白雪姫はりんごが嫌い!

白雪姫はりんごが嫌い!

白雪姫はりんごが嫌い!

 ぱしん、と乾いた音を立ててりんごが宙を舞いました。

 突然のことになにが起きたのかわからず、黒いフードを目深に被った老婆は転がり落ちるりんごを目で追うことしかできません。
 そんな老婆が差し出した手をひっぱたいたのは雪のように色白な女の子でした。
 肌を際立たせるように、黒檀のようなつやのある髪が肩のあたりでばっさりと切り落とされていました。熟れたりんごのようなリボンをつけていて、色素の薄いほほは血色がよく、ほんのりと赤みが差しています。とても愛らしい少女です。

 しかし彼女はその美しい顔をひきつらせて、あっけにとられる老婆にこう言い放つのです。

「わたしにりんごを見せないで」


「な……」

 深い森の奥、ちいさな一軒家。
 たったひとつの扉はしっかりと錠が下ろされており、大きな窓を挟んで女の子と老婆が対面していました。
 女の子の名前は白雪姫。もとはお城のお姫さまでしたが、継母である女王にその美しさを妬まれ命を狙われてしまいます。しかし刺客の猟師が見逃してくれて、無事に一命を取り留めることができました。
 そのあとはみなさまご存じ、七人の小人の家で厄介になっているのです。


 片や手提げカゴいっぱいにりんごを入れた老婆は、一見物売りのようでした。
 やせこけた顔には青い斑点がぽつぽつと浮き出ていて、お世辞にも健康そうには見えません。目は腫れぼったく肌も青黒く、白雪姫と比べると残念ながら醜いと言わざるを得ない容姿です。

 しかしなにを隠そう、この老婆こそが魔術によって姿を変えた女王その人なのでした。
 魔法の鏡の言葉で死んだはずの姫がまだ生きているのを知り、それならばと女王直々に姫を亡き者にしようと企んでいるのです。



 ……と、ふたりの関係はそういうもののはずですが、どういうわけか女王の差し出したりんごは白雪姫の平手の前にはじかれてしまいました。


 我に返った女王は、白雪姫の不躾な態度に思わず怒鳴り返しそうになりました。 だがここで正体がばれるわけにはいかないと、すんでのところで怒りを抑えます。


「なんてことをするんだい、娘さん。びっくりするじゃないか」

 よぼよぼの老人が哀れみを誘うかのように、女王は弱々しく非難を口にしました。
 そうして地面に落ちたりんごを拾うと上等な絹のハンカチを取り出し、ついた砂を丁寧に拭き取っていきます。
 なんといっても、これは女王が魔術で作り上げたとっておきの毒りんごです。そう簡単に替えがきくものではないために、まるで宝石を磨くかのように大事にりんごを磨いていきます。

 しかし白雪姫は窓枠に頬杖をつき、りんごを磨く老婆をなにも言わずじっと見つめていました。
 もしや毒が入ってるのがバレたのかと訝しみながらも、女王はきれいに磨いたりんごを再び差し出します。


「なにがそんなに嫌なんだい? ほうら、ごらんよ。こぉんな真っ赤でみずみずしいりんごなんて、めったにあるものじゃないよ」


 ――ぱしん。
 しかし無残にも、女王が差し出した手は再び白雪姫の平手ではじかれてしまいました。


「なんども言わせないでちょうだい。わたしはね、りんごなんか見るのもイヤなのよっ」

 とりつく島もない白雪姫の態度に、女王は思わず口をあんぐりと開いてしまいました。


 ……この小娘は、こんなにも生意気だっただろうか?
 城にいるときはもっと気立てのいい大人しい娘だと思っていたが。
 少なくとも見ず知らずの老人にこんな口を利くようなじゃじゃ馬ではないとおもっていたのだが……。


「娘さん、ずいぶんとりんごが嫌いなんだねぇ」
「ええ、嫌いよ。だいっきらい」

 イヤなものをイヤと言ってなにが悪いの? と言わんばかりに白雪姫はツンとした態度で答えます。

「昔ね、生まれて初めてりんごをいただいた時のことだったかしら。そのりんご、ちっとも甘くないしすっぱいしで、思わず吐き出してしまったの。そしたらお母様からお行儀が悪いって叱られるし、同席してた家臣たちには笑われるし、もうふんだりけったりだったわ」

 その時のことを思い出したのか、吐き気を抑えるように姫は口もとをふさぎます。

「あれからりんごは見るのもイヤなの。ねぇ、物売りのおばあさん。りんごじゃなくてとびっきり甘いイチゴやブドウはないのかしら?」
「い、いや……ざんねんだが、わたしはただのりんご売りだからねぇ」

 継母である女王は幼いころの姫の体験なんて、知るよしもありません。

「でも、それはたまたま食べたりんごがすっぱかっただけだろう? ちゃんとおいしいりんごを食べれば好き嫌いはなくなるかもしれないじゃないか。ちょいと試してみるのはどうだい?」

「イヤよ。りんごなんて食べるくらいなら、いっそ死んでしまったほうがマシね」

 どうしてよりによってりんごをチョイスしてしまったのだろう、などとくだらない考えが女王の頭にちらつきました。


 はぁ、とため息がひとつ。
 毒りんご作戦は失敗したと悟った女王は、あきらめて次の殺害計画に備えるために白雪姫から情報を聞き出すことにしました。

「どうやら話を聞いていると娘さんはずいぶんと育ちがいいようだねぇ。どこか良家の出だったりするのかい?」
「良家ですって? わたしはこの国の姫よ」
「ほほう、姫様とな。それならどうして一国の姫ともあろう方が、こんな辺鄙なところにいるんだい」

 白々しく問う女王でしたが、白雪姫はどうということもなさそうに

「いろいろあったのよ」

 とだけ答え、

「もうどうでもいいけどね」

 などと付け加えました。

 そんな姫の態度に、女王は肩すかしな気分にさせられます。

「どういうことだい? 姫様はもうお城に戻れなくても構わないのかね?」
「ええ、そうね」

 予想だにしていなかった返事に、女王は真意をはかりかねて困惑してしまいます。


「だって、お城ではずぅっとおしとやかにしてなきゃならなかったんですもの。お父様やお母様、それに家臣の目もあるし、常に気を張る毎日だったわ。じいやに厳しくしつけられたから王族の振る舞いは身につけたけど、もう息苦しいったらないの。お姫さまなんて窮屈なだけよ」

 お城では猫をかぶってた宣言の姫に、女王は何も言うことができません。

「それに比べて外の世界って素敵ね。確かに不便は多いけど、なによりも自由があるわ。 今ではわたしを追いだしたお母さまにキスしてさしあげたいくらいに感謝してるのよ」

 女王の思惑を越えたところで、白雪姫は第二の人生のスタートを切ろうとしていたようでした。
 白雪姫がまさかこんなにもバイタリティあふれた子だとは夢にも思っていなかった女王は、思わずぽかんとなって聞き返します。

「つまり、あんたはもうお城に戻る気はないってことなのかい?」
「そうね。ここで小人のみんなと一緒に暮らすのも悪くないわ。とっても楽しくて親切な方々だもの」

 快活に微笑む白雪姫は、本心からそう言っているようでした。


 ――さてはて、どうしたものだろう。
 魔女は白雪姫の言葉に困ってしまいます。

 この強情な娘は、このままではどうあってもりんごを食べようとしないだろう。りんごではない別の果物に毒を入れて持ってくることもできるが、そこまでする意味はあるだろうか。
 姫が城に戻らないのなら、このまま放っておいても構わないのではなかろうか。

 いや、しかし。
 白雪姫が生きている限り、女王は世界一の美しさを得られないのではなかったか。
 すべてを見通す魔法の鏡に女王の美しさを認めさせるには、なんとしてでも白雪姫に死んでもらわねばならないのです。


「ねぇ、おばあさん。ちょっとお聞きしたいことがあるのだけれど」
「なんだい」

 やはりどうあっても生かしておけないと思い至った女王は、次の白雪姫殺害計画を考えながら、なんの気なしに白雪姫に相づちを打ちました。


「もしかして、あなたわたしの義理のお母さまではなくて?」


 女王の心臓が飛び出しそうになりました。


「は……ははは! なにを言ってるんだい。わたしのような老いぼれが女王さまだなんて、なんて恐れ多い!」
「あら? それはおかしいわ。だってわたしはさっき『義理のお母さま』としか言わなかったのよ。どうしておばあさまはわたしのお母さまが女王だなんてわかったの?」
「は……」

 しまった、と気づいた時はもう手遅れでした。
 白雪姫の目は姿を変えた女王を射貫くように、ただまっすぐに見つめています。

「それにさきほどおばあさまが持ってらした絹のハンカチがあるでしょう。あれは以前、お母さまが持ってらっしゃるのを見たことがあるの。それにあなたから漂うこの香り。お母さまが好きな香水ですもの。忘れられるはずがないわ」

 言われて女王は魔女に扮した自分の匂いを嗅いでみます。
 するとすっかり嗅ぎ慣れたお気に入りの香水の匂いが、鼻腔いっぱいに感じられるのでした。


 外出するときは、まっしろな絹のハンカチを携帯すること。
 そして女王にとって一番好みの香水をつけていくこと。
 姿を変えても、いつもの癖までは治しようがなかったのです。


「ええい、忌々しい白雪姫め!」

 これ以上騙せないと悟った女王は、持っていたりんごのカゴを放り出して懐から小振りのナイフを取り出しました。
 刃先には毒りんごと同じ毒が塗られています。ほんの少しかすっただけでも白雪姫の命を奪うのはたやすいことでしょう。

 しかしそんな殺意むき出しの女王を前にしても、白雪姫は平然としていました。


「ねぇ、お母様。どうしてそんなに醜い老婆の姿をなさっているの? あんなに美しさにこだわりを持ってらしたお母様らしくないわ」
「ええい、うるさい黙れ!」
「わたし、お母様を尊敬してましたのよ。常に美しさを求めるその姿勢に心から憧れておりましたのに」

 思いも寄らぬ言葉に女王が一瞬たじろぎます。
 しかし振り切るように頭を振り、再びナイフを白雪姫に向けて叫びます。

「お前が生きている限り、わたしは世界一美しくなれないのだ!」
「世界一、ですって?」
「すべてを見通す魔法の鏡は、お前こそが世界で一番美しいと言った! お前さえいなくなれば、再びわたしがその地位に戻ることができるのだ!」

 姫は、女王の叫びを黙って聞いていました。

「……なるほど」

 やがてなにかを確信したように、鋭い目つきで女王を見つめます。

「その魔法の鏡がすべての元凶なのね」

 白雪姫の目が、きらんと光ったような気がしました。


 女王は白雪姫を連れてお城へと戻ってきました。
 醜い老婆の姿から元に戻り、すっかりいつもの美貌を取り戻しています。気のせいか、どこか誇らしげですらありました。


「姫様だ!」
「白雪姫さまが帰っていらした!」
「女王さまもごいっしょだ! 姫様を見つけてきてくださったんだ!」
「女王さまばんざい! 白雪姫さまばんざい!」

 ふたりの姿を見て家臣たちが大盛り上がりですが、女王も姫もそれを意にも解さずスタスタと足早に去っていきます。
 向かっているのは女王以外立入禁止の、魔法の鏡がある部屋でした。


 部屋に入ると女王は神経質そうに入口の扉が閉まっているのを確認し、問題の鏡の前に歩きでます。
 その様子を、白雪姫は黙って見つめていました。


 女王は白雪姫の見つめる前で、魔法の鏡に問いかけます。

「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだぁれ?」

 不思議な光が鏡から溢れ、どこからともなく声が聞こえます。

『それは、あなたの後ろにいる白雪姫です』



「待ちなさい」

 そんな鏡の言葉を遮るように、白雪姫が鏡に近づきました。

「ねぇ、あなたの言う美しさはどこで判断しているの?」

 猫を被るのをやめた白雪姫は、鏡に問いかけます。

「お母様だって十分に美しいわ! わたし、知ってるのよ。 お母さまは誰よりも美しくありたいと思って、毎日努力してらっしゃるの。顔に蜂蜜を塗ったり、長い時間をかけてお化粧をしたり、侍女になんどもお洋服が似合っているかをお尋ねになってるの」

 その言葉を聞いて、女王は思っていた以上に姫に見られていたことに気づき少しだけぎょっとします。
 しかしどうしてでしょう。決して悪い気分ではありませんでした。

 女王は美しい。美しくて当たり前。
 美しくなる努力なんて当たり前すぎて、本人すら自覚していなかった努力を認めてもらえたことが嬉しかったのです。

「わたしの方が美しいというのは、ただのあなたの好みはなくて?」
『…………』

 魔法の鏡は答えません。

「あなたはそう言って、お母さまの気持ちをもてあそんでいるのに気づいてらっしゃらないの?」
『…………』
「鏡よ鏡。あなたにとってはわたしが世界一美しいのかもしれない。けれどわたしはそうは思わない。わたしよりも美しい方なんていっぱいいらっしゃる。それは常に美しくあろうとするのを忘れない、お母さまのような方のはずよ」

 まだ年若い白雪姫は化粧も知りません。
 そんな彼女にとって、鏡の前で見る見るうちに美しくなっていく継母の姿は、どこか憧れに近いものがあったのです。


「わたしはね、真っ赤なりんごも真っ赤なウソも大っ嫌いなのよっ!!」


 鏡はしばらくの間白雪姫の言葉を黙って浴び続けていましたが、やがてなにか答えねばならないと悟ったか、ようやく答えを返します。

『白雪姫。あなたの美しさを誰よりも求めるお心。それが世界で一番美しい』


 どこかはぐらかしたような答えではありましたが、白雪姫も女王もその答えに満足したようでした。


 ――その後白雪姫と王妃は仲直りし、嫌がっていた姫も結局はお城に戻り、末長く幸せに暮らしたそうです。

白雪姫はりんごが嫌い!


王子「あれ? 僕の出番は?」

白雪姫はりんごが嫌い!

キライな食べ物はありますか? 見るのも聞くのも嫌なくらい、食べたくないものはあるでしょうか。 好き嫌いしてはいけません、なんて言われて無理矢理食べてもあんまりおいしくありませんよね。 でも大人になるにつれて、いつの間にか嫌いなものでも食べられるようになってたりします。 これは嫌いなものは嫌いと言って譲らない、りんご嫌いな白雪姫のお話です。 小説家になろう冬の童話祭 2018投稿作品です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-05-07

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