正常な判断
『芸能人M君』シリーズ新しいやつ。
前
尽想太、27歳。独身。某芸能事務所に所属。
「ねえ、M君」
ただし、裏方として。所謂マネージャーとして。転職3ヶ月目の僕には、とてつもなく荷が重いこのガ、ではなくタレントの。
お洒落な木目のテーブルを挟んだ向かい側で、M君は、氷たっぷりのカフェラテのストローを咥えていた。残った片手で、直置きしたスマートフォンに指を滑らせている。当然僕など眼中になかった。
「休憩しにカフェに入ったわけじゃないんだけど、覚えてる?」
「覚えてるよー」
間抜けた語尾の伸び方は、まあ、高校生らしいと言えば高校生らしい。人によっては可愛いとさえ思うのかもしれない。が、僕は違った。腹に溜まった黒い沈殿が、更に密度を増すばかりだった。
「じゃあ、なにしに来たんだっけ」
「必要だから電話してるのに、どうして俺は電話に出ないのかという疑問の解決と、どうすれば出てくれるようになるのかの相談のため」
「わかってるなら、今はちょっとそれしまってもらえない? ていうかなにしてるの? 僕、話してる途中だよね」
「ちょっと待って。今いいとこ」
いっそ取り上げてやろうかと手を振りかざしそうになるのを我慢して、膝の上に落ち着かせた。
ややあって、M君はようやくスマートフォンを鞄に入れた。言えばそこそこ素直に応じるのが、M君の厄介なところだった。
はいどうぞ、とばかりに目を合わせてくるM君に、僕は小さく咳をしてコーヒーカップを持ち上げた。
「で、なにしてたの? 人が話してるときでも優先しなくちゃいけないようなこと?」
「スマホでも結構面白いパズルとか謎解きとかできるんだって知っちゃったんだ! 今さっき、新ステージの通知があってさ。まあもう終わっちゃったんだけど、たまには楽しいかなと思って」
「そうだね。たまにはいいね。でも今はダメ」
「あ、そっか。先に疑問の解決だね」
そうじゃないけど、問う前に暴露してくれそうなのでひとまず黙る。問い質す手間だけでも省けるなら、空いた時間にわざわざ車を飛ばし、お気に入りのカフェを紹介した甲斐があった。平日の昼間だからか客もそんなに多くはなく、上手く隅の席を取れたので人目を気にする必要も最低限に抑えられた。ツキはこっちだ。
そう。ツキはこっちにあるはずだった。新卒で勤めていた会社が上層部のごたごたから僅か2年で倒産し、当然まともな貯蓄などあるはずもなく、今更家族を頼るのも情けないのでその日暮らしを延々続け、細々と続いていた人間関係のツテでようやくこの仕事を紹介してもらい――僕は心身お財布と共に潤う予定だった。なのに。
「んーとね、じゃあ、昨日の夜8時前くらいのやつ」
社内のその界隈で、たまたま一番若かったから。それだけの理由で、マネージャー不在のM君の手綱、じゃなくて予定の管理を任されてしまった。それまでのマネージャーは夢を追って退社したとのことで、外野としては送り出すほかにない状況の直後に入社してきたのが僕だったとめでたく迎えられたものの、年齢どうこうは建前であのツテはもしかしたら、と邪推せずにはいられなかった。だいたいひよっこの僕に有名なM君を任せようなんて、裏がないはずがなかったのだ。今となっては、その裏がよくわかる。
M君は再びカフェラテのストローを咥え、悪びれもせずにチョコレートパフェ付属のスプーンを小さく振った。一応一大人として、僕の奢りである。
「ごめんごめん。ちょっとお姉さんといいところだったから」
口に含んだブラックのコーヒーが、急遽流動性を失った。カップを手に持ったまま、僕は静止していた。淵の内側で、濃い表面が揺れていた。M君の顔は見えなかったけれど、声のトーンから浮ついていることは明らかだった。
ソーサーにカップを静かに置いた。コーヒーは、まだ半分も減っていなかった。
「なんて?」
無駄と思いながらも聞き返した。視線の自重をどうにか堪え、真正面に据えた。M君は、やむなく悪戯を暴露するかのような無邪気な笑顔だった。
「だから、お姉さんといいとこだったの。聞こえてたでしょ? 頭に浮かんでるそれだよー」
直後の僕の目玉は、ハイエナの如く両端を行き来した。近くを通った人はいなかったし、隣接のテーブルは無人だった。そこここのスピーカーから吐き出されるジャズ調のピアノは、少し離れた席に着く人々の会話を掻き消していた。ときどき視線が飛んでくるけど、それだけは致し方がない。
「年上の人がいるってことでいい?」
直接的な表現はやめておいた。念には念を入れるに限る。M君は、僕のその意図を見事にぶち壊した。
「そんなのじゃないよ。ってか想太君知ってるじゃん。俺って、今のとこ特定の彼女ってできたことない」
故意に膝をテーブルに打ちつけた。上手くその単語周辺の周波数を分散させることができた。と思う。が、それだけではどう考えても不自然なので、立ち上がろうとして勢い余った事故のような芝居を打った。
「大丈夫?」
座り直す僕を、M君は不思議そうに見ていた。僕は頷きながら、
「君の頭が大丈夫なのかが知りたい」
「あ、大丈夫だよ。ちょっと危うかったけど、平均81点でなんとか。特に今回は物理がさあ」
「テストの話じゃない!」
せっかく誤魔化した興味の嵐が、音をたてて集約される。そんなイメージが沸き上がると、はっと冷静さを取り戻した。いざ辺りに注意してみると、心配したほど目を惹きつけてはいないらしい。とりあえず胸を撫で、更に落ち着くために、冷えたコーヒーを一口流した。
これが仕事紹介の裏だった。言い方はいろいろあるけれど、要するにM君は、今までなんのスキャンダルやタレコミもないのが奇跡的なくらいに自由奔放であること。その監視兼お守りをするのが、マネージャーに課せられる義務というわけである。
前任のマネージャーが夢を追って退社したとか嘘だろ。今更確認できないそれを、僕は既に確信していた。
「M君。次の予定までまだちょっと間があるから、落ち着いて話そうか」
「わかった。俺、想太君の言うことなら聞けるかも」
「じゃあまずその想太君って言うのをやめてもらいたいところだけど、今はいいや。はっきり言うからよく聞いて」
興味津々で促すM君を前にして、僕は改めて決意した。前のマネージャーは、これが言えず退陣に追い込まれることとなったのかもしれない。
「M君。君には常識というものがまるでない」
パフェの底のスナック部分を、M君はスプーンで抉り出していた。僕の目をまっすぐ見つめながら、何故かそっとした動きでそれは口に運ばれた。かりかり、と控えめな音が聞こえた。
「そうなの?」
スプーンをパフェの器に戻し、カフェラテのグラスを引き寄せたM君の細い指先に、少しショックを受けたようなしおらしさを見た。
いい兆候である。正直どこから突っ込んでいいのかわからないし、およそ10歳年下の高校生にしょんぼりされると心苦しいけど、この子がモンスターに育ってしまったのは、周囲の大人に原因があると僕は思う。M君が数年前に芸能界に現れてからこっち、要するに持てはやされすぎたのだ。若くしてブレイクした過去の人たちが己を過信した結果、どんな末路を辿ったか。一緒に仕事する身となった今、M君に悲惨な将来を迎えて欲しくなかった。
僕は故意に口を閉じていた。M君は一頻りカフェラテのストローを掻き回し、伏せがちだった睫毛を持ち上げた。アンニュイな先刻が嘘みたいな、けろりとした表情だった。
「本当にそうなのかな。だって昨日もそうだけど、遊ぶときはちゃんと最低限の節操を保って」
「違う違う違う!」
大きな声を出して、またもやひとりではっとした。さっきと同じようにこっそり周りを確認し、もう一度コーヒーカップを持った。残りは半分もないくらいになった。
確かにその話から展開したけど、なんというかニュアンスがあるだろ。例えば普段はですます口調なのに、こうして向き合ってみると、巧妙にタメ口を使うこと。ほかにも具体例は数多いのに、常識というワードがM君の中で直前の話題にしか結びついていないことに、僕はとてつもない衝撃を受けていた。今の10代ってこんな感じなのだろうか。いや、もしかしたら僕の時代も実はそうで、頭の中で勝手に改竄しているだけだろうか。
正直に言おう。僕はパニクっていた。
「どうしてそういう発想にしかならないの? 僕が言ってるのはそういうことじゃないよ」
「だってその話だったじゃん。あ、もしかして論点がずれてたとか? じゃあもうひとつ俺の倫理で、適当にあそ」
「だ、か、ら、さあ!」
危機感の欠片も恥の一欠けさえもない発言が出てくる前に、というかもう無意識に、M君の言葉を遮ってテーブルを叩いた。通りがかった若いウェイトレスが、肩を跳ねさせて振り向いた。つい目を合ってしまい、即座に僕は顔を逸らし、思い至ってM君を見た。M君は下を向き、意味ありげに鞄の中を漁っていた。
M君の手が鞄の中でぴたりと止まり、再び僕が視界に据えられた。
「続けて」
「え?」
「言おうとしてたこと言ってよ。大丈夫、録音して訴えたりとかしないから」
毒のない純な笑顔に、出鼻を挫かれる思いだった。怒声の対象に仕切り直されて妙に落ち着いてしまい、僕は椅子に腰掛け直して、緊張するとつい手が伸びてしまうポケットの煙草に辛うじて触れなかった。
「だからね」
膝の上で両手を丸くし、知らず下げていた目線を持ち上げた。M君は相変わらず鞄に片手を入れたまま、興味深そうに僕に注目していた。
「適当にそんなふうに遊ぶってこと自体、褒められたものじゃないと思うんだよね。それに絡むいろんなことを、本当にいろんなことを、君はまだ判断できないし知らないこともたくさんあるから、触らないのが無難なわけ。誘われることがあったとしてもね。あ、その判断できないことや知らないことはいいんだよ。そこはまだ大人に任せておけばいいから」
「うん」
「で、これは常識というよりも倫理観や個人の価値観にも関わってくることだけど、そういう知識があるってことはね。漫画でもゲームでもなんでもいいんだけど、それに関わるストーリーも、なんとなく眺めてきたんじゃないかと僕は思うの」
「言われてみれば」
「そうだよね。じゃあ、そのストーリーの中で、気分のまま遊び呆けるキャラはどうなった?」
「最近読んだ漫画では、処刑執行人のひよこにバケツに入れられてた」
どういう漫画だよ。辟易したが、僕はこの暴れ馬の手綱を握っておかなければならない。求められるのは、上手い立ち回りだった。
「そうでしょ。適当なことばかりしてると、ロクなことにならないって解釈できるよね。ほかの漫画でも、似たようなことしてるキャラクターは、改心しない限り悲惨な末路を描かれてるんじゃないかな」
「なるほど。確かにそうかも。やっぱ想太君が言うと違うね」
「どういう意味?」
やたらと嬉しそうな笑顔から、ついさっき、M君が発した僕の言うことなら聞けるかもという台詞を思い出した。
「名前は人を表すって言うじゃん。俺の名前なんてなに表してんのか全然わかんないけど、想太君見てると、あれって案外嘘でもないのかもって思うんだよね。太く想い尽くすって、ものすごくキレイでピュアそうな感じじゃない?」
「そうかな」
尽などという物珍しい苗字と、想太などという創作がかった名前のせいで、何度か言われてきたことではあった。が、当の僕からしてみれば、自分の名前から自分以外を見出すなんて不可能だった。
「だって、今までに、さっきみたいについ思わずって感じで声荒げた人なんていなかったもん。それってつまり、真剣に俺の話聞いてた人なんていなかったってことじゃん。もちろん芸能繋がりで関わってきた人たち限定だけど」
暴論だと思いかけて留まった。考えてみれば、こんな業界なのだから、M君の人格自体には関心のない人間がいてもおかしくはない。高校生とは言え、既に一般人では到底並べない財力と人脈と影響力を持つM君に、邪心を持って近づく奴も少なくないことは容易に想像できる。
「だから、怒ってくれたの嬉しい」
自然と頬が持ち上がるのを、M君は堪えきれないようだった。怒られた認識があるようにはとても思えない無邪気ぶりで、僕はというと、前向きな感想を得られるなんて想定外もいいところだったので、出てくる言葉もなくM君を見つめて固まっていた。
「とりあえず、知らないお姉さんにご飯もらったり泊めてもらったりするのはやめるね。例えば放置してある廃ビルの探検とか、健全な遊びを楽しむことにするよ。前に有楽町で面白そうなの見つけたんだ」
「全然健全じゃないし面白くない。君はまだ高校生なんだから、夜は家でおとなしくしてないとダメなの。補導の対象なの。売れっ子の君を法外に仕事させないために、どれだけの人が苦労してるかわかってる?」
しかもその廃ビルの探検は、知らないお姉さんがダメならとお兄さんに参加を求める構図が悲しくも想像できてしまった。やっぱりM君には気を抜けない。
再び僕が背筋を伸ばした頃、M君は、すっかりパフェを食べ終えていた。器を横にどけ、残っているカフェラテのストローを口に含みながら、やっと鞄から引き抜かれたM君の手には、さっきしまわれたスマートフォンが握られていた。
いや、さっきのスマートフォンには、ストラップはついていなかったような。今目の前にあるそれには、ピンク色のビーズを編み合わせて作った小さなクマがぶら下がっていた。
「本題に戻ろっか。どうしたら俺と手早く連絡がつくのかって話だけど」
「あ、うん」
大したことじゃないのに、キツネにつままれた気分だった。害意のないM君と、ピンク色のクマを交互に見合わせて、さっきの記憶の画像を頭の中でより克明に浮かび上がらせ、更に僕は首を捻った。
「これ、さっきいじってたのと違うやつ。俺、スマホふたつ持ってるから」
「同じ機種に見えるけど」
「だって同じ機種だもん。同じカバーだし。このクマがあるかないか。わかりやすいでしょ」
わかりやすいけれども。スマホが普及する前、僕が学生だった頃は確かに携帯電話を使い分ける人はいた。が、今そんな人は見たことがなかった。
「最初はただの思いつきで、意味なんてなかったんだけどね。気付いたら一般公開用とそうじゃないのに分けてた。想太君にはこっち教えてあげるよ。こっちなら出るから」
「お姉さんといいところでも?」
つい毒が出たが、M君は無害に笑った。本当に他意はなさそうだった。
「だから、そういうのはやめるって。最悪、終電までには家に帰る。ちょっと一般公開用の人間関係を整理しようかな。見誤ってるかもしれないし」
M君はクマを揺らしながらスマートフォンを操作した。僕のスマートフォンが震え始めた。初めて目にする数字が並んでいた。
「ちゃんと見極めしてきたつもりだけど、本当に俺と友達になってくれてもいいって思ってくれてて、俺が自分でもそう思える人がいるかもしれないし。正しい判断が求められるね」
「僕はM君の友達?」
「俺はそのほうがいいけど、想太君的にはなしでしょ。飽くまで仕事関係の繋がり」
「わかってるならいいよ。それと想太君っていうのやめてね。一応年上だから」
「残念だなー。年上の人って、話も早いしいろんなこと知ってて大好きなのに。事務所のうるさいオジサンは嫌いだけどね」
あはははは、と実に軽かった。先述を聞いていたのかいなかったのかわからない声だった。
「そろそろ出る? 遅刻したらいけないし」
M君のお墨付き電話番号をアドレス帳に登録しながら、画面上側の時刻から目算した。次の予定までは、まだ少し余裕があるのだが。
「ちょっと秋葉原寄っていこうよ」
「なんでいきなり」
「ぶらっとしたいときが想太君にもあるはず。ああ、でも気まぐれだから、ひとりで行ったほうがいいかな。間に合うように戻ってくるから、想太君はここで休憩してて」
「間に合うって何時に? そんなにぶらぶらしてる時間ないよ」
「わかってるって。多少家に帰ってなかったりはしてたけど、仕事に遅れたことないでしょ。今日も大丈夫」
僕がもう一度呼び止める前に、M君は席を立った。その拍子にテーブルの伝票も取った。
「怒ってくれたのと教えてくれたお礼に払っとくよ。ここのパフェ美味しかったし」
有無を言わせぬ勢いだった。半分浮かせた腰を、どさっと下ろした。つい手綱を放してしまった。でも僕には、もうひとつ手綱を与えられた。あの話し口だと、たぶん、僕以前のマネージャーには用意されなかった制御盤だった。登録したばかりの電話番号を小さな画面に拡大表示させてみた。
試してみる価値はあるな、と思った。
後
結論から言うと、M君の新しい手綱は効果覿面だった。電話にもきちんと出るし、留守電サービスに切り替わったときでも、用件を残しておけばアクションがあった。一般公開用の連絡先とやり取りしていたときとは、ストレスも必要時間も雲泥の差で圧縮された。あのM君を手懐けた(という表現はもちろんされていない)ということで、僕の社内での評判も右肩上がりだった。
ガタが来たのは、何ヶ月か経った頃だった。
「お前さあ」
都心で喫煙者は肩が狭い。辛うじて残されたような小さな喫煙コーナーで煙を燻らせていると、先輩の薬師が不機嫌そうに声をかけてきた。先輩と言っても年は同じで、どうも僕と同じ邪気眼の餌食となりこの事務所に所属してしまったらしく、そういうわけでかつてM君のマネージャーをしていたとのことで、僕に目をかけてくれる可哀想な人だ。同じ被害者だし、年も同じだし気さくにして欲しいと本気めの顔で言われたので、僕は素直に甘えている。それに、そこそこウマも合う。
「あのガキ、だいぶまともになってきてんな」
不機嫌さとも文脈とも繋がりかねる一言だった。僕が黙っていると、薬師は僕の胸ポケットから勝手に煙草を引き抜いた。手を出される前にライターを差し出した。
薬師がなにを言い出すのか、想像はついていた。僕はまたも無言で煙を吐き出した。
「で、最近はなんなんだ? 反抗期か?」
「そうなんじゃない? 普通の家庭なら親をシカトし通したりする時期だし」
「シカトする親がいなくて、友達じゃなく保護者的ポジションで年上のお前だけに教えてる秘密のツールがあるなら、そりゃ矛先はお前に向くわな。さっさと辞退して正解だったな、ガキのお守り」
言い方は汚いけど、僕への労いが滲んでいた。僕以外には伝わらない慰労である。
頭痛がする思いだった。何度も確認したスマートフォンの着信履歴に、もう一度目を滑らせた。今日の夕方からの仕事でどうしても打ち合わせたいことがあるのに、昼3時を過ぎた今もまだM君と連絡がつかなかった。家にも当然いなかった。
「SNSは? なんか更新してねーの」
「やってないよ。どうにかして始めさせろってお達しだけど、面倒だからやりたくないの一点張り。いちいち写真撮ったりもしないし、パズルのほうが好きだって」
「あらゆる意味合いで天然記念物級のガキだな」
「やることだけはやってるのに」
「なんて?」
「なんでもない」
そんなことより、どうにかしてM君を捕まえなければ。僕への影響はともかく仕事に支障を来したことはないので、時間になればひょっこり現れるのだと思う。前みたいに連絡が取りづらくなっただけで、あからさまに態度で示されたり、不要な嫌味を言われたりといったことはまったくない。会えばいつでもいつもと同じで、軽い口調でまたあのパフェが食べたいなどと言うくらいである。
そのパフェが出てくる場所で、もう一度話そうか。とりあえずスケジュールは問題なくこなすのだから、その前後に提案でも。
「煙草」
打算していたところに横槍だった。胸ポケットから抜いて箱ごと差し出すと、薬師は違うと言って受け取らなかった。
「あのガキ、最近煙草始めたか?」
「は?」
「俺が担当してた頃はしてなかったけど。俺もガキの前では一応吸わないようにしてたし」
「なにそれ。なんで急にそんなこと訊くんだよ」
「誰かと話してるの見た。目がありすぎて簡単には無理だって。でも自分の部屋では臭いがどうのこうの。これ煙草だろ」
「そんなこと昨日言ってなかった」
「言うわけねーだろ。あれだって周りに誰もいないと思ったから話してたんだろ」
「どこで?」
「何日か前に事務所のほうで。なんか用事があったんだろ。面白味のないつまらんスマホで話してた」
つまり一般公開用のスマホである。いても立ってもいられなくなり、また僕はM君のもうひとつの番号を鳴らした。やっぱり出なかった。反抗期の高校生が煙草を吸うことは間々あるとしても、M君はまずい。しかもたまたま誰もいなかったからと言って、まあ実際には薬師の目があったわけだけど、不用意にそんなことを喋る危機感のなさが実にM君らしい。
どこか行きそうなところ、と考えかけたときだった。薬師にまたストップをかけられた。
「お前さ、もうアレに関わるのやめたら?」
心底面倒臭そうに、薬師は煙草の火を消した。
「何日か黙ってたのも、すぐに言うより遅れて発覚したほうが騒ぎになって、巻き込まれてお前のほうから嫌になるだろと思ったからなんだけど。そうなったら、この事務所もちょっとめんどいけどな。でも、よく考えたら、名前通りくっそ純情なお前がアレを放置するとも思えなくなってきた」
「関わるのやめるって、ここを辞めるってこと?」
「そうじゃなくて、俺みたいに部署を変えてもらうんだよ。どこも人手不足なんだから、嫌だと言われてすぐさようならってことにはならない。それは保障できる。だから騒ぎになる前にやめとけ。なにがそうさせてんのかわかんねーけど、あいつどうしようもねーよ。一時だけど近くにいたから、なんとなくわかる」
「言うこと聞いてくれるようになってたんだよ」
「そこだよ。そこがまさにどうしようもない。完全に自己中心的ってわけじゃないところ」
「意味わかんないよ。だから正せるんじゃない? 間違ってることは間違ってるって教えてあげないと」
薄く空気を濁らせ、薬師は口を噤んだ。
再びスマートフォンに目を落とした。時間はどんどん過ぎ去り、相変わらず折り返しはなかった。
M君が行きそうなところ、と考えてひとつ閃いた。漠然としているけど、思いつくのはひとまずそこしかなかった。もし本当にM君が煙草を吸い始めたとしたら、尚更説明がつく場所が。
「ごめん、薬師。行くとこあるから」
「正常な判断しろよ、尽」
薬師の声を背中で聞き流した。喫煙所を離れ、僕はすぐに車のエンジンをかけた。
残念ながら、僕の収入ではカーナビを導入することは叶わなかった。スマートフォンで地道に検索し、やっとそれらしき建造物を見つけ出した。有楽町の廃ビル。近くの有料駐車場に車を置いて、僕はそのビルを見上げた。高さは目視で10階くらい。灰色に薄汚れた壁面やゴシック調の黒字が半分消えかかった看板から、意図的に世界から置き捨てられたような、陽が高いというのになんとも言えない異質なオーラを纏ったビルだった。
如何にもやんちゃな若者が入り浸りそうな雰囲気だけど、特に気配がないのはまだ明るいからだろうか。念のため、僕はもう一度M君の番号を呼び出した。
「尽だけど。有楽町の廃ビルの前に来てるんだけど、もしかしてここにいたりしない?」
留守電サービスに切り替わったので、とりあえず言ってみた。ちょっと迷ったけど、結局通話状態を維持したままビルの観音扉に手をかけた。鍵が壊れているらしく、すんなりと開いた。
一気に外の陽気と隔離された。薄暗く、心なしか肌寒く、アットホームさを演出したかったのか、木目をわざと模様化させている内装が一層埃と黴の臭いを引き立たせていた。
「入ってみた。もしこれを聞いたら」
『ピンポンピンポーン! 大正解! 第一関門クリアー!』
いきなり甲高く響き、反射で耳から手を遠ざけた。が、すぐにまた近づけた。
「M君、やっぱここにいる? ていうかなにしてるの? ずっと連絡してたのに」
通話口の向こうで、M君は楽しそうな声をあげていた。凄まじくミスマッチな感情に、唐突に背筋が冷えた。足が止まった。ここまで手間をかけさせておいて、悪意の欠片も感じられなかった。
『想太君なら来てくれるんじゃないかと思ってたよ。だって真剣に俺の話聞いてくれてたの、想太君だけなんだもんね』
「どこにいるの? ちょっと話さない? パフェ、今度はちゃんと奢るから」
『階段わかる? 前まで来て』
一方的な話し口に、腹が少し煮えた。一旦堪えて階段を探し、四角く螺旋を描いたようなそれを僕は見上げた。
「来たけど」
『上がって』
「何階?」
『7階』
「7階!?」
スマートフォンを眼前に持ってきた。夕方4時を少し過ぎていた。
「遊んでる時間ないよ。ていうか7階まで階段なんてきついよ。エレベーターじゃダメ?」
『ここ廃墟と同じだよ。都会の廃墟。電気なんか使えない』
「じゃあM君が下りてきて。煙草のことはとりあえず黙っとくから、心を入れ替えて前みたいないい子に」
『あー、それ。ちゃんと引っかかってくれたんだ。まあヒントのつもりだったし、無駄になんなくてよかったよ』
「……え?」
聞き返すしかなかった。電子がかったM君の声がまた笑った。
『ねえねえ気になる? 攻める気になった?』
正常な判断しろよ、と薬師の声が耳の奥で鳴った。もしかして今のこれが、薬師がM君から嗅ぎ取った「どうしようもない」なのだろうか。
「行く」
いや、M君にだっていいところはある。わざとらしい木造りの一段目に足をかけ、僕は言っていた。
「次の現場に入らないといけないし。どんなに横着でも、M君は仕事に支障は来さない主義だよね。ってことは、待ってたら下りてくるのかもしれないけど、そしたら僕はM君の話を真剣に受け止めなかったってことになりそうだから」
『想太君って、本当に名前通りだよね。そういうとこ好き。じゃあ行こうか。電話切らないでね』
よくわからないけど、とりあえず従っておくことにした。どっちにしても仕事には間に合わせるつもりみたいだから、ひとまずそれでいける。
『じゃあ最初の質問。俺のこの前のテストの平均点は?』
1階を超えて狭い踊り場に出たとき、無言だった通話口から声がした。僕は驚き、答えるより先に周囲を見渡した。周りには誰もいなかった。次の階へと持ち上げていた足を一度下げた。
「M君、どこから見てる?」
『そんなことどうでもいいから答えてよ。テストの平均点』
「81点」
テストのことが話に出る度に、M君のよくできた頭を僕は羨んでいた。そのちょっとした嫉妬心から、悪びれなく聞かされた平均点はしばらく記憶に残り続けている。
M君は大仰に歓声を上げた。
『よくできました! じゃあ先に進もっか』
「これなんの遊び? 僕の記憶力を確かめてる?」
2段目を踏んだとき、かちりと音がして踵が少し沈んだ。板が軋んだ音でも、まして割れた音でもなかった。振り返った頃、また声がした。
『違和感あっても確かめないで。とりあえず7階目指して。そしたら全部教えるから』
なにか変な気がする。このまま進んでもいいものか、と疑念が胸に差した。それは正常な判断なのだろうか。
『やめる? 別にやめてもいいよ。想太君の意思を尊重する』
「……いや、やめない」
『そうこなくっちゃねー』
正しい判断じゃない気がする。そう思ったからこそ、やめないことにした。M君は正せる。少し付き合う必要があるだけだ。その少しの必要を、大抵の人は阻むのだろう。薬師もきっとそのタイプだった。僕は違う。
『質問その2。終電までに帰って、俺が家でじっくり考えてたことは?』
「……人間関係の整理?」
『大正解! 覚えててくれて嬉しい!』
3階へ続く踊り場を超えた。2段目にまた違和感があった。見るなと言うので、僕は足早に次の踊り場に出た。
『質問その3。俺が適当に遊んできたお姉さんたちの共通点とは?』
「え」
そんな話はしていない。記憶を遡ってみたけど、絶対にしていなかった。というか、そういう経験論自体が未成年のM君には不適切なのだ。あってはいけないことだったと言ってもいい。
『文章問題みたいなもんだよ。直接話題にはしてなくても、話したことから読み取り可能』
と言ってくるということは、話したことがあるけど僕が忘れているというわけでもないのだろう。M君と話してきたこと。質問の答えを導き出せそうな部分。
気が付いた。今手にしている、まさにこれだ。一言答えるだけなのに、緊張して喉が渇いてきた。
「一般公開用で繋がった人」
間があった。胸で急速に不安が膨れた。一般公開用とそうじゃない用で携帯電話を使い分けるということは、足る人かどうかを分類していたということではないのか。2つめとリンクした質問だと思ったのに。
『進んで』
当たりともはずれとも言わず、M君は普通に言った。楽しそうでも悲しそうでもなかった。
4階への階段2段目に足を置いたとき、突然無数の針が突き抜けたみたいな衝撃が全身に走った。情けない声を漏らして飛びのいた。その拍子に危うく階下に転落しそうになり、寸でのところで僕は手すりを掴んでいた。
心臓がうるさく低く鳴っていた。嫌な汗が毛穴から浮かび、喉の奥が塩辛かった。真下の冷たく硬い床から、しばらく目を離せなかった。
手からスマートフォンを落としていたことに、やっと気が付いた。踊り場の隅で、小さな画面が発光していた。
『ちゃんと持ってなきゃダメだよ。せっかく通話に影響出ないようにしてるのに、落として壊れたりしたら意味ないじゃん』
「ねえなに? 今のやつ。なんかすごく、階段上ろうとしたら、足から身体が」
頭の悪い言い回しに、我ながら苛立った。でもほかに上手い言い方が見つからなかった。
「なんかびりって、痺れたみたいな」
『通電するようになってるからね。こっちから遠隔操作で信号をオンにしてる状態で、そっちでスイッチが入ればだけど』
M君がなにを言っているのかわからなくて、僕はまた吹き抜けになっている真下に目をやった。文字通り風が抜き抜けるみたいに、すうっと地上1階が遠のいた。ふらりと足が退がり、力が抜けた。
『で、さっきの答えなんだけど、ちょっと迷ったけど×かなあ。結局どうでもいい奴のどうでもいい連れだったりして、連絡取りようのない人もいたし。ってことで正解は、俺にとってどうでもいい奴ってことで。ちょっと限定しすぎちゃったね、もっと柔軟に行こ』
「ねえちょっと待ってよ。なに言ってるの? 正解の定義が曖昧すぎるし、落ちるとこだったよ。こんな高さから落ちたら死んじゃうよ」
『んー、まあ、そうなったら残念だけどね』
動揺を嘲るような軽々しい言い口が鼓膜をすり抜けた頃、ある想像が頭を擡げていた。絶対当たっていて欲しくない想像だった。でももう僕には、それが正解としか思えなかった。
「M君」
階下に一目散の貫く穴と、壁しかない四方。不快な湿気と連動した臭気。どこを見漁っても、この位置を監視できそうなスペースは見当たらなかった。
「M君、どこから見てるの」
鼓動がどんどん早くなる。低く大きく波打ち、リズムを乱して息を詰まらせた。電波を介した先で、M君はのんびりと綻んだ。
『落ち着いてよ。最初、階段の前に来てもらったでしょ。段の数は全部同じなんだから、見てなくても数えてればいいだけじゃん。踊り場に出たらクイズって基準で。ついでに言うと、俺と想太君は歩幅がほぼ同じだから、それも参考に。身長近いもんね』
「どこにいる?」
『7階だって』
「M君もしかして、僕をテストしてるの?」
――ちゃんと見極めしてきたつもりだけど、本当に俺と友達になってくれてもいいって思ってくれてて、俺が自分でもそう思える人がいるかもしれないし。
一般公開用の連絡先を対象にM君がそう言ったことを、僕は前向きに解釈していた。前後は高校生らしくないにしろ、省みることができたのだから、これはいい傾向なのだと。
一方的ではダメなのだ。M君自身が、その当人と繋がることを望まなければ。そう思った人間がいたとして、既に一般公開用のアドレスから昇格しているとして、その選択が見誤りでなかったかはわからない。正しい判断を下すには、試してみなければならない。
『俺ね、国語と社会も別に嫌いじゃないけど、概念とか感じ方とかじゃなく、常にはっきりした答えがある数学と理科のほうがとっつきやすいんだよね』
パフェを突きながらM君が言いかけたことを、僕が遮った。彼がそのことを怒っている節はなかった。
『前のテストは物理がよかったんだよ。電気のあれこれなんだけど、前日に教科書読んでたら、なんとなく興味出てきてさ。専門書買ってきて眺めたりしてるうちに、電源って俺にも作れるんじゃないかと思って。ていうか作ってみたくて』
黙考したところで知れている。名のあるM君になら、その名だけを目的に猫を被る人間もいる。そこをきっちり見分けるには、相手をできるだけ追い詰める必要がある。絵がどんどん組み上がる。
『なかなか合理的じゃない? やってみたいこともできたし、それをこうやってちゃんと目的のために応用できてるんだから』
テスト前日に教科書を捲った程度で、教科平均80点超えをマークできるM君なら、僕なんかでは逆立ちしたって扱えない計算式を組み立てることだって可能だろう。じゃあ、この前突然秋葉原に行きたいと言い出したのは、実は突然でもなんでもなく、通電装置製作における材料調達の下見のためとでもいうのだろうか。その時点でもう、M君の中に、僕を試した成功例と失敗例が構築されていたとでも。
「M君」
『なに?』
有楽町で見つけたというこの廃ビルも、あのとき話に出た時点で入ったことがあったのかもしれない。少し立ち入っただけなら期待がかった文脈でも筋は通るし、そうでなかったら薬師に煙草ネタを仕掛ける道理がない。M君は、僕に「話題になったことのある廃ビル」を連想させなければならなかったのだから。M君としては本当はそらで行き着いて欲しかったけれど、それだとあまりにも難易度が高いから、自分が人目から隠れる場所を探しているという設定を追加したとすればヒント発言も説明できる。
脳が四肢への命令回路を放棄したかのように、僕は動けなくなっていた。パズルは読解された。その配色に、頭が追いついていなかった。
『次に進む? 1回くらいの間違いはどうってことないよ。完全に理解してもらえないとやだなんて思ってないし、そこまでナルシーでもないし。俺だって想太君の知らないこと多いもん。気にしないで』
「なにしてるかわかってる? さっき、ちょっと足つく場所違ってたら、僕、死んでたんだよ」
『うん』
「事故死じゃないよ。M君が殺したことになる。それもわかってる?』
『わかってるよ。そうなったら残念だよね。言わなかったっけ』
互いにまったく帳尻の合っていない会話をしているようだった。僕はなにも言えなくなり、返事がなくなりM君も黙った。7階のどこかで、暇を持て余して前髪をいじるM君の姿が容易に想像できた。
「僕の意思を尊重してくれるんだよね」
声が震えそうになるのを、懸命に押し込めた。M君は通話口の先で頷いた。
『もちろん。定期テストじゃないからね。受けるか受けないかは自分で選べる』
「じゃあ、ここで棄権させてもらう」
M君はなにも言わなかった。僕は必死に普通のトーンを意識した。
「訊くけど、これ、ほかに誰か試した?」
やっぱりなにも言わないので、僕は勝手に続けた。
「はっきり言うよ。M君、おかしいよ。どうかしてる。上手く7階に辿り着けたとして、その人が本当に友達になってくれると思う? お手製の通電装置の上を歩かされて、否応なく命懸けさせられて。騙しておびき出した上にそんなことさせる人、M君は友達になりたい? 繋がってたいと思える?」
M君はまだ無言だった。今どんな表情なのか、少し気になった。が、僕はまだ大事なことを言っていなかった。
「度を越しすぎてる。それなりの対処させてもらうから。夕方からの収録はなんとかする」
『なんとかって?』
「なしでいいってこと」
『俺に代われる?』
「そうじゃないよ。本当にわからないの?」
『わかんなくはないよ。こういうことだろうな、って想像はできる』
「じゃあ今すぐ下りてきて」
『でも、一緒に思うこともあってね。想太君って、やっぱり名前通りピュアなんだなって。和んじゃう』
これ以上どうしようもない。いきなり警察に連絡するより、まずは事務所に。そう思ってプッシュしかけた直前、場違いに楽しげな口調で言い放たれたそれが気になった。通話口を再び耳に押しつけた。
『テストは棄権ってことだから、これは別物と考えてね。ピュアってつまりどういうこと?』
「え? なに?」
『ピュアと言ったら子どもだよね。じゃあ、なんで子どもはピュアだって感じるのかな。例えば、クリスマスにプレゼントをくれるのはサンタさんだって信じてたり、鬼を豆で撃退できると思ってたりするからじゃない?』
「なんの話? それと今とどんな関係があるの?」
『関係はないよ。あるのは共通点』
「だからなんの……」
強めた語調から息が抜けた。冷静に考えてみれば、おかしいことがあった。各階段の2段目で鳴らしたあの音。通電の起動スイッチ。あれはどうやら、僕が質問に正確に答えられなかったときのペナルティらしい。それがどうしてペナルティになり得ると思ったのだろう。一度は踏んだとしても、正解としても不正解としても、2段目だけを飛ばして進めばなんの妨げにもならない。しかもその通電装置は、M君が仕掛けたものだ。僕がM君だったら、規則性に従って配置したりしない。いや、もっと大事なことがあった。配置なんてこの際どうでもいいと思えるくらい、重大なことが。
急激に口の中の水分が飛んでいくようだった。通電装置そのものも、M君が自作したということは。
『物事を額面通りに受け取っちゃうっていう、可愛い共通点。ここまでの間に、想太君、きっといろんなこと考えたよね。じゃあこれは考えた? 板の下に仕掛けてあるスイッチなんだけど、どうしてそんなあからさまなスイッチの体を取ってるのか。ま、単なる思いつきなんだけどね。遊び心というか』
当たっている気がする。もう声は出ず、まともな呼吸もできなかった。M君の笑った声が、じっとりと耳の奥に浸っていった。
『スイッチの体じゃないスイッチが、いっぱい仕掛けてあるってことだよ。具体的に言うと、常にオンの状態で固定してあるやつが』
体内を巡る物質が、一挙に逆流した。汗でスマートフォンが滑り落ちるのを持ち堪えた。
『大丈夫、安心して。今こっちで信号オフにしてるからさ。テストは棄権ってことだし、早く引き返しなよ』
「そこにいて」
『なんで? 下りるよ。だってもう行かなきゃ』
「仕事に? だからいいって。君はどこにも出るべきじゃない」
『いやだからなんで? 俺は仕事には支障来さない主義なの。だから』
通話を切った。表示された時刻が視界のど真ん中にきた。24時計測、秒数単位で現れる時列は、僕がここに来てまだ20分程度と示していた。
M君からの着信で、スマートフォンが震えていた。これが鳴っている間は、通電装置の信号をオンにされることはないはずだ。切れないうちにと立ち上がった。勢い余ってつんのめり、横の手すりに掌をついた。指が一拍ずれて曲がった。一度遠のいた真下の床が、目元にすうっと引き寄せられた。
正常な判断
実はプロットとかなり違う展開に。
我ながら怖いねぇこいつ。でもプロットではもっと怖かった気がする。
じゃあ目を冷やしてください。どうもてんきうー。