虐殺の朝

虐殺の朝

南船場(みなみせんば)新世帯(あらせたい)をかまへたばかりの中波弘一は、喪服に身をつつみ、タイを締めた。

あかいタクシーに乗ると、車はずぶずぶうなりをあげながら、水たまりのかえるたちをおいはらい、出発した。
午前九時だ。

*

妙子(たえこ)はうつくしい。わたくしはこのような麗人(れいじん)をみたことがない。妙子(たえこ)は我が「闘争」社長の元妻である。それを弘一は膝詰談判(ひざづめだんぱん)にいどみ、愛という誇示で勝り、それをなぜだか(いさぎよ)しとし、妙子(たえこ)の気持ちを確かめて三浦社長は(こころよ)首肯(しゅこう)した。さいしょから離婚するつもりでいたのかもしれない。しかしこんなことがあろうか。社長の妻を(めと)る部下なぞ。しかしわたくしにとっては好都合に、社長夫妻には子どもがいなかった。そしてわたくしは子どもを作る気などないと妙子(たえこ)には前もっていってある。

*

轢死(れきし)した仔猫(こねこ)の肉をあぢまむからすたちに今日の朝の空は似つかわしかつた。紫色は一向に青くは晴れなかった。「死者の日やなァ。」と同僚のつかさが云つた。
死者の日かァ。なればわたくしは人を殺そうか。ひとりでほくそえむわたくしにつかさはひょっとした。
「なあ清水、人を殺していいと思うか。」
「ふがあ。そんなこと考えてたんか。」つかさは珈琲(コーヒー)をくいと飲んだ。
「まじめにきいとんや。」
「ええんちゃうべつに。おれはせえへんけど。」
「あいかわらずやな。」
わたくしは裡にひめたる残虐性をもっている。サイコパスだ。ふつうに接していても、そんなこと気づかない。殺人の報道をみれば、
「レイプ殺人だと、かわいそうに! この犯人死刑や。」とテレビに突っ込んでいた。それは建前というやつだ。
じっさいはなんとも思わない。わたくしは、冷酷な男なのだろうか。

*

あくる日。午前九時半。家にある包丁では物足りなかった。もっと切先(きっさり)鋭利(えいり)なものが要る。そうだ、冴橋(さえばし)に借りよう。やつは道具商人だ。車で二十分くらいかけて冴橋(さえばし)の自邸に到着した。冴橋(さえばし)は寝起きで、いらいらしていた。わたくしはおちつかずに理由を説明した。彼もサイコパスだ。わたくしの話を聞くと、彼は昂奮をやめられなかった。
「おれはやらへん。けど、やってくれ、楽しみにしてんで。」と刃渡(はわたり)三十センチの包丁をてわたした冴橋(さえばし)の笑顔は、むじゃきな子どものようだった。

*

わたくしは交差点へ出た。立ち止まり、重々しい頭を一発殴り、巨大な包丁をとりだし、
「アーツ」
と叫びながら走り出した。そしてずぶすぶ刺し殺していった。阿鼻叫喚(あびきょうかん)、地獄絵図……。
「おれにからみつくな。」わたくしはもう死んでいた。死ぬ前の最期のことばだ。冴橋(さえばし)? 誰だそれは。

わたくしはわたくしに殺された、だけだろう。


虐殺の朝

虐殺の朝

  • 小説
  • 掌編
  • サスペンス
  • 青年向け
更新日
登録日
2012-08-06

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