【連載】生涯青春ラケットとジェットの物語 Book 2

万田 竜人(まんだ りゅうじん) 作

201 令和に連なる日の出を海上に臨む


海を臨む「景勝の良さ」と磨き抜かれた「おもてなし」そして食膳を彩る多彩にして
繊細な「ご馳走」を振舞う老舗旅館「望水(BOUSUI)」に、ご招待いただき・・・

私の喜寿(七十七歳)を祝っていただいたが、贅沢過ぎる時空間であった。
(望水は 伊豆 北川温泉郷の老舗旅館)

同時に鎌倉ファミリーの将来を背負う孫の航ちゃんの私立中学への合格を祝して、
中学受験におけるファミリーとしてのご苦労さん会を合わせてのお祝い会となると
望水の心楽萬宿から望む朝日の眺めは共に心地良く受け入れることが出来る。

心楽萬宿という言葉は、老舗旅館「望水」の心意気を表したもので・・・

海と一体化する専用露天風呂付きのプライベートリビングや北川漁港に上る獲れた
ての地魚を生かした料理の数々そして特別な「想い出つくり」を心を込めてお手伝い
致します、と、いうだけあって、その趣向には顧客を飽きさせない魅力がある。

中学への合格祝いには、お菓子と「キャンドル・サービス」があり、喜寿の祝いには翁
を祝うための紫色の帽子と「ちゃんちゃんこ」がルーム・アテンダントによって用意され、
家族写真としての撮影までが、おもてなしの一環として用意されている。

祝宴の翌朝は、和モダンな露天風呂から伊豆大島のシルエットを眺めることが出来て、
オーシャンビューな心楽萬宿の部屋に戻れば、海上に浮かぶ朝日の眩しさが、幸福感
を満喫させてくれる。

朝食は、昨夜のアワビの踊り焼きや和牛すき焼きとは、また、違った繊細さで目を楽し
ませ舌を満足させてくれる。昨夜のすき焼きのときに、卵を割った入れ物に甘いトマト
を馴染ませて和牛を味わう趣向には、老舗旅館ならではの伝統を感じ取った。

今回の伊豆へのドライブでは、鎌倉に前泊して、娘の着眼に沿う形で早朝に若旦那に
ハンドルを握っていただき、伊豆への到着も早く、伊豆高原の桜のトンネル群も端から
端まで暖かな天候の下でおおいに楽しむことが出来た。

したがって、午前十一時に予約していた苺狩りも、余裕をもって参加することが出来て、
朝食をたっぷりと食した後だけに、苺だけでも昼食になるほど満喫して温室から出た。

伊豆 北川温泉の泉質は滑らかで、老舗旅館「望水」に着いてフロントと同じフロアーの
ラウンジにて軽い飲み物をいただいた後で、昼の洋モダンな露天風呂を楽しんだときに
は背中に手を触れるとつるつる感があった。

翌日は熱海に出て、遊覧船に乗り、鴎と遊んだ。

遊覧船からは、鎌倉ファミリーによって家内が「古希」のお祝いをしていただいたところの
熱海後楽園ホテルを見渡すことができ、当日「部屋からの眺めが素晴らしかった」という
家内の話には納得するものがあった。

あの日、私は飼い犬をペット・ショップに預けることに躊躇があって、熱海後楽園ホテル
の古希のお祝いには参加しなかったが、その後、横浜クルーズへのご招待をいただき
満足していたのだが、今回また伊豆の老舗旅館「望水」に招待されて恐縮の極である。


横浜クルーズでは、私は、背中に翼を背負った女神に出会うという幸運に恵まれた。
(私が稿を起こした「ゴールデンエイジの物語」から、その一部を抜粋する)


プロローグ(1)

赤レンガ倉庫の1号館を横切ってピア赤レンガ桟橋に出ると、海風は冷たかった。
昨日、誕生日を迎えた私に誕生祝と云って、「横浜クルーズ」のチケットが送られて
きたのはつい先日のこと。私の誕生日はモーツアルトと同じ「1月27日」である。

家内に云わせると、「モーツアルトは偉人、貴方は凡人、比較することが、そもそも
大間違い」と大笑いされた。

定年(60歳)の前にも、大笑いされたことがある。
「定年後には、どんな夢をもっているの?」と聞かれたので・・・
「映画俳優か?」「小説家か?」「ビジネス・コンサルタントかな?」と答えた。

大方、笑い終えた後で、しっかりと釘を刺された。
「小説家とコンサルタントは夢としては良いかも知れない」、でも、その顔で、世間
に向かって「映画俳優が夢ですなどと云わない方が無難ですよ」と。

良く世間で云われることに・・・

「夢は口に出して公言すると実現する」と、「そうかも知れない」と、私も思う。

定年の1週間前に「講師とコンサルタントを兼ねた60歳以上の人材募集」という
新聞広告をたまたま見つけて応募したところ、応募者総数が約200名の中から
2名採用という状況の中で、3次試験の面接を経て、幸運にも採用されて・・・

「約6年間」やり遂げた。

最終面接で、私を採用した社長の言によれば「あなたが優秀だから採用した訳では
ない。優秀な人材は他にも大学の准教授やコンサルト会社のメンバーなど多数居た
が、私と相性が良さそうなので、貴方を選びました」と。

ところで、社長が主宰する講演会場までは、交通機関を乗り継いで行くのだが、
およそ2時間を要することがわかった。そこで、移動時間を有効活用するために、
定年退社するときに後輩たちが贈ってくれたパソコンで小説を書くことにした。

ここで恐れ多くも、モーツアルトとの類似性を述べることになるが・・・

「モーツアルトは楽曲のすべてを脳内に描き、それを譜面に移すため、楽曲の修正が
なく、修正だらけのベートーベンとは対照的であった」とテレビ番組で知った。

ここでも、奇遇であるが、私が愛聴している「モーツアルトのピアノ協奏曲 第20番
ニ短調」は原曲はモーツアルトであるが、ベートーベンが好んで演奏した曲でもあり、
私の保有するCDについては、カデンツァ(編曲):ベートーベンと記されている。

第一楽章・第二楽章・第三楽章で構成されており、私は癒し系の第二楽章が好きだが、
この第二楽章については、映画「アマデウス」のエンディングにも使われた曲である。
モーツアルトとしては、数少ない短調の曲であり、ドラマチィックな魅力が、映画の
エンディングに余韻をもたらしたのかもしれない。

話は、だいぶ飛んだが(私は書き手として発想に飛癖がある)・・・

「私も文章を書くときに、文章は予め脳内で書き上げておき、後で、パソコンに吐き出す
方法をとるため電車内で膝の上にパソコンを乗せておけば文章化は可能である」

こうして書き上げた小説だが、たまたま懸賞募集の機会に恵まれて3次審査まで通り、
最終選考に残ったが入選は果たせなかった。

どうやら、私の小説にはドラマ性がなく、面白さや意外性もないので、多くの読者を
惹き付ける魅力に欠けるようである(自分でもその様に思うので納得は行く)。

しかしながらインターネット上において、手前味噌に小説家を名乗れる環境になって
きたので、身を任せることにしている。

その様な経緯で、私が再認識したことは、夢は口にすれば、「確実?」に実現すると
いう「都市伝説?」である。

「コンサルタントの夢はビジネスコンサルタントとして実現、6年間も活躍出来た」

「小説家の夢は、売れない作家ではなく、売らない作家であれば、一生涯を大学で、
学び続けながら一生涯学生作家としてインターネット上で活躍の場は確保出来る」
(映画俳優の夢は、口にしないことで釘を刺されているので、実現はありえない)

しかし、小説家を続けるには、困ったことがある・・・

「私の書斎は二階にあるため、二階に、こもってパソコンに向かっていると、飼犬が
寂しがり階段の途中まで迎えに来る。家内も同様、一緒にくつろぎたいようである」

かつて、作家の童門冬二先生は・・・

「御二階さんに徹して、奥様は一階での生活」と、都庁退職後は割り切って作家に
転身されたと大昔に講演会でお聞きしたが「私には、そこまでの決心はつかない」、
困ったものである。

そして、私の経験談としては・・・

「小説家にしても、コンサルタント業にしても、それを課業にしようとすると、けっこう
詐欺まがいの話があって、騙されることがあることを経験的に知った」

冬の海を眺めて、そのようなことを思い出しながら横浜クルーズの乗船までには時間
があるので、赤レンガ倉庫内のコ洒落たレストランに家内共々入店、熱いコーヒを
オーダーした。



プロローグ(2)

ピア赤レンガ桟橋でクルーズ船に乗り込むと、目の前に階段があり乗客は1階と2階、
どちらでも選択できるように、自由席としての設えになっていた。昨日は、強風のため
全便が欠航と聞かされていたので乗船するまでは気になっていたが・・・

今日は、風も比較的おだやかに感じられる。私たちは、1階の前側に席をとり状況に
応じて2階の甲板に移動することにした。

やがて、船が出港するとクルーズガイドが登場して、船内アナウンスが始まった。
最初は横浜港の玄関口を知らせる赤灯台を左手に見てやがて横浜ベイブリッジの
下を抜けて本牧埠頭に向かう。

本牧埠頭の海側からは、ガントリーポイントを目の前で見ることが出来る。ここで
クルーズガイドのアナウンスが名調子となり、わかりやすい解説口調となる・・・

「今、目の前で船内に自動車を盛んに積み込んでいますが、この大型船には約5千台
の車を積載します。積載効率を考えてドライバーは車同士を約10センチ間隔で並べて
行きます」。

「その卓越した運転技術に敬意を表して、彼らは愛称でギャングと呼ばれています」

次に案内されたのが、本牧埠頭の日本最大と云われている最新鋭メガコンテナター
ミナル、目の前ではコンテナがクレーン操作によって巧みに積み込まれている。

ここでも、クルーズガイドが登場して解説・・・

「このクレーン操作は、風が吹く中での作業となるため極めて難しく熟練が必要とされ
ています。操作に当たる技能者は、地上からエレベーターでクレーンの操縦席に乗り
込み、風を計算した上で、コンテナを積載して行きます」。

「彼らにも愛称があり、ガンマンと呼ばれています」

そして、クルーズ船は再び横浜ベイブリッジの下を通り抜けてペリーポイントに向かう。
1854年にペリー率いる黒船艦隊が錨を下ろした場所である。クルーズ船から陸地を
見ると、海からの海岸の景色が水平に目の前に広がっている。

ペリーは、実際に、日本開国の任務が与えられる1年以上も前の1851年1月に、
日本遠征の基本計画を海軍長官に提出しており、その中で、日本に対しては・・・

「日本も中国と同様に、友好関係を訴えるよりも、恐怖に訴えるほうが有効である」
「長崎における日本との交渉は、オランダの妨害が想定される」
などと明確な戦略と戦術を述べている。

そして、1853年に、ペリーが日本との交渉の場として選んだ浦賀では、艦上から
数十発の空砲を発射して威嚇行為を行っている。
(この時、幕府側には事前通告をしている)。

ペリー艦隊が2度目の来日をしたときに、ようやく、幕府がペリーとの交易の交渉を
受け入れ、交渉の場を横浜に設営した。ペリーは本牧付近の海域(ペリーポイント)
に投錨、将官や船員など約500名と共に横浜村に上陸した。
(時に1854年3月のことである)。

この時、ペリーは日本側から盛大な歓待を受けており、その後の交渉が円滑に進捗
したといわれているので、横浜港のペリーポイントは、日本が米国との交易に向けて
進路を決めるきっかけとなった記念すべき場所であり、浦賀とは違った意味で象徴的
なポイントの一つとも云える。

その後、ペリーは、和親条約の細則を下田において「全13か条」からなる下田条約と
して締結、その帰路に立ち寄った琉球王国とも通商条約を締結、帰国後は、その成果
を「日本遠征記」としてまとめあげて、大役を果たしていることから、横浜港のペリー
ポイントは、ペリーにとっても記念すべき場所であったと云える。

やがてクルーズ船は将来的には大型客船も停泊できるような工事を進めている湾岸
の近くを通り抜けて、みなとみらい地区の近代的なビル群に近づいて行った。

それぞれのビルについては、建設設計のコンセプトが明確に説明されて楽しかった。

その中でも、ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテルは・・・

「海に浮かぶヨットの白い帆を連想してデザインした」と、云う、特徴的な外観からは
オーストラリアのシドニーの海から見るオペラハウスを脳内で思い浮かべた。

そして、クルーズガイドからのアナウンス・・・

「船内1階のお客様も是非、船室から出て、肉眼でご覧になって下さい」

「これは、クルーズ船だからこそ見える景観です。インターコンチネンタルホテルの
最上部に、背中に翼をもった女神像を身近な感じで観ることが出来ます」

実際にビル最上部の内壁に翼を背負った女神像を発見して感動・凝視して拝観した。

そしてそれを機会に、家内共々、クルーズ船の2階の甲板に出た。

やがてクルーズ船は海上保安庁の船の側を通り抜けてピア赤レンガ桟橋に向かった。
日差しは暖かく感じられ、今日はクルーズ日和であったことに感謝して桟橋に近づくと
広場では子供たちが楽しそうに遊んでいた。

思わず甲板から手を振ると、手をつないで海に向かって歩いていた母子が、こちらに
向かって手を振ってくれた。

桟橋に船が着いて船から降りる時にクルーズガイドさんに・・・

「今日は、楽しいお話をいろいろと、ありがとうございます」と云って
感謝の気持ちを伝えた。



プロローグ(3)

ピア赤レンガ桟橋から、赤レンガ倉庫前の広場に戻ると、長蛇の列が出来ていた。

「これが話題の鍋料理の店に連なる行列か?」と、最後尾に目をやったが・・・

最後尾は視界に入らない遠方のようである。クルーズ船でも、クルーズガイドから
鍋料理の体験談が語られていたので、店内の様子については予備知識はある。

行列の最後尾の先は、自転車タクシーの溜まり場になっていた。

自転車タクシーは、人力車のように座席には、二人が並んで座れるように設計されて
おり、それを、地に足を着けての人力ではなく、自転車の推進力によって牽引して行く
仕掛けになっている。

昨年の秋に新幹線に乗って東北地方の紅葉狩りに行ったときに、角館では人力車が
紅葉の景色に良く似あうなあと思って、眺めたことがあったが、ハイカラなイメージの
横浜港の風景には自転車タクシーが良く似合っていた。

 「物珍しさで乗る人もけっこう多いのかもしれない」

横浜港は、昔から、外国との交易で栄えてきた場所だけに、赤レンガ倉庫の佇まいも
良く似合うと云う印象が強いが、一時期は、廃墟に近い状況であったことを聞くに及ん
で、なにごとも人知の思い入れの強さが文化を支え続けて行くのだと、今の盛況ぶり
をみてあらためて納得した。

横浜港は、明治の時代に生糸の貿易港としても栄えた。私の祖父も明治の時代に群馬
県前橋市萱町1丁目1番地で、生糸業を営み、工場経営と輸出業に携わっていたので、
祖父にとって、横浜港は、イギリスやフランスとの商いを進めて行く上で、生糸業として
の要の場所であった。

私の父親は次男であったが、次期社長として祖父からも期待され、横浜港も仕事場の
一つであり、前橋と横浜港をつなぐ物流ラインは祖父と父親にとっては、まさに生命線
であった。

太平洋戦争に突入すると、父親は軍需産業に召集されたため、私が後継として生糸業
に携わることはなかったが、祖父がフランスへ出掛けた際のお土産の双眼鏡が父親を
経て私に譲られたので、温もり感は伝わってきている。それだけに、私にも横浜港への
思い入れは強い。

私たちは、とりあえず、自転車タクシーの利用はやめて、みなとみらい線の馬車道の駅
に戻り電車で中華街まで出て春節の雰囲気を味わってから、みなとみらい駅に戻って、
予約されている中華料理店に向かうことにした。

目的地のロイヤルパークホテルの中華料理店は、みなとみらい駅からは徒歩で約3分
と聞いているので、みなとみらい線をフル活用することになる。

横浜のロイヤルパークホテルの中華料理店は私たち夫婦が共に1月生まれで・・・

「家内は古希の70歳となり、先日は、熱海のホテル後楽園に招待されて歓待を受け
たときに、私は飼犬のペットホテル嫌いを考えて留守番をしたため気をつかってくれ
たようである」

鎌倉ファミリーは、なにかにつけて私たち夫婦に気をつかってくれるのでいつも感謝
している。

今回の感動の横浜クルーズも、鎌倉ファミリーからのプレゼントである。

「私は後期高齢期に入った75歳の誕生日で、いつも飼犬との留守番役では気の毒と
云う思いも働いて、横浜なら二人で一緒に来ることが出来る」と云う判断から・・・

今回のプランが浮上して、お招きいただいたと聞いている。

中華料理店で受け付けを済ませると、担当スタッフから・・・

「ご予約の五名様から、お二人様に変更になったこと伺っております」
「お孫さんが、今朝になって急に熱を出されたとのこと、ご心配ですね」
と、68階の窓側の席に案内された。

数年前にも、同じようなことがあったので、私たちには急な発熱にも多少の免疫性は
ある。(しかしながら出掛けの際に孫の急な発熱を知らせる電話があり、出発の支度
は済んでいたものの中止と決めたが、娘からの強い勧めで出掛けてきた)。

「あの時は夏休みに我が家に一泊してから、池袋駅で日光行きのスペーシアに乗車
して那須に避暑に行こうと計画していて、前夜、急に孫が発熱して翌朝の状態を観て
決めよう」と、いうことになり・・・

「その晩は保留にしていたが、翌朝は、ケロッとして元気になり出掛けた」

やがて、窓際の席に、いかにも美味しそうな生ビールと料理が運ばれてくる・・・

「古希の誕生日おめでとう、この前、還暦のお祝いをして、もう古希とは驚きだね」
と、云うと、
「あなたも75歳の誕生日おめでとう」と、いうお祝いの言葉が返って来る。

「美味しいね」と云いながら、家内に取り分けてもらった中華料理を頬張り・・・

私の所信表明の演説を始めることにする。

「私としては、75歳からを後期高齢者と云う堅い漢字の呼び方は好まないので還暦
を過ぎて、65歳からをシルバー世代と呼び、乗り物にはシルバーシートが用意され
る現状を踏まえて、75歳からを意識的にゴールドエイジと呼ぶことにしたい」

「そして、ゴールドエイジの物語として私小説的な味付けで、ファンタジー小説を書く
ことにする」

「合わせて、還暦を過ぎてから書いた小説は、シルバーエイジの物語として再編集、
インターネット上での公開を計画して行くこととする」



第一章  

背中に翼を背負った女神が語る真実(1)

夕餉の「お疲れさまの乾杯」のビールの後で、小樽産のロゼを試飲してみる。

最近は、白ワインと赤ワインの中間的な存在としてのロゼが二人のお気に入りである。
好物の子持ち鰈の煮魚に箸を進めながら、横浜での楽しかった出来事などを二人で
振り返ってみる・・・

「鎌倉ファミリーは、夕食は、済んだかしら?」
と、云う家内からの気付きで、食後、鎌倉ファミリーの自宅電話に通話を入れると、
「今、食事が終わったところ」だと云うので、

「どう、熱は下がった?」と、家内がたずねると、電話のオープン・スピーカーから、
元気な声で「もう熱は下がって夕食前にピアノの練習をしていたわよ」という返事
があり、一安心である。

・・・・・・・・

いつも通り、午後11時には就寝、二人共、寝つきは早いほうである。
寝返りをうって、眠りに入る姿勢をとったときのことである。
目の前で、星がキラキラと輝いている。

「なんだろう」と思って、目を凝らすと・・・

背中に翼を背負った女神が立っており、こちらに向かって微笑んでいる。
「本日は、横浜港に、ようこそ、ゴールデンエイジ入り、おめでとうございます」
背中に翼を背負った女神は、なにもかも、お見通しのようである。

「貴方のお気持ちに緩みが生じているようですので、今日は、たいせつなメッセージ
を持って、お伺いしました」と、云う。

「貴方が、かつて、退職した人間の生命の与奪を、退職した後まで追いかける権利が、
たとえ昔、役員の職にあったとは云え、T氏に、そこまでの権限はあるのか?」
と、憤っていましたね。

「そして、そのT氏が、昨年、逝去されて、貴方は気持ちが緩んでいませんか?」
「彼らは、私的な組織活動とは云え、チームとして解散したと云う話は、聞いており
ません、貴方の気持ちが緩んだ時が彼らの狙い目です」

「M乳業ですと云って、若い男性が試飲ものを持ってきたことはありませんか?」

確かに、最近まで、細心の注意を払ってきた。

私の被害妄想と思われても困るので、周囲には話さずに、私に何かあったときの
用意として考えられる「因果関係」や「関係筋」を明確に書き出し、最も信頼できる
弁護士さんに預けてある。
(これは、非常事態には、おおいに助けになると考えている)。

その事実をここで振り返れば・・・
(私としては信じたくない出来事だが)

「20××年に、昔の職場のOB会が紆余曲折を経て実現、喜んで出席するも、その後、
激しい胃痛に見舞われて、急遽、かかりつけの内科医に駆け込むことになった」

「顔馴染みの先生に診てもらって、念のため、血液検査を受けたところ体内から微量の
水銀が検出され、血液検査の結果からは、大量のお酒を飲んだ時の異常反応も検出
されて、体内で異常なことが起きている可能性があると云われて、胃カメラによる精密
検査を勧められた」

「その前段では、顎に赤い湿疹が出て、皮膚科で診てもらったところ、花粉症の可能性
が有ると云うことで、治療のための注射をしていただいた」
(その後アレルギー体質の可能性について血液検査をしたが異常は検出されていない)

「そして、今度は心臓に異常を感じて、かかりつけの内科医に再び診て頂き、その断定
までには到らなかったものの外部からの異常な行為に遭遇しなかったかと問われた」

私も、それなりに、当時のことを振り返ってみると・・・

「昔の職場のOB会の宴も終わりかけた時に盃に一杯の日本酒を勧められて、それも
恩人 O氏からなので、断りきれず、口に運んで、上唇に、お酒が触れた瞬間、これを
勧められるまま呑んだら、昔のように、盃を重ねることになり、二日酔いでたいへんな
思いをしたことが記憶として蘇り上唇が少しお酒に触れた瞬間にやめた」のであった。
(私は、日本酒にすこぶる弱く、今でも、悪酔いした経験が頭から離れないでいる)。

お酒の盃を私に手渡してきた恩人O氏は、私の目の前の席ではなく横列に一人置く
位置関係で手を伸ばしてきたので、私が盃を上唇に付けただけで、盃を下に置いた
ことを恩人のO氏は知らない。

恩人のO氏は、元役員T氏の愛弟子にあたる。

かつて、元役員のT氏は、私に対して・・・

「俺の眼が黒いうちは、絶対に、あいつは管理職には任用しない」と、云い切ったと、
漏れ伝え聞いている。

昔、同じ社内とは云え、関ヶ原の合戦のような構図があって、こちらは小兵、あちらは
総大将、あちらが負けて、後の人事で相当に悔しがったとは聞いている。

小兵と云えども、こちらには、科学的な戦術があり負ける要因はなかった。

そのような事情もあって、私の管理職任用は、およそ10年遅れた・・・

「あのまま、盃を呑み干していたらどうなっていたのだろうか?」
真相は闇の中だ。
しかし、手がかりはなく、恩人の「O氏を疑うには」心に抵抗感がある。



翼を背負った女神が語る真実(2)

私は、定年(60歳)直前の波乱万丈のまるで、エアポケット(乱気流)のような状況に
到るまでの経過と、その後の年齢層に応じた年代別の層別してみたら、面白いかも
しれないと考えて「そのアイデア」を背中に翼を背負った女神に説明してみた。

先ずは、大ぐくりな層別から・・・

【概ね、順風満帆であった、人生航路の層別から】

◇20代から30代の前半は、武蔵野の大地を自由に駆け回った印象から、
                    この時代を「グリーンエイジ」と命名する。

◇30代後半から40代前半は、人生に静かな情熱を注いだ印象から、
                 この時代を「ブルー&レッドエイジ」と命名する。

◇40代後半から50代前半は、紅茶の味がわかるようになったことから、
                    この時代を「オレンジエイジ」と命名する。


【突然、乱気流に巻き込まれて、航路を取り戻すまでの層別を踏まえて】

◇50代後半は、職場で針のむしろに座らされていたような暗黒の印象から、
                     この時代を「ブラックエイジ」と命名する。

◇60代前半は、初期化を図り少年時代に戻って限りなく透明に近い印象から、
                    この時代を「ホワイトエイジ」と命名する。



【イタリアの旅で、中世のルネッサンスに、触発されてからの層別として】

◇60代後半から70代前半を・・・「シルバーエイジ」と命名する。

◇75歳からを       ・・・「ゴールデンエイジ」と命名する。

そのような発想に対して、背中に翼を背負った女神は微笑みながら、今、問題に
する必要のある必須の課題は・・・

◇ブラックエイジの暗黒の陰を断ち切り、ゴールデンエイジでは、善循環の環境を
整えること。それを考えると、今や、「暗黒の時代の人間関係を躊躇なく断ち切る」
ことが最重要である。そこに妥協の余地はなく、話し合う余地もない。

◇そのためには、ブラックエイジの時代におけるコミュニケーションを断ち切ることが
一番です。したがってOB会などへの出席などは論外です。

「確かに貴方が脳内でイメージしているように、ブラックエイジの暗黒の時代にも一筋
の光明として希望の光をかざしてくれた多くの恩人が居り、その方々への恩義を忘れ
てはならないことも確かであり、たいせつなことです」

「しかしながら、恩人であるO氏のように、貴方に希望の光を与え続けながらも元役員
T氏からの圧力と私的な組織力の働きかけによって貴方に盃を差し出すことになった
ことは確かな事実であり、真向いの席から盃を勧めなかったのは、貴方に差し出した
盃を呑み干して欲しくなかったのかもしれません」

「一方で周囲をなんとか説得して、貴方を遅ればせながら管理職への任用を推挙した
のも恩人の O氏であることを考え合わせると、恩人の O氏も、辛い立場に置かれて
いたのかもしれません」

「しかし、貴方にとって油断は禁物です。これからも、恩人とは云えO氏に隙を見せては
いけません」

そのことを伝えたくて、貴方の処を訪れたというのが「私からの真実」です。

「人間が生きて行くために、裏切らざるを得ない事例は、いくらでもあります」
「だからといって、貴方が命をかけてまで、私怨に付き合う必要はないと云うことです」

「カオス(混沌とした状況)の世界では、いつでも私怨の類の愚かな事実を隠して複雑な
様相に仕立て上げて、巧妙に仕掛けて来るものです」

「貴方が時間をかけて考え抜いても、貴方を取り囲む世界において、貴方自身なかなか、
その事実に行き着けなかったことでしょう」

「しかし、私たちは、明確に真実を見通せます。私たちからの真実を真摯に、受け止めて
いただければ、私が、貴方の処を訪問したことも報われます」

「実は、私たちも貴方の横浜港への訪問を随分長い間、待っておりました」

「これは、ゴールデンエイジ入りしたからこその運命の出会いかもしれませんね」
と、微笑むと、キラキラと輝く星を引き連れて女神は去って行った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

確かに、ブラックエイジの時代の陰影は、後遺症的な作用として、無意識の中でなんらか
の影響を及ぼしているかもしれない。

そして、過去に、目に見える形での影響としては・・・

「昔なら、管理職定年に当たる55歳の時に、我々の事業本部は活況を呈していたのだが、
全社的な業績悪化の影響を受けて、管理職としての役職は維持したままで、年々、10%
づつの減俸が3年間続いた。

定年まで5年あったので、定年時は給与が半減するのかと、年度初めは戦々恐々の辞令
待ちが続いた。

しかし、定年の二年前から新制度の賃金制度に移行した。
(さすがに優秀な人材の散逸が始まって制度の見直しとなったようである)

この間、給与の減額を示した辞令を家内に渡す度に・・・

「なんとかするわよ」と、いう家内からの励ましの言葉に、救われながら3年間を耐えた。
(新制度の賃金体系になってからは若干の昇給もあり家内にも安堵の様子が見られた)



翼を背負った女神が語る真実(3)

リトル・プリンス・テニスクラブ(略称:リトプリ)の入り口は、メルヘンチックな雰囲気で、
玄関口の両脇には鉢に植えられた花々が飾られていた。

玄関ドアはアンチークなデザインになっており、テニス仲間が入って行く時には思わず
笑みが浮かぶ設えになっている。

クラブハウスの室内はウェスタン調で、早朝のオレンジが美味しかったカルフォルニア
のレストランを連想させた。

4月からのテニススクール入会の予約は電話で済ませてあるので、今日は銀行の振り
込み手続きなどを済ませれば、リトプリの仲間入りとなる。

私はゴールデンエイジ入りの記念に「老齢を超越する場」を探していた。

たまたま、現役時代にお世話になった狭山のブレントウッド・テニスクラブのHコーチが、
こちらのテニスクラブに着任されたことを知り、早速、現地を訪れた。幸いにもご本人に
偶然お会いして挨拶させていただいた。

長年お世話になった狭山のブレントウッド・テニスクラブは、一昨年、オーナーの老齢化
および遺産相続への配慮から、紆余曲折を経て、多くのテニスクラブファンの期待も空し
く一昨年末に閉鎖となり、それまで恵まれていた全天候型の理想的な室内テニスコート
を失うことになった。

それまでの間は「ゆっくりと打ち合う並行陣」と、いう独特の海老名流のテニス・スタイルに
学び、月曜日には入間市の市営のテニスクラブで、その週に習った、テニスのおさらいを
するということで、テニス仲間とのリズムが出来あがっていたのだが崩れ去った。

その後は、近郊の室内テニスクラブを行脚したが、お気に入りのテニス環境には廻り会え
なかった。

リトプリもプランとしてはあったのだが、距離的に遠いと云う印象が強かった。しかし狭山の
ブレントウッド・テニスクラブで、お世話になった名コーチ H氏が就任したと云うことで見学
に行ったのであった。

しかし、実際に現地に着いて、自宅からは、自動車で約30分間と思ったよりも近く帰路には、
お馴染みのサイボクハムが運営する源泉かけ流しの温泉にも立ち寄りが可能なことに気付
き、入会に向けて気持ちは一気に傾いた。

決まれば早い、幸い、4月から入会枠が1名分空いていた。

入会キャンペーンで、プリンスのテニスシューズをいただいた。最近、購入したお気に入りの
テニスラケットもプリンス、入会したクラブがリトル・プリンス、なにやらプリプリ化してきた。

帰りがけに、プリンスの風貌を感じさせるHコーチに挨拶をして帰路についた。
時に、3月3日の金曜日、お雛祭りの日である。

この後には、啓蟄と云う地中に冬眠していた虫も暖かくなって、穴を這い出る時期となる。
(今年は3月5日が啓蟄である)

自宅に帰ると1通の封書が届いていた。昔の職場のOB会へのお誘いであった。

元部長が「まだ足腰がしっかりしているうちに皆に会いたい」と、手紙の案内人の女史に
声がかかったのだと云う。

私も、元部長には、管理工学(IE)の分野でお世話になったので会いたいと思う。

ただし、今回のOB会の対象職場は、約7年間で三人の部長の交替があり、今回の案内
は、初代に相当するT部長が統率したメンバーであり和気あいあいとしてチームワークの
優れた職場であった。

その後は、私たちが主体になって、業務革新の旗振りをした斬新な職場であった。

最終段階の3年間は、新しい部長の着任と同時に、職場の空気は一変した。

私が「ブラックエイジ」と云う表現で、前述した暗黒の時代入りである。
時に、私は管理職定年にあたる55歳、職位と責任は維持されたまま、毎年10%の減俸
に突入した年である。

これだけであれば「武士は食わねど鷹楊枝」で耐え忍ぶことも出来たが事態はそんなには
甘くなかった。突然の嵐のように、毎日、出社するや部長に呼びつけられて・・・

「徹底的な人格否定」が開始されたのである。

訳も・理由も・経緯も・分からない状況で、これが、約3年間も巧妙な手口で続けられた。
(当時、地獄で、針のむしろに座らされるとは、このようなことかと思った)

しかし、真相は、意外なところから伝えられた。原動機の事故調査にあたった技術職の
先輩から「おまえ、今、たいへんらしいな」と云う一言で話は始まった。

新任のM部長の異動は、この原動機の事故調査とも、密接な関連が想定されており、

「彼が原動機の軽量化と称して、鋼材から、軽量・強化プラスチックへの材質変更を
図り、その回転体が作動中にバックリング(座屈)現象を起こして、軸受部の損傷を
引き起こした」

「その原形の設計は、かつて、私が描いた図面であり、もちろん強度試験や耐久試験
も済ませて万事抜かりなく、材質も鋼材を使用しており、今までに問題が発生したこと
はなかった」

「ところが、M部長は、初期の図面を描いた私に責任があるとして論調を押し通したが、
事故調査委員会ではM部長の安易な軽量・強化プラスチックへの材質変更が主原因
と特定した」

今回のM部長の人事異動が、そのことに関連が有るとは、誰にも断定出来ないが、
たまたま、私が、M部長の異動先に在籍していたため・・・

「格好の攻撃目標になった可能性は否定できない」と、云うことのようである。

「お前さんも・良く三年間も・耐えたものだよ」と、同情を越えた温情のようなものを感じ
取った。その後、私は以降の顛末は知らされていないのだが、当時、役員に就任して
いた恩師O氏の計らいもあり、私は、他部門に異動することで活躍の場を得た。
(この経緯も後日談として聞いた)

さて、今回、ご案内いただいたOB会に出席するか否か・・・

祖父から譲り受けた双眼鏡を手にして、翼を背負った女神の居る横浜港の方角を覗い
てみると、女神が、こちらに向かって微笑みながら、何か話しかけている。

口元を真似て辿ってみると・・・

「横浜港に来て、ペリーポイント辺りを眺めてみなさい」と、云っているように見てとれた。
最近は、入間市からも横浜の中華街行きの直通電車が走るようになり、海のなかった
埼玉県も「海が近くなったような気がしているので、早速、行ってみるか!」



老齢を超越するロケーション(1)

横浜港の「翼を背負った女神」のお膝元に、もう一つの「老齢を超越する場」を設けて、
海を眺めながら思索に耽るのも良いかもしれないと考えて、インターネットの路線案内
を調べてみた。

自宅を9時半過ぎに出れば、直通電車で、11時過ぎには横浜港に着くことが出来る。
横浜港の近郊で昼食を摂り、午後3時頃には直通の帰りの電車もあるのでお手軽な
散策コースである。

家内と共々出掛けて、鎌倉ファミリーと中華料理を楽しむのも良い考えかもしれない。

今日は、タイミング良く放送大学から授業のテキスト「日本文学の名作を読む」も届い
ており、4月から始まる授業の予習として直通電車の車内で読みふければ、自宅から
横浜港までの移動空間を含めて、老齢を超越するロケーションとして動く書斎の如くに
活用出来る。

既に、リトプリ・テニスクラブとサイボクハムのかけ流し温泉と、入間市のテニスコートを
つなぐ広域地帯に老齢を超越するロケーションを設けたので、これに加えて、サイバー
スペースにおける趣味の俳句と、吊り橋理論に沿った星空文庫の小説家としての活躍
の舞台を整えれば、老齢を超越するゴールデンエイジとしての活躍の舞台はほぼ用意
出来たことになる。

今回、横浜港までの電車の中で読もうとしているテキスト「日本文学の名作を読む」は、
島内裕子教授が新境地で解析された「枕草子」における新発見も収録されているような
ので読む前からワクワク感が先行している。

この著者の島内裕子教授の授業は何度か受けているがテキストの文面は分かりやすく、
講義の際のお話しも楽しく、思わず引き込まれる魅力がある。

今までの受講内容と経緯を追ってみると・・・

◇日本文学概論     島内裕子 放送大学教授 著
◇日本文学の読み方         島内裕子 放送大学教授 著
◇徒然草をどう読むか         放送大学 叢書 島内裕子 著

などがあり他にも「徒然草」島内裕子校訂・訳については授業で徒然草の原文に沿って、
みんなで声を出して読み合わせるなどの画期的な授業も体験した。

また、訳文は、島内裕子教授によって深層心理にも触れた斬新な解釈も加えられており
文面を紐解いて行くと独自の現代版徒然草ワールドに誘ってくれる。

島内教授は、徒然草のリズム感は、モーツアルトの楽曲にも共通するところがあるという
独自の解説も加えている。

私はこの徒然草の島内教授による訳文は何度となく読み返して楽しんでいるので、これも
入間から横浜港までの直通電車内で読み返すのに最適かも知れないと考えた。

今までも徒然草の島内教授の訳文を読み返すことにより、次のような「テニスへのヒント」を
得た具体例があるので、あらためて通読することで新たなヒントが得られるかも知れない。

【テニスにおけるヒントの二つの具体例】

 一つ目は、徒然草「第百十段」からのヒント
           (先ずは、島内裕子教授の訳文から抜粋)

【訳】 双六の名人と言われた人に、その必勝法を尋ねてみましたところ「勝とうとして、打って
はいけない。負けまいとして、打つべきである。どういう手を打つと、すぐに負けてしまうのだろ
うかと熟慮し、その手を使わずに、たとえ一目なりとも、遅く負ける手を選んで打つべきである」
と言うのだ。

これは、双六の道の奥義に達したうえでの教えである。
自分の生き方をきちんとし国家を正しく保ってゆく道においても、また同じことが言えるのだ。

☆これはまさにテニスの試合などにも共通する話であり、テニスの試合においても最初から
「勝ちに行く試合」には、気持ち先行のゲーム展開の傾向が強くそこには、戦術に欠ける面
がある。

負けないテニスと云うのは、練習試合で負けたりして・・・

「何故、負けたかを考え、分析した上で、負けない戦術を練る」、そして戦うのでテニスを科学
するプロセスが加わる。

したがって、本番の試合が始まってからでも・・・

「この負けないテニスが目指すところの科学する眼が、試合中に作動すれば、以降のゲームに
おいて軌道修正が可能である」結果、負けないのである。


【さらなる、テニスにおけるヒントの具体例】

 二つ目は、徒然草「第九十二段」からのヒント
           (先ずは、島内裕子教授の訳から抜粋)

【訳】 ある人が、弓を射ることを習う時に、二本の矢を手に持って、的に向かった。
すると師匠が言うには「初心者は、二本の矢を持ってはならない、後の矢をあてに
して最初の矢を射る時に、いい加減な気持ちが出てしまうからである。毎回、絶対
に失敗のないよう、最初の矢で必ず的を射なければならないと、思いなさい」
と言った。

師匠の前で、たった二本の矢のうちの一本を、おろそかにしようと思う人はいない
だろう。けれども、弛む心を本人は気づかずとも、師匠は気付いているのである。

この教えは、すべてに通じると言ってよい。

道を修行しようとする人は、夕方には翌朝があることを思い、翌朝になると今度は
夕方があることを思って、後でよく修行して身に付ければよいと、ついつい先延ばし
にしがちである。ましてや、一瞬の間にも弛み怠る心が、自分にあるということが、
わかろうか。

本当に「ただ今の一念」、つまり、この一瞬のうちにしなければならないことを、すぐ
さま実行することが、何と困難なことであろうか。

☆これは、まさにテニスでサーブを打つ時の基本姿勢として、指針そのものである。



老齢を超越するロケーション(2)

西武電車で、入間市から、元町・中華街までの直通電車内での過ぎし方を想像して
いるうちに・・・

脳内で、今回の「昔の職場のOB会」へのお誘いについて結論が出てしまった。

答えは「不参加」である。たしかにオレンジエイジの時代の懐かしいお付き合いであり
古き善き時代の思い出も手伝って、参加したい気持ちも強いが、案内状を封書で送付
いただいた女史は、同じ部門において、ブラックエイジの時代にも席を並べた仲間でも
あり、OB会の準備を進める過程で、OB会の対象も範囲が広がる可能性もある。

会場に着いてみて、ブラックエイジの時代の三代目のM部長が居ることに気付いて、
急遽、帰ると云う訳にもいかない。

ここは、翼を背負った女神からの貴重な警告も考慮して、あの時代の黒い影を再び
踏むようなことはしないほうが賢明のようである。

私の企業人としての人生を大きな瓶の中における航海として例えるなら管理職定年
としての55歳からの約3年間は、M部長によって、瓶にコルクによる蓋をされて窒息
寸前まで行きつき恩人のO氏によって、ようやくコルクの栓が抜かれて息継ぎの機会
をいただき、定年の60歳までを、まさに、休暇を取る暇もなく一生懸命に駆け抜けた
感がある。

それだけに、定年の日を迎えた、その翌日の朝の感動は、今でも忘れない。

あの朝は飼い犬との散歩に出掛けて林の中の新緑に眼が癒されて心の中で思わず
「セーフ」と叫んだ。

それだけ暗黒の約3年間の陰影が色濃く心を支配していたということである。

そして、私の定年(60歳)までの約2年間の一生懸命は・・・

定年後の講師を兼ねたビジネス・コンサルタントの仕事にも、そのままの勢いでつな
がって行き、顧客のオーナーの期待に、大いに応えることが出来た。

私の吊り橋理論の「吊り橋」は、見方を変えれば現役時代のオレンジエイジと定年後
のシルバーエイジをつなぐ、私にとっての「心の架け橋」であったのかも知れない。

そして、眼下には底知れない暗黒の谷のようなブラックエイジが観て取れる。

私が、定年の日の翌朝に、あれほどの安堵の気持ちになれたのも、定年の日の晴れ
舞台があったからこそと思っている。

私が、定年前の約二年間に任された任務は・・・

設計部門と生産部門をつなぐ技術情報のデータセンターの近代化であり、これも因縁
的なめぐり合わせであるが、該当の部署は、かつてM部長が統括していた部署であり、
データセンターの機能は三事業所にそれぞれ独立する機能として配置されていた。

当時、現地に着任して分かったことは・・・

◇M事業所では「M部長による業務改革をうたい文句にして約5名の減員があり」効果
が確認されていない段階での人員削減を図ってしまったために「職場は大混乱の状態」
に陥っていた。

◇また、T事業所では、改革システムが円滑に機能していないために機能麻痺の状態
に陥っていた。

◇そして、K事業所も、T事業所と同じような状況に陥っていた。

私としては、三つの事業所を1週間のスケジュールを割り振ることで巡回、移動中は
情報機器を活用して現地の状況を逐一把握しながら「新しいシステムの構築」および
「人員の適正な補充」に注力、外部のシステム・エンジニアの助けも借りて約1年半で
軌道に乗せることが出来た。

この過程ではコンピューターの2000年問題にも遭遇、正月返上で情報機器システム
を守り抜いた。

このような経過で、新機能を装備したデータセンターは、高く評価されて全社的な表彰
を受けた。

私の定年の日には、このシステムの構築に関わった他部門のメンバーも定年の日の
宴席に加わってくれて「至福の喜びの会」となり、当日は、自宅までハイヤーで送って
いただいたのであるが、帰路には、あちこちで桜が満開、そのような喜びの日の翌日
の朝であっただけに、林の中の新緑が、いっそう目に映ったのかもしれない。

そして、実際に「吊り橋理論の概念」を引き出すことになった研究論文は、定年後の
ビジネス・コンサルタントの時代に書き出したものである。

実は、この話にも紆余曲折があって約20年間の歳月を要して結実したものでもある。

そもそもの話の起点は、今回のOB会の実質的な発起人であるT部長の後輩のA氏
の早期退職制度への応募がきっかけであり、その潔さに「鮮烈なインパクト」を感じ
取ってからの一念発起とも云える。

当時、私は40歳代、勤めていた会社は急激な円高の影響により輸出が激減して大幅
な業績悪化が避けられず、やむを得ない経営判断として会社は人員削減に経営の舵
を切った。

そして、第一の手だてとして早期退職を募集した。

多くの優秀な人材が、早期退職に応募、その中には管理工学(IE)の権威者でもある
T部長の後輩のA氏も手を挙げたことを知り驚きと同時にその決断に眩しさを感じた。

あの時、大いなる衝撃と同時に、痛切に感じ取ったことは、これから先、再び同規模の
大型不況が押し寄せてきて企業としての経営が危うくなった時に「企業に残るにせよ」
「去らざるを得ないにせよ」専門性を身に付けていないと、「先行きがない」と云うことを
痛感したのであった。



兀型の専門性

私は専門性ということを考えた時に・・・

自分にとっての専門性は「T型の専門性を身に付けることが有用な方策ではないか」
と考えた。即ち幅広の経営戦略の基礎を身に付けて、自分で、今、活躍している管理
工学(IE)の実践をさらに深く掘り下げて行く。

そして、ある程度の実績を積み重ねた時点で、もう一つの専門分野を開拓して、
「兀型の専門性」に発展させて行く。

「それは、将来に向けて布石を打つことになるのか?」

私は、この考え方で準備が出来れば、盤石の構えで準備が出来ると確信した。

現に、管理工学(IE)の分野では、他社との異業種交流の場で、お互いの事業所や
工場訪問をして現地・現場での実践交流にも参加しており、管理工学(IE)の専門職
として、他社においても通用する手応えを感じ取っている。

そして、外部に向けた講師としての経験では、日本IE協会の推薦で日本生産性本部
が主催する「生産性の船」にも講師として、約2週間の乗船経験があり、中部IE協会
では名古屋において、自ら、開拓した独自のIE技法であるところの「ビデオIE」を駆使
した工場革新の事例などを紹介する講演を経験しており、T型の専門性における深堀
の分野では実績も重ねてきている。

さらにこれを「兀型の専門性」に発展させて行くための「もう一つの専門性」の深堀分野
の開拓として、社会人向けに公開されている放送大学に入学して「心理学」を専攻する
ことにした。

ただし、この場合は、文部省認可の大学であり単位認定試験などを伴う学習となるため、
学習時間の確保など家内の協力も必要になって来るので、よくよく相談の上での決心と
なった。



幅広の「経営戦略の基礎」の習得については・・・

家内から、「これからの企業人は、自分自身に向けた資金投資も必要になってくる」と
云う励ましと応援により、プレジデント社が発刊している経営大学院(商品名)全25巻
の購入を決めて、即、注文すると、すぐに段ボール2箱分の教材が届いた。

教材の構成はテキストとビデオ&カセットの充実した内容であり、特典として前述した
ことがある作家:童門冬二先生の講演への招待券が付いていた。

これによって、「兀型の専門性」習得のための学習教材と学習環境はほぼ整った。

そして、それからの猛勉強は久々のものであり、帰宅後の深夜および休日は、学習
また学習と云う日々を過ごすことになった。

私にとって、これらの学習はやがて実践経験を経て血肉となって行った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回、私の喜寿(七十七歳)のお祝いを、伊豆の温泉地にて催していただけるという
ことになり、鎌倉から、伊豆に向かう道路渋滞を考えると、鎌倉ファミリーのところに
前泊したほうが賢明という判断が成されて・・・

私達は前述の入間から横浜の元町・中華街行きの快速急行の電車に乗り込んだ。

電車内では、かつて「老齢を超越するロケーション」として、この快速急行の存在も
視野に入れていたが、久々に乗車してみて感じたことは「元町・中華街の電車」が、
東京首都圏に融け込んでいる印象を抱いた。

入間駅から渋谷駅まで一時間、その先には新宿三丁目の駅ががあり、渋谷駅から
は車内も混雑して、首都圏の脚として自然体で融けこんでいる。

最早、渋谷の街も、横浜の中華街も、少し遠めの散歩道の範疇なのである。

その様な状況の中で前述のような「老齢を超越するロケーション」として考えたことを
思い返してみると、もっと気軽に、横浜のロイヤルパークホテルなどに出掛けて中華
料理などを楽しんでもよいのかも知れないと考えた。

今回、鎌倉ファミリーに招待していただいた老舗旅館「望水」も・・・

「望水」という名前から発想を広げれば「水は、器に合わせて形を望み通り」に変える
ことが出来る。もっと柔軟性をもって、フレキシブルに発想したらということになる。

そこで「生涯青春ラケットとジェットの物語」の構成も・・・

◇本稿「Book1」では、引き続き「グリーンエイジ」から「ブルー&レッドエイジ」の時代
 を描いて、武蔵野の古き善き時代を謳歌

◇本稿「Book2」では、令和に連なる伊豆の老舗旅館「望水」から臨んだ初日の出を
 巻頭に置いて、これからの生き様を人間学の眼を通して探求

◇本稿「Book3」では、インターネット上の「趣味?俳句でしょ!」藤田昌也氏の主宰
 を通して「ブラックエイジ」を乗り切って行った情景の検証

など、それぞれの器を、自在に行ったり来たりしてみたいと考えている。

(続 く)

【連載】生涯青春ラケットとジェットの物語 Book 2

【連載】生涯青春ラケットとジェットの物語 Book 2

海を臨む「景勝の良さ」と磨き抜かれた「おもてなし」そして食膳を彩る多彩にして繊細な「ご馳走」を振舞う老舗旅館「望水(BOUSUI)」に、ご招待いただき・・・私の喜寿(七十七歳)を祝っていただいたが贅沢過ぎる時空間であった(望水は 伊豆 北川温泉郷の老舗旅館)。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-04-12

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted