Of L[R]ight 1/3

拙作『Of L[R]ight』より、表題作の試し読みです。不時着した飛行士と「ひかり」のおはなし。

 0

 嵐になるとは聞いていない。
 通信妨害を受けているのか悪天候のせいなのか、無線はとっくに機能していなかった。
 制御のきかなくなった操縦桿にすがりつき、機体の高度を保とうと試みる。
 しかし、この風と雨では飛行継続が困難なのは目に見えていた。出発前に確認した地図には、緊急着陸できるような開けた場所もなかったはずだ。

「……あったとしても」

 まずい状況に変わりない。緊急着陸用のホイールが作動しないのだ。
 背の高い木の枝が擦れる。エンジンの異常を告げる警告音が喚き出す。
 飛ぶようになって初めての事態だ。がたつくプロペラが、未知の恐怖心を呼び起こす。

 墜落する。

 いいや。まだ、おちたくない。

 頼れるのは自分の勘と、習慣になった祈り。
 軽く、目を瞑った。

「どうかお願いします。かみさま、」

 俺はまだ、空にいたいのです。




 1

 こつこつ、と規則的に響くノック音に意識を引き上げられる。
 目よりも先に口が開いた。よほど力を込めていたのだろう、顎に痺れが残る。汗やよく分からない水分が乾いている感触が気持ち悪かった。
 辺りの様子を確認したくとも、ハッチが泥だらけだ。汚れた箇所の隙間から、辛うじて人影らしきものが見える。こいつが叩いてきたのだろうか。ボタンを押して屋根部分を跳ね上げると、驚いたように人影は飛び退く。冷えた外気はいつぶりだろう。辺りを囲む針葉樹が、すっかり大人しくなった風にそよいでいた。

「全く、君はとんだ無茶をする。取り敢えず着地成功おめでとう、飛行士さん」

 人影から声がした。どんなやつかと開こうとした目は、灼けそうな光に遮られる。反射的に手で目元を覆った。眩しすぎて熱い。

「ああ済まない! 強かったようだな、どうも」

 生理的に浮かんだ涙を拭う。
 瞬きをすると、全身を発光させた妙なやつが立っていた。

「お迎え……?」
「違う違う! ほら、ちゃあんと痛いだろう」

 そいつは俺に近付くと、ヘルメットの上から思い切り殴りつけてきた。割れる。

「な? 生きてるから痛いのだ」

 何の謂れがあって初対面のやつに殴られないといけないのか。やつは悪びれもせず、気にするなとでも言うように両手を振ってみせた。

「この姿にはまだ慣れていないのだ。勘弁してくれ」
「……生きてる、ね。……よっと」

 遮光グラスを額に上げ、軋む手足を伸ばし立ち上がる。降りる際にふらついたが、怪我は打撲程度で済んだようだ。骨は折れていない。どう操縦したのかは覚えていなかったが、とにかく助かった。想像通り、どことも分からぬ山奥に不時着したらしい。東の空が、夕陽を反射して橙色に染まっている。北西の方角には遠く、なだらかな山脈が見えた。
 確認していた地図を記憶から呼び起こす。目的地のある地域は北も南も、山によって分断されている。現在地を把握する手掛かりは無いに等しかった。

「それでお前は誰……何なんだ」

 ヘルメットを脱ぐ。腰に提げていた懐中電灯で機体を照らすと、塗装が痛々しく剥がれているのが見てとれた。尾翼は接合部からぽっきりと折れている。古い型だ、修理をすれば完全な別物になってしまう。長年の相棒ともお別れだと思うも、感慨深さはなかった。道具は道具と割り切ることを、覚えて久しい。

「僕? 僕はヒカリだ」
「名前を聞きたいんじゃない。幽霊か何かか?」
「だから、ヒカリ!」

 点検を続ける俺の上着の裾を引いて、やつは右側のテールランプへ回った。左側よりもいくぶん損傷が激しい。フレームは歪み、内部の電球は粉々に砕け散っている。

「僕はここにいたんだ。棲んでいたと言っても良い」
「はあ」
「ここはお気に入りだったんでね、最後までしがみついていたかったのだけれど。あの嵐でこうだ、もう中に入れない。仲間は皆、墜落前に別の場所へ散ってしまったし」
「……はぁ」

 ひしゃげたランプとやつとを交互に見る。
 発光する身体。
 ヒカリ。
 光。
 明かり。光源。
 よく見れば、支給されるジャケットによく似た上着を羽織っている。どこかで会ったようだと思わせる見目。どこか? 鏡だ。毎日のように見ている、鏡に映った自分の顔だ。
 なるほど、俺から借りた……似せたわけか。

「信じてくれるかい?」
「認める」

 それはそれは、と肩を竦められた。

「こういうものを、君の属している集団は嫌うだろう? 攻撃を仕掛けるだろう? 君個人は違うのだね。一安心だ」
「こういう? ああ。俺は、ちょっと違うから」

 つまり、テールランプが壊れて人間の形になった。
 とは子どものお伽話のようだが、実際にこうして会話もできている。未だにじんじんと疼く頭が、夢ではないと教えてくれていた。
 頭がおかしくなったのだと否定するのは容易だ。しかしそのせいで苦しむより、現状を受け入れる方が効率的だろうと思えた。

「そんなら……貸してくれるか? 明かり……電気が、勿体ないから」

 懐中電灯のスイッチを切ると、一気に質量のある暗さに包み込まれた。息苦しささえ感じる。日の入りが近付くのは早い。
 やつ、ヒカリの身体はコントラストが鮮明になっていた。輪郭は赤みのある黄色で縁取られている。人間の髪と爪にあたる部分が、やけに白っぽかった。

「任せてくれたまえ。ここぞというときに僕は役に立つぞ」

 ヒカリは鼻歌混じりに手頃な長さの枝を拾い、指先で弾く。
 盛大な火花が走り、枝は一瞬で塵と化した。

「……枝ならいくらでもあるし」
「憐れむのはよせ! 力加減が難しいのだ!」
「また眩しいのは勘弁だからな」
「承知した。いやあ、人の姿は難儀なものだね」
「そんなの知らないよ」
「分かるだろう君は人間だ。人間は概して不安定だ。だから僕も不安定になる」
「屁理屈」
「何とでも」

 集めた小枝を束ねて松明状にしたものを手渡される。

「僕の手には触れるなよ。感電ならばまだ可愛いが、君を炭素の塊にしたくはない」

 これ以上の怪我は御免だった。ブーツのゴム底で足元の枝を集める。ヒカリが爪先でつつくと大きな炎が上がった。

「夜明けまでには時間がある。眠るなり何なりすれば良い……何、不満かい? 消耗していて移動手段もない中で何が出来る? 今の君に必要なのは休息だろう」
「……ごもっとも」

 焚火を挟んで腰を下ろす。体温が逃げないよう、積荷から引っ張り出した毛布を何重にも被った。
 積荷には食糧や飲料水も含まれていたが、途中で落下したものもあって数は多くない。
 それに連絡手段も絶たれている。無線は言わずもがな、非常時にのみ許可されている通信コードも使えなかった。残るは狼煙か。現在地も分からない状態でそれは無防備すぎる。そもそも、実践した話は聞いたことすらない。

「ここは南東の国境付近の山中だ。大雪の降る季節でなくて不幸中の幸いだったな」

 なぜ場所が分かるのか。
 尋ねると、俺が意識を取り戻すまでに「光の速さ」で山脈を越えていたらしい。

「俺も一緒に運んでくれていたら、こうも困らなかったんじゃないのか」
「黒焦げになっても文句は言わないかい?」
「……助けを待つしかないってか。それか、ここで往生するかの二択」
「折角助けたというのに往生されては堪らないのだが」
「冗談だよ。人間、酷い状況に置かれた時こそ冗談を必要とするもんだ」
「それも冗談のつもりかい、酷いなどという言葉で片付ける神経が理解できないな。君、こんな場所で一人なのだぞ」
「一人じゃない」
「なぜ」
「きみがいるだろ。二人だ」



 
 2

「飛行士を選択したのは逃げだったというわけか。優秀なバッジをたくさん付けているから、幼い頃からの夢を叶えるためにたいそう努力したのだと思っていたよ、大尉サン」
「ずっと俺の機体にいた割には、何も知らないんだな」
「君が寡黙だからさ。それで? 他には何を隠している」
「そうだな。がきの頃は、祈りの得意な魔法使いになりたかった。憧れていた」
 
 魔法使い、とヒカリは繰り返した。

「空想小説の類を好んでいたのか?」
「実際のものとしてさ。……魔法使いは、言い過ぎかな」

 半分炭になった小枝を拾い、地面を引っ掻いて模様と文字を刻む。ヒカリはそれをしげしげと見つめた。

「これが? こんなのが魔法かい」
「失礼だな。立派なまじないだ」

 ごく簡単な魔法だ。大きな怪我や発熱を患ったときに、それ以上悪化しないようにとかけるまじない。
 決まった文句を唱えながら、単純な図形を描いた真っ白な紙切れで身体をさするのだ。悪いものを吸い取らせた紙は、すぐ火にくべてしまう。
 
 幼い頃から、まじないはどんな薬よりも効き目があるように感じていたものだ。
 呪いは、まじないでもありのろいでもある。いずれにせよ、祈りの力を実感する機会には恵まれていた。
 
 胸のポケットから取り出したメモ帳の一片を破る。そこへ地面と同じ模様を描き、ヒカリの額にかざすと、きょとんとした顔を返された。

「お前が治したいところは」
「は? え、い、いや、あるわけがないだろうそんな場所」
「ごっこ遊び。付き合え」
「そんな年になってままごとか? 君に恥というものはないのか」
「魔法使いになりたかった気持ちは消えてないからな」
「…………『なりたかった』?」
「あぁ」
「では今は? 今は、何になりたいのだ」

 紙を外す。つい苦笑が漏れた。赤ん坊の問いかけのようだった。

「じゃあ逆に訊くけど。昔からお前は、今のようになりたいと思っていたのか」
「……どうだろう」
「だろ。一緒さ」

 気が付いたときには、なりたいと思っていた記憶すら遠くなっていた。懐かしい、と思い返すばかりのものになってしまった。
 それだけの、ことだ。



 


 2.5
 手持ちの道具を駆使して修理を目論むも、機体にはもはや手の施しようがなかった。素人考えで弄り回したせいでむしろ酷くなっている。整備班が卒倒するだろう有様だ。

「如何ともし難いか。では狼煙だ」
「どうしてそうなるんだよ」
「他に手段は無い」
「国境防衛本部に連絡しに行く手もあるよ。お前が。光の速さで」
「はぁん? それは最高だな!」

 ヒカリが人間同様の姿を取るには、他の光源は邪魔になる。日中は太陽光が遮られる場所でないと、ただの明るさになってしまう。
 しかし、触れられないのを除けば人間と共に過ごしているのと何ら変わらないので、行動の制約をしばしば忘れてしまうのだ。

「せめて外からの情報があればな。ラジオ、直せないかな」
「何故こちらを向いたのか、理由を……あっ言わなくてっ」
「方法は分かってるんだ。工具箱に道具はあるから、ここのあたりをだね」
「つまり僕に、鏝になれと!」

 ヒカリは嫌そうな顔をしながらも、外れた部品やその他の機材を積んだ場所に自ら近づいていく。
 ラジオは既にコードやパネル、様々な部品毎に分解されていた。
 一通り説明をしたのち、作業を任せることにした。救出した缶詰の状態を確認しなければ。
 隣り合わせになって、日陰に座り込む。

「……そういえば、どうしてお前は残ったんだ。仲間は逃げたんだろ。こんな場所で、こんな手伝いをせずに済んだのに」
「逃げたというのは不適切かも知れんね。あの嵐、雷も鳴っていたろう? だから剥がれやすかったんだ。僕たちは光がより強い方へ引き寄せられてしまうから」
「磁石みたいだな」
「ふん。連中、不可抗力で行ってしまったのも多かった筈さ。可哀想に」

 でも、とヒカリは、真剣に手元を見つめたまま続けた。
「どの道僕は残る算段をつけていた」

 続く言葉を待ったが、それ以上話す気はないらしかった。

 日差しは季節外れに暖かく、眠気が襲ってくる。胡座をかいて缶詰を持ったまま、俺は頭を前後に揺らしていた。遠くで、ヒカリが文句を言いながら作業を続ける音がする。よほど疲れが溜まっていたのか、疲れに気付かぬ振りをしていただけか。徹夜明けの感覚に近い、虚脱感と高揚感とでくらくらする。起きている、と感じるたびに時間が一気に過ぎている。そんな危うさの中をたゆたうのは、随分久し振りのことだった。

「――そろそろ起こすぞ」

 肩が動かされ、思わず飛び上がった。

「手! 感でっ……あ」
「あのなあ、君がだ。君が、僕に、こうしろと言ったのだからな。こんな格好悪い手袋を。僕は遠慮すると言ったのに。努々お忘れなきよう!」

 そうだった。作業用グローブには絶縁性の素材が織り込んであるので、ヒカリにうってつけだったのだ。実用最優先の見た目を、ヒカリは頑なに拒んでいたのだが。

「人の親切を無碍にするとはねえ」
「ね、寝惚けてたし」
「言い訳か。まるで平生は思いやりに溢れていると言わんばかりだな」

 ヒカリは簡易テーブル上のマグカップを顎で示した。

「貴重なコーヒーだろう。長く楽しめるよう沢山作っておいた」
「薄めすぎたと素直に言えよ」

 礼を言ってカップを手に取る。直前に淹れてくれたのだろう、息を吹いてもまだ飲めない。冷え込む中、カップ越しの熱も、やけに甘ったるい味付けも不快に感じない。何とか二、三口飲み、一息ついたところにポケットラジオが突き出される。

「今日の夜は平地部でも冠雪が予報されているようだ」

 ノイズ混じりの音声が流れる。天気予報、経済指標、各地の戦況、国歌と軍歌の合唱。

「直った―直してくれたのか! 凄いな。感謝するよ」
「どうも。行方不明の飛行士サンの情報も入れば良いのだが、なかなか」

 ねえ大尉殿、と小馬鹿にしたように言う。

「その顔で大尉だなんて」
「童顔で悪かったな、って、お前もってことになるんだけど」
「僕の方が格好良いに決まっている」
「どうだか」

 入隊したての隊員に間違われることもしばしばだったので慣れているが、癪だ。

「焦らなくても、まだ時間はあるよ。……その、食糧が尽きるまでは」

 ヒカリは飲食を必要としないが、俺はそうもいかない。
 朝に残しておいた麦パンと干し肉を腹に収めた。時間をかけ、空腹感を誤魔化すように咀嚼する。
 不味そうに食うと笑われた。保存食品の塩気や缶詰の金属臭さは、どうしても好きになれない。

「どうしてここに残ったのか、僕に訊いたろう」

 ラジオの音声を低くした。横に座るヒカリの声は細く、聞き取りにくかった。

「僕は昼が嫌いなのだ。仲間にもよく指摘された、変わり者だとね。だけれどそれが僕の残ろうとした理由だ。夜が良い。夜は矛盾を消してくれる。
 一人きりは寂しいのに誰かと同化したままは辛い。そういう二律背反を抱えた気分でいたのは僕だけだったと思う。抱えたところで何かになるものでもないがね。仲間たちは密着するのが正しいと言っていた。なるべく大きなひかりとして落ち着くために」

 ヒカリの横顔は、陰影がより深くなっている気がした。
 俺が飛ぶのは、他の飛行士とは異なり、決まって夜だった。

「人間と同じだな」
「そうだろうか。……そうだろうね」

 何のことを指しているのか、尋ね返されはしない。

「夜が良いから、俺のところにいたってわけか。夜飛びたがるやつは少ないからな。昼夜逆転の生活を送る羽目になってるのは俺くらいだった」
「しかし君くらい腕がたつなら単機であっても心配はないだろう」
「そうだと良いけど。部隊で飛ぶのも一人で飛ぶのも、まぁ、嫌いじゃない」
「一人? 二人だ」

 ヒカリはにやりと笑う。

「夜の街には無数の星が瞬く。彼らも仲間だ。僕などと比べるべくもない、強いひかりだから、正直憧れるね。羨ましくもある。
 しかし強弱に関わらず、たった一つのひかりであることが許されるのが夜だ。僕は僕のままで良いのだと教えてくれる」

 ほう、と吐いた息がとりわけ白く映えた。

「君の空は実に丁度良い。低い場所や水中は不都合だ、僕は真っ直ぐありたいから」
「真っすぐ?」
「ひかりはものにぶつかってすぐに曲がるだろう?
 それから下手なやつも駄目だ。好奇心で新人の機体にお邪魔したときは、酔って散々な目に遭った。その点、君の技術は僕が保証しよう」
「あまり褒められると、裏がありそうで怖くなるよ」
「失礼だな。僕は真っ直ぐだから褒めるか貶すかだぞ」
「そりゃあ、おべっかを期待するのが間違いだってのはとうに理解してる」
「へえ。もっと褒めたって罰は当たらないが」
「あいにく、寡黙な性質なもんでね」
「そうだった。
 ……君、空に戻れるよな。義務や責務でなく、僕がそうして欲しいのだ。
 空を飛ぶ君が好きなんだ。君と一緒に夜空を飛ぶのが、たまらなく好きなんだ」


 続く

Of L[R]ight 1/3

つづき→
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Of L[R]ight 1/3

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-06-07

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