人斬り転生
登場人物紹介
○岡田 以蔵(おかだ いぞう)
本作の主人公。切れ長の瞳に鋭い雰囲気を纏う、黒い長髪を後ろで纏めた青年。28歳(ただし、外見年齢はどう見ても10代後半)。
幼少期に坂本 竜馬、武市 半平太と出会い、以降無二の親友となる。幼少時より剣の達人であり、彼の右に出る者は殆どいない。
「自分に自慢できるのは剣の腕だけ」と考えており、親友であり尊敬する武市を誰よりも信頼し、史実通り剣を振るう人斬りとなる(この考えは転生しても変わらなかった)。
斬首の日、後藤 象二郎と乾 退助に惨殺される(ただし乾は不本意だった)が、コレットによって異世界『ラヴレンヌ』へ召喚され、以降彼女を守る剣士となる。
○コレット=フォン=アルテイシア
本作のメインヒロイン。ブルーム王国を治める王女で、金髪のロングヘアーが特徴の少女。15歳。
周囲からは「姫様」と呼ばれている。剣術に優れる以蔵を自ら勇者として選び、ラヴレンヌへと召喚した人物。おっとりとしているが何事にも真剣に取り組む純粋な人柄で、皆から慕われている。
以蔵とは身分を越えて友好を深めたがっており、互いを大切に思う間柄となって行く。
魔法の腕はまだまだ未熟で、その戦闘力は魔法を碌に使えない素手の以蔵にすら負ける。
○リーゼロッテ=ウォーランドルフ
ヒロインの1人。ブルーム騎士団の騎士団長を務める、青髪のポニーテールが映える少女。16歳。
成り行きから、なし崩し的にラヴレンヌに不慣れな以蔵の世話係となる。生真面目で融通の利かないところがあるが、自分の非を素直に受け入れることが出来る真っ直ぐな心を持っている。
騎士団長なだけあって、その戦闘力は以蔵に勝るとも劣らない。主な武器は節毎に分裂した刃をワイヤーで繋いだ連結刃(蛇腹剣)で、剣から魔法による衝撃波を飛ばす戦法も使う。
○ナギ
ヒロインの1人。以蔵の相棒で、その正体は『星薙の剣』と呼ばれる聖剣。普段の姿は儚げな銀髪の少女だが、聖剣としての姿は美しい刃の日本刀。本来の姿は長大な西洋剣だが、以蔵の剣に対するイメージの形が日本刀であった為、現行の姿になった。
対呪性能や凄まじい魔力を秘めており、他の武器とは比べものにならない程で、以蔵の卓越した剣術も上乗せされて最高クラスの戦闘力を誇る(ただし、本来の姿でない日本刀の状態では10分の1しか力を発揮できない)。
プロローグ
時は尊王攘夷か公武合体かで国論が揺れていた幕末期……。
日本各地では、攘夷運動(幕末の反幕府運動)展開していた志士達が奮起しており、テロ行為を含む過激な朝廷権力の復活運動が盛んに行われていた。
だが、幕府打倒を目指す武力蜂起計画が生まれる段階に入ると、鹿児島藩を中心とする公武合体派は文久3年8月18日の政変で朝廷を掌握し、尊攘派を京都から追放する。
大義名分を失った尊攘派は十津川の変、生野の変、禁門の変と、いずれも失敗。尊攘派の中心である長州藩が朝敵とされるに及んで尊王攘夷運動は挫折することとなる。
時を同じく、長州と並んで尊王攘夷運動の中心となっていた土佐藩も政変以後、藩主山内 容堂によって土佐勤王党(幕末の土佐藩において、尊王攘夷を掲げて結成された結社)への弾圧が始まり、党首である武市 半平太を筆頭に土佐に戻った主要な勤王党員は軒並み投獄された。
他の藩と比べても、身分差別が著しい土佐藩は牢獄においてもそれがハッキリし、上士扱いを受けていた半平太は拷問を受けなかったが、他の勤王党郷士達は連日拷問を受けていた。
鞭で打たれても勤王党が裏でやって来たことを自白しない彼らに、遂に土佐独特の拷問具である搾木が使われ始めた。
そして、元治元年4月。1人の志士が土佐の牢獄へ……。
「以蔵……嘗ては京で人斬り以蔵と恐れられ、浮かれちょったことが夢のようじゃろう…………そうじゃ、あれは夢ぜよ。夢は冷めるものよ……。」
「……。」
投獄されて黙ったまま外を見つめる男に、牢の外で派手な着物を着た大柄な男は牢獄の中にいる男に『以蔵』と言う名前で呼びかけた。
岡田 以蔵……それが彼の名前だ。
以蔵に対して勝ち誇った顔で彼を見下ろす大柄な男、後藤 象二郎は続ける。
「おまんが京での数々の天誅や俺の叔父き(吉田 東洋)暗殺の実行犯であること、もうシラは切らせんぜよ。ククク……。」
そう言い残し、象二郎は牢を後にした。
その場に残されたのは以蔵1人…………ではなく、象二郎の後ろにいた男の2人だった。
象二郎同様、彼も派手な着物を着ているが、どこか落ち着いた雰囲気を見せている。
彼が出て行ったのを見計らって、男は牢を隔てて以蔵に話しかける。
「以蔵……まさか、おまんまで捕まってしまうとはのう。俺はてっきり、竜馬さんと一緒に姿を晦ましたと思ってたぜよ。」
「乾さんか……竜馬とは一緒にいたんじゃが……色々あって途中で別れちまった。その後改めて探したんじゃが……このザマよ。」
以蔵は深く語らなかったが、彼と話している男……乾 退助もそれ以上の追及はしなかった。
この退助、上士と郷士の身分が確立されていた土佐藩の中では数少ない、郷士に対し寛大だったことで有名な人物であった。更に半平太に賛同し、尊皇攘夷論も唱えていたと言う……。
「そうか……おまんのことだ。随分大変な思いをしたんだろう。だが、ここは土佐……俺も俺の仕事を全うせねばならん。武市先生も投獄された今、これまで通りのように味方はしてやれんぞ。」
「武市が!?何故じゃ……!?」
以蔵は京で追っ手から逃れつつ、竜馬を探すことに夢中で現在の情勢を把握出来ていなかった。
退助は半平太が捕まってから今日までのことを簡潔に話す。
「……と言うことがあった。以蔵、ここから先はおまんが決めるぜよ。裏で色々手を尽くしたが、もう俺1人の力ではどうすることも出来ん。全てを自白して楽になるか、拷問と尋問を受け続けて辛い思いをするか……。」
そう言い残し、退助は出て行った。以蔵はようやく事情を理解する。
(そうか……後藤の野郎は東洋を殺された恨みを晴らしたいんじゃな……。吉田 東洋……アイツは上士以外を虫ケラ以下じゃと思うちょった……!)
程なくして、以蔵の取調べが始まった。
縄で吊るされた以蔵は、象二郎から尋問を受ける。
「では訊く……吉田 東洋暗殺の件も、京での幾多の暗殺の件も、何も知らんと言うがじゃな!?」
「ああ……知らん。」
「そうか……ならば身体に訊くことになるぜよ!」
象二郎が言い終わると同時に鞭の音が取調べ室に響いた。
「うぐっ……うおおおおおおっ!!」
以蔵の悲鳴も痛々しく轟く。
象二郎の隣にいた退助はその様子を黙って見ていた。
(以蔵……それがおまんの答えか。助かる道はなくとも抗い続ける……幼馴染である武市先生、そして竜馬さんの存在がおまんに戦う意志を与えちょるがか。だが、本当の苦しみはここからぞ!)
退助の思い通り、以蔵の拷問は日に日に過酷なものへと変わって行った。
以蔵のことはすぐに半平太達の耳にも入った。
投獄されていた勤王党郷士達は彼の自白を恐れ、半平太に懇願の手紙を送る。
「勤王の志もない以蔵なぞ、その内暗殺の真相まで喋るに決まっちょる!そうなる前に、一刻も早く以蔵を殺してくれ!」
「あんな奴の為に、俺達が再び勤王の時勢になる日を見る前に殺されるのは、あまりに無念じゃ!俺達の頑張りを無駄にせんで欲しい!どうか……どうか……!」
半平太は牢番を通して送られて来る勤王党員からの手紙を何通も、何十通も読み1度は以蔵の口を封じようかと思ったが……結局は実行に移されなかった。
これにしびれを切らした勤王党員達は外部の者と通じて、以蔵を毒殺することに決めた。
「以蔵……。」
拷問に耐え、牢に戻って来た以蔵は自分を呼ぶ声に気付いた。
そこにいたのは勤王党にいた頃、同志だった男。
「おお、アンタか!久し振りじゃな。」
「腹は減っちょっらんか!?今日は差し入れが仰山あったきに、ちょっとおすそ分けしちゃろう思うてのう。」
「そりゃ、ありがたい。ここの飯は少のうて敵わんからのう。」
以蔵は何の警戒もなく包みを受け取った。男が立ち去るのを見届けると、早速包みを開けて弁当を食べ始める。
これを食べて少しでも体力を取り戻したら、また頑張ろう。中では半平太が、外では竜馬がこの状況を乗り切る方法を考えてくれる……!
以蔵はそう信じて、弁当の飯を全て平らげた。だが……。
「……!……!?……うっ!……うおっ!おおおおおおっ!!」
「どうした!?」
「み、水……水をくれーっ!!」
呻き声を聞いて駆け付けた牢番達に水を求める以蔵。
すぐに水が大量に入った桶を受け取り、一気に飲み干すと腹の中にあった物全てを吐き出した。
苦しみはしたものの、以蔵はこの毒入り弁当では死ななかった……。
(……毒だ……毒を盛られた……アイツが何故俺を殺そうとするがじゃ!?……イヤ、武市か!?武市が命じたがか……!?それしか考えられんぜよ……俺に喋られて1番困るのは武市じゃ!)
「武市……武市~~~っ……!!」
以蔵が死ななかったと聞いて、投獄されていた勤王党郷士達は深い絶望に捕らわれた。
この件は事情を知らなかった半平太と退助の耳にもすぐに届いた。
退助は半平太をはじめ、勤王党郷士達を問い詰め真相を聞き出すも、以蔵の怒りは収まるところを知らない。退助は急いで以蔵に真相を伝える。
「以蔵、よく聞け!おまんの弁当に毒を仕込むよう命じたのは武市先生ではないがぞ!だから感情に任せて全て吐くのは……。」
「放っといてくれ!俺はもう我慢ならん!信頼しちょった奴に裏切られた……上士のアンタにゃ俺の気持ちなど分かるもんか!!」
「以蔵……。」
退助の説得も虚しく、その翌日……以蔵は取調べの場で京での要人暗殺を自白し始めた。
その日の内に退助から話を聞いた半平太は取り乱すことなく、落ち着いた口調で答える。
「そうですか…………全ては同志らの行いに気付けず、以蔵を守れなかった私の責任……。最早これまで……無念じゃが、これも運命。諦めましょう。乾殿には大変お世話になり申した……。」
「武市先生……。」
牢の中で深々と頭を下げる半平太を退助は何も言えずに見つめていた。
これを引き金に、武市 半平太は切腹、その他同志は以蔵を含め斬首4名、他は永牢等……特に足軽の以蔵は最も罪が重く、斬首の後に雁切橋の河原に晒し首にすると決定された。
そして、慶応元年閏5月11日……雁切橋にて以蔵の処刑が行われた。
岡田 以蔵……享年28歳。
無学で人斬りと恐れられた足軽は、異世界では英雄であった
真っ白な光の中、意識が朦朧とする……。
俺は、確か俺を救出に来て捕まった竜馬の姉さんである乙女さんを助ける為に抵抗したが、結局後藤と乾に縛られたまま斬られて、刺されて…………と言うことは俺は今、あの世へ行こうとしているのか?
そう思いながら、身体に力が戻って来たところで、以蔵はゆっくりと瞼を開ける。
彼が仰向けのまま目を開け、真っ先に視界に飛び込んで来たのは……青空であった。
以蔵は鬱陶しそうに目を細める。
(ウッ……あの世の空と言うのは、土佐や京のものにそっくりじゃな……目を覚ましていきなりこの光景は眩し過ぎるぜよ……。)
一体どれぐらい意識を失っていたのだろう……以蔵はゆっくり身体を起こした。
処刑される前まで拷問されていたのだから、全身が痛み切っていて思うように起き上がれない。
「ウ~……イテテ……こ、こりゃ敵わんぜよ…………ん?」
ふと自分の両手首を見ると、黒い手錠が付けられていた。
忌々しい……これさえなければ、あの時殺されずに済んだかも知れないのに……なんてことを今更考えてもしょうがない。
以蔵は状況整理も兼ねて、自分の持ち物を調べた。
度重なる拷問で汚れた血まみれの白装束……その懐に入っていたのは、竹の皮1枚。
「こりゃ、あの時のヤツか……手持ちと言えるかどうか分からんが、一応持っとくか。」
手持ちの確認を一通り終えると、自分の胸と背中に目をやった。
処刑された時、象二郎と退助に斬られたり刺されたりした筈だが、その傷はどこにもない。
つまり処刑寸前の状態でここに来たことになる。
どうせなら、拷問を受ける前の状態で連れて来て欲しかったもんだと心の奥底で呟いていると、以蔵はふと後ろを見やる。
誰かが自分を見ている……そう視線を感じた先に立っていたのは、女の子だった。
美しいドレスを着た女の子が自分から少し離れた場所に立っていた。
しかも可愛い。今まで見て来た女の子の中でも飛び抜けて可愛い。
パッチリと開いた天色の瞳に、日本ではまず見かけないであろう金色の髪。
着ている服はそれらを引き立たせるような雪のように美しい白を基調とするものであった。
(こりゃたまるか……あの世の女子と言うのはこんなにも可愛いもんなのか……。)
以蔵がポカンと口を開けて見とれていると、女の子は1歩近づいて声をかける。
「初めまして。我が国を救済する為、私の召喚に応えて下さった勇者様でいらっしゃいますね?」
「…………へ?」
勇者?この子は何を言ってるんだ?
それに国を救済って…………もしかして、ここはあの世じゃないのか?
唐突な彼女の言葉に、以蔵は頭が混乱した。
理解が追いつかない彼を置いて、女の子はゆっくり歩み寄ると自己紹介に移る。
「私、勇者様を召喚させて頂きました、ブルーム王国の王女を務めさせて頂いております、コレット=フォン=アルテイシアと申します。」
「え……あ、どうも……岡田 以蔵…………です。」
「勇者以蔵様……私の召喚に応えて頂き、ここラヴレンヌにお越し頂きまして、誠にありがとうございます。あの……私達の話を聞いて頂き、その上でお力を貸して頂けますでしょうか?」
「え~っと……取り敢えず、話を聞かせてくれると助かるんじゃが……助かるのですが。」
以蔵はたどたどしい口調で、コレットに状況の説明を求めた。
少なくとも、自分はまだ完全に死んでいない……そしてここは土佐でもなければ日本でもない。
そもそもここは自分のいた世界ですらない、と言うことまでは直感で理解した。
そして、ことの状況を知る者が目の前にいる……どうせ他に行く当てもない上に、右も左も分からない以蔵には目の前の女の子、コレットから情報をもらうより選択肢はなかった。
地球とは隔絶した異世界ラヴレンヌ。
彼女、コレット=フォン=アルテイシアが治めるブルーム王国は温暖で肥沃な土地を持つラヴレンヌでも名高い大国だったが、それ故に他国から土地や資源を狙われ、歴史的にも多くの国々と数え切れない程の紛争を経験していた。
現在は隣国で、これまた大国のフランバージュ王国と紛争をしており、ブルーム王国がやや劣勢と言う形となっていた。
これだけなら、以蔵が召喚された理由としてはまだ弱いのだが、問題はフランバージュ王国がオルフェイン王国等のブルーム王国周辺の諸外国と密かに手を組んでいたことだ。
大陸のほぼ中央に位置し、且つ土地の質が高いブルーム王国を侵略するメリットは実際どこの国にもあったのだ。
(何と言うか……日本と西欧列国みたいな関係じゃな……。)
以蔵は元いた世界と重ね合わせながら思った。
だが、この世界の問題はそれだけに留まらなかった。なんとこの世界では人間の天敵とも言える存在である魔物まで存在していたのだ。
「しかも、魔物の中には高度な知能を持った勢力も存在しており、私達人間が争ってる隙を今も狙っているでしょう。本当は人間同士で争っている場合ではないのに……。」
「ほうか……(前言撤回、規模は大きいが諸藩同士の小競り合いと言った方が正しいか)。」
寧ろ西欧列国的な立場は魔物の軍勢とやらの方だろう……以蔵はそう考えを改めた。
更に王国の神官長の話によれば、近い将来大きな災いが世界全体に降りかかると聞く。
そんな争乱の時代から国を救済するべく、彼女は1人で国の領土内にある「召喚の儀」を行う祭壇へ足を運び、世界に平定をもたらすと言われる『勇者』を呼び出したのだ。
それが、以蔵である。……実際は勇者とは程遠い残虐な殺戮者、それも足軽だが。
「……そうは言うても、俺ぁ元いた世界では佐幕派の連中を斬っちょっただけで、国をどうするこうするなんちゅう難しいことは分からんがよ。俺は……頭が悪いきのう。」
「そんなご謙遜を!勇者様のお力を私は……私達は信じております!」
ありのまま事実を述べる以蔵だが、コレットの以蔵に対するイメージと評価は結構高いようだ。
彼女はおもむろに以蔵の身体に手を触れる。すると、コレットの手はポウッと温かな光を放ち、以蔵の身体中に痛々しく刻まれていた拷問の傷をたちまち治してしまった。
「お……おおおっ!?」
鞭で打たれて出来た痣はともかく、搾木で抉られた脚の傷はそう簡単に消えるものではないのに、全身の傷は初めからなかったかのように完全に消えてしまった。
これには以蔵もビックリ仰天。薬等による治療とは違う……常軌を逸した、妖術のような未知の力に思わず声を上げてしまった。
「魔法をご覧になるのは初めてですか!?」
「少なくとも、俺の世界では見たことも聞いたこともないぜよ……。」
痛みが消え去り楽になった身体を動かしながら、以蔵は答えた。
コレットが使ったのは治癒魔法の一種で、単純に外傷を消し去ると言うだけなら容易に出来るらしい(ただし、拷問によって体内に蓄積された「目に見えないダメージ」も消し去るには更なる高等魔法を用いる必要があるが)。
他に戦闘で使われる攻撃魔法や防御魔法、移動や輸送に使われる転送魔法、医療の場で使われる治癒魔法等、その種類は多岐に渡る。
「本当はその手錠を外す解錠魔法もあるのですが、未熟な私には……申し訳ございません。」
「ええよ。傷を治してくれただけでも充分っちゃ。」
コレットの謝罪に以蔵は優しく返す。理解を超えることの連続だが、下手に考えても仕方ない。
それに、かなり身分が高いにも拘らず、足軽の自分に優しく接してくれた彼女に対して邪険にも出来ない。以蔵は半平太の手足として動いていた頃と同様、一旦思考を停止してコレットの話を聞くことにした。
彼女の話を聞いている間、以蔵は相槌程度しか打てなかった。
だが、コレットの説明は1つの世界そのものを説明するにしては、とても分かり易く、頭が悪いと自ら公言している以蔵でもそれなりに理解出来ていた。
「……ほう。」
彼女の話が一段落ついたところで、以蔵はそう呟いた。
そして、今度は彼が自己紹介に入る。
「取り敢えず、ある程度は理解出来たぜよ……ここまで教えてくれたんじゃ。俺も改めて自己紹介するき。俺は土佐藩郷士・岡田 以蔵。ここに来る前は……。」
今度は自分の番だ。以蔵は自分の身の上を出来る限り簡単に説明した。
そして改めて思う。この状況は……現実からかけ離れた異世界へ来た状況は……。
試されているのだ。
『以蔵さんは強い!剣士の中の剣士。真の剣士は死なぬ!幾度も生まれ変わりて、国を守る!!』
斬首される前日、竜馬の姉である乙女の手紙に書いてあった激励の言葉だ。あの言葉が以蔵の頭の中で何度も何度も響く。
天がこの世界で、今度はブルーム王国と言う国を守ることを……そして乙女の言葉に対する答えを見つけることを試されているのだ!
理屈など抜きに、以蔵はそう感じた。
(勇者だか何だか知らんが……やっちゃっるぜよ!俺の……俺自身の「戦い」を見出す為に!)
土佐藩の足軽だった以蔵は今、ゆっくりと変わって行く。
今度は土佐藩士でも武市 半平太の刺客でもなく、1人の人間として……。
以蔵が召喚された祭壇……否、それだけではない。
彼が祭壇を下りながら周囲を見回しても、その光景は異質だった。
祭壇があった場所だけでなく、その周辺一帯は大小多数の浮島が空中に浮かんでいた。
これはブルーム王国領内独特のものらしいが、それを見た以蔵は心の中で思う。
(本当にここは俺のいた世界じゃないがか……竜馬や武市もいたら、どんな反応をするじゃろう。)
今はもう会えない2人の親友を思い出しながら、以蔵はラヴレンヌの光景を瞼に焼き付けた。
コレットに連れられて道に出ると、2人を待っていたのは馬だった。
土佐はおろか、日本全体でもあまり見かけない美しい純白の体色をした馬……コレットは馬に跨ると以蔵に手を差し伸べる。
「私の愛馬、マーガレットです。どうぞ、お乗り下さい!」
「え……。」
以蔵はコレットの手をすぐには取ろうとはしなかった。
何故なら、土佐では郷士以下の身分に位置する者は馬に乗ってはいけないと言う決まりがあったからである(故に上士は唯一騎乗が許されたことから、騎士とも言われていた)。
郷士として骨の髄まで染みついた身分差別の影響が、反射的に以蔵を馬から遠ざけたのである。
だが、ここは上士も郷士もない異世界。それに「ハッ」と気付いた以蔵は、黙ってコレットの手を取る。
「うおお!?こ、これは高っ……そして速いぜよ!」
「速いですよ!マーガレットは王国の中でも走るのが得意なんです!」
初めて馬に乗ったことで見えた視点、そして走っている間真正面から受ける風圧。上士達は普段からこう言う景色を目の当たりにしていたのか。以蔵にはとても新鮮な景色に見えた。
コレットの愛馬・マーガレットはひたすらに道と言う道を駆け抜けた。
途中、王国領内の森に入る。森の中は中々に明るく、道も交通用に整備されていた。
コレットがここを通って来たことは想像に難くないだろう。
「この森を抜ければすぐですよ!」
彼女はマーガレットを走らせながら言うと、更にスピードを上げようとした。
だが、目前の茂みが突然ガサガサと音を立てたのだ。
何事かと思い、コレットは馬を止める。
(今の音……ウサギみたいな小動物じゃないぜよ。しかし、熊程デカくもない……。)
以蔵は茂みの音から、何が潜んでいるのか推測した。
そして、彼が答えを出す前にそれは向こうから姿を現した。
「……ムッ?こんな所に人が!?」
現れたのはフード付きのマントを着込み、顔を隠した人物。彼は以蔵とコレットを見て驚いた。
だが、不審者は1人だけではない。
「オイ、どうした!?」
「な、何だ!?ここは人が殆ど来ないのではなかったのか!?」
同じようにマントで顔を隠した人物が次々と現れた。数は全部で5人。
コレットも驚いて不審者達に尋ねる。
「な、何ですか!?あなた達、ここで何をしてるんですか!」
「知り合い……って訳ではなさそうじゃのう、姫様。」
以蔵は両者のリアクションを見比べながら言った。
オマケにさっきの不審者達の会話を聞いても、この国の人間でもあるかどうかすら怪しい。
不審者達は以蔵の言葉を聞いて全員コレットに視線を集中させる。
「姫様……?まさか、あなた様はコレット=フォン=アルテイシア様でいらっしゃいますか?」
「そうですが……あなた達こそ何者ですか?ここは関係者以外は立ち入り禁止の場所ですよ!」
コレットはマントの不審者達に注意の言葉をかけるが、以蔵は彼らの様子がおかしいことに気付いた。この感覚……京にいた頃のそれと近しい感じ、刺客と相対した感覚のそれだった。
人斬りだった頃に培われた直感が告げている……コイツらは「敵」だと!
以蔵は素早く馬から飛び降りて、コレットの前に出る。
「姫様、下がっちょれ!コイツらは俺が何とかするきに!」
「ゆ、勇者様!?」
血まみれの白装束に、手錠で自由が利かない状態でありながら、以蔵はマントの集団に対して敵意を剝き出しに立ちはだかった。不審者達は笑いながら短剣を取り出して、言い放つ。
「ククク……何だ、その格好は。そんな姿で我々と戦うつもりか!?」
「当初は王国内に潜入して情報を幾つか得られたら良かったんだが……まさかコレット姫が目の前に現れてくれるなんてなぁ!まぁ、お前の方は運が悪かったと思って諦めてくれ!」
話を聞く限り、どうやら彼らは他国の間者(スパイ)だと2人は悟った。
人の出入りが少なく、尚且つ関係者以外は立ち入れないと言う祭壇に続く道がある森から侵入して国内で諜報活動を行うつもりだったようだが、そこに偶然通りかかった以蔵とコレットに出くわしてしまうこととなってしまう。
だが、彼らにとっては逆にこれは僥倖で、一国の主であるコレットを拉致すれば外交で優位に立てると判断し、諜報から拉致に変更することにした。
「おまんら!姫様に近づくなぁっ!!」
「うおっ!」
向かい来るマントの集団に対して、以蔵は常人離れした速度で突進して行った。
すれ違いざまに、目に見えない迅さで腕を振り上げ、そのまま走り抜ける。
一瞬何が起こったのか理解が遅れた彼らは時間差で以蔵の方へ振り向くが、直後、纏っていたマントが真っ二つに裂けて、全員の素顔が明らかになった。
「!?……おっ!?おああああああっ!!」
「な、何だ!?いきなり……きっ、斬られたぞ!」
驚く男達を睨み、両手を後頭部に回して以蔵は次の動きに備える。
刃物のような物で男達のマントを斬ったのは確かだが、彼らからは以蔵が何を持っているのかは分からない。男達は動揺しながら短剣の切っ先を以蔵に向けて威嚇する。
「あのなりで、刃物を隠し持っていたのか!?」
「だが、奴の両手は縛られている!5人で一斉にかかれば…………うわぁっ!?」
男の1人が最後まで言い終わらない内に、以蔵は姿勢を落として大きく跳躍した。
やはりすれ違いざまに目に見えない速度で腕を振りながら、男達をすり抜けて行く。
今度は全員の首元がスパッと切れ、血が飛び出た。だが、傷自体はそこまで深くない。
首にこそ当たったが、致命傷とは程遠かった。
彼の流れるような戦いぶりに、離れて見ていたコレットも釘付けになっている。
(凄い……あの人数を相手をしても圧倒している……これが勇者の力……!)
その場にいた全員が以蔵に見とれている内に、彼は後頭部に回していた両手をゆっくりと前に出し下段の構えを取る。
その手に握られていたのは、鋭利な刃物…………ではなく、
「なっ!?」
懐に入っていた竹の皮だった。
彼は竹の皮1枚で、武器を持った男5人に立ち向かい、且つ圧倒していたのである。
だが、刃物を持った相手(しかも5人)には流石に限界があるのか、以蔵の頬にも汗が伝った。
(マズいな……流石に竹の皮だけじゃ、こっちが不利ぜよ。しかも相手は5人……何の冗談か、あの時と全く同じ状況じゃ……違うとすれば……。)
以蔵は動きながら周囲を観察した。敵が再び襲いかかって来る。
「や、やれ!幾ら奴が強かろうと、武器は葉っぱ1枚!こっちは本物の刃物だぞ!」
男達は波状攻撃で以蔵を攪乱しながら殺そうとする。
だが、直後に以蔵の姿は地上から完全に消え去った。
男達は突然姿を消した以蔵に動揺しながら周囲を見回すが、以蔵の真意は彼らを驚かすことではなかった。コレットは驚いて、あらぬ方向を向いたまま呟く。
「魔法もなしに1枚の葉で多勢と渡り合うだけでなく、ここまで……。」
離れた位置からコレットの目に映っていたもの……そこには、5mは軽く超えるであろう高さの太い木の枝に逆さまの状態で『着地』していた。
そう……彼は木の幹を壁として使い、三角跳びを行っていたのだ。
男達も遅れて上空にいる以蔵の存在に気付くが、「もう遅い」とばかりに以蔵は叫ぶ。
「おまんらがどんな剣を持っちょろうと、真上の敵に刃物は意味ないじゃろう!」
以蔵は現在まともな武器を持っていない。だが、武器と言う重りを持たないことによって、ワンランク上のスピードで動き回れるようになる……。
つまり、今の以蔵は武器を持っていない分、身軽なのだ。
「この時点でそっちの負けは決まりじゃ!ここが平地だったら、勝負は分からんかったがのぉ!」
以蔵は両手を組んで、枝から地面まで力いっぱい『跳躍』した。
そして、組んだ両手を刀に見立て、全体重を乗せた高速落下による兜割り……!
大地を震わす振動と共に男の1人は地面に倒れ伏す。
だが、以蔵の猛攻はまだ終わらない!
倒した男から奪った短剣で、怯んだ残りの男達を斬り捨てて行く。
竹の皮とは違って、今度の傷口は深々としたものであった。
以蔵は、倒れた男達を手錠に付いていた紐で縛り上げる。
男達は重傷を負っているものの、命に別状はなかった。
以蔵はわざと急所を外して、斬り付けていたのだ。
「姫様、大丈夫がかや!?」
「は、はい!勇者様こそお怪我は……。」
「俺なら大丈夫じゃ。コイツらから武器を奪えたのがデカかったな。取り敢えずコイツらは役人に突き出すのが得策だろう。情報を聞き出す前に殺すのも何だし、それに……イヤ、何でもないぜよ。」
「……?」
以蔵はコレットを見て何かを言おうとしたが、途中で口を噤んだ。
再びマーガレットに乗り、2人は城を目指す。
倒した男達は一旦木に縛り付け、後で兵士達に引き取らせることにした。
森を抜け、見晴らしの良い場所に出た以蔵はそこに広がる景色を見て驚嘆する。
「こ、これは……!」
「さぁ、着きましたよ!ここが私達の国……ブルーム王国です!」
小高い丘の上から眼下に広がる街……あまりに広過ぎて、少し高い所から見下ろしたぐらいでは全体を把握するのは不可能だった。
コレットは馬を走らせる。
以蔵が第2の故郷として親しむ国……物語はここから始まろうとしていた。
穏やかなる国 ブルーム王国
ブルーム王国。
アルテイシア王家が統治するラヴレンヌ有数の大国で大陸のほぼ中央に位置し、東はグラント山脈を隔ててフランバージュ王国、西はオルフェイン王国、南東にリディニアン王国と隣接している為に温暖で肥沃な土地を狙われ、歴史的にこれらの国々と多くの紛争を経験している。
農産物と淡水産物に恵まれ、重要な輸出品となっている特産物としては、茶や果実がある。
街はヨーロッパの都会を思わせるような、華やかな景色が広がっていた。石畳の道路にレンガ造りの建物……その美しい光景に、以蔵は思わず見とれてしまった。
「こりゃ、たまげたぜよ……竜馬や勝先生が言ってた異国の風景そのものじゃ……。」
彼の口から出た勝先生と言うのは、徳川の幕臣として名高い勝 海舟のことである。
生前の以蔵は竜馬の頼みで彼の護衛も行っており、その際に以蔵のことを「自分が馬鹿だと気付きもしない幕府の馬鹿共より、君はずっと利口さね」と評している。
このこともあって、以蔵は海舟のこともそれなりに慕うようになって行った。
2人を乗せたマーガレットが街を通ると、道行く人間は皆お辞儀をしたり手を振っている。
笑顔で「姫様、姫様」と呼びかける群衆を見て、以蔵は不思議そうに尋ねた。
「この世界では、皆偉い人間にひれ伏すことはないんですかのう……。道中で会う民衆は、何と言うか……とても気さくで、距離が近いようにも見えるぜよ。」
「確かに身分の差はある程度存在してますが、ひれ伏すなんて……極一部の行事では形だけ似たようなことをしておりますが、普段からそんなことを強要することはあり得ません!ブルーム王国は王族と国民が近い距離で助け合って来たからこそ、今の姿まで成長出来たのです!」
コレットは国民に手を振り返しながら、力強く言った。
ここでも、以蔵は自分の世界とこちらの世界にギャップを感じた。
土佐……と言うより日本では、道端で郷士以下が上士以上の大名や将軍に平伏しなかったら、即座に斬り捨てられてしまうだろう。笑顔で手を振るなんて、以ての外だ。
以蔵は半平太の手足となって勤王の為に剣を振るい、志半ばで散ったが、死んだその先の世界で自分達が追い求めていた理想郷……それに限りなく近い世界が目の前にある。
(竜馬……武市……俺は見知らぬ世界に流れ着いて、また1人になったぜよ……ほじゃけんど、俺はもう1度戦うことにするがよ……俺を必要としてくれた、この優しい世界を守る為に……。)
しばらく移動すると、高さ20mはあろうかと言う巨大な壁が姿を現した。その壁の奥には更に巨大な城が見える。それを比較すると、壁が低く見える。超巨大都市の中央に更に巨大な城。
以蔵は目を見開いて、口をポカンと開けたまま呟く。
「なんじゃこりゃ!?手前の壁だけで鷹城(高知城のこと)よりも高いぞ!」
「この城壁は大昔から建てられていたもので、この国がまだそれ程大きくなかった頃の戦争でも、崩されることはなかったんです。非常時には国民を城内へ避難させて、外の脅威から守ると言う目的もありますよ。」
最も、ここ数百年は城壁はおろか、国の内部まで攻め込まれたことはありませんが、とコレットは付け加えた。
城門前まで来ると、その大きさがよく分かる。天に突き刺さらんが如く、重厚感ある城壁は以蔵達の前にそびえ立っていた。
2人を乗せたマーガレットが近づくと、門番達が一斉に敬礼した。それと同時に、それまで固く閉ざされていた門が大きな音を立てて開いたのだ。
マーガレットはゆっくりと城内へ歩を進める。
「少々お待ち下さい。」
コレットはそう言って、城内の一角で兵士達を呼び出した。
彼女の呼び出しに応じて、城の奥から兵士が2人駆け寄って来る。
1人はマーガレットの手綱を取って、広い庭の奥へと消えて行った。
もう1人はコレットから以蔵の話を聞いた後、「かしこまりました」と言って彼に歩み寄った。
「勇者様、お手を前に……ご安心下さい、すぐに終わります。」
にこやかな表情でそう言うと、以蔵が差し出した両手の手錠に軽く手を乗せる。そして、
「解錠!」
その掛け声と共に手が輝いた。同時に以蔵の両腕の自由を奪っていた手錠が音を立てて外れた。
手錠が付いていた両手首を触りながら、以蔵は感心する。
(これが姫様が言っていた解錠魔法か……魔法って色々使い道があるんじゃな……。)
そう思いながら赤い絨毯が敷かれた城の廊下を歩いて行く。廊下の時点でかなり広い為か、自分の身体が小さくなったような錯覚に陥った。
なんだかとても変な気分だ……そう思いながら長い廊下と階段をひたすら歩き続けていると、メイド服を着た女性達が2人を出迎えた。
「姫様、お帰りなさいませ!」
メイド達は廊下の端で整列し、コレットに頭を下げた。コレットも笑顔で応対する。
「皆ありがとう!早速ですが、勇者様の服を用意してもらえますか?」
「かしこまりました。すぐにこちらで準備致します!」
「ありがとう!では勇者様、着替えがお済みになりましたら、私の執務室までいらして下さい。」
そう言い残すと、コレットは先に行ってしまった。
以蔵はメイド達に連れられて、別の部屋に向かう。
(着替え……そう言えば、捕まって土佐に戻された時からこんなボロボロの着物のままだったな。)
少しして、城の廊下に硬い靴の足音が響き渡る。
風呂で身体の汚れを洗い落とし、メイド達が用意していた服に袖を通した以蔵はメイドの1人に案内されて、コレットの待つ執務室へ案内されていた。
彼の着ている服はコレットがデザインした、正に以蔵の為の特注品だ。基調となる色は人斬り時代に着ていた着物同様、漆黒だった。
生地には特殊な魔力をかけられた聖骸布が織り込まれており、着心地はとても良い。
(これが異世界の着物か……日本の着物も悪くなかったが、こっちもかなり動き易い……。)
以蔵は片手でネクタイを弄りながら、胸中で服を絶賛した。
しばらく歩くと、先を歩いていたメイドが足を止める。
目の前にあったのは、他とは若干違う装飾が施された重厚感ある扉。
間違いなく、ここがコレットの執務室だ。以蔵はそう直感した。
「では、少々お待ち下さい。」
メイドがそう言って扉を叩こうとすると、
「何故です!?私達だけでは力不足だと仰るのですか!?」
突然、部屋の中からそんな声が聞こえて来た。
女の子の声ではあるが、コレットのものではない。
(ありゃっ、お取込み中じゃったかの……しょうがない、ちとここで時間を潰すか。)
以蔵はメイドにアイコンタクトを取って、少しだけ待つことにした。
メイドもそれを察して、扉から1歩下がる。
扉の向こうからはコレットの声も聞こえる。
「そうではありません。先日の国境での戦でも、我が国が勝ったことは確かですが、死傷者の数も決して少なくはありません。このままでは、いずれ国境を越えられて国内まで攻め込まれるのも時間の問題です。そうなる前に、切り札を出して現状を打破することにしたのです。」
「そ、それでも!我々騎士団が姫様の為にも……民の為にも、侵攻を食い止めて……!」
「分かって下さい。たとえここで勝っても、それは本当の意味での勝利にはなりません。日毎に激化する戦で我が国も多くの血が流れました……ですから、これ以上犠牲を出さない為にも……。」
「ですが……ムッ!何者だ!?」
一瞬間を置いた直後、声が以蔵達の方へ響き渡った。
(ヤバッ……気付かれたぜよ!)
立ち聞きがバレたと判断するや否や、以蔵は反射的にその場から飛び退く。
同時に執務室の扉が大きな音を立てて、勢い良く開いた。
部屋の扉を乱暴に蹴り開け、現れたのは……以蔵に敵意を剝き出しにした、鮮やかな青い長髪をポニーテールにした美少女。
凛々しく端正な顔立ちに、白を基調とした制服に、ミニスカートの下には真っ黒なタイツ。
両腕には銀のガントレットを付けて、腰には刃がやや太めのロングソードを差している。
「!?貴様……見ない顔だな!まさか姫様の命を狙う不逞の輩か!?」
「ち、違う!俺は姫様から命を受けてここへ来……ヴォッ!?」
不審者でないことを言おうとした以蔵の腹に、少女は渾身の蹴りを入れた。
弁解の余地も与えられず、理不尽に吹っ飛ばされる以蔵。
すぐさま空中でバランスを取り直そうとするが、眼前には既に少女が距離を詰めて、そのまま以蔵を組み伏せてしまった。
片方の腕で首を絞め、もう片方の腕で以蔵の片腕をあらぬ方向に曲げようとする。
メキメキと音を立てて、今にも首と片腕を折る寸前の状態を維持しながら、少女は追求する。
「さぁ言え!貴様はここで何をしていた!?」
「ギニャアアアアアッ!!や、やめろ!その関節はそっちには曲がらな……ヒッ……ヒィーッ!!やっ、やめれっちゃーっ!!」
以蔵の悲鳴にも全く耳を貸さず、それどころか彼を射抜くような冷たい眼差しで少女は睨む。
その時、
「ちょ、ちょっと!リズ、やめなさい!」
執務室の奥から慌てふためく声が聞こえた。
以蔵は少女に組み伏せられたまま、声のした方へ顔を向けた。
執務室から出て来た声の主、コレットはリズと呼ばれた少女に命令する。
「ひ、姫様……!」
リズは以蔵を締め上げていた腕の力を緩めた。
取り敢えずは、彼の首と腕が折られることはなくなった。
コレットは心配そうな表情で以蔵を見つめて、尋ねる。
「勇者様、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫じゃ。もうちっとで折られそうになったから助かったぜよ……。」
以蔵も苦笑いしながら答えた。
「勇者!?では、コイツが召喚されたと言う例の……。」
リズは驚きながらも、敵意を露わにジッと見つめる。
以蔵も彼女の発する圧力にたじろぎながら呟いた。
「の、のう……今ので俺が敵じゃないと分かったと思うち、そろそろどいてくれんか。」
「何だと!私はまだ貴様を信用した訳じゃ……。」
「一応、気を遣って言ってるんじゃが……まぁ、おんしがそうしてたいなら、止めんがのう。」
「な、何!?どう言うことだ?」
「いや、のう……おんしの乳がさっきから俺の背中に当たっちょるんじゃ。」
歳相応……否、それ以上に膨らんだ大きな胸が背中に当たる感触。以蔵にしてみれば、もう少し堪能していたいところだったが、流石にいつまでもこんな体勢でいる訳にも行かない。
「なっ……なっ……~~~っ!」
さっきまで勇ましい表情をしていたリズの顔が赤くなって行く。
素早くその場から飛び退くと、腰に差していた剣を抜き放った。
「き、貴様……!そこになおれっ!貴様のような破廉恥な輩は、この私が切り捨ててくれる!」
「オイ、やめい!今の俺は丸腰じゃ!」
以蔵は両腕を広げて非武装であることをアピールするが、リズはそんなことなどお構いなしに斬りかかって来る。彼女の斬撃に「躊躇」と言うものは一切感じられない。
(あぁ……そう言や、土佐にいた頃もこんな光景をしょっちゅう見ちょった気がするぜよ……。)
突如としてデジャヴに襲われる。無論、気のせいではない。
(てか、ここに来ても斬られかけるとか……俺、何か悪いことしたか?)
納得行かないまま、以蔵はリズの斬撃を最小限の動きで躱しつつ、あれこれ考えるが、とうとう壁際に追い詰められてしまった。
以前は人斬り以蔵として名を馳せた彼も、本気で命の危機を感じた。その時、
「リズ、ちょっと待って!剣を収めて下さい!」
「!」
コレットの声に、リズは剣の切っ先を以蔵の喉元手前でピタリと止めた。
「姫様、ですが……。」
「勇者様はブルーム王国を守る為に来て下さったのですよ!これ以上は私が許しません!」
「!……も、申し訳ございません。」
リズは剣を鞘に納めて、渋々引き下がった。……相変わらず以蔵を睨んではいるが。
コレットは以蔵に駆け寄り、心配そうに尋ねる。
「大丈夫ですか!?本当に申し訳ございません、勇者様。」
「ええよ、ええよ。それと、『勇者』ってのも何かこそばゆいっちゃ。俺のことは普通に『以蔵』でええきに。」
「分かりました、以蔵様!」
コレットはリズと以蔵を案内したメイドを下がらせると、以蔵を執務室へ入れた。
以蔵は執務室へ足を踏み入れると、後ろ手に扉を閉める。
腹にはリズに付けられた足跡がクッキリと残っていた。汚れた自分の服を何とも言えない表情で見つめる以蔵に、コレットは改めて謝罪する。
「本当に申し訳ございません。後でメイドを呼びますので……。」
「ああ、これぐらいなら大丈夫じゃ。洗濯すれば落ちるじゃろう。」
「……あの子、リーゼロッテ=ウォーランドルフは騎士としては優秀なのですが、あの通り少々融通の利かないところがあるんです。」
「騎士……そう言や、着物の上に小手のような物を付けちょったぜよ。それに帯刀も……。」
以蔵はリズのことを思い出しながら言った。少なくとも日本では見たことないような装備をしていたが、侍の戦装束に似ていなくもない。
「彼女は我がブルーム騎士団の騎士団長です。王国内に10万人以上存在する兵士達の中でも、特に優れた30人の精鋭で構成された部隊の頂点に立ってるんですよ。」
「へぇ~……。」
だからあんなに強かったのかと、以蔵は思い返した。
実際、幾ら彼が丸腰だろうと、万全のコンディションなら武器を持った素人十数人をあしらうぐらい余裕だろう。だが、リズは剣を持っていたとは言え、以蔵を圧倒していた。
一瞬ではあるが垣間見えた、日本のそれとは違う独特の剣術……彼女のそれは苛烈で予測し辛い変則的なものであった。
とは言え、以蔵は密かに思う。
(あれで王国最強か……確かに俺と肩を並べる程度には強いが、それでも竜馬程じゃないのう。)
昔の友と彼女を胸中で比較していると、コレットは呟く。
「……以蔵様が来られる前は、あの子が国の兵士の先頭に立って戦っていたのですが、度重なる戦で仲間が大勢戦死してからは、1人で戦場へ向かおうとする等、無茶をするようになって……。」
コレットの話によると、リズ……リーゼロッテ=ウォーランドルフは数々の武勲を挙げた公爵家の娘で、厳格な家で育った影響であのような性格になったと言う。
幼少期より飛び抜けた剣術と魔法の才能を見出され、僅か10歳でブルーム騎士団に入団。以降は戦場でも多くの戦果を残し、15歳の若さで騎士団長に抜擢されたと言う……。
だが、日々激化する戦いの中で仲間や部下が大勢死に、当初は圧勝していたブルーム王国も複数の国が手を組んだ大勢力を相手に、辛勝を繰り返すまでに疲弊していた。
現在は最前線に立てる程の騎士はリズ率いる僅か数人の騎士のみで、その負担は当然彼女達に集中していた。
リズ本人も気丈に振る舞ってはいるが、どこか余裕がなさそうな様子であると言う……。
「大丈夫ですきに!あの子は……リズは俺が死なせんぜよ!その為に呼ばれたんじゃ!」
「え?」
「要は、俺がアイツらと一緒に戦って、戦争そのものを早く終わらせればええんじゃろ?俺が働けるがは、剣の腕じゃ!なら、姫様の召喚に応じてこの岡田 以蔵、もう一度剣を握るぜよ!」
暗い表情をしていたコレットを元気づけるように、以蔵は高らかに宣言した。
自分が生まれ変わった意味……それがきっと、この戦いの先にある。それに何より、自分より遥かに年下の女の子達が苦しんでいるのを見過ごすことも出来ない。以蔵はそう思った。
彼の言葉と共に、それまで曇っていたコレットの表情に笑顔が戻って行く。その顔は雲間から陽が射したような晴れやかなものであった。
「以蔵様……ありがとうございます!!」
(ま、本来死ぬ筈だった俺を救ってくれたのは姫様じゃし、俺も侍なら大義は果たさんとな。)
コレットの笑顔にほんの少し頬を赤らめながら、心の中で呟いた。
コレットに連れられて執務室を出た以蔵は長い廊下を歩いていた。
その最中、コレットは彼に尋ねる。
「そう言えば、以蔵様も前の世界では剣術を嗜んでいたそうですね。」
「ほうじゃ!江戸で鏡心明智流と言う剣術を学んどったんじゃ。まぁ、京で佐幕派の連中を斬るようになってからはガキの頃同様、ほぼ我流の剣術に戻ったがのう。」
以蔵は安政3年9月、半平太に従い江戸に出て、鏡心明智流剣術を桃井 春蔵の道場である士学館で学んでいた。
同門からは「撃剣矯捷なること隼の如し」と称えられるが、一方で学問や世事に興味がなかったらしく、剣術が優れていたにも拘わらず免許皆伝には至っていない。
土佐勤王党が台頭して、半平太と共に参勤交代の列に加わり京へ上って以降は暗殺に特化させた我流の剣術に磨きをかけ、勝 海舟やジョン万次郎を護衛した際には1対多数の戦いを得意とする殺人剣術を新たに身につける等、その才能には底がなかった。
「じゃが、何でそんなことを?」
「以蔵様は現在、武器を持っておりません。このブルーム王国の武器であなたに合う物をお渡し出来ればと思いまして……。」
そう言うと、彼女は分厚い巨大な鉄の扉の前で足を止めた。
扉の両サイドには兵士が2人、扉を守護するように立っている。
コレットは兵士達に事情を話すと、彼らはそれを了承し、扉の前に立って両手を前に出した。すると、扉に魔法陣が現れたのである。
「解錠!」
兵士2人がそう叫ぶと、鍵の外れる音と共に重厚感ある扉がゆっくりと開いた。この扉は魔法で施錠されていたのだ。
コレットの後に尾いて、以蔵も部屋の中へ入る。
「うおっ!?何だこりゃ!?」
中へ入ると、以蔵は思わず声を上げた。
そこにあったのは、部屋一面に保管された武器と言う武器。剣、槍、斧、弓、サイズ、ハンマー等のあらゆる武器が厳重に封印されていたのだ。
「……たまるか。こんなにも武器がしまってあるとは、たまげたぜよ。」
「この武器庫には、王国を建国した初代国王の命により造られた超兵器から、伝説上の宝具まであらゆる兵器が収集され、厳重に保管されています。もし、この中で以蔵様に合うものがあれば、遠慮なく受け取って下さい。」
「そんなに凄い武器を余所者の俺に渡してもええんかのう……何か、受け取るに受け取れんよ。」
「戦いに赴く兵の皆に対して……そして、以蔵様に対して私がしてあげられることはこれしかありませんから。それに、どれだけ美辞麗句を並べても武器とは戦いの中でこそ生きるもの。この国を守る為、そして以蔵様に生き延びて頂く為、共に生かせてやって下さい!」
コレットの言葉に迷いはない。2人の間に暫しの間、沈黙が覆われる。
少しして、以蔵は沈黙を破り、
「分かったぜよ!確かに受け取るがじゃ!」
そう言って、早速自分の武器を探し始めた。
だが、武器と言うものは以蔵の想像を遥かに超えた種類があり、その中から自分に合った武器を選ぶのは中々に困難なものであった。
どれもこれも強そうに見えるが、自分に合ってないものなら、たとえどんな名器でも邪魔な荷物に成り下がる。以蔵は消去法で刀剣類に絞って探すことにした。
目をつけた剣を何本か手に持って抜いてみるも、何かが合わないのか、中々選ぼうとしない。
(う~ん……どれも大きさや重さ共に悪くはないんじゃが……何か違うな。)
改めて探しに回る中、以蔵は武器庫の一角に注目した。
その視線の先にあったのは、数多の武器が置かれている中には似つかわしくない黄金の箱。
探しているのは刀剣類だが、彼にはあの箱が気になってしょうがない。
思わずコレットに尋ねてしまう。
「あの箱には何が?」
「あれは世界最古の聖剣である『星薙の剣』が封じられた黄金櫃です。ラヴレンヌに存在する全ての刀剣類の始祖とされる、数ある伝説の宝具の中でも最高峰の剣なんですよ!ただ、現在は剣としての形は成していませんが……。」
コレットの話によると、『星薙の剣』と呼ばれる聖剣は嘗てラヴレンヌ全体を襲った災厄を打ち払い、救済へ導いたとされる古代宝具で、持ち主の心や魔力を写し取ることでその姿を変えると言う伝承も残っている。
彼女の話を聞いて、以蔵は聖剣に導かれるように黄金櫃へ近づいて行った。
箱の大きさ自体はそれ程でもない。そのサイズから推定するに、中に入っているのは脇差ぐらいの短剣だろうか。
そう思いながら、ゆっくりと蓋を開けた。
(!これは……。)
中に入っていたのは、予想通り脇差とほぼ同サイズの短剣…………ではなく、柄と鍔だけしかない剣。短剣とか言う以前の、刃がない剣だった。
どう見ても武器としての実用性はおろか、そもそも武器と呼んでいいのかも分からない……しかし不思議と惹きつけられるような「何か」もある。
(普通なら、選択肢に入れる以前の問題……けど、俺の直感が告げちょる……これから先を戦って行くつもりなら、この剣を取るべきじゃと。)
以蔵は聖剣を手に取って、眺める。そして、少し考えた後にコレットに言った。
「姫様!俺、この剣にするぜよ!」
「え?でも見ての通り、その剣には刃が……。」
「構わんがよ!コイツとは波長が合った……今日から、この聖剣が俺の相棒じゃ!!」
以蔵はそう叫ぶと、柄と鍔だけの聖剣を腰に差した。
更に脇差の代わりとして、宝具等の類ではない普通のショートサーベルを1本もらう。
それは、幕末の四大人斬りの一角が甦った瞬間でもあった。
武士 VS 騎士
コレットと別れて城内をブラブラしていると、以蔵は窓の外にリズ……リーゼロッテ=ウォーランドルフの姿を見かける。どうやら訓練中のようだ。
(おっ。ありゃさっきの……あの子がいると言うことは、周りの奴らが騎士団とやらか。)
王国の兵士達を代表するエリートなだけあって、全員中々いい面構えをしている。以蔵はそう思いながら訓練の様子を眺めていた。
その近くでは一般兵らしき集団も訓練しているが、彼らとは何もかもが雲泥の差だ。
コレットの話によれば、ラヴレンヌに不慣れな以蔵の世話係としてリズが任命されたらしい。
彼女もそれを聞かされた時は不服そうにしていたが、生真面目な性格故か、断ることなく引き受けたと言う……。
訓練が終われば城内の案内してもらえるらしいが、ただ訓練を眺めているのも面白みがない。
昔から「待つ」と言うことが苦手な以蔵は外へ向かって走り出した。
外に出て近くで様子を見てみると、彼女達の迫力はまた違った。
土佐や長州、薩摩の志士にも名立たる猛者が大勢いたが、それでも以蔵や竜馬と同等以上の強さを持った者はほんの一握りだった。
そして、リズ率いるブルーム騎士団はその全員が以蔵達と同じ領域……努力等では決して越えられない壁の先にいたのである。
(ただ強いだけじゃない……全員が完全実戦向けの剣術で戦うちょる。しかも……。)
以蔵は何かに気付いた。
リズは実剣を持って、訓練していたが、他の騎士団が持っている実剣とは少し見た目が違う。他の剣が簡素な見た目をしているのに対し、彼女の剣は刃の付け根と鍔の部分が何だか機械的だ。
それに、剣術の型も皆バラバラだ。一般兵は全員統一された剣術を用いているが、騎士団はそれぞれ異なる剣術で訓練をしている。
「面白い剣術じゃのう!日本でも見たことないぜよ!」
以蔵は手を叩いて、絶賛した。それに気付いたリズが彼の元へ駆け寄る。
「お前は……!ここへ何をしに来た?」
「訓練を見学に来たんじゃ。ここに来ればおんしに会えると思ったからのぉ!」
「ムゥ……確かに姫様からお前に城内を案内するよう命を受けてはいるが、今は訓練中だ。あと少しで一区切りするから、それまで向こうに座って待っていろ!」
リズは日陰になっている場所を指差して言った。
一応客人としての扱いは受けているのであろう……座れる所は他にもあったが、わざわざ直射日光が当たらない場所を指定する辺り、コレットから受けた命令は律儀に守って相応の応対をするようにはなっていた(ぶっきらぼうな話し方に変わりはないが)。
「しかし、この世界の剣術と言うのは色んな型があるんじゃのう。3種類ぐらいはあるがよ。」
「何だ?貴様、王宮式剣術に興味があるのか?よかろう、なら私が教えてやる!」
さっきまで厳しい表情をしていた彼女の顔が嘘のように生き生きしている。その笑顔は年頃の女の子らしく、とても可愛いものであった。これで話の内容がもっと可愛らしくて、着てる物も戦装束ではなく女の子っぽい服なら尚良かったのだが、と以蔵は思う。リズが説明をする。
「我がブルーム王国の剣術においては大きく6つの型が存在する。それらは王国の歴史と共に無数に編み出され、後の剣士達はこれらを正式な型として体系化しており、現在ではこれから説明する6つに分けられているのだ。」
「6つ!?多いな。」
以蔵は驚愕した。
『フォーム1』
『フォーム2』
『フォーム3』
『フォーム4』
『フォーム5』
『フォーム6』
リズは以上の6つの型について、それぞれ説明した。
「まずは『フォーム1』。最も基本的で、この王国で兵士が最初に習う型だ。その歴史はとても長く、ブルーム王国創成期から受け継がれ、同時に練磨されてきた型なのだ。剣と言う武器を扱う上で必要な技術が全て盛り込まれていて、その技術は攻撃、防御、受け流しといった動作をはじめ、攻撃すべき体位や、各種動作の練習方法までもが含まれる。」
リズの話によれば、王国の訓練生は1年程かけてこの型を体に叩き込み、そこから他の型を選んで自身に合わせた修練を積んで行く。そして極めれば最も無駄が少ない型の為、1番基本的ながら熟練した剣士でも愛用する者は多いとのこと。
「次に『フォーム2』。攻撃の主流が弓矢や魔法ヘ移ると共に生まれた型だ。敵の飛び道具を返す技術から始まった防御に特化した非常に手堅い型で、熟練の使い手なら包囲された状態だろうと、四方八方から攻撃が飛んできても対抗できる。理論上、これを極めた使い手を傷つけることは不可能とも言われるぐらいだ。剣戟戦においては、防御を攻撃に転じ、巻技の様な動作やカウンター等で攻勢に出る。」
防御によって耐え凌ぎ、必要な瞬間が来たら速やかに攻撃するという性質から、この型は王国を守護することを第一とする騎士の在り方を体現するものであると考える者も少なくない。
「次は『フォーム3』。フォーム2とは対象的な、最も攻撃的な型だ。高い攻撃性と制圧力を求める層によって考案された型で、相手の防御の型を破壊する程の力強い攻撃や返した飛び道具を相手に当てる等、あらゆる行動の1つ1つが攻撃に繋がってる。他の型に比べて振りや残身がやや大きく、一撃の威力を重視するような力強い動作が特徴だ。」
この型はリズが最も得意とする型で、特に彼女はこれを発展させた特殊な型を使用する。それは剣を握っている方の肩、肘、手首の間接を魔力で一時的に外し、鞭のように柔軟な軌道を描かせることで、より遠心力を伴った苛烈で予測し辛い連続攻撃を可能にするものだ。
「次に『フォーム4』。魔力で脚力を強化して跳び回る、最もアクロバティックな型だ。変則的な動きで相手を翻弄し、威嚇や牽制の効果を持つが、その分相手に背を向ける等隙も大きく、魔力を完璧に制御して隙を無くせる程の高機動力を発揮出来ないと、逆に弱点が増える諸刃の剣だ。」
魔力で脚力を強化して跳び回るという性質上、体力の消耗が激しいのが欠点であり、更に牽制を全て見抜く程の強敵が相手では、無為に跳び回って消耗しながら隙を作るだけになってしまう。
またその性質上、広い空間を跳び回れるフィールドが得意な型だ。
「次は『フォーム5』。1から4の型を組み合わせた型だ。この後に説明する『フォーム6』以外の全ての型の要素をバランス良く取り込んでいて、修業にかかる負担が少ない型と言える。他の型の使い手のサポートや連携が必要な集団戦などにも適しているな。」
ほんの一昔前の騎士は戦闘力に限らず高い教養を求められる傾向にあり、世界中を飛び回りながら任務に必要な外交の勉強等もしなければならず、修行に割ける時間に限りがある騎士達にとってこの型は重宝されていた。ただ、この型はあれもこれもと詰め込んだ所為で、実質的に4つの型を同時に少しずつ修行している状態であった。つまり、極めること自体が非常に困難なこの型を半端に齧った器用貧乏な剣士(ある意味、自身の適性を見極めることを怠ったツケとも言えるだろう)が生まれ易いと言うデメリットがある。その点から、リズもこの型を敬遠しているとのこと。
「最後に『フォーム6』。5つの型を極めた者だけが使える究極の型だ。剛と柔の相反する特性を同時に併せ持ち、極めて予測が難しい変則的な動きで相手を圧倒する剣術の最終形態だ。」
この型は禁じ手とされている型で、リズ曰く熟練した剣士にしか習得を許されないとのこと。
「へぇ~。聞けば聞く程、こっちの剣術と言うのは奥が深いんじゃな。」
「だろ!?ここまで細かく応用が聞くのは剣術だけなんだ!他の武器では剣には中々及ぶまい!そして、これらの技術は長い年月をかけて先人達が編み出してきた努力の結晶なのだ!!」
リズは誇らしげに、そう豪語した。同じ剣士としてか、以蔵も彼女の言葉に共感を覚える。
そして、同時にちょっとした興味が湧き出て来た。
根っからの剣士としての好奇心が彼の心を突き動かし、そして口から漏れ出す。
「俺がこの国の剣術使いと戦ったら、どっちが強いかのう?それに、こっちの剣術の型で俺に合うとしたら、どの型が合うじゃろう?」
「……!ほう……今の台詞、後者はただの興味本位だろうが、前者は我々騎士団に対する挑戦状と受け取って良いのだな……?」
突如、リズの声のトーンが変わった。
以蔵は彼女の顔に目をやる……が、口元はともかく、目は笑っていない。
何やら言ってはいけないことを口にしてしまった……頭の悪い以蔵でもそれだけは理解出来た。
「は?挑戦状?何のことじゃ?」
「フッ……皆まで言うな。お前は我々ブルーム騎士団と戦いたいのであろう?丁度いい……お前の型の適正を見るついでに、この私が直々に相手をしてやろう!」
「俺がいつ戦いたいなんて言った!?」
「貴様の顔がそう言っている!この機会に、どちらが強いか教えてやろう!」
そう言うと、リズは兵士が持っていた木剣を2本借りて、1本を以蔵に投げ渡した。
勝負が避けられないと判断すると、以蔵は溜め息をついて木剣を構える。
(コイツ……生真面目なところは武市にそっくりじゃが、アイツとは違う意味で面倒な女じゃな。)
以蔵はそうツッコもうとしたが、今下手に喋ると余計面倒なことになるのは目に見えている。
実際、半平太も言説爽やかで人格も高潔にして誠実、武士道仁義を重んじる性格であり……詰まるところ、リズに似て生真面目で融通が利かない男であった。
だが、これから戦場に向かうのだから、その前に(出来れば対等の相手と)腕試しをしたいと思っていたところだ。
以蔵は木剣を低く構えながら、ゆっくりと距離を詰めて行く。
リズも全ての集中を以蔵に向けつつ、少しずつ前に出て行く。
周囲の兵士や騎士達も、2人の様子を固唾を呑んで見守っていた。
(執務室の前でも斬りかかられたが……あの時とは違う。)
(あの低い構え……突き技で来るか。躱して頭部に一撃!)
互いに睨み合い、打ち込むチャンスを窺う。そして、先手を打ったのは……。
「くっ!?」
リズは首元に迫って来た木剣の切っ先を紙一重で躱す。先手を仕掛けたのは、以蔵だった。
(流石にあの斬撃を受け続けたら、俺でも危ない。悪いがこっちから打たせてもらうぜよ!)
以蔵は連続で突きを入れて行く。リズも彼の攻撃を的確に弾いて行く。
その一進一退の攻防に、ギャラリーも全員が見入っていた。
「凄い……何て早い技の応酬だ……。」
「2人共、1歩も下がらないぞ……。」
訓練とは言え、リズも全く本気を出してない訳ではない。
寧ろ、最初の一撃を躱した時点で彼女は確信した。
(執務室前で会った時は分からなかったが、岡田 以蔵……コイツは手加減して勝てる男ではない!)
彼女の頬に汗が伝う。戦場でも中々相まみえることのない強者……それが彼女の前にいる。
木剣と木剣がぶつかる音……どちらも果敢に攻め合った。
得意のフォーム3を発展させた型で挑むリズだが、以蔵もそれに逐一順応し、反撃して行く。
(やっぱり来た……!苛烈で予測し辛い連続攻撃……執務室の前で一瞬だけ見た剣術じゃ!)
連続で攻撃を受けたらヤバい。そう感じた以蔵はリズから距離を取る。
(打ち合いで不利と悟るや、一瞬で間合いを開けた!?この男……直感能力も半端ではない!)
「だが……距離を取ったその隙が命取りだ!この勝負もらった!」
リズは後退した以蔵を追撃する為、一気に攻め入る。
だが、彼女の切っ先が以蔵に当たろうとした瞬間、彼の姿は視界から消え失せた。
「何!?」
リズは慌てて木剣を構え直して、周囲を見渡す。しかし、以蔵の姿はどこにもない。
その時、リズの周囲に影が出来る。
前後左右を見回しても、彼の姿を確認出来なかった。だが、まだ確認してない箇所が1つ……。
「まさか……。」
リズは頭上を見上げる。そこにいたのは、既に攻撃体勢を整えた状態で高く跳び上がっていた以蔵だった。
以蔵は空中で1回転しながら、リズに重い一撃を与える。リズも素早く木剣をかざして防御体勢を取るが、彼の重い一撃に怯んでしまった。
「ぐっ……。」
以蔵の豪打をまともに受けたリズは腕が痺れて、反撃に出られない。
その間にも以蔵は手を緩めることなく、更に追撃に出る。
しかも、先程やった大ジャンプも交えてリズを翻弄しながら攻め込んだのだ。最初の立ち合いでは見せなかった変則的且つアクロバティックな動き……彼女をはじめ、闘いを見ていた者達は驚愕しながらも、その動きが何なのか気付いた。
「あの動きは……。」
「ああ。荒削りな部分が多いが、ちゃんとフォーム4の形になってる……!」
魔力に頼ることなく、持ち前の身体能力1つで物理法則の限界を超越するフォーム4を疑似的ながらも実演する以蔵の姿は、その場にいた全員を魅了するには充分過ぎた。
京で暗殺を続けていた際は、真っ向勝負よりも木や建物等の地形を存分に活かした立体的でアクロバティックな戦いを得意としていた以蔵には、この上なく相性が良い型だったのだろう。
だが、リズも負けてはいない。腕の痺れが少しでも和らぐと、すかさず反撃に出る。
以蔵の突きを受け流しつつ、そこから攻撃に転じさせる技術……ありとあらゆる挙動に攻撃性能を付与した型は正面から受け切ることがほぼ不可能であった。
(やっぱりあの豪打を受け続けたら、こっちがやられる!真剣同士なら、とっくに死んでるぜよ。)
(まるで暗殺者の様な敏捷な身のこなし……こちらの動きを見た傍から見切って行く学習能力……そして何よりも……。)
以蔵もリズも警戒を強めてか、共に距離を取ったまま動かない。
敵に回せば、この上なく恐ろしい。だが、味方になればこれ以上に頼もしい存在はないだろう。
互いに戦闘スタイルは違えど、2人は胸中でそう思っていた。
「同じ条件で闘って、この私がここまで押されるとは……異世界から勇者として召喚されただけのことはあるな……だが、勝つのは私だ!」
「おんしゃあ、中々やるのぉ!ここまで真っ直ぐな剣は久方振りじゃ!しかも、俺の攻撃を全て避けるとは……こんなの初めてぜよ!」
2人の打ち合いは更に熾烈なものとなる。しかし、どちらもどこか楽しそうであった。
長らく互角に手合わせ出来る腕の相手が現れなかったのも大きかったのだろう……「コイツになら背中を預けてもいい」と2人は心の中で断言していた。
「だが……ここが本物の戦場なら、こう言うこともあり得る!」
そう言うと、リズは片手で手招きをする動作を見せた。すると、以蔵が握っていた木剣が手元から離れ、彼女の元へ引き寄せられる。
更にリズは掌を向けると、斥力のような見えない力で以蔵を吹き飛ばして、地面に叩きつけた。
以蔵が完全に起き上がる前に、リズは木剣の切っ先を彼の喉元に突き付けて言う。
「魔法と言うものは使い方次第で、こう言う応用も可能だ。最も、ただの兵士がここまでやって来ることは殆どないがな。騎士や魔導士ぐらいのクラスなら、魔法も当然使って来る。」
「ちぇっ……それがなかったら、俺が勝ってたかも知れんのに……。」
「フッ、負け惜しみだな……だが、事実を言ったまでだ。大体魔法が使えないお前は……ん!?」
リズは自分の木剣を見て、あることに気付いた。
ほんの小さなものではあるが、罅が入っている。無論、闘う前にはこんなものはなかった。
今度は以蔵の剣を拾って、見てみる。だが、こちらには罅が入った形跡は一切なかった。
(アイツ……もしかして……。)
リズは険しい表情で以蔵に目をやった。以蔵は他の兵士達に囲まれてチヤホヤされており、彼女の視線には気付いていない。騎士団員が駆け寄って、リズに尋ねる。
「騎士団長、いかがなさいましたか?」
「……フン。癪な話だが、奴の言ってることは本当のようだ。魔法がなければ、こっちが押し負けていた。この勝負は引き分けだ。」
魔法等も含めた総合力ではリズの方が上だが、剣術の腕のみならば以蔵の方が僅かに上だった。
もし、彼に基礎的な部分だけでも魔法の心得が備われば……。
同じ剣士としての興味と本能がリズを突き動かす。
「オイ!お前、以蔵と言ったな。今度は腰の得物を抜け。お前は私が直々に鍛えてやる!」
「へっ?」
リズは腰に差している剣を抜き放つ。
木剣の次は真剣か……腰のショートサーベルに手をかけて、以蔵は訊く。
「オイオイ、まだやるがか?勝負は俺の負けじゃろ?」
「言ったろう?さっきのは、お前の型の適正を見る為だと。今ので大体分かった。次はお前に合った型を習得させる為、私がマンツーマンでコーチをしてやる!」
「おお、それじゃ!結局、俺に合った型っちゅうがは何ぜよ!?」
「それはだな……。」
リズが答えようとした時、
「騎士団長!西方の国境付近で偵察に出ていた斥候が多数の軍勢を確認しました!数は約4000!斥候が見た旗印から、恐らくフランバージュ王国の者達かと……。」
「何だと!?奴ら、あれだけ消耗してまだ戦うのか……分かった、すぐに私も向かう!以蔵、早速だがお前の初陣だ!手伝ってもらうぞ!」
国境を防衛していた兵士の言伝により、リズと以蔵のマンツーマン特訓は終わりを告げた。
「手伝うのはいいが、俺は来たばかりじゃ。どう動けばいいのか、教えて欲しいぜよ!」
「それは向こうに着いたら教える!今回は私と共に戦ってもらおう!お前達!!」
リズのかけ声で、4人の騎士が彼女と以蔵の2人を四方から囲んだ。
騎士達に包囲された以蔵は、驚き狼狽する。
「な、何じゃ!?これから何をするんじゃ!?」
「ここから西方の国境までは馬に乗っても1日近くかかる。我々は転送魔法で一足先に現地へ飛んで部隊と合流する!」
「転送魔法……。」
そう言えば、姫様がそんなものもあるって言ってた気がする。
以蔵はそう思い出しながら、周囲の騎士達を見た。騎士達が両手に魔力を込める。同時に以蔵とリズを中心に巨大な魔法陣が姿を現した。
「魔力安定……座標指定完了……よし……転送!!」
騎士達が両手を地面につけると、2人を中心に巨大な光の柱が出現した。
以蔵とリズはたちまち光柱に飲み込まれ、光が消え去った頃には2人の姿はどこにもなかった。
転送が成功したことを確認すると、騎士達もその場にいた兵士達を指揮して自分達の務めを果たす為に動き出した。
自分達を包み込んでいた光が消えていく……以蔵がゆっくり目を開けると、視界に映った光景に目を疑った。自分達が立っていたのは、ブルーム王国の城内ではなく草木が生えない荒野だった。
「こ、これが転送魔法……本当に一瞬で移動したぜよ……。」
「どうやら着いたようだな。見ろ、あれが我々の拠点だ。」
リズは後方を指差す。その先には、軍用のテントが大量に設置されていた。
前回の戦いもこの近くで行われており、しかも大規模な部隊が通るならここだろうと言うリズの指示により、騎士と兵士を駐留させていたのだ。
「準備がええのう。流石大将と言ったところか。」
「国を守る為に最善の策を敷いたまでだ。これぐらいはやって当然だ。今後の動きと現在の武装を確認するから、テントに行くぞ!」
リズは以蔵を連れてテントへ向かった。
拠点周辺では多数の兵士が武器の手入れや布陣の確認を行っており、次の戦いに向けて入念な準備をしていた。テント内でリズは以蔵の手持ちを確認する。
「全く、お前は何を考えてるんだ!ショートサーベルに刃のない剣だけとは……それでどう戦うつもりだ!それともこれはアレか?新手の自殺か何かか!?」
「別に自害する気はないがじゃ。この聖剣が俺を呼んだがよ。それに俺は他の武器の使い方を知らんきに。だからこれで充分じゃ。本当に困ったら敵から武器を奪えばええしの。」
「聖剣が呼んだなんて、そんなバカな……あれは大昔の伝説だぞ!」
以蔵は武器庫で聖剣を選んだ時の不思議な体験を話した。だが、リズは一向に彼の言葉を信じようとはしない。
とにかく、自分はこの二振りの剣で戦う。以蔵の意志は頑として変わらなかった。
この姿勢に、とうとうリズの方が折れてしまい、
「……分かった。ならせめて、これを持って行け。」
半ば呆れ気味な口調で懐から金の指輪を取り出し、以蔵に手渡した。指輪には青い宝石がはめ込まれており、どこか不思議な力を感じさせる。
「その指輪には魔力が込められている。それがあれば、魔法が使えない者でも回数制限有りで魔法が使えるようになる。指輪に貯蔵された魔力は消耗しても一定時間後に回復するが、全て使い切った場合は1日以上間を空けないと完全に回復はしない。覚えとけ。」
「おおーっ!これで俺も魔法が使えるがか!」
「お前にやる。お前は我が国の勇者なんだ。くれぐれも命は大切にしろ!」
「ほんに俺にくれるがか!?おんしの装備品じゃろうに……。」
「気にするな!それは私が訓練生だった頃に使ってた物だ。だが、勘違いするなよ!お前が死ねば私が姫様に合わす顔がないから、渡しただけなんだからな!!」
リズはツンデレのお手本の様な台詞と共に、指輪を押し付けた。
以蔵も彼女の厚意を素直に受け止め、軽く笑いながら指輪をはめる。
「それと、時間もないから簡潔な説明になるが、魔法の使い方はな……。」
「うん!…………うん!…………なるほど!!」
リズは魔法の基本的な部分を手短に説明して行った。
外の雲行きも段々怪しくなって来る。
以蔵初陣の時が着々と近づいていた。
以蔵、初陣!
戦が始まろうとしている薄暗い空の下、広大な荒野を1000もの騎兵がゆっくりと進軍している。
音を消し、地形に紛れながら着実に歩を進める彼らの中には、勇者・以蔵と騎士団長・リズの姿があった。
馬に不慣れな以蔵はリズの後ろに乗せてもらっている。
既に、彼らは拠点があった場所からかなりの距離を進んでいた。
道中、斥候と合流し、報告を受ける。敵軍は現在こちらに向けて進軍中、ブルーム王国側の進軍には気付いていないらしい。
リズは馬を止めて、全員に指示を送る。
「全員、休息。迎撃準備に入れ。」
リズの言葉に従い、兵士達はその場で休息を取りながら、装備の最終確認等を始めた。
時間差で別の場所に放っていた斥候達も戻って来て報告を受けるが、敵軍が他のルートを通っていると言う報告は受けなかった。
リズは大勢の兵士達がいる後方を振り返り、腰の剣を抜き放つ。威風堂々と剣を掲げ、彼女は兵士達に言う。
「良いか。敵はおよそ4000。我々の戦力を遥かに上回ってると見ていいだろう。しかも総指揮官がいるであろう敵陣奥深くは精鋭部隊によって守られている。」
部隊の頭を重点的に守るのは戦いの基本だ。その上、戦力的に不利なこの状況……。
リズは力強い瞳で兵士達を見やり、続ける。
「だが、今回は姫様によって勇者が召喚された。私は勇者と共に行き、そして必ず勝って国へ戻って来る。……お前達の力、もう1度だけ貸してくれるか?」
勇者である以蔵が来たからと言って、数では不利なことに変わりはない。疲弊した仲間に彼女も無理強いはせず、引き返すチャンスを与えた。
だが、騎兵達は無言でリズを見続けている。答えるまでもない、彼らの行く先は常に騎士団長と共にあったのだ。
リズは再び前を向き、部隊全てに命令を下す。
「よし……では行こうか。突撃!!」
軍旗をはためかせ、青い髪の騎士団長……リーゼロッテ=ウォーランドルフ率いるブルーム王国の部隊が荒野を駆け抜ける。
空気の流れが一気に変わった。騎兵達は各々の武器を構えると、指揮官であるリズに続いて馬を走らせる。
馬蹄の音は地響きのように大地を駆け巡り、やがてそれは前方から進軍するフランバージュ王国の耳にも届く。だが、気付いた時には全てが遅かった。
「ん……何だ、この音は…………な、何ぃっ!?」
敵兵は突然現れたブルーム陣営の出現に驚きを隠せない。
彼らの拠点は遭遇場所から遥か先にある。斥候数人の情報に間違いはなかった筈だ。ブルーム王国側の拠点に奇襲をかけて制圧し、更に市街地まで進軍する……そんな計画がフランバージュ王国側では立てられていた。
その上、ブルーム王国側は度重なる連戦で疲弊していて、進軍出来る程の戦力等はない……つまりすぐに拠点から動き、且つ進軍することはないと思い込んでいた。
「そう……劣勢状況に立たされた場合においては、普通なら戦力を整える為に迂闊に前へ出ると言う選択肢は取らないだろう……今までなら、な!!」
リズが剣を一閃させた次の瞬間には、敵兵数人の首が一瞬の内に宙を舞っていた。
予想外の進軍からの襲撃にフランバージュ王国の軍勢は混乱状態に陥った。
数ではブルーム王国が不利なのに、それを一片も感じさせない大進撃は互角かそれ以上の戦力を思わせる。頃合いを見計らうと、リズはハンドシグナルで後方の以蔵に指示を出す。
「おーし!岡田 以蔵、行っちゃうぜ!!」
リズの後ろに乗っていた以蔵は高く跳び上がり、敵陣中央に着地すると、ショートサーベルを抜いて近くにいる兵士から順番に斬り伏せて行く。
広い平地ならフォーム4の性能を存分に引き出せる上に、相手が多勢なら以蔵が編み出した1対多数の戦いを得意とする殺人剣術も非常に相性が良い。
得物のリーチによる不利も、俊敏且つ空間認識能力の高い以蔵にしてみれば、ない様なものだ。
(こうして見ると、4000と言う軍勢も想像以上に多く感じる……じゃが、この技量差なら!)
敵兵の鎧の隙間に的確に剣を突き刺し、仕留め終わった時には既に次の敵を斬り捨てている……正に姿の見えない暗殺者そのものだった。
だが、リズも負けてはいない。群がる敵を次々に斬り捨て、馬蹄で蹴散らして行く。
剣を握っている方の肩、肘、手首の間接を魔力で一時的に外し、鞭のように柔軟な軌道を描かせるフォーム3の改良型……彼女のそれを見切り、対応出来る者は敵の中にはいなかった。
彼女が剣を振るう度に、戦場に血が飛び散る。だが、返り血を一滴も浴びることなく、青き騎士団長は勇猛且つ華麗に戦場を駆け抜ける。
(以蔵を放った方角からは敵が殆ど来ない……全く、アイツは本当に大した奴だよ……!)
少し余裕が持てたリズは以蔵が戦っている方向に一瞬だけ目をやった。
騎士団長になってからは、戦いの中で軽傷を負うことはあっても、全くの無傷で帰還したことは1度もなかった。
戦いの中で疲労が蓄積されれば、どんな優秀な兵士だろうと心身共に隙が生じる。だが、今回の戦いは違った。体感的に、敵の数が報告に聞いていた半分程度に感じた。
普段は全方向から来る敵兵に備えて気を張らねばならないのに、一方向からは敵が来ない……これだけで彼女の負担は大きく減少した。
愛用の剣を振るいながら重い一撃で敵を容赦なく両断して行くリズ。
敵の中には、彼女達の勢いに恐れをなして逃亡する者達もいた。
この時点で勝敗はほぼ決していた。
「どうやら、勝負あったようだな……!」
リズは逃げる敵の部隊を見届けると、馬の足を止めた。
周囲ではまだ戦闘が続行されているが、残存する敵の勢力に最初程の士気を維持出来ている者は殆どいなかった。
リズの周囲では断末魔や馬蹄が響き渡り、敵の死体が絨毯のように荒野を覆い尽くす。
周囲を確認するだけで、敵兵の死体は軽く2000を超えている。つまり、戦力の過半数を削り取ったのだ。受け身の対応に見せかけての正面からの奇襲……以蔵の力も合わさって、初めて成り立った戦法だ。
真正面から圧倒的な力で全てをねじ伏せて行くリズ、敵の大群に紛れて暗殺者の如く斬り捨てて行く以蔵、まるで光と影ように2人は戦場を駆け抜け、敵対する者を蹂躙した。
不利な物量差を1人1人の地力で覆し、あまつさえ瓦解させるまでに至ったブルーム王国の兵士達の実力を以蔵は感心する。
(皆、中々やるのぉ……これもあの騎士団長様が鍛えた賜物ってヤツかぁ?)
以蔵は敵の死体が着ていた服でサーベルの刃に付いていた血を拭き取りながら、周囲の味方を見やる。実際、味方側の死傷者は殆どいなかった。
剣を鞘に納めると、リズに合流する。どうやら、どこにも怪我をしてないようだ。
「おう!その様子じゃと、無事みたいじゃな!」
「フッ……お前も全くの無傷のようだな……恐ろしい男だ。」
互いに無事を確認して、軽口を叩き合う。リズは馬上から以蔵に手を差し伸べる。
「乗れ。これから追撃戦を行う。撤退したとは言え、敵の勢力は半分近く残っている。今の内に叩けるだけ叩いておくぞ。」
本来ならば、戦意のない敵を追いかけるのは戦士として褒められるものではないが、今やっているのは正々堂々の一騎打ち等ではなく、勝つか負けるかの戦争だ。
綺麗事など言っている余裕はない。今ここで見逃せば、敵はまた態勢を整えて侵攻して来る。
ここで本当に勝つ為には、相手の全てを叩き折って「ブルーム王国と戦う」と言う気構えそのものを粉砕する以外に方法はないのだ。
だからリズは再び馬を前に進めた。この戦いを本当の意味で終結させる為に……。
だが、進軍しようとしたその時、2人はいち早く異変を察知する。
「……!?何だ、この振動……そして、この音は……!」
「……つか、何かコレ……どんどんこっちに近づいて来ちょらんか……?」
2人が感じた異変……それは先程から荒野全体に響き渡っている地響きだった。
最初は以蔵もリズも気のせいだと思っていたが、今はハッキリと分かるまでになっている。
音が聞こえるのはフランバージュ王国の軍勢が逃げ去った方向から。
これは決して馬蹄によるものではない。もっと巨大で重厚な……。
「……以蔵。どうやら敵は、向こうから来たようだ。そして、次が本番……だな。」
「そうみたいじゃが……アレは一体何ぜよ!?」
リズは片手で剣を構えると、強気な姿勢で地平線の向こうから現れた異形に対して戦意を駆り立てる。その口元は笑っているが、先程のような余裕の笑みではない。
以蔵も自分の視界に映ったものに対して、驚愕のあまり開いた口が塞がらない。
遠目に見えていたそれが近づくにつれ、段々とその姿を鮮明にさせて行く。
以蔵にしてみれば、それは巨大な西洋の甲冑だった。大きさは6~7m程度で、日本で見られる熊よりも遥かに大きい。
鈍い光沢を放つ金属の表面には、無機物としては似つかわしくない赤黒い血管が浮き出て、グロテスクな印象を与える。双眸に当たる部分からは赤い光が妖しく輝き、不気味さを強調している。
片手に持つ剣も4m近くはあるだろう。しかも、恐るべきことにそれは2体もいた。
鎧の化け物の周囲にいるフランバージュ王国の兵士達と比較しても、その巨大さが分かる。
「あれはリビングアーマー!」
「リビングアーマー!?」
リズが口にした名前を以蔵は慄然としながら復唱した。
リビングアーマー……それは自らの意志で動き回る鎧のことで、大昔では低級霊や亡霊の魂が憑依したものとも言われていた。
しかし、近年では空っぽの鎧に特殊な道具や魔法を使用することで、通常の兵士と同等の戦力を作り上げられる「兵士の犠牲を防ぐことが出来る人道的な兵器」として開発が進められていた。
無論、こうした兵器にも欠点は存在する。基本的には簡単な命令しか聞かない為、状況変化や特殊地形等への対応力に乏しい部分があるのだ。
「私達のような実戦経験を積んだ者からすれば、行動を簡単に読み取れるから敵ではない……。」
「イヤ、それでもあの大きさはおかしいぜよ!あんだけデカいと、流石に斬れんちゃ。」
「分かってる!従来のリビングアーマーは人間と同じサイズなんだが、あの大きさはどう考えても普通ではない!恐らく改良型だろうが……とにかく奴らは私がやる!お前は他の兵達と一緒に周囲の敵を蹴散らせ!」
そう命令すると、リズは以蔵を降ろして2体のリビングアーマーに単身で向かって行った。
他の騎士や兵士は全員リズの命令に従って、周辺の敵兵に攻撃を仕掛ける。
「よし……皆散ったな。私も少しばかり本気でやらせてもらうぞ!」
リズは仲間の動きを確認すると、魔力で脚力を強化して高く跳躍する。
同時に彼女は間合いの外から剣を振るい、叫んだ。
「行くぞ!竜殺しの魔剣……ネイリング!」
「!?……あれは。」
以蔵は即座に違和感に気付いた。離れた位置からリズが剣を振るったことが?否、それだけではない。リズ本人だけでなく、彼女の周囲からも殺気を感じる。
次の瞬間には、リビングアーマー1体の手首が片方だけ斬り落とされた。
直後、鞭の様な何かが敵の周囲をすり抜けて行ったのだ。それは蛇のように柔軟で不規則な軌道を描き、リズの元へ戻って行った。鞭らしき物は彼女の手元で再び剣の姿を形成する。
魔剣ネイリング……彼女の剣は、内部に仕込まれた特殊な硬質ワイヤーによって連結された刃が伸び、鞭のように広い範囲を攻撃出来る武器だった。
伸びた刃はリズの意志で自在に操作が可能らしく、更に『フォーム3』を発展させた型を組み合わせることにより、普通の人間では予測不可能の変則的な軌道を描くことが出来る。
見た目は美しいながらも苛烈で力強い連続攻撃を繰り出す、リズならではの戦法だ。
「たまるか……あんなものを隠し持っちょったとは……。つくづくこの世界で見るモンは予想の斜め上を行きよるがよ……。」
だが、それでも巨大な敵2体を同時に相手し続けるのはリズと言えど危険過ぎる。彼女の強さをよく知っている以蔵でも、それは直感で分かった。
せめて片方を自分が足止め出来れば……。
(アレが使えりゃ……手助けぐらいは出来るかも知れん。)
以蔵は指輪をはめた方の手を見つめる。
リズとの最初の手合わせで体験した、掌から引力を発して対象を自身に引き寄せたり、反対に掌から斥力を発して対象を弾き飛ばす能力……上手く行けば、敵を転ばせる程度のことは出来るかも知れない。
やり方だけは一応、出陣前に彼女から聞いていた。確か物を引き寄せる力を「プル」、弾き飛ばす力を「プッシュ」だったか……リズからは習得困難な高等魔法は出来なくてもいいから、最低限この2つと身体能力強化は覚えておけと言われていた。
1日に使える魔力の量は決まっている……だが、使うとすれば今ではないだろうか。
以蔵は周囲の敵をあらかた斬り伏せると、掌をリビングアーマーの片方へ向ける。
(集中しろ……掌に全身の力を一点集中させて……。)
目を閉じて、呼吸を整えると、以蔵はリズから教わったことを思い出す。
出陣前。
リズは簡単な魔法の使い方を以蔵に教えていた。
「いいか。魔法と言うのは、ただ使いたいと思うだけでは発動しない。幾つかの手順を踏んで初めて発動の条件が整うんだ。」
「んなこと言われても……どうすりゃええんじゃ?」
「まずは使いたい魔法に対する具体的なイメージを頭に浮かべる。手を触れずに物体を動かしたり身体能力を強化したり等、用途を決めるのだ。」
リズはそう言うと、おもむろに掌を近くのワインボトルに向けた。
「次に魔力を放出する方向とその強さを決める。これを間違えると思わぬ事故に繋がる危険性もあるから、適切なコントロールが要るんだ。」
「いめーじ……こんとろーる……う~ん。」
リズの説明に、以蔵は理解が追いついていなかった。リズもそれを察する。
「(剣の腕はともかく、こっちの物覚えは悪いな……)まぁ、見ていろ。今から私が実践する。」
そう言うと、ワインボトルがゆっくりと宙に浮いた。「おおーっ」と感心する以蔵を尻目にボトルの蓋も手を触れずに外し、近くのグラスに注ぐ。
「……と、これが基本だ。魔力と言うものは上手く使えば、こう言うことも出来る。」
「そう聞くと、何か簡単そうじゃのう!俺でも出来そうじゃ!」
「(まだ説明の途中だろうが!)……人の話は最後まで聞け。この加減を間違えた場合は……。」
リズは掌に少しだけ力を込めた。すると、ワインを注ぎ終え空中で静止していたボトルが突如、破裂したように割れた。ボトルの破片と一緒に残っていたワインも飛び散るが、リズはこれをもう片方の掌から発した魔力で身を守る。
だが、以蔵の顔には無情にもワインがかかった。「そりゃないよ」と言わんばかりの表情で顔にかかったワインを拭き取る彼にリズは説明を続ける。
「こんな風に、対象への魔力が強過ぎれば、対象を破壊したり殺したりし兼ねん。そして逆に弱過ぎれば、動かす力は生まれない。身体能力の強化も同じだ。」
「そうは言うても、敵を倒すのに強過ぎるもへったくれもないじゃろ?結果的に勝てるんなら、何でわざわざ加減する必要があるがじゃ!?」
「分からん奴だな!貴様は仲間を援護する際、その仲間も巻き込むような攻撃をするのか!?」
「っ!……そりゃあ……。」
リズに言い負かされて、以蔵は何も喋れない。
強過ぎる力は敵を倒すだけに留まらず、己が周囲にいる仲間をも傷つけ兼ねない。
リズ達騎士団や魔導士は理性や調和に基づいて行動し、他者を救う為にその力を行使する。逆に己の欲望の為にその力を行使することは王国内ではタブーとされていた。
「無用な破壊や殺戮は悪意や敵意のような負の感情を強める。我々は高潔な戦士であって、野蛮な賊の類ではない。それをゆめゆめ忘れるな!」
「わ、分かったがよ……。」
リズは以蔵に強く言い聞かせる。
以蔵の過去をコレットから(簡単にだが)聞かされていたリズは、敢えて厳しめに言った。
召喚される前は闇を好む腕利きの人斬りだったと言う、負の感情に限りなく近い所に立っていた彼に魔法を教えるのは、正直に言うと避けたかった。
だが、今は王国の危機。たとえ冷酷非情な殺戮者だろうと手を借りたいのが現状だ。
それに以蔵がそう言う人間なら、自分が厳しく律して王国を守る一人前の剣士にすればいい……リズはそれがブルーム王国を救う道だと信じていた。
「それと以蔵……貴様、剣を片手で持つ時はどっちの手で持つ?」
「え……右手じゃが、それが何じゃ?」
「右手か……なら、左手を出せ。」
「?」
以蔵は言われるがままに左手を差し出した。
リズは以蔵の左の掌……その中央に自分の人差し指を当てる。すると、指先が「ボゥッ」と光り出し、彼の掌を焼き始めたのだ。これには以蔵もたまらず悲鳴を上げてしまう。
「んなっ!?ウァチャチャチャチャチャッ!!」
「喚くな、すぐに終わる!」
熱さに耐えられず騒ぐ以蔵をリズは一喝する。テントの中は、焼けた人肉の臭いが充満した。
しばらくすると、リズは指先を以蔵の手から離す。すると、彼の掌には豆粒程度の小さな刻印が施されていた。
「な、何じゃこりゃあ!?」
「水はじき(水鉄砲)は知ってるだろう。水の入った内部に圧縮空気で圧力を加え、先端の小さな穴から水を勢い良く噴き出す玩具だ。あれは小さな穴に水を一点集中(圧縮)させて、勢いをつけた状態で押し出すんだ。」
「……!うんうん!で、それが何じゃ!?」
「(やっぱり察しが悪いな、コイツ……)つまり、プッシュで相手を弾き飛ばす時も出来る限り魔力を一点集中させてから放出すれば、より強力なものとなる。」
「ほうほう!で、それが何じゃ!?」
「(ハァ~、馬鹿に説明は疲れる……)いいか、今後魔法を使う時は……その刻印に集中して放て!それは魔力を圧縮させる『水はじきの穴』だ!」
そう言い残すと、リズは以蔵を残してテントを後にした。
左の掌に刻まれた小さな刻印を改めて見つめる。
(集中か……。)
左手をリビングアーマーへ向けながら、以蔵は走り出す。
(まずは使いたい魔法を頭に浮かべる!)
リビングアーマーの片方が以蔵の存在に気付いた。だが、以蔵は臆すことなく突っ込んで行く。
(次に、魔力を放出する方向とその強さを決める!)
標的は自分に気付いたリビングアーマー!アイツを地平線の彼方まで吹っ飛ばす!
以蔵は最後の手順を踏んだ。
(そして、掌に全身の力を一点集中させて……一気に解放!!)
左手に力を圧縮させるイメージをしながら、以蔵は掌を大きく前に出した。
すると、標的にしたリビングアーマーが突如バランスを崩し、前のめりに転倒したのだ。
「なっ……!」
突然の事態に、リズは驚きを隠せずにいた。後方を見ると、以蔵がこっちに向かって来ている。
今のは彼がやったのだと瞬時に理解した。だが、あの程度では……。
「馬鹿!何故来たのだ!?コイツらは私がやると言った筈だぞ!!」
「んなこと言うても、おんしゃあ息が上がっちょろうが!加勢するぜよ!」
プルやプッシュ、身体能力強化は程度にもよるが、魔力の消耗は少ない。敵を転倒させて援護する程度のことなら出来る筈……以蔵はそう考えながら時間を稼いだ。
「全く、貴様と言う男は……だが、良くやった!」
未熟ながらも彼が魔法で援護してくれれば、付け入る隙は幾らでもある!
リズはネイリングの刃を再び分離させて伸ばすと、自分と相対するリビングアーマーの攻撃を避けながら、反撃で的確にダメージを与えて行った。
「どれだけ頑強な鎧だろうと、関節の部分は脆く弱い筈だ!ネイリング!!」
リズは鎧の継ぎ目や手足の関節に狙いを定めて、集中攻撃をかけた。片腕と両脚を失いその場に崩れ落ちる巨体を見届けると、以蔵が足止めしているもう1体を仕留めにかかった。
「よし!いいぞ、以蔵!後は私が……ムッ!?」
後方に何かを感じたリズは、反射的に振り返る。
そこにいたのは、先程倒したリビングアーマーだった。四肢の殆どを失い、鎧の身体も所々罅割れており、とても動ける状態ではない。それを分かっていたのか、残った片手で握っていた大剣を力任せにリズ目がけて投げつけた。
「チィッ!」
リズは咄嗟に身をかがめて、飛んで来た大剣を避ける。大雑把で見切り易い攻撃だ……リズをはじめ騎士団クラスなら簡単に躱せる。
剣を投げた直後に、リビングアーマーは完全に崩れ落ち、沈黙した。今度こそ、と思い再び前を向くと、リズは「ハッ」と気付いた。
不意打ちは躱せた。だが、投げられた大剣はそのまま何処へ飛んで行く?攻撃の軌道上にいたのは自分だけではない。その先にいたのは……。
「以蔵!避けろ!!」
「へ?」
リズは以蔵に大声で呼びかける。以蔵もそれに気付いたが、彼女の声に反応した時には、既にリビングアーマーが投げた大剣が眼前まで迫っていた。それを見た以蔵は冷静に状況を理解する。
(あ~……こりゃあどうにもいかんちゃ。ほんの一瞬反応が早けりゃ、まだ何とかなったが……。)
今まで人斬りとして様々な修羅場を潜り抜けて来た以蔵だったが、未知の敵を相手にして、オマケにこの状況と来た。
魔力で脚力を強化して逃げるにしても、プッシュをしている状態から瞬時に切り替えられる程、以蔵は器用ではない。実質的に詰みだ。
前の世界で1度死を経験している以蔵は冷静に2度目の死を受け入れた。
(この世界で新しい道を見つけようと思うたが、終わる時はこんなアッサリかよ……畜生……。)
目覚める聖剣
「……何じゃ、ここは。」
気が付くと、以蔵は奇怪な空間にいた。
彼は巨大な円柱の上に立っている。円柱の外側は真っ暗な闇しかないが、不思議と円柱の内側は割と明るい。円柱の上には『何か』が描かれているが、大き過ぎて分からない。
意識ははっきりしているが、これが夢や幻の類というのは以蔵にも分かった。円柱の縁から下を見ると、底が全く見えない。
(もしかして、今度の今度こそ死んでもうたがかや!?とすると、ここはあの世……!?)
以蔵の顔が段々と青ざめて行く。武士たる者、常に君主の為に命を投げ出す覚悟は持って生きていたが、いざ本当に死ぬとこれ程恐ろしいと感じるとは……。
だが、今更死ぬことを怖がっても全てが遅い。
改めて円柱の中央に戻ると、縁の一部から道が姿を現した。道は細長く、人間2人分程度の道幅しかない。
先に進め、と言うことだろうか。周囲を見回しても他に道はなさそうだし、だからと言って立ち往生したところで何も始まらない。以蔵は腹を括った。
「しょうがない。行くか……。」
道は緩い登り坂になっており、くねくねと曲がりくねっている。道の先を目で追うと、次の円柱が見える。道は少々長いが、取り敢えず次の目的地が出来た。
次の場所へと足を進める中、ふと来た道を振り返った。そこそこ歩いただけあって、元居た円柱の全体が良く見える。ステンドグラスの円柱の上に描かれていた『何か』の正体……金色のロングヘアーに、雪のような美しい白を基調とするドレスを纏った少女、コレット=フォン=アルテイシアが目を閉じた姿で描かれていた。
「姫様……!?」
円柱自体が巨大だった故に、以蔵は気付かなかった。
今進んでいる道の先にも円柱があるが、また誰か描かれているのだろうか。そう思い、以蔵は道を駆け上がる。
次の円柱はリズが剣を抜いて描かれていた。その目はコレット同様、やはり閉じられている。
ここは一体何処なのか。少なくともあの世ではない(と思う)。あまりにも不可解な状況に、腹の奥底から段々と不安が込み上げて来る。そんな時、
「元の世界へ帰りたいですか?」
どこからともなく声が聞こえた。だが、辺りを見回しても誰もいない。
しかも、この声は音として耳に入って来てるのではなく、脳内に直接響いている。
他に出来ることもないと悟った以蔵は、思い切って声の主に語りかけてみた。
「おんしゃ誰じゃ?姿が見えんが……ここが何処で、出る方法も知っちょるがか?」
声の主は暫く黙り込んだ後、静かに返事をした。
「……知ってますよ。でも……。」
何か言いかけたが、途中で黙ってしまう。
不審に思った以蔵は声をかけた。
「……?オ、オイ。何故黙っちょる?まさか、本当は知らん訳じゃなかろうな……?」
「いえ、ただ……このまま帰しても、早々に死ぬのは目に見えてるので……。」
「じゃあ、どうすりゃええがじゃ!いつまでもこんな所にいる訳にゃ行かんぜよ!」
「話は最後まで聞いて欲しいです…………土佐勤王党でしたっけ?あなた、そこにいた頃も周りの話を碌に聞いてませんでしたよね?」
図星を指されて、以蔵は思わずギクッとした。確かに人の話は昔から全然聞かない方だった。
この点は半平太からも度々指摘されており、本人も多少の自覚はあったものの、この無鉄砲さは最期まで治ることがなかった。
顔を赤らめながら、以蔵は大声で言う。
「と、とにかく!皆の所へ戻る方法があるがじゃろ!?早くそれを教えて欲しいぜよ!」
「……。」
謎の声は黙ったまま反応しなくなった。
もしかして、乱暴な口調で言うものだから、怒っちゃった?
だとしたら、かなり不味い。この空間を出る方法を知っているであろう、あの声の主がいなくなれば、自分は永久に閉じ込められたままだ。
以蔵は言い知れぬ不安に襲われる。
「の、のぉ……聞こえとるんじゃろ?まさか俺を見捨てて帰っちゃった……とかないですよね?」
「…………そうですね。あなたには長々と話すよりも、手短に教えた方が良いかも知れません。」
少しの間を置いて、謎の声は返事をした。
無視されたと思っていた以蔵も、これには心底ホッとする。
「ホ、ホンマか!?俺は何をすればええがじゃ!?」
「それは……自分の足元を見て下さい。」
「ん!?足元……!?」
以蔵はすぐに目線を下にやる。
すると、彼の足元にあったもの……影がグニャリと形を変えた。
しかもそれは、主である以蔵の身体からプツリと分離し、地面からゆっくりと浮き出て彼の目の前に立ちはだかる。全身真っ黒な身体に、両眼は黄色く発光している。
以蔵の影だった者は、腰に差しているショートサーベルを抜いて、それを逆手で構えた。
驚く以蔵をよそに謎の声は言う。
「その者を倒せば、皆のいる戦場へ帰します。敵は……あなた自身です!」
「お、俺が!?」
以蔵の影は手に持った剣をクルクルと回しながら、じりじりと距離を詰めて行く。
本物の以蔵も剣を抜き放ち、影の様子を窺う。相手が自分自身であるなら、剣の腕も互角と見ていい筈(剣を逆手に持つと言う点は少々疑問が残るが)。
長い沈黙の中、両者は睨み合いながらも今の距離を保ったまま一向に前へ出ようとはしない。
それもその筈。一流の剣士ともなれば、自身の間合いは「剣の結界」と言うべきもの。その間合いに素人が迂闊に入り込めば、即座に斬り捨てられてしまうだろう。
今、両者が取っている距離は、互いの間合いに入り込むギリギリの位置だった。
(チッ……飄々とした振舞いの割に、俺の間合いには入らんようにしちょる……面倒な奴じゃ。)
元は自分の影だけあって、自分の得意な間合いを知っているかの如く立ち回っていることに以蔵は気付いた。流石に一筋縄では行かない。
影の挑発的な動きは以蔵の精神を強く刺激する。以蔵本人も心乱して迂闊に突っ込めば、返り討ちに遭う可能性も高い。
影の動きは段々軽快になって行き、やがて爪先と踵につけて床を踏み鳴らしながら踊る、タップダンスの様な動きまで始めた。
「ッ!おまん、俺をからかっちょるのか!?」
先制を切って突撃したのは、以蔵だった。
敵の挑発を受けて激昂しながら斬りかかるが、それを待っていたかの如く、影は横に動いてヒラリと躱す。そして、そのまま身体を回転させながらの返し技で反撃に出た。
「うおっ!なんちゅう動きじゃ……!」
ギリギリで躱すものの、衣服がパックリと裂けて血が飛び出る。
影の思わぬ反撃に、以蔵は胸元に傷を負った。幸い、相手の武器もリーチが短いショートサーベルだったので、傷自体は内臓にも達しない程浅く、致命傷は避けられた。
影は距離を取った後、再びその場でタップダンスをしながら以蔵を挑発する。
胸元の傷を押さえながら、以蔵は考える。
(俺の影だけあって、強さ自体はほぼ互角か……けど、あの剣の持ち方と言い、さっきの返し技と言い、俺が使わんような技も使うようじゃ……。)
自身の技術+αの強さを持った影の強さはかなりの脅威であった。
自分と同じ動きで同じ技を使うだけなら、まだ動きが読める分闘い易いが、本物が使わないような動きや技も繰り出して来るようなら、それだけで精神的な攻撃も加えられる。
1度斬られて冷静さを取り戻した以蔵だが、戦況が好転した訳ではない。
力の底が見えない以上、相手の強さは未知数だ。それが分かっているのか、向こうも挑発するばかりで、積極的に攻撃してこない。
このままでは埒が明かないのは明白だと悟った以蔵は、剣を両手で持ち姿勢を低くした。
敵の心臓を狙った彼の十八番、突き技である。
(向こうが来ねぇんなら、こっちから仕掛けるしかねぇ……!)
以蔵はゆっくりと距離を詰める。影の方も身構えはするが、どこか余裕のある佇まいだ。
相変わらず苛つかせる身構えだが、精神的に揺さぶりをかけて隙を作るつもりなのだろう。
向こうのペースに乗せられる前に以蔵は素早く踏み込み、心臓目がけて刺突を放った。
普通の人間なら避けるどころか、まともに反応することも難しい。正に光速の突きだ。
影も剣の刃を使って、攻撃を受け流し対応する。だが、以蔵の刺突は速いだけでなく、その一撃が非常に重かった。受け流したとは言え、衝撃全てを逃がし切れなかった影は次の行動に移れず、その場でフラつく。
「どうじゃ!?幾ら『俺』でも、あの速度の突きを受けたらタダじゃ済まんぜよ。しかも、俺はこれでもまだ本気を出してないちゃ!」
以蔵は影に対して自慢気に言い放った。
実際、彼はまだ本気で攻撃をしていない……否、出来なかった。
何故なら剣戟戦における刺突と言うのは、攻撃の軌道が直線的であり、それを予め知られていれば読まれ易い点にある。
以蔵の場合は前述に加え、彼自身の身体能力から引き出される超スピードで本人が周囲を認識しにくくなり、カウンターを喰らい易いという重大なデメリットがあった。
つまり、以蔵の十八番である突き技は彼の眼力と反射神経が相手の反撃にギリギリ反応出来る速度まで落として初めて使えると言う、極めて不完全な技であった。
しかも、相手の手の内が分からない以上、どんな反撃を受けるか皆目見当がつかない。
(本気を出したばかりに殺されるとか、冗談じゃないぜよ……俺の足が速けりゃ速い程、得意技の欠陥は大きくなって行く……。)
そう思いながら、以蔵は剣を鞘に納める。
このまま得意の突きで反撃の隙なく猛攻を加え続けてもいいが、それがいつまで通用するかは分からない。何とか別の手を考えなければ……。その時、
「!」
影が突如として、視界から消え失せた。以蔵は目を擦り、改めて影の立っていた所を見る。
やはり見間違いではない。そこには誰もいない。
「一体どこへ……まさか!」
以蔵は周囲の地面をキョロキョロと見渡す。すると、背後から突然影が飛び出して斬りかかって来たのだ。以蔵は素早く抜刀して斬り払おうとするが、相手の剣圧に押し負けて大きく吹き飛ばされてしまう。
以蔵の影は地面と一体化して、這うように移動していたのだ。
ゆっくりと身体を起こしながら、以蔵は自分の剣を見て驚く。彼の剣は影から攻撃を受けた部分が刃こぼれしていた。
(嘘じゃろ!?アイツ……最初の時よりも強くなっちょる!)
今の一瞬で剣を交えてみて分かる。強くなっているだけじゃない。思考も切り替わって、受け身な姿勢から攻撃的なものへと変化していた。
影は大きく飛び跳ねて以蔵に斬りかかった。何とか自分の剣で斬撃は受け止められたものの、その重さも桁違いだ。
しかも、それだけに留まらず影の剣は止まるどころか、バターをナイフで切るように、ゆっくりと以蔵の剣に沈んで行った。
(……こりゃマズい!)
以蔵は反射的に剣を顔や胴体から離した。次の瞬間には彼のショートサーベルの刃は真っ二つに斬り落とされていた。あのまま受け続けていたら、剣ごと斬られていたところである。
「クソッ……自分の剣に圧倒されるたぁな。悪い夢でも見とるようじゃ!」
以蔵は文句を言いながら必死に逃げ回る。
追い付かれると折れた剣で抵抗するが、身軽且つ本物以上に変則的な動きをする影の攻撃に、以蔵も心身共に追い詰められて行った。
事実上武器を失い、一方的に嬲られる以蔵の脳裏に「敗北」の2文字がよぎる。
(ヤバい……もう持たない。俺は……ここで負けるがか!?)
円柱の端に追いやられた以蔵が影の斬撃を覚悟した時、
「……私を使って下さい!」
再びあの声が響いた。そして、以蔵の腰に差さっていた刃のない剣……『星薙の剣』が神々しい輝きを放っていたのだ。その光は斬りかかって来た影を押しのけて後退させる。
以蔵は柄と鍔だけの聖剣を抜いて、その姿を見つめた。謎の声は続ける。
「ようやく……私の声がハッキリと聞こえて来たようですね。大丈夫です……あなたは今、世界で最も強い剣を持っています。」
「おんし……まさか……!」
以蔵は声の主の正体に気付いた。
ラヴレンヌに召喚されてから驚きの連続だったが、まさか剣が自分を呼んでいたとは予想だにしなかった。しかし、聖剣を選んだあの時の感覚を思い返すと、意外と不思議でもない。
「剣統べる女王よ!鋼の刃・柄・鞘・剣の名を冠す者よ!天空輝く星々をも薙ぎ払い、主に仇なす邪を滅せよ!」
聖剣をかざして、無意識の内に解放の言霊を詠唱する。
その言霊に反応して、それまで刃がなかった柄の先から黄金の光が放出された。
再び跳びかかって来た影に対して、以蔵は横一閃に剣を振るう。
「おまんとの闘いはもう充分じゃ!これ以上……付き合う気はないわい!!」
一閃を終えた後の残心と共に後に残ったのは、上半身と下半身が両断された影だった。影自身も剣で防ぎはしたが、そんなものなど意味を成さないが如く、空中で斬り捨てられた。
人斬りだった頃の感覚が鮮明に甦って来る。
剣を通して、全身の感覚が異様なまでに研ぎ澄まされて行く。
(そうじゃ、俺は……。)
以蔵は咆哮する。
「俺は強い!剣士の中の剣士じゃ!!」
直後、身体が急に白い光に包まれる。だが、以蔵は慌てる様子もない。
この光が元の世界へと戻してくれる……根拠がある訳ではないが、以蔵にはそう思えた。
「以蔵!避けろ!!」
リズが大声で叫ぶ。
リビングアーマーが投げた大剣が以蔵に直撃しようとした。
だが、その瞬間、彼を中心に巨大な光の柱が生み出された。
大剣は光の柱に阻まれて、弾かれる。突然の事態にリズは驚愕する。
「何だ!?この光は……一体何が起きている!?」
程なくして光の柱が消え去ると、以蔵の手には一振りの日本刀が握られていた。
黄金の柄と鍔、そして白金の刀身をした美しい聖剣……『星薙の剣』が。
だが、安心は出来ない。まだリビングアーマーが1体残っている。
そんな敵に対して、以蔵は冷たい口調で静かに言う。
「邪魔だ……とっとと失せろ、化け物野郎。」
向かって来るリビングアーマーに対して、以蔵は縦に剣を一閃した。
振り下ろした刃が、巨大な鋼鉄の鎧を真っ二つに両断した。
一撃で敵を葬り去った以蔵の元へリズが駆け寄る。
「今の……お前がやったのか……?」
「そうみたいだな……。」
「そうみたいだなって……自覚なしにやったのか!?それに、その剣は……。」
リズは彼の持つ聖剣を見やる。以蔵の面構えもさっきと比べて変化したように感じた。
出陣直後までは喜怒哀楽がハッキリしていたように感じたが、今は違う。
ただでさえ鋭い目つきはより鋭くなり、彼の特徴でもある土佐訛りも消えている。
発する雰囲気は、明らかに別人のそれだ。
「敵もまだ少し残ってるな。リズ、下がってろ……アイツらは俺が殺る。」
「オイ!一体どうした!?お前、本当に以蔵か!?」
リズの言葉を最後まで聞く前に、以蔵は走り出した。
その速度も、さっきまでとは大違いだ。先程までのそれを「速い」と表現するなら、こちらは「迅い」と表現した方が良いだろう。
近くにいた敵兵から、以蔵は順に斬り捨てて行く。敵はおろか味方でさえ、何が起こったのか分からなかった。瞬きの間に5人は同時に斬られている。
戦場に降り続ける血の雨を掻い潜りながら、敵の首だけを刎ねる彼の姿は正に残虐な人斬りのそれだった。
飛んで来る無数の矢も全て剣で斬り払うだけでなく、矢の一部を撃って来た敵の元へ返して当てる等、フォーム2やフォーム3の動きも再現して見せた。
ほんの僅かな間に、500人近い敵を衣服も乱さず無傷で蹂躙する姿に、リズを含む味方一同はただただ見とれていた。
「凄い……あれが騎士団長が仰ってた勇者……。」
「剣の腕と言い、身体能力と言い、俺達とは別次元だ……。」
以蔵の援護で周囲の敵を殲滅したブルーム王国の兵士達は、遠くから彼の戦いを眺めていた。
彼らも以蔵の援護に入ろうとするが、以蔵の迅さについて行ける者はおらず、結果的に彼だけが無双することとなっていた。
最後の1人にも容赦することはなく、背を向けて逃げる兵士に対して剣を投げつけ、胸に突き刺した。突き刺した聖剣をプルで引き戻すと、刀身に付着した血を振り払う。
「どうやら、終わったようだな……。」
周囲に敵影がないことを確認すると、味方の元へとゆっくり踵を返した。
ブルーム王国の部隊へ戻ると、大勢の兵士が以蔵に駆け寄る。
リズと2人で敵の半数以上を倒したのだから、彼らには神話の英雄に見えたのだろう。
否、血煙漂う幕末の世を戦い抜いたあの時点で、以蔵は既にその領域に達していた。
聖剣を呼び出した時、リズは以蔵が変わったと思っていたが、実際は違っていた。悪鬼羅刹の如き敵を斬り、死体の山を築いて行くその姿こそ、本来の『人斬り以蔵』その人だった。
以蔵は聖剣が創り出した己の精神世界で影と闘い、昔の人斬りへと戻りつつあったのだ。
まだ完全に覚醒してないとは言え、あれだけの戦果を出したのだから、彼が完全な人斬りに戻ったら……?そう思ったリズは険しい表情で以蔵に声をかける。
「以蔵、お前……。」
「ん…………おお、リズか!どうじゃ、敵はキッチリ片付けたぜよ!」
「……へ?」
口調が元の土佐訛りに戻っている。さっきまでの近寄り難い雰囲気は払拭されて、出陣前のあの以蔵に戻っていた。
「今一度訊く……お前、本当に以蔵なんだな?」
「ああ……昔を思い出して、つい本気になりかけたが……俺は俺じゃ!」
リズの質問に、以蔵は笑いながら答えた。
どうやら生命の危機に瀕して、一時的に人斬りとしての人格が戻ったらしい。
この馬鹿面は正に自分が良く知ってる以蔵だ……リズは安堵の笑みを浮かべた。
「そうか……それを聞いて安心した。お前は馬鹿なぐらいが丁度いい……。」
「オイオイ!頭が悪いのは自分でも分かっちょるが、それでも馬鹿呼ばわりは酷いぜよ!」
以蔵は笑いながらリズに近づこうとした時、
(!?……何じゃ?身体が……。)
身体が急に傾く。視界も歪んで見えた。
眩暈に近い症状が現れて、以蔵はまともに立てなくなった。
「オイ、どうした!?以蔵!以蔵!」
リズが耳元で必死に呼びかけているが、返事が出来なくなっていた。
身体に力が入らない……意識も遠のいて行く……聖剣を持ってからこうなったと言うことは、原因が聖剣にあると以蔵は思った。
(身体が重い……なんちゅう負荷じゃ……少し戦っただけで、ここまで削られる……とは……。)
聖剣の影響で肉体的にも、精神的にも、とうに限界を超えていた以蔵はコレットのいるブルーム王国を守り切り、意識を失った。
人斬り転生