正常精神病理例

現実が揺れ動く、世界が没落する!

統合失調症を内側描く、詰まり本人の感覚で感じたとおりに

   正常精神病理例

          作・三雲倫之助

とうごうしっちょうしょう【統合失調症】
精神病の一つ。妄想が生ずるとか周囲に関心を持たなくなるとか病気の型はさまざまだが、現実との接触がうまく運ばなくなる。
若くて発病する人が多い。「早発性痴呆(ちほう)症」から「精神分裂病」と改称し、二〇〇二年に再び改称したもの。《岩波国語辞典第七版》
もうそう・【妄想】根拠のない主観的な想像や信念。統合失調症などの病的原因によって起こり、事実の経験や論理によっては容易に訂正されることがない。《広辞苑第六版》
 辞書の仰るとおりであるが、実際はどういうものなのかを具体的に提示しないと理解しがたいものである、一般の人は異常だろうと一笑に付すばかりだろうが、それでは私が困るので病と私の関係を記していきたいと思う。

「雨が降る」如く「人が死ぬ」とフランスの哲学者は言った。寿命で死ぬのはその通りかもしれないが、自殺以外で死にたいと願う日々の私にとっては雨のように降っては綺麗さっぱりと流れるものではない。
 それを人は死にきれないと言うのだろうか、諦めが悪いとか、この世に未練があるとか言うのか。私について言えば未練は全くない、この十八年怯え続けた年月であり、嬉しい、楽しい、などと言う感情は全くなかった、だから私はこの世に未練はないと言える。たとえば決まった間隔で一分であろうと心が安まる時があるならば、死にたいと思わないだろう、その休まる時に希望を託せるからだ。

 朝目覚めると生きているのに気付く、それはすぐに失望に続く、声に責め苛まれる。
「ご飯ですよ」
『早く起きろ、十分寝てるでしょう、一日中暇なんだから、どうやったら何もせず一日を過ごせるのかしら』
 母の声が聞こえたので私は階下に降りてゆき、テーブルに着く。
「調子はどうだ」父が言う。
『どうせ調子が悪いのだ、年がら年中と調子が悪いのだ、こいつの笑った顔など大学を中退して以来見たことない、何が不満で仏頂面しているんだ、世の中はお前の敵か、まるでお前は全然悪くなくて世の中が悪いと言わんばかりだな、どうしてこんなに捻くれてしまったんだ』
「いいよ」私が悪いと言ったら、何を言われるか分からない。
『何もしてないのに悪いだと言えるか、世間一般の人のように働け、そしたら治るよ、大体、精神的なものだなんて、何だ、馬鹿にしている、気持ちの持ちようだろう、楽しいばかりの人生なんてあるものか』
 私は生命維持のために味のしない食事を取りながらも、何を言われるのかと恐れ戦いている、無表情になる。
『少しぐらい有り難みを見せたらどうなんだ、笑えよ、ただ飯を喰わせているんだ、心の病など心の持ちようだろう、それって病気なのか、我が儘って昔は言っていたんじゃないか、それを今じゃ過保護になって、精神科に通わせて病気にしてしまう、考えすぎなのではないか、甘やかしすぎではないか』
「そうか、いいことだ」
『調子がいいなら、何かしろよ、家の手伝いとか、庭掃除、家の掃除、食器の後片付け、するのは一杯あるだろう、社会では自分で仕事を見つけてやらないと生き残れないぞ、お前は何に対しても甘い、特に自分に対して甘い、だから長い間ぶらぶらして過ごせるんだ』
 私は朝食が済むのを待ち兼ねている、私だけ席を離れるのは、去った後で何を言われるかとの恐怖でできない、私は家族一緒でというより、他人と食事をするのが嫌いだ、楽しくわいわい食卓を囲む、とてもそんな心境にはなれない、私は他人といると一人の時より一層怖くて生きた心地がしないのだ、そんな中で楽しくわいわいの中には居たたまれない、だが少しは笑わないと行けないだろうと笑顔を作ってみるが、きっと引き攣っているだけだと思う、笑えない、それが私の過去現在、きっと未来も含めた状況だ。
『なぜ黙っているんだ、会話はどうした、お前が返さないと始まらないだろう』
 分かっているさ、何を言っても嘘っぽくなる、一般会話は英語の教科書みたいでとても話せる雰囲気じゃない、面白いことは自虐のようで言えない、言うのが怖い、どのような解釈されるか分かったものじゃない、あれこれ考えてずっと黙り込んでいるようになる、八方塞がりだ、速く朝食を済ませてくれないかと胸の内で手を合わせるしかない、針の筵で四面楚歌で気が滅入るばかり、食事の何が楽しいんだろうか、和気藹々、なんと苦々しい言葉だろうか、一家団欒、なんと無慈悲な言葉だろうか。

 部屋に戻るとパソコンを起動させてユーチューブを見る、SNS,迷惑なサービスだ、自分を発信するほどオープンな人々はどのような神経をしているのかと疑ってしまう、私は隠すことに四苦八苦しているのだ、だから無表情になる、死にそうな顔をすれば、何よ、あれと後ろ指をさされるばかりである。何百人、何千人が、何百万人が自分のサイトを見ていると思うと吐き気がしてくる、日常を曝け出すのが自己表現、パフォーマンスなのか、実に安っぽいしかし、賛同者が後を絶たない、随分暇な連中だと思うが、奴らは笑えるが、私は笑えずいつも悶々として不楽である、どのような天理があってこの落差が生じるのだろうか、明るい人を見れば見るほど、気が滅入る、楽しんでいる人々を見れば見るほど、気が塞ぐ、天気が晴れているので、気が進まなくなる。
 私は自殺した作家を嫌った。自殺とは理想の追求のためにするものであると、三島由紀夫の割腹が雷の一撃となり覚醒し、太宰や芥川など軟弱で唾棄すべきものであったが、現在、時は移り変わり太宰を芥川を読み耽っている、落ち着くのである、三島のような太陽への憧れは最早一滴も残ってない、蒸発したのだ、今では彼の倫理観には凹んでしまう、それから雨降りが体の調子がいい、思えば百八十度の転回である、それには自分の意志を曲げてしまった没落感があったが仕方ない、趣味が変わったので、暗い本、ドストエフスキーなどを読むようになった、今はカフカに入れ込んでいる。読書をしていても怯えているから、以前のように楽しくはないが、何もしないでいるより、一日一日を凌げる、何かをやったという自分に対する言い訳である。
『本を読んで人生わるか、知的階級のつもりか、外に出て、公園を二三度回ればすかっとするよ、ドストエフスキー、殺してもいい高利貸しとは、お前のことじゃないか、人畜有害だろう、子供たちの教育に悪い、その上社会に何も貢献していない』
 死んでもいい人間、確かそれに近いが、私は死にたい人間だ、自害はあっても他害はない、他害の恐れがあるのなら病院に入院する。
 私は過去に二回の入院歴がある、病院に入って二週間ほどすると、まったく怯えが消え入るが、退院して家に帰った途端に薬を飲んでも以前と変わらぬ怯えがぶり返してくる、二度目も同じような状態で退院したが、同じように再発したが、よくもならず悪くもならずの状態で生殺しのような状態で最悪である、それからすると、私は病院にいるべきだ、なぜなら痛みが取れるからだ。痛みがあるとは病気だが、病気で入院すると痛みが取れて、退院させられる、結局、私が怯えながらクラスしかないのだ。だが病院で正常になるとは異常ではないのか、そこら辺が分からない、匙(さじ)加(か)減(げん)が難しい。これから推測すると、全てから解放された、世間、欲望、出世などあらゆる社会的規範から解放されれば治るということだろう、だが娑婆に戻ればそうはいかない、欲望が沸き起こり、怯えを引き起こさせるのだ。病気を解説したからどうだというのだ、ちっともよくならない、二度目の退院から十七年が経つがよくならない、生かさず殺さずの日々だ。初めの内は写経などをして一年ほど祈願してみた、次はキリスト教にも一年ほど頼んでみたが無駄骨だった、宗教に頼っても無駄、そして長い年月(としつき)は治癒するという希望など忘れさせた。仏に会ったら仏を殺せ、親に会ったら親を殺せと自力本願の禅宗にはあるが、その通りである、だが親を殺せば私は衣食住の確保ができず死ぬしかないのだ、家族にでも怯えは変わらないが、何食わぬ顔で居候できるのは家族しかいない、それだけは家族にだから頼れるのである。身に染みてはいるが、それほど感謝の情はない。
 同級生は就職し、結婚し、子供を作り、家庭を持っている、その既定路線から外れてしまった私はそのような同級生を横目で見ながら悲しみと諦めの深い溜息を吐くのである。もしも怯えに襲われなかったならば、皆と同じような人生を送っていたであろう、もし、ならば、辛い言葉である、ああすればよかった、しなければよかったと後悔ばかりの人生でしかなかった、それが未来今で続くのだ、あれもできない、これもできない、できないことばかりで一杯だ。それもこれも怯えが原因である、分かっているが消えはしない、耳元で、他人から、ラジオから、テレビから声となって、活字からも私を嘲笑する言葉が越境してくる、それに一々神経が反応して怯えてしまう。
 
 午後一時、公園に散歩に出かける。なるべくすれ違う人と目が合わぬように俯き加減に歩く、足下に貸しアパートのチラシが飛んできた、私に早く家を出ろ、出られないだろうとの毒突きである、萎縮してしまう自分が嫌だが、いつものことである、黒のクラウンが走り去った、運転手が私を見て笑っていた、そんなにおかしいか、綿パンにTシャツが、何を笑ったのだろうかと気にかかった、風船を持った子の手から風船が離れて上昇していった、私も操縦できないでゆらゆら宙を浮いている風船のようなもので、手の着けようがない、全てが手遅れ、為す術なし、だがそのような自分でも諦めきれずにしがみついて生きている、悲惨である、情状酌量の余地なし、セーラー服を着た中学生が二人歩いてきた、すれ違い様に「死ねばいいのに」と二人の視線が訴えた、思春期の女子は何を考えているのか分からない、初めて出くわしたのに「死ねばいいのに」、そのようなことを言っていいのか、なぜそこまで私を目の敵(かたき)にする、そこまで恨まれることはしてないはずだ、私は何もしないのに嫌われる、原因が分からないから手の施しようがない、女性は致命傷になるような言ってはならぬ事を平然と言ってのける習性がある、それに感情を剥き出しにして喋るので怯えも増幅される、感情の起伏の激しい人は苦手だ、天敵だ、姿を見るなりすぐに立ち去るのがベストだ、触らぬ神に祟りなしだ、逃げるが勝ちだが、怯えの金縛りに遭って相手が帰るまで居座り続ける羽目になることも多々ある。怯えには絶対に手出しができない、口答えができない、脅されるままである、情けない話しだが、刃向かったことはない、腰抜けでも卑怯者でもない、怯えで凍り付いてしまい、何かしようとは思えない、簡単に妄想というと嘘だとわかりそうだが、実際聞こえてくるし、態度で示してくるし、雰囲気も鬱気味で、二十五パーセントは妄想だと思うが、七十五パーセントの実際に体験している現実、正常と異常の綱引きで、神経の糸は張り詰めて休む暇がない、それに加えて体も怠い、眠たいような眠りたくないような何もできない状態である、それは実に辛い、何をしようとも、動こうとも思えないからだ、横になっても、坐っても、立っても、保ち続けることができない、異風な状況である。公園のベンチに坐った、黒のスーツを着た男が携帯で怒鳴っていた、すると『何見てるんだよ』という険しい目つきをした、どこを見てもかってだろうがと思ったが俯いてサンダルを見ながら男が立ち去るのを待った、少し足が震えた、嘆かわしいことだ、相手が悪いのに、なぜ悪くない私が恐縮しているのだ、世の中間違っている、私は善良な市民だ、ではない、働く義務があるが無職である、金食い虫、パラサイト、寄生虫、嫌な言葉が浮かび上がってくる、落ち込む、沈む、滅入る、三歳ぐらいの女の子が遣ってきて、私の前から離れようとしない、俯いたままで無視すると、「このおじちゃん変」、さっと母親が寄ってきて抱き上げて慌てて踵を返した、子供は全てを見通していた、私が変であること、変なのだ、ずっと全てに怯えてばかりで、変な証拠だ、私は変だ、だが他人からあけすけに言われると正直凹む、保育園児に怯えてどうすればいいんだ、大人はもっともっと強力で毒があるぞ、どうやってディフェンスするんだ、まともに食らったら、怯えの限界を超えて失神するしかない、それがショック死しない唯一の方法だ、逃げるが勝ち、ところが他人と接触すると蛇に睨まれた蛙のように身動きができなくなり、相手が去るまで呪縛は解けない、その間私は固まったままである、怯えが満身を駆け巡る、二十五パーセントの妄想であるとの認識が怯えが消えているところが私以外の人間がいる世界だ、客観的世界とでも言うものだろう、世界が変わってしまったのではなく、私自身が変わってしまったいう方が妥当性がある、詰まり私は統合失調症だ、だが実際私が生きている場所は怯えの世界なのである、私だけが怯えている、私だけが蜃気楼のように揺らいでいる、外界は爽やかに晴れている、私だけが怯えている、それが私の日常だ。

 ベンチからブランコに移った、体を揺するだけでもいいかなと思った。日が陰り始めた、私に外にいて欲しくないのだろう、住民の総意だ、何もせずに目的もなくぶらりぶらりと歩いている人間は要注意人物だ、空き巣の下見かもしない、置き引きかもしれない、私は犯罪者予備軍のリストに載っているのだろう、そうだ、私を見る目が違う、異物を見るような目つきだ、蛇蠍を見る目だ、沈黙の蔑みだ、用意周到に策が練られている、陰険だ、昨日真夜中にパトカーがサイレンを鳴らしているのが聞こえた、反撃するとの合図だった、それでこれだけの仲間が同じ行動ができる、実に巧妙に悟られないように仕掛けてくる、だが全部お見通しなんだ、それでも反抗できないから耐えるしかない、金属バットで殴り倒す、立ち上がり正々堂々と抗議する、それもできない、耐えるしかない、詰まり怯えるしかないということだ、なんと不遇な星の下に生まれたのだろうか、ひたすら怯え、ひたすら耐える、それがずっと続くのだ。このような人生が生きている価値があるのか、そもそも生きようと思えないではないか、誰か私の怯えを取り去ってくれ、無駄だ、それができれば二十年近くもこんな生活になってはいない、治らない病気、そのようなものが自分自身に降りかかるとは夢にも思わなかった、だが起きた、運が悪いと言うしかない、前世が悪かった、転生輪廻を信じていない、行きたいとも思えない人生に価値云々もないものだ、そう言えば担当医に子の病気は治りますかと聞いたことがない、回答が怖い、それと担当医にも怯えているから、会話は成立しない、状態はどうですか、満身創痍のまあまあだが、担当医には字義通りにしか伝わらない、それが私と担当医のおよそ二十年の一部始終である、私にとって医師は一人だが、医師にとって患者は多数であるため、三分間診療も仕方がない、長くても私には困る、何も言うことができずに居心地が悪いだけだからだ、ただどうしても波長が合わない担当医となることがあるが、患者は医師を選べるというが、代えてもいいですかとはまず言えない、だから転勤になるまで我慢することになる、とくに公立の場合がそうだ、個人病院なら病院を代えればいいので、そのてんは楽だ、私の場合は女医を選ぶ、見て楽しいからである、女性と話しできる唯一の場所だからである、普段は男女とも会話はないが、私は異性愛者なので女子を好む、精神科医は外科や内科医とは違う異種であり、人間関係が絡んでくる、特に好悪の問題である。他人と面と向き合えるのは担当医しかいないので、なるべく負担がかからず、楽しめる方がいい、四週間に一度の人間との面談である、ただ人間と会ったと言うだけで、達成感のようなものが現れるのでよいことである。
 まずい、平日なので知り合いの誰とも会うことがないと思い込んでいたが、中学の同級生が遣ってきた、知らない振りをしてブランコを漕ぎ続けるわけにも行かない、ブランコを止めて、笑顔で右手を挙げた。
「久しぶりだな、元気か」同級生は言った。
「元気だよ」それ以外の言葉が見つからなかった、それじゃあと別れるのが理想的な道筋だが、そうは巧く行かず、同級生は隣のブランコに坐ってしまった、長期戦かよとがっかりするが顔には出せない。
「仕事は何をしている」
 身元調査じゃないんだからそんなことは聞くなとは言えない。
『こいつ、成績はよかったのに、無職かよ、笑える、頭がよすぎて社会に溶け込めない奴かよ、ニートか、せめてオタクになれよ、アニメとかさ、日本のサブカルチャーにでも貢献しろよ、こいつがまさかの無職か、笑える、人生は学校の成績じゃないんだな、なんかすっとしたな』
 何もしてないと言うか無職というか迷ったが「何もしていない」と言った、ああ私はよほど無職であることで肩身の狭い思いをしているのだなと痛感した、刺激があると色々な発見があるものだ。
「この年だと再就職も難しいな」
『働き盛りで、ぶらぶらか、まったく羨ましいよ、家もそんなに金持ちじゃなかったはずだ、困っているだろうな、学生の頃は家族も期待しただろうが、それが今ではぶらぶら、家族の恥曝しじゃないか、よく外を歩けるな、家族の心配は絶えないだろう、今からが思いやられるよ』
「そうだな、難しいかな」
『難しいんだよ、世の中そんなに甘いものじゃない、なあなあでは仕事はできません、いつまでも優等生のままじゃあ、世間は渡れないんだよ、根性入れ直せよ』
「探せば見つかるよ」
『だがお前は職を探しはしないだろう、もう無職にどっぷり漬かって、その味を知ってしまった、再就職する気にはならない、怠け癖が骨の髄まで染み込んでしまっているんだ、それはなかなか抜けられるものじゃない、中毒だよ、なんで辛い仕事をしなきゃあならないんだと思ってしまう、しかしいつまでも親はいないぞ』
「そうだね」
 同級生もいい加減な返事ばかりと思い、もう帰る、「元気でな」と去った。
 溜息を吐き、一安心した、もうこれで家へ戻ることにした。

 外界への冒険は終わった、部屋の中で怯えを反芻しながら、ベッド上に横になると同時にタオルケットを頭から被り、胎児の姿勢になり現実からの遮断を試みる、毎回失敗に終わるが体が楽な分だけでもいい、怯えは意識がある限り消えない。
 私は三重苦、盲(もう)、聾(ろう)、唖(あ)になれば怯えから、言葉・蔑みから逃れられるだろうかと呻吟したものの、それは無理だと諦めた、私は言葉を覚え考える術を習得しているからだ、生きた分だけの言葉の量があるが、それがすべて蔑みへと変わったのは怯え以外の一切の感情を飲みこみ、私を奈落へと突き落とした。聞いては怯え、見ては怯え、触れては怯え、言葉を発しては怯え、怯えは私に巻き付いて一瞬も離れようとはしない、そのような人生を生きてどうなるのか、苦しいばかりではないか、一切の喜びがない、笑えない、怒れない、私に希望はない、それなのに生きている自分はなぜ生きているのだろうか、楽しいばかりが人生ではない、しかしまったくそれがない人生はどうすればいいのだろうか、怯えに耐えるだけの人生か、お先真っ暗、お先真っ暗、お先真っ暗、気が滅入る、死ぬ覚悟もない、生きる覚悟もない、陰々滅々、消え入りそうな生命の蝋燭がけして消えずにいる、そのような宙ぶらりんの状態が続くのか、期待はしてないが、期限があればと願っている、青天の霹靂で怯えが発症したように、突如として怯えも消えてくれるものだろうか、回答のない希望を頭で巡らしては溜息を吐き、明日も今日と変わらない、未来永劫に、未来のことは誰も分からない、好転するかもしれない、かもしれない、誰も分からない、そのような答えを求めるのが間違いである、結局は私は人生に何も求められない状況のまっただ中にいて胸の内で叫び喚き散らしているに過ぎないのか、それの解はただ怯えるだけだ。
 滅多に夢は見ないが、見るといつも見る夢がある、それは同級生と笑ったバーで飲んでいる夢である、そして起きて失望する、笑って自分とでも他人とでも話したことはこの約二十年もの間一度もないからだ、当たり前のことが不可能だと言うことは非常に苦痛であり、落胆させる、人生にまったく楽しみなどない、そのような人生を変えるにも術がない、きっと病気だから仕方がないと言うかもしれない、それならばモルヒネのような痛み止めを、怯え止めを注射してくれ、ひととき、ほんの一瞬でも嬉しさを感じさせてくれ、そしたら兵麻植の喜びの感覚が蘇ってくる、できるなら定期的に味わわせてくれ、それならば希望が持てる、怯えだけが人生だ、そのような日々は地獄だ、私は天国は信じない、だが地獄は私が住んでいる世界の状況のこと言うのだろうと確信している、地上の人間、動物、一歳に怯えて生きる、否応なく生かされる、奴隷以下の状態だ、怯えは二十四時間間断なく続くのだ、悪魔が囁く、その悪夢が永劫に続くのだ、死ねばいいと思っているのか、死んでも意識とか魂というものは存続するという、すると怯えもへばりついて消えはしない、火葬に付されて肉体と共にそれでサヨナラという訳にはいかない、悪魔に魅入られた、悪霊に取り憑かれた宿主が私なのか、完膚なきまで叩き潰す、私に安らぎは未来永劫に来ない、それでも死ねない哀れな生き物だ、これが人間として生まれた私の原罪のためか、原罪、私はそんなものは毛頭信じてないので、納得はしない、それともお祓いでもしたら治るかと自分に嘯いてみる、不幸、私が今いる状況、最悪、最低、劣悪、私がいる状況だ、それでも生きている、怯えかの消失への期待をしない私は何をしたくて生きているのか、したいものなどない、怯えが消えてくれ、それのみ、それも叶わないのに何の因果で四苦八苦するのみの生活をしている、それも周りから嘲笑の集中砲火の目に遭いながら、それでも生きている、生きる、怯えているとは同語反復だ、それでも死ねない私には不慮の事故死だけが救い、だがそれはいつ来るか分からない、いつ来るかと待ち続けるだけ疲労困憊するだけだ、誰か私を救って下さい、そのような人はいないと推測する、意あれば今までに一人ぐらいは現れたはずだ、状況のもたらすあれやこれやが私の頭の中に増殖し、怯えも強くなり、気が滅入る、何もしたくない、息さえしたくない、そのまま消え去れればと願う、これまでの経験からそれはない、それでもおめおめと生き続ける、なにをしたいのかに思いを馳せられるような状況ではない、いつも緊迫している、その諸悪の根源はたった一言で言い尽くせる、「怯え」だ、怖さ、人間が一番怖い、確かにそうだと一般の人、普通の人も賛成するだろう、だが誰彼構わず怖さで四六時中怯えてはないだろう、彼らが頷く怖さではない、合わなくても、会う予定がなくとも、誰彼となく未知の人に震えている、人がいる場所から密室に鍵をかけても怖さは消えない、けして消えない。

 一家団欒の我が家の儀式が始まる、夕食が始まる、息が詰まる、何を言われるのかと怯え戦いている、それでも出されたものは全部平らげてみせる、食べ残せば、不味いのか、口が肥えているのね、食通で普通の食事ではお気に召さない、居候はお客様か、お殿様かと強烈な皮肉が追い打ちをかけてくるからだ。それに同じ家族で毎日違ったことが起こるはずもなく話題に欠ける、そのために沈黙のままに食事は進む、居たたまれない空気で早く終わらない気を揉むばかりだが、両親はいつもと変わらず粛々と飯を食っている、まるで私が祭壇に捧げられる屠られる羊のように見えてくる、違う、死ぬのは早い、人生は長い、その間ずっとずっと家庭融和のセレモニーは続く、私は酸素不足とな苦しみ出す、だが死なない、そこが味噌なのだ、死ぬほどは痛めつけない、自殺に追い込むほど苦しませない、ほどほどに苦しませる、それが最も彼らには見ていて楽しい光景なのだ、いたぶっても楽しむことを忘れてはならない、彼らは冷徹だ、やっとのことで罪滅ぼしの食事は終わる、罪、何も遣ってない事への罪、社会に貢献してないことへの罪、だから世間は一斉に私を愚弄し、蔑み、自殺一歩手前まで行かせて、笑いこけている、見世物にして喜んでいる、それで世間は団結を益々強めてゆく、それにはスケープゴートが必要だ、皆で石を投げましょう、半死半生まで済ませましょう、それを忘れないで下さい、小さな理性が必要です、なるべく長続きするようにしましょう、次を探すのには手間暇がかかります。贖罪は終わった。

 私は椅子に坐りたち上がっているPCの画面を見る。部屋を出なくとも世界が見える、どの国サイトにも接続できる、このモニターの画面に世界は表出する、アマゾンでは中古の安い品物が買える、もはや外に出なくとも世界の動き、天道を知ることができる、思考が活発化する、それに連れて罵りが激しくなる、それがどうした、お前とは無関係だろう、誰とも会話も交わせないくせに、何が思考、思想とでも言いたかったのか、思想のような首尾一貫したものがお前にあるはずがないだろう、お前はばらばら、乱雑で収拾が付かない頭なんだよ。
「タクシーを止めろ」との隣の飲食店の酔っ払いの大声が私をぎくりとさえた。
『聞こえているんだろう、表に出て来いよ、いつも窓の影から俺を監視しているのは分かっているんだ、声は地声で大きいんだ、何を望んでいる、何で窓を開けなんだ、窓の周りから酔客の顔が出てきてお前を見るか、動物園のパンダ、誰もお前を見たくはない、だがお前は出しゃばるからとやかく言われるんだよ、緘黙すればいいんだよ、だができない、外に出ると会う人会う人に全神経を集中させてこいつは、こいつは気にかけている、鬱陶しいんだよ、それにお前の体から陰の、ネガティブな悪臭がして、ついつい立ち止まって振り向いてしまう、陰気な顔、よく漫画に描かれる貧乏神、そんな感じだ、それを気にしないでくれというのが無理な、できない相談だ、お前は目立つ、人目に付く、そして笑われる、それがお前の役回りだ、気にしなければいい、誰も取って食おうというわけじゃない、ただ罵倒したくなるんだ、そうされやすい人間なんだよ、暖簾に腕押し、馬耳東風でいいんじゃないの。馬耳東風、犬の鳴き声を聞いているんじゃない、聞き流すほど神経は太くはない、それを知っているから、びびらせて面白がっているんだろうが、それくらいは察しが付くだろう、全くのバカとでもいうわじゃない、それを寄って集って笑いものにして、喜んでいる、困っている顔がとてもおかしい、天下一品だ、何物にも代え難いユーモアがある、お前が天から授かった人徳だ、来世は蓮の上で仏様と一所にたっているんだろよ、喜べ、今は辛くとも、来世は極楽浄土だ、だから今の苦労は勝手でもしろ、それだけ来世で報われる、結局プラスマイナスゼロで収支は合う、よくできているんだ、だからたまには神様に感謝したほうがいい、つまらない人間のお前でさえ救われる、悪人正機説だ、何とでも言うね、人ごとと思えば、自分のことだとそんなこととてもじゃないが言えない、つまり自業自得と思えばいい、私は何も悪いことをしてないのに、こんな目に遭うのは納得がいかないなどと世間のしきたり通りのこと言うんじゃないぞ、私が悪いのですとずっと謝り通せばいいんだ、それで万事が巧く行く、ひ弱なお前が反抗しようなんて考えたら余計に傷口が開くばかりだ、死んだ振りしてすべてを罵倒されるまま笑われるまま聞き流せばいいだけだ、こんなに簡単な仕事はないよ、毎日でも疲れないだろう、そうしとけ、意地は張るな、お前が根性なしなのは知っているから、お前に付ける薬はないから、そんな薬探そうとも思わないけど、今のままで楽しめていますから』
「そんなの知らないわよ」と女の嬌声がどこからともなく漏れてきた。
『あなたのことを誰も知らないのよ、この世間の人々はね、あなたは部屋に籠もりきりで外に出ようとしないんだもの、外を歩いても誰も知らない』
 私を知らない、どうして騙して私を外に誘い出し笑ってやろうとするんだ、世の中の人間全員が私を知っている、私にだけ分かる合図を送るんだ「見ています」よってね、するとあいつらは相互に連絡を取り合い、私の一部始終を知ることになる、ストーカーだよ、一人だけなら罪になるが、全員となるとそうならない、どう考えてもおかしいだろうが、誰にも取り合って貰えない、酷い奴になると「あなたはあなたが思っているほど有名人じゃありませんよ」と鼻で笑い追い返す、知らない奴に限って物知りの振りをしたがるものだ、世の中は思ったより狭い、インターネットのせいだ、情報があっという間に広がる、世界中にだ、与那町、日本どころの話しじゃない、誰も知らない、いい加減なことを言うな、皆が陰で何を言っているのかこっちは全部知っているんだ、誰一人私を知らない場所を行ってみたいよ、大阪に行った時に酷かった、人でごった返す大通りを歩いていると、嘲笑がごった返すように耳に間断なく入り込んできて、一歩も動けず、屈み込んでしまった、あの夥しい人の群れが私を知り、私を目がけて罵ってきたのだ、どこにいても追い掛けられている、他人が全部私のストーカーだ、非慈雨に窮屈な世界に私は追い込まれているが、対処することもできずに、部屋に籠もるだけだ。
「遅い、遅いよ」
『こんなに遅くまで起きて、人のこと見張ってるんじゃないわよ、何もすることがないから、悪いことをし始める、働きなさい、そうしたら他人のことは気にならず、夜は疲れてぐっすり眠れるから、バカみたいに机にしがみついて夜通し起きて何か起こらないかと期待する、その何かが分かりもしないのに、バカじゃないの、音を立てずに引き籠もり、真空パックの閉めた窓の外を窺い続ける、これほど無駄な作業を一年中しているあんたは何がしたいの、見張っていると水しか飲まないんでしょう、それも音を立てずに誰に分からないように音を立てずこっそりと、凄い気の使いよう、そんなことばかりしていると、神経が擦り切れちゃって向こうへ、メンタルクリニックの方へ飛んで行っちゃうんじゃないの、別名、変態とも言うのかな、こそこそするのが止められない、弱肉強食で一番弱い動物、全神経を使って全方位に張り巡らして、敵がいないかを窺っている、そんな人生、生きていて楽しいか、楽しくないでしょう、死ぬまで楽しくないわよ、いっそのこと、首でも吊って死んだ方がいいんじゃない、保険をかけて、交通事故に見せて死ぬのもいいわね、保険金は迷惑をかけた方々へのせめてものお礼よ、これにしないさい、少しは生きている者の涙を誘うわよ、こそこそした人生を送ったにしては、いい死に方だったと皆思うわよ、それでハッピーエンド、最高、父親に頼んでまずは保険に入りなさい』
 音がした、誰かがドアの外側で聞き耳を立てている、スパイ、その後ろで父が母が親戚が近所の住人が与那町の住民が世界中の人が耳をそばだてて様子を窺っている、なぜ私は狙われるのか、国家に対して反逆しようと主たことは生まれてから一度もない、爆弾の製造方法のサイトを見たこともない、ただ家に包丁があるだけだ、それならどこの家庭にでもある、何のために見張っている、分からない目的に胸騒ぎがしてくる、鼓動が激しくなる、無職、無収入、納税の義務を履行してない、確かに皆が納税しなければ国は潰れる、だがちょっとやそっとの数では潰れない、だが悪い芽は早く叩き、見せしめにして勤労と納税の義務を喚起する、その一人に選ばれた、運が悪い、世の中には多くの収入ゼロで納税しない人がいるだろう、それは納税してない人の言い草だ、蟻の一穴天下の破れか、組織は本気だ、私の首を掻きに来た、……。
「この酔っ払い、飲み過ぎ」
 私の声か、言いたいことを誰かがテレパシーで知って言った、危ない、私の秘密を暴き出して世間の笑いものにするつもりだ、そんなことをして何が楽しいのか、しつこい、すでに数年も続いている、もっとか、そんなことは取るに足りないことだ、彼らにかかると私のプライバシーは丸裸にされ、彼らは微弱な私の脳波を隣の建物で傍受し映像化し解析する、私の一切を見ている、理由が分からない、お前しかいないからとだけ答え、一切無言で執り行われる、私は変わっているか、いつも目立たないように大人しく暮らしているではないか、それを許さない、外で皆がわいわいがやがや騒ぎだし収拾が付かなくなった、毛布の中に逃げ込むしかない、虫のように極力表面積を少なくして丸くなり消えたいと願う、世の中から逃げようとすればするほど追い掛けてきて纏わり付く、こいつはいつでもどこでも私と一緒だ、影より酷い、光が差さなくとも脳髄にこびり付いている。
「じゃあ、気をつけて」
 私は狙われいるから、気をつけろと言っているのだ、何でだ、彼らに理由はいらない、とにかく私を追い回して全てを諦めさせる、全てを私は既に諦めている、結婚、家庭、子供、職業、他に何がある、一つだけあった、私の命だ、いつでも殺せばいい、だが彼らはそうしなかった、私の自殺を待ち続けている、ひと思いに殺せばいいのに、そしたら私も怯えから解放される、どうしても自殺にしたい彼らと、どうしても自殺はしないと決めた私との歯車が噛み合わなくてここまで来てしまった、やがて二十年だ、延々といつまで続くのか、誰が諦めるか、推測できない、だが最近何をするのでもなく過ごす日々をどう捉えていいか私は懊悩している、二十年は長い。そろそろ決着を付けるべきではないかと思うのだが、いざ実行となる決心が揺らぐ。
《戦え、戦え》
 稲光が走り、それから耳をつんざく声、力強く、膂力に満ち溢れ、拒否を許さない、それは至上命令、天の声、或いは啓示であった。 私は怯えを引き起こす声と戦った、声の漏れる壁を足で蹴り、拳で殴りつけた、頭で声を叩き続け、ぶっ壊れるやるという熱い意志が込み上げて徒手空拳で暴れ回った、歯止めが効かない、手が足が勝手に動き出し声の漏れる方向を蹴り叩いた、血も出たが全然痛くなかった、これまでに味わったことのない高揚感が満ちて幸福であった、二十年振り、いや生まれて初めての体験であった、暴れれば暴れるほどバロメーターは上昇し、天を突き抜け宇宙の届く波動となって、私は宇宙と一体となり、疾風怒濤の宇宙の海を駆け上がってゆく、火のチャリオットで暴れ回る戦場の神となり、一切を破壊しようと突撃を繰り返し、猛攻撃の連続である、だが怯えは雨のように天から降ってくる、私はチャリオットを走らせ疲れ知らずで戦った、だが怯えは消えない、だが怯まない私がいた、私が怯えに反抗した初めてのことであった。
 部屋の両親が大声を上げドアを叩き開けた。私の感情が急転直下し地面に打ち付け、体の至る所が痛みだし、私は血だらけになっていた、部屋はめちゃくちゃになり、全てが壊されていた、そのど真ん中で私は仰向けになり息せき切らし、体中が疼き出し、足が震えた、何かが起こった、何が起こったのだろうかと思いを巡らした、
「戦ったんだ」と叫ぶと勝手に涙が溢れ出した、嬉しいとも悲しいとも付かない涙であった。
 母が泣き叫び、父は無言で突っ立ったままであった。
「お前はやはり病気だったんだね、病気だったのね、信じたくなかったのに」と母は嘆いた 。
 私は耳鳴りの中で母の声が届いた、怒りがじわりじわり込み上げてきた。
『今頃、私が精神病であることを認めたのか、お前は異常者が身内から出ることを心配して、世間体を心配して、故意に私が病気であることを認めなかった。だから世間の同年代の者と同じように私が生きていかないことを口には出さなくとも言葉の端々で、仕草で現した、どんなに辛い気持ちになるのかをお前は知っているのか、私は黙黙と耐えた、お前達の期待外れの息子として、目立たぬようにひっそりとひたすら耐えた、今更、私が精神病者であることを受け止めても、私のずたずたにされた両親というものへの思いはどうなるのだ、それを認めるのに二十年近くもかかったのだ、その言葉が〈病気だったのね〉、何というバカな響きだろうか、〈病気だったのね〉』
 私はかっとなり頭に血が上り、周りにある物を投げつけようとしたが、手が、足が、体が動かない、戦いで力を出し尽くし余力は目を動かせるだけである、情けない、声も枯れ果てて出ない、悔しさの涙が噴き出した、一生を悔いるほどの涙であった、だが母は「分かったから、安心して、落ち着いて」と慈母の如く宣うのである、泣いた、すると母が「安心しなさい、母さんが付いていますよ」と、父が「安心しなさい、救急車を呼ぶから、しっかりしろ」と慰めにもならぬ戯言を真面目な顔で言い放った。

正常精神病理例

正常とは大多数の人が同じような症状の患者群を指す。

正常精神病理例

統合失調症の世界を描いた。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-12-29

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted