みのりの子
雨の誕生日
「ごめんね、大事なようじがあるのおー」
長ぐつに足を入れながら、わたしは言いました。
「じゃあ、メールするから返しんして……」
好っちゃんが言い終わらないうちにかけ出していて、
「うん!」
返事をしたときにはもう雨の中でした。
今年はどんなだろうなあ……。
去年とどいたおばあちゃんの絵はがきは、まだ雪の残る北国らしい山の絵と、四葉のクローバーを押し花にしたものでした。
その前の年は、長いベロを出して飛びはねる愛犬のシロの絵と、納屋のそばに植わった、フジの木の淡いむらさきのお花を、押し花にしたものでした。
絵はがきの右側には、決まって同じメッセージが書かれています。
――お誕生日おめでとう。いつもニッコリね。
もうとどいてるかな……。
シャワーのような雨音と、水たまりをはねる音が音楽みたいで、むし暑さも忘れて、歌いながら走っていました。
〽 春になれば しがこもとけて
どじょっこだの ふなっこだの
夜があけたとおもうべな……
あれえ? 出かけるなんて言っていなかったのにぃ。
雨でびっしょりのランドセルの水をはらって、内側のポケットにあるカギを取り出します。 「今年は行けるの? おばあちゃんのところに」 って聞かれるのがイヤだから、出かけたのかなあ……お母さん。
言わないよ、もう三年生だもん。 「遠いからねえ」 って、困らせたりしませんよ。
ランドセルをげた箱の横のかべに立てかけてから、ケータイだけをもって、階段をかけ下ります。
さっき見たばかりの10ある集合ポストの “204” は、半分開いたままで、空っぽです。
いーち。にーい。さーん。しーい、五、六、七、八九十………一分って長いな、雨ふりでなければ、公園のブランコから見ていられるのに。
なにげなく足もとに目を向けると、ピンク色のゴム長は、ドロの水玉もようでびっしりです。
「しかたないじゃない。大雨なんだから」
声に出して言いわけをしました。雨音を聞いてるだけでは、悲しい気もちになりそうだから。
そうだ、
「メールするって言ってたっけ。好っちゃん」
ケータイにメールはとどいていません。電話もありません。
大事なようじがあるって言っておいて、わたしからメールするのはおかしいし。言いだしたのは好っちゃんだから……
「待っていようっと」
雨の日の団地は、人のとおりがありません。高い木々の枝や、電線にいるはずのハトやスズメも見あたりません。誰もいない児童公園は、いかにもさびしそうです。
「つまんないな」
と口にしたら、よけいにつまらない気もちになってしまいました。
みんなどこに行ったの。何してるの?
白にうす茶のもようの入ったやせた猫が、公園を横ぎって、とぼとぼと歩いてきます。ぬれねずみです。
ミャーオ。
猫は立ち止まって、ひと鳴きしました。細い目が三角形で、おじいさん猫みたいです。
(どうしたんだね。そんなところで。)
そんな顔をこっちに向けます。
「おばあちゃんの絵はがきが来るのを待っているの」
(ふぅん。)
「どこに行くの?」
…………
行っちゃいました。
なんだかさびしいな、こんな事ならちゃんと好っちゃんと話せばよかった。
「?」
ぴちゃ。ぴちゃっ。チャッ。チャッ、チャッチャッチャッ――
「ミユちゃん!」
「好っちゃーん!」
「大事なようじがあるのに来ちゃってごめんね」
好っちゃんの言いかたがあたたかで、ほっとします。
「いいの。すぐにすむから。それより、どうしたの?」
好っちゃんの息がはずんで、ぜいぜいしています。帰ってから急いで向かえばわたしに会える、そう思って来てくれたのかもしれません。
「お誕生日でしょ。だから……」
はずかしそうに好っちゃんは言い、肩にかけたビニールバッグの中から、平たい箱を取り出して、
「お誕生日おめでとう」
空色の包そう紙にグリーンのリボンが、大人っぽくて立っぱです。
「うれしい! ありがとう」
帰りがけに渡そうと思ったのかなあ……。げた箱まで追いかけてきた好っちゃんの気もちを思うと、
「ごめんね」
胸がジーンとしてきました。
(どうしたの?)
好っちゃんが心ぱいそうな目を向けるので、泣いちゃいそうです。
「あ……」
離れた先から聞こえるオートバイのエンジン音が、流れ出しそうな涙を止めました。音は止まっては聞こえるのをくり返して、ハッキリと、近づいて来るのがわかります。
「郵便屋さんがくるのを待っていたのね」
「うん」
二人ならんで通りをのぞき見ます。
「おばあちゃんの絵はがきがくるの。毎年くるの」
「そうだったの。うれしいね、おぼえておくね」
好っちゃんはうれしそうに言いました。
「204の、佐々木実結です」
「雨の中を待っていたんだ。ごめんね、遅くなって」
手わたされた絵はがきは、郵便のお兄さんの体温で、ほんのりあたたかです。
「とっても上手う」
好っちゃんがからだをよせてのぞき込みます。
「やさしいね、ミユちゃんのおばあさん」
「うん」
雪のない山の風けいも、おばあちゃんの家も、黄色い 「ヤマブキソウ」 と書かれた押し花も、 「いつもニッコリ」 の字も、どれもやさしいのです。
「この子、ミユちゃんだね」
赤いスカートに水色の丸くびを着た女の子を指さして、好っちゃんは言いました。田植えの終わった畦に立って、女の子は笑っています。
「そうかなあ。お母さんかもしれないよ」
子どもの頃のお母さん。そんな気がしました。
「それよりあがって。お洋服かわかさないとカゼ引いちゃうよ」
「ありがと。でも帰る。美希に早く帰るって言ってきたから」
また鼻の奥がツーンとしてきました。好っちゃんは 「おめでとう。」 を伝えるために出てきてくれたのです。わざわざ。わたしを思って。雨ふりのなかを。
「おばあさんの誕生日っていつ?」
涙が引っこみました。おばあちゃんの誕生日など、気にしたことはありません。
「じゃあ、また明日ね。ミユちゃんも着がえないとだめだよ」
わたしの返事をまたずに、好っちゃんはかけ出しました。
「わたしも送るの、絵はがき書いて送るのおー」
「ミユちゃんと同じくらい喜ぶね、おばーさん!」
傘を上げて答える好っちゃんが、絵の中で咲くお花に見えました。
ふたりのぶらんこ
ミキがダウン症と聞かされたのは、小学生になってすぐのことでした。
「あの人、美希に似てるね」 スーパーですれちがった女の人を見て言った、私のひと言がきっかけでした。
ダウン症が何なのか。両親の話を聞いても、私にはよくわかりませんでした。
もう三年生ですから、色んな人がいるのはわかります。
病気で寝たきりの人もいれば、手足が不自由な人もいます。目の見えない人。耳が聞こえない人。言葉が話せない人。ほかの人よりもゆっくりと成長する人がいることも……。ほんとうに色んな人がいます。
美希は人がたくさんいるところで、 「あーあー」 と大きな声を出します。まわりの人にへんな顔をされても、おかまいなしです。
明るくあーあー
うれしくてあーあー
元気にあーあー
ふつうだよ、美希は。とくべつではありませんよ。
その美希が同じ小学校に通い始めて、二か月がすぎました。
色んな人から、ダウン症の子がたくさんいる学校に行くようにすすめられましたが、お父さんとお母さんは、 「ふつうの学校」 に通わせると言いはり、美希本人も 「お姉ちゃんと同じ学校に行く」 とゆずりませんでした。
美希は私よりも、お絵かきも字も上手ですし、お部屋のそうじやパズルだって途中で投げ出したりはしません。お勉強もいやがりませんし、お母さんの手つだいもすすでします。みんなといっしょにいるのが大好きだから、私たち 「お姉さん」 にまじって、バドミントンやかくれんぼをします。
美希は私よりもずっとすなおで、思いやりのあるやさしい子なんです。
「たのむよ。ヨシコ」
お父さんはまい朝そう言ってから、お仕事に行きます。
けさもお母さんは、私に向かって 「お願いね」 と言って、学校に行く私たちを見おくってくれました。
心ぱいしなくてもいいのに、と思うんだけれど……。やくそくなので、休み時間には美希のようすを、そっと見に行きます。
でも。もう、やめようと思います。美希のいる教室はいつ行っても明るくて、美希のまわりにはお友だちが集まっていて、美希は元気に 「あーあー」 と言っていて、美希はみんなの中の一人だから。
それにいろいろあっていいと思うんです。いろいろあるのが 「ふつう」 だから。
「おねえーちゃん」
美希が私を見上げます。
「ぶ~らんちゃん」
「うん」
美希の手をキュッとします。ふたつに手がひとつになって、大きくゆれます。ぶらんこです。
ぶーらんぶーらん、ぶ~らんちゃん ♪
美希みたいな子になりたいなあ……。
「ぶーらん、ぶーらん、」
「ぶ~らんちゃん ♪」
黄色い帽子をかぶって、赤いランドセルを抱っこして寝た美希の姿を、私はずっと忘れないでしょう。
いのちのみのり。あたためて
―――ねえねえお父ちゃん、あの鳥さんはあ? 何ていうのお?
最近の美希ちゃんのきょうみは野鳥です。
うちには白ぶんちょうのつがいが二羽と、ハムスターがいるので、 (わたしの) お父さんに聞けば 「何でもわかる」 と思って、美希ちゃんはたずねるのです。
「買ってきたよ」
国語の教科書を二冊重ねたくらい厚い 【日本の野鳥たち】 をテーブル置いて、お父さんは言いました。
本のうら側を見て、お母さんの目がふくらみます。
(何もこんなに高い、本じゃなくてもいいのにぃ。)
そんな顔です。
お父さんは気づいたのか気づかなかったのかはわかりませんが、
「鳴き声や英語の呼び名ものっているし、季節によってどの辺で暮らしているのかも分かるし、特徴がくわしく書いてあるんだ。一生ものだぞ」
得意げに言いました。動物にはくわしいほうのお父さんですが、ほんとうはこの本があれば、 「美希ちゃんに何を聞かれても答えられるぞ。」 と言いたかったのかもしれません。
「この鳥さんかわいいね、やさしい、お目めだね」
それからの美希ちゃんは、お父さんが教えた “ツグミ” の鳴き声をまねするようになりました。
「美希ったら家でもするんだよ」
好っちゃんはお姉さんっぽくそう言います。
美希ちゃんは学校では言わないという約束をまもって、 「おはよう、クイックイッ」「いただきまーす、クワックワッ」 「おやすみなさい。ウジュルルウジュルル」 とまねをするんだそうです。可愛いです。
十二月には、学校のそばの林や小川で、ツグミが見られるようなので、みんな冬が来るのを楽しみにしています。
美希ちゃんは、今日も 「鳥さんの部屋」 にまっすぐ向かいます。でも、ツグミのまねではなくて、
「ピューイーユウ、ピーヒョロロ、ピーヒョロロ」
白ぶんちょうのタロちゃんをまねて。 「こんにちは。美希がきましたよー」 と言っているのかもしれません。と、
「ユキちゃいない、ユキちゃいないよ、ユキちゃんいないよおー」
美希ちゃんが大さわぎです。
「いるよ、いるよ。いるから大丈夫だよ」
わたしは部屋に入ると、美希ちゃんをなだめました。
白いカバーでおおわれた鳥かごは、低いほうの止まり木にいるタロちゃんが、時たま見えるだけで、メスのユキは見えません。美希ちゃんは気になって仕方がないのです。
タロちゃんの鳴き声を聞きつけたお母さんは、部屋にきて、
「のぞかないでね。赤ちゃんが、かえらなくなっちゃうから」
美希ちゃんの肩に手を置いて、やさしく言いました。そうです、雪ちゃんはタマゴをあたため始めたのです!
四角い巣箱にこもりきりで、すがたを見せない雪ちゃんを心ぱいして、
「ユキちゃごはん食べないで、弱らないのお?」
美希ちゃんは聞きました。とうぜんのぎもんですが、なかなか気づくことではありません。
「タロがお口移しであげたりね、時どき温めるのをタロとこうたいして食べるの。だから、しんぱいしなくても、大丈夫よ」
「タロちゃ、男の子なのにあっためるのお!?」
「そうよお。二人で力を合わせてね、大切ないのちを、一生けんめい育てるの。だから、そっとしておいてあげましょうね」
「うん。ミキそうっとするぅ」
お母さんがそんな事まで知っていたことに、わたしがおどろいていると、
「えらいね、美希は」
お母さんの言うことを聞いて部屋を出ていく美希ちゃんを、好っちゃんはがほめました。
好っちゃんはいつも誰にでもこうです。人をほめます。見ならわないといけません。
「タンタかえらないよ、赤ちゃん生まれなくなっちゃうよおー」
美希ちゃんはまだ部屋にいるわたしたちに言いました。見たいのをがまんする美希ちゃんを、わたしも 「えらいなあ」 と思いました。
元気な赤ちゃんが生まれたら、美希ちゃんに、お母さんになってもらいたいな……
「お母さんも動物にくわしかったんだね」
夕ごはんを食べ終わってから、わたしは言いました。
「母さんは父さんよりも、ずっと動物にくわしいし、好きなんだぞ」
お父さんが意外なことを口にします。くわしいのはわかるけれど……
「お父さんよりも?」
「ああ、そうだよ」
雪ちゃんやタロちゃんやハムスターのチャムちゃんの世話は、わたしの役目ですが、 「三人」 をかまっているお母さんを、わたしはほとんど見たことがありません。
「お母さんが小さい頃はね、遊ぶところも遊ぶものもなかったの。とくに冬は。動物が友だちみたいなものだったから、きっとそのせいかも、しれないわ」
お母さんの田舎は、秋田県の雪ふかいところにあり、近所にはお友だちがいなかったそうです。
とくに日の短い冬は、お兄さんと雪あそびをするか、犬や猫とじゃれあうか、キジや小鳥に話しかけるくらいしか、できなかったと言います。
「おばあちゃんがね。動物が何を考えているのか、どうしてほしいのかを考えなさいって。教えてくれたの」
だから、雪ちゃんとタロちゃんの気もちがわかったんですね! ときどき 「お水をかえた?」 と聞くときは、心ぱいで仕方がないのかもしれません。わたしはもっと、みんなの気もちを、考えてあげなければいけません。
昔をなつかしんでいるようなお母さんの横顔が、秋子おばあちゃんとかさなって、
「おばあちゃんのお誕生日っていつ?」
わたしは聞きました。大事なことです。
「来月の七日。七夕の日よ」
七夕は七月七日です。秋ではありません。
「秋子なのに、どうして七月なの?」
秋には絵はがきを送るつもりでいる、そういう、わたしの話を聞いたお父さんが、
「父さんもそう思っていたんだよ」
といい、声をあげて笑いました。
おばあちゃんもよく言われたんだそうですね。秋に生まれたから秋子なんでしょって……。
「秋という字には 『お米が実る』 という意味があるの。お米がないとみんなが困るでしょ」
「うん」
「無くてはならないものだな、お米は」
秋子おばあちゃんの家は農家で、いま食べているお米はおばあちゃんちで取れたお米で、お米はみんなにとって無くてはならないものです。
「それにね。農家さんにとって 『秋』 は、作物だけではなく、 『苦労が実を結ぶ』 大切な時季なんだ」
お父さんがつけ足すように言うときは、大事なことを話すときです。つづけてお母さんは、秋子という名まえに込めた、おばあちゃんのお父さんの思いを口にしました。
「大切に育てたお米をみんなに食べてもらうのと同じようにね、一日一日を大切にしながら成長して、みんなの役に立つような人になってほしい、という願いが込められた名前なの。おばあちゃんの名前は。秋子という名前は」
おばあちゃんは自分のことより、人のしあわせを考えます。人のしあわせを喜びます。しあわせをわけてくれる無くてはならない人です。
「おばあちゃんと同じなんだよ、実結の名前は。なあ母さん」
わたしの名前は実結です。 「秋」の字と同じ意味の 「実を結ぶ」 だったのです、おばあちゃんと同じなのです!
「おばあちゃんみたいになってほしくて、実結ってつけたの?」
二人とも笑みをうかべるだけなので、きっとそうです。うれしいですが、責任重大です。
「今年は行くか。秋田に。おばあさんのところに」
「ほんとお!? 行く、おばあちゃんのところ行くう!」
のどかな風けいがなつかしいです、今すぐおばあちゃんに会いたいです!
その前に、絵はがきを書いて送らないといけません。
おばあちゃん元気ですか。
わたしは 「いつもニッコリ元気」 です。
夏休みに行くから、元気でまっていてね。
いつものようにお墓まいりをして、田畑や林で虫とりをして、清んだ小川に冷やしたスイカをおなかいっぱい食べてから、シロともいっぱい遊びます、野原をいっぱい走るんです。
お手つだいも忘れません。お庭の草とりに、お部屋やシロの小屋のそうじ、食器あらいも。キュウリやトマトのしゅうかくもです。
いっしょにおふろに入って、えんがわで夕すずみをしながら、星をいっしょに見ましょうね。おばあちゃんの自まんの、秋田のまんてんの星空を。
わたしはいま、好っちゃんからお誕生日プレゼントにもらった色えんぴつで、このはがきを書いています。
右にいるのが好っちゃんで、左にいるのが妹の美希ちゃんです。ほんとうは、ずっともっとかわいいです。
わたしたちは姉妹みたいに仲よしで――
まん中のヒマワリは、学校の花だんに、毎年咲くヒマワリで――
好っちゃんはおばあちゃんの絵はがきをとっても上手とほめていて――
そうそう、お絵かきもだけど、秋田はお歌もおしえてほしいな……
それからね、おばあちゃん。おじいちゃんのお見まいに行った帰りぎわに、きんちゃく袋みたいなお財布の中から、こまかいお金をいっぱい出して、にぎらせてくれた時の、あたたかな手と、涙でもり上がったまっ赤な目をまっすぐ向けて、 「大きくなった」 「大きくなった」 とくり返し言ってくれたことが……忘れられません。大人になっても忘れません、ずっとずっと、わたしは忘れません!
伝えたいことがいっぱいあって、書ききれそうにありません。
でも、思いを込めて書きますね。おばあちゃんの絵はがきみたいに。
その前に、好っちゃんに話さないと。
来月、絵はがき、送るって。
三人いっしょに書こうねって。
………好っちゃんと美希ちゃんの名前には、どんな思いが込められているのかな。
こんど会ったら、聞いておきますね。
おわり
みのりの子