急襲の自動販売機

 音川は道を歩いていた。
 頭上に何か煌めくものがあって、音川は何気なく見上げた。
 それは自動販売機であった。工務店の三階の屋上で日差しを反映させている。
 奇妙なことにこの自動販売機は正面を通りに面して設置されていた。屋上の縁から彼を見下ろし、見詰めているような強烈な緊張感が感じられた。

『どうやってジュース買うんや…』

 こちらからは見えないが上に作業員がいて、今まさに設置工事の途中なのかもしれない。
 落ちてきたら危ないと思い、彼は通りの反対側に避けて歩いた。
 すると、この自販機は音川の歩調に合わせるように、少しずつ向きを変え回転している。

『きっと作業員が作業しているのだろう…』

 通り過ぎた後、しばらくして彼は振り返った。
 遠目にも、それは小さくなりながらも、だが、強烈な緊張感を漂わし、屋上の縁から彼を見下ろし、見詰めているようであった。









 夜中、音川はアパートで寝ていた。


 ガタガタ、ガタガタ、ガタガタ…ベランダのガラス戸がぎこちなく揺さぶられている。何者かが開けようとしているらしいが、鍵が掛けられてあるのだ。


 それからしばらく静寂した。


 そして突然その静寂が破られた。ガラス戸がけたたましい音を立て割られた。
 強烈な緊張感を音川は感じた。
 半覚醒のまま状況が飲み込めない音川の枕元に自動販売機が屹立している。サンプルディスプレーから放たれる眩しい光が音川の顔面を照らした。

「…自動販売機?」

 重厚な四角いボディが仰け反り、さっとほの白い光が天井を過ぎった。すぐさま重心が前面に移り、反動で一瞬ボディが浮き上がる。

「わあ!」

 咄嗟に音川は布団を撥ねのけ横に転がった。
 轟音が響き渡り、アパート全体が大きく揺れた。今しがた音川の寝ていた布団が自販機によって押し潰されている。

「こ…殺そうとしやがった、こいつ…」

 音川はものに掴まって立ち上がると、部屋の隅に迂回して、玄関の方へ壁を背にしてにじり寄る。
 自販機はすぐにも活動を再開した。ボディの下部と上部を交互に床に打ち付け始めた。ボディをシーソーのようにして、どうやら自力で起き上がろうとしているらしいのだ。
 シーソーが打たれる度、床が抜けるのではないか、というほどの大きな音が響いて、アパート全体が地震のように鳴動している。

「ぶっ殺したんど!コラァア!」

 階下に住むチンピラらしきお兄さんの叫び声が聞こえた。
 音川の住むこの二階建てのアパートのすぐ下にはチンピラらしき男が住んでいるのだった。
 特に物音には敏感で、音川の出す些細な生活音にさえ訳の分からない叫び声を上げるこの男が、耳を聾し、天井が抜け落ちそうなこの震動に黙っていられるであろうか。

 振動でぐらぐらする手すりにしがみついて二階へ駆け上がり、ピンポンピンポンの連打にドアノブをガチャガチャ、足でドアをガンガン蹴りながら叫んでいる。
「開けんかい!何しとんじゃ!ここ開けんかい!何しとんじゃ!ここ開けんかい!早よ開けぃ!開けぃ!ここ開けぃ!開けぃ!」

 音川がロックを外すや否やチンピラは扉を開け、獣のような素早い身のこなしで入ってくると音川を壁に突き上げた。
「ナメた真似してくれとるのう!ええ!ワレァア!俺を誰や思とるのじゃ!コラァ!喧嘩しょと思とんのやろ!ワレァアコラァア!」
 そう言いながら音川をずいずい壁に突き上げる。
 すでに轟音は止み、揺れは収まっていた。
 訳の知らないチンピラは、理由を問うまでもなく、まるで我が意を得たりというように、息巻いて音川の首を絞めている。

 音川は見た。チンピラの頭越しにキッチンと部屋の境に立っている自動販売機を。淡い光がキッチンの板の間を照らしていた。

「何や!」

 チンピラが振り返った時、商品の取り出し口から弾丸の速さで缶飲料が発射された。

 チンピラは倒れた。
 側頭に直撃したスポーツ飲料の缶が、チンピラの傍らで転がった。
 頭から血を噴出させているチンピラを残して音川は外に飛び出した。

『まずは警察を呼ばな…』

 取り敢えず危機から脱出するのが先決で、その後にしかるべくしてチンピラは救出されるであろう、あるいは、もう死んでいるのかもしれない。

 自動販売機に人が殺された…?
 どういうことだ、これは…?
 一体どう説明すればいいのだ…?

 裸足のまま音川は夜の街中を遮二無二に走った。

 前方で、自動販売機がぼんやりした光を路面に投げかけている。それはモータープールの脇にあるいつも見慣れた自販機であったが、音川ははっとして立ち止まった。

 正面中段の液晶板に、有名な女優が菱形の腹掛けをして熊に跨り、まさかりの代わりに缶コーヒーを掲げていた。『新発売』と電子のロゴタイプがせわしなく、表れたり消えたりしている。

 さっきのやつとは違う…

 音川は思った。さっきのやつは何かこう、ボディ全体から強烈な緊張感を漂わしていた。それは近寄るだけで巻き込まれてしまう狂人の狂気のようであった。体中を電気がぶるぶる通っていく感じがした。鬼気迫ったものがあった。

 そう、やつの狂気は自分に向けられているのだ。俺を殺そうとしている。何故だか分からないが、俺はあの狂った自販機の標的にされている。

「ああ…!」
 音川は呻いた。

 昨日の夕方に見た自動販売機もあいつだったのだ。
 俺を見張っていたのだ。
 家まで知っていた。
 窓まで割って入って来て、俺を圧殺しようとしたのだ…!

 音川は慎重に、足元の石ころを拾い、前方の自販機に投げて動かないことを確認して駆け出そうとした、その時。
 上空を浮遊するぼんやりした光に気付いた。ゆったりとした動きでこちらに近付いてくる。体中に電気が走る。あいつだ、と音川は思った。

 自動販売機は真下に急速に降下する。音川の前の路上に着地しようとした瞬間、衝撃とともに弾かれ、バッタリと前に倒れた。
 急に路上に現れたために、後ろから車に撥ねられたのだ。

 車からドライバーが飛び出して来た。
「何でなん!今のナシやろぉ!」
 車の前に回って、倒れている自販機と凹んだボディを見較べている。

 自販機はピクリとも動かなかった。

 死んだのだろうか…?

 音川は多少ホッとしながらドライバーに向かいこう言った。
「取り敢えず警察呼びましょ。この自販機めっちゃヤバいんですよ!」

「え…?警察!ちょ…ちょう待って…」
 ドライバーは狼狽し始めた。ぷわぁん、とドライバーの息からアルコールの臭いが漂った。

「ちょ…ちょお俺な…今携帯持ってないねん。走って呼んで来るから、ちょお待っといてぇや」
 と、言い残しドライバーは何処かへ走っていった。
 もしかすると、近くの公園で水をがぶ飲みして酒気を希釈、乃至消失させ、何食わぬ顔で戻って来るつもりであろうか。すでにそのやり方はメディアによって否定されていたが。

 当然、裸足のまま逃げて来た音川も携帯を持っていなかった。
『ここは、やはりお巡りさんを呼ぶことに越したことはない…』
 音川は駆け出そうとした。







『……………ジィ…………こちら……日本政府…ジィ……AD2437年から…………通信している……ジィ…応答願う……』





 付けっ放しのカーラジオから雑音に交じって奇妙な声が聞こえる。




『……ジィ……こちら……日本政府………情報局長………トノシマ…だ……AD2437年から………通信している………どうぞ……応答してくれ…ジィ…音川君……そこにいるの…だろう…ジィ…応答してくれたまえ……』



 音川は飛び上がって叫んだ。
「えっ?今、俺の名前を呼んだぞ!」



『…ジィ…驚いて…いるようだね…私は…トノシマ…だ敵では…ない…ジィ…自動販売機のことにつ…いて…君に…伝えた…いことがあ…る…ジィ…こちらへ…来て…くれたま…え…ジィ……』


 恐る恐るドアが開いたままの車内に乗り込み、カーラジオに顔を寄せ、耳を澄ませた。
 そうするとカーラジオから、随分雑音が入るようだからそちらで調節してくれないか、との要望が届いた。周波数帯のことだろう、と合点し音川はツマミをちょっとずつ回した。



『ああ…これでいい。私は日本政府情報局長トノシマという者だ。こちらはAD2437年。君たちの時代からは四世紀ほど後になるね。でも、ああ、人類文明の発達はとうとう過去と未来を超克したか、などと感慨に耽っている場合ではないからね。よく聞いてもらいたいことがあるんだよ。これは、重大な君の命に関わることなんだよ。時間がないから簡潔に言うね。単刀直入に言うと、君に抹殺命令が下されたんだ。勿論、我々ではない。敵対する自動販売機連邦から君に偽造通貨使用の嫌疑が掛けられ、被告人不在のまま死刑判決が確定してしまったんだよ。


 当然、我が日本政府は猛烈に抗議したよ。四世紀以上前の人間がどうして現在の犯罪を犯し得るのか、と。


 しかし、連邦は詭弁を展開し、我々にこう言ったんだ。四世紀以上も前から犯罪の芽が存在していることが問題なのだ、と。


 そして、連邦は君を抹殺せんがため、殺し屋を送った。空中浮遊が可能なタイプのJ―6000という自動販売機だ。ただ倒されると滅法弱いという弱点もある。我々も応援を送りたいんだが、タイムゲイト…あれは、未だ我々の科学では有機物に対応出来ないんだ。それに、不穏な状況下にあって兵を無駄に出来ない、と上からも言われているしね。分かってくれたまえ。すまん。頑張ってくれ。健闘を祈る。どうか、生き延びてくれ。以上。通信終わる!』

 そして声が途絶えた。






 カーラジオは通常の音楽番組に切り替わっている。ツマミをいじったために少しノイズが入り交じっていた。







 しばらく余韻の中にいた音川であったが、次第に状況を飲み込むにつれ、怒りが込み上げてきた。

 四世紀後の犯罪…?
 偽造通貨使用…?
 死刑…?

 俺に何が関係あるというんだ…!

 抹殺…?
 殺し屋…?
 自動販売機…?

 俺は今までズルしてジュースを買ったことなんてないのに…!

 それに、あのトノシマとかいうやつ…何なんだあの態度は…何が健闘を祈るだ?俺を馬鹿にしているのか!それに何だあの話の終え方は!言うだけ言ってあとは自力で切り抜けろだと…だと?

 四世紀前の人間といえども俺も日本人なんだぞ!無駄に出来ない…くそったれめ!



 凹んだバンパーの前で倒れていた自動販売機が再び活動を始める。起き上がろうと、ボディの上部と下部を交互に打ち付け辺りに轟音が響き渡る。
 闇夜に寝静まっていた住宅地の窓から、次々と明かりが点されていく。

「うわああ!」

 思わず音川は絶叫した。

 また、こいつは自力で起き上がろうとしている!

 この不気味極まる自動販売機の態様をまざまざと見て、音川は戦慄を禁じ得なかった。
 腰から下が恐怖で抜け落ちそうであった。震える足でちょっとずつ後ずさり、音川は反転すると、一気に駆け出した。

『警察や!警察しかない…!』

 音川は念仏のようにそう唱えながら走った。
 このまま真っ直ぐ国道を横切り、そのまま小学校の川沿いの路地を行くと、駅前に出る。駅前には交番がある。きっと銃を携行しているお巡りさんなら、こいつをなんとかしてくれるかも知れない。

 どうか助けて欲しい。

 この一縷の希望だけが、彼の行き着く果て、今はまだ遠い駅前に、うっすらとした輝きを帯びていたのである。

 小学校を過ぎた路地の角にある公園に差し掛かった時であった。門の陰から、ずいっと人影が現れ、音川と衝突し、互いころんっと後ろに転がった。

「んもうっ!何で今日はこんなにぶつかるかなあ!」

 さっきのドライバーの男が、股を拡げ、両手を後ろにつき、正常位の格好で、天を見上げて嘆くように叫んだ。

 Tシャツ一枚の音川の右腕の肘のところが、転んだ拍子に擦り剥いて、乳白色の内部の肉が外気に晒されている。

「痛ったあ…」

 音川は右腕を庇い、沈痛な呻き声を上げた。右腕を顔の近くまで引き、肘の周辺を左手で寄せ上げて、傷を覗き見た。じゅわっと血が乳白色の肉の底から滲み出てくる。

「痛いっすわあ…」

 音川は呆然と尻餅を搗いたまま、誰に言うのでもなく、しかしながら、ドライバーの男には聞こえる大きさで声を漏らした。

「自分…急に出てくるからやんか…」

 ドライバーの男も尻餅を搗いたまま、股を拡げた正常位の格好で、弱い口調でそれに応じた。

「痛いっすわあ…」

 音川は絶望し、悲嘆に暮れる遣り場のない声で、こう繰り返した。

「そんなん言うたら、僕かて痛いねんで、お尻めっちゃ打ったもん…」
 ドライバーの男は音川が執拗いので、悲しそうに尻を浮かせ、
「何かもう立たれへんわ…見て、これ…腰が上がれへんもん…」
「僕も、右腕に力が入らないっすわ…」
 音川は左手で右腕を持ち上げ、それを放すと、ストンっと右腕を下に落として怪我をアピールしている。

 二人がこんなことをやっていると、ぼんやりした光が彼らの頭上を過ぎっていった。

 音川の全身にぶるぶる電気が走る。強烈な緊張感に辺りが包まれた。

 自動販売機が宙空を滑らかに下降している。

 自動販売機は二人の視線の先、丁度公園の中程で、ゆったりと慎重に地面に着地した。ほの白い光を公園の暗闇に浮かばせている。何処か落ち着いた物腰が今では感じられる。



 そろそろチェックメイトだ。音川君。



 音川にはこの四角い物体がこう言っているように感じられた。


「何なん?あれって。ラジコン?誰が操作してんのん。車弁償してな」
 ドライバーの男が音川に向かってこう言った。
「違うんっすよ!あいつは俺を殺そうとしてるんっすよ!あいつだけはめっちゃヤバいんっすよ!」

「え、え、え?何で何で?何で殺すん?」

 ドライバーの男の顔が丸で構成されているかのように、口をポッカリ開けたまま固まった。

「話したらめっちゃ長なるんっすよ!自動販売機連邦の殺し屋なんっす!トノシマがそう言ってたんっすよ!」

「…へ?トノシマ?誰?友達?」

「ちゃうんっすよ!日本政府の何か偉いやつなんっすよ」

「え?日本政府の偉いやつ?自分、日本政府の偉いやつと友達なん?」

「もう、ちゃうし!逃げなヤバいんっすよ!」
 こう言って音川は立ち上がると、ドライバーの手を取り逃げるように急き立てた。

「ええ?何々?何処に行くん?」

 と、ドライバーの男がもたもたしていると、自動販売機の商品取り出し口から弾丸の速さで缶飲料が発射され、それはそのまま見事にドライバーの鼠蹊部に命中した。



「おふ…」



 海老のように体をくの字に、一声漏らすと悶絶し、ドライバーは横にパタッと倒れた。

「うわっ!これはもうあかん!」

 音川はドライバーを見捨てて逃げ出そうとした。その時、商品取り出し口から二発目が発射された。コーンスープの小さな缶が音川の足元に転がった。鳩尾に命中し、息が出来ず、激しい痛みとともに音川は、ガクッと膝を落とした。

 激痛に苦悶している音川の視線に、ボディをやや前傾させ浮遊しながら近づいてくる自動販売機の姿が映った。

 逃げようにももはや体が動かなかった。

 眼前に自動販売機の重たそうなボディが屹立している。サンプルディスプレーから放たれる柔らかい照明が音川の顔を照らした。

 しばらくこの自動販売機は佇んでいた。あたかも勝利の感慨に耽るようにじっと音川を見下ろしていた。
 
 そして重厚なボディが仰け反った。



 ああ…圧殺しようというのだな…




 音川はとうとう死を覚悟した。そして、すうっと目を瞑った。その時である。




「だああああああああああああああああああああ!呆けえええええええええええええええ!」




 公園の反対の入り口から一台の原付バイクが入って来、奇声を上げながら公園を横切ってくる。あのチンピラであった。包帯代わりに巻いているのであろう頭のタオルが血に滲んでいる。

 原付は速度を緩めることなく、自動販売機の側面にウィリー気味に激突した。自動販売機は弾かれ、横様にベタッと倒れた。

 チンピラはすぐにも倒れた原付近くに投げ出された金属バットを手に取ると、自販機の上からガンガン殴り、横様からバットをスウィングさせ、サンプルディスプレーが衝撃とともに割られた。

「だあああああああああああああああああああああああああああ!呆けええええええええええええええええええええええええええ!何ナメたことしてくれたんじゃ!いてもうたんど!ワレァアコラァア!呆けええええええ!いてもうたんど!ワレァアコラァア!呆けええええええ!いてもうたんど!ワレァアコラァア!頭見てみろや!これ何してくれとんじゃ!ワレァアコラァア!痛いやないけ!ワレァアコラァア!呆けええええええ!だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 チンピラの怒りは収まるところを知らない。何度も何度も同じ言葉を吐き、様々な角度から自販機をしばき回している。

 自販機は死んだようにピクリとも動かない。ようやく死んだのだろうか。

「だあああああああああああああああああ!呆けええええええええええええええええええ!」

 チンピラは反転すると、未だエンジンの燃焼したままの原付を起こすと、アクセルをぐりっと回し、自動販売機に突撃を始めた。

「オルァアアアアアアアアア!これでも喰らえぇえええええええええ!」

 二度目の激突の後、横様に倒れていた自販機が仰向けにされた。

 すると、急に息を吹き返したかのように、けたたましく上部と下部を波立たせ地面に打ち付ける。まだ生きている。ああ…再び起き上がろうというのか!

「だあああああああああああああああああああああ!呆けえええええええええええええええええええええ!お前何ちゅう音出さすんじゃ!それを止めろ!止めぃ!それ止めぃ!止めぃて!うるさいやろうが!それ止めぃ!それ止めぃ!止めぃて!それ止めぃ!それ止めぃ!それ止めぃ!」

 チンピラは交互に打ち付ける上部と下部の打ち付け起き上がった部分を狙って、バットを振り下ろした。上部と下部を地面に打ち付け、その反動で徐々に起き上がろうとする自動販売機であったのに、打ち付け起き上がったところにバットを振り落とされたら、ベタッと両端が地面に付いてしまい、到底起き上がることは出来ない。

 自動販売機の内部でブウウウウウウウウンと激しい唸りが漏れ出した。きっとこれはファンだろうか。ファンが高速で回転しているようだ。ボディが心なしか小刻みに震えている。あたかも怒りに打ち震えているようにも見える。

 思わずその光景に音川とチンピラは顔を見合わせた。

「呆けえええええええええええええええ!まだ何かしょと思とんのかい!なんぼでもやったんど!呆けえええ!人間ナメとったらあかんぞ!ワレァアコラァア!」

 自動販売機の底部のお椀型に鏡面になった部分に光が凝集されていく。キイイイイイインと甲高い音とともに、光の玉が現れ、プラズマのようなものがその周囲に走っている。キイイイイイイイイイイイインと音がどんどん大きくなっていく。

 そして、ぎゅんっと突然振り絞った矢のように自動販売機は超高速で加速し、道路を滑り、川沿いのガードレールをぶち破り、対岸のセメントの壁に激突した。
 そのまま加速を緩めず、宙空で伸び上がるようにその壁にガリガリとボディの背を擦り付けて、見る間に、その体勢が起き上がっていく。

 音川とチンピラは息を呑んだ。反撃が始まろうというのか…!

 自動販売機は溝川の上で浮遊したまま微動もせず、じっと二人を見下ろしていた。サンプルディスプレーの電照板が、ダメージを受けてちらちら点滅している。



 ごぼっ。



 商品取り出し口から缶飲料が吐き出された。ぼとぼとと缶飲料が血反吐のように吐き出されてくる。

 がらがらがらがら。内部で何かが空回りしているのか、致命的な音がしている。

 コイン返却口からは、きっと未来のお金なのだろう、虹色に輝くコインを噴出せしめていた。

 電照板の点滅がパッと消えたかと思うと、グラッとボディが傾き、そのまま自動販売機は川に落下した。音川が川の上から覗き込むと自動販売機は不法投棄されたように浅い水に浸かっていた。もはや動く気配はなかった。

「や…やった…倒したぞ…」
 音川は放心して地面に手をつき、ほっと息を吐いた。

「ぼ…呆けええ…」
 チンピラはか細い声でこう言うと、地面に倒れ伏した。

「あ、大丈夫ですか!」

 音川はチンピラのもとに膝行り寄り、仰向けにさせて、容態を確認した。そっとチンピラの口元に耳を寄せると、呼吸が止まっているように感じられた。
「息をしていない…?」

「ううむ…」
 ドライバーの男が目覚めた。寝そべった状態で股間をまさぐっている。

「えっ?一個ない…?」

 がばっと起き上がると、ベルトを緩め、パンツを引き上げ中を覗く。更に手を突っ込んで触って確かめている。
「あっ。あるわ。よかったあ…」
 ドライバーはほっと息を吐いた。

「ちょお、そんなことしてる場合じゃないんっすよ!」
 音川は言った。
「この人、めっちゃヤバいことになってるんっすよ!」

 ドライバーは振り向き、そして喫驚した。

「むっちゃ血ィ出てるやん!何があったん?えっ!マジで?」

「マジっすよ!あいつっすよ!あの自動販売機にやられたんっすよ!」

「えっ!あいつって僕のちんこやりおったやつ?そうやあいつ!今何してんあいつ!」

「もう倒したんっすよ!この人がボコボコにどつき回してくれたんっすよ!」

「早やっ!もう倒したんや!」

「それよりこの人がヤバいんっすよ!何か息してないんっすよ!早よ救急車呼ばな…ほんまは携帯持ってるんっしょ!電話してくださいよ、ほんま!」

「ちゃ…ちゃうねん!ほんまに携帯今ないねん…分かった、ちょお、俺車取って来るからそこで待っといてや!す…すぐ戻って来るから」
 と、言い残しドライバーは走っていった。

 音川は見様見真似で人工呼吸を試みたが状態は芳しくなかった。

 すぐにも車がやって来た。バンパーが凹んでナンバープレートが縦向きになっている。

 二人掛かりでチンピラを後部座席に寝かせると、二人とも車に乗り込み、車を発進させた。
 近くに大きな病院があるはずだ。そこまでは目と鼻の先、五分と掛からないだろう。

 車は路地を出て国道に乗り出した。





『……ジィ………音川君…ジィ……音川君…』
 カーラジオから聞き覚えのある声が聞こえて来た。



「わっ!何!何か今喋ったよ…このラジオ…」
 ドライバーが運転しながら飛び上がり、ラジオから身を反らして、身構えた。
「トノシマっすよ!ああ、この声はトノシマだ…!」

『……ジィ…いかにも……私はトノシマだ…音川君…大変なことが起きている…自動販売機連邦が…突如として…我々に…宣戦布告を行なったのだ…我々は…連中の…富国強兵を甘く…見て…いたようだ…一日で…この神州…日本国は…火の海に…うわっく…』

 一瞬、声が途切れた。

『……大丈夫だ…まだ…この不落の要塞『霞ヶ関』が落ちるものか…音川君…よく聞いてくれ…君を抹殺しようとした…連邦の行いが…裏目に…出たんだ…いいかい…君だけが…ん…いや…もう一人いるようだね…君は誰だ?……音川君の他にもう一人いるよね?…一体………君は誰だ?』

 トノシマはドライバーの男に向かって呼び掛けているようだ。

 音川はトノシマの意を察し、
「あなたに呼び掛けているようですよ」

「えっ?僕?僕っすか?僕も関係あるんですか?」
 泣きそうな顔でカーラジオに問うている。

『…君は…何という名だね…?』
 トノシマがこう聞く。


「よ…吉田っす…!」


『うむ…吉田君…旅の仲間は行きずりだ…よく聞いてくれたまえ…君たちが…この日本国の未来を担っている…君たちはこの戦争の生き証人なんだ……ジィ……AD2437年…日本国は……滅び……自動販売機連邦が…世界を支配するだろう…だが……そうさせては……ならない…君たちは未来を知っている………変えてくれ……我々と同じ轍を踏むことなく……真実の…平和な…新しい…世界を築いてくれ…頼む…君たちは未来なのだ…………以上!AD2437年から通信終わる!』




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急襲の自動販売機

急襲の自動販売機

工務店の三階の屋上でこちらを見下ろすように佇む自動販売機。それは強烈な緊張感を路上を行く音川に感じさせた。まさか、その時は、自分を見張っていたなんて思いもしなかった。家まで知っていた。アパートの二階のベランダから窓まで割って入って来たのだ。人々の寝静まった午前零時、音川の布団の前に佇むのは四角い重厚な殺し屋。それは自動販売機であった。

  • 小説
  • 短編
  • アクション
  • サスペンス
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-08-21

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著作権法内での利用のみを許可します。

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