水晶のような石を拾う
春雨の夕方、吹奏楽部の練習を終え、僕達は目黒の駅にむかって歩いていた。
大学の校舎は二つに分かれていて、1年と2年の講義は戸塚キャンパスで、3年と4年は白金キャンパスなのだが、サークルの練習は白金で行うことが多かった。僕は生まれて初めての定期券を戸塚-品川で購入し、ラッシュの東海道線の凄まじさをおもしろがったりしていた。
定期を購入したので、横浜などへも行きやすくなった。もともと戸塚からは地下鉄で関内へ一本で、大学案内にも戸塚校舎については関内もセットで掲載されていた。実際は、大学から戸塚駅までタクシーでも20分はかかり、なおかつ大学生のタクシーの使用は禁止されていたため、講義の合間に関内で時間をつぶすなどということは不可能だったが。
細かな雨は、静かに傘をぬらした。西の空はほんのりと赤く染まっているように見えた。雲が切れたら、黄金色の陽光が濡れた地上の一面を輝かせるだろう。僕はそんなことを考えながら列の最後尾を歩いていた。当時僕は歩く速度がとても遅かった。歩くたびに変化していく風景が楽しく、ふっと香る様々な匂い、ところどころに残る温度が異なる空気の塊などを感じることで、自分が豊かになるように感じられたからだ。
少し先の、8車線の道路を斜めに渡る横断歩道の前で、みづはさんとかをりが、歩道の植え込みの中を覗き込んでいた。まだ雨はかすかに降っていたが、二人は傘をとても邪険にしながら、腰をかがめてツツジのような葉や枝をつまんでは、何かしゃべっている。
「何か落としたの?」
と僕が尋ねると、二人ははっとした顔で僕を振り仰いだ。
「あ、錐島」
とかをりが言った。
「あれを拾いたいんだ」
と指差した先は、かがみこんだみづはさんの後頭部だった。
「みづはさんを?」
と再び尋ねると、今度はみづはさんがこちらを見ないで首を振る。肩に付かない長さで切りそろえられた髪が左右にゆれて、白いブラウスの襟からうなじが見えた。
「あの、根元に落ちている、透明な、水晶みたいな、綺麗な石をね、拾おうと思ったんだけど」
「以外と、枝が痛くってさぁ。錐島」
かをりの声のトーンが少し変わる。僕は、濡れたツツジの枝の中に腕をつっこむことを厭わなかった。みづはさんに対して点数を稼ごうというつもりもなかったし、当時はまだ僕自身みづはさんにたいする恋慕の情にも気づいていなかった。ただ、みづはさんの姿や物腰はとても落ち着いていて、いい子だなとは思っていた。だから、もし外の誰かがその石を彼女のために拾ってあげたと聴けば、おそらく嫉妬したことだろう。
僕は右腕にいくつかの擦り傷をつくり、指先を泥でよごし、頭から雨を被ることになったが、二人の期待通りのものを摘み上げて、みづはさんに手渡した。
「ありがとう。よごれちゃってごめんね」
とみづはさんは、自分のハンカチを取り出し、なぜか、「あ」と躊躇った。僕はあわてて自分のタオルを取り出して腕を拭った。
「いいっていいって。でも、こんなところにある石、よく見つけたね」
僕がそういうと、かをりとみづはさんとは顔を見合わせて笑った。
「錐島がそういうこと言う?」
「これを見つけるなら、多分錐島さんかなって、話してたんだよね」
信号は赤になり、集団から完全に取り残された僕達は、それからしばらく最近みかけたり、収集した、心惹かれるものについて話し合った。
「さっき傘についていた葉っぱ」
と僕は手帳に挟んだ葉っぱを披露した。それはこの季節に似合わず、緑色から朱色への不定形なグラデーションと、緑色から黄色への同心円状のグラデーションとが複雑に組み合わされていた。
すると、みづはさんは、「ああ」とうれしそうにハンカチを取り出し、そこにはさんだ葉を見せた。それは僕が拾ったものと同じくらい美しかった。
「それもいいね」
「錐島さんのも」
「私はこれあるから」
といつの間にかかをりの手元にうつっていた透明の石を手のひらで転がして見せた。
信号が青になり、ピヨピヨという音が鳴り響く中、まっすぐに続く道路の向こうで雲がきれ、黄金色の光が当たりを輝かせた。
水晶のような石を拾う