マイ スウィート ヌガー ( 4 / 12 )
1年くらいかけて初めて書いた小説です。全部で12まであります。
4.
その日の夜、お父さんが花火を買ってきた。これまで見た中で一番大量の花火だった。早く花火がしたくて、夕飯を済ませると食べた後の食器を片付けるのを手伝った。
外に出ると、気持ちのいい温度だった。その日は夕立が来ていた。雨が止んだら、じっとり肌にまとわりついていた空気の中の水分を地面が全て吸ってくれた。ちょうどよく乾いた風が流れて、体を涼ませてくれる。
空を見上げると、濃い藍色の空には雲はひとつもなかった。昼間はスカイブルーの空に、真っ白で大きな入道雲がいくつも浮かんでいた。それは、この季節の木が生い茂っている様子とよく似ている。雲の輪郭がはっきりしていて立体的で、雲自身の大きな盛り上がりによって影になっている部分と、太陽の光が反射して一層白く見える部分がある。じっと同じところを見続けていると次第に上の方に向かって雲がもくもくと大きくなっていくのがわかる。
昼間の入道雲が大きければ大きいほど強い夕立が来る、とお父さんから聞いたことがあった。だから、わたしは雲が大きいときは夕立が来るのを楽しみに待つ。激しい雨が降り始めると、暗い灰色になった空をじっと見上げて、大きな入道雲が下の方から溶け出して雫を落としながらどんどん小さくなっていく様子を想像した。
昼間に痛いほど照らされた地面は、からからに乾いて火照っている。だから、落ちて来る雨粒を、どんどんどんどん、吸収する。それだけ必要なんだ、と思う。
雷が鳴り響いて、斜めに殴りつけるように降り続く雨の様子を、家の中から見るのが好きだ。雨が地球に染み込んでいくのを感じて、自分の体の中も血か体液なのかわからないけど、しっかりと体の中で流れ始め、巡っていくのがわかる。気持ちが落ち着いてきて、時には眠くなってしまう。
激しい雨が降り終わって静かになると、地球にとってもわたしにとっても、もともとの状態に戻ったような感じがして体の中が生き生きしてくる。目が覚めたような感覚になって、頭の中がすっきりする。
「ちょっと風はあるけど、大丈夫だろう。」
お父さんは、花火のセットに付いていたロウソクに、吸っていた煙草の火をつけた。火がついて溶け出したろうを大きな石の上に垂らして、その上にろうそくを立てた。
わたしはその間、花火を選んだ。最初は赤いストライプ柄の花火にした。ひらひらした紙の先に火をつけると、ゆっくりと紙が燃えた後、シューっという音と一緒に細い火花をふきだした。火花はしばらくすると白から黄色、その後赤色になり、勢いが強くなった。
花火の先で円を描く。腰の高さくらいのところで腕を伸ばし、最初は小さい円、次第に大きな円にしていった。火花の白、黄、赤の三色の残像と、そこから出る白い煙が重なった。
「お父さん、見てー。」
「おー。赤いロケットかー。」
火が消えると、次は青いストライプ柄の花火に火をつけ、同じように円を描いた。さっきよりも大きく。青い火花と白い煙がわたしを包んだ。さらに体をまわして、自分の体の周りに円を描いた。
「捺ー、見えないぞー。隠れ身の術だなぁ。」
そうだよー、と言いながら、そのまま花火を持って走り出した。青い光と白い煙がまっすぐ斜めにつながり、線になった。
「飛行機!」
「航空ショーだ。」
今度は二本同時にやろう。航空ショーでは飛行機は同時に何機も飛ぶから。違う色の花火を選ぼうとして、ふと、自分の左の手首が目に入った。手首の幅の長さで横に赤黒い線が入っている。思い出した。幼稚園のときに花火で火傷した跡だ。
それは、まだ幼稚園のもも組のときだった。家族でキャンプに行った。キャンプ場は川の近くにある場所で、家から車で二時間くらいかけて山道を登って行ったところだった。標高が高くて、高い木で覆われたその場所は、夏でも涼しかった。
キャンプ場に着くと、まずはテントを組み立てた。わたしもテントを広げたり、四隅の紐を固定する杭を打ち込んだりするのを手伝った。もちろん、わたしの力では杭はほんの一センチも打ち込めてなかったから、最後はお父さんが打ち込んだ。
テントが立つと、川に下りて遊んだ。わたしはまだ泳げなかったから浮き輪をつけて水に入った。幼稚園で入っていたプールの水よりずっと冷たくて、びっくりした。そして、足もとが石でごつごつして痛かったし、水の流れで足を取られそうになったので、不安でお父さんにずっとそばにいてもらった。
少し離れた深さのある場所からわっと歓声が聞こえた。見ると、中学生くらいの男の子たちが岩の上からジャンプして水の中に飛び込んで遊んでいる。彼らはいかに、変わった格好で飛び込むかを競い合っているようだった。一人の子が体を固く一本の棒のようにピンと伸ばしたまま、つま先から飛び込むと、次の子は両手両足をモモンガのように大きく横に広げて飛び込む。棒状の姿勢の子のときは、シュポッという音がして、モモンガの姿勢の子のときはバッチーンという大きな音がした。皆大笑いしていた。大きな音のときのほうが喜んでいるようだった。飛び込んではまた岩に上がりまた飛び込む。何度も楽しそうに繰り返していた。
わたしは、その様子をじっと見ていた。初めて見る種類の人たちという感じがして。
お父さんが、楽しそうだなぁ、捺もやってみるか?あの辺りの低いところなら大丈夫、俺が下で受け止めてやるぞ、それとも抱っこして一緒に飛び込んでみるか?と言った。とんでもない!素早く首を横に振って、お父さんの手を握った。
そのとき、行くぞー!という声が聞こえたのでそっちを見ると、丁度一人の子がくるっと後ろを向いて後ろ向きのままお尻から飛び込むところだった。飛び込む先には、先に飛び込んだ子がまだ水の中に残っていた。
危ない!と思って、とっさに目を閉じた。案の上、二人はぶつかり、水のはじく音とともに、ゴツッという大きな音が聞こえた。ぶつかった!怖くなって、目をもっと強く閉じて、お父さんとつないでいた手にぎゅっと力を込めた。
するとすぐに、一斉に大きな笑い声がした。恐る恐る目を開けてそっちを見る。
痛ってぇなー、何だよお前、何でそこにいるんだよ、邪魔なんだよ、お前だって飛び込むのが早ぇえんだよと言いながら、お互いに腕をぶるんぶるん振って水をかけあって笑っていた。
「痛くなかったのかな?」
「ああ、笑っているし、大丈夫なんだろう。」
「大丈夫なんだ。すごい。」
と、言ったけど、まだお父さんの手を離す気になれなかった。
「ほら、捺、魚がいるぞ。」
お父さんの指さすほうを見ると、濃い灰色の魚が一匹見えた。魚はずっと同じ場所にいたので、動かずに止まっているように見えたけれど、よく見ると、魚のひれは細かく動いていた。周辺の水の中をじっと目を凝らしてよく見ると、水の色と似ているので気づかなかったけど、他にも何匹か魚が泳いでいるのがわかった。
川の深さが深いところは、川底までの距離があるから色が暗く見える。その色と魚の色がとてもよく似ているから気づかなかった。そして、深さのあるところは、ちょうど岩の形によって水の流れが弱まるところで、そういう所に魚は集まっていた。ひれが小刻みに細かく動いていたのは、小さな水の流れに合わせて動かしていたからで、そうやって魚は同じ位置にとどまっているのだった。
それがわかると、同じように流れの少ない水の溜まる場所で魚がいるのを次々に見つけた。
「お父さん、見て、こっちにもいるよ。」
「捺、すごいなー。また見つけたのか。」
「ほら、こっちには三匹いる。」
「うちの家族みたいだな。」
と、お父さんが言った。ほんとにうちの家族みたいだった。一番小さいのが自分だな、と思った。一番小さい魚は他の二匹より小さいひれを必死に動かしていた。
それから夕食のバーベキューの用意をした。初めてのキャンプだったので火をおこすのに時間がかかったり、飯盒で炊くご飯の火加減が弱すぎたりして、食べ始める頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。暗すぎてバーベキューの肉がちゃんと焼けているかわからなくて、お母さんは懐中電灯で一つ一つ照らして赤いところがないかを確認してからつぎ分けていた。後からお父さんが大きめのランタンをロープで吊るして上から照らすようにしてから、やっとお母さんも座って食べ始めた。
食べ終わるともう遅い時間になってしまったので、お母さんが後片づけをしている間に、お父さんと二人で花火を始めた。花火はこの日で三回目くらいだった。初めて花火をしたときは、怖くてお父さんと一緒に花火を持ってやっていたけど、すぐに慣れて一人で持てるようになった。花火は楽しくてきれい。だから、花火が大好きだった。
その日の夜も、一人で花火を持って火をつけた。キャンプ場は辺りに家や建物の明かりがないので、花火の火花がより一層明るくはっきり見えたし、花火から出る白い煙も上限なく空に向かって広がっていく。
次々に花火に火をつけた。お母さんが食器を片付けながら時々様子を見にきた。
「気を付けてやるのよ。」
「大丈夫だよー。」
そのうち、二本同時に火をつけて両手で持ち始めた。一本に火をつけて、その火を使ってもう一本に火をつける。違う色の花火を両手に持つと、違う色の火花とうっすらそれぞれの色のついた煙が出てくる。二本を交差させたり離したりして色が混ざるのがきれいで、嬉しくて何回もやった。
何回目かのときだった。花火を交差させて出る煙が空に昇っていくのを見上げていたときに、左手首にチカッと痛みがした。えっ、と思ったと同時に右手で持っていた花火が左手首に当たっているのが見えた。その瞬間さっと右手を横に引き、当たっていた手首から花火を離した。
何が起きたのかしばらくわからなかった。でも、背中がすっと寒くなった。左手首がズキズキし始め、その痛みはどんどん大きくなっていく。両手に花火を持ったまま、しばらくじっとしていると、花火は二本とも消えてしまったけど、そのまま動かずに立っていた。
花火が消えて、煙が空高く昇って消えてしまうと、音も光もなくなって、辺りは急にシーンと静かになった。その静けさの中で痛みが強くなる怖さと、どうしていいのかわからない不安で動けなくなってじっと固まってしまった。
「捺?」
お父さんが異変に気付いて走ってきて、火傷していると叫んで、お母さんも走ってきたのを覚えている。それから、お母さんが抱きかかえて車に乗り、お父さんがいつもよりうんとスピードを出して運転して、近くの緊急外来に行った。
どうやって持っていたの?どうして二本持っていたの?どうしてすぐに言わなかったの?と車の中でお母さんは言った。わたしは、どの質問にも答えられずに、ただお母さんにしがみついていた。
病院の先生は、右手で持っていた花火の火が左手首に近づき少しずつ火傷していったのだろうと言った。チカっという痛みを感じたときにはもう時間がかなり経っていたところで、すでに結構な熱が当たっていたということだった。もう少し火傷が深かったら、手首を曲げるのに支障が残るところだったと言われて、お母さんがすごく悲しそうな顔をしていた。どうしてちゃんと見ていてくださらなかったの?とお母さんがお父さんに言って、お父さんはすまんと言った後は黙っていた。
その後もしばらく二人は話していて、わたしは折りたたみチェアに座って、話が終わるのを待っていた。お母さんが気づいて、もう遅いからテントに入って先に寝て、と言ったけど、テントの中で一人きりで寝るのは怖くて、わたしはそのまま座っていた。
すると、お母さんは、ああ、一人では怖いわよね、と言って、一緒にテントに行ってくれた。並んで横に寝ていたけど、わたしはなかなか眠れなくて、体を横に向けてお母さんの胸の近くに顔を寄せた。
そして、手首がじんじんするリズムに合わせて羊を声に出して数えてみた。十匹数えたところで、もう寝なさいとお母さんが言った。でも、それでも眠れなかったので声を出さずに心の中で羊を数えた。そのときのわたしは十までしか知らなかったから、十匹までいったらまた一匹に戻って数えた。
すると、わたしが寝ていないと気付いたお母さんが、
「すー、はー、あー、あー、ってやってごらん。」
と言った。
「何?」
「吸った長さより、三倍長く息を吐くの。」
「すー、はー、あー、あー?」
「そう。」
わたしは、何だか嬉しくなって、声を出して繰り返した。
「違う、違う。声は出さないの。黙って、息を吸って吐くのよ。」
そうか、わかった、と言って、声は出さずに吸って吐いた。上手くできるように頑張ってやっていたら、目がもっと覚めてきた。
「ふふふ。これじゃあ、眠れないね。」
とお母さんが笑った。
「ううん。眠れるよ。」
わたしはそう言ったけど、お母さんはまた、もう寝なさいと言った。だから、さっきの羊と同じように心の中でそれを繰り返した。すー、はー、あー、あー。何度か繰り返していたら、今度はいつの間にか眠っていた。次の日はもう川遊びはせずに家に帰った。
手首の火傷のあとは、今はもう痛くない。でも、二本持って航空ショーにしようという思い付きはやめにした。取りかけた花火を戻して、線香花火を取った。低めのブロック塀に腰かけて、線香花火をしながら、お父さんが打ち上げ花火をするのを見た。打ち上げ花火は思っていたよりしょぼくて、あっという間に終わってしまった。
もう終わりかなと思って、花火の束があったところを見ていたら、小さな箱を見つけた。
「お父さん、これ何?」
「あー、これか?どら、貸してごらん。やってみよう。」
お父さんが箱を開けると、中から六角形の形をしたものが出てきた。それには紐がついていて、お父さんはその紐を庭の物干し竿に結び付けた。六角形の下の方に火をつける紙があって、お父さんはそれに火をつけて、さっと走ってその場から離れてわたしの隣に立った。
少しずつ白い火花がシューっと音を立てて噴き出した。それから火花が大きくなるにつれて六角形がゆらゆら揺れ始め、あっという間に火花と一緒にくるくる回り始めた。どんどん速さを増していき、回る火花は一本の光の線になって六角形のまわりに円を描く。こんな花火初めて見た、どうなるのだろうと思いながら、目を凝らして見ていると、六角形はもうこれ以上速く回れないという限界値に来たところで、パチンという音をたてて上の部分からパカッと何かがはずれて下に開いた。
くるくる回り続けながら、まだついている火の明かりに後ろから照らされて、それは浮かび上がって見えた。開いて下に出てきたもの。回転が段々ゆっくりになっていくと形がはっきり見えてきた。それは、小鳥だった。
黄色の小鳥が鳥かごに入っていた。開いた下の部分には何本か紐がつながっていて、それが鳥かごの網のように見える仕組みだった。火が消えるまで、小鳥は浮かび上がって見えて、とてもきれいだった。これぞ火の鳥だ、とお父さんは笑いながら言った。火が消えてからお父さんはそれを物干し竿から外し、わたしに手渡した。近くで見ると、ただ厚紙に小鳥の絵が印刷してあるだけのものだった。
お母さんが切ったすいかを食べながら、その小鳥を眺めていた。それから、ふと思いついて、懐中電灯を持ってきて後ろから照らしたら、光の中に小鳥が浮かび上がった。それを見たお母さんは、花火から鳥が出てきたの?よく出来ているわね、と言ってくすりと笑った。その顔を横から見ていたら、すいかがさっきより甘く感じた。
「この鳥、すごいな。」
神様のところから来た鳥じゃないの、と思った。
マイ スウィート ヌガー ( 4 / 12 )