぷりと食した後だけに、苺だけでも昼食になるほど満喫して温室から出た。

伊豆 北川温泉の泉質は滑らかで、老舗旅館「望水」に着いてフロントと同じフロアーの
ラウンジにて軽い飲み物をいただいた後で、昼の洋モダンな露天風呂を楽しんだときに
は背中に手を触れるとつるつる感があった。

翌日は熱海に出て、遊覧船に乗り、鴎と遊んだ。

遊覧船からは、鎌倉ファミリーによって家内が「古希」のお祝いをしていただいたところの
熱海後楽園ホテルを見渡すことができ、当日「部屋からの眺めが素晴らしかった」という
家内の話には納得するものがあった。

あの日、私は飼い犬をペット・ショップに預けることに躊躇があって、熱海後楽園ホテル
の古希のお祝いには参加しなかったが、その後、横浜クルーズへのご招待をいただき
満足していたのだが、今回また伊豆の老舗旅館「望水」に招待されて恐縮の極である。


横浜クルーズでは、私は、背中に翼を背負った女神に出会うという幸運に恵まれた。
(私が稿を起こした「ゴールデンエイジの物語」から、その一部を抜粋する)


プロローグ(1)

赤レンガ倉庫の1号館を横切ってピア赤レンガ桟橋に出ると、海風は冷たかった。
昨日、誕生日を迎えた私に誕生祝と云って、「横浜クルーズ」のチケットが送られて
きたのはつい先日のこと。私の誕生日はモーツアルトと同じ「1月27日」である。

家内に云わせると、「モーツアルトは偉人、貴方は凡人、比較することが、そもそも
大間違い」と大笑いされた。

定年(60歳)の前にも、大笑いされたことがある。
「定年後には、どんな夢をもっているの?」と聞かれたので・・・
「映画俳優か?」「小説家か?」「ビジネス・コンサルタントかな?」と答えた。

大方、笑い終えた後で、しっかりと釘を刺された。
「小説家とコンサルタントは夢としては良いかも知れない」、でも、その顔で、世間
に向かって「映画俳優が夢ですなどと云わない方が無難ですよ」と。

良く世間で云われることに・・・

「夢は口に出して公言すると実現する」と、「そうかも知れない」と、私も思う。

定年の1週間前に「講師とコンサルタントを兼ねた60歳以上の人材募集」という
新聞広告をたまたま見つけて応募したところ、応募者総数が約200名の中から
2名採用という状況の中で、3次試験の面接を経て、幸運にも採用されて・・・

「約6年間」やり遂げた。

最終面接で、私を採用した社長の言によれば「あなたが優秀だから採用した訳では
ない。優秀な人材は他にも大学の准教授やコンサルト会社のメンバーなど多数居た
が、私と相性が良さそうなので、貴方を選びました」と。

ところで、社長が主宰する講演会場までは、交通機関を乗り継いで行くのだが、
およそ2時間を要することがわかった。そこで、移動時間を有効活用するために、
定年退社するときに後輩たちが贈ってくれたパソコンで小説を書くことにした。

ここで恐れ多くも、モーツアルトとの類似性を述べることになるが・・・

「モーツアルトは楽曲のすべてを脳内に描き、それを譜面に移すため、楽曲の修正が
なく、修正だらけのベートーベンとは対照的であった」とテレビ番組で知った。

ここでも、奇遇であるが、私が愛聴している「モーツアルトのピアノ協奏曲 第20番
ニ短調」は原曲はモーツアルトであるが、ベートーベンが好んで演奏した曲でもあり、
私の保有するCDについては、カデンツァ(編曲):ベートーベンと記されている。

第一楽章・第二楽章・第三楽章で構成されており、私は癒し系の第二楽章が好きだが、
この第二楽章については、映画「アマデウス」のエンディングにも使われた曲である。
モーツアルトとしては、数少ない短調の曲であり、ドラマチィックな魅力が、映画の
エンディングに余韻をもたらしたのかもしれない。

話は、だいぶ飛んだが(私は書き手として発想に飛癖がある)・・・

「私も文章を書くときに、文章は予め脳内で書き上げておき、後で、パソコンに吐き出す
方法をとるため電車内で膝の上にパソコンを乗せておけば文章化は可能である」

こうして書き上げた小説だが、たまたま懸賞募集の機会に恵まれて3次審査まで通り、
最終選考に残ったが入選は果たせなかった。

どうやら、私の小説にはドラマ性がなく、面白さや意外性もないので、多くの読者を
惹き付ける魅力に欠けるようである(自分でもその様に思うので納得は行く)。

しかしながらインターネット上において、手前味噌に小説家を名乗れる環境になって
きたので、身を任せることにしている。

その様な経緯で、私が再認識したことは、夢は口にすれば、「確実?」に実現すると
いう「都市伝説?」である。

「コンサルタントの夢はビジネスコンサルタントとして実現、6年間も活躍出来た」

「小説家の夢は、売れない作家ではなく、売らない作家であれば、一生涯を大学で、
学び続けながら一生涯学生作家としてインターネット上で活躍の場は確保出来る」
(映画俳優の夢は、口にしないことで釘を刺されているので、実現はありえない)

しかし、小説家を続けるには、困ったことがある・・・

「私の書斎は二階にあるため、二階に、こもってパソコンに向かっていると、飼犬が
寂しがり階段の途中まで迎えに来る。家内も同様、一緒にくつろぎたいようである」

かつて、作家の童門冬二先生は・・・

「御二階さんに徹して、奥様は一階での生活」と、都庁退職後は割り切って作家に
転身されたと大昔に講演会でお聞きしたが「私には、そこまでの決心はつかない」、
困ったものである。

そして、私の経験談としては・・・

「小説家にしても、コンサルタント業にしても、それを課業にしようとすると、けっこう
詐欺まがいの話があって、騙されることがあることを経験的に知った」

冬の海を眺めて、そのようなことを思い出しながら横浜クルーズの乗船までには時間
があるので、赤レンガ倉庫内のコ洒落たレストランに家内共々入店、熱いコーヒを
オーダーした。



プロローグ(2)

ピア赤レンガ桟橋でクルーズ船に乗り込むと、目の前に階段があり乗客は1階と2階、
どちらでも選択できるように、自由席としての設えになっていた。昨日は、強風のため
全便が欠航と聞かされていたので乗船するまでは気になっていたが・・・

今日は、風も比較的おだやかに感じられる。私たちは、1階の前側に席をとり状況に
応じて2階の甲板に移動することにした。

やがて、船が出港するとクルーズガイドが登場して、船内アナウンスが始まった。
最初は横浜港の玄関口を知らせる赤灯台を左手に見てやがて横浜ベイブリッジの
下を抜けて本牧埠頭に向かう。

本牧埠頭の海側からは、ガントリーポイントを目の前で見ることが出来る。ここで
クルーズガイドのアナウンスが名調子となり、わかりやすい解説口調となる・・・

「今、目の前で船内に自動車を盛んに積み込んでいますが、この大型船には約5千台
の車を積載します。積載効率を考えてドライバーは車同士を約10センチ間隔で並べて
行きます」。

「その卓越した運転技術に敬意を表して、彼らは愛称でギャングと呼ばれています」

次に案内されたのが、本牧埠頭の日本最大と云われている最新鋭メガコンテナター
ミナル、目の前ではコンテナがクレーン操作によって巧みに積み込まれている。

ここでも、クルーズガイドが登場して解説・・・

「このクレーン操作は、風が吹く中での作業となるため極めて難しく熟練が必要とされ
ています。操作に当たる技能者は、地上からエレベーターでクレーンの操縦席に乗り
込み、風を計算した上で、コンテナを積載して行きます」。

「彼らにも愛称があり、ガンマンと呼ばれています」

そして、クルーズ船は再び横浜ベイブリッジの下を通り抜けてペリーポイントに向かう。
1854年にペリー率いる黒船艦隊が錨を下ろした場所である。クルーズ船から陸地を
見ると、海からの海岸の景色が水平に目の前に広がっている。

ペリーは、実際に、日本開国の任務が与えられる1年以上も前の1851年1月に、
日本遠征の基本計画を海軍長官に提出しており、その中で、日本に対しては・・・

「日本も中国と同様に、友好関係を訴えるよりも、恐怖に訴えるほうが有効である」
「長崎における日本との交渉は、オランダの妨害が想定される」
などと明確な戦略と戦術を述べている。

そして、1853年に、ペリーが日本との交渉の場として選んだ浦賀では、艦上から
数十発の空砲を発射して威嚇行為を行っている。
(この時、幕府側には事前通告をしている)。

ペリー艦隊が2度目の来日をしたときに、ようやく、幕府がペリーとの交易の交渉を
受け入れ、交渉の場を横浜に設営した。ペリーは本牧付近の海域(ペリーポイント)
に投錨、将官や船員など約500名と共に横浜村に上陸した。
(時に1854年3月のことである)。

この時、ペリーは日本側から盛大な歓待を受けており、その後の交渉が円滑に進捗
したといわれているので、横浜港のペリーポイントは、日本が米国との交易に向けて
進路を決めるきっかけとなった記念すべき場所であり、浦賀とは違った意味で象徴的
なポイントの一つとも云える。

その後、ペリーは、和親条約の細則を下田において「全13か条」からなる下田条約と
して締結、その帰路に立ち寄った琉球王国とも通商条約を締結、帰国後は、その成果
を「日本遠征記」としてまとめあげて、大役を果たしていることから、横浜港のペリー
ポイントは、ペリーにとっても記念すべき場所であったと云える。

やがてクルーズ船は将来的には大型客船も停泊できるような工事を進めている湾岸
の近くを通り抜けて、みなとみらい地区の近代的なビル群に近づいて行った。

それぞれのビルについては、建設設計のコンセプトが明確に説明されて楽しかった。

その中でも、ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテルは・・・

「海に浮かぶヨットの白い帆を連想してデザインした」と、云う、特徴的な外観からは
オーストラリアのシドニーの海から見るオペラハウスを脳内で思い浮かべた。

そして、クルーズガイドからのアナウンス・・・

「船内1階のお客様も是非、船室から出て、肉眼でご覧になって下さい」

「これは、クルーズ船だからこそ見える景観です。インターコンチネンタルホテルの
最上部に、背中に翼をもった女神像を身近な感じで観ることが出来ます」

実際にビル最上部の内壁に翼を背負った女神像を発見して感動・凝視して拝観した。

そしてそれを機会に、家内共々、クルーズ船の2階の甲板に出た。

やがてクルーズ船は海上保安庁の船の側を通り抜けてピア赤レンガ桟橋に向かった。
日差しは暖かく感じられ、今日はクルーズ日和であったことに感謝して桟橋に近づくと
広場では子供たちが楽しそうに遊んでいた。

思わず甲板から手を振ると、手をつないで海に向かって歩いていた母子が、こちらに
向かって手を振ってくれた。

桟橋に船が着いて船から降りる時にクルーズガイドさんに・・・

「今日は、楽しいお話をいろいろと、ありがとうございます」と云って
感謝の気持ちを伝えた。



プロローグ(3)

ピア赤レンガ桟橋から、赤レンガ倉庫前の広場に戻ると、長蛇の列が出来ていた。

「これが話題の鍋料理の店に連なる行列か?」と、最後尾に目をやったが・・・

最後尾は視界に入らない遠方のようである。クルーズ船でも、クルーズガイドから
鍋料理の体験談が語られていたので、店内の様子については予備知識はある。

行列の最後尾の先は、自転車タクシーの溜まり場になっていた。

自転車タクシーは、人力車のように座席には、二人が並んで座れるように設計されて
おり、それを、地に足を着けての人力ではなく、自転車の推進力によって牽引して行く
仕掛けになっている。

昨年の秋に新幹線に乗って東北地方の紅葉狩りに行ったときに、角館では人力車が
紅葉の景色に良く似あうなあと思って、眺めたことがあったが、ハイカラなイメージの
横浜港の風景には自転車タクシーが良く似合っていた。

 「物珍しさで乗る人もけっこう多いのかもしれない」

横浜港は、昔から、外国との交易で栄えてきた場所だけに、赤レンガ倉庫の佇まいも
良く似合うと云う印象が強いが、一時期は、廃墟に近い状況であったことを聞くに及ん
で、なにごとも人知の思い入れの強さが文化を支え続けて行くのだと、今の盛況ぶり
をみてあらためて納得した。

横浜港は、明治の時代に生糸の貿易港としても栄えた。私の祖父も明治の時代に群馬
県前橋市萱町1丁目1番地で、生糸業を営み、工場経営と輸出業に携わっていたので、
祖父にとって、横浜港は、イギリスやフランスとの商いを進めて行く上で、生糸業として
の要の場所であった。

私の父親は次男であったが、次期社長として祖父からも期待され、横浜港も仕事場の
一つであり、前橋と横浜港をつなぐ物流ラインは祖父と父親にとっては、まさに生命線
であった。

太平洋戦争に突入すると、父親は軍需産業に召集されたため、私が後継として生糸業
に携わることはなかったが、祖父がフランスへ出掛けた際のお土産の双眼鏡が父親を
経て私に譲られたので、温もり感は伝わってきている。それだけに、私にも横浜港への
思い入れは強い。

私たちは、とりあえず、自転車タクシーの利用はやめて、みなとみらい線の馬車道の駅
に戻り電車で中華街まで出て春節の雰囲気を味わってから、みなとみらい駅に戻って、
予約されている中華料理店に向かうことにした。

目的地のロイヤルパークホテルの中華料理店は、みなとみらい駅からは徒歩で約3分
と聞いているので、みなとみらい線をフル活用することになる。

横浜のロイヤルパークホテルの中華料理店は私たち夫婦が共に1月生まれで・・・

「家内は古希の70歳となり、先日は、熱海のホテル後楽園に招待されて歓待を受け
たときに、私は飼犬のペットホテル嫌いを考えて留守番をしたため気をつかってくれ
たようである」

鎌倉ファミリーは、なにかにつけて私たち夫婦に気をつかってくれるのでいつも感謝
している。

今回の感動の横浜クルーズも、鎌倉ファミリーからのプレゼントである。

「私は後期高齢期に入った75歳の誕生日で、いつも飼犬との留守番役では気の毒と
云う思いも働いて、横浜なら二人で一緒に来ることが出来る」と云う判断から・・・

今回のプランが浮上して、お招きいただいたと聞いている。

中華料理店で受け付けを済ませると、担当スタッフから・・・

「ご予約の五名様から、お二人様に変更になったこと伺っております」
「お孫さんが、今朝になって急に熱を出されたとのこと、ご心配ですね」
と、68階の窓側の席に案内された。

数年前にも、同じようなことがあったので、私たちには急な発熱にも多少の免疫性は
ある。(しかしながら出掛けの際に孫の急な発熱を知らせる電話があり、出発の支度
は済んでいたものの中止と決めたが、娘からの強い勧めで出掛けてきた)。

「あの時は夏休みに我が家に一泊してから、池袋駅で日光行きのスペーシアに乗車
して那須に避暑に行こうと計画していて、前夜、急に孫が発熱して翌朝の状態を観て
決めよう」と、いうことになり・・・

「その晩は保留にしていたが、翌朝は、ケロッとして元気になり出掛けた」

やがて、窓際の席に、いかにも美味しそうな生ビールと料理が運ばれてくる・・・

「古希の誕生日おめでとう、この前、還暦のお祝いをして、もう古希とは驚きだね」
と、云うと、
「あなたも75歳の誕生日おめでとう」と、いうお祝いの言葉が返って来る。

「美味しいね」と云いながら、家内に取り分けてもらった中華料理を頬張り・・・

私の所信表明の演説を始めることにする。

「私としては、75歳からを後期高齢者と云う堅い漢字の呼び方は好まないので還暦
を過ぎて、65歳からをシルバー世代と呼び、乗り物にはシルバーシートが用意され
る現状を踏まえて、75歳からを意識的にゴールドエイジと呼ぶことにしたい」

「そして、ゴールドエイジの物語として私小説的な味付けで、ファンタジー小説を書く
ことにする」

「合わせて、還暦を過ぎてから書いた小説は、シルバーエイジの物語として再編集、
インターネット上での公開を計画して行くこととする」



第一章  

背中に翼を背負った女神が語る真実(1)

夕餉の「お疲れさまの乾杯」のビールの後で、小樽産のロゼを試飲してみる。

最近は、白ワインと赤ワインの中間的な存在としてのロゼが二人のお気に入りである。
好物の子持ち鰈の煮魚に箸を進めながら、横浜での楽しかった出来事などを二人で
振り返ってみる・・・

「鎌倉ファミリーは、夕食は、済んだかしら?」
と、云う家内からの気付きで、食後、鎌倉ファミリーの自宅電話に通話を入れると、
「今、食事が終わったところ」だと云うので、

「どう、熱は下がった?」と、家内がたずねると、電話のオープン・スピーカーから、
元気な声で「もう熱は下がって夕食前にピアノの練習をしていたわよ」という返事
があり、一安心である。

・・・・・・・・

いつも通り、午後11時には就寝、二人共、寝つきは早いほうである。
寝返りをうって、眠りに入る姿勢をとったときのことである。
目の前で、星がキラキラと輝いている。

「なんだろう」と思って、目を凝らすと・・・

背中に翼を背負った女神が立っており、こちらに向かって微笑んでいる。
「本日は、横浜港に、ようこそ、ゴールデンエイジ入り、おめでとうございます」
背中に翼を背負った女神は、なにもかも、お見通しのようである。

「貴方のお気持ちに緩みが生じているようですので、今日は、たいせつなメッセージ
を持って、お伺いしました」と、云う。

「貴方が、かつて、退職した人間の生命の与奪を、退職した後まで追いかける権利が、
たとえ昔、役員の職にあったとは云え、T氏に、そこまでの権限はあるのか?」
と、憤っていましたね。

「そして、そのT氏が、昨年、逝去されて、貴方は気持ちが緩んでいませんか?」
「彼らは、私的な組織活動とは云え、チームとして解散したと云う話は、聞いており
ません、貴方の気持ちが緩んだ時が彼らの狙い目です」

「M乳業ですと云って、若い男性が試飲ものを持ってきたことはありませんか?」

確かに、最近まで、細心の注意を払ってきた。

私の被害妄想と思われても困るので、周囲には話さずに、私に何かあったときの
用意として考えられる「因果関係」や「関係筋」を明確に書き出し、最も信頼できる
弁護士さんに預けてある。
(これは、非常事態には、おおいに助けになると考えている)。

その事実をここで振り返れば・・・
(私としては信じたくない出来事だが)

「20××年に、昔の職場のOB会が紆余曲折を経て実現、喜んで出席するも、その後、
激しい胃痛に見舞われて、急遽、かかりつけの内科医に駆け込むことになった」

「顔馴染みの先生に診てもらって、念のため、血液検査を受けたところ体内から微量の
水銀が検出され、血液検査の結果からは、大量のお酒を飲んだ時の異常反応も検出
されて、体内で異常なことが起きている可能性があると云われて、胃カメラによる精密
検査を勧められた」

「その前段では、顎に赤い湿疹が出て、皮膚科で診てもらったところ、花粉症の可能性
が有ると云うことで、治療のための注射をしていただいた」
(その後アレルギー体質の可能性について血液検査をしたが異常は検出されていない)

「そして、今度は心臓に異常を感じて、かかりつけの内科医に再び診て頂き、その断定
までには到らなかったものの外部からの異常な行為に遭遇しなかったかと問われた」

私も、それなりに、当時のことを振り返ってみると・・・

「昔の職場のOB会の宴も終わりかけた時に盃に一杯の日本酒を勧められて、それも
恩人 O氏からなので、断りきれず、口に運んで、上唇に、お酒が触れた瞬間、これを
勧められるまま呑んだら、昔のように、盃を重ねることになり、二日酔いでたいへんな
思いをしたことが記憶として蘇り上唇が少しお酒に触れた瞬間にやめた」のであった。
(私は、日本酒にすこぶる弱く、今でも、悪酔いした経験が頭から離れないでいる)。

お酒の盃を私に手渡してきた恩人O氏は、私の目の前の席ではなく横列に一人置く
位置関係で手を伸ばしてきたので、私が盃を上唇に付けただけで、盃を下に置いた
ことを恩人のO氏は知らない。

恩人のO氏は、元役員T氏の愛弟子にあたる。

かつて、元役員のT氏は、私に対して・・・

「俺の眼が黒いうちは、絶対に、あいつは管理職には任用しない」と、云い切ったと、
漏れ伝え聞いている。

昔、同じ社内とは云え、関ヶ原の合戦のような構図があって、こちらは小兵、あちらは
総大将、あちらが負けて、後の人事で相当に悔しがったとは聞いている。

小兵と云えども、こちらには、科学的な戦術があり負ける要因はなかった。

そのような事情もあって、私の管理職任用は、およそ10年遅れた・・・

「あのまま、盃を呑み干していたらどうなっていたのだろうか?」
真相は闇の中だ。
しかし、手がかりはなく、恩人の「O氏を疑うには」心に抵抗感がある。



翼を背負った女神が語る真実(2)

私は、定年(60歳)直前の波乱万丈のまるで、エアポケット(乱気流)のような状況に
到るまでの経過と、その後の年齢層に応じた年代別の層別してみたら、面白いかも
しれないと考えて「そのアイデア」を背中に翼を背負った女神に説明してみた。

先ずは、大ぐくりな層別から・・・

【概ね、順風満帆であった、人生航路の層別から】

◇20代から30代の前半は、武蔵野の大地を自由に駆け回った印象から、
                    この時代を「グリーンエイジ」と命名する。

◇30代後半から40代前半は、人生に静かな情熱を注いだ印象から、
                 この時代を「ブルー&レッドエイジ」と命名する。

◇40代後半から50代前半は、紅茶の味がわかるようになったことから、
                    この時代を「オレンジエイジ」と命名する。


【突然、乱気流に巻き込まれて、航路を取り戻すまでの層別を踏まえて】

◇50代後半は、職場で針のむしろに座らされていたような暗黒の印象から、
                     この時代を「ブラックエイジ」と命名する。

◇60代前半は、初期化を図り少年時代に戻って限りなく透明に近い印象から、
                    この時代を「ホワイトエイジ」と命名する。



【イタリアの旅で、中世のルネッサンスに、触発されてからの層別として】

◇60代後半から70代前半を・・・「シルバーエイジ」と命名する。

◇75歳からを       ・・・「ゴールデンエイジ」と命名する。

そのような発想に対して、背中に翼を背負った女神は微笑みながら、今、問題に
する必要のある必須の課題は・・・

◇ブラックエイジの暗黒の陰を断ち切り、ゴールデンエイジでは、善循環の環境を
整えること。それを考えると、今や、「暗黒の時代の人間関係を躊躇なく断ち切る」
ことが最重要である。そこに妥協の余地はなく、話し合う余地もない。

◇そのためには、ブラックエイジの時代におけるコミュニケーションを断ち切ることが
一番です。したがってOB会などへの出席などは論外です。

「確かに貴方が脳内でイメージしているように、ブラックエイジの暗黒の時代にも一筋
の光明として希望の光をかざしてくれた多くの恩人が居り、その方々への恩義を忘れ
てはならないことも確かであり、たいせつなことです」

「しかしながら、恩人であるO氏のように、貴方に希望の光を与え続けながらも元役員
T氏からの圧力と私的な組織力の働きかけによって貴方に盃を差し出すことになった
ことは確かな事実であり、真向いの席から盃を勧めなかったのは、貴方に差し出した
盃を呑み干して欲しくなかったのかもしれません」

「一方で周囲をなんとか説得して、貴方を遅ればせながら管理職への任用を推挙した
のも恩人の O氏であることを考え合わせると、恩人の O氏も、辛い立場に置かれて
いたのかもしれません」

「しかし、貴方にとって油断は禁物です。これからも、恩人とは云えO氏に隙を見せては
いけません」

そのことを伝えたくて、貴方の処を訪れたというのが「私からの真実」です。

「人間が生きて行くために、裏切らざるを得ない事例は、いくらでもあります」
「だからといって、貴方が命をかけてまで、私怨に付き合う必要はないと云うことです」

「カオス(混沌とした状況)の世界では、いつでも私怨の類の愚かな事実を隠して複雑な
様相に仕立て上げて、巧妙に仕掛けて来るものです」

「貴方が時間をかけて考え抜いても、貴方を取り囲む世界において、貴方自身なかなか、
その事実に行き着けなかったことでしょう」

「しかし、私たちは、明確に真実を見通せます。私たちからの真実を真摯に、受け止めて
いただければ、私が、貴方の処を訪問したことも報われます」

「実は、私たちも貴方の横浜港への訪問を随分長い間、待っておりました」

「これは、ゴールデンエイジ入りしたからこその運命の出会いかもしれませんね」
と、微笑むと、キラキラと輝く星を引き連れて女神は去って行った。

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確かに、ブラックエイジの時代の陰影は、後遺症的な作用として、無意識の中でなんらか
の影響を及ぼしているかもしれない。

そして、過去に、目に見える形での影響としては・・・

「昔なら、管理職定年に当たる55歳の時に、我々の事業本部は活況を呈していたのだが、
全社的な業績悪化の影響を受けて、管理職としての役職は維持したままで、年々、10%
づつの減俸が3年間続いた。

定年まで5年あったので、定年時は給与が半減するのかと、年度初めは戦々恐々の辞令
待ちが続いた。

しかし、定年の二年前から新制度の賃金制度に移行した。
(さすがに優秀な人材の散逸が始まって制度の見直しとなったようである)

この間、給与の減額を示した辞令を家内に渡す度に・・・

「なんとかするわよ」と、いう家内からの励ましの言葉に、救われながら3年間を耐えた。
(新制度の賃金体系になってからは若干の昇給もあり家内にも安堵の様子が見られた)



翼を背負った女神が語る真実(3)

リトル・プリンス・テニスクラブ(略称:リトプリ)の入り口は、メルヘンチックな雰囲気で、
玄関口の両脇には鉢に植えられた花々が飾られていた。

玄関ドアはアンチークなデザインになっており、テニス仲間が入って行く時には思わず
笑みが浮かぶ設えになっている。

クラブハウスの室内はウェスタン調で、早朝のオレンジが美味しかったカルフォルニア
のレストランを連想させた。

4月からのテニススクール入会の予約は電話で済ませてあるので、今日は銀行の振り
込み手続きなどを済ませれば、リトプリの仲間入りとなる。

私はゴールデンエイジ入りの記念に「老齢を超越する場」を探していた。

たまたま、現役時代にお世話になった狭山のブレントウッド・テニスクラブのHコーチが、
こちらのテニスクラブに着任されたことを知り、早速、現地を訪れた。幸いにもご本人に
偶然お会いして挨拶させていただいた。

長年お世話になった狭山のブレントウッド・テニスクラブは、一昨年、オーナーの老齢化
および遺産相続への配慮から、紆余曲折を経て、多くのテニスクラブファンの期待も空し
く一昨年末に閉鎖となり、それまで恵まれていた全天候型の理想的な室内テニスコート
を失うことになった。

それまでの間は「ゆっくりと打ち合う並行陣」と、いう独特の海老名流のテニス・スタイルに
学び、月曜日には入間市の市営のテニスクラブで、その週に習った、テニスのおさらいを
するということで、テニス仲間とのリズムが出来あがっていたのだが崩れ去った。

その後は、近郊の室内テニスクラブを行脚したが、お気に入りのテニス環境には廻り会え
なかった。

リトプリもプランとしてはあったのだが、距離的に遠いと云う印象が強かった。しかし狭山の
ブレントウッド・テニスクラブで、お世話になった名コーチ H氏が就任したと云うことで見学
に行ったのであった。

しかし、実際に現地に着いて、自宅からは、自動車で約30分間と思ったよりも近く帰路には、
お馴染みのサイボクハムが運営する源泉かけ流しの温泉にも立ち寄りが可能なことに気付
き、入会に向けて気持ちは一気に傾いた。

決まれば早い、幸い、4月から入会枠が1名分空いていた。

入会キャンペーンで、プリンスのテニスシューズをいただいた。最近、購入したお気に入りの
テニスラケットもプリンス、入会したクラブがリトル・プリンス、なにやらプリプリ化してきた。

帰りがけに、プリンスの風貌を感じさせるHコーチに挨拶をして帰路についた。
時に、3月3日の金曜日、お雛祭りの日である。

この後には、啓蟄と云う地中に冬眠していた虫も暖かくなって、穴を這い出る時期となる。
(今年は3月5日が啓蟄である)

自宅に帰ると1通の封書が届いていた。昔の職場のOB会へのお誘いであった。

元部長が「まだ足腰がしっかりしているうちに皆に会いたい」と、手紙の案内人の女史に
声がかかったのだと云う。

私も、元部長には、管理工学(IE)の分野でお世話になったので会いたいと思う。

ただし、今回のOB会の対象職場は、約7年間で三人の部長の交替があり、今回の案内
は、初代に相当するT部長が統率したメンバーであり和気あいあいとしてチームワークの
優れた職場であった。

その後は、私たちが主体になって、業務革新の旗振りをした斬新な職場であった。

最終段階の3年間は、新しい部長の着任と同時に、職場の空気は一変した。

私が「ブラックエイジ」と云う表現で、前述した暗黒の時代入りである。
時に、私は管理職定年にあたる55歳、職位と責任は維持されたまま、毎年10%の減俸
に突入した年である。

これだけであれば「武士は食わねど鷹楊枝」で耐え忍ぶことも出来たが事態はそんなには
甘くなかった。突然の嵐のように、毎日、出社するや部長に呼びつけられて・・・

「徹底的な人格否定」が開始されたのである。

訳も・理由も・経緯も・分からない状況で、これが、約3年間も巧妙な手口で続けられた。
(当時、地獄で、針のむしろに座らされるとは、このようなことかと思った)

しかし、真相は、意外なところから伝えられた。原動機の事故調査にあたった技術職の
先輩から「おまえ、今、たいへんらしいな」と云う一言で話は始まった。

新任のM部長の異動は、この原動機の事故調査とも、密接な関連が想定されており、

「彼が原動機の軽量化と称して、鋼材から、軽量・強化プラスチックへの材質変更を
図り、その回転体が作動中にバックリング(座屈)現象を起こして、軸受部の損傷を
引き起こした」

「その原形の設計は、かつて、私が描いた図面であり、もちろん強度試験や耐久試験
も済ませて万事抜かりなく、材質も鋼材を使用しており、今までに問題が発生したこと
はなかった」

「ところが、M部長は、初期の図面を描いた私に責任があるとして論調を押し通したが、
事故調査委員会ではM部長の安易な軽量・強化プラスチックへの材質変更が主原因
と特定した」

今回のM部長の人事異動が、そのことに関連が有るとは、誰にも断定出来ないが、
たまたま、私が、M部長の異動先に在籍していたため・・・

「格好の攻撃目標になった可能性は否定できない」と、云うことのようである。

「お前さんも・良く三年間も・耐えたものだよ」と、同情を越えた温情のようなものを感じ
取った。その後、私は以降の顛末は知らされていないのだが、当時、役員に就任して
いた恩師O氏の計らいもあり、私は、他部門に異動することで活躍の場を得た。
(この経緯も後日談として聞いた)

さて、今回、ご案内いただいたOB会に出席するか否か・・・

祖父から譲り受けた双眼鏡を手にして、翼を背負った女神の居る横浜港の方角を覗い
てみると、女神が、こちらに向かって微笑みながら、何か話しかけている。

口元を真似て辿ってみると・・・

「横浜港に来て、ペリーポイント辺りを眺めてみなさい」と、云っているように見てとれた。
最近は、入間市からも横浜の中華街行きの直通電車が走るようになり、海のなかった
埼玉県も「海が近くなったような気がしているので、早速、行ってみるか!」



老齢を超越するロケーション(1)

横浜港の「翼を背負った女神」のお膝元に、もう一つの「老齢を超越する場」を設けて、
海を眺めながら思索に耽るのも良いかもしれないと考えて、インターネットの路線案内
を調べてみた。

自宅を9時半過ぎに出れば、直通電車で、11時過ぎには横浜港に着くことが出来る。
横浜港の近郊で昼食を摂り、午後3時頃には直通の帰りの電車もあるのでお手軽な
散策コースである。

家内と共々出掛けて、鎌倉ファミリーと中華料理を楽しむのも良い考えかもしれない。

今日は、タイミング良く放送大学から授業のテキスト「日本文学の名作を読む」も届い
ており、4月から始まる授業の予習として直通電車の車内で読みふければ、自宅から
横浜港までの移動空間を含めて、老齢を超越するロケーションとして動く書斎の如くに
活用出来る。

既に、リトプリ・テニスクラブとサイボクハムのかけ流し温泉と、入間市のテニスコートを
つなぐ広域地帯に老齢を超越するロケーションを設けたので、これに加えて、サイバー
スペースにおける趣味の俳句と、吊り橋理論に沿った星空文庫の小説家としての活躍
の舞台を整えれば、老齢を超越するゴールデンエイジとしての活躍の舞台はほぼ用意
出来たことになる。

今回、横浜港までの電車の中で読もうとしているテキスト「日本文学の名作を読む」は、
島内裕子教授が新境地で解析された「枕草子」における新発見も収録されているような
ので読む前からワクワク感が先行している。

この著者の島内裕子教授の授業は何度か受けているがテキストの文面は分かりやすく、
講義の際のお話しも楽しく、思わず引き込まれる魅力がある。

今までの受講内容と経緯を追ってみると・・・

◇日本文学概論     島内裕子 放送大学教授 著
◇日本文学の読み方         島内裕子 放送大学教授 著
◇徒然草をどう読むか         放送大学 叢書 島内裕子 著

などがあり他にも「徒然草」島内裕子校訂・訳については授業で徒然草の原文に沿って、
みんなで声を出して読み合わせるなどの画期的な授業も体験した。

また、訳文は、島内裕子教授によって深層心理にも触れた斬新な解釈も加えられており
文面を紐解いて行くと独自の現代版徒然草ワールドに誘ってくれる。

島内教授は、徒然草のリズム感は、モーツアルトの楽曲にも共通するところがあるという
独自の解説も加えている。

私はこの徒然草の島内教授による訳文は何度となく読み返して楽しんでいるので、これも
入間から横浜港までの直通電車内で読み返すのに最適かも知れないと考えた。

今までも徒然草の島内教授の訳文を読み返すことにより、次のような「テニスへのヒント」を
得た具体例があるので、あらためて通読することで新たなヒントが得られるかも知れない。

【テニスにおけるヒントの二つの具体例】

 一つ目は、徒然草「第百十段」からのヒント
           (先ずは、島内裕子教授の訳文から抜粋)

【訳】 双六の名人と言われた人に、その必勝法を尋ねてみましたところ「勝とうとして、打って
はいけない。負けまいとして、打つべきである。どういう手を打つと、すぐに負けてしまうのだろ
うかと熟慮し、その手を使わずに、たとえ一目なりとも、遅く負ける手を選んで打つべきである」
と言うのだ。

これは、双六の道の奥義に達したうえでの教えである。
自分の生き方をきちんとし国家を正しく保ってゆく道においても、また同じことが言えるのだ。

☆これはまさにテニスの試合などにも共通する話であり、テニスの試合においても最初から
「勝ちに行く試合」には、気持ち先行のゲーム展開の傾向が強くそこには、戦術に欠ける面
がある。

負けないテニスと云うのは、練習試合で負けたりして・・・

「何故、負けたかを考え、分析した上で、負けない戦術を練る」、そして戦うのでテニスを科学
するプロセスが加わる。

したがって、本番の試合が始まってからでも・・・

「この負けないテニスが目指すところの科学する眼が、試合中に作動すれば、以降のゲームに
おいて軌道修正が可能である」結果、負けないのである。


【さらなる、テニスにおけるヒントの具体例】

 二つ目は、徒然草「第九十二段」からのヒント
           (先ずは、島内裕子教授の訳から抜粋)

【訳】 ある人が、弓を射ることを習う時に、二本の矢を手に持って、的に向かった。
すると師匠が言うには「初心者は、二本の矢を持ってはならない、後の矢をあてに
して最初の矢を射る時に、いい加減な気持ちが出てしまうからである。毎回、絶対
に失敗のないよう、最初の矢で必ず的を射なければならないと、思いなさい」
と言った。

師匠の前で、たった二本の矢のうちの一本を、おろそかにしようと思う人はいない
だろう。けれども、弛む心を本人は気づかずとも、師匠は気付いているのである。

この教えは、すべてに通じると言ってよい。

道を修行しようとする人は、夕方には翌朝があることを思い、翌朝になると今度は
夕方があることを思って、後でよく修行して身に付ければよいと、ついつい先延ばし
にしがちである。ましてや、一瞬の間にも弛み怠る心が、自分にあるということが、
わかろうか。

本当に「ただ今の一念」、つまり、この一瞬のうちにしなければならないことを、すぐ
さま実行することが、何と困難なことであろうか。

☆これは、まさにテニスでサーブを打つ時の基本姿勢として、指針そのものである。



老齢を超越するロケーション(2)

西武電車で、入間市から、元町・中華街までの直通電車内での過ぎし方を想像して
いるうちに・・・

脳内で、今回の「昔の職場のOB会」へのお誘いについて結論が出てしまった。

答えは「不参加」である。たしかにオレンジエイジの時代の懐かしいお付き合いであり
古き善き時代の思い出も手伝って、参加したい気持ちも強いが、案内状を封書で送付
いただいた女史は、同じ部門において、ブラックエイジの時代にも席を並べた仲間でも
あり、OB会の準備を進める過程で、OB会の対象も範囲が広がる可能性もある。

会場に着いてみて、ブラックエイジの時代の三代目のM部長が居ることに気付いて、
急遽、帰ると云う訳にもいかない。

ここは、翼を背負った女神からの貴重な警告も考慮して、あの時代の黒い影を再び
踏むようなことはしないほうが賢明のようである。

私の企業人としての人生を大きな瓶の中における航海として例えるなら管理職定年
としての55歳からの約3年間は、M部長によって、瓶にコルクによる蓋をされて窒息
寸前まで行きつき恩人のO氏によって、ようやくコルクの栓が抜かれて息継ぎの機会
をいただき、定年の60歳までを、まさに、休暇を取る暇もなく一生懸命に駆け抜けた
感がある。

それだけに、定年の日を迎えた、その翌日の朝の感動は、今でも忘れない。

あの朝は飼い犬との散歩に出掛けて林の中の新緑に眼が癒されて心の中で思わず
「セーフ」と叫んだ。

それだけ暗黒の約3年間の陰影が色濃く心を支配していたということである。

そして、私の定年(60歳)までの約2年間の一生懸命は・・・

定年後の講師を兼ねたビジネス・コンサルタントの仕事にも、そのままの勢いでつな
がって行き、顧客のオーナーの期待に、大いに応えることが出来た。

私の吊り橋理論の「吊り橋」は、見方を変えれば現役時代のオレンジエイジと定年後
のシルバーエイジをつなぐ、私にとっての「心の架け橋」であったのかも知れない。

そして、眼下には底知れない暗黒の谷のようなブラックエイジが観て取れる。

私が、定年の日の翌朝に、あれほどの安堵の気持ちになれたのも、定年の日の晴れ
舞台があったからこそと思っている。

私が、定年前の約二年間に任された任務は・・・

設計部門と生産部門をつなぐ技術情報のデータセンターの近代化であり、これも因縁
的なめぐり合わせであるが、該当の部署は、かつてM部長が統括していた部署であり、
データセンターの機能は三事業所にそれぞれ独立する機能として配置されていた。

当時、現地に着任して分かったことは・・・

◇M事業所では「M部長による業務改革をうたい文句にして約5名の減員があり」効果
が確認されていない段階での人員削減を図ってしまったために「職場は大混乱の状態」
に陥っていた。

◇また、T事業所では、改革システムが円滑に機能していないために機能麻痺の状態
に陥っていた。

◇そして、K事業所も、T事業所と同じような状況に陥っていた。

私としては、三つの事業所を1週間のスケジュールを割り振ることで巡回、移動中は
情報機器を活用して現地の状況を逐一把握しながら「新しいシステムの構築」および
「人員の適正な補充」に注力、外部のシステム・エンジニアの助けも借りて約1年半で
軌道に乗せることが出来た。

この過程ではコンピューターの2000年問題にも遭遇、正月返上で情報機器システム
を守り抜いた。

このような経過で、新機能を装備したデータセンターは、高く評価されて全社的な表彰
を受けた。

私の定年の日には、このシステムの構築に関わった他部門のメンバーも定年の日の
宴席に加わってくれて「至福の喜びの会」となり、当日は、自宅までハイヤーで送って
いただいたのであるが、帰路には、あちこちで桜が満開、そのような喜びの日の翌日
の朝であっただけに、林の中の新緑が、いっそう目に映ったのかもしれない。

そして、実際に「吊り橋理論の概念」を引き出すことになった研究論文は、定年後の
ビジネス・コンサルタントの時代に書き出したものである。

実は、この話にも紆余曲折があって約20年間の歳月を要して結実したものでもある。

そもそもの話の起点は、今回のOB会の実質的な発起人であるT部長の後輩のA氏
の早期退職制度への応募がきっかけであり、その潔さに「鮮烈なインパクト」を感じ
取ってからの一念発起とも云える。

当時、私は40歳代、勤めていた会社は急激な円高の影響により輸出が激減して大幅
な業績悪化が避けられず、やむを得ない経営判断として会社は人員削減に経営の舵
を切った。

そして、第一の手だてとして早期退職を募集した。

多くの優秀な人材が、早期退職に応募、その中には管理工学(IE)の権威者でもある
T部長の後輩のA氏も手を挙げたことを知り驚きと同時にその決断に眩しさを感じた。

あの時、大いなる衝撃と同時に、痛切に感じ取ったことは、これから先、再び同規模の
大型不況が押し寄せてきて企業としての経営が危うくなった時に「企業に残るにせよ」
「去らざるを得ないにせよ」専門性を身に付けていないと、「先行きがない」と云うことを
痛感したのであった。



兀型の専門性

私は専門性ということを考えた時に・・・

自分にとっての専門性は「T型の専門性を身に付けることが有用な方策ではないか」
と考えた。即ち幅広の経営戦略の基礎を身に付けて、自分で、今、活躍している管理
工学(IE)の実践をさらに深く掘り下げて行く。

そして、ある程度の実績を積み重ねた時点で、もう一つの専門分野を開拓して、
「兀型の専門性」に発展させて行く。

「それは、将来に向けて布石を打つことになるのか?」

私は、この考え方で準備が出来れば、盤石の構えで準備が出来ると確信した。

現に、管理工学(IE)の分野では、他社との異業種交流の場で、お互いの事業所や
工場訪問をして現地・現場での実践交流にも参加しており、管理工学(IE)の専門職
として、他社においても通用する手応えを感じ取っている。

そして、外部に向けた講師としての経験では、日本IE協会の推薦で日本生産性本部
が主催する「生産性の船」にも講師として、約2週間の乗船経験があり、中部IE協会
では名古屋において、自ら、開拓した独自のIE技法であるところの「ビデオIE」を駆使
した工場革新の事例などを紹介する講演を経験しており、T型の専門性における深堀
の分野では実績も重ねてきている。

さらにこれを「兀型の専門性」に発展させて行くための「もう一つの専門性」の深堀分野
の開拓として、社会人向けに公開されている放送大学に入学して「心理学」を専攻する
ことにした。

ただし、この場合は、文部省認可の大学であり単位認定試験などを伴う学習となるため、
学習時間の確保など家内の協力も必要になって来るので、よくよく相談の上での決心と
なった。



幅広の「経営戦略の基礎」の習得については・・・

家内から、「これからの企業人は、自分自身に向けた資金投資も必要になってくる」と
云う励ましと応援により、プレジデント社が発刊している経営大学院(商品名)全25巻
の購入を決めて、即、注文すると、すぐに段ボール2箱分の教材が届いた。

教材の構成はテキストとビデオ&カセットの充実した内容であり、特典として前述した
ことがある作家:童門冬二先生の講演への招待券が付いていた。

これによって、「兀型の専門性」習得のための学習教材と学習環境はほぼ整った。

そして、それからの猛勉強は久々のものであり、帰宅後の深夜および休日は、学習
また学習と云う日々を過ごすことになった。

私にとって、これらの学習はやがて実践経験を経て血肉となって行った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回、私の喜寿(七十七歳)のお祝いを、伊豆の温泉地にて催していただけるという
ことになり、鎌倉から、伊豆に向かう道路渋滞を考えると、鎌倉ファミリーのところに
前泊したほうが賢明という判断が成されて・・・

私達は前述の入間から横浜の元町・中華街行きの快速急行の電車に乗り込んだ。

電車内では、かつて「老齢を超越するロケーション」として、この快速急行の存在も
視野に入れていたが、久々に乗車してみて感じたことは「元町・中華街の電車」が、
東京首都圏に融け込んでいる印象を抱いた。

入間駅から渋谷駅まで一時間、その先には新宿三丁目の駅ががあり、渋谷駅から
は車内も混雑して、首都圏の脚として自然体で融けこんでいる。

最早、渋谷の街も、横浜の中華街も、少し遠めの散歩道の範疇なのである。

その様な状況の中で前述のような「老齢を超越するロケーション」として考えたことを
思い返してみると、もっと気軽に、横浜のロイヤルパークホテルなどに出掛けて中華
料理などを楽しんでもよいのかも知れないと考えた。

今回、鎌倉ファミリーに招待していただいた老舗旅館「望水」も・・・

「望水」という名前から発想を広げれば「水は、器に合わせて形を望み通り」に変える
ことが出来る。もっと柔軟性をもって、フレキシブルに発想したらということになる。

そこで「生涯青春ラケットとジェットの物語」の構成も・・・

◇本稿「Book1」では、引き続き「グリーンエイジ」から「ブルー&レッドエイジ」の時代
 を描いて、武蔵野の古き善き時代を謳歌

◇本稿「Book2」では、令和に連なる伊豆の老舗旅館「望水」から臨んだ初日の出を
 巻頭に置いて、これからの生き様を人間学の眼を通して探求

◇本稿「Book4」では、インターネット上の「趣味?俳句でしょ!」藤田昌也氏の主宰
 を通して「ブラックエイジ」を乗り切って行った情景の検証

など、それぞれの器を、自在に行ったり来たりしてみたいと考えている。



202 令和につながるハワイアンと卓球

プレミアム・ゴールデン・ウイークの10連休を活用して、各地域のファミリーが
我が家に集まることになった。ちなみに、各地域のファミリーは総勢で十五名
プラス飼い犬がワンという規模になる。

私の執筆「シルバーエイジの物語」で、我が家は九年前に7LDKの大所帯が
暮らす住居が、南側のお宅の住居の二世帯住宅への建て替えにより、日当
たりが極端に悪くなることが予想され、終の棲家と考えていたそれまでの住居
を売却して引っ越すことになった。

新たな「終の棲家Ⅱ」は、入間ケ丘に日当たりの良い土地を求めて新築した。
これからは、夫婦二人だけの住む「対の住処」でもありダウンサイジングして
家を建て、引っ越し荷物も半分は廃棄処分とした。

ゲストルームも一部屋に絞り込んだため日常的には掃除なども楽になったが
各地区のファミリーが集まるとなると、寝所のやりくりがたいへんである。

今回、ゲストの第一陣は、伊豆の老舗旅館「望水」にて喜寿を祝っていただき、
すっかりお世話になった鎌倉ファミリー、平成のハッピーエンドを祝す4月29日
に帰省客となって再会をエンジョイした。

そして、今回も、驚きのプレゼンテーションがあった・・・

平成の時代の最終日(4月30日)に、家内は通常通り早起きしていたが、私は
まだ起床して寝ぼけ眼の状況の中で「ハワイに行こう」ということになった。

鎌倉の若旦那の運転にて着いた先は・・・

小手指(北野)のコナズ珈琲店(Cona's Coffee)であった。

駐車場に車を止めた瞬間から、雰囲気はハワイアン、近郊に住みながらも同じ
通りに中華料理の旨い店は知っていたが、コナズ珈琲店は知らなかった。

店内に入ると Cona's Coffee の香ばしい薫りが、店内のフロアーは余裕
感を演出したソファーや調度品がハワイアン・テーストで設えてあり、異国情緒
が漂う雰囲気に酔うことができる仕掛けになっている。

しばらくして出されてきたモーニング・プレートも盛りだくさんで、店長、お勧めの
コーヒーも申し分のない香りと旨さであった。

帰宅すると、卓球をしたいということになった・・・

入間体育館に卓球の練習場があるが、実情が分からないので現地に出掛けて
みることにした。窓口で確認すると現状では満員御礼だが、午前11時になると
交替になるので、その時間で良ければ練習できると云うことになった。

卓球のラケットは、たまたま前日にスポーツ・デポで買い揃えていたので運動靴
のみ買い求めれば練習は可能なので、待ち時間を活用してシューズショップに
出掛けた。

俄かの練習メンバーは、鎌倉の航ちゃんと若旦那と私の三名、航ちゃんは私立
中学の入学に当たっては、部活を 卓球にするか? 野球にするか? 思案中
なのだと云う。

野球は、子供の頃から親しんで来ているので、あまり経験のない卓球は実際に
練習に取り組んでみることで、選択肢としては選び易くなる。

仮に、卓球を選択することになっても友達同士で野球はできるので買い揃えた
道具も無駄にはならないので、選択肢を広げておくことは望ましいことであろう
と推測する。

実際に練習が始まって、卓球ラケットをシェイクハンドで握ってラーリーは50回
以上続くので、最近、始めたと云う友達同士の練習効果は出ているようである。

鎌倉の若旦那と私を相手にゲームもやってみたが、そこそこ・善きゲームを繰り
返せたので、野球と卓球どちらを選択しても上手く行きそうな気配である。

そこで、私自身も考えた・・・

鎌倉ファミリーが入間に遊びに来たときには、卓球と云う共通の趣味で楽しめ
そうなので、私も、五月から始まる卓球教室に参加して、基礎を学んでおくこと
にしよう。

かつ、私が、今までに取り組んできた卓球は、ペンシルハンドなのでこの際に、
シェークハンドを身に付けよう。

そして、願わくば・・・

◇月曜日は、テニス練習(ホームグランド的な位置付け)

◇水曜日は、卓球をシェークハンドで習える場を見付けて、テニスにつなげる

◇金曜日は、バドミントン練習が軌道にのってきたので、テニスに役立てる

そんな・こんなで、4月30日には、名古屋ファミリーが我が家に合流して・・・

令和の5月1日には、鎌倉と名古屋ファミリを引率する形で、家内は日光の旅に
出掛けた。

私と飼い犬ももは、自宅で留守番、先日、伊豆に出掛ける際には飼い犬ももの
ペットホテル嫌いを承知で預けたので今回は私が自宅で付き合うことにした。

我が家の飼い犬は先代のシェリーにしても、ももにしてもなかなかの存在感ある
キャラクターなので、本稿の Book 3 で特集を組もうと考えている。

サブタイトルは「吾輩は猫ではない」をイメージしている。

このタイトルの由来はと云えばかつて数年前に鎌倉ファミリが家を新築する前は、
築七十年超の洋館に住んでおり、昔、夏目漱石の三女栄子さんが暮らしていた
ことがあり、その話を、娘の嫁ぎ先のおばあちゃまから聞いた。

大いに興味を持った私は、鎌倉文学館や神奈川文学館において、夏目漱石の
足跡を辿ったり、漱石が鎌倉の海水浴場で外国人を案内する場面が登場する
小説をはじめとして、多くの作品を我が家の蔵書と電子辞書に掲載されている
多くの作品を読破することで親しみを深めた。

そこで「吾輩は猫である」の目線で書いた小説の寄稿にも触発されて、飼い犬
の目線から、我が家の家族を描く寄稿も面白いかと考えて・・・

「吾輩は猫ではない」もありかと考えた。

そして更に書き添えれば、今回のプレミアム・ゴールデン・ウイークを活用して
「騎士団長殺し」村上春樹著の新潮文庫本四冊を読破した。年末年始の時に
は「1Q84」村上春樹著の蔵書を座椅子で一気読みで読み返して腰痛になり
正月のバスツアーに参加できなかったので、今回はキッチンの椅子で、読み
こなした。

騎士団長殺しの読みこなしでは、本稿の記述に関しても思いがけない気付き
があり、いずれ稿を起こしたいと考えているが、私としては「1Q84」において
主人公が主客交替の記述をしている点に斬新さを感じ取り・・・

本稿 Book 3 の飼い犬ももを主人公にした小説について、ももと私が主客
交替する形で執筆をしてみたいと考えている。

そして本稿においては、日光から帰って来た、鎌倉の航ちゃんと若旦那が日光
の旅先のホテルでも卓球に興じて、入間でもまた名古屋の子供たち二人を加え
て入間市体育館での卓球練習に励んだことを考えると、私も、五月からの卓球
教室で、本気になってラケット競技の一つに卓球を加える必要がありそうだ。



203 大河ドラマの韋駄天も過ごした古の学び舎

池袋で地下鉄丸の内線に乗り換え、始発からは二つ目の茗荷谷の駅で降りて、
駅そばのパン屋さんで昼食のサンドイッチと葡萄パンを買い込んで、学び舎に
歩を進める。

この駅からの南側に位置する拓殖大学では、義弟(家内の弟)が英語の講師を
担当、一度、見学に行ったことがあるが活気のあるキャンパスであった。

その道筋には、小規模ながらコ洒落たレストランが多く並んでおり学生街という
雰囲気はある。

義弟は、上智大学を卒業後、イギリスの大学院で語学のさらなる研鑽を積んで
都内の進学塾で英語学の指導に励み、人気講師としての役目を終えてからは、
拓殖大学の講師に転身して、自由人として英語学の研究の道を貫き通しており
その生き方には羨ましいものがある。

彼の書斎には多くの蔵書があり、私も「イギリス文学」と「ゲーム理論」の書籍な
どを借りて、自宅で読み通してみたが、面白かったのは・・・

◇シェークスピアには、多くの名作があり、シェークスピアは複数人が存在した
のではないか? と、いう仮説を多くの文学者が検証、大まかな結論としては、
「やはり、シェークスピア独りによる作品」と結んでいるところが面白かった。

◇また、我が家の飼い犬「シェリー」に因んで、イギリスの文学者 シェリー の
作品を堪能、飼い犬にも読み聞かせた?

さて私がこの駅から歩いて行く学び舎は、茗荷谷からは、北側に位置する大きな
公園内に在り、かつては、古びた学舎であったが、今から、何年か前に建て替え
られて近代的なビルディングに大変身した。

学び舎の入り口には先日のNHK大河ドラマで放映されたワンショットとして・・・

筑波大学と放送大学の学舎案内の連名プレートが、放映のために幾分磨かれた
印象で目に映った。近代的なビルとして建て直しされた学び舎は合同学舎の造り
になっている。

社会人向けに開放された 放送大学は、地下一階から・三階までが学び舎として
開放されており、四階から上は筑波大学の学び舎として設えてある。

今年の前半、大河ドラマの主役を努める韋駄天こと金栗四三氏は、東京高等師範
学校(現 筑波大学)に在籍、後に師範学校の教師も努めており、今回、学び舎の
入り口には、金栗四三氏に関する記念品の展示が紹介されていた。

我が家では、今年の大河ドラマ観賞について、面白い現象が起きている・・・

「今までの大河ドラマの観賞においては、夫婦共々、日曜日の夕食後の楽しみとし
て、リビングのソファで肩を並べて、毎回、続編を楽しみにしながら観ていた」

「今年は、家内は、大河ドラマの韋駄天には興味がないので観ないのだという」
「これに対して、私は、2020年東京五輪開催の前年でもあり、是非、観たいと思い
例年通り、引き続き観賞している」

「今年の後半になって、主役が交替することで、家庭内における大河ドラマ鑑賞の
在り方は変わって来るのだろうか?」

「わからない」

「確かに朝ドラなどに比べて、女性陣が、その所作にうっとりするような役者の存在
が少ないのかもしれない?」

かつての加山雄三のような若大将が韋駄天役を努めたら、女性陣も、日曜の夜を
朝から待つような展開があるのかもしれない?

しかし、実像としての韋駄天こと・金栗四三氏こそ、超自由人でありマラソン競技を
通じて自己実現を果たしてからは、女性を主体にした学び舎に赴任して、数多くの
才女に向け、まさに、他己実現的に女性スポーツの振興を果たした功績は大きい
と云える。

さて、今回、学び舎で一番大きな講義室は「国際政治の新しい形」高橋和夫教授の
授業で約150名が集う人気のカリキュラム、当日、高橋教授には駅ビル内でお会い
したが、相変わらずエネルギッシュな印象を受けた。

高橋教授から学んだ「郷に入りて、後、郷に従え」という独自のフレキシブルな発想
には共感するところが多く、今でも地域のスポーツ振興などにおける場面において
円滑な人間関係を築くことに役立っている。

私の本日の受講講座は「日常生活のデザイン」黒須正明教授が担当される授業で、
「既存の学問分野ではなく、日常生活の基本である自分自身の生活の送り方につい
て考えてみよう」という新たな視点の当て方に興味を持って授業参加した。

黒須教授も、大学院で心理学についての研鑽を積んでやがて一部上場企業に入社、
その後、大学での教鞭を重ねて、定年後は放送大学などで学研肌を生かし、やはり
自由人としての日常生活を送っており、自由を謳歌している印象がある。

授業はパワーポイントを活用した展開で、社会生活における造形物やシステムなど
のデザインの考え方や方法論が、そのまま日常生活のデザイン論として活用出来る
か? という疑問符に関して、考察を進める授業であった。

授業内容は分かりやすく構成されており、私は「Yesの立場」から論証を進めた。

私が、最終的に、レポートとしてまとめた内容は・・・

◇かつて、新入社員の時代に培った「純国産ジェットエンジン」の量産設計の経験は
最近の日常生活の基盤において、終の棲家を建て替えるという、住居設計における
分野で生かされることになった。

◇我が家では、2010年 家内の定年退職直後に、南側の隣家が二世代住宅への
建替を計画、我が家は、極端に、日当りの少ない劣悪な日常生活に陥ることが予見
されたため、それまで終の棲家と考えた住居を土地ごと売却することにした。

◇そして近隣に日照面で将来的にも問題の起こらない土地を購入「終の棲家Ⅱ」と
してのデザインに着手、その時点で子供たちは独立してそれぞれに住居を確保して
おり私と家内プラス飼い犬ワンの暮らしなのでダウンサイジングすることをデザイン
に組み込み、「対の住処」的な発想で住まいの在り方を考えた。

◇また、純国産ジェットエンジンの量産設計修了後は、管理工学のエンジニアとして
動作分析などに取り組み、企業の生産性向上に寄与して来た経験があり、この面か
らは、日常生活の基盤となる住居内における動作分析などにそのまま役立った。

◇新しくダウンサイジングした住居では、私と家内と飼い犬が共に行動して、たまに
ゲストとして各地区のファミリーが我が家を訪問した時に、孫たちが、ハウスダストの
影響を受けない様にするにはどうするか?

◇具体的には、フォーカスポイントとして「ゴミの収集や排出をどうするか?」
先ずは、ゴミ類の流れを把握することと住居内での動作分析を考察した。

◇我が家において、ハウスダストとしてのゴミを、一番排出するのは飼い犬である。
そこで、先ずは、飼い犬の居住区域を一階の南西の角に決めて、飼い犬の専用の
トイレから出る汚れたシート類は、即、南側の庭に出せるようにした。

◇飼い犬の居住区を南西に位置付けておけば汚れを雑巾などで拭いても、すぐに
乾くので、匂いが部屋にこもる度合いは緩和出来ると考えた。

◇また室内にドッグランは用意出来ないが、直線で約10メートルはダッシュできる
空間は確保した。これによって、最もハウスダクトが集中するのは、一階リビングで
あり飼い犬の動作分析をする限りにおいて、このエリアが、一番小まめに掃除機を
かける必要があると断定した。

◇このことから、一階は、人間と飼い犬の共同エリアとするものの二階は人間のみ
の居住区としてハウスダストを避けたい洗濯物などは、二階のゲストルームおよび
バルコニーで集中的に扱えるようにクリーンエリアを設けた。

◇したがって、二階は飼い犬臭は感じられないが、一階の玄関口での飼い犬臭は
避けられない点が残念ではあるが、ただし、このエリヤはシューズインクローゼット
やトイレも隣接しており、徹底した脱臭策は取り組もうと思えば取り組める。

◇工場のレイアウト等でも、臭いを発生させるエリアの対策は重要であるが、我が
家においては、飼い犬の動作分析に沿ったハウスダストや臭気対策は、最重要課
題となって来るので、人間の動作分析に先行させて計画する必要があった。

そして、人間系を中心に置いた、日常生活における住居設計という見方・考え方に
ついては、その経緯と体系を「シルバーエイジの物語」としてまとめて、星空文庫の
作品群に収録してあるので、並行させて、再レビューしてみたいと考えている。

本講座において面白い展開があったのは・・・

土曜日と日曜日の終日における集中講義の二日目の朝、予め予告のあった設問に
対して考えるための時間的余裕があったので、回答(案)をドラフトにして、図柄を描
いていたところ前席に座っていた女性が、早くも回答が描けると云うことは講義内容
に物足りなさがあったのでは? と、聞いてきたことであった。

たしかに、今回の回答は、講義を受ける前に、既に「シルバーエイジの物語」として
記述が完成しており、黒須教授の講座を基調講演とすれば、私からはYesの立場
から実践講座が組める立場にある。

かつて、私が管理工学のエンジニアとして取り組みを始めたときに「ビデオIE」という
技法を編み出して、工場経営面における改善活動を実践、その先進性が評価されて
日本インダストリアル協会主催の研究発表会において・・・

青山学院の佐久間章行教授による「ビデオを活用した作業研究」の基調講演に続き
「ビデオIEによる作業改善」として研究発表、この関東地域での発表に加えて、中部
IE協会からも発表を依頼されて、トヨタ自動車のお膝元で、ビデオIEの説明会をした
ことがある。

中部IE協会における事例発表は、芝浦工業大学の津村豊治教授による基調講演の
後でビデオIEの実践例としてビデオ機器を教室に持ち込んでの発表であったが好評
であったと聞いている。

津村豊治教授と佐久間章行教授は丸善株式会社から「作業研究」の共著も発刊され
ており、企業内における生産性向上運動のための基礎知識として、あらためて学ばさ
せていただいた。

その後、津村教授には、渋谷にて日本IE協会が主宰する「IE実践研究会」のメンバー
に加えていただき、約20年間も師事する境涯に恵まれ大学や大学院のゼミ研究生の
ような立場で、自社の企業革新に多くの気付きをいただくことになる。

そして、この独自の「ビデオIE」の技法開発こそが社内外に向けて、管理工学における
エンジニアとして、その専門性を深めて行き、企業内でも新しく稼働開始した工場運営
の革新的な生産性向上運動において頼りにされる存在となって行く。

この先の展開については Book 1 において、純国産ジェットエンジンの量産設計の
完了に継ぐ、エンジン出力増強のためのエンジン改造、さらには、中等ジェット練習機
から対潜哨戒機に向けたエンジン換装を経て、エンジンの大量生産、「ビデオIE」技法
の開拓までの道のりを物語ることにしよう。

ドイツの哲学者「ニーチェ」の名言として・・・

「脱皮できない蛇は滅びる」 あるいは 「脱皮できない蛇は死ぬ」と云う表現があるが、
日頃からの研鑽によって、脱皮できるチャンスをけっして逃さないと云う日常的な努力
の積み重ねも不可欠であると考える。

   ~ それは、企業にとっても、個々人にとっても ~


204 令和における創られたカオス(混沌)の存在

梅雨空からの降雨が止む気配もなく、一階の和室八畳間で飼い犬と並ぶようにして
横になっていると、珍しく背中に翼を背負った女神とアトキンス博士が来訪された。

女神「お元気で、お過ごしでしたか?」

小生「ゴールデンエイジになって、元気だけが取り柄で、日々を過ごしております」

博士「最近は、ラケット競技も、テニスとバドミントンに加えて卓球を研究中とか?」

小生「はい、鎌倉の孫が希望していた私立中学に合格して、卓球を部活に選んで
練習を開始したようですので、夏休みなど相手が出来れば良いと考えまして」

女神「お孫さんは、野球部が一番の希望のようでしたね」

小生「私が高校時代に目撃した教室での体験として、野球部のメンバーは授業の
二時間目の休み時間に、一個目の弁当を食べて、昼休みには目一杯、野球練習
午後の授業の休憩時間に昼食を摂る話をしましたら母子で納得してました」

女神「それが、彼らが確立した生活リズムなのね、その後、居眠りが心配ね」

小生「居眠りはしていませんでしたね。その年、彼らは甲子園に出場しましたから
初志貫徹でしたね」

博士「その話を聞いたら、母子で、それじゃ大学受験に向けての勉強時間の確保
は難しいと感じたのでしょうね」

女神「野球に徹して、大学への推薦入学という、選択肢もあるでしょけれどね」

博士「理系や文系の大学受験を目指すとなると、卓球の選択は、正解でしょうね」

小生「今回、私も、今風のシェークハンド・スタイルの卓球を覚えようと考えて市が
主催する卓球教室に入会して、五回ほどレッスンを受けました」

女神「レッスンの成果はありましたか?」

小生「シェークハンドの場合のラケットの握り方についてヒントを掴みました。私は
昔風の人差し指一本立ちシェークの握りで打ってましたが、今は九十度真横握り
なんですね」

女神「それは、新しい発見でしたね」

小生「そうなんです。そこで継続的に卓球練習に取り組もうと考えて卓球同好会を
立ち上げたところ12名が参加してくれて、保留が2名という状況です」

博士「やることが早いですね」

小生「やはりタイミングが大切と考えて練習会最終日に声をかけて実現しました」

女神「もう、練習道具は揃えましたか?」

小生「練習ボールは120球、用意しましたが、問題はラケットです」

博士「ラケットは、シェークですか? ペンスタイルですか?」

小生「練習会で、シェークのレジャー用(値段は千円くらい)で打ってましたら、本気
でシェークなら本格的なラケット(値段は七千円くらい)を用意したほうが、良いとの
アドバイスをコーチの方からいただきました」

女神「踏ん切りがつきにくいわね」

小生「そうなんです、まだまだペン・スタイルに未練があって、現在は、レジャー用の
シェークをペン・スタイルでも打てるように、握り手の部分を彫刻刀で加工して両用
出来るようにしているのですが、悩み深いですね」

女神「悩み深いと云えば、話題は変わってしまうけれど、今年の大河ドラマが女性
陣には評判が芳しくないわね」

博士「先日、貴方が茗荷谷の放送大学と筑波大学の合同学舎に学びに行ったとき
には、記念品の展示などで、盛り上がっていたのでしょう?」

小生「韋駄天としてのマラソンに身を捧げ、駅伝の創設など、その一途な生き方は
あっぱれスポーツマンの元祖と云う印象ですよね(主役も好演)」

博士「NHKにしてはドラマの構成に分かり難さがあるという印象がありますね」

小生「たしかに、一般の企業人や主婦としては、水戸黄門のドラマのように分かり
やすく、日曜の夜としてはスッキリした気分で就寝、月曜日には爽やかな気分で
出勤したいと思っているが、今年の大河ドラマは、混沌としてカオスの世界に放り
込まれて寝ることになる」

博士「主役の韋駄天は絵になるほどの生真面目さで応援したくなるキャラクター
ですが物語の案内役の落語家の生き様がなんとも不真面目で甲斐性がなくて、
また衣裳が酒に化けたかと不安感を煽り、カオス(混沌)の世界に引き込む」

女神「これがナレータ役を兼ねているとしたら、役どころとしては、日本人好みの
役どころではないわね」

博士「いっそのこと、総集編では、この落語家の存在はドラマから消去して、主役
の生真面目さと・女房の寛容さを前面に出して、暖かみのある分かりやすい雰囲
気のナレータを起用したら、観客も安心して見ていられる」

女神「最近、政治の世界でも、カオス(混沌)が創りだされたわね」

博士「金融の世界で、かつての団塊の世代の退職金などのタンス貯金を市場に
吐き出させようとして老後に備えて資産を増やしてみませんか? という含意を
明確にしないまま、百歳まで生きるとしたら・二千万円が必要と打ち出した」

女神「それを野党が逆手にとって、老後に、二千万円の蓄えは必須であり今の
年金制度では、生活がひっ迫するとばかりに不安感を煽っている」

小生「これには統計のトリックのような危険性があって、平均モデルが引き起こ
すところの現実的ではない統計の危うさが混在している」

博士「統計上の有名な誤った事例として引き合いに出されるものに、刑務所に
服役中の集団を対象に知能テストを行ったところ、詐欺犯が、一番知能指数が
低かった、と、いう話がありますね」

女神「この答えを私も知っているわよ。実は知能指数の高い詐欺犯は捕まって
いない。刑務所に入っているような詐欺犯はドジだから知能指数も低く出る」

博士「それと、これは余りにも作り話だが、駆け出しの素人の洋服屋が寸法を
全て、平均値で用意したら、ほとんどがサイズがフィットしなかった?」

小生「現在の野党が騒いでいる話題も素人の洋服屋に近い話ではないか?」

博士「個々人の生活費は、それぞれの生活スタイルによって、大いに異なる
ものであり、シニア世代も加齢と共に生活費は減って行き、収入に合わせて
嗜好品も変えて行き、生活レベルをソフトランディングして行く」

女神「気軽に利用していた喫茶店の五百円珈琲もインスタント・カフェオレに
切り替えて、公園のベンチでポットで楽しむなどなど?」

博士「それぞれの寿命も神様が決める事であり、人間、必ず死ぬが天寿と
云うくらいだから、何歳まで生存するのかは分からない?」

小生「野党としても、平均値による議論で不安を煽るばかりでなく、さまざま
なケーススタディを試みて、問題提起する必要があります」

博士「それは与野党に共通して云えることですね」

小生「かつて、民主党もJALの株式市場において株主責任として個人株主
を当時の前原担当大臣の鶴の一声で、冷酷にも、落下傘なしで機外に放り
出したことがある」

女神「しかもその際に大口株主や資産家には落下傘を供与してジャンボ機
売却費などを工面して、新規株式公募の際に優遇したという都市伝説まで
洩れ伝わってきている?」

小生「いずれも参議院選を控えての攻防戦と考えるが、最近の国民は、知見
にも優れた層が増えて来ているので、与党としても防戦に徹するばかりでは
なく、それぞれのケース・スタディをした上で、厳しいが死ぬことはないという
安心設計を示して行く時期にきたのではないか?」

女神「それにしても、資産市場へのお誘いも、もっと分かりやすい・親切にして
素直なアプローチが望まれるわね」

博士「政府としても、個人資産を覗き見して、かつての団塊の世代に向けて
資産運用を呼びかけるなどの思索はおせっかいかもしれませんね?」

女神「最近、政府レベルで、個人資産を知り過ぎているわね?」

博士「現状では引き算をすれば、個人ベースで、タンス貯金の額まで見通せ
るようになったことが、ことの発端でしょうね?」



205  シニア・テーブル・テニスというコンセプト(概念)の必要性

かつて「卓球は、根暗(ネクラ)」と云う発言が、あの有名人 タモリ から飛び出して、
翌年から、中学生の部活において、卓球部の部員が激減したことがあると云う話題
を知ったのは、まだ、最近のことである。

その対策として、当時の国際卓球連盟会長であった萩村伊智朗氏の発案により・・・

卓球のイメージチェンジを図るため、当時の卓球台の色合いが深緑色から変わって、
現在の大空を連想させる明るいブルーの卓球台として登場、やがて世界に広まって
いったのだという。

今や卓球は根暗と云うイメージはなく、卓球界の愛ちゃんの登場とそれに続く若手の
台頭で卓球人気は急上昇、我が家でも鎌倉や名古屋の孫たちとの笑顔の交換舞台
として卓球(テーブルテニス)は明るく楽しいスポーツとして存在感を増している。

また、最近は、シニア層の卓球愛好者が急増しており、入間市が主催した初心者向け
卓球教室でも応募者が定員を越え、コーチサイドのご好意で全員が受け入れられると
いう様な微笑ましい現象も起きている。

そして、テニスを筆頭にラケット競技に強い興味を持つ私としては、卓球の起源を知る
に到って、その興味は、ますます・増すばかりである・・・

そもそも、卓球は、イギリスでテニスに興じていたテニスプレーヤが屋外で雨に降られ
て屋内に駆け込み、雨が上がるまでの一時をテーブルを使ってのテニス遊びに興じた
ことがことの始まりであると云う一説である。

たしかに、私がイギリスのロールスロイス社に上司と共に出張して航空機用のジェット
エンジンの製造過程において管理工学(インダストリアル・エンジニアリング)がどの様
に活用されているかの実態調査にお伺いした時の印象として・・・

従業員食堂には、大きな食事用のテーブルが設えてあり、イギリスのテニス・クラブに
おいても食堂などに、同様の大型のテーブルなどが設えてあれば、即刻、テーブルを
利用してテニスに興じることもあり得る話ではある。

しかも、イギリスの天候事情からして、食堂内で、二・三時間も待てば雨は上がるので
手持ちぶたさの中での余興には、ちょうど良いかもしれない。
(しかし、食堂の関係者に見つかったら、ひんしゅくものであったと推測する)

その様なきっかけを経て、やがて、インド帰りのイギリス人から・・・

インドでは、シャンパンなどに栓として使われているコルクを丸く削って、卓上で打ち合う
遊びが紹介され、イギリスの人達も見よう見真似でコルクを削ってボールに仕立て上げ、
葉巻を保存する箱の蓋を使って打ち合ったのだと云う。

この葉巻の蓋は、やがて、革製のラケットに進化して、打つたびに「ピン」「ポン」と善き音
を奏でたのだと云う。

やがて、イギリス人は、このスポーツ名を「ピンポン」と命名しようとしたところ、ピンポンの
面白さに気付いたアメリカ人がセルロイド製ボールを大量生産して発売したところ大人気
となり、既に、ピンポン名の商標登録を済ませていた。

その様な経緯から、イギリス人は、やむを得ず、ピンポンを改め「テーブルテニス」と命名、
同時に、アメリカから持ち帰ったセルロイド製のボールは、大人気となり、今日のテーブル
テニスの基盤を形成するに到った。

日本においても、スポーツ競技の名付けには、名人が居て、正岡子規はベースボールを
野原で行う競技なので「野球」と命名、他にも日本人の知恵によって庭で行うので「庭球」
卓上で行うので「卓球」などと名付け親には事欠かない。

イギリスにおける「バドミントン」の命名には、また、異なった趣がある・・・

これも、インド帰りのイギリス人が、イギリスのバドミントン村の公爵の別荘においてインド
で面白い遊びを見聞してきたと報告したところ、実際に、プレーしてみせてくれということに
なった。

このインド帰りのイギリス人は、これもシャンパンのコルクに鳥の羽根を植え付けて、実際
にテニスラケットで、この羽根付きコルクを飛ばしてみせた。これが評判となって、普及の
きっかけとなり、この土地の地名から「バドミントン」と名付けられた。

テーブルテニスにしてもバドミントンにしても、とにかく「実際に作ってみる」「トライしてみる」
というイギリス人のパイオニア精神には見習う点が多い。

航空機用のジェットエンジンも、最初に、実用化したのは、イギリス人である。

しかし、これを改良・再設計して、より実用化・大量生産にもって行く点では、ピンポン玉に
してもジェットエンジンにしても、それを成し遂げるアメリカ人の層の厚さには圧倒される。

その様なアメリカ人の研究・技術力の圧倒的な優位性に対して、あるドイツ人から面白い
発想法を聴かせていただいたことがある・・・

ドイツのジェットエンジンメーカーを前述のような管理工学の実態を知りたいと云うことで、
訪問した際の話であるが、彼らは、独自の発想法を熱く語っていた。

「確かに、アメリカ人の研究・技術力には、圧倒的な力強さがある」

「しかし、我々・ドイツ人は、どんなに優れた技術力でも、そっくり鵜呑みにして真似るよう
なことはしない。彼らの研究・技術力の素晴らしい点を、先ずは学び・脳内に納めて熟成、
やがてミキサーにかけるようにして粉々に分解、その後、自分たち流に再構築する」

「我々・ドイツ人も日本人も、アメリカから優秀な研究・技術力を同じ様に学び取るにしても、
お互いに、脳内で、ミキサーにかけた上で協力し合って新しいものを作って行こうよ」
という呼びかけであった。

話題は飛躍するが、我々・シニア仲間が取り組み始めた「テーブルテニス(卓球)」について
も同じことが云えるのではないだろうか・・・

現在、我々は、入間市役所が主催した「初心者卓球教室」に参加した仲間を中心にして
有志12名が集まり、卓球同好会を結成して、月に、三回程度の目安で定期的な練習会
の取り組みを始めた。

なにしろ、初心者がほとんどで、まだ「ボールの行先は、ボールに聞いてくれ」という状態
だが、それでも、お試しでダブルスのゲームをやってみて気付いたことがある。

卓球のダブルス戦において、テニスやバドミントンに比べて根本的な違いがある・・・

◇テニスにしても、バドミントンにしても「ダブルスのゲーム」の場合に、左・右どちらかに
ボールやシャトルが飛んで来た時に、どちらのプレヤーが打ち返しても良くて(シニア層
は稼働域が狭いので)目の前の標的だけを打てば良いと云う点は快適である。

◇ところが卓球の場合は、プレーヤーは必ず交互に交替で打つ、と、云うルールがある。

たしかに、テニスに比べたら可動域は狭いのだが、目の前には卓球台があり自分が立つ
位置とは反対側、例えば左側を守っていて、右のコーナーに返球された場合に卓球台が
邪魔になり、パートナーとも位置的に重なり合うので危険性も伴う。

◇若い人たちの練習する光景を拝見すると、ダブルスの場合に返球した人は後方に下が
りスペースをパートナーに譲って、後方にて次の出番に備える。この繰り返し練習を見てい
て気付いたことは、若い人でも、必ずしも上手く行っていないケースも散見された。

そこで、私が仲間に提案したことは、サーブを打ってきた人にボールを返球すると相手側の
次の打ち手が難しい返球になるので、次の打ち手の前にボールを打つように練習をしようと
提案したものの「そのような返球は難しく」て、「どうしても、サーバに向かった返球となる」

「行く先はボール次第」の状況ではなかなかコントロール出来ないと云う実情が分かった。

「たしかに、テニスの場合も、サーバーからのボールに対して、サーバーへの返球が自然
であり、失敗も少ない」

◇そうは云いながらも、現行のダブルスの卓球ルールで、練習試合をやってみた。

結果は・・・

◇サーバからのサーブへの返球は、自然な流れとしてサーバーの方向に向かい、たった
二球にてレシーバーの勝ちとなるのでゲームにならず、三球目の返球に身体も手も届か
なかったパートナーの無力感だけが後に残る。
(相手に、打ちやすいボールを返してやりたいのだが、思うようにはならないのだという)

そこでベテラン勢の練習風景を眺めてみた・・・

ほとんどが、シングルスの練習で、ダブルスはやっていない。
(ダブルスは不人気なのか?)

ここで、勝手な類推をしてみた・・・

我々が卓球の練習をしている体育館の脇のグランドでは、今、シニア層のグランドゴルフ
が盛んである。かつては、ゲートボールが盛んであった。

何故、ゲートボールが廃れたか?

理由は明快である。競技中に「意地悪」な要素が入り込むからである。

例えば、紅白の団体戦において、味方が、次々とゲートをくぐってゴールに向かう、ところ
が、ルール上、相手チームのボールを場外に放り出すことが出来る。

放り出されたプレーヤーは、しばらくの間はゲームに戻れない。そこで問題が起こる・・・

「あいつは、俺を目の敵にして、いつもいつも俺のボールを場外に放り出す。なにかの怨み
でもあるのかと険悪な空気となり、殴り合いとなり、挙句、殺人事件まで起きた」

「その点、グランドゴルフは、各人が自分のペースで邪魔されることなくゴールに向かえる」

シニア・スポーツには「理不尽さが混じりあうような意地悪」は嫌われる。

シニア卓球において、シングルスのゲームに移行するのは、ダブルスには理不尽な意地悪
要素が入り込む可能性があるためとも思えないが、その可能性は否定出来ない。

ここで最悪のシナリオを想定すれば、シニアの巧者同士のダブルス戦において、サーバー
からのボールに対して、向かって左、サーバー側のネット際にテニス並のドロップショットで
打ち返したときに、向かって右側のパートナーは卓球台を廻り込むことは物理的に不可能
なので返球は極めて難しい。
(余程、手が長くなければ、卓球台上でもクロスには打ち返せない)

しかし、向かって左側のサーバーなら廻り込めば、ボールをつなぐことは可能である。


そこで考えて、脳内にある「ダブルス戦のルール」をミキサーにかけてみた。

~ シニア・テーブル・テニスというコンセプト(概念)が必要ではないか ~

◇基本的には、テーブルテニス独自のルールとなっている「必ず交互に打つ」を外して・・・

シニア向けには、テニスやバドミントンのルールの様に、どちらのプレーヤーが打っても善し
とするルールに変えて、これを「第三のシニア向けダブルス競技」として加える。

これによって、左右の目の前のテーブルにおいて、守備にも攻撃にも、お互いに参戦出来る
のでシニアの新人であっても自然な取り組み姿勢でゲーム展開に参戦出来る。

したがって、現在のテーブルテニスのシングルとダブルスのルールを改正することなく・・・

「シニア・ダブルスと云うカテゴリを新たに加える」

これを我々の卓球同好会で、先ずは、トライしてみて、健康的に・楽しめるテーブルテニスと
して切磋琢磨してみたいと考えている。

ついでに、サーブも、現在のルールでは、持ち球が二球あるので、テニスのように左右から
それぞれサービスを繰り出すようにしたい。

以降のサーバーの交替は、現行のダブルスの卓球ルールが理想的な方法をとっているので、
両陣営から均等にサーブを繰り出すようにしたい。

先ずは、次回、同好会の仲間に相談して取り組んでみることにしたい。
(これも、先日、放送大学で学んだ日常生活をデザインすることに通じるのかもしれない)

ところで、入間市主催の初心者卓球教室に参加した際に、コーチから勧められた競技者用
の卓球ラケットは、やや高価な印象はあったがボールの飛びが良く真っ直ぐに伸びて飛ぶ
感覚なので、次回、これの試し打ちも楽しみの一つである。




206 ジャンピング・スマッシュに対してドクターストップ

ラケット競技において、ジャンピング・スマッシュは、醍醐味のある技と云える。

若き日のテニスにおいて、雁行陣の構えで前衛において、ジャンピング・スマッシュをして
決め球としていた時代が懐かしい。しかし、テニスコートの仕様がクレーコートからオムニ
コート変わってから戦術面も並行陣に変わり、ジャンピング・スマッシュの機会は減った。

卓球の世界でも、時に、空中に高く浮いたピンポン玉をジャンピング・スマッシュする機会
も稀には、あるものの、最近、その頻度は極めて少ない。

それでは、バドミントンの場合は、どうだろうか? ・・・

三十代のバドミントンプレーヤーは、男性選手の多くが、後方の高い位置からジャンピング
スマッシュを決めてくる。しかし、シニア層には、後方の陣地からのジャンピング・スマッシュ
は難しく、あまり、その実例を見ることは少ない。

しかし、ネット際に高く上がって来たシャトルについては、シニア層といえども反射的に飛び
上がって、決め技を披露することになる。しかし、この技は、本人も気持ち良く・観戦している
側にも、鮮やかな印象を与えるが、着地における下肢への衝撃が著しいことになる。

しかも、最近、テニスにおいては、ジャンピング・スマッシュの機会は少なく、卓球においても
その機会は極めて少ない。唯一、バドミントンだけには、そのチャンスに恵まれる。

先日、私も、バドミントンの練習試合で、このジャンピング・スマッシュの機会に恵まれた。

しかも、これが決め手となって勝敗を決した。

しかし、着地の際に、下肢に僅かな衝撃を感じた。
(それでも、その衝撃のことは、ほとんど忘れていた)

後日になって、左足のふくらはぎとアキレス腱の周辺部に違和感を感じたので、かかりつけ
の接骨院にて治療を受けることになった。左脚の違和感が和らぐにつれて、今度は右足の
アキレス腱に違和感が生じて来た。

治療の過程で、すっかり忘れていたジャンピング・スマッシュをしたときの下肢への僅かな
衝撃の話を接骨院のドクターに伝えた・・・

「ジャンピング・スマッシュですか?」
と、幾分あきれたというか、驚かれた様子で、

「シニア層にとって、ジャンピング・スマッシュは下肢への影響が大きく、加齢に伴って下肢
の筋肉は硬直してくるので、着地の際のふくらはぎやアキレス腱への衝撃は、当然のこと、
大きくなってきます」

「したがって、ラケット競技おける、ジャンピング・スマッシュは、お勧めできませんね」
というアドバイスをいただいた。

たしかに、ジャンピング・スマッシュのみでなく、バドミントン練習においては、ネット際での
シャトル拾いと後方でのシャトル処理を、前後に、移動して繰り返す練習もあって下肢へ
の負荷はかなり高いことになる。

これについては、シニア向けにテニスの並行陣に相当した練習方法もあるのだが、当方
に練習の主導権はないので改善は期待出来ない。

そこで私も考えた・・・

◇バドミントン練習の場合に、ネット際にシャトルが浮いて来るとまるで猫のように反射的
に跳んで仕留めたくなるために、本能的にジャンピング・スマッシュは抑制出来ない。

◇現行のゲーム進行者に、シニア層に向けた練習方法への改変を求めることは、難しく、
同時に、練習開始時のウォ―ミングアップにも興味がなさそうなので、いきなりの強打練習
に入るという傾向もみられるため、

「このまま、現行のバドミントン練習を継続させることは危険」と判断せざるを得ない。

また、過日、後方から、バドミントン仲間のラケットで、誤って右手首を強打され、内出血
と骨膜炎を発症して、治療に約三週間を要したことなども考えると・・・

約一年間、バドミントン練習を続けて来た結論として、自分で主導権を握って、シニア層に
向けた練習チームを結成出来れば継続は可能だが現行の俊敏な攻守交代を伴う練習に
ついて、これ以上の「継続は危険」と判断せざるを得ない。

そこで、かかりつけの接骨院のドクターにも相談をして・・・

「現行のバドミントン練習は、七月末での終了」を決めて、退会を申し出た。
(いずれソフト・バドミントンとして自らの主導において復帰することはあるかもしれない)

勿論、テニスについては、自ら、練習メニューを選択できるので、並行陣を練習の主軸
に据えて継続させて行く考えである。

また、卓球については、面白い展開があった・・・

先日、シニア・テーブル・テニスと称して、テニスやバドミントンと同様に、どちらの選手が
打ち返しても良いと云うルールで実践してみたのだが、実際に取りいれてみて、自信作
として自任していたのだが、失敗策に終わった。

あえてカオス(混沌)を創り出す結果となり、卓球においては、皆さん、幼少の頃からの
習性として選手同士「卓球は交互に打つもの」という脳内(小脳)作用が根強く浸透して
いて、新しいルールとの混乱を招くにいたった。

これについて、当初の着想は・・・

「サーバーへの返球は、サーバに向かうため、パートナーが返球に窮すと考えて新しい
ルールを設けて、どちらが打ち返しても良いことにしようと考えたのだが、中央に返って
来たボールに対して、お見合いをすることになりカオス(混沌)が生じることになった」

「しかも、統計的に考えると、中央に返球されるケースの方が頻度は高く、パートナーが
取りにくい極端なクロスへの返球は、レア・ケース(稀)であることが、実践することで良く
理解出来た」

したがって、結論として・・・

「卓球(テーブル・テニス)においては、ダブルスの場合は、交互で打つのが一番であり、
シニア層においては、無理な返球については、諦めるのも安全策」と考えた。

~ シニア層にとってのラケット競技は、やるほどに身体機能との関係で奥が深い ~

(続 く)

【連載】生涯青春ラケットとジェットの物語 Book 2

【連載】生涯青春ラケットとジェットの物語 Book 2

海を臨む「景勝の良さ」と磨き抜かれた「おもてなし」そして食膳を彩る多彩にして繊細な「ご馳走」を振舞う老舗旅館「望水(BOUSUI)」に、ご招待いただき・・・私の喜寿(七十七歳)を祝っていただいたが贅沢過ぎる時空間であった(望水は 伊豆 北川温泉郷の老舗旅館)。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-04-12

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