窓のない家
自分でもどこへ向かうかわからずに書き始めました。案の定、どこへ向かったものやら……。でも、結構お気に入りの作品です。
半分、あるいは三分の一ほど地面に埋まった、滑らかな曲線の輪郭を描く建築物。正面には一つだけ、ぽつんと重厚な鉄の扉がついている。どこにも窓はない。大きさはビルの三階建てと四階建ての中間あたり。主たる構造材は合金板。造船技術を応用したようだ。その表面は白く塗装され、仕上げは荒く、ざらざらとし、曲面となっているため、太陽の光を受けた建物はぼんやりとした輝きを放つ。それはまさしく卵のような建物だった。
新進気鋭、破天荒、時代の風雲児などと称される天才建築家M・F・カー氏が設計したこの建物は『窓のない家』と題された。カー氏はこう言う。
「この家が内包しているのは『全』であり、いずれそれは『無』に至る、従っていずれは存在と非存在を超越するのだ。曲線を用いて『角』という終わりを排除することでそこには『全』が生まれる。窓をなくすことで内部と外部を断絶し、必然的に内部で起こる『社会的な死』は同時に『人間的な生』を創造する。断絶された閉鎖世界は白い壁で覆うことで完全な統一を得る。限定された空間は世界を区切る数多の境界を消し、世界の統合を為し、人間の起源である『未分化なこども』へ、そして『胎児』、『単細胞』への回帰が実現する。その刹那、個と全体は一致を見、結果『完成』に至る。それは全きモノであり、個と全の区別がなく、それは個の喪失、『無』となるのだ」
カー氏のこの説明に納得のいかない芸術家、建築家、批評家はこの建物を少しも評価しなかった。「そもそも家である以上は人が住んでいないのでは何の意味もないではないか」というのが彼らの言い分であり、議論上の最大の武器でもあった。カー氏の『窓のない家』を支持する少数の人々はそのことに頭を痛めていた。現にこの家に住む人がいないだけでなく、住もうと考える人すらいなかったからだ。
その状況に変化は見られず三年が経過した。
四年目のことだ。ようやくカー氏の最大の支援者であり、世界的大手ゼネコンの役員でもあるヤン氏が手を挙げた。ヤン氏一家が『窓のない家』に住むと言うのだ。
初め、この話を聞いたヤン氏の妻は反対した。社会的体裁や奇妙な家に住むことへの抵抗、曲線が多いだけに従来の家具は使用できないという利便性の悪さなど、反対の理由はいくらでもあげられた。だが妻はその意見を最後まで貫き通すことができなかった。ヤン氏の頑固はよく知られていた。当然妻はそれを一番知っていたからだ。
ヤン氏はカー氏と共に会見を開いた。各種メディアが『窓のない家』の前で開かれる会見に集まった。
「私はここに住まうことに決めた。私と妻、息子、娘の四人家族が今からここで暮らす」
厳粛な雰囲気であった。ヤン氏の横でカー氏が口を割った。
「ついに一歩を踏み出した。ここが家である以上、家族が住まわないことには完成は有り得ない。しかし、彼らが住み始めて完成を見るわけではないことを忘れないで欲しい。あくまでこれは始まりである。『〇』から漸く『一』への推移が見られただけだ。いや、正確にはまだ『一』にも達していないであろう」
ヤン氏はカー氏の言葉の真意が読めず、怪訝な顔をした。妻が不安げにヤン氏を見た。
「『一』への到達はあの扉を完璧に閉ざすことで達成される」
この言葉を《実際に住み、初めてここが家になるということだろう》としかヤン氏は考えなかった。だがカー氏の考えは違った。それはまだヤン氏の知らないところであった。
「社会から完璧に断絶されることが必要なのだ。それにより『一』に達する。そしてまた、そこで終りではない。『一』の次は『二』ではない。人類は今日に至るまで、ただ只管に『二』、『三』、『四』・・・・・・と、増加の歩のみを切望してきた。しかしそれが『億』に至ろうと『兆』に至ろうと人は足ることを知らない。何故ならそこには永遠などないからだ。私たちを待っているのは『死』である。どんなに分子を増やしたところで限られた時間の中では同じだけ分母が増えるだけ、そこに『永遠』など無いのは既知である。私は今、これから、この家で、家族の永遠を創造し、証明するのだ。それは『一』から『二』を目指すものではない。『一』の次に目指すべきは『〇・一』、その次は『〇・〇一』、『〇・〇〇一』・・・・・・と、『〇』を目指してつき進むのだ。限られた時間からの脱却、『永遠』の獲得は、限定空間における無窮なる内部膨張による『〇』への到達によってしかありえないのである!」
突然カー氏は感極まり、眼には涙を讃えていた。場はざわめきに包まれた。
「残念なことに私には家族が無い・・・・・・。それ故に、私自身の手のみによってこの芸術が完成されることは有り得ないのだ・・・・・・。しかし、しかし自らの犠牲を省みず、ヤン氏が完成の担い手となってくれることに・・・・・・私は感謝の意を表したい。ありがとう、私の尊敬する、偉大なるヤン氏よ」
ヤン氏は芸術家であるカー氏にこのような言葉を貰ったことを光栄に感じた。
ヤン氏は社会的に地位の高い人間である。尊敬されるということには慣れきっていた。しかし今までカー氏のような芸術家からの尊敬を得ることはなかった。むしろその社会的地位が災いしてか、芸術家の類には蔑まれていたくらいであった。ヤン氏はこの一言で、その過去が覆されたような気がしたのだ。
会見は終わった。だがこれで儀式は終わりではない。
次に始まるのは『一』に至るに欠かせない、カー氏の言った『扉を閉ざす』作業だ。
何も知らないヤン氏の家族が建物に入った。それと同時にカー氏は扉に鍵をかけた。外からしか開けることのできない鍵だ。どこから出て来たのか、作業服姿の男たちが扉の前に集まり、四角い扉の端々を溶接し始めた。カー氏の言う『社会から断絶』とはこれを意味していた。男たちが隅々まで綺麗に溶接を仕上げた。すると別の男たちがまた集まり、研磨をかける。磨き上げられた場所には扉の痕跡、四角い輪郭が描かれた。また別の男たちが集まる。今度は塗装だ。扉の輪郭部だけでなく、三年以上の月日によって色褪せた白を塗りなおすため、塗装は全体に及んだ。
「これでついに『〇』と『一』の間が完全に閉ざされた。もちろんそれは、『二』や『三』へ開かれていなければ、また、マイナスにだって開かれてはいない。完成された『〇』に向うための『一』なのだ。いよいよ始まる。偉大なる芸術が、世紀の傑作が、世界の変革が・・・・・・」
暫しの沈黙が訪れ、再びカー氏は始めた。
「皆さん、心配することはない。もちろんあなたたちが言わんとしていることはわかります。彼ら家族が完全に閉鎖された空間では生きられないということ、人間の尊厳が保たれないのではと心配しているのでしょう。ですが心配御無用。供給体制は整っております。定期的に上部を開放し、そこから日用品、食料、雑誌、新聞等が送られるのです。もちろんテレビだって自由に見られれば、電話だって、インターネットだって利用できるのです。そして彼ら家族がここから出たければ、いつだって出られます。地下通路を通じてそこの扉から」
そう言ってカー氏はマンホールを指差した。
「さあ、心配御無用ですから、会見は終わりました、どうぞ御帰り下さい。そしてこの偉大なる芸術が世界によく知られるよう、御尽力のほどをよろしくお願いします・・・・・・」
カー氏は不気味な微笑を浮かべながら立ち去った。各種メディアの人々も散り散りとなった。
それから再び、数年の月日が経過した。
『窓のない家』以来、カー氏の言動は支離滅裂で世に送り出す作品は奇怪なものばかり、自然と疎んじられ、忘れさられ、気に病んだカー氏の言動は一層おかしくなり、果ては狂気のなか、拳銃自殺で生涯を終えた。
さらに数十年の月日が過ぎた。
もはや『窓のない家』は完全に世から忘れさられた。もちろん『窓のない家』と題されたことなど誰も知らず、近所では『灰色の卵』と呼ばれていた。
地区の自治会で『灰色の卵』を撤去することに決った。そうは言っても巨大で堅牢な合金製の建物を撤去するには困難が伴う。
自治会の代表と市民数名で『灰色の卵』の前で思案している時だった。
コツ、コツ、コツと大きな卵の中から壁を叩くような音が微かに聞こえてきた。
ピキ、ピキ、ピキという音と共に『灰色の卵』に大きな皹が生じた。ピキ、ピキ、ピキとさらに皹は大きくなる。
ついに天頂部が真っ二つに開いた。一度皹の入った『灰色の卵』は重たすぎるその自重に耐え切れず瓦解を始めた。天頂部から一気に地面まで皹は走り、ボロボロと殻が毀れていった。砂や塵が舞い上がり、靄がかかったように周囲を包む。
『灰色の卵』は崩れ去った。その跡に残ったのは殻のみで、生まれたのは『無』だけであった。
数十年の時を経てカー氏の芸術は完成を見たのだ。ヤン氏の家族は『無』であると共に『全きモノ』となったのだ。
崩れ去った『灰色の卵』の遥か向うには陰鬱な夕陽が赤々と微笑していた。
窓のない家
書いてみて思ったことですが、家ってのは象徴的でして、また卵ってのも同様で、自分の無意識的な何かがこの作品を書かせたのだと思います。
存在について、人類について、狂気について、自分の考えが断片的に作品に反映されています。自分はいったい何者か?自分はこれからどうするのか?どこから来たのか?どこへ行くのか?(何かゴーギャンみたい。)そんな問いを自分自身に投げかけているのかもしれません。或は自分の社会性のなさを反省しているのかも……。或は人の人生そのものを描いたのか、或は神話的なものなのか、なにがなにやら……。
解釈はそれぞれにお任せします。自分の作品の解釈を固定的なものにしたくないものですから。