ナイト・ランダー

香月 鐘二郎

  1. 第1章 銀狐
  2. 第2章 襲撃
  3. 第3章 預言
  4. 第4章 火車
  5. 第5章 鳴動
  6. 第6章 六条
  7. 第7章 抗争
  8. 第8章 残照

第1章 銀狐

 とにかく頭が痛い。
 脳内の奥底を掻き回されるような痛みだ。
 例えて言うなら鎖の付いた銛を頭の奥深く打ち込まれて、その銛の端に括り付けられた鎖を何者かが引っ張りまわしている。そんな感覚だろうか。
 銛に括り付けられた鎖を引っ張られるたびに、痛みから逃れるようにそちらの方向に身体が動く。
 鎖に引きずられるように、呻き声を挙げながら俺は起き上がった。
 薄汚れたカーテンの隙間から、まばゆい陽光が降り注いでいる。いつの間にか朝になっているようだ。
 割れそうな頭を抱えながら周囲を見回す。
 コンビニ弁当のプラスティック容器。古新聞の束。飲みかけのペットボトル。使い捨てられたテッシュの山。精液のこびり付いたエロ雑誌。ボロ雑巾のような衣類。その奥に何があるかは俺自身も知らない。

 見慣れた俺の部屋。
 7畳ほどのワンルーム。トイレと風呂が一緒になったユニットバス。キッチンは玄関の隣に申し訳程度に付いている。
 もっとも料理に縁のない俺にはどうでもいいことだ。
 築30年は下らない。
 隣にはイエメンだかオマーンだか、訳の解らない住人が住んでいる。
 その鎖を引っ張るな。
 立ち上がってカーテンの隙間から外を眺める。
 目覚めたばかりの陽光は、やがて周囲を焼き尽くす魔物に変化する。それに対抗する武器を俺は持たない。
 何かを忘れている。
 何かをしなくてはならない。
 なんだ。それはなんだ。
 だから鎖を引っ張るな。
 すぐに思い出す。

 昨夜の記憶を探る。
 飲みに行ったはずだ。新宿である。歌舞伎町の居酒屋。雑居ビルの3階だったか4階だったか。
 突然電話があったのだ。高校時代の悪友。
 久しぶりだな。
 と、そいつは言った。7年ぶりだ。
 連んで散々悪さをやった仲だ。卒業後とんと連絡がなくなった。
 何をしていたんだ。
 いや、ちょっとした事業を始めてね。それが成功して、いまは社長さまだよ。
 嘘だろう?
 俺なんか、今だに無職のフリータだぜ。
 何でお前だけ・・・
 ちくしょう。
 不公平にも程がある。
 だから飲んだんだ。悪いか。
 その後の記憶だって? あるわけがない。
 気づいたら自分の部屋だった。どうやって帰ったか、そんなこと知ったことじゃない。

 それにしても頭が痛い。
 何だったけ? 何かを忘れている。
 机だ、机の引き出し。大事な物はそこにしまってある。
 誰の言葉だ? 誰かがそんなことを言っていた。
 俺は机を開ける。
 そこには見慣れない黒い物。
 何だ? これは。目蓋がまだよく開かない。
 拳銃? 
 玩具なのか。何でこんな物が、俺の机にあるんだ。
 頭の鎖が引っ張られる。
 わかった。わかった。これを持てばいいんだろ。
 足がふらつく。部屋が回る。俺は吐いた。
 ちくしょう。飲みすぎだ。
 頭の中の鎖を引っ張る奴がいる。鎖の付け根が痛くてたまらない。
 わかった、わかったから、そんなに引っ張るな。
 俺は引っ張られるままに外に出た。

 太陽が眩しい。
 いまは朝なのか? 昼なのか?
 何もわからない。わからないまま歩いている。
 足がふらつく。歩きたくない。でも歩いている。
 何で俺は歩いているんだ?
 行き違う人が俺を避けていく。何だ、どうしたんだ? 何でみんな俺を避けるんだ?
 俺はただ、頭が痛いだけなんだ。頭の鎖を引っ張られたくないだけなんだ。
 俺の周囲で悲鳴をあげる奴がいる。
 うるさい。
 キンキン声は頭に響くのだ。
 やめろ、やめてくれ。右手を挙げるぞ。
 俺は吼えた。俺の右手が吼えたのだ。
 何だ?
 人の海が割れたぞ。まるでモーゼのようだ。
 気持ちがいい。
 ああ、そうだ。忘れていたものはこれだ。これだったんだ。
 俺は思い出した。
 俺はモーゼになったんだ。
 人が倒れている。視界が赤く染まっている。
 何だ?
 何だ、おまえは。
 何で俺の前に立ち塞がるんだ。
 俺はモーゼだぞ。俺の行く手に道が出来るのだ。
 俺は神になったんだ。
 俺は吼えた。海が割れた。赤い海だ。
 気持ちがいい。
 俺は生きている。俺は生きているんだ。・・・
 俺は生きて・・
 ・・・・・
 ・・・・・

 女は(しずか)かに座っていた。
 板の間である。広い部屋だ。何もない。
 一方の壁には神棚のようなものが備えてある。その下には掛け軸。「八幡大明神」の一字。
 その横には壁に掛けられた何本かの木刀。
 武道場。
 女はその中央に座っていた。
 正座を組んで、両手を膝の上に置いている。その姿が凛と引き締まっている。
 髪の長い女であった。腰まで届く長い黒髪を、頭の後ろ2箇所で縛っている。
 頭部の直ぐ下と、髪の先端部分。縛った髪を白い和紙で包んでいる。
 衣類は白い着物に袴を履いている。どこぞの神社の巫女のようであった。
 きれいな顔立ちをしていた。
 うりざね顔に長い睫毛を閉じている。
 そうして座っているだけで、震いつきたくなる雰囲気を持っている。
 清楚な中にも、ほんのりとした色香を感じるからだ。
 女の前に立った男は、女に向かって木刀を構えている。
 がっしりとした体格の男だ。柔道衣を着ている。
 手にした木刀で、これから目の前の女性を打たねばならないのだ。
 額から汗を流している。
 迷っているのだ。目の前に居るのが、触れれば手折れそうな儚げな女性だからだ。
 打てるわけがない。
 柔道4段、剣道5段の自分が本気で打てば、死ぬかも知れないのだ。死なないまでも、そのきれいな顔に一生消えない傷をつけることになる。
 そんなことが出来ようはずがない。
「本当にいいのですか?」
 男は震えながら言った。

 ふたりを正面に見る形で、更にふたりの男達が立っていた。
 スラリとした体躰をした男たちだ。
 ひとりは警察の制服を着ている。意志の強そうな精悍な顔つきをした男だ。
 もうひとりはそれよりやや身長が高い。着やせするタイプなのか細身ながら強靭な肉体が、スーツの上からも見て取れる。室内だというのにオリバーピープルズのサングラスを外さない。
「構わない。全力で行け」
 制服の男が言った。
「しかし・・・」
「責任は俺がとる」
 有無を言わせない口調だった。
「さ、参事官」
「構いません。どうぞ」
 木刀を持った男が悲鳴を上げたとき、正座をした女が静かに言った。りんと鈴が鳴るような声だ。
 大きな瞳がゆっくりと開かれた。
 黒目が異様なほど大きい。長い睫毛の下の、黒曜石にも似た瞳が、木刀男の目を射た。
 木刀男の背筋にぞくりとする感覚が走った。
 それは性衝動にも似た感覚であった。女の全身から得も言えぬ色香のようなものが立ち上がり始めている。
 心の奥底に押し込めてある獣を、揺り起こすような衝動が木刀男を襲った。
 堪えることが出来なかった。
「うわあ」
 声を上げた。
 込み上げる衝動を打ち払うように、上段に振りかぶった木刀を振り下ろした。
 思い切りだ。
 振り下ろした瞬間、
「しまった」
 と思った。女性を殺してしまった。
 しかし木刀の切っ先は空を斬っていた。女が座ったまま、数センチ右に移動したからだ。
 木刀は女の左肩をかすめて、そこで止まっていた。
「もう一度だ」
「で、出来ません。俺には無理だ。御子柴参事官」
 男は木刀を放り投げて、その場に座り込んで哀願した。
「ふん」
 御子柴と呼ばれた男はつかつかと近寄ると、投げ捨てられた木刀を拾い上げ、何気ない動作でその切っ先を、女の白い顔に向かって突き出した。
 床に座り込んだ男は思わず目を閉じた。木刀が女の顔を突き抜けたと思ったからだ。
 しかし、そうはならなかった。
 女の身体が突き付けられた木刀と同じ速さで、後方に下がったからだ。女の顔数センチの近さで、木刀は止まっていた。
 打ち合わせがあった訳ではない。
 綿密な打ち合わせをし、何度も稽古を重ねて、ようやく出来るレベルの殺陣である。
 何の打ち合わせもせずに、いきなりやれと言われても出来るのものではない。しかも座ったままである。
 御子柴は後方の、サングラスの男を振り向いた。
「まさかこれが、白銀流の「座技(ざぎ)」という訳でもなかろう」
 サングラスの男は唇の端をわずかに持ち上げただけだ。
「まあ、いい。ふたりとも俺の部屋へこい」
 御子柴参事官はそう言って、座り込んでいる男の肩を叩いた。
「ご苦労だった、新堂警部補。下がって良いぞ」

 窓際の大きなディスクの前に腰を下ろした御子柴正義(みこしば まさよし)警視正の前にふたりは立っていた。
 御門龍介(みかど りゅうすけ)
 白銀玉藻(しろがね たまも)
 警視庁公安部人材登用課。
 それは視庁の公安部に属する極秘部署である。
 主に民間の協力者を得て、公人では捜査の及ばない内偵、おとり捜査等を専門に行う部署だ。もちろん非公式に民間人を起用するわけだから、その存在・捜査内容に関しては極秘扱いだ。もともと公安部自体が警視庁内部では極秘部署である上に、その更に上級の秘密部署なのである。当然ながらその存在を認識している者は殆どいない。
 通称「チェリー」
 龍介と玉藻はその極秘部署の捜査員であった。もちろん民間人の身分のままである。ふたりはディスクを挟んで御子柴参事官と向き合う形で立っている。
 ディスクの上には数枚の写真が並べられていた。死人の写真である。
 銃殺された数人の男女の死体であった。
「3日前のことだ」
 御子柴はふたりの顔を等分に見ながら言った。
「この男が往来で拳銃を乱射した。死亡者が2名。重軽傷が5名だ」
 そう言いながら、一枚の写真を取り上げた。
 まだ若い男だった。青年といってもいい。
「その事件なら言われなくとも知っている。連日テレビで、大騒ぎをしている事件だからだな」
 と言ったのは御門龍介である。
 事件の起きたのは新宿歌舞伎町。
 その男は、大久保駅の方からやって来て、歌舞伎町に差し掛かる横道で、いきなり発泡したのである。
 持っていたのは54-1式トカレフ。銃弾は7.62ミリパラべラム。
 警官を含めた2名が即死。5名が逃げ遅れて負傷した。
 犯人の飯井尾吉高(いいお よしたか)は、駆け付けた警官に射殺されている。
「問題はこの男が、何故拳銃を所持していたか?」
「ふむ」
 龍介は飯井尾の写真を取り上げた。
「この男の素性は?」
「何という事はないフリーターだ。高校を中退後、一時期鳶の真似事をしていたようだが、すぐに辞めてそれからは無職のフリーターだ。実家からの仕送りがいくらかあるようだが、生活には困窮していたらしい」
「組関係の関わりはないのか?」
「ないな。マルボーの捜査でも、特定の組に属していたという事実は浮かんでこない。学生の頃にはかなり暴れたらしいが、卒業してからはこれといった事件は起こしていない」
「それがいきなり拳銃乱射か」
 御子柴は頷いた。
「拳銃の出処も解っていない」
「どうせどこかの組から流れた物だろう」
「多分な。しかしいずれにしろ、一介のフリーターの手に入るような代物ではない」
「何かの目的に使われたというのか?」
 龍介は言った。
 どこぞの組織が、何らかの目的で、飯井尾に拳銃を渡したというのだ。自分たちには関係のない、フリーターの飯井尾を使うことで、自分たちに捜査が及ばないようにするためだ。
 しかし・・・
「往来で銃をブッぱなす事が目的だというのか?」
「うむ」
 御子柴は立ち上がった。
「これに類似した事件が2件起こっている」

 最初の事件は1ヶ月程前。
 目黒通りを世田谷方向から走って来たトラックが、いきなり歩道に乗り上げ爆走した。歩道を歩いていた通行人を巻き込み7人が死傷、20人以上が軽傷を負った事件である。
 トラックはノーブレーキで、歩道を30メートルも暴走し、沿道の街路樹に激突して停車した。運転手はその際、ハンドルに胸を打ち付け死亡している。
 被疑者は50代のトラック運転手。20年以上のキャリアの持ち主で、精神的な病歴はない。
 何故、突然そのような行為に出たのかは、今だに不明である。
 2例目の事件は、1週間ほど前。銀座の表通りだ。
 買い物に来ていた40代の主婦が、いきなりサバイバルナイフで、行き違う通行人を襲ったのである。この時もひとりが死亡。4人が腕や肩を刺されて負傷を追っている。
 被疑者の主婦は周囲の通行人に取り押さえられたが、自分は何をしたかは覚えていないという。
 銀座に買い物に来たことは覚えているが、その後の記憶が一切ないのだというのだ。そのそも何で銀座に買い物に行こうと思ったのか、それすらも定かでない。
 この主婦は群馬県の館林市の在住で、この日は4時間以上もかけて銀座に出てきている。普段、銀座はもちろん東京に出ることさえ希なところ、何故かこの日は銀座に行かなくてはと思い込んでしまったそうだ。
 サバイバルナイフにしてもそうであった。
 何でそんなものが自分のバックにあったのか、まるで判らないらしい。しかしこの日の午前中、渋谷の護身グッズ専門店で手に入れた事実があった。レシートもバックの中にあった。なのに本人は渋谷に行った記憶さえもないという。

「御子柴はこれらの事件に、何らかの関連性があると考えているのか?」
 龍介は訊いた。
「ああ、3件の事件の中で生き残っているのは、2件目の主婦だけだが検査の結果、何らかの精神的異常はないと判断された。かと言って嘘を付いているという確証もない。薬物をやっている形跡もない。これは何を意味するのか?」
「お前まさか、心法を疑っているのか?」
 御子柴はニヤリと意味深な笑みを浮かべた。
「それはない。それはないがな龍介、この3人が一種の催眠に近い状況下にあった事は事実だ。そこで専門家としてのお前の意見を聴きたい」
「誰かが彼らに催眠術をかけ、あのような事件を起こさせたというのか? 残念だが、それは不可能だ」
「不可能か」
「催眠とは暗示によって本人の意思とは関係なく、ある種の行動を再現させる行為だ。従って日常的に行っていない行動を再現させることは出来ない。本人が日常的に殺人を行っているなら兎も角、一度も殺人を行った事のない人間にひとを殺させることは出来ない」
「そうか。まあ、そうだろうとは思っていたがな」
 御子柴は龍介の答えを予期していたように、机の引き出しを開いて一冊のファイルを取り出した。
「ところで話は変わるが、最近池袋地区の暴力組織の勢力図に変化が生じている。極城会系の暴力団、金村組を潰す切っ掛けを作ったのには、お前の弟の将介君が関わっていたのだったな」
 1年半程前のことである。
 当時、池袋から南埼玉周辺に勢力をもっていた指定暴力団金村組は、新宿から渋谷地区にかけて、「お香」という新種の危険ドラックを配布しようと図っていた。それを阻止したのが、当時渋谷最強のレディースといわれた「渋谷クィーンズ」と龍介の弟・御門将介だったたのだ。
 その後金村組は、渋谷を縄張りにするヤクザ組織・一心会との小競り合いに終始する中、警視庁と池袋署の徹底的な捜査により、組幹部が次々と摘発され次第にその勢力を失い、やがて解散に追い込まれることになった。
 金村組に変わって地域を制したのは、新興勢力の豊島連合であった。

 豊島連合はもともとは、池袋近辺のチーマーや暴走族たちが集まって作られた組織であった。
 地元の暴力団とは一切の関わり合いがないのだが、金村組の勢力が衰えると一気にその影響力を広げるようになった。彼らは一様にみな若く、なにより人数が多かった。彼らはその数の勢いで金村組を圧倒したのであった。
 彼らの躍進の背後には極城会系の指定暴力団の力があったと噂する者もいた。
 極城会は東日本最大の暴力組団織である。もともと金村組は極城会系八坂興行傘下の組織ではあったのだが、金村組が衰退するとともに極城会は豊島連合に乗り換えたのだというのである。
「八坂興行は金村組に危険ドラッグを降していた。それがいわいる「お香」と呼ばれる物だが、その成分がなんであるのかは、今だに判っていない。カンナビノイド系の化合物が含まれていることは確かなんだが、それ以外にも複数の化合物が含まれているらしい」
 御子柴は言った。
「その八坂興行が豊島連合に乗り換えたというのだろう。それは金村組としてもたまらんな、頼りにしていたバックに裏切られたわけだからな」
 龍介が応える。
「ところが豊島連合の裏にいるのは八坂興行とは別の組織らしい。その組織はブクロのシマを八坂興行から奪うことを目的に、豊島連合を使って金村組を潰したのだという話だ」
「ふうん。ヤクザ同士の縄張り争いか。で、その組織というのは?」
「うん。それなんだが」
 御子柴は少し渋い顔をした。
「組織犯罪課の捜査では、同じ極城会系の鳥鎧組(とりがいぐみ)ということが判っている」
「鳥鎧組といえば極城会系の中でも最大規模の組織じゃないか。あそこが動くとなると少し厄介だな」
 龍介も頷いた。
「組織の大きさで言えば八坂興行も引けはとらない。鳥鎧組と八坂興行は極城会が関東に睨みを効かす二大組織だからな」
「自分のところのシマを荒らされたとなれば、八坂興行も黙ってはいられないだろう。内戦になるぞ」
「そうなれば厄介だが、問題は極城会本部の思惑だな」
 御子柴は考え込みながら言った。
「と、言うと?」
「鳥鎧組が豊島連合に降ろしたものは、八坂興行が金村組に流した「お香」とは違うものらしい。正体はわからんが新種の合成ドラッグだ」
「なるほど、極城会本部は戦略を変えてきたということか」
「豊島連合の闘い方が変わったのはそれからだ。何というか命知らずというか、自分の身を顧みずに無鉄砲に突き進むというか。当然、障害を受ける者も少なくはなかった。それでも連中は怪我を受けることを全く恐れてはいないようだった」
「どういうことだ?」
 龍介は訊いた。
「そのドラックが問題だ。連中を変えたのは、それが原因ではないかと、上層部は考えている」
「成分ははっきりしないのだな」
「そうだ。分析は急がせてはいるが」
 御子柴は考え込んだ。
「今回の事件とそれと、何か関係があると、お前は考えているのか?」
「わからん。あるかも知れんし、ないかも知れん」
「ふむ」
 龍介は頷く。
「それで、俺に何をしろと言うのだ。鳥鎧組や豊島連合を探るのは、お前ら公安の仕事だろう」
「それなんだがな」
 御子柴はファイルの中から一枚の紙を取り上げた。
 そこには

  ジュウニニチ ヘイテンマギワ ジュウゼンギンコウ トシマシテン シュウゲキ

 と印刷されていた。
「これが俺の元に届いた」
「いたずらではないか」
 目を通しながら言う。
「多分な。しかし警察ではなく、直接俺の元に届いたというのが気にかかる」
「12日といえば明後日だな」
「だからお前に立ち会ってもらいたい。何もなければそれでいい」
「何かあったら俺たちは人質だな」
「だからお前に頼んでいるのだ。お前とそこの銀狐」
 御子柴参事官は白銀玉藻に目をやった。
 玉藻は無表情のままだ。
「この件は池袋署は知っているのか?」
「いや伏せてある。俺の一存だ」
 龍介はジロリと御子柴を睨んだ。
「何か事情がありそうだな」
「実を言うとな」
 御子柴は龍介を見る。
「十全銀行は大川組の取引先銀行のひとつだ」
「大川組というと、あの大川組か?」
 大川組は日本を代表する最大手の総合建築会社のひとつだ。
 創業は昭和21年。群馬県の高崎に本社を構え、単独の売上高でも800億は下らないといわれるスーパーゼネコンである。
 取り扱う建築物も、空港やトンネルから超高層マンションまで実に幅広い。
 最近ではJ1のサッカーチームを買収したことで話題をさらっている。
「大川組の前身は、江戸時代末期から続く建築屋なんだが、その頃はまだ材木問屋と口入れ屋を合わせたような存在だった」
「それがどうした?」
 龍介には御子柴参事官の言おうとすることが理解できない。
「まあ、聞け。口入れ屋といえば当時の人材斡旋業者のことで、中には誘拐や人買いなどにも手を染めていた者がいるそうで、それなりに汚いこともしてきたわけだ」
「そうかも知れないが、それは江戸時代の話だろ」
「それはそうだが、そのルーツはずっと継承されているんだ。表向きは一流の大手企業だが、裏に回ればヤクザ顔負けの手段でライバル会社を蹴落としてきた」
「つまり裏の顔は極道と変わらないということか?」
「まあ、そういう噂もあるということだ。噂話しついでに言うと、極城会が今のような勢力を持つようになったのは、大川組の裏の仕事を一手に引き受けたからだという話もある」
「十全銀行は極城会の裏金庫ということか」
「もちろん確証があっての話ではない。だがな大川組の裏資金の大部分を扱っているのがこの十全銀行とすれば、大川組から十全銀行を通して極城会に資金が流れているということは十分に考えられる」
「それだけではないだろう」
「鳥鎧組が豊島連合に降ろしているドラックが何か気にかかる。この件がその糸口になればと考えてはいるのだがな」
「空振りに終わる可能性のほうが高いぞ」
「わかっている。まあ、俺の勘だからな」
 龍介は暫く考えてから、
「わかった、引き受けよう。期待しないで待っていてくれ」
 そのまま部屋を出て行った。

 後に残された御子柴参事官は、自分のディスクに戻って広げれたファイルを手に取ると意味深な微笑を唇に浮かべた。
「失礼します」
 ふたりが部屋を出るのを見計らって、別室側の扉からふたりの男が入ってきた。
 相撲取りのようにがっしりとした体格の若い男と、やや猫背気味の初老の男だ。
 使い込まれた作業着を身につけた初老の男は、御子柴参事の前を横切って、龍介が座っていたソファーに腰を下ろした。
 一方の大男は直立不動の姿勢を崩さない。
 先程、玉藻を木刀で打うとした男、新堂警部補である。
「どうだね。彼女の印象は?」
 御子柴参事官は声を掛けた。
「あれが「銀狐の玉藻」ですか。聞きしにまさる恐ろしさですね。あの目に見詰められると、思わず襲いかからずにはいられませんでした」
 新堂は思い出しながら言った。
「だろうな。彼女には人の残虐性を刺激する何かがある。それが生まれつきなのかどうかは判らないがな」
「残虐性を刺激する?」
「人間なんて、もともとはみんなケダモノだ」
 そう言ったのは、作業着姿の初老の男。竹芝基樹(たけしば もとき)警部である。
 対立するヤクザの構成員やテロリストの工作員を説得し、情報を手に入れたり組織を裏切らせたりするのが彼の仕事である。
 その卓越した交渉術から、誰が言ったか「犬使い」の通り名で恐れられている男であった。
「理性とかなんとか言い訳で、自己を抑えてはいるがな。その本質は獲物を捕らえ、皮を削ぎ、血肉をすする獣なのだ。その獣が真っ先に狙う獲物は何だか分かるか?」
「さあ」
「弱い生き物だ。怪我をしたり、病気になったり、弱った獲物を真っ先に狙う。それが最も効率的で簡単だからだ。虎でもライオンでも、それは変わらない」
「・・・・」
 後を引き継いだ御子柴が言う。
「彼女にはそういう、人の獣としての本能を呼び起こす何かがあるのだろうな。だからこそ、龍介は彼女を側に置いている」
「だからこそ?」
「そのほうが都合がいいらしい。心法にとってな」
「心法、ですか?」
 新堂は首を捻った。
「心法は古来から伝わる武道のひとつだ。闘いの中で敵の行動をコントロールする事が出来る」
「催眠術の一種ですか?」
「まあ、そんなところだな。催眠をかける上で最も障害になるのは理性だ。催眠は人の本能に依存するものだからな。ところが白銀玉藻は、その存在自体が人の理性をおかしくする。つまり彼女といること自体、自動的に心法にかかり易い状況を作ってくれるという訳だ」
「そういうことですか」
 新堂は納得したように頷いた。
「確か御門さんとは古くからの友人でしたよね」
 ふと思い出したように竹芝が言った。
「ああ、高校時代の同級生だ。まあ、腐れ縁というやつだな」
「それであの人の不思議な術をご存知なのですね」
「ああ、それで俺が人材課に引っ張った。あいつの心法は色々と役に立つ。しかし、もちろんそれだけではないがな」
「それで、管理官は今回の事件に心法が関わっていると、お考えなのですか?」
「どうかな。心法を使える人間はそう多くはない。あの御門家の者と、京都の石動一族のみだ。そのふたつは我々が完全にマークしている。そこに問題はない。だがしかし、ひとつ危惧することがある」
「危惧すること?」
「龍介の両親が行方不明になっている。死んでいるのか生きているのか、それすら判らない」
「それが今回の事件に?」
「わからん。多分無関係だろう。しかし、警戒することに越したことはない」
「はい」
「新堂。引き続き監視を頼む」
「了解しました」
 新堂警部補は一礼をして参事官室を出ていった。

第2章 襲撃

 十全銀行は宮城県の仙台に本店を構える、中堅どころの地方銀行である。
 宮城県の仙台といば、東日本最大の暴力団・極城会の地元である。元は地方の小さな組織暴力団が、戦後のどさくさに紛れ、周辺の暴力組織を吸収合併を繰り返して、今日のような東日本を代表する一大組織までに成り上がったのだ。
 極城会が現在のような勢力を持つようになったのは、大手ゼネコン大川組の裏組織と関係を持ったからだという噂が、一部警察関係者の間ではまことしやかに囁かれている。
 極城会の前身である仙台極城組初代組長・城山辰翁(しろやま たつおう)と大川組の設立者・大川大吉とは同郷であり刎頚の友でもあった。大川が企業を拡大する際に障害となった様々なトラブルの解決、政府関係機関への根回しを一手に引き受けたのが城山辰翁である。
 新潟県選出の総理大臣・田代覚兵衛(たしろ かくべえ)と組み「日本国補完計画」で巨大ゼネコンを創りあげたのも、全ては裏での極城会の働きがあったに他ならない。その証拠に後に発覚した「新日航疑獄」では、田代元総理と共に城山辰翁も実刑の判決を受けているのだ。
 江戸時代の口入れ屋時代から続く大川組の悪しき慣例、そのものが極城会なのかも知れない。もちろん表向きは大川組と極城会はまったく別の組織である。しかし裏の部分、誰も知らない奥深くでは、大川組と極城会とが融合していたとしても少しもおかしくはないのだ。
 それとともに発展していったのが十全銀行である。かっては十全銀行のトップには、大川組の息のかかった者が務めるというのが業界の常識でもあった。
 しかしそれを告発しようとした県会議員が不慮の事故で亡くなると、誰も彼もが口を閉ざすようになった。
 バブル末期のことである。
 その後もその話題を掘り下げようとしたジャーナリストや知識人たちは何人かはいたが、その内の何人かは行方不明となり、また幾人かは不自然な事故死と遂げると、その話題に触れる者はいなくなった。
 それでも昨今の金融不安・金融危機が騒がれる最中、数多くの銀行が合併等の再編対策を迫られる中、地方の一銀行である十全銀行が単独で経営を維持できるのは、本来の銀行業務とは別のいわいる「裏営業」というのが存在しているのではないかという噂が、業界内の一部から上がっていることは事実であった。
 それが御子柴のいうように、暴力団の裏バンクであるかどうかは判らない。
 十全銀行豊島支店。
 そこにかって金村組の関連企業の取引口座があったことは事実である。
 午後1時30分。
 御門龍介と白銀玉藻は最寄りの駅で待ち合わせをした後、銀行の入口が見渡せるビルのカフェで様子を伺うことにした。

 御門龍介。
 精悍な顔つきをしたであった。短髪で浅黒い皮膚をしている。
 身長は180センチメートル。体重85キロ。そのスーツの下に強靭な肉体が隠されていることは一目で知れる。
 顔つきはハンサムと言って良いが、弟の将介のような愛嬌はない。トレードマークのサングラスの下の笑顔を見たものは殆どいないようだ。唇は笑っても、サングラスの下の目は笑わない。
 そういう男であった。
 白銀玉藻。
 色白な細面の女である。顔立ちは美しい。美しいが表情がない。能面のようと形容してもいいだろう。
 身長は170センチメートル。体重は48キロ。女性にしてはかなりの長身である。モデルのようなプロポーションだ。
 黒目が異様に大きな女である。底の見えない暗い井戸を覗き込むようだ。その瞳に見詰められると、吸い込まれるような錯覚を起こす。
 しかるに時としてその瞳が、異様ともいえる色香を湛えることがあるのを龍介は知っている。
 腰までかかる黒髪を、今日はストレートに降ろしている。
 ふたりはごくありふれたビジネススーツに身を包んでいる。どう見ても営業回りの上司と部下が、打ち合わせをしているとしか思えない。
「さてと」
 席に座り注文のコーヒーが届くと龍介は言った。
 窓際の席である。窓の下には十全銀行豊島支店の入り口が見える。周辺に怪しい人物、車等はいないようであった。
「今回の件だが、君はどう思うかね。白銀君」
「どうと申しますと?」
 玉藻は表情のない顔で問うた。背筋がピンと伸びている。マネキンのようだ。
「突如として狂乱した3人の男女のことだよ。御子柴は彼らが、何かに操られているように感じているようだが」
「それが心法だと仰るのですか?」
「さあな。あいつは心配性だからな」
 龍介は苦笑を浮かべた。
「参事官の仰っていた新種のドラックが、そのような現象を引き起こした、と」
「それもわからんな。確かに覚醒剤の影響で幻覚をみたりすることはあるが、それで行動をコントロール出来るかといえば疑問だろうしな」
「そうですわね」
 玉藻は無表情で言った。
 龍介は窓の外の景色に視線を戻す。
 4階の窓である。窓の下では往来を行き来する人や車の動きが観察できる。
「襲撃は本当にあるかな」
 独り言のように呟く。
「あるでしょうね」
「ほう」
 龍介は玉藻の顔を見た。
「何故そう思う?」
「女の勘ですわ」
「銀狐の玉藻の勘か」
「来ました」
 玉藻は階下を目で指した。
 見ると銀行の手前に、一台のバンボディのトラックが停まっている。引越し業者のトラックらしいが、いつまで待っても作業に移る様子がない。そもそも、銀行の前に引越し業者というのが不自然だ。
 時計を見る。14時45分を指していた。
「では、行くか」
 龍介は立ち上がった。

 閉店間際の店内は空いていた。
 受付のカウンターの前に若いカップルがひと組。後方のソファに初老の老夫婦が順番待ちをしている。部屋の一番奥には、大きな女優帽を被り、喪服のような黒っぽい服装を身に付けた小柄な女性がひっそりと座っている。
 どこにであるような平和な一日の終わりであった。
 龍介と玉藻は店内を見回した後、適当な椅子に腰を降ろした。
 行員は全部で5人。カウンターにふたりの女性行員と、奥の机にふたりの男性行員。残りの案内係が、すかさず駆け寄って来る。
「申し訳ありません。もう閉店なのですが・・・」
 最後まで言い終わらないうちに、その連中は現れた。

 それは黒いフェイスマスクで顔を隠した3人の男たちだった。
 先頭の男がリーダーなのだろう。フェイスマスクの上に、黒いサングラスを掛けている。
 身長は175センチくらい。頭には濃紺のバンダナを巻いている。衣装は黒いライダージャケットにレザーパンツを履いている。腕にはショットガンを握っている。
 続いて現れた男は、それよりやや背が高い。フェイスマスクの上に黒いゴーグルを巻いている。黒のレザージャケット。ズボンはブルーのジーンズ。
 これもショットガンを持っている。
 最後の男が一番身長が低い。170センチくらいだろうか。フルヘイスのヘルメットを被っている。黒のライダースーツ。
 この男だけはショットガンではなく拳銃を握っていた。
「あのう・・・」
 咄嗟の事で正常な判断が出来なかったのだろう、思わず声を掛けた案内係の行員に、リーダー格の男が銃を突きつけた。
「騒ぐな。シャッターを降ろせ」
 低い声で命令した。
 その時にはフルヘイスの男が、カウンターに飛び乗って声を荒らげた。
「てめえら、動くんじゃねえ。生命が惜しかったらな」
 そう言って、呆気に取られている若い男を蹴飛ばした。
 連れの女が悲鳴をあげる。
 レザージャケットの長身の男が、その胸にショットガンを向ける。
「騒ぐな。静かにすれば、生命までは取らない」
 それで女は静かになった。
 その間に案内係は震えながらシャッターを降ろす作業を完了していた。
 カウンターに立った男は、行内の職員に拳銃を向けている。
「へへへ。てめえら、腕を挙げろよ。おかしな真似をしたらぶっぱなすぞ」
「見張ってろ。誰かが非常ボタンを押すようなら、構わねえからブッ殺せ」
 リーダー格の男がカウンターの男に言って、自分はカウンターの中に入り込んだ。
 その間にレザージャケットの男が、客を待合室の隅に集めている。
 手際がいい。
 前もって計画を立て、何度もシュミレーションを繰り返した者の動きだ。
 レザージャケットの男は人質の背後に回り、手早く両手の親指に拘束帯を巻き始めた。
 龍介はバンドを嵌められる際に、両手の親指同士を軽く曲げて、指とバンドの間にわずかな隙間を作った。これでいつでも自由にバンドを外せることになる。
「おい、ノース。お前も手伝え」
「わかってるよ、兄貴」
「兄貴じゃねえ。サウザだろ」
 それが彼らの決めた暗号名なのだろう。北に南、暗号名にしてはあまりに安易だ。
 龍介は可笑しくなってきた。
 するとリーダーは東か西か、まさかそれが本名の頭文字ではあるまいな。
 ノースと呼ばれた男は行員達を外に連れ出し、兄貴を手伝って拘束バンドで固定する。その間にサウザの兄貴は防犯カメラを壊し始めた。
「支店長がいるはずだ」
 リーダー格の男が言った時、丁度奥のドアが開いて恰幅のいい男が入って来るところだった。
「な、何だ。君たちは?」
 言った男の口に、ショットガンが突っ込まれる。
「静かにしろ。支店長さんだな?」
 口に銃を咥えさせられた支店長は必死に頷く。
「金庫室だ。案内しろ」
 10人の人質は部屋の隅に追いやられ、恐怖に震えている。
 
 サウザはそのうちのひとり、女性行員の髪を掴んで、その顔にバックを叩きつけた。
「金だ。そのバックに詰めろ」
「ひゃっほう」
 ノースという最も格下の男が喜びの声を上げ、女性行員を手伝ってカウンターの奥に戻った。
「先生」
 両手を固定されたまま、玉藻が龍介の耳に囁く。
「わかっている。金はフェイクだ。連中の目的は金庫室の中だな」
「どうします?」
「もう少し様子を見る」
 そう言った龍介の頬をショットガンの銃口が叩いた。
「しゃべるな。殺すぞ」
 サウザはドスの利いた声で言った後、カウンターの中で夢中でバックに金を詰めているノースに向かって声を掛けた。
「おい。いい加減にしておけ」
「だってよ、兄貴。こんだけあれば、贅沢し放題だぜ」
「バカ野郎。時間がねえんだ。適当なところで、やめておけ」
「ちっ」
 不服そうな声を出して、ノースは兄貴の元に戻ってきた。
「変われ」
 そう言って金の詰まったバックを担ぐと、ソファの上に腰を降ろした。
「まったく。いつもいいところばっかり持くんだから」
 ブツブツいいながら女性行員を元に戻す。
 龍介は見えないように玉藻に向き直った。
「時間がない・・か。どうやら、そうのんびりもしていられないようだな」
「わかりました。やります」
 玉藻は一度下を向き、顔を上げた。
 それまで無表情だった。その瞳に怪しい光が宿っていた。
 全身から得もいわれぬ色香が漂い始めた。
「あのう・・・、済みません」
 声を上げた。
 いまにも消え入りそうな儚げな声であった。

 その声に反応したのはノースであった。
「何だって?」
 つかつかと近寄ると、長い黒髪を引き起こし、その顔を覗き込んだ。
 この女。・・・
 思わずフルヘイスのシールドを引き上げて、素顔を覗かせる。女の顔をよく見るためだ。
 思いの他若い男であった。20代前半、いや未成年かも知れない。少年の面影を残しているといってもいい。
 こんな女が居たのか?
 という驚愕の顔をしている。
 そのときの玉藻は何ともいえない、切なげな表情をしていた。全身から匂うような色気が漂っている。
 男なら誰しも放ってはおれない、震いつきたくなるような色気であった。
 ノースは思わず、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「すみません。・・・おトイレに行かせて下さい」
「トイレだと?」
 彼の顔に好色そうな表情が浮かんだ。思わず舌なめずりをする。
「馬鹿野郎!」
 その耳に兄貴の怒号が響いた。
「てめえ。何、素顔さらしてんだよ」
 銃口で思い切り殴りつける。ノースは悲鳴を挙げて倒れ込んだ。
 そのサウザも玉藻の姿態を見て動きが止まっていた。ゴクリと唾を飲み込む。
「この女は俺が連れていく。お前は見張ってろ」
「そりゃないぜ、兄貴」
 情けない声を出す。
「うるせえ。兄貴いうな」
 ノースを叱りつけた後、玉藻の腕を掴む。
「立て。おかしな真似をするなよ」
 サウザは玉藻に銃を突きつけたままトイレの方に向かっていった。
 ノースは羨ましそうな顔で、ふたりが立ち去った方向を眺めている。それを見て龍介は唇に笑みを浮かべた。

 10分後、ふたりは戻ってきた。
 玉藻の髪はやや乱れ、口元にハンカチを当てている。サウザの顔が少し赤らんでいる。
 ノースはその顔を疑わしい目で眺めた。
「なんだ、てめえ」
 サウザは慌てたように怒鳴った。
「いや別に」」
 ノースは拗ねたようにそっぽを向く。
「済みました」
 玉藻が龍介の耳に囁いた。
「御苦労」
 龍介はサングラスを外すとサウザの顔を見た。その瞳は銀色であった。
 その眼を観た瞬間、サウザの顔から表情が消えた。まるで人形のようにその場に立ち尽くしている。
 異変に気付いたのは弟分のノースである。
「兄貴、どうしたんですか? ぼうっとしちゃって」
 しかし兄貴は無言で立ち尽くしたままだ。その視線はここではないどこか遠くを見詰めている。
 龍介が立ち上がった。
「何だお前。なにしてる?」
 立ち上がった龍介に気付いたノースが叫んだ時、どこからもなく煙が漂ってきた。誰かが発炎筒を炊いたかのような煙である。
 煙はあっという間にフロアを押し包んでいく。
 龍介は足元にわだかまる煙の中、ゆっくりと近づいていく。
 煙の中に微かに甘い香りが漂っている。どこか郷愁を誘う懐かしい香りであった。
「動くな、てめえ。撃つぞ」
「そいつを抑えろ」
 ノースが拳銃を構えるより早く龍介は命令した。遠くを見ていたサウザは、機械仕掛けの人形のように、拳銃を構えたノースの身体を羽交い締めにした。
「兄貴、何をするんですか? 兄貴」
 暫くもみ合っていたふたりだったが、やがてサウザの手によって完全に押さえ込まれてしまった。
「白銀君、みんなを避難させろ」
 龍介は拘束バンドを外している玉藻に言いながら、金庫室の方に向かった。
「しかし、この煙はなんでしょう?」
「わからん」

 金庫室へ向かう廊下にも白い煙は漂っていた。
 金庫室は職員専用通路の右側にあった。
 金庫室の扉は開いていた。
 煙はその部屋の中まで入り込んでいる。
 甘い香りは煙と共にその濃さを増していくようだ。もはや疑いようがない、この香りは部屋の中に充満する煙がもたらすものだ。
 煙の中にふたりの男が蠢いていた。
 ひとりは身体を折って、しきりに咳き込んでいるようだ。
 そして、もうひとりの男。
「何だ、貴様!」
 煙の中から現れた龍介に、濃紺のバンダナを巻いたフェイスカバーの男が振り向いた。
 龍介は無言で近づいていく。ショットガンの存在を完全に無視している。
「来るな、撃つぞ!」
 男がショットガンを向けた。
 それより早く、龍介の身体が右前方に動く。動いた方向に銃口を向けようとした時には、更にその左前方に移動している。
「何だ」
 左に向けようとした銃口を、龍介の手が抑えた。
 軽く手首を捻る。
 男の身体はショットガンを握ったまま、抑えた手首を中心に一回転していた。
 慌てて起き上がろうとした男の頭部を龍介の脚が襲った。
 その一撃で男は、あっけなく昏倒した。
「大丈夫ですか?」
 煙の中で咳き込んでいる支店長に声を掛ける。
 呼吸一つ乱してはいない。ショットガンを手にした凶悪犯を倒したとは思えない平静さだ。
「はい。大丈夫です」
 支店長は起き上がりながら応えた。
「この男は何を?」
「個人金庫を開けていたようですが」
 見ると中央のテーブルに個人用金庫が置かれ、中身が外に出されている。
 数冊の札束、書類の束、幾つかの通帳。それと何やらプラスチックの箱。
 その時であった。
 龍介は肩ごしに強い視線を感じていた。

 振り向くと煙の中から黒い人影が現れてくるところであった。
「白銀君か?」
 しかしそれは白銀玉藻ではなかった。
 黒いヴェールを被った女だ。
 喪服に似た黒い衣装を着ている。人質の中にいた、あの女であった。
 大きな帽子の下に垂れたヴェールに隠れて、表情までは伺い知れない。ヴェールの裾からはいつの間に咥えたのか、長い煙管が白い煙をたなびかせている。
 龍介の背筋に怪しい感覚が走った。
 何だ? これは?
 ふたりの周囲をかこむ白い煙が渦を巻いていた。ヴェールの女が吐き出す煙管の煙だ。
 渦を巻く煙がその色を変えていく。
 白から青へ。
 気づいたとき龍介は真っ青な空の下にいた。澄み切った蒼天には白い雲が浮かんでいる。
 足元は見渡す限りの草原の只中である。遥か彼方には頂きに白い雪を乗せた山脈が連なっている。
 そんなはずはない。
 自分は十全銀行の金庫室にいたはずだ。
 しかるになんだ。脚許に触れる草花の感触。頬を撫でるそよ風の心地よさまでもがはっきりと感じられる。
 風に揺れる草原の中にあの黒衣の女がいた。
「まさか、これは心法なのか?」
 サングラスを外す。
 銀色の瞳が黒衣の女を射る。
 心気を凝らした。
 蒼穹が渦を巻いた。草原が唸り、大地が震えた。
 龍介は瞳を閉じた。
 意識を内部に集中する。
 身体の奥から込み上げる衝動を、意思の力で抑え付ける。
 目を開くと、スモークのような煙がふたりの姿を包んでいる。
 煙。
 この煙がそうか。
 この煙がひとの精神に何らかの作用をもたらすのか。
 そう思った瞬間、龍介の身体から力が抜けていた。
 枕かえし。
 心法の技である。
 敵に精神的な攻撃を仕掛けられた時、それを打ち砕く暗示を予め仕込んでおく技法であった。
 百舌かえり。
 一般的にいう「後催眠」である。ある特定の状況になると自動的に発動する暗示を、前もって仕掛けて置くのであった。
 煙が引いたとき、女の姿はなかった。
 金庫の中のプラスチックの箱もなくなっていた。
「先生」
 入り口に向けて引けて行く煙の奥から玉藻が現れた。すでにいつもの無表情の顔に戻っている。
「女は?」
 龍介が聞いた。
「女?」
「黒衣の女だ。ここから出て行ったはずだが」
「ああ」
 玉藻は頷いた。
「人質の方ですね。先ほどすれ違いました。出口を間違えたとか言って」
「そうか」
「何か?」
 玉藻が訊いたとき、騒がしい音をたてて数人の男たちが入ってきた。
 防弾スーツに身を固めた機動隊員たちであった。先頭の男が龍介の前でヘルメットを脱いだ。
「ご苦労様です、御門さん」
 新堂警部補は言った。
「主犯はこいつだ」
 足元で倒れている男を顎で指し示した。言われるまでもなく、警官隊が確保している。
 支店長は壁に持たれて肩で息をしているが、損傷はないようであった。
「人質はみなさん無事です」
「黒衣の女がいただろう?」
「黒衣? さあ、そんな人は」
「そうか」
 一同はフロアに戻った。煙は完全に消えていた。
「煙だ」
 突如、龍介は口を開いた。
「煙の元源を探すんだ」
「はい?」
「あの煙には何らかの作用がある」
「わかりました」
 新堂警部補は頷いて下がった。
「さて、僕らも戻るか」
 龍介と玉藻はやかましくサイレンの鳴り響く往来に足を踏み出して行った。

第3章 預言

 東京渋谷。
 駅前の高層ホテル。最上階のレストランの特別室にふたりの男がテーブルを囲んでいた。
 キートンのスーツに身を包んだ40代前半の男。
 指定暴力団一心会の統括本部長桜木晃一郎(さくらぎ こういちろう)。すなわち組長である。
 175センチのがっしりした体格ながら、その顔つきは温厚であった。白髪の目立つ刈り上げの頭。フォーナインズの眼鏡。
 子煩悩な一流企業の役員にしか見えない。
 事実彼は田園調布の自宅に、ふたりの娘の良きパパである。娘たちは父親がヤクザのボスであることなど知るよしもない。
 もっともキレれた時のこの男は、鬼のような形相で目を覆いたくなるような残忍な行為を平気で行う。
 若い時は「鬼相の桜木」として知られた男であった。
 対しているのは時任重光。一心会のナンバー2であり、桜木本部長の懐刀と呼ばれる男であった。
 スラリとした体格に英国製のスーツが決まっている。右頬の傷がなければ、何処ぞの大学の教授のようにも見える。
 一心会のフロント企業である「パフィシック・カンパニー」の代表である。一心会の金庫番を務める経済ヤクザであった。
 テーブルの上には豪華な料理が並んでいた。
「ブクロのほうが、また大分騒がしいようだな」
 食事が済み、コーヒーが運ばれてくると、桜木が声を掛けた。
「はい。金村組のほうは大人しくなったのですがね」

 一昨年から続く金村組との抗争はようやく沈静化した。
 事の始まりは、池袋から南埼玉周辺に勢力をもつ指定暴力団金村組が、一心会のシマである渋谷地区で危険ドラックを撒き始めたのである。その実態は「お香」と呼ばれる合成ハーブであった。
 ハーブの中には大麻に近いカンナビノイドを含むものがある。これを人工的に合成したものが合成ハーブである。
 合成ハーブとドラッグの違いは、その都度違った化学物質が登場するため、法規制が追いつかない点にある。
 そしてその薬理的作用も、合成物質の種類により無限に変化する。
 金村組のハーブ販売の拠点となったのは、渋谷道玄坂の「マリンフォース」というクラブであった。クラブに集まる若者を中心に、あっという間に渋谷中に広がったのだ。
 やがてクラブは摘発され、金村組は撤退したが、それで収まらないのはこの地に縄張りを持つ一心会であった。
 自分の所のシマで好き勝手にやられては、他の組に締めしがつかない。
 ヤクザにとって最も警戒すべきは「舐められること」であった。敵対する相手にも、周囲を取り巻く他の組にも、舐められたらそこでヤクザは終わりなのである。
 売られた喧嘩は必ず買う。喧嘩を始めたら最後、相手が音を上げるまで手を緩めない。
 金村組のバックには東日本の覇者、極城会が控えていることは明らかだった。
 合成ハーブに手を染めたのは、金村組の意思というよりは極城会の指示であろう。新宿・渋谷に侵攻を始める極城会の「鉄砲玉」として金村組は送り込まれたのだ。
 それはわかる。
 それがわかるから、塩加減が大切であった。
 やり過ぎてバックの極城会を刺激しても叶わない。一方、一心会の後方には西日本最大の暴力組織・住島連合会が控えているのだ。ふたつの巨大組織がぶつかり合う展開は、どうあっても避けねばならない。
 やり過ぎずに面子を立てる。その絶妙な綱渡りを時任重光はやってのけた。
 しかしその直後、金村組は解散したのであった。
 検察の手によって幹部を根こそぎ持っていかれたとはいえ、事実上金村組を解散に追い込んだのは、池袋に地盤を持つ豊島連合であった。
 豊島連合は正確には指定暴力団ではない。
 もとは池袋を中心として活動していたチーマーの集団。腕や頭にそれぞれのチームの色のバンダナを巻いた、いわいるカラーギャングであった。
 その中心にいたのは、かって彼らの間で「キング」と呼ばれていた、チーマーの頭・城田興毅(しろた こうき)である。
 それぞれバラバラに抗争を続けていた池袋のカラーギャング達を、3年前にまとめ上げたのがこの城田であった。
 城田は喧嘩では右に出る者がいないといわれた男である。身長は190センチに近い。プロレスラーのような体格をした男であった。体重も140キロをくだらないであろう。
 当時、調布で最強を誇っていた暴走集団「イエローバディ」の総長・権藤清貴との池袋中央公園での殴り合いは、今でも伝説として残っている。
 その城田興毅いる豊島連合が金村組を壊滅させ、池袋の縄張りを奪ったというのだ。
 しかし、如何に城田が伝説の喧嘩屋とはいえ、所詮はケンカ自慢のチンピラである。本職の暴力集団に力で勝てるものなのか?

「連中は普通ではないといいます」
 と時任は言うのであった。
「自分の身体が傷つく事を恐れないらしいのです。頭のネジがイカれているのか、拳銃を向けても平気で襲いかかってくる。銃を持っているこちらの方がビビってしまうと言います」
「普通ではない、か」
 桜木本部長は静かに時任の顔を見た。
「はい。それに連中は数が多い。地元のヤンキーや元暴走族などが続々加入しています」
「しかし、チンピラは、所詮チンピラだろう」
「そうなのですが、豊島連合に加入した途端、連中は命知らずの集団に変わるそうなんです」
「どういうことだ?」
「理由は解りませんが、豊島連合の裏には極城会系鳥鎧組の存在があるようです」
 鳥鎧組は数ある極城会傘下の中でもトップクラスの巨大な組織だ。西日本の住島連合会系組織と最前線で戦う、極城会のいわば要塞であった。
「金村組は極城会の傘下なのだろう?」
「そうです。しかし金村組は鳥鎧組系の組織ではありません。金村組は同じ極城会系でも八坂興行直系の組織です。金村組の組長・金村剛は、もと八坂興行の若頭を努めていた男です」
「つまり極城会はひがし東京進出の先鋒を、八坂興行から鳥鎧組に変えたということか。そりゃあ、八坂の連中にすれば面白くはないだろう」
 桜木はテーブルの上のコーヒーに手を伸ばした。
「鳥鎧組も八坂興行も、お互いライバル意識をもってますからね」
「連中の次の狙いは新宿か?」
「そして新宿の次は、ここ渋谷にやってきます」
 時任は言った。
「歌舞伎町ではすでに、俥座一家とぶつかっています」
 新宿歌舞伎町「俥座一家」
 この地に根を張る博徒の一家である。その貸元は代々「火車(ひぐるま)の仁吉」を名乗っており、現在の七代目仁吉はまだ年は若いが歴代で最も凶暴な男として知られている。
 子分数20人程の小さな集団でありながらその戦闘力は圧倒的で、極城会や住島連合会の誘いを断り、頑なに歌舞伎町のシマを守り抜いているのだ。
「仁吉が動くとなれば、だるまが黙ってはいまい」
 桜木は言った。
 浅草だるま組は浅草の地に歴史を刻むテキ屋の集団である。俥座一家とだるま組は繋がりが深い。
 だるまの組頭・熊谷文次郎(くまがや もんじろう)と七代目仁吉は、義兄弟の杯を交わした仲である。住島連合会の傘下に入ったとはいえ、何かがあれば「だるまの文次」は黙ってはいないであろうというのだ。
「だるま組は形だけとはいえ、住島連合会の杯を受けていますからね。簡単には動けんでしょう」
「とにかく豊島連合と鳥鎧組の動きに目を離すわけにはいかんな」
「はい」
 時任は神妙な顔で頷いた。

 十全銀行襲撃事件より2日ほど経った昼下がり、御門龍介は御子柴警視正のオフィスにいた。
 来客用のソファに腰掛け参事官と相対している。その後方には秘書の白銀玉藻が、表情のないマネキンのように佇んでいた。
「先日は御苦労だったな」
 龍介の前のソファに腰掛けながら御子柴が言った。
「奴らはやはり豊島連合のチンピラか?」
 龍介が訊く。
「ああ、もとは埼玉辺りを流していた暴走族だな。最近、豊島連合に加わったらしい」
「目的は?」
「金だそうだ。少なくとも人質を監視していた、ふたりのチンピラにとってはな。しかしもうひとり、リーダー格の男の目的は明らかに違う」
「貸金庫に用があるようだったな」
「ああ。藤木浩輔(ふじき こうすけ)という男の個人金庫が開けられていた」
「藤木? どういう男だ」
「どうという事ない。池袋の製薬会社に勤務する普通の会社員だ」
「会社員か」
「金庫の中身を改めてもらったが、別段失くなっているものはなかったそうだ」
「プラスチックの箱があったはずだが」
「確認したが、そのような箱を入れた覚えはないそうだ」
「・・・」
 龍介は言葉を切った。その表情を眺めながら御子柴が言葉を続ける。
「お前の見間違いという線は無いようだな。となると、気にかかるのは金庫にあった札束だな。百の束が3っつ、三百万円だ」
「普通のサラリーマンのヘソクリにしては多すぎると言いたそうだな」
「多いのか少ないのかは分からんが、そんな所に置いてあったというのが気に掛かる。口座には入れられない理由があるのだろう」
「理由ねえ。住所はどこだ?」
「埼玉県の和光だ。女房とは昨年死別している。子供はいない」
「隠し場所としては絶好だろう。その線から何か掴めなかったのか?」
「彼は容疑者ではない被害者だ。貸金庫に三百万のヘソクリがあったとしても誰も責められないさ」
「そっちも俺にやらせる気か?」
 龍介は苦笑いを浮かべた。
「まあ、乗り掛かった船と思ってくれ」
「金庫を襲った方の男は?」
「ああ、奴は西島透という構成員だ。前のふたりのようなチンピラではない。まあ元はヤンキーではあるがな」
「で、何と言っているんだ?」
「中の金が目当てだと言っているそうだ。中には大金が入っているって話を、どこかで聴き付けたらしい」
「馬鹿馬鹿しい」
「馬鹿馬鹿しいが、事実金庫には三百万の現金が入っているんだからな。そう言われればどうしようもない」
「銀行を襲ったのは誰かの指示なのか?」
「いや、自分の考えだと言っている。金が欲しくて、後輩を誘って銀行強盗を計画したのだそうだ」
「ショットガンや拳銃を用意してか。そこら辺のチンピラが、簡単に手に入れられるものではないだろう」
「それに関しては黙秘している。恐らく鳥鎧組あたりから手に入れた物だろう。連中が新宿・渋谷へと手を延そうとしている噂があるからな」
「箱に関しては知らぬ存ぜぬか?」
「まあ、そんなところだな」
 龍介は顎に手をやった。
「連中の狙いは、間違いなくあの箱の中身だな。それをあの黒衣の女に阻止された。何者だ、あの女」
「お前が賊を取り逃がすとはな。・・・一体、何があった?」
「煙だ。あの女の周囲を白い煙が渦巻いた。気が付くと俺は見渡す限りの草原の只中にいた。遥か彼方には雪を被った山々までが見えた。わかるか? この俺が幻術にかけられたんだ」
 龍介は悔しそうに言った。
「心法使いなのか?」
「わからん。非常によく似ているが、少なくとも金剛心法(こんごうしんぽう)ではないな」
「では、不動明心法(ふどうみょうしんぽう)か?」
「いや多分、違うだろう」
 御子柴は目を見開いた。
「第三の心法があると言うのか?」
「そんなものはない。あれは似てはいるが、心法とは異なるものだ」
「催眠術か?」
「かも知れないが、鍵となるのは恐らくあの煙だな」
「煙の発生源は特定できなかった。恐らく女が発炎筒のような物を用意していたんだろう」
「女の行方も探る必要があるな」
 御子柴は頷いた。
「ところで歌舞伎町の発砲事件の件だがな、死んだ飯井尾吉高の持っていたトカレフの出処が分かった」
「ほう」
「半年程前、中国の不審船が房総沖で難破した事件があってな、その時の積荷に含まれていた密輸拳銃とナンバーが一致した」
「取引先はどこなんだ?」
「いま言った極城会系の暴力団鳥鎧組だ。埼玉から千葉一体を縄張りに置く、極城会傘下でもトップクラスの巨大組織だな」
「なるほど。するとやはり今回の件には極城会が絡んでいるということか」
「おそらく、豊島連合にクスリや武器を供給しているのは鳥鎧組なのだろうな。それと例の銀行強盗を仕組んだのも連中だろう」
「で、どうする?」
 龍介は聞いた。
「お前は消えた女を探ってくれ。俺は豊島連合を洗う」
「わかった」
「西島を泳がせるつもりだ」
 と御子柴は言った。
「気をつけろよ」
 龍介は言った。
「気をつける?」
「消されないようにな」
「ふん」
 御子柴はニヤリとしたあと、ふと思い出したように言った。
「そう言えばお前、「ナイトランダー」という言葉を聴いたことがあるか?」
「何だそれは?」
「いや、ないならそれでいい。忘れてくれ」
「可笑しな奴だな」
 龍介は笑って言った。


 見生道彦(けんじょう みちひこ)は助手席のレザーシートを倒して、仰向けにひっくり返っていた。
 目の上に冷やしたタオルを乗せて、眩暈の伴う頭痛と必死に闘っている。夕べ飲みすぎたのだ。
「まったく。もういい歳なんですから、少しは自重して下さい」
 と、小言を吐くのは運転席に座った、相棒のフリーカメラマン墨田あゆみである。
 あゆみは今年23歳になる。見生と同じ契約社員だ。
 いつもは小柄な身体にでかいカメラボックスを重そうに抱えている。髪はいつもボサボサでキャップを反対に被っている。
 化粧っ気はまるでない。もう少し気を使えば少しは見れる容姿になるのに、と見生はいつも思うのである。
「俺のせいじゃないよ」
 と、切り返す。取材の打ち合わせが長引いただけだ。
 編集者の人間と夜の10時過ぎから、編集会議という名目で飲み始めた。目黒駅近くの汚い居酒屋だ。編集会議というのは勿論言い訳で、皆ただ飲みたいだけなのは明らかだった。
 提携先の小さな出版社は目黒にある。沼田出版という吹けば飛ぶような会社で、「週刊問題芸能」という怪しげな雑誌を発行している。
 編集会議が終わって編集長の里中に声を掛けられた。
「ケンちゃん、もう一杯行こう」
 連れて行かれたのは恵比寿のクラシカルなバーである。
 くたびれた50過ぎの親父には似合わない洒落た店構えであった。
「へえ。意外だな、里中さん。こんな所に出入りしているんですか?」
「まあな。俺だって少しは格好つけたいし」
 里中は照れくさそうに笑った。
 昨年、20数年連れ添った女房と別れたことを知っている。ひとり息子が成人すると同時に、三行半(みくだりはん)を突きつけられたのだ。彼にして見れば正に青天の霹靂だったであろう。
 そりゃ、俺だってさ、女房や子供のことを考えなかったわけじゃないよ。だけどさ、仕事ってもんがあんだよ。俺がさ、このちっぽけな出版社を守って行かなきゃ、誰がお前たちのサラリーを保証するってんだよ。
 と、泣き言を聴かされたのは半年前だ。場所はやはり目黒の居酒屋だった。
 それから見たら、少しは成長したのかも知れない。
「ケンちゃんさあ、あんたどう思っているんだよ」
 席に座ってショットグラスを開けたあと、いきなり切り出した。最初から出来上がっていたのだ。顔はもう真っ赤だった。
「どうって、陽だまりの家のことですか?」
 彼らがいま追いかけているのは、「陽だまりの家」という宗教団体である。
 もちろん自分達で宗教団体と称しているだけで宗教法人ではない。もとは街の小さな占い屋であった。
 教祖は「神蘭(しんらん)」という名の占い師であり、これがよく当たると評判になった。
 そうなるとこれを担いで一儲けをしようという連中が集まり、瞬く間に教祖に祭り上げられたのだ。
「もちろんそうだよ。他になにがあるんだ?」
「どうもこうも、占い屋は占い屋でしょう。他に何があるんです?」
「馬鹿だなあ、あんた」
 里中はトロンとした眼で、ニヤリと笑った。
「ただの占い屋なんかわざわざ取材するかよ」
「そりゃ、まあ、そうですがね」
 これが只の取材でないことは、前段の取材会議からも薄々は気づいていた。
「陽だまりの家は占いで、政財界とも深く関わっているんだ」
「それは聴きました」
 政財界の人間が大きな決断をする時には、高名な占い師の助言をあてにするというのは別段珍しい話しではない。不思議なもので、人間は重大な決断を迫られれば迫られるほど、超自然の力を信じるようになる傾向がある。普段は神様の存在を信じない人間でも、困ったときには神社に願掛けをする。
 それは権力を握った人間にとっても例外ではない。いやむしろ、そういう人間だからこそ、人知ではどうしようもない不可思議な存在を頼りにするのである。
「だからと言ってさあ、そんな事は俺らがどうこうする問題じゃねえよな。そういう事はもっと高尚な新聞社がやりゃいいんだよ。所詮俺らは3流のゴシップ誌さ」
 里中は自嘲気味に言った。やはり相当酔っ払っているようだ。
「つまり自分らは芸能人がらみのスキャンダルを追ってればいいと、そういうことでしょう」
「そうそうそう。そういうことよ」
 陽だまりの家という、この小さな占い屋が急速な発展を遂げたのは、ある大物芸能事務所がこの占い師の助言を経営に反映させたからである。彼らが取材に乗り出したのは、その芸能事務所に所属する某有名アイドルが、この占いの家に頻繁に出入りしているという情報を得たからだ。
 勿論、そんな事はどうでもいいことだ。誰にだって占いを信じる自由はあるし、その結果を受けてどう行動するかは本人の問題である。しかしそれが読者の興味を引くとなれば話は別である。
 雑誌が売れなければ、出版社は潰れるしかないからだ。どんなに馬鹿馬鹿しい記事でも、生活のためには書かねばならない。
「ケンちゃんさあ、元は警察官なんだよね」
 いきなりドキリとすることを言い出した。
 確かに見生は足立警察署の刑事だったことがある。もう3年も前の話だ。
 暴力団との癒着が発覚して警察を辞めたのだ。そして今はしがないフリーの雇われ記者である。別に隠している訳ではないが、改めて言われると古傷が疼く。
 自業自得とはいえ、それで女房とも別れることになったのだ。
 そういう意味では里中と同じであった。いや、別れる理由がはっきりしている分だけ自分のほうがマシなのか。
「どう思うのかというのは、その何というか元刑事としての勘というやつかな」
「勘?」
 何を言っているんだろう?
「あの占い屋さあ、普通じゃないと思うのよ」
「普通じゃない?」
「だからさあ、そこを探ってほしいわけよ。実のところ」
「何の話しです?」
「またまた。やだな、トボけちゃって。あんただって知っているんでしょ。あの芸能事務所の裏の顔」
「・・・・」
「これってさ、キナ臭い匂いがするわけよ。まあ、言ってみれば記者としての勘に過ぎないんだけどね。ケンちゃんにだって、刑事としての勘で響くものがあるんじゃないの。表立っては言えないけどさ、そのあたりの収穫を期待しているわけよね」
 里中は上体を大きく揺らしている。半分どころ眠っているのだ。
「所詮俺らは3流だよ。毒にも薬にもならない、クソみたいな雑誌しか出せねえよ。だけどさ、クソにはクソなりの意地ってもんがあんじゃないの? 俺はさあ、ケンちゃん。一回くらいはやってみたいんだよね。芸能界の裏にわだかまる糞みたいなものを、白日の元に曝け出してみたいんだよ。・・・」
 そこまで言って里中は、盛大にいびきをかき始めたのであった。

4 
 
「ケンさん」
 助手席でうとうとしていた見生は、あゆみに脇腹を突っつかれ目を覚ました。
「着きましたよ」
 陽だまりの家の本部は祐天寺にある。小さな雑居ビルだ。
 このビルの地下に、むかし占いの店があったはずだ。現在ではビル全体が「陽だまりの家」の事務所になっている。
「気が向かないんですか?」
 あゆみが聞いた。
「うん、ちょっとワケ有りでな」
 昨夜の里中の話が思い出される。
 彼のいう「キナ臭い匂い」には、もちろん心当たりがある。見生は元暴力団専任の捜査官だったからだ。
 この占いの館と関係を持つ芸能事務所は、昔からヤクザと密接な関係にあった。
 先代の大神源次郎は地廻りのヤクザ者であり、地方の興行主とやり合いながら大神興行の名前を次第に全国的なものにしていったのだ。当時地方の興行は地元のヤクザ達が仕切っていたので、そこに喰い込むのにもそれなりの人物でなくては不可能であったのだ。
 2代目を息子の士郎が継ぎ、会社名も「マキシマムエージェンシー」と現代風に改め、表向きはヤクザとは手を切っているように見せてはいるが、その実裏に回ればそういう組織がベッタリと張り付いている。「大原興行」というAV制作会社が、その闇の部分を引き受けているのだ。
 大原興行はマキシマムエージェンシーの前身である「大神興行」から発生したものである。大神士郎の父親、大神源次郎が設立した大神興業の裏の稼業を引き継いだのが大原興行であった。大原興業の社長は大原吾郎という男だが、実質的には大神士郎自体がその組織の首領であることは、業界内では暗黙の了解事項なのである。
 編集長の意向がそちらにあるというのは、見生にとっては良くない傾向であった。
 編集長の言うことはよくわかる。いろいろなことがあったのであろう。
 大手新聞社の出世争いに敗れたという敗北感もあるのであろう。自分の現在の立場における後ろめたさもあるのかも知れない。そして今回の自分を捨てた元妻に関しても、見返したいという思いも強いのかも知れない。
 それは見生にしても同じであった。出来ることなら一生に一度くらいは、芸能史に残るようなでかい仕事をしてみたいという気持ちもないわけではない。
 しかし、それをしたからといって何になるのだろう。どんなにリアルな裏事情を暴き出したからといって。所詮は3流週刊誌である、世間はそういう目でしか見ないだろうし、かといって暴露されたほうは平静ではいられないであろう。
 こういう事項は引っ掻けば引っ掻くほど、面倒な方向に転がることを彼は経験上熟知していた。
 下手に動いて、あまり刺激するのも考えものだな。
 と、見生は考える。
 リスクに見合う収穫を得られるとは限らない。

 ふたりは事務所の前に立った。
 予め取材の約束は取り付けてある。
 受付で案内を乞うと、メガネを掛けた受付嬢はジロリとふたりの顔を眺めて、
「伺っております。どうぞ」
 と、ふたりを案内した。
 ふたりが案内されたのは、ビルの地下にある一見道場のような広い部屋であった。
 部屋の一角にカーテンで仕切られた祭壇のようなコーナーがあり、両脇には大きな銅鑼や鐘のようなものが置いてある。昔、教祖の占い部屋だった所を広げて、教団の道場に改造したのであろう。
 薄暗い部屋であった。
 部屋の電気は消され、わずかに祭壇の奥から明かりが漏れてくるばかりである。部屋の中にはお香が焚かれているのか、微かに甘酸っぱい匂いがした。
 祭壇の前には畳が敷かれ、ふたりはそこに座るように指示された。
「何が起きるのでしょうか」
 不安げにお尻をモジつかせながらあゆみが囁く。
「さあな。まさか取って食われることはないだろう」
 ややあってカーテンが開かれると、小柄な女性の姿が浮かび上がった。逆光なのでその顔はよく観えないが、何やらヴェールのようなものを被っているらしい。
 長い煙管のようなものを咥え、立ち昇る煙のシルエットがみえる。その煙は天井まで届くカーテンの隙間から、祭壇の外まで流れ出している。
 あゆみがカメラを構えるのを手で制した。
「ごめんなさい 写真 勘弁して ね」
 カーテンの奥から甘ったるい女の声が聴こえた。脳みその中身を逆なでするような、一種の官能美を帯びた声だった。
 ゾクリ。
 と、あゆみの背筋を異様な戦慄が走り抜けた。
 見生を見る。胸騒ぎがする。
「あなたが神蘭さまですか?」
「はい。わたし 神蘭 よ」
 独特の言い回し。奇妙なイントネーション。ため息をつくようなハスキーボイス。
 日本人ではないのか?
 若いのかそれなりに年齢を重ねた者の声なのかさっぱり判らない。
 どこか機械的な響きにも感じる。もしかしたらボイスレコーダーか何かで、声質を変えているのかも知れない。
「本日は取材を受けていただいて、ありがとうございます。あのう、申し訳ありませんが、お姿を拝見させて頂けませんか」
「申し訳 ありません。信者さま以外 姿見せないこと ゆるして ね。このまま お願い ね」
 あゆみの心臓は不吉な予感に振るえていた。
 やばい。これは危険な女だ。
 あゆみの中の「おんな」がそう警告する。
「申し訳 ないです。写真 必要? なら後日 時間 あげます」
 脚が震える。膝がガクガクする。
 神蘭の声にはひとの官能を刺激する何かがある。女のあゆみでさえこうなのだ、ましてや男である見生は。・・・
 横目で見ると、果たして見生も息を荒立てている。
「あなたは占い師であるとか?」
 見生が問いかけている。眼が座っている。
「いえ 占いでは ない のね。私 預言者」
「あなたには未来が見えると?」
「未来と過去 視る こと できます」
 やばい。やばいですよ、ケンさん。
 見生の唇にいたずらっぽい笑みが浮かぶ。ならば試してみよう。
「私の未来が見えますか?」
「・・・・」
 神蘭は無言であった。逆光になっている見生のほうから、その表情までは伺い知れない。
 彼女の前には紫檀の布が被せられたテーブルが置かれていおり、その上には大きな水晶の珠が乗せてある。
 その水晶珠に両手をかざした。
 神蘭の燻らす煙管の煙が部屋の中に立ち込めている。
 部屋に充満する甘酸っぱい香りの濃度が急激に増したような気がした。
「ケンさん」
 あゆみが袖口を掴んだ。
 大丈夫だ。
 というようにその手を重ねる。
 そうではない。そうではないんです。
 あゆみは必死になってその手を引っ張る。
「ケンさん、帰りましょう。あの女、危険です」
「危険?」
 何が危険なのだろう?
 部屋の中に充満するこの香りが、あの煙がもたらすものであることに、その時初めて気がついたのであった。
 それは心の奥底に潜む欲望をかき乱す怪しい香りであった。その香りに身を委ねていると、次第に意識がぼやけてくる気がする。
 何時の間にかふたりは、濃い煙の中に包まれていた。
「・・・あなた 名前 見生道彦。もと 足立署の刑事 なのね・・・」
 誰かの声が聴こえる。
 ここはどこだ?
 暗い夜空であった。月も星も見えない。厚い雲が夜空を覆っているからだ。
 見生の前には古い雑居ビルがそびえている。
 1階には地中海料理の店。2階にはお触り系の風俗店が入っていたはずだ。それが潰れて現在は空家のはずである。
 しかしビルには小さく明かりが灯っている。入口の扉を塞いだベニア板の隙間から、中の明かりが漏れているのだ。
 見生と後輩の刑事が隠れて居るのは、向かいのビルの陰である。
 今日ここで暴力団同士の取引が行われることになっている。
 周囲の物陰から捜査員たちがわらわらと駆け寄って行く。
「先に行きます」
 功を焦ったその後輩刑事は、拳銃を手に扉の方に駆け出した。
「おい、待て。あわてるな」
 ひとつ大きく息を吸い込んで、見生も後に続いた。
 入口の扉が目前まで近づいたその時だった。突然、真っ白な閃光が見生の眼を射た。
 大地を揺るがす轟音(ごうおん)が響いたのはその後だった。
「暴力団 癒着 ばれた のね」
 違う。
「後輩 刑事 怪我 した」
 違う。
「西崎あたる あなたの友達 なのね」
「違う!」
 思いのほか大きな声がでた。
 違ってはいない。
 西崎あたるは彼の幼馴染だったが、偶然地元の指定暴力団・明神一家に所属していることが分かった。結局それが、原因で情報が漏れたのであった。後輩の刑事はその犠牲になったのだ。
 すべては俺の責任だ。
 煙の奥に人影が揺れている。いつの間にか周囲はもとの占いの部屋に戻っていた。
 あれは煙のスクリーンに映し出されたまぼろしだったのか。
 見生の全身を冷たい汗が覆っていた。
「ケンさん。どうしたんですか?」
 隣のあゆみが囁く。
「顔色が悪いですよ」
「墨田。俺は何か喋ったか?」
「いえ、でも急に大きな声で、違うって、何度も何度も叫んでいました。本当に大丈夫なんですか?」
「ああ、大丈夫だ」
 どうやらあゆみは何も気付いていないらしい。
 まさか、あれは夢だったとでもいうのか?
「悪い夢 みた のね」
 神蘭のシルエットが、嘲笑を浮かべているような気がして、それがまた腹に据えた。
「お陰さまで思い出したくもない昔の事を思い出してしまったよ」
 またニヤリと笑った気がした。
「そう、未来の話 ね。近々 あなた 入院する のね。腰 痛める」
 何を言っている。
 確かに年相応の腰痛はあるが、病院へ行くほどではない。

「ところで あなた。訊きたいこと あるの ね?」
 ようやく話を本題に戻して来た。
「実は折原雅(おりはら みやび)というアイドルのことなんですがね」
 気を取り戻して見生は言った。
 折原雅は国民的なアイドルである。
 舌足らずな歌い方と天然ボケのキャラクターが、若者を中心にウケて全国区の人気を獲得している。もとは取るに足らないアイドルグループのひとりだったのだが、テレビのバラエティー番組に出たのが切っ掛けでブレークした。
「その切っ掛けを作った、バラエティー番組への出演を勧めたのが、あなたという話ですが」
「芸能社のひと には 話 した のね。でも 折原さん には会った事 ありません」
「折原雅が「陽だまりの家」に入信したという話がありますが」
「そのような話 知らな いのね」
「本当ですか? 噂では、彼女を教団の広告塔にしようといている、という事のようですがね」
「そのような事 ない のね」
「そうですか」
 見生は手帳のページを捲った。
「ところで彼女の所属する芸能プロダクション、マキシマムエージェンシーというのですが、あまりいい噂を聞かないのですが、そのあたりはどうですか?」
「何言っている か 判り兼ね るのね」
「ヤクザ組織と繋がっているという話は、聞いてはいませんか?」
「可笑しなこと 言う のね。 私 そのような連中 関わっている 言う のね」
「いや、そういうことではないのですが」
 喋っているうちに頭がクラクラしてきた。隣ではあゆみが心配そうな顔をしている。
 潮時だな、と思った。あまり突っ込んで、バックの連中を刺激しても詰まらない。
 それではそろそろお暇します。
 と腰を上げかけたとき、神蘭は声を掛けてきた。
「最後にひとつ 預言 授ける のね。あなた 近く 銀色の瞳 の男 出会うのね」
「は?」
「やがてあなた その男 ため 働くことなりますが 気をつけ るのね」
「何ですって?」
「あなたの行く道 危険 満ち満ち ている のね」

 建物から出て、車の助手席に腰を下ろした見生は、ふうとひとつ大きなため息を漏らした。
「大丈夫ですか? ケンさん」
 運転席に座ったあゆみが心配そうに声をかける。
「ああ。・・・大丈夫だ」
「何があったんですか?」
「嫌な夢を見た気分だ」
「私も夢を見ました」
 あゆみが言った。
「なんだって? お前どんな夢を見たんだ?」
「いえません!」
 真っ赤になったあゆみは、怒ったような声を出した。
「そうか」
 どうやらひとによって見えるものが違うらしい。
 あの煙と甘い香りがそんな幻想を見せるのであろうか?
 神蘭。
 いずれにしても危険な存在である。

 その2日後、見生は腰を痛めて入院した。ダンボールの書類を持ち上げようとして、ギックリ腰になったのだ。

 湿気をたっぷりと含んだ風が吹いている。
 月は隠れて見えない。雨の予感がする夜の児童公園である。
 下落合。高田馬場近くだ。
 公園のベンチに腰を降ろして、御門龍介は新聞紙を広げている。傍の街灯が、淡い光を照らしているが、サングラス越しに紙面が見えるとも思えない。
 もっとも覧る必要もない。新聞はカモフラージュである。
 龍介は後方の繁みに潜む男と話をしていたのだ。
「どうだ?」
 と龍介は聞いた。
「どうもこうもありませんよ、だんな」
 闇の奥で声がする。暗い海に潜もった声だ。
「藤木浩輔の家に行ってみましたがね、引っ越した後でしたよ」
「引っ越した?」
「ええ、青森の親御さんが倒れたとかでね、急に実家に帰ることになったって、近所の人には話していたそうですよ」
「青森の実家ねえ」
「ところがその実家とやらに問い合わせてみたんですがね、親御さんは倒れたどころかピンピンして、畑仕事をしているというじゃないですか。もちろん藤木が引っ越してきたなんてことはないですよ」
「つまりは行方不明ということか?」
「まあ、そうなりますかね」
「ふ~ん」
 龍介は唇を噛んだ。
「池袋の会社のほうはどうだ?」
「退職届けが出されているようです。先月の終わりですかね。引っ越したのも、丁度そのくらいです」
「銀行襲撃の直後ということか」
 龍介は考え込む。
「先手を取られたということでしょうか?」
「どうかな。身柄を抑えてあるなら、わざわざ銀行を襲撃する必要はないだろう」
「自分の意思で姿を消したという事ですかい?」
「かも知れない。もしくは消されているかだが・・・」
「問題は、何故藤木が狙われたか、ですね」
 龍介は頷いた。
「金庫の中の箱が問題だな。藤木の努めていた会社はどういう会社なのだ?」
「普通の製薬会社ですよ。藤木は薬剤師で、新薬の研究・製造に携わっています」
「新薬の研究か、気になるな」
 龍介は考え込みながら言った。
「ねずみ」
「はい」
「その製薬会社を調べろ。特に裏資金の有無、もしも裏資金があるなら何処から入っているか・」
「はい」
「それと藤木はどのような薬の開発に携わっているのか?」
「分かりました」
 そう言った途端、繁みの中の気配がスッとなくなった。物音ひとつ立てずに繁みの中を移動したのだ。

 男の気配が消えると、公園の前に停めた車から白銀玉藻が近づいてきた。
 長い黒髪を和紙で包み、白い幅広のガウチョパンツを履いている。上半身も白のブラウスだから、まるで道着に袴を履いているように見える。
「先生」
 龍介に声を掛ける。
「藤木浩輔は行方不明だそうだ」
「そうですか」
 声に感情が感じられない。
「消されてなければいいがな」
 車へ戻ろうとしたふたりは、扉の前に立つ3人の男たちを目に留めた。
 まだ若い。十代後半からせいぜい二十代前半の若者達だ。
 パーカーのフードを被り、顔をマスクで覆っている。手にはそれぞれ、金属パイプ、金属バット、それに木刀を握っている。
 やれやれ。
 龍介は苦笑した。
「顔を隠しても、その姿を見ればすぐ判る。お前ら豊島連合だろう」
 男達は一瞬たじろいたが、無言でふたりに近づいてくる。
「こんなに分かりやすい話はないな。こいつらの大将は、よほど単細胞とみえる」
 龍介は玉藻に耳打ちした。
「どうする?」
「私がやります」
 玉藻は無表情で言って、ヒールの低いパンプスを脱ぐと連中の前に膝をついた。
 予想外な行動に、男たちの歩みが停る。明らかに戸惑っているのだ。
「おい」
 一歩下がった龍介は、口元に微笑を浮かべて若者たちに声を掛けた。
「白銀流の座技。滅多に見れる代物じゃねえぜ」
 美しい正座の姿であった。背筋がすっと立っている。黒い穴のような、表情のない瞳を男たちに向けている。
 公園の地面に正座した玉藻を中心に、若者たちは扇状に広がった。

 白銀流「座技」。
 それは座った状態のまま闘う格闘技である。
 白銀玉藻の出身地は神奈川県小田原。白銀家は代々北条氏に使える剣術指南役の一族であった。
 その先祖は風魔一族の長・風魔小太郎とも言われ、風魔流の徒手(素手による戦闘術)を武道の域まで昇華したのが「白銀流合気柔術」であると言われている。
 白銀流合気柔術は北条家の御留流であり、世間一般にはその存在を知れられてはいない。
 玉藻は白銀流宗家の娘であった。
「土下座をしても、どうなるもんじゃねえぜ」
 玉藻の正座を土下座と勘違いした先頭の男が、せせら笑いをしながら鉄パイプを振り上げた。
 男が鉄パイプを振り上げた瞬間、すごい速さで玉藻が動いた。
 座ったままの状態から、滑るように男の足元に移動すると、片手でその足を払ったのだ。
 鉄パイプを振り上げ、重心が後方に移動した所で、足をすくわれたのだから堪らない。男は両足を天に向けて持ち上げ、頭から地面に叩きつけられた。地面が土だったから脳震盪程度で済んだが、これがコンクリートだったらと思うとゾッとする。

 通常の正座では足の甲が床に着くことになる。
 ところが白銀流の正座では、両足の指を曲げ足の腹が床に着くように座るのだ。この状態のまま膝を持ち上げ、指の力だけで床を蹴って進むのである。最初は前方のみの移動しかできないが、慣れれば前後左右自由に移動できるのだという。
 玉藻のような達人クラスの人間になると、指のひと掻きで2メートルは楽に移動できるという。
 その昔、城内や室内などの狭い場所で闘う場合、天井が低く襖の鴨居が邪魔になり、刀や槍などの得物は十分に振る事ができなかった。また、通常は畳の上に座っている事が多いので、座ったまま闘う「座技」の技法が発展したのである。
 座った状態で立った相手と対すると、相手は目標が低いためどうしても前かがみになる。つまり重心が前に来て、不安定な状態になってしまうのだ。座技では不安定な敵に対して、短刀や手槍といった短めの武器で戦うのである。

 目の前で仲間のひとりを倒され、残りのふたりが激昂した。
 木刀と金属バットを真っ向から玉藻の頭部に振り下ろしたのだ。
 玉藻の身体がふわりと浮き上がった。足の指と膝のバネで上体を宙に浮かせたのである。
 金属バットを握った男の頭の遥か上空まで舞い上がった玉藻は、その頭部を掴み上下に捻った。頭を激しく揺さぶられ、男は金属バットを手にしたままその場に崩れ落ちた。
 玉藻は倒れた男の直ぐ横に、正座したままの形で降り立った。
「ああ・・」
 残ったひとりは座っただけの玉藻に恐怖して立ちすくんでいる。
 その首根っこを龍介の手が抑えた。
「おい」
 男の耳にやさしい声で囁く。
「お前らの大将に伝えておけ。いずれ挨拶に行くからな」
 そしてふたりは、何事もなかったかのように車に乗ると、その場を立ち去ったのであった。


 
 静かに雨が降っている。
 池袋から巣鴨へ向かう明治通りである。そぼ降る雨の中、一台の黒いワンボックスが走っている。ぱっと見は普通の乗用車と変わらないようだが、スモークを張った窓の外側には金網が貼られている。
 被疑者を搬送する護送車のようだ。
 車は小菅の東京拘置所へ向かっている。
 西巣鴨の堀合に差し掛かる頃であった。脇道から現れたステーションワゴンが、護送車の背後にピッタリと付いて来た。
 異変を感じた護送車がスピードを上げる。
 すると前方の交差点で、赤信号を無視したダンプカーが飛び出してきた。
 急ブレーキ。
 タイヤが悲鳴を上げる。
 激突!
 人々の怒号。悲鳴。
 ダンプカーの横面に護送車が衝突したのだ。
 後方のステーションワゴンやダンプから、パーティー用のフェイスマスクを被った数人の男たちが現れ、護送車の中の囚人を連れ出すと、ステーションワゴンに飛び乗りすごい勢いで走り出した。
 あっという間であった。
 反対車線に乗り入れ、そこここに停車している車にぶつかりながら赤羽方向に走っていく。
 走り去るステーションワゴンを見送って、側道で待機していた覆面車がゆるりと動き出した。
 交差点の騒ぎをよそに、雨は静かに降り続いていた。

「随分と思い切った事をしたな」
 御門龍介は言った。
 東京警視庁公安参事官室。ディスクの前のソファーに腰を下ろして新聞紙を広げている。
 そこには昨日起きた、護送車襲撃事件の顛末が綴られていた。
 強奪されたのは先月末の十全銀行襲撃事件の被疑者・西島透である。護送車が堀合の交差点に差し掛かったところで、赤信号を無視して突っ込んできたトラックに衝突した。その際、後方から付けて来たステーションワゴンから現れた、フェイスマスクを被った数人の男たちによって拉致されたのだ。
 ステーションワゴンは、そのまま赤羽方面に逃走した。警視庁は直ちに幹線道路を封鎖し、近辺の防犯カメラの画像をあたったが、車の行方はようとして知れなかった。
 志木市の荒川土手付近で、乗り捨てられていたステーションワゴンが発見されたのは、それから2日後のことだった。乗り捨てられたステーションワゴンも、交差点に突っ込んだダンプカーも盗難車であることは直ぐに判った。
 新聞紙上では実行犯である西島を奪ったのは、豊島連合だと結論づけていた。西島透が豊島連合の構成員であることは周知の事実であるし、事件の真相が漏れることを嫌った組織が、被疑者の奪還を図ったのではないかという見方である。
 しかし問題は防犯カメラである。
 堀合から志木まで走って、一度も防犯カメラに映らないというのは考え難いことであった。
「おまえの仕掛けたことだろう」
 と、龍介は御子柴参事官にいうのである。
「わざと西島を強奪させ、泳がせるつもりか?」
 それなら防犯カメラに映らないというのも納得ができる。映らなかったのではなく、画像を消したのだというのだ。
「ふふん」
 御子柴は肯定とも否定とも取れる微笑を浮かべた。その顔を見詰めて、龍介は目を細めた。
「お前、まさか・・・」
「わかったか?」
「お前がやらせたのか? あの護送車強奪事件を」
「声が大きいな」
 御子柴は身を乗り出して声を潜めた。
「連中の手に落とせば消される公算が大きいからな。こちらで手を打って脱出させた」
「無茶をしやがって、怪我人がでなかったからいいようなものの」
「護送車の人間もダンプカーの人間も事情は分かっている。あの事故はあくまでも仕組まれたものだ」
「とんでもない男だな、お前」
「ところでな。もうひとつ厄介な事案ができた。埼玉県警の公安から連絡が入ったのだが、鳥鎧組がいよいよ動き出すらしい」
「鳥鎧組が動くということは、極城会が動くということか?」
「ああ、そうだ。戦争になるぞ」
「目標はどこだ? まさか一心会?」
 龍介の脳裏に統括本部長桜木晃一郎の温厚な顔が浮かんだ。
「いや新宿だ」
「新宿? 歌舞伎町の俥座一家か」
「ああ、火車の仁吉。奴の性格からすれば、間違いなくぶつかるだろう」
「俥座一家は構成員20人程の小さな組だ。戦争になれば勝てるわけがない」
「それでもやるのが、仁吉という男だ。お前だって知っているだろう」
「直接は会ったことはないがな。一度会ってみるのも面白い」
 龍介は遠くを見る目つきをした。
「ところで話は戻るが、お前が泳がせた西島は今どうしている?」
「ああ、暫くは清瀬や所沢の近辺をウロウロしていたようだが、今は東京に戻っている」
「ふうん。やはり豊島連合には近づかないか」
 御子柴はニヤリと笑った。
「最終的に奴が身を寄せた場所だが、これが実に興味深い。どこだと思う?」
「さあな」
「陽だまりの家という占いの店だ」
「占い?」
 御子柴はディスクに戻って、引き出しから1冊のグラビア誌を取り出した。
「よく当たるということで、政財界の人間や芸能人たちも出入りしている。世間では注目の占い師だそうだ」
「しかし、何で占い師の元なんかに・・・」
 何気なくグラビアのページを捲っていた手が止まった。
「おい、御子柴。こいつは?」
 龍介が開いたページにはベールを被った黒衣の女が写っていた。
「ああ、こいつがその占い師だ。何でも神蘭とかいったかな」
「こいつだ」
 龍介は言った。
「あの日銀行の貸金庫から、プラスチックの箱を盗んで逃げた女はこの神蘭だ」
「なんだと?」
「面白くなってきたじゃないか」
 龍介のサングラスの下の瞳がギラリと光った

第4章 火車

 新宿歌舞伎町「俥座一家」
 そのルーツを辿れば、200年ほど前の浅草に行き着くといわれる。今も浅草の地に根を張る「だるま組」。その代貸が初代「火車の仁吉」であった。
 初代仁吉は身長が6尺5寸もあったというから、2メートル近い大男だったということになる。身体中に熊のような体毛がびっしり生えていたという。
 幼少の頃から稀代の暴れ者で、10歳の時には1升樽を持ち上げて、中身を飲み干したと伝えられている。
 奇談である。
 それ程の人物だったということだ。
 ただひとつ、はっきりしていることは、その背中一面に「火車(かしゃ)」の「もんもん」が掘られていたことだ。
 火車とは悪行を重ねた末に死んだ者を地獄へと運ぶ車型の妖怪のことである。
 焔が燃え盛る車輪の付いた網代車。その尾形に居座る目を剥いた般若の姿。
 その刺青が代々の仁吉の背には掘られている。
 浅草の頃、仁吉は賭場を任されていた。
 元々「だるま組」は的屋の一家である。浅草寺の境内における祭礼や興行を専門に行う、いわいる口入れ屋であった。
 そのうち境内で賭場が開かれると、それを取り仕切る者が必要になった。興行も賭け事となれば、街の荒くれ者や犯罪者たちが集まって、それを取り締まる方にもそれ相応の実力が必要となった。それを任されたのが初代仁吉の一派である。
 彼らは仁吉の背中の刺青から、「火車の仁吉一家」と呼ばれ恐れられるようになった。
 時は流れ終戦後、鴨場の沼の跡地に新東京の復興事業が始まると、その地の安全を守るために「浅草だるま組」から独立した五代目仁吉が、「俥座一家」を構えるのである。
 代々の組頭に継承されるのは、背中の火車と仁吉の名前。若くして跡目を継いだ七代目もまたそうであった。
 七代目仁吉が跡目を継いだのは今から五年前、仁吉19歳の時である。

 七代目はもとの名を花園捨吉といった。名前から分かるように、生まれて間もなく花園神社の境内に捨てられていた孤児である。名前は六代目の仁吉がつけた。
 捨吉は黒人とのハーフであった。恐らく母親は外国人相手の売春婦か、あるいは望まれない性交の結果生まれた子供なのだろう。母親が名乗り出ることは遂になかった。
 六代目の仁吉は捨吉を我が子のように可愛がった。子供の頃の捨吉は活発な性格で、父親譲りの大きな体格と運動神経の良さから、バスケットボールの選手として活躍した。
 しかし成長するに連れ、複雑な家庭環境また出生の秘密から、次第に言葉数の少ない青年に成長した。
 そして5年前のあの事件が起こったのである。
 その頃「俥座一家」は、当時台頭してきた中国の黒社会の組織と小競り合いを繰り返していた。歌舞伎町の利権を貪る中国マフィアと、単独で渡り合っていたのだ。
 その日、本家の「浅草だるま組」との会合に出席した六代目は、その帰り道に何者かの手によって拉致され、翌日には惨死体となって発見された。
 犯行が対立する中国マフィアの仕業であることは明らかだった。しかし警察では確かな証拠がない限りは、簡単には手を出せない。
 悶々といているうちに、捨吉は不意にその姿を消した。
 それから数日後、全身傷だらけで戻って来た彼の手には、中国マフィアのボスの生首が握られていた。
 すぐさま病院へ運ばれ生死の境を彷徨った後、彼は殺人容疑で逮捕されたが、未成年ということもあって2年間の少年院送致という判決に至った。
 そして出所後彼は、七代目仁吉の名前を襲名することになるのである。

 その「俥座一家」は再び抗争に巻き込まれる事になる。
 今回の相手は池袋に本拠を持つ豊島連合だ。彼らの手によって歌舞伎町の若者たちの間に、新種の合成ハーブが蔓延し始めたからだ。
 合成ハーブは、薬事法に指定された向精神薬には該当しない。だから厳格の意味では「違法」とはいえない。法律の盲点を巧みについたスパイス製品だったが、歌舞伎町の守護者を自認する「俥座一家」には、そんなことは関係がなかった。
 彼らは歌舞伎町に暗躍する売り子たちを、次々と摘発しその根源を絶とうとした。
 しかし如何せん売り子たちの人数は圧倒的に多く、守護者側はどうしても後手に回らざるを得なかった。
 そんな折、彼らの元にひとつの情報が寄せられた。
 使い捨てられたある倉庫の一角に、極城会系鳥鎧組と豊島連合との闇取引が行われるというのだ。
 ブツはクスリと武器である。
「下手に手を出せば鳥鎧組と事を構えることになりますぜ」
 そう忠告したのは若頭筆頭の村田彦次郎という男だ。通常は「大番頭」と呼ばれている。
 3人いる俥座一家の代貸は、先代の頃より「俥座三本槍」と呼ばれ、歌舞伎町だけではなく、東京中の無法者たちから恐れられたものであった。
 鳥鎧組のバックが極城会であることは判っている。鳥鎧組が豊島連合を使って、新宿歌舞伎町に「仕掛け」ていることは明らかだった。鳥鎧組は極城会系傘下の中でも最大級の組織である。西から勢力を伸ばす住島連合会と前線に立って戦う組織なのである。当然その規模、戦闘力ともに圧倒的であった。
「だるまの親父はアテには出来ませんぜ。だるまが動けば住島連合会も動かざるを得ません。大戦争になります。簡単には動けんでしょう」
 万が一戦争にでもなれば、後方支援のないわずか20人程度の俥座一家が勝てる道理がない。
「だから、何だ」
 と、仁吉は言う。
「ハナからだるまの親父をアテにはしていねえよ。この街、歌舞伎町を守るのが代々俥座一家の仕事だ。相手がどこの誰だろうとそれは変わらない。この街は俺が守る」
 七代目目火車の仁吉とはそういう男であった。
 それは、そこに居る全員が知っていることであった。
「わかりやした。やりましょう」
 村田彦次郎にしては頷くしかなかった。
 仁吉以下「俥座一家」の猛者どもは、早速行動を開始した。
 その夜。
 総勢20名の俥座一家は、倉庫近くのホテルに集合していた。
 仁吉は部屋の窓から倉庫の方を眺めている。
 閑散とした裏通りは宵闇に紛れて、人っ子ひとり歩いてはいない。
「若、そろそろ時間ですぜ」
 と村田が言った。
 往来の角からヘットライトの光が見えると、数台の乗用車が走って来て倉庫の前で停まった。
 先頭の車の中から現れた男が、倉庫の扉を開くと車の列を中に導き入れた。
「来やあがったな」
 と言ったのは、岩倉政孝。通称・鬼政。関東最強と謳われた武闘派である。
 天井に頭が届きそうな巨体を持ち上げる。背中には「竜王太郎英雄譚」の和彫が入れられている。
 それから暫くして、今度は反対側から数台の黒塗りの乗用車が現れた。同じように倉庫の扉が開かれ、中に吸い込まれていく。
 倉庫の入り口には数人の男達が集まって、思い思いの方向に散っていった。
 見張りに立つためであろう。
 村田がどこかに電話をしている。するとホテルの裏口から幾つかの黒い影が現れて、倉庫の方に走り寄っていく。
 しばらくして村田の携帯が鳴った。
「若、見張りの始末はついたそうです。連中は取引の真っ最中だそうです」
 村田彦次郎は最古参の代貸である。
 六代目とは竹馬の友で、七代目の教育係だった男だ。血の気の多い俥座一家の中で、参謀的な役割を担っていた。
 従って今でも貸元のことを「若」と呼ぶ。
 七代目は無言で立ち上がった。
 鬼政がその褐色の背に、燃え盛る火焔の半纏をかける。

 七代目仁吉を先頭に、20人あまりの俥座一家はホテルを出る。横手の暗闇から、目つきの鋭い長身の男が飛び出してきて、仁吉の横に膝をついた。肩までかかる長髪。黒のロングコート。その下のスーツや細目のネクタイまでが黒い。
 まるで葬式帰りのような出で立ちだ。
 俥座三本槍のひとり、近藤宗親(こんどう むねちか)(こんどう・むねちか)である。「虎斬り宗親」。剣の達人であり、堅気の頃には剣道の全国大会に出場してベスト8になった事もある。
 近藤は肩に木刀を担いでいる。
「こちらです」
 彼は一同を裏口に案内した。倉庫の見張りを片付けたのは、どうやらこの近藤の部下たちらしい。
 裏口から覗くと、薄暗い倉庫の中には多くの人間の気配がする。
 彼らが乗ってきた車が周囲を囲むように停車していおり、その中央部に人々が集まっているらしいのだ。
 鳥鎧組の構成員と豊島連合のギャングたち。
 集団の中にひときわ大きな人影が見える。あれが「キング」城田なのだろうか?
 その前に立つ男には見覚えがある。鳥鎧組若頭の円道寺健壱(えんどうじ けんいち)だ。
 裏口の扉が大きく開かれた。
「何だ、てめえら!」
 突然の乱入者に気づいた男のひとりが怒鳴った。
「俥座一家だ。ひとのシマで、勝手はさせねえ」
 大番頭の村田彦次郎が声を上げた。
 俥座一家が動いた。
 薄闇の中に銃声が轟く。
 一面に漂う火薬の臭いと銃声が収ると、どちらからもなくぶつかり合った。
 鳥鎧組の若い者が円道寺を守りながら後ろに下がる。
 乱闘が始まっていた。
 怒号。
 物が壊れる音。
 肉が肉を打つ音。
 乱戦の嵐の中を、七代目仁吉は悠然と歩いていく。
 露払いは近藤宗親だ。
 ロングコートが翻り、右から左から襲いかかる敵を、電光石火の木刀が打ち据える。
 後方を守るのは鬼政こと岩倉政孝である。
 その身体にしがみつく人間たちを、ゴミ屑のように放り投げていく。
 鬼政が叫ぶ。
 仁吉の前に巨大な山がそびえていた。
 横に倒したドラム缶に腰を降ろした、豊島連合のヘッド城田興毅である。チーマーたちの間では、「キング」と呼ばれた伝説のケンカ屋であった。
「てめえが火車の仁吉か?」
 キングがせせら笑った。
 血色の特攻服。手にした木刀を投げ捨て、ゆらりと立ち上がった。
 でかい。
 小山のようである。相対する仁吉とは頭ひとつ違う。
 しかし詰め込まれた肉の量では変わらない。
「頭ァ、タイマンですぜ」
 唯一、体格では城田とタメを張る鬼政が、背中で声を枯らす。それに応えるように仁吉は半纏を脱いだ。
 背中の火車が波打っている。
 城田と仁吉が真っ向から睨み合った。
 巨大な羆と猛虎が向き合っているようなものだ。
「仁吉ィ!!」
 城田が吼える。その腹に強烈な前蹴りをブチ込む。
 140キロ以上の全体重が乗った、凄まじい蹴りである。並みの人間なら、胃液を吐いて悶絶するところであろう。
 しかし仁吉は微動だすらしない。強靭な腹筋が、蹴りの衝撃を受け止めたのだ。
 顔面を火の出るようなストレートが襲う。
 その拳を、仁吉は額で受けた。
 ガツン!
 火花が散った。
 下がらない。
 鬼の目で城田を睨む。
「ぐう」
 呻いて城田が膝を突いた。パンチを繰り出した拳のほうが砕けたのだ。
 パンチが当たる瞬間、自ら額を叩きつけて指を折ったのである。
 仁吉の額から一筋の血が滴り落ちた。それを舌先で絡め取る。
 にやりと笑った。
 凄まじい男であった。
 両手を伸ばして城田の両耳を掴む。
 両耳を固定したまま、城田の顔面に額を叩きつけた。
 グシャリ。
 という音を残して城田の鼻骨が潰れた。
 同時に右足を持ち上げ腹を蹴った。城田の巨体が斜めに吹っ飛び、後方のドラム缶にブチ当たった。
 仁吉が腕を組み、仁王立ちになっている。
 信じられない。
 池袋のチーマーたちの間では「キング」と呼ばれ、無敗を誇ったあの城田興毅が手も足も出せないのだ。
「さすがだな、仁吉よ」
 城田がよろよろと立ち上がった。
「だがな。勝負はこれからだぜ」
 城田が叫んだ時、正面の扉が開いてライダースーツに身を包んだ、フルフェイス姿の男達が乱入してきた。
 その数約50人。
「頭。これは罠だ!」
 鬼政が叫ぶ。
 城田は万が一の襲撃に備え、予め部下たちを忍ばせて置いたのだ。
 形成は一気に逆転した。
 近藤が仁吉に襲いかかる敵を迎え撃つ。
 風を巻く切っ先が次々と敵を打ち伏せていく。
「ぬ?」
 近藤は目を見張った。
 彼の木刀で打ち伏せられたはずの男たちが、次々と立ち上がってくるのだ。
 そんなはずはない。
 と近藤は思った。自分の一撃を受けて、簡単に立ち直れるはずがない。中には腕や肋骨が折れている人間もいるのだ、それでも彼らは何事もなかったかのように立ち上がってくる。
 まるでゾンビのようであった。
「おい、宗親」
 背中合わせで鬼政が言った。
「こいつらおかしくねえか。いくらブッ飛ばしても平気で立ち上がってくる」
「ああ、確かにな」
 鬼政の背後に忍びいったフルフェイスの男が、鉄パイプを振り上げた。
「ぬがァ!」
 そのヘルメットに仁吉の拳が突き刺さる。
 すごい衝撃だった。
 フルフェイスのヘルメットが真っ二つになって砕け散った。
 それでも一度倒れた男は、ふらりと立ち上がってきた。
 ゾッとした。
 こいつら不死身か?
 何時の間にか俥座一家はヘルメットの集団に囲まれていた。
「村田さん」
 追い詰められた鬼政が情けない声を発した。
「心配するな」
 村田彦次郎はニヤリと笑った。
「そろそろ到着く頃だ」
 すると入口の扉を蹴破って数台のトラックが突入してきた。荷台には大勢の屈強な男たちが乗っている。
「だるまの親父!」
 先頭のトラックから降り立った男を見て、初めて仁吉が声を発した。
 豊島連合が部下を張り込ませていたように、村田もまた万が一を考えて手を打っていたのだった。
「よう、七代目。待たせたな」
 浅草「だるま組」棟梁、熊谷文次郎がゆっくりと歩いて来た。


 
 見生道夫のもとにそのタレ込み電話があったのは、彼が病院を退院してから4日目の事であった。
 事務所で書類の整理をしている最中にギックリ腰になったのだ。
 墨田あゆみが側にいたはずだ。
「ケンさん。これ、お願いします」
 彼女はそう言った。
 古い書類のいっぱい詰まったダンボールだった。それを書棚の上に載せろと言うのだ。
 それで見生は椅子の上に乗ってダンボールを持ち上げた。
 かなりの重さであった。
「気を付けて下さい」
 椅子を抑えていたあゆみが声を掛けた。
「占いにもあったでしょ」
 それで思い出したのだ、2日前の神蘭の預言を。
 思い出した時には腰に激痛が走っていた。
 見生は椅子から転げ落ち、そのまま病院に運ばれた。
 墨田あゆみの余計な一言で、一週間もベットの上でうんうん唸らねばならなかったのだ。
 当のあゆみはさも嬉しそうに、連日見舞いに来ては散々茶化していった。
 今日もそうである。
 卓上電話を取ろうと身を捻ると、
「大丈夫ですか? 腰、痛めますよ」
 と可笑しそうに言う。
 ふざけるな。
 と思いながら電話を取る。
「はい。沼田出版」
「見生さんですね」
 受話器の向こうからくぐもった声がした。
「えっと、どなたですか?」
「御門といいます」
「御門さん?」
「あなたは「陽だまりの家」という宗教団体について調べてますね」
「・・・・なんでそれを?」
 言いながら見生はあゆみに目で合図した。ただならない雰囲気を察した彼女は、親子回線の受話器を耳に当てる。
「それについて少し話をしたいのだが」
「あなたは、誰なんです?」
「探偵ですよ」
 受話器の向こうで含み笑いをする気配がした。
「探偵さん、なのですか?」
「まあ、米国あたりではではトラブル・シューターなどと呼ばれていますがね」
「トラブル? どんなトラブルですか?」
「陽だまりの家。知ってるでしょう?」
 あゆみはドキリとした。
 陽だまりの家の教祖、神蘭。あの甘くとろけるような声が蘇る。
 あの女は危険だ。
「あなたは陽だまりの家と折原雅のスキャンダルを調べているようですが、実はこのヤマ、もう少し複雑な事になっていましてね。そのあたりの情報を交換しようと思うのですよ」
「あんた、一体」
「近くでお会いできれば好都合なのですが」
 あゆみと目があった。彼女が不安げな顔で首を振るのを無視して、
「分かりました。目黒駅の側に「フェライス」というカフェがあるのですが、そこに午後3時でいいですか」
 と言って電話を切った。
「ケンさん」
 電話を切った見生に、不安そうな顔をしたあゆみが話しかけた。
「大丈夫なんですか? 今の電話」
「うん・・・」
 上の空で応える。
 頭の中をいろいろな思いが交錯する。芸能事務所「マキシマムエージェンシー」のこと。新興宗教「陽だまりの家」のこと。御門と名乗る謎の男のこと。別れた女房子供のこと。
 クソにはクソなりの意地ってもんがあんじゃないの?
 里中の腹わたを捻るような言葉が蘇る。
「ねえ、ケンさん」
 あゆみの声が見生の妄想を打ち切った。
「マキシマムエージェンシーがヤクザと繋がっているって話、本当ですか?」
「うん? なんだい、いきなり」
「わたし、信じられないいんですよね。マキシマムエージェンシーといえば、多くの女性アイドルやグラビアモデルを抱えたトップクラスの芸能事務所じゃないですか。東京ガールズコレクションにも、毎年何人ものモデルを出演させているし、わたしたち若い女の子の間では憧れの事務所なんですよ。それがなんでヤクザなんかと」
 芸能界の華やかな部分しか目にしたことのない彼女らの世代にとっては信じられない世界なのだろう。
「なあ、墨田。お前、海空かすみという歌手を知っているか?」
「え? ええ、まあ、名前だけなら知ってますけど。往年の演歌歌手ですよね」
 突然すでに亡くなっている伝説の歌姫の名前を持ち出されて目を白黒させた。もちろん知らないはずがない。戦後の混乱期、彗星のように現れた天才少女歌手だ。
 度重なる空爆と敗戦のショックで、生きる気力を無くしかけていた当時の人々を勇気つけたのは、当時まだ5歳か6歳であった彼女の歌声であったのだ。彼女は天才演歌歌手としてもてはやされ、たちまちの内に国民的人気を獲得することになった。
 そしてそれから60年。彼女が自宅で眠るようにその生涯を終えるまで、栄光に満ちた彼女の伝説的歌手生活は続くのであった。
「海空かすみは戦災孤児だったんだ」
 あゆみには見生が何を言おうとしているのかは判らない。
「戦災孤児だった彼女を拾い上げ、伝説的歌姫に育て上げたのは柳川虎吉という男だった。西日本最大の暴力団、住島連合会の創設者のひとりだ」
「・・・・」
「もともと彼は戦後の闇市から名をあげた愚連隊のひとりでな、当時はテレビなんかで人気の出始めたプロレスのプロデュースなんかで生計を立てていたそうだ。当時はそれも珍しいことではない。プロレスなんかの地方興行は興行師みたいな者がして、それは大抵地方のヤクザなんかと繋がっていた。そこで自分に有利な興行を打つには、それなりの実力が問われたのだろうな」
「彼女の興行もそうだったというの?」
「だから、特別珍しいことではないと言ったろ。もともと芸能というのは、地元のヤクザが仕切るものだったからな。テレビという媒体が出来て、全国的に顔が売れて来ると、そういう裏の部分は次第に見えにくいものになっていった。だけど、表面上見えないだけで決して無くなったわけじゃない。海空かすみの名前が世間に知られるにつれ、柳川虎吉の勢力も大きくなっていった。そしてやがては西日本を牛耳るような巨大組織になったってわけだな。それくらい、芸能界とヤクザ組織とは切っても切れない縁で結ばれているってことだよ。まあ、現在では、それほどあからさまに繋がっているわけじゃない。警察だって目を光らせているし、何よりタレントの名声は大事にしなければならないからな。だけど裏の裏、最深の奥深くではやっぱり関係があるのは否めないのだろうな・・・」
 あゆみに説明しながら、次第に見生は決意を固めて行った。
 俺はさあ、ケンちゃん。一回くらいはやってみたいんだよね。芸能界の裏にわだかまる糞みたいなものを、白日の元に曝け出してみたいんだよ。・・・
 俺だって一緒だよ、里中さん。俺だって・・・


 
 フェライス・カフェの目黒店は目黒駅の目の前にあった。
 駅に近接した商業ビルの1階で、全面がガラス張りになっている。従って店の奥からでも、往来を行き交う人たちが良く見える。
 3時少し前に墨田あゆみが、入口のすぐ横の席についた。それから少し時間を置いてやって来た見生が、店の一番奥のソファーに陣取った。あゆみとは席を離れて向き合う形になる。
 その男が現れたのは、約束の時間を5分ほど過ぎてからだった。
 外国製のスーツをゆったりと着こなした男だ。細身に見えるが思いのほか体格がいいので、国産のスーツでは身体に合わないのであろう。短髪でオリバーピープルズの黒いサングラスを掛けている。
 男は迷わずに見生の前に近づいた。
「失礼。見生さんですね」
「あなたは?」
 見生は立ち上がった。
「先程お電話差し上げた御門です」
 その時、何故か見生の脳裏に浮かんだのは、あの占い師の預言であった。
「で、話というのは何です?」
 ふたりが席について注文を終えたところで見生が切り出した。
「電話で話した通りです。「陽だまりの家」について話を聞きたいのです」
「折原雅の絡みですか?」
 見生は用心しながら訊いた。この男が同業者なら問題がある。スクープは独り占めにしてナンボなのだ。
「いえ。・・・いや、そうでもあるのですが、私のほうは別件なのです」
「別件?」
 見生はしばらく男の顔を見詰めていたが、ふっと息を吐いた。
 男の言わんとすることに見当が突いたからだ。
「そういうことですか?」
「はい。折原雅はクスリをやっています。とは言っても合成ハーブなので、明確な規制があるわけではない。ある意味合法とも言えます。しかしその薬効には多分に覚せい剤的なところがある」
「・・・」
「あなたはそれを嗅ぎつけたわけだ」
「御門さん」
 見生は言った。
「あなた、何者ですか? まさか警察・・・」
「いえ。トラブル・シューターと言ったはずです。事が公になっては困る人物に頼まれて、穏便に話をつけるのが私の仕事です」
「誰です? その人物というのは」
「それは言えません。守秘義務というものがあります」
 龍介はサングラスの下で笑ったようだが、それでは言ったも同然であった。
「御門さん。これは非常にデリケートな問題なのです。折原雅は国民的アイドルでその影響力も大きい。事は慎重に運ばねばなりません」
「分かっています。前にも言った通り、私は折原さん自身には何の興味もありません。私が興味を持っているのは、彼女の使っている合成ハーブです。あれには何やら特別な効果があるようですが」
 見生はしばらく迷っていたようだが、やがて諦めたように口を開いた。
「折原雅。知っての通り、彼女は国民的なアイドルです。しかし1年ほど前まではそうではなかった。彼女の所属するアイドルグループは長いこと鳴かず飛ばずだったし、彼女はその中でも最も地味な存在でした。しかし、それがある日を境に変わったのです」
「変わった?」
「我々の言葉で言う「化ける」というやつです。ことの発端はあるバライティ番組に出たのが始まりでしたが、そこで彼女は司会者の質問にとんちんかんな回答をするようになったのです。もともとあの子は地味ではありますが頭のいい娘で、そんなおバカな回答をするような娘ではなかったのです。しかしまあ、結果的にはそれが功を奏し、そのおバカぶりがウケて、あのような人気者になったのですが」
「なるほど」
「キャラ変といって、タレントがわざと自分のキャラを変えて、人気を得ようとすることはよくあるのですが、彼女の場合は少し違うようなのです」
「違う。どのように?」
「何と言うか、人格そのものが変わってしまったかのように、喋り方ひとつにとっても、あんな舌足らずな喋り方をする娘ではなかったはずですが」
「それと「陽だまりの家」と、どう関わるのですか?」
「折原雅の人格が変わったのは、どうやら彼女が「陽だまりの家」に、出入りするようになってからだというのですよ」
 見生は少し間を置いてから言葉を続けた。頭の中に占い師の言葉が離れない。
「それで気になって、その占いの店を取材したわけですよ」
「で、どうでした?」
「どうって?」
「神蘭という教祖というか占い師の印象ですよ」
 見生は煙草を取り出し、一口吹かしてすぐにもみ消した。
 それから、チラリとあゆみのほうに視線を走らせてから、小声で囁くように言った。
「なんというか・・・妙にエロい女でした。とはいえ、カーテンの奥で逆光だったので顔までは見えなかったのですが。・・・・その、声が、何ていうかこう、男の官能を刺激するというか・・・。40過ぎたオヤジ言うのもなんですが」
「なるほど。で、占いはしたのですか?」
「はい。その占いは完璧でした」
 そうして見生はあの日あった事、そしてその後自分の身に起こったことを話した。
「そうでしたか」
 龍介はサングラスの奥から、じろりと見生を見詰めた。
「で、あなたはその時、何を見たのですか?」
「昔の事をです。思い出したくない、遠い過去の記憶です」
 見生は苦いものを吐き出すように言った。
 行きます。
 そう言って駆け出したあの後輩刑事の後ろ姿が瞼に焼きついて離れない。
「あなたがそれを見たのは、あの煙のせいだと思っている」
 龍介はそう言った。
「そうです。それとあの甘酸っぱい香り。・・・あれには何らかの催眠効果があるのではないですかね」
「そうかも知れません」
「しかし、あの予言は? 私はあの占い師の予言の通り腰に傷を負った」
「それは預言ではなくて、呪いですよ」
 龍介は言った。
「呪いですか?」
「思い出して下さい。あなたが腰を痛めたとき、神蘭の預言を気にしてはいませんでしたか?」
 ああ、そう言えば。あの時、あゆみが余計のことを言ったのだ。それで自分はその預言を思い出した。ギックリ腰になったのは正にその瞬間だったのだ。
「悪いことが起こると思っていると、実際にそのような事が起こってしまう。これを心理学ではゴーレム効果と言うのです。あなたの場合はギックリ腰になるという強い暗示が潜在意識に溜め込まれ、そこに意識が集中し過ぎてしまったわけです。呪いとはつまりそういうものなのです」
「しかし、そんなに意識したわけではありませんよ」
「表在意識と潜在意識とはまったく別物ですからね。例えば白い煙と甘酸っぱい香りです。あなたは、それには催眠効果があったのではないかとおっしゃった」
「確かにあの香りを嗅ぐと、何やら意識がぼんやりしてくるような気がして、それであんな夢を見せられたわけですが」
「多分、その香りによって覚醒のレベルが低下させられ、より暗示にかかり易い状況になったのです」
「すると、折原雅も?」
「いや、彼女の場合は少し違うとは思いますが。・・・実をいうとですね」
 龍介は少し身を乗り出した。
「1ヶ月ほど前、池袋の十全銀行で人質籠城事件があったのを覚えてますか?」
「ああ、テレビで観ました。なんでも犯人は護送車から逃走して、今だに行方不明だとか」
 その事件を解決したのが自分だとは言わない。
「その事件の人質の中に「陽だまりの家」の教祖である神蘭がいました。そして現場から何かを持ち去ったのです」
「何かとは?」
「わかりません。しかしここ半年の間に、奇妙な通り魔的事件が勃発しています。1件目は目黒通りでのトラックの暴走事件。2件目は銀座で主婦が通行人を襲った事件。そして新宿での無差別発砲事件」
「ああ」
 見生は思い出していた。
「これらの事件は到底、通常の心理状況ではあり得ないと思われます。しかし何者かによって意図的に仕組まれたとしたら」
「折原雅のケースもそうだと言うのですか?」
「さあ、どうでしょう。しかし、神蘭と「陽だまりの家」は気になります」
 見生は深く頷いた。龍介は重ねて言う。
「で、どうでしょう? これからふたりで調べてみるというのは・・・」
 見生はちょっと考えた。
「その前に御門さん。そのサングラスを外してはいただけないでしょうか?」
「はい? 何でですか」
 龍介は首を捻った。
「いや、少し気になるんですよ。あなたの瞳は銀色なのではないかと」
「・・・・」
「神蘭が最後に言っていたんですがね、私はいずれ銀色の瞳を持った男のために働くだろう、と」
「なるほど。それは実に面白い」
 そう言って龍介はサングラスを外して見せた。。

 その日の深夜である。
 見生とあゆみは道脇に停めた車の中にいた。「陽だまりの家」のビルから少し離れた脇道である。
 見生は運転席の窓を少し開けて、煙草を吹かせている。あゆみは大きなデジタルカメラを抱えて黙り込んでいた。
「お前は、もう帰れ」
 ややあって見生は言った。
「これ以上はヤバいことになるかも知れない」
「ケンさん」
 あゆみは不安げな瞳を上げた。
「もう帰りましょうよ。やっぱり危険です」
「あの御門という男のことか?」
 ふふ。と笑って、見生はその手をあゆみの頭にあてる。
「心配すんな。俺だって信用なんかしてないよ。それに、万が一の時のためにお前がいる。そうだろう?」
 あゆみは涙ぐみながら首を振った。
「違います。わたしが危険だというのは、教祖の神蘭のことです」
「神蘭?」
「わたし・・・」
 あゆみは頬を膨らませて横を向いた。
「わたし、あのひと嫌いです」
「何を言ってるんだ」
 見生はそんなあゆみを不思議そうに見やった。
「お前が心配するのも分かるがな、まあ、多分大丈夫だろう。しかし、もしもの時には、お前のそのカメラがモノを言うんだ。だから、帰れ」
 あゆみは涙を拭いて助手席の扉を開けた。
「ケンさん。くれぐれも気を付けて下さいね」
 そう言い残してカメラを抱いた、まま闇の向こうに駆けて行った。

「さてと」
 あゆみが去った後、ゆっくり時間を取って煙草をくゆらしてから車の外に出た。
 目的のビルの方に足を向けると、ビルの入り口からひとつの人影が現れ、反対側の道の方に駆けていくのが見えた。
 何だろうと思っていると、その肩を叩くものがいる。
 振り向くと御門龍介が立っていた。深夜だというのにサングラスは付けたままだ。
「ああ、御門さん。今の見ました?」
「え、何をです?」
「人影がスッと横切ったのですが」
「いや、気付きませんでしたが」
 そう言いながらビルの方に足を進める。人の気配はしない。
 入口のドアにたどり着いた。
「やはり鍵が掛かってますね」
 扉に手をやって振り向いた。まあ、当たり前であろう。
「裏口に回ってみましょう」
 龍介は言った。
 裏口の取っ手を握ると、意外なことに鍵は外れていた。ふたりは顔を見合わせて、そろりと中に入り込んだ。
 廊下の電灯は消えていたが、見上が用意していた懐中電灯を点けたので、明かりに困ることはなかった。ただし龍介はこの暗闇の中、サングラスをしたままどうするのだろうと思っていたが、余程夜目が利くのか何事もなかったように歩いている。
 一階の事務所に入る。こちらも扉は開いていた。
「不用心だな」
 見上は呟いて机の引き出しを探る。
「おい」
 書庫のファイルを探っていた龍介はが声をかけた。
 テーブルの上に書類を広げる。それは顧客リストであった。
「信者のリストとは、また違うようですね」
 見上が覗き込みながら言った。
「何のリストですかね?」
 そこには折原雅の他、有名どころのタレントや文化人、政財界の人間の名前までが記してあった。
 その中で見上が興味を示したのは、大神士郎の名前であった。
「誰です?」
「大神士郎は折原雅の所属する芸能事務所、「マキシム・エージェンシー」の社長です。やはり「陽だまりの家」とは繋がっていたのですね」
「大神士郎というと、大神源次郎の息子ですか」
「知っているのですか?」
「いや、知っているという程でもないですが、大神源次郎といえば、バブル期の関東を席巻したヤクザの親分ですね」
「そうです。戦後の高度成長期からバブル期にかけて「大神興業」という芸能プロダクションを立ち上げ、芸能界のエンターテインメント化の基礎を造ったと言われる伝説の人物です」
「確か大神興業は時代の変化についていけずに衰退していったと聞きますが?」
「はい。現在は「大原興行」と名を変えて、AV業界では結構ハデにやっているようです」
「あの大神に息子がいたとは」
「息子の士郎はそういう組織とは関わりを持たないといいますが、裏ではどうかわからないと業界では言われています」
「さすがに元マル暴の刑事。詳しいですな」
 見上は応えず、ファイルをバックに入れて立ち上がった。
 そのまま地下に降りる階段を探す。
 地下は以前彼らが立ち会った道場であった。
 先日、神蘭が座っていたカーテンで仕切られた祭壇の後ろに、小さな扉があった。中に入るとそこは、占い場の前室のような部屋であった。
 部屋の奥には数台のモニターが備えてあって、各部屋の様子を探ることができる。
 モニターの下には小さな金庫があった。
 龍介が手を添えると、それは意外なほど簡単に開いた。
 中には数枚の写真と何やらプリントされた書類が入っていた。どうやらどこかの研究所の資料のようだ。
飛駒(ひこま)研究所と書いてありますね。何でしょう?」
「さあ」
 と龍介が言ったとき、道場の方の明かりがパッと点いた。
 ふたりは慌てて扉の影に身を隠す。
 4ー5人の信者たちが忙しなく動き回っている。どうやら侵入に気付かれたらしい。
 彼らが部屋から去るのを待って外に出る。
 廊下に出たところで彼らに気付かれた。
「何者だ!」
 作務衣を着た着た数人の男たちが後を追って来る。
「やばい。見つかった」
 見生を先頭に廊下を走る。
 角を曲がった所で、龍介は前を行く見生の襟首を掴んだ。勢いを殺された彼は、思わず後ろに転びそうになった。
「何をするんですか?」
 と言いかけた見生の目の前に、怪鳥のような黒い影が降り立った。彼が足を停めなければ、その足に蹴り倒されていた所であった。
 それは全身黒ずくめの男である。黒いニット帽とマスクの間から、冷酷そうな細い眼が睨みつけている。身長はそれ程低くはないのだろうが、ネコ背のせいかずっと小さく見える。
 腰の辺りから引き抜いたサバイバルナイフで、先頭を代わった龍介に突き掛かった。
 凄い早さだ。
 しかしその切っ先は龍介には届かない。軽く顎を引いて切っ先をかわした。
「ここは俺に任せて先に行け」
 ポジションが替わったところで、龍介が言った。
「でも・・・」
「いいから行け」
 見生は頷いて駆け出した。
 同時に敵も動いた。前ではなく、真横の壁に向かってだ。
 側面の壁を蹴った男は、龍介の身体をかわして反対側に着地した。逃げる見生を追おうとしたのだ。
 しかしそれを読んでいた龍介は、男の動きに合わせて後方に移動し、降り立った男の眼前に立った。
「ちっ」
 男は舌打ちをしてナイフを横に振る。そのナイフが宙を切った。
「無駄だ」
 龍介は言った。
「おまえのナイフは俺には刺さらない」
 男が前に出る。凄まじい速度で突きを繰り出すが、ことごとく空を切るばかりだ。
「佐々木さん」
 ようやく数人の男たちが駆け付けて来た。それを見た龍介は、ニヤリと唇の端を持ち上げると、佐々木と呼ばれた男に背を向けた。
「気をつけろ、佐々木。焦ると、転ぶぞ」
 後を追おうとした佐々木という男の足がもつれて、後方から来た仲間を巻き込んで、本当に転んでしまった。
「馬鹿な」
 男は信じられない面持ちで呟いた。
 
 階段を駆け上がり外に出た所で、先に行った見生は待っていた。
「こちらに車を停めてあります」
 見生が言った。
 しかし、道脇に停めたはずの車はなかった。
「おかしいな」
 見生が首を傾げた時、ようやく追いついた男たちが彼らの周囲を取り囲んだ。
 先頭の佐々木と呼ばれた男が血走った目を龍介たちに向ける。
「逃げられると思うなよ」
 佐々木が暗い声で言った。その前に龍介が立ち塞がる。
「あんた、軍隊経験者だな。自衛隊か?」
「貴様!」
 龍介は平然と近づいていく。手を伸ばせば容易に触れられる距離まで近づいた時、堪りかけたように佐々木はサバイバルナイフを突き出した。そのナイフの切っ先を、龍介は超至近距離で避けていく。
 まさか。
 佐々木は舌を巻いていた。彼がサバイバルナイフを繰り出しているこの距離は、ボクシングで選手が向き合う距離である。軍隊経験者である彼が突き出すナイフの速さは、プロボクサーの放つジャブの速度に匹敵する。
 それを尽くスェーバックのみで避けているのだ。
 グローブをはめたパンチではない。触れれば切れるナイフの切っ先である。プロのボクサーにも出来るかどうか。
「見事なものだ」
 耳元で声がした。佐々木はその声に反応して、弾けるように後方に飛んで距離をとった。気づかなかったが、いつの間にか龍介の隣にひとりの男が立っていたのだ。
 髪の長い長身の男だ。黒いロングコートを着て、黒塗りの竹刀を肩に担いでいる。
 首に巻いているネクタイの色も黒だ。
 切れ長の瞳に微笑を浮かべて龍介を眺めている。
 馬鹿な。いかに戦闘中といえ、この俺が敵の接近に気づかなかったなんて。
 佐々木は信じられぬ面持ちでロングコートの男をみた。
「何者だ。あんた?」
 龍介は隣の男に問うた。
「近藤宗親」
「俥座一家の近藤宗親か?」
 佐々木はその名に心当たりがあった。龍介に向き直る。
「貴様、俥座一家の者か?」
 ふっ。
 長身の男、近藤宗親はわずかに片頬を吊り上げた。どうやら笑ったようであった。
 気が付くと佐々木の一団は、数人の屈強な男たちに囲まれていた。俥座一家の構成員たちである。
「どうする? 俥座一家を相手にするか」
 静かな殺気が近藤の身体に満ちてきた。
「ちっ」
 形勢不利と診て取ったのか、佐々木は後方の仲間たちに目配せして建物のほうに戻って言った。歌舞伎町「俥座一家」の近藤宗親は暗い目つきで、信者たちの引き上げた建物を見詰めていた。

 高級ベンツに乗せられて、たどり着いた先は新宿歌舞伎町、「俥座一家」の本部であった。
 古民家風の建物の一階が彼らの事務所である。昭和初期の建物であった。
 通された部屋は組頭の部屋らしい。
 正面の巨大なディスクの前に、七代目仁吉が座っている。
 背後の床の間には「俥座一家」と書かれた大きな掛け軸。その下には抜き身の大小の日本刀が飾られている。
 床の間の両脇には「俥座一家」の紋のは言った提灯がふたつ。その横の壁には立派な神棚が沿えられていた。
 御門龍介と見生道夫は顔前のソファに座らせられていた。
 仁吉の右横には大番頭の村田彦次郎が、左横には鬼政こと岩倉政孝が立っている。
 さらにソファに座ったふたりの横には、ふたりずつの組員が後ろ手を組んで控えている。近藤宗親は後方の壁際、書棚の隣に木刀を携えて立っていた。
 ややあって右横のドアが開くと、ひとりの組員が女を伴って入ってきた。
「墨田」
 見生が言った。あゆみは見生の身体に飛びついた。
「お前、なんで帰らなかったんだ」
「ごめんなさい。どうしてもケンさんを置いては帰れなかったの」
 組員は仁吉と村田に頭を下げている。
「すいません。もうひとりおったんですが、取り逃がしやした」
 そうか、というように村田は頷いた。
 見生は教団に入る前に目撃した黒い影を連想した。
「もうひとりお客さんが居たみたいなのですが、残念ながら来れないようです。ということで、全員揃いましたので少しお話を聞かせ願いましょうか?」
 村田彦次郎が言った。
「まずは、お名前からですが」
 そう言いながら見生を見つめる。
「見生道夫、フリーのジャーナリストだ」
「存じ上げております。元、足立警察署の刑事さんでいらっしゃいますね。そちらのお嬢さんは?」
「墨田あゆみ。俺の相棒でカメラマンだ」
 あゆみは見生の腕を握って震えている。
「わかりました。それで、あなたは?」
 龍介に向き直る。
「御門龍介。探偵・・・まあ、始末屋だな」
「片付け屋? 何の後始末をするのですか?」
「いろいろだな。世の中何かを始めても、後片付けにまでは中々手が回らないものだ。で、頼まれてそういう連中と穏便に話をつけるのが仕事だよ」
「なるほど。で、その片付け屋さんがあの事務所で何をなさっていたのです?」
「調べものだよ」
「何の調べものですか?」
「あんたたちと同じだよ、多分な」
 ほう、というように村田は破顔した。
「我々があそこで何を探っているか、それを知っているのですか?」
「少し前、大久保の倉庫で、ヤクザ同士の出入りがあったようだな。まだ、公にはされていないようだが、ひとつは豊島連合。もうひと組は・・・」
 龍介はもったいぶって一度言葉を切った。
「俥座一家、あんたたちだよ」
 ガタンと音を立てて鬼政が動こうとした。手を広げて仁吉が制する。
 凄まじい目つきで龍介を睨む。並みの男なら卒倒しそうな眼力だ。
「何でそのことを知っているのです?」
「いいじゃないか、そんなこと。それより問題は、そこで何があったかだ」
「何があったのですか?」
 村田の顔にじわりと汗が浮いてきた。
 ニヤリと龍介は唇を歪めた。
「さあな、何があったかは知らない。だがしかしお前らだって、連中とあの占い屋との間に、何かがあると思ったんだろ? そうでなければ、あんな所に張り込んではいないからな」
「てめえ何処まで知っとるんじゃい!」
 村田が声を荒立てた。ビクリとあゆみが身をすくませた。普段は紳士的な物言いをする男が、突然声を荒立てると一層迫力が増すものだ。
 不意に仁吉が立ち上がった。巨大な灰色熊の足取りで、龍介に近づいていく。
「おい、てめえ」
 仁吉が龍介の首根っこを掴んだ。もの凄い握力に龍介の身体が半分かた浮き上がる。
「グラスを外せ」
「断る」
 その瞬間、龍介のサングラスが飛んで、壁際にいた組員の手の中に落ちた。
 銀色の瞳が仁吉の眼を見詰めている。
 仁吉が手を離すと、ドサリと龍介の身体はもとのソファに落ちた。
 そのまま仁吉は後ろも見ずに自分の席に戻った。
「伯父貴。こいつらを帰してやれ」
 席に戻った仁吉は言った。
「いいんですか? 若」
「ああ。こいつら、少なくとも今はわしらの敵じゃねえ。最も敵だとしたら少し厄介だがな。ただし、お前らがあそこで見たもの、手に入れた物はこちらに渡してもらう。それでいいな」
「依存はない」
 龍介は言った。
「と、いうわけだ見生さん。例の物を渡してやってくれ」
 そう言いながら龍介は、サングラスを受け取った組員に向かって指を曲げてみせた。組員は弾かれたように近づくと、その手にサングラスを返した。
 見生はバックに入れていたリストと研究所の書類を渡すと、そこで見た事を話して聴かせた。
 それで一同は帰される事になったのだ。
「仁吉さん」
 帰り際に龍介は言った。
「あんたに会えてよかったよ。一度あんたの顔を見て置きたいと思っていたところだ」
「どういうことだ」
 鬼政が吼える。
「それだけの意味だよ。いずれまた、会う事もあるだろう」
 仁吉はなにも言わなかった。
 龍介たちはそのまま部屋を出て行った。

「若。連中には見張りをつけます」
 村田が言った。
「ああ」
 仁吉の返事はどこか上の空だ。
「どうしました? 若」
「あの男、何者だ?」
「あの男?」
「御門龍介という、あの男だ」
「あの男がどうかしましたか?」
 仁吉は黙り込んだ。
 ややあって、
「みんなを下がらせろ」
 と言った。
 組員たちが部屋を去り、部屋の中には仁吉と3人の幹部だけが残った。
 仁吉は額の汗を拭って幹部たちに向かった。
「わしはこれまで一度も他人を怖いと思ったことはない。あの中国マフィアのボスの首を獲った時もそうだった。しかしそのわしが、今日初めて恐怖というものを覚えた。あの眼だ。あの男の銀色の眼に、わしは生まれて初めて恐怖を感じたんじゃ」
 そう言って仁吉は逞しい腕を見せた。
「見ろ」
 3人が覗き込むと、腕に生えた毛が一斉に立ち上がり、鳥肌がたっているのが分かった。
「この腕が、いまでも微かに震えてやがる」
「・・・・」
「伯父貴」
 暗い声で村田を呼んだ。
「大至急、やつを調べてくれ」
「わかりました」
「宗親」
 近藤を呼んだ。
「はい」
「やつから目を離すな。何かあったら、すぐに連絡しろ」
「わかりました」
 近藤宗親は刃物のような笑みを浮かべて応えた。

第5章 鳴動

 闇の中で息をしている。深夜の六本木だ。
 目の前には六本木ヒルズビルが大きくそびえている。
 月夜である。半月の月明かりが柔らかな影を落としている。
 ここまで追ってきて、見失ったのだ。
 御門龍介をである。
 御門龍介。
 奴は何者か?
 あの七代目が初めて恐怖した相手であった。
 七代目火車の仁吉。
 恐ろしい男である。
 初めて会った時、自分はあの男に恐怖したのだった。
 新宿歌舞伎町。汚い居酒屋であった。花園神社の裏あたりだったと記憶している。4年ほど前の出来事だった。
 その日、近藤はひとりで酒を飲んでいた。酒を飲むのは久しぶりであった。
 訳あって酒を絶っていたからだ。いわいる願掛けである。その年の全日本剣道選手権に優勝するためだ。
 その大会の準々決勝で敗れたのだ。反則負けであった。
 面打ちから切り返しての胴。これを反則と取られたのであった。
 剣道での「胴」は、斜め上から切り下ろすように打つのを基本としている。下から切り上げるような打ち方は1本とは認められない。それが理由であった。面から切り返した後、切っ先がわずかばかり下を向いたのだという。
 納得がいかなかった。
 それで思わず手が出た。それを審判へ暴力行為ととられたのである。
 近藤は荒れていた。
 自分の技は疾い。その早さのあまり審判は切っ先の軌道を見誤ったのだ。そういう自負がある。
 花園神社の境内で喧嘩になった。理由は判らない。多分どうでもいいような些細なことだったのだろう。
 後でわかったことだが、その時の相手は俥座一家の若いものだった。
 あっという間にその3人を叩き伏せた時、後方に凄まじい殺気を感じた。
 人の放つ気ではなかった。
 巨大な羆が藪影から睨みつけているような感覚であった。一瞬で酔いが覚めた。全身を冷たい汗が流れるのがわかった。
 金縛りにあったように一歩も動けないのだ。後方を確認することすら出来ない。
 巨大な羆の息吹が首筋にあたる。肩に手を置かれた。
 近藤は恐怖の悲鳴をあげていた。
 あの時の悲鳴を、仁吉もあげたというのか。
 御門龍介。
 その姿を見失った。
 気付かれたからではない。いや、気付かれたのかも知れない。しかしいずれにしても彼が龍介を見失ったのは、目の前に出現した女のせいであった。

 白い女だった。
 顔の色が白い。袖口から覗く手の色が白い。着ているワンピースが白い。履いているのはガウチのパンツだろうか、幅が広く袴のように見えるが、それも純白であった。
 黒いのは髪くらいだ。漆黒の長髪を真っ白な和紙で包んで、背中に垂らしている。一見すると巫女のようだが、もちろんそうではない。
 その女が突然、目の前に現れた。御門龍介と自分との間にである。
 月明かりの淡い光が、女の姿を浮き上がらせている。
 正座をしていた。
 膝を地面に点け、軽く頭を下げ、それでも凛とした佇まいでそこに存在した。
 美しい女であった。頭を下げているので顔は判らない。しかしその佇まいは、得もいえずに美しい。
「何者か」
 と、近藤宗親は女に問うた。
 しかし女は無言で、そこに座しているばかりである。どう見ても異常であった。
 深夜の往来でうら若い女が正座をしている絵なんて誰が思い描くであろうか。
「退け」
 低い声で言った。有無を言わせぬ気迫を込めた。
 近藤は七代目の命を受け、龍介を追っている。こんな所で見失う訳にはいかなかった。
 しかし女は無言で佇むばかりである。
 御門龍介の関係者か。
 と近藤は思った。自分が龍介を尾行していることを知って、妨害しようとするのかと思った。
「女、名前を聴こうか」
 竹刀袋の紐を解きながら言った。中には愛用の木刀が入っている。
 竹刀袋に入れているのは、職務質問を受けないためだ。こうしていれば、町の剣道道場に通う途中と思われるであろう。
「白銀玉藻と申します」
 銀の鈴を鳴らすような声だ。女は顔を上げずに応えた。
「七代目の親分さんに申し上げて下さい。御門龍介の詮議は無用に願います、と」
「知っているのか? 俺のことを」
「はい。新宿俥座一家の近藤宗親さまとお見受けいたします」
「それを知っていて、俺の前に立ち塞がるとは、俺も舐められたのもだな」
 近藤は苦笑を浮かべて言った。
「御門龍介の関係者か?」
「はい」
「では訊こう、御門龍介とは何者か? 何を探っている?」
「お応えする訳にはいきません」
「ふうん」
 木刀を肩に担ぎながら歩を進める。
 目の前に畏まる女がただの女ではないことに、もちろん近藤は気付いていた。だがしかし、相手が如何なる人間であろうとも、彼は初志を翻すつもりはなかった。
「では訊き方を変えよう。女とて容赦はせぬ」
 ふたりの距離が縮まった。玉藻は微動もしない。
 自らの間合いの中に踏み入った瞬間、近藤の木刀が翻った。疾風の速度で、右斜め上から袈裟斬りに打ち下ろす。まともに喰らえば首の骨が砕ける。それ程の威力であった。
 大気が斬れた。
 太刀は空を薙いだ。
 木刀が身体に触れる瞬間、玉藻が右に移動したからだ。座ったまま、真横にスライドしたのである。
 近藤は驚愕した。
 驚愕しながらも、彼の太刀は止まらない。反射的に彼の木刀は、玉藻の身体を追ってその軌道を変えていた。
 虎斬り。
 俗にいう「燕返し」である。
 虎斬り宗親。
 玉藻の身体がふわりと浮いた。
 横に逃げた玉藻を追って走る切っ先を、背面跳びのように跳び越える。
 近藤の背筋に戦慄が駆け抜けた。
 思わず後方にバックステップして距離をとる。
 玉藻は元の場所に、何事もなかったかのように座している。
 まさか。
 近藤の口の端が吊り上がっている。その頬を一筋の汗が伝って落ちた。
 やはり只者ではない。
 近藤は両手を持ち上げ、頭の上で真横に木刀を構えた。
 玉藻が初めて目にする構えである。
「気の毒だが、手加減をしてやれなくなった」
 その声が震えている。
「あれで手加減をしていたと仰るのですか?」
 玉藻が初めて顔を上げた。感情の無い、暗い穴のような瞳が近藤を見詰めている。
「とんでもないお方ですね」
「あんたに言われたくはないな」
 近藤の頭上に上げた両腕が左右に開き始めた。すると両手に握られた木刀が、広げられた腕につられて、少しずつ左右に伸びて行くではないか。いや伸びているのではない。握った右手のあたりから木刀が割れ、白々とした刃物が姿を現したのだ。
 それは形こそ木刀の姿を呈しているが、その実内側にやや細めの日本刀を秘めた仕込み刀だったのだ。
 もちろん銃刀法の規制を逃れるためだ。
 近藤は木刀に仕込んだ日本刀を抜き放ち、その刀身に月光が映えてキラリと光った。
 それを見て初めて玉藻の表情が変化した。
 舌先が赤い唇を舐める。
 それまで黒い穴のようだった瞳に精気が宿った。その瞳に怪しい炎が揺れている。
 玉藻の全身から淡い桃色の瘴気が立昇るようだ。
 なんだ、これは。
 近藤は自分の内部に生じた衝動に戸惑った。
 それは暴力的な衝動だった。
 それは性的な衝動であった。
 目の前の女を滅茶苦茶にしてやりたいという強烈な衝動であった。
 その髪を引きずり回し、口の中に自分の大きなモノを突っ込み、思い切り掻き回したい。
 このギラギラ輝く日本刀で、その美しい顔を切り刻んでやりたい。
 理性が崩壊していくようだ。
 ありとあらゆる残酷なシーンが頭に浮かび、思わず声を上げそうになった。
 気が付くと後ろに跳び下がり、大きく距離をとっていた。
 危なかった。
 近藤は額の汗を拭った。全身を冷たい冷や汗が濡らしている。
 もう少し遅かったら、自分は訳も分からずこの女に斬り掛かって行ったろう。衝動に任せて斬りかかっても、勝てる道理がない。
 この女、化け物か?
 近藤は大きくひとつ息を吐いた。
 何時の間にか衝動は治まっていた。どうやらある程度の距離を保つことで、彼女の影響力は薄れるようであった。
 近藤は刀を収めた。
「時に女、白銀玉藻とか言ったな。お前、「ナイトランダー」という言葉を知っているか?」
「何のことですか?」
「ナイトランダーと呼ばれる男のことだ」
「何を仰っているのか、さっぱり分かりません」
 近藤はその顔を鋭い視線で見詰めていたが、やがてふっと視線を逸らすと、
「また来る」
 そう言い残して玉藻に背を向けた。
 六本木の闇に消えるその後ろ姿は、すっかり元の冷たい近藤宗親に戻っていた。
 ふう。
 とひとつ息を吐いて、玉藻は窓明かりの明滅する巨大な黒い影の方に目をやった。
 六本木ヒルズビルは半月型の月光を受けて淡く浮かんでいた。

 部屋の中には数人の男たちが居た。
 六本木ヒルズビル51階。
 インターナショナル・システム・インテグレータ。通称「ISI」。
 ビックデーターの収集・分析を主として行うIT企業である。御門龍介の表向きの勤務先ということになっている。
 部屋の中心にいるのは、御子柴正義警視正であった。
 その横には御門龍介が座っている。
 御子柴参事官の正面にはもうひとり、フォーナインズの眼鏡を掛けた温厚な顔つきの男が座っていた。
 指定暴力団「一心会」統括本部長、桜木晃一郎である。
 龍介がこれまでの経過を報告したところだ。
「つまり栃木県の飛駒町にある研究所が、蓬楽(ほうらく)医薬品の分室だということか?」
「そうだ。表立っては公表していないが、特殊な製薬の研究・開発をしているらしい」
「特殊な薬?」
「正規の製品には成り用のない製薬ってことだ」
「ふうむ」
 御子柴は龍介の言うことを理解した。
「陽だまりの家で見つけた資料も飛駒研究所のものだった」
「やはり陽だまりの家と飛駒研究所は繋がっていると考えるのがいいようだな」
「ところが飛駒研究所には十全銀行からかなりの資金が融資されているようなのです」
 そう言ったのは桜木本部長であった。
「飛駒研究所は銀行の取引先として優良だという事なのか」
「いいえ。取り立てて実績のある研究所ではないですからね。普通なら有り得ない話しでしょう」
「十全銀行が大川組を通して、裏で極城会と繋がっているという話があります。もしもそれが真実なら、蓬楽医薬品の後ろ立ては極城会と見て間違いないと思います」
「つまり蓬楽医薬品の飛駒研究所が開発した合成ドラッグが、極城会を通して豊島連合に流れているという事か」
「そうだと思います」
 御子柴は龍介を見た。
「となると陽だまりの家は、それにどう絡んでくるかだな」
「例の合成ドラック。分析の方は済んだのか?」
 龍介が言った。
「うむ。カンナビノイド系の化合物の他に、ある種のセロトニン擬似物質が含まれており、これが前頭葉のセロトニン受容体に結合すると、赤血球内のヘモグロビンから鉄分を、受容体に吸着させる作用をするらしい」
「どういうことだ?」
「要するに前頭葉に障害が起こる。前頭葉は思考、自発性、感情、理性など、即ち人間らしさを司る脳領域だ。ここが犯されると人間性が欠如し、通常では考えられないような残忍な行為を平気で行うようになる」
 御子柴が説明した。
「なるほど、例の3件の通り魔事件はそういうことか」
「多分、薬剤効果の検証のためなのだろう」
 一心会も豊島連合との抗争の中で、敵組員の不気味な不死身性については思い知らされている。
「痛みや不快と感じる部分は、感情に左右されるという説があるのだ」
 そう言うのは、心理学者でもある御門龍介だ。彼は自ら心法の謎を解明するために、京都大学の心理学教室に所属していた。
「同じような刺激を受けたにしろ、痛みの感じ方には個人差がある。例えば、注射を射つ場合にもそれを凄く痛いものと認識する者もおれば、大した痛みではないと感じるものもいる。そこには過去の記憶による痛みの認識の違いがあるというのだ。とすれば、感情が破壊された人間は痛みを感じにくくなるというのも頷ける」
「しかし摘出された成分は極微量だそうだ。精神的に影響を及ぼすには余程の量を摂取する必要がある」
「まだ開発段階ということか」
 龍介は頷いた。
「ロボとかロビーとか呼ばれる|覚醒剤|<アイス>が、巷に蔓延していると聴きます。恐らくそれが、最も完成品に近いものと思われます。お香のように吸引するのではなく、注射器(ハシ)によって直接体内に入れるタイプの物のようです」
 桜木が言った。
「ロボか。その名は聴いたことがあるが、出処はやはり極城会か?」
「出処は鳥鎧組ですが、裏には極城会がいるとみていいでしょう。鳥鎧組が豊島連合に降ろしているアイスは、このロボだということです」
「ところで、桜木」
 御子柴は改めて桜木本部長に向き直った。
「お前が以前言っていた、六体統合の話はどうなった?」
 ひがし東京には現在6ツの有力な暴力団組織があるとされていた。

 渋谷の一心会。
 浅草のだるま組。
 品川の赤沼組。
 赤坂の大原興行。
 霞ヶ関の菅原経済研究所。
 足立の明神一家。

 このうち大原興行と菅原経済研究所は指定暴力団ではない。表向きは一般企業だ。
 大原興行はAV系の芸能プロダクションだし、菅原経済研究所は経営コンサルタント会社である。
 しかし警視庁のマル暴は、その背後に暗躍する暴力組織を感知していた。大原興行の裏にはマキシマムエージェンシーの大神会長が、菅原経済研究所の背後にはデライトコンサルティングのCEO、渋沢統治郎が関係しているのではないかと考えられている。
 これら住島連合会に属する6ツの組織を統合して管理しようというのが御子柴の考えである。それが「六体統合」であり、そしてその切り札が一心会の桜木晃一郎なのである。
「豊島連合の台頭が有利に働きそうです」
 と桜木は答えた。
「極城会が本格的にひがし東京の覇権を狙ってくるとなれば、住島連合会本部としても黙っているわけにはいかないでしょう」
「お前たち傘下の組織に対抗処置が求められるか」
「傘下とはいっても配下に組みしているもの、あくまで提携しているだけのもの色々です。これをまとめるのは中々難しいでしょう」
「それは判っているが」
 桜木はニヤリとした。
「ところで、組織をまとめるのに、最も手早い方法は何だと思いますか?」
「何かな」
「外部に共通の敵を作ることです。今回の豊島連合は絶好の相手といえます」
「なるほど」
「浅草のだるま組がすでに連中と戦闘状態に入っています」
「例の大久保の件だな」
 大久保の貸し倉庫であった、俥座一家と豊島連合との抗争のことを言っている。俥座一家の助っ人としてだるま組が加わったのだ。
「だるまと仁吉は義兄弟の関係ですからね。とはいえ、だるま組が戦闘に加わったということは、事実上住島連合会がこの争いに加わるということです。だるまの紋次は、まんまと嵌められたことになります」
「ということは、一心会とだるま組には共通の敵がいる。連携は取りやすいという訳か」
「はい。しかし、そうなると問題は赤沼組ということになります」
 だるま組と赤沼組は仲が悪い。
 他の5ツの組織とは違い、赤沼組は住島連合会が東京進出のために送り込んだ、いわいる鉄砲玉である。
 赤沼組の組長・赤沼虎之助はもともとは清水の生まれで、清水次郎長に憧れて任侠の道に踏み込んだと言われる男だ。自らを「昭和の大政」と称し、次郎長に重ね合わせた住島連合会の二代目住島大五郎代表に忠誠を誓った男である。
 若い頃には「みどろの赤沼」と称し、随分と無茶を重ねたようだ。「みどろ」とは「血みどろ」の意味である。
 抗争相手を血みどろにするまで手を緩めないところから、そのような二つ名がついた。根っからの喧嘩好きである。その全身には百近い斬り傷や刺し傷があると言われている。
 その赤沼組が乗り込んできた70年代から80年代にかけては、正に血で血を洗う抗争の歴史であった。
 中でも最も果敢に立ち向かったのが、当時品川一帯を治めていた安藤組と浅草のだるま組であった。
 平成の時代に入ってからは、組織暴力団排除法の改正などもあって、さすがに一連の抗争は手打ちの状況になってはいるが、いかに共通の敵を目の前にしているとはいえ、犬猿の中のだるまと赤沼がすんなり手を組むとは思えない。
「ここはひとつ、不動のおやっさんにご出馬を願うしかありませんかね」
 と、桜木は言う。
「不動の慶次」と謳われた、ひがし東京最大の組織「明神一家」の黒木慶次である。だるま組と赤沼組の手打ち式に、見届け役として立ち会ったのがこの黒木慶次であった。常時は眠ったように動かないが、一旦事が起これば怒涛の如き勢いで全てを飲み尽くすといわれた伝説の男である。幕末の任侠・新門辰五郎の名を継ぐ一門の勇であった。
「わかった、任せる」
 と、御子柴は言った。

「ところで泳がせている男だが、今はどうしているんだ?」
 と言ったのは龍介である。
「西島透か? 奴はいま栃木にいる」
「栃木?」
「その西島だがな、どうやら栃木最大の暴力団・極城会系八坂興行の構成員であることが判明した」
 御子柴が言う。
「西島は豊島連合の構成員ではなかったのか?」
「いえ、西島は八坂興行から客分の扱いで豊島連合に加わっているらしいです。サラリーマンの世界でいう、地方転勤扱いといったところですかね」
 そう言ったのは桜木本部長である。
「左遷か」
「いえ、内情を探るのが目的でしょう」
「ちょっと待て、豊島連合を裏で操っているのは鳥鎧組のはずではないか。なんで八坂興行が?」
「恐らく八坂興行は、鳥鎧組とは別の目的で動いているのでしょう。連中の目的はズバリ、飛駒研究所です」
「なるほどな。鳥鎧組が豊島連合のシノギを独占しているのが、八坂興行とっては面白くないというところか」
 龍介は頷く。
「八坂興行といえば、北関東の極城会系の暴力団の中でも、鳥鎧組に継ぐ規模の組織ですからね。豊島連合に潰された金村組は、八坂興行直系の組織でした。そのシマを豊島連合を通して鳥鎧組に奪われたとあっては、彼らとしても黙ってはいられないでしょう」
「そうだな。しかしどうもすっきりとしない。どうにも西島の動きが、八坂興行と距離を置こうとしているように感じられるんだ」
 御子柴は考えながら言った。
「どういうことだ?」
「西島に十全銀行の襲撃を命じたのは八坂興行なのだろう。しかし彼は別の組織によって動かされているような気がする」
「別の組織?」
「例えば、陽だまりの家とか」
「なるほどな。西島と神蘭が組んで十全銀行の金庫室にあった何かを手に入れたというわけか」
「それは多分、鳥鎧組の持ち物だったのでしょう」
 桜木が言う。
「ということは、八坂興行は極城会に反旗を翻したということになるのか?」
「いや、まだそこまでは行っていないでしょう。ただ、鳥鎧組に対抗意識を持つ八坂興行の心理を、陽だまりの家の神蘭がうまく利用して目的を果たしたということでしょう」
「いまの所は親筋の極城会の顔を立てて大人しくはしていますが、事と場合次第によってはふたつの組織が対立する可能性は十分にあります」
「一心会の会長さんとしては、そうなってくれるのが望ましいというわけか」
 ふふん。
 と桜木はほくそ笑んだ。相変わらず何を企んでいるか判らない男だ。
「その西島という男ですが、栃木にとんだというのなら、飛駒研究所に接触を図ろうとしているのかも知れませんな」
「飛駒研究所。何故だ?」
 御子柴が訊いた。
「神蘭が手に入れたものは、恐らく研究所の開発したもののサンプルでしょう。連中は開発した商品そのものを狙っているのではないですか?」
「飛駒研究所か・・・」
 龍介は考え込みながら言った。
「なんだ。研究所がどうかしたか?」
「いや。例の見生というフリーの記者が飛駒研究所にえらく興味を持ってな。栃木に向かっているようなんだ」
「お前が神蘭の事務所に潜入する際に利用した男だな」
「ああ、もとは足立警察署の刑事だった男だ」
「それは厄介だな」
 御子柴は苦い顔で言った。
「西島には誰がついているんだ?」
「ああ、奴には新堂がついている」
「新堂? ああ、あの男か」
 先日、警察署の道場で白銀玉藻と立ち会った、精悍な顔つきの男を思い出していた。
 新堂武士警部補。
「あの男、確か4年前の剣道全国大会の優勝者だな」
「それがどうした?」
「その大会で準々決勝で反則負けになった男がいるんだが」
「反則負け?」
「もしもあれが反則を取られなかったとしたら、多分彼が優勝していただろうと言われている」
「ほう、それは初耳だな。誰だ、その男とは?」
「確か」
 龍介は真っ向から御子柴の顔を見詰めて言葉を続けた。
「近藤宗親とか言ったな」

 品川駅港南近くの繁華街である。
 居酒屋やホルモン焼きの店が立ち並ぶ狭い路地が、網の目のように走っている。終戦後の闇市の跡がそのまま残っているかのような街であった。赤ちょうちんの灯る街角に、女たちの嬌声や男たちの笑い声が聴こえてくる。腹を空かせた野良犬が、僅かながらの餌を探してうろつき回る。
 そんな裏裏路地の一角に、サラリーマン風の男を挟むようにして、ふたりの若者が額を突き合わせていた。
 いずれも薄汚れた作業着を着た男たちである。歳はいずれも20代半ばから後半といったところか、長身の男のほうがやや年上で頭に手ぬぐいを巻いてマスクをしている。背の低い男の方は紺色のニット帽を被っているが、その顔には幾分幼いものが混じっている。
 男達はサラリーマンに何かを手渡しているようだ。
「おい、お前ら。人のシマで好き勝手してんじゃねえよ」
 サラリーマンがジャケット内ポケットから財布を取り出そうとした時、路地の奥からドスの利いた声が聴こえてきた。
 男たちが顔を上げると、奥の暗闇から派手なアロハを着た男がチェーンを回しながら現れた。黒っぽいサングラスを掛けて、クチャクチャガムを噛み散らかしている。
「な、何だてめえは?」
 下っ端ヤクザのチンピラといった所であろうか。しかし下っ端でもチンピラでも、ヤクザはヤクザである。作業着の男たちはビビって後ずさりした。
 するとサラリーマン風の男がいきなり豹変した。背の高い方の腕を逆手に捻り上げたのだ。
 頭に手拭いを巻いた長身の男が悲鳴を上げた。
「馬鹿野郎が、引っかかりやがったな」
 サラリーマンの仮面を外した男が言った。凶悪な面構えをしたヤクザ者だ。
「てめえら何者んだ?」
「それはこっちのセリフだな」
 振り向くと、路地の入口からがっしりした人影が現れた。襟なしのシャツに安物のジャケットを引っ掛けた坊主頭の男だ。目つきにやばそうな光を湛えている。
「赤沼組の工藤ってもんだよ」
「え、閻魔(えんま)の銀次?」
「へえ、知ってんのか? 俺も有名になったもんだな」
 言い終わらないうちにニット帽の男の顎先に強烈な裏拳を飛ばした。ニット帽は折れた前歯を吹き出してその場にうずくまった。
 その背中を鉄板の入った安全ブーツの底で踏みつける。
 踏みつける。
 踏みつける。
 最初は悲鳴を上げていた男の声は、やがてか細いうめき声に変わり。すぐに大人しくなった。
 腕を逆手に抑えられた手拭いの男は、その光景を震えながら眺めている。
「さてと」
 一仕事を終えた工藤は、残った男の方を向いてニンマリと笑った。
「てめえには、いろいろ訊きたいことがあんだ」
「か、勘弁して下さい。工藤さん」
 男は座り小便を漏らし始めた。
 その時だった。
 ガルルルル。
 爆音と共に眩い光が一同を照らした。いつの間にか前後を数台のバイクに囲まれいる。
「ガーディアンズ!」
 長身の男が歓喜の声を上げた。
「なんだ? こいつら」
 アロハシャツの男が言ったとき、前後のバイクが一斉に躍りかかってきた。
 バイクに乗った四人の男たちは、いずれもフルフェイスのヘルメットに黒いライダースーツを身に着けて、鉄パイプでなぐり掛かってきたのだ。
 工藤は左腕を曲げて、鉄パイプの一撃を受けた。
「ぬがぁ」
 痛みに耐えて鉄パイプを掴むと、身体を捻ってバイクの前輪を蹴飛ばした。バイクに乗った男は、隣のバイクにぶつかって2台とも地面に転がった。
「このガキが!」
 奪い取った鉄パイプでフルフェイスを殴り付ける。メットの防風が砕け、中にパイプの先が食込んだ。
 フルフェイスのヘルメットの中の顔面は、飛び込んできた鉄パイプによって、血だらけになっているはずだ。
 メットの中から引き抜いた鉄パイプで、隣の男の肩口を叩く。
 ボキッ。
 という不気味な音と共に、その男の肩の骨が砕けた。右腕が倍近くの長さに伸びている。
 瞬く間にふたりの男たちを倒した工藤は後ろを振り返った。
 アロハシャツの男とサラリーマン風の男が、残りのフルフェイスに殴られ血だらけになって路面に転がっていた。
「貴様らあ!」
 工藤が吼えた。
 閻魔の銀次。
 荒っぽさが売りの赤沼組の中でも、飛びっきりの荒くれ者だ。たった独りで、浅草だるま組の事務所に殴り込んだ事もある。
 無鉄砲が服を着て歩いているような男であった。
 先頭の男が振り下ろした鉄パイプを、下からすくい上げるように弾き飛ばした。
 ガツン。
 火花が散る。
 勢いを殺さず、大きく円を描くように振り回した鉄パイプは、ライダースーツの太ももを襲った。
 メチャ。
 太ももの中央が折れて、膝が嫌な方向に曲がっていた。それでも男はうめき声ひとつ上げない。
 折れたはずの足を引きずって、何事もなかったかのように歩いて来る。
「な、何だ。こいつは?」
 さすがの工藤も言葉に詰まった。こいつ痛みを感じないのか?
 その時、凄まじい衝撃が彼の背中を襲った。
 膝を就きながら振り向くと、フルフェイスのヘルメットから血を滴らせた男が、鉄パイプを振り上げている所であった。その後ろには右手を倍近くまで伸ばした男が、普段と変わらない足取りで近づいてくる。
 激しい衝撃が頭部を襲い意識が遠ざかる。
 ひとりは足を折られ、ひとりは肩を砕かれ、そしてひとりは顔面を潰されても平然と立ち上がってくる。・・・
 こいつら、不死身か?
 さしもの工藤の顔にも恐怖の色が浮かんでいた。

「馬鹿野郎!」
 赤沼虎之助は怒り狂っていた。
 赤沼組長の前に手を付いているのは舎弟頭の工藤銀次である。「閻魔の銀次」と呼ばれた男だ。
 床に付いた手は右手だけだ。左腕は首から吊っている。
 その後ろには傷だらけのアロハ姿の男と、サラリーマン風の背広を着た男が、同じようにうなだれている。
 その前には白い布に包まれた、人数分の小指が置かれていた。
 左手の小指を自ら切ったものだ。
「俺の顔に泥を塗りくさりやがって」
 頭を下げた工藤を足蹴りにする。工藤は仰向けに倒れた。
 赤沼組のシマでクスリを売っていた、豊島連合の売人を捕らえようとして、返り討ちにあった工藤たちを責めているのだ。
「工藤。てめえが付いていながら、なんてえ様だ」
「すんません。かしら」
 工藤は頭を上げられない。
「まあまあ、おやっさん」
 真っ赤になって猛る組長を抑えているのは、若頭補佐の飯山三郎である。赤沼組長の右腕であり、直猛突進型の組長を抑えるブレーキ役でもあった。
 その横には同じく若頭補佐である息子の赤沼三虎が、凄い顔つきをして腕を組んでいる。
「連中、普通じゃないようですぜ」
「普通じゃねえだと?」
 そう言ったのは三虎だ。親父以上の凶暴な男との噂であった。
「へえ。奴らいくらやられても傷受けられても、平然と立ち上がってくるんでさあ。まるでゾンビだ」
 そう言ったアロハの口に、靴の踵が飛んできた。アロハは口から大量の血と、折れた前歯を吐き出した。
「馬鹿野郎。てめえに聴いちゃいねえ」
 三虎は唾を吐きかけた。
「おい、工藤」
 赤沼組長は言った。
「はい」
「本当か?」
「はい。連中は痛みを感じないようでした。腕を折られても、足を折られても何も感じないようです。折れた足で何事もなかったかのように平気で歩いていました。普通では考えられないことです」
「奴らは皆そんな連中なのか?」
「いえ、後から来たフルフェイスのメットを被った連中だけです。確か「ガーディアンズ」とか呼ばれていました」
「ガーディアンズ?」
「豊島連合の親衛隊のような連中です」
 飯山が口を挟んだ。
「一心会の連中も手を焼いているようです。暫く前に大久保の倉庫でヤクの取引きがあったんですが、そこで俥座一家と事を構えたのも奴らだったようで、さしもの俥座も組み敷きれなかったようです」
「ふん、あの仁吉が煮え湯を飲まされたとはな。面白えじゃねえか」
 虎之助はニヤリと笑って立ち上がった。こういう荒っぽいことが大好きな男なのである。
 肩に掛けられた羽織を脱いで諸肌を見せた。全身に無数の刃物跡が刻まれた、巨大な岩のような身躰である。背中に掘られた三面暗黒天の刺青が斜めに裂けている。
 数知れぬ闘争の歴史であり、彼にとっての勲章でもあったのだ。
「おい、飯山、準備しろ。城田のところへカチ込むぞ」
「かしら」
 ちょっと待って下さいよ。と言いかけた時には、すでにそれが始まっていた。
 出入り口の扉が開いて、傷だらけの組員が飛び込んで来たのだ。
「だ、代貸。た、大変です」
「どうした?」
 飯山が組員を抱き起こす。
「で、出入りじゃあ。奴らが突っ込んできやがった」
 その時だった。
 事務所の窓をぶち破って、轟音と共に巨大なダンプカーが飛び込んで来たのだ。
 凄まじい土煙の中、書庫や机が木の葉のように舞い上がり、人々の悲鳴と怒号とが交錯した。
「てめえ!」
 もうもうと立ち込める土煙の中から、鬼の形相をした赤沼虎之助が姿を現わした。額から唇から血を流している。
「挨拶に来てやったぜ、赤沼ァ!」
 ダンプカーの助手席から現れた城田興毅が、凶暴な牙を剥いてせせら笑った。
「上等じゃねえか、城田!!」
 全身を赤く血に染めた虎之助は、白刃を抜いて怒号した。
 こうして、あの「渋谷抗争」の前哨戦とも言える事件は始まったのである。


 
 銀座6丁目。
 JR有楽町駅から新橋駅のほぼ中間に位置するこの一角は、高級クラブと言われる接待飲食店が軒を並べる歓楽街である。
 クラブ「KAGEROU」は、その中でも新設のクラブであった。場所はみゆき通りから、7丁目の方へ少し入ったところの、タワービルの2階である。銀座のクラブ街でも最も賑わう場所である。
 内部はヨーロッパクラシックを基調としたモダンな造りで、落ち着いた大人の雰囲気をかもす店作りであった。開放感のある広大なフロアーの片隅には洒落たカウンター席が設けられ、豪華なソファー席に飽きた団体客のひとりが、ホッと一息をつけるような空間になっている。
 そのカウンター席に御門龍介と並んで腰掛けているのは、燕尾服姿の小柄な老人であった。
 年齢は70をやや越えたあたりか、えびす顔ともいえる穏やかな表情をした男性である。その頭髪はロマンスグレーというよりは、むしろ銀髪といったほうがいいくらいだ。
「大変な事になりましたな」
 と老人は言った。
 先日起こった赤沼組事務所への襲撃事件を言っているのだ。
 3日ほど前、品川の指定暴力団赤沼組の事務所で大掛かりな抗争があった。大型のダンプカーで乗り込んだ豊島連合の構成員らと、赤沼組の組員とが激しく撃ち合ったのだ。
 この争いで赤沼虎之助組長をはじめ、十数人の組員が負傷を負い病院に運ばれた。一方、豊島連合側は襲撃に成功すると、電光石火のスピードで引き上げて行った。その引き際も見事であったという。
 警視庁の捜査課は豊島連合の城田代表の行方を追ったが、その行方は容として知れなかった。
「聴くところによると、豊島連合には奇妙な方々がいると言うではないですか?」
「ガーディアンズとかいう連中のことですか」
 龍介がバーボンのグラスを傾けながら応える。
「はい」
「赤沼も連中には手を焼くでしょう」
「噂では不死身だとか」
「不死身ということはないでしょう。ただ、人より少しだけ痛みの感覚が鈍いだけです」
「それを可能にするのが、例の「お香」と呼ばれる合成ハーブですか?」
「いえ。確かにあれの中にも、そういう成分は含まれていますが量的には微量です。あれを吸い続けても直ぐにどうこうなるわけではありません。彼らの使用しているものは、もっと別の物でしょう。例えば「ロボ」という覚せい剤があります。あれはそういう代物の完成品に近いものかも知れません」
「別物ですか」
「恐らく人の人格自体を奪ってしまうような物だと思います」
「恐ろしいですね」
 老人は穏やかな表情で言った。
「頭のこの部分」
 龍介は自分の額の辺りを指で叩いて、
「前頭葉と呼ばれる部分には、人間の人格を司る機能があります。ここを破壊されれば、喜びや悲しみといった感情が消失し、人はひとではなくなってしまいます」
「ロボトミーですか?」
 老人は頷いた。
 ロボトミーとは1940年代から60年代にかけて流行した精神障害の治療法のひとつで、主に精神分裂病や人格異常による興奮などを抑える目的で、大脳の前頭葉の一部を外科的に摘出する術式である。ロボトミー手術を受けた患者の多くは、緊張、興奮などの症状が軽減したが、無気力、意欲の欠如、集中力低下や全般的な感情反応の低下などの副作用も多く現れた。そのため現在では事実上用いられなくなった治療法である。
「症状的にはそれに近いものを呈するようです」
「薬理作用として、それが可能なのかと?」
「蓬楽医薬品がその技術を開発したのです。最も最初は精神医薬品として開発されたのですが、その薬理効果に目を付けたのが極城会だった。彼らは鹿島の山奥にその医薬品、いやドラックですか、を製造する分室を立ち上げた」
「それがロボと呼ばれる覚醒剤ですか」
「ロボはロボトミーの「ロボ」とも取れます」
「なるほど。繋がってきましたね」
「それと例の「陽だまりの家」の神蘭が使う「煙」ですが、あれはそれとは少し異なると思います」
「ひとに幻覚を見せる煙ですか」
「はい。そして催眠の効果があります」
「それによって心法に近い効果を与えることが出来る、と」
「小泉先生」
 龍介は銀髪の老人の方へ向き直った。
「陽だまりの家と極城会の関係はまだ解りませんが、いずれにしてもこれは由々しき事態です」
「わかっていますよ。勿論早急に手は打たせてもらいます。ところでもうひとつ、懸念することがあります。例の「六体統合」の件ですが、話は進んでいますか?」
「桜木が苦労しているようです。しかし今回の件は彼にとっては、いい方向に転がるかも知れません」
「いい方に、ですか?」
「図らずも赤沼組が襲われたことによって、彼らには共通の敵が出来たことになります。ましてやその裏に、極城会が控えているとなれば尚更でしょう」
「なるほど。嫌が応でも共同して戦わねばなりませんか。そう上手くいけばいいのですが」
「ここから先は桜木のお手並み拝見というところでしょうな」
「そうですね」
「ところで先生。立て続けにふたりの人間から「ナイトランダー」について問われました」
「ほう。そうですか」
「一人目は御子柴ですが、もうひとりは俥座一家の近藤という男です」
「俥座一家ですか」
「とは言っても、こちらは私が問われたわけではありません。白銀が聴かれたのですが」
「なるほど」
「で、どういたしましょうか?」
「まあ、しばらくはそのままでよいでしょう。そのほうが色々と楽しそうです」
 先生と呼ばれた老人が楽しそうに笑ったところで、後方から声が掛かった。
「随分と楽しそうですわね」
 振り向くと美しい女性が優雅な笑みを浮かべていた。
 クラブ「KAGEROU」の春日ママであった。
 ぞくりとする程のいい女である。紫を基調とした鹿の子桜と桜金駒刺繍文様の訪問着を着ている。帯は袋帯で二重太鼓。
 年齢は三十台後半か、もしかしたらもっと若いのかも知れない。落ち着きの中にも、ふとした弾みに無邪気な表情が浮かぶことがある。
「お久しぶりですわね。おじいさま」
「おお、ママさんか。紹介しよう、こちらは御門龍介君」
 銀髪の小泉老人はママに向き直って紹介した。
「こちらは、KAGEROUの春日ママ」
「よろしく」
 と言った龍介の顔をまじまじと見詰める。
「御門さま?」
「ほう、ママは御門君を知っているのかな」
「いえ、珍しいお名前ですので、ちょっと・・・」
「なにか、気になることがございますか?」
 龍介はにこやかに言った。
「いえ、お名前だけは伺ったことが・・・。では、ちょっと失礼します。どうぞごゆっくり」
「彼女は私のことを知っているようですね」
「彼女はホラ、一心会の桜木君の愛人なのだよ」
 老人が龍介の耳に囁いた。
「なるほど、それで・・・」
 龍介は納得したように頷いた。
「ところで小泉先生とはどういったお知り合いですか?」
「わたしは、まあ、単純に彼女のファンといったところですか」
「ああ、なるほど。それはどうも、失礼なことを聴いてしまった」
「いえ、構いませんよ」
「と、いうことは、ここは桜木さんの息のかかった店ということになるのですね」
「はい。それを知っていただくのも、今日君を誘った理由のひとつです」
「そうでしたか」
 龍介は頷いた。
「それより先ほどの話なのですが、行方不明の藤木さん実家は青森だとか?」
「なるほど」
「はい。しかし実家の方には立ち寄った形跡はないようです」
「そうなのですか・・」
「何か心当たりでも?」
「いえ。わかりました。調べてみます」
「お願いします」
 龍介は頭を下げた。
「そうですわね。遠い中国の空の下で将介さんが知ったら、どんな顔をするかしら」
 そう言って静は、まるで女学生のように無邪気に笑うのであった。

第6章 六条

 足利市郊外のドライブインである。
 窓の外に青い空が見える。空が高かった。空気が澄んでいるのである。遥か遠くには赤城山の山並みが見渡せる。
 墨田あゆみはぼんやりと窓の外を眺めていた。テーブルの向かいでは見生道彦が、背中を丸めて道路マップと首っきりである。
 そんな見生に視線を移す。
 下を向いている頭髪に白いものが混じっている。ロードマップを前に頭を抱えている姿が妙に親父くさい。
 無理もない。見生は今年38歳、あゆみとは15も違う。親子といっていい年齢差だ。
 親父か。・・・
 あゆみは咥えたストローを尖らせた。
 墨田あゆみは江戸川区の生まれであった。あゆみは小さい頃に父親と別れ、それから母親ひとりの手で育てられたから、父親の顔はよくは覚えていない。
 唯一覚えているのは背中の大きさだけだった。江戸川の土手を父親に背負られて散歩したことだけを鮮明に記憶している。
 松島町から高速の下を潜って小松川町へ。川岸を歩くと、水辺を撫でる風が心地良い。
 父親の背中は大きかった。そしていつもウキウキとしていた。父親のウキウキとした楽しげな気持ちは、背負われている彼女にも伝わってきた。だから彼女は、そんな父親の背中が大好きだった。
 やがてふたりは川べりに設けられた大きな池のような所に行き着いた。そこは数台の小舟が、もの凄い勢いで走りまわっている場所であった。幼い彼女にはそれが何を意味しているのかは解らなかったが、そこにいる人たちは皆もの凄く興奮していて、幼心にもひどく怖かったことを覚えている。
 そんな彼女に父親は小さな赤い風車を買ってくれた。
 それを手に取って、再び父親に背負られて夕暮れの川べりを帰るのだ。帰りの父の背中は、何故か行きより小さくなった気がした。楽しげなウキウキ感もなく、どこか寂しそうですらあった。
 だから彼女は帰りの背中が嫌いだった。ただ赤い風車だけは彼女のお気に入りだったのだ。
 そしていつの間にか父親は彼女の前から居なくなり、赤い風車もどこかへいってしまった。
 いまにして思えば、どうしようのない父親だったと思う。
 母親はやさしかったけど、いつも父親の愚痴ばかりをこぼしていた。それはそれで無理のないことだとあゆみは思う。いまさら父親の顔を見たいとは思わないが、心の奥底の一番深いところでは、やはりあの背中は恋しいとも思えるのだ。
 わたしはファザコンだからな。
 あゆみは見生道彦という男に、顔すら覚えていない父親の面影を重ねているのかも知れない。
「なんだ? 墨田」
 不意に頭を上げた見生に見つめられて、顔を真っ赤に染めた。
「別に」
「変なヤツだな」
「で、ケンさん。場所、分かったの?」
 あゆみは言った。

 蓬楽医薬品飛駒研究所の場所を探しているのである。栃木県の足利インターを降りて、県道を山なりに登る。飛駒町はこの辺のはずだ。しかし肝心の研究所の場所が分からない。
 あの日、陽だまりの家から持ち出した資料には、正確な場所が記載されていたはずだ。しかしそれは俥座一家に取り上げられて今は手元にない。あとは記憶に頼るしかないのだが、残念ながら見生にはその記憶が甚だ頼りない。
 それにしても俺はなんでこんな場所にいるのだろう?
 改めて考えるのに、理由についてははっきりとはしない。
 最初は陽だまりの家と折原雅の関係を探るのが目的だった。アイドルの折原雅は、しきりと陽だまりの家に出入りしているらしい。それで陽だまり家に取材に行ったのだ。そして神蘭と名乗る教祖に会った。
 神蘭は奇妙な術で自分やあゆみに過去の幻影を観せた。そしてあの不気味な預言。そのお陰で自分は腰を痛めたのであった。
 御門龍介と名乗る銀色の瞳を持つ男との出会いもそれに関わってくる。
 成り行きで忍び込んだ陽だまりの家の事務所。そこで手にした飛駒研究所の資料。そして俥座一家。
 あの悪名高きヤクザ一家の事務所に監禁され、あわやという時に助けられたのは、やはり御門龍介という男のお陰であった。
 御門龍介とは何者か?
 俥座一家の火車の仁吉。もと足立警察署のマル暴出身だけあって、その名前は嫌というほど聴かされた。数ある暴力組織の中でも最も警戒すべき男のひとりである。
 喧嘩日本一。そんな噂さえも耳にしたことがある。その仁吉が御門龍介には一目置いているようなのだ。
 御門龍介。
 どういう男なのか?
 どうやら自分はとんでもない事件に巻き込まれているようだ。
 しかし何だろう。決して嫌な気分ではない。
 もちろん怖くないと言えば嘘になる。流石にこれはヤバイだろうとも思う。
 しかしどこか心が沸き立つ思いがするのもまた事実なのである。
 ジャーナリストの良心。
 そんなものはとうの昔に亡くしてしまった。いや、最初から持ち合わせてはいなかった。
 長年勤務した足立の警察署を辞め、行くあてを失った見生を拾ってくれたのが、学生時代に世話になった先輩の里中だった。ただそれだけである。
 もと警官というだけで里中は彼を拾ってくれたのだ。
 ヤクザ社会の裏情報。大都会の闇。警察組織の裏事情。読者の興味を引く話題は山ほどある。それを面白おかしく書いてくれればいい。
 そう誘われた。
 そうだ。自分はジャーナリストではない。刑事でもない。ただの半端な物書きだ。
 だがしかし、それでも自分なりの意地はある。あの日里中は言っていた。
 だけどさ、クソにはクソなりの意地ってもんがあんじゃないの?
 悔しいよなあ。悔しいよなあ。
 いつかどこかで見返してやりたい。こんなクソみたいな自分を。警察組織を。そして社会そのものを。
 この事件を追うことでそれが叶うのか、それは判らない。わからないがそれだけの価値はありそうだ。
 しかし、場所が分からないないのではどうしようもないな。
 顔を上げた見生の視界に、ひとりの男が飛び込んできた。
 シックな細いストライプの入ったスーツを着こなした長身の男だ。髪は短め、濃いグリーンのサングラスを掛けている。
 その男がドライブインの出入り口から入ってきた。
 まさか、あの男。
「どうしました? ケンさん」
 怪訝な表情に気付いたのだろう、あゆみが小さな声で聴いてきた。
「しっ。今、入ってきた男だ」
「あの男が何か?」
「岩渕啓二。折原雅のマネージャーだ。間違いない」
「えー、まさか」
 あゆみが振り返ろうとするのを手で制した。
「なんで折原雅のマネージャーがこんな所に」
「わからん」
 そうこうしている内に、岩渕はふたりの前を通り過ぎて、後方のボックス席に腰を降ろした。
 その席には予めひとりの男が座っていたらしいが、見生の位置からは逆方向になっていて、振り返らねば確認することが出来ない。
「岩渕の座った席に男がいるな」
 向かいの席のあゆみに声をかける。
「ええ」
「どういう男だ?」
「若いです。20代くらいの。ニット帽を被って、やはりサングラスを掛けています。なんか顔を隠そうとしているみたい」
「知った顔か? 芸能人?」
「いえ。全く知らない男です」
 ふたりは暫く小声で話し合った後、連れ添って席を立った。
「行くぞ」
 ふたりが店の外へ出るのを待って、見生とあゆみも席を立った。
 そんな彼らを店の奥から、じっと見詰めるふたりの男たちがいた。ひとりは黒いフレームのメガネを掛けたサラリーマン風の男である。もうひとりはがっしりとした体格の大きな男である。柔道かなにかの格闘技をやっているかのような身のこなしで、如何にも重そうな身体を楽々と運んでいく。
 駐車場に出ると、ふた組みの車が、いま正に出発しようとしている所であった。
 先頭を行くのはサングラスを掛けたふたり組の男たちのセダン。そしてやや間を開けてその後を追う、見生とあゆみのランドクルーザー。
 最後の男達は黒塗りのワンボックスカーに乗り込んだ。
 助手席に乗り込むまでの間、がっしりとした男が携帯で何やら指示を受けていた。
「はい。わかりました。了解です」
 どこまでも青い飛駒山中の空の下、奇妙な3組の追走劇が始まった。


 
 そのレストランのボックス席に座り、新堂警部補は油断のない視線を斜め前の窓際の席に向けていた。
 栃木県足利市の国道に面したドライブインだ。
 向かいの席には藤巻という機捜の後輩が座っている。藤巻は後方を気にする素振りもみせずに、ゆうゆうと茸と山菜のクリームスパゲティを口に運んでいる。
 郊外のこのドライブインに入ってから、すでに2時間あまりが経過しているが、尾行対象者(マル対)西島は座席に根が生えたように動こうとはしない。かといって食事を取るわけでもない。アイスコーヒー1杯でそこまで粘っているのだ。
「誰かを待っているようですな」
 藤巻が呑気に言う。
「誰かって、誰だ?」
「まあ、そう焦らんでも、じきに分かりますよ」
 警視庁公安部人材登用課。
 公には存在しない部署である。民間人の協力者を登用して、潜入捜査を専門に行う部署である。一般に公表できるような部署ではない。公安部の御子柴参事官の肝いりで設立された極秘の部署であった。
 ということは自分ももはや警察官ではなく、民間の協力者に過ぎないということか、そんな風に考えることもある。
 それまでは飯田橋の遺失物センターに勤務していた。その前は足立警察署の暴力団対策課だ。
 足立署時代、捜査中に事故に遭い全身に大やけどを負ったのだ。一時は生命も危ぶまれたが、一年間に及ぶ入院生活・リハビリを得て復帰することが出来た。復帰後回されたのが、遺失物センターだったわけだ。
 人材課に配属が決まった瞬間、公安機動捜査隊に出向が決まっていた。表向きは機捜への直配である。
 思うに御子柴課長は機捜の中に、直命で動かせる実行部隊が欲しかったのではないか。それがわかったのは、ひと月ほど前の護送車襲撃事件であった。
 十全銀行襲撃事件の容疑者西島透の乗った護送車が何者かに襲われ、西島容疑者が強奪された事件である。あれを画策したのが御子柴課長であり、実行したのが新堂である。それから新堂は西島の背後に張り付いてその動向を探っていた。
「おや?」
 ふと新堂は入口の扉を開けて入ってきたカップルに眼を止めた。それは30代後半とみられる男と、20代前半の女の組み合わせである。一見では親子のようにもにみえる。女の方はあまり身なりに関心がないらしく、無地のTシャツにダメージジーンズというスタイルだ。小柄でかわいいい感じの女の子なのに、髪の毛はぼさぼさのショートカットで、化粧もあまりしていないらしい。大きなカメラボックスを抱えている。
 問題は女の後から入ってきた男のほうであった。
 まさか、あの男。・・・
「どうしました? 新堂さん」
 藤巻が怪訝な眼差しを向ける。
「いや、今入ってきた男が、昔の知り合いに似ていたのでな」
 そのふたりは西島のボックスの、ふたつほど前の席に腰を降ろした。
 見生先輩。・・・
 3年前のあの爆発事件が蘇る。あの日、警察の手入れがあることを、何故か彼らは気付いていた。気づかれた上に罠を仕掛けられたのだ。そのせいで自分は一生消えない火傷の痕跡を、この身に刻みつけられた。今でも胸から腹にかけて引攣れたような疵痕が残っている。
 情報を流したのが見生先輩であるという噂は、それから暫くして聴いた。
 まさかあの見生さんが。・・・
 新堂にはそれが信じられない。しかし入院中の彼にはそれを確かめる術がなかった。そして確かめることなく、見生はその姿を消したのであった。
 新堂の胸の内を苦いものが込み上げてきた。
「新堂さん」
 藤巻の声で我に帰った。新しく入ってきた男が西島のボックス席に腰を降ろしたのだ。シックな細いストライプの入ったスーツを着こなした長身の男だ。歳は30過ぎのようにみえる。見たことのない男だった。
「待ち人来る、ですか?」
 藤巻が呟いた。ふたりは暫く小声で話し合った後、連れ添って席を立った。
 続いて席を立とうとした新堂は、前の席の見生たちが西島たちの後を追うように席を離れるのを見た。明らかに西島たちを尾行しているようだ。
「どういうことですか? 新堂さん。お知り合いもご一緒ということで、いいのですか?」
「知らん」
 見生はポケットから携帯電話を取り出した。
「新堂です。マル対が動きました。はい、ツレが一緒です。・・・いえ、確認できません。・・・はい。それと、マル対の後をふたり連れの男女が追っています。・・・そうです。男の方は元足立署の見生かと思われます。・・・そうです。確認をお願いします」
 助手席に乗り込む前に携帯が鳴った。
「はい。わかりました。了解です」
 西島たちを乗せたセダンの後を追う見生のクルーザー。新堂と藤巻のワゴンはその更に後を追う。
 先頭車は国道を暫く走った後、すぐに山合いの間道に入った。尾根沿いに登る細い山道だ。
「まずいですね」
 藤巻は言った。
「これじゃ、尾行がバレバレじゃないですか」
 車は更に細い枝道に入った。車一台が通るのがやっとの細道だ。舗装もされていない狭い山道が延々と登っている。
 道の左側は切り立った斜面だ。遥か下方に沢を流れる水音が聴こえる。
 新堂は押し黙ったままだ。
「ところで新堂さん。前の車、何者なんです?」
「・・・」
「さっきの電話、聴こえましたよ。見生とか言っていたじゃないですか。元足立署のマルB、見生警部補。住島連合会系明神会と繋がっていたという噂がありましたが、どうなんですかね」
「・・・」
「もし噂通りなら、明神会と西島が繋がっているということなんじゃないですかね。西島は極城会系八坂興行の構成員のわけでしょう。ということは、明神会と八坂興行が裏で繋がっている・・・これは大変なことですよ」
「少し黙って、運転に集中しろ」
 新堂が苛立ったように言った。
「見生さんはそんなひとではない」
「しかし、そのせいで新堂さんは怪我を負ったんじゃないですか」
「だから黙れと言ってるんだ!」
 思わず新堂は運転席の藤巻に掴みかかった。
「あ、あぶない」
 叫んで藤巻は車を路肩に寄せた。それは新堂が掴んだからではない。山の斜面を大きな岩が転がり落ちてきたのだ。
 落石は轟音をたてながら、先頭の車両を巻き込んで、あっという間に沢下に転がり落ちていった。
 助手席から飛び出して山の斜面を見上げた新堂は、一瞬、斜面の木陰を走り抜ける人影を観たような気がした。
 路肩に停車したワゴンのすぐ前方では、危うく事故に巻き込まれるところであったランドクルーザーから降り立った男女が、落石のあった斜面を呆然とした顔つきで見下ろしていた。
 新堂たちが近づくと、男のほうがハッと顔を上げた。
「お久しぶりです、見生先輩」
 新堂は言った。
 

 2009年3月15日、その日、白金台の高台にあるその高級ホテルは異様な緊張感に包まれていた。
 ホテルの後方、東京庭園美術館の森林に面した巨大な駐車場には、何10台もの黒塗りの高級車が並び、見るからに異様な雰囲気を醸し出す男たちが、其処此処にたむろしては周囲に鋭い視線を送っている。
 その車たちの更に周辺には、警視庁の警察車両や特型警備車両がぐるりと取り囲み、完全武装した機動隊員が厳しい顔つきで取り囲んでいるのだ。
 ホテルの正面玄関には管区機動隊員がびっしりと張り付き、出入りする組関係の人間たちを厳しく管理している。出入りを許されなかった何百人もの暴力団組員たちが、その周辺や駐車場のあたりに群れをなしているのである。
 その日、日本の極道史上最大クラスといっていい、大規模な集会が開かれようとしているのであった。ひがし東京を代表する6つの暴力団の組長が一堂に会し、東日本最大の極城会系の暴力団の進行に関する会議が行われようとしているのである。
 主会議室「鳳凰(ほうおう)の間」。
 地上50階。ホテルの最上階に位置するそこは、数ある会議室の中でも最上級に属する大会議室である。
 天井や壁にはロカイユ装飾を模した、煌びやかな抽象彫刻が施され、五つの巨大なシャンデリアが高い天井から吊るされている。床に惹かれた絨毯はタブリーズ地方のシルク生地。窓にかかるカーテンも最高級のドレープカーテンだ。
 部屋の広さは170平米ほど。畳ならたっぷり50畳ほどは敷き詰められそうだ。
 部屋の中央に置かれた長方形のテーブルを挟んで、6人の組長とオブサーバーとしてそれぞれの若者頭たちが座っている。

 渋谷「一心会」統括本部長、桜木晃一郎。副本部長、時任重光。
 浅草「だるま組」組頭、熊谷文次郎。若頭、黄桜十蔵。
 品川「赤沼組」組長、赤沼虎之助。若頭、赤沼虎次郎。
 赤坂「大原興行」社長、大原吾郎。副社長、篠山健吉。
 霞ヶ関「菅原経済研究所」所長、菅原真一。副所長、前田正充。
 足立「明神一家」会長、黒木慶次。最高顧問、西崎あたる。

 その後方、廊下に面した扉の周囲には、それぞれの用心棒たちだろうか、総計30名ほどの黒服の男たちがビッシリと並んでいる。
 議長ならびに進行役はこの集会の主催者である一心会の桜木晃一郎が努めることとなった。
 赤沼組の赤沼虎次郎あたりは猛烈に反対したが、会の発起人である桜木が務めるのが妥当だろうということで、そういうことに収まったのだ。
 桜木は窓際の左端に腰を降ろしている。
 桜木晃一郎は極道の親分にしては温厚な顔つきをしている。年齢は40代前半であろうか、ところどころ白髪の目立つ刈り上げの頭にやや面長の顔。銀縁の眼鏡をかけ、髭は丁寧に剃っている。一流商社の役員といったところか。
 しかしその穏やかな表情を残したまま、どこまでも非道になれることをここに居る親分衆の誰もが知っている。しかるにこの男が密かに警察の公安と通じていることは誰も知らない。どういう経緯で彼が公安の人材登用課と組んでいるのかは謎だが、彼が住島連合会側の情報を公安に流しているのは事実である。
 その見返りは何なのか。一心会のシノギは主に売春。渋谷、青山、六本木近辺の高級デリヘルやホテヘルを一手に締めている。その顧客の中には高級官僚、大物政治家、財界のトップクラス等、日本の中枢を担う人物が数多く占めている。それはすなわち彼が、政財界の大きな弱みを握っているということになるのである。
 桜木晃一郎。何を考えているのか、謎の多い男であった。

 その隣には東京極道界の重鎮、黒木慶次が控えている。
 明神一家の会長、黒木慶次は大きな男だ。かって東京中の任侠をまとめ上げたという伝説の男である。
 左腕の肘から先がないのは住島連合会の東京進出の際、浅草のだるま組と赤沼組の手打ちの話をまとめる席上にて、住島連合会代表柳川虎吉の眼前で、肉切り包丁で自ら叩き切ってみせたからだ。
 それで手打ちはまとまり、柳川虎吉にその度胸と男気を高く評価され、黒木は住島連合会の最高幹部に抜擢された。
 黒木慶次とはそういう男である。
 ころりとした丸い身体はどことなく上野の西郷像を連想させる。その体型に似合うように、誠に柔和な顔をしている。
 目は細く、常に笑みを浮かべているのだが、その柔和な男が怒ると鬼の形相に変わるのを皆知っている。
 ここ数年は身体を壊して表舞台から姿を消しているといわれているが、久しぶりに姿を現した黒木はやはり少しやつれた表情をしている。120キロはあろうかといわれた身体もいまは幾分細っそりと見える。闘病中という噂もまんざら嘘ではないようだ。

 その隣に渋顔で座するのは、浅草「だるま」組の組頭、熊谷文次郎である。
 齢い78歳ながらも若い者には退けを取らないという気迫に溢れた人物だ。見た目は昔ながらの頑固爺いの典型である。
 白髪頭を短く刈り上げ、朝黒い顔には深いシワが刻まれている。ただしその眼光は、睨みつけられただけで小便を漏らしそうな迫力がある。
 代々浅草の侠客としてこの地を守って来たという自負がある。だから住島連合会の東京進出の際には、その矢面に立って戦い抜いてきた男であった。
 死闘を繰り広げた清水の赤沼組とは、兄貴筋である明神一家の黒木慶次の顔を立てて手打ちに応じているが、決して軍門に下ったわけではない。
 それは長テーブルを挟んで対角に座る赤沼組の赤沼虎之助も同じであろう。
 赤沼組は35年程前、住島連合会の東京進出の先鋒として、品川に乗り込んできた組織である。当時品川一帯を縄張りにしていた安藤組と、血で血を洗う抗争を繰り広げたものだ。
 その時、安藤組に加担して一緒に戦ったのが、浅草だるま組の熊谷文次郎であった。
 みどろの赤沼、だるまの文次。その因縁は未だに耐えることなく続いている。

 ひがし東京を支配する6っつの暴力集団。
 そのうち住島連合会の杯をもらって、正式に親子の縁を結んでいるのは、一心会の桜木晃一郎、赤沼組の赤沼虎之助、そして明神一家の黒木慶次である。
 だるま組の熊谷文次郎と菅原経済研究所の菅原真一、大原興行の大原吾郎の三者は正確には住島連合会の傘下ではない。ただ三者とも同盟関係は結んでおり、互いに縄張りには手を出さないことになっている。
 中でも菅原経済研究所に至っては暴力団の指定さえ受けていない。菅原経済研究所というのは表向きの看板で、その実態はデライトコンサルティング会長・渋沢統治郎の裏稼業のダミー会社、いわいる舎弟企業であるというのが一般的な見方である。
 渋沢統治郎はITバブル崩壊後のM&Aや株価の操作で名をあげた人物である。インターネット接続会社のラジカルジャパン、無線通信会社の大光無線、システム開発会社の沖システムなどの乗っ取りに関与しているといわれている。
 その渋沢統治郎の指南役的存在、が菅原経済研究所の菅原真一なのである。
 菅原経済研究所の菅原真一はその前身が総会屋の元締めで、以前は住島連合会系のある組織で顧問相談役を勤めていた。学生時代は渋沢統治郎の家庭教師をしていたが、統治郎の経営者としての能力の高さに目をつけた彼は、統治郎を担いでデライトコンサルティングを立ち上げた。彼の狙い通り統治郎はたちまちの内に頭角を表し、ITバブル界の寵児とよばれるようになる。
 その後菅原は統治郎の裏方に徹し、マネーロンダリングを初めとする様々な汚れ仕事を一手に引き受けるようになるのである。
 そういう意味では渋沢統治郎も、経済ヤクザ以外の何者でもないのだが、表の部分「デライトコンサルティング」会長の政財界への影響力から指定暴力団の認定を避け続けているのだ。

 そして末席に連なるのは大原興行の大原吾郎。
 小柄な神経質そうな男である。黒縁の眼鏡の下の表情は殆ど動かない。何を考えているのかわからない。
 ある意味、この席には最もふさわしくない人物といえるであろう。大原興行はAV業界では悪名の高い会社である。未成年者をAVに出演させた疑いで何度も手入れを喰らっている。だがしかし、その都度起訴を逃れているのは、そのバックにマキシマムエージェンシーの大神士郎の影響力があるからという見方が一般的である。
 菅原経済研究所が渋沢統治郎の裏組織であるのと同じように、大原興行は大神士郎の闇の部分を司る舎弟企業であった。
 大原興行はある意味、住島連合会ともっとも深い継がりにあるといっていい。
 大原興行の前身は大神興業といい、大神士郎の父親大神源次郎の設立した芸能プロダクションだ。終戦後の混乱期を席巻した地元ヤクザの親分だった。
 国民的歌手・海空かすみを有して関東進出に乗り出した柳川虎吉と組んで、瞬く間に関東一帯の芸能界を支配した。したがって大神士郎と住島連合会との付き合いは、親子の代から続いているという訳である。
 とはいえ大神士郎は引退届を提出していて、そもそも表向きはヤクザではない。もちろんそれを信じている業界人はひとりとしていないのだが。
 大神士郎の最も得意とするところは、芸能界のドンというべき圧倒的な事務所のチカラで、マスメディアを支配するマーケティング戦術である。新聞、雑誌、テレビ、ネット配信というあらいるメディアを巧みに駆使し、情報戦略を仕掛ける。それによって株価の操作にのみならず、政治、経済、そして与論さえも自由に操作できると豪語するのだ。
 そしてもうひとつ。忘れてはならないのが新宿歌舞伎町の俥座一家であるが、桜木晃一郎の再三の呼びかけにも、とうとう首を縦には振らなかった。仁吉には仁吉なりの考えがあるのであろう。

「皆さん、お忙しいところをお集まり頂きまして恐縮です」
 一同が席に着くのを見計らって、桜木晃一郎が立ち上がって開催の挨拶を始めた。
「ふん。つまんねえ前書きはいい。とっとと話を始めやがれ」
 ジロリと桜木の顔を睨めつけて不平を漏らしたのは赤沼虎之助であった。桜木が集会の主導権を握っているのが、どうにも我慢が出来ないらしいい。
 虎之助は得体の知れない桜木が嫌いであった。新参者のくせをして、住島連合会の中では自分と同じ若頭補佐の役職にあるのも納得がいかない。
「それでは前置きは省きまして、早速本題に入りたいと思います」
 桜木は苦笑を浮かべて話を続けた。
「本日、皆様にお集まり頂きましたのは他でもありません。いま各地で問題を起こしております豊島連合の件についてなのですが・・・」
「おい、ちょっと待てよ」
 再び話の腰を虎之助が折った。その鋭い眼光が、末席の菅原真一と大原吾郎に向けられていた。
「菅原。てめえの所はなんで渋沢統治郎が来てねえんだよ。俺ァ知ってるぜ、渋沢のガキが幾つものフロント企業を手掛けて、しこたま荒稼ぎをしてるのをよ」
 怒れる猛虎のような視線を真っ向から受けても、菅原真一は微動だもしない。頬から顎にかけての髭面にモスグリーンのサングラス。唇にシニカルな笑みを浮かべる。
 陰のオーナー渋沢統治郎の代理とはいえ、流石に根性は座っている。
「渋沢の野郎がお前らのボスだということは割れているんだよ。だったら勿体つけずに、親分が出張るのが筋というもんじゃねえのかい」
「まあ、まあ、赤沼さん。ひとそれぞれ事情というものがありますから」
「ふざけんなよ、大原。てめえのとこだってそうだ。大神の小倅はなんで出てきやがらねえ!」
 場を執り成そうとした大原吾郎に、返す刀で切りつけた。
「大神さんの所とウチとでは何の関わり合いもありませんよ。それは確かにウチの会社の前身は、亡くなった大神さんのお父様が創立したものですが、息子の士郎さんはとっくにこの世界から足を洗って、いまでは立派に芸能プロダクションをなされておられるのですから」
「ふざけるんじゃねえぜ。そんな理屈がどうして通るんだよ。あの大神士郎ってガキは、親父以上の腐れ外道だぜよ」
 もともと気に食わない大神士郎のことだけに、虎之助は今にも掴みかからない勢いだった。しかし一見気弱そうにみえても、さすがに一組織を任される大原は少しも恐れる様子をみせない。
 やはりここに集う男たちは、どいつもこいつも一筋縄ではいかない連中のようだ。
「静かにしないか、虎」
 黒木慶次がボソリと言った。静かな声ではあるが、腹の底に響くような重みのある声だ。
 さしもの虎之助も黙るよりなかった。
「では、よろしいですか」
 桜木が続きを始める。
「皆さんすでにご存知とは思いますが、ここ最近池袋の豊島連合の動きには眼に余るものがあります。我々の縄張り内で、勝手に新種の覚せい剤を売り歩き、そればかりではなく先日は赤沼さんの・・・」
 横目で虎之助の方を見やる。
「事務所に野蛮な行為を仕掛けました」
「ふん」
 虎之助は言った。
「城田のガキは、あれから姿をくらましているというじゃねえかよ」
「はい。あれだけの事をしでかしたのですから、当然警察も無視するわけには行きません。公安の特捜がその行方を探っています」
「ふん。やけに詳しいじゃねえかよ、公安について」
 意味深な言い方をする。しかし桜木は平然と言葉を重ねる。
「しかしだからと言って、これで済んだというわけではありません。連中のバックには極城会系鳥鎧組がついています」
「極城会系最大クラスの組織よのう」
 だるまの紋次が片頬を緩めて言った。
「これは事実上、極城会の宣戦布告と受け取って良いと思います」
 会場全体に緊張が広がった。いよいよ東日本最大の組織極城会との戦争になるのか、という張り詰めた空気が流れる。
「おう。上等じゃねえか、いつでもやってやるぜ」
 いつものように虎之助が吼える。ここ最近、大掛かりな出入りがなくて腕が鳴ってしょうがないなどとほざくのだ。
「勇ましいじゃねえかよ。え、赤沼の」
「やかましいわ、だるまの爺いが。ついでにてめえの所も潰してやろうか」
「内輪もめしている場合ではありません。新宿方面では、すでに西口の有田組、二丁目の花岡組、四谷の白井興行といったところがやられています。あとは歌舞伎町の俥座一家ですが」
「おう、だるま。仁吉の所へはてめえが助太刀に行ったのだろう?」
「ああ」
 熊谷文次郎が苦い顔で応える。
「あの連中は普通じゃねえ。多分クスリの影響なんだろうが、痛みというものを感じねえらしい。厄介な連中だ」
「そう。最大の問題はそこにあります。彼らの流しているクスリには、痛みの感覚を鈍らせ戦闘能力を飛躍的に上げる効果があります。新宿の、みっつの組はそれで落ちました」
「しかし、豊島連合は事実上、公安にマークされているわけでしょう。だったらこれ以上、手はだせないのではないですか?」
 そう言ったのは大原興行の大原吾郎である。
「はい。しかし私の見るところによりますと、豊島連合はただのチーマーの集団。鳥鎧組にとっては捨て駒のひとつに過ぎません。現に、にし東京の極城会系の組織が動き始めているとの情報も入ってきております」
「にし東京の極城会系といえば、まずは杉並の波濱興行。そして調布の須王会。八王子の山並組あたりか」
 今度は菅原経済研究所の菅原真一が口を開いた。
「特に調布の須王会は東京都議会と継がりが深いと聞きますから、動き出されると厄介ですね」
 皆一様に黙り込んだ。
「で、どうするんだ、桜木。次に狙われるのは、てめえのところだぜえ」
 虎之助がニヤリと笑って桜木を見やる。
「ですからひとつ、私から提案があります」
「提案だあ?」
「これは既に四代目の親分さんも御承認のことですが、いまここにいらっしゃる六つの組で連合組織を作り、事の処理に当たりたいと思います」
「連合組織だと?」
 虎之助が大きな声を上げた。
「勘違いをしないでいただきたい。連合組織といっても全てを統一する訳ではありません。あくまで極城会の進行に対抗して、協力して闘っていこうというのが趣旨です。縄張り、シノギ、その他の組の方針に口を出すつもりはありません。名づけて六条委員会」
「委員会というからには何かの約定があるということですか?」
 菅原が訊いた。
「はい。委員長は取り敢えず黒木会長にお願いするとして、案件はこの6人の委員の合議制で決めようと思います」
「3対3で意見が衝突した場合はどうします?」
「その時は黒木委員長に採択を委ねたいと思います。委員会の約定として、守らねばならない要件は次の6つのみです」

 1、当委員会は極城会の進行に備えるものであり、それ以外の目的に適用されるものではない。
 1、当委員会は6人の委員の合議制によって案件の決定を行うものとする。
 1、当委員長は6人の委員の投票により任命される。(暫定的に黒木委員を委員長と定める)
 1、当委員会の意見が割れた場合は、委員長の採択が優先される。
 1、当委員会の執行中、委員同士の争いはこれを禁じる。
 1、当委員会の執行中、私事による行動はこれを制限される。

「ふざけんじゃねえ」
 虎之助が吼える。
「だるまの爺いなんかと組めるかよ」
「赤沼さん。いまは昔の遺恨を言っている時ではありません。協力して極城会の進行に備えねばならないときなのです」
「大体よう、渋沢や大神はどうするんだよ。あの野郎どもが縛りに加わらねえってのは可笑しいじゃねえか」
「ですから大神はカタギになったと申したではないですか」
 大原がうんざりしたように言う。
「黙りやがれ、このザコが。そんな馬鹿馬鹿しい話が信じられるかよ」
「俺もごめんだな」
 だるまの文次が言った。
「30年来の因縁だ。簡単にゃ飲めねえよ」
「熊谷さん・・・」
「私はそれでいいと思います」
 困り果てた桜木に助け船を出したのは大原吾郎であった。桜木は菅原真一に顔を向ける。
「菅原さんはどうですか?」
「私にも異存はありませんよ。ただ、このふたりが承諾してくれればの話しですが」
「ふん」
 虎之助は鼻で笑って立ち上がりかけた。
「話はこれまでだ。じゃあ、俺は帰らせてもらうぜ」
「なあ、虎よ」
 その時、それまで巨大な岩山のように、静かに座っていた黒木慶次が、気だるそうに口を開いた。
「おんしの気持ちもわからんではないが、いまは非常事態じゃ。ここはひとつ、この黒木の顔を立てては貰えんかのう」
 そう言って静かに頭を下げるのである。
「く、黒木の伯父貴」
 さすがの虎之助も言葉に詰まった。
 赤沼虎之助は黒木慶次には恩義がある。35年前、赤沼組がだるま組と俥座一家の連合軍と戦ったとき、仲裁に乗り出してくれたのがこの黒木慶次であった。
 あの時、黒木の仲裁がなければ、赤沼組は潰されていただろう。今更ながらそう思う。
 それほど俥座一家は強かった。
 あの時は戦った仁吉は、もちろん現在の仁吉ではない。六代目の仁吉だ。それでも仁吉ひとりに、赤沼組の組員の半数がやられたのだ。その強さは正に鬼神であった。
 あまりの強さに敵であるはずの虎之助は憧れすら感じ始めていた。
 しかし、だからといって今更引くわけにはいかなかった。自分にも意地がある。例えこの身は浅草の地に朽ちても、一歩たりとも引くものではない。そう覚悟を決めたのであった。
 そこに現れたのが黒木慶次であった。
 不動の慶次。
 彼は虎之助の目の前で、自分の左腕を一刀の元に斬ってみせた。
 熊谷文次郎の前で、仁吉の前で、柳川虎吉の前で、住島大五郎の前で、いまと同じ静かな表情のまま、己の左腕を斬り落としてみせたのだ。
「これで、手打ちとしてはもらえませんか」
 いつもと変わらぬ穏やかな顔つきのまま、斬り落とした自らの左腕を差し出して見せたのだ。
 それで虎之助の憑き物が落ちたのであった。
 その黒木慶次に頭を下げられては断るわけにはいかない。
 虎之助は唇を噛み締めた。
「わかりやした。・・・伯父貴がそこまで言うのなら」
「だるまの、おめえさんはどうでえ?」
「へえ。おやっさんの顔を潰すわけにはいきやせん」
 話はまとまった。
 満足そうに桜木は天井の片隅を見上げる。天井のその部分には米粒大のレンズが埋め込まれていた。

 警視庁公安部の参事官室では、御子柴参事官と竹芝警部がモニター画面を見守っている。
「やりましたね。参事官」
 竹芝警部が興奮した声を上げた。長年の懸案だった「六体統合」が成立した瞬間である。
 御子柴の狙いは6つの組織を、ひとつにまとめてコントロールすることであった。
 そのための工作員が桜木晃一郎だったのである。
 一心会の会長である桜木晃一郎を人材課にスカウトしたのが竹芝警部だったのだ。
「よくぞあの桜木を取り込んだものだな」
 御子柴はホッとしたようにソファに腰を降ろした。
「というか、あれは自分から売り込んで来たのでさあ」
「自分から?」
 チェリーというのを知っていますか?
 と、声を掛けて来たのである。3年ほど前のことだ。
 チェリーとは、チェリー・ブロッサム。つまり桜のことですよ。
 何を言っているんだ?
 桜といえば桜田門、即ち警視庁です。警視庁の公安には人材課というのがあるそうですね。
 何でも庁外の人間を協力者として登用する、一般には知られることのない組織です。
 ねえ、竹芝さん。自分をチェリーに紹介して下さいよ。自分は役に立ちますよ。自分は役に立ちたいんですよ。
 桜木晃一郎は竹芝基樹にそう言って近づいたのであった。
「桜木晃一郎か。あの男、何を考えているのか」
「危険な男ですな」
 竹芝は言った。
「まあ、いい。使えるうちは使っておくさ」
 そう言って御子柴はテーブルのコーヒーに手を伸ばした。


 
 暗闇の中で巨獣が呼吸をするように、城田興毅は自分の闇を見詰めていた。
 世田谷区の病院廃墟の中である。地域医療を担う市民病院であったのだが、近域の病院と合併することが決まって廃棄されることになった。取り壊しの予算が間に合わずそのままの状態で放置された物件である。
 近所では幽霊が出るとの噂が広まり、昼間でも近寄る人は少ない。反対に夜間は肝試しの酔っぱらいや、寝座に溢れたホームレスが住み着くこともある。
 指名手配を受けた豊島連合の城田一派は、この病院跡地に身を潜めていたのである。
 何でこんな事になったのだろう?
 と、考える事がある。
 城田はもと池袋のチーマーであった。当時流行っていたのが、仲間の証として身体の一部に同色の衣類を身に付ける、いわいるカラーギャングであった。
 城田のチーム「ピンクタイガー」は、シンボルカラーにピンクのバンダナを身につけて、池袋界隈を闊歩していた。ピンクタイガーはもとはヤンキーのチームではない。城田の出身地である大宮の楽器屋の、地下にあったスタジオで発生したロックバンドであった。
 城田は中帽の頃より身長は高くイケメンでもあったので、彼がボーカルを務めるピンクタイガーは地元ではそこそこの人気があった。高校入学と共にピンクタイガーは東京進出を果たし、池袋のライブハウスでバンド活動を開始するようになった。
 ピンクタイガーが人気を博し目立って来ると、当然のように地元のヤンキーや周辺の暴走族たちに眼を付けられる。日々の喧嘩や抗争は当たり前のようになって行った。
 城田はバンド仲間やファンの子を守るため、シンボルカラーであるピンクを身に付け敵対するグループと戦ったのである。
 すでに身長は185センチを越え、体重でも100キロをオーバーしていた城田に叶う相手は殆どおらず、彼のピンクタイガーは周囲のチームを次々と吸収してその勢力を伸ばしていった。
 その頃になると、もはやピンクタイガーは理想に溢れたロックバンドではなく、ただのカラーギャングに成り下がっていた。当時のバンド仲間は次々と彼の元を離れ、代わりに寄ってくるのは覚醒剤に溺れたヤンキーや暴れることしか能のない暴走族どもであった。
 調布の暴走族「イエローバディ」との抗争もこの頃の話である。
 当時イエローバディの特攻隊を張っていた犬飼信二と岡元武史の最強コンビが、ピンクタイガーのグループと中央高速のサービスエリアでぶつかったのだ。そして城田は池袋に乗り込んだイエローバディの総長、権藤清貴と伝説のタイマンを繰り広げることになる。
 その後、池袋周辺のカラーギャングたちをまとめ上げた城田は、広域ギャング組織「豊島連合」を立ち上げた。当時池袋周辺を縄張りにしていた指定暴力団金村組に対抗するためだ。
 とうとう城田のグループは本格的に暴力の世界に関わっていくことになったのである。
 俺はどこで道を間違えたのか。
 城田は暗闇の中で過去を反芻する。
 金村剛一。
 あの男がすべての発端だったのではないか。
 金村剛一は極城会系暴力団金村組々長金村剛のひとり息子であった。当時、本郷南高校のアタマを張っていた金村剛一は、埼玉南地区の不良高校生を手下に城田のチームと最後まで渡り合っていた。 
 やがて形成が不利になると、金村は親父の金村組に泣きついた。いかに城田のピンクタイガーが強くても本職のヤクザには敵わない。そこで危機を感じた城田は、周辺のカラーギャングを統合して豊島連合を造るのであるが、その頃金村は池袋のクラブで新種の合成ドラッグを売るようになった。
 あとで思えばそれが最後まで城田を苦しめる事になる「ロボ」との出会いになるのだが、当時の城田にはそんな事はもちろんわからない。ただ、それが極城会の東京進出の一環であることにぼんやりながら気が付く程度であった。
 その城田に近づいてきたのが、指定暴力団鳥鎧組の筆頭若頭円道寺健壱という男であった。鳥鎧組は金村組と同じ極城会の傘下の組織ではあるが、金村組などとは比べ様もないほどの大きな組織である。
 しかも金村組は同じ極城会でも鳥鎧組とは対立する、八坂興行の配下の組織であった。それが何で敵対する自分に近づいてくるのか?
「なあ、城田。おめえの噂は聴いているぜ。ブクロじゃ随分幅を利かせているようじゃねえか」
 円道寺は爬虫類のような男である。瞬きを殆どしない小さな瞳。冷血動物のような冷たい表情。決して心を許せる相手ではなかった。
「なんのつもりすか、円道寺さん」
 城田は警戒しながら言った。
「そうビビるな、城田。何も獲って食おうとは言わねえよ。今日はおめえに耳寄りな話を持ってきたんだ」
「断ります」
「おいおい。そう連れないことを言うなよ。話くらいは聴いてもいいだろう。てか、おめえに拒否する権利はねえんだ」
「権利っすか」
「断ればてめえは死ぬってことだ」
「上等っすね」
 視線に殺意を込めた。死ぬことは怖くはなかった。どうせ落ちるところまで落ちた自分である。何時どこでくたばってもどうということはない。円道寺はニヤリと笑った。
「いい面構えじゃねえか、え、城田。勘違いするなよ、何も俺らがてめえをどうしようって話じゃねえ。むしろ俺らはお前らに力を貸そうと言うんだ。俺らが潰したいのは金村組のほうだ」
「どういうことですか?」
「奴らはやり過ぎたってことだよ」
「ヤクザ同士の内輪もめに興味はありませんね」
 立ち上がろうとする城田に更に言葉を続ける。
「新種のアイス(覚せい剤)があるんだよ。そいつを回してやるぜ」
「冷たいもんに興味はないんで」
「だから、おめえに断る権利はねえって言ってんだろ。おめえが断れば、ブツは金村組に渡る。そしたらてめえのチームは全滅だぜ」
 後から思えばあれが「ロボ」だった。
 ロボは人をロボットに変えるクスリだった。痛みも感じず、恐怖も感じず、疲れも感じず、ただただ人間を破壊するためだけに存在する殺人マシンに。
 結局、円道寺のいうように城田に選択肢はなかった。城田はロボを使い金村組は消滅した。
 すべては鳥鎧組の思うツボだったわけだ。鳥鎧組の思惑とはロボの人体実験であった。城田はわかっていながらそれに乗り、そして崩壊の道を歩んでいる。
 自分は何を目指したのか?
 自分の目指した道は遥か遠くにかすみ、もはや目で追う事は出来ない。

「総長、円道寺さんです」
 頭にピンクのバンダナを巻いた仲間が報告した。血に汚れ擦り切れたバンダナであった。今更こんな物を巻いている奴がいるのか?
 城田は少し可笑しくなった。
「久ぶりです。円道寺さん」
 城田は抑揚のない声で言った。円道寺は相変わらず爬虫類の顔をしている。
「おう。元気そうだな、城田。どうだい、新しいヤサは?」
「快適っす。で、今日は何の用で?」
 どうでもいい。
「いよいよ奴らが動き出した。出番は近いぞ」
「そうすか?」
「おいおい。覇気がねえなあ。いよいよお前らが天下を獲る時が来るってのによ」
 天下ねえ。俺たちの獲りたかった天下ってなんだ?
「わかってますよ。道具は揃ってるんすか?」
「おう、いつでも言ってくれ。チャカでもヤッパでもすぐに用意するからよ」
 こいつらが自分たちを道具くらいにしか思っていないことは知っている。
「ロボが必要ならすぐに持って来させる」
 ロボか。
 あれはシャブじゃない。シャブは人を壊すクスリだが、あれは人をひとではなくする悪魔のクスリだ。
「ありあとっす」
 しかし、それが無くては生きていられない事も、また事実だ。
「じゃな。決行日が決まったら、また連絡する。いいか、前にも言ったが、親父はこの東京をお前に任せてもいいと言ってるんだ。わかるか? その時はお前がこの東京の王様だ。文字通りの「キング」になれるんだよ」
 何をふざけた事を言ってるんだ。
 俺がなりたかったキングはそんなもんじゃない。俺はロックの世界でキングになりたかったんだ。
 なんで俺は、こんな所に居るんだ?
 なんで俺は・・・
「円道寺さん」
 その背中に声をかける。
「そんときは俺、真っ先にあんたを殺しますから。ヨロシク」

第7章 抗争

1 

 長野県下諏訪(しもすわ)町。
 国道199号線を走る1台の小型観光バスがあった。八島ヶ原高層湿原の脇道を抜けて県道に入る。
 晴天であった。
 見渡す限りの美しい高原である。小高い丘の上には鷲ヶ峰の頂きが伺える。
 バスの中では陽だまりの家の信者なのだろう、若い女性のバスガイドがマイクを握り、仕切りと教団の教えが如何に素晴らしいか、それを信仰することで如何に幸せになれるのかを力説している。
 乗客は教団の案内役であるバスガイドを除けば6人の信者。50過ぎの熟年夫婦がひと組と30代とみられるカップ。それとは別の60代の老婦人。残りのひとりは、これも20代前半と見られる若い女性である。
 その女性は最後尾の席に無表情に座っている。
 スラリとした細身の女性であった。異様なくらいに姿勢がいい。背筋がピンと伸びており、頭頂部から尻したにかけて綺麗なS字を描いている。腰まで届く長い黒髪を和紙で包んで縛っている。
 表情に乏しい顔だが、顔貌は整っている。これでニコリと笑えば相当な美人なのであろう。
 白銀玉藻。
 御門龍介のパートナーであり、秘書ということになっている女であった。
 バスは県道を外れ、更に山道を登っていく。バスの中はさながら、日帰りのピクニックツアーという雰囲気だった。
 出家希望者を対象とする施設見学会。
 新興宗教団体「陽だまりの家」の本部修行場は、この先霧ヶ峰にある。
 玉藻の前の席で若いカップルが、バスガイドの話を無視してしきりと語り合っている。
 主な話題は昨日栃木県の飛駒町というところで起きた崩落事故についてである。山道を走っていた乗用車の上に軽自動車大の落石があり、自動車もろとも沢下に落下したという事件であった。
「それがな、その自動車に乗っていたのは、ほら、あのアイドルの折原雅のマネージャーなんだそうだ」
「えー。わたし雅ちゃんのファンだったのよ。可哀想に」
 玉藻は折原雅にもアイドルにも興味はない。その事故がどんな意味を持つものなのか知らないまま、ぼんやりと思いを馳せていた。
 この日の早朝、都内の一角に集められた一行は、そこで簡単な説明とスケジュールを聞かされた後、この小型観光バスに乗せられたのであった。
 藤木浩輔。
 襲撃のあった十全銀行豊島支店の貸金庫に、プラスチックの箱を預けていた人物である。襲撃犯の目的はその箱の中身だと見られるが、それはいま陽だまりの家の「神蘭」の手に渡っている。
 御門龍介のもたらした情報によると、埼玉県和光の自宅から消えた藤木浩輔は、この霧ヶ峰の陽だまりの家に身を隠しているという。つまり藤木一家は出家を果したのだというのであった。
 しかし藤木が「陽だまりの家」の信者であるとするならば、なぜ教祖である神蘭が彼の貸金庫の中身を強奪せねばならないのか? それもまた謎であった。
 陽だまりの家が出家を希望する信者を集めて、霧ヶ峰の修行場に行くという情報を得た御子柴は、玉藻を信者に仕立て上げ密かに潜入することを命じたのである。もとより潜入捜査は公安人材課「チェリー」の真骨頂である。
 陽だまりの家がこんな山奥に、独自の修行場を設けていたとは思わなかった。祐天寺に本部を構える占い屋程度に考えていたのだが、いつの間にこれほどの規模を誇る宗教団体に発展したのか。
 しかし、その存在は一部の熱心な信者以外には、厳重に秘匿されているようである。
 情報の出処はわからない。龍介はどこからその情報を手に入れたのか。
 御門龍介は不思議な男である。彼の使う「心法」という技もさることながら、独特な人脈を持っているようで、思いも寄らない情報を仕入れて来ることがあるのだ。
 かくいう私も、その独特な人脈のひとりなのかも知れない。
 そう思うと可笑しくなることがある。
 玉藻が御門龍介と出会ったのは今から3年前、彼女が21歳の時であった。
 白銀玉藻は小田原の出身である。荻窪市の山間に古流派の小さな町道場を営んでいる。
「白銀流合気柔術」というのが流派の名前である。もとは小田原の地を治めていた北条家の御家流とされていた。現在の宗家であり、玉藻の父である白銀宗貞は、その16代目であるとされている。
 伝承では400年の歴史を持つ白銀流は、北条氏直に使えた忍者集団「風魔一族」の使った体術がルーツになっているという。白銀家の先祖も風魔の忍者集団の一員であったが、その優れた体術を見込まれて殿様の御側傭人、すなわち用心棒に取り上げられたというのだ。
 ちなみにその白銀家の先祖は女性であり、それゆえにある特殊な任務を任されていたとする説もある。
 白銀流の体術は大きく分けて、立って闘う「立技」と座って闘う「座技」に分類されるが、それとは別に一般的には公表していない門外不出の秘技があるという。それは一族の中でも、ある特定の年齢に達した女児のみに伝承される技であった。
 当時玉藻は小田原市内の大学に通って民族学を専攻していた。その頃には彼女も自分の家の成り立ちと、その使命についてはある程度理解していた。だから龍介が、あの銀髪の老人と一緒に訪れた時も、ああ来るべき時が来たのだと思ったに過ぎない。
 それ以上に彼女は御門龍介という男に興味を持った。
 自分と同じ宿命のもとに生まれた男。そして彼の使う技。それが自分の白銀流と同じ根本原理から出来ていることに、彼女は気づいていた。それが「合気」である。
 心法と白銀流。元を正せばそれは、同じ木の幹から発生した枝葉に過ぎないのかも知れない。そして御門家と白銀家の持つ、使命と宿命についても。

 マイクロバスは小高い丘を幾つも越え、やがて木々に囲まれた500平米程の広場に行き着いた。そこは一種の農場のような場所であり、柵で仕切られた敷地のなかには牛や羊などが飼われており、何人かの同じ白い甚兵衛を身につけた人達が世話をしていた。敷地の片隅には畑のようなものもあるようであった。
 建物と呼べるのは3階建てのコンクリート造りのものと、大きめのプレハブがひとつ。あとはやや小ぶりのプレハブが数個点在しているだけである。
 マイクロバスはその3階建ての建物の前に乗り付けた。
 するとプレハブの中からは、妙に明るい数人の女性たちが飛び出してきて、彼女らを迎えてくれた。
「まあまあ、いらっしゃい。ようこそ陽だまりの家に」
 皆一様に同じ衣類と、同じような笑顔を浮かべている。
 彼女たちが通された建物は、どうやら宿舎のような物であることが分かった。1階は事務室の他は食堂と大きめな修行場、あとは機械室やリネン室等。2階は幹部の部屋と、図書室や勉強室のような場所。そしてそれ以外の2、3階が彼女たちの宿舎である。
 建物の中にはざっと100人程の出家信者が共同で暮らしているようであった。バスの中での案内役の話では、ここでの生活は農作業や牧畜の世話が主な仕事で、それに朝夕の「お勤め」というスピリチュアル行為が加わる。彼女たちの説明によると、「陽だまりの家」では自然と自我との一体化を目的とし、大宇宙の意識を身体に取り込むことによりそれを達成出来ると説くのである。畜農作業により身体を、スピリチュアルにより精神をより深く自然と結びつけることにより幸福が得られるのだという。
 玄関先のロビーでこの後のスケジュールを確認した後、玉藻たちには個室が与えられた。体験入所は3日間である。その間に出家の意向が定まれば、そのまま施設に残る事になる。
 個室はふたりで一室を与えられ、玉藻は60代の女性と同室になった。個室は6畳ほどの洋室で、シングルのベットがふたつと、それぞれの小さな机とロッカーを入れればギュウギュウという広さであった。
 女性は前田由紀恵と名乗った。
「この春に連れ合いを亡くしてねえ。ひとり息子は音信不通だし、もうずいぶんと孫の顔も観ていない。これと言った友達もいないし、わたし本当に独りきりなのよねえ」
 それでも意外なくらい明るい顔で言う。
「今の時代、特養にも簡単には入れないでしょう。わたしみたいな独り者は、どこかで野垂れ死んじゃうのが関の山。でもここなら、少なくとも看取ることくらいはしてくれるでしょ」
 玉藻は眼を白黒させた。なんでそんなに悲しい話を、明るい顔で話すのだ。
「で、あなたは?」
 玉藻は応えに窮する。まさか潜入捜査とは言えない。
「友達が入所しているんです」
「へえ、誰?」
「藤木さんというのですが」
「ああ・・」
 彼女は一瞬なにかを言いかけたが、慌てたように口を閉ざした。
「ご存知ですか?」
「ううん。知らない。ここには100人からの信者が居ますものね」
 それから、彼女の口はめっきり固くなった。
 夕方のスピリチュアルまでには、まだ少し時間があったので、玉藻は表を観て歩くことにした。宿舎の前は柵で囲われた放牧場となっており、それぞれのエリアには牛や羊や豚といった様々な家畜が放牧されており、同じような作業着を着た信者たちが世話を焼いている。
 信者たちは玉藻の姿を見留めると、皆一様に同じ笑顔を浮かべて明るい挨拶をかけるが、なにやらそれが監視されているように感じられてならなかった。
 放牧場の外れから宿泊所の後方にかけては一面の野菜畑だ。ここでは基本的に自給自足をモットーとしている。畑の脇には大掛かりな鳥小屋までもが併設されている。
 玉藻は試しに何人かの信者たちに同じ質問をしてみた。
「藤木浩輔さんという方を知りませんか?」
 その答えは一様にNOであった。しかし彼らが本当にそれを知らないのかは疑問である。何故ならその質問を受ける時、彼らの笑顔はほんの一瞬だけだが途絶えるのである。
 彼らは何かを隠している。
 それが玉藻の結論であった。
 放牧場と野菜畑の中間には大小いくつかのプレハブの建物が建っている。その殆どは家畜小屋と農機具や肥料等の収納場所なのだが、用途の判らないやや大きめの建物がひとつ。玉藻は妙にそれが気になった。
 敷地内の外れ、深い森に包み込まれるように建つ、2階建ての体育館のようなプレハブである。建物の西側にはトラックが出入りできそうな大きな出入り口があるものの、奇妙なことに建物の周辺には窓がひとつもない。
 屋根の上には何本かの煙突のような突起物が突き出しており、そこから白っぽい煙のようなものが立ち上っている。
 建物の中では複数の人たちが、何らかの作業をしているであろう気配が感じられる。
 その周囲を探っていると、建物の陰からひとりの男が姿を現わした。それは他の信者たちと同じ白い作業着を身につけてはいるが、それまで彼女の出会った者とは全く異質の雰囲気を持った男であった。
 かなりの長身なのであろうが、猫背のせいか随分と低く見える。長く伸びた前髪の間から、刺すような鋭い視線を投げかけてくる。
 何よりもその男の動き。
 何気ない体捌きで巧みに彼女の行く手を阻むそれは、明らかに何らかの格闘技を身につけた者の動きであった。
「道に迷われましたか?」
 男は鋭い視線を外さず、それでも声音だけは穏やかに行った。
「はい。宿舎を探しております」
 玉藻も表情を変えずに答えた。

 スピリチュアルは宿舎の一階の半分ほどを使った大きな修業場で行われる。
 部屋の奥手に祭壇があり、護摩が焚かれている。
 その前に指導者と思われる、何人かの年配の男たちが座して仕切りに真言を唱えている。玉藻たち一般の修行者は、それと向かい合う形で何列かに別れて印を結んでいるのである。どうやら修行年数の多い者ほど、前列に並ばされているようだった。
 十全銀行豊島支店襲撃の際、玉藻は神蘭とおぼしき女と顔を合わせている。彼女自身にはあまり印象がないのだが、同じ人質としてかなりの時間を一緒に過ごしている。あるいは神蘭に玉藻の記憶があるかも知れないという危惧はあったが、どうやらこの場に神蘭は居ないようであった。
 十全銀行の金庫室や祐天寺の道場で、見生たちが体験したというあやしい煙もない。上辺だけを見ればどこにでもある、一般的なカルト教団の儀式であった。
 スピリチュアルは一般的な修験道の様式を模して行っている。それが正式なものかどうかは分からないが、少なくともそんな儀式で宇宙と一体になれるとは、到底思えない。
 スピリチュアルの儀式は一時間ほどで終了した。
 その後一同は隣室の食堂に移動して食事を摂った。食事の内容は自家農園で採れた自然野菜や、牛肉豚肉の類が中心で自給自足というのもあながち嘘ではなさそうであった。
 食事の後は午後9時の消灯まで自由の時間である。修行場にもどってヨガの体練をする者、2階の図書室で勉強をする者、自室に篭って祈りを捧げる者、それぞれであった。
 消灯時間になったら例のプレハブ小屋を探ってみようかとは思うが、それまではすることもないので取り敢えず図書室に行ってみる。図書室は20畳程の大きさで、壁一面に書庫が並んでおり、部屋の中央には何脚かの椅子とテーブルが置かれている。
 部屋の中には10人程の信者がそれぞれのテーブルを囲み、何らかの書物に眼を通していた。
 書庫の本は主に修験道や心霊術に関するものが多かった。歴史書のコーナーには、この教団の歴史に関する書物もあったので、玉藻は手に取って観た。
 それによると教祖「御子神様」が神託を受けたのが20年ほど前。それにより彼女は大宇宙の意思をその身に受け入れ、宇宙と一体になったといわれている。
 なんだ、教祖は神蘭ではないんだ。
 と玉藻は思った。
 その本によると、神蘭は御子神様の娘だという。宇宙意識体と御子神様が交わって誕生した御子が神蘭様だというのである。
 荒唐無稽な話である。
「随分と御熱心のようですね」
 いきなり声を掛けられて振り向くと、そこには写真で確認した藤木浩輔本人が、にこやかな笑みを浮かべて立っていた。
「わたしのことをお探しとか?」
 彼は部屋の隅のテーブルに玉藻を案内した。
「何かわたしに御用ですか?」
「あなたたち御一家が消息不明になったということで探しに来たのです」
 相変わらずの無表情のまま答えた。
「ほう。どなたかに頼まれたとか?」
「そういう訳ではありません。少し興味があったものですから」
「興味ですか?」
「あなたが俗世を捨て、この教団に帰依した理由についてです。ご存知かも知れませが、2ヶ月ほど前に起こった池袋の十全銀行で起きた人質籠城事件、あの時の人質のひとりがわたしなのです」
「あの事件のことはテレビで知りました。そうですか。あの事件の被害者でしたか、お気の毒に」
「当時は気付かなかったのですが、実はわたしたち人質の中に教団の神蘭さまがいらっしゃったのです」
「本当ですか? それは、知らなかったな」
 わざとらしい演技だ、と玉藻は思う。恐らくこの男はすべてを知っているのだろう、神蘭のことも玉藻の目的についても。もちろんこれは、相手がそれを承知という、前提に基づいた会話である。
「銀行を襲った賊の目的は、あなたの貸金庫の中身でした。中には何が入っていたのです?」
 直球で訊く。こうなれば余計な駆け引きはなしだ。
「さあ、そんな話し初めて聴きました。でも、おかしいですね、わたしはあの銀行に貸金庫なんて持ってはいませんよ。誰かがわたしの名前で借りたものじゃないですか?」
「苦しい言い訳ですね。金庫の中身は神蘭さまが持ち去ったと聞きました。教団と無関係とは思えません」
「白銀さん」
 藤木の声音が変わった。我慢の程にも限界があるという感じだった。
「失礼ですがあなた、警察関係のお人ですか? 我々は被害者なのですよ、これ以上余計な詮索はしないで頂きたい」
 そういって彼は去っていった。
 さて弱ったな。
 玉藻は眉を潜めた。
 まさかこのような展開になるとは思わなかった。売り言葉に買い言葉のような感じで手の内を明かしてしまったが、相手に自分の正体がバレてしまった。というか、最初からバレていたのだろう。そうでなければ、あんなに容易く藤木が自分の前に姿を現すはずがない。そう考えれば、かえって気を使わずに堂々と行動できるというものではあるが、当然自分への監視はきつくなるだろう。
 気になるのは、昼間目にしたプレハブである。あの中に何があるのか、脱出する前には是非とも確認しておきたいところだが、こうなっては連中も警戒するだろう。中身を移動していることも十分に考えられる。
 さて、どうしたものか?
 そうこうしている内に体験入所の3日間は瞬く間に過ぎていった。そしてその3日目にあの事件は起こるのであった。


 
 
 薩田兆次(さった ちょうじ)
 指定暴力団組の薩田組々長である。シノギは東中野から大久保にかけての不動産関係トラブル介入。この地区一帯を締めていた波濱興行から、6年ほど前に親子の杯を貰って独立したものである。波濱興行は鳥鎧組子飼いの暴力団であった。
 その鳥鎧組もまた極城会の傘下である。彼らの集めたミジカメ料の一部というか、大部分は波濱興行や鳥鎧組に吸い上げられ、そのまた大部分は上の極城会にまで行き渡るという仕組みである。
 しかし薩田の悩んでいたのは、そんな経済的な理由ではない。まあ、それも無い訳ではないが、そんなことはいつものことであり、いまさら悩んでも仕方のないことであった。それより現在の彼の頭を悩ませているのは、波濱興行の更に上の組織である鳥鎧組から下されたある「指令」によってであった。
 内容は住島連合会系一心会のトップである桜木晃一郎のタマ、すなわち暗殺であった。
 住島連合会は彼らの親組織である極城会と日本を二分する巨大暴力組織である。一心会は西日本を制する住島連合会傘下の中でも、その中核を担う組織であった。はっきり言って自分たちとは格が違うのだ。
 恐怖はある。
 自分らはいわば鉄砲玉である。例え窮地に陥ったとしても、誰も助けてくれる確証はない。
 恐らくその命令は鳥鎧組に下された指令なのであろうことは想像がつく。それを彼らは下部組織である波濱興行に押し付け、更に波濱興行はそれを自分たちに押し付けようとしているのだ。
 とはいえ波濱興行にしても発信元の鳥鎧組にしても、それは上の極城会からの命令であり、彼らの一存ではどうする事もできないのだ。やれと言われれば例え生命を賭してもやらねばならない。それが彼らの巣くう世界であった。
 ターゲットである桜木晃一郎の情報は、鳥鎧組筆頭若頭・円道寺健壱からもたらされた。爬虫類のような顔をした男だ、。
 それによると桜木本部長は渋谷道玄坂の料亭で、同系列の赤沼組若頭赤沼虎次郎と会合を開くという。虎次郎はあの赤沼組々長赤沼虎之助の次男で、時期組長との呼び声の高い男である。
 一方の桜木晃一郎といえば敵対する住島連合会系内においても、明神会の黒田慶次に次ぐ実力者と噂の人物である。そんな相手に自分たちの暗殺が成功するのか? 失敗すれば、それは即ち死に直結するのだ。
 一週間ほど前に白金台のホテルで、ひがし東京住島連合会系の名だたる暴力団組織が集まって、大掛かりな会合が開かれたと聴く。噂によると彼ら6ッの組織は、極城会のひがし東京進出を阻む連合組織を結成したらしい。
 極城会系のトップ組織にしてみれば、これはゆゆしき問題である。だからこの際早めに連合の中心人物である桜木を潰してしまおう。また同時に赤沼組の次期トップを殺害してしまえば、なお好都合だ。極城会の上の方がそう考えるのも無理はない。
 だからこそ彼らの暗殺は、極城会側にとっては悲願ともいえるものだ。
 その大切な役目を仰せつかった。断ることは出来ない。
 やるしかない。やるしかないのだ。
 いや、これはまたとないチャンスではないか。
 薩田はそうも考える。
 この仕事を無事やり遂げれば、例え数年のムショ暮らしをしたとしても、極城会本部の幹部職は約束されたようなものだ。しかし、もしも失敗したら・・・
 
 道玄坂下のクラブバー「ランバダ」
 2009年3月25日の夜である。その一室に、彼らは集められていた。
 奥重文隆(おくしげ ふみたか)若頭。
 加藤敏郎(かとう としお)若頭補佐。
 杉澤寛(すぎさわ ひろし)若頭補佐。
 山田幸従(やまだ ゆきとも)舎弟頭。
 いずれも薩田の見込んだ男たちである。
 薩田組長の元、数々の修羅場を潜り抜けてきた豪の者であるが、どの顔にも緊張の色は隠せない。
 テーブルの上に4つの拳銃と、5つのグラスが乗っている。グラス中身は純度の高いテキーラだ。
「まあ、飲め」
 と薩田は言った。
「これが最後だ。桜木のタマを捕れば、俺は極城会の幹部だ。お前らだってそれなりの椅子は用意されている。2~3年は臭いメシを食うかも知れねえが、それを済ませりゃ俺らの天下だ」
 血走った8つの瞳がにらんでいる。
「奥重。てめえには上から新しいシマが用意されている。独立だ」
 奥重文隆が頷いた。眼が据わっている。
「ちくしょう。やってやるぜ」
 一気にテキーラを飲み干す。
「加藤。てめえは新しい若頭だ。期待してるぜ」
「うす」
「杉澤、山田。てめえらにもそれ相応の椅子が用意されている」
「そうだ。やるしかねえ」
 次々とグラスが空になる。
 やるしかねえ。やるしかねえんだ。・・・
 奥重が震える手でグラスを掴んだ時、入口の扉が開いて見張りに立っていた若い者が顔を覗かせた。
「親父、来ましたぜ」
「わかった」
 薩田は静かに立ち上がった。
「行くぜ、野郎ども」

 赤沼組系赤龍会の会長であり、本家赤沼組の若頭でもある赤沼虎次郎は、正面に桜木晃一郎を見る形で座席に腰を降ろしていた。
 桜木が床の間を背にしている。虎次郎が下座であった。
 ふたりは同年齢であるが、今回は虎次郎が呼び出したので下座ということになっている。
 虎之助には4人の息子がいるが、虎次郎はその二番目である。長男の虎一は堅気になっているから、必然的に彼が「みどろ」の看板を継ぐことになる。父親以上に血の気が多いという噂であるが、一流大学の経済学部卒という学歴からも、彼が単なる暴力馬鹿でないことは分かる。古いタイプのヤクザである赤沼組が、近年のヤクザ組織の変革の波に飲み込まれず、今日の地位を確保していられるのは、一重に彼の存在が大きいという声も多い。
 ちなみに弟の三虎も鶴見に「赤沼みどろ組」という一家を構えている。赤沼組の若頭だ。古いタイプのヤクザというのなら、この弟のほうが親父のスタイルに近い。
 虎次郎は親父のような、見るからにヤクザ然とした男ではない。身長こそ180センチを越える長身だが、どちらかといえば線の細いインテリタイプのヤクザであった。但し、黒縁眼鏡の奥に覗く細い瞳には、毒蛇のような容赦のない冷たい光が宿っている。
「それで、この後どうするおつもりですか?」
 会食の席に付き、一通りの料理が出揃うと、虎次郎はゆるりと本題に入った。
「この後といいますと?」
 言いたいことは無論判っている。六条委員会が発足して早や一週間、今後どのような動きを取るのかそれを知りたいのだ。
「このまま、暫くは様子見ということですか?」
「まあ、そういう事になりましょうな」
「残念ですな」
 虎次郎は手前の徳利に手を伸ばした。桜木を注ごうとするのを手で制して、
「折角、我々が共同したのですから、ここは攻めの一手ではないですか?」
「それはお父上の考えですか?」
「父もそうですが、自分もそう考えます」
「ほう、これは意外でしたな。あなたはもう少し理性的な方かと思いましたが」
「何が理性的かは、個人によって違うものです」
 桜木は眼を伏せてグラスの酒を口に含んだ。
「しかし、攻めるといっても具体的にどこを攻めるのです? 城田興毅は行方をくらませているし」
「公安のほうは如何ですか?」
「公安?」
「公安の特捜ですよ。彼らはまだ、連中の行方を探れずにいるのですか?」
 桜木は眉をしかめた。先日の虎之助の言といい、こいつらは何を知っているのだ。
「さあ、私には警察のことは判りかねます」
「それはそうですな。まあ、それは置いておいて、我々が攻めるのは鳥鎧組の円道寺ですよ」
「円道寺健壱。鳥鎧組の筆頭若頭ですか」
「豊島連合への指令は、そこから出ているとの確証を我々は得ています」
「その情報はどこから?」
「それは言えませんな」
 桜木は驚いた。そのような情報は彼の元へはもたらされてはいない。無論、豊島連合を陰で操っているのが、鳥鎧組であろうことは想像に固くないが、その確たる証拠を掴んでいるかとなれば、残念ながら首を横に振るしかないのである。チェリーである彼より先に、何故にその確証を手に入れられたのだろう。
「しかし、だからといって、いきなり鳥鎧組を襲うわけにはいかんでしょう」
「鳥鎧組は極城会にとっては扇の要ですからね。そこを叩かれば、彼らも黙っているわけにはいかない。大戦争になります」
「まあ、そういうことでしょう」
「しかし、それ相応の理由があれば話は別でしょう」
「それ相応の理由?」
 この男、何を言いたい。
「ヤクザなんて稼業、舐められたらそこで終わりということですよ」
「何が言いたいのか理解できませんが」
「例えばですよ。例えば今日、私たちが襲われるようなことがあればということですよ」
 虎次郎はそう言って、ニヤリと笑った。

 ふたりが並んで店を出たのはそれから一時間ほど経ってからであった。
 午後11時を回っている。
 店の前には黒塗りのベンツが2台。先頭の車には桜木本部長が、後方の車には赤沼若頭が乗ることになっていた。
 それぞれの車の前後には、数名づつの組員たちが群がって周囲の警戒を怠らない。
 店の玄関から門前までは木立や潅木に囲まれた小道になっている。その小道の途中でふたりは、お互いに握手を交わしてそれぞれの車に近づいた。
 その瞬間であった。
 近くのビルの狭間から飛び出した2人の男たちが、今まさに車に入ろうと腰を屈めた桜木に駆け寄った。
「てめえ、死ねや。桜木ィィ!!」
 ドン、ドン!!
 乾いた発砲音が、都会の夜にこだました。
 桜木のために車のドアを開けていた長身の男が身を呈して覆い被さると、消炎の煙と共にその身体がバネ仕掛けの人形のように跳ね上がった。
 声もなく男は崩れ落ちる。
「斎藤!」
 呆然と桜木が声をかけた。崩れ落ちる斎藤の陰から、もうひとりの男が銃を構えているのが見えた。
「本部長!」
 先に車に乗り込んでいた用心棒の男が、中から桜木の腕を引っ張り込んだ。
 ガン、ガン!
 数発の銃弾がドアのフレームに当たって火花が散った。それでも桜木は右肩と腕を打ち抜かれて、後部座席に倒れ込んだ。
 その頃、後方では赤沼虎次郎の乗るベンツを中心に、銃撃戦が繰り広げられていた。
 車列の後方に回り込んだもうひと組の男達は、前方の襲撃に合わせて襲いかかったのだ。
 その時虎次郎はまだ、車にまではたどり着いてはいなかった。小道の途中にいた彼は、発砲音と共に近くの木立に身を隠した。その直後、車のドア前にいた黒服の男が血煙を上げて倒れ伏した。
 虎次郎と間違えられて撃たれたのだ。
 次の瞬間、発砲した男は胸と腹に銃弾を受けて吹っ飛んだ。
 撃ったのは、助手席から身を乗り出した工藤銀次だった。「閻魔の銀次」と呼ばれた男だ。
 残されたもうひとりの男は、後方に下がりながら拳銃の引き金を引く。それでも興奮と恐怖のあまりに狙いが定まらない。
 道玄坂の表通りである。
 周辺にはまだ、数人の一般客の姿がある。突然の襲撃に、彼らは悲鳴を上げて逃げ惑った。何の関係もない彼らの上にも、流れ弾は容赦なく降り注ぐ。
 何人かの一般人たちが被弾して、悲鳴と鳴き声が響き渡った。
 そのうちのひとりはヒットマンの放った流れ弾に当たったものである。もうひとりは、赤沼組の用心棒が撃った弾が当たったものだ。
 そのヒットマンも、赤沼組員の銃撃を全身に浴びて息絶えた。
 一方、桜木本部長を襲ったふたりのヒットマンたちは、人混みを盾にして渋谷駅方面に逃走した。
 親分を的に掛けられた一心会の組員たちは、当然の如く血相を変えてその後を追う。
 男たちの逃げる先には、渋谷駅前のスクランブル交差点がある。
 渋谷の午後11時といえば、昼間の賑わいも一緒であった。
 そしてあの、惨劇の一夜が始まったのだ。

 料亭の手前でふた組みに別れた。
 奥重文隆と杉澤寛が先行組として前方の車を、加藤敏郎と山田幸従は後方に回り込んで後ろの車を襲う。前後から挟み撃ちにする作戦だ。
 襲撃リーダーの薩田兆次は一般客に紛れて、表通りのカフェから全体を把握する。
 銃火器は鳥鎧組の円道寺健壱が用意した。
 安物のトカレフや中国製ではない。米陸軍払い卸しのベレッタ92とP228だ。
 奥重文隆は杉澤寛と一緒に、表通りから奥まった路地の物陰に身を隠していた。業務用エアコンの室外機の陰だ。生温い室外機の風が、薄くなった髪先をなぶる。
 目の前には黒塗りのベンツが2台。左上斜面の路肩に並んでいる。2台の車の周囲には、派手なアロハ姿のチンピラ組員らが数人、ヤンキー座りで煙草をふかしているのが見て取れる。
 奥重はビビっていた。
 もとより、こういう修羅場は初めてではない。若い頃には鉄砲弾の真似事をし、懲役を喰らったこともある。組長を庇って腹を刺された時は、死を覚悟したこともあった。
 しかし現在はあの頃とは違う。何も失うものもなく、手前の生命さえ顧みない自暴自棄の時代とは違うのだ。
 尻に敷かれた女房と口を利こうとすらしない娘だが、今ではそれなりに守るべき家庭も出来た。簡単に生命を失うわけにはいかないんだ。
 だから怖い。死ぬことが怖い。家族を失うことが怖い。
 大体、何で俺なんだ。こういう仕事は、生命を的にのし上がっていこうとする若い者の仕事だろう。
「若い者はダメだ。いざとなったらビビって使いモノにならねえ。そこへ行くと場数を踏んでるお前らは信頼が置ける。なあに、大丈夫だ。向こうだってビビってんだ。根性比べならお前らが負けるはずがねえ」
 などと煎うが、何を言ってやがるんだ。誰だって怖い思いに違いはない。
 そう思って横を見ると、杉澤の野郎も血走った眼をして歯をガチガチ鳴らしている。
 なんだ、杉澤。「命(タマ)知らずの杉」といわれたお前でも、やっぱり怖いんだ。
 そう思うと少し心が落ち着いた。
「き、来ましたぜ。奥重さん」
 杉澤寛が妙に甲高い裏がえた声を出した。
 視線を戻すと、料亭の前がざわついていた。チンピラではない、明らかに用心棒とみえる黒服の男が、車のドアを開けようとしている。写真で確認した白髪まじりの紳士が店の女将と笑顔を交わしながら、車を回り込んでドアのほうに近寄った。
「行け!」
 思わず声が出た。同時に隣の杉澤の肩を叩く。テンパった杉澤は、それが合図であったかのように室外機の陰を飛び出していた。
「てめえ、死ねや。桜木ィィ!!」
 慌てた奥重も後を追う。目の前の通行人の女にぶつかりそうになった。
 その女の殴り倒して前を向くと、目標の前に立ち塞がった用心棒が、背中から血の噴水を吹きあげて崩れ落ちる所であった。
「斎藤!」
 目標が叫んでいる。
 この野郎!
 全身がカッと熱くなった。倒れゆく用心棒の動きがスローモーションのように視える。
 P228を構える。トリガーを引き絞った。
 2発!3発!4発!!
 何発かはドアのフレームに当たり火花を散らした。しかし何発かは確実に目標の身体にヒットしたはずだ。
 身体の力が一気に抜けた。その場にヘタリ込みそうになった。
「失敗だ。逃げます!」
 杉澤寛が叫んでいる。
 失敗? 何が失敗だ。俺はやったぞ。俺は確実に目標を撃ち抜いたのだ。
 愕然としている奥重の腕を杉澤が引っ張った。その眼に拳銃を構える黒服たちの姿が写る。
 通行人の何人かが、流れ弾を受けて地に這いつくばった。
 見ると後方では山田幸従が、全身に数発の弾丸を受けて倒れ落ちるところであった。
 杉澤は奥重の腕を掴んで人混みの中に駆け出した。
 通行人を盾に人混みの方へ。
 パン。パン。パン!!
 銃声が響く。腰のあたりが火がついたように熱い。被弾したのか?
 怒号が上がる。悲鳴が聴こえる。
 人混みの方へ。
 人混みの方へ。
 視界が開けた。駅前のスクランブル交差点に出る。
 交差点はパニックだ。見たことのないような人数の人間が、滅茶苦茶な方向に走り回っている。交差点に侵入しようとした車が、斜めになって歩道に乗り上げている。
 腰のほかに、右肩と左脇腹も痛い。知らない間に何発も被弾していたのだ。それは横にいる杉澤寛も同じであろう。
 人の波が割れ、渋谷駅の裏側ハチ公の方向から銃を乱射しながら駆けてくる、数人の男たちの姿が眼に映った。
 先頭の男に見覚えがある。品川赤沼組の若頭補佐・飯沼三郎だ。
 何で赤沼がこんな所に?
 考えているヒマはない。109MEN’S店の前で挟み撃ちにあったのだ。
「アニキ、危ない」
 叫んだ杉澤が弾け飛んだ。奥重を庇って銃撃を受けたのだ。
「杉澤!」
 目の前に鬼の形相をした赤沼組のチンピラの顔が迫る。奥重は死を覚悟した。
 その瞬間だった。
 左側、井の頭通りの方から人々の群れをなぎ倒し、轟音を上げて一台の大型ダンプカーがスクランブル交差点に突っ込んできた。駅前広場に陣取ったトラックの荷台からは、黒いライダースーツにフルフェイスの男たちが銃を撃ちながら飛び降りてきた。
 目の前のチンピラが血しぶきを上げて除けった。
 トラックの助手席から飛び切りでかい男が姿を現した。豊島連合のアタマ、城田興毅である。
「久しぶりだな。赤沼ァ」
 城田が凶暴な牙を剥く。その視線の先には悠然と佇む赤沼組々長・赤沼虎之助の姿が見える。
 一方、宮益坂の方面からは別の一団が駆け寄ってきた。一心会本部は宮益坂にある。本部からの援軍であろう。
 スクランブル交差点のど真ん中。
 あれほど群れていた人々の波が、いまはもう誰もいない。無人と化した交差点から駅前広場にかけて、豊島連合の黒い軍団、品川の赤沼組、渋谷一心会の構成員たちがひしめいている。
 道玄坂方面、宮益坂方面、井の頭街道方面、そして西口方面は玉突きに衝突した車の列が、完全に交通を遮断している。
 交差点を挟んで睨み合うヤクザ軍団の周囲を、遅らばせながら駆けつけた機動隊のジェラルミンの盾の列がぐるりと取り囲んでいる。
 その中心で、城田興毅と赤沼虎之助が敢然と睨み合っているのだ。
「借りを返しに来か? え、赤沼よ」
 不敵な笑みを浮かべて城田が言った。


 
 河上卓郎巡査部長はその時間、渋谷駅前交番の執務室で関係書類の確認を行っていた。
 実はこの2時間ほど前、センター街の居酒屋で飲み客同士の、ちょっとしたイザコザがあったのだ。カウンターで飲んでいた客の背に、トイレに行こうとした別の客の肩が当たって、持っていた焼酎をズボンの上にこぼしたものだ。
 よくある事例ではあるが、双方ともいい感じに酔いが回っている時分である。謝れ、謝ったろの言い争いの結果、ちょっとした小競合いになった。怪我人が出たことでもあって、ふたりの酔っぱらいを交番まで連れて来て説教をしたところだ。幸いふたりの怪我は大したこともなく、すっかり酔も覚めて反省もしているようなので、丁重に送り出して部下の山内巡査に書類作成を命じた。
 その出来上がった書類に眼を通している、まさにその最中だった。交番の左奥、道玄坂の方向からパンパンという花火が打ち上がったような音が聴こえた。
「何だろう? 今の時分花火なんて」
 そう思って立ち上がり掛けた時、立番に出ていた山内巡査が血相を変えて飛び込んできた。
「班長、大変です。来てください」
「なんだ。何があった」
「ぼ、暴動です」
 交番の表に出て、我が目を疑った。
 道玄坂の方から大量の人波が、駅前広場の方にやって来る。目の前のスクランブル交差点は歩行者側が赤になり、井の頭通りから流れて来た車が急ブレーキを踏んで人の流れを避けようとした。その急停車した車の後部に、後続の車が次々と衝突し、クラクションと怒号が響き渡る。道玄坂から降りてきた車の列は、人がいるのも係わらず交差点に侵入し、車体を斜めに曲げて歩道に乗り上げた。
 一体、何が起きた?
 その時、パンパンと、今度は間違いなく銃声と思われる音が聴こえた。
 道玄坂方面の人の流れが、避けるようにふたつに分かれる。
「伊坂。本部に連絡だ」
「もう、やってます」
 伊坂巡査長が叫ぶ。返事を待たず、河上は交差点の方向に駆け出した。駅前広場は人の海だ。凄まじい圧力が彼の行く手を阻む。
 悲鳴。怒号。クラクション。物が倒れる音。
 煙。炎。倒れた乗用車が燃えている。
 パン。
 パン。
 銃声が響く度に人の波が割れる。
 道玄坂から降りてきた二人組の男たちが、もつれるようにスクランブル交差点に侵入した。それぞれの手には黒光りする拳銃が握られている。そのふたりを避けるように人影の海が扇状に避ける。
「あの野郎か?」
 腰のニューナンブを引き抜くが、人混みに押されて前には進めない。
 遅ればせながらパトカーのサイレンが聴こえてきた。西口の渋谷警察署から駆けつけた警備部機動隊が到着したのだ。最も渋谷署との距離とこの混雑を天秤にかければ、走ったほうが早いと言えるかも知れない。
 警察車両は人混みに阻まれて容易に近づけない。案の定、途中で特殊車両を捨てて盾を持ったまま駆け出した。

 その頃、スクランブル交差点の状況はますます悪化の一途をたどっていた。
 交差点に飛び出した男たちの前に、西口のガード下から現れた暴力団風の一団が、発砲しながら交差点の男たちの前に立ち塞がったのだ。新たな驚異の出現に、人の波がまたその方向を変える。
「あれは、品川の赤沼組じゃないですか?」
 立ち尽くす河上の耳に伊坂巡査長が囁いた。彼はこの渋谷署に移動になる前は、品川署の地域課に配属されていたのだ。
 なんで品川の暴力団が?
 思う間もなく、今度は井の頭通りの神南町方面から大型のダンプカーが轟音を上げて突っ込んできた。逃げ惑う人々を蹴散らして、交差点の真ん中に停車した。ダンプカーの荷台からは黒ずくめの男たちが12~3人、次々と降りてくる。よく見ると、どいつもこいつも銃火器を装備しているらしい。
 同時に宮益坂方面からも新たな集団が押し寄せ、スクランブル交差点を挟んで睨み合った。
 何だ、なんだ。今度は何が起きるのだ?
 呆然と眺める河上の脳裏から現実感が急速に薄れて行くのがわかる。何やら非現実的な映画の中に迷い込んでしまったかのようだ。
「どうも、大変なことになってるすね」
 人混みの中からにこにことした若者が声を掛けてきた。身長は165センチくらい。当節の若者としてはやや小さい部類だろうか。年齢はまだ30にはなっていないとみえる。
 黒っぽいTシャツの上に派手な柄のジャケットを引っ掛けている。服装にはあまり気を使わないタイプのようだが、その顔には妙な愛嬌がある。どこかの組のチンピラか年の経ったフリーターくらいにしか見えなかった。
「なんだ、君は?」
 眉を潜めて河上が訊く。
「自分、こういう者っす」
 若者は内ポケットからバッチを取り出して観せた。
「本庁刑事部の神宮匠っす」
 そういえば、胸に「S1S mpd」と金文字の入った丸バッチがみえる。一課の捜査員にしか与えられないバッチであった。
 刑事部捜査第一課、殺人犯捜査専門の部署である。警視庁の中でも特に花形の部署であった。
 殺人犯捜査の刑事がなんでこんな所に?
「別件の捜査の応援でこの辺りに居たんすが、いやはやとんでもない事になってるっすね」
 口の利き方も社会人っぽくはない。なんと言うかそこいらのチンピラみたいだ。その口調にはどこかこの事態を楽しんでいる雰囲気すらある。
 この男、本当に捜査一課の刑事か?
「借りを返しに来か? え、赤沼よ」
「それはこっちのセリフだ」
 誰かが、何かを叫んでいる。河上にはそれが、映画の世界のセリフのようにしか聴こえなかった。
「へえ。あれが城田興毅すか」
 ダンプカーの屋根に登った巨大な男を、目を細めて神宮が見やっている。
 河上が我に返ったのは、盾を構えた機動隊員たちが交差点の周囲を確保してからだった。
「河上巡査部長」
 名前を呼ばれて振り向くと、高橋警備部長が立っていた。その周囲にもはや一般人は殆どいない。自主的に避難したのか、警備部が避難させたのかは判然としない。
「君は?」
 高橋警備部長は隣に立った神宮に気がついた。
「刑事部捜査第一課第四強行犯捜査係の神宮匠巡査っす」
「なんで本庁の刑事部がいるんだ?」
 神宮は頭を掻きながら前述の説明を繰り返した。
「まあ、いい。それより河上巡査部長、状況を説明したまえ」
「はい。それが・・・」
 河上は自分が目にしたことを報告した。しかし、何がどうなっているのかは、自分自身にもよく判っていないのだ。気がついたらこうなっていた、ただそれだけである。勿論、そんなことは口が裂けても報告出来ない。
「つまり、道玄坂から侵入して来たふたり組の男たちが、拳銃を振り回して交差点を占拠したというわけだな」
「はい。それに西口方面からの一団と、井の頭通りから突っ込んできたダンプカーの一団。それに宮益坂方面の一団が加わって、三竦みの状態が続いています」
「それでは何も判らん」
「は。済みません」
 わからないものは仕方がない。そうこうしている間にも、サイレンの音が鳴り響き、近隣の警察署や本庁からの応援が、続々と集結し始めた。
「部長。本庁(ホンテン)が到着しました」
 第一機動隊の相沢隊長が報告した。
「分かった。君たちも来なさい」
 警備部第一課長の二宮がマイクを持った。襲撃者への投降勧告が始まる。
「交差点内の武装集団に告ぐ。私は警視庁警備部第一課長の二宮だ。諸君は完全に包囲されている。逃げることは不可能だ。速やかに武器を捨てて投降したまえ」
 仮設の対策本部は駅前交番に設けられた。部屋の中には本庁の警備部長、組織犯罪対策部長、刑事部長などが集まっていた。
「さて、状況を整理しようか」
 一通り挨拶が済んで、警備部長がそう口を開いた時だった。現場から大きな声が上がった。
 黒ずくめのライダースーツの集団が、突如向かい合う暴力団に発砲を始めたのだ。

 その一報を時任重光副本部長が受けたのは、彼自身が代表を務めているフロント企業、パフィシック・カンパニーの取締役員室であった。フロント企業というのはヤクザが経営する企業のことである。表向きは通常の企業形態を装いながら、反社会的な方法で利益を得、それを組組織の活動資金に当てるものである。
「桜木本部長が撃たれた」
 警護に当たっている組員からの報告に、すぐさま同じ宮益坂の一心会本部に待機させていた武装構成員に出動を命令した。
 最初から嫌な予感はしていた。赤龍会の赤沼虎次郎が会見を持ちかけてきた時からだ。
 赤龍会は赤沼組から分離した組織である。虎之助の息子の虎次郎が代表を務めている。彼はまた本家である赤沼組の若頭をも併任していた。
 その虎次郎が会見を申し入れてきたのだ。何故、親分の虎之助ではないのか?
 ひがし東京を代表する6ッの暴力団組織は協力し合って、東日本最大の広域暴力団・極城会の進行に対抗する組織を創りあげた。名づけて六条委員会。
 その設立から、まだわずか一週間しか経っていない。
 この時期にふたりだけで会いたいとはどういうことなのか? この件は父親であり、親分でもある虎之助は承知のことなのか?
 赤沼虎次郎は何を企んでいるのか?
「本部長、ここはよした方がいい。虎次郎のハラが読めません」
 と言って止めたのではあるが、桜木はニヤリと笑って、
「なあに、心配には及ばないよ。虎穴に居らずんば虎子を得ずと言うしな」
「あの小倅を舐めるのは危険です。親父はあの通りの古いタイプのヤクザ者ですが、息子は違います。何を考えているかの分からない曲者ですよ」
「わかっているよ。だからこそ会うのだ。何を企んでいるのか、奴のハラを探りたい」
「分かりました。では、念のため準備だけはしておきます」
 危惧は当たったわけだ。だから言わない事じゃない。
 窓の外を覗くとスクランブル交差点の方角から煙が見える。車が燃えているらしい。
 大量の人の波が、駅の方から流れてくる。
「親父は無事か?」
 走りながら駆けつけた若頭補佐の水谷良文に声を掛ける。
「はい。お怪我はなされたようですが、生命に別状はないようです」
「わかった。とにかく急ぐぞ」
 万が一を考えて、会見場の周辺に構成員を配置させて置いた。それとは別に機動部隊を準備していて正解だった。
「相手は何者だ。赤沼組か?」
「いえ、赤龍会の会長も狙われました。どうやら襲撃を掛けたのは、薩田組のようですね」
「薩田組? 鳥鎧組系のか」
「はい。若頭補佐の加藤敏郎というのがハジかれました」
「バックは極城会か」
「間違いのないところで」
 しかし、何で会合の事が連中にバレた? 絵図を描いたのは誰だ。
 交差点にたどり着くと、すでに赤沼組の虎之助とダンプカーで乗り込んだ豊島連合の城田興毅とが睨み合っていた。
 その周囲を機動隊の集団が取り囲んでいる。
「あれが城田興毅のガーディアンズか」
 しかし赤沼組が到着するのが早すぎる。やはりこの絵を描いたのは虎次郎か?
「借りを返しに来か? え、赤沼よ」
 不敵な笑みを浮かべて城田が言った。
「それはこっちのセリフだ」
 機動隊の包囲の中、城田と虎之助は先日の赤沼組襲撃事件のことを言合っているのだ。
「交差点内の武装集団に告ぐ。私は警視庁警備部第一課長の二宮だ。諸君は完全に包囲されている。逃げることは不可能だ。速やかに武器を捨てて投降したまえ」
 警察当局の降伏勧告が響く。
 馬鹿馬鹿しい。
 そんなセリフを誰が聞く。
「面白くなって来たじゃねえかよ」
「ぬかしやがれ、この状況だ。手を出せば終わりだぜ。それでもやるのかよ。え、城田さんよ」
 先頭に立った虎之助が大声で挑発する。
 城田が不敵な笑みを浮かべた。
「上等だ。やってやるぜ!!」
 それが戦いの合図になった。
 交差点の中央に陣取った13人のガーディアンズが、赤沼組や一心会に対して一斉に銃撃を開始したのだ。当然の如く、赤沼組も一心会も反撃の火蓋を切る。
 銃声。怒号。悲鳴。
 あっという間にスクランブル交差点前は修羅場と化した。
「確保、確保ォ!」
 機動隊が威嚇の射撃を始める。
 湧き上がる炎と硝煙の中、ダンプカーの屋根に登った城田の哄笑が続く。次の瞬間、その身体がビクリと震えた。その頭部から、真っ赤な血飛沫が吹き上がった。
 機動隊の特殊急襲部隊・SATの狙撃班が、109側面の窓から狙撃したのだ。
 驚くべきことに彼は倒れなかった、左側頭部を半分消し飛ばされながら、残った右目で時任の顔を見つけるとニヤリと笑った。
 時任の背筋にゾクリとした戦慄が走った。
 彼はその光景を一生忘れる事は出来ない。ゆっくりとショットガンを向けた彼の身体に、更に数発の銃弾が襲いかかった。血煙をあげた彼の身体は、ゆっくりとダンプカーの屋根の上から転げ落ちた。
 それが「キング」城田興毅の最後の姿であった。
 機動隊員のジュラルミン盾の壁がジリジリと押し寄せて来る。
 赤沼組の組員や一心会の構成員たちの殆どは、その盾の間をすり抜けあるいは彼らに確保され、ダンプカーの周囲で抵抗しているものは、もはや豊島連合のガーディアンズのみとなっていた。
 彼らは驚くべき不死身性を発揮して、何発もの銃弾を浴びても平然と反撃を繰り返した。半端な威嚇射撃では抑えることは出来ないと判断した警備当局は、彼らの射殺命令を下し一斉射撃を開始した。
 
 御門龍介はその映像を、銀座のクラブ「静御前」で観ていた。
 カウンターに置かれたポータブルテレビで、である。隣にはあの銀髪の小泉老が座っている。
「いやはや、どうにも大変な事になって来ましたな」
 老人が言った。
「はい。いずれは何らかの動きがあるとは覚悟していましたが、まさかこんなに早く行動を起こすとは想定外でした。正義の奴もさぞかし頭を痛めているでしょう」
 テレビ画面の中の喧騒と比べ、クラブの中は別世界といってもいいくらい穏やかである。この中にいる殆どの人は、いま渋谷で起こっていることを知らない。例え知っていたとしても、彼らには話のネタくらいにしか感じないのに違いない。
 龍介にしても次第に今テレビの中で行われている出来事が、ドラマの中の出来事のように現実感を失っていくのを自覚していた。
「確か公安の御子柴君とは、高校時代の同級生だったね」
「はい。腐れ縁です」
「なるほど」
 小泉老は妙に納得した顔つきをした。
「ところで話は変わりますが、今回の件は東日本最大の組織、極城会が裏で糸を引いていると言われていますが」
「極城会というよりは、その系列組織の鳥鎧組ですね」
 龍介は応える。
「親組織の極城会は関わっていないと?」
「いえ、もともとの指令は極城会本部からでていたと思います。しかしそれは極城会のひがし東京進出の足懸りを作るというもので、具体的なやり方を支持された訳ではないと思います。しかも、最初にその指令が出たのは鳥鎧組ではなく、同じ極城会系でも八坂興行のほうだったのです。八坂興行の会長代理・朱雀喜重郎(すじゃく きじゅうろう)は、その方法としてまだ麻薬指定を受けていなかった合成ハーブに目をつけました。彼はこれに「合法ハーブ」という名前を与え、系列組織の金村組を使って若者たちの間に流行らせました。覚せい剤ではなく、あくまで合法のドラッグというのが売りです」
「なるほど。八坂興業の朱雀君ですか、彼は中々のやり手のようですね。耳にしたことがあります」
「先生のお耳に止まるとは中々の者ですな。まあ、それはともかく、それを面白く思わなかったのが鳥鎧組の円道寺健壱でした。もともと八坂興業と鳥鎧組とは、極城会に吸収される前からのライバル同士で、お互いにシノギを削りあった仲でしたからね。このまま朱雀がひがし東京に出張っていくのを、指を咥えて見ているわけには行かなかったのでしょう」
「それで彼が目をつけたのが豊島連合だったのですね」
「そうです」
 龍介は頷いた。
「円道寺健壱は池袋のヤンキー集団豊島連合を使って、金村組のシノギを潰しに掛かりました。でもそれは、金村組の使用していた合成ハーブとは、根本的に異なる物だったのです」
「それがロボと呼ばれるドラッグですね。それは蓬楽医薬品が精製したものと見てよろしいのでしょうか?」
「はい。多分それは精神傷害の治療薬として開発途上に出来た、副作用のようなものだと思います。しかし円道寺はその薬理作用に目を付け、栃木県の飛駒にある研究所で密かに開発させた。それがロボです」
「なるほど。ということは円道寺の目的は八坂興行に変わって、鳥鎧組が極城会の東上の先棒を担ぐことですか?」
「勿論それもあるでしょうが、それだけではないと思います」
「どういうことでしょう?」
「先生」
 龍介は声を潜めた。
「先生は西尾儀一という男をご存知ですか?」
「もちろん知っていますよ。極右翼界の大物だった男ですね。北濤事件やオリオン商会の粉飾事件などに顔を出していましたが、最近はとんと噂を聴きませんね」
「現在彼は「北」に滞在しているという噂です」
「確か西尾さんは在日でしたね」
「はい。そして円道寺健壱は学生の頃、西尾の書生を勤めていたことがあります」
「なるほど、大分継って来ましたね」
「はい。西尾は円道寺を通じて「北」へロボを流すつもりでしょう」
「それは厄介ですね」
「ロボは最早ドラッグではなく、兵器の部類ですからね」
「ロボの輸出は兵器の密輸と同じということですか。・・・分かりました、至急裏を取って下さい」
 小泉老は覚めた眼で龍介を見た。
「その後はどうしましょう」
「方法はお任せします。あまり騒ぎにならないようにお願いしますよ」
「わかりました」
 老人がそう言ったとき、華やかな声がふたりの耳を打った。
「あらあら、何やら悪い相談ですか?」
 振り仰ぐと、静ママが艶やかな笑顔を浮かべて立っていた。
「丁度良かった」
 龍介が言った。
「もう一度、頼まれてはくれないかい。ママ」
 
 翌日の午前2時すぎ、三時間にわたる前代未聞の抗争劇は終焉を迎えることになった。
 この事件で死亡が確認されたのは、豊島連合の城田興毅をはじめとするガーディアンズの13人。薩田組からは加藤敏郎、杉澤寛、山田幸従。その他一般人3名を含む死傷者28名。
 重傷者は奥重文隆をはじめとする104名、軽傷者なんと586名を数えた。
 その他、大破した乗用車8台。被害を受けた周辺の店舗も数件に及ぶ。ヤクザ同士の抗争事件としては、正に史上最大のレベルであった。
 逮捕者は首謀者である極城会系薩田組々長薩田兆次。実行犯として同奥重文隆若頭。その他、赤沼組々組長赤沼虎之助、同若頭補佐赤沼三虎、舎弟頭工藤銀次。一心会からは若頭代理氏原喜朗、同高井将司など86名が殺人、殺人未遂、傷害、凶器準備集合罪等で検挙されている。
 そして渋谷の街は狂乱の夜明けを迎えるのであった。

第8章 残照


 
 月のない夜であった。低い雲が重苦しい蓋のように空を覆う。
 風はない。
 しっとりと絡みつくような草むらを掻き分けて、ひとつの黒い影が駆け抜けていく。
 周囲に明かりはない。漆黒の闇だ。遠くに宿舎の明かりが、暗海の漁り火のように灯っている。
 やがて人影は目的とする建物にたどり着いた。昼間確認しておいた、やや大きめのプレハブの建物である。
 ここ「陽だまりの家」の敷地内にはいくつかのプレハブが点在しているが、その大部分は穀物倉庫や農作業用具の保管場所であるのだが、この場所だけは何の用途に使用するのもなのか判断がつかなかった。
 場所は教団施設内でも最も奥まった位置にあたる。背後は深い森であった。建物は長さ10メートル、幅5メートルくらいの長方形の箱のような形で、建物の周囲を回ってみても窓らしきものがひとつもない。
 出入り口は建物に続く細い道に面して、建物の幅いっぱいに開く大きな開き戸と、その一部に取り付けられた小さなドア。いずれにも厳重に鍵が掛かっている。
 入口以外の建物の3方は軒先まで迫る木々に囲まれ、森の中にすっぽりと埋没しているように感じられる。
 2階建とも思える高い建物の屋根部分には、何本かの煙突らしき塔が見受けれる。
 建物の近くまでたどり着いた白銀玉藻は、顔を覆っている黒いマスクを外して大きく息を吸った。夜の闇に合わせて漆黒の上下を身につけている。上は黒のニットシャツにサバイバルベスト。下は脚線美にピッタリとフィットしたレザーパンツに、ミネタリーブーツという出で立ちである。
 陽だまりの家に潜入して2日め。
 目的の藤木浩輔に会うことは出来たが、彼自体からは大した情報を得ることは出来なかった。何かを隠している感触はあるのだが、それが何かと言われれば想像することすら難しい。
 しかも先方はこちらの存在を知っている。いや、むしろ知った上で彼女を自由に泳がせている可能性すらある。
 簡単には尻尾を表さないだろう。
 どうするか?
 どうにも気になるのは、前日の昼間眼にしたプレハブの建物であった。
 様子を伺っていると、その前に現れたあの男。明らかに他の信者たちとは雰囲気が異なっていた。厳しい訓練を重ねてきたプロの動きである。
 なぜ、あんな男がこの場所にいるのか?
 あのプレハブ小屋を警備していたのだろうことは判る。つまりあそこは、それだけ重要な場所であるということだ。
 あの時立ち上っていた煙突の煙はいまはない。また、建物の中からは人の気配は感じられない。
 玉藻はサバイバルベストのポケットから小型のLEDライトを取り出すと、西側の出入り口に近寄った。
 大型のトラックが出入り出来そうな扉は、内側から厳重に鍵が掛けられているらしくビクともしないので、その下方に付けられたドアのほうに目を移した。
 鍵はキーレスタイプの暗号キーである。0から9までの番号とAからDまでのアルファベットを組み合わせてロックを掛けるタイプのものであった。
 デジタルタイプのものでないのが有難い。玉藻はベストのポケットから、細い2枚の金属製の板を取り出すと、ライトを口に咥え2枚の板を扉の隙間に差し込んだ。
 そのまま慎重に扉のキーを押す。それを何度か繰り返す内に、カチャリと音がしてドアが開いた。
 建物の中は漆黒の闇だ。小さなライトの光を頼りにゆっくり進んでいる。
 建物の中に入った瞬間、ツンと鼻を付く甘ったるい匂いに気がついた。どこからか漂ってくるというのではなく、建物自体に染み込んだ匂いという感じである。
 玉藻はその匂いに覚えがあった。
 入口を入った先は広い空間だ。LEDライトの光では届かない。地面はコンクリートの剥き出しである。恐らくトラックの入れる巨大な空間になっているのだろう。
 左側に小さな部屋がある。壁際に配電盤のついた守衛室ようだ。
 少し迷った後で配電盤のスイッチを入れる。バンと音がして天井の明かりが灯った。窓がないから明かりが漏れる心配はない。
 部屋の外は思ったとおり、車の入れる駐車スペースである。そのスペースに沿って、左側には幾つかの部屋が並んでいる。部屋というよりはパーテーションで区切られたコーナーというのが正しいかも知れない。
 手近なひとつの部屋に入ってみる。
 部屋の中には何やら大きな機械が設置されていた形跡があるが、いまは取り外されていて設置の後だけが残されている。その他には木製の作業台と、スティール製の机が置捨てられているだけだ。
 やはり玉藻の存在を知って、慌てて引き上げたものか。
 それは即ち、ここで何やら良かならない事が行われていた証拠でもある。
 そのまま隣の部屋に移動する。中は大きな作業台の上に、フラスコやビーカーなどといった実験機材の乗った、いわば実験室のような場所であった。部屋の奥には書庫や薬品棚などが置いてあるが、無論中身は空っぽであった。
 玉藻は作業台の隅にこびりついた白い粉に目を止めた。指に付けてなめてみる。
 その時、背後に刺すような殺気を感じ取り、玉藻は作業台の向こうに身を翻した。
 見ると部屋の入口を塞ぐように、ひとりの男が立っていた。迷彩柄のミネタリーファッションに身を固めた長身の男である。
 その男が背後に近づくまで、玉藻はその気配に気づかなかったのだ。こんなことは初めてである。
「やはり来たな」
 男は言った。暗い声であった。
 玉藻はその男を知っていた。昨日、この小屋の前で声を掛けられた男だった。
「平井静香というのは、もちろん偽名だろう?」
 男は玉藻の提出した履歴書を開いて観せた。
「佐々木輝摩。もと陸上自衛隊第1空挺団所属」
 玉藻は静かな声で言った。
「ほう。知っているのか、俺のことを? お前、何者だ?」
 玉藻は唇に笑みを浮かべて、ゆっくりテーブルの周囲を移動する。必然的に佐々木は玉藻に対する形で、反対方向に移動する。
 それは龍介たちが祐天寺の占いの家で遭遇した男であった。あの時耳にした「佐々木」という名前から身元を洗ったものである。
 佐々木輝摩。
 もと陸上自衛隊第1空挺団所属の特殊作戦群に属する一等陸士である。自衛隊の第1空挺団といえば、数ある自衛隊の精鋭部隊の中でも、特に選ばれた人間のみが入団できるいわば自衛隊のエリート集団である。その戦闘能力は圧倒的に高く、米陸軍特殊部隊デルタ・フォースに匹敵するとも言われている。
 佐々木輝摩は隊員同士の些細な諍いから仲間に重症を負わせ、自衛隊を退役している。その後、一時期某右翼団体に所属していた記録があるが、近年ではその行方は知れなかったのだ。まさかこんな所に身を寄せているとは。
「場所を変えましょう」
 玉藻は後ずさりしながら部屋をでた。
「もう一度聞こう。お前は何者だ? 誰の命令で、何を探っている?」
 佐々木も玉藻に続いて、広いコンクリートの駐車場に入った。
「同じ質問を、わたしもいたしましょう」
「なるほどな。では、腕ずくでということか。女とはいえ手加減は出来んぞ」
 佐々木はニヤリと笑うと、腰のポケットから大きなサバイバルナイフを取り出した。
「よしなに」
 玉藻はサバイバルベストを脱ぐと、中から取り出した30センチほどの金属の棒を床に置いてその後方に正座をした。
 白銀流「座技」
「何の真似だ?」
「どうぞ、お構いなく」
 しかし佐々木も簡単には動けない。玉藻も発する異様な殺気に気圧されるのだ。
 おもしろい。
 佐々木は唇の端を釣り上げて笑った。

 白銀玉藻は佐々木の前に三つ指をついている。まるで、初夜の床入りを待つ花嫁のようだ。
 しかし佐々木は動けない。
 考えてみるに正座したこの体勢は、攻撃を仕掛ける方にはとってはあまりに不利だ。まず、攻撃目標が低くなるため、パンチを放つにしろナイフで切りつけるにしろ、身体は斜め下を向く。つまり重心が身体の前方に移動するということだ。
 その状態で腕にしろ足にしろ、取られたら簡単に転がされてしまう。
 かといってもちろんタックルに入るわけにはいかない。そもそもタックルとは足をすくって身体を倒す技だからだ。
 玉藻の前に置かれた鉄棒。あれが曲者だった。タックルに行けば、あれが顔面に飛んでくるだろう。
 唯一有効な攻撃方法はキックであるが、それが罠であることは分っている。
 なるほどな。
 佐々木は唇の端を引きつったように吊り上げた。
 ただし座った状態から動ければの話しだがな。・・・
 佐々木は半歩前に足を踏み出すと、右の蹴りを放った。本気の蹴りではない、様子見のフェィクである。それでも腰の入った本格的なキックだ。サバイバルブーツの厚底は、当たれば簡単に玉藻の顔面を破壊するだろう。
 しかしその蹴りは空を切った。玉藻が座ったまま、伸ばされた足先の分だけ後方に移動したからだ。
 佐々木は舌を巻いていた。本気ではないとはいえ、自分の蹴りをしかも座ったままの状態で、いとも簡単に避けるとは。
「やるな」
 本気になった。
 サバイバルナイフを構え、腰をかがめる。これでナイフの高さと顔の位置が平行になる。
「容赦はしない」
 突いた。閃光の突きだ。
 鉄棒を開いて、目の前に飛んできたナイフの刃先を受ける。鉄の棒と見えたそれは、十数枚の鉄板を扇状に束ねた鉄扇だったのだ。
 玉藻が動いた。
 前だ。
 風のように佐々木の懐に飛び込むと、畳んだ鉄扇を横腹に打ち付ける。ナイフを返してそれを受けた。
 カツン。
 と金属音が鳴り、火花が散った。
 佐々木が後方に下がる。
 玉藻は動かない。もとの位置に静かに正座をしている。
 佐々木の額に汗が滲む。膝を曲げて重心を下げる。サバイバルナイフを喉元に突きつけながら、左手を腰のあたりにまわす。
 前に出る。立て続けにナイフを突き出す。
 玉藻はそれを、あるものは顔を捻り、あるものは棒状にまとめた鉄扇で防いでいく。
 鉄扇がナイフを大きく弾いた時、佐々木は腰に回した左腕を振り回した。なんとその手には別のサバイバルナイフが握られていた。彼は2本のサバイバルナイフを隠していたのだ。
 玉藻の左肩が切り裂かれ血が滴った。
「そういうことですか」
 肩口を抑えて玉藻が言った。
「悪く思うなよ」
 2本のサバイバルナイフがマシンガンのように玉藻を襲う。さすがの彼女もその全ては受けきれなかった。
 その身体に幾つもの傷を負い、ニットのシャツも切れて白い素肌が覗いた。
 一方の佐々木の方も、激しい突きを繰り出しているうちに、次第に高揚する気持ちを抑えかねていた。女の白い肌を眼にする度に、その肌が真っ赤な鮮血に染まる度に、サデスティックな思いが込み上げてくる。
 もっと切り刻みたい。悲鳴を上げさせたい。泣き喚く女の顔を、思い切り踏みにじってみたい。
 体中の血液が逆流するようだった。全身が炎に包まれたように熱い。この女だ。この女の白い顔が、俺をこんなに残酷な思いにさせるのだ。
 玉藻の髪が解けて、長い黒髪が広がった。彼女の身体が回転する度に黒髪が宙に毎踊り、その先端が佐々木の眼に入った。
 一瞬視界を遮られ次に目を開けた時、目の前に玉藻の姿はなかった。
 上だ。
 戦慄が走った。
 右手のサバイバルナイフを突き上げた時、その腕を絡め取られていた。彼女の全体重が掴まれた右腕を逆方向に捻っていく。
 肩の靭帯が千切れ、関節が破壊されていく。
 激痛。絶叫。佐々木は折れ曲がっていく腕の方向に飛んだ。
 佐々木の背後に降り立った玉藻は、逆方向に折れ曲がったその腕を肩に担いで投げを打った。丸まった佐々木の身体は、玉藻の上を飛び越えて、駐車場の隅の積み上げられた麻袋の上に叩きつけられた。
 もうもうと埃を舞い上げて佐々木が立ち上がる。その右腕は通常の倍くらいに伸びている。そしてその腹からは、サバイバルナイフの柄が生えていた。
 投げられた弾みに自分で自分の腹を突いたのだ。
 ゴホリ。
 と佐々木は大量の血を吐き出した。
 一歩、二歩。玉藻のほうに近寄って、崩れるように膝を突いた。玉藻は用心深く、残ったナイフを靴先で蹴飛ばした。
「・・・俺の負けだ」
 苦しい息の下で、佐々木は言った。
「最後に聴かせてください。ここで精製しているのは大麻ですね」
 声を掛けた玉藻に、佐々木は頷いた。
「ああ」
「濃縮大麻?」
「そうだ」
 そして出入り口の方に視線を送る。見ると出入り口の向こうが真っ赤に染まっていた。
「逃げろ。大麻畑に火を放った。ここもいずれ火の海になるぞ」
「馬鹿なことを」
 プレハブにも火は回っている。肩を貸そうとする玉藻の腕を、佐々木は振り解いた。
「俺はどうせ助からない。ぐずぐずしてると、お前も焼け焦げるぞ。行け」
 外の森林が燃えているのだ。薄いプレハブの壁面が強烈な熱で、大きく歪んでいる。
 諦めて玉藻は身を翻した。
「楽しかったぜ」
 背中に佐々木の哄笑を聴きながら出口のドアを潜ると、背後の森が真っ赤に燃え上がっているのが判った。あの森の奥に、秘密の大麻畑があったのだろう。遠く宿舎の方から駆け寄ってくる人々の影が見える。
 何もかもが燃えてしまった。
 漆黒の夜は真紅の炎に包まれていた。渋谷抗争の起きる前日の出来事だった。

 御子柴参事官は公安参事室のビデオ画面で、狂乱の渋谷スクランブル交差点を眺めていた。
 事件の起きた3日後のことだ。捜査本部は渋谷警察署に設置されている。
「どういうことだ? これは」
 苦にがしい顔つきで後方の竹芝基樹警部に声を掛ける。
「民間人に被害が出るのは、さすがに不味かったな」
「思った以上に展開が早かったですな。しかし、ここまで思い切った手を打って来るとは」
 テレビ画面の中の燃え盛る炎を見詰めて竹芝が唸る。大声で叫ぶ赤沼虎之助のアップが映し出された。
「あれは赤沼か。馬鹿に手際がいいじゃないか」
「はい。桜木が息子の虎次郎から呼び出されたとの報告がありました」
「息子? 親父じゃないのか」
「はい」
 御子柴はニヤリと笑った。
「なるほど。嵌められやがったな。親父も桜木も」
「はい。ここまで大事になっては、さしもの赤沼虎之助も逮捕は免れません。それが虎次郎の狙いでしょうね」
「内部抗争ってわけか。桜木はまんまとそれに利用された」
「どさくさに紛れて桜木のタマを奪えればとも考えたのでしょうが、まあそれは付随的なもので、本命は親父の失脚」
「絵を描いたのは、鳥鎧組に敵対する八坂興行あたりか」
「ですな。八坂興行の会長代理・朱雀喜重郎はキレ者として評判ですからな。大方、そのあたりから虎次郎に申し入れがあったのでしょう」
「鳥鎧組による一心会々会長の暗殺計画を漏らしたってわけか?」
「その情報はうちでも掴んでいましたが、まさかこんなに早く実行に移すとは思っていませんでした。まあ、それはともかく朱雀はその情報を漏らすと同時に、これはチャンスだと虎次郎に焚きつけたのでしょう。血の気の多い赤沼虎之助のことです、そんな情報を与えられえば喜々として食いつくに決まってます。それでわざわざ桜木との会合をもって、連中に襲撃のチャンスを与えた」
「なるほどな。抗争好きの虎之助は、罠とも知らず喜び勇んで迎撃の準備を整え、この日を待ったってわけか」
「息子の虎次郎は親父とは違って、切った張ったの昔ながらのヤクザが、いまの時代に合わないことはよく承知しています。同時にそういう親父のやり方に危機感を抱いていたのです。朱雀はそれをうまく利用したのですな」
「朱雀の狙いは桜木暗殺を失敗に終わらすこと。それはそのまま鳥鎧組を追い落とす切っ掛けになるってことだな」
「そのためには出来るだけ騒ぎを大きくする必要があった。それが彼の思惑でしょう」
 御子柴は頷いた。
「桜木晃一郎。それが分っていても赤沼組に手出しはできないか」
「はい。六条委員会の規約があります。そしてそれを言いだしたのは、他ならない桜木本人ですからな。虎次郎はそれを判った上で手を出したんでしょう。朱雀の入れ知恵ですかな。まあ、そのほうが、こちらとしては面倒がなくて良いですが」
「なるほど、鳥鎧組が八坂興行から池袋のシマを奪った後も、すぐには動かずに沈黙を守っていたのは、こういうチャンスを待っていたわけか。八坂興行の朱雀喜重郎。その名前は覚えておく必要があるな。いずれは驚異になる」
 御子柴は表情を引き締めて言った。
「ところで、龍介はどうした?」
「連絡が取れません。単独で動いているようです」
「あの馬鹿めが、何を考えているのだか。・・・そういえば、銀狐の方は済んだようだな」
 思い出したように御子柴が言う。
「はい。やはり大麻でした。多分、濃縮大麻かと思われます」
「濃縮大麻は通常のものの数倍の幻覚作用を持つといわれているからな」
「はい。連中は施設の裏山に大麻畑をもっていて、施設内のプレハブでそれを濃縮していたようです。キツネが現場に駆けつけた時には、証拠品の全ては持ち去られた後だったようです」
「人がひとり死んだそうだな」
「はい。佐々木輝摩という元空挺師団の男です」
「もと自衛隊員か。たしか祐天寺の占い屋で龍介を襲った男だな」
「そうです」
「殺ったのはキツネか?」
「そうなりますな」
「ふん」
 御子柴は鼻で笑った。
「ところで、陽だまりの家にも捜査は入るだろうが、神蘭は姿を消したようだな」
「そうですね。連中が何を企んでいるのかは、いまだにわかりません。何しろすべては燃えて灰になっていますからね。そうそう、陽だまりの家といえば、例の十全銀行のマル疑・西島透が事故死したとか」
 竹芝は御子柴の顔を見て言った。
「ああ、新堂警部補の目の前だったそうだ」
「消されましたか?」
「西島には二重スパイ、三重スパイの嫌疑がかかっている。どこが殺ったかは判然としないな」
「その車には同乗者がいたとか」
「ああ、アイドル折原雅のマネージャーだそうだ」
「折原といえばマキシム・エージェンシーですな。ということは大神士郎が一枚噛んでいるということですか?」
「わからんが、陽だまりの家と大神との間に接点があることは間違いないようだな」
「西島を殺ったのは大神?」
「それはわからん。自分のところのマネージャーも死んでいるんだからな」
「彼らが向かった先は、蓬楽医薬品の飛駒研究所ということでいいんですか?」
 竹芝が重ねて訊く。
「ああ、しかし飛駒研究所はもぬけの殻だった。あとは蓬楽医薬品だが、そこから崩すのは難しいだろうな」
「神蘭と一緒に消え失せたというわけですな」
 御子柴は大きく頷いた。
「ところで今回の騒動と、陽だまりの一件とは別物とみていいんだな」
「そうですな。今回の騒動はあくまで鳥鎧組と八坂興行との主導権争いです。一方の陽だまりの家の方は、濃縮大麻の販売が目的でした」
「飛駒研究所と西島透というワードがたまたま一致したというだけで、両者には関連性は見当たらない、か・・・。しかし、気になるのは神蘭が十全銀行で手に入れたというブツだな」
「はい。それがなんであるかは、いまだに不明です」
「これは俺の想像なんだが、連中が取り扱っていたのは濃縮大麻なんかじゃない。もっと別の何かだろう。大麻の一件は、それの目くらましに過ぎないような気がする」
 御子柴は腕を組んで考え込んだ。
「別の何かといいますと?」
「あれは合成ドラッグの「ロボ」だと思われているようだが俺は違うと睨んでいる。あれがロボなら鳥鎧組はわざわざ銀行の貸金庫から盗ませたりはしない」
「つまり飛駒研究所はロボ以外の何かを開発したということですか?」
「そう。そして恐らくそれには藤木浩輔が絡んでいる。彼がその何かを開発した張本人かどうかは判らんがな。そして神蘭はその両方を手に入れた」
「とすると、参事官の元に銀行襲撃の予告状を送ったのは神蘭ということになりますか」
「多分な。飛駒研究所はロボに替わる新しい新型ドラッグを開発した。そのサンプルは開発者のひとりだった藤木の貸金庫に収納されていたが、鳥鎧組の円道寺はそれを手に入れたくて、西島透に命じて豊島連合に銀行襲撃を仕掛けさせたんだろうな。ところが陽だまりの家の信者だった藤木はそのことを神蘭に知らせたんだろう」
「その何かに興味を持った神蘭はそれを横取りするために、あんな予告状を送ってよこした」
「そう。俺たち公安に介入させることによって鳥鎧組の計画を潰す為にな」
「そして隙を見計らってブツを手に入れるという寸法ですか」
 竹芝は頷いた。
「まあ、そんなところだろう。そうなるとやはり気になるのは、大神士郎のマキシム・エージェンシーだな。大神の野郎がこの件にどこまで関わっているのか?」
「そうですね。探りを入れるとすれば、まずはそのあたりからでしょう」
「うむ。頼むぞ」
「はい」
 竹芝は部屋を出ていった。
 ビデオの中の暴動は鎮静化しつつあった。


 
 広域暴力団極城会系鳥鎧組筆頭若頭円道寺健壱は、闇の中で気配を探っていた。
 何かが違う。・・・
 彼の研ぎ澄まされた防衛意識が、しきりに危険信号を発してくるのだ。この防衛意識のお陰で、危ない所を何度救われたことか。
「臆病であること」が生き残るための最大の武器である。彼はそう信じていた。
 北区北赤羽の自宅マンションである。本邸ではない。本邸は埼玉県の和光市にある。
 愛人のために彼が用意した部屋だ。
 愛人は銀座のホステスである。佳子という27歳の女だ。今年の初め、彼が見初めて愛人にした。その後、このマンションを買い与え、週に2回か3回ここで寝食を共にするのを常としている。
 いつもなら彼が部屋ホーンを鳴らした段階で、モニターに愛らしい笑顔をみせるところだ。それが今日はない。
 嫌な予感がした。
 外出時には必ずついてくる護衛を今日は帰している。愛人宅に通うときはいつもそうだ。運転手係のふたりの構成員も、いまは車に残している。
「おい、チャカをよこせ」
 円道寺は車に戻ると、運転手の舎弟に言った。
「どうしたんです、社長?」
 運転席に座った舎弟の男は怪訝な顔をした。助手席の男も不安げな表情をしている。
「何かあったんで?」
「いや、なんでもねえ。お前らはここで待機してろ」
 グローブボックスから取り出したサイレンサー付きのオートマチックを尻のベルトに挟んで、再びエレベーターホールに向かう。愛人の部屋は8階であった。
 廊下はしんと静まり返っている。明る過ぎるほどの蛍光灯の光が、長い廊下を照らしている。
 その廊下が組長本宅の長い廊下と重なる。
 鳥鎧組々長・鳥越鎧雄(とりごえ いわお)。一代で関東最大の暴力団組織鳥鎧組を作り上げた人物だ。
 もとは地元の土建業者であったが、建設族の大物代議士と懇意になり、公共事業を不当に受注して私服を肥やした。その後盟友であった二代目極城会組長高松是政の傘下に加わり極城会の東北制覇に貢献した。現在の三代目総会長島崎辰臣(しまざき たつおみ)の後見人的な役割を果たす人物である。
 その男の自宅に呼びつけられた。
 部屋の中には他の6人の若頭たちが居た。いれもそれ相応の組を任されている組長だ。円道寺自身にも独立の話は何度かあったが、彼はその都度断り続けている。彼が部屋住みに拘るにはそれなりの理由があったのだ。
「てめえ、ふざけんじゃねえ」
 いきなり湯呑が飛んできた。それが円道寺の額に当たり血が滲むが、彼は微動だにもしない。爬虫類の瞳で親分の顔を眺めている。
 鳥越鎧雄は今年70歳になる。その親父が息子のような円道寺に本気で腹を立てているのだ。
「これはどういうことだ?」
 今朝方届いた朝刊を投げつける。そこには「渋谷の大規模抗争、首謀者は鳥鎧組か?」という記事が大々的に乗っている。
 円道寺はシニカルな笑みを浮かべてそれを取り上げた。
「何、どうってことありませんよ。証拠はないんですから」
「馬鹿野郎。そんなこと言ってんじゃねえよ。俺は知らねえぜ、こんな事はよ。てめえが俺に内緒で、色々と動いていることは知っているんだ」
「だったら、渋谷の件も知っているんじゃねえですかい?」
「やっぱり、てめえの仕業か?」
「組のためですよ。私は組のシノギのために色々と考えて・・・」
「うちはヤクは御法度だと、口を酸っぱくして言ってあるだろうがよ」
「親父さん・・・」
 クククっと笑った。人間離れした笑みである。
「あれはヤクじゃありやせん。兵器ですぜ」
「兵器だあ?」
「ヤッパやチャカと一緒なんです。もっと言やあ、戦車やミサイルとも同意語なんすよ」
「な、なんだと?」
「おやっさん。いまの時代、大川の下で土建屋とか建築屋とかで稼ぐ時代じゃありません。デライトコンサルティングの渋沢統治郎。明神会の西崎あたるといった連中が、ITバブルの後始末でボロ儲けをする時代なんすよ」
 円道寺健壱は本家に内緒で、フロント企業「東商会」を立ち上げていた。精密機器部品を主に中東や東南アジアに輸出する代理店だが、裏では武器や麻薬類の密輸も手がけていた。
「とんでもねえことを考える野郎だ。人の看板で好き放題しやがって、てめえなんざは破門だ。出て行け!」
 鳥越親分の恫喝を平然と受け止める。
「破門はいいんですがね、周りの人間が何と言うか」
「なんだと?」
 改めて周囲を見回すと、6人の若頭たちは覚めた眼でこちらを見ている。
「て、てめえら・・・」
「まあ、そういう事ですよ、親父さん。俺を破門にするか、あんたが引退するか。どちらになりますかね」
 そう言って平然と笑っていた。

 それが4時間前の話だ。
 それにしてはマンション内は静かすぎる。
 まさか親父の手が回ったか?
 いや、それにしては早すぎる。第一、主だった幹部はこちらで抑えてあるのだ。いかに鳥越鎧雄とはいえど、そう簡単に兵隊を動かすことは出来ない。
 では八坂興行の連中か?
 それもない。八坂の朱雀とは話がついている。仮に奴が俺を裏切ったとしても、いまの奴には俺を襲うメリットがない。
 すべてを完璧に根回ししたはずだ。手抜かりはない。
 円道寺は愛人の部屋のドアノブに手を掛けた。おかしい、鍵が掛かっていない。
 彼はドアを細めに開けた。部屋の内部は漆黒の闇だ。
「おい、佳子。俺だ。居ないのか?」
 声を掛けるが応答はない。
 腰のベルトから拳銃を抜いた。それを構えながらゆっくりと部屋の中に入って行く。
 玄関を入って突き当たりが居間だ。その隣が寝室になっている。
 居間の中に人の気配がする。
 佳子ではない。佳子なら部屋の明かりを消したままにはしていない。いや、他の何者にしても、だ。
「誰だ?」
 気配に向かって言った。返事はない。
 用心深くサイレンサーを構えたまま壁のスイッチに手を掛ける。
 パッ。
 と音を立てるように電気が点いた。
 部屋の正面。ひとりがけのソファーに足を組んで腰掛けている男が目に入った。細身ながら強靭な肉体が、スーツの上からも見て取れる。髪は短く、銀色のミラーグラスをかけている。
 はじめて見る顔であった。
「貴様、何者だ?」
 男の顔に拳銃を向ける。男の表情に変化はない。こういう事に慣れているようだ。
 こういう事というのは、誰かに銃を突きつけられるという事だ。
「ナイトランダー」
 男は応えた。
「ナイトランダー? なんだ、そりゃ。都市伝説じゃねえのか」
「まあ、そんなところだな」
「ふざけやがって。女はどうした?」
「買い物にいっている。いい女だな、あれは。あんたのイロか?」
 男は小指を立ててみせた。カッと頭に血が登る。
「貴様。女をどうしやがった?」
「だから、買い物を頼んだんだよ。直に戻ってくる。それまでにあんたとの話を終わらせたい」
「話? なんの話だ」
「鳥鎧組筆頭若頭円道寺健壱。あんた元右翼の大物、西尾儀一と謀ってミサイル開発用の部品や食料品を「北」に送っているだろう。それだけならまだしも、次にあんたが目を付けたのが人を殺人機械に変える薬「ロボ」だったというわけだ」
 男はテーブルの上に数枚の書類を放り投げた。
「こいつはその資料だ。「北」にいる西尾儀一との通信記録が残っている。これによると、あんたは豊島連合の城田興毅らを使って、人体実験を繰り返していたようだな。表向きは極城会によるひがし東京進出に見せかけてはいるが、実はそれはカモフラージュ。あんたの本命は「ロボ」の開発だ。そうだろ?」
「何の話だ?」
「隠しても無駄だ。あんたそれを「北」に流して大儲けをするつもりだったんだろう。「渋谷抗争」はそのためのいい宣伝動画になったんじゃないか」
「何を馬鹿な」
円道寺は吐き捨てるように言った。
「あんなものを「北」が手にしたら大変なことになる。あんた、それが判っていないのか?」
「貴様、組の者じゃねえな。警察か?」
「想像に任せる」
 円道寺はニヤリと笑った。
 シュッ!
 という空気を切り裂く音がして、男の背後のガラス戸が砕けた。
 銃弾は男の右頬を掠めて飛んだのだが、男は瞬きひとつしない。
「ふうん。思いのほか、いい腕なんだな」
「貴様、今の状況がわかっているのか? 次はその頭をブチ抜くぞ。死にたくなければ、誰に頼まれたかを言うんだ」
「馬鹿だな、あんた。今、わざと狙いを外したろう? それがいけない。殺れる時には、確実に殺っておくものだ」
 男は微かに含み笑いをした。
「残念だったな、もうあんたには俺を殺せない」
「何を言ってやがる」
 円道寺は再びサイレンサーを構えた。
「次は外さない」
「無駄だな。あんたは一度外しているからな。わざと狙いを外した以上、二度目も同じように狙いを外す。人間の心理なんてそんなものだ」
 男が言い終わらぬうちに引金を引いた。今度はしっかり狙いを定めたはずだった。しかし銃弾は先程とまったく同じ軌道を通って、穴を開けたガラス戸を通り抜け夜空に消えた。
「馬鹿な」
 思わず銃を見る。
「ほら、言った通りだろ?」
「ふざけるな。死ね、死ね、死ね!」
 撃った。撃った。銃弾がなくなるまで撃ち尽くした。
 しかし男は元のソファーに平然と座ったままであった。男の後方のガラス戸は、影も形もなく砕け散っていた。
 円道寺は愕然として膝を突いた。
「だから、言ったろう。あんたに俺は殺せない、と」
 男は言った。
「社長、社長。どうしました? 社長」
 部屋のドアを叩く音が聴こえる。いきなり砕け散ったガラス戸を見た運転手らが、異常を察知して駆けつけたのだ。
 住民の誰かが通報したのだろう。遠くにパトカーのサイレンが聴こえる。
 しかし今の円道寺には、その音すらも聴こえないようであった。

 その翌日。
 東北線のホームを歩いていた円道寺健壱は突然バランスを崩し、吸い込まれるように通過電車に向かって倒れ込んだ。
 即死であった。
 目撃者によると、彼は誰もいないところで、ふらりと電車に向かって身を翻したという。
 前後の状況から彼の死は自殺として処理された。

 新宿歌舞伎町。区役所通りの裏にある雑居ビルの一室である。
 俥座一家の大番頭、村田彦次郎の事務所がここにある。「歌舞伎町商工会」というのが会社の名称だ。歌舞伎町の商店街が行うイベントのプロデュースをするのが主な仕事である。
 事務所の中にはふたりの男が居た。会長の村田彦次郎と、黒のロングコートを羽織った近藤宗親のふたりだ。
 事務所の壁には大きなポスターが飾られている。
「歌舞伎町・素手喧嘩(すてごろ)祭り」
 毎年、この時期に行われる恒例の格闘技の祭典である。もとは正式な格闘技の興行ではなかった。新宿中の喧嘩好きが集まって腕っ節の強さを競う、裏の世界の格闘技選手権だ。
 ルールはただひとつ。
 素手。
 それ以外はなんでもOKというデスゲームである。
 もともとは終戦後の闇市に蔓延る愚連隊や不良少年たちと進駐軍の米兵との揉め事を、5代目の仁吉が公開の喧嘩大会という形で収めたことに端を発している。その初期大会には後に武藤流空手「昇龍館」の総館長にとなる武藤雄山も出場していたという。
 現在では日本中の腕自慢、喧嘩好き、暴走族の総長、ヤンキー、果てはプロの格闘家からプロレスラー崩れまでがこぞって参加してくる。もちろん暴力団規制法により、昔のように地下営業というわけにはいかない。というよりは格闘技ブームの現在では、表の興業として取り扱ったほうが実入りがいいのだ。
 とはいえそこには当然、裏の金も絡んでくる。表の営業としてはネットTVも入ってくる。それをどう扱うか、どう興業として成立させるかが、興行主としての村田彦次郎の腕なのである。
「どうします? 村田さん」
 ひとり掛けのソファーに座った近藤宗親が、対面に座った村田彦次郎の顔を見つめながら言った。竹刀袋に包んだ木刀を隣に携えている。
 今回の開催には大きな問題があった。
 例の「渋谷抗争」からまだ1週間とは経ってないのだ。如何に正規の手続きを経た格闘技の祭典としても、この時期に目と鼻の先の歌舞伎町でそんな興業が打てるものなのか。
 忖度せずに興行を打つのか問うたのである。
「無論、予定通りだ。それが若の願いでもあるしな」
「そうですか」
 それならいい。という表情で近藤は言った。
「ところで、赤沼がアゲられたそうだな」
「仕方がありません。性格なのでしょうが、あれだけ目立ってしまっては」
「虎次郎の思惑通りといったところか」
「しかし、そうなると弟の三虎が黙ってはいないでしょう。あれは親父派ですからね」
「親父以上の荒くれ者と聞くな」
「はい。これから荒れますね、赤沼も」
 村田は白髪まじりの頭を掻いた。
「やれやれ。豊島連合の件がようやく済んだと思ったのだが・・・。まったく、一心会の桜木もいいとばっちりだな」
「虎次郎としてはドサクサ紛れに、邪魔な桜木組長を始末できれば一石二鳥と考えたのでしょう。しかしそうなると、一心会としても黙ってはいられない。折角成立した六条委員会も、元の木阿弥ですかね」
「いや、桜木は動かないだろう」
「どういうことです?」
「あの男は転んでもただで起きるタマじゃない。これを利用して虎次郎を抑えにかかるつもりだろう」
「赤沼組を攻めるのではなく、逆に六条委員会の結束を高めるために利用する訳ですね」
「そうだな。これで桜木は六条委員会の主導権を得ることになるだろう。それを思えば、腕の疵くらいは大したことじゃない」
「したたかな男のようですな」
 近藤は頷いた。村田は更に言葉を続ける。
「そういえば、鳥鎧組の円道寺健壱が死んだそうだな」
「はい。電車に飛び込んだのだそうです。目撃者が居ることから自殺だと思われています」
「自殺か。あの男が自殺なんかするのか?」
「まさか」
 近藤はフッと笑った。
「豊田連合の城田を嵌め、「ロボ」を海外へ売りさばく。返す刀で鳥鎧組を手に入れる算段のあの男が、自殺などをする理由がありません」
「誰かに殺られたか?」
「おそらくは」
「相手は誰だ? 鳥鎧組の主流派か、もしくは八坂興行か」
「いえ」
 近藤は首を振った。
「ナイトランダーという言葉を聞いたことはありませんか」
「ナイトランダー? そういう名前の始末屋がいるという噂は聴いたことがある。しかし噂はあくまで噂だ、誰も見た者はいない」
「ナイトランダーはいますよ。確実に、ね」
「ほう。その始末屋が円道寺を殺ったというのか?」
「確証はありませんが」
「ふうん」
 村田は改めて近藤の顔を見やった。その顔には微かな笑みが浮かんでいる。
「お前、心当たりがあるんじゃねえか?」
「ないと言えば嘘になります」
 そして村田の方に身を乗り出した。
「ねえ、村田さん。わたしは今回の喧嘩祭りに、そのナイトランダーを出場させたいと思っているんですよ」

 フェライス・カフェ。
 JR目黒駅前の商業ビルの1階にあるカフェのチェーン店である。見生とはそこで待ち合わせをした。思えば御門龍介が初めて見生道彦と待ち合わせたのも、ここフェライス・カフェであった。
 龍介は週刊誌を開いている。
 週間「問題芸能」。
 芸能界のスキァンダルを専門に取り扱う三流週刊誌である。そこに見生の書いた記事が掲載されている。龍介ははそれに目を通しているのである。
 宗教法人「陽だまりの家」の闇。
 芸能界との黒い繋がり。
 アイドル折原雅の汚れた真実。
 などというタイトルが踊っている。
 一週間程前、長野県下諏訪町の「陽だまりの家」教団本部の敷地内で、大規模な火災が発生した。教団は敷地の裏山に、ひそかに大麻畑を造り信者に大麻の栽培をさせていたのだが、原因不明の火災でそれが燃えてしまったのだ。同時に大麻の精製工場も燃えてしまったため、確かな証拠は炎と共に燃え尽きてしまった。
 従ってそのままで置けば、闇から闇へと葬られたであろう事実をスクープし、白日のもとに晒したのは見生の書いた記事であった。
 見生は数ヶ月前に起こった十全銀行の襲撃事件に、「陽だまりの家」の教祖・神蘭が関わっていることを記し、また彼女が濃縮大麻を複数の芸能タレントに配布していることを示唆した。そのひとりがアイドルタレントの折原雅であり、その証拠として先日栃木県の足利市で起きた乗用車の転落事故を上げ、そこに前述の十全銀行襲撃事件の容疑者である西島透と折原のマネージャーであった岩渕啓二の死体があったことを暴露した。
 センセーショナルな記事であり衆目の関心を集めたが、内容に関しては疑いの目を向ける専門家も多かった。もともと彼の所属する沼田出版自体が、そういう眉唾物の記事を専門に扱う会社だったからである。

「久しぶりです」
 声を掛けられて振り返ると見生道彦が立っていた。心なしか前に会った時より明るい笑顔をしている。
「やあ、久しぶり。元気そうだね」
「いえ、とんでもありませんよ。目の前でとんでもない事故に巻き込まれて、大変だったんですから」
 見生の目の前で西島透と岩渕啓二の乗った車は、岩石の崩落事故にあって大破している。その事故に見生と墨田あゆみのふたりも、あわやのところで巻き込まれところだったのだ。
「そのお陰でスクープをものにできたんだから、良かったんじゃないか」
 龍介は雑誌を取り上げて言った。
「ええ、まあ、そうなんですが」
 見生は言葉を濁した。
「なんだい?」
「飛駒町のあの自動車事故なんですがね。書かなかったというか、書けなかったことが多々あるんですよ」
「ほう。聴きたいものだね」
「あの事故は誰かに仕組まれたものだと思うのですよ」
「仕組まれた?」
「あの車にはふたりの男たちが乗っていました。まあ、これは記事にも書いたんですが、ひとりは十全銀行襲撃事件の容疑者西島透。そしてもうひとりは折原雅のマネージャー岩渕啓二。このふたりの関係を隠蔽するために、あの事故は何者かによって仕組まれたんじゃないかと思うんです」
「つまりあれは、事故ではなくて事故に見せかけた殺人だというのか」
「はい。実はあの時、山の斜面を走る人影を見たような気がするんですよ」
「その人影が通過する車のタイミングに合わせて岩石を落下させた?」
「そうです。それを視たのは僕だけじゃありません。警視庁の新堂警部補、西島透容疑者を尾行していたようなんですが、彼も目撃しているんです」
 その話は御子柴参事官から聞いて知っている。
「それに問題の飛駒研究所なんですが、僕らが着いた時にはすでにもぬけの空でした。あそこには余程見られたくないものがあったようですね」
「もしもあの自動車事故が仕組まれたものだとすると、犯人の目的は西島と岩渕の繋がりとかじゃなく、飛駒研究所の秘密を隠蔽するためというふうにも考えられるね」
「はい。僕もそう思います。だから敢えて記事にはしなかったんですが・・・」
 そう言って見生は龍介をジッと見た。
「なに?」
「ねえ、御門さん。そろそろ教えてはもらえませんかね。あなた、本当は何者なんです。あなたの目的は一体なんなのです?」
「何者って、探偵ですよ。前にも言ったじゃないか」
「探偵ねえ」
 疑わしそうな目つきをする。龍介はため息をついた。
「本当なんだ。ある人物に頼まれて、「陽だまりの家」を探っているんだよ。正確に言えば、十全銀行の金庫室から神蘭が盗み出したと思われるある物をだ」
「ある物?」
「それは多分、彼らが使っていた濃縮大麻よりずっと恐ろしいものなんだよ」
「人を殺人機械にする「ロボ」みたいなものですか?」
「いや、多分違う。飛駒研究所は「ロボ」の他にも、強力な薬理効果を発する薬品を開発したのだろう。彼女が盗んだのはそのサンプルだ」
「それはどういったのもなのですか?」
「さあ、それは分からん。そして彼らがそれを使って何をしようとしているのかも。「陽だまりの家」と神蘭が消えた以上、手掛かりはなくなった。もはやどうにもならない」
「どうにもならないんですか?」
「まあ、いずれ彼らも何らかの行動を起こすだろう。勝負はそれからだな」
「勝負ですか・・・」
 見生はため息をついた。
「で、誰なんです? 御門さんの依頼人って」
「それは、自分から話しますよ。先輩」
 いきなり頭の上から声がした。驚いて振り仰ぐと、そこにはふたりの男が立っていた。そのうちのひとりは、見生のよく知った顔であった。
「新堂!?」
「御門さんの依頼人はこの人です」
 新堂警部補は後方の御子柴参事官を紹介した。
「初めまして、元足立署の見生警部補。わたしは警視庁公安部の御子柴というものです」
「公安部?」
 見生は怪訝な顔をした。
 警視庁の公安が自分に何の用があるというのだ。
「君の話は聴いている。実は今日、君を呼び出したのは、君をスカウトするためなんだ」
「スカウト?」
 見生は目を白黒させた。
「そう。公安部の人材課。通称「チェリー」へ、のね」
 御子柴参事官はそう言って、手を差し伸べた。



                                             
                                              2017年7月10日 脱稿

ナイト・ランダー

ナイト・ランダー

あの御門将介の兄、御門龍介が遂に登場。 警視庁公安部人材登用課通称「チェリー」。それは民間の協力者を得て、公人では捜査の及ばない内偵、おとり捜査等を専門に行う部署である。「チェリー」の捜査員である龍介と相棒の白銀玉藻は、十全銀行襲撃事件に巻き込まれることになる。それは日本を二分するふたつの巨大暴力組織、極城会と住島連合会との首都圏を巡る縄張り争いに発展するのだ。その背後に暗躍する謎の宗教団体「陽だまりの家」の黒衣の女教祖・神蘭の企みは何か? そして事態は日本暴力団抗争史上最大といわれる、あの「渋谷抗争」に突入するのである。 本編は「センター街の魔女」事件の1年半後の設定であり、「センター街の魔女」の続編でもある。

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