マトレイ

マトレイ

第序話 憑

 ”拝啓、単身赴任の父へ。
 今、僕の目の前に半透明で球体に近い幽霊が助けを求めてきています。死んでいるはずの幽霊が殺されると訳のわからないこと言っています。どうすればいいか助言ください”
『おいおい、そんな手紙を書く暇あるなら、俺を助けてくれ』
 便箋上に丸い幽霊が乗ってきた。幽体なのに机に乗っていることが不思議だったが、今はそれを指摘する場面ではない気がした。
「・・・」
 関わりたくないので、見えない振りをした。
『おい、シカトすんなよ。見えてんだろう』
 幽霊は威圧的な態度で、僕の視線にいちいち入ってきた。やはり最初に反応したことが、仇となってしまったようだ。
「貴方は、死んでます」
 僕はそれだけ言って、手紙の続きを書こうとした。
『幽霊として生きてるだろう!』
「意味がわかりません」
 僕からすれば、幽霊は生きてるとは言えないと思った。
『頼むよ~、このままじゃあ、殺されちまうんだよ~』
「だから、死んでますって」
『同じこと云わすんじゃね~よ』
「なら、同じこと言わせないでください」
 僕は溜息をつきながら、手紙の続きを書き始めた。
『頼むって、助けてくれよ~』
 幽霊は悲しそうに、机の上で飛び跳ねていた。それを見て、この現象を科学で説明できないだろうかと考えてしまった。
「助けられません」
 しかし、その指摘もまた今は的外れなので、突き放すように断った。
『って、せめて一考ぐらいしろよ!』
「有体と幽体では、相容れることはありません。というか、歪です」
『おまえは、人に対して優しさがないぞ!』
「幽霊を人と思ったことはありません」
『かつて、人として生きてたんだから、人だろう』
「死んでるじゃないですか」
 結局、死んでることは自覚しているようだった。
『肉体は死んでるけど、こうして意思は残ってるだろう』
「なら、同類に助けを求めたらいいでしょう」
 正直、知り合いでもない幽霊を助けたいとは思わなかった。
『今はそんな余裕はないんだよ』
「じゃあ、諦めて死んでください」
『おまえには血も涙もないのか!』
「ありますよ。貴方と違って」
『嫌みか!』
「事実を言ってるだけです」
 思ったことを言っているだけで、別に嫌みで言ったわけではなかった。
「とにかく邪魔なので、どっか行ってください」
 僕は手紙を書こうと、ボールペンを握った。
『頼むよ~、助けてくれって』
 しかし、幽霊は懇願するように、便箋の上を飛び跳ねた。僕はそれを無視して、父親への手紙の続きを書き始めた。
 ”あと、お母さんと妹は相変わらずです。そっちはどうですか?高校を卒業したら、ここを出ようと思います。お父さんの所に住もうと考えていますが、大丈夫でしょうか。返事待ってます。敬具”
 元々、これを書くつもりだったのだが、目の前の幽霊のせいで、本末転倒のような手紙になってしまった。
『無視すんなって!』
 幽霊は、僕の目の間で注意を引くように飛び跳ねていた。
「うるさいです」
 幽霊を叩き潰そうと握り拳を振り下ろしたが、すり抜けるだけだった。やはり、実態のない幽霊には触れなかった。
「もう話しかけないでください」
『助けてくれって』
「リピートさせないでください」
 僕はうんざりしながら、封筒に便箋を入れた。時計を見ると、既に10時を回っていた。
『死にそうな人を前に、それはないだろう』
「・・・」
 同じことは言いたくなかったので、無言で相手を睨んだ。
「じゃあ、どうすれば貴方を助けられるんですか」
『助けてくれるのか!』
「耳障りですから、助けてあげることもやぶさかではないですよ」
『なんだその微妙な言い回しは?』
「不本意なんですから、微妙にもなりますよ」
『返しにいちいち棘があるな』
「貴方の態度に苛ついてるんですよ」
 封筒を鞄に入れ、明日登校時に出すことにした。
「で、どう助ければいいですか」
『憑依させてくれ』
「死んでください」
 方法を聞いた瞬間、助けることを諦めた。乗っ取られるなんて、考えるだけでもゾッとした。
『って、即答かよっ!』
「当たり前です。なぜ死んだ貴方に、僕の体を差し出さなければならないんですか?」
『それは勘違いだ。憑依といっても、乗っ取るわけじゃない。ただ肉体を間借りするだけだ』
「肉体の共有なんて気色悪いですね~」
『俺だって憑依するなら、女の方が嬉しいよ。だが、今は緊急避難させてくれるだけでいいんだ』
「それなら、そこら辺を歩いてる人でもいいでしょう」
『憑依は、相手の同意がないと無理なんだよ』
「へ~、それは初耳ですね」
 全くもって関心がないので、棒読みで相槌を打った。
『だから一時的でいいんだ。憑依させてくれ』
「・・・はぁ~」
 時計を見ると、もう寝る時間を過ぎていた。
「ある程度回復したら、出ていってくれます?」
 このままでは安眠を妨害されそうなので、不本意ながら受け入れることにした。
『ああ、約束する』
「わかりました。憑依を許可します」
『じゃあ、お前の名前を教えてくれ』
「笹井余喜」
『ササイヨキだな』
 幽霊が復唱すると、変な光を微弱に発光してから、僕の心臓部分に入ってきた。
『助かったよ』
 すると、頭の中から幽霊の思念が入ってきた。
「大人しくしててくださいね」
『ああ』
 その直後、目の前の窓から、全身黒いもやの鎧武者の亡霊が部屋に入ってきた。しかも、顔にもやがかかって表情が見えず、不気味さをかもし出していた。
 これには敢えて反応せずに、明日の準備を始めた。それに亡霊が首を傾げながら、部屋のドアをすり抜けていった。
「追われているのって、あれですか?」
『ああ、危なかった』
 幽霊の安堵の気持ちが、僕に伝わってきた。
「じゃあ、僕は寝るので」
『俺も疲れたから休むよ』
 幽霊でも疲れるなんてあるのかと思ったが、今は睡魔に襲われているので、さっさと寝ることにした。
「そういえば、名前教えてくれませんか?」
『ああ、名乗ってなかったな。タケだ。よろしくな』
 こうして、僕と幽霊との共同生活が始まるのだった。

第一話 乱

 朝、目が覚めると、カーテンの隙間から日差しが差し込んでいた。
『おはよう』
 突然、頭に男の声が頭に響いてきた。これには驚いて周りを見回した。
『どうかしたか?』
「あ~、昨日のは夢じゃないんですね」
 昨日の出来事を思い出しながら、憑依された現実を受け止めた。
「で、どれぐらいで出ていけそうですか」
『そうだな~、だいだい1ヶ月ぐらいってところかな』
「まあ、なんとか耐えれそうですね、お互いに」
『ああ、そうだな』
 タケも同じ思いなようで、僕と同調するように応えた。
「じゃあ、部屋以外では黙っててくださいね」
 時間もあまりないので、さっさと起きることにした。
『え~、暇じゃん』
「知りませんよ、そんなこと」
 助けてもらった癖に、えらく自己主張する幽霊だった。
 僕は、制服に手早く着替えて部屋を出た。
「おはよう」
 部屋からダイニングに行くと、母が微笑みながら、僕に挨拶してきた。母はソバージュの髪を後ろで束ね、パジャマにエプロン姿だった。どうやら、起きた時間ギリギリだったようだ。これは週に何回かあることだった。
「おはようございます」
 僕が母を見ると、タケからほんの一瞬強い緊張が伝わってきた。
「加奈は先に行ったわよ」
 特に聞いてもいなかったが、母が先にそう言ってきた。
「そうですか」
 僕はそう答えて、用意されている朝食の前に座った。妹とはここ数年、関係がぎくしゃくしているので、いないのは正直助かることだった。
「いつもありがとうございます」
「ふふっ、どういたしまして」
 いつもの感謝の言葉に、母は嬉しそうに笑顔で返してきた。この謝意は、僕にとってはいただきますと同じだった。
「余喜」
 食事を終えると、母が少し怪訝な顔で僕を呼んだ。
「なんですか?」
 僕は素で母に応じたが、タケから再び緊張が伝わってきた。
「・・・なんでもないわ」
 何かを言おうとしたようだが、諦めるように僕から視線を逸らした。
 いつもの時間に家を出ると、タケから安堵の感情が伝わってきた。
『おまえの母親って・・・』
「え、なんですか?」
『・・・いや、やっぱりなんでもねぇ~』
 タケは、さっきの母のように言葉を呑んだ。
「なんなんですか」
 このじれったさに、少し不満を覚えた。
『いや、母親にいつもあんなこと言ってるのかと思ってな』
「なんの話ですか?」
『ほら、お礼云ってただろう』
 どうやら、食事のことを云っているみたいだった。
「普通でしょう」
『まあ、そうだけどさ~』
「やってもらったことに、感謝は普通だと思いますが」
『・・・うむ、その心掛けは素晴らしいな』
 タケが感銘を受けたように、僕を称賛した。
『ところで、おまえ好きな人とかいるのか?』
「うるさいですね。部屋以外では黙っててください」
『硬いな~、気さくにいこうぜ』
「そっちは良いかもしれませんが、こっちは傍迷惑でしかありませんよ。少しは僕の立場でものを言ってください」
 僕は周囲を気にしながら、自分の声が聞こえていないかを確かめた。
『む、それはすまない』
 自分の迷惑行為に気づいてくれたようで、タケはそれ以降話しかけてはこなかった。
 学校の近くのポストに手紙を入れ、学校の校門を潜った。
「や、おはよう」
 教室に入ると、クラスメイトの岸谷阿久が挨拶してきた。彼は、黒髪をセンターで分けていて、平たい顔に眼鏡を掛けていた。見たままの優等生だった。
「昨日のテストは散々だったね」
 そして、嫌みな人だった。
「そうですね、教えてもらったのに申し訳ないです」
 僕は成績が悪く、彼に教えてもらったが、あまり成果は出ていなかった。
「しょうがないさ。人には向き不向きがあるからね」
「確かにそうですね。僕には勉学は向いてないかもしれませんね」
「ぼくが教えてもそうなるなら、本当に不向きなのかもしれないね」
 岸谷は嫌らしい笑みを浮かべて、自分の席に戻っていった。
『なんだ?あいつ?』
 突然、タケが苛立ちの感情で、不満な気持ちを伝えてきた。どうやら、憑依されて心が共有してしまっているようだ。
「相変わらず、嫌みな奴ね」
 それを見ていた川瀬千沙が話しかけてきた。彼女は去年から同じクラスで、良く勉強を教えてもらっている友達だった。
「あんなこと言われて、よく平然としてられるわね」
 川瀬は後ろ髪のツインテールを揺らしながら、僕の方を見た。目は少し垂れ目で、性格は少し毒舌で感情的な人だった。
「性分ですから、仕方ないんじゃないんですか?」
 僕は特に気にしていないので、いつものように返しておいた。
「相変わらず、優しいんだね」
 川瀬は諦めたように、僕から視線を外した。寛容と優しいは少し違う気がしたが、ここは敢えて言わなかった。
 HRが始まり、担任の西木教諭が連絡事項をして、教室から出ていった。
 午前の授業が一通り終わる頃には、僕は疲れ切って机にひれ伏していた。理由は、タケだった。一教科ごとに僕に訊いてきて、その度に極少の声で説明させられてしまった。おかげで、書写が半分もできなかった。
「どうかしたの?」
 隣の席の川瀬が僕を見て、不思議そうに聞いてきた。
「なんでもありません」
 僕はそれだけ言って、机からゆっくり起き上がった。
『いや~、実に興味深かった』
 その反面で、タケの爽快の気分が伝わってきた。
「・・・」
 僕は声では返さず、不愉快な気分をタケに伝えた。
「ホント、どうしたの?」
 僕の表情の変化を見たのか、川瀬が心配そうに声を掛けてきた。
「だ、大丈夫ですよ」
「そ、そう」
 川瀬が訝しげな顔で、身を引いた。
「わざわざ気遣ってくれて、ありがとうございます」
 一応、心配してくれたので、表情を緩めてお礼を言っておいた。
「え、あ、うん。どういたしまして」
 川瀬は戸惑いながら、僕に返礼をした。
「そういう普通のことにお礼を言うって、やめた方がいいんじゃない?」
 そして、弁当箱を取り出しながら、僕にそう指摘してきた。
「いえ、普通でも感謝は必要ですよ」
 僕としては、してもらったことにはお礼を言わないと気が済まなかった。
「余喜がそう思ってるならいいけどさ~」
 川瀬はそう言って、弁当を食べ始めた。僕もそれに倣って、母に作ってもらった弁当箱を鞄から取り出した。
 弁当箱を広げたところで、隣のクラスの鈴方正昭が自分の食べる惣菜パンと、三つの飲み物を手提げ袋に入れて持ってきた。彼のクラスの正面に自販機があるので、いつも彼が買ってきてくれていた。
「って、もう食べてるのかよ」
 鈴方は耳まであるストレートな髪に馬顔で、少し堀が深い顔をしていた。ちなみに、鈴方は川瀬の幼馴染でもあった。
「いつもありがとうございます」
 僕は、いつものように鈴方にお礼を言った。
「って、ちょっと遅くない?」
 僕のお礼をよそに、川瀬は少し愚痴っぽく毒づいた。
「ちょっとだったら、許容してくれ」
 鈴方がそれをさらっと流しながら、飲み物を机に置いてから川瀬の前に座った。
「はい、飲み物代」
 僕は、用意していたお金を鈴方に渡した。
「おう」
 鈴方はそれを受け取って、僕に飲み物を渡してきた。
「ほれ、千沙も」
 そして、川瀬にもお金を要求した。
「はいはい」
 川瀬は机から小銭を取り出して、鈴方に渡した。どうやら、川瀬もお金を用意していたようだ。
 いつもの三人で食事をして、午後の授業に入った。
「もうしゃべらないでくださいね」
 念の為、タケにそう注意したが、その甲斐もなくちょっかいを掛けてきた。
「つ、疲れた」
 なんとか授業が終わるまでタケを抑え込だが、疲労感が半端ではなかった。
「なんでそんなに疲れてるのよ」
「なんでもないです」
「そんな声で言われたら、余計心配なんだけど」
「すみません。慣れないことに悪戦苦闘しました」
「え?授業が?」
「いえ、こっちの話です」
 言っても信じてくれそうにないので、ここで話を切っておいた。
 この後、各クラスの班に分かれての掃除だった。僕としては、この掃除は楽しみでもあった。
 掃除をする為に教室を出て、校舎周りの掃き掃除に向かった。この場所は広範囲なので、隣のクラスの班と一緒に掃除をすることになっていた。
「揃ったところで、とっとと終わらすか」
 班のリーダーがそう指示して、掃除が始まった。そこから左回りと右回りに分かれて、僕と数人が右回りで落ち葉と砂利を掃いていった。
『なんか楽しそうだな』
 僕の感情の変化に気づいたようで、僕にそう訊いてきた。
「うるさいです」
 これには煩わしい感情を込めて返した。
『なるほど、好きな奴がいるのか』
「黙っててください」
『いいじゃん。好きになるのは自然なことだし。で、誰なんだ?』
「勘ぐらなくていいです」
 僕は恥ずかしくて、下を向いたまま落ち葉を掃いた。
『おまえ、内気なのか』
「うるさいです」
 僕は小声で、タケに怒りをぶつけた。
「どうかした?」
 突然、掃除をしている僕に、楠原百華が話しかけてきた。
「え、な、なんですか?」
 予想外なことに、僕は動揺した。彼女は上げポニーテールで、少しシュッとした顔だった。
『かなり大人びた女だな。こういうのがタイプなのか』
 僕の感情の変化を読み取って、ずばり云い当ててきた。
「なんか今日は元気ないみたいだけど」
「き、気のせいですよ」
 僕は、恥ずかしさと戸惑いで声が変になってしまった。
「そ、そう?」
 百華は不思議そうな顔をして、僕から離れた。タケのせいで変な目で見られてしまった。
『おいおい、これだけで傷つくなよ』
「うるさいです」
 僕は憔悴した声で、タケに文句を言った。過去の失恋のトラウマで、恋愛にだけは人一倍傷つきやすい性質になっていた。
『悪かったって』
 掃除を終え、教室に戻る間、タケが落ち込んでいる僕を慰めてきた。
「もう・・黙っててください」
 席についた僕は、泣きそうな声で言った。
『おまえ、脆すぎ』
 それにタケが、呆れた感情を僕に送ってきた。
「だ、大丈夫?」
 隣の席の川瀬が心配そうに、僕を気遣ってきた。
「僕は、もうダメです」
「え、な、何が?」
「楠原さんに変な声で返事をしてしまいまして」
「あ、そう」
 川瀬には小さなことのようで、反応が少し引いた感じだった。
「う~ん、もう百華は諦めたら」
「へ?何言ってるんですか」
 川瀬の言葉は、僕が楠原を好きなのを知っているような感じだった。
「余喜は、わかりやすいのよ」
 その返しは、完全にばれていることを告げていた。
「みんなには内緒にしてください」
「え、うん。わかった」
「すみません、気を使わせてしまって」
「う、ううん、気にしないで」
 川瀬が困った顔で、片手を少し前に出して左右に振った。
 HRを終え、僕は悄然として鞄を持って席を立った。
「え、部活は?」
「休みます」
 今日は気分的に休みたかった。
「そ、そう」
 川瀬はそう言って、寂しそうに僕を見た。 
『もう元気出せよ』
 下校中、タケが気遣いの言葉を掛けてきた。
「ほっといてください」
『はぁ~』
 これにはタケが、呆れた感情を垂れ流した。
 自宅の玄関を開けると、制服姿の妹とばったり遭遇してしまった。妹は長い艶やかな黒髪に丸顔で、僕とは正反対の優等生だった。
「っ!」
 昔と違い、僕に対して嫌な顔をしてから洗面台に入っていった。妹は僕と同じ高校で、二つ下の1年生だった。
「はぁ~」
 僕は緊張が解けて、溜息が漏れた。
『超可愛いな』
 タケが妹を見て、そんな感想を伝えてきた。
『何あれ。おまえ、めっちゃ可愛い妹と同棲してるのか』
「妹ですから、当然でしょう」
 同棲というより家族なのだが、完全に間違いでもないので言わないことにした。
『超絶に羨ましいな!』
「黙っててください」
 最近、妹と一緒にいるだけで息苦しくなるので、できる限り避けていた。それは妹も同じだった。
 僕は、そそくさと自分の部屋に避難した。
「はぁ~、疲れた」
 憑依されただけで、こんなに疲れるとは予想外だった。
「もう出ていってくれませんか」
 僕は、泣きそうな声で懇願した。
『まだ1日だぞ』
「もう無理です、勘弁してください」
『・・・わりぃ~が無理』
 僕の悲痛さを感じとってくれたようで、居た堪れない感情が伝わってきた。
 数分後、気持ちを入れ替えて宿題を始めた。
『ようやく切り替えてくれたか』
 これに安心したのか、タケの安堵の感情が伝わってきた。
「もう今日のことは忘れますから、思い出させないでください」
『わ、わかった』
 タケの承諾を得たところで、真面目に宿題に集中した。
『一つ訊きたいんだが、おまえって頭悪いのか?』
「聞きにくいこと普通に聞くんですね」
『どうなんだ?』
「優秀ではないですね」
 実際、成績は下の方だった。
「僕は理解力が遅いですから、理解した頃にはテストが終わった後なんです」
『理解するまで何ヶ月掛かるんだ?』
「平均で3ヶ月ってところですかね」
『そりゃあ、成績も悪くなるな』
「できる限り、予習と復習は頑張ってますけど、時間が足りません」
『ん?でも、部活してるんだろう』
「あ、ええ。部活といっても、川瀬さん達に教えてもらっているだけですよ」
『誰だ?』
「僕の隣の席の人ですよ」
『ああ、おまえに気がある女か』
「気がある?」
『あー、今のは忘れてくれ』
「なんですか、それ?」
『気にすんな。で、部活は何部なんだ?』
「文化部ですよ」
『何するところなんだ?』
「僕の勉強の場です」
『部員は?』
「僕と川瀬さんと鈴方君、あとは幽霊部員で桑田君に楠原さんですね」
『川瀬以外、誰かわからんな』
「鈴方君は、お昼に一緒にいた人ですよ」
『ああ、あいつか』
「あと、桑田君と楠原さんは名前を貸してくれた人です」
『楠原って、おまえが好きな奴か?』
「いちいち言わなくていいですよ」
『じゃあ、桑田はあの嫌み野郎なのか』
「え?もしかして、岸谷君のことですか?」
『ああ、あいつは桑田じゃないのか?』
「違いますよ。岸谷君は僕に勉強を教えてくれただけで、部員ではないですよ」
『ふうん。おまえの周りって普通なんだな』
「・・・そうですね」
 これはタケの感想なので、僕からは敢えて言うのはやめておいた。
『そういえば、妹とは仲悪いのか?』
 さっきの僕の感情を読み取ったようで、少し声に遠慮が感じられた。
「まあ、あちらが嫌ってる感じですね」
『なんかしたのか?』
「思春期ですからね。僕を避けたいんでしょう」
『まあ、兄妹はそんなもんか』
「加奈さんは優等生ですから、成績の悪い僕と兄妹だと思われたくないのかもしれません」
 正直、原因は思い当たらないので、憶測で適当に言ってみた。
「そろそろ勉強してもいいですか?」
『ああ、悪い』
 しばらく勉強していると、玄関からドアの音がした。僕は、勉強を中断して椅子から立ち上がった。
『どこ行くんだ?』
「お母さんが帰ってきたみたいですから、夕飯の準備を手伝うんですよ」
『変わってんな』
「普通ですよ」
 部屋を出て、玄関まで母を迎えにいった。
「おかえり、お母さん」
「あ、ただいま」
「これ持っていきますね」
「うん、ありがとう」
 僕は、玄関に置いてあるレジ袋を持って、ダイニングまで運んだ。
 その後、いつもように母を手伝った。
『妹は、手伝わないんだな』
 夕食が出来上がり、母が妹を呼びに行ったところで、タケが僕にそんなことを云った。
「三人もいたら、邪魔ですから」
『まあ、そう云われるとそうだな』
 これに納得すると、妹が来て三人で食事になった。
『やっぱ、めっちゃ可愛いな』
 食事中、タケが母の隣の妹を絶賛していた。
 息苦しい食事を終え、皿洗いは妹に任せ、僕は勉強の続きを始めた。
『ホントに妹と仲悪いんだな』
「そうですね。基本会話はないですね」
 実際、食事中は直接的な会話はなかった。
『もったいねぇ~な~、仲直りしとけよ』
「喧嘩はしてないので無理です」
『それは残念だな』
 本気で残念なようで、その気持ちだけが伝わってきた。
「タケは、加奈さんがタイプなんですね」
『そうだな。美人より可愛い方が好みだな』
「僕とは相容れないですね」
 確かに妹は可愛いと思うが、嫌われるようになってからは怖いイメージしか持てなかった。
 次の日の朝、僕は自分の声で起こされた。
「どういうことですか?」
 僕は不思議に思い、タケに聞いてみた。
『憑依は、他人との身体の共有だからな。力が戻ってくると、おまえの体を自由に動かせるようになる』
「・・・なんでそれを言ってくれなかったんですか」
『それ云ったら、絶対憑依させてくれなかっただろう』
 確かに、あの場でそんなことを云われたら、絶対に憑依は断っていた。
「お願いですから、力が戻ったら出ていってくださいよ」
『わかってるよ』
 そこだけはわきまえてくれているようだで、当たり前のように返してきた。
 時間を見ると、まだ6時だった。
「早い時間に起こさないでくれませんか」
『悪い、力が戻ってるか確認したくてな』
「なら、声ではなく、指とかにしてください」
『いろいろ試したら声しか出なかったんだよ』
「そうですか」
 二度寝は諦めて体を起こした。
 ひとまず顔を洗いに部屋を出ると、斜め隣の部屋から妹が出てきた。彼女は寝間着姿で、髪は寝癖がついたままだった。
「なっ!」
 妹が驚いたように声を上げ、勢いよく部屋に逃げ込んでいった。
「なんですか、あれ?」
 いつもと違う反応に、思わずタケに投げかけていた。
『恥ずかしかったんだろう』
 恥ずかしがる意味はわからなかったが、洗面所へ向かった。
 洗面台で顔を洗い終わると、母が洗面所に入ってきた。
「あれ、今日は早いわね」
「あ、お母さん。おはようございます」
「うん。おはよう」
 母は眠そうな顔で、挨拶を返してきた。
「朝食とお弁当作り手伝えますけど、手伝いますか?」
「え?んっと、夕食だけでいいよ」
「そう・・ですか?」
 母の動揺を不思議に思いながら、部屋に戻った。
『早く起きたのに、勉強するのか?』
 僕が教科書を開くと、タケが呆れたように云ってきた。
「どうせやることもないですし、時間まで勉強しておきます」
『おまえには、娯楽とかないのかよ』
「もう高校3年です。そんな暇なんてありませんよ」
『受験生ってやつか。学生は面倒臭ぇな~』
「そういえば、タケっていつの時代を生きてたんですか?」
『なんだ唐突に?』
「いえ、なんとなく気になったので」
『時代って云われてもわかんねぇな。時代なんて未来の人間が決めることで、その時代を生きた人間には関係ないし』
「ってことは、明治時代以降の人かもしれませんね」
『歴史に興味はねぇ~な』
「あ、そうですか」
 そう言われては、もう聞くことはできなかった。
「そういえば、今まで聞くの忘れたんですが、一昨日の鎧武者は誰なんですか?」
『天敵だ!』
「そうですか」
 名前を聞いたのだが、それは答えてくれなかった。

第二話 雑

 登校途中、偶然にも川瀬と鈴方に出会った。
「よう、昨日は大丈夫だったか?」
 鈴方が挨拶がてら、僕を心配してきた。どうやら、部活を休んだことが気になったようだ。
「大丈夫ですよ、ちょっと予想外なことがありまして・・・」
 思い出したくないことを思い出して、声がどんどん小さくなってしまった。
「あ~、そうか」
「馬鹿、思い出させないでよ」
「あー、悪い」
 川瀬の指摘に、鈴方が困ったように頬を掻いた。
「あ、すみません。気を使わせてしまって」
 二人の雰囲気を察して、僕は申し訳なく謝った。
「いや、謝る必要はないんだが」
「そうよ。気にする必要ないわ」
 川瀬は、親切にも僕に気を使ってくれた。   
「今日は部活行けるの?」
「え、ええ。たぶん」
 タケが何もしないとは言い切れないので、その返ししかできなかった。
 鈴方と別れ、川瀬と二人で教室に入った。
「おはよう、笹井君」
「あ、おはようございます」
 岸谷が挨拶してきたので、反射的に挨拶で返した。川瀬の方は、無視するように岸谷の席を素通りした。
「もうあいつと関わらなくてもいいじゃない?」
 席につくと、川瀬が僕にそう言ってきた。
「え?なんでですか?」
「だって、あいつ嫌な奴じゃん」
「まあ、そうかもしれませんね。でも、クラスメイトを邪険にするのは、良くないと思います」
「余喜は、優し過ぎよ」
「そうですか?」
「はぁ~、とにかくもう岸谷には頼まなくていいから」
「そうですね。教えてもらいましたが、成果はありませんでしたからね~。すみません、僕が頭悪いせいで」
「余喜は、頭悪くないわよ。ただ理解力が遅いだけ」
 最後だけは気まずそうに小声で言った。
「脳に何か致命的な障害でもあるんですかね、僕は」
「思い詰めすぎよ、気楽にいきましょう」
「そうですね」
 これは何度目かのやり取りだった為、流すように話をしめた。
 今日の授業はタケが黙っていてくれたおかげで、穏やかな時間が流れていた。
 掃除の時間になり、憂うつな気分で校舎の外に出た。できるだけ楠原とは顔を合わせず、下を向きながら掃除を始めた。
「あれ?」
 丁寧に掃いたせいか、周りを見ると人がいなくなっていた。
『他の奴らなら、もう角の方に入ってるぞ』
「タケの視覚って、僕の視界と共通じゃないんですか?」
 僕自身ずっと下を向いていたので、他の人たちは見えないはずだった。
 すると、楠原が角から歩いて出てきた。
「今日は一段と落ち込んでるみたいだけど、大丈夫?」
 そして、僕に気遣いの言葉を投げかけてきた。
「え、ええ」
 これは嬉しすぎて、返答がぎこちなくなってしまった。
「好きだ。付き合ってくれ」
 突然、僕の口から予想外な言葉が飛び出した。
「・・・」
「・・・」
 これに二人は見合ったまま、沈黙してしまった。
「あ、あ、あ」
 僕は、恥ずかしさのあまり泣きそうになってしまった。
「う~ん。これは聞きたくなかったな~」
 楠原は気まずそうに、頬を掻いて周りを確認した。言動からして、僕が好きなことには気づいていた様子だった。
「ごめん。私、レズだから無理」
「え!」
『は?』
 衝撃な告白に、僕もタケも驚きの感情が重なった。
「みんなには内緒にしてね」
 そう言うと、駆け足で校舎の角に入っていった。
「僕としては、それが一番聞きたくなかったです」
 僕はそれを見送りながら、絶望的な気持ちで嘆きの一言を口にした。
『わ、わりぃ~。おまえの気持ちが直に伝わってきたから思わず口走っちまった』
「な、泣いていいですか」
『帰ってからにしろ』
 僕は掃除を途中で切り上げて、重い足取りで教室に戻った。
 席に座るなり、僕の上半身は重力に負けた。
「・・・えっと、声掛けた方がいいかな?」
 川瀬から困った声が聞こえたが、僕は返事する気力がなかった。
 HRが終わり、意気消沈のまま部活の部室に入り、パイプ椅子に座るなり長机に突っ伏した。
「重症だな」
「うん。心が弱いのは知ってたけど、ここまで落ち込むのは初めて見たわ」
 鈴方と川瀬が、僕の落ち込み具合にかなり引いていた。
「泣いていいですか?」
「堪えろ」
「耐えて」
 二人から厳しい言葉が返ってきた。
「何かあったの?」
 川瀬は、僕を気遣うように優しく聞いてきた。
 すると、部室の扉が開き、楠原が慌てた様子で入ってきた。
「笹井君いる?」
「どうしたの?」
 楠原の慌てように、川瀬が不思議そうに返した。
「あ、ちょっと笹井君借りるね」
 楠原は川瀬を無視して、僕の腕を掴んできた。
「え?なんですか?」
 この状況に付いていけず、頭が混乱した状態で楠原に連れ出された。
「まあ、ここでいいかな」
 そして、誰もいない教室を見つけて、そこに僕を連れ込んだ。
「えっと、どうしたんですか?」
 失恋の傷も癒えぬまま、好きな人に呼び出されるのは不思議な気持ちだった。
「一つ確認したいんだけど、笹井君って妹とかいる?」
「え?ええ、いますけど」
「も、もしかして、笹井加奈って名前?」
 楠原は恥ずかしそうに、僕を顔を盗み見た。その表情は、なぜか恋する乙女のような顔をしていた。
「ええ、そうですけど」
「しょ、紹介してくれない?」
 今度は体をくねらせながら、僕の方をチラチラと見た。
「え?」
 これには意図がわからず、自然と首が傾いた。
「そ、その、好きだから」
「か、加奈さんをですか?」
 念の為、この告白が自分じゃないことを確認した。
「う、うん。で、できれば、お近づきになりたい」
「す、すみません。力になれそうにありません」
 好きな人の頼みは極力聞いてあげたかったが、妹に嫌われている僕としてはどうしようもなかった。
「それって・・さっきフラれた腹いせ?」
 これに楠原が落ち込むように項垂れて、僕を盗み見るように言った。
「違います。妹とは仲悪いんです」
「あ、ごめんなさい。今、嫌なこと言っちゃったね」
 当てつけじゃないことを知り、申し訳なさそうに謝罪した。
「いえ、傷に軽く塩を塗られた程度ですよ」
「ご、ごめんなさい」
 僕の沈んだ顔を見て、再び謝ってきた。
「あ、あのさ、加奈ちゃんとは一緒に住んでるんだよね」
「え、ええ」
「そっか」
 楠原は考え込むように、難しい顔をして僕から顔を逸らした。
「う~ん。えっと、さっきフッた私から言うのもなんだけど・・・」
 かなり言いにくいようで、視線を左右に泳がしながら、両手の指を何度か絡ませていた。
「つ、付き合おっか」
「え?」
「だ、だから、その、こ、恋人になってもいいよ」
 今さっきフラれた相手からそんなこと言われては、唖然とするしかなかった。
「そ、それって、加奈さんに近づきたいという意味ですか?」
「こ、これだとお互い利に添うと・・お、思うだけど」
 これが我儘だとわかっているようで、言動に張りがなかった。
「なら、恋人でなくて、友達でいいと思うんですけど・・・」
 正直、恋人になれるのは嬉しいことだが、楠原の気持ちが僕にないことを知った時点で、恋人になるのは気が引けた。
「で、でも、それだと、なんか申し訳なくて・・・」
 フッた相手を利用して、妹に近づくことは楠原自身も罪悪感を持つようで、声が徐々にか細くなっていった。
「えっと、僕もそれで恋人になるのは・・ちょっと申し訳ないです」
 しかし、好きな人の弱みに付け込むのは、僕としては嫌だった。
「そう・・だよね」
 これにはお互い気まずい感じになってしまった。
「良し。私と付き合ってください!」
 楠原が意を決した表情で、僕に真顔で告白してきた。どうやら、僕と対等にフラれようと考えたようだ。
「す、すみませんが、好きな人からの告白は、僕としては困ります」
 だが、僕としては好きな人の告白は断る勇気は今はなかった。
「じゃあ、付き合って♪」
 楠原が笑顔で、僕に交際を迫ってきた。
「私が打算的って知ったんだから、笹井君も打算的に私と恋人になって」
 そして、表情を緩めて自虐的な笑みを浮かべた。
「わ、わかりました」
 ここまで言われると、断ることが難しかった。
「うん。よろしくね。余喜君♪」
 すると、楠原が笑顔で手を差し伸べてきた。しかも、僕を名前で呼んだ。
「よ、よろしくお願いします」
 僕は、おずおずとその手を握った。
「私のことは百華って呼んでね」
「ぼ、僕も名前で呼ぶんですか?」
「うん。恋人だし♪」
「ほ、本当にいいんですか?」
「何が?」
「僕と恋人で」
「うん。好きな人のお兄さんってだけで興奮する!」
「そ、そうですか」
 人にはそれぞれの恋愛の形があるとは聞いていたが、まさか僕がそれを体験するとは夢にも思ってもいなかった。 
「もし、余喜君が私を嫌いになったなら、いつでも別れていいから、遠慮しないでね」
「はい、そうさせてもらいます」
 彼女の配慮に、僕も配慮で答えた。
「良かった」
 すると、百華がほっとしたように肩を落とした。
「な、何がですか?」
「余喜君って傷つきやすいから、かなり心配だったんだ」
「そ、そうですか」
 僕の精神の弱さは知っていてくれたようで、少し複雑な気分になった。
「でも、加奈さんが僕の妹って、どうやって知ったんですか?」
「え、えっと、そういえば苗字一緒だな~って思って・・・」
「勘・・ですか」
「まあ、そうだね」
 百華は気まずそうに、僕から視線を外した。
「それより、今日から恋人だよ。一緒に帰ろ♪」
「え、でも、部活が・・・」
「あ、そっか。じゃあ、二人に報告に行こうか」
「え、あ、は、はい」
 流れについていけず、返事がしどろもどろになった。
「う~ん。信憑性を持たせるために手でも繋ぐ?」
 百華は少し考えて、僕に手を差し出してきた。
「え?で、でも・・・」
「恋人なんだから気にしないでいいわよ」
 そう言うと、差し出した手を少し上げて表情を緩めた。
 僕たちは、手を繋いで部室へ向かった。これには少し緊張して、動きがぎこちなくなっていた。
「じゃあ、開けるね」
 ドアの前に立つと、百華が僕に配慮するように顔を向けてきた。
「は、はい」
 いまさら恥ずかしいとは言えず、このまま百華に任せることにした。
 ドアを開けると、鈴方と川瀬が退屈そうに座っていた。僕は百華に引っ張られるかたちで、二人の正面に立った。
「二人に報告したいんだけど・・私、余喜君と付き合うことになったから」
 二人の表情を見て、少し間を置いてから伝えた。
「は?」
「え!」
 鈴方は唖然とし、川瀬は驚きのあまり立ち上がった。
「という訳で、二人で帰るから」
「え、ちょっと待って!」
 川瀬が慌てて、百華の腕を掴んで引き止めた。
「ちょ、ちょっと来て!」
 そして、僕と鈴方を置いて、部室から出ていった。
「なんで出ていくんですかね?」
「二人で話したいんだろう」
 僕の疑問に、鈴方が呆れたように答えた。
「よく告白したな」
 鈴方は意外そうな顔で、僕の方を流し見た。
「いろいろあって、一回はフラれました」
「で、付き合うことになったと?」
「そういうことですね」
「複雑だな」
「そうですね。本当に複雑です」
 僕たちはそう言って、お互い険しい顔をした。
「む~、納得できない」
 しばらくして、川瀬が不機嫌そうに部室に入ってきた。その後ろから百華が呆れた顔で入ってきた。
「嫉妬はわかるけど、私も引けないことがあるのよ」
「だからって、付き合う必要ないでしょう」
「ふん。加奈ちゃんのこと隠してた癖に」
 川瀬の指摘に、百華がふくれっ面で文句を言った。
「別に、知ったところでどうしようもないでしょう」
「知ってたら、対応変えてたわよ」
「こうなるなら、教えておけばよかった」
「もう遅いわよ」
 百華はそう言って、僕の腕を組んで体を寄せてきた。
「な!」
 これに川瀬が、驚きの声を上げた。僕の方は、緊張で体が硬直してしまった。
「じゃあ、帰るね」
 百華は、川瀬を煽るように僕の体を引っ張った。
「ごめんね、急に腕組んじゃって」
 部室から出ると、百華が僕から離れて謝った。
「い、いえ」
 僕は恥ずかしくて、百華から視線を逸らした。
「ありがとう。まだ私のことを好きでいてくれるんだね」
 それを見て、百華が嬉しそうに笑みを浮かべた。
「お礼はおかしいですよ。僕が勝手に好きなっただけなんですから」
 あの衝撃的な告白をされても、僕は彼女のことは嫌いになれずにいた。
「私ね。告白される時は、いつも本当のことを言うの」
 階段を下りながら、百華が切なそうに独白した。
「それでみんな引いていくわ」
 昔のことを思い出したのか、暗い表情になり頭を下げた。
「それって、悲しくないですか?」
 百華の気持ちが伝わってきて、自然とその言葉を口にしていた。
「・・・余喜君って、優しいんだね」
 百華がゆっくりと僕を見て、少し嬉しそうな顔をした。
「私がレズじゃなかったら、今ので惚れてるわ」
「それは残念ですね」
 僕は、百華に倣って表情を緩めた。
「なるほど、千沙が気に入るのも理解できるわね」
 百華はそう言うと、僕の腕を取って体を寄せてきた。
「え、ど、どうしたんですか!」
 これには体を引いて、驚きの声を上げてしまった。
「ふふっ、恋人なんだから普通でしょう」
 百華はそう言って、僕から離れた。
「ありがとう。今のは嬉しかったわ」
 そして、優しい笑顔で僕にお礼を言った。それに僕は見惚れてしまった。
「ねぇ~、早速だけど、余喜君の家に行ってもいい?」
 ドキドキしながら校門を出ると、百華が媚びた目でお願いしてきた。
「ダメです」
「え、なんで?」
 僕の拒否に、百華が驚きの声を上げた。
「好きな人が来るなら、掃除ぐらいさせてください」
「それも・・そうだね」
 僕の気持ちを汲んでくれたようで、納得したように言った。
「じゃあ、明日招待して」
「わ、わかりました」
 これから帰って、いろいろすることが出きてしまった。
「あと、部活は辞めて、これからは私と一緒に勉強しましょう」
「え?」
「勿論、余喜君の部屋でね」
 どうやら、妹と早くお近づきになりたいようだ。
「んなこと、ダメに決まってるでしょう!」
 突然後ろから、怒号に近い声がした。
「調子に乗らないでよね、百華!」
 振り返ると、川瀬が怒りに満ちた顔で迫ってきた。その後ろには鈴方が気まずそうに、僕たちを見ていた。
「やっぱりつけてきてたわね」
 これは予想していたのか、百華は平然と対応した。
「イチャイチャして!私への当てつけか!」
 川瀬が肩を震わせながら、百華に詰め寄った。
「え?ああ、あれは嬉しかったから、ついね」
 百華は、おどけるように川瀬に弁解した。
「ついって何よ!」
「はぁ~、悔しかったら自分で行動したら?」
 呆れているのか、面倒臭くなったのか、声を緩めてそう指摘した。
「ううっ、裏切者~」
 これにはぐうの音も出ないのか、泣きそうな顔で走り去っていった。
「悪いな、邪魔して」
 鈴方が僕たちの間をすり抜けて、川瀬を全速力で追いかけた。
「鈴方君も大変ね~」
 それを見送りながら、百華がそんな感想を口にした。
「やっぱり部活は辞めれません」
「そうね。千沙にも悪いからやめましょう」
 川瀬に罪悪感を持ったのか、少し配慮した発言だった。
「ところで、裏切者ってなんのことですか?」
 川瀬の捨て台詞が気になり、百華に聞いてみた。
「私に彼氏ができたことを妬んでるのよ」
「え?川瀬さんって鈴方君と付き合ってないんですか」
「え?あの二人付き合ってるの?」
「え、違うんですか?」
「たぶん、付き合ってないわよ」
「え?でも、いつも一緒にいますし」
「う~ん。あれは姉弟みたいな感じだと思うわ」
「僕は、てっきり付き合ってると思ってました」
「それは・・・いろんな意味で報われないわね」
 なぜか百華が、切なそうに川瀬が去った方向を見た。僕はその意味がわからずに、百華と同じ方向を見た。
「私、こっちだから」
 Y字路で、百華が僕から距離を取った。
「え?・・・もしかして僕の家、知ってるんですか?」
「え!な、なんで?」
 僕の質問に、百華が驚きの声で視線を泳がせた。
「だって、ここで別れるなんて僕の家を知ってないと言わないですよ」
「あ~、確かに言われてみればそうだね」
 百華は苦笑いしながら、僕から視線を外した。
「・・・もしかして、加奈さんの後をつけました?」
 疑問に思う内に、百華にストーカー疑惑が浮上した。
「えっと、そんなわけないかなー」
 百華の言動を見る限り、図星な感じだった。
「百華さん、あまり失望させないでください」
「だ、だから、別につけ回ってた訳じゃなくて、たまたま帰り道に彼女を見かけたから、どこ行くんだろうって思ったら、家の方に帰っていっただけなのよ」
「それを一般的にストーカーっていうんじゃないですか」
「だ、大丈夫よ。まだ一回しかつけたことないから」
 大丈夫の意味が分からない上に、まだという言葉がこれからストーカーになることをちらつかせていた。
「じゃ、じゃあ、明日は一緒に勉強しようね」
 百華は、ぎごちない笑顔で帰っていった。それを見て、本当に彼女を家に招くべきか悩んでしまった。
『いや~、面白かったな』
 今まで黙っていたタケが、楽しそうに話しかけてきた。
「なんか怒涛すぎて、未だに頭が混乱してますよ」
『っていうか、おまえの好きな女って、かなり危険な奴だな』
「それは言わないでください」
 僕は溜息をついて、複雑な気分で帰宅した。

第三話 招

 家に帰り、妹と会わないように夕食まで昨日と同じ行動をした。
『妹には言わないのか』
 夕食後、掃除を始めた僕にタケがそれとなく訊いてきた。
「何を言うんですか?」
『え?恋人ができたって言えばいいじゃん』
「必要ないでしょう」
 妹に言っても、だからなんですかと返されそうだった。
『まあ、確かに』
 僕の感情が伝わったのか、納得したように云った。
 夜に掃除機は使えないので、粘着ローラーで部屋を掃除した。
「こんなもんですかね~」
 僕は満足して、短時間で掃除を終えた。
『会った時から思ってたが、おまえの部屋って綺麗だよな~』
「週一で掃除してますからね」
『明日、エッチなこととかするのか!』
 タケが興奮気味で、あり得ないことを云った。
「・・・」
 なので、沈黙で返した。
『すまん。今のは忘れてくれ』
「冗談も休み休み言ってください」
 相思相愛でもないのに、そんなことは露ほどもありえなかった。
『でも、良かったな。付き合えて』
「結果は複雑でしたが・・・タケを一生恨まずには済みそうですね」
『・・・』
 僕の言葉に、タケは言葉を失った。
『今後、注意しよう』
 そして、心から反省してくれた。
 その後、寝るまでタケと一緒に勉強した。タケとの勉強は、一人でやるよりは進んだ気がした。
 次の朝、目が覚めると片手が上がっていた。
「ここまで回復したみたいですね」
『ああ、この状態なら、半月で全快しそうだ』
「それは嬉しい誤算ですね」
『全くだな』
 これにはタケも僕と同じ気持ちで賛同した。
 家から出ると、なぜか玄関前で川瀬と鈴方が待っていた。
「え?」
 僕はそれを見て、ドアを開けたまま固まってしまった。
「おはよう、余喜♪」
 そんな僕に川瀬が、笑顔で挨拶してきた。
「え、ええ、おはようございます。ど、どうしたんですか?」
「ん?今日から一緒に登校しようと思って」
「えっと、なんでですか?」
 僕の頭の中には、一緒に登校するという要因が見つからなかった。
「嫌なの?」
 すると、川瀬が物凄く切なそうな顔で訴えてきた。
「い、いえ、急だったので、理由を聞いただけですが」
「・・・ただなんとなく、今日から一緒に登校したいと思ったのよ」
 川瀬が少し変な間をおいて、気分的な理由を口にした。
「嘘つけ」
 これに鈴方が、呆れた反応を見せた。
「まあ、いいですけど、あまり家の前で待たれるのは気が引けます」
 家の前で待たれるのは、家族に迷惑が掛かる気がした。(特に妹)
「そういえば、さっき加奈と鉢合わせちゃったんだけど、少し嫌な顔されちゃった」
 既に妹に迷惑を掛けた後のようだ。
 僕が歩き出すと、川瀬が並んで歩いた。その後ろから鈴方も続いた。
「それはタイミングが悪いですね。というか、いつから待ってたんですか?」
「20分前ぐらい」
「そんなに待つなら、一声掛けてください」
「急かすのも悪いと思って」
 川瀬が申し訳なさそうに、僕から視線を外した。
「俺はいいのか」
 後ろから鈴方の愚痴が聞こえたが、これには反応するべきじゃないと判断した。
 昨日の百華との分かれ道で、百華が待っていた。
「あ!・・え?」
 僕に気づくと声を上げたが、川瀬たちを見て訝しげな顔になった。
「何してんの?」
 百華が困惑したように、川瀬の方に詰め寄った。
「今日から一緒に登下校することになったから、よろしく♪」
「なんのつもりよ」
「それはこっちの台詞よ」
 百華の威圧に、川瀬が百華と同じように睨み返した。
「なんか殺伐としてますね」
 僕は怖くなり、鈴方の方に近寄った。
「そうだな。あの中には入りたくないな」
 鈴方も僕と同じ気持ちなようで、百華たちから少し距離を取った。
「はぁ~、まあいいわ。千沙には悪いし、それに好みでもあるしね~」
「最後のは聞かなかったことにするけど、悪いと思うなら別れてよ」
「却下、それは譲れないわ。でも、余喜君が別れたいと言えば、別れてもいいと思ってるわ」
「・・・」
 百華がそう言うと、川瀬が複雑そうな顔で僕を見た。
「遅刻するから行きましょう」
 そして、何かを諦めるように歩き出した。あのやり取りを見た後では、川瀬と百華に近づきたいとは思わなかった。
「なんで川瀬さんは、僕と百華さんを別れさせたいんでしょうか?」
 僕はそのことが不思議で、隣の鈴方に小声で尋ねた。
「気に入らないからだろ」
「え、僕に恋人ができることがですか?」
「あ~、それもあるけど、楠原のやり方が気に入らないんだよ」
「意味がわからないんですけど・・・」
「そういう風に言ってるからな。笹井はあんまり気にするな」
「そ、そうですか」
 結局、何もわからないまま学校に向かうのだった。
 教室に入り席に座ると、川瀬が不機嫌そうに机に片肘を付き、その手に顔を乗せて僕の方を向いた。
「余喜ってさ~、まだ百華好きなの?」
「え?」
「どうなのよ」
「は、はい、まあ」
 僕は恥ずかしくて、小さな声で肯定した。
「レズなのに?」
「え・・知ってたんですか」
 これには少し驚いてしまった。
「まあ、結構仲良いから」
「そう・・・なんですか」
 これまで川瀬と百華が、一緒にいるところを見たことがなかった。
「部活結成の名前を貸してくれたのも、私が頼んだからなのよ」
「あ、そうだったんですね」
 この経緯は初めて聞くことだった。
「でも、好きなことは変わりないですね」
「そう・・・」
 川瀬は残念そうな顔で、昨日の僕のように机に突っ伏した。
「え、どうかしたんですか?」
「ごめん、ちょっと落ち込ませて」
「は、はぁ~」
 変なお願いに、僕は戸惑いながらそっとしておくことにした。
『いろいろ想いが交錯してるな~』
 迷惑なことに、授業が始まる頃にタケが話しかけてきた。
「うるさいです。今は黙っててください」
『いや~、青春だと思ってな~』
「年配みたいなこと言いますね」
 僕はか細い声で、タケに皮肉を言った。
『実際、年配だぞ』
「しゃべりは年配じゃないみたいですけど」
『これは現代に合わせた結果だ』
「なら、思考も合わせてください」
『それは難しいな。経験を積むと、どうしても無駄な雑学が口に出るんだ』
「あ、そうですか」
 僕はここで話を切るように、授業に集中した。
 昼休みになると、百華が僕のクラスに入ってきた。
「今日から一緒に食べましょう」
「なんのつもりよ」
「恋人なら普通でしょう」
「・・・」
 立場が逆になっていたが、朝でのやり取りの再現になってしまった。
「あ~、ちょっと邪魔なんだが・・・」
 百華の後ろに、鈴方が飲み物が入った手提げ袋と弁当を両手に持って立っていた。
「あ、ごめんなさい」
 百華は謝りながら、僕の正面の席に座った。
「百華、これ以上嫌いにさせないで」
「私は好きよ♪」
 川瀬の嫌悪感に、百華は好意的に答えた。
「楠原、あんまり千沙をいじめないでくれ」
 鈴方は、見兼ねたように間に入った。
「だって、千沙が突っかかってくるんだもん。皮肉で返すしかないでしょう」
「千沙の気持ちわかってんだろう」
「でも、付き合ってるのは私よ」
「それはそうだが、友達なんだから配慮も必要だろう」
「相変わらず、鈴方君は正論言うわね」
 百華はそう言いながら、僕の机に弁当箱を置いた。
「千沙。謝らないけど、理不尽な嫌がらせはしないでね」
「・・・」
 百華の注意に、川瀬が嫌そうな顔で返した。
「今日は、部活休んで余喜君の部屋で勉強しようね♪」
「え、ええ」
 昨日約束してたので、断る理由はなかった。
「じゃあ、私も行く」
「さっき言ったこと、もう忘れてるの?」
「覚えてるわよ。余喜とは、友達なんだから問題ないでしょう」
「恋人同士の時間は、邪魔しないのが普通じゃない?」
「レズの百華が、普通とか意味わかんないんだけど」
「鈴方君。この場合、暴言で反論してもいいかな?」
 さっき言われたこともあり、百華が不機嫌そうな顔で、鈴方の許可を求めた。
「はぁ~、千沙も煽るのやめろって」
「だって!こんなの理不尽だよ!」
 鈴方の制止に、突然川瀬が声を張り上げた。彼に対して、川瀬は感情的になることが多かった。それを何度か見ているので、気を許した存在であることは間違いなかった。
「あ、あの、川瀬さんはなんでそんなにムキになってるんですか?」
 僕には、この対立がいまいちよくわからないでいた。
「は?ここまで来て、鈍感すぎるだろう」
 すると、鈴方が呆れたように僕を見た。
「そうね。要するに・・・」
「ちょっと!私の気持ちを勝手に伝えないでよ!」
 百華の言葉を遮るように、川瀬が大声で止めに入った。
「もういいでしょう。いつまでそんなんだから、横取りされるのよ」
「それをした本人に言われたくないわよ!」
 川瀬の怒声は、教室中に響き渡った。
「はぁ~」
 これには百華が、呆れた顔で溜息をついた。
「ま、まあ、いいじゃないですか。僕は一緒でも構いませんよ」
 僕は川瀬に配慮するように、二人の会話に入った。
「・・・まあ、余喜君がそれでいいなら構わないけど」
 百華は何か言いたそうな顔をしたが、僕の意思を汲んでくれた。
 予鈴が鳴り、鈴方と百華が教室を出ていった。それを見送ってから川瀬を見ると、机に頭を突っ伏していた。
「なんで落ち込んでるんですか?」
「余喜のせい」
「えっと・・すみません」
 そう言われたら謝るしかなかった。
「あれを聞いて、まだ百華が好きなの?」
「う~ん、そうですね~。今はまだ嫌う要素が薄いですね」
「レズでマゾなのに?」
「え、マゾなんですか?」
「うん」
「そう・・ですか」
 これには少し複雑な気分になった。
「でも、人の性癖で嫌いにはなれないですね」
「そう・・なんだ」
 川瀬はがっかりして、再び机に突っ伏した。
「泣いていいかな?」
「泣くほどのことありました?」
「個人的に大泣きしたい」
「それはクラスに迷惑が掛かるのでやめてください」
「じゃあ、一つ聞きたいんだけど・・・私のこと好き?」
 川瀬が少し間を置いてから、うつ伏せの状態から不安そうな顔を向けた。
「え?ええ、好きですけど」
 わざわざ聞かれるのは不思議だったが、率直な気持ちを伝えた。
「そ、そっか」
 その一言で立ち直ったのか、少し嬉しそうな顔で机から上半身を起こした。
「私も好きだよ♪」
 川瀬は軽い感じでそう言いながら、優しい笑みを浮かべた。
「えっと・・ありがとうございます」
「次の授業なんだっけ?」
 この話をさっさと切り上げたいのか、川瀬は机を漁りながら聞いてきた。
「数学ですね」
 僕はそれに答えて、次の授業の準備をした。
『いや~、いろいろ面白かったな~』
 授業が始まると、タケが興奮気味に話しかけてきた。
「うるさいです」
『んだよ。ノリわりぃな~』
 僕の煩わしい思いを汲んで、それ以降話しかけてくることはなかった。
 放課後になり、部活は出ずに四人での下校となった。
「じゃあ、手を繋いで帰ろうか♪」
 校門を出ると、百華が川瀬を一度見てから、僕に笑顔で手を差し出してきた。どうやら、川瀬への嫌がらせのようだ。その証拠に、川瀬が怖い表情をしていた。
「恋人になったばかりだし、手を繋ぐのはまだ早いんじゃないですか?」
 僕は川瀬に配慮して、控えめに遠慮してみた。
「それも一理あるわね」
 これに百華が納得したように、手を繋ぐのを諦めてくれた。僕は少し怖くなり、少し歩調を遅くした。
「なんか友達とは思えないほど、ピリピリしてるんですけど」
 鈴方と並び、二人には聞こえないよう声を落とした。
「まあ、目に見えない障害があるんだよ」
「そう・・なんですか。奥深いですね」
 僕が納得できないことは、星の数以上あるので、これは本能的に理解しない方が良いと感じた。
「鈴方君も一緒に来てくれませんか?僕一人ではあの空気に耐えられません」
 自分の部屋で、あんな殺伐としたやり取りをされては、息が詰まる思いだった。
「それは理解できるな。でも、俺もその場に居たくないんだが・・・」
「お願いします」
 ここで最後の希望を失いたくないので、誠心誠意の気持ちで懇願した。
「はぁ~、仕方ねぇな~」
 これに鈴方が溜息交じりで、僕のお願いを受け入れてくれた。
「ありがとうございます」
「気にすんな」
「助かります」
 鈴方の親切心に、僕は心から感謝した。
「あ~、二人とも俺も笹井の家に行くから」
 鈴方は微妙に険悪している二人に、軽い感じで割って入った。
「え?」
「は?」
 すると、二人が意外そうな顔で鈴方を見た。
「なんでよ?」
「おまえらが、いがみ合ってるせいだ」
「・・・」
 鈴方の言葉に、川瀬が何かを察して気まずそうな顔をした。
「せっかくの恋人同士の憩いの場によく邪魔が入るわね」
「それを歪にしてるは、楠原だけどな~」
「嫌みな人」
 この返しに、百華がそっぽを向いて愚痴った。
「悪いな。性分なんで」
「味方にすると頼もしいけど、敵にすると嫌らしい人なのよね~」
 川瀬は、皮肉を込めて称賛を送った。
「全く、幼馴染がじれったくてホント困る」
「ホント、嫌な人」
 今度は、川瀬が百華と同じような台詞を吐いた。
「俺もこんなこと言いたくないから、できるだけでいいから仲良くしてくれ」
「それは百華に言ってよ」
「諦めきれないおまえにも問題がある」
「うぐっ!」
 この指摘は図星のようで、怯むように言葉に詰まった。
「だが、相手の好意に付け込むやり方も好きじゃねぇ~な~」
 鈴方はそう言うと、流し目で百華を見た。
「私は、打算的だからね。目的のためなら手段は選ばないのよ」
「打算・・的ね」
「あ!一応言っておくけど、私をレズって知ったうえで、恋人になることを決めたのは余喜君だから勘違いしないでね」
「筋を通してるって言いたいのか?」
「当然よ。私自身、一度フッてるんだから」
「そうか・・・面倒な事情だな~」
 鈴方が頭を掻きながら、僕の方を振り返った。
「笹井、おまえも悪い」
「え!僕?」
 突然、矛先を向けられたことに、反射的に自分を指差した。
「もう少し周りに気を配れ」
「何ですか?その抽象的な言い方は」
「これまでのいきさつを聞けば、普通気づくだろう」
「えっと・・・何をですか」
「はぁ~、やっぱり笹井も悪い」
「だからなんでですか」
 あまりの理不尽さに、少し声が大きくなってしまった。
「鈍感は罪だ」
「は?」
「それだけだ」
 その意味がわからないまま、鈴方が話を打ち切った。
 僕が家の前に立つと、他の三人が後ろから覗き込んだ。
「早く入ってよ」
 僕の一瞬の躊躇を感じたのか、百華が後ろから急かしてきた。
「えっと、あまり騒がないでくださいね」
 妹に迷惑を掛けたくないので、遠回しにお願いした。
「相変わらず、加奈が怖いの?」
 何度か来ている川瀬が、それを察したように呆れ顔で言った。
「は、はい。まともに話せませんから」
「気兼ねすることないと思うんだけどね~」
「無茶言わないでください」
 この無神経さは是非見習いたいが、僕の性格上無理だった。
 玄関のドアを開けると、幸いなことに妹の姿はなかった。
「良かった」
 僕は妹に会わないように、慎重に三人を部屋に招いた。
「どんだけ妹に気ぃ使ってんだよ」
 後ろから鈴方の声が聞こえた。
「加奈さんには、迷惑掛けられないですからね」
「家族とは思えない言動だな」
 鈴方はそう言いながら、定位置になっているテーブルの左側に座った。川瀬は自然と鈴方の正面に座った。二人は部活の関係で、家でも勉強を教えてもらっていた。
 百華は戸惑いを隠せず、ゆっくりと僕の正面に座った。
「あ、座布団どうぞ」
 僕は慌てて、部屋の隅に置いてある座布団を百華に手渡した。川瀬と鈴方は、いつものように座布団を自分で取っていた。
「あ、どうも」
 百華はそれを受け取って、座っている下に敷いた。
「じゃあ、勉強しようか♪」
 すると、川瀬が突然この場を仕切り出した。
「ちょ、ちょっと!」
 これには百華が、慌てて大声を出した。
「この場は私と余喜君がイチャつくところでしょう」
「正昭もいるし、それは無理でしょう」
「・・・」
 川瀬の言い分に、百華が邪魔者を見る目で鈴方を見た。
「俺は、友達に頼まれただけだ。イチャつきたければ勝手にしてくれ」
「はぁ~、まあいいわ。当初の目的は達した訳だし。偶然を装って、加奈ちゃんに接触するだけね」
 百華はそう言って、部屋のドアの方を振り返った。
「じゃあ、私たちは勉強するから、百華は加奈に会って来たら?」
「初対面の相手に、一人で?」
「だって、余喜から紹介できないし、一人で会うしかないでしょう」
 川瀬はそう言って、僕の方を流し見た。
「はい。無理です」
 こればかりは頼まれてもできそうになかった。
「う~ん」
 僕の即答に、百華は困った顔で唸った。
「千沙が紹介してよ」
「無理」
 百華のお願いを、ばっさり切り捨てるように言い切った。ここまで躊躇なく言える川瀬に、僕は少しだけ違和感を覚えた。
「う~ん。仕方ないわね。勉強しましょうか」
 百華は少し考えた後、妹と会うことは諦め、勉強することを了承した。

第四話 展

「う~ん。結局会えず仕舞いだったね~」
 帰り際、百華が玄関前で溜息をつきながらそう言った。
「まあ、しょうがないんじゃない?」
 川瀬は特に感情を込めず、それらしい返しをした。
 三人を見送って、部屋に戻って勉強を再開することにした。
『結局、何もないのかよ』
「別に構わないでしょう。僕としては楽しい時間でしたし」
『まあ、おまえがそう言うならいいんだけどよ~。個人的につまらん』
「それは残念でしたね」
 僕は、棒読みで言葉を返した。
 部屋に入ろうとすると、斜め向かい側のドアが開いた。僕は慌てて、自分の部屋に入った。
「待ってください」
 しかし、ドアを閉めようとしたところで妹の声が聞こえた。
「え?」
 僕は驚いて、ドアから顔を出すかたちで妹の部屋を見た。
「少し・・話があります」
 言うのを躊躇するように、妹が僕の部屋まで歩いてきた。制服ではなく、白色のブラウスにスキニーパンツを履いていた。
「話・・ですか?」
「はい」
 僕の戸惑いをよそに、妹は真顔で僕を見据えた。
「えっと・・・わかりました」
 直接そう言われては、断ることははばかられた。
「場所を変えてもいいですか?」
「えっと・・ここで話せないんですか?」
「ええ、少し所が悪いです」
「そう・・ですか」
 場所が悪いの意味がわからず、返事に訝しさが出てしまった。
「わかりました」
 僕が頷くと、妹が玄関の方へ歩いた。妹についていくと、玄関でブーツを履いた。
「えっと、外に行くんですか?」
「はい。家ではいろいろ不都合があるので」
「そう・・ですか」
 何が不都合なのかは、雰囲気的に聞けなかった。
 黙ったまま妹についていくと、人通りのない狭い路地に入った。その間、僕は不安を募らせていった。
「ここにしましょう」
 狭い路地の中腹で、妹が足を止めて振り返った。
「回りくどいのは、わたくし自身嫌いなので単刀直入に聞きます」
「は、はい」
「最近、何か変わったことはありませんでしたか?」
 単刀直入にしては、えらく抽象的な質問だった。
「えっと、変わったことですか」
「はい」
「僕に彼女ができました」
「そうですか」
 この事実には困った顔をした。
「そういう些細なことではなく、もっと個人的なことはなかったですか?」
 恋人ができたことは個人的だし、些細なことでもないのだが、妹としてはどうでもいいことのようだ。
「う~ん、そうですね~。ファンタジックなことなら一つありますね~」
 別に秘密でもないので、妹に話してみようと思った。
『おい!』
 すると、タケが強く止めに入った。
「それって・・憑依されたとかですか?」
 さっきまで抽象的な言葉とは違い、的確な指摘をしてきた。
「え、ええ」
「はぁ~、軽率なことしましたね」
 僕の答えに、妹が大きな溜息をつきながら肩を落とした。
「えっと、何か知っているんですか?」
 妹の言動は、タケのことを知っているような感じだった。
「道理で探しても見つからない訳ですね」
 妹は、話の流れとは関係のない言葉を口にした。
「余喜さん。この場を動かないでください」
 僕にそうお願いすると、何かを念じるように目を閉じた。すると、妹の周りに黒いもやが全身を覆っていった。
「なんですか?それ」
『ちっ!まずい』
 僕の困惑をよそに、タケが危機感をつのらせていた。妹の体が見えにくくなり、黒いもやが鎧を形成していった。
「えっと、これって・・・」
 それは、タケを追ってきた全身鎧武者だった。
『おい!逃げろ!』
 タケはそう云ったが、僕は混乱してこの場を動けなかった。
「やっぱり余喜さんには見えるんですね、この姿」
「えっと、質問したいことが山のようにあるんですが・・答えてくれますか?」
「すみません、今はその余裕はないです」
 表情は見えなかったが、妹が申し訳なさそうに謝ってきた。
「カナ、早く消滅させてしまいなさい」
「わかっています」
 突然、妹が一人で二役のようなやり取りをした。聞く限り、僕と同じようで妹も憑依されているようだ。
 鎧武者が脇にある刀を抜くと同時に、僕の懐に入って体を一閃した。
「わ!」
 驚いて飛び退いたが、刀をかわすには至らなかった。
「あ、あれ」
 しかし、僕に痛みはなかった。
『ぐああー!』
 代わりに、タケの叫びが伝わってきた。どうやら、タケに致命的なダメージを与えたようだ。
「手ごたえありです、畳みかけを」
「わかっています」
 妹は、誰かと会話するように一人声を発して、僕に対して再び刀を振るってきた。
「ちょ、ちょっと待ってください」
 僕はそれをかわしながら、妹に制止を求めた。
「じっとしててください!」
「い、いえ、説明してください」
「それは余喜さんに憑依した相手を消滅させてからです」
「その説明はないんですか?」
「さっきも言いましたが、そんな余裕はないんです」
 その会話の間にも、僕は必死で剣戟をかわしていった。良い筋だったが、女子ということもあり、僕でもかわせる速度だった。
「だから避けないでください!」
「なら、納得させてください」
「あとで、説明しますから」
「仕方ありませんね」
 僕は避けることは諦め、タケの死を受け入れることにした。
『お、おい、逃げろって!』
「すみません。ここで死んでください」
「ふざけんな!」
 タケが僕の口を使って、言葉を発した。
「こんなとこで死んでたまるか!」
 すると、僕の右手が黒いもやに覆われ始めた。これには驚きと戸惑いで、僕はその場を動けなかった。
「危険です!早く抹消を」
 妹が僕に刀を振り下ろしてきたが、僕の右手がそれを防いだ。この光景はひどく他人事のように見えた。
「なめんな~!」
 僕の口が勝手に動き、妹の刀を勢いよく押し返した。妹は後ずさりながら、刀を正中の構えを取った。
「往生際悪いですね~」
 僕は、呆れたようにタケに言った。
「おまえは血も涙もないのか!」
「貴方と違ってありますよ」
「嫌みか!」
「事実を言っただけです」
 これは最初のやり取りの再現になってしまった。
「それよりこの右手は何ですか?勝手に動いたところを見ると、右手だけ乗っ取ったようですが」
「余喜様は、冷静すぎますね」
 僕の態度に、妹からそんな言葉が発せられた。
「なんか気持ち悪いので、解除してくれませんか?」
「俺に死ねって言うのか!」
「だから死んでますって」
「二度死ねって言うのか!」
「一度も二度も変わらないでしょう」
「おまえは、本当に冷酷だな!」
「僕の声であまり大声を上げないでください、変な人に思われるので」
「今、俺の生死がかかってるんだよ!」
「なら、僕の中から出ていけばいいでしょう」
「出た瞬間、殺されるだろ!」
「僕の中にいても、殺されるのは時間の問題だと思いますよ」
 妹がタケを狙っている時点で、僕の中にいることは無意味に等しかった。
「よくもまあペラペラと薄っぺらい台詞を吐けますね、血も涙もないのは貴方の方なのに」
「そうですね。とても殺人者が言う台詞とは思えません」
 一人で会話している妹が、耳を疑うような発言をした。
「えっと、タケは人殺しなんですか?」
「・・・いや、そんなことないぞ」
 僕の問いに、タケの心が複雑に揺らぐのを感じた。
「嘘じゃないみたいですね」
 これには溜息交じりで、タケに嫌悪感を送った。
「すみません、タケ。やっぱり死んでください」
 僕は、自分が抵抗できないよう右手を左手で抑えた。
「裏切るのか!」
「だから、大声はやめてください。そもそも、間借りを許しただけで、貴方を守ることに協力した覚えはありません」
 正直、そろそろ出ていって欲しいと感じていた。
「早く終わらせてくれませんか」
 この会話をただ聞いている妹に、攻撃するよう急かした。
「余喜さんは、泰然自若ですね」
「余喜様も協力してくれるみたいですし、早く済ませましょう」
 妹がそう独り言を口にして、刀を振りかざして切り掛かってきた。
「ダメよ。消滅させちゃ」
 突然、僕の後ろからそんな声が聞こえると、僕の胸から黒いもやの手が出てきた。その手を見る限り、僕の体を貫いた感じだった。
「お兄様!」
 妹から呼ばれたことのない呼称が聞こえたが、自分の現状がそれどころではなかった。
 手が引き抜かれ、身体を確認したが痛みは感じなかった。後ろを振り向くと、そこには黒いもやに覆われた人が立っていた。妹とは違い、巫女服だったが顔は黒いもやで見えなかった。
「危なかった」
 イントネーションは違ったが、その声は聞いたことのあるものだった。
「も、もしかして、百華さんですか」
「あ、うん」
 百華は少し驚きながら、手に持った丸い霊体に顔を向けた。
「でも、声だけでわかるって、よっぽど私のことが好きなのね~」
 そして、おかしそうな声で僕の方に顔を向けたが、黒いもやで表情は確認できなかった。
「ど、どういうことですか?」
 妹のことで頭の整理ができない状態なのに、さらに困惑してしまう事態に自分で考えることをやめた。
「う~ん。説明しにくいけど、今はいろんな人の想いが交錯しているのよ。私自身この霊に興味ないし」
 百華はそう言いながら、掴んでいるタケの方に顔を向けた。
「どういうつもりですか」
 妹は、訝しげな声で百華に敵意を向けた。
「むやみな除霊は、敵をつくるだけよ」
「彼は、生きた人を殺しました。除去するのは当然です」
「え!そうなの?」
 このことは知らなかったようで、驚いた声を出した。
「ふぅ~ん。それはよろしくないわね。でも、幽界にそういう法なんてないし、そっちが取り締まるのはおかしいと思うけど」
「なら、貴女がそれを阻止するのもおかしいでしょう」
「そうかな~?巫女は人助けが当たり前と思うけど?」
「理解に苦しみますね」
「聖女のあんたには、神道の教えは理解できないでしょう。私があんたを理解できないように」
 話を聞く限り、妹と百華の意思はそこにはないようだった。
「ということで、今回は見逃してみない?」
「断ります。有界に手を出す霊を見過ごすことはできません!」
「頭が固いわね。まあ、交渉なんてしようと思わないけど」
 黒い巫女は呆れた声を出しながら、一歩後退した。
「残念、やっぱりこうなるのね~」
 これは百華の言葉だと、イントネーションでわかった。
「まさか私の愛しい人が、聖女と意気投合してるなんて思ってもなかったわ。私の人生ついてないことばかりだわ~」
 百華の飄々とした声は、とても残念そうには見えなかった。
「まあ、こういう不運も悲劇的で素敵ね」
「えっと、百華さん?」
「ごめんね、余喜君。加奈ちゃんとは、いがみ合うことになっちゃいそうだわ」
 顔が見えないことと、場の雰囲気似合わない軽い感じの台詞が、不気味さを一層増していた。
「いえ、それは構いませんが、タケをどうするんです?」
「ん?」
 僕の言葉に、百華が持っている幽体に顔を向けた。
「ああ、彼ね。なんか試したいみたい」
「え?」
「私自身、必要ないと思ってるんだけどね」
「なら、それをこちらに渡しなさい」
 僕たちの会話に妹ではなく、聖女が口を挟んできた。
「う~ん。私の一存じゃあ決められないわ」
「なら、貴女に憑依している巫女ごと滅します」
 そう言うと、鎧武者が巫女に斬りかかった。
「はぁ~、血の気の多い人。嫌いじゃないけどね」
 百華は、踊りを舞うように聖女の剣を扇子で華麗に受け流した。
「巫女に斬りかかるなんて、ホント聖女って野蛮ね」
「貴女がその霊を離せば、襲うことはありません」
 巫女の挑発に、聖女がハキハキした妹の声で刀を正中に構えた。
「まあ、待ってよ。少し話をしましょう」
 百華が片手を前に出して、冷静になるよう促した。
「ちょっとマチは引っ込んでて」
「・・・」
「従って」
 巫女の沈黙に、百華が沈んだ声で命令した。
「わかった。でも、彼を持つ手は譲れないわ」
「それでいいわ」
 百華が満足そうに言うと、黒いもやが顔から消えて、手以外のもやが取り除かれた。
「加奈ちゃんもそれ解いてくれない?」
「初対面の人に、ちゃん付けされる覚えはありませんが」
「話し合えることが、人というものでしょう。それとも聖女のように問答無用で除霊するの?」
「・・・」
 百華の言葉が響いたのか、妹が全身のもやを解除した。
「私は、楠原百華。余喜君の彼女よ」
「彼女・・ですか」
 妹は、僕と百華を複雑そうな顔で見た。
「一応、恩人ということも忘れないでね。加奈ちゃんのお兄さんから、彼を除霊してあげたんだから」
 百華はそう言って、片手に持っている球体のタケを少し持ち上げた。
「わたくしなら手っ取り早く除去してました」
「言うと思った」
 妹の返しに、百華が嬉しそうに笑った。
「その霊、こっちに渡せませんか?」
「今、この右手は私の意思じゃないから無理ね」
「なら、何を話し合うんですか?」
 交渉の余地がないことを悟り、妹の体が再び黒いもやが全身を包み始めた。
「聖女は、血の気が多いわね」
 百華を困り顔で、僕を見てから嘆息した。
「落としどころを見つけない?」
「どういう意味ですか?」
「滅することはできないけど、彼が人を殺さないように監視するっていうのはどう?」
「なんでそんな面倒なことをしなければならないんですか?」
「お互いの妥協だから、不服なのは仕方ないことよ」
 百華はそう言うと、周りに黒いもやが包み込んだ。
「それが嫌なら、マチを滅して奪い取ればいい」
 黒いもやが巫女服に形づき、顔が黒いもやに隠れる瞬間、百華の恍惚な顔が見て取れた。どうやら、マゾというのは間違っていないようだ。
「・・・やめておきましょう」
 考えを変えたのか、妹から身を引いた。
「あ、そう」
 これが意外だったようで、百華の声が少し上擦った。
「監視は楠原さんに任せます」
 百華の黒いもやが引いていくのを見てから、妹も黒いもやを解いた。
「え?いいの?」
「ええ、ただし問題が起きた時、楠原さんが責任を取ってください」
「わかったわ」
「あと、余喜さんとは別れてください」
「え?」
 妹の条件提示に、百華が驚きの声を上げた。
「一時的とはいえ、憑依していた霊を監視させる楠原さんに、余喜さんを近づけるわけにはいきません」
「えっと、要するに信用してないってことね」
「初対面の人を信用するほど、わたくしは寛容ではありません」
「でも、別れるかを決めるのは余喜君で、加奈ちゃんじゃないでしょう」
 百華はそう言いながら、僕の方を流し見た。
「ダメです」
 すると、妹が僕の意思を聞くこともなく、一言で一蹴した。
「余喜さんは危機感がありませんし、わたくし達のように幽界についても理解してません」
「私が教えるわ」
「信用できないと最初に言ったはずですが」
「なら、私といる時は、加奈ちゃんも同席していいわよ」
 百華はこの話の流れを利用して、打算的な提案をした。これには非常に感心させられてしまった。
「余喜さん。悪いことは言いませんから、楠原さんと別れてくれませんか」
 さすがにここまで言い回られると、妹としては打つ手がなくなったようで、僕の方に妥協を求めてきた。
「すみません。好きだから無理です」
 いろいろ驚愕な展開を見せられたが、最初のレズの告白ほどではないことばかりで、嫌いになる要素が今のところ思いつかなかった。
「私のこと、そこまで好きなんだ」
 これには百華が、申し訳なさそうに呟いた。
「そう、ですか」
 妹はがっくりと肩を落として、意気消沈の溜息をついた。
「仕方ありません。幽界についてはわたくしから教えますから、そろそろ帰りましょう。お母さんも帰っている頃ですし」
「あ、そうですね」
 あまり非現実な事象を見せられて、他のことに頭が回っていなかった。
「じゃあ、百華さん。また明日」
「うん。バイバイ」
 僕は百華の返答を聞いて、妹の後に続いた。
『って、俺は終始無視か!』
 後ろからタケのつっこみが聞こえたが、もう関わりたくないので無視することにした。
 家に帰ると、既に母が帰っており、僕と妹が一緒に帰ってきたことに驚いていた。
 夕食後、部屋に戻って勉強を始めた。タケがいなくなったことで、心の平穏さを取り戻していた。
「余喜さん、起きてますか」
 すると、部屋のドアがノックされ、妹の声が聞こえた。
「え、ええ」
 夕食時にはいつもの対応に戻っていたので、部屋に来ることはないと思っていた。
「失礼します」
 妹は軽く会釈をして、部屋に入ってきた。僕は隅の座布団を渡して、お互い正座で向かい合った。
「えっと、どうしましたか?」
「それは、おかしくないですか」
 夕方のことがあったのに、その聞き方はおかしいと感じたようだ。
「最初に聞いておきたいんですが、黒いもやは見えましたか」
「ええ、顔が見えなくて不気味でした」
「幽霊って前から見えましたか?」
「そうですね~。見えましたけど、見なかったことにしてました」
「凄い精神力ですね」
 これには驚いたようで、二重の目を極限まで開いていた。
「あの幽霊に反応してしまったのは、自分の失態でしたね」
 あの時は、声を掛けられるとは思わなかったので、反射的に反応してしまったのだった。
「じゃあ、そのあとの霊も見ましたか?」
「加奈さんの鎧武者のことですか」
「はい」
「見ましたけど、加奈さんは物質をすり抜けられるのですか?」
 あの時、窓は閉まっていたはずだが、当たり前のようにすり抜けて、出ていくときもドアをすり抜けていた。
「いえ、あれは一度憑依を解いて、ミシャに確認してもらっただけです」
「ミシャというのは憑依している方ですか」
「あ、紹介しておきます。ミシャはわたくしに憑依している霊です」
 そう言うと、その場を立ち上がって僕の横に歩いてきた。
「お初に御目にかかります。小生はミシャと申します」
 何を思ったか、僕にひざまずいて忠誠を誓うように頭を垂れた。
「ちょ、ちょっとやめてください」
 これに妹が、焦ったように頭を上げた。
「い、いえ、しかし、余喜様には小生の主に相応しいのです」
「わたくしにとっては、ただのお兄様・・・ではなく兄です」
「尊敬していることには、小生と変わりありませんでしょう」
「べ、別に、そ、尊敬しているわけではありません」
 妹が恥ずかしそうに、僕の目の前で一人芝居をしていた。
「あ、あの、二人の言い合いは困るので、やめてください」
「あ!すみません。ミシャが余計なこと言いました」
 妹は体裁を気にしているのか、優雅な立ち振る舞いで正面に座った。
「んん、ミシャは元々武士に憧れてました」
「どういうことですか?」
「え?だから、鎧武者の格好はミシャの憧れです」
「元々武士ではないんですか?」
「はい。ミシャは別の国の人ですが、武士には並々ならぬ愛着があるようで」
「は、はぁ~、そうですか」
 霊について説明を受けているはずなのだが、もう意味がわからなくなっていた。
 妹の説明にミシャがちょこちょこ入ってくるので、かなりの時間を要してしまった。要約すると、ミシャは10年前に亡くなり、妹に憑依したのは3年前だそうだ。
「今日はもう終わりにしましょう」
「え、でも、まだミシャの話しかしてませんよ」
「明日も学校ですし、お互い今日は休みましょう」
 長話を一日で、聞こうとは思わなかった。
「そ、そうですね」
 僕の配慮に気づいてくれたようで、一度時計を見てから立ち上がった。
 妹が部屋を出ていくと、自然と溜息が出た。これには自分が疲労していることに気づいた。もう勉強する気力も時間もないので、シャワーを浴びて寝ることにした。
「疲れた」
 僕はベッドに入ると、自然とそう吐露していた。今日を忘れるように目を閉じて、夢の中に入った。

第五話 奪

 朝日が差し込み、今日は自然と目が覚めた。昨日のことが嘘のようにまともな朝だった。
「温和が一番ですね~」
 ベッドの脇で跪いている黒い鎧武者を見なかったことにして、ベッドから出た。
『って、無視しないでいただきたい』
「なんの真似ですか」
『余喜様を守っておりました』
「何からですか?」
『勿論、不届き者からです』
 真剣さは伝わってくるが、表情が見えない分、不気味さの方が上回っていた。
「寝ている時は大丈夫でしょう」
『いえ、油断は禁物です。霊には強い怨念を持つ者もいるので、安易なお考えはお捨てください』
「でしたら、加奈さんの方を守ってあげてください」
『素晴らしい。自らの身より愛する者を守りたいと、そうおっしゃるのですね』
「え、ええ」
 こちらとしては、ただ単に目の前をウロウロされるのは煩わしいだけだった。
『やはり、余喜様は小生の主になっていただきたい』
「主って・・何するんですか」
『小生を導いて欲しいのです』
 死んだ人を導けなんて、無理難題のことをお願いされてしまった。
「導けるかは知りませんが、今は加奈さんの所へ戻ってください」
 あまりその不気味な姿で、自分の部屋にいて欲しくはなかったので、手早く追っ払うことにした。
『はっ!』
 ミシャはそう云って、ドアを勢いよくすり抜けていった。
「加奈さんも大変ですね」
 彼女の性格は、僕としてはタケより扱いにくい相手だった。
 妹のいない朝食を済ませると、母に呼び止められた。
「加奈となんかあった?」
「え、何かですか?」
「うん。ちょっといつもと違う気がしてね」
「なら、何かあったんでしょうね」
「何、その返し?答えになってないけど」
「答えることができない質問でしたので」
「じゃあ、加奈とは仲直りしてないの?」
「喧嘩した覚えはありませんから、仲直りもしてませんね」
 仲直りも何も、昨日はただ幽霊の説明をされただけだった。
「そう・・・」
 母はそれ以上、何も言わなくなってしまった。
 玄関を出ると、昨日と同じように川瀬と鈴方が待っていたが、その中に百華もいた。
「今日もですか?」
「これから毎日だから」
 川瀬が代表して、そう宣言した。
「あ、そうですか」
「もしかして、嫌だった?」
「いえ、あまり外で待たれるのは好きではありません」
「じゃあ、待ち合わせの場所を決める?」
「そうしてもらえると助かります」
 自宅前よりそっちの方が幾分マシだった。
「そういえば、昨日聞いたの?」
 歩き出すと、百華が話を切り出してきた。
「え、ここで聞きます?」
「え?ああ、なるほど」
 僕の視線に気づいて、百華は納得の言葉を口にした。今の状態だと、話に絶対川瀬が入ってくるのは目に見えていた。
「なんの話?」
 予想通り、川瀬が横から話に入ってきた。
「うふふっ、千沙には関係ないことよ」
 百華は嫌らしい笑みを浮かべて、川瀬を話から外した。これに川瀬が、心底不愉快な顔をした。
「川瀬さん、深入りは危険です」
 友達を危険に巻き込みたくないので、この話には乗ってこないで欲しかった。
「う、うん」
 すると、今度は悲しそうに頭を下げた。
「じゃあ、明日の休みは二人でまったりしようよ」
「え?」
 突然の申し出に思わず、ドキッとしてしまった。
「いろいろ教えてあげる♪」
 嫌らしい笑みを川瀬に向けたことから、彼女への嫌がらせだと瞬時に判断した。
「百華さん、こういう時は二人っきりの時に言ってくれれば嬉しいんですが」
 仕方がないので、回りくどくそう言ってみた。
「そうなると、余喜君とエッチなことしないといけなくなるから無理かな~」
「百華さんが嫌がることは、僕は絶対しません」
 望んでもない相手に、そんなことをするつもりは毛頭なかった。
「なかなか紳士的な返しをするわね」
「好きな人を悲しませたくありません」
「あははっ、ありがと」
 百華は、羞恥を隠すように愛想笑いをした。すると、隣にいた川瀬が僕の袖を強く引っ張ってきた。
「え、なんですか」
「イチャイチャしないで」
 川瀬は悲しそうな顔で、僕にお願いしてきた。
「え?してました?」
 しかし、僕にはその実感は全くなかった。
「傍から見たら、のろけにしか見えなかったぞ」
 後ろの鈴方が、呆れ気味に指摘してきた。
「そうですか。のろけって自覚できないんですね」
「そうかもしれんな」
 僕の言葉に、鈴方は百華と川瀬を見て同意した。
 学校に着き、百華と鈴方と別れて教室に入った。席に座るなり、川瀬が机に突っ伏して溜息をついた。
「最近、元気ないですね」
「うん、そうだね。誰かさんのせいでね」
 器用にも机に突っ伏したまま返答してきた。
 一通り授業が終わり、安穏の一日が終わろうとしていたが、一通の平穏ではないメールが届いた。
「すみません。今日は一人で帰ります」
 僕は教室を出る前に、川瀬に最初にそう告げた。
「な、なんで?」
 これに悲しそうな顔で聞いてきた。
「加奈さんから、呼び出しのメールをもらいました」
 言おうかどうか悩んだが、別に隠すこともないので言うことにした。
「え、加奈から?」
「はい。少し時間をくださいだそうです」
「そう・・なんだ。珍しいというか、不吉ね」
 妹のアドレスは、家族という肩書きで登録しているもので、これまで一度も仕様したこともされたこともなかった。
「という訳で、今日は一人で帰りますね。二人にも伝えてください」
「わ、わかった」
「じゃあ、さようなら」
「うん、バイバイ」
 川瀬と別れの挨拶をして教室を出ると、百華と鉢合わせてしまった。
「あれ?なんか急いでる?」
「ええ、加奈さんに呼び出されまして、今向かうところです」
「あ、じゃあ、私も行くよ」
「いえ、一人で来て欲しいそうです」
「あ~、そうなんだ」
 百華がそう言いながら、何かを考えるように視線を宙に泳がせた。
「わかった。今回は譲りましょう」
 そう言うと、後ろにいた川瀬に声を掛け、隣の鈴方のクラスに歩いていった。僕はそれを見てから、足早に指定された場所へ向かった。
校舎からは出ずに、1年の校舎の第二音楽室に入ると、妹が後ろを向いて立っていた。その正面に一人に女子生徒が俯いた状態で座っていた。
「えっと、何かあったんですか」
 僕はどう聞くか悩んで、状況に合わせた質問をした。
「彼女は憑依されて、心を侵蝕された生徒です」
「そう・・ですか」
「心が弱い人が憑依されると、だいたいこうなるんです」
「え~、彼女はどういう状況なんですか?」
 何もしゃべらない女子生徒を見ながら、妹に小声で聞いた。
「憑依した霊は、ミシャが弱らせたばかりなんです」
「僕を呼んだ理由を聞いてもいいですか?」
「知って欲しいからです」
「僕は、特に知りたくはないんですが・・・」
 平穏な生活を望んでいる僕としては、これは知りたくはないものだった。
「ダメです。一度憑依されたなら、もっと警戒を強めてください」
「それなら、こういう場にいる方が危険な気がするんですが」
「霊は霊に引き寄せられるみたいな感じですか」
「はい。類は友を呼ぶみたいな感じです」
「それ、なんか違いませんか?」
「不思議に思っているんですが、なぜ加奈さんはこういうのに関わってるんですか?」
 僕は、妹の指摘をスルーするように話を変えた。
「う~ん、そうですね。友達を放ってはおけませんから」
「ミシャさんが友達ですか?」
「はい。それに一度とはいえ救われてます」
「そうですか」
「だから、今度は私がミシャを救うのです」
 妹は、決意の眼差しでそう言い切った。
「・・・カナ」
 歓喜余ったのか、ミシャの言葉が妹の口から出た。
「義理難いですね」
「薄情者にはなりたくありません」
 そんな話をしていると、女子生徒から黒いもやのようなものが出てきた。
「何か出てきましたよ」
 僕の方を向いている妹に、後ろで起きている事象を教えてあげた。
「力がなくなると、憑依できなくなります」
 女子生徒を見ていると、黒いもやがタケと同じような球体に近い形になり、女子生徒の隣に弱々しく落ちた。
『なんで邪魔するのよ』
 幽霊は、苛立ちをあらわにするようにそう云い放った。
「残念ですが、憑依で想いを遂げようとする貴女を野放しにはできません」
『この幽界で残れるのは、強い想いよ。それをなんであなたが邪魔するの!』
「人としての想いがあるなら、他人に乗り移って、想いを遂げようなんて思わないでください」
『なら、なんの為に私たちはこの幽界に残ってるのよ!』
「知りません。ですが、死んだ人が生きた人に影響を及ぼすのは看過できません」
『聖人気取って、ヒーローの真似事なんて虫唾が走るわ』
「気が合いますね。他人を利用して自己の欲を満たす貴女に、わたくしは虫唾が走ります」
 悪口を悪口で返すのは、妹の悪い癖だった。
「貴女の想いはここで潰えてください」
『想いに沿わないことは問答無用で圧殺する。聖者の真似事なんて、笑い者になるだけよ』
「西施捧心ですか・・そうかもしれませんね。ですが、貴女のやり方を認めれば、生者を尊厳を貶めるだけです」
『綺麗事ね』
「わたくしは、基本的人権の尊重をモットーにしています」
『なら、私も尊重しなさいよ!』
「生者になれば尊重してあげます」
 妹はそう言うと、黒いもやの刀を抜き振り上げた。
『・・・聖者に命乞いは通用しないわね』
「貴女の命はもう尽きてます」
 妹は悲しい顔で、右手を振り下ろした。幽霊は黒いもやになり、徐々に消失していった。
「想いを殺すのは、やはり心苦しいですね」
 妹は、悲しそうな顔で苦笑いした。
「そうですね。でも、間違ってはいないと思います」
「そう言ってもらえると、少し救われます」
 僕の言葉に、妹が悲しそうな笑顔を浮かべた。
「あ、あれ?私・・・」
 椅子に座っている女子生徒が目を覚まし、不思議そうに辺りを見回した。
「急に倒れられたから、近くの音楽室に運びました」
 妹は優しい笑顔で、適当な説明をした。
「あ、お姉様」
 すると、女子生徒が顔を赤らめ、妹のことをお姉様と呼んだ。それに僕は、少し引いてしまった。
「・・・体調は大丈夫ですか?」
 僕の反応を気にしたのか、妹が少し困り顔で相手を気遣った。
「は、はい、大丈夫です。お姉様に心配されて光栄です」
「そうですか。具合が悪いのなら、病院に行った方が良いかもしれません」
「は、はい。ありがとうございます」
 女子生徒は嬉しそうに、勢いよく頭を下げた。
「じゃあ、わたくし達は行きますね」
「あ、はい。助けていただきありがとうございます」
 妹に誠心誠意の感謝を込めて、もう一度深く頭を下げた。二度の感謝に、妹への憧憬が見て取れた。
「じゃあ、行きましょう」
「あ、はい」
 妹に促されるかたちで、僕が先に音楽室を出た。
「これを見せて、僕にどうして欲しいんですか?」
 しばらく歩いてから、僕は妹にそう投げかけてみた。正直、知ったところで力になれる気がしなかった。
「憑依を安易に許さないでくださいという警告です」
 どうやら、ただの親切心のようだ。
「意外ですね」
「え、何がですか?」
「いえ、僕のこと毛嫌いしてると思っていましたので」
「それは余喜さんでしょ!」
 突然、妹が大声で反論してきた。
「え?」
 これには驚いて、妹の方を見た。
「僕は、加奈さんのこと嫌いではないですよ」
「なら、どうしてわたくしを避けてるんですか?」
「え、ですから、加奈さんが僕を毛嫌いしているようなので・・・」
「・・・」
 僕の同じ答えに、妹が整った顔を歪めて沈黙した。
「それに僕は成績も悪いですし、加奈さんの評判に悪影響を与えると思いますよ」
「はぁ~、お互いの遠慮が今の状態を作り上げたんですね」
 なぜか妹が、悲しそうな顔で僕を見つめた。
「余喜さん。今後はお互い普通に接しましょう」
「どういうことですか?」
「お互い避けないという意味です」
「でも、僕と鉢合わせた時、嫌そうな顔していませんでした?」
「わたくしの性格、知ってますよね」
「え、ええ。相手に合わせた感情を返すんでしたよね」
 これは昔からの性格で、百華への対応を見る限り、未だに直っていないようだった。
「そういうことです」
 それが恥ずかしいことと思っているのか、言動に恥じらいが見られた。
 学校を出て、初めて二人で下校した。妹と並んで歩くのは慣れないので、少し後ろを歩いた。
「やっぱり、わたくしのこと避けてます?」
 それが気になったのか、僕の方に振り返った。
「いえ、そうではないですが、加奈さんの隣は歩きづらいです」
「ど、どうしてですか」
「う~ん。気品溢れているからでしょうか?」
 妹が悲しそうな顔をするので、それらしい褒め言葉を送った。
「・・・それはありがとうございます」
 これには顔を隠すように正面を向いた。
「でも、余喜さんの方が気品に溢れてますよ」
「え、そうですか?」
 この返しには、少し驚いてしまった。
「はい。だから、隣に来てください」
「わかりました」
 妹の悲哀な顔はあまり見たくないので、僕が妥協することにした。
 家に近づくと、妹の表情が徐々に険しくなっていった。
「や、待ってたよ♪」
 家の前で待っていた百華が、笑顔で手を振ってきた。
「え、どうしたんですか?」
 隣の妹を気にしながら、百華に聞いた。
「いろいろ教えようと思ってね♪」
「それは私から説明すると言いましたが・・・」
 妹は、百華の親切をばっさり切り捨てた。
「加奈ちゃんが知らないことも教えてあげるのよ」
「ちゃん付けは気持ち悪いのでやめてください。わたくしが知らないことは、余喜さんが知る必要はありません」
「まあ、そうなるわね」
 百華の生き生きとした表情を見る限り、妹との会話を終始楽しんでいるようだった。
「じゃあ、余喜君に決めてもらいましょう」
 百華がそう言うと、自宅前にも関わらず僕の肩に寄り添ってきた。
「何してるんですか!」
 すると、妹が過度な反応を示した。
「恋人なんだから普通でしょう」
「場所を考えてください」
 妹は、強引に僕を百華から引き離した。
「で、どうする?」
 百華は嬉しそうな顔で、僕に対して選択を委ねてきた。
「じゃあ、二人から聞きましょう」
 ここは無難な答えを口にした。
「・・・」
 しかし、妹には不服だったようで、不満そうな顔で睨まれた。
「とりあえず、家に入りましょう」
 ここで話していたら近所迷惑になるので、二人にそう促した。
 僕は二人を部屋に招き、正面に妹と百華を座らせた。これは妹が好きな百華への配慮でもあった。
「余喜君もわかってるね~♪」
 それを察したのか、百華が嬉しそうな顔をした。
「最初に言っておきたいんですが、手短に説明してください」
「余喜君には、危機感を感じないわね」
「そうですか?」
「だって、幽界という世界に戸惑う様子ないもの」
「幽霊はちょくちょく見えてましたから、幽界があっても不思議ではありませんよ」
「え!見えてたの?」
「はい、今までは無視していました」
「凄いわね。私なんてすぐ憑依されちゃったわ」
「それは不用心ですね」
 百華の独白に、妹が冷めた表情で言った。
「まあ、ご先祖様だし、無碍にはできなかったのよ」
 どうやら、今憑依しているのは百華の先祖のようだ。
「では、わたくしから手短に話します」
 妹は、この場を仕切るように話を切り出した。
 妹の話の間に、百華が補足しながら僕に幽界のことを教えてくれた。その説明は昨日のやりとりで想像できるものばかりだった。
「だいたいわかりました」
 二人の話を聞いて、僕は納得したように言った。
「僕にできることは何もなさそうですね」
「この話聞いて、それだけなの?」
 百華は、僕の結論におかしそうに笑った。
「他に何もないでしょう」
「そんなことないわ。霊に憑依された人はどこにでもいるし、発狂して人を殺すことなんてザラにあるわ」
「そうかもしれませんね。でも、世の中には突然死なんていくらでも転がってますよ」
「ふふっ、それは的を射てるわね」
 幽霊の関与より事故死の方が多いことは、二人の説明でわかることだった。
「余喜さんは、危機感なさ過ぎです」
 百華の笑顔に対し、妹は難しい顔で注意喚起してきた。
「ですが、気にしても成るようにしか成りません」
「はぁ~、余喜さんは守り甲斐ありませんね」
 妹は大きな溜息をついて、がっくりと肩を落とした。
「もう恋人同士好きにしたらいいです」
 そして、そのまま部屋を出ていった。
「あ~あ、行っちゃった」
 それを百華は、残念そうに見送った。
「ところで、川瀬さん達と一緒じゃないんですね?」
「ああ、千沙には悪いけど抜け駆けさせてもらっただけよ。幽界のことなんて話せないしね~」
「そうですね」
 僕が納得すると、百華が四つん這いで僕の隣に回り込んできた。
「う~ん」
 そして、僕の顔をじっと見つめてきた。
「な、なんですか?」
 僕はドキドキして、百華から少し距離を取った。
「余喜君、女装してみない?」
「え?」
「顔は可愛い部類だから、女装すれば似合うと思うんだけど」
「す、すみません。好きな人の頼みでもそれはちょっと・・・」
 このお願いは本当に困るものだった。
「え~、絶対似合うって」
「いえ、そういう問題でなく・・・」
「大丈夫、私の前だけでいいから」
 百華が懇願するように、僕の両手を握ってきた。
「で、ですが、服がありません」
 仕方ないので、妥当な理由で断ってみた。
「私の貸してあげる」
「え?」
「どうかな♪」
「・・・」
 この申し出には、言葉を失ってしまった。
「下着も貸すよ!」
 それがもうひと押しだと思ったのか、目を輝かせて詰め寄ってきた。好きな相手の期待に満ちた眼に、僕は応えてあげたくなった。
「わ、わかりました。でも・・・」
「やった♪じゃあ、明日持ってくるわ!」
 下着は遠慮しようと言葉にする前に、百華が嬉しそうに声を被せてきた。
「あ、でも、サイズ合うかな~」
 そう言うと、僕の体を観察した。
「そうですね。無理ならやめましょう」
 了承したとはいえ、女装への抵抗感からできるだけ自然な流れで諦めを促してみた。
「余喜君って、華奢だからいけるかも」
「いえ、百華さんの服ですから申し訳ないです」
「ん?私が好きで、提供するから気にする必要ないわ」
「で、ですが、僕は男ですよ」
「そうだね。普通の男子は不快だけど、私を好きな余喜君には抵抗ないわ」
「そう・・なんですか」
 僕の方は抵抗感だけしかないが、好きな人にそう言われてはどうしようもなかった。
「いろいろ準備するからもう帰るね」
 百華が嬉しそうな顔で、僕から離れた。
「あ、あの、本当にするんですか」
 僕は、再考を求めるように再度聞いてみた。
「勿論。お互いにとって有益だと思うけど、何か不満あるの?」
「えっと、僕に有益なことなんてあります?」
 正直、生き恥を晒す以外なにものでもなかった。
「好きな人の服を着れるでしょう」
「申し訳ないのですが、そういう感性は僕にはありません」
「あ、そうなの?」
 その反応を見ると、百華には好きな人の服を着たいという願望があるようだ。
「女装すると、私ともっとイチャイチャできるわ」
 百華はそう言うと、僕の腕に寄り添ってきた。
「百華さんって、スキンシップが好きなんですね」
 レズと言いながら、僕によくくっついてくることが少し不思議だった。
「そうね。余喜君の匂い、結構好きなのよ」
「そ、そうですか」
 これは少し嬉しくて、百華から顔を逸らした。
「うふふっ、照れちゃって可愛い。女装したら絶対私のタイプになるわ」
 百華は、嬉しそうに僕から離れた。
「百華さんって、マゾではないんですか」
「えっと、マゾだって私言ったっけ?」
「あ、いえ」
 これは川瀬から聞いたことなので、少し答えに困ってしまった。
「千沙ね」
 しかし、僕の挙動を見てすぐに察したようだ。
「まあ、いいわ。私の場合は誘いマゾなのよ」
「どういう意味ですか?」
 初めて聞く単語に、思わず眉間に皺が寄った。
「しつこくじゃれて怒られる・・みたいな?」
「それは面倒な性格ですね」
「うん。その攻めの返しは好きよ」
「そ、そうですか」
「断っておくけど、マゾは誰にでも罵られたいわけじゃないし、時には好きな子をいじめたくもなるわ」
「人それぞれですもんね」
「ええ、ここまで聞いても私のこと好きなの?」
「それが嫌う理由にはなりえませんね」
「ふふっ、余喜君は心が広いんだね」
「好きな人には寛容でいたいだけですよ」
「難しいことを平気で言えるなんて凄いね」
「僕も苦労しました」
 僕は過去を思い出しながら、少しだけ表情を緩めた。
「あ~、それダメだよ」
 これに百華が、優しい顔で微笑んだ。
「え、何がですか」
「ううん、なんでもないわ」
 百華は首を振って、この話を終わらせた。
「明日の準備するから帰るね」
「あ、はい」
「それと千沙と鈴方君は呼ばないでよ」
「死んでも呼びませんよ」
 二人に生き恥を晒すつもりは毛頭なかった。
「じゃあ、明日ね」
「ええ」
 僕は立ち上がって、百華を玄関まで見送ることにした。
 玄関で百華が靴を履いて、僕の方を見上げた。
「余喜君を知っていくほど、好きになってる自分がいるわ」
「え、突然どうしたんですか?」
「自分の感情の変化に吃驚してるのよ」
「僕にはその発言が吃驚です」
「世の中、何があるかわからないわね」
「いまさらですね」
 僕の言葉を聞きながら、百華は玄関のドアを開けた。
「余喜君、これからよろしくね」
「え、ええ、よろしくお願いします」
 なんのことかわからなかったが、とりあえず返事を返しておいた。
 百華が帰り、一人なったところで下着の件を言うのを忘れたことに気づいた。

第六話 装

 夕食後、妹が僕の部屋を訪ねてきた。
「何か用ですか」
「あまり楠原さんには心を許さないで欲しいです」
「理由を聞いておきましょう」
「言動が信用できません」
「そういう性格の人もいますよ」
「少し言いにくいんですが、余喜さんに好意を持っている感じがしません」
「凄いですね。それ、間違ってないですよ」
 妹の慧眼に思わず感心してしまった。
「理解できないですね。それでなぜ付き合えるんですか」
「僕が好きだからです」
 これには妹が、驚いたように二重の目を見開いた。
「正直信じられないです。余喜さんがあんな人を好きになるなんて」
「そうですか?」
「まあ、好みなんて個人の主観ですから、わたくし個人がどうこういうことなんてできませんが」
「そうですね。僕には百華さんが好みです」
「そういうことなら、説得は無理ですね」
 妹は断念するように、その場から立ち上がった。
「別に、これまで通り放っておいて構いません。何かあっても僕が選んだことです。加奈さんが気に病むことはありません」
「これまでは霊感がないと勝手に勘違いして、放っておいただけです。余喜さんが霊と憑依できることを知った以上、見過ごすことはできません。それに恋人が憑依されている楠原さんである以上、放っておけというのは無理な話です」
「なぜそこまで敵視しているんですか?」
「憑依できる霊は、それほど多くないんです。一般的に霊である時間が長ければ長いほど、想いは風化します。楠原さんに憑依した霊は先祖だと言いました。少なくとも百年も幽界にいるなんて異常です」
 それを聞くと、タケはいったい何年前に死んだのか少しだけ気になった。
「だから警戒に値する、ですか」
「ええ、異常な執着や怨念がなければ、幽界に留まることは難しいんです」
「加奈さんの言い分はわかりました」
 これを聞くと、妹には放っておいてくれとは言えなかった。
「別れてくれるんですか!」
 が、意味をはき違えた発言が飛び出した。
「いえ、別れる話ではなく、心配してくれる理由がわかりましたという意味です」
「あ・・そうですか」
 妹は歓喜から悲哀な表情に変わった。ぬか喜びさせてしまった分、ショックが大きかったようだ。
「もう寝ます。おやすみなさい」
 そして、悄然としたまま立ち上がった。
「余喜さん。あまり無理はしないでくださいね」
 妹はそう言い残して、部屋を出ていった。
「恋愛って、障害多いですね~」
 僕はそれを見送ってから、今の自分の思いを吐露した。
 次の日の早朝、百華がハイテンションで家に上がってきた。手には大きなバッグに手提げ鞄を持っていた。今日は、チュニックにトップスの組み合わせで少し大人びた印象だった。
「なんか元気ですね」
「昨日、楽しみで寝られなかったわ」
 百華も寝不足なようだが、こっちは不安で寝不足だった。
「はい。じゃあ、着替えて」
 百華は楽しそうに、バッグをテーブルに置いた。
「・・・本当にするんですか?」
「勿論。私とイチャイチャしたいでしょう」
「う~ん。現実を目の前にすると躊躇してしまいます」
「あ~、それはわかるわ。でも、大丈夫。最初はハードルの低いパンツ系にしてるから」
 実際、女装するということに抵抗があるのだが、スカートよりは確かにマシだった。
「念の為、少し大きめの選んだから、たぶん穿けると思うわ」
「そう・・ですか」
 余計な気遣いに、もう頭の中は真っ白だった。
「それに要望通り、ちゃんと下着も用意したわ」
「昨日言いそびれましたが、下着は勘弁してください」
 女装を躊躇しているのに、ハードルの高い下着なんて穿けるはずはなかった。
「あれ、嫌だった?」
「え、ええ。かなりの抵抗があります」
「そう・・・まあ、無理には言わないけど、これは全部あげるから好きに使って」
「え?置いていくんですか?」
「うん。私のための女装用だから、二人っきりの時はそれ着てね♪」
「・・・」
「あと、気に入ったものはいろいろ私が買ってくるから」
「え、でも、お金掛かりますよね」
「大丈夫、私が全部出すから」
「わ、悪いですよ、そこまでされるのは」
「気にしないで。私の為だから!」
 敢えて僕の為ではないことを強調するように、胸を張って言い切った。
「これ着たら、慰めてくれます?」
 仕方がないので、心が折れた場合の打算的なお願いをしてみた。
「勿論。そのフォローは任せなさい」
 頼りになる言葉だったが、個人的には思いっきり拒絶したい衝動に駆られた。
 百華に部屋から出てもらい、一人鞄から服を取り出そうとすると、最初に下着が顔を見せた。それを脇にそっと置き、手早く着替えることにした。
「あれ?」
 着替え終えて、下着を仕舞おうとすると、もう一つ黒いものが入っていた。取り出すと、長いカツラが入っていた。どうやら、被れということらしい。僕は渋々それを被り、廊下にいる百華を呼んだ。
「ちょ~似合う~♪」
 入ってくるなり、勢いよく近寄ってきた。
「予想通り可愛いよ~♪」
「あ、あの、ドアは閉めてもらえますか」
「はぁ~、いいよ~♪」
 しかし、僕の声は届いていないようで、僕の姿を焼き付けるように凝視していた。
「ちょっと、落ち着いてください」
 僕はそう言って、急ぎ足でドアを閉めた。
「はぁ~、もう少し僕に気を使ってください」
「ご、ごめん。あまりにも可愛かったから」
 それは男として、嬉しさは感じなかった。
「あの・・このカツラ、どうしたんですか」
「カツラじゃなくて、ウイッグって呼んでね。カツラなんて男が被るものだから」
 違いはほとんどないのだが、男性と一緒の呼び名だと女性的には抵抗があるようだ。
「それ、昨日買ってきたの。結構高かったから、大事に使ってね♪」
「ここまで力を入れる必要あります?」
「うん。その甲斐があったわ♪」
 ストライプのスキニーパンツに花柄のチェック、ロングの黒髪の僕の姿に満足そうに頷いた。
「声も少し高めにできる?」
「えっと、これぐらいなら」
 僕は、自分の声色を一オクターブ高くした。
「良い感じね」
「あ、ありがとうございます」
 嬉しくなかったが、一応お礼を言っておいた。
「最後にこれね」
 そう言うと、髪にピンクの花柄のヘアピンりを付けてきた。
「最高だよ~♪」
 そして、大満足の顔で僕を見つめてきた。好きな人に褒められるのは嬉しいのだが、自分の格好がその喜びを霧散させていた。
「ちょっと笑ってみて」
「い、いえ、今はそういう気分ではないので・・・」
「え、どうして?」
 百華は不思議そうな顔で、僕を見上げてきた。
「この格好を受け入れるのに、時間が掛かりそうです」
「ええ~、こんなに可愛いのに?」
「えっと、僕には褒められている気分になれません」
「う~ん。まあ、複雑だよね」
 少しは僕の気持ちを汲む余裕が出てきたようで、少し難しそうな顔をしてから僕から一歩だけ引いた。
「ファンデとか塗ってみる?」
「・・・」
 が、その気遣いは明後日の方向に向いていた。
「少し落ち着かせてください」
 僕は溜息交じりに、ゆっくり定位置に座った。
「前から思ってたけど、余喜君の立ち振る舞いって上品よね~」
「そうですか?」
「うん、洗練された感じ」
「そういうのは意識したことがないですね」
 百華は僕の正面に座り、じっと見つめてきた。
「ど、どうしたんですか?」
「この余喜君は、私が独占できるんだね」
「え、ええ。好きな百華さんにしか見せません」
 というか、他の人に見られたら、生きていく自信がなくなりそうだった。僕がそう思っていると、百華は驚いたように目を見開いていた。
「どうかしました?」
「え、あ、うん。落とし文句にやられただけ」
 百華は、恥ずかしそうによくわからない言葉を口にした。
「写真撮っていい?」
 いつの間にか、持っていた携帯をこちらに向けてノリノリで聞いてきた。
「それは本気で勘弁してください」
 僕は慌てて、両手でカメラのレンズを遮った。
「待ち受けにしたいんだけど♪」
「やめてください」
 それだけは本気で願い下げだった。
「そぉ~、それは残念ね」
 百華は心底ガッカリして、携帯を仕舞った。
「もう着替えていいですか?」
「ダメ♪」
 こうも満面の笑顔で言われると、着替えるという選択肢は潰されてしまった。
 結局、1時間も百華の我儘に付き合わされてしまった。その間、僕はただ百華の話を受け答えするだけで、自分からは何もすることはなかった。
「余喜君って、ホント紳士的ね」
「これからは短時間でお願いします」
 僕は私服に着替えて、ようやく自分を取り戻した気分になっていた。
「え~、可愛いからもっと楽しもうよ~」
「個人的には女装は楽しみたくないです」
「も~、ノリ悪いな~」
「言っておきますけど、百華さんが言うから女装しているんですから、それを忘れないでください」
「わかってるわよ」
 百華はそう言いながら、なぜか僕に抱きついてきた。
「えっと、今度は何ですか?」
 内心では酷く動揺したが、声はかなり冷静だった。女装した後からか、体と心が違う反応をしていた。
「女装してくれたお礼♪」
「ありがとうございます」
 お礼と言われたからには、謝意で返すしかなかった。
「この抱擁は、男では余喜君にしかしないんだから、そこは肝に銘じておいてね」
 要するに、抱擁するから女装しろと言っているようだ。
「あの、やっぱりこれは持って帰ってくれませんか」
 僕は、女装セットを百華に差し出した。
「また持ってくるの面倒だからイヤ♪」
 しかし、僕の願いは一言で一蹴された。
「じゃ、じゃあ、下着だけでも」
 さすがにばれた時のことを考えると、下着だけは持って帰って欲しかった。
「それは余喜君へのご褒美のつもりだったんだけど・・・」
「これを持っているだけで、家での平穏が保てません」
 女装セットだけでも抵抗あるのに、下着なんて危険すぎる物を置いておく勇気はなかった。
「余喜君がそう言うなら・・・」
 百華は鞄の奥から下着を出して、もう一つ手提げ鞄に無造作に入れた。
「必要になったら、いつでも持ってくるから」
「心遣いだけで十分です」
 こういう気遣いは余計なお世話なだけだった。
「でも、いいんですか?僕なんかより、加奈さんと親密にならなくて」
「う~ん。親密になりたいけど、憑依してる相手が聖女じゃあ無理ね」
「あ、そういえば、百華さんに憑依しているのって巫女の先祖でしたっけ?」
「うん。今は神社で待機してるわ」
「え?今憑依してないんですか?」
「常日頃憑かれるのは疲れるから、こういうプライベートは憑依させてないわ」
 ダジャレが入っていたが、本人は意識していないようだった。
「あ、そうなんですか」
 憑依と言っても、取り外しは安易なようだ。
「でも、僕に憑依した霊はずっと憑いていましたけどね」
「まあ、幽界から消えたくなかったからでしょう」
「そういえば、そんなこと言ってましたね」
「昨日の話にでなかったけど、多分加奈ちゃんは知らないかもしれないわね」
「え、何がですか?」
「霊が憑依する理由は、主に二つよ。一つは想いを遂げる為。もう一つは憑依した人の感情の起伏を自分に転換する為よ」
「転換?」
「そ、幽界は想いの強さっていうのは昨日説明したでしょう。時間とともに感情も風化するから、憑依した人の感情を汲み取ることによって、想いを自分に転換するのよ」
「そうすることによって、幽界に長く留まれるということですか?」
「そういうこと♪」
 感情の起伏を転換するのなら、タケが僕の感情を揺さぶる行動をとったことは、酷く納得できるものだった。
「じゃあ、百華さんの先祖もそうやって長く留まり続けているんですか」
「神道を貫く意思が、マチを幽界に留めているわ」
「神道・・ですか」
「あ、言っとくけど、私は無宗教だから」
「え、実家は神社じゃないんですか?」
「私の曾祖父母の時代で廃業よ。でも、神社の本殿は残してるわ」
「それって、憑依している先祖が原因ですか?」
「その通り。想いを遂げられないからこそ、幽界に留まれる。廃業を知れば余計にね」
「そういうことでしたか」
「マチは、私の曾祖母に当たるわ」
「巫女にしては、結構砕けた話し方でしたね」
「ふふっ、それは言えてる。巫女というなら、加奈ちゃんの話し方の方がまだしっくりくるわ」
「そうですか?加奈さんって一人称に対して、扱うのが丁寧語なので、あまり合わないと思うんですが?」
「どういうこと?」
「う~ん。あの一人称だと尊敬語がしっくりくると思うんですが」
「あ~、言われてみればそっちの方が合ってるかもね~」
「加奈さんの場合、そこは少しズレてるような気がします」
「でも、あれはあれで可愛いじゃない」
「そう・・ですか」
 僕には、その類に魅力は感じなかった。
「余喜さん、いますか?」
 突然、ドアのノックと妹の声が聞こえた。
「え、あ、はい。なんですか」
 僕は慌てて、女装用の鞄をベッドの下に押し込んだ。
 ドアが開くと、妹が百華を見て嫌な顔をした。ロングで無地ワンピースに、インナーで長袖の淡い白を着ていた。
「・・・可愛い」
 百華が妹を見て、そんな感想を口にした。
「居たんですか?」
「恋人だからね♪」
 妹の嫌みに、百華は笑顔で返した。
「霊の監視は大丈夫なんでしょうね」
「ええ、マチが監視してるわ」
「よくあの巫女を信用してますね」
 百華の先祖と話したことのある妹には、彼女を未だに信用できないようだ。
「私は、気さくで面白いと思うけどな~」
「先祖にしては威厳がありませんよ」
「まあ、確かに同世代みたいな感じね」
「ふぅ~、理解に苦しみます」
 妹は溜息交じりに、百華から視線を外した。
「ところで、余喜さん。時間ありますか?」
「え、ええ、まあ」
 僕はそう言いながらも、百華の方を見た。百華と一緒なので、彼女の許可も必要な気がした。
「楠原さん。余喜さん借りていいですか」
 それを察してくれたようで、妹が百華に許可を求めた。
「う~ん。霊に関与させるなら、貸してあげられないわ」
「・・・」
 百華の言葉が的を射たようで、沈黙の返しをした。
「心配するのはわかるけど、あまりむやみやたらと霊と接触させるのは危険よ」
「余喜さんは危機感がありませんから、できるだけ知って欲しいんです」
「ふぅ~・・・わかったわ」
 百華は妹を見つめて、諦めたように立ち上がった。
「じゃあ、私は帰るわ」
「あ、そうですか。玄関まで送りますよ」
「ありがとう」
 百華が部屋を出るタイミングを見計らって、妹も一緒に部屋の外に出した。
「またね」
 百華は笑顔で、僕と妹に手を振って帰っていった。
「本当に好きなんですね」
 妹が僕の顔を見て、突然そんなことを言い出した。
「え、何がですか?」
「いえ、なんでもありません」
 妹は、はぐらかすように僕から視線を逸らした。
「余喜さん。出かけるので、着替えてください」
「え!」
「なんでそんなに驚いてるんですか?」
「あ、いえ、なんでもないです」
 女装した直後ということもあり、着替えという言葉に極度に反応してしまった。
 僕は追求を恐れて、そそくさと部屋に戻った。着替える前に、女装セットをクローゼットの奥に仕舞い込んだ。
「で、どこに向かってるんですか?」
 家を出て、最初に目的の場所を聞いた。
「方向的には南です」
「なんでわかるんですか?」
「ミシャの特殊能力です。殺意や敵意に強く反応します」
「幽霊にも個性があるんですね~」
 タケにはどういう特殊能力があったのかが、ほんの少しだけ気になった。
「あの人みたいですね」
 正面の通りに、一人の男性が歩いていた。彼は、青系のチノパンツに襟立ちのシャツを着ていた。
「え、憑依してるんですか?」
「そうみたいですね」
「思いのほか、幽霊が見える人多いんですね」
「見えるだけで、安易に憑依させる人も多いですね」
 妹が溜息をついて、当てつけのように僕の方を見た。
「少し離れてついてきてください」
 妹はそう言うと、黒いもやに包まれていった。どうやら、相手に顔を見せたくないようだ。
 妹は男と一言二言言葉を交わせ、どこかへ歩き出した。
 それについていくと、ひと目につかない空き地に入った。それを見て、不法侵入している点が気になってしまった。
 妹と対峙すると、男の身体が黒いもやに包まれていった。若干、妹より黒いもやが濃い気がした。
「間に合ったみたいね」
 突然、後ろから声が聞こえた。驚いて振り向くと、百華が息を切らせて駆け寄ってきた。
「えっと・・・」
 いろいろ聞きたいことがあったが、何から聞いていいか迷ってしまった。
「多くは言わなくてもいいわ。見てれば私が来た理由がわかるから」
 そう言うと、百華が僕の横に並んだ。僕は頭を整理をする為、再度百華を観察した。
「ふぅ~、聖女は見境ないわね~」
 百華の独り言に、僕は返事ができなかった。
「そんなに見つめられると、照れるんだけど」
 そうは言ったが、表情に照れは見られなかった。
「とにかく、あの二人の戦いを見てなさい」 
「あ、はい」
 いろいろ聞きたかったが、百華はそれをさせてくれなかった。
 しばらく、二人の応酬を見ていると、明らかに妹の方が劣勢だった。
「やっぱりね」
 百華はそう言って、溜息交じりにハンカチで汗を拭った。
「全く力量なんて見ればわかるのに、聖女ってたいてい勝手に自滅するのよね~」
「えっと、助けるんですか?」
「正直、私とマチで意見が割れてるわ」
 百華は妹の動向を注視しながら、僕にそんなことを言ってきた。
「どういうことですか?」
「私は聖女を助けて恩を売ろうと思ってるんだけど、マチが消極的でね」
「・・・もしかして百華さんって、加奈さんを除霊するために近づこうとしたんですか?」
 ここまでの話で、これまでの百華の不可解な行動が理解できた気がした。
「元々、そのつもりだったんだけど、加奈ちゃんに一目惚れしちゃってね」
「あ、そうですか」
 近づいた理由は間違ってはいないようだが、好きなことには変わりないようだ。
「あわよくば、除霊して仲良くなろうと思ったのに、聖女と意気投合しちゃってるんだもん。おかげで恩を売れなかったわ」
「でも、今度は除霊ではなく、聖女を救うことで恩を売るってことですか」
「そういうこと。でも、マチが乗り気じゃなくてね。ここは余喜君に判断させようって話になって」
「なんで僕なんですか?」
「恋人だから」
 百華は僕を見て、嬉しそうにそう言い切った。
「それだけの理由ですか?」
「十分な理由だと思うけど」
「マチさんは、それで納得してるんですか」
「ええ。あれでも余喜君のこと気に入ってるのよ」
 それがおかしいのか、百華が口に手を当てて堪えるように笑った。
「ちょっ、それ言わない約束でしょう」
 この暴露に、百華の口から慌てたような声が漏れた。
「で、どうする?」
 百華はそれを無視して、僕に判断を委ねてきた。
「助けてあげてくれませんか」
「わかった。異存ないわね、マチ」
「し、仕方ないわね」
 百華がそう投げかけると、マチが恥らいの声で応えた。
「じゃあ、これお願い」
 黒いもやが百華の全身を包むと、百華が僕の方に右手を差し出した。
「なんで持ってきてるんですか?」
 その右手には、タケが握られていた。これが一番最初に気になっていたことだった。
「一応、監視を任されてるから、一時的に預かって」
「あ、なるほど」
 百華の意図を察し、僕はタケを受け取った。といっても、目の前に浮遊させるだけで、掴めるわけではなかった。
「そろそろやばいみたいだから、恩を売ってくるわ」
 百華は、駆け足で妹の加勢に向かった。戦いは妹の劣勢が続いているようで、相手に押し負けて空き地の隅に追いやられていた。
「えっと、元気してました?」
 タケと二人っきりになり、とりあえず逃げないように話しかけてみた。
『けっ、監視されるのは気持ちが悪くてたまらん』
「で、でしょうね」
『ところで、おまえは行かないのかよ』
 百華が参戦したところを見て、タケが僕にそう聞いてきた。
「行っても足手まといですよ」
『そうか。まあ、そう思ってるなら足手まといだな』
「なんですか、その含みのある言い方は?」
『別に含みはねぇよ。そのままの意味だ』
「そうですか」
 僕はそう応えて、空き地の方に目をやった。妹と百華は若干の口論があったように見受けられたが、ここからでは会話までは聞き取れなかった。
 しばらく見ていると、いがみ合っているせいか苦戦していた。
『足の引っ張り合いだな』
 それを見て、タケが呆れた口調で云った。
「ですね。長引いたら不利な気がします」
『良い観察眼だな。長引いたら消耗戦になるだろうな。想いが強い方が勝つ』
「一つ聞きたいんですが、僕にも何かできませんか?」
『さっき、自分で足手まといだといったばかりだろう』
「ええ。ですが、事態の悪化を黙って見るのは堪えられません」
『霊同士の戦いは、霊を憑依させないと意味がない』
「今のタケは戦力になりますか?」
『・・・ふん、ならんこともないとだけ云っておこうか』
「それを聞いて少し希望が持てました。手伝ってくれます?」
『都合の良い野郎だな』
 これはぐうの音も出ないほどの返しだった。
「そうですね。ですが、今は頼れるのはタケしかいません」
『ちっ、気に入らねぇが、妹の可愛いさに免じて乗ってやる』
 タケは変な光を微弱に発光してから、僕の心臓部に入ってきた。
「ところで、どうやって黒いもやを出すんですか?」
 向かおうとしたが、憑依されただけでは何もできない気がした。
「同化と強く念じろ」
 僕の口を使って、タケがそう指示してきた。
「え、でも、前は勝手になってませんでしたか?」
「俺が強く念じたからな」
「それでできるなら、タケがやってください」
「今の俺じゃあ、腕だけしかできん」
 僕は納得して、頭の中で強く念じた。すると、黒いもやが僕の周りを包み込み始めた。
「前が見えにくいですね」
 黒いもやを鬱陶しく感じながら、妹たちのもとへ歩き出した。
「あと、勝手に身体を動かさないでくださいね」
 タケは何かを確認するように、僕の指を動かしていた。
「同化は久しぶりだから、感覚を確かめてるんだよ」
「それより武器はないんですか?」
「思いっきり殴れ」
「単純ですね」
「今の俺に余計な物に分散する余裕はねぇ~」
「なら、仕方ないですね」
 僕は男に駆け足で近づき、とりあえず後ろから思いっきり殴ってみた。彼は地面に倒れ、眼鏡が落ちた。それを二人は、唖然として見つめていた。
「・・・って、躊躇いもなく不意打ち!」
 状況をかみしめた後、最初に百華が驚きの声を上げた。
「やっぱり人を殴るのは気分が悪いですね~」
「余喜さん!」
 僕の声に反応したのか、妹が驚いた声を出した。
「大丈夫ですか?」
「どういうことですか!」
 妹が声を荒げて、百華の方を見た。
「うるさいわね~。今はまだ除霊してないんだから、そこに集中しなさい」
 百華の声で、巫女が煩わしそうに倒れた相手に顔を向けた。
「後で詰問します」
 妹は、疲れた様子で優先順位を判断した。
「あれ?起き上がりませんね?」
 不意打ちとはいえ、僕の一撃で沈むのは不可解だった。
「・・・マトイが薄まってる」
 百華が倒れている男を凝視して、ぽつりとそう呟いた。
「想いを削ったんだよ」
 すると、僕の口からタケの言葉が口に出た。
「そんなことできるの?」
「さあ~、俺ができるだけだ」
 百華の言葉に、僕の口が勝手に答えた。
「削ぐと憑依者も気を失う。除霊するなら今がチャンスだぞ・・・だそうですが、どっちか除霊できます?」
 僕はタケの言葉を引き継ぎ、二人に除霊を任せることにした。
「じゃあ、私がやるわ」
 百華が率先して、除霊を買って出た。
「いえ、わたくしに任せてください」
 何を思ったか、一番弱っている妹が張り合ってきた。
「加奈ちゃん、自分の相方の状態を把握してる?」
「え?」
 百華に言われて、自分の姿を確認した。
「譲ります」
 自身の状況を把握し、妹が意気消沈して引き下がった。
「マチ、お願い」
 百華の黒いもやが腕を形成して、倒れた男の心臓部を貫いた。これは僕の時にもした除霊方法だった。
「それって、自由に動かせるんですか?」
 黒いもやを見て、僕は不思議に思った。
「前に言ったけど、これはマチが動かしてるマトイよ」
 百華は、黒いもやをそう呼んだ。
「マトイ・・ですか。それって百華さんが名付けたんですよね」
「うん」
「なぜその名前なんですか?」
「霊をまとってるから」
「そうですか」
 わざわざ名付ける意味がわからなかったが、あまり追求するのも悪いので流すことにした。
 男から黒いもやが消えて、素顔が見えてきた。
「あ」
 男の顔を見て、思わず声が出てしまった。
「知り合い?」
「え、ええ。同じクラスの岸谷君です」
 百華の問いに、僕は苦い顔で答えた。
「あ、そう」
 これには百華も苦い表情をした。
「とりあえず、この人が目を覚ます前に離れしょう」
 妹が岸谷の眼鏡をそばに置いて、周りを気にしながら急かしてきた。
「そうですね」
 僕は心の中で謝罪して、速足でこの場を去った。

第七話 心

「その幽霊はどうするんですか?」
 僕は、ずっと命乞いをしている球体の霊を見ながら百華に聞いた。
「この霊は、悪意しか残ってないわね」
 これには巫女が答え、考える素振りすらなく球体を握り潰した。幽霊は圧迫され、細かい黒いもやになり消滅した。
「神道はどうしたんですか?」
 それを見た妹が、呆れたように指摘した。
「え、今浄霊したのよ」
 そうは言ったが、命乞いの相手に何も答えず、慈悲もなく握り潰したようにしか見えなかった。
「浄霊・・ですか」
「そ、神になったわ」
「・・・適当ですね」
 巫女の説明に、妹が懐疑的にそう言った。
「失礼ね。これでも真面目に浄霊してるのよ」
「なら、せめてそれらしく振舞ってください」
「堅苦しいの嫌いなのよね~。時間掛かるし」
「とても巫女とは思えない言葉ですね」
「そもそも浄霊の儀式って仰々しいのよ」
「・・・」
 この巫女の言い分に、妹が呆れて言葉を失っていた。
「まあ、勘弁してあげてよ。マチは、巫女の経験はそんなにないんだから」
「え?」
「巫女になったけど、数か月後に結婚して廃業になってるのよ」
「それで良くここまで長く留まれましたね」
「まあ、いろいろやり方はあるのよ」
 妹には、幽界に留まる方法を教える気はないようだ。
「あ、忘れてた」
 百華が思い出したように、左手のもやで僕の胸を貫いた。この一連の流れに僕はついていけなかった。
「って、何してるんですか!」
 それは妹も同じようだった。
「何って、除霊よ」
 そう言うと、左手に持ったタケを見せつけた。
「それ、もしかして余喜さんに憑依していた霊ですか?」
「ええ、また憑依させるとは思わなかったけど」
 百華はそう言いながら、僕を責めるように視線を向けた。
「なんでその霊は浄霊しないんですか?」
「彼は、悪意があんまりないからね」
 このしゃべり方は、巫女が答えているようだ。
『なら、とっとと開放しろ!』
 これにタケが、強く要求した。
「うるさいわね~、消すわよ」
 巫女は、煩わしそうに左手に力を込めた。
『いだだだ~。悪い言い過ぎた!』
「全く、立場をわきまえなさい」
 巫女は偉そうに、タケを睨みつけた。
「あまり詮索はしたくないんですが、今浄霊と同じことしようとしませんでした?」
 妹は、訝しげな顔と呆れ声で追求した。
「え、し、してないよ」
 これにはぎこちない笑顔で、視線を逸らした。その態度を見る限り、彼女は嘘が下手なようだ。
「そ、それより助けたんだから恩に着なさいよ」
 巫女は動じながら、話を妹の方に切り替えた。
「お礼で満足できないんですか」
 妹は嫌な顔で、百華を睨んだ。よほど、助けられたことが癪だったようだ。
「うん。足りない」
 それを意にも返さず、百華が爽やかな笑顔で断言した。
「恩着せがましいですね」
「私は打線的だからね」
「・・・嫌な人」
 百華の堂々とした主張に、嫌悪感たっぷりに毒を吐いた。
「っ~」
 すると、百華が恍惚な表情をした。それを見た妹が、困惑な表情をした。
 百華と別れ、妹と二人になった。
「えっと、今日はありがとうございました」
 百華に言わなかったお礼を、恥ずかしそうに言った。
「あ、いえ、どういたしまして」
 僕にお礼はいらなかったが、とりあえず返礼しておいた。
「一つ聞きたいんですが、加奈さんはいつも真正面から戦いを挑んでいるんですか?」
「え、あ、はい」
「危険なのでもうやめません?」
 あの危なっかしい戦い方は、僕としてはやめて欲しかった。
「そう思っていただけるのなら、もう幽界には関わらないでください」
「加奈さんは関わるんですか?」
「はい。ミシャが存続している限りは」
「困りましたね~」
 妹の危機的状況を見てしまっては、放っておくことは難しかった。
「大丈夫です。余喜さんには迷惑掛けませんから」
「それ、僕も言いましたよね」
「・・・」
 僕の返しに、妹が心底困った顔をした。
「余喜さん、意地悪です」
「もうやめませんか?」
「え?何をですか?」
「一人で背負うの・・です」
「・・・」
 妹は何かを考えるように、僕から視線を逸らした。
「でも、今の余喜さんは役に立ちません」
「百華さんと協力してはどうでしょう」
「却下です」
 妹は、嫌悪感をあらわにして即答した。
「まあ、すぐには無理かもしれませんね」
「徐々にでも無理です」
「相容れないんですか」
「全く相容れません」
「そう・・ですか」
 こうまで断言されると、もう僕からの説得は無理だった。
「なら、どうしようもなくなったら、相談してください」
「仕方ないですね。困ったら余喜さんを頼ります」
 どうしても百華に頼りたくないようで、僕の名前を強調して言った。
「はい、そうしてください」
 一応、妥協はしてくれたので、これ以上はやめておいた。 
 家に帰り、一声掛け合ってお互いの部屋に入った。
 椅子に座ると、机の携帯電話の一部が光っていた。液晶を付けて確認すると、川瀬からの着信があった。ちょうど、僕が出かけた時間帯だった。
 僕は折り返しで、川瀬に電話することにした。
『も、もしもし』
 数回のビジートーンの後に、川瀬の少し慌てた声が聞こえた。
「あ、川瀬さん、どうかしましたか?」
『そこに百華いない?』
 焦っているのか、少し早口で聞いてきた。
「いえ、いませんが」
『あ、そう』
 いないとわかると、川瀬の声から安堵が伝わってきた。
『えっと、今勉強してるの?』
 川瀬はいつものように、今の僕の状況を確認してきた。
「お昼食べたらする予定です」
『それなら、手伝おうか』
「えっと、お願いします」
 休みの日は、たいていは川瀬に来てもらっていたので、いつものようにお願いした。
『わかった。じゃあ、後でね♪』
「お願いします」
 川瀬の嬉しそうな声を不思議に思いながら、電話を切った。
「余喜さん、居ますか」
 すると、ドアをノックする音と同時に妹が声を掛けてきた。
「え、あ、はい」
 日頃こういうことがないので、声が上擦ってしまった。
「昼食、どうしましょうか?」
 そう言いながら、妹が部屋に入ってきた。今日は母が休日出勤なので、昼食は妹と二人だった。
「えっと、適当に作って食べます」
 いつもは一人で作って、勝手に食べていたので、妹からの誘いは少し違和感を覚えた。
「それなら、わたくしの分もお願いしていいですか?」
「え?」
 この申し出には心底驚いてしまった。
「迷惑でしたか?」
「いえ、驚いただけです」
「そうですか」
 これには妹が、少し複雑そうな顔をした。
「とりあえず、冷蔵庫を確認して作るものを決めましょうか」
「そうですね」
 僕は、妹と一緒にキッチンへ向かった。
 冷蔵庫の中を見て、炒め物とみそ汁にすることにした。
「えっと、わたくしも手伝いましょうか?」
「いえ、簡単なものにしますので、手早く済ませます」
「そうですか」
 妹は少し不満そうに、ダイニングの椅子に姿勢正しく座った。
「出来たら呼びますので、部屋で待ってて構いませんよ」
「いえ、ここで待ってます」
 妹が頑なな意思で、その場に留まった。
 いつものように料理を作っていると、妹が僕を凝視していた。
「手慣れてますね」
 そして、感心したようにそんなことを言った。
「加奈さんの口に合うかはわかりませんが」
 僕が作るのは母の味付けとは少し違うので、妹の味覚に合うかは自信がなかった。
「食べれれば問題ありません」
 少し失礼な言葉が返ってきたが、ここは敢えてスルーした。
 十数分後、できた昼食を二人で食べ始めた。
「おいしいです」
 妹がその一言を言った後、無言で僕が作った料理を完食した。
「後はわたくしがしますので」
 そして、妹が皿を洗うと申し出てきた。
「じゃあ、お願いします」
 ここは妹の心遣いに甘えることにした。
 しばらく部屋で勉強していると、インターフォンが鳴り、川瀬と鈴方が訪ねてきた。川瀬はブイネックのニットにテーパードパンツを穿いて、大人びた雰囲気だった。
「せっかくの休みに勉強とか意味わかんねぇ~」
 Tシャツにジーンズの鈴方は、だらけた感じで部屋に入ってきた。
「えっと、すみません」
 個人的に嫌がってるようなので、僕から謝っておいた。
「気にしなくていいわよ」
 強引に連れてきたはずの川瀬は、特に悪びれる様子もなく座布団を敷いて座った。
 結局、鈴方の愚痴を聞きながら、夕方まで勉強した。
 二人が帰り支度していると、ドアがノックされた。
「余喜さん、いますか?」
 入ってきたのは妹だった。
「え!」
 これには川瀬が、驚きの声を上げた。
「どうも、川瀬さんに鈴方さん」
 妹は、それを意に介さず挨拶した。
「ど、どうしたの?」
「え、何がですか?」
「余喜と仲悪かったでしょう」
「あれはすれ違いでした」
「は?」
「それより、余喜さんを借りてもいいですか?」
「え、ああ、うん。もう私たち帰るから」
「そうですか」
 妹は、二人に道を開けるように部屋の外に出た。
「えっと、仲直りしたの?」
 川瀬は、困惑気味に聞いてきた。
「喧嘩はしてませんので、仲直りはしてません」
 これには妹が、真顔で答えた。これは最近の僕と母のやり取りになっていた。
「あ、そう」
「最近、普通になっただけですよ」
 納得してないようなので、僕から説明してあげた。
「そ、それは良かったわね」
「良かったですか・・・」
 個人的に良かったのかは微妙だった為、川瀬の言葉を復唱した。
「じゃあ、俺らは帰るな」
 鈴方が立ち上がり、川瀬を促すように首を振った。
「あ、うん」
 何かを察したのか、教科書を鞄に入れて立ち上がった。
「じゃあ、帰るね」
「あ、はい。今日はありがとうございました」
 僕は戸惑いながら、二人にお礼を言った。
「また来るね」
 それに対して、川瀬は笑顔で手を振って部屋を出た。
「川瀬さん、後で電話します」
 すると、すれ違いざまに妹が川瀬にそう言った。
「え?」
「楠原さんの件で」
「あ、うん」
 突然のことに、川瀬は動揺しながら頷いた。
「川瀬さんと友達なんですか?」
 二人を玄関まで見送り、気になっていたことを妹に聞いた。
「微妙ですね。先輩後輩みたいな感じがしっくりきます」
「でも、連絡先知ってるみたいですし」
「余喜さんの動向が気になるんでしょう」
「え?」
 話の流れとは違う返しに、自然と妹を見た。
「あの人だったら、まだ安心できるのに」
 妹はそう呟きながら、大きな溜息をついた。
「えっと、また憑依者が出たんですか?」
 僕と会話してくれそうにないので、用件を僕の方から聞いた。
「いえ、お母さんが帰ってくる前に夕飯の準備をしようと思いまして」
「親孝行ですか・・・」
 この提案には少し感心してしまった。
「合ってますけど、そんな仰々しく言われると恥ずかしいです」
「恥ずかしい・・ですか?」
 僕にとっては親孝行が仰々しく思わないし、恥ずかしいこととは思えなかった。
「それより、買い物に行きましょう」
「え、買い出しからするんですか」
「さっき冷蔵庫を確認しましたが、食材が足りません」
「そういえば、そうでしたね」
 昼食を作った時、冷蔵庫には中途半端なものしかないことを思い出した。
「でも、帰りに買い物してくるんじゃないですか」
「メールで連絡しておいたから、大丈夫です」
 そこの根回しは完璧のようだった。
「着替えていきましょう」
「そうですね」
 ここ最近、妹の行動が積極的な気がして、少し複雑な気分だった。
 妹と何を作るかを話し合いながら、スーパーを二店舗を回った。
「結局、いつものになりそうですね」
 妹が僕が持つ買い物袋を見ながら、残念そうな顔をした。
「僕たち自身、レパートリーがないので仕方ありませんよ」
「そうですね~。今度、料理のサイトで勉強しておきましょう」
「それはいいですね」
 この積極性は僕も見習おうと思った。
「もっと早くこうしてれば良かったです」
 歩いていると、妹がぽつりとそんなことを言った。僕はそれを聞きながら、夕暮れの空を見上げた。
 二人で手分けして夕飯を作っていると、母が上機嫌で帰ってきた。
「ん~、いい匂い♪」
 そして、僕たちを見て笑顔でキッチンに入ってきた。
 テンションの高い母との食事を終え、僕は部屋で勉強を再開した。
「どうかしました?」
 しかし、僕の部屋には鎧武者が正座で待っていた。その姿は、かなり薄くなっている気がした。
『お願いがあって、ここにおります』
「なんですか?」
『小生はもうじき消えます』
 ミシャが切実な思いを伝えてきたが、顔はもやがかかっていて不気味さは変わらなかった。
「あれで消耗しましたか」
『はい。もうこの格好を維持するのも、かなり難しいのです』
「それでお願いは何ですか?」
『小生に導きの言葉を』
 最後の頼みはなんとも重苦しいものだった。
「そういうことは、宗教にたずさわる人に聞いた方がいいと思うんですが」
『武士は主に従うもの。神に従うことのは信者です』
「なら、信者になればいいでしょう」
『神は導きを説きません』
「え、そうですか?」
『ただ、どう生きることが正しいかを説いているだけです』
「それは導きではないのですか?」
『あれは武士の生き方自体を否定するものです』
「まあ、宗教は争いを促す説法はないかもしれませんね」
 信者が暴走して、勝手な解釈で戦争することは多々あるが、基本的に生き方を説いたものが多い気がした。
『武士は、主と志を共にするもの。障害があれば率先して前に出る。それこそが武士道です』
 いろいろと間違った解釈で語られている気がするが、あまり余計なことを言うのも面倒なので、横やりは入れないことにした。
「話はわかりましたが、僕には死んだ貴女を導くことはできません」
『ど、どうしてですか』
 ここで初めてミシャが動揺した。
「そもそも、僕は貴女の志を知りません」
『・・・小生は』
 ミシャは僕に見えない顔を向けた後、項垂れるように顔を下に向けて言葉をつぐんだ。
「あまり聞きたくないんですが、自分の志がないんですか?」
『・・・』
「空っぽだから人に依存したい・・とか」
 この言葉にミシャが少しだけ反応した。これが本当なら、ある意味凄いことだった。なんせ幽界は、強い想いで留まる場所。それにも関わらず、彼女はこうして留まることができるのは異様なことだった。
「図星ですか」
『私は・・誰か一人の為に生きたかった』
 ミシャは一人称を変えて、自分の思いを僕に吐露した。
「全ての人が、死に方を選べるわけではありません」
『わかってます。それでも・・それでも、私は・・・』
 ミシャは、泣きそうな声で悔しさを滲ませた。
「献身・・ですか。もし長生きしていたら、良い母親になれたかもしれませんね」
 武士よりはそっちの方が健全に見えた。
『ち、違います。私は、志を共にした人の為になりたいんです』
 しかし、ミシャは涙声で僕の言葉を訂正した。どうやら、武士への憧れは相当強いようだ。
「なら、叶ってたじゃないですか」
『え?』
「加奈さんと志を共にしてたんですから」
『・・・』
 すると、ミシャから言葉が返ってこなかった。その瞬間、黒いもやが徐々に晴れていき、驚いた様子の女の子が僕の視界に残った。
「それが生前の貴方ですか」
 顔立ちは丸い小顔で、服はシャツにホットパンツを着ていた。背格好からして小学生か中学生のようだった。それなら高校生の僕の言葉に、感銘を受けてもおかしいことではない気がした。
「加奈さんとの生活はどうでしたか?」
『・・・た、楽しかったです』
「良かったじゃないですか」
『そっか、私の想いは叶ってたんだ・・・』
 ミシャが悟りを開いたように、感傷的な思いを口にした。
『やっぱり、私の目に狂いはなかった。余喜様は私の先導者です』
 ミシャは満面な笑みを浮かべて、僕を優しく見つめてきた。
「買い被り過ぎです」
『余喜様は自分を過小評価し過ぎです』
 僕の謙遜に、ミシャが笑顔でそう返してきた。
「留まれる方法を一つだけ百華さんから聞いてますが、どうしますか?」
 これにミシャが、ゆっくりと目をつぶり首を横に振った。
『余喜様の恩情は気持ちだけで十分です。もう私は満足です』
「そう・・ですか」
 その柔らかい笑顔を見ると、もう未練がないことが伝わってきた。
 すると、ドアをノックする音が聞こえた。
「余喜さん。ミシャ見ませんでした?」
 どうやら、ミシャの姿が見えないことが気になって、僕の所に来たようだ。
「居ますよ」
 僕と被って見えないようなので、一歩横にずれた。
「え?誰です?」
 しかし、目の前にいる少女がミシャだと認識できないようだった。
「ミシャさんですよ」
「え、そうなんですか・・・」
 この事実に、素顔のミシャを凝視した。
『カナ、ありがとう』
「え、どうしたんですか、突然?」
「もう留まれないみたいです」
 困惑している妹に、僕の方から説明してあげた。
「そ、そんな!」
 これには悲痛な声を上げた。その声から強い思いが伝わってきた。
「見届けてあげてください」
 僕は、妹を落ち着かせるように穏やかな声で言った。
 しばらく、妹が謝罪と後悔の言葉が続いた。それをミシャは、微笑ましい表情で見つめていた。
「ご、ごめんなさい。わたくしが無理させたせいで」
 妹の何度目かの謝罪に、ミシャは優しい笑みで首を振った。
『これを受け取ってください』
 ミシャはそう云って、黒いもやに包まれた刀を差し出してきた。
『幾人の想いがこもってます。どうか、カナの正義の為に使ってください』
「わかりました」
 妹は涙を浮かべながら、ミシャの思いを受け取った。
『カナ、今まで楽しかったです。ありがとう』
「わたくしもいろいろ助けられました」
『ふふっ、小生と別れてもカナは心友です』
「はい」
 ミシャの最後の言葉に、妹が涙を浮かべたまま笑みを浮かべた。
「さようなら」
 消えていくミシャを見届けながら、妹の優しく温かな言葉がゆっくり消えていく感じがした。

第八話 滅

 次の日の朝、何年か振りの妹と一緒の朝食を取っていた。昨日のことを引きずっているようで、少しだけ目にクマができていた。
「やっぱ、家族っていいね♪」
 それをよそに、母は上機嫌で食事をしていた。
「大丈夫ですか?」
 少し心配なので、登校する前に妹に声を掛けてみた。
「大丈夫です。少し・・空虚なだけです」
「無理しているなら、休んだ方がいいですよ」
「心遣い痛み入ります」
 妹は会釈して、僕の横を通った。
 数分後、学校に行く準備をしていると、けたたましくインターホンが鳴った。
 戸惑った様子の母が玄関を開けると、慌てふためいた百華が玄関を上がり、廊下にいる僕の方に走り迫ってきた。
「ど、どうしたんですか?」
 その慌てぶりは鬼気迫るものがあった。
「あんたの妹、どうしたの!」
「なんの話ですか?」
「聖女はどこにいるの!」
「昨日、逝きました」
「っ!」
 これに百華が、驚愕な表情をした。
「もしかして、消える前に何か渡されてなかった?」
「え、ええ、刀を」
「くっ、まずいわ」
「ど、どうしたんですか?」
 百華の慌てように、僕の方も不安になった。
「あの聖女・・何も知らずに渡したのね」
 僕の言葉を無視するように、苛立ちの声で舌打ちした。今気づいたが、これは百華ではなく巫女の方だった。
「え、えっと説明してくれませんか?」
「そんな時間はないわ」
 巫女は脱兎の如く、妹のもとへ向かった。巫女の言動は常に緊急事態を告げていたので、僕もその後を追うことにした。
「ちょ、ちょっとどうしたの?」
 家を出ようとすると、母が戸惑った様子で声を掛けてきた。
「すみません。今は僕にもわからないので」
 それだけ答えて、僕は百華の後を追った。
 家から出ると、川瀬と鈴方が百華の走り去った方向を呆然と見ていた。
「すみません。今日は先に行っててください」
 二人に声を掛け、百華を追いかけた。
「え、どうしたの?」
 後ろから川瀬の声が聞こえたが、今はそれに応じている余裕はなかった。
 百華が妹に追いつくと、黒いもやが一瞬で包み込み、いきなり妹の右手を攻撃した。
「な、何の真似ですか!」
 妹が叫んだところで、ようやく二人に追いついた。
「はぁー、はぁー。さっさとそれを手放しなさい!」
「なんの話ですか!」
「聖女から貰った刀よ」
「い、嫌です。これはミシャの想いです」
「あんたが持ってるのは妖刀よ。生者が持つことなんて許されない!」
 巫女は気迫がこもった声を出し、今まで見たことのないどす黒いもやを纏った。
「わたくしには扱えないっていうんですか!」
 妹はそう言って、黒いもやの刀を出して正面に構えた。
「やめなさい。それは生者が扱っていい物じゃない」
「もしかして、嫉妬してるんですか」
「違うわ!その妖刀が、人の想いをどれだけ吸収してるかわかってるの?」
「そんなの知りません。わたくしはミシャの想いを引き継ぐだけです」
「はぁー、これだから聖女は嫌いだわ。志を曲げないことは素晴らしいけど、自ら救いを求めないから後悔して死んでいく。あの聖女のようにね」
「ミシャへ冒涜は許しませんよ」
 巫女の言葉に、妹が怒りに満ちた表情をした。すると、刀がそれに応じるように少しだけ黒いもやが濃くなった気がした。
「同じ道を辿る気?彼女は、その妖刀のせいで死んだのよ」
「嘘をつかないでください。ミシャは理不尽に殺されたんです」
 妹は、険しい顔で巫女を睨んだ。どうやら、ミシャ本人から死因は聞いていたようだ。
「やっぱり聖女とは相容れないわ。思い込みで死因までねつ造する。これじゃあ、救いようもないわ」
 巫女は重い溜息をついて、扇子に黒いもやを集中させた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
 僕は、二人に制止を求めた。
「邪魔しないでくれる?今は一刻の猶予はないんだけど」
「少しは周りに気を使ってください」
 多くの行きかう人が、不思議そうに僕たちを見ていた。
「言いたいことはわかるけど、今は人目を気にしてる時間はないわ」
「どういうことか説明してください」
「そんな暇はもうないのよ!」
 巫女は怒鳴るように叫び、妹の持っている刀を攻撃した。
「その妖刀と同化することは、幽界に近づくのと変わらないのよ!」
「それなら、憑依している楠原さんも同じじゃないですか!」
「その妖刀は複数の怨念と執着が雑じった物よ。生者一人じゃあ、それだけの想いは背負いきれないわ」
「なら、なぜミシャは扱えていたんですか」
「死んだからに決まってるでしょう!」
 巫女がそう叫ぶと、扇子のもやが全身のもやより濃くなっていった。それを刀目掛けて、全力で振り下ろした。が、それを妹が刀で普通に受け止めた。
「くっ」
 巫女が悔しそうに、さらに横一線の一撃を加えたが、それでも刀は壊れる気配はなかった。
「ダメっ、私のマトイでは壊せない」
 巫女はそう言って、悔しそうに妹から離れた。
「ミシャの想いは貴女ごときでは壊せません」
「それ以上の同化は本当に身を滅ぼすわよ」
「そんな古臭い手には乗りませんよ」
 お互い睨み合いながら、相手の間合いを図っていた。
「ダメよ」
 突然、二人の間に第三者の声が聞こえた。全員がその声に振り向く間に、黒いもやを纏った誰かが、妹の横を素早く移動するのが見えた。
「な!」
 妹が声を出すと同時に、刀が真っ二つになった。刀が地面に落ちると、ゆっくり昇華していった。
「あ、ああ」
 妹は悲痛な声を上げながら、ゆっくりと倒れた。刀と同化していた為、岸谷のように気を失ったようだ。
「ふぅ~、危なかったわね」
 黒いもやがゆっくり晴れていくと、家にいるはずの母の安堵の顔が見えてきた。
「お、母さん?」
 この出来事に、僕の頭は真っ白になっていた。
「余喜。貴方は学校に行きなさい。加奈は休ますから」
「ど、いうことですか?」
「学校終わったら話すから♪」
 母は妹を背負いながら、少し表情を緩めた。
「それと貴女には迷惑掛けたみたいわね。親として謝るわ」
 呆然としている百華に、母が軽く謝罪した。
「え、あ、はい」
 百華は戸惑いながら、マトイを解いた。母はその百華を見ずに、妹を背負って来た道を戻っていった。
「余喜君の母親って何者?」
「それは僕にもわかりません」
 こればかりは僕も頭が追い付いていなかった。
 すると、母とすれ違うかたちで川瀬たちが歩いてきた。
「えっと、もう用事は終わったのかな」
 川瀬が僕たちのところまで来て、不思議そうに聞いてきた。
「え、ええ、まあ」
 僕は答えに窮して、川瀬から視線を逸らした。
「さっき、加奈を背負った余佳さんに会ったけど、何かあったの?」
 四人で学校に歩き出すと、川瀬が後ろを気にしながら話を切り出してきた。
「え、う~ん。急に倒れたみたいで・・・」
 これにはどう説明していいかわからず、声がどもってしまった。
「そうなんだ」
 川瀬は何か言いたそうに、僕の自宅方面を振り返った。
「ど、どうかしました?」
「え?あ、うん。さっき余喜を追おうと思ったら、余佳さんに止められてね」
「そ、そう・・・ですか」
 どうやら、母なりに気配りをしてくれたようだ。
「う~ん、気になるわね」
「え、何がですか?」
 百華の言葉に、僕は過敏に反応した。
「何って・・・やっぱりなんでもないわ」
 何か言おうとしたが、川瀬たちを見て言うのをやめた。
 学校に着き、百華と教室の前で別れた。
「今日は大人しかったわね」
 教室に入ると、川瀬がぽつりとそんなことを言った。
 自席に向かう途中、岸谷の前を通ったが、今日は声を掛けてこなかった。
「岸谷の顔、腫れてたけどどうしたのかな?」
 岸谷の顔が腫れているのが気になったようで、僕に話を振ってきた。
「さ、さあ~」
 僕は、平静を装いながら知らない振りをした。
 授業が終わると、川瀬がダルそうに机に上半身をあずけた。
「今日はどうするの?」
 そして、顔を横にして状態で僕に聞いてきた。
「すみません。加奈さんが気になるので、部活は休みます」
「あ~、そうだね。わかった」
 川瀬は納得した後、少し残念そうな顔をした。
「一緒に帰ろっ♪」
 すると、百華が笑顔で教室に迎えに来た。
「そうですね。帰りましょう」
 僕は、帰り支度をして立ち上がった。
 廊下で鈴方と合流して、登校と同じメンバーと下校した。前に川瀬と百華、後ろで僕と鈴方が並んで歩いた。
「最近、歴史の授業のペースが早い気がするんですよ」
「そうか?普通だと思うけどな」
「歴史的事象をあんなに簡易的に説明されるのは、僕としては迷惑です」
「担当教師もペース配分を考えてるんだろ」
「それを言われると強く批判はできませんね」
 確かに、あの教科書の分厚さを考えれば納得できないこともなかった。
「じゃあ、また明日ね」
 百華は分かれ道で、僕の方に振り返った。
「あれ?今日は帰るの?」
 これには川瀬が、率先して聞いた。
「ちょっと、今日は用があるから。じゃあね。余喜君」
 百華はそう答えて、僕に笑顔で手を振った。
「え、ええ。また明日」
 てっきり母にいろいろ聞きに来ると思っていたが、百華なりに考えることがあるようだ。
 百華と別れ、三人で授業の進め方や、担当教師の愚痴をこぼしながら歩いた。これは百華と一緒に帰る前の日常だった。
 二人と別れ、自宅まで一人で歩いた。
 家の玄関に上がると、妹が部屋から顔を出した。
「おかえりなさい、余喜さん」
「え、ええ。大丈夫でしたか?」
「はい・・・」
 妹はそう言って、落ち込んだように項垂れた。
「お母さんはいないんですか?」
「え?ま、まだですけど・・・」
 これには不思議そうな顔で小首を傾げた。
「えっと、気を失ってからのことを覚えてます?」
「気づいたらベッドで寝てました」
「お母さんはいました?」
「え?いえ・・・」
 どうやら、目覚める前に母は仕事に行ったようだ。
「あ、そういえば、運んでくれてありがとうございます」
「え?ああ、僕は運んでませんよ」
「え、そうなんですか!」
 これが意外だったのか、大げさに驚かれた。
「えっと、じゃあ、誰が運んでくれたんですか?」
「お母さんです」
「え?」
 その反応を見る限り、母が刀を壊したとは思っていないようだ。
「冗談ですか?」
 これには信じられないようで、眉間に皺を寄せた。
 僕が答えようとすると、インターホンが鳴った。玄関近くで話していたので、僕が出ることにした。
「やっ♪」
 そこには百華が笑顔で立っていた。制服のまま手には学生鞄ではなく、トートバックを持っていた。
「えっと、どうかしました?」
「加奈ちゃんが心配で来ちゃった♪」
「帰ってください」
 妹が廊下から顔を出して、邪魔者を追い返すように手を小さく振った。
「可愛い仕草ね」
 それを見て、百華が微笑ましい顔をした。
「上がっていいかな?」
「え、ええ」
「って、なんで簡単に上げるんですか!」
 僕の了承に、妹が強く抗議した。
「え?僕の彼女ですし・・・」
 聞かれたのは僕で、追い返す理由も特になかった。
「・・・ちょっと恥ずかしいね」
 百華が頬を掻きながら照れた仕草をしたが、何が恥ずかしいのかはわからなかった。
「まさか余喜さんからのろけを聞かされるなんて、夢にも思っていませんでした」
 僕自身は自覚はないが、妹からしたらそう見えるようだ。
「それはそうと、お義母様はいますか?」
「なんですか?そのお義母様って・・・」
 百華の呼び方に、妹の表情が険しくなった。
「まあ、いろいろ思うところあってね・・で、いるの?」
「今は仕事行ってます」
「あ、そうなんだ」
 僕の返答に、少しだけ困った顔をした。
「すぐ帰ってくるかな」
「え、ええ、もうすぐ帰ると思います」
「そっか。じゃあ、待ってていいかな?」
 母に聞きたいことがあるようで、上目遣いで頼んできた。
「ダメですよ」
 僕が答える前に、妹が食い気味に拒絶した。
「ただいま~」
 すると、タイミング良く母が帰ってきた。仕事を早退しようで、いつもより早く帰宅してきた。
「ん?誰?」
 百華の後姿を見て、母が首を傾げた。
「初めまして、私は楠原百華といいます。余喜君の彼女です」
「え!彼女って、恋人ってこと?」
「はい、恋人です」
「い、意外ね。余喜が彼女つくるなんて」
 母はそう言って、僕の方を物珍しげに見た。
「ホントですよ。今からでも遅くありません。もう一度考え直してください」
 これに便乗するように、妹が百華との別れることを促してきた。
「・・・加奈がそう言うのも意外ね」
 今度は母が、困った顔で僕と妹を交互に見た。
「あ、あの、今朝のことでお話があります」
 百華は凛とした声で、母に顔を向けて切り出した。
「え、今朝?」
「はい」
 母が戸惑いの声を出すと、百華の身体が黒いもやに包まれた。
「ああ、朝の・・・」
「え!お母さん、見えるの?」
 これに妹が、驚いた反応を示した。
「まあ・・ね」
 母は気まずそうに、妹から視線を外した。
「まあ、上がって」
 そして、玄関を上がって百華にそう促した。
「あ、はい」
 その言葉につられるように、百華が靴を脱いで上がった。
「お、お母さん、そんな必要ありません!」
 すると、妹が強く反対してきた。
「どうして?」
「どうしてって、えっと・・・」
 理由が感情的なものの様で、答えに窮していた。
「嫌いなのね」
 それを察した母が、微笑ましそうな顔を妹に向けた。
「嫌いな理由は後で聞くとして、今は楠原さんの聞きたいことに答えましょう」
 母は澄んだ表情で、百華をリビングに招いた。
 リビングのソファーに百華と僕が隣に座り、正面のソファーに微笑ましそうな顔の母と、不機嫌を顔に出した妹が座った。
「で、何を聞きたいの?」
「聞きたいことは一つだけ。あの一瞬の憑依は何?」
 この質問は、巫女の方のようだ。
「あれ?イントネーションが違うね」
「すみません。マチがどうしても聞きたいようでして」
「そう。なら、自己紹介してくれないかな」
「あ、すみません。私の先祖のマチです」
「先祖は巫女だったの?」
「そうですね。今は廃業してます」
「そっ」
 母は納得して、ソファーにもたれかかった。
「で、答えてくれる?」
「あれはマバタキと言って一時的な憑依よ」
「憑依してる霊の特殊能力?」
「私は、憑依されてないわ」
「え!」
 これには僕以外が驚きの顔をした。
「それどういうこと!」
 巫女は大声を出して、前のめりに詰め寄った。
「えっと、そのままの意味だけど」
 これには母が、困った顔で視線を泳がせた。
「じゃあ、あのマトイはなんだったんですか」
 今度は百華が冷静な声で尋ねた。
「マトイ?何それ」
「あの黒いもやです」
「ああ、楠原さんはそう呼んでるのね」
「で、どうなんですか?」
「あれは周りに霞んだ私怨を一時的に私に集めただけよ」
「え、そんなことできるんですか!」
 これには百華が、驚きの声を上げた。
「まあ、慣れればできるわ」
「お母さん、幽霊・・見えてたんですか」      
 唖然としていた妹が、たどたどしく聞いた。
「ええ、鎧武者は格好良かったわね」
 母が笑みを浮かべてそう言うと、妹が恥ずかしそうに顔を伏せた。
「見て見ぬ振りなんてしないで欲しかったです」
「子供は、いろんな経験させるに越したことはないわ。でも、あの怨念まみれの武器はダメよ」
「え、もしかして、わたくし達の間に入ってきたのって、お母さん?」
「あれ?知らなかった?」
「あ、はい」
「ごめんね。あれはね、生身の人が扱うと、命削られるから」
「そ、そうなんですか」
 この事実には、複雑そうな顔をした。
「さすがに加奈の命に関わるとなると、見て見ぬ振りはできなかったわ」
「そう・・・なんですか」
「霊から何かもらうのなら、使ったらダメよ。ほら、一部だけ残しといたわ」
 母が片手を妹の方に向けると、薄まった刀が顕れた。
「え、破壊したんじゃないんですか!」
 これを見て、百華が声を張り上げた。
「修復したのよ。怨念は弱まってるけど、使っちゃダメよ」
「う、うん」
 妹は戸惑いながら、それを受け取った。
「お母さんって、何者ですか?」
 さすがにここまでされると、母のことが気になって仕方なかった。
「え?何者って・・一般人です♪」
 悩んだ挙句、年齢に似合わないセリフを吐いた。
「・・・」
 これには全員が言葉を失い、部屋全体が沈黙に包まれた。
「冗談はいいけど、個人の特異能力ってことでいいの?」
 この沈黙を巫女が最初に破った。
「そうなるかな~。生まれ持った才能ってやつ?」
 なんか巫女と話すにつれ、母の言葉がどんどん砕けいく感じがした。昔の母は、こんなに気さくな一面は一度も見せたことはなかった。
「それより聞きたいことって、それだけ?」
「そうですね。これ以上の深入りはやめた方がいいですね」
「・・・賢明な判断ね」
 百華の引き際の良さに、母は感心したように言った。
「そろそろ夕飯の準備するけど・・・どうする?」
 母は立ち上がって、百華に視線を送った。どうやら、食べていくかを聞いているようだ。
「ちょ、お母・・・」
「いえ、帰ります」
 妹が制止する前に、百華が帰宅を選択した。
「少し、余喜君と話があるので・・・いいかな?」
 百華は意味深な表情で、僕の方を誘惑的な眼差しを向けてきた。これには妹への嫌がらせと判断した。
「あらあら、あんまり加奈への挑発はやめてね。この後、ギスギスするから」
 妹の嫌悪の表情に、母が温和な声で注意した。
「すみません、性分なので」
 百華は、母に向けて笑顔で答えた。
「それなら仕方ないわね」
 そう言われると、どうしようもないと判断してキッチンへ向かった。
「加奈ちゃんも来る?」
「結構です!」
 百華の誘いに、妹が強い口調で拒否した。
「そう」
 乗ってくると思ったようで、がっかりした表情になった。
 百華と一緒に部屋に入って、向かい合うように座った。
「ちょっとの間、この霊と過ごしてみてどうだった?」
 百華はトートバックからタケを取り出し、僕に真剣な顔で聞いてきた。トートバックの中に、呪符のようなものが大量に見えた。
「何かあったんですか?」
 どうやら、一度帰ったのはタケの件も聞きたかったからのようだ。
「んー、マチが聞いても、何も答えてくれないのよ」
「えっと、なんで答えないんですか?」
 僕は、黙ったままのタケに聞いた。
『ふん。非人道的な尋問されて、心良く話すわけねぇ~だろう』
「えっと、どう管理してたんですか?」
 少し聞くのは気が引けたが、必要なことなので巫女の方に聞いてみた。
「・・・」
 すると、気まずそうに僕から視線を逸らした。
「人道的なものじゃないんですね」
「霊・・だからね」
 視線を逸らしたまま、ぎこちない声で言い訳してきた。
『少なくとも、元人間にすることじゃないよな』
「あんなこと物質的に無理じゃない」
『ふん。今は人道的な話をしてるんだろ』
「ちっ」
 これには言葉に詰まり、顔を歪めて舌打ちした。
「で、何か知らない?」
「特に知りませんね」
 お互い語ることはしなかったので、百華の期待に沿う答えは持ち合わせていなかった。
「やっぱり諦めた方がいいじゃない?」
 百華は少し困った顔で、巫女に向けてそう言った。
「でも、なんで知りたいんですか?」
「え?なんでって・・・」
 言いにくいことなのか、巫女が言葉に詰まった。
『ふん、俺を取り入れたいんだとよ』
「えっと、どういうことですか」
『要は、融合だ』
「え!マチさんって、融合ができるんですか?」
「マチは神道だからね。特殊能力が融合なのは必然なことね」
 百華は特に隠すこともなく、淡々と暴露した。
「ちょ、ちょっと!」
 これには巫女が、慌てた声で止めに入った。
「いいじゃない。隠しても意味のない能力だし」
「む~」
 百華の言葉に、巫女が不満そうな声で唸った。
「というか、タケと融合なんて気持ち悪くないですか?」
『俺も気持ち悪い』
 僕の意見に、即座にタケが共感した。
「意思の統合は神道では当たり前よ」
「死ねば神になる・・ですか」
「ええ」
「なら、なぜさっき除霊した幽霊と融合しなかったんですか」
 そうなってくると、岸谷に憑いていた幽霊を浄霊したことに矛盾が出てきた。
「融合は、対話で納得させないとできないのよ。悪意が強いと、話し合いにならないからね。これは何度も経験してることだから、見ただけですぐわかるのよ」
 融合にも条件が揃わないとできないようだ。
「ところで、融合のメリットはなんですか」
 経緯には納得したので、融合する必要性を聞いてみた。
『んなの、わかりきってるだろう。この幽界に長く留まりたいんだろ』
「延命ですか・・でも、弱っている相手と融合しても微々たる延命じゃないですか?それだったら、百華さんに憑依した方がまだマシと思うんですが?」
『どうかな。融合が強制でできないなら、それなりの効果があると考えてもいいと思うんだが』
「そうなんですか?」
 僕は気になって、百華に話を流した。
「う~ん。それは言えないかな」
 百華は、お茶目な感じで人差し指を口に当てた。
「そう、ですか」
 言えないのなら、無理に聞こうとは思わなかった。
「タケは、融合したいですか?」
 僕は話を戻して、タケの意思を確認した。
『けっ、冗談じゃねぇ~』
「だそうですので、諦めませんか?」
 わかりきった答えを、巫女の方に投げた。本人が拒んでいる以上、融合はできるとは思えなかった。
「そんなこと言わないで手伝って」
 突然、百華が甘えた声で僕にすり寄ってきた。
「え、いえ」
 これには戸惑って、少し身を引いた。
「ちょっと、マチ。私の身体勝手に動かさないでよ」
 巫女が動かしていたようで、百華が慌てた様子で僕から離れた。
「えっと、そこまでタケと融合したいんですか?」
 ここまでやられると、何か裏があるように思えてきた。
「どうしても試したいんだって。男と融合なんて、想像するだけでゾッとするのに」
「同感です」
 僕には、誰であろうと融合なんてゾッとする話だった。
「お願い。余喜」
 巫女は、僕に寄り添って再び媚びてきた。
「って、だからやめてって」
 二度目ということもあり、呆れながら僕から離れた。
「これは千載一遇のチャンスなのよ」
「それでも、本人が嫌がってる以上、融合は無理でしょ」
 巫女の強い想いに、百華が正論を言った。
「そ、それはそうなんだけどさ~」
 この後、数分間巫女との押し問答が続いた。
「しょうがいないですね~。今日はタケを置いていってもらえますか」
 このままではキリがないので、僕からそう提案してみた。
「え、なんで?」
「少し話を聞いてみます」
「まあ、それがいいかもね」
 百華は、少し納得したように頷いた。
「じゃあ、私は帰るわね」
「ちょ、ちょっと!」
 トートバックを掴むと、慌てた様子で巫女が言葉を発した。
「どうせ今のままじゃあ、融合なんて無理よ。今回は引いて・・余喜君に任せましょう」
 百華は、僕を信頼したように少しだけ表情を緩めた。その表情は僕が惚れた柔らかい微笑みだった。

第終話 霊

 百華を玄関で見送ると、妹がいつの間にか横に立っていた。
「なんで殺人者がいるの?」
 そして、僕の横に浮遊しているタケを、蔑視の眼差しを向けた。
「少し聞きたいことがあったので、置いていってもらいました」
「物好きですね~。憑依はさせないでくださいよ。今のわたくしには力がないんですから」
「大丈夫ですよ。憑依させる理由もないですし」
「甘いですね。余喜さんは」
「そうかもしれませんね」
「もう夕飯できてるので」
 妹はそう言い残して、リビングに戻っていった。
「タケは部屋に戻ってください」
『・・・わかったよ』
 タケは、素直にゆらゆらと部屋に入っていった。
 一人テンションの高い母との食事を終え、僕が部屋に戻ろうとすると、妹が止めてきた。
「お母さんのこと聞かないんですか?」
「ええ、聞いてもどうしようもないですし」
「ふふっ、余喜はいつでも現実的ね」
 僕たちの会話に、母が笑いながら口を挟んできた。
「幽界なんて仮想ですよ」
 死んだ後の世界は、僕にとってはバーチャルとほとんど変わらないと思っていた。
「面白い例えね」
 それが面白かったようで、母が口に手を当てて微笑んだ。僕には、その笑顔が少し歪に写った。
「一つだけ。お母さんは、憑依されたことはありますか」
「ふふっ、どうかしら。憑依させてた時期もあったかもね」
「そうですか・・・貴女は霊の憑依をなんと呼んでいるんですか」
 僕は母とは呼ばず、敢えて貴女と呼んだ。これには妹が怪訝な顔をしたが、母は少し寂しそうな顔をした。
「マトレイ」
 そして、僕の質問に真面目に答えてくれた。
「そう・・ですか」
 その答えを聞いたところで、いまさらどうしようもなかった。
 リビングを出て、複雑な心境で部屋のドアに手を掛けた。
『どうかしたか?』
 部屋に入ると、学習机で待っていたタケが不思議そうに訊いてきた。
「タケは、人を殺したことがありますか?」
『突然、どうしたんだ?』
「いえ、気になりまして?」
『俺は見届けるだけさ』
「加奈さんは、殺人者と言っていますが・・殺したんですか?」
『だから、見届けただけだって』
「殺人を見届けたってことですか」
『そういうことになるな』
「それは殺した側ですか?それとも、殺された側ですか?」
『殺した側だ。元々、怨念が強い奴でな。止めたが無理だったから、憑依を解いたんだ。その瞬間をおまえの妹に見られた感じだな』
 考えてみると、最近近場で殺人事件があった気がする。加害者も被害者も誰かは覚えていなかったが。
「殺人を間近で見たってことですか」
『殺した後だな。目撃者ってやつだ』
「あ、そうですか」
 思いのほか、衝撃的な場面に遭遇していた。
「だから、殺人者ですか」
『そう結論付けるのは仕方のないことさ』
 タケは、悟った感じで横に少し移動した。
「そんな人に、よく憑依してましたね」
『負の感情を強く持つ奴は、俺たち霊には居心地がいいんだ』
「ああ、そういえば、他人の負の感情を転換するんでしたね。なら、僕の中は居心地悪かったですか」
『ああ』
 タケは僕に気を遣う様子もなく、淡々と云い切った。
「未だにこの幽界に執着してるんですね」
『俺は、見届け人だからな』
「さっきからそう言ってますが、なんですか見届け人って?」
『この国の成り立ち知ってるか?』
「歴史、嫌いじゃなかったんですか」
『ああ、嫌いだ』
「教科書では、敗戦国からの高度成長を遂げたんでしたっけ?」
『まあ、今の学生はその程度の知識だな。いつだったかは覚えてねぇけど、一時的だが食糧不足なった時があってな』
「いつの時代ですか」
 さすがにここ数百年はそんな事象は聞いたことがなかった。
『まあ、聴け。その時、いち早く見捨てられたのは老人だったんだ』
 食糧不足。確かにそうなれば、誰かが飢えるのは致し方ない気もした。
「要は姥捨て・・ですね」
『そういうことだ』
「そうなると、話が壮大過ぎて、僕には何も言えないんですが・・・」
 個人のことなら受け止められるが、国事情になれば背負いきれなかった。
『まあ、聴け』
 タケは、重苦しいトーンで話を進めた。
『俺はな、民の安寧を願って頑張ってきたことがあるんだ』
「民・・・ですか」
 その云い方だと、かなり昔に国を統治したことのある感じだった。
『だかな、当時の老人は貴重だったんだ。滅多に長生きできないからな』
「ちょっと待ってください」
 タケの重い話に耐えきれず、強引に止めようとした。
『なのに、今の老人はのうのうと生きやがって・・・』
「あれ?」
 突然、大規模な話から小規模の愚痴になってきた。
『許せん。俺がどんだけ民に尽力したと思ってるんだ。それなのに今の奴らは・・・』
 怒りが込み上げてきたのか、言葉に力を込めてきた。
「妬みで留まってるんですか」
『ああ。他人への嫉妬や個人への執着は時間とともに風化するが、土地の風習とはいえ、姥捨てされた俺の怨みはそう簡単には消えん』
 確かに、今昔を見届けていれば、妬みは半永久的に続きそうだった。しかも、それが時代背景への怨念と嫉妬だとしたら尚更だった。
「二つの感情を糧として、今この幽界に留まってるんですね」
『云っとくが、一度とはいえ俺は神格化されたこともある』
「はあ、そうですか」
 それについては、僕自身興味がなかった。
『・・・まあ、いいや。別に、崇高な扱いをされたいわけじゃないし』
 僕の反応に、少し間を置いて云った。
「聞きたいんですが、タケってたくさんの人に憑依してきたんですか?」
『まあ、そうだな。数百人は超えてるだろうな』
「それは凄いですね」
『ああ、あれは凄い経験だった』
 僕の返しの一部だけを抜粋して、何かに浸るようにしみじみと云った。
「憑依して乗っ取る霊もいるんですか?」
 話の流れで、一番聞きたいことを聞いてみた。
『ああ、いる』
「そう・・ですか」
 この事実は、あまり受け入れたくない想像をしてしまった。
「やっぱり幽霊は怖いですね」
『まあ、留まれるのは負の感情が強い奴だけだからな』
 僕は話を切り上げて、明日の準備を始めた。これ以上、タケから聞いても意味はない気がした。
 タケは、球体を反転させて窓の方にふわふわと移動した。
「どこ行くんですか」
『逃げるんだよ。ここにいてもあの巫女と融合を迫られそうだしな』
「そうですか。まあ、せいぜい頑張ってください」
『止めないのか?』
「僕が止める理由はありませんね」
 正直、巫女のやり方は好きではなかったので、タケの自由にさせることにした。
『監視を任されたんじゃないのか』
「任されたのは、説得だけで監視までは頼まれてません」
『はは、それもそうだな』
 タケの空笑いを訊きながら、僕は準備の終えた鞄を机から下ろした。
「せいぜい必死に逃げ回ってください」
『質悪いな、おまえ』
「憑依しながら、延命しているタケに言われたくありませんね」
『嫌な返しだな。そんなんじゃあ、友達出来んぞ』
「それは嫌ですね」
『ふん。じゃあな』
 タケはそれだけ言い残して、窓から出ていった。
「百華さんには、謝らないといけませんね」
 百華の信頼を裏切ってしまったのは申し訳ないが、あのままタケを縛ることはしたくなかった。
 しばらくすると、ドアをノックする音が聞こえた。
「余喜さん。いますか」
 ドアを開けると、目を腫らした妹が立っていた。
「どうかしました?」
「手紙が届いています」
 妹はそう言って、持っている手紙を差し出してきた。
「ありがとうございます」
 それを受け取ると、妹は洗面所の方へ歩いて行った。手紙の差出人を見ると、父の名前が書かれていた。
 僕は部屋のドアを閉め、机に座って手紙を広げた。内容はこっちに引っ越しても問題ないことと、幽霊について心配していた。
「あ、そのまんま出してました・・・」
 タケのせいで、幽霊について詳細に書いてしまったことにいまさらながら思い出した。
「幽界については知らないみたいですね」
 僕は手紙を仕舞い、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。
「人間の成れの果てですか・・・考えてもいなかったですね」
 ここ数日、いろいろな経験をして、多くのことを知り、いろんな関係が変わった。目まぐるしくて感傷する暇がなかったが、父の手紙を読み終えて初めて深慮することができた。
 後日、タケを逃がしたことを巫女に物凄く怒られたが、百華の説得もあり、なんとか許してもらうことができた。代償として、スカートを穿くことになりそうだった。

   ※※※

 タケは余喜の家を出て、ここから一刻も早く離れようとした。
「もういいの?」
 が、恐れていた相手が目の前に現れた。余喜に会う前に加奈には追われていたが、消されそうになったのは、途中で遭遇した霊見知り余佳だった。
『消しに来たか』
「まあ、この世で一番口を封じたい相手だからね」
『そこまで、俺を消す意味あんのかよ』
 訊くまでもないことだったが、敢えてわざと訊いてみた。
「くすくす、面白いこと言うわね。私の大事な家族に憑依しておいて」
『そんなこと知らねぇ~よ』
「そうね。不可抗力だもんね」
『一番の原因はおまえの娘だからな』
「まあ、確かに行き違いがあったのは誤算だったわ」
『全く、おまえら家族にしてやられた気分だったよ』
 意図した包囲網ではなかったようだが、結果的にそういう巡り合わせになった感じだった。
「・・・行きなさい」
 何を思ったか、余佳がタケに道を譲るように横にずれた。
『何の真似だよ』
 これには何か異様なものを感じるほかなかった。
「余喜に私の秘密をばらさなかったお礼よ。見逃してあげるわ」
『はっ、云ったところでどうしようもねぇだろう』
 そうは云ったが、余喜自身何かに気づいているような感じだった。
「そうね。でも、それは本当に感謝してるわ」
 余佳はそう言いながら、自分の家を切なそうに見つめた。
『けっ、気持ち悪いな。偽装の家族にそこまで執着する意味が俺にはわからん』
「ふん。個に執着する貴方には、この気持ちはわからないでしょうね」
『ああ、知りたくもねぇ~』
 他人の家族に依存するなんて、気持ちの悪いことこの上なかった。
『まあ、好きにしたらいいさ。俺は俺の生き方を貫くだけさ』
「物好きね、スイショウは」
『おいおい、俺はタケだ。間違うんじゃね~』
「何よ、ヤマトタケルが気に入ってるからって、名を取ることないでしょう」
『あいつだって名はコロコロ変えてる。それにおまえもそうだろう、皇后様よ~』
「それは言わないで」
『ふん。探られたくないなら、余計な過去はほじくり返すなよ』
「肝に銘じておくわ」
 余佳は溜息をつきながら、後悔するように目を閉じた。
「全く、やっぱりここで潰しておくべきかしら」
『おいおい、一度云ったことを反故するつもりか』
「相変わらず、嫌みな人ね」
『かもしれんな』
 これは若干自覚があるので、完全否定はできなかった。 
「貴方は、永遠に彷徨い続けるつもりなの?」
『当然さ。俺は見届け人だからな。人が絶滅するまで見届けるさ』
「気が狂いそうね。私には理解できないわ」
『それはお互い様だろう』
「そうね」
 余佳は少し笑みを浮かべて、タケの横を通り過ぎた。
「今度私の家族に手を出したら、容赦しないからね」
 そして、去り際に滑らかな口調で脅しをかけてきた。
『けっ、居心地の悪い場所に戻るつもりねぇ~よ』
 タケは悪態をつくかたちで、負の感情を強く感じる場所を目指した。

マトレイ

マトレイ

一つの幽体が笹井余喜の前に現れた。いつもは見て見ぬ振りをするのだが、この日に限って反応してしまった。 それに幽体が気づき、余喜に助けを求めてきた。しかも、助ける方法が憑りつくという気分の悪くなるものだった。 何度か断ったが、あまりにうるさいので一時的に許可してしまった。 そこから余喜の生活がほんの僅かな期間だけ変わっていくのだった。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-30

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第序話 憑
  2. 第一話 乱
  3. 第二話 雑
  4. 第三話 招
  5. 第四話 展
  6. 第五話 奪
  7. 第六話 装
  8. 第七話 心
  9. 第八話 滅
  10. 第終話 霊