さらさらなおと

さらさらなおと

 あるところに、一匹の猫がいました。

 どこで生まれたか、どうやって今まで生きてきたかも定かではない野良猫の一匹です。
 ただその日を生きることしか頭になく、お腹がすけばごはんを探し、疲れたら敵に襲われないように安全な場所を探して眠るだけの生活を送っています。

 ただ、多くの野良猫たちと違う点がたった一つだけ。
 そのねこは、あるものを探して長い長い旅を続けているのです。



 ☆☆☆☆☆☆



「このあたりに来るのも久しぶりだなぁ」

 山々が青々と染まる、新緑の季節。
 ねこは木々に囲まれた山林の中をきょろきょろ見回しながら、道なき道を歩いていました。

 そうして歩いていると、前の方からなにやら泣き声が聞こえました。
 
「ぐすん、ぐすん」

 そこには泣きはらした顔を隠しもせず、ちいさな女の子が鼻をすすりながらとぼとぼと歩いていました。
 途中で転んでしまったのでしょうか、せっかくのおしゃれなワンピースが泥だらけになっています。
 近くにはお父さんやお母さんの姿は見えません。どうやら迷子になってしまったみたいです。

 見かねたねこは、女の子に声をかけてみました。

「ねえ、きみ。こんなところでどうしたの?」

 女の子は、ちょっとだけびっくりした顔でねこをじっと見つめました。
 すると安心したのでしょうか。顔をくしゃくしゃにして、大きな瞳からぽろぽろと大粒の涙をこぼします。

「あのね、あのね。おとうさんとおかあさんとはぐれてしまったの」
「それは大変。このあたりは道が複雑でわかりにくいんだ。きみさえよければ、途中まで一緒に行ってあげるよ」
「本当? いいの? ありがとう、ねこさん」

 ぱぁっと女の子の顔に笑顔が浮かびました。

「それじゃあ、こっちだね。はぐれないようにぼくについてくるんだよ」
「うん」
「この辺りは道が複雑で迷いやすいんだ。山道を外れると危ないから、気をつけないとダメだからね」
「ねぇ、ねこさんは何をしに来たの?」

 ねこと出会って元気を取り戻したのか、女の子がどこか楽しそうにたずねてきます。

「ぼくは理想の『さらさらな音』を探す旅の途中なんだ。この辺りには来たことがあるから、少しは道がわかるんだよ」
「さらさらな音?」
「ぼくは昔から、さらさらした音を聞くのが好きなんだ。あの音を聞くと耳がピンとして、思わず聴き入ってしまうのさ」

 仲間の猫たちからは、そのことを話す度に変なやつだとからかわれていました。

「きみもぼくのことを、変な猫だって思うかい?」
「うーん。あんまり気にしたことがないから、ちょっとわからないかなぁ」
「それじゃあ、きみにもさらさらな音のよさを知ってもらいたいな。きっと気に入ると思うよ」
「うん」

 そんな話をしながら、一匹とひとりは木漏れ日の下を歩いて行きました。



 ★☆☆☆☆☆



「この先に、たしかちいさな小川があったんだ」

 一匹とひとりがしばらく歩いていると、ねこはふいにそんなことを口にしました。

 しばらく前に来たとはいえ、ねこの頭にはさらさらの記憶がちゃんと残っていました。
 以前来た時はこの近くに穏やかな川が流れていて、さらさらと涼しげな音を奏でていたのです。

「穏やかで綺麗な水の流れてる川なんだ。前に見つけた時は、一日中その流れを眺めてたっけ」

 そんなことを話していると、どこか遠くから水の流れる音が聞こえてきました。

「あ、本当だ。水の流れる音がするね」
「うん。でも、この音は……?」

 やがて、眼前に大きな川が見えてきました。
 しかしさらさらというよりも、じゃぶじゃぶと水が流れています。

「きれいな川だね」
「でもおかしいな。前に来た時よりも水の勢いが強くなってる気がするんだ」

 ねこが前に来たとき、この小川はもっと水の勢いが弱かったのです。
 だからこそ水流はさらさらと音を立てていて、その水音に耳を傾けて涼しい気分になっていたのでした。

「おや、なんだかめずらしい子がいるな」

 そこへ森の中からのそのそと出てきたのは、大きなくまさんです。
 ねこはどうしてこの川はこんなに水かさが増えたのかをたずねてみました。

「ああ、もう一年くらい前かな。上流の方で崖崩れがあって、その影響で水源から流れてくる水の量が急に増えたんだ」

 そういうと、くまさんはじゃぶじゃぶと川の中に入ると狙いを定め、自慢の熊手で水中をひとかきしました。
 バシャりとはねる水しぶき。そして呆然と見つめるねこと女の子のそばに、数匹の魚がぼとぼと落ちてきます。

「でもそのおかげで魚の数も増えて、僕はこうやって魚とりができるってわけさ」

 くまさんは屈託のない笑顔でそう続けました。
 その嬉しそうな姿に、ねこは何も言えなくなってしまいます。

「……そっか。さらさらな小川はもうなくなっちゃったんだね」
「残念だね、ねこさん」
「ううん。その代わりにくまさんが魚とりをできるようになったんだ。じゃぶじゃぶな川も悪くないよ」

 再び熊手を振るうくまさんの邪魔をしないように、ふたりは早々とその場を後にしました。



 ★★☆☆☆☆



「もう少し行くと、さらさらの木があるんだよ」

 思い出の川がなくなっていたことには触れずに、ねこは次の目的地を女の子に語ります。

「さらさらの木って?」
「風が吹くと木の葉が鳴って、さらさらと音を立てるんだ。色々な葉っぱのさらさらを聞いてきたけど、ぼくが一番好きなのがこの先にある木の音なんだ」

 やがて、進む先に一本の大樹が見えてきました。
 樹齢はどれくらいになるのでしょうか。
 森の中のひらけた場所に、青々と茂った大きな木が立っています。

「耳をすませてごらん」

 女の子がねこの言う通り大気中に耳を傾けると、微かながらに音が聞こえました。

 さらさら。さらさら。
 心地よい音が、春の空気の中にゆったりと流れています。
 明るい緑に染まった木々に囲まれて、ねこは風が奏でる葉っぱ達の演奏会に聴き入っていました。


「これは、確かに気持ちいいね」

 女の子はそんな感想を口にします。
 それを聞いて、ねこは嬉しそうに女の子を見つめました。


「ありゃ、もう葉桜になっちまったのか」

 すると、そこに誰かの声がかかりました。
 ふたりがびっくりして声のした方を振り向くと、そこにいたのは大きな荷物を抱えたおさるさんでした。

「ちぃと来るのが遅かったなぁ。残念だ」
「ねぇ、おさるさん。きみもこのさらさらを聞きに来たの?」
「なんだい、そりゃあ。さらさらなんて興味はないぞ。わしが見たかったのは、この桜が満開になっているところだったんだ」

 おさるさんが言うには、この新緑に染まっているのは桜の木だとのことでした。
 ほんの少し前までは薄桃色の花びらでいっぱいだったはずなのに、すっかり見所を逃してしまいがっかりしていたのです。

「でも、桜の葉っぱのさらさらする音もいいものだよ。聞いていかないかい?」
「いんや、悪いがわしが見に来たのは桜の花であって、葉っぱじゃないのさ。また来年出直してくることにするよ」

 そういうと、おさるさんは大きな荷物を重そうによたよたと背負ったまま、去って行きました。

「あんなこと言わないで、葉っぱのさらさらを聞いていけばいいのにね」

 その後ろ姿を見送りながら、女の子は少し不満そうにそんなことを言いました。

「ううん、いいんだよ。ぼくがさらさらな音が聞きたいように、あのおさるさんは満開の桜を見る方が大事なんだ。何が大切かは、みんなみんな違うんだよ」
「ふうん」

 女の子は、ねこの言葉にしぶしぶうなづきました。

「でもね、わたしこの音好きだよ。ねこさんの好きなさらさらのよさが、少しずつわかってきたかもしれない」
「本当かい? それなら嬉しいな」

 ねこと女の子はしばらくの間、葉っぱのさらさらに耳をすませていました。



 ★★★☆☆☆



 やがて山道を抜け、ふたりは開けた場所に出ました。

「わあ、すごい!」

 そこは小高い崖の上でした。転落防止にフェンスが立っており、その向こうには大きな砂の山がどでんと鎮座していました。
 崖の下にはたくさんの砂を積んだ籠のついた車や大きなスコップのついた車が、たくさん集まっています。
 どうやらここは人里離れた山中に作られた工事現場。その砂山のようでした。

「わたしが遊んでる公園のお砂場よりも、ずっと大きいよ」
「……これは初めて見たなぁ。ぼくも知らないものだ」

 もちろんそんなことはつゆ知らず、ふたりは初めて見る砂山に大はしゃぎです。

「さらさら音がするね!」
「砂が風で少しずつ崩れてるんだ。……うん、とてもいい音だね」
「新しいさらさらが見つかってよかったね、ねこさん」
「ありがとう」

 自分のことのように喜ぶ女の子に、ねこはお礼を返します。
 しかしその目は女の子からずれて、あさっての方向に向きました。

「おや、あれは……」

 ねこの目を引いたのはなにやら地面の色が違うところでした。
 フェンスを辿った道の向こう。
 さっきまで歩いてきた砂利道とは違い、綺麗に舗装されているグレーの道がまっすぐに続いています。


「あれは道路だね。よかった、外に出られたみたいだよ」
「え?」
「あの道を歩いていれば、きっとそのうち車が通ってくれる。そうしたらその人に迷子になったことを話して、ご両親をさがしてもらうといいよ」

 そんなねこの言葉に、女の子は少しだけ戸惑いながら問いかけます。
 唐突なお別れの言葉でした。

「ねこさんは、もう来てくれないの?」
「ごめんね。これ以上は一緒に行けない。でもここから先は、きみだけでも大丈夫なはずだよ」
「ねこさんは、これからどうするの?」
「そうだなあ。こんな『さらさら』は初めて見たし、しばらくここに留まることにするよ」

 最初から急ぎの旅ではありませんでした。
 ねこは何にも縛られることなく、自由気ままにさらさらな音を探しているだけなのです。

「また会いに来るからね」
「うん。会えたらまた会おうね」
「その時は、お礼にとっておきのさらさらな音を聞かせてあげるからね」
「うん。期待しないで待ってるよ」


 そう言って、ふたりは別れました。



 ★★★★☆☆



 それからどのくらいの時が経ったでしょうか。

 ねこは飽きもせず、女の子と見つけた大きな砂場が変わっていくのをじっと眺めていました。
 大きなスコップの付いた機械が砂山を崩し、それをどこかへと運んでいきます。
 その度に砂の塊が地面に落ちては、『ばさりばさり』と重たそうな音を立てていました。

 見つけたばかりの頃はまだ見上げるほど大きかった砂山も、今ではすっかり低くなっています。
 そして工事が本格化してきたのか大きな車が忙しそうに行き来するようになり、ゴウンゴウンという騒がしい音ばかりが耳につくようになりました。


「これはもう、さらさらとは言えないな」

 さらさらの音が好きなねこにとって、こんな轟音は耐えられそうにありませんでした。

「これ以上ここにいても仕方ない。そろそろ他の場所に移ろうか」

 ねこは今まで気ままに生きてきました。
 生まれた場所も両親のことも、何も覚えていません。
 ただ気がついたら、あちこちを点々としながらの生活が当たり前になっていたこと。
 そして自分にとって最高の『さらさらな音』を探して、長い旅を続けていることだけは記憶に残っていました。

 ねこは人に飼われるつもりなんてありません。
 だからといって、どこかの街に定住するつもりもありませんでした。


「この街を離れてまた旅に出よう。そしてぼくにとっての、最高のさらさらを見つけるんだ」

 そう思ったものの、ねこの頭の片隅には女の子との約束が残っていました。


 ――また会いに来るからね。
 ――その時は、お礼にとっておきのさらさらな音を聞かせてあげるからね。


「…………」

 旅に出ようとするねこの足が、ぴたりと止まります。

「……もうちょっとだけ、待ってみようかな」

 女の子の用意するとっておきのさらさらが、どんなものなのか気になるし。
 なんて、そんなことを思いながら。



 ★★★★★☆



 ある日の夜、ねこは夢を見ました。

 気がつくとそこは知らない場所でした。
 まわりは一面、見渡す限りの砂だらけです。

 空は真っ青で、雲一つなくどこまでも高くて。
 お日さまはぎらぎら地表を焼いているのに、不思議とちっとも暑くありません。

 地平線の向こうまで砂地が広がり、辺りにはねこ以外誰もいませんでした。
 ただ時折びゅうびゅう吹き付ける風の音と、流される砂の音だけが静寂に響いています。


 そんなものすごく広い場所で、ねこはひとりぼっちでした。


「だれか、いないの?」

 静けさに耐えられず、思わずねこはそうつぶやきました。
 けれど辺りに人影はなく、当然のように誰も返事をしてくれません。

 ただ聞こえてくるのは、さらさらという砂の流れる乾いた音だけ。
 動くものは何もなく、ただ砂音だけがしんとした中に流れています。


 ――さらさら。さらさら。


 無音に怖くなったねこは、人影を探して砂の上を歩いてみました。
 ねこの手形が、さらさらの砂の上にてんてんとついていきます。
 しかしそのあしあとも、吹き付ける風によってすぐに消し去られてしまいます。

「……ぼくしか、いないの?」


 ――さらさら。さらさら。

 流れる砂は、何も答えてくれません。



 ★★★★★★



 目が覚めると、ねこは胸がきゅうっと締め付けられるような気持ちになっていました。

 何か夢を見ていたような気がしました。
 その内容は思い出せないけれど、その印象だけは強く残っていたのです。
 なんだかとっても寂しい夢でした。


 ねぐらから工事現場まで来てみると、砂山はすっかりなくなっていました。
 あの日女の子と一緒に見たさらさらの面影は、もうかけらすらも見いだすことはできません。


 ねこは、あのとき女の子の見せてくれた笑顔を忘れることができませんでした。
 バカにされてばかりだったさらさらな音を、好きだと言ってくれた女の子。
 自分が好きなものを好きだと言ってくれるひとがいることの、心強さ。

 さらさら。さらさら。

 どこかで乾いた音が鳴り響いているような気がしました。



「ねこさん!!」

 そこへ突然、知らない人間の子どもが走ってきました。

 その大声にびっくりして、ねこは思わず逃げ出しそうになりました。
 けれどどういうわけか、その声に懐かしさを感じたのです。

「よかった、また会えた。久しぶり。遅くなっちゃって、ごめんね」
「……きみは、もしかして?」
「うん。あのときねこさんにパパとママのところにまで送ってもらったお礼をしにきたんだよ」

 それを聞いて、ねこは驚きます。
 前に会ったときは、女の子はねこよりちょっと大きいくらいでした。
 なのにいつの間にか女の子は成長し、ねこよりもずっと大きな身体になっていたのです。


「これは驚いたな。しばらく見ない間にずいぶんと大きくなったんだね」
「ふっふーん。せーちょーきだからね、わたし」

 そんな女の子の変わり様に驚くねこの耳に、なにかの音が聞こえました。


 さらさら。さらさら。
 はて、これはなんの音でしょう?


「あのね。あのあと私も『さらさらな音』が聞きたくて、自分なりにさらさらな音を探してみたんだよ」

 そう言いながら、少し大きくなった女の子はねこのそばまで身をかがめると、片手で伸ばした髪を撫でるように軽く梳きました。

 ……さらさら、さらさら。

 肩の下辺りまで伸びた女の子の髪が、さらさらと音を奏でました。
 その音は、ねこが今まで聞いたどんな『さらさらな音』よりも澄みきって聞こえたのです。

「いいさらさらだね」
「よかった。ここまで伸ばすの、ちょっと大変だったんだよ」
「ありがとう。……ぼくはようやく、探してたさらさらな音を見つけられたのかもしれないな」

 そんなねこの言葉に女の子は少しだけきょとんとしましたが、その言葉の意味に気づいて穏やかな微笑みを浮かべます。

「もしかして、ねこさんの探してた最高のさらさらな音、見つけられたのかな?」

 少しからかうような、照れ隠しのような。
 けれど嬉しさを抑えられないのが伝わってくる、そんな女の子の言葉でした。


「……そんなこと、あるわけないよ」

 それを受けて、ねこはごまかすように毛繕いを始めました。
 そんな様子を見ながら、女の子はおかしそうに笑います。


 もちろんその言葉は、さらさらな嘘なのでした。

さらさらなおと

さらさらなおと

さらさらな音が大好きな旅をする猫と、迷子になってしまったちいさな女の子のお話しです。 小説家になろうユーザー企画 ひだまり童話館「さらさらな話」参加作品です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-05-07

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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