百合の花
転勤で彼女との遠距離恋愛が寂しくなっていた頃、僕は一枚の絵に一目ぼれした。その森の中の花畑に囲まれた家の絵は、なぜか僕には懐かしく感じたのだ。その話を彼女にすると、花が好きな彼女は「是非見たい」と言い出した。そして急遽、初めての週末のデートが実現することになった。
部屋を訪れた彼女は、壁にかかった絵を一目みるなり「ごめん。私この絵駄目だ」と眼をそむけた。普段から「同じ花でもみんな顔が違うのよ」と言うほど花が好きな彼女だったので、逆にこの絵の花の顔が気に入らなかったのかなと、僕は思った。一緒にいる間は絵を片付けてこうか、と尋ねると、ここはあなたの部屋なんだから、そんな必要はない。と彼女は主張した。僕達は、絵のことを忘れてデートを楽しんだ。
翌朝、目覚めると彼女が朝食を用意しておいてくれた。彼女はすっかり明るくなっていて「案外、いい絵だね」などと言って笑った。
彼女が洗い物をしている時、部屋の彼女の鞄の上に置いてある手帳が目についた。僕はそっと今日の日付の入っているページを開いた。そこには掻き毟られたような人間の顔らしきモノがみえた。だがそれは、とても小さな花の絵を千切ったものなのだと気づいた。そこには「百合」と書かれていた。 だが、その絵は絶対に百合ではなかった。
僕は絵に近づいてよく見てみた。そして、絵のごく一部が乱暴に破り取られているのを発見した。その形は、あの手帳にはさんである花の絵と一致するようだった。彼女が、この無数にある花の絵のなかから、この一輪を、掻き毟って破り取ったのだ。
「もう、浮気しないでね」
彼女の声に、振り返ると彼女は、僕と、僕の背後の絵を見つめていた。
その時、ぼくはあの手帳の「百合」が、花ではなく、僕の前の彼女の名前を指していたのだということに、気づいた。
百合の花