虐殺の朝
南船場に新世帯をかまへたばかりの中波弘一は、喪服に身をつつみ、タイを締めた。
あかいタクシーに乗ると、車はずぶずぶうなりをあげながら、水たまりのかえるたちをおいはらい、出発した。
午前九時だ。
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妙子はうつくしい。わたくしはこのような麗人をみたことがない。妙子は我が「闘争」社長の元妻である。それを弘一は膝詰談判にいどみ、愛という誇示で勝り、それをなぜだか潔しとし、妙子の気持ちを確かめて三浦社長は快く首肯した。さいしょから離婚するつもりでいたのかもしれない。しかしこんなことがあろうか。社長の妻を娶る部下なぞ。しかしわたくしにとっては好都合に、社長夫妻には子どもがいなかった。そしてわたくしは子どもを作る気などないと妙子には前もっていってある。
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轢死した仔猫の肉をあぢまむからすたちに今日の朝の空は似つかわしかつた。紫色は一向に青くは晴れなかった。「死者の日やなァ。」と同僚のつかさが云つた。
死者の日かァ。なればわたくしは人を殺そうか。ひとりでほくそえむわたくしにつかさはひょっとした。
「なあ清水、人を殺していいと思うか。」
「ふがあ。そんなこと考えてたんか。」つかさは珈琲をくいと飲んだ。
「まじめにきいとんや。」
「ええんちゃうべつに。おれはせえへんけど。」
「あいかわらずやな。」
わたくしは裡にひめたる残虐性をもっている。サイコパスだ。ふつうに接していても、そんなこと気づかない。殺人の報道をみれば、
「レイプ殺人だと、かわいそうに! この犯人死刑や。」とテレビに突っ込んでいた。それは建前というやつだ。
じっさいはなんとも思わない。わたくしは、冷酷な男なのだろうか。
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あくる日。午前九時半。家にある包丁では物足りなかった。もっと切先の鋭利なものが要る。そうだ、冴橋に借りよう。やつは道具商人だ。車で二十分くらいかけて冴橋の自邸に到着した。冴橋は寝起きで、いらいらしていた。わたくしはおちつかずに理由を説明した。彼もサイコパスだ。わたくしの話を聞くと、彼は昂奮をやめられなかった。
「おれはやらへん。けど、やってくれ、楽しみにしてんで。」と刃渡三十センチの包丁をてわたした冴橋の笑顔は、むじゃきな子どものようだった。
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わたくしは交差点へ出た。立ち止まり、重々しい頭を一発殴り、巨大な包丁をとりだし、
「アーツ」
と叫びながら走り出した。そしてずぶすぶ刺し殺していった。阿鼻叫喚、地獄絵図……。
「おれにからみつくな。」わたくしはもう死んでいた。死ぬ前の最期のことばだ。冴橋? 誰だそれは。
わたくしはわたくしに殺された、だけだろう。
了
虐殺の朝