連載 『芥川繭子という理由』26~30

昔から、架空のバンドを創作して妄想するのが好きでした。自分の理想とするバンド、そのメンバーならこんな事を話すだろう、こういう風に生きるだろう、そんな思いを会話劇にて表現してみました。既に完成しており、かなり長いです。気長にお付き合いいただけると嬉しいです。

連載第26回。「END」

2016年、9月27日。



その日、池脇竜二作詞、伊澄翔太郎作曲のバラード曲『END』が完成した。
もともとは『HELL』という名がつけられていたが、URGAの猛反発を受けて変更された。
演奏はURGAの奏でるピアノのみで、Aメロ、サビ、Bメロ、サビ、間奏、大サビという構成。
間奏後、大サビで池脇とURGAのダブルボーカルとなる。
これはどちらかがコーラスではなく2人とも主旋律であり、ボーカル録りを重ねた試行錯誤の結果そうなった。ゲストであるURGAがコーラスに回った場合、低音域で池脇の声に消されてしまい持ち味が発揮できない。逆に池脇がコーラスに回るとURGAの声量が圧倒的すぎて世界観がブレる。自然と最後は2人が全力で歌うという形に落ち着いた。
池脇竜二、URGAという今世紀最高峰の歌うたいによる共演は、圧巻の二文字だった。
歌い始めた池脇の声を聴いた瞬間、その場に居合わせた全員が震えた。
ブースの中で隣に立っていたURGAは一瞬気圧され、一歩後ろへ下がった。
ただ単に声が大きかったからではないと、後に彼女は語った。



URGA。
「確かに、歌詞と歌声なら説得力があるのは声の方だとは思うよ。説得力っていうか、バーンって入って来るのはやっぱり声が先だと思うし。…その瞬間どんな気持ちで歌っているかは結局は歌う人だけのものだから、ひょっとしたら、歌うたんびに気持ちの度合いだったり感じ方が変わることだってあると思うの。もちろんそれで良いとも思ってるしね。でも歌の世界そのものである歌詞は、瞬間を切り取って永遠にした形だし、基本的には変わらないのが当たり前でしょ。その歌手の、うーん、シンガーソングライターの話になっちゃってるけど、そういう人の評価って、ある意味そこで決まる事だってあるじゃない? どういう歌を歌っている人なのか、とか。だってさ、めちゃくちゃ歌のうまい人でもさ、普通全く意味のない言葉を並べて歌ってたら誰の心も動かさないじゃない。…だけど竜二くんて実はそれが出来ちゃう人だと思う。これは凄い事だよ! ただでさえ、バックが物凄く技術的に高水準な音を出してるでしょ。普段あんなさあ、…例えばなんだろう。『昨日夢に見た2つの白い山と、今見ているお前のお尻の形はどうして全く一緒なんだ?』みたいな事歌ってたりするじゃない。あはは。それでもあれだけ格好良い曲に仕上げて自信満々で叫べるんだよ。ありえないよ、ありえない。いくらバックが凄かろうが、そんな歌詞であれだけ格好よく歌えるものなの?…って。あはは、これ嫉妬だね。まあ結局それは人それぞれだしさ、ホントは別に良いんだけど。魅力の形は様々なんだし。だけど、やっぱりね。…ちゃんとあったね、彼なりの言葉がちゃんとあったんだよね。そこはなんだか嬉しかったな。声が大きいのはもともと知ってるし、そこは私も自信がある所だったりするけど。人間・池脇竜二の絶唱というものを初めて聞いた気がしたもん。真横でね、人を、抱きしめるようにして歌う竜二君の歌声は、あー、凄かったなあ…」



URGAが池脇の腕を掴んだ。
身体の動きでカウントを取るため事前に伝えてあったらしいのだが、URGAの手が彼の腕に触れた瞬間、池脇がギュッと目を閉じた。URGAはそのまま力を込めて腕を握り、大きく息を吸い込んで顔を上げた。
それは声と呼ぶにはあまりにも大きく、そして透明であるにも関わらず、振動する大気の波が私達の視界一杯に拡散するのが見えた。吸い込まれるように池脇を見つめ、前傾姿勢だった私達全員の体が弾かれるように押し戻された。
池脇の腕をきつく握りしめながら、己を見失わないぎりぎりの全力で歌を歌う。
歌うたいにとって一番重要なものは何か。
歌唱力、声量、音域、喉、環境、経験、体調、度胸。
それらのファクターを超越しているとさえ思える彼女は、一体何者なのだろう。
URGAとは一体何者なのだろう。



伊澄翔太郎(S)×神波大成(T)。
T「歌う為に生まれてきたような人だよね、きっと」
S「間違いない」
T「ずっと一緒にやってきたからね。贔屓だと思われて構わないけどさ、竜二もやっぱり、凄いと思うんだよ」
S「うん。それは、俺もそう思う」
T「けどなんだろ、…ちょっと物が違うね」
S「あの人なんなんだろうなぁ。優劣とか甲乙って話じゃないんだけど」
T「そういうレベルじゃないね」
S「そういう、見える部分とか聞き取れる部分では違いの分からない、何か別の次元からくる歌声というか」
T「あはは、特別なね。無理やり例えるなら、息子が聞く母親の声って特別だろ、きっと。母性がどうのっていう話じゃないんだけど、そういうある種色んな要因を超越した特別感があるんだよ」
S「うん。スペシャルな声。共鳴、共感。…本能?」
T「どうなんだろうね。万人受けしそうだけど、でも聞く人によっては嵌る人と嵌らない人っているんだろうね、やっぱり」
S「あそこまで行くと、響く人と響かない人の違いって、聞く人自身にあると思うわ。でも自分にとって必要だって無意識に掴み取った人達にとっては神にも等しい声に聞こえてると思う。代わりがきかないと思うよ」
T「あ-、そうそう、そんな感じ。やっぱり、人の心ありきだね」
S「うん。竜二にはだから、心がない」
T「違う違う違う、お前、真面目に話しようや!」
S「あははは!…いや、でももう答えは出てるよ。歌う為に生まれて来た人なんだよURGAさんは」
T「そうだよなあ。誰かの心に届けるための歌声を持ってるよ」
S「滲みたねえ」
T「うん。結局やっぱりあの人が一番だわ」
S「竜二には別の分野で一番獲ってもらおうな」
T「例えば?」
S「まあ、メタルシンガーならそこそこいい線行ってるよ」
T「お前が偉そうに言うな(笑)」



芥川繭子。
「どこかで壊れてる部分がないと、冷静になっちゃうと全力って出せないもんだからさ。…凄いよね、自分でリミッター解除できる人って(笑)。私のやってる事はつまりは運動の延長線上にあると思うのね。私が限界までドラム叩いて、はい、今全力です、って言ってもさ、その全力は明日また伸びるわけ。限界値っていうのかな。そのボーダーラインは、鍛えれば伸びるでしょ。上がるっていうのかな。でもさ、歌に込める思いってさ、そんな単純な話じゃないじゃん。ただでさえ何につけても全力出すって半端な事ではないし、その上でどこかぶっ壊れてないと振り切れない部分ってあるのに、壊れることを恐れない強さって、どこから来るんだろうってずっと不思議だったよ。『ああ、これは初めからブレーキのない人じゃないと行けない世界なんだろうなー』って、そうやって思ってた時もあったし。努力と根性で本当にこんな人になれるのかなーって。…あはは、でも全然違ったねえ。そういう、人間以上な感覚を勝手に当てはめたり、才能とか、ギフトとか、でもそういう話じゃないんだよね。馬鹿だった。もちろん今でも私にとっては温かくて大っきなヒーローだけど、やっぱり超人ではなかった。だからこそ、やっぱり凄い人なんだなあって改めて震えた。うん、素敵な人だよね。凄い歌だったねえー、もう、ほんっとに!…ドーンハンマーに入れて良かったなぁ」



池脇竜二。
「ノイは別に、どこかで俺を待ってるとか、寂しがってんじゃねえかとか、…そういう風に考えた事は一度もねえし、死んだら終わり。…それで終わり。生まれ変わってどこかで出会うとか、あの世で一緒にとか、思う人は思えばいいけど俺はそういうのは考えないんだよ。もう終わったんだし。だから余計だよな。終わっちまった事を頭でも心でも理解してるから…悲しいんだろうな。そこには何一つ希望なんてないし。うん、俺はそう思うよ」



URGA。
「痛いと言えば痛い。…うん、とっても痛いよ。でも角度を変えれば、温かいんだよね。そこにはやっぱり、誰かを愛した、愛してる、その気持ちだけが変わらずに残ってるからなんだろうね」



池脇竜二。
「それが、可能性とか言い出したらそれこそ無限なんだろうけど。…ないな。…ないない。うん、だから敢えて、書いたのかもしれねえなあとは思うよ。ありえないって分かってるから。ぐちぐち言った所で何も変わらねえし、言うだけダメージ食らうのは俺だしな。だからそれでも尚、あいつを思う歌くらいは。…俺が俺の為に書く歌詞くらい、弱音吐いても、誰に迷惑掛かるもんでもねえのかなって。もし今すぐ会えるなら、いつでも全部捨ててあいつの隣に行くのになあって。それくらいは思うしな、うん。それはだって、…10年や20年じゃ変わりようがねえよ」



URGA。
「環境。枠。過去。経験。インスピレーション。思い込み。思い過ごし。んー、勘違い。…いつだって、最後はどこかでなにかが少しだけ他人とはすれ違うでしょ。だったらもう初めっから、人と違う部分を取り上げてあーだこーだ言ったって仕方ないよねえ。私は竜二くんじゃないし、竜二くんの恋人でもないし、同じ気持ちにはなれないし、同じ気持ちでは歌えない。だけど彼が好きだし、彼の歌声が好きだし、翔太郎くんの書いたメロディは心底美しいと思ったよ。だから歌うの。色々な物を受け止めて、感じた私の心は私だけのものだし、そこに正解や不正解や、不自由さは一つもない。一つもなかった。最高の時間だったよ」



伊澄翔太郎。
「例えばだけど、…例えばあの日に戻って俺に何か出来るとしたら全部やるよな。なんでもするよ。うん…なんでもする」



神波大成。
「人の命には終わりがあって、それはとても不公平な場所にあって、人間がどれだけの数、束になってかかっても抗いようのない強制力でもって、いきなり消し去られるんだよ。俺達はそれを知ってる。知ってるけど、何ひとつ納得なんて出来やしないよ」



芥川繭子。
「竜二さんの気持ちは分かるよ。私自身、死にたくはないし死んでもいいとかそこへ行きたいとか、そんな風には考えないけど。愛する人とか大事な人を失う辛さって、これっぽっちも消えないからね。ずっとそこにあるもんだと思う。いつも悲しいし、いつも寂しいよ」



伊澄翔太郎。
「使い古された陳腐な言い方だし、そんなわけないんだけど。…URGAさんに頼んで良かったなって思ったのはやっぱり、技量とか存在感とか精神力とかひっくるめてさ、竜二に力負けしない人って日本ではあの人だけだしね。だから彼女が横に立って一緒になって、竜二と歌ってる姿見た時の衝撃は、ホント申し訳ないんだけど、ノイ来た!って。ノイがそこに立ってるなって思ったよ。…ああー、ごめん。言うんじゃなかった」



神波大成。
「もう言うなれば、心も体もさ、生活も、仕事も全部、もうガタガタだったんだよな。…うん。一体…どれだけさ。どれだけ…。いや、申し訳ない」



池脇竜二。
「最後の泣き言だよなー、あの歌は。もう泣き疲れた。一生変わらねえよ。例えばこの先どんな人と出会っても、だからって何も変わらないんだろうなって思ってんだよ。だからもう泣いたって仕方ねえよな。そこで何かが変わるわけでも、終わるわけでもねえしな。ただ…、あいつが味わった地獄は、俺も今も味わってるよ。それだけは伝えてえな。ずっと一緒にいたかったんだって。一人で行かせて悪かったって」


『END』 歌詞:池脇竜二 曲:伊澄翔太郎。


『格好だけの男ですまない。

お前に何も持たせてやれなかったな。
俺の体の一部を、
ちぎって持たせるべきだったよ。
ずっと後悔しているんだ。
たった一人で行かせた事。


俺は恨み続けている。
お前のいない世界には憎しみしかない。


俺はもう祈らないよ。   
もうここにいたくない。
地獄に行く覚悟はできている。
どれだけ叫んでも。
どれだけ大声で叫んでも。
ずっと返事は聞こえないままなんだ。


そこにはもう何もない。
だけど俺はそこにいるんだ。


俺はもう誰かと同じように、
信じることなんて出来ない。


全てはお前のために、
俺は世界を紡いでいる。
ここで今また、
俺の魂を取り出してほしい。
俺はずっとそれを望んでる。
俺の中に、あいつの地獄を入れてくれ』


      
その昔、池脇竜二と伊藤乃依という恋人達がいた。
男はとても暴力的な野蛮人だったが、
年下の恋人であるノイをとても大切にした。
2人は中学生の時からの知り合いで、お互いの事はなんでも理解していた。
大人になり、池脇がCROWBARというハードロックバンドでメジャーデビューした時、
彼の将来を思ったノイは一度だけ別れようと思った事があったそうだ。
実力主義の音楽業界と言えども、やはり人気商売だ。
まだ若く男前で実力も申し分なかった彼らには、
これからきっと多くのファンが出来るだろう。
もし自分の存在が公に知れて、
彼らの人気に影を落とすような事になってはいけないと、
ノイなりに考えての事だった。
ただ黙って身を引くのは癪なので、姉・織江と相談してイタズラを考えた。
婚姻届を彼に突きつけて、こう言うのだ。


『いつかはさ、人気って落ちると思うんだ。そん時は私が戻って来て一緒になるからさ、一旦別れようかなーと思って』


まだ未成年だったノイがそう言った時、池脇は怒りも狼狽えもせず、黙って財布から紙きれを取り出した。
小さく折りたたまれたその紙を開くと、それはボロボロの婚姻届だった。
証人の欄に、汚い字で書いた「伊澄翔太郎」「神波大成」「善明アキラ」の名があった。
それが男達のジョークなのか、本気なのかは分からなかった。
ただノイは嬉しかった。所々破れてちぎれそうになっているその婚姻届は、
一体何年前から彼の財布に入っていたのだろう。
未成年なのに、証人の欄に汚い字で書いた男達の名前はいつからそこにあるのだろう。
ただただ、嬉しかった。ノイは泣いて、笑って、池脇竜二について行こうと決めたのだ。



池脇竜二。
「意味? 無限の終わりとか。無限に続く終わりとか。そういった意味じゃあ同じだよな。どっちにしたって、終わりなんかねえ。終わってるようで、終わんねえ。終わってんだけど、終わらせねえ。っはは、変なタイトル!だからヘルにしようっつったのに!」



伊藤織江。
「これは本当は、絶対に言いたくなかったけど、心のどこかでそう思っちゃってたのがね、ノイは幸せ者だよっていう気持ちがね、認めたくはないんだけど、でもやっぱりあるのよね。あの子は死にたくなかったし、それでも死んだから、幸せなわけないんだけど。池脇竜二っていう1人の男が、今でもあの子を大切に思い続けてくれてる事がさ、実際、あの子の止まってしまった人生すら、幸せに変えてくれてる気がするのよ。もしあの子が生きて今の竜二を見れたらさ、顔を真っ赤にして喜ぶと思うんだよ。うるさいくらい自慢するだろうしさ、バンザイして飛び跳ねて喜ぶと思うの。それはさ、ありえない事だけど、今こうして竜二が生きて、あの子を忘れないでいてくれる事が、現実でないのはもう十分分かってるんだけど、ノイを毎日毎日、今でも笑顔にし続けてくれているって事なんだと私は思うんだよ。そう考えるとさ、ノイは今でも生きてるんだよね。そういうのさ、私ぐらいはさ、そう思ってても良いよね。ノイ」

連載第27回。「世界を」

2016年、10月1日。


アメリカ、ニュージャージー州。
ファーマーズスタジオで開催された新作プロモーション映像完成披露試写会『Future Of The Past Vol.11』は、大盛況のうちに幕を閉じた。
特別ゲストとして招待されたドーンハンマーの4人は、世界中のマスメディア、業界関係者が見守る大きなステージ上で、圧倒的な存在感と完成度を持って観客を魅了した。
一夜にして、彼らはスターへの階段を駆け上がった。
この日を境にドーンハンマーの名前を知った人も多くいると思うが、彼らは決してぽっと出の新人ではないし、眩いフラッシュの中で舞い上がるような東洋の小さな猿でもない。彼らの挑発的な目つきと唇から消える事のない微笑みは、インターネットを経由して世界中に拡散され、ドーンハンマーここにあり、という確かな爪痕を残した。



ドーンハンマーの横に立つニッキー・オルセン、その横に立つジャック・オルセンの両雄を見た瞬間の興奮は今もはっきりと覚えている。試写会に出席する彼らに取材記者として同行した私に、挨拶する機会を与えてくれたのは伊藤織江だ。会ってすぐに分かった事だが、伊藤織江はオルセン親子に信じられないレベルで愛されている。おそらくメンバー以上に愛されていると感じた。
彼らが再会したのはファーマーズスタジオだが、事もあろうに彼らが前回滞在したという宿舎を取材しているのを聞きつけたジャックから、迎えに行くという電話がかかって来た。
びっくりした伊藤が今すぐそちらへ向かうからと断り、すぐさまスタジオに出向くと、既に親子が並んで立っていた。卒倒するかと思ったのは言うまでもない。
ヘーイ、ハーイなんて軽い挨拶とハイタッチを交わしているメンバーがこの時ばかりは腹立たしかった程だ。
ご理解いただけるか分からないのだが、例えば高校の演劇部に所属している俳優志望の若者が、アカデミー賞のレッドカーペットに招かれてトム・クルーズやジョージ・クルーニーとハグするようなものだ。ちなみに俳優志望の若者が私だ。
一番最後に移動バスを降りた伊藤織江の姿を見た瞬間、ニッキーとジャックの声が揃ってボリュームを上げた。
「ハーイ、オリー!」
我先にとハグを要求する鬼才2人を軽くあしらい、伊藤はすぐさま私を紹介してくれた。どれだけ優秀な記者であるかを熱弁し、今後ドーンハンマーの全てを知るキーマンとなるだろうという、メガトン級のプレッシャーを背負わせるというお土産付きだった。
余程機嫌が良いのだろう。短い時間で構わないので、今回のPV撮影について取材させて欲しいと申し込むと、彼らは二つ返事で「もちろん」と答えてくれた。夢を見ているのだと思った。



まだ午前の早い段階から、彼らが撮影に使ったという巨大スタジオとは違う別棟へと案内された。そちらではビデオカメラでの撮影がOKとの事で歓び勇んで回していたのだが、そこはどうやら今回の試写会場らしく、他にも多くのマスメディアがこぞって陣取り合戦を繰り広げていた。
ふわー、でっかい会場ですねえ。恐ろしく天井が高いですねえ。
と私が阿保みたいに嘆息しているすぐ横で、ハリウッドセレブに詳しい繭子が色んな場所で有名女優を発見しては興奮した声を上げている。
3階まである観覧席と巨大なステージセットの間を慌ただしく駆け回るスタッフ達をよそに、
取材陣に囲まれた華やかな衣装のセレブ達がそこここで煌めきを放っていた。
私は音楽業界にしか明るくないのだが、繭子も伊藤もハリウッド映画のファンらしく、珍しく舞い上がった様子で名前を言いあっているのだが、さっぱり頭に入ってこない。
見たことのないサイズのオーロラビジョンが3つも天井からぶら下がっているが目に入ってしまったからだ。
「あれに俺らのPV流れんの? さすがに担がれてんじぇねえかな」
「ってかスゲーなここのステージ、なんでこんな派手なの」
「盛大なジャップ叩きだったらどうする?」
「スゲー笑う」
そう言って今まさにゲラゲラ笑う男3人は、相変わらずだ。
相変わらず過ぎてホッとしてしまう。
-- 今回主役はあなた方で間違いないと思いますが、色んなセクションで製作が行われていますからね。PVだけじゃない新作映像もバンバン流れると思います。ここにいたら囲まれてしまいますよ。移動しますか?
「カメラ回せるのここだけだよ、いいの?」
と伊藤が私を気遣う。
-- 大丈夫です。本番は今夜ですから。下見はこんなもんで。
移動を開始しようとした瞬間、「ヤァ!」とひと際明るい女性の声が聞こえた。
驚いて振り返ると、私でも見た事のある顔がそこに立っていた
胸元がゆったりとした薄いグレーのビッグサイズTシャツにダブルのライダースジャケット、黒のフリルミニスカートという真似の出来ない着こなしがピタリとはまった大きな目のブロンド美人だ。私が名前を思い出そうと頑張っていると、少女のような顔をしたその女性は、
「ミー・リディア」
と言うや否や、池脇に歩み寄りそのまま力強くハグを交わした。
池脇はそのまま彼女を持ち上げた。そしてパっと手を放し、女性は高い声で笑って、ぴょんと軽やかに着地した。
「えええー…、リディア・ブラント?」
と繭子が信じられないという顔で囁いた。
そうだ。昨年、新興宗教と洗脳を題材にした社会派サスペンスでアカデミー賞を総なめにした映画、『 reach me ,reach out 』の主演女優、リディア・ブラントだ。挿入曲として起用されたデニス・パットンの名曲『ワイバーン』が格好良すぎて何度も観たからさすがの私も覚えている。
池脇以外の顔が、困惑のまま固まっている。誰もこの事態を理解していないようだ。
年齢は20代とまだ若いのだが、その知名度には圧倒的な差がある。
リディアがドーンハンマーを知っているとは夢にも思わなかった。
「久しぶりだな、元気そうだ」
「うん。いつ来たの?今日?」
「さっきだよ。今日パーティーに来るのか?」
「知らないの? 私がプレゼンターだよ、アナタ達の」
「へえ。…何するの?」
「あははは!ただ叫んで呼び込むだけだけどね、その前にちょっとしたメッセージを読むの」
「リディアが考えたメッセージ?」
「当たり前じゃない」
「へえ、楽しみにしてる」
「うん。じゃあ、あとでね」
池脇と短い会話を交わし、最後にメンバーへ手を振って去って行った彼女の後ろ姿を見送りながら、誰も言葉を発する事ができない。正真正銘のハリウッド女優がそこにいたのだという事がまず信じられない。
「ちょ、え、え、どうなってんの?」とようやく伊藤が声を掛ける。
「リディア、ブラントだよな?」
と神波が既に見えなくなっている後姿に指を指しながら言う。
「ああ。なんだよ今更。っつーか、遅せえよ。あいつ前回俺達が撮影してる時ここにいたからな?」
「ええ!?」
繭子も伊藤も顔を見合わせて首を振っている。彼女たちはそもそもリディアのファンなのだから、気づかないわけがないという表情だ。
「初日向こうのスタジオで『GORUZORU』やった時えらい人数のギャラリー集まっただろ、あん時あの中にいたんだよ」
「気づかないですよそんなの!」と繭子が悔しそうな顔で嘆きの声を上げる。
2人組の男性スタッフが声を掛けてきた。リハーサルの時間だそうだ。



その後、機材のセッティングと段取りの打ち合わせを終えたメンバー達は、試写会本番までまだ時間がある為、前回お世話になった宿舎へ戻る事になった。
日本から持参した衣装に着替える時間と場所、そして池脇には舞台上でスピーチをするという大役もあり、原稿を仕上げる為にも落ち着ける場所が必要だった。電話でジャックにその旨を伝えて移動バスに乗り込む寸前、帽子を被った男性に話しかけられた。イヤホンマイクを付けている所から察するにイベントスタッフだろう。
池脇と伊藤が相手をする間、他のメンバーと私は車内で待機。
「付き合ってんのかな」
と繭子が小声で聞いてきた。
-- リディアと?竜二さんが?え、そんな風に見えた?
「わかんない。外人はあれ普通なのかな。正面からハグで持ち上げられて笑ってたよね。キスでもするのかと思ったよ」
-- ねえ(笑)。どうなんだろうね。
「ってかスクリーンで見るよりでかかったね。私より大きいかもよ」
-- 背?おっぱい?
「私がいつおっぱい自慢した?」
-- あはは、ごめんごめん、海外で変なテンションのとこへ本物のハリウッド女優至近距離で見たらこうなるよ。
「(笑)、顔も小っちゃかったなー。さっき竜二さんと何話してたんだろうね」
-- ねえ。全然わかんなかった。
「翔太郎さん分かりました?」
移動バスの一番後ろに座る繭子が声を掛けると、中ほどの席に座って外を見ていた伊澄が振り返った。
「何」
「さっきの竜二さんとリディアの会話です」
「…プレゼンターって話か?」
「へえ、今日の試写会に参加するっていう事なんですかね」
「俺達のプレゼンターって言ってたと思うぞ」
「え?…どういう意味ですか。私達のですか!?」
「多分」
「おおおおおおおお」
いきなり繭子が立ち上がって変なテンションで変な声を上げ始めた。
そこへ池脇たちが戻ってくる。
「なんだって?」
前の方の席に座って2人を見守っていた神波が声を掛ける。
「段取りの変更。どうやら俺らタキシードのまま演奏する羽目になるぞ」
通路に仁王立ちしたままそう言う池脇に、
「まじで?」
と伊澄が煩わしそうな声を上げる。
「具体的な数は聞いてねえけど、ここの作家が作った映像を流す前に、作家とモデルの紹介とスピーチがある。そのまま作品が上映されて、次の作家へバトンタッチっていう流れで進んでくんだがよ、俺らの場合は作ったのがニッキーだから一番後なんだよ」
「まあ、そらそうだろうな」と神波。
「順番としては作品の紹介、ニッキーのスピーチ。んでさっき会ったリディアが俺達を呼び込んで、俺が挨拶。いったんはけて、映像が流れた後ライブっていう段取りだったろ? けど内容が内容だけに、一度もはけずに流れのままPVと一緒に演奏した方がいいっていう提案なんだよ。まあ、俺もそう思うわ」
「つまり、SPELLのPV流したあとにいくら生とは言えもっかいSPELLやるのは面白くないだろ、と」
「そう」
呑み込みの早い伊澄の言葉に全員頷きはするものの、タキシードの件はどうなのだろう。
「俺のスピーチが終わった後、俺の合図が演奏開始の切っ掛けになった。となると俺は一度も舞台上から降りられねえ。それは構わねえけど、俺の合図で音が鳴り始めるってなると、お前らも当然舞台上でスタンバってねえと」
「全員タキシードのまま演奏は出来るか?って聞かれて、なんとなくノーとは言えなくてね」
と伊藤が申し訳なさそうに言う。話を聞く限りの流れだと、確かにそうの方が良さそうだし、ステージ映えを考慮すれば全員がタキシードの方が統一感は出る。彼らがデスラッシュメタルバンドであることを今夜の出席者がどれだけ知っているのか分からないが、インパクトを与える事は間違いない。
「はいはい!はい!」
繭子が手を上げる。
「私上着着たままは無理だと思います。結構ジャストサイズなんです」
「お前はいいや。上着は脱いでいいけど、下なに?」
「皆と同じですよ、ワイシャツです。サスペンダー付きの」
-- 繭子も男物のタキシードなの?
「そうだよ」
「ドレスにしとけばよかったね」
と伊藤が苦笑すると、嫌ですよ、と繭子も苦笑いで返す。
パン!と池脇が手を打ち鳴らす。
「じゃあ、そういうことなんで」



宿舎にて。
エイミー・ブルックスの作ったランチをご馳走になる。
思い出話と今夜の試写会の話題で盛り上がる中、彼女ははにかんだ笑顔で打ち明ける。
エイミーは来年春、ジャック・オルセンとの結婚が決まったそうだ。
相変わらずの大声と拍手で祝福の言葉を贈るメンバー達。
エイミーは一人一人の顔を見ながら、私に対しても律儀に言葉を返す。
盛大に結婚式をやるつもりだから、その時にはぜひ出席してほしいというお誘いを受けた。
私が自分を雑誌社の編集者で、ドーンハンマーの関係者ではない事を告げるとエイミーは笑って、
「私もそうよ。私もファーマーズで仕事をしているけど、彼らの関係者というわけではないわ。問題はそこじゃなくて、私達がこうして出会えたという事が大切なのよ」
と言ってくれた。私はなんとかギリギリ涙をこらえて何度も頷いたのだが、側で感じたメンバーの温かい笑顔が余計に私の感情を押し上げ、溢れそうになった。アメリカに来てからずっと、私は夢の中にいる。



テーブルの上に紙を広げて頬杖を突いている池脇に声を掛けてみた。
-- スピーチの原稿進んでますか?
カメラに向かって白紙を見せる池脇。
-- あらら。書いては消し、という感じでもなさそうですね。
「んー。なんとなくこんな感じの事言おうかなーってのは考えてるんだけど」
-- 英語でスピーチされるんですか?
「ああ」
-- 通訳ぐらいいるでしょうに。
「いらねえよ。綺麗な英語で綺麗なスピーチしたいわけじゃねえし。伝わればなんでも」
-- 豪胆とはあなたの為にある言葉ですね。お邪魔にならないよう、退散します。
「あのさ」
-- はい。
「ちょっと座って」
-- あ、はい。
この時伊澄は外で煙草を吸っており、神波と談笑しているのが窓の外に見えた。
伊藤と繭子は2階で着替え中だ。
「正直な意見を聞きたい」
-- はい。
「あいつらにもまだ言ってないんだけど、リディア・ブラント。さっきの」
-- はい。カメラ止めましょうか?
「いや、いい。…近々活動の場をアメリカに移すつもりでいるなら、付き合わないかって言われてる」
-- ウソッ!? お、すみません。私そんなにこちらの業界詳しくないですけど、それでも彼女がとんでもない大物だって事ぐらい分かりますよ。
「うん。いや、…うん」
-- ノイさんですか?
「ああ」
-- 竜二さんとしては、何が問題だとお考えですか?
「リディアは、良い子だよ」
-- そうなんでしょうね。
「会ってまだ日は浅い方なんだけどな、どれだけお互いを知ってるってわけでもねえし。けどあいつも子供じゃないし、言ってる事の意味くらいは分かってるはずだろう。どこまで本気か分かんねえけど、正直悪い気はしねえんだ」
-- そりゃそうですよ!ハリウッドで大成功してる人ですよ!人柄に関して言えば色んな意味でお墨付きを貰ってる方じゃないですか。
「ああ」
-- お幾つなんですか?
「28」
-- ああ。まあ年齢は関係ないですよね。えー、でも凄いな。リディア・ブラント。リディア…。
「けど無理なんだよな」
-- はい。
「それでも考えちまってんのはさ、今俺がここでリディアにその気がない事を伝えるのは、どういう事なんだろうなって」
-- どうと仰いますと。
「本当言えば断る理由なんてないんだよ。まだ何も始まってねえのに、お前じゃダメだなんて断れる程リディアを知ってるわけじゃねえから。嫌な所があるわけでもねえし、ノイの事なんてあいつは知りもしないしよ。今ここに生きてるならまだしも…。そんな理由で人を遠ざける程俺は出来た人間でもねえよ。だがこの先も、俺の中からノイが消える事は一生ない」
-- はい。
「…」
-- 気持ちの上で、二股かけてるみたいな心境にはなりますよね。まだ、実際にお付き合いはされていないんですよね?
「え? あー、あ。そうだと思う」
-- おっと。失礼しました。
「っはは、あと一つ。今俺達にとってリディア・ブラントって名前は正直でかい。とんでもなく、ありえねえ程のビッグチャンスだ」
-- それは!竜二さんそれはちょっと。
「俺はあんただがら聞いてるんだ」
-- …はい。
「わかるよな」
-- はい、わかります。
「リディア自身それを承知の上で、それも自分の魅力だと分かって誘ってきてる」
-- 確かなんですか。都合の良い解釈でなく?
「それが見栄なのかウソなのかは知らねえ。けど本人がそう言ってるんだから俺はそれをそのまま受け取るよ。実際、今日俺達のプレゼンターを買って出たのは彼女自身なんだそうだ。さっき直接ジャックに聞いた。言ってみりゃあ、自分ならバンドをバックアップ出来るって証明してくれたようなもんだ」
-- それならもう、答えは出てるじゃないですか。
「…」
2階から声が聞こえて、繭子と伊藤が下りてくる音がする。
池脇は私に向かって頷くと、人差し指を唇に当てた。



白紙の原稿用紙を置いたまま、池脇は外へ出て伊澄達に合流した。
とそこへ、2階から降りて来た繭子と伊藤が姿を見せる。
「どうかな?」
ダークグレーのワイシャツに黒のスラックス。黒の蝶ネクタイに同色のサスペンダー。
右手にタキシードの上着をひっかけた繭子の姿は、恰好よくもあり、少し滑稽にも見えた。
-- THE 衣装!って感じ。でも似合ってる。スタイルがいいからね。格好いいよ。
「ほんとに?褒めてる?」
-- なんか変な感じするね、イメージと違うからかな。そもそもタキシードって白シャツだもんね。まあ、黒もおしゃれなんだけど。ん、濃い茶色なのかな?
「ねえ。変じゃない?上着脱ぐからさあ、白にすると私だけ目立っちゃうよね?これでいいよね?」
-- 全然変じゃないよ。タキシード感は薄いけど、着こなせてると思う。 織江さんはもうぴったり、お似合いのドレスです。
「なんでマネージャーがドレス着てるんだって話なんだけどね。せっかくだし楽しむ事にする」
-- 最高です、素晴らしい。
「ちょっと、私をもっと褒めなさいよ。物凄い不安なんだから」
-- あははは、今更だよ。繭子のルックスなんてさんざん誉めまくってきたじゃない。
「衣装の話!」
「面倒くさいな(笑)。適当でいいからね」
「ちょっとー!ねえ、これ丈短くない?裾」
-- 日本で試着してきてないの?
「うん。面倒だったからさあ」
-- 何やってんのよ。今は少し短いぐらいが流行ってるから平気だよ。
「本当なのそれ。信じるよそれ」
-- 日本ではね。こっちでは知らない。
話をしながら、繭子の目がちらちらと池脇を探していた。彼が既に外へ出て伊澄、神波と談笑しているのを見つけると、私を見つめて首を傾ける。
「竜二さんの声通るからさ。ちょっとだけ聞こえてたんだ」
繭子はそう言うと、手に持っていた上着を椅子の背もたれにかけて、その椅子に座った。
「リディアの事話してた?」
-- 私の口からは何も。
「そうだね」
繭子は微笑み、傍らに立つ伊藤を見上げた。
「もし、また同じような話をする機会があったら。竜二の意思を尊重するって、私なら言うと思うって伝えてくれる」
窓の外を見ながら伊藤はそう言うと、しばらくの間静かに池脇を見つめていた。
そしてゆっくりと私の方に向き直り、こう言った。
「私が言っても、彼は聞かないと思うから」
-- 私がここで『はい』って返事をすると、リディアの話をしていたと認める事になるのでお答えできません。ですがもし、そのようなお話をする機会があれば、約束します。
「ありがとう」


『Future Of The Past Vol.11』。
ファーマーズプレゼンツ、新作プロモーション映像完成披露試写会が幕を開けた。
彼らが扱うのは多岐に渡るオールジャンルの広報映像である。アーティストのプロモーションビデオを始め、映画の予告編、ファッションショーのビデオクリップ、モデル達のカタログ映像、テレビコマーシャル、企業の宣伝資料映像など、こと映像に関する分野で彼らの影響力は計り知れない。正しく時代のトレンドは今ファーマーズだ。そして世界中でシェアを拡大し続けている映像クリエイター集団のトップに君臨するのが、ファーマーズ創設者であり代表取締役、ニッキー・シルバー・オルセンである。
今夜の試写会はアメリカ全土を含め、世界中の衛星放送、インターネットを経由して、もちろん日本でもWOWWOWのミュージックチャンネルで生放送された。
アカデミー賞の受賞式を彷彿とさせる大きなステージと観覧席。埋めつくすのは世界中から押し寄せたマスコミと選ばれし各界の著名人、セレブ達である。
日の暮れる少し前あたりから会場入りした一行は、本番前の会場の様子を見ることなく楽屋へ案内された。
本番開始時刻から逆算した会場入りの予想時間から大分遅く、色々と見聞を広めたかった私としては残念な気持ちもあったが、後になってこれで良かったのだと納得する事となる。とは言えバックヤードも十分日本ではお目にかかれない程の非日常空間だった。
通路を行きかう多くのスタッフは携帯片手に前を向いたままイヤホンマイクで喋っているし、ハンガーラックごと台車に乗せて衣装を運ぶスタリスト自身が表に立つ人間のように華やかでお洒落だ。楽屋見舞いに訪れるセレブ達の煌びやかな姿は『ヴォーグ』から抜け出て来たのかとと見まがう程で、私以外全員がその世界では著名な人物なのではないかと思えてならない。
どこに目を向けても、何か問題でも起こったのだろうかと不安になる程人の往来が激しい。
そんな中ドーンハンマー一行は案内された楽屋に入ると、いきなり衣装を脱ぎ始めた。
バイラル4の練習スタジオ並みに広い楽屋だが、無意識にソファーの置かれた一角に全員が集まる。
-- せっかく着て来たのに、今脱いじゃうんですか。
示し合わせたように、全員が蝶ネクタイを外す。
「会場見れなかったね」
とカメラを持つ時枝に向かって繭子が言った。
「でもなんだか熱気とか、単純に音とか、ここにいても伝わってくるのは凄いね」
伊藤がそう言うのもわかる。地下にいてもなお、会場のざわめきや至る所に設置されたモニターから流れる映像作品の音で静かな空間がどこにもない。人々の歩く音、すれ違いざまの言葉の掛け合い、笑い声、音楽、地響き。
「こんなに早く入る必要あんのかよ」
「なあ。プログラムで言うと最後だろ?」
-- 対バンイベンドじゃないんですから、全然早くないですよ、遅いくらいです(笑)。
「腹減ってきたなあ。やっぱりエイミーの飯食ってから来ればよかったんだよ」
-- あははは。頼もしいくらい平常運転ですね。全く緊張なしですか。
「私はドキドキしてるよー。キャパ的にはもっと大きい所でやった事あるけど、こういうとにかく派手な催し事は初めてだと思う」
-- だよねえ。繭子が普通だと思う。
「ケータリングあったから、何か見てこようか?」
「お、ありがてえ」
こういう場面でこそ伊藤のバイタリティは本領発揮される。得意の語学力と社交性の高さは昔も今もバンドにとって不可欠な存在だ。
-- わはは。初めて来た場所で、映画の中そのものみたいな世界でちょっと行ってくるって言える織江さんみたいな人になりたい。
「なら一緒に来る?手伝ってよ」
-- 了解です。
「いつも悪いね」
と池脇が声を掛けてくれた。
-- 滅相もない。こんな経験普通なら出来ませんからね、なんでもやりますよー!
楽屋の扉がノックされる。伊藤が開けると、スタッフがハガキサイズの紙を手渡すのが見えた。センキューと答えて扉を閉めると、池脇にその紙を渡して伊藤は言う。
「プログラムだって、確認しておいて。じゃ、行きましょうか」
「じゃあ私も行くー、トイレどこかな」
繭子が立ち上がる。
「ついでに煙草買ってきて」
と伊澄が言って、繭子に財布を放り投げた。
「お駄賃は?」
「お好きにどうぞ」
「ヤ!」



-- 食べながらで結構です。せっかくなので、インタビューさせて下さい。私の個人的な感想ですが、最初に竜二さんからPVを撮るとお聞きした時、まかさここまで大事になるとは思ってもみませんでした。ある程度、今日までの事は想定されていましたか?
R「それはどっちかって言うと、俺らより時枝さんの方が予想出来た筈なんじゃねえの?ファーマーズの事、ここまでスケールのでかい連中だなんて思ってなかったからね、俺ら」
-- 確かにそうでしたね。ホットジンジャーレコードのフィリップ・アンバーソンから話が回ってきた時、どの程度の計画があったのですか?もともとは、広報活動用のPVが一本もない事から端を発しているわけですが、年に1度のこの大々的なイベントに合わせてファーマーズと仕事が出来たのは運命でしょうか?それとも何か壮大な根回しがあったとか?
R「話自体はもう去年から、あったな。具体的な事は何も決まってなかったけど、去年の海外ツアーの段階で面倒だから早くPVを用意してくれっていう話と、ファーマーズが勢いのあるバンドを探してるらしいって情報は小耳に挟んでたよ。特にこちらから何かを働きかけたわけじゃないから、運命っちゃー、運命かもな。フィリップからファーマーズって聞いても俺達自身はピンと来てなかったし」
-- ではファーマーズ側も今日のこの日の為にバンドを探してた中で、あなた方に出会ったという事なんですね。
R「フィリップとジャック(オルセン。ファーマーズ)が知り合いだってのもあって、そこでうまく話が進んだんだろうな」
-- その時はこういうイベントで、ファーマーズの企業戦略に起用されるという意識はありましたか?
R「あはは、ないない」
-- ではこうなってみて、びっくりしている以外の感想は、何かありますか?
R「つまるところ、一番大きな、当初の目的は果たせたからな。その、広報用の映像を作るって意味では、考えられる最大の効果を発揮出来る物が作れたわけだ。内容もそうだし、まあ、ネームバリューがその上を行っちまってるのは癪だけど」
-- あはは。そうですね。
R「だからそれ以外の事は正直なんでもいいな。特に俺なんかが思うのはバンドにとってPVはプロモーション以外の意味はなくて、作品という意識は全然ない。おそらく今日を境にあの映像は一人歩きすると思うけど、だからと言って俺達の何かが変わるとも思ってないし、なんだったら名前を出しただけで、ああ、知ってるよ、あのPVのバンドだろ?って言ってもらえんなら、話早くて助かるよ。そんくらいの感じ」
-- なるほど。まだ私も断片的にしか拝見していませんが、やはりかなり凝った造りですね。バンドの勢いや素顔といった生々しさは抑えられて、作りこまれた世界観と映像で、ともすれば誤解を与えかねない作品だと言えます。
R「そこもな。別にいいかなって。この先PVをあと何本作るから分からねえし、作らないかもしれねえけど、今言ったみたいにそこに俺達の全部があるとは全く思ってないんだよ。単純に、興味を持って見れてくれたらそれでいい。そこから、ドーンハンマーってなんだ?ほかにどんな曲があるんだ?って思ってくれたら嬉しいよ」
-- よくわかりました。普段と勝手の違う撮影だったと思いますが、一番苦労された所はどういった点ですか?
R「ちょっと時間が経っちまってそこまで苦労した記憶が残ってねえなあ。でも、印象深いなって思ったのは、意外と自分達の格好いいと思ってる音や動きなんかがそのままピックアップされてたりして、理解されてんなあとは感じたよ。例えば、ギターソロなんかで速弾きのパートがあったりすると、大概のPVってその瞬間のギタリストのワンショットだったり、手元のアップだったりするだろ」
-- そうですね。
R「けどそこは俺達としてもそんなに格好いいとは思ってないんだよ、いわゆる視覚的には。そんなことより、ギターで言うと翔太郎の足の踏み込みだったり、演奏と直結してない感情表現の方が、アガルっていうかね」
-- マニアックな目線ですがとてもよくわかります。
R「どうやって演奏してるか、とかそんな事見て欲しくないしね。なんなら何も考えずに聞いてほしいし、見て欲しいし。そういうバンド側の目線を持ってる作り手だなって感じたよ」
-- なるほど。
R「もともと絵コンテが決まってただろ。だから絶対にそこをそのままやるもんだと覚悟してたんだけど、意外にもその場で変更があったり、そういうのを一つ一つ確認してくと、ただ素材として扱われてるというより、バンドの良い部分を見る目をきちんと持った奴に相手してもらってるっていう印象はあったよ。さすがだなって」
M「でも何やってるか分からないっていう不安はありましたよ」
-- と言うと?
M「細切れなの、全部が。こっちは分からないから、ここの部分から音をくださいって言われて演奏するんだけど、ストップがかかるまでどこまで演奏していいか言われないし、どこを使うための演奏かも分からないの。英語喋れたらそこらへんもっとうまくコミュニケーション取れただろうなあっていう思いはあったけど、そういう雰囲気でもないし、そもそもそんな近くに人いないしね。最後の方はもう言われるがままで」
-- 物作りをしているという実感が薄いままだった?
M「はっきり言っちゃうとそうだね。後でね、モニターで確認して、ああ、こういう事かってわかる時もあるんだけど、割とスケジュールがタイトになったから、毎回毎回自分の撮った部分見れなかったんだよね」
-- 構図的には、ストーリー性のある映像だと思うし、竜二さん、翔太郎さん、大成さん、バーサス繭子、みたいな世界観だったと思うけど、何かニッキー側から演出指導はなかったんですか?
M「やたらとパッション!パッション!って叫んでた気がする」
-- あははは!
M「いや、そうなの。助けてーと思って織江さん見るとさ、今みたいに笑ってるし本当に困ったんだよ。パッションって言われてもパッションフルーツって言葉しか思い浮かばないしさ、そもそもパッションフルーツの形知らないし、もうなんだよこの白髪って思って」
(一同、笑)
T「ずっと不機嫌だったもんね」
M「飲み込みが遅いっていうのもあるんですけど、そことは別に分かった事があって。私思ったんです。私は多分このメンバーで誰よりも翔太郎イズムを受け継いでる人間なんですよ」
S「え、何?」
M「自分でコントロールできない事が何より嫌いなんだってはっきり分かりました。これはもう翔太郎さんのせいなんです。教育の成果なんです。だからもう、仕方ないと割り切りました。こちらからは以上です」
R「あははは!」
S「おいおいおい」
-- 確かに繭子のそういう一面は感じますよね。それはやはり、ドーンハンマーとして己を磨き続けてきたこの10年で培った、バンドの目指す音楽性への回答なんでしょうね。
R「そこがだから、さっき俺が言ったように、PVをどう捉えるかによって気持ちの持って行き方に個人差が出たってことなんじゃねえかな」
S「相手が誰であれ譲らないっていう事なんだろう、繭子は。たとえそれがPV制作であれアルバム制作であれ関係ない、ドラム叩く以上同じ。自分が納得してない状態で勝手に話進めんなっていう」
M「翔太郎イズム」
S「違う違う、それはお前イズム。繭子イズムだから」
M「えー!?」
T「いや。似てると思うよお前らは。だから今回の撮影に関してはよく翔太郎がごねなかったなって思った部分も一杯あったし、繭子を諭してたの後で知ってびっくりしたもん。大人になったなーって」
S「あはは。似てる似てないは置いといて。勘違いしてほしくないのは、俺はいつだって俺の音を出すよ。それがどういう条件であれ、相手が何を要求したんであれ、俺は俺の音を出すし、実際にそうやってOKを出させる。だから作業が細切れだろうが、今何やってるか分からない状態だろうが、弾けと言われたら弾くし自分にしか出せない音を出す。それがプロだろ。それが言うなれば俺イズムだ」
-- 惚れた!
M「ふあああ、勉強になります!…っていうかそうやって撮影中に喝入れてよー」
-- もう終わっちゃっったもんねえ(笑)。
R「そこはやっぱり、年齢とかキャリアの差が出たな」
S「年齢かねえ。でもどっちかって言うと、考え方として正しいのは若い繭子の方なんだけどな。こいつが言いたいのはきっと、相手の要求にちゃんと答えたいっていう生真面目さから来るイライラなんだよ。分かるように言えよ、ちゃんとやってやるからって」
T「翔太郎のそれはどっちかって言うと唯我独尊的な」
S「そうそう。お前の言う事なんか知るかと。俺の音を聞け、撮れ、後の事は知らん」
T「そう聞くと実に翔太郎らしいね(笑)」
R「でも確かに、一番色々と要求されたのは繭子だと思うし、よくやったと思うよ。ドラム叩く以外の事もたくさん要求されてたしな」
-- いわゆる演技的な部分ですよね。
M「あれを演技と呼んでいいものか、果たして」
S「結局あれはなんなの?何がしたいっていう話なの?」
-- え、そこを理解せずに撮ったんですね。ある意味一番凄い発言ですね。
S「え、そうなの。皆理解してやってんの、あれ」
T「だって最初にストーリーの説明あっただろ」
S「全然意味分からなかったんだよ。これ多分あと5回聞いても分かんねえなと思って。もういいやって」
R「くはは!うちの怪物はこれだよな、これだよ。さすがだよ」
S「いやいやいや、話がどうこうじゃなくて、そういう絵を撮りたいのね、こういう事がしたいのねって言うのはなんとなく感じるじゃない。前後の絵の繋がり見てさ、ここ結構重要なポイントだな、とか。そこらへんは感覚でわかるんだけど、じゃあどういうお話?って聞かれると全く分からない。っていうかお前らマジで分かってんのか?」
R「当たり前じゃねえか。説明受けたって何度言わせんだよ」
S「えー、…じゃあ繭子!」
M「もー!今絶対来ると思ったんですよー!」
S「ほら分かってないだろこいつ」
(一同、笑)
-- 凄いですね。このインタビューを見たらニッキーもジャックも呆然としますよね。
R「要するに、繭子がァ、今にも封印が解けそうな悪魔っていう設定で、それを俺達3人が歌と演奏で封じ込めようと戦いを挑むわけ。だけど繭子の圧倒的なパワーとドラミングによってどんどん封印が解けていってェ、最終的には…おい、ちゃんと聞いてくれよ恥ずかしいだろ」


会場内の空間全てを拍手と歓声が埋めつくす。
ニッキー・シルバー・オルセンが舞台に登場した。
天井から釣り下げられた3台のオーロラビジョンに彼の姿が映し出される。
しかしそれを舞台袖から見ているドーンハンマー一行は、会場を埋め尽くす人の多さに気を取られてそれ所ではない。
それもそのはずだ、午前中初めてこの建物に足を踏み入れた時に感じた既視感。
何故なら、ここはアカデミー賞授賞式が行われるドルビーシアターに似ているのだ。
後に確認した所では、敢えてドルビーシアターの座席数3400席を上回る3500席を配した劇場型シアターである。
本来ドーンハンマーのようなバンドがコンサートを行う会場は屋内であれ野外であれ、そのほとんどが平面であり、スタジアムやアリーナのような球場型でもある程度ステージからの距離は確保されている。
しかし劇場型の場合ステージを3方向から囲む観覧席は、奥行きではなく高さで収容人数を確保している為、端的に言えば、ステージからとても近い。
オペラやミュージカルを見る為に作られた様式の劇場で、デスラッシュメタルバンドである彼らがプレイした経験はこれまで一度もない。
おびただしい数の目がステージを向いているその凄まじい光景は、決してリハでは想像できない迫力だった。
ここまで盛大なイベントだとは、今の今まで知らなかった。
なるほど、地下において鳴りやまない地響きを途切れる事なく感じ続けたのはこの為だ。
会場のキャパ的には、ラウドパークなどが開催されるスーパーアリーナと比較すれば10分の1程でしかない。
だがそこにいるのはメタルTシャツを着てタオルを首に巻いたキッズ達ではなく、
尋常ではない台数のカメラと報道人、眩いドレスに身を包んだセレブ達、ハリウッドの俳優達、そして名立たるミュージシャン達である。
こうなれば逆に良かったのだと改めて思う。初めからこうだと知っていれば、きっと緊張で吐いたかもしれない。
舞台袖でニッキーの登壇を見守る4人の顔にも、さすがに緊張の色が見て取れた。
彼らから3歩離れた位置に立つ伊藤が、私のカメラ向かって手招きする。
もう少し近くに来ればいい、という事だろう。
確かに今私は彼らから10メートル以上離れた場所に立ってカメラを回している。
しかしここで良い。
今私の回すビデオカメラのレンズには、世界が映っているのだ。
舞台袖の薄暗がりの中、日本からやってきた4人が立って光の世界を見つめている。
傍らには常に彼らを支え続けてきた幼馴染のマネージャーがいる。
その側を忙しそうに行き交うスタッフ達。
作品の上映を終えてほっとしたのか、円陣を組んで泣いている者達もいる。
そんな彼らに歩みより、肩を抱いて労いの言葉を掛けるプレゼンターは銀幕で何度も見た事のある大物女優だ。
皆ここで戦っている。
ここはファーマーズだ。
ここで戦える事がすでに選ばれし者と称される資格を有している。
私が追い続けたドーンハンマーという夢が今、この場所で花開こうとしていた。


「盛大な拍手をありがとう。
改めて今夜お集まりだいた事に感謝の気持ちを言わせてもらう。
ありがとう。本当にありがとう。
私がニッキーだ。ニッキー・シルバー・オルセンだ。
そうだ。もう知ってるな?」


繭子が何度も真似をした、「ヤ!」が早くも飛び出した。
袖で3人の男達に囲まれて立つ彼女が、「ヤ!」と言ったのが微かに聞こえた。


「私はクリエイターだ。
話をするのはそんなに得意じゃない。…嫌いではないがね。
だから今夜君たちにお見せする私の作品について、言える事はそんなに多くはない。
敢えて言うとしたら、今回の作品もこれまで同様、私の目指す夢の一部だということだ。
私の夢は、今君たちが見ている煌びやかな商業ビジネスの世界や、豪華な装飾品や、アメリカンドリームなんかでは決してない。
私の夢は、日常を生きることだ。
そして当たり前に感じる日常が、当たり前などではないという真実を、
映像を通して君たちに知ってもらうことだ。
人は毎日息をする。
毎日歩く。
調子の良い日は歌も歌うし、悲しければ泣くだろう。
それは当たり前の事だろうか?
私はそうは思わない。
絶対に違う。
その事を今から皆さんにご覧入れようと思う。
今回私の夢に出演してくれた日本のバンド、ドーンハンマーは、
言うなればそんな日常の向こう側に隠れている真実だと思ってほしい。
本当に彼らは、素晴らしいエネルギーに満ちている。
少々、うるさいと感じるかもしれないがね」



この会場へ向かう直前、楽屋を最後に出ようとした私の所まで、池脇竜二が戻ってきた。
忘れ物かと思い扉の前で横にずれると、いきなり壁ドンをされた。
びっくりして言葉を失っていると、池脇はとても優しい声でこう言った。
「前に、繭子の髪の毛を今の色にした時の事覚えてる? あん時さ、皆言ってたろ。繭子はもっと注目されるべきだって。きっかけはどうあれ、もっとちゃんと注目されて、そいで、メチャクチャ格好いいドラマーとして世界中に認識されるべきだって。今日がそうだと思わねえか? やっとだよなぁ。やっとここまで来たよ。時枝さんも喜んでやってよ」
わざわざそれを言いに戻って来た彼の声は、一番そのことを喜んでいるようだった。
今舞台袖でニッキーのスピーチを見つめている池脇は、不遜にも両手をズボンのポケットに突っ込んだままだ。だがそんな見かけのぶっきらぼうさとはかけ離れた、繊細な優しさと熱い魂を、彼はその身に宿している。
彼の横顔を撮る。
池脇竜二がいなければ、バンドはここにいなかっただろう。
その時、彼が私のカメラに振り向いた。
そして、にっこりと私に笑いかけた。
私の全身を震えと込み上げる涙が襲った。


『皆、何かを抱えて生きてんじゃねえのか』


彼の言葉がまたも蘇る。
世界に認識されるべきなのは繭子だけじゃない。
あなた方全員がそうあるべきなのだ。


ひときわ大きな拍手が沸き上がる。
ニッキーのスピーチが終わり、プレゼンターであるリディア・ブラントが入れ替わりで登壇した。シンプルなドレスに身を包んだリディアは、初対面の時より何倍も美しかった。
スパンコールの散りばめられたオフホワイトのシックなドレスに、薄いピンクのケープを羽織っているだけの落ち着いた衣装なのだが、彼女がリディア・ブラントだというだけで、どんなゴージャスなドレスも太刀打ち出来ない美しさが滲み出ているのが分かる。
拍手が収まるの待って、会場に向かって微笑みかける。
本当に繭子と同じ年なのか?あの落ち着き払った立ち居振る舞いと自信はどこから来るのだろう。
一瞬舞台袖にいるドーンハンマーの方をちらりと見て、話し始めた。
彼らがスタンバイを終えているか確認したようだった。


「ハイ。アメリカンドリーム代表、リディア・ブラントです」


会場が笑い声に包まれる。


「皆さんの中には今夜、初めてドーンハンマーを見るという人もたくさんいるでしょう。
何故私がここに立って、彼らを呼び込もうとしているか、ご存じない方も多いと思います。
ありがたい事に天才ニッキーが仕事を早めに切り上げてくれたおかげで、私には少しだけ長めに話をする時間が残されているようです。
ありがとう。
あー、…私はハリウッドで女優をしています。
しかしキャリアは浅く、自分でも満足のいく仕事が出来ているとは、
正直まだ思ってはいません。
私がこの世界に入って間もない頃、知名度もなく、名前の付いた役柄ももらえず、
どこに向かって歩いて良いか分からなかった時代、
ドラッグとアルコールの誘惑よりも何倍も魅力的に私の心を掴んだのが、
ドーンハンマーの出すありえない程の大きな音と歌声でした。
ニッキーは先ほど、彼らが日常に向こう側にいる真実だと言いました。
私も心からそう思います。
人は誰でも、自分だけの日常を生きていますよね。
どこにいようが、誰といようが、何をしていようが、それは関係ありません。
自分だけの毎日をただひたすらに生きています。
しかし私は日々、誰かの人生を演じて生きています。
そうすることできっと、必要としてくれる人の心に響く存在になれると信じているからです。
だけど人は、いつだって弱い生き物です。
弱音を吐く時も、誰かにすがりたい時もあります。
初めて訪れた海外の地で、名前も分からない薄暗い路地裏で、汗と埃にまみれながら、
ただ一人、自分を信じ切れずに、それでもなんとか己を保ちながらギリギリで戦っていた。
そんな時代、あの頃の私を支えてくれたのが彼らの音楽でした。
私が今夜ここに立っているのは、天才ニッキー・オルセンの作品を紹介するためではありません。それはニッキーの仕事ですからね。
…ああ、ジョークよ、分かるわよね?
ただ本当に、今夜彼らを私自身の声で呼び込む事が出来るのは、
とても光栄な事であり、何より幸せな事だと思っています。


…あの頃の私になり代わって、今あなた達の名前を叫びます!」



「Come on !! DAWN HAMMER !! from my heart!!」



鳴り響くSE。
地割れを起こす勢いの拍手。
手を振るリディア・ブラントに向けられた歓声。
舞台袖に向かって歩き出す彼女のもとへ、ドーンハンマーが歩みよる。
ステージ中央と舞台袖の丁度真ん中あたりで、池脇とリディアがハグを交わす。
後ろから彼に続いて、繭子、神波、伊澄の順番。
リディアとすれ違いステージ中央へと歩く4人。
オオオ、と小さなどよめき。
神波と伊澄が、繭子の腕を掴んで空中へ持ち上げたのだ。
もちろん繭子は聞かされていない。
飛び降りるようにステージ着地した繭子は、両手で顔を覆い、
伊澄を叩く真似をした後観覧席に向かってお辞儀した。
池脇は振り返ってメンバーに拍手を送り、
自分の持ち場へスタンバイする彼らを見守った後、一人でステージ中央に立った。



胸が、張り裂けそうだ。



鳴りやまない拍手。
観覧席を見つめる池脇竜二。
右から左へ。
奥から手前へ。
拍手が鳴りやんだ後も、微笑みながら彼は会場を見つめた。
彼の言葉を待っているような空気が流れてもなお、彼は微笑んだままだった。



しん、と。
会場が音を消した。



「俺は…。
俺達は、自分が何者でもない事を知っている」



と、彼は言った。
もちろん英語である。
名乗りもしない。
感謝の言葉もない。
一瞬ヒヤリとした。
しかし、池脇の顔から緊張の色は消えている。



「ある者は俺達をスラッシュメタルバンドだと呼び、
ある者は日常に潜む真実だと呼び、ある者は、島国の猿と笑うだろう。
どれも正解だと思う。
だけど俺達はきっと、まだ何者でもないし、
きっと死ぬまで、色んな名前で呼ばれ続けるだろう。
ニッキーの作品に出たバンド。
とてもうるさい日本人。
ドラムが女の子?そんなのアリか?
…だけど、それは皆同じなんじゃないかな。
君達だってそうだろう?
今日ここにいる君達は、きっと色んな世界で成功を収めたに違いない。
だけど時には嫌いな上司に罵られ、
恐ろしい妻に罵倒され、
反抗期の娘に嫌いだとそっぽを向かれる事もあるだろう。
…皆色んな名前を持っているんだろうな。
例えば、成功者。
トップクリエイター。
監督。
俳優。
歌手。
実業家。
パパ。
ママ。
…そんな君達の前で、ここに立っている俺達は何者だろうか?
ニッキー・オルセンという稀有な才能の前では、俺達は『出演者』だ。
最高の経験をさせてもらったよ。
ありがとう、ニッキー。
この世で最も優れたクリエイターの一人だ。
アンタと、アンタの息子はね。
そしてリディア・ブラントというハリウッドの至宝にとって、俺達は『ヒーロー』だろう。
…ちょっと格好良く言い過ぎたな。ごめん、冗談だ。
ヒーローみたいなもの、にしておこうか。
だけど考えてみれば、誰もが人生の出演者であり、誰もが誰かのヒーローだ。
そうだろ?
俺達はまだ何者でもないが、きっと誰かの特別な存在だと信じてる。
君達がきっとそうであるようにだ。
俺達は遠く離れた日本からやってきた。
この先君達とは二度と、こんな距離に近づくことはないかもしれない。
だけど、それでも一つだけお願いがある。
俺達の出す音はとてもうるさい。
一発で嫌いになるかもしれない。
そんな事はどうでもいい。
俺達はただ、自分達が格好良いと思う音楽だけを追いかけてここへ来た。
だからそれ以外、伝えたいメッセージなんて何もない。
俺達の願いは、ただ一つだ」



池脇は2歩、後ろへ下がった。
照明がゆっくりと落ちていく。



「絶対に、俺達を忘れるな。
いつだって俺達はそこにいる。
俺達が、…ドーンハンマーだ」



We are ... DAWNHAMMER .



すううー、と、池脇が息を吸い込むのが見えた。



「俺達が!! ドーンハンマーだァ!!(日本語)」



絶叫という合図。
メンバー3人の渾身の音が炸裂する。
照明が一気に彩度を上げて4人を照らし出す。
大歓声。
立ち上がって両腕を上げる者もたくさんいる。
釣られて立ちあがる人々の姿。
天井から吊り下げられたオーロラビジョンに、ファーマーズ製作のPVが映しだされ、
同時に何度も頷きながら親指を立てるニッキー・オルセン、
目尻を拭いながら笑っているリディア・ブラントの姿が大写しになる。
そして両腕を振り回して踊り狂うジャック・オルセンが映し出されると、
笑いと歓声のボルテージが最高潮に達した。
池脇はしてやったりという顔で自分のギターを肩に掛けると、メンバーを振り返った。
そして観覧席に向き直ると、「カモン」と絶叫した。

連載第28回。「ずっとそこにいたはずの」

2016年、10月15日。


バイラル4スタジオ内、応接セットにて。
じっくりと腰を据えて芥川繭子という人間と話をするのがとても久しい事のように感じる。
この1、2ヶ月の忙しさに追われ、体に纏わりついている倦怠感を拭えないまま、彼女は私の前に腰を降ろした。それでも繭子は笑っていて、釣られるように、私も微笑んだ。


-- 差し入れ持って来たよ。意外にも甘い物がお好きと聞いて、全力コンビニスイーツ。
「うーーわーー。助かる、ほんと助かる。このタイミングでトッキー来てなかったら買いに出ようと思ってたの。わ、色々あるねー、ありがとう」
-- あはは、良かった。
「ふー。頂いていい?」
-- もちろん、食べて食べて。
「食べながらでいいなら、ちゃんと答えるからね」
-- 別に私は急いでないよ。ほんとに忙しそうだね。
「そうだねえ。有難いことだけどね。取材だけでも、何本受けただろ。海外からも来るからさ、でも私よりも織江さんや竜二さんがもうパンク寸前だよ」
-- 全部メールで返すっていう方法に変えたらしいよ。取材する側としては実際話をして生の答えをもらいたいけど、今のドーンハンマーの状態を考えたら、断られないだけましだよね。それよりも私が一人単独でここにいる事の方が問題だよね。
「なんで?ああ、抜け駆け的な事。そんなのねえ、先見の明だよねえ。あー、これ食べたかった奴だよ」
-- ゆっくり食べてね。
「ゆっくり食べたいからやっぱり食べながらでいい?待たれると一気食いしちゃうから」
-- いいよ。練習する時間は、ちゃんと取れてる?
「んー。だから、夜中とかに」
-- えええ、ちゃんと寝ないと。
「そんな悠長な事言ってられないよ。練習はね、やっぱり休みたくないんだ。そんな、今は流石にぶっ倒れるまでやるわけじゃないし。普段慣れない取材や写真撮影とか、テレビとかで時間取られるとさ、余計に叩きたくなるの。意地でも叩いてやるって気になるんだよね。眠たいし、疲れてるんだけど、あそこに座ると、力貰えるんだよ」
プリン片手に繭子は自分のドラムセットを振り返り、そして私を見てニッコリと笑った。
-- 繭子だけ一人で練習してるの?
「まさか。同じ時間とは限らないけど皆練習は欠かさないよ。こないだもね、面白かったの。私が夜中一人で叩いてたらね、結構集中して叩けるもんでさ、気が付いたら4人揃って『ultra』演奏してんの。ハ!ってなって」
-- 嘘でしょ(笑)。そんなの気が付かない事ある?
「嘘みたいだよねえ。多分何か、やりとりとかあったと思うんだけど、そこは本当記憶に残ってなくて。気が付いたらもう演奏始まってて皆揃ってた。さすがに『あー、疲れてんな』って思ったもん」
-- 本当の話なの!? 凄い話だなあ。しかも夜中なんでしょ。
「うん。普段遅くても11時には終わるんだけど、その日は私がここ入ったの12時過ぎてたの。けど、気が付いたら2時回ってて。そんな時間にここで4人揃う事ないしね、なんか夢の中みたいな感覚で、心がほわんとしちゃった」
-- 個人練習よりはやっぱり皆いた方が楽しいよね。
「うん。でも楽しいっていうか、そのう、こういう言い方すると誤解されるけど、新曲製作でもしない限り技術練習ってもうあんまし必要じゃないんだよね。4人で音出してどこまで一塊になれるか、とかそこらへんをずっと追及してるからさ」
-- 常に本番を想定していて、「ずーっとリハ」って言ってたもんね。竜二さんかな。繭子も、ある程度出したい音は出せるっていう話も聞いてるし。
「控えめに言って、ある程度ね」
-- すっごい自信だね。
「誤解されちゃうね。別に、いいけど」
-- 繭子の思う誤解って?
「普通に、そのまま。…自分を天才だとは思ってないし、何でも出来る人間だとも思ってないよ。でも出来るまでやるんだっていう事を、このバンドで学んだからね」
-- 最初から出来たわけじゃないし、ちゃんと努力したんだと。そこをすっ飛ばして考えると、確かに誤解を受ける発言ではあるね。
「そこもね、気にはしないけど」
-- (笑)、でも重みが違うね、繭子が言うと。
「そお?」
-- 実際この目で見てるからね。
「そうだね。個人練習も嫌いではないけどね。色々考えながら出来るし、色々思い出したりしてそれはそれで楽しいし。ただ今この時期は、個人練習だけだと正直ストレスだよ。焦るもん」
-- 今って、4人揃っての行動が難しいの?
「うん、揃って呼ばれない仕事もあるし。竜二さんがもう圧倒的に忙しいよね。外に向けて発信するバンドの言葉って全部あの人の物だし、顔だから」
-- 繭子自身の環境も変わった?
「んー、ちょっとずつ、外で顔指される事が増えたかな。今だけだと思うけどね」
-- あんまり一人で出歩かない方がいいよ?
「私は基本織江さんとか大成さんの近くにいるよ。部屋がね、ちょっと遠いから、翔太郎さんとタイミング合わない時は帰らずに大成さん家に泊めてもらうようにした」
-- ここから近いんだよね。
「うん。あー、ちょっとこれ全部イクかもしれない」
-- 行って行って。太っても知らないけど。
「一緒に食べないの?」
-- うん、全部繭子の。
「アガるぜえ」
-- あはは、竜二さんぽい。
「こっからだと、大成さん家が一番近くて、その次が私で、その次が翔太郎さんで一番遠いのが竜二さんかな。だから練習後に予定がない時なんかはよく翔太郎さんに車で送ってもらう。竜二さんバイクが多いしね。冬場以外」
-- そうなんだ。あー、よく止まってるね、ハーレーが。
「うん。昔はよくテツさんとツーリング行ってたなあ」
-- 大成さんもああいうごついバイク似合う気がする。
「似合うよー、似合うし一番バイク好きなのも大成さんだと思う。一応全員大型(免許)も持ってて、ちょっと前まで一年に一回は全員で遠乗りしてたよ」
-- 繭子も持ってるの?凄い、怖くないの?
「怖いよ。でもなんかね、一人だけ留守番する方が嫌なの。だから意地で取ったんだけど、結局自分のバイク持ってない」
-- あははは、分かる気がする。
「マーさんが昔からバイク弄りが好きでさ。私とか翔太郎さんはバイク持ってないから、いっつも借りてたの。あー、美味しい、何これ(笑)」
-- ゆっくり食べなよ。
「こないださあ。ようやく落ち着いて、試写会のビデオ見返したの。会議室で、皆で」
-- そうなんだ。織江さんには結構前に渡してたけど、こないだなんだ。
彼らが帰国してすぐに返却して下さったビデオのバックアップを取り、全く同じ内容の物をブルーレイに焼いて伊藤織江に手渡したのは、その2日後。2週間以上前だ。
「ごめんね、やっぱり揃って見たくてさ」
-- 全然かまわないよ。実感として、忙しさが伝わって来た。
「うん、最初は皆笑いながら見てたんだけどさ。やっぱり最後、しんみりしちゃったよね」
-- なんで?そんな場面あった?
「え!?」
-- え? 最後ってなんだっけ。帰り際とか、空港とか?
「いやいや、会場での話よ。トッキーカメラ回しながら結構喋ってるの自分で気が付いてる?」
-- 気が付いてるというか、記事にする時参考にするから意識的に声入れてる事も多いよ。頭の中では外に出す映像と出さない映像区別してるもん。たまに出来ないけど。でもそんなに喋ってるかな?
「試写会で私達が演奏してる最中は?」
-- 覚えてない。え、あの場面でも喋ってた?
「あははは!覚えてないんじゃん!」
-- うっそー。結構大事な場面なのに。
「でもどうせ世界中にもう他の映像出回ってるけどね」
-- まあ確かにね。会社で使ってる業務用もそこそこ綺麗には撮れるんだけど、世界規模のショーとなると、4Kとかのめちゃくちゃ綺麗な映像がすぐに出回るもんね。そもそもライブ放送されてたんだし。
「そうそう、そいでね。一応他と違うのはトッキーの場合、舞台袖から撮ってくれてるじゃない。それがさ、ニッキーのスピーチが終わった段階でもう鼻啜ってる音が聞こえるのね」
-- 私!? 嫌だー。
「あはは、ボリュームをめちゃくちゃ上げて皆で見てたからね、笑ったよ。それでさ、その後リディアが感動的なスピーチしてくれたでしょ」
-- うん。最高だったね。
「私達を呼び込む時のさ、come on DAWN HAMMER ! from my heart !ていう叫びで鳥肌がブワ!ってなった」
-- ねえ。向こうでの言い回しの定番とかよく分からないけどさ、なんか気持ちが嬉しいよね。凄かったなあ、あの瞬間は。本心だと信じてるけどさ、さすが女優、さすがリディア・ブラントって思ったなあ。
「その後トッキーの方にはけて来たんだよね。カメラの方に颯爽と歩いて来てさ、トッキーに向かって笑いかけたでしょ。そん時トッキーがさ、レンズの前に拳突き出して、良くやった!みたいなポーズしてんの!」
-- よくやったなんて思ってないよ!最高!とは思ったけど。
「なんか声掛けるのかなーって思ってたらさぁ」
-- なんか言ってた?
「もう言葉になってないの。ン!ン!ってさ、拳突き出してさ、それが完全に涙を堪えてる声なの。私それが凄い嬉しくて…あはは、やっぱ疲れてるな、トッキーの泣き癖がうつっちゃった」
-- 恥ずかしいなあ。
「一緒に見てたあの人達もね。腕組みしたまま、ずっと画面から眼を逸らさず見てたよ。ありがとう、なんか感動した」
-- あははは。全然覚えてないけどね。
「でさ、すんごい盛り上がりの中私達出て行ったでしょ。どう思った?」
-- いやー、もう興奮でパニックだったよ。一瞬一瞬が凄すぎてさ、人生最大のパニックだったよね。ファーマーズの世界的影響力は、ちょっと他には無いなって改めて思い知ったよ。ひと口にショービジネスって言ってもさ、映画でもない短編の映像作品だけであれだけ大きな規模のイベントが打てるって彼らだけだもん。しかも自分の所でドルビーばりのシアター持ってて世界中からセレブ呼ぶなんてスケールでか過ぎでしょ。そこにニッキーがいて、ジャックがいて、名立たるクリエイター達がいて、スペシャルなゲストやセレブが至る所でお酒飲んでて、おまけにリディア・ブラントが私の横を通りすぎて行ったんだよ。パニック!…すれ違いながら出て行ったあなた達の後ろ姿を見ながらさ、おめでとう!って、なんか思ったのは覚えてる。
「うん」
-- あ、おめでとうって言ってる?
「言ってないよ」
-- 良かった。竜二さんのスピーチも凄かったね。全身が震えて、立っていられないかと思った。ほんの数時間前まで原稿白紙だったんだよ。
「ねえ。凄い人だよねえ。あ、知ってる? ニッキーがさ、私らの事話してる場面で、竜二さんがトッキーのカメラ振り返ってめっちゃ良い笑顔で笑うシーンあるでしょ」
-- うん。惚れた。
「あはは、あれね、遠くて声入ってないから分んないだろうけど、寸前までめっちゃ文句言ってるからね」
-- ええ!なんで?
「良い事言いすぎなんだよ、俺の言う事なくなるだろ!って」
-- あははは!そうなんだ、そんな事言ってたんだ。
「それなのにあの笑顔だからさ。なんだオマエ!って皆に突っ込まれて」
-- 最高だなあ。
「でね、合図とともに演奏始まるじゃない」
-- 『俺達が!ドーンハンマーだァ!』だよね。うううーわ、ホラ、今でも震えがくるよ。
「そう。ドドド・ドン!って4人の音が鳴り響いて、コンマ何秒のストップから、全身全霊、全速前進で駆け抜けた。その瞬間にさ、トッキーがさ、あれはじゃあ、無意識なんだね。言ってくれたんだよ。泣きながら『行け!行け!獲れ!世界獲れ!行け!』って。…会議室でさ、皆でボロボロ泣いたんだよ。応援されるって嬉しいね。…ありがとうね」
-- もう、やめてよ。…恥ずかしいなあ。
「普段さ、まあURGAさんみたいな特別な人が居る場合は置いといて、私達ってそんな泣く方ではないんだけど。なんでかな、トッキーはさ、ずっと何か月も私達と一緒に泣いて笑ってしてくれてるじゃない。そういう人がさ、心の底から応援してくれてるのを聞くとさ、一番深い所に刺さる気がするよ。たまにあるのがさあ、私達のバンドが好きで、ライブ見に来て、両手を上げてウォー!って笑顔で叫んでるファンの人が次の瞬間大粒の涙を流してる時があるの。そういうのに似てる気がした。感情が振り切れる瞬間というか。ましてや私達の駄目な部分一杯知ってるトッキーだからこそ、…うん、嬉しいんだよね」
-- こちらこそだよ。あなた方に駄目な部分なんてないし、邪魔者扱いせず、ずっと私とカメラを側に置いてくれてる事がなにより幸せです。
「あははは、そうかあ。無意識かあ。ここんところずっとなんかダルくて、体重たかったんだけど、5人であの映像見てまたなんか、ブルルル!とエネルギーチャージ出来た感じがしたんだ」
そう言って繭子は脇を締めて、小さくガッツポーズを取り、真一文字に唇を閉じる。
-- お役に立てたなら何よりです。
「スイーツも最高だし。これ経費で落ちるの?」
-- あはは、なんの心配してるの。あ、聞いていいのかな。アメリカで活動する話、決まりそうなの?
「ああ、うーん、まだ決定かどうかは分からないんだけど。そうなると思うよ」
-- 受け入れ態勢は、出来てるってことだよね。
「フィリップがいるからリリースは出来るよね。詳しい話は私は分からないけどね、レコード会社とか、契約の面とか、時期的な詳細はね。ただ、4人の意志とか方向なんかは、…うん、ちゃんと同じ物を見れてると思うよ。なんか、抽象的な事言って申し訳ないけど」
-- 全然そんなことないよ。そこがはっきりしてるって言えるだけ、凄い事だよ。
「人をたくさん巻き込んでるからね。ちゃんとやらなきゃ!っていう気持ちはより一層強まった」
-- また!?更に!?もー、体壊さないでよ(笑)。
「大丈夫。頑丈だから」
-- そんな風に見えないよ(笑)。
「うそー、骨太だと思うけど」
-- 見えない。
「ふふ。でもそういう気持ちって重要だと思うんだよね。日本だったら何やっても食べて行けるけど、向こうに行くなら実績残さないと活動そのものが続けられないもんね。アメリカだろうと、ヨーロッパだろうと。ただ私自身のスタンスというかさ、そういうものの根っこは変わらないと思うんだよね。メリットとデメリットの話はよく聞くけど、私は正直どこでもいいんだ。どこでも同じだと思ってるし」
-- 繭子はきっと、4人で活動できるなら国はどこでもいいっていうスタンスだと思うんだけど、他の3人はやっぱり夢があるって事なんだろうね。
「いやいや、私にも夢はあるよ。ただその夢は、アメリカじゃないと叶わないか?って言われると、そうでもない気がするんだよね」
-- もうほぼほぼ、叶ってるんじゃないの?
「そうなのかもしれないね。あとは死ぬまでどれだけの人数相手に、私の音をぶつけられるかっていう事だもんね」
-- そうなると、やっぱり市場の大きいアメリカで戦った方が良いって話にならない?
「…なる。なるねえ。そうだね」
-- 本当は寂しいし、日本代表って言えなくなるから、嫌だけどね。
「アメリカ行っても日本人ですけど?」
-- そうか(笑)。そりゃそうだ。
「変なのー」
-- 実際こうやって話をすると、ああ、大きいバンドになったな、やっぱり。って実感する。
「初めて会った時から言ってたもんね、絶対凄い事になります、って」
-- うん、言ってた。
「でも私の言ってた事も理解できるでしょ?私は特別じゃない。この4人だからこそ、凄いんだよ」
-- そうだね。繭子だけじゃないね。竜二さんも、翔太郎さんも、大成さんも、皆凄いよ。
「そういう事です。あー、全部食べちゃった。大満足!」
-- 本当に甘い物好きなんだね、
「普段そんなに食べないからね。体が欲してる時にぐわー!っと吸収する感じ」
-- ほんとにほんとに。吸収って感じだったね。
「あははは」



-- でもちょっと最近また痩せたんじゃない?
「体重は変わらないんだけどね、また筋肉ついた気がする」
-- ほんと?それだけなら良いんだけど。
「あのねえ、最近気づいたんだけど。私毎日ストレッチは欠かさないけど運動とか特にしてないのね。筋トレとかもしてないし。なのに薄っすら腹筋割れてんの」
-- 嘘?
「もうびっくりしたよ鏡見て」
-- バキバキなの?
「ううん。硬くもないし、バキバキじゃないけど、でも線出てきた」
-- へええ、羨ましい。昔から細いの?
「ええ?全然だよ。写真見たでしょ」
-- 高校生の時のでしょ? 細かったじゃない。顔は今より少し丸いけど。昔はどんな子だったの? やんちゃだったんだっけ。
「やんちゃな学校ではあったけど、私自身は別に」
-- でも学校のベランダで煙草吸ってたんでしょ。バッチリメイクで、スカートも短いし。
「そんなのどこにでもいるザ・女子高生だよ」
-- 誠さんにギャルだって言われてたね。
「ああ、言ってたね。あの人の昔の写真見た事ある?とんでもないよ」
-- どっちの意味で?
「あの人1人で芸能界アイドル無双出来るレベル」
-- ふわー!やっぱそっちか。そりゃモデルになるわなあ。
「けど昔は悪かったみたいよ。翔太郎さんと会って更生出来たって言ってたし」
-- あはは。誠さんの話はいいの。繭子の話を聞いてるの。
「スイーツが足りないなあ~」
-- 買ってこようか?
「嘘だよ。えー、何が聞きたいの?」
-- じゃあ、ドラムを始めたきっかけは?
「あっはは、今更そんな事聞くの?」
-- 違うよ。ようやくだよ。
「なんで?」
-- 繭子はこれまで一度も自分の過去を語ってこなかったんだよ。色んな雑誌をくまなく調べたから、間違いない。ニューアルバムのレコ発インタビューとか、大きなイベント出演後の感想とか、そういう近況というか『今』の話は割とバンド全体で言葉を残してきたけど、繭子個人が自分の事を語ってくれるようになったのは、ほんと最近の事だよ。
「えー、そうかなあ?」
-- そうだよ。私ね、初めてここで繭子の言葉を聞いた時に、自分の愚かさに情けなくなったと同時にさ、物凄く嬉しかったんだよね。繭子は自分だけ注目される事を極端に嫌ってた。それは恥ずかしいからじゃなくて、バンドを大切に思っている証拠だよね。それが嬉しかった。こういう人とちゃんと話をしたかったんだって、本気で思ったから。
「ああ、うん。トッキーのそういう所、分かる」
-- だから最初、バンドの今の状態から話を聞き始めて、皆の魅力の根源へ向けて少しずつ過去を辿って行く事で、バンドの本音や本質をたくさん知る事が出来た。一杯笑ったけど、同じだけ一杯泣いた。聞くんじゃなかった、踏み込むんじゃなかったって思った事もあった。だけどやっぱりそれは嘘。私はドーンハンマーが大好きだから。…やっと、ここまで来たんだよ、繭子。
「分かったよ」
-- ドラムを始めたきっかけは、何ですか?
「私は今丸裸にされた気分だよ」
-- あははは。
「別にきっかけは普通だよ。クラスメイトとバンド組もうかっていう話で盛り上がって、最初は私ボーカルだったんだ。だけどギターはともかくベースもドラムも人気なくてさ。その内1人やめ2人やめ。やっぱり皆バンドより恋愛じゃない。仕方ないかなはと思ったけどね、もともと音楽好きだったからなんとか続ける方法ないかなーって探してる時に、軽音部のバンドからドラムが抜けたの聞いて、そこでドラム始めたの。そのバンド自体はすぐやめちゃったんだけど、そこでドラムの楽しさに目覚めたんだよ」
-- それはいつ頃の話?
「高1」
-- それまで経験はあったの?
「なんの?ドラム?ないよ」
-- でも高校を卒業してからとは言え年齢としてはまだ18歳で、ドーンハンマー入ってるんだよ。そんな、2、3年でってこと!?
「え、うん、なんかごめん」
-- ああああ。なんだか、ここへ来て今頃、大成さんの一発目の言葉がズーンと来た。エピソードとか逸話とかそういんじゃない、感覚で理解できたよ。繭子はやっぱり本物の天才なんだね。
「なははんでよ!そんな事ないよ、めちゃくちゃ練習したって言ったじゃん」
-- それはバンドに入ってからでしょう。ドーンハンマーに入る前に、メンバーゼロでバンドもやってない高校一年生が血反吐吐くまで練習なんかするわけないもん。それなのに、たった3年で、アキラさんが叩いてたドラムを不完全ながら叩いたんだよ。今みたいに一日何時間も練習出来たわけじゃないのにさ。ううん、繭子が努力家だってのは知ってるよ。だけどそれだけじゃない、溢れ出る才能があなたにはあったんだって事は、これはもう確かな事だと思う。
「…」
-- あれ。また、怒らせちゃった?
「…」

繭子はソファの背もたれにトンと体を倒し、両手を太ももの間に挟んで俯いた。
首を少し傾たその顔には、照れているような、はにかんでいるような、見慣れない表情が浮かんでいた。

-- なんとか言ってよ。
「…」
-- …ねえ、繭子。
「正解が一つだけ、あとはみんな間違い」
-- 正解はどれ?
「バンド加入前の時点でアキラさんと同じ手数を叩く事が出来たのは本当かだよ、不完全だけどね」
-- うん。
「でもあとは違うよ。メンバーがいなくても、私は一人で血反吐吐くまでドラム練習した。単位を落とさないギリギリまで学校休んでドラム叩きまくったよ、一日何時間も」
-- え、どうして?
「ベランダで煙草吸ってる写真あるでしょ。あの瞬間が私の高校生活のピーク。高1の10月。そのあたりを境に私はいじめを受けるようになったんだ。理由は今でもよく分からない。一緒にバンド組んだ子の彼氏を取ったとか取らないとかそんなくだらない勘違いだったと思うけど、本当は違った気もする。だから実際は3年じゃないよ。2年。2年学校生活から逃げて死ぬほどドラム叩いた。怒りとか辛さとか、寂しさをドラム叩く事で紛らわしてたんだ」
-- えっと、…ごめん繭子。
「何?なんで」
-- まさかあなたがそんな経験をしてるとは思ってもみなかった。
「別にいいよそれは。楽しい思い出じゃない事も多いけど、今思えば無駄ではなかったしね。あの日の練習量のおかげで、私は早い段階で人生の目標を見つける事が出来たわけだし」
-- 他のメンバーはその事知ってるの?
「もちろん。ああ、でも具体的に話してはいないけどね。バレたなって思った瞬間は自分でも分かったけど、細かい事は聞かれないしね。でも全部知ってると思うよ」
-- 凄惨ないじめだったの?
「割と、そうだね。殴る蹴るは普通にあったね。私もやり返したりしたからいけなかった。段々エスカレートしてって、あ、これはちょっとヤバイなと思ってからはあんまり学校行けなくなった。ギリギリまで休めるように単位の計算して、それこそ温情込みで卒業式出してもらえたんだけど、今思えばそこまでして高校卒業に拘る必要もなかったね。学歴とか関係ない人生歩んでるし」
-- よく卒業式なんか行けたね。そこまで酷いいじめを受けてたら私なんか絶対逃げてるよ。
「うん。それがいいよ。今の私が声かけられるなら速攻逃げろって言うもん。…でも、青臭い所があったんだろうね、今思うと。負けてたまるかっていう思いが、高校卒業に拘らせたというか。それにね、やっぱり一人では無理だったと思うよ。その時点で私には、最強のナイトが4人も付いてたし、織江さんも誠さんもいたもん」
-- ああ!よかった!よかったね繭子!
「あはは、うん。今これ10年以上前の話してるからね?」
-- あ、そうだった。でもよかった。皆がいたから、頑張れたんだね。
「うん。これ今まで誰にも言ってないから言って良いのか分からないけどさ、学校に行くって決めた日は、あ、私がちょっとややこしい事態になってるってバレてからだけど、毎回、メンバーの誰かが送り迎えしてくれてたの。捨てる神あれば拾う神ありだよね。恵まれてるなって自分でも思ったよ。何度か私をいじめてるグループとかち合ったことあるけど、さすがに誰も手を出してこないし、以降は直接的な暴力はなくなったな。物隠されたり、授業中何かが飛んできたりとかは相変わらずあったけど。一回さ、校庭の真ん中に4人並んで立ってる事があったの。私の教室見上げてた。学校中が震えあがったよ、ずーっとこっち見てるしさ。翔太郎さんとアキラさん、堂々と煙草吸ってるし。言っとくけど竜二さんと大成さんその時すでにクロウバー解散した後だからね、芸能人なんだよ。しかも警察が来ても全然ひるまないし、全然帰らないの。あの人達は本当に凄いよねえ。最終的に7、8人の警官にそれぞれ脇を抱えられて引き摺られて帰ってったもん」
-- うー。めちゃくちゃ面白いのに、涙が止まらなくなる。
「あはは、そうだね。…私、今でも考えるよ。今の私は、誰かの為にあんな事できるだろうかって。だから一日たりとも、彼らの優しさと行動を忘れたことはない」
-- うん。凄いね。本当に凄いと思う。誰にだって真似出来る事じゃないよね。
「そこをさらっとやってのける凄さってあるよね、あの人達はね。あと…、ちょっとごめん」
-- うん。辛いなら無理しないでね
「うん、辛い話じゃない。…んーと、卒業式の日にね、翔太郎さんがバイクで送ってくれたの。それが凄い素敵な思い出でさ。朝、いつもより早めに家を出て、ちょっと遠回りして学校までの道をゆっくり走ってくれたの。別に何かを言われたわけじゃないんだけどね、私が勝手に色々考えちゃって、堪え切れずに泣いたのを覚えてる。学校さぼりまくってるしさ、褒められるような形で卒業を迎えたわけじゃないんだけど、でもなんだかちょっとは誉めてもらってるのかなって、嬉しくてさ。それでさ、学校着いたら、誠さんや織江さんやテツさん達も皆いて、花束貰ったんだよ。嬉しかったよぉ、メッセージカード付なの。今でもそれ写真立て入れて、ベッドの頭んトコに飾ってるもん。だけどその時にはもうアキラさんはいないんだよね。だから、色んな感情で胸が張り裂けるような卒業式だった。辛い事も一杯あったけど、でもやっぱり幸せ者だと思うし、そう思いたい」
-- うん。そうだね。
「あー、なんかスッキリした。隠そうと思ってたつもりはないけど、敢えて言うにも結構勇気いる話だしさぁ、きっとスイーツパワーがあったから元気出たんだと思うよ」
-- ごめんね。
「だからもう泣かないで、ね?」
-- ほんと私って、もう、一体何をやって、何をやってるんだろうね。
「あはは、そんなふり絞った声出さなくて良いって」
-- 私ずっとここにいたのに。
「…」
-- ずっと見て来たのに。そういう人間の起こしていい過ちじゃない。
「知らないもんはさ、仕方ないよ。そこまで思う必要ないって」
-- 自分で自分の浅はかな言動に腹が立つんだよ!
「ううん、別に隠し通す事も出来たよ。でも、トッキーには話してもきっとマイナスにならないって思ったから」
-- ごめんね! 繭子、ごめんね!あなたにそんな辛い過去を今ここで思い出せるべきじゃ無かった!私が馬鹿だった!
「だから(笑)。…そうだなー、じゃあまたスイーツ買ってきてくれたらチャラね」
-- 全財産ぶっこんで地元のコンビニ丸ごと買い占めて来る。
「重い重い、重いよ(笑)」
-- 次もきっともっといっぱいたくさん、もうめちゃくちゃ持ってくる。
「あははは!まあ、…だからさ。アキラさんがいなくなって、しょんぼりしてる皆を見てさ。私思ったの。私の居場所はここだよね。ここを離れたくない。私は彼らの為に人生の全てを捧げてもいい。違うね、全てを掛けたいって。私の持ってる物全部、この人達と一緒に燃やし尽くそう。そういう人生を生きたい。そうやって死にたいって、あれからずっと思ってるんだよ」
-- …凄いね。もうそれしか言えないよ。
「そんだけ泣いたんだからさあ、今私号泣してますってちゃんと記事に書きなよ?」
-- 書かないよ、めちゃめちゃ怒られるんだから。
「庄内さんに?あはは、庄内さんも面白いよね。私庄内さんがぶっ飛ばされた話聞いた事あるよ」
-- 誰に?
「翔太郎さんに」
-- え、なんで。何しでかしたのあの人。
「まだバンドがデビューしたての頃って、庄内さんも大分尖ってたんだってね」
-- うん、そうらしいね。
「それでね、なんのインタビューか忘れたけど、竜二さんがお酒たくさん飲んだ状態で遅れて参加したの。したらさ、庄内さんが『何酒かっくらって粋がってんだ、ああ!?』ってテーブルをバーンって蹴ったの!重たいテーブルだったんだけどさ、変な角度で滑って竜二さんの膝にガツって当たったの。その瞬間一番近くに座ってた翔太郎さんが立ち上がる勢いでそのままバチコン!」
-- それは仕方ない。それは殴られる。うん。先にテーブル蹴ってるからね。それはダメだ。
「こっちも遅刻してるけどね(笑)。でも後日談があってね。庄内さんから直接聞いた話なんだけど、あの時翔太郎さんが殴ってくれて良かったと。殴ったっていっても聞いてないと思うけど、グーじゃなくて平手打ちだったんだって。顎に来たからクラクラはしたけど、だってさ。あははは。それでね、何が一番ビビったかって、翔太郎さんの隣に座ってた竜二さんの顔がもう一生見たくないレベルで怖かったんだって。腕組みしてじっと庄内さんを睨んでるんだけど、目が真っ赤に血走って、でも超笑ってんだって。その顔がさ、翔太郎さんに殴られる寸前に見えたんだって。死ぬほど怖かったって。あそこで殴られてなきゃ今こうして話せてないかも、だって、めっちゃ笑ったもん!」
-- 怖いよ!おもしろくない、怖いって!
「あははは!」
-- もう、何その話、めちゃくちゃ怖いよー。
「たまたまそう見えたんだと思うよ? 竜二さんにしてみたらさ、蹴るスグ殴られる、だからさ。ホラー、うちの特攻隊長怒らせるからすぐ殴られてるーって思ってニヤニヤしてただけじゃないかな」
-- 特攻隊長?あはは、そうかもねえ。あー、んんー、でもさあ、さっきの話じゃないけどさ。繭子はよく、自分がそういう目に合って来たのに人の暴力的な面とかエピソードとか、笑って話が出来るね。乗り越えた切っ掛けみたいなのは、やっぱりドラムだったり音楽だったりするのかな。
「うーん、乗り越えたかどうか分からないけど、単純に、きっと先入観とか固定観念みたいなのはもともとないかもしれない」
-- どういう意味?
「例えば自分と全く関係ないようなストーリーの映画見てても、誰かが殴られるようなシーンがあると思わず過剰に反応したり目を背けたりっていう事ってあると思うの。なんて言うんだろ、えー、心理的な」
-- トラウマの事?
「それ。そういうのは私初めからなかったんだよ。多分、良いように考えると、暴力から逃げたわけじゃないっていう思いがあるからだろうね。その根元にある若い子の止まらない勢いとか残虐性に身の危険を感じて離れたっていうのはあるけど、私自身何度も人を殴ったり蹴ったりしてきたし、嫌いだけど、うーん、難しいな、そこが問題ではなかったっていうか」
-- 人の心が、本当の怖さだって言うのを見抜いてたのかな。
「そうなのかな。それと同時にあの3人のナチュラルな暴力性も知ってるから、一瞬だけ、ちょっと羨ましいって思った瞬間もあったよ」
-- ん?
「私も、こんな風な強さがあったら、逃げずに済んだかもしれないんだなーって」
-- ああ、そうなるのか。そう思っても仕方ないよね。
「運がいいのか悪いのか、私自身はそこまで凄いのは見たことないけど、誠さんが一度だけアキラさんがいた時代の、4人の大立ち回りを見たことがあるんだって。その時の話を聞くとさ、ちょっと勘違いしちゃうよね。喧嘩の強さが、彼らの強さの根源にあるのかなって」
-- だから一瞬羨んでみたり。
「うん、全然関係ないんだけどね」
-- 本当はね。
「だって。喧嘩なんてしてなくたって、彼らの凄さや人間的な強さは、毎日目の当たりにしてるしね」
-- その通りだね。いや、全くその通りだ。



池脇、伊澄、神波にも繭子の過去について話を聞いた。
繭子と話をした日の、実は翌日である。
予定ではこの日私は、アメリカでの活動意欲や試写会での思い出話を彼らに聞くつもりだった。
しかし笑顔でスタジオに入って来た3人が私の前に立ち、そしてソファーに腰を降ろした瞬間、愛すべき彼らの優しさに私まで包まれた気がしたのだ。昨日繭子が座っていた場所に並んで腰かけた3人は、いきなり泣き出した私を見て唖然とした。
彼らが繭子の側にいて本当に良かった。でなければ、世界はヘヴィメタル界の至宝を失っていたかもしれない。無限の可能性を秘めた女の子を、この世から失っていたかもしれないのだ。
『ごめんなさい』
謝罪の言葉を口にしたまま震え始めた私を見て、池脇はオロオロと狼狽し、伊澄は銜えて火を点けようとしていた煙草を落とした。神波が立ち上がり、ティッシュケースを持ってきてくれた。
繭子の過去を聞いたとだけ伝えると、彼らはしばらく間を置いて、全てを理解したような表情を浮かべた。
伊澄が眉間に皺を寄せて、煙草に火を点けると、珍しく神波が伊澄に煙草をねだった。
無言で伊澄はケースとライターを手渡した。
そもそも、この話について尋ねるつもりのなかった私には、彼らに投げかける質問を持ち合わせていなかった。しかしこんな状態で、「アメリカでの活動は決定ですか?」などと白々しいインタビューは出来ない。
困った事になったな、と私自身が思っていた。一度感極まって泣いてしまうと、なかなか直ぐには持ち直せないのだ。
いつもそんな時、彼らは黙って待っていてくれる。
やがて、天井に向かって大きく煙草の煙を吐き出すと、神波がこう切り出した。
「可哀想だなあ、とか。そういう保護者目線な優しさは俺にはなかったよ。ただ、腹が立って仕方なかったんだよね。こいつらもきっとそうなんだけど」



神波大成の言葉。
「昔俺達が使ってたスタジオのドアには丸窓があって、そこからひょっこり顔を覗かせたのが切っ掛けかな。顔つきは正直よく覚えてないんだけど、元気があって、明るくて、いつも興奮してて、音楽好きのどこにでもいる高校生だったと思う。だけど俺達がクロウバーだったのを顔見た瞬間分かったみたいで、そんな高校生はやっぱりレアだし、そこは素直に嬉しかったね。竜二が一番最初に声掛けて、入れ入れ、いいよいいよ、なんつって。思い返せば、今とは全然違うね。雰囲気から何から、幼いとか言うより、別の人間にすら感じるね。今が駄目とかじゃないよ。まあ、単に初々しい印象って事なのかもしれないけどね。…良い子だったよ、礼儀正しいし、出しゃばらないし、でもなんかこう、湧き出るパワーみたいなのはあった。何かを伝えようとするんだけど、言葉が見つからなくて、口をパクパクさせて、頬を赤くして、諦めるみたいな。…あははは、嬉しいよね、そういうさ、気持ちが前へ出ようとする純粋な子が、自分達のファンだって知るとさ。年齢や性別関係なく、俺達の『格好良い』は伝わってたんだなって、初めて実感したかもしれない。繭子のおかげで」



伊澄翔太郎の言葉。
「自分達に覚えがあるからさ、人が傷を作って来るとそれが何で出来た傷かなんて見たら分かるんだよ。いくら笑顔で、こけたんですーとか、ぶつけちゃってーとか言った所で、拳骨で顔面イカレなきゃ出来ない痣は隠せない。そもそも人って言う程、顔に傷って作れないからね、無意識に守るから。…あー、…これは、そういう事かって。俺達の時代も酷かったかんだよ。散々殴られて蹴られて、殴り返して蹴りまくって生きて来たから、そこは別にどうでもいいんだけど、嫌だったのは加減が分かってない奴が複数で繭子を囲んでる絵が浮かんじゃってさ。そういうのも、なんとなく分かるんだよ。それに対して、こいつ一人で戦ってんのかなあって思うと、放っておけなかったよ。俺達はさ、どんな時でも4人でいれたから。一人で戦って一人で血流してるあいつはもしかしたら自分だったかもしれないって思うと、ゾッとしたよ。だから流儀としてさ、あいつを対等にしてやりたいだろ。向こうが複数で来るならさ、こっちはその上を行く質の高い暴力で勝負させてやろうかって。っははは、大人気ないだろ?遠慮しないで俺達をつれて行けって言うとさ、めちゃくちゃ良い笑顔で笑うんだよ。大丈夫です、って。…良い子だろ?」



池脇竜二の言葉。
「当時まだアキラもいてよ、面白かったんだよ。俺達はもうドーンハンマーって名乗って、ファーストアルバムを出した後だったな。うん、確かそう。繭子ってさ、今もそういう所あるけど、遠慮の塊みたいな奴だったんだよ。なんでかなーって考えると、年齢の差なんかじゃなくて、あいつが辛い学生時代に身に着けたしょしぇいじゅ、そせーい、しょ、しょせーいずつ。ソレ!それなんだって思って。そこを俺達がどうのこうの言って、もっとこうしろだのあーしろだの言ってさ、例えばよ、やられたらやり返せよとかさ。もっと学校中を巻き込んで大事にしてやれとかさ。もっと親を頼れとかさ、言っても仕方ねえだろ?そんなんさあ、あいつがどうしたいかが全てだし。だからさ、俺達は根気強くあいつの言葉を待ったよ。最初っから俺達が出張って行くような馬鹿な真似はしてねえよ。大成も言ってたけどさ、めちゃくちゃ腸煮えくり返ってたよ。乗り込んでってあいつの学年まとめて潰すくらいわけねえよって息巻いた時もあったし。けど、…うん、それは違うんだろうなって」



繭子自身は、過去の自分を救ってくれた彼らをこんな風に捉えている。
「あの人達が素敵だったのはね。…まず音楽やバンドについて私に話しかけてくれる時はいつも、満面の笑顔で身振り手振りなの。見てるこっちが照れちゃうくらい、優しい顔で『この話凄くない!? 繭子どう思う!?』『俺ぜってえこういう曲格好良いと思うんだよな、ちょっと聞いてくれよ』『なんでこんなゴミみたいな音でここまでグイグイくるような迫力になるかねえ?』『ドラミングって言われるといっつも頭ん中にゴリラが出てくるんだよー』…。あはは、もう本当に素敵すぎるよね。想像つくと思うけどね、やっぱり底抜けに優しい。ああ、こういう人達って本当にいるんだな、この人達に出会えて良かったなって。ここにいていいよって言ってもらえるんなら、ここに来るためだけに生きよう。その為なら学校サボるくらいワケない。いじめになんか絶対に負けない!…って、そういう気持ちにさせてくれた事。説教くさい台詞一切言わずに私に勇気をくれた事。誠さんや、織江さんや、カオリさんや、ノイさんっていう最高な女性が彼らを支えていて、彼ら自身はずっとどんな時もただの音楽馬鹿で、いつも笑ってた。だけどね、私がいない場所では違ったんだって。…なんとかしてやりたいんだって、そう言ってくれていたって聞いて。ああ、これは私が変わらなきゃ駄目なんだって気づいたの。私が今のまま、ただここで甘えて笑っているだけじゃ駄目なんだ。彼らに不要な気遣いをさせてるだけなんだって。だけどさ、…その時にはもう、何がどうなってんのか分からないくらいの、理不尽な毎日だったんだよ。くっそー、卒業したかったな、これ以上親を悲しませるのは嫌だな、なんで、どこで間違えたんだろうって。…そんな時にさ、あの4人が言ってくれた言葉あるの」



R「なんかさ、…もういいかなと。言って3か月ぐらいは我慢して見守ったわけだし。短いって思う?いやいや、毎日だからな、あいつは」



S「そのー…心が折れないのがさ、あいつの答えみたいなもんだろ?」



T「体の色んな所がさ、傷だらけなんだよ。でもさ、一番痛いのはきっと心だよな」



R「ある時さ、右腕に三角巾、左足にギブス、右目眼帯っていう瞬間があって」



S「それでも折れないって凄くない?いや、凄いよな」



R「なんか段々と、なんで俺が我慢しなきゃいけねえんだ?って」



T「だって、それでも繭子は俺らの前で笑ってたから。アキラそれ見て目を背けたからね。あいつ凄いな、俺あんなの見てらんねーよって」



S「ちょっと来いっつって。繭子、来いお前、ここちょっと座れっつって」



M「…あー、ついに来たかーって。ここに来るのももう最後かなーとか過ぎったよね。ちょうど高1の終りかな。一番体力的に辛かった頃にさ、昔のスタジオで、彼らに呼ばれて。椅子に座らされて。4人に囲まれて。入口で織江さんが見てるの。絶対説得される。もう来るなって言われるって。こんなとこ来てる場合じゃないだろって言われてしまうって。いや本当だよ。そう思ったもん」



T「きっと4人ともが同じように思ってたよ。繭子がさ、もしこの先、あいつの心が折られるような事があったらさ、絶対学校乗り込んでいこうなって。っははは、本気だよ。でも一回だけちゃんと聞いて置こうって、うん。一回だけね」



『俺達ってそんなに頼りない?』



M「だって。ブワ!って、抑えてた気持ち全部弾け飛んだ。うん。だからね、私、よろしくお願いしますって、言った。別にね、いじめてたグループをなんとかしてくれとか学校をなんとかしてくれとか、具体的な何かを求めたわけじゃないんだよ。気持ちでね、気持ちの上で、頼っていいんだっていう思いが、私の力に変わった」



R「なんつーか、それはもうあいつだけの問題じゃねえなって。現に俺も皆も怒ってたわけだし。それは繭子個人を思っての事なのか、理不尽な世の中に対する自分達なりの抵抗なのか、分かんねえけど。怒ってたし。黙って見逃すくらいなら」



S「一人二人攫って○○で○○○○、○○ったって分かんねえだろう!って」



T「アキラと翔太郎がもうえぐいえぐい。…まあ、優しいの裏返し?」



M「それでもあの人達は、本当にただの一度も手を出さなかったし、大声で威嚇する事もしないし、学校側や相手グループに直接手を出すっていう事はしなかったよ。きっと後々、全部私に返って来るって分かってたんだろうし、そういう手助けの仕方が年齢的にも立場的にも格好悪いっていう意識があったと思う。今思えばだよ、アキラさんや翔太郎さんが手を出さなかったのは奇跡だもん。うん、さっき言ったみたいに、送り迎えとかで常に私の側にいることで、『お前は自由にしてていいんだ』、『その権利はちゃんと俺達が守ってやる』っていう。そういう声掛けをいつもしてくれてたし、それが私の命を繋いだと思う。前にさ、トッキーに言ったことあるよね。例え彼らに何をされようが私は傷つかないし、裏切られたとすら思わない。そのくらい彼らを好きだという気持ちに自信があるって。…分かってもらえたよね?」



S「卒業式?…あー、はいはい。バイクでね。はいはい。そう、あいつの実家まで迎えにいってな。ちゃんと親御さんにも挨拶したよ、怪しい奴ですみませんって(笑)。いやー、どうだったかな、泣いてた気もするな。朝っぱらから3人でお辞儀して。こっちダブルのライダース着てたけど。あははは!繭子?うん、確かちゃんと、メイクもして、制服着て、誠から貰った上等なコート着て、うん、憶えてるよ。良い笑顔だったよ。役得だったんじゃない? 俺。そん時確か竜二が免停で、大成の改造ハーレー壊れてたんだよ。んで俺がマーからバイク借りて。そうそう、いい年したオッサンがよ、後ろに女子高生乗っけて。朝からね、もうルンルンで、そりゃあーゆっくり走るさ。お前ら見ろ、後ろ、可愛いの乗っけてんだろって。そう、誠いないから今なんでも言えるし。っははは! 嘘うそ。うん。…だから結局、何もしてやれなかったしな。…頑張って、すげえ頑張ってたし、あいつ。そいでようやっと卒業までこぎつけたんだからさ。そんな、パパっと行ってパパっと終わったらなんか可哀想じゃない? 長かったと思うんだよ、あいつの2年は。人生で一番長い2年じゃねえかな。だから、…この先良い事あるといいなって、我ながらクサイ台詞吐いたんだけど、あいつ答えないでやんの。…あ、そうなんだ?うーん、そう言えばそんな気もするけど、いや俺ライダース着てたから。…お、お疲れ!ちょっと来いよお前、なにこのスイーツ、どんだけ食うつもりなんだよ。…嘘だろお前! あははは!」


繭子。
良かったね。
色んな思いを乗り越えて、
振り切って、
全力で走って、
今日ここにいるんだね。
良かったね。
もう大丈夫だよ。
あなたのその弛まぬ努力と勇気が、
この先もあなたを幸せへと導き続ける事を、
私達は心から願っています。
これからもずっと、友達でいてください。
大好きです。
ユー・アー・マイ・エンジェル!
卒業おめでとう。


     『卒業式に贈られた花束に添えられた、メッセージカードより』

連載第29回。「刻み込む」

2016年、10月16日。


まだ夕方前の早い時間に、4人が揃ってスタジオのソファーに並んで座る姿を久しく見ていない気がした。それは本来とても素晴らしい事を意味している。しかしどこかで勝手に、大切な時間を失っているような気にもなって、寂しいなどと子供じみた言葉を口にしそうな自分の浅はかさに慌てる。
これまでも私は色んなバンドを見て来た。
その誰もが成功を夢見ていた。しかし当然、人によって成功の形は違う。
ドーンハンマーにとってそれはどんな形をしているのだろうか。
改めて言葉にしてもらった。


-- お疲れ様です。貴重なお時間を割いていただいて感謝しています。バンドのこれからのお話をお伺いする前に、もう一度だけファーマーズでの夜を振り返らせてください。生涯忘れる事のない素晴らしい思い出になったと思います。まずは竜二さん。最高のスピーチでしたね。
R「おう!ありがとう!」
-- ほんの数時間前まで白紙だった原稿を見ているので、本当に心から衝撃を受けました。アドリブだそうですね。
R「ああ。ある程度用意してた言葉はあるけど、ほとんどその場で考えながら喋ってるよ」
-- 信じられません。何度聞いても、練りに練った内容だと感心するのですが。
R「そうかい?まあ、俺の前に話をしたニッキーやリディアの言葉を受ける形でワードを振っていったから、そんなに難しくはなかったよ。それよりも、もう単純に、楽しかったよ!」
-- あの状況でですか。本当に凄いお人ですね!ご存知だとは思いますが、アメリカの芸能ジャーナルでは翌日のトップワードがあなたの言葉になったんですよ。『Absolutely, never forget us』。写真付きでドーンと紹介されました。
R「よくあるセリフじゃねえか。あんましそこ突っ込まれると照れるよ。まあ向こうでは割と好意的に受け取ってもらえたのは嬉しいけどな。アメリカ人はメタルに寛容だから助かるよ。メタリカ様様だな」
-- あなた達の実力です。そしてスルー出来ないのが、舞台上で繭子を持ち上げた大成さんと翔太郎さんの優しさ。分かる人にしか分からない事なのですが、本当に胸が熱くなりました。繭子は一瞬の出来事でしたが、どう思いましたか?
M「えー。…あー、その時はね、また揶揄われたって思って恥ずかしかったし、やめてよて思ったよ。後になってね、凄い経験したんだなあって、今は感謝してる」
-- 完全に空中に浮いてましたね。いくら両腕を掴まれていたとは言え、怖くなかったですか。
M「はは。ねえ。いや、変な話だけどああやって持ち上げられること自体は別に初めてじゃないよ。びっくりはしたけど怖くはないかな。ここでやるの!?って」
-- お二人的にはその場のノリですか? それとも。
S「竜二がおいしいトコ全部持ってくのは予想してたからね。その前にちょっと、こっち見ろよと」
T「そうそう。誰がRYUJI with DAWNHAMMERだと」
R「誰も言ってねえだろうが(笑)」
S「そうそう。ね、なんならMAYUKO with DAWNHAMMERだと」
M「あははは! もー、何を考えてるのか未だに分からない時あるよ。面白いでしょ?」
-- 面白いというか、最高に素敵な人たちだなって、ただただ感動しかないです。バンドの音や世界観よりも、人としてのエネルギーが前に出てくる人達を初めてみたかもしれない。暴言かもしれないけど、バンドなんかやってなくたって、どんなジャンルでだって、世界の舞台に立てる人間力を持ってる人達なんだろうなと思います。
S「言い過ぎ(笑)」
R「あんまり肩入れしすぎるとまた庄内に怒られんぞ」
-- それが最近そうでもないんですよ。なんか、面白くなってきたからもう思うがままどんどんやれっていう方向へ変わってきました。
M「へえ」
R「あいつ適当だなあ」
M「お墨付きだね。良かったねえ」
-- 良かったのがどうかは、まだ何とも言えないですね。そうなって来ると、やはり自制しないとただのファン目線の記事しか書けなくなる怖さがあるので。
T「意外とちゃんと考えてる人だもんね、時枝さんは」
-- ありがとうございます。そしてPVがようやく日の目をみました。世界同時配信です。日本でも生放送されていたのはご存知ですか?
R「帰って来てから知ったよ。周りから、見ましたーって言ってもらう事があって、何を?って。そん時知った」
-- 日本だけでなくアメリカ全土、衛星放送やインターネットを含めれば全世界です。やりましたね。
R「やったねえ。これはやったと言っていいよなあ」
-- やりました!ドーンハンマーやりました!
R「あははは!ありがとう。色々助けてもらったな。スタッフみたいな扱いでごめんな、仕事で来てんのに」
-- なんのなんの!ビデオ見てもらったなら分かると思いますが、めちゃめちゃ楽しんでましたからね。あの後ニッキーやジャックにもインタビューする事ができましたし、感謝しかありません。冷静に見返してもPVの出来栄えは彼らの作品の中でも本当に上位だと思います。
M「そこは一番じゃないんだ(笑)」
-- 個人的には一番ですが、そもそもニッキーの専門はCMなんですよ。彼の凄さは映像技術以上にその発想力なので、テーマをどこまで飛躍させて映像に落し込むかに命を懸けてる部分があります。その点で言うと、今回のPVもそうですがやはり彼を一躍有名にした生命保険のCMがダントツに凄いですよ。音楽業界で名を馳せたのはどちらかと言えばジャックの方が先です。
M「そういう話させるとほんとイキイキするねえ」
T「勉強になるよ、出来ればもっと前に知りたかったけどね」
-- 面目ないです。
S「まあ、俺らが興味示さないのが悪いよな。特にこいつ」
そう言って伊澄が繭子の頭に手を置く。
-- あはは、失敗しましたねえ。
M「今色々聞いたけど多分、(今後も)見ないからね」
-- だんだん翔太郎イズムが強くなっていく気がするのはなんで!?
S「だから俺じゃないって、繭子イズムな」
-- うふふふ。更に話題になったのが、竜二さんのスピーチが終わり、合図とともに演奏が始まった瞬間から、上のオーロラビジョンで流れていたPVの音と生演奏がピッタリ揃っていた事が本当に観覧席に衝撃を与えたようです。私は舞台袖にいたのでその様子を見ていないのですが、ああ、ドーンハンマーらしいエピソードだなあと。実際オーロラビジョンの音は大分絞られていたと。
R「前も言ったと思うけど、音に関しては新録じゃなくて音源から引っ張ってるからさ。生演奏でも特に変わった事しなけりゃ普通そうなるよ」
-- え、ならないですよ。
R「もちろん意識してないわけじゃねえよ。上で今まさに映像流れてんのは知ってるから、そもそも合わないと変な空気になるだろ。ただニッキーにもジャックにも悪いけど、こっちはやっぱり、俺達を見ろ、くらいの気持ちでやってたよ」
-- それはそうだと思いますが、凄まじい技術力だと念押ししておきます。残念だったのが私の位置からだと大成さんが一番遠くて。やっぱりライブは正面で見るものですよね。良かったのはPVと同じタイミングで翔太郎さんの足の踏み込みが見れたのは嬉しいですね。
S「あれ、どうなんだろうな。あれ別に『SPELL』以外でも普通にやるんだけど、ああいう加工されちゃうと恥ずかしくてもう出来ないよな」
(PV作品中何度も出て来るシーン。彼が勢いをつけて左足を地面に踏み込むと、大地が陥没し、ひび割れるのだ!)
-- そんな事ないですよ。まあ、映像の中では後半ただ2、3歩後ずさりしただけでも地面割ってましたからね。そこらへんは過剰な表現ですけど、逆にファンは歓びますよ。
S「ならいいんだけど」
R「大成もそうだけど、基本的にあんまし動く方ではないもんな、俺らって」
-- そうですね。基本的にライブの開始時点はほぼ不動ですよね。でもそこは自然なのでおかしくはないですよ。堂々としていてクールです。却って、ライブ中盤から後半にかけて、客のテンションとステージ側のテンションがぶつかり合い出してからの動きが格好良いわけですから。
S「そうだよなあ。俺テンション上げる為に動くのは好きじゃないんだよ」
-- そこらへんも一般的なバンドとは逆ですよね。だからこそ、翔太郎さんや大成さんが大きな動きで客を煽る姿を見れた時の興奮は何倍にも高まるのだと思います。竜二さんご自身も、ギターを担ぐのが基本スタイルなので、よくあるようなモニターに足を掛けるロックンロールスタイルを見た事ないですね。
R「アクセル・ローズとか?」
-- 怖いので名前は出さないでください。でも、そうです。
R「○○〇〇!〇〇〇!○○〇〇って!」
-- だから!もうー…。
R「あははは、ごめんごめん、でも、そうだろ?」
-- はい。
R「はいだって!」
4人の笑い声が爆発する。
あまり褒められた笑いでないのだが、それでも私はつられて一緒になって笑ってしまう。
-- あの後、ニッキーやジャックとは話をされたんですか?
R「終わった後? 直後に袖で言葉を交わしたのはあるけど挨拶程度かな。向こうも興奮してたし長話は無理だよな。でも俺達としては終わったらすぐに帰れると思ってたんだけど、そうはいかなかったな」
-- 帰るというのは?
R「宿舎にな」
-- ああ、びっくりしました。終わったんなら速攻日本へ帰る!って言い出しかねないなと思って(笑)。
M「今私もそう思った。(日本に)帰る気だったんだ、と思って」
R「帰れるもんなら帰りてえよそりゃ。そっちはいつインタビュー撮ったんだ?会場で?」
-- 翌日です。ほとんど帰国する直前です。織江さんには本当にお世話になりました。
T「ああ、それでやたらとバタバタしてたんだ」
-- 申し訳ございません。今、英語の猛勉強中でございます。ジャックやリディアとも会えたんですか?
R「会場ではな。めちゃくちゃ写真撮られたよ、知ってると思うけど」
M「翔太郎さんがすぐ飽きてイチ抜けしちゃうから、そりゃおかしいだろって私と大成さんも抜けたんですよ。後は竜二さんとリディアのツーショットが、長かったですね!」
S「付き合いきれないよあんなの」
T「はは」
-- 海外メディアはそれでも喜んで撮ってましたよ。最後の最後に会場の熱気を総ざらいしてったバンドのボーカルと、今一番ホットなハリウッドセレブの2ショットですから。
R「まあ、楽しい経験だったよ。それは間違いない」
-- 写真を撮られている間中、2人で何かお話されてませんでした? ずっと口と表情が動きっぱなしでしたが。
R「そうそう。作法なのかなんなのか知らねえけどさ、腰に手を回して来いって言うわけ。なんでだよって思ってたら恥をかかせるんじゃないとか言い出して。知らねえよとか思いながら一応それらしいポーズとって、笑って。それでもなんか、ケツを触るんじゃないとか言われて面倒くせえなあとか、なんかずっとそんな」
-- (笑)、ああいう場面ってよく見ますけど、実はそんな普通の会話だったりするもんなんですね。
R「フラッシュとかシャッターとかあれだけ近いと音がすげえから、多分何言ってるか周りには聞こえないだろうな。リディアはずっと笑ってんだけど、耳元でずっとぶつぶつ小言言ってた気がする。でも最後の方で、なんだっけな、…ああ、そうだ。あなたはやっぱりヒーローだって言ってくれたんだよ」
-- そうなんですか!それは嬉しいですね。私も見ていて何度も胸が熱くなりました。王手を掛けましたね。
R「いやいや、世界で勝負するためのスタートラインだろ、まだ」
S「気が早い(笑)」
-- となると、やはりお伺いしないわけにはいきませんね。バンドは次のステップへ行くと捉えて問題ありませんか?
R「ああ。…行くよ、アメリカ」
-- 正直にお答えいただきありがとうございます。興奮が抑えきれない。潔いですね、やはり。
R「なんで?」
-- 明言したくないバンドも多いですよ。行って、箸にも棒にもかからず逃げ帰って来るパターンも普通にありますからね。公言してないだけで、実は一時期活動の拠点を海外に移していたバンドはたくさんいます。
R「別にそれでもかまわねえからな。行ってだめならそれまでの話だ」
M「どこでだって歌えますもんね。私も、どこでだって叩けるし」
-- そうですね。
M「この3人が私の前に立ってくれるならね。そうだ、この際だから私前もって言っておきますけど、この先色んなステージ立って、セッションとかシャッフルとか色々経験すると思いますけど、私絶対3人以外の人とはプレイしませんよ」
R「気持ちは分かるけど、どこまでそれが通用するかな。やっぱいつかはそういう事も」
M「しませんよ」
R「有名なバンドとコラボしたりするとハクがつくぞ?」
M「しません」
S「トム・アラヤ(スレイヤー)がマーユー!ヘーイ!って来たらどうする」
M「あの人もシャッフル嫌いじゃないですか」
S「ええ。ああ、じゃあ、ジェイムズ(ヘットフィールド、メタリカ)がマーユー!バッテリー!って来たらどうする」
M「なははは!ちょっと馬鹿にしてません?」
S「してないしてない」
M「ジェイムズかー。でも断りますよ」
T「ジョーイ(ベラドナ、アンスラックス)は?」
M「ジョン・ブッシュ(ex アンスラックス、アーマードセイント)でも駄目です」
-- アンダース・フリーデン(インフレイムス)も、マルコ・アロ(ザ・ホーンテッド)も、ヨハン・リンドストランド(ザ・クラウン)も駄目?
M「ダメ」
R「昔好きだったじゃねえか、チルボドの」
M「アレキシ・ライホ? ダメです」
伊澄と神波が顔を見合わせる。
他、誰がいる?と小声で囁きあっている。
もちろん繭子には2人の会話が聞こえており、彼女は苦笑を浮かべて首を横に振っている。
何かを思い出したような顔で、池脇が人差し指を立てた。
R「あ!」
M「ダーメ!」
R「…まだ言ってねえし。…URGAさんは?」
M「あははは。あー、まあそれはぁ、…卑怯だぞ!」
R「イエーイ」
M「私気づいたんですよ。ってか思い出したんです。私はもちろんドラムが好きで一生ドラム叩いて生きてくって決めたんですけど、でもそれは結局『このメンバーで』っていう鍵カッコ付きなんですよ。だからこの3人がいない音楽人生は考えられないし、もし誰か一人でもバンド辞めちゃったら、私も辞めますよ、忘れないで下さいね。もしそうなった場合、おそらくですけどその人はきっと辞めたくて辞めるわけではないと思うし、その時はきっと助けが必要になっていると思うので、私が支えます」
思い詰めたような繭子の言葉とあまりの真剣さに、男達は一瞬声を失った。
R「お前、何の話してんの?」
M「分かりません。でも言っておこうと思って」
S「え、誰の話?」
M「分かりません」
T「なんかそれっぽい話を誰かとしたのか?」
M「してません。仮の話です。誰がとかじゃなくて誰でもそうです。私がそうしたいんです。と当時に、同じ事ですけど、3人とプレイする音楽以外に興味がないので、マイケル・ジャクソンが実は生きてて私の為に新曲書いたよって言ってもお断りします」
S「そこは俺達の為にやってくれよ! マイケルだぞ!?」
M「あははは!ダメです。そういう意味では私は世界一高い女です」
R「高過ぎだろ…」
M「あはは」
-- 私は分かりますよ。全部仮定の話だと思いますけど、繭子のバンド人生、音楽人生の根源の話ですよね。すっとぼけている3人だってちゃんと分かっているはずです。だからもうこんな悲しい話はやめにしましょう。
M「そーお?皆理解してるかな?」
-- うん。大丈夫。だからアメリカの話しましょうか。

伊澄と神波が顔を見合わせて微笑む。
池脇はそれでも納得していない表情なのだが、怒っている様子ではもちろんない。彼らはいつでも自分で決めた道を突き進んで来た。今更誰が何を言おうが、一度決めた事は曲げないという信念を持ってお互いを見ている。例えばそれが繭子であったり、池脇であったり、相手が誰であろうと同じ事だ。本人が決めた事は、本人にしか変えられない。周囲が納得しようがしまいが関係ないのだ。その事が既に分かっている私は、何も言わずに話を進める事にした。

-- すばり、あなた方にとっての『成功』とは何ですか?
R「長く続けられることかな?」
-- へえ!?
R「(自分たちの間で、という手振り)これまでもそういう話したことあるからな、変わってねえよ、そこはずっと」
S「コンスタントにアルバムを出せて、イベントでもワンマンでもライブがやれて、客が喜んで叫んでる時間が長く続けばいいな」
T「そうだね。それが一番かな。それしかやりたいことないしね」
-- 繭子は?
M「同じだよ」
-- 素晴らしいお答えですね。私の感想などどうでもいいのを承知で言わせていただくと、個人的な理想がすべて詰まってます。
R「どういうこと?」
-- 先程のような漠然とした質問を投げかけた時、日本のバンドやミュージシャンの多くが、同じように漠然とした返事をすることが多いです。『世界中に俺達の音楽を届けたいんだ』とか。『ワールドワイドな活躍が出来たらいいな』とか。
私の言葉に4人が肩を揺すって笑う。
-- 具体的なビジョンが見えていなんだろうな、空想で話をしてるんだろうな、と。私はそれをバカにはしませんが、それでいいのかなと思ってしまう事も正直あります。ですが一言目に出て来た「長く続けたい」という返事は、あなた方個人のパブリックイメージやバンドのカラーとは少し違っているように感じてとても意外であると同時に、人生イコール音楽なんだなという思想が強く感じられました。
R「そうかもしれねえな」
-- 具体的に自分達のこれからがはっきりと見えている事が、とても素晴らしいと思います。ですが、初めからそうだったのですか。あるいはどこかの段階で、今みたいな現実的な発想に近づいたのでしょうか。夢を夢で終わらせない気持ちやそのための努力の仕方を、どこで学んだんでしょう。
R「そんな難しい話か!?」
S「夢とか成功とか、そういう捉え方をしたことは一度もないよ」
-- そうなんですか?
S「前にもチラっと言った気がするけど、やりたいと思った事をただやるだけだよ。それは夢とか成功とかそういうんじゃない。ただの明日だし、ただ来週の話をするのと同じ」
M「あはは、格好いいでしょ?何が格好いいって、本気でそう思ってる所だよね」
S「馬鹿にしてる?」
M「私が翔太郎さんを!? 私はもっと、夢見る夢子の時代もちゃんとありましたからね。さっきトッキーが言ったような、漠然とした夢を空想してた事もあります。でもいつの間にか、そういう事を考える意味の無さを理解したというか」
S「意味の無さ?」
-- 結構辛辣だね。
M「そうかな? 別に誰かをディスってるわけじゃないよ。んー、例えばね、…目の前に曲があります。そこがスタートね?それをこの4人で笑いながら、骨組みに肉を付けていきます。とても、楽しい時間です。レコーディングして、形にします。それを4人でひたすら延々とプレイします。そのうちもっともっと格好いいフレーズやテンポなどが聞こえてきて、何度も何度も少しずつ進化していきます。そんな曲達が増えて行くと、アルバムになります。じゃあこれでライブ出来るね、って言って発売します。ライブやります。喜んでくれる人達がいます。…お金が入ってきますー、あはは。そうやってね、毎日毎日、この4人で曲を作ってプレイし続ける事がさ、もう既に私の夢であり成功なんだって気づいたんだよね」
-- 欲がないと言えば欲がない。だけど繭子にとっての成功が今の日常を長く続けることなのであれば、それはそれで大変だし、努力だって必要にはなるよね。
M「それはそう思うよ。ただ何もせず毎日が惰性で続いていくとは思ってない」
-- 海外でプレイ出来るようになったり、PVを世界的アーティストに撮影してもらえたり、それこそ活動の拠点を海外に移せたり。そういうバンドとしてのステップアップはどのように考えていらっしゃいますか?
R「出来過ぎだよなあ、正直。ストーリーとしては、十分シンデレラだよな。だけどそこを目標にしてきたかって言うとまた話変わっちゃうけどよ、こいつらとバンド組むって決めた時点で、世界に行く事はもう決めてたから」
T「クロウバーやめて、やっぱりこういう音楽やりたいって思ってバンド組んだ時、翔太郎とアキラの目の前で、宣言したもんな」
R「そう。だから今ここにいる事自体は別に意外でもないし、さっき翔太郎が言ったみたいに夢とか成功とかじゃない」
-- 当たり前の話だと。
R「いやいや、そういうんじゃなくって」
S「俺達は極端な事言えば音楽をプレイする以外の事は何一つしてないだろ? だから、まあ、ファンがいて、そのファンがアメリカにもいて、どっかよその国にもいて、アルバムを買ってくれて、ライブにも来てくれてると。そこらへんまでは多分俺達の力だと思う。だけど作ったアルバムを流通に乗せたり、宣伝したり、テレビやラジオに出る仕事をしたり、PV撮影の段取り組んだり、飛行機の手配したり、取引相手の誰かさんときちんと話をしたり、計画立てたりっていういわゆる『その他』は何一つ俺達はやってないから」
R「そうそうそうそう。そこはやっぱり、感謝はあるよな」
-- 織江さん喜ぶでしょうね。
R「っはは。織江だけじゃねえけどな。そういう意味での、俺達にとっては出来過ぎだと思うよ、やっぱ」
S「連れてきてもらったとはまでは思わねえけど、背中押されてるとは思ってるよ」
T「うん。…なんか感慨深いもんはあるね、確かにね」
-- 感謝を忘れないって大事ですよね。ちなみに、いつ行かれるんですか?
R「来年春以降かな。アルバム出した後」
-- え!急ですね。
R「早い方がいいかなって。タイミング的にも、アルバムリリースっていう話のネタも持って行けるし」
-- 拠点はどちらに?
R「そこまではまだ決めてねえよ」
-- ふわー。え、じゃあ、この密着取材が終わってすぐくらいには、日本を発つわけですね。ドラマティック過ぎませんか。
R「上手く事が運べば、だけどな」
-- 焦るなー。なんだかんだで、密着取材が終わっても聞き忘れた話を思い出したらここに来ればなんとかなると思ってましたけど、春以降このスタジオには誰もいないんですね。
R「引き払いはしないぞ?借りてるわけじゃねえし」
-- それでも、あなた方はいないわけですから。
R「まあ。そうだけど」
S「悔いのない仕事をしてってくれよ。協力は惜しまないつもりだから」
-- ありがとうございます!あー、やばい。急な話にちょっと気持ちが追い付かないです。喜ばしい話をお聞きするはずが、なんでこんなに悲しいんだろう。泣きそうです。
T「まあ、別に、引っ越すだけだしね。そんなに深刻に捉えることないよ」
-- そうですね。ありがとうざございます。少し、救われました。もちろんバイラル4として全員で渡米されるわけですよね。
R「あー、どうだろ。マーとテツは確定だけど、ナベは結婚して子供もいるからな。難しいんじゃないかな。もちろんスタッフではあり続けるし、放り出すような事はしないけど、一緒に来るか来ないかは任せてある」
-- なるほど。それぞれの『POINT OF NO RETURN』ですね。
R「上手い!それ使おう!」
-- (笑)。織江さんはもちろん?
T「もちろん。なんで俺単身赴任なんだよ」
S「あっはは」
-- 奥様ですもんね、社長やマネージャーである前に。先ほどアルバムの話が出ましたが、今の時点で何割程の進捗状況ですか。
R「それが、ちょっとレコーディングやり直そうかなと思って」
-- 今からですか!?
R「そういう反応になるよなあ。なんだろ、やっぱりさっきも言ったけど、名刺代わりのアルバムにしたいからさ、もう一回収録する曲から何から考え直そうかって」
S「別に曲をイチから作り始めるわけじゃないから」
-- そうですけど、白紙に戻すんですよね。
R「そこまで真っ新ではねえかな。絶対入れるって決まってる曲もあるし、『BATLLES』とかね。その上でバランス調整をもっとこう、俺達らしいっつーか、そういう物に変えていくかな」
-- テクニカル系と爆走系のバランスの話をされていましたが、やはりドーンハンマーらしさを追求すると。
R「そう考えた時に、簡単に爆走系だよなって答えを出せないから、考え直しなんだけどな」
-- 正直大変ですよね、この忙しい時期に。
R「しかも日本で出す最後のアルバムだし、こっちでは初回盤でボーナストラックとおまけをつけるとか織江が言い出して」
-- もしかしてファーマーズでちらっと織江さんが仰ってらした、『マユーズ』のPVですか?
R「そうだと思う。けどこれまだ出さないでくれ。今何かと面倒だし、外に出ちゃうとやらなきゃいけない空気になるし」
-- 分かりました。私は楽しみ!って言ってれば良いですけど、実際スケジュール大丈夫なんですか。
R「まあまあ、やってやれない話じゃねえよ、別に。ただそろそろ取材とか持ち込み企画が限界に来てて、ああ、Billionは別として、ほぼほぼ断ってんだよ、拘束時間が勿体ないから。だから今までどうしてたか知らないけど、あんまり他所で取材続行中ですとか言わないでくれるとありがたい」
-- 分かりました。これまでも他所で言ってはないですけどね。薄々感付かれてるようなので、気を付けます。
М「それは、他所の雑誌にってこと?」
-- そう。先日の発売分と合わせて、タイラーとの対談とPV特集で2か月連続掲載したじゃないですか。あれって完全に情報に関してはスッパ抜きなんですよ。
M「どういう事? 売れたってのは聞いたけど」
-- 情報が公に出てからうちで発刊するまでの期間が短すぎるんです。タイミングがドンピシャだったと言いますか。私が最初にファーマーズの話を聞いて、皆さんが実際に撮影を行って、その内容を私が記事にして、雑誌が出て、その翌月には試写会へっていうタイトなスケジュールだから、ある程度事前に内部事情を掴んでおかないと、ここまで綺麗な流れは普通作れません。なんなら、まだ(PVの)完成日程が決まってない状態で私記事だけは書き終えてますからね。
M「あらかじめ内容知ってるんだもんね(笑)。しかも試写会に至っては同行してるもんね」
-- はい。これも本来は掲載したかったんですけど、止めた方がいいでしょうかか。
R「そこらへんの話は織江じゃないと分かんねえけど、俺らがどうこうじゃなくて、詩音社がライバル誌から睨まれたりすんじゃねえの」
-- ああ、ああ、そこらへんはどうでもいいです。そんなのは屁でもないです。
S「よく言った!」
-- はい。そんなのは、皆さんに心配していただく話ではありません。共有しないといけない話でもありませんし。ただウチから情報が出て、取材可能なんだと早合点して寄って来る版元もあるでしょうから、そこは気を付けたいと思います。レコーディングの話もう少しお伺いしても良いですか? 本来であれば、もうある程度構想は固まってましたよね?
R「構想というか、収録する曲自体は決まってたよな」
T「決め終えたあたりだったね、丁度」
-- ずばり、タイトルは何だったんですか?
R「結局変えちまうから言うけど、前のままで行くなら『NO OATH』か『NONE SO PRETENDER OATH』。後の方はちょっとくどいから、『NO OATH』が候補だったな」
-- ううーわあ、格好良い。オースって誓いとか宣誓のOATHですか。変えちゃうんですか?
S「どうだろうね。今意外に評判良かったから惜しくなってきた」
-- めっちゃ格好良いですよ! PRETENDERの方も好きです私。
S「そう?『NO OATH』っていう曲はもうあるんだよ。だからキラータイトルにするつもりだったんだけど、もう一個新曲作って入れたいなって」
-- アメリカ進出にあたってという意味ですか?
S「うん。そっちの曲が出来たら、そのタイトルにするかもしれない。そっちはきっと大成に頼むかな。『NO OATH』は俺の曲だから、もう一曲作るならメロディ際立つ方がいいし。でもタイトルは迷うな。PRETENDERも、思い入れあるからな」
-- そんな曲ないですよね?
T「早いなあ、相変わらず。俺達の曲全部頭に入ってるの?」
-- 入ってます。
T「即答だ(笑)」
R「まあ、アルバムタイトルだからアリっちゃアリだけど、完全に造語だからね」
-- 気になりますか。
R「ちょっとな。織江もそこらへん厳しいし。make a vow と何が違うの、なんでそんな言い回しするの、とか」
-- ううん、難しいですね。よく分かりませんが、もともとある言葉よりもない言葉の方が私は好きですね。絶対アメリカ人は付けないだろうなっていうタイトルなんですよね?
R「うん」
S「良い事言うなあ」
-- (笑)。差し出がましい事言いましたね。すみません。
S「いや、本心だよ」
-- 照れますよ。思い入れってなんですか?
S「PRETNDER?」
伊澄は聞き返したものの、答えを言おうとしなかった。
口元には微笑みが浮かび、それは全員が同じだった。
その微笑の種類が、決して明るい物ではない所まで同じに思えた。
-- え?
М「これどうなんでしょうね」と、男達の顔を見ながら繭子が言う。「重たい話になっていいなら、言えるけど」
-- 繭子の話?なら、あなた自身が決めて。何度も言うようだけど、私は何も強制はしないから。
M「知りたい?知りたくない?」
-- あなた方の事は全部知りたい。
M「なら言おうか。私ね、昔背な…」
暗転。
彼女の口から壮絶な過去が語られた。
しかしあまりに生々しく辛い経験であるが故に、彼女の将来やバンドの未来を考慮し、彼女の声をそのまま収録する事はやめにした。代わりに、私が文章でお伝えする事にする。
彼女は学生時代、鉛筆で背中を刺されたことがあるそうだ。コンパスや針ならまだ良かったのだが(良くはないが)鉛筆の芯がしばらく皮膚に残り、傷が癒えた後も黒い点が背中から消えなかった。何かの拍子にそのことを知ったメンバーが、繭子の背中の傷と同じ場所に、入れ墨を彫ろうと言い出した。その時繭子に言葉を選ばせて、彼女がチョイスしたのが「PRETENDER」であったという。主な意味は「ふりをする人、詐称者、王位をねらう者、(不当な)要求者」だそうだが、このうち繭子が込めた思いは、『(不当な)要求者』だった。
話を戻そう。
M「っていう事なんだけど、これ続きがあってさ。私が選んだ言葉を皆が同じ場所に彫るって言い出したから、いやいやちょっと待ってくださいと。困りますってなって。そんな事されても私責任取れないし、どうせ彫るならもっと目立つ場所に格好良い言葉彫ってくださいって」
-- うんうん。気持ちは嬉しいけど、困っちゃうよね。
M「だからね、私の背中と腰の間らへんにタトゥーがあるのは本当。あとで見せたげるけど。でも皆にはないの。あるんだけど、ないの。あはは」
-- あはは、じゃないよ。え、繭子も彫ったの? 
M「結果的にね。え、タトゥーは別に、『これ』以外にも幾つかあるよ?」
-- そうなんだ!?
М「見せる為に彫ってないから言ってこなかったけど、あるよ」
-- っへえ、皆さんそれはご存知なんですか?
R「彫ってるのは知ってるよ、何をどこにどのくらいとか、正確に把握してるわけじゃねえけど」
S「俺より多いかもしれない。俺が一番少ないと思う」
M「それはない(笑)」
-- 翔太郎さんもあまり見える場所には彫ってないですよね。手の甲に少しと、右肩だけですか?
S「だけではないけど、そんなもんかな、大体」
-- 繭子はもっとあるの?
M「大きいのはないけど、数で言えば、そうかな(笑)」
-- 知らなかったー!親御さんに反対されなかった?
M「言ってない(笑)」
(一同、笑)
M「そんな大した事でもないよ。織江さんだって、誠さんだってあるし」
S「ほいほい人の名前を出すな」
M「すみません」
(参加はしていないが同席している伊藤が、構わないよ、と笑って擁護する)
M「(伊藤に向かって頭を下げる)」
-- ちなみに皆さんは、繭子の傷を知ってどこにどんなタトゥーを彫ったんですか?
S「俺は…言いたくないな」
R「お前の場合言えないよな。若気の至りだもんな」
T「まじでキレそうになってたからな、あいつ」
-- あいつ、というのは。
T「俺の昔の後輩が彫り師なんだよ。そいつがまだ彫り師を目指してる頃に、俺達4人とも彫ってもらったんだけど」
-- なんでキレられたんですか?あ、すっごい難易度の高いデザインを無料で彫らせた、とかですか。
S「全然違う。言いたくないの意味が違う」
M「あのね。これは私が織江さんから聞いた話だから皆違うって言うかもしれないんだけど」
男性3人が揃って笑い声を上げる。
M「何ですか?」
それぞれ笑顔で首を横に振る。
-- 織江さんから何を聞いたの?
M「私の傷がある場所にタトゥーを入れようって言ってはみたものの、それって変だなって思い治したんだって。だって、私の傷は、そこに欲しくてついた傷じゃないのに、自ら進んで入れ墨彫ったってそれがなんの意味があるんだろうって、思ったんだって。だから、全然欲しくない入れ墨を、欲しくない場所に彫ろうって事になって、私に内緒でそれぞれ別の場所に別の言葉を彫ったの。私は当時それを知らずに、じゃあ、PRETENDERがいいですって、傷の上に彫ったんだけど」
-- なんというか、実に彼ららしい男前な話だね。欲しくない場所に欲しくない言葉、か。
M「密着取材が終わるまでに聞き出せるといいね。ヒントはPです」
S「お前(笑)」
M「それぐらい良いじゃないですかぁ」
-- あはは。どういう意味のPですか?それはワードの方?
M「そう。言葉は全員Pから始まるよ。場所は言えないけどね」
-- Pかあ。でもそんなに多くないですよねえ。ちなみに繭子は誰がどこに何を彫ってるか知ってるんだよね?
M「うん」
-- 私ね、性格上多分無理に聞き出したりはしないと思うんだよね。だからこれだけ聞いておきたい。それを見た時、あるいは聞いた時、繭子はどう思ったの?
M「あー。あはは、そう来るのか」
-- 答え辛い?
M「うん。ちょっとここでは言いづらいかな。また機会があれば、それはちゃんと答えるよ。でもこれみよがしに皆の前で口に出来る事ではないかな」
S「じゃあ何でヒント出すんだよお前」
M「あはは、あー、本当だ(笑)」
-- なるほど。分かりました。…POISON?
M「ハズレー。言うと思ったー」
-- ふふふ。浅はかでした。さて、インタビューはこの辺にして、少しお話を続けてもかまいませんか?
S「あ、じゃあ動いていい?ケツ痛い」
-- どうぞどうぞ、もうお好きな感じで。話だけ聞いてもらえれば。

思い思いに皆が立ち上がって、煙草に火をつけたりストレッチを始めたり。
忙しすぎて他所のスケジュールを蹴ったという話を聞いた直後で申し訳ない気持ちもあったのだが、残された時間はそう多くないという思いが、私を大胆にさせた。
私も立ち上がって、応接セットと楽器セットの間を行ったり来たりしながらメンバーを顔を覗き込んでいく。

-- 以前会議室で、翔太郎さんとURGAさんのお話をお伺いした時に思ったというか、改めて意欲が沸いたんですけど、やはりもう少し皆さんのバンド活動以外の顔を知りたいんです。大成さんがそういったプライベートな話を苦手とされている様子だったので避けていたのですが、やっぱり私にしか出来ない事だなと思い直しました。ご協力いただけますでしょうか。
M「例えばどういう話?」
-- 繭子の過去の事もそういう部類に入ると思うんだけど、そこまで突っ込んだ事じゃないくてもいいから、それこそ休みの日は何をしているかとか、バンド以外の趣味があるのかとか、交友関係とか?
M「知りたい!?そんな話」
T「だよなあ。俺もそう思うんだよ。苦手ってのもあるし、そこ話する意味あんの?って」
-- 例えば履歴書の空欄を埋めていくような、単なる穴埋めをしたいわけではなくて、堅苦しい言い方をすれば、『何故彼らはここまで自分の命を燃やし尽くすような勢いでバンド活動に臨んでいるのか』という理由を考えた時、スタジオでの姿だけではどうしても見えてこないファクターがある気がしてならないんです。私は音楽性と同時にメンバーの人間性を重要視しています。それは皆さんにお会いする以前からそうです。大阪のラジオで繭子が語った話は、だから私とても同意できるんです。そもそも人に興味がないと、音楽性への共感も半減します。メタルは確かに音や歌だけで愛することの出来る世界ではありますが、その上でプレイする人間の人格や思想、経験を知る事で、彼らが掲げている音楽の真実味や根拠、説得力をファンに示す事が出来ると信じています。それが私の仕事だと思っています。


パチパチパチ。


池脇が拍手をする。その顔は馬鹿にしている表情ではなかった。
私は頭の後ろをかきながら、ヘコヘコと会釈する。
本当は分かっている。音楽に、音楽以外の要因は必要ない。
だが彼らに関して言えば、CDアルバムや一夜限りのライブでは伝えきれない、人としての魅力がある事もまた事実としてあり、活字という形でそれを伝えて行けるこの仕事が、私は好きだった。


繭子はストレッチをやめて微笑むと、池脇のスタンドマイクの位置に立って、「リクエス?」とURGAの声真似をして見せた。お前俺らがチクらないと思ってるだろ、と伊澄が苦笑して言い、繭子は頬を明るく染めて笑い声を上げた。
掘っても掘っても掘り切れないダイヤモンド鉱山を相手にしていると思った。
音楽的な才能、人間的な魅力、それを裏打ちする経験と努力。
運命を手繰り寄せる力、出会いの魔力、全てを糧に変えていく剛腕。
笑顔、涙、絆、全ての根底にある大切な人への惜しみない思いやり。
成功も、幸福も、夢で終わらせずに今目の前にある現実を突き進む。
私は毎日、彼らに教えられてばかりだ。
だからたった一つでもいい。
いつか、何かの形で彼らをあっと言わせてみたい。
もっともっと喜ぶ顔が見たい。
だから私は今日もペンを取る。

「ドーンハンマーの全てがここにある」

彼ら自身に、そう言ってもらえるように。


そう、無邪気に思っていた。

連載第30回。「スイーツと酒」

2016年、10月22日。
雑談、芥川 繭子。
会議室にて、「スイーツを食べながら」。


-- まだメンバーの誰にも言ってない秘密とかある? 例えばサシ飲みした時に酔ってこんな話を聞いたけど、誰にもバラしてないネタがあるとか。
「それあっても言えないじゃん」
-- あ、本当だ。
「終ーー了ーー」
-- 待って待って、ごめん待って。あははは。じゃあ簡単な話から行くね。前に、うちの編集部から質問カードを預かってたの。そんなのいちいち相手してられないから自分の仕事優先してきたけど、丁度いいから消化してくね。
「また食べながらでいい?」
-- 全然かまわないよ、というか食べてる所ビデオに撮られてて平気なの?
「全然大丈夫。エロい?」
-- まいったな(笑)。繭子ってそういうトコちゃんと分かってるんだよね。分かってて、どうでも良いよって切り捨ててる部分があるのが凄いよね。そういう質問もいくつか来てたよ。
「そういうってどういうんだよ(笑)」
-- <本誌読者投票で何度も1位に選出されたことのある芥川さんにお伺いします。ご自身で点数をつけるとするなら、バンドマンとして何点、女性として何点ですか>とか。
「点数の話前しなかった?」
-- したね。120点だったよね。じゃあ、女性としては?
「女性としてはゼロ点じゃない?所謂女性らしい生活とか動きをしないもんね」
-- 笑ってるけどさ、本当にそう思ってる?
「なになに、なんで。本当は~?みたいな話?」
-- だってゼロなわけないし。
「自分でつけろって言ったんでしょーが。じゃあトッキーが何点か付けてよ」
-- スイーツ食べてる繭子は500点だね。
「ぶっはあ!すげー点数出ました。そんな質問つまんないってー」
-- そうだね、私もそう思う。前にね、大成さんと話をした時に、メンバーとどこかへ出かけたりしないんですかって聞いてみたの。
「うん」
-- 飲みに行ったりはするけど休みの日に遊びに行ったりはしないって。
「遊びって何?どういうのを想像してたの?」
-- なんだろ、…動物園とか。
「あはは!…はあ?みたいな顔されない?」
-- うん、ちょっと嫌な顔されたもん。
「真面目なくせしてたまに変な事言うよね」
-- 面目ない。私が想像してたのはさ、スタジオ以外でも普通に友人としての交友が今でもあるかないかっていう話なんだけどね。
「交友? ちょっと今更な気がするね。知ってると思うけど、3人共小さい頃からの付き合いだし、交友を深める必要はもうないんだよ。だから用がない限りスタジオ以外で会う事ないんじゃないかな」
-- そうみたいだね。練習終わりで飲みに行く事は多いの?
「あるにはあるけど、多くはないね。全員でとなると年一回二回くらいじゃないかな。皆車だったりバイクだったりだし、大成さんと私は街中に出る前に部屋着いちゃうもんね」
-- そっか。
「あるとすれば翔太郎さんの車で竜二さん家まで行って、そこから歩いて飲みに行くパターンだけど、だからそれもあんまりしないしね。面倒臭いからって。そもそも、練習ある日に飲みに行く余力を残さないけどね」
-- あはは。そうだね。翔太郎さんと竜二さんはお酒強いらしいね。
「あの2人は別格だね。昔から対バンとかで結構な数のバンドと打ち上げしてきたけど、あの2人以上の飲兵衛にはいまだに出会った事ないよ」
-- あ、そんなレベルで凄いんだ。庄内も強いんだけど、よく2人の話はしてるよ。『人ではない』って言ってる。
「ああ(笑)、一緒に飲んだ事あるよ。あの方も相当だね」
-- そう。会社で懇親会とか飲み会とかあっても、最後の最後まで普通にしてるもんね。
「それは凄いね(笑)」
-- 逆に助かるよね。あそこまで強いと、中途半端に酔って面倒な事態起こさないし。
「それはちゃんとしてる人だからだよ。お酒に関して言えば竜二さんも翔太郎さんもちゃんとしてないもん」
-- そうか(笑)、そうなんだね。お酒に関する話は長くなりそうだね。
「そうだね。庄内さんと違って、ずっと変わらないわけじゃないんだよ。普通に酔っぱらってるんだけど、いつまでも飲み続けられるみたい。でもやっぱり心配にはなるよ、どっかでいつか体が爆発するんじゃないかって」
-- 爆発!?
「ああんと、ガタが来るみたいなね」
-- ああ、そうだよねえ。スタジオで飲む姿をほとんど見ないから私は笑って聞いてられるけど、昔からそういう姿を見てると心配だよね。酔って絡まれたりはしないの?
「絡まれるとかはないよ。ただ酔ってる時はめちゃめちゃ怖いから、あんまり近づかないかな、特に竜二さんはね」
-- 怖いったって別に何かされるわけじゃないんでしょ?
「うん、されたことないしね。何かされるから嫌なんじゃなくて、単純に怖いの、オーラが痛いというか。そこは翔太郎さんの方がまだいいかな。あの人も怖いんだけど普段とそこまで変化がないから、話してる分には全然いつも通り。でもオーラは凄いけど」
-- オーラってさっきから何なのよ(笑)。
「あははは、えー、何だろう。雰囲気、で良いのかな? なんか、体の周りにある体温みたいな膜というか。それがこう、ぶつかって来るような感じ」
-- でもライブ中とか練習中は、繭子もそういう雰囲気あるよ。
「あ、そうそう!そんな感じかも。こっちはスイッチ切ってるのにさ、いきなりライブ中みたいな圧を感じる事あって、痛いというか怖いというか」
-- なるほどね。繭子自身も、普段誰とも会わないの?
「メンバーと? 私は結構会ってるんじゃないかな。私友達いないから」
-- またまた。
「ほんとほんと。女同士ってなると誠さんと織江さんくらいじゃない、普段から連絡取ってるの。誠さんあんな感じでどっか行っちゃったし、全部織江さんに負担が行ってるよね。でも織江さん本当に忙しいからね、最近ようやく気を遣う事を覚えた」
-- あはは、確かにそうだね。他のメンバーとは練習日以外にスタジオの外で会う事あるの?
「私はあるよ、全員の部屋行ったことあるし」
-- そうなんだ。それは一人で?
「一人でって?誰かと待ち合わせして、みたいなのはないよ。子供じゃないんだし。あー、でも竜二さん家だけないかな、部屋で二人きりになったことはないね」
-- そこらへんは一応ちゃんと気を付けてるんだ。
「気を付けるっていうか。…ううん。それ自体はどうでもいいけど、二人だとお酒飲んじゃうからね。間違いがあった時に気を遣わせるのが嫌なんだよ、お互いに」
-- …え、待って待って、これ大丈夫な話なの?
「エロい?」
-- エロいエロい。やばいやばい。え、ごめん、繭子ってそんな感じなんだ?
「そうだよ」
-- 間違いがあったらいけないじゃなくて、あった時に気を遣わせるのが嫌だから気を付けるんだ。
「早口言葉みたいだね」
-- いやいやいや、びっくりしたー。ドキドキしたよなんか。えー、だって、えー。
「何に驚いてるの?そこらへんの微妙な問題はとっくに話し合ってるよ。織江さんがそういう所ちゃんとしてる人だし、付き合うなら構わないけど、そうじゃないなら合意の上であっても間違いを犯さないでくれって、皆に話してくれたからね。結構年が離れてるから保護者の立場じゃないといけないのもあるしって。織江さんは社長だし、人格者だしね。よそ様のお嬢さんを預かる以上そこは絶対に守ってくれって」
-- うわー、もう泣きそうだよ今。うんうん、やっぱりそうだよね。
「ただでも、そうは言ってもさ。男と女なんて分からないでしょ」
-- んー、まあ、そうなのかなあ。
「そりゃそうだよ。間違う事だってあるでしょ。そこにおっぱいがあったら揉みたいだろうし、そこに〇〇〇が○○〇〇、○○〇たい気持ちになるかもしれないじゃない?」
-- アアアアアアア!! 今のはもうアウト!もう!使えないから!
「あははは、ごめんごめん。でもまあ、真面目な話、私もうすぐ30だしね。そんな子供みたいな扱いされても困るんだけどな」
-- それも分かるけどね。え、でも竜二さんだけなの、部屋で2人になってないのは。
「そう、だね。別に私が避けてるわけじゃないよ。向こうがあえてそうしてくれてるんだよ」
-- 翔太郎さん家に行って2人で何するのよ。
「こないだは、歌をうたった」
-- こないだ? 歌?
「翔太郎さん家って、防音設備のある部屋があるの。スタジオ程じゃないけど、ギター弾いても大丈夫だからさ、そこで一緒に『end』歌って。録音して。そうそう、言ってない話と言えばその録音テープは皆知らないかもしれない。結構あるんだよ、私が歌ってる歌」
-- 2人で休みの日に歌うたってんの?そんな昭和初期の高校生デートみたいな事してるの?すごいドキドキする。
「あははは、しないしない」
-- それはなんのためのテープ?
「趣味かな。私達の曲だけじゃなくて、翔太郎さん家にあるCDとかレコード漁って、選曲してもらったりして、カバーして録音して、みたいな遊び」
-- 例えば誰の歌?
「え、そんなの色々だよ。『ガスライトアンセム』っていうバンド分かる?」
-- 分からない。
「ほら、もうダメじゃん。私翔太郎さんの部屋のCD棚漁ってるだけで幸せ。宝の山なの」
-- あはは、今ちょっと思い出したんだけど、こないだ翔太郎さんとURGAさんのお話を聞いた時、はっきりと『歌手にはなれないね』って言ってたのが笑っちゃったんだけど。
「誰が? 翔太郎さんが? えー、そうかなあ、なろうと思えばなれる人だと思うけど」
-- それは身内から見た贔屓目じゃなくて?
「翔太郎さんが耳コピ凄いの知ってるでしょ。まあ、URGAさんや竜二さん程じゃないにしても、そこらへんの歌手よりは全然好きだけどなあ。あの2人いつもふざけてるし、冗談なんじゃないかなあ。翔太郎さんの歌うUP-BEATの『夏の雨』なんて絶品だよ」
-- そうなんだ。ちょっと下手なのかな、くらいに思ってたよ。
「下手じゃないよ。その時翔太郎さんは何を歌ったの?」
-- 私はその場にいないから聞いた話だけど、『END』の仮歌を適当な英語で…。
「ああああ、そんなの誰だってそうじゃん!だってまだ世の中にない歌だもん」
-- そうかもしれないね。てことは繭子だけじゃなくて翔太郎さんも歌ったりするんだね。そこの空間だけめちゃくちゃレア度高い。カメラ置きたい。
「あはは、絶対ダメ」
-- なんでよー!そういう遊びをずっとやってるの?それ誠さんは何も言わないの?
「一緒にやってたし。最初に翔太郎さんの部屋に入れてくれたの誠さんだもん」
-- あ、そうなんだね。そうかそうか。…大成さん家には何しに行くの?
「ごはん食べに」
-- そうか、そこは、そうか。近いんだもんね。
「うん、入り浸ってる率で言えば圧倒的にここが多いよ。下手すると一日中リビングから動かない日もあるし。2人ともそんなにお酒強くなくて、あんまり飲まないから健全な休日過ごせるんだよ。ごはん食べて、織江さんと喋ってる、ずーっと。大成さんは部屋にこもるタイプかな。でもお風呂上りは上半身いつも裸だからさ、男の人の裸はあの人で免疫ついたよ」
-- そんな豪華な免疫の付け方あり?
「あはは」
-- 大成さんだよ?え、…大成さんだよ?
「(笑)、まあ、考えたらそうなんだけど。でも昔からだし。あの人の包容力って凄いんだよ、特に家にいる時の大成さんっていつもの5倍穏やかなの、めっちゃ癒されるし、織江さんも終始ニコニコだし」
-- あはは、そうなんだ。あー…だめだ、竜二さんと翔太郎さんの話のインパクトが強すぎて、全然ほっこりしない。
「(爆笑)!」
-- その、2人になるのは致し方ないとして、外へ出かけるっていう発想はないわけ?
「飲みに行く以外にはないね」
-- なんで?
「逆に何するのよ。例えば竜二さんと2人で街へ出て何するの。翔太郎さんと何するの?」
-- …動物園…。
「子供か!トッキーどんだけ動物好きなんだよ、動物園デートをしたい人なんだね。私ちょっと動物苦手だからなあ」
-- あはは。いやでも普通にありそうだけどな。映画とかショッピングとか、ドライブとか。
「んー、興味ないねえ。だってさあ、相手翔太郎さんだよ?言ってしまえば世界トップレベルのギタリストが目の前にいるわけだよ。そりゃ色々お願いするよ」
-- お願いって?
「よく言うのが、翔太郎さんの知ってる限りで今一番難しいギターフレーズなんですかって聞くと目の前で悶絶するようなプレイが見れるよ。私涎出たもん」
-- あはは!それは確かに凄い、涎出るわ。
「そう、本当に涎出て指ですくい取られたもん。その時舐めた指先がほのかに煙草の味がしてさ、うん」
-- もう、エロいって!ワザと言ってる? やめてよ、何が『うん』よ。
「面白いねえ、トッキー顔赤いよー。それもちゃんと書きなよ?」
-- なんで翔太郎さんとは2人になって平気なの? 誠さんがいるから? 今いないじゃん。
「うーん。正直今更もう関係ないかな。って前もさー、こういう話して私嫌がったのもう忘れたのー!?」
-- 忘れてはないよ。でもちょっと意外過ぎる話だからさ。
「恋愛感情なんてもうとっくの昔からないもん。それにお酒飲んで酔っ払って万が一そういう事になったとしても、後になって照れる程度で、私はそんな事で何かが変わるとは思わないよ。そんなんで傷ついたり嫌いになったり出来ないよもう」
-- 抵抗すらしないって事?
「抵抗? しないねえ、しないと思う。そりゃ『まじですか?』くらいは聞くかもしれないけど、なんか、溜まってたんだろーなーって、そのぐらい」
-- 衝撃的すぎる。なんでそんな風になっちゃったんだろうね、繭子。
「なんで?」
-- 自分を一人の女性としてもっと大切にした方がいいんじゃないかな。
「ああ、なるほど(笑)。そういう感じに受け取られるわけか」
-- 別に同情はしないよ。繭子の生き方なんだし。でもどっかでやけっぱちさも感じるんだよ。こんな事敬愛するバンドマンに本当は言っちゃいけないんだけど、女同士敢えて言わせてもらうと、そんな気がするな。
「うんうん、いいよ別に、ありがと。でもね、これこそ人気商売な側面があるから言ってはいけない気もするけど、私は、あの3人の事を周りが考えてる以上にすごく大事に思ってるよ。それと同じように、私は大事にされていると感じるから、だから結局同じ事なんだよね。自分を自分で抱きしめるんじゃなくて、常にこうやって、両手で器とか受け皿みたいなのを作って相手の下に構えてるような状態。私の事はきっとこの人達がなんとかしてくれる。だから私は何があってもこの人達をなんとかする。助ける。支える。そういう考え方に、もうずっと前からなっちゃってるから。今更どうしようもないよね」
-- ああ、なるほど。そうかあ。別に自分を大切に思ってないわけじゃないんだね。
「うん。私以上に3人の方が大切っていうだけ」
-- そっかあ。聞いてみないと分からないもんだね。でも、うん、腑に落ちた。ちょっとまだドキドキしてるけど。
「あはは、そりゃよかったよ。ただの〇〇〇みたいに思われるとバンドにとってマイナスだしね」
-- だから!
「とんでもねえ女だな!」
-- こっちのセリフだよ!


2016年10月23日。
雑談、伊澄翔太郎。
スタジオにて、「バーボンを飲みながら」。


-- メーカーズマークです。取り寄せましたよ、ちゃんと。
「向こう(本場)の奴?わざわざ。高かったんじゃないの。ありがとう、悪いね」
-- ほどほどにしてくださいね。
「出しといて言うセリフじゃないな」
-- そうなんですけど。お酒強いとは聞いていますが、人の体には限界がありますから。
「これ一本で限界なんか来ない(笑)」
-- そうですか?
「一気飲みしても来ないよ」
-- またまたご冗談を(笑)。昨日、繭子と話をしたんです、プライベートな内容を聞いて行こうと思いまして。でも私、昨日程身に染みて翔太郎さんの言った『ヤバイ』の意味を理解した瞬間なかったですよ。
「そうだそうだ。昨日夜中に繭子から電話あってさ。珍しいなと思ったらその話だったよ。なんかちょっと喋り過ぎたから、聞いてダメだと感じた所は全部切って(消して)もらってくださいって。何の話したのあいつ」
-- うーんと。…その、彼女の奔放な性の捉え方というか。
「セイって?」
-- 男女の話です。
「…あー。そういう事だったんか。俺全然意味分かってなくて。眠いしさ、おう、おう、っつって何も聞かずに電話切ったんだよ。あー、そっち系の話はしちゃ駄目なんだよ、ヤバイって言っただろだからっ」
-- ごめんなさい。いやだって、『音圧ジャンキー』の話で十分キワドイ発言してたもんですからね。もうないだろうって思ってたら爆弾抱えて放り投げられましたよ。参ったーって。
「あははは!な、ヤバイんだってあいつは」
-- ヤバかったですねえ。でも結局ちゃんと話をして、ヤバイ以上の理解は深められたんで良かった面もありますけどね。
「まあ、ある意味歪んでるよな」
-- ある程度、想像はついていらっしゃいますか?
「ある程度はね」
-- 私はとても、健気で献身的だと感じました。それと同時にそういう関係を理解した上でちょっと楽しんでいる節も見受けられて、思ってた以上に彼女は大人でした。
「まあ、もう子供ではないよな。何を楽しんでるって?」
-- 翔太郎さんの部屋でいつも2人で遊んでるよ、と。
「言い方気を付けろ」
-- こういう感じで私を嵌めようとしてくるんです。
「っは! そりゃ踏み込んだアンタが悪いよ(笑)」
-- そうなんですけど。翔太郎さんの超絶ギタープレイに涎を垂らした話が、一番やばかったです。
「誰。繭子が涎? 何かな」
-- 難しいギターフレーズを要求した話です。
「んんーんー、はいはい。あー、美味い。いや、そんなさー、アダルトな話じゃないぞ。あいつ話盛るからな、言っとくけど」
-- え、そうなんですか。
「ああ。まだまだあいつのヤバさの神髄を見れてないよ。まあいいや、あいつ人の部屋来てさ、よくアイス食ってんの、自分だけ。それは別にいいんだけど、こう、右手に持ってさ、俺のギターをじーっと見てるわけ。食えよと。俺はそればっか気になってさ。溶けるだろそんなの普通に。早く食えよと。あははは、やっと食ったと思ったらずっとこっち見てるから垂れたりすんだよ。もおー!っつって」
-- あははは!ちょっと待って待って、あははは!
「そんなもんだよ、繭子なんて」
-- 繭子なんて(笑)。全然想像してた絵面と違いました。あ、聞きましたよ。翔太郎さん実は歌上手いそうじゃないですか。URGAさんがあんな事言うから下手なんだとばっかり。
「上手いとは言えないと思うぞ」
-- ご謙遜をー。
「いやいや、世界の歌姫が言ってんだから」
-- あはは。でも繭子の言う事も理解できるんですよね。
「そうかい?」
-- 15年も竜二さんの横で叫び続けてきた人の歌が下手なわけないでしょうが、って笑って言うんですよ。その笑顔に凄い説得力ありましたし、もちろん翔太郎さんの才能も知ってるわけですから、なるほどなーって。
「ふーん。ボーカルじゃないしどうでもいいかな」
-- 歌う事自体はお好きなんですか?
「好きじゃない」
-- ええええ。
「好きそう?」
-- そうじゃなくって。繭子と2人で歌をうたって休日を過ごすと伺ったもので。
「ええ…。女ってさ、なんで言うなって言った事簡単に言うの?」
-- 口止めされてたんですか(笑)。それは知りませんでした。
「まあ別にいいけど」
-- 優しいなあ。
「あ?」
-- なんでもないです。それはやはり繭子にせがまれて、歌ってあげる感じですか。
「繭子っていうか、誠だけどな。あいつって、まあ俺もそうなんだけど、基本的に構いたがりなんだよ。相手が誰であれ」
-- あ、分かります。人懐っこいですよねえ。
「え、今馬鹿にされた?」
-- してません、断じて。
「あいつら2人は年も近いし、何かと目を掛けてたというか。繭子友達いないし、俺も誠もいないし。構ってたというか、遊んでもらってたのが正解なんだけど(笑)。だから別に今になって一緒に歌うたったりしてるんですかー!って言われても、それはもう10年前からそうだからね」
-- なんだ、そうだったんですね。じゃあ、結構な量になってませんか、テープ。
「テープ?」
-- 色んな歌をカバーして録音してるって。
「ああ、それは割と最近かな。ここ5年くらい。パソコンに入ってるから別に嵩張りはしないよ。溜まってきたら焼いて保管してってるし。テープって(笑)」
-- 繭子こそボーカルになってたっておかしくない逸材ですよね。
「だからマユーズやってんだろ」
-- あ!そういう事なんですね。彼女をボーカルに置いたのは翔太郎さんなんですね。
「そうだよ。でもあいつの良さって本当はメタルじゃない曲で発揮される気がしてきた、最近」
-- そうですか?
「うん。一応、クロウバーの曲は全部歌録り終わったんだよ。別に作品出すとかじゃないよ。パターンとしてな、どういう曲があいつに合うんかなーって模索してて。こないだあれ、えーっと、ジュリー・ロンドンって知ってる?」
-- ごめんなさい、勉強不足です。
「結構有名だぞ。昔のジャズボーカリストなんだけど、ハスキーな声で歌う女の人なんだよ。うちにあったレコードかけて、繭子も気に言ったからそれコピーさせたら異常に嵌ってな」
-- へー!ジャズですか!
「意外だよな。あいつ喉の使い方が上手いんだよ。歌いこなしが上手で。繭子の低い声って結構艶っぽくていいなーって、そういうの発見して遊んでんの」
-- なるほど、いいですね。素敵な休日だと思います。
「うん。言っとくけどそんなしょっちゅうじゃないぞ。俺も暇じゃないからな」
-- 分かってますよ。なんか、師弟関係みたいですよね。
「あはは。そんな事言ってると竜二と大成が怒るぞ」
-- ヤキモチ妬いちゃいますね。
「面白い性格だし、頑張り屋の良い子だし、直向きで、ドラマーとしての実力もある。でもそれを取っ払っても存在自体が大事だからね。そこはもうはっきり言っていいかな。物凄い大切な子。けどそれはきっと、皆がそれぞれ真剣にそう思ってる事だから」
-- はい。
「美味い。あ、だって俺こないだも言ったけどさ、あいつの両親に会ったのは俺が一番最初なんだよ」
-- 高校の卒業式の朝ですよね。
「そうそう。繭子もそんなにちゃんと親に説明してなくて。お世話になってる人とか、そんな程度の認識だったと思うよ。あいつを迎えに行って挨拶したんだけどさ、あ、多分これ誤解されてるなーと」
-- どういう誤解ですか?
「年の離れた彼氏なんだろうか、と」
-- ああ、翔太郎さんて童顔ですものね。
「ウソ言うなお前(笑)。そいでお互いにお辞儀して、よろしくお願いしますかなんか言われて。こちらこそとか俺も言って。でさ、何年後かに再会するんだけど、それって繭子が俺らのバンド入って、デカいイベントでデビューする時だったんだよ」
-- 見に来られたんですね。
「そう。そん時に俺を見て、あー!あなたはあの時の!って大泣きされて。娘をドン底から助けてくださった大恩人だと聞いております、その説は大変失礼いたしました、今まで本当にありがとうございました、これらかもー!っつってひたすら頭下げられて。さすがにそん時は俺も泣きそうになったわ」
-- ううわあ。素敵なお話ですねぇ。
「なあ。あれから10年経ってんだもん、そんなの、今更何をって話じゃない」
-- そりゃあ幾ら酔って繭子が甘えてきたって、ねえ。
「そりゃあ、普通にいただきますけど」
-- もう!! 台無しですよ!
「別に一回や二回やった所で何も変わらないよ、やらないけど」
-- うーわ。
「やらないけど!」
-- 違います違います。繭子も同じ事言ってたんです。絆ってこういう所でも見え隠れするもんなんですね、心底びっくりですよ。
「そうなんだ。…でもちょっとヒヤっとするのがさ、俺らみたいなバンドにありがちな、メンバー同士で出来てんじゃねえかとか、そういう噂皆好きだろ」
-- そうですね。耳が痛いないあ。
「そういうの見聞きする度さ、だったら何なんですかね、って繭子がわざわざ俺達のいる前でそれを言うわけだ。でもそれって、俺達も同じように思ってたって、絶対言ったらダメな事だろ? でもそこを敢えて突いてくるんだよあいつって。そういう所は正直敵わないし、あいつなりの優しさとか気の遣い方だったりすんだろうなって思ってて」
-- 全然良いですよ、傷つかないんでって事ですもんね。
「そうそう。けど軽く引くよな、何言ってんのって。オッサンが若い子捕まえてクソ寒い下ネタかましてるんならまだ救いようあるけどさ、若い女の方から言う事じゃないよな。それに、あいつ『傷つかない』っていう言い方するんだよ。分かってないのかもしれないけど、自分でそういう言葉をチョイスしてる時点で、例えば俺があいつに手を出す行為がホントはタブーなんだって理解してるって事だろ? それなのに、『それでも私は平気です』って言えるのって何だろうな。一人の男として、人間として受け入れられる、あなた達なら大丈夫ですって宣言する事で、あいつは何か心の中でバランスを取ってるのかもしれないなっていう風にも思うんだよ。言い聞かせてるようでもあるし、何か事故みたいなそういう間違いがあった時に備えて、覚悟を見せてるというかな。それは見る人が見れば歪みとも取れるし、実際歪んでるんだけど、でもやっぱり究極に優しい覚悟だとも思えるし…え、なんで泣くの?」
-- すみません。
「…なあ、あんた最近ちょっと変だよ」
-- ごめんなさい。なんだか話の内容は別として、繭子の気持ち分かるなって不覚にも思ってしまった自分にびっくりして。
「どういう意味?」
-- いえ、ごめんなさい、なんでもないです。でもなんでそんなに優しいんですかね、皆さん3人ともですけど。
「俺が? んー、そりゃあいい酒持って来てもらったらサービスくらいするよ」
-- あははは。
「たださあ、時枝さんさ。そんな事では身がもたないぞ、この先」
-- はい。すみません、心配していただいて。
「プライベートな話掘ってくのは別にかまわないけど、今のままだと正直掘るだけ損するかもよ。そんだけ感情移入しやすいって事考えると、これ以上掘らない方がいいんじゃないか?」
-- もっととんでもない話が出るって事ですか? 聞かない方が良いような話が飛び出す可能性があるっていう事ですか。
「まだまだ言ってない事だらけだよ」
-- (一瞬、言葉が出て来ない)。…ここ最近よく思い出すのが、最初に竜二さんとお話した時、思わぬ方向へ行っちまうかもしれないから気をつけなよ、って注意してもらった事なんです。ここ最近のこういう流れがそうなのかなって、泣きながら考える事もあります。
「それは俺には分からないけど、この程度の話で泣くくらいなら、俺らのプライベートな話なんか掘るべきじゃないな。そんな事してたらあっという間にタイムリミットが来るぞ。それならただ、バンドを見たまま記事に書いた方がマシだと思う。俺達のボンクラな人間性なんかに目を向けてないで、それこそ庄内みたいにさ、織江に熱上げて俺らなんてどうでも良いっすみたいな顔してる奴の方がよっぽど良い記事書くんじゃないかな。言い方はきついけど、アンタには良い仕事してほしいからね」
-- 全然きつくないです。仰る通りですから。ただ私ははやはり、人間が好きなんです。庄内の仕事に対するアプローチはプロフェッショナルだと思います。だけど私にしか書けない記事を書きたいんです。
「なら、はっきり言おうか」
-- はい。
「もう泣くな」
-- はい。
「最後まで泣いちゃダメだ。少なくとも泣いた後、自分でそれを良しとするな」
-- はい。
「竜二も大成も優しいから言わないけど、俺はこういう人間だから言う。本当の事言えば、俺は自分が泣くのも腹が立つんだよ。URGAさんや竜二の歌を聞いて、わけも分からず涙腺緩んでる自分にすら、腹が立つ」
-- どうしてですか? 感動で流す涙だってあると思います。
「感動ってどっから来るの?」
-- 心です。
「そういう話じゃない。まあ、URGAさん置いとこうか、ちょっと別格だし」
-- 心じゃないんですか?
「思い出し笑いってあるだろう。俺が竜二の歌聞いて泣くのって結局それだと思うんだ。自分やあいつの過去を思い出して泣いてるわけだろ。だけどそれは純粋って言えるのかって話だ。俺はそれは、違うって思っちゃうんだよ」
-- …はい。
「泣く事や涙が出る事自体は悪くないと思う。けどそこに至るまでの感情って、きっと他のアーティストや、今の場合、俺達が意図した思いとは必ずしも同じだとは限らないし。極端な事を言えば、俺の気持ちや経験は誰にも勝手に理解なんてされたくない」
-- はい。
「まあ、歌に関しては異論あると思うよ、ただ俺が嫌なだけで、感動して泣くのも良いかもしれない。だけど俺の過去やあいつらの過去は、誰かを感動させるための思い出話じゃないんだよ」
-- はい。
「色々あったよ、そりゃ。けど俺達は今、好き勝手にメタルやってるしね」
-- はい。
「ただ、まあ。一回だけ物凄く嬉しかったのはさ。あん時(ファーマーズの)舞台袖で俺達を見ながら、行け、行け、って背中押してくれただろ。あれなんだよ、俺の理想は。すーっごい嬉しかったよ!」
-- …。
「あー、もう。分かった分かった。泣いていいよもう、今だけだぞ。…だからさ、来年アルバム出して、その後のツアー同行してくれるんだろ? そん時はきっちり世界獲るとこ見せてやるかさ。もうその日まで泣くな」
-- はお。
「何?」
-- はい。
「よし、もう帰っていいか?」
-- 駄目です。
「嘘だろ!?」

連載 『芥川繭子という理由』26~30

連載第31回~ https://slib.net/85292

連載 『芥川繭子という理由』26~30

日本が世界に誇るデスラッシュメタルバンド「DAWNHAMMER」。これは彼らに一年間の密着取材を行う日々の中で見た、人間の本気とは何かという問いかけに対する答えである。例え音楽に興味がなく、ヘヴィメタルに興味がなかったとしても、今を「本気」で生きるすべての人に読んで欲しい。彼らのすべてが、ここにあります。

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-07-22

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 連載第26回。「END」
  2. 連載第27回。「世界を」
  3. 連載第28回。「ずっとそこにいたはずの」
  4. 連載第29回。「刻み込む」
  5. 連載第30回。「スイーツと酒」