異界遍歴③

異界遍歴③

下山

 山の山頂で、四人目の同行者を紹介された春斗はどう接しようか悩んでいた。この世界に投げ出されて、いろんな人に会ったが、彼女とは一緒に行動したくないタイプの人だった。
 春斗は自己経過で10分ほど前のことを思い出すように、青い光が差す空を見上げた。
 同行者のフローランスは、知り合いを紹介する為、春斗たちとサーミャを正面に向き合わせた。フローランスの格好は、頭に変なティアラをして、花の模様があしらわれた紫のドレスに、絹のようなオレンジの手袋をはめていた。瞳は綺麗な蒼眼で、膝あたりまである美しい白い長髪をなびかせていた。
「彼女はサーミャ、こっちは私の友達とその連れ」
 フローランスの簡易的な自己紹介を聞きながら、春斗は少し困惑していた。フローランスも浮世離れしているが、サーミャは別の種類で浮いていた。彼女は、がっちり身体を守るプレートアーマーに、上は武力組織を象徴するバンダナを巻いていた。青黒い長髪を四つ編みに束ね、目は釣り目で、瞳は黄金色だった。
「まずは、そっちの人型を説明をして」
 サーミャはそう云って、警戒心をあらわにした。同行者の一人であるリンは人形と呼ばれていて、前は独立組織に所属していたが、春斗との取り引きで今では相棒になっていた。
「うん。可愛いよね」
「いや、可愛いかどうかはどうでもいいんだけど・・・」
 フローランスの予想外な返しに、サーミャが戸惑った様子でリンを見た。彼女は黒のワンピースの上に、武力組織の色のジャケットを羽織っていた。ジャケットはフローランスの手作りで、組み合わせ的には似合っていなかった。
「・・・」
 リンは背中までの灰色の長髪を揺らして、サーミャから視線を逸らした。
「・・・もしかしてだけど、この人型に入れ込んでるの?」
 サーミャはリンから視線を外して、呆れながらフローランスを流し見た。
「勿論!むしろ、私はリンちゃんについて回ってるわ」
「えっと・・・そこの変な服を着てる人じゃないの?」
 フローランスの生き生きした返事に、サーミャは苦い顔で春斗を指差した。確かに、スーツにフローランス手作りのジャケットが変だということは春斗も自覚していた。
「それ、私が作った服なんだけど・・・」
 これにフローランスがふてくされた表情を見せると、サーミャが気まずそうに指した人差し指を力なく曲げた。彼女の不用意な発言で場の空気が一層重くなった。
「まあ、別にいいけどね。個人のセンスは人によって違うもの。私もその服は、あまり気に入ってないし。でも、自分の生成した服を貶されると不愉快ね」
「えっと、ごめんなさい」
 これには申し訳ないと感じたようで、サーミャが目を泳がせて渋々謝った。
「とにかく、こっちの二人の男はなんなの」
「手前はハルト、後ろが・・・なんだっけ?」
 ここは春斗が代弁して、カーミルを紹介した。彼は民主組織所属で、武力組織の捕虜になっていたところを民主組織への案内のために連れ出していた。彼は短髪の垂れ目で、汚れた布切れ一枚を服の形にしていた。正直、かなりみすぼらしい服装だった。
「そうそう、そんな名だったね。興味なさ過ぎて忘れてたわ」
 これは完全にフローランスの意図的な忘却だった。フローランスを見ると、特に悪びれる様子もなく春斗から視線を外した。
「まあ、ハルトは友達で、カーミルはただの他人よ」
「そっちは前に捕まえた男よね」
 サーミャがカーミルを見て、怪訝そうな顔をした。
「そうね。連れ出してきたの」
 これにフローランスが、淡々と答えた。
「両手を切り落とされたはずだけど、なんでくっついてるの?」
「私が手伝ったからよ」
 フローランスは隠すことなく、事実だけをサーミャに伝えた。
「え!フローが助けたの?」
「まあ、そうなるわね」
「・・・ホントに変わっちゃったんだね」
 サーミャが残念そうな顔で、フローランスを流し見た。
「勘違いしないで欲しいだけど、私の意思じゃないから」
 カーミルを嫌っているフローランスは、誤想を訂正するように強めな電波を発した。
「じゃあ、どうして手伝ったの?」
 フローランスに対して、怯むことなく堂々と経緯を訊いた。フローランスに対して、ここまで強気に出れるのは凄いと思った。
「案内役が必要みたいだからよ」
「案内?どこか目的の場所があるの?」
「ええ、今から民主組織に行くところよ」
「え?あんな組織に何か用なの?」
 サーミャは、自然とカーミルに目を向けていた。よっぽど嫌いなのか、かなり険しい表情だった。カーミルの方は、居心地が悪そうに森の方を見ていた。
「じゃなきゃあ、わざわざ案内役なんて頼まないわよ」
「ふうん。で、用件ってなんなの?」
「私の口からは云えないわね」
「どうして?」
「これはハルトの目的で、私の目的じゃないから。聞きたいなら本人から聞いて」
 フローランスは、横目で春斗に話を流した。
 すると、サーミャが春斗を蔑んだ目で観察した。おそらくだが、人を値踏みすることは彼女なりの警戒心のあらわれなのだろう。(と、思いたい)
「あんたがフローの友達?貧相な気配だな」
 初対面から親しげな雰囲気は皆無だった。威圧的な物云いに、何も返答することはできなかった。(ガチで怖い)
「ねえ、一つ提案なんだけど、わたしと戦ってみない?」
 サーミャは、口元を緩めてすごく楽しそうに誘ってきた。彼女は武力組織に紛れているだけだと云っていたが、これでは武力組織となんら変わらない気がした。
「戦うのは嫌です」
 あまりに直接的だったので、なんとか宥めようと敬語で答えた。
「怯者ね」
 サーミャは嘆息して、がっかりしたように肩をすくめた。
「無駄な争いは避けたいんですよ」
「戦いを無駄と云っているあたり、民主組織と同じね」
 サーミャが春斗を馬鹿にすると、フローランスが間にスッと入ってきた。
「サーミャ、あまり私の友達を侮辱すると殺すわよ」
 フローランスはサーミャを睨んで、脅しを掛けてくれた。助けに入ったのは嬉しいが、フローランスの脅迫は本気なので、台詞は選んで欲しかった。
「ご、ごめんなさい」
 サーミャは、この脅しに即座に屈した。
「いい加減、先に進みましょうか」
 サーミャが委縮したところで、フローランスがおもむろに歩き出した。春斗も同調して、彼女の後に続いた。
 誰も話さない重苦しい空気の中、10分ほど歩くと、沈黙に耐えられなくなったのか、フローランスがサーミャの方に振り返った。
「サーミャ、そんなに闘争心を面に出さないで」
 沈黙の原因は、後ろを歩いているサーミャだった。彼女は、前にいるリンをずっと睨みつけていた。
 春斗は、滅茶苦茶好戦的だなとフローランスに振った。
「そうね。私も初対面の時、問答無用で襲われたわ。まあ、返り討ちにしたけど」
 それを聞く限り、ただの戦闘狂のようだ。
「殺そうとしたけど、いろいろあって、殺しそびれたけど・・・」
 云いづらいのか、フローランスが複雑そうな顔で視線を泳がせた。殺そうとしたことには嫌悪感を感じたが、昔の話なので聞き流すことにした。
「でも、装っていたにしろ、武力組織にいたのは吃驚したわね。サーミャはそういう気質じゃないのに」
 フローランスはそう云うと、サーミャの方をチラッと見た。というか、気質的に武力組織は性に合っていると思った。
「それより、異世界のことは云わないの?」
 急にフローランスが電波を狭めて、春斗に近づいてきた。
 良識のある人になら教えても構わないが、サーミャに教えても何一つ良い事がないと断言した。
「どうして?」
 これにフローランスが素で首を傾げた。
 血の気の多いサーミャに話したら、勝負しようとか云い出すのは目に見えていた。
「確実に云うね」
 これには得心がいったようで、フローランスは真顔で頷いた。
 それよりもなんで同行させたのかを聞いておきたかった。
「これから先のことを考えると、頭数は多いほうがいいのよ」
 フローランスの表情から、よほど面倒な場所ということはわかった。
「道順によっては、最悪の場所に辿り着くね。できれば、そこを通らないことを祈っているけど」
 フローランスがそこまで警戒するのは珍しいので、どういう場所か気になった。
「人の墓場みたいなところよ」
 どうやら、人の掃き溜め的な場所のようだ。
「・・・まあ、人として死んでるから」
 確かに、それは近づきたくはないと思った。
「同感ね」
 春斗の思考に同調するように、フローランスは溜息交じりで息を吐いた。
 そんな話していると、先頭を歩いていたカーミルが急に立ち止まった。
「あのさ・・・やばいかもしれない」
 そして、不安そうにこちらを振り向いた。世界を照らしている青い光が、カーミルの青ざめた表情をさらに助長させていた。
「さっきから手の治療をしているんだが、回復の兆しが見えない」
 右腕は動いていたが、左腕が動かないようだった。
「ああ、全く動かん」
 思考が漏れたようで、カーミルが左腕を見ながら困った顔をした。
 この切実な状態を知って、春斗はフローランスに話を流した。
「ん?知らないわよ、そんなの」
 が、フローランスは我関せずと云った感じでそっぽを向いた。
「というか、自分でなんとかしなさい」
 そして、カーミルを責めるように睨みつけた。
「無理です。この構成を解析する糸口が全くわかりません」
 カーミルは恥じることなく、堂々とそう云い切った。
「諦めが早いわね。たかだか一つの成分構成を換えるだけでしょ」
 この正確な指摘には、なぜ知っているのかと春斗が尋ねた。
「だって、再生したの私だし、彼の体質にはこの構成の方が早く接合すると思って、片腕だけ強引に組み込んだのよ。時間もなかったし。まあ、神経系に異常があるけど、そこは自分で再構成すればいいだけよ」
 フローランスは、無関心な表情で簡単に説明した。
 これを聞いて、カーミルにできるかを訊いた。
「俺には無理だ。解析は苦手なんだ」
「苦手だったら、努力でなんとかしなさい」
 カーミルの諦めに、フローランスがきつい台詞を云い放った。
「せめて、成分構成だけでも教えてくれませんか?」
 カーミルは下手に出て、低姿勢でフローランスに媚びた。
「・・・」
 フローランスは蔑んだ目で、カーミルを見下ろした。どうやら、彼女にはお気に召さなかったようだ。
 沈黙の長さに堪らず、春斗からフローランスに助言を求めた。
「なんか不快」
 嫌なことはわかったが、感情だけで不寛容になるのはやめて欲しかった。
「私は、常に感情と共に生きてきた」
 春斗の思いは伝わったようだが、フローランスは受け入れてくれそうになかった。ここまで堂々と云うのなら、春斗からは何も云えなかった。
「ああ、そうそう、早く解析しないと、神経に異常をきたすよ」
 ここでフローランスが、カーミルに警報を鳴らすように淡々と告げた。
「だから、頼んでいるんですよ」
 カーミルもそれに気づいているようで、少し焦りが見え始めた。
 春斗は理解できず、フローランスに聞き返した。
「私たちの身体は、構造に合わせて構築されるのよ。だから、侵蝕されるとそれに合わせて、構築されるから皮膚に異常をきたす。今の神経の異常も同じようなものね。まあ、最悪不随になるぐらいよ」
 さらっと云っているが、本当に最悪な症状だった。
「ねえ、なんでさっきから当たり前のことを説明してるの?」
 三人の会話に耐えかねたのか、サーミャが不思議そうに話に入ってきた。
 これには誰も何も云わず、その場が静まり返った。
「なんで黙るのよ」
「説明しにくい」
 ここはフローランスが、春斗の代弁をしてくれた。
「それより、フロー。さっさと教えてあげたら」
 この会話が不毛だと思ったようで、サーミャが助け舟を出した。
「残念だけど、貴女の意見に流される気はないわ」
「あっそ。まあ好きにしたらいいけど」
 フローランスの拒否に、サーミャは易々と引き下がった。
 やむを得ずリンに手招きすると、すぐさま春斗の正面に駆け寄ってきた。
 リンと目を合わせて、耳打ちに近い電波を発信して伝えた。
「わかった」
 リンは反発することなく、一つ返事で了承してくれた。
「教えてあげて」
 フローランスと正対したリンが、両手を合わせてから上目遣いで懇願した。教えた通りの行動だったが、表情はいつも通り無表情だった。
「うん!いいよ♪」
 すると、フローランスは嬉しそうにあっさりと承諾した。リンに対して、超絶と云っていいほど大甘だった。
「さっさと手ぇ出して」
 上機嫌になったフローランスは、即座にカーミルに向き直って催促した。あまりの豹変ぶりにカーミルは戸惑っていた。
「ああ、出せなかったわね」
 カーミルの左手を無造作に掴んで、目を閉じて集中した。その途端、彼は苦痛の表情で絶叫した。
「痛そうだな」
 後ろにいたサーミャが、それを見て顔を歪めた。
 10秒ほどして、絶叫が止み静寂が戻った。
「後はできるでしょ」
 フローランスは掴んで手を離して、カーミルから離れた。
「あ、はい」
 これにカーミルが戸惑った様子で、ゆっくりと左腕を動かした。違和感があるのか、何度も手を握ったり開いたりを繰り返した。
 確認の為、春斗はもう大丈夫なのかとフローランスに訊いた。
「解析の糸口を少し体感させたから、大丈夫だと思うけど。もうここまで浸透したら、取り除けないわね」
 ちょっと何を云っているかわからなかったが、フローランスの大丈夫という台詞を信じることにした。
 歩きを再開すると、先頭を歩いているカーミルが、ずっと自分の手を気にしていた。
 20分ほど歩くと、サーミャが不思議そうに春斗を呼び止めてきた。
 春斗は敬語で返事をして、歩きながら振り返った。
「あんた、なんか人として違和感あるんだけど」
 サーミャは、曖昧な物云いで春斗の全身を観察した。
「なんかはっきりしなくて、薄気味悪い」
 自分でも説明できないようで、眉を顰めて春斗を睨んできた。春斗は何も云わず、サーミャがどう動くかを警戒した。
「あんた、何者?」
 その疑問に答えた瞬間、襲ってきそうな雰囲気が伝わってきた。
「そこまでにしときなさい。これ以上は踏み込む必要はないわ」
 それを察知したのか、フローランスが間に入って遮ってくれた。
「フローは気にならないの?彼の事」
 それでも引き下がる気はないようで、サーミャが春斗を指して真顔で訊いた。
「私は、もう知ってるから」
 どうやら、そこは隠す気はないようだ。
「なんで、わたしには教えないのよ」
「本人が教えたくないってさ」
 この瞬間、こじれることが確定した。
「へぇ~、それは是非理由を聞きたいわね」
 サーミャがフローランス越しに、春斗を睨みつけてきた。
「貴女のその性格が原因よ。なんで好戦的なのよ?」
「なんでって、別にそんなつもりはないけど・・・」
 自覚がないのか、拗ねたように云い訳した。
「とにかく、彼は温和な性格だから、戦闘は好まないのよ」
「軟弱者ね」
 フローランスの説得に、サーミャが春斗に対して侮蔑の眼差しを向けた。
「あまり彼を馬鹿にしないでね」
 これに気を悪くしたのか、フローランスがサーミャの視線に割り込んで笑顔で制した。
「は、はい」
 フローランスの威圧に負けたようで、サーミャが一瞬で委縮した。
 その後、春斗にはその手の質問は一切しなかった。その代わり、後ろから殺気に似た視線が背中に突き刺さっていた。
 山を下りていく途中、カーミルが腕を回しながら後ろを振り返った。
「すげ~、前より感度が増している」
 動かせる感動ではなく、強化されたことを喜んでいた。
 春斗には意味がわからず、フローランスに説明を求めた。
「細胞の中でも神経細胞の変化は、時として自分に最適になることがあるのよ」
 その説明を受けて、最適化できることは便利だと思った。
「そうでもないわ。さっき腕を動かせなかったのは、自分で分析と解析ができなかったからだし、最適なはずの元素でも組み違えれば、最悪全身不随になるのよ」
 思考が電波に乗ったようで、フローランスから長めの補足が返ってきた。
 これを聞いて、春斗は即座に意見をひるがえした。
「でしょう。人体の構造は奥が深いのよ」
 春斗とは意味合いが違うが、台詞的には共感できた。
 春斗たちは休憩をはさみながら、無事に山を下りた。休む時、サーミャがうるさかったが、フローランスに説得という脅しで抑え込んでもらった。
 春斗は汗を掻きながら、やっと下山できたと電波を発した。
「はぁ~、時間掛かりすぎ」
 一方のサーミャは溜息をついて、表情を歪めて愚痴を云った。
 それをさらっとスルーして、正面の見ると、道が二手に分かれていた。
「それで、ここから左と右どっちに行くの?」
 フローランスは、先頭を歩いているカーミルに険しい表情で尋ねた。どうやら、この分岐が重要なポイントのようだ。
「左です」
 カーミルは、左の曲がりくねった道を指差した。
「本気?」
 これにフローランスが、物凄く嫌そうな顔をした。表情から察するに、そっちが人の墓場という場所のようだ。
「理由はわかるはずですが?」
「近寄りがたい場所を拠点にしたってわけね」
 カーミルの台詞に、フローランスは肩を落として溜息をついた。
「まあ、その奥になりますけど」
「よくあんな場所通り抜けられるわね」
「逃げることに関しては得意ですから」
「そう・・だったわね」
 フローランスは呆れながらも、カーミルを蔑むように見つめた。
「というわけで、最悪な場所を通ることになったわ」
 結論が出たところでフローランスが、春斗に残念そうな顔で告げた。彼女の表情からは、落胆の色が濃く、面倒になることだけは察することができた。
「あそこは初めてね。面白くなりそう」
 すると、サーミャが楽しそうに表情を綻ばせた。根っからの戦闘狂の彼女とは、本当に相容れないと思った。
 カーミルの表情からは、特に危険な場所という感じは見受けられなかったが、春斗たちの方を見て渋い顔になった。
「あ~~、でも、全員で動くと面倒になるかも」
 春斗が問題があるのかと訊くと、人数が多いと目立つとだけ云われた。この世界では、人との繋がりが薄いので、ひどく納得できる理由だった。
 これは春斗にはどうしようもできないので、フローランスに丸投げした。困った時は、彼女に頼ることが慣例となってしまっていた。
「また私に振るのね・・・もう手は打ってあるじゃない」
 フローランスはそう云って、春斗の後ろにいるサーミャを指した。できれば不戦のアイディアが欲しかったのだが、フローランスには無理な話だと思い直した。
「これは許容して欲しいわね。あそこは人を素通りできないから・・って云っても、人として死んでるんだけど」
 春斗の思考を受信したようで、フローランスが打つ手がないと弁明してきた。
 人が多いようなので、どれくらいかおおよそで訊いてみた。
「二十二平方キロメートルぐらいの面積で、ざっと5200人はいる」
 すると、フローランスから的確な数字が飛び出した。5000という人数は、町に匹敵する規模で眩暈がしそうだった。
「まあ、襲ってくるのは一部だけどね」
 そう思っていると、フローランスが溜息交じりで項垂れた。フローランスに対しても襲ってくるのなら、それは間違いなく狂人なのだろう。
「さっさと行こうよ」
 さっきからそわそわしているサーミャが、嬉しそうな表情で急かしてきた。
 それを見た春斗は、率直に行きたくないと呟くと、フローランスも小さな電波で同調した。
「確かに、行くと荒れるかもな」
 カーミルは、楽しそうなサーミャを見ながら面倒臭そうな顔をした。
 ここで立ち往生しても仕方ないので、目的の場所へ渋々歩き出した。
 人道の先は薄暗くて、その先は数メートルまでしか見えなかった。周りの木々も少し色あせていて、この先の不気味さを演出していた。
 1時間近く歩いていたが、一向に風景は変わらなかった。
 歩き疲れた春斗は、カーミルにまだかと尋ねた。その前を、サーミャがじれったそうに歩いていた。
「あと、半分ぐらいの距離だ」
 的確な答えだったが、遠いことは変わらなかった。
「走れば早く着くじゃん」
 サーミャの台詞に、春斗は苦い顔でそれはやめておこうと云った。もう足が棒なのに、走るなんて到底無理だった。
 あと1時間も歩くのは無理そうなので、少し休憩しようと全員に伝えた。
「また休憩~。いい加減にしてよ~」
 二度目の休憩なので、サーミャにかなり険しい顔で睨まれてしまった。ただでさえ遅い歩行での移動の上、さらに休憩で時間を取られたら苛立つのも仕方ないと思った。
「サーミャ、彼の台詞は私の台詞だと思ってね♪」
 ここでフローランスが、笑顔をつくってサーミャに迫った。
「うっ」
 その笑顔に、サーミャは瞬時に怯んで一歩下がった。
 これには申し訳なくて、フローランスに悪いと謝罪した。
「いいのよ」
 フローランスは表情を緩めて、春斗の要望を聞き入れてくれた。これに乗じて、錠剤もお願いした。
「場所を変えようか」
 フローランスは気を利かせて、茂みの奥に手招きした。
「どこに行くの?」
 すると、サーミャが怪訝そうな顔でこちらを見た。
「野暮用よ。そこで待ってなさい」 
 フローランスがそう云って茂みに入ったので、春斗もそれについていった。
 いつものように錠剤を生成してもらい、それを口に頬張って食事を終わらせた。この世界の人は生成ができる上、肉体維持は呼吸で事足りるので、食事をする習慣はなかった。
 春斗たちが戻ると、リンとサーミャの間に殺伐とした雰囲気が漂っていた。
 春斗は、被害を受けないよう距離を置いているカーミルにどうしたのかと尋ねた。
「サーミャが挑発したんだ」
 カーミルがそう答えると、フローランスがリンとサーミャの間に割って入った。
「サーミャ、いい加減にしなさい」
 フローランスは、サーミャを睨みつけて嗜めた。
「もう退屈なのよね」
 サーミャは、苛立った様子で脱力した。その台詞には、本当に武力組織に扮していたのかと疑問に思ってしまった。
「相変わらず落ち着きがないわね・・・少し私と遊ぶ?」
「フローとは嫌!勝てる気がしないし」
「勝ち負けは関係なく、貴女は戦いたいだけでしょ」
 これにはフローランスが冷めた目で、サーミャを見据えた。
「どうせ戦うなら、一方的より接戦が良い」
「もう少し待ちなさい。後で十二分に戦えるから」
「・・・わかったわよ」
 サーミャは不服そうに、フローランスから視線を逸らした。
 それを見た春斗は、再びフローランスを呼び寄せた。
「今度はどうしたの?」
 少し苛立っているフローランスに、春斗はサーミャを先に行かすことを提案した。
「え?」
 春斗の意図がわからなかったようなので、先に暴れてくれたら少しは楽に進める可能性を示唆した。
「でも、サーミャは無差別に殺すから、その一帯が動乱になる可能性が高いわよ」
 これには一緒に居てもそうなるだろうと、諦め顔で返した。
「そうなる前にそこを抜ければいいのよ。動乱になる前と後では確実になる前の方が、私はいいと思うけど」
 フローランスの意見も納得できるが、春斗としては目的の場所まで一緒に行動することが嫌だった。
「う~ん。サーミャの性格は気まぐれだから、時間掛かると思うよ」
 それならあの場所に置いて行くことも考えた方がいいかもしれないと呟いた。
「私は、最初からそのつもりだけど」
 それにフローランスが、当然といった顔を春斗に向けた。
 これには使い捨てかよと、思わずつっこみをいれてしまった。
「まあね。使い道はそこしかないし」
 フローランスは表情を変えずに、冷静にそう云い切った。あんなに恥ずかしそうに誘ったのは、本当にただ単に恥ずかしかっただけのようだ。
「とにかく、今から自由にさせるのは危険だわ。歩くのなら、もう少し近づいてからの方がこちらも動きやすいし。それまでなんとかサーミャには、血の気を抑えてもらわないといけないけど・・・」
 フローランスはそう云いながら、サーミャを遠目で見て、面倒臭そうに溜息を漏らした。
 春斗もサーミャを見て、本当に面倒だと感じた。確かにフローランスの云う通り、この先徒歩で1時間掛かるなら、サーミャを解き放つのは早すぎると思った。
 フローランスとの話し合いの結果、このまましばらくは五人で進むことになった。

第二話 蹂躙

 春斗との話を終え、リン達の所に戻ると、リンが近づいてきて、どうしたのかと彼に尋ねた。これにはちょっと驚いてしまった。人形であるはずのリンが、自発的にこんな曖昧な疑問を投げるなんて思いもしなかった。
「サーミャの行動が予想できなくてな。正直困ってる」
 春斗は極小の電波で、リンに対して愚痴った。
「さっき戦ったほうが良かった?」
 気を使ったのか、リンが無表情で首を傾げた。
「ん?いや、そういうことじゃない。戦わない方が賢明だ」
 ここで春斗が、自然な動作でリンの頭を撫でた。それを彼女は黙って受け入れた。この光景は異様なことで、その証拠に他の二人も目を見開いて驚いていた。
「う、羨ましい」
 あまりの理想的で美しい光景に、フローランスの想いが電波に乗った。
「ただ扱いづらいと感じているだけだよ」
 そんな各個人の反応を無視するように、春斗たちは会話を続けた。
「不都合なら排除したらいい」
「難しいことを云うな~」
 春斗は、頭を掻いて顔を歪めた。
「難しい?」
 リンには、理解できないようで首を傾げた。
「人との交渉は、すべてが都合の良いものばかりじゃないからな」
「そういうもの?」
「そういうものだよ」
 春斗が遠い目をして呟くと、リンはそれを黙って見つめていた。
「まあ、今は静観しよう」
「それでいいなら、ワタシからは特に何もない」
「一応考えてくれているんだな。ありがとう」
 春斗は、再びリンの頭を撫でて礼を云った。
「別にいい」
 リンはそう云って、無表情で春斗の行為に身を任せていた。
 ここで春斗が、ようやく視線を感じてフローランス達を見た。二回目となると、カーミルとサーミャは恐ろしいものを見る目で春斗とリンを見ていた。まあ、驚きから恐怖に変わるのは仕方のないことだった。
 歩きを再開してから80タウ後、サーミャのピリピリした殺気が周囲を包んでいた。
 誰もしゃべらず、フローランス以外はサーミャから一定の距離を取っていた。空気の比率からして、未だに麻薬を不定期で生成しているようだった。麻薬が切れるタイミングぐらい、いい加減に学んで欲しかった。
 サーミャを気にした春斗が、リンと何かを話し合っていたが、電波が小さくフローランスまでは届かなかった。
 それをフローランスは、嫉妬の感情で見ていた。カーミルの方は春斗たちの後ろに隠れる位置にいて、もう案内という役割を放棄していた。
 ようやく森を抜けると、少しなだらかな下り坂になっていて、その先に多くの建物が建ち並んでいた。相変わらず、嫌な空気を漂わせていた。
「あれが目的の場所なのか?」
 それを見た春斗は、遠目で町を観察した。
「ええ、人の墓場ね」
 あまり行きたくないので、フローランスは不快感を顔に出した。
「遠目からじゃあ、人は見えないけどな~」
「云っておくけど、必ずしも人の形をしているとは限らないからね。中には異形と呼ばれる者もいるわ」
「どういうことだ?」
「そのままの意味よ。行けばわかるわ」
 説明が面倒なので、実際に見た方が早いと思った。
「カーミル、ここを抜けるのにどれぐらい掛かる?」
 春斗がカーミルの方を向いて、掛かる時間を尋ねた。この町を抜けるのは、徒歩ではかなり時間が掛かりそうだった。
「さあ?100タウぐらいかな?」
「結構掛かるな。ん?それって俺が走ることを想定してか?」
「あ、悪い。その想定はしてなかった。それだと多分、その倍ぐらい掛かるかも」
「戦いながら進むから、少なくとも1時間以上は掛かりそうだな」
 距離と戦闘を単純換算したようで、溜息交じりで先を見据えた。
 町に近づくと、老朽化した建物が見えてきた。
 サーミャは興奮を抑えきれないようで、そわそわと身体を動かしていた。
「そろそろ行かせようか?」
 それを見た春斗が呆れながら、フローランスにそう伝えてきた。確かに、この距離なら先に行かしても問題ない気がした。
「そうね。行っていいわよ、サーミャ」
「本当にいいのか?」
 麻薬でハイになっているようで、嬉しそうにフローランスに聞き返した。
「ええ、ここから直進しながら暴れてきなさい。ただし脇道に逸れてはダメよ」
「わかった!」
 それを云うが否や、サーミャは即座に行動を開始した。麻薬で身体能力が向上しているようで、フローランスから逃げた時と同じ速さで走っていった。
「相変わらず、戦う事しか頭にないみたいね」
 フローランスは本気で呆れて、サーミャを見送った。前より戦闘狂になっているのは、麻薬中毒者に近づいていることを意味していた。
「少し急ごうか」
 春斗はそう云うと、ゆっくりとした駆け足でサーミャの後を追った。
「ちょっと待ってよ」
 唐突だったので、ちょっと慌ててしまった。
 全員が春斗に合わせて横に並ぶと、彼が陣形を組むと云い出した。意味がない気がしたが、別に反対することもないので従うことにした。
「この前と同じ陣形だ。カーミルは、俺に速度を合わせてくれ」
 カーミルにはちゃんと指示を出したが、リンとフローランスには説明はなかった。
 リンとフローランスは、春斗を挟む形で縦に並んだ。
「両手が動かせても戦闘要員にはならないぞ」
 カーミルは、春斗を追い越しながらそう云った。
「構わない。陽動と案内が出来れば問題ない」
「陽動・・か。やったことないな」
「個人ではできないからな。気を逸らせるとかでいいから。避けるのは得意だろう」
「まあ、そうだな」
「撹乱はサーミャに任せればいい」
「あいつは撹乱になるのか?」
「まあ、撹乱というよりは、通り魔が合ってるかもな。あまり近づかないことを進めるよ」
「当たり前だ。巻き添えはごめんだ」
「リンとフローランスは迎撃と俺への補助を頼む」
 二人の親し気な会話に嫉妬を覚えたが、フローランスは短く了承した。
 町の入り口に近づくと、空間の歪みが目の前に多く感じ取れた。
「殺戮が始まってるわね」
 空気の流れで、それは容易に判断できた。
「そうか」
 春斗は、前方にあると思われる惨状を覚悟したような電波を発した。
「そうそう、ここの人たちにはできるだけ触れない方がいいわ」
「え?なんで?1タウは大丈夫だろ?」
 それは春斗に教えた一般常識だった。
「狂人は特殊なのよ。中には侵蝕が短時間な奴もいるし」
「そういうことはもっと早く云ってくれ」
「ごめん。忘れてた」
 これは確かに失念していたので、素直に謝罪した。
「リン、ナイフをくれ」
 春斗は走りながら、リンにナイフを要求した。以前から無防備で動いたことを考えると、少し成長したと感じた。
「わかった」
 リンは速度を緩めて、瞬時にナイフを生成してから横に並んだ。
「ありがとう」
 リンからナイフを受け取ると、何度が手に馴染む握り方を模索した。リンの手形なので、握りにくそうにしていた。
「相変わらず、しっくりこないな~」
 終いには、そんな台詞を電波に乗せてきた。
「なんか武器を持っている姿って似合わないね」
 いつも手ぶらなので、ナイフを握っている春斗の姿に違和感を覚えた。
「触れない為の対抗策だよ」
「まあ、確かにそっちの方がいいか」 
 そうは云ったが、やはり違和感は拭えなかった。
 町に入ると、三つの死体が転がっていた。
「なんだ、これ?」
 一人は人だったか、二人は人の形とは少し違っていた。これは見飽きているので、特に気にならなかった。
 しかし、春斗は驚いたようで足を止めた。
「ちょっと、急に止まらないでよ」
 春斗に文句を云ったが、前の死体に釘付けになっていて反応が返ってこなかった。前方には、人とは似つかわしくない死体がいくつか転がっていた。倒れていた死体には、人として生えるはずのない所から手や足のようなものが生えていた。この場所での奇形種は別に珍しい事でもなかったが、春斗には衝撃的なことのようだ。
「本当に無差別に殺すんだな」
 そう思っていたが、無差別に殺されていることの方が気になったようだ。
「戦闘狂だから文字通り狂ってるのよ」
 殺しに無差別以外に、何があるのだろうと不思議に思ったが、ここは敢えて聞かないことにした。
「判断を早まったかもな」
「何が?」
「いや、ここまで残忍だとは思わなかった」
 倒れている死体を横見にしながら、春斗が悲しそうに独白した。おそらくだが、死体の手足は切断されていることや、首が半分だけ切られた状態のことを云っているのだろう。
「残忍・・ね」
 その台詞に、フローランスは感慨深く復唱した。今まで思ったこともないし、自分でもそれをしたことがあるので、これからはやめようと心に誓った。
 しばらく死体に沿って走っていたが、誰も襲ってこなかった。死体の中には、人かどうか判断できないものもあった。後ろから誰かついてきていたが、こちらの速度に合わせているようなので、少し様子を見ることにした。
「一方的だな」
 春斗は嫌悪感を電波に乗せて、そんな感想を云った。
「多分視認される前に、不意打ちで殺した感じね」
「全身鎧を着ているのに、器用な事だな」
 動くたびに音がするサーミャには、奇襲は難しいと思っているようだが、彼女はああ見えて暗殺は得意中の得意だった。
「そろそろ苦戦してくるわ」
「奥にいる相手が強いからか?」
「違うわ。さっきから悲鳴が聞こえているでしょう」
「ああ、かなり耳障りだよ」
 町に入ってから悲鳴が続いていて、それは代わる代わる聞こえていた。
「あれを聞いたら、さすがに警戒するでしょう」
「確かに」
「警戒されたら、瞬殺は無理ね」
「しゅ、瞬殺?」
「ここからは、私たちも警戒したほうがいいわ」
 春斗が何に動揺したのかわからなかったが、奥の方の空気の歪みが異様な感じになってきた。
「そうだな」
 春斗は周りにある死体を見て、何かを決意するように電波を発した。
 すると、前方から誰かがこちらに向かって走ってきた。
 リンが少し身を屈めて臨戦態勢を取ると、春斗が慌てた様子で攻撃するなと指示を出した。
「わかった」
 リンは特に疑問を持つこともなく、それに素直に従った。カーミルの方は、動きに動揺が見られた。
「いいの?」
 これにはフローランスが、不安になってしまった。
「サーミャから、逃げてきただけかもしれない」
「そうね。でも、警戒は解かないでね」
「当然だ。ここで死ぬつもりはないよ」
 近づいてくる男を見ると、顔が半分ただれていて片腕がなかった。表情は焦っていて、片足を引き摺りながら走っていた。
「負傷してるわね」
「そうだな」
 春斗がそう返すと、後ろを向いて走っていた男が、こちらに気づき足を止めた。数十メートルも近づくまで気づかなかったところを見ると、相当焦っているようだ。 
「な!」
 男は怯えて後ずさり、通り過ぎた後ろの曲がり角に逃げていった。
「あれはここの人じゃないわね」
「なんでわかるんだ?」
「同じ組織の人に聞けばいいわ」
 走りを再開して、フローランスは先頭のカーミルに話を流した。
「そうなのか?」
「ああ、服が民主の色だっただろう」
「そういえば、最初の集落にいた人と同じ色だな」
 どうやら、あの集落にいたラクウイのことを思い出したようだ。
「もしかして、知り合いか?」
「いいや、知らん」
 春斗の質問に、カーミルはそっけなく答えた。
「さっきの男って、片腕はサーミャにやられたとしても、顔半分のただれてたのが気になるな」
「あれは、ただの拒絶反応でしょ。誰かに触れたか、治療の時に別の元素を取り入れたかのどちらかね」
 憶測だったが、この解釈はフローランス自身納得のいくものだと感じた。
「それであそこまでただれるのか」
 しかし、春斗には疑念が払拭できないようだ。彼は侵蝕を見たことのないので、疑問に思うのも仕方がなかった。
「あれはマシな方よ。通常なら全身が爛れて、人の原型を留めてないわ」
「もしかして、ここ一帯ってそういう人達の集まりなのか?」
 春斗はようやく理解したようで、周りの死体を見渡した。
「当たり。人のなりを失った者の掃き溜めがこの場所よ。まあ、追いやられてここに来た人が多いけど・・・」
「除外の町か」
「除外の町・・なかなか良いネーミングセンスね」
 個人的にしっくりくるので、フローランスの中でこの場所をそう呼ぶことにした。
 すると、両端の建物の上に空気の歪みが複数感じ取れた。
「来たわ」
 フローランスは気を引き締めて、建物の屋根を見上げた。両端の屋根には、複数の人がこちらを見ながら並走していた。
「いつからいたんだ?」
「入ってしばらくしてよ。様子見してたからほっといたんだけど。雰囲気的にそろそろ襲ってくるわ」
 そう予測した途端、数人がカーミルの前方に飛び降りてきた。この直接的な妨害は、ちょっと予想外だった。
 三人が立ち止まり、フローランスは春斗を守るようにリンの横に移動した。目の前の男たちは片手が小さかったり、鼻がつぶれていたり、両足が全く成長していない者もいた。彼らは各部位が奇形していた。
「話し合えるかな」
 春斗はそう云いながら、フローランスの隣に並んだ。全員が同じ服だったが、どの組織にも属していないようだ。おそらく、ここの住人なのだろう。
「狂人じゃないみたいだし、話は通じると思うわ」
 フローランスは少し警戒を緩めて、春斗にそう返した。先頭にいたはずのカーミルが消えていて、いつの間にか後ろ移動していた。この逃げ腰の早さには、本当に感心させられてしまった。
「あなたは、フローランス・アーミファンスですね」
 一人のバサバサ髪の男が、一歩前に出て話しかけてきた。
「ん?そうだけど」
 こちらのことを知って、なお接触してくるのにはちょっと嫌な予感がした。
「あなたに頼みたいことがあるのですが・・・」
 男は、云いにくそうに顔を逸らした。
「私に頼み?初対面の貴方が?」
「僕がと云うよりは、僕たちがと云うべきでしょうか」
「協力する気はないけど、話ぐらいは聞いてあげるわ」
 入り口で突っぱねたが、聞くだけは聞いてみようと思った。これはフローランスなりの配慮でもあった。
「あなたの血液を下さい」
「・・・何に使うの?」
 他人の血液なんて毒にしかならないのに、欲しがる意味がわからなかった。
「体内に取り入れたいと思ってます」
 これには自然と眉間に皺が寄った。
「死にたいの?他人の血液なんて猛毒よ」
「知っていますよ、それぐらい」
「正気だとは思えないわね」
「この上なく正気ですよ。起源であるあなたの血は僕たちにとっては、救いの可能性があるんです」 
「どういう事?」
「あなたの遺伝子で、僕たちのこの奇形を直したいんです」
「は?」
 予想外な台詞に、フローランスの再び眉間に皺が寄った。
「それ、誰の入れ知恵?」
「生物学者とおっしゃっていました」
「・・・そいつの特徴は知ってる?」
 まさかこの除外の町で、その奇妙な通名を聞くとは思っていなかった。
「ええ、特徴的でしたから」
「目に長丸のレンズ掛けてなかった?」
「ええ、掛けていましたね」
「ちっ、やっぱり生きてたんだ」
 それを知っただけで、一瞬で不愉快になった。
「そいつ、どこにいる」
「知りません」
 ダメ元だったが、情報が得られないのは残念だった。
「忠告しておくけど、あいつの話は信用しないほうがいいわ」
 あの生物学者が雄弁なのは認めるが、情報はほとんど虚偽に近いものが多かった。
「どうしてそう云い切るんですか」
「昔から嘘つきだからよ」
「根拠はそれだけですか」
「いいえ、それだけじゃないわ。人の血液は治療薬には絶対にならない」
 これは私の経験上、揺るがない事実だった。
「人ならば、そうですね。でも、あなたは違います。あなたは特別なのですから」
「血液に特別なんてありはしないわ」
 自分の血が特殊なのはわかっているが、特別であるはずはなかった。
「しかし、僕たちの先祖は・・・」
「黙れっ!」
 男の台詞に、思わず叫ぶような電波を発してしまった。隣にいた春斗が、一瞬頭を押さえて顔を歪めた。周りも驚いて後ずさっていたが、正面の男だけは怯まず、無表情でフローランスを見つめていた。
「それ以上は云えば、この場で殺す」
 しかし、先祖という単語はフローランスにとってはタブーなので、場の空気より黙殺を優先させた。
「すみません。これは禁句でしたか・・・配慮が足りませんでしたね」
 男は申し訳なさそうに、フローランスに謝罪した。
「それもあいつから聞いたの?」
 フローランスは睨むかたちで、男に質問した。
「ええ」
「やっぱり、あいつは殺す必要があるわね」
 このままデマを流されると、フローランスに実害を被りそうだった。(もう若干、被っている気がする)
「なんの話だ?」
 すると、ここで春斗が話に入ってきた。
「し、知って欲しくない」
 これはフローランス個人の問題なので、春斗には話したくなかった。
「なら、いいや」
 こちらの意図を汲んでくれたようで、春斗があっさり身を引いてくれた。
「ごめん。なんか私、隠し事ばっかりだね」
「別に気にしてない。知られたくない過去なんて誰にでもあるだろう」
「ありがとう」
 春斗のこの寛容さは、フローランスにとって救いだった。
「頼みを聞いてくれませんか」
 ここで男が、話を戻すように仕切り直してきた。
「私より、あいつの云い分を受け入れるってことね」
 嘘だと云っても、男は生物学者の方を信じるようだ。
「実際、この目で確認しましたからね」
「は?」
「あなたの血で奇形が治ったんですよ。あの修復の早さには驚嘆しました」
「残念だけど、私はあいつに血をあげたことはないわ。そもそも、どうやって私の血だと見分けたのよ。まさか、あいつの云う事をそのまま真に受けたんじゃないでしょうね」
「そ、それは・・・」
 フローランスの云い立てに、男は電波を詰まらせた。奇形の彼が何かにすがりたいのはわかるし、誰の血かなんて気にしないのも理解できるが、生物学者の言を鵜呑みにして、フローランスに求めるのは不愉快なのでやめて欲しかった。
「目の前の事実に踊らされて、私の血かどうかも疑わなかったのね」
「それなら、これから試せば・・・」
「リスクが高すぎるわ。死よりも酷い苦痛を味わう可能性もあるのよ」
 これは嘘ではなかった。
「まあ、いいわ」
 ここで男たちに説得しても意味がないので、目を閉じて瓶の生成を始めた。春斗とリンは、それを黙って見ていた。
「血はあげるわ。その代わりここは通してもらうわよ」
「構いません。僕たちは、あなたの血液だけが目的なのですから。しかし、狂人には気をつけて下さい。彼らは、制御できませんので」
「別に、それは期待してないわ」
 フローランスは両手の手袋を外して、人差し指を爪で切った。深く切った為か、大量に出血した。その指を生成した小瓶に差し込んだ。
 しばらく差し込んでいると、瓶には半分の血が溜まった。
「これぐらいでいいか」
 瓶から指を引き抜いて、自己治療を施した。瓶の上に手を添えて、蓋を生成して密封した。
「はっきり云うけど、血液だけで奇形は直らないわ」
 手袋をしてから瓶を投げて男に渡すと、慌てた感じでそれを受け止めた。
「ありがとうございます」
「礼はいらないわ。云われることはしてないから」
 フローランスがそう云うと、彼らは頭を下げてこの場を去っていった。
「馬鹿な人たち、血液なんて決して万能薬にならないのに・・・」
 それを見届けながら、フローランスはやるせない気持ちになった。
「それでも、人の姿に戻りたいんだろ」
 春斗がフローランスの横に来て、そんなことを云ってきた。
「正直に云って戻れないわ。奇形を直すには、長い時間を掛けて自分の体質を見直さないといけないのよ。それを放棄した彼らに、直る可能性なんてゼロに近いわ」
「なんでそれを云ってやらなかったんだ」
「ああいうタイプは、云うだけ無駄なのよ。信者の目と一緒。あの信じきった目を見るだけで、虫唾が走るわ」
 フローランスは昔のことを思い出し、不愉快な気分で吐き捨てた。
「行きましょう。かなり足止めされたわ」
「フローランス。できれば、サーミャを止めてきてくれないか」
 ここで春斗が、真剣な顔で頼んできた。
「へ?なんでよ」
「なんか動乱が起こりそうにないし」
 そう云われて周りを見たが、誰かが襲ってくる気配は感じられなかった。逆に不気味なくらい静まり返っていた。
「そう・・・ね」
 いつもと違う澄み切った空気に、フローランスは若干不思議に思った。
「なんか変だぞ」
 すると、カーミルが建物の中を覗き込んで、春斗を手招きした。
「どうした?」
「建物の中に死体がある」
「サーミャが殺したのか?」
「いや、殺し方が全く違うぞ、この死体」
 カーミルが家に入り、死体があるであろう場所にしゃがみ込んだ。あまり見たくないようで、春斗は恐る恐る中を覗き込んでいた。
 春斗の後ろから死体を確認すると、バラバラではなく、原型が分からないほどミンチになっていた。血が建物全体に飛び散っていて、一人分の血の量ではなかった。
 死体が気になり、建物に入って壁の血を指で拭って確認した。
「これ、あまり時間が経ってないわね」
 乾燥具合と気化具合から、60タウぐらいしか経っていなかった。
「あのさ、この一帯っていつもどんな感じなんだ?」
 これを見た春斗は、この町の日常が気になったようで、いまさらながらに訊いていた。
「狂人が音に反応して襲ってくる」
 これにカーミルが、端的な説明をした。
「私が通ったときは一人相手してたら、追加で二人の狂人が襲ってきたわ」
 フローランスは、実体験をそのまま春斗に伝えた。
「さっきの奴らは襲われないのか」
 一瞬なんのことかわからなかったが、血を与えた人たちのことを云っているようだ。
「さあね。襲われない工夫でもしてるんじゃない?」
 あまり興味がないので、適当な憶測で答えておいた。
 それよりも、肉片になっている死体が気になって簡易的に調べてみることにした。
 血を分析すると、奇妙な成分があることに気づき、急いでサーミャの所に向かう必要が出てきた。
「ごめん。サーミャが危ないから先に行くわ」
 春斗に断りを入れて、高速でサーミャの元へ向かった。

第三話 警戒

 フローランスを見送りながら、春斗がリン達に意見を聞いてきた。
 これにカーミルが、追いかけないのかと逆に質問した。
 すると、春斗が危険そうだから行かないと返した。確かに、サーミャが危ないとフローランスは云っていたので、行くと邪魔になる気がした。
 フローランスが何に気づいたのかを知りたいようで、春斗がカーミルに尋ねた。
 しかし、カーミルがそんなこと知るはずもなく、何かを分析していたことを告げた。
 これを知って、カーミルにはできないのかと、春斗が無茶振りした。
 カーミルは不愉快そうな顔をして、分析は高等技術だから誰でもできるわけじゃないと云った。それは間違いなかったが、豊富な知識がないと分析できても意味がなかった。
 流れでリンにも聞かれたが、普通にできないと答えた。そして、死体に触ったら侵蝕することも伝えた。これにカーミルも同意見の電波を発した。
 これを疑問に思ったのか、春斗が首を傾げて死体でも侵蝕するのかと訊いてきた。
 当然だと思ったが、思い返してみるとフローランスが死体に触れていたことがあった。
 春斗の疑問を解消する為、フローランスの行為は一般的ではないと云っておいた。
 すると、春斗が虚しそうな電波を発し、そろそろ行こうと促してきた。
 これにカーミルが嫌々な感じ面を出すと、春斗が目的地はこの先だろうと呆れながら指摘した。
 警戒はした方がいいと云うカーミルの助言を受けて、春斗からリンに警戒するよう指示された。ずっと警戒しているリンからすれば、いまさら感は否めなかった。が、頷く程度の返事はしておいた。
 走ろうとすると、春斗が陣形はもうやめて、横一線に走ろうと提案してきた。おそらくだが、フローランスがいないことであの陣形の効力がなくなるのだろうと勝手に思うことにした。
 リンは、春斗の速度に合わせて並走した。
 走り出したところで、春斗がここ一帯の人の特徴をカーミルに訊いた。さっき聞いていたはずだが、詳細な情報を引き出したいように感じた。
 これに対して、カーミルは人の成れの果てとフローランスと似たようなことを云った。
 春斗が具体的な説明を求めると、カーミルは精神と肉体が崩壊した人外のことだと云い切った。
 この話を春斗が膨らまし、狂人がここに集まる理由をカーミルに尋ねた。
 この質問には、狂人になる前に来ているだけで、別に狂人がここに集まる訳じゃないと語った。
 話が終わると、春斗の鼻が何かを感じ取ったようで、手で鼻を覆った。
 カーミルがどうしたのかと尋ねると、死体の状況が変わってきていると春斗が死体の方に視線を移した。確かに、ここまでの死体は切断だけだったが、さっき建物にあった死体と同じようなものが目に付き始めた。建物には血が飛び散っていて、所々に血溜まりができていた。血の昇華も見られたが、時間はさほど経っていないようだった。
 この光景にカーミルが、眉を顰めてたじろいだ。どうやら、この状況はこの一帯でも珍しいことのようだ。
 すると、春斗が血も侵蝕するのかと疑問を投げてきた。リンは知らなかったので、答えはカーミルに任せた。
 カーミルの話によると、皮膚に付くのは問題ないが、その血に真核単細胞生物が潜んでいたら、侵蝕されると納得の説明をした。これはリンとしても、有難い情報だった。
 この流れで、春斗がさっき血を貰った人のことを気にし出した。
 カーミルもそれは気になっていたようだが、血を体内に入れるなんて、意味があるとは思えないと表情を歪めた。リンには狂気としか思えなかったが、あの人たちが何かを信じ切っていることだけは伝わってきた。
 血溜まりを避けながら前に進むと、後ろから足音が聞こえた。
 春斗の服の袖を引っ張ると、足を止めてリンを方を見た。
 誰か後ろから来ていると云うと、春斗は素早く後ろを振り返った。
 カーミルが自身無さそうに、迎え撃つかと強気の発信をした。
 これに春斗が、脇道に逸れようと消極的なことを云って、前の曲がり角を左に曲がった。リンとカーミルもそれに続いた。
 春斗は、すぐ横の壁にもたれ掛かって布で鼻を覆った。どうやら、空気中に蔓延している鉄の臭いがきつかったようだ。
 カーミルが不思議そうに春斗を見ていたが、その視線を気にせず、誰かが通り過ぎるのを横目でじっと待っていた。それに倣って、リンも臨戦態勢を取った。
 しばらくして、男がかなりの速力でリン達の横を通っていった。こちらには気づく様子はなく、表情からはかなりの焦りが窺えた。
 春斗は少し安堵して、肩の力を抜いた。服の色からして民主組織だったが、カーミルの知り合いではないようだ。
 男の行き先に、フローランスがいることをなぜか春斗が気にし始めた。
 これにはカーミルが呆れて、民主組織は逃げるのには長けているから、かち合う前に避けると断言した。あの必死の形相を見て、そこまで気が回るとは思えなかったが、それは気にしないでおくことにした。
 春斗は、さっきの男が何かに追われているのではないかと云った。それは足音を聞けばわかりきったことだったが、春斗にはまだ聞こえないようだ。
 少し遠かったが、一応複数の足音が近づいていることを春斗に教えた。
 すると、春斗がすぐさま隠れようと決断した。
 これにカーミルが、フローランスとかち合うかもしれないことを示唆したが、春斗は複数だから自分たちだけでは撃退できないと情けないことを堂々と云った。
 呆れていると、カーミルもそれは否定できないと春斗に賛同した。なんとも息の合った情けない二人だった。
 春斗が建物を見て、一旦適当な家に入ろうと信じられないことを云った。誰がいるかもしれない狭い空間は、相手のテリトリーで危険しかなかった。
 さすがのカーミルも動揺を隠せず、危険すぎると春斗を止めた。
 危機感がない春斗は、不思議そうにリンとカーミルを交互に見た。
 カーミルが一度リンに視線を送ってきたが、何が云いたいのかわからず、黙って彼を見返した。
 そんなリン達をよそに、春斗は無造作に建物のドアに手を掛けた。相変わらずの無防備な行動だった。
 それを見たカーミルが慌てて、春斗を止めた。行動は間違っていないが、電波が広範囲に広がっていて、中にいる住人に悟られると思った。こちらに近づいてくる足音を気にすると、あと3タウほど掛かる感じだった。
 家に入ることを嫌がったカーミルが、屋根に登ることを提案した。これはなかなか良い提案だと思った。
 しかし、春斗は3メートル近い壁を見上げて無理だと首を横に振った。確かに、春斗の体重では筋力があっても、登るのは無理だと感じた。
 あと2タウでここに来るので、春斗にそのことを伝えた。
 春斗はカーミルに屋根に上がるよう指示を出し、リンには一緒に家に入るようお願いしてきた。個人的に嫌だったが、頼まれた以上従うことにした。
 春斗がドアノブを下げて扉を押すと、ゆっくりと奥に開いていった。春斗の後ろから家の中を見ると、薄暗くて光が奥まで届いていなかった。
 春斗に中の確認を頼まれたので、全神経を集中させて扉の前に立った。後ろから非殺を指示されたので、正面を向いたまま応じておいた。
 ゆっくり入ると攻撃の的にされるので、素早く中に入ることにした。
 部屋の中心に移動すると、左奥から音が聞こえ、若干空気の歪みを感じ取った。
 リンはいつでも迎撃できるよう全神経を集中させて、部屋の奥へ少しずつ進んだ。相手が侵入してきたリンに驚いたようで、短い電波を発した。
 0.5タウほどここの住人と対峙していると、外から春斗とカーミルのやり取りが聞こえてきた。
 安全だとわかったからなのか、カーミルが屋根に行くは止め、春斗と一緒に中に入ってきた。
 カーミルが扉を閉めたところで、対峙している相手から怯えたような電波が聞こえてきた。
 これに春斗が、謝りながら少しやり過ごさせて欲しいとへりくだりながら、わざわざ敬語でお願いした。追い出せば話は早いのに、ここの住人と話し合うようだ。
 暗闇に目が慣れてくると、相手の顔が見えてきた。頭から足首まで白い服で覆っていて、肌を晒しているのは顔だけだった。
 やり過ごすという意味がわからなかったようで、相手が警戒を解かずにそれを復唱した。リンからしても、そんな交渉する意味がわからなかった。
 春斗は一時的でもいいのでと、丁寧な調子で相手に再度お願いした。
 この申し出に、住人があれが始まったのかとよくわからないことを云い出した。
 あれの意味がわからない春斗は、それは何かと疑問を投げた。住人がさらに困惑すると、春斗がこの町の住人じゃないことを補足した。
 ここでようやく住人が、やり過ごす目的を訊いた。
 これに春斗が、人とかち合いを避けるためだと云って扉を開けようとした。時間的にも、ここを通り過ぎていることは間違いなかった。
 扉の向こうに誰かいると思ったようで、住人が不安そうに春斗を呼び止めてきた。
 別に追われているわけじゃないと春斗が弁明して、家から出て周りを確認した。
 周囲には誰もいないようで、春斗がリン達に出るよう促してきた。
 リンが外に出ると、春斗は住人にお礼を云って、扉をゆっくり閉めた。
 春斗が警戒しながら、リンに誰か来るかを確認して欲しいと頼んできた。周囲の音を聞き取ったが、こちらに向かってくる音はなさそうだった。
 それを伝えると、春斗がフローランスの後を追おうと云って走り出した。
 しばらく死体がある大通りをゆっくりとした速度で走っていると、徐々に死体が減っていった。ここまで空気の成分に過剰な鉄が漂っていたからか、春斗はずっと布を鼻に当てていた。
 なかなかフローランスに追いつけないことが不安なのか、春斗が彼女のいる場所をリンに訊いてきた。
 リンは音と空気の歪みから距離を測り、まだ数キロメートル先だと答えた。的確な距離を算出したことに、春斗は驚きの表情をした。
 すると、建物の上の方からこちらに近づいてくる足音が聞こえた。
 リンは春斗の前に入り、止まるよう促した。
 春斗がそれに気づき足を止めると、カーミルも同じように立ち止まった。
 リンが上を見ると、そこには二人の男がこちらを見下ろしていた。一人は短い黄髪で、もう一人は青紫の長髪だった。
 二人の男はかなり殺気立っていて、今にも襲い掛かってきそうな形相だった。春斗もそれを察したようで、嫌な予感がすると小さな電波を発した。カーミルもそれを肌で感じたのか、もう逃げる態勢を取っていた。
 二人の男が飛び降りてきたので、リンはナイフを生成して、春斗の前で臨戦態勢を取った。男たちは服の上から急所部分だけを鉄で覆い、武器を持っていた。黄髪の男の武器は長剣で、もう一人の青紫の男は薙刀のような武器だった。
 男たちと対峙すると、黄髪の男がリン達の通ってきた死体を見て、おまえ達の仕業かと聞いてきた。
 これに春斗が違うとはっきりと答えると、男たちは春斗の云うことを鵜呑みにしたようで、ゆっくりと臨戦態勢を解いた。
 黄髪の男が、矢継ぎ早に誰がやったか知っているかと尋ねた。
 大半はサーミャが殺したと思われるが、春斗は平然とわからないと云い切った。ここまで真顔で嘘を付ける春斗は、まるで人形のように見えた。
 あまりの堂々とした態度に、黄髪の男はそれを信じて武器を下ろした。
 そして、リン達の組み合わせに眉を顰めた。まあ、当然と云えば当然の反応だった。
 春斗とリンは未だに武力組織の羽織物を着ていたが、黄髪の男がカーミルを民主組織だと云い当てた。
 それに春斗がよくわかったなと云うと、黄髪の男がすぐに逃げる体制を取ったからだと明確な答えを告げた。そう云われてカーミルを見ると、気まずそうな顔で目を泳がせていた。
 黄髪の男の話だと、最近の変死体が多く発見されていて、ここ周辺の人口が激減しつつあるそうだ。この話を聞いて、なぜこの二人が調べているのかと不思議に思った。
 話は続き、黄髪の男が原因を探っているが見当も付かないと語った。これにはもう一人長髪の男が、ここまで云っていいのかと割って入った。
 すると、黄髪の男が今は人手が足りないから仕方がないと独白した。
 犯人はフローランスだと長髪の男は推測しているようで、さっさとそいつを捜そうと急かしたが、黄髪の男はもしそうなら二人では対処できないと首を振った。
 その弱気な台詞に、長髪の男は二人で掛かれば勝てると楽観的に豪語した。
 ここで春斗が、犯人はフローランスではないと余計なことを発した。
 これに長髪の男が敏感に反応し、どういう意味だと睨みつけた。
 春斗は怯む様子はなく、確証があるからと事実を伝えた。これは揉める要因になると思ったが、思惑があるのだろうと思い直し見守ることにした。
 春斗がこの先にフローランスがいると云うと、長髪の男が驚いた顔で春斗の指差した方向を向いた。
 すると、黄髪の男がなぜフローランスがそれを知っているかを訊いた。まあ、これは当然の流れだった。
 春斗はこれに対して、フローランスと一緒にここに来たからと疑いを増すようなことを云った。これはこじれると、反射的に思った。臆病者のカーミルに至っては、春斗から少し距離を取っていた。
 これには黄髪の男が、信じられないと驚いた。彼のフローランスへの印象は、孤高だと思っているようだ。これはサーミャと同じ意見だった。
 春斗がそれは昔のことだと云うと、黄髪の男はそれでも信じられないと首を横に振った。
 ここまで疑う黄髪の男に、春斗は先に行って確かめたらいいと促した。
 すると、長髪の男が春斗に猜疑心の目を向けた。どうやら、主犯が春斗だと考えたようだ。そこに行きつくのは、仕方がないとリンも思った。
 しかし、春斗は呆れ顔で、どう考えたらそうなるのかと肩をすくめた。春斗の思考からずれば、長髪の男とリンの思考は理解できないらしい。
 長髪の男は実行犯ではなく、黒幕として春斗を疑っていると敵意を向けた。春斗がフローランスをそそのかして、動かしたとなかなか筋の良い推理をした。
 春斗は呆れたまま早計だと云い、仮説で争うのかと挑発的なことを云った。が、その肝の据わりようは、推理が間違っているかのような錯覚を覚えさせる態度だった。
 二人が敵意をむき出しにしたので、リンは春斗と男たちの間に入った。すると、二人はたじろいて一歩下がった。人形と戦ったことがあるのか、リンへの恐怖心が見て取れた。
 それを見た春斗が、ここぞとばかりに殺し合いになると脅しを掛けた。このはったりは、二人には有効なようで互いに目配せをしていた。
 春斗がどうするのかと訊くと、黄髪の男がやめておくと云って、武器を下ろして一歩後ろに下がった。長髪の男も不利だと思ったようで、構えた武器を片手に持ち変えた。
 その判断に、春斗が賢明で助かると云った。戦闘にならずに済んだことに、春斗は肩の力を抜いて安堵の様子を見せた。
 だが、彼らの後ろから迫ってくる人を見て、春斗が険しい顔になった。
 足音からも近づいてくるのはわかっていたが、フローランスがこちらに近づいていた。春斗の表情の変化を不思議に思ったようで、二人が後ろを振り返った。
 長髪の男がフローランスだと云うと、黄髪の男がそうなのかと答えた。どうやら、彼はフローランスを見るのは初めてのようだ。そして、フローランスを見るなり、噂通り変な服装だと毒づいた。
 黄髪の男がすぐさまこの場から離れると、長髪の男も慌てた様子で追いかけた。
 フローランスが少し息を切らせて、春斗の前で止まった。彼女はサーミャを肩に担いで、服は所々昇華が進んでいた。瞬時に何かあったのか気になったが、リンから訊くのはやめておいた。
 そう考えていると、春斗がリンの代弁するようにそのことを訊いた。
 フローランスは溜息をつきながら、いろいろあったと曖昧に答えて、それよりも誰かいなかったかと周りを見渡した。
 それに春斗がもう逃げたと云うと、フローランスが矢継ぎ早にそっちで何人か会わなかったかと質問した。
 春斗が建物に入ってやり過ごしたと返すと、フローランスは安堵した様子で、戦っていたらやばかったと云った。彼女がそう云うのなら、よほど強かったのだろう。
 すると、殺さないようにするのが大変だったと別角度の視点のやばいが飛び出した。どうやら、強いのではなく戦いにくかっただけのようだ。
 春斗が意外そうな顔で、殺さなかったのかと訊くと、不殺を云ったのは春斗だと文句を云った。ここまで春斗の云いつけを守っていることは、リンには驚きに値するものだった。
 すると、春斗が褒めながらフローランスの頭を撫でるという驚愕な行為に出た。リンにもやった行為だが、まさかフローランスにやるとは想像もしなかった。カーミルはそれを見て、目を見開いてフリーズした。
 それをされたフローランスを見ると、驚いた顔の後に顔が徐々に赤くなっていった。
 そして、あからさまに狼狽して、春斗から一歩下がった。頭を撫でる行為はリンには説明していたが、フローランスにはしていないはずだった。彼女がこの行為をどう思ったのか、個人的に訊いてみたかった。
 フローランスの態度に、春斗は嫌だったかと悪びれると、赤面のまま首を左右に動かして、途切れ途切れの台詞を電波に乗せた。
 それを見た春斗が申し訳なさそうな顔で、頭を撫でる行為は褒めることだと説明した。
 フローランスが自分の頭を撫でられた所を再度自分の手でなぞった。褒められたことを知ったからなのか、少し嬉しそうに微笑んだ。
 ここでカーミルが、話を戻すように割って入ってきた。
 これにフローランスは、主犯はもう殺したとさっきと反するようなことを云った。
 春斗もそれを感じて、驚いた様子で殺したのかとフローランスを見つめた。
 それをかわすように、フローランスは視線を逸らして人じゃないと弁明した。そして、死の森にいた怪獣みたいなものだと付け加えた。
 春斗は周りの死体を見て、その怪獣がやったのかと尋ねると、フローランスが頷いてメオドロがやったと衝撃的なことを云った。リンが知っているメオドロとは生物の天敵だった。
 ここで春斗が、天敵は人だけじゃないのかと疑問をぶつけた。
 フローランスは少し不機嫌そうな顔で、メオドロは多くの元素を取り込んだ化け物で、人が造ったものだと答えた。これはリンも知っていて、出会ったらすぐに逃げるよう教育もされていた。
 この事実に、春斗が人工物で生命体を造ったのかと驚いたような電波を発した。
 フローランスの話によると、一人の生物学者が造ったものだと不機嫌そうに大きく息を吐いた。
 カーミルはメオドロのことは知らないようで、そんな生物がいるのかと驚いていた。どうやら、逃げ専門の民主組織には教えられていなかったようだ。
 ここからはリンも知らない事実が、フローランスから語られるのだった。

第四話 喪失

 フローランスは、生物学者とメオドロのことをどこまで話そうか悩んだ。
「メオドロって、どういう生物なんだ?」
 春斗が知りたそうだったので、フローランスの知る限りを教えることにした。
「メオドロは、生物学者が生成した単細胞生物を動物に移植したものよ」
「そ、そんなことができるのですか?」
 傍で聞いていたカーミルが、率先して話に入ってきた。民主組織のカーミルが知らないことは、なんとなく知っていた。
「安心して、貴方には到底無理だから。生命体を生み出すには、多くの知識と実験をしないと、辿り着けない境地なのよ」
 そもそも生物を生成するなんて、この世界の人なら思いつきもしないことだった。
「境・・地」
 カーミルは、驚いたまま復唱した。
「しかし、生成はいずれは昇華するでしょう。生き物にそれが定着するんですか?」
「そうね。だけど、それを生物に寄生させたらどうなるかわかる?」
 カーミルの疑問はわかるが、あの生物学者の知識量はフローランスには計り知れないほどだった。
「それは・・・知りません」
「まあ、そうでしょうね。やったこともないし、やるなんて発想はないからね」
 生物の生成なんて、思いついてもやるなんて狂気の沙汰だった。
「寄生させたら、だいたいは体系が変質するか、乗っ取られるかのどちらかよ」
 これは人から聞いた情報なので、信憑性はかなり低かった。
「乗っ取る?」
「生命体だからね」
「ですが、それだと侵蝕と変わらないのでは?」
 生成しか知らないカーミルには、その先入観が拭えないのも仕方ないと思った。
「細胞の侵蝕と生命体の寄生は根本が違うのよ。侵蝕はただの増殖で、生命体の寄生は意志を持ってるのよ。基本的に細胞全体を取り替えて、最終的に精神を乗っ取るわ」
「なら、俺たちも乗っ取られる可能性があるという事ですか?」
「可能性はなくはないわね。メオドロは、動物に寄生させた成れの果てなのよ」
 名は誰が付けたのか見当はつくが、別に云う必要はない気がした。
「も、もしかして、この死体・・・」
 春斗が周りを見て、青ざめて呆然とした。
「生命体が寄生しようとした結果ね」
 建物の血液を調べた時、人以外の血液が混じっていたので、それは間違いなかった。
「拒絶反応で死んだってことか?」
「んん~、ちょっと違うかも。多分、乗っ取りに失敗したのね」
「失敗?」
「全身乗っ取ったけど、精神干渉に失敗した感じ」
「意味がわからない。肉体だけが乗っ取られても、こうはならないだろう」
 春斗は、死体を観察して首を傾げた。その云い分から察するに、精神と肉体は切り離されていると考えられているようだ。
「私たちは、精神とDNAで肉体を構成されているからね。一つでも欠けたら、肉体の崩壊に繋がるわ。まあ、要するに生命体に身体を乗っ取られた時点で、それを許容するか拒絶するかの二択なのよ」
「そうなのか」
「そういうことだから、血だまりとかには注意してね」
「え、やっぱりこうなっても生命体は生きてるのか」
「さあね。でも、念の為よ」
「わかった。ところで、服がボロボロなのはなんでだ?」
「ああ、これは戦闘で損傷したわけではないわ。ただ単に昇華が始まっただけよ」
 服の昇華した部分を手で摩りながら、目を閉じた。
「敵もいないみたいだし、ここで直しちゃおうか」
 この状態はフローランスとしても不本意なので、ちゃっちゃと直すことにした。
「ちょっと待て、何してるんだ?」
 服を脱ごうとしたところで、春斗が止めに入ってきた。
「何って、脱がないと修復できないわ」
「いや、ここでやるな」
「へ、なんで?」
「目のやり場に困る」
「・・・ああ、春斗たちは人前で肌を晒す習慣がなかったわね」
これは失念していたので、春斗に対しても申し訳なく思った。
「というか、この場で服の修繕をするのはフローランスぐらいです」
 ここでカーミルが、呆れたように指摘してきた。考えてみると、修繕は無防備になるので、人がいる場所でしないことは当然のように思えた。
「ちょっと消えるわ」
 仕方がないので、人目に付かない適当な場所で修繕することにした。その前に、肩に担いでいたサーミャを地面に寝かした。
「それにしても、鉄は重いわね。サーミャもさっさとこんなもの脱げばいいのに」
 フローランスは肩を片手で揉みながら、首を左右に動かした。
「よくここまで運んでこれたな」
「まあね。ちょっと、工夫しないと無理だったけど」
「お、おい、腕がないぞ」
 下ろされたサーミャを見て、春斗が片腕がないことにいまさらながらに気づいた。
「侵蝕されてたから、切断したわ。残念だけど、もう片腕の再生はできないわね」
 切り口からの血は止めておいたが、腕の再生はどうしようもなかった。
「重症だな」
「そうね」
 気絶しているサーミャを横目に、フローランスは軽く頷いた。
「この状態から腕を戻すなら、手段としては生成するしかないわね」
「そんな事もできるのか」
「かなり難しいわ。多くの時間をかけないと無理だし、それができたとしても時間が経過すると昇華するから、日頃から生成しないといけないわ」
「持続しないと腕が落ちるのか」
「そういうこともあるわね。まあ、サーミャにそれができるとは思えないけど」
「やっぱり難しいのか」
「うん。私だったら面倒だから、片腕は扱いやすい武器にするかな」
 腕の生成は自分の肉体の構造を知り、片腕を完全に再現させなければならない。そんなことをするぐらいなら、簡易的な鉄で武器を作ったほうが楽だと思った。
「途方もないな」
 生成ができない春斗は、そんな感想しか出ないようだ。それは仕方のないことだと思ったが、酷く他人事のように見えた。(実際、他人事だが)
「起きたら、十中八九暴れるから注意してね」
 とりあえず、注意喚起をしてからこの場を離れることにした。
「え、ちょっ・・・」
 春斗が止めようとしてきたが、服の昇華を考えると、修繕の方を優先させてもらった。
 建物の屋根へ跳躍し、高い建物を探して辺りを見回した。家に入るのはいろいろ警戒しないといけないので、屋根で服の修繕をすることに決めた。
 数十メートル先に、高い屋根を見つけたので、そこに向かうことにした。反対側に人のいる空気の歪みがあったが、今は無視することにした。
 目的の屋根に着いて、手袋と服を脱ぎ、手早く修繕を開始した。リンの服の刺繍を抜く方法を考えたが、体力を一気に持っていかれるので、後先を考えて通常の補修に留めておくことにした。
 裸の上、屋根での裁縫はなんとも開放感があったが、違和感の方が強かった。
 何気に上空を見ると、いつもと変わらない青い光が照らしていた。いつだったか、あの光を疑問に思ったことがあったが、今ではそれを考えることはなくなっていた。
 あまり余計なことは考えず、裁縫に集中することにした。
 服を完成させるのに、さほど時間は掛からなかった。
 完成した服を着てから手袋を付けて、屋根づたいに春斗たちの元へ戻った。
 春斗たちの姿が見えてくると、全員の配置がそれほど変わっていなかった。
 屋根から下りると、リンが最初に反応した。それにつられるように、二人がフローランスの方を見た。
「早かったな」
 最初に電波を発したのは、春斗だった。
「まあ、今回デザインを変えなかったからね。それより、サーミャは目を覚ましてないの?」
 サーミャを見る限り、まだ意識は戻っていないようだ。
「ああ」
「どうしよっか」
「何が?」
「ここに置いて行くかどうかよ」
 もう戦力にはならないので、連れて行ってもお荷物になるだけだと思った。
「え、置いていくのか?」
「え、担いでいくの?」
 春斗の反応に、フローランスも同じような反応で首を傾げた。
「一つ聞くけど、鎧越しに侵蝕する事はあるのか?」
 その質問は、置いていくことは考えていないようだ。
「ないわ」
 短くそう答えると、上の方から人の視線を感じた。
「ねえ、あそこにいる二人ってさっきここにいた人たち?」
 フローランスは隣の家の屋根にいる二人を見て、春斗に訊いてみた。彼らは、建物の屋根から覗き込む様にこちらを見ていた。
「ああ、そうだな。まあ、気にしないでやってくれ」
「そう。春斗がそう云うなら、そうするけど」
 対応するのも面倒だったので、春斗に従うことにした。
「それより、サーミャは俺が担いでいくよ」
 春斗は、サーミャを片手で拾い上げて肩に担ぎ上げた。
「すごい力持ちね」
 軽々持ち上げる春斗を見て、また一つ体重の利点を知った。
「フローランスもここまで担いで来ただろう」
「私の場合、運ぶ方法が力任せにできなかったわ。磁力を使って、なんとか運んだ感じね」 
 サーミャを置き去りにしようと思ったが、春斗の顔がチラついて、仕方なく運んできたことは云わないことにした。
「悪い、理解できん」
 簡潔でわかり易く云ったつもりだったが、春斗には伝わらなかったようだ。
「えっと、要するに磁力の反発力を利用したってこと?」
「う~ん、まあ、そいうことでいいや」
 反発力は間違っていないが、詳細に説明するのも面倒なので訂正はやめておいた。
「じゃあ、行くか」
 春斗はそう云って、ゆっくり走り出した。サーミャの身体が揺れる度、鎧の継ぎ目が擦れ合って音を立てた。
 リンが並走で走ったので、フローランスも春斗の隣を走ることにした。
 しばらく駆け足で走っていると、春斗が苦悶の表情をし始めた。
「どうしたの?」
「肩が痛くなってきた」
 春斗はそう云うと、サーミャを肩から脇に抱えて、空いた手で肩を摩った。
「その抱え方は危険よ」
「わかってる」
 そう云いつつ、春斗は立ち止まってサーミャを地面にゆっくり下ろした。
「やっぱり無理だった?」
「いや、持ちにくい」
 持ち方が問題なようで、再びサーミャを持ち上げていろんな担ぎ方の検証した。背負うことも抱っこも顔が接触する可能性があるので無理なようだった。
 試行錯誤の末、ある持ち方に行き着いた。サーミャを横にした抱っこだった。しかし、その持ち方に不満があるようで、春斗は大きく溜息をついていた。
「変な持ち方」
 それを見たフローランスは、春斗の運び方を見て思わず笑いそうになった。
「変だな」
 カーミルもフローランスと同意見だったらしく、強い電波でそう云った。
 二人の意見を無視するように、春斗は歩き出した。
「もう走るのはやめよう」
 そして、抱えて走るのは無理だと判断し、歩くことを選択した。
「やっぱり置いていった方がいいんじゃない?」
「それはできん。恩を仇で返すことはできない」
「恩・・ね。同行してくれたことに恩を感じているの?」
「当然だ」
 あんな重苦しい空気にしたサーミャに対しても、そう云い切れる春斗は凄いと思った。
「春斗たちの世界ではそれは常識なの?」
「常識というより良識だな。まあ、どっちも一緒か」
「良い世界ね」
 理想的な世界に、フローランスは自然と表情が緩んだ。
「・・・そうかもな」
 春斗は感慨深そうに、遠い目をして肯定した。
 ここまで我慢していたが、後ろからついてきている二人の気配が、鬱陶しくて仕方がなかった。
「あのさ、やっぱり後ろの二人排除していいかな」
「放っておけって」
「敵意むき出しで、尾行されるのって不快なのよね」
 フローランスは顔をしかめて、後ろにいる二人を威圧した。二人の男はこちらの歩幅に合わせながら、堂々と後ろを歩いていた。これはもう尾行ではなくただの同行だった。
 彼らは警戒を解かず、一定の距離を保った状態でついてきた。カーミルはそれが嫌なのか、春斗の前を歩いていた。彼は、とことん臆病者だった。
「この先に原因があるんだから、それまでの辛抱だよ」
「原因って何よ?」
「メオドロだよ」
「云っとくけど、このペースだと結構遠いわよ」
「えっ!そうなのか?」
「う~ん。そっち世界の時刻にすると、え~と・・・54分ぐらいだと思う」
 悩んで換算してみたが、かなり自身はなかった。
「別にタウでもいいよ。自分で換算できるから。まあ、大まかにだけど」
「換算したのは、気が向いたからよ。ハルトの世界の時間配分は珍しいからね」
 フローランスはそう云って、再び後ろの二人を流し見た。春斗もつられるように、後ろの男たちを見た。
「二人共!この先に原因があるらしいぞ」
 春斗は広範囲の電波を発し、後ろの二人にそう伝えた。
 それが届いたようで、二人が互いの顔を見合わせて、再びこちらを見た。
「残念だが、信じられない」
 これに黄髪の男が、広範囲の電波で返してきた。
「なんでだよ」
「まだ、おまえ達が潔白になっていないからだ」
「まだ疑っていたのか」
「むしろ、疑いが濃くなっているぞ」
「はぁ~、フローランスがいるからか?」
「・・・」
 この投げかけに対して、黄髪の男は黙して何も返さなかった。が、表情を見れば、フローランスが原因なのは明らかだった。
「何?私が原因なの?」
 これには不愉快になり、黄髪の男を睨みつけた。
 すると、黄髪の男が怯んで後ろに少し退いた。
「い、いや、そういうわけじゃあ」
 怖気づいたのか、必死で取り繕う態度を見せた。
「もう戦おうぜ」
 長髪の男が痺れを切らせたように、前に出て戦闘態勢を取った。
「へぇ~、やるの?」
 どうやら、長髪の男は蛮勇の類のようだ。
「いいわ、掛かって来なさい」
 挑発されては、受けて立つしかなかった。
「おい、やめろ」
 ここで春斗が、フローランスを止めに入ってきた。
「いいじゃない。相手がやる気なんだから。安心して、殺さないようにするから。ただ、返り討ちにするだけよ」
「それをやめろって云ってるんだ」
「だけど、あちらはやる気みたいよ」
 長髪の男は武器を構え、今にも襲い掛かってきそうな表情をしていた。
「おい、そいつを止めてくれ」
 それを見た春斗は、黄髪の男に制するよう頼んだ。
「だそうだ。やめておけ」
 黄髪の男が、長髪の男の横から立ち塞がった。
「なぜ止める」
 それが不満なようで、長髪の男が不快感を顔に出した。
「みすみす殺されに行くようなものだからだ」
「俺があいつに勝てないってことか?」
「むしろ、勝てる可能性の方が低いだろう」
「噂どおりの実力だったらの話だろ」
「まあ、そうだが」
 黄髪の男はそう云って、フローランスの方をチラッと見た。
「談ずるより、試してみた方が早いんじゃない?」
 フローランスは、二人の会話をせせら笑った。春斗と会う前から、こういう馬鹿は腐るほど見ているので、挑発するのは条件反射ともいえた。
「ふん。挑発に乗ってやるよ!」
 黄髪の男を避けて、怒りと共に猛スピードでフローランスに迫ってきた。
「おい!」
 必死で手を伸ばして引き止めようとしたが、その手は長髪の男には届かなかった。
「ふふっ、せいぜい足掻いてみなさい」
 相手がどう出るかを見極める為、いつでも対処できるように周囲の空気の割合を調整した。
 長髪の男が武器を振りかぶったので、一気に間合いを詰めて足を引っ掛けた。長物の武器を振りかぶるなんて、馬鹿にもほどがあった。
 軸足だった為、男は前のめりに勢いよく転んだ。
「ハルト、あとはお願い」
 ちょうど春斗の横に転んだので、アイコンタクトで後処理を任せた。
「ああ、そういうことか」
 春斗はそれを察してくれたようで、うつ伏せになっている男の上に足を乗せた。正直な話、その発想はなかったので、ちょっと面白いと思った。
「な、なんだ・・・これ」
 長髪の男は起き上がろうとしたようだが、背中に乗せられた足の重さで微動だにしなかった。春斗の体重に、サーミャの体重も加算されていては無理もなかった。
「な、何をした!」
 うつ伏せの状態では状況がわからず、長髪の男は激しく動揺した。
「さて、ここからなぶってあげましょうか?」
 フローランスは脅しを掛けるように、長髪の男に淡々と告げた。
「わ、悪かった。俺が悪かったから、許してくれ」
「変なことを云うのね?貴方は、別に悪くないわ。ただ戦いを挑んだ相手が悪かっただけよ」
 ここは恐怖を煽るように、長髪の男の傍にしゃがみ込んで小さな電波で囁いてみた。
「で、どうする?まだ、戦う?」
 最後の一押しに、フローランスはにやけながら戦意があるかを尋ねた。
「いや、た、戦わないから命だけは助けてくれ」
「助けて欲しいって云ってるけど・・どうする?」
 どうせ春斗に判断を委ねても、殺すことなんて頭にないので、先に黄髪の男の意見を聞いてみることにした。一応、脅すように云ったことは云うまでもない。殺さないなら、徹底的に恐怖心を植え付けるのが、フローランスの自己防衛手段の一つだった。
「おい、まだやるのかよ」
 すると、春斗が呆れながら間に入ってきた。
「まあまあ、ちょっと考えがあるから、ここは私に任せて」 
 そんな春斗を抑えて、黄髪の男に再びどうするかを尋ねた。
「人質か・・えらく卑怯だな」
「人質?そんなつもりはないわ。ただこの状況で、貴方がどう行動するのか興味があるだけ」
 これは人の性格が出るので、個人的に聞いてみたかった。
「それに、これ以上付き纏われるのはごめんだしね。で、どうする?」
「もう付き纏わないから、そいつを放してやってくれ」
 黄髪の男は一考する間もなく、すぐに答えを出してきた。
「賢明で良かったわ」
 個人的には満足のいく答えだったので、フローランスは春斗にアイコンタクトで開放を促した。春斗は軽く顎を引いて、乗っけていた足をどかした。
 長髪の男は瞬時に立ち上がり、3ステップで黄髪の男の元へ戻っていった。
「約束は守りなさいよ」
 フローランスは、二人に念を押すように笑顔で忠告した。
「磁場と空気の調整を瞬時にできる相手とは戦いたくない」
「へぇ~、あの一瞬で見抜いたんだ」
 黄髪の男の方は、空気の流れを敏感に感じ取れるだけの感覚は持っているようだ。
「動き出しが不自然だったからな」
「ふ~ん、そこまで感じ取れるなら、私と戦ったら勝てるかもよ」
「さっきも云ったが、化け物と戦いたくない」
「酷い云われようね」
 云われ慣れているとはいえ、直に云われるのは不愉快だった。
「もういいだろう。さっさと行ってくれ」
 ここで春斗が話に入ってきて、二人を追っ払うような手の動きをした。
「そうだな。おまえも満足しただろう」
 黄髪の男は意気消沈の相方を見て、たしなめるように云った。
「もうあいつには関わりたくねえ」
 長髪の男から仕掛けた癖に、まるで自分が襲われたような云い草だった。
 二人は屋根に飛び移り、屋根づたいに走っていった。
「俺たちも行くか」
 春斗は、それを見送ってから歩き出した。
「あ、待ってよ」
 急だったので、フローランスは慌てて春斗に駆け寄った。何気なく春斗の両腕に抱えられているサーミャを見たが、未だに気を失ったままだった。
 しばらく歩いていると、春斗が少し歩幅を速めたので、フローランスもその歩幅に合わせた。
「周りの様子が変わってきたんだが・・・どういうことだ?」
 血だまりはまばらになり、倒れている人が目に付き始めた。
「ああ、これ、気絶しているだけだよ」
「なんで知ってるんだ?」
「私がやったから」
「は?」
 これには驚いたようで、フローランスを凝視した。
「大丈夫、殺してないから」
 勘違いされては困るので、そこはちゃんと弁明しておいた。
「そういう問題じゃない」
 が、春斗はフローランスを責めてきた。これは心外にもほどがあった。
「だって、こいつら狂おうとするんだもん。黙らすしかないじゃない」
「どういうことだ?」
「私を見た瞬間、脳内で大量に麻薬を生成したみたいでね。だから、仕方なく」
「こいつら気絶してるのか」
「うん。しばらくしたら、目を覚ますかも」
 中には手加減できない馬鹿もいたので、全員が目を覚ますかは自信がなかった。
「じゃあ、さっさと通り抜けるか」
 春斗は下を気にしながら歩き始めたので、フローランスも春斗の横を人を踏みながら歩いた。
 すると、春斗が眉を顰めて嫌悪感を面に出した。
「どうしたの?」
 それが気になり、首を傾げて春斗に訊いた。
「う~ん。気にするな。ちょっと個人的に不愉快になっただけだ」
「それ、滅茶苦茶気になるんだけど」
「・・・できれば、倒れている人を踏まないでやってくれ」 
 春斗は少し躊躇うように、フローランスの足の下を見て云った。
「へっ?」
 驚いて下を見ると同時に、倒れている人を踏みつけた。
「ああ、これね。わかった、気をつけるわ」
 故意的に踏みつけていたのだが、春斗から注意されたので、知らない人から足をどけた。転がっている彼らは、問答無用で襲い掛かってきたので、個人的に今でも腹が立っていた。
「ところで、訊きたい事があるんだけど」
 その感情は脇に置いておくとして、春斗に訊こうと思っていたことを不意に思い出した。
「どうした?」
「ハルトの身体の構造ってどうなってるの?」
「突然どうした?」
「この先にね、死体があるんだけど、どうも私たちと身体のつくりが違うみたいなのよ」
 思い返しても、少し複雑な構造で正直気持ち悪いと感じた。
「あれって、もしかしたらハルトの世界の人かもしれないと思ってね」
「どんな死体だった」
 死体でも自分の世界の人には興味があるようで、春斗は食い気味に訊いてきた。
「なんか腸が異常に長かった。あと、筋力がかなり発達してたわ。まあ、私たちよりはだけど」
「多分、そうかもしれないな」
 この情報だけでは断言できなかったようで、自信なさそうに答えた。
 すると、サーミャの身体が小刻みに動いた。
「おっ、目を覚ましたみたいだな」
 春斗がそれに気づき、サーミャの顔を覗き込んだ。
「やっと、目覚めたのね」
 春斗につられて、フローランスもサーミャの顔を覗き込んだ。
「あれ?」
 サーミャは呆然として、フローランスと春斗の顔を交互に見ながら、今の状況を確認していた。
 そして、自分が担がれている事実に真っ青になった。
「は、放して!」
 サーミャはそう叫んで、がむしゃらに暴れ出した。まあ、これは当然の反応だった。
「落ち着け、今降ろすから」
 春斗もこうなることはわかっていたようで、全く慌てる様子はなかった。
 混乱して暴れているサーミャをゆっくり地面に降ろすと、サーミャが全速力で離れた。そして、自分の身体の違和感にすぐに気づいた。
「う、腕・・が」
 あるはずの場所に、片手を当てて電波を震わせた。
「残念だけど、それは現実よ。貴女の腕は侵蝕された。そして、戻らない」
 フローランスは、サーミャに事実を告げた。これは避けられないことだし、自分が一番よく知っているはずだった。
「あ、ああ・・・あぁ~~~~~~」
 フローランスの台詞が頭に入らないようで、サーミャは悲痛な表情で絶叫した。こうなる前に気絶させたのだが、やはり先延ばしにしかならなかったようだ。
「気持ちはわかるけど、現実を受け入れなさい」
 ここで発狂されるのは厄介なので、フローランスはなんとか宥めようと試みた。
「~~~ぁ~~~あああ~~」
 叫びが徐々にかすれ、ふらついた足取りで歩を進めたが、三、四歩で足がもつれてその場に倒れた。片腕がなくなったことで、バランスを保てないようだ。
 サーミャは、うずくまったまま嗚咽を漏らした。この絶望の呻きを聞くのは二度目でもあった。
「やっぱり、置いていったほうが良かったかもね」
 精神が不安定になるのは予測できたが、片腕だけで絶望されるのは、命を助けたフローランスからすれば大げさに見えた。
「わ、わたしの・・う・・で・・・」
 この分では、立ち直るまでにかなり時間を要するのは確実だった。
「困ったな」
「どうする?置いていく?」
「う~~ん」
 これには春斗が本気で迷った。フローランスから見ても、説得できるとは思えないし、慰めなんて気休めにすらならないと思った。この場合は、正直放って置くのが一番だった。
「ああああああああ~~~~~~~~~~~~~」
 そう考えていると、サーミャが今まで以上に絶叫した。この症状は見飽きているので、フローランスは酷く冷静だった。
「やっぱりそうなるのね」
 正直、腕一本無くなった程度で狂人になるなんて、心の底から軽蔑した。
「な、何が?」
「脳内で現実逃避してるわ」
「脳内でって・・・」
 そう説明していると、サーミャの様子がおかしくなってきた。うずくまったまま、全身を震わせた。麻薬で神経に異常をきたし始めたようだ。
「やばい、狂うわ」
「え!」
 フローランスがそう云うと、サーミャが勢いよく立ち上がった。目は白目を剥いていて、完全に脳内麻薬で意識を飛ばしていた。
「どうする?殺す?」
 狂人になると確実に襲ってくるので、そうなる前に春斗の意見を訊いてみた。
「殺すな!取り押さえろ」
「はぁ~、優しいね」
 予想はしていたが、迷いのない判断は嬉かった。
 完全に狂人になる前に、サーミャの動きを止めることにした。
「少し眠ってなさい」
 サーミャの頭を掴んでそのまま、地面に叩き付けた。
「ぐっ!」
 狂人になりかけてたとはいえ、サーミャは片手で頭を押さえて直撃を免れた。頭を起点にして片手で地面をはじき、体を反転させて態勢を整えた。フローランスはすぐに距離を取り、春斗の横に付いた。
「やっぱり、一筋縄じゃあいかないか」 
 こういう本能的な動きは、戦いを多く経験した人ほど強くなる傾向があった。サーミャはこちらに顔を向けていたが、目は虚ろで意識があるとは思えなかった。
「ど、どうしたんだ?」
「精神が耐え切れなくて、無意識に脳内で麻薬を生成したのよ」
 サーミャはブルブルと体を震わしながら、目が小刻みに揺れていた。
「弱い人」
 それを見て、思わず嘆息した。
「どうすれば、元に戻る?」
「平静に戻ることは、しばらくないわ。一時的にしろ、ここまでの急速な自我の喪失は、大量の塩酸ジアセチルモルヒネを生成したのかもね」
「あれって、一時的には精神を安定させるんじゃないのか」
「それは適量の話でしょう。大量に摂取すれば精神が壊れるに決まってるじゃない」
「じゃあ、もう正気に戻れないって事か?」
「はっきり云って無理ね。強制的に戻しても、極度の依存症が残るわ」
「要は、正気に戻っても救われないってこと・・か」
「そうね。ここから戻ってもかなり苦しむことになるわね」
 春斗は、狂ったサーミャを同情の眼差しで見つめた。狂う前より、狂った後の方が苦しいことは誰しもがわかっていることだった。それなのに、狂ったということはもう現実を受け入れないことを意味していた。
「どうするの?見捨てる?殺す?・・・それとも正気に戻す?」
 春斗に迷いが見られたので、再びどうするかを尋ねた。一応、最後だけは知り合いのよしみの提案だった。
「・・・どうすればいいかな」
 さすがに一人では判断できないようで、後ろにいる二人に意見を求めた。
「殺す」
「俺なら見捨てるな」
 リンとカーミルが、迷うことなくそう結論を出した。ちなみに、カーミルは当然のように数メートル離れていた。
「悩まないんだな」
 二人の即答に、春斗は溜息を漏らした。
「でも、これは春斗が決めて」
 フローランスは真顔で、春斗に判断を委ねた。というか、早く決めないとそろそろ襲われる頃合いだった。
「私は、それに従うわ。安心して、どれを選んでも責めることはしないから。というか、サーミャのせいだし」
 フローランス個人としては、殺した方が救われる気がするのだが、春斗の意見を是非とも聞いてみたかった。
「救われないかもしれないけど、無理にでも正気に戻ってもらおう」
「難しいわよ」
「できる限りのことをしよう」
「ふふ、そう」
 可能性は低くても、その決断をした春斗をフローランスは尊敬した。
 やることも決まったので、サーミャを取り押さえる為に走り出した。もう彼女は立ったまま項垂れ、正気を失っている様子だった。
「抑えるのを手伝って!」
 フローランスの台詞に、瞬時に反応したのはリンだった。おそらく、もう狂人となったサーミャを危険だと判断したのだろう。
 サーミャに近づき、態勢を低くし足に組み付いた。サーミャは無抵抗のまま、勢いよく倒れた。しかし、倒れたと同時に反射的に後頭部を片手で押さえていた。
 リンが倒れたサーミャの片手を頭から離すように引っ張り、その腕を押さえ込んだ。
「ハルト、動かない様に身体を押さえて!」
「わかった」
 春斗は、暴れ始めたサーミャの両肩をマウントポジションで押さえ付けた。こうなっては、サーミャの体重では絶対に振りほどくことはできないだろう。
「それで、どうするんだ?」
 フローランスはサーミャの足から手を離し、頭の方に回り込んだ。
「危険だけど、治療してみるわ」
 サーミャの口に手を当てて、正気に戻す努力をしてみることにした。
「云っておくけど、正気に戻すにはかなり時間が掛かるわ。あと正気に戻るたび、麻薬を脳内で生成する可能性が高いから、なんとか自我を保つように説得して」
 フローランスにサーミャの説得は無理なので、春斗に任せることにした。
「わかった」
 春斗から了承を得たので、サーミャを治療するために精神統一をした。その間、サーミャがもがき抗ったが、春斗の体重は跳ね除けられるほどの力はなかった。
 まずは電気で意識を断つことから始めると、サーミャが激痛の叫びを上げた。虚ろな目は白目を剥き、口からは泡を吹いた後、全身を痙攣させて動かなくなった。
 ここからフローランスは、意識を生成のみに集中させた。正直、ここからが一番面倒な作業だった。

第五話 突入

 サーミャが動かなくなったことに動揺して、春斗はフローランスの方を見た。
 フローランスが黙っているので、どうなったのかと春斗から恐る恐る尋ねた。
 しかし、フローランスは目を見開いたまま治療を続けていた。春斗は話しかけたことを悪く思い、その場で黙った。
「くっ、やっぱり慣れてないから難しいわね」
 しばらくすると、フローランスが苛立ちを隠すことなく一人ぼやいた。
 これはチャンスだと思い、何をしているのかと尋ねた。
「メサドンの生成よ。塩酸ジアセチルモルヒネの基本的な療法だからね」
 メサドンは合成鎮静剤で、依存度もかなり高いだろうとフローランスに苦言を呈した。
「知ってるわよ。今は正気を失ってるから、話しにならないでしょ。正直、投与にしても分量がわからないから勘でやってるわ。失敗したら、脳がやられるか、神経系に異常をきたすわね。でも、覚えておいて。狂人を正気に戻せる可能性は数パーセントもないから」
 麻薬中毒者の治療が難しいことは知っているが、この世界では自分で麻薬を生成できるようなので、それがさらに正気に戻すことを難しくしているようだ。
「あとは、サーミャの回復を待ちましょう」
 できることは終わったようで、フローランスはおもむろに立ち上がった。
 春斗とリンも立ち上がり、気を失っているサーミャを見た。正気に戻るかどうかは、彼女の意思の強さに委ねるしかなかった。
 さっきのようにサーミャを抱き上げて、先を急ぐことにした。不思議と彼女がさっきより軽くなった気がした。
 しばらく歩いていると、倒れている人がどんどん減ってきた。
「ようやく、人が減ったな」
 後ろを歩いているカーミルが、警戒した様子で電波を発してきた。
「メオドロをここら辺で食い止めていたからね。他の人たちは、本能から逃げ回っていたわ」
 カーミルの台詞に、珍しくフローランスが返事をした。それを聞くと、ここからは警戒した方がいいように思えた。
 春斗は、できるだけ前方を注視しながら歩いた。
「あれよ」
 すると、急にフローランスが前方にある黒い水たまりを指差した。
 少し近づいて見たが、遠目から見た現象と変わらなかった。
 春斗は、これはなんだとフローランスに尋ねた。
「メオドロの残骸」
 これには驚いて、黒い水たまりを見た。
「近づかないほうがいいわよ。春斗にとっては、発がん性物質だから」
 そんなこと聞いたら、絶対に近づきたくなかった。というか、この状態でも侵蝕するのだろうかと不思議に思った。
「それと、この先の左側の大通りの角に変わった死体があるわ」
 見たいとは思わなかったが、この世界の人かどうかは確認したかった。
 春斗は、心を落ち着かせながら歩みを速めた。
 建物の通りをずっと歩いていると、どれぐらいの距離を歩いてきたのかがわからなくなってしまった。建物は一つとして同じものはないが、色合いは全部土色だった。それが距離の感覚を鈍らせていた。
 大通りの角に差し掛かると、足を止めて深呼吸した。そして、そ~っと顔だけ出して覗き込んだ。
『うっ!』
 そこには、座ったまま壁を背にした死体があった。死体の周りには大量に血が流れていて、内臓がほとんど外に出ていたが、顔は綺麗な状態だった。
 春斗は出ている内臓を見ないように、ゆっくりと死体に近づいた。
「どうだった?」
 すると、角からフローランスが顔を覗かせてきた。
 フローランスに吐きそうだと、今の気分を率直に伝えた。
「まあ、気持ち悪いわね。あんなに長い腸・・・とてもじゃなけど、私と同じ人種とは思えないわ」
 気持ち悪いと云いながら、フローランスは興味深そうに死体を観察した。その後ろからカーミルとリンが顔を覗かせた。
「おわっ!気持ち悪っ!」
 死体を見たカーミルが、瞬時に思った気持ちを電波に乗せた。リンの方は、死体を只々無表情で見つめていた。
「どう?」
 フローランスの問いには、間違いなく春斗の世界の人だと答えた。
「でも、顔立ちとか体格は全然似てないのよね」
 その指摘は正しいが、日本人ではないだけの話だった。
「人種?なにそれ?」
 しかし、この世界では人の区別がないようで、フローランスが不思議そうに首を傾げた。
 これは説明した方がいいと思い、育った環境が違うと体質とかが変化すると教えた。
「へっ?場所によって環境が変わるの?」
 フローランスの驚きに、春斗は変わるとだけ答えた。
「ふ~ん。そうなんだ。もうちょっと詳しく教えてくれない?」
 これには面倒臭いとだけ答えて、フローランスから目を逸らした。
「え~、面倒臭がらないでよ」
 すると、フローランスが子供みたいに愚図ってきた。
 仕方なく、おおまかな人種について説明した。
「へぇ~、場所によって気温が変わるんだね、でも、不思議ね。それで肌の色とか体質が変わるなんて」
 それを云うなら、この世界の人はどうやって変わっていくのか気になった。
「周囲の大気ね。あと生き物との接触かな~」
 この世界では、天候も気候も変わらないので、何かとの接触以外では変化することはないようだ。
「じゃあ、この死体とは面識はないのね」
 再度の確認に、春斗は淡泊に頷いた。
 死体の周りを見ても血だまりだけで、持ち物らしきものはなかった。Yシャツとスラックスは血まみれで、ポケットまで探ろうとは思えなかった。
 フローランス達に先に行くよう促して、死体に手を合わせて拝んだ。
「何してるの?」
 すると、この行為にフローランスがいち早く反応した。
 これを説明しようとすると、いろいろ面倒になることに気づいたが、はぐらかすのも違うので、神仏とかは云わずに弔いとだけ答えた。
「風習としてあるのは良い事ね」
 フローランスは優しい笑みで、異世界の人の死体を見つめた。
「この人は消えるの?」
 この問いには、分解はされるかもしれないが骨は残ると憶測を云った。
「そう、残るのね」
 これにフローランスは、何とも云えない複雑そうな顔をした。
「一つ聞きたいんだけど、ハルトの世界では人が死んだらどうするの?」
 これまた答えにくいことを素で訊いてきた。
 人との繋がりの多い世界では供養が一般的だと答え、宗教系の説明は省いておいた。宗教は歴史とは切っても切れないが、その話をフローランスにしても理解してくれない気がした。
 メオドロの死体の場所に戻り、民主組織に続くであろう道へ進んだ。
「そういえば、さっきの二人はどこにもいないね」
 フローランスが思い出したように、脅した男たちの姿を捜した。
 これに春斗はメオドロの残骸を見て、気が済んだのかもしれないと推測を云ってみた。
 春斗たちは、しばらく警戒しながら町を歩いた。
「そろそろ着くぞ」
 町の出口が見えてくると、カーミルが久しぶりに電波を発した。先を見ると、漆黒の森が続いていた。
 森の中にあるのかとカーミルに訊くと、森の下だと自慢げに答えた。
 民主組織が地下にあることに驚くと、フローランスが春斗を上回る驚きを見せた。
「地下を改造したの!」
 そして、食い気味にカーミルに迫った。彼女の反応を見る限り、民主組織の拠点を今まで知らなかったようだ。
「ええ」
 カーミルは動揺しながら、フローランスから一歩離れた。
「なるほど、どおりで表沙汰にならないわけね」
「当然です。そうなったら、すぐに退避しますから」
「それもそうね」
 カーミルの説明に、フローランスは納得して何度か頷いた。巨大組織の拠点を隠すのはかなり難しいので、トップはかなりの切れ者なのだろう。
 春斗たちが森に入ると、先頭を歩いていたカーミルが突然立ち止まった。
「あそこだ」
 そして、森の奥の方を指差して、春斗の方を見た。
「ここがそうなの?」
「はい」
 フローランスの食い気味の問いに、カーミルは真顔で肯定した。
 町の目と鼻の先に、組織の拠点を造るなんて異常だと春斗は感じた。
「ここから俺は別行動を取りたい」
 突然の申し出に、どうしてかと反射的にカーミルに返した。
「ここで一緒に入ったら、俺がフローランスを招くということになる」
 フローランスが怖いからか、申し訳なさそうに彼女を見た。どうやら、裏切者のレッテルを張られることを恐れているようだ。
 思考が漏れたようで、カーミルがそれは間違ってないとを恥じることなく肯定した。
 ここでカーミルが抜けるとなると、首長の場所だけは訊く必要が出てきた。
「おそらくだが、でかい建物の中だ」
 拠点は隠れているが、入ればすぐわかるらしい。
 案内はここまでなので、カーミルに別れとお礼を云った。
「相見互いと云っただろう。まあ、礼を云うなら俺も云っておこう。ありがとう」
 カーミルは、複雑そうに頭を下げた。
 最後に、カーミルにサーミャを預かって欲しいと頼んだ。彼女にはそれほど世話にはなっていないが、このまま放っておくのは悪い気がしていた。
「冗談・・じゃあなさそうだな」
 カーミルは怪訝そうな顔をしたが、春斗の真剣な表情を見て察してくれた。
「だが、目覚めて発狂されたら、俺は確実に殺されちまうな」
「なら、目覚めるまで預かってくれれば良いわ」
 カーミルの懸念に、フローランスが間に入ってくれた。この介入には、本当に有難いと思った。
「目覚めたら、貴方は逃げなさい」
「預かるって、後で引き取るのですか?」
「ええ、ああなったのは、半分は私のせいだからね。責任取らなきゃ」
 フローランスは、気を失っているサーミャを悲哀に満ちた顔で見つめた。
「でも、どこに隠れていれば・・・」
 カーミルは周囲の森を見渡しながら、不安そうに尋ねた。
「ん?さっき通ってきた町でいいんじゃない?これから民主組織は混乱するだろうし」
 フローランスは適当なことを云って、後ろにある町を振り返った。
「また、あそこに戻らないといけないのか」
 つられて同じ方向を見ながら、カーミルが小さな電波でぼやいた。
「悪いけど、私から直々にお願いするわ」
 フローランスは、初めてカーミルに頭を下げた。
 これにはカーミルが、心底驚いた顔をした。その光景が信じられないのか、フローランスからすぐに顔を背けた。
「わかりました。あなたに頭を下げられては断れません」
「ありがとう、感謝するわ」
 頼みを受けてくれたことに、フローランスは安堵したような顔をした。
 そうなると、カーミルがサーミャを運んでいけるかが問題になった。
「そんなに離れていないから問題ない。ちょっと鎧が邪魔だがな」
 そう云ってくれるなら、カーミルにサーミャを任せることにした。
 手渡しはカーミルに拒絶されそうなので、サーミャを茂みにそっと寝かせた。
「おまえはもう戻ってこないのか?」
 この質問には、自分の世界に戻れるかどうかは不明なので曖昧に答えておいた。
「そうか。なら、戻れなかったらまた会おう」
 春斗は簡易的な別れを電波に乗せ、カーミルと目を合わせて苦笑いした。彼の表情は、少し寂しそうにも見えた。(勘違いかもしれない)
 カーミルは、サーミャを担いで町へと戻っていった。
 春斗たちは、それを黙ったまま見送った。
「じゃあ、行くか」
 春斗は覚悟を決めて、森の方を振り向いた。リンとフローランスは何も云わず、春斗と同じ方向を見た。
 茂みを掻き分けて進むと、そこに洞窟の入り口があった。中は真っ暗で、洞窟は三人が並んで入れるぐらいの広さしかなかった。
「これじゃあ、見つからないわけね」
 後ろからフローランスが、覗き込むように感想を漏らした。
「照明器具でも作ろうか?」
 春斗が暗いと思っていると、フローランスが気を利かせてきた。
 それだと目立つ可能性があったが、この三人だとどのみち騒がれるのは目に見えていた。
「どっちみち、この三人だと目立つでしょう」
 それはフローランスも同じ考えだったらしく、呆れながら指摘してきた。
 そうなると、武力組織の服だけでも脱いだ方がいいかとフローランスに訊いてみた。
「ん~、そうだね。リバースしたら?」
 すると、フローランスが的確な助言をしてくれた。
 フローランスの提案を受け入れ、リンと一緒に服を裏返しにして着直した。どうでもいいが、裏の生地は淡い茶色だった。
 服の色合いに納得して、春斗は襟を正した。すると、リンも春斗を真似るように襟を正した。
「リンちゃんは、その色でも超似合うよ~♪」
 それを見ていたフローランスが、嬉しそうにリンを絶賛した。しかし、リンは何も返さず洞窟の先を見つめていた。
 フローランスの服装が何より目立つので、そのままで行くのかと訊いた。
「うん。ここでは目立ったほうが効果的でしょう」
 それだと春斗たちがリバースした意味もないし、強制的に混乱を招くので、当てつけのようにフローランスに文句を云った。
「人が多ければ、人を捜す手間も省けるでしょう」
 それは一理あるが、首長が逃げる可能性も考えて欲しかった。
「あ!それもあるわね」
 そこは失念していたようで、普通に驚いた顔をした。
「その時はどうしようか」
 結論を見出せなかったのか、軽い感じで春斗に投げてきた。早い話、ここでフローランスともお別れするのがスジなのだが、まだ帰れるかどうかもわからないので、一応保険として手元に置いておきたかった。
「まあ、見つかったら、片っ端から排除しましょう」
 春斗が悩んでいると思ったらしく、考えなしの提案をしてきた。
 逃げ足の速い民主組織に対して、そんなことできるのかと提案者に尋ねた。
「数人に目撃されたら、かなり難しいわね」
 予想はしていたとは云え、悩むことなく即答してきた。
 結論は出そうにないので、照明を持たずに入ることにした。
「なんか私たちって、行き当たりばったりが似合ってるね」
 この指摘は全然否定できなかった。この世界の知識がない春斗にとって、どうしてもそうならざるを得なかったが、フローランスがそれを助長させている気がしていた。
 できるだけ接触を避ける為、音に敏感なリンを先頭にして洞窟に入った。
 薄暗い中、誰も電波を発さずにゆっくりと歩いた。洞窟は下っていて、酷く歩きにくかった。洞窟の天井には所々穴が開いていて、わずかな光が漏れていた。どうやら、照明のいらない程度には光を確保しているようだ。
「止まって」
 突然、リンが立ち止まって、こちらを振り返った。
「足音が聞こえる。こっちに近づいてきている」
 早くも危機的状況だが、一方通行なのでどうしようもなかった。
「何人?」
 最後尾のフローランスが、冷静にリンに尋ねた。
「三人」
「一人一殺ね」
 フローランスの不穏な台詞に、春斗は睨みつけた。
「冗談よ」
 薄暗かったが、春斗が気を悪くしたのはわかったようで、おどけた電波を発してきた。
「で、どうするの?」
 フローランスは気を取り直すように、春斗の横について意気揚々と訊いてきた。
 ここで鉢合わせると、相手に目撃される上、来た道を戻らされる可能性があるので、少しの間だけ気を失ってもらうほかないと思った。
「そう来なくっちゃ」
 思考が漏れたようで、フローランスが横から嬉しそうに電波を飛ばしてきた。
 奇襲が有効だと二人に伝えると、フローランスが任せてと云って走り出した。それにつられたのか、リンもすぐさま動き出した。
 これには慌てて呼び止めようとしたが、二人は止まる気配はなく、どんどん奥へ進んでいった。
 先走りだろうと思いながら、春斗は二人の後を追った。まさかリンまで、フローランスにつられて行動するとは思わなかった。
 しばらく暗闇を歩くと、奥から物音が聞こえてきて静かになった。
「ふぅ~、完了したわ」
 奥からフローランスが、達成した感の電波を発しながらこちらに歩いてきた。なんとも早い鎮圧で、春斗の出番など全くなかった。
 とりあえず、フローランスに相手をどうしたのかを訊いた。
「不意打ちで、気絶させるだけだから簡単だったわ」
 それを聞く限り、二人とも無傷で相手を気絶させたようだ。
 リンが戻ってこないのが気になったので、フローランス越しに奥を覗き見た。
「ん?あれ?」
 リンがいないことに気づいたフローランスが、後ろを向いて戸惑いの電波を発した。どうやら、彼女も気づかなかったようだ。
 少し心配になり、フローランスを横切り早足で先へ進んだ。
 しばらく歩くと、正面に灯りが見えてきた。その途中に三人が倒れていて、その先にリンがいた。彼女は、灯りの方向を見て動く気配がなかった。
 春斗が近づくと、リンがこちらに気づき振り向いた。
 灯りが漏れる場所を覗き込むと、所々にある円筒の水晶が光を放って全体を照らしていた。春斗は、その光景に呆然としてしまった。
「・・・」
 春斗の後ろから覗き込んだフローランスも、同じように動きを止めた。
 地下は見上げるほど広い空間になっていて、建物がいくつも並んでいた。その建物の中心付近に、春斗にとっては見たことのある瓦の屋根の城があった。
「す、凄いわね」
 ここで沈黙破るように、フローランスが搾り出すような電波で呟いた。春斗の方は、懐かしいというよりは新鮮さを感じていた。
 春斗は建物の外壁の造りをを見て、日本人がいるのかもしれないと思った。
「どうしようか」
 フローランスの投げかけに、春斗は感傷に浸るのはやめて、ここからどう動くかを考えた。
 こうも建物が並んでいるなら、隠れながら移動できそうだった。
「どこに行けばいいの?」
 フローランスには目的の場所がわからないようなので、城の方を指差して目指す方向を示した。
「しろって何?」
 しかし、この世界には城がないようで、不思議そうに聞き返された。
 説明するのは面倒なので、高い建物だと伝えて走り出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 すると、フローランスが慌てた感じで後ろからついてきた。
 春斗は壁に張り付き、一つ目の通路を覗き込んだ。が、人っ子一人見当たらなかった。ここは目立たないように、話すことは厳禁にした。
 その行動が功を奏したかはわからないが、誰にも会わずに城に辿り着くことができた。春斗は再度確認するように、ゆっくりと城を見上げた。
 城の周りには囲いのようなものは一切なく、城だけが立っていた。近くで見ると、色の違いはあるが造りはしっかりしていた。
「本当に凄いね」
 春斗が感心していると、フローランスが驚きを隠さず城の外壁を手で触った。
「ふ~ん。ほとんどここの土の成分だね」
 ただ触っただけだと思ったが、成分を調べていたようだ。
「凄い造形物だね」
 フローランスは、信じられないといった表情で城を見上げた。
 とりあえず、城の入り口を探すことにした。
 右回りで歩いたが、人の姿は相変わらず見当たらなかった。この世界に来てから、町で人が群れたり、会話している光景を見たことがなかった。(最初の集落は除いて)
 フローランスは春斗の先を歩いて、城の角から顔だけを出した。
「ハルト、入り口あったよ」
 どうやら、逆回りの方が近かったようだ。
 春斗は、早足でフローランスの後ろから覗き込み、場所を確認した。
「人がいるね」
 フローランスの云う通り、入り口に一人だけ立っていた。警備にしては手薄だし、なぜかその人はそこに待機するわけでもなく、怯えた様子で落ち着きがなかった。
「何してるんだろう」
 フローランスの疑問には、春斗も首を傾げるしかなかった。
「あれ?あの色って、武力組織じゃないの?」
 確かに、城の入り口にいる人は武力組織の色の服を着ていた。
 武力組織の男は城を背にして、よく見ると片手に武器を持っていた。彼の視線を追っていくが、その先は建物が邪魔で見えなかった。
「誰かいるのかな」
 フローランスは、不思議そうに電波を発した。
 ここまで誰にも会わなかったが、武力組織がいるということは、諍いに発展している可能性が高かった。
「あそこから多くの足音が聞こえる」
 すると、リンが男の視線の先を指差してそう云った。
 これにはすぐに人数を尋ねた。
「十から四十」
 リンがおおよその人数を電波に乗せたが、えらく幅のある答えだった。
「歩行じゃなくてすり足だから、聞き分けるのが難しい」
 確かに、複数のすり足だと聞き分けは難しいと思った。
「なら、半分の二十五人かな」
 ここでフローランスが、適当な人数を予測した。
 大人数が来るのなら、気軽に姿を見せるのは危険なので、様子を見ると二人に告げた。
 武力組織の人が一歩後退していくと、その正面から多くの民主組織の色の服を着た人たちが、彼ににじり寄ってきた。全員の手には、いろんな種類の武器らしきものが見て取れた。
 あの人数を相手に正気とは思えなかったが、武力組織の人の様子を見ると、率先して戦っているようには見えなかった。
「多勢に無勢ね。このままだと殺されるわ」
 確かに、この状況では殺されるのは時間の問題だった。
「でも、民主組織がここまで徒党を組んで、戦うなんて初めて見たわ」
 ここは拠点らしいので、たいして不思議ではないのだが、一人相手に民主組織の人の多さには少し引っ掛かりを覚えた。まあ、ここまで造り上げた物を易々と手放したくないのだろう。
「それにしても、民主組織は全員及び腰ね」
 そう云われて見ると、民主組織は全員がにじり寄っているものの、未だに襲い掛かる気配がなかった。中には、今にも逃げ出したいという表情をしているものさえいた。戦おうという必死さは伝わってくるが、とてもこの砦を守りたいという意思は伝わってこなかった。
「一人相手に及び腰なんて、相変わらず臆病ね」
 それは同意見だが、たった一人に対してここまで時間を掛けるのは何か意図があるのかと疑った。
「それにしても邪魔ね。他に入り口もないし」
 確かに、入り口で戦われるのは迷惑千万だと思った。
 1分ほど見ていたが、距離が少しずつ狭まっただけで、状況が動く気配はなかった。
「イライラするわね」
 それにフローランスが、眉を顰めて文句を云った。
「ああいうの見てると、私が痺れを切らしちゃうわ」
 それは理解できるが、ここは耐えて欲しいとお願いした。この場で出て行けば、確実にパニックになることはわかりきっていた。ここまで来て、それだけは避けて欲しかった。
「あ、そうだ。あの武装組織の人を助けて、同行してもらう?」
 すると、フローランスが片方に加担することを提案してきた。彼女の表情を見る限り、さっさとこの現状を終わらせたい意思がひしひしと伝わってきた。
 不満なのはわかるが、リスクが高すぎるので却下と首を振った。
「あの人、集落にいた人」
 すると、突然リンが横から武力組織の人を指差した。そう云われてみると、最初の集落の入り口付近で見た覚えがあった。
「居たっけ?あんな奴」
 が、フローランスには記憶にないようで、真顔で首を傾げていた。よくよく見ると、色は武力組織に変わっていたが、服装は集落の人が着ていたものと同じだった。
「ラクウイの家族・・・か。そうなると、あまり助けたくないわね」
 フローランスは、嫌悪感たっぷりに口を歪めた。ラクウイという名は、おそらくあの集落のリーダー格の男だろうと春斗は直感した。
 それを知ると、なんでこの場所に武力組織としているのかが気になった。
「さあね。でも、それよりも彼が一人なのが気になるわ」
 これにはどうしてだと、フローランスに尋ねた。
「彼らは、一人で行動しないはずなのよ」
 フローランスがそう断じるのなら、それは間違いではないのだろう。
「殺されたか、あの人が家族から抜けたかのどっちかね」
 フローランスは、あの集落にいた集団を家族だと表現しているようだ。
「まあ、あの風見鶏が殺されるわけないか」
 ラクウイという人物の実力を知っているようで、悟ったように呟いた。
「でも、本当にじれったいわね~」
 こんなに長い会話をしていても、状況は一向に進展しなかった。
「反対側から誰か来る」
 すると、リンが足音を感知したようで、奥の方を指差した。
「・・・本当ね」
 フローランスも察知したようで、リンが差した方向を見た。
 春斗もそこに注視すると、刀剣を持った男が出てきた。彼の服は武力組織の色で、追い詰められている男と同じ服だったが、デザインは若干違っていた。
「あ、ラクウイ」
 それを見たフローランスが、走ってる男を見て小さく電波を発した。どうやら、追い詰められている仲間を助けに来たようだ。
 ラクウイの登場に、民主組織の人たちが動揺した。
 その隙に、ラクウイが仲間を誘導してこちらに逃げてきた。それに釣られるように、民主組織の人たちも慌てて追いかけてきた。
 これは最悪の逃走経路で、即座に身を隠そうとしたが、隠れる場所も時間もなかった。
 仕方ないので、二人を若干後退させ、正面衝突だけは避けることにした。
「なっ!フ、フロー」
 こちらに曲がってきたところで、ラクウイが驚き立ち止まった。
「これはこれは、風見鶏君。今回は武力組織に属してるんですか?」
 仁王立ちで待っていたフローランスは、ここぞとばかりに皮肉った。この状況でこんな台詞を云えるのは、おそらく彼女ぐらいだろう。
 その後ろから民主組織の人たちも来たが、ラクウイと同様にフローランスを視認すると、驚きのあまり全員硬直してしまった。やはり、フローランスの存在は彼らにでもわかるようだ。
「はぁ~、結局、見つかってしまったわ」
 後ろの民主組織の人たちを見ながら、フローランスが薄ら笑いを浮かべた。なぜだか知らないが、ラクウイにだけは皮肉ばかり云っている気がした。
「これはもうラクウイのせいね」
 フローランスがそう云うと、民主組織の人たちが散り散りに逃げていった。
 ラクウイもそれに乗じようと、仲間と一緒に逃げようとした。
「あらあら、どこに行くの?」
 が、フローランスは自然な動きでラクウイの前に立ち塞がった。仲間は怯えて、ラクウイの後ろに隠れた。
「くっ、どけ!」
 ラクウイが乱暴に剣を振るうと、フローランスはそれを嘲笑うように軽くかわした。
「珍しく直情的じゃない。よっぽど、焦っているのね」
「時間がないんだ」
「知らないわよ、そんな事。それより、この間のあれはどういうつもりよ」
「なんの話だ?」
 ラクウイはなんとか逃げ出そうとしていたが、フローランスがそれを阻止していた。
「とぼけないでよ。通報したのって貴方でしょう」
「ああ、あの時か。残念だが違う。あれは元々俺たちを捕まるために来ていたからな」
「それって、貴方たちの身代わりになったってこと?」
「そういうことになるな。俺たちも気づくのが遅かったら掴まっていたよ。集落から抜け出せたのは、ただ運が良かっただけだ」
「なるほど。ギリギリで抜け出して、私たちが掴まっている間に逃げたってことね」
「ああ、あの時は本当に助かったよ」
「経緯はわかったわ。まあ、むかつくけど納得はできるわね」
「もういいだろう。ここを通してくれ」
 ラクウイは仲間を気にしながら、周りを警戒しながら頼んだ。
「あと、なんでその色の服を着てるの?」
 これは春斗も気になっていたことだった。
「いろいろとあってな。こうすると、民主組織は逃げると思ったんだが、かえって追い詰められた結果になった」
「へぇ~、それは意外だね。よっぽど、ここに執着してるのね~」
 フローランスは、興味深そうに周りの建物を見渡した。
「なんかそういうことじゃあないみたいだが」
「そうなの?」
「ああ。だが、よくわからん。あれは執着と云うより、誰かに動かされているような感じがする。実際、取り囲むことはするけど、全然襲ってこないし」
「まあ、確かに」
 ラクウイの見解に、フローランスは呆れ顔で納得していた。
「もういいか?」
「いいわよ。行っても」
 これ以上足止めする理由がないと判断したのか、あっさり道を譲った。二人は慌てながら、奥の方に逃げていった。
「どうしよっか」
 それを見送ったところで、フローランスが春斗に判断を委ねてきた。
 見つかったのなら、もうコソコソしても意味がないので、堂々と城に入ることにした。
 入り口の前まで来たが、誰も襲ってくる気配がなかった。
 あまりにも静かなので、リンに周りの状況を確認してもらった。
「さっき出口付近に、たくさんの足音が聞こえた。今はもうほとんど聞こえない」
 どうやら、もう逃げた後のようだ。
 この城の中に、春斗が戻れる情報があるかは不明だが、ようやくここまでたどり着いたという安堵感が自然と溜息となって出た。
 入る前に、リンに消臭を頼んだ。
 これにフローランスが呑気だと溜息をついていたが、初対面の相手に臭いとは云われたくなかった。(実際、自分でもかなり臭うと思っていた)

第六話 強敵

 リンの前にいる春斗が、木製で出来た城の大門をゆっくり開けた。見た目重そうに見えたが、割とすんなり開いた。おそらく、春斗が開けたからそう見えたのだろう。
 中に入ると、円筒の水晶が全体を照らすように光を放っていたが、光は弱く部屋全体を照らすほどではなかった。周りを見渡したが、階段以外見事に何もなかった。
 周囲を見た春斗が、なんの為に造ったのかと不思議そうに首を捻った。確かに、寝泊まりだけするには、あまりにも無駄な空間だった。
 春斗の感想に、フローランスが見栄じゃないかと憶測を云った。
 これに春斗が、見栄っ張りならもっと無駄な物が置かれているはずだとよくわからない切り返しをした。
 フローランスも不思議に思ったようで、それが普通なのかと首を傾げていた。
 それを見た春斗が、ここでは価値観が違うと考え直していた。結局、見栄の意味がわからなかったが、無駄なことだということはなんとなく理解した。
 階段を上がると、春斗の足音だけギシギシと音が鳴った。
 この音が気になったのか、春斗が警戒するよう電波を発した。
 これにフローランスが、階段の材質を調べ始めた。
 結果、木材だと断じた。色合い的にはそう見えなかったが、木材なら春斗の体重で音が鳴ることには納得できた。
 上がった階段の先には木扉があり、春斗がリン達に目配せして、その扉をゆっくり開けた。
 そこには、一人の男が膝を曲げて座っていた。彼は短い黒髪に黒い瞳で、民主色の外衣に下は動きにくそうな袴を着ていた。リンには初めて見る服装だった。
 何気にフローランスを見ると、驚いて目を見開いた。どうやら、顔見知りのようだ。
 男は笑みを浮かべて、フローランスを見つめた。
 それを見た春斗は、フローランスに知り合いかと尋ねた。
 これにフローランスが、短く敵対相手とだけ答えた。
 すると、男がもう少し早く見つかると思ったと薄ら笑みを浮かべた。
 フローランスは嫌な顔をして、別に探してなかったと顔を背けながら云った。
 さっきから気になっていたが、部屋の床は茶色の草のような物が敷き詰められていた。春斗が云うには、畳という固有名詞の敷物らしい。どうやら、春斗の世界ではこの敷物は一般的なようだ。
 ここで春斗が、音での意思疎通を男と始めた。男も春斗の音がわかるようで、どんどん話が進んでいった。
 フローランスは唖然としていたが、リンは所々で聞き取れる単語を組み合わせていった。どうやら、交渉しているようだ。
 3タウほどすると、春斗が困った顔になり、必死で食い下がっていた。
 男はそれでも首を横に振り、リンとフローランスの方を交互に見た。どうやら、リン達と一緒だとここを通せないらしい。
 さらに2タウほど話し合うと、春斗がリンを見た後、フローランスに話を持ち掛けた。
 それに対して、フローランスは倒せばいいと単純なことを云った。元々敵対しているようなので、ここで倒したいのだろう。
 これに男もその方がわかりやすくていいと、フローランスに同調した。彼は、交渉より戦いで白黒つけたいタイプのようだ。
 春斗は諦めるように、戦いを許諾した。三対一なので、すぐに決着をつけれると判断したようだ。
 男は鞘から剣を抜き、正眼に構えた。その動きは凄く滑らかで、引き込まれるような錯覚を覚えた。
 ここで春斗が、男は鍛冶師だから注意するよう云われた。が、どう注意すればいいかがわからなかった。
 すると、フローランスがそれを察してくれたようで、あの剣は異常なほどの強度があると教えてくれた。
 戦う前に、畳という物の感触を確かめた。ブーツの食い込みはまずまずで摩擦がないわけではないことに安心した。
 見ると、男は裸足だった。よくよく考えると、この継ぎ目は確かに素足の方がフィットするように思えた。(だからといって、裸足になることは考えていない)
 ここで春斗が、リンに合図を出した。
 リンは春斗の前に立ち、両手のナイフを構えた。その隣にフローランスが並んで臨戦態勢を取った。
 春斗が攻撃の指示を出したので、リンは相手に向かって直進した。
 それを見た男は剣を下に向けて、身体を横にした。その体勢から先制攻撃はないことは確実だった。
 相手の首を狙って、右手のナイフを一閃させたが、上体を逸らすだけでかわしてきた。春斗とは違い、動きに洗練さが見られた。
 続けざまに左手の逆手で持ったナイフを左下から振り上げた。あまり有効な攻撃ではないことは知っていたが、これはあくまでも牽制だった。
 予想通りではあったが、男が後ろに飛び退いてかわした。この動きを見る限り、リン一人では容易に攻撃が当たるとは思えなかった。
 そう思っていると、フローランスがいつの間にか生成した剣で、男に襲い掛かった。
 フローランスが剣を縦に振るうと、男が横に剣を薙ぎ払った。
 すると、パキンという音と共にフローランスの剣が折れた。
 フローランスは後ろに飛び退き、やっぱりねと溜息を漏らして折れた剣を投げ捨てた。どうやら、こうなることはわかっていたようだ。フローランスの生成した武器が一撃で壊されるのなら、リンのナイフでは防御は不可能だろう。
 リンは、左手のナイフを相手の顔目掛けて投げてみた。これは春斗が遠距離攻撃が苦手だと云っていたので、男にも有効ではないかと思っての攻撃だった。
 男は、右手の甲をナイフに添えて軌道をずらだけの最小の動きで受け流した。やはり、この手の攻撃は不意を突かなければ効果的ではないようだ。
 春斗がリンの横に来て、男の武器をどうにかできないかと訊いてきた。正直、あの動きを読んで武器を奪うことはできそうになかった。
 無理だと伝えると、春斗が残念そうに頭を掻いた。この状況下で、妙案は出そうになかった。
 ここでフローランスが春斗の傍に来て、一人で戦わせて欲しいとお願いしてきた。
 勝算はあるのかとフローランスに返すと、連携は無理ということと、殺したいと申し訳なさそうに云った。
 それを聞いた春斗は首を横に振って、それなら後ろで見ていてくれと頼んだ。
 これにフローランスが、ただ見てるだけなんてできないと頑なに拒んだ。
 こうなると連携するために話し合うことが必要だと思ったが、相手がそれを許してくれるとは思えなかった。
 そんな会話をしていると、男が話に入ってきた。
 男が云うには、フローランスとリンがここで待つのなら通していいもそうだ。要するに、外敵になり得る人は通せないと云うことらしい。
 これにフローランスが、そんなことはできないときっぱりと云い切った。この組織のことを知らないリンにとっては、話ぐらいなら春斗一人に任せることの方がいいと思ったが、彼が戦うと決めた以上それに従うだけだった。
 春斗は再考しているのか、少し黙ったまま男を見つめた。
 そして、何かを思いついたように捕縛しようと宣言した。この答えには、いろいろと疑問が浮かんだが、リンから聞くのはやめておいた。
 すると、フローランスがどうするのかと真顔で訊いた。
 春斗一人でそれをするわけではないようで、リン達に集まるよう電波を発した。
 それでは男の格好の的になると思ったが、春斗の命令なので、男を警戒しながら近づいた。
 春斗が相手の目の前で作戦を伝えていたが、男は全く襲ってくる気配はなかった。これは有難いことだが、逆にいえばなめられていた。フローランスがいても、待っていられるということは、よほど腕に自信があるのだろう。
 作戦を聞いたが、意表はつくことはできても、捕縛までできるとは思えなかった。
 それでも春斗には勝算があるようで、作戦実行の指示を出した。ここで壊れても異論はないので、壊れる覚悟でやることにした。フローランスもあまり納得していないようだったが、渋々配置についた。
 まずはリンが、攪乱のために最速で男との距離を詰めた。
 男がそれに反応して、すぐに剣を正眼に構えた。
 これでは懐に入れないので、円を描くように男の周りを回ったが、彼も同じように最小の動きでリンを正面で捉えてきた。フローランスがいる中、リンの動きを捉え続けるのは悪手だと思えた。
 あまりここで時間をつかうのは嫌なので、さっさと男の懐に入ることにした。念の為、春斗が視野に入らないような角度から仕掛けた。
 剣の長さを把握し、直線ではなくジグザグな動きで相手に近づいた。
 ここで春斗とフローランスが一斉に動いた。剣一本に対して、三人の攻撃は有効ではあったが、春斗の動きがどうしても遅かった。
 男もそれを察したのか、リンの動きを見ながら横っ飛びで場を移動した。
 これは計算通りの動きなので、すぐさま右手のナイフを投擲した。それを見たフローランスも、即座に捕縛の紐を生成し始めた。
 男はナイフを処理するために、剣で軽くナイフを弾き、向かってきた春斗と対峙した。
 春斗と男の距離は剣の内側にはなく、走り込んでいる春斗は格好の的だった。やはり春斗の速度では、男との距離を詰めることは難しかったようだ。
 ここで春斗が殺されても、指示は有効なので、リンはすぐに行動に移った。フローランスも紐の生成を終えたようで、移動を始めていた。
 滑らかな動きで、男が剣を縦に振るった。それは自然の流れのように美しい動きだった。
 そのまま振り下ろされた剣を、春斗は両手をクロスさせて防ごうとした。まあ、これだけ見れば愚行なのだが、春斗が着ている服はフローランスが作った炭素繊維の羽織物だった。
 剣が春斗の腕に当たり、金属の擦れる音が響いた。
 これに男が驚き、一瞬動きが止まった。
 リンはこの瞬間を狙い、もう一つのナイフを足に投擲した。さすがの男もこれには後ろに飛んでかわすしかなかった。
 ここでフローランスが一気に男との距離を詰め、生成した紐を鞭のようにしならせ相手の剣を弾き飛ばした。正直、これがうまくいくとは思っていなかったが、さすがはフローランスだと思った。
 男が苦悶な表情をして、手を擦るような動きを見せた。春斗の予想通り、痛覚は遮断していないようだ。
 剣が落下する場所と男との距離を測ると、リンが剣を回収する為には、男より速く動く必要が出てきた。ここはいつもの全速力ではなく、足の筋肉を破壊することでの速力を使うことにした。これは一時的に動けなくなるので、あまり使いたくはなかったが、今それをしないと剣の回収は絶対に不可能だった。
 膝を曲げ、全神経を足に集中していると、男が剣を拾おうと動き出していた。
 距離と春斗たちの立ち位置を確認し、ぶつからないように調整しながら、全身をバネにして剣目掛けて移動した。
 時間にして0.04タウほどの差で、リンの手が先に届いた。
 男が瞬時に手を引き、リンから距離を取った。足の筋肉がズタズタになったリンにとって、それは助かることだった。
 移動加速で剣を拾えると思ったが、剣は重く速度が完全に殺されてしまった。そのせいで、右腕の筋が何本か切れた。
 剣を持ち上げようとしたが、立つことが困難な上、剣が重くて持ち上がらなかった。
 それを察したのか、男がこちらに向かってきた。
 これには少し焦ったが、間にフローランスが入ってきてくれた。こればかりは本当に助かったと思った。(命ではなく、作戦的に)
 春斗がリンの元へ駆け寄ってきて、剣を拾ってくれた。作戦は成功したが、足の筋肉は破壊されてすぐに立つことはできそうになかった。
 男が武器を生成する前に、フローランスが紐で捕縛しようとしていたが、なかなかうまくいかなかった。捕縛の経験がないことはフローランスから聞いていたが、それでも男の回避能力は異常だった。あれでは捕縛どころか攻撃すら当てるのは難しいだろう。
 しばらくして、疲れを見せたフローランスがリン達の所に戻ってきて、殺していいかと苛ついた電波を発した。
 これに春斗が困った顔で、フローランスの感情を抑えるように云った。
 春斗は息を乱していない冷静な男を見据えて、降参してくれないかと伝えた。作戦は剣の奪取と捕縛だったが、捕縛はリン達三人では無理だと判断したようだ。
 男は首を横に振り、倒すか殺さない限り降伏はしないと堂々と云い切った。圧倒的に不利だと思える状況で、そう云い切れるのはどうしても引けない理由があるのか、リン達三人でも勝てる自信があるのかのどちらかだろう。
 春斗も疑問に思ったようで、上に居る人は男の恩人なのかと投げかけた。どうやら、ここでもう一度交渉するようだ。その間、リンは治りかけている筋肉の治療に専念することにした。
 今度は音波ではなく、電波で交渉に入った。おそらく、リン達に気を回してくれたのだろう。
 上に居る人は男の恩人ではないようだが、ここでは必要な人物だと断じた。
 それを聞いた春斗は、民主組織のトップはこの世界の人ではないのだろうと云い切った。
 これにフローランスが驚いた顔をして、春斗と男を交互に見た。彼女の反応を見る限り、民主組織のトップは知らないようだ。
 リンも同様に民主組織の情報は、逃げ足の速さとステルスの高さだけで、組織のトップや構成なんてほとんど知らなかった。
 春斗は話を進め、通してくれないのなら上の人をここに呼んでくれないかと低姿勢で頼んだ。
 しかし、男は首を横に振り、それはできないときっぱり云い切った。
 この取り付く島もない返答に、春斗は困った顔でしばらく黙った。
 そして、諦めた表情でこちらに振り返った。どうやら、一人で上の階に行く決意を固めたようだ。
 それを察したフローランスが、危険だと険しい顔で反対した。確かに、リンのいないところで殺されるのは、できる限り控えて欲しかった。
 男は黙ったまま、こちらを観察していた。てっきりこの間に剣を生成するかと思ったが、何もせずただ見ているだけだった。これには本当に薄気味悪さを感じた。
 春斗とフローランスは、行くか戦うかを何度か往復して、結果的にフローランスが折れた。予想通りの流れだったので、リンは敢えて何も云わなかった。
 春斗が男の方に近づいて、一人で行くことを伝えた。剣を奪ったとはいえ、さっきまで戦っていた相手に、無防備に近づくのはどうかと思ったが、春斗なのでもう諦観するしかなかった。
 男は了承し、上に続く階段への道を開けた。
 春斗が男の横を通ると、持っていた剣を男に返そうとした。これにフローランスが反応し、リンも驚いてしまった。
 すると、男が持っていくといいと、これまたよくわからないことを云って剣を押し返した。もうこの二人の行動は、リンには理解の範疇を超えていた。
 それに春斗は礼を云い、剣を持ったまま階段を上がっていった。
 春斗がいなくなったところで、男がフローランスに殺し合うかと申し出た。
 これにフローランスは乗るかと思ったが、春斗がいる間はそんなことできないと歯痒そうに云った。
 男は驚き、色恋で始祖も変わるのかと微笑ましそうな顔をした。
 その視線に、フローランスが苛立った表情になり、やっぱり殺そうかしらと男を睨みつけた。
 足の治療が完治したところで、リンはこれからのことを考えることにした。
 すると、男がリンに対して興味を持ったのか、なぜここに居るかと尋ねてきた。
 別に答える必要はないので、男から目を逸らして沈黙を返した。
 返答が期待できないことを知った男は、フローランスに同じような質問を投げた。
 これにフローランスは、答える意味がないと云って返答を拒んだ。これはちょっと意外で、てっきり話すかと思った。
 二人から会話を拒否されたことに、男はつれないと残念そうな顔をした。
 こうなると、この部屋に沈黙が漂った。
 その沈黙に耐えられなくなったのか、フローランスが初めて聞く名を電波に乗せ、その所在を男に訊いた。
 男はその人を知っているようで、今は忙しくてあちこち飛び回っていると答えた。
 それにあっそと小さな電波を発して、今度は違う人の所在を尋ねた。
 この質問に、男は答えを返すことはしなかった。おそらくだが、居場所を知っているが、答えると不利益になると考えたのだろう。
 フローランスもその答えは、予想できたようでそれ以上は追求しなかった。
 話すこともなくなったのか、フローランスは男から視線を逸らして再び黙った。
 それからは、誰もしゃべることなく沈黙が辺りを包んだ。

第七話 世界

 フローランス達と別れた春斗は階段を上り、辺りを見回した。
 正面には城の門と同じ木扉があった。
 刀を脇に挟み、扉に肩を当て、体重でゆっくりと開けて中を窺った。
 人工的な照明に、見たことのない機器が並んでいたが、ここまで旅してきて、懐かしい風景を見ているようだった。
 扉の正面には、巨大な鉄球のような物が宙に浮いていた。その上下に磁石らしき物があり、左右には制御装置らしき物が置いてあった。その光景に吸い込まれるように中に入ると、扉がガタンと音を立てて閉まった。
「あら、お客さんね」
 頭に電波が走り、思わずまだ視認していない誰かを捜した。
 右の装置の隙間から、誰かが動く影が見えた。
 その影は、こちらにゆっくり歩いてきた。春斗は息を飲み、少し警戒するように身を屈めた。
「どちら様・・かな」
 物陰から出てきたのは一人の女性だった。 長く艶やかな髪に、優雅な立ち振る舞いではあったが、少し幼さが見え隠れする女性だった。服はストレッチジーンズにオフタートルチュニックという春斗の世界の服装だった。
 この問いかけには、自分は怪しいものじゃないと先に弁明しておいた。
「・・・こっちの世界の人じゃないんでしょ」
 女性が少し訝しげな顔をした後、的確な指摘をしてきた。
 これにはなぜそう断言できるのかが気になった。
「その扉、重いから。この世界の人の体重じゃあ無理なの」
 そう云われてみれば、城門の扉より若干重い気がした。
「見た目と雰囲気からして日本人ね。電波で話せるなんて、かなり珍しいわね」
 そう云う女性も日本人だと思った。
『こっちで話せますか』
 電波では自分には聞こえないので、声での会話をお願いした。
『ええ、話せるわ・・・失礼を承知で聞くけど、年齢を聞いてもいいかな』
『22歳です』
『すみません。私は20歳です』
 年齢が下だったようで、女性は謝りながら敬語に直した。彼女は常識的な人物のようで、春斗は少し安堵した。
『あの、秋彦という人物はいらっしゃいますか』
 こちらが年上だが、頼る側なので敬語は継続して使うことにした。
『ええ、いますよ』
 女性もそれを察したのか、少し表情を綻ばせて頷いた。
『えっと、単刀直入に言うと、元の世界に戻して欲しいんですが』
『まあ、そうでしょうね』
 春斗の経緯を聞くまでもないような感じで、女性は静かに目を閉じた。
『それより、その刀はどうしましたか?』
 ここで女性の目つきが鋭くなり、春斗の持っている刀を指差した。これには失敗したと即座に思った。護身用だと思っていたのだが、それが仇となってしまった。
『返そうと思ったんですが、突き返されまして』
 ここは正直に答えることにしたが、この云い訳では納得してくれないと思った。
『なるほど。認められたんですね』
 女性は納得したように、春斗に背を向けた。春斗の焦りとは裏腹に、この言葉だけで信じてくれた。
『し、信じてくれるんですか?』
『信じるも何も、戦ったのならわかったのでは?』
 女性はこちらを振り返り、妖艶な笑みでそう云った。彼女は、春斗如きでは鍛冶師に勝てないとわかっているようだ。
『まあ、そうですね』
 これ以上はこちらが不利になるので、それで退くことにした。
『ついてきてください。秋彦に会わせますので』
 女性はそう言って、奥の方へ歩き出した。
『あ、はい』
 春斗はそれを追うように、両手で刀を抱えてついていった。まるで研究施設のような部屋を眺めながら、奥の一般的な扉まで案内された。
『ちょっと待っててください』
 扉を開け、春斗に一声掛けてから中にいる人を呼んだ。
『またか、最近多いな』
 扉の向こうから、面倒臭そうな声が返ってきた。
『入ってください、お茶を用意しますので』
 女性は扉を押さえて、手のひらを上に向けて招いてくれた。
『あ、ありがとうございます』
 春斗はお礼を言って、警戒しながら中に入った。
 驚くことに中は二十畳に近い空間で、奥に扉が四つあった。白い壁に机と椅子、パソコンにタブレット、冷蔵庫にキッチンと流し台、極めつけにコーヒーメーカーと急須が置いてあった。まるで、どこかのマンションのような間取りだった。外装と内装のギャップに、春斗は気持ち悪さを感じた。
『あはは、気持ち悪いだろう』
 春斗の表情を見た男は、笑いながら腰かけていた椅子から立ち上がった。どうやら、彼が秋彦という人物らしい。彼の見た目は幼さが残る小顔で、ラフなYシャツにジーンズと慣れ親しんだ格好をしていたが、髪は綺麗に整えられていて、服装とは見合わない感じがした。おそらく、隣の女性がそうしたのだろうという憶測が立った。
『秋彦、この人は年上よ』
『あ、そうなのか。それはすみません』
 女性の言葉に、秋彦は申し訳なさそうに謝った。
『いえ、タメ口で構いません。お願いする立場なので』
『いえ、敬語でいきましょう。期待には答えられそうにありませんので』
 秋彦は首を振って、最初にそう牽制してきた。
『えっと、どういうことでしょうか』
 これには意味がわからず、思わず聞き返してしまった。
『まあ、奥に行きましょう。いろいろ話すこともあるでしょうし』
 こちらの事情を察してくれたようで、秋彦は奥にある一つの扉に歩いていった。
『と、その前、その刀は貰ったんですか』
 その途中、秋彦が不思議そうな顔で刀を流し見た。
『彼が認めたんだって』
 それに女性がお茶を入れながら、秋彦の疑問に答えた。
『それは珍しい』
 秋彦はそう云って、冷蔵庫の横にある扉を開けて中に入った。
 春斗もそれに続くと、中はリビングのようになっていて、木製のテーブルを挟む形でソファーが置いてあった。本当にどこかの家に招かれた気分だった。(外装は城だが)
『どうぞ、座ってください』
 秋彦は客人をもてなすように、春斗に笑顔で促してきた。
 戸惑いながらソファーに座ると、秋彦がその正面に座った。
『さて、何から話しましょうか』
 秋彦がそう切り出すと、女性がお茶を持ってきて、テーブルに静かに置いた。そして、お盆を持ったまま秋彦の横に立った。どうやら、立ったまま話を聞くようだ。
『ここに来た目的は一つです。自分の世界に・・日本に戻りたいです』
 春斗の目的はその一点で、最初に聞くべきことだった。
『・・・ですよね。ここで言い繕っても意味がないので、簡潔に言います。日本には戻れますが、貴方の世界には戻れません』
『・・・』
 秋彦の言葉を理解するのに、沈黙が数秒続いた。
『ど、どういうことですか』
 秋彦は黙って春斗の言葉を待ってくれたが、考えても理解できず、彼に説明を求めた。
『この説明をしても、信じる人と信じない人がいます』
 秋彦はそう言って、真剣な表情で春斗を見つめた。
『最初に自己紹介しましょう。僕は倉木秋彦。で、こっちが緒方聖奈』
 張り詰めた空気が一転して、軽いノリで秋彦自身と隣に立っている女性を紹介した。
『あ、申し遅れました。春斗です』
 一応、こちらも礼儀として自己紹介して頭を下げた。この時、自分の苗字を言っていないことに気づいていなかった。
『自己紹介も終えたところで、まずはここに来た経緯を聞いておきましょうか』
 春斗のような人を多く対応してきたのか、秋彦が自然な流れで基本的なことから聞いてきた。どうやら、彼にとってはそのことを先に聞いておきたいようだ。
 春斗は、この世界に来た経緯を簡易的に話した。
『・・・自分で空間を開いたのですか?』
 話し終えると、秋彦が少し間を置いて、怪訝そうに聞いてきた。
『いえ、路地裏になんとなく足を運んだだけで、その時には空間の歪みはありませんでした』
『引き返そうとした時に発現したと?』
『そうなりますね』
『で、死の森に落とされたと』
『はい』
『それで春斗さんが、ここに来た原因の空間の捻じれはどうなりましたか』
『え?』
 それは今まで気にも止めなかったことで、自分を責めたい気持ちに駆られた。
『・・・おそらくですが、消えていると思います』
 春斗はか細い記憶を辿りながら、憶測でそう答えた。
『落ちたと言っていましたが、どれぐらいの高さかはわかりますか』
『えっと、二メートル弱だと思います』
 ゆっくり押し出された時に、下の方を見た感覚だとそのぐらいだと感じた。
『わかりました。それでは、最初に頭に入れておきたいことがあります』
 ここで秋彦が、真顔で人差し指を立てた。どうやら、ここは重要な話のようだ。
『パラレルワールドの存在だけはわかってください』
『・・・』
 これには予想外過ぎて、返す言葉が見つからなかった。
『空間の捻じれ現象には、いろいろ作用があるのですが、空間が一度閉じると、同じ空間に戻れることはほとんどありません』
『・・・えっと、つまり自分の世界にはもう戻れないということですか』
『ええ、そういうことになります。やはり、日本人はこの手の話を信じてくれるので助かります』
『外国人もここに来たことがあるんですか?』
『ええ、信じないで出ていってしまいました。多分ですが、殺されているでしょう』
 おそらくだが、それは春斗の見た死体のことかもしれないと瞬時に思った。
『せっかく秋彦が英語で丁寧に教えてあげたのに、大変失礼な人でした』
 すると、横に立っている聖奈が少し怒ったように文句を言った。
『そういう訳なので、日本には戻れますが、おそらく春斗さんの居場所はありません』
『それって、別の自分がいるってことですよね』
『はい。実際、僕たち二人も、今繋がっている世界に別の自分がいます』
『・・・は?』
 この発言には、春斗の思考が停止してしまった。
『いや~、こっちに来れたのは自分の研究の副産物でだったんですが、一緒に来た人のミスで一度閉じてしまいましてね。再び空間を作るのに4年も掛かってしまいました』
 秋彦は苦笑いしながら、淡々と驚くことばかりを口にした。
『おかげで、僕たちの居場所はもうないんですよ』
『私的には、良かったんだけど』
 秋彦は残念そうだったが、隣の聖奈は少し嬉しそうに見えた。
『まあ、悪い事ばかりじゃなかったからな』
 それは秋彦も同じなようで、聖奈と同じように頬を緩めた。この二人のやり取りは恋人のように感じた。
『えっと、頭の整理ができないのですが』
 知らない情報が一気に入ってきて、考えが追い付かないまま秋彦に投げかけた。
『それは仕方ありません』
 秋彦は何度か頷きながら、春斗の状況を察してくれた。
『なら、簡単な話をしましょう。居場所のない日本に戻るか、ここに留まるか』
『日本に帰ります』
 この二択なら、この世界では生きていけない春斗にはその一択だった。
『まあ、そうなりますよね』
 これも予想通りといった顔で、一度だけ深く頷いた。
『日本に戻って、どうするんですか?』
 ここで聖奈が、鋭い指摘をしてきた。正直、帰れることだけを考えていて、その先のプランは何もなかった。
『言ってやるな。それは日本に行ってから考えればいい。ここでくすぶっても、生きていける保証がない』
『すみません。先走った質問をしてしまって』
 秋彦の指摘に、聖奈が深々と頭を下げた。
『いえ、考えがないのは事実ですし』
 聖奈の申し訳なさそうな表情に、かえってこちらが委縮してしまった 
『一度、日本でもう一人の春斗さん自身に会ってみるか、自宅の様子を見るかしてみますか?』
 秋彦がこちらに気を使って、有難い申し出をしてくれた。
『えっと、正直いろいろ考えることがあるのですが、最初にパラレルワールドを確認したい気持ちがありますね』
 ここは素直に、今の自分の気持ちを秋彦に伝えた。
『・・・わかりました。でしたら、こちらが全面バックアップしましょう』
『え?』
 秋彦の言葉に、いち早く反応したのは聖奈だった。
『いいの?』
『困ってるし、ここに来てしまった以上、無碍にはできないだろう』
『この世界に来る人を全員救ってたら、キリがないと思うけど』
『自立できるまでの補助だけだ。俺たちだって、助けられた身だろう』
『まあ、そうだけど』
 聖奈は納得のいかない表情ではあったが、反論はできないようだった。
『あの、ありがとうございます』
『いえ、頭を上げてください。困ったときはお互い様ですよ』
 秋彦は、日本人らしい言葉を笑顔で口にした。
『ところで、僕たちより年上のようですが、春斗さんは社会人なんですか』
『い、いえ、大学生です』
 本当は就職活動がうまくいっていないのだが、事実は事実として学生なのは間違いなかった。
『そうでしたか。どこの大学ですか』
 これに興味を持ったのか、秋彦の声にハリが出てきた。
 春斗は大学と学部を秋彦に伝えた。
『薬学部でしたか』
 これを聞いた秋彦は、興味が失せたようにソファーにもたれ掛かった。
『さて、やることは決まったので、まずは日本に戻りましょうか』
 もう聞きたいことがないようで、秋彦はそう言って立ち上がった。
『この近くに空間の歪みがあるんですか?』
『ええ、その空間を維持してます』
『そんなことができるのですか?』
『まあ、できてますね。理論上の話をすると、専門的になりますが・・聞きますか?』
『いえ、専門外みたいなので遠慮しておきます』
 専門的なことを聞いても理解できないと思うので、控えめに遠慮した。
『最近、空間を維持したせいか、この世界に来る人が多くなっているようなので、維持するか悩んでます』
『でも、それは可能性の問題で、はっきりと空間の維持が原因だとは証明できてないでしょう』
 秋彦の懸念に、聖奈がいち早く反論した。
『そうかもしれないけど、不安定な空間の捻じれがあるのは事実だろう』
『それは否定できないけど、閉じたらこちらが不利益を被るわよ』
『・・・』
 この先の話したくないのか、秋彦は聖奈を無言で視線を送った。
『それは置いておいて、今は春斗さんを戻すことを優先させよう。案内しますよ。ついてきてください』
 秋彦はそう言って、先に部屋から出ていった。
『えっと、なんか申し訳ないです』
 とりあえず、二人になったところで聖奈に頭を下げた。
『私は貴方を見捨てることを提案した薄情者ですので、頭を下げられると立つ瀬がありません』
『見捨てる選択も、至って普通だと思います』
 聖奈に言い繕っても見透かされそうなので、率直な感想を伝えておいた。
『そう思うのでしたら、秋彦の善意を潰す行為だけはやめてください』
『もちろんです』
 それは言われるまでもないことだった。
『・・・貴方を信じます』
 ここで初めて聖奈が、本当の笑顔を見せた気がした。
 春斗たちは機器が置かれた部屋を出て、階段を下りた。その途中、フローランスとリンのことを話すのを忘れていたことに気づいた。
 階段の中段の所で、鍛冶師の奥に立っていたフローランスがこちらに気づいた。驚きの表情をしたかと思うと、頭を下に向け、全身を震わし始めた。
『げ、なんだあいつがいるんだ!』
 誰に対して言ったのかはだいたい察しはつくが、秋彦が驚いて階段を一歩上がった。
『秋彦、下がって』
 聖奈が秋彦の前に立つように、階段を一歩下りた。
『えっと、知り合いですか?』
 あまりよろしくない状況に、苦い顔で秋彦に尋ねた。正直、これはまずいと感じた。
『敵対されてますね。彼女には、一生恨まれることをしましたから』
 これに聖奈が、フローランスを警戒しながら春斗の疑問に答えた。その間、鍛冶師もフローランスの正面に立ち塞がった。
 すると、春斗の視界からフローランスが消えた。なんとなく鍛冶師を横切る影のようなものをかろうじて視認できた。
 それがフローランスだと頭で認識したところで、ひと瞬き後には聖奈の正面に迫ってきていた。
 ガキンと音と共に、フローランスの方が飛び退いた。その先の鍛冶師がフローランスを取り押さえようとしたが、彼女はそれを軽くかわすように横に移動した。
「それで勝てると思っているのですか?」
 聖奈は長髪をなびかせながら、フローランスを挑発するような台詞を吐いた。
 フローランスを見ると、首筋から血が流れていた。それに気づいた彼女は、右手を首筋に当てた。
 どこで負傷したのかわからず、聖奈の方を見ると、いつの間にか右手に短刀が握られていた。
『まさか、このタイミングでここが見つかるなんて思わなかったわ』
 春斗が連れてきたとはみじんも思っていない聖奈が、溜息交じりでフローランスを流し見た。
『ところで、なんで人形もいるんだ?』
 秋彦がリンも視認したようで、戸惑いながら聖奈に聞いた。
『・・・何をしているんですか。名無しさん』
 秋彦の疑問を、聖奈は鍛冶師を睨みつけるように問い質した。名無しとは鍛冶師自身がそう名乗っていて、春斗からすれば呼びにくいことこの上なかった。
『あ~っと、すみません。自分が連れてきたんです』
 ここは混乱を収める為、春斗は申し訳なさそうに切り出した。
『は?』
『え?』
 これに秋彦と聖奈が、驚きの表情を春斗に向けた。
 呆けている二人をよそに、春斗は階段を下り、フローランスにダメだと電波を発した。
「で、でも・・・」
 首の治癒が終わったようで、手を下ろし不満そうな顔をした。秋彦たちを恨んでいると聞いたが、抑えてくれないといろいろ支障が出そうだった。
 春斗は誠心誠意込めて、フローランスに深々と頭を下げてお願いした。
「うぐ、それずるい」
 それと秋彦たちに頼らないと帰れないことも伝えた。
「え、も、戻れるの?」
 春斗の台詞に、フローランスが動揺を見せた。
 春斗がお礼を云うと、フローランスから悲しそうな表情と沈黙が返ってきた。
 いつの間にか、春斗の傍に来ていたリンにもお礼を云って頭を撫でた。
「これで終わる?」
 春斗は頷き、約束は守ると云った。ここまで付き添ってくれて、できないとは云えなかった
「そう」
 リンは頭を下げて、春斗の手の動きに身を任せた。
 話をまとめたところで、秋彦たちの方を向くと、二人が驚きの表情でこちらを見ていた。
『すみません。案内をお願いしてもいいですか』
『・・・え、ええ』
 春斗のお願いに、聖奈がなんとか返事をした。
『電波、使えたんですね』
 二人が階段から下りきると、秋彦が電波のことを聞いてきた。
『ええ、自分の電波は聞こえませんけど』
 別に隠すこともないので、素直にそう返した。
『・・・それはこちらに来てからですか?』
 秋彦の目つきが鋭くなり、真剣な顔で聞いてきた。
『ええ、この世界に来てすぐですね』
『すぐ?』
 思っていた答えと違っていたのか、難しい顔で首を傾げた。
『ええ、死の森で彼女と出会って殺されそうになった時です』
 リンと云っても伝わらないし、人形と呼ぶのは抵抗があるので、リンの頭を撫でながら電波が聴こえた時の状況を話した。
『良く生き伸びましたね』
 これには聖奈が驚きを隠せず、春斗を見つめた。
『まあ、なんとか』
 春斗は、リンの頭から手を離して苦笑いで返した。
『どうしてそうなったのか、知りたくなる状況だな』
『そう・・ね。疑問が尽きないわ』
 二人はリンを見つめながら、驚きと戸惑いを見せて、お互いの意見を口に出した。
『あの、案内いいですか?』
 春斗はフローランスとリンに気を使い、秋彦たちを急かすようにお願いした。
『え、ええ。そうでしたね』
 秋彦は動揺を隠さず、リンとフローランスを交互に見て、正面の扉に向かって歩き出した。
『待って』
 すると、聖奈が秋彦を呼び止めた。
『春斗さん達が、先を歩いてもらえますか』
 聖奈はこちらを振り返って、少し申し訳なさそうにお願いしてきた。
『あ、はい』
 フローランスと敵対しているので、後ろを見せることは危険だと判断したようだ。
 春斗は寂しそうな表情のフローランスと無表情のリンを引き連れ、畳で敷き詰められた部屋を出た。
 城を出た所で、春斗は後ろにいる秋彦たちに行き先を尋ねた。
 秋彦と聖奈はいたが、鍛冶師はついてきていなかった。フローランスと敵対している割に人数が手薄な感じがしたが、それを春斗から聞くことはおかしいので触れることはしなかった。
 ここからは聖奈の誘導で、目的の場所へ向かうことになった。
 歩きながらいろいろ質問したかったが、フローランスからギスギスした感じが伝わってきて、誰一人話すことなく城下街を抜けた。
 暗い洞窟の壁をつたいながら、先に見える明るい出口へ向かった。
 出口に着くと、目の前に草木が生えていて、左の方に何度も人が通ったと思われる道ができていた。
 そこをなぞるように歩き、一部木が密集していない場所で立ち止まった。理由は、人道が複数になっていたからだった。
『ここからは、春斗さん一人だけでお願いします』
 一つの人道の前に聖奈が立ち、フローランスとリンを見た後、春斗にお願いしてきた。この宣言は、リンとフローランスとの旅の終着点ということを示唆していた。
「行くのね」
 すると、フローランスが寂しそうな顔で春斗の方を見つめた。
 春斗が静かに肯定して、何気にリンを見るとじっとこちらを見上げていた。
『その前に、少し別れの時間をください』
 リンとの約束を果たす為、秋彦たちに待って欲しいとお願いした。
『わかりました』
 聖奈は特に何も言わず、その静かな声でそれを受け入れてくれた。
 了承を得たので、リンを促して反対にある人道を歩き出した。これからすることは、関係のない秋彦たちには見せたくなかった。

第八話 願い

 リンは、春斗と並んで人道を歩いていた。その後ろからフローランスもついてきた。正直、邪魔なのでどっかいって欲しいと思ったが、リンから云うことはしなかった。
 すると、春斗が困った表情で、少しそこで待っていて欲しいとフローランスにお願いした。これはリンの思いを代弁したようで有難かった。
 これにフローランスが不服そうに、あそこで待てって云うの?と文句を云った。ただでさえ殺したいのに、あそこに残すなんてどうかしているといった表情で、フローランスが春斗を睨んだ。まあ、云いたいことはわかるが、このままついて来られるのは鬱陶しかった。
 フローランスは、どこに行くのかと本質を訊いてきた。彼女には何も伝えていないので、これは率直な疑問なのだろう。
 ここで何を思ったか、春斗がリンに心変わりがないかを訊いてきた。
 この質問の意味がわからず、人形にそれを聞くのはおかしいとだけ返した。
 人道を歩いていると、突然人道を逸れて獣道に入った。これはフローランスへの嫌がらせなのだろうかと思った。
 それが功を奏したようで、彼女が困った顔で、ドレスの裾を上げてついてきた。
 春斗が呆れた顔で、そこで待っていてくれと二度目となるお願いをした。やはり、獣道に入ったのはフローランスへの嫌がらせだったようだ。
 これにフローランスが頬を膨らませて、今度は何をするのかと訊いてきた。
 すると、春斗が再び困った顔をしてリンの方を見た。正直、春斗が云ってくれるのを待っていたが、云ってくれそうにないのでリンから教えることにした。
 リンはフローランスの方に振り返り、春斗との取り引き内容を伝えた。
 が、うまく伝わらなかったようで、どういうことかと聞き返されてしまった。
 仕方がないので、春斗に壊されると明確な電波で云った。
 リンの台詞に、フローランスの表情が固まった。思考が停止したようだが、春斗に付いてきたのは壊してもらう為だと付け加えた。
 しばらくフローランスが動かなくなったが、春斗も動く気配がなかった。どうやら、フローランスの反応を待つようだ。
 そして、ようやく動きを見せたフローランスから嘘と、絞り出したような電波が流れてきた。
 悲しそうな雰囲気のフローランスに、リンは首を振って本当だと告げた。
 話は終わったので、春斗を促すように見つめた。
 それを察してくれたのか、春斗がわかったと云って、さらに奥の方に歩き出した。
 その後ろからフローランスが、待ってと云いながら追いかけてきた。どうやら、リンの電波では納得できないらしい。
 ここで春斗が再び立ち止まり、リンの最期を見届けたくないならついて来ないで欲しいと突き放した。
 これにフローランスは、人を殺すなと云った春斗がなぜそんなことをするのかと問い詰めてきた。人形と人を一緒にする意味がわからなかったが、フローランスには同じだと云いたいようだ。これには煩わしさが出てきた。
 フローランスの問いに対して、春斗は自分もしたくないが、恩を仇では返せないとよくわからないことを云い出した。リンにすれば恩を着せたつもりもないし、壊さないことは仇でもないと思った。
 フローランスは何度か食い下がり、春斗はそれを首を振ってできないと返した。
 このやり取りが不毛なので、フローランスに対して邪魔だと敵意を向けてみた。
 それが功を奏したのか、フローランスが悲しそうに怯んで電波を停止させた。
 春斗が再び歩き出したので、リンも並んでついていった。フローランスは少し立ち止まっていたが、少し距離が開くと慌てたように追ってきた。見届ける為かは知らないが、あまりついてきて欲しくはなかった。
 しばらく歩くと、少し開けたところに出た。
 春斗はそこで立ち止まり、リンの方を向いた。どうやら、ここで壊してくれるらしい。
 しかし、フローランスは納得していなくて、悲しそうな表情で再度止めに入ってきた。なぜ彼女が、そこまで必死になるのか不思議に思った。
 春斗が困って、これはリンが決めたことだと首を振った。
 ここでフローランスの説得がリンに移った。
 リンは面倒に思いながら、フローランスの疑問に答えていった。
 フローランスは一緒に生きて行こうと変なことを云ったが、なんの魅力も感じなかった。リンの頭にはあるのは、シーレイの命令のみだった。他はどうでもいいし、今でもそれは変わることはなかった。
 不毛なやり取りを終え、春斗が諦めろと悲しそうにフローランスを宥めた。
 しかし、フローランスは頑なにそれはおかしいと云ってきた。ここまで話し合っても、納得できないのなら何を云っても無駄だろう。
 それは春斗も察したようで、困った顔をリンに向けた。
 このままでは埒が明かないので、フローランスを攻撃することにした。リンからすれば、彼女に壊されようが、春斗に壊されようがどっちでもよかった。
 これにフローランスが戸惑い、後ろに飛び退いた。春斗も理解できないようで、リンを止めようとした。
 リンは邪魔とだけ単語を発し、壊すのならフローランスでも構わないことを告げた。ここで不毛なやり取りをするより、彼女を敵に回し、壊してもらうことが効率が良かった。
 すると、春斗がフローランスを退場させることには賛成だと云った。彼は、本当に義理堅い人だった。
 これにフローランスが、どうしてと悲哀の顔で対峙してきた。
 春斗は何も云わず、リンの後ろに付いた。どうやら、声で指示を出すようだ。
 フローランスは、戦いたくないと掠れそうな電波を発した。
 それならリンと自分をねじ伏せればいいと、春斗が正論で返してくれた。
『攻撃』
 春斗はこれ以上フローランスと話す気はないようで、リンに指示を出してきた。
 リンは、生成していたナイフで攻撃を仕掛けた。
 それをフローランスは表情を崩しながら、軽やかにかわしていった。やはり、単調な自分の攻撃は効果的ではなかった。
『追尾』
 春斗は、フローランスに間をつくらせない戦法を指示してきた。これはリンも同じで、フローランスには人形を戦闘不能にしてしまう技を持っているので、それだけは阻止しなければならなかった。
 フローランスは木々を障害物にして、リンから円を描くように逃げ回った。
 しばらく攻撃したが、ナイフが掠る気配も見せなかった。
『戻れ』
 それを見兼ねた春斗が、リンに対してそう命令してきた。その音に反応して、攻撃をやめて春斗の元に戻った。あまりフローランスに生成の間を与えたくないのだが、掠りもしない攻撃をいくらしてもジリ貧なのは間違いなかった。正直、リンにはどう攻めていいか皆目わからなかった。
 ここで春斗が、フローランスに逃げ回るなら諦めて欲しいと交渉に入った。
 しかし、フローランスは悲しそうな顔のまま嫌だと駄々をこねた。
『作戦D』
 春斗は残念そうに、挟み撃ちの作戦を音で指示した。どうやら、リン一人では勝てないと判断したようだ。これは間違っていないとリンも思った。
『左、旋回』
 フローランスが円を描くように逃げ回っているので、左側から攻め立てて行くようだ。
 リンは、すぐにフローランスに向かっていった。
 木々を利用しながらの攻防は、さっきの焼き写しになっていた。
『左』
『下』
『陽動』
『右下』
『乱撃』
『上』
 いろんな攻撃の指示を受けて、それ通りに攻撃していった。
 さすがのフローランスも苦しくなり、リン達にやめてと悲痛な電波で叫んだ。
『速攻、右回り』
 春斗はそう指示を出して、森に消えていった。どうやら、死角から奇襲をかけるようだ。
 フローランスは回避に専念していて、リンの速攻をかわしていった。
 一つの木を軸にして、指示通り右回りで攻撃していると、フローランスが飛び退いた木の陰から春斗の手が出てきた。
 これにフローランスが驚いたが、春斗の力に為す術なく捕まった。
 春斗が捕まえたと云った後、ごめんと謝罪してフローランスを強引に引き寄せた。
 この行為に、フローランスの顔が真っ赤になり、恥ずかしそうに動揺した。
 が、それは一瞬だった。
 春斗が腰を捻り、フローランスを地面に叩きつけた。
 しかし、それだけではなく、春斗がフローランスの身体の上にのし掛かった。
 フローランスの微弱な電波と共に、骨が複数折れる音がした。これには容赦ないとドン引きしたが、これで当分は動けないだろう。
 春斗もそう思ったようで、動けないフローランスの頬を優しく撫でて、ごめんと二度目となる謝罪をした。
 すると、フローランスの目から大量の水分が出て、春斗を見つめてやめてと懇願した。
 しかし、春斗が首を振って、フローランスの頭を軽く叩いて立ち上がった。これは春斗の世界での別れの挨拶なのだろう。
 リンもそれを見倣うように、リンはフローランスの頭の方にしゃがみ込んで、彼女の頭を軽く叩いた。これはかなり勇気のいる行為だったが、もう壊れることを思うとなんでもなかった。
 フローランスは驚いた顔をしたが、再び悲しそうな表情になり、目から水分が溢れ出した。
 そんなフローランスの顔を見て、これまでついてきてくれたことにだけは感謝しようと思った。まるで人のようだと思ったが、春斗の物真似なのでそうでもないかと思い直した。
 一応、最初にごめんと謝罪をして、春斗のように表情を緩めて、ありがとうとフローランスに云った。
 リンの最期の台詞に、フローランスは乱れた電波で引き止めてきた。始祖の必死さを見て、ほんの少し心が揺れ動いた気がした。(気のせいかもしれない)
 リンは、ごめんと再び謝罪して立ち上がった。春斗の方を見ると、何ともいえない切なそうな顔をしていた。
 春斗はリンの視線に気づき、行こうかとリンから顔を逸らすように歩き出した。
 さっきと方向が違ったが、フローランスから距離を取ってくれるのは有難いと思った。この時、なぜ有難いと思ったのかが自分でも不思議だった。
 何回か方向を変えながら森の奥に行くと、二人が対峙できる丁度良い場所で春斗が立ち止まった。
 これでようやくシーレイの命令を遂行できるという安堵感を感じながら、春斗と向き合った。
 春斗が剣を抜き、感情を堪えるような顔でリンを見つめた。その顔は、フローランスと同じで感情を抑えているようだった。
 フローランスに作ってもらった服は邪魔なので、脱いでその場に落とした。
 春斗が鞘を落とし、両手で剣を握りゆっくりと振り上げた。その拙い一連の流れは、リンには綺麗に見えた。おそらく、壊れる間際だからだろうと思った。
 剣を上段で止めたまま、春斗はしばらく動かなかった。目には水分が溜まっていて、今にも流れそうだった。
 最後の一押しができないようなので、お願いと春斗を見上げて表情を緩めた。
 その台詞を受け取った春斗は、目から水分が流れると同時に、剣を振り下ろしてくれた。
 剣はリンの右肩から深く入り、左脇腹から抜けていった。それを感じながら、リンは穏やかな気持ちでその場に倒れた。
 血が噴き出し、どんどん力と思考が奪われていった。これが死というものだろうかと思いながら、霞む視界に春斗のくしゃくしゃな顔が見えた。彼の流した水分は、リンの頬をつたいとても暖かかった。
 この瞬間、この水分は悲しい時に流れるものだと今頃になって思い至った。同胞を手に掛けた時の水分は、リン自身が感じてはいなかった悲しみを身体だけが感じていたようだ。
 最期にそれを知っただけで、リンは生きたという実感を持てたまま意識を失った。

第九話 帰還

 リンの穏やかな死を、春斗は泣きながら見送った。何度も感謝と謝罪を繰り返しながら、感情が落ち着くまでリンの傍にいた。
 なかなか止まらない涙がようやく止まったところで、リンを木の幹にもたれ掛からすように座らせ、ゆっくりと頬を撫でた。彼女の顔は人形のように白く、体温もあまり感じられなかった。
 フローランスの作ったジャケットを、リンの傷を隠すように被せた。
 刀の血をハンカチで拭き、落とした鞘を拾って刀を収めた。その刀を見て、最初で最後になるであろう人殺しを心に刻んだ。嘱託とはいえ、殺したことは変わりなかった。
 春斗はリンに手を合わせて、心からの感謝を告げ、秋彦たちの元へ戻ることにした。
 しかし、どこをどう歩いたのかを忘れてしまい、とりあえず来た道を戻ろうとしたが、フローランスのいる場所には戻れないと思い直し、自分の勘を頼りに森を彷徨うことにした。
 どれぐらい歩いたかはわからないが、なんとか秋彦たちの元へと辿り着いた。
『あれ、なんでそこから出てくるんですか?』
 人道ではなく、茂みから出てきた春斗に、聖奈が不思議そうに首を傾げた。
『気にしないでください』
 迷ったとは言いづらく、苦笑いでこの質問を流した。
『二人はどうしたんですか?』
 さすがにそれは気になったようで、怪訝そうに周りを見渡した。
『別れてきました』
 リンは殺したが、それは絶対に言えなかった。
『まあ、彼女たちは日本には迎えられないから仕方ないですね』
 聖奈は春斗の顔を見て、何かを察したように視線を背けた。
『春斗さんには、いろいろ聞きたいことがありますね』
 秋彦の方は気持ちを察してくれず、率直な疑問を言葉にした。まあ、あの驚きようを見れば知りたいと思うのも無理はない気がした。実際、春斗もいろいろ二人に聞きたかったが、今はそんな気分になれなかった。
 そんな春斗の気持ちを察したのか、聖奈が秋彦を睨みつけ、空気を読めと言った感じで威圧した。それが伝わったようで、秋彦は聖奈から目を逸らして肩をすくめた。
『その傷、どうしたんですか?』
 春斗の手の甲から血がにじんでいるのに聖奈が気づき、不思議そうに聞いてきた。
『ああ、木の枝で切ったかもしれないですね』
 本当はフローランスを掴む時に、彼女の爪に偶然ひっかかった傷なのだが、ここは嘘で乗り切ることにした。
『そうですか』
 聖奈はそう言うと、人道を歩き出した。その隣に秋彦がつき、二人の後ろを春斗が続いた。
 人道を歩いていくと、視界が開けていき、空間の歪みが目の前に現れた。それを見た瞬間、戻れる嬉しさとこの世界に放り出された腹立たしさを感じた。
 空間の歪みの周りは、特に何も施されていなくて、野ざらし状態だった。
『このままにしてるんですか?』
 この状態が気になったので、二人に聞いてみた。
『そうですね。この世界では人工物は目立ちますから、そのままの方が目立たないんですよ』
 これには秋彦が答えてくれた。確かにその言い分は一理ある気がしたが、空間の周りには不自然な凹みいくつも見て取れた。おそらくだが、この空間の歪みをつくる機材を配置した跡なのだろう。
 空間の歪みの奥は見晴らしが良くて、数メートル先は崖になっていた。
 崖は円形のように続いていて、春斗はなんとなしに崖の下を見たくなった。
『あ、落ちないでくださいね。いろいろ面倒になるので』
 すると、秋彦が手を前に出して注意してきた。というか、落ちたら怪我だけでは済まない気がした。
 崖を覗き込むと、下は10メートル近くあり、上の木とは違う種類の木々が間引きされたように広がっていた。それより気になったのは、崖の途中に多く穴が開いていることだった。
『ここに吐き出されて、良く生きていましたね』
 秋彦はそう言って、春斗の後ろから覗き込んできた。
『え、ここって死の森なんですか』
 驚きのあまり、秋彦の方に勢いよく振り返った。
『え、ええ。てっきりここから脱出して、自分たちの所に来たものだと思ってました』
 これに秋彦が、ちょっと引き気味で答えた。森をもう一度見ると、視界の左奥に大きな大木が見えた。
『でも、それならレイを連れ添ってないとおかしいんじゃないの?』
『いや、ここに来た経緯なんてこっちは知らないし』
『あ~、まあそうね。だいたいレイは、連れてきた人を私に丸投げして帰るし』
 二人は春斗を除け者にして、内々の話で盛り上がっていた。
 春斗は戻ってきたことに頭がいっぱいで、二人の話は頭に入ってこなかった。
『じゃあ、この崖の穴って鳥類の巣なんですか?』
『あ、はい、まあ』
 春斗の質問に、聖奈が気まずそうな顔をした。
『この森の出口にキマイラみたいな幻獣がいたんですが、あれってこの世界では当たり前なんですか?』
 これは一番気になっていることで、是非とも二人に聞いてみたいと思った。
『あれは遺伝子操作の成れの果てですよ』
 聖奈が言いにくそうにしていたからか、秋彦の方が答えてくれた。
『えっと、それって遺伝子交配ということですか?』
 今の自分の発想ではこの程度が限界だった。
『交配ではなく、結合の失敗作です』
『生物実験ですか?』
 この事実には驚いてしまった。
『ええ、この世界は法律がないですし、人との繋がりも薄いですから、歯止めがきかなくて困ってます。まあ、見境なくやってるのは主に一人ですが・・・』
 秋彦は困った顔で、森の奥の方を見下ろした。話の流れからして、レイという人がそれをしているのだろうと勝手に思った。
『この森が死の森と呼ばれるのは、酸素が極端に薄いからです。高山病とかになりませんでしたか?』
『ええ、なりました。なんであそこは酸素が薄いんですか?』
『崖の穴の鳥類が原因だそうです。あまり生体には詳しくないんですが、この鳥類は酸素を極端に嫌う習性があるようで、皮膚に酸素を取り込み、多くの二酸化窒素を吐き出すようです』
 どうやら、この世界は地球の生物と体内の構造が違うようだ。
『それと鳥類の超音波で、音が封殺されます』
『だから、あそこで声が出なかったんですね』
『空気の比率の割合も関係してますね』
『でも、電波は伝わりましたよ』
『まあ、近距離だったら伝わります。広範囲に飛ばすと封殺されますね』
『この世界の生物は、変わった特殊能力を持ってますね』
『はははっ、それはあっちの世界も一緒でしょう。それになにより人間が一番変わってます』
 確かにそれを言われると、何も反論できそうになかった。
『一つ聞きたいんですが、フローランスとはどこで?』
 秋彦がここぞとばかり、フローランスとの関係を聞いてきた。
『この下です』
『この森に居たんですか?』
『ええ』
 秋彦の疑問もよくわかるが、フローランスが死の森にいたのは、本人しか知らなかった。
『う~ん。では、あの少女の方は?』
 少女とはリンのことを言っているようだが、人形と呼ばないことは個人的に嬉しかった。
『彼女もここですよ』
『全てが偶然・・ですか』
『そうなりますね』
 こればかりは、運が良かったとしか言えなかった。彼女たちがいなければ、確実に死の森から出ることはできなかっただろう。
『秋彦、私は先に行って事情を説明してくるから、10分後に来てね』
 黙って話を聞いていた聖奈が、秋彦にそう告げて空間の歪みに入っていった。彼女がゆっくりと吸い込まれていくのを見て、吸い込まれた時のことを思い出した。
『秋彦さん達って、民主組織のトップなんですか?』
 秋彦と話すことで、少し気持ちが和らいだので、最初に聞きたかったことを尋ねた。
『いえ、違いますね。民主組織の拠点を提供してあげた、が正しいです』
 経緯は見えなかったが、秋彦たちは民主組織に属してはいないようだ。
『では、あの鍛冶師の人ですか?』
『それも違いますね』
『じゃあ、あの服の色はカモフラージュですか』
『そうなりますね。民主組織のトップと名無しさんは友達みたいなものです』
『そうなんですか。地下をあそこまで拡張したのは凄いですね』
『そうですね。あれは僕の功績ではないので、褒めるなら民主組織の人たちと、名無しさんですね』
『え、鍛冶師の人が造ったんですか?』
『ええ、建築を主導してくれました。彼は、僕たちとは別の空間から来ていましてね』
『自分と一緒ですか』
『そうなりますね』
 聖奈の身体が全て、吸い込まれたところでこの話は終わった。
『こちらからも一ついいですか』
 ここで秋彦が、春斗を横目に話を切り出した。
『スーツの上から羽織っているのって、裏生地が武力組織の色なのですが、それはどうしたんですか』
『一時的に所属してました』
『・・・今は抜けているんですか?』
『ええ、独立組織が攻めてきたので、それに乗じて逃げましたね』
『えっと・・なかなかつらい経験をしたんですね』
 詳細を聞くか悩んだようだが、気を使ってか秋彦からこの話を終わらせた。 
 それから7分ほど、空間の歪みの前で秋彦がここに来た経緯を黙って聞いた。正直、専門用語ばかりでほとんど理解できなかった。
『そろそろ行きましょうか』
 秋彦はそう言って、空間の歪みに手を伸ばした。
『一人ずつの方がいいですよね』
『ええ、僕の全身が吸い込まれてから来てください』
『わかりました』
 その間、春斗はフローランスとリンがいるであろう方向に目をやった。サーミャを助けると春斗が決めたのに、それができなくなることは本当に後ろ髪を引かれる思いに駆られた。
 秋彦が吸い込まれたところで、春斗は空間の歪みに手を伸ばした。
 吸引されると、あの時と同じように抵抗できなかった。
 身体が吸い込まれたところで、リンとカーミルに感謝をし、フローランスとサーミャに感謝と謝罪をして、この世界とお別れした。
 顔が反対側に出ると、正面に扉があり、周囲にはいろんな機器が目に付いた。それは城にあった物と良く似ていた。
 正面に秋彦と聖奈と、もう一人知らない男がこちらを見つめていた。男は何も言わなかったが、興味深そうに春斗を観察してきた。
 身体が出たところで、聖奈が春斗を男に紹介した。
 男は何度か頷いて、春斗に協力することを了承した。このやり取りに春斗は参加していなかった。彼は、太田と呼ばれていた。
『災難だったね』
 太田がダルそうな顔を春斗に向けて、労いの言葉を掛けてくれた。服装にはこだわりがないようで、よれよれのシャツに安物のスラックスを穿いていた。
『そうですね。すみませんが、お世話になります』
 迷惑を掛ける相手なので、低姿勢で頭を軽く下げた。
『まずは、君の居る住所を教えてくれないか?』
 どうやら、もう一人の自分の所在を確認してくれるようだ。
 春斗は、自分の住所を太田に教えた。
『うん。そこまで遠くないね。車で行こう』
 太田はそう言って、部屋の扉を開けて出ていこうとした。
『あ、はい』
 慌てて太田の後を追うと、出る前に靴は脱いでと注意された。やはりこの場所は人の家のようだ。
『あと、刀はまずいよ』
 太田の指摘に、自分が刀を持っていることに気がついた。これでは銃刀法違反で捕まってしまうのは確実だった。
『私が返しておきましょう』
 すると、聖奈が率先して引き受けてくれた。
『ありがとうございます。あと、このナイフもお願いします』
 春斗はお礼を言いながら、リンから貰ったナイフをポケットから取り出して手渡した。ナイフは昇華が始まっているようで、刃こぼれを起こしていた。
『わかりました。それではこれを貼っておいてください』
 聖奈はそう言って、交換とばかりにバンドエイドの箱を差し出してきた。
『ありがとうございます』
 バンドエイドを一枚取り出し、手の甲に貼ってから箱を聖奈に返した。
『私たちはここまでなので、あとは太田さんを頼ってください』
『そうなんですか』
『この日本には私たちの居場所がないので、力にはなれません』
 いろいろ事情があるようなので、詳細を聞くことは控えておいた。
『ここまで連れてきて、ありがとうございました』
 春斗は、深々と頭を下げて二人にお礼を言った。
『どういたしまして。この日本で定住できることを祈っています』
 聖奈の言葉は、この先どうなるかを知っているような物言いだった。
 部屋の前で靴を脱ぎ、秋彦たちに軽く会釈をして部屋を出た。
『あの二人は、あっちの世界を管轄してるから基本的にはこちらに関与しないんだ。まあ、例外もあるけど』
 部屋の扉が閉まったところで、太田が微笑みながらそう言ってきた。
 階段を上がると、リビングらしき場所に出た。どうやら、地下にあの空間をつくったようだ。
 他の部屋も廊下から見えたが、かなり散らかっていて目立ったのは椅子の種類の多さだった。
 廊下を抜け、玄関で革靴を履いて、懐かしい日差しのもとへ出た。その瞬間、帰ってきた実感が沸いてきた。
 横の駐車場に軽自動車があり、太田は鍵を開けて運転席に乗った。
 春斗は助手席に乗るか、後部座席に乗るか迷ったが、後部座席にはいろいろ物が散乱していたので、消去法で助手席に乗った。少し暑かったので、フローランスに縫ってもらったジャケットは脱いで、膝の上に置いた。
『自己紹介がまだだったな。俺は太田貫禄だ』
『春斗です』
 突然の自己紹介に、春斗は反射的に名前だけ名乗った。
 太田がリモコンを押すと、目の前の門扉がゆっくり開いていった。車についているナビを操作し、春斗にもう一度住所を聞いてきた。
 ナビから音声が出て、ここからの距離と時間を表示した。
 それを確認した太田が車を発進させたが、ハンドルを掴むことはしなかった。
 不思議に思っていると、ハンドルが勝手に動いていた。
『自動運転ですか』
 これに驚いて、素で太田に聞いた。
『ああ、今は便利だよな。自分は運転下手だから、自動運転が確立するまで、ずっとペーパードライバーだったよ』
『本当にパラレルワールドは存在するんですね』
 ここまで半信半疑だったが、少なくとも春斗がいた世界では、自動運転はまだ試運転の段階だった。
『そっちでは、まだないみたいだな』
 春斗の反応を見た太田が、こちらを見てそう言った。
『そっちの世界のことを聞いてみたいが、構わないか?』
 太田の申し出は、願ってもないことだった。
 しばらくお互いの世界のことを話し合うと、社会情勢の違いが如実に出てきた。流れで芸能人の話もしたが、太田は興味がないようでわからないの一点張りだった。
 走っている途中、車窓から他の車を見ると、ほとんどの人が携帯や漫画を見ながら車を走らせていた。この光景に慣れていない春斗は、凄い違和感を覚えた。
 話が途切れたところで、秋彦たちのことを聞いてみた。
『アッキーには頭が上がらないな』
 すると、太田が自分を卑下するように、秋彦のことを絶賛した。どうやら、秋彦のことをあだ名で呼んでいるようだ。
『彼は、何者なんですか』
 秋彦と話したが、思考の次元が違い過ぎて遠い存在な気がしていた。
『アッキーは学者で、新世界を発見した功労者だ。本人は次元を歪めた罪人だと卑下してるがね』
『あの空間も一度閉じたと言ってましたが、それは本当ですか』
『ああ、突然あの実験室に空間の捻じれが現れた時は驚いたもんさ。アッキーが言うには、4年近く掛ったらしい』
『確かにそう言っていましたね。あんな何もない世界なのに』
『そうだな、膨大なエネルギーをつくるのは並大抵のことじゃできない。それをやってのけたアッキーは、まさにジーニアスだな。いや、その言葉も当てはまらないかもな』
『確かに、凡人には遠い存在ですね』
『春斗がそう言うのなら、俺も凡人だぞ。おっと、呼び捨てでいいか?』
『え、ええ、構いません』
 気軽に呼ばれたが、春斗自身特に抵抗はなかった。
『そういえば、あっちの世界に食事ってなかったはずだが、お腹は空いていないのか』
 そう言われてみると、確かに空腹ではあった。あの世界では錠剤を常用していたので、お腹の空き具合がおかしくなっていた。
 空腹だと伝えると、太田が通り道にあるレストランに入った。
 レストランで久しぶりに丼物を注文したが、半分ほどで気持ち悪くなってしまった。どうやら、食事が久しぶり過ぎて、胃が働かなくなっているようだ。
 ご馳走してくれた太田に謝罪して、再び車に乗り込んだ。いまさらだが、携帯電話を持っていたことを思い出した。
『それ、使わない方がいい』
 すると、太田が携帯電話を見て首を振った。
『どうしてですか』
『世界が違うんだから、使ったら電波の不正使用で面倒なことになるよ』
 確かにそれを言われると、もうこの携帯電話の役割はない気がした。
『お金は持ってる?』
『え、ええ、5千円ぐらいは』
『念の為、紙幣と小銭の確認しておいたほうがいい』
 太田はそう言うと、無造作にポケットから財布を取り出して投げて寄越した。なんとも無警戒だが、こちらとしては接しやすかった。
 作りを見たが、全然違いが見られなかった。
『どうやら、使えるようだな』
 財布を返すと、太田は財布をポケットに乱暴に入れた。
『春斗は、あの世界にどうやって行ったんだ?』
 ここで太田が、ようやくその話を切り出した。
 春斗は自宅に着くまでの時間配分を考えて、掻い摘んで話すことにした。
『へぇ~、そんなに長くよく生きて帰ってこれたね』
『出会った人が良い人たちでしたので』
 思い出すと、少し涙が出てきた。
『それにしても、そのスーツ、汚れているけど臭わないな』
『相棒に消臭してもらったので』
『ほう、それは便利な相棒だな』
 太田は知ってか知らずか、空笑いしながら会ったこともないリンを皮肉った。
『生成か。便利な身体だよな』
 やはり知っているようで、生成と明確な言葉を口にした。
『不憫なところも見てますので、一概に羨ましいとは思えませんでしたが』
 これはあの世界を回った春斗の率直な感想だった。
『まあ、利点も欠点も人次第ということだろう』
『そうですね。お互いないものねだりでした』
『人は強欲すぎるからな』
 それは確かにその通りだと思った。結局、欲しいものはないからであって、あるものに対して幸福であることを実感しないのは、人の悪いところだった。
『春斗にとって、この日本と比べてあの世界はどう見えた?』
『どんな世界でも、人は争うものだと実感しました』
『だな。戦争も資本主義も争いだからな』
『社会主義はこの世界ではどうなってますか?』
『滅んでるよ。それを目指して、戦争した国はあるけど』
『こっちも同じです。恒久的平和なんて知的生命体には無理な話ですね』
『ははははっ、それができると思っている奴は、自分が常に正しいと思い込んでいるだけだ』
 春斗の皮肉に、太田が笑いながら同意した。
 ここでナビが目的地周辺だと、音声ガイダンスで教えてくれた。
 さっきから見覚えのある風景で、この世界でも建物の配置や造りはほとんど変わらなかった。(若干色が違っている気がしたが、記憶違いかもしれない)
 中央通りから、集合住宅への脇道に入った。
 そこから春斗の住んでいる住所へと、車が自動運転で向かっていった。
 春斗の自宅の住所に着くと、見慣れた一軒家が建っていた。
『あの家で間違いないか?』
 自宅を過ぎた所で、太田が車を停止させて後ろを向いた。
『ええ、間違いありません』
 春斗も振り返り、懐かしい自宅をもう一度確認した。
『ここからは張り込みだな』
 太田はそう言うと、ナビを操作して車を前進させた。
 どうするのかと聞くと、回り込んで自宅の住人を確認すると言った。
『一つ聞くけど、春斗は突然現れた自分の言葉を信じるかい』
『・・・残念ですが、現実主義者なので無理だと思います』
 逆の立場で考えてみたが、とても信じることはできそうになかった。
『それは残念だ。とりあえず、自分の目で確かめた方がいいだろう』
『どうしてそこまでしてくれるんですか?』
『俺も経験者だからな。急に、自分が現れた時は驚いたもんさ。あの時は、ドッペルゲンガーと思って死ぬことも覚悟したよ』
 太田は笑いながら、自分の体験談を話した。
『えっと、それって太田さんもこの世界に二人いるんですか?』
『ああ、いるな。俺にアッキー、聖奈の他にあと三人いるぞ』
『そ、そうなんですか』
 これには驚いて、どう返していいかわからなかった。
『あの時は凄かったぞ~。アッキーなんか下見もせずに乗り込んでいったからな』
『それは凄いですね』
 おそらくだが、秋彦は直接会っても問題ないとわかっていたから、そんなことができたのだろう。 
 車が自宅の周りを回ると、太田がナビを操作し、車を端に寄せて停止させた。
『ちょっと待っててくれ』
 太田はそう言うと、車から降りて自宅前まで歩いていった。
 何をするかと思っていると、何かを確認して戻ってきた。
 車に乗り込むと、太田が表札の苗字が合っているかと尋ねてきた。そういえば、苗字を教えていなかったことにいまさらながらに気がついた。
 春斗は申し訳なく思いながら、間違いないと答えた。
『じゃあ、ここで確認する。春斗は身を潜めて家の住人の様子を見ててくれ』
 確かに、家族にばれたら面倒なのは間違いなかった。
 春斗は背もたれを倒し、顔を隠すように人の出入りを確認した。
 ナビの日付を見ると、今日は土曜日で時間は13時30分だった。
 太田の話では、どの世界でも時間経過は変わらなかったそうだ。それが事実なら、春斗はあの世界に4日近く彷徨っていたことになる。そう思うと、長いようで短い思い出が走馬灯のように頭に駆け巡った。
 しばらくぼうっとしていると、太田が誰か来たと春斗の肩を叩いた。
 反射的に顔だけ起こすと、妹の輪花(リンカ)が自宅に入っていった。
『妹です』
『そういえば、何人家族なんだ?』
『両親は健在で五人ですね。兄はこの家にはいないはずですけど』
『なるほど。ところで、春斗以外の四人はパラレルワールドを信じる思考は持ち合わせていると思うかい?』
『難しいですね。でも、なぜそんなことを聞くんですか?』
 春斗自身にならわかるが、家族にそんなことを言っても意味がない気がした。
『この世界に定住するなら、頼れる人は多い方がいいからな。遠いところに居ても、春斗同士が出合う可能性はゼロではない。ゼロに近づく方法は、身内が一番適任ってわけさ』
『納得です』
 そこまで考えが至らなかったが、言われてみれば保険としては必要だと思った。
『それなら、兄の方が信じる可能性は高いと思います』
『そうか。なら、それとなく接触してみよう』
 太田はそう言って、再び視線を自宅へ向けた。
『この時間、春斗は普段どうしている?』
『家に居る可能性が高いですね。出掛けているのなら、帰るのは4時か5時辺りでしょう』
『それなら当分は暇だねぇ』
『そうなりますね』
 こればかりは申し訳ないと思ったが、別の自分なのでどうしようもなかった。
『よし、俺が一度会ってみようか』
 太田がナビの時間を確認して、そんなことを言い出した。
『え、大丈夫ですか?』
『よくよく考えると、あの家に居る可能性が高いだけで、この世界では生きているかどうかもわからない。それを待つより、実際に会った方が手っ取り早い』
『それは確かにそうですが・・・』
『それにどちらにしても、春斗のお兄さんには接触するから、それを餌に釣ってみようと思う』
 その場の思い付きみたいだが、悪くはない方法だと思った。
 春斗が兄のことを要略して話すと、太田が車から降りて、自宅の方へ歩いていった。春斗が出てきたら、自宅から離して確認させてくれるらしい。
 春斗は顔が見えないように、態勢を工夫しながら、太田の動向を見守った。
 太田がチャイムを押して、数秒後に玄関が開いた。しかし、角度的にブロック塀が邪魔して誰かまではわからなかった。
 玄関前で話しているようだが、なかなか太田は動かなかった。どうやら、春斗が出てきたわけではないようだ。
 しばらくすると、太田が玄関から離れた。春斗はドキドキしながら、視線を自宅前に集中させた。
 太田の後ろから、瓜二つの春斗が歩いていた。
 それを見た瞬間、本当に自分の居場所がないことをここで初めて実感した。口で説明されても、実際に目の当たりにするとその衝撃は大きかった。必死で戻ってきた場所に居場所はなく、これから先の未来が一瞬で真っ暗になり、就職活動の職業選択で悩んでいた頃が生ぬるかったと痛感した。
 春斗が思考停止になっていると、太田が車に戻ってきた。
 もう一人の自分がこちらを見ていたので、顔を伏せるように場を凌いだ。
『思いのほか勘が鋭いね、春斗は』
 車に入るなり、太田がもう一人の自分を見てそう言った。
『何を話したんですか』
『春斗のお兄さんの居場所を聞こうとしたけど、思いのほか口が堅かった』
『聞けたんですか?』
『まあ、一応。春斗からの教えてもらった情報がなかったら無理だったな、きっと。岡山にいるらしい』
『ここでも一緒ですね』
 そのことには、少し笑い込み上げてきた。兄が岡山に行った経緯は、強引な性格の彼女が原因だった。
『さて、自分の立ち位置もわかったところで、これからどうする?』
 太田の言葉で、再び現実に引き戻された。
『・・・どうすればいいんですか?』
 何をすればいいかわからず、太田に助けを求めた。
『選択肢は四つ。一つ目は俺に頼る。二つ目はお兄さんを頼る。三つ目はあの世界の秋彦を頼る。四つ目は自分でなんとかする』
『最後のは無理です』
 とりあえず三択で考えることにしたが、消去法ですぐに決まった。
『太田さんにお願いしてもいいですか』
『そんな簡単に決めていいのか?』
『兄に頼るのはあまり気が進みませんし、あの世界には・・もう戻れません』
 あんな別れ方をしたフローランスのことを思うと、戻るという選択肢はないに等しかった。
『わかった』
 太田は納得したように頷いて、ナビを操作して車を発進させた。顔を少し上げると、もう一人の自分は家に戻ったようでいなくなっていた。
『これからは大変だけど、頑張っていこう』
『よろしくお願いします』
 春斗はそう言って、静かに座席を起こした。
 先の見えない未来だったが、泣いて喚いてもどうしようもないので、現実での自分と向き合うことに決めた。でなければ、リンとフローランスに顔向けができなかった。あと、サーミャにも。
『変な話をするけど、別のパラレルワールドでも春斗は同じ選択をしていたと思うかい?』
『・・・変わりませんよ。兄がそれを証明してます』
『確かに、俺もやることは変わってなかったしな』
 パラレルワールドは存在したが、どの世界でも春斗自身の考えが変わるとは思えなかった。それは太田自身もわかっているようで、この話は途切れた。
 何気にハンカチを取り出すと、拭いたはずの刀の血はどこにも付いていなかった。
 春斗はIFの世界に想いを馳せて、車窓から見える過ぎ去る建物をただ眺めた。

第十話 真似

 暗闇に光が入ってくると、目の前に木の幹が見えた。
 不思議に思って辺りを見回すと、最後に見た光景だった。
 なんとなく身体を動かそうとすると、手がゆっくり動いた。
 その瞬間、生きていることを悟った。あれで壊れなかったのは、本当に残念だった。
 すると、何かが膝の上に落ちた。見ると、フローランスの作った服が膝上に乗っていた。おそらく、春斗が被せたのだろう。
 リンは傷をなぞるように身体を触ると、切り傷は残っていたが血は止まっていた。春斗との取り引きは、失敗に終わってしまったようだ。
 しかし、これは自分の生命力のせいなので、特に春斗を責める思考はなかった。
 リンはゆっくり立ち上がり、この場を移動することにした。理由はこの場に居ても意味がないことと、フローランスに見つかることを避ける為だった。
 一応、フローランスがいるであろう方向には行かないように歩いた。この時、フローランスの手縫いの服のことは頭になかった。
 流血のせいかは知らないが、身体が思うように動いてくれなかった。致命傷ではなかったが、身体が不調になるぐらいの傷は負っているようだ。
 取りあえず森を抜け出してから、壊してくれそうな敵を捜すことにした。
 しかし、身体が重くなかなか前に進まなかった。
 そして、ついには力なく倒れてしまった。重傷なのに意識があるのは、不思議な感覚だった。つくられてこの方、こんな不自由な身体は初めてだった。
 動けなくなったので、意識を集中させて自分の状況を診察することにした。
 臓器は傷付けられていたが、重要器官は治癒され、空気の循環だけは出来るようになっていた。脆いと思っていたのに、思いのほか死ににくいことが意外だった。
 うつ伏せの状態では、草が鬱陶しかったので仰向けになった。木々の間からは青い光が漏れていた。物体もない空からの光を見て、春斗のことを思い出した。不思議な人でリンとは対照的な平和主義者。そんな人と一緒にいたことが今考えても不思議だった。
 何もせずただじっとしていると、春斗が寝ていた時のことを思い出し、ゆっくりと目を閉じた。
 いつもだったら、これからの行動を推測するのだが、今回は春斗とフローランスの悲しそうな顔が何度も浮かんできた。
 二人のおかげで泣くことの意味がわかり、リン自身にも人の遺伝子が流れているのではないかと思った。
 そう思うと、馬鹿馬鹿しいと電波を漏らした。これは自分が憧れているからそう信じたいだけだと思い直した。
 リンは目を開け、身体を動かそうとした。さっきよりは治癒が進んでいたが、もう少し動けるまで待つことにした。
 その間、自分の過去を振り返ることにした。
 つくられた時の記憶はほとんどないが、目に光が入った時の衝撃は今でも覚えていた。これが最初の記憶で、目の前にはよくわからない物体と一人の女がいた。
 彼女はリンに衣服を与え、いろいろな知識を教えてくれた。
 しかし、難しすぎてほとんど理解できなかった。唯一、役に立ったのは電波での会話と調整ぐらいだ。
 物覚えが悪いとわかったからなのか、彼女はリンを無視するようになった。
 しばらくの間は彼女と居たが、いつも忙しそうにしていた。機嫌が悪い時が多く、良く物に当たっていた。リンは何をするわけでもなく、それをただ黙って見ていた。
 そんな彼女のもとに、よくシーレイが尋ねてきた。
 二人はよくわからないことを感情的に話すのだが、いつも物別れで終わることが多かった。
 シーレイは、いつしかリンに興味を持つようになった。
 シーレイがリンを連れて行っていいかと訊くと、彼女は悩むこともなく構わないと答えた。
 それからはシーレイに付き従うことになった。彼の周りに、リンと同じ人形がいたことには驚いた。
 シーレイからは、生成の仕方と人の殺し方を学んだ。彼女から学ぶ知識とは違い、身体を動かす技術は難なくこなせた。
 これが自分の役割だと確信すると、多くの人を殺していった。殺した中で、一番苦戦したのは民主組織の人たちだった。なかなか見つけられないし、逃げられることも多かった。
 こんな毎日の繰り返していることに疑問を覚え、シーレイになんとなく投げかけてみた。この時の彼の表情は、今でも鮮明に覚えていた。
 シーレイに死の森へ行くよう云われたので、リンはその場所に向かい、春斗と出会った。
 てっきり春斗が壊してくれると思ったのだが、対面した時の表情や雰囲気を見て、なんとなく違う気がしたので襲ってみた。
 壊してくれる力はあったが、春斗は壊してはくれなかった。壊してくれないどころか、変な条件を出されて挙句、結果的に壊され損になってしまった。
 春斗との思い出を最後まで思い返していると、動けるまで回復した
 身体を起こし、なんとなく左側の方に向かってみた。
 すると、目の前の視界が突然拓けた。そこは見たことのある場所で、不思議と懐かしい気持ちになった。
 前方の崖に近づくと、そこは死の森だった。これは幸運だと思った。どうやら、春斗との旅の終着点は目と鼻の先だったようだ。しかし、それは結果論なので、リンは特に何も感じなかった。
 この崖を下りれば、あの獣に壊されることができそうだった。
 人の気配がしたので、その方向を向くと変な空間の歪みの前に人が立っていた。遠目だったが、フローランスを退けた女だとわかった。 
 あちらは気づいていないようで、ずっと空間の歪みの方を見ていた。
 少し考えたが、彼女たちと関わっても壊してくれそうにないと思った。理由としては、春斗と同じ感じがしたからだ。
 彼女との接触はやめて、崖を下りることにした。
 リンは躊躇なく、飛び降りてその勢いのまま下の着地点を見定めた。崖の隙間から視線を感じたが、攻撃してこないのはわかっているのでスルーした。
 木の枝を利用して、落下速度を調整しながら着地した。傷が少し開いたが、動くには支障はなかった。
 ここ一帯は酸素が薄く、鳥類の超音波が鬱陶しかった。正直、この場所は生命体が生きるのには不向きだった。
 出口の目印である大木は南西なので、そこに向けて歩き出した。
 120タウほど歩くと、大木が見えてきた。一人での行動は久しぶりで、なぜか大木に着くまで長く感じた気がした。
 そう思っていると、奥の方から会話らしき微弱な電波を感じ取った。
 茂みから観察すると、二人の女と獣がいた。獣といっても、二頭の獣と一匹の爬虫類を融合した異形の獣だった。
 睨み合ってる二人はよく知っている顔で、一人はあまり会いたくなかったフローランスと、もう一人はリンをつくったレイだった。彼女はいつもの白衣姿で、目にはレンズを掛けていた。
 二人の立ち位置は、フローランスとレイが対峙していて、レイの横に獣がいた。獣は、レイに付き従っているように見えた。
 獣とフローランスは戦っていて、あのフローランスが苦戦していた。体格差と空気の比率が悪いせいか、うまく立ち回れていないように見えた。
 前にリンが獣と対峙した時は、ただ引き付けるだけだったので、大して苦ではなかったが、戦うとなると勝機は皆無に等しかった。
 フローランスは獣と距離を取り、苛ついた電波で卑怯だとレイを罵った。
 レイは嘲笑うように、能力差があるのならそれを埋めるのが知恵だと云い返した。この二人はどういう関係かはリンにはわからなかったが、因縁めいた関係であることは間違いなさそうだった。
 フローランスが動くと、それに反応するように獣を動いた。
 爪で攻撃したり、突進したり、尻尾で攻撃したりと多種多様な攻撃を繰り広げられた。フローランスは防戦一方で、なかなか攻撃に移れないように見えた。
 しばらくすると、戦いに参加する気配のないレイが、残念そうな顔でフローランスを皮肉った。
 こうも酸素が不足していると、生成は難しく、フローランスが苦戦するのも理解できた。酸素を確保するには、出口に続く洞窟に入るしかなかったが、レイと獣が邪魔して簡単には行かせてくれそうになかった。
 ここでリンが参戦することも考えたが、その意味が見いだせなかった。それにこの状況で参戦しても、どちらに付けばいいかはわからなかった。
 どちらに付いても、勝つ可能性がある以上リンにとってはあまり得策とは思えなかった。
 リンは、どうすればいいかを真剣に悩んだ。
 その間、防戦一方のフローランスに疲れが見え始めた。
 それを見て、リンに妙案が閃いた。人を殺していた時、殺そうとした人を庇ったことがあったが、最期ぐらいは憧れている人の真似をしようと思った。
 やることは決まったので、すぐさま準備に入った。脚力を最大限にする為、全身を曲げて筋肉を強化した。
 獣の動きを予測して、爪で攻撃する機会を窺った。獣の動きは思いのほか単調で、リンと同じで読みやすかった。
 リンが割って入れる攻撃まで待つつもりだったが、チャンスはすぐに舞い降りた。
 獣の攻撃の角度が、リンから見て絶好な位置に来たので、すぐに動き出した。 
 過度な踏み出しに筋肉が切れたが、速度とタイミングはばっちりだった。
 急所に当たるよう身体を反転させると、獣の爪がリンの胸に深く突き刺さった。これでようやく壊れることができると思うと、自然と表情が緩んだ。
 すると、フローランスの電波がリンの頭に響いた。その電波は、悲壮感に満ちていた。
 獣の爪が抜かれ、身体が地面に落ちた。それをリンは他人事のように感じた。
 視界から獣が消えたかと思うと、フローランスが視界に入ってきた。彼女は、春斗と同じようにくしゃくしゃな顔で、リンを見つめた。目からの水分がリンの頬を伝うと、春斗同様温かかった。
 フローランスがレイの電波に反応すると、リンの目に青い光が入ってきた。
 その瞬間、春斗の台詞が頭に浮かんだ。
″あの光は、どこからきているんだろうな″
 その疑問が、リンの最期の思考となった。

第十一話 未来

 フローランスは泣いていた。ここまで泣いたのは人体実験で死ねなくなった時以来だった。
 身体の治癒は終わっていたが、涙が止まらず、春斗に投げ倒された場所から動けなかった。
 それにいまさら行っても、リンの亡骸を見たくないし、見たら精神が保てない気がした。
 流す涙も枯れたところで、悲しみもほんの少し和らいだ。
 しかし、動く気力はなく、木々の間から漏れる青い光を見つめた。いつになく、うつになる色の光だった。
「つくられた人・・か」
 フローランスは呟き、光を掴むように手をかざした。
 すると、かざした手の爪に赤い固形物がついていた。
 どこかに引っ掛けたかと思い、それを指先で擦って成分を分析した。
 固形物は血が凝固したもので、成分からして春斗のものだと判明した。どうやら、組み伏せられた時に引っ掛けてしまったようだ。
 春斗のことを思うだけで、枯れたはずの涙が溢れてきた。一緒に居たかった思いと、拒絶されたショックは本当に大きかった。
 このまま死んでしまいたいと思ったが、無意味なのでこれからのことを考えた。
 秋彦たちを襲撃しようかと考えたが、今は復讐よりも喪失感の方が強かった。
 フローランスは無気力のまま、数十タウほどぼうっとしていた。
 すると、フローランスが見上げている上空に、人影のようなシルエットが視界に入った。
 それを見たフローランスは、反射的に起き上がった。あのシルエットは、見間違うはずのない人のものだった。
 この世界の人の在り方を変えた黒幕。そして、フローランスの人生を大きく変えた張本人だった。
 気の抜けたはずの身体をを起こし、すぐに跳躍し、木の枝を飛び移りながら、天辺の枝に飛び乗った。
 視線の先に、殺したい相手の後姿が見えた。フローランスはすぐにその後を追った。悲しみは残っていたが、今は憎しみが優っていた。
 しばらく追うと、あちらがフローランスに気づき、後ろを振り返ってから木から飛び降りた。
 フローランスは逃がすまいと、すぐに地上に下りた。
 相手は、こっちを向いて立ち止まっていた。どうやら、逃げる気はないようだ。
 フローランスが近づくと、森が拓けて相手の顔がはっきり見えた。彼女はレイと名乗っていて、生物学者を自称していた。背丈ほどある白衣に、中は黒のトップスを重ね着して、チョッキのようなデザインの羽織物を羽織っていた。下半身は紺のストレッチパンツを履いていて、スタイリッシュではあったが、目の部分にレンズをぶら下げているせいで格好良さが台無しだった。
「生きてたのね♪」
 さっそくレイが、挑発するように嘲笑ってきた。彼女の話し方は、相変わらず人を不愉快にする電波だった。
「貴女を殺すまでは死ねないわ」
 レイの台詞に、フローランスは殺意をもって答えた。
「ふぅー、わたしを殺しても意味ないのに、なんでそこまで執着するのかな」
 レイはとぼけたように、軽いノリで茶化してきた。
「自分のやったことを忘れてるの?」
「わたしは何もしてないわ。ただ助言してあげただけ。それに遂行した人はあなたがもう殺してるじゃない」
「その助言が、私をこんな身体にしたのよ」
「そんなことを云われてもね。自殺志願者のあなたが、死ねなくなったのは不憫に思うけど、その身体は人類の最高到達点の偉業なのよ」
「最低の間違いじゃないの?」
 いつものレイの云い分には、いつもの皮肉で返した。
「こればかりは価値観の相違ね」
「私にとって不死なんて最低だから、貴女にとっては最低の死を与えないとね」
「何その、身勝手な論理」
「身勝手な貴女に云われたくないわ」
「ふぅ~、もうやめない?この不毛な戦い」
「そう思うのなら、蘇らないでよ」
「別に、蘇ってるつもりはないんだけど。貴女がそう思ってるだけでしょう」
「私の目の前にいる貴女は、いつも変わらずにそこにいるのだけど」
「こちらとしては、貴女に狙われるのは不毛なのよね~。殺されたくないし、殺したくないし」
「貴女の身勝手な云い分なんて知ったことじゃないわ」
「・・・この短期間に何かあった?」
 レイがフローランスを怪訝そうに見て、変なことを云い出した。
「何がよ」
「だって、前までは問答無用で襲い掛かってきたのに。こんなに話すなんて初めてじゃないかな」
「・・・」
 確かに、前までは憎悪ですぐに殺しに掛かっていた。どうやら、春斗の影響が色濃く残ってしまったようだ。
「うん。良い傾向だね♪」
 レイはそう云って、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
 それを引き金に、フローランスは襲い掛かった。
「やっぱり変わってないかも」
 レイは攻撃をかわすように後ろに飛び退いたが、崖ギリギリに追い込まれるかたちになった。
「狂人の排除に侵入者の追い出し。それが終わったら、あなたの相手なんて、わたしって働き者ね」
「なんの話よ?」
「こっちの話。おいで、わたしの箱庭で遊んであげるから」
 レイは挑発するように薄ら笑いを浮かべて、後ろの崖に身を投げた。
 驚いて崖の下を見ると、フローランスが一度あの剣術士に落とされた死の森が広がっていた。
「そういうことね」
 死の森に誘い込まれた時は、てっきりレイがいるものだと思っていたが、やはりたまたまいなかっただけのようだ。
「誘いに乗ってやろうじゃない」
 正直、酸素が希薄なこの森ではこちらが確実に不利なのだが、レイが用意した舞台となると、誘いに乗らない訳にはいかなかった。彼女のあの自信たっぷりな鼻をへし折ってやることは、フローランスにとっては意趣返しになると感じていた。
 フローランスも崖から飛び降り、着地点を見定め、木の枝を利用しながら地面に落ちた。
「辛気臭いところ」
 この森に入った最初の感想を電波に乗せながら、レイがいるであろう出口を目指した。崖の隙間にいる鳥類がうるさくて鬱陶しかったが、今はどうでもいいことだった。
 出口まで直行しようと思ったが、春斗たちとの出会いを思い出して、ゆっくり感傷に浸りながら向かうことにした。
 森の奥の大木に着くと、怪獣とレイが並んで待っていた。どうやら、怪獣はレイのペットのようだ。
「遅かったわね」
「この森って、いつからこうなってるの?」
 レイの投げかけを無視して、フローランスは疑問に思っていたことを訊いた。
「最近ようやく出来たのよ。ここまでするのに、凄い時間掛かったんだから。特に、コカトリスを居留させるのに時間が掛かったわ」
 レイはそう云って、自慢げに力説した。崖に住む鳥類にわざわざ名を付けているようだ。
「やっぱり貴女の仕業なのね」
「まあ、これはあなたへの対抗策だからね」
「私を殺す対策?」
「あははっ~。あなたを殺すなんて、わたしがするわけないじゃない。これはあくまでも、対抗策だから」
「意味がわからないんだけど」
「むやみやたらと生成されるのは面倒だから、それを封じるためのものよ」
「そういうことね」
 確かに、鳥類の音と酸素の薄さは生成に支障をきたすことは間違いなかった。
「わたしとしては、あなたを取り押さえられたら御の字ね」
「貴女が?私を?」
「ええ。できればいいのだけど・・まあ、これは希望的観測ね。でも、一度ここに来てるはずよね。この子が洞窟の入り口で倒れていたことを考えると、難しいかもしれないわね」
 レイはそう云って、一度怪獣を見て表情を緩めた。
「ん、あれ?」
 すると、何かを感じたようで不思議そうにフローランスと怪獣を交互に見た。
「やられたはずの相手なのに、この子に怯えの様子が見られないのは、どういうことからしら?」
 それは春斗がやったからなのだが、別にそれを云う必要はなかった。
 フローランスは先手必勝とばかり、最速で怪獣の主体の頭に跳躍した。いつものように筋肉は切れたが、治癒ですぐ治るので、今では気にすることもなくなっていた。
 拳全体を鉄で覆い、体重を重くして全力で怪獣の額を殴った。その衝撃で腕全体の骨や筋肉が粉砕し、反動でフローランスの身体も押し戻された。
「残念ね。それじゃあ、この子は倒せないよ」
 レイの云う通り、それは今実証されたので、反発はできなかった。剣を生成しようにも酸素が薄いので、なまくらしか生成できそうになかった。
「それに気づいたと思うけど、その状態じゃあ勝ち目ないわよ」
 確かに怪獣の全身は毛深く、フローランスの打撃ではダメージを負わせるのは難しいと思われた。
「卑怯なやり方ね」
「能力差があるのなら、それを埋めるのが知恵というものよ。これが生物学者であるわたしの対抗策なのよ」
「詭弁ばっかりね」
「卑怯と云われるのなら、詭弁を弄するのが人というものじゃなくて?」
「自分を正当化したいだけでしょう」
「間違ってないわね」
 フローランスの指摘に、レイは自虐のような笑いで肯定した。
 腕の治癒が終わったので、再び怪獣に攻撃を仕掛けた。
 できるだけ急所を狙おうとしたが、怪獣は思いのほか素早くてなかなかうまくいかなかった。
 結果的に疲労がたまり、肉体の生成も不安定になってきた。
「予想通りの結果になりそうね」
 それを黙って見ていたレイが、残念そうに隣にいる怪獣の前足を軽く叩いた。
「毛で覆われていないところは、頑丈な骨で守るように組み替えているからね。どんな硬いもので皮膚を覆っても、あなたみたいな消耗品の骨じゃあ攻撃は通らないわ」
「何が云いたいわけ?」
「何も。ただ、あなたがいつまでも無駄なことをして欲しくないと思ってね・・こんなものじゃないでしょう」
 レイが意味ありげにそう云うと、怪獣が距離を詰めるように前足の爪を振り下ろしてきた。
 反射的にフローランスが後ろに飛び退くと、間髪入れず突進してきた。
 それをギリギリでかわすと、今度は短い尻尾の蛇が噛みついてきた。
 これは別に脅威でもないので、皮膚を固くして尻尾を払い退けた。
 レイから怪獣が離れたので、攻撃しようと動くと、後ろから襲ってきた。速度的に怪獣の方が速いので、レイへの攻撃は諦めて、怪獣の上を飛び越えるように跳躍した。
 ここは酸素が不十分なので、洞窟での戦闘の方が有利になりそうだったが、レイが邪魔で入れそうになかった。おそらく、そこも彼女の手の内なのだろう。
 怪獣の攻撃は間髪入れなかったが、単純なのでかわすことは難しくなかった。しかし、このままではジリ貧になるので、レイと相打ちに持ち込むことにした。
 そう考えていると、怪獣が跳躍しながら、前足を振り下ろしてきた。その奥にレイが見えたので、全速力で距離を詰めようと構えると、間に誰かが入ってきた。
 怪獣の爪が誰かの身体に突き刺さったところで、それがリンだということに気づいた。
「リンちゃん!」
 生きていたことと、今の攻撃が致命傷という事実に喜びと悲しみの入り交じった電波が発せられた。
 爪が引き抜かれ、リンが力なく地面に落ちた。
 フローランスはすぐさま駆け寄り、リンを両手で担ぎ上げた。
 傷は深く、とても助かりそうにはなかった。
 それを見て、フローランスの目から大粒の涙が零れた。この時、怪獣の存在など頭になかった。
「なぜ、あなたが泣くのよ」
 すると、レイの戸惑いの電波が頭に響いた。
 それが癪に障り、レイを睨みつけると、彼女は無表情のまま涙を流していた。
「それはこっちの台詞よ」
 今まで見たことのないレイの様子に、フローランスは泣きながら切り返した。
「・・・わたしも驚いているわ。やっぱり、自分の子の死は悲しいみたいね」
 自分のことなのに、酷く他人事のような云い方だった。それよりも、リンの親がレイということに驚いた。
「嘘、云わないでよ」
 これには涙を流しながら、レイを睨みつけた。
「わたしがそんな嘘云ってどうするのよ。彼女は、わたしと人形の遺伝子でつくった正真正銘わたしの子よ」
「貴女のつくる生物って、怪獣や化け物ばかりじゃない」
「もしかして、メオドロのこと云ってるの。あれは、確かに失敗作ね。まさかハツカネズミの死骸が、寄生生物になって動き出すなんて思いもしなかったからね」
 レイはそう云いながら、なかなか止まらない涙を拭った。フローランスは両手が塞がっていて、涙を拭くことはできなかった。
「で、その子の死でなぜあなたが泣くの?」
「友達だからよ」
「・・・冗談じゃないみたいね」
 フローランスの涙を見て、レイは本当のことだと判断した。
「身を挺するなんて、その子も感情を持ったのね。嬉しいことだわ。そして、三瀬麗花のクローンであるわたしも感情はあるみたい。これは新しい発見ね。この個人主義の世界で育ったから、悲哀なんて感情は生まれないと思っていたけど、遺伝子って凄いわね。でも、精神的には特に傷付いていないから、遺伝子が泣いているみたい」
 レイはようやく止まった涙を拭いながら、独り言のように考えを電波に乗せた。フローランスの涙は、まだ止まる気配がなかった。
「その亡骸をこっちに渡してもらえるかしら。そうすれば、この場は見逃してもいいから。その状態じゃあ、戦えないでしょう」
 フローランスの感情が不安定なことをいいことに、レイが自分の主張ばかりを押し付けてきた。
「渡さない」
 あまり応える余裕はないが、それだけは電波で返した。
「それはわたしのだから、消える前に返して欲しいんだけど」
「ふ、ざけないで。絶対に渡さないわ」
「どういう経緯で友達になったかは知らないけど、そうなると強引に奪うしかなくなるわね」
 レイはそう云うと、フローランスに怪獣を仕向けてきた。
 フローランスはリンを落とさないように、怪獣の攻撃をかわしていった。
「動きが変わったわね。ようやくやる気になったの?」
 レイの電波が聞こえたが、フローランスの頭にはリンのことしか頭になかった。
 リンを戦いに巻き込みたくないので、大木に素早く移動した。動くたび、足の筋肉が破壊と再生を繰り返していたが、今のフローランスにはどうでもよかった。
 大木にリンを寝かせて、怪獣とゆっくり向き合った。
「一つ訊く。親の貴女が、なぜシーレイの所に預けた?」
 悲しみと苛立ちで、少し云い方が変になってしまったが、直している余裕はなかった。
「彼にお願いされたから、貸してあげただけ。そして、その子がここに来たってことは、彼が返したということ」
「育児を放棄して、シーレイに丸投げしたってこと?」
「教えても、記憶力が良くなくてね。覚えてくれたのは電波で話せることぐらい。あとは、彼が持つ人形と変わらなかったわ」
「そう。それだけ聞けばもう用はない。消えろ、目障りだから」
 リンに対して、物扱いのような態度に心の底からレイを嫌悪した。
「その子、どうする気?まさかと思うけど、あなたの両親みたいに生き返らそうなんて、同じ轍は踏まないわねよ」
「うるさい」
「そのせいで教祖として、担ぎ上げられた過去を繰り返す気?身体を戻しても、もう目覚めないわよ」
「黙れ!」
 怒りで身体の構成が変わり、二酸化窒素に適応するように構築されていった。この現象は、怒りや憎悪の感情が高まることで発現するもので、意識的にできるものじゃなかった。
「素晴らしい。やっぱりあなたは最高ね。二つの世界の知恵の結晶。不老不死の象徴、フローランス。名に不老が入っているなんて、何か運命的なものを感じるわ」
 レイは悦に浸りながら、饒舌になっていた。が、それに対して、フローランスは何も思うことはなかった。
 僅かでも意識があるとこの身体は動かせないので、リンの存在を頭の隅に残して、怒りの感情に身を委ねた。
 ここからはほとんど覚えておらず、おぼろげに血しぶきとレイの不快な笑みが頭に残っているだけだった。
 気がづくと、フローランスはリンを担いで、死の森の洞窟を抜けていた。返り血は多少付着していたが、怪獣とレイが生きているかはわからなかった。しかし、リンを担いでいることから、怪獣とレイは無事ではないだろう。
 リンの身体は冷たかったが、それでも彼女の安らかな顔を見ると、自然と頬が緩んだ。
「もう一度、三人で」
 フローランスは今の想いを電波に乗せて、過去の時間を取り戻す為、未来へとゆっくり歩き出した。

第十二話 嘘

 カーミルはある一軒家に入り、正面の人物の前で跪いていた。彼の横にはサーミャが横たわっていて、未だに意識は回復していなかった。
「それで、彼女を助けたいと」
 正面のフードを被った女は、深刻そうな電波を発してサーミャを見た。彼女は民主組織のトップで、今は人の墓場と呼ばれる町に身を潜めていた。
「はい」
 カーミルは、頭を一度下げてから顔を上げた。
「急に入ってきたと思ったら、今度は素性のわからない人の治療ですか」
「すみません」
 実をいうと、ここは春斗が一時凌ぎで入った家だった。あの時は、わざと広範囲の電波で自分の存在を知らせることで、なんとか彼女がパニックにならずに済んで本当に良かったと思っていた。
「いろいろ聞きたいことはありますが、救いたい気持ちは理解できます」
 彼女は悲しそうな電波で、カーミルを見つめた。春斗とリンのことは包み隠さず説明していたが、それでも疑念は払拭できていないようだ。
「一つ聞きますが、彼女は信用に足る者ですか」
彼女はそう云って、フルプレートのサーミャを見つめた。サーミャの素性は話すと面倒だと思ったので、頭に巻いてあった武力組織の象徴のバンダナは外してあった。
「・・・あまり云いたくないのですが、血の気が多い人です。それに好戦的です」
「それは・・困りますね」
「そう、ですね」
 これはカーミルも同じ気持ちだった。実際、ここまで連れてくるのも大変で、何度も捨てようと思ったが、春斗の頼みを蔑ろにしたくなかった。それにフローランスにも頭を下げられては、何もしないのは罰が当たる気がした。
「でも、血の気の多いというのは、自我が戻る可能性が若干ありますね」
「え、そうなんですか?」
「まあ、数パーセントですが」
 彼女は少し口角を歪めて、カーミルから視線を外した。
「それで助けてくれますか」
「条件はありますが、やってもいいですよ」
「ありがとうございます」
 受け入れたことは予想外だったが、心の底からお礼を云った。
「あなたが、ここまで真剣に頼むの珍しいですしね」
 カーミルが組織のトップに何かを頼むのは、これで二度目だった。
「また失敗はしないでくださいね」
「善処します」
 一度目の失敗は、当然武力組織に捕まったことだった。
「それより一つ聞きたいんですが、この辺りの狂人はどうしたんですか?」
「ああ、一度民主組織の拠点に入ってきましてね。危ないから、ここら一帯の狂人をレイに排除して欲しいと頼んだのですが、狂人意外にも殺しているようで・・ちょっと困っています」
「彼女に頼んだ時点で、こうなるのは知っていたはずでは?」
「そうですね。でも、この町の人が動いたのはちょっと計算外でした」
「ああ、もしかして二人組の男ですか?」
「あ、知ってましたか?今、彼らがいろいろ嗅ぎまわっていまして、拠点を探し当てないか冷や冷やしてます」
「なるほど。あ、それはそうと、この町にメオドロという寄生生物がいたようですが、大丈夫でしたか?」
「え?」
 不意に思い出したカーミルの台詞に、彼女は驚きの電波を発した。
「なぜ、あなたがその名称を知っているのですか?」
「あ、えっと、さっき一緒にいた人から聞きました」
 フローランスから聞いたなんて、彼女にはとても云えなかった。もし告げたら、警戒されて二度と面会できなくなることは間違いなかった。
「精通した人だったのですね。しかし、その脅威はもうありませんので、そのことは忘れていいですよ」
「わ、わかりました」
 どうやら、メオドロのことはカーミルには伏せたいようだ。
「それでは、彼女の治療を始めましょうか」
「ありがとうございます」
 春斗にはいろいろ嘘をついていたので、これで少しは恩返しができたと思った。
 彼女の指示でサーミャを連れて、別室のベッドに寝かせた。
 治療が始まったので、邪魔にならないように部屋を出た。
 あとはフローランスとの連絡をどう取ろうと思ったが、それはあちらからアプローチするだろう。
 カーミルは何気なく、空が見たくなって外に出た。
 周りの建物から覗く何もない空を見上げて、不思議と春斗のことを考えた。彼が戻ってこないのは、おおよそわかっていた。あそこまで気の合った人は初めてで、かなり好感が持てた。しかし、その反面危機感がなく、死に対してざっくばらんな性格が玉に瑕だった。
「また会ってみたいな」
 それでも憎めない彼を思いながら、不思議とそんな電波を発していた。
 何もない空は、いつのものように青い光を照らすだけだった。

異界遍歴③

異界遍歴③

武力組織に扮したサーミャを仲間にしたのはいいが、彼女がいるだけで場の空気が重苦しくなった。彼女は好戦的で、人形のリンだけではなく、春斗にまで絡んできた。 そんなサーミャをフローランスが威嚇することで抑え、なんとか下山し、民主組織の拠点を目指すのだった。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 成人向け
  • 強い暴力的表現
更新日
登録日
2018-01-26

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 下山
  2. 第二話 蹂躙
  3. 第三話 警戒
  4. 第四話 喪失
  5. 第五話 突入
  6. 第六話 強敵
  7. 第七話 世界
  8. 第八話 願い
  9. 第九話 帰還
  10. 第十話 真似
  11. 第十一話 未来
  12. 第十二話 嘘