旧作(2018年完)本編TOKIの世界書四部「明し時…5」(歴史神編)
TOKIの世界書第四部です。
次で四部は最終話に入ります。
TOKIの世界(陸の世界バージョン)
壱…陸と反転している世界
弐…夢幻の世界、霊魂の世界
参…過去
肆…未来
伍…想像が消えた世界?
陸…現世
神々の歴史を管理する神、ナオが改ざんされたらしい神々の歴史の謎を解き明かしていく物語です。
プラント・ガーデン・メモリー
赤髪に羽織袴の少女、歴史神ナオ、侍の時神過去神、栄次、そしてシャツに羽織袴というハイカラ雰囲気の歴史神ムスビは二カ月間もの間、ナオが経営する歴史書店に隠れていた。二か月前、彼らは死ぬ思いで高天原へ入り、必死で調べものをしながら命からがら現世に逃げ帰った。高天原南の竜宮から逃げてきた時の事を思い出すと二か月経った今でも冷や汗が出る。
「しかし、この二カ月間、よく見つかりませんでしたね。」
ナオが歴史書店の裏側の住居スペースでのんびりお茶を飲んでいた。
ナオ達は現在色んな神から追われている。いままで本当によく見つからずにいたものだ。
この二階建ての建物の地下にある歴史書店は知る神ぞ知る名店であるが存在自体は気がつかれにくい。何といっても地下にある事が大きいようだ。
いままで他の神々が気がつかなかっただけか追うのをあきらめたのかはナオ達にはわからない。
「で、もう二か月経つんだけどずっとここに隠れているの?」
お茶を飲んでいるナオの横でゴロゴロと畳と戯れているムスビは退屈そうに尋ねた。
「そのつもりはありません。神々専用の図書館へ行くつもりなのですが歴史を見る限りだと今は立て込んでいるようで……。」
「立て込んでいる?」
ムスビはむくりと起き上がると机に置いてあったせんべいを一つ食べた。
「ええ。神々の歴史を見る能力を使いますとそんな感じだとぼんやりわかります。」
ナオは実のところよくわかっていなかったがなんとなくで曖昧に答えた。
「じゃあ、その神々の図書館とやらにはいかないで今は動かない方がいいって事?」
「私の勘が動くなと言っております……。」
「そう。」
ナオの直感にムスビは従う事にした。
しばらく静寂な時間が流れたが、店側から外を見張っていた栄次がナオ達の前へ現れた事で静寂な時間は切れた。
「おい、……この間の……少女神、流史記姫(りゅうしきひめ)神だったか?が来ているぞ。切羽詰まった顔で中に入れてほしいと言っている。追い詰められたような顔をしている故、あの小娘を外に放り出しておくのは少々心が痛む。中に入れてもいいか?」
栄次はぶっきらぼうにそうナオ達に伝えたが顔は心配していた。
「ヒメさんが?」
「ヒメちゃんが……?」
ナオとムスビは驚きの声を上げた。彼女はちょっと前に高天原北のトップ、冷林の封印を解きに行っているはずでその後は父親である龍雷水天神(りゅういかづちすいてんのかみ)、イドさんと仲良くやっていると思っていた。
その幼い風貌の彼女が父親がいない状態で一神でここに切羽詰まった顔で来ているというのは少し異常でもあった。
「……罠とかではなさそうなので中に入れてあげましょう。ヒメさんには最初助けられた恩もありますし。」
ナオが真剣な顔つきで答え、栄次はそれに頷くと再び店の玄関へと向かった。
しばらくして黒髪の少女、ヒメちゃんが栄次に連れられて店の奥の部屋へと入ってきた。
目にはうっすらと涙を浮かべている。
「ヒメちゃん、どうしたの?パパは何してんだい?」
めそめそ泣き始めたヒメちゃんにムスビは優しく頭を撫でながら問いかけた。
「……冷林の封印を解いたのじゃがここ最近、冷林がまた封印されてしまったらしいのじゃ……。ワシは知らぬ!ワシが解いた時の封印よりも破格に強い封印がかけられておった故、ワシは解くことができなかったのじゃ……。父上に言えばなんとかしてくれるのじゃろうがこの女の神が……。」
ヒメちゃんは一通りめそめそ話すとすぐ後ろにいつの間にか立っていた緑色の髪の女を指差した。
「どうも。あなた達は歴史神さん達ですね。」
「うわっ!いつの間に入ったんだ!あんた!」
ムスビが当然訪問してきた緑の髪の女に叫んだ。ナオと栄次は若干警戒心を見せた。
「先程、ヒメちゃんの後ろから入らせていただきました。ヒメちゃんにはわたくしから動かないように伝えてあります。ああ、わたくしは大屋都姫神(おおやつひめのかみ)、ヒエンと申します。」
緑の長い髪、ボーダーのニット帽にパーカーにスカートを履いている少女は自分の事をヒエンと名乗ると丁寧にお辞儀をした。
「お……おおやつひめの……。スサノオ尊の娘さん……ですか?」
ヒエンと同じくらい丁寧なナオは目を丸くしながらヒエンに尋ねた。
「はい。そうです。……実はお願いがありまして……。」
ヒエンは落ち着いて話そうと努力していたが内心は焦っているようだった。
「お願い……?」
今までお願いをされたことのない三神にとってこの状況でのお願いは驚きだった。少し身構えた。
「はい。……わたくしの兄、イソタケル神がいなくなってしまったのです。」
「イソタケル神……スサノオ尊の息子……。」
ヒエンの言葉にナオはぼそりとつぶやいた。
「実は冷林の封印と関係があるようなのです。あなた……ナオさんは神々の歴史を管理する神でしたよね?ここ最近の兄の様子について聞きに来たのですが……。できれば現在の居場所も……。」
ヒエンはしゅんと肩を落としながら尋ねた。
「居場所……ですか……。残念ですが私は神々のストーカーではありませんので細かいことはわかりません。ですが、捜索を手伝います。私達を守ってくださるという条件がつきますけど。」
ナオは真剣な顔でヒエンと交渉を始めた。
ナオの考えはただ一つである。イソタケル神を探し出してあげるのではなく、スサノオ尊の娘であるヒエンとスサノオ尊の息子、イソタケル神の歴史を覗く事だ。
探すのがメインではなく、探した後に歴史を覗くのがメインである。
「ええ。全力で守ります。あなた達が助けて下されば早く兄を見つけられそうです。探す探すと言っていてもわたくしではどこを探せばよいのか全くわかりませんので。」
交渉はあっという間にオーケーが出た。ヒエンはどうしようもなくて途方に暮れている感じだった。
「では、まずは神々の図書館に行きましょう。」
「神々の図書館?」
「ちょっと、ちょっとナオさん、それさっき行かないって言ってたじゃない!」
ナオの言葉にヒエンは首を傾げ、ムスビは頭を抱えた。
「ムスビ、はっきりしました。立て込んでいる原因はこれです。もう理由がわかったので行動しましょう。」
「はあ……。いつもこうだかんなあ。止めても聞かねぇし……。」
ナオはもう隠れている気はないようだ。ムスビは盛大にため息をついた。
「ど、どっかへ行くのかえ?わ、ワシはどうすればよいのじゃ?」
ひとり置いてけぼりだったヒメちゃんが慌てて不安そうに声を上げた。
「……もう大丈夫です。冷林はこちらでなんとかします。ヒメさんはいままで通り生活してくださって構いません。」
ナオは泣きそうなヒメちゃんに気合に満ちた顔で頷いた。
「何とかするって……ナオさん……本当に大丈夫なのかよー……。」
「ムスビ、ナオはやる気だ。危険があっても諦めろ。」
ぶつぶつ文句を言っているムスビに栄次は悟ったようにポンポンと肩を叩いた。
二話
ヒエンはヒメちゃんに「拘束してしまい申し訳ありませんでした。」と頭を下げ、外へと歩き出した。
ヒメちゃんはぽかんとしながらヒエンに続き歴史書店の地下階段を上った。
ナオ達も後に続く。
辺りはすっかり秋で気温は下がってきている。街路樹は赤や黄色に変わりハラハラと散っているそんな時期である。
「本当に任せていいのかえ?」
ヒメちゃんは不安げな顔でヒエンを見上げた。
「はい。冷林の封印はちゃんと解きます。極秘で兄を探したいのでヒメさんは東西南北の上にはしゃべらないでください。」
「そうしたらいつまでも封印が解けない冷林を見て剣王やワイズからワシは厳しく怒られてしまうぞい。」
ヒエンの言葉にヒメちゃんは困惑した顔で答えた。
ヒエンが何かを言おうとした時、空から銀髪の青年が飛び込んできた。
「ヒメちゃん!ここにいたのですか!」
銀髪パーマの青年はヒメちゃんを見ると慌てて駆け寄ってきた。
「イド殿……ち……父上。」
ヒメちゃんは銀髪の青年、イドを怯えた顔で見上げた。
「ヒメちゃん?どうしましたか?」
イドは娘のヒメちゃんを大事そうに抱きしめるとヒエンに鋭い視線を飛ばした。
「龍雷水天神(りゅういかづちすいてんのかみ)、イドさん、あなたはヒメさんのお父様だったのですね?」
「ええ、そうですね。スサノオ尊の娘さんが何用で?」
ヒエンの問いかけにイドは鋭く言い放った。
「いいえ。もう用はございません。ヒメちゃんは一度冷林の封印を解きました。なので再び封印されてしまったのだとしてもヒメちゃんの責任はありません。この事の口外だけはしないでください。」
「わかりました。僕も冷林が再び封印されてしまった事に頭を抱えていた所です。もちろん、娘を責める気はありません。……しばらくはあなた達が動いているのを黙ってみていますが時間が経過しても冷林の封印が解かれないようならば僕は動きます。それでいいですね?」
イドはヒエンにそう言い放った。
「はい。ですので今はそのままで剣王やワイズに感づかれないようにうまくやっていただきたいのです。」
「何か理由があるようなので僕は了承しておきます。……では。」
イドは事務的に返事をするとヒメちゃんに優しくほほ笑み手を握りながら去って行った。
ヒメちゃんは不安げにこちらを見ていたが特に何も言わずにイドに従って歩いて行った。
ヒメちゃんとイドが見えなくなるまで見つめていたヒエンは見えなくなったとたん、大きなため息をついた。
「これでなんとか時間稼ぎができそうです。」
「ま、まあ……よくわかんないけど。……冷林の封印とイソタケル神の関係は何?」
ムスビはいまいちよくわかっていない顔でヒエンに問いかけた。
「……よくわかりませんが……冷林の封印を再びしたのはお兄様のようなのです。」
「ああ、それでお兄ちゃんを見つけたいわけね。」
「それもそうなのですが何かよからぬことに巻き込まれていたらと心配でもあるのです。」
ヒエンは心配そうに目を伏せると再びため息をついた。
「ええ、なんにせよ、神々の図書館へと行く方が確実ですよ。」
ナオはヒエンの肩を優しく叩いた。
「はい……。その神々の図書館とは何なのでしょうか?」
「え?あそこを知らない神がいるのか……。」
「ムスビ。」
ヒエンの問いかけにムスビは思わず声を上げたがナオに止められた。
ナオはムスビの発言を制すると一呼吸おいてから口を開いた。
「神々専用の図書館です。人間の図書館から行く事ができます。まず、冷林とイソタケル神の関係性について調べるのもありだと思います。私が冷林とイソタケル神の歴史を検索してみた所、冷林はその昔、イソタケル神の部下であったという記述があります。……ミノさんという狐耳の穀物神も関係しているようです。私は詳しく見る事ができませんが文面だけの感じだとそうらしいです。神々の図書館へ行けばそれを映像として見る事ができます。私よりも詳しく知ることができるでしょう。」
「な、なるほど……。その図書館、わたくしは知りません。案内ともどもよろしくお願いいたします。」
ヒエンの言葉にナオは小さく頷いた。
ナオ達は近くにある人間が利用する図書館へと向かった。図書館はナオの歴史書店から歩いて十五分くらいの所にある。そこそこ都会にあるこの図書館は駅前なので住宅街から駅前にあるショッピングモールが並ぶ道を歩いていた。
「え?人間の図書館へ行くのですか?」
ヒエンが図書館が見えてきた所で疑問の声を上げた。
「ええ。神々の図書館は人間が利用する図書館から行く事ができます。」
「いやー、しかし、ここを知らない神がいるとは驚きだね。」
ヒエンに説明するナオにムスビは図書館を眺めながら半分呆れた声を上げた。
「知らない事は悪い事ではございません。ヒエンさんはいままで神々の図書館を利用する必要がなかっただけです。必要とした時に使ってみればいいのです。」
ナオはヒエンを慰めた。
「はい。自分の無知を恥じることにします。……では、その神々の図書館ではわたくしの父であるスサノオの記述もあるのでしょうか?」
ヒエンの言葉にナオは眉を寄せて首を傾げた。
「……それは……昔の逸話ならばあるのかもしれません。最近の動向などはおそらく消えていると思いますが。」
ナオ達はヒエンを連れて自動ドアから図書館内へ入った。レンガ壁の落ち着く図書館だった。
図書館は平日の昼間という事もあり人はほとんどいなかった。
受付の一人がこちらに気がつき、素早くやってきた。
「いつもご利用ありがとうございます。一番奥の右の棚でございます。」
「え?」
受付の人の言葉にヒエンは驚いて目を見開いた。
「はい。ありがとうございます。では。」
ナオはそのおかしさを普通の事であるように流し、図書館内を歩き出した。
「ちょ、ちょっとお待ちください!ナオさん、あの方、人間ですが私達が見えて……」
「ええ。あれは心配いりません。いないところもありますがあれは天記神……えー、図書館の館長ですね、それの術で動く人形です。霊的なものなのでその人形は人間の目には映りません。幻に近いです。触れもしませんので。」
「そ、そうなのですか。」
ナオの言葉にヒエンは戸惑いながら答えた。
「では向かいましょう。」
ナオはヒエンを促し、ムスビ達に目を向けると歩き出した。
幻の案内人の通り、ナオは一番右側の奥まった棚の方へ向かった。この辺に少し人がいたがその人々は奥の棚の方面には行かない。
それよりもまず、その棚が見えていないようだった。
「ここから先、この一列飛び出したこの空間は人間の目には映らない霊的空間です。人間の目には壁に見えている所です。」
ヒエンが不思議そうな顔をしていたのでナオが素早く答えてあげた。
「そ、そうなのですか……。ですが、ここは……この棚は本が一冊しか置いてありませんよ?」
ヒエンが怯えのようなものを見せていたのでムスビが得意げに笑った。
「まあ、見てればわかるよ。な!」
ムスビは横を悠然と歩いていた栄次の肩を軽く叩いた。
「すまん、実は俺も神々の図書館とやらは知らん。」
「げっ……!お前も知らなかったのかよ!堂々としていたからわからなかったよ。だから黙々とついてきただけだったのか。まあ、あんたはいつも黙々としているけど。」
ムスビはやれやれとため息をつくとサッと霊的空間内に足を踏み入れた。
「ヒエンさん、栄次、ここから先、無茶をしなければ無事に図書館へ着けます。」
「無茶とは?」
ナオの言葉に栄次が問いかけた。
「あそこは弐の世界と繋がっています。夢幻の世界……弐。弐に迷い込んだら宇宙の中に投げ出されるのと同じことだと思ってください。私達が行くのはその弐の世界の入り口、門の部分です。その門から先へ行ってしまった場合、現世を生きる者、現世に存在する神は干渉できません。どうなっているか神々にもわからないのです。ですから、絶対に図書館以外の場所には行こうと思わないでください。」
「わかった。」
「は、はい。」
ナオの注意に栄次とヒエンは顔色を悪くして答えた。
それから手招いているムスビの元へとナオは歩き出した。栄次とヒエンもナオを追った。
ムスビは本棚に一冊だけあった真っ白な本を掴むと振りながらナオ達にほほ笑んだ。
「はい、これこれ!」
「ムスビ、あんまり乱暴に扱わないでください。」
ナオはムスビの手から白い本を奪い取った。その白い本には『天記神』とだけ書いてあった。
「てんきじん?その本をどうするのですか?」
「これは『あまのしるしのかみ』と読みます。この本を開くと神々の図書館へ飛べます。」
ヒエンの質問にナオはまた丁寧に答えた。
「なるほど……わたくし達を電子化してこの中に取り込むのですね。」
「ええ。仕組みに関しましてはおそらくそうなのでしょう。そして……この本の内部が弐の世界の入り口と繋がるわけです。」
ヒエンの回答にナオは頷いて答えた。
「では、開きます。」
ナオは一同を見回すとそっと白い本を開いた。
刹那、目の前が真っ白に染まった。
三話
ふと気がつくと霧の深い森の中にいた。音は何もなくとても静かだ。霧は深いが雨は降っていない。森の先に一本の道が伸びており、その先が開けていた。
「ここは……図書館ですか?」
「いいえ、ここは図書館へ続く道です。」
ヒエンの不安げな声にナオは安心させるように答えた。
「この道から外れたらいかんわけか。」
栄次が小さくつぶやいた。ナオは小さく頷くと道沿いに歩き出した。
「この道を外れると言葉通り道を外します。このどこかに境界線が引かれており、その境界線は私達ではわかりません。つまり気がついた時には弐の世界にいるのです。」
「俺はいつも外れたい衝動に駆られる時があるよ。でも誰にも助けてもらえなくなるから我慢する。」
ムスビは顔色悪くヒエンと栄次を見つめた。ムスビ本神も怖いらしい。
大人しく黙って坂道を登ると古い洋館が見えた。まるで幽霊屋敷のような雰囲気だった。
「ほ、本当にここが図書館なのですか?冥界の入り口とかではないですよね?」
ヒエンは完全に怯え、足が震えている。
「ええ。図書館ですよ。大丈夫です。」
ナオはヒエンを励ましつつ洋館の前まで来た。洋館のまわりにはきれいに手入れされた盆栽が沢山並べられていた。例の図書の神、天記神の趣味のようだ。
ナオは洋館の重たい扉を開き、中へ入った。
「あらあ!お久しぶりじゃない!」
中に入るなり男の声が聞こえた。
「久しぶりです。天記神さん。」
ナオは笑顔で答えた。天記神と呼ばれた男は星形を模した帽子を被り、紫色の高貴な着物を着こんでいた。青いきれいな長髪とオレンジ色の優しげな瞳が来る神をほっとさせる。
しかし、言葉遣いや仕草がまるで女性であった。
「あ、あの……。」
ヒエンは戸惑い、ムスビをとりあえず仰いだ。
「ああ、奴は心が女なんだよ。あんま気にしないで。」
ムスビはヒエンの動揺を受け止め、言わんとしている事をこっそり教えてやった。
「それで?今日はどうなさいましたか?」
天記神は優しげにほほ笑むと図書館内の椅子にナオ達を案内した。図書館内はかなり広く、沢山の椅子と机の他に天井まで高く本棚があり、その本棚にぎっしりと本が収まっている。
「……上の方はどうやってとるのでしょうか?」
ヒエンは一番上の棚に収まっている本を眺めながら首を傾げた。
「それは見ていればわかりますよ。……ええ、天記神さん。ダメもとで聞きますが……本来のスサノオ尊の記述がある本はございますか?」
ナオは頼みごとの第一としてスサノオ尊の歴史関係を期待した。
「……えー……読み物の方での逸話でしたらありますが伝記はございません。申し訳ないわ。」
ナオの問いかけに天記神はとても悲しい顔をして答えた。
「映像化して残っている伝記はやはりないですか。」
「本ですよね?映像化ってなんでしょうか?」
ナオの言葉にヒエンは再び首を傾げた。
ヒエンの問いは天記神が答えてくれた。
「ここの本は本の中に入ってビジョンを見る本と普通の読み物の本があります。ここが弐(夢幻霊魂の世界)であるが故に紙になった木の記憶を映像として見ることができます。」
「そ、そうなのですか……。そんな本が存在しているとは知りませんでした。」
天記神はヒエンにニコリとほほ笑むと「他にご要望は?」と尋ねた。
「では、イソタケル神と冷林、そして……日穀信智神(にちこくしんとものかみ)……ミノさんが関係している本を出してください。ヒエンさんの兄、イソタケル神が冷林の封印をしたまま行方知らずのようなのです。その関連の本を出してください。」
ナオの要望に天記神は明らかに狼狽していた。
「……?どうしました?」
「……いずれ来ると思っていましたが……これはちょっと複雑な事案なの……。」
天記神は迷った顔をしていた。
「どういうことですか?」
「……私は壱の世界を生き、陸の世界を生き……未来の肆、過去の参も生き……そして弐に住んでいます……。他の世界は次元が違いますがこの図書館は常に一定です。つ、つまり私は壱の世界の方面の事も変わらずにわかる……。」
「何を言っているのですか?話が……。」
ナオの言葉に天記神はさらに顔色を悪くした。
「つまり、現在、壱の世界のアヤちゃんがあなたをすり抜けていったのに次元が違うからあなたには存在すらも知ることができないという事。」
「あなたはすべての世界に一神で存在しているという事ですか?それが今、何の関係が……。」
「この事件は私が起こした事件で現在は壱(現在)の世界にいる時神アヤちゃんにすべて暴かれた後って事よ。陸(壱と反転している世界)の世界のアヤちゃんはよくわからないですけど。」
天記神はため息交じりに答えた。
「壱の世界では解決したが陸の世界の方では解決していないと……そういう事ですね?そしてあなたはその歴史を隠したいと思っている……。」
「だいたい当たっています。……私は現在、イソタケル神様がいる場所がわかりますよ。しかし彼は私の真実を聞いてくれなかった……。自分が確認すると言って冷林記述の映像本の内部へ入って行ってしまったの。タケルちゃんは……いえ、タケル様は本内にいる記憶部分の冷林を消してしまうかもしれない……。」
「そ、それはいけません!イソタケル神が何を思って冷林を消去しようとしているのかわかりませんがそれでは現在封印されている冷林が消えてしまいます。歴史内の冷林が消えてしまったら現実世界の冷林も消えてしまうでしょう!すぐにイソタケル神がいらっしゃる本を出してください!」
ナオは天記神の言葉に慌てて叫んだ。
「あなた達が本の中に入っても肝心の木の記憶部分は見れません。」
「え?」
「ここにある本は私がすべて監修し、編集したものです。知られてはまずい部分は私がきれいに編集してしまっています。なので大事な部分はまるでわかりません。タケル様にもそれはお伝えしましたが彼は飛び込んで行ってしまいました。肝心な部分がすべてわからないようになっているのでタケル様は冷林とミノさんの関連がわからず、冷林を消す理由を見つけられずにこちらに出てくると思われます。」
天記神の答えにナオ達は眉をひそめた。ずっと黙っていたムスビが訝しげに天記神に口を開いた。
「待ってよ。だいたい、なんであんたは大事な部分を見えなくしたんだ?伝記なんだろ?すべてわかるようにしないとダメなんじゃないか?木の記憶に従わないと……。」
「……それは私が罪神だからです。この件で私は犯罪行為を行いました。そう……昔、私はそれを隠ぺいしたのよ。編集してしまって完成の印を押してしまったのでそれをさらに編集することはもう不可能なの。」
天記神は苦しそうにつぶやいた。そして指を動かして三冊の本を抜き取った。かなり上の方にあった本は別々の本棚から一冊ずつ勝手に抜かれ、ゆっくりと降りてきた。
三冊の本はきれいにナオ達がいる机の上に音もなく置かれた。
「隠ぺい……一体何が……。」
「この本三冊の内の一冊の中にタケル様がいます。この本は記述が似ていて本内でリンクしているのでタケル様が知らぬ間に違う本にいる事もあるかもしれません。まあ、入った所で何もできないと思いますけど。」
天記神は三冊の本を順番に撫でた。
「では、どうすればいいのだ?」
仏頂面だった栄次が天記神に初めて口をきいた。
「このまま黙って待っていてもタケル様は収穫なしで悔しそうな顔をして出てくるでしょう。タケル様はおそらくそれでは納得できずにまたヒエンちゃんを置いて別の本に入ってしまう。しばらく落ち着くのを待つのも手ですが……真実を知りたいのならば私が編集した本の……本来の部分を見ることができるあの神を連れてくればタケル様も満足するかもしれません。木に触れるとその木の記憶がすべて見えるという木種の神、草泉姫神(くさいずみひめのかみ)、草姫ちゃんを。」
天記神はどちらにするか挑むような眼でナオ達を見据えた。
せっかく罪を隠ぺいできたのにそれをさらけ出そうとする天記神の考えはナオ達には理解ができなかった。
これはTOKIの世界書一部目「流れ時…」の方を読むと解決する事だろう。
壱の世界(陸の世界と反転している世界)では時神のアヤが罪を隠そうとしていた天記神を諭した。天記神は罪を認めた。これは解決した事であり、すべての世界がつながっている場所に住む天記神はもう罪を隠そうとはしない。
故に陸の世界を生きるナオ達にも真実を語ろうとする。
「一体、あなたは何をしてしまったのですか……?」
ヒエンが不安げに天記神を見上げたが天記神は下を向いたままだった。
「……それも草姫ちゃんがいれば……すぐにわかるわ。」
天記神は小さくそう答えた。自分からは言う気がないらしい。
ナオは天記神を眺め、そして閃いた。
……そうです!彼の編集した本をわざわざ読む必要なんてないのです。彼の歴史を私は見れるではないですか!それで真実もわかる……。
「失礼します!」
ナオは素早く天記神の巻物を手から出現させると天記神に向けて飛ばした。巻物を過去神の栄次を周り、眩く光出した。
ナオの目の前に記憶としての映像が映る。
目の前に突然、時神アヤが出現した。ナオは驚いたが黙って記憶を見た。
場所は図書館。アヤの前には天記神が辛そうに立っていた。
「天記神……。今はつらいと思うけど……頑張って。私もここを利用したいと思っているの。」
アヤはうなだれている天記神に声をかけた。
「あなたを殺そうとした私のもとへあなたは来たいの?」
「もう、解決したでしょ。あなたはもう十分苦しんだんじゃないの?もう、いいと思うの。」
「アヤちゃん……。」
天記神は戸惑った顔をアヤに向けた。
「ね?だから、私はまたここに来るからね?」
「……私を慰めてくれるの?」
「そ、そういうつもりでもないんだけど……。」
アヤは顔をほんのり赤くして頭をかく。
「ありがとう。ごめんね。本当に……ごめんなさい。」
天記神は震える手でアヤの肩を掴んだ。
「別にいいわよ。私は生きているから。」
「ほんとに私何やっていたのかしら……。ほんと……馬鹿ね。」
天記神はアヤから手を離した。するとすぐにアヤの隣に記憶中のヒエンが現れた。
……ヒエンさん?
ナオは目を見開いたが記憶を見る事に集中した。
「天記神さん。わたくしもこの図書館を利用したいと思います。もっと本を読みやすくしていただけませんか?」
アヤに続き、突然に記憶部分に介入してきたヒエンは天記神に真面目に提案した。
「はい……。努力してみます。あなたにも畏れ多い事をしてしまったわね。非礼をわびます。」
天記神はヒエンに深々と頭を下げた。
「別にいいですよ。わたくしは生きてますから。」
ヒエンはアヤが言った言葉と同じ言葉を発するとアヤと共にすがすがしい顔で図書館を去って行った。
その断片的な記憶が流れた後、記憶はいったん砂のように消え、また新たな記憶がナオの前を横切った。場所は先程のなんの変わりもない、天記神の図書館だった。
図書館の椅子にイソタケル神が座っていた。眉にしわを寄せ、何やら思いつめた顔で三冊の本を眺めている。
ふとまた横に天記神が現れた。
「これは私の不祥事なの……。だから冷林様に罪はないのよ。」
天記神は比較的落ち着いた表情でイソタケル神に言葉を発した。
「……それは僕が決める。あれは僕の部下だ。お前はなぜ……情報の提示ができない?歴史をそのまま記したこの本を読んでも何一つ重要な手掛かりがない。僕を納得させられる情報をちゃんと提示しろ。口頭ではなくちゃんとした証拠を出せ。」
イソタケル神はどことなく気が立っていた。
「ですから……今申し上げた通りで……。」
天記神は何とかイソタケル神を説得しようと焦っていた。
「それはお前の主観が入っているだろう。ちゃんとした歴史を見て判断したい。まあ、いい。とりあえず、僕はこの本を徹底的に調べ、ほころび内部に入り込むぞ。いいな!花姫の死にたどり着くまでかなりの時間を使ってしまった。……何度調べても冷林と花姫、そしてキツネの関係性がわからない。今、お前の話を聞かなかったら僕はずっと隠ぺいの事実すら知らずに原因を探っていただろう。いままで口を割らなかったお前がなぜ、突然僕にその話を持ち掛けた?申し訳ないが僕はお前が嘘をついている可能性も視野に入れている。はっきりしたところまでわからないと僕は花姫を見殺しにした冷林に罰を下せない。」
「……ですからそれは……。」
まくしたてるイソタケル神に天記神は言葉に詰まった。
記憶はそこまでだった。ナオはなんとか他の歴史を引っ張り出そうと考え、さらに深くに入り込んだ。
するとナオの頭に突然警戒音が鳴り、あたりが真っ暗になった。
その後、ナオの目の前に赤字で
―エラーが発生しました―
の文字が浮かび上がった。
ナオはため息をついた。
ため息をついた刹那、辺りは元の図書館に戻り、歴史は砂のように飛んで消えていった。
四話
「ここから先は見せてくれないという事ですね?」
ナオが同じくため息をついている天記神を見据えた。
「いえ、そういうわけではございませんが本を編集してしまった以上、歴史を改ざんしたという意味になり私が教えたくてもできないのです。歴史にする事ができないからです。伝えられないんです。」
天記神は申し訳なさそうに下を向いた。
「では、さきほど見えた記憶は何だったのかだけ教えてください。」
ナオは頭を切り替えて別の事を聞いた。
「ええ。私の記憶はすべてにリンクしておりますので最初のアヤちゃんが出てきたのは陸(ろく)とは反転している世界、壱(いち)の記憶です。壱の世界では私の罪はタケル様に許され、皆真実にたどり着き終わりました。そして後半の記憶はあなた達がいる世界、陸(ろく)の世界のタケル様です。つまり、ここ最近の記録でございます。」
天記神の話を聞いてナオ達は顔をさらに険しくした。
その中、ムスビが口を開いた。
「なるほど。ヒエンちゃんが探しているっていうイソタケル神はずっとこの図書館にいたのか。」
「……。」
ムスビの言葉を聞いてもヒエンは険しい顔で黙っていた。
「ヒエンさん、どうしますか?イソタケル神を落ち着かせるために真実に近い、その草姫さん……を探しますか?」
ナオに問われ、ヒエンは唸ったが一つ頷いた。
「はい。ここでただ兄を見つけるだけでは解決しないように思います。草姫さんを探しましょう。」
「わかりました。私達は協力いたします。しかし、私達は追われている身です。」
ナオがヒエンと何かの交渉に入った。
「……それは先程お話いたしましたようにちゃんとわたくしが守ります。」
ヒエンは首を傾げた。
「……もう一つ、約束してほしいことがあります。」
「はい。」
「私達が望んでいるあなたの歴史の一部分をこの場で見させていただきます。」
ナオの言葉にヒエンは困惑した顔をした。
「ええ、それは別にけっこうですが……。それでいいのですか?」
ヒエンは無理そうな要求が来ると思っていたので拍子抜けしていた。
「はい。ではさっそく……スサノオ尊の隠れた歴史を覗かせていただきます。」
「お父様の?わたくし達は勝手に出現していたので実はお父様には会った事もありません。お父様は今は概念になっていなくなっています。」
ヒエンはナオの真意がわからずただ戸惑っていた。
「私達歴史神にとってその概念の歴史がよくわからないのです。概念とは何なのかあなたは説明できますか?」
「……できませんね……。それを不思議とも思いませんでした。」
ヒエンはナオに問われ、改めて不思議に思った。
ナオは小さく頷き、手からヒエンの巻物を取り出すと
「失礼します。」
と一言言って巻物を投げた。
巻物は栄次を通ってまた光り出した。
目の前に突然紫の髪をした男、スサノオ尊が映る。スサノオ尊は髪を肩先までで切りそろえていて鎧を着ていた。柔らかい表情で優しくこちらに笑いかけている。
彼は以前からずっと歴史に出現していたため、ナオ達は初めてではなかった。
ふと気がつくとナオの前にはヒエンとイソタケル神、そしてヒエンとそっくりな緑の髪の女神の三神が立っていた。
辺りはどこかの森のようでとても静かだった。木々がまるで初夏のような鮮やかな緑をしている。
ときおり吹いてくる風がなんだか心地よい。
「お父上、僕達はこちらに残る事に決めました。お父上の意思に従います。」
イソタケル神がスサノオ尊に向けて、敬意を払った言葉遣いで頭を下げた。
「そうだなあ。そうしてくれ。俺もお前達を消したくねぇからな。」
スサノオ尊はどこかほっとした顔をしてイソタケル神に答えた。
「お、お父さん……。」
スサノオ尊に向かってヒエンの横にいた少女がふと声を上げた。
「……ん?どうした?ツマツヒメ。」
「本当に向こうの世界へ行ったら消えてしまうの……?」
「ああ、消えるな。いや、正確に言えば証明できない。わからないから最悪の場合を言っているんだ。ま、お前はとりあえず兄ちゃんと姉ちゃんとここにいろよ。」
少女、ツマツヒメはスサノオ尊の言葉にせつなげに頷いた。
「ツマ、あんまりお父様を困らせてはなりませんよ。」
ヒエンがツマツヒメを優しく撫でながら注意をした。
「……うん。お姉ちゃんに言われなくてもわかってる。」
ツマツヒメはそっけなく言うとそっぽを向いた。
「ま、まあ、妹二神と共にお父上の帰りを待っておりますので、帰ってくることができましたらお顔をお見せください。」
ヒエンとツマツヒメの会話を困惑気味に見つめていたイソタケル神はスサノオ尊にはにかみながら言った。
「ああ。そうしてろ……。」
スサノオ尊はそう言うと背を向けて森の中へと消えていった。
一瞬、ナオの耳にスサノオ尊の声が聞こえた。
……もう会う事はねぇかもしれない。皆俺達の事を忘れる。俺の大事な子供であってもそれは変わらねぇ。
その一言の後、記憶は砂のように消えていった。
「終わりましたか……。やはりあなた達はスサノオ尊に会っているようですね。」
ナオの言葉にヒエンは目を見開いて驚いていた。
「お父様……?顔も覚えておりませんが、こんな記憶が……。」
ヒエンは信じられないといった顔でナオを見返していた。
「あるのですよ。……しかもついこないだまでスサノオ尊はこの世界にいたのです。」
「……。」
ヒエンは何かを考え込むように黙り込んだ。
「……ねえ、ナオちゃん?……あなた、あんまりこの事について詮索しない方がいいわよ……。」
隣にいた天記神が控えめにナオにささやいてきた。
「……どういうことですか?」
「自分の首を……絞めることになるかもしれないという事よ。」
「それは……どういう……。」
天記神の言葉に違和感を覚えたナオは入り込んだ質問をしようと口を開いた。しかし、それは誰かの来訪でやめてしまった。
図書館のドアが開く音がする。
「いらっしゃいまし!」
天記神がドアが開いた瞬間にドアの方へと飛んでいった。
「あら~?はじめてきたけど~すごいのね~。」
やけに間延びしている女の声が聞こえた。
外見の方は天記神に隠れていてまだ見えない。
「あなたは……草姫ちゃん……。」
「……?あら~?なんで私を知っているのかしら~?初めてよね~?」
女の間延びした声の前に天記神が言った言葉がナオ達を反応させた。
……草姫ちゃん……。
……草姫、草泉姫神(くさいずみひめのかみ)……。
ナオ達が反応をすると天記神に連れられて金髪のやたらに赤い女がこちらに来るのが見えた。金髪のきれいな髪が腰辺りまで伸びており、服装は赤いベレー帽のようなものに赤いシャツ、下は白いズボンを履いていた。上半身がほぼ赤いのでやたらと赤く見える。
「あなたが……草泉姫神……。探そうとしていた神にこうも簡単に会えるなんて……。」
「……ん?なーんで私を知っているのかしら~?初めて会ったと思うんだけど~。黄色いゼラニウムってとこかしら~?花言葉は予期せぬ出会い。」
草姫はナオ達の驚きを理解できていない。首を傾げ、訝しげにこちらを見ていた。
その視線を感じたムスビはすぐさま、気になっていた事を質問した。
「草泉姫神、草姫、突然で悪いんだけど花姫を知っているかい?」
ムスビの言葉に草姫はさらに目を細めた。
「ん~?知っているもなにも~花泉姫神(はないずみひめのかみ)は私の妹~。なんでそんなことを聞くのかしら~?」
「今現在、花姫の事でイソタケル神とひと悶着してるみたいなんだ。」
「……?」
草姫は状況があまり理解できていないらしい。腕を組んで考え込んでしまった。
「草姫さん、あなたは花姫さんの事をほとんど知りませんね?」
ナオが考え込んでいる草姫に目を向け、尋ねた。
「……ま、まあね~。」
草姫はどことなく目をそらし、意味ありげに答えた。
「最近になって花姫さんの事を知り、自分に妹がいたことを知り、調べにきたといった感じでしょうか?」
「うっ……な、なんでそこまで初対面なのに知ってるわけ~?ブルーローズよ~。花言葉は奇跡!」
草姫はナオの追及に後ずさりを始めた。
「あなたを私の脳内で検索いたしました。あなたと花姫さんにはほぼ、接点がありません。それを踏まえて予想をたてました。」
ナオは落ち着いた表情で草姫をまっすぐ見つめていた。
「私達は現在、イソタケル神を探し、冷林の封印を解こうとしております。そのイソタケル神が行方不明になった原因は花姫さんにありそうなのです。あなたも私達に協力してくださいませんか?あなたに会えたことは偶然で本当に感謝したいところです。この件であなたを探す予定でしたので。」
ナオは草姫との交渉に入った。この草姫という神はけっこう自由奔放な神のようだ。
縛り付けるように交渉をしないとどこかへ行ってしまいそうである。
「妹とタケルちゃん、関係あるの~?あなたが誰か知らないけど~、ちゃんと全部お膳立てしてくれるなら~助けてもいいよ~?」
「……わかりました。あなたの役目はもう決まっています。私達はあなたを探していたのです。」
「へえ~?」
ナオの言葉に草姫は楽しそうに笑いかけてきた。
「来て早々なのですが、私達に協力してくださるのでしたら……この三冊の歴史書の隠された部分をあなたの能力で明らかにしたいのです。」
ナオは机の上に置いてある三冊の本をバンと叩いた。
「隠された部分を暴く~?歴史書に隠された部分があっては歴史書じゃないじゃな~い。ねえ~?」
草姫はクスクス笑いながら天記神を見る。天記神は複雑な表情をしていた。
「それで……花姫さんの本当の事がわかるはずなのです。どうしますか?協力していただけますか?」
ナオが天記神から草姫の目線をそらさせた。
「……う~ん……じゃあやるわよ~。」
「では決定ですね。私は霊史直神、ナオです。水色の髪の男がムスビ、侍が栄次、そして緑の髪のこのお方は……」
「大屋都姫神(おおやつひめのかみ)、ヒエンでしょ~。」
順に紹介していったナオを遮り、草姫はヒエンに軽く会釈をした。
「そりゃあ、ご存知か。同じ草木の神だもんな。」
ムスビがヒエンと草姫を交互に見ながらほほ笑んだ。
「ええ、まあ、わたくしは草姫さんの名前くらいしかわからなかったのですが……。」
ヒエンは草姫を視界に入れ、草姫同様会釈をした。
「ではさっそく、作業に入りましょう。まずは……。」
ナオは話をさっさと切り上げて三冊の本の内の一冊を手に取った。
五話
『冷林が守護し森、日穀信智神誕生』とタイトルが付けられている本をナオはまず手に取った。
「日穀信智神(にちこくしんとものかみ)は現在アヤさんと行動を共にしている狐耳の神、ミノさんの事ですね。そして冷林は冷林です。」
ナオは確認するように一同を見回して言った。
「そういえば、ミノさんだかに会った時、ナオさんはしきりにイソタケル神の事と、花姫の事を知りたがっていたな。」
「ええ。スサノオ尊につながるのでは……と思ったものですから。今はだいぶんスサノオ尊の事もわかってきておりますので、そこまで注視してはいませんが。」
ムスビの言葉にナオは小さく頷くと草姫を見た。草姫はナオが持っていた本を興味深そうに見ながら答えた。
「……それ、入る本よね~?」
「はい。」
ナオは平然と草姫に返したがヒエンは慌てていた。
「入る本というのは……?」
「先程説明した木々の記憶を見る本ですよ。」
天記神がヒエンにこっそり伝えた。
「では、さっそく行きましょ~。ダッチアイリス!花言葉は使命~。」
草姫は今はやる気なのかナオを急かした。
「ちょっとお待ちなさい。しおりをお忘れですよ。」
天記神が本を開こうとしたナオを止め、ごく普通のしおりを取り出した。しおりはかわいくデザインされており、押し花にされた花がアクセントに閉じられていた。
「ああ、うっかりしていたわね~。しおりがないと疲れた時にこっちに戻ってこれないし~。ヒイラギね~。花言葉は用心!」
草姫は楽観的に笑うとしおりを天記神から受け取った。
「こういう場合はしおりがいるのですね?」
ヒエンが天記神にそっと質問をする。
「ええ。しおりがないと本が終わるまで本から出て来れなくなりますから。映像が本物でも本ですからね。」
天記神が優しくヒエンに答えた。ヒエンは「なるほど。」と興味深そうに何度か頷いた。
「では……今度こそ行きましょう。」
ナオは一同を軽く見回すとそっと歴史書を開いた。
ふと気がつくと森の中にいた。大地は干からびており草花にも元気がない。ギラギラと照らす太陽が暑く、雨がずっと降っていないように思える。
「暑い……日照りかよ。」
ムスビが着物の下に来ているワイシャツのボタンをはずし、あおいでいた。
「そのようですね。」
ナオはしっかりと皆がこの本の中へ入れたか確認をするべく見回しながら答えた。
ムスビ、栄次、草姫、そしてヒエンの四神が無事にこちらにいた。
「ここが……本の中……だというのか。」
普段無口な栄次も現実の世界と区別がつかない風景に思わず声を発していた。
「温度や音までも感じるのですね。」
ヒエンも驚きの表情で辺りを見回していた。
「とりあえず、歩きましょ~。イカリソウ~花言葉は旅立ち~ちょっと違うか~。」
草姫は平然とした顔で先へと歩き出した。
「そうですね。ここにいても仕方ありませんし。」
ナオも草姫にならって歩き出す。ふと横を見ると木々の隙間で狐が死んでおり、その狐を他の狐が食べているのが見えた。
「……っ。」
ナオは咄嗟に目をそらし、不安げに先へと進んだ。ここは狐が多い地域のようだ。しかし、どの狐も長期間続く日照りのせいかやせ細っており、食べられるものと食べられないものの区別がついていないようだった。
「……この世界は酷いな。」
ムスビは周りを見回しながら小さくつぶやいた。
「まあ、俺が生きた間にこう言った事はけっこうあったものだ。平成という時代にはそういうことはないようだが……。」
ムスビの言葉に栄次が小さく答えた。
「……木々が苦しんでいます。この世界にお兄様が……。」
ヒエンはどこか悲しそうに枯れた木々を見つめていた。
「とりあえず、歩きましょう……。きゃっ!」
ナオが会話の途中で突然悲鳴を上げた。
「ナオさん!?」
「どうした?」
ムスビと栄次がナオに駆け寄る。
「いま……私のすぐ横を何か走って行きました。」
ナオは目を見開いたまま何かが消えた方向を見つめた。少し先の林の中でやせ細ったキツネがこちらを向いていた。キツネはトマトやキュウリなどの野菜をぼろきれ同然の布にくるんで口にくわえていた。
「キツネ……。」
キツネはナオ達をしばらく眺めた後、背を向けて走り去っていった。
「……あのキツネ……なんだか他の狐と雰囲気が違いましたね。」
ナオはキツネからほのかに漂う神力を感じ取っていた。
「今のキツネ~……ヒエンならわかるでしょ~?アセビなキツネね~。花言葉は犠牲。」
草姫は軽い感じのままヒエンに目を向けた。
「……ええ。木々の状態をみると江戸時代以前です。江戸時代以前にトマトもキュウリもありません。あの作物は高天原がこの時栽培していた食物です。」
ヒエンは草姫を視界に入れて答えた。
「そう~。キツネは自分を犠牲にしてあれを近くの村人に届けているってとこね~。この木々達が言っているわ~。ムクゲを感じるわ~花言葉は信念。」
「ムクゲの花言葉って信念だったのか……。もしかしてあのキツネはミノさんか?」
ムスビが草姫に尋ねた。
「おそらくそうね~。昔話にこんなのがあったわ~。騙すキツネのお話。村人は飢餓で苦しんでて、それを見たキツネが食べ物を運んで来るわけよ~。だけどそれはこの時期の日本にはない食べ物で~村人はキツネが幻術を使って自分達をからかっているって思うわけ~それで……。」
草姫がそこまで言った時、林の下の方で銃声が聞こえた。遠くに人の声もする。
「って、いうわけよ~。」
「銃声……キツネは殺された……って事ですか。」
ナオは銃声の聞こえた方向を寂しそうに見つめた。
この昔話はTOKIの世界書一部「流れ時…」に記述している。
「……俺はキツネの部分、見に行った方がいいと思うよ。」
ムスビが静かに言い放った。
「……そうですね。この本は日穀信智神の誕生ですからね。」
ナオは悲しい部分は見たくはなかったがこれは歴史書であると割り切り、見に行くことに決めた。
六話
しばらく山道を下ると開けた場所に出た。雑草すらもないただ広い空間。人工的に作られたとしか思えない広い砂地の真ん中で沢山の村人が集まっていた。その真ん中にキツネが力なく横たわっていた。
「このキツネはやせ細っていた。本当に我々に食べ物を恵んでくれていたのだ!神の使いだ!それを殺してしまった……。」
「神々の祟りだ……。」
遠くで村人達の会話が響く。
「このキツネを丁寧に埋葬するのだ!儀式を行うぞ。生贄を出せ!」
古めかしい儀式の様子がナオ達の目の前で繰り広げられ始めた。しかし、巫女などはおらず、村人はよくわからないままに行っているように見えた。
「……宮司さんも皆、飢餓で死んでしまったようですね。」
ナオが悲しそうに儀式の様子を仰ぐ。儀式は見ていられるものではなかった。何人もの人間が生贄として自害し、キツネと共に焼かれた。
村人は辛うじて覚えていた教を唱えているようだがその教もこの場にふさわしいものではなさそうだった。
「思ったよりも酷いわね~。あのキツネ、祟り神として祭られるそうよ~。ザクロよ~。花言葉は愚か。」
草姫が腕を組んだまま、静かにつぶやいた。
「しかし、歴史はめまぐるしく変化するな。」
栄次は高速で動いていく村人を興味深そうに見つめていた。ここは本の中であると割り切っているのだろう。
やがてキツネも生贄として捧げられた人間も燃えてなくなり、炭化したモノがあちらこちらに散らばった。村人は沈みゆく太陽に背を向け、生気のない顔で村へと戻って行った。
残されたのは燃え残ったキツネだったものと死んだ村人だけだった。
「祟り神……人が沢山死んで……映像にしてはかなりショッキングなものですね……。私、気分が……。」
「ナオさん、もうちょっと頑張って!」
青白い顔になっているナオをムスビが優しく抱きとめた。
「ナオさんはこういう映像が苦手なのですね。わたくしも苦手ですが……あ、見てください!」
ヒエンが突然、声を上げた。
ナオ達はヒエンが見ている方向に目を向けた。
「……あ、あれは……。」
ふとどこから現れたかわからないが草姫とまったく同じ外見の着物を着た女が燃えたものの前に立っていた。
金色の髪と赤い着物が女の美しさを際立たせていた。
「……花泉姫神(はないずみひめのかみ)……花姫。」
草姫は静かに目を細めた。
オレンジ色に輝いていた夕日はいつの間にか沈み、今は空にぽつぽつと星が見え始めている。空は紫のような橙のような不思議な色をしていた。
しばらくして花姫の前にうっすらと男の影が見え始めた。
影は徐々に鮮明になっていく。頭にキツネ耳をはやした男性が座り込む形で現れた。キリッとした水色の瞳、濃い黄色の髪、間違いなくミノさんだった。いまと違う所は髪が腰辺りまである事と雰囲気が違った。そして裸だった。
「ミノさんですね。」
ナオは遠目でそれを確認したが彼が裸であることに気がつき、顔を赤らめて下を向いた。
「祟り神になってしまったのか?」
ナオが下を向いている間にミノさんの前にいる花姫が淡々と言葉を紡いでいた。
ミノさんからは異様な気が出ている。
「……俺は……こんな事をしたかったわけじゃない……。人間に死ねって言ったわけじゃない!」
ミノさんは立ち上がると花姫をまっすぐ見つめ叫んだ。
「わかっている。わかっている……。」
花姫は苦しそうに下を向いた。
「人間は死にたかったのか?だったら今の俺がもっとも苦しい殺し方をしてやる。人間がそれで満足するならなっ!食物も受け取らず俺を撃ち殺した……。人間はよほどこの界隈を嫌っているようだな。そんなに死にたかったのか?俺はいままで何をしていたんだ!」
ミノさんは狂ったように叫び出した。
「落ち着け。名もなき神よ。あなたの心が人間に理解されなかっただけだ。私が出した食物も悪かったのだろう。あれは高天原で現在栽培されている野菜達だ。この界隈にはないものだった。あなたの手助けをするのに十分な食物がこのあたりにはなかったのだ……。だから高天原のを持って来てしまった……。それ故、人間は幻だと思ってしまった。あなたが死んだのも私のせいなんだ!」
花姫は必死にミノさんを止めた。涙をこらえている顔だった。本当はとてもメンタルの弱い神なのかもしれない。
「違うな。俺はそうは思わない。おたくは悪くないだろ。もともとは人間が招いた結果だ。そうだろう?俺はこの村の人間を滅ぼす。もうほとんど残ってねぇだろ。食ってねぇから立ってるやつなんか数人だろうよ。」
「頼む!思いとどまってくれ!頼む!」
花姫はミノさんにすがるがミノさんは花姫を突き飛ばした。
「何言ってんかわかんねぇんだよ!思いとどまるってなんだよ。俺は知らねぇな。」
「……っ。」
花姫は一瞬顔を強張らせるとミノさんから離れた。
「わかった……。でもあなたにはここを守ってもらわねばならない。私の信仰はもうないに等しい。消えるのも時間の問題だ。私の代わりにこの地を守ってもらわねば困るのだ……。実りの神として土地神として……。花泉姫神(はないずみひめのかみ)、それだけは守りたい。」
「別にいいが、じゃあ、人間を消してからでもいいよな。」
「違う!違うんだ!……くっ……このままでは彼が厄神になってしまう……。これも私のせいか……。」
花姫は手を前にかざすとミノさん目がけて白い光を飛ばした。
「……?なんだ?これ。」
「じっとしていろ。あなたの為になる事だ……。」
ミノさんはきょとんとしていたが花姫はどんどんやつれていく。あたたかい白い光がミノさんを包みこむ。ミノさんの目つきがだんだんと穏やかになっていった。雰囲気も現代にいるミノさんに近づいてきた。
刹那、白い光が突然消えた。
「うっ……。」
花姫はいきなり苦しそうにその場に倒れ込んだ。
「おたく、何をしたんだ?大丈夫か?」
ミノさんは呆然と花姫を見つめていた。
「ああ……。どうだ?あたたかいだろう?あなたが持つべき力は……人間を消す力ではない……。こちらの力だ……。完璧に渡せなかったか……。私ももうダメだな……。」
「……。」
ミノさんは花姫から目を離すとそっと目を閉じた。
その時、
「花姫!」
と遠くでミノさんではない男の声がした。その声にヒエンがいち早く反応を見せた。
血相を変えて走ってきた男は水色の浴衣を着ており濃い緑色の髪をしていた。髪は背中まであり、髪の先端は葉になっている。髪というよりツルと表現した方がいいか。そのツルのような髪をなびかせながら精悍な顔つきをしている若い男が花姫を何度も呼んでいた。緑の瞳はヒエンのものそっくりだった。
「あれはお兄様ですね……。」
ヒエンが声を震わせてつぶやいた。
「そのようですね。」
ナオも男の外見をよく見て先程の男、イソタケル神であることを確認した。
話は進んでいく。
「……っ……何をしたんだ……。一体何をした!」
イソタケル神は倒れている花姫を抱き起すと声を張り上げた。
「ああ……来てくれたのね……。タケル……。この土地を見て……あなたは何を思う?」
花姫は泣きながらイソタケル神の腕を掴む。
「ひどいな……。僕がいない間に何があったんだ?」
「そんな顔しないで……。いつもみたいに怒りなさいよ……。」
悲痛な顔をしているイソタケル神に花姫は苦しそうにつぶやいた。
「冷林は……あれは何をやっていたんだ!お前はまだ力が弱いから冷林の一部の林を守る事で実りの神として力をあげるんじゃなかったのか?」
「そうだった……。はじめはそうだったのよ……。」
ミノさんは二人の会話を静かに聞いていた。神になったばかりのミノさんには何の話なのかはわかっていないようだ。
「それなのになんでお前はこんなに弱りきっているんだ……。この土地も……なんでこんなに荒れている……。」
「私は所詮、神になんてなれなかったのよ……。」
花姫は嗚咽を漏らしながらイソタケル神の胸に顔をうずめる。
「神になってまだ間もないのに何を言っているんだ。これからだろう?」
イソタケル神が必死に声をかけるが花姫は首を横に振った。
「……。最後まで私は中途半端だった……。ごめんね……。あなたに私の後始末を押し付けて……。」
花姫は瞳に涙を浮かべながらミノさんを見上げる。ミノさんは怯えた表情で花姫を見おろしていた。
「どうしよう……。ちゃんと始末をしてから死にたいのに……時間は待ってくれないみたい。」
「おい!しっかりしろ!」
「タケル……。」
花姫はイソタケル神の頬をしなやかな指先でそっと撫でると目を閉じ、消えていった。
「おい……なんでこんな事になったんだ!なんでだ!」
イソタケル神はいままで感じていたぬくもりを握りしめながら悲痛な声を上げた。
「……っ……。」
目の前に立っているだけのミノさんは怯えた瞳でただ地面を凝視しているイソタケル神を見つめていた。刹那、イソタケル神が威圧のこもった瞳でミノさんを睨みつけた。
「なんでお前が花姫の神力を持っている……。花姫はなんで消えた……。あの子はまだ神になってから一年も経っていないんだぞ!」
「し、知らねぇよ!俺は今神になったんだ……。そんなの知るわけねぇだろ!」
ミノさんは動揺しながらイソタケル神に叫んだ。
「……あいつの管理が悪いからこんな事になったんだな。」
イソタケル神はそうつぶやくとミノさんの前から姿を消した。
「……なんだったんだよ。……で、俺のやる事はこの村の再生か……。ここら周辺の活性化か?」
ミノさんは腕を横に広げる。ミノさんの身体に赤いちゃんちゃんこと白い袴が巻きつく。なぜか服を着るやり方を知っていた。
「さっきまでの禍々しい気持ちはなんだったんだろうなあ……。」
今や穏やかな気持ちのミノさんはゆっくりと村へ歩きはじめた。その背中に悪意は感じられなかった。
「なるほど……これがミノさんとイソタケル神の出会いでしたか。以前質問した時、ミノさんが答えられなかったわけです。イソタケル神がミノさんに名乗っていないですし、ミノさん自体も神になったばかりなので記憶が混同していた。」
ナオは状況を整理するために一呼吸ついた。
「そういう事だね。知れて良かったんじゃない?」
ムスビの言葉にナオは頷いたが、何か考えていた。
「草姫さん、隠された歴史の方は見つかりましたか?」
ナオはふと草姫に質問をした。草姫は首を傾げて
「いいえ。わからなかったわ~。ここにはないわね~。」
と辺りを見回しながら答えた。
「では、ヒエンさん。歴史書内の方ではないイソタケル神の気配は感じましたか?」
「いえ。感じませんでした。ここにはいないですね。」
ナオの言葉にヒエンも草姫と同じように反応が薄かった。
「では……ここではないのですね。……それにしてもタイトルに沿っている冷林が出てきていないのが気になります。」
「冷林が守護し森……とかいう感じだったから森がどっかにあって、そこに冷林がいるんじゃないかな?」
ムスビがナオを気にしながら尋ねた。ナオは辺りを見回しながらムスビに答えた。
「……そうですね。歴史書内にいる冷林の元に現世のイソタケル神がいる確率は高いです。先程の歴史からイソタケル神は冷林をあまり良く思っていない……。」
「うん。そんな感じした。」
「ねぇ~ねぇ~、だけど~その冷林がいるって森に入ったら別の歴史書に入っちゃうみたいよ~。」
ナオとムスビの会話に草姫が呑気な声で入り込んできた。
「別の歴史書に入る……そういえば天記神さんが歴史書内でリンクしている部分があると言っていましたね。」
「ええ。言っておりましたね。」
ナオのつぶやきにヒエンが相槌を打った。
「……一体ここの本はどういう仕組みなのだ……。」
栄次の不安げな声を聞き流しながらナオは一つ頷いた。
「では何の歴史書なのかタイトルを忘れましたがそちらに向かってみましょう。」
「そうしましょう。」
ナオの言葉にヒエンは大きく頷いた。
ヒエンはもうこの本の仕組みに慣れたようだ。神の感覚は常識では測れない。
「あ~、木々があっちだって言ってるわ~。このまままっすぐ、牡丹のように~。行くわよ~。」
草姫が先程ナオ達が歩いてきた方の山を指差し、鼻歌を歌いながら歩き出した。
「先程私達がいたあの森の中が冷林が守護し森……なのですか?」
さっさと歩き出した草姫に慌てて追いついたナオは早口で尋ねた。
「そうみたいね~。たぶん、さっきいた場所とは若干違うけど~。まあ、私もこの歴史書内の木々の記憶が見れるってだけだから~正しいかはちょっと怪しいけどね~。」
そうは言っているが草姫は何か確信がある顔つきをしていた。
ナオにならい、ヒエン、ムスビ、栄次もなんとなく草姫についていく。
木も草も生えていないただ広いだけの更地をナオ達は黙々と歩いた。
「ここはやはり人工的に作られた場所……。」
「ええ。そのようですね。」
ナオのつぶやきにヒエンが答えた。
この更地面積はけっこうな広さであり、山を切り崩した感じでもないので湖などを埋めて土地を作ったのかもしれない。
ナオはぼんやりとそんなことを考えながら更地を通りすぎた。
そしてナオ達は草姫の後を追い、先程の山道とは違う山道へと入って行った。山は同じ山なのだがなんだか歴史書内の空気、空間が歪んだ気がした。
「……なんか歪んだな……。今。」
ムスビがいち早く気がつき、不安げに声を上げた。
「たぶん~、別の歴史書に入ったんでしょうね~。」
草姫は特にアクションを起こすわけでもなく、冷静に山道を登って行ってしまった。
「ああ、待ってください……。」
サクサクと登って行ってしまう草姫を追いかけ、ナオは小走りに歩いた。
七話
しばらくすると感じていた違和感は徐々に薄れてきた。別の歴史書との境目のみ不思議な感覚があるようだ。
ナオ達は先程の山道とは違った急な坂道を登る。先程の山道はある程度の道ができていたがこちらの山道は道という道はなく、険しい。
歩いている内にだんだんと岩肌が見える崖のような道へと変わった。
「ナオさん、転ばないようにな。……ヒエンちゃんも。」
ムスビは体力があまりなさそうなナオとヒエンを心配しながら険しい道を進む。
ナオとヒエンは肩で息をしてフラフラと歩いていた。
「はあ……はあ……この山道……きついですね……。」
「あうぅ……もうわたくし……倒れ……。」
「おっと……。」
ふらりともたれかかったヒエンを栄次が素早く抱きとめる。
「ご、ごめんなさい。ありがとうございます。」
「大丈夫か?神格が上でも華奢だな……。女にはこの山道は辛いか。おぶさるか?」
栄次がヒエンを抱きとめながら優しく声をかけた。
「え?い、いえ。大丈夫です!ありがとうございます。」
ヒエンは慌てて頭を下げた。
「同じ木種の神でもあの草姫って神は元気だな……。」
ムスビが遥か先まで行ってしまった草姫をため息交じりに見つめた。
「む、ムスビ……少し肩を貸してください……。」
「いいよ。さすがに俺はちょっとこの山道じゃあナオさんをおぶれないから、頑張って歩いてね。」
ナオがバテ気味に声を上げたのでムスビは肩を貸してあげた。
岩肌の上の方にいた草姫が元気よくナオ達に手を振っている。彼女は呑気で登山気分なのだろう。
ナオ達はフラフラになりながらなんとか草姫に追いついた。草姫は大きな岩の上に息も乱れずに立っていた。
「はあ……はあ……草姫さんはなぜそんなに元気なのですか?」
ナオがよろよろとしながら草姫に尋ねた。
「なんでって~フィールドワークの違いよ~。そんな事どうでもいいけど~ほら~。」
草姫が軽やかに笑って岩を登った先を指差した。
「……ん?森がありますね。森というか林ですけど。」
岩を登った先は沢山の木が無造作に並ぶ平地だった。
「……しかし、この林、なんだか不思議な感じがいたしますね。」
おぶられて多少元気になったらしいヒエンが林を眺めながら首を傾げた。
この不思議な感じはムスビも栄次も感じたようで、栄次に至っては殺気を読み取ろうとしている。
「……そうだな。なんだか冷たいような感じがするね。ひんやりしている……というか。」
「そりゃあそうよ~。だってここ、土地神縁の神、冷林の守護している森だもの~。昔の人間が林には魂が宿るって言っててね~、それが具現化したのが冷林ってわけよ~。霊気がこもって寒いのよ~。冷林って名前もそっから来てるの~。」
「……草姫さん。詳しいですね。」
ナオの言葉に草姫はまたコロコロと笑い出した。
「あら~、だってここの木々が教えてくれたから~。」
「……あなたは思ったよりも不思議な神なのかもしれませんね。」
ナオは草姫の隠された過去を探してみようと巻物を取り出したが林の方で気配がしたのでとりあえずやめておいた。
気配の出所を探していると突然、林の中から青い人型クッキーの顔に渦巻きが描かれているぬいぐるみのようなものが現れた。冷林だ。
おそらく歴史書内にいる冷林だろう。木々一つ一つをゆらゆらとただ回っている。
「冷林……ですね。歴史書内の。」
ナオがそう発した刹那、冷林の前にイソタケル神が現れた。
「え?お兄様が……。」
ヒエンが目を見開いた。ナオ達も同様に驚いた。
「あのイソタケル神は……歴史書のイソタケル神じゃない……ね?」
ムスビは同意を求めるようにナオ達に尋ねた。ナオ達は小さく頷いた。
なんとなくわかった。歴史書に出てくる人物は皆、どことなく平面だ。テレビを見ている感覚に近いものがある。だが、このイソタケル神はこの歴史書内ではあきらかに違和感だった。
……そしておそらく……私達も……。
ナオは黙ったまま、イソタケル神を見つめた。
イソタケル神は歴史書内の冷林に悲痛な顔で話しかけていた。
「……冷林……一体何があった……。答えてくれ……。このすべての歴史書には真実がないんだ……。真実はどこにある?」
イソタケル神の言葉には冷林は答えず、ただ、林のまわりを徘徊しているだけだった。
「お兄様……。」
ヒエンが小さくつぶやいた。かなり小さな声だったがイソタケル神はハッとこちらを振り返った。
「……ヒエンか?それと……。」
イソタケル神はヒエンを筆頭にナオ、ムスビ、栄次の順で目を合わせていく。そして、最後に草姫を見つめた刹那、イソタケル神は目を見開いた。
「……花姫!」
「じゃないわよ~。ハクサンチドリ~花言葉は間違い~。」
草姫はクスクス笑いながらイソタケル神にすばやく言い放った。
「……っ。違うだと……。」
イソタケル神は目を見開いたまま草姫を茫然と見つめていた。草姫と先程の歴史でみた花姫は瓜二つである。一応、姉妹という事になっているがまるでクローンのようだ。
「そ、私は花姫のおね~ちゃんなわけ~。私は実際の花姫には会った事ないんだけどね~。」
花姫にそっくりな草姫はまた再びクスクスと笑った。
「姉なのか……。花姫の……。」
イソタケル神は草姫に対し、ぼそりとつぶやいた。
しばらく何かを考えていたイソタケル神はふともう一度草姫を見つめた。
「……草姫、花姫の隠された真実がわかるか?」
「まあ、それを探しているんだけどね~。私は本になった木々の記憶が見れるからね~。ほら、本って元々木でしょ~?だから探せば本の隙間に隠されたものが見えるかもしれないの~。」
草姫はイソタケル神に楽観的に言い放った。イソタケル神はそれを聞き、すぐに頷いた。
「……そうか。ならば僕も同行させてくれないか?そこの歴史神達も何か調べているのだろう?」
イソタケル神に問われ、ナオ達は若干顔を歪めた。
「えーと……まあ、本来の目的はあなたを探す事でしたね。ヒエンさんの頼み事で。あと、それと冷林を復活させていただこうと。」
ナオの言葉にヒエンも深く頷いていた。
「そうですよ。お兄様。冷林を元に戻してください!」
「……すまないがいい機会だと思ったんだ。冷林が罪ならばこのまま封印をしておこうと思った。元々は僕の部下だ。僕が罰しなければならない。」
ヒエンにイソタケル神ははっきりと答えた。
「それで元々封印されていた冷林の封印を強化したりしたのですか。そして今更ながらに原因を調べたりして……。」
「まあ……そういう事だな。」
イソタケル神は真面目に頷いた。
「あ~、ちなみにだけど~、そこの冷林は何もしゃべらないわよ~。だって本だもの~。ラベンダーよ~!花言葉は沈黙。」
真面目な顔をしているイソタケル神に草姫は追加で言葉を発し、呆れた顔をした。
「……そうか。」
イソタケル神は何とも言えない顔で林を浮遊している冷林を見つめた。
八話
冷林はしばらく林を徘徊すると木々の一つに隠れた。その後、何かが駆けてくる足音が聞こえた。
だんだん近づいてきた足音はナオ達の近くまで来るとピタリと止まった。
「な、なんでしょうか?」
ナオが動揺の声を上げ、栄次がナオ達を庇うように立つと、岩崖の方から一匹のキツネが飛び込んできた。
「……っ!キツネ!」
「さっき死んでいたキツネだな……。時系列的にはこちら側は先程とは過去のようだね。まだミノさんはミノさんじゃない。」
ムスビが落ち着いて状況を分析し、林の中へと入って行くキツネを目で追った。
キツネはやせ細っており、体中に傷が目立つ。おそらく、この険しい山道をふらふらになりながら走っていたせいだろう。
傷だらけのキツネは林の真ん中で何かを待つようにちょこんと座った。
キツネが座ってすぐに光がキツネの前に集まり、やがて花姫が現れた。
「花姫……。」
イソタケル神が小さくつぶやいた。
「イソタケル神、花姫さんはキツネと何かお話しているようです。」
ナオが動揺しているイソタケル神を少し落ち着かせながら話を聞くよう促した。
花姫はキツネに何かを諭しているようだった。
「もう無茶はやめなさい。あなたが何をしたいのか、私にはわかる……。」
花姫はキツネを撫でながら言葉をかける。
「でも、あなたはもうこの辺でやめるべきだ。元の里に戻したいのだろう?私はあなたを手伝っているがもうそろそろ私自身も限界だ。かわいそうなキツネよ……。もうこれを期に人間と関係を絶て。あの里の人間はもうおしまいだ。あなたの声は届いていない。こんな結果を招いたのは私の力不足だったのだ……。あなたは何も悪くない……。だから……もう……。」
花姫はキツネの耳にそっとささやく。キツネは花姫を見上げているだけだった。
「あなたが神々の責任をおう事はないし元に戻そうとしなくてもいい。あなたはまだ元気なうちにこの界隈から出て行くべきだ。ここまで頑張ったのだ。なんなら私が潤っている大地へと連れて行ってあげようか?」
花姫の言葉にキツネは一度目を閉じると首を大きく振った。そしてそのまま小ぶりの赤茄子(トマト)をひとつくわえるとまた全速力で走り去った。ナオ達の横を高速で飛んで行き、そのまま岩山を飛び降りて消えていった。
「やめろっ!もう行っても意味ないんだ!人間はあなたを信じていない!」
花姫は叫んだがもうすでにキツネは走り去った後だった。
「っく……。もうダメね……。私が彼の生までも無駄にしてしまったと……あなたはお思いなのでしょうね……。冷林様。」
花姫は目に涙を浮かべながら後ろでひっそり隠れている冷林に目を向けた。冷林は何も行動を起こさなかった。
「私は……神様失格ね……。最後に……タケルに会いたかった……。あの神なら……馬鹿な私をきっと叱ってくれた……。」
花姫はただ泣き崩れていた。
「なんだ……どういうことだ?」
イソタケル神は意味のわからない現象に首を傾げていた。
「……やはり、あのキツネはただのキツネではなかったのですね。花姫さんと何度も接触しているようです。キツネと花姫さんの過去をもう一度洗う必要があります。見た所、あのキツネには何一つ神力、霊力が宿っていません。花姫さんをあのキツネは見る事ができないはずです。……一つ、いいやり方を思いつきました。」
ナオはしばらく考えて草姫を見つめた。
「あらん~?なにかしら~?」
草姫は楽観的にナオを見返してきた。
「実は……今、そこにいらっしゃる花姫さんの歴史をここで覗いてみようかと思います。ただし、ずいぶん前に亡くなられた神なのでこの本の記憶からみられるかどうかはカケになります。そして……徐々に草姫さんの出番が近くなります。」
「はい~?」
「草姫さんは本になった木々の記憶を見る事ができる能力がありますね。それがたとえ、改ざんされていた歴史書だとしても本物の記憶を木々から問い正すことができる。」
ナオは確認するように草姫を見据えた。
「え~……まあ、できるけど~。この本にされた木々の記憶しかわからない~。もし、改ざんされている歴史書がこの歴史書じゃなかったら、木が違うから改ざんは見れないわよ~。」
「大丈夫です。私が花姫さんの歴史を見てどこの状態なのか目星をつけてみます。ただ、ここは歴史書内なのであの花姫さんの歴史を覗けるかはわかりませんけどね。巻物もだいぶん薄れてしまっているようですし。」
ナオは小さく唸ると不安げに見つめている一同を背にして花姫の歴史が記述されていた巻物を取り出した。巻物はもう半分以上が消えかかっており、消滅するのも時間の問題だった。
「巻物はこんな状態ですが……まだ記述はあります。いきます。」
ナオは花姫に向かって巻物を投げた。巻物は一度、栄次を経由して過去を吸収し、花姫へと飛んでいった。
巻物が花姫にぶつかった刹那、辺りは真っ白に染まった。
ナオの頭に様々な意味のわからない断片的な記憶が横切る。
さきほどナオ達が歩いた何かの埋め立て地はきれいな湖だった。湖だった時は村人にも笑顔が溢れていた。その内、この近辺の城主の部下らしき男達が村に入るようになり、湖は埋め立てられた。埋め立てに無理やり参加させられた村人達は涙を流しながら働いていた。この村人達の信仰は花姫だった。湖に神が宿り、その恩恵が村を、森を潤しているという考えだったのだ。
「……ひどい……。」
ナオはひとりつぶやいた。村人達に偉そうに指示を出している男達もさらに上の者達に妻子を人質に取られ、泣く泣く村人に埋め立てをやらせていた。
湖がなくなったせいで村は潤わなくなった。おまけにたまたま重なった日照りで村はますます枯れ、村だけでなく森も枯れた。
そこまで記憶を見た時、ナオの頭にテレビの砂嵐のようにぼやけている映像が映った。
「……これは……。」
ナオは意識を集中し、少しでも砂嵐を取ろうとした。
しかし、砂嵐はそれ以上は取れず、映像はさらに悪くなる。色がなくなり白黒の映像になった。
「あやしい……もう少し……見させてください……花姫さん。」
ナオが誰にともなくつぶやき、映像を見ようと努力する。
一瞬、天記神が映った。そして花姫も映った。
「天記神さん……。」
……場所は……。
ぼやけた映像の中で場所のヒントを得ようとナオは目を凝らす。
まわりには何もない。木々のようなものが遠くに映っているように見えた。
……木々が遠くて木だと思われるモノが上にあるように見える……ここは山の麓?
……埋め立てられた湖の……真ん中……。
そこまで確認した時、ふとキツネが映った。キツネは先程のキツネに似ていたがこちらのキツネは年を取っているように見えた。
……別のキツネ?
ナオが考えていると一瞬だけ男の声……天記神の声が聞こえた。
―これは禁忌よ。わかっている?―
……禁忌……。
そこでブツンとテレビの電源が落ちるように映像が途切れた。
ナオは唐突に元の場所に戻された。
「ナオさん……大丈夫か?」
ムスビに揺すられてナオはハッと目を覚ました。先程の巻物はムスビのまわりを回り、歴史を結ぶように消えていった。
「で~?何か見えたのかしら~。」
「……はい。状態はわかりました。湖が埋め立てられた後の時期です。場所は埋め立て地。元ミノさんではないキツネがおりました。歳をとっているようでした。そして……天記神さんと花姫さんらしき神がおりました。」
草姫にナオは細かく説明した。
「天記神か……。先程、僕が問いただした事は嘘ではなさそうだな。だが……確かめなければ。」
イソタケル神は腕を組んで真面目に頷いた。
「……俺にも不思議な記憶が見えたぞ。ナオとだいたい同じだが、年老いたキツネに何か術を行っていたのが見えた。」
栄次が珍しく口を挟んだ。
「術ですか?」
「術?さすが過去神だね。ナオさん以上の事が見えたのか。」
ナオとムスビは興味ありげに栄次に目を向けた。
「あ……いや、俺が見たのは何か術を行ってたという一部の記憶だけだ。術といってもはっきり見えたわけではない。だから期待するな。」
栄次は自信なさそうにつぶやいた。
「では、お兄様、どういたしますか?」
事の成り行きを黙ってみていたヒエンも口を開き、イソタケル神を仰いだ。
「うん。とりあえず目星をつけて歴史神達の言う通りについて行き、そして花姫の姉である草姫に歴史に割り込んでもらおうか。頼む。」
イソタケル神は懇願するようにナオ達に小さく頭を下げた。
「そんなっ……頭を上げてください!あなたは頭を下げる神ではありません。」
ナオが慌てて頭を上げるように言った。
「だが、僕だけでは何もできなかったんだ。君達が頼りだ。もし解決でき、冷林の潔白が証明されたら僕は冷林の封印を解く。そしてお礼に君達の願い事をできる範囲で叶えよう。」
イソタケル神の言葉にナオはぴくんと眉を動かした。
「……では、解決できましたら記憶を覗かせてください。スサノオ尊の。」
ナオはチャンスだと思い、素早く本来の目的を言った。となりでムスビが「がめついな……。」と言った気がしたが聞き流した。
「……父上のか?父上はしかし……」
イソタケル神が何か言おうとしたがナオは手で制した。
「問題ありません。概念になったのだとしても私もちゃんと証明したいだけですから。」
ナオの言葉にイソタケル神は不思議そうに首を傾げていた。
九話
というわけでナオ達は目星をつけた場所、埋め立て地へと向かった。霊気を帯びたこの林の反対側、つまりナオ達がのぼってきた険しい山道の反対側は最初に本の中に入った時にいた場所だった。
「この林の反対側はあの緩やかな山道だったのですね。」
ナオはほっと胸を撫でおろした。再びこの険しい山道を下らなければならないのかと冷や冷やしていたからだ。
ナオ達は緩やかな坂道をゆっくりと降りた。山の麓まで着き、そこから少し歩いた。
少し歩くとすぐに埋め立て地だった。
「ついたね。こっちの山道は人が整地したみたいだったからけっこう楽だったね。」
ムスビはふいーっと息をつくと汗を拭った。
「それで……ナオ、時間軸は合っているのか?」
栄次の質問にナオは自信なく頷いた。
「時間軸が合っているかはわかりませんが湖らしきものは埋め立てられた後だったようなのでこの辺りの時間軸だと思われます。」
「そうね~。な~んか怪しいわね~。」
ナオの言葉に草姫は考えながら埋め立て地をウロウロと動き始めた。
「草姫さん?何をやっているのですか?」
ヒエンが尋ねると草姫は不敵に笑った。
「変なほころびを見つけたの~。だけど、入るところがわからなくて~。」
「草姫さん、そこらへんなのですか?」
今度はナオが尋ねた。
草姫はまた不敵に笑うと小さく頷いた。
「では草姫さん、この辺りの木々に記憶を見せてくれるように言ってください。」
「わかったわ~。」
草姫はナオにそう言うと、目を閉じて口で何かをつぶやいた。
刹那、草姫の目の前の空間が避けるようにわずかに開いた。中から別の記憶が見え隠れしている。
「ここですね!」
ナオは叫ぶと栄次を引っ張り空間の断裂面に立たせた。
「……うっ?」
栄次は何事かと戸惑っていたがナオは「そのまま動かないでください!」と叫んだ。
「大丈夫です。過去の記憶として過去神のあなたを空間の断裂部分においてこの本来の歴史が閉じないようにしただけです。」
「なるほど、そうだったのか。俺は本当に過去を守る神なんだな……。」
栄次はただ立っているだけだ。立っているだけだったが閉じようとしていた空間が閉じるのをやめた。その後、草姫の能力によって本来の歴史は引き延ばされ、中身が見やすくなった。
「……天記神がいるな。」
イソタケル神は空間の断裂面から中の歴史を見る。今と同じ埋め立て地の前に天記神とキツネ、花姫が立っていた。
花姫と天記神は何やら深刻な顔で話をしていた。
「俺に頼るとは殊勝な心がけだな。」
天記神が低い声で花姫に言葉を発した。先程出会った天記神とは雰囲気がだいぶん違った。どことなく、男らしい感じだ。
「……あなたの言った通りにキツネを一匹連れてきたわ。それに無理に男ぶらなくてもいいわよ。私にはわかっているんだから。」
「花姫ちゃん……俺はやっぱり女になりきる事も男になりきる事もできないらしい……。」
「大丈夫でしょ。あなたはちゃんと女になって私も誰の手も借りずにこの状況を変えられる。術を使えば……でしょ?」
花姫は切羽つまった様子でもなく天記神を見上げる。
「このキツネはメスで老いているか?」
「ええ。もう歩くこともギリギリのメスよ。」
「大丈夫。人間だとすぐに高天原に気がつかれてしまうからできないが天寿を全うしようとしているキツネならばできるかもしれない。じゃあ、やるよ。」
やはりこの年老いたキツネはミノさんではなかった。ナオ達は険しい顔で天記神と花姫を眺めた。
男と女が揺れ動いている天記神は今現在天秤状態だ。男にもなり女にもなる。
「何をする気なの?」
そんな不安定な天記神を見上げながら花姫は質問をした。
「このキツネを生まれる前に戻し、オスとしてもう一度やり直してもらう。そしてそのメスの生を俺がいただく。そして新しく生まれたオスのキツネはお前の手足となり動くだろう。俺の生をこのキツネに渡すからかなり知性を持ったキツネに出来上がるだろう。」
天記神は花姫を鋭い瞳で一瞥する。
「どうやるか知らないけど……じゃあ、あなたはどうなるの?メスのキツネにでもなるわけ?」
「それは違うな。生だと言っただろう?心ではない。キツネはキツネでオスとしての本能を持って生まれ、俺は俺で女の精神、心を持って生まれ変わる。キツネは一度生きた時間を戻されるが俺はそのままだ。それにメスの生を持つという事は人間や神だと精神が女になる。つまり俺は女に変わるだけで対して変わらない。」
「難しいわね。まあ、つまりは……精神は人間でいう心の事。生は本能に近い部分ね。キツネは本能に近い部分で動いているけど人間や神は精神が働くってわけね。だからキツネはオスとして、あなたは女として生まれるって事か。で、どうやるの?」
「このキツネを本にしてしまい、このキツネの歴史を焼く。俺は本を読んだ者の精神を糧とする神、キツネの魂くらいなら簡単に取り出せる。花姫ちゃん、このキツネの記憶を持っている木はあったか?」
天記神はただぼうっと座っているキツネを眺めながら聞いた。
「ええ。苦労したけど縄張りがあって同じところにずっといたみたいでこのキツネが生まれた時からを覚えている木はあったわ。」
「その木の元へ案内してくれ。」
「……ええ。」
花姫と天記神は歩き出した。キツネはおいてけぼりだ。もう動く気力もないのかその場からまったく動かない。
「……天記神さんと花姫さんがいなくなってしまわれましたが……?」
ナオが草姫に問いかけた。
「ええ~。大丈夫~。行かなくても帰ってくるわ~。木を取りに行っただけでしょ~?大した話じゃないわ~。」
「そういうものですか……。では動きません。」
この歴史は天記神が隠した歴史。見るにはけっこう労力がいた。ナオもそこそこの神力を使い、歴史を漏らさないように見ている。普通に見ているだけでは決してわからない歴史だ。少しでも動くと歴史が途切れてしまいそうだった。だからなるべく動きたくなかった。
無理やり入り込んでみていると天記神と花姫が一冊の本を手に走ってきた。本をどうやって作ったのかはわからないが草姫が見たがらなかった所からするとその木を消したか切ったか何かしたのだろう。
「や~っぱり戻ってきたわ~。ここで術を使うみたいね~。」
草姫の言葉にナオは眉をひそめた。
しばらくしてキツネの元に天記神と花姫がたどり着いた。
するとすぐに天記神の持っていた本が勢いよく燃えた。天記神は無造作にその本を地面に捨てた。轟々と燃えている間、キツネの姿がどんどん薄れていく。そのキツネの歴史が焼かれ、なかった事にされていく。だがキツネは動かなかった。今、何が行われているのかおそらくわかっていないのだろう。
そしてその埋め立てられた泉全体に五芒星の大きな陣が出来上がった。キツネはやがて完全に消えてしまった。天記神は瞳を閉じて手を前にかざす。すぐに本は跡形もなくなった。五芒星の魔法陣が光った後、天記神はそっと目を開ける。
「なるほどね。よくわかったわ。花姫ちゃん。これが……あなた達が感じている女の子の感情……。素敵じゃない。」
天記神は人が変わったようにホホホと笑った。
「お、女になったの?なんか物腰が全然違うわね……。」
花姫は陣が消えてから恐る恐る天記神に近づいて行った。天記神はもう女性そのものだった。だが身体は男のままである。
「おかげさまで。これで術は完了したわ。あのキツネは今、オスとして生まれ変わった。あのキツネの母親は死んでいるから別の母親になっちゃったけど問題ないと思うわ。これであのキツネを使ってあなたは自分一人でこの絶体絶命の状態を改善する。これがあなたの望みでしょ。他の神に頼らずに一人で状況をすべてもとに戻したい。キツネがうろうろしているくらいなら神も人間も絶対に気がつかない。これからはあなた次第よ。」
「わかったわ。ありがとう。天記神。あのキツネには初めてあったかのように接した方がいいのよね?」
「それはそうよ。もう一度生をやり直しているんだから。……禁忌なんだから絶対に見つかっちゃダメよ。あくまであなたはキツネを手伝うの。泉を戻したいと思っているキツネの手助けをするのよ。わかったわね。」
「……わかったわ。ありがとう。」
天記神と花姫はクスクスと笑い合った。
十話
「と、いう事のようですね。」
ナオが冷静な声で言いながらイソタケル神を見た。
「これは禁忌だ……。花姫はやはり禁忌に手を染めていた……。冷林は……。」
「冷林はひとりで村を、山を救おうとした花姫を黙認してただけ~。禁忌を犯した花姫を見捨てるという罰を与えたようね~。そしてひとりで村を救おうとした花姫を邪魔することなく最後まで見守った~。」
草姫が周りの木々から受け取った情報をイソタケル神に伝えていた。
「……冷林の花姫に対する罰は気に入らないがそういう事ならば全面的に天記神と花姫が悪いな。先程聞いた話通りだ。……冷林を解放する。」
イソタケル神が煮え切らない顔のまま、うつむいた。
「では、もういいのですね。」
ナオが感情なく言った。ナオは神々の歴史を管理しているのでこういうことはよくあるから特に感情が揺れる事はなかった。
「……ああ。もう解決した。僕は花姫を守ってやれなかった……。それが悔やまれるな。」
イソタケル神はなんだか複雑な表情をしていたがやがて小さく頷いた。
「では、しおりを使って帰りましょう。」
ナオはさっさとしおりを取り出した。
「行動が早いね……ナオさん……。」
ムスビがあっさりしているナオに頭を抱えた。
ナオはムスビを軽く流すとしおりを地面に置いた。
刹那、白い光が包み、ナオ達は気がつくと天記神の図書館内にいた。
「……本当に簡単に戻れるのですね。」
ヒエンがどことなく感動した声を漏らしたのでナオ達は戻ってきたことを悟った。
「あら……おかえりなさい。」
戻ってきたことにいち早く気がついた天記神は慌ててこちらに向かってきた。
「天記神……お前の証言は正しかった。花姫は……。」
「私のせいなのよ。私はもう隠す気はない。ごめんなさい……。」
イソタケル神の切なげな声に天記神は深く頭を下げた。
「……お前はもう、罰が下っているようだな。」
「はい?」
イソタケル神の発言に天記神は首を傾げた。
「お前、この図書館から出る事ができないのだろう?」
「……ま、まあ、そうですわね。」
天記神は何やら隠すような言い方をした。それを見たナオは咳払いをしてから口を開いた。
「……天記神、あなたはこちらの世界で『図書館から出てはいけない』という罰をあなたの上司、東のワイズからもらっている。向こうの世界、壱の世界では隠ぺいがバレていなかった……だから壱の世界では見つからないようにしていた。先程の話と照合すると壱の世界ではそれをアヤさんにバラされてしまった。ですが、ワイズにはバレていなかった。違いますか?」
ナオの言葉に天記神は軽く笑った。
「……大当たりだわ。その通りです。陸(ろく)の世界、つまりこっちの世界では私の罪はバレてしまっていてワイズが私をここから出られなくしたの。もちろん、壱の世界でもこの罰は適応されていて私は結界に阻まれて外へ出る事ができないわ。例外な時を除いてね。」
天記神は頭を抱えて椅子の一つに座った。
「そういう事か。」
イソタケル神はやり場のない思いをため息にのせて吐いた。
「まあ、それは良いです。それよりもイソタケル神、約束はお忘れではないですね?」
ナオは気持ちを転換し、イソタケル神に言い放った。
「……ああ。記憶を見たいんだったな。好きなだけみていい。」
「はい。ありがとうございます。さっそくやらせていただきますね!」
ナオはしっかり頷くと手からイソタケル神の巻物を取り出し、イソタケル神に向けて投げた。
目の前が真っ白だった。ナオはまた真っ白な空間に立っていた。
……ここは……前の……。
ふと目の前にイソタケル神と紫色の髪の男……スサノオ尊が現れた。
……スサノオ尊……
「お父上、最後に聞きますが……本当に行ってしまうのですか?」
「……ああ。わりぃな。」
イソタケル神の不安げな声にスサノオ尊は楽観的に笑いながら言った。
「ふーん。貴方も行くんだ。」
ふと、女の子の声が聞こえた。現れたのはこの間も歴史に登場したツインテールの幼女、Kの少女だ。
「ああ、あんたがKの一部か。んで?向こうにはあんたの一部がいるのか?」
スサノオ尊はKの少女に友好的に話しかけていた。
「……いるよ。伍の世界にもKはいる……。いっぱいいる……。」
少女は小さく表情無くつぶやいた。
「そっか。じゃあ、向こうで会えるかもな。じゃあ、後の改変はそっちに任せるぜ。」
スサノオ尊は少女に軽くほほ笑んだ。
「……半分は頑張るよ。もう半分は……。」
少女は後ろを振り返った。イソタケル神もスサノオ尊も少女にならって振り返った。
振り返った先にはナオがいた。
……私……また……私が……。
「弐の世界に入ったのは初めてですが仕事はしっかりやります。お任せください。」
ナオは勝手に話していた。口が勝手に動いた。
「まあ、弐の世界にここまで深く入り込んだ一般神はあんたが最初だろうなあ。じゃ、頼むぜ。」
「お任せください。」
スサノオ尊に真面目に答えるナオ。
その後、スサノオ尊が「ああ、忘れてた。」と再び口を開いた。
「……『自分の歴史』もちゃんと消しとけよ。これはお前のためだからな。」
スサノオ尊は鋭い瞳をこちらに向け、忠告するように言った。
記憶はそこまでだった。スサノオ尊の切なげな瞳を最後に残し、ナオの前で記憶が弾けた。ナオが最後に感じた感情は切なさと悲しみだった。
……彼を……ムスビを……忘れてしまう……。
「うっ……。」
「ナオさん!大丈夫?」
現実か幻かわからないナオをムスビが強制的に現実に戻した。
「は、はい……大丈夫です……。」
「何を見たんだ?なんだか今回は俺達が歴史に入り込めなかった!」
ムスビが不安げにナオに叫んだ。
「え?一緒に見たのではないのですか?」
「いや……今回はナオだけが見たようだ。」
栄次が静かにナオに答えた。
「イソタケル神も見えましたか?」
「いや……僕は全くわからない。」
ナオがイソタケル神に尋ねるとイソタケル神は首を横に振った。
……今回は私だけが見た……歴史……。
……この歴史はダメだ……見てはいけない記憶だ……思い出してはいけない何かを……思い出してしまいそう……。
ナオは無意識に震えていた。
「ナオさん……もう探るのはやめようか。」
ムスビが優しくそう声をかけた。
「いえ……ここまで来てしまったら最後まで調べます。」
「強情だなあ。ナオさんは……。」
「場所は弐の世界の深部。スサノオ尊達が消えたのも、Kの少女が出てきたのもすべて弐の世界の深部です。そこに……伍の世界にいける何かがあるようです。こうなったらKに会いに行きます。」
ナオは再び瞳に強い光を宿し、はっきりと宣言した。
「Kに会うだって?無理だろ……それは……。」
「Kとはなんだ?」
イソタケル神がムスビが話した単語を拾い尋ねた。それを天記神が柔らかく止めた。
「タケル様、Kの事は気にしなくても良いです。弐の世界にいるようですがどうせ会いに行けませんから。」
「そ、そうか。では……もうよいのか?」
イソタケル神がナオに頼み事が終わったのか確認を取った。
「あ、ええ。もう大丈夫です。手がかりは得ました。冷林の封印は後でちゃんと解いてくださいね。」
ナオはそう答えて頭をそっと下げた。
「ナオさん、それと草姫さん、栄次さん、ムスビさん。兄を探してくださいましてありがとうございました。わたくしが責任をもって兄に封印を解かせます。大丈夫です。」
横にいたヒエンがナオ達に感謝の言葉を述べながらしっかりと言った。
なんとなく話がまとまりそうだった時、図書館のドアが控えめに開いた。
「……?」
ナオ達は一斉にドアの方を向いた。
そして入ってきた者達に驚いた。
「あ、アヤさんとミノさん!?」
「あれ?ナオじゃないの……。なんでここに……。」
「アヤさんこそ……。」
アヤも驚いていたがナオはさらに驚いた。
アヤもKについて調べていた。ナオはこの出会いが偶然でない事を感じていた。
ナオが言葉を失っている中、草姫の呑気な声が聞こえた。
「あら~?そこの狐耳さんが持っているのは~……。」
草姫がそんなことを言ったのでナオ達もなんとなくミノさんの方を見た。
ミノさんは植木鉢に入った盆栽のような松を手に持っていた。
「え~と……ああ、これは気がついたらうちの神社に生えてきやがってた松で……えーと小さかったから引っこ抜いて植木鉢に移して盆栽好きな天記神に売ろうかなと……。弐の世界に用があったんでついでに持ってきたっていうかな~……まあ、そんな感じだ。」
「弐の世界の事は言わないでって言ったでしょ……。」
ミノさんにアヤが小声で注意していた。
「まあ~どうでもいいけど~……その松~花姫の生まれ変わりだわね~。神力感じるでしょ~?」
草姫が動揺しているミノさんから松を奪い取り、まじまじと眺める。
「た、たしかに……花姫の神力を感じるが……生まれ変わりの樹霊という事か。」
イソタケル神も松に近寄り眺めた。
「どうして今頃になってキツネさんの神社に……?」
ヒエンも松に近づくと愛おしそうに葉っぱを触った。
「辻褄合わせよ。」
ふと天記神が口を挟んできた。
「辻褄合わせ?」
「あんまり向こうの世界(壱の世界)の事は言いたくはないのだけれど……向こうの世界では草姫ちゃんとヒエンちゃんとタケル様が花姫を生まれ変わらせてしまったのよ。松の木としてね。その反動でこちらの世界にも歴史の辻褄合わせとして松が出現したの。ちゃんとこの松を守っていけば三百年後くらいには神霊になれるでしょう。そしてまた別の神として生まれ変わるわ。……これは新しい神話となり後世に語り継がれる事でしょう。まあ、この辺は一未来の話ですけどね。」
天記神の発言にナオは壱の世界の事について少し興味がわいた。
……壱の世界は色々な事が起こっている……向こうの世界の私は……何をしていたのだろうか……。
「そうか。では、この松は我々が預かるしかないな……。僕がもらってもいいか?今度は守って見せる。」
ナオが物思いにふけっているとイソタケル神がどことなく明るい顔でミノさん達を見ていた。
「おお?おたくがこの松を貰ってくれるのか?助かるぜ。これ、絶対に育ちそうにないところに生えていたんで心配だったんだよ。……ところで……おたく、どっかで会ったか?」
神格がミノさんよりもはるかに高いイソタケル神にミノさんは怯えながら尋ねた。
「……ああ。会っているが気にすることはない。」
イソタケル神は一言だけ言うと松を受け取って図書館外へと歩き始めた。
「ど、どこ行くんだ?」
ミノさんがさらにイソタケル神の背中に言葉をかける。
「……この松を埋め立て地があった付近に植えて大切に管理して育てるつもりだ。キツネ神……すまなかったな。」
イソタケル神は振り返らずにそう言うと図書館のドアを開けて外へと去って行った。
「な、なんだったんだ?」
ミノさんはイソタケル神があやまった理由がわからず、戸惑いながらヒエンの顔を見た。
「……キツネ神さんが歴史書を見た時、わかる事ですよ。」
ヒエンはそう言ってミノさんに笑いかけた。
「ああ……俺は歴史書が大嫌いなんだ。過去を振り返る気はねぇから……。」
「そうですか。それは残念です。……ではわたくしもそろそろお兄様を追いますね。……歴史神の方々、ありがとうございました。」
ヒエンはミノさんに優しく答えるとナオ達に頭をそっと下げておしとやかに図書館から出て行った。ヒエンもイソタケル神もミノさんに昔の事を押し付けるつもりはなかった。もうこのまま彼が知らないのならばそれでいいと思っていたのだった。
「おいおい……なんだよ。」
「キツネ神ちゃ~ん。花姫から生まれたあなたは私の甥みたいなものね~。じゃ、私も行くわ~調べたかったことは解決したし~疲れちゃったの~。シオンとトルコギキョウの間~花言葉はさよなら~。」
草姫は颯爽と軽やかに図書館から去って行った。
「ええ!?甥ってなんだ!?あああ!ちょっと!」
ミノさんは戸惑いと不安で叫んだが草姫はあっという間に消えてしまった。
「……まったくわからん。」
突然の事にミノさんは茫然とその場にうなだれていた。
「……なんだかわからないけど松の件は解決したわね。じゃあ、もうここには用はないわ。行くわよ。ミノ。」
アヤはすぐに頭を切り替えると悶々としているミノさんを引っ張り、嵐のように図書館を去って行った。
「……。」
残されたナオ達は思考の余地もなく、ただその場に立ち尽くしていた。
「……さっさと行ってしまいましたわね……。」
天記神は頭を抱えた状態のまま椅子に座っていた。
「……すぐに行動をするタイプなのでしょうか……彼らは……。」
ナオは目を丸くしたまま、ムスビと栄次を見つめた。
「な、なんだかそそっかしい神が多いみたいだね。解決したらそれでいいみたいな……。」
ムスビも同じく茫然としており、首を傾げた状態のまま固まっていた。
「急激に静かになったな。」
栄次はため息交じりにつぶやいていた。
図書館内はあっという間に誰もいなくなり、残っているのはナオ、栄次、ムスビと天記神だけだった。
最終話
「ま、まあ……とりあえず……弐の世界へ行きましょうか。危険ですけど……。」
ナオがその提案をした時、天記神がすぐに反論した。
「ダメよ!行ってはダメ!二度と出て来れないわよ!」
天記神が必死にナオを止めていた。
「……私は一度、弐の世界の深部へ行っているようなのです。ですからおそらく戻って来ることができます。」
「それは今のあなたじゃないでしょう!」
天記神が鋭く叫んだがナオはぴくんと眉を上げた。
「天記神さん……あなたはどうしてこのことに詳しいのですか?そもそもあなたはどこまで知っているのですか?」
「はあ……。あなたにエラーが出ているなんて……あなた、ちゃんとあの時の仕事、したのかしら?」
ナオの質問に天記神は挑むように質問を重ねた。
「仕事ってなんでしょうか?」
「……それは覚えていないのね。」
天記神は再びため息をついた。
「……とりあえず、何が何でも弐の世界へ入ります。もう少しなのです。もう少しですべてがわかるのです。」
ナオが必死な顔で天記神を見据えた。
天記神が何かを言おうとした時、ムスビが素早く口を挟んだ。
「ああ、えっとね、ナオさんは一回言ったら聞かないからあきらめた方がいいよ。な、栄次。」
ムスビは隣で状態を見守っている栄次に話をふった。
「ああ……まあ、そうだな。俺をこの世界に呼んでしまうほどに重要な事なのだろうな。俺は最後までナオを助けるつもりだぞ。」
栄次も静かにそう言った。
「それに……もう退けないのです。私は太陽を貶めてしまったり、高天原で暴れたり、本当に色々な事をしてきてしまいました。色々な事を犠牲にしてしまいました。」
ナオの真剣な顔に天記神はなんとも言えない顔をした。
「私は進まないとならないのです。真実を知らないと……。」
「……わかったわ。そこまでならば……じゃあ……これを……。」
天記神は渋々、一冊の本をナオに手渡した。
「……あなた達は歴史神で過去神栄次さんもいるわけだから……きっとこの本は役に立つでしょう。」
「……これは?」
ナオの質問に天記神は答えたくなさそうに答えた。
「……弐の……世界にいる時神達の世界を記した本よ……。壱の世界でのアヤさんが記したものなの……。つながりがないとこの本は使えませんがあなた達は歴史神です。おそらく使えるでしょう。そして関連して過去神栄次さんもいるので迷ってしまったらこの本でその時神さん達の世界に行きなさい。つながりがあればこの本があなた達をその世界へ導いてくれます。そして弐の世界の時神さん達ならばあなた達をこちらの世界へ連れて来ることができるでしょう。弐の世界は不確定よ。迷ったらすぐに使いなさい。以上よ。」
天記神は本から目をそらすと頭を抱えた。
「ありがとうございます。この件が済みましたら本はお返しします。」
ナオは頭を軽く下げると本を大事に抱えてムスビと栄次を一瞥した。
「ああ、俺は不安だよ。ナオさん……。」
ムスビは不安げな声をナオにあげたが本当は最後までついていくと決めていた。
「では、気持ちが鈍る前に行くか。」
栄次は呑気にも大きく伸びをした。彼も言わずものがな、もう最後まで行く事を決めていた。
三神が背を向けた時、天記神がナオの背中に小さく声をかけた。
「……やめるなら今……後悔……するわよ。」
天記神の言葉にナオは咄嗟に振り向いたが軽く会釈をしてまた歩き出した。
天記神には何も言葉を返さなかった。
……返さなかった理由はわかっていたからだ。覗いてはいけない歴史だとナオの心のどこかがそう告げていたからだった。世界の問題だからとかそういう理由ではなく、ただナオの心が痛むのだ。
それでもナオは知りたかった。
知ってはいけない真実を。
旧作(2018年完)本編TOKIの世界書四部「明し時…5」(歴史神編)