汐の詩〈しおのうた〉

汐の詩〈しおのうた〉

そう。

ないものに気づいて、ふと後悔したりする。

あのとき君は

思い返してみると、やっぱり気づくんだ。

結局、僕はそうするしかなかったんだって。

未練?

いや、ただの記憶だよ。

きれいなものなんてないと、半ば諦めのように距離をおき、沼のようなずぶずぶの感情に、希望を見いだしてきた。

弱さ
嫉妬
嫌悪
蔑視
理不尽
怠惰
絶望
排除

絞り出した一滴は芯を穿ち、あたかも真理のようにそこに根付く。

美しいものは流れていく。
さらさらと、記憶にも残らぬままに。

深い青に吸い込まれたいと思うのは、たぶん悲しいから。

新緑は、ひどく頼りない。

降り続いた雨が止んで、樹々の緑が深くなる頃、もう一度ここに来よう。

海は変わらない。
変わるのは僕だ。

君の言葉を全部を信じてる訳じゃないんだ。

彼の言葉を全部を信じてる訳でもない。

けれど、君と彼の言動の裏にあるものは全部信じたいと思ってるんだ。

まあそれは、僕が傷つきたくないだけなんだけどね。

雨音の静けさは、それだけでは静寂に及ばない。

蛙の声がする。
チチチと雀の鳴き声が聞こえる。

水浴びかい?

通りすぎた二羽は雨樋の脇に止まった。

音のない雨に打たれたまま、そいつはきょろきょろと視線を巡らせている。

けれど僕には背を向けたままだ。

言葉を綴って吐き出して。
昨日の自分の言葉を眺めたりする。

消し去りたい。
でも消さない。

そこにある繋がりを知るのは僕だけだ。

おろか、おろそか。

空想を文字に変換するようになり、僕は重なりあったいくつかの世界に存在するようになった。

けれど人生が倍になった訳じゃあない。

痛みを感じるこの世界を、少々おろそかにしているに過ぎない。

そのことが空想の世界をも薄めてしまうというのは、どうにも厄介ではある。

珈琲片手にパソコンを開き、ひたすらに旅路を前へ前へと進んできたけれど、ふと振り返ればぐるぐると僕自身のなかを迷走しているばかりで、深く深く潜り込めば禊も済むだろうと思ったのは大きな勘違いだった。

答えも解決策もありはしない。

反芻し、痛みも罪も消えてはいないのだと、過去をなぞるように曖昧な世界を放浪し、都合良く書き換えることもできずに、幾度となく蘇るその影は、とうの昔に僕のことなど赦している。

痛みに満ちたこの世界からひとり脱出した君に、ちっぽけな通信端末を使って今日も会いに行く。

そんなふうに時を浪費する僕を、君はきっと愚かだと笑うんだ。

いつか痛みにも麻痺し、この世界が真っ白になるほど朧になったなら、君に触れることができるだろうか。

けれどそれはまだ先のようだ。

内なる声を。

その言葉はすべてを突き破り、僕の内にやってきた。

それが君の内なる声だと、時が教えてくれた。

君は必死だ。

必死で書いている。

柔らかなエンジン音と雨音と、その静寂にまどろみながら、フロントガラスに映る僅かに歪んだ世界をながめている。

切り裂いて欲しい。

うるさい沈黙に耳を塞ぐ。

ああいったい僕はいつまでこうしているんだろう。

10

気づかぬうちに姿を消したあなたは僕のことなど覚えていないだろう。

あなたがいついなくなったのか知らない僕はそれでもあなたの居所を探して、思いの外すぐに見つかったあなたに羽ばたいてほしいと願った。

言葉を交わしたこともないあなたの言葉に、僕は胸を打たれたから。

11

強がった君は素敵だ。
言葉になんかしなくていいのに。

吐き出して
言い聞かせて
そして君は前を向くんだろう?

12

夢を語るあなたは、どうしてそんなに「夢」を語るのでしょう。

先ほどあなたが語った夢は、もうずいぶん前の、僕がまだ辛うじて夢にすがりついていた頃と一言一句違わず、あなたの夢に僕が未だに出演していることが、ああ。

僕は知っているのです。
ただ会話を取り繕うだけの、垂れ流しの言葉だと。

それでも、ほんの一時あなたの夢の中に潜り込んで、過去の後悔も未来の不安もなく、ただわくわくするような夢をあなたと見れたことが、僕にとって今日一番の収穫でした。

また偶然に顔を合わせるのはいつのことになるでしょう。

四年ごとだなんて、まるで。

それまでお元気で。

13

君の欠片を見つけて、目をそらした。

知るのが怖くて、見なかったことにした。

君の意味が、僕のなかで変わってしまうことを恐れた。

けれど、その欠片の輝きに、すでに心奪われている。

14

君からの手紙にすぐに返事をするのは躊躇われ、とりあえずペンを執り、つらつらと書いては消してを繰り返す。

そのうち、返事を出すのが遅くなりすぎたのではないかと、また手紙を出すのが怖くなる。

出したら出したであの文章で良かったのかと、返事を待ち待ち煩悶する。

いつ届くかも知れぬ君の言葉を、君になったつもりで考える。

君は僕からの手紙にすぐさま返事をするのを躊躇って、とりあえず下書きなどと称してつらつらと言葉を吟味する。

そのうち、返事を出すのが遅くなりすぎたのではないかと憂慮して、慌ててポストまで駆けて行く。

ああ、君はその封書を投函しただろうか。

それとも再び持ち帰り
もう一度読み返したりなどしているのだろうか。

君の言葉ならどんなものでも構わないというのに、君はちっとも分かっちゃあいない。

縁に腰掛け、門先に停まった赤いバイクに目を向けた。

「お疲れさん」

郵便屋から手渡された封書が君からのものでなければいいと、僕はバイクが走り去るまでじっとそちらに目を向けていた。

ああ、僕はまた君への返事を書かねばならない。

「楽しそうですこと」

茶を差し出した妻に、ペンと便箋を持ってくるように言い、僕はゆるりと封を開けた。

15

尻切れの言葉のつづきを胸のうちに留めた。

会話の行き先は何手先まで読んでもすべて虚構だった。

その言葉を向けるべきはあなたではないのだと、ただそれだけははっきりと認識できた。

言葉の行き先を、僕は見つけられないでいる。

16

肌に覚える熱気は夏のようで、それを懐かしむのは抜ける青空にいつかの記憶を重ねるから。

来る夏に胸踊らせたあの頃は、まだ僕のなかに残っている。

なくなりはしない。
期待することを怖れなければ、またあの夏に出会えるだろう。

17

うちつける雨粒は飛沫となり、弾けた水滴は求めるように混じりあう。

揺らめく世界が窓に浮かぶ。

暗闇は僕の姿を映し、ときおり強い光が過った。

背後には孤独がいる。

止まることなく過ぎ去る光は、僕を外の世界へと駆り立てる。

窓を開け、雨と風を全身で受け止めた。

18

果てにあるのは何だろう。

そこにいるはずの君は、強く、強く光っていた。

感謝の裏にあるものと
ありがとうの陰に隠れたもの。

涙はいつしか光となり、ようやく届いたその光に僕は涙を流した。

悲しくなんかない。
嬉しいわけでもない。

僕を包むその光に、ぬくもりを感じたんだ。

19

空の白

海の白とが

ひとつになった

20

かたく閉じた蕾は雨を待っている

打たれ
項垂れ
それでも空に向き

ただ

ただただ、待っている

雫は七色の光をたたえ
寄り添う花花は朽ちるその日を待っている

21

10年ほどもただのインテリアだったその赤と青の背表紙を、ようやく手に取ろうとしているのはほんささいな理由で、ページを繰るのははじめてではないだろうけれど、冒頭の一文を読んだのはそれが初めてだったかもしれない。

異国の空気を吸い込みながら、頬をなでる湿った風に窓の外を見やった。

雨の匂いがする。

紫陽花が目を楽しませるにはもう幾日かの時が必要だろう。

日々姿を変え青みを失うその姿に、しばし目を奪われた。

この灰色の静謐な空気を異国のあなたにとどけたいと願う。

湿気と、ぬるい部屋と、吹き込むのはわずかな雨粒、ひやりとした風。

ああ雨足が強まった。

窓を閉じよう。

そして旅へ

22

ツツジ

道端に小人の三角帽子が落ちていた。

どうしたらそんなにきれいに引っくり返るのかと、まだ落ちることなく枝に留まるその花を見つめた。

うなだれて下を向いていたのは、打ち付けるような雷雨のあと。

空はすっかり晴れている。

鮮やかな花は、雫をまとったまま顔をあげていた。

23

しあわせなふりをしてみる

憂いを忘れ
のぞみを探した

のぞみを探して
空を仰いだ

一直線にひかれていく一筋の雲は
しだいに青に滲んだ

風に吹かれ
広がり
千切れ
空になった

のぞみは見つからず
しあわせはそこにあり
ふしあわせもそこにあった

別ちがたく、ただそこにあった

24

西日がブラインドの隙間から射し込んでいる

まだ今日は終わらない

かたむく陽に別れを惜しんだのは

遠ざかってゆく自転車の背に明日を待ち望むのは

野暮ったい父と
口うるさい母と
かわりばえのしない夜に
明日を待ちきれず悶えたのは

ああまだ一日が終わらない
明日など望まない

25

大きく広げられた腕に飛び込むことができなかった

まっすぐな眼差しに目をそらした

やましさは

僕と君とが等価だと思えないから

君がまぶしすぎるから

そんなことはないと

きっと君は笑顔で僕を抱きしめる

そんな想像が怖くて後ずさりした

本当は

ああ僕はなんて強欲なんだ

26

歩みを止め、柔らかな布のなかに微睡みながら、僕は歩もうとする夢を見た

泥濘に膝まで浸かり
足を引きずるように空を掻くけれど
次第にその力もなくなった

風はそよぎ、空は穏やかに澄んでいる

僕を追い抜くいくつかの背は、淡々と泥濘に苗を植えていた

泥は人肌のようにあたたかかった。

27

くるくるまわる金平糖

ざぶんざぶんと波うつソーダ

雪のかけらはりんりんりん

ぽろりとこぼれた涙はあまい?

さらさら流れた心はいたい?

ここにいるのに

しっているのに

ぷよんぷよんのゼリーのなかで

キラリと光る

グサリとささる

たらたらしたたるその血は甘い?



海はなかへ

ずうっとなかへ

およいだ空は、淡く、あかく

くるくるまわる

ざぶんとはねる

いつしかすべてはひとつになって

あわく、あまく

やわく、いたく

ぽろりとおちた金平糖

いつか、あまく

あまく、いたく

28

笑顔の君から一歩離れる

君は気づいてる?

知らない誰かに微笑む君と、ほんの少し距離をおく

君は知っている?

変わらず楽しげな君に安堵して、そっと君から後ずさる

気づかなくていい

振り向かなくていい

君が輝くのは、きっと僕の隣じゃない

なんて

本当は君に嫉妬してるだけなんだ

29

その手に、特に温もりを感じた訳でもなかった

それほど知らないあなたのことを、世間の噂で知った気になっても、そんな噂には意味がなかった

その言葉は
その知識は

あなたの綴る物語に、僕はまだ触れていない

あの手に温もりを

そしてあなたの世界へ

30

大地は四方八方に

上げた右足を下ろすのは


後ろ


それとも右斜め45度

隣の君はまっすぐに前を向いている

どこに向かうかって?
そんなの前に決まってるだろう

お前には見えないのか?
この道が

僕の前には道があった

僕の後ろにも道があった

右手には山があった

左には川があった

土手を下った河原には

さわさわと緑が揺れていた

蝶が舞っていた

山の麓には森があった

紅い木の実が見えた

岩陰に洞窟があった

何をためらっているんだい?
もうみんな行ってしまった

さあ、行こう


君の背はどんどん遠ざかった

僕はその場に寝転がり

空に向かった

振り上げた右足を

宙に下ろした


道はなかった

大地もなかった

31

正しいか間違ってるかなんて知らない

僕に分かるのは

好きか嫌いか

そのくらいのこと

そんな僕は間違ってる?

32

星の見えない夜に

漆黒のマントで小さくうずくまる

星を探して旅する君は

足元の僕に気付かぬまま

どこが空なのかも分からないまま

ただ

ただただ頭を上に向け

それが上なのかも定かではなく

ぼんやりと途方にくれて

いつか

輝きのないものに君の目が向くことを

ただ夢に見るだけ

33

こだわりのない心があれば

もっと飛べる

逃げたいのか

隠れたいのか

ちっぽけなプライドは

小さく

小さく

僕の歩を鈍らせる

縛るものはなんだ

律するものはなんだ

僕が

望むのは

一体何なんだ

おぼろな影に手を伸ばし

踏み出す

背を押される前に

うずくまる前に

34

足元を影が過る

羽ばたくその姿を仰ぎ見ることができず

羽音もじきに遠ざかり

地面にぽたぽた涙がおちた

かなしい

うれしい

いとしい

ほんの一時庭の木の枝にとまり

美しい囀ずりを聞かせたその鳥は

遠く

遠くの

小さな一点になった

向かう先の

一点になった

35

そっぽを向かれてほっとした

きみのまなざしは針

きみのことばは剣

口もとにうかぶ笑みは甘い媚薬

のがれることのできない

心を蝕む甘い毒

きみの背は傲慢で

きみの言葉は我儘で

ついたため息はさみしげだった

一歩

また一歩

きみはたしかめるように歩をすすめる

足を止めふりかえる

ありがとう

さようなら

ありがとう

またいつか

君の言葉はあたたかく

君の笑顔はまっすぐだった

36

言葉は鏡

映るのは僕だけ

開いたそのページに

漂うのは僕の端切れ

37

絵の具を塗り重ねるようにして言葉を書き加えた

記憶を辿るように色を探した

掘っても

潜っても

まだ底ではない

まだ

まだまだ

そこに、君はいない

38

繰り返し読んだその短い物語に

涙したのは初めてだった

変わらない文字の連なり

意味のない言葉の羅列

変わった?

なにが?

ただ

変われないことに

絶望したのかもしれない

39

泣いてもいいだろうかと問うて

今なら泣けそうにも思えたけれど

純白の胡蝶蘭のなかで

すっと伸びた鼻筋と

切れ長の目と

笑みをこらえるような穏やかな口元

懐かしさなど僅かもなく

そこにいるのは知らぬ人で

勝手にその人を作り上げて泣くこともできず

容易く悲しむこともできない

青空に浮かんだ月は白く滲み

次第に色を濃くし

ふと見上げると闇を照らしていた

ああ

泣いてもいいだろうか

君を想わず

君の家族を想って

泣いてもいいだろうか

00

叫びながら生まれ

言い尽くせぬまま死んでいく


散らし

咲かせ

弾け

ひらき

迷い

笑い

泣き

憂い

のぞむ


暮れる


眠る



朝が来る


まぶしさに逆らい 目をあける


目をあける

汐の詩〈しおのうた〉

汐の詩〈しおのうた〉

Twitterで徒然に綴った言葉

  • 自由詩
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-06-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 10
  2. 11
  3. 12
  4. 13
  5. 14
  6. 15
  7. 16
  8. 17
  9. 18
  10. 19
  11. 20
  12. 21
  13. 22
  14. 23
  15. 24
  16. 25
  17. 26
  18. 27
  19. 28
  20. 29
  21. 30
  22. 31
  23. 32
  24. 33
  25. 34
  26. 35
  27. 36
  28. 37
  29. 38
  30. 39
  31. 00