越してきた部屋 ~宇祖田都子の話 4

 越してきた部屋が馴染んでくるのは、楽しい反面、つまらなくもある。
 無垢のフローリングの不規則な濃淡は足音までも違って響き、クロゼット横の何とも微妙な幅の袖壁は、秘密の部屋っぽさを演出していた。天井板と壁の間の、妙に凝った木工細工のくり型。玄関扉にはめ込まれている釣鐘型の色硝子。円錐形に整えられたエレベータホールの盛塩。カレンダーを吊るそうとして、画鋲の針がぐにゃりと曲がった北面の壁。その壁から突き出ていた真鍮色のパイプは、紐を通していろいろな物(例えばインキが乾くまでの原稿とか)を吊るすことが出来るのだけれど、これはどうやら、かつてのガスランプの名残らしい。壁の下部のところどころに、コンセントを横にした位の金属製のフタが嵌め込んである。中にはガス栓が隠れているのに違いなく、実家の洋間のようで、ちょっとだけ懐かしい。
 部屋の真ん中には、角度を変えられるA1大の製図テーブルを南向きに置いて、ブリキの傘の白熱球スタンドを取り付けた。これは、マンションからターミナル駅に向かう下り坂を下ってほどなく、通りの向かいにあるデザインビル ―そこは全ての部屋が何かの店なのだが店らしさを表す看板はどこにも無く、ただエントランスの郵便受けに洒脱なカードが挟まっているだけの、ストイックなデザイナーズショップなのだが― の一室にある、西洋アンティークを扱うショップで手に入れたものだ。
 部屋の東の張り出し窓からは、ホテルを併設した巨大なターミナルビルと、その背後をうねるように流れる河川が見える。高台の五階からの眺めは吸い込まれるほど広い。そのまま南に目を転じると、空と海とが一体となって、三本の柱が彼方に浮いているのが見える。その視界の中ほどには、アールヌーボー調の手摺が優美に錆びて踊っている。そこが私の境界線でもあった。

 白熱球がすぐに割れて弾けて危ないので、この間、LEDタイプのものを買ってきた。雰囲気よりも実用性。机と一体となっている平行定規は、写植の割付や、写真のレイアウトの役に立つ。机の前の、ガス圧で絶妙にリクライニングする椅子にもたれて、ゆったりと回転する。西にはダイニングキッチン。システムキッチンはオール電化だ。この部屋とダイニング間の下がり壁は、中央が刳り貫かれていて、引き戸を閉めても一体感がある。椅子を台にしてぶら下がると、ストレッチになる。
 北の壁。寝室に通じる板襖と、玄関に通じる通路。浴槽と洗い場は別。脱衣室もあって洗濯機もおける。脱衣室は洗面台があって、鏡は、白熱球スタンドを買ったお店で縁飾りがシンプルで美しいのを買ってきて取り付けた。トイレは玄関を入った脇で別になっている。お風呂はちょっと髪の毛とかが詰まりやすいけれど、小まめに掃除をすれば大丈夫。これで一回り。南の窓へ戻ってきた。
 もう少し海が近ければよかったかな、と思う。でもこの部屋の高さのおかげで、私の現実は概ね、満足できる範囲にトリミングできているのだ。

 お久しぶりです。宇祖田都子です。なんだかいつも「お久しぶりです」と書いているような気がします。
 友人と作っていた写真詩集が完成して、それなりに好評だったものですから気をよくして、「今後も続けていこうね」などと話していた矢先に、友人はイスラムの方と結婚して、あちらへ行ってしまいました。
 「同居は嫌よ」と言っていましたがどうなりましたか。おめでたいことなのですが、なかなかに再会は難しそうで、時折写真が送られてきますので、それをまとめて短歌などを付した和綴じ本を作成すべく、現在版下を鋭意製作中なのですが、いつをもって完成とするかが決め難く、もはやライフワークとなりそうな予感もしています。
 本当は、この部屋では、短歌よりも詩の方が作りやすいのですけれど、五・七・五・七・七というフィールドは、パズルを解いているような楽しさがあります。この気持ちがこの五文字で表現できる、という、その時の正解にたどり着くまでの過程にのめり込んでいきます。

 嘘が入っても、嘘ではない。ただし、完成した短歌が、嘘ではいけない。

 これは私が心に留めているパズルのルールです。ただ、人によっては「嘘」があるという事のみに反応して、全否定する方もいます。

 南の窓は大きくて、小さいながらもバルコニーがついています。繊細にくねる手摺に体を預けて身を乗り出すと、夕焼け色に染まる海空を見ることも出来ます。
 このマンションは5階建てで、屋上に出る扉には鍵がかかっていますが、ひょんな事から、わたしは、鍵を手に入れました。まだ、屋上へ出たことはないのですが、もう少し部屋に慣れたら、屋上を冒険してみたいと思っています。この鍵を手にしている他の住人と鉢合わせしたら、どうしましょう。そんなことを想像して、フフと笑う顔が、夜空を背景にしてガラスに映ります。背後にはキャンドルが数個灯っています。百物語みたいです。 たとえば私が引っ越した理由とか…… まだちょっとお教えできませんが、いずれ、そのうちに。

 先ごろまでは、卓上活版印刷機(Adana Eight-Five)をフル活用して、豆本じみたものを作っては、懇意にしているカフェなどの店先に並べさせていただいたりしていました。ひたすらローテクです。数少ない平仮名の活字で組める文章を作る日々。キリがなくなるからと、活字の補充は最小限にとどめてきたのですが、いつしかネットなどで、細かく細かく活字を探したりし始めています。
 次第にネット書籍がブームになりかけとか。なら、私もそっちの方面の勉強をと、DTPマガジンとかを買ってきて、読んでみているのですが、電子書籍は、紙の書籍をまねする必要も無いんじゃないかと考えてしまうと、もう、紙が一番って思ってしまいます。

 マンションは、共同でケーブルテレビに入っていて、ネットも早いし、映画とかも見られますし、眺めはいいし、それで、家賃がたいへんに安いので、とても気に入っています。観葉植物とか、手入れが下手なのか、わりとすぐ枯れてしまうんですが、来年は、ゴーヤでグリーンカーテンを、とか考えています。屋上まで届いて、そこで繁茂してしまったら、どうしましょう。
 中秋の名月あたりには、屋上へ出てみようかなと思っています。ベンチに横になって、広い空に墜ちていきたいな。

なんてことない日常雑記でした。それでは、また。 (おわり)

越してきた部屋 ~宇祖田都子の話 4

越してきた部屋 ~宇祖田都子の話 4

越してきた部屋がなじんでくるのは、楽しい反面、つまらなくもある。なじんだがゆえに見えなくなるものも多いから。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-29

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