統合失調症/無意識の研究(1. Abstract)
Brain Chatterの原因究明のため精神分析や脳神経科学の勉強を始め、患者Aのケースから無意識(エス)が左右の脳半球に侵入し、言語野から外部に聞こえぬ声で語りかける悪戯と結論しました。
そこで脳が男性的な場合の「エスの妨害モデル」を考案しました。(男性的: 左右の脳半球の同時支配が困難)
意識(自我=E)と無意識(エス=I)により脳半球が片側ずつ支配され、(E,I)か(I,E)の構図となるのです。
(脳の離断手術の結果生まれる「分離脳」は、左右の配置が固定されてしまう特殊なケース)
エスに付け入るスキを与えぬ為にも、身体を動かす作業や運動は欠かせません。
無意識(エス)の拠点は、頭骨の中であり、直接働きかける事が可能です。耳の穴を塞げば、エスが誘発する周囲のイジメを防げます。「自己体罰」として、左右の手で耳の周囲や頬を狙い、少し強めに平手打ち(ビンタ)すれば、エスが委縮します。(目はダメ。強く叩き過ぎて、鼓膜等を損傷しないように!)更に両手を広げ、頭全体を掴み、按摩のつもりで揉んでやれば、エスが驚き、大人しくなるでしょう。
他方、エスは脳内の隣人あるいはペットの様でもあり、平和共存・共栄も必要。毎日、鏡の前で洗顔してケアし、髪の毛も丁寧に解かし、スキンシップを図る事も重要です。
1.問題提起
精神医療は21世紀への転換期を境に、ますます効果的で副作用の少ない向精神薬が開発され、劇的に発展した。しかしその反面、統合失調症が何故発生するのか原因究明の遅れが目立つ嫌いがある。ついてはフロイトの言う無意識(エス)に関し、そろそろタブーや因習を乗り越え、率直な議論を行うべきだろう。
(1)フロイトが『夢解釈』を著したのは1900年であり、ウィーン大学で精神分析入門の講義を行ったのは1915~17年だった。100年以上経過した今日、統合失調症は相変わらず社会を蝕む重要な問題なのに、十分解明されていない。
統合失調症は、無意識(エス)が突然、言語能力を得る為に発生する病気である。原因をドーパミンの機能異常に求める仮説も存在し、有効な薬の開発に結び付いている。しかしそれだけでは幻聴(Brain Chatter)等の本質解明には繋がらず、患者さんも不安に包まれたままだろう。
(2)20世紀の後半には、てんかん発作を抑えるため、左右の脳の離断手術が行われる様になったが、左右の接続を失った脳は「分離脳」と呼ばれ、様々な不思議な現象が観察された。例えば言語表現の機能は、右脳にはなく、左脳だけに見られた。
この様に左右の脳半球の機能を研究したのが米国の神経心理学者R.スペリーであり、1981年にノーベル賞を受賞した。彼の薫陶を受けたM.ガザニガ博士は左右の大脳半球間の連絡及び側性化の研究を行い、分離脳の左右それぞれの脳半球には、相異なる意識が宿り得ることまで示した。それぞれ独自性を有し、異なる宗教観さえ示す場合があるらしい。
またこの様な動きに並行して、脳の各部位の機能を外部から確認出来るMRIが開発され、左右の脳半球の分業に加え、その連携プレー、あるいは男女の脳の使用方法の違いも観察される様になった。
(3)そこで分離脳の2つの脳半球に現れた相異なる意識は、それぞれ自我(意識)とエス(無意識)ではなかろうか。こんな発想で統合失調症の本質に迫れないかと考えをめぐらし、研究を進めた次第である。
素粒子の例えを用いれば、脳を原子核、自我を陽子、エスを中性子、言語能力を(+)の電荷に置換した場合、統合失調症は原子核内で陽子と一緒に収まっていた中性子が、突然(+)電荷を帯びてしまい、陽子と強く反発して「お家騒動」が始まる様なものだろう。
逆に言えば無意識(エス)の存在は、統合失調症患者の場合、言語化するので容易に確認できるが、言語化しない健常者の場合、無意識(エス)の存在には、なかなか気付きにくいだろう。エスの存在に気が付くのは、高齢となり、エスが言語野を含め、脳の様々な部位にアクセスして、いわゆる老人特有の精神病を発症する場合である。
2.エスの研究(不自然な停滞)
エス(無意識)に関し、究明が遅れている理由は次の通りと考えられる。
(1)エスの集合体たる集合的無意識として、第2の意識「エス」の存在が発覚して焦点が当たり、管理の目が届くのを恐れ、あらゆる手段で邪魔したから。具体的には世論操作のため、この分野に「不道徳」、「不信心」等マイナスのイメージを付着させ、更に研究者個々人の脳神経系統に介入、体調不良を起こして邪魔し、研究成果が出ない様に工作していたに違いない。
(2)例えば精神分析に関しては、フロイトが男女の性本能との関連性を強調した結果、不道徳なアプローチとの印象を与え、保守的な層を離反させた。特に医者と患者との間に不適切な関係の成立する温床とも見られ、倫理面の問題を指摘された。女性の人権尊重の観点からも敬遠された可能性があろう。
(3)人間の精神構造の研究を試みるとエスが関心を持ち、集合的無意識の影響下、妨害目的で悪戯を始め、ついには精神異常に至る可能性ありとの恐怖感が広まったから。
(4)効果的な向精神薬が開発されたから。すなわち投薬により精神症状を抑える事ができるならば、それが最も単純・効率的で分かりやすく、対処療法として信頼性が高い。更に多数の患者に少数の医師が対応する場合、最も現実的と見られるから。
(5)統合失調症が100人に一人しか発生しないのならば、そのために悩む必要はなかろう、との発想が潜んでいるから。
(6)神学の問題
(ア)キリスト教世界では、人間は精神と肉体により構成され、死後、肉体は滅んでも精神(魂、soul)は生き残り、生前の行いの良し悪しで、天国か地獄(あるいは煉獄)に行くとの思想があろう。そして古い教会のステンドグラスや絵画では、文盲でも理解できるよう、イエス・キリストの一生と共に、天国や地獄を描写している。
然るに「人間の精神は、自我とエスにより構成されている」と主張すると、神学の問題が発生する可能性があり、そのため精神分析は主流から外れたのかも知れない。人間の精神には統一性がない、と言うのは問題であり、「貴方の言うエスは、結局、悪魔ではないか」との反応が予想される。
しかしそれでは精神医学は停滞するだろう。「エスは悪魔かも知れないので、怖すぎて探究出来ない」と言い続けている限り、統合失調症の本質には迫れないし、患者の疑問に答えられないだろう。エスは暴力に弱い事が判明しており、自己体罰が効くので悪魔とは思えない。
大宗教には「悪魔の言う事を聴いてはならない」との教えがあろう。人は誰でもエスに唆され、誘惑されながら生きざるを得ないが、死後に結果を評価され、天国や地獄に振り分けられるとの思想である。精神・肉体二元論の立場なら、エスの動物性に鑑み肉体の一部と見做せば良いのかも知れない。
(イ)米国スタンフォード大学のR.サポルスキー博士は、宗教について「統合失調症の組織化」として、統合失調症の症状と密接に関係している旨主張している。この様な見方が流行ると、「教祖たちは、精神症状に晒されていただけであり、宗教とは、まやかしである。従って地獄も天国も存在せず、この世で何をやっても、死後に罰を受ける事はない」との思想に結び付きかねない。これでは多くの倫理や道徳の教えは基盤を失うので、無意識を論じる形で統合失調症の本質に迫ろうとするのは、社会的に見て危険すぎる、との視点もあろう。
(ウ)他方、気候変動と天災の頻発、またグローバル化やIT化を背景として社会変化が速くなり、精神病を発症するケースが増えている。反社会的行為や犯罪に結び付く事例も多い。今日の地球規模で逆境の時代を乗り切るには、エス(無意識)の事を良く理解した上、対応ぶりを考える必要があり、そうでないとメンタルヘルスの問題に十分対処出来ないだろう。
この中で、特筆すべきは米国のR.Joseph博士であり、1992年の著作「The Right Brain and the Unconscious(右脳と無意識)」の中で、脳神経系統の臨床事例から無意識の根源を大脳辺縁系に求め、この分野の先駆けと目される。
(7)法律的な問題
更に「人間の精神は、意識と無意識により構成されている」との議論から派生しうる問題として、神学的な、死後の天国・地獄への振り分け問題とも類似する、違法行為の際の責任能力の問題が挙げられよう。
すなわち違法行為の責任を追及された場合に、「これは、自分の無意識(エス)が犯したものであり、本来の自分でない。従って自分の責任ではない」との主張であり、現代で言えば、「重い精神病に罹患しているので、責任能力に大きな限界があり、無罪。あるいは刑が減免されて然るべし」との主張に相当し、人間の精神の二面性を論じる必要もなく、既に正当性のあり得る議論だろう。
しかし「人間の精神は、意識と無意識により構成されている」との認識が一般化した場合、仮に被疑者が重い精神病の患者でなくても、自己弁護のため、次の様な、斬新な議論が出来るかも知れない。
「自分の精神は、意識と無意識により構成されており、二面性があるのは明白。然るに自分の無意識(エス)は、言語化していないかも知れないが、自分の判断や行動・言動に、隠然たる影響を及ぼしている事に変わりはない。従って今回の事件に関し、自分の行動は、自由意志ではなく、無意識(エス)に強いられたものであり、決して責任はない」。
この点についても、あくまで個人の行動による結果責任が問われるので、情状酌量の余地には、個々の事案に即して、判断せざるを得ないだろう。他方、法律家は、精神医学に基づくこの様な斬新な議論には、判例が積み重なり、対処方法が確立されるまでの過渡期に、法的安定性が損なわれるとして、人間の精神の二面性を受け入れる事には、躊躇する可能性があろう。しかし法的安定性を重んずるあまり、精神医学の発展を抑圧・阻害し、停滞をもたらすのは、精神病患者に犠牲を強いる結果となり、人権問題に繋がりかねない。
3.向精神薬
(1)統合失調症を抑える向精神薬は、概ね第2次大戦後に開発されたと見られる。向精神薬には、エスを抑えてストレスを管理する効果があり、中長期的に安定すれば良い筈である。従って処方されている場合、服用を前提とした学校や職場の生活があるので飲み続けるべきだろう。
するとBrain Chatter(幻聴)等の症状が沈静化するだろうが、今度はエスが違う手段で発散して変調をもたらす事があり、一種の副作用である。
(2)処方薬に問題がある場合には、先ず主治医に相談すべきだろう。処方薬を自分でやめる事は全く奨められない。
薬を止めた場合、察知不能な「無声メガホン」が取り敢えず再発し、イジメを誘発する可能性があろう。すると組織の一員として働き続けるのが困難になり、Brain Chatter再発に繋がり得る。
しかし災害で処方薬にアクセスできない、副作用が重い等の理由で継続的に服用困難、または効果不十分な場合、本稿の考え方や実践的な「技」がお役に立てば幸いである。
4.エスの引き起こす疾患・成人病
(1)多くの精神疾患はエスが元凶と思われる。エスが、大脳の言語野にアクセスして発生するのがBrain Chatter(幻聴)、運動野にアクセスした場合に起きるのが(自分の意志と関係なく歩き回り、行動する)解離性障害、また体性感覚野にアクセスした場合に起きるのが神経痛だろう。
(2)ライフサイクル的に捉えるとエスの存在は性機能と密接に関わり、声変わりする10代の思春期が最初のピークとなろう。そして10代後半から人によっては統合失調症等を発症するらしい。
概ね20代で成年期に入り、典型的には結婚、子づくりや子育てを伴うだろう。30代から40代の壮年期になるとストレスも高まり、成人病に気をつけなくてはいけない。
50代に入ると体力の低下が目立つものの社会的責任が増す。ストレス過剰から発散のニーズが高まり、エスが暗躍しがちで性欲過剰等に繋がる。そして55歳を目途に職場引退を促す結果ともなろう。
60歳、還暦の頃にはエスにも死生観が身につくようになり、自分だけ地獄に行かない様にするために「終活」を考えるようになる。すると悪戯に歯止めがかかり、多くの場合「寛解」に至るのだろう。
5.男性患者と調査研究
薬に依存する場合、統合失調症の本質につき考察・研究し、真理に迫る機会は少ないだろう。しかし発生のメカニズムが解明され、ミステリーが失われる事が誤解や偏見・差別を排除し、エスに対抗する上で重要に違いない。
その際、患者本人の経験、パターン認識、洞察や発見等から多くの知見が得られる筈であり、もし生来のBrain Chatterの持ち主がいるならば、彼らが率先して研究を進めるべきとも考えられる。しかし未だに「精神統一がないのは異常」との偏見が残るため、察知されたくない心理が働くのだろう。だから脳科学が目覚ましく進んでも、ブレークスルーが得られないのかも知れない。
以上の問題意識から、忌憚なく話してくれる男性患者Aの協力の下に研究を進めた次第である。本稿は統合失調症に焦点を当てているが、他の精神・神経系統の病気や疾患に対処する上でも御参考になれば幸いである。但し、対象者として男性を想定しているので、女性の場合に適合するとは限らないだろう。
なお統合失調症を発症しても、とにかく薬を飲み続けて還暦の頃まで頑張れば自然と寛解に至るだろうし、それに任せれば良いのではないか。何故この様な記録や分析が必要なのかとの疑問が湧くかも知れないが、何十年も闘病の上、還暦の頃に至らないとエスが悪戯をやめない事が最大の問題だろう。エスの弱点を知り、掣肘し、沈静化させてダメージを最小限に抑え、なるべく若いうちに社会復帰への道を開く必要があるとの問題意識である。
更に精神が一応健全で、幻聴等の露骨な症状のない人を含め、誰でも例外もれなくエス/無意識が内在する。そして時として影響力を行使し、一見「不条理」な選択や行動に追い込み、また多くの成人病や高齢者特有の症状を惹き起こしてしまう。従ってこの際、エスの本質を出来るだけ明白にする事が重要と思われるのである。
6.主な結論
(1)意識と無意識
フロイトは無意識(エス)について提唱するに際し「幼児期から抑圧された体験が累積した結果、大人になってから露わになり、マイナスに働きがちな記憶や感情」との抽象的イメージに留めた。しかしエスは、より正確には頭部に宿り、身体の恒常性を保ち、生殖本能を司る第二の意識である。
健常者にとり、第二の意識とは、俄かに信じ難いだろう。これは複素数の虚数単位、i の様な概念であり、無意識(エス)の概念を用いれば、統合失調症の様々な症状が説明可能となる。エス存在の証は、次の通り。
(a)夢は、睡眠中にエスの演出する脳内映画である。睡眠から覚醒している筈なのに身体が動かない「金縛り」は、エスが脳の運動野へのアクセスを阻む事が原因。
(b)目の前の静止画像が動くかの様に見える「両眼視野闘争」は、迷路など「錯視画像」を見た場合にエスが働き、自我の所在する脳半球が左右に転換するのが原因である。
(c)難しい問題に直面し、考え続けても解決に至らない場合、休み時間を入れて暫く放置すると意外な解決が思い浮かぶケースがある。これはエスの働きによるもので、休憩中にエスが周囲の空気を拾いつつ脳を駆使して解決方法を求め、成果をそれとなく自我に伝えるからだろう。
脳の働きが男性的な場合、随意筋を動かさぬ静止状態では、自我は、視覚情報の多く集まる脳半球に宿る。無意識(エス、Id=I)は、もう片方の脳半球にアクセスし、意識(自我、Ego=E)の左右運動を邪魔するので、双方の脳半球の同時使用が困難となる。
(2)統合失調症
(ア)Brain Chatter(幻聴)を伴う統合失調症は、意識(自我)の左右運動が妨げられる様な脳半球間の連絡不全を伴う疾患であり、分離脳の一歩手前まで追い込まれてしまう。無意識(エス)が原因であり、症状は「起きている時に見る夢」と位置づけられる。
(a)エスは、自我が片方の脳半球に長時間不在な場合、そこに侵入し、言語野にアクセスして悪戯する。
(b)エスは、自我・エスの「上下関係」に対する不満が長年蓄積し、ストレスや鬱屈感が溜まっており、言語化した途端にこれを爆発させるが、この帰結が陽性症状。エスは、自我に悪口を浴びせて動揺させ、甘言しつつ不利益になる事を企み、苦悩と破滅に追い込もうとするが、目的は覇権を確立し、自己実現を図る事。
(c)エスが左右の脳半球内で覇権を確立し、エス主導の生活となった場合、今度はエスが社会の荒波に晒される結果、世間がすっかり怖くなり、人間との関わりを避けようとするが、これが陰性症状。
(d)エスは、自我への依存心が強まる中で、自我が会話や共同作業を通して他人と交流し、人間関係を築く事に嫉妬する。このため自我の注意を独り占めしようとして、意図的に協調性を挫き、他人との交流の邪魔をして孤立状態を招こうとする。
(イ)エスはBrain Chatter等の悪戯により自我が困惑し、周囲の人間や超自然的な存在に原因を求め、怒り興奮するのを面白がる愉快犯である。原因究明が進めばミステリーが消えていくので沈静化に繋がるだろう。
(ウ)治療には、左右の脳半球の連絡を大幅に改善する必要がある。その上で、エスが本来、立ち入ってはならない、前頭葉など脳の特定部位に関し、再び自我の支配下に戻す(失地回復)する必要がある。
(3)集合的無意識(エス集合)
人間の集まる所には、必ずエスの集合体が存在する。その目的は、共同体としての人間社会の安定と安寧、また出産や養育を担う女性や子供を保護し、教育する事。エスの暗躍する精神疾患から早期に立ち直るためには、エス集合の力を借りる必要があろう。
因みに文字以前の時代、知識や経験は、シャーマンの口伝により、高齢世代から若い世代へと継承されたが、その役割を担ったのが、集合的無意識(エス集合)。記憶を補完するために、絵画も使われた。従って時代を遡るほど、エス集合は重要な役割を果たした。
シャーマンとは、おそらく統合失調症の罹患者であり、彼等に、古代から継承される「空気」を察知し、言語化する能力があるとすれば、考古学、歴史学等の分野で、研究者の適性があろう。
7.教育
エスの本質や性格につき、若い頃から(例えば義務教育の保健体育の一環として)「エス教育」を行い「精神的な予防接種」を行う事が重要。
すると不幸にも統合失調症が発生した場合でも、心の準備が出来ているので、大きく混乱し、エスの言動に引きずられる度合いも低まり、対応が楽になろう。(事後的に教育を施そうとしても、エスが邪魔するので、落ち着くまで時間かかるだろう)
統合失調症/無意識の研究(1. Abstract)
(参考文献)
池谷裕二「進化しすぎた脳」(講談社。2007年)
池谷裕二監修「脳と心のしくみ」(新星出版社。2016年)
井上隆二、山下富美代「社会心理学」(ナツメ社。2008年)
岩田誠監修「図解雑学 脳のしくみ」(ナツメ社。1998年); 「脳のすべてがわかる本」(ナツメ社。2011年初版)
坂井建雄・久光正監修「ぜんぶわかる 脳の事典」(成美堂出版。2012年)
渋谷昌三監修。高山清和著「深層心理が分かる本」(日本文芸社。平成11/1999年 第1刷発行)
杉下守弘「右脳と左脳の対話」(青土社。1983年)
立木康介監修「フロイトの精神分析」(日本文芸社。平成18年/2006年第1刷)
角田忠信著「日本人の脳」(大修館書店。1978年初版)
融道男著「図解雑学 心と脳の関係」(ナツメ社。2006年)
八田武志著「左脳・右脳神話の誤解を解く」(化学同人。2013年第1刷)
日野原重明監修「音楽療法入門(上)理論編」(春秋社。1998年初版、2002年改訂版)
水谷仁編集「Newtonムック 脳のしくみ」(ニュートンプレス 2008年)
山中康裕編著「心理学対決! フロイトvsユング」(ナツメ社。2010年)
米山公啓監修「入門 脳の不思議」(宝島社。2014年)
Rita Carter「新・脳と心の地形図」(養老孟司監修。藤井留美訳。原書房。2012年); 「ブレインブック 見える脳」(養老孟司監訳。南江堂。2012年)
M. Corvallis, I. Beale「左と右の心理学」(白井常他共訳。紀伊国屋書店。1978年)
Michael Gazzaniga 「Tales from Both Sides of the Brain」(Harper Collins, 2015)
Irving Gottesman「分裂病の起源」(内沼幸雄、南光進一郎訳。日本評論社。1992年)
Georg Groddeck「エスの本」(岸田秀、山下公子訳。講談社学術文庫。2018年)
Sigmund Freud 「Introductory Lectures on Psychoanalysis」(Penguin Freud Library)
Gregg D. Jacobs 「The Ancestral Mind」 (Penguin Books, 2003)
Julian Jaynes「神々の沈黙」(柴田裕之訳。紀伊国屋書店。2005年)
Rhawn Joseph 「The Right brain and the Unconscious」(Perseus Publishing, 1992)
C. G. Jung 「The Archetypes and the Collective Unconscious」 (Bollingen Series XX, Princeton U. Press, 1969)
Eric R. Kandel et al.(edited)「Principles of Neural Science 4th Edition」(McGraw-Hill, 2000)
Iain McGilchrist 「The Master and his Emissary」(Yale U. Press, 2009)
Silvia Nasar「A Beautiful Mind」(Touchstone, 1998)
Allan & Barbara Pease「話を聞かない男、地図が読めない女」(藤井留美訳。主婦の友社。2000年)
V.S. Ramachandran and S. Blakeslee「脳の中の幽霊」(山下篤子訳。角川書店。1999年初版)
Fredric Schiffer 「Of Two Minds」(Free Press, 1998)