クロスワード ~宇祖田都子のはなし 2
「僕はね、クロスワードパズルというものを認めているのだよ」
彼は物憂げに足を組替えながらそんな事をいうのです。私はクロスワードパズルなど、どこかへ向かっている時などに、他の暇潰しを考えつかない、つまらない人間が飛びつくだけの、つまらない浪費に過ぎないと考えていたのでした。ところが、彼の趣味を隅々にまで巡らせた、博物館的私室に招き入れられ、籐椅子にすっぽりと納まった彼から、倦怠をまとった口調でそう言われると、なるほど、私はあの児戯について深く考えたことはなかったっけ、いや、そんな風に考える対象として取り扱った事すらなかったのだという風に思わずにいられませんでした。
昼夜を問わず鎧戸を閉ざし、暗赤色のペイズリー柄の所々に織り込まれた金糸、銀糸が、細心の注意を払って、ぎりぎりの長さに調整されたランプの炎の揺らめきを反映して煌きを放つこの室内で、彼が「クロスワードパズル」と言うと、それが前近代的な秘術のような、危険で有効なあやかしのような気がしてきます。
私の放心を無視するかのように彼は目を閉じたままさらに語ります。
「昔、といってもたかだか十二、三年前なのだが、僕はあらゆる行動に興味を失ったことがあった。まだここの本棚が壁の単なる窪みでしかなかった頃の話さ。僕ははっきりと飢えていた。それは確かな感覚で僕を支配していたのだが、一体何によってこの飢えを満たせばいいのかが分からなかった。それは拷問だよ、宇祖田君。僕はあらゆる物事に対して、傲慢な好奇心を駆り立てようと必死だった。書庫に詰まっているのはそのころの遺物でね。今ではもう手にとる気さえしない、雑多で不完全で品性のかけらも無い屑ばかりさ。よかったら後から覗いていくといい。何でも持っていっていいから」
私は、周囲を見渡しました。天井まである作りつけの本棚から、古い革の装丁を施された沢山の背表紙が、私に向かってなだれ落ちてくるようでした。
「他人と関わっている時間を惜しんだあまり、人間嫌いになった。今の発語障害はこの頃の経験、いや無経験に起因しているという訳だ」
彼はこれで一区切りとでもいうように口を噤み、あたかも椅子の形状が気に食わないのだとでもいうように窮屈なのびをしました。それは悔恨にも、自愛にも見えました。
彼の発語障害とは、他に類を見ない症状を表していました。
彼の声は低くかすれていて、普通でも聞き取りにくいのですが、彼の場合、何かを言い終った後に、残響というか、木霊というか、とにかく言葉が輪唱するように続くのです。もちろん、言葉はどんどん発せられているのですから、まるで彼以外に何人もが一時に話しているように聞こえてしまうのです。声帯と呼吸の問題だと医師は診断したらしいのですが、彼はどうやら頭蓋骨形状の問題だと確信しているらしいことも私は知っていました。
今ここに記載されている彼の言葉は、だから私が聞き取れた範囲の言葉でしかありません。彼も自分の言う事全てが相手に伝わるなどとは了解していません。彼の声が柔らかに溶け合って、歯切れ良いリズムに乗って語られる時、それはもう音楽です。聞き取りにくいという事と不愉快さとは一致しないのです。
私は彼の話を聞くのが好きでした。
ただ、理解しようとした時には、この快感は一気に不快へと移行するのです。今は、彼のクロスワードパズル観に対する興味がこの不快を凌駕して私に忍耐力を持続させていたのでした。
「そんな状態が続くうちに、僕は簡単な暇潰しを試してみようとしていた。絵を描く。カードの一人遊び。様々な室内遊戯を手にとってみた。だがね、これらは皆、暇潰しというには面倒すぎた。手続きが煩雑だった。こんな手順を踏めるくらいならば、僕はもっとまともな何かが出来るはずだと思った。読書もしてみた。しかし、一群の文字が意味を形成し始めた時に、僕はことごとく冷めてしまうのだ。何冊も手にとった。結局、重量の問題だったのだ。重すぎると捲るのが面倒になる。軽すぎると手にとる意味が無いような気がする。ページ数の問題じゃない。何にでも意味を付ける事は出来るが、求めてもいない意味を押し付けられるのがたまらなく嫌だった。疲れただけだったよ。この眼鏡が、当時の記念碑だ。原爆ドーム、強制収容所、終戦記念日、まあそんな類の遺物だね」
彼の眼鏡には黄色の分厚いレンズが嵌まっています。縁は鼈甲と象牙とで出来ていますが、芯はチタン製だそうです。洋服を選ぶように眼鏡を選ぶわけにはいかなかったのだと、彼は言います。それが彼の額と鼻筋、そして耳の位置といった頭蓋骨上の制約によるのだという事は分かりました。つまり、脳の問題なのだと彼は説明してくれました。
「眼が心の窓だという陳腐な言い草によるならば、視力に障害のある者は心が病んでいるということになるのだろう。これはある意味では事実なのだ。人間の視覚依存は文明社会上の要請と、人間の種としての特質とがあいまって生じた。これが人間を進歩させてきたのと同時に、限界をも作り出している。僕はこの特質を放棄する事で、視覚を超絶する資質を備えたと言ってもいいのだが、いかんせん、生活上眼鏡を外す訳にはいかないのだという不徹底が、腹立たしくて仕方が無かった頃もあった。今はそんな事どうとも思わないがね」
彼の眼はかなり大きく、白目は本当に真っ白でした。透明水彩の白ではなく、油絵の具のチタニウムホワイトのような、青ざめた白でした。裸眼ではどこにも焦点を結べない水晶体は引き込まれんばかりの魅力を放ちますが、そこに自分の姿が映ることはないのだという諦めがたまらない哀愁を誘いもします。ただ、彼は不完全な視力強制器具としての眼鏡をかけることによって、辛うじてこちら側と連絡を保っているだけなのです。眼鏡を外した彼が一体何を見ているのかは、誰にも分からないでしょう。
「クロスワードパズルに手を染めることは、身を切られる思いがしたよ。当時の僕は君と同じように、クロスワードパズルを認知していなかったからね。とうとうここまで落ちてしまった、と情けなくもあった。ただ一つだけ効用と認めていたのは、知識への挑戦に勝利する喜びというものだった。僕は、自尊心を保ち、これまでの全生活を試す闘技場だと、考えるよう努力した。
そういう操作をした上で、僕は朝刊の日曜版にあったものから試してみた。苦も無く解けた。くだらなかった。確か「こいのぼり」が答えだった。なんという陳腐さだろう。僕はね、いくらなんでもこんなものではないはずだ、と思った。クロスワードパズルをこの次元に貶めているのは、つまり問題製作者が我々を愚弄しているのに違いないのだとね。私は怒りに駆られた。不当に貶められたのだからね。それでその日の午後には、とうとう毎月出ているクロスワードパズル専門誌の全てを書斎に積み上げていた」
彼はここまで話すとおもむろに立ち上がり、部屋を出ていってしまいました。こうした行動に私は馴れていましたから、劇の幕間にするようなことをして再開を待ったのです。彼の中座は彼自身の事情によって起こります。私に非があったのなら、彼はすぐさま人差し指で空を切り裂き、こう言うでしょう。「去りたまえ」
だから、私は待っていさえすれば良かったのでした。そう。ビデオ鑑賞中に宅配便が届いたので一時停止しているのだと考えれば良いのでした。用が済んだらまた再生ボタンを押せばいいのです。ビデオにとってこの一時停止の時間は存在しないのです。彼にとっての私が、なのか、私にとっての彼が、なのかは分かりませんし、どちらもが主張し得ることなのかもしれませんが、とにかく、待たされているのだという意識が生じない限り「一時お預け」を食らっているのだという苛立ちとは無縁でいられるのだということだけは確かなのです。
彼の世界とは、彼の感知する世界であって私のそれとは異なっている、というだけのことです。彼が見ている私、私が見ている彼、どちらに主体があるのかを、問題として取り扱うのは間違っていると、私は考えていました。
やがて、彼はコーヒーを手に戻ってきました。「喉が渇いてしかたないんだ」と以前にも言っていたっけ、と私は思い出しました。両手にコーヒーカップを持っています。でもそれは私の分ではないのだということを、私はあらかじめ知っていました。彼もいちいち断らず、一杯目を飲み干すとすぐに二杯目に取り掛かったのです。彼の部屋に染み付いているコーヒーの香りと湿り気とは芳醇で刺激が強すぎました。しかし、彼が語りつづける為に必要な精神的緊張を持続させるためには、希薄すぎるのでした。
「この専門誌というのがまた酷い代物だった。膨大な量のクロスワードパズルのほとんどは投稿作品だったのだ。問題の製作に関わるのは可不可ない。けれど皆、自己検閲を忘れているものばかりだったので、これにはほとほと参ってしまった。自己検閲というのは、例えば暇潰しのつもりで問題製作する奴にとっても、自分の知識をひけらかしたいという奴にとっても、またクロスワードパズルの常識を覆すだけの画期的方法を発見した高揚、そんな物はただの浅学に過ぎないのだが、に駆られた奴にとっても、同様に糾弾されるべき問題だった。一体だれが、こんな物に時間を費やしたいと思うのか?
そりゃ、僕は真の天才的仕事が皆無だとは言わない。それに職業的クロスワードパズル作家が携わった物が皆無だとも言わない。だが、当時入手できた全てのクロスワードパズルは、くだらない物だった。それは、悪意だ。何の役にも立たない。時間潰しが拷問だとしたら、まさにそのためにのみ使用可能な代物だ。だが、僕は忍耐した。何故なら、経験のみが資格を得ることが出来るという事を僕は知っていたからだ。
海外へ行った事が無い人間は、外国旅行についていかなる判断も感想も述べる資格は無い。ウツボを食った事のない人間にウツボ料理の感想を述べる資格は無い。何故なら、それは自分にとって観念的空論でしかなく、常に紋切り型の模倣にしかならないからだ。そんな陳腐な言葉を口に出してしまった事に羞恥を感じるに人間は、自分の語り得る事が何かを十分に自覚しているものさ。他人は相手の言葉を聞いて、それが既知の内容と同じ構造を持っている、もしくは、全くの繰り返しであるという事に気づいたとき、相手の底が知れたと思う。僕は下らないながら随分と本を読んだ。その中にはわりと面白いコントが少なからずあった。
ある時、知人が誰かを笑わせていた。知人は自分の体験だといって、その割と面白いコントと全く同じ事を吹聴していた。それは僕の中では既知のコントだった。だが、相手はそれを知らず、知人は会場の衆目を集めていた。もちろん、聴衆もそのコントは既に広く流通しているネタだという事を知りながら、笑っていたのかもしれない。そこで、「それはもう知っている。本に載っているし、テレビでもやっていた」などと告げるつもりは無かった。僕はもともとその知人を評価に値するとは思っていなかったが、それ以来目もあわせていない。そこで笑っていた連中ともね。『君にはこんなところは詰まらないだろうね』と知人はシャンパンを手渡してきた。『色々と知ることが多い』と僕は答えた。知人は僕に、もっといろいろ自分から話しかけろと促した。僕はシャンパンを鏡だかアルミホイールだか分からない盆のようなものの上に静かにおいて、ネクタイを緩めながらその会場を出た。僕には知人のような厚顔さは無かった。知人の話術の巧みなことは認めよう。だから余計に腹が立ったのさ。我慢する必要は無かった」
彼は本当に腹を立てていたようでした。普段は感情を表さない彼にしては珍しい言葉を選んでいたからです。そう。口調、速度、音程、音色、息遣いなどは全く変化しません。彼は発声に関しては全く感情を交えない話し方をします。だから、腹が立ったという言葉を彼が選んだという事から、私はそう推測する、いえ、それと知るのです。
彼は「殺したい」とはいいません。「殺したいと思った」というでしょう。そしてもし「殺したい」と告げるべき相手がいたとしたら、その相手はもう死んでいるはずです。彼は感情をも言葉にします。実に明快なはずなのだけど、彼の語法に不慣れな人にとっては混乱を来たす原因となっているようでした。
「僕はクロスワードパズルを批判するためにくだらない浪費を行った。この矛盾が不快だったが、無視することはできなかった。クロスワードパズルの可能性を察知していたからだ、ということを知ったのはそれから程なくしてからのことだった。今のクロスワードパズルの主流はね、形式をひねる事だ。一マスに二文字入れたり、漢字を使用したり、キーを無くして数合わせを教養したり、疑似立体にしたり、ばかばかしいほど巨大にしたりね。多様化したように見える。だが、この多様性は進歩ではなく、逃避なのだということに誰一人気づいていない。
縦書きと横書きとを許し、なおかつ平仮名片仮名漢字ローマ字をも取り込みながら、さらに他国語を貪欲に取り込んできた日本。日本語使用圏にあって根本的な追求をおざなりにしている怠惰を、なぜ誰一人指摘しなかったのだろうね。クロスワードという形式が、何を原理としており、どこまでの可能性を秘めているのかを、なぜ誰も研究しないのだ。形式をいじるのは簡単だ。そして最も危険なことでもあるのだという事実が、なぜクロスワードパズルに限っては免除されるにだと思い込むのだろう。それは皆が暇潰しとしてしか認知していないためだ。そしてこれは暇潰し自体をも冒涜しているのだから、彼らは二重の罪を犯していることになる。
クロスワードパズルの特質はまず、視覚的である、という事だ。文字が視覚的なのだからね。文字の連なりによって意味が生じる。そしてその複数の意味が交錯する瞬間の緊張が、クロスワードパズルの醍醐味ではなかったろうか。「かなづちの事」というヒントに対して、「げんのう」と書き込むときの徒労感を、君は味わったことがあるかい?
クロスワードにも学会がある。機関紙も出ている。その中のいくつかは王道を行く素晴らしい作品だった。それぞれの分野に特化しすぎるきらいはあるものの、それでも全てのマスに文字を入れ終わったときに機能し始める意味のアクロバットは、類を見ないものだった。僕は製作に携わろうとは考えない。回答者だけが真に批判しうる立場なのだから」
私は彼がなぜこれほど真剣なのかが分かりませんでした。やっぱりたかがクロスワードパズルではありませんか。そして何故私がこの話を聞かなくてはならないのでしょうか。私は出版社の人間ではありませんし、クロスワードパズルフリークでもありません。たまたま近くに来て、彼の動向に興味をもっただけでした。彼は十分に回復しているのだと、私は胸の中でため息をつきました。それが確認できただけでも十分だと。彼の音楽は健在だった。ただ少し長く過ぎるだけ。
もしかしたら、彼が話したかったのはクロスワードパズルのことではなかったのかもしれません。それをダシにして何か他の事を批判していたのでは無かったでしょうか? ああ、でも私は彼の輪唱の中からクロスワードパズルに関する言葉だけを聞き取ってしまっていたのです。聞こうとすることをあらかじめ限定してしまっていたとしたら、耳から零れていった言葉の中にこそ、主題があったのかもしれません。でもそれなら始めからそれについて直接語ってくれれば良かったのです。私に対してそんな回りくどい戦略を立てる必要はないのですから。私の生活は彼の生活になんの影響も及ぼさない位置にあるのですから。
私はそう思いながら、一つのことに気づいていました。この居心地の悪さの原因は、つまり今日、この場所に座っているのが私でなくとも、彼は全く同じ事を話したのではないかという、ほぼ確実な可能性に気づいてしまっていたからだったのです。それで私は自分を否定された、いいえ、完全に無視されていたのだということにプライドを傷つけられていたのでした。
彼とは交流できないのだ。私はそう思いました。それはとても悲しいことだと私は思い、それからすぐにそうではないと気づきました。
私は交流を求めて彼の部屋に立ち寄ったのだったでしょうか。いいえ、私は珍しい品物を商っている店先をちょっと冷やかす程度の気持ちで扉を叩いたのでした。私は客の立場でしかありません。そして、彼が主人なのです。客はまず商品を見ます。しかし、主人は客を見るのです。客だけを見て判断するのです。彼が私を見て持ち出したのは、クロスワードパズルでした。それはたちどころに私を捕らえたのです。
彼の部屋を誰かが訪れるのは本当に久しぶりなのだと、彼は口篭もりながら言っていましたっけ。それははにかんでいるわけではなかったのでしょう。しばらくどこへも行かず、誰にも会わなかった彼の饒舌さとは、つまり、長期間の休暇を取っていた脳髄と言語器官との連結に対するリハビリテーションの為に違いないのです。その態度を不実だとなじるのはたやすい。しかし、私にも非はあったのです。だからこそ私はこの席を立てずにいるのではないでしょうか。彼の言葉は途切れる事なく続いています。独特のあの反響が肉声とほとんど変わらない囁きの渦が、幾重にも私を取り巻いています。やがて私が眠りにつくまで、そして夢の中にまで、彼の語りは侵入してくるに違いありません。正方形という完成された形態の中を区切るさらなる正方形の一マスに、彼は次々と言葉を注入していくでしょう。私自身が彼自身のクロスワードパズルとなることは、すなわち、彼の時間潰しの為でしかなかったのです。
それにしてもクロスワードパズルとは!
この選択が私に対してどれほど有効であったかを考える時、彼という存在が果てしない闇のように感じられてくるのです。私は埋められるのを待ち望む正方形の白紙となって、深い闇の中空を漂うしかないのです。
「多くの言葉を重ねていく。やがて言葉に耐えられなくなって裂け目が出来る。そこから、何が覗いている?」
終わり
クロスワード ~宇祖田都子のはなし 2