八月の残響【非公開録】

人は神に問う。
『知っているならば、何故救わぬ』と。
神は人に問う。
『分かっているならば、何故崇めぬ』と。

子は父に問う。
『何故、皆の夢から目を背ける』と。
母は子に問う。
『何故、親の愛に気づかぬ』と。

世界構成

世界構成

章スタイル
→過去と今の心象世界と現実世界、玲奈、潤
→松岡視点
→上川視点(電車旅)(過去1年)
→大石と孝大、関根弟視点
→旭視点(茶屋)、夏菜子視点
→岡本、裕翔、上川視点
→町長、町民や家族視点
→真央と赤城視点
→沙織と岡本、劇団員視点
→涼と関根兄視点

構成
一見、のどかで牧歌的に見える世界も、その実態は、安全のためには手段を選ばぬ様々な抑制によって、辛うじて平和が保たれている状態にある。ただし、そういった事実の公知化自体が、人々には多大なストレスとなり社会の不安定化をもたらすため、一般には秘匿情報とされ厳重に管理されている。真実を知るのは町長を含む反花火派の葬儀実行委員会やバックにある伽藍の聖域の僧伽たち、そして花火派の改革復興委員会とそのバックにある仁乃神社の浄階特級神主など、町の中でも一握りの重要人物たちのみである。

注連縄の意味とは
魔物避け
伽藍の聖域とは
かつての歴史を傍観的見地から見ゆる伽藍共に仏へ身を変化した僧たちの住まう場所。
輪廻転成の輪から抜け出ることのできたとされる1000年以上を生きた醜い容姿の僧伽たち。
仁乃神社とは
森羅万象より生まれし八百万の神々のひとりの意志を模倣し埋め込んだ土地。地脈がある。神の名は不明。
人と共に生き、人を知り、人知れず同じ世界に生きている存在。
人影様と同じ扱い。伽藍の聖域とは共存状態を維持している。
天照、あまてる
真希子。天照大神
天御、あまみ
神。天之御中主神


前編(個々の物語から、豪雨の明けまで)
主題歌は秦基博の「デイドリーマー」
いわゆる梅雨の終わりを指す。
主だった人物たち総勢30名ほどが「この町」という大舞台で、ひとつながりの路線に至ってゆくまでの伏線を交えつつの群像劇。
比較的安定した夏に至る前の季節で梅雨という季節をひとつのキーシーズンとして用いられている。
日本の文化を取り込んだ現代風の町中ではあるが、都市部から隔絶した世界であるためその発展は十年以上は遅れている地域もある。
物語構成はそれぞれがこの町に至るまでの物語や、それまでのあった過去を持ってその舞台へ向かう物語や、時間にとらわれないストーリースタイルが主体である。
蛍を見に行ったり風鈴が鳴ったり縁側でそうめんを食べたり夏の風物詩が表現上よく使われる。
非科学的現象に関しては未だ皆無である場合が多い。あくまで言い伝えの範囲内。
個々の過去が重要な鍵となってはいるが、その真意が今尚謎を帯びているため物語が続かない限り理解できない要素も多い。

中編(梅雨終わりから盛夏)
主題歌はクラムボンの「残暑」。途中挿入歌として奥華子の「花火」(過去編の真希子のテーマソングとなる)や「雨上がり」などが使用されるようになっている。
いわゆる初夏から盛夏の物語となっている。
構成要素としては前述の前編とは異なり、個々の人間関係が徐々にひとまとまりに繋げられていく形となる。
副軸として武田の物語が新章として登場するようになるがその時間がいつの事かはまだ明らかにされてはいない。恋をしている存在がいる模様だが誰かはわからない。それと同時に肝試しをしていた裕翔たちの元へも彼女が現れる所から同じ時間の人間と推測される。
本来の主軸は前編と後編であるため、中編に関しては目的から少し離れた第三者の目として描かれた世界観が大きい。
前編を個々の人間性としての物語とするなら、中編はその互いの人間関係が主体となっている為、どこか情感を漂わせている。
真希子の登場以降、それまでの隠された上川の目的が明らかになにり、沙織たちの演劇が行われるなどして着々と何かに進んではいるものの、催し事に関して只ならぬ不安を持つ町の大人たちの姿に子供達は疑念に思い始めるようになる。
前編から継続しているのは、その舞台の過去と彼らが時折不審に思う町ぐるみの言葉などであり、中編の終わりに向かうにつれて、彼らの親たちの過去が明らかになり始める所で終わる。
中編になっては、度々の出現に、人影様の実在も認められている。
裕翔の死んだ兄は万希子と恋し焦がれていた。
関根家と大石家と裕翔家と上川家の過去。
中には沙織のように自身の両親の出世がこの町だったことを知らない例もある。
町長の娘、玲奈は事件以来13年間の昏睡状態にいる。

他登場者

玲奈→頭部外傷による急性硬膜下血腫
旭→茶屋の婆。慢性白血病
松岡→松岡の父。旭の息子
松岡→松岡の母
敷島→旭の旦那
高雄→裕翔の父
利根→裕翔の母
智樹→夏菜子の兄
孝大→夏菜子の弟
夏彦→夏菜子の父
菜々絵→夏菜子の母
上川→上川の父
上川先生→上川の母
関根→関根の父
関根→関根の母
大石→大石の母
大石→大石の父
岡本→岡本の父
岡本→岡本の母
町長→玲奈の父
忍→玲奈の母。町長の妻
刑事→涼の父
後輩→赤城


真希子→時代を経ても容姿を変えず生きる女子高生。呑気で間の抜けた面も多いが、人知れず見せない顔を併せ持つ。苗字が天照(あまてる)といい、おそらく天照大神当人であると思われる。日本国の総氏神の中の最高神に位置するも、直に人と関わり持ち、人にしかない心や意志を知るために町へ人の姿をして現れていた。が、人としての心を持ったことで、本心から男に恋をすることもあった。

ジン→真希子に尊敬される一方で危険視される唯一無二の存在。その正体は人影様であり、真希子の意見を聞く一方で、世界の片鱗を握るその力を見守るためこの町にやって来ていたすべての神の頂点に立つ世界そのものが己である天之御中主神そのものであった。

蘭夢(別名を大和)→金柴興業や皇道会など、近辺のヤクザや不良たちの頂点に立つ女。一般の高校生でもあったりする。冬月に若者たちを担わせ、組員たちは皇道会会長の長門や副代の日向、そして金柴興業やその他諸々の組合を仕切る武蔵に任せている。が、いざとなれば前衛に立つ強者。真希子に尊敬心がある?

長門→皇道会第32代会長。皇道会の表の顔として働く陸奥という妹と、副代として横に立つ日向とともにこの町随一のヤクザとして万栄を誇っている男。金柴興業やその他諸々の組合、そしてそれを仕切る武蔵とは協定関係にあるが、実質の最高権力を握っているのは長門だ。当人は武闘派という肩書きであるが、皇道会の本質は町を守ることであり影の穏健派とも称される。だが、ヤマのカタギに手を出す他の勢力には容赦はしない。日向とは一家代々の仲であるが、当代は互いの利権を争っている節が見当たられる。

武蔵→金柴興業の7代目組長であり皇道会を超える武闘派きっての男である。当興業は一時期は皇道会を抑え、他の諸々を従えたヤクザであったが、その本質が『知よりも闘』であるため内部分裂の激しい世界であり、裏をかかれた当時の皇道会によってあっけなく覇権を握り返された。今では金柴興業以外の組合とも手を結び、それらの代表として皇道会と協定関係にある。だが、世は乱世と歌う時の若人がたむろするこの町では、その中心に立つ冬月という若者とも手を握らなければいけない傾向であり、豪語して名乗りを上げられるほどの力を持ってはいない。だが、地元民との繋がりが強く、町の予算にも一役買っているようだ。故に更に上の部分で他の都市にもナワバリを持つ皇道会からしてみれば、決して手放せない存在ともなっている。以上のパワーバランスがこの町の暗躍をうまく支えていると言える。

綾音→
玲奈→町長の娘
沙莉→松岡の親友。芸能界から逃げたくて来た松岡を探して町へやってくる。
国仲→診療所の看護婦さん。
永野芽郁→町役場職員の娘
悦子→孝大の担任。大学を出たての美人。
潤→裕翔の実兄。裕翔に好かれていたが、親たちの仲を取り戻すために当時の町中の住人に呼びかけようやくその証である花火を打ち上げようとしたところ、反対派からの強襲にあい瀕死状態になる。そこへ付き添いでいた恋人である真希子と、追いかけて守りに来た裕翔と上川と玲奈。潤は早打で筒から打ち出すつもりだった打ち上げ花火(10号)に点火装置が強襲にきた連中らの誤りによってついてしまう。必死にその巨大な花火を持ち運んで筒に入れこもうとするが、筒の中は反対派の連中によって埋められていた。1秒の世界で全てを悟った潤は逃げ出す連中を放って真希子と上川と裕翔の上に覆いかぶさり、3人を守って爆撃が直撃し、即死する。3人はなんとか死なずに済むも、裕翔は心と頭に受けたショックで、兄の存在を忘れてしまう。


後編(真夏から夏の終わりまで)
主題歌は山崎まさよしの「花火」。挿入歌としてflumpoolの「君に届け」やradwimpsの「スパークル」などが使用される。その他としてsuperflyの「輝く月のように」。家入レオの「僕たちの未来」。
これまでひた隠しにされてきた大人たちの過去が暴かれるようになっていく事から町は物言わぬ混沌を生むようになっている。
親が、町の大人たちが、この町の町長が子供達に教えなかった、教えてはならない禁忌。
子供には言えるはずもなかった真実。
だからみんな嘘をついていた。
揺れる感情。この町に13年ものあいだ祭りが、花火が打たれなかった理由。
生まれた場所が違うだけで起きたいさかい。
悲劇により支配されたたたり年の夏。
バラバラになっていた若者たちの記憶の断片が今ひとつになっていく。
エンディングは和楽器バンドの「郷愁の空」がエンドロールへ移りながら終わりを迎える。

神と仏と祖

『真』

・天照 真希子という天照大神
・天御 ジンという天之御中主神
・この町は真希子によって書き記されている
・真希子というイレギュラーを見守るジン
・子供達から記憶を奪うことで彼らを守った町民と葬儀実行委員会と伽藍の僧侶の偽悪
・伽藍の聖域に生きる僧侶は数少なく、それらを模倣して町の人々は子供達から記憶を奪った
・伽藍の聖域に潜み生きる僧侶は上人様と称され、古の時代より大僧正として人の域を超えた時間を生き続け、人類を見守り、万世を悟っている。が、かつて邪道になろうとも子供達を守った大人たちを認め、また彼らに立ち向かう若者たちの意志を『優しく猛猛しい夏の風』と呼んでいる。かつての歴史を傍観的見地から見ゆる伽藍共に仏へ身を変化した僧たちの住まう場所。輪廻転成の輪から抜け出ることのできたとされる1000年以上を生きた醜い容姿の僧伽たちを上人様と呼ぶ。
・仁乃神社は代々に渡り姿形を変えてこの町の民衆の信仰の拠り所となっている神社。伽藍の聖域とは違い、より人々の身近な存在であるため、その存在は長い間親しまれ続けている。仁乃山という広大な山を登山道から少しだけ登ったところに位置する。不定期ではあるが、時折改革復興委員会から派遣される浄階特級神主がいたりする。森羅万象より生まれし八百万の神々のひとりの意志を模倣し埋め込んだ土地。地脈がある。神の名は不明であるが、実際には、天照大神である真希子のことである。
・人影様とは?ジン。天之御中主神
・手を振る少女とは?夢を見る玲奈。融合夢
・真希子とは?総氏神を統べる天照大神
・正四尺玉とは?世界一巨大な日本花火
・上人様とは?伽藍の聖域に住まう仏

・仁乃神社が町内にあり、伽藍の聖域が町外れにある理由は、実質的には元から神人の子孫たちが作り上げた町だからという点が最も大きく影響している。仏教に対しての反発感は無きにしも非ず、かといっていざとなればそれすらも利用とする人間の傲慢極まりない在り方を示唆している。ちなみに、聖域とは本来神道で使われる言葉であり、仏教世界を神道の配下として扱った前時代の人間がつけたのが、今に言われる伽藍の聖域と呼ばれるものへとなっていったと言われている。
・京丸という町だと最後にわかる。
・侮蔑的な意味を込めて町内では相手を「犬神人」と呼ぶ時がある。これは彼ら神人たちにとっての下級神官に向けた差別的な意味合いがある。
・伽藍の聖域にも神人同様の寺職を持つ僧兵が存在する。
・神人も僧兵も、共に神道と仏教の下級神官としての武装教団を意味している。物語背景において現代では険悪的な仲ではないが、遠い昔に対立したような意味にもとれる言葉を真希子やジンが話している。
・神道用語「浄(きよ)く明るく正しく直(すぐ)き心」
・逢魔時とは夕方の薄暗い頃合いを指し、神道用語で言う普遍的世界たる人間の現世と神祀られたる常世の境目がなくなる黄昏時を意味している。そこにいるはずのない玲奈が手を振っているのは、いつも黄昏時であることから、彼女自身が既に人間としての位置に立っていないことが分かる。
・仁乃の神籬(ひもろぎ)とは、神が隠れ住む森や木々、または神域や常世との端境。現在では神社神道における儀式としての神の依り代となる枝葉のことを指し、仁乃山も同様の性質があることを意味する。
・登場人物たちの前でいつものようにのんびりしている狐は真希子の御霊代。
・神道の神々には荒御魂と和御魂のふたつの側面を持つ。

『思想』

・神代文字を読み取れる仁乃神社の浄階特級神主一族は、真希子の存在を全史に渡って秘匿し続けている。
・真希子が天照大神であり、真希子ですら数万年に一度しか出会うことのないジンという存在(天之御中主神=テトラグラマトンで訳されるYHWHの意)などが、人間としての姿(尊)をして人間の生きる大地に共に立っていることは、遥か遠い昔に共存を危険視した伽藍の硬派僧侶らによって、人類のすべての時間記憶から神という存在を抜き取られている(ここでは、伽藍から派生した真言密教の教祖たる大日如来が現れたことにより、人類の記憶から改ざんが加えられ、真希子の神名たる天照大神が自己と習合されるよう意識を付け加えたと言われている=これがのちの神仏習合へと繋がる)。
・仏教(密教含む)や神教(神道)と違って、儒教の孔子や陰陽道の八将神たちのように干渉せず仁義を説いて人間の心中に宿る神々も存在する。物語の書き手は真希子の心中と思われるが、ここにおいては儒教、道教、陰陽道共に関与はない。
・物語背景では、それぞれが人の姿をして現れる場面はあるもそれを証明する人間的根拠は事実上存在しえない。故に彼らが話したことを知っているのは真希子や釈迦を含む仏や神々や教祖ら当人たちのみである。宗教観における抗争が無いわけでもない情勢だが、唯一敗北を喫するのは陰陽道のみであった。人の心に佇む彼らは本来の姿である道教の太極図によって取り込み返ってゆく(花火を打ち上げることを運命路という方角から方位神の呪縛を解き放って断ち切った町民たちの意識根源体によって必ずしも人間の方角が一通りではないことを再び思い知らされる)
・八月の残響ではドラマ性が『万感の打ち上げ花火』に対し、ワールド性では『惟神(かんながら)の道』が説かれている。

『人の姿をした神と仏と祖』

・ジン様
〈天之御中主神〉〈YHWH〉
神道(神教)においてだけてはなく、本来の姿である、純神道や原始神道などにおいても上を持たぬ唯一の造化三神のなかで究極神にして最高位に立つ存在。

八月の残響【非公開録】

ただの小さな田舎町に生まれたささいな傷はいつしか多くの人間と神を巻き込んで、消えぬ心の穴を生んだ。
それは、もはや癒えぬはずだった傷口から目を背けた大人たちと、それによって守られた子供たちの人間ドラマ。
そして、人と神とがいずれ知ることになるであろう現世の真実に近づく先駆けとなった、人知れぬ言い伝え。
そう、これこそが、本当の福音なのである。

八月の残響【非公開録】

一見、のどかで牧歌的に見える世界も、その実態は、安全のためには手段を選ばぬ様々な抑制によって、辛うじて平和が保たれている状態にある。ただし、そういった事実の公知化自体が、人々には多大なストレスとなり社会の不安定化をもたらすため、一般には秘匿情報とされ厳重な管理が敷かれていた。 ここでは様々な歴史を通して繰り返されてきた人間の贖罪と、名も知れぬ広大な田舎町を舞台に展開された神と人の物語に隠された物語背景を紆余曲折しながらも彼らが導いていった答えを基に解いていこうと思う。

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-05

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  1. 世界構成
  2. 神と仏と祖