俺の幼馴染が巫女で男の娘!?(1)
「それじゃあ始めようか」
広く見積もって三畳程度、しかも半ば近くまで祭壇が迫り出した狭苦しい空間に淡い闇が立ち籠めていた。
その祭壇に立つ二本の蝋燭の明かりを目に映しながら、彼は目前の人物と対峙する。
「ほら何してんの? 早く済ませたいんだけど」
火の色に照らされた純白の袴と衣を纏い、憑坐は慈しむような笑みで両の手のひらを差し伸べてくる。
村の守り神だという女神の憑坐には触れることさえ躊躇わせるような神聖さと頼りなくも思える可憐さが同居していた。
呆ける彼に目を丸くして、憑坐は背中で一本に結われた黒髪を揺らし首を傾げる。
「だからどうしたの? いつまでそうしてるわけ?」
それでもなお彼が言い淀んでいると憑坐は何かに感づいた様子で、珍しく意地の悪い笑顔を向けてくる。
「ははーん、もしかして見惚れてた?」
「……お前な」
苦々しく口元を歪めながら彼はひとまずデコピンを仕掛ける。
「ひはいッ! 何すんだよ!?」
「お前の方こそ何言い出すんだ!?」
額を両手で抑えて悶えた憑坐に彼は冷たい視線を注ぐ。
「よく今の台詞が言えたもんだな? ついこの間までこんな格好イヤだー! って泣きそうになってたくせに」
「な、泣きそうになってないし! ていうか嫌がるのは当たり前だろ!? いくらなんでもこんな格好……!」
自分で話しながら、悔しさに涙を滲ませている。
「僕だって反対はしたよ。したけど女の子がいないからって、村の人が無理やり……」
段々、哀れに思えてきた。
「待て待て、泣くな。結構似合ってるからさ! 見惚れたってのも全くの間違いじゃ……」
励ますつもりで肩に置いた手が払い除けられる。
「嬉しくないッ! さっきのはテルが浮かない顔してるから励ましてやろうと思ったのに……!」
余計な反感を買ったらしく苛立たしげな視線が突き刺さる。
「いいから早く衣を渡して! 僕がそれ着たらこの儀式はお終いなんだから!」
衣とは彼が羽織って赤い紐で前を止めた、袖のない黒の小忌衣のことである。
前工程がまどろっこしいことこの上ないこの儀式は詰まるところ、憑坐の元までこの小忌衣を運ぶためのものでしかないのだが。
「忘れてるだろお前?」
「上も下もちゃんと着てきたし身も清めたけど……それ以外?」
「それ以外」
落ち込んでいたと思ったらきょとんとする情緒豊かな幼馴染に小忌衣の襟を摘んで示す。
「こいつは俺の手でお前に着せなきゃ意味ねぇんだよ。自分で着たんじゃ一からやり直しだ。主役のお前が覚えてなくてどうする?」
「そ、そんな決まりは……だってほら、今までテルが全部覚えててくれたから」
「おいおい頼りなさ過ぎんだろ? これから村を任されるってのに」
厭味ったらしく言ってやっても真面目なこの幼馴染は言い返せない。
「くぅ……だったら早く着せてよ」
大人しく憑坐が背を向けてくる。
「へいへい、仰せのままに」
小忌衣を脱いで襟元を両手で広げ、幼馴染の小さな背中に向き直った。
「ほら、腕を上げろ。今着せてやるから」
彼が指示するとさも不機嫌そうなかおで幼馴染は腕を持ち上げた。
その従順さに苦笑しながら不相応な布の塊を華奢な肩に被せていく。
――はずだったのに。
「え?」
不意に腕が空振る。そこにあるはずのものをすり抜ける。
その喪失感を埋め合わせようと藻掻いた体が傾き――
「――……っ!?」
ゆったりと体が揺さぶられ、耳のすぐ側を流れる水音に目を覚ます。
はっとして上体を跳ね上げ、手元にあった懐中電灯で周囲を照らした。
そこはそびえ立つ断崖の隙間に満ちた暗闇だった。その底を伝う激流と呼んでも差し支えない川の流れに弄ばれて小舟の中に身を伏せる。
しかし船が左右に不穏な揺れ方をすると息つく暇もなく転がっていた櫂を握りしめて彼は水流に突き立てた。暴れる櫂を必死になって抑えつけ、その制御に力の全てをそそぎ込むが体ごと左右に振られ、暴力的なまでの勢いに腕が抜けそうになる。
たちまち後悔や諦めといった感情が無数に浮かび上がった。
こんな無謀に挑まなければ良かった。全て忘れたら誰も彼も平和でいられたのに。
けれど自棄になる寸前に思い出してしまう。彼をここまで駆り立てた幼馴染みの顔を。
――まだ死ねない!
失いかけていた気力を掻き集めて総身に行き渡らせた。くたびれていた四肢を鞭打ち、漲る力の限り激流に抗って櫂を振るい、繰り返し叩きつける。
その度に水しぶきが跳ねては船が制御され、その舳先を正面に振り向けていった。
荒れ狂い蛇行していた航路が真っ直ぐに矯正されると小舟は程なく操舵に従う。それが完全なものとなると震えた肺から安堵の吐息がこぼれ、解けた緊張の反動からか、笑い声が絶え間なく湧き出した。
狂った鼓動に喘ぎながら唯一の光源である懐中電灯を引っ掴んで、前方を照らす。
ぬめって湿った灰色の壁がそびえていた。
そう認識すると同時に衝突した船の舳先がひしゃげ、へし折れると彼の体も投げ出されて巨岩に叩きつけられる。その衝撃が肺から空気を叩き出すと転覆した小舟の上に転げ落ちた。痛みと目眩の中で小舟の縁に手を伸ばししがみつこうとするが朦朧とした意識と汗に濡れた手では何も掴めない。
ずるずると空っぽの手を引き戻し切れずに滑り落ちた。
周囲の時間が遅れたように音が鈍くなって重力が和らぐ。もがいても気泡が頭上へと肌を伝っていくばかりで浮き上がらない。
死に物狂いで四肢を振り乱した。体力を使い果たすつもりで暴れた。
それでも届かずに欲していた笑顔を繰り返し頭の中に思い浮かべる。
――ミズキ! ミズキッ!
今はもう届かないその声は水音に掻き消された。
俺の幼馴染が巫女で男の娘!?(1)