災X悪
一 プロローグ
今日1日が始まる日の出に、紀田夕は目が覚めた。
いつものように顔を洗い、ヘアアイロンで長髪を整え、長い後ろ髪を輪を作るように二つにまとめた。軽くファンデを塗って自分の体調を確認した。
「はぁー」
そして、いつものように溜息をついた。
母親の作った朝食を食べ、部屋着から私服に着替えた。愛用のショルダーバックを持ち、刷り込まれた記憶を頼りに、一度も行ったこともない場所へ向かった。
未訪問の地に行くのは、不安で押しつぶされそうだった。しかし、足は自分の意思には反して、その場所を目指して歩を進めていた。
「なんで私が・・・」
私はそうぼやきながら、自分のことながら疑問に思っていた。いつ頃から誰に刷り込まれたかもわからず、この日が近くなるにつれて、使命感が強くなっていることが不思議で仕方なかった。
乗った電車を降り、町を抜けて森に続く道路に入った。道路脇には木や草が多く茂っていて、すれ違うのはトラックや自動車だけだった。
「なんでこんな場所に・・・」
思ったより遠いことに愚痴りながら、足を引きずりながら目的の場所を目指した。
朝方に出たが、目的地に着いたのは昼過ぎになっていた。額の汗を拭いながら、周りを見ると木々に囲まれていて、人工的なものは風化でボロボロになっている石碑だけだった。
「これで全員?」
先に来ていた眼鏡で三つ編みのおとなし目な女子が、私を見てそう言った。
「さあ?」
ショートカットの活発そうな女子は、彼女の言葉にそう返した。
「それで、これからどうなるんですの?」
今度はポニーテールの清楚な女子が、全員にそう投げかけた。
「なんかファンタジックなことが起こるんじゃないですか?」
これには幼児体系の女子が、はしゃぐように声を張った。彼女の髪は変わっていて、長い髪を無理やり白いカチューシャで前に持ってきて、それをセンターで分けていた。わざわざそんなことをする意味がわからない髪型だった。
「それなら、私たちに宿ってるじゃん」
活発系女子が拳を何度か握りながら、確認するように全員を見た。その発言を聞く限り、私だけが特別ではないようだ。
いち早くこの状況を知りたいのだが、引っ込み思案の私は会話に参加できなかった。仕方がないので、全員を観察しながら聞き耳を立てることにした。
活発系の女子は色柄のシャツにハーフのジーンズで、黒のソックスに赤のスニーカーだった。荷物は黒のリュックを右方の肩だけで背負っていた。
清楚系の女子は、白いブラウスに緩やかな淡いオレンジのスカート、肌に近いストッキングにローヒールを履いていて、ブラウスに合わせたように白の肩掛けバッグを持っていた。
幼児体系の女子は、白の襟シャツに蝶ネクタイでピンクのニットベストを着ていて、ブリーツスカートを履いていた。一般的に見ると、制服と言われても違和感はなかった。彼女の背中には、背丈に合わないリュックを後ろに垂れ下げていた。
おとなし目系の女子は、淡い水色のトップスに控えめのブラウン系のフレアスカートで、肌を隠す黒のストッキングに白黒のパンプスだった。彼女だけは何も持っていなかった。
全員が私と違い、自分に合った服装をしていると感じてしまい、勝手に恥ずかしくなってしまった。
「不毛な憶測はこれぐらいにして、まずは自己紹介が必要でなくて?」
清楚系の女子が、呆れたように指摘した。
「あー、そうね」
活発系の女子か、納得したように話を切った。
「自分は都築莉奈。16歳の高校生よ」
自分に自信があるのか、誇示するように胸に手を当てて自己紹介した。
「わたくしは、源元鏡花です。都築さんと一緒で16歳ですわ」
清楚系の女子は、滑らかで上品な言葉で自己紹介した。
「今度は沙知の番ね。佳川沙知だよ。これでも16歳だから子供扱いはしないでね」
子供のような元気さで自己紹介したが、身長を気にしているようで、最後の言葉には怨念のようなものを感じた。
「加崎三日月。16歳」
おとなし系の女子は、最低限の言葉で自己紹介した。
「えっと、紀田夕です。年はみんなと一緒です」
人と話すのが久しぶりすぎて、声がか細くなってしまった。
すると、石碑の上に一人の女性が何もない場所から具現化した。華やかな透き通った淡いワンピースに日本人形のような風貌で少し幼さを感じさせた。身体は幽霊のように透き通っていて、ふわりと石碑の上に着地した。
「素敵♪」
佳川が両手を合わせて感動するように、その女性を見つめて言った。
その女性は驚きと戸惑いの表情を一瞬だけ見せたかと思うと、すぐさま何かを決意するように真顔になった。
「突然で申し訳ないのですが、この地を救ってくれませんか」
そして、そんなことを丁寧にお願いしてきた。
「えっと、どういうことですか?」
これには加崎が、困惑した様子で疑問を口にした。
「今、この場所に悪災が訪れます」
そう言って上を指差すと、木々の間から何か黒い点のような物が見えた。
「悪・・災?」
源元が眉をひそめながら、上空を凝視した。
「あ、あの、ここから離れた方がいいじゃないですか?」
いろいろ考えたが、落下してくる重さも大きさもわからない以上、落下点に留まるのは危険な気がした。
「確かに。落下の重さによっては衝撃波がくるわね」
加崎はそう言いながら、この場から一歩後ろに下がった。
全員が状況を知り、駆け足でこの場から散乱した。
走っていると、後ろから衝撃音と共に若干の風圧が背中を押した。
私は恐る恐る振り返りながら、落下物を見ようとしたが、木々に隠れて見えなかった。
この状況には心底悩んだ。あの高さから落ちた衝撃音と風圧を考えると、質量的にはさほど重い物ではないように思えた。
「わ、私には無理」
しかし、得体のしれないものであるならば、ここから早々に退散するべきだと考えた。
「お願いです。逃げずに戦ってください」
逃げる方向に、さっき現れた女性が頭を下げて頼んできた。浮いている所を見ると、本物の幽霊のようだ。が、この非科学的な現象は、今は考えないことにした。
「で、でも、私には力なんて・・・」
「いいえ、貴女たちには力があります。貴女も気づいているはずです」
「あんな力、役に立ちません」
「自分の力を信じてください。貴女にしかできないことがあります」
「無理です」
そんなに説得されても、自分の力を考えるとうつになりそうだった。
「お願いします。人類の為に・・どうか・・・」
すると、泣きそうな顔で必死に懇願してきた。
「そ、そんなこと言っても、私には・・・」
「倒せます」
涙を止めるように顔に力を入れ、力強く断言した。
「なぜそんなことが言えるんですか」
「あの悪災も同様だからです!」
「意味がわからないんですが・・・」
「お願いします。あれを止められるのは貴女方しか・・・」
彼女は、思いつめたように悔しそうな顔で頭を下げた。
すると、私の後ろから誰かが吹っ飛んできた。
「え?」
これに驚いて、木に衝突した人を確認した。
「いたたた」
吹き飛ばされてきたのは、都築だった。
「だ、大丈夫ですか?」
私は慌てて、都築に駆け寄った。
「うん、凄い力。やっぱり怠けてたのが、仇になってるな~」
都築は背中を擦りながら、ゆっくり立ち上がった。
「誰かと戦ってるんですか?」
「人型の化け物」
私の質問に都築がお尻を叩きながら、吹っ飛ばされてきた方向へ歩き出した。
「ど、どこ行くんですか?」
「へ?化け物のところだけど?あんたは戦わないの?」
「こ、怖くないんですか?」
「なんで?楽しいじゃん♪」
都築は、本当に楽しそうな顔でそう言い切った。
「ようやく、この力を開放できる」
そして、手の感触を確かめるように拳を握り、化け物がいるであろう場所へ駆け足で戻っていった。
「お願いです。どうか、あの悪災を止めてください・・・」
「わ、わかりました」
ここまで必死で頼まれては、断るのに気が引けてしまった。
渋々さっきの場所に戻り、木の陰から恐る恐る覗き込んだ。
そこでは、都築と得体のしれない化け物の戦いが繰り広げられていた。
他の三人を捜してみると、それぞれが都築の戦いぶりを興味深そうに見つめていた。
「とっとと、くたばれ!」
都築がそう叫びながら、思いっきり相手の顔面を強打した。
相手は吹っ飛ばされ木に後頭部を打ち付け、ずるずるとその場にずり落ちた。
「し、死んだの?」
隣の木の陰にいた加崎が相手を見て、都築に投げかけた。
「はぁー、はぁー、あの程度じゃあ、死んでくれないね」
都築は息切れしながら、顎の汗を拭った。
「というか、殺すのですか?」
源元が納得できないように、腕を組みながら意見を言った。
「そうだよ~。殺すなんて犯罪だよ~」
ここぞとばかりに、住川が源元に同調してきた。
「え、でも、悪災なんでしょう?」
今度は加崎が、会話に参戦した。
「言ってるのは見ず知らずの方なのですが・・・」
源元は言いにくそうに、浮遊している幽霊に目をやった。
「大丈夫です。倒しても消えるだけです」
「・・・地球上の生物ではないでいのですか?」
これには怪訝そうな顔で、加崎が聞いた。
「そうなるかもしれません」
女性がそう言うと、人型が立ち上がった。よく見ると、人型ではあるが全身を褐色の服?で身を包み、顔全体には赤見がかった面をはめていた。
「こ、怖っ」
私はそれを見て、不気味な印象を受けた。
面の化け物は、フラフラと都築の方に接近した。表情がわからない分、動きがかなり不気味だった。
「凄いわね。あの耐久力」
あれだけのダメージを受けても立ち上がった化け物を称賛したのは、いつの間にか私の横にいた加崎だった。
「気持ち悪いわね」
都築が眉間に皺を寄せて、相手が踏み出すと同時に一気に間合いを詰めた。
「もう一回、吹っ飛びな」
そして、体重を乗せた横蹴り繰り出した。
相手がもう一度同じように吹っ飛び、再び木に背中を打ち付けた。
「都築さん、容赦ないわね」
加崎が息を吐きながら、呆れ顔で都築を見た。ずり落ちた化け物を見ると、面が少しだけずれた気がした。
「あ、あれ?」
それより別な変化に頭が切り替わった。
「え、何あれ?」
加崎も驚きを隠せないようで、声にそれが出ていた。化け物は昇華するように、その場からゆっくりと消失した。
「き、消えた・・・」
この非科学的な現象に、私は驚きすぎて声が漏れてしまった。
「死んだ・・ってこと?」
状況を確認するように、加崎が幽霊にそう投げかけた。
「はい。あれで一時的ですが脅威は去りました」
「なんか気持ち悪い感じの勝ち方」
都築は頭を掻きながら、不満そうに呟いた。
戦いが終わったところで、全員が石碑の前に集まり、浮遊している幽霊を見た。
「で、説明してもらえる?」
戦った都築が、代表して幽霊に真意を聞いた。
「最初に、戦ってくれたことに感謝します」
幽霊は、頭を下げてお礼を言った。
「ワタシは神姫。神様の姫と書いて神姫と呼びます」
「神様なの?」
「いえ、これはただの名前です。神なんて仰々しいものではありません」
「なんだつまんない」
神姫の答えに、佳川からがっかりしたような声が漏れた。
「あの~、目的は化け物退治でいいのかしら?」
源元が状況を確認するように、神姫に尋ねた。これは私も聞きたいことだった。
「ええ、そう捉えて構わないです。貴女たち五人は特別なのです」
「それこそ仰々しいのではなくて?」
神姫の言い分に、源元が呆れながら指摘した。
「そんなことはありません。あれに勝てるのは普通の人では無理です」
「なら、兵器を使えばいいじゃないですか」
「そうですね。ですが、この国では一般人が兵器の使用はできないでしょう」
「それを言われると、返す言葉は見つかりませんね」
行きつく先がわかっているようで、源元が話を切るようにそう言った。
「ねぇー、神姫さん。沙知たちって変身とかできないの?」
「はい?変身?」
佳川の突飛な質問に、神姫が初めてキョトンとした顔をした。
「えっと、そういうのはご自身が一番わかっているはずでは・・・」
そして、困惑したように佳川の方を見た。
「なんだ、がっかり」
ファンタジックなことを期待していたようで、大げさに肩を落とした。
「化け物退治はいいけど、化け物って毎回ここに降ってくるの?」
「いえ、そうではないはずです」
加崎の疑問に、神姫が淡々と答えた。これには少し違和感を感じたが、私自身からそれを聞こうとは思わなかった。
「じゃあ、これからはどうやって対処するのよ」
「申し訳ないのですが、近場に出たら、対処してくれませんか」
「・・・どうやって?」
神姫の説明に都築が首を傾げて、少し間を置いてから聞いた。
「近くに現れたら、ワタシが連絡します」
「だから、どうやって?」
「ワタシがその役割を果たします」
「幽体で顕れて、場所を教えるということですか?」
「はい。少し全員の身体を通過します」
神姫はそう言って、私たちの身体をすり抜けていった。幽体とはいえ、神姫が通過するのはちょっと気持ちが悪かった。
「これで貴女たちの居場所がわかります」
どうやら、身体を通ることで私たちにGPSらしきものを植え付けたようだ。これには安易だったと後悔した。
「なんでそういうことできるのに、変身はできるようにしてくれないのよ」
そう思っている私の横で、佳川が不満そうに小声で愚痴った。
「他に聞きたいことはありますか?」
それを無視するように、神姫は全員を見てそう言った。
私以外の四人は、これ以上の質問は誰も持ち合わせていない感じだった。私も聞きたいことはないので、視線を落とすように沈黙した。
「では、これで」
質問がないことを確認して、神姫はゆっくりと消えていった。その消え方はさっきの化け物と似たように感じた。
「どう思う?」
それを見送った後、加崎が全員に感想を聞いた。
「え、何が?」
その真意がわからないのか、都築が不思議そうに首を傾げた。
「まさかあの得体のしれない幽霊の言葉を、鵜呑みにするわけじゃないでしょう」
「う~ん。言われてみると、不審な点が多いかも」
「それに命懸けで戦う意味があるのかも疑わしいわ」
「命懸け?」
「・・・都築さん。もしかして、ただ楽しんで戦っていたの?」
都築の言葉に、加崎が呆れたよう頭を掻いた。
「え・・えっと、うん。まあ」
どうやら、ただ戦いが楽しかっただけで相手を殺したという罪悪感は感じていないようだった。
「良い性格してるね。一応言っとくけど、人を殺したのかもしれないのよ」
「え、なんで?あいつ、化け物でしょう?」
「まあ、普通の人はああいう消え方しないけど、人間かどうかもあたし達は確認してないわ」
「か、考え過ぎじゃない?」
自分の置かれている状況がわかったようで、少し声を震わせて目を泳がせた。
「まあ、遺体が残ってないから発覚には至らないか・・・」
確かに、警察に行っても何も解決できそうになかった。
「殺しても消える化け物・・ですか。都合が良過ぎる気がしますわね」
源元が何か考えるように、化け物が最後に倒れた場所を見つめた。
「で、でもさ、こっちとしてもその方がいいんじゃない?」
都築は動揺した声で、気まずそうに口元を歪めた。今後のことを考えて、必死で取り繕おうとしている風に見えた。
「体験型バーチャルじゃないの?」
ここで佳川が、緩い感じで話に入った。
「バーチャル?」
「そ、今じゃあ、そういうゲームあるし」
「バーチャルねー。確かに、それだと空から降ってきたり、消えたりしても不思議でも何でもないわね」
佳川の解釈に、加崎が納得しながら目を閉じた。
「でも、それでしたらわたくし達の飛び抜けた身体能力についての整合性が取れませんわ」
「それなら、沙知たちが実験体にされたんじゃないの?」
「そうですわね。信じたくない見解ですけど、一つの可能性ということもありますわね」
この場で話し合っても、憶測だけで本質を見出すことはできそうになかった。
「わ、私、帰ります」
なので、さっさと帰ることにした。
「え、帰るの?」
すると、都築が反射的にそう聞いてきた。
「は、はい。ここに居ても何も起こらないと思いますから」
それとできれば、この四人とはあまり深く関わりたくなかった。
「そうですわね。それには大いに賛成しますわ」
源元は服を手で二回ほど叩いてから、雅に反転した。
私と源元が駅の方に歩き出すと、他の三人も後ろからついてきた。私はできるだけ話しかけられないように、距離を置いて歩いた。
「ねぇー、ねぇー、みんなは強いの?」
すると、都築が目を輝かせて聞いてきた。
「まあ、一般人より強いんじゃないの?」
これに加崎が淡々と答えた。
「そうですね~、沙知も抑えるの結構大変です」
「わたくしもお淑やかを通したいので、か弱いということにしていますわ」
佳川と源元が、個々の事情を話した。
「わ、私も同じ感じです」
プライベートを話す気はないので、私もそういうことにしておいた。
「じゃあさ、戦ってみようよ」
「え?なんでですの?」
これにはいち早く源元が反応した。
「だって、息苦しいでしょ、力を隠し通すなんて」
「いえ、そう感じたことはありませんわ。基本、運動は嫌いですので」
「あ、そうなんだ・・・」
源元の言葉に、残念そうに肩を落とした。
「無駄な争いは控えましょう」
加崎も戦うのは反対のようで、淡々とそう言った。
「ちぇー」
これに都築が、拗ねたように口を尖らせた。
「確認したいことがあるんだけど、あなた達の住んでる場所ってこの近くなの?」
加崎の質問に、全員がそうだと答えた。
「やっぱり変だねー」
「え、何が?」
これに都築が、反射的に聞き返した。
「だって、化け物がこの地域だけに出るのっておかしくない?」
「他の場所にも、自分達みたいな人がいるんじゃないの?」
「ん~、そう言われてみればそうかもね」
都築の解釈に、加崎が納得するように話を切った。
駅に着く前に源元と佳川と別れ、駅前で加崎と別れた。
電車に乗ると、都築が後ろからついてきた。
「紀田はどこまで?」
聞かれたので、自分の降車駅を答えた。
「ふうん。あたしより遠いんだねー」
「と、都築さんはどこまでですか?」
仕方がないので、適当な返しをしてみた。
「二駅目だね。あと、名前でいいよ。同級生にさん付けは好きじゃないから」
「は、はぁー。えっと、名前もう一度教えてもらっていいですか?」
「あー、まあ、一回しか教えてないししょうがないね。莉奈だよ」
「じゃ、じゃあ、莉奈って呼びますね」
「うん、それでお願い♪」
莉奈は、嬉しそうな顔をして一度だけ頷いた。
「こっちも夕って呼ぶね」
「は、はぁー」
気さくな莉奈に戸惑ってしまい、気の抜けた返事になってしまった。
莉奈と別れ、一人に電車の中で小さく溜息を吐いた。今日のことは忘れることにして、居心地の良い自宅に帰ることにした。
二 お節介
あれから数日、何も顕れず誰からも連絡はなく、いつも通りの生活をしていた。
が、それも今日までだった。
「・・・」
私は、この事態に困惑するしかなかった。理由は二つ。一つは私の部屋に神姫が顕れたこと。そして、もう一つは第三者がいることだった。
「えっと、すみません。忙しいみたいですね」
神姫は申し訳なさそうに、私と学級委員長を交互に見て、そそくさと窓から出ていった。
「何、あれ?」
しかも、最悪なことにその第三者に神姫が見えているようだった。
「いえ、なんでもありません。もう帰ってもらえます?」
私はあくまで冷静に、この場をうやむやにするように委員長に帰宅を促した。
「え、え?」
委員長は、私以上に困惑した表情をした。
「用ができましたので、帰ってもらえますか?」
「え?いや、え?あれだけ教えてもらっていいかな」
「えっと、私にも説明できません」
情報不足のうえ、話したくないので突っぱねておいた。
「・・・」
「えっと・・・」
黙って凝視する委員長に、私は何も言わず首で帰るよう促した。
「う~ん。自分と紀田さんって霊感があるってことかな?」
「知りませんが、帰ってくれます?」
委員長がボブの髪を揺らしながら、制服のスカートを押さえて立ち上がった。
「わかった、帰るね」
納得はできないようだったが、三回目のお願いを聞き入れてくれた。
委員長と入れ替わるように、神姫が焦りを見せながら戻ってきた。
「あ、あの。緊急事態なので、向かってもらえますか?」
「場所はどこですか?」
「案内しますから、ついてきてください」
「えっと、その前に着替えていいですか?」
「あ、そうですね」
神姫はそう言って、気まずそうに窓から出ていった。
動きやすい格好に着替えて、神姫と一緒に外に出た。
「来るときは一声掛けてから入ってください。実体がないといっても、私のプライバシーには気を使ってください」
「す、すみません」
私のお願いに、神姫は申し訳なさそうに頭を下げて謝ってきた。
「えっと、戦わなきゃダメですか」
とりあえず、戦う前に基本的なことを聞いてみた。
「当たり前です!人類の存亡が掛かってるんですよ!」
「そ、そうですか・・・」
それは言い過ぎだと思ったが、こうも物凄い形相で言い切られては、私から戦闘拒否はできそうになかった。
神姫の先導に、私は駆け足でついていった。
「殺すのは好きじゃないんですが」
「それはワタシも気が引けます。ですが、今はそんな甘い考えは捨ててください」
「はぁー、そうなんですか」
事情があるようだが、詳しく話す時間はないようだった。
「この先です。後はお願いします」
「え、フォローとかしてくれないんですか」
「あっちは力押しできます。それに別の箇所でも出現しているので、被害が出る前に伝えに行きます」
「そうですか」
私がそう言うと、神姫が半透明になり、この場から姿を消した。
「丸投げですか・・・」
私はそれを見て、自然と愚痴が漏れた。
敵がいるであろう先に目をやると、そこは公園の横の雑木林で入るのに少し勇気がいった。
私は数秒だけ考えて、周りに人がいないことを確認してから雑木林に入った。
ある程度、草むらを掻き分けていくと、反対側から面の化け物が顕れた。真夜中だったら、確実に逃げる場面だった。面の化け物は前回より一回り小さく感じた。
相手が私を視認したようで、その場で立ち止まった。
「話せますか?」
神姫を信じてない訳ではなかったが、とりあえず話ができるかは確認しておきたかった
「・・・」
化け物は何も言わず、ただその場に佇んでいた。未知なことに興味はあるが、実害が被りそうな厄介事はできるだけ避けたかった。
「正直、戦いたくありません。人に危害を及ぼさないと約束してくれるなら・・・」
私が言い終わる前に、化け物が右手で大振りの攻撃を繰り出してきた。
「ちょ、ちょっと」
慌ててその拳をかわし、一歩だけ後ろに下がった。思いのほか、相手の攻撃は鈍く私でも勝てそうだと思った。しかし、自分の力は気持ちが悪いので、あまり使いたくなかった。
戦い方はインターネットでかじった程度だったが、身体能力は一般人よりはるかに高いので、何回か体を動かせばだいたいの動きは習得できた。
私は手汗の量を確認して、化け物の腕を掴み、力いっぱい投げつけてみた。化け物が吹っ飛ばされて、木に左肩を打ちつけた。驚いたことに、この化け物に重さはほとんどなかった。森の時の落下の風圧を考えると、この軽さは異常だった。
「あ~あー」
化け物でも効果はあるようで、喘ぎ声に近い発声をした。一度触っただけで効果があるということは、神経がむき出しか、耐性がないかのどちらかだった。
「って、声は出るんですか」
それよりも、声を発することの驚きが強かった。
「面のままで声を聞くって、気持ち悪いですねー」
相手に感度があることは確認できたので、持参した極薄のゴム手袋をはめた。都築の戦っていた化け物より弱いとわかったところで、恐怖より未知への探求へと思考が切り替わった。
「まずはその仮面を取ってみましょうか」
前に莉奈が倒した時、面がズレたことが気になっていたので、これを機に剥がしてみることを目標にした。
化け物の身体能力は、一般人よりは強力だったが、私ほどではなかった。
しばらく化け物を軽い攻撃を軽くあしらっていると、相手はどんどん傷だらけになり、折れた片足を引きずって必死で私に攻撃を仕掛けようとした。
「これでは、私の方が化け物ですね」
これは前から思っていたが、実戦してみると自分の異常さを痛感させられてしまった。
「それじゃあ、顔を確認しますね」
私はそう言って、一気に化け物に近づき強引に面を強引に剥ぎ取った。
「あ」
面を剥いだつもりだったが、顔の皮膚ごと剥ぎ取ってしまった。
「す、すみません」
これには思わず謝ってしまった。
「あーあー」
化け物は顔を両手で覆い、その場にうずくまった。皮膚ごとを剥ぎ取った顔は、無数の血管が見えて大変気持ちが悪かった。
「あー!」
化け物は、怒りをぶつけるように私に殴り掛かってきた。
「最後ぐらいは、苦痛より快楽の方がいいでしょう」
私は素早く手袋を脱ぎ捨て、皮膚のない顔に半分の力で殴り飛ばした。
ぐきっという音と共に気に背中を打ちつける音が周りに響いた。
私は周りを気にして、人がいないかを確認した。
化け物の方に近寄ると、全身が薄まり最後には消えていった。ついでに手に持った面も消失してしまった。
「ふぅー、やっぱり透明になるのではなく、消えるのが仕様ですか。となると、人ではないってことですか・・・」
手に付着したはずの血も一緒に消えたことを考えると、化け物自体が気体で出来ているような感じだった。
「どういうことなんですかね?」
不可解な事象が続き、私の思考能力の限界を突破した。
「帰りますか」
私は反転して、来た道を引き返した。
夕方ということもあり、雑木林から出るところを二人ほど見られたが、私は何食わぬ顔でその場を立ち去った。
歩きながら、化け物についてもう一度整理して考えてみた。一つはバーチャルではないこと。それは攻撃を受けて確認できた。本体と面は、皮膚?に張り付いていることもわかった。そうなると、都築が倒した化け物は面が皮膚に張り付いていなかったか、もともと皮膚がなかった可能性が考えられた。
そして、一番重要なのは軽さと消えたこと。森に居た化け物の攻撃を見た時は、あそこまで軽い感じではないはずだった。消失については、透明ではなく、消える現象は私の知識ではありえないことだった。(バーチャル以外では)
本体が消えることは最初の時に見ていたが、剥ぎ取った面も一緒に消えるのは不可解だった。
家に着き、横に設置してある階段を上がり、部屋に入った。
テレビの正前にある座椅子に座り、自分が戦ったことを思い出したが、高揚感はなく嫌悪感しか残っていなかった。
「はぁー、気持ち悪い」
原因は超人的な身体能力ではなく、もう一つの特異体質が極端に高揚感を遠ざけている要因だった。
私の体表の外分泌は、媚薬成分アルギニンを含んでいて、触るだけで相手を興奮させてしまう体質だった。
これは小学生の頃、両親の異様なまでの態度に違和感を覚えたところから始まっていた。
その疑問を解消する為、ネットで簡易キッドを買ってもらい、自分の分泌液を調べてみると、媚薬成分を発見した。
それがきっかけで、人との接触が怖くなり、今では立派な不登校児の引きこもりになっていた。その間、ゲームや漫画は興味がなかった為、自分の分泌液でいろいろ実験を試みた。そのおかげで、今では思考が科学方面に特化してしまっていた。
次の日の夕方、再び委員長が部屋を訪れてきた。これは私を学校に来させる為に、教師と親が送り込んだ刺客みたいなものだった。
数ヶ月前までは、教育委員会の指示で、親がカウンセラーを1週間に一回つけていたが、効果は全くないことを知り、昨日から委員長が来るようになっていた。
「えっと、もう無理して来なくていいですよ」
私は昨日のことはなかったことにして、部屋の玄関口で追い返すように言った。
「え、まだ1日だけなんだけど」
「十分でしょう。口裏を合わせますので、帰ってもらって構いません」
「ってことは、お邪魔しても構わないって捉えてもいいの?」
「いえ、そう解釈されるのは困ります」
「学校に来てくれたら、来なくていいんだけどね」
委員長は、つくり笑顔で皮肉を言ってきた。
「嫌です」
私は心を込めて、笑顔で拒否した。
「むっ、可愛い笑顔するわね」
皮肉で返したつもりだったが、嫌な褒められ方をしてしまった。
「とにかく、話し合いは決裂です。帰ってもらっていいですか?」
「ん~~、困ったわね。昨日のこと聞きたいんだけど」
「あれはなかったことにしてください。知っても害しかありません」
「そう・・なんだ」
これには困ったように視線を泳がせた。
「もういいですか?」
「え、何が?」
さっきの言葉を忘れたのか、素で返された。
「帰ってもらっていいですか」
「う~ん。どうしようかな」
ここでなぜか委員長が、悩む仕草をした。
「え、帰ってくれないんですか?」
「先生からは1週間に一回でいいって言われたけど、思ったより楽しいから毎日来てもいいかな~って、今考え直しているところなの」
それを聞く限り、教師からは予定通り見放されたようだ。最終的に不登校が続く場合、通信教育で単位を取りながら、卒業できるようになっているので、その点に関しては特に気にはならなかった。
「・・・えっと、昨日が初対面ですよね」
昨日は最低限の礼儀で家に招いたが、今日は家に招くつもりはなかった。
「そうね」
「とにかく、帰ってください」
仕方がないので、強制的にドアを閉めることにした。
すると、ドアの隙間に委員長の足が入ってきた。
「まあ、まあ、少し話そうよ」
そして、ドアに足を挟みながら、隙間から顔を覗かせてきた。
「怖いです。帰ってください」
この状況に、恐怖を覚えてドアノブに力を入れた。
「いたた~」
すると、委員長が痛そうな声を上げた。
「あ、すみません」
これには慌てて、力を緩めた。
「お邪魔します」
そこを狙ったかのように、委員長が強引にドアを勢いよく開け放った。
この強引さには、本気でイラッとした。
「あ!」
私はわざと大声を出して、委員長の気を逸らした。
「え?」
それに反応した委員長が、後ろを向いて足を引いた。
単純な委員長に呆れながら、すかさずドアを閉めて鍵を掛けた。
「あ!ちょ、ちょっと!」
そのドア越しから委員長の声が聞こえたが、ほっとくことにした。
「開けてって!」
委員長がドアを叩いて叫んだが、無視して座椅子に座った。
しばらくしても委員長は一向に帰る気配がなく、ドアを何度も叩きながら大声で叫んでいた。
「近所迷惑なのでやめてください」
私は呆れ声で、委員長にドア越しでお願いした。
「じゃあ、開けて」
「はぁー、わかりました」
これには根負けして、ゆっくりとドアを開けた。
「あの、そこまでする必要あります?」
「正直、ノリが心地よくて楽しいわ」
「そ、そうですか」
どうやら、拒絶することで委員長的に好感度を上げてしまったようだ。
委員長は昨日と同じように、横の座布団を下に敷いて座った。
「学校に来たら、紀田さんと友達になれるから登校してみない?」
「嫌です。通信教育でなんとかやっていこうと思ってます」
「それって、つまんなくない?」
「勉強なんてつまらないものですよ」
「それは的を射てるね」
委員長は手を口に当てて、おかしそうに笑った。
「で、昨日の幽霊みたいなのはなんだったの?」
「さっきも言いましたが、私も知りません」
「幽霊なんて初めて見たわ」
「怖くないんですか?」
楽しそうな委員長を見て、一般的な反応ではないことだと感じた。
「え?まあ、そうだね。怖さより好奇心の方が勝ってるかな」
「変わってますね。私は怖いですけど」
物理攻撃ができない相手なんて、恐怖オンリーでしかなかった。
「また来るの?」
「え?」
「だって、昨日はそんな風なこと言ってたし」
「言ってましたっけ?」
「うん。お忙しいみたいですねって言ってたし、夕も何か用ですかって言ったわ」
「・・・なぜ急に名前で呼ぶんですか」
「私の中ではもう友達だからかな」
「友達って、そんな安易になるものですか?」
「ふふっ、当たり前でしょう。ここまで話せればもう友達だよぉ」
委員長はそう言って、嬉しそうな笑顔を私に向けてきた。
「で、どうなの?」
「あの不思議な人は、前に一度会っていますが、詳細は言えません」
「う~ん。ここまで粘ってもダメなんだ」
「はい」
「じゃあ、諦める」
委員長は、少し拗ねたようにそっぽを向いた。
「もう帰ります?」
話は終わったので、帰ってもらうことにした。
「今日から6時までいることにするから」
「は?何言ってるんですか?」
予想外の発言に、思わず険しい顔になった。
「いいじゃん、毎日暇してるんだから、それくらい問題ないでしょ」
「嫌です」
「え~、いいでしょう」
「ダメです」
ここを譲ると面倒になりそうだったので、断固として柄拒否した。
が、この言い合いが、10分も続くと、もうこれが面倒になってきてしまった。
「じゃあ、1週間に一回だけにしましょう」
仕方がないので、こちらが折れる形で妥協案を提示してみた。
「学校に来てくれるなら、それでいいよ」
しかし、相手はこちらの譲歩を無視するかのように、斜め上の条件を出してきた。
「なんですか、その理不尽な条件は?」
「これでも譲歩してるのよ」
そうは言ったが、委員長の笑顔は絵に描いたような意図的なものにしか見えなかった。
「学校にはいまさら行く気はないですので、4日に一回でいいですか?」
「毎日来るよ」
「お互い譲歩しませんか?」
「う~ん。そうだね。じゃあ、2日に一回で手を打ってあげる」
立場的にこちらが優位なはずなのに、主導権は完全に委員長が握っていた。これが人心掌握の仕方なのかと、不本意ながら感心してしまった。
「あ、居留守つかったら、毎日来るから」
「・・・」
しかも、最後の逃げ口上を委員長が最初に潰してきた。この詰め方は、もう感服ものだった。
「じゃあ、来る時は自宅に電話ください」
私は潔く負けを認めて、自宅の電話番号を教えることにした。
「電話って、下にあるんじゃないの?」
「子機があります」
私はそう言いながら、棚の上にある子機を指した。
「私的には携帯の方が良いんだけど」
「残念ながら持ってません。引きこもりに携帯なんて必要ありませんから」
「寂しいこと言うわね」
「寂しい・・ですか」
思ったこともない感情に、自然と復唱してしまった。
「ネットはひいてるの?」
「ええ、勿論」
「じゃあ、テレビ電話にしようよ」
「無意味ですから、電話にしてください」
「無意味って・・・」
私の返しが面白かったのか、軽く手で口を覆い含み笑いをした。
「一つ聞きたいんですが、2日に一回会って何するんですか」
自分としてはその頻度で会っても、話すことが尽きる気がした。
「他愛のないことを話すのが友達よ。いちいち一緒にいる理由なんて、考えるなんて無粋なだけ」
「引きこもりの私に、よくそんな偉そうに言えますね」
「ふふん。実際、人とのコミュニケーションは夕より上だからね」
そう言われると、もう何も言う気はにはなれなかった。
「・・・怒らないんだね」
「そういう感情は特に沸きませんね」
「引きこもりで人間味が薄れたのかしら」
「そういうのやめてくれませんか」
ただでさえ、自分に嫌悪しているのに、そんな分析はやめて欲しかった。
「委員長は、部活とか習い事はしてないんですか?」
「え?してないから、こうやって夕の家に来てるんじゃない」
「なるほど。委員長という理由だけで、選ばれたわけじゃないんですね」
「そうだね。最初は嫌々だったんだけど、今は良かったと思ってるわ」
「良かった?」
「うん。友達ができたし」
「・・・その発言だと、学校で友達いないんですか?」
「いないことはないけど、話がいまいち合わないのよね~」
「あの学校って、偏差値低い人の集まりですからね~。話が合わないってことも仕方ありません」
中学校から基本不登校なので、通信教育で受かるところはそこしかなかった。
「・・・別に、そういうつもりで言ったんじゃないんだけどね」
委員長が困った顔で、視線を逸らして頬を掻いた。
「じゃあ、相性が合わないんですね」
「うん、そっちだね」
私の言い直しに、委員長が嬉しそうに人差し指を振った。
「そろそろ帰る時間ですよ」
時計を見ると、短針が6時を指そうとしていた。
「あ、本当だ。じゃあ、帰るね」
委員長が時計を見て、ゆっくりと座布団から立ち上がった。
二階の玄関で靴を履き、ドアの前で私の方に振り返った。
「じゃあ、また来るね」
「ええ、2日後ですね。でも、無理して来る必要はありません」
「絶対来るね」
「じゃあ、電話ください」
ここは敢えて、鬱陶しい表情をして言ってみた。
「うん。わかった」
しかし、委員長はそれをどこ吹く風で流してきた。
「あ、そうそう。わたしの名前は満川レレ。レレって呼んでね」
「は、はぁ~」
私は気のない返事をしながら、これから傍迷惑になるであろうレレの後姿を見送った。
三 仮面
その後、平日の昼頃に何度か神姫から要請があり、人目につかない場所で戦わされた。
「これ、いつまで続くんですか?」
最近は頻度が多いので、うんざりした感じで聞いた。
「えっと、ワタシにもわかりません」
「というか、あれはなんですか?悪災というのは何度も聞きましたが、私には神姫さんと同種族に感じます」
あと、自分が住んでる近辺に出ることも、常に人気のない場所に現れるのも不可解だった。
「同種ですか・・・まあ、似た者同士なのは事実ですね」
これを認めるのは少し意外だった。
「それに少しずつ強くなってきてます」
「そうですね。あれはそういう悪災です」
「・・・それなら、私が殺されるまで続くってことになりますが」
正直、そんなこと考えたくもなかったが、最終的に敵わなくなっていく未来しか見えなかった。
「そこは努力でなんとかしてもらうしか・・・」
神姫は、気まずそうな顔を横に向けて丸投げしてきた。
「命を懸けてまで、悪災は止めるべきなんですか」
「勿論です。悪災は人類全体の危機に繋がります。それより、そろそろ向かって欲しいのですが・・・」
「わかりました」
神姫が来て、もう10分近く経っていた。
私は手早く着替えて、指定された場所へ向った。
案内された場所は、人通りの少ない路地裏だった。
「最近、人目に付く場所になってきてますね」
神姫が消えて、私がそう呟くと、向こう側から仮面をつけた小柄の人が歩いてきた。しかも、今回の面は覆面ではなく目元部分だけが隠れていている仮面だった。ちゃんと服を着ていて、前の化け物とは全然違っていた。
「神の敵はあなたですか」
驚いたことに、相手がしゃべりかけてきた。見る限り、少年のようだ。
「話せるんですね」
ここは思ったことを口にしてみた。
「え?何を言ってるんですか?」
「いえ、今まで話すことはなかったので」
私の言葉に、少年は首を傾げた。
「話せるのでしたら話が早いです。戦う理由を聞いておきたいです」
「え?」
言っている意味がわからないのか、さらに首を傾げた。
「邪魔するからじゃないんですか?」
「邪魔?」
「ええ、あなたが神の邪魔するからです」
「神・・ですか。なんですか、それ?」
「さあ、知りません。不確定な存在だから、そう呼んでいるだけです。そして、力を与えてくれました」
彼は仮面を片手で触り、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「力を与える代わり、私を倒すよう言われたんですか」
「ええ・・・なかなかの洞察力ですね」
「お互い踊らされてるんですかね~」
仮面になって人に取り付くことができるのなら、なぜ今までしてこなかったのかが気になった。
「もう御託はいいでしょう。馴れ合いしに来たわけじゃないのですから」
「できれば戦いたくないのですが」
「は?」
私の発言が意外だったのか、再び首を傾げた。
「あなたも力を与えられたんじゃないんですか?だから、僕と戦うんじゃないんですか」
「私は元々備わった力です。別に、好き好んでお願いした訳ではありません」
そう言うと、彼の雰囲気が嫌悪感に満ちてきた。
「そう、ですか。羨ましい限りです」
「別に、欲しくはありませんよ、こんな下劣な力」
「下劣ですか・・力のないものを侮辱する発言ですね」
その発言は、少しだけ私をイラつかさせた。
「そう思うのは、ないものねだりしてる子供ぐらいですよ」
「・・・」
私の茶化しに、彼から怒りを面に出した。
「怒りましたか、まだまだ子供ですね」
仮面に取り付かれた相手がどれくらい強いのかわからないので、ポケットに入っている奥の手を使うことにした。全部使うと危険なので、数滴だけ左手の手のひらに付けた。
「あなたの無神経さは酷く不愉快です!」
少年は拳を強く握り、怒号を飛ばしてきた。
「来なさい。力の空しさを教えてあげます」
不愉快なのはこちらも同じで、相手を挑発する態度を取った。
彼が近寄るタイミングで、私も動き出した。
「な!」
急に目の前に現れた私に驚き、彼はその場で急ブレーキをかけた。力を与えられて間もないようで、目が私に追いついていなかった。
私は相手の手首を左手で掴み、空いた右手で四割程度の力でみぞおちを殴った。
「がっ!」
彼から吐くような声が漏れて、数センチ後ろに下がった。
「痛く・・ない?凄いあんな強く殴られたのに・・・全然痛くない」
少年は、嬉しそうな声で体を起こした。どうやら、私の殴打が効かないと勘違いしてるようだ。即効性は確認していたが、こうも一瞬だと恐怖を覚えてしまった。
「大口叩いて、その程度ですか」
自分が優位だと思ったのか、一歩だけ私の方に足を出した。
「力にはいろいろあるんですよ。今から貴方にはそれを体験してもらいます」
数滴とはいえ痛覚を緩和するのは、私にとっては不利だったが、さっきの動きだしを見る限り、本気を出すまでもないと思った。
「はっ、口だけのあなたにそんなこと言われたくありません」
彼はそう啖呵を切ると、私に襲い掛かってきた。
結果、少年は動けなくなるまで私に叩きのめされた。そうなるまでに、10分も掛からなかった。
「ど、どうして、い、痛みなんてないのに・・・」
「戦うのは、気持ち良かったですか?」
私はそう言いながら、彼から二歩下がった。彼を叩きのめせたのは、彼が快楽に身を委ねなかったからだった。もし彼がそれに悶絶するようなら、ここまで攻撃しなかっただろう。
「な、何をしたんですか!」
「身体に痛みはなくても、身体が限界に至っただけです・・・それにしても、貴方は消えないんですね」
私がそう言うと、彼の面がゆっくりと薄らいでいった。
「ち、力が抜ける・・・」
彼はそれを慌てた様子で、仮面を手で抑えた。
「ま、待って。も、もう一度チャンスを・・・」
その懇願も虚しく、仮面だけが消えていった。これは理性のない化け物と、人間の彼との根本的な差のようなものを感じた。
「あ、あれ?ここは」
仮面が消え、少年がキョトンとした顔で周りを見回した。
「もう力に溺れないでくださいね」
「えっと、誰ですか?」
少年は私を見て、不思議そうな顔で聞いてきた。
「え?」
「なんで、僕こんなところに?」
「えっと、なんでここに来たか、記憶がないんですか」
「え、あ、はい」
少年は戸惑いながら、周囲を確認した。前の化け物のように消えなかったが、記憶の方が消え去っていた。
これには困惑しながら、少年を見ることしかできなかった。
「あ、あの、申し訳ないんですが、救急車呼んでくれませんか?体が動かなくて」
仮面が消えても、媚薬成分で痛みはないように見えた。
「えっと、携帯持ってます?」
携帯電話を持ってないので、少年に確認してみた。
「い、いえ、持っていません」
「そ、そうですか・・・じゃあ、ちょっと呼んできますね」
「お、お願いします」
私は近くの公衆電話で、緊急ボタンを押して救急車を呼んだ。
そして、少年の元に戻り、そのことを伝えた。
「ありがとうございます」
「ど、どういたしまして」
真っ直ぐな少年の瞳に、複雑な気分で返礼した。
「僕、病院に居たはずなんですけど、どうやってここまで来たかわかりますか?」
「え?普通に歩いてきましたけど・・・」
「え!そうなんですか?」
これには驚いたように聞き返された。
「僕、身体が弱くて、歩けても1キロぐらいが限界なんですが」
「は、はぁー、そうなんですか・・・」
これを聞く限り、不確かな存在は不自由な人に力を与えることで、私への対者にしようとしたようだ。
「じゃあ、私は行きますね」
さすがに加害者がこの場にいると、いろいろ面倒なので退散することにした。
「え、あの・・・」
少年の言葉を無視して、早足でその場から離れた。
家に帰り、罪悪感を吐き出すように息を大きく吐いた。正直、あの場にいれば犯罪者になることは間違いなかった。顔を殴らなかったのが、唯一の気休めだった。
これからあんな小者と戦うと思うと、相手にするのが嫌になってきた。
そんなことを考えていると、棚の上の子機が鳴った。
電話はレレからで、今から来ると言ってきた。今はそういう気分ではないのが、断ると後々面倒なので二つ返事で電話を切った。
上機嫌のレレが来て、今日の授業内容を報告してきた。これはお互いの話題がかみ合わないので、私からお願いしたことだった。
「あ、そういえば、最近ニュース見た?」
「いえ、興味ないので見てません」
「最近、変な事件が立て続けに起こってるんだけど」
「事件?」
「事件・・というかショーに近いかな」
レレは、少し悩んでから言い直した。
「見世物ってことですか?」
「そんな感じ」
テレビは基本的に見ないし、ネットニュースもあまり注視したことはなかった。
「多分、今してると思うわ」
レレはそう言いながら、日ごろ使わないリモコンを取ってテレビを点けた。
『えー、只今入ってきました。超人同士の戦いです』
アナウンサーがそう言うと、画面が切り替わり、面の小者と戦っている佳川の姿がそこにあった。彼女は、魔法少女のような全身フリルを纏っていた。
「え!なんですか、これ!」
驚きすぎて、テレビに駆け寄ってしまった。
「まあ、一応事件・・なのかな?」
「じゃあ、誰か逮捕されるんですか」
「う~ん。あっちの女の子は捕まってないね」
「えっと、どういう風な感じで報道されているんですか」
テレビから解説が流れないので、情報提供者のレレに聞いた。
「えっと・・あの仮面の人が最近暴れてるようになってね。人を襲っているところをあの女の子が現れたの」
私の所では人に取り付いていたのは、今日が初めてだったが、佳川の所ではもう何度目かのことのようだ。
「仮面の人はどうなったんですか?」
「警察に捕まったけど、記憶がないみたい。たぶんだけど、心身耗弱で減刑になるんじゃないかな」
「一応、罰せられるんですね」
「まあ、暴行罪は免れないでしょう」
「で、あの子はなんで捕まってないんですか?」
私的には、それが一番聞いておきたかった。
「一度、警察が対応したみたいなんだけど、全然取り押さえられなくてね。それで出てきたのが、あの女の子」
「だから、捕まえられないということですか」
「対応できない相手を倒した人を捕まえるなんて、大衆から批判されるのは目に見えているからね。警察のメンツを守るために、捕まえられない感じだね」
「組織としては、対応できないってことですか」
「うん、そんな感じ」
「納得です。相手は、超人の上に記憶喪失なんて厄介な事件ですもんね」
「そういうことだね。本当のことか知らないけど」
それはさっき経験したので、そこは疑うことはなかった。
戦いが終わり、膝をついたのは仮面の男だった。
すると、あの時と同じように面が消えていった。それを確認した佳川が、カメラ目線で決めポーズをして去っていった。
「相変わらず、圧倒的だね」
それを見て、レレがそう口にした。佳川は一度も攻撃を受けず、遊ぶように相手を倒していた。
『彼女のおかげで、今回も被害は最小限に抑えられたようです』
アナウンサーが淡々と事の経緯を離し、次のニュースに移った。
「こんな大っぴらに・・・」
私はレレに聞こえないように、ぼそっと呟いた。
「でも、面白いよね~。魔法少女風なのに、戦い方が肉弾戦なんて」
「そ、そうですね」
確かにあの格好で相手と殴り合うのは、違和感が半端ではなかった。
「それを考えると、あの子より他の二人の方がまだマシよね~」
「え?二人?」
レレの発言に即座に反応して、言葉を復唱した。
「うん。市は違うけど、お嬢様の格好と普通の制服の女子がいるわ」
「へ、へぇー、名前は公表されてるんですか?」
「ううん。さっきの女の子は自分で公言してるけど」
「その名前って?」
「サチ」
まんま本名だった。彼女は、自分のことを名前で言っていたので覚えていた。
「ネットでも盛り上がっているけど、ただのショーとか、県の売名行為とか言われてるわ」
「そういえば、取り巻きみたいのが映っていましたね」
佳川が戦っている後ろで、ちらほらとカメラやスマホを持った人が見え隠れしていた。
「そうだね。ちょっと有名になってるから」
「ちなみに報道はいつからですか?」
「1週間前ぐらいかな」
「そう、ですか」
こうなってくると、戦いたくない意志が強くなってきた。
「それにしても、あのダサい仮面なんなんだろうね」
「知りません」
それはこちらが聞きたいことだった。
「なんか棘がない?」
「え?」
「なんか聞いて欲しくないような感じがする」
「え、そうですか」
どうやら、自然と気持ちが表に出ていたようだ。
「この話はもうやめましょう」
「結構、食いつき良かった気がしたんだけど」
「き、気のせいですよ」
これには気まずくなり、レレから視線を逸らした。
「まあ、いいか」
「今日はそろそろ帰ってくれませんか」
「え、なんでよ」
「ちょっと、用事があるので」
私の頭は、さっきのことが知りたくて仕方なかった。
「・・・わかった」
これには珍しくレレから身を引いてくれた。
「明日も来るから」
が、強気な条件を取り付けてきた。
「わかりました」
今は説得する余裕もないので、それを即座に受け入れた。
レレが帰り、慌ててネットを調べた。自分の地域を検索すると、ここ数週間に出てきた感じだった。
「ま、まずいですね~」
これは知られていいのかと思ったが、神姫はあくまで悪災であり、できるだけ早く排除して欲しいと言われているだけだった。
「う~ん」
私は、本気でこれからのことを考えさせられた。
すると、神姫が空気を読まず、窓から一声もなく入ってきた。
「・・・」
それを嫌な顔で凝視した。
「えっと、タイミング悪かったですか?」
「あの、私たちが戦っているのって、仮面なんですか?」
「ええ、あれが悪災の元凶です」
「神姫さんって、いつも明言を避けますね。もしかして、何か隠してませんか?」
幾度も悪災でごまかされてきたが、他人が関わってくるとなると聞かずにはいられなかった。
「え?そんなことないですけど」
しかし、素でそう返された。
「神姫さんも知らないということですか」
「ワタシは、あの悪災を止めたいだけです」
「仮面って複数いますが、本体はあるんですか?」
「そ、それは・・・」
神姫が初めて言葉に詰まった。
「そもそも、貴女は人ですか?」
「勿論です」
その質問には迷いは感じられなかった。
「なら、貴女の生死はどうなってますか?」
「生きてます。この霊体は幽体離脱でここに来てます」
「人ってそんなこともできるんですね」
「ワタシは今でも生死の境を彷徨っていますから、それができるようになったんだと思います」
「では、なぜ現れる時期がわかるんですか?幽体であっても、一人でそれを確認するなんて不可能です」
「千里眼のようなものです」
神姫は用意していたような言葉を口にして、私から視線を逸らした。
「まあ、そういうことにしておきましょう」
これ以上は言いたくなさそうなので、問い質すのはやめておいた。それに神姫がホッとしたような顔をした。
「あと、悪災が人に寄生するなんて聞いてないんですが」
「そ、それはワタシも予想外でして」
私の言葉に、神姫の視線が左右に何度も往復した。この仕草は嘘を言っているか、何かを隠しているような感じに見えた。
「はぁ~、そうですか。なら、仕方ないですね」
そう言われたら、もう何を聞いても無駄に思えてしまった。
「・・・えっと、もっと責めないんですか?」
「え?なんでそんなこと言うんですか?」
「他の三人は激しく聞いてきたので」
「あ~、そうですか。それは大変でしたね」
なんとなく責めた三人が思い浮かんで、労いの言葉を送った。
「予測できないことは、責めても仕方ないでしょう」
「寛容で助かります」
神姫は再びホッとした顔で、私に頭を下げた。
「で、なんか用ですか。さっき仮面を付けた少年は倒したはずですが」
「あ、紀田さんの所もとうとう人に憑き始めましたか」
「ええ。まあ」
「えっと、別の所に反応がありまして」
「1日に二回ですか。初めてですね、今度はどこに出るんですか」
1日に2回出ることには疑問を感じたが、問い詰めても意味がない気がしたので話を先に進めた。
「えっと、ここから北の駅方面です」
「・・・それって、ひと気の多い場所ですか?」
「は、はい。他の人たちも最近そういう場所での戦闘が多くなってます」
「困りましたね」
「もしかして、紀田さんも人に見られるのは嫌ですか」
「当たり前です。っていうか、他の人はどうしてるんですか?」
「そうですね。佳川さんと都築さんは、ノリノリで戦ってくれてます」
「でしょうね」
あの二人は、そのあたりを気にするタイプには見えなかった。
「じゃあ、源元さんと加崎さんは?」
「源元さんは嫌々ですが、戦ってくれてます。加崎さんは、手早く事を終わらせてるようです」
素顔がわれているのは、加崎さん以外の三人のようだ。
「そうですか・・・悪くない方法ですね」
そうは言ったが、私にそんな早業ができるとは思えなかった。おそらく、加崎さん特有の能力だろう。
「私はどうしますかね」
正直な戦わないことが一番なのだが、ここでいち早く抜けるのは他の人たちに申し訳ない気がした。
「えっと、戦ってくれますか?」
「そうですね。神姫さんの言葉に踊らされてあげます」
「あ、ありがとうございます」
私の言い回しが気になったようで、戸惑いの声でお礼を言った。
「着替えるので、退出お願いします」
「あ、はい。では、よろしくお願いします」
神姫は頭を下げて、窓から出ていった。
「困りましたね~」
着替えながら、私はいろいろ考えた。
「あまり気は進みませんが、顔を隠す仮面が欲しいですね」
敵を模倣するのは気が引けるが、素顔を晒すよりは数倍マシだった。
「今から買いには行けませんし、なんとか短時間で済ませますか」
私はそう呟きながら、目的の場所へ向かった。最近、神姫は忙しいのか、その場所まで案内してくれなくなっていた。
目的の場所は、時間帯的に人で溢れかえっていた。
「か、帰ろう」
あまりの人の多さに眩暈がした。中でも騒ぎになっている場所があり、人だかりができていた。
「おい、あれ、ニュースになっている奴じゃないのか?」
「ああ、俺も見たことある」
最悪なことに、敵はもう人目に触れていた。
「ど、どうしよう」
私は小声で呟きながら、その場所に近づいてみた。
人ごみを掻き分けていくと、仮面を付けた人と警棒を持っている警察官が向かい合っていた。
「最悪」
それを見て、思わず溜息が漏れた。
私はこの場に出ていくことを諦め、顔を隠せる物を探すことにした。いろいろ探そうとしたが、人が多くて気分が悪くなってきた。
一度出直そうと思っていると、周りの人たちから悲鳴のようなものが聞こえた。そして、取り巻き達が散り散りになって逃げていった。
「やっぱり、警察では無理ですか」
その中心には、警察をねじ伏せた仮面の男が立っていた。わかってはいたが、素手の相手には拳銃は使えないようだ。
すると、力を自慢をしたいのか、一人の筋肉質の男が仮面の前に立った。
「あれじゃあ、無理ですね」
構えを見る限り、とても勝てるとは思えなかったが、時間は稼げそうなので近くにあるスーパーに入った。
ゴミ袋を手に取り、レジで会計してから路地で即席で覆面を作った。黒のビニール袋を顔に巻いて、目の部分をくり抜きているので、視界が若干狭まってしまった。
身体をもう一つのビニール袋で纏い、服装も隠すことにした。余ったビニール袋は傍にあった室外機の上に置いた。
「う、動きにくいですが仕方ないですね」
あまり余裕はないので、そのまま戦いに出向くことにした。
さっきの場所に戻ると、男がボコボコにされていた。
「なんだ、おまえ?」
私を見た仮面の男は、掴んでいた筋肉質の男を乱暴に放した。まあ、黒いビニール袋纏った人を見て、その反応は自然だと感じた。今回も話はできそうだったが、こんな場所で話す気はなかった。
私は全速力で相手との間合いを詰め、ある程度の力で仮面を殴った。仮面を剥がすことも考えたが、あれは皮膚ごと剥がれる恐れがあるのでやめておいた。
相手が吹き飛ばされた方向に、感覚で跳躍した。目測はドンピシャで着地点に相手の頭上だった。都合よくのけぞっていたので、相手の腹部に両足で着地した。
「ぐう」
仮面の男から苦悶の声が聞こえると同時に、肋骨が何本か折れる感触がした。
「あれ?」
強化されているはずなのに、この程度で折れたのは予想外だった。
男が動かなくなり、仮面が消え始めたので、その場から脱兎の如く離脱した。
路地に入り、力任せにビニール袋を引きちぎった。置いたビニール袋を持って、反対側の道路に素早く移動して、何食わぬ顔で角を曲がった。
念の為、後ろを気にしながら歩いたが、後ろからついてくる人は見られなかった。
「う~ん。変装、考えないといけないですね~」
私は、そう独り言を口にしながら家に帰った。
四 変装
夜、私は部屋のパソコンと睨み合いを続けていた。顔を隠す物がいくつか検索したが、なかなか納得のいく物が見つからなかった。一番マシだと思ったのはサングラスとマスクだったが、戦闘中に取れる可能性が濃厚だった。
しばらく検索していると、少し気になる衣装があった。
「黒衣・・ですか」
黒衣とは歌舞伎の後見で、全身を黒の衣装で顔も隠れるものだった。探し物としては条件を満たしていて、前掛け部分は縫えば問題なさそうだ。
「でも、忍者とあまり違いはないみたいですね」
値段も手ごろだったが、新品にはこだわりはなかったので、オークションで顔の部分だけを購入しておいた。全身買っても着替える時間を考えれば、不要に思えた。
次の日、レレと被るように宅配便が来た。出品者は気を利かせたようだったが、タイミング的にはあまり良くなかった。
「何これ?」
「実験道具です」
実験は一応しているので、それを理由にしておいた。
「知的好奇心旺盛だね。できれば、学校にも興味を持って欲しいんだけど」
「集団行動に興味はありませんね」
「じゃあ、しょうがないね」
「・・・最近、引くの早いですね」
「そうね。いつでも会えるから、無理に誘う必要性がない気がしてね」
「そう、ですか」
少し複雑な気持ちになり、気の抜けた返事になった。レレの頭の中には、既に目的がすり替わっているような気がした。
「そういえば、再来週テストあるんだけど、一緒に勉強してくれない?」
「嫌です」
「・・・」
私の即答に、レレが物凄い悲しそうな顔をした。
「えっと、そんな顔しないでください」
さすがに、その顔には罪悪感を覚えてしまった。
「じゃあ、一緒に勉強して」
「いえ、邪魔になるだけですって」
教育をほぼ放棄している身としては、足を引っ張るのは嫌だった。
「大丈夫。化学の勉強だから」
「しょうがないですね」
「わかりやすいわね」
これには素で食いついてしまった。
レレは嬉しそうな顔で、鞄から教科書を引っ張り出した。
私は、興味津々に教科書をめくった。
「なんか基本的なことしか書いてないですね」
が、通信教育の教科書と同じようなことしか載っていなかった。
「そりゃあそうでしょう。週に四時間しかないんだから」
「基本を学ぶにも時間が掛かるってことですか」
「教科も幅広くやってるからね」
「浅学になるだけですね」
「社会に出てから使わなくなったら忘れるわよ」
「そうなると、今の教育制度も考えものですね」
「その教育を放棄している人が、批判するのは間違ってると思うけどね」
「そうですね。教育は必要だと思いますよ」
状況的に不利になったので、適当なことを言っておいた。
勉強と言ったが私はほとんど知っていたので、レレに教える形になってしまった。
レレが上機嫌で帰ったところで、買った衣装を確認することにした。
「か、格好悪いですね」
私服に前掛けの感想は、ダサいの一言だった。仕方がないので、今度は全身に羽織る物を探すことにした。
検索し続けると、宗教の黒いローブが見つかった。ローブは聖職者が着る物で全身を隠せて、黒衣の前掛けに合っている気がした。
「・・・高いですね」
しかし、聖職者が着る物だけあって、値段が高額だった。
いろいろ検索していくと、コスプレ用の安価の物が見つかった。素材が破れやすそうだったが、引きこもりの私にはこれが精いっぱいだった。
「後で、お母さんに謝罪しておきますか」
生活面で多大な迷惑を掛けている両親には頭は上がらなかったが、性的対象で見てきた時期を思い出すので、面と向かって謝罪はしたくなかった。
衣装の目途が立ったので、ネットで他の人たちの動向を確認してみた。しかし、1日程度では情報の更新はされてはいなかった。
「みんなはどうしてるんでしょう?」
他の人が気になったが、連絡先がわからないのでどうしようもなかった。
ローブは黒衣と違って、届くまでに数日掛かった。その間、都合良く敵は現れなかった。
「はぁー、テストって馬鹿みたいだね」
レレは愚痴を言いながら、教科書と睨めっこしていた。
「じゃあ、受けなきゃいいじゃないですか」
「義務だから無理」
「律儀ですね」
「通信教育でもテストってあるんじゃないの?」
「まあ、ありますけど、全部教科書に載ってますし・・・」
「それ言ったら、学校のテストも教科書に全部載ってるわよ」
「じゃあ、楽勝じゃないですか」
「範囲が広すぎて、全部記憶できないのよ」
「まあ、丸暗記なんて普通はできませんからね」
「その言い方だと、夕は丸暗記できるの?」
「え?できませんよ」
身体的には恵まれているが、脳の部分は一般人と変わることはなかった。
「別に丸暗記しなくても、要点だけ掴めば難しくないでしょう。公式と年表は暗記しないといけませんが」
「口では簡単だけど、自分には無理」
「なら、諦めましょう。そもそも、一時的に記憶してもなんの役に立ちませんし」
「ホント、口では簡単に言えるわね」
私の言葉がおかしかったのか、笑いを吐き出すように言った。
「数学なんて公式使ってるだけで、なんでこんな公式なっているかは教えてくれませんし、一般の人がこの公式になる理由なんて興味ありませんからね」
「まあ、確かに。公式がわかるのは掛け算と割り算ぐらいだもんね」
「それは算数ですよ」
「同じじゃん」
「まあ、分類は一緒ですが・・・」
個人的には違うと思っていたが、レレはそうは思っていなかったようだ。あと、最低限関数の公式ぐらいはわかってて欲しかった。
「よし!もう終わり!」
レレはこの場をしめるように、両手で教科書を閉じた。
「来週、テストと思うと気が重いね」
「まあ、義務ですので頑張ってください」
「夕に言われたくない!」
「それを言われるとぐうの音も出ないですね」
レレのツッコミを流すように、ここは笑顔で返しておいた。
「ふふっ、やっぱり夕とのおしゃべりは楽しいね」
すると、レレも笑顔でそんなことを言ってきた。
レレが帰って一人になると、窓から神姫が入ってきた。
「今日はこの近くの公園です。お願いします」
「夜に出るのは珍しいですね」
「そうですね。個々によって違いますが、加崎さんと源元さんは夜が多いですよ」
「へぇ~、そうなんですか」
この情報は興味深いものだった。
「聞きたいんですが、他の四人って苦戦してますか?」
「えっと、特に苦戦していることはないようですね」
「そう・・ですか」
「では、お願いします」
神姫はそう言って、頭を下げてから出ていった。
私は手早く着替えて、黒衣とローブを大きめのバッグに押し込んでから速足で公園に向かった。
公園に着くと、一人の女性が公園に設置されている外灯を見上げていた。
公園にはその女性だけだったが、近づく前に茂みで、ローブと黒衣を着てからバッグを草むらに隠した。
ゆっくり相手に近づくと、足音に気づいたようでこちらを振り返った。
「来まし・・・」
来るのを待っていたように言ったが、私を見て言葉の語尾が途切れた。
「えっと、不審者の方ですか?」
それはお互い様な気がしたが、自分の格好はそれに合致していた。
「顔を晒したくないんですよ。最近、この辺りは物騒ですから」
とりあえず、正当な理由を言っておいた。
「まあ、私も人のことを言えないかな」
女性は仮面を手で触りながら、再び外灯を見上げた。彼女は他の人とは違い、冷静で非好戦的だった。
「ねぇー、そっちはなんで私を排除するの?」
この冷静な女性とは話ができる気がした。
「こっちも聞きたいんですけど。その仮面、誰から貰ったんですか」
「さあ?変な声で力が欲しくないかと聞かれたんだけど、いらないって言ったらこの仮面が出現したの。迷惑な話よねー」
「・・・」
どうやら、おかしな経緯で力を手に入れたようだ。
「頭の中で、倒せってうるさくってね」
「それは災難ですね。ところで、なんで外灯なんて見ていたんですか?」
「視力が悪かったんだけど、この面が現れてから視力が回復してね。ちょっと感動してたところ」
「はぁー、そうなんですか。で、その仮面、外せないんですか?」
「うん。頑張っても無理だった」
「皮膚にくっついてる感じですか」
「そうね。困っちゃうわ」
女性はそう言って、片手で仮面を触った。
「どうやって外せるか知ってる?」
「私にボコボコにされたら、勝手に消えますけど」
「それは嫌ね。別の方法はないの?」
「そのまま帰ったらいいと思います」
「それしたら、頭の声が大きくなって、頭が痛くなるのよ。ここに来るのも、結構抵抗したんだから」
「う~ん。じゃあ、一緒に考えませんか?」
「え?」
「私も正直戦いたくはないですし、その仮面のことも知りたいですし」
「・・・無理かも」
女性は少し考える仕草をして、申し訳なさそうに首を振った。
「理由を聞いていいですか?」
「それを考えただけで、頭痛が酷くなるの」
「仮面に抵抗されてるってことですか」
「うん、そんな感じ」
「それは厄介ですね」
「そうだね~」
私に同意しながら、困った声で溜息をついた。
「何してるの?」
すると、後ろから声が聞こえた。
私が驚いて振り向くと、そこには息を切らした加崎が外灯下に立っていた。服はラフのスウェット、下はそれに合わせたハーフパンツで大量の汗をかいていた。
「えっと、紀田さんだよね」
顔を隠した私を見て、加崎が戸惑いを隠さずに聞いてきた。
「ど、どうしてここに」
加崎がここに来たことに、私は驚きを隠せなかった。顔は黒衣で隠れていたが。
「神姫さんが疑わしくてね。一番話を聞いてくれそうな人を捜してたんだけど、何やってるの?」
私の格好に、相手を間違えたかもしれないという表情をした。
「いえ、顔を隠したかったんですが、運動着にこれはおかしい感じだったので・・・」
言い訳をしている間、自分でもこの格好が恥ずかしくなってきてしまった。
「まあ、言いたいことはわかったわ」
居た堪れなくなったのか、私の言葉を途中で止めた。
「それで、なんで戦ってないの?」
今度は仮面の女性を見て、汗を拭いながら話を変えてきた。
「戦うのが嫌みたいなので、今話し合っていたところなんです」
「ふ~ん。そっちもなんだ」
加崎が困った顔で、女性と私を交互に見た。
「え、もしかして、加崎さんのところもですか?」
「うん」
「で、どうしたんですか?」
「仮面だけ破壊したわ」
「え!できるんですか?」
「ん、まあ、できたけど、記憶は消えちゃったわね」
「じゃあ、それを彼女にもお願いできますか?」
「えっと・・破壊はできたけど、加減がわからなくて顔面が陥没しちゃって・・・」
加崎は言いにくそうに、頬を掻きながら視線を逸らした。
「それはやめて!怖い!」
これには女性が、大声で拒絶した。
「でも、剥がせないし」
「え、加崎さんも剥がそうとしたんですか?」
「そりゃあ、元凶がわかればするわよ。剥がそうとしたけど、皮膚ごと剥がれそうだったから途中で諦めたわ」
加崎が困った顔で、頬に手を当てた。
「あ、あの、結局どうすればいいのかしら?」
「え、そ、そうですね~。今のところ私たちにやられるしか方法がありません」
「痛いのは嫌なんだけど」
これには困った顔で、少し首を傾けて頬を掻いた。
「大丈夫よ。激痛の瞬間の記憶もなくなるから」
「・・・でも、仮面が消えたら痛いのよね」
女性は、言いにくそうに加崎を見た。
「それは仕方ないでしょう。その力を望んだあなたが悪いんだし」
「あ~、加崎さん。その人は力を望んだ訳じゃないんですよ」
「え?力は欲しいけど、戦いたくないってことじゃないの?」
「いえ、断ったのに仮面が出現したらしいんです」
「何?その理不尽な力の譲渡」
「だから、困ってるんですよ」
私はそう言いながら女性を見ると、加崎もつられるように彼女を見た。
「あの、なぜ自分が選ばれたか身に覚えはありますか?」
加崎は困った末、女性に直接聞いた。
「う~ん。昔だったら健康な体は欲しいと思ってたけど、いまさら与えられると困るって感じかな」
「え、身体弱かったんですか?」
「うん。この力をもらう前まで病院にいたわ」
この話は、前の少年と似たようなものだった。
「入院してたの?」
「そうね。心臓に持病があるから入退院の繰り返してるわ」
「それは・・つらいわね」
それを聞いて、加崎に同情心が芽生えたようだ。
「あ~、そういうのは嫌いなのでやめて欲しいな~」
同情に飽きているのか、真顔で片手を前に出して制した。
「もう痛くてもいいので、この仮面、取ってくれない?」
女性は仮面を指さして、私たちにそう頼んできた。
「いいの?」
「うん。こんなの付けてたら、外にも気軽に出れないし」
彼女は、最後にポツリ本音を吐いた。確かに、身体が元気になっても、仮面を付けたままだと奇異の目で見られるのは間違いなかった。
「それもそうね。わかったわ、仮面だけ破壊してあげる」
加崎は肩を上げて、何周か腕を回した。
「だ、大丈夫なんですか?」
「一度は壊してるから、衝撃は最小限に済ませれると思うわ」
「そう、ですか。なら、私は少し手を貸します」
「え?破壊なんて一人で十分よ」
「いえ、彼女の負担軽減するだけです」
私はそう言って、女性の左隣に立った。
「・・・ちょっと邪魔だけど、まあいいか」
加崎はそう言って、少しだけ目を閉じて再び目を見開いた。
「いくよ」
その言葉と同時に、0コンマの動きで仮面を殴りつけた。
予想外の速さに慌てて女性を手を握ったが、もう仮面が壊れて彼女の身体がのけぞっていた。まあ、タイミング的に絶妙だったが、内心複雑な気持ちだった。
「よし、今度はうまくいったわ」
仮面が消失していくのを見ながら、加崎が嬉しそうに拳を握った。
「これ取れないんですかね~」
消え去りそうな面を取ろうとしたが、粒子になり、感触も消えていった。
「ダメですか」
私はがっかりして、キョトンとした女性から手を離した。
「あの、ここはいったい?なんでこんなところに?」
女性は困惑しながら、私たちを交互に見た。仮面が取れた彼女は、一段と弱々しく見えた。
「えっと、不審者の方ですか?」
変装した私に対して、女性が不信感を持って距離を取った。まあ、その反応は無理もない気もした。
「行きましょう」
加崎は私にそう促して、女性には目もくれず歩き出した。
「それ、外してくれない?」
公園を出たところで、加崎が振り返って指摘してきた。
「あ、忘れてました」
私は慌てて公園に戻って、草むらに隠したバッグを手に取り、着ているものを強引に突っ込んだ。
「身元を隠したいのはわかるけど、その恰好はちょっとダサいと思う」
「これでも厳選したんですけどね」
「なら、センスの問題ね。そもそも、顔を隠す黒子の格好が間違ってるわ」
加崎はそう言って、私のセンスを全否定してきた。これは事実なので、特に何も言わなかった。
「えっと、他の人とも合流してるんですか?」
私は一番気になっていることを、最初に聞いた。
「ううん。最初は源元さんのところ行こうと思ったんだけど、顔バレしてるみたいだから、紀田さんのところに来たの」
「顔バレって重要なんですか?」
「そうね。有名になるなんて罰ゲームじゃない?」
加崎は、私に同意を求めるように笑顔を見せた。
「まあ、そうですね」
これには同意せざるを得なかった。
「源元さんは、そういうタイプじゃないと思ったんだけどね~」
確かに、自分から進んでするようには見えなかったが、だからといって必死で隠す人でもない気がした。
「よく私の居場所がわかりましたね」
正直、今それが一番不思議だった。
「捜すのに苦労したわ。神姫さんに悟られないように聞き出したんだから」
そのことを思い出したのか、大きな溜息を吐いた。
「この地区って公園多かったし、捜し回ったんだから」
それは会った時の汗の量で、なんとなくわかった。
「で、どこで話しましょうか」
加崎の後ろについて歩いたが、目的地がはっきりとわからなかった。
「っていうか、家まで案内してよ」
「え、来るんですか?」
これには驚いて聞き返した。
「他にどこで話すのよ」
「でも、家って神姫さんがたまに来るんですが」
「どこに居たって現れるわよ」
「え、そうなんですか?」
いつも家に引きこもっている私には、この情報は驚きだった。
「学校に来た時は焦ったわよ」
「え!人がいっぱいいるのに?」
「見えてないから大丈夫なんだって。実際、家族の前にも出たことがあったけど、見えてない感じだったし」
これには驚愕してしまった。なら、神姫を見えていたレレはいったいなんなのだろうと強く思った。
「こっちの事情は完全無視だもん、勘弁して欲しいわ」
加崎は溜息をつきながら、私の隣に並んで歩いた。
「で、紀田さんの家ってここから遠いの?」
「いえ、そろそろ着きますが、本当に来るんですか?」
「嫌だったら、別に喫茶店でもいいけど」
「あ、すみません、お金持ってません」
「なら、自宅でいいんじゃない?」
「は、はぁー、まあいいですけど」
最近、プライベート空間に人の出入りが激しくて気分的に滅入っていた。
家に着き、いつものように正面玄関には目もくれず、脇にある階段を上がった。
「あれ、こっちじゃないの?」
「部屋はこっちなので」
「あ、そう」
家族のことには触れず、簡略的に案内した。
部屋に入ると、加崎が興味深そうに私の部屋を見回した。
「なんか実験室みたいだね」
これは完全に顕微鏡を見た感想だった。それはそれで合っているので、私からは何も言うことはなかった。
「適当に座ってください」
自分から招いてないので、自由にさせることにした。
「紀田さんって、頭良いの?」
顕微鏡の横にあるプレパラートを見ながら、何気なしに聞いてきた。
「さあー、どうなんですかね」
成績なんて通知書で知るだけで、誰かと比較したことはなかった。
加崎が試験管を持って、実験机の回転椅子に座った。
「これ、なんの実験してるの?」
試験管の中の青色の液体を見ながら、私の方に聞いてきた。
「それはただの食塩水です」
「え!」
これに驚いて、試験管を二度見した。
「液体を識別する為に、ただ色を付けているだけです」
「ラベルとかで良くない?」
「何度も入れ替えるので、色を付けた方が早いんです」
これは何度も同じ失敗を繰り返した結果だった。
「で、本題に入りませんか」
「そうね。紀田さんは、神姫さんのことどこまで疑ってる?」
「そうですね~、半々ですかね。加崎さんは?」
「七三かな。ちょっと疑いが濃くなってる」
「神姫さんを疑うより、あの仮面を調べた方が良くないですか?」
「消える物をどうやって調べるのよ?」
「それ、こっちも悩んでるんですよね~」
「でも、確かに仮面の方に注目するのもありかもね」
どうやら、仮面のことより神姫の方だけを疑っていたようだ。
「それなら、戦った相手の情報交換でもしましょうか」
「それはいいですね」
私としては、それは是非とも聞きたかった。
話は十数分で終わった。加崎の相手は三人目までは人ではなく、四人目から少女、少年、学生にどんどん年齢が上がっていったようだ。今日は、女性と戦ってきたらしい。
「なるほどね。そっちとあまりかわならないのね」
私も似た感じな相手だったので、加崎が溜息交じりで息を吐いた。
「最初は病的な人ばかりだったんですが・・・」
「それはこっちも同じね。なんか手探りで相手を選んでる感じね」
「それか仮面の力が増してる感じでもありますね」
「確かに、力がついて子供から大人になってるわ」
「今のところは、病気がちの大人みたいですけど」
「これからどんどん強くなっていく感じね」
「大人の次はどうなるんですかね」
「さあね」
「これ以上は憶測の域をでませんね」
「そうね~。強くなっていくのは、こっちとしてはジリ貧になるね」
「それは私も危惧しています」
神姫にそのことを告げた時、彼女から危機感を感じられなかったのは、ちょっと違和感を覚えていた。
「そろそろ帰った方がいいんじゃないですか」
未成年が出歩いていい時間が過ぎようとしていたので、控えめに帰宅を促してみた。
「明日は休みだよねー・・・泊まってもいい?」
加崎が少し悩んだ後、気軽にそんなことを言い出してきた。
「え!何言ってるんですか!」
泊まるなんて発想がなかった為、思わず大声を出してしまった。
「あれ?ダメだった?」
「できれば、帰ってください」
ここで曖昧に答えると、泊まると言いそうだったので率直に断った。
「う~ん。今日は紀田さんを見つけるのに疲れたから、もう動きたくないんだけど」
「え、電車ですから、歩くのは最小限でいいのでは?」
「自宅は、最寄駅から遠いのよ」
「なるほど」
これにはどうしようもなく納得してしまった。
「だから泊まっていい?」
「う、う~ん」
こうまで言われたら、強く拒否はできなくなってしまった。
「なんか不都合でもあるの?」
私の表情が気になったようで、少し遠慮がちに聞いてきた。
「いえ、特にないんですが・・・」
これまでの人生、一度も他人を泊めたことのないので、どうしていいかわからないだけだった。しかも、ベッドは一つだけで、どういう配置で寝ればいいのかが一番の問題だった。
「じゃあ、泊まってくね」
「は、はぁー」
「そんなに嫌そうな顔しないでよ。泊まりづらいじゃない」
私の項垂れるような了承に、加崎がジト目で文句を言ってきた。
「すみません。経験したことないことに、戸惑ってしまってます」
「え、誰も泊めたことないの?」
「ええ、初めてですね」
「そっか。私も誰かの家に泊まるのは初めてだから、ちょっと気が楽になったわ」
どうやら、加崎もこのお願いは少し躊躇していたようだ。態度からとてもそうは見えなかったが。
「はぁー、そうですか」
こっちとしては気が重くて、声が沈んでしまった。
「紀田さんって、感情が面に出るタイプなんだね」
「あ、すみません」
日頃、他人と一緒にいないので、表情の抑制は苦手だった。
「まあ、取り繕われるよりはいいか」
寛容な加崎だったが、私には取り繕わなかった。
「紀田さんの家って、夕飯はどうしてるの?」
「え、母が持ってくるか、自分で買ってきます」
「ふうん。珍しいね。今日はどっち?」
加崎がそう言うと、階段側からノックが聞こえた。
「あ、今日は母が持ってきたようです」
階段を下りる音を聞いてから、私は加崎の方を見て言った。
「一言もなしなの?」
「両親との仲は悪いですからね」
「い、いろいろ大変ね」
「もう日常なので、大変ではないです」
ここで気を使われるのも、嫌なので平然と答えた。
「そ、そう・・・」
が、加崎は気まずそうに視線を泳がせた。これを見て、人間関係の難しさを痛感させられた。
「じゃあ、こっちはこっちで夕食は買うしかないわね」
「あ、はい。いってらっしゃい」
私が反射的にそう言うと、加崎が眉間に皺を寄せた。
「え、どうかしましたか?」
私は不思議に思い、自然と首が傾いた。
「できれば、コンビニがどこにあるか教えて欲しいんだけど・・・」
「あ、はい。すみません」
これに気づかなかった私は、反射的に謝った。
「あ、でも、そうなると、紀田さんの食事が冷めるわね」
「あ、それは気にしなくても・・・」
「紀田さんが食べてからにしましょうか」
私の気遣いを掻き消すように、加崎が私の食事の方を優先させた。
私はその日、食事を待たれるという奇妙で居心地の悪い時間を加崎と過ごした。
「ごめんね。突然泊まるなんて言って」
階段を下りると、加崎が私に気を使って謝ってきた。
「い、いえ、だ、大丈夫です」
ここは私も社交辞令で返しておいた。
「夕食はコンビニで買うんですか?」
とりあえず、家の前で最初にそれを確認した。
「お弁当が買えるならどこでもいい。疲れてるから、一番近い所を教えて」
「う~ん。じゃあ、コンビニになりますけど」
「そこでいいわ」
私は加崎の先を歩き、近場のコンビニへ真っ直ぐ向かった。
「なんか新鮮ね。知らない夜の道を歩くのは」
すると、一歩後ろを歩いている加崎が周りをきょろきょろしながら話しかけてきた。
「そうかもしれませんね」
人生で一度もそういうことがないので、適当に話を合わせておいた。
コンビニに着くと、加崎は大量の食材をかごに入れた。
「そんなに食べるんですか?」
私はカゴに視線を落としながら、呆れたように言った。
「力使うと、食欲が増すのよ。全く燃費が悪くて困るよねー」
「は、はぁー」
私にはそれはないので、全然共感できなかった。
「言っとくけど、明日の朝の分も入ってるから」
「あ、なるほど」
これには思わず納得の言葉が口から出た。
レジで会計して、コンビニから出たところで、加崎が立ち止まって重そうに腰を落とした。
「え、どうしたんですか?」
「あー、限界。力が出ないわ」
よほど体力を奪われてるようで、声にも力がなかった。
「も、持ちましょうか?」
「ごめん。お願いしていい?」
持ち上げるのも億劫なみたいで、下げたまま水平に動かしてきた。
「ありがとう」
二袋のレジ袋を持つと、加崎がお礼を言いながら私の横に並んだ。
「もしかして、公園に来た時に力使い果たしてたんですか」
「うん。あそこにいなかったら帰ってた」
「じゃあ、仮面の破壊は無理を言ってしまってたんですね」
「ああ、でも、それはそれで力が抜けていい感じに破壊できたから良しとしましょう」
「そう言ってもらえると助かります」
「なんか紀田さんって、礼儀正しいね」
加崎は優しい笑みを浮かべて、正面を向いた後に少し上を向いた。
「それにしても、相手を叩きのめすって気分悪いね」
そして、悲しそうな顔でそう言うと、小さく溜息を吐いた。これには敢えて何も言わず、私は雲のない夜空を見上げた。
五 試行
翌朝、私は寝不足の目を擦りながら、机でいろいろ実験結果を書写していた。
「ん、ん~」
すると、ベッドからそんな声が聞こえ、加崎が上半身を起こした。
「ふぁ~」
そして、あくびしながら私と同じように目を擦った。
「おはよう」
「あ、はい。おはようございます」
慣れない挨拶に、少しぎこちなくなってしまった。
「今、何時~」
「もう8時を回ってますね」
「他人のベッドだと寝れないと思ってたけど、結構寝ちゃったわね」
「それは良かったです」
私は加崎を視界から外して、デジタルノートに続きを書き始めた。
「もしかして寝てないの?」
「ええ、少し調べたいことがあったので」
これは嘘だが、それらしいことを言い訳に使ってみた。
すると、加崎がベッドから立ち上がる物音がした。
「何調べてるの?」
加崎が私の傍まできて、興味深そうに覗き込んできた。
「あの、できれば、ちゃんと服着てください」
目のやり場に困り、下着姿の加崎に注意した。
「え?スポーツインナーだし、別にいいじゃない?」
そういうのは自分の家のみで勘弁して欲しかった。
「とにかく、他人の家では少しは気にしてください」
「着替えがないんだから仕方ないでしょう」
「もう乾いているはずなので、それを着てください」
昨日、洗濯機で洗った後、乾燥機に入れたところで加崎が寝てしまったので、起きたのならさっさと服を着て欲しかった。
加崎は洗面台まで行き、横にある乾燥機から服を取り出した。
すると、私の朝食がドアの前に置かれる音とノックの音がした。
母が作ってくれた朝食のサンドイッチをテーブルに置くと、加崎が買ってきた総菜パンを私の正面に置いて地べたに座った。
「で、なんの実験してたの?」
「ちょっと反応を見たくて」
「え、なんの?」
「グリコール酸の」
「グリコールさん、誰?」
「・・・人じゃないです。αーヒドロキシ酸の一種ですよ」
「・・・」
聞いたことがないのか、怪訝そうな顔でパンをかじった。
「理解できないから、これ以上は聞かないわ」
「はぁー、そうですか」
説明を求められるのは面倒なので、ここで切り上げてくれたのは有難かった。
食事を終え、加崎さんは自分の部屋のようにくつろぎ始めた。
「あの、帰らないんですか?」
「え?」
ベッドに上半身をあずけていた加崎が、顔だけ上げて声を発した。
「う~ん。なんか居心地良いから昼頃に帰るわ」
「そ、そうですか」
こっちは居心地が悪いのだが、そういう配慮は加崎には見られなかった。
すると、子機のコールが鳴り始めたが、電話は親が取ったようでコールが切れた。
しかし、再び子機にコールが鳴り始めた。それはこっちに用件があることを伝えていた。
「も、もしもし」
嫌な予感をしながら、仕方なく電話を取った。
『あ、夕?レレだけど今日そっち行ってもいい?』
「え、昨日来たじゃないですか」
『明日テストだから、そっちで勉強したいんだけど』
「ダメです。ちゃんと約束は守ってください」
『え~、いいじゃん。どうせ暇でしょう』
「いえ、実験で手いっぱいで」
『またまた~、そんなこと言って~♪』
「お願いですから、こっちにも配慮してください」
このままでは押し切られるので、私から先に牽制してみた。
『・・・何か隠してる?』
「ええ、だから遠慮してください」
『ふふっ、そこは隠さないんだね』
「なんか隠しても意味ない気がしました」
レレの勘繰りはなかなか侮れないので、疑われた時点で回りくどいことはすることはやめておいた。
『わかった、今日は諦める。その代わり、月曜日には絶対来るから』
「はい、じゃあ明日に」
『うん。じゃあね~』
レレの声を聞きながら、私は電話を切った。
「友達?」
すると、ベッドに倒れている加崎が顔だけをこっちに向けて単語のみで聞いてきた。
「まあ、そんな感じです」
自分としては友達と呼んでいいのかわからなかったので、はっきりとは言えなかった。
「力、まだ戻らないんですか?」
「うん。昨日は大半の力使っちゃったから、あと半日は動きたくないの」
「た、大変ですね」
自分の特殊能力とは違い、加崎の能力は体力を根こそぎ持っていくもののようだ。
「そういえば、昨日から気になってるんだけど、この部屋って充実しすぎてない?」
部屋にトイレ、冷蔵庫、洗濯機、乾燥機、確かに言われて見れば、充実しすぎる気がした。
「まあ、親に感謝しないといけないですね」
といっても、こうなったのもその親のせいでもあるののだが。
「こんな贅沢ができて、羨ましいわ」
「そ、そうですか?」
こうなるまでいろいろ苦い経緯があるのだが、それは加崎には言いたくはなかった。
「ふぅー、落ち着く」
加崎は完全リラックス状態で、ベッドの上でだらけきった声を出した。
「家でも、そんな無防備なんですか」
「え?う~ん。姉弟が多くてね。家は狭いしうるさいし、とにかく落ち着つけないのよ」
「そ、それは大変ですね」
「ホント、そう。姉弟が多いと家も居心地悪いのよ」
加崎は、ここぞとばかりに愚痴をこぼした。
「加崎さんの姉弟って・・身体能力高いんですか?」
少し迷ったが、これは聞いてみたいと思った。
「それが不思議なことに私だけなのよ。昔はそんなこと知らないから、得意げになってたけど、小学に上がってから異常って気づいてね。それからひた隠しにするようになったわ」
「姉弟は、どう感じてたんですか」
「弟には何とか隠し通したけど、上の二人にはうやむやにしてる感じかな」
「本当に大変ですね」
知れば知るほど、加崎への同情がとまらなくなってしまった。
その後、姉弟への愚痴が加崎の口からつらつらと出てきた。
「ふぅ、愚痴ったら結構気が楽になったわ」
時計の針が正午を指し、加崎がベッドから起き上がりながら言った。
「また来ていい?」
「・・・えっと、二人いる時に神姫さんと鉢合わせるのって気まずくないですか?」
「別に、友達になったって言えばいいだけの話でしょう」
私としてはやんわりと断ったつもりだったが、加崎には伝わらなかった。
「あ、そうだ。電話番号教えて」
さらに、こちらの意思を無視するように連絡先まで聞いてきた。
「えっと、携帯持ってなくて・・・」
「あー、そういえば、さっきも友達からの電話って固定電話からだったわね」
「は、はい」
「部屋は充実してるのに、携帯は持たせてくれないなんて変わった親なのね」
「ま、まあ、そうですね」
それは私が欲しがらなかっただけなのだが、別に言う必要もないので適当に合わせておいた。
「じゃあ、自宅の電話でいいわ」
「わ、わかりました」
ここで断るのは変だと思い、渋々教えることにした。
「またね」
加崎はレレのようなノリで、軽く手を振って部屋から出ていった。私は面倒事が増えたと感じながら、彼女を見送った。
その後の数日間は、レレとの理不尽の勉強会をしたり、仮面との戦いにいそしんだ。
『そっちはどう?』
「男の人になってました、健康体の初老の人でした」
夕方に加崎からの電話に、仮面に選ばれた相手を告げた。
『こっちも似たようなものね。こうなってくると、最後は男の格闘家ってところになるかもね』
「まあ、順当にいけばそうなりますね」
本当にそれで終わるかは不安だが、仮面を捕まえられない以上、終わりを想像するしかなかった。
『あと、仮面の硬さが異様に硬くなってるんだけど、そっちはどう?』
「あ、そうなんですか。こっちは仮面の破壊はできないのでわかりません」
『まあ、力加減は難しいもんね~』
「そう、なんですね」
やったことない私には、その微妙な力加減はできそうになかった。
『テレビ見る限り、他の三人もそんな感じみたいだし。これからは苦戦するかもね』
確かに、ここ数日の間に空いては少しずつ強くなっていた。
『神姫さんの尻尾は掴めず仕舞いだし、このままズルズルいくのも癪だし、なんか出し抜くアイディア持ってない?』
「難しいですね。今わかっている情報だけでは、神姫さんとは関連付けられません。せめて仮面がなんなのかを突き止めないと、憶測の域は出ませんね」
『前も言ってたけど、消えるものをどうやって調べるのよ』
「それができないから困ってるんですよ」
本当にこれが一番の悩みだった。手に取っても気化するのでは、どうしようもなかった。
「とにかく、それができないと先に進まない気がしますね」
『う~ん。神姫さんから崩す方が楽かもしれないね』
「何か名案があるんですか」
『何度か神姫さんの後を付けてたんだけど、必ず消えるのよね』
「まあ、幽霊ですからね。あ、消える場所って毎回一緒ですか?」
『ううん。不定期ね。消えたい時に消えてるって感じがするわ』
「よく追跡できましたね」
『え?ああ、なんか建物にはすり抜けないのよ。いつも上空まで浮いて消える感じなのよね~』
少し加崎から戸惑いの様子が見られたが、思い直したようにそう返してきた。
『こっちとしては実体をつかみたいんだけど、意思で移動できるなら雲をつかむ様な話ね』
「実体を捜して何するつもりなんですか?」
『まずは身辺調査かな。本当に仮面と繋がってないか確認したいわ』
「そこに行きつく前に、私たちがやられてる可能性の方が高いかもしれませんね」
『そうかもね』
私の言葉に、加崎が少しおかしそうに同意した。
『こうやって話していると、解決策って限られてくるわね』
「それって、望みが薄いのばかりですか?」
『うん。確率的に数パーセントもない』
「絶望的ですね」
『そうね。これは最終手段にしましょう』
「最終手段にしても悪手ですよ」
『そこまで言うんなら、紀田さんは何か思いつくことあるの?』
「今は特にありません」
『まあ、まだ猶予はあるし、じっくり考えるしかなさそうね』
「そうですね。そろそろ切りますね」
もうこれ以上は進展しなさそうので、こちらから話を切り上げた。
『あ、うん。またね』
加崎の声を聞き終え、電話を切った。
一息つこうと子機を置くと、コールが鳴り出した。番号を見ると、レレの携帯番号だった。
「はぁ~」
私は溜息をつきながら、子機を再び持った。
「もしもし」
そして、疲れた声で応答した。
『む、嫌そうな声』
「応答ぐらい返してください」
『その声で対応されたら、開口一番そうなるって』
「で、用件はなんですか?」
突っかかると話が長引くので、すぐに切り替えることにした。
『それより、さっき通話中だったんだけど、誰かと話してたの?』
「え?私じゃないです」
『あ、両親のどっちかってこと?』
「まあ、そんな感じです」
本当のことを言うとこじれそうなので、それで通すことにした。
『じゃあ、今から行くね』
「昨日、来ましたけど・・・」
『今日はテストが全教科返ってきたから、見せようと思って』
「別にいいです」
『淡泊っ!勉強手伝ったから、気になってると思ったんだけど』
「全然興味ないです。自分のことじゃないので」
『友達のことなんだから、少しは関心持ってよー』
「はいはい、じゃあ明日見ます」
『言ったそばから、その投げやり感半端ないね』
呆れた声だったが、少し楽しそうな感じにも聞こえた。
『わかった。明日にするわ』
そして、諦めたように引いてくれた。
通話が切れ、私も子機を元の場所に戻した。
「今、大丈夫ですか」
すると、今度は神姫が窓から入ってきた。
「はぁー」
私は溜息をついて、神姫を迎えた。理由は何度注意しても、一言の断りもなく入ってくるからだった。
「また悪災が出るのでお願いします」
私の不機嫌な声に、神姫が低姿勢で頼んできた。
「最近多いですね」
「はい、ホントに活発化し始めてます」
「終わりは来るんですかね」
「それは・・何とも言えません」
神姫は言いにくそうに、私から視線を逸らした。
「で、場所は?」
余計な会話は切り上げて、さっさと悪災を退治しに行くことにした。
「この近くの商店街です」
「わかりました。後はこっちで処理します」
私はそれだけ言って、神姫を追い払うように手を振った。
「では、お願いします」
神姫は礼儀正しくお辞儀してから、部屋の窓から出ていった。ここで神姫を追うことも考えたが、商店街はひと気の多い場所なのでやめておいた。
動きやすい服装に着替えて、変装用のバッグを手に持って家を出た。外はもう完全に日が沈んでいた。
商店街まで歩いて9分も掛かるので、走って向かうことにした。ここ最近わかったことだが、神姫から場所を告げられてからの仮面の出現はおよそ5分だった。これは加崎からの情報も合わせたものなので、信憑性が高かった。
商店街に着き、周りを見たが騒がしい場所は見受けられなかった。どうやら、まだ仮面は出現していないようだ。
正直、ここからが勝負だった。商店街といえど全長1キロはあり、出口まで曲がりくねっていて、横道も多く存在した。
とりあえず、商店街の中間地点まで移動することにした。
周りを見て歩いたが、シャッターの下りている店、戸締りをする店、まだ開いている店が左右交互に見られた。
すると、シャッター横の扉から、仮面を付けた男が雄たけびを上げながら出てきた。その瞬間、関わりたくないと強く思った。
しかし、これを放置するとさらに面倒になるので、即座に相手の後ろから襟首を掴んだ。
「貴様、何をする!」
男の言葉を無視して、一番近い路地に引きずって、乱暴に投げ捨てた。
この人とは話したくないので、最速の速度で殴ろうとしたが、ギリギリでかわされてしまった。こういう輩に限って、反射神経が異常なほどに優れているのは不可解極まりなかった。
「そうか、貴様が刺客か」
話し方がもう中二病全開だった。まあ、それは最初見た時からわかっていたことだが、実際に聞くと耳を塞ぎたくなるような言い回しだった。
男は黒のジーンズに黒のシャツ、その上から黒のマントを羽織っていた。さらに最悪なのは、レプリカらしき仰々しい剣を持っていることだった。
「一人で俺を潰そうなんて、浅はかな奴だ」
彼はそう言うと、模造刀を抜いてこちらに刃先を向けてきた。個人的に話し合いたくもないので、さっさと倒すことにした。
十数分後、男が先に膝をついた。若干本気で戦った結果がこの状況だった。日に日に余裕がなくなってきていることに、少し焦りを感じた。
模造刀は最初の一撃で使い物にならなくなり、路地の端に転がっていた。反射神経以外は、特に抜きんでたところはなかった。
「ば、馬鹿な!」
男は攻め込まれるたび、一言一言口に出すので、うるさいことこの上なかった。
「一つ聞きますけど、殺される覚悟はありますか?」
あまりにも中二病が酷いので、本人の覚悟を聞いた。
「・・・殺したら、お前は捕まるぞ」
中二病を貫くか悩んだのか、少し言葉に間があった。
「そうですね。でも、私は殺す覚悟はあります。だからこそ、聞いてるんです」
本当はそんな気はないが、彼の言葉で脅しの方向にシフトした。
「ま、待て、落ち着け。俺を殺せば、重要な情報を聞き出せないぞ」
焦っているようで、台詞が完全に小者そのものだった。
「思わせぶりなこと言っても意味ないですよ。その仮面、他の人にも取り付いたことありますから」
「な、何?」
「あれ、知らないんですか?それ、テレビにも出たことあるんですが」
「そ、そうなのか・・・」
男の態度を見る限り、テレビは見ないタイプのようだった。
「で、死ぬ覚悟はできましたか?」
話を戻して、男の覚悟を聞いた。
「ごめんなさい。粋ってました」
すると、直角に頭を下げて謝ってきた。それは最初からわかっていたことだが、実際そう言われると脅したこちらが恥ずかしくなってしまった。
「え、ちょ、ちょっと待ってくれ」
突然、男が驚いたように言葉を発した。どうやら、戦意喪失したことで、仮面が彼から離れるようだ。ここ最近、戦う意思がなくなると、すぐに仮面が消えるようになっていた。
仮面が気化し始めると、私はそばに置いたバッグからビニール袋を取り出し、仮面の上にかざして、気化した面を捕らえようと試みた。
男が見苦しく足掻いているので、仰向けに倒して動かないよう彼の腹の上に乗った。
「ちょっと動かないでください」
「な、何するんだ!」
それに男が、動揺して声を震わせた。
「少し動かないでください。その仮面の力の原因を調べたいので」
「か、解剖する気かっ!」
何を勘違いしたのか、こんな場所で殺されると思ったようだ。
「その力、貴方からもうなくなってきてます」
さっきから抵抗力が、一般人とさほど変わらなくなっていた。
「なっ・・き、消える。俺の力が」
「貴方の力ではありません。ただ一時的に与えられた力です」
私はそう諭しながら、消えていく仮面の上に袋をかざした。
「な、なぜだ!俺は選ばれたんじゃないのか」
「ええ、選ばれました。が、私に負けたので消失し始めています」
「そ、そんな、俺はまだ何も成し遂げてないのに・・・」
男には信念があるようだが、それは私には興味がなかった。
「そんな力に頼るより、生身の貴方の力でどうにかしてください」
仮面が消え去った所で、ビニールの口を閉めて男から離れた。
「あれ、俺何してたんだ?うわ、なんで俺こんな格好で外出てんだ!」
男を無視して、空気の入った袋をバッグに入れて路地から素早く出た。
早足で家に帰り、鞄からビニール袋を取り出して、中身を確認することにした。空気は密封しているが、抜ける可能性があるので、早めに調べることにした。
そう思ったのだが、空気中の物を調べる設備が整っていないので、簡易的な真空筒を作ることにした。
まずは、プラスチック容器に小さな穴を開けて、逆流しないようゴム栓をしてそこに管を通した。
できるだけ空気が入らないように、取り付けた管にビニール袋の口を斜めから差し込み、袋の空気がなくなるまで手で押さえ付けた。管が細い為、結構な時間を要した。
完全に密封になった容器を見て、これをどうしようか悩んだ。
「う~ん」
そのまま保存して、仮面の形状変化を観察することも考えたが、長期的に見るとあまり良い手ではなかった。気体を特定するにも、そういう機材は部屋にはなかったからだ。
悩んだ末、今日は寝ることにした。
六 捕獲
朝になり、何気なしにテレビを点けると、莉奈が映し出されていた。
「え!」
これには思わず、声を上げてしまった。
莉奈は片膝をつき、相手も同じように片膝をついていた。見る限り、互角の勝負をしているようだ。それを解説するかのように中継先のアナウンサーが興奮気味に実況していた。まるで、格闘技の試合を解説をしているように見えた。
二人が立ち上がり、戦いを再開した。男は筋肉質な体格で、動きはボクシングの動きだった。
こうなってくると、まともに相手をするのは愚策だと思った。私はテレビを見ながら、今後の対策を講じることにした。
その間に莉奈はなんとか相手を倒し、大満足の笑顔を見せたところで中継が切られた。
仮面の対策をいろいろ備えていると、子機が鳴った。
受話器からテンション高めなレレが、今から行くという一言を言い残し電話が切れた。時間を見ると、もう夕方になっていた。
「やっ!二日ぶり!」
電話と同様のテンションで、レレが満面な笑みで部屋に入ってきた。
「上機嫌ですね」
「昨日会えなかったからね」
「それはいつものことでしょう」
「なんか昨日、無性に会いたくなってね」
「・・・」
この言葉は、何かフラグが立ったのではないかと気になってしまった。
「それよりテスト見てよ」
レレは鞄を漁って、数枚の用紙をこっちに渡してきた。
「いつもより良い点とれたんだよ」
そう言われてテストの点数を見ると、80点が多く目についた。
「頑張りましたね」
「いやいや、夕のおかげだよ」
レレは照れながら、片手を振って謙遜した。
テストの間違いを検証していきながら、レレとの時間を過ごした。
「じゃあ、帰るねー♪」
午後6時になり、レレは上機嫌のまま帰っていった。
「はぁー、疲れた」
レレを見送りながら、私は溜息をついてドアを閉めた。
その後、深夜まで道具開発していると、神姫が慌てて入ってきた。これはかなり珍しいことだった。
「どうかしましたか?」
私は作業を止め、顔だけを神姫の方に向けた。
「悪災が複数出現します」
「・・・」
それを聞いて、仮面の粒子が入っているであろう容器を見た。残念ながら、捕獲の効果はないようだ。
「複数ですか、また面倒ですね。場所はどこですか?」
ここは気を引き締めるべきだと感じ、場所を聞きつつ片づけを始めた。
「場所は病院の地下です」
「・・・それはまた面倒ですね」
深夜に病院なんて入れるのか、かなり不安になった。
「と、とにかく、お願いします」
神姫はそう言うと、部屋から出ていった。
部屋で一人になると冷静さが戻り、地下という言葉に引っ掛かりを覚えた。一般的に病院の地下には病室はなく、あるのはたいてい・・・。
「死体?」
考えが自然と口に出た。これは至極不自然なことだった。あの仮面は知性があり、人に取り付くたびに力をつけているイメージだったが、複数とはいえ死体に取り付くのには違和感を覚えた。が、まだそれが確定した訳ではないので、病院に行って確認するしかなかった。
着替えを済ませ、変装用の鞄を持つかどうか一瞬だけ悩んだが、防犯カメラがあることに気づき持っていくことした。
家を出て、急いで病院へ向かった。
1キロほど行くと、大きな病院が見えてきた。この辺では一番大きな病院で、地下と言われて自然と思いつく場所だった。
病院の駐車場の仕切りのチェーンをまたぎ、閑散とした駐車場に入った。あまりコソコソすると不審に思われるので、堂々と病棟まで歩いた。
非常灯で薄暗くなっている正面玄関に立ったが、このままでは入れないので裏口を探すことにした。
病棟の西側を回ると、非常階段があった。その横に非常ドアがあり、開けようとしたが鍵が掛かっていた。
仕方なく非常階段を上り、非常ドアの開いてる階を探した。
「あ」
四階の非常ドアがゆっくりと開いた。どうやら、この階の鍵を掛け忘れたようだ。不用心と思ったが、今回ばかりは有難かった。
防犯カメラ対策で、手っ取り早く黒衣とローブを羽織って、中腰で中に入った。
周りを見回すと、非常灯だけの病院は薄暗く、クレゾールの臭いが若干鼻についた。前が見えにくいので、黒衣をめくって移動することにした。
病室のナンバープレートを見ると、五ー五号室と表示されていた。
エレベーターを使うと、見つかる可能性があるので、階段で地下まで行くことにした。
エレベーター横の非常階段を下りようとすると、エレベーターが動き出した。誰かがエレベーターを使ったようだ。
私はそれを横目に、静かに階段を下りた。
一階まで下りると、地下に続く階段がなかった。どうやら、地下に続く階段は別の場所にあるようだ。
ここから探す手間を考ると、自然と小さな溜息が出た。傍のエレベーターを見ると、三階で止まっていた。
ここまで時間を掛けてきたので、これ以上は悠長に探し回るわけにはいかなかった。
エレベーターの下降ボタンを押し、ドアが開くまで階段近くに身を潜めた。システム音が鳴り、ドアが開いたが、念のため数秒だけ間を置いた。
誰も降りてこなかったので、ドアが閉まる前に素早くエレベーターに駆け込んだ。
地下のボタンを探すと、幸運にもB1のボタンがあった。
B1のボタンを押すとドアが閉まり、エレベーターが動き出した。ここまで来るのに思いのほか時間が掛かっていて、地下の状況が予測できなかった。
地下に着くと、ドアの向こうから何を叩く気配がした。
「手遅れでしたか」
私は戦闘態勢を取り、ドアの先を見据えた。
ドアが数センチ開くと、正面にはゾンビのような人の顔が見えた。いつもなら、仮面で顔を覆っていたはずだが、今回はおでこの部分しかなかった。
私は気を引き締めて、正面のゾンビを殴り飛ばしてからエレベーターを出た。
エレベーターの明かりが全体に広がると、周りはゾンビに囲まれていた。やはり、エレべーターから出たのは正解だった。
パッと見で、ゾンビは十四体ぐらいはいた。しかも、ゾンビ達の目の周りには、仮面の一部が各々取り付いていた。
それを見た瞬間、私はバッグを開けて、手早く予備のビニール袋を取り出した。
ゾンビ達は、ゆっくりこっちに攻撃を仕掛けてきた。動きがぎこちないのは、複数の死体を同時に動かしているからだろうと勝手に思った。
連携のないゾンビの攻撃をかわしながら、一体ずつ欠けた仮面を皮膚ごと剥ぎ取り、ビニール袋に素早く入れていった。死んだ人間の皮膚から仮面を剥がすのは、思いのほか簡単だった。
すると、仮面が次々と消え始めた。やはりこの仮面には意思があり、知恵があるようだ。だが、それは自らの有り様をさらけ出したようなものだった。
全てのゾンビが死体に戻り、私は安堵の溜息を漏らした。死体は全員その場で倒れ、不気味な静けさだけが残った。ビニール袋の中には、7割近くの仮面の欠片が入っていた。
「帰ろ」
若干のホラー体験をしたが、予測していた分あまり恐怖を感じなかった。
エレベーターを見ると、B1で止まったままだったので、上昇ボタンを押してドアを開けた。
エレベーターの一階を押して、仮面を入れた袋を確認してみた。袋の中はもう仮面はなく、死体の皮膚だけが残っていた。
エレベーターが一階につき、ドアがゆっくりと開くのをエレベーターの端で待った。
ドアが開き切ったところで顔だけ出して、周りを確認した。
通路に人の気配は感じられなかったので、すぐに階段の方に身を隠した。運よく誰にも見つからず、病院から出れそうだった。
このまま四階の非常口から出ることも考えたが、面倒なので一階の非常口から脱出することにした。
非常口に向かうと、途中にナースステーションがあった。
腰を屈めて、ナースステーションの前をゆっくり移動した。
「最近、コール多くない?」
「高齢者が多いから仕方ないわよ」
最悪なことに二人の看護師の話し声が聞こえた。
ここで見つかる訳にはいかないので、中腰のまま壁に張り付いてゆっくりと横歩きで進んだ。
「そういえば、今日運ばれてきた患者さんって、例の仮面を付けてた人でしょう」
「うん、そうみたいね。記憶障害もあるみたいだけど」
「まあ、それより全身骨折って異常よね~」
「テレビで戦ってたの見てたけど、動き事態が人間離れしてたわね。超人になった後のリスクでしょう?」
「それにしても、なんで隣の市の人がこの病院に搬送されてるの?」
「重体だからしょうがないでしょう。あの市で仮面付けた他の二人もここに搬送されてるし」
「あー、先週の彼らね。両腕骨折だったっけ?」
「まあ、折られた感じじゃなくて、衝撃に耐えられなくて折れた感じだったけど」
「自制できない動きを躊躇いなくできるって、麻薬でもやってるのかしら」
「そういったものは検出できなかったって、カルテに書いてあったでしょう。ニュースでもやってたし」
「あ、そうなんだ。初めて知った」
「担当じゃないからって、知らないのは問題よ」
「担当外まで知る余裕がないんだけど・・・」
「まあ、それ言われると、返す言葉は見つからないわね」
多忙な上に、多くの患者がいるこの病院ではそれは難しいことのようだ。他人事ながら大変な仕事だなと、勝手に思った。
なんとかナースステーションを抜けて、少し腰を上げてから非常口へ向かった。
薄暗い非常口に着き、周りに誰もいないかを確認してから鍵を開けて病院を出た。
外の空気を吸うと、自然と緊張がほぐれた。
黒衣とローブを手早く脱ぎ、それをバッグに乱暴に仕舞った。そのまま帰ることも考えたが、少し寄り道することにした。
100円コンビニに入り、一番大きいプラスチックのタッパーとゴム栓を買った。
家に帰り、真空容器を独自で作った。ついでにゴム栓にも逆流しない細工を施した。そこにビニール袋からタッパーに空気だけを移した。
一応、前回の容器の方も合わせてみた。この移動に1時間近くも掛かってしまった。
すると、タッパーの中で欠けた仮面が形成されていった。
「へぇ~、これは面白いですね」
私は、それに見入ってタッパーに顔を近づけた。
「気体が意思をもって集合体になってる。人もいずれそうなる可能性を秘めてますね」
これは非常に良いサンプルが手に入ったと、好奇心をくすぐられた。
「どうしましょう。どう研究しましょうか。何にこれを活かせるんでしょうか」
興奮しすぎて、言葉のチョイスがおかしくなった。考えれば考えるほど、いろんな実験のアイディアが沸き上がってきた。こうなると、もう寝ることはできなかった。
最初にやることは、この仮面の取り出し方だった。いろいろ試行錯誤しようとしても、気体を取り出すには細心の注意が必要だった。
そうして、一日中タッパーに入った欠けた状態の面を見つめながら考察していた。
ある程度やることをまとめた所で、手始めに水を気化させて、仮面の重さを確認することにした。
それをするにしても、今の道具では無理そうだったので即席で作ることにした。
ガラスのビーカーを用意して、それに管付きのゴム栓をはめた。別のビーカーに水を入れ、掃除機で真空状態を作った。それを繋ぎにして、反対側に面の入ったタッパーを並べた。
細工したゴム栓に管を通し、真ん中のビーカーに繋げた。
すると、仮面が気化し始めた。おそらく、真空状態でなくなったことで、即座に気体になろうと考えたようだ。
「現状の把握はできてないようですね」
それを見ながら、私は一人そう呟いた。
仮面が完全に消え、タッパーにもビーカーにも見当たらなくなった。
ここから中央のビーカーに鉄網の台座を置き、下にアルコールランプを設置した。
火をつけ、仮面が空気より重いかを調べてみることにした。
しばらくすると、仮面がさっきと同じように上下に浮遊しながら具現してきた。それを見る限り、空気よりも重くも軽くもできるようだ。
「そうなると、意識的に重くも軽くもできるようですね」
私はデータを取る為、デジタルペンでデジタルノートに書写していった。
それからは、基本的な気体の実験を6時間掛けて続けた。気体の比重は部分的に違うことや、そういった調整は所々で違いが見られた。
夕方になり、そろそろ睡眠時間が必要になってきた。重い目を擦って、髪を解いてからベッドに仰向け倒れた。
そのタイミングで子機が鳴った。この時間の電話はレレしかいなかった。
私は重い体を起こして、棚の上にある子機を掴んだ。
「もしもし」
『え、疲れてるの?』
寝てないせいで、声に疲れが乗ったようだ。
「ええ、一日半は寝てません」
『え!何してんの?』
「ちょっとした実験を」
何をしていたかは言う必要もないので、ここで止めておいた。
『もしかして、今日は無理っぽい?』
「ええ、もう眠気が凄まじいですね」
『あ、う~ん。じゃあ、今日はやめとくわ』
珍しくレレが、自分から引いてくれた。
「その気遣いには感謝ですね」
私は眠気を堪えながら、レレに感謝を伝えた。
『代わりに明日は来るから、ちゃんと寝といて』
「まあ、しょうがないですね」
自分でも不思議に思ったが、これぐらいは許容しないと、レレには申し訳ないと感じるようになっていた。
『じゃあ、おやすみ』
「ええ、また明日」
レレが電話を切るのを待って、こっちも子機を置いた。
「はぁー。明日はうるさくなりそうですね」
そう愚痴りながら、再びベッドに倒れ込むとすぐに意識を失った。
七 苦戦
「おーい、起きてる~?」
外の物音で、私は目を覚ました。
「もう昼だよ~」
声に反応して時計を見ると、もう昼に近い時間だった。どうやら、それまで一度も起きれなかったようだ。
「はい」
私は玄関にフラフラと歩いて、外の人に声を掛けた。
「あ、居留守とか無駄なんだからやめて欲しいな。無視されたと思って、無駄に傷ついたでしょう」
声の主はレレだった。かなり不満そうに言われたが、声は安堵したような柔らかい口調だった。
「ああ、すみません。今起きました」
「あ、そうなんだ」
「というわけで、もう少し時間を置いて来てください」
「え、なんで?」
「ちょっと今は足の踏み場もない状態になっています。片づけるのに時間をください」
「・・・手伝おうか?」
レレはこちらに気を使って、手伝いを申し出てきた。
「気持ちだけで結構です」
「え~、せっかく気ぃ使ったのに~」
「実験道具は自分で片づけないと、後々困るので」
「あ~、なるほど。それは道理だね。じゃあ、中で待たせてもらおうかな」
「人の話、聞いてました?」
さっき話したことをすっ飛ばした言動に、自然と頭を痛めた。
「え?あ、ああ、足の踏み場がないんだったね」
「はい」
「じゃあ、いまから足の踏み場を作って」
「・・・ですから、2時間位してから来てください」
空気の読めない言動には、嫌みで返すことにした。
「え~、せっかく来たのに~」
「電話を取れなかったのは申し訳ないですけど、勝手に来たのはそちらなので、今回は大人しく一度帰ってください」
「む~。っていうか、ドア越しでの会話ってなんか変な感じだから一回開けてくれない?」
「その手には乗りません。開けたら、無理やり入ってくるでしょう」
これは最初に経験したので、やんわりと断った。
「ちぇっ、残念」
ドア越しから、小さくぼやく声が聞こえた。
「じゃあ、10分待ってあげるから、さっさとしてね」
「こっちの意向は無視ですか」
わざわざこちらから時間を提示したのに、10分という短時間を押し付けてきた。
「ここで待ってるから話し相手ぐらいにはなってよ」
しかも、面倒な注文までつけてきた。
「一度帰ることはしないのですか?」
「2度手間だからここで待つわ」
「はぁー、相変わらず強引ですね~」
「引きこもりを引っ張り出すには強引さが必要だからね」
「物好きですね」
「ホント、自分でもそう思うわ」
レレは、含み笑いでそう答えた。
実験道具を片づけながら、床に乱雑に置かれた雑誌や紙の束を元の棚に戻した。
「ねぇー、なんの実験してたの?」
「しいて言うならば、気体の判別ですかね」
別に言う必要もなかったが、レレはしつこいので主体をぼかしながら答えた。
「何それ?」
「説明しても、レレには理解できないですよ」
予想通り食いついてきたので、入口から突っぱねることにした。
「むっ、その言い方、馬鹿にしてる?」
「ええ、まあ」
「ん~、率直に言われると、清々しく感じるわね」
馬鹿にされたのに、楽しそうな声が返ってきた。このことには少し気持ち悪さを感じた。
「そろそろ片づいた?」
「無茶なこと言いますね」
「足の踏み場ぐらいはできたんじゃないの?」
「それぐらいならできてますが、レレを入れると片づけの邪魔になるので入れません」
「ケチ」
レレの文句を聞きながら、実験対象の仮面をどこに仕舞おうかと考えた。
とりあえず繋げている管を引き抜き、個別に分けた。
実験道具は元の場所に戻して、仮面が入った容器はベッドの下の奥に置くことにした。
整頓は終わったが、レレを招く前にお風呂に入ることにした。
「あれ?音がしないんだけど、片づけ終わったの?」
「ええ、お風呂に入ろうかと思いまして、昨日そのまま寝てしまったので」
「う~ん。まあ、しょうがないか。長風呂はやめてよね」
レレは少し悩んで、それを許容した。
「わかりました」
基本的に30分はお風呂に浸かるのだが、今日はシャワーで済ますことにした。
シャワーを頭から浴びて、簡易的に全身を洗って風呂場から出た。
服を着て、ドライヤーで髪を乾かし、いつもの髪型にセットした。
「えっと、お待たせしました」
最初にすみませんと言おうとしたが、勝手に待っているので、それは言わないでおくことにした。
「もぉ~、遅いよ~」
ドアの前で膨れっ面したレレが、私の顔を見て文句を言ってきた。
「次からは、電話で確認を取ってから来てください」
「家にいるのに、電話を取らない夕が悪い」
「ふぅ~。まあ、いいです。で、なんでこの時間なんですか?」
「昨日会えなかったから、ちょっと早めにしてみた」
「あ、そうですか」
納得はできなかったが、追求してもその答えしか返ってこないので諦めた。
「石鹸の匂いがする」
「湯上りですから」
私は椅子に座り、レレはベッドに座った。これは最近の定位置になっていた。
「よく寝れた?」
「ええ。起こされなかったら、もっと快眠でした」
「むぅ」
私の嫌みに、レレは睨むように声を出した。
「で、今日も学校の話でもするんですか?木曜日にも聞きましたが」
「今日は時事ネタかな?近くの病院で死体漁りが出たって、ニュースでやってたんだけど」
「え!」
これには驚きのあまり声が出てしまった。
「昨日からそのニュースで持ち切りだよ。まあ、地方ニュースでだけだけど。警察も捜索してるみたい」
「そ、そうなんですか」
「どうしたの?」
「え、なな何がですか?」
「あからさまに動揺してるけど」
「き、気のせいです」
そうは言ったが、内心焦りでいっぱいだった。
「・・・汗かいてる」
レレが私を見て、怪訝そうな顔をした。
「もしかして、心当たりある?」
「な、ないですよ」
動揺しすぎて、声が裏返ってしまった。
「もしかして犯人?」
これにはレレと視線を合わせられず、さらに汗が額からにじみ出てきた。
「わ、わかりやすい・・・」
レレは全てを悟ったように、呆れ顔で私を見つめた。
「まさか死体漁りが友達だなんて笑えないね」
「ほ、ホントですね」
ここまで顔に出ては、ごまかすのは無理だと諦めた。
「なんでそんなことしたの?」
「やまれる事情があって・・・」
そう言いながら、視線を逸らした。
「け、警察に自首した方がいいですかね」
「一つ聞きたいんだけど、防犯カメラとか意識した?」
「病院では対策しました」
「それは知ってるけど、行き帰りの方?」
「し、してません」
正直、そこまでは頭が回っていなかった。
「う~ん。じゃあ、捕まる可能性があるわね」
「・・・」
「そもそも、なんで死体の顔の皮を剥いだの?実験の為?」
「いえ、結果的にそうなっただけです。実験の為ではありません」
「ふ~ん。自首する?」
「死体損壊の罪って何年ですかね」
「ネットで調べてみたら?」
言われた通り調べると、3年以下の懲役だった。
「う~ん。困りましたね」
一応、ネットで地域ニュースも確認すると、上位に死体損壊のニュースが載っていた。犯人は黒ずくめの人ということになっていて、病院の防犯カメラを主軸に情報を出しているようだった。
「もう会えなくなりますね」
個人的には特にどうでもよかったが、なんとなくそう言ってみた。
「・・・それは困るね。自首なんてやめよう」
「ですが、時間の問題では?」
「どうかな。基本、夕って外に出ないでしょう」
「ええ」
「近所の人に顔知られてる?」
「5年近く、まともに外に出てませんね」
そうは言っても、最近は出かけることが多くなっていたが、レレには隠すことにした。
「だったら、カメラに映っても目撃証言だけってことね。それだと、ここまでたどり着がないと思うわ」
「そうなんですか?」
「ここら辺って住宅街だし、一軒一軒確認するわけじゃないし」
「え?なんで一軒一軒回らないんですか?」
「数件の聞き込みで、わからないって言えばこの辺一帯は捜査の対象から外れることが多いのよ」
「なんでですか?」
「近所の情報網って、結構信用性高いのよ。この家に来ない限り、大丈夫だと思うわ」
「そういうもんですかね」
「そういうものよ」
説得力には若干かけていたが、気持ち的には気が楽になった。
すると、下の階からインターホンが聞こえてきた。その瞬間、レレと真顔で顔を見合わせた。
「家の人はいるの?」
「基本この時間はいませんね」
「日曜日なのに?」
「この家に曜日は関係ありませんよ。シフトで働いている両親なので」
「変わってるね」
「そう・・なんですかね」
他の家庭と比較したことがないので、変わってるかどうかなんて考えたこともなかった。
そう話していると、外の階段を上がってくる音が聞こえた。
「嫌な予感がしますね」
「しっ!」
私の言葉を遮るように、レレが黙るように人差し指を口に当てた。
「すみません」
ドアのノックの後、ドア越しから通る声が聞こえてきた。
「はい?」
私が答える前に、レレが返事をした。これに驚いていると、レレがしゃべるなという目配せをしてきた。
「警察の者なんですが、少し話を聞かせてもらえませんか?」
もうここまでこぎ着けたのかと、心臓が大きく鳴った。
「捜査ですか?」
「ええ。協力をお願いしたいのですが」
「受け答えだけでいいですか?」
ドア越しの警察官から、レレが用件を聞き出そうとした。
「できれば、写真を見てもらいたいので、顔を出してもらえませんか?」
「ちょっと、待ってもらえますか」
レレはそう言って、私の方に向かってきた。
「ちょっと来て」
レレは小声で私の手を引いて、洗面所まで連れていかれた。
「ど、どうするんですか」
私は動揺を隠せず、震えた声でレレを見た。やはり、仮面のせいで外出が多くなっていることが、仇になってしまったようだ。死体損壊もそのせいなのだが。
「可愛いけど、動揺しすぎよ。それよりヘアゴムある?」
「え、ええ、そこに」
私は、洗面所の端に置いているヘアゴムのケースを指差した。
「ちょっと借りるね~」
レレはそう言うと、ヘアゴムを取り出して髪を後ろで束ねた。
「今から、夕になりすますからここから出ないでね」
「え?」
私が理解する前に、レレが洗面所のドアを閉めた。
レレの奇特な行いに呆然としながらも、話の内容が気になるので、ドアに耳を当てて事の成り行きを見守った。
レレと警察官の話は、予想通り私を捜しているような感じだった。
しばらくすると、ドアが閉まる音がして静かになった。
「これでもう大丈夫よ」
洗面所のドアが開き、レレが後ろ髪をほどきながら笑顔で言ってきた。
「あ、あの・・・これって隠避罪じゃあ」
「うん。共犯になっちゃったね」
「い、いいんですか?」
「うん。構わないわ」
「軽いですね」
「まあ、友達の為なら法なんてどうでもいいわ」
「そんな人ばかりなら、法治国家なんて夢のまた夢ですね」
「そうね。この世界は奇跡でできてるのかも♪」
私たちは笑い合いながら、いつもの雰囲気に戻っていった。
「当分は外に出ないでね」
「ええ、いつも通り家に引きこもりますよ」
洗面所から出て、レレはベッドに座り、私は椅子に座った。
「む、むぅ~」
すると、レレが低い唸り声を上げた。
「どうかしました?」
「ん、ん・・なんかちょっと頭が痛くなってきた」
レレは、眉間に皺を寄せて頭を擦った。
「だ、大丈夫ですか」
「う、ん。さっきまで平気だったのに、なんでだろう?」
「・・・変な声とか聞こえます?」
これには残っている面の影響がレレに対して、干渉しているような気がしたので、核心部分を聞いてみた。
「声?」
「ええ」
「う~ん。聞こえるような聞こえないような」
レレは顔を歪めながら、どっちつかずの答えを口にした。
「雑音みたいに聞こえるってことですか?」
「うん。言われて気づく感じかな。念仏みたいで何言ってるかわかんないけど」
「そうですか・・・」
取り付かれた可能性は五分五分といったところだが、ここまで微力だと取り除く方法がわからなかった。
「一度、はいって強く思ってください」
なので、実体化させてみようと思った。
「え?・・・質問されてるの?」
「ええ、多分ですが」
「答えたら、どうなるの?」
「私にボコボコにされます」
「・・・何その、暴力宣言」
レレは私を警戒するように、ベッドから立ち上がって距離を取った。
「仮の話ですよ」
「仮にでも殴らないでよ」
「大丈夫です。記憶はなくなりますから」
「記憶障害になるまで殴るの!」
「いえ、戦闘不能までです」
「・・・」
私の発言に、さらに警戒心を強めたようで、壁を背にして身構えた。
「で、はいって答えてみます?」
「それ聞かされた後に、はいって言うと思ってるの?」
「まあ、思いませんね」
脅しを掛けているのに、はいと答えるなんて馬鹿にするところだった。あ、間違えた。馬鹿のすることだった。
「じゃあ、無視してください。あと、ある物を許可なく開けたら、容赦しませんから」
「何その回りくどい脅し」
「いえ、身体が勝手に動く前に、強い恐怖心を与えておかないと不安なので」
隠してある物がレレのすぐ下にあるので、正直なところ気が気でならなかった。
「えっと、もう冗談はこれくらいにしてくれないかな」
レレが脱力して、溜息交じりそう言った。
「そうですね。話は半分にしておきましょう」
「それ、半分は本当になるんだけど」
「その時は諦めて、現実を受け入れてください」
「半分に聞いとくよ」
もうついていけなくなったのか、諦めたようにベッドに勢いよく座った。
「もう。夕はたまにサドになるね」
「私的には真面目なんですけど」
「それって、真性ってことでしょ」
「真性ってなんですか?」
聞き慣れない言葉に、思わず含み笑いをしてしまった。
その表情が癪に障ったのか、レレが私の悪いところを指摘し始めた。
「あ、テレビ点けていい?」
しばらく聞き流していると、レレが話を切り上げて、テレビのリモコンを手に取った。
「え、ええ。何かあるんですか?」
時間を見ると、午後3時を回ろうとしていた。
「最近、この時間って生中継するようになってるのよ」
「生中継?」
「うん。戦いの生中継」
「それって・・・」
「超人同士の戦い」
「えっと流行ってるんですか?」
「そりゃあ、もう地域のトップニュースだよ」
そういえば調べている時に上位にそれを見たが、自分のことで頭がいっぱいでスルーしていた気がする。
「最近苦戦続きだけど、それがスポーツより面白いとか言われてて、視聴率も良いんだって」
「あれって、ただの暴力事件なんですけど」
「そうだね。もうみんな慣れちゃってるからかも」
「警察は何してるんですかね」
「なんか、市民に怪我がないように交通整理とかバリケード張ってるみたい」
「なんかスタッフみたいになってますね」
「ホントね」
私がテレビを点けると、ちょうど生中継に移行したところで、アナウンサーが興奮気味に声を張っていた。
「なんか盛り上げようとしてますね」
「この人も最近じゃあ、地域限定の人気アナウンサーになってるんだよね~」
「そう・・なんですか」
命懸けの戦いをエンターテイメントで楽しんでいることには、心底不愉快な気分になった。しかし、戦っているのは魔法少女のような格好の佳川なので、あからさまな批判はできなかった。
戦いは白熱した。カメラは警察が設置したバリケードの外から撮影していた為、動きがよくわかった。
「う~ん。分が悪いね」
「そうですね」
確かに、レレの言う通りかなりの劣勢だった。仮面の男は何か格闘技をやっているようで、動きに無駄がなかった。
数分後、お互い肩で息をしていたが、佳川の表情は歯痒そうな顔だった。
「相性が悪いですね」
「まあ、サチの戦い方は大雑把だからね」
確かに、佳川の戦い方は素人同然だった。身体能力が高くても、戦う技術がなければ苦戦するのは仕方なかった。
「前までは力押しでいけたけど、最近はこの手の相手ばかりで苦戦するようになってるのよ」
「そうですか」
このままだとジリ貧になるのは目に見えていたが、仮面が封じれるのなら、こんな無駄な戦いはやめさせることができるかもしれないと思った。
さらに戦いは続き、先に佳川が膝をついた。
「まずいですね」
それを見て、少し焦りを感じた。佳川は顔を俯かせて、肩の力を抜いたように感じた。
「だ、大丈夫かな?」
「どう・・ですかね」
こればかりは大丈夫だと断言することはできなかった。
男がとどめを刺すかのように、ゆっくりと佳川に近づいた。
この状況に、アナウンサーが興奮気味に叫んでいた。
それに煽られるように、男が拳を振り上げた。その瞬間、佳川が膝をついた状態から回転して足払いした。これは相手の意表を突く見事な攻撃だった。
男が佳川の方に倒れると、彼女は彼の顔面に頭突きを繰り出した。
「うまい!」
これにはレレが、興奮気味に立ち上がって叫んだ。が、仮面が硬かったようで、佳川が再び膝を折って頭を押さえていた。
仰向けに倒れた男は立ち上がれずに、仮面だけが少しずつ消えていった。苦戦はしたが、なんとか勝てたようだ。
「凄い試合だったね」
レレは面白い番組を見たような発言をしたが、私にはこの命懸けの戦いをひやひやものだった。
男は、既にスタンバイされている救急車で搬送されていった。加害者の顔は、救急隊員たちの配慮で確認できなかった。
佳川は決めポーズを取る余裕はなく、苦笑いでその場を去った。
戦いは終わったが、中継は続いていて興奮気味のアナウンサーがさっきの戦いを力説していた。
それがあまりにうるさかったので、レレの許可を取ってすぐにテレビを消した。
「面白かったね」
「・・・そうですね」
正直、次の戦いで佳川が負ける気がしていた。
「一つ聞きたいんですが、他にもこんな中継があるんですか」
一度だけ都築の中継も見ていたが、どれくらいの頻度でやっているのかが気になった。
「もう一つあるけど不定期だから、滅多に実況中継はしないね」
「この二つだけですか」
「あとは、ネットにアップされてるのがあるけど、携帯で撮っているみたいで顔と動きが捉えきれてないのよね」
「どういう人かもわからないと」
「うん。そんな感じ」
聞く限り、源元か加崎かはわからない感じだった。
「どうしましょうかね~」
自分はともかく他の四人の命懸けの戦いを、このまま静観していいのか本気で悩んだ。
「え、何が?」
すると、レレがこれに反応した。
「レレは顔見知りになった人が、危機的状況になっていたら助けますか?」
「危機的状況ってどういう状況?」
「命が危ないという状況です」
「そりゃあ助けるよ。目の前にいたらだけど」
「目の前にいない場合はどうですか?」
「心配することが精一杯かな」
奇抜な意見を期待したが、なんとも常識的な答えだった。
「人には、できることは限られてるからね」
それは至極納得できることだった。
「でも、危機的ってわかってるなら、動くのは人としては当たり前だと思うんだけど」
「それは親しくなくても・・ですか?」
「命の価値って個人が決めるから何とも言えないけど、心配してるなら助けるかな」
「それは良い意見ですね」
「そう?」
「なんか心が晴れた感じです」
「それは良かったね」
レレは、何のことか理解できないような感じで言った。
「やることができたので、今日は帰ってもらっていいですか」
「・・・人助けするってこと?」
なんとも的確なことを言われたが、話の流れでその答えに行きつくのは当然といえば当然だった。
「わかった。ここは友達の意思を汲みましょう」
「ありがとうございます」
レレの気遣いに、私は心から感謝した。
「もしかして、当分会えない?」
「そうですね。できれば、解決までここに来ない方がいいかもしれません」
「言い方に少し疑問を感じるけど、まあいいか」
レレは帰り支度をして、二階の玄関でパンプスを履いた。
「人助け、頑張ってね」
そして、その一言だけ残して帰っていった。
「さてと・・・どうしましょうか」
助けると言っても、連絡先は一切知らず、全員に言伝しようにも、今は加崎にしか伝えることができなかった。神姫を活用しようと思ったが、疑念の強い神姫には内緒にしたかった。
いろいろ考えて、加崎に相談してからの方が効率が良いと感じた。
さっそく電話しようと子機を取ったが、リダイヤルボタンが押せなかった。他人から来られるのには問題ないが、自分から行くのは未だにできなかった。
「うううっ」
リダイヤルボタンに親指が触れようとするが、震えるばかりでボタンを押すことができなかった。
30分ほど、リダイヤルボタンに指を置きながら部屋中を歩き回ったが、一向に押せずに時間だけが無駄に過ぎていった。
「はぁー、仕方ないですね」
もうここまで躊躇ったら電話はできそうにないので、最終手段を使うことにした。
私はリダイヤルボタンを押し、すぐさまオンフックボタンを押した。俗にいうワン切りである。あとは、加崎からの折り返しを待つだけだった。
「はぁー」
精神的に疲れてしまい、子機を持ちながらベッドに倒れ込んだ。
すると、10秒も経たないうちに電話が鳴った。
これに驚き番号を見ると、加崎の電話番号だった。
「早いですね」
対応の早さに驚きながら、オフフックボタンを押して電話に出た。
『どうかした?』
ワン切りということもあり、加崎が前置きなしに用件を聞いてきた。
「え、えっと、そっちはどうかなと思いまして」
とりあえず、最初に加崎の状況を聞いておこうと思った。
『どうも何もどんどん強くなっていってるわ。いずれ負けるわわね。あの仮面、学習能力あるみたいで、攻撃の耐性を身に付けてくるのよ』
「確かに、学習能力はあると思います」
今まで戦って、それは何度も実感していた。
『ふぅ~、こうなってくると、相手を殺すことばかり考えてしまうわ。まともに戦うだけじゃあ、こっちが不利だし』
「それはさっきの佳川さんを見ても、そう思いました」
『あ、見てたんだ』
「たまたまですが」
『正直、手にかけると思ったんだけど、なんとか踏み止まったみたいだね』
「え、そうなんですか?」
『中継されてちゃあ、人は殺せないからね』
「そうですね。殺したら途端に犯罪者ですから」
暴行も犯罪なのだが、警察が対応できない以上、今はうやむやの状態になっていた。だが、殺人となると佳川の行為は批判の的になるのは確実だった。
『そろそろ、こっちも殺す覚悟でもしないとやってられないわね』
「手伝いましょうか?」
私は電話した本題を、ここで切り出すことにした。
『・・・そんな余裕あるの?』
「ええ、もう出てこないと思います」
『え!どういうこと!』
「ある程度ですが、封じたので」
加崎の驚きを他所に、私は冷静に事実を伝えた。
『ふ、封じた?そんなことできるの!』
「一応できましたが、気体ですので弱体化が精一杯ですね」
『何に封じたの?』
さっきから、加崎のテンションが上がりっぱなしだった。
「コンビニに売ってるプラスチック容器です」
『は?』
予想外だったのが、声に張りがなくなった。
「密封できればなんでもいいんですよ」
『・・・なるほど』
本当にわかったのか疑わしかったが、納得の言葉を返してきた。
「おかげで、こっちは警察に追われる身ですよ」
『え、何かしたの?』
事情が呑み込めない加崎が、怪訝な声で聞いてきた。
「ちょっと死体損壊を」
『は?』
「まあ、それはいいです。三人の連絡先って知ってますか?」
『え、ああ、連絡先は知らないけど、源元さんの学校ぐらいはわかるかな』
「あとの二人は知らないってことですね」
『うん。まあ、調べてないからね。それにあの二人は戦いで手一杯だから、こっちを捜す余裕もないんじゃないかな』
「加崎さんも手一杯ですか?」
『うん。最近じゃあ、人目に付く前に倒すのが難しくなってて、どうしようか悩んでるわ』
その言い方だと、今の今までそれで乗り切ってきたようだ。それはそれで驚くべきことだった。
『でも、気体を捕まえるなんて逸脱してるわ』
「そう・・でしょうか?」
私的にはここに行きつくのは普通だと感じだが、加崎からすれば一般的ではないようだ。
『で、どうすればいい?』
加崎は、捕獲方法を率直に聞いてきた。
「仮面を皮膚ごと剥がすか、気化し始めた仮面を袋などで密封して、できる限り集めてください」
『見えない状態で?』
「はい。難しいと思いますが、なんとか頑張ってください。あと他の三人にも連絡取れるといいのですが」
『そっちは動けないの?』
「・・・難しいですね」
引きこもりに人探しは、至難の業に等しかった。それに警察に追われている以上、極力外には出られなかった。
『学校もあるし、しょうがないよね~』
そっちではないのだが、今はその勘違いは好都合だった。
『まあ、こっちで動いてみるわ。住所はわかんないけど、居所はテレビとネットを見ればなんとなくわかるし』
「本来なら、神姫さんを利用してもいいんですが、あまり信用におけませんから黙ってた方がいいですよね」
『ええ、正体がわからない以上、重要な情報は控えた方がいいかもしれないわね』
神姫を疑っている加崎にとって、控えるというより内緒という方がしっくりくるのだが、確信できてない段階では、彼女なりに言葉を選んだようだ。
『全員と連絡が取れたら、こっちから電話するわ』
「そうしてくれると助かります」
コミュ力のない私にとっては、これは非常に有難いことだった。
『正直、殺す前に連絡は取りたいわね』
「ええ、あまり時間はありませんね」
これは加崎本人が、よく知っているはずだった。
『できる限りやってみるわ』
「無理はしないでくださいね」
『気遣いありがと、切るね』
「はい」
私は電話を切って、ベッド下のタッパーを取り出した。
「ふぅ~、待ってる間、これをどうにかしないといけませんね」
といっても開けられない以上、今の設備ではどうしようもなかった。
「はぁ~、前途多難ですね」
これには大きな溜息しか出なかった。
次の朝、用意された朝食を頬張りながら、仮面の捕獲の方法を考えていた。
「掃除機が一番良い手なんですがね~」
そうは言っても、気体なので吸い込んで排気せずに封じるには限界があった。
「失礼します」
いろいろ試行錯誤していると、神姫が入ってきた。
「・・・何か用ですか」
仮面は現れないはずなので、用件の見当がつかなかった。
「あ、いえ、この辺りに力を感じるんですが、悪災が現れてませんか?」
神姫が不思議そうな顔で、私の部屋を見渡した。例の仮面は、ベッドの下に仕舞っている状態だった。
「神姫さんって、仮面の力を感じられるんでしたっけ?」
「はい。でないと場所を特定なんてできませんから」
「それは納得できる話ですね」
「でも、力を感じるのって、何日か前からなんですよ。最初は気のせいだと思っていたんですが・・・」
神姫はそう言いながら、周りを注意深く観察した。どうやら、仮面の出現場所の特定は、予知ではなく感知の方だったようだ。
「・・・一つ聞きたいんですが、なぜ気のせいだと思ったんですか?」
「悪災の力って、紀田さん達の力と類似してるんですよ」
「え、似てるんですか?」
これには驚いて、声が大きくなった。
「はい。まあ、気のせいですかね。失礼しました」
神姫は、勝手にそう結論付けて頭を下げて窓から出ていった。
「同じ力・・ですか」
それを見送りながら、私はその言葉を口にして、確認するように自分の手の平を見つめた。
「力の感知って、科学的ではありませんね」
といっても、人の能力は医学的分野なので科学に当てはめるのは尚早のような気がした。
この話を加崎にしようと思ったが、電話を掛ける勇気がないので見送ることにした。
八 共闘
加崎と連絡を取ってから3日目の夕方。私が実験に没頭していると、棚の上の子機が鳴った。
番号を見ると、加崎の番号だった。
「もしもし」
『あ、紀田さん?』
「ええ、この家の人は全員紀田ですが」
『あ、ごめん。えっと・・・名前なんだっけ?』
「夕です」
『ごめん、ごめん』
「別に構わないです。それで、用件は何ですか?」
『そうそう。源元さんと都築さんとは会えたんだけど、佳川さんはちょっと無理そう』
「え、そうなんですか?」
たった3日で二人と接触できることは驚くことだったが、今は話を進めることにした。
『うん。佳川さん、学校通ってないみたいなの。こうなってくると、4日後の戦いで合流するしかないかもしれない』
「えっと、私みたいに神姫さんにそれとなく聞いてみたらいいじゃないんでしょうか」
『戦う場所も日時ももう決まってるみたい。住所を直接聞くことは、勘ぐられるから無理ね』
「納得です」
確かに加崎は私が戦っている場所に現れたが、住所までは知らなかった。
『というわけで、二人に紀田さんの電話番号教えていい?』
「はい、構いません。情報交換は必要ですし。ですが、二人と会っていると神姫さんに勘ぐられる可能性がありますね」
念の為、神姫を警戒するよう助言をしておいた。
『それは想定内でしょ。どこにいても出てくるんだから、五人の行動は把握されてると思って間違いないわ』
が、その助言は杞憂だったようだ。
「やっぱり、あの時に身体を通過させたのが痛かったかもしれませんね」
科学的ではないが、実際居所を監視されているのは気分が悪かった。
『それはいまさらね』
加崎は、諦観したようにそう返してきた。
『じゃあ、二人に紀田さんの連絡先教えておくから、電話が掛かってきたら助けてあげて』
「わかりました」
我儘を言えば、加崎を介して連絡して欲しかったが、ここまでしてくれた相手にそこまで頼むのも気が引けた。
『じゃあ、早速こっちに来れる?』
「え!今日出るんですか?」
『うん。たぶん2時間後』
「定期的にこの時間なんですか?」
『曜日にばらつきはあるけど、2日間出てないから、統計的に今日出る確率が高いわ』
「えっと、場所は特定出来ますか?」
『そうね。場所はバラバラだからわからないわ。遠くて、自宅から五キロってところかしら。こっちの最寄り駅に着いたら、連絡して』
「携帯を持っていないのですが」
『あ、そうだったわね。失念してたわ』
「すみません」
『しょうがないわね。一旦駅で合流しましょう』
「わかりました」
私がそう言うと、加崎から場所を指定された。
『お金は大丈夫?』
「あ、はい。交通費は問題ありません」
『そっ、苦しくなったらこっちが出すから、遠慮なく言ってね。といっても、こっちもあまり余裕はないんだけど』
「お気遣いだけで十分ですよ」
『じゃあ、30分後に集合ね』
「はい」
私はそう答えて、子機のオンフックボタンを押した。
子機を置いて、すぐさま準備に取り掛かった。いろいろ持っていきたかったが、大荷物になるので使えそうな物だけにした。
身支度をして、両手に荷物を持ち家を出た。駅から電車に乗り、加崎が住む最寄り駅の北口へ向かった。
「何、その大荷物?」
改札前にいた加崎が、私の荷物を見て呆れた顔をした。
「い、いろいろと必要と思いまして」
「えっと、こっちに泊まる気?」
「い、いえ、仮面の対策です」
私は、パンパンのトートバッグを加崎の前に突き出した。
「いろいろあるのね」
加崎はそれを受け取り、バッグを広げて中身を見た。
「一応、役に立つかはわかりませんが、今日で捕獲してしまった方がいいです」
「そうだね。で、もう一つって変装用のバッグ?」
「はい。念の為に」
「用意周到ね」
「ありがとうございます」
これは私にとっては褒め言葉だったので、軽く会釈してお礼を言った。
「で、どうします?」
「そうね。一度、家に来て」
「え?」
「私の家まで歩きで30分は掛かるから」
「あ、はい。わかりました」
加崎は、トートバッグを持ったまま歩き出した。私は変装用のバッグを肩に掛け、彼女の後ろについた。
「加崎さんの戦う場所って、ひと気はあるんですか?」
「最近は、人通りが多い場所が増えてきたわね」
「そうですか」
「これまで手早く倒してたんだけど、最近耐久力のある人が多くてね」
「あの仮面って、知能を備えてますしね」
「ホント、面倒」
加崎はそう言いながら、深い溜息を漏らした。
「でも、加崎さんの所って一定間隔で出現するんですね」
「うん。佳川さんと一緒ね」
「私の場合は、場所も時間もバラバラでしたが」
「なんか人によって違いがあるんだよねー。あっちも対処できる時間帯を選んでるのかしら」
「それだと災悪とは違う気がしませんか」
正直、災いがわざわざ時間を選ぶとは到底思えなかった。(ギャグじゃないよ。たまたま韻を踏んでいるだけだよ)
「確かに奇妙よね」
加崎は、顎に手を当てて難しい顔をした。
「でも、それを言うと、私たちの周辺にしか出ないっていうのもおかしな話よね」
「そうなんですよね~」
考えれば考えるほど、不可解なことは多くあり、何を信じていいかわからなくなってしまった。
「ところで、仮面の捕獲ってどうなの?」
「正直、捕獲は難しいですね」
「やっぱりそう?」
「気化するだけで数分ですからね。人通りがある場所だと数分も馬乗りにしてたら、通報されますよ」
「それは絶対に避けたいわ」
「人通りのない場所に誘うか、連れていくことになるでしょうね」
「やっぱりそうなるよね~。担ぐと目立つし、誘うのが一番かもね」
「ですね」
それは私も同意見だった。
その後は、神姫の現れた場所と迷惑に思った話を一方的に聞かされた。
駅から30分後、ある一軒のマンションに入った。
「えっと、ここに住んでるんですか」
マンションは四階建てで、外観で見る限り2LDKぐらい広さしかなく、加崎の家族構成ではかなり狭い気がした。
「うん、お金がなくて、ここに六人で住んでるわ」
「大変ですね」
自分にとっては考えたくない家庭環境に、思わずそんな言葉が口に出た。
「そう思うよね。狭苦しいところもあるけど、時には悪くないと思うこともあるのよ」
加崎はそう言いながら、私に方を振り返って苦笑いした。
二階に上がり、加崎が一番手前のドアの鍵を開けた。
「さあ、入って。今日はみんな出かけてるから」
「あ、そうなんですか」
それを聞いて、内心ホッとした。
「いつ帰ってくるかわからないけど」
玄関を閉めた所で、加崎がボソッと不穏なことを言ったが、これは聞かなかったことにした。
「部屋はこっちね」
奥に伸びる廊下の横の扉を開けて、こっちに入るよう手招きした。奥に続く廊下はある程度生活感があり、若干散らかっていた。
「お、お邪魔します」
私は靴を脱いで、緊張しながら家に上がった。
「なんか、可愛いわね」
それを見た加崎が、微笑ましそうに言ってきた。嫌みかと思ったが、加崎からそういう意図は感じられなかった。
加崎の部屋を覗き見ると、廊下のコルクの床ではなく、黄土色の絨毯が敷き詰められていた。三つの机が隙間なく置かれていて、真ん中にテーブルがあった。整頓はできていたが、所々埃っぽかった。
「適当に座って」
「え?」
そう言われても、座る場所は椅子なのか地べたのか困惑してしまった。
「飲み物は何がいい?といっても、麦茶しかないんだけど」
「あ、いえ。遠慮しておきます」
私は地べたに座り、本気で飲み物を遠慮した。
「そう」
加崎はそれを察してくれたようで、部屋のドアを閉めてから私の正面に腰を下ろした。
「ここに神姫さんが来たんですか?」
「うん。最初は吃驚して、言葉が出なかったわ。おかげで弟に変な目で見られた」
「本当に大変ですね」
こればかりは家庭の事情なので、その言葉しか見つからなかった。
「まあね。それにしても、これって全部が仮面対策なんだよね」
加崎がテーブルに置いたトートバッグの中を見ながら、私に聞いてきた。
「ええ、役立つかどうかはわかりませんが、ないよりはマシかと思いまして」
「助かる~。正直、聞いた時はどうしようと思っていたから」
「あんまり期待しないで欲しいです」
「でも、紀田さんは捕まえたんでしょ?」
「捕まえたと言っても七割程度で、残りは捕獲できてません」
「あ~、そういえば弱体化って言ってたね」
「気体ですから、全部は無理です」
「まあ、確かに無理ね」
加崎は頷きながら、トートバッグの中を物色していた。
「ただいまー」
すると、外からそんな声と共に、玄関の開く音がした。それに私はビクッと反応した。
「あ、弟が帰ってきたみたい」
「そ、そうですか」
それを聞いただけで、自然と身体が固くなった。
「姉ちゃん。頼みが・・・」
ドアを開けるなり、弟が第一声で話を切り出してきた。どうやら、来客中だと思わなかったようだ。
「あ、ごめん」
活発そうな弟が、私を見るなり即座に謝罪した。
「お、お邪魔してます」
とりあえず、座ったまま加崎の弟に挨拶した。
「来客中だからリビングに居て」
加崎は煩わしそうに、手を振って追い払った。
「あ、うん」
弟はテンションを下げて、部屋のドアを閉めた。
「あの、出ましょうか?」
「いいって。神姫さんが来てからでも遅くないわ」
「でも、いつ来るかわからないんですが」
「時間的には20分前後かな」
正直、20分もこの場に居たくなかったが、今回は加崎を助けに来ているので、私からは何も言えなかった。
「じゃあ、本格的に作戦立てましょうか」
一通りバッグの中身を見終えると、加崎がそう切り出してきた。
「そうですね。仮面の回収は気体をただ捕まえる、それだけです。方法は空気中で捕まえるか、相手から仮面を剥ぐかだけです」
「剥ぐのは、私には無理」
「でしょうね」
それは私もできないことだった。(死体以外は)
「作戦としては、ひと気のないところに誘って戦闘不能にしてから仮面回収が現実的かな」
「それがいいでしょう」
普通に考えれば、それが順当な作戦だった。
それからはどこに誰が誘導するを決めて、どう捕獲するのかを決めた。
それがひと段落すると、加崎が私の捕獲した仮面のことを聞いてきた。
「持ってますよ」
私は変装用のバッグから、プラスチック容器を取り出して加崎に見せた。持ってきた理由は、神姫の感知能力への対策でもあった。
「あ、持ってきたんだ。ちょっと見てもいい?」
「え、ええ。間違っても開けたらダメですよ」
「わかってるって」
私の忠告を軽く受け取って、プラスチック容器を興味深そうに観察した。
「よく回収したね」
「大変でした」
私はそう言いながら、周りを気にした。時間帯的に、神姫が来てもおかしくなかったからだ。
「あの、そろそろ返してもらえますか」
「え、なんで?」
「神姫さんには、できれば隠しておきたいんですが」
「あ、忘れてたわ。早く仕舞って」
加崎が冷静になり、素早い動きで容器を突き返してきた。
私がそれを仕舞うと、絶妙なタイミングで神姫が壁からすり抜けてきた。
「あ、やはり、紀田さんもいましたか」
「今日はどこ?」
神姫の言葉に、加崎はしれっと対応したが、私の方は挙動不審になり、神姫から顔を逸らしてしまった。
「今日はここから南南西の大通りの路上です」
「えらくアバウトな場所ね」
「おそらくですが、緑の看板がある家の前です」
「あー、あの、悪趣味な店ね。わかったわ」
「では、お願いします」
神姫はそう言って、いつものように頭を下げた。
「じゃあ、行こっか」
「あ、はい」
私は敢えて神姫を避けるように、いそいそと部屋を出た。
「ここから作戦通りに」
加崎はそう言って、足早に教えられた場所に向かっていった。私はそれを見送って、誘導場所へ先回りすることにした。
その場所は歩いて5分ほどの所にあった。
私は誰にも見られないようにそこに入り、夕日が沈んでいくのを見ながら加崎を待った。変装することも考えたが、だだっ広い空き地に、周りは工事用のフェンスで囲われていて、人が入ってくることはなさそうだった。
今日は風が強く、地面の所々に生えている雑草が風でなびいていて、仮面の回収は難しそうに思えた。
7分近く待っていると、上空から人が降ってきた。その後に、加崎が家の屋根から空地へ飛び降りてきた。
「・・・えっと、何やってるんですか?」
誘い込む作戦のはずが、相手を吹っ飛ばしてきた。
「前より強くなってるから、誘い込むのも一苦労なのよ」
「それは難儀ですね」
「ホント、面倒」
加崎は溜息をつきながら、相手の様子を窺った。
「やっぱり立つよね」
降ってきた人は、背を向けて立ち上がると、ゆっくりとこちらに振り返った。顔には仮面を付けていて、細身の筋肉質の男だった。
「強そうですね」
「さっきやり合ったけど、強いわね。動体視力と反射神経が特化してる感じ」
加崎の戦闘能力に合わせて、仮面自体がその特性を持たせたようだ。
「じゃあ、手はず通り抑え込みましょう」
「ですね。フォローは任せてください」
連携なんて素人がやるものではないと結論付けていたので、私はあくまでフォローという形になっていた。
相手がこちらに歩み寄ったかと思うと、一気に速度を上げてきた。その速度は、私では対応できなかった。
しかし、それは私であって、加崎は違った。
男と何度か応酬した後、加崎が相手の腹部を殴り距離を開けた。正直、私がフォローする隙なんてほとんどなかった。
そんな私を見た男が、攻撃の対象をこちらに向けてきた。弱い相手を先に倒すことは、定石とも思える行動だった。
そうなることは私も想定内なので、即座に全身の力を抜いて、迎撃態勢を取った。
相手が私の左頬目掛けて、右フックを放ってきた。
その拳が頬に触れた瞬間、私は首を右に振り攻撃を受け流し、握らない拳で相手の鼻に軽く当てた。感度を上げた今の私だと、これぐらいの芸当は朝飯前だった。
「ぐっ!」
痛くないはずだが、相手から苦悶の声が漏れた。よく見ると、後ろから加崎の蹴りが、背中にめり込んでいた。
「こっちを無視とか、馬鹿でしょ」
確かにここで加崎を放っておくことは、愚策でしかなかった。
「畳みかけるわよ」
「勿論」
私の言葉に、加崎は当然のように応え、次の攻撃に移っていた。私は加崎に合わせて、攻撃を繰り出すことにした。素人にはできないと思っていたが、身体能力がお互い高いと思いのほか容易に連携ができた。
息の合った攻撃が次々と決まり、男はなすすべなくそれを受け続けた。
「もう十分かしら」
相手が脱力したところで、加崎が攻撃をやめた。私もそれに倣い動きを止めると、男が横にゆっくり倒れた。
「自分で言うのもなんですが、やりすぎじゃないですか?」
「これぐらいやらないと倒れないわ」
「そうなんですか?」
「最近じゃあ、仮面の力で一時的にダメージを軽減してるみたい」
「そうなんですか」
「前は、仮面が消えた時点で全身骨折してたし」
「あ~、なんかそうみたいですね」
病院での看護師の話を思い出しながら、加崎の言葉に相槌を打った。
「じゃあ、とっとと捕獲してしまいましょう」
男を見ると、仮面が気化し始めていた。
加崎の家で道具を試した結果、排気しない簡易ペットボトル掃除機を使うことになっていたので、それをすぐさま取り出した。
そして、仮面が消えるまで空気を袋に溜めて輪ゴムで縛っていった。風の影響で回収率は低い気がした。
「かなり逃したかもしれませんが、これを数回繰り返せば力は弱くなるでしょう」
「そうあってくれると助かるんだけど」
加崎は十三の袋を見て、訝しげな表情をした。何も見えない袋に、どれだけ回収できたのか不安に思ったようだ。
「これを一つにすれば、仮面の回収率がわかるのですが・・・どうします?」
正直、今持っている道具では時間が掛かるので、加崎の家ではしたくはなかった。
「まあ、これだけ多いと持ち運びが面倒だから、まとめてくれると助かるかも」
確かに十三袋を保存するのは、加崎家には無理に思えた。
「なら、こっちで預かりましょうか?」
「そうしてくれると、こっちは大助かりだわ」
「じゃあ、今日は解散しましょうか」
「そうね、手伝ってくれてありがとね」
「まあ、見殺しにはできませんので・・・」
ここだけは聞こえないように、小声で呟く程度にしておいた。
「え、何か言った?」
「なんでもないです」
私は言葉を濁して、仮面が入っているはずの袋をバッグに入れていった。
「全部は入らないですね」
が、トートバッグにも変装用のバッグにも入りそうになかった。
「どれぐらい入らないの?」
「五袋ぐらいですね」
「ちょっと待ってて、家から持ってくるから」
「すみませんが、お願いします」
一緒に取りに行きたいが、このままほっとくと風で飛ばされそうなので、加崎に任せることにした。
倒れている男を見ると、一般的な男性で少し出っ歯ぐらいしか特徴がなかった。
「ふぅ~、あと何回これを続けないといけないんでしょうか」
私は男を見ながら、思わず溜息を漏らした。
すると、上空から見知った顔をが降りてきた。
「なんか用ですか?」
私は面倒臭そうに、神姫を見上げた。内心では、どう言い訳しようと必死で頭を巡らせていた。
「倒したんですか?」
「ええ、まあ。二人掛かりでしたし。それにしても珍しいですね、わざわざそれを確認しに来たんですか」
「そうですね。最近紀田さんの力が分散しているように感じ取れるんですが、そういう特殊能力なんですか?」
そう感じているのは、完全に回収している仮面の力だった。視認はできないが感じ取れるのが神姫の能力ならば、そこをついて誤魔化すしかなかった。
「これは隠しておきたいので、内緒にしておいてくれませんか?」
「え、そうなんですか?・・わかりました」
納得はしてないようだが、なんとかそれで引いてくれた。
「えっと、他に何かありますか」
そのまま立ち去る気配がない神姫に、私から用件を聞いた。
「他の人たちも苦戦しているようなので、できれば助けてあげて欲しいのですが・・・」
神姫は、ばつが悪そうな顔でお願いしてきた。
「心配はしてくれるんですね」
この申し出には驚いたが、顔に出さないように話を続けた。
「と、当然です。こちらが一方的にお願いしてますので、殺されてしまうのは本意ではありません」
「なら、このまま戦わせるのではなく、どう対処すればいいのか教えて欲しいですね」
「えっと、それが思いつかなくて・・すみません」
「そうですか」
予想はできたが、期待した分落胆の溜息が出た。
「すみません。そろそろ行きますね」
神姫は再度謝りながら、追い風の方向にゆらゆらと上昇していった。これを見ると、幽体が風に影響されているように見えた。
これからのことを考えていると、加崎が走って戻ってきた。手には、大きなレジ袋を持っていた。
私はそれを受け取って、残りの袋を手早く入れた。
「彼はどうします?」
起きない男を見て、抽象的ではあったが救急車を呼ぶかを聞いてみた。
すると、加崎が相手の口に耳を近づけ、右手を心臓に当てながら呼吸を確認した。
「うん。大丈夫ね。足の骨折もないみたいだし、呼吸も安定してる。救急車はこっちで呼んでおくわ」
足の骨は折れてなくても、他の箇所は折れているような言い方だった。
「わかるんですか?」
「まあ、これでも医学志望だからね」
「そうなんですか」
医学をがじっているのなら、私より適任だと思った。
「じゃあ、もう帰りますね」
もう用もなくなったので、さっさと退散することにした。
「あ、うん。わかった。今日はありがとう」
「また出るのであれば、同じように対処してください」
「まあ、やってみるわ」
「無理なら、また呼んでくれればいいです」
「うん。そうする」
加崎が携帯電話で救急車を呼んだのを見て、人がいないかを確認してから空き地を出た。
すると、その後ろから加崎も出てきて、送るとだけ言って横についた。
夕日も完全に沈み、街灯がついてる道を私たちはしばらく何も言わず歩いた。
「これで収束してくれると、いいんだけどね」
加崎は、私が持っている荷物を見ながらそう言った。
「そうですね」
これは私も同意見だった。
「一つ聞きたいんですが、私たちってなんであの場所に行こうと思ったんですかね」
私は今思い立ったことを、加崎に投げかけてみた。
「あの場所って?」
「出会った場所ですよ、森の中の」
「・・・それは確かにそうだね。でも、行かないといけないっていう意識がそこにあったのは間違いないわね。だからこそ、神姫さんを疑ってるんでしょう?」
「それなら、わざわざ場所を教える必要もないんじゃないですか?」
それに神姫と初めて出会った時、彼女の驚きと戸惑いの表情が今でも気になっていた。
「・・・確かに。意識に刷り込むなら、いちいち教えに来るのはおかしいわね」
今まで考えてはいたが、結論としては不確定なことばかりだった。
「それを考えると、神姫さんも私たちと同じなのかもしれない、と思えてきますね」
「本当ね。誰かの思惑で動かされてる・・って感じね」
「そうですね。大まかにまとめてみると、疑問は二つですね。私たちを集わせたのは誰かと神姫さんの素性。これさえ明確にできれば、こっちも腹の探り合いなんてしなくていいんですが」
「そうね・・紀田さんって、ディスカッションがうまいのね」
「考えるのが好きなだけですよ」
私は謙遜も含めて、柔らかい口調でそう返した。正直、二つの疑問を解き明かしたところで、戦いが収まることはないとは思ったが、疑問が解消することは間違いなかった。
駅に着き、加崎と別れて駅のホームへ向かった。
ホームに上がると、見知った顔を見つけた。
「あれ?」
あっちが私を見て、嬉しそうに駆け寄ってきた。ショートパンツにTシャツの都築莉奈だった。
「久しぶりね」
「えっと、そうですね」
電車が来て、二人で一緒に中に入った。
車両は空いていて、私はすぐに入口付近に座った。
「聞いたよ。あれって捕獲できるんだってね」
すると、莉奈は気さくにそう言いながら、私の隣に座った。肩が触れ合うぐらいの近さに、慌てて距離を取ろうとしたが、端に座っていたせいで移動が数センチしかできなかった。
「え、ええ。密封しないといけませんが」
「ふ~ん。それしたら、もう現れなくなるの?」
「いえ、すべてを捕えれるわけではないので、力を弱めるぐらいですかね」
「それってつまんなくない?」
「え?」
莉奈の言葉が理解できず、思わず莉奈の方を向いた。
「ようやく面白くなってきたのに」
一方的な命の懸け合いの戦いを、莉奈は面白いの一言で片づけた。
「えっと、楽しいんですか?」
「うん♪」
「聞きたいんですが、苦戦とかしてないんですか」
「してるよ。だから楽しいんじゃない♪」
会った時から気にはなっていたが、莉奈は生粋の戦闘狂のようだ。
「それにしても結構な荷物ね?」
莉奈は、いまさらながらに荷物の多さを気にした。
「ちょっと加崎さんをフォローしに」
「こっちは鏡花のフォローしに行ってたよ」
「・・・源元さんですか」
誰の名前かを導くのに、言葉の流れを読み取って源元だということに行きついた。
「鏡花って、凄いのよ」
戦いを思い出したのか、話し出した途端テンションが上がった。
「な、何がですか」
そのテンションに動揺した私は、引き気味に言葉を返した。
「相手がプロレスラーみたいな奴でね。動きもなかなかのものだったのよ」
「源元さんって、そっちに特化してるんですね」
この事実には意外すぎて驚いてしまった。
「実際、力比べで完全に押し負けちゃったしね」
主語がなかったが、相手が源元さんに力負けしたようだ。
「源元さんとは、いつから共同戦線を張ったんですか?」
「今日からだよ。三日月から連絡あって、お互いフォローしようってなったんだけど、今日は三日月と鏡花が被ってるみたいで。三日月の指示で、鏡花はこっちが行くことになったんだよ」
一瞬だけ三日月が誰かを考えたが、話の流れからして加崎の名前のようだ。
「初耳でした」
加崎がここまで手を回していることには驚いたが、なぜ私に言わなかったのかが少し腑に落ちなかった。
「えっと、捕獲はしたんですか」
加崎からの指示であるなら、捕獲の方法も聞いているはずだった。
「ごめん。戦っているうちに忘れちゃった♪」
莉奈は茶目っ気を見せるように、軽い感じで謝ってきた。
「源元さんも忘れていたんですか」
「うん。疲れ切っちゃっててね。そこまでの体力もなかったみたい」
「そう・・ですか。莉奈は結構余裕があるように見えるんですが」
「あ~、うん。鏡花の戦いぶりを見たくて、しばらく観戦してたから」
「・・・」
これには理解できず、言葉を失ってしまった。
「あ、もう降りなきゃ」
気が付くと、もう莉奈の降りる駅に着いていた。
「じゃあ、またね」
莉奈はそう言って、急いで電車を降りていった。
「面白い・・ですか」
電車が走り出したところで、私は莉奈の言葉を復唱した。戦うことに面白いとか楽しいなんて思ったことがなかったが、運動が好きならその感性を持っていても不思議ではない気がした。
家に着き、さっさと回収した空気をまとめるとにした。やり方は前と同じで、仮面が形成するのを待った。
40分後には、四割近い仮面が出来上がった。
「六割、取り逃してしまいましたか」
これはあまり芳しくない結果だった。
この結果を報告しようか悩んだが、時間帯的に迷惑になりそうなのでやめておいた。
そう割り切ったところで、加崎の所から回収した仮面と自分が回収した仮面を一つにすると、どうなるかを確認することにした。
統一させるリスクを考えて、二段階の対策を講じてみた。
二つのタッパーに管を繋げて、管の間に電池式の電気ポンプを挟んで、ゆっくりと移動させていった。
1時間半掛けて移し終えると、仮面が完成したが、鼻の部分まで伸びていた。
「全部揃うと、人の顔を覆う面になりそうですね」
最初に出会った化け物は面だったが、人に取り付いているときは目元部分だけの仮面になっていた。この現象は考察の対象になりそうだった。
力を集合させれば、もっと強くなるはずなのに、わざわざ分散させて戦うなんて不合理極まりなく思えた。化け物の時には面だったことを考えると、人に取り付くのに仮面で十分だということなのだろう。あの時の肉体がなんなのかは知らないが、面が主体なのは間違いようだ。
「意味がわかりませんね~」
考えれば考えるほど、頭がおかしくなりそうだった。
「私たちは人なんでしょうか?」
仮面と同じ力という神姫の言葉が、思考の妨げになっていた。昔から研究対象は自分だったが、外側だけではなく内側も調べる必要が出てきたような気がした。
九 悪
昼過ぎに目覚めた私は、寝不足の状態でシャワーを浴びていた。結局、自分の血液を調べたが結果は人とは若干違うだけで、他は何も変わらなかった。
しかし、驚くことにすぐに真空状態にしなければ、消えることが判明した。これには自分が、人じゃないことを痛感させられてしまった。
バスルームから出て、ベッドに座り何も考えずにぼうっとした。これは頭を整理する時にやる行為で、ここ最近は慌ただしくてあまりできていなかった。
すると、珍しく子機が鳴った。取るかどうかを数秒だけ悩み、両親が取らないようなので子機を取って、番号を見ずにオフフックボタンを押した。
『あ、もしもし』
「はい」
『加崎ですけど、夕さんいますか?』
「はい、私です」
『仮面はどうだった?』
どうなったか気になるのか、食い気味に聞いてきた。
「総合的に回収できたのは、四割ぐらいでした」
『思ったより少ないね』
「風が強かったので、仕方ありません」
『これなら、また出てきそうね』
「ええ、多分出ます」
出るには出るが、力は弱まる可能性は高いと思った。
『あ、そうそう、源元さんの所に都築さんを行かせたんだけど、仮面は回収し忘れたみたい』
「そうみたいですね」
『あれ?報告あったの?』
「その日の電車で都築さんに会いました」
この会話では本人がいないので、敢えて苗字を使っておいた。
『あ、そうなんだ』
これには少し上擦った声になった。
「まさかあっちと出現が被ってるとは思いませんでした」
『ご、ごめんね。言うタイミング逃しちゃって』
「いえ、気にしてはいません」
莉奈から聞いた時は違和感を覚えたが、あの時は情報交換と作戦立てで、源元のことは後回しになったのだろうと思い直していた。
『それは良かった』
加崎の安心した声を聞く限り、この件に関しては少し気にしていたようだ。
『っと、それより今日は佳川さんが戦う日なんだけど、地区しかわからなくて、人手がいるんだけど手伝ってくれないかな』
「広いんですか?」
あそこまで大っぴらに放送しているのなら、場所の特定は容易に思えた。
『できれば、戦う前に捜せればよかったんだけど。戦う場所の特定が出来ないのよ』
「それで人手がいるということですか」
『ごめんね。二人にも声を掛けたんだけど、源元さんは怪我が酷いみたいで、都築さんしか手伝えないみたいで』
「わかりました」
加崎から佳川の住んでいるであろう最寄り駅を聞いて、電話を切った。加崎と同じ駅かと思ったら、南にある別の路線の駅だった。あの路線の駅周辺は広い範囲で都市並みが広がっていて、探すのには面倒な場所だった。
私は手早く支度して、仮面の捕獲するトートバッグだけを持って家を出た。変装用のバッグも持っていこうとしたが、日中だと余計に目立つことと、病院の件で指名手配になっていることを考えると、もう使えない気がしていた。
バスで南に行き、路線電車で目的の場所まで向かった。移動だけで40分近く掛かり、午後3時まであと1時間しかなかった。
駅の改札を出ると、汗だくの加崎が私に近づいてきた。今まで辺りを探し回っていたようだ。
「状況はどうです?」
「ダメね。住所すらわからないわ」
「それはしょうがないと思います」
そんな簡単に住所を知られたら、こっちも不安になってしまうと思った。
「都築さんには先に戦う場所を探しに行ってもらっているけど、ここって似たような場所が四つぐらいに散らばってるのよ。この場所じゃないことはわかっていて、後に西と東、南にあるんだけどお互い数km離れているから、もうどうしようもないのよ」
それを聞く限り、前もって場所を特定する時間はなかったようだ。まあ、他の二人を特定したことを考えると、仕方ない気もしていた。
「じゃあ、私はどこに行きましょうか」
「えっと、ここから一番近い西の方をお願いしてもいいかな」
加崎は、携帯の画面で現在地と目的の場所の画像を見せてくれた。
「あと、この携帯を持って行って」
「え、いいんですか?」
「うん。弟のだから無くさないでね。アドレスで三姉って入ってるからそれを選んで連絡して」
「わ、わかりました」
どうやら、私を呼ぶことを想定していて、この携帯を用意してきたようだ。
「じゃあ、私は東に行くから、わからないことがあったらいつでも電話してね」
加崎はそう言って、駆け足で走っていた。
私もそれに倣い、目的の場所まで走ることにした。その間に携帯の液晶を見ながら、目的の場所を頭に刻み込んだ。
「面倒臭いですね~」
こうなると、他の二人が佳川を見つけた場合、仮面の捕獲は無理そうだった。
私は目的の地区まで来て、そこからそれらしい場所を必死で探し回った。身体能力は高いのだが、基本動かない私は20分の駆け足で体力の限界を感じていた。
「はぁー、はぁー。持久力をつけておけばよかったです」
神姫に素直に聞けば、こんな苦労しなくていいのではないかと考えたが、加崎が信用してない以上、その考えは捨てるほかなかった。
私はもう一度携帯で場所を確認して、何か特徴がないかを注意深く観察した。
近くにポストがあったので、地図のアプリを起動して、地域のポストの設置場所を表示させた。
すると、多くのポストの中で一つだけ気になる場所を見つけた。そこまで行くのに歩いて20分近く掛かりそうだった。
午後3時まであと10分を切っていて、走ればなんとか間に合いそうだが、そこまで体力が持ちそうになかった。
走ることは諦め、速足でその場所へ向かうことにした。
目的の場所に着くと、人でごった返していて、テレビカメラもざっと三台見受けられた。
私は、すぐに携帯で加崎に場所を教えた。加崎の声は息切れしていて、今から莉奈と合流してから向かうと言って電話が切れた。
観戦している人たちが所々で盛り上がり、まるでスポーツ観戦をしているような雰囲気だった。
私は、佳川が見える場所に回り込むことにした。人ごみを掻き分けることを一瞬だけ考えたが、接触するのは嫌なのでやめておいた。
戦いが見える所に行くと、佳川の方が劣勢だった。相手はキックボクシングのような戦い方で、服越しからでも鍛えられていることがわかった。佳川の方は、相変わらずのフリフリの派手な服装で戦っていた。
前の戦いでの傷を引きずっているのか、佳川の動きにキレがなかった。このまま殺されるのも時間の問題に思えた。
悩んでいる時間はないが、入っていく勇気がなかった。そうしている内に佳川にダメージが蓄積していった。
男のローキックがまともに太ももに入り、佳川がその場に尻もちをついた。
さすがに勇気云々なんて言ってられず、数人を掻き分けて、バリケードを飛び越えた。
男の後ろからある程度の力で後頭部を殴打して、呆然と見ている佳川を素早く担ぎ上げ、群衆の中に突っ込んだ。
私の突進に人々が反応して、自然と道ができていった。
「ちょ、ちょっ・・・」
「黙ってください」
佳川の言葉を遮って、さっさと身を隠せる場所を探した。
もう走れないと思ったところで、手ごろな路地裏を発見した。
私はすぐさまそこに入って、相手が追ってこないかを確認した。
「大丈夫みたいですね」
私は息を切らしながら、担いでいる佳川を肩から下ろした。
「あのまま死ぬ気だったんですか?」
私は責めるように、佳川を睨みつけた。誰にも助けを求められなくても、身の危険ぐらい自身で把握できるはずなのに、それをする素振りのない佳川には苛立ちを覚えていた。
「か、勝てた・・わよ」
「だったら、なんでここまで追い詰められてるんですか」
「う、ぐ」
私の指摘に、ぐうの音も出ないようで苦い顔を後ろに下げた。
「そ、それより、私たちが逃げたってことは周りに被害が出るじゃない!」
怒られたことで頭が回らなかったのか、いまさらながら私を責め立ててきた。
「命懸けの戦いをショーみたいに観戦してる輩なんて、痛い目をみれば良いんですよ」
「あんた、最低ね」
「最低なのは、佳川さんの危機をただ見ていただけの人たちでしょう」
「・・・」
この返しには言い返せないようで、困った顔で下を向いた。
ここで加崎のことを思い出して、電話をすることにした。
「誰に連絡するの?」
「加崎さんです」
「ああ、あの眼鏡の・・・」
しばらく会ってないのに、誰かわかったようだ。
『も、もしもし』
数回の呼び出し音の後、加崎が息を切らしながら応答した。
「負けそうだったので、佳川さんを戦いから離脱させました」
『うん、携帯で見たわ。良い判断だったわ』
「それって、私の顔もTVに出たってことですか」
『うん、バッチリ映ってた』
走っているようで、話し方に不自然な呼吸音が入った。
「それは最悪ですね」
わかっていたこととはいえ、実際にそれを聞くと、もう誰とも会いたくなくなってしまった。
すると、突然佳川が頭を押さえて呻きだした。
「ど、どうしたんですか?」
「あ、あ~、やー、やめて!」
この異常事態に、私は動揺してしまった。
「やだ、やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ、やめてーーー」
佳川がそう叫ぶと、顔に仮面が形成されていった。
「な!」
これには驚きすぎて、佳川から離れてしまった。
『ど、どうしたの!』
手に持った携帯から加崎の声が聴こえたが、前の現象に頭が真っ白になってしまった。
「た、助・・けて」
仮面が完成する前に、佳川が泣きそうな顔で私に手を伸ばしてきた。
「よ、佳川さん」
私は正気に戻って、佳川の手を取ろうと手を伸ばした。
が、すべてが遅きに失した。
「あは、あはははははー。素晴らしい!長き待ち望んだ力っ!」
佳川は立ち上がり、佳川の声で恍惚の台詞を吐いた。
「佳川さん・・ではないようですね」
「はぁー、長かった。ようやくだ。ようやく・・・」
歓喜余っているのか、涙を浮かべながら全身を震わせていた。
「あの、こっちの質問に答えてくれませんか?」
これまで仮面がしゃべることはなかったので、そこは明確にしておきたかった。
「ああん?人の喜びを邪魔すんなよ」
「人・・ですか。貴方は人なんですか?」
「いちいちうるせえー奴だな」
仮面は佳川の顔を歪ませて、台詞とは不似合いな甲高い声を出した。
「まあ、敵対関係ですし、対話はできそうにありませんね」
携帯から声が漏れていたので、喜びに打ちひしがれている佳川から目を離さず、携帯を耳に当てた。
『ねぇ、大丈夫なの?』
有り難いことに、まだ電話が繋がっていた。
「最悪なことに、佳川さんが仮面に乗っ取られました」
『え、何それ!』
これには加崎の驚きの声が聞こえた。
「なので、今から戦って外そうと思います。場所は・・・」
私は場所を大まかに伝えて、通話を切った。
「おいおい、誰か呼んだのかよ」
もう悦は収まったようで、私の通話相手を気にしてきた。
「今の貴方が、私に勝てるとでも思っているんですか」
戦いを避けたい私は時間を稼ぐために、それらしい驕りを見せてみた。実際、佳川自身立ってられないほどの痛手を負っているはずなので、この挑発は有効だと思った。
「そうだな。このままでは確かに負けるだろう。だが、貴様にこの肉体は殺せないだろう」
「それって、佳川さんからは何があっても離れないという意味ですか?」
「ああ、そういうことだ。今までの身体は意思を乗っ取らず、力を移すことだけだったが、今回は違う。意識そのものと同化した」
「そう、ですか」
まさかここまでしゃべるとは思わなくて、その言葉しか出てこなかった。
「ああ、素晴らしい。この身体、異常な治癒能力を所有している」
それが佳川の特有の能力なら、さっきの戦いは実力で負けたようだ。
「さあ、同胞たちよ。もう分散の必要はないこちらに集まってこい」
仮面が両手を広げて、甲高い声でそう言った。私は治癒能力のことが気になって、この言葉を理解するのが少し遅れた。
「さて、目の前の邪魔者を取り入れるか」
私はそれを聞き流しながら、鞄からある物を取り出した。
「ん?集まりが悪い・・・まさか貴様、我らを隔離したのか」
他の仮面の意思を取り込んだのか、間を置いて私を睨みつけてきた。
「答える義理はありませんね」
周りに状況を確認しながら、仮面がどこまで形成するのかが気になった。
「まあ、場所はわかっているから、貴様を取り込んでからにすればいいか」
さっきから殺すではなく、取り込むという言葉が気に掛かっていた。いろいろ聞きたかったが、今優先すべきは佳川から仮面を剥ぐことだった。
「一つ聞きたいんですが、貴方は男ですか?」
悠長に会話はしたくなかったが、これだけは聞いておく必要があった。
「はぁ?なんだそりゃあ?」
質問の意図がわからないようで、顔を歪ませて嫌な笑みを浮かべた。
「俺が女?馬鹿も休み休み言え。こんな面にしかなれねぇんだから仕方ねぇんだよ」
口調からして男だと思ったが、それは間違っていないようだ。この事実はこっちにとっても非常に好都合だった。
「貴方は、お調子者ですね」
「はぁ?」
「ペラペラしゃべりすぎです。加崎さん達が来る前に終わらせましょう」
仮面が男なのはこちらとしては好都合で、さっき取り出した物を使うことに決めた。後遺症が残る可能性はあるが、あんな仮面に乗っ取られるよりはマシだと考えることにした。
「まだ強気なんだな、貴様。俺の特性は取り付いた相手の身体能力を極限まで引き出せる」
仮面はそう言うと、手を前に出して握り拳をつくり得意げな顔をした。
「つまり、治癒能力も極限まで引き出せるんだ。ここまでの会話で、さっきの傷も完治している」
「そうですか。お互い、時間稼ぎの会話はもうやめませんか?それ以上、貴方の仮面は完成しません」
顔半分まで隠れた仮面を見て、私は臨戦態勢を取った。
「なるほど。なら、貴様を取り込んで家にお邪魔するか」
あっちも状況がわかったのか、中腰になり戦う構えを取った。
「男であることを後悔しながら、のた打ち回ってください」
これが仮面に送る最期の言葉になった。
十 災
「あああ~~~~~」
路地裏とはいえ、快楽に悶えるのは見るに堪えなかった。
立っていられないくなった佳川は両腕を抱え、股間からは大量の液体を撒き散らしながら、悶え苦しんでいた。
「相性が悪かったですね。さっさと分離してください」
あまりにうるさいので、動けないように馬乗りになって口を塞いだ。左手の鞄を地面に置き、中から吸引器具を取り出した。
「んん~~~」
乗っただけで、敏感に反応して何度目かの絶頂に達したようだ。
「治癒能力と能力向上が仇になりましたね。そして、男と女の差もこれで理解できたでしょう」
ただでさえ即効性と過敏性を有した媚薬なのに、佳川の特異能力がそれを上乗せてしまっていた。
「イキ狂いするか、離れるか。好きな方を選んでください」
私は哀れみを向けながら、相手にわざわざ選択肢を投げた。挑発ではあったが、個人的にはさっさと消えて欲しかった。
「ん、んん、ん~~~~」
私が触れ続ける限り、この快楽は永遠に続くことは研究でわかっていることだった。
「ふ~、強情ですね」
しかし、なかなか離れてくれないので、仮面を強引に取ろうとしたが、皮膚に張り付いて取れる気配がなかった。
「意識ありますか?それとも快楽が気に入りましたか?」
答える余裕がないことはわかっていたが、見ていると可哀そうになってきた。
「んん~~~。ん、ん~~~」
仮面はもがき苦しみながら、少しずつ仮面が昇華し始めた。どうやら、快楽に耐えられなくなったようだ。
「はぁ~、ようやくですか」
私はそう溜息をつきながら、改良したペットボトル掃除機を仮面の上に乗せた。その間、佳川の身体は何度も痙攣を続けていた。
「ねぇ、大丈夫?」
その声に驚き振り向くと、加崎と莉奈が息を切らして立っていた。
「ええ、今終わりました」
「え、そうなの?」
私は空気でパンパンになった袋の口を閉じて、次の袋を用意した。
「なんか臭いんだけど」
莉奈が鼻をつまんで、場にそぐわないことを言った。
「佳川さんの小便です。我慢してください」
私も空気は読まないので、その疑問には即座で返した。
「あ、そう」
自分が失言したと気づいたのか、気まずそうな顔で佳川の下半身を見た。
「あ、あ~」
仮面か佳川かはわからないが、快楽が未だに続いていた。
「それって、仮面を捕獲してるの?」
「ええ、まあ」
莉奈は佳川の顔を覗き込むように、私に尋ねてきた。
「ところで、なんで沙知は痙攣してるの?」
「・・・さあ?」
どう答えていいか迷ったが、媚薬のことは言わないことにした。
仮面の回収もひと段落して、佳川の顔が見えたが、アへ顔の状態で完全に意識が飛んでいた。
「仮面に取り付かれたら、気持ちいいのか?」
それを見た莉奈が、訝しげな顔で佳川を見つめた。
「一応、救急車呼んでくれませんか?」
近場で安静にできる場所を知らないので、病院に運ぶのが一番妥当だと思った。
「えっと、わかった」
加崎は少し戸惑いながら、携帯で救急車を呼んでくれた。
私は鞄から一つの瓶を取り出して、それを佳川の口に強引に突っ込んだ。
「何それ?」
横から見ていた莉奈が、不思議そうに聞いてきた。
「気休めです」
私はそれだけ言って、佳川から離れた。
鞄から二つの紙袋を取り出して、捕獲した十数個の袋を紙袋に空気が抜けないように詰め込んだ。
「仮面の沙知を倒すって凄いね」
莉奈は感心したように、私を賛辞した。
「別に倒してませんよ」
莉奈の言い方に少し違和感を感じながら、事実だけを伝えた。
「仮面も捕獲できたので、出てきても当分は弱いと思います」
「でも、それって、沙知の所だけでしょう」
「いえ、分散させたのをこちらに集めていたので、もうほとんど出ないと思いますが」
「あ、じゃあ、もう出ても破片だけなの?」
「これが全部ではないので、まとめたら一つの面になるかもしれません」
全部の回収は物理的にも無理なので、あくまでも可能性の話をした。
「となると、また沙知が狙われる可能性があるんじゃないの?」
「それはあると思います」
確かにその可能性はあるが、あんな体験をしてはもう佳川に取り付こうとは思わない気もした。
救急車が来て、加崎が付き添うと言うので、私たちは二人取り残されてしまった。
「帰りますか?」
私を救急車を見送りながら、莉奈にそう言った。
「そうだね、今日は走り回っただけって感じだったよ」
「まあ、実際そうでしょう」
私たちは黙ったまま、駅に向かって並んで歩いた。
「ねぇ、ちょっと寄り道しない?」
しばらく歩くと、突然莉奈が公園を指差してそう言ってきた。
「え?」
これから仮面を抽出しないといけないのに、こんな場所に寄り道なんて意味がわからなかった。
「いいから♪いいから♪」
私が答える前に、莉奈が背中を押して公園の方に歩かされた。
少し開けた場所のベンチに莉奈が座り、私にも座るよう促してきた。
「で、ここで休憩する意味はなんですか」
私は言われた通り座ることにしたが、莉奈からは距離をおいて座った。わざわざ二人で休憩するなんて、何かあることは明白だった。
「自分はね、強い相手と戦うのが大好きでね。正直、もう終わっちゃうのが残念なのよ」
莉奈はそう言いながら、ベンチから立ち上がりその場を歩き始めた。
「それは殺されることも覚悟したうえで言ってるんですか?」
「勿論。じゃなきゃ、戦いなんてつまんないわ」
「戦闘狂ですね。あまり聞きたくないんですが、あの仮面って莉奈の差し金ですか」
ここまで聞いていると、もうこの結論に行きつくのはごく自然なことだった。
「違う・・とは言いにくいかな」
「全否定はしないんですね」
「いや、こっちも戦ってたんだからグルというのは違うかな」
「仮面の目的はなんとなくわかりますが、莉奈の目的はなんですか?」
「さっきも言ったでしょう。強い相手と戦いたいって」
「筋金入りという意味でしたか」
強い敵と戦いたいというだけで、私たちがどうなろうと知ったことではないということのようだ。
「本当は仮面に乗っ取られた誰かと戦う予定だったんだけど、夕が倒しちゃんだもん。予想外だったわ」
莉奈はがっかりした顔をして、大きな溜息をついた。よほど、仮面の佳川と戦いたかったようだ。
「経緯がわからないんですが、仮面とは最初から繋がっていたんですか」
「まあ、そうなるわね。でも、実力を知っておきたかったから、最初は自分で戦ったけど」
あんな得体のしれない者と喜々として戦うなんて、普通の神経ではありえないと感じていたが、莉奈が首謀者なら納得できる話だった。
「神姫さんとも知り合いですか」
「ああ、何者なのかしらあの幽霊」
どうやら、神姫の方は全く知らないらしい。そうなると、私たちは無駄に神姫を疑っていただけのようだ。
すると、その話題の中心にいる神姫が、焦りながら私たちの目の前に降り立った。
「た、大変です、紀田さん。あなたの家に悪災の反応が!」
場違いの横やりに、私も莉奈も呆れた顔で神姫を迎えた。
「安心してください。その反応は捕獲した仮面ですから」
もう隠す必要もないので、神姫に本当のことを告げた。
「え?ほ、捕獲?」
状況がわからないようで、ポカンとした顔で私と莉奈を交互に見た。
「神姫さんは、仮面と莉奈が繋がっていたことを知っていましたか?」
莉奈の言葉だけを信じるのは早計だと考えて、神姫にその事実を投げかけてみた。
「え・・莉奈って、都築さんですか?」
神姫は、驚いた顔で莉奈を見つめた。その時点で、莉奈との繋がりはないことは確定した。
「やれやれ、鏡花の時といい、あんたって本当に最悪なタイミングで現れるね」
莉奈はそう言いながら、嫌な顔を神姫に向けた。
「ど、どういうことですか?」
そんな神姫は動揺を隠せず、困惑した様子で莉奈を見返した。
「本当は鏡花を殺して乗っ取らせようとしたんだけど、神姫が来て計画は台無し。おかげで、仮面の鏡花とは戦えなかったわ」
「倒すんじゃなくて殺す、ですか」
これにはさすがの私も嫌悪感を覚えた。
「だって、あいつがそういうんだもん。仕方ないじゃん」
どうやら、仮面が莉奈をそそのかして殺しを促したようだ。現に、佳川は生きていた状態で乗っ取っていた。
「う、嘘ですよね」
裏切られたことがショックなのか、神姫が泣きそうな顔で莉奈を見た。私に比べて、深く傷ついた様子だった。
「うるさい女。ただの傍観者は、そこで見ていればいいのに。いちいち介入にしないでくれない?」
莉奈は悪役顔負けの演技で、神姫を蔑んだ目で吐き捨てた。
「あの、神姫さん。源元さんは死んでないんですか?」
もう莉奈の言葉は信じられないので、確認のために神姫に確認した。
「え、あ、はい。びょ、病院で療養してます」
「そう、ですか」
これを聞いて、少し心の余裕を持つことができた。
莉奈の方に目をやると、彼女は携帯を取り出して何かを打ち込んでいた。
「で、ここまでばらしたってことは、私と戦う為ってところですか」
「うん。そうじゃなかったら何も言わなかったよ」
莉奈は携帯を仕舞って、私から少し離れるように数歩だけ歩いた。
「じゃあ、始めよっか♪」
そして、機敏に振り返り、子供のような笑顔を見せた。その笑みからは、戦いたいという意志を強く感じた。
「仮面の開放は後ですか?」
「負けた奴に興味ないわ。あんなに最強になれると豪語したのに、こうもあっさり捕らえられるなんてダサいことこの上ないね」
やはり、ただ目的を果たすためだけの間柄で、仲間という意識は莉奈には皆無のようだった。実際、源元を殺すことの躊躇いも見られなかったことを考えると、本当に戦いに命を懸けているようだ。
「神姫もせいぜいこの戦いの行方を見届けていけば?悪災、だっけ?それはもうほとんど無力化されたみたいだしね」
「それ、紀田さんも言ってましたが、どういうことですか?」
未だに状況が読めない神姫が、戸惑いながら私と莉奈を交互に見た。
「悪災って、意思のある気体が集まってできた物でしたので、気化した所を袋で捕らえました」
私は簡潔に説明して、紙袋の中身を見せた。
「そう、だったんですか」
神姫は驚いたように、空気の入ったビニール袋を見つめた。
「ところで、仮面が悪災になるという意味がいまだに見えないのですが、あれはなんだったんですか?」
「人が抗えない力という意味です」
「だから、悪災ですか」
「はい」
神姫には自然災害と同等だと思っている感じで、特に他意はないようだった。
「もうお話はいいでしょう、さっさと戦いたいんだけど」
痺れを切らせたのか、莉奈が戦いを急かしてきた。
「戦いとは殺し合いのことですか」
「ええ」
「お断りします」
「理由を聞いてもいいかな」
「殺しても意味がないから、ですかね」
「自分は神姫の言う悪災だよ。殺しておくべきだと思うけど」
「それなら、莉奈はこれまで何人を殺しましたか?」
「今のところいないかな。弱い人に興味ないから」
「えらく優しい悪災ですね」
「でも、夕なら殺すに値するから、最初の殺人になるかも」
莉奈はそう言って、私に対して殺意を面に出してきた。
「もうお話は終わり。抵抗しなくても、夕は殺すから」
そして、莉奈が私に攻撃を仕掛けてきた。
「はあ、血の気が多いですね」
私は話し合うのを諦めて、神経を高ぶらせた。この公園は人が全く通らず、人目は気にする必要はないのは、僅かばかり救いでもあった。
莉奈は笑みを浮かべながら、私に向かってきた。その速度は加崎ほどではないが、かなり速かった。相手の力量を見たいので、攻撃は考えずに受け流すことに集中した。
肌に触れた瞬間を捉え、攻撃を受け流していったが、全ての攻撃を受け流すのはさすがに無理だった。
それを数分間続けると、徐々に莉奈の動きが鈍くなってきた。
一呼吸置きたくなったようで、私から離れて息を整えた。まあ、あの超人的な動きを続けていたら疲れるのも無理はなかった。実際、私も結構きつかった。
「反撃しないなんて余裕のつもり?」
身体の変化に気づいていないのか、攻撃しない私にそんなことを言ってきた。
「余裕がないから、反撃できないんですよ」
別に、相手に手の内を教えてあげる必要もないので飄々と答えた。
「それより楽しそうですね。戦うのは気持ちがいいものですか?」
「うん。とても開放感がある」
「そうですか」
私は、若干浮き出た額の汗を手で拭った。さっきの攻撃で大体の動きがわかったので、手も使いながら感度を上げていくことにした。
莉奈が再び攻撃に移ったので、相手に合わせてこちらも動き出した。
「なっ!」
これには驚いたようで、前屈みの姿勢を背筋を伸ばすように姿勢を直立させた。狙いは成功したので、右のボディーブローを莉奈に叩き込んだ。
「ぐっ!」
これで再び前屈みになったところで、体を回転させるように左手で莉奈の首を背後から掴み、そのまま地面に押さえつけた。ここは足の裏の次に神経が集中している場所なので、感度を上げるには効率的だった。
莉奈の右手が邪魔なので、関節は決めずに手首をただ掴んだ。関節を決めても力が強ければ意味がないので、この状態でどれぐらい力があるのかも確認したかった。
「ふふっ、これで封じたつもり?」
莉奈は不敵な言葉を発すると、物凄い力で抗ってきた。
驚くことに、腕の力だけで身体が持ち上がった。思った以上の力に、自然と力が入り汗がにじみ出てきた。
立ち上がられてしまったので、手を放して距離を取った。
「鏡花のおかげで、力は上がってるのよ」
莉奈が全身に付いた砂を払いながら、自慢げにそんなことを言い出した。
「源元さんの力を奪ったのですか?」
「そんなことできないわよ。ただ戦えば、自分もそうなるだけ」
「戦いでの能力向上ですか。どっかの戦闘民族みたいですね」
その能力だと、私の能力も何度か戦うと耐性ができてしまう気がした。
「なかなかいい攻撃するね」
莉奈はお腹を擦って、私の攻撃を称賛した。
「莉奈の攻撃は直情的すぎです。もっと工夫してください」
「あははっ~、まさか相手にそんな助言をもらうなんてね」
私の忠告に、莉奈は笑いながら頭を掻いた。これは私に情報を提供したお礼でもあったが、勝手に一方的の助言だと勘違いしたようだ。
「ん?何か・・身体が変な感じ」
感度も高まってきたみたいなので、莉奈の処置をどうするかを考えた。
「莉奈さんでも神姫さんでもいいんですが、私たちは死んだらどうなりますか?」
仮面と同じならば死ねば肉体は消え、また再生するのかをぜひとも聞いておきたかった。
「死体は消えるわ」
予想外なことに、これには莉奈が答えた。流れで神姫を見ると、間違いないようで彼女もそれに頷いた。
「それって、仮面と一緒で生き返るんですか?」
莉奈が死体の消失を知っていることを聞きたかったが、今は最優先で生き返るかどうかを確認したかった。
「あれは、あいつの特殊能力。粒子になっても死ねないって不憫だよね」
莉奈はベンチの横に置いた紙袋を見て、哀れみの表情を浮かべた。
「それを聞いて安心しました」
自分が死ねることと莉奈が生き返らないことは、心のつっかえが取れた気分になった。
「なんで莉奈は、消えることを知ってるんですか?」
流れでこのことも聞いておくことにした。
「それには答えない」
莉奈が答えを拒否したということは、何か含むところがあるのだろう。
「では、どちらか消えるまで戦いましょうか」
もう聞くこともないので、静かに腰を落とした。
「良い構え♪」
それを見た莉奈が、笑顔で戦闘態勢を取った。
「都築さん、もうやめませんか。こんなの不毛ですよ」
すると、神姫がいまさらながらに止めに入ってきた。
「悪災は、言葉で収めることができるの?」
が、これに莉奈は皮肉で質問を返した。
「それは・・・」
神姫は何かを思い出すように、沈んだ顔をした。
「だったら、自分も悪災と同じ」
「で、ですが、これまで誰も傷付けてないじゃないですか」
「今は、でしょう。これから退屈が続くんだったら、人に危害を加えるわ」
莉奈は神姫を睨みつけながら、そう言い切ってきた。これまで私たちと戦うために、自我を抑えてきたような言い方だった。
「神姫。これ以上、邪魔はしないで。でないと、無差別に誰かを襲う」
最後の忠告なのか、神姫を睨んで脅しを掛けた。
「うくっ」
神姫は、怯んで少し後ろに下がった。説得なんて無駄だと思ったが、莉奈の脅しには若干優しさがにじみ出ていた。
莉奈は気持ちを切り替えるように表情を引き締めて、殺意を込めて私を睨んできた。私もそれに応じて、手を握って汗を滲ませた。
そこからは互角の戦いだった。莉奈は蹴りが得意のようなので、できるだけ注意しながら戦った。
その結果、拳を何発かまともに食らってしまった。
「う、ん」
莉奈は甘い声を出しながら、私に攻撃してきた。感度が上がっても、攻撃できることには驚いたが、同時に変態だとも思った。
「こんなに高揚したのは久しぶり♪」
莉奈にはそれが戦いでの高揚感だと勘違いしているようで、興奮しながら全身を抱きしめるように身震いした。あまりこういう恍惚の表情は見たくないので、さっさと決着をつけることにした。
何度目かの攻防で、莉奈も自分の変化に気づき始めた。
「何かした?」
莉奈は自分の手を見ながら、訝しげな顔で私を見た。
「さあ、どうですかね」
教える義理もないので、真顔でしらを切った。
ここからは莉奈の攻撃がどんどん鈍くなっていった。正直、ここまでの耐性がある相手は初めてだった。
攻撃する度に敏感に反応するようになった莉奈を、一方的に攻撃し続けた。
「何、これ?」
莉奈は感情を殺すように歯を食いしばりながら、自分の身体の変化に驚きを隠せずにいた。
数分後には有効打撃で足もふらつきだし、みぞおちの攻撃をもろに受け後ろに怯んだ。
私はさらに畳みかけるように、莉奈の太ももを思いっきり蹴りつけた。
「ぐっ」
さすがの莉奈も、これには痛そうな顔で踏ん張りがきかず尻もちをついた。
「ははっ、負けたわ」
そして、莉奈自身が負けを認めた。
「ですね」
倒したのはいいが、殺すのはさすがに個人的に抵抗があった。
「も、もう、いいんじゃないですか?」
神姫がおろおろしながら、私にそう言ってきた。
「甘ちゃんね。悪災を無くすんだったら、徹底的に排除するべきよ」
莉奈が携帯を取り出して、何かを操作した後、それを地面に投げ捨てた。私はその意図がわからず、只々その行動を観察していた。
「もう満足。ここまで生きた甲斐があった」
莉奈は満ち足りた顔で、ポケットからナイフを取り出し、心臓を刺して自害した。
「なっ!」
これには神姫だけではなく、私も驚いてしまった。
莉奈はナイフを抜き、力尽きたように仰向けに倒れた。莉奈の服が血に染まり、力なく仰向けに倒れた。手から、血に染まったナイフが地面に落ちた。
「どういうことですか?」
私は倒れた莉奈に近づき、自殺行為の意図を聞いた。
「どうせ・・この先、退屈に・・生きるなら、この満ち足りた状態で・・死ぬのが理想だっただけ・・・」
その思いは理解できるが、それを実行する異常さは全く理解できなかった。
「正直、女に負けるとは・・思わなかった」
莉奈は満ち足りた顔で、私を見上げてそう言った。その表情は、晴れやかで悔いのないものだった。
「私は男ですよ」
勘違いしているようなので、自分の性別ぐらいの認識は正そうと思った。
「・・・っ!」
これに驚いた顔で私を凝視した後、穏やかな顔で笑みを浮かべた。
「あー、騙されちゃった。全体的にうまくいってたのに、不思議と最初と最後だけ思い通りにならなかったよ」
そして、最期の力を振り絞って掠れ声でそう言った。最初の意味が気になったが、それを答えてくれる余裕はなさそうだった。
「夕・・最後に・・悪災らしく・・こじらせて・・おいたから」
莉奈はそう言い残して、静かに目を閉じて満足げな顔で息を引き取った。最期の言葉の意味がわからず、神姫の方に目をやると、悲しそうな顔で莉奈を看取っていた。
十一 エピローグ
莉奈の身体が仮面と同じように、ゆっくりと気化していった。肉体だけだと思っていたが、驚くことに服も粒子になった。
「え?これってどういう・・・」
この現象に悲しむ余裕がなくなり、神姫の方に顔を向けたが、彼女もわからないようで首を横に何度も振った。
数分後、最終的に携帯とナイフ以外すべて消え去ってしまった。肉体が消えるだけでも摩訶可思議なのに、服さえも消え去る現象にはもう訳が分からなかった。
「私たちの存在って、空気なんですか?」
私は残された携帯とナイフを拾って、後ろにいるだろう神姫に投げかけた。ナイフには、もう血は残っていなかった。
「それはワタシにもわかりません」
神姫がそう答えると、公園に初めて誰かの足音が聴こえた。
不審がられないように立ち上がって足音の方を向くと、加崎が汗だくでこちらに走ってきた。
「はぁー、はぁー。どういう、ことよ」
加崎は呼吸を整えながら、なんとか言葉を発した。手元を見ると、携帯を握りしめていた。
「佳川さんは、大丈夫でしたか?」
何が聞きたいのかわからなかったが、とりあえず自分が傷つけた相手の容態を聞いておきたかった。
「よくも、まあ、そんなこと、聞いてくるのね」
加崎は汗を拭いながら、私に対してそんなことを言ってきた。
「まさか、黒幕が紀田さんだとは思わなかったわ」
「・・・え?」
さすがにそれは予想できなくて、頭が真っ白になった。
「すっとぼける気?」
加崎の言葉に、私の思考が一気に展開していった。
「まさかと思いますが、都築さんに何か吹き込まれました?」
「吹き込まれた、ね」
私の言い方が気に入らなかったのか、加崎が訝しげな声で復唱した。
「ここにいるってことは、都築さんをどうしたの?」
「・・・自殺しましたよ」
どう答えてもどのみちここに辿りつくので、隠すことはせずありのままを伝えた。この時点で、莉奈が最期に携帯で何をしていたのかがわかった。
「殺した・・の間違いじゃないの?」
「追い込んだのは間違いじゃないですね。あの人、戦闘狂でしたから」
ここで言い訳しても、今の現状ではどう言い繕っても信じてもらえそうになかった。両手に莉奈の携帯とナイフ、さらに後ろには神姫がいるという最悪の条件が揃っていた。
「う~ん、加崎さんは私が黒幕と思ってるみたいですね」
「そうね。今の現状が全てを物語ってるんじゃない?」
加崎は、私が思っていた通りのことを想像しているようだった。
「ま、待ってください。都築さんは、悪災と手を組んでたんです」
最悪のことに不信がられている神姫が、慌てた様子で釈明してしまった。
「悪災、ね。それってさ、まだ続く可能性はあるの?」
「え、あ、はい。おそらくですが」
「なら、悪災からの逃れる方法を教えてよ」
「そ、それは・・・」
戦う以外の方法を見い出せていなかった神姫には、その方法を言えるはずがなく言葉に詰まってしまった。
「それは私が見つけたはずですが」
「それを佳川さんに使ったんでしょう」
抽象的すぎて、加崎の言いたいことがわからなかった。
「えっと、どういうことですか?」
「捕まえた仮面、瀕死の佳川さんに取り付かせたんじゃないの?」
「それ、私にメリットあります?」
さすがにその解釈は、私には理解できなかった。
「自分が黒幕だということを遠ざける為でしょう」
「そんな小細工、思いついても絶対しません」
そんなのするだけ意味がないし、余計な疑いを生むだけだった。
「それは暴かれたから言えることよ」
「困りましたね。黒幕が消えた今、内輪揉めはしたくないんですが・・・信じてもらうには方法は一つですね」
「今度はこっちを消すってことね」
「はぁー、そんな不毛な戦いなんてしたくないですよ」
「不毛?都築さんとの戦いは不毛じゃなかったと?」
私の言い方が癇に障ったようで、怒りを抑えるように低い声を出した。
「彼女が望んだことです。不毛ではありません」
「なら、こっちも戦いを望んだら不毛じゃなくなるの?」
「後悔するだけです」
「どうして・・どうして!仲間を殺して冷静でいられるの!」
加崎は肩を震わせながら、怒りを面に出して訴えてきた。人生の大半を引きこもっている私に、感情的になれというのが無理な話だった。が、それを知らない加崎には理解できないことは仕方ないとも思った。
「私は、看取っただけです。都築さんは、安らかに亡くなりました。覚悟を決めた相手に同情なんてしません。泣いてなんの意味があります?短い付き合いですが、敵対しても都築さんを侮辱することは絶対にしません」
「・・・理解できないわ」
「これは私の考え方です。共感してくれなんて言いません」
こればかりは見解の相違なので、どうしようもなかった。
「もう一人、都築さんが黒幕だと知ってる人がいます」
「神姫さんでしょう」
「源元さんですよ。彼女、都築さんに殺されそうになったみたいです」
「え?」
これは知らなかったようで、目を見開いて驚いた。
「今、入院中ですよね、神姫さん」
「え、あ、はい。意識不明ですが、回復はするはずです」
「だそうです」
この情報だけ伝えて、あとは加崎に判断に委ねた。
「う、嘘言わないで。源元さんとは合流が遅れて、負傷したって・・・」
「それ、加害者がそう言っただけですよ」
「ち、違うわ。あれは仮面との戦闘での負傷よ」
「見てないのによく言えますね」
「それは紀田さんもでしょう!」
「こうも食い違っている以上、判断するのは加崎さんです。私を殺すか、源元さんの回復を待って事情を聴くか」
「なんでこっちに委ねるのよ?」
「え?自宅を知られている以上、逃げることなんてできないですし」
「正体がばれたのなら、殺したらいいじゃない」
「私が黒幕ならそうしますけど、違いますからできません」
「・・・わかった。源元さんの回復を待つわ」
ここまでの説得で、加崎に若干の冷静さが戻ってきたようだ。
「でも、勘違いしないで、まだ紀田さんのこと信用した訳じゃないから」
「ええ、それでいいです」
疑われている以上、それは許容の範囲内だった。
「あ、そうそう。携帯は返しておきますね」
私は返しそびれていた携帯をポケットから取り出して、彼女に投げて渡した。
「そういえば、土地勘もないのによくこの場所がわかりましたね」
これは加崎が来た時に最初に疑問に思ったことで、いまさらながらに聞いてみた。
「都築さんからのメールに場所も記載してたから。でも、最終的には紀田さんの持っていた携帯のGPSを辿ったわ」
「なるほど、呼び出した時から、疑念を持ってたわけですね」
「まあ、ね」
加崎は少し悪びれる表情をして、私から視線を逸らした。
「こっちも聞きたいんだけど、自殺した都築さんはどうなったの?」
死体も服もない現状に、加崎も不可解さを感じていたようだ。
「信じられないかもしれませんが、服ごと消えました。残ったのは携帯とナイフだけです」
私は、両手に持った物を加崎に見せるように手を肩まで上げた。
「財布も?」
「持っていたかどうかは知りませんが。残ったのはこの二つだけです」
加崎の言う通り、財布は残ってもおかしくなかったが、見た限りではそれは確認できなかった。
「それって、仮面と一緒じゃない?」
「そうみたいですね。ですが、私たちも同じらしいですよ。生き返りはしないみたいですけど」
「え!消えるの?」
「ええ。実際に見ましたし、服まで消えるのは摩訶不思議ですけど」
「・・・それって人じゃないじゃん」
加崎は驚きを隠すことなく、その言葉を小声で吐き出した。
「ですね」
それは私も同感だった。知れば知るほど、どんどん非科学的になり、最終的に自分たちが人でない事実が浮き彫りになっていった。
「神姫さんに聞きたいんですが、私たちみたいな人って他にいます?」
この話の流れで、神姫にそのことを尋ねてみた。
「ええ、何人もいますよ。数まではワタシも把握できてませんが」
「私たちを把握できたのは、あの場所に集まったからですか?」
「一度、身体を通過させてもらったのは、ワタシの特異な能力で、相手の居場所を特定できるものです」
「そうなると、仮面もそうしたということですか?」
「ワタシも仮面に取り付かれたので・・・これを言うとみなさんが戦ってくれないと思い、言い出せませんでした。こればかりは本当に申し訳ないと思ってます」
この事実には、少しばかり動揺してしまった。それは加崎も同じようで、私と似たような表情をしていた。
「必死で抵抗した結果、肉体は植物人間になってしまいました」
「えっと、身体に戻れないんですか」
「戻れても、しゃべれませんし動きません」
「そう、でしたか」
八方塞がりな話に、私はどう返していいかわからくなってしまった。
「じゃあ、私たちをあそこに集めたのは、神姫さんじゃないんですか?」
「違います。ワタシはあそこに仮面が現れることを感知して、なんとか説得しようと思ったんです」
「そこに来たのが、私たち五人だったという訳ですか」
「はい。運命だと感じました」
こうなってくると、誰が私たちを呼んだかは不明のままになりそうだった。
「だ、そうですが、加崎さんは信じますか?」
この話を一緒に聞いている加崎に、再考を促すように投げかけた。
「・・・わからない、わ」
迷いが生じているのか、加崎は顔を伏せながらその言葉を絞り出した。
「もう今日は疲れたから帰るわ。でも、容疑が晴れたとは思わないでよね」
「ええ、延命させてくれたことに感謝します」
「ふん、心にもないことを」
加崎はそう言って、公園の出入り口に歩き出した。帰り道は一緒だったので、加崎の後ろを距離を離してから歩いた。
すると、加崎がこちらを振り返って、先に行くよう促してきた。まあ、信用できない相手に後ろを歩かれたくない気持ちは、私にも理解できた。
「神姫さんと仮面って、死ねないんですか?」
私の横に神姫もついてきたので、気になっていることを聞くことにした。
「悪災は死なないみたいですが、ワタシは生きてますよ。おそらくですが、肉体が死ねばこの幽体も消滅すると思います」
「なんで今の神姫さんは、私たちに見えて他の人には見えないんですか」
「それは、私もわかりませんが、おそらくは同種には見えるんじゃないでしょうか」
「そういうものですか」
こればかりは検証のしようがないことなので、話をそこで終わらせた。
すると、神姫が病院に戻ると言って去っていった。
しばらく歩くと、加崎がゆっくり私との距離を詰めてきた。
「少し考えたんだけどさ、どっちが黒幕でも話が通る気がする、わ」
私を前にそんなこと言うのは躊躇いがあるようで、語尾だけ僅かに間を置いた感じになっていた。
「源元さんが鍵ですからね。私としては早く回復することを望んでますよ」
「そう、だね」
「あ、これも検証してみますか?」
私は莉奈の携帯を見せて、加崎の方を振り返った。
「・・・いいの?」
私が証拠を提示することには、裏があると思っているようで訝しげな表情だった。
「私は、こういうのには疎いので持ってても、あまり有効活用できません」
誰かと繋がる携帯は私個人興味はなく、これからも持つことはないだろうと感じていた。
「わかった」
加崎は怪訝な顔のまま、莉奈の形見の携帯を受け取った。
駅に着き、切符を買って改札に行くと、見送るつもりなのか、加崎が改札の前に佇んでいた。
「・・・」
が、言葉が見つからないのか、私を見つめたまま目を泳がせていた。
「そうそう。一つ言っておくことがありました」
私は改札に入る前に、莉奈が勘違いしていたことを加崎にも教えておくことにした。
「な、何よ」
「私、男ですから」
「え!」
やはり女だと思っていたようで、今まで以上の驚きの顔をした。
「だから、私の家であんな無防備な格好はいただけません。それじゃあ」
ここで当たり散らされるのは嫌なので、加崎が固まっている内にささっと改札を通った。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
予想通り後ろから怒号が聴こえたが、無視してホームへ向かった。
電車を降り、家までゆっくり歩いた。今日は動き回ったせいで、足が一段と重く感じた。
家の敷地に入ると、階段の上に誰かが座っていた。
「あ、えっと、こんばんは」
委員長のレレが、私に気づき立ち上がってから挨拶してきた。夕日が沈みかけていたせいで、少し迷った挨拶だった。
「どうしたんですか?」
「電話したけど、いないから心配になってね。もうちょっとで警察に面会に行くところだった」
どうやら、不在の理由が警察に捕まったことだと考えていたようだ。
「すみませんね。今まで立て込んでいましたので」
「テレビに映ってたよ」
「あ、見てましたか」
佳川の戦いは中継されていたのを見て、私を心配して来てくれたようだ。
「もう終わったの?」
「ええ、おそらくですが」
私はそう答えながら、階段を上がった。
「救えた?」
「わかりません。救おうとしましたが、救いを求めてきませんでした。それに救えたかわからない人もいます」
「まあ、人には限界があるからね。全部救うなんて無理な話ね」
「人、ですか」
自分が人かどうか判断できない状態で、人という単語には酷く引っ掛かりを覚えた。
「人って、なんなのですかね」
そのせいで、レレに哲学的な質問を投げてしまった。
「どうしたの?フィロソフィーにでも目覚めた?」
階段を上がり切ろうとしたところで、レレが怪訝な顔でそう言ってきた。
「いえ、少しニヒリズムになってました」
「そう。別に、人に定義なんて意味ないと思うけどね。思考なんてみんな違うし、一緒だったら気持ち悪いしね。よって、人は定義できない!」
「それを言い出したら、生き物全体にも言える気がしますが」
それらしいことを言っているようだが、穴だらけの考えに思わず笑ってしまった。
「む~~。なら、言い直すわ。有機物は定義できない!」
笑われたことが不服なのか、生命だけではなくありとあらゆるものを全部をひっくるめてきた。こういう思考は、レレ特有で個人的には好きだった。
「むっ、自分で聞いたくせに笑われるなんて心外なんだけど」
「いえ、笑ったわけじゃないですよ」
「そうは見えないけど・・痛っ!」
レレが会話の途中で、突然頭を押さえて表情を歪めた。
「どうしました?」
「いたたたっ」
返事をする余裕がないのか、頭を両手で押さえたままその場にうずくまってしまった。この症状は、佳川を連想させてしまった。
それが再燃するように、レレの顔に仮面が出現していった。
「なんとか追い払ってください!」
私は持っている紙袋をその場に置いて、感情的にレレの肩を掴んだ。自分がこんなに誰かのことで、慌てたのは久しぶりだった。
「あ~、うるさいわね。なんなのよ、これは?」
仮面が片目部分だけ形成したところで、レレが苛立ちを露わにしながら、仮面を顔から外して立ち上がった。
「へっ?」
これには衝撃的すぎて、漫画のように目を丸くした。
「仮面?ダサっ!」
レレが仮面を見て、そんな感想を述べた。
「そ、それ、ちょっと・・・」
私は我に返り、慌てて鞄から袋を取り出した。
「これに入れて!」
「え?あ、うん」
私の必死さに気圧されたのか、言葉に詰まりながらも袋に入れてくれた。
「ありがとうございます」
私はお礼を言って、素早く袋の口を閉めた。予想外の捕獲劇が終わったことと、レレが無事なことに安堵の溜息が漏れた。
「ねぇ~、それって、テレビの悪役が付けてたやつに似てるね。半分だけだけど」
「え、う~ん。悪災だそうです」
言うかどうか悩み、神姫がつけた名称で答えることにした。
「何それ?」
が、当然ながらレレには伝わらなかった。
「ここじゃあ、なんですから、部屋で話しますよ」
もう辺りも暗くなってきたので、部屋で話すことにした。正直、自分の現状を抱えきれず、誰でもいいから聞いて欲しいと感じていた。
私はこれまでのことを、レレに全て話した。彼女は興味深そうに、それを黙って聴いていた。体質のことは言いたくないので、そこの部分は端折った。
話が終わると、レレが大変だったねと慰めてくれた。それに対して、私は本当に大変だったと、遠い目をして大きく息を吐いた。
「じゃあ、あの声って、不死の仮面の声だったってことね」
レレは難しい顔で、仮面が入っている袋に目をやった。仮面は既に気体になっていて、袋の中には空気だけになっていた。
「ホントに消えてる」
それを見たレレは、目を細めて仮面がないことを不思議がった。
「う~ん。夕に言っておくことがあるんだけど・・・」
レレが袋から私に目を移して、少し言いにくそうな顔をした。
「実は、わたしも身体能力高いんだよね~」
「え!」
それを言われた瞬間、なぜレレに神姫が見えたのかが一本の線になって繋がった。
「あと、私にも1年前から森に行けって声は聞こえてたんだけど、学校休んで行くなんて馬鹿馬鹿しかったから行かなかったんだよね~」
「え!そうなんですか?」
これには素で驚いてしまった。
「うん。か細い声だったけど、夕には聴こえなかった?」
「い、いえ、全然聴こえませんでした」
「さっき仮面が取り付こうとした声と一緒だったから、呼んだのは仮面自身じゃないかな」
これは衝撃的なことだった。レレの言う通りなら、1年前からこのことは計画されていたことになり、莉奈の最期の不可解な言葉もわかったような気がした。
「レレは、その声に抵抗できたんですね」
「うん。授業中うるさかったけど、完全シカトしてやったわ」
「それは凄いですね」
これはレレの特異能力によるものだろうと思わざるを得なかった。実際、私には声なんて聴こえなかったわけだし。
「それよりあの幽霊って、神姫さんって言うんだね。今度会ってみたいわ」
当初から神姫が見えていたレレにとっては、そのことが一番興味があるようだった。
「今度会わせてあげますよ」
「本当!それは楽しみね」
また会えるかは不明だったが、会えない気もしないので、この場で口約束をしておいた。
この後、当初の目的だった学校への誘いや、今の学校の状況を聞かされた。
「じゃあ、時間だし帰るね」
6時になり、レレが名残惜しそうに立ち上がった。
「ええ、いろいろ助かりました」
「そう思うなら、学校に来て」
「検討してみます」
「まあ、今はその答えで満足しましょう」
レレは嬉しそうにそう言って、玄関でパンプスを履いた。
「明日も来るから」
「え、なんでですか?」
「最初の約束を忘れたの?電話に出なかったからよ」
「あれはノーカウントですよ」
「ダメ♪約束は約束だからちゃんと守ってもらうわ」
「なんで自分で面倒事を増やすのか、意味がわかりませんね」
「楽しいことは面倒事にならないでしょう」
「そうですか」
レレの言葉に、私はなぜか笑ってしまった。
「じゃあね」
レレも私につられたように笑顔で帰っていった。
一人になり、脱力感で座椅子にもたれ掛かった。結局、仮面と化け物の正体もわからず仕舞いで、仮面と莉奈の関係性も闇の中だった。
私は莉奈の形見のナイフを取り出し、莉奈の満ち足りた顔を思い返した。不本意ながら、今まで思ったこともない自分の死に際を考えさせられてしまった。
しばらく目を閉じてから、仮面を一つにすることにした。
作業をしながら、最後にレレに取り付いた時のことを考えた。精神に入り込めなくても、なぜあんなにすんなり外れたのかは本当に不思議だった。おそらくだが、佳川に取り付いた時のトラウマで、皮膚に接着することを恐れたのだろう。
すべての面を一つのタッパーにまとめようとしたが、いろいろ試したいことを思いつき、結果的に移動だけで1日も掛かってしまった。
仮面は予想通り、顔全体を隠すような形になった。少し欠けていたが、一割程度なので悪さはできないだろうと思った。
レレから電話があり、今から行くと上機嫌で言われた。私は面倒臭そうに対応したが、心では待ち遠しさを感じている自分がいた。少しずつ変わっていく自分に、違和感を感じながらも悪い気はしなかった。
この3日後、源元鏡花が回復する前に、紀田夕が警察に捕まるのはまた別の話である。
災X悪