騎士物語 第五話 ~夜の国~
第一章 エクストラステージ
セイリオス学院の職員室の一角。臨時に置かれた机の上に積まれた大量の手紙を見た私は、その手紙を仕分けしているライラックに話しかけた。
「毎回こんなに来るのか?」
「ああ、こんなもんだ。」
手慣れた感じで仕分けるライラックは郵便局員にでもなればいいと思うが……しかしこんなに来るとは想像以上だ。
セイリオス学院はこの国、フェルブランド王国で一番の騎士の学校。そこで年二回行われる生徒同士のトーナメント戦――通称ランク戦が先日開催され、でもって無事に終わった。
一般の人も観戦可能な為、次世代の騎士を発掘すべく、騎士団の団長とか軍の隊長とかも観にくる。そうしてこれはと思う学生を見つけたら手紙を送ったりなんかして勧誘する。要するにツバをつけていくわけだ。
「これは学年ごとに分けてるのか? だいぶ量に差があるが。」
「そりゃ三年宛てが一番多いさ。特に今年はソグディアナイトがいるから余計にな。」
「二年と一年にもこんなに……気が早いな、おい。」
「いい人材はどこも欲しいんだろ。それでも今年の一年の分は少ないんだぜ?」
「なんで。」
「基本的に優勝した奴に手紙がたんまり来るんだが、今年の一年はあれだったろ?」
「ああ……あれでも王族だからな。普通に勧誘していいもんか微妙ってわけか。でもそれならサードニクス宛てが多かったんじゃないか?」
「《オウガスト》が弟子って公言してるんだぜ? 今まで弟子を持たなかったあの男が。こっちもこっちで手を出しづらいだろ。結局一年だとレオノチス宛てが一番多い。」
「なるほどな……ちょっと見せてもらうぞ。」
ライラックが仕分けた一年の束を眺める。私が担任じゃないレオノチスはとりあえず置いておいて、自分のクラスの生徒にどこの連中が声をかけてるのかが気になったんだが……レオノチスを除くと数えるほどしかない。
「まぁ、こんなもんだよなぁ……くそ、なんか悔しいぞ。」
「すっかり先生だな、お前。」
ムカツク顔で笑うライラックにデコピンをかましたところで、私は一年の束に混じる少し空気の違う封筒を見つけた。黒の地に白い文字というあんまり縁起のよくないその封筒は……
「!? おいおいなんだこりゃ!」
「どした?」
「どした? じゃねーだろ! これ見てなんも思わなかったのか!?」
「あー……仕分けしてると段々と機械的になってくんだよ……うわ、なんだその気味悪い手紙。」
「見つけた時にそう思えよ……この国から手紙ってよく来るのか?」
「来るわけねーだろ。我が国に騎士は不要って言ってる国だぞ。」
「だよな……」
どう考えても配達ミスな手紙なんだが、宛先はここの生徒……間違いではない。
「ったく、退屈させねぇなぁ……」
私はその手紙を私のクラスの出席簿に挟み、ライラックに背を向けた。
「あん? どこ行くんだ? まだ教室には誰も来てねーぞ。」
「馬鹿、先に学院長に見せんだよ。」
ランク戦の余韻もあってか、なんとなくテンションが高くて朝早くから学院に来てしまった私だったが……まさかこんなイベントが待っているとは。
……つーかライラックのやつ、こんな朝早くから学院にいるのか?
「えーっと……ど、どうしよう……」
ランク戦が終了し、次の日が休息日って事でお休みになって……今日はその次の日。昨日たっぷりとなんとも言えないドギマギした時間をエリルと過ごした結果、今日はなんとかいつも通りを装ってエリルを起こし、昨日よりはマシなドギマギ感でジャージに着替えて寮の庭に出たオレとエリルは、そこで待っていた『ビックリ箱騎士団』の面々にビックリした。
「人は多い方がそりゃあ有意義な朝の鍛錬になるし、オレが誘ったってのもあるけど……改めて見ると人数多いな……」
庭にいるのはオレたちも含めて六人。オレとエリルとローゼルさんとティアナとリリーちゃんとアンジュだ。
「? そんなに大した人数ではないだろう?」
「いやぁ……オ、オレは別に先生の免許持ってるとかじゃないから……ちゃんと教えられるかどうか……あーそうだ。というかエリルとローゼルさんにはほとんど教え切っちゃったし、二人に先生をやってもらえばいいのか。」
「うむ。それにロイドくんからの教えを受けるだけがこの鍛錬ではないからな。軽くやる模擬戦の効果も高い。」
「も、模擬戦って事は……せ、先生の許可とか……い、いらないのかな……」
「確認済みだ。先生が介入するのはかなり真剣な時のみであって、わたしたちがやっているようなレベルならば問題はないそうだ。」
「それはいーけどさー。人数多いとけっこーうるさくなるよー? めーわくって言われるかもしれないねー。」
初めて見るジャージ姿のアンジュは、特にろ、露出の多い特性ジャージってわけでもないからあんまりドキドキしないで見られるな……
「アンジュの『ヒートボム』は爆弾だもんね……」
「あー、ロイド、今あたしの事うるさいって言ったー?」
「えぇ!? いや、そんなつもりはないです!」
「大丈夫だよロイくん! これ持ってきたから!」
そう言ってリリーちゃんは寮の壁に何かを貼りつけた。
「これを貼るとね、この壁を境にしてこっちとあっちの音の行き来を遮断するんだよ。」
「???」
「ほう。つまり、庭でどれだけドンパチやろうと、この壁の向こう側であるところの寮の中には音が聞こえないという事か。」
「すごいな! これもマジックアイテムなのか……ありがとう、リリーちゃん。」
「お代はもらうよ?」
「えぇ!?」
「そうだなー。熱いチューとかがいーなー。」
「ぶえぇ!?」
「あ、朝から何言ってんのよ!」
「今度のデートの時でいーからさ。ねーロイくん。」
「えぇっと――あの――そ、そうだ! 一つ提案があったんだよ、うん!」
「んふふー。ロイくんてば照れちゃってー。」
「……それで、どうしたのだ?」
「う、うん。で、できればこの朝の鍛錬の場に――カラードを呼びたいなって。」
「『リミテッドヒーロー』を? なんでまた。」
「その、オレが教えてきたのってフィリウスから教わった――避けたりかわしたりっていうどっちかって言うと防御系の体術なんだよ。 だから攻撃系のも学べたらいいなって。」
「カラード・レオノチスの体術がそうだったという事か?」
「カラードは、オレだったら避けるって形で対応する攻撃に自分の攻撃をぶつけて防いでた。勿論回避もしてたけど、カラードはどっちかと言うと攻めの体術なんだよ。」
「ふむ。確かに彼の体術のレベルの高さは飛び抜けている。ロイドくんと戦うまでそれのみで魔法を駆使する他の生徒に勝利してきたわけだからな。この朝の鍛錬に参加してくれるのというのであれば嬉しい事だが……少々難しいかもしれないな。」
そう言ってローゼルさんは寮を指差した。
「ロイドくん、忘れているかもしれないがここは女子寮だ。ロイドくんが特に何も言われないのはロイドくんが見事に人畜無害であり、《オウガスト》の弟子だったり、その他諸々の実績があったりで信頼を得ているからだ。いざ他の男子を――という話になると色々とな。」
「そっか……んまぁ、一応頼んでみるよ。」
そういえば夏休みの後すぐにランク戦だったから、考えてみるとだいぶ久しぶりの朝の鍛錬を終えたオレたちは、それぞれにシャワーを浴びてさっぱりした顔で学食に向かった。
「なーんかすごく健康的だねー。」
「朝ごはんも美味しく食べられるしね。」
「でもあたし、ちょっと朝が弱いからなー。気分的にはもーちょっと寝てたいかも。」
ジャージ姿からいつもの……あの格好になっているアンジュはくいっと首を傾げてニンマリ笑う。
「ロイドが起こしに来てくれたらすぐに起きるんだけどなー。」
「えぇ? 別にいいけど、アンジュのルームメイトの人がなんていうか……」
「別にいいのか!?」
予想外になんでか驚くローゼルさん。
「?? うん……」
「ば、馬鹿言うんじゃないわよ、バカロイド!」
「えぇ?」
「だ、だって……えっと……ほ、ほら! あ、あんたみんなが寝てる中、女子寮をうろうろ歩くわけ!?」
「う……言われてみればそうだな……なんというか……やっちゃダメな気がする……」
「そ、そうよ!」
こっちもなんでかちょっと慌てるエリルがわたわたするのを、ローゼルさんがひんやりとした目で見ていた。
「エリルくん…………」
「な、なによ! ま、間違ってないでしょ!」
「……全く、こ、恋人になった途端にこれだからな……」
「う、うるさいわね!」
「こいび…………! あー……そ、そうか……ご、ごめんエリル。」
「な!?」
「オ、オレが起こすのはエ、エリルだけに……する……から……」
「ば!?」
オレがものすごく恥ずかしくなるのと同時にエリルも赤くなってい――
「んもーロイくんてば!!」
「ぎゃわ!」
リリーちゃんに飛びつかれたオレは変な声が出た。
「あまり見せつけられるとこちらも実力行使に出ざるを得なくなるぞ、ロイドくん。」
「ふぁい! ふみまへん!」
あ、朝からなんかアレな感じだったけどなんとか無事に朝ごはんを食べて今は教室。いちいち馬鹿正直なバカロイドはホントに心臓に悪い。鈍感もいいとこだったクセにいざ分かったらこうなんだから始末に負えないわ。
ま、まぁ……嫌じゃ……ないんだけど。
「あー、お前らおはよう……」
ツカツカといつもの教師スタイルで教室に入って来た先生は少しテンションが低い感じだった。
「やれやれ。ランク戦の後の処理があんなに面倒だったとはな。さて、疲れもまだ残ってるのにもう授業かよって思ってる奴には朗報だ。今日の午前はガイダンスで終わる。」
いつも以上にやる気のなかった顔が一変、ランク戦が始まった時の楽しそうな顔にコロッと変わった先生は黒板にABCって書いた。
「お待ちかね! ランクの発表だ!」
ランク……要するに、ランク戦の結果発表。あたしたちはランク戦の結果でA、B、Cのどれかに振り分けられて、これから先、いくつかの授業はそのランクで分かれる事になる。
「言っとくが一人一人にお前は何ランクなんていうお手紙はまわさないからな。教える事は一つだけ――ランクの境目だ! まずはBとC!」
BとCの横に数字を書き足す先生。
「つーことで、四回戦に進めた奴はB! 三回戦で負けた奴はCだ! 続いてAとB!」
チョークの音が妙にリズミカルなテンションの高い先生。
「六回戦――つまりは準々決勝に進めた奴はAだ!」
一気にざわつくクラス。自分がどこまで進めたかなんて誰もが覚えてるわけで、喜ぶ人と落ち込む人がそれぞれの声をあげた。
あたしたちの場合は……とりあえず『ビックリ箱騎士団』は全員Aランクね。ていうか……つまり一年生のAランクってあたしたちにアンジュとカラードとカルクをくっつけた八人ってことになるわね……
「んで、ここからは各ランクに分かれて説明を受ける。集合場所を言うからそこに移動しろよー。」
というわけで、あたしたちはよく実戦の授業をやる校庭に出た。
「……ま、誰でも予想できることだが、上のランクほど人数が少ない。Cランクなんかは先生が十人以上つくが、お前らには私だけだ。」
たぶんこの学院で一番強い先生の先生がAランクの担当なのは納得ね。
「おお……あのルビル・アドニスの授業を受けられるとは嬉しい――っと、失礼。先生を呼び捨てに……なんと呼べばいいでしょうか。」
「? 普通に先生でいい。逆に変に教官とか呼んだら雷落とすからな。」
「気を付けます。」
「うれしそうだな、カラード。」
「ロイドは十二騎士のトーナメント戦を観た事ないのか? 毎年すごいのだぞ?」
「ああ、毎年あの老いぼれに負けてる私はすごいだろうな。」
ローゼルみたいな意地の悪い顔でそう言った先生は、ふと真面目な顔になる。
「あー……正直お前らに何を教えていこうかってまだ色々迷ってる。が、とりあえずはやっておかなきゃならん事があるからそれをやるぞ。」
「おお! それは一体!」
「レオノチスには悪いが、対象はサードニクスとクォーツだ。」
「あたしとロイド?」
「本来なら優勝した奴にやることだが……今回はじゃんけんだったからな。だから二人にやる。」
「えぇ……」
「そんな嫌そうな顔するな、サードニクス。お前らにはただ――負けてもらうだけだ。」
「え、負け? どういう事ですか?」
「ソグディアナイトも言ってただろ? 力いっぱい負けろって。お前らには知って欲しいのさ……このセイリオスの一年の中で最強みたい位置づけになろうとも、今のお前らじゃ手も足も出ない格上がいるんだって事をな。」
「そんなの知ってるわよ……先生とか十二騎士とか。」
「学生が元国王軍指導教官の私や《ディセンバ》とかに勝てないのは当たり前だ。そうじゃなくて、もっと近い所にもいるって話だ。」
「! もしかしてデルフさんとか!?」
「あー……それも考えたんだが……それよりはもっと効果の高い戦いを提供してやろうと思ってな。ずばり、お前らにとって相性最悪の奴と戦ってもらう。」
「な、なるほ――あ、もしかしてあの人たちですか?」
誰かを見つけてロイドが指差した方向を見ると、校庭の端っこからあたしたち方に歩いてくる二人の男がいた。もしかして現役の騎士とかなのかし――
「あぁ? 誰だあれ。」
「え、違うんですか?」
「違う。教師にもあんなのはいないしな。おーい! 誰だお前ら!」
「少し待ちたまえよ!」
少し離れた所から聞こえた……何かしら。妙にカンに障る声――っていうか口調で返事をした男はたっぷり時間をかけてあたしたちの前までやってきた。
「やれやれまったく、移動用の馬車がないとは……いや、騎士の学院にそこまでは望み過ぎというモノか?」
色合いがゴテゴテしてて目が痛くなる組み合わせの、だけどもパリッとしてて一つ一つはたぶん高級な服を着てる薄紫色の髪をした変な男は、両手を背中に回して後ろにコホンと咳ばらいをした。
「私はこういう者だ。」
と、そう言って男が指差したのは上着の胸ポケットのあたりにくっついてる紋章。あれって確か七大貴族の――
「そうか、お前の名前はワッペンか。それで一体何の用だワッペン。」
「なに!? まさかこれの意味が分からんと言うのか!? 貴様はルビル・アドニスだろう!? 国王軍の指導教官がこのような無知だったとはな! 毎年負け犬になるのも納得だ!」
……魔法の気配とか、そういうのをあたしは結構感じやすいんだけど……変な男の発言で先生の周囲に静電気が起きたみたいなパチッていう感覚っていうか雰囲気がした。
「これは誇り高きムイレーフ家の紋章! そう、何を隠そう私は――いや、そもそも私の事は知っておくべきだろうに……」
「はいはい。で、七大貴族のムイレーフ家のもんが何の用だ? 今は授業中だから話なら後にして欲しいんだが。」
「馬鹿を言うな。わざわざ時間を作ってやってきたのは私の方。私の用が優先されて然るべきだ。」
口調は荒っぽいけど短気ってわけでもないし、実際怒ったところを見た事ない先生が明らかに怒ってる感じの表情にじわじわと変わっていくのをガン無視で、変な男は……何でかあたしの方を見た。
「まさか本当に騎士をやっているとは……先が思いやられますな、エリル姫。」
偉そうにしてたそいつは、そこで初めて……ちょっとだけ頭を下げてこんな事を言った。
「お初にお目にかかります。私はピエール・ムイレーフ。あなたの夫となる男でございます。」
「……は?」
夫? 何よそれ。
「おや……もしや聞いていない? いや、そんなはずは……」
変な男はピンと背筋を伸ばしてあごに手を当てる。
「クォーツ王家と我がムイレーフ。互いの更なる繁栄の為に私とあなたは結ばれるのです。」
「そんなの聞いてないわ。」
「ああ……もしやカメリア姫のいたずらですかな。あの方はとてもユーモアな方だ。あなたを驚かせようと黙っていたのでしょう。」
「時と場所は間違えないわ。こんな事、お姉ちゃんがあたしに言わないわけがな――」
そういえば……夏休みが終わった時、お姉ちゃんが言ってたわね。間に合わなかったら変な奴があたしのとこに来るかもしれないって……ついでに言うと無視していいって。
「情報が上手に伝わっていなかったようですが、しかしこれは事実。あなたは私の妻となるのです! どうですかな? 私のような美しき者が夫――もう少し喜ばれては?」
そっか……たぶんこういう話があたしの知らないとこであって、でもそれをお姉ちゃんが何とかしてくれてて……それが間に合わなかったらこの変な男が来るって事だったのね。
……それにしても、自分で言うのもなんだけど……今のあたしはすごく落ち着いてる。きっと前のあたしだったらショックだったりなんなりでもうちょっと頭の中がざわざわしたと思う。
だけど今のあたしはそうなってない。そんなに王族って事にこだわってないのと……なによりあたしにはこ、恋人がいるから……きっといざとなったら全部無視しちゃえばいいわって考えが頭のどっかにあるのね。
ていうかそうよ恋人! ロ、ロイドはこの話どう思って……
「へぇ。やっぱり王族ってそういうのがあるのか。」
……ムカツクくらいにいつも通りの顔でいつも通りに驚いてた。
何よ! も、もうちょっとこう――あってもいいんじゃないの!?
「ふふふ、私の美しさに声も出ませんか。それもそのはず、ムイレーフの歴史において私は最も美しい男子との事ですからな! ……ただまぁしかし……」
あごに手を当てたまま、変な男は片目であたしをじっと見てこう言った。
「欲を言えばもう少しグラマラスな方が好みなのですが……まぁ、良しとしましょうか。」
胸や脚の辺りを通った視線にあたしは――ロイドにするのとは全然違う感情でカッと顔が熱くなった。
たぶん、そのままだったらその変な男を引っぱたいたり文句を言ったりしたんだと思う。
だけどそうはならなかった。
「ぐぼあっ!?」
まぬけな声をあげて変な男が宙を舞う。この学院の生徒なら受け身の一つもとったんだろうけど、どう見たって素人のそいつはすごくダサい感じにビダーンって倒れた。
「い、痛い! 私のあご――歯が! ど、どういうつもりだ! 何をしたかわかっているのか貴様!」
口から血を流しながら半べそでほっぺを押さえる変な男が睨みつける、グッと拳を握ったそいつは――これまたあんまり聞かない怒った口調でこう言った。
「人の彼女をやらしい目で見るな、破廉恥男。」
ほんの数秒前までいつも通りの顔してたクセに、変な男を殴り飛ばしたロイドは割と真剣に怒ってた……
……え、ちょ、なによそれ……これってつまりあたしの為に……
「か――彼女だぁ!? 馬鹿を言うな! どこの騎士の家の者か知らぬが、騎士如きが王族と付き合うなど、どこの恋愛小説だ愚か者め! 分をわきまえろ! おいアドニス、なんだこいつは! 貴様はこんな生徒を育て――」
変な男が文句を言おうと先生の方を向いたんだけど、先生は膨らんだほっぺを頑張って隠しながら大爆笑してた。
「ぶはははははっ! ひ、ひぃいぁあっはっはっはっは!」
「な、なにを笑っている! きさ、貴様の責任でもあるのだぞ!」
泣きながら怒る変な男を前にして大笑いする先生は、そうしながらも槍を取り出して……地面に転がる変な男の耳の真横にそれを突き立てた。
「ひぃっ!!」
「ぶくくく……ひ、ひぃひぃ……ふぅ……あー、ピエールっつったか? たまにいるよな、お前みたいな阿呆。」
「あ、あほだと!」
「どうせお前、騎士は貴族とかを守る連中って思ってんだろ?」
「今更何を! それが貴様らの義務であろうが!」
「そういう機会が多いってだけで、別に騎士は王族や貴族を守る事が仕事じゃないんだよ。頼まれても、それを受けるかはその騎士次第。あくまで騎士は、自分が守りたいと思ったモンを守る。」
笑いがおさまってきた先生は変な男を見ながら、ビシッとロイドを指差した。
「今お前は、見習いとはいえそこに立つ一人の騎士の守りたいモンを傷つけた。お前にとっちゃどうでもいい事かもしれないが、そいつにとっちゃお前の行動は万死に値する。この場で首をはねとばされても文句を言えないんだぞ?」
「首!? 馬鹿を言うな! そんな事が許されるわけがな――」
「何故だ? 国王軍に所属する騎士はこの国を守る為に敵対する者を躊躇なく殺すし、お前らお偉いさんらだってそう命じるだろ? それと何が違う。騎士ってのはそういうモンだ。おい。」
先生はふと顔をあげて、この変な男と一緒にこの場に現れたんだけど一言もしゃべらないからいる事も忘れかけてたもう一人の男に話しかける。
「お前も腹が立ってるのはわかるが、一応今、お前の仕事はこの阿呆の護衛だろ? 次は殴られる前に守ってやれよ。」
「は! まだまだ未熟でありました! 精進いたします、教官殿!」
「よろしい。んじゃこの気絶した阿呆を連れ帰ってくれ。」
「お、おい! 私は気絶などしてな――」
言い終わる前に、先生の拳が変な男のお腹に突き刺さった。
「ご迷惑をおかけしました! 失礼いたします!」
こうして、護衛だったらしいもう一人の男にかつがれて変な男は帰って行った。
「さて……」
嵐みたいなほんの五分くらいのドタバタを終えてため息をついた先生は、くるっと振り返ってロイドの頭にチョップした。
「あう。」
「このバカ。守るモンに熱くなれる騎士は好きだが、タイミングを間違えるな。以後、ああいう輩は私に任せろ。」
「は、はい。すみませんでした。」
「ったく、怒ると怖いのは師匠ゆずりか? それにお前その手、見せてみろ。普段やらないパンチなんてやりやがって、痛めるぞ?」
「はあ……」
「ったく……よし、大丈夫そうだな。んま、それはともかく……」
真面目に生徒を注意する顔から、ニヘラっと腹の立つ顔になる先生。
「お前ら、やっとくっついたんだな。」
「――! え、えぇっと……」
「『人の彼女に――』とか! ええ? 見せつけやがってこの!」
「あう。」
「しかしそうならもうちょっと早く怒ってもよかったんじゃないか? あの阿呆がクォーツのそういう相手ってわかった時点で。」
「い、いやぁ……だってエリルは王族ですし……そういう話の一つや二つはあるだろうって覚悟はしてたので……はい。」
「覚悟してたってあんなにいつも通りってのはどういうこった。」
「それは……例えそうでもオレはオレの使える全部を使ってなんとかするって決めたので……」
「ほう。色んな女と遊んでる筋肉ダルマからこんな弟子が出来上がるとはな。よし、そうなったらお前の使えるモノの中に私も加えておいていいぞ。面白そうだ。」
「は、はぁ。」
「な、なにを話してんのよ!」
あまりにもあたしを置いてけぼりに会話してたから思わず叫んだあたし。変な男に対して熱くなった顔はもう、ロイドに対する――いつもの感情での熱さになってた。
「よかったな、クォーツ。しかしとりあえずはあの阿呆だな。どうやって破談にする?」
「だ、だからあんな話聞いた事ないって言ってるでしょ!」
「一応カメリア様に確認とっとけよ?」
「とるわよ!」
「あー、ロ、ロイドくん。」
「え、あ、はい。」
「一先ず今はまぁエリルくんだろうが……そ、そうだな。わたしが変な男に変な風に見られたら、ああやって怒ってくれるか?」
「えぇ? いや、そりゃまぁ……」
「オレのローゼルにーって怒ってくれるか?」
「えぇ!? い、いやそれは……」
「心配するな。『オレの友達のローゼルさん』を略してオレのローゼルだ。」
「何言わせようとしてんのよ!」
「ロイくんボクも! オレのリリーって!」
「そ、そもそもオレのエリルとも言ってないんだけど……」
「ロ、ロイドくんってああいうことも……言うんだね……か、カッコイイね……」
「意外だねー。やるときはやる男って事だよねー。」
「にゃあ……ねぇねぇ、あたしたちは完全に蚊帳の外なんだけどどうすればいいのかな、カラードちゃん。」
「……ちゃん付けで呼ばれたのは初めてだぞ、カルクさん。なに、単純に一人の騎士が正義を貫いただけの事だ。」
先生も混じって変な男が持ち込んだ話題で盛り上がるあたしたち。そこに――
「あ、あのぅ……」
あたしたち以外の誰かの声がぼそっと聞こえた。見ると、いつの間にかすぐ近くにまたもや二人の人が立ってた。ただし、今度は男女のペアで二人とも武器を持ってる。
「あ、すまんすまん。そう、こっちがサードニクスとクォーツに戦ってもらう相手だ。お前ら、後輩に挨拶してやってくれ。」
先生が促すと、まずは女性の方がスッと一歩前に出た。
「わ、私はオリアナ・エーデルワイス。国王軍所属の騎士で階級はスローンです。」
イマイチ状況がわかってないけど先生に呼ばれたから来た……みたいな顔でその女騎士は自己紹介した。ピンク色の長い髪で結構美人。鎧を着てるんだけど《ディセンバ》みたいに……や、やらしい感じにはなってないちゃんとした格好。加えて黒いマントとランスときてるから、正に正統派女騎士――みたいな感じ。
「……スローン……?」
さっきまでの恥ずかしい会話なんてなかったみたいにいつも通りのすっとぼけ顔をあたしに向けるロイド。
「……中級騎士の事よ。ついでに言うと下級はドルムで上級はセラーム。前に教えたわよね……」
「……そうだっけか……」
「サードニクス……私は先生として悲しいぞ。んで、もう一人。」
そう言われて前に出たのは男性の方。
「拙者、ナンテン・マルメロと申す者でござる。同じく、拙者も国王軍所属でスローンでござる。」
真面目に騎士の格好だったエーデルワイスの後だから、余計にうさんくさく感じた。
へんちくりんなしゃべり方をしたその男はデンと突き出たリーゼントを頭に乗せ、どっかの国で一般的らしい……和服だったかしら? 確かそんな名前の服を着てる。武器はかなり細い剣……って言うよりは刀かしら。これも確か和服の国で一般的な武器だったわね。
結構な美形……だと思うんだけど、その他のせいで総崩れになってる残念な男だった。
っていうか、国王軍なのにこんな変な格好でいいのかしら……
「自分で言ってたが、二人とも現役で国王軍所属の中級騎士。魔法生物の討伐の時なんかは小隊の隊長を務めるような立ち位置だ。でもって、エーデルワイスはサードニクスの、マルメロはクォーツの……現段階、相性最悪の相手だ。」
「げ、現役の騎士と戦うんですか……オレたち。」
「そうだ。ま、詳しいことはやりながら説明する。まずはサードニクスから行くぞ、準備しろ。」
先生に促され、オレはみんなが見守る中でエーデルワイスさんと対峙した。
「《オウガスト》殿のお弟子さんと手合せできるとは嬉しい限りです。よろしくお願いします。」
「い、いやぁ……こちらこそです……」
ニッコリ笑うエーデルワイスさんは雰囲気的に優等生モードのローゼルさんに似ていて、オレの中にある女性騎士っていうのそのまんまな凛とした感じだ。
い、いや、ローゼルさんが普段は凛としてないって意味ではないけど……
「あー、先にネタばらしするが……悪いなエーデルワイス。お前は余裕で勝てるぞ。」
「え?」
驚いた顔を先生に向けるエーデルワイスさん。
「でもってサードニクス。」
「は、はい。」
「さっきも言ったが、そいつは今のお前にとって相性最悪の相手だ。冗談抜きで……お前はそいつにかすり傷の一つも与えられない。」
「!」
相性最悪……最近だとローゼルさんとアンジュの試合がそういう戦いだった。でも第八系統の風魔法と相性が悪いのってなんだ?
「んじゃ始めるぞ。サードニクスは曲芸剣術を準備しろ。それも全力全開のな。」
「えぇ? それは……なんというかずるい感じが……」
「心配ない。どうしたって今のお前は勝てないからな。ほら、早くしろ。」
言われるがまま、オレはプリオルからもらった剣を放り投げて手を叩く。
カラードとの試合の時はそうだった事も知らずに発動した魔眼の力でたくさん使えるようになったけど、オレ本来の今の全力はやっぱり二十本。
「ふ。」
フィリウスからもらった二本の剣を回し、イメロから生み出される風のマナを使って風を起こし、二十本の剣を回す。らせんの力が加わった事で、手間のかかる曲芸剣術の構えの状態にはすぐになれるようになった。
んまぁ、それでも先生とかからしたら充分に隙だらけなんだろうけど。
「これは……」
オレの構えを見てエーデルワイスさんがぼそりと呟く。驚いてはいるんだけど……警戒する意味での驚きではなくて、予想外のモノを見たような顔だった。
「よし。んじゃサードニクス、特に合図は出さないからお前から攻撃しろ。もちろん、全力全開全速力でな。」
「えぇ? それもなんだか……」
「いいからやってみろ。」
ランスを構えてもいないエーデルワイスさんにそんな不意打ちみたいなの――と思ったのだけど、エーデルワイスさんは驚きの顔をキリッと引き締まった顔に変えていた。まさに、臨戦態勢の騎士の顔だ。
そうだ。そもそも相手は現役の、しかも中級騎士。対してオレは騎士の卵。胸を借りるつもりで挑まないと。
「……わかりました。」
風をイメージ。回転、回転、回転。らせん、竜巻、最大風速。
オレが使う魔法は呪文とかが必要になるような複雑なモノじゃない、ただの風。だけどそこに七年間の修行で磨がかれた回転のイメージを重ねる事で、自在に操れる上にパワーのある強風になる。
そんな風の、今のオレができる全速力……
「行きます!」
直後、背後に吹っ飛ぶ風景。オレ自身は背後にまわり、他の剣は全方位から、全速力の剣戟を浴びせ――
「!?」
え……あれ?
「?? な、なにをしているのだ、ロイドくん。」
ローゼルさんの戸惑い混じりの声が聞こえる。それもそのはずで……
「ロ、ロイドくん……エ、エーデルワイスさんは……あ、あっちだよ……?」
ゆっくりと立ち上がって後ろ見る。エーデルワイスさんというよりは、むしろみんなの近くに移動した――いや、してしまったオレの眼に映ったのは、地面に大量に突き刺さった剣と、さっきの場所から一歩も動いていないエーデルワイスさん。
なんというか……結論を言えば盛大に攻撃を外した。エーデルワイスさんの背後にまわるつもりが全然違う場所に移動し、回転剣も見当はずれの方に飛んでいって一本も当たらずに地面に埋まった。
位置魔法でも受けたのか……? でも確か自分以外を移動させるにはその人の許可か、魔法の印をつけなきゃいけないはずだ。じゃ、じゃあこれは……
「早すぎてよくわかんなかったろ。んじゃ、次は気持ち遅めに攻撃してみろ。」
「は、はい。」
風を起こし、刺さった剣を巻き上げ、再びオレはエーデルワイスさんへと向かう。さっきみたいな全速力ではない、通常移動くらいの心持ちで。
すると――
「な、なんだ!?」
どういえばいいのか……急に酔っぱらったみたいに感覚が変な感じになって――飛ばした剣も、風で飛ばしているオレ自身も、明後日の方向に移動してしまった。
幻覚とかそういうのを受けたわけじゃない……なんというか、微妙にいつもと違う風になった感じだ……まるで……何かにこう……割り込まれたみたいな……
「……! まさか……」
思わずエーデルワイスさんにビックリ顔を向けたオレを見て、先生はふふっと笑った。
「今度は気づいたか。正解を言うと、エーデルワイスの得意な系統はお前と同じ、第八系統の風魔法なんだよ。」
近くに刺さったオレの剣を引っこ抜きながら、先生が解説する。
「サードニクス。お前は他の奴が真似しようと思っても真似できない、桁違いに強くて正確な回転のイメージを持ってる。それを利用した風を使い、剣とお前自身を超高速で自由自在に動かしてるわけだが……しかしな、それでも結局は風なんだ。もしも相手が同じ風使いで、しかもお前よりも魔法のコントロールに長けている奴だったなら今みたいになる。つまり……」
「……オレが回している風に自分の風を入れて狂わせる……」
「その通り。」
よくできましたとでも言わんばかりのニッコリ顔になる先生。
「エーデルワイスはな、階級は中級だが魔法のコントロールに関しては上級騎士でも並べる奴は少ないくらいの腕の持ち主だ。確か風を使って着替えられるって聞いたな。」
「えぇ!? それって物凄く難しい――ですよね?」
「んあー……私自身はそんなに風魔法を使えないから頷けないんだが……使える奴は全員お前みたいに驚くな。《オウガスト》ですらビックリしてたぞ。」
「すごいですね……」
我ながらポカーンとした顔を向けると、エーデルワイスさんは困ったように笑った。
「そ、それほどでは……サードニクスさんの風もすごいですよ。あんなにきれいに吹く風は初めて見ました。」
「そこはビシッと言ってやれ、エーデルワイス。その分狂わせ易くもあるってな。」
「え、あ、そ、そうですね……」
相性最悪。エーデルワイスさんからしたら何のことは無い、ちょっと風を割り込ませただけ。なのにオレにとっちゃオレの技がごっそり使えなくなる大打撃。
じゃあ風を使わないで挑めばって話にはなるけど……体術だけでエーデルワイスさんに勝てるとは思えない。
「……確かに、これは無理ですね……」
「ああ、そうだ。だが今のお前じゃ無理ってだけで、この先も無理って話じゃない。」
「そ、そうなんですか?」
「当たり前だ。他人の風が割り込んできても問題ないくらいのコントロールを身につければいい。とりあえず、お前の課題は魔法だな。」
「……! はい!」
今まで見てきた感じ、どの相手も厄介そうにしてたロイドの回転剣があっさり破られた。相手によってはこういう事になっちゃうのが相性ってわけね……
でもって、あたしの場合はこのリーゼント侍がそれなの……?
「王家の方と手合せとは、妙な事が起こるモノでござる。」
腰に下げた刀に手をかけながら神妙な顔でうんうん頷くリーゼント侍。言っちゃ悪いけど全然強そうに見えないわ……
「あー、やる前にちょっと説明するぞ。」
適当な距離でリーゼント侍と向かい合ってたあたしは先生の方を向く。
「正直言って、クォーツの近接戦闘の実力はかなり高い。今から騎士を名乗って商売しても食ってけるだろう。だが……近接戦闘ってのは、どんな魔法やどんな武器の使い手であろうとも、ある程度は修行してある程度の実力を身につける分野だ。そこのマリーゴールドみたいにな。」
ランク戦の中、遠距離からの射撃を得意とするティアナが身体を『変身』させて相手と格闘戦をする場面は結構あった。それで倒す為じゃなくて、射撃の隙を作る為に。
まぁ、そもそもティアナみたいなスナイパーが敵の真ん前に出るなんてことはあっちゃダメなんだろうけど……場合によっては必要な技術なのは確か。だから、それをメインにしてなくてもある程度は出来るようになっておくっていうのは、当然よね。
「だから近接格闘って分野には猛者が多いし、それだけで群を抜いた強さには中々届かない。よって何かもう一押し、そいつオリジナルのプラスアルファが必要なんだ。クォーツの場合、それはあのロケットパンチ。あれは威力も速さも申し分ない上に意外性も高くてかなりいい技だ。」
「……なによ、褒めてばっかりじゃない。」
「それでもまだまだ未熟って事だ。さてクォーツ、お前の最大最強の一発となると、それはたぶんガントレットとソールレットを全部くっつけた上での一撃……カンパニュラとの試合でやった『メテオインパクト』だろ?」
「……そうね。」
「だがあれは威力が威力。たぶん『コメット』とかよりも制御が難しい……だから動いてる相手にはまず直撃させられない。あの試合の時も、だから地面に落としたんだろ?」
「……なんでもお見通しね。その通りよ。」
「んじゃ、動かない相手には当てられるな。あいつにぶちかませ。」
「え……で、でもそんなの……」
「気にするな。さっきのサードニクスのを見たろ? マルメロは、お前の全力全開の一撃を物ともしない。さ、ドンとやってみろ!」
「……わかったわ。」
左腕と両脚の装備を外して右腕のガントレットに集める。結構重いんだけど、部分的に強化魔法をかけてなんとかする。
……イメージするのは、アンジュとの試合の最後にやったパンチ。踊る炎を一筋の噴射に変えて、爆発の力を一点集中した一撃。それを四つの武装全部にやって――撃ち放つ。
「『メテオ――』」
ちょっとの隙間を強い風が吹き抜けるみたいな甲高い音が響く。
「『――インパクト』!!」
あたし自身が噴射に押されて飛んでいかないように踏ん張りながら発射した一撃は、地面をえぐりながらリーゼント侍まで一直線に――
「え!?」
響く轟音。地面に突っ込み、校庭を粉々にしながら数十メートル進んでようやく止まったあたしの一撃。あたしは、発射した時の態勢のまま正面に立ってるリーゼント侍を見た。
「――!! 腕がしびれたでござる。こういう一撃は久しぶりでござる。」
いつの間にか刀を抜いてるリーゼント侍は全くの無傷。
「えぇ? あ、あれ? どういう事ですか先生。なんか今……エリルの攻撃がマルメロさんをすり抜けたように見えましたけど……」
「校庭が…………ん? ああ、そう見えただけだ。実際は受け流したんだよ。おーいクォーツ!」
「……! な、なによ!」
「実はこれで決着なんだ。お前の負け。」
「な……ど、どういう事よ!」
「武器、戻してみろよ。」
いきなり負けって言われてもそんなの――あれ?
「なんで……」
ガントレットとソールレット、それぞれに魔法をかけて炎を噴射させる。だけど……勢いよく炎は出てるのにその場からピクリとも動かせない。まるで地面に縫い付けられちゃったみたいに。
「カンパニュラとの試合でもあったが――つまりこれが今のお前の弱点。ガントレットとかを発射するってのはいい攻撃なんだが……いかんせん、お前自身が無防備になる。今みたいに発射したモノを使用不能にされるともうアウトだ。んま、誰だって装備を奪われればそうなるが……クォーツの場合、戦法上そういう状態になりやすいってのが難点だ。」
先生はビッと、刀をしまって腕をぷらぷらさせてるリーゼント侍を指差した。
「そいつは見ての通り近接戦闘タイプ。そしてそいつのプラスアルファはカウンター。近距離攻撃であればその勢いを利用して自分の攻撃の威力を増し、遠距離攻撃なら尽くを相手に返す。」
「えぇ!? じゃ、じゃあ『メテオインパクト』をそのまま無防備なエリルに戻すつもりだったんですか!?」
「まさか。さすがのマルメロもあれは戻せないと確信してた。だろ?」
「うむ……あれほどの威力になると受け流すので精いっぱいでござる。一応位置の固定はできたでござるが……」
「位置の固定? じゃああんたは位置魔法の使い手なのね。」
「いかにも。拙者の得意な系統は第十系統の位置魔法でござる。自身の剣術と魔法を組み合わせる事であらゆる攻撃をカウンター! ――と、言うのが拙者の目指すところでござる。ご覧の通り、まだ未熟でござるが。」
未熟……自分で自分をそう言う相手に、あたしの全力の一撃はあっさりと敗れた。この場合はたぶん、相性っていうよりは……そういう事が出来る奴もいるって事よね。
「んま、マルメロの未熟話は置いといてだ。今の場合は受け流す時に魔法をかけられ、ガントレットらを地面に固定されてしまったわけだ。相手によっちゃ、飛んできたガントレットを破壊されるかもしれないし、逆に相手にコントロールされるかもしれない。銃や弓矢と違って発射したモノを回収しなきゃならんクォーツは、そういう事態への対策が必用なんだ。」
「んー、でもお姫様、あたしとの試合の時は強化魔法でなんとかしてたよー?」
「それは単純にカンパニュラの選択ミスだ。あの時、直接攻撃じゃなくて『ヒートブラスト』を放っていたら、イメロも同時に手を離れてるクォーツは強化魔法と耐熱魔法だけじゃ押し切る事はできずに負けていた。」
「……言われてみればそーかなー……」
……実際その通りだから何も言えないわね……
「武器を奪われるとか、得意技を封じられるとか、そんなのは誰もが警戒しなきゃならん事だが、クォーツの場合はそうなる可能性が高い分、人一倍にしっかりと用意しておかないといけない。お前の当面の目標は、武器無しでもある程度度戦う方法、もしくは確実に武器を手元の戻せる方法を考える事だな。」
「……わかったわ。」
本当にこの為だけに呼ばれたみたいで、エーデルワイスとリーゼント侍は先生の「おつかれー。」の一言で帰って行った。っていうか、こうやって現役の騎士を呼べるんだから、さすがの元国王軍指導教官よね。
「よーし、これでとりあえずやっときたい事はできたな。次は何をするか……」
「えぇ……さっき確か午前はこのガイダンスで終わるって言ってましたよね……まだ一時間目も終わってない時間ですよ?」
「仕方ないだろ。こういう授業、まだ慣れてないんだから。これでも私は教師一年目のペーペーだぞ。」
「で、では是非おれと手合せを!」
「……それで本気を出されるとお前は三日間動けなくなるだろうが。後の授業の先生方に迷惑がかか――つーかよくもまぁ今までちゃんと授業できたな。んまーしかし、レオノチスとカルクとカンパニュラは私のクラスじゃないからな。実力を見ておきたいのは確かだ。ちょっとやってみ――」
「ぎゃああああああっ!!」
突然すごい悲鳴が聞こえた。聞こえたんだけど……なんかこう、緊張感のない悲鳴っていうか、別にそいつが悲鳴をあげてもそんなに興味のわかない悲鳴って言うか、さっき聞いたばっかりっていうか……
「あのぼっちゃん、また来やがった。」
先生が見るからに嫌な顔で見た先にはムイレーフ……さっきの変な男がいた。不格好に慌てながら猛ダッシュでこっちに向かってくる。
正直こいつはどうでもよくて……ちょっと変なのは護衛の騎士の方。あの人もこっちに向かって走ってくるんだけど……武器を手にした臨戦態勢で、なんとなく後ろを気にしながら走ってくるのよね。
「……あれはちょっとマジな顔だな。」
嫌そうな顔をしてた先生が真面目な顔になる。
「きょ、教官殿!」
あたしたちの近くまで来て盛大にすっころんで地面に顔をこすりつけた変な男をそのままに、護衛の騎士は緊迫した顔を先生に向けた。
「どうした?」
「そ、それが……自分にもよくわからないのですが……学院から出ようとした時、校門に彼らがいまして……」
「彼ら?」
「ええ、例のあの国の――! 来ました、彼らです!」
護衛の騎士が指差す方向。ついさっき、この護衛の騎士と変な男がノロノロと歩いて登場したその方向に、今度は五、六人の集団がいた。
「な、なんなのだ、あの見るからに怪しい集団は……」
「ぜ、全員真っ黒なローブを……か、被ってるよ……」
「ううん。一人だけドレスだよー。日傘で顔は見えないけどー。」
「なんだなんだ、悪の組織でも来たのか! 先生、これは戦闘準備が必要ですか!」
「にゃあ、落ち着くんだよ、カラードちゃん。」
悪者っぽさが全開の集団を前にざわつくあたしたちだったけど、ロイドとリリーは反応がちょっと違った。
「えぇ? あのローブってもしかして……」
「うわ。なんでこんな所に……」
「……サードニクスとトラピッチェは知ってたか。全員武器を下げろ。一応……事前に来る連絡はあったからな……」
「そ、それは本当ですか教官殿! ああ、では自分は学院の客人に対して無礼を……」
「んまーそうなっちまうが……気にすんな。知らずに出会ったら私だって臨戦態勢になる。」
普通に会ったら戦闘になる相手が客人? 意味わかんないわね。
「どういう事よ……ロイド、なんなのよあいつら。」
「あー……えっと、あのローブってある国に住んでいる人が国の外に出る時に身につけるモノなんだよ。太陽から身を守る為に。」
「太陽? 紫外線に弱い人が住む国でもあるわけ?」
「紫外線じゃなくて普通に太陽光が苦手なんだよ。確かものすごくだるくなるとか。」
「へぇ。じゃあ昼間はずっとあんな格好……ってあれ? あんた今国の外に出る時はって言った?」
「うん。あの人たちの国はいつも夜だから国内ならローブはいらないんだ。」
「何よその国……」
「スピエルドルフって国だよ。よく夜の国って呼ばれてる。」
すぴえ……聞いた事ない国名だわ。
「夜の国か……どっちかっつーとそれは良い方だけどマイナーな呼び方だな。」
ゆっくりと近づいてくる真っ黒ローブと日傘の集団を眺めながら、先生はそんな事を呟いた。
「良い方だけどマイナー? なによそれ。」
「そのままさ。悪い呼び方の方が一般には定着してんだ。本人たちが聞いたらいい顔はしない呼び方がな。」
「……なんて呼ばれてるのよ。」
「通称――化物の国。」
先生が言った通称に息を飲んだのと同じくらいのタイミングで、そんな国から来たらしい集団があたしたちの前までやって来た。
ローブに身を包んだのが五人と、日傘の……ドレスの女が一人。ローブの連中はフードを深く被ってて顔が見えないし、ドレスの女も日傘が深くてやっぱり顔が見えない。
「……私はこのセイリオス学院で教師をしているルビル・アドニスだ。そちらは先日手紙を寄こしたスピエルドルフからの訪問者……という認識で会っているか?」
『その通りでございます。』
ローブ連中の一人が一歩前に出てそう答えた。
それにしても……なんか変な風に聞こえたわね。発音が変とかじゃなくて……聞こえ方が変って言うか……
「そちらの……令嬢の身分は承知している。が、今は授業中。終わるまで待っていて欲しいのと、できれば先に学院長の所へ行って欲しい。そちらが来るという事はまだ一部の人間にしか伝わっていなくてな……学院長に正式な客人である事を周知してもらわないと先ほどのように戦闘態勢に入る者が少なくないだろう。」
『これは失礼を。確かに、順序としてはそちらが正しいでしょう。ではまた後程。さ、姫様。』
「……悪いな。」
『いえいえ。次代の騎士を育てる場にずかずかとやって来たのはこちら。警戒は然るべきでしょう。』
怪しい集団はくるっと背を向けて、学院長のいる建物の方に歩いて行った。
「へぇ……スピエルドルフの人とも交流があるんですね。さすが名門。よく来るんですか?」
「馬鹿言え。連中が訪ねてきたのはお前だぞ、サードニクス。」
「えぇ?」
マヌケな顔をするロイドの前にぴらっと黒い封筒を出す先生。
「ランク戦を観て興味を持った生徒に軍や騎士団の連中が手紙を出してくんだが……それにこれが混ざってた。お前に会いに行くって内容の手紙がな。相手が相手だけに先にこっちで手紙を開いちまったのは悪かったな。」
「オレに? スピエルドルフの人が? ……あ、まさかあいつらかな。」
てっきり受け取った封筒を開くのかと思ったら、ロイドはそのままポケットにしまった。まさか手紙ですら太陽光に弱いとか言うんじゃないわよね……
「え、ロイくんてばスピエルドルフに知り合いでもいるの?」
「友達がいるんだよ。オレがまだ……十一か十二くらいの時にフィリウスと一緒に行ったんだけど、その時に仲良くなった奴がいるんだ。ランク戦を観てたのかな……でもそれならその時に会いに来るだろうしなぁ……」
「そんなに不思議じゃないよ、ロイドちゃん。」
そう言ったのは未だに下……か上の名前がわからないカルク。
「ランク戦で活躍した生徒って色んなルートですぐに噂になるんだよ。なんたって名門セイリオスの生徒だからね。きっとそんな感じでその……スピエルドルフってのに届いた噂の中にロイドちゃんを見つけたんだよ。」
「なるほど……でもそっか……懐かしいな。」
「……あのドレスの女があんたの友達ってわけ……?」
「……エリル、すごく怖い顔してるぞ……オ、オレの友達っていうのは男だよ。」
「じゃあ姫様って呼ばれてたあの女はなんなのよ。」
「さ、さぁ……あ、観光でついてきたとか……?」
ロイドは本当にわからないって顔をしてるけど……嫌な予感がするわ。
「ふむ……なんとなく、あの日傘のお姫様がロイドくんに飛びついてくる光景が想像できてしまうぞ。女ったらしロイドくんめ。」
「えぇ……」
「んま、痴話喧嘩夫婦喧嘩の修羅場は授業の後でな。腰を折られてばっかりだがもう寄り道しないぞ。レオノチス、準備しろ。相手になってやる。」
「はい! お願いします!」
一度使うと三日は動けなくなるというカラードの『ブレイブアップ』。オレとの試合をやった日の次の日が決勝で、その次の日がお休み。そして今日という事できっかり三日経っているのだが、折角回復したというのにカラードは全力で先生に挑んでいった。
剣を飛ばすようになってから、オレは中距離で戦う人になった。対して、今カラードと戦っている先生はバリバリの近距離タイプ。オレ対カラードと先生対カラードじゃあだいぶ光景が違くなるのは当たり前で、二人の戦いは至近距離でのランスと槍の応酬。どっちも……なんというか、近距離武器って程短くはないんだけど、そんな長い得物がグルグル回転しながら二人の間を行き来している光景は凄まじい。
「あんた、あんなのに勝ったのね。」
「んー……でも、あの時は知らない内に右目にあった魔眼が知らない内に発動してたってのもあるからなぁ。勝ったって気はあんまりしないんだな、これが。」
「それもロイドくんの実力の内であると、先生なら言いそうだがな。」
「うーん……そうだね。ちゃんと実力に出来るようにしたいね……」
「それはそうとロイドくん、スピエルドルフについてもう少し聞いてもいいかな? あのローブの中にロイドくんの昔の女がいるかもしれないし。」
「だ、だからいませんて……」
冷ややかな視線をオレに向けるローゼルさん。
「まぁすぐにわかるだろう。さて……そのスピエルドルフという国、騎士の名門であるわたしや王族であるエリルくんが知らないという事を考えると、もしかして世界連合に加わっていない国なのか?」
「確かそうだよ。他の国との商売……えっと、貿易? もしてない。」
「それはまた、今となっては数えるくらいしかない種類の国だな。ちなみに何が原因で化物の国などと呼ばれているのだ?」
「オレもその呼び方は今初めて知ったんだけどね……そこに住んでる人の事を指してるんだろうな。そんなに怖くないのに。」
「怖い?」
「えっと……スピエルドルフはね、魔人族のみんなが住んでる国なんだよ。」
「魔人族!? あ、あの魔人族か!?」
「あのって言われても……オレが知ってる魔人族はスピエルドルフの人たちだけだけよ……?」
「い、いやそういう意味ではない! つまりその……ひ、人を喰らって生きているというあの魔人族なのだろう!?」
「えぇ!? 食べないよ! だいたいはオレたちと同じモノ食べて生きてるよ! んまぁ、中には土を食べてる人とか木を丸々一本食べちゃう人とかいるけど……」
オレとローゼルさんはお互いにビックリし合い、そして数秒の間の後、ちょっと深呼吸してから話を続けた。
「……なんだかデジャヴだな。クリオス草の時もこんな雰囲気の会話をした気がする。つまりあれだ、街で育ってきたわたし――いや、わたしたちと、あっちこっちの国やら辺境やらを旅して来たロイドくんとでは認識が違うのだ、きっと。」
「そうなのか? エリルも?」
「そうね……魔人族って言ったら、一生の内に会うかどうかもわかんないくらいに数が少ない種族だけど、出会っちゃったら食べられるしかない……みたいに聞いた事があるわ。」
「あ、あたしも……ま、魔人族に会ったら……災害に遭ったって思うしかないって……」
「へぇー、フェルブランドだとそんな感じなんだー。あたしの国じゃーすごく昔に色んな魔法を教えてくれたっておとぎ話があって、だから結構いい人みたいな扱いだよー?」
「む? 国によっても認識が異なっているのか? これは一体……?」
「それはしょうがないんじゃないかな。」
みんなで首をかしげていると、リリーちゃんがふふんって顔をしながらそう言った。
「魔人族って数がものすごく少ないし、基本的に自分の国……スピエルドルフからは出ないからね。しかも場所を知らないと見つけられないような所にあるし、魔法がかかってて基本的に見えない。だからボクたちが知ってる魔人族――つまり、その国とか地方に伝わってる魔人族の噂って、その場所にたまたまやって来たある一人の魔人族だけを元にして広まってるんだよ。」
「なるほど……つまりこうか? その昔フェルブランドにやってきた魔人族はたまたま悪い奴で人を襲ったり食べたりし、そしてアンジュくんの国に来た魔人族はたまたまいい奴で魔法を教えたりしたと。」
「そーゆーことだねー。でもって実際のところの魔人族は、スピエルドルフに行った事あるロイくんのイメージが正解なんだよ。てゆーかロイくんてば、よくスピエルドルフに入れたね。ボク、前に行った事あるんだけど、入国を断られちゃったよ?」
「オレの場合はフィリウスがいたからね。スピエルドルフって魔人族以外の人が入国するには魔人族の誰かの紹介がないとダメなんだけど、フィリウスにはスピエルドルフに友達がいたんだ。でもってフィリウスがオレの事を……なんていうか、入国させても大丈夫ってその友達に説明してくれて、それでオレも入れたんだよ。」
「何気にすごい経験をしているのだな、ロイドくんは……よし、では実際の魔人族というのはどういう種族なのだ? 正直恐ろしい……それこそ化物や怪物というイメージしかなくてな……」
「えぇっと……人間と魔法生物を足して二で割った感じの人たちで……人間よりも身体能力が高いし、大抵人間にない――こう、尻尾とか翼とかがあって、でもって魔法生物が持ってるような魔法器官が彼らにもある。」
「魔法器官が? 人間以上の肉体でしかも魔法を負荷なく使えて……さっきわたしたちの言葉をしゃべっていたのだから知能も同等かそれ以上…………いやはや、魔人族が最強の種族という事になるな……」
「オレも前にそう思ったけど、実はそうでもないんだ。すごい能力の代わりって言うとあれだけど、魔人族には必ず一つ……とも限らないけどとにかく、何かしらの致命的な弱点があるんだ。」
「……人間にだって弱点は多いぞ。水中で呼吸できないとか……」
「あーいや、そういう感じの弱点じゃなくて、ほとんどの生き物にとってはどうってこともないモノが物凄く効くんだよ。例えば……鳥の鳴き声が文字通りに死ぬほど苦手とか、純水をかけられると身体が一瞬で溶けちゃうとか。それにほら、さっきも言ったけど全員太陽の光が苦手だし。」
「な、なんだそれは。まるでファンタジーに出て来る吸血鬼とかの弱点みたいだな。」
「あははー。言っとくけどローゼルちゃん、吸血鬼ってスピエルドルフにいるからね?」
「なに? では……狼男とかもいるのか?」
「いるよー。人型の怪物は大抵実在してるね。」
「…………なんとなくイメージが固まったな。そういう国というのなら、化物の国というのは納得だな。」
「その呼び方、スピエルドルフじゃ禁句みたいなもんだから気をつけてね。それこそローゼルちゃん、食べられちゃうよ?」
「……気をつけよう。」
結局、カラード、カルク、アンジュの三人と連戦して連勝した先生はついでにあたしたちとも戦って、合計八連勝した。それでも息一つ切れてない先生はあたしたち一人一人にもっと強くなる為のアドバイスをし、そうして午前の授業は終わった。
「……午後の授業、ちゃんと受けられるかな……特にカラードは大丈夫なのか?」
「ああ……発動したら三分間放出され続けるはずのおれの力が、どういう魔法なのか三十秒分くらいせき止められた。なんとか動ける分の余力を強制的に残された感じだ……」
カラードはふらふらだけど、それに負けないくらいにあたしたちもふらふらだった。
ちょっと休憩しとけって事で先生がいつもより三十分くらい早く授業を終わらせたから、あたしたちはまだ誰もいない学食でぐったりしてた。
「相変わらず先生は強いなぁ……オレの剣、全部見切られた。」
「あたしも、攻撃が一発も当たんない上に勢いを利用されて放り投げられたわ。」
「わたしの水と氷は電熱で全て蒸発させられた。」
「あ、あたしの銃弾は……全部、た、叩き落とされちゃった……」
「ボクの瞬間移動に普通についてくる……」
「あたしの『ヒートボム』にも『ヒートブラスト』にも、真正面から突っ込んで来るのに無傷で抜けられたー……」
「にゃあ……あたしのコンビネーション、ぜーんぶ見切られて分身を片っ端から潰されちゃった。」
「……おれの全力全開でようやく先生の体術にギリギリ届いて……そこから先に進めなかった。」
八人が八人とも手も足も出ない。そんな圧倒的な強さを持つ先生が毎年負けてる今の《フェブラリ》は一体何者なのよ……
「それはそうと。」
全員が、ぐでっとテーブルに突っ伏してるか椅子に寄りかかって沈んでる中、急に背筋を伸ばしたローゼルが腕を組む。
「エリルくんはあの変な男と結婚するといい。ロイドくんはわたしがもらう。」
「だ、だから知らないわよあんな奴!」
そうよそうだったわ! あとでお姉ちゃんに電話しないと!
「ローゼルちゃんこそ、名門騎士なんだから許婚の一人や二人いるんじゃないの? 遠慮しなくていいんだよ、ロイくんはボクがもらうから。」
「生憎、そういうのはいな――いはずだ……むぅ、エリルくんみたいに降って湧かれても困るからな……確認しておくか。しかしそう言うリリーくんこそ、実はいつかの借金の形として結婚を約束されていたりしていないか? 正直に言うといい。」
「トラピッチェ商会は赤字になった事ないよ、失礼な。」
いつも通りの会話をするあたしたちを、頬杖をついて眺めてたカラードがふふふと笑う。
「『ビックリ箱騎士団』は随分と面白い状態になっているんだな。しかし……さっきのロイド。婚約者がいようがいまいが関係ないとは、なかなかカッコイイじゃないか。ぶれない信念は正義だとも。」
ロイドが怒ってくれた事を思い出してドキドキするあたし。だけどそんな程度じゃ済まないとんでもない事を、ふっと真面目な顔になったカラードが続けて呟いた。
「ところで……さっきのやり取りからすると、ロイドはクォーツさんと結婚する気満々なんだな。」
ものすごい威力の言葉だった。あたしたち――その場にいたカルク以外の女子が大ダメージを受ける。
「……クォーツさんがすごい顔をしているが……実際どうなんだ、ロイド。」
茶化すでもなく、ごくごく普通の表情で当たり前のように聞いてきたカラードに対してロイドは……
「満々も何も、好きになるっていう気持ちにはずっと一緒にいたいっていう想いも入ってるだろう?」
死ぬかと思った。
そりゃコイビトになるとか好きになるとかって最後まで行くとそういう話につながったりするんだろうけどでもだってあたしたちはまだアレだしなのにこのバカはすっとぼけた顔でなに言ってんのよバカ!
「それもそうか。」
あたし……だけじゃない、他のみんなが声にならない何かをパクパクしながら顔を赤くしてワタワタする中、カラードとロイドの会話は進む。
「そうやって心に決めた人がいるのであれば、今の内から結婚は視野に入れて然るべきだろう。何せ結婚は早い方がいいからな。子育てなんかには体力を使うし。」
コソダテッ!?!?
「何かと環境が変わる時だしな。無茶のし時というか何というか……遅くていいことないし。」
「そうだな。ああそういえば……ロイドとクォーツさんとなると……その、気を悪くしたら謝るが、ずばり平民と王族の結婚になるわけだろう? こういうケースはよくあるものなのか?」
「どうかな……ちゃんと確認した事ないけど……」
「にゃあ、ケース自体はそんなに珍しい事じゃないよ。」
こっちもこっちで真面目に話に加わるカルク。
「昔よりもその辺はゆるくなってる風潮かな。でもクォーツ家でそーゆーのがあったって話は、少なくともあたしは知らないけど。」
「ほー、じゃあ頑張らないとだな、ロイド。」
「ああ、頑張るよ。」
「あー、そんなに頑張らなくてもいーかもよ。」
「?」
「にゃあ、今ね、さっき言った風潮をちゃんとした文章で公言しようっていう動きがあるんだよ。つまり、王族は王族と、もしくは貴族と結婚するーみたいなのはもう古い伝統だーってね。」
「それはまたタイムリーだな。まるでロイドを後押しするかのように。」
「にゃあ、もしかしたら本当にそうかもだよ。」
「えぇ?」
「この動きね、中心に立って活動してる人の名前はカメリア・クォーツって言うんだよ。」
「えぇ!? カメリアさんが!?」
「カメリア様? となると……そうか、クォーツさんのお姉さんになるのか。」
「にゃあ、もしかしたらロイドちゃんっていう好きな人ができた妹の為、周りになんやかんや言われないようにしようとしてるのかもねー。」
もはやあたしたちを置いてけぼりにして進む会話の中にいきなりお姉ちゃんの名前が出てきたけど、やっぱり置いてけぼりにされてるあたしたちはどう反応したらいいのやらっていうかむしろ反応し損ねたっていうか、もうどうしようないそんな時――
「こんな所にいた。」
三人で突き進むとんでもない会話を止める知らない誰かの呟き。見るとあたしたちがいるテーブルに向かってくる黒いローブの人がいた。それはさっき見たローブ――スピエルドルフっていう国から来た連中が来てたのと同じローブで、つまりあの真っ黒ローブの五人のうちの一人が近づいてくる。
「ん、これは失礼。」
テーブルの横まで来ても顔が見えなかったんだけど、フードを被ったままだった事を謝りながら、そいつは素顔を見せた。
……なんていうか、普通だった。魔人族って言ったら怪物や化物のイメージがあったんだけど、普通に人間の……男の人の顔で、眼鏡をかけた物静かな秀才……みたいな感じだった。
さっきロイドは人間と魔法生物を足して二で割った感じとか言ってたけど、外見は人間なのかしら?
「え……ユーリ……?」
そう言って目をパチクリさせたのはロイドで、そんなロイドを見た眼鏡の男はニッコリ笑う。
「久しぶりだな、ロイド。」
「おお! 久しぶりだ!」
立ち上がったロイドは眼鏡の男に近づき、そうして二人はガシッとお互いの方を抱いた。久々に再開した親友って感じね。
「ああ、相変わらずひんやりしてるな、ユーリは。」
「そっちも相変わらず抜けた顔してるな。」
「ひどいな……でもそうか、オレを訪ねて来たって聞いたけどやっぱりユーリたちだったのか。」
「んー……そうとも言えるんだがメインは違うというか……いやまぁ、ロイドが対象なのは変わらないのだが……」
「?」
「後で詳しく話すよ……ともあれ、まずは私の事を覚えていてくれてうれしいよ。」
「?? んまぁ後で聞くとして……ところでユーリだけなのか?」
「いや、あいつも――」
「ロイドー!!」
学食に響く声。次の瞬間、どこから現れたのやら、ロイドに黒いローブが飛びついた。
「久しぶりじゃねーかこのこの!」
バタバタする中でとれたフードの下から出てきたのは、赤い髪を肩くらいまでに伸ばした女の人の顔で――って女!?
「ちょ――あの――」
ローブの下からチラチラ見えるのはスカートっぽいし、な、何より今ロイドが顔をうずめてるのそいつの――!!
「ん、その辺にしとけ。ロイドが窒息死する。」
「んあ? おっと、わりぃわりぃ。」
赤い髪の女から離れたロイドを、あたしはじっと睨みつけた。
なによ、オレの友達は男とか言ってたくせに! ちゃっかり女もいるじゃな――
「ど、どちら様でしょうか……?」
「んな!?」
久しぶりの再会って感じに飛びついてきた女に対し、ロイドは顔を赤くしながらも戸惑ってる感じだった。
「な――お、おいおい冗談よせよ……ユーリの事は覚えてたんだろ!? 俺だよ、ストカだよ!」
なにかしら……なんかすごく……忘れられてショックってだけじゃないくらいにショックな顔で女がそう言うと……
「えぇ? ス、ストカ? ストカ!? えぇ!?!?」
女の顔をまじまじと見つめた後、いつものすっとぼけ顔でロイドはこう言った。
「ストカって…………女の子だったのか。」
「あぁ!? お前もそういう口か!」
ショックな顔を……なんていうか、うれしく怒る? みたいな顔に変えたその女は、リリーの瞬間移動みたいな速度でロイドの後ろに移動し、その頭にヘッドロックをかけた。
「相変わらずすっとぼけた顔しやがって! ちょっとショック受けたじゃねーか!」
「痛――くはないけどストカ! む、胸が! 顔に!」
「うっせ! いっそ俺の胸で幸せ死ね! でもってユーリ! お前も爆笑してんじゃねー!」
ローブのせいでハッキリしないけど、ちょっとローゼルくらいあるんじゃないかって感じの――そ、その胸のあれをロイドに押し付ける女の横で、眼鏡の男がお腹を抱えて静かに笑ってた。
「ぶふふ……い、いやロイドは悪くないぞ。ストカに何年かぶりに会った奴は全員そういう反応するからな……くくく。どっちかというとここ数年で急に成長したストカが悪い――ぶくく!」
「あぁ!? ナイスバディになって悪いとかふざけんな!」
「わ、悪かったってストカ! オ、オレの中だとストカはガキ大将で――」
「鼻血吹いて死ね!」
力が加わってさらにロイドの顔に押し付けられる胸――!!
「ご、ごめんてば!」
「……おい、ロイド、一つ聞くぞ。」
ヘッドロックをかけながら、ふっと真剣な顔になる女。
「お前、スピエルドルフのダチっつったら誰を思い浮かべる?」
「え、えぇ? そりゃ二人だよ。ユーリとストカ――ていうかそろそろヘッドロックを……」
「……じゃあ、お前スピエルドルフにどれくらいいた?」
「えぇ? そ、そうだな……一、二週間ってとこじゃないか?」
ロイドのその答えに、爆笑してた眼鏡の男とヘッドロックをかける女の表情が暗くなった。
「? ストカ?」
ヘッドロックから解放されたロイドは困惑顔。そんなロイドに眼鏡の男が神妙に言った。
「……端的に事実を言うと……ロイドがスピエルドルフにいたのは丸一年。その間一緒に遊んでいた友達は私とそこのストカと、そしてもう一人いる。」
一年。 その言葉を聞いた瞬間、ロイドの表情が変わった。
「やっぱ、ロイドも姫様と同じ状態だったんだな……ま、つい最近まで俺とユーリも四人でつるんでた事を忘れてたしな。今思うと信じらんねーよ。」
「姫様? あ、ああ……さっきの日傘の人か? え、その人がオレと同じ状態って……」
そう聞きはしたけど、たぶん半分くらいは答えが出てるロイドの質問に眼鏡の男が――予想を超える答えを返した。
「記憶を失って……忘れてたんだ。一緒に過ごした一年間と……ロイドと姫様――スピエルドルフの女王であるカーミラ様が婚約している事をな。」
……
…………は?
「はああああぁっ!?!?」
「えぇぇえぇぇえええっ!?!?」
がらんとしてる学食に、あたしとロイドの声がこだました。
第二章 魔人族
スピエルドルフという国がある。私らの住むフェルブランドが剣と魔法の国で、ガルドが金属の国なら、スピエルドルフは夜の国とか化物の国とか呼ばれている。
前者の所以は、国全体が特殊な魔法で覆われていて常に夜だから。後者の所以は、この国が魔人族の国だから。
数が少ないからテキトーな噂が先走る魔人族という連中は、事実を簡単に言うと――人間が体内に魔法器官を持ち、その上人間以上の身体を手にしたような種族。普通に考えれば自然界のピラミッド的には人間の上に来る種族なんだが……イマイチ理由のハッキリしない弱点を個々が持っているからか、幸いにして人間という種族が連中に飼われるような事態にはなっていない。
かと言って別に友好的というわけでもなく、スピエルドルフは基本的に魔人族以外の入国を禁じているし、もちろん他国との貿易もしていない。加えて国を覆う魔法のせいで外から国内をのぞく事もできない。学院長が「儂には無理じゃ。」と言うのだからおそらく誰にもできないだろう。
加えて、必要とあればどこの国でも活動が認められる騎士が……というか騎士という制度がスピエルドルフにはない。理由は簡単、魔人族は十歳にもなればそこらの下級騎士以上の戦闘能力を持つからだ。
自国で起きたことは自国で処理するし、わざわざ自分たちよりも弱い連中に頼む事など一つもない、というわけだ。
そんな感じの国だから、スピエルドルフという国がどういう国なのかを知っている奴はかなり少ない。
……そう、いないのではなく、少ない。ここが私ら――つまり、自分の国を守る為に他の国の姿勢とか思想を知りたい人間にとってはちょっと安心できる点だったりする。
人間の入国は、基本的に禁じられているだけで完全お断りではない。スピエルドルフの国民である魔人族の誰かに許可証を発行してもらえば入国は可能なのだ。
まぁ……基本的に国の外に出てこない魔人族に知り合いを作るって時点で難題なわけだが……それでも過去、何人かの人間が許可証を得て入国し、そいつに話を聞く事でざっくりとした事がいくつか判明している。
その一つが、スピエルドルフという国を治めている者の存在だ。
スピエルドルフは国が誕生してから今日まで、ヴラディスラウスという一族が王族として代々治めている。特異にして強力な能力を個々が持つ魔人族の上に立つこの一族は……吸血鬼の一族だ。
それだけが理由ではないらしいが……少なくとも吸血鬼の一族は全魔人族の中で最強と言われている。
ちなみに、どういう経緯かは知らないがあの筋肉ダルマ――《オウガスト》はスピエルドルフへの入国の許可証を持っている。でもって国の精鋭の一人と手合せをした事もあるらしく、全力で挑んでギリギリで勝てたそうなのだが……その精鋭は、王は自分の十倍強いと言ったそうだ。
さて……そんな最強の種族にしてスピエルドルフを治めている一族の現当主――言い換えると現国王が、セイリオス学院の学院長の部屋のソファーに座っていた。
……正確には女王が。
「おお、アドニス先生。お昼休みにすまんの。」
一年Aランクの授業を終え、呼ばれなくても来ただろう学院長の部屋に入ると、五人から三人に減ったフードの連中と日傘の女、そして笑顔の学院長がいた。
あの手紙の差出人はスピエルドルフそのものであり、内容は……女王が私の生徒、サードニクスを訪ねるというモノ。
そして今、フードの連中を傍に立たせてソファーに沈んでいるという状況からして……というかさっき姫様とか呼ばれてたから確実に、この日傘の女が――いや、今はさしてないが、この女が女王。
最強の一族――吸血鬼……!
『さきほどは失礼を。』
私が女王らしき女を見ていると、フードの連中の一人がスッと前に出てそう言った。見分けはつかないが、おそらくさっき話した奴……なんだろう。
しかし室内でもローブでフード……礼儀正しいこいつが今もそうなのは、それでも太陽光の影響を受けるからなんだろう。一応カーテンは閉まっているが、おそらく大差ない。スピエルドルフで発動している夜の魔法があればいいんだろうが、学院長が言うに、あれは相当な大規模魔法らしく、例え小さな部屋であっても個人が発動させる事は難しいらしい。
だが、だとすると女王が不自然だ。話によると、吸血鬼の一族にとって太陽光は他の魔人族以上に致命的で、最悪死ぬ事すらあるらしい。だというのにこの女王はさっき日傘一本で外を出歩き、今もローブは羽織っていない。
噂は本当だったのか……
「アドニス先生。客人をそうじろじろ見るモノではないぞ。」
「――! し、失礼!」
仮にも――というか正真正銘の女王を前にやってしまった。我ながら久しぶりに内心相当焦ったが、学院長がフォローしてくれる。
「すみませんな。彼女はもちろん、儂もスピエルドルフの方とお話する機会はほとんどありませんから、どうしてもお聞きしたい事があふれて視線が飛んでしまいます。」
『気にしませんよ。仕方のない事です。それよりも……』
「ええ。あー、アドニス先生。先生を呼んだのは、こちらの方々を案内して欲しいからなのじゃ。」
案内? 学院の案内という事か?
「日中に出歩いた事で女王がお疲れという事での。どこかで休息を、との事なのじゃ。」
『ベッドやソファーは無くても構いませんので、できれば地下室などがあると良いのですが。』
「なるほど……となると誰かの工房などがよさそうですね。」
「うむ。先生方には周知済みじゃから、話せば対応してくれるじゃろう。」
こうして、午前の授業がまだ微妙に終わってない時間帯、出歩く生徒はほとんどいない学院内を、私は三人の真っ黒フードと一人のドレスを連れて歩いた。場所のあてはあるからそこまで真っすぐなわけだが……
「……」
後ろに魔人族が四人もいると思うとついつい身体に力が入る。
『アドニス様……でしたね。トーナメント戦は毎年拝見しております。』
突然、耳ではなく頭に響く声。さっきからこいつしかしゃべってないな。
「そ、そうか。だが……魔人族から見たら遊戯に見えるんじゃないのか?」
『そのような事は。確かに、諸々の弱点を含めても、一生物としては人間よりも魔人族が上でしょう。しかしだからと言って……例えば我が国の兵士が全員アドニス様より強いわけではありません。元気の有り余る若者が百戦錬磨の老兵に勝てないのと同じ、強さというモノには経験や技術という成分がありますからね。故に、我々は戦いのお手本として、トーナメント戦を観ているのですよ。』
「そうか……」
当たり前の事ではあった。だが……アリが完全武装したところでゾウには勝てないわけで、そういう差がある場合もあるはずなのだ。
例えばそう……後ろに立たれるだけで冷や汗が伝うような、このドレスの女王様のような場合が。
「……ここだ。無くてもいいとは聞いたが……一応、中にはソファーがあったはずだ。」
『ありがたい事です。』
一人が先導し、その後ろに女王。そして女王の後ろにもう一人。三人が入ったところで扉を開いていた――さっきからしゃべってる奴が入る前に、私は試しに聞いてみた。
「ちなみに、あんたと私ならどっちが強いと思う?」
『……残念ながら、勝負にならないかと。ああいえ、お気を悪くしないでいただきたい。ただ単に――』
そう言いながら、そいつはフードをスッと取って素顔を見せた。
『――雷は、私の好物ですので。』
そこには、目も鼻も口も耳もないのっぺりとした――水色の顔があった。
「エリルちゃんにはいてもいいけどロイくんには婚約者なんていちゃダメなんだからね!」
「どういう事か説明してもらうぞロイドくん!」
……なんか、恋人のあたしよりも反応が大きいローゼルたちに囲まれるロイド。あたしはと言うと……さっき大声で叫びはしたんだけどそんなには慌ててない。
ロイドが、一応王族なあたしに婚約者みたいなのがいるかもっていうのを予想してたのと同じように、あたしも……恋愛マスターがロイドから奪った一年間の記憶の中にそういう相手がいるかもってちょっと思ってたのよね。
色恋絡みの事しかしない恋愛マスターが記憶を奪う理由……一応願いを叶える代価らしいけど……あたしは必要だからそうしたんじゃないかって思う。プリオルの場合は魔法の力を奪われたらしいけど、まぁ、そっちは代価として理解できる。だけど記憶なんて……奪っちゃったら奪われた事もわからないんだから、なんだか大して痛くないっていうか……実際今までロイドは問題なく過ごしてたわけだし。
運命の相手と出会う事を約束した彼女がそうするとしたらそれは……その一年間のどこかで、運命の相手じゃない相手と恋をした――みたいな記憶があるからなんじゃないか。
そんな事を思ったりしてたから、それでもあたしはロイドの事がす――だ、だからもしもそうなっても頑張ろうと思ってたのよ!
「婚約……オ、オレがスピエルドルフの女王様と……? え、えぇ? 婚約?」
「まぁ記憶がない状態でこんな話聞かされたらそうなんのも仕方ねーよな。おっとそうだ、一応聞いとくがロイド、彼女とかいねぇよな?」
「いや、いるけど……」
「いんのかよ! もしかしてここにいんのか!? どいつだよおいおいおい!」
なんかすごく楽しそうな顔をする赤い髪の女――ストカ。
「そこのサイドテールの赤い髪の子だ。名前はエリル。」
さらっとか、彼女として紹介されてちょっとドキッとなる。
「おお! そうだな、赤はいい色だ! しっかしとうとうロイドにも女ができちまったか。いや、姫様の事を考えると祝っていいもんか微妙だが……んま、めでたい事だよな! こりゃもう一緒に風呂には入れねーな。」
「ふ――!? ちょ、ちょっとどういう事よ、ロイド!」
「えぇ!? あ、いやほら、遊んだ後とかにみんなで一緒にさ、あの時は小さかったし……って言うほど小さくはなかったけど、ほ、ほらオレはストカを男の子だと思ってたし! て、ていうかなんでストカは一緒に入ってたんだよ、そこが一番変だろうが!」
「変じゃねーよ。そりゃまー知らねー奴とはごめんだけどダチ相手なら別に――つーか、変っつーなら一緒に風呂入った時に俺が女だって気づけよ! ちゃんと胸までタオル巻いてたろーが!」
「それは……あ、いやいやだってユーリもそうしてたし! オレはてっきりそれがスピエルドルフの常識なんだと……」
「ああ? おいユーリ、お前なんでそんな乙女な事してたんだよ! そのせいでロイドは俺を男だと思ってたんだぞ!」
「ん? あれは胸のあたりをあまり見せたくない……と言うよりは見た相手が気分を悪くするから気を使ってたんだ。だいたい、ストカが男に見えたのはその口調とぺったんこな胸のせいだろう?」
「ガキの時はしょーがねーだろ! それに今はこの通り! なー、ロイドー。」
「びゃあああ!? だ、だから顔にお、押し付けんな! は、恥ずかしくないのかよ!」
「別にダチ相手ならなぁ? ちょっとくすぐったいくらいだ。」
「ダ、ダチにいろいろ許しすぎ――ちょ、ス、ストカ!」
自分の胸にロイドをぐいぐい沈めるストカ――!!
「そうか? ダチ相手なら俺は、例えば裸を見られても、ついでにどこかを触られても気にしねーよ。」
「そうなのか、ストカ。じゃあ私がその胸に触ってもいいわけか?」
真面目な顔でバカな事を言う眼鏡の男――ユーリ。対してストカは少し間をおいて……
「いや、ユーリはなんかダメだ。触ったらバラバラにしてやる。」
「なんだそれは。私はダメでロイドがいいとなると、実のところ、ストカもロイドが好きなんじゃないのか?」
「んー? どうなんだろうな? おい、どう思うロイド。」
「ば――オ、オレに聞くな!」
「俺がロイドをねぇ……いや、もしそうだったら姫様が恋敵ってことじゃねーか! シャレになんねーよ!」
慌てて顔が真っ赤なロイドを解放するストカ。
……他の女の胸に顔をうずめるロイドにムカムカす――べ、別にあたしならいいって事じゃないけど! そ、それはともかく、それよりもあたしはロイドの口調が気になった。
少し乱暴な、男の子っぽい口調……フィリウスさんと話す時にはああなるけど、この二人相手の時にもなるっていうのが……ちょっと悔しいっていうか、あたしに対してもああなる時が来るのか……ていうかだとしたら、ロイドはまだあたし――あたしたちに気を使ってるのかしら……
「! おいストカ、ちょっと長いし過ぎたみたいだ。姫様がお休みになられる。」
何かの魔法でも受け取ったのか、ユーリがハッとした顔でそう言った。
「ん、そうか。早く会いたくて先走っちまったが俺らもそこそこ疲れてるからな。んじゃーロイド、また夜にな。今度は姫様と一緒に、いろいろ説明すっからよ。」
「……ああ。」
「あっと、そーいやロイドの部屋はどこだ?」
「寮のか? 入口に一番近い部屋だ。」
「了解。んじゃなー。」
フードを被り直してさっさといなくなる二人。入れ替わるように午前の授業を終えた生徒たちが学食に入ってくる。
「……えぇっと……よ、よし、みんな、お昼を食べよう!」
まだ赤い顔を無理やり笑顔にしてそう言ったロイドに――
「ロイドくん、その夜の会合、わたしも出席するからな。」
「ボクも。」
「あ、あたしも……」
「あたしも聞きたいかなー。」
抑揚のない棒読みのセリフが『ビックリ箱騎士団』から放たれた。
「にゃあ、ロイドちゃんって師匠の《オウガスト》と同じで女ったらしなんだねー。」
「というよりは女ったらされという感じだが、何はともあれお昼だ! 今日は力の出るモノが食べたいところだ。ロイド、できたら肩をかしてくれないか?」
「あ、ああ、いいぞ。」
空気を読んでないのか読んだからなのか、マイペースを貫くカラードを抱えてカウンターに行くロイド。それについていく感じでみんなもカウンターの方に向かう。
「……」
みんながお昼ご飯を持って戻ってくるまで少しあるから、あたしはそそっと学食の外に出た。理由は……お姉ちゃんに連絡を取りたいから。内容はもちろん、あの変な男について。
学院に入る時、何かあったら使いなさいとお姉ちゃんに渡されたマジックアイテムがあって、それを使うと、どこにいてもお姉ちゃんと話ができる。
緊急用……なんだろうけど、でもあの変な男は十分緊急事態――って自分に言い聞かせて、あたしはマジックアイテムのスイッチを入れた。
『かかってくると思ってたわ。』
緊急用なわけだから、きっと慌てた感じに出ると思ってたのに、お姉ちゃんの口調はいつも通り――って言うか、呼び出し音の一回目が鳴り終わる前に出たわね、お姉ちゃん……
「えっと……お姉ちゃん、今大丈夫――なの?」
『大丈夫よ。あれよね、ムイレーフの件よね? ついさっきそこの……なんとかって人から文句みたいなのが来たのよ。でもあれよ、夏休みの終わりにも言ったけど、気にしなくていいのよ、あんなの。』
「あんなのって……一応七大貴族……」
『昔からのなんとなくを正式な事だと勘違いしてるあっちがダメなのよ。私は自分の妹をどこかのお嫁に出す書類にサインした覚えはないし、お父様やお母様にはそういう事しないように言ってあるもの。』
「そ、そう……」
やっぱり思った通りだった。でも……だとするとカルクが言ってたのも本当なのかしら。
「ね、ねぇお姉ちゃん。」
『なぁに?』
「その、お姉ちゃんが今……王族の……身分違いって言うのかしら。そういう相手とのけ、結婚的な事を認める――みたいな運動してるって本当なの?」
『あらあら、どこで聞いたの? 事が事だから上の方で内密に動いてたんだけど。』
「学院でなんかそういう事に詳しい感じの人から聞いたのよ。でも……そう、本当だったんだ。」
『さすが名門。情報網がすごいのねぇ。』
「それでその……もしかしてその運動って……あたしの為に……?」
『そうよ。』
お姉ちゃんらしいけど、あっさりと答えた。
『まー、今となってはエリーを含めた身分の高い若者たちの為かしらね。』
「身分の高い若者って、すごい言い方ね。」
『違う言い方をすれば、生まれた時点で生き方が決まっちゃう家に生まれた人よ。姉さんの事とエリーの事でちょっと考えてね。その生き方はその生き方で大事だし、国がまわらなくなるかもだから否定はしないけど、せめて生涯のパートナーくらいは自由に決めていいんじゃないかしらってね。』
「……お、お姉ちゃんにも……その、そういう……す、好きな人とかいるの?」
『さーどーかしらねー。私よりもエリーよ。ちっとも連絡よこさないで、ロイドくんとはどうなったのよ。』
「あ――えっと……」
そう言えば何も言ってなかった。で、でもロイドと――その、そうなったのだってついこの前だし……それに今はそれよりも大変な事が……
「あ、あのねお姉ちゃん。」
『なになに? お姉ちゃんに包み隠さず言ってみなさい?』
この時、お姉ちゃんにした話が始まりになってああいう事になるとは思いもよらなかった。
「スピエルドルフって知ってる?」
寿司定食という不思議な定食を手に、オレはさっきの席に向かって歩く。
急に色々とあって頭がこんがらがっている。本当ならエリルの婚約者とかいうあの男の事で頭をいっぱいにするところを、何がどうなったのやらオレにも婚約者がいたらしい。
オレがスピエルドルフにいたのは一、二週間くらい……のはずなんだが、しかし言われてみればユーリとストカとの思い出を思い返すと春夏秋冬の風景があるような気がする。
そしてやっぱり、記憶の中のストカは男……い、いや、それよりも問題は、オレの中だと三人で遊んでいる光景が実は四人だったらしいという事と、その四人目がスピエルドルフの女王様だという事だ。
記憶の欠如というか改変はユーリとストカにも起きていたらしく、話を聞く感じ最近思い出したようで……となるとその女王様も思い出しのだろう。つまり、四人組の最後の一人であるオレにちゃんとした過去を思い出させに来たのだ。
つ、ついでにきっとたぶん、婚約とかいう話もしに……
ん? それなら……
「よっこらせ。いや、助かったぞロイド。」
ふらふらのカラードを席に座らせ、少し遅れて戻って来たエリルを待ってお昼ご飯を食べ始める。
「まったくもーロイくんは! 「世界中の港に女がいるぜ!」 みたいになっちゃって! あと何人いるの!?」
「えぇ……んまぁ、友達ならあと数人いるけど……で、でもちゃんと男友達もいるから!」
「それ、実は全員女の子でしたーってなんないよね?」
「ならないよ……もしもそうだったら相当恐ろしい人とかいるし。」
あいつとかあいつが女の子でしたーなんて、フィリウスが女の子でしたーみたいなもんだ。
「まぁ、ロイドくんの浮気話は今夜じっくり聞くとして――」
「ちょ、ローゼルさん人聞きの悪い事を!」
「――魔人族と言うからこう、獣の顔をしている姿とかをイメージしていたが、見た目は人と変わらないのだな。」
「そ、そうかな。ああ、でもまぁローブ姿だったからなぁ。ユーリはともかく、ストカは下を見ればすぐに違いがわかるんだけど。」
「し、下!? なな、なんだそれはどういう意味だ! 下半身か――それとも下着という意味か!? スケベロイドくんめ!」
「えぇ!? いやいやそういう意味じゃないよ!」
「あっははー。そーゆー感じに考えちゃうって事は、優等生ちゃんも結構ムッツリさんなんだねー。」
「……そんな格好しているアンジュくんに言われたくないが……まぁ、そこは認めようか。」
「あれ、認めるんだー。」
「うむ。事、ロイドくんが絡むとなるとな。」
「ぶぁ! な、なに言ってんのローゼルさん!」
「持っている事が発覚すると女子寮から追い出されるだろうアレ系の本は持っていないというのはこの前聞いたが……そう、ロイドくんにはいざとなればわたしという現物がある事を覚えていて欲しいな。」
「ぶえぇ!?」
自分の顔が熱くなるのを感じると同時に、そんなとんでもない事を言ったローゼルさんも顔が真っ赤な事に気づく。ローゼルさんって、たまに勢い任せなんだよなぁ……
「ちょっとロイド、あんたそんな話をこのムッツリ優等生としたわけ?」
ムスッとした顔でオレをにらむエリル。
「えぇっと、したというかふられたというか…………はい、しました……」
「……持ってんの?」
「だ、だから持ってないってば!」
「おお、ロイドもそっちタイプだったか。」
妙な話題の中に突撃してくるカラード。
「えぇ? タ、タイプ? まさかそういう……男子の区別みたいのがあるのか?」
「男子寮の中でな。真っすぐに騎士の道を突き進むタイプと、学校なのだから女子生徒とのキャッキャウフフも楽しみたいというタイプがあるのさ。ミス・セイリオスなんてものの企画も出るくらいだ。」
「誰よ、そんなバカみたいな企画を提案したのは……」
「生徒会長だ。」
「デルフさん……どこまでもお祭り好きなんだなぁ……」
「む。というかカラードくん、もしや後者のタイプの場合は今話に出たようなアレ系の本を学院に持ってきているのか?」
「ああ。男子寮の中ではたまに回覧板のようにまわってくるぞ。残念ながらおれもアレクもそういうのには――いや、興味はあるが騎士として頑張りたい方だからそのまま次に回しているが。」
「へぇ、男子寮は面白そうだな。オレ、大浴場目当てでしか行った事ないから。」
「行かなくていいからねロイくん! そんなえ――えっちな本目当てで行かないでね!」
「ああいや、別にえっちな本ばかりというわけではないぞ。学院内で美人とかかわいいとかで有名な女子生徒の写真なんかもまわってくる。確かリシアンサスさんとトラピッチェさんの写真は見た事があるな。」
「なに!?」
「ボク!?」
がたっと身を乗り出す二人。
「リシアンサスさんは『水氷の女神』と呼ばれる程だからな。廊下を歩いている姿や物憂げに空を眺めている姿なんかがあった。トラピッチェさんは商売をしている時の写真ばかりだったが……こうして入学した事により、制服姿もちらほら見るようになったな。」
何事もないように本人たちにそんな話をするカラード。ローゼルさんたちは微妙な顔。
「……なぁ、カラード。」
「うん?」
ふと、話の流れ的に思い至った事を確認するため、オレはカラードに尋ねる。
「二人の、例えば着替えてるとことか、そういう写真は無いんだよな?」
「ふふ、そんなに怖い顔をしなくても大丈夫だぞロイド。えっちな本はともかく、本人の許可なしに撮られた写真にそういう類はない。昔はあったらしいが、生徒会長がまだ一年生の時、そういう写真を目にして関係者全員をボコボコにしてからは無くなったそうだ。」
「えぇ、デルフさんが?」
「当時の三年生ですら打ち負かしたそうだから、入学当初から相当強かったのだな。ま、それはそれとして模擬戦でもないのに戦闘をしたという事で罰を受けたそうだが。」
「そんな事が……でもかっこいいなぁ……」
「ああ、あの人はかっこいい。」
外見のカッコよさじゃない、内側のカッコよさとでも言うべきか。男が惚れる男――みたいなモノをカラードと一緒にうんうんいいながら噛みしめていると、エリルにこめかみの辺りをデコピンされた。
「? なんだ?」
「……あんたはホントに……」
ムスッとした顔のエリルが指差す方を見ると――
「な、なんだロイドくん、心配してくれたのか……? それともあれか? オ、オレのローゼルにー的なあれか?」
「えへへー、オレのリリーって事だよねー、ロイくんてばもぅ! でも安心してね、ロイくんならボクは――きゃーきゃー!」
かわいい顔で嬉しそうにする二人を見たオレは、追撃としてエリルにほっぺをつねられた。
「ふぇ、ふぇほ……あれだな、そんな感じに人気の二人からオレはああなって……他にも……オレ、その内男子にタコ殴りにされたりしないかな……」
「……そういう自覚はあんのね。」
「……んまぁ……さすがに……」
「にゃあ、そこんとこはどうなの、カラードちゃん。男子の間でロイドちゃんってどんな感じ?」
「まず騎士としては、その実力を誰もが認めている。ランク戦を通してより一層という感じだな。その一方、お姫様――あー、つまりクォーツさんと夫婦をしているが愛人も多く、その内かわいい女子を全てとられてしまうのではないかと、一部の男子は戦々恐々だ。よく「さすが《オウガスト》の弟子」と言われている。」
さらりと知らされたオレの評判はとんでもないモノだった。
「そんな風になってるのか! て、てかオレ別にフィリウスみたいに女の人を誘ったりはしてないぞ!」
「だ、だからなんでいきなり夫婦なのよ!」
「おや、エリルくんは夫婦が嫌なのか? ではすぐにでも部屋を交換しようではないか。おそらく相部屋というのが一番の要因だからな。」
「な――し、しないわよ!」
「ロイくんてば、フィルさんから何を教わったの?」
「別に女の子の口説き方とかそういうのは教わってないからね!?」
「ロ、ロイドくんの場合は……し、自然体っていうか、素で……結構アレだから……」
「あー、さらっとドキッとすること言うよねー。天然の女ったらしだねー、ロイドはー。」
「女ったらし!? そんな風に言われる日が来るなんて……し、心外だ!」
「しかしロイドくん、ついさっき昔なじみの女の子に抱き付かれていただろう? ついでに一国の女王様までロイドくんを訪ねてやって来た。」
「うぅ……」
「エリルくんは良いかもしれないが、わたしは愛人を認めないぞ。」
「認めてなんかないわよ!」
いつも通りのにぎやかな光景。あーいや、のほほんと見物する立場でも内容でもないんだけど、やっぱりホッとするというか楽しいというか――そんな感じ。
そしてたぶん、ユーリとストカともこんな日常を送っていたはずなのだ。オレの頭の中にある記憶の何倍もの時間、そういう光景が流れたはず。しかも、その場にはもう一人いた。
記憶を変えたのは恋愛マスター。オレの願いを叶える代価として、とある一年間――スピエルドルフで過ごした一年分の記憶が奪われ、結果今見たいな記憶になった。
一年間っていう長さはともかく、どうして恋愛マスターは他のいつでもない、スピエルドルフでの一年間を奪ったのか。きっとその答えが……女王様。
もしかすると、昔の友達を思い出すって事以上に、今夜は大事になるのかもしれないな。
田舎者の青年がこれから起こる事に思いをはせている頃、ついさっき外出から戻って来た一人の女性騎士が王国の図書館で本を読んでいた。
この図書館では珍しい光景でもないが、桃色の長い髪が特徴的な彼女は完全武装をした状態で本棚の前に立っており、その美貌から声をかける男がいてもよさそうなところを、実際誰も話しかけない状態になっていた。
「おお、何してんだ?」
表情もかなり真剣であり、一層話しかけづらい彼女にあっさりと話しかけた男は女性の背中をバシンと叩いた。
「! 《オウガスト》殿!」
男はボロい上下に大剣を背負った格好で、とても「殿」をつけて呼ぶような人物には見えず、本人もそう思っているのだろう、彼女の呼び方にやれやれという顔をする。
「フィリウスだ。そう呼べって言ったろ。」
「あ、は、はい……え、えと、フィリウス……」
「おお。で、ランス使いがどうして古い剣術の本なんか読んでんだ、オリアナ。」
「これは……つい先ほどオウガ――フィリウスのお弟子さんのサードニクスさんと手合せをしまして。」
「大将と? んな話聞いてないぞ。どういう状況だそりゃ。」
「教官に急に呼び出されまして、行ってみたらとりあえず戦えと。授業の一環として生徒の弱点を教えたかったそうです。」
「細かい事を言うと教官はもう教官じゃないただの教師だから呼び出しに応じる必要はなかったりするんだがな。しかし弱点か。確かにお前と今の大将じゃ勝負になんないからな。」
「流石に把握されていましたか。」
「んああ。別に大将――曲芸剣術に限らず、遠距離武器でもないモンを身体から離して使おうっつー戦法の弱点は同じだ。人形師が操る人形が厄介なら糸を切ればいい。」
「ええ。ですがあれほど美しい風は初めて見ました。魔法の技術はまだまだ未熟なようですが、いずれ誰にも負けない風使いとなりますよ。そうなったら、彼の曲芸剣術を打ち破る事は難しくなるでしょうね。」
「ほう。お前がそう言うんならそうなんだろうな。」
「いえ……自分よりフィリウスの方が風魔法の技量は上ですよ……」
「威力に関しちゃな。だが細かい制御うんぬんとなるとお前が上だろ。んで話を戻すが、どうしてお前はその本を? 曲芸剣術に興味を持ったっつーんならお前にはもうできないからやめとけよ。」
「興味と言えばそうなのですが……その、サードニクスさんと手合せした際に妙な感覚があったので。」
「感覚?」
「サードニクスさんは二十ほどの剣を風で操っていたのですが……その内の二本が妙でして。」
「それたぶん俺様が大将にやった剣だな。知り合いに頼んで作ってもらった回復機能付きの剣だ。ま、ちょっとしたマジックアイテムだな。」
「……確かに、その二本からは魔法の気配を感じましたが……そうではないのです。何と言いますか、その二本を操っている力が風だけじゃないように感じたというか……その二本だけ妙に生き生きしていたというか……」
「生き生き? 今の大将とはまだ戦った事ないが、お前が何か感じたのなら何かあるんだろうな。大将の奴、俺様の知らないところで何かやったのか?」
不思議に思いつつも少し嬉しそうな顔をしている男を前に、女性は少しためらいながら尋ねた。
「あの、フィリウス……いきなりの事で聞きそびれたのですが……」
「あん?」
「その、なぜ自分を《オウガスト》の『ムーンナイツ』に?」
十二騎士はトーナメントによって決定する、世界中の騎士の頂点に立つ十二人に与えられる称号である。最強であるという証明の他、多くの権利を手にする代わりに、十二騎士は一般の騎士では対処できないような事件の解決を任される。
世界中に散っている十二騎士が一か所に集まる機会というのは非常に少なく、その為何かの仕事を頼まれた際は大抵十二人の中の誰かが一人で赴く場合がほとんどである。
しかし、いくら最強とは言え一人では成せない事も多い。その為、世界連合は十二騎士がそれぞれに専属の部隊を作る事を認め、また勧めている。
その専属の部隊の事を、通称『ムーンナイツ』と呼ぶ。
「? 駄目だったか?」
「いえそんな! しかし『ムーンナイツ』は十二騎士に実力を認められるような優秀な騎士がなるモノですから――」
「別に騎士って決まりはないぞ。昔、魔法生物を『ムーンナイツ』にした十二騎士もいたっつー話だ。そもそも実力を認められるようならそいつが次の十二騎士になればいいっつーか狙えばいいっつーか。」
「……実際、『ムーンナイツ』を経て十二騎士になった方も多いと聞きます。明文化されてはいませんが、『ムーンナイツ』の位は上級騎士と十二騎士の間とよく言われています。ですからやはり……その、自分のような未熟者が名を連ねる位では……」
「難しく考えるなよ、オリアナ。『ムーンナイツ』ってのは単純に、十二騎士それぞれが何かの任務をこなす時に一緒に戦う仲間を指すモンだ。十二騎士っつーナンバーワン騎士が選ぶわけだから強い連中が集まるのは当然だが、別に強くないと選ばれないモンでもない。要するにありゃ十二騎士それぞれの趣味だからな。」
「で、では自分を選んだ理由はなんでしょうか。何か、フィリウスの目に留まるモノが自分に……?」
「ああ。」
「! そ、それは一体……」
「ずばり、ガッツだな!」
「……え、え?」
男の答えに女性はきょとんとする。
「ま、ぶっちゃけるとお前は大将の後釜なんだよ。」
「あ、後釜? え、サードニクスさんのですか?」
まったく意味が分からないという顔をした女性を横目に、男は……あまりらしくない、少し申し訳なさそうな口調で話を続けた。
「弟子とか後継とか、んなもんにこれっぽっちも興味なかったはずなんだがな。ちょっとした気まぐれ、本当のなんとなくで拾ったチビッ子が俺様の教えた事をバンバンモノにしていく光景にすっかりハマっちまったんだ。俺様の技を残すとかそういうんじゃなく、ただ、俺様の手の中で強い奴が育っていく感覚っつーのか? 楽しいんだな、これが。」
年齢的にはだいぶいい歳ではあるが、男は新しいおもちゃを買ってもらった子供のように笑う。
「しかし大将に教えたのは曲芸剣術。あれの使い手を今の時代に生み出せたのは嬉しいんだが、もう教えられる事がなくなっちまった。曲芸剣術の使い手として今より強くなる方法なんてのを俺様は知らねーし、そもそも知ってる奴は今の時代にいない。あそこからは大将独自の道のりなわけだ。でもって魔法に関する基礎も教えちまって、風の使い方が俺様と大将じゃ違うからこれまた教えられることがもうない。」
「えぇっと……つ、つまりこうでしょうか。人を育てる楽しみを知ったものの、サードニクスさんはすでにフィリウスの手を離れてしまっていると……?」
「そうだ。でもって、そうなったならそうなったで、まだまだ楽しみたい俺様は探すわけだ。育て甲斐のある次の奴をな。」
「後釜とはそういう……で、では自分が!?」
「その通り! 第八系統の使い手ってのもあるが、何よりあのガッツ! 『イェドの双子』に挑もうとした、お前の言うところの「正義の心」ってやつは俺様好みだ! あの時の無謀を、お前を語る伝説の序章にしてやりたいと思ってな!」
「自分が……《オウガスト》の……で、弟子に……?」
「んな大げさに考えるな。お前が強くなれるような舞台に、十二騎士の任務っつー形で招待してやろうってだけだからな。他の『ムーンナイツ』も含めて、たっぷりと技術を盗むといい。」
「は、はい! ありがとうございます!」
そこが図書館である事も忘れ、女性騎士は大きな声で礼を言いながら頭を下げた。普段、ルールや規則はしっかりと守る女性であったが、この時ばかりは嬉しさが規律を飲み込んだ。
「これは一体どういう事だ?」
直後、女性はもちろんだが十二騎士である男までもがゾッとする気配が走った。おそるおそる首を動かす両者の横に立っていたのは一人の女性。
「まさかこのようなところに伏兵がいたとは……私もつめがあまい。」
若干古ぼけた町娘の格好をした、どこにでもいそうな女性。しかし別の言い方をすると、一対一の勝負では他の十二騎士も含めた上で最強を誇ると言われる女性騎士――《ディセンバ》が、驚く女性と冷や汗だくだくの男の横に立っていた。
「ディ――あー、その格好の時はキャストライトか。こんなとこで会うとは、何か調べも――」
「そちらの女性は?」
「あ、ああ。こいつはオリアナ・エーデルワイス。俺様の『ムーンナイツ』の新入りだ。」
「せ、先日はどうもありがとうございました。」
「ああ、あの時の。おや、ところでフィリウス? 記憶が確かなら今の《オウガスト》の『ムーンナイツ』に女性はいなかったな。」
「そ、そうだな。オリアナが紅一点になる。」
「ほう……その上タイショーくんに続く二人目の弟子と?」
「なんだ聞いてたのか?」
「俺様好みというのも聞こえた。」
「そ、それはあれだ、心意気の話だぞ。こう見えてなかなかガッツのある――」
「オリアナさん。」
「は、はい!」
「私はセルヴィア・キャストライトと言う。以後よろしく。」
「は、はあ……存じておりますが……よ、よろしくお願いします……」
事態の飲み込めない女性は、そこで十二騎士のこの二人に関する噂と、先日見た二人の会話
を思い出し、大慌てで首と手を振った。
「ち、違います! そういうのではありませんから! 自分はただの――え、えぇっとただの部下みたいなモノですから!」
「今はそうかもしれないが、近くにいる事でそうなるかもしれない。」
すぅっと、そこが戦場であったなら隙のない流麗さに対応できずに一撃を受けていたであろう動きで女性に近づいた町娘は、その耳元でぼそりと呟いた。
「もしもそうなったなら、覚悟してくれ。」
これまで経験したどんなモノよりも恐ろしい、心臓をわしづかみにされたような恐怖が女性の体を突き抜けた。
「お、おいおいキャストライト、オリアナを殺すなよ?」
「さて、なんの話かな? そんな事するわけがない。」
「ガキなら泣くの通り越して気絶するレベルの殺気出しといて何言ってんだ。」
「おや、これは失礼。私もまだまだ未熟だな。」
十二騎士の弟子となり、騎士として更なる高みへ進めると歓喜したのもつかの間、同時に舞い込んできた命の危機に、女性騎士は自らの先行きにかつてない不安の影が広がるのを感じていた。
「おっとそうだ。」
一瞬前まで絶対的な死神となっていた町娘がコロッと雰囲気を変えて男に紙を一枚渡した。
「私がここに来たのはフィリウスを追ってだ。それを任されたものでな。」
「手紙か?」
「伝言のメモだ。ルビー……教官からの呼び出しらしい。」
「んな!? 俺様も授業に使う気か!?」
驚き顔でメモを読んだ男は、その顔を困惑顔にして首をかしげた。
「なんでまたこんな懐かしい奴らが?」
夜。いつもならあたしもロイドも寝間着姿でのんびりしてる時間なんだけど、お客さん――しかも一国の女王様が来るって事だから、一応制服姿で部屋にいるあたしたち。
ちなみに「あたしたち」っていうのは――
「あー緊張してきた。女王様なんて……オレ一体どうしたら……」
「一応、そこのむすり顔の女の子も王族だぞ、ロイドくん。」
「誰がむすり顔よ!」
「ま、魔人族の女王様って……ど、どんななんだろう……蜘蛛みたいのだったりするのかな……」
「スピエルドルフの王族は女郎蜘蛛の一族じゃないから安心していいよ、ティアナちゃん。」
「てゆーか女郎蜘蛛の一族なんてのがいるのー?」
――あたしとロイドに加えてローゼルとティアナとリリーとアンジュの六人のこと。
「――っていうか、六人でも結構なのに女王と……さっきのユーリとストカってのも来るんじゃ部屋が狭いわ。あんたたち自分の部屋に戻りなさいよ。」
「そーはいかないもんね。ロイくんとの婚約なんて認めないって言ってやるんだから。」
リリーの言葉の……たぶん「婚約」ってところに反応して赤くなるロイド。
「こ、婚約かぁ……でもオレがスピエルドルフに行ったのって十二歳くらいの頃だったはずだからなぁ……いくらなんでも気が早いような……」
「お昼の時に結婚の話をしてたロイドが気が早いとか言うのー? まーでも確かにちょっと変かもねー。もしかして子供の口約束みたいなのだったりするのかなー。」
「うーむ。しかしそれで女王様が直々に来るというのは――」
ローゼルがあごに手を当てるのと同じタイミングで、ドアをノックする音が聞こえた。
「き、来たか。よし、オレが出るぞ。」
むんって気合を入れてドアの方に向かうロイド。だけど……
「ロイド、てめーこの野郎!」
「びゃああああ!?」
数秒前の気合の入った顔はどこに行ったのやら、ドアからバタバタと戻って来たまぬけ面のロイドの背中――っていうか首にはストカがくっついてた。
「ちょちょちょ! ストカ、こ、これはマズイって!」
学食の時よりもさらに顔を赤くするロイド。その理由はストカの格好にあった。
ローブをとったストカは……言うなればドレス姿。しかも肩が出てるタイプの……む、胸が強調されるっていうか露出してるタイプで、それを首らへんに押し付けられたロイドは――つ、つまりその、ストカの胸にちょちょ、直接触れるような状態で……!!
ま、まぁそっちはそっちでだいぶムカムカするんだけど、それよりも驚く事があった。
スリットの入ってるスカートっていうのは別に珍しくないけど、ストカの服のスカート部分に入ってるスリットは真後ろ……つまりお、おしりの部分にあった。しかも結構深いスリットで腰の辺りまで届いてるから、たぶん普通に歩くだけで……下着とかおしりとかが丸見えになる。
だけどストカはそうなってない。なぜなら、ストカの腰の辺りから……サソリの尻尾みたいのが伸びてるから。
カルクの猫の尻尾みたいな小さいのじゃない、大人をぐるりと巻けるくらいに長くて、そのまま絞め殺せてしまいそうに力強い感じでちゃんと先端が尖ってる、髪の色と同じの綺麗な赤色の尻尾。
お昼の時にロイドが言ってた「下を見ればわかる」っていうのはこれの事だったのね。
「女子寮に住んでるならそう言えよ! 普通に男子寮に突撃しちまったろーが!」
「わ、悪かったからちょ、離れろストカ! 色々とマズイから! 鼻血出るから!」
「おいおいストカ、それくらいにしてやれ。姫様を血まみれのロイドに会わせる気か。」
遅れて部屋に入ってきたのはローブをとったユーリで、こっちもこっちで不思議な姿だった。
面白いデザインの長袖の上着に半ズボンっていう独特なセンスなんだけど、目を引くのはそこじゃない。両脚のひざの上辺りと……あと首に、縫い目みたいのが走ってる。手術の痕っていう感じじゃない、布と布をつなぐような縫い目で、それを境に……首の方は縫い目から下、脚の方は縫い目から上が……何ていうか、異常に色白っていうか、悪く言うと死人みたいな肌の色をしてた。
長袖だから見えないだけで腕もそうなってるのかもと思ってそっちに目を移すと、そこにも妙なところがあった。左腕は普通なんだけど、右腕は袖口から手が出てない――っていうか見た感じ腕が袖を通ってない。わざとそうしてるのか、それとも――右腕が無いのか。
「ん? おいユーリ、右腕はどうしたんだ? 置いてきたのか?」
ストカを振りほどいたロイドがユーリを見てそんな事を言った。ていうか置いてきたって何よ……
「一応、私とストカは姫様の護衛って形でここに来ているからな。いざという時にすぐに対応できるようにしているのだ。」
「そうか……で、そのお姫様――女王様は……?」
「姫様は……どうやら少し緊張しているようでな。ちょっと心の準備をしてくるとさ。」
「緊張? なんで女王様が?」
「最近思い出した婚約者に会うのだぞ? その上その婚約者は自分の事を覚えていない……緊張もするだろう?」
「う……」
また少し顔を赤くしたロイドは、ぶんぶんと首を振ってあたしたちに向き直った。
「え、えぇっと、なんか女王様はまだ来ないっぽいから……よし、みんなに二人を紹介しよう。まずこっちの赤い髪の……お、女の子がストカ・ブラックライト。種族はマンティコアで、ストカの場合は見ての通りサソリの尻尾がはえてる。」
「なによそれ、魔人族って種族なんじゃないの?」
「んまぁ、族って言葉が被るからややこしいけど、大きく括ると魔人族ってだけで実際は色んな種族がいるんだよ。」
「ふぅん。で、マンティコアってなによ。」
「人間の頭、トラの身体、サソリの尻尾っつー生き物さ。」
答えたのはストカ。その大きなサソリの尻尾を揺らしながら得意げに……よくローゼルがやる胸の下で腕を組むムカつくポーズで説明する。
「魔人族ってのはそれぞれの種族のご先祖様を辿ると、それぞれにある一体のとんでもねー生き物にぶち当たんだ。で、俺の場合はマンティコア。」
とんでもねー生き物ねぇ……魔法生物とは違う、おとぎ話とかに出て来る伝説上、空想上の生き物の事なのかしら。そういうのの血を引くのが魔人族?
「んまぁ、魔人族の始まりとかを話すと長いから、とりあえずストカはそういう種族ってことだけ紹介しとくよ。――それにしてもストカ、ずいぶん大きくなったんだな。」
「なんだ、いろいろ言っといて結局は胸の話か。やっぱロイドも男なんだなぁ。」
「尻尾の話だバカ! 昔はもっと小さかっただろ? 触ってもいいか?」
「おう。」
ぐいんとロイドの目の前に伸びてきたストカの尻尾。あたしの髪よりもちょっと濃い目の赤……アイリスの髪の色に近いわね。
「おお、硬い。」
「ああ、鉄砲の弾くらいは軽く弾けるぜ?」
「すごいな……そういや毒は? 昔はコントロールできないからって言って先端に包帯か何かを巻いてたろ?」
「その辺はもう完璧だ。出す出さないはもちろん、加減もできる。」
へぇーって言いながらロイドが触ってる尻尾の先端は、人間くらいは軽く貫けそうで……銃弾を跳ね返す硬さがあるとなると、鉄板とかにも穴をあけられるかもしれないわね……
「えっと、次はユーリなんだけど……たぶん、マンティコアよりは有名だな。そこの眼鏡の男のフルネームはユーリ・フランケンシュタインって言うんだ。」
「フランケンシュタイン? 確か……初めて人工的に人間を作ったという魔法使いの名前だな、それは。」
「さすがローゼルさん。そのフランケンシュタインだよ。」
「んん? では彼はその魔法使いの子孫だと言うのか? となると人間という事に……」
「あーそうじゃなくてね。ユーリの一族は、そのフランケンシュタインって人が作った人間の子孫なんだよ。」
ロイドの言葉に少し首をかしげるローゼルを見て、ユーリが――昔話を語る人みたいに説明を始めた。
「昔、ヴィクター・フランケンシュタインという魔法使いが魔法技術といくつかの死体を使って人造人間を生み出すことに成功した。そしてその後も人工の生命というテーマの下、彼はその人造人間を助手にして様々な研究を続けていったのだが、ある時彼は病に倒れてしまう。死の間際、彼は自分が作った人造人間に「フランケンシュタイン」を名乗る事を許してこの世を去った。彼の死後、人造人間はツギハギだらけの自分を愛する稀有な女性に巡り合い、そうしてフランケンシュタインの名はこの私まで受け継がれてきた……というわけだ。」
「つまり……ストカくんのご先祖様がマンティコアという生き物なら、ユーリくんの場合は最初の人造人間がそれだと。しかしそれだとやはり種族的には一応人間なのではないか?」
「基本的にはそうだ。しかし、普通の人間にはない特徴が私――人造人間の子孫にはあるから、どちらかというと魔人族かなという感じになっているのだ。」
「そ、その特徴とは……?」
「そうだな……ロイド、ちょっとベッドを借りるぞ。」
ぼふっとベッドに腰かけたユーリは、靴を脱ぐ感じに右足を外し――ってえぇ!?
「このように、私の身体は色々と融通が利く。」
右の足首から先を片手に持ってなんでもないようにそんな事を言うユーリに対して、あたしたちはいきなりのスプラッターに一歩引いた。
「融通が利くとかそういう話じゃないぞ! あ、足が……血は出ていないようだが……痛みはないのか!?」
「ない。痛覚がないわけではないが、取り外す時に痛みは感じない。腕を動かしたり息をするのに痛みを覚えないのと同じくらいに、私のこれは気楽な一般動作なのだ。」
「そんなわけが……い、いや、そういうモノと納得するしかないか……」
「オレも初めて見た時はビックリしたよ。でもユーリはこのおかげで……っていうかこれこそが人造人間の真骨頂というか……んまぁ、つまりユーリって自分の身体を結構好きなように改造できるんだよ。」
「か、改造? 人造な上に改造人間なのか?」
「例えば……腕を筋肉ムキムキのやつに付け替えてみたり、背中とかに大きな翼を取り付けてみたり、あと確か専用の道具を使えば機械の腕とかもつけられる……んだよな?」
「その通り。ちなみに――」
ユーリは自分の首の縫い目の下……死人みたいな色をしてる部分を指差す。
「私本来の肌の色はこっちなんだが、あんまり怖がられないようにローブから出る部分に関しては血の巡りの良さそうな肌の色に交換してきた。」
「ああ、それでか。前より顔色いいなと思ったんだ。」
魔人族……なまじ人に近いから油断しちゃうけど、根本的に人間とは違う生き物で違う身体を持っているわけね……なんていうか、世界は広いわ……
「肌の交換とは……む? ではもしかして見かけよりも年上だったりその逆だったりするのか?」
「私もストカも姫様も、全員ロイドと同い年だ。つまりあなたたちとも同い年。」
女王様も? じゃああたしと同じ年で一国を治めてるわけね……
「二人の紹介はこんなもんだけど……なぁユーリ、ローブ姿の人って全部で五人いたけど、残りの三人も実はオレの知り合いって事があったりするのか……?」
「面識はあるはずだが、姫様の事を忘れているとなると覚えていないかもな。さっき言ったが私たちは一応の護衛。対してあの三人は本物の護衛だ。」
「どういうことだ?」
「俺とユーリは姫様のダチだ。初めてじゃないが国の外に出るんだから、仲のいい相手が近くにいた方が安心だろ? 加えて俺たち自身もロイドに会いたいっつーことで今回同行できたんだ。」
「私たちは今スピエルドルフの……こっちで言うところの、騎士のようなモノの見習い。本来であれば女王の外出に同行できる立場ではないんだが、言うなれば「お友達枠」みたいな感じでここにいるのさ。」
「つーことは……残りの三人は女王の護衛を任されるくらいのスピエルドルフの精鋭ってわけか。」
「そーゆーこった。だから姫様に会った記憶がないってんなら、あの三人の記憶もセットでないかもなってわけ――っと、姫様だ。」
「えぇ? ドアの前にでも来たのか? よくわかるな。」
「中庭の方見てみろよ。」
ストカの指差しに従って外の方を見ると、いつの間にか真っ黒ローブが二人、窓の両脇に立ってた。こっちに背中を向けてるから……見張りみたいな役割かしら。
コンコン。
ドアをノックする音。それに反応してユーリがドアの方に歩いて行った。
『では私は扉の前におります故、存分にお楽しみ下さいませ。ユーリ、姫様を頼みますよ。』
「了解。」
頭の中に響くような声が聞こえ、戻って来たユーリの後ろに黒いドレスの女がいた。そうしてドレスの女が部屋の中に入った辺りで、ストカとユーリが女の左右にスッと跪いた。
「こちらが、我らがスピエルドルフの女王――カーミラ・ヴラディスラウス様でございま――」
「ちょっと。」
謁見者に王を紹介するみたいにユーリがしゃべりだしたと思ったら、それは女王の一言で遮られた。
「国の大事を決める交渉の席でもあるまいし、同じ年の者しかいないこの部屋で位も何もありはしないわ。二人とも今すぐ跪くのを止めなさい。」
「……ではいつも通りという事でよろしいでしょうか?」
「むしろそうしてちょうだい。」
女王がそう言うと、二人は折っていた膝を伸ばしてふぅとため息をつく。
「やれやれ、そう言ってもらえるとありがたい。私もまだこういうのには慣れなくてな。」
「俺もだ。うまくしゃべれねーからこっから先は一言もしゃべらないつもりだったくらいだ。」
二人がついさっきまでと同じ雰囲気になったところで、女王が一歩前に出た。
「先に紹介されてしまいましたが、ワタクシはカーミラ・ヴラディスラウス。スピエルドルフの女王をさせて頂いております。」
同い年には見えない……なんていうか、タイプで言うとローゼルみたいな感じ。ふんわり広がってる腰くらいまで伸びた黒髪、左脚の方にスリットの入ったふんわりした黒いドレスに黒いヒール。全身のほとんどが黒だから、ドレスにあるところどころの赤い模様やネックレスの赤い宝石、そして黄色い左目が異様に目立つ。
ストカの尻尾とかユーリの縫い目みたいな……魔人族っぽさって言うのかしら。そういうのが一切ない、普通に人間に見える姿。唯一目を引くのは――黄色い左目に対する、黒い右目。オッドアイくらいしかそれっぽいのがないんだけど……そこまで見た後で頭の上にくっついてる黒い髪飾りの形を見ると、この女王様の種族ってのがなんとなくわかった。
黒と赤の衣装に……コウモリの形をした髪飾り。これは――
「ちなみに、ワタクシは吸血鬼です。」
吸血鬼。もしかしたらキバがあるのかもだけど、少なくとも外見的には人間そのもの。
だけどこう……何かが違う。女王はかなり美人なんだけど、それはどこか人間離れしてる……ちょっと危機感を覚えるような魅力があるのよね。
「……なんていうか、イメージそのままね。吸血鬼ってそういう格好してそうだもの。」
「ふふふ、逆でございます。ワタクシたちがこういった服を好む故にそういうイメージが定着したのです。」
「吸血鬼……あっと、え、えぇっと……じゃ、じゃあこっちの紹介を……」
「それには及びません。みなさんのお名前は存じでおりますから。」
「そ、そうですか……」
「ふふふ。」
……ロイドと婚約してるとか聞いたから、出会うや否やで飛びついて来たりするかもって思ってたんだけど……予想外に落ち着いた雰囲気ね。
「さて……みなさんは突然の事で困惑している事でしょうから何をどこから話すべきか……ひとまずはワタクシのちょっとした昔語りとしましょうか。」
そう言いながら女王――カーミラがパチンと指を鳴らすと彼女の後ろに黒い椅子が出現した。
「どうぞ、みなさまも楽にしてください。」
なんとなく立ってたあたしたちがそれぞれ座ったり壁によりかかったりして話を聞く態勢になると、ゆったりと腰かけたカーミラはぽつりぽつりと語り始めた。
魔人族だけの国として建国されたスピエルドルフは、代々ワタクシの家――ヴラディスラウスという吸血鬼の一族が治めております。太陽の光を苦手とする魔人族の中において、その影響を最も受けるワタクシたち吸血鬼ですが、それ故に太陽の光に対する研究が最も進んでおりました。
その研究成果の一つとして一定空間内を常に夜にする魔法を持っていた事から、ヴラディスラウス家がその魔法で人々を太陽の光から守る事を任され、後に王族として国を統治する事になりました。
国を覆う夜の魔法を維持しながら、いつか太陽の光を克服するために研究を続けてきたヴラディスラウス家に、ある時一人の娘が誕生しました。ヴラディスラウス家は代々ユリオプスという魔眼を発現させていたのですが、妙な事に彼女にはそれが左目にしかありませんでした。
片目だけが魔眼というのは魔人族に限らず、魔眼の歴史の中では登場した事のないケース。これは何かあると、彼女の右目を調べて見たところ、驚くべき事がわかりました。
夜に生きる者である吸血鬼の眼は非常に夜目が利くのですが、その代わりに太陽の光などの強い光の下ではまぶしすぎて何も見えません。しかし彼女の右目は夜目が利くという吸血鬼の特徴に加え、太陽の光の下でもモノを見る事が可能だったのです。
そして更なる調査の結果、吸血鬼であれば数分で全身が焼けただれ、そうでない魔人族でも体力を奪われていく太陽の光の下であっても、彼女はローブ無しで数時間もの間活動可能という事が判明しました。
吸血鬼だけではない、全魔人族の明るい未来の象徴なった彼女は、少し懸念されていた特異な体質故の副作用などもなく成長していきました。そして、未来の象徴である彼女には早めに王位についてもらった方が良いだろうという両親の判断により、成人を待たずして女王となりました。
一国を治めるため、学ばなければならない事の多い彼女でしたが、昔からの友人であるマンティコアやフランケンシュタインの一族の子の協力や励ましを受けながら、毎日を過ごしていました。
そんなある日、資料を整理していた彼女は一枚の書類を見つけました。子供が手書きしたような文面ではありましたが、形式はちゃんとしており、その上血判まで押されているそれは、一応書類として有効な文章でした。
内容は婚約。そこに書かれている二人の人物の結婚を将来約束するというモノでした。二人の内一人は彼女の名前でしたが、彼女には覚えのない事。しかし吸血鬼である彼女には、自分の名前の横に押されている血判が自分のモノであるとすぐにわかりました。これは確認が必要な案件。そう思った彼女はその書類について調べ始めました。
まずはその書類に書かれている男性について調べてみたのですが、スピエルドルフに同じ名前の人物は今も昔も存在していませんでした。国外に住んでいる魔人族かもしれないと考えた彼女は、せめて何族かだけでも突き止めようと血判を分析したのですが、なんとその血は人間のモノだったのです。
人間と魔人族が結ばれた例はゼロではありませんが、彼女の知り合いに人間はいません。これは早々にお手上げかと思われましたが、世間話程度の心持ちでその話を友人二人にしたところ、なんと二人はその男性と友達だと言うのです。
数年前に一人の騎士に連れられてやってきた男の子で、滞在していたのは一、二週間ほどでしたが二人はその男の子ととても仲良くなったとの事でした。
しかし、ここで妙な事が起きます。その男の子との思い出を語る二人は、そうするほどに段々と難しい顔になっていきました。どうしたのかと尋ねると、二人はそろって首をかしげるのです。
もっと長く一緒に過ごしたような気がする。友達を通り越して親友と呼べるくらいに仲良しだった気がする。なんだか……思い出の量と滞在期間が合ってない気がする、と。
二人は、時たまいたずらはしますが嘘はつきません。もしかしたら、何かとても大切な事を忘れているのではないか……そう感じた彼女は友人二人と共に、スピエルドルフ一の医師を訪ねました。
そこで判明した恐るべき事実。なんと彼女と友人二人には、記憶の改ざんが行われた形跡があったのです。しかも医師によると、それは魔法とは異なる……もっと高度で強大な何かの力によって行われているとのこと。彼女や友人二人が自身の記憶について疑いを覚えていなければ、恐らく何度検査したところでその形跡は見つけられなかっただろうと。
正体不明の力によって改ざんされた記憶を戻すことは残念ながらその医師にはできない……そう言われた彼女と友人二人は、であるならばもう本人に会うしかないと考えました。
友人二人によると、男の子を連れて来た騎士というのは十二騎士の一人である《オウガスト》。少なくともそちらであれば居場所はすぐにわかる……と思っていたのですが、その《オウガスト》は一か所にとどまらず、世界中をあっちへこっちへ放浪しているとの事。その居場所を知っている者はおらず、唯一位置魔法の使い手である《オクトウバ》だけが、必要な時に彼を見つける事ができると。
しかし《オクトウバ》は信仰の厚いとある国の祭司であり、その国では魔人族は悪魔として認識されていました。故に、連絡をとろうとすれば門前払い……そこで男の子の調査は終了せざるを得なくなりました。
残された方法は、毎年行われる十二騎士のトーナメントにやってきた《オウガスト》を訪ねること……その時まで、彼女たちにできる事はないのです。
どうして記憶が改ざんされたのか。改ざんした者の目的は一体何なのか。そして改ざんされたという事は――彼女が忘れているだけで、あの婚約はいたずらでも何でもない、本当の気持ちがあった故に書かれた可能性が高いという事。
彼女がそんなにも想った相手。その男の子とはどんな人なのだろうか。カッコイイのだろうか。優しいのだろうか。強いのだろうか。顔も知らない男の子のことを考えて頭の中をぐるぐるさせること数日……その時は前触れもなくやってきました。
まるで、男の子のことを考えて起こった思考の渦が激流となって改ざんという堤防を決壊させたかのように、ある時ある瞬間に、彼女の頭の中に記憶が流れ込んだのです。
男の子とおしゃべりした時に感じる想い。手をつないだ時に感じる熱。笑顔を見た時に感じる胸の高鳴り。どうして忘れていたのか、これほどの想いが無かった事になっていたなんて信じられない。
急激な記憶の奔流に倒れ、記憶を整理するために寝込むこと三日、目覚めた彼女はとても大切な事をたくさん思い出していました。
彼女の右目は生まれた時から今のような状態ではなかったという事や彼女の太陽の光に対する耐性は、右目が今のような状態になってから身についたという事。そういった彼女の体質変化にはその男の子が深く関わっている事。
そして何よりも大切な事――
彼女が、その男の子を心の底から愛していたという事。
彼女と同じように唐突に全てを思い出した友人二人と記憶の確認を行い、とてもトーナメントまで待っていられない彼女は国の総力を挙げて男の子の捜索を始めました。
手がかりは、十二騎士の《オウガスト》と一緒にいたという事。彼の教えを受けて修行していたという事。そして最大の、思い出した記憶の中にあった恐らくその男の子にしかない特徴として――右目だけが魔眼であるという事。
そうして捜索すること数か月……主にあちらこちらの騎士の学校を回っていた一人から連絡が入りました。『例の彼を見つけた。』、と。
映像を送ってもらい、友人二人に確認してもらって間違いないと判断し、彼女は早速会いに行くことにしました。友人二人と護衛三人を連れ、彼女は国を離れて男の子のもとへとやってきたのです。
女王様の話が終わった。色々と聞きたいポイントがいくつかあったけど、それよりもオレは話が進むほどに頭がグワングワンしていた。何か……こう、のどの辺りまで来てるのにギリギリ思い出せない感覚。
というかこういう感覚があるって事は……もしかして、オレの一年間の記憶って失ったわけではなくて封じられてる感じなのかもしれない。
――っていやいや、んな冷静に「かもしれない」とか考えてる場合じゃないぞ!
「ちなみに、これが例の書類です。」
すすっと机の上に置かれた一枚の紙。小さい子……というよりはもう少し上か。そこそこきれいな字で手書きされているそれには、結婚がどうのという文言の後に血判付きで女王様の名前と……オレの名前があった。
「先ほども言いましたが、一応、この書類は有効なモノです。あと二年もするとこれは効力を発揮し、ここに書かれている二人を結びつけます。」
淡々と言われた事実というか宣告というか、その場の誰もが息を飲んだのだけど、そこで女王様はその書類をひっくり返した。
「しかし、効力はあっても正式に作成された文章ではないため、公表しなければこれは無い事と同じになります。」
「! そ、そういうものですか……」
「ここで大切な事は……いえ、言ってしまうと、ワタクシがここに来た理由はここからなのです。」
「……と、と言いますと……」
「彼女の中には確かに、男の子への想いがあります。しかしそれは子供の時の男の子に対する想い。果たして現在の彼にも同じ想いを抱くのか。加えてその男の子の方はどうなのか。かつての想いは色あせてしまっている可能性は……いえ、そもそも彼女らと同様に男の子の方も記憶を改ざんされているのでは? そういった事の確認の為、ワタクシはここに来たのです。」
そこまで言って、女王様はこの部屋に入って初めて……オレの事を真正面から見つめた。
「ストカとユーリから聞きました。やはり、記憶がないのですね。」
「……はい。二人の事は覚えていますけど、その……女王様の事は……面識があった事すら……」
一瞬、すごく悲しそうな表情になった気がしたが、女王様はふっと落ち着いた顔で話を続ける。
「そういうケースは想定していました。ですから一つ、試してみたい事があるのです。」
「は、はいなんでしょう。」
「血を、吸わせていただけませんか?」
「えぇ!?」
さらりと言われたすごいことに思わずのけぞるオレ。
「ば、バカな! 吸血鬼に噛まれた者は吸血鬼に服従――しもべになると聞くぞ! ロ、ロイドくんをしもべにするつもりか!」
一応一国の女王様相手なんだけど、優等生モードでもなくいつも通りにつっこむローゼルさん。
「そうしようと思えばそうできますが、そんなつもりはありませんよ。」
「……んまぁ、ユーリとストカもいるし、そういう事は心配ないよ、ローゼルさん。だいたいオレをしもべにしたって何もうれしくないでしょ?」
「……残念ながら、そこそこうれしく思う者もそこそこいると思うぞ……」
「え、えぇ?」
「目的はなんなのよ。血を吸ったら何を試せるわけ?」
「理由は二つ。一つは――ワタクシが現在の男の子の事を知る為です。吸血鬼であるワタクシは、その血を吸えばその者がどういう人物なのかを把握できるのです。元は先ほどおっしゃられた、しもべを作る為の副産物のような能力ですが。」
「昔の……記憶の中のロイくんと今のロイくんを、その能力で比べてみようってわけね。じゃあもう一つの理由は?」
「記憶によりますと、ワタクシは当時その男の子を何度も噛んでいるのです。甘噛みであったり吸血だったりと様々ですが。」
「な!? すでに噛まれていたのか!」
「あ、甘噛み……な、なんだかエッチだね……で、でももしかしたら、噛みつかれることで……何かを思い出すかもしれないっていうのは……ちょ、ちょっとあるかも……」
「なるほど……オレにとっては記憶を戻すキッカケになるかもなのか。よ、よし……え、えぇっと……ど、どこを噛むのでしょうか。」
「首が一番効果があるかと。」
「……痛いですか……?」
「ご心配なく。素人ではありませんから痛みはありませんし、痕も残りません。ただ、血を吸われる独特の感覚だけは消せませんのでご容赦を。」
「りょ、了解です。」
吸血鬼に首を差し出すなんてとんでもない経験だけど……仕方がない。婚約を取り決めた書類があるのにお互いがお互いをよく知らない状況なのだから。
「では失礼します。」
黒い椅子から立ち上がり、オレの――あ、あれ? なんとなく背中からかと思ったんだけど正面に来た女王様。
「すみません、こちらからの方が血管がよく見えるのです。」
「あ、そ、そうですか……」
後ろでみんなが見守る中、オレは首筋を出して首を傾ける。
「ど、どうぞ!」
「では……」
オレの両肩に手を置き、引き寄せるように近づく女王様。その吐息がふわりと首にあたり、その唇が――いや、見えてはいないけどそのキバがオレに――
「だばっ!?」
――届く前に、オレは誰かに蹴飛ばされた。
「きゃ! ロ、ロイドくん……!?」
蹴り飛ばした先にいたティアナにぶつかり――っていうかがっしりと押し倒したロイド。
「わっ、ご、ごめんティアナ!」
「……別に、あ、謝らなくていいよ……どっちかって言うと……う、うれしいから……」
「!! そ、それはヨカッタデス……って、ていうかなにすんだエリル!」
あたしがロイドを蹴り飛ばした理由に気づいてるローゼルがあたしを見てこくんと頷く。
「あー、ロイドくん。ちょっと彼女とわたしたちだけで話したいから少し席を外してくれないかな。」
「えぇ? それはまたどういう……」
「ロイドー。ここから先はあたしたちに任せてねー。」
「??」
ロイドに噛みつく態勢だったカーミラは小さく微笑む。
「あー、おー、よし! ロイド、外出んぞ! ユーリもな!」
「ああ、そうした方が良さそうだ。行くぞロイド。」
「おい、意味がわかんないんだが……」
「相変わらずのほほんとしているな、ロイドは。」
ユーリとストカに連れられて、ロイドは部屋の外に出た。残ったのはあたしたちとカーミラ。
「さてと……ここは一つ、カーミラくんと呼ばせてもらうが、良いかな。」
「ふふふ、ええ。先ほども言いましたがここに位はありませんからね、ローゼルさん。」
「わたしたちの名前を知っていると言っていた事から察するに、色々と調査済みなのだろうな……わたしたち五人がどういう立ち位置なのか。」
ローゼルの挑発的な質問に、カーミラはニッコリとほほ笑む。
「リリーさん、ローゼルさん、ティアナさんの順に想いを告げ、次のエリルさんで決着。しかし諦めない三人と、そこに全てを承知で加わったアンジュさん。ええ、存じております。」
「そういうわたしたちだから……いや、さっきのは見ていれば誰でもわかる。全く、何が昔と今の違いを確認するだ。そんな事をする以前から、カーミラくんの心は決まっている。」
「さ、さっきロイドくんに……噛みつこうとした……カカ、カーミラ……ちゃんの顔、み、見た事あるの……リ、リリーちゃんがロ、ロイドくんに……チューした時にした顔だよ……」
「な!? ボク、あんなにはしたない顔してないもん!」
「ロイドには見えてなかっただろーけど、、あたしたちからは丸見えだったからねー。」
そう……ロイドにキバ――いえ、唇を近づけた瞬間、カーミラは凛としたすまし顔を色っぽい顔に変えた。瞳を潤ませ、頬を赤らめ、熱い息を吐く……ど、どっちかって言うといやらしい顔で迫ったカーミラの本心は明らか。
「あんた、今のロイドに――」
「失礼、そろそろ我慢の限界なのです。」
ひょいと片手をあげて話を切ったカーミラは、すたすたとローゼルの方に近づいた。
「な、なんだ。」
「いえ、あなたではなく……」
そう言って、今は立ち上がってるけどさっきまでローゼルが座ってたロイドのベッドに視線を移し――
ボフッ。
流れるように、高そうなドレスを着たままカーミラはロイドのベッドにダイブした。
「――って、何やってんのよ!」
ベッドから引っぺがそうと、あたしが近づこうとした瞬間――
「ロイドひゃまのにほひ!!」
突如、キリッとした声がものすごい猫なで声になった。
「はぁん、これがあの頃よりももっと素敵になったロイド様の、今の、大人の匂い! あぁ、ああ、あああー。」
枕に顔をうずめて顔をぐりぐりこすりつけるカーミラ。ついさっきまでのイメージがガラガラ崩れていく。
「……つ、つまりはこういう事だ。カーミラくんは既に、今のロイドくんに満足している。さっきのは単に……好きな人の血が吸いたかったとかそれだけなんじゃないか? 吸血鬼の矜持はわからんが。」
ローゼルの、若干引き気味な解説にくるりと顔を向けるカーミラ。その顔は幸せいっぱいって感じだった。
「確かめに来たのは事実です。しかし実際に確かめる事ができたのは今日の昼間……学院の校庭で授業を受けていたロイド様を見たときです。あぁ、ロイド様。血を吸わなくてもわかりました。えぇ、わかりますとも、ちっとも変わっていません。あの頃と同じ――いいえそれ以上に素敵な方に――! はぁ、ロイド様ったら、ワタクシをどこまで夢中にさせるおつもりなの??」
布団にくるまってゴロゴロ転がるカーミラ――って、こんな光景前にも見たわね……
「そうだ! ロイド様はここで生活されているのですよね!?」
一瞬だった。布団の中にいたカーミラがボフッと黒い煙に包まれたかと思ったらあたしの目の前に移動していた。
「!! そ、そうよ……」
「それではあるのでしょう!? ロイド様が日ごろから使っている食器などが!」
「ご、ごはんはほとんど学食だから、あるのはコップとかよ……」
「コップ! あぁ、ロイド様が口をつけたコップ……あぁ……」
やばい。この女、リリーよりやばいわ。
「リリーくんのようだと思ったが、それ以上だな……」
「ボクこんなんじゃないってば!」
リリーが不満な顔をしてる間に、そそそっとキッチンに移動したカーミラは……それこそ、吸血鬼的な人間離れの五感とかでわかるのか、いつもロイドが使ってる食器を手にとってはうっとりしだした。
どうせそんな事だろうと思ったけど、やっぱりこのカーミラっていう吸血鬼女はロイドの事が好き。で、でも女王だろうと関係はないわ。そもそもあたしだって王族……と、とにかく昔の女が今更って感じの話なのよ!
「……あ、あんたが……ど、どんな風にロイドを好きでもかまわないけど、い、今、あいつの恋人は――あ、あたしだから……!」
恥ずかしい事を言って顔が熱くなるあたしの方に、へにゃり顔からキリッとした顔に戻ったカーミラがすぅっと視線を送る。
「だ、だからあたしが興味あるのはその書類だけ。今でもロイドにほ、惚れてるあんたはその書類を公表して、あ、あいつとけけ、結婚するつもりなの!?」
あたしの質問に、他の全員が息を飲むのがわかった。そう、結局はそこなのよ。
「……できればそうしたいところです。しかし今のままでは、その昔にこういう約束をしたので守らなければいけませんよと、ロイド様に半ば強制する事となってしまいます。ロイド様があの頃の事を思い出さない限りは。ひとまず、そうなるまでは公表するつもりはありません。」
「それは、問答無用で結婚に持っていくつもりはないという事でいいのか?」
「ふふふ、そのような強引な事はしませんよ。ですがあなた方は早々に次の恋に移った方がよろしいかと。」
「ほう?」
「あの頃、ロイド様もワタクシの事を愛しておりましたから。ふふふ、そもそもそうでなければこのような書類は出来上がりませんとも。記憶が戻ったならたちまちに、ロイド様とワタクシは強い愛で結ばれるのです。むしろ、記憶が戻らずともしばらく一緒に過ごせば……ふふふ。」
またふにゃっとした顔でとろけるカーミラ。
……言葉通りなら、きっとあたしはショックだし、他のみんなもそうだと思う。だけどあたしたちはそうなってない。
なんとなく……そう、なんとなくなんだけどちょっとの確信も混じってるような……ロイドの事だから、このカーミラにぐいぐい迫られて書類に名前を書いちゃったんじゃないのって思うのよね。ロイドに愛されてるっていうのも、ロイドのいつものこっぱずかしいセリフのせいなんじゃないのって。
要するに、そんなに心配する事がないような……そんな気がするのよね。
「それはそうと、こちらの食器はどちらかの私物でしょうか? それとも寮の備品でしょうか?」
あたしっていうこ、恋人とか、ローゼルたちみたいな敵がいるっていうのに、書類のせいなのかなんなのか、だいぶ余裕に話題を切り替えたカーミラ。
……ロイドが買い足したのもあるんだけど、それを言ったらこの女、持って帰りそうね……
「き、基本的にはあたしのよ……」
「そうでしたか。それでは仕方ありませんね。」
物欲しそうにロイドのマグカップのふちをなぞるカーミラ。この女、ホントに……
「ではあちらのベッドは? あれもエリルさんの私物ですか?」
「んなわけないじゃない。二つともここに最初からあったモンよ。」
「そうですか! では今日はひとまずあちらを――」
「は!? な、なにあんたロイドのベッドを持って帰るつもり!?」
「ご心配なく。全く同じ物を新品で用意しますので。」
「ば、そういう問題じゃないわよ! だ、だいたい持って帰ってどうすんのよ!」
「勿論、ワタクシが使います。あの頃の思い出の品はワタクシでも感じ取れないほどに薄れてしまいましたが……こちらはつい昨日までロイド様が……!」
うっとりとため息をもらしたカーミラは、ふと少しだけ不満そうな顔をして――あたしにとって予想外だった事を呟いた。
「若干、エリルさんのも混じっている事が残念ですが。」
「……む? それはどういう事だ? ロイドくんのベッドにエリルくんの……?」
「エ、エリルちゃんのお部屋でも、あるから……じゃないのかな……」
「そうか……それもそうだな。場合によっては腰かけることも……まぁあるだろうし。」
「いえ、そのようなことでは……程度としては、定期的にこちらにもぐるくらいでなければ。」
「…………エリルちゃん、どういう事かな……?」
「え。ま、まさかお姫様、ロイドと一緒に寝て――」
「いや、もしもそうだとしたらそれをしたのは告白後だろう。加えてそんな事をしたら二人は――特にロイドくんの方は挙動不審になるが、最近のロイドくんにそういうのはなかった。」
「……てことはエリルちゃん……まさか、ロイくんに隠れて……あ、あんな事とかこんな事とかをロイくんのベッドで……?」
…………
「さ、さぁ、なんのことかしら?」
「修羅場だな、ロイド!」
「……嬉しそうに言うな。」
「あのロイドが修羅場を生むなんてなぁ……」
女子寮の廊下。オレとユーリとストカ――と、あとドアの前で護衛をしているフードの人の四人はズラリと並んで壁によりかかっていた。
「んま、これについちゃあ頑張れとしか言えねーが、一つだけ、ダチの為にダチへアドバイスすんぞ?」
「ん?」
「実はな、俺とユーリは普段、姫様の事を「ミラ」って呼んでんだ。」
「えぇ? でもだって……女王様だろ?」
「あいにく、女王になった事よりも俺らとダチになった事の方が早いんでな!」
「仮に後だったとしても、私たちはそう呼びたいし、ミラもそう願うだろう。だからロイドも……な。」
「えぇ? オレも?」
「ったりめーだ。記憶がなくたって確かに俺たちはダチなんだからな。つーか、お前に「女王様」って呼ばれた時すっげー悲しい顔してたぞ、ミラ。」
「そ、そっか……逆の立場だったら……仕方なくてもやっぱ悲しいよな……い、いやでもイキナリ愛称ってのは緊張するな……」
「思い出す為に形から入る――というように思えばいいだろう。ちなみに、当時ロイドはミラの事を「ミラちゃん」って呼んでたぞ。」
「――というわけですので、これからも末永くお願いしますね、ロイド様。」
何の話かわからないが、話が終わって部屋に戻されたオレは……女王様にさらりと「好きです」と言われてしまった。
「えぇ!? で、でもあの……は、はい、ありがとうございます――じゃなくて! その、血とかはいいんですか!?」
「くださるという事でしたら喜んでいただくのですが、今夜は思いの外の大収穫に胸がいっぱいなのです。」
「しゅ、収穫?」
「ですから諸々、お話の続きはまた明日という事で。今夜は失礼いたしますね。」
「は、はい……」
ぺこりと一礼してそそそっとドアに向かう女王様に、オレは――恥ずかしいというか緊張というか、とにかく気合を入れながらこう言った。
「お、おやすみ……ミラちゃん……」
「!!!」
「だあ!? ミラが幸せそうな顔で倒れたぞ!」
「いきなり過ぎたか……ではみなさん、おやすみなさい。」
ユーリとストカに抱えられて部屋をあとにする女王様――ミラちゃん。
この部屋にやってきたときは、吸血鬼特有の魅力とでも言うのか、なんとも言えない引力みたいのを感じたし、そもそもかなりの美人さんでドギマギしてたんだが……ちょっと廊下に出てる間にグンと親しみやすい印象になった気がするな……
その後、なぜかみんなからジロリと睨まれてそっぽを向いていたエリルにおやすみを言い、なぜか新品みたいにふかふかになってるベッドに入り、今日のドタバタを思い出しながら目を閉じた。
「……あれ、よく考えたら六人目……? うわぁ、オレってやつは……ああああ……」
第三章 スピエルドルフの女王
「……」
眠れない。ミラちゃんにおやすみを言って、布団に入ってからまるっと一時間。妙に目が冴えてて眠れない。
「……ちょっとのどが渇いたな。」
起き上がり、ぺたぺたと部屋を横切ってキッチンへ――
「……あれ?」
眠れないっていうのに寝ぼけているのか、気づくとオレはエリルのベッドの横にいた。勿論そこにはエリル本人もいて、すやすや眠っている。
大抵ムスッとしているエリルにおいて、そうでない顔っていうのはそこそこレアで、寝顔はそんなレア顔の一つになる。
んまぁ、毎朝起こす時に見ている顔ではあるんだが。
「……今エリルが起きたら燃やされるな……ベッドにもど――」
「んん……」
自分の寝床に戻ろうとした時、エリルが寝返りを打った。オレに背を向けたエリルの……赤い髪の奥にあるうなじがちらりと見えたその瞬間、表現できない感情――衝動がわき上がった。
「……!? あ、あれ?」
エリルを左右から挟む感じにベッドに手をつき、そのままゆっくりとエリルの方に顔を近づけるオレ。
一体何をしているのか。頭ではそれをする気はなかったし、今やっている事は止めようと思っている。なのに、いきなり身体の操縦を他の誰かに奪われてしまったかのように、自分の意思が動作に反映されない。
あ、やばいやばいやばい! なんか知らんがこれはやばい! このままだとエリルに何かしちゃうぞ! でも身体は言う事を聞かないし……そ、そうだ! エリルに逃げてもらおう!
「エ、エリル! 起きるんだエリル!」
そこそこ大きな声で叫んだもんだから、エリルはびくっとして……それからごろりと眠そうな顔をこっちに向け――
「…………!?」
パチッと目を見開いた。
「……ロイド……?」
がばっと飛び起きるかと思ったんだけど、エリルは驚き顔でこっちを見るだけだった。
「ご、ごめん、起こした――っていうか起きて欲しかったんだけど……あ、あのちょっとオレから逃げた方がいいかもと思って……」
「な、なによそれ……」
「いや、オレにもよくわかんないんだけど身体が言う事を聞かないんだよ。なんかこのままだとその……エ、エリルに何かしちゃいそうで……」
「……あっそ……」
顔は赤いんだが、しかしエリルは驚き顔をさらっといつもの顔に戻した。
「えぇ!? もうちょっと焦った方が……」
「焦るっていうか、ちょっとしたホラーで怖いわよ、今のあんた。」
そう言いながら、エリルはオレの右目を指差した。
「魔眼が発動してるわよ。」
「えぇ!?」
と、とっさに右目を覆ったのがキッカケになったのか、オレはオレの身体の自由を取り戻した。すぐさまエリルのベッドから離れたオレをムスッとにらみながら、エリルは身体を起こす。
「……いつものあんたが今みたいに来たら……そりゃ焦って蹴り飛ばしたりするだろうけど、そんな片目を黄色く光らせた奴が来たら逆に怖くて動けないわよ……」
「びっくりさせてごめん……っていうかエリル、なんでそんな残念そうな顔してんだ?」
「! し、してないわよ!」
「そう――あれ? 今気づいたけど……この部屋妙に明るいな。」
「? なに言ってんのよ。」
「いや、なんか……周りがよく見えるっていうか……」
「やはりそうなりましたか。」
暗い部屋の中、月明かりを受けてぼんやり明るくなっている窓側のカーテンの前にすぅっと人影が現れた。片目が光っているらしいオレが言うのもなんだが、かなりのホラー現象にビックリしたものの、そのシルエットには見覚えがある。
「? えっと……ミラちゃんですか?」
「あぁ、その呼ばれ方はワタクシの胸に来るものがありますね。」
すすっとカーテンを開けるミラちゃん。学院内には街灯があるけど、背の高い木が囲んでいるから窓から見える明かりと言うと月か星で、それをバックに立つミラちゃんはすごく様になっていた。
「こんな夜遅くに何の用よ。」
「どちらかと言うと、ワタクシたち魔人族にとっては今の時間こそがメインの時間です。それに、きちんと理解をしていただかないとワタクシのロイド様が欲望に任せてエリルさんを滅茶苦茶にしてしまうかもしれませんよ?」
「欲望!?」
「め、めちゃくちゃってなによそれ!!」
「そうですね……キバのないロイド様ですから、そのもどかしさに全身を舐めていたかもしれません。」
「!?!? な、舐め!? ロイドが!? あたしを!?」
ババッと布団で身体を隠したエリルだったが、オレにはそれ以上に気になる言葉があった。
「キバ……? ミラちゃん、一体何の話を……」
「ふふふ。本当なら明日お話するつもりだったのですが……ロイド様がワタクシ以外の女性を襲うところは見たくありませんからね。どうぞ、お座りください。」
ミラちゃんが手を振ると、エリルのベッドの横に二つ、ミラちゃんの前に一つ、黒い椅子が現れた。オレとエリルは目を合わせ、のそのそと黒い椅子に並んで座る。
「エリルさんには申し訳ありませんが、部屋はこの暗さのままでお願いします。」
同じように椅子に座ったミラちゃんは、どこから出したのか、顔くらいの大きさの鏡をオレの方に見せてきた。そこには……右目が黄色く光っているオレの顔が映っている。
……ってか、こんなに暗いのに鏡なんてよく見えるな、オレ……
「その魔眼の名はユリオプス。先ほど少し触れましたが、ヴラディスラウス家の者のみが代々発現させる魔眼です。」
「ユリオプス……という事は、ミラちゃんの……えっと左目と同じって事か。」
「そうです。そしてワタクシの右目は、厳密に言うと太陽の光への耐性を持った吸血鬼の眼ではなく、元から太陽の光などモノともしない眼に吸血鬼の特性が加わったモノです。簡潔に申しますと……ワタクシの右目は人間の眼なのです。」
「……ちょ、ちょっと待ちなさいよ……ロイドの右目があんたの一族にしか出ない魔眼であんたの右目が人間のって……」
「! まさかミラちゃん……」
月光を背にする吸血鬼は、オレとは逆に左目だけを光らせながらこう言った。
「お察しの通り、元々ロイド様の右目はワタクシの、ワタクシの右目はロイド様のモノだったのです。つまり……ワタクシとロイド様は互いの右目を交換したのです。」
「目を……交換? オレとミラちゃんが? ど、どうしてそんな事に――」
当然のように理由を聞こうとしたら、ミラちゃんは首を横に振った。
「理由は――申し訳ありませんが、説明できません。ロイド様にご自分で思い出していただきたいのです。」
「自分で……?」
「ええ。でないと……少々卑怯と言いますか、フェアではないので。」
「?」
「なので、お話する事はできません。しかしそれ故に起きた事についてはお話しなければなりません。」
「……わかった。理由は自分で思い出すよ。それで……起きた事っていうのは……?」
「ざっくり言いますと、ワタクシには人間の、ロイド様には吸血鬼の特性が加わっているのです。」
「えぇ?」
「例えばワタクシの場合、ロイド様の右目を手にした時から体質が変化していき、最終的には吸血鬼でありながら太陽の光の下で三、四時間は活動できるようになりました。加えて、元々人間の眼であったこちらの右目にも変化が生じ、夜目が利くという性質などが加わりました。昼も夜も良く見えるという、眼として最高級の能力を持つモノとなったわけですね。」
「……でもってそういう変化がロイドにもあるってこと?」
「そうです。とりあえず……今、ロイド様にはこの暗い部屋がはっきりと見えているでしょう。試しに右目を閉じてみるとわかるかと。」
「! ほんとだ、左目だけで見るといつも通り暗いまんま。」
「しかし、かといって右目だけ太陽の光をまぶしく感じるというわけではないでしょう。ワタクシの場合と同様に、元々吸血鬼の眼であったその右目には太陽の光に対する耐性がついたわけですね。」
「なるほど! いや、こりゃ便利――ってまさかさっきキバがどうって言ってたのは……オレも血を飲むようになったって事!? うわ、まさかオレ、さっきはエリルの血を!?」
思わずエリルを見ると、エリルもオレを見たとこで――思わずオレは口を、エリルは首を手で覆ってしまった。
「そうです……少し腹立たしいですが。」
「えぇ?」
「昔は確かに血が主食でしたが……新鮮さが命の血を求めて毎度毎度人間や動物を捕まえるのは面倒な事ですし、かと言って家畜のように飼ってしまうと血の質が落ちてしまいます。」
「へ、へぇ……」
「なので、そもそも血に含まれる何が吸血鬼に必要なのかを研究し……結果、ワタクシたちはある一点さえ考慮すれば人間のように肉や魚、野菜を料理したモノでも栄養が摂取できると判明しました。」
「おお。じゃあ今の吸血鬼は血を吸わないのか。」
「吸わないわけではありません。単に扱いが……そうですね、一種の嗜好品のようになっただけです。加えて、必要ではないのですが……どうしようもなく行為として吸血したくなる時があるのです。」
「そんな時が……」
「ええ。具体的に言いますと、異性に欲情した時ですね。」
「へぇ、異性に欲じょ――」
ちょちょちょ! それってつまり……
「な、なにそれ! つ、つまり……さ、さっき、ロイドはあたしに……?」
「……寝ているエリルさんを見て、何か思うところがあったのでしょう。」
「にゃ!?」
「加えて、この場合の欲情は誰でも良いわけではなく……想いを寄せるような相手に対する欲情の際にのみ湧き上がる衝動なのです。ああ、腹立たしい。ロイド様ときたら、ワタクシという妻がいるというのに……」
色んな理由で顔が熱くなるオレ。ちらっと横を見ると、エリルも真っ赤だった。
「じゃ、じゃあオレはエリルに……その、ドキッとする度に血を……?」
「いえ、おそらく今夜が最初で最後でしょう。ロイド様の吸血鬼化はそこまで深くないようですから。」
「えぇ?」
「前例がないのでこればかりは推測ですが……吸血鬼に人間の特性を付加する事と、人間に吸血鬼の特性を付加する事では、その難易度のようなモノに差があるのでしょう。つまり、右目を交換したというケースの場合、ワタクシに付加される人間としての能力の量とロイド様に付加される吸血鬼としての能力の量に差が生じるわけです。」
「そうか……言われてみれば夜目が利くっていうのに気づいたのは今が初めてだし……もしかしたら魔眼を発動させてないと普通に暗く見えるのかも……」
「その可能性が高いでしょう。しかし今しばらくは発動したままだと思います。ワタクシがいるので。」
「それはどういう……」
「ロイド様は記憶を無くされています。という事はおそらく、その右目の魔眼はこの前のランク戦でざっと数年振りに発動したのでしょう。戦いの高揚感と言いますか、勝ちたいという意思で――おそらく無意識に。そこにその魔眼の本来の持ち主であるワタクシが現れた。ロイド様の右目が軽い暴走状態になるには十分な理由でしょうね。」
「暴走……そうか、これは暴走してるって事になるのか。」
「ええ。そしてその影響で、ロイド様の吸血鬼性が一時的に高まり……吸血衝動に襲われたのです。もしも元から吸血衝動があるのなら、キバがないと変ですからね。しかし今、ロイド様はその右目の事を理解しました。であれば、暴走も直に収まり……そして二度とそうなる事はないはずです。」
「それは良かった。事あるごとにエリルに襲い掛かるんじゃその内灰になっちゃうからなぁ。」
「事あるごと!? あ、あんたそんなにしょっちゅう――あ、あたしに!?」
「――!! い、いやその……こ、この際だから言うけど、カーテンがあるからなのかオレを……その、信頼してるのか、た、たまに無防備っていうか隙だらけっていうか……なんだからな!」
「――! エ、エロロイド……」
「おや、エリルさんも人の事は言えないでしょうに。」
「ば、余計な事言うんじゃないわよ!」
「? 何の話――」
「う、うっさい! それよりほら――そ、そうよ、魔眼の能力! ユリオプスにはどんな力があんのよ!」
「……ユリオプスの力は、魔力の前借りです。ちょうどアンジュさんの持つ魔眼フロレンティンと逆の力ですね。」
「前借り? アンジュの逆って事はえぇっと……未来の自分がその日に作れるはずだった量の魔力を今の自分が使う――みたいな?」
「そうです。仮に一週間分の魔力を前借りしたなら、その後の一週間は魔法が使えなくなる――という具合ですね。」
「一週間! そんなに借りられるのか……」
「一年分でも十年分でも可能ですよ。」
「えぇ!? じゃ、じゃあ……例えばオレの寿命があと五十年とかだったら五十年分も!?」
「縁起でもない事をおっしゃらないでください。それに、寿命は関係ありませんよ。」
「えぇ? で、でも未来の自分からって言うなら……最大は自分が死ぬまでじゃあ……」
「いいえ。百年分でも千年分でも、到底その者が生きていない先の未来まで前借り可能です。単純に、その者が百年ないし千年魔法が使えなくなるだけです。」
「なによそれ……本人がいないのに「前借り」なんてそんなの……規格外の能力じゃない……」
「ええ、規格外です。おそらくそれ故に、ワタクシの一族にしか発現しないのでしょう。発現する対象に条件が多いほど、魔眼は強力になると言いますからね。」
「吸血鬼の一族……そもそも種族が少ない上にその中のヴラディスラウス家だけっていうんだから、確かに限定的か……」
「? 吸血鬼ってカーミラの一族だけじゃないの?」
「いいえ、他にもいるはずですよ。スピエルドルフではワタクシたちだけですがね。ちなみにこの魔眼が発現するという事も、ヴラディスラウス家がスピエルドルフを治める一族になった理由の一つです。」
「無限に近い魔力を持つから? ああいや、そういうわけじゃないのか……一度使ったらその先使えなくなるわけだし……あーでも千年単位の量を使えるならやっぱり……」
「ふふふ。ロイド様、この魔眼の真価は死ぬ間際にあるのですよ。」
「えぇ?」
「老いや病、もしくは敵対する者によってもたらされた死期。死を前にし、今より先、自分はどうなっても構わない……そういうような状況に陥った時、この魔眼の持ち主は何をするでしょうか。」
「! そうか、何百年、何千年分の魔力を前借りする……死ぬ時に限らず、この先一生魔法が使えなくても構わないっていう覚悟をしたのなら、その人はその瞬間、無限の魔力を得る……!」
「そうです。これを利用し、膨大な魔力が必要となる夜の魔法の維持のためにヴラディスラウス家は代々死ぬ間際には必ずそれを行うのです。」
「そ、そんなに魔力が要る魔法なのか……」
「維持は勿論、代々魔法の効果を追加しているのです。無限とも言える魔力がなければ成せない魔法を。現状、夜の魔法は……いかなる攻撃でも破壊不可能、どんな魔法でも透視不可能、許可の無い者はなんであれ排除、もしくは消去。加えてあの中でスピエルドルフに敵対する者は数百数千の呪いによって戦闘不可能、もしくは即死です。そう言った追加効果の維持にもたくさんの魔力が必要なのです。」
「鉄壁だなぁ……」
「……でもロイド、あんたの右目はそんな魔法を可能にしちゃうモノってことよね……タチの悪い連中に狙われたりするんじゃないの……?」
「言われてみれば……」
「そのあたりは大丈夫かと思いますよ。魔眼ユリオプスの力を狙ってその持ち主をどうにかしようとするという事は、最悪の場合自他を巻き込んだ自爆につながりかねないわけですからね。」
ふふふと笑うミラちゃん。
しかしそうか……今思えば、カラードとの試合の後に魔法が使えないくらいに疲れたと思ってたのは、実のところ、数日分の魔力を前借りしたから魔法が使えなかったわけか。
「んまぁ、魔眼については……うん、ちゃんと思い出すとして……オレの……吸血鬼化? は夜目が利くってだけなんだなぁ……コウモリに変身とかできたら良かったのに。」
「変身はできませんが……ロイド様にはもう一つ、ワタクシの右目の影響で変化している部分があるのですよ。」
「えぇ? ど、どこが……」
「ふふふ。夜目が利くというのは、ロイド様がワタクシの眼を得たからそうなっているだけなので、厳密には吸血鬼化してそうなったとは言えません。」
「んまぁ……そうか。じゃ、じゃあどこに変化が……」
自分の身体をあちこちぺたぺたしてみるが……いや、それでわかるようならとっくの昔に気づいてるよな……
「ロイド様の吸血鬼化はそれほど深くありませんので、血を吸うためのキバや血を美味しいと感じる味覚、血を栄養としてきちんと消化する為の体内器官というような、元々の身体を大幅に変化させる事は起きていません。その為……いえ、むしろそのせいでと言うべきでしょうか。ロイド様の身体には吸血鬼が持つとある魔法がほんのりと付加されています。」
「え――えぇ? 魔法?」
「ええ……」
見た感じ、ミラちゃんは不満気な顔をしている。
「……血を吸う際の話ですが、まず噛みつく場所としては首が一番です。勢いよく血が流れているところですから、ワタクシたちが頑張って吸わなくても勝手に噴き出て来るので飲みやすいわけです。」
「う、うん……」
「ですが首というのは全生物に共通で急所のような場所……先ほどのロイド様のように飲ませてくれるような間柄であれば構いませんが、基本的には捕食ですからね。相手には抵抗されます。」
「そりゃあまぁ……ていうか飲ませる間柄って……」
「噛みついてしまえば終わりのように思われるかもしれませんが、暴れられるととても飲みづらい。コップに注いだ飲み物を口に運ぼうとしている時にコップが大暴れするようなモノですからね。」
ははぁ……血を吸われる側としちゃ全力で抵抗するわけだけど、それが吸血鬼にとっては――むしろ暴れるコップ程度の認識になっちゃうのか。それもそれですごいな……
「そこで大昔の吸血鬼は自身の口――いえ、唇に魔法をかけたのです。」
「唇に魔法? なんだかロマンチックだな……」
「そんな事はありませんよ。彼らが自分の唇にかけたのは催淫の魔法ですから。」
「さ、催淫!? って、なんかこう――え、えっちな気分にさせる的なあれですか!?」
「ええ、それです。まず、その唇に触れたい、触れられたい……そういうような欲求を相手に起こさせ、自ら首をさらけ出すようにします。そして噛みついた後も、唇を通して相手に催淫をかけ続け、血を吸われる事に対して快楽……それと性的な興奮を感じるようにするのです。」
「性的な――な、なんでそんな事を……おとなしくさせるだけなら快楽だけで十分じゃぁ……というか動かないように眠らせるとかの方が良かったんじゃ……」
「快楽でも性欲でも、生き物は興奮すると鼓動が早まります。そうなるとより勢いよく血が流れますからね。吸血鬼としては血を吸う手間がさらに省けるわけですから、一石二鳥なのですよ。」
「な、なるほど……」
「そしてこの催淫の魔法は、長い年月を経る事で吸血鬼の基本的な能力の一つにまで昇華しました。今ではすべての吸血鬼の唇にその魔法が生まれつきかかっている状態となっているのです。勿論、加減は可能ですが。」
血を吸う……いや、吸いやすくするために唇がそんな事になっているとは。んまぁでも昔のおとぎ話とか古い文献に出て来る吸血鬼の絵って、大抵美女やら美男子に噛みつく色っぽいのが多いもんなぁ。
「……」
「ふふふ、そんなに唇を見つめられるとその気になってしまいますよ、ロイド様。」
「あ、いや……つい……ミラちゃんはその……魔法を切ってるの?」
「ええ。ワタクシがこれを全開にしてしまうと、種族、年齢、性別の区別なく周囲の生き物すべてが骨抜きになりますから。」
「……さ、さすが……」
「…………ねぇ、カーミラ。今その話をしたって事は……ま、まさか……ロイドに起きてる変化っていうのは……」
「え……えぇ!?」
「ふふふ、お察しの通りです。」
「オ、オレの口にそんな魔法が!?」
「はい。ただ、そうはいっても極めて微量と言いますか、弱いモノですからやたらめったらに催淫はしません。仮に催淫したとしても、程度のゆるい催淫でしょう。」
「ゆるくても催淫ですよね!? え、えぇ!? やたらめったらじゃないって事は――ぎゃ、逆にどんな時に効果が発動しちゃうんですか!?」
まさかの事態にあたふたしていると、ふとミラちゃんがしゅんとした。
「……ロイド様、時々敬語になられますが、他人行儀のようでワタクシは悲しいです。」
「え、あ、ごめん……なんかクセなんです――だよ。こう……焦ると。」
「……どなたに対してもそうだと?」
「うん……」
「それは良かったです。ああ、催淫の話でしたね。ロイド様の唇の魔法は、どうやったら発動するかというよりは、どのような相手が影響を受けてしまうかという点で話すべきでしょう。あまりに小さな力なのでロイド様自身で制御はできないでしょうから。」
「制御できない!? それはとんでもない事なんじゃ……い、いや相手に気をつければいいのか。それでどんな相手が?」
「ある程度ロイド様に好意を抱いている者、ですね。言い換えますと、ロイド様をある一定以上異性として意識した女性はロイド様の唇に興味を持つ事となりますね。」
「な、なんと……」
「もっと言いますと、ロイド様を好きになるとキスしたいしされたいという欲求が……ほんの少しですが強くなるでしょう。」
「えぇ!?」
ま、まさかリリーちゃんから始まったみんなのキ、キス攻撃はそういう理由が――!?
「ロイド……あんた、ただの色魔じゃない……」
「色魔言わないでください!」
「あ、敬語ですね。」
ふふふと嬉しそうに――楽しそうに笑うミラちゃんは、ふと話題を変える。
「そういえばロイド様、あの封筒はお持ちですか?」
「封筒? あ、そうか、それがあったんだった……」
壁にかけてある制服のポケットから黒い封筒を取り出し、それをミラちゃんに渡した。
「『開けるな』って書いてあったから開けなかったんだけど……これはどういう意味が?」
「ふふふ。ちょっとした本人確認のようなモノです。封筒の表に書いてある『開けるな』という文字、これは特殊なインクで書かれていましてね。ロイド様にしか見えないのですよ。」
「それでか。なんか先生は中を見たっぽかったからどういう事だろうって思ったんだよ。でもなんでこんな……なんというか、回りくどいようなモノを……」
「ふふふ。本人確認と同時に、これにはある魔法がかかっているのです。」
そう言うとミラちゃんは指で黒い封筒をピンとはじいた。するとその封筒はぐにゃりと形を変え、気づくと真っ黒な指輪が二つ出来上がっていた。
「どうぞ。こちらはワタクシからロイド様へのプレゼントです。」
「? えぇっと……?」
「受け取った者が特殊なインクで書かれた字を読む、ワタクシが来るまで開かない、と言った多くのルールを条件にする事で、その指輪にはある魔法がかかりました。」
「魔法?」
「いつでもどこでも、ロイド様はその指輪に念じるだけでスピエルドルフの近くにワープできる――という魔法です。」
「え、すごい。」
「その上、元々いた場所を記憶しますので帰りも便利です。」
「おお。」
「そしてもう一つはワタクシの。こちらはいつでもどこでも、ワタクシが念じるだけでロイド様の近くにワープできる魔法がかかっております。」
「へぇ……――えぇ!? ちょ、それはど、どういう――」
「ええ、わかっております。大変申し訳ないのですが、夜の魔法だけは如何なる魔法でも超える事ができませんので、大抵国内にいるワタクシの近くには移動する事ができず……首都に一番近い検問までしか……」
「そ、そっちじゃなくて……こ、この指輪の目的といいますか……」
「? 勿論、ワタクシとロイド様の遠距離恋愛用です。」
「んなっ!?」
「ふふふ。次の休日にでもスピエルドルフに遊びに来てください。ああ、いえ、別にいつ来ていただいてもワタクシは構いませんが。」
「いや、えぇっと……う、うん……」
「もちろん、エリルさんたちもご一緒にどうぞ。ロイド様が許可すれば指輪の力は他の方の移動も可能としますから。」
「……やる気満々ってわけね。」
「ふふふ。こちらとしては横取りされたようなモノなのですが――いえ、記憶を失っていたのは何の影響であれ事実。一から正々堂々と勝負させていただきます。まぁ、ワタクシとロイド様であれば、すぐに昔のように戻ると思いますが。」
「……そ。」
な、なんて気まずい……!!
「さて、ワタクシはともかく、明日も授業のあるお二人を起こしておくのは申し訳ありませんから、今日はこの辺で。明日の夜に帰ろうかと思いますので、またその時に。」
「随分あっさり帰るのね……意外だわ。」
「ふふふ。愛する方を寝不足にするのは休日前だけにしておきませんとね。」
「無理言って悪いな、こんな時間に。」
夜更かししてる奴を除けば、学院にいるほとんどが眠ってるこの時間。私はついこの前まで熱気があふれてた闘技場に来ていた。
勿論、一人で闘技はできないわけで、私と対してる相手がいる。
『いえいえ。私たちにとっては今の時間が活動時間ですから。むしろそちらが無理をしているのでは?』
スピエルドルフの女王様の護衛として同行して来たローブ連中は五人。その内二人はサードニクスの昔なじみってのと女王様の友人って立場で来てるらしい。よって本当の護衛は三人で……私の前にいるこいつはその一人。
「しかし頼んでおいてなんだが、護衛する奴が護衛対象から離れていいのか?」
『姫様の許可はいただいておりますし、残りの面々がきちんとついておりますし……そもそも、この時間の姫様には護衛など必用ありません。』
「そっか。なら心置きなくやれる。」
私は羽織っていた上着を脱いで遠くに放り、槍を構える。
『見慣れた格好です。トーナメント戦の際はいつもその服ですよね?』
強いっつってもまだまだひよっこの生徒相手なら、先生になれた時に買ったあの服で十分なんだが、今回はそうもいかない。私はガチでやる時の格好――スポーツウェアにシューズをはいたアスリートちっくな服装だ。
対して……目の前の魔人族は愉快な容姿だった。フードの下の素顔には驚いたが、ローブをとってみるとそれ以上の驚きがあった。
簡単に言えば水。水の塊が一応の人のシルエットを保ってる――そんな感じだ。でもって……あれはどこの国の軍服だったか。見た事あるような無いような……仰々しいハッタリの効いた軍服を身にまとっている。
『あのルビル・アドニスとの手合せ。きっとよい経験となり、私を更に強くしてくれることでしょう。』
「……そういやあんたの名前を聞いてなかったな。」
『これは失礼。私はフルトブラント・アンダイン。スピエルドルフのレギオンの一つを任されています。』
「……聞きなれない言葉ばっかだな。あぁっと? アンダイン家のフルトブラントってとこはわかったが……レギオンってのは?」
『この国で言うところの国王軍のようなものですね。全部で三つのチームがあり、私はその一つのリーダーというわけです。』
「三つ……ん? 女王の護衛で来てる三人のうちの一人があんたなわけだから……まさか残り二人もレギオンのリーダーなのか?」
『普段はレギオンマスターと呼ばれていますが……ええ、その通りです。』
「おいおい大丈夫なのか? リーダーって事は一番強いって事だろ? 国の最高戦力が全部こっちに来てちゃまずいだろ。」
『我が国における最高戦力は王族――ヴラディスラウス家の方々です。先代国王も女王もいらっしゃいますから問題ありません。』
ああ……くそ、なんか感覚が違うから変だな。
うち――いや、人間の世界の王はイコール最強じゃない。王族が政治を専門にしてくれる代わりに、私たち騎士が戦闘を専門にしてる。だけどスピエルドルフじゃ王族こそが最強。護衛で来てるこいつらも、吸血鬼よりは太陽の光の影響が小さい分、日中の護衛って立ち位置なんだろう。
というか、あの女王はこいつらよりも太陽の光に強いっぽいから、いよいよ護衛がいらなくなるな……
「んま、大丈夫ならいいけどよ。ぼちぼち始めるか。」
『ええ。』
……いざ構えて見ると面白い。相手の動きを先読みするにあたって、目の動きや脚への力の入れ方ってのをさらっと確認するんだが……こいつにはそういうのが無い。目ん玉も筋肉もない相手の行動を予測するのは難しい。
『ではこちらから。』
てっきり私が攻撃してくるのを待つタイプだと思ってたんだが、意外とイケイケタイプなのかもしれない。ひねりもなしに真っすぐに突っ込んで来る。しかもちゃんと脚を動かして走ってる。
「ふっ!」
この水人間がどういう動きをする奴なのかさっぱりな以上、うかつな攻撃はできないんだが――嬉しい事にこれは手合せであって殺し合いじゃない。
ならば、決定的なミスの一つや二つ、せっかくなんだから経験するべきだ。そう思って何も考えずに電気をまとった槍をそのまま突き出すと――
『はっ!』
案の定というかなんというか、槍はなんの抵抗もなくフルトブラントの胸に突き刺さり、そのまま背中へと抜けた。そしておそらく、人間なら即死のその状態が一切ダメージになっていないのだろう、フルトブラントは気にする事なく私に近づき、パンチを一発打ってきた。
「うおっ!?」
腹に決まったはずなのに全身に走る衝撃。思わず「うおっ」とか言っちゃうくらいに変な感覚を受けた私は、情けない事にその一発で膝が折れた。
「まじか。力が入らない……これは一体……」
驚く私の目の前、フルトブラントはパンチ後の体勢のまま……たぶんビックリしてるんだろう、気の抜けた声で呟いた。
『……さすがと言いますか……完全に手合せと割り切っているのですね。だから攻撃もとりあえず喰らってみるという姿勢……さっぱりしていますね。相手が相手なので結構本気で打ち込みましたからすぐには立てないでしょう。』
「魔法……いや、なんかなるべくしてなってる物理的なダメージだな。水と衝撃……そうか、生き物の身体は半分以上水だもんな。それを媒介にして衝撃を全身に走らせたわけか。」
私は深く息を吸い、全身に電流を流した。パンチ一発分の衝撃が全身に拡散しただけなのだから、別にダメージを負って力が入らないわけじゃない。一時的に動作不良になってるだけ……なら、電気でシャキッと目覚めてもらえばいい。
「うし、続けようか。」
『おお……そういう使い方もあるのですね。』
「なんだ、好物とか言っといて。」
『私には今のアドニスさんのような経験はありませんからね……』
「皮肉な奴め。というか、あんたも電気使いなのか?」
『ええ。このような姿ではありますが、私の得意な系統はアドニスさんと同じ、第二系統の雷ですから。』
「……さっきから外見と違うことばっかりだ。」
雷をまとった女教師と雷をまとった水人間が雷光を走らせて雷鳴を轟かせる闘技場、その観客席に座る二つの人影があった。
「あの格好がアドニス先生の勝負服というのは理解しておるが、改めて見ると生徒の前ではあまり披露せん方が良いのう……少しばかりセクシーじゃ。」
一つは老人。長いひげをいじりながら眼下で戦う新任女教師を難しい顔で見つめている。
「うちも若い奴を育てるにあたり、若い故に求めがちの欲求諸々の対処に頭を悩ませる事が多い。特に魔人族はそれぞれの種族によって欲を掻き立てるモノが異なるからな。」
一つは――非常に表現しにくい者。水人間と同様の表現をするのなら、蛇人間と言ったところだろうか。
前方に突き出た頭部、その左右につく赤い眼、上下二本ずつある一際鋭い歯。時折のぞかせる二股にわかれた長い舌。顔を覆う黒い鱗は首から先、仰々しい軍服の中まで続いており、長い袖と靴によって隠れている両手両脚を含めて全身に続いていると思われる。
手足があるところから立ち上がったトカゲのようにも見えるのだが、しかしその眼は老人の横に座って眼下の戦闘を眺める事数分、一度も閉じられていない。
「して、話とはなんじゃろうかの? あいにく、スピエルドルフのレギオンマスターの相手ができるほど若くないんじゃが。」
「謙遜を。身体能力では天地の差があろうが、そこに魔法が加わればよい勝負となるだろう。」
口調的には軽く笑っているのだが顔がそれを連想させない蛇人間は、軍服のポケットから一枚の紙を取り出した。
「内容としてはこちらのミス。それにより、そちらに何かしらの被害が及ぶかもしれん。」
「写真……とは少し違うか。記憶の念写と言ったところじゃな。」
「さすがだな。先日のランク戦でロイド様を見つけた我が国の者の記憶を写したモノだ。」
蛇人間が渡した紙には、今二人が座っている観客席に一人の男が座っている光景が映っていた。
「この者が何か?」
「……我々は長いことロイド様を探していてな。故にとうとう見つけたその時、我が国の者は興奮して……ついその場で魔法を使ってこちらに連絡を入れてしまった。」
「む? 朗報は早く伝えて欲しいのではないのか?」
「勿論。だが、もう少し人目のないところでするべきだった。興奮のあまり、バレないように消していた魔人族としての気配を放ってしまうのならな。」
「なるほど……するとこの念写に写っている者は、ロイドくんを見た魔人族が何やら興奮してどこかに連絡を入れた、という事に気づいたと。」
「そうだ。そして……その念写ではわからないだろうが、その時の記憶を覗いてみたところ、念写に写るその男からはあまり良くない気配を感じた。」
「……いや、この念写でもわかるぞ。丁度よいいたずら道具を見つけたような顔じゃからな……」
「ほう。やはり同族だと表情の意味するところも見て取れるわけか。そなたに見せてよかった。」
「……儂らの中で魔人族とのつながりを持つ者はごくわずかじゃ。そのつながりを利用しようと悪巧みする者がいるとしたら、ロイドくんは少々危険かもしれんの。」
「そちらもそうだが、どちらかと言うと姫様が心配だ。姫様が心から愛しておられるロイド様に何かあればお心を痛めるに違いない。そして――それを行った者を決して許さないだろう。怒り、そのお力を全開させた姫様を止められる者は存在しない……」
「うむ……そちらの国にも人間の社会にも大きな影響を与えかねんわけじゃな。」
「ああ。だから……こちらの落ち度で申し訳ないが、注意しておいて欲しい。」
「心得た。儂も生徒を危険な目には合わせたくないからの。」
話したい事を話終え、二人は視線を下に落とす。
「……しかしフルトと互角か……さすがのルビル・アドニスだな。今の《フェブラリ》に負けているのも、年一回という形式故である事は明らかだ。週一でチャンスが巡るのなら初戦は負けても次の週には確実に勝利できる。そこのところ、人間たちは理解できていないわけではないのだろう?」
「周知の事実じゃ。しかしアドニス先生自身が認めん。《フェブラリ》の全力を破ってこそであるとな。」
「効率の良くない事だ。だが……嫌いではない。フルトを通して我々スピエルドルフとも接点を持ったのだ、十二騎士就任の暁には我が国に招くとしよう。」
「それは彼女も喜ぶじゃろう。ところで話は変わるのじゃが……」
「うん?」
「ここにそなたがいて、下に彼がいるという事じゃが……女王様の護衛は良いのか?」
老人の質問に、相変わらず表情がわかりづらいがおそらく笑ってこう言った。
「情けない話だが……今の時間、護衛されるのはこちらの方だ。」
別に言わなくてもいい――っていうか言わない方がいいんだけどそれに気づいてないすっとぼけロイドは次の日の朝の鍛錬の前に、昨日の夜にカーミラから聞いた事をみんなに話した。
「告白すると同時にキスをするとは、我ながら大胆なモノだと思っていたがそういう事であれば仕方がないな! うむ。」
「ふん、そんなんなくたってボクはチューしたもんねー。」
「そ、そっか……そうだったんだね……」
「なんかやらしーねー、うふふ。」
騎士的には右目が規格外の魔眼っていう事が重大のような気がするんだけど……そりゃまぁこのメンツだったらそっちよね……
「だからたぶん……その、み、みんなに少なからず影響を与えてあんな――こ、ことになったんだと思う……思います、はい……」
ロイドにしたら、あたしたちにキ、キスを……強要したみたいな気持ちかもしれないけど……あたしたち――そう、あたしもちょっとそう思ったからあたしも含めるけど――あたしたちからすると意味合いが違う。
「どうせロイドくんの事だから、わたしたちに悪いと思っているのだろうが……やれやれ、あえて言わせてもらうがわたしたちにとってはとても都合の良い情報だぞ?」
「えぇ? ど、どの辺が?」
「あははー。ホントにロイドは鈍いんだねー。」
そう言ったアンジュはふと口に指をあてて見事な棒読みをした。
「あー、なんかあたし、ロイドとチューしたくなっちゃったなー。あー、でもこれは吸血鬼の魔法のせいなんだよねー。しょーがないよねー。」
「??? えぇっと……?」
「だからねー。吸血鬼の魔法のせいにして、あたしたちはロイドにチューを迫れるようになったってことだよー。今までよりもずっとお手軽にねー。」
「……あ、は、へ? うぇえぇっ!?」
ビックリして後ろに一歩下がるロイド。それを見てすかさず攻撃を仕掛けたのはリリー。
「あ、ボクってばロイくんの顔みたらチューしたくなっちゃった。ねぇ、ロイくん、とりあえず朝のチューしよう?」
「な、なに言ってんのリリーちゃん!?」
「だぁってしょうがないでしょー? 魔法のせいなんだもん。ロイくんは責任とらなきゃ。」
ニンマリするリリーを見て、自分がどういう事を言ってどういう状況を作っちゃったのかを理解したロイドは顔を真っ赤にした。
「あ、それはそうとロイドくん。」
「それはそうと!? いやいやちょっと待ってください!」
「ランク戦での約束は覚えているかな?」
「おぼ――えぇ、ここで追い打ちですか!? ちょ、この話の流れでデ、デートの話はあのその……」
「む、お邪魔だったかな。」
ワタワタするロイドをいじってると、男の声がした。
「! あんたなんでここに……」
「ロイドに呼ばれてな。ちなみに女子寮の寮長さんの許可は事前にもらっておいた。」
女子寮の庭に立つ二人目の男子――カラードは、そのままランニングにでも行きそうな格好で許可証みたいなぺら紙をひらひらさせた。
「ほお、許可が出たのか。それはすごいな。」
「まー、カラードってロイドとは違う方向に人畜無害だもんねー。」
「そうでもない。おれはこれをつけるようにと念押された。」
そう言いながらカラードが指差したのは首についてる首輪みたいなモノ。あたしにはおしゃれアイテムか何かにしか見えなかったんだけど、一人だけ――リリーが目を丸くした。
「え、そんなモノつけられちゃったの!?」
「リ、リリーちゃん、これが何か……知ってるの……?」
「色んな呼ばれ方するけど、簡単に言うと呪いの首輪だよ。」
「呪い!? えぇ、カラード大丈夫なのか!?」
「問題ない。ただ単に――これをつけていると女子寮という建物がこの庭以外知覚できず、そして仮にこの首輪なしで女子寮の敷地に入ったなら全身に激痛が走るらしい――というだけだ。」
「えぇ!? す、すごいなそれ……てか知覚できないって……じゃあ今カラードには――」
「今のおれにはここにあるはずの女子寮が見えず、ただの空き地が見えている。」
「んん? カラードくんには悪いが、それは女子であるわたしたちからすると安心できる話ではある……が、そういう事が出来るのであれば、ロイドくんも何かされていておかしくないはずなのだが……」
「ああ、それはおれも気になってな。ロイドもこの首輪、ないしこれに近いマジックアイテムをつけているのかと寮長さんに聞いたのだが、こんな答えが返って来た。」
たぶん寮長のまねをしようとしてるんだろうけど、真面目な顔で声を変えたカラードは面白かった。
「大浴場や誰かが着替えている部屋を覗く。女子の私物を持って帰る。大方の男子が思いつく助平な行動を、残念ながら坊やはこっそりできないタイプ。行為が完遂どころか行われる前に発覚してしまうし、自分がそういうタイプだという事を坊やは理解している。故に、起こるとすれば坊や側に一切悪気のない事故くらいだろうから、問題はない――と。」
「そもそも寮長さんなんていたのか。オレ会った事ないぞ……」
「あたしもここに入る時に一回会ったっきりよ……っていうかなんなのよ、あんたの寮長からのその信頼は。」
「さぁ……あ、もしかしてフィリウスの弟子だからーみたいな感じかな。十二騎士の弟子なら大丈夫だろう的な。」
「理由が全然違うでしょ。なんかあんたの事をよく知ってる風なセリフだったけど。」
「えぇ……んまぁ、言われた事は合ってるんだよなぁ……前にフィリウスにも同じような事を言われたから間違いない。」
「ほう。つまりロイドくんは……そういう事に興味はあるが、やったら確実にバレてしまうからやめておこうと我慢している……というわけか?」
「は、はっきり聞かれると恥ずかしいですけど……そ、そんな感じ――」
そこまで言って、「うぅ」って顔で赤くなってたロイドはふと思いついたみたいに表情を変える。
「そ、そう、そうなんです。寮長さんの言う通りで、し、仕方なく我慢してるだけで、オレも助平な男子なのです! だから何回も言ってますけど、く、くっつかれたりとか、何度もキキキ、キスされたりするといつか……こう、ああなりますからね!」
ロイドのその言葉を聞いて、あたしは昨日の夜の事を思い出す。
噛みついて血を飲みたくなるような……よ、欲求っていうか衝動にかられたって事とか、ふ、普段のあたしが無防備とか……
……確かに、最初の頃よりも――同じ部屋に男の子がいるっていう事を意識しなくなったような気はするけど……
つ、つまり要するに昨日は……吸血鬼化も原因の一つだろうけど、ロイドが――が、我慢できなくなってあたしを――!!
「……ボクとしては「ああなって」欲しいんだけどねー。それよりも今の話でエリルちゃんが顔を赤くしたのが気になるんだけど。」
「!! な、なによ!」
「さっき話した事以外に……ねぇ、エリルちゃん? ロイくんとなんかあった?」
「べ、別に何もないわよ……」
「……ロイくん?」
「ぶぇ!? べ、別に何も……」
「あははー。二人とも嘘が下手だねー。」
「ふむ……カーミラくんなら何か知っているかもしれないな。」
「そ、そうだね……やっぱり、朝は寝てるのかな……」
「……本当におれはお邪魔なのではないか?」
きょ、今日はなんか色々あったけど――頼んでみたら快くオッケーをしてくれたカラードを新たな朝の鍛錬メンバーに加え、フィリウス直伝のそれとはスタンスの違う攻めの体術も学ぶ事となった。
カラードの、ランク戦でオレと戦うまでセイリオスの優秀な生徒相手に魔法無しで勝ち続けたその体術はお父さんから教わったらしいのだが……そんな使い手が騎士としては無名というのだから驚きだ。
「ほい、おはようお前ら。」
いつもやる気なさそうに入ってくる先生が妙に上機嫌なのはいいのだが、なんか包帯とか絆創膏とかで身体のあっちこっちが隠れているその姿にクラスのみんながビックリした。
「いやー、久しぶりに強い奴と手合せできてな。楽しくてちょっとやり過ぎちまった。」
あははと笑う先生は、出席簿を机の上に置いて上機嫌のまま話を始める。
「さてお前ら。ランク戦が終わり、ランクごとの授業も始まり、セイリオスでの学生生活が本番を迎えたわけなんだが……実はもう一つ本番を迎えるモノがある。別の言い方をすると、この時期になってようやく、お前ら一年生が関わる事を許可されるモノだな。」
んん? なんかあったっけか……
「ずばり、委員会と部活だ。」
委員会と部活……ああそうだ、そういえばオレたちデルフさんに生徒会に誘われているんだった。ちゃんと返事をしないとな……
「他の先生に聞いてみたところ、学院生の九割以上がどっちかに所属してるみたいだ。んま、それもそのはずで……どっちに入っても騎士としての将来に大きなプラスとなる。」
そう言って先生は黒板にカツカツと、部活と委員会について説明しながら要点をまとめ始めた。
まずは委員会。簡単に言うと、学院での生活や授業の手助けを行う人たち。例えば図書委員会は学院にある図書館の管理を、飼育委員会は授業で実際に触れてみる為の魔法生物の飼育を任される事になる。
ここまでなら普通の学校の委員会とそれほど変わらないけれど、騎士の学校であるセイリオスの委員会にはもう一つ活動が加わる。それが研究だ。
図書委員会なら、名門故に珍しいモノもそろっている図書館の本を利用して新しい魔法や武器、武術の研究を行う。しかも、研究目的っていう――これまた先生の言葉を借りるとお題目があるからか、一般の生徒は閲覧禁止となっている本も読むことが出来たりする。
飼育委員会なら、野生のモノも含めて魔法生物の研究を行う。生態や使用してくる魔法の種類は勿論、使役する方法なんかも研究するらしい。
しかもさすが名門と言うべきか、どの委員会もレベルの高い研究をしているらしく、外部の研究機関と合同で何かをするなんてことは珍しくないらしい。そんな事もあって、例えば図書委員会なら、卒業後は是非うちの研究所に来て下さい――みたいに引く手数多という状態になるとか。
そのまま研究者になるも良し、魔法を主体とする騎士としてや魔法生物を使役できる騎士として国王軍や騎士団に入るも良し。どちらにせよ、セイリオスの委員会を出ているという肩書は影響力が大きいようだ。
自分の進みたい道――騎士としてありたい姿が既に決まっている人にとっては良い事だらけの委員会なわけだけど、さすがに誰でもウェルカムというわけではなく……どの委員会にも入会試験というモノがあるとか。
……フィリウスの推薦で入ったオレに実感はないけれど、セイリオスへの入学自体が難関だというのにまだ試験があるのだからため息ものだ。
次に部活。これは……要するに『ビックリ箱騎士団』だと言われた。
普通にスポーツを楽しんでいる場合もあるけど、基本的にセイリオスで言う部活というのは、すなわち騎士団の事を意味する。一定の人数がそろい、顧問となる人物がおり、そして学院にその活動目的が認められたなら誰でも部活を立ち上げる事が出来る。
魔法の練習をする部、体術を極める部、ひたすらに模擬戦をする部……という風にその部の方針はそれぞれだけど、どの部活にもきちんとした活動場所が与えられるから、授業以外で何かに集中して打ち込める時間を得る事ができるというわけだ。
しかも、騎士団を意味するという言葉通り、すべての部活にはセイリオス学院という名前を借りて一騎士団としての活動が認められている。勿論、任務を受ける際には学院側の許可が必要となり、学院生には荷が重い高難易度の任務が認められる事はないけど、それ以外は一般の騎士団と同等の扱い。一足早く実戦を経験したいなら部活はオススメというわけだ。
こちらも委員会と同じように評判は高く、外部の騎士団――時には国王軍と一緒に何かをするなんて事も場合によってはあるとか。
試験があるせいか、なんとなく部活よりも委員会の方が上――試験に落ちたから仕方なく部活をしているという人も中にはいる。だけどこの二つは少し活動目的が違うところもあるから、生徒がそれぞれに合った方に所属して欲しい――というのが先生の話だった。
「つーことでサードニクス。たぶん、お前の『ビックリ箱騎士団』も部活としての申請を出せとかなんとか言われると思うぞ。」
「は、はぁ。」
「んじゃ私はこれで。今日から魔法学も本気になるから頑張れよー。」
出席簿にパパパーっとチェックをつけて、先生は教室から去って行った。
「……えぇ? エリル、魔法学が本気ってなんだ?」
「確か……今まで一つの魔法学ってくくりだったのが系統別に分かれるのよ。」
「えぇ!? 一気に十二個に増えるって事か!?」
「そうなるわね。セイリオスは自分の得意な系統を伸ばすっていう方針らしいけど、他の系統を何も知らないんじゃ困るっていう考えみたいよ。」
「なんだ、方針って。」
「得意な系統を伸ばすタイプと、どの系統もできるようにするタイプ。学校によってどっちの方針で授業するか違うってことよ。」
「えぇ? それなら……第十二系統以外を極めちゃった学院長が学院長なんだから、セイリオスはどの系統もできるようにって方じゃないのか?」
「学院長は例外なんじゃないの?」
「そっか……第四系統の授業の時はよろしくな。……んまぁ、結局全部で「よろしくな」なんだけど……」
「第八系統の時くらい頑張りなさいよ……て、ていうかその時はあたしがあんたを頼るし。」
「えぇ?」
「えぇ? じゃないわよ、《オウガスト》の弟子。」
嫌いってわけじゃないけどこれまで全くやってこなかったせいか、風を回す以外の事はなんとなく抵抗感があるんだよなぁ……
「くそっ、くそっ!」
田舎者の青年が新学期から始まる授業に辟易としている頃、フェルブランドの首都であるラパンから少し離れた場所に位置する、首都と同等の賑わいを見せる街に建つ豪華な屋敷の一室。昨日殴られた頬を抑えながら一人の男が壁を蹴っていた。
「一体どうなっているんだ! 王族とつながりを持つ事で我が家は更なる発展を、クォーツは面倒な末妹を体裁よく処理できる――そういう話ではなかったのか!」
「い、いえ、特にそういう約束を交わしたわけでは――」
「交わしていなくともそうする事が最善である事は明らかであろうに! クォーツもいい加減腐ったと見える!」
「ぼ、ぼっちゃま、滅多な事を――」
「やかましい! そもそも大公の血族という事で一本ずれているというのに、何を大事にしているのやら! これはお父様に動いて頂かなくては――おい、お父様はまだ書斎か!」
屋敷の一室――男の自室にて長々と愚痴を聞かせていた世話係の老人に今日何度目とも知れない怒鳴り声をぶつけたのだが、急に返事がなくなった。
「おい――あ?」
振り返った先、老人がほんの数秒前までいたその場所には誰もいなかった。扉の傍であるから出て行ったとも考えられるが、あの老人が主人がしゃべっている最中にいなくなるような者ではない事を少なくとも認めている男にとっては理解できない状況だった。
「おい、じいはどこに行った!」
扉を開け、廊下に向かって声を響かせる。いつもなら誰かがどこかの部屋から顔を出して男の要望に応えるのだが、奇妙な事に誰も出てこない。
その代わり――
「ピエール・ムイレーフだな。」
恐ろしい事に、さっきまで老人と二人きりだった自分の部屋からその声は聞こえた。反射的に振り返ると、これと言った特徴のないオールバックでメガネをかけた男が壁に寄りかかっていた。
「!! だ、誰だ貴様! どうやってここに――」
「あの状況、もしかしたらと思って来てみたが案の定だったな。質のいい鉄を見つけた刀鍛冶の気分だ。」
「お――おい、誰か! 侵入者だ! 誰か来い!!」
「彼は中々に好青年でな。苦手とか嫌いとか思っている者はいてもその上の段階……恨みとか憎しみを持つ者がさっぱり見つからなかったんだが――ようやく見つける事ができた。個人的には少し弱いが、補強すれば問題ないだろう。」
「だ、誰も――誰もいないのか! どうなっている!」
「ああ、そういえば言っていなかったな。今この屋敷の中で生きているのはお前だけだ。」
メガネの男の言葉を無視して屋敷の者を呼び続けていた男は、その言葉でようやくメガネの男に視線を向けた。
「――なん、だと……」
「言い方を変えると、お前以外、全員死んだ。ちなみに屋敷の外にいた連中はどっちか微妙だ。」
「全員死――貴様! お、お父様を!?」
「お父様? どれの事かわからないが、この屋敷の中にいたのなら死んでいる。」
「な……で、デタラメを! 七大貴族のムイレーフ家がそんな簡単に――」
「ああ……そういえばそうだったか。すると今日からは六代貴族だな。」
「――!! き、貴様、何が目的だ!! お父様を殺し――次は私か!? いや、こうして殺していないところからすると私を利用する気か!」
「お前に用はない。お前の中にある感情に用が――」
「おおおおおおおっ!!」
メガネの男が淡々と語る途中、突如扉から巨大な剣が伸びてきた。それはメガネの男を貫かんとしたが、ひょいと横に移動したメガネの男に届くことは無く、そのまま壁に突き刺さった。
「ピエール様! ご無事ですか!」
「お――お前か! 遅いではないか! 一体どうなっているのだ!」
剣の後に部屋に入ってきたのは大柄な男。先日セイリオス学院に男の護衛として同行した騎士だった。
「申し訳ありません! 屋敷の外にいた警備の騎士全員に幻術がかけられまして……それを破って屋敷に入ると誰もおらず、唯一ここからピエール様の声が……おい貴様! 屋敷の中にいた者をどこにやった!」
「! ど、どういう事だ? こ、こいつは屋敷の人間を全員殺したと――」
「な――答えろ! 一体何をした!」
壁に刺さっていたはずの剣がいつの間にか大柄な男の手の中にあるのを興味なさげに見つめた後、メガネの男は軽くため息をついた。
「そこそこいい夢を見させたはずだが……お前のようなタイプに広域幻術は効果が薄かったか。やはり目を見ての直接幻術でないといけないな。やれやれ、ストックが減るから戦いたくはないのだが……」
「質問に答える気はないようだな……ならば一先ず拘束させてもらう! 話はそれからゆっくり聞く!」
「どちらにせよ、手遅れだがな。」
メガネの男の言葉が終わるや否や、大柄な男はその体躯に似合わない素早い動きを見せ、メガネの男を自身の間合いに入れた。
「んん?」
メガネの男は何かに気づき、大柄な男に押されるようにして部屋の窓から外に出た。屋敷の最上階――四階の高さからのジャンプだが、メガネの男はきれいに受け身をとって着地する。
「ピエール様はここに!」
メガネの男を追って大柄な男も飛び降りる。斯くして、屋敷の庭に騎士と侵入者の一騎打ちの場が出来上がった。
「……目をつぶって攻撃とは、妙な趣味もあったものだな。」
「幻術使い相手に目を開いて戦う騎士などいない!」
「結果は変わらないのだから、せめていい夢で朽ちればいいものを。こっちはストックが減る上にそっちは苦痛が伴う――双方にルーズルーズなんだがな。」
「ストック……遠距離武器の残弾か、それともマナや魔力の事か……いずれにせよ、勝った気でいるのは早計だ!」
目をつぶったまま、しかし目を開いているかのように。ひらりひらりと交わすメガネの男を追う大柄な男の剣は、確実に敵をとらえていた。
「しかし、騎士というのは正義なのだろう? ストックを消費するというのは無関係のモノを巻き込む行為なのだが?」
メガネの男のその言葉に、大柄な男は剣を止めた。
「……幻術は第六系統の闇魔法の分野……その特性は……まさか貴様、ストックというのは……!」
「何を驚いている。そちらが正義ならばこちらは悪――いや、そちらが正義でなくとも自分は悪だ。禁忌とされているそれを行うのは当然の事。」
「――! 外道め!」
「何を今さら。それに仕方がないだろう。自分はあくまで幻術使い。武器は使えないし、攻撃系の魔法といったらさっきやった召喚魔法くらい。お前のような近接タイプとこの距離で遭遇してしまったなら、できる事はそれしかない。」
ポキポキと指と首を鳴らしたメガネの男は大柄な男の制止をよそに呟いた。
「『デビルブースト』。」
夏休み明けからが本番というのは何度も聞いていたけど、魔法学に限らず、まるで違う学校に来ちゃったかなと思うほどに全部がガラリと変わった――いや、正しくはレベルが上がった授業のオンパレードにオレは「うへぇ」という顔をし、そんなこんなで本日の授業は終了した。
夏休みの頃よりは日が沈むのが早くなって夕暮れに染まる学院内を、新しくもらった教科書とか小物を山盛りにしてオレたちは寮に向かって歩く。
「ふぅん、そういう事だったんだね。」
一人、位置魔法でちょちょいと荷物を瞬間移動させて手ぶらなリリーちゃんは――えぇっと、確か『ポケットマーケット』だったかな? 愛用の手帳とにらめっこしていた。
「どうしたの、リリーちゃん。」
「うん……そろそろボクのお店――購買を開店しようと思って何を入荷すればいいかなって、最近ずっとこれを見てたんだけどね。授業で使った事ないモノばっかり書いてあるからどういう事なんだろーって思ってたんだけど……今日の話聞いてやっと納得したの。確かにこれからの授業には必要そうだなーって。」
エリルが基本的にムスッとしているなら、リリーちゃんは基本的にニコニコしている。そんなリリーちゃんが真面目な顔で手帳をのぞいていると、やはり商人なんだなぁと思う。
「そういえば……えぇっと、リリーちゃんが例の……あの、そ、組織的なのを抜けてから……えっと、生活するために商人やってたっていうのは理解したけど……今はそんなに頑張って商売しなくてもいいんじゃ……?」
オブラートに包み損ねた変な質問に対し、リリーちゃんはニコッと笑う。
「昔ならそうだけど、今のボクには夢があるんだよ。」
「夢?」
「田舎とも都会とも言えないちょうどいい感じの町に白いお家を建ててね、いぬとねこを一匹ずつと男の子と女の子と、それとロイくんで幸せな結婚生活を送るの。」
「!! そ、そうなんだ……」
「ロイくんはねー、どこかの王族とかどこかの貴族とかどこかの名門騎士の家みたいに豪華な感じよりもこぢんまりとしたお家がいいと思うの。ねー?」
「ど、どうかな……」
「きっとそうだよ。でもそれでもお家は高い買い物だからね。その為の資金集めが今の商売の目的かな。サードニクス商店もやりたいし。」
「う、うん……」
リリーちゃんのキラキラの、そして他のみんなのジトッとした視線を受けて「うぅ」となるオレは、女子寮の前にちょっとした人だかりを見つけた。
「……なんか前にもあったような光景が……またフィリウスが来たのかな……」
「え、フィルさんてばまた裸になっちゃったのかな。」
「そういえばそんな事あったねー。ロイドの師匠もマナ吸収の為に露出多めなのかなー。」
「ロイドくんには悪いがそれは勘弁だな。」
「いや、オレだって勘弁だ……」
フィリウスでない事を祈りながら近づくと、短髪頭とデカい剣の柄が見えてきて――
「んお、遅いな大将。」
フィリウスがいた。ただし、今回は服を着ている。
「何やってんだフィ――」
「こんばんは、ロイドくん。」
フィリウスの横、寮の入口前で仁王立ちしているのは――
「お姉ちゃん!?」
「はい、お姉ちゃんですよー。」
エリルのお姉さん、カメリアさんだった。
「大将から手紙もらったから連中が起きるだろう時間に合わせて学院の方に歩いてたんだ。そしたら後ろから来たクォーツ家の馬車に引きずり込まれてな……気づいたらカメリア様の護衛にされたってわけだ。」
いつもの流れならオレとエリルの部屋に行って話を聞く――みたいな感じなんだが、例え十二騎士でも女子寮には入れないという事で学院長の部屋がある建物の……客室? 的な部屋に移動した。
「ロイドくんが呼んでなくても、いずれはこうして話の場を設けるつもりだったから丁度よかったわ。」
「? なんで俺様を。」
「ご両親が他界され、唯一の家族は妹さんだけ。と来ればロイドくんの保護者はあなたという事になるわ。エリーとロイドくんが結ばれた暁には、私とあなたは王族と十二騎士以外のつながりを持つの。そういうつもりの顔合わせをするのは当然だわ。」
「おお、そうなるのか。困ったな、結婚式に出られるような服を持ってないぞ。おい大将、服。」
「いや、んな破れたところ縫ってくれって時と同じような流れでオレにふるな。」
「! あらあら、ロイドくんってそういう話し方もするのね。男らしくてそっちもいいわね。」
「あ、いえ……はい……」
大きなテーブルといくつかのソファーが並ぶその部屋で、『ビックリ箱騎士団』メンバーとフィリウスとカメリアさんが顔を合わせる。でもってそうなると……
「あらあら、あなたはだぁれ?」
「ん、俺様も初めて見るな。」
二人の視線がアンジュに移る。
「あたしはアンジュ・カンパニュラ。そうだねー……ここにいるみんなと同じ立場の女の子って言えばいいかなー。」
「あらあら、エリーも大変ね。」
「ほお、大将は底が知れないな。」
「――!! で、お姉ちゃんは何しに来たのよ!」
「何って、妹の恋敵に一国の女王が登場したのでしょう? エリーだけじゃ太刀打ちできないかもと思って来たのよ。彼らは昼夜が逆転してるんでしょ? そろそろ起きるかしら?」
「ちなみに俺様も、大将からスピエルドルフの懐かしい連中がこっち来てるから――んま、記憶の事も含めて会っといた方がいいんじゃないかって手紙をもらったから来た。」
「二人ともカーミラたちに会いに来たってわけね……」
「そうよー。だから――あ、そうだ。ロイドくんはその人たちと仲良しなのよね? ちょっと呼んできてもらえないかしら。」
「へ、あ、はい……そうですね、そろそろ起きる頃でしょうし。呼んできます。」
ロイドが部屋を出ると、途端にお姉ちゃんの顔がキリッとした。
「エリー。」
「な、なによ……」
「それでロイドくんとはどこまで行ったの?」
「い、今聞くの!?」
「ロイドくんがいたら照れちゃうかと思って。それでどうなの? キスくらいしたのかしら。」
「――! そ、それは……」
な、なにをどこからしゃべればいいのよ、これ!
「あー、カメリアさん。ここはわたしが。」
「あらあら? それはそれで不思議な事だけど……とりあえず聞きましょうか。」
「ちょ、なんでローゼルが――」
あたしが止めようとしたら――
「ロイドくんはわたしたち全員からキスとセットの告白を受け、一先ずとりあえず差し当たりエリルくんの恋人となっています。」
一息でつらつらとあたしたちの現状を伝えた。
「あら……あらあら! 今の一言でとんでもない状況だって事はわかったわ! つまりあれね? エリーから聞き出し――聞いた恋愛マスターの言った日まで恋愛バトルが続くってことね! それで今はエリーが一歩リードってことね! すごいわ、エリー!」
変なところに変に嬉しそうなお姉ちゃん。対してロイドの保護者としてここに連れてこられたらしいフィリウスさんは首をかしげた。
「んん? 大将の運命の相手が恋愛マスターの言った期日に判明するってだけで、その時に大将とイチャイチャしてた奴とくっつくってわけじゃないぞ? 要するに戦い以前に、どこの誰かはわからないが既に勝者は決まっ――」
「フィルさん、そういう話じゃないんだよ?」
フィリウスさんの言葉を切るリリー。
「もしかしたらボクじゃない誰かが運命の相手だったとしても、それを打ち破ってロイくんと結ばれる。これはそういう戦いなんだよ。」
「そ、そうか。」
フィリウスさんが……なんか、ロイドの「えぇ?」って顔に似た表情になる。そんなフィリウスさんを横目に、お姉ちゃんがため息をついた。
「やれやれ、そんなんだからその歳になっても未だに良い人の一人もできずに女遊びに留まっているのね。早いところ《ディセンバ》と結婚しなさい。なんなら大伯父様から勅命を出してもらうけど?」
なんだか……いつも豪快な十二騎士、《オウガスト》のフィリウスさんがこの場では一番下の扱いだわ……
「でもでも、これだけの良い子可愛い子美人な子ぞろいからエリーを選ぶんだから、ロイドくんはエリーにぞっこんなんじゃないの? ラブラブなの? おはようのキスとかしちゃってるの?」
「してないわよ!」
「あー、でもそうなのね。エリーはロイドくんと結ばれたのね。嬉しいわ。どっちから先に告白したの? まぁ、ロイドくんはロイドくんだからきっとエリーからなんでしょうね。」
「な、なんでお姉ちゃんがロイドの事そんなに……」
「見ればわかるわ、今時珍しいもの。ていうかもしかして、今も戦いが続いてるって事はロイドくんたら、毎日みんなからの攻撃を受けてるわけよね? エリーも負けじと!? あらあらまあまあ! うぶそうなロイドくんは大変ね! ちょっとちょっと、その辺の教育はどうなの、フィリウスさん!」
「酔っぱらわなければ鼻血噴くだけだな。」
「む? それはなんの話だ? ロイドくんが漫画みたいに鼻血を出すのは知っているが、酔っぱらう話は初耳だ。」
「フィルさん! それ詳しく!」
その場の女の子の圧力に押されてどんどん小さくなってるようにすら見えてきたフィリウスさんには悪いけど……そ、その話はあたしも興味あるわ……
職員室に寄って先生からみんながいる場所を聞き、そこに向かって歩いていたオレは地下の一室の扉の前に並ぶ三つの人影を見つけた。
『おや。』
その内の一人がオレに気づき、ペコリと礼をした。地下だから太陽の光はほぼ無いはずだけど、その三人はローブにフード姿。反応から察するにストカやユーリではないから、たぶん護衛の三人だ。部屋の中で寝ているミラちゃんを守っているのだろう。
「えぇっと……あの、オレはロイド・サードニクスって言いまして……」
『存じております。姫様にご用ですか?』
「あ、はい。ミラちゃ――女王様に会いたいという方が来てまして……十二騎士の《オウガスト》とカメリアさん――あー、えっとフェルブランドの王族の人で――」
『そちらも存じております。ただ、あと――そうですね、十分くらいすれば姫様もお目覚めになるかと思いますので、それまでお待ち頂いても?』
「そうですか。わかりました。」
スピエルドルフは常に夜だから、オレたちみたいに太陽の光で目が覚めるみたいな事がない。だから時間で区切って寝る時と起きる時を決めている。その関係で睡眠時間の長さがキッチリと決まっているから、全員その時間分寝るとパッチリと目覚めるような体質になっているのだとか。
とは言え……ここで十分待つのも――
『ロイド様。』
「……え、あ、オレですか? え、ロイド様って……」
『ふふ、姫様やユーリ、ストカと同じように私たちも忘れていた事を思い出したのですよ。そしてそうであれば――未来の王はそう呼ばなくては。』
「えぇ!? あ、ま、まぁミラちゃんと……そうなるとそうなりますけど……で、でも……魔人族の国にオレ……人間なんて……」
『普通であればそうですね。しかしロイド様は若干ながら吸血鬼であり……そして何より、スピエルドルフはロイド様に大きな恩がありますから。』
「? えっと何の話ですか……?」
『残念ながら、これはロイド様の右眼に関する事柄なので姫様から口止めされておりまして。しかし確かな事は、ロイド様が王になられる事に不満を持つ者は……まぁ、多少はいるでしょうが、それは少数派。国の世論で言うならば賛成となっております。』
「そ、そうなんですか……」
一体、昔のオレは何をしたんだ、ホントに……
「そういえば……オレはその、護衛の皆さんとも面識があるはずだと……」
『ええ。いい機会ですから、改めて自己紹介をしましょうか。二人とも、ローブを。』
頭の中に響く声で話す人が促し、三人がローブを脱いだ。全員同じ格好――つまり、同じ服。たぶんスピエルドルフの軍服的なモノなのだろう。パムが着ているフェルブランドの軍服とは違う、襟とかの大きなカッコイイ感じの服だった。
んまぁ、服はそんな感じなんだけど当然全員魔人族。でもってそもそも魔人族にはどちらかというと人間と同じ姿――顔を持っている種族は少ないわけで、この三人は多数派の容姿をしていた。
『私はフルトブラント・アンダイン。海のレギオンのマスターを務めております。』
声が耳ではなくて頭の中に聞こえるのは、この人の場合は仕方のない事だったようだ。
生き物の身体はそのほとんどが水で出来ているというが、この人の場合は百パーセント水だろう。人の形をした水の塊。かといってスライムみたいにドロドロした粘性がありそうじゃない、本当の水。そんな人が軍服を着ている――そんな感じだった。
当然、眼、耳、鼻、口といった顔の部品が一つもないわけで、だからたぶんこの人――いや、種族はテレパシーか何かで意思疎通をするのだろう。
「おれはヨルム・オルム。陸のレギオンマスターだ。よろしくな。」
シュルルと舌を出しながらそう言ったこの人は、たぶん蛇系の種族の人だ。蛇の頭をそのまま人間の首の上に乗っけたようなシルエットで、全身が黒い鱗に覆われていて赤い眼をしている。
なんだかトカゲかヤモリが立ち上がったようにも見えるけど……んまぁ、舌が分かれているし上下に鋭い歯もついているからやっぱり蛇だろう。
「わたしはヒュブリス・グライフっていうの。空のレギオンマスターよ。」
口調と声的に女性なんだろうこの人は鷹か鷲か……いや、全然違うかもしれないけどとにかく頭部が鳥だった。しかしなんというか……犬とかを見た時に「この犬はイケメンだなぁ」と思う感覚なんだけど、この人はすごく美人だと思う。
「レギオンのマスター全員にお会いする事になるとは……あぁいえ、前に会ってるはずなのか……よ、よろしくです。」
レギオンというのはこっちで言う国王軍とかお巡りさんのようなモノだ。人間の国でもそうであるように、スピエルドルフの中にも悪い奴はいる。そういう連中から国民を守る為に動く人たちをレギオンと言うわけだ。でもって、人間は主に地上にいるから必要ないんだけど、空や水中を住み家としている魔人族もいる関係で、レギオンは陸海空の三つに分かれている。
つまり、この三人は三つのレギオンそれぞれのトップという事。こっちで言う十二騎士みたいなもので、たぶんその強さはとんでもないレベルのはずだ。
「あ、そうだわ!」
すごい人たちと――改めて知り合いになったなぁと思っていると、ヒュブリスさんが……不思議なモノで、「いいこと思いついた!」って顔をしたのがわかった。鳥なんだけど。
「ロイド様、是非姫様の横に! 目覚めた時にロイド様におはようなんて言われた日には姫様大喜びするわ!」
「喜びはするだろうが……しかし急過ぎないか? 昨晩も姫様は興奮しっぱなしだったぞ。」
『仕方がないのでは? 長いこと想い続けた方にようやく会えたのですから。それにヨルムの言う通り、喜ぶ事は確実でしょう。いかがです、ロイド様。』
「え、あ、はい。それくらいなら別に……」
という事で、オレはミラちゃんが起きるまでそのベッドの横で待つ事になった。三人が守っていた部屋に入ると中は真っ暗――いや、本当に真っ暗で何も見えないぞ、これ。
「――! これは……」
ふと視界が明るくなる。右目をつぶると真っ暗に戻るから、たぶん魔眼が発動したんだろう。ミラちゃんが近くにいるからなのか、それともしばらくはこんな風に勝手に発動するのか……んまぁ、今はありがたいんだけど。
「……こいつらも寝てやがる。」
ふと部屋の左右を見ると、ストカとユーリがいた。ストカは自分の尻尾を抱き枕みたいにして寝ていて……んまぁそれはいいんだが、ユーリの方がホラーだった。
「なんで頭と身体が離れてるんだ……?」
身体の方は普通にベッドに横たわっているのだが、頭だけベッド横のサイドテーブルの上に置いてあるのだ。まるで普段メガネをかけている人が寝る時に外したメガネを横に置いておくような感じに。
「……んまぁ、確かフランケンシュタインの核は身体にあるって言ってたしなぁ。あながち間違いでもないのかも……」
そんなお化け屋敷みたいな光景を通り過ぎ、一番奥のベッドの横に椅子を置いて、オレはそこに寝ているミラちゃんを覗き込んだ。
……なんだろう、なんかこのベッドにすごい見覚えがあるんだが……んまぁいいか。
ミラちゃんはものすごく姿勢良く寝ている。ベッドに入ってから微動だにしていないんじゃないかと思うくらいだ。
ん? そういえば棺桶じゃないんだな。吸血鬼と言えばそういうイメージなんだけど。
それにしても……今更だけど寝顔を見られるのって女の子的にはあんまり嬉しく無い事なんじゃなかったっけか……エリルはそれこそ今更で何も言わないけど。
……婚約か……昔のオレが何をしたのかは気になるけど、それと同じくらいに当時のオレの気持ちも気になる。言われてようやく自覚したようなふわふわの感情だけど、今のオレがエリルに対して抱いているモノと同じモノを、その時のオレはミラちゃんに対して持っていたって事だよな……
「……いよいよ真剣に、恋愛マスターにもう一度会わないといけないな。」
しかし探して会えるような人ではないんだよなぁ。どうしたら――
「んん……」
暗い部屋の中でモヤモヤと考えていると、ミラちゃんがそんな声を漏らした。そろそろ起きるのかな?
「……ん……」
目をしょぼしょぼさせながらのっそりと起き上がったミラちゃんは数秒ボーっとし、そして横――つまりはオレの方を見た。
「……」
「あ……えっと、おはよう、ミラちゃん。」
「……」
心ここにあらずみたいな顔のミラちゃんが、眠そうな目をゆっくりと開いていく。
「……? ……ロイドひゃま?」
「ひゃま……う、うん、オレオレ。ロイド。おはよう。」
「……!? ……ロイド様!?」
「う、うん。おはよう、ミラちゃん。」
「ど、どうしてこ、ここに!? もしかしてワタクシはまだ夢の中に!?」
「いや、夢じゃないよ。えっと、ミラちゃんに会いたいって人が来ててね。それでそろそろ起きるかなーと思って来たら、フルトブラントさんたちがベッドの横で起きるのを待ってたらどうでしょうって……」
オレの説明を聞きながら、少しあたふたしたミラちゃんは髪をなおして……でもってちょっとドキッとしてしまったのだが、不満そうなジト目でオレを上目遣いに見た。
「そうですか……しかしロイド様、そういう事をするとどうなるかきちんと予想されましたか?」
「えぇ?」
「よく考えてください。ワタクシはロイド様の事を愛しているのですよ?」
さらりと出て来る言葉に息が詰まる。
「しかも探し続けてようやく昨日会えたばかり……そんなワタクシをロイド様がベッド横で迎えてくれたとあっては……」
「な、なにかマズイこ――」
言い終わる前に、オレの口はミラちゃんの口に塞がれた。
「んん!?」
瞬間、今までの――こ、これとは全く違う感覚が全身に走った。しっとりとした唇がすごく柔らかくて、目がまわりそうなくらいにいい香りが――て、っていうのもあるんだけどそれ以上の衝撃が身体中を駆け巡る。
これが人間と吸血鬼の違い――いや、差なのか。口を通して伝わるのはミラちゃんの……そう、圧倒的な生命力。桁違いの存在感というか……とにかくなんだかすごいモノを感じた。その影響なのか……なんというか、妙にオレの身体は活気付いた。一気に体力満タンになったというか、急に全身が力を持て余し始めたというか――
あれ? なんだ……なんかすごくまずい気がする……! こ、このままだとなんかやばい気がするぞ!
「――あぁ……」
頭の中がぼやけ、全身をビリビリさせながら今まさに何かをしようと腕をまわしたオレから唇を離したミラちゃんは、ほっぺを両手で抑えてくねくねする。
「ああ、あぁあ、ぁぁあああ……とろけてしまいます……昔と同じ――いえ、それ以上の濃密さ……あぁぁ、でもこれはいけませんね……ついうっかり全力で口づけを……唇の魔法とそもそもの吸血鬼としての力……これらをセーブ無しに人間にやってしまうと……あぁ、でもこれは……ロイド様……」
「ふぁ、ふぁい!?」
全身麻痺みたいにビリビリしっぱなしで身体がうまく動かせないオレの方に、とろんとしたミラちゃんが滑らかに迫り――
「すみませんがもう一度――」
「んぐ!?」
再び走る衝撃。この感覚は――昨日、エリルに何かをしてしまいそうになった時の感覚に似ている。つまり、その――
「――はぁ……」
危うい……本当にギリギリのラインで離れてくれたミラちゃん。オレは頭をぐるぐるさせる。
「はぁん……これくらいにしておきましょうか。正式にそうなったら止めませんが。」
「ふぁ、あ、あの、これは……」
「口づけですよ。キスですね。」
ニッコリ笑うミラちゃんに顔が熱くなる。
「そ、そうじゃなくて……いや、その、そっちもその……あ、ありがとうございます――って何言ってんだオレ……いや、そ、それとは別に……い、今オレ、なんかやばかったような……」
「ふふふ、そうですね。吸血鬼の持つ様々な力が重なりますから、その口づけを口に受けてしまうと……人間の場合は自身の制御が難しくなるのです。一種の暴走ですね。」
「せ、制御? 暴走?」
「野性的になると言えば良いでしょうか。普段は理性が押しとどめている欲望が暴れるのです。」
「よ、欲望! じゃ、じゃあ今オレ……」
「あともうちょっと口づけをしていたら、ワタクシはこのベッドに押し倒されていたでしょうね。望むところではありますが。」
「なばっ!?」
な、なんてことだ。何やら抗えそうにない力が働いたとはいえ、二日連続でオレは女の子にお、襲いかかりそうになったのか!
「ふふふ。吸血鬼は対象を殺さない食事をする存在ですから、同時に何かできないかと様々な事――行為を楽しむ為に色々と試してきた歴史があるのですよ。」
そう言いながらミラちゃんが見せた笑みは、ゾクッとする程に魅惑的だった。唇はもちろん、チラリと見えるキバに黄色い左目――あらゆる部分に息を飲む色気……的なモノを感じた。
「ん? ロイドじゃないか。ミラの寝込みでも襲いに来たのか?」
頭の中が桃色になってきたオレの耳に、ふっといつものオレに戻してくれる古い友人の声がし、いいタイミングだと思いながら振り返ったのだが……ぐりぐりと首に頭を取り付けるユーリはこれまたホラーだった。
「……ユーリ、なんで頭を……」
「寝癖がつかないだろう?」
「そんな理由かよ……」
「んあ!? ロイドじゃねーか! 何してんだお前!」
突如背後から迫ったサソリの尻尾に一巻きにされたオレは後ろに引っ張られ――
「ぶあ!?」
ストカに――その柔らかいモノに埋められた。
「うお、ホントにミラの魔眼がついてんだな! 片目だけ光っててかっこいいじゃんか!」
たぶん寝間着なんだろう、あのドレスよりも薄手の生地で余計にやばい事になる。
「ば、おま、その前にちょ、こ、この体勢は――」
「ストカ。」
ずんっと重みを感じる一言。ちらっと見ると、ローゼルさんみたいな冷たい笑みを浮かべたミラちゃんがベッドに腰かけた状態でこっちを見ていた。
「その豊満なそれをロイド様に押し付けて……場合によっては……」
「いーじゃねーか、ダチなんだから。なんならミラもやればいい。」
「おいストカ、それくらいにしとけよ。で、ロイドはなんでここに?」
「……みんなにお客さんだよ……」
「だっはっは! 大将がいない間に大将の恥ずかしい昔話を色々してやったぞ!」
「……何してんだよ……」
「大将が余計な事をしゃべるせいで《ディセンバ》が大変なんだ! それの仕返しだな!」
カーミラたちを連れて戻って来たロイドに、フィリウスさんは「してやったぜ!」って顔でそう言った。
「うむ……確かに興味深い話ばかりだったな……」
「ねぇ、ロイくん、ちょーっとでいいからお酒飲んでみない?」
「あ、あたしは……い、一緒に釣りに行ってみたい……かな……」
「ロイド、あたしの服着てみるー?」
みんながフィリウスさんから聞いた話から色んな事を提案する中、ロイドの後ろにいたストカたちが嬉しそうな顔をした。
「フィルじゃねーか! 久しぶりだな!」
「相変わらずのマッチョだな、フィル。」
「んあ? おお! まさかユーリと――ん、誰だ?」
「んな!? お前もかよ! ストカだよ、ストカ・ブラックライト!」
「だっはっは、冗談だ冗談! 大将はともかく、俺様は女だって知ってたからな!」
「なに!? おいフィリウス、なんで教えてくれなかったんだよ!」
「その方が面白いだろ?」
「この野郎め!」
「しかし驚いたな。三年ぽっちでそこまでナイスバディに。もちっと経ったらベッドに誘うところなんだが。」
「馬鹿言え。大抵のベッドを一人で占領するくらいの筋肉のくせに。そもそも俺はそんな安い女じゃ……おい、ユーリ、なんだその目は。」
「いや……どこかの誰かに対しては大安売りなんだと思ってな。」
「また大将か! そろそろ俺様が教えを乞う番だな!」
「ば、な、なに言ってんだ!」
「はーい、ちょっとみんないいかしらー。」
お姉ちゃんがパンパンと手を叩いた。
「フェルブランドの王族として、スピエルドルフの女王様に挨拶させて頂戴ね。」
その一言から、お姉ちゃんが――あたしにとっては違和感だらけの……なんていうか外行きの顔になった。
「お初にお目にかかりますね。私はカメリア・クォーツ。フェルブランド王国の主に外交関係を――」
「そんなに畏まらなくても良いですよ。どちらかと言うと、ワタクシの方が緊張しているのですから。」
「あら、そうなの?」
昨日見たロイドにメロメロな顔が一転、女王の顔になったカーミラと外行きモードのお姉ちゃん。一気に部屋の空気がピリッとした。
「こちらこそ初めまして。ワタクシはカーミラ・ヴラディスラウス。スピエルドルフの女王をしております。ご噂はかねがね。」
「あら、どんな噂かしら。」
「ふふふ。正直な話ロイド様が今、一先ず、一時的にお付き合いしている方がエリル・クォーツだとわかった時点で、ワタクシが最も注意を払わなければならない人物は貴女であると確信しました。」
すっと目を閉じて、カーミラは淡々と語る。
「四大国に数えられる国、フェルブランド王国。通称『剣と魔法の国』と呼ばれるこの国は、ガルドなどと比較すると科学技術には劣りがある代わりに、世界一の魔法技術を持っています。十二騎士を最も多く輩出している事からも分かるように優秀な騎士が多く、かつ多くの国にとって悩みの種となる魔法生物に関する研究も最先端。故に、四大国と並列せずに、世界を先導する一大国と呼称される事もしばしば。」
「あらあらそんなに褒めてもらっちゃって。王族として嬉しいわね。」
「事実ですから。そしてそんな大国を支えているのは二つの柱。一つは内政外政にその辣腕を振るうフェルブランド国王、ザルフ・クォーツ。世界の王が集う場においても一際大きな威厳を放つ、まさに王の中の王。その手腕は大国を一つにまとめ上げ、フェルブランドという国に盤石な基盤をもたらしています。」
あたしもそんなしょっちゅう会うわけじゃないけど、確かにすごい迫力なのよね……
「二つ目の柱は大公、キルシュ・クォーツ。その温和な顔からは想像出来ない統率力で屈強な騎士を指揮し、国内国外のあらゆる問題に対応しています。他国が自国で起きた魔法生物や自然災害などによる災厄に対してフェルブランドに応援を頼む事も珍しくありません。無論、内外問わずA級、S級の犯罪者が関わる問題にも迅速に対応。フェルブランドの国王軍に入る事を目指す他国の騎士もいるほどであり、その信頼は厚い。」
これはつまりあたしのおじいちゃんの話。そういえば……おじいちゃんはあたしがセイリオスに入る事に対しては特に何も言わなかったわね。兄さんとかお父様がやかましかったけど……
「この二つの柱によってフェルブランドはフェルブランドたりえています……しかし今、そこにもう一本の柱が出来上がりつつあります。主に外交の場面で頭角を現したその人物こそ、亡くなった姉のユスラ・クォーツを継いで世界に顔を出した――カメリア・クォーツ。」
……は? え、お姉ちゃんが……そ、そんなに?
「……良くない事と承知で言わせてもらいますが、ユスラ・クォーツには能力――才能がありませんでした。外交に関してはその大半を補佐に任せ、ただただ承認印を押すだけだったように思われます。しかしこれは仕方のない事……王族に生まれれば誰もが有能かと言うとそうではありませんし、そもそも向き不向きがありますからね。この辺りは古くからの王家を持つすべて国が抱えるひっそりとした悩みでしょう。そんな中、持てる才能と与えられた役職が合致したケース……それが貴女です。」
目を開いたカーミラの視線は……やんわりとした、あたしからするとちょっとらしくなくて気持ち悪い笑みを浮かべるお姉ちゃんに向けられた。
「ただでさえ強国のこの国をさらにどこまで押し上げるのか……あの彼らからイメロロギオの採掘権の三分の一を譲り受けた事などが、耳に新しい偉業でしょうかね。」
「うふふ、ありがとう。でも――今ここにいるカメリアさんはエリーのお姉ちゃんとしてのカメリアさん。外交なんてそんな些事を引っ張り出されても困るわ。」
些事って……
「本当にそう思っておいでですか?」
「あら……どういう意味かしら?」
ちょっとだけ、お姉ちゃんの雰囲気がピンとした。
「勿論、ワタクシにとってロイド様は最愛のお方。先に立つのは愛であり、続くモノは愛であり、最後に残るモノも愛。ですが……女王としてのワタクシは、その立場故に考えが巡り……そして確信しているのです。ロイド様――いえ、この場合においてのみはロイド・サードニクス。この人物が持つ価値の高さを。」
「えぇ? オ、オレが?」
すっとんきょうな声ですっとぼけた顔をしたロイド。そんなロイドにニッコリとほほ笑むカーミラは、まるで自慢話でもするみたいに話しを続ける。
「十二騎士の歴史の中で、十二騎士であり続けた期間の長さでランキングをしたなら五本の指に入る実力を持ち、今もなお更新し続ける最強の騎士の一人がここにいる《オウガスト》ことフィリウスさん。彼の最大の特徴はその外見とは裏腹の防御の技術。あらゆる攻撃をかわし、いなし、受け流す。どんなに強力な攻撃も当たらなければ意味がないと、大笑いしながら大地を裂かんばかりの一撃を確実に決めるのです。」
褒められたフィリウスさんは「そうだろう、そうだろう!」と言わんばかりに、だけど嫌味な感じはしない堂々たるにやけ顔になった。
「そんなフィリウスさんには隠し子ならぬ隠し弟子がいました。それがロイド・サードニクスという人物。フィリウスさんの防御の技術を受け継いでいる事は勿論ですが、それ以上に多くの騎士を驚かせたのは彼が使う剣術。特殊な環境で注意を払いながら修行する事でようやく習得できる、歴代最強と呼ばれるとある代の《オウガスト》が用いた古流剣術――通称曲芸剣術を、彼は体得していました。」
えっと、確か……曲芸剣術では「回転のイメージ」っていうのが大切で、とにかくその事だけに打ち込んでようやく身につく……度を超えた精密な回転がこの剣術には必須。だけど、例えば他の剣術をちょっとでも勉強しちゃったり、ちゃんとした「回転のイメージ」が身につく前に風の魔法とかを経験しちゃうと、その精密な回転っていうのを生み出せなくなっちゃう――らしい。
「フィリウスさんから騎士としての――いえ、《オウガスト》としての英才教育を受けた彼の実力は申し分ありません。その上、十二騎士の弟子という事実も追い風となり、将来騎士としてその名を馳せる事は確実――と言えるでしょう。」
「えぇ……」
本人は困った顔してるけど。
「しかし彼の最大の価値はそこではありません。一国の女王であるワタクシや王族として外交を行う貴女にとって魅力的なのは――彼の持つ人脈です。」
? ロイドの人脈?
「フィリウスさんは彼を色々なところに連れて行っています。フェルブランドに限らず世界中、しかも十二騎士という身分だからこそ会う事のできる人物、入る事のできる場所などに。そうしてあちらこちらで友人を作ってきた彼の持つ人脈の価値は計り知れません。基本的に人間とは距離を置いているスピエルドルフの女王がこうして訪ねるほどに。」
「……ええ。そうね。」
ロイドの価値についての話を黙って聞いてたお姉ちゃんが小さく頷きながら口を開いた。
「その辺は事実として私も認めるわ。でもやっぱり、私にとってはそっちも些事で、大事なのはエリーの幸せ。」
「それは勿論、先ほども言いましたがワタクシにとっても大切なのはロイド様自身。ただ一つ、認識の共有を通して――貴女をどういう類の障害として見るかを決めたかったのです。」
「あら、私はどんな障害なのかしら。」
「ワタクシとしては、最も嬉しくない形の障害ですね。」
空気はピリピリしてるのに二人ともニコニコしてるのが気持ち悪い、色んな意味で怖い空間だわ……こういうのが外交ってモノなのかしら……
「それでは本題に入りましょうか。ワタクシの恋敵の姉としてこの場にやって来た貴女はワタクシにどんな用があるのでしょう。」
その質問に対して……というかそれをずっと待ってたって感じに、お姉ちゃんはいつものお姉ちゃんの顔になってにやりとした。
「その前に、エリーから聞いたのだけど……あなたが持ってるっていうロイドくんとの婚約書を見せて欲しいのだけど。」
「構いませんよ、突然破ったりしなければ。」
「うふふ、本物をここに持ってくるわけない――でしょう?」
「えぇ!?」
ビックリしたロイドに、カーミラは申し訳なさそうな顔を向けた。
「すみません、ロイド様。昨日お見せしたモノは複製です。本物はワタクシの部屋にて厳重に保管しておりますから。」
「ま、当然よね。複製でもいいわ、ちょっと見せてちょうだい。」
「ええ、どうぞ。」
書類を受け取ったお姉ちゃんは、子供の字で書かれたそれを真剣な顔で眺めた。
「…………確かに、この書類は有効ね。あなた――カーミラ・ヴラディスラウスとロイド・サードニクスがこの書類に記された日付に婚約した事になっている。」
「ええ。」
「でもあなたはこれを全面に押し出していくつもりってわけじゃないのよね?」
「……貴女であれば気づいているでしょうが、その手の専門の者であればその書類を否定できてしまいます。文章的な、形式的な穴をついて。何より――ええ、ワタクシとロイド様はお互いを忘れていました。他の者の手が加わっているとはいえ、ね。ワタクシとしては今一度、お互いの愛を育むところから始めたいと思っているのです。」
「そう。うん、それは良い事だわ。でも……使わない武器でも、そこにあるだけで意味を持つモノってあるわよね。けん制って感じに。だから私は、エリーにも同じようなモノをあげに来たのよ。」
「? と言いますと……?」
カーミラが首をかしげると、お姉ちゃんはここぞとばかりにバーンとテーブルに一枚の紙を叩きつけた。
「それは?」
お姉ちゃんの手の下の紙は、つらつらと文章が書かれていて一番下にお姉ちゃんのサインとハンコがある……これまた何かの書類だった。
「簡単に言うと、「私、カメリア・クォーツはエリル・クォーツとロイド・サードニクスの交際を認めます」って書類よ。」
「な、お姉ちゃん!?」
「あらあら、何をそんなに驚いているのエリー。ま、元々反対なんかしてないしロイドくんで大丈夫って思っていたけど、それだとエリーのお姉ちゃん止まりだからね。折角なんだから、ここはクォーツ家のカメリアさんとしてもオッケー出すわよーってだけよ。」
た、確かにお姉ちゃんの態度とか見てればそう――なんだろうなって思ってたけど……あ、改めて口に出されるとなんか……は、恥ずかしいわ……
「えぇっと……」
あたしが変な気分でいると、ロイドが小難しい顔でお姉ちゃんに聞いた。
「お、お姉さんにそう言ってもらえて……えっと、あ、ありがとうございます……? なんでしょうか……でもオレ……『エリルのお姉ちゃん』と『クォーツ家のカメリアさん』の違いがよくわからなくて……そ、その書類があると何があるんでしょうか……」
「いやだわロイドくんったら。未来の弟に敬語を使われるのはやーよ?」
「お姉ちゃん!!」
「うふふ。そうね、この書類は……例えば一般的なご家庭の誰かが作ったとしても、大した意味はないモノよ。「ああそうですか」って言われるくらいね。けれど……王族とか貴族の者が作ると大きな意味があるの。」
「意味……ですか。」
「王族や貴族はね、家の安寧、発展なんかの関係で結婚相手とか跡継ぎとかに特に重きを置いているの。だからそういう事に関する、王族とか貴族にのみ意味を持つ法律とか昔からの決まり事とか催し物とかが沢山あるのよ。そういう場面で、この書類は威力を発揮するの。」
お姉ちゃんの説明を聞いても頭の上の?が消えてないっぽいロイドに、今度はフィリウスさんが説明する。
「だっはっは! 難しく考えることないぞ、大将。要するに、ついさっき女王様がすごいすごいと褒めまくったこのカメリア様っつー人がお嬢ちゃんの正式な後ろ盾になったって話だ。」
「そういう事。ま、今までだってエリーからお願いされたら私の持つ力の全てを振るうつもりだったけど、立場が正式になった今、私は何の制限も気兼ねも無く全力でエリーを助けられるの。だからね、エリー――」
ふとあたしの方を向いて、お姉ちゃんは楽しそうに笑う。
「この私が――今や大注目のフェルブランド第三の柱のカメリアさんが後ろにいるんだから、なんにも気にせずに青春するのよ?」
……カーミラのあの婚約書は……そりゃもちろん気になった。使うつもりはないって言ってたけど、それでもやっぱり……なんとなくモヤッとしてた。そんなあたしのモヤモヤを電話からお見通しにして、お姉ちゃんはやって来た。
なんか、王族とか貴族が一般の人とも結婚できるように――みたいな運動もしてるし……お姉ちゃんはあたしの為に色々やってくれてる。
なら、あたしはやっぱりお姉ちゃんを守る騎士にならないといけない。
で、でもって……つ、ついでに……応援された分、けけけ、結果――を出さないと……
「ふふふ、これは厄介な事になりましたね。」
困ったように笑いながら、すっと立ち上がったカーミラはすーっとロイドの方に移動してその腕に抱き付い――!!
「びゃあ!?」
「ロイド様、昨日の夜にも言いましたが改めて……次の休日、スピエルドルフに遊びにいらしてください。ワタクシ、待っていますから。」
「ふぁ、ふぁい……」
「必ずですよ?」
人差し指でロイドの口に軽く触れて、カーミラはくるりと離れる。
「あ、フィリウスさんもどうぞ。喜ぶ者も多いので。」
「ああ。ついで感が半端ないが、俺様もちゃんと思い出したいしな。」
こうして、違う目的だったら大きく報道されそうなカーミラの訪問と、お姉ちゃんとの対面が終わり、スピエルドルフの面々は――来る時は観光も兼ねてのんびり来たらしいんだけど、ロイドに渡した指輪の力で、帰りはパッと帰って行った。なんか――カーミラの護衛の一人があともうちょっとだけ残るって言ったからその人だけは残ったんだけど。
ま、まぁそれはそれとして。カーミラっていうとんでもないのが……こ、恋敵? ――だ、だからあたしはもう勝ってるんだけど――になってしまった。ただでさえ大変なのにもっと面倒なのが加わって……先が思いやられるってこういう感じなのね。
でも良い事もあった。今回の一騒ぎがキッカケでお姉ちゃんにちゃんと、あたしとロイドがそうなったって伝えられたし、言われてみれば現状ロイドの保護者になるフィリウスさんにも知ってもらえた事は素直に良かったって思う。
でもそれで思い出した。恋敵とはまた別の方向で面倒そうな相手が……小姑がいる事に。
第四章 社会科見学
オレとしては色々な事があって濃い時間を過ごしたのだが、ミラちゃんたちが来ていた事は一部の人にしか知らされていなかったらしく、みんなが帰った次の日である今日、教室はいつも通りの教室だった。
「あー、突然だがお前ら、明日は社会科見学に行くぞ。」
まだ包帯が巻き付いている先生が出欠をとった後にそんな事をぼそっと言った。
「先生、それはどこへ行くのですか?」
優等生モードのローゼルさんが尋ねると、先生は何でもないようにとある方向を指差す。
「王宮だ。国王軍の訓練を見学しに行く。」
「え……い、いいんでしょうか。」
「いいも何も、恒例行事だぞ? セイリオスの一年生がドヤドヤと毎年同じ時期にやって来るのさ。とうとう今年、私は迎える側から訪問する側になったわけだがな。」
少し楽しそうな顔をする先生。
「ランク戦を終えてそれぞれに思うところがある今、現役バリバリの騎士に会って更なる刺激を得ようって事だな。セイリオスがこれまでに多くの優秀な騎士を輩出してきた名門だからこそオッケーが出てるって事を理解して……明日、聞きたい事とか見ておきたい事を今日中に決めておけよ。」
にししと笑った先生は、「あ」と言って教室のドアに向けていた足をオレたちの方に戻した。
「そうだそうだ。お前ら、風呂の準備もしておけよ? タオルとかの貸し出しはないからな。」
「お風呂? え、どうしてでしょうか。」
「国王軍の訓練を見学し、もちろん体験もした後は王宮の中にある国王軍専用の風呂に入るんだ。」
「専用……えっと、王宮にいる他の方々とは別という意味ですか?」
「それもあるが……その風呂の湯には特別な薬草が溶けていてな、傷とか体力の回復が早まるのさ。んま、そーゆーのもあるんだっつーお試しってのと、ランク戦の疲れなんかが微妙に抜けきってない奴もいるだろうからリフレッシュって理由で入るんだ。」
と、そこまでしゃべった先生はふと表情をどんよりさせた。
「……特に貸切るわけでもないから……男子、お前ら自分の身は自分で守れよ……」
「えぇ?」
突然の忠告に思わずそう言ったオレをチラリと見て、先生はどんより顔で話を続けた。
「……国王軍の男女の比率はだいたい六対四でな、結構女は多いんだ。」
「えぇ? いきなりなんの話ですか……」
「でもって、その四の中には上級騎士になるような強い奴もいるんだが……男のプライドっつーかなんつーか、自分より強い女からはちょっと離れるっつーか……そのせいで強い女騎士は男から敬遠される。」
「は、はぁ……」
「要するにな、実力がある故に男に飢えてる女騎士ってのがいるんだよ。そんなところに若い男がドヤドヤと風呂に入りに来る……その上あの風呂には混浴のエリアもあるときたもんだ。」
「え、えぇっと……」
「私が言いたいのはな、毎年何人かの男子生徒が捕まるから注意しろよってことだ……」
「――! それは……やばいですね……」
「ほぉ……その顔はそういう経験があるな、サードニクス。」
「んまぁ……あ、先生、一応聞きますけど、その逆はないですよね?」
「んあ? 男騎士が女子生徒にって事か? 馬鹿言え、それは犯罪だ。」
「……なんか理不尽だなぁ……」
朝の会が終わり、最初の授業が始まるまでの十分くらいの時間、みんなとの話題はお風呂だった。
「フィ、フィリウスさん……からき、聞いたけど……お、女の人ばっかりの村に行った事あるんだよね……ロイドくん……さ、さっきの経験ってもしかして……?」
「うん……大変だった……」
「いつもの、ロイドくんが誰かをメロメロにという話ではないようだな。」
「いつものってなんですか、ローゼルさん……」
「でも、そういうのがあるっていうんだったら……あんた、フィリウスさんの弟子とかで有名だと思うから注意しなさいよ。」
「うん……」
「まぁしかし。ロイドくんの場合はあの妹くんが全力で守りそうだが。」
「ん、ああそうか。パムがいるんだった。ランク戦とかで最近色々あったせいか、随分長い事会ってない気がするなぁ。」
「わたし――たちから告白されたりな。」
「そ、そうですね……」
半目でニンマリするローゼルさん。
「ねぇロイくん!」
「うん?」
「混浴一緒に入ろうね!」
「ぶえぇ!? い、いやいやいや!」
「そんなに赤くならなくても。ほら、夏休みにボクの水着見たでしょー? お風呂って言ってもタオル巻いたらあれと大して変わんないよ?」
「それ以前の問題のような気が……」
「なぁにー? 見たくないの?」
「な、なにをでしょう……」
「ボクのタオル一枚だけの姿。」
「――!! ん、んまぁ、そりゃあ、それなりに、そこそこに……はい……興味あります……」
「やーん、ロイくんってばえっちなんだからー。」
「うえぇっ!?」
「んふふー。でもいいよー、ロイくんならねー。」
と、なんだかすごい会話の後に満面の笑顔で抱き付いてくるリリーちゃん――!!
「チョーっといーいー?」
くっつくリリーちゃんの色々なモノを体感して頭の中がぐるぐるしていると聞きなれない声が聞こえた。見ると、エリルたちとは色の違うリボンをしている女の人が机の横に立っている。
「! ロイくんてばまた女の子を!」
「えぇ!? いや違うよ!」
リリーちゃんから離れながら、知り合いだったかな? と思って女の人を改めて見る。
その人は……なんというか、すごく変な格好だった。いや、制服ってとこは同じなんだけど付属品というか追加装備が変だ。
ところどころに茶色の混じった金髪を……こう、モッサリさせた髪型で……一部を結んで横に垂らしてるっていう構造はエリルと同じなんだけど、エリルみたいにストンと落ちる髪じゃなくて……あっちこっちでからまりまきつき、そんなんだから妙にボリュームのある髪型だった。
首や手首にチャラチャラとアクセサリーをぶら下げていて、たぶんお化粧もしていて、スカートもアンジュ並みに短い。こんな感じの女の人を……そう、確かギャルって言うんじゃなかったっけか。
ギャル……それだけなら別に変じゃないんだけど……そこに加えて、この女の人は白衣を羽織っている。しかも頭の上にはビン底ぐるぐるメガネ。黙々と研究に打ち込む人のような格好なのにそれを装備している本人はギャルという、物凄い組み合わせの人だった。
「そのリボン、二年生ですね? 何かご用でしょうか。」
ローゼルさんが優等生モードでそう尋ねると、その――先輩は口をとんがらせる。
「今はチョーっと忙しい会長の代わりって感じに『コンダクター』にご用よ。あい、これ。」
「あ、オレにですか……えぇっと……?」
もらったのは一枚の紙。一番上には部活申請書と書いてある。
「別に強制って感じじゃないけど、『ビックリ箱騎士団』だっけ? それを部活にしちゃった方がチョーお得だから申請したらどうって感じの話よ。」
「お、お得?」
「人数は充分っぽいから、あとは顧問さえ見つければ申請できる感じで、そうすると活動場所ももらえるし学院外でも活動できるって感じ?」
「それは……確かに。わざわざありがとうございます。考えてみます。」
「んー。」
本当にこの紙を渡しに来ただけだったらしく、先輩は手を振りながら教室から出て行った。
「……あれ? 会長ってデルフさんの事だよな……じゃあ今の人って生徒会の人?」
そう言いながらローゼルさんを見るとこくりと頷いた。
「ああ、噂通りの格好だったから間違いないだろう。彼女の名前はペペロ・プルメリア。生徒会の会計で――通称、『確率の魔女』。遠距離攻撃を得意とする生徒にとっての天敵みたいな生徒らしい。」
「えぇ?」
「彼女には、異常なほどに攻撃が当たらなくなるそうだ。次のランク戦、特にティアナ――とロイドくんにとっての要注意人物だな。」
「? ――あ、そうか。Aランクの人は上の学年のランク戦に挑めるんだっけ。」
「ああ。まぁ、会長と戦いたいと思って三年生に殴り込む場合は関係ないが。」
「デルフさんか……正直、ランク戦の戦いっぷりを見る限りは勝てる気がしないなぁ。」
昼休み、クラス違うのに当たり前みたいにあたしたちと一緒の席に座ってるアンジュが予想通りロイドに混浴しようとか言って、リリーもそう言ってた事もあっていつも通りの騒ぎになり、結局全員が……その、こ、混浴を狙う感じになって真っ赤になったバカ――エロロイドが、放課後、寮に帰ってきて早々、気まずそうな顔であたしに聞いてきた。
「あ、あの……エリル……?」
「……なによ……」
「そ、その……オレがさ、エリル以外のお、女の子とこう……た、例えばリリーちゃんがするみたいな……抱き付かれたりとかし、してるのって……エリルは……嫌な事……ですよね……?」
「……そりゃあね……」
「ここ、混浴の話もそうですよね……」
「……そうね……」
「う、うん……だよな。ビシッと断らないとだよな……リリーちゃんにもあんまりく、くっつかないように言わないと……」
グッと拳を握って気合を入れる顔の赤いロイド。
これはいい事……正しい事。あたしっていう――こ、恋人がいるんだからそりゃそうだわ。
でも――
「ロイド、ちょっと……矛盾してるんだけど……」
「? なにが?」
「えっと、あたしは……リリーがあんたに告白するところを見てる――わけなのよ。」
「そ、そうですね……」
「あの時のリリー、あんたのことが本当に――好きで好きでたまらないって顔してたわ……抱き付いてキ、キスまでしちゃって……」
「う、うん……」
「そうやって告白してきた女の子を……そ、それが正解でも、ほ、他の子が好きだからってつっぱねるあんたは……ちょっと嫌だわ……」
「え――えぇ?」
「だ、だから、そういうのを断れないところ――押しに弱いところもあんたの一部っていうか……あ、あたしがすす、好きになったロイドって男の子……なのよ……!」
「――!!」
自分がどうなってるかわかんないんだけど、ロイドは真っ赤――ってなな、なに言ってんのあたし!
「そ――そっか……ご、ごめん……」
「べ、別に謝んなくていいわよ! それにあんたがリリーとかローゼルとかとイ――イチャイチャしてんのはやっぱりムッとするんだから!」
「ど、どうしたら……」
「知らないわよ!」
「う、うん……じゃ、じゃあ埋め合わせをするってのはど、どうかな……エリルをムッとさせたお詫びっていうかなんというか……」
「! な、あ、あんたまた「同じことをする」っていうのをやるつもり!?」
「お、同じこと?」
「あ、あんた前に自分で言ったんじゃない! ローゼルと何回もキ、キスしたからその分あたしともしなきゃみたいなこと!」
「ぐ、具体的にそう言ったのはエリルだった気がするけど……そ、そっちの方がいい……? オ、オレはなんかこう――デートするとかプレゼントするみたいなのを想像したんだけど……」
「……なんかそれ、あたしのご機嫌取りみたいで嫌ね……」
「……確かに……じゃ、じゃあ……またエロロイドとか言われそうだけど、しょ、正直エリルをだだだ、抱きしめてみたいっていうのもあったりするところも実はあったりするわけなので――エリルに同じことをするってのでいいですか!」
「ば、この変態!」
目をぐるぐるさせて途中から半分くらいやけくそなロイド。
「い、いつも言ってるだろ! オレだって男なんです! ましてや好きな女の子相手なんだぞ! で、でも――嫌なら無理にはやらないけど……」
「い、嫌なんて言ってない……わよ。あたしだって女で、ま、ましてや好きな男の子相手……なんだから……」
「ぶえぇ!?」
「な、なんで驚いてんのよ! いいわよ、やらしい女って思えばいいわよ! あたしだってそういうのに興味ないわけないっていう感じでもないみたいな感じなのよ!」
何言ってるのかわかんなくなってきた……死ぬほど恥ずかしいんだけど……それはこいつも同じなんだから――!
「そ、そうなのか? い、いやオレはてっきり、リリーちゃんとかみたいにエリルは……く、くっついてきたりしないからそういうのはあんまり好きじゃないのかなと……」
「あんな過剰なのと比べるんじゃないわよ! こ、この際だから言うけど……あんた、あたしに隙があるって言ったわよね!」
「うん……ふとした時に色々と……その、見えそうになったりなんなりしてますよ……」
「な――い、今はとりあえずとして、あ、あんただってそうなのよ!」
「な、なに言ってるんだ? オレ、男だけど……」
「あんたが女の子の色んな事にドキッとするのと同じよ! あ、あたしだって男の子の色んな事にドキッてするの! あんたも隙だらけなのよバカ!」
「そ、そう――だったのか……そ、そっか……」
前にもこんな感じで言い合った事が……いえ、何回かあるわね。その度にあたしもロイドも真っ赤になってる気がするわ……
「よ、よし、話を始まりに戻すけど……じゃ、じゃあこの先、た、例えばオレが他の子に抱き付かれたりしたら、その分オレはエリルを……と、という感じでいいですか……?」
「……この先なの……?」
! あ、あたしなんで不満そうに……
「――! で、ではとりあえず今日、リリーちゃんに抱き付かれた分をさせて頂きます!」
「!! ド、ドンとかかってきなさいよ!」
お互いに変なテンションだった。だけど気をつけしたあたしの前におそるおそる近づいてきたロイドが、ゆっくりと腕をまわしてあたしを引き寄せた瞬間、さっきまでの恥ずかしい感情が一気に吹き飛んで……代わりに違う恥ずかしさがこみ上げた。
「……」
「……」
恥ずかしいんだけど……いい気持ち。心が温かくなっていって、満たされる感じ。
きっとロイドもそんなことを感じてるだろうって思いながら、あとで時計を見て気が付いたんだけど五分くらいそうしてた。
「……エリル……今気づいたんだけど……」
「……なによ……」
「アンジュみたいな……し、下着を見せるみたいな攻撃をくらったら……オレはどうすればいいんだ? オレがズボンを脱ぐのか……エ、エリルのスカートをめくるのか……」
「バカ!!」
我ながらアホな事を言ったなぁと、夕飯の時くらいまでエリルの手形がついていたほっぺを抑えながら、オレは男子寮の大浴場にやってきた。
なんでか今日はエリルが他のみんなを誘って大浴場に行ったので、ならばオレはとここへやって来たわけだ。
しかし……エリルに対してはなんか口が滑るというかなんというか……若干、真っ赤になって怒るエリルも可愛い――なに考えてんだオレは。
「たった一人でも大変なのに、一体プリオルは毎回どうやって女性をエスコートしているのやら。」
駄目な事だとはわかっているし、あの金髪イケメンがとんでもない悪党――殺人鬼だという事は知っているのだけど……オレの中でのプリオルの扱いは少し軽い――気がする。第一印象というか、身近にいない恋愛の達人というか……
いや……それももちろんだけど、少しだけ目標みたいになっている面もあるんだろう。大量の剣を自由自在にとばしてくるあの戦い方は、曲芸剣術と似ている。
……まだ正式な騎士でもないのにあれだけど……あのS級犯罪者を、自分の手で捕まえたいという思いが……ちょっとある……
こういう考えはいい事なのやら悪い事なのや――
「一人で悩むのは袋小路につながってしまうよ、サードニクスくん。」
「! デルフさん。」
長い銀髪をくるくるっとまとめた、遠目だと女の人に見えなくもないセイリオス学院の生徒会長がにっこりと、お湯につかるオレの横にすすーっとやってきた。
「アドバイスをしてあげたいのは山々なのだが、しかしサードニクスくんのモテ度は僕を超えている気がするからね。力にはなれそうにない。」
「そうで――いや、モテ度って……ま、まぁ……今はそっちの感じではなくて……なんというか、目標にする人についての迷いでして。」
「目標か……」
すぅっと遠くを見るデルフさん。
「……そういえばサードニクスくん、いつの間にやらやってきていつの間にやら帰って行ったお客さんがいたみたいだね。」
「? あ、ミラちゃんたち――スピエルドルフのみんなの事ですか? あれ、確かあんまり騒ぎにしたくないからって先生が秘密にしていたような……」
「ふふふ、生徒会にも独自の情報網があるのさ。しかし驚いたよ、まさか魔人族に知り合いがいるとはね。」
「フィリウスと昔行って……友達ができたんです。」
「女王様も友達かい?」
「そ、そうですね。」
「そうか……それなら一つ聞いてもいいかな……」
「はい?」
魔人族については色んな人が色んな事を知りたがる。デルフさんも何かに興味があるのだろうと、そう思ったのだが――その時のデルフさんの表情と声色はもっと違う方に向いていた。
「八つの紅い眼を持つ魔人族を知らないか?」
いつも余裕のある笑顔を浮かべるデルフさんが、学院最強に相応しい――いや、それ以上の何かを源にした圧力をまとい、鋭い目でオレを見た。
興味があるから聞いてみたという質問ではない――デルフさんにとってとても大事な、意味の大きい質問なのだと感じたオレは、少し気を引き締めて答える。
「……それは、人間で言うところの頭――顔に眼が八つという事でいいですか?」
「……そうでないことが?」
「はい。胸の辺りに眼がある人もいたりしますから。」
「……顔だ。横に二列、少し曲線を描いて並んでいる。」
「なかなかにインパクトのある顔ですが……すみません、オレの記憶にはそういう魔人族は……」
「そう――か。」
「はい……でも次の機会にミラちゃ――女王様に聞いてみますよ。スピエルドルフの国民ならすぐにでも居場所とかがわかると思いますし、そうでなかったとしても国外に住んでいる魔人族の情報も多少は持っているでしょうから。」
「ああ……」
少し怖い顔だったけど、ふっといつもの顔に戻るデルフさん。
「いや、すまなかったね。突然妙な事を……」
「いえ……えっと……理由を聞いても……?」
「勿論、聞きっぱなしは失礼だしね。なに、その魔人族が――言うなれば僕の目標なのだよ。」
「! デルフさんの……」
「一度しか戦っているところを見た事がないが、それでもあの強さは目に焼き付いているよ。いつか僕も――とね。」
「それは相当強いんでしょうね……」
ランク戦で見せた――いや、魅せたあの動き。『神速』の二つ名通り、闘技場には光の線しか見えなかった。
フィリウスがよく言っていたが……どんな攻撃も当たらなければ意味がない。全身全霊の一撃も、ここぞという時の必殺技も、避けられてしまったらチビッ子のヘロヘロパンチ以下になってしまう。
デルフさんにはその速さ故にこっちの攻撃を当てられないし、その速さ故にデルフさんの攻撃を防げない。
フィリウス同様、負ける姿を想像できない人だ。
ロイドとした決め事――約束は、たぶん他の連中を止める……抑止力? みたいのになると思う。だってロイドに抱き付くとかの攻撃を仕掛けたらあた――し、にも来ちゃうんだから。
だからあたしはいつものメンバーをいつもの場所――つまり大浴場に呼び出して、そういう約束をロイドとしたっていう事を話した。
「……ずっと奥手だったというのに、恋人になった途端にこうも大胆になるとはな。」
「……あんたには負けるわよ……」
クールなクラス代表のイメージは、もうあたしの中に欠片もない。
「ふむ。しかしなるほど? これからはわたし――わたしたちのアピールという名の攻撃が諸刃の剣になるということだな。」
「そ、そうね、そんな感じよ……」
「んー、でもさーお姫様ー。」
いつもの長いツインテールがほどかれてお風呂仕様になってるアンジュはパッと見誰かわからない。
「これってお姫様にも諸刃じゃないのー?」
「……なんでよ。」
「だって、この約束を守ると……ロイドがあたしたちとお姫様を「比べる」事になっちゃうんじゃなーい?」
「……!」
「例えばさー……敵を例にするのは嫌だけど、ロイドが優等生ちゃんのその――デカいそれをふにふにしたとするでしょー?」
一緒にお風呂に入る度に圧倒されるししてくるローゼルのそれに全員の視線が向く。
「そうすると今度はお姫様のをふにふにするわけだけど、そしたらこう思うよね……「やっぱりローゼルさんのは大きいなー」みたいにさー。」
「うむ! そうだな!」
ふんぞり返るローゼルがムカつく。だけどそんなローゼルはすぐにため息をついて少し残念そう――だけど嬉しそうな顔で呟いた。
「しかし、ロイドくんはそれだけで決める人ではないからなぁ。さっきは諸刃と言ったが、実のところあまり変化はないのかもしれない。それはまぁ、多少の影響はあるだろうが根っこの部分は変わらない気がするし……そもそもこの約束には重大な欠点がある。」
「な、なによ。」
「この約束、わたしたちが攻撃する時のロイドくんは受け身だが、エリルくんにそれをする時は攻める側になる。しかし……あのロイドくんだぞ? 女の子に自ら触れにいくなんてこと、できるとは思えん。手が届く数センチ手前で鼻血が落ちだろう。」
はっはっはと笑うローゼル。確かにそう――思えるけど、そうじゃないかもしれない。
だって――
「ロイドもやる時はやるわよ……この前襲われそうになった時だって――」
そこまで言って、あたしは急いで口を覆った。だけどもう遅い。この前はなんとかにごした事が再燃していくのを感じる。
「エリルちゃん、今なんて?」
「流れ的に、その「襲う」は襲撃の意味ではないな? もう一つの方だな?」
「な、なんでもないわよ! ほ、ほら言ったじゃない、吸血鬼の力が暴走したって! そ、その時に血を欲しがったロイドがそのせいでちょこっと――」
「お姫様ー、正直そこはどうでもいーんだよー。」
「エ、エリルちゃん……く、詳しく話して……!!」
昨日の夜、デルフさんの意外な表情をエリルに話そうと思ったら、お風呂から戻ったエリルはものすごくグッタリしていた。理由を聞いたら「あんたのせいよバカ!」と枕を投げられたから……きっと大浴場で何かあったんだろうなぁと……たぶん、間違いなくエリルとした約束絡みだろうと想像はしたけど詳しく聞くのが怖かったのでそれ以上掘り下げることはせず、結局何も話さないまま布団に入り、今日を迎えた。
朝の鍛錬の時、ドキドキしながらおはようとあいさつするや否やローゼルさんたちにほっぺをつねられて、「これからは少し覚悟するように」という言葉をみんなから告げられたりしたけど……まぁまぁいつも通りの朝を過ごし、オレたちは今日の集合場所である校門にやってきた。
一年生だけとはいえ結構な人数。でもランク戦のおかげで半分くらいの人は顔を見ると使う武器や魔法が思い出される。普段、交流の機会の少ない違う教室の人の事を知ることのできるいい機会だったわけだ。
なんか、今日の社会科見学にひっそりとランク戦の疲れを癒すためのお風呂タイムがあったりするし……一つのイベントに色んな意味を持たせてくるな、この学院。
「ちょっと遠足みたいで楽しみだねー。」
他にどんなイベントが待ち構えているのだろうかとぼんやりしていると、おじぎするみたいな角度でオレの真横からひょっこりと顔を出したアンジュが、そのオレンジ色の瞳で見上げてきた。
ただ――アンジュのツインテールはかなり長いので、そういう体勢になると髪の束が地面につきそうになる。だからなんとなく、アンジュが横から顔を出してきたのと同じくらいのタイミングで……オレはアンジュのツインテールを持ち上げていた。
「…………えっと、ロイド?」
「……へ、あ、ごめん、つい……地面につきそうだったから。も、もしかして髪の毛触られるの嫌だった……?」
「……ううん……なんか……ドキドキしてるだけ……」
「そ、そうですか……」
妙な空気の中、お互いに妙なポーズでかたまったのも束の間、オレはある事に気づいて慌てて顔を背けた。
「ア、 アンジュ! その、そんな体勢だと――むむ、胸元が――し、下着が見えます――!」
アンジュは普段、制服の上着を着ていない。つまりシャツだけなわけで――その上、首の方のボタンは一、二個止めていないから――今の体勢だとアンジュのむ、胸の谷間とか、チラッと見えるき、黄色の下着が――!!
「……」
オレに言われて自分の胸元に目をやり、ちょっと驚いたと思ったら――すぐににんまりと笑う色っぽい表情に変えた。
「んふふー、大丈夫だよー。この服の魔法はロイド相手にしか切ってないから、他の人からはどんな角度で覗いても見えないからねー。」
「だ、だからオレに見えているのですが!」
「見えてるんじゃなくて見せてるんだよ、ロイド。」
体勢を起こしながら、ズイッとオレに近づくアンジュ。
「聞いたよー、お姫様を襲ったってー。」
「だ、ば、それは吸血鬼の――」
「そーかもだけど、あんまりそこは重要じゃないんだよねー。」
アンジュの指が、オレの胸の辺りからあごの先までをすすーっとなぞる。
「あたしのを――見たくらいで鼻血ブーのロイドでも、ちゃんとやればそれなりの反応が返ってくる男の子なんだってわかったことが大事なんだよー。」
「は、反応?」
「そ。誘惑して押し倒しちゃえば、ロイドといえどオオカミになっちゃうって事。」
「んなっ!?」
頬を赤らめたアンジュの顔が近づいてくる! で、でもいつもならそろそろエリルとかのパンチが飛んで――
「なるほど。そうして責任を取ってもらう形で結ばれ、愛は後々で育むというわけか。」
至近距離で顔を合わせる――というかもはや抱き付かれているオレと抱き付いているアンジュに対していつも通りの口調で自然に会話に入って来たのはパンチではなくカラードだった。
「大変だな、ロイド。」
「他人事だと思って! てて、ていうかアンジュ、そろそろ離れてもらえませんか!?」
「襲う気になったー?」
「それくらいにしておいた方が良いぞ。ここでロイドがオオカミになってしまったら大騒ぎだ。」
「あーそれもそうだねー。じゃーロイド、続きは混浴でやろうか?」
「んなっ!?」
「人前で破廉恥な事は慎んでくれないかな、アンジュくん。」
いつものひんやり笑顔でそう言ったのはローゼルさん。他のみんなもその後ろで……同じ意味合いの顔をしていた。
「まったく、ロイドくんもロイドくんだ、このスケベロイドくんめ。さーさー離れるのだ。」
「優等生ちゃん、顔が怖いよー。」
ローゼルさんがオレの肩を引くのと同時にアンジュが手を離す。
「えぇっと……み、みんなどこに行ってたんだ?」
「ぼけっとしてんだから……先生がこれを配ってたのよ。」
そう言ってエリルがオレにくれたのは首からさげるカードみたいなモノだった。
「お、王宮の……入城許可証だよ……そ、それがないと入れないんだって……」
「高く売れそうだよね、これ。」
「リリーくん……」
「もし。」
もらった許可証を首からさげたところで見慣れない……いや、初めて見る男子生徒に声をかけられた。
「少々不慣れな事もあるかと思うので、ロイド様と一緒に行動するようにとアドニスさんから言われましてね。今日はよろしくお願いします。」
「?? すみませんが……えぇっと……?」
一応みんなの方も見たけど全員首を横にふった。完全に初対面の人に様付けで呼ばれたぞ。
「ど、どちら様でしょうか……」
制服だから別に悪い人という事はないだろうけど、多少の警戒心を抱きながらそう尋ねると、その男子生徒は「あ」っという顔をした。
「忘れていました。今は人間の姿に見えているのですよね。私です、フルトブラント・アンダインです。」
「え――フ、フルトさん!?」
ミラちゃんたち、スピエルドルフのみんなはこの前帰国したのだけど、なぜかフルトさん――本人がそう呼んでほしいと言うので――だけが残ったのだ。
「私自身はいつも通りにローブを羽織っているのですが、人間に見えるような幻術魔法をこちらの学院長がかけてくださったのです。恐らく声も普通に聞こえるのでは?」
「はい……あ、もしかしてフルトさんが残ったのはこれに参加する為ですか?」
「元からそうだったわけではありませんが、良いタイミングなのでアドニスさんに見ていってはどうかと誘っていただいたのです。」
「なるほど……で、でもいいのかな。軍の訓練風景なんて機密みたいなモノなんじゃ……」
「普通はな。」
いつもの女教師スタイルに加えて……たぶん引率に使うんだろう小さな旗を持った先生が近づいてきた。
「しかし相手はスピエルドルフ。キッカケがそっちの女王とこっちの田舎者の恋物語だったとしても、結果として一軍を任されてる奴と軍の元指導教官が知り合いになったんだ。友好的なパイプを作る為に、でもっていつか私がそっちに行った時に色々見せてもらえるように、今日の社会科見学に招待したのさ。」
「な、なんか政治的ですね……」
「表向きはな。」
どういう意味なのか、笑いながらそう言った先生はオレたちも含めて生徒に列を作るように促しながら離れていった。
「ロイド様、一つお尋ねしたいのですが。」
「な、なんでしょう。」
「今、私はどちらに見えているでしょうか。」
「どちら?」
「男性と女性、という意味です。」
「? 男子生徒に見えますけど……」
「そうですか。では男性として振る舞いましょう。」
「?? え、もしかして――その、失礼ですけどフルトさんって女の人だったんですか?」
「いえ、私に性別はありませんよ。」
「あ、そうなんですか。」
と、魔人族のそういうのに慣れているオレにとっては大した事ではない事実を知ったところでローゼルさんが目を丸くした。
「なに? 性別がない? それはどういう……?」
「言葉通りですよ。私――私の種族には男性と女性という概念がないのです。どちらでもあり、どちらでもない――そんなところでしょうか。」
「あー、でもフルトさん。どっちにもなれる種族もいますよね、確か。」
「そうですね。となると、どちらでもないというのが正解でしょうか。」
「ほぉ……」
面白い事を知ったみたいな顔をするローゼルさんに対し、ふと……オレとアンジュを交互に見た後にカラードが尋ねた。
「では、フルトさんには性欲が存在しないのですか?」
ずばーんとトンデモナイ質問が発射された。というかカラード、なんで今オレとアンジュを……
「どうでしょう? そもそも私は水ですから。」
「! そうでしたね。」
なんとなくの流れでカラードにもスピエルドルフのみんなの事は話しておいたからフルトさんの事も知っているんだけど……なんというか、カラードはすごいな。
どんな事もすんなり受け入れるというか、でも興味無しでなんとも思っていないわけでもないから会話は成り立つというか。
こういうのは器が大きいと言うんだろうか?
セイリオス学院からぞろぞろ歩いて三十分くらい。大人数だから時間がかかっただけで、その気になれば十分くらいでたどり着けるくらいの場所に王宮はある。あるけど王宮しかないと言えばそうだから王宮に用がない限りはこっちまで来ない――そんな場所にオレたちはやってきた。
「いつもなら国王軍の騎士が案内するんだが、私がいるからな。私が説明する。勝手にどっか行かないでついてこいよー。」
引率の先生は他にもいるけど、メインで引っ張っていくのは先生だ。んまぁ、古巣に戻って来たようなものだしなぁ。
前にローゼルさんと一緒に来た王宮の門をくぐり、しばらく外の通路を歩いて行くとだだっ広い場所に――あれ? いや、これはちょっと広すぎないか……?
「なによ、マヌケな顔して。」
「えぇ? いやだってエリル……オレこの前ローゼルさんと王宮の外周を歩いたけど……こんな空間がお城の敷地内にあるわけが……」
「ふぅん、そんな事したのね。」
「……こ、今度エリルも歩く?」
「……き、気が向いたらね……」
「あー、こっから先が国王軍の訓練場だ。」
オレ以外にもこの違和感に気づいた人はいて、ざわざわとしている一年生の集団を立ち止まらせて先生が説明を始めた。
「気づいてる奴もいるが、この訓練場の広さは王宮の敷地を軽く超えてる。答えは学院の闘技場と似た魔法……空間を捻じ曲げてるわけだな。」
「これはこれは。なるほど、おそらくこの場所に王宮がある理由がこれなのでしょうね。」
隣に立っているフルトさんがふむふむと頷いた。
「場所の理由……ですか?」
「ええ。空間を捻じ曲げているこの魔法は個人で行えるモノではありませんから、土地の力を使っているはずです。世界には不思議とマナのたまる場所などがありますからね。おそらくそういう類の場所なのでしょう、ここは。」
「えっと……ユリオプスみたいな規格外の力で発動させているって可能性は……」
「この魔法は魔力だけでは成り立たないのですよ。夜の魔法はいわばただの壁ですから魔力さえあれば良いのですが、対してこの魔法はこの場所そのものを歪めています。発動させるために必要な条件が多いわけですね。」
「下級から上級っつー感じで、順番にそれぞれの訓練を見学していく。まずは下級騎士――ドルムの訓練から。」
パチンと先生が指を鳴らすとオレたちの足元に巨大な魔法陣が出現し、一瞬の浮遊感の後、目の前のだだっ広い空間にたくさんの騎士と施設が現れた。
いや、まぁ、正確に言うと現れたのはオレたちなんだろうけど。
「別に歩いて移動してもいいんだが、それ自体が訓練になっちまうほど遠いんでな。大抵は備え付けの位置魔法でそれぞれの訓練場に移動する。」
パムが着ているのと同じ軍服に濃い赤色のマントを身につけた人たちが、それぞれの武器を素振りしたり、魔法の練習をしたりしている。オレが言うのもなんだけど若い人が多くて、たぶんオレたちとそう変わらない年齢だろう。
「私も普段使っちまってるし、そういう呼び方が定着しちまったのはそこそこ問題なんだが……ここにいる連中の正式な階級はドルム。授業で習ったろうが、上級とか下級っつーのは通称だから注意しろよ。」
えぇっと……上級騎士がセラーム、中級騎士がスローン、下級騎士がドルムっていうのが正式名称なのだとか。上中下の表現の方が強さはわかりやすいけど、確かに下級騎士とかってなんか意味が悪いもんなぁ。
「極限られた一部の例外を除き、全ての騎士はここからスタートする。今はその他大勢であろうとも、この中には確実に未来の上級騎士がいるわけだ。場合によっちゃ、十二騎士も――」
「アドニス教官!」
ふと、訓練している騎士の中から一人がこっちに向かって走って来た――んだが、先生の前までやってくるや否や目にも止まらない速度の先生チョップを受けてビダーンと地面に倒れた。
「訓練を抜ける奴があるか、馬鹿者め。私が今も指導教官だったら罰を与えるところだ。」
「す、すみません! 後輩が来るという事で少しうれしくて……」
「ったく……あとで話す時間もあるだろうが。おい、教育がなってないぞ。」
土まみれの顔で謝罪する騎士の後ろから、明らかに下級騎士じゃない雰囲気のおじさん騎士がトボトボとやってきた。
「申し訳ない。ランク戦が終わってからというモノ、若い連中は浮足立っておりまして。特に今年入った一年生に刺激を受けた者が多く、今日という日を待ち望んでおりました。」
「はぁん。」
「まぁ、何も若い連中に限った事ではありませんが。後の合同訓練、楽しみにしております。おい、行くぞ。」
「は!」
下級騎士と……たぶん、それを指導か指揮する立場の人が訓練に戻っていくのを見ながら先生はため息をつき、説明を続けた。
「……今日はシフト的にそれぞれの階級で分かれてるが、日によっちゃ上級も下級も関係なしに使う武器や使う魔法で分かれて訓練したりする。でもって今日は特別に、お前らセイリオスの一年生を全階級合同の訓練に参加させる。だから――今見たいな規律を乱す行為はするなよ。」
「アドニス先生! 質問してもいいですか!」
先生がチョップの形にした手をゆらゆらさせるのを見てみんながざわざわとする中、ピシッと誰かの手があがった。何せ人が多いから顔までは見えない。
「ああ。他の奴らも、なんか質問があったら説明の途中でも構わないからドンドン聞けよ。で、何が聞きたい?」
「下級から中級、上級へと昇格するにはどうすればいいのでしょうか! 何か試験があるのですか! それとも何かしらの実績が!?」
おお、それは気になるな。そういえばそれは聞いた事ないぞ。
「ランク戦と似たようなモンだ。ある一定以上の強さがあれば上の階級になる。だから――国王軍に入隊した時点で上級騎士の強さのラインを超えてるならイキナリ上級騎士だ。」
「や、やはり国王軍は実力主義なのですね! 逆を言えば、弱いままではいつまでも下級騎士……!」
顔は見えないけど、声的に……そういう現実の厳しさみたいのにごくりとつばを飲んだであろうその生徒の反応に対し、先生は首を横に振った。
「そうじゃないんだが……あー、やっぱ上中下の通称は誤解を生むなぁ。」
「え……? し、しかし強さで分かれるというのであれば……」
「やってる事は同じかもしれないが、意味合いが違う。階級の違いも、厳密には役割の違いだ。」
ポリポリと頭をかきながら、元国王軍指導教官である先生は下級騎士の訓練を横目に階級の――国王軍の正しい認識と言うモノを話し始めた。
「さっきも言ったように、スタートはドルム――つまりは下級騎士。基準はそこであり、そこから頭が抜けた奴を抜けたなりの役割につけるために階級を別にしてるんだ。決して、弱いから下級騎士なんじゃない。強いから中級、上級なんだ。」
頭が抜けたなりの役割……他の人よりも強い故に任せる事ができる仕事ってことか。
「騎士の仕事は、何かを何かから守ることだ。自然災害や魔法生物の侵攻、悪党共の犯罪行為……訓練を積んでないと身を守る事ができない状況に陥った力のない人たちを、訓練を積んだ者が守る――これが騎士の大前提。守るべき者の傍に立ち、降りかかる害悪を打ち倒す。だが……残念ながらそれだけじゃ守り切れない。こちらから攻める者もいないとな。」
「攻め――そ、それが中級、上級の役割という事ですか?」
「そうだ。この前の首都への侵攻を思い出せ。あの時、大きく分けると街の中と外で騎士が二手に分かれていただろう? 中は学生が、外は現役の騎士が担当していたわけだが、これがずばり下級と中級、上級の役割だ。守るべきモノを傍で守る者と、守るべきモノの為に敵陣に斬り込む者。本来であれば全員で街の人を囲んで防御すればいいんだが、そんなんじゃ街がダメになる。そういう後々の事まで守る為に、守るモノから離れて積極的に攻めていく役割が必要なんだ。」
「そう――いえ、それでもやはり……強い者が前に出て、弱い者は後ろという事ですよね……やはり下級騎士はつまり実力が不足しているからそういう役割にと……」
「半分正解だが半分間違ってるんだ、その考え方は。確かに、階級を分けるのは個人の実力。そういう意味じゃ下級騎士は中級、上級よりも弱い。だがそもそも役割が違うから……例えるなら料理人と大工を並べてどっちがすごい? って言っているようなもんなんだ。」
「??」
「さっきここにおっちゃんの騎士が来ただろ? あれ、下級騎士なんだぞ。」
みんながざわついた。歴戦の猛者って感じの雰囲気だったあのおじさん騎士が下級騎士?
「例えば、この後行く中級騎士の訓練場から適当に一人連れてきてあのおっちゃんと戦わせたら、十中八九おっちゃんは負ける。だがもしも勝負の内容が一対一の戦闘ではなく――どこかの街を魔法生物の侵攻から守り抜けーみたいなミッションだったなら、恐らく勝つのはおっちゃんだ。」
「なるほど!」
先生のとんちみたいな例えを「えぇっと……」とつぶやきながら理解しようとしていると、横にいたフルトさんがそう言った。そこそこ大きな声だったから、全員がフルトさんの方を向く。
「国王軍に求められるモノは守護する力。故に磨くべきは対象を守り抜く技術。刻々と変貌する戦況に柔軟に対応し、壁を築き、逃げ道を作り、必要であれば迫る脅威を打ち滅ぼす。人員を使い、時間を操り、タイミングを支配する力――それこそが求められている。しかし、ある一定以上の戦闘力を持つ者には別の仕事――脅威に対して積極的に攻めるという役割が与えられる。」
たぶん、学生として紛れ込んでいる事を忘れ、元国王軍指導教官の話を聞いた一軍の指揮官としての呟きで――なんというか、雰囲気が明らかに一年生じゃなくなってしまったフルトさんは、そんな事は気にせずに話し続けた。
「それを与えられた者は守る事を他に任せる代わりに、純粋に高い戦闘力が求められる。守る力と攻める力は似ているところもあるが本質は全くの別物――なるほど、中級や上級の騎士が高い実力を持つ攻めのプロであれば、先ほどの騎士はいわば守りのプロというところなのでしょうね。確かに、そもそも比較する事が間違っている分野。下級や上級という通称は適切とは言い難いですね。」
うんうん頷きながら語ったフルトさんをあきれ顔で見ていた先生は――
「あー……軍事オタクみたいのがいたみたいだな……ま、そういう事だ。要するに何が言いたかったかっつーと、上中下で呼ばれてるそれぞれの階級が、実は横並びって事だ。下級騎士は自分たちとそんなに変わらない実力の持ち主――とか考えてる一年生もいるかもしれないと思って一応訂正しておいた。だいたい、実力で言えば上級騎士レベルなのに下級騎士――ドルムの階級に留まってる奴もいるからな。」
「! そ、そういう方もいるんですか!? えっと、それはどうして……」
「……中級や上級になると、みんなから強いんだなーって尊敬されるし、有名にもなるし、軍の寮もランクアップするし、下級騎士よりも給料高くなるが……死ぬ確率が跳ね上がる。」
「――!」
「家族がいる騎士がいる。恋人がいる騎士がいる。攻めるよりも守る方が得意な騎士がいる。もっとシンプルに、死にたくない騎士がいる。それぞれに理由はあるさ。」
「さ、最後のは微妙ですね……」
「どうかな。」
先生――とフルトさんの話で、なんとなく下級騎士って呼ばれている人たちを見る目が変わった気がする。やっぱりオレの中にもどこか――弱いからなのかっていう認識があったんだろう。
「守りのプロ――か。どっちかと言えば、オレはそっちになりたいかもなぁ。」
「あんたはそうだろうと思ったわ。」
「んん? エリルもじゃないか? お姉さんを守るっていうなら……」
「そうね……でも、どっかに敵がいるなら、こっちから行って先に潰してしまいたいっていうのもあるのよね。」
「それも騎士の形――か。なんか思いもよらないところで大事なことを考えさせられた気がするぞ。」
「そういう狙いもあるんじゃないの。」
ぐるぐると下級騎士――いや、ドルムの位を持つ騎士の訓練場を見てまわり、確かにちらほらと絶対強いだろこの人っていう人を見かけたりしたオレたちは次の場所へと移動した。さっきの訓練場がチーム――部隊としての動きの訓練を行う場所という印象が強かったのに対し、その場所は個人技を磨く場所という印象を受けた。
「軍事オタクが言ったように、中級――スローンになると個人の強さを高める訓練がメインになる。あんな武器、こんな魔法、そんな体格――様々な条件下で強さを保てるように頑張るわけだ。加えて自身の特技を更なる強みにする修行もする。」
ドルムの訓練場よりも人数が少なく、悪く言うと活気がないんだけど……静かに座っているだけでもちょっと迫力を感じてしまうような人がたくさんいる。
「お、ちょうどいい。模擬戦するみたいだぞ。」
先生が指差す方を見ると、一人の騎士を五、六人の騎士が囲んでいる光景が見えた。しかも真ん中の人は武器を持っていないのに対して周りはフル装備という絶体絶命な状態――ってあれ?
「エーデルワイスさんか、あれ。」
長いピンク色の髪の毛とあのピシッとした姿勢の良さはたぶんそうだ。
「あー、あの真ん中にいる女騎士は第八系統の使い手だ。風使いはあれ、よく見ておけよー。」
一年生集団の中で、第八系統を得意な系統とする生徒が――オレを含めて少し真剣な顔で模擬戦に目を向けた。
特に合図もなく、武器を持つ騎士の内の一人が手にした剣をエーデルワイスさんに振り下ろした。さすがに中級――スローンというところか、その動き一つとっても無駄のないキレのある一刀だ。でもその剣はさらりとかわされ――えぇ!? 今気づいたけどエーデルワイスさん、目隠ししてるぞ!
「あの筋肉ムキムキの《オウガスト》が防御や回避の達人っつーのの理由はあれにある。第八系統の使い手は周囲の空気の動きを――風を感じ取って相手の動きを目で見るよりもはっきりと捉える事ができるんだ。あの女騎士は魔法の技術が相当高いからな……ああやって回避に徹してるあいつに対してはたぶん、まわりの騎士は一撃も与えられないぞ。」
先生の言う通り、五、六人の一斉攻撃が面白いくらいに当たらず、全員が空振りで右往左往。でもってその中をくるりくるりと舞うエーデルワイスさんは綺麗で……なんかダンスを見ている気分だ。
「……なに見とれてんのよ。」
「えぇ? た、確かに綺麗だなぁとは思ったけど……そんなに顔に出てたか?」
「あんたの感情があんたの顔に出なかったことなんてないわよ。」
「アドニスせんせー。ドルムとスローンの差はなんとなくわかりますけど、スローンとセラーム――中級と上級の違いってなんですか?」
エーデルワイスさんの舞いが終わると、さっきと違う人が手をあげた。
「ああ、それか。単純に強さの差だな。中級と上級の役割は同じだが、任せる事のできるレベルが違うわけだ。だけど見分けは簡単につくと思うぞ。」
「? マントの色が違いますからね。」
「まぁ、それもそうだが、それ以上に雰囲気でな。」
「?」
「アドニス先生!」
これまた違う人が手をあげる。
「中級騎士にもなると、やっぱり『ムーンナイツ』のメンバーもいるんでしょうか!」
「……さっきのドルムにもいたんだが……まぁ、確かにこの辺から人数は増えるな。」
「おお!」
「……エリル、『ムーンナイツ』ってなんだ?」
「えっと確か――」
「十二騎士直属の騎士団だよ、ロイドくん。」
「ローゼルさん。あれ、今までどこに?」
「……ずっと後ろにいたが。」
「えぇ? で、でも声がしなかったから……」
「先生の説明を聞いていたからな……しかしこんなにあっさりと忘れ去られるとはショックだな……」
「え、いや、ご、ごめん。て、っていうかみんないるんだね……」
「……ロイくんひどーい。」
「エ、エリルちゃんと、ふ、二人だけの……世界に入ってた……のかな……?」
「こんな美人をほっとくなんてねー。これはお仕置きかなー。」
「おや、やはりロイド様はおモテになるのですね。」
みんなからじとーっとみられる中、さらっとフルトさんがそう言ったのだが……ミラちゃんの事を考えるとなんかすごくまずいところを見られたような気分になるな……
「え、えぇっと――ちょ、直属の騎士団っていうことは、ど、どういう扱いになるんでしょうかね。」
「扱いというほど公式のモノでもないんだが影響力は強い――という感じかな。要するにそれぞれの十二騎士が個人的に集めたメンバーなのだ。任務をこなす時なんかに連れていくそうだ。」
「へぇ。フィリウスにもいるのかな……」
「《ディセンバ》を除く全員が『ムーンナイツ』を持っていると聞くが。」
「? なんでセルヴィアさんだけ?」
「別にそうである必要はないのだが、『ムーンナイツ』は大抵その十二騎士と同じ得意な系統を持つメンバーで構成されるらしい。フィリウスさんなら第八系統の使い手という風に。だからかわからないが、どの代の《ディセンバ》も全系統混合チームになりがちで……そしてチームが出来上がりにくいのだとか。」
その後、さらに何人かのスローン騎士の模擬戦を見学し、オレたちは遂にセラームの位の騎士の訓練場にやってきた。十二騎士が世界規模のメンバーである事を考えると、実質このフェルブランド王国の最高戦力という事になる。なるのだが……
「やや、お久しぶりですね、アドニス教官。」
ワープした先、真っ先に飛び込んできたのは物干し竿に――たぶんマントだろう、大きな布をかけて一息ついている休みの日のお父さんっぽい雰囲気の男性……ローゼルさんのお父さんだった。
「リシアンサス……まぁいいか。要するにこんなところが上級騎士――セラームの連中の特徴だ。」
「え……ど、どういう?」
さっきスローンとセラームの違いをたずねた生徒がさらなる困惑顔を向ける。しかし先生は真面目な顔でこう言った。
「強そうに見えない――だ。」
生徒たちの視線が自然と、目の前ののほほんとしている騎士に向く。確かに強そうには見えない――っていや、そりゃあ休憩中みたいだし……
「強いやつほど余裕があるっつーか、何が起きても対応できるようにいつも落ち着いてるっつーか……武装して立ってても全く迫力がない。さっきのスローンの連中はピリピリと強さが伝わって来ただろ? だけどセラームの連中にはそれがないんだ。」
「や、面目ない。」
「別に悪いことじゃない。そういうもんだってだけの話だ。騎士に限らず、凶悪な犯罪者もS級なんかになると普段の行動を見てるだけじゃ悪党って思えないしな。」
先生の言葉に、パッと思い浮かんだのはプリオルの顔だった。確かに、凶悪な殺人鬼であるあの犯罪者も、そうと知らなければただのイケメンだ。
フィリウスは……あんな見た目だから例外かもしれないけど、セルヴィアさんやアイリスさんは普通の町娘とメイドさんだし……もしかして、強さがにじみ出るようなのは未熟なのかもしれない。
「ねぇ、もしかしてリシアンサスってあの――?」
「ああ、『水氷の女神』の……」
「じゃ、あの人が『シルバーブレット』……!?」
ふと、目の前の騎士を横目にひそひそ話が聞こえてきた。それはだんだんと大きくなり、なんとなくみんなが騒がしくなっていく。
「……あれ、もしかしてローゼルさんのお父さんって有名人?」
「……まぁ、とっくの昔に忘れてしまっているのかもしれないが、リシアンサス家は騎士の名門だからな。」
「あ――そ、そうですよね……そりゃそうか。」
「ついでに言うと、わたしはその家の一人娘だ。」
「は、はい……」
「……ところでリシアンサス、私たちは訓練を見学に来てるんだが?」
「ご心配なく、間もなく次が始まりますから。そろそろ来る頃かと思い、案内役として私がここにいたのですよ。どうぞこちらへ。」
ローゼルさんのお父さんの案内でやってきたのは学院の闘技場みたいな場所。あれよりはもっと簡易的だけど、広い――模擬戦専用のフィールドみたいのがあった。
その周りには騎士が何人か立っていて……たぶん訓練をする人たちなんだろうけど、それよりもフィールドの真ん中にこんもりと盛り上がっている土の塊が気になる。
「これより訓練を始める! 想定は巨大魔法生物!」
一人の騎士がよく通る声を張り上げた。セラームの証である白いマントが似合う、少し長い金髪をたなびかせた……色々と様になっているカッコイイ人。すると――
「あれって――まさか『光帝』!?」
「本物よ!」
「……えぇっと、また有名人?」
「……ロイドくんは十二騎士が身近過ぎてセラームの面々はあまり知らないのだな。あの騎士はセラームのリーダー。フェルブランドには十二騎士が多いから実感が薄いかもしれないが、おそらくこの国で最も有名で人気で尊敬されている騎士だよ。」
「えぇ、そんな人がいたのか。」
「名前はアクロライト・アルジェント。二つ名に『光帝』を持つ第三系統の使い手だ。」
「ふふふ。ロイドくんの妹さんがメンバーに加わってから、私たちの訓練の幅が大きく広がりました。」
みんながアクロライトという人に注目している間に、ローゼルさんのお父さんがすすーっとオレたちの近くにやってきた。
「やぁローゼル。ランク戦、お疲れさまだったね。みんなもよい成績を残したようでなにより。」
「は、はい……ありがとうございます。」
「あれから話は聞かないけど、ロイドくんとはどうだい?」
「はい――い、いえ、何の話ですか父様。そ、それよりもロイドくんの妹さんの話を……!」
「ウィステリア――いや、サードニクスと呼ぶべきなのかな。彼女は文句なしに国内一――もしかしたら世界一かもしれないほどのゴーレム使い。今アルジェントが言ったような巨大な魔法生物を想定したり、一対多数の戦闘も訓練できる。素晴らしい力だよ。」
そう言いながらローゼルのお父さんが指差した先を見ると、フィールドの横に立っている……なんだろう、物見やぐらみたいなちょっと高い塔の上にパムがいた。
「パム……見えるかな?」
なんとなく手を振ってみたら、どうやら気づいたようで小さく手を振り返してくれた。
「サードニクスは朝からロイドくん――お兄さんが来るということでいつもより気合が入っていたよ。可愛い妹さんだね。」
「ええ……できた妹です……」
妹がセラームで兄が学生というのは微妙な心境なのだが……そんな優秀な妹であるパムが杖を振ると、フィールドの中央の土の塊がうねうねと形を変えていき――巨大なドラゴンになった。
「? ウィステリア、いつもよりも魔力を練りこんでいるな! ギャラリーが多いと気合が入るタイプだったとは意外だな!」
アクロライトという人が嬉しそうにそう言った。しかしオレには目の前に出現したゴーレムに費やされている魔力の量なんてさっぱりわからない。
「……パムの魔法が役立つっていうのはいいんですけど……でもあれはゴーレムですから本物の魔法生物みたい魔法とかは使いませんよね……?」
「そうだね。しかしむしろ本物よりも厄介な練習相手だと思うよ。」
「えぇ?」
「攻撃を受けても痛がらないしひるまない。身体が欠損しても一瞬で再生し……操っているサードニクスがああして上にいるから戦況を俯瞰的に把握し、死角がほぼない。実在されたらとても困る魔法生物だね。」
「なるほど……」
土でできたドラゴンゴーレムを取り囲む騎士と、塔の上に立つパム。なんとなく――いや、よく考えたら変なんだけど、オレは――
「パム、頑張れー!」
――と、声援を送った。それにビクッとして少しの間だけオレの方を向いた後、パムは手にした杖を空にかかげた。するとドラゴンゴーレムの文字通り土色だった表面が黒くなり、金属光沢を見せ始めた。
「おいおい、いきなりどうし――そうか。そういえばウィステリアの兄が来ているんだったな。全員気を引き締めろ! 今日のウィステリアは本気で勝ちに来るぞ!」
数秒前とは比べ物にならないほどの迫力と圧力を放つスーパードラゴンゴーレムに、周囲の騎士がだいぶ全力で向かっていった。その巨体からは想像できないとんでもない速度で振り回される尻尾攻撃を難なくかわし、騎士――セラームたちはドラゴン討伐を開始する。
「おお、おお。あんなに気合の入ったゴーレム、戦場以外で見るのは初めてだな。こりゃあ訓練の度にサードニクスをここに置いといた方がいいんじゃないのか?」
「それはよい提案ですが、しかし下手をするとセラームがケガ人だらけになってしまいますよ。」
訓練と呼べるのかどうか怪しいレベルの戦闘が目の前で繰り広げられ、オレも含めて一年生全員がポカーンとしていた。
その後、すごいものを見たなぁと感動している間もなく、先生が言っていた合同訓練へと移行した。んまぁ、とは言っても一、二時間程度のモノで、簡単に言えば国王軍へお試し入隊してみよう的な感じ。前半は武器別、後半は得意な系統別に分かれ、主にセラームの人の指導――というかアドバイスみたいのを受けた。
そしてその時――得意な系統で分かれた時にすごい人に出会った。たぶん――いや確実にこの人が先生の言っていた「男に飢えてる女騎士」だ。
「んんー、いいわねぇ、壮観よん。鍛えられた若い男がたくさんなんて。」
国王軍には軍服という制服があるのだが、どうもスローンやセラームになると……たぶん実力を十分に発揮できる服装っていうことで許可されているんだろう、私服の人が目立つ。
第八系統――風の魔法を得意とする人で分かれ、どんな人が指導してくれるのだろうと待っていると、登場したのはセルヴィアさん――いや、《ディセンバ》さんの鎧姿よりも刺激の強い格好をした女性だった。
「ちょーっとの間だけど、貴方達に色々教えちゃうお姉さんの名前はサルビア・スプレンデス。よろしくねん。」
風使いとは思えない真っ赤で真っすぐな髪。胸元が大きく開いた上に際どいところまで入っているスリット。艶めかしく生足を見せる、フィリウスが「うほー」とか言いそうな超ナイスバディなお姉さん。
そう……一言で言えば――えっちぃ……んだけど、なんというかそれを通り越している。
男は、筋肉があると男らしいって事で女性に人気が出ると思うけど、フィリウスみたいなレベルになるとムキムキ過ぎて逆に引いてしまう。それの女バージョンというか……スプレンデスさんはナイスバディなんだけどあまりにナイスバディ過ぎるし本人の雰囲気とかもアレ過ぎる。てなことで、その場にいる現役の男騎士勢はもう見慣れているのか特に関心を持たず、若さありあまるオレたち一年生の男子勢も微妙な表情だった。
「ちなみにお姉さん、《オウガスト》の『ムーンナイツ』の一人でもあるのん。なんでも聞いてねん?」
え、『ムーンナイツ』? てことはフィリウスの直属のってことか。うわぁ、なんかフィリウスがこの人を誘うシーンが想像できるというかなんというか……
「さてとん? 現役の騎士はもう知ってるから――まずは若い貴方達よねん? ちょーっとお姉さんに見せてねん。」
そう言うと、スプレンデスさんは口に指をあて……チュッとオレたちに投げキッスをした。するとふんわりと風が吹き……不思議な体験なのだが、服の中を――パンツの中や靴下の中も含めて風が通った。
「ふんふん……あら、貴方いいモノ持ってるわねん? あとでお風呂、お姉さんと入りましょうねん。」
なんの事やらと思ったが、この場にいる一年生男子の中では体格の良さが目立つ一人の生徒に歩み寄ったスプレンデスさんがその人の股の下あたりにそっと手を添えたのを見て、その場の全員が意味を理解した。
「い、今の風で知覚したんですか!?」
思わずそう言ったオレに、スプレンデスさんは色っぽい笑みを向けた。
「そうよん。お姉さんたち風の使い手が会得するべき技術の一つがこれよん。」
がちがちに固まったその男子生徒から離れながら、スプレンデスさんは魔法の講義を始める。
「第八系統が使うのは風――つまりは空気よん。水の中にさえ溶け込んでるこれは、世界中どこに行ってもあるモノ。手足のように風を操るお姉さんたちにとって空気は、無限に等しい範囲を持つ感覚器官よん。」
腰に手をあててクネッとポーズを決めたスプレンデスさんは、しかし真面目な話を続ける。
「空気の流れ――すなわち風を読んでモノの動きを知覚できるようになったなら、今度は自分が起こした風が触れたモノを知覚できるようにする……ここまで来てようやく、一人前の風使いの誕生なのよん。想像してみなさい、男の子。風をちょーっと通すだけでお目当ての女の子のスリーサイズがわかっちゃう技術を。」
「なんつー使い方を伝授してるんですか!」
「欲望は力よ、坊や。強くそれを欲するからこそ、その為の力が手に入るのよん。ついでに敵が隠し持ってる武器の数を知る事ができる技術が手に入るならいいことだわん。」
「……確かに、そういう使い方もでき――っていうかそっちがメインでは!」
――というようなやりとりから始まり、言動がいちいち……いやらしい方向にそれるスプレンデスさんだったが、しかし結果的に教わった事はとても勉強になることばかりだった。
今日の社会科見学を振り返ると、残念ながらオレ自身の剣術が特殊だからそっち方面で得られた事は少なかったけど、魔法に関する収穫がたくさんという結果になり、個人的には大満足の一日となった。
「おれも色々教わった。マントに威力を持たせるという発想はなかったぞ。」
「え、マントを強化するのか?」
合同訓練を終え、オレたちは国王軍専用のお風呂に入っていた。特殊な薬草が溶けているという話だったから何色なのかと思っていたが、見た目は普通のお湯。特にビリビリしびれる感覚があるとかいう事もないから、普通のお風呂に普通に入っている気分で、オレとカラード――それとカラードのルームメイトでもあるビッグスバイトさんは並んでお湯に沈んでいた。
「……ビッグスバイトさんが第八系統の使い手だったら危なかったなぁ……」
「名前でいいし、長いからアレクでいいぞ。俺もロイドと呼ぶことにしよう。」
「わかった。いやぁ、一緒にお風呂に入れる男友達が増えてオレは嬉しいよ。」
「……お前はモテモテだからな。それよりも俺が風使いだったら危ないというのは?」
「……知らない方がいいかもしれない。」
フィリウスを若返らせたようなビッグスバイト――アレクはスプレンデスさんの標的になったに違いない。
「モテモテと言えば、ロイドは混浴に行かないのか?」
「さらりととんでもない事を言うなぁ、カラードは……そもそもなんでそんな場所があるんだか。」
男湯の奥の方、違う部屋――いや、露天風呂? っぽい場所に通じる扉を眺める。
「おれも気になったから聞いてみたんだが……理由はカッコイイものだった。男女の垣根を超えて絆を結んだ戦友同士が裸の付き合いの一つもできないんじゃ不公平だからだそうだ。」
「おお……それはカッコイイな。」
「ふん。そんな豪快な理由がある一方、なぜに俺たちはタオルを腰に巻くように言われたのだ? 見ると学院生に限らず、入浴している者全員がそうしているが。」
「おれも思ったが……そう教えてくれた方の口調が、指示というよりはアドバイスだったからな。ルールというわけではないがそうした方が身のため――という印象を受けた。ロイドは何か知っているか?」
「……たぶん知ってる。まさかあの扉から覗いてるのか……スプレンデスさん……」
首をかしげる二人に、オレは第八系統で集まった者だけが経験したゾゾッする事件を話した。
「……それで俺は危ないと……」
「なるほど。しかし男の貞操を守らなければならないとは、国王軍は厳しい世界だな。」
真面目に言っているのかギャグで言っているのかわからないカラードは、その顔のまま続けてこんなことを言った。
「であれば逆もあるのだろうか? 覗きに走る男がいるから女湯もやはりタオルを?」
悲しい事に、パッと思い浮かんだのは「女湯を覗くぞ、大将!」と言っているフィリウスだった。
「……全くいないとも言えないんじゃないかなぁ……それこそ魔法の使い方によっては覗きも簡単にできたりするかも。」
スプレンデスさん直伝の風の使い方みたいな感じに。
「現役の騎士にそんな阿呆な事はしないで欲しいが……そもそもそういう事ができないようになっているんじゃないのか?」
アレクがこんこんと壁を叩く。
「……第一系統の使い手の二人でもこの壁は壊せない感じか?」
「さぁな。何で出来ているかもよくわからん。それに、さすがに素手では無理だろ。」
「むぅ……おれの『ブレイブアップ』でならなんとか……」
「そっか……」
と、女湯に続く壁の壊し方を議論し始めたオレたちだった。
「ねぇスナイパーちゃん、『変身』の魔法で優等生ちゃんみたいになれたりするー?」
「で、できると……思うけど……ちょっとした修復ならと、ともかく、他人の身体を『変身』させるのは……ま、まだできないよ……」
「え、じゃあティアナちゃんって自分のスタイルを思いのままにできちゃうの!? ずるい!」
「なんだと……ティアナ、そ、それはちょっと卑怯だぞ……!」
「なに真面目に焦ってんのよ……」
合同訓練が終わって、あたしたちは国王軍専用っていうお風呂に入ってた。ほとんどいつもと変わんない光景なんだけど、なんでか全員タオルを巻くように言われた。
「でーも以外だねー。騎士様でも覗きとかするんだー。」
「覗き注意の張り紙の横にフィリウス殿の顔写真があったのが面白かったがな。」
「さすがフィルさんだけど……ロイくんに覗きの奥義とか伝授してないよね……」
全員でなんとなく、女湯と男湯を真っ二つにしてる壁を見上げた。
「……で、でもああいう張り紙があるくらい、だし、特殊な魔法とかで、の、覗きができないようになってるんじゃ……」
「しかしあっちへ行けば普通に混浴なのだろう? どうもピシッとしないな。」
「そうだよ混浴! ロイくん呼ばなきゃ!」
「ば、何言ってんのよ!」
「……商人ちゃんって、そういう事よく言うけど実のところ恥ずかしがり屋さんだよねー。」
「!? な、何言ってんの! ボ、ボクは――ロイくんになら別にいいもん!」
「それはわたしだってそうだが……しかし呼んで仮に混浴したとしても、一瞬でお湯が血に染まってロイドくんの土左衛門の出来上がりだろう……」
「さらっと何言ってんのよ、この痴女。」
「おや、ロイドくんのベッドに――」
「う、うっさいわね!」
「んんー、いいわぁ。」
いつもの調子でギャーギャーしてると、あたしたちが座ってるところからちょっと離れた場所で、お湯の中で仁王立ちして壁の方を眺めてる女がだいぶ色っぽい声でそう言った。
「さすがマダム。気合の入った対抗魔法で感度バッチリよん。」
誰だか知らないけど、ローゼルと同等――いえ、それ以上の冗談みたいなナイスバディの赤毛の女のそんな独り言を聞き、違う女――エーデルワイスがおどおどと近づいた。
「ス、スプレンデスさん、またそんな事やって――怒られますよ……」
「大丈夫よん。前は混浴経由で男湯のいい男を引きずり込んだけど、これはただの覗きだもの。あんたも見る、オリアナ?」
「け、結構です……」
顔を赤らめて後退するエーデルワイスを横目に、スプレンデスって呼ばれた女はその色っぽい声を響かせて――
「男湯を覗きたい子、こっちへいらっしゃい。」
――というトンデモナイ勧誘をし始めた。
「鍛えられた男の身体は勿論いいけど、熟れる前の若い身体もいいわよん? 特に後者は今日を逃せば次は一年後――チャンスはモノにすべきでしょう? ほら、女子生徒たちもいらっしゃいな。同年代の男子の裸体をおがめるわよん。」
「なな、何をしているのですか!」
一応優等生モードで叫ぶローゼルに対し、スプレンデスは色っぽい笑みを向ける。
「何って覗きよん。嬉しい事に、男がやるとフィリウスみたいに手配書作られちゃうけど、女がやる分には何もないのよん?」
いきなりの変態女の登場に女子生徒も困惑なんだけど――いつでもノリのいい奴ってのはいるもんで、一人の生徒がバッと手をあげてその勧誘にのっていった。
「正直でいいわねん。」
スプレンデスがその生徒の頭をポンと叩く。すると――
「え――うわ、うわ! 壁が透けて見える!」
壁の方を向きながら、壁に沿って右へ左へ移動してキャーキャー言うその生徒を見て、誘いにのる生徒が増えていく。
「じゃーあたしもー。」
「は!?」
何でもないように立ち上がったアンジュに思わずそう言ったら、アンジュは口を尖らせた。
「だーって、話によるとみんなはロイドと泳いだことがあるんでしょー? あたしはその時いなかったんだし、いーでしょー。」
「あらん、目当ての子がいるのねん? いいことだわん。」
増産されていく覗き女子生徒の中にアンジュが加わる。
「うわ、ホントに見える! 一応確認するけど、あっちからは見えないんですよねー?」
「魔法をかけているのは貴方達の目だもの。存分に覗きなさいな。」
「わぁ……えぇっとロイドロイド……」
何か言ってやろうと思って口をパクパクさせるあたしたちを置いてけぼりに、覗きの力を手に入れたアンジュがロイドロイド言いながらあたしたちの方に戻ってきて……
「あ、いた。なんだー、あたしたちの真横にいたんだねー。」
「な、なんだと!?」
全員が壁の方を向く。この壁の向こうにロイドがいて……アンジュには今、この壁は透けて見えてる……!
「カラードとアレキサンダーも一緒だねー。っていうかアレキサンダーすっごいむっきむき……あ、そうそう、カラードくらいがちょうどいいよねー。さすがあんな重たい甲冑着てるだけあるかなー。それで――ロイドは普通だねー。やせっぽっちっでもないけど、引き締まってるわけでも――あれ? そうでもないのかな。必要な場所に必要な分って感じ?」
「解説しないでいいわよ! てかやめなさ――」
「うーん……見えそうで見えない……」
アンジュを取り押さえようとしたら、いきなりしゃがみこんだ。
「な、なにやってんのよ……」
「あたしたちと同じでさー、男湯も全員腰にタオル巻いてるんだよー。」
「あっちにもこっちと同じ感じのルールがあるのよん。だから根気よく粘って、一瞬のチャンスとアングルを逃さないようにしなさいねん。」
見ると何人かの女子生徒がアンジュと同じように立ったりしゃがんだり――!!
「! あ、あんた何を見ようとしてんのよ変態!」
「なーにー? お姫様は興味ないのー?」
「な――」
きょ、興味なんてそんな――! だ、だって……
「難しいなー……話してて動かないし……どんな事話してるんだろー?」
「声も聴きたいのん? 欲張りさんねん。」
アンジュの呟きを聞いて、スプレンデスがパチンと指を鳴らした。すると、街に魔法生物が侵攻してきた時の連絡用に使われた魔法の感覚で耳に声が聞こえてきた。
「風の魔法であっちの声をこっちに届けてるのよん。あの三人の会話でいいのよねん――あら、あの子いい筋肉だわぁ……」
『しかし、こうして男三人が風呂場に集まったのだ。女子トークならぬ男子トークと行こうではないか。』
『カラードって、興味なさそうでちゃっかり興味あるよな……』
『ああ。俺もこいつは天然だと思っている。』
『失礼な。だが考えてもみるんだアレク。一年生ナンバーワンのモテ男たるロイドがいるのだぞ?』
『ちょ、なにその称号!』
『ま、事実だな。正直なところ、誰がタイプなんだ、お前は。』
『いや、タイプもなにもオレの彼女はエリルですけど……』
「――!!」
「……エリルくん、そんな嬉しそうに顔を赤くされるとエリルくんではないがムスッとしてしまうぞ。」
「し、知らないわよ!」
『だが誰においても恋人や奥さんがタイプどんぴしゃりというのであれば浮気などという言葉は存在しないだろう? ずばり、クォーツさんはタイプそのままなのか?』
『えぇ……』
「カラードくん、ナイス質問だ。きっとロイドくんはサラッと髪の長いナイスバディが好きなのだ。」
「あんた……」
「あらあら乙女の恋模様? お姉さん、そういうお話だいす――」
「スプレンデスー!!」
アンジュの横に来てうっとり笑ってたスプレンデスに、大量のお湯がバシャァッと降り注いだ。
「――んもぅ、何するのよウィステリア。」
「あなたこそ、人の兄を覗かないで下さい!」
バシャバシャとお湯の中を歩いてきたのはロイドの妹、パム。
「兄? あらん、もしかしてえぇっと……あ、あの男の子がロイド・サードニクスなのねん? どことなくあなたに似てる……へぇ、そう、あの子がフィリウスの……」
「だから見るなと言ってるんです!」
スプレンデスの両目を覆うパムを見て、アンジュが尋ねる。
「ねぇ、この子はー?」
「ああ、あんたは知らないわよね。上級――セラームの一人のパム・ウィステリア。もしくはパム・サードニクス……ロイドの妹よ。」
「へー。じゃあ小姑さんかー。よろしくねー。あたしはアンジュ・カンパニュラ。」
「カンパニュラ? 火の国の貴族じゃないですか――というか小姑? ではあなたも兄さんを……」
「姉さんって呼んでもいいんだよー?」
「……その話はまた後日としましょうか。今はこの出歯亀をなんとかしませんと。」
「あ、ちょっと待ってー。今ロイド見てるからー。」
「!? あなたも覗いて――だ、ダメですダメです! すぐに魔法の解除を!」
アンジュの目も隠そうとするパムをひょいひょいよけながら、アンジュはニシシと笑う。
「妹ちゃんは興味ないのー? お兄ちゃんの裸とか。」
「何度も見ましたから今更です! スプレンデス! 早く魔法を――」
「あらん?」
パムがワーワー言っている中、スプレンデスの――さっきまでとはちょっと雰囲気の違う呟きが聞こえ……同時に、覗いてた他の女子生徒たちも表情を変えながら壁から一歩下がった。
「うわ……なぁにあの人ー? 随分気合入れてお風呂に来たねー……」
「うふふ、さすがにあれはちょっと違うと思うわよん。」
「な、なんですか、何が見えているんですか――スプレンデス!」
「あ、まずいわん――」
次の瞬間、ドカァンっていう音と共に壁の一部が吹き飛んだ。
「な、何よいきなり!」
「こ、これも国王軍の日常というやつなのか?」
幸い――いえ、たぶん誰かがとっさに魔法で引っ張ったんだろうけど、砕けた壁の近くには覗きをしてた生徒は一人もいなくて、全員右か左の隅っこに押しやられてた。
現役の騎士もいるわけだから反応は早く、そしてやっぱり日常ってわけでもないみたいで、それぞれに構えの姿勢になって壁にあいた穴をにらみつけてると……そっちとは逆の方から――あんまり無視できない声が聞こえた。
「危なかった……強化魔法が間に合わなかったらやばかったぞ。おい、大丈夫かカラード。」
「問題ない……しかし一体何者だ、あれは。」
壁から離れた場所に片膝をついている二人の声はついさっきまで聞いてたもので……その二人っていうのはカラードとアレキサンダー。
つまり、男子だった。
「きゃーっ!!」
現役の騎士はともかく、女子生徒もいる女湯に男子が二人突っ込んできたのだから、それはそれは大きな悲鳴が響き渡った。
「やや、これは非常にまずいのではないか? 社会的に今、おれたちは死んだのでは?」
「あんなの前にしてよくもまぁ、んな軽口が出る――おい、ロイドはどこ行った!」
「! そういえばあの鎧、真っすぐにロイドに殴りかかったような気が――ロイド! どこにいるんだ!」
悲鳴が響く中、カラードとアレキサンダーはロイドを呼ん――え、ちょっと待ちなさいよ。今の爆発みたいのであの二人が飛んできたって事は当然近くにいたロイドだって――
「――!! ロイド!」
「ぶはぁっ!」
あたしがロイドを呼ぶのと同時に、あたしたちのすぐ近くのお湯がザバァッと吹き上がった。
「な、なんだ今のは!? 二人とも無事か!? くそ、オレが風の障壁的なモノを作れれば良かったんだけ――」
目が合った。女湯で。タオル一枚で。お湯の中。
あたしの目には腰にタオルを巻いただけの半裸ロイドがお湯から顔を出してる光景が映ってる。
でもってロイドの目には、胸の辺りでタオルを巻いてるだけのあたしたちが立ってたり座ってたりする光景が映ってるは――
「びゃあっ!? わ、わ、す、すみませんすみません!」
やってしまった! ふ、不可抗力とはいえやってしまった! 急いで目をそらしたけど――の、脳裏に焼き付いた!
水着の時とはわけがちがう、いつもと違う雰囲気で髪型でタタタ、タオル一枚だけのみんなの姿が――や、やばい、鼻血が――
い、いやいや、そんなこと――じゃないけどそれよりも今はあいつ!
色々と言い聞かせて背を向けていた方にもう一度顔を向ける。すると穴の空いた壁の奥で、あいつがその腕を大きく振りかぶっているのが目に入っ――
ちょっと待てその方向だとみんながあぶな――
「――!! ふせて!!」
とっさにオレはみんなの方に跳び、風の魔法も使いながら全員を押し倒した。それとほぼ同時に頭の後ろで轟音が炸裂する。
砕けた壁と粉塵が降り注ぎ、お風呂のお湯がバシャバシャと飛び散る。壁の間近だったもんだからそれらで視界が一瞬でゼロになり、ついでに轟音のせいで耳がキーンとなった。
主要な五感のふたが閉じられた中、しかし別の感覚器官――触覚はとても柔らかい感触を知覚し――
「リョリョ、リョイくん!?!?」
リリーちゃんの声でハッとする。そして気が付いた……目の前の肌色の世界に。
オレの身体――腕やら脚やら、その他のあっちゃこっちゃがみんなの色々な柔らかいところに触れている。
オレの突進のせいではだけたタオルの隙間というかもはや露わになっている色々なところが見えていたりまだ隠れていたりしている。
つまり、オレはみんなの裸を――裸に――
「ぶはぁっ!!」
ロイドが鼻血を噴いた。
壁を吹き飛ばして男湯から女湯にロイドが突っ込んできたかと思ったら、血相変えてあたしたちに跳びかかって――押し倒してきた。
直後、あたしたちが一瞬前までいた場所の壁がさっきみたいに吹き飛ぶ。
ぜ、全然頭が追い付かないんだけど、と、とにかくロイドがあたしたちを何かから助けてくれたってのはわかった。わかった――んだけどそれよりも……そ、その結果……ロイドはあたしたちの色んなとこに触って――なんかタオルもはだけてるから色んなとこを見て――
「ロ、ロイド!?」
――お湯を赤く染めながら土左衛門になった。
どど、どうしたら……え、えぇっと何をすれば――
てて、っていうかバカロイド、ああ、あたしの――!!
「しょ、しょくん! いい、色々あるだろうがひ、ひとまずおお、落ち着くのだ!」
はだけたタオルを直しながら――ロイドに触られた場所をおさえながら、真っ赤な顔でいつもよりも高めのトーン――っていうかひっくり返った声でローゼルがそう言った。
「そそ、そうだね! と、とりあえずえっとえっと――ロイくん! し、沈んじゃうおぼれちゃう!」
全員が真っ赤になってバタバタする中、そんなあたしたちを大きな影が覆った。背中をかすめる雰囲気にゾッとしながら振り返ると、お風呂場には合わない――異様な姿の奴が壁に空いた穴をくぐっているところが目に入った。
「お兄ちゃん!!」
その異様な奴が女湯に入り切った辺りでパムの声が響き、同時に巨大な岩の塊がそいつの真横に打ち込まれ、異様な姿のそれは混浴への扉を突き破って――たぶん建物の外へと殴り飛ばされた。
「お兄ちゃん! そんな、こんなに血が――」
「あ……パム、そ、それはあいつのせいじゃ……」
じゃあ何のせいかって――い、言えるわけないじゃない!!
「あいつ――!!」
プカプカ浮かんでるロイドを――お風呂場の床や壁からはぎ取った岩とかから作ったんだろう、左右に浮いてる巨大な腕ですくい上げて砕けてない壁に寄りかからせ、パムは怖い顔で――タオル一枚のまま飛び出していった。
「あらん、訓練の時もそうだったけど、ウィステリアが珍しく本気だわん。これはちょっといいもの見られるかもしれないわよ、学生ちゃんたち。」
そう言いながら、スプレンデスはこれまたタオル一枚のままでパムを追うように外に出て行き……パムの本気っていうのが結構な大事らしく、女湯にいた他の騎士たちもそのままの格好でスプレンデスに続いた。
ロイドの妹、パム。ロイドが死んだと思い、第五系統の超高等魔法、『死者蘇生』を行うために魔法の修行に没頭し……その結果、最年少で上級騎士、セラームにまでなってしまったあたしより一つ年下の女の子。
兄であるロイドと再会した今、パムには……なんというか、頑張る理由がない。そんな彼女が全力を出すとすれば、それはロイドが――ま、まぁ今のこれは誤解なんだけど――傷つけられたりなんかした時に限られると思う。そしてまさに、今がそれ。
ロイドのことがちょっと心配だけど……まぁ、そうは言っても鼻血だし。そ、そもそもあんなことされたっていうかしちゃったっていうか――ア、アレの後でロイドの半裸なんか見てられるわけない……
そ、そうよ、あたしは学生なんだから、現役の騎士の戦闘を見た方がいいわよ、そうなのよ。
あたしはタオルをキュッと締め直して……で、でもさすがにタオルだけで外に出るのはアレだから、壊れた扉から身体を隠しながらそっと外を覗いた。
「ルオオオオオオォォッ!!」
いきなりお風呂場に現れたそいつの異様な姿が、日の下に出たことではっきり見えた。
一言で言えば鎧。カラードが身につけるような顔まで覆う全身甲冑。ただし、カラードの甲冑がいかにも正義の騎士って感じのデザインなのに対して、そいつの鎧は完全に悪役。濃い紫色であっちこっちがとんがってる凶悪なシルエット。マントは勿論、剣も槍も持ってない。強いて言えば指の先がかなり鋭くとがってるから、それが武器ってところかしら。
ただ――王宮の、よりによって国王軍の訓練場に来るなんてどれだけの猛者なのやら、そもそも目的はなんなのやら、疑問だらけなんだけど……正直、その鎧の奴よりもパムの方がすごかった。
「潰しなさいっ!!」
ワイバーンを真っ二つにしたゴーレムよりも遥かに大きい……二十、三十メートル……? 周りに比較できる建物が無いし、あまりに大きいとどれくらいかわからなくなるわね……
とにかくすごく大きなゴーレム……しかもたぶん、中は砂とかなんだろうけど表面が金属っぽい黒色。ランク戦の最初に先生と戦ってたライラックって人の金属魔法に似てる、さっきドラゴンのゴーレムにもやってたやつだわ。つまり、お風呂場から外を覗いてみたら悪役デザインの鎧と超巨大な鉄の巨人が戦ってる光景が広がってたわけ。
「オオオオオォォッ!」
あんなに大きいのにかなりの速さで放たれたゴーレムのパンチをかわしてその腕に乗り、そのまま走って肩の辺りまで来た鎧の奴はゴーレムの顔を殴っ――たと思ったら、これまた武道の達人みたいなキレのあるスウェーバックでゴーレムがそれ避け、そのまま頭突きで鎧の奴を地面まで叩き落とした。
「グルゥゥオオオオアアアアアッ!!」
さっきから人の言葉を離さないケモノみたいな鎧の奴は砕けた地面から飛び出し、今度はパム本人の方に跳躍する。だけどその砕けた地面から鞭みたいに砂が伸びて、鎧の奴を後ろからがんじがらめにした。
そして、そうやって動けなくしたところに容赦なく、ゴーレムが組んだ両手をハンマーみたいに振り下ろした。
ランク戦を見て思ったけど、体格の差っていうのは結構無視できない。相手よりも大きいとか小さいとか、重いとか軽いとか、そういうのはどっちの側でも相手よりも有利になる場面がそこそこある。今みたいな、大きさと重さに何十倍もの差がある二人の戦いの場合はどう考えたって大きいくて重い方が圧倒的に有利――
ガキィインッ!!
――!?
な、何よそれ、そんなバカみたいなこと――!
「……小賢しいですね。」
重さだけで何トンっていう単位だと思うゴーレムの両腕が、鎧の奴の片腕に止められた。それだけでも信じられないのに、かなりの勢いで振り下ろされたゴーレムの攻撃を止めたにしては鎧の奴の足元にひびの一つも走ってない。まるで威力の全部が腕に吸い込まれちゃったみたいだわ。
「あらん、あの鎧、受けた衝撃を周りに散らす力があるみたいねん。」
タオル一枚で堂々と外に出て戦いを見物してるスプレンデスの呟きを聞いた瞬間、あたしは結構ショックで――だ、だって、もしもあたしが戦うとしたら、あたしの攻撃が全部効かなくなるわけだし……
だけど、そんな反則みたいな能力に対してパムは焦りも驚きもしなかった。
「だからなんですか。」
パムが手にした杖を振ると、鎧の奴の真下の地面がドンッとせりあがり、そのままそいつを空中にポーンと弾いた。
鎧の奴はフィリウスさんみたいな……たぶん二メートル超えの体格なんだけど、宙を舞うそいつに迫ったゴーレムの開かれた手は、その巨体を軽々と包んだ。そして直後、ゴーレムを覆う金属と鎧がこすれるような軋むような、耳をふさぎたくなる嫌な音がギシギシと響き始める。
「あーウィステリア、殺しちゃだめよん? 色々聞かないといけないんだからん。」
「それくらい心得ています。」
――ってパムが言った瞬間、バキバキィッっていう音が走って……まるで「もういらない」とでも言うみたいにパッと開かれたゴーレムの手から鎧の奴が落ちてきた。
ちょ……なんか腕とか脚が変な方向に……
「死んではいません。」
パムのその一言を合図に幻みたいにサァッと消えていくゴーレム。それを見てスプレンデスがため息をついた。
「もぅちょっと美しく倒せなかったのん? ま、欲求不満でウィステリアに暴れられるよりはましだけどねん。」
「あとは任せました。」
そう言うとパムは回れ右をして、「兄さん!」と叫びながらお風呂場の方に戻って行った。
今のあたしじゃきっと手も足も出ない恐ろしい鎧の奴を、大して――っていうか全然苦戦しないで倒しちゃったパム。これがセラーム……っていうレベルなのね……
「あらあら……本当にお兄ちゃんっ子なのねん。」
スプレンデスはくすくすと……いちいち余計に色っぽく笑い、スタスタと鎧の奴に近づいていった。
「スプレンデスさん、流石に無防備ではありませんか?」
――!? え、い、いつからそこにいたのかさっぱりなんだけど、気が付いたらローゼルのお父さんがスプレンデスに上着をかけてた。
「あら、相変わらず紳士なのねん、リシアンサス。でもお姉さんの素肌を記憶に焼き付けてた子たちにはちょっと酷なんじゃないかしらん?」
「刺激が強すぎますよ。」
ローゼルのお父さんが困った顔でそう言ったあたりで、鎧の奴に変化が起きた。まるでメッキがはがれるみたいに濃い紫色がパリパリ剥がれて……普通の銀色になってく。
そういえばカラードも強化魔法を使ったら甲冑が金色になってたから……もしかしたら、あの鎧にもそういう魔法がかかってたのかもしれないわね。
「おや、これは……」
鎧の奴が銀色に戻り始めた瞬間にスプレンデスの前に出て武器を構えたローゼルのお父さんが……まぁ凶悪なデザインはそのままなんだけど一般的な色に戻った鎧を見て眉をひそめる。
「なぁにん?」
「いえ……胸にオズマンドのシンボルがあるので。」
ローゼルのお父さんのその一言で、その場の空気がサッと変わった。
「なに、あのテロ組織の!?」
こっちもいつの間にかあたしの横で並んで外を見てたローゼルがそう言った。
いつもみたいにどうせロイドは知らないだろうけど、この国の人なら誰で知ってるテロ組織――反政府組織がある。それがオズマンド。十字架だがプラスだかを中心に風みたいのが渦を巻いてる変なマークをシンボルにしてて、基本的に王族とか貴族を狙うんだけど場合によっては一般人も巻き込むタチの悪い連中。その目的は勿論、今の王族――というか今の政治体制を連中好みに改革する事。
しょうもない騒ぎを起こしたかと思えば、A級犯罪者が指揮をとって大掛かりな事件を起こすこともある……国王軍の仕事の四割くらいはオズマンドが絡むんじゃないかしら。
かなり手強い奴もメンバーだったりするから無視できないんだけど……国王軍が今一番警戒してる相手はアフューカス。ついこの間首都を陥落させようとしたし、S級犯罪者がちらほらと姿を見せてるし……正直そっちと比べると格が違う――って、お姉ちゃんがため息ついてたのを覚えてる。
それに何でか知らないけど、最近はオズマンド絡みの事件がそんなに起きてなかったのよね……
「また面倒な連中ねん。もしかしてこの鎧ちゃんも名のある犯罪者の一人だったのかしらん。」
スプレンデスがパチンと指を鳴らすと……一瞬首がとんだのかと思ったんだけど、鎧の奴のヘルムの部分がポーンと外れた。
「――! これはひどい……闇魔法ですね。」
遠めだったからハッキリとは見えなかったけど、ヘルムの下の素顔が……あ、明らかに人間じゃないってことはわかった。色とか形が、人間の頭っていうか顔と全然違う。
「呪いねん……そこらの一般人を捕まえて強制的に戦わせたってところかしらん。残念だけど、ここまでなったら《ジューン》でも治せないわねん。」
「……しかし、もしも何の訓練も積んでいない一般人をこのような状態にしたというのであれば、この魔法をかけた者は恐ろしい使い手ですね。つい先ほど、城門から何者かに門を突破されたという連絡を受けましたが……ほんの数分前の出来事ですから。」
「あらん、こいつ魔法で送り込まれたとかじゃないのねん? じゃあなぁに? こいつここまで走って来たってことん?」
「未登録の者――ましてや外部からの侵入者が移動用の位置魔法を使えるわけはありませんからね。この者は訓練場の一番奥にあるこの場所まで、距離にして数十キロを数分で走破したわけです。そんな事を一般人にやらせる――いえ、できるようにしてしまう呪いとなると相当なモノです。」
「お姉さんたちで言ったらセラームか、あるいは十二騎士。悪党で言うなら、S級って可能性もあるかもねん。」
「予定とは違ったが目的のモノは得る事ができた。これであそこにも入る事ができるだろう。」
王宮からそれほど離れていない場所にある喫茶店で一人、コーヒーを飲んでいたメガネの男がぼそりと独り言を呟いた。平均的な体格に普通の格好――目撃証言をとったとしても印象が薄すぎて誰の目にも止まらないであろうその男は伝票を持ってレジに行き、会計を済ませて店の外に出た。
これ以上特に用事もないメガネの男は、街の出口の方へと身体を向ける。するとその進行方向に一人の学生が立って――いや、立ち塞がっていた。
「……? すまないが、道をあけてもらっても?」
「断る。人間の悪党が人間に何をしようと私にはどうでもよい事だが、それが我が国の未来の王とあっては話は別。まして、姫様がいるというのによりにもよって彼から血液を奪うなど。」
着ている制服はセイリオス学院のモノ。加えて言えばネクタイの色からして一年生。であれば今は国王軍の訓練場にいるはずの青年だが、しかしその青年は喫茶店の前でメガネの男を冷たくにらんでいた。
メガネの男は少し首をかしげたが、自分の目に写っている青年の姿が偽りのモノである事に気づいた。
「……これはまた、随分と腕のいい魔法使いに幻術をかけてもらったようだ。自分が一目で見抜けないとは……しかしこれはまずい。この感覚……よもや魔人族と相対してしまうとは。しかも察するに相当な手練れ……やれやれだ。」
「そっちも悪党としての格はだいぶ高いようだな。普通なら目的諸々聞き出すところだが、おそらく何をしても口を割らないタイプだろう。であれば、お前は死ぬしかないな。」
「学生の見た目で恐ろしく殺気のない殺意を口にするものだ。しかし事実、人外相手に自分の幻術が通用するか怪しいモノであるし、戦闘力に至ってはストックを全て消費してもそちらには届かないだろう。加えて人間がいくら死のうがどうでもいいとあってはそういう攻め方も効果はない。ああ、自分一人では死ぬしかないだろう。」
「……その割にはペラペラと。人間は死ぬ間際によくしゃべると聞くが、なるほど。」
「……しゃべりついでに聞きたいのだが、どうやって自分の居場所を? 呪いをかけた者が誰でどこにいるかという事はわからないようにしたのだが。」
「無理やり魔法を使っている人間には見えないものが、私たち魔人族や魔法生物には見えているだけのこと。」
「それは……頭隠してなんとやらだな。随分マヌケな話だ。大ポカをやらかした悪党はさっさと退散するに限る。ということでここは悪魔の手を借りて逃げの一手としよう。何を持っていかれるかわからないからあまり使いたくないのだが……ここまで近づかれてしまうと普通に魔法を使うには時間が足りないだろうからな――仕方があるまい。」
「私が逃がすとでも思っているのか?」
「なに、かける時間は刹那だとも。」
直後起きた事は、時間にすれば一秒にも満たない出来事だった。
外見が学生に見えるというだけで、人の形をした水の塊という容姿に変化はないその者は液状の腕をしならせて鞭のようにし、目にも止まらぬ速さの打撃を仕掛けた。
対してメガネの男は――歯を食いしばった。無論、攻撃に耐えるために気合を入れたわけではない。メガネの男の奥歯に仕込んであったある物のスイッチが入り、男は攻撃が届く前にその場から姿を消した。
「……追跡できない……マジックアイテムを使ったようだな。」
傍から見ると学生の手の平から水の触手が伸びているように見えるその者は、ため息を一つついて王宮の方へと身体を向けた。
「あの人間、最も怒らせてはいけないお方の怒りを買ってしまったな。」
第五章 男子会
マダムという通称で呼ばれる人物がこの世界にはそれなりにいることだろうが、悪党の世界においてマダムという呼称が指す人物は一人である。
元々はただの料理人だったのだが、彼女の料理にケチをつけた客を言葉通りの意味で料理してきた結果、彼女はS級犯罪者というラベルを張り付けられることになった。
それでもやはり料理人である彼女は、であるならば悪党相手の料理人になろうと決め、店を開いた。悪党でなければ入店できず、悪党でなければそもそも見つけられない彼女の店は世界中のあちらこちらに支店が広がる、悪党の間で最も有名なレストランとなった。
無論、そんな愉快な話を鵜呑みにできる悪党は少なく、昔は支店や本店で暴れる客もいた。しかしそういった客が一人残らず新作料理に変わる事から彼女の実力も着々と広がり、今や彼女の店で騒ぎを起こす悪党は一人もいない。
いや、いなかった。
「良かったでさぁ、あっしの顔を立ててくれて。でなきゃ今頃久しぶりのS級同士の殺し合いだったでさぁ。」
「自分に級はついていない。」
「それはそうっすけど……いや、むしろ久しぶりにマダムの料理が見られたかも――ああ、ダメでさぁ、ザビクは痩せてて美味しそうじゃない……あー、でもそれを美味しく料理するのがマダムでさぁ。」
「食べた事のない身で言うのは間違っているとは思うが、自分には人間の美味しさはわからないな。こう言ってはなんだが気分の良いモノではない。」
「そりゃあただの同族意識でさぁ。牛も豚も鳥も魚も、血が巡って脳が考えて内臓がうねって骨がつっかえるんでさぁ。甲殻と外骨格の区別がつかないならエビもカナブンも同じだし、ひき肉にすれば人間だってハンバーグでさぁ。」
「なるほど……理解できない話ではないが……受け入れるには壁が高い。その辺りを理解し合って、バーナードと……そのマダムとやらは?」
「そんなところでさぁ。んで、あっしを呼びだしたのはなんでだったかさぁ?」
太った男とメガネの男がいるのはマダムのレストラン。先日とは異なる場所だが、中にいる客は相も変わらず悪人面。メガネの男はともかくとして、太った男はその外見から何者であるかはすぐにわかり、周りの悪人らはその悪名と強さを思い出して身体を震わせている。
「スピエルドルフの女王と? あの学生が? そりゃまたすごいでさぁ。でもどうやってその情報を? いくらザビクが指名手配されてなくてもあの学院には……」
「ランク戦の時にいくつか仕掛けをした。まぁ、たださすがにあの大魔法使いの学院。永続的に盗聴などができたら良かったのだが……バレにくい使い捨ての魔法しか仕掛けられず、もう何の情報も得られない。」
「充分でさぁ。連中が手に入ったら姉御も褒めてくれるでさぁ。」
「別に褒めてもらわなくていい。主様の悪道の手助けをできればそれで。」
そう言いながら、メガネの男は濃い赤色の液体の入った小瓶を取り出してテーブルの上に置いた。
「ははぁ、それであっしでさぁ。」
「ああ。手を貸してくれ、バーナード。」
「構わないでさぁ。ただ、悪党が無償でっていうのは無い話でさぁ?」
「わかっている。」
メガネの男は先ほどの小瓶よりも大きな瓶を取り出した。そこには生肉の塊か、何かの内臓か、生物的な何かが入っていた。それを受け取った太った男は、瓶のふたをあけて匂いをかぐ。
「んん、上物でさぁ。オッケーでさぁ。」
「それはよかった。」
淡々とした雰囲気と口調だったメガネの男が一瞬だけほっとした顔になったのを見た太った男は、ふとメガネの男の口を指差した。
「ところで、何を持っていかれたんでさぁ?」
「……よくわかったな。」
「奥歯に仕込みなんて、捕まる気満々の捕虜かよって姉御は笑ってたっすけど、あっしはそういうの好きなんでさぁ。でもって今日のザビクは前のザビクと飯の食い方がちょっと違ったでさぁ。うっかりスイッチを押さないように奥歯をかばう感じじゃなくなってるでさぁ。」
「流石だな。自分としては使いたくない保険だったのだが、やむを得ずな。」
「『バッドディール』――なんでも願いを叶えてくれる代わりに何かを奪われるマジックアイテム。大抵はそいつにとって最も大事なモノだって話でさぁ。ザビクは何を?」
「さてな……何を奪われたのかわからないのだ。てっきり両目くらいは持っていかれると思ったのだがな。」
「へぇ、楽しみっすね。」
その後しばらく、内容はともかく外見的には一般人と変わらない会話をし、メガネの男はテーブルに代金を置いて太った男より先にレストランを出て行った。一人残った太った男は、デザートとして注文した冗談のような大きさのパフェをつついている。
「なんという顔でパフェを食べるんだお前は。」
どこから現れたのか、さっきまでメガネの男が座っていた場所に白衣の老人が腰かけていた。
「……どうして教えてやらなかったんだ? 奪われたモノ。」
「言っても戻らないなら、もう無理でさぁ。それに、あっしは悪党でさぁ。」
その口と比較するとつまようじのように見えてくるスプーンをクリームに刺しながら、太った男は独り言のようにつぶやく。
「今のあっしはこの前の件で七人の中で一番下になってるでさぁ。姉御に使ってもらえるようにするには、正義なら努力を重ねるところを、悪党であるなら他者を蹴落とすもんでさぁ。」
「そこはワレも同感だが……しかしうまくいけば連中が手に入るチャンスだぞ?」
「マルフィはともかく、平民や正義はいらないと思うんす。むしろ――」
パフェのクリームや先ほどまで食べていた肉料理の油、加えて自分の唾液がまとわりついた唇を下品な音をたてて舐めながら、太った男はにやついた。
「どんな味がするのか、それくらいしか興味がないんでさぁ。」
凶悪な――醜悪な笑みを浮かべる太った男を目の前に、老人はヒュウと口笛を鳴らす。
「ヒメサマが喜びそうな悪い面しおって。」
そう言う老人もかなり悪い顔でくくくと笑う。
「しかし奪われるとは妙な表現だな。マナではない何かを代償にするマジックアイテムは珍しくないが、そのほとんどが失うではなく奪われるという表現で伝わっている事が不思議だ。噂では三人の王が奪っているとも言われているが――さて?」
「そういえばっすけど最近、世界中にある凶悪なマジックアイテムが誰かに回収されてるって話でさぁ。」
「誰かって……アルハグーエだろう?」
「そうなんすか?」
「フードかぶった細身で二メートルの長身……しかもその凶悪なマジックアイテムを使ってた凶悪な連中を黙らせる事ができる奴なんぞあいつしかいないだろう。目的はわからないが。」
「なんにしても姉御の為だと思うっすけど……もしかして、さっきの奪われるって話、奪ってるのは全部姉御なんじゃないんすか?」
「……納得できるところがすごいところだな。」
目が覚めると、オレは自分のベッドに横たわっていた。妙に息がしづらいと思ったら鼻の穴にティッシュが詰め込まれていて――
「ああああああっ!」
――思い出した。色んな事が起きた気がするけど、中でもトップクラスにヤバイのがあ――
「起きたわね。」
すとーんと耳に入って来たのはルームメイトの声。ハッとして顔をあげると正面のベッドの上、壁に寄りかかって枕を抱いているエリルがいた。
「あ! えっと! あの!」
「あの後の事話すわね。」
オレはもうてんてこ舞いなんだけどエリルは……なんだろう、いつも通りのムスッとした顔で淡々と話し始めた。
「鎧の奴はあんたの妹がボコボコにして、色々聞くために国王軍が連れてったわ。社会科見学はもともとあれで終わりの予定だったからそのままあたしたちは学院に戻ってきた。ちなみにあんたを背負って来たのはアレキサンダー。」
「そ、そうか……あとでアレクにはお礼を……て、ていうかなんでパムが……」
「あんたが気絶したのを鎧の奴のせいって思ったのよ。そんなこんなであんたをベッドに放り込んで今になったわけ。ちょうど夜ご飯の時間ってところね。」
「う、うん……外も暗いし……」
え、えぇっと……オレがここに寝てる理由はわかった。わかったけどたぶんそれよりも先にオレは……そ、そう、謝らなければいけないわけで――いやはずだ!
「あ、あの……エ、エリル、その、そそ、その節は大変申し訳――」
「別にいいわよ。」
「そう――えぇ?」
「あんたは鎧の奴のせいでこっちに来ちゃったわけだし、その後だって鎧の奴からあたし――たちを助けようとしたんでしょ。」
「そ、そうだけど……で、でもやっぱり……ごめんなさい……」
「だからいいわよ。」
お、おお……なんだかエリルがすごく大人に見える……いや、別に普段が子供ってわけじゃないけど――
「で?」
「……う、うん?」
急に……いや、口調も雰囲気も変わらずいつも通りのエリルなんだけど、一言――というか一文字そう言った。
「で?」
「え、はい、な、何がでしょうか。」
「あんたは一体、どこまで見てどこまで覚えてるのよ。」
「びょっ!? い、いやそれはほらでもやっぱりタオルがあって色々と見えてはいたような気がしたけどさすがタオルで見えてなくて――」
次々に――ああ、こういうのをフラッシュバックと言うのだろうか。あの時の光景……とついでに色んな感触が一気に頭の中を駆け巡り始める。それは目の前のエリルに重なり、あの時のエリルの色っぽさと来たらそりゃぁもう……
じゃ、じゃなくて――ここはハッキリとさせなければいけない事だ……いつもなら顔を真っ赤にするエリルがこんなにもクールに聞いているのだから、オレも正直に……!
「ほとんど全部見えて、ほぼ覚えていまがぁっ!」
殴られた。
「ロイくん、式はどこで挙げる?」
過去最高の威力で殴られたオレと殴ったエリルが学食に行くといつものみんなが――えぇ?
「え、何の話?」
「結婚式だよ?」
「え、何の話!?」
「だぁってロイくんてば、ボクのあれとかそれとか見たし触ったでしょー? これはもう結婚するしかないもん。」
「な、なにを言っているのだリリーくん! だいたいそうであるならわたしだって――」
「あ、あたしも……」
「あたしも――って全員そうだからそうなっちゃうよねー。」
エ、エリルはともかくみんなはいつも通りっぽいな……と、とは言え、まずはやはりごめんなさいを……
「……」
座っているみんなを見る。すると途端にあの光景が――
「あああぁ……」
「リョイくん!? そ、そんなあからさまに思い出しちゃダダ、ダメなんだからね!」
「い、いけないのだぞ、感心しないのだぞ、スケベロイドくんめ! とりあえず忘れてしばらくしてからちょっとだけ――わわ、わたしだけとかを思い出したり――するのもダ、ダメかもしれないのだぞ!」
「ふぁあ……ロ、ロイドくんのえっち……」
「ちょ、ちょっと待って待ってなんでそんなバカ正直に……あぁん、もぅー……」
「こういうのをカオスと表現するのだろうな。」
「冷静にコメントするお前が、ある意味カオスだと思うぞ。」
頭の中が桃色だか肌色だかになったところでカラードとアレクがやってきた。
「ふ、二人とも無事だったんだな。あとアレクありがとう。運んでくれたんだろ?」
「あの《オウガスト》の弟子にしちゃ軽かったな。」
カラードが言うカオスがおさまり、ついでにオレのフラッシュバックも落ち着き、みんなはそれぞれの夕飯を口に運び始める。
「女湯へ突撃した事はさておき、今日の社会科見学は……少し不謹慎かもしれないが予期せぬ事件のおかげでより有意義なモノとなった。ロイドの妹さんは強いのだな。」
「お兄ちゃんは複雑な気分だけど。」
「む? ロイドくんはパムくんが絡むと自分をお兄ちゃんと呼ぶのか?」
「あー……そうですね……」
「ほー。」
「なんですかその顔は……」
「いやいや何も? 妹に甘いお兄ちゃんというかなんというか……いや、実際どうなのだ? パムくんはロイドくんにべったりだがロイドくんは?」
「どうって言われても……昔は可愛い妹ってだけだったのに、今はそこに……えっと最年少でセラームとか天才とかで兄を遥かに超える妹かな……」
「厄介な小姑だよね。パムちゃんに弱点ないの? 弱み的なの。」
「うわ、黒いねー商人ちゃん。でも大事かもねー。どうなのー?」
「パ、パムちゃんの弱点って……ロ、ロイドくんなんじゃないのかな……」
「それはそうだろうが、もっと違う方向の弱点でもあればな。」
「……嫌いな食べ物とかあるんじゃないの……?」
「エリルまで……そろって人の妹の弱点を探らないで下さい……でもまぁ、強いて言えば一個だけあるかな。」
「天才騎士の弱点、おれも気になるな。」
「ああ。あの強さを目の当たりにしちまったからな。」
全員がオレの次の言葉を待っている。
いや、そんなに真剣な顔になるようなことじゃないんだけどなぁ……
「パムは暗いのが苦手だよ。寝る時も小さな明かりがないと眠れない。泳げるようになってたりしたけどこれだけは変わってなかったよ。」
「……どうでもいい弱点ね。」
「オレにとってはそこそこな問題だよ……おかげで夏休みの間はずっといっしょの布団だったし。」
「は!? い、今のがどうしてそういう話になんのよ!」
「いや、オレといっしょだと明かりがなくても大丈夫なんだよ。電気とかろうそくを使わなくて済むーって言ってオレを布団に引きずり込むんだ、パムは。」
「な、なんだそれは! そんなうらやま――実の妹と何をしているのだ何を!」
「寝てるだけですよ!?」
「やぁ、随分とにぎやかだね。」
夕飯時の学食だからそこそこ騒がしくて、だからオレたちの騒ぎもすんなりと掻き消えてしまう中、ふらりとやってきたのはオレのお風呂友達――デルフさんだった。
「デルフさん、どうしたんですか? あ、もしかしてうるさかったとか……」
「いや、大丈夫だよ。ここ、座っていいかな?」
そう言ってデルフさんが指差したのはテーブルの端……場所的にはお誕生日席だけど、学食のテーブルではその場所に椅子は無い――と思いきや、なんとデルフさんは椅子を持参していた。
「ふー、どっこいしょ。さてさて本題の前に世間話だけど……プルメリアくんから用紙は受け取ったかな?」
プルメリア……ああ、あのビン底メガネの人か。
「あ、はい。部活申請のですよね。」
「? おや、それだけしかもらっていないかい? いっしょに生徒会選挙への立候補用紙も渡しておいたのだが……プルメリアくんはドジっ子だったかな?」
「会計をドジっ子とか言わないで下さい。」
そう言ったのは――デルフさんに隠れて見えなかったんだけど、後ろにいた生徒会副会長のレイテッドさんだった。
「そうかな? 彼女、興味のない事には一切の注意を払わな――ん? となると僕が頼んだおつかいにまったく興味がなかったって事になるのかな? おや、もしかして僕はプルメリアくんに嫌われている?」
「スキあらば会長の脚に抱き付く女子生徒を相手にとんだ勘違いですね。」
なんだか楽しそうな生徒会風景を垣間見た気がするけど……脚?
「そうかい? まぁともあれ、渡っていないのなら再度お誘いするのだけど、あと大きなイベントを二つほどこなせば生徒会選挙だ。もうちょっと時間があるけど、早いにこしたことは無いからね。」
「は、はぁ……」
「ふふふ、それじゃあ本題に入ろうかな。一年生が社会科見学で事件に遭遇した話は聞いたし、国王軍がその後の処理を請け負ったなら問題はないだろう。あるとすれば――いや、実際にちょっと問題になっているのはサードニクスくんたちなのだ。」
「問題? え、オレたちが?」
「うん、正確にはサードニクスくん、レオノチスくん、ビッグスバイトくんの三名だけどね。そうだろう、レイテッドくん。」
デルフさんがそう言うと、背後のレイテッドさんがすぅっと顔を出した。そしてオレとカラードとアレクに目をやり、そして自分の鼻をつまみ――
「くさいです。」
と言っ――えぇ!?
「そ、そうですか!? エリル、オレくさいのか!?」
「別にそうは思わないけど……」
「むむ。もしかして汗臭い感じか? ただでさえ、女湯突撃のせいで女子から微妙な視線を受けているというのに、とんでもない追い打ちだ。アレク、おれはくさいか?」
「なんだ、とりあえずルームメイトに聞くものなのか、それは?」
「あはは、心配しなくていいよ。今のはレイテッドくんの感覚ではという意味合いだからね。」
「どういう……」
オレが顔を向けると、レイテッドさんは苦い顔でこう言った。
「嫌な――いえ、最悪の闇魔法の気配が三人からするのです。」
「最悪? 闇魔法って……えぇ? オレ、第六系統はからっきしなんだけどなぁ。」
「そうじゃありません。その魔法の近くにいたせいでにおいが移った……そんな感じです。」
闇魔法の近くに? 社会科見学でそんな機会は……
「む、そういえば父さんがあの鎧の奴を見た時に闇魔法の呪いがかかっていると言っていたな。そのせいではないか?」
「呪い……なるほど。例の事件、ざっとした話しか聞いていませんでしたが、そういうことでしたか……ひどい話……」
レイテッドさんが、そのキリッとした顔に嫌悪感をいっぱいに広げる。そして――
「さすが犯罪者というところだね。」
ゾクッとした。デルフさんがそう呟くのと同時に、物凄い殺気というか敵意というか、そういうものが――ほんの一瞬オレたちを包んだのだ。
「一年生だとまだ教わってはいないだろうけど、有名な話だから小耳に挟んだことはあるかもしれないね。一つ、お勉強といこうか。」
コロッといつもの柔らかい笑顔に戻ったデルフさんは、突然魔法講座を始めた。
「第六系統の闇魔法。別名重さの魔法。実はこの系統、他の系統にはない特徴があるんだけど、知っているかな?」
「……マナでなくてもいい、でしょ。」
ボソッとエリルがそう言った。なんだ、マナでなくていいって。
「その通りだけどちょっと表現が違うかな。正確に言えば、マナから作った魔力が二番目に効率が良いというだけで、この世の全てを魔法の代償として扱う事ができるのだよ。」
「えぇ!? な、なんでもですか!?」
「なんでも。きちんとした手順を踏みさえすれば、今サードニクスくんが握っているスプーンでもオッケーさ。」
「それは便利――なんですか? まだオレ、マナが切れたとかの経験がなくて……」
「お互いが強力な魔法を撃ち合うハイレベルな戦闘になると、そういう事はよくあるそうだよ。」
「なるほど、そういう時に……いいですね、第六系統。」
「ふふふ、期待を裏切って申し訳ないけど、これがそうでもないのだよ。例えばそのスプーンを代償にしたら……そうだね、一握りの黒い霧がほんの一瞬生み出せるくらいかな。」
「? えぇっとつまり……効率が良くないって事ですか?」
「その通り。第六系統でも簡単な部類に入る使い魔の召喚をしようと思ったら、果たしてスプーンは何千本必要なのやら。」
「そんなに……じゃあやっぱり魔力が一番――あれ? でもさっきデルフさん、魔力は二番目って……」
「そう、重要なのはそこでね。第六系統の魔法はあるモノを代償にした時に限り、魔力を使う場合よりも大きな力が得られるのだ。」
「おお! なんですかそれ。」
「生命力だよ。」
「せい――生命力?」
「生きる為の力、命が命である為の力だね。」
「……なんだかそれ、代償にしてはいけないモノなんじゃ……」
「時間経過で回復するから、消費する量さえ間違えなければいいのだけど……でも、ほんの少し使うだけで身体に大きな影響が出る。体力は勿論、気力や精神力、筋肉に内臓に脳に五感、身体のありとあらゆる器官の能力が低下するのだよ。」
「そ、それだけ大切な力って事ですよね……じゃ、じゃあもしも使う量を間違えたら――」
「強力な魔法を使い過ぎた場合と同じ、その者は死に至る。」
「やっぱりそうですか……で、でもデルフさん。そこが同じなら……えっと、これって第六系統における最悪? の魔法の話なんですよね……? 普通の魔法と変わらないような……」
「決定的に違う部分があるのだ。魔力は魔眼でもないと貯めておけないが、生命力は生き物がそこにいるなら常にそこにある。」
「えぇっと……」
そこでハッとした。魔法は基本的に自分の体内で地産地消みたいなモノ。魔力は作ったらすぐに使うから、作る人と使う人が必ず同じだ。対して、生命力の場合は……
「……まさか生命力って……奪えるんですか……? 他人から……」
「そうだ。」
「奪われ尽くしたら……」
「死んでしまうね。」
なんてことだ。つまり第六系統の闇魔法は他人――いや、自分以外の生物の命を燃料にして魔法が使えてしまう……しかも通常よりも威力が大きくなるという事は……
「魔法を使う際の疲労は変わらずにある。だけどこの話は最終的に、他の生き物の命を何とも思わないなら強力な力を得る事ができる――という邪道につながるのだよ。」
デルフさんの少しトーンの低い口調も相まって若干沈んだ空気になった中を、レイテッドさんの事務的な補足が加わる。
「生まれた時から魔法を使う魔法生物。そして、長い研究の末に魔法を無理やり使えるようになった私たち人間。この二つの生物の生命力が最も効率よく力を得られますが……人間は人間の生命力しか制御できません。魔法生物の生命力を奪うと、全く種族の異なる生き物の血液を輸血されたかのような状態になりますから。」
「人間は人間の……も、勿論こんなこと、騎士の間では禁止されている――んですよね?」
「細かく言いますと、自分自身の生命力を使う事は特に禁止されていません。魔法と同じで、使い過ぎると死につながるという事を自覚していれば、あとは自己責任です。ですが他人の生命力を奪う事に関しては話が別です。場合によっては窮地を脱する力ともなり得る為、奪われる者が了承したという記録をしっかりと残しさえすれば許可されますが、奪う者の一方的な搾取の場合は重罪と見なされ――時に死刑となる事もあります。」
「死刑……」
「当然でしょう。仮に死ななかったとしても深刻な後遺症が残る事もありますから。故に、基本的には禁術扱い。そしてこの行為を平然と行う悪党には即座にA級などの上位犯罪者の認定が下り、腕の良い騎士が対処する事になるわけです。」
死刑……こんなに重たい言葉が魔法の世界に登場するとは思っていなかった。魔法は便利な力だけど悪い事にも使えてしまう――それくらい認識だったけど、魔法の内容以前に魔法を使うだけで罪となるような……他人の命に関わってしまうような術があったとは……
なんだろう……少し、怖くなった。
「……さて、ここでようやく話が初めに戻るわけだけど……つまり、国王軍の訓練場に現れた鎧の人物にかけられていたという呪いの魔法はこの禁術――他者の命を消費して行われた魔法というわけだ。」
「そして、そんな最悪な魔法のにおいがあなたたちについているという話です。他の系統はわかりませんが、第六系統を得意な系統とする者には非常に不快なにおいなのです。」
「……素朴な疑問ですけど、生命力を使うとどうしてそんなにおいになるのでしょうか?」
デルフさんの話を静かに聞いていたローゼルさんが優等生モードで――ちょ、ちょっとドキッとしたのだが、オレの方に顔を近づけてクンクンし、やっぱりわからないという顔で首をかしげながらそう言った。
「先ほども言いましたが、正確にはにおいというよりも気配。生命力が消費されて生まれた魔法ですから、その気配はどうして死を連想させるのです。グッと、心臓を握られるような……そんな感覚ですね。」
「納得の理由ですね。それで、そのにおい――気配はどのようにして除去するのですか?」
「反対の属性の系統で中和――要するに会長がここにいるのはそういう理由です。」
「ふふふ、さぁ三人共、手を出してくれないかな。甲を上にしてね。」
手の甲に……んまぁ、インクとかがないからどんな模様かはわからないのだが、指で何かの印を描きながら魔力を込めていくデルフさん。
「みんななら心配はいらないと思うけど一応言っておくとね、今の第六系統の話を聞くと闇魔法の使い手を嫌ってしまう人もいるのだよ。」
……わからないでもない。どういう方法でそれをするのかはわからないけど、第六系統の使い手は他者の生命力を奪えるわけだから。
「確かに、第六系統の使い手で悪党の場合、その者はかなりの確率で他人の生命力を使ってくる。しかしそれだけで全ての使い手を色眼鏡で見ないで欲しい。」
チラリと――本当に一瞬、自分の後ろに立っているレイテッドさんを見たデルフさんは、しかし直後意地の悪い顔になった。
「まー、逆にその事を利用して他人と壁を作っていた人もいたけれど。ねぇ、レイテッドくん。」
「か、会長……!」
「系統による偏見か。それならおれにも覚えがあるぞ。」
会長がロイドと強化コンビに魔法をかけて副会長に引っ張られて帰った後、ごはんを食べながらカラードがそんな事を言った。
「知っての通り、第一系統の強化の魔法は最も簡単な魔法として知られている。だからそれが得意な系統でもあまり意味がない――というような事をよく言われたものだ。」
「えぇ……金ぴかカラードを見てから言って欲しいセリフだな……アレクも言われたことが?」
きっとランク戦の激闘を思い出して「いやいやいや」って顔をしたロイドがアレキサンダーに顔を向ける。
「似たようなもんだ。だがまぁ、俺は今の《ジャニアリ》に憧れて騎士を目指したからな……自分の得意な系統が第一系統だと知って嬉しく思ったもんだ。」
「おれも、自分の得意な系統がおれという人間に合っていると感じている。然るべくという事なのかもしれないが、しかし少なくとも今日、そのおかげで学友を守る事ができた。」
「そうだ、そういえばそれのお礼を言ってなかった。ありがとう、二人とも。」
ぺこりと頭を下げるロイド。
「? どういうことよ。」
「いや、あの鎧の奴が男湯に来た時さ、二人がオレの前に立ってくれたんだよ。」
「あの鎧、男湯に来るや否や、真っすぐにおれたち――いや、ロイドの方に向かって来たからな。ああいうとっさの状況の場合、簡単故に発動が早い強化魔法が役に立つ。」
「ロイドの風魔法が早いのは知ってるが、風呂に使ってのんびりしてる状態からとなると、まだまだ俺らの強化の方が早い。おかげで俺とカラードは壁を突き破って女湯に吹っ飛ばされたわけだが。」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ……あの鎧、あんたを狙って……?」
ちょっと……ひやっとする意味でドキッとしたあたしは思わすロイドの方を向いた。
「ふむ。全ての騎士がお風呂場にいたわけでもなかったあの時、真っすぐにお風呂場にやってきて真っすぐにロイドくんに攻撃したというなら……間違いはないだろうな。」
冷静に分析しながら深刻な顔になるローゼルに対し、カラードは笑った。
「はっはっは、《オウガスト》の弟子だったり、こうしてお姫様とも親しかったり、魔人族ともつながりがあったり、こういうのもなんだがロイドが悪党に狙われる理由はそこそこありそうだ。」
冗談のようにカラードはそう言ったけど……あたしたちはその「悪党」に心当たりがある。
「……」
あたしがロイドの目を見ると、ロイドはこくりと頷いてカラードとアレキサンダー、そしてそう言えば何も話してなかったアンジュの方を見た。
「みんなに話があるんだ。」
ちょっと長い話をして、全員がごはんを食べ終わった頃、ロイドが『世界の悪』のアフューカスっていうのに狙われてるっていう事実にどんな反応が来るのかと思ってたら……三人共特に変わらない表情だった。
「……巻き込まれるかもしれねーぞって話だったのかもしれないが、あいにく俺はそういう逆境でこそ強くなれると思ってるからな。今はそこのスナイパーに負けてCランクだが、俺はまだまだ強くなるぞ?」
「ひ。」
「こら、わたしのルームメイトにガンをとばすな。」
アレキサンダーは見た目通りの筋肉バカだったらしく、下手すればS級犯罪者に狙われるっていう状況にニヤリとした。
「正義が悪に遭遇するのに「タイミング」なんてモノを求めてはいけないさ。存在しているのなら必ず戦わなければならないその悪に今、出会う可能性が高くなったというだけの事。おれの正義に退くなどという選択肢はないのだ。」
見た目通りっていうか言動通りに正義バカのカラードもふふんと笑った。
「まー、ちょっと怖いけどさー。それで諦められるほどあたしが好きになった男の子の魅力はちっちゃくないんだよねー。」
「!! そ、そーですか……」
ロイドを色っぽく見つめるアンジュ……
「てゆーかさ、アフューカスって確か女なんだよねー? ロイド、どこかで惚れさせちゃったんじゃないのー?」
「えぇ!?」
「おお! 悪の道を行く者を愛で更生させるのか! それはかっこいいぞ、ロイド!」
「いやいや何言ってんだ! そ、そんな大悪党に会った――のかもしれないのか……で、でもあの一年間はスピエルドルフにいたはずだからなぁ……」
「まぁロイドくんはそういう感情に鈍いからな。」
「そうだね。ロイくんてば、ボクの二年間の想いにも気が付かなかったんだから。」
「そ、それはだって、リリーちゃんはいつもぐるぐる巻きで顔が見えなかったし……」
「そーだけど……あ、でも顔を見せてたらロイくんの方からボクに恋しちゃ――ってたかもしれないんだ!! そうしてればボクとロイくんはもっと早くラブラブになってたかもしれなかったんだ!!」
今更な事に今更気づいて愕然とするリリー。それに対して、ロイドはその「もしも」について真面目に考える。
「そうだね……旅してた頃ってフィリウスとぐるぐるリリーちゃんしか「いつも見る顔」っていなかったし……リリーちゃん可愛いし……」
「可愛い!? やん、ロイくんてばもーもー! 特にどの辺が可愛いの?」
すっとぼけロイドのバカ正直なコメントでぱぁっと明るくなるリリーの質問に、ロイドはちょっと照れながら答えた。
「げ、元気なところとかくりくりした目とか……です、はい……」
「くりくり? なるほど、トラピッチェさんのようなパッチリとした丸い目をそう呼ぶのだな。」
そして、そんなバカ正直なロイドにバカ正直な感想を呟くカラード。
「ではロイド、クォーツさんの目はどう表現するのだ?」
「えぇ? エリルは大抵ムスッとしてるからムスッとしてる目――ちょっと怒ってるっていうか不機嫌っていうか……そんな感じ。見慣れてくるとすねてる風に見えてかわいい。」
「リシアンサスさんは?」
「ローゼルさんは美人さんの目だな。キリッとしてて……えぇっと、切れ目っていう程じゃないんだけど……そ、そんな感じかな。流し目とかされるとドキッとするな。」
「ふむ……マリーゴールドさんは?」
「ティアナはいつも不安そうっていうか困ってるっていうか……こう、守ってあげたくなる視線を送ってくる目だ。じっと見つめられるとヤバイ。」
「カンパニュラさんは?」
「アンジュは余裕のある目っていうか……大抵半目? こっちのこころのやましいところを見透かされるような感覚があるな。同時にちょっとした色っぽさもある。」
「ちなみにおれとアレクは?」
「カラードはいつも自信に満ちた目をしてる。任せろと言われたら任せたくなる感じ。アレクは見下ろす目だな。」
「ちょっと待て、なんだ俺だけ物理的な目線なんだ。」
アレキサンダーのツッコミにあははと笑うロイドは、そこでようやく……あたしたちの存在を思い出した。
「びゃ!? あ、そ、そうだここに全員いるんじゃないか! ちょ、何を恥ずかしい事言わせるんだカラード!」
「はっはっは。ロイドはそのとぼけたというか間の抜けた目の通りだな!」
「バカにしてないか!?」
ロイドの、こういういきなりくる……褒め言葉的なのには全然慣れなくて、あたしたち女子勢は顔を赤くしてた。
……ていうか、カラードってロイド以上の強者ね……
「はぁ?」
もう来る事はないだろうし頼まれたって来ないと思ってた懐かしい一室に、しかし意外な事に生徒を引率してた教師として座っていると……いやいや、んなこと一教師に教えちゃまずいんじゃないかっつー情報が軽く出てきたのを見て、やっぱり私は元国王軍指導教官としてここにいる事になってるんだって事に気が付いた。
「王宮の防御魔法を突き破って数十キロを走破して風呂場に突っ込んできた鎧の奴の中身が?」
「ピエール・ムイレーフ。間違いないそうです。」
「教官、風呂場に突っ込むのなんざ若い男なら誰にでもできるぞ?」
リシアンサス――あー、この場合は父親の方のリシアンサスが手元の資料を暗い顔で眺めながら答えたのにどうでもいいツッコミを入れたのは筋肉ダルマ。
「ついで――と言うと不謹慎ではありますが、ムイレーフ家の人間は現在、その全員が行方不明です。家はもぬけのからでした。」
「ムイレーフ家の跡継ぎであるところのピエール・ムイレーフが武術や魔法の訓練をしているわけはありませんから、完全な素人に魔法の力であれほどの力を与えたという事。それほどの使い手が訪問してもぬけのからと言うのなら、残念ながら全員亡くなっているか、生命力のストックとしてどこかに監禁されているでしょうね。」
リシアンサスの報告を受けて、普段よりも厳しい顔つきと冷たい口調でそう言ったのはセルヴィア。長い付き合いの身として補足すると、セルヴィアはその場に自分よりも上だと思う相手――ようするに尊敬する相手がいると敬語になる。
だから、私と会話する時も敬語なのが違和感だらけでやめるように言ってるんだが聞いてくれない。
ちなみに、ムイレーフの家のモンが訓練してるわけないってのは常識みたいな認識だ。貴族にはただの金持ちボンボンと政治的手腕を振るう実力派っていう二種類があって、ムイレーフ家は前者の頂点だ。
「すると、いつの間にか七大貴族は六大貴族になっていたというわけですか。」
この部屋で一番興味なさそうな顔でそう呟いたのはウィステリア――つまりはパム・サードニクス。あの鎧を倒した騎士って事でここにいるのだが、今のセリフからもわかるように、こいつは貴族とか王族とかそういうお偉いさん的な存在にまるで興味がない。
人生の始まりを兄との楽しい時間で満たし、途中を兄をよみがえらせる為の修行に費やし、今を実は生きていた兄と幸せに過ごすために生きている。私から見て、年齢に不釣り合いな恐ろしい実力者なんだが、根本がこんなんだから騎士としてはなかなか出世しないだろうって感じだな。
『人間の世界の貴族とはそんなに無能なモノを意味する言葉なのですか?』
痛いところを突いてきた私の斜め後ろに立ってる奴はフルトブラント。本来、他国の軍の指導者みたいな重要なポストの奴がこの場所にいるのは相当ヤバイはずなんだが、今回の事件の黒幕に唯一気づいてくれたって事でここにいる。本人曰く、別に人間の国で人間がどうなろうとどうでもいいんだが、未来のスピエルドルフの王に関わる事態だから協力は惜しまないって事で黒幕の情報提供の為にここにいる。
無論、今は本来の姿で立ってる。
……で、この部屋でたぶん、一番真面目な顔で席に座ってる奴がこの集まりの司会だ。
「由々しき事態だ。私たちはこの件を重く受け止めなくてはならない。」
長さで言うとショートカットくらいに伸ばしたきらめく金髪に端整な顔立ち。流し目で何人もの女を骨抜きにしてきた切れ目に収まる青い瞳。中肉中背と筋肉ダルマの間くらいのがっしりとした身体。別に会議なんだから着なくてもいいのにそういえばいつも着てる鏡みたいにピカピカの銀色甲冑。
騎士と言うと、私はレオノチスみたいな全身甲冑にランスって姿を思い浮かべるが、おそらくこの国に住む人間の大半は顔を出した甲冑姿に大剣一振りという姿を想像するだろう。そのイメージの元となってるこの男は上級――セラームのリーダー。
通称『光帝』――その名はアクロライト・アルジェント。
「王宮の警備が未熟であった事はこの際二の次。問題は歴史ある家の者が――十中八九殺害されてしまった事と、私たちの同士がそこに含まれている事。守るべき者を守れず、仲間も死なせて何が騎士だろうか。」
悔しそうな顔で拳を握るアルジェント。
今の《マーチ》がちょっと特殊だからそうなってないだけで、その実力は十二騎士クラスなわけだが……私からすると、真面目すぎるところが若干危うい感じでもある。
「まぁそう深く考えるなアルジェント。騎士が全員そこの筋肉ダルマやセルヴィアみたいな実力を持つってのは無理な話だし、対してそういうレベルに到達しちまってる悪党がいるのも事実。時と場所が組み合わされば、今回みたいな事も起こり得る。でもって起きちまったものはしょうがない。まずは今後について話をしよう。」
「はい……」
苦い顔をしていたアルジェントは自分の頬を両手でパチンと叩き、その顔をキリッとさせた。
「王宮に侵入した襲撃者が呪いによって操られたピエール・ムイレーフ殿と判明し、またそちらの魔人族の方のおかげで呪いをかけた術者の存在も明らかになった。だが……」
そう言いながらアルジェントが目線を移すと、リシアンサスが一枚の写真をテーブルに置いた。念写という魔法でフルトブラントが見た黒幕の顔を写したモノだ。
「残念ながら犯罪者のリストに該当する人物はいませんでした。一般人にあれほどの戦闘力を与える呪いを行えるとなれば悪党として相当な格の持ち主のはずなのですが……どの国にもこのような男の手配記録はありません。勿論、このような騎士がいた記録も。」
「面倒なパターンだな。」
やれやれという顔をする筋肉ダルマ。たまにいる、自分の悪事を完全完璧に隠ぺいして何食わぬ顔で外を歩く悪党……豪快なこいつには理解できない上にイライラするタイプだな。
「だが実力的にはS級でもおかしくない面倒なパターンの奴がこうして釣れたわけだから、大将のおとりとしての効果は抜群っつーのは冗談でもないがそんな怖い顔で睨むなよ妹ちゃん。」
物凄い顔で筋肉ダルマをにらんだウィステリアが、むしろその為にここにいるのだと言わんばかりに口を開く。
「夏休みの一件で兄さんが『世界の悪』ことアフューカスに狙われているらしいという事がわかりました。だけど学院にいる方が安全だし、騎士の側としてはどこにいるかもわからないS級犯罪者――アフューカスに従う七人の極悪人が兄さんを狙って現れるなら都合がいい。兄さんには指一本触れさせないから大丈夫――そう言いましたよね、《オウガスト》?」
「一応、今回は指一本触れられてないし、気絶したのは女湯で鼻血を噴いたからだぞ?」
「そういう問題ではありません!」
「だっはっは! そりゃそうだ!」
――と、大笑いした筋肉ダルマはスッと立ち上がってウィステリアの横まで移動し――
「すまなかった。」
土下座した。
「教官が引率する上に、場所が国王軍の訓練場というのならば安心だと思い込んだ。結果、賊を大将の目の前まで来させてしまい、実際に大将を守ったのは大将のダチ二人。弁解の余地なく、俺様が甘かった。」
……女好きで酒好きで、軍の規律は軽々と無視して豪放磊落に自分の道を進む奴だが筋は通す信頼できる男。そういう場面であれば土下座の一つもする――そうは思っていたが、実際に目にしたのは初めてだ。私もアルジェントもリシアンサスも目を丸くした。
まぁ、なぜかセルヴィアとフルトブラントは嬉しそう――いや、フルトブラントは表情がないからあれだが、そんな気がした。
「……《オウガスト》……いえ、フィリウス。あなたもしかして……」
厳しい顔をしていたウィステリアが……予想してなかった嬉しいモノを見つけたみたいな顔でそこまで言い、だがふっと首をふってフィリウスから視線をそらした。
「自覚があるなら結構です。」
「ああ。」
ゆっくりと立ち上がり、そして自分の席に戻ったフィリウスは私たちのビックリ顔を眺めながら何事もなかったように話を続けた。
「フルトの話じゃ、このメガネの男は大将の血液を奪っていったらしい。おそらく鼻血を採取されたっつー字面がまぬけな話だが、あれほどの第六系統の使い手に持っていかれたとなると深刻だ。《ジューン》にも確認したが、闇魔法で血液となると使い道は多い。次の何かをしてくる可能性は非常に高いわけだ。でもって今週末、大将は学院の外に出かける予定がある――んだろ?」
『ええ。』
答えたのはフルトブラント。フィリウスが親しそうに呼んでるって事は、前に行った時からの知り合いなんだろう。
『姫様の招待でロイド様とそのご学友の皆様はスピエルドルフにおこしになります。直通の魔法をつないでいるので移動は瞬く間。国内に入りますと学院の強固な防御――いえ、守護魔法は届かなくなりますが、私たちが安全を保障いたします。』
……防御を守護って言いなおしたあたり、こいつはあの学院にかかってる世界最高クラスの魔法に気づいてるな。
ま、それはいいとして……
「夜の魔法もあるし、どっちかっつーと学院よりも手を出しづらい場所に行くわけだが、相手はうちの訓練場に刺客を送り込んで来る奴だからなぁ……」
リシアンサスが机の上においた写真を手に取りながらの私の呟きに、フルトブラントがこくりと……たぶん頷きながら補足する。
『その上、そのメガネをつけた人間は私が魔人族だと知っても大して驚きませんでした。肝が据わっているという事であればそれまでですが、場合によってはロイド様とスピエルドルフの関係を知っているのかもしれません。その上でロイド様の血液を奪ったと考えた場合、仕掛けて来るタイミングはロイド様がこちらに来られるその時でしょう。』
「……っつーことは、今週末のそのお出かけにこのメガネが来る可能性は高いってわけか。」
来るとわかってる危機に生徒を近づけるというのは教師としてアレだが……こんな危険な奴を捕まえられる機会でもある――ってなことを同様に思ったんだろう、アルジェントがあごに手をそえてうなる。
「なるほど……ウィステリアには悪いですが、今まで表に出てこなかったこれほどの悪党を捕らえられる上に、アフューカスの情報を得られるチャンスにつながるかもしれないのであれば……危険は承知で、ウィステリアの兄には予定通りの週末を過ごしてもらいたいところ。勿論、護衛の騎士をつけて。」
「それは俺様がやる。」
……一応、十二騎士が一人の学生の護衛につくなんてのはあり得ない大サービスなんだが……相手が推定S級で、しかも『世界の悪』につながるとあっちゃあたとえ護衛対象が犬でも十二騎士はつけたい。というかむしろ――
「……別にお前の実力を疑うわけじゃないが、一人で大丈夫なのか?」
私がそう言うと、ウィステリアがシュバッと手を挙げた。
「大丈夫ではないでしょうから、自分も行きます。」
「そう言うと思ったが、悪いが今回は俺様だけで行く。」
「なぜですか!」
「ある程度合わせる事はできるが、ガチでやり合うとなると俺様は連携して攻撃ってタイプじゃないからな。正直、邪魔になる。」
相手は天才と呼ばれる最年少セラームだが、十二騎士が言うんじゃぐうの音も出な――いや、ちょっと待て。
「フィリウス、お前今ガチでやるって言ったか?」
「? 相手はたぶんS級だからな。」
「いや……まぁそうなんだが……」
私は何とも言えない顔をした。
「……今週末が一つ、この事件の区切りとなりそうだな。」
ふぅとため息をつき、アルジェントが状況を整理する。
「ムイレーフ家を滅ぼし、刺客を作り上げて《オウガスト》の弟子の血液を手に入れたこのメガネの男は、状況から考えてスピエルドルフ訪問時に仕掛けて来る可能性が高いようだ。その為、師匠である《オウガスト》が護衛として同行する。加えてスピエルドルフの魔人族の方々が安全を保障するとおっしゃった。もはやこれ以上の態勢はあるまい。メガネの男が仕掛けて来ないのであればそれはそれで良し。仕掛けてきたのならばそれもそれで良し。あとは当日――だな。」
結局筋肉ダルマの一存で話が終わったような気がするこの集まりだったが……まぁあいつの提案が最善だと思うし。
一つ難点があるとすればフィリウスが本気を出すとか言ったところか。下手するとスピエルドルフの――この場合は首都か? が瓦礫になりそうで怖いんだが……まぁその辺はフルトブラントとかがなんとかするか……
しかし……フィリウスが怒ってるところなんか初めて見たな。
ランク戦は普段の授業を潰してやってるから、その分の埋め合わせって事で実は週末が一回潰れてる。例えば一回戦で負けた人はずっと休みみたいなものだったからそれでもいいかもだけど、最後まで残ってたメンバーには不満のある感じ。まぁ、きっとその辺の疲れを癒す意味もある社会科見学でのお風呂だったんでしょうけど。
てことで、社会科見学の次の日の今日から数えると四日後に今週の週末――スピエルドルフへの訪問が待ってる事になる。
「エリルくんの王族属性を超える女王属性のカーミラくんの本拠地に出向くのだから、こちらも相応の準備をしなければならないだろう。」
「属性とか言うんじゃないわよ! ていうか何と戦う気よ!」
「何を言うか。ロイドくんを巡るこの戦いに新たに加わった大型ルーキーとの初戦を迎えるのだ。いや、むしろ最古参というべきか?」
「ば――だ、だからその戦いは……も、もうあたしの勝ちで……」
「エリルちゃんてば、ロイくんと一時的な恋人になってからホントに言うようになったよね。」
「うっさいわね!」
「そ、卒業……までは、わ、わからないから……」
「うーん、みんな自分の家にロイドを招待してるんだよねー。あたしもどこかでやんないとなー。」
「む、そういうイベントも残っていたか……まぁしかし、今回の戦場以上に厄介なところはないだろう。なにせ相手は女王だからな……」
貴族を軽くけなした名門騎士は、腰に手をあてて――どうもわざとじゃなくて自然とそうなるらしいからムカつくんだけど、そのナイスバ――バ、バランスのとれた身体でモデルみたいな立ち姿になったローゼルが話を戻す。
「スピエルドルフの未来の王とか呼ばれているわけだから、それはそれは豪勢に出迎えるだろうし、カーミラくんもキラキラと着飾るだろう。つまり、わたしたちもそれなりの勝負服――いや、戦闘服を身につけなければならない。ロイドくんをドキリとさせる一着を!」
「それは……うん、そう思うけどさローゼルちゃん。普通、そう思ったら一人でこっそり準備しない? 一応、ボクたち敵同士なんだけど。」
「女王属性の力が計り知れんから少しでも戦力を上げたいというのがあるが……ま、メインは全員が同じラインに立ってこそ、真に選ばれるべき者が明らかになるからだな。」
「ふぅん?」
なにかと火花を散らすことが多いローゼルとリリーが今日もいつも通りに火花を散らしてると……
「で、でもそういう話をロイドくんことオレのいるところで話すのはどうかと……」
あたしたちがいるのはあたしとロイドの部屋で、当然ロイドもいる。昨日の社会科見学の騒動はとりあえず国王軍に任せる感じで普通に授業をした今日、放課後になるや否や部屋にきたローゼルがいきなり始めた会話を赤い顔で聞いてたロイドはとうとう口を挟んだ。
「ロイドくんはにぶいからな、きちんと言っておかないと。」
「服の変化ぐらいは気づきますよ!?」
「それはそうだろうが、その目的や理由には鈍感だろう?」
「いや……そ、それはその……」
「というわけで諸君、これから服を見に行こうではないか。」
「は? 今から? ていうか、そんな――豪勢な場で着るような服をひょいひょい買えるわけないじゃないの。」
「買うとは言っていないぞ。見に行くのだ。エリルくんの家に。」
「は!? な、なんでそこでうちが――」
「カメリアさんの計らいだ。そもそもこの提案はわたしではなくカメリアさんのモノでな。きっとスピエルドルフに招待されるから、その際はいつでも声をかけてくれと、カーミラくんと話をしに学院に来た時に電話番号をくれたのだ。」
「な、なんであんたにお姉ちゃんが……」
「カメリアさんもわたしと同じで全員で挑まないとという考えを持っていてな。そしてこういう時に全員を引っ張り出すリーダーシップはわたしにあると思ったそうだ。」
……なんか悔しいけど……でも確かに、ローゼルは結構ぐいぐいと強引にやるからそういう役回りは向いてるのかもしれないわね……
「移動もリリーくんがいれば一瞬だ。一度行ったのだから大丈夫だろう?」
「ボクを便利に使わないで欲しいんだけど……でもまぁ、戦闘服は必要だろうし……わかったよ。」
――というわけで、ついさっきまでオレにはだいぶ恥ずかしいというかドギマギする会話が繰り広げられていた部屋が一瞬で静かになった。改めて、リリーちゃんの位置魔法はすごいと思う。
しかし……うん、たぶんこうやって一人になるのはだいぶ久しぶりだ。きっと時間がかかるだろうから戻ってくるのは遅くなるとのことだから、夕食も一人かもしれない。
「……そう考えるとたった今から寝るまで暇だな。」
多少の宿題はあるけどそんな大層な量じゃないし……よし、こういう時は男友達との交流を深めるチャンスだ。
「なるほど。そういう時、ハーレムは寂しいな。」
「ハーレム言うな。」
男子寮に行き、カラードとアレクの部屋を訪ねたオレは、事情を聞いたカラードの真面目な顔のコメントにツッコミを入れた。
「だがいいタイミングだ。今日、おれとアレクは街に行く用事があって、そのまま外食の予定だったんだ。男同士の夜としゃれこもうじゃないか。」
「用事?」
「武器屋に行くのだ。そろそろ新作がそろう頃だからな。」
「?? じゃあ……二人は武器の買い替えを?」
「その可能性はあるがメインはそうじゃない。ま、店に向かいながら話すとしようか。」
制服を着替えることなく……というか確かセイリオスの学生だとすぐわかるから、街に行くときは制服の方が何かと便利ってエリルが言ってたっけか。
んまぁともかく、珍しい組み合わせのオレたちは街へ向かって歩き出した。
「考えてみるとロイドには馴染みが薄いかもしれないな。一族に伝わる武器だとかマジックアイテムだとかの理由がない限り、大抵の騎士は武器を新調する。だから武器を売る側――いや、作る側もこれぞという新作武器を定期的に発表していくのだ。」
「だいたいは季節の変わり目だな。剣でも銃でも。」
「ははぁ……」
確かに、武器の新調という行為はオレには馴染みがない。オレの武器はフィリウスからもらったのとプリオルがくれたのと二種類あるけど、どっちもマジックアイテムだから新しい……というか代わりになる剣がない。んまぁ、フィリウスからの方はいつか効果が切れるらしいからその時には新しい剣を考えるかもしれないけど。
でもってフィリウスもオレといた六……じゃなくて七年間、あのバカでかい剣を使い続けていると思う。あんな剣が店に売っているとは思えないから自分で作ったのかもしれない。
エリルのガントレットとソールレットは『ブレイズアーツ』用の特注品。
ローゼルさんのトリアイナは、確か水のイメロを使う為の仕組みが施されていたし……そもそもリシアンサスっていう名門なわけだからあの槍も特注だろう。
ティアナのスナイパーライフルはマリーゴールド家――ガルドで指折りのガンスミスが作った一品だから、これまた特注品みたいなものだ。
リリーちゃんの短剣は……『ウィルオウィスプ』で渡された、位置魔法に特化した特別品。
アンジュは……そもそも武器を使わない。
うん、気が付くと武器を新調する人がオレの周りにはいないんだな。
「えぇっと、じゃあ二人は……カラードで言えばランスの、アレクで言えば斧の新作を見物しに行く感じか? 今のよりいいと思ったら買い替えるみたいな?」
「後半はそうだが、前半が違う。確かに俺が使うのは斧だが、見るのは全部の新作だ。」
身長的にオレを見降ろすアレクがふんと鼻を鳴らす。
「えぇ?」
「考えてもみろよ。戦場で見た事もない新型武器を相手にするのはそれだけで一歩不利だろ? 武器屋を使うのは何も騎士だけじゃないからな。いざって時に戸惑わない為の情報収集だ。」
「それに、他の武器や今までなかった性能を見る事で自分の戦法に何かしらのアイデアが生まれることもある。」
「へぇ……二人は熱心だなぁ……」
「と言うよりは、自分の得意な系統を活かす方法の一つなのだ。第一系統の強化の魔法は単純故に応用性が高い。極端な話、見た事もない武器を与えられても、強化の方向を間違えなければその武器の達人にも劣らない力を得られる。強化魔法の使い手には引き出しの多さ――何をどんな風に強化するかというアイデアの多さが一つ、強さの基準になるのだ。」
「なるほど……」
カラードみたいに身体能力をとんでもないレベルまで強化するやり方。アレクみたいに身体の硬度とか動体視力を強化するやり方。一口に強化と言ってもその対象や範囲は様々で、きっと「そんなものまで!?」とオレが驚くようなアイデアもあるんだろう。
そんなアイデアを得るために、この二人は新作の武器を見に行くのだ。
「到着だ。さて、どんなモノがあるかな。」
実はエリルと来た事があるわけだが、二人みたいな目線で見た事はないから少し新鮮な気分で店に入った。
「おお、前来た時よりも人が多いな。」
きっとカラードたちと同じ目的なのだろう、他の学院生や現役の騎士っぽい人で店の中はにぎわっている。
剣や槍、弓や銃といった一般的な武器は勿論の事、一癖ありそうな不思議な武器も並んでおり、ついでに武器を持つ時の手袋的なモノや腰に下げる為のベルト的なモノもある。まさに、騎士としての装備品が一式そろうお店だ。
……で、肉屋さんに置いてあるお肉に高級なモノがあるのと同じように、武器にも高級な武器というのがある。つまり、たるの中に無造作に入っているのと、壁にかけてあるのがあるわけだ。オレはそういうのを意識した事がないのだが、一口に武器と言っても……例えば切れ味とか重さとかが色々違っていて、その辺が武器の値段で変わってくる……んだろう。
そしてそういうの見た時、やらしい話だがどうしても、一番お値段の高い武器を探してしまうオレである。壁にかかっている剣にはどれも……たぶん、作った職人のサイン的な意味合いなんだろう、エンブレムのようなモノが彫ってある。それがつまりはブランドで、お値段が高い武器ばかりについているエンブレムもあれば、逆にお手頃な価格の武器についているモノもある。
ではでは、一番の武器にはどんなエンブレムがついていて、それはどんな武器なのか店の中をきょろきょろと――しようと思ったのだが、当然と言えば当然に、それは一瞬で見つかった。
「……値札が見当たらないな……」
店内の一番目立つ場所、店主が陣取るカウンターの後ろの壁に飾られている武器は一本の剣だった。素人のオレにもわかる――というか感じる事ができる……なんだろう、オーラというんだろうか。物凄く強い人と向かい合った時に、別に戦闘態勢でなくても感じてしまうその人の強さみたいなモノに似た気配的なモノをあの剣から感じる。
しかしさっき呟いたように、値札がない。それにすごい剣とはわかるのだが、壁にかかっている他の剣と比べると若干素朴というか……いや別に武器に豪華さは求めなくてもいいと思うけど、比較するとそう見える。
いや、むしろその素朴さがすごさを引き立てている……?
「あれに興味津々とは、さすがのお前でもベルナークは知ってるんだな。」
田舎の旅人をバカにする感じがオレの友人全員に浸透しているのはどうにかしたいが、横に立ったアレクがそう言った。
「べるな……?」
「……まさか知らないのか……噂通り、そんなに強いのに騎士の常識みたいなモノは片っ端から知らないんだな。」
「師匠が教えてくれなかったんだ。で、それなんだ?」
「ベルナークは……そうだな、騎士の誰もが憧れる武器のシリーズだ。」
「シリーズ? ブランドってことか?」
「厳密にはとある家系だよ、ロイド。」
そう言ってカラードが……何かのボトルを持って現れた。
「それは?」
「油だ。甲冑にさすのだ。」
ニッと笑ったカラードは、ベルナーク……の剣? とやらを眺めて説明を続ける。
「戦争があちこちで起きていた頃、いくつかの大国に囲まれた場所にとある小さな国があった。政治的な手腕とか、財力とか、国としての力は全然ない国ですぐにでもどこかの国に領土を奪われると思われていたその国は……最終的に、とある大国にかなり良い条件で吸収され、現在その土地は英雄が生きた場所として騎士の聖地になっている。」
「?? つまりどういう……?」
「多くの大国がその国を滅ぼそうと何度も部隊を送り込んだが全て返り討ち。物資の補給を断とうと街道の閉鎖や魔法による結界を行ったがこれまた全て真正面から打ち砕かれ、なんとか国民が生活できるくらいの物資の補給を許してしまう。弱小の国だというのに、ある一点が当時のどの国をも上回っていた為に滅ぼすことができず、こう着状態が続いた結果、大国が音を上げて降参。互いに利益のある形で争いをおさめようという話になったわけだ。」
「えぇっと……?」
「最終的にその国はなくなってしまったが、国民は死なず、虐げられず、一番いい形で戦争の終わりを迎えた。そこまでその国を導いたモノ――その国が他国よりも唯一勝っていた力、それは国を守護する騎士の力。そして、その国の騎士たちを率いていた一族がベルナークだ。」
「お、おお、やっと本題に……」
語って満足気のカラードを横目――いや、身長的に斜め下目にアレクがまとめる。
「ようするに、ベルナークシリーズってのはその負け知らずの騎士団のリーダーを代々務めた一族が使ってた武器ってことだ。」
「へぇ……じゃあ代々剣の達人だったんだな。」
「いや、そうじゃない。ベルナークの家系はリシアンサスみたいな代々槍の使い手って感じに武器が決まってるわけじゃない。俺のみたいな斧もあるしカラードのみたいなランスもある。」
「ははぁ、そういう家系もあるのか。」
「面白いだろう? ベルナークシリーズを並べると大抵の武器を網羅できるそうだ。」
「なるほど……てことはどんな武器の使い手でも、いい武器を手に入れたいと思ったらそのてっぺんは全員ベルナークシリーズになる……みたいな感じか。やっぱり……すごいのか?」
「ああ、すごい。誰が持とうとまるで長年愛用した武器のような感覚で扱う事ができ、切れ味や破壊力、貫通力などは圧倒的な上にとんでもなく丈夫なのだとか。」
「なんだその反則武器。」
「しかも、まぁこれは噂だが、選ばれた者が持つとベルナークシリーズはその真の力を発揮するとかしないとか。」
「なんじゃそりゃ……」
なんか、あの壁にかかってる剣が途端に胡散臭く見えてきた……
ん? というか……
「え、じゃあもしかしてだけど、ベルナークシリーズの剣ってあれだけなのか? だとしたらそんなすごい武器がこんな所にあるって事か?」
「いや、確か剣は三本あったはずだ。だが……いや、ロイド。一応ここは四大国の一つであるフェルブランド王国の首都にある、この国で一番大きな武器屋なのだが。」
「そ、そうか……そういやそうだな……」
そんなこんなでオレたちは、特にランスと斧のところをじっくりと眺めながら店内を一周し、カラードが油を買うのを待って武器屋をあとにした。
「よし。ロイドを男のガッツリご飯屋につれていってあげよう。」
別に大食いってわけじゃないが、それでもエリルたちよりは食べられるオレを満腹にしてやろうと、二人が案内してくれた店は……しかし、普通のレストランに見えた。
「……なんというか、男の飯とか言うからオレは脂っこい小さなお店をイメージしてたんだが。」
「そっち系もあるが、それはまた次の機会としよう。今日はモリモリ食べる系をご紹介だ。このレストラン、とにかく色んなメニューの量と値段が釣り合っていないのだ。嬉しい方にな。」
「? つまり……安いけど量が多いって事か。」
「うむ。」
「? でも……」
ふと、オレはエリルに「何よその汚い袋」と言われた財布に手をあて、中に入っているカードの感触を確かめた。
「学院からもらってる生活費って結構あるから……その、なんというか安くて量が多いみたいなお店に行かなくても普通のお店で十分食べられるんじゃ……」
「はっはっは。確かに、セイリオス学院が支給する生活費というのは他の騎士の学校と比較してもだいぶ金額が大きい。しかし、今のロイドのような感覚を持っている生徒は少数派だと思うぞ。」
「えぇ?」
安くてたくさん食べられるという学生さんいらっしゃいなそのレストランに入り、四人掛けのテーブル席に座ったオレたちは漫画みたいな盛り方の料理が並ぶメニューからそれぞれに注文し――そして、水を飲みながらカラードが続きを話し始めた。
「さっきも言ったが定期的に武器を新調する騎士は結構いる……いや、むしろ主流と言っていいだろう。それは学生にも言える事で……そうだな、一年間同じ武器を持つ者は全体の半数、三年間ともなればほんの一握りだろう。」
「ざっくり、学院に通ってる間に最低でも一回は新調するって感じか……んまぁ、さっき見た武器屋のもいいお値段だったし……いや、でもそれだけで?」
「おいおいロイド、カラードを見ろよ。ランスに加えて全身甲冑だぞ?」
「あ……ああ、そうか。防具ってのも買う人は買うんだよな。なんか武器を握る為の手袋みたいのもあったし、さっきのカラードみたいにメンテナンス用の油とかも……」
「おれはだいぶ極端なケースだろうけど……魔法をバシバシ使っていくスタイルなら魔法系のアイテムもあるだろうな。」
「そう考えると……うん、そういうのが積み重なると結構かかるんだな……」
「ああ。それに対してロイドはどれもこれもが真逆なんだな。」
「ま、真逆?」
「ああ。ロイドが使う武器は三つ。自動修復と持ち主の回復能力を持った二本の剣と増殖する一本の剣。どちらもマジックアイテムな上、前者はもちろん、後者も増殖する度に剣が新品のようになっていたから、買い替えるなんて事はしない。」
「……どっちももらい物だけど……」
「そしてロイドの戦法――防御に関するスタイルは防ぐのではなくて避けるタイプ。あの《オウガスト》の体術――全ての攻撃をかわしながら攻撃を仕掛けていく体術を身につけている。であれば、身体を重くする防具はマイナスになってしまうから必要ない。」
「……そうとは知らずに教わっていたんだけど……」
「最後に曲芸剣術。あれに求められるモノは高度な魔法ではなく、単純な技術。より速く、正確に、延々と、風を回転させる技が必要であり、特殊な魔法を使うわけではない。よって必要なのは自分自身の技能向上、それとイメロがあれば十分。消費するタイプの魔法アイテムは使わない。」
「……それしかできないだけだけど……」
「要するに、ロイドは今の状態から何かを買い加える必要がないのだ。文字通りの生活費としてしか使わないのであれば、確かにあの金額は余裕のありすぎるモノだろうな。」
「そう――か……」
自覚はあったけど……改めて、騎士の世界においてオレはかなり恵まれている。いい師匠――いや、きっとこれ以上はない師匠を持ち、いい武器をもらった。
いつの間にかオレよりもずっと立派に育ってセラームになっていた妹から魔法の指導を受けた。
大悪党から、色々あってすごい武器をもらった。
師匠との旅路で得た人脈……と言えばいいのか、これまたいつの間にかものすごい魔眼が右目におさまっていた。
「……なんかオレ、ズルいような気がしてきたよ……」
特に、それを言って現状をどうこうしようとかそういう意味は持っていない、ただの独り言。しかしそれを聞いたムキムキの男と正義の男は互いに目を合わせ、やれやれという感じでふふんと笑ったのち、真面目な顔になった。
「……きっと――いや、確実に。多くの学生がロイドに対してそういう感情を抱いていると思う。そう、ロイド・サードニクスという男は恵まれ過ぎてズルいとな。だが……それは違うのだ。」
「? なにが違うんだ?」
「ロイドが、おれやアレクと同様の人生を経てこの場にいて、その上で恵まれた環境というモノがロイドにだけくっついているのであればそれはズルいと言わざるを得ないだろうさ。しかし……そうじゃないだろう?」
「?」
「思い出させてしまって悪いが、ロイドは幼い頃――まぁ、実はそうじゃなかったわけだが、初等の頃に天涯孤独の身となり、《オウガスト》に拾われたんだったな?」
カラードと仲良くなった時、自然な流れとしてフィリウスとの出会いの話になり……オレはあの夜の事を話している。
「……ああ。」
「その後、丸々七年間、各地を転々としながら《オウガスト》の修行を受けていた。」
「ああ。」
「つまりロイドは――卒業というモノを一度も経験していないわけだ。」
「!」
卒業……初等や中等の教育が済んだらそれぞれに卒業式というのをやる……が、確かにオレは経験していない。
「おれとアレク……いや、大抵の学生が既に二回は経験しているそれを経験していない。さらに言えば初等の後半や中等丸々、同世代の仲間たちとの楽しくて愉快な時間が――多くの人間が当たり前に経験して当たり前に思い出にしているそれが、ロイドにはない。」
「……そうだな……」
「言い換えれば、ロイドは大抵の学生の当たり前の代わりに騎士の修行を受けていたわけだ。」
「――!」
オレがなんとも言えない感情で目を見開いたのを見下ろしながら、黙っていたアレクがビシリとこう言った。
「別にお前を不幸な奴と言うつもりはないが……はっきり言うなら、お前は学生時代の楽しい思い出を代償に騎士としての強さを手に入れてるのさ。」
「代償だなんて言うなよ、アレク。交換したわけじゃなく、歩いてきた道が違うってだけの話なのだから。」
バカ正直――っていつも言われているオレが言うのもなんだけど、輪をかけて真っすぐな目を持つこの正義の騎士の、それ故に装飾のない言葉がオレのこころに抵抗なく入ってくる。
「おれたちが羨ましいと思う恵まれた環境というモノを得ている一方で、おれたちが当たり前に得ていたモノを得ていない。ならばロイドのこれまでの道のりはきっと、おれたちのそれとプラスマイナスで同等なのだ。ただ単純に、ロイドの道が少しだけ騎士に寄ったモノだったというだけ。だから――」
まるで泣き虫の小さな子供を勇気づけるヒーローか何かのように、優しい笑顔をしたカラードが、すっと身を乗り出してオレの肩に手を置いた。
「ズルいだなんて思うな。偶然の出会いも必然の経験も、全て含めて騎士の強さなのだから。」
……たぶん慰められた――いや、元気づけられた? それに対して深刻に何かを思っていたわけじゃないんだが……それでもなんとなく心がほっとしたのだからきっと……浅くは何かを思っていたのだろう。
「……要するに運も実力の内というやつだろ。」
「元も子もない言い方をするなよ……悪いな、アレクは天然なんだ。」
「お前にだけは言われたくないぞ……」
「ふふ……いや、二人ともありがとう。」
予想外の嬉しい状況に、ほろりと涙さえ出そうになったその時――
「男女問わずに惚れさせそうで、末が楽しみな坊主よのぅ。」
聞き覚えがあるようなないような、そんな声がした。
「ほれほれてんこ盛りのすぱげってぃを頼んだのはだれぞ?」
「俺――だが……」
「なんじゃ、そんななりして麺をすするのか。そっちのデカい坊主はてっきりこっちの巨大な肉の塊か思ったのだがのぅ。」
「それはおれだ。」
「ほぅ。ではこのぴっつぁが少年か。」
注文した料理を運んできたから店員さんと思いたいところだが……絶対に違うだろう。
背丈はオレたちが座っている席のテーブルよりもようやっと頭一つ分上くらいの身長で……ようするに子供だ。
長い布を適当にぐるぐる巻いただけみたいな、見方によっては踊り子のようにも見える格好をした褐色の肌の女の子で、腰くらいまでの黒髪を先っぽの方で一つに束ねている。大人になったら美人さんになりそうな可愛い……いや、普通に今現在で美人のその女の子は、オレたちに料理を渡すと空いている席――オレの隣にひょいと座った。
「えぇっと……?」
「気にしなくて良いぞ。本来の姿だと……ほれ、男が集まって話ができんからのぅ。」
くいっと流し目でオレを見上げるその黒々とした瞳に妙な既視感が――
「! え、ま、まさか……!?」
「ほほほ、こういう台詞を言う事はまずないのだがのぅ。しかしまぁ場合が場合、そんな稀もあるだろうて。久しぶりだのぅ、少年。」
「れ……恋愛マスター……ですか?」
オレの恐る恐るの質問にカラードとアレクは目を丸くし、女の子は女の子らしからぬ色っぽい動作で口元を隠して笑う。
「如何にも、妾こそが全能の恋愛師、恋愛マスターよ。」
その昔、オレの願いを叶え……たぶんそのおかげでエリルたちに出会えた、そんなキッカケを運んでくれた人物。しかしその代償として……どうやらオレからスピエルドルフにいた頃の丸々一年分の記憶を奪い、副作用としてハ、ハーレム……的な状態にしてしまった張本人。あの夜の記憶がパムと食い違っている原因かもしれない……とにかく、オレが今一番会いたい相手が、いきなりオレの隣にやってきたのだ。
「ど、どうしてここ――い、いやその姿……はさっき理由を言ってましたけどいや、でもなんでこんなところで――オ、オレ、あなたに聞きたい事が――」
「そうであろうな。だがしかし、まずは妾の話を聞くが良し。同じ人物の前には現れんように心がけておる霞に消えゆく妾が、しかも一度願いを叶えた相手の前に姿を見せる事は――先も言ったように稀な事。相応の理由、まずは耳を傾けて欲しいのぅ。」
子供なのは外見だけで、動作が一々色っぽく、小難しい話し方をこれまた艶のある声で言うのだから、知らずとドキドキしてくるし……どういうわけか緊張してきたオレは女の子――恋愛マスターの言葉にこくりと頷いた。
「よしよし。長い独り言故、まぁそれらを食べながら聞くとよい。」
そう言って恋愛マスターは……いや、本当にあとで思い返しても「長かった……」と思う、オレの記憶では史上最長の独り言を語り始めた。
「東に恋煩いの坊主あれば行って痛みの正体を説き、西に恋に疲れた女あれば過去の歴を覆す出会いを授け、南に恋しくて死にそうな乙女あれば目当てへと背中を押し、北に一人を巡りて拳を交わす男あれば雌雄を決する舞台を用意する……恋を広め、世を桃色に染める西行である妾がとある森を歩いておった時、妙ちきりんな二人組の男に出会った。聞けば懐かしき、最悪女の手下とな。あの女が妾に用などと奇怪な事もあったものと思っておれば、なんとあの悪女が恋をしたと言うではないか。干し柿と団子を煙に巻き、半信半疑にあの女の最近の動きを調べてみたらこれまた懐かしき、いつか願いを叶えた少年を見つけた。妾が叶えてきた数多の願いの中でも珍しい事を願った故、よく覚えておってのぅ……どれどれ、悪女は一先ずとして少年の恋模様はどうなっておるかとちぇっくしてみて……気が付いた。そう、昔の妾が一つ間違いを犯しておった事にのぅ。こと、恋愛に関しては全能を誇る妾、異種間の恋であろうとお手の物ではあるのだが……しかし、犬猫に言い寄られても人間は困るであろう? 故にそう……妾は無意識に、恋愛対象を同種に限って願いを叶えてきたのだ。おそらく大方の者は問題なく恋愛したであろうがしかし、少年は極々稀な星の下にあるらしい。恋愛の中に魔人族という選択肢が存在しておった。なんと稀有な事と、あの吸血女王を調べて……妾は愕然とした。彼女が少年に出会ったのは少年が妾に出会う前のこと。そして少年の願いを叶える際に無意識下で同種に限定してしまった結果、彼女から少年の、少年から彼女の記憶が無くなっておったのだ。いや、正確に言えば封じられたというべきではあるが、しかしこの恋愛マスターがこともあろうに一つの恋愛をなかった事にしてしまったのだ。なんたる大失態、このままでは恋愛マスターを名乗る事ができなくなってしまう。しかし、妾の力が及ぶ範囲は恋愛に関する事のみであり、記憶が封じられてしまったのは……言葉が悪い事を承知で言うが、ついでのような現象。残念ながら一度封じられた記憶を直接解く事は妾にはできぬ。言うなれば、妾は記憶に通ずるおーとろっくの扉を閉めただけであり、その扉の鍵を持つ者は記憶の所有者以外にはおらぬのだ。ならばせめてその事実を伝える事で開門へと促し、加えて失態の埋め合わせを何かしらしなければと、こうして少年の前に現れた次第なのだ。」
「えぇっと……」
難しい話を聞いた後、「えぇっと……」と言いながら頭の中を整理する機会が、セイリオス学院に入学してからというものえらく増えた気がする……んまぁともかく、えぇっと……?
「要するに。」
オレが頭の中の整理を終える前に、骨付きの肉を手にした原始人みたいなポーズでカラードが要約してくれた。
「ロイドの記憶は失われておらず、ロイドの中にきちんとあるものの、それを思い出すことができるのはロイドだけなので頑張るしかない。そして恋愛マスター殿はそんな失敗のお詫びがしたいという事だな。」
「その通り。願いを叶えた副作用によって既にはーれむは出来上がっておるようだからのぅ。他に何かないか? この恋愛マスター、少年の二つ目の願いを叶えてみせよう。」
何もなければハーレムをプレゼントするつもりだったのか……
「別に少年でない者の恋愛事情でも構わんぞ? 友情やおせっかいのもと、どこかの男女を幸せに導くという願いでも構わぬ。」
「え、えっとその前にあの……ちょっとさっきの話で気になった事があるんですが……」
「ほう?」
「恋愛マスターさんは……オレを探してオレを見つけたわけじゃなくて――最悪女? を探してたまたまオレを見つけたんですよね? という事はその最悪女というのはもしかしてオレの知り合いの誰かなんですか? その女の人が恋愛マスターさんの……懐かしい人?」
「知り合いではないと思うが……しかし名前は知っておるだろうな。ほれ、世界一有名な女の名前だからのぅ。」
「世界一有名な最悪女?」
と、そこまで言ってさすがのオレもピンときた。
「……ま、まさか……アフューカス……?」
「ご名答。」
にやりと笑う恋愛マスターだが、オレはごくりと生唾を飲み込んだ。
「さすがロイド。こんなところで『世界の悪』の名前が出るのだな。」
セリフ的には茶化す感じだが、見るとそこには正義の騎士の顔をしたカラードがいた。
「おお、一人前の騎士の顔をしよる。」
「……あの、オレ、どうしてその……アフューカスにそんなに……?」
「さてな。あの女の部下は恋したとか言うておったがそんなわけはない。少年という男ではなく、少年という人間に何故か興味津々なのだ。妾にその理由――胸の内が読めぬ以上、それが恋愛感情ではない事だけは確かだがのぅ。」
世界悪党ランキング連続一位みたいな大悪党に興味を持たれるような事、オレはいつしたんだろうか……
――と、その時だった。どうしてそんな事を思ったのか……いや、この空気、話の流れであればむしろ当然のアイデアなのかもしれない。何をしてきた人物なのかは知っているし、実際エリルに被害が及んだ事もあるわけだけど、それでもやはり、この目で見た事がないからか……オレがみんなによく言われるようにマヌケだからなのか……とにかくオレは、変な事を思いついた。
「あの……恋愛マスターさん。」
「さっきも思ったのだが、さんは付けなくてよいぞ。してなんぞ?」
「恋愛マスター……は、恋愛に関しては全能なんですよね……」
「疑っておるのか? まぁ大失態を告白したばかり故、仕方のないことか……」
「あ、いえ、そういうわけじゃなくて……その、そうなら……」
「うむ?」
「『世界の悪』……アフューカスに恋をさせる事はできますか?」
その時の恋愛マスターは、今日初めて見せる驚き顔をオレに向けた。
「……なんと?」
「えっと……自分で言うのも恥ずかしいというかアレなんですけど、オ、オレの周りには……その、ここ、恋する女の子が多い……ので、いや、対象はオレなんですけどってそ、そうではなくて、こう……なんとなく女の子は恋をするモノみたいな感覚がありましてその……ほ、ほらアフューカスも女性なんですよね……何百年も生きているとか聞きましたけど、ずっと悪の道を走っていたんでしょうか……こ、恋の一つや二つしていてもおかしくないかなぁと……さ、さっき恋愛マスターが恋なんてするわけない……みたいなことを言ったので気になったというか……あ、あれ、オレは何を言っているんだ……?」
頭の中がぐるぐるしてきたオレが一人でうなる横、恋愛マスターがぶつぶつと呟く。
「……勿論、あの女にも恋の経験はある……が、それは遥か過去の出来事……今の彼女に恋などありえぬ……と、思っておった。ふふ、なんという事か、妾はもう一つ失態を犯しておったか。よもやこの恋愛マスターが恋愛を諦めていたなどと……!」
驚き顔から今日一番の笑顔……いや、たくらみ顔? になった恋愛マスターは愉快そうにオレを見上げた。
「よかろう! その願い、この恋愛マスターが必ずや叶えてみせようぞ!」
にししとひとしきり笑った後、けろりとした顔で恋愛マスターは立ち上がる。
「ではそろそろお暇しようかのぅ。さぁ忙しくなりおったわ。」
「! あ、あのその前にもう一つだけ!」
「む? ああ、そこのデカい坊主も正義の坊主も良き乙女との出会いがある故、心配する事はないぞ。」
「え、それは良かっ――じゃ、じゃなくてちょっと確認したい事があるんです!」
「ふむ?」
「あの、オレ……前に願いを叶えてもらった時、家族を……その、失ったって言いました。」
「ああ、聞いたぞ。故に家族を願ったのであろう?」
「は、はい。でも、妹が……生きていたんです。」
「ほう、それは良い事だ。」
「は、はい……だけどその……あの日、家族を失ったあの日、オレは確かに妹を……ま、埋葬したはずで……でも妹は生きていて……そ、そもそもあの日の記憶が妹ともかみ合わなくて……オレ、これは一年分の記憶が無くなった影響かなって思ってたんですけど……も、もしかしてついでに別の記憶の扉も閉めてしまった……んでしょうか? そ、それとも……願いを叶える代償として……?」
もっとゆっくり聞くつもりだったのだが、いきなり帰り支度を始めるものだから慌ただしくなってしまった。でもちゃんと質問は伝わったらしく、恋愛マスターの表情は……ふと少しだけ厳しくなった。
「……何度も言うたが、妾の力は恋愛にのみ全能だ。記憶が封じられたのも魔人族との恋愛の記憶があったが故なのだ。記憶が不確かである以上、断定はできぬが……普通、家族を失った日に恋愛が入り込むような場違いはなかろうて。ちなみに願いの代償でもない。」
「! じゃ、じゃあ……」
「そうだのぅ……その日その時、記憶が混乱してしまうような――生きている者を死んでいると記憶してしまうような壮絶な何かがあったか、もしくは妾でも少年でもない、誰ともわからん第三者に何かをされたか――であろうな。」
「……」
「ほほほ、まぁ気にはなるであろうが、一先ずは少年を思い出して少年の前に現れた一人の乙女の事を、記憶の中から引っ張り上げる事に力を注いで欲しいところだ。封じた身で言うのはなんだがのぅ。」
「……はい。あ、えっと……つ、ついでにオレの願いの代償ってなんだったんでしょうか。それも記憶になくて……」
「ふむ、さてな。」
「え――えぇ?」
厳しい顔をコロッと戻し、恋愛マスターは首を傾げた。
「願いを叶える代償というのはな、妾が望んでいるのではなく、妾の力を使うのに世界が求めるモノなのだ。よくある願いであればどういう代償を払う事になるかを経験で知っておるから教えられたりもするのだが……少年の願いは少年からしか聞いた事がなくてのぅ。」
「せ、世界……?」
「ほほほ、これも何かの縁であろうからのぅ……十二騎士にでも聞いてみるとよいぞ。三人の王と呼ばれる存在をのぅ。」
「王?」
あれ? どこかで聞いた事があるような……
「妾はその内の一人となった人間なのだ。ではな。」
「え、ちょ――」
続きが気になる謎を残したまま、恋愛マスターは流れるようにすたすたと、店の出口から外へ出て行ってしまった。
「な、なんか突然出てきてあっさりいなくなったな……なんていうか、とらえどころのない人だ……」
やれやれとため息をつきながら正面に顔を戻したところ、真っすぐに騎士を目指す強化魔法コンビの……片方がにやけ、片方が難しい顔をしていた。
「おれに運命の女性が! ふふふ、きっと正義に熱い力強い方だろうなぁ……うむうむ!」
「お、俺にそんな女がいるのか……そ、そうかそうか……」
……なんやかんや、やっぱり二人もそういう話になればそういう感じになる時もあるわけか。
んまぁ、気になる事は後にして、とりあえずはご飯を食べよう。
「二人は……どんなタイプの女の子が好みなんだ?」
いきなりの嵐の影響か、飢えた学生ががっつくお店で女子会ならぬ男子会の……恋バナが始まったのだった。
第六章 異文化交流
「恋愛マスターに会った? またいきなりね。」
半分お姉ちゃんの着せ替え人形になってた気がする試着地獄から帰ってきたら十時くらいで、ご飯も食べてきたから、あたしたちはそれぞれの部屋に戻った。
入学してからしばらくは一人暮らしみたいなモノだったから、帰って来た時に「おかえり」っていう言葉がくるのはなんか嬉しいわ。しかもその相手があたしの好きな――な、なんでもないわよなんでも!
と、とにかくそうやって帰ってきたら当たり前だけどロイドがいて、あたしがちゃちゃっとシャワーを浴びて魔法で髪を乾かしてたら男連中で夕ご飯を食べに行った時に恋愛マスターに会ったって話を……なんていうか、神妙な顔で始めた。
「色々わかって……詳しい事はみんながいる時に話そうと思うんだ。その、ふ、副作用の事とかもあるわけだし……ただ、これだけはエリルに話しておかないとと思って。」
「なによ。」
「……結論を言うと……オレが忘れている一年の間に、オレとミラちゃんは……たぶん、こ、恋人――的な関係だったと思う。」
「……ふぅん。」
「わ、忘れた理由ってのがその、恋愛マスターのミスっていうか無意識なんだけど、それでも恋愛マスターの力は恋愛関係にしか影響しないはずで、だ、だから――」
「詳しい事はみんながいる時なんでしょ……それで、なによ。」
「う、うん。つ、つまりオレが言いたいのは――」
色んな想像が頭の中をよぎって、嫌なモノが通り過ぎた時には胸が痛くなった。
だけど――
「記憶が戻った時、オレの気持ちがどうなるかは正直わからない。だけど、少なくとも今、この時、オレが好きだって思う女の子は――エリルだ。」
普段からこっちの顔を赤くすることばっかり言うこいつでもそうは言わない――ここぞって時の緊張した表情と声色であたしの耳に届いたそんな言葉は、あたしの中にすぅっと染み込んでいった。
「……普通、そういう時は記憶が戻っても好きだって言うところよ……」
「い、いやだって……」
「それに……例えそうなってもそれで終わりになんかしないわ。」
「?」
「ローゼルたちがやってる事をあ、あたしもやるまでよ……」
「そ、それってその……」
赤くなるロイドを見てあたしも顔が熱くなる。
「あ、あんたはどうなのよあんたは!」
「オ、オレ?」
「あ、あたしが……他の男を好きになっちゃったりしたらどうするのってことよ!」
「そりゃあ奪い返しに行くけど。」
「――!!」
照れる感じでも焦る感じでもない、まるでそれが当たり前ってくらいに普通にロイドは言ってくれた。なんだかすごく胸が熱くなったんだけど――その後、ロイドは首を傾げた。
「でも……どうすればいいんだろう。」
「なにがよ。」
「いや、ほら……女の子には男の子を……こう、誘惑――する武器がたくさんあるだろう? あ、あれとかそれとか……エ、エロい感じだったり色っぽかったり……」
気まずそうに、胸とか腰の辺りでジェスチャーしながら話すロイドが言おうとしてることはすぐにわかったけど……
「……変態。」
「しょ、しょうがないんです! 目が行くんです!」
「……それで、それがなんなのよ。」
「だ、だから女の子はそういうのがあるけど、男の子には女の子を誘惑する武器って無いんじゃないかなって思ったんだよ……つまりその……男の色気的な?」
「気持ち悪い言葉使うんじゃないわよ……」
「気持ち悪い言うなよ……ほ、ほら、エリルから見てオレに……こう、グッとくるような場所はあるか?」
「別にないわ。」
「……それはそれでショックだ……」
しょぼんってなるロイドを横目に、あたしはぼんやりと考えてみる。
「男の色気……ようは目が行くようなところって事よね? やっぱり筋肉とかなんじゃないの?」
「じゃないのって、女の子のエリルがそんな他人事に……」
「うっさいわね。」
「筋肉か……でもあり過ぎるのもあれなんだろう? 彫刻みたいな肉体美的なのが色気か?」
バカな事をまぬけな顔で考えるロイド。さっきはああ言ったけど……そりゃあ、あたしはこいつがす――好きなんだから、グッとくる場所みたいなのがないわけないじゃない……
ちょっとアレなとことか、ああ言ったあとのアレとかその前のアレとか……
「う。」
あたしが色々考えて恥ずかしくなってきたあたりで、ロイドが……なんか嫌なモノを見つけたような顔になった。
「どうしたのよ、いきなり。」
「……色気色気考えてたら、旅の途中で会った変な奴を思い出したんだよ……」
「また女?」
「男です! オレにも男友達いるんです!」
「色気色気言う男? 何よそれ。」
「そういう趣味っていうか研究っていうか……んまぁ悪い奴じゃないんだけど。」
「……あんたの旅の知り合いって変なのばっかりね。」
「失礼な。」
次の日、いつもなら食堂で色々話しちゃうんだけど、恋愛マスターっていう占い師が思ってた以上に大物らしいから、一応周りを気にした結果――まぁ、それでもいつも通りに放課後、あたしとロイドの部屋に『ビックリ箱騎士団』を集めて、ロイドは恋愛マスターに会ってわかった事を全員に話した。
一つ、ロイドの失われた一年分の記憶っていうのは願いを叶える為の代償じゃなく、恋愛マスターのちょっとしたミスが原因だったって事。異種間の恋愛を無意識にないものとしてたせいで、願いを叶えた瞬間にカーミラたち魔人族との……れ、恋愛絡みの記憶が封じられちゃったらしい。カーミラが自分で思い出したのもあるし、これは頑張れば思い出せるみたいね。
二つ、願いを叶えた事によって、恋愛マスターにもどうにもならないところで起きてしまう副作用。ロイドのそれは前にローゼルが立てた仮説がそのまま正解だったらしい。恋愛マスターがそうだって言ったわけじゃないみたいなんだけど、「副作用によってハーレムが出来上がってる」って言ったらしいから、たぶん正解。
三つ……ここからは新しい情報で、まずロイドの代償が謎っていうこと。記憶が代償かと思いきや、それは恋愛マスターのミスだったわけだから、じゃあ一体何を? って話になる。恋愛マスターによると、この代償っていうのは恋愛マスターが奪ってるんじゃなくて……なんか、世界が奪ってる……らしい。こういう願いならこういう代償っていうのがある程度決まってるらしくて、何回か叶えた事のある願いなら恋愛マスターにも大体わかるけど、珍しい願いをされると予想がつかないとか。
四つ……これも謎って話だけど、ロイドが……両親を失った日の記憶がパムのと合ってない事について。まさかこんな事件の中に恋愛要素なんてあるわけないから恋愛マスターは関係ないってことで、この時の記憶が変なのには別の理由があるみたい。
五つ……謎ばっかりだけどそもそもにして恋愛マスターっていう存在の謎。恋愛マスターが残した「三人の王」っていう言葉しか手がかりがないんだけど、ロイドの話じゃ、プリオルが「彼女は人間を超える存在」みたいな事を言ってたらしいから、ただ単に凄腕の魔法使いってわけじゃなさそうね。
「なるほど。今回最も重要な情報はわたしの仮説が正解だったという点だな。」
「えぇ!? い、いやまぁ重要だけど……」
「んもー、じゃーこれからもロイくんはボク以外の女の子とイチャイチャする機会がそこそこあるってこと? ロイくんてば、浮気はダメなんだからね。」
「……もしかしてだけどー……あたしがセイリオスに来たのもなんだかんだで実はロイドの副作用の力だったりするのかなー。」
アンジュがそう言うと、ロイドは申し訳なさそうな顔になる。
「ご、ごめんね。迷惑な感じで……もしかしてオレって、アンジュの……その、人生を狂わせちゃったりしばっ!」
下を向くロイドの顔をバチーンとアンジュの両手が挟み込んだ。
「そーゆー考え方は良くないよー。世の中のカップル全員が「自分に会わなければもっといい人に会えたかも」って考えだしたら悲しいでしょー。むしろあたしは嬉しいんだからー。」
「ほぇ?」
「ロイドの副作用ってさ、逆に言ったら――もしかしたら一生出会えなかったかもしれない「本気で好きになる相手」に出会えるチャンスを、ロイドをそういう相手だと思う女の子に与える事になってるんだよー。これって素敵だよね?」
「ほ、ほうはな……」
「まー、おかげでこんなに大変な恋の戦争をしなくちゃいけなくなったけどねー。」
あたしたちを見ながらふふんって笑うアンジュ。
「で、でも本当に……そ、そうやってたくさん人の……運命みたいなモノを操れるれ、恋愛マスターってどういう人……なんだろう……?」
「三人の王……少なくとも、あたしはそういうのを聞いた事はないわよ。」
「ふむ。きっと王族という意味の王ではなく、何かの比喩として「王」という言葉を使っているのだろうな。」
「支配者とかの意味かもねー。てゆーか、そういう人があと二人いるって事だよねー。」
別に一大事ってわけじゃないけど、今まで知らなかったそういう存在がいるっていう事に思わずため息が出るあたしたちを見て、ロイドが――一番気になってるクセに話題を変えた。
「んまぁ、わからないものはわからないよ。これは今度フィリウスにでも聞いてみるとして……みんなはどうだったんだ? その――えっと、服選び。」
「全員お姉ちゃんの着せ替え人形にされたわよ。」
「まぁ確かに。しかしその甲斐はあったとも。期待しているといいぞ、ロイドくん。」
「は、はぁ……」
「そーだロイド。ドレス選んでる時にみんなで思ったんだけどさー。スピエルドルフで嫌がられる服とかってあったりするのー?」
「えぇ?」
「あーつまりな。国によっては……例えば女性は顔を隠すモノだったりと、習慣が異なる事があるだろう? スピエルドルフにそういうのはないのかと思ったのだ。」
「ああ……そっか。そういえばオレも、スピエルドルフに初めて行った時は入国する前にフィリウスから色々な注意事項を教えてもらったよ。そうだな、話しておかないとね。」
ぺたんと床に座り込むロイドにつづいて全員が床に座ったところで、スピエルドルフ講座が始まった。
「魔人族の国であるスピエルドルフに行くにあたって、知っておきたい――というか理解しておいて欲しいことは二つ。彼らは人間よりも強い存在だけど人間には大して興味がないって事と、友達になれるって事。」
「……その二つ、矛盾してるわよ?」
「そうなんだけど、別に変でもないんだ。とりあえず最初の方から説明するけど……魔人族は魔法器官を持っているから魔法の能力が高い。だけどそんなのよりもそもそも、身体能力が人間とは比較にならないほどに高い。例えばみんなも会ったストカだけど――」
「そこで女の子の方を例に出すところが女ったらしロイドだよねー。」
「変な呼び方しないでアンジュ! た、単純にユーリの身体が規格外だからストカにしただけだよ……あ、あとついでに言うけどアンジュ、そそ、その座り方だとパ、パンツが見え……るから!」
「やだなー、見せてるんだよー。」
「も、もぅ……」
顔を赤くしたロイドは、ちょっと目線をずらして続きを話す。
っていうかアンジュはいつか茹でてやるわ。
「ま、魔人族の身体能力がどれだけすごいかって言うと、別に魔人族の中じゃ力自慢でもないストカがフィリウスと腕相撲でいい勝負ができるくらいにすごい。」
「筋肉の塊みたいなフィリウスさんとストカがいい勝負?」
「ああ。つまりフィリウスみたいな筋力が魔人族にとってはまぁまぁ普通レベルの筋力なんだよ。」
「信じられないわね……」
「ちなみにストカは脚がすごく速いんだけど、たぶんオレの全力の風移動よりも速い。ほとんどリリーちゃんの瞬間移動レベルだと思う。」
「しかし……そんなストカくんでも護衛見習いなのだろう? おそろしい話だが……そんな魔人族に世界を握られていないのは、さっき言った「大して興味がない」という点につながるのだろうな。」
「うん。興味がないっていうとちょっとイメージ悪いかもしれないけど……要するに、オレたちがゴキブリを見つけた時に問答無用でやっつけるほどに嫌いでもなければ、犬とか猫みたいに可愛がる対象でもないってこと。その上魔人族は数が少ない種族だからそんなに広い領土はいらないし、ずっと昔に統一されているから国はスピエルドルフしかない。夜の魔法が覆っている範囲だけあれば十分だから人間と争う理由もないんだ。」
「……仮に人間が何らかの理由で戦いを挑んできても軽くあしらえてしまうだろうしな……つまり彼らにとって人間とは、わたしたちにとっての……そうだな、例えるなら森の中で勝手に巣を作って勝手に生きている野生の生き物ような感じなのだろうな……」
「そんな感じかな。もっと言うと……人間の中でも、野生の生き物を狩りの対象として特に意味もなく殺す人がいれば保護して育てて可愛がる人がいるのと同じように、すごく嫌ってて殺しにかかってくる魔人族がいれば仲良くなろうとして近づいてくる魔人族もいる。」
「なるほど。興味がないと言うよりは、魔人族だからという理由で何かしらの特別な感情を全ての魔人族が人間に対して抱いているわけではないという……何のことは無い、普通の感想を持っているだけなのだな。」
「うん……だからみんなに分かって欲しいのは……例えばの話、凶悪な人間の犯罪者の手によって罪もない人間が殺されていても、それをぼーっと眺めていたり無視したりする魔人族はそこそこいるよって事なんだ。決して冷酷っていうんじゃなくて、単に……オレたちで言うところの、野生動物の縄張り争いを眺めるような気分にしかならないってだけなんだ。」
……なまじ似たような姿だったり同じ言葉をしゃべったりするから誤解しちゃうんだわ。きっと、今のロイドの話を聞いてない状態でそんな場面に出くわしたら……ううん、きっと話を聞いた今のあたしでも、そんな魔人族がいたら「冷酷な奴」、「心の無い奴」とか言うと思う。
難しい問題だわ。
「それでロイくん。二つ目のお友達になれるっていうのは?」
「そのままの意味というか……えっと、今話したみたいにさ、根本的に別の種族だから魔人族は人間にそんなに関心がなくて、でもってオレたち人間も、自分たちと見た目が全然違うから魔人族を……こう、変な目で見がちなんだ。だけど――」
ちょっと暗い顔で話してたロイドの表情がふっと明るくなる。
「目がたくさんあったり腕がいっぱいあったりしても、話せばオレたちと変わらないんだ。ケンカしたら絶対負けるけど、だからって仲良くなれないわけじゃないから――そういう気持ちでいて欲しいんだ。」
「……あんた、その内魔人族と人間の架け橋みたいな立ち位置になりそうね。親善大使みたいな。」
「えぇ?」
「心配するなロイドくん。カーミラくんらと出会った事で、既にわたしたちの中の魔人族の印象は良いモノになっている。」
「へぇー。ローゼルちゃんってば、あんな恋敵に好印象なんだ。」
意地の悪い顔でにししと笑うリリーに対して、ローゼルは――別にそうしなくても普段から前に出てる胸を張って腰に手をあてる。
「ふふん。負けるつもりはさらさらないが、しかして好敵手にはなるだろうさ。」
「ロゼちゃん、強気だね……い、一応女王様……だよ……?」
「わたしは女神だからな。」
高嶺の花代表みたいな『水氷の女神』はむかつくほどに偉そうで……そんなローゼルを見たロイドがこう言った。
「あはは、ローゼルさんの、そういう毒舌混じりで自信満々なところは好きだな。」
「――!」
いきなり「好き」って単語が発射されて、ローゼルは変な顔で固まった。
「あんたねぇ……」
「ロイくんてば!」
「ロ、ロイドくん……」
「ロイドはこれだからなー。」
「え――えぇ?」
今週は色々あったけど、ともあれ週末がやってきた。今日はミラちゃんのところ――スピエルドルフを訪ねる日。久しぶりで懐かしいっていう思いと、記憶が戻るかもという期待と……んまぁ色々思うところのある今日この頃、オレはベッドから出て朝日を拝むために窓のカーテンを開けた。
「……?」
えぇっと……どういう事なのやら、窓の向こうにある庭に全身黒こげになった誰かがうつ伏せで寝ていて、その隣にジャージ姿で槍を持った先生が立っていた。
「サードニクス。お前の師匠のスケベさをなんとかしろ。」
「師匠――え、それフィリウスですか!?」
ブスブスと煙のあがる黒い人物に目線を落とすと、頭の部分がバッと横に――先生の方に向いた。
「誤解だぞ教官! 俺様は大将に会いに来ただけだ!」
「朝っぱらから女子寮の庭に侵入する理由にはならねーよ。とりあえずこっち来い筋肉ダルマ、学院長に雷落としてもらう。」
「たった今落雷を受けたのにか! 大将、朝飯の時に会おう!」
「あ、ああ……」
なんとかしろと言われてもフィリウスのああいうところには慣れてしまっていて……しかしいざあれが師匠となると少し恥ずかしい気もしてくるという何とも言えない気分になったところで、オレはふっと息をはいた。
「よし、とりあえずエリルを起こそう。」
部屋を横断しているカーテンをくぐり、その向こうにあるベッドの上を見た瞬間――愉快な師匠のせいで生じた微妙な気分はパッと消え去り、オレは目の前のエリルにドキッとしていた。
エリルの寝相はかなり良くて、基本的には仰向けなのだが今日はたまにある横向きで……今のオレには布団にくるまるエリルの顔がよく見えている。
吸血鬼の力の暴走の時はさすが吸血鬼というか、エリルの首を見た時にヤバメな衝動が湧き上がった。ならば、普段のオレは何にドキリとするのだろうか。
聞いてもいないのに教えてくれたのだが、フィリウスのドキリポイントは「スタイリッシュな太もも」らしいが……
「ふぅむ。オレは今エリルの何にドキッとしたんだ?」
ベッドの傍まで行き、エリルの顔を覗き込む。ふわりといい匂いがする中、オレはエリルの寝顔をまじまじと眺める。
「……みんなにキ、キスされたりしたせいで唇にはドキドキするけど……それがオレのそれなのかな……目元……髪? うーん。」
こんなにじっくり誰かの顔を見るのは初めてかもしれない。
というかしかし――
「うん……オレの恋人は――ふへへ、やっぱり可愛いなぁ。」
我ながら恥ずかしい事を言いながら気持ち悪い笑いが出たものだと、言った後に若干自己嫌悪に入ったのだが……その時、エリルの顔がふるふると震えながらみるみる赤くなっていくのに気が付いた。
「!?!? ぶぇ、ば――エ、エリル? も、もしかして起きていらっしゃいました……?」
ベクトルは違うけどレベルとしてはお風呂場に突撃してみんなに――あ、あれな感じなあれをした時と同等の焦りを覚えるオレの目の前、エリルはゆっくりと目を開いていく。
「この――バカ……」
ものすごく恥ずかしそうに瞳を潤ませ、ものすごく怒っているようにも見えるドキドキしてしまう顔をしたエリルから、いつものように燃え盛る拳が飛んでくると思ってガードの準備をしていたのだが――エリルはふるふる震えるだけだった。
「ど、どうしてくれるのよこの空気! 朝からバ、バカじゃないのこのバカ!」
真っ赤なエリルが後押しとなり、たぶん史上最高に恥ずかしくなったオレの頭の中は一瞬で真っ白になった。
「わ、だ、ばっ! ご、ごめん! オレもなんかどうにかしてた感じでえっとえっと――どど、どうしましょう!」
「知らないわよバカ! ど、どうにかしなさいよ!」
「じゃ、じゃあえっと――え、えいや!」
互いの距離が近かったとか、それをするのにベストな姿勢だったとか、あとになると色んな理由をくっつけられるけど……単純にその瞬間のオレはパニクるとかテンパるっていう言葉を誰の目にも分かりやすく体現していたからどうしてそうしたのかを一切説明できない。
ただハッキリしているのは、うるうると怒るエリルが反則級に可愛かったって事で――いや、んまぁ、これが一番の理由だろう。
とにかくオレは――
「――!!」
エリルにキスをした。
「……」
「……」
見れても恥ずかしくて見れないけど、どっちにしたって近すぎてエリルの顔はもちろん見えない――っていうか全力で目をつぶってるから何にも見えないし、そもそもちゃんとエリルの唇にあたったのかもよくわからないし、ていうか何やってるんだオレは!
「……」
「……」
何やってるんだ――そう、何やってるんだっていう自覚はあるし、これは燃やされるとも思ったんだけど……しかしそのまましばらく時間は過ぎて……
結局……きっと二、三分そうしてから、オレはエリルから離れた。
視界に入ったエリルはむずむずした顔をしていて……赤い顔のまま、目を背けながら口をとがらせる。
「……だ、だから……長いのよ……」
「……す、すみません……」
そんなわけはないのだけど何事もなかったかのように起き上がるエリルと立ち上がるオレ。
「……なんでいきなりキ、キスなのよバカ……」
「……強いて言えばエリルのせいかな……」
「な、なんであたしのせいなのよ!」
「うん……こう……可愛すぎたというか。」
「ば――あんたってのはどど、どうしてそう……」
「うん……うん。エリル、オレはちょっと確信したぞ。」
「何によ!!」
「オレって、オレが思っている以上にエリルが好きらしい。」
「――!! こ、これ以上そういう事言うんなら燃やしてやるから!」
「ちょ、エリル、布団が焦げそうだから炎をしまうんだ!」
本気じゃなく、どうしようもないからなんとなく暴れる感じのエリルをなんとなくなだめ、そうしてオレたちは互いに互いをなんとなく眺めた。
「……おはよう、エリル。」
「……おはよう、ロイド。」
今更なあいさつに、ぷっと笑いがふきだ――
コンコン。
――す前に心臓が止まるくらいにビックリした。見ればノックの音がしたのは窓の方からで、ガラスの向こうにはみんなが――『ビックリ箱騎士団』の面々がこっちを睨んで立っていた。
「バカロイドくんめ! あ、あんなここ、ことを!」
「ロイくんボクにも! ボクにもおはようのチュー!」
「王子様キス……か、かっこいいね……いいなぁ……」
「……ロイドもああいうのするんだ……ふぅん……へぇー……」
ロイドが朝っぱらからしてきた嬉し――バカな事を見られた結果、ロイドは正座させられて四人――特にローゼルとリリーからギャーギャー言われてた。
「かか、仮とは言えこここ、恋人をしているのだからそーゆーことがあっても仕方なしというかわたしがそうであったならもっと色々――と、とにかく、こ、行為自体は一万歩くらい譲って片目くらいをつぶるとして! しかしそれを見てしまった以上は黙っていられないというか黙っている自信はないぞ!」
「ふぁ、ふぁい!」
ぐいぐいほっぺを引っ張られるロイド。対してローゼルは――とにかく真っ赤で怒ってるんだかなんだかわかんない変な顔で……いえ、たぶんあれだわ。
ロイドが時々言ったり……さっきみたいにしたりしてきた時になる変な気持ち。恥ずかしいを超えた感情っていうか……頭の中がグルグルして心臓がバクバクして、ただただのどが渇くみたいな気分……変な気を起こす一歩手前みたいな、ロイドが言うところの「ヤバイ」状態。
たぶん、ローゼルは――っていうか四人がそういう状態なんだと思う。
「どうにもならない変な気分だ! どうしてくれるのだ! あんな、あんな――責任をとるのだロイドくん!」
「へひひん!?」
「こ、このままでは、わたしは何をするかわからないぞ! 場合によってはロ、ロイドくんが出血多量で病院送りになる可能性もある! だだ、だからそうなりたくなかったらわたしにも――同じようにキスするのだ! 今すぐに!!」
「べふぇえっ!?」
変な声をあげたロイドはずざざーって後ずさって壁にぶつかった。
「にゃ、にゃにを言っているんですか!」
「ロイくん! ボクにもだよ、ボクにも!!」
「あ、あたしにも……へ、変な気分だから……」
「変て言うか……やらしい感じみたいなー?」
「いやいやいやいや! なんかおかしいですよ! エ、エリル! そうですよね!」
今までに増してカオスな状況の中、ロイドはあたしに助けを求めた。
あたしは……なんでかすごく落ち着いてる。恋人――のロイドが他の女にキスしてまわるとかいうわけわかんないピンチなのに。
まぁ、この四人が諦めないって言ってて、何よりロイドは押しに弱いからこういう変な状況にもいつかなるかも――なんて想像をした事がないわけじゃないっていうのもあるかもしれない。
でもそんなのよりもこの四人……あたしから見てもか、可愛かったりスタイル良かったり、色々と男心をくすぐりそうなモノを持ってる強敵の中、ロイドはあたしを選んだのよ。しかもさっき――あんな事も言ってたし……
王族として生まれたあたしは、昔々の王家の――色恋沙汰みたいなのをぼんやりと知ってる。その中で知った言葉で言えばきっと、今のあたしは――
「…………やんなきゃおさまりそうにないし、やるしかないんじゃないの?」
「えぇっ!?」
……あれ? っていうか確か、ロイドが他の女の子にしたりされたりしちゃった事はあたしにもするとかいう変な決まりを作らなかったかしら。
え? じゃ、じゃあもしかして……あ、あたしはこの後、ロイドによ、四回も――!?
「――!! がが、頑張るといいわ……」
「ぶえぇっ!?!?」
ローゼルたちの要求よりも、その後に起こる事で頭の中がいっぱいになったあたしを、怪訝な顔で睨むローゼル。
「……どういうつもりで許可を――いや、許可など得ずともしてもらう事は確定なのだが……詳しい事は後々問いただすとしよう。まずはロイドくん! さぁさぁ!」
「そ、そんな!」
「だだ、だいたい前にしただろう! あれの続きみたいなモノだ! ただ今回はロイドくんからというだけ!」
「ハードルが桁違いでばぁっ!? リリーちゃんいきなり抱き付かないで下さい!」
「ロイくん、嫌なの?」
「い、嫌じゃないですけどあの!」
「じゃあ……ね?」
「観念するのだロイドくん!」
「王子様キス……えへへ……」
「んふふ、優しくねー?」
「びゃああああああああああああっ!」
「なんでここにいるんだ?」
田舎者の青年が過去に例を見ない「女難」にさいなまれている頃、彼の師匠である筋骨隆々とした男は女教師に引きずられて連れて来られた学院の長の部屋で思いがけない人物に出会っていた。
「ご無沙汰しております、フィリウスさん。」
「ご無沙汰って……ついこの前会話したろ。」
「魔法による通話ですから、やはりご無沙汰でしょう。」
「まーそうだが。で、何のようなんだ《ジューン》。」
筋骨隆々の男、女教師、そしてこの部屋の主である学院の長を比較対象にするのであれば、年齢的には女教師に近いだろうか。
死神が羽織りそうな真っ黒なローブで身を包み、身の丈を超える曲がりくねった杖を手にしている。道に迷った森の中で霧の向こうから現れて道を示す不気味な老人のような姿の男だが、片目を髪で隠したその容姿は美しく、「美男子」という表現がしっくりくる。
「先日、フィリウスさんから第六系統について質問を受けましたが……少し妙だと思いまして。」
身振り手振りを加えて話す人はそこそこいるだろうし、実際この《ジューン》と呼ばれる男もそのタチのようだが……少し腕を動かすだけで、その真っ黒なローブの下からジャラジャラと何かの音が聞こえて来る。しかしその騒音には全員が慣れているのか、特に何も言わずに話を聞いていた。
「質問の内容は第六系統の使い手であれば誰もが答えられるモノでした。国王軍に闇魔法の使い手が一人もいないわけはありませんし……なぜ? そう思って少し調べてみたところ、思いの外大きな事件が起きたようで。」
「まぁその通りだが、それでお前が来る程のことじゃないだろ。」
「いえ……もしやと思い、呪いをかけられた貴族の遺体を拝見させてもらったのですが――」
「おい、一応まだ死んじゃいないぞ。」
「――失礼。お身体を拝見させてもらったのですが、あれを施した術者は凄まじい使い手です。もしかすると、歴代の《ジューン》が追い続けている相手かもしれません。」
「ほぉ、そんな奴が。」
「《オクトウバ》が『イェドの双子』を追うのと同じです。同系統の使い手の大悪党は、各十二騎士にとって無視できないモノですから。」
「わからんでもない。で、俺様には闇魔法はさっぱりなんだが、あれはそんなにヤバイ呪いだったのか?」
「贅沢な使い方をしていました。肉体強化に加えて戦闘技術や魔法の知識の付与、はては強力な魔眼に匹敵する能力を身体のあちらこちらに。あれだけの呪いを同時に一人の人間――しかも貴族という素人中の素人に施し、かつ呪いの干渉が起きないように絶妙なバランスをとっている……神業と言っても良いのに、例の襲撃が起きた段階では全ての呪いが完全に定着しきっていない状態だった。」
「なに? じゃあアレ本来の実力はもっとやばかったってわけか?」
「知恵や工夫を除いた単純な戦闘能力なら、《ジャニアリ》に届いたかもしれません。そんな超高等魔法をあっさりと捨て駒に……」
「要するに、あの呪いをかけた奴にとっちゃそんな神業も朝飯前のちょちょいのちょい程度の感覚っつーわけだ。なるほど、そりゃ大物だな。」
「そして、その大物が再び襲撃を仕掛けて来る可能性の高い場所へフィリウスさんは出向こうとしている――そうですね?」
「同行させろってか?」
「是非。仮に相手がこの男であった場合、《ジューン》の悲願であるという以前に――フィリウスさんだけでは勝てない可能性があります。」
ピクリと眉を動かしたフィリウスに対し、《ジューン》はしゃべりながら一枚の写真を突きつけるように見せた。
「自身の悪事を完璧に隠ぺいし、全てに別の犯人を用意して裏の世界を渡り歩き、何食わぬ顔で表の世界をも闊歩する。何一つとして証拠はありませんが、歴代の《ジューン》が残してきた資料はこの男が犯人であると示している。幻術や幻覚、呪いの尋常ではない使い手――指名手配されていない最悪の大悪党――ザビクと呼ばれるこの男が相手では。」
写真に写っている老人を見て、フィリウスはため息をついた。
「当然、今もこの姿ってわけじゃないんだろ?」
「はい。唯一の写真ではありますが、ザビクは百年以上生きているはずですから……おそらく闇魔法で容姿は変えているでしょう。」
「だろうな。だがまぁとりあえず同行の話だが、悪いが断る。」
「! なぜ!?」
「俺様だけだとヤバイかもっつー意見はたぶんその通りだ。どんな奴にも負けはしないと豪語したいところだが、闇魔法は専門外だからな。」
「では――」
「理由は二つ。一つは、事の始まりがうちの国王軍への襲撃って段階でこの事件がフェルブランドの問題になってるってこと。《ジューン》、お前からしたら外国の出来事だ。十二騎士は依頼があれば世界中に赴くが、何もないのなら基本は自分の国の騎士だ。現状、十二騎士の《ジューン》に対して依頼は出ていない。その上、そもそもお前、今自分の国でデカいヤマを抱えてるだろうが。質問だけで済ませた理由もそれなんだぞ?」
「――っ……その通りですね……ではもしも捕らえる事が――いえ、その場で殺すべきですね……」
はがゆそうな顔をする《ジューン》だったが、最後にはキリッとした顔になった。
「了解しました。ならばせめて、十二騎士の《ジューン》としての忠告を。」
「おお。そういうのなら喜んで聞くぞ。」
「……ある一定以上の実力を持つ第六系統の使い手を相手にする際には、とどめを刺す直前に最も注意を払って下さい。相手に魔法を使う隙を与えないように。」
「そのこころは?」
「自身の命を代償に、置き土産をしていくからです。」
「ああああ……オレってやつは……」
スピエルドルフに行く前に、お姉ちゃんから借りてきた――ローゼルが言うところの戦闘服に着替える為にみんながそれぞれの部屋に戻った後、ロイドはもんどりをうつみたいにベッドの上で顔を覆いながらジタバタしてた。
「ロイド、あんたも着替えるのよ。お姉ちゃんに渡されたこれに。」
「……エリルはなんでそんなに落ち着いてるんだ……オレときたらあれですよ。師匠譲りのとっかえひっかえ野郎ですよ。」
結局四人の押しに負けて全員にキ――をした後……
「うむ……やはりするのとされるのとでは違うのだな……これは……いい。」
「でへへ。えへへ。うぇへへへへー、んもぅ、ロイくんてばロイくんてば!」
「――は、恥ずかしい……」
「……んん……うん……」
四人がほくほく顔なのに対してロイドは……たぶん過去最高に真っ赤な顔で目をぐるぐるさせていた。
「しかししてもらっておいてなんだが、まるで酸っぱいモノを食べた後のような表情でとても「がんばって」していたからな。できればもう少しロマンチックにして欲しかったところだ。」
「む、むひゃをいわないでくははい!」
ろれつがおかしいロイド。
「まぁ確かに、相手はロイドくんだからな。今後の第一歩だと考えれば上々だろうか。」
「今後!? こここ、こへ以上なにを――!?」
「ランク戦の時に約束したデートの件もあるわけだし、色々あるだろう? 今日のこれを一つの機として、今以上にロイドくんとの関係を深めていくのだ。そしてロイドくんは気が付く――エリルくんではなく、わたしであると。」
そういう事を本人の前で言うローゼルは、恥ずかしい事を本人の前でさらりと言うロイドと似たところがあるわね……
「普通に考えたら奇妙――いや、異常とも思える状況に、きっと今後もわたしはロイドくんを引きずり込む。その度にロイドくんは――そう、とりあえず今の恋人であるエリルくんへの罪悪感だとか、美人でナイスバディなわたしに対しての理性との葛藤、出血などが伴うだろう。しかしそれでロイドくんをわたしで染められるなら――ロイドくんの気持ちがわたしに向くのであれば躊躇はしない。」
「――!! どど、どうしてほんな……」
「どうして? ひどい事を言わないでくれよ、ロイドくん。好きというのは人を嵐に飛び込ませるのだ。要するにそれだけ――」
すぅっとロイドに近づき、その唇に人差し指をそえたローゼルが呟くように言った。
「きみが好きなのだ。」
なんかもう二回目の告白みたいな、そんな感じの抜け駆け……的な事をしたローゼルと、そんなローゼルにいつものようにギャーギャー文句を言いながらも同じようにロイドに迫ったリリーと、ほんのりと言葉を残したティアナと、やらし――色っぽく身体を寄せたアンジュたちは沸騰しそうなロイドを置いて部屋を出て行った。
で、そのあとロイドはじたばた。
「……そりゃあ色々思うところはあるけど、でもしょうがないじゃない。そういうところがあんただもの。」
でもって、あんなカオスな状況でドロドロの……殺伐? とした感じにならないのが、このロイドっていう間の抜けた田舎者を巡る戦いの変なところなのよね。
「しょうがない……エリル、オレってそんなに魅力あふれる男なのか?」
「自分で言うんじゃないわよ……それにそんな事を、あ、あんたの事を好きって言ってるあたしに聞くんじゃないわよ、バカ。」
「は、はい……あ、そうか。オレ、七年も放浪してたから……その、なんていうか、たぶん普通の恋愛観からはずれたモノを持ってる――と思うんだ。も、もしかして今、オレがこうやって恥ずかしい感じになってるのって普通の事なのか?」
「どう考えても異常よ、バカ。」
「ですよね……」
「だいたいそんな事言ったらあたしだって、ここに来るまではずっと家庭教師みたいなモノだったし、同年代の知り合いはみんな貴族とかだし……きっとあんたの言う普通の恋愛観なんて持ってないわよ。」
「そうか……変な二人がこ、恋人同士になっちゃったんだな……」
「そ、そうね……」
「……っていうかエリル、同年代の知り合いなんていたのか。」
「……あんたみたいに知り合い全員が自分に惚れてるなんていうような感じじゃないわよ?」
「ごめんなさい……」
複数の女の子に好きって言われるっていうだけでとんでもないのに、その上全員が可愛いやら美人やらナイスバディやらで……そんな中で好きだなぁって思う女の子がいて、その子とめでたく恋人的な関係になったと思ったらみんなは諦めないと宣言し、それまで以上の猛攻をしてくるようになり……まるで男の理性を試されているような、きっと他の男子がうらやましがるだろうしそういうのに憧れるような気持ちがないわけでもなかったと思うけど実際になってみるとオレのキャパシティー? を遥かに超える状況でヤバイ。
そんな中で諦めないと宣言した――というよりは実はずっと昔に恋人だったかもしれない女の子にこれから会いに行くのだ。
「どうした大将。似合わない格好したから頭の中までかしこまって固まったか?」
ドレスアップしたみんなはきれいで、いつもと違う感じの髪型とかお化粧した感じとかにドキドキしながら、加えてぐぐっと目を引くむ、胸元やら背中やら脚やらに追加ダメージを受け――しかし再びやってきたフィリウスの顔を見たらほっと落ち着き、しかしこれまたその落ち着きのせいでついさっきのカオスな出来事を思い出してしまい、目の前の美女たちの姿と重なって余計大きなダメージを受けたオレは、どうにかこうにかいつものボロい格好の師匠に話しかけた。
「フィ、フィリウスも来るんだな……」
「ま、理由は色々あるんだがな。俺様的に、メインの理由は懐かしいメンツに会いに行くのと、俺様自身の記憶探しだ。大将経由でいじられちまったらしい、スピエルドルフでの思い出をな。」
「思い出か……そうだな。」
「ああ。熱い夜を忘れたとあっちゃ《オウガスト》の名がすたる。」
「……別に歴代全員がフィリウスみたいってわけじゃないだろ……」
「そうでもない。俺様が《オウガスト》になった日、トーナメント場で先代にこう聞かれた。「お前、女は好きか」ってな。」
「……なんて答えたんだ?」
「「勿論だ。ちなみに俺様は尻や太ももが好きだがあんたは?」。」
「……なんて答えたんだ?」
「「ふ、俺は二の腕だ。」。いやぁ尊敬できる漢だった。惜しい騎士を無くしたもんだ。」
「! 亡くなったのか?」
「ああ。そもそも俺様とやり合った時点で五十過ぎだったからな。そのくせ《オウガスト》じゃなくなった後も現役で活躍して、いい加減に身体にガタが来て最後は病気で亡くなった。俺様に鼻血モノの秘蔵のお宝を託してな。」
「言っちゃ悪いがしょうもないな。」
「なに言ってんだ。大将だってそのお宝の内の一つを持ってるだろうが。」
「ば、んなの持ってねーよ!」
「いやいや、その二本の剣がそうなんだよ。」
「えぇ? この――回復魔法がかかってる剣がか? オレはてっきりフィリウスが作ったのかと思ってたんだが……」
「おいおい、俺様は第八系統以外が学生レベルで止まってるんだぞ? そんなの作れん。もらったはいいが俺様はデカい剣が好きだからな。そういうチンマイのは性に合わなくて困ってたんだ。だから大将にやった。」
「そうだったのか……」
「しかし大将、そういう格好は大将の性格には似合わないが容姿には似合うな。」
「いきなりなんだよ……ていうかフィリウスはその格好で行くのか? 一応――スピエルドルフの女王様からの招待なんだぞ?」
「物理的に、俺様に合うパリッとした服がないんだ、しょうがないだろう。」
「……鍛え過ぎも考えもんだな。」
あたしたちのドレス姿を見ていつも通りにわたわたしてたロイドがフィリウスさんとの会話で元に戻ってく。さすが、七年も一緒に過ごした相手ってところね。
「ロイドくんが「持ってねーよ」とか言うのは新鮮で良いのだが、そろそろ行かないか?」
長年の相棒同士の会話が延々と続きそうな気配がしてきたのを感じてか、ローゼルがそう言った。実際、フィリウスさんと話してるロイドは口調がいつもと違くて……ちょっと悔しい感じがするのよね……。
「じゃ、じゃあ行きますか。」
いつでもどこでもスピエルドルフの近くに移動できる魔法がかかった黒い指輪をはめたロイドがその手を壁に置く。すると真っ黒なドアが出現した。
「うわ、ホントにすごいな、これ。」
おそるおそるドアを開いてその向こうを覗いたロイドは、ドアを大きく開きながらそう言った。
ロイドが驚くのも納得で、ドアの向こうにはどこかの平原が広がってた。あたしたちはおっかなびっくりそのドアをくぐってその平原に移動して、最後にロイドがくぐると黒いドアは消えてなくなって……ドレスアップしたあたしたちはどこかの原っぱにぽつんと突っ立ってる状態にな――
「な、なによこれ……」
周りをキョロキョロ――するまでもないくらいに、あたしたちの背後には巨大な黒い壁がたってた。右にも左にも上にも、一体どこまで続いてるのかわからないくらいに巨大な黒い壁。まるでそこで世界が終わってるような感じだった。
「みんなこっちだよ。」
唖然として壁を見上げてたら、ロイドがあたしたちを呼んだ。見ると、壁の一か所に小さな小屋みたいのがくっついてる。
「あれがスピエルドルフの検問なんだ。壁に沿って東西南北にそれぞれ四か所あるんだよ。んまぁ、その内の一つは海の上にあるんだけど。」
このメンバーじゃあロイドとフィリウスさん以外経験がない、魔人族の国への入国。あたしは今更にドキドキしながらロイドについて行った。
「すみませーん。」
ロイドがチケット売り場みたいな窓口に声をかけると、中から猫耳――じゃない、猫の顔をした――じゃなくて、猫が立ち上がったみたいな人が顔を出した。
「許可証を拝見。」
「あー……えっとですね、オレたちミラちゃ――女王様から招待を……」
「! もしやロイド様――ああ! ロイド様だ! おい、ロイド様が来たぞ!」
中にいる誰かに声をかけ、猫の人は小屋の外に出てきた。服とかは着てなくて、本当に二足歩行する猫という感じだった。
まぁ、ただあたしたち位の身長なわけだから猫と思って眺めると相当大きく感じるわね。
「お話は伺っています。ロイド様とフィリウス殿、それと――えぇとロイド様の侍女の方々でしたっけ?」
「ち、違います! みんなはオレの――」
「あ、愛人ですね。お噂通りおモテになられるようで。」
「違います! というか何ですかその噂!」
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。一人の男に対して一人の女というのが人間の国の常識のようですが、ここにはそういうのありませんから。何代か前の国王様には奥様が三十人ほどおられたそうですし。」
ふふふと笑う猫の人の前、呆然とするロイドの肩にフィリウスさんが手を置く。
「よかったな、大将!」
「なにがだよ!」
「お二人はお持ちですよね、許可証。持っていないのは愛人のみなさんで?」
「愛人じゃないけど持ってはいないわ。」
「おや、正妻狙いですか? 女王様は手強いですよー。どうぞこれを。」
ニコニコ笑う猫の顔ってこんなんなのかしらと思いながら、ついでに……せ、正妻はあたしなんだけど……って思いながら、紙を受け取る。
べ、別に側室を認めてるわけじゃないわよ?
「ほう、これがスピエルドルフへの入国許可証か。さすがに厳重なモノだな。」
「おわかりですか。許可証は夜の魔法の一部ですから、かかっている魔法の解除、改変は不可能です。ちなみに許可証が許可している者以外が使おうとすると……具体的には言いませんけどひどい目にあいます。」
あたしの名前が書いてある入国許可証からちょっと怖い事を言った猫の人に視線を戻したあたしはぎょっとした。
『おお、ロイド様。よもやこちらの検問所をお使いになられとは。お会いできて光栄です。』
いつの間にか猫の人の隣に立ってた……いえ、立ってたっていう表現が正しいのか微妙な人……ではないからえっと……そう、魔人族がいた。
簡単に言えば、ドロドロのスライム状の液体をこんもりとさせててっぺんに大きな目玉をのっけたような感じ。魔人族の国に行くっていうことである程度の想像はしてきたけどいきなり斜め上の魔人族が現れたものだわ……
『未来の国王様だ。よし、記念撮影をしよう。』
「み、未来の? えぇっとあの、オレってスピエルドルフでどんな風に言われているんでしょうか……」
目玉の人に普通に話しかけるロイドがなんだかすごいわ……
『つい先日の事です。女王様が国民全員を対象にとある魔法をかけましてね。すると……ええ、どうして今まで忘れていたのか自分が信じられないのですが、国民全員がロイド様の事を思い出したのです。具体的にどういう事を思い出したのかをロイド様に伝える事は禁じられたのですが……お教えできる事があるとすれば、それはロイド様がこの国の恩人であること。女王様のお心を射止めた方であること。そして――多くの国民が、貴方様を次期国王として迎えたいと思っていること。』
「オ、オレが……というかオレをですか?」
『ええ。ですから是非記念の一枚を。』
いきなりの壮大な話にビックリするあたしたちは、その後の目玉の人に行動にもっとビックリした。
『どうぞ、この検問所を背に並んでください。』
目玉の人の頭の上……って言うと変だけど、ようは上から下に、身体の真ん中に線が走ったと思ったらそこを境目に目玉の人は二つに分裂した。そして真っ二つになったそれぞれがそれぞれに欠けたところを修復し、結果的に目玉の人は二人になった。
「すごいですね。」
普通に感想を言うロイドに目玉の人が首を――目玉をかしげる。
『いえいえ、この程度。うちのレギオンマスターなら一度に百以上は分裂できますからね。』
……どうやら照れたらしい目玉の人の片方があたしたちの横に、そしてもう片方があたしたちからちょっと離れたところに立ってその目玉をこっちに向けた。
『人間はこういう時こう言うんでしたか。撮りますよー。ハイ、チーズ。』
カメラがないからどこを向けばいいのかわからなくて、なんとなくその目玉の方を見てたら一瞬その目玉の奥が光った。
『ありがとうございます。』
「どうもです。じゃあこちらへどうぞ。ヴォルデンベルグにつなぎましたから。」
小屋の横にアーチ状のくぐり抜けるような場所があって、そこにさっきの黒いドアと似た雰囲気の不思議な光が灯ってた。どうやらあれを通って国内に入るみたいなんだけど……
「……ヴォルデンベルグってどこよ。」
あたしはロイドに小声で聞いた。
「スピエルドルフには街が五つあって、デザーク城……王族が住むお城のある街がヴォルデンベルグっていうんだ。んまぁ、つまりはスピエルドルフの首都かな。」
……そっか。ちょっと勘違いしてたっていうか、勝手にスピエルドルフを都市国家みたいに思ってたわ。スピエルドルフっていう国があって、そこの首都がヴォルデンベルグっていう街で、そこに――デザーク城っていう王城があって、そこに女王カーミラがいるってわけね。
「ではごゆっくり。」
猫の人と目玉の人に見送られながらアーチをくぐると……何にもない原っぱから薄暗い街中に、あたしたちは移動した。
「これがスピエルドルフ……魔人族の国なのね……」
ロイドとフィリウスさん以外、あたしたちは周りをキョロキョロと見まわした。
ちょうど街の入口みたいな場所に出たみたいで、目の前には大きな通りが三つほど見えてる。商店が並ぶ感じとか街灯とか、別に人間の街と変わらない雰囲気なんだけど、そこを歩いてる人が文字通り人間じゃない。加えて……さっき見た真っ黒の壁がたぶん夜の魔法で、それの内側であるこの場所は本当に暗い。まさしく夜で、今は昼間のはずなのに夜景がきれい。
……っていうかちょっと暗すぎじゃないの……?
「ロイくーん、どこにいるのー?」
「ここだよリリーちゃ――わ、きゅ、急に抱き付かないで……ってあれ? アンジュ?」
「へー、こんなに暗くてもわかるんだー。あたしの匂いがするとかー? それとも胸の大きさだったりー?」
「ち、違うよ、魔眼のおかげで普通に見えるんだよ……み、みんなも目が慣れてくればそこそこ見えるようになるよ。んまぁ、それでもちょっと暗いんだけどね。」
「ふむ、当然と言えば当然か。魔人族全員がきっと夜目が効くのだろうし、そんな彼らに合わせた光量で街の明かりが調節されているのなら、昼間に生きるわたしたちには若干光量不足だろう。」
きりっと解説するローゼルだったけど、目が慣れてきてふと周りを見たら、ロイドの腕とか背中とかに全員がくっついてた。
……あたしも含めて。
「ちょ、な、なんでみんなしてオレに……見えないんじゃ……」
「み、見えないのはそう、なんだけど……な、なんかロイドくんの場所はわかるなぁって……」
「なに? 大将、いつからそんなフェロモンを。」
「ねーよんなもん!」
「お待ちしておりました。」
ロイドがあたふたしながらあたしたちから離れたあたりで、ふよふよ浮きながら誰かが近づいてきた。
「皆様のご案内を任されております、マーレ・クロンファートと申します。海のレギオンのサブマスターを務めております。」
そう言ったその人……魔人族は、あたしたちで言うところの人魚だった。かなり美人な女性の上半身に、暗くてもわかる綺麗な鱗のついた魚の下半身。絵本に出て来る人魚そのまま――なんだけど、この人魚が登場した瞬間、稀に見る一致団結の連携であたしたち女勢はロイドの目を覆った。
「ちょ、あ、あんた何か着なさいよ!」
「?」
首をかしげる人魚。そう、その人魚は上半身裸だった。長い髪の毛でなんとか隠れてるけど、その立派な胸は堂々とさらされてる。
「――あ、これは気づきませんで。そういえば人間はそうでしたね。すみません、服を着る習慣がないもので。」
「服を着ないってどういうことよ!」
あたしがそう言うと、フィリウスさんが――その人魚の胸に目線を釘付けにしながら解説した。
「人間と違い、魔人族は多様な姿を持ってるからな。文化の違いが人間同士の国の差を遥かに超えるレベルであるのは当然だ。一見変わりがないように見えるあの辺の店も、商品の並べ方とか扉の位置とかが全然違う。しかも店によってな。トイレとかに入ると大きなカルチャーショックを感じるだろう。」
「で、でも服くらい着たっていいと思うわ……」
「そういう人魚もいるだろうが、彼女はそうじゃないってわけだ。そもそも、さっき検問所で会った猫いたろ? あれだって服を着てない素っ裸だ。魔人族側に言わせれば、温度調節なんかの実用性の面での話ならともかく、恥ずかしいどうこうが毛深いのとそうでないのでわかれる意味がわからないとさ。」
……言われてみれば納得だわ。で、でもこのままだとロイドが鼻血を……
「ではこれでどうでしょうか。」
人魚がそう言うと、その周りに水蒸気……いえ、雲がもくもくと発生して人魚の上半身を包んでいった。
胸の部分だけで良かったような気もするんだけど、上半身をモクモクさせた人魚は最終的に……まるで羊の身体から女性の顔と両手、でもって魚の尻尾が出てるみたいな面白い姿になった。
「……それなら問題ないわ。」
「それは良かったです。ではどうぞこちらへ。」
まるで空中を泳ぐみたいに尻尾――いえ、尾びれ? をゆらゆらさせて進む羊人魚について歩くあたしたちは、街を歩く魔人族の注目の的だった。「なんで人間なんかが」っていうよりは「わぁ、人間だー」っていう感じの比較的印象の良い視線なのは幸いね。
「クロンファートと言ったか? 水のレギオンのサブってことは、フルトのとこのナンバーツーってことだろう? でもそれって前は牛っぽい奴じゃなかったか?」
前に来た時の話なのか、フィリウスさんがそう尋ねると羊人魚――マーレは、ふふふと笑ってこっちに笑顔を向けた。
――っていうか、その格好で振り向かれると笑っちゃいそうだわ……
「人間の世界の軍と同じく、レギオンは完全な実力主義ですから。マスターの座がそうなる事は少ないですが、それ以外であれば入れ替わりはたびたび。」
「ほう。人魚というとバトルのイメージはないが、相当強いんだな。」
ニヤリとするフィリウスさんだったけど、マーレは「いえいえ」と手を振った。
「オルム様に勝利されたことのあるフィリウス様には及びませんよ。」
「何気に含みのある言い方をする。久しぶりに血が騒ぐなぁ、おい。今度はマスター全員と戦ってみたいもんだ。」
「物騒な事言うなよフィリウス。こう……十二騎士の立場みたいのないのか?」
「わかってないな、大将。むしろ最も自由に動ける立場なのが十二騎士だ。」
弟子であるロイドには受け継がれなかったらしいフィリウスさんの好戦的な武勇伝を聞きながら歩くこと二十分、あたしたちは真っ黒なお城にたどり着いた。大きな扉をくぐり、真っ赤な絨毯が敷き詰められた豪華な城内を進むことさらに十分。マーレに促されて入った部屋で、あたしたちはスピエルドルフの女王に謁見した。
言い方を変えると、権力っていう意味で言えば最強の恋敵であるカーミラ・ヴラディスラウスに再会した。
「ああ、ロイド様! なんて素敵な御姿! ワタクシの為に正装を――は、もしやこのままウェディングを!?」
ロイドの前では落ち着いた女王様モードでいるのかと思ってたんだけど、普通に素が出てきたわね……
「い、いやほら、一応……国賓? みたいなものかと思って……いえ、思いましたんです、はい。」
「敬語はよして下さい、ロイド様。ワタクシとロイド様の間柄なのですから。」
前に学院に来た時と同じ……じゃないんだけどやっぱり黒いドレスにコウモリの髪飾りっていう格好のカーミラは、キラキラした目をパチッと閉じて物憂げな表情になった。
「ああ……申し訳ありません、ロイド様。予定では国務等に区切りをつけ、今日明日はロイド様と密な時間を過ごすつもりだったのですが……今少し、雑務が残っている状態なのです。」
「いや、ミラちゃんは女王様だし、仕方がない――よ。」
「あぁ、お優しいロイド様。ですが折角なのですから、少しでもロイド様が記憶を取り戻すお手伝いをと考え、そこのマーレをつけました。」
今一度ペコリと頭をさげるマーレ。
「思い出のたくさん詰まったこの城内や街中を、どうぞご自由にお歩き下さい。何かを思い出せるかもしれません。」
「そうだね。うん、そうさせてもらおうかな。」
「ではまたすぐに――ああ、ロイド様?」
「なに――うわ!」
玉座的なところに座って、位置的にあたしたちを見下ろしてたカーミラは、気づくとロイドの目の前にいた。
「血を――ほんの少しでもいただけませんか?」
「え――えぇ!?」
「この前はそこの皆さんにおあずけをくらってしまい、あれからというものロイド様の――あぁああ、その血が飲みたくてたまらないのです! 首から――は後にとっておきましょう、せめて指先からだけでも! きっと雑務が通常の十倍の速度で片付きます!」
「べ、別にいいけど……えっと……指を切ればいいのかな……」
そういえばお城に入るっていうのに没収されなかった剣を抜き、ロイドは指先を少し切った。その瞬間、カーミラの目の色が変わり、表情がものすごくやらし――色っぽくなった。
「はぁああ……あぁぁ……」
ドギマギするロイドの前、指から垂れる血をすくうように舌をはわせ、カーミラはロイドの指をパクッとくわえた。
「びゃひゃあっ!」
ビクッとなるロイド。それはたぶん仕方ないと思う――くらいに、なんていうか……エ、エロい光景と音だった。
あらい呼吸と濡れた唇からもれる唾液の音。そのままロイドの骨まで舐め尽してしまうんじゃないかってくらいのいきお――
「姫様、それくらいに。」
見てるこっちが変な気分になってくるヤバイ光景が一分くらい続いたところで、トロンとしたカーミラを背後から羽交い絞めにする感じで持ち上げたのは――蛇人間だった。
「やれやれ。我らが王たるヴラディスラウスの方々は基本的に素晴らしいのだが、愛する者の血を前にした時だけはどうしようもない。」
「おお、マルムマルムじゃないか!」
「ヨルム・オルムだ。毎度毎度わざとだろ、お前。」
口調的にはあきれてるんだけど、蛇の表情なんか読み取れないあたしには無表情に舌を出してるようにしか見えない……
「――…………は! いけない、ワタクシったら……」
我に返ったカーミラは、それでもトロンとした顔でロイドを見つめる。
「はぁあ……あぁぁ……身体の底から力が湧き上がります……ふふふ、今なら何でもできますね……しばしお待ちを、ロイド様。」
ふらふらと玉座の方に歩いていって、その途中で黒い霧にかすむみたいに消えたカーミラ。あんな千鳥足で大丈夫なのかしらって思うけど……でも確かに、なんていうかカーミラから感じる――存在感っていうのか圧力っていうのか、吸血鬼としてのそれが急激に大きくなったような気がするわ。
「あばばば……」
対してロイドは、濡れた指先をそのままに呆然としていた。
「……とっとと拭きなさいよ。」
「――はわ、あ、ご、ごめん、ありがとうエリル……」
あたしがハンカチで指を拭く間、蛇――えっと、ヨルムがシュルルとしゃべる。
「本来であれば気心の知れたユーリとストカを案内につけるべきなのですが、生憎二人とも訓練中でして。夜には合流できるかと思いますが。」
「夜ってお前、ここはいっつも夜だろうに。」
「時間で区切ってる――って知ってるだろうが。」
旧知の仲っぽいフィリウスさんとヨルム。マーレのさっきの話からすると、この二人は戦った事があるみたいね。
「それまでの案内役として……我が国が初めての方もいるという事なので出来るだけ人間に近い姿で、かついざという時も頼れる実力者を選んだ結果、そちらのマーレがお供する事となりました。どうぞなんなりと――」
「え、いざという時があるわけ?」
思わず口に出たあたしのその質問に……たぶん、少し残念そうな表情……になったと思うヨルムが答えた。
「ええ、お恥ずかしい限りですが……我が国にも悪党はおりますので。」
それは――いえ、それはそうね。やっぱりあたし、スピエルドルフに対して色々と勘違いしてるわ……
「つっても人間の国よりは百倍近く安心だろう? 夜の魔法があるんだからな。」
「……歴代の王たちが代々強化してきたからな、いつか一切の悪事を行えない国になる事は断言できる。しかし今はまだそうではない。金品を奪う者、無差別に殺しを楽しむ者、ただただ騒ぎを起こしたい愉快犯。そういった犯罪者は確かに存在している。」
そこまで話したヨルムは、ふとロイドの方を向いた。
……まぁ、蛇の顔をしてるから両目はロイドの方を向いてないような気がするけど。
「人間の国同様、我が国でも多くの事が犯罪行為として禁止されていますが、特にレギオンの面々が目を光らせている犯罪は――人間に危害を加える事です。」
「へぇ、ここじゃそれって犯罪になるの?」
ロイドの方を向いて真剣な声色で話をしてたヨルムにリリーのケロッとした声が挟まる――っていうかリリー――
「何言ってんのよ、当たり前じゃない。」
「当たり前じゃないよ、エリルちゃん。だって――」
ふっと、たまに見せる黒い……冷たい表情でヨルムを指差したリリーはこう言った。
「人間の法律に、魔人族を殺しちゃいけないっていう文言はないもん。」
「!」
あたしはショックを受けた。リリーの態度とか言い方がどうこうってわけじゃなくて、リリーが言ったその事実にだ。
例えばの話、カーミラは人間と同じ姿で言葉も通じる。だけどそのカーミラを――殺したとしても、スピエルドルフで重い罰を受ける事はともかく、少なくとも人間の法律では裁かれない。
魔人族は人間と根本的に違うとかなんとか、魔人族の方ばっかりに目をやってたけど……人間の側の、しかも法律っていう大事な部分がその違いを明確にしてた。
……あたしが思う以上に種族の差って言うのは大きくて……そしてあたしが思うよりも圧倒的に、ロイドとカーミラが婚約してたっていうことは一大事なんだわ……
「その通り。しかしそれは当然の事――」
ロイドの方を向いてたヨルムの顔がリリーの方に向く……そう、リリーの方を向いたんだけど、同時に視界におさまったあたしたち――スピエルドルフが初めて勢はそこで、まさに蛇に睨まれた状態になった。
「殺してはいけないという言葉には、殺すことができるという前提が必要なのですから。」
ゾッとした。
あたしたちが同族――人を殺してはいけませんって言われる裏には、やろうと思えば人は人を殺せるっていう事実が……ええ、確かにある。
じゃあ……魔人族相手には? 殺してはいけませんっていう文言がないって事は……それはつまり、もしも殺さなきゃいけないと感じた時に法律が足を引っ張らないように……全力で命を奪いに行けるように……
要するに、人間は魔人族よりも弱いから、基本的に魔人族を殺せないんだ。
「なぜ自分たちよりも弱い生き物を殺してはいけないのか。どうして、さもこの世の支配者のように振る舞う連中に現実を教えてはいけないのか。人間に危害を加える犯罪者らの文句は決まってこんな感じです。しかし、それは間違いだ。」
あたしたちの方を向いたまま、ヨルムの指がフィリウスさんを指差す。
「生物学的に言えばそうでしょう。しかしこうして魔人族を超える実力を持つ人間も存在している。仮に魔人族と人間で全面戦争をした場合、魔人族は余裕の勝利をおさめるか――答えは否。こういった強者によって同胞の命は絶たれ、被害は甚大……下手をすれば敗北もあり得る。何かを奪い合わなければ共存できないわけではないのだから、人間とは一定の距離を置いて平和に過ごしていこう――これがスピエルドルフを建国した初代のお言葉。それゆえの――先ほどの法律なのです。」
「だけど、その法律を破る者もいて……そしてオレはミラちゃんと……」
ヨルムの顔がロイドの方に戻ると、あたしたちを包んでた身体の緊張がふっと無くなった。勝てる勝てないの話を通り過ぎた、捕食される側の気分っていうのがそれっぽい表現かしら。
初めて会った魔人族がこの蛇人間だったら、あたしは魔人族を大嫌いになってたわね……
「そうです。そういった連中にとってロイド様は最も……腹の立つ存在。本音を言えばレギオンで完全な護衛をしたいところですが、街中を行軍しては思い出せる記憶も引っ込んでしまうでしょう。故のマーレなのです。」
「……色々と気を使わせているんですね。ありがとうございます。」
「そのような事は……当然のことなのですから。おいフィル、お前も護衛の勘定に入ってるからな。」
「だろうと思った。心配するな、既に怖い妹ちゃんから釘を刺されてる。」
ヨルムと別れた後、あたしたちは――ヨルムがあきれた声で渡したシャツを羽織ったマーレと一緒にとりあえず街に出かけてみる事にした。
「ロイくーん、ボク怖かったよー。」
ロイドにひしっと抱き付くリリー……
「うん……オレも最初に会った時は怖かった――ような気がする。なんかちょっと思い出してきたぞ……あ、あとリリーちゃん、は、離れませんか……」
「だっはっは! レギオンマスターの中じゃあいつが一番怖い見た目してるからな! フルトはただの水だし、ヒュブリスは鳥だし。」
「ヨルム様はお優しい方ですよ。皆様の案内をする事が決まった際、こちらの本をくださいました。」
「ふむ、『人間の生態』とは愉快なタイトルだな。まぁこの国では別に変でもないのだろうが。少し中を見せてもらっても?」
「ええ、どうぞ。」
「うわー。優等生ちゃんったら、いきなり『人間の子作り』のページを開くとかアレなんだからー。」
「ち、違う! たまたまだ!」
「に、『人間の男・女との接し方』っていうペ、ページが……あるね……」
「急所一覧なんてのが横に書いてあるわよ……」
人間であるあたしたちにしたらだいぶ珍しい人間図鑑を見ながらしばらく歩いて、あたしたちは賑やかな通りにやって来た。
「おお! 大将、夜リンゴがあるぞ!」
そう言いながら出店の一つに歩いて行ったフィリウスさん。
「よ、夜リンゴ……ってなぁに……?」
「えっと……便宜的にそう呼んでるだけなんだけどね。」
上……たぶん夜の魔法を指差しながらロイドが説明する。
「ほら、ここっていつも夜だから作物とかは上手に育たないんだよ。でもそれは嫌だってことで、大昔にスピエルドルフの偉い学者さんがあらゆる作物の品種改良に成功したんだ。夜でも――というか太陽の光がなくても元気に育つようにね。そうやって生まれたスピエルドルフ専用の食べ物を呼ぶときに、オレたちが普段食べてるのと区別するために「夜」っていう言葉をくっつけてるんだ。」
「逆に、リンゴであれば私たちはみなさんが普段食べているリンゴを「外リンゴ」と呼びます。」
「要するにどっちも普通のリンゴなのだな。」
「ちょっと味が違うんだけどね。フィリウスはそのちょっとの違いにはまってるんだよ。」
戻って来たフィリウスさんは、その大きな手の平にリンゴを二つ持ってて、一つをロイドの方に放り投げた。同時に空気がふわりと動いてリンゴを分割、ロイドの手の中におさまる頃にはきれいに六等分されてた。
「……それ、よくやってたけど……今ならフィリウスの魔法の腕がすごいってわかるな。」
「変なところで感心するなぁ、大将は。」
「そうか? はい、みんなも。」
「ふむ……むぐむぐ……はて、なんだろうか? 確かにちょっと違うな。」
「か、香りかな……甘さとかは同じだね……」
「……これって、例えば太陽の光にあてたらしぼんじゃったりするのかな。」
「なんだリリーちゃん、もしかして夜リンゴを売るのか? 残念ながら、しぼみはしないが水分がとんでパサパサになるぞ。」
「そういえば商人ちゃんって商人だったんだよねー。」
「今更ね……」
リンゴ――夜リンゴをかじりながらまたちょっと歩いていると、たぶんあたしだけじゃない、全員が「あ」って思ったと思うお店が見えた。
「ちょ、ロイド。あれはマズイんじゃないの……」
「えぇ? 確か魚の味は変わらなかったはずだけど。」
「バカ!」
ぺしっとロイドを叩いたら、ふふふと笑ったのはマーレだった。
「もしかして、人魚である私が魚屋さんの前を通るというのはいかがなモノかと思われましたか?」
「え、ええ……だって……」
「ふふふ、そこは考え方の違いといいますか……事実をお伝えするなら、ミノタウロス族の方々だって牛肉は食べますし、オーク族の方々も豚肉は食べます。私も魚は美味しくいただきますしね。」
「そ、そういうものなの……?」
「似た姿……きっと遺伝子的に同じ部分が多いのでしょうけど、別の種族ですから。時に愛で、時に食す。みなさまと変わりありませんよ。猿の肉を食べる事もあるでしょう?」
「……あたしは食べたことないけど、そういう文化があるところもあるわね。」
「それと似た感覚ですよ。」
半分くらいだけど納得したあたしの横、珍しくローゼルが控え目に手を挙げた。
「ひ、一つ聞きたいのだが……」
「ええ、どうぞ。」
「魔人族には多種多様な者がいて……な、ならば……人を食べる魔人族もいるのだろうか……」
あたしはごくりと唾を飲み込んだ。実は一番聞いてみたくて聞けない質問……それに対するマーレの答えはさらりとしたものだった。
「います――いえ、いましたが正解ですね。大昔には食べていたそうですが、スピエルドルフが建国されて先ほどの法律が出来上がってからは人間を食べる種族はいなくなりました。」
「ぜ、絶滅してしまったのか?」
「そうではなく、食べ物の選択肢の中に人間が入らなくなったのですね。人間しか食べられないという種族はいませんから。」
「ふぅん。じゃあボクたちで例えると、いきなり法律で「今日から豚肉は食べちゃいけません」って決まったみたいな感じなんだ。反発はなかったの?」
「多少は。ですが……人間というのは食べるものが他になかったら食べるくらいの立ち位置でしたから。大きな反発はなかったようです。」
「だっはっは! 要するに人間はマズイってわけだ!」
「言ってしまえば、そうですね。ですがまぁ、吸血鬼の方々にとってのみ、人間は美味しい血を持っているという認識のようですよ。今も昔も。」
「ロイドー、さっき食べられてたけど大丈夫ー?」
「食べられてないよ……ほら、もう傷も塞がってるし。」
「ほんとだー……はむ。」
「びゃああっ!」
治った指を見せるロイドのその指を、アンジュがパクッと――ってアンジュ!!
「にゃ、にゃにをするんですか!」
慌ててアンジュの口から指を抜いたロイドに対し、アンジュは舌をペロリとする。
「さっきの女王様見て、ちょっとやってみたくなっただけー……ふぅん、こんな感じなんだねー。」
いつもみたいにニヤニヤした感じならともかく、舌を引っ込めたアンジュは少し嬉しそうな顔をしてる――!!
「大将、俺様は羨ましいぞ!」
「やかましい!」
田舎者の青年が貴族出の女の子に指を舐められている頃、スピエルドルフの四つの検問所の一つで直立した猫のような姿の者が、先ほど撮影した写真を額に入れて壁にかけていた。
国内へ物理的に、そして魔術的に侵入不可能にしている夜の魔法に四つだけ開いている入口――検問所。国外へ出かける魔人族はほとんどおらず、許可証を持っている者は五十にも満たない為、たまたまたどり着いた何も知らない者も含めて検問所を訪れる人数は年数人ほどしかいない。おそらく、先ほどの田舎者の青年らが史上初の団体となるだろう。
厳密に言えば穴が開いているわけではないのだが、いくら通る者が少ないからと言っても夜の魔法を通る事のできる入口には万全の警備をしかなければならない。
検問所に配属される魔人族はレギオンの一員であり、一年ごとに交代していく。一見窓際部署のようだが、実際はレギオンにおける精鋭が担当している。検問所を経験する事が一つ、レギオン内でその実力が認められたという証なのである。
「いい時期に検問所担当になれたな。宝物にしよう。」
『そうだな。』
そんな精鋭である猫と目玉は、壁にかかっている写真と同じモノをそれぞれ持ち、綺麗に封筒にしまいながらお茶をすすっていた。
「フィリウス殿は当然として、しかし人間の学校とやらはいい教育をしてるようだな。ロイド様やその愛人のみなさん、あの年齢にしては結構強いぞ。」
『個人的には髪の長い槍使いが気になるところ。見た感じ、第七系統のなかなかの使い手だ。』
「かっか、海のレギオンはそればっかりだな。おれは赤い髪が気になった。ありゃあ何か特殊なバトルスタイルだぞ? たぶんごりごり殴りに行く感じの。」
『陸のレギオンもそんなのばかりではないか。』
騎士見習いの習慣として、田舎者の青年らはそれぞれの武器を手に検問所を通ったが、得意な系統や戦い方などは披露していないし話していない。そんな、普通一目見ただけではわからないような事実を語り合う二人は、ふと話題を変えた。
「しかし……本当に良かったのか? さっきの。下手くそだったけど魔法は完璧だったろ?」
『ああ、わたしの目でも見抜けないくらいの相当な魔法使いだ。きっと夜の魔法下でも多少の制限付きで自由に動けるだろう。』
「国の玄関を守るおれらが国に害なす気満々の奴を通すってどうよ?」
『仕方がないだろう。レギオンマスターを通り越して女王様直々の命令なのだから。』
「どうしてこんな事……」
『わたしも疑問だったが、さっき実物を見て確信したよ。』
「へぇ、なにかあったか?」
『あの完成度なら当然と言えば当然だが……あの魔法使い、ロイド様の血液を使っている。』
「おいおい、本当か!? ああ……それはやってしまったな。それで女王様が自ら……」
『ああ。吸血鬼からその最愛の者の血を奪うなんてな……』
困惑顔だった猫は、半ば同情するような顔でついさっき男が通って行ったアーチを眺めた。
「あいつ、普通に死ねると思うか?」
第七章 メガネの男
スピエルドルフの首都、ヴォルデンベルグの街をぶらぶらしながら魔人族の文化っていうのを色々体験した後、あたしたちはデザーク城に戻った。ぐるぐると、たまにロイドやフィリウスさんが立ち止まって色んな事を思い出しながら城内を練り歩き、気づくと夕方――の時間帯になったらしく、あたしたちは食事が並ぶテーブルを前にして席についた。
「やっぱ訓練の後の飯はうめぇな!」
「今日は特に豪勢だしな。」
訓練中だったストカとユーリ、カーミラ、それとあたしたちで夕ご飯をいただく。魔人族料理が出て来るのかと思ったんだけど、何の変哲もない普通の料理が出てきた。まぁ、ちょっと違う味がするんだけど。
「訓練てこたぁ、どっかのレギオンに所属するのか? 二人の感じだとヨルムのとこだろうが。」
ナイフがあるのにフォークで突き刺してお肉の塊を豪快に食べるフィリウスさんがそう尋ねると、同じようにフォークで突き刺したお肉の塊にかじりつくストカが答えた。
「いや俺らは護衛官だ。普通にいくとレギオンなんだが、俺とユーリはミラのダチだからな!」
「護衛官は代々、高い実力を持つ者ではなく大きな信頼を持つ者に必要とされるレベルまで強くなってもらうという形をとっている。だから私たちが選ばれた。」
「む? すると少し変ではないか?」
行儀良く……っていうか完璧なテーブルマナーで料理を食べてたローゼルが話に加わる。
「この前学院に来た時、カーミラと一緒に来たのは二人と、軍――いや、レギオンのトップに立つ三人だった。しかし護衛官という役職があるのなら同行するはその者だったのでは?」
「ふふふ、少し、こちらにも事情がありましてね。」
ローゼルの疑問に、女王自らが答える。
……っていうか、なんかこのメンツだと女王は女王じゃなくてただのカーミラって扱いになってるわね。猫かぶりローゼルが普通に呼び捨てにしたし。
「ワタクシたちが訪れた場所は大国フェルブランドでナンバーワンとされる騎士の学校です。卒業後、国王軍に所属する者も多い。言うなれば、フェルブランドという国の軍事的な拠点の一つなのです。そこに他国の者が入るという事はそうそう許可される事ではありません。国のトップに立つ者が、軍事的政治的事情を一切抜きにして一人の人物に会う為だけに訪れる――そんな稀な場合でもない限りは。ま、実際はフェルブランドに許可を求めたりはしていないので、本当に許可が欲しかった相手はあの学院の長ですが。」
「だっはっは! ま、あのスピエルドルフの女王が学院生の一人に会いたいっつって来るんだからな! 怪しむのを通り越しちまうほどにインパクトのある理由だ!」
「愛に壁はないのですよ。そんな具合に折角学院に入れるのですから、かの大国の騎士の学校の様子を見るいい機会です。なので護衛官ではなくレギオンマスターに同行してもらい、結果、国王軍の訓練場にもお邪魔できたようで、大収穫と言ったところですね。」
「ちゃっかりしてる女王様だな!」
「……一応、ワタクシのイメージが下がると困るので言っておきますが、これを提案したのはヨルムです。学院を訪れようと思った時にはロイド様の事しか頭になく、その辺りの細かい事はどうでもよかったので。」
「だとよ、大将!」
「ああ……うん、ありがとう……」
どう返事したらいいのかわからないって感じのロイドが困り顔でそう言った。
「そ、そんな簡単に軍事……機密のようなモノが外部に出ていいのだろうか……」
「だっはっは! さすがリシアンサス! だがま、実はお互いさまなんだな、これが。なんせ俺様がこうして何度かスピエルドルフにやってきて、しかもレギオンマスターと一戦交えたりしてるんだからな!」
「……十二騎士であると同時にフェルブランドの騎士でもあるフィリウス殿にレギオン――スピエルドルフの軍の情報が伝わっている……確かに、お互いさまか。」
「まぁ、相手が他の国だったらこんなフランクな関係にはなってないだろうがな! 全世界一致で敵に回したくない国ベスト一位のスピエルドルフだからこそ、仲良くやっていきたいわけだ!」
「ああ、そういえばそれなのですが――ロイド様。」
「ふぇ、あ、はい、なんでしょう。」
「……」
「な、なにかな、ミラちゃん!」
「ご存知かと思いますが、スピエルドルフでは夫婦を一対一に限っていません。種族によっては女性、もしくは男性が滅多に生まれないという場合もありますので。」
「う、うん……」
「ですから――ロイド様がワタクシを正妻、そして王族であるエリル様を側室とすればスピエルドルフとフェルブランドに書類上の条約などでは結ぶことのできない絆が生まれるのです。」
「えぇ!?!?」
「な、なに言ってんのよ! バカじゃないの!」
「ふふふ。ええまぁ、ワタクシとしてもロイド様の唯一になりたいところです。しかし一つ、国の事を考えるとそういう選択肢もあるのですよ。」
「何よそれ! だ、だいたい魔人族は人間とは――」
「ええ、距離を置いてお互いにそっとしておく関係でありたいところです。ですがそれとは別の話として、人間の国の中で最も魔法技術の進んでいる国であるフェルブランドには魅力があります。」
「魅力って――あんたたちには魔法器官があるんだし、どう考えたってそっちの方が技術は進んでるでしょ!」
「そうでもありません。魔法器官がないからこそ、人間は創意工夫を大いにこらしますから、実のところ研究の進み具合で言えばそちらの方が進んでいるかもしれません。十二騎士など、我が国の精鋭にも匹敵する実力者を多く輩出していることからもその片鱗が見て取れます。」
「……まったく……魔人族だけの国があって、夜の魔法っていうすごい魔法があって……なのにまだまだ魔法をたくさん研究して、魔人族はあと何が欲しいのよ。」
「勿論――太陽の光の克服です。」
ふざけた提案に文句を言ってたら、いつの間にかカーミラが真剣な顔になってた。
「ワタクシ――吸血鬼にとっては勿論、全ての魔人族に太陽の光を与える……これはスピエルドルフ建国以来続く王家の使命なのです。」
「そんなに……なの?」
「ふふふ、中々想像できないでしょうね。昼も夜も元気に出歩ける自由を持つ皆さんには。」
どこか遠くを見る目で軽いため息をつくカーミラ。
「最高レベルの知能や身体能力を持っているというのに、他の全ての生物が平等に受けている恩恵、それのみを受け取る事が出来ない。皮肉なことです。」
しんみりとした空気になったんだけど、きっと毎回そういうのを気にしないんだろうなって思うストカが笑い交じりに会話に入る。
「でもミラ、ロイドの右目のおかげで何時間かお日様の下にいられるようになっただろ? 吸血鬼でもそうなったんだから、その辺を研究すりゃあ解決も近いんじゃねーのか? よくわかんねーけど。」
「気楽に言うなよ、ストカ。でもまぁ、そう思う気持ちもわかる。フランケンシュタインである私が、どんな生き物の肌を取り付けてもなぜか太陽の光を浴びると途端にダルくなるというのに右目を交換しただけで耐性が増したというのだから。」
「ふふふ、きっとロイド様の愛のお力です。」
暗い顔がふにゃっととろけた顔になるカーミラを見て、ロイドは――ちょっと恥ずかしそうに聞いた。
「あ、あのーミラちゃん。」
「なんでしょう。」
「み、右目の影響も気になるんだけど……その、オ、オレの血の影響も気になるなーって。」
「血の影響――ですか?」
「さ、さっき指から飲んだ時、なんかミラちゃんの――迫力? っていうのかな、そういうのが大きくなったような気がしたというか……あとついでにふらふらしてたし……オレの血って普通のと違うのかな……?」
「そのことですか。いえ、ロイド様の血は至って普通ですよ。ただ、ワタクシにとっては特別という話です。」
ふにゃっとした顔のまま、トロンとした目でロイドを見つめるカーミラ。
「現代、吸血鬼にとって血は嗜好品の一つと説明しました。言い換えれば、たまに食べたくなる美味しい食べ物といったところでしょうか。ただ、ワタクシは同時にこう言いましたね。誰かを想い余る時にはどうしようもなく吸いたくなると。」
「うん……」
「必要性はなくなったものの、吸血鬼の性質として……血と感情のつながりは無くなっていないわけですね。」
「血と感情?」
「ストレートに言えば、血と性欲でしょうか。怒った者が「八つ当たり」という形で物を壊したがるのと似た感覚に、ワタクシたち吸血鬼は欲情すると「血を吸いたくなる」のです。」
「ヨ、ヨクジョウ……」
「そして――詳細を説明しようとすると感情と魔法のつながりについて難しい話をしなければならないので割愛しますが……吸血鬼は、そうやって愛する者の血を飲んだ時、あらゆるモノが上限を超えて回復するのです。」
「え……えぇ? えっとつまり……」
「肉体的な疲労、けがや病気、そして精神的なモチベーションなどが瞬時に百パーセントを超えて回復するのですよ。記録では、暴走する魔法生物との戦闘で致命傷を負った吸血鬼に愛する者が血を飲ませたところ、数秒前まで瀕死だった事が嘘のように回復し、苦戦していたその魔法生物を一撃で葬ったそうです。」
「そんなことに――え、いや、じゃ、じゃあさっきそんな風になってたの!?」
「ええ。ですから、何でもできると言ったのですよ。おそらく太陽の光の下で活動できる時間も延びていた事でしょう。極端は話ですが、一時間……いえ、三十分おきにロイド様の血が吸えるのなら、丸一日太陽の光を受けられるかと。」
「あ、や、そ、それもそうだけどその――ヨヨ、ヨクジョウし、してた……の……?」
女の子相手にとんでもない事を聞いてるロイドだけど、カーミラはにこりと答える。
「ふふふ、ロイド様を愛しているワタクシにとって「血を吸いたい」というのは常の事です。仮に欲情したとしたら――ふふふ、誰にも止められないような状態になりますよ。」
「あっはっは、昔もそうだったけど相変わらずミラは熱烈だな! しかも今はそんな感じの女が他にもいんだろ? なにがどうなったらロイドがそんなにモテモテになるんだかな!」
ストカにしたら何の事のない一言だったんだろうけど、それを聞いたロイドはハッとして……でもって顔をキリッとさせた。
「そうだ、その事なんだけど……ミラちゃんたちに話しておかなきゃいけない事があるんだよ。」
「? モテモテという状態についてですか?」
「そ、それも……うん、まぁ、関わってるね……」
「それは……ええ、聞いておかなければいけませんね。」
「それがメインってわけじゃないんだけど……」
変なとっかかりからスタートしちゃったなーって顔で一度咳ばらいをしたロイドは例の女について話を始める。
「恋愛マスターって知ってる?」
この前あたしたちに話したのも含めて、カーミラたちに恋愛マスターっていう存在について説明するロイド。願い、代償、副作用――どうして記憶が封じられたのか。
ふざけた呼び名のクセに人智を超える力を振るう謎の女について長々と話すこと十数分……ロイドが、今わかってる事を全部話し終えた時……カーミラは愕然としてた。そして、自分の肩抱いて小さく震える。
「ワ……ワタクシのこの感情が……想いが……愛が……? 裏も陰謀もないただの……「ついうっかり」で無かった事にされた……? そんなこと……そんなことが……」
ただの凡ミスで自分の想いを消してしまった恋愛マスターへの怒り……いえ、今まで見てきたカーミラの性格的には、そんなことで……あ、愛……を無くしてしまった自分への怒り……悔しさかしら。
色んな感情が混ぜこぜになって今にも泣きだしそうに見えるカーミラに、慌てて立ち上がって駆け寄ったのはロイドだった。
「いや、ほら、ほ、ほんとにはた迷惑な「ついうっかり」だけど、えっと恋愛マスターに悪気はなくって、むしろ願いを叶えてもらう時にミラちゃんの事をちゃんと言わなかったオレがバカ野郎だっただけで……そ、それでもミラちゃんは思い出してくれて、でもオレはまだだからやっぱりオレはバカ野郎で……えっと……」
とりとめのない事をしゃべったロイドは、ぶんぶんと首を振って――
「ごめん!」
――と、腰を直角に曲げて謝った。
「ちゃ、ちゃんと思い出してないのにこんな事言うのはダメだと思うけど――それでもごめん! オレ、ミラちゃんに……その、ひどい事して、悲しませて……だから――え、えっとでも! オレ、ちゃんと思い出すから、そうしたらもう一回ちゃんと謝らせてもらって……だ、だけどやっぱり今も――ごめんなさい!」
……沈黙。誰も何も言わない――言えない数秒の後、カーミラは俯いたまま口を開いた。
「ロイド様。」
「は、はい!」
どんなお叱りも覚悟の上って感じで顔を上げたロイドに放たれたカーミラの次の言葉は――
「何故最後だけ敬語なのですか?」
「はい――え、え?」
は?
「さっき、最後だけ「ごめんなさい」と言いました。」
「え、い、いやあれは敬語というかなんというか……と、というかオレの謝罪については……」
「必要ありません。罪悪感などは覚えなくても。確かに、ロイド様に忘れられているという今の状態はショックですが、それはついこの間までのワタクシも同じ事です。互いを想わずに過ごした時間は戻りませんが、今再び、本来一度しかない愛に至る恋ができると思えば悪いことばかりではありません。それよりも、こうして再会したというのに未だに……時折ロイド様が敬語になられる方が嫌です。そちらを謝ってください。」
さっきまでの泣きそうな顔が演技だったんじゃないかって思うくらいのふくれっ面でぶーたれるカーミラに、ロイドは……
「……ごめん。」
「本当ですよ、まったく。でも――」
しっくりこない感じにぼぅっとしてるロイドに、素早く近づいたカーミラはその勢いのまま自分の唇をロイドのそれに――ってちょっと!
「んぐ!?」
いきなりの事にビックリして倒れそうになるロイドだったけど、カーミラが抱き寄せる……!
「はぁん……」
艶っぽい吐息のあと、カーミラはふふふと笑う。
「そうです、今後は敬語を使うたびにワタクシにキスをするというのはどうでしょう?」
「びゃ、ぼ、ぶぇえっ!? しょ、しょんなローゼルさんみたいな事を――」
いきなり名前が出てきたローゼル……
「……何の話よ、ローゼル。」
「…………なに、二人だけの秘密だとも。」
「おやおや、ロイド様ったらそんな事を……ふふふ、これはさらにおまけを追加しないといけませんね。」
「お、おまけ!?」
色んな事を平然と言うしやるカーミラにドンドンと押されていくロイド。ああいう手合いはローゼルとリリーだけだったのに、そこに何重もの輪をかけて攻めて来るこの女王様は……なんていうか、本当にロイドのことが……
……ていうか恋愛マスター、こんな押しに弱い上に鼻血垂れのすっとぼけにハーレムをあげようと思ってやってきたわけ?
久しぶりにやってきたスピエルドルフで、忘れていた――というか封じられていた記憶をちょっとずつだけど思い出しているんだけど肝心な事がまだというモヤッとした心持ちの中、とりあえず血とキスをいただきますねと迫って来るミラちゃんに圧倒され続けた結果、オレは今ぐったりとお湯に浸かっていた。
「よく考えると人間と同じように魔人族にもこういうデカい風呂の文化があるってのは不思議なことだな!」
「フィル、それ、前に入った時にも言ってたぞ。」
ここはお城のお風呂場。王族専用という名目で作られたらしいのだが、昔も今もヴラディスラウス家の人々はあまり上下というのを意識させない接し方をするもので、結局このお風呂場は王族とその下で働く人々みんなのお風呂となっている。
ただ、今日だけはオレたちの為に貸し切りのようにしてくれて……当たり前のように女湯に誘導されそうになったオレは何か言われる前に猛ダッシュで男湯に逃げ込み、フィリウスとユーリと一緒にお湯の中というのが現状だ。
「ところで大将はなんでこっちにいるんだ?」
「んな「なにやってんだ」的な顔で見るなよ……普通こっちだろ……」
「全員が喜ぶと思うんだがな! いいか大将、据え膳食わぬは男の恥という言葉があってだな!」
「昔の人は根性があり過ぎるんだよ!」
普通なら止める立場だろうにぐいぐい後押しをしてくるオレの師匠らしいこの筋肉……いや、久しぶりに間近で見たけど本当にすごいな、筋肉。
「相変わらずすごい身体だな。」
オレのこころを読んだのか、ユーリが顎に手をあててまじまじと眺める。ちなみにやっぱり胸の辺りまでタオルで隠している。
「フィル、もしも死ぬことがあったらその身体、是非私にくれないか?」
「だっはっは! 俺様の筋肉を装備するのか? だが単純にパワーが欲しいならデカい身体の魔法生物とかから持ってきた方がいいんじゃないか?」
「どうかな。あらゆる生物の身体を装備可能ではあるが、やはりこの身体に一番しっくりくるのは人間のモノだ。例えばの話、熊の腕を装備して武器を使いこなすことはできない。」
ユーリ……いや、フランケンシュタインの一族がそういう身体だという事は知っているけど、その力を使って戦っているところなんてのは見た事がない。騎士の卵である今なら、その身体がどれだけすごいかという事が理解できるわけで……フィリウスじゃないけど一つ、手合せを願ってみたくなる。
「ああ、そういえばロイド。身体と言えば――」
「うん?」
「今日はいつも以上に気合を入れて洗うといい。」
「? お風呂の後に何かあるのか……?」
「ああ。きっとミラが夜這いをかけるだろうから。」
「よばっ!?!?」
「愛するロイド様が自分の家にのこのこやって来たんだ。食べない手はないと思うがな。」
「な、何言ってんだ! そ、そんなことあ、あるわけないだろが!」
「ははは、あのミラを見てそう思うのか?」
「や――で、でも……」
く、くそ、びしっと否定できない……
「そうか、こんなことなら女性の扱いってのを大将に教えとくべきだったか。」
「教えんなそんなもん!」
「しかしまぁ、大将の押しの弱さもさることながら、カーミラちゃんの強さに感心する今日この頃だな。昔からあんなだったか?」
「だいたいは。だが……そうだな、前よりは押しが強いと思う――いや、確実に強くなっているだろうな。ロイドに対する想いも含めて、当然と言えば当然なのだが。」
「オ、オレに対する……な、なんで当然なんだよ……三、四年は記憶になかったのに……」
「だからこそだ。いいかロイド、今のミラにはな――お前の事を忘れていた頃の記憶があるんだ。」
「!」
言葉にハッとしたオレを見て、ユーリは「困った奴だ」とでも言いたそうな顔になり、魔法で夜空が見えるようになっている天井を見上げる。
「ロイドが記憶からいなくなっていた頃のミラは、ひたすらに立派な女王を目指して努力の日々だった。今でもそうだが、その頃のミラにはそれしかなかった。別にそれを苦痛だと思っていたわけじゃないし、つらい日々だったとかそういう話でもない。ただ、ロイドを思い出してから思い返した時に思ったらしい……なんともまぁ、今に比べたら色の少ない日々だったのかと。」
「色……」
「私やストカという「友達」じゃあ出せない色があるという事だ。その――一度失って再び得る事ができた色を二度と失うまいと、今のミラは考えていることだろう。やはり自分には愛するロイド様が必要だ! とな。」
「あ、愛か……」
「おいおい何を恥ずかしがる。最も得難く、替えの利かない上に最大の力を持つ感情だぞ?」
「……ユーリって、そんな真面目な顔で愛を語る奴だったっけか。」
「ふふふ、愛の一つも語るさ。我らが女王様が語るのだから。それに――私は七代目フランケンシュタイン。」
お風呂場……というか裸になるとよくわかる、死人のような肌と継ぎ目だらけの身体をなぞりながらユーリは語る。
「こんな姿の存在を愛し、その子供までもうけた初代の奥方こそ愛に壁がないことの証。この命が真っすぐな愛の延長なら、私が愛を語らずにどうする?」
服のセンスが不思議なのを除けば知的な眼鏡男子のユーリがキリリッとそんな事を言うと中々絵になる。その上愛ときたもんだ。
「……真っすぐな愛か。ちゃんと答えないとな。」
「夜這いにか?」
「そうじゃねーよ!」
「気をつけろよ、ロイド。貧血にならないように。」
くくくと笑うユーリの目線が、ふとフィリウスに移る。
「弟子も弟子だが師匠も師匠だぞ、フィル。そろそろ子供の一人もいていい歳じゃないのか? これっていう女性はいないのか?」
「だっはっは、俺様は世界中の街に女を持つような――」
「セルヴィアさんだな。《ディセンバ》の。」
「ぅおい大将!」
「《ディセンバ》? ああ、あの目に毒な格好をしている十二騎士か。」
「普段はもっと質素な格好なんだけどな。フィリウスの事が好きなんだ。」
「ちょ、大将!?」
「ほう。随分若い奥方になるが……しかし何より十二騎士の夫婦というのはすごいな。」
「……魔人族って強いから、あんまり十二騎士をすごいと思っていないような気がしていたんだけど……そうじゃないのか?」
「何言ってるんだ? 確かに大抵の人間の騎士よりもうちの平凡な一国民の方が強いと思うが、十二騎士は別格だ。そりゃまぁミラに勝てるとまでは言わないが、そこの若いお嫁さんをもらう男はレギオンマスターのヨルム様に勝ってるわけだし……侮りはしないさ。」
「そうなのか。ちなみにフィリウスの奥さん、時間を止めるんだけど魔人族にも第十二系統の使い手って少ないのか?」
「ああ、少ない。その辺の傾向は人間と変わらないな。」
「二人の中で既に俺様が妻帯者になってるんだが!?」
珍しくツッコミにまわる……いや、意外と結構そういう時って多いんだが、んまぁ久しぶりにそうなったフィリウスに話題を戻す。
「フィリウスはなんかセルヴィアさんを……こう、うまくかわそうとしてる様に見えるんだけど、何か問題があるのか?」
「なに? まさかフィル、許婚でもいたのか?」
この話題を頑張って避けてきたフィリウスだったが、オレとユーリの興味津々な姿勢に――これは本当に珍しくため息をついた。
「許婚はいないが問題はある。十二騎士同士っつー事にもいくつか面倒な事があるが、一番の問題は年齢差だ。言っとくが、愛があればどうこうっつー話じゃないからな。」
「んまぁ、そういうのは気にしないはずだもんな、フィリウスは。」
「まぁな。ところで大将、俺様は女を泣かせたことは無い。」
「いきなりなんだよ。」
「そんな俺様がよりによって最後の最後に女を泣かせて生涯を終えたとあっちゃバッドエンドもいいところだろう?」
「は? 生涯って……何言ってるんだ?」
「……そういう事か……普通逆なんだがな。」
「え、ユーリ、何かわかったのか?」
「ああ……さっきも言ったが《ディセンバ》はまだ若い。フィルとの年齢差は……下手すれば父親と娘ぐらいあるだろうよ。ならば……戦場で勇敢に散るのであれ、病魔との戦いに敗れるのであれ、最後の最後まで生き続けるのであれ……さて、死ぬのはどっちが先だ?」
「い、嫌な質問だな……そりゃあまぁおっさんのフィリウ――」
そこまで口にして、オレは理解した。
それが絶対じゃないだろうけど、確率で言えば……セルヴィアさんよりもフィリウスの方が――先に、死ぬ確率が高いのだ。
「生涯の女として迎えるなら、俺様はその女には初めから最後まで笑っていてもらいたい。それがどうだ、愛する夫の死を経験させるだ? ありえないだろ。」
大抵はユーリが言うように逆だ。奥さんには長生きしてほしい――というのが多くの旦那さんの願いなんだと思う。それがフィリウスの場合、奥さんよりも自分が長生きするべきだと言っているのだ。愛する人に、愛する人を失う経験をさせない為に。
「フィル……ふふ、それも愛だな。私はいいと思うよ。なぁロイド、お前の師匠は漢だな。」
ユーリの手がポンと肩に乗ったんだが……
いや、んまぁ……
「フィリウス……なんかキャラが変だな。」
とまぁ、そんな言葉が一番に出てきた弟子だった。対して師匠は――
「ああ。今の俺様、俺様に吐き気がしてきたぞ。」
とまぁ、たぶん今のオレと同じ顔をした。
「な、おいおい、こんなに熱い愛を語っておいてそんな苦虫を噛み潰したような顔でしめるのか?」
「だっはっは! ユーリの言う事は最もだ! だが俺様は口よりも背中で語る漢を目指しているからな!」
タオルを巻かず、堂々と立ち上がってポーズを決めるフィリウスを見上げたユーリはふふっと笑った。
「それは失礼したな。ところで話を変えるが――二人ともありがとう。」
「ほう? いきなりどうした!」
「いやなに、この空気というのかな……二人がいた時の事を色々思い出して楽しい気分だ。まだ言ってなかったがフィル、ロイド――おかえり。またこの国に来てくれて嬉しく思っている。」
イケメン顔でにこりと笑うユーリ。
「色々思い出して……か。そうだユーリ、ミラちゃんが絡んでる影響でオレ――とフィリウスが忘れてるかもしれない思い出とかないか?」
「んん? なるほど、そういう話をするのはいいキッカケになるな。そうだな……ミラが絡んでいたとなると……よし、じゃあ夏にやったかき氷大会の話でも――」
「出来ればお背中を流したかったのですが……やはり昔のようには行きませんね。ただ、裏を返せばロイド様がワタクシを意識しているということ……ふふふ。」
「別にあんたじゃなくてもああなるわよ……」
王族専用――だったらしいお風呂に入るってことで当然全員裸。吸血鬼のカーミラの背中には黒い翼でもあるのかしらと思ったけど何もなかった。
「ねー、女王様。吸血鬼には翼はないのー? それとも今は体内に隠れてるとかー?」
あたしと同じ事を思ったらしい……ツインテールをほどいてタオルでくるくる巻いてるから誰かわからなくなりそうになってるアンジュがそう聞くと、カーミラは――
「いえ、体内にではなく体外に隠れています。」
――と、よくわからない答えを返した。まぁそれは一先ずいいとして、そうなるとカーミラは本当に人間と区別がつかない。腰の辺りからサソリの尻尾が生えてるストカも、その尻尾が……なんていうか、ちょっと凝った仮装とか特殊メイクですーなんて言われたら納得しちゃいそうな後付けっぽさがあって、尻尾がなかったら普通に人間だわ。
実際は大きな蛇が泳いでるみたいにお風呂の中で長い尻尾がゆらゆらしてるんだけど。
「あれ? 確か吸血鬼って水がダメなんじゃなかったっけ? お風呂大丈夫なの?」
「リリーくん、それを言うなら流水だろう。」
「ふふふ、仮にここが流れるプールのようになっていても大丈夫ですよ、ワタクシは。」
「む、では流水が苦手というのはデマだったのか。」
「いえ……泳げない方は苦手でしょうね。」
「……? どうも話がかみ合っていない気がするな……よし……あー、吸血鬼はニンニクがダメと聞くが、実際はどうなのだろうか。」
「ああ……なるほど。みなさんは人間がよくしている誤解をしているのですね。」
「誤解? もしや弱点などないのか?」
「正確ではありませんね。例えばそのニンニクの件ですが……人間の誰かが吸血鬼にニンニクを投げてみたら効果があったので吸血鬼はニンニクが弱点だと思って記録を残したのでしょう。しかし実際は、その吸血鬼がたまたまニンニクが大嫌いな方だったというだけなのですよ。」
「……そうか……今の話で理解したぞ。わたしたちは吸血鬼という大きなくくりで話をしてしまっているが……よく考えれば個人差があって然るべきか。」
「そうなの? じゃーカーミラちゃん、聖水が苦手っていうのはどういうこと?」
「おそらく……初めて聖水をかけられた吸血鬼が、たまたま新調したばかりの服を着ていたとかそういうのではないでしょうか。」
「うわぁ……じゃー吸血鬼にこれって感じの弱点はないの?」
「太陽の光ですね。」
「ああ、そっか……むしろそれしかあってない感じ?」
「そうですね……たまたまワタクシが手にした、人間が書いた吸血鬼関連の書物に記されていた弱点は太陽の光以外全部間違いでした。」
「きしし、昔のミラなら辛いモノが苦手だったな。」
お湯の中であぐらをかいて楽しそうに笑うストカがそう言うと、カーミラは懐かしそうに天井を眺めた。
「そうでしたね。ですが、ロイド様が美味しいと言って食べていましたから、食べられるように努力しまして――今は普通に食べられますよ。」
ロイドの名前を口にした途端にとろけたカーミラは、ふと「そういえば」と言ってストカの方に視線を移す。
「ストカ。今後はロイド様に抱き付かないように。」
「んあ? なんで。」
「あなたのその凶器せいでロイド様が鼻血を出してしまうからです。吸血鬼的にもワタクシ的にもいただけません。」
カーミラが指差した先にあるのはカーミラの……む、胸だった。
「というかどういうことなのです? ユーリに聞きましたが、ロイド様に男と思われていたほどに平らだったというのにこの四年ほどでそんなになるなんて。」
「知らねーけど……やっぱりロイドはデカいのが好き――ってわけでもねーのか。」
「なんであたしを見るのよ。」
「ふふ、そう怒るなよエリルくん。」
「うっさいわね。」
ゆ、ゆーほどちっちゃくない……わよ!
「そう、そういえばローゼルさんもでしたね。」
魔人族の女王に半目で睨まれるローゼルだったけど、胸の下で腕を組んでこれでもかってくらいにのけぞるむかつくポーズを返した。
「でもさー、ロイドって別に胸が大きかろうと小さかろうとぐいぐい抱き付いたら同じように顔を赤くするよねー。」
「……あんたが下着を見せつけた時もそうね……」
「下着……事前にみなさんを調べた際も思いましたが、人間にしては少々ハレンチが過ぎるのでは?」
……? 人間にしては?
「いきなり指をぺろぺろしたカーミラちゃんに言われたくないんだけど。」
「ロ、ロイドくんのベッドを……も、持って帰ったりし、してるしね……」
……ここにロイドのか、彼女になってるあたしがいるっていうのにロイドを巡って火花を散らしてんじゃないわよまったく……
「……まぁ、ロイド様がそれであなた方を嫌いになるようなことにもなっていませんし……そうですね、ワタクシもそういう攻め方をしてみますか。」
「なに堂々と宣言してんのよエロ女王!」
「おや? ロイド様のベッドに潜って――」
「う、うっさいうっさい!」
こいつ――!!
「ふふふ。ところでどうでしょう? 互いにライバルとはいえここはお風呂場……裸の付き合いの下、ロイド様についてお話しませんか?」
「ど、どういう意味よ……」
「ワタクシはスピエルドルフで過ごした一年の間のロイド様を知っています。そしてみなさんは今のロイド様の学院生活をご存知です。加えてエリルさんはお部屋にいる時のロイド様を誰よりも見ている……昔のロイド様の話をお聞かせする代わりにワタクシに教えて欲しいのです、最愛の方の近況を。」
「む……敵に塩を送るだけのような気も……そもそもその辺りの思い出話なら、フィリウス殿に聞けば教えてもらえるだろうしな。」
「ふふふ、良いのですか? ワタクシとロイド様の――あぁ、あの熱い夜の事を聞かなくても。」
「な、なんだと!」
「なによそれどういうことよ!」
「ふふふ。」
「みんな落ち着きなよー。熱い夜って言ったってえっと……十二歳とかの頃の話でしょー? やっと初等が終わるくらいの時にそんなのないよー。」
「おやおや、アンジュさんは興味ありませんか? ロイド様の……テクニックを。」
「テ、テクニック……へぇー……ふーん……」
興味なさそうな口ぶりで物凄く興味ありそうな顔をするアンジュ……
「ふ、ふん、そんなや、やらしい話どうでもいいわよ。」
「どうでも……?」
とろんとした顔でしゃべってたカーミラが、まるで――た、たぶんこう、男を誘う女みたいな色っぽい表情になる。そしてパシャパシャと、四つん這いの状態であたしに近づいてきた。
「ハレンチはよした方がと言いましたが、しかしこの場にロイド様はおりません。いるのはロイド様への愛を持った女のみ。恥ずかしがる事はないでしょう……人間の悪い癖ですね。」
「く、クセ? べ、別に恥ずかしいなんて――」
「何を言うのですか、エリルさん。」
「ひゃっ!?」
身体が触れるくらいの距離まで来たカーミラは、その右手をあたしの脚の――ふ、太ももに置いた。そしてその手を、なでるように動かす。
「ちょ、やめ――」
「ロイド様のベッドに潜った時、何を考えましたか? 何を想像しましたか?」
「ど、どうだって――」
「ロイド様に――こういう風にされる妄想をした事はありませんか?」
「な、ないわよこんな――ちょっと!」
脚からお腹の方へとのぼってくるカーミラの手は、あたしの胸を下からつかみ、ふわりと持ち上げる。
「はぅ――だ、や、やめなさいよバカ!」
「やらしい? とんでもありません、これは愛の表現です。胸の内に秘めたその、触れる事の出来ない形なき想いを相手に伝える手段の一つ。ロイド様に抱きしめて欲しいと思った事は? キスはどうですか? 恥ずかしがるエリルさんでもこれくらいは頷くのでは? そういった行為の延長に過ぎませんよ、これは。」
「あ――だ、だめ……へ、変態……!」
あたしの胸をふよふよ持ち上げながら、左手でさっきと反対の脚をさすりながら、まるでキスするくらいの距離にまでカーミラが顔を近づけてくる。あたしの視界が、黒と黄色のオッドアイで埋まる。
「ロイド様が、ロイド様の愛を全身で自分に示してくれる場面を想像しないなんて、そんなことあるわけがありません。その快楽を、幸福を――ね。」
カーミラの左手が脚の内側からさらに奥へと移動してくる。気が変になりそうで頭の中がどんどん霞んでいく。だけどその直後、あたしはそういう方向とは別方向の感情を覚えた。
カーミラの瞳の奥を見た瞬間に。
「心の中の愛情は霧のようであり、言葉にしても空気に溶けるのみ。真っすぐな愛を伝える為の、受け取る為の、純粋な行為をどうでもいいなどと言わないで下さい。」
瞳の奥……渦巻く炎はロイドへの想いだけど――あたしたちの誰とも違う底知れない深さがある。大きくて、強くて、真っすぐで……純粋。あたしたちが恥ずかしがっている事を愛の名の下に口にする。
そうよ……そりゃそうだわ。愛する人の血を飲んで超回復するような種族の言う「好き」とか「愛」っていうのがあたしたちのそれと同じレベルなわけがないんだわ。
まぁ……そんな桁違いの愛っていうのをカーミラから引き出したロイドは本当に何をしでかしたのよって話だけど……
「? 急におとなしくなりましたね、エリルさん。」
「……あんたの目が怖いのよ。」
「おや、これは失礼。」
とりあえず……このカーミラは女王っていうよりも吸血鬼っていう理由でヤバイ――恋敵なんだわ。油断してたら一瞬でとられる……あたしはそんな風に思――わないわよ!
「……その目でようやく確信――いえ、納得したわ……見た目はあたしたちと全然変わらないけど……カーミラ、あんたって本当に人間じゃないのね。」
場合によってはひどい悪口だけど、今はただの事実。あんまり場の雰囲気に合わないあたしの感想に、カーミラはふふふと笑う。
「今更ですね。そうです、ワタクシは吸血鬼です。遥か昔から人の血を美味しくいただき、ついでにその者が堕ちていく光景を肴にしてきた種族です。故に、その為の技術も持っておりますので……ついつい興が乗ってしまいました。恋敵を陥落させるというのも一つの手ではありますが、そちらの趣味はありませんので。」
「あたしだってないんだからそんな申し訳なさそうな顔するんじゃないわよ。」
……カーミラの瞳のおかげで冷静になれはしたけど、じわじわと触られた感覚を思い出して……あたしはその場所を手で覆う。
ま、まぁ……だけどあの時のアレほどの……こ、こう、こみ上げるものはないわね……
「うわー……えっろかったねー。あたし知ってるよー、こーゆーのー。確か百合っていうんだよねー。」
「むしろそのままそっちの道に進んでも良かったのだぞ、エリルくん。ロイドくんは任せてくれ。」
「う、うっさい。」
段々とちょっと前の恥ずかしさが戻って来たあたしは、適当な話題で落ち着こうとした。
「あ、あともう一つ確信したわよ、カーミラ。」
「はい?」
「近くで見るとわかるわ。あんたの右目、本当にロイドの目なのね。」
「……それは……」
数秒前に思った事を冷静になる為に……そう、何の気なしに言っただけだったんだけど、そのあたしの言葉を聞いたカーミラは――
「それだけロイド様の瞳を覗いているということ――ですか?」
会ってから初めて悔しそうな……羨ましそうな顔になっ――ってなんでよ! あ、明らかにそんな事以上を色々やるなり言うなりしてたクセに!
「エ、エリルちゃんは……ほんとに……ず、ずるいなー……」
「ティアナの言う通りだ。最近のエリルくんのこい……コイビト自慢はひどいものだぞ。」
「じ、自慢なんかしてないわよ!」
あたしと他ののいつものやりとりを眺めるカーミラは大きなため息をつく。
そして……とんでもない事を言った。
「はぁ……こういうのを実感してしまうと、ロイド様を失っていた数年が悔やまれますね……みなさん、先ほどワタクシがエリルさんにしたような事をロイド様にしていただいたのでしょう?」
「は……はぁっ!?!?」
お風呂場に響くくらいに思わず叫んで――って、なな、なにを言ってんのこいつは!?
「あぁ、ロイド様の事ですから、こちらを気遣いながら優しく――あぁ……」
どうしようもない早さで、無意識に、あたしの頭の中に一つの想像がはりつく。
さっきの――あたしに迫って来たカーミラがロイドになったバージョンの映像が――
「――――っ!!!!」
顔が赤くなるとか、熱いとかそういう次元じゃない――火が出そうだった。漫画みたいに頭から湯気が出てるんじゃないかってくらいに真っ白な頭の中にくっきりと映るのは十倍くらいに美化されたロイドの迫る顔――
「バカじゃないのバカじゃないのバカじゃないのっ!! そそ、そんなコトするわけないじゃないのバカ!」
我ながらいやらしすぎる妄想を引っぺがす為、頭をぶんぶん振りながら女王にバカバカ言うあたし。だけどこればっかりはあたしだけじゃない――ローゼルたちも同じ感じになってた。
「ふふ、ふはははは、そんなコトあのロイドくんができるわけがにゃいだろうっ! 色ボケ吸血鬼くんにはこ、困ったものさ! は、ははははは!」
「えへへ、でへへ、うふふふ……ロ、ロイくんにそんな――やんやん……うへへへへ。」
「ロ、ロイドくんはそんなこと…………しし、しな、い、よ…………でもでも……でも……そ、そんなこと……」
「――! ――!! ――っ……」
突然壊れたあたしたちを見て大笑いするのはストカ。
「あっはっはっは! なんかのスイッチを押しちゃったんじゃねーのか? おいおいミラ、そんな面白い情報はどっから来たんだ?」
「信頼できる情報ですよ? 国王軍が使うお風呂場にて、みなさんとロイド様は組んず解れつだったとフルトが。」
「ばっ――」
ロイドの顔が見れなくなるし変な気分になるから、できるだけ思い出さないようしてたあの時の記憶――光景や感触が鮮明に頭の中を駆ける。
「ああああの出歯亀スライムっ!!」
「おや、フルトの種族はウンディーネですよ?」
「知らないわよ!!」
「恐るべし、吸血鬼……!」
いつもの青系のパジャマになったローゼルが髪をまとめながらそう言った。
色々な意味で思い出したくない色々な事を思い出して変てこな気分なままお風呂を出たあたしたちは、かなり広い脱衣所で寝間着に着替えてた。一応女王様のお城なんだからもうちょっと気品のある感じの格好になるべきのような気がするんだけど、カーミラがいいって言うから……あたしたちは普段の寝間着に着替えた。
「お色気攻めはアンジュくんの技だが、しかしカーミラくんのそれはなんというか……口攻めか?」
「変なジャンル分けしないで欲しいんだけどー。」
「ロ、ロゼちゃんだって結構……お、お色気派だと……思うけど……」
「何を言う。わたしはほれ、その気はないが前に出てしまっているが為に仕方なくだな……」
「ティアナちゃん、形状の魔法でアレ、しぼませられないの?」
「おい聞いたかミラ、怖え事言ってんぞ!」
「そうですか? 可能であるならあなたも小さくしてもらうとよいですよ。」
「バカな話してんじゃないわよ……」
いつもの感じになってる――いえ、あたしも含めて頑張ってそうしてるのよ。
あんないっぱいいっぱいの出来事の後で落ち着ける訳ないし、すぐにロイドにも会うし、そしたらまた色々とあれがああなっててんやわんやで……
あ――ダ、ダメダメダメ、考えないのよあたし……ほ、ほら、ロイドって言ったらすぐに鼻血で気絶のすっとぼけ田舎者じゃない……そうよそうよ……
で、でもいきなりキスとかして来ちゃったり――ち、違う、あれはたまたまとっさのついやっちゃった的な……
…………あぁ、もぅ…………
あたし、この後ロイドの顔見れるかしら……
他のが髪を乾かしてる間、自分の魔法でちゃちゃっとやっちゃったあたしは一足先に脱衣所から出た。同じようにアンジュも自分で乾かしてたけど、あのバカみたいに長いツインテールの分、あたしよりも大変らしい――っていうかお風呂入ったのにまた結ぶのね……
「おお、やっと出てきた。」
外に出ると、廊下にロイド……ロイド? が立ってた。
「……なにしてんの、あんた。二人は?」
……?? え、あれ?
「いや、なんかここで待ってるのが紳士のなんだかんだだからオレはここにいろって……二人は先に行っちゃったんだよ。」
「律儀ね。」
……変だわ。何か変……
そうだわ、直前にあたし、ロイドの顔を見れるかどうか心配してたわよね……今でも、顔を見たらヤバイ気分になるような気がしてる……え? だって本人が目の前にいるのに?
すごい違和感……ロイドを見ても何も感じない。いつも以上に何も――いえ、むしろ……イライラする……?
「おや、ロイドくん……ロイドくん?」
「何で疑問形なんですか……」
ぞろぞろと出てきた他のみんなも、なんか……変な顔になる。
「ちょ、え、みんな何でそんな顔――」
「これはひどいですね。」
あたしたちもロイドも困惑する中、最後に出てきたカーミラが……あの、ロイドにメロメロでトロトロのカーミラが、冷たい眼差しをロイドに向けながらそう言った。
「こういう可能性を考えなかったわけではありませんが、しかしまさか……本当に? ただただ呆れたいところですけど……ダメですね。それは許されない。」
「ミ、ミラちゃん? どうしたの、そんなに怖いか――」
「口に気をつけなさい。」
ゾッとする圧力。さっきその瞳を覗いた時に見えた渦巻く炎が、違う方向に向いた場合が――たぶん、今の迫力。あの蛇――ヨルムに睨まれた時と同じような感覚……
「ワタクシを誰だと思っているのです? 気安く呼ばないように。」
「え、えぇ!? ちょ、どうしちゃったの!? オ、オレ何か怒らせることしちゃった?」
「黙りなさい。その声で二度としゃべらないように。」
「ミ、ミラちゃ――」
「だから黙れと言っているのです。」
名前が呼ばれるその途中で、カーミラが右手を軽く振った。
「――え……?」
すっとぼけた――いえ、何でだかひどく腹の立つ顔をしたロイドの――首がとんだ。
「情けないぞ、フィル。それでも十二騎士なのか?」
「無茶を言うな。多少の例外は何人かいたらしいが、《オウガスト》ってのは基本的に風バカなんだ。それしかできない。」
「それでもオレたちよりは経験豊富だろ? なんか策はないのか?」
お風呂から上がったオレとフィリウスとユーリは、寝間着に着替えて……脱衣所と廊下をつなぐ扉の前に立っていた。
なぜ外に出ないかというと、扉が開かないのだ。
「詳細はわからないが、相当レベルの高い第六系統の魔法だな。力技でこじ開けられる代物じゃない。」
学院の教えを守り、武器を持ち歩くオレが今この時にも剣を持っているのはいいとして、さっきまでそんなの無かったと思うんだがいつの間にか、フィリウスは例のバカでかい剣を背負っていた。
「フィリウスで無理ならオレじゃあなぁ……ユーリは?」
「普通の腕しかない。まぁ、私のコレクションの中で最強の腕を持ってきても壊せる自信はないが。」
「そうか……おい、どうするんだフィリウス。」
「どうしようもない。だがま、俺様にはって話だけどな。」
二カッと笑いながら、フィリウスは……なんだろう、なにかの装飾品のような……キーホルダーのようなモノを取り出した。
「心配するな大将。今度失敗したら妹ちゃんに殺されるからな。それなりの準備はある。」
「なんでパムが出て来るんだ……んまぁいいや、それは?」
「《ジューン》のお手製、どんな闇魔法も無効化する使い捨てマジックアイテムだ。」
「《ジューン》……え、十二騎士の!? なんでそんなの持ってるんだ?」
「大将は忘れてるかもしれないが、俺様も十二騎士だからな!」
ポイと投げられたそのキーホルダーが扉に触れた瞬間……まるで金属と金属をピッタリくっつけて思いっきりこすれ合わせたみたいな、とんでもなく不快な音が頭に響いた。
「お、さすがだな。二人とも戦闘準備しろよ? 行くぞ!」
フィリウスに続き、ユーリと共に廊下に出たオレが目にしたのは――
オレの生首だった。
どうしてこうなった?
男の頭の中を駆け巡るモノはその一言のみだった。
男がその道に目覚めたのは初等の中頃だった。犯罪という概念を知ったその日から、男はそれに魅了され続けた。普段自分たちを守り、世界をより良く動かす為にある法律というモノが、それをした瞬間に非道極まりないモノへと変貌する。一方的に、暴力的に、有無を言わさず命を奪わずに殺してくる。たった一度それをするだけで、その者の人生を崩壊させる圧倒的な虐殺。
男は――いや、この頃であれば少年だろうか。少年は、そんな理不尽に目を輝かせた。
もしも……もしも。罪を犯したのに、それがバレなかったらどうなるのか。すぐそこに世界の終わりを感じながらもギリギリで生きていく感覚――スリル。崖に向かって全力疾走の後、減速し、寸前で止まる。底の見えない暗闇をハッキリと見ながらも自身はしかし生きている。
なんという興奮か。そんなワクワクした瞬間がこの世界にはある――少年はそれを求めて行動を始めた。
幼い頃、度胸試しに悪い事をしてみたという記憶を持つ者はそこそこいるかもしれないが、少年の行動はそれとは格が違う。
犯罪と言えば何か。人のモノを盗む、壊す……命を奪う。調べてみたところ、どうやら命が関わってくると罪が重いらしい。それをバレずにやる――そんな素晴らしいスリルを目標にした少年は……これは神のいたずらか、非常に頭が良かった。
勉強は勿論、言動の一つ一つが同世代――いや、大人も含めて飛びぬけていた。神童と呼ばれ、将来大物になると両親は自慢気に語る。そんな少年だから理解していた。犯罪初心者の自分に殺しという上級の犯罪はまだ無理であると。
自分にはまず経験が必要である。修行を、練習を積まなくてはならない。いずれ行う大犯罪、そのスリルの為に、今は自分を鍛える時――そう考えた少年が行った記念すべき最初の犯罪は――盗みだった。
店の軒先に並んでいる果物を一つ盗んでくる。手慣れた者であれば数秒で終わる小規模過ぎる犯罪。一先ずはここからと、少年は計画を練った。
店の主人の動き、接客中の目線、混雑する時間帯。そして盗みやすい果物、その大きさ、量や値段。必要かどうかはわからないが初めの一歩を万全に行う為、少年は情報収集や計画の考案に二週間を費やした。
そして迎えた本番の日、少年の犯罪はバレる事なく完遂された。小さいながらも、少年は確かにスリルを感じ、次はもっとすごい事をと胸をときめかせていた。
もしも今現在の男が同じ犯罪を行うのなら、仕入れと売り上げに差額が生じないように記録の改ざんを行うところなのだが、当時の少年はそこまで手をまわしていなかった。つまり、実のところ少年の犯罪は――そういう犯罪が行われたという事実は売り上げの計算を行った店主によって発覚していたのだ。
しかし、盗んだ果物はたった一つの上に安売りしていたモノ。加えて、額が合わないなどということはプロの盗み屋も多いこの時代には珍しい事ではない。よって店主はこの事件をそれ以上追わなかった。
店主に全責任がのしかかるわけではないが、初心者である少年の犯罪ゆえ、追えば見つける事ができた少年という犯人を見逃した結果――ここに、後に多くの犯罪を行う一人の大悪党が誕生したのである。
歴史上に存在した数多の犯罪者、今を生きる名だたる悪党を師と仰ぎ、少年――男は誰にも知られることのない犯罪者へと成長していった。
これまた神のいたずらであろうか、男が得意とする魔法の系統は第六系統――即ち、幻術などを得意とする闇魔法だった。完全犯罪を行う者としてこれ以上ない才能――男はスリルの渇望を原動力に、魔法の修練にも力を注いだ。
果物を盗む事に二週間を費やした少年が貴族の一家を貧民街に叩き落とすのに二日だけ要する老人になった頃、ありとあらゆる犯罪をただただスリルの為だけに行ってきた男に運命の出会いが訪れた。
何でもないある日、次の犯罪を何にしようかと思案しながら午後のティータイムを楽しんでいた男のテーブルの横に、二メートルほどの身長を持つフードの人物がやってきた。
雰囲気から察するに相当な強さを持つ人物なのだが、魔法の気配がまるでしないのだ。生まれてこのかた魔法を使った事がないし受けた事もないのか、であれば何かの武術の達人なのか、そんな妙な気配を持つ者に隣に立たれるまで気が付かなかった事も含めて大いに驚いた男に、フードの人物は呟いた。
『アフューカスが会いたがっている。』
犯罪者として生きる者である男がその名前を知らないわけはなかった。まるでおとぎ話のように語られているが、実在した――いや、している、文句なしでナンバーワンの犯罪者。いつか会う事ができたら良いなと、切望はせずとも全ての犯罪者が頭の片隅で思っている相手。突如現れたフードの人物は、そんな存在の名前を口にしたのだ。
伝説の犯罪者――いや、彼女の記録から考えれば伝説の悪党と言うべきだろう。その名を語るなり利用するなりしている悪党はそこそこおり、今回もその類かと怪しく思いはしたのだが、しかしフードの人物の奇妙な気配が真実味を多少なりとも増していた。
そろそろ肉体年齢を戻す魔法を何らかの方法でかけなければと思っている身体を引きずり、男はフードの人物についていき……そして出会った。
自分と同じ物を求めているかはわからないが、ありとあらゆる犯罪を行い、そして自分とは真逆に全ての犯人として名乗りを上げる史上最凶最悪の悪党――『世界の悪』ことアフューカスに。
「お前はバレない犯罪ってのに力を入れてるみたいだな。あたいの好みには合わないが――そういうのを近くに置いとくのも面白い。お前ってバレなきゃいーってんなら――一つ、あたいの後ろに隠れながらあたいの悪を体験してみないか?」
鮮烈だった。他の者を悪党と呼ばせたくないかのように、悪逆非道を自らの悪として触れ回りながら自分にはできなかったとんでもない悪事を笑いながらこなす姿に、男は強く惹かれた。
自分が同じようになることは不可能だが、それを特等席で眺める事のできる立ち位置。半世紀以上を生き、正直なところ自分が行う犯罪に行き詰まりを感じていた男は余生をこの席で過ごそうと決意した。
高名な第九系統の形状魔法の使い手を操り、自身の肉体を若返らせると共に容姿を変え、男は――女の悪事を陰で支えながら眺めるという第二の人生を歩み始めた。
自分と同じようにフードの人物によって連れて来られる現代の大悪党らの刺激も受けながら、男の人生は更なる活力を得ていった。
そして今――男は一人にしか会った事のない魔人族という種族の国が手に入るかもしれないという凄まじいチャンスを前にしていた。
あのアフューカスですら、その犯罪の記録に一、二回しか登場させていない魔人族――その力が丸々手に入った時、この悪の女神は自分に何を見せてくれるのか。男は国を手に入れることを決めた。
衰えを知らない明晰な頭脳で綿密な計画を立て、必要なモノを全てそろえ、成功率百パーセントの犯罪を実行した。
結果――男の歴史の中で初めて、犯罪を行う前に自分の企みがバレるという大失態をおかし、その首を宙に舞わせていた。
「オレが死んだ!?!?」
ビックリするくらいに冷静にそんな光景を眺めてたあたしの視界にすっとぼけ顔のロイドが入って来た。
ああ、こっちが本物――本物? あぁ、そうか……あれ、偽物なんだわ。
何かしらこの感覚……今初めて目の前のロイドが偽物って気づいたのに、それよりも前から目の前のロイドはあたしの中でロイドの扱いじゃなかった気がする。
どうしてなのかは全然わからないんだけど、直感的に……本能的に? そう思ったみたいな……
「うお、大将の生首! いつからユーリの一族の一員になったんだ!?」
「私の一族にあんなとぼけた顔の男はいない。」
「おい、何気にひどくないか、ユーリ!?」
バカな会話をしながらもささっとあたしたちの傍まで来たロイドたち。
「おや……んん? ああ、そうだそうだ、こっちがロイドくんだ。」
「な、なんでオレの偽物が――しかも首!」
「ロイド様のお姿をまねるなど、不愉快だったのでワタクシが落としました。」
さっき振った右手をひらひらさせるカーミラは、ロイドの唇に人差し指を置いた。
「完全完璧に他人をコピーする魔法のようでしたが……やはり人間が作った魔法、魔眼を発動させていなくても、吸血鬼の力が宿り、常に発動しているこの唇の魔法まではコピーできていませんでした。」
「ほへ!?」
自分の口を覆うロイド。
「おそらく、最近ロイド様とキスをした者であればその違いに気付けたでしょうね。いかがです、みなさん。」
「ああ……確かに変な違和感があったな。」
「ロイくんだけどロイくんじゃない? みたいな。」
「なーんか上からかぶせた感じだったねー。」
「い、いつもはそんなんじゃない……のに、ちょっと……こわい雰囲気だった……」
「妙にイラついたわね。」
あたしたちがそれぞれに感想を言うとカーミラは……
「……ロイド様、最近みなさんとキスをされたのですね……?」
「えぇ!? あ、いや……は、はい……きょ、今日の朝に――でで、でもオレからというわけでは――ああいや物理的にはそうなんだけど――」
「そうですかそうですか、ロイド様から……それでワタクシには?」
「ぶぇえっ!?」
「はー、俺にはいつものロイドに見えたけどなー。そうか、キスをしてなかったからなのか。おいロイド、いっちょ俺にもしろよ。」
「どさくさ紛れに嘘をつかないように。あなたにもワタクシと同じように見えているでしょう……というかやはりあなたもロイド様のこと……」
「ちょちょ、そ、それよりもあれ! オレの偽物!」
ロイドの姿をした奴の首がとんだのに、あたしたちはいつも通りで悲鳴の一つもない。なぜなら……血が一滴も出てないから。
「……なぜだ……」
廊下に転がってる偽ロイドの首がしゃべった。同時に首と胴体、それぞれの切断面から紫色の腕が伸びて空中で握手し、首は胴体の方に引き寄せられて――くっついた。
「なぜ……そんなバカな……自分の計画が……こ、こんな事は一度も……」
絶望の表情を浮かべた偽ロイドの顔が、溶けるアイスみたいに別の顔に変わっていく……
「……フルトから、人間にしては相当な闇魔法の使い手だと聞いていたのですけど……それがこれとは。魔法の技術は認めますけど、計画? ふふ、ずさんにもほどがありますね。」
「――! バ、バカを言うな! 自分の計画は完璧だ! 一度たりとも失敗した事がないのだぞ!」
……すごくチグハグな感じだわ。バレバレの――少なくともあたしたちにはバレバレの偽ロイド姿でのこのことやってきてこの始末。一体どこの何が完璧なのかわからない。だけど……あたしにもわかる。ポステリオールから感じたのと似た気配――変な言い方だけど、大悪党の雰囲気。魔法の腕はたぶん十二騎士にも届くくらいで、戦う力は相当なモノ――だと思う。そんな奴がこんなマヌケをしでかしてる……すごい違和感だわ。
「それじゃあ今日のあなたの失敗を一つ一つ説明してあげましょうか。」
「なん……だと……」
「あなた、検問所をロイド様の格好で通りましたね。ふふ、ロイド様なら許可証を見せる必要がないと思いましたか? ええ、確かにありませんよ、本物であればね。」
「なにを――け、検問所の時点でバレていたというのか!?」
「当たり前でしょう。その数時間前に本物のロイド様が通っているのですから。」
「――!?!?」
……え、こいつ本気? まるで思いつかなかったって感じの顔してるわよ……
「何故通る事ができたか? それはワタクシが通すように言ったからです。フルトの報告から、闇魔法の使い手がやってくる事は予測できましたし……ロイド様に化ける事も想定内。あまりに想像通りで拍子抜けですよ。」
「そ、そんなバカなことがあるか! それは――あり得ない、あり得ない!」
「何を持ってあり得ないと断言しているのか理解に苦しみますが……ちなみにこの場所、この時に接触してくる事もわかっていました。ワタクシがロイド様とわかれるとしたらお風呂場くらいでしょうからね。案の定男湯に結界を張ってロイド様を閉じ込めてあなたはそこに立っていた。そうですねぇ……油断させてワタクシに近づき、強力な闇魔法で傀儡とする計画? でしたか?」
「な――ど、どうしてそれを――!?」
「異常だな。」
あたしにだってそれくらい予想できる事に一々驚く素人感丸出しの大悪党を挟んであたしたちと逆方向の廊下から蛇――ヨルムが歩いてきた。
「そもそも、俺たち魔人族の能力を考慮していない時点で貴様の計画とやらは頓挫しているというのに、それにまったく気が付いていない。折角――いや、むしろ危険な情報漏洩だった故に叱りつけたのだが、フルトは貴様に教えたのだろう?」
「な、なんの――」
「俺たち魔人族には、魔法の流れが見えている。」
「!!」
「検問所の二人が笑っていた。ロイド様の得意な魔法が風魔法などということはレギオンのメンバーは勿論、国民のほとんどが知っている事。だというのに、達人でなければ扱えないような闇の高等魔法の気配を垂れ流して貴様がやってきたのだからな。この国に入ってから貴様とすれ違った者は全員が気づいていた。しかし何も言わなかったのは姫様の命が出ていたから。」
「女王の命令……? し、侵入者をわざわざ近づける命令だと……!?」
「わかっていないな。貴様、ロイド様に化ける為にロイド様の血液を使っただろう? フェルブランドの軍の訓練所に刺客を放ったのはその為。」
! 予想外のところからあの鎧の奴の目的が明らかになったわね。ロイドに化ける為にロイドの血を……? それだけの為にあんな大騒ぎを……
いえ……むしろあの時くらいしかそのチャンスがないほどに、学院の守りが鉄壁なんだわ、きっと。
「愚かな事をしたものだ。法律に書き記すまでもないほどに魔人族全員が知っている罪だぞ、それは。」
ただしゃべりに来ただけとでも言うように、ヨルムは腕を組んで壁に寄りかかった。目の前の大悪党――王城に乗り込んできた侵入者をどうこうする気がまるでない。
「どういう意味だ……それは!」
「魔人族の国で悪事を働こうという奴が、随分な勉強不足だな。やはりその無計画さは異常だ……貴様の実力とかみ合わな――ああ、そういうことか。」
シュルルと笑ったヨルムは、その無表情な蛇顔が読み取れないあたしでもわかる――物凄く相手をバカにした目線を偽ロイド……今はなんか印象の薄いメガネの男になってるそいつに送った。
「フルトが敵を取り逃がすとは何かあると思ったが、相当強力なマジックアイテムを使っただろう? そして大きな代償を支払ったのだな? 本人が気づいていない――がしかし、おそらく貴様にとって最も無くしてはならないモノを。なるほど、ようやく合点がいった。」
「一人でペラペラと蛇人間が! わかるようにしゃべれ!」
なんかもうやけくそに近い感じになってるメガネの男を、鱗のついた手でピッと指差したヨルムはこう言った。
「そうだな……おそらく貴様の、最大の持ち味だったであろう……『慎重さ』とでも言うべきモノが、今の貴様には欠片もない。」
「――!?」
メガネの男は絶句した。口をぱくぱくさせて魚みたいに、信じられないって顔で震えた。
「そしてきっとそれ故に……そうなる前にやったのだから本来であれば対策を練る予定だったのだろうが、今は無策でここに来た……吸血鬼である姫様から最愛の方の血を奪うなどという暴挙を犯してのこのことな。」
パクパク魚状態のメガネの男はヨルムの言葉でビクッとなって……ゆっくりと後ろ――つまりはあたしたちの方に顔を向けていく。
「くっくっく、姫様の命令は全てこの為。どうなろうともはや誰にも止められはしない。せいぜい楽しむことだ、悪党。」
メガネの男の顔が完全にこっちに向くと同時に、あたしたちの後ろの方から物凄い殺気……怒りが押し寄せた。
「あなた――死ねるとは思わないように。」
カーミラ・ヴラディスラウス。魔人族の国、スピエルドルフの女王にして最強の力の持ち主が――キレていた。
「女王様に悪党退治をやらせるっつーのは騎士としてどうかと思うがこればかりはなぁ。」
ミラちゃんの、この場にいるだけで心臓が止まりそうになる迫力で満ちる廊下でのほほんと呟くフィリウス。
「お……おい……こ、これって……オレは何かやることあるか……?」
フィリウスと同感で、話を聞く限りまんまと血を奪われたオレのミスもだいぶやばいのではと思って何かしようと手を剣にまわしはしたが、一体何ができるのやら……
だが、フィリウスはケロリとこう言った。
「出番はあると思うぞ。おそらくあのメガネの男、相当な回数殺さないと死なないだろうからな。」
「――えぇ?」
「その上で第六系統の使い手ときたもんだ。よく見とけよ、大将。こっから先は超高等闇魔法のオンパレードだ。」
「何をのんきに――」
「おっと、そうだそうだカーミラちゃん、ちょっと待ってくれるか?」
フィリウスの言葉に対して無反応を返したミラちゃんだったが、フィリウスはオッケーと受け取ったらしい。
「おい、メガネの男。お前に聞いておくことがある。」
フィリウスがオレの姿からたぶん、元の姿っていうのに戻って呆然と立ち尽くしているメガネの男に目線をうつ――え、えぇ?
「……《オウガスト》か……」
びっくりした。一瞬前までいた人間と今そこに立っている人間が同じとは思えなかった。
メガネの男の――作戦が失敗して大慌てしていた男の表情が一変していたのだ。まるでミラちゃんの迫力がスイッチを入れたかのように、歴戦の猛者のような落ち着きというか貫禄というか……そこにいるだけで強さがにじみ出て来る感じだ。
「お前の名前はザビクってので合ってるか?」
「自分の名を……ふん、《ジューン》か。」
「当たりか。んじゃあもう一つ。」
ミラちゃんの力が満ち満ちてるこの廊下でただ一人気楽にいたフィリウスの表情がグッと厳しくなった。
「お前のバックにいるのはアフューカスか?」
メガネの男はギラッとフィリウスを睨みつけた。
どうしてだかわからないが、オレのことを狙っているらしい『世界の悪』ことアフューカス。彼女とこのメガネの男につながりが……?
「どうやらお前の目的はスピエルドルフそのものだったようだから今回の行動は独断か? アフューカスに献上しようと思ったか? ついでに大将もどうにかしようと?」
「……」
フィリウスの質問に一切答えないメガネの男は、ふっと目線を斜め上に移した。
「……悪巧みが失敗した悪党の道はいくつかある。世に言うとんずら、持てる全てを尽くしての逃げの一手。または両手を挙げて膝をつく……ふ、いつもならその辺りを選択するのだが……確かに自分からは何かが欠けたようだな。冷静な判断力か……そこの蛇人間が言うような慎重さか。そのせいか、今の自分にはそれ以外の選択肢に手が伸びる。」
同じだ。プリオルもこんな感じに、「悪党とは」ということを語っていた。アフューカスの下にいる七人の悪党の見分け方というのは、もしかしたらこの妙な思想がそれなのかもしれない。
「逃げる事、目の前の正義を皆殺しにする事、なんにせよそれらは副産物。自分が選ぶ悪の道は我が主様も好むこんな一言――」
上を向いていたメガネの男がバッとオレたちをその視界に捕らえ――
「面白くなってきた――だ!」
その時たぶん、あたしは死ぬ一歩手前だったんだと思う。
ほんの鼻先にまで迫っていたそれはあたしを壊す何か。
身体中を何かが這い回るような、皮膚の下で何かがうごめくような、頭の中で何かが騒めくような、嫌悪と恐怖の闇。
指の先からゆっくりと身体を千切りにされるような、体内が煮え返るような、全身から血をふき出すような、絶望と痛みの闇。
全身をどっぷりと包み込むまどろみのような、抗うことのできない無限の快楽のような、求めるだけ注がれる愛のような、誘惑と堕落の闇。
そのどれがあたしに迫っていたのかはわからない。なぜなら、その気配を感じて身体が最初の恐怖を覚えるその前に――あたしを包んだモノがあったから。
体感的には包まれたけど、記憶によるとそれは光景だったと思う。
あたしの中で、あたしの次にあたしを占める割合の大きい奴。
そう……時々ああいう風にドキッとする笑顔になるのよね。
あの、すっとぼけた田舎者は――
「――!」
ハッとした。あまりに眠すぎて一瞬記憶がとんだみたいな、そんな感覚だった。
「まいったな、十秒くらいか? いつの間にか置いてけぼりだぞ。」
フィリウスさんが「あちゃー」って顔をする。見ると、あのメガネの男……それとカーミラ、ストカ、ユーリ、ヨルムがいなくなってて……なんでか廊下に大きな穴が空いてた。穴の向こうは城の外で、夜の街が見える。
「えぇっと……フィリウス、これ何がどうなったんだ?」
「ああ、簡単に言うと俺様たちは死にかけたんだ。」
「死に――!?」
「さすが《ジューン》が追い続ける男ってとこだな。あのメガネ、超高等魔法の即死級幻術を俺様たち全員に同時にかけやがった。しかも効果がないと知っててやったっつーことはただのめくらまし扱いだぞ? 世の闇魔法の使い手が卒倒するレベルだ。」
「ちょ、おいフィリウス、全然ついていけないぞ……即死級の幻術――ってのをオレたちはかけられて……え、それでオレたちが死にかけた?」
「まともに受けてたら間違いなく死んでたが、さっきカーミラちゃんもちょこっと言ってただろ? 俺様たちが使う魔法は所詮、人間が作った魔法ってわけさ。特に幻術系はその最たるもんだ。」
壁の穴から外を眺めながら、フィリウスさんは――なんでか知らないけどニヤニヤしながら説明を続けた。
「風とか炎なら別にいい。魔法で生み出したとはいえ、生み出した時点で自然のモノとなってるんだからな。例え無理矢理魔法を使ってる俺様たち人間が作っても、風は敵を吹き飛ばすし炎は焼き尽くす。だが第六系統お得意の幻術はどうだ? あれは相手の精神や肉体そのものに作用する魔法、即ち、人間が作った対人間用の魔法だ。どんなに強力な幻術魔法であろうと相手が人間でないなら効果はない。」
「そ、そうなのか?」
「ネズミ一匹狂わせられない。人間以外にそういうのをやろうと思ったら、せいぜい光魔法で嘘の景色を見せるとかそんなところだな。まぁ、さっきまであのメガネがやってたみたいな、血液を使用した最高レベルの幻術ならできるのかもしれないが。残念な事に、俺様も闇魔法は詳しくないんでな。」
「そ、そっか……つまりミラちゃんたちにはその即死級? の幻術が効かなく……じゃ、じゃあオレたちは?」
「俺様はこれだ。《ジューン》のマジックアイテム。さっき風呂場から出るのに使ったのを合わせて十個もらってきたんだ。んで、残りの九個が幻術の無効化をしてくれた。ま、その内の五つが完全にぶっこわれてるから相当やばかったみたいだがな。ラッキーだった。」
「そ、そうか……」
「ま、実はこのマジックアイテムが頑張らなくてもよかったと言えばそうなんだがな。風呂場の結界もやり方さえあってれば解除できただろう。」
「? なんの話だ?」
「愛の話だ。」
「えぇ?」
「でもって大将の場合はその右目だな。気づいてないかもしれないが、ユリオプスが発動してるぞ。」
「え、あ、ホントだ。」
右目が黄色く光るロイド。
ああ……確かにあれ、カーミラのだわ……
「幻術系の魔法ってのは精神やら肉体やらをうまい事操って相手を内側から支配するもんだから、実は繊細な魔法なんだ。大将の身体には一部吸血鬼のモノがあり、その影響で全体的に吸血鬼の性質を得てる。つっても魅惑の唇になったくらいで大して変化はないんだが、幻術魔法が通じなくなるには充分なズレなんだ。だから、即死級の幻術を受けてもちょっとのめまいですんでる。」
「魅惑とか言うな! んまぁ、オレ自身は納得した。でも……みんなは? も、もしかして……さっきオレの偽物に気づいたのとお、同じ理由か……? キキ、キスしたせいでみみ、みんなにも吸血鬼的な性質が……!?」
「チューの時の唾液で吸血鬼化ってか? だっはっは、さすがにそれはないぞ、大将!」
「だだだ、唾液言うな!」
「お嬢ちゃんたちが無事だった理由が吸血鬼の力ってのは正解だ。だが正確に言うなら、そりゃ愛の力だぞ、大将。」
「あ――ま、また愛か……」
「カーミラちゃんが大将の血をがぶ飲みしたなら、ついでに大将が「愛してるよミラちゃん」とか言ったなら、あの女王様は文句なしで世界最強の存在になると、俺様は確信している。」
「な、い、いきなり何を言うんだお前は!」
「カーミラちゃんの話で大体わかるだろう? 吸血鬼ってのは、恋だの愛だのに最も影響を受ける種族なんだ。」
「そ、それが今関係あるのか!?」
「大ありだ。自分を守る為に魔眼が発動した大将は、その瞬間に吸血鬼としての能力が一時的にぐんっと跳ね上がる。ユリオプスは吸血鬼の家系に発現する魔眼で、その吸血鬼性は最高レベルだろうからな。」
「あ、ああ……」
「そして、そんな大将の周りには今まさに幻術を受けて死にそうな女の子たち! しかもみんなが大将を好きだという!」
「す――そ、そう……だな……」
「そんな中から既に一人を選んでいる大将だが――別に他の女の子もまんざらじゃない。」
「そ――は!?!?」
「ん? 嫌いなのか?」
「き、嫌いなわけじゃ――」
「じゃあ普通と好きならどっちだ?」
「そ、それは………………ふ、普通なんて冷たい感じじゃ……そ、その二択なら――すす、好きになる……な……」
「だろう? つまり、大将とこの場のお嬢ちゃんたちの間には相思相愛の赤い糸がつながってるわけだ。友情と言い張るのも結構だが、キスをした間柄だもんなぁ、大将?」
「――!!」
「人間にとっちゃただの感情かもしれないそれは、吸血鬼にとっては力の源。でまぁ、こっからは俺様の予想だが、恋やら愛やらの混じる感情でつながるお嬢ちゃんたちを救うべく、おそらくはチューした時にかかってるという吸血鬼の唇の魔法を通じて全員に一時的な吸血鬼性を付与したんだろう。結果、お嬢ちゃんたちにも幻術が効かなくなったってわけだ。」
「なーっ!?!?」
「本当はどうかわからないが、たぶん本筋は外れてないと思うぞ? うん、さすがはハーレムの主だな!」
ものすごく腹の立つ顔でロイドを煽るフィリウスさんと、顔を真っ赤にするロイド……
そ、そしてその話であたしも……な、なによそれ……愛の力って……
……もちろん、他の連中も……
「ロイくんの愛の力! まんざらじゃない! 好き! ロイくんてばもうもう!」
「ふ、ふん。ロイドくんがわたしの魅力に惹かれつつある事は知っていたとも! み、みたかエリルくん!」
「で、でも……わ、わたしと……――になったら、そ、そんな浮気は……だめ、だよ……?」
「んふふ、ガンガン攻めた甲斐があったんだねー。」
……愛の力……
で、でもなんだか、ロイドならあり得る気がする。べ、別に浮気性とかそういう話じゃなくって……愛って、愛情って、何も恋愛に限った言葉じゃないんだから。
家族を――一度全てを失ったロイドは、新しく得ることができた大切な人をすごく大切にする。そういう優しい、温かいのも吸血鬼に影響を与えるなら……確かに、これは愛の力かもしれないわね。
「ま、別にそれがなくてもなんともなかっただろうが一先ず、大将いじりはこの辺にしてカーミラちゃんを追うぞ。」
「この野郎!」
王の城に敵の襲撃っていう深刻な状況のはずなんだけど、フィリウスさんがこんなんだからあたしたちは妙にいつも通りの気分だった。敵がマヌケだったから……?
「……」
なにか、どこかがスッキリしないけど……まぁ十二騎士と魔人族がいるんだもの。これ以上ない安心じゃない。
廊下に空いた穴からあたしたちは外に出た。と言ってもここは一階じゃないから地面までそこそこ――いえ、結構高さがある。だけど……ロイドはふわっと風で飛び、あたしとアンジュはそのまま落ちて着地の瞬間に足元で爆発を起こして減速、ローゼルは壁の穴と地面を氷の滑り台でつないでツルツルと、ティアナは脚を強靭なケモノのそれに変身させて、リリーはパッと瞬間移動。夏休み前と比べるとあたしたち、さらっとすごい事が出来るようになったのねって思ってたら……フィリウスさんが魔法なしな上に壁につかまっての減速もなしでズシンッて着地して……やっぱりまだまだだわって思いなおした。
ま、まぁそれはそれとして、着地した所から少し離れた場所で戦いは始まってた。そこは普通に街の一角で、建物とかが戦いの余波で崩れたりしてるんだけど……お店の中とか通りには他の魔人族が見当たらない。まるでこうなる事を予想してたみたいに――いえ、初めからそうする予定だったんだわ。だからきっと、住民はどこかに避難してるのね。
要するに、カーミラはロイドの……血を奪ったメガネの男をこの場所でボコボコにするつもりなんだわ。
「す、すごいな……」
目の前で繰り広げられるマヌケ大悪党と魔人族の戦いに、思わずそう呟くロイド。
メガネの男と戦ってるのはカーミラで、たぶんメガネの男が闇魔法で召喚したんだろうゾッとする見た目の怪物たちを……きっとカーミラに近づけない為に、ヨルム、ストカ、ユーリが相手にしてた。
ユーリは第二系統が得意なのか、その両腕は電流を帯びて――っていうか光り輝いてた。ちょうど冬の日に静電気がバチンってなるみたいに、ユーリの腕が触れた瞬間、バチッって光って敵が吹っ飛ぶ……全身バラバラになりながら。
アンジュの『ヒートコート』に近い感じで、そんな触れるだけでボンッてなる腕を振り回して戦ってるユーリはその場からあまり動かず、自分を取り囲む敵を迎え撃つ感じのスタイルみたいで……たぶん見間違いじゃないと思うけど、時々首とか胴体がぐるんて一回転したり、腕とか脚が伸びたり飛んでったりするトリッキーな動きをしてる。
対してストカは走り回るタイプ。相手の頭をつかんで地面に叩きつけたり、蹴り飛ばしたり尻尾で薙ぎ払ったり突き刺したりっていうのを――尋常じゃない速さでやってる。リリーが瞬間移動を連続でやった時と大差ない速度で敵を蹴散らしていく中、時々相手の背後に土の壁を出現させて退路を塞いだり、自分の足元を勢いよく隆起させて、あたしが爆発で加速するみたいな移動をしてるからたぶん、ストカの得意な系統は第五系統の土。
言葉で説明するとそんな感じなんだけど、確実にあたしたちよりも強いと思えるほどの圧倒的な実力を二人から感じる。あれで護衛見習いっていうんだからやっぱり魔人族は桁違いの強さなんだわ。
……でもって、そんな魔人族の中で精鋭って呼ばれるヨルムは……何もしてなかった。いえ、正確には何をしてるのかわからない。ユーリ以上にその場から動かないというか、むしろ棒立ちなんだけど近づいた敵はことごとく倒されていく。本人はぼんやりとカーミラの戦いを眺めてるもんだからいよいよどうなってるのかわかんないわね。
そして、そんなヨルムが眺めるスピエルドルフ最強らしい女王様は……なんて言うかめちゃくちゃだった。真っ黒なドレスを着たカーミラが真っ赤な剣を一振りすると、よくわからない距離まで斬撃が飛んで遠くの建物が真っ二つになるし、地面に真っすぐな亀裂が走る。しかも次の瞬間には真っ赤な剣が真っ赤なハンマーになって地面を陥没させるし、気が付いたら真っ赤な銃になってて周囲を爆散させていく。
武器もよくわかんないけどカーミラ自身の動きも意味がわからない。ストカと同等かそれ以上の速度なんだけどその動きは流れるようで緩急がなくて……空中でスケートしてるみたいに見えてきたわ……
「さすがカーミラちゃんだな。勝てる気がしない。」
のんびりと腕を組むフィリウスさんが「こりゃまいった」って感じにそう言った。
「ミラちゃんの武器って一体……あと、ストカとユーリはまだ何をしているかわかるけど……ヨルムさんは……?」
「カーミラちゃんが使ってるのは自分の血液だ。それを色んな形に変えて戦ってるわけだが、その血ってのが凶悪な代物でな。なんでもご先祖様方の力が溶け込んでるとかで、魔法とは違う何か人智を超えたエネルギーが詰まってんだ。」
「なんだそりゃ。」
「俺様も含めて詳しく知ってる奴なんかいないさ。それこそ、カーミラちゃんと結ばれるなら大将が詳しい人第一号になるだろうよ。とにかくわかってんのは、吸血鬼の血で武器なんか作ろうもんなら冗談みたいな武器が出来上がるってことだ。んで、そんな血が身体を駆け巡ってる吸血鬼本人も、人智を超えた動きをするわけだ。」
見ていて変……そう、理屈に合わないっていうか物理法則的なのがガン無視されてるっていうか、確かにカーミラの動きはおかしいわ……
「で、ヨルムの奴は尻尾を振り回してるだけだ。普段は服に隠れてるが、あいつが裸になったらまんま二足歩行のトカゲだからな。長い尻尾がある。まぁ、蛇なわけだから尻尾っつー表現は微妙だが。」
「尻尾についての考察はどうでもいいけど……じゃああれか? ヨルムさんは目にも止まらない速さで尻尾を振り回して……敵を蹴散らしてると……」
「そうだ。一応言っとくと、字面じゃそんな感じだが一発一発の威力はとんでもないぞ。人間の身体なんて、別に刃物でもないのに一振りで切断されるし、鎧なんて泥で出来てるかと思うくらいにあっけなく粉々になる。」
「桁違いにもほどがあ――」
「フィル、どう思う。」
レベルが違う以前の戦いを眺めてたら突然話題のヨルムがフィリウスさんの横に現れて、ビックリしたあたしたちは一歩とび退いた。
「ん? おい、いいのか、ユーリとストカだけで。」
「あの程度の雑魚召喚、二人で充分だ。それよりもあのマヌケな男だ。」
「逃げきれてないが死に切らない程度には強いようだ。相当自分を強化しているな、あれは。」
「戦いが始まると同時に、他人の生命力を消費した『デビルブースト』を十段くらい重ねがけしていたからな。」
さらりと出てきたおそろしい言葉。第六系統の闇魔法は唯一、マナから生まれた魔力以外を代償にできる魔法。中でも……生命力が最も効率のいい代償で、闇魔法を使う悪党は大抵、他人からそれを奪う……!
「姫様とあれだけやり合っているのだからな。消費した生命力は計り知れんが、おかげで本人への負荷もかなりのモノのようだ。直に自滅するだろう。」
「計り知れないか。」
「……そう怖い顔をするなよ、十二騎士。闇魔法を使う者と戦うのなら当然起こり得る事だろう? あれほどの使い手ならすれ違っただけの相手を生命力のストックとして指定し、どこにいようともそいつの生命力を吸えるようにしているだろう。ストックにされた者はそうと気づかずにある日突然死ぬ感じだな。」
蛇の口から淡々と語られる事に、フィリウスさんは――確かに怖い顔をしてた。それでもなお、ヨルムはなんでもないようにしゃべる。
「お前のような人間の騎士なら、まずは相手に魔法を使わせない手立てを考えるだろうが……生憎、人間がどれだけ死のうが俺たちには関係がない。その中にお前たちが含まれていないことは入国の際に確認済みであるしな。」
「そうか。それはともかくとして、妙だな、あの男。」
「やはりそう思うか。」
まるで、その件については散々議論したとでも言うようにあっさりと話題を切り替えるフィリウスさん。
「確かについさっきまではマヌケな凄腕だったが、今は普通の凄腕だぞ、ありゃ。別人だ。」
「ああ。姫様の殺気を受けた瞬間に、まるでスイッチが入ったみたいにな。しかも……」
「あの動き、まるで勝つ気がない。持てる力を全て回避にまわしている感じだ。まぁ、だからこそまだ死んでいないのだろうが。」
「どう考えてもあのザビクとかいう人間には先がない。であれば、あの行動は何かの時間稼ぎと疑わざるを得ないわけだが……奴は第六系統、幻術や呪いのエキスパートなのだろう? 何か嫌な予感がする……仲間でも待って――」
「いたっ。」
ヨルムが腕組みをしてうなった辺りで、フィリウスさんの横で話を聞いてたロイドが頭を押さえた。
「? どうした大将。」
「? 誰かにはたかれたような感覚が頭に――」
そういいながらロイドは身体を斜めにしていって……
「! 大将!」
バタンと倒れ――!?
「ロイド!」
いきなり倒れたロイドの顔を覗き込んだ時、あたしは息を飲んだ。
まるで……まるで蝋人形……生きてるロイドから「生きてる」って部分だけを抜き取ったような……!
「姫様ぁぁあぁあっ!!」
淡々としてたヨルムが獣みたいに叫ぶ。一瞬こっちを見たカーミラは、そのまた次の瞬間には倒れたロイドの横で膝をついてた。
「っ――!? ロ、ロイド……様……?」
慌てたカーミラはその指をロイドの首に置く。
「生き……ている! け、けれど身体は……正、常なのに、まるで魂にふたをされているかのような……!?」
「ロイド、ちょ、ちょっとあんた、起きなさいよ!」
ロイドの傍にきてその身体をゆすっても、時間が止まったみたいにロイドは瞬き一つもしな――
「な、なによこれ……なんなのよ!」
「あっはっは、大成功だ。自分で自分に拍手を送ろう。」
何か決定的な――致命的な何かが目の前で起きてて、誰もが焦りと驚きの顔してるその瞬間に、笑い交じりで近づいてきたのはあのメガネ野郎――!!
「あんた一体何を――」
「キサマァァアアァァッツ!!」
あたしが言うのと同時に、表情なんか読み取れないけど明らかに怒ってるヨルムがメガネ野郎のむなぐらをつかんだ。てっきりカーミラがそういう事をするかと直感的に思ったんだけど、カーミラはあたしの前でロイドを……ロイドの名前を呼びながら絶望的な表情で見下ろしてた。
「何をしたっ! ロイド様に一体何を!」
「何って、さっき自分で言っていなかったか? ここにいるメガネをかけたマヌケな奴は、幻術や呪いのエキスパートだと。」
「まさかロイドさ――」
「落ち着けヨルム。」
そのまま頭をかみ砕きそうな勢いで迫ってたヨルムを後ろから引っ張ったのはフィリウスさん。
「大将に何かの闇魔法をしかけたか。さっきまで自分にかけてた『デビルブースト』を解いているところを見ると、大将を人質に交渉でもするつもりか?」
「ふん、察しが――いや、この状況であればバカでもそう思うか。ああ、その通りだ。」
余裕の笑みを見せるメガネ野郎は、すぅっとロイドを指差した。
「かの偉大な魔女が生み出した闇魔法『スリーピングビューティー』をアレンジしたモノを少年にかけた。なに、ありきたりな悪の魔法だ。術を解ける者は自分だけ、自分が死ねば少年も死ぬ。とりあえず今は仮死状態にしているから人形のようになっているが、こちらの要求に応じればすぐに戻そう。そして少年は……ま、自分の手の平の上でだが一生を謳歌できるだろうな。」
「いつでも大将を殺せる状態にして、それで何を望む?」
「少年を殺されたくない者は大勢いるようだが、自分が興味を持っているのはそこの吸血鬼。どうかな? ここは一つ、スピエルドルフを自分の手中におさめたいのだが?」
メガネ野郎が何か言ってるけど、当のカーミラは全く聞いてない。ただただ、ロイドの手を握ってうなだれてる。
「大将を人質にカーミラちゃんを、ひいてはこの国を操りたいと。」
「そうだ。いや、少年には感謝しなければな。身体能力も魔法技術も、何を引っ張り出しても勝てない魔人族連中が作ったこの国を、その頂点に立つ者を、思い通りに操れる弱点となってくれたのだから。戦って勝てないのなら弱みを握る――ふふ、やはり先人は良い教えを残してくれるものだ……悪党においても、な。」
ぴたりと両手の指先を合わせて、ほくそ笑みながらまさに悪党のセリフを吐くメガネ野郎。あたしはその顔を殴りたくてしょうがない。
「そうか。ところで気になる事がある。」
「ふん? 愛弟子があの有様なのだが……さすがは十二騎士という事か。自分がどこぞの誰かの生命力を使うだけで激昂する騎士もいるというのに……なるほど? ベテランであるとは即ち、若造よりも失敗を重ねているという事。救えなかった人間の数が多いといかに正義の味方でも慣れるものか?」
「よくしゃべる奴だな。」
「勝利を確信した悪党はそうあるべきだ。それで、何が聞きたい? ご覧の通り、自分は今気分がいいのでな。」
「一体いつ魔法をかけた。大将やお嬢ちゃんたちは気づいていなかっただろうが、この国に入ってからずっと、街を歩いたり飯を食ったりする度に対闇魔法の対抗魔法が俺様たちにはかけられ続けていた。」
「は――ど、どういうことよ、それ……」
まだ生きてるってことと、あとは……目の前であのカーミラがこんな表情をしてるからか、あたしはあたしなりに少し冷静になってきた。
……っていうか……なんていうか、妙にフィリウスさんが落ち着いてる――のよね……
「鎧の襲撃があった時、フルトの奴がこいつに会っている。闇魔法のかなりの使い手が今後しかけてくるかもしれないという事はカーミラちゃんにも伝わっていた。だからだろうな、検問所を抜けてから風呂場まで何種類もの対抗魔法が何重にもかけられた。さっきの即死幻術だけどな、あれ、別に大将が吸血鬼の能力を欠片も持ってなくても全員無事だった。でなかったらカーミラちゃんが闇魔法の使い手の前に大将と、ついでに俺様やお嬢ちゃんたちを出しはしない。」
「……!」
考えてみれば当然……夜の魔法の中だからとか、魔人族は人間より強いからとか、そんなのがカーミラがロイドの為に万全をつくさない理由にはならないわ……絶対に。
「ああ、それに関しては見事だった。おかげで現状、自分の闇魔法はこの場の誰にも通じない。適当なのを召喚するのと、自分を強化するしか選択肢がないくらいに。」
「だがお前は大将に魔法をかけた。そこが気になる。」
「だろうな。しかしそんなに難しい話ではないぞ? 単に、自分が少年に仕掛けをしたのが国王軍の風呂場でだったというだけの事。」
「! なんですって!?」
思わずそう叫んだあたしを、「その反応を待っていた」とでも言いたそうな顔で見るメガネ野郎は得意げに続ける。
「やれやれ、ならば自分の計画の全貌を教えようか。さっきのマヌケな自分が言ったと思うが……自分の計画は完璧だった。」
得意げに、楽しそうに、自分の趣味を延々と語るみたいに、メガネ野郎は自分の計画とやらのお披露目を始めた。
人間とは距離を置き、その多くが夜の魔法の内側にこもっている魔人族という連中……人間の中でいかに強いと評価されようと、あの化物共と比較したら大したことがなくなる。そんな圧倒的な力を手にした時、主様は自分に何を見せてくれるのか。主様が妙に興味を持たれた少年を調べるべく、ランク戦を観戦していた時にその魔人族に遭遇したことが自分の計画の始まりだった。
学院内に盗聴魔法を仕掛けて得られた情報は――ふふ、なんとあのスピエルドルフの女王が少年に恋い焦がれているという事実だった。我ら悪党にとって好きだの嫌いだのの感情は最も利用しやすい道具だ……使わない手はない――このチャンスを逃すまいと、自分は思った。主様に命令されずとも、仮にやるなと言われても、こればかりはしなければならない――何より、自分が新しい悪を見る為に。
吸血鬼などという最強と言っても過言ではない魔人族である女王に自分の闇魔法が通じるかは怪しいものであるし、そもそもかけるチャンスを作る事も容易ではない。ならば少年を人質に心を御する事が最善――最悪だろう。
しかしこれもまた至難、少年は常に学院の結界に守られ、その外に出るスピエルドルフへの訪問時はより厄介な夜の魔法がある。ならば盗聴によって得た学内イベント――社会科見学という課外活動が唯一のチャンスだ。
だがここで問題。生かさず殺さず、かつ魔人族の連中にも解除不可能なレベルの魔法をかけるとなると、少年の前に自分が立つ事が絶対条件。その眼を通して直に仕掛ける必要があるわけだが……ふ、戦闘の苦手な自分が国王軍と十二騎士の待つ場所に赴くわけにはいかない。適当な傀儡を使う事が絶対だが、それでは望みの魔法がかけられない。
そうだ、だから考えた。完璧な計画を。
かける魔法は一粒の種。必要なモノは成長させる栄養。仕上げは自分。
まずは種。別に誰でも良かったのだが、ならばより悪事であるべきだからな、七大貴族を六大貴族にさせてもらった。無駄に魔法の訓練などを積んでいるよりもまっさらな素人の方が闇魔法で操りやすくもあり……ムイレーフの跡継ぎを選んだ。適当に強化――いや、狂化し、種を持たせて少年を襲わせた。目的は勿論、種を植える事と――ついでに血液の採取。これは後に必要だったのでな。
植えた種は極めて小さく害もない。例え《ジューン》が調べようとも「何もない」と判断するレベルであるし、仮に勘の鋭い者がいたとしてもムイレーフにかけた闇魔法の臭いがついただけと判断するだろう。
次に栄養。時間経過で成長してしまってはスピエルドルフで仕上げを行う前に誰かが気づいてしまう。だから栄養はスピエルドルフで与える事にした。
女王の恋い焦がれ具合は尋常じゃなかったからな……その愛とやらを利用させてもらった。社会科見学に魔人族が一人同行する事を盗聴で知った自分は、襲撃の際にわざと近くでのんびりしていたよ。魔人族には魔法の流れや気配というモノが知覚できるからな。ああ、もちろんそんな事は知っていたさ、知らないわけがないだろう?
案の定釣れた魔人族に自分の姿を見せ、得意な系統を示し、そそくさと逃げた。そうすれば女王の耳に入るだろう? 愛しの少年が遊びに来るその時に、闇魔法の使い手がやってくるかもしれないとな。
ふふ、計画通り、女王は国のあちこちに対抗魔法を仕掛けてくれた――そう、自分が設定した栄養というのは対抗魔法だ。種は闇魔法への対抗魔法に反応、それを糧として吸収、成長する術式が組み込まれた魔法だったわけだ。実に愉快だろう? 守るつもりが少年に毒を盛っていたのだからな。
残すは仕上げ。警備厳重なスピエルドルフに侵入し、立派に育った種を持つ少年に最後のピースとなる魔法をかける――今回の計画において、これが一番難しい事だった。
明らかに格上の連中が跋扈する国に堂々と侵入して少年の前に立つ――その為に、自分はその「格上」という点を利用した。
筋骨隆々の男がナイフを持ってやってくる場合と、同じナイフだが持っている者がやっと立ち上がれた程度の幼児の場合では、それに相対する者の姿勢はだいぶ変わる。得物は同じ凶器でも、ガキにビクつく奴はいないだろう?
そう、自分はガキになったのさ。大層な闇魔法の使い手で、人間の世界じゃ恐れられる力を持っているが頭がすっからかんというマヌケにな。
自分自身に呪いをかけ――ああ、ここはご名答、自分は自分から慎重さや計画性、分析力といったモノを封じ込めた。普段、自分が最も売りにしている才能を、な。演技という手もあったが……生憎そこまで芸達者でないし、そんなモノはすぐに見破られてしまう。実際に確かなマヌケになる必要があったわけだ。
さて、もちろんいきなりマヌケになったら不自然だから布石を打った。魔人族にまんまと見つかり、逃げる為に強力な――代償の大きなマジックアイテムを使ったというな。
そんなわけがないだろう? 確かに使いはしたが、そんなリスクだけのマジックアイテム、リスクを無くす魔法くらいかけてから使うとも。仮にも凄腕の闇魔法の使い手なのだから。
マジックアイテムを使った後で自分に呪いをかけ、マヌケになった自分は少年に完全になりすますために同僚に協力を頼んだ。今の自分に言わせれば、よりマヌケになる為にな。
同僚は最近失敗したばかりでな……おそらく普段なら協力してくれなかっただろう。だがどうだ? 目の前にとんでもないバカをやらかそうとしている奴がいるんだ。そいつが自分よりも大きな失敗をしたら自分にも再起の芽がある――そうなったら協力は惜しむまいよ。
採取した血液を利用し、その上相手が魔人族であってもそう見えるように術式を書き変えた最高級の幻術と同僚の魔法――変身魔法を組み合わせ、自分は少年になりきった。
闇魔法の気配を垂れ流す風使いの少年というマヌケななりきりだが、だからこそ女王は侮ってくれた。もともと、少年の血液を奪った時点で女王の逆鱗には触れているわけだからな、できれば女王自らの手で殺したいと思うだろう。そこに、聞いていたように確かに凄腕だが、驚くくらいにマヌケな襲撃者がやってきた。闇の対抗魔法も万全であるわけだし、ならば自分の前まで来てもらおう――計画通りに、女王は自分を下に見た。自分たちの方が「格上」であるという確信を持った。
そうしてバレバレだというのに堂々と、他の誰でもない女王の意思によって、自分は女王のところまでやってきた。マヌケな自分の計画は女王に闇魔法をかけて操るというモノだったようだが……まさか、上手くいくわけがない。例え完璧な幻術で挑んでも闇魔法の流れを見られているのではまるで意味がないのだから。
ただまぁ、今思えばここはひやひやものだった。自分の目的は少年だったのに対し、マヌケになった自分は女王を目指したのだから。どちらにしても女王と少年は一緒にいるだろうと考えていたのだが……まさか、両者が離れる入浴時に突撃するとは予想外だった。その上男湯に結界を張って肝心の少年を蚊帳の外ときたものだ。まぁ、少年の姿に化けているのだからそれしかやりようがないのも確かだが……バレバレの変装なんぞ、一瞬のスキを生むために使ってこそ意義があるというものだ。少々、マヌケな自分のマヌケぶりを読み切れなかった部分が多い。
しかし有り難い事に、さすがは十二騎士というべきか……もしくはよく考えれば当然というべきか、《オウガスト》は闇魔法への対策として《ジューン》から小道具を預かっていた。おかげで少年はマヌケな自分の前に姿を表してくれた。
こうして、役者がそろった場所で見事に失敗したマヌケな自分は絶望し、そんな自分に女王は死を宣告した。最愛の者の血を奪った奴が目の前にいて、そいつの悪巧みは全て失敗。あとは殺すだけとなれば……ああ、当然出るだろう? 最強の種である吸血鬼の全力の殺気が――殺意が。
そう、それがスイッチだった。自分が自分にかけたマヌケになる呪いは、自分に対する強い殺意を感じた時に解除されるようにしておいたのだ。
めでたくマヌケから解放された自分は仕上げに入る。その場にいる全員に向けて即死の幻術をかけた。そのままかかれば、この世のモノとは思えない醜悪に犯されて死ぬか、感じ得る全神経を総動員した痛みに包まれて死ぬか、獣以下の脳みそになるまで快楽に浸かって死ぬわけだが……闇への対抗魔法をこれでもかというくらいに受けている者には通じないし、魔人族にはそもそも効果がない。
まぁ、負け惜しみとして言っておくと、少年に化けた時と同じく、血液と術式を練る時間があれば魔人族にも効果があるようにできたが……あの一瞬ではさすがにな。
だが別にそれはどうでもいい。本当の狙いはその幻術の裏で少年だけにかけた魔法――仕上げの一発だったのだから。
闇に対する対抗魔法が種に吸収されている少年には、吸血鬼の特性故に幻術は効かないがそれ以外の闇魔法は効く。自分はそれを行い、そして廊下に穴をあけて外に飛び出した。
なぜか? それは時間を稼ぐためだ。少年にかけた闇魔法とは即ち呪いだからな。その効果が高ければ高いほど、呪いというのは定着するのに時間がかかるのだ。少年の場合は、ざっと五、六分といったところか。
持てる全てを使って怒れる吸血鬼から五分ほど逃げ回る。自分の身体で耐え得る限界ギリギリの『デビルブースト』に、他者の命を自身に迫る死へ差し出す『スケープゴート』……ふふ、ストックをこんな短時間であれほど大量に消費したのは初めてだった。わずか五分の間に『デビルブースト』を無効化されること二十四回、死ぬことは――マヌケな自分が首を落とされたのを含めればきっかり十回……過去に例を見ない五分だったな。
まぁ、初めから全ストックを消費する覚悟だったから構わないといえばそうなのだが……『スケープゴート』で自分の命を守るのに必要な他人の命の比率が一対一でないこともあって、ストックにしていた人間数百人の内、五分の一くらいは減ってしまったな。はは、場合によってはどこぞの村の人間が全滅しているかもしれない。
しかしその甲斐あり、少年にかけた呪いは無事に定着――そうして倒れたわけだ。
ふむ……こうして説明すると実のところ完璧とは言い難いな。特に自分自身の行動の読めなさはあまりに揺らぎが大きい。今後は使わないようにするとしよう。
長い演説が終わった。ただ一つ、ロイドに呪いをかけるという事の為に大勢の命と自分自身を道具にして悪巧みを実行した……狂った悪党の演説が。
「……良い顔だ。自分の策によって愛する者を殺した男や女の顔と似ている。プリオルではないが、自分もそういう顔を写真に残して一つ、コレクターを名乗っても良かったかもしれないな。」
「狂人だな。」
メガネ野郎の話を黙って聞いてたフィリウスさんが――え? な、なんでかわかんないけど……ちょっとほっとした顔でそう言った……
「……? そのセリフにはどうもありがとうと返したいが、その表情はなんだ《オウガスト》……何を安堵している?」
「一応再確認だが、お前が大将にかけたのは呪いなんだな?」
「……ああ。言っておくが《ジューン》にも解除不可能だぞ。」
「構わない。」
メガネ野郎の勝ちであたしたちの負け――そういう状況だったはずなのに、そんな空気の中でフィリウスさんはなんでもないように……メガネ野郎を横目で見ながらこう言った。
「だって、大将に呪いは効かないからな。」
その言葉で、あたしも含めてその場の全員の視線がフィリウスさんに移った。
「……何の為のハッタリだ? 確かにそういう体質や魔眼というのは存在するが……自分は少年の血液を採取した際に確認している。事後ではあったが、自分の呪いが効くという事を。」
「体質の話じゃない、もっと単純な理由だ。むしろお前の方が詳しいだろうにな。」
段々と表情がこわばっていくメガネ野郎に対し、フィリウスさんはカーミラの横にしゃがんでロイドの顔をのぞきながら、最早メガネ野郎の方なんか見ないで話す。
「さっき『イェドの双子』の名前が出たが、やはりお前はアフューカスの一味なんだな。なら言わせてもらうが、お前はやっぱりマヌケだ。数少ない例の一人であるプリオルと知り合いだったというのに。」
「何の話をしている……プリオルがなんだと言うのだ……」
「ふん、俺様と違って察しが悪いな。じゃあ話題の切り口を変えるが、呪いっつー魔法には特徴があるだろう? 俺様でも知ってる特徴が。」
「なに……?」
「! まさか!」
当のメガネ野郎が眉をひそめる横で、ヨルムが声をあげた。
「呪いの干渉か!?」
干渉。ヨルムのその言葉に、メガネ野郎は表情を一気に変えた。
――焦りのそれに。
「ああ。呪いって魔法は幻術以上に繊細な魔法だったりするからな。複数の呪いを同一対象にかけるってのはかなり難しい。《ジューン》が褒めていたぞ、ザビク。ムイレーフにかかってた複数の呪いは神業のようなバランスで干渉が起きないようになってたと。だがそんなお前でも無理な事はあるだろう? 同じ人間が複数の呪いをってのは技術でなんとかなるだろうが、既に呪いがかかってる対象に別の誰かが呪いをかけるってのはなぁ?」
「ふ――ふ、ふはは、バカを言うな……そんな事はわかっている! しかし勉強が足りないようだな《オウガスト》! 別の誰かが既に呪いをかけていようと、後からかける呪いの方が強力ならば上書きは可能だ! こ、この――自分の! 完璧な計画を経て完成した呪いを超える呪いなどあ、ありはしない! そもそも、呪いがかかっている状態で今まで普通に生活をしていたというのかその少年は! 理屈の通るハッタリをかませ、愚か者が!」
指差して怒鳴るメガネ野郎の方に、ため息をつきながら顔を向けるフィリウスさん。
「口じゃ強気だが焦りまくりの態度からして、俺様が言わんとしている事はわかってるんじゃないのか?」
メガネ野郎が言う、マヌケな自分がしてた絶望的な表情に今のメガネ野郎もなっていく中、フィリウスさんが呟く。
「恋愛マスター。それが答えだ。」
恋愛マスター……また、こんなところにも、その気の抜ける名前が登場した。
「大将と旅をしてた時のある一戦、効果としては平衡感覚を失わせる程度のモノだったが確かに呪いを受けた大将は、しかし何事もなく戦いを続けた。魔法に関しちゃ何も教えてなかったから、その時の大将が対抗魔法なんか使えるわけがないし、そもそも受けた事にすら大将は気づいてなかった。」
ロイドに、なんかキーホルダーみたいなモノを近づけるフィリウスさんは――
「もしかすると大将はそういう体質なのかと、俺様は知り合いの第六系統の使い手を呼びつけて調べた。大将には内緒で、寝てるときにな。」
――キーホルダーが小刻みに振動し始めたのを見てこくりと頷く。
「弱いモノから順番に、段々と強くしながら寝てる大将に呪いをぶつけてみたが、結局その知り合いが使える中で一番強い呪いも効果がなかった。普通にトーナメント戦で上位に食い込む実力者がやってもそんなんだからな、俺様は大将の隠れた体質に驚いた。だが、その知り合いはそうじゃないと言った。自分の呪いは、無効化されたりしたのではなく、より強力な力に打ち消されたのだと。」
未だに蝋人形みたいに目をあけたままのロイドのおでこにフィリウスさんは……音からしてかなり威力のあるデコピンをした。
「その知り合いいわく、大将にはとんでもなく強力な呪いがかかっていて、そのせいで自分の呪いが干渉を受け、その圧倒的な力の差に軽々と打ち消されていると。自分の最高の呪いですらハエを叩くかのようにそうなったところから察するに、きっとこの呪いを超える呪いは無いと。おまけに、この呪いをかけた奴は人智を超えた存在だと言わざるを得ないとまで言っていた。第六系統はさっぱりの俺様だったが、そいつの信じられないという顔で納得した。」
フィリウスさんの指がヒットしたところに小さな光が灯り、柔らかなそれはロイドの全身を包んでいく。
「となるとその強力な呪いは一体なんなのかっつー話だが、人智を超えたとか聞いた時点で俺様には心当たりがあった。少し前に出会った恋愛マスターという人物の力、大将の願いを叶えると言って手をかざした彼女から発せられた力は俺様ですらビビる程に圧倒的だった。しかし願いを叶えるという彼女が大将に呪いを? 俺様がうなっていると、その知り合いが答えをくれた。」
ふんわりとした光が綿毛のように消えたかと思うと、ロイドは蝋人形のような状態から――普通に寝ている感じの表情と雰囲気になった。
「恋愛マスターとやらの事はよくわからないが、効果が良い方向だからそう思えないだけで、例えば彼女は、運命の相手に一生出会えないようにする事もできるはず。そうなったら、それは呪い以外の何物でもない。言い方を変えれば、大将は家族が欲しいという願いに起因する、運命の相手に必ず出会ってしまうという呪いを受けたのだと。」
「ロイド様!」
まだ目は覚まさないけど、呼吸が戻ったロイドの胸にすがりつくカーミラを見て、フィリウスさんはすっと立ち上がる。
「恋愛マスターの力を近くで感じた俺様も確信している。あの力を超える魔法はないだろうと。お前はどうだ、エキスパート。自分の魔法が人智を超えた存在の力に届くという自信はあるか?」
「なにを――ば、ばかな……事を……」
焦点が定まってない。どうしようか必死で考えてるけどどうしようもない事を既に知ってるみたいに、まさに悪あがきを頭の中で思い描くメガネ野郎。
「フィル! ロイド様は――ロイド様は大丈夫なのですね!?」
「ああ。ザビクがかけようとした呪いは発動した瞬間に打ち消され、結局大将が倒れたのは仮死状態にする為にかかってた単なる闇魔法のせいだが、それも恋愛マスターの力の影響でだいぶ弱まってた。おかげでザビクに解除させなくても、《ジューン》のお手製アイテムで無効化できた。直に目を覚ます。」
「あぁ――ああ、ロイド様……ロイド様!!」
「やれやれ、あんまり特異な体質とか能力があるってのを知っちまうと無駄に驕っちまうから大将には何も言わなかったんだがな。幻術と呪いを無効化し、身体に異常をきたす闇魔法も弱化させるときたら、こりゃあ意識して使うべきだなぁ、おい。」
珍しく長いこと真面目な顔でいたフィリウスさんにいつもの余裕のある笑みが戻り、その太い腕がゆっくりと背中の大剣に伸びていく。
「で、どうする? お前が標的にした大将は実のところ、闇魔法の天敵みたいな状態だったわけだが、まだ何か策はあるか?」
完全な逆転。あたしたちの勝ちで、メガネ野郎の負け。カーミラとの戦いで全力を出し切ってるし、そもそもこの場には物凄い強さを持った人がたくさんいる。
これにてこの事件は終わり。決着……そんな感じに、ちょっとあたしたちみたいな学生の手には負えないレベルの戦いが終わった事にホッとしたその時、誰かが呟いた。
「コンナことの為にとっておきの切り札を使う羽目になるなんて……」
その場の誰でもない誰かの声。激しい戦闘が繰り広げられた街中から少し離れた、ちょっとした広場みたいな場所に集まってるあたしたちのすぐそば――メガネ野郎の少し後ろにいつの間にか立っている誰かが、どうやら声の主らしい。
「ベツニ使う予定があったわけじゃないけど、それでも恨むわよ、ザビク。アンタのせいよ? コノマヌケ。」
暗くてよく見えないんだけど、基本的なシルエットは人。だけど一部……いえ、ところどころが人じゃない。
「セメテ、アフィだけじゃなくてアタシも楽しませる散り様を頼むわよ?」
二本の腕と二本の脚のほかに、背中から細長い……虫の脚みたいなものが四本生えてて、顔の部分には暗い中で紅く光る――虫みたいな眼が八つ。
「サイゴの一瞬こそ、悪党最大の見せ場なんだから。」
だから表現するなら……蜘蛛みたいな奴がそこに立ってた。
第八章 凶星
「マル……フィ……?」
完全に「負けた奴」として絶望の表情だったメガネ野郎の顔に、驚きとか困惑的なモノが混じった。
「チョッと見ない間に老けたわね。アーデモ……元からおじいちゃんだったわね、あんた。コトシで――あれ、もしかして二百とかいきそうだった?」
突然現れた蜘蛛みたいな奴……た、たぶん口調からして女だから蜘蛛女ってところかしら。首に長めのマフラーを巻いて変な服を着てる。確かどっかの国の隠密部隊がそんなのを着てたような気がするわね……ニンジャだったかしら?
顔は、正面から見れば人間のそれと変わらないシルエットなんだけど、よく見ると後頭部が後ろの方にちょっと長い。口元は例のマフラーで隠れてるけど、八つの紅い眼はハッキリと見える。
うまく言葉がしゃべれないような、もしくは変なクセがついてるような、ちょっと変な発音で話すそいつを驚きの顔で見たのは……メガネ野郎だけじゃなかった。
「マルフィ……貴様、よくも俺の前に出て来れたものだな……」
そう言ったのはヨルム。一瞬驚いたあと、さっきメガネ野郎に対して声を荒げた時とはまた別の種類の怒りを漂わせて蜘蛛女を睨みつけた。
「アラァ、ヨルム? アイカわらず怖い顔ね。マダフルトの方が表情豊かだわ。ソウイえばどこにいるのかしら。」
「貴様が知る必要はない。即刻死ね。」
「ソレハ待った方がいいわよ?」
――!?
一瞬だった。ヨルムのセリフと蜘蛛女のセリフの間に、超速で放たれたヨルムの尻尾を何でもないように片手でつかむ蜘蛛女。
「ソリャまぁ、アタシってお尋ね者だし? コノクに出る時に結構暴れたからその態度は納得なんだけど――アタシは頼まれてあなたたちを招待しに来ただけなのよ。」
お尋ね者? ってことは、スピエルドルフっていう国で指名手配されてる犯罪者ってこと? でも今、国を出る時って言ったから……じゃあ今までは外にいたって事……?
「考えたくないが――」
ヨルムと蜘蛛女がにらみ合うのを……ひきつったような笑みで見るフィリウスさん。
「お前みたいな大物がそこのメガネと知り合いっぽく登場し、その上誰かに頼まれて俺様たちを招待? おいおい、メガネのバックにいる奴を考えたら――」
「ゴメイ答よ、《オウガスト》。」
気が付くと――いえ、そうなったから気が付いたんだけど、いつの間にかあたしたちの身体には細い糸みたいのが巻き付いてて、それにぐいっと引っ張られた。引っ張られる感覚と周りの景色の移り変わる速さがちぐはぐで、目ではすごく移動したように見えるんだけど身体ではちょっと前に引っ張られたような感じ。
だけどあたしたちは――
「な、なんであたしたちここに……」
――全員そろって、検問所の前の原っぱに移動してた。
「これは……マルフィ! 貴様、夜の魔法に何をした!」
「アーアーほーら、だから使いたくなかったのよ。ヤッタらもう使えない手なんだもの。」
ぶつぶつ文句を言う蜘蛛女の方を見ると、その後ろの原っぱに……いくつもの人影があった。
「おお、これはまた食いでのありそうな蛇でさぁ。」
たぶんヨルムを見てそう言ったのは……一言で言えばデブ。縦と横の長さが同じ……か、横の方が長いような丸いシルエットの男。でろでろに伸びきったシャツとズボンに覆われてるこれ以上ないただのデブなんだけど……人間、太り過ぎるとそうなるのかこいつが変なのか、顔の肉が垂れに垂れて目が隠れてる。そんなのに加えてスキンヘッドだから、肉の奥から見える眼光と相まって顔だけ見るとかなり怖い。
ま、まぁでもやっぱり、きっと手が脚に届かないくらいのデブなんだけど。
「蛇料理か。どちらかというと、ワレは後ろのサソリがよいな。甲殻系の食感は良いモノだ。」
デブの隣でそう呟いたのは白衣のおじいさん。デブと同じような頭だけど、横の方にだけ白い髪が残ってるそのおじいさんは……至って普通。強いて言えば、おじいさんにしては背筋がピンとなってて姿勢が良く、健康そうに見える。
『らしくないな科学者。サソリは甲殻類ではなく、マルフィの……蜘蛛の仲間だ。』
おじいさんの間違いを指摘したのは……たぶん、声のした方向からして真ん中に立ってるフードの奴。かなりの高身長で二メートルはあるんだけど……あれ、よく見たらデブも同じくらいの身長じゃない。横の長さのせいでわかんなかったわ……
まぁとにかく、その背の高いフードの奴はフードでローブだから中身が全然見えない。ただ、その声は……なんて言えばいいのかわかんないけどちょっと変だった。
「どちらにせよゲテモノですね。バーナードとケバルライは『デブジジゲテモノ大好きブラザーズ』ですね。」
意味のよくわからない事をドヤ顔で言ったのは……これまたよくわかんないんだけど、なぜかカジノにいそうなバニー姿の女。頭に乗っけたウサギの耳、肩くらいまでの黒髪にきわどい真っ赤な衣装とあみあみのタイツで原っぱに立ってる光景がかなり違和感だわ。
「あぁ、ムリフェン? カジノから連れ出したのはボクなのだけど、女性がやたらに肌をさらすのはあまりいただけないかな。妹、その上着を彼女に。」
バニー女を気遣うのは……ヤバイくらいの金髪イケメン。右目を隠して左目を出してる面倒くさそうな髪型のそいつはホストみたいな格好で……あんなんじゃ行く先々で女が寄ってきそうね。一つだけ、肩に背負ってる――大砲みたいなのが容姿に合ってないけど。
「はぁ? なんであたしがギャンブル馬鹿に上着を渡さなきゃいけないのよ。あんたのスカしたシャツでもあげればいいじゃない。」
イケメンに妹と呼ばれたのは――ポ、ポステリオール!? S級犯罪者、『イェドの双子』の片割れがこんなとこ――
ちょ、ちょっと待ちなさいよ……確かあの女はアフューカスの子分で、『イェドの双子』のもう一方のプリオルもそうで……て、ていうかじゃああのイケメンがプリオルってことで……あのメガネ野郎のバックにもアフューカスがいて、そいつを迎えにきた蜘蛛女が『イェドの双子』といて……
じゃあこいつらは――!!
「お前ら好き勝手にしゃべんな。ここは悪党が悪名を轟かせて正義をビビらす場面だろうが。」
原っぱに立つ変な連中の真ん中。フードの奴の隣――っていうかフードの奴に寄りかかって立ってた女が口を開いた。
真っ黒な、胸元が大きく開いてて片足が大胆に出てるドレスを着て、伝線しまくりのストッキングに真っ黒なハイヒール。耳に逆さまの十字を、首から逆さまの髑髏をぶら下げてる以外はかなりカーミラに似てるんだけど……雰囲気が、まとうオーラが全然違う。
今にも意味不明な発音で笑い出しそうな狂った雰囲気と、逆らう事を許されない絶望的な圧力。二つが混じり合い、底の無い真っ暗闇となって周囲を包みこむ……
あたしの本能が叫んでる――関わっちゃいけない相手だと。
「ある……主様……? な、なぜここに……」
あたしたちと一緒に移動させられたメガネ野郎が、呆然とその女を眺めがなら呟いた。
「なぜ? おいおい、冷たいこと言うなよ、ザビク。方向性は真逆だがあたいが見込んだ一人の悪党が今まさに、最後の散り様を見せようってんだろ? 見物しない理由がねぇ。」
ドレスの女に歪んだ笑みを向けられたメガネ野郎は気の抜けたその顔をあたしたちの方にゆっくりと向け、そして原っぱに立つ妙な連中を眺めて……最後に空を見た。
「そうか……自分はここまでか……」
へたりと原っぱに膝をつき、何かが吹っ切れたかのように落ち着いた顔になったメガネ野郎はドレスの女に尋ねる。
「自分は先ほどまで夜の魔法の中にいましたが、自分の失敗にはいつ気が付いたのですか?」
「バーナードから話を聞いてな。あたいはお前ほどクレバーじゃねぇが、それが悪巧みなら大抵の予想はつく。そん時に確信したのさ、お前の計画は失敗するってな。」
「……なぜ?」
「くく、お前ともあろうモンが下調べ不足じゃねぇか、ザビク。恋愛マスターの力を随分と甘くみたもんだ。あれでも「王」の一人なんだぜ? ふざけた名前でみくびっちまったか? おい、どう思うよ、プリオル。」
「そうですねぇ……人智を超えた力とはわかっていても、ザビクにはたかだか恋愛の能力という認識だったのかもれません。愛の力というモノは、経験がないと実感できませんから。」
「は? ちょっと弟、それマジなの? ザビクってこんな歳になってもそっちの経験ないわけ?」
「残念な事にな。ボクにはその辺、見ればわかるから。ザビク――なんて乾いた人生を……」
ついさっきまでの戦闘から雰囲気が一転、メガネ野郎の彼女いない歴話で盛り上がる奇妙な連中にヨルムが声を荒げた。
「既に敗北した者などどうでもいい! それよりもマルフィ! 一先ずは貴様の始末だ!」
「ヨルム、ちょっと待て。」
あの蜘蛛女はヨルムにとってかなり重要な相手らしいんだけど、フィリウスさんがすぐにでも戦闘を始めそうなヨルムを止めた。
しかも……相当厳しい――怖い顔で。
「お前の気持ちは理解できるが少し落ち着け。この状況、マルフィの登場なんか霞むくらいにヤバイんだ。」
「…………お前がそんな顔をするとはな……あいにく、俺――いや、俺たちは人間の犯罪者についての知識がほぼない。マルフィといっしょにいるあの連中、やばいのか?」
「かなりな。あのデブとハゲジジイ、バニーガール、金髪の二人はマルフィと同様に俺様たち人間の世界でS級犯罪者に指定されてる。こいつら一人一人が俺様たち十二騎士レベル。だが一番の問題は真ん中の女だ。」
背中の大剣にまわした手をそのままに、フィリウスさんはドレスの女を睨んだ。
「俺様も会った事はないから顔は知らなかった。だがこうして会ってみたら顔を知らなくてもそうだとわかる。美人だが怪物にしか見えんあの女こそ、おそらくは『世界の悪』と呼ばれる――」
「そうだ、あたいがアフューカスだ。」
フィリウスさんがその名前を出す前に、そうだとは薄々感じてたけどそうでない方がいいって思ってたその名前が、本人の口からさらりと出てきた。
「悪党の名乗りには二通りあってな。堂々と自身の名を告げ、その名に相手が怯える場合と、相手が怯えながら名前を言う場合。あたいはどっちかっつーと自分で名乗りたい派だ。」
「そうか。噂通りというか伝説通りというか、本当に「悪党とはかくあるべし」と語る奴なんだな。」
「お前も噂通りだな、今の《オウガスト》。若干キモイくらいにムキムキだ。」
キシシと笑うドレスの女――アフューカス。
「……『世界の悪』……さすがにそれは聞いた事があるな。何百年も生き続け、その時代の名立たる悪党を引き連れて世界に混乱をまき散らす女。何代か前の国王様の時代にはスピエルドルフにも来た記録がある。」
「あー、懐かしいな。夜の魔法に穴をあけてやったらそん時のレギオンがブチ切れてな! 覚えてるか、アルハグーエ!」
『ああ。当時のレギオンマスターを一人殺した代わりに当時の仲間が半分死んだ。いつの日か魔人族をスカウトできたらもう一回挑戦しようと決めたが、あの頃よりも強力になった夜の魔法は攻略法がなくてどうしようもなかった。唯一あったマルフィの奥の手もさっき使ってしまったから、またしばらくは挑めそうにない。』
「仲間とか言うな。あたいにとっちゃその時のそいつらも今のこいつらも便利なパシリだ。んま、そこの男――ロイドに言われて、その形が間違いだったと気づいたんだがな。」
「大将に言われてか。お前、大将に会った事があるのか?」
「会わずにどうやって会話すんだよ、アホ。」
ロイドが……この女に会った事がある? しかもフィリウスさんが知らないって事は学院に入ってからって事よね……
「ちなみにそこの王女様もいたぜ? ケーキ食ったろ?」
いきなり話の中に登場したあたしに、全員の視線が集中した。
「は――あ、あたし?」
「……ロイドくんと買い物している時に会ったとかか?」
「そりゃ買い物はよく行くけど――あ、あんなのに会ったら忘れないわよ。」
「んああ、あの時は「あんなの」じゃなかったからな。」
そう言うと、アフューカスは四角いメガネを右手に出現させ、それをかけた。すると黒いドレスの姿が見る見る変化していき――
「そ、その格好――っていうかあんたは……」
「ふふ、またお目にかかりましたね?」
見るからに悪党のオーラを振りまいてたアフューカスは、紅茶を片手に窓際で読書でもしそうな清楚な雰囲気の女になった。
「ホットドック屋にいた変な女……」
「ええ、その節はどうも。」
パッとメガネを外した清楚な女は、一瞬で邪悪な女に戻った。
「あの時聞いたろ? 『世界の悪』とはってよ。んで、その時のロイドの答えがあたいに衝撃を与えた……あぁ、これまで悪逆の限りを尽くしたと自負し、これより先に進むにはどうしたらいいのか迷っていたあたいにバシンと一発の道しるべさ。今までのあたいはぬるかった。実のところ、騎士と同じような事をしていただけだった……正義の味方と同じ事を。」
うっとりと、けれど邪悪に笑ったアフューカスは、カーミラに膝枕をされてる、まだ目を覚まさないロイドを指差した。
「だからあたいはそいつが欲しい。その答えにたどり着いた理由が知りたい。その考えの根源に出会いたい。どうにかこうにか思想を崩さないようにこっちに連れて来る方法を考えてたんだが、ロイドはそこのプリオル同様、恋愛マスターの世話になった事があったみたいでな、今はあの女を探してるところだ。」
「な、なによそれどういうことよ……全然話がわかんないわよ! 結局あんたはロイドをどうするつもりなの!」
よく考えたら、ちょっと相手の気分を害しただけであたしの人生が終わるような、そんな奴にあたしは怒鳴ったのだ。
でもしょうがないじゃない、声が出たんだから。どいつもこいつもロイドロイドって――!!
「いつかは手元に置く予定だ。だがその前に恋愛マスターからレコードをいただく。それがロイドって人間を一から十まで知るのに手っ取り早くて本人の思想に影響がねぇ。」
「レコード……?」
「あの女が運命をいじる時、必ずいじる相手の過去の全てを自分の中に記録としてコピーすんだよ。余計なこじれを生まないように、相手の今現在の全ての運命――つながりをチェックする為にな。だから、それさえあればロイドの事は丸裸にできるっつーわけよ。」
「? 姉さん、しかしそれだと少年が恋愛マスターに出会う前までしかわかりませんよ?」
悪い顔でしゃべるアフューカスに――たぶんプリオル――が横やりを入れた。
「ああ? それで充分だろ。思想の大元――経験があるとしたら、大した記録がろくすっぽねぇそこの筋肉野郎との旅の中よりも――家族が皆殺しにされたその日にある可能性が高い。つーか確実にそうだと、あたいは思うぜ? そうだろ、《オウガスト》?」
この女、ロイドの過去を知って――っていうか本当に調べてる……『世界の悪』とか呼ばれる最悪の悪党が……すっとぼけ田舎者のロイドを……
「なにがだ。」
「お前、そこの大事な弟子を悪についてしみじみ考えちまうような状況に放り込んだ事あるか? ねぇだろ?」
「さてな。」
「とぼけんなよ、めんどくせぇ。あたいはてめぇよりも長く生きてんだぞ? てめぇみたいなタイプは結局のところ過保護野郎なのさ。そうでなきゃ、曲芸剣術なんつー狂った剣術をロイドが身につけられるわけがねぇ。」
――は? え、なんでここで曲芸剣術が話題になるわけ?
『環境が異常なのだ。』
あたしが――いえ、たぶんそうなったのはあたしだけじゃないと思うけど、どういう事かわからないって感じの表情になったのを見て、アフューカスの横に立つフードの奴が説明をはさんできた。
『まともな剣術、まともな魔法、両方から離れてただひたすらに剣を回す。旅をしながら、時折実戦を経験させながらそれを保ち続けるというのは、言うなれば青空の下、鎖を繋がずに監禁するような……異常とも言える保護状態でなければ不可能なのだ。まぁ、全てを失って何も持たない状態の子供を拾ったのが世界最強の一人という数奇な前提がクリアされたからこそ、実行できた修行の道だがな。』
「だとよ。するてぇとやっぱ、ロイドの愉快な思想は《オウガスト》に会う前に構築されたもんと考えていい。ほれ、恋愛マスターのレコードで事足りる。」
「そのようですね。無駄口をはさみました。」
ペコリと頭を下げるプリオル……
さっき、アフューカスはこいつらをパシリって言ってたけど、プリオルたちはそう思ってない感じ。悪党にしかわからないこの女の魅力に――傍にいられる、ただそれだけを嬉しく思ってるような、そんな変な忠誠心みたいのがあるのかもしれないわね……
「つーわけで、取りあえずロイドはまた今度っつーことで、今はザビクだ。おっと、待たせちまったな、ザビク? あたいらは手を出さねぇからよ、そこの正義を相手にするなり世界を相手にするなり、好きな最後を披露してくれや。」
そう言うと、原っぱに立つ悪党連中は一切構えることなく、ただ道端の大道芸を眺めるかのように、メガネ野郎を見つめた。
「……舐めるなよ、人間の悪党共が。」
悪党全員が戦闘態勢をとらずに立ってるだけっていう変な状況の中、ヨルムが震えながら呟いた。
「もはやマルフィでさえ二の次――ロイド様を狙うだと? そう宣言した悪党をみすみす逃すわけがな――」
ヨルムが両手を広げ、何かの魔法を発動しかけた時、スッと一歩前に出たのはフィリウスさん。
「さがれヨルム。いくらお前でも死にかねない。」
「なんだと? 随分と下に見るじゃないか、お前なら死なないとでも言うのかフィリウス!」
「いや、死ぬ。」
あっさりと、フィリウスさんはそう言った。
「だが確実に、こいつら全員を始末できる。」
そう言いながらフィリウスさんは――その大剣を抜いた。
「――! ……お前がその剣を、戦闘が始まる前から抜いたところを初めてみたが……おいフィリウス。」
「なんだ。」
「お前は、例えそれが自分自身を奮い立たせる言葉であっても、できない事をできるとは言わない奴だ。そんなお前が言ったのだ……全身始末できると。」
「言葉通りだ。」
なにかしら……フィリウスさんがいつもと違うっていうか……すごく雰囲気が冷たい……
「理由を、根拠を教えろ。その――大剣を抜いた瞬間から漂わせている危なげな魔力のわけも。」
? 危なげな魔力? 魔人族にはあたしたちには見えない魔法の気配とか流れが見えるらしいけど……何が見えてるのよ……
「おいおい、マジか!」
とっくにメガネ野郎に興味がうつってたアフューカスが、驚きながらも嬉しそうな顔でフィリウスさんを指差した。
「ど派手に豪快、大勢の騎士から信頼を得てるっつー、ルールを守らねぇとこを除けば騎士の鑑と評判の《オウガスト》! フィリウスだったか? くっくっく、随分とまぁ――あたい好みの魔法を発動させてやがるじゃねぇか!」
アフューカスの言葉に、あたしたちの視線はフィリウスさんにうつった。
「こりゃのんびりしてっとマジで皆殺しにされんぞ! くく、さすがは弟子に狂った剣術を叩きこむだけあって、実にいい狂った正義だな、えぇ?」
「狂った正義か。お前たち悪党にはそう見えるんだろうな。」
ぐぐっと、低い姿勢になって大剣を構えるフィリウスさんからは確かに……何かはわからないけどだんだんと、寒気のする気配が広がってる――気がする。
何かが危ない。それをやってはいけない――そう感じるような何か……!
「俺様は騎士だから、世界の為に世界が悪と認識した奴を始末する。だがそれ以上に、俺様はフィリウスという男。大将が俺様をどう思っているかは知らないが、俺様にとっての大将は弟子である前にダチだ。歳の離れた大親友だ。だからアフューカス、お前に会ったら言わなければと、夏休みの一件から思っていた。」
「ほう、何だ? ロイドに手を出すなら容赦しないぞってか?」
「誰がそんな生ぬるい事を言うか。手を出すとかその予定だとか、そんなお前らの都合など知らん。理由は一つ、お前らは大将に許容できない悪意を向けた。だから言う――」
ゾワリと背中を走る戦慄。いつも豪快に、笑いを絶やさない十二騎士は倒すべき敵を前に自分の意思を告げる。
「お前らは殺す。今、ここで。」
走る突風。時間にしたら一瞬だったと思うけど、フィリウスさんはその大剣を薙ぎながらアフューカスに突撃する。剣先の延長線上にあたる場所が剣の動きに合わせて――まるで竜巻が通り過ぎていくみたいにえぐれ、砕けていく。その破壊と大剣が、それでも笑ってる狂った女に届くほんのちょっと手前で――
「それはイケナイわよ、お兄さん。」
金属がぶつかる音。破裂する轟音。アフューカスの目の前で爆弾でも爆発したんじゃないかってくらいの衝撃が走り、いつもと違うフィリウスさんの必殺の一撃は目標に到達する前に止められた。
「悪ではないけど間違ってるの。若い子の前で見せていい姿ではないわね。」
横一線に振るわれた大剣を振るわれ切る前に止めたのは二本の剣。
「折角良い師匠なんだから、そうあり続けて欲しいわ。」
フィリウスさんとアフューカスの間に入った、見覚えのあるその剣を握ってるそいつは……――っていうかロイドだった。
「た、大将?」
「タイショー? あらま、この子そんな名前なの? 不思議な感じだけど、これが時代の流れなのかしら? やだわ、流行には昔っから疎くて。」
つばぜり合ってた大剣と二本の剣が離れる。フィリウスさんが稀に見るビックリ顔をしてる前で、さっきまでカーミラに膝枕されてたロイドが……目覚めたと思ったら何故か女口調でしゃべりだした。
「表に出たのはいつ以来かしら。なんだかすごい呪いがかけられたから久しぶりに出てきたけど、悪意のない呪いに打ち消されちゃって、顔を出す頃には全部終わっちゃってるんだもの。もぅ、早とちりしちゃったわぁ……」
二本の剣を鞘におさめ、「やだわー」って感じに片手をほっぺに添えるロイドは……なんていうのかしら……なんかおばさんみたいだった。
「おいおいおいおいどーゆーこったこりゃ!」
目の前に現れて自分に迫ってた十二騎士の一撃を止めたロイドがなぜかオカマと化してるそんな状況の中、『世界の悪』は「面白くなってきた」って顔で悪そうに笑う。
「相変わらずあたいを楽しませるなぁ、おい。ザビクの最後を見物しに来ただけだってのに、キレた《オウガスト》がどっちかっつーとあたいら側の魔法で突っ込んできて? かと思ったらその山でもぶった切れそうな一撃をババア口調になったロイドが止めやがった! 盛りすぎじゃぁねぇのか?」
楽しそうにケラケラ笑うアフューカスの方をくるりと向いたロイドは――
「あらやだ、あなたまだ生きてたの、アフューカス。」
――と言った。おばさんロイドにいきなり名前を呼ばれたアフューカスはにやけ顔で困惑顔っていう器用な状態で固まり、その代わりに今回の事件の黒幕のクセに完全に蚊帳の外にいたザビクが驚いた。
「まさかそれは……成功させたというのか? あれを……」
立ち位置的に、メガネ野郎はアフューカスよりはあたしたち側でへたりこんでたんだけど、おばさんロイドは瞬間移動の速さでその傍に移動した。
「あらやだ、わかるの? あなたなかなか――あらら?」
腰を曲げてメガネ野郎を覗き込むその仕草が完全に女性なおばさんロイドは、普段のロイドに比べたらそこまですっとぼけてはいないまでもそこそこすっとぼけてた顔をキリッと厳しくした。
「すごい技術ねぇ、それ。相当量のマナ――いえ、生命力を消費しているみたいだけど……その様子だと、もう五、六分は詠唱しているんじゃないかしら?」
詠唱? 呪文の事だろうけど……でもメガネ野郎はさっきからそこに座ってるだけよね……
「呪文の詠唱を動作に置き換えているのね? まばたきの回数、呼吸の深さ、身体をゆすったり肩を回したり舌を出したり……何でもないような動作を言の葉に置換――なるほど? このタイショーちゃんに強力な呪いをかけようとしたのはあなたね?」
おばさんロイドはロイドの剣を……いつものロイドとは違う持ち方で構えた。
「……呪文の要素を別の物に置き換える事は熟練者であれば誰でもやることだが……そこまで細かく見抜かれるとは恐れ入る。あと三、四分は怒れる十二騎士で時間稼ぎをと思っていたのだがな……珍客のせいで主様の望むモノには届きそうにない……」
「今すぐにその詠唱を止め――いえ、そもそも自身の生命力ですら惜しみなく使っているのだから、そのつもりなのよね。」
きっとメガネ野郎にしたら本日二回目……おばさんロイドのためらいの一切ない一振りで、その首は胴と離れた。
だけど――
「やだわ、これが歳ってやつかしら。」
苦い顔でおばさんロイドがそう呟くと、血を出さずに宙を舞うメガネ野郎の口元が凶悪に歪み、身体共々――まるで幻だったかのように紫色の霧へと形を崩した。
「霧散しただと……? なんだその異常な死に方――いや、死んでいないのか!? 姫様との戦闘で相当な疲労を――」
「安心なさい、蛇さん。」
鋭い目つきのまま、だけど緊張感のない言葉をさらりと言ったおばさんロイドはアフューカスの方を向いた。
「今のは、あのメガネの坊やが自分の全てを代償にして魔法を発動させた結果よ。だから死んでいる――ええ、生物的には死んだわね。けど――」
「たっはっ、そうきたかザビク!」
急に笑ったアフューカスの手には、いつの間にかメガネ野郎のメガネがあった。
「自分を追いつめた正義を呪い殺すでも、無差別殺戮をおっ広げるでもなく、悪の証を残す道を選んだか。さて――おいケバルライ、これはどういうモンだ? この、ザビクの全てを代償に成ったマジックアイテムは。」
アフューカスの言葉にヨルムが驚きの声をあげる。
「マ、マジックアイテムだと……あの男はそれになったというのか?」
「それは語弊のある言い方ね、蛇さん。別にあのメガネがさっきのメガネの坊やってわけじゃないわ。メガネの坊やの――文字通り全てを代償にして誕生したマジックアイテム。高名な魔法使いが死に際にそういうモノを作るっていうのは珍しいことじゃないわ。」
「……ロイド様の声で「蛇さん」などと言うな。そもそもお前は誰だ……」
「あらら、そういえば自己紹介してなかったわね。だけどそれ、ちょっとあとでもいいかしら。」
「……敵ではないのだな。」
「もちろんよ。」
「ほぉ、これはこれは。ふふ、ザビクらしいと言えばザビクらしいマジックアイテムだ。この一見何の変哲もないところがまさしく、な。」
「一人で喜ぶな、説明しろ。」
「このメガネをかけると、かけた者が抱く悪意を現実にする為の手順が頭の中に思い浮かぶ。」
「あん? これだから科学者はまわりくでぇ……ハッキリ言えよ。」
「ハッキリ言ったつもりなのだが……要するに悪魔の囁きというやつだ。どんな人間にだって……例え正義を謳う騎士にだって、あいつをギャフンと言わせてやりたいと悪巧みの入口に立つことはあるだろう? それを叶える為の手順をこのメガネが教えてくれるのだ。ザビクの、あの最悪の頭脳によって導かれる完全犯罪の計画を。」
『ほう。つまりは悪党養成メガネというところか。』
「あっは! ムリフェン並みのネーミングセンスの無さよ、アルハグーエ! あはは!」
「聞き捨てなりませんね、ポステリオールさん。私のどこが――」
「黙れお前ら。」
白衣のおじいさんからメガネを受け取ったアフューカスはそれをかけた。
「あぁん……なるほど、こういう事か。くっく、あたい好みじゃあねぇが、こんな完全犯罪の計画書を見せられたら聖人善人ガキに騎士、なんでもござれで上等な悪党のできあがりだ。面白れぇじゃねぇか、ええ? 腹の黒さがにじみ出て渦巻くあっちこっちの王族貴族に渡してみろ、崩壊までまっしぐらだ! おいおいこりゃあ面白れぇモンを作りやがったぞ、あの野郎!」
キシシと笑ったアフューカスは、腰に手をあててあたしたちの方を向いた。
「――で、どーするよ? ザビクの最後は見届けたし、こんな面白れぇお土産までもらったあたいは満足さ。これをどこのどいつに使うか、品定めをしたくてたまらねぇ。あたいらの顔見せもできた事だし……ま、欲を言えばそこのお前、ロイドの中にいきなり出てきたそのババアが何なのかをハッキリさせてぇところだが――」
「失礼ね。あんたも相当なババアでしょ。」
「――とまぁ、めんどくさそうだ。ザビクが驚くほどの魔法を使ってるっつーんだから、きっと長々と演説かまさねぇと説明できねー感じだろ? 講演会は悪党の専売特許でな、正義の味方の自慢話なんざ聞きたくもねぇ。っつーわけであたいらは帰ろうと思うが?」
「同じことを言わせるな『世界の悪』。俺様は言ったぞ、今ここで殺――」
「あなたも同じことを言わせないのよ、お兄さん。」
一歩前に出ようとしたフィリウスさんのお腹をぺちんとおばさんロイドが叩いた。
「お兄さんが強いのはわかったけど、さっきの魔法はやっぱり感心しないわ。それに、こうやって魔人族――吸血鬼のお嬢ちゃんまでいて戦力的にはまずまずだけど、同時に未熟な子もいる。さっきのメガネの坊やレベルの悪党が数人にアフューカスとアルハグーエ……勝ててもこっちには死人が出るわ。」
「ほぉ、正義の味方にしちゃ控え目だな。」
少し残念そうな顔をしたようにも見えるアフューカスに……別に、好きでそうしてるわけじゃないと言わんばかりの厳しい顔でおばさんロイドはアフューカスを睨んだ。
「悪党が皆殺しなら、正義は全員生還が基本なのよ。とっとと消えなさい――見逃してあげるわ。」
「上等だババア。名前を聞いておこうか?」
アフューカス……っていうか連中の背後に、連中をすっぽり飲み込めるくらいの大きな――黒い穴が出現した。
「……マトリアよ。」
「そうかマトリア。次は殺すが――一先ず見逃してやろう。」
その言葉を最後に、背後の穴に悪党連中は消えていき――あとには何事もない原っぱが戻って来た。
「……憎まれっ子世に憚るって言うけど、さすがに居残りが過ぎるわよねぇ、あいつ。」
今回の事件の首謀者が死に、その仲間たちもいなくなり、ついに――やっと、あたしたちはあたしたちの味方だけの状態になった。
「さてと、ちょっと確認したいんだけど、みんなこの――タイショーちゃんのお友達?」
「ロイド様だ、その身体の持ち主の名前は。それと、この場で一番の珍客はお前なのだ。とりあえずお前は誰だ――マトリア。」
「ちゃんと説明する――あらやだ、お兄さんったらいい腕してるのね。」
「?」
今のところ、このおばさんロイドがお兄さんと呼ぶのはフィリウスさんなわけで、呼ばれたフィリウスさんが首をかしげると、おばさんロイドは申し訳なさそうに腰にくっついてるロイドの二本の剣を抜いた。
「悪い事しちゃったわ。」
同時に、その刀身は粉々に砕け散った。
「えぇ? どこだここ。」
ふと気が付くと、オレはよくわからない場所にいた。見渡す限り何にもない……広いのか狭いのかもよくわからないその空間で、顔をきょろきょろ動かしたオレはとりあえず……んまぁ、横には広いという事を理解した。
オレはなぜか椅子に座っており、オレの右横には向こうが見えないくらいに同じ形の椅子が一列にずらりと並んでいるのだ。左横には何もないから、オレは並べられた椅子の一番端に座っている事になる。
「ああ、やっぱりそうなるのね。」
いつからいたのやら、前を向くと目の前に一人のおばあさんが立っていた。ただでさえ小さいのに腰が曲がっており、別に高身長でもないオレでも見下ろす事になる身長のおばあさんだが、オレが椅子に座っている事もあって互いの目線は同じ高さにある。
白い髪の毛が無造作にカールを巻き、優しそうな笑みを浮かべ、質素な服に身を包んで両手を背中にまわしているその姿は、まさにザ・おばあちゃんと言えるだろう。
「あたしの元の家が家だから、子供や孫を守る為と思って自分の魂の一部を定着、受け継がせる魔法をかけたけど……こうなる事を予想できなかったわ……未熟者よねぇ。」
おばあさんはちょこちょこと近づき、オレのほほを撫でた。
「女の子ならともかく、男の子の魂にあたしの……一部とはいえ女性の魂がくっついているんですものね。おかげでサードニクスに生まれる男子はみんな中性的な顔立ちになってしまったわ。ごめんなさいね。」
「いえ……と、と言いますか、えっと……?」
「あらやだ、自己紹介してなかったわね。あたしはマトリア・サードニクス。ジャガイモ作りのサードニクスと言えばあなたの事でありあたしの事よ。」
「じゃがいも? た、確かにうちはじゃがいもも作っていましたけど他のも色々と――っていうかサードニクスって……」
「あら、そうなの? こうやって表に出てきたのは久しぶりだから……あらやだ、いつの間にかじゃがいも以外も作るようになったのね? いいことだわ。」
「表?」
「あなたにとても強力な呪いがかけられたから、それを打ち消すために出て行ったのだけどね。あなたには悪意のないそれ以上に強力な呪いがかかっていたからあたしが出る必要なかったわ。んもぅ、昔っから早とちりで嫌だわ……」
「えぇっと……」
このおばあさんの言った事を整理――というか発言から推測するに――
「……オレのご先祖様ですか?」
「そうよー。言うなれば、農家の名門サードニクスの初代の奥様があたし。」
うふふと可愛く笑うおばあさん。
「そう――ですか。じゃ、じゃあ……おばあちゃんって呼んだ方がいいのかな……」
「そうね。「ひい」をつけ出したら何回もひいひい言わなくちゃいけなくなっちゃうわ。」
我ながら順応が早いことだが……なんというか、ご先祖様だと言われると「ああ、確かにね」と、妙に納得できる。何がそう判断させているかはわからないが……
「……えっと、おばあちゃんは……オレのご先祖様で……さっきの話からすると、自分の子孫を守る為に魔法を……?」
「何かあった時の為の……そうね、保険みたいなものかしら。今回みたく、呪いをかけられたりなんかすると、普段は眠ってる……いえ、存在していないから眠ってるとも言わないかしら? ま、どこからともなくあたしが出てきて何とかするのよ。」
「それを……何代も……?」
ふと合点がいく。つまりはオレの横に並ぶこの椅子が、先代が座っていた椅子なのだ。きっとオレの隣の椅子には父さんが――あ、いや母さん? ま、まぁともかく親が座っていて、その隣にはおじいちゃんかおばあちゃんが座っていたのだ。
この椅子の列はサードニクス家の歴史――ってこんなに長い家系だったのか、うち!?
「親から子へ、あたしの魂は移っていくの。ちなみに、感覚的に力が半分くらいな気がするから……あなた、兄弟がいるわね?」
「……妹がいます。」
「そう、それは良い事だわ。うふふ、あなたは出会いにも恵まれているみたいだし、サードニクス家はまだまだ安泰ね。」
自分の子孫の事を心配し、末永く見守る為に自分の魂の一部を代々受け継がせていった……いや、言葉にするのは簡単だけどそんな事が可能なのか? んまぁ、こうやって実際にそうなっているから可能なんだろうけど……そんな物凄い魔法をじゃがいも作りのサードニクスが?
そうだ、さっき元の家って言っていたな……
「こんなすごい魔法を使えるなんて……おばあちゃんは何者なんですか……?」
「うふふ、おかしなことを聞くのね。平和で穏やかな生活を求め、あたしを受け入れてくれるあの人に出会って……穴掘り名人って呼ばれただけのただの恋する女の子よ。」
「……そうですか。」
……これはきっと答えてくれないな。
「あら? うふふ、あなたのお友達があなたを心配しているからそろそろお戻りなさい。立ち上がって、あっちへ歩いて行くのよ。」
「……わかりました。」
すっと立ち上がり、オレはおばあちゃんの指差す方へ歩き出――
「あ、ちょっと待ってちょうだい。お願いがあるの。」
「あ、はい……」
「この魔法……あたしという魔法はね、あたしの魂だけで成り立ってる魔法じゃないの。」
「?」
「あたしの魂と……代々受け継ぐように言っておいたとある物、この二つがそろって初めて魔法は維持されているの。妹ちゃんがいるから半減してるのを差し引いても、今のあたしはあまりにも力がない……きっとアレがあなたから離れたところにあるんだわ。」
「アレ?」
「ご両親にでも聞いてみてちょうだい。サードニクス家に代々伝わるモノがあるでしょってね。」
……難しい事を言うおばあちゃんだ。
「……聞いてみますね。」
「ええ、お願い。それと、できればもうあたしが出て来るような事態にはならないようにね。」
「! そうだった、まだお礼を言っていませんでした。」
手を振るおばあちゃんに、オレはぺこりと頭を下げる。
「助けに来てくれて、ありがとうございました。」
「うふふ、何もしてないわよ。」
小さくなっていくおばあちゃんを見ながら歩く。
なんか、もっと色々聞くべきだったような気がするし、我ながら冷静なんだけど……でもあのおばあちゃんの雰囲気はなんというか――有無を言わさず多くを語らない――的な感じだ。できる事なら自分という存在を知らずに一生を終えて欲しいと思っているみたいな……
あのおばあちゃんについては調べる必要があるけど……でも今、確かに思うことがある。
あんなすごい魔法使いがご先祖様なのだから……もしかすると……
あの夜の事は、ただの不幸じゃなかったのかもしれない。
「ロイド様ぁっ!!」
目が覚めると同時に凄まじい圧迫感。まるで万力のようなパワーで締め上げ――い、いや、抱きしめられているオレ。このパワーはたぶんミラちゃん……
「く、苦しいよミラちゃん……」
「す、すみません!」
パッと解放されたと思ったら今度は――
「ロイくんってばもう!」
リリーちゃんに捕まった。ミラちゃんほどではないにしろ、むぎゅぅっとしてくるリリーちゃん越しに周りを見る。
場所は……え、原っぱ? いつの間にやらスピエルドルフの外にいるぞ……
「よ、よかった、いつものロイドくんだ。」
オレの顔を覗くローゼルさん。その隣にはティアナとアンジュと……何やらホッとしてしまういつものムスり顔エリル。
「これでようやく事件解決か。濃い一日だったなぁ、大将。」
やれやれって顔で原っぱの上に座り込んでいるフィリウス。その傍にはヨルムさんもいる。
「おいおいロイド、さっきのはなんだったんだ? お前、女装に飽き足らず本格的に女になろうとしてんのか?」
ニヤニヤした顔でオレを見下ろすのはストカ。その足元にはユーリが座っている。
どうやら、オレが気を失う前にいたみんなはそのままいるみたいだ……良かった。
「ロイド様……ああ、またワタクシはロイド様を失うところでした……あんな人間の策略に……ワタクシ、自分が許せませんわ……ロイド様、どうかワタクシに罰を……」
「い、いいよそんな……あ、あとリリーちゃん、そろそろ離してください……」
「よくありません!」
「……じゃあ、えい。」
「はぅ。」
オレはリリーちゃん越しに、ミラちゃんにデコピンをした。
「ミラちゃんに……悪いところはないよ。オレたちの為に色々してくれてたんでしょう? んまぁ、まだ何が起きてどうなったのか全然わかんないけど……何であれ、ミラちゃんは悪くないよ。どうしても自分がって言うなら、今のデコピンが罰だから。」
「――!!」
ミラちゃんが何とも言えない可愛い――か、顔になったところで、ムスッとしたエリルがすぅっと近づき、腰を曲げてオレに顔を近づける。
「……で、あんたさっき一体どうしたのよ。」
「……オレ、一体どうなってたんだ?」
「本当によかったんでさぁ?」
どこかもわからない広い一室で、到着するなりバケツに並々注がれたコーラを通常の三倍くらいの径を持つストローでズビズビ飲む太った男がそう言った。
「なにがだ? おいアルハグーエ、あたいにも飲み物よこせ。」
先ほど手にしたメガネを眺めながら、ドレスの女はソファに沈み込む。
「少年の中に出てきた謎の人物でさぁ。それだけでも変っすけど、《オウガスト》の気合の入った一撃を軽々止めたでさぁ。ありゃあ相当なモンっすよ?」
「言われなくてもわかってるし、あの攻防を見りゃああれが何なのかは予想がつく。んあ、おいアルハグーエ、何であのデブと同じコーラなんだ。」
『? あれを見て飲みたくなったのではないのか?』
「あんなの見て自分も飲みたくなる奴なんかいるかバカ。ったく、それでいい、それよこせ。」
フードの人物からコーラの缶を奪い、片手であけてぐびぐびとそれを飲むドレスの女。それを満足気な顔で眺めながら、金髪の男が口を開く。
「《オウガスト》の大剣を受けた時、あの少年は剣の魂を呼び出していたからな。あの技術は誰にでもできるモノじゃない。」
「なんでさぁ、それ。」
「モノの持つ存在の力、可能性、色々と言い方はあるけど大抵は魂と呼ばれる力だよ。長く使ったモノにはそれだけ多くの力が宿ると言う。ただ、この力を引き出すことができる者は非常に少ない。なにせ、技術ではなく体質所以の技だから。」
「プリオルよ、ワレの前でそんなオカルトな話をしてくれるな。科学的に言えば、あれは質量をエネルギーに変換しているのだ。長く使った物の方が――とかいう話は、単にそういう物の方がもろくなっていてエネルギーにしやすいというだけだ。」
目を閉じてぽつぽつと語った老人の横、だるそうな顔でそれを聞いていた金髪の女がやれやれとあきれる。
「なんだっていいわよ、そんなの。なんかすごい力をモノから引き出せる能力を持った奴がいるってだけの話でしょ。」
「はっはっは。妹よ、「だけ」とは言うが、この能力を持つ者は持つが故に圧倒的な強者なのだ。あながち無視はできないだろうさ。」
「その上他人の身体に憑依するような魔法まで使っているのですから、やはり相当な手練れでしょうね。『ゴーストスーパーウーマン』ですね。」
先ほどまでバニーの格好をしていた女が、赤を基調としたカジノのディーラーのような服装で暗がりから現れた。
「ああ……いや……ううん……ムリフェン、確かに先ほどの服装は肌を露出し過ぎと言ったけれど、そうやっていつもの格好に戻ってしまうと男としてはさっきの方が良かったのではないかと自問自答が始まってしまうね。いやいや、その格好もスタイリッシュでボクは好きだけど。」
男装と見られても不思議ではないパリッとした上下で肌の露出は一切なく、しかしそれでも浮き彫りになる身体のラインは美しく、金髪の男が言ったスタイリッシュという言葉が非常にしっくりくるその女は、肩の辺りでクルンとカールを巻く黒髪を揺らし、母親のような優しい眼でニッコリとほほ笑む。
「アレハ憑依って言うよりは魂をくっつけてる感じだったわねぇ。ナンニしても、特殊な能力に高度な魔法って組み合わせなのだから、絞り込むのは難しくないわよ。」
太った男がストローをさしているバケツに空のグラスをくぐらせ、すくったコーラを飲みながらそう言ったのは蜘蛛の女。いまいちどこが口なのかわかりづらく、マフラーの下にコップをつっこんでいる。
「ったく、今はどうでもいーんだよ、んなこたぁ。」
それぞれの悪党が思い思いに呟くのをうるさそうに聞いて空になった缶を投げつけるドレスの女は、頬杖をついて悪い顔をした。
「今は恋愛マスターだ。とっととあいつを連れてこい。」
「ああ……私はもう少しでその恋愛マスターにつながりそうだったのですが……ザビクさんも嫌なタイミングで終わりを迎えてくれました。『空気読めないマン』ですね。プリオルさん、もしかしたら続きができるかもしれませんので、私を拾った場所に移動させてくれませんか?」
「喜んで。」
金髪の男がディーラー姿の女の手をとると、二人の姿はその場から消えた。
「やれやれ。そろそろ飲み終わったか、バーナード。ワレらは一度会っているのだからな。頑張って見つけるとしよう。」
「その前の腹ごしらえでさぁ。いい蛇料理の店を知ってるんでさぁ。」
奇妙な事だが、老人も太った男も、まるで反発する磁石のように床から数センチ浮き、そのままの姿勢でスーッと移動してどこかへ消えた。
「アラ? ナァニ、みんなペアで動くの? コウナるとアタシとポステリオールでコンビ結成ね。」
「お断りよ。あたし、蜘蛛って嫌いなの。」
金髪の女がパッと消え、残った蜘蛛の女もやれやれと呟きながら部屋の暗がりへと消えていった。残ったのはドレスの女とフードの人物。
『……六人だから余らずにペアが作れるのだな。どうする、補充するか?』
「はぁ? 何言ってんだお前。最後には全員殺すっつったろうが。」
『そういえばそうだったな。しかしその最後とは?』
「ロイドを手に入れ、あの思想を理解し、あたいが新たに悪として立つその時だ。待ちきれねぇなぁ、おい。」
『そうか。しかしそうなると私もいよいよというわけか。』
「あぁ? お前はそのままだろ。そもそも勘定に入ってねぇんだから。」
『ひどい扱いだ。転職するかな。』
「ぶは! なんだ、騎士にでもなるか? ぶはははは!」
「えぇっと、ミラちゃん? こ、これはやっぱり――」
「問答無用です。今夜だけはダメです。つい先程失いかけた愛する人の温もりをしかと感じませんと不安で眠れません。欲を言えば、これから先ずっとこうありたいところです。」
「で、でもさすがに……」
「いいではないですか。不本意ではありますけど、みなさんもご一緒なのです。ワタクシが隣でありさえすればこの際他はどうであっても構いません。さ、お疲れなのですからお早く。」
「む、むしろみなさんご一緒っていうのがさらにというか……」
オレはチラリと横を見る。
「今日ほど自分のくじ運というモノを呪った事はないかもしれん……」
「な、なんかずるい……だ、だっていつも……い、一緒の部屋なのに……きょ、今日くらいは……」
「そーだよねー。仮恋人のお姫様が順当にそこっていうのが出来過ぎだよねー。お姫様、王家直伝のイカサマとかしてたりしない?」
「そうなの!? じゃーもう一回だよもう一回! ボクがそこになるまでもう一回!」
「んなわけないでしょ! た、たまたまこうなったのよ!」
詳細はとりあえず後日として、ざっくりと意識が無かった間に起きた事を聞いたオレは……
どうやらかなりヤバイ事になっていたようだった。ザビクの周到な策略により、ミラちゃんの守りを突破してオレにかけられた呪いはおばあちゃんが顔を出すほどに強力で、そのままだったらオレがミラちゃんの弱点となってスピエルドルフが大変な事になっていた。
が、呪いというのは他の呪いと干渉するモノであり、オレには恋愛マスターがかけた運命操作? 的な力が……分類すると呪いとも言えるそんな力がかかっていたから干渉が起きてその呪いは打ち消された。
その後あのアフューカスが登場したとか、いつかの不思議なお姉さんがそうだったとか、とんでもない悪党集団がやってきたとか、色々あったらしいけどこの辺が詳細という事で後日に回され、何故かオレはミラちゃんに連れて来られて……妙に大きなベッドの前にやって来た。
守備を固めたのに結局はオレに呪いがかかることを許してしまった……それを悔やんでいるのはさっきわかったけど……ど、同時に……その、オレをう、失いかけた……とかなんとかでとにかく今日は傍を離れたくないというのだ。
そうした流れでベッドにいるのだからつまり……い、一緒に寝ようという事だ。
だ、だけどそんなの、オレの彼女であるエリルが黙っているわけないというかみんながギャーギャー言うというか、結局全員一緒に寝るという斜め上の結果になり、どういう並びで寝るかをくじ引きで決めた……ようだ。
「ふっふっふ、弟子の幸せなひと時を邪魔するほど無粋な師匠じゃないぞ? 楽しめ大将!」
「んあー、俺も一緒に寝たいぞ。」
「バカ言うなストカ。寝相悪くて全員を尻尾で叩くのがオチだ。安心しろ、ロイド。ストカは私が責任をもって拘束しておく。フランケンシュタインとして、愛の満ちる場所に暴力は持ち込ませないさ。」
「部屋の外に警備の者――と言いますか俺がおりますので、姫様方はご安心してお休みを。」
普通なら止めてくれるはずの立場の人たちがそれぞれの笑顔でオレを部屋に残して去っていき、非常に居づらい状況になった。
お、女の子と一緒の布団で寝るとか、母さんとパムとしか経験がないオレにはきっと耐えられないカオスだ。男として鼻の下が伸びそうなのは認めるが、それ以上に……きっと、理性がとぶ前にオレの意識がとぶ。
「いや、なんか、絶対、おかしいと、思うんだよ。みんなはベッドでね。オレは床で寝るからね。じゃあおやす――」
「諦めて下さい、ロイド様。」
吸血鬼パワーでぐいとオレを引っ張ってベッドの真ん中に放りなげたミラちゃんは相変わらず黒い服で……ただ、それはネグリジェで色気がやばくて……
「わ、わかった! はい、じゃあおやすみなさい!」
ついさっきご先祖様に会ったからだろうか、オレ――サードニクス家の男性は、きっと代々据え膳とやらに手を出さずに眠るタイプなのだきっとそうなのだ。
そうとも、なにやら男は中性的な顔になると言っていたし、フィリウスならげへへと笑いそうなこういう状況を「トンデモナイ」と捉え、頑張って眠るのだ。
なんだか何を言いたくて何を考えているのかわけがわからなくなってきたけど……とにかく寝るのだ。寝てしまえばこっちの勝ちなのだ!
こんな状況はオレの許容を遥かに突破してしまっているのだから!
「思いもよらない時に近づいてくるというのに、こういう時は相変わらずの恥ずかしがり屋なのですね、ロイド様は。」
目の前にぼふんと落ちてきたのはミラちゃん。おでこがぶつかる距離なんですけど!
「ち、近いと思――びゃあ!」
慌てて向きを逆にしたら、反対側にはエリルのムスッとした顔があった。
「人の顔見てびゃあとはなによ。」
「そ、それもそうだな……むしろエリルである事を喜ばないとな。安心する。」
「ど、どういう意味よ!」
「どうってぎゃあ!」
「冷たいですね、ロイド様。ワタクシの方を向いてくださらないのですか?」
「だ、抱き付き禁止です! ミラちゃん、いろいろとやばいです!」
「敬語禁止です。」
「ええい! 何をしているのださっきから! あまりハレンチな事は許さないぞ!」
「やっぱりダメだよ! ていうかカーミラちゃんがロイくんの隣確定っていうのがダメなんだよ! もう一回公平に! ボクがロイくんの隣になるまで!」
「両隣は女王様とお姫様でいーんじゃない? あたしは上に乗っかるよー。」
「そ、その手が……あ、あったんだね……」
「みんな落ち着いて! 変な空気だから! だいぶ変だから! 数えきれないくらいに色々とオレがダメだから!!」
田舎者の青年が先日のお風呂場の一件に匹敵するレベルで頭の中を真っ白にしている頃、青年の師匠は巻き戻しのようにあっという間に戻っていく、ついさっきまで瓦礫だった街を見下ろしながら城のテラスにいた。
「戦闘は想定内だったからな。事前に魔法をかけておいたのだ。」
その横に立っているのは赤い瞳を光らせる蛇。
「フィリウス、これは独り言だが……俺は、お前のあの戦闘スタイルをお前の主義のようなモノだと思っていた。だがそうではなかったのだな。いや、主義でもあるがメインはそうではないというところか。」
「妙な独り言だな。」
ニヤリと笑う筋骨隆々の男は夜空を――夜の魔法によって描かれている空を見上げた。
「全員がそうとは言わないが、十二騎士になるような奴にはどこかにあんのさ。『世界の悪』が言うところの狂った正義がな。」
「……ロイド様を悲しませるなよ。」
「そういうセリフは大将が女の場合に言うもんだぞ。ところでマルフィも言っていたが、レギオンマスターの他の二人はどこに行ったんだ?」
「さらりとその名前を出すな……フルトとヒュブリスにはともかく、俺にとっては因縁のある相手なんだからな。あの二人は別の仕事だ。今日という日に、この場所に近づけてはいけない存在を殲滅するというな。」
「スピエルドルフにも色々あるわけだ。」
「……マトリアという名前に覚えは?」
「いきなりだな。残念ながらない。図書館で調べるつもりだ。」
「あの女……奇妙な技を使っていたな? お前の一撃を軽々と。」
「おかげで大将の剣が砕けたがな。ま、あの剣の加護からの卒業って意味じゃ丁度良かったかもしれん。」
「……何かわかったら情報をよこせよ? 勿論、あの蜘蛛女の事もな。ロイド様を狙う一味の一人とあってはますますの警戒が必要だ。」
「ああ。」
蛇がくるりと背を向けて去って行くのを見つめ、再度夜空を見上げた青年の師匠はぽつりと呟いた。
「大将よ、七年前のあの日、俺様一体どういうガキンチョを拾ったんだ?」
ドタバタと、広いんだけどさすがにこの人数だとせまいベッドの上でぐるぐるなっている内に妙なポジションで落ち着き、ハッと気が付くと朝になっていた。
あー、いや、この国に朝はないから……たぶん体内時計的に朝になった。
いや、というかそんな冷静に考えている場合じゃない。腕や脚のあちらこちらにヤバイ感触がある。自分以外の体温がふんわりと……柔らかく伝わってくる。
そして、おそらく一番ヤバイ事になっているのは……仰向けになっているオレの上にうつ伏せで寝っ転がっているエリルだ。目線的には少し下、胸の辺りにエリルの顔がある。すぅすぅと聞こえてくる寝息が……あ、いや、寝息で言うならオレの真横に顔がきているリリーちゃんもそうだけど……い、一体何がどうなればこうなるのやら。
あの時のお風呂場ほどひどくはないけど、全員がそのまま寝ているというのがヤバさを増加させている。
みんなが起きてから目が覚めればよかった……どど、どうすれば……とりあえず手足を魅惑的な感覚から遠ざけ――
「……? あれ……なんか身体に力が入らない気がするな……しびれてるのか……?」
いや違う……疲労? とはまた少し違う感覚。何もしていないのに元気だけを持っていかれたかのような……なんだこれは?
「おはようございます、ロイド様。」
寝息と自分のいつもより大きな心臓の音しか聞こえなかった部屋の中にささやかれた小声に驚き、首だけを動かして周りを見ると、ベッドの傍にミラちゃんが立っていた。ど、どうやらこのヤバイ感触の中にミラちゃんは入っていないらしい。
「お、おはようミラちゃん……え、えっとこの――アレはですね……」
「勝手とは思いましたが、よくよく考えたら目の前でロイド様が寝ているのですから……ワタクシが我慢できるはずがありませんでした。」
「?」
反射的に現状の言い訳をしようとしたオレだったが、それについては特に触れず、代わりにミラちゃんはゆっくりと指先を自分の唇――いや、その内側の鋭い歯に添えた。
「至福、のひと時でした。」
「?? えっと何のはな――」
その時気が付いた。左が黄色で右が黒という色合いのミラちゃんの眼が、今はどちらも紅々と輝いている。まさに――吸血鬼といった風に。
「! あ、オ、オレの血を!?」
首に手をまわそうと思ったけど力が入らず、オレは顔だけでビックリした。
「ご心配なく。痕を残すような素人ではありませんから……ただ、あまりにその……良かったので、少々飲み過ぎたと思います……申し訳ありません。」
うっとりとした顔でそう言ったミラちゃんの色気はとてつもなく、顔が熱くなった。
「時間的にはまだ早朝ですから、ロイド様はもうしばらくお休みください。ワタクシは少し出かけてきます。」
「ど、どこに行くの?」
「ロイド様の血――いえ、愛によって力を得ている今のワタクシは、正直言って誰にも負ける気がしません。この上でロイド様が熱い口づけで「いってらっしゃい」などと言ってくれたら世界征服も文字通りに朝飯前でしょうね。」
「そ、そうで――そうなんだ……」
「ですから、国内でいくつか問題になっている案件を片付けてしまおうと思うのです。未来の国王から愛の力を与えられた女王として。」
「――!!」
「ふふふ、朝食までには戻りますので。」
そう言ったミラちゃんは、動けないオレからも外が見える位置にある窓を開いてピョンと飛び降り――そして、巨大な黒い翼を広げて夜空へ消えて行った。
「…………早く思い出さないと。」
ミラちゃんの気持ちを受け取り、しかしきちんと受け取り切れない今の自分。忘れてしまっている一年間の記憶を早々に引っ張り出さなければならない。
加えてあの夜の事も……恋愛マスターの言葉とおばあちゃんの登場で、今までぼんやりとしていたモノが具体的な疑問になってきた。今のオレの頭にあるあの夜の記憶は本当に正しいのだろうか。パムと食い違っている時点でかなり怪しいオレの記憶――あの夜、本当は何が起きたのか。
思った以上に、今のオレはふわふわしているらしい。
「……んまぁ、現状もふわふわというかふよふよというか……」
ああ、まずはこの状態からどうやって脱し――
「ん……」
寝息じゃない声が聞こえた。下を見ると、いつもの寝起きの悪いしぶしぶ顔のエリルが半目でオレを見上げていた。
「……」
「お、おはようエリル……」
「……おはよう……」
口をむにゃむにゃさせ、ぼーとオレの顔を眺めるエリルは、段々とまぶたが上がっていき――
「……! ――!?」
カッと目を見開いた。そのままガバッと起き上がって燃える拳をオレに叩き込んでくると思ったが――エリルは全開になった目をゆるゆると閉じ、赤くはなっているけどいつものムスり顔になった。
「……こんな事だろうと思ったわよ……どうせ。」
「お、落ち着いてるな、エリル……」
「どこかのバカが同じ事ばっかりするから慣れてきたのかもしれないわ。」
「そ、そんなにやった覚えはない――い、いややったというかなったというか……」
「どうだか……」
「そ、それよりエリル、この状態から脱出したいんだけど……」
「…………べ、別に……いいんじゃないの?」
「えぇ?」
「ど、どうせ他の誰かが起きたら全員が起きる事になるわよ……いつもみたいに大騒ぎで……」
「?? どういう事?」
「だ、だから……!」
むぐっと、エリルはオレに向けていた顔をオレのパジャマにうずめた。
「し、しばらくこのままでいたらいいじゃないって話よ……!」
「!! エ、エリル、そそ、それはそのあの――」
「う、うっさい! あんたも寝たふりしてなさいバカ!」
わざとらしい寝息をたてはじめたエリル。オレは……自分の心臓を更に加速させて天井を見つめる。
あー……うん、そうだろうとは思ってたけど……みんなの押しにもそうだしエリルにもそうなのだから確実に……
オレは、きっと尻に敷かれるタイプだ。
夜の国、スピエルドルフで一騒動あった日から数日後。田舎者の青年がドタバタとした朝を迎えてスピエルドルフを後にし、濃い時間を過ごした休日からいつもの学生生活に戻ったそんな頃、剣と魔法の国、フェルブランドの首都ラパンにある王城の一室にとある面々が集まっていた。
「イベント以外で全員が集まったのはいつ以来だったか。ま、ひとまず集まってくれた事に礼を言う。」
カーテンを閉め、壁に写るスクリーンのみが明るく光る部屋の中、その光の横に立つ筋骨隆々とした男がそう言った。
「招集をかけたのが俺様だから、中にはしょうもないことで集めたんじゃないかと思ってる奴もいるだろう。実際、前にそんなことをした覚えがあるしな。だが安心しろ、今日は真面目にヤバイ話だ。」
男が手を振ると、スクリーンに一人の女の写真が写った。うねうねとウェーブした髪、狂気をおびた眼とにやけた口元。逆さの十字を耳に、逆さの髑髏を首にさげたその女の姿に、部屋の空気が変化した。
「言わなくてもわかるだろうが、『世界の悪』ことアフューカスだ。最近になって活動を再開した的な報告は全員受けてただろう。でもって俺様はこの女に数日前に会った。この写真はその時の俺様の記憶を抽出したもんだ。」
男以外の面々――席に座ってスクリーンを眺めていた十一人が少しざわつく。
「先に断っておくが、どうして会ったのかっつー話はできない。ちょっとばかしデリケートなんでな。なら俺様は今日、お前らにアフューカスに会ったって事を自慢しに来ただけかっつーとそうじゃない。」
映像が切り替わり、八人の人物の写真が写った。
「アフューカスに会うのと同時に、俺様は通称『紅い蛇』と呼ばれるアフューカスの手下全員の顔を見る事ができた。今日の本題はこっちだ。」
十一人の中には立ち上がる者もいたが、男は画面を切り替えて八人の内の一人――肉が垂れて目が見えないスキンヘッドの男の写真をアップにした。
「情報自体は《ディセンバ》から行ってたと思うが、まずはこいつ。『滅国のドラグーン』と呼ばれるS級犯罪者、バーナード。飯がマズイとかその辺りのしょうもない理由で村や街、はては国までも滅ぼした事がある男だ。」
写真が変わり、金髪の男女の写真となる。
「《オクトウバ》も絡んだからこっちも知ってるだろう。『イェドの双子』、プリオルとポステリオール。共にS級犯罪者で、プリオルは剣のコレクターとして貴重な遺跡の破壊や剣の所有者の殺害数え切れないほど行って来た。ポステリオールは無差別の殺人鬼、気に食わないという理由で女を殺し、下手くそという理由で男を殺し、興味を持ったモノがあれば奪い、飽きたら壊して殺す。どちらにせよ、己の欲望に忠実かつ計り知れない戦闘力を持った双子だ。」
写真が変わり、白衣を羽織った老人の写真となる。
「こっからが新情報。通称『ディザスター』、ケバルライ。実験と称して自然を狂わせ、動物を絶滅させ、人間を人間以外の何かにするジジイだ。たまに奇跡のような現象を引き起こして感謝されたりもするが、悪行の方が圧倒的に多く、どれもこれもが半端ない規模のデカさ。天才の天災っつー事でS級犯罪者になった科学者だが、その技術のせいなのか何なのか、俺様たちレベルの強さを持ってる。」
写真が変わり、ディーラー姿の黒髪の女となる。
「ムリフェン。通称『ゴッドハンド』。盗みかギャンブルで大金を手にし、適当な買い物かギャンブルで大金を使うはた迷惑な女。王族や貴族からも金を奪っていくが、こいつがS級犯罪者になってる理由は経済を大幅に狂わせるからだ。時に小国の国家予算並みの大金を市場に放り込むこいつのせいで破綻したりしかけた国は多い。」
写真が変わり、八つの眼を持つ魔人族となる。
「マルフィ。こいつが犯罪者だという事を知ってるのはスピエルドルフの連中と十二騎士のみ。上級騎士ですら挑む事は自殺行為とされ、勇気ある騎士が無謀な戦いをしない為に存在が隠ぺいされてる異例のS級犯罪者。おそらく今日紹介する悪党の中で最強。アラクネ族の魔人族で、スピエルドルフにて大暴れした後に国外、即ち俺様たちの世界にやってきた蜘蛛女。」
写真が変わり、これといった特徴のないメガネの男になる。
「指名手配されておらず、おそらく一切の証拠もないだろうから法律上犯罪者とは呼べない男。代々が追っていたという第六系統の使い手、ザビク。幻術や呪いを極め、数多の犯罪を陰で行って来た。」
スクリーンが戻り、再び八人が映し出される。
「『紅い蛇』はその時代の名立たる悪党七人で構成される。よって現代のメンバーは、バーナード、プリオル、ポステリオール、ケバルライ、ムリフェン、マルフィ、ザビクの七人だ。でもってこのザビクはこの前死んだ。悪かったな、《ジューン》。」
スクリーンを眺める十一人の内の一人がため息をつく。
「残りは六人。補充の可能性も勿論あるだろうが、とりあえずはこの六人に注意して欲しい。現状、この連中が何かをするとしたら、それはアフューカス絡みの可能性が高い。でもって――」
スクリーンが切り替わり、紹介されていなかった八人目……フードの人物がアップになる。
「アフューカスに挑んで生還した騎士は少ないが、その誰もが言っていた事の一つにこいつがいる。どの時代においても、七人の悪党とは別の何物かがアフューカスの隣に立っていたってな。それがこいつで名はアルハグーエ。男か女か、そもそも人かどうかもわからない謎の存在。ま、注意しろつってもこんななりだからどうしようもないだろうが、こいつにも注意して欲しい。」
写真を説明し終わった筋骨隆々とした男は、他の十一人に向けて……というよりは、自分に言い聞かせるようにして呟いた。
「『世界の悪』はこの代で終わらせる。必ず。」
つづく
騎士物語 第五話 ~夜の国~