言葉禁止区域

 標識が立っている。「あ」の言葉が禁止区域に入った。
「面倒くさいな」と、男は隣を歩いている連れに言った。
「まったく。どうしてこんな世界になったんだろ」
「言葉爆弾を作ったせいだ」
「なんで作ったんだ?」
「それは……お偉いさんの考えることだから。分からない」
「ああ、いやな世の中だ」
「あ!」
 その会話をしていた二人は、パンッと消えてしまった。
 二人の後ろを歩いていた私は、一部始終を黙って見ていた。こんな時は不用意にしゃべらないほうがいい。禁止された区間はそんなに長くはないので、さっさと歩いて早く通り過ぎてしまおう。
 彼らの言う通り、言葉を制限されるなんて面倒くさいだけだ。そういう場所は人が寄りつかないのか、周りには他の人の姿が見えない。この地域を避けているのか、または早々に消されてしまったのか。
 やっと新たな標識が見えてきた。「あ」の言葉禁止区域がここで終わる表示だ。ふう、と安堵の息を吐いた。
 ふいに着信が入る。相手は友人のナナだ。
「そっちはどこ?」というナナの言葉。
「ちょっと待って。今、例の禁止区域に入ってて。もうすぐ出るから」
「わかった!」
 ナナとの会話をいったん終えた。待たせて悪いなと思いながらも、現状では仕方ないと心中で言い訳する。それもこれも面倒なルールを作ったお偉いさんが悪い。
 標識を過ぎてから、私はナナに連絡をいれた。
「ごめん~。もう大丈夫」
 ナナからの返事がない。いやな予感がする。
「ナナ?」
「お~い」
 もしかして彼女も言葉禁止区域に入ったのだろうか。つながらないだけならいい。でも、もしうっかり違反をして消されてしまったなんてこともありうる。
「ごめんごめん、ちょっと離れてて」
 ナナから返事がきた。のんきなものだ。私の心配を返せと思う。
「それで、どこ?」というナナ。彼女のいる場所と私とで合流しやすい待ち合わせ場所を決める。ナナは「オッケー」と残して通信を切った。
 ナナと約束した場所へ行くと、早めに着いたのか彼女はまだ来ていない。待っている間の暇つぶしに、こまごまと必要な買い物を済ませておく。ナナと一緒になれば、すぐに別の場所へ行くだろうから。
 しばらく待ったがナナは来ない。一体どこで油を売っているのか。
 今度はスマホに着信があった。ナナからのラインが来ている。開くと、「ごめん。やられちゃったあ」という文章だった。かわいらしいうさぎのラインスタンプがはってあり、いまいち緊張感に欠ける。
 どうやら言葉禁止区域に入って、へまをしたらしい。
「何がダメだったの?」
「ひどいのよ。あ、なの」
「あ? それだけの所で?」
「あ、だけだと思ったら、あ行全部だったの」
 そうすると、最後の会話でやられたのだろうか。なんて切りのいいところで終わったのだろう。
「また初めからね」
「ううう、泣けるわ」
「復活したら連絡ちょうだい」
「了解」
 私は、ふうと息を吐いた。スマホを卓上に置いて、開いていたパソコン画面を見る。画面上には一人でぽつんと、待ちぼうけしている自分のアバターがいた。
 オンラインゲームの新ルールには手を焼いている。なにが言葉禁止区域だ。
 オンラインゲーム依存症を防止するため深夜から適用され始めたが、こんなことで効果があるのだろうか。睡眠不足になろうが本人の勝手である。そもそも規制をかけることがナンセンスだ。この馬鹿げた試みがこれ以上広まらないことを切に祈る。
 とにかく、次のクエストを攻略するにはナナの助力が必要だ。今晩の冒険はあきらめるしかない。
 私はパソコンの電源を落とした。
 ぷつっと画面が黒くなり、世界はすべて閉ざされた。

言葉禁止区域

言葉禁止区域

標識が立っている。「あ」の言葉が禁止区域に入った。……「まったく。どうしてこんな世界になったんだろ」「言葉爆弾を作ったせいだ」……

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-10

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