アバンチュール×フリーマーケット
1.電車を待つ男
朝5時前の静寂と靄に包まれて、大きな鞄を脇にひとつ、口にはタバコをくわえた男が、電車を待っている。上りの電車の来るはずの方角を、単線のレールが収束する無限遠を、凝視する男は瞬きさえもしない。男はきちんと髭をあたっている。髪も乱れてはいない。服装は、仕立ての良いチャコールグレイのスリーピース。その上には、グレイのコート。プラットホームは早朝で、まだ牛乳配達さえもない。男はホームの端に立っている。そうして見つめている。考えている。
やがて電車がやってくるであろうこの方角が、今の俺にとっての未来を指している。だが俺が電車に乗ってしまえば、今度は電車の進行方向が、俺の未来となる。未来からやってきて、未来へ向かって走る電車。次の駅、また次の駅、到着までは未来だった駅のプラッツ。
だが、そんなものは一瞬にして過去となる。通過したことに意味があるのだろうか。快速の停まらない小さな駅。過ぎ去ったことでしか存在を示しえない、哀れな駅。停車時間は、常に現在だ。そうして、ベルと共に時は流れ、またたく間に過ぎ去ってしまう。
ああ、俺は今、回れ右をすることだってできる。鉄路に降りて、耳のちぎれんばかりに冷たいレールを枕に最期の夢を見ることさえできる。鞄を持ち上げて、改札へ向かうこともできる。ホームの自動販売機を引きずり倒し、中身を強奪することだってできるはずだ。しかし俺は、こうして静かに電車の来るのを待っている。
ここにもうすぐ電車が来るということは、結構確かな事らしい。少なくとも、精算所から出て来ようとしない駅の職員、所々ペンキの剥げ落ちた時刻表、4月に切符切りが配っていたポケット時刻表などの、オーソライズされた確証が、俺に可能性の大きさを示唆しているのだ。よろしい、電車は来る。
ホームにぶらさがっている万人のための時計が停まっていようとも、さらに大勢の人達のための時計が動いている限りは、そちらの時間に従って、電車は動いている。人々も活動をしている。俺が時計を持っていないとしても、そんなことにはおかまいなしに、電車はやってくる。そして俺は、そいつに乗ることができる。そのために切符を買ったのだ。切符。片道分の切符。自分だけのために買うおそらく最後の切符。これまでで、もっともしみったれた片道切符。改札のスタンプまでかすれてしまって、おまけに指にまで赤いスタンプがにじんでしまった、いまいましい切符。しかし、俺の未来は、水たまりに落っことした食パンのように貧相な一枚の切符によって守られねばならない。ビデオ屋では免許証が、病院では保険証が、役所では、戸籍謄本と住民票が、俺という存在を目に見えるものとしているように、鉄道では、切符だけが頼りだ。
男は顔を紅潮させた。タバコはとっくにフィルターまで灰になった。おもむろに上着のポケットから緑の切符を取り出して、じっくりと眺める。さっきまで無限大の焦点を結んでいた網膜が軋む。眉間のしわ。男は、眼鏡をかけていた。切符を持っていないほうの手で、眼鏡を掛けなおす。そうして、切符を睨む。かすれたスタンプを見る。地の模様になっているマークを見る。診る。目ばかり酷使している。鼻は、男の考えや切符とは無関係の活動を展開している。耳は、体の外か、中か、判別のつかない音を鼓膜に感じている。すべてが正常な働きを遂行している。従って、男は今、目のことしか感じていない。あとは、少し寒いということを、別のどこかで感じている。通奏低音のように感じつづけている。まだ太陽さえ上っていない。牛乳配達の自転車の音。硬質な音が、靄に吸収されて、遠くに聞こえる。冷たい牛乳ビン。冷たい空気。牛乳配達の冷たい耳。軍手の下の、かさかさでしわしわの指。毛糸の帽子。黄色い牛乳箱。その後ろ姿。何も見えないけれど、そういう後ろ姿は脳に映る。それだけで充分。もうたくさん。
遠くで赤の明滅。少し遅れて甲高い電気的な音。少し懐かしい音。遮断機の降りるときのモーターのうなり。聞こえないけれど分かる。経験で、聞こえてしまう。電車の通る度にたわむレール。見えないけれど、見えてしまう。自分はここに長く居すぎた。居すぎてしまった。遠慮のないぶち壊しのアナウンス。朝靄だろうが、夕立だろうが、雪だろうが、雹だろうが、夏だろうが、無関係なアナウンス。男は、ホームの中ほどへ移動。鞄を抱えて移動。4両編成の電車の限界を知っているから。いそいそと移動。意外とせっかち。降りる一つ前の駅になると、定期を取り出す、精算分の小銭をじゃらじゃらさせる。そういう性格。磨きあげた靴を履いていても、がっかりの性格。騒々しさがこだまする。靄も少し張り裂ける。車内もきんと張りつめた空気。客は無し。貸し切り。朝一番の電車の車内は清潔。清潔な朝、一番の客も清潔。朝日の上る前に出発だ。出発だ。
2.乗っていた女
男、三人がけのシートを独占。横には大きな鞄。男は乗車口の反対側に陣取る。隣の車両にも人影無し。車掌の影も無し。網棚に新聞無し。床に吐遮物無し。中刷り整列よし。とにかくピカピカ。前途洋々たる門出。次の停車駅まで10分。そこも小さな駅。願わくば、何人たりとも乗り込んできませんように。それは大切なこと。俺の未来を断りなく邪魔するやつは、キセル見つかって全区間の3倍の償いを。 男の顔の緊張緩む。暖房で尻が暑い。窓に水滴ぴっしり。靄といっしょに真っ白。車内は閑散として、規則的な振動はもはや振動ですらなく、規則的な車輪の音も、音じゃなく、だから静かに、静かに、未来へ向けて走りつづければよい。それが男の課した電車の使命。勝手に下した命令。電車は、おかまいなしに走る。車掌もあくびしながら指差し確認する。俺には時計はないが、切符はある。充分。未来を目指す手ごろな方法。未来と未知とは同義語だろうか。こう考えることはすでに未来に対してある種の願望を持っているといえるのではないか、などと考えつつ、男こうべを垂れる。朝の電車で、三人がけのシートを独占して、きちんとした身なりの男、推定26歳。こうべを垂れて、未来を夢見ながら、実は過去へと向かっている。
男、目を覚ます、満員電車の車両の中。乗客全員鞄抱えてる。朝日昇りつめ、通勤ラッシュに巻き込まれたことに気付かないまま、男三人掛けのシートを独占。吊り革に掴まる会社員達、無言の非難。男ちらりと見て座りなおす。途端にぎっちりの三人掛け。「馬鹿野郎」「何考えてやがる」「こちとら働いてんだ」三人掛けシートに四人座ってきゅうきゅうのシート。誰も立とうとしない。男の意地、人間としての尊厳、非当事者の理論。座った吊り革の三人の前に新たな吊り革の会社員のねたみ、中傷の視線。「俺だって、金払ってんだ」「通勤定期だぜ」「今日に限って得体の知れない奴が、一人紛れ込んでやがる」「こいつ誰だ」「あんた知ってるか」「それより、立っている奴の苦労を分かろうとしねえのかこいつ」「痛て、足踏みやがったな」「馬鹿野郎。新聞広げるんじゃねえ」「六ツ折で読めねえようなとうしろが、この電車に乗ってくんじゃねぇよ」新しい吊り革、社員若い。若い分不遜。口が達者。電車の満員の乗客を傾けながら停車。降りる人、乗る人、骨折る人、捻挫する人、ホームで殴りあい、レールに転落、色々な人、色々な事、平凡な朝の風物詩。
男の膝に事務職らしい人、へたりこむ。若い女。男、幸運に顔がほころぶ。「あの申し訳ありません」「いやいいんですよ。よろしければ鞄を押さえていてあげましょう」先程まで「旅立ちを日常に冒涜された」と憤っていた男一変して笑顔になる。すこし中年のいやらしさ。男、首を振り表情をなおす。「大丈夫ですか」「ええ。この電車が混むのは分かっていたんですけれど」「時差出勤の賜物ですね」「いえ、私は今日……」男、とっさに人差し指を唇に。「だめです。あなた仕事に行くんです。大変ですね」女、はたと思い当たったというそぶりも見せず、くじ引きでシフトが変わってしまってつらいわ、というようなことを朗らかにいってのける。なかなかのやりて。
周りの乗客じろじろと見る。男には分からない微妙な体勢になっているのか、女の容姿が目を惹いているのか。「好奇の目に晒される事には慣れていますから」と女。男も涼しい顔で相槌。ただ、膝の上でごそごそ動かれると、体の一部が熱くなり、そのうち女を突き上げてしまう。時間との戦い。下心の騙し合い。自己顕示欲のプライド。ナルシストの鏡。そっとささやく。「どちらまで?」
偶然にも、男と女の未来が重なる。結婚の予感。さあ、人ごみをかき分け、車内検札の狂気が襲って来る前に、電車を降りなければならない。作戦を立てる。あらゆる角度から分析する。男と女。予期せぬ共犯者、通勤快速電車にたまたま乗り合せたエトランゼ。男は自分の未来にもう一人分の余裕があることを祈り、女は産まれて始めてのアパンチュールの予感に胸を震わせ、共に手と手を取り合い人かき分けて、ホームへ降り立つ午前7時。
「車掌に連絡しろ」「こんなところで降りやがって」「仕事もしてないくせに、俺たちの空間を不当に占拠しやがった」などという声を無限の彼方に運び去る電車。行く先は未知の国。男にとっても、女にとっても、うかがいしれない秘境の地。「それは、未来じゃないわ。黄泉の国。きっとそうよ」電車は二人の言葉とは無関係に決められたレールを走る。ただ走る。人間をごっそり詰め込んで、何が起ころうとも仕事を遂行するだけ。
3.観光列車の二人
男と女は観光列車の中、昼前の車両、程よい混雑、誰も目立たない、誰も詮索しない、みんな訳有りのご同輩。この時間、観光列車に乗れる身分の人間、まっとうな人間とは違う。よそよそしい顔、怯えた顔、女と男の顔だけ、場違いな程の明るさ。おざなりの自己紹介を、あけすけに、正直に。「わたし、部屋の荷物は、もう、実家に発送してしまったの。だからわたしの持ち物、このショルダーバッグひとつきり。中には、化粧品の入ったポーチ、メモ帖、ボールペン、いろんなカード、財布、それと、文庫本が一冊。タイトルは、『錯乱の論理』」「花田清輝」「そう。読んだことある?」「名前だけ知ってる」「貸してあげましょうか」「電車を降りてから借りることにする。酔ってしまうから」「まあ。ナビゲーターにはなれないわね」
トンネルだ。トンネルだ。窓が鏡になる。窓の外にも車内が有る。その窓にも車内が映る。人がいる。カーテンがある。外を見つめる人が映っている。窓の外の車内を見つめている。映っている。どこまでも、どこまでも。窓の外も車内。外も中。外が消失。全部内側。女も見つめている。通路側の男、灰皿とテーブルをいじっている。手持ち無沙汰の証拠、いつもは窓際に座っている証拠。「トンネルに入る瞬間と、出る瞬間、どちらが好き?」男、考える。トンネル終わる。外部が戻ってくる。間違いようの無い、外と中との境目。「俺は、トンネルの中を走っている時間が好きだな」そのこころは?「トンネルの中っていうのは、なんというか、時間が停まっているような気がするんだ。確かに走っているんだけれど、意識の中では、トンネルに入るとき、通化しているとき、出たときの三点に区切られているような気がする。どんなに長いトンネルでも、出るまでは、とても間伸びした一瞬であるというふうに思えてならない」「そういうのがすきなのね」「時間のよどみ、空間のねじれ、交錯、そういうのを愛してしまう」「麦焼酎のCMみたい」あなたはきっと、大人になることを怖れているのね。
女の歌、美しい声で奏でる、四方山話。男、上機嫌になりかけるが、再び灰皿を出したり、引っ込めたりし始める、うつむいて。「時間は俺とは無関係に流れている。俺は時計を持ったことが無い。けれど、誰かの時計に従って運営されるこの世のしくみを利用できる。必要な時だけ、利用させてもらう。一律の時間なんて、信じない。世の中のよどんだような流れ、腐った水の源、俺は自分の流れさえ作れればそれでいいと思っている」「私は、あなたと一緒に進んでいる」「君も俺も、もしかしたらこの、観光列車に乗っているすべての乗客も、そういうふうに考えているかもしれない。幾人かは、俺と同じ駅に降りる。幾人かは、既に降りてしまった。幾人かは、もっと先まで座りつづける」「観光列車に乗ることで、どこかへ向かっていると考えるのは思いあがりだわ。甘えているのよ」「もちろん我々は、ただ座ってじっとしているだけさ。そこのところを勘違いすると、観光列車の罠に捕らえられてしまう」「そうね」「ひいては、鉄道の陰謀、もしくは全世界の時間を司る唯一の時計の策謀」
「シートに仕込まれた刃が我々を傷つけようと狙っている。だからこそ、俺達は座り続けているという認識を受け入れつつ、手段と目的を混同してしまわないということに心を砕くべきなのだ」「鉄道に目的は無いわ。目的は、私達が作るものよ」「大時計の策謀は、ソフィストケイトされすぎていて、攻撃を仕掛けてはこないのさ。だが、蜘蛛の巣のように張り巡らされた全てのシステムに目を光らせ、反乱分子を排除しようとしている」「秩序維持のための必要悪までもそのシステムに統合しつつ、懐の広い長老のように落ちついて、悩み、妬み、幸せを必要なだけ与えている」トンネルだ、トンネルだ。「そういうそういうそいう偽善偽善偽善ををを憎み憎み憎み、、、仕掛けられた罠から超越超越超超越するためににににに、時間、時間から、時間からの、時間からの離脱を、試みなければればればればならない」「そういうことならば、さっきの言葉は、取り消すわ。あなたはトンネルの中を走る時間が好きなのね」「止まってはいけない。通過こそ全てさ。生きるっていうのはそういうことなんだと思う」
「アウトローを気取るわけじゃないけれども、平日の朝、通勤ラッシュの電車を、帰省のために利用するってのは、十分に反社会的行為だったと思わない?」と言いながら、男の故郷はこの沿線の果てには無いということから目を逸らしている。
「アバンチュールってのも、一回りか二回りして、悪くは無いと思う」と女はモノログする。聞こえるか、聞こえないか、いや、かすかに聞こえるように調整された心の声の効果を確認しながらも、「結末は死、という分かりやすいロードムービーの王道にはまってみるのも悪くは無いわ」と、こちらは全く言葉に出さずに考えている。
決まったレールを進むのも、悪いことじゃない。と学生は教師にむかってつぶやく。生徒会長は、そんな言葉を投げかけている学生を恨めしく思い、教師に対して嫉妬する。嫉妬はやがて、自己卑下へと姿を変える。それが会長の思考回路。学生は知っている。知っていて、気の毒だと考えている。教師はやはり、学生から、生命の波動を感じることができないでいることを不安だと思っている。
「よりよく生きたいと思うことは恥ずかしいことじゃないし、そのために努力をするのはかっこ悪いことじゃない」
「先生は、今に満足できないんですか」
「いいえ。そうじゃない。」
会話はこのあたりを旋回する。だがこれは、誰の忘れ形見だ?
4.バスを待つ二人
(女)家出をしたの、自然体で。でもまだ、ただのずる休み、それだけですむ時間帯。だから、覚悟のない私の、家出はまだ、始まってない。ちょっとした小旅行(バカンス)気分。ターミナルで観光列車を降りて。当然、一番端っこのプラッツへ。そして、ここ。私鉄沿線のどん詰まり。無計画が計画だなんて、はしゃいでいたあの頃が夢のよう。こんな偶然の出会いに、何か運命を感じてもいい、って思っていたの。運命は、計画的じゃ退屈だけど、サプライズの無い無計画って、結局、惰性ね、倦怠ね。隣の男、なんだかぼんやりと、駅前ロータリーで、錆びたバスの時間表を確認してる。時計もないくせに。駅舎の大時計にも針は無くて。待ってさえいれば、バスは来るかもしれないけれど、多分、終点まで行くんだけれど。ううん、惰性でもいいの、問題は、そのドンつまりのどん詰まりまで行き着いた後の、モ・ノ・ガ・タ・リ。
(男)思えば闘いを、避け続けてきたところに、自分の生きてきた、道が刻まれていた。岐路に立たされたならば、戦ったぁり、試されたぁりしない方向を、ただがむしゃらに、選んで駆け抜けたー。その選択肢は、もはや狭く暗くなりつつある、ことは、実感していたさbaby。闘争=(イコォール)逃走。なんて思想が、流行ったりもしたよ、馬鹿みたいに、それが最先端だぁなぁん、闘争し続ける事と、逃走し続ける事ぉをーーー、両立させることができる人はぁ、強い人だけだったんだぁーーーーーーーーよーーーーー。敵前逃亡の繰り返しは、追い込まれていくという事、だったんだぁーーーーーーよぉーおーーーーー。今、鉄路に突き当たり、今度はとうとうバスへ乗る。その行き先はぁぁぁぁ、………死(デス)
(二人で) 一体どこまで行けるか分からない。意外と、あっけない、終わりがくるのかも。自分の将来の姿を、街中に見かけてしまって、「絶対にあんな風にはならねぇ」と腹を立ててたりするね。もしもこのずっと先に、「案外あのとき見たままだったな」なんて、「いや、むしろあの子の方が、いいのつかまえてたんだな」なんて、考えている、ゆとりがある程度の、素敵な、素敵な絶望具合。「生活力ってさぁ」みたいな、悩みを抱えて生きている今、学生の頃の、反抗や、プライドなんてなんにもならなかったよ、と、寂しく、笑う、ぐらいの。プライドすら、捨てて、しまえばいいわけじゃん。という自分、の目は、もはや犯罪者の瞳ィ
で、いくら持っている? という現実的な質問が妙に空々しかったりする。
「逃避行」と書いて「アバンチュール」と読ませようという前近代的魂胆の私達にとっては、所持金数百円イコール樹海へゴー!っていうレールが敷設されているって感じがしない?
月並みだね。現実逃避が、田舎行きと同じ意味を持っていた時代は、やはり1960年代までのことだったんじゃないかと思われます。
人里離れた隠れ里は、よそ者には冷たいよ。観光客ならまだしも、そこに骨をうずめようって人間にとってはね。
いいとこ、「田舎ダイスキ」とか「第二の人生」とかいっちゃって、第一次産業従事者を増やそうって魂胆みえみえなこの国にとっては、そういう人種が増えることは望ましいってわけでしょ。
リストラ、リタイア、エスケープ、エコロジー、合言葉は、癒しだし。本気で自給自足の生活に従事してみろっての。
そこでの自己実現って、結局、自己の卑小化によって達成された自己満足でしかない……
はい。意義あり。
どうぞ。
自己満足、利己的、利己主義、独善、そういった言葉は禁句にしたほうが、おもしろい話ができると思います。
なるほど、なるほど。では、そのように……
「現に」とバスを待つ男。傍らの女の顔を盗み見しながら思う。去っていった女を復活させる方法。思い出の罠をかける、思い出の世界に迷い込んだ女、存在のタイムラグ、幻想なかの幻影、幻影の中での実在、主体の喪失と喪失を現象たらしめるための主体の在処、自分も幻影となって女を手に入れる、うろつきまわる男、どこを見ている?「物語」だよ、そうつぶやく、女には届かない声で。
死んだ人間の物語を語ること。死とは、繰り返し繰り返される繰り返しの物語。同じ物語の中に閉じ込められた人間。やがて語られる事がなくなり、そんな物語があったこそさえも忘れられた時こそ、物語は再生する。物語の再生とは死の繰り返しである。人間の物語は生の物語ではなく、死に方の物語なのだから。
『ふりむくな。ふりむくな。うしろには、みちがない』女の持っている文庫本の帯にはそう書かれている。
『未練の触手』と書かれた紙束がかばんの中から覗いている。「小説なんて書いているんですか?」と女が尋ねる。男は、「意外」という顔をして「書きたいと思ったことはありませんよ」と答える。「でも、このバス停には本当にバスが来るのかしら?」と女が尋ねる。「でも、書かずにはいられないって、気分になることがあってね」と男は言う。「あ、時計止まってる。今、何時かしら?」と女が尋ねる。「もう昼頃だろ」男が、錆びて穴のあいてしまったバスの時刻表を指でつつくと、それはボロボロと崩れ落ちる。「あ、バスが来た」立て続けに三台のボンネットバスが到着し、目の前に止まった真ん中のバスへ乗り込む。ほぼ、満員である。
5.宿を求める二人
「狭い宿で男が固くなっている。ときおり体を震わせている」
男は、存外人手のある終点の町で、その日の宿の案内を求めながら、ただ山の中だというだけで、かつて読んだ小説の筋を思い出した。
「突然発作をおこす。あくる日、宿の部屋は無人となり、一切が白く光って見える。宿の人々と村の人々は男を捜す。だが、男の手がかりは、断崖のぬかるみで消えている」
「お釈迦様が涅槃に入られた時に最後に踏んだ足跡が残っている岩が、山の頂にあるんですが、それはミヤンマーかどこかの伝承の縮小再生産物なのです。って、ロータリーの観光案内所にいた黒ぶち眼鏡の女の人が言ってたの。そこに宿もあるって」
「男の部屋は、そのまま布団部屋となる。階段のすぐ脇で日当たりもよくない部屋だったので、それで問題は無かったのだが、その男になついていた宿の少年が、布団部屋となったかつての男の部屋へ入って、男のことを考えている。なぜ、男は、死ななければなかったのだろうか。と」
「そんな感じの山なんで。山頂に三角の岩があって。山全体が人工物なんだっていう風に売り出そうって話もあって。土器とかも出たし。だけどいろいろ騒動があって、温泉も駄目になって。で、足跡に見えなくも無い凹みがあったんで、お釈迦様の足跡だって地味めに宣伝してるんですが。足跡に見えますよ。三歳児くらいの。だって。おもしろそうじゃない?」女はおもしろそうに言った。「さあてね」と男は言った。
「少女は山の頂上からやってくる」と女が言う。
「それ、続きなの?」と男が尋ねる。女は黙ってバス停の錆びた時刻表を指差す。鉄筆で引っかかれたメモらしき痕跡。だが判別がつかない。
「牧童が彼女を見つける。彼女は楽しそうに駆けていたかと思うと、裸足になって泥の中を歩いてみたりしている。見ているだけで、何となく楽しくなる。牧童が村へ案内する。この牧童っていうのが、さっきの案内所の女の人の小学校の同級生なんだって」
「それは、モデルになっているって事かなそれとも、実際に、その、牧童なの?」
「森から樵がやってくる。樵の薪は評判がよく、炭焼きの技術も優れている。おまけに一日中よく働く。無口だが、信頼のおける人物だ」「随分と褒めるね。いまどき、樵、で食っていけるのか」
「今夜泊まるペンションの主人」
「樵?」
「だって」
「ペンション?」
「だって」
「へぇ」と言って、男は文庫本を取り出す。森鴎外『阿部一族』
6.宿の二人(心象)
湖のほとりにまどろむ男。自分は暇人で世界中を旅しているのだと思い込もうとしてみる。伝説の岩に近いペンションは、湖畔にあった。女は温泉があるというので、そちらへいった。男は『阿部一族』を紛失し、薄暮にスライスされた峰の稜線に、牧童が羊を追う姿を見ていた。牧童は生前、男の思想に興味を抱いていた。男は単純作業をこなしながら、夜になると文献漁りをしていた。
女は露天風呂で茂みのざわめきにぎょっとしていた。樵がいると聴いていたからだ。樵は山で少女に出会うものだと女は思っていた。そして、その少女は、ずっと昔の自分なのだと空想し、その時は夜中に露天風呂に入っていてもちっとも怖くはなかったと思った。付近のかわった形の木や岩、朝焼けの風景や、雲など、少女は片端から名前をつけていたのだと思った。そしてそれは、バスターミナル前で案内をしていたあの人の空想だったのだと思った。少女はいつかどこかにやってきて、ふわふわと辺りを名づけ、時折風にフワフワと舞いながら、恥ずかしそうに、じたばたと、地面に靴底を擦り付けて歩く癖があったっけ。きっと牧童は彼女のことが好きだったに違いない。女は星を見上げて、こんな誰の夢想か知れない思いに、流されていた。
紳士は樵と意気投合する。樵は稼ぎを少女に提供する。ただし、紳士には内緒だ。紳士は、少女の空想を具体的な言葉に翻訳できる。牧童は、紳士の知識と、樵の経済力に嫉妬するが、そんな牧童を少女は慰める。だが、この態度がさらに牧童を傷つける。少女は屈託がないので、自分の姿勢で牧童が傷ついていることに気づかない。少女を頂点にいただいた、その奇妙な三角関係は、ゆらぎながらも互いの間に憎悪を生む。
「結局、みんな同一人物だって話にしようと思うんだ」
部屋に戻った男は、温泉から戻った女にそう話した。だが、女は今、物語よりも、現実の明日に対する興味の方が大きかったので、
「難しそうな話なのね」とだけ応えた。
宿の食事は山菜と川魚で、ヤマメらしい魚が甘露煮になっていた。小骨が多かったが、食べられなくはなかった。男は改めて同じ浴衣をきてポソポソとぜんまいのてんぷらを食べている女を見て、不思議な気持ちになった。自分が、なぜこの女とこうして一つの宿にいて、固形燃料の燃えつきるのをそれとなく心待ちにしながら、これまでとは別の日常を生きようする高揚もなく、淡々と食事をしていられるのだろうと思った。男は女のことをほとんど何も知らなかったし、男も女に向かって、自分のこと、例えば、会社を辞めて今朝の電車に乗る大きな理由となっていったかつての恋人とのことなんかを話すつもりはなかったのだが、夜になって、静かな温泉宿に二人きりになってみると、互いの身の上話のほかには、どんな話題も空疎になる気がした。デザートの桃を小さなフォークで刻みながら、男は女に声をかけた。そして、食卓の上にならんでいた料理も、得体のしれない鍋物も、あらかた空になっているのに気づいた。
「腹へってたんだな。俺達」
「必死で食べてたわね」
二人は笑いあった。それから互いの身の上話が始まるはずだった。
「錬金術を修めて、一生暇にしていられるだけの蓄えと、知識とを身に着けたが、かえって何もしようとしないし、何かを考えたくも無いと思う。毎日をただ、ぼんやりとひっくり返ってゴロゴロすごしているわけだが、神経というやつは、そんな風な消耗に耐えられなかった。そう。こんな消耗もあるんだなって気づいた時には、男は三つに分かれていたってわけさ。それが、牧童と樵と、紳士って訳。男は他の三人を知らない。そこに、例の少女が絡む。彼女の出自は誰も知らない。ただ、男は少女のことは知っている。樵は山の中。紳士は村の宿にいて、少女はいづくから来ていづくかへ去る毎日。牧童は山では樵を手伝い、村にいっては紳士に読み書きを教わり、少女のための木の実を集めている。男は少女の夢を見ているだけだった。現実には存在しないだろう少女の後れ毛の振るえまでも鮮明に網膜に焼き付けるかのような夢を」
7.旅館の二人(実景)
温泉は野天であった。秘湯ブームとかでわざわざ露天を野天に改造したのだそうだ。線路の末端からバスに乗り道の末端まで揺られてきた先に、カラオケ完備の旅館があっては趣もなかろう。といって、山小屋丸出しでは、これだけの長旅をして損をしたと思うに違いない。旅行者というのはそういう身勝手なものである。だから、この風呂の改造は成功しているといって良いだろう。もっとも、湯は沸かし湯で、厳密には温泉ではない。谷川の水をくみ上げてボイラーで沸かしているのだ。宿から川沿いに少し歩くと、わらぶきの脱衣所が男女別にある。湯船は一つだが、真ん中を萱垣で仕切ってある。湯殿は石組みだ。このあたりは露天だった名残りだろう。せせらぎと風にそよぐ雑木の音と、流れ入る湯の音。明かりはぼんやりと灯る電球がいくつかあるだけで、まあ細かいことを言わなければ、よい風呂であった。男と女とは、別段申し合わせることもなく、この風呂へ別々に入り、別々に出た。
女が戻ると男はすでにビールを手酌で飲んでいる。食事の支度が出来ていて、二人は差し向かいに座った。「待っててくれたんだ」と女は髪をタオルで巻きなおしながら言う。「いや、俺もまだ戻ったばかりでね」と、男は答えてビールを飲む。「私ももらっていいかしら」「もちろん」上気した体に冷たいビールは最高だ。二人はめいめい、注ぎ、好きに飲む。「いい風呂だったね」「そうね。星がきれいだったし」「星が見えた?」「見えた。他にだれもいなくてね。静か過ぎて怖いくらいだったけど、きれいだった」「食事はこんなもんかな」川魚、山菜のてんぷら、固形燃料の上の鍋にはうどんが入っている。「ま、いいんじゃない。こんな山の中だもの」「俺、刺身食えないから、ちょうどいい」川魚を頭から食べる。女は美しく箸を使って川魚を解体する。「好き嫌いは無いの」そういえば、互いはまだ名前も知らない。しかし、名前を知るというのは、それほど初歩的なコミュニケーションなのだろうか。
茶碗蒸しとネーブルを食べ終えて、茶を飲んでいる。女は食後「じゃ、温泉にいってくる」と出かけていった。そういうものか、と男は思い煙草を吸っていると、仲居がきて膳を下げ、「床をのべましょう」と言い、テキパキと二組の布団を敷いた。白いリネンで簡単にくるまれたそば殻のマクラが二つ並んでいるのをみると、何か妙になまなましいものを感じ、ふっと窓ぎわの板廊下へ出る。月の無いくらい夜が折り重なるようにざわめく木々のむこうに、裸電球のぼんやりとした明かりが滲んでいる。せせらぎがやけに耳の近くに聞こえてくる。「賑わっていますかここは」男は、床をのべた後もなにやかやと押入れをごそごそやっている仲居が映りこむサッシに向かってそういった。「は、はあ。最近は秘湯ブームとかで、こんな山奥にも大勢お見えになります」仲居は押入れの中で窮屈に半身を折り曲げて慣れた風に答える。「で、今夜はどのくらい泊まっているんです」男は煙草をもみ消して、電球のにじみを睨みながら尋ねる。「はぁ。今夜はお客様たちだけでございますね。こういうところは、平日にはなかなかお客様はお見えになりませんし、今は、山もあまり良い季節ではないんです」仲居は押入れから出て、男の方へ歩み寄ってきた。男は、仲居に1000円札を渡し、「ロビーに新聞はあるかね」と聴いた。仲居は1000円札ではあきらかに不満そうだったが、何も無いよりはマシだという顔で「へいへい」と頭を下げた。男は仲居に「ごくろうさま」といって、部屋を出た。
元来あまり反省をしない男であった。反省というのは当たっていない。過去を振りかえらない、というのは大げさだ。とにかく内省というものをしない男であった。目的をもって動くのを下劣だと考え、それでも人が動くにはなんらかの欲求によるしかなく、欲求にしたがっている以上そこには目的が存在してしまうという事実に嫌気がさして、仏頂面をするほどのこともないが、欲求をたえず更改することで、目的そのものをずらし続ける術を身につけた。それはすなわち、内面を失くすことに尽きる。もともと内面なんてものはないのだよ、という事実を事実として受け入れるのに必要な知識を手にしてからは、独り言いわなくなり、夢もみなくなった。同時に、世界が全くの上滑りなものに感じられるようになった。つまり、世界とは人間が内面に仮構することで、体得できるものであると分かった。分かったが、しかし、それは男のいる場所とは別の場所での出来事でしかなかった。男が世界を感じる唯一の瞬間は、金銭が出て行く時である。金銭の出て行き、財布が軽くなる事は、肉体をこの世界に繋ぎとめておく綱が細くなることに他ならず、男はそれを、命の長さとして感じとることができた。が、それは恐ろしいことではなかった。なぜならば、男には、この世界に感じる未練のようなものはなかったからである。つい先だってまでは、恋人の存在が、彼を現世にとどめおいたものだったが、もはやそれは無く、実家の家族にかんする義理はとうになく、最も最近まで、彼を現世につなぎとめておいたものは、未来に関する漠然とした期待感だけだったのだが、内面をなくした男に、期待も無くなった。そういう点で男は動物のように生きていて、ただ、生きているだけだったといえる。
なりゆきに任せていけるところまでいってみるのも悪くは無い。木々のざわめきが濃淡となって月の明かりを暈している。どこからか届くわずかな白熱灯の切れ端が、女を中心とした波紋の揺らぎにもてあそばれている。悪くない。と女は思った。全く、悪くない。長くて、しなやかなものが、木々を縫って走っていった。今ではもう、自分がなぜここでこうして温泉に浸かっているのかなど、どうでも良いことだった。家ではそろそろ夫が戻る頃だ。でももうそんなことも関係がなくなったのだ。なめらかな湯は、夜を溶かし込み黒々と湯船を満たしていたが、掬ってみると、無色透明だった。ヒタヒタと、湯を頬につける。私には別に、不満は何もなかったのに。女は、岩風呂の縁に持たれて、ゆったりと目を閉じた。かすかに川の流れが聞こえてきた。
夜の川で砂金を掬うには熟練が必要だ。女はそんな言葉を思い、首筋をぞくりと震わせる。流れる川面に映る月光を何よりも愛していた。そんな風景は大抵は橋を渡る時に見下ろせるのだった。橋を渡るとマンションがあって、そこにはピンクと水色のファブリックでくるまれた、暖かな部屋があったのだ。私の部屋。そこには、小さいながらも、きちんとした楽しさや、凛とした清潔さがあった。夫はそうした規律のようなものに、全く関心を払わなかった。やめろ、とさえ言ってくれなかった。ああ、この人はこの部屋を作り上げている細やかな物達を顧みる心を持っていない人だったんだ。なぜ、今更そんな事を思い、その思いに縛られ、苦しめられ、耐えられなくなってしまったのか、分からない。川を浚っていると指先にまつわりつく長い長い黒髪。夫はその髪を全く何の感情も動かさないまま、つまみとって捨てるのだ。たとえ、その髪の先に、私がからめとられていたとしても……
自動改札になって駅は味気なくなった。敷かれた布団を横目で見ながら、男は窓際の板張りの部分にしつらえられた小さな冷蔵庫からビールをとりだして、籐椅子にすわった。なぜ、旅館にはこういう板の間のスペースが必ずあり、冷蔵庫と、簡易的な洗面台がおいてあるんだろう。なぜ籐の三点セットが置いてあって、いつもそのテーブルの天板はガラス製なのだろう。そして、この灰皿は一体何焼きなのだろう。様々なことを男は考えていた。だが、そのどれもが、全く目新しさの無い、こうした部屋に泊まると自動的に想起され、自動的に捨てられる類の考えばかりだった。自動改札になったから家出がしにくくなった。だいたい裏が茶色や黒の切符ではなんというか情緒にかける。やはり厚い紙の切符が良かった。それを、駅員に渡して、カチリという、ああ、あの鋏の音がなくなったのが一番良くない。そうに違いない。カチカチカチカチと独特のリズムを刻むあの駅員の鋏さばき。あれは駅に入るときの最大のイベントではなかったのか。人間がカチカチとするあの改札口通過するとき、それが勝負の時だったのだ。決意の瞬間だったのだ。自動改札は、あの駅員の鋏さばきに比べて、なんとだらしないことか。なんと下品なことか。眼鏡をなくした近眼男が、舐めるようにしてキップを読み取っているようじゃないか。人間のカチカチは、長年の経験が無駄の無い型へと昇華した美しい達成だったのだ。今はもう失わてしまった駅の改札口での美。なんと残念なことだろう。くだらない。ここまでで煙草を二本と、ビールの中瓶を消費していた。いい加減、無理やりくだらないことを考え続けるのはよそう、と男は思った。しかし、夜はまだ長い。
私は、部屋に戻るのが嫌なのだ。いい加減のぼせてきた。もはや、早朝の電車の中で感じたアバンチュール(!)の酔いはさめていた。あのとき私はのぼせあがっていたのに違いない。満員電車の人いきれ、結婚生活に対する幻滅。変わらない日常ってやつに、うんざりしていたの。そう。うんざり。私はとても、飽きっぽい性質で、何をやっても長続きしなかった。かめばかむほど味が出るって、それは自分の体液とかんでいるものとの混合比の変化による味の変化でしかなく、ゆくゆくは、自分の唾液の味になってしまうだけのもの。無くなるまで噛んでる人の気が知れない。だいたい、私は貯金通帳も印鑑もカード類も、家に置きっぱなしだったのだ。旅立つこと。それはよい。二重丸だ。今時「蒸発」だって悪くは無いし、日本海の見える寂れた漁村で第二の人生ってのも、ぐっと来るかもだけど、先立つものがなけりゃ、身動き取れない。売れるものを売りながら、点々と渡り歩くのもハードで悪くないけど、制服とか、若さといったストレートな売れ筋のことごとくを失っている身では、せめて団地妻くらいの隠微さが必須なのではないかしら。そういう感覚って、男性と女性とではずれているものなのだろうけれども、エロかわいい、っていう女の子の評価基準を、私はもはや、共有出来ない以上、私は私の信じる評価基準を、世間様の基準に向けて照準を合わせるという過酷な過程を踏まねばならないに違いないのです。それが、試練であり修行なのであります。いよいよ、ぼーっとしてきたし気持ちも悪くなってきたので、風呂から上がります。あいかわらず虫の声と川のせせらぎ。そして時折チラチラとはじけるどこかからの白熱灯の小さな点。湯船から上がると風は案外心地良かった。あの男は一体いくら持っているのだろう。そんなことを考える自分が、つまらないような、それでいて、くすぐったいような、気分になる。一歩目は踏み出せた。あとは歩き続けること。それはずっと簡単なことに違いが無い。
冷静に向かい合うことになるのが耐えられなかったから、男は浴衣姿のままで、旅館を出た。だが間の悪いことに、途中で温泉から上がった女に出会ってしまった。「やあ」「あ、どうも」「こんな時間に散歩ですか」「なぁに。ちょっと気になる鳥の声が聞こえたもので。先に部屋に戻っていて下さい。そして、窓に小石のぶつかる音がしたら、そっと窓を開いて、結わえたシーツを窓の下にたらしてはくれまいか」「私の髪をたらしてあげる」男と女の立ち話は、こんな調子で交わされた。お互いに、なんとなく、一緒には、いたくない、という心持は一致しているということが、分かっている。「なんというか、今日はすまなかったね」「別に、いいの。それより、今日は疲れたので、細かいことは明日の朝にしない」「目をつぶって明日を待つか」「そう」
二人はトボトボと部屋に戻り、布団にもぐりこんで抱き合って眠る。いや、眠ったという実感のないまま、山鳩の声が響き渡る、朝もやに包まれる。
8.女の不在に気づく男達と女そして猫
気づいていたはずだった。だが気づきたくなかったから、あえて気づかないふりをしていたんだ。という陳腐な感情に、あえて身をまかせてしまえたら、どれほど楽だろう、などという予防線すら、馬鹿らしい。明かりのついていない戸口を見たときですら、私は「おや、今日な何か習い事のある曜日だったっけか。それならどこかで晩飯でも食ってくればよかった」と思い、と同時に、苛立ちはじめていた。誰もいない部屋に入るこまごまとした手続き、心理的重圧。風呂を汲むために、浴槽に栓をするときの姿のきまりの悪さや、玄関、ダイニング、リビング、私室という順番に灯りをともし、部屋になじむまでの何秒かのうそ寒。背広を脱ぐ、あ、鍵や財布やポケットの小銭や定期入れや何かそいういうとにかく、もう、全てが煩わしい。この煩わしさは、妻が部屋にいれば感じずに済んだはずのものなのだと思う。冷蔵庫から缶ビールを取り出す。自分の靴下の匂いが鼻につく。時計を何度も見る。携帯をチェックする。ただ、妻がいないというだけで、普段と何も変わらない部屋がそこにある。ただ、妻がいないという事実は、その普段と何も変わらないはずの部屋の全てを異質な世界へと変貌させていた。このまま、コンビニへ買い物に出かけるとすると、おそらく夜の世界もまた、部屋に入るまでの夜とはまるで異質の世界になっているに違いない。
突然に何かが変わるということに対して免疫が強いのは女だ。むしろ、女はそれを望んでいるようなところがある。妻を脅威と感じるのはそういうところだ。安定を望んでいると普段の生活ではそう言うが、実はもっと違う何かを常に求めている。そのためなら、現在の生活など崩壊してもかまわないのだ。それはつまり、彼女とこの生活とは完全に分離して存在しているからなのだ。男は違う。男はこの生活、この環境を保持していくために生き、環境と同化する存在なのだ。環境の崩壊は自身の崩壊に等しい。だから、守ろうとするのだ。浮気とか、不倫とかの話ではない。断じてそうではない。この小さな部屋は妻のものだったのだと思う。自分は、この小さな部屋という時空を確保し、そこに居ついたのだが、それを形にしたのは妻だったのだ。そして妻にとってこの部屋は、満足できないこともない、一種の書割でしかなかったのだ。別のステージがあてがわれれば新たな書割を生み出す。それが女だ。それが妻だ。そうだ。そうだ。妻は、新たな書割のある生活へ移動したのだ。書割を成立させる最大の要素であるところの妻の不在は、これまでの生活の要であった妻の不在は、妻とこの部屋によって成り立っていた夫たる私の崩壊に他ならないのだし、無能の烙印をおされたことと等しい。彼女はこの安定よりももっと楽しい、もっと可能性のある新たな舞台へ移ったのだ。私の世界の全てを、粉々にして。
明日からの生活を考えるととてつもなくメンドクサイ。どうせそのうち戻ってくるだろう、とは思う。思うがいつ戻るかは分からない。仕事はある。休めない。警察へ届ける。妻の実家への連絡電話でいいのか。それとも危急の場合だから電報か…… 何かぬいぐるみとか、トレイになるタイプの値のはるものが失礼が無いのだろうか。ナンテ。警察へ届けるとしたら、今すぐ110番だろうか。きっと、「まだ失踪と決まったわけじゃないでしょう」とニヤニヤされるだろう。もう、死んでくれ。死んでくれれば、警察へ行っても相手にされなかった、気の毒な市民としてワイドショーに出たりできるし、何なら手記でも出してもいいかもしれない。それで仕事をやめて、フリーライターとしての道がつながれば妻の失踪も役立ったということになる。それにしても、腹は減った。さて、外界はどんな風に変わったか。コンビニへでも打って出てみるか。そして、先手を打って、強盗か何かの体で、一足先に留置されてみるのも一興か。どうせ、もう世界は変わってしまったのだから。
とりあえず、明日の仕事は休みにしようと決めた。
夕食はインスタントラーメンが残っているので、それで済ませる。たかだか妻が失踪したくらいで騒ぐことは無いと、反芻し続けるが、テレビのニュースを見る気がしない。それはつまりあえて情報不足の状況に自分を置いておくことで、何の方策も講じられない理由を保持していたいという気分の表れに違いない。実際、ここで情報収集に勤しんだとして、それで「生け花教室のみんなと観劇に行ってきます」というメモが電話台の裏に落ちているのを発見してしまったら、帰宅してから今までの自分の狼狽振りが、あまりにも惨めだ。見栄だ。それは確かにそうだ。自分はたいていのことでは狼狽なんてしないし、何かあってもきちんと対処できると信じて暮らしてきた。それがこの有様では…… もう、寝よう。子供のように寝よう。そうすれば明日の朝には、妻が戻っているかもしれない。そうしたら、「夕べは遅かったのか」と何食わぬ顔で尋ねよう。もし、もどっていなかったら、会社へ連絡しよう。ここで、あえて日常生活を継続することが、強さだとは思わないし、継続できないことがみっともないとも思いたくない。事件がおきたのだ。これまでの生活、これまでの自分を変えるチャンスをもらったのだ。自分からは、奪いにいけなかったこの機会を、十分に生かさなければ。そのためには、しばらくの間、妻に失踪された気の毒な夫の立場を活用しなければ。最大限に、活用しなければ。
気が付くと女は部屋にいなかった。服はハンガーにかかっているので、また風呂へでも言ったのだろうと思う。男としても、朝、再び顔を合わせるのは、少し興冷めかと思っていたので、女が気を利かせて部屋を出たのだろうと思う。何か、気持ちが落ち着かなかった。男は布団を跳ね除け、服を着替えた。尻ポケットの財布から、二万円抜いて、窓際のテーブルの灰皿の下に置いた。旅館のためなのか、女にあてたものなのか、自分でも分からなかった。ただ一つ言えるのは、昨日の早朝に電車を待っていた時に、漠然と抱いていた明日とは、絶対に違っていた、ということだった。これが、単なる回り道だったのか、それともこの先何かのしがらみを投げかけてくるのかは分からないが、少なくとも、今の自分にとっては、番外だったのだと思った。となると、むしろこの一晩の出来事は、女のためにあったのだろうと思った。
男は、鞄を持ち、部屋を出た。廊下にはまだ夜が沈殿していた。もう二度とここに来ることは無いだろう。また、途中で女に出くわすことも絶対に無いだろう。男はそう確信していた。まだバスも走ってはいない。昨日は電車を待ち、今朝はバスを待つのか。男は道をはずれ、小道を川に向かって下りていった。 川原には船の準備をしている初老の男がいた。私は斜面の林から川原へ出るあたりに立ち止まり、たばこを吸おうとした。だが、もうたばこは残っていなかったので、投網をたたんでいる初老の男に声をかけた。
「おはようございます」
男は怪訝そうな顔を一瞬だけこちらにむけ、そのまままた作業に戻った。その態度は、私の朝をめちゃくちゃにするのに十分な非礼だった。私は川原の石に、いいように足元をもてあそばれ、独りで初心者が地面の一本線の上での綱渡り特訓みたいな挙動を強制され、ますます腹が立ってきた。
「おはようございます」
船のへさきまで歩いていって、俺はもう一度声をかけた。
「ぁはぁ」
男は網をしごきながらこちらを見た。歯はヤニで黄色く汚れ、隙間だらけで、どじょうヒゲはよれよれだ。きたない男だな。と俺はさらに腹を立てていた。
「川下りとか、出来ますか」
「ぁはぁ」
「途中に滝とか、急流とか、ありますか」
「ぁはぁ」
俺は肩にかけた鞄をしっかりと抱えなおし、船のへさきを二三度軽く押してみた。船は面白いように揺れた。
「さわんじゃねぇよぉ」
網を両手で広げてバランスをとる男の姿が無様だった。
「うるせぇ」
俺はなるべく冷静な顔でそう小さな声でつぶやき、船のへさきを力いっぱい押してやった。初老の男は船の中にもんどりうって転び、身体と網がからまって蠢いている。
船はゆったりと川の流れに乗っていく。俺は朝ののどかな川面をたゆとう小さな木船に、ようやくすがすがしさと旅情とを感じ、気分が良くなった。しかし、その煙草が吸えなかったことと、あの船に乗って川下りを楽しむという一瞬だけよぎった企画がつぶれた事が心残りだったが、人生、何もかもが思い通りになるわけではないと思うので、無理やり落ち込むこともなかろうと考え直した。それにしても、もう一度あの斜面を笹を払いのけながら上るのは気が進まない。さらに、バスを待ってそれに乗って地元の年寄りにまじってにぎやかな町に戻るのも、今更な感じがする。
「さぁて、どうするかな」俺は鞄を川原におろして、その上に腰を下ろした。尻に軽い違和感を感じて、鞄の外ポケットをまさぐると、まっさらな煙草が入っていた。買った覚えの無い煙草だったが、単なる物忘れだろう。男の新しい朝は、こうして始まった。
同じ頃、女は宿の食堂で焼き海苔や卵や山菜の朝食を、様々な蝉の声をバックに食べていた。「帰らないといけないな」という思いは、「もう、帰らなくていいんだ」という思いと同じくらいの重みで胸を塞いでいた。川魚には小骨が多い。結局、このまま家にもどって、この一晩の番外編を特異な物と位置づけて、その後を過ごすというのが、もっとも意義があるようにも思われた。味噌汁のなめこがぬるぬるとしていた。「予定調和だなんて、そんな風にまとめてしまいたくはないわ」私は結局、今回の出来事を一時の気の迷いとして片付けたくは無かったのだ。「日常のレールを踏み外した事に意義があるんじゃない。今、こっち側に来ているということに意味があるはず。このまま戻るんじゃ、ただの家出ごっこだわ。私は新しい私をはじめるきっかけを、せっかく掴んでいるんだから」かといって、その新しい自分を、こんな辺鄙な場所に埋もれさせる事を、良しする道理はない。「違う私として、今までの場所を訪問するっていうのは、どうかしら。それでこそ、違う私の存在証明になるってものじゃない」私は、昆布茶を流しに捨て、やかんから、煎茶を汲んだ。今日は晴天だ。
目覚めると晴天だ。こんな朝だからこそ、しっかりしなければ、と思い布団を跳ね除ける。足元でニャッ!という音が立つ。白い仔猫が布団の津波からからくも逃れそこねて仰向けに埋もれたのだと思うが、家には猫はいない。「猫を飼っていたのは、前の前の家だ。あの当時は一戸建てに住んでいた」今は、2LDKか、とため息をつく。朝からため息をついてしまった日は、必ず電車に座れないが、今日は電車に乗らないことに決めていたことに、気づいた。夕べ、寝る前にそう決めたのだ。今日は無断欠勤の日に決定。妻に逃げられた男は、きちんとカレンダーを指差し確認をし、今日は不燃物の日であることを知り、流しの脇にぶらさがっている分別一覧をじっくりと検討したりする。ダストボックスはなぜか、ちりめんじゃこのパックと、鰹節、みりん干しなどのトレイが大量に詰め込まれていたし、缶を入れておく箱には、猫の餌が半分以上も残った缶がこれまた山になっていて、蓋を開けていると相当ににおう。ニヤ、ニヤと猫の声が聞こえる。窓の外からだ。さては、今朝ほどの一匹は、窓から迷い込んだ本物の猫だったか、と思い、はねのけた布団をもう一度バサバサとふってみるが、猫はどこにも落ちてこない。しかし、この部屋のどこかに白い仔猫が隠れている筈だと確信している。何か、餌でも出しておけば、出てくるかもしれないな、と思い猫の餌になりそうなものが無いかと冷蔵庫の前に戻って扉をあける。足元をふわふわとした白いものがすり抜けた。冷蔵庫の中には、猫の餌になりそうなものしか入っていなかった。男は、昨日の朝食を思い出そうとした。だが分からなかった。冷蔵庫には卵も無かった。野菜も無かった。ただ、ちりめんじゃこのパックが積み重ねられているだけだ。自分は昨夜冷蔵庫を開け、ビールを出して飲んだはずだった。だが、ビールも、空き缶も無かった。ニヤニヤという泣き声が玄関の外からも聞こえはじめた。「朝から猫責めか」男はそう思い、失踪した妻が大の猫嫌いではなかったかと勘ぐった。だが必要以上に猫を嫌っていたといことも無かったはずだと思った。道をあるいていて野良猫に会ったら餌を与える、という習慣には反対していたが、それは、冷たさではなくむしろ、偽善的にすぎるという点での異論だったと思う。野良猫にしてみれば、たとえ偽善だったとしても、その時、その瞬間に食べ物にありつけるという事は、命を繋ぐ大きな意義を持つとは思うのだけれど。そういう私は野良猫は一切無視するので、大きなことは言えないのだけれど。しかし、何故、突然に、この部屋は猫で溢れ始めたのだろう。これは妻の失踪と何か関連があるのかもしれない。男はちりめんじゃこのぱっくを一つ冷蔵庫の前でひきむしるように開けて、ざらざらと口に流しこんだ。
帰る。なにか、晴れがましいような、気恥ずかしさ。戻る。日常は怒涛のごとく事実を押し流し埋め尽くす。思い出は、必要だ。かつて自分はこの生活、この自分がいやでいやでたまらなくなって家出をしたのだという思い出だけが、家出前とは違う。思い出は、後悔と共に心の奥底に根をはって、自信を育くむ。家出をしたのだ。かつて自分は家出をしたことがあった。この先、何かあったらまた、家出をすればいい。そして、思い知らせればいい。小旅行だと偽ってでも。書置きを引き出しにそっと残して。遺書。
遺書といえば、これまでの自分の印象を自分の思い通りに変えさせる力をもっているのが遺書ですよね。本当はこんな風に考えていたんだ。とか、思わせることができるし、だいたい、死んだ人間のこと、疑ったりするのは、日本人的には、よくないことだから。だから、遺書だけはよく考えて執筆しなければなりません。しかも、まさか遺書に事実無根の偽証を書くとは思うまい。だって、命を質札にしているんですからね。まさに、ここが付け目なんです。昔、別冊太陽で、遺書の特集号がでたことがあって、確か自分は購入していたはずだと思って、書庫へこもって棚と棚の狭い空間にはさまって、ぎゅうぎゅうとしゃがんで、首をおもいきりへしゃげさせて、埃を目一杯吸い込んで探した。けど無かった。江戸川乱歩エログロヌードの時代。とか、発禁本1・2・3とか、そういうのばかりで。仕方ないので思いつくフレーズを、埃まみれの棚に指で書いた。「曰く、人生不可解」「おいしゅうございました」「生き地獄」「宝石箱やぁ」「猫鼠星人が筑波山麓の巨大なパラボナアンテナから俺に命令するから反逆する」「また、いつか」「我輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死なねば得られぬ」「幸せでした」「先立つため、介護できなくてごめんね(笑)」「あの世で永遠に一緒になります」「あなたのせいよ。一生怨んでやる」「さよなら。さよなら。さよなら」「俺じゃねえよ」「今やらなければ、僕は僕ではなくなってしまう。ただそれだけのこと」遺書から逆算される人生を生きたかった、と願うことの不幸を感じる。
9.川原へ
何のことはない。主をなくした小船に抜き手を切って追いすがり、ずぶぬれのまま、川下を凝視。流れに掉さすこともなく、難所めいた瀬もないまま、頭上の崖が少々低くなり始めるころ、ふと気づく。
「何だ。この川かよ」
荒唐無稽傍若無人勇気凛々呉越同舟。世の常識からいっそ、ああいっそのこと調子外れてアウトロー。空を屋根とし地を床として、風の向くまま気の向くまま、金がなくなりゃ手段を選ばず、必要なのは生きながらえることだけだと覚悟を決めて挑んだはずの、「支配からの卒業」それすなわち住所不定無職への配置換えも辞さぬ意気。橋を焼いたのは俺自身だ、との矜持。それが、どこでどう狂うたか、いや狂わなんだのか、電車を下りて観光列車にまで乗って、当てずっぽうに乗り換えて、同道二人となった後、バスにも乗った、歩きもした一日の行程は。なんてこたない、すべて同じ川の上へ移動しただけのことだったとは……
女をふみにじり、老人を殴り倒しただけで、舞い戻っちまったよ。こんなら素直に中央駅から故郷へ戻る特急列車へ乗ればよかった。つまらない。ああつまらない。なんて、反省やら愚痴やら、そんな人の気持ちは昨日早朝燃えないゴミに出しちまった悲しみに、いいだろう。それが俺の運命ならば、しばらくはつきあってみてやるのも悪くは無い。あの女がどちらへ戻るか、見張るくらいの暇はある。無論、そんな他人ごとにかまっちゃいられないから、女が戻った暁には、その女との一夜を、千一夜風に脚色して旦那の御伽と洒落めたしてやらんでもないと腕を組む。さすがに、全く同じ駅の河岸で降臨するのも、あんまりなので、心持下流へ。川原に続く菜園と、ダンボール、ベニア、トタン長屋の途切れる辺りは、どうやら湿地帯だが、臭くて汚い連中とやりあうのはまっぴらご免と、ねっちゃねっちゃと舞い戻りたる人の世へ。
「さて、とりあえず、アウトドアグッズでも買い揃えるか」
川原を離れると、急角度にそびえる鉄階段にとりついた。これで10メートル程の高さのコンクリート護岸を上る。階段は全てが錆びていてところどころ、腐食し穴が開いている。踏み板も錆びて丸まっていたり、薄くなっていたりする。手すりもブラブラだ。あと数十メートル下れば、アスファルトの取り付け道路があることは知っている。だがそこに行く途中にある、むやみと広い川原を横切るのがたまらなく嫌なだけだ。私がそこに「賽の河原」と名づけていることは誰も知らない。失業している時、その場所へ行って寝ころぶと、川原と空しか見えなくなる。忙しい川のせせらぎが遠くから聞こえてきて、それよりも乾いた風の音ばかりが耳元で渦巻いて、なぜだかいつでも茶色くなったススキが二三本揺れている感じがして、午前も午後も、早朝も黄昏時も、そこだけはいつも、午後の4時25分みたいな太陽の光の色をしている。そこにいると、あと2分ちょっとで義務を果たさねばならないのだ、という焦燥に駆ら、でもそんな義務はぶっちぎるんだ、という罪悪感に苛まれるのだ。汗びっしょりの毛布に意地でくるまって、家を出なければならない刻限まであと2分ちょっとだという感覚。つまり、全く落ち着かない場所なのだが、私は失業しているとき、実によくそこに行って、そして、はっきりと覚醒したままうなされ続けていたものだ。階段を上り終えると、申し訳程度の松林が川を隠して、がけ下にコンクリーとの長い格子をこしらえて確保した人口の土地に住まう人々の家と、生活道路をはさんだ平屋の長屋が軒を連ねている。道は川から緩やかに上っていく。
私は少し遅い電車に乗った。未だ出勤すると決めたわけでは無い、と心の中で何度も繰り返していた。妻が無断外泊した。簡単に言えばただそれでだけのことだ。昨夜来、私はたったこれだけの事を、鉛の布団のように引っかぶって、ああでもない、こうでもない、と思い悩み、極論をぶち上げて開き直ってみたりしていたのだ。いつもとは少しちがう日差しの中を、いつも通りの律動を刻んで走る電車に座っていると、思い起こした途端に息苦しくなる日常というやつが、安らぎを与えてくれた。日常は強固だ。それは侵されない。この社会で行き続ける惰性が、日常を強化し、その鋼のレール上を、日常は加速していく。気づいた時には、もう止めることも、下りることも、乗り換えることもかなわぬ速度となって、キリキリと進行するのみだ。妻は、この速度を恐れなかったのだろうか。恐れることなく無事に、降りることが出来たのだろうか妻の日常とは、一体、どのようだったのだろうか。結婚し同居する。同じ目的に向かって生きる、すなわち同じ日常に乗り合わせること。そう思っていたが、結婚以前、我々は別の路線を走っていたはずだ。二つの路線は、ある駅で合流した。だが、昨夜レールは再び分岐したのだ。ごく自然に前よりの四両が切り離され、支線へと全く何の抵抗もなく別路線に入っていったのだ。
普段と違う電車内は、通勤時の殺伐とした沈黙は希薄で、人と人との間から、そこそこ陽射しもあって暖かい。しかし私にはそんな緩い車内空間が物足りない気がするのだった。目的を持って乗ったのならば、こんなゆとりの時間も悪くは無いだろうし、目的無く乗ることに慣れた者なら、周囲の人や風景にぼんやりと心を漂わせることもできただろう。しかし私は違った。私は無目的に生きることができない性分だ。無計画さと無目的さとは別なのだ。私は今朝、無計画にこの電車に乗った。一応そのまま職場へ行っても何とかなる程度の身なりをしている。だが、社員証を忘れていることに気づいた、先程の分岐の駅から、職場へ出かける気分はなくなっている。では、その時から私の道行きは無目的となったのだろうか。いや、私は自分が何をしているのか分からないで行動しているという態度を受け入れることはできない。さしあたり、あの家にはいられなかった。そう、まず家を出ることから始めなければならなかったのだ。なぜならば、今日は……休日ではないのだから。そうだ。休日でもないのにいつまでも部屋にいるのは、死んでいるのと同じだ。いやそうではない。死んでいるのと同じではなく、死よりも悪い。なぜならば、自分は生きているからだ。生きている人間が死んだような態でいるのは、罪である。では、仕事がある身で無職のように振舞うことは、悪ではないのか私にとって仕事とは人生そのものなのか。
昨日までの自分は死んだ。太陽は日々再生を繰り返している。私は私では無い。なぜならば私を裏書するのは私以外のモノであり、私にとってそれは、会社の人々であり、タイムカードであり、社員番号だったが、それは、会社員としての私であってそれが私の全存在ではなかったはずで、今、おそらく会社には向かわず私を知るモノが何一つ無い状況下にあってなお、私が、妻を失った私であるという確証とは、つまり私の記憶のみだ。記憶だと?そんなものは妄想だ。夢だ。そもそも私に妻などいたのだろうか。偽記憶。そう、それは夢でしかなかったのだ。現実には存在しないもの。そう。今現在、ここに存在していないものが、実は存在しているなどという世迷言を信じるのはもうよそう。私が私でいられる理由は、この電車に乗ったという記憶を持つ、私のこの記憶を確からしいと信じるでもなく受け入れている私が、今現在、電車に乗ったという行為の当然の帰結として電車に乗っているからに他ならない。すなわち、私とは常に遡りつつ検証をしていかねば確定不能な根無し草のようなものなのだ。そこで、私はこの検証を中止してみることにする。すると、あの部屋、あの冷蔵庫、あのちりめんじゃこ、あの、写真あの銀行通帳、あの冷蔵庫の中のラップをかけた皿、あの時計、あの服、あの本、こうした限りなく思い出される「あの」ものを所有していた私は、消滅するのだろう。妻が消失したのと同じように。失敗だ。とりあえず次の駅で電車を降りようと決めた私は、どうしようもなく月給24万円で、家賃7万3千円の部屋に住むのサラリーマンだった。
10.見尽神社恒例フリーマーケット
河原を歩いていてどうにもこうにも歩きにくく、なぜこんなに歩きにくいのだろうと考えながら、ああ歩きにくいと思っているこの歩きにくさは、やはり舗装のペイブメンとばかりをエアインの靴で闊歩する生活が、足裏の感覚を麻痺指せてしまったに違いないが、足ツボへの刺激がこれはすこし強いな、それにしても歩きにくい、足を捻挫しそうで心が折れそうで全体的に、挫折しそうだから、仕事の鬼ならぬ、仕事は鬼で、鬼の仕事の鬼となって鬼を全うするまじめで頑固一徹な星一徹に強制された大リーグボールの養成(妖精?)ギプスさながらに、俺の背中に乗っかっているのは、河原だけに水子だったりといった冗談はさておき、さておき、さておき、別段鍛えるべき部位も必然性もないこの俺が、何の因果か落ちぶれていまじゃマップも手書き。笑いたければ笑うがいいさ。だがな、歩きにくい。グキっていった、いまグキって。もう、売る。この背中に背負った一切合財を、身尽神社の境内で開催される予定の恒例市民フリーマーケットを利用して、人にも地球にもやさしく処分してくれるわ。はははは。
身尽神社のフリマは当日申込参加可能だが、場所に注文をつけるわけにはいかない。人もよらない祠の影だったり、使われなくなった朽ちたトイレの脇だったり、しめなわのまかれた大杉の裏だったり、こけむした斜面の滑落痕だったりするわけだが、本日は運よく参道横に陣取ができた。平日なのでさほど熾烈極まる場所取り合戦は行われなかったと見えるが、無論客もまばらである。背中の瘤のように馴染んだバックパック(しかしいつのまに私はバックパックを調達し、帰省荷物をパッキングしたのであろう)を降ろし、不滅のレインボー柄レジャーシート上で荷解きしようとして思い留まる。「福袋的な……」元来商売熱心な方ではない。市場の動向も消費者ニーズも知ったこっちゃない。この俺、正真正銘掛け値無しのこの俺自身の背中の瘤、駱駝の瘤みたいな感覚で一体化していたこのバックパック、すなわち水は入ってないが、キャメルバックと命名しても詐欺にはなるまいと思わせるほど大切にしてきた俺の操、十把一からげでお幾らお幾ら万円?
結局仕事へは行かず、妻を探すあてもないまま川縁を歩いていて、清らかな水の流れを眺めるともなく眺めていて、おかしい。この川は、東に向かって流れていたのではなかったか、こうしてみていると西に向かって流れているではないか。軽いめまいを感じポケットをまさぐると何か埃のようなものが指先に触れた。赤く小さな、蟹だった。蟹。それは、ちりめんじゃこに入っている例のアレだ。だが私はちりめんじゃこを最近食べた記憶はなかった。記憶が無いことが、しかし何の確証になるというのだろう。記憶を便りに生きてきた結果、妻を失ったのではなかったろうか。河原は歩きにくかった。それは私の思考をブツブツととぎれさせ、脈絡を失わせる。河原を歩くことに壮快さを求めていたわけではなかったが、いい加減、このたどたどしさにも嫌気がさした。もうあがろう。無理矢理固めた法面に錆びついた階段。足元からゾワゾワと錆びて虫食になった階段。昇った先の電柱に汚れたビニール袋で覆われたポスターが貼りついていた。「身尽神社フリーマーケット開催」ああ、今日だ。こういう導きにはのってみることにしている。
来るモノは拒まず、去る者は抹殺する。それが山深い旅館の掟みたいなものなのだと、板長さんは笑った。流れ流れて落ちぶれて、それでも包丁と、砥石だけは肌身はなさずにいたのだそうだ。ここへ来てもう20年になるといって鮎だかイワナだかを竹串で刺し貫きながら、今日の魚がまだ入らないとぼやいた。朝一番でヤナを調べに行ったトクべえさんが戻らないのだそうだ。私はタバコが吸いたくてしかたがなかったが、無理いって雇ってもらって早々にプカプカするのは大人のマナーに反するような気がして自己規制。女将は、もしもいたとしたらだが、私の姉くらいの年齢に見える。なんでも、もともとここを切盛りしていた主人を早くに亡くし、それから細腕一本でこの旅館を切り回していたのだそうで、温泉が温泉じゃなかった騒動の時に逆にどんな貧相な湯殿でも源泉かけ流しってだけでありがたがられる感じになって救われたのだと朗らかに笑う。そんな女将は通いの仲居五人といつもニコニコと腕まくりをしてがんばっている。板場には先ほど紹介した板長と御弟子が二人。どうやら血縁関係があるらしいのだけどそれについては、誰も教えてくれないので私も聞かない。私もここで一生を終えるつもりは無いしみんなそのことは分かっている。
トクベエさんが、3キロ程下流の杭に引っかかっていたという連絡が入ったのは朝の仕事が一段落したあたりだった。船はもっと下流の河原に上げてあったという。河原に住み、菜園などを営む住所不定無職の連中が、その船を使っていた男を見たと言いはっていたそうだが、警察は取り上げなかった。「私ちょっと行ってみてこなけりゃ」女将はそういって旅館の軽トラックに乗った。私が運転手をおおせつかった。「今日は身尽神社のフリーマーケットがあるのよ。私あそこが大好きなの」女将が夢見るように言う。私はハンドルさばきに全神経を集中していたので生返事しかできなかったが、遺体の身元確認にいく途中にしては、不謹慎な話題ではなかったか、と思った。タバコの火種が足元に落ちたりした。
客は欠落を抱えており充足を求めてやってきた。出店者は後悔しており、過去を清算したいと考えている。フリーマーケットとはそういう場である。客であり、かつ、出店者でもある、という対称性は認められていないのだ、この身尽神社境内内においては。ここでは出店するための事前登録は必要ない。そもそも社務所に人はいない。また本日の自由市場開催を伝えるポスター(しかし、一体誰がそんなものを描いたというのか)を見て、「何か掘り出し物がないかしらん」などというつもりでここを訪れるという予定調和はお断りだ。ある日、ある時ここを訪れた不特定多数が突如として、あたかも事前に決定していたかのように店を出し、店を訪れる。そこでは客は欠落を埋め、店主は過去を清算する。必要なものはそこに何でもある。しかし、とあなたは思うかもしれない。一体何も分からぬまま集まった人々が、店を出すといって、あらかじめ商品を用意してこないのだったら、どうやってピクニックシートに魅力的な商品を陳列することができるというのだろう、と。だが、そんな心配は無用だった。そこにきて自分が売り手であることを不意に自覚させられた店主は、すでに自分が手放したいと思っている品物の一切合財を持ちあわせてきていることに、当然のように気づくだろう。出店の事前登録など不要だ。だが資格は必要なのだ。事前予告によって成立するものが予定調和なのではない。むしろ、そこにそのようにいるというまさにそのことのみが予定調和ならぬ予定調和なのであって、この辺の理屈を敷衍するつもりは一切無い。とにかく俺は参道のほどよい区画にまぶしいブルーシートを広げそこに嫌になるくらいの量の商品を並べつつあった。
時々とっても抽象的な品物を商っていて、そんなものにもきちんと値段がついていて、だけどそれは言い値で、時価らしく。私はそんな時には、きちんとしたサングラスを、これは以前のフリマで手に入れた「世の中が透けて見えるようになれる眼鏡」で、3500円もした、クリサセマァームっていう彫金が悪戯な伊達眼鏡だったのだけれど、使用方法をしたためた、よく昔の粉薬を三角につつんであったペナペナの紙をなくしてしまったので、よく覚えてはいないのだけれど、たしか、眼鏡をかけて夏至南天の太陽を凝視して、正常な意味合での視力をなくしたら、世の中が透けてみるようになるとか、ならないとか、という逸品、をおもむろにかけて、店主と談判しているの。胡散臭いとは思ったけれど、そのときはこれを買った自分の高揚感に救われたというところがあったのよ。ストレスを買いもので発散するタイプなのね、私はわりと。お金に困ってはいないのだけど、いつか売る方に回ってみたいと考えています。宿の呼び物になるといいかな、なんてアイデアを暖めています。いまのところ買う方ばかりで、今日もたまたまこの界隈に、出かける用事ができたから、勿怪の幸い。この身尽神社にやってきた。財布には2万円くらい入っている。具体的には、そうだな「いまの自分を全肯定できる半生を認めた日記」あたりを狙っています。今、今までの私を振り返ってみても、今が今である必然性がまるでないような気がするし、今の自分である意味が分からないというか、そういう気持ち。手取り早く「産みの親」とか、そういうものでもよかったけど、ちょっと重たくなるかな、と思うから、とりあえずは、思い出を、いくつか見繕うつもり。さて、今日はどんな店が出ているのかな。
辺鄙なところだ、と思う。国道はまばゆく輝き、これで蝉でも鳴いていれば、確実に「盛夏」なのだが、残念ながら、思い出の夏にはほど遠い。花粉も黄砂も微塵も無く、寒さも感じず紅葉も見られない。大気がほんの少しだけ粘度を増しているせいで、おそろしく分厚いレンズめいた効果を、斜めの日射に対して施しているのだろう。だからこそ、国道の濃紺に鮮やかな黄色の速度制限40がわずかに浮かび上がっているのも、路肩の全ての道路標識が道路中央に15度ほど倒れこんでいるのも、路面そのものが息づいているかのように律動しているのも、さらに、全てのものに影が無いことも、うなずけるというものだ。一直線の国道ですら、その先が揺らめきのなかに消えている。ましてや、裏路地をや。国道からはずれ、高く湿ったコンクリートブロックが鋭角に区切りとった林の斜面を、階段がずらずらと続く。手すりはまばゆい空色で、握るのがためらわれるほど細かった。斜面を無視して、直立する杉のまにまに落ちる日光。杉の葉の無数の隙間から均等に、そして過剰に落ちかかるその日差しは、まるでトンボのめがねのように世界を無限に見せた。そしてこの林の下に、目的地である「身尽神社」がある。
青いビニールシートの四隅をおさえる誂え向きの石が五つ見付かった。ひとつは予備だ。そう思った途端にこのひとつの石を思い切り投げ捨てたくなり困った。他の四つはきちんとビニールシートの四角に落ち着いていて、無駄な凸凹もなく黙っているというのに、この残ってしまったいびつなやつは、そこいらに放っておいてもいらいらと目ざわりだし、シートの上におくと、他の品物まで無意味にみえてきてしまう。手の中で弄ぶには大きいし、不定型な突起と数種類の石が混じって橙や青白い粉が手について邪魔だ。まだまだナップザックには陳列しなければならない品物がつまっている。そろそろ客も集まり始める時間だというのに、目玉となるお買い得品を、まだ出していないのだが、片手に余る石をもったままでは、取り出すこともままならない。なぜだ。なぜ五つ見つけてしまったのか。だいたいなぜ、この場所に五つの石があったのかなどと勘ぐりたくもなる。結果的にこの余った石が、何かを暗示していないとも限らないではないか。改めてしげしてと石を見つめる。ふん。ただの石だ。だが不思議と最初に売れたのがこの石だった。
吹き渡る風が心地よく、一つの商いが成立した達成感に、つい顔が綻びて、ああ、こんなに良い気分なのはどれくらいぶりだろう、そう思う自分は、今ここにいるのではなく、どれくらいぶりなのかと思った途端に広がるこれまで暮らしてきた時空、そして暮らすはずだった時空の全てに包括された地点に静かに座っていて、その座っている場所こそが、この青いビニールシート上に収斂していた。目の前を次々に通り過ぎる人々は、いつか読んだボール紙細工のよう目の前でゼロとなり影が行過ぎていくばかりだ。
脳は四肢を羨み拗ねて執拗に思念空間の優位を想起せしむる、脳はいわゆる灰色の豆腐の如き期間を指すので実は脳という言葉は不正確でむしろ精神と肉体、心と体、物質と思念という二項対比をつくり出す源泉としての脳だけを大切にしたい。無論、この世がある。他にもあるかもしれぬが分からないものは書けない。あるかもしれない、などと考えるのは二項対比を正当化する嫉妬深い脳の策略なのだから。 脳は脳を定位できないくせに言葉を駆使すれば規制を受ける。またこの世の有り様が絶対的な限界となる。科学技術が世界(この世)を解明するたびに意識が変容を遂げ、人類は進化し、より分かりあえるだと世界の解明を目論む欲望はいつしか欲望を開発する欲望へと変化しさほど好きでもないものに付加価値を見出すことを文明とよぶなどという方向へ拍車をかけると滑りはよくなるが落ち着く先は存外つまらぬところだ。教訓。考えるな。感じろ。では一杯30円。(と灰色でしわくちゃの豆腐じみたものが、それ専用のボウルに水を張った中でプカプカ浮いていた)
「何かお探しのものがありますか」
「いえ、ここではないどこかにあるようです」
「それではいづれ」
「ごきげんよう」
そこかしこで聞こえるそんな挨拶も、今ここではなく、過去でも未来でもないところから響いてくるのだが、案外、客など一人もおらず、ただいると思っているだけなのだったのかもしれない。
「死んだ人を探しています」
「あなたの心の中に永遠に生き続けていますよ」
「私の命は限りがありますのに」
「あなたも誰かの心の中に永遠の命を受ければいいのですよ」
「そこで、あの人に会えますか」
「いえ。ただ思い続けることはできるでしょう」
たくさんの猫が、直線ではないが等間隔ですましている。私はポケットの中の蟹を取り出し、周辺に撒いてみる。
「おいしそう」
ああ、猫がしゃべった。私は、何度も何度も小さな蟹をすくいあげ、無数の猫にむけてばら撒いた。
「お前、何やってる!」
ガードマンがやってきて、私は襟首を掴まれていた。私の行為は、無届での物品頒布という罪状で、法に触れるのだという。
「私は、妻に逃げられた月給24万円で、家賃7万3千円の部屋に住むのサラリーマンなんです」
境内をずるずると引きずられながら、私はそんなことを叫んでいた。それが、私がたどり着いた場所だった。私が撒き散らした蟹が、彫像のように座っている猫達の毛を、小さな鋏でつかんで、必死で登っていく。私は、どんどん小さくなるそんな景色を、呆然と眺めているしかなかった。
女将はいつの間にか手にしている高島屋の紙袋を両手でかかえてニコニコしている。
「あなたは何も買わないの」
私はちょっと面食らって聞き返す。
「どこで何を買うんです」
私には、店が一つも見えない。ただ猫が点々と日向ぼっこをしている境内の中を散策しているだけだ。女将にそういうと今度は女将さんが「あら」という顔をした。
「そう。あなた、そうなの」
何がそうなの、なんですか。私は袋に描かれたバラがなぜだかカサカサしているように見えて、それがなぜそんなに気になるのかわからないのが、不安で、その不安を女将に知られたくなくて、努めて明るくたずねてみた。しかし、女将が私を見る目が、先ほどまでとは違って、たとえば、「素性が知れたわ、それじゃもう話もすべきじゃないわね」といういわば「差別」的なものに変わっていて、女将は女将でその自分が差別的眼差しをしていると勘繰られないように努めているのが手に取るようにわかるのが、耐えられなかった。
「ここのフリーマーケットは、他と少し違うから」
女将は小首をかしげてそういうと、傍らにあったベンチに腰を下ろした。私はなんとなくその前にしゃがみこんだ。女将は目をとじて足をぶらぶらさせたが、高島屋の袋をひょうたんみたいな形になるほどぎゅっと抱えこんでいた。
今日は結局喪服を買った。暗い顔した結核病みの、若い男が商う店から。「鳥居の下で」「ええ。鳥居の下で」
薔薇の文様の紙袋へ丸めて階段を下りる。小学生ぐらいで生きている素晴らしさを実感するためには、「死」におびえなければならないと思う。それは「無」、限りなく続く「無」に対する恐怖で、子供にとって最大限の未来、おじいさん、おばあさん、の向こう側にあるらしい虚無を垣間見せらた上でなければ無理。簡単に生きてるくせに、わざわざ難しいかおをしてそれでも笑うんだよ、みたいな押しつけがいやでした。私をこの世界に送り出した二人の人に、義理を感じなきゃならないのが嫌で嫌でたまらなかったから、家を出た。だけどこの世界にいることは別に嫌じゃないし、この世界も嫌いじゃない。盗れるものは盗る。売れる物は売る。我慢は死に向かう事だ。求める続ける事こそが、存在だ。私は半ば冷め、それでもこの世界の根本はこういう事だと判っていた。この世界に生きる証がこの身体で、この世界に生きるためにはお金が必要なのだから、そのお金を身体で得ることは、生きている証。良いことも、悪いことも、痛みも、軽蔑もね。私は独立した存在で、世界は優しい。誰かのために生きるのは馬鹿みたいだし、媚びるのもいや。生まれ落ちた事は受け入れた。だけどこの国のしくみを受け入れる義理はない。私は私の力で生きていける。私の宿へ、やってくる人がいる限り。それが他人の幸せを、奪うことで成り立っているとしたって。
11.市がはねる
「そこの人」
と声をかけられた。見ると自分と同じような年格好の男が老松の間に小さな店を出していた。ブルーシートの隅に適当な石を積み上げたスペースは、ちょっとした結界めいて、奥の真ん中に鎮座している男の姿が、時折霞んで見えなくなったし、肝心の商品が何なのかがまったく理解できなかった。
「何を商っているんです。あなたは」
俺は自分の商売がさっぱりなのに嫌気がさし、売り手から買い手へ変わり身し、境内をぶらついていたところだったが、売り手でいたときには、両隣やら、向いやらのざわめきと人いきれでたいそうな賑わいだ、これなら期待できるだろうとほくそえんでいたというのに、売り場を離れてぶらぶらしてみると、ここの石垣のすみに一つ、あっちの灯篭の裏に一つ、手水鉢の手前に一つ、といった按配で数えるほどの店しか見当たらないのが不思議だったし、何よりそのどれもが、いったい何をそんなにぎっちりと陳列してあるのかが理解不能なことに不安を掻き立てられていたのだった。
「なぁーに。いづれあんたにも判るはずだ。人にはそれぞれに立場というものがある。身の程をわきまえていれば身の丈にあったシャツを着られるし、笑われずに済む」
俺は、妙なしゃべりかたをする男だ、まだ若いくせにじじむさい、妙に落ち着いた風な癪に障る奴だ、と思いながらもしばらくつきあってみることに決めた。
どんよりとした雲が垂れ込めてきて、神木の森が鉛色の粒子に紛れていく。そんな中でブルーシートの鮮やかさと冷たさが際立って、ついている膝が痛みはじめていた。
「それで、あなたは相手に何が分相応かわかるというわけですか」
男はこの冷たいブルーシートに胡坐を組んでしきりと頭を掻いている。
「そんな下手くそな字を殴り書くくらいの芸にしか使えない洞察力なんか、くそを食らって西へ飛べって思う。自分のことを初対面の人間に教えてもらおうって根性も腐っているし、腐っているから臭気が漂うことによってその臭気がさまざまな異臭の混ざった腐り方を的確にブレンドされた腐る以前の状況が容易にかぎ当てられる資格試験を3級から順に取得していった暁には、あなたがどんな腐り方をしているのかもたちどころに判別可能になるわけだが、もう一つは営業またはピロートークの達人となって言いにくいことをオブラートにつつむだけでなく、肝油の内側に上手に挿入した上で相手に飲み下してもらえたりすれば金になるというそのことだけが大切だと思っているわけではなるまいね」
「は」
俺はわけのわからぬ悪寒に膝を抱え、ずっと相手の膝の数センチ手前のブルーシートの皺を必死で這い歩いている蟻を目で追いかけながら、早くもこの場にこうしていることを後悔し始めていた。
「あんたは腐ってる。」
男は言葉を緩めない。そして俺はこの場を動けなくなっていた。
男は「この男は支離滅裂だ。腐っているのはこの男だ。この男のしゃべり場に巻き込まれてはならない。頭がヘンなんだ。たぶん住所不定無職(62)の電波以上教祖未満の妄言だ。聞いてるだけで感染する。世界を牛耳っているのは実はジューじゃないんだ。とか言い始めるぞ、そのうち。ほらそういえばこの男のくたびれたトレーナーに書いてあるロゴが、カタカムナ文字にそっくりだけどゼンゼン違う手書き文字じゃないか。超古代文明発祥は日本からに決まっているその証拠はな、とか言い始めるぞ、きっと。埋蔵金なんぞ日本中に埋まっとる。俺は埋める現場をこの目で見ているからどこにあるかを指さすのはわけないが、掘り出す金がないだけだ、とか言い始めるぞ。毎週金星でこの地球を防衛する集会が開かれていて、特別におまえをつれていってやろうとか、いい始めるぞ。だから、この場に長居は無用だ。腐っているのはおまえだ。」と思いながら、ブルーシートをずっと人差指でカリカリカリカリと引っかいていた。
「だがおまえが腐っているのはおまえだけのせいでもないから仕方がないことだということは俺には分かっているから安心せい」
男はどんよりとした目で白髪混じりの不精髭の中の干からびた唇を嘗めながらかけた前歯で話しつづける。俺がひっかいているブルーシートがうす、く熱くなってきた。
具体性は皆無だった。この男は目の前に座っているのが誰であっても、同じように口を動かすに違いなかった。にも関わらず、聞かされている俺には、まさに俺自身に向かって語りかけられる俺のための言葉であるかのように感じられるという点で、男の言葉は占いに似ていたし、予言に似ていた。
「もう分かったよ。つまりあんたには何ひとつ分かっちゃないんだってことがね」
男は、この宣告を無視してしゃべり続けている。いや、相手の言葉を受け入れたら、以降、俺を支配することができなくなるから、耳を塞いでいるのに違いない。俺は、この男が自動律で解体する際を看取りたい気分にもなっていた。
「つまりあんたは他人に向かってしゃべり続けている間だけ、存在してるってことなんだ。俺にはそんなあんたの在りようがよく分かる。その擬似的な命の虚しさもね」
男の口調が一瞬淀んだ。俺はさらに言葉を続けた。
「結局、誰もあんたを求めちゃいなかったんだろ。求めているのはあんたなんだ。面会のない施設老人さ。あんたは店を開いた。だが、あんたは客を求めている客そのものなのさ。俺は客としてあんたの話を聞きにきた風だが、実はあんたのお言葉なんぞ聞きたくも無い。これで金をはらったら、あんたが得をするばかりだ。つまりは詐欺だな。双方が等価交換との合意のうえで取引を行う。それが市場なのだから、俺はあんたに対価を要求する。えーと三万円になります」
男はどんよりとした目をむけた。
「心が届かなかったのも無理は無い。心が無かったのだから」
男はそうつぶやき、歯の無い口から舌を伸ばし、干からびた唇をなめた。俺はかっとなって男を蹴り倒し、
「三万円でかんべんしてやるからよこせってんだよ」
と見下ろした。
倒れた男はのろのろと起き上がる。起き上がる様子が醜く腹立たしいのに腹が立つからけり倒す。のっそりと起き上がる。起き上がるたびに尻の下を手のひらで撫でているのに気づく。蹴り倒す。撫でておきる。ひどく蹴り倒す。這いつくばって撫でておきる。どうやら金がそこにあると目星をつける。
「早く金よこせ。三万円でいいっつってんだから。早くしねぇと、上乗せすっぞ」
「そんなに金がすきか」
男がそういって俺を悲しげに見た瞬間に、俺は男の腹を思い切り蹴り倒して、ブルーシートをまくりあげて男にかぶせ、周囲の岩を投げつけて、ひとしきり静かになってから、先ほどまで男の尻があったあたりを掘ってみた。茶筒が出てきたのを別段の感興もなく取り出してふたを開ける。札が何枚か入っているのを抜き取る。5万円札だった。5万円札って。
「せめて、釣りをおいていってくれんか」
いつの間にか男が俺の靴に額を押し付けている。当然俺は男の眉間にトゥーキックをかまし、茶筒ごと持ち帰った。どこで使えるんだよこんな金。と思いながら神社を出て、とりあえずタバコ屋でタバコを買ってみた。さすがに5万円札では大きすぎるので、400円玉でマイルドセブンを買ってみた。100円の釣りがきた。悪くない。じつに悪くない気分で、俺は微妙な勾配が交じり合った路地へ、体をねじ込んでいった。
「市がはねた。神社はいつものように寂びれた。何かを買ったものは、これまでよりも肉の匂いが強くなり、何かを売り払ったものは、少し背が伸びた。全てを譲り渡した男の影はきわめて薄くなり、呼吸は浅くなった。正しさを求めなければならないと刷り込まれた人々は、結局のところ、死を直視することはできない。生とは執着ではない。と示すことは怠惰なのだと、揶揄された。つまり私が伝えたいのは、こういう生命を生きのびさせてくれないこの世界の寂しさなのだ。不器用な者たちが額をつきあわせ、このどうしようもない世界を生きぬくのに必要な知恵や道具を融通しあうことこそが、この市の意義だった。だが、もうそんなものは、誰にも求められてはいないのだと判った。私はまたここではないどこかで市を立てよう」
ブルーシートをかぶって地べたを這いずり回っていた男は、そんな事をぶつぶつとつぶやきながら、120円玉を探していた。神社のはずれにある錆びた崖の階段上にあるヤクルトの自動販売機で、マミーの500ミリリットルブリックパックを買うためだったが、その望みも途絶えたらしく、数分間ブルーシートをかぶってむせび泣いていた。男は近いうちに川へ入るだろう。新天地を信じて。
おかみさんは、若い男を買ったのか、それとも買われたのか。知らないうちに境内から消えていた。私は、住み込む先をなくして結局、家で猫の世話をする日々にもどらなければならないのか。と考えながら、黄色いサリーの男から、辛くないキーマカレーには干しぶどうをいれるべきか否かについてレクチャーされていた。銅鍋には打刻があって、それはヒンドゥの教えにのっとったヨーガの真髄を絵解きした文様なのだといわれていたが、『大特価やすいいよお!!!』というボール紙の謳い文句がイカ物っぽく、逆にそれがインドチックに感じられたりもしたので、4000円を720円にまけてもらって手に入れていた。
取り立てて失踪する気も無く家を出たわりに所持金にはゆとりがあり、肌身離さず持っていたことから結局、気まぐれ旅行の一日となっただけのことではあったけれど。
さて、天気は良いが、風が大変に強い。ブルーシート、あっちこっちでバタバタして、重いものも軽いものも、みんな転げ舞う賑やかな参道を後にして、駅方面へではなく、鉄錆びた護岸の階段をカンカンと下りていく。河原がある。私が知る限りではこれは多摩川上流のはずで、川向こうは武蔵五日市になるはずだ。上流にも下流にもそれぞれ青と赤の巨大な橋が霞んで見えるなと思っていると、空の船がタプタプと流れていった。誰か知った人が船板に突っ伏していたようにも見えたけれども、さしあたり私はこの川をわたるつもりも、下るつもりもなかった。
完
アバンチュール×フリーマーケット