*星空文庫

青緑の夢

とう子 作

  1. 夕方の朝
  2. 真昼の星
  3. 最初からここに
  4. 思い出をたどって

夕方の朝

 もう夜の気配が濃厚だったが、私は青乃(あおの)を待っていた。
「おまたせしました」と青乃が笑顔で駆け寄ってきた。青乃はかかとが高い靴をはいていたから、私もかかとが高い靴をはけばよかった、と少し思った。彼女は、首のうしろあたりでリボンが結ばれたニットを着ている。いつだったか、そのリボンを私が結んだこともある気がする。
 瞼の裏で何度も見た君の姿。手を伸ばしたら、青乃も優しく手を差し出してくれて、私は彼女に一歩近づくと、その手をそっと握った。触れていないと、彼女の存在が信じられなかった。彼女は私の手を握り返してくれた。
「行きましょう」と青乃は言う。どこへ、と聞いたら、彼女は一度手を離して、ほとんど夜に呑まれた夕暮れを指さした。白と橙と群青がきれいだ。「どこまでも」と青乃は付け足した。
 夕焼けなのに、朝焼けのようだと思った。実際、朝焼けなのかもしれなかった。今が、私たちが一緒に遠くへ行くことにした出発の時だとしたら、始まりの時なのだから、朝。しかし日は昇らない。早朝のように張りつめた空気の中、私たちの立てる小さな音のひとつひとつが、やけに耳に響いた。青乃はすでに数歩進んでいた。
 青乃はほほえんでいる。私は、夕暮れを背にして立つ青乃の姿を眺めて、きれい、と思った。距離を縮めて、一大決心をするような気持ちで青乃の手を取る。やわらかい手はそっと握り返してくれる。私たち、どこへ行くのだろう。どこまでも一緒に行かれるのだろうか。どこへも行かれなくていいから、ただ、手をつないだままでいてくれたら、と思った。
(20170112)

真昼の星

 星のイヤリングを落とした、と青乃が落ち込んでいた。そんな彼女を見て私は、すぐに踵を返して探し始めた。
 青乃が落としたイヤリングを探しているはずなのに、歩いてきた砂浜には、私が彼女からもらったイヤリングがいくつも落ちていた。彼女にもらったのは一組なのに、どうしてこんなにたくさんあるのだろう。そもそも、なぜここにあるのだろうか。もしかすると、すべてにせものかもしれない、と思った。
 白の星の砂の上に散らばる、銀の星の砂を閉じ込めた宝物。私のイヤリングは、透明な玉の中に銀の星の砂が入っているものである。星の上に星が散らばっているのだ。
 今までの私たちの足跡をたどっていく。真上から降り注ぐおひさまの光はまぶしくて、不思議と暑くはないが、暖かくもない。海が近いはずなのに、海の音もしない。青乃の星は見つからない。
 私は青乃のイヤリングがどんなものなのか知らなかった。近くにいたのに、彼女の黒髪の中に隠された星を、見たことがなかったのだ。
 急にさびしくなってふり返ってみる。青乃は少し遠くにいた。私よりもさらに念入りにイヤリングを探しているようだった。離れたくなかったのに、いつの間にか、こんなに離れてしまっていたのだ。私は足を止めて、彼女がすぐ近くに来るのを待った。
 近くに来た青乃は、「見つかりません」と言って悲しそうに笑った。私も笑い返すことしかできない。
 鎖骨にかかる黒髪に混ざって、白いリボンが垂れている。うしろのリボンがほどけているらしい。ずっと前かがみで探していたから、髪と一緒に垂れてきたのだろうか。
「うしろを向いて」と言ったら、不思議そうな顔をして彼女はそのようにしてくれる。君のうなじを見ながらリボンを結ぶ。縦結びになったり、形がいびつだったり、なかなかうまく結べなかった。「きれいじゃなくて大丈夫よ」と青乃は言う。私は「どうしても、きれいに結びたい」と言った。
 結んだらまた、地面を見てイヤリングを探す。必ず私が見つけたい、と思った。見つけたときの青乃の笑顔を、見逃したくないのだ。
 どこまで歩いても、銀の星が閉じ込められた玉ばかり落ちている。青乃の星が見えないのは、透明だからなのか、または無数の白い星粒たちと同じ色をしているからなのか。何色をしているのか聞くことができないまま、私は青乃の星を探し続けている。
(20170113)

最初からここに

 風が冷たくて、一刻も早く中に入りたいと思いながら、建物沿いにある二階の外の渡り廊下を早足で進んでいた。ゴトゴトと私だけの足音が響いている。時折木の軋む音がして、その音に紛れて今に足音が増えないだろうか、と思ったが、そんなことはなかった。
 細かい雨の音がする。屋根があるからひどく濡れることはない。たまに風が運んでくる冷たい雫が頬にあたった。
 左手側の建物は等間隔で細い窓が並んでおり、中は薄暗いようだが明かりはついている。ただ、入り口がなかなか現れなかった。どこまで行っても、壁と窓だった。
この建物に移動するために、となりの建物から出てきたはずなのに、もう、うしろを振り返っても、同じ壁と窓しかなかった。
 建物も空も灰色だった。私のコートも、その中のセーターも、きっと、何もかも、ぜんぶ灰色。このまますべて灰色になったら、本物の灰のように、サラサラと崩れてしまうような気がした。
 ポケットに手を突っ込んだら、何かが指先に触れた。私は歩みを止める。取り出してみるとそれは、透明な玉の中に銀の星の砂が入ったイヤリングだった。銀色がチラリと光って、このイヤリングを贈ってくれたときの青乃の、真っ白なコートを羽織った姿が思い浮かんだ。もこもこした温かそうな彼女が、小さな箱を渡してくれた寒いあの日。
 また痛くなってはずして、ポケットにしまってしまうかもしれないけれど、と思いながら耳に付けてみる。金属が耳たぶに触れて、寒さがいっそう身にしみるような気がした。
 青乃はどこにいるのだろう。いつ、離れてしまったのだろう。建物を出る前まで一緒にいたような気がする。最初からひとりだったような気もする。もう進むのは疲れてしまった。唯一聞こえていた微かな雨音が聞こえなくなってゆく。何も感じたくない。
芙緑(ふみどり)」と静寂を切り裂いて愛しい声が生まれた。声は下からだったので、見下ろしてみると、青乃がいた。なんだ、そこにいたのか、すぐ行くからね。辺りを見回すが階段などなく、下に降りる方法はない。
 青乃は私を見つめている。すぐ行くから、いなくならないでほしい、と思った。手すりから身を乗り出す。「青乃」と呼んだ。彼女は「はい」と返事をする。地面は意外と遠くて、その距離が、とてつもなくさびしかった。脈が早くなるのを感じる。もう耐えられない。手すりに足をかけて、両の腕を広げて、身体を宙に躍らせた。
 落ちる寸前、彼女に届かないのではないかと気が付いた。そもそも届いていたら、押しつぶしていたかもしれない。届かなくてよかったのだ。
 強い衝撃を恐れる気持ちより、出口のない通路から抜け出した安心感が強かった。目を閉じる。
 しかし何事もなく、ふわり、と腕の中に青乃の気配がおさまって、優しいにおいがした。息づかいが伝わってくる。そっと目を開くと、私は彼女を抱きしめていた。さっきまでとなりにいて、突然抱きついた、というくらいの感覚だった。
 彼女も私も、変わったことなど何ひとつない。背中に彼女の手のひらを感じる。ふり返っても、うしろには何もないだろう。私たちはきっと、ずっと一緒にいたのだ。
(20170114)

思い出をたどって

 暗くて寒い中、光から遠ざかるように歩いていて、大きな建物の裏を通り、地面はアスファルトから湿った砂になった。水のざわめきが近づいてくると岩場があって、そこから広がる水の向こうにはたくさんの光が見える。足元に気をつけながら、水に近づいていった。
 押し寄せて引いて、また押し寄せる。じっと足元を見て立っていたら、時々、つま先が呑まれそうになった。一歩下がると岩にぶつかって、これ以上下がることはできない。
 岩の上に立って、光を揺らす水面を見る。「ね、水底に沈んでしまいたい」と言ったのは、私だったかな。この冷たい水に飛び込んだら、世界が反転して、暖かくて静かな永遠にたどりつける気がするのだ。
 また一緒に海へ行こうと思っていたのに、誘うことができなかったから、私はひとりでここに来た。だから、だれもいないはずだった。しかし視線を水面にすべらせて遠くを見ると、温かそうな真っ白のコートを着た人がいた。心が大きく跳ねる。暗いから顔がよく見えない、近づかないと。君はだれ。
 一歩踏み出したら水の上なので、当たり前だが無様に落ちた。浅瀬だと思っていたのに、足がつかなかった。コートが重くなって、引きずり込まれていく。もがく力はない、もうとっくに疲れてしまったのだ。苦しい、こんなところに永遠なんかない。違う、最初からどこにもない。
 沈みながら、何をしに来たのだったかな、と考えた。さっぱり思い出せなかった。記憶をなぞってここまで来たけれど、ひとりでは意味がないのだ。ひとつの椅子にふたりで座るような、ひとつの小瓶にふたりの宝物を詰めるような、ふたつのスプーンでひとつのオムライスを食べるようなことが、できないじゃないか。
 一緒に行こうと言った場所がいくつかあったと思う。言わなかったけど、一緒に行きたいと思った場所もあるんだ。それを思い出したら今度こそ誘うから、そのときはどうか拒絶しないでほしい。
 瞼が重いから、もう眠ろうと思う。下へ下へと緩やかに引っ張られているから、あんまり寝心地は良くない。でも、もうひたすらに眠いから、底に着くまで起きていられないんだ。目が覚めたら、ちゃんと会いに行くよ。
(20170115)

『青緑の夢』

『青緑の夢』 とう子 作

青乃(あおの)と芙緑(ふみどり)というふたりの女の子の話。 思い立ったときに更新していきます。今は四つ。(1月15日更新)

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-01-12
Copyrighted

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