マイ スウィート ヌガー ( 3 / 12 )
1年くらいかけて初めて書いた小説です。全部で12まであります。
3.
次の日も、学校から帰ると家には入らずに、ランドセルを背負ったままうらぐちさんの家に向かった。昨日せっかく摘んだのに忘れて帰ってしまった花をもらいに行こうと朝から決めていたから。
玄関の横の小道に入り、うらぐちさんの庭に入った。テラスの窓をコンコンとたたいて、
「すみませーん。」
と、中に向かって叫んだ。うらぐちさんが出てこないので、ガラス越しに中を覗くと、家の中はしんとしていて、誰もいる気配がしなかった。
留守なのかな、昼間は寝ているってお母さんが言っていたな。じゃあ、しょうがないか。帰ろうとして振りかえると、うらぐちさんが真後ろに立っていた。
「わっ!」
驚いて、思わず声を出したけれど、うらぐちさんは全く落ち着いたままでそこに立っていた。
「じょうちゃんだったのかい。誰か来ていると思って戻ってきたんだよ。」
うらぐちさんは、その日もワンピースを着ていた。昨日と違うのは、つばの大きな麦わら帽子をかぶっていることだ。麦わら帽子は、熊本に住んでいるおじいちゃんが農作業をするときに被る帽子とそっくりだった。おじいちゃんの帽子は紐が黒色だったけど、うらぐちさんの帽子の紐は赤色で、そのひもを顎の下にきっちり結んでいて、ひもがあごの下の肉にくい込んでいた。
そして、手に透明のビニール袋を持っていて、中には何かが大量に入っていた。よく見るとそれは食パンだった。わたしがじっとそれを見ていると、
「あ、これ?猫にやろうと思ってさ。そこの角の公園に猫がいるだろう。お腹が空いているだろうからさ。」
と言って、袋の口を広げて見せてくれた。
最近近所に野良猫が増えて困る、とお母さんが言っていた。子猫も生まれていてさらに増えてきた、誰か餌でもやっているんじゃないかしら、困るわね。ものすごく嫌そうな顔をしてお父さんに話していたお母さんを思い出した。
「じょうちゃん、一緒にやりに行く?」
「えっ、いや、いいです。」
「そう?じゃあ、後から私が行くからいいや。可愛いんだよ。親子でいてね。親猫に子猫がぞろぞろ付いて歩いていてね。中にとろい子が一匹いてすぐ遅れちゃって、みゃーみゃー泣くんだよ。」
「あ、はい。」
「だから、私がその子を手でつかんで。ほら、この首の後ろのところはさ、猫はつまんでもいたくないからね。で、手でつかんでスーッと先頭にいる子猫の前においてやるんだ。だけど、しばらくしたらまたその子はとろとろして、すぐ一番後ろになっちゃうんだ。」
「へぇ。」
「だからまた私がつかんで先頭に運んでやるんだよ。親猫はちっとも気づいてないんだけどね。ははは。」
うらぐちさんが笑いながら楽しそうに話す。
「でもさ、みにくいアヒルの子もそんな感じだったでしょ、あの童話の。じょうちゃん知ってる?」
「はい、知ってます。」
「出来の悪い子が実は白鳥だったっていうやつ。あの子も何かえらいのになるかもしれないって最近思うようになってきたよ。」
「猫じゃなくて、例えばライオンとか?」
「ライオン?そうだったらびっくりだよね!じょうちゃん、すごいね。よく思いついたね!」
「そうですか?」
「そうだよ、ライオンなんて!ははは!」
二人で一緒に笑った。
「あー面白い。あ、ほら、うちにおあがりよ。」
部屋に入って、昨日の花はどこにあるのか見回した。花はテレビの上にロッシーの瓶に入って飾ってあった。
「あ、昨日それ忘れて帰ったでしょ。もう飾っちゃったよ。」
これをもらいに来たんですと言おうとしたけど、その花はうらぐちさんのテレビの上にとても似合っていたし、これをもらいに来たという口実がなくても来ていいんだと思えて、嬉しい気持ちになって、
「またあの小道からもらうのでいいです。」
と言った。ああ、いいよいいよ、いくらでもお取りよとうらぐちさんは言った。
それから、うらぐちさんは冷凍庫をガラッと開けて、中から棒アイスを取って持ってきた。両手でアイスの両端を持って上に持ち上げた。と同時に右足を上げて膝を曲げると、勢いよく振り下ろしたアイスをえいやっと言って膝に当てた。
棒アイスはポキッと真ん中のくびれた部分から綺麗に二等分されて、その片方をわたしに、はい、と差し出した。
二人で台所のテーブルに向き合って座って、アイスを食べた。
うらぐちさんは、大きめに口にくわえて奥歯でガリガリ噛んだり、先っぽをくわえてチューチューと音を立てて食べる。ちょっと騒がしい。
「一人より美味いね。」
「え?」
「一人で食べるより誰かと一緒に食べたほうが美味いでしょ。」
「ああ、これ?」
「そうさ、だからこのアイスはちょうど半分から分けられるように作ってあるんだよ。二人で半分こ。」
「へえ、そうなんだ。なるほど。」
「なんちゃって、知らないけどね。」
「は?知らない?」
「ははは。でも私はそうだと思うよ。そうに決まってる!」
うらぐちさんは、もう一本食べ終わろうとしていた。
「で、じょうちゃんは何ていう学校に行っているんだい?」
そんなことも知らないんだ。でも、子どもがいない人ならそんなものかもしれない。
「丘の平小学校です。」
「へぇー、そうかい。カッコいい。」
「カッコいい?」
「そうさー、かっこいいよぉ。丘の平小学校。」
何がカッコいいのだろう、でも、こんなににこにこしながら頷いているので本気でそう思っているのかもしれない、きっとそうだ。
それから、自分が六年三組で、担任の先生はどんな先生なのか、好きな教科は国語で、嫌いな教科は体育(特に鉄棒!)だとか話をした。どの話を聞くときも、うらぐちさんはニコニコ笑っているか、目と口を丸くして驚いたりして聞いていた。特に、理科の先生が怒るときに教卓を掌でバンとたたいて「痛い!」と言った後に怒り出すという話をしたときには、腹をかかえて大声で笑っていた。
ははは。ははは。
そうかい。おもいろいねー!
そんなこと言うんだ。びっくりだよ。
それでその後は?
ははは。ははは。
わーはっはっは。
その笑いに乗せられて、気づけば夢中になって喋り続けていた。喉が渇いてしまう程だった。
「あの、喉がかわいちゃって。水もらってもいいですか?」
「あー、そうかい。私も笑いすぎて喉がカラカラだよ。麦茶持ってこようね。」
うらぐちさんが注いでくれた麦茶はよく冷えていて美味しくて、わたしは一気に飲み干して、もう一杯おかわりして飲んだ。
「ほんとに、じょうちゃんはおもいしろいねぇ。」
「え?」
「もう、私はお腹がよじれちゃって痛いよ。」
「私が面白い?」
「そうさ、お笑い芸人だ。」
いつも教室では、面白いことを言って他の人を笑わせている男子。あの男子たちもこんな気分なのかな。わたしはいつも見ているだけだ。わたしが面白いなんて。初めて言われたからおかしな気分になった。ちょっと嬉しかったのかもしれない。でも、今の自分は教室の男子の真似しているだけだ、という声が耳に聞こえるような気がして、すぐに恥ずかしくなった。
急に、わたしがしゃべるのをやめたので、うらぐちさんは、お笑い芸人と言われたのが嫌だったのかと思ったらしく、
「あら、ごめん。女の子だから、アイドルのほうがよかったかねぇ?」
首を傾げてわたしを見た後、
「顔もアイドルみたいに可愛いしね。」
と言った。
「私は可愛くないですよ。」
とっさにそう答えた自分の口調が強かったので、自分でも少し驚いた。
「えー?可愛いよ、じょうちゃんは。」
「いや、可愛くなんかない。私の友達で瑠奈ちゃんていう子がいて、その子は可愛いいんです。いつも髪を綺麗にしていて、かわいいゴムとかピンをつけていて。」
「ほう。そうなんだ。」
「うん。そう。髪もさらさらしてる。」
うらぐちさんはちょっと驚いたような顔をして、しばらく黙っていたけれど、
「お友達のいいところ知っているんだね。」
と言って、またニコニコした。
「え?」。
わたしが瑠奈ちゃんのいいところ知ってる?考えていると顔がくしゅっとなったのが自分でもわかった。何だか頭の中と目と目の間がぴりぴりくすぐったい。もやもやした感じがしてきて落ち着かなくなった。
「あの、昨日もらったお菓子ありますか?」
ふと、ヌガーが食べたいと思った。
「あ、ヌガー?あるよ。」
「もらえますか?」
「いいよー。ちょっと待ってて。」
うらぐちさんは、昨日と同じように、うんと背伸びして棚の上にある缶を取って持ってきてくれた。そして、昨日美味しかっただろう?今日も食べなよと言って、缶を開けてくれた。中にはセロファンに包まれた可愛いヌガーが今日も沢山入っていて、それを見ただけでなんだか頭や目と目の間がすっきりした。
うらぐちさんと向き合ってヌガーを食べた。
「甘いもの食べると女の子は可愛くなるよ。じょうちゃん、今よりもっと可愛くなるね。」
と、うらぐちさんは言った。
「私、可愛くならなくてもいいから。」
「あら、そうなの。」
「カッコよくなりたい。」
「いいねぇ。カッコいい女も。」
「そして、強い人。自分の意見をはっきり言えるような。」
「ほう。しっかりしているね、じょうちゃんは。」
「あ、捺です。私の名前。高月捺。」
「捺ちゃんか。高月捺。カッコよくて強くなりそうな名前だ。」
「おばさんは?」
「え?私の名前?」
「はい。」
「私は、キャサリン。」
「え!キャサリン?」
「そうさ、キャサリンさ。」
「嘘!」
「はい?」
「それ嘘ですよね?」
「本当だよ。私はフランス人なんだ。ほら、だからヌガーも小さいころからよく食べてたんだ。」
「ヌガーってイギリスのお菓子だって言ってませんでした?」
「あら!そうだったかね!」
はははーっとうらぐちさんは大笑いした。
「なーんだ。」
可笑しくなって笑った。うらぐちさんの前には食べ終わった後の開いたセロファンが四枚もあった。
「おばさん、食べるの早い。」
「だって、美味いもん。ほら、捺ちゃんももっと食べなよ。」
「そうですね。」
わたしは、缶の中からさっき食べたのとは違う色のセロファンを取って、食べた。
「美味しい。」
甘くてやわらかくて美味しいヌガー。
「そういえば、捺ちゃんとこのワンちゃんって、あ、名前はくまちゃんだったね。くまちゃんは、ビーグル?」
「ビーグルと雑種が混ざっているって言われました。あ、くまは、捨て犬だったのをもらったんです。」
「どこかに捨てられていたんだ。」
「いや、譲渡会で。前の飼い主から虐待されていたって。」
「可哀そうに。」
「そのときの譲渡会に何匹かいたんだけど、くまだけは、全然こっちを見なくて背中向けていて。」
うらぐちさんに向かって背中を見せて、しゃがんでいる格好を真似した。
「可愛げがないかなって思ったけど、背中の模様がきれいだって、お父さんが言って。」
「模様?」
「そう、背中のここのところに、縦に細長い模様があって。」
手を背中にまわして、ここら辺、と指さして上下に動かした。くまは、薄い茶色と白の二色の毛の犬で、体はちょうど茶色の半そでシャツを着たようになっていて、背中の真ん中に縦に白い毛が生えていた。
「どこかの国の島みたいだねってお父さんと話した。」
「そうかい。どこかにあるよ、その島。」
「きれいな海で囲まれていて自然がいっぱいの島。」
「そう。あったかくてきれいな島だと思うよ。」
そんな話をしながら、くまの背中を撫でた感覚を思い出したら、胸にぽっかり空いていた穴の場所がキュンと痛くなって、そこを手で押さえた。うらぐちさんは黙っていた。わたしも、そのまましばらく黙って、空想の中でくまの背中を撫で続けた。とくに島の形をした白い模様のところをゆっくり念入りに撫でてやった。それから顔を上げて、
「おばさん、今日帰りにあそこからお花を摘んで帰るね。」
と、言うと、
「ああ、いくらでも摘んで、くまちゃんに飾っておやり。」
と、うらぐちさんは、言った。
マイ スウィート ヌガー ( 3 / 12 )