ヴァリアーの雲は翡翠色 2 【ヴァリアー+骸綱】

綱さんがヴァリアー雲の守護者にインタビューに来たようです。

骸綱とか言いつつ、ロクに骸綱じゃない。

ヴァリアー万歳。

ヴァリアーの雲は翡翠色 2 【ヴァリアー+骸綱】


「ねぇ、スクアーロ。」


「あぁ?」


「あと何ヶ月かしたら、大地震が起こるから。お守り、渡しておくわね。」


「・・・・・・は?」


「上手に出来た力作なんだから、失くしちゃダメよ?♪」


 とある晴れた日の昼下がり。

 『マフラー編んでみたの、使って♪』的なノリで託宣を告げた『姉』に、スクアーロは食べかけのヨーグルトを床にぶち撒けた。


 綱吉の『兄』はその日、当日になってもまだブチブチ言っていた。


「なぁツナ、やっぱり止めにしないか?」


「何言ってるんですか、ディーノさん。ここまできて・・・。

 順番的にはむしろ遅いくらいなんですよ?」


「断ってた話を今更受けるなんて、絶対何か企んでるって、あの女。」


「そんな風に言うもんじゃありません。長い事会ってないんでしょう?

 ディーノさんのイメージとは違ってるかも知れませんよ?」


「いや、むしろ進化してる。絶対進化してる。」


「褒めてるんですか、貶してるんですか。」


「貶してるんだ。なぁツナ、アイツに近付くのはやめとこうぜ?」


「ダメです。ディーノさんだって覚えがあるでしょう? 他の人に振られる話が、自分にだけ来ない、避けられる、あの物悲しさ。

 自分がされて嫌な事は人にもしちゃいけませんっ。」


「そんな可愛気はない。あの女に限って、絶対に。断言出来る、」


「いいから早く乗って下さいっ!」


 ずっと待機させていたヘリコプターに、無理矢理ディーノを押し込む綱吉。操縦士に言って速攻で飛び立たせる。幸い今日の天気は快晴だ。ひとっ飛びでレオーネ領内まで行けるだろう。

 10代目ボスの座を継いでX年、沢山勉強し、必要な所は改革していっている綱吉が、就任当初から地道に続けている事があった。それは機関紙の発行。

 ボンゴレはボンゴレ単体の存在ではない。一マフィアではなく、何千というマフィアが複雑に同盟関係を結んで出来上がった一大勢力だ。その勢力の頂点に君臨し、要となってネットワークを構築する。それが、勢力の中でのボンゴレの役割である。

 その『要のファミリー』のボスが、綱吉な訳だ。

 それを綱吉なりに解釈すると、同盟ファミリー同士が仲良くやっていけるように、上手くバランスを取るのが役目、という事になる。では、どうやって仲良くさせるか。

 まぁ、短期的、政治的な視野は必要としても。もっと長期的な視野で、根本から出来る事はなんだろう。

 そこで彼の守護者たちから出された案のひとつが、機関紙にインタビューを載せる事、だった。ボスのだけでなく、部下や、彼らの生活の様子の簡単なレポート。1号につき、ひとつのファミリーに光を当てていく。

 中身を知らない相手だからこそ、簡単に抗争を仕掛けたり、殺し合ったり出来る。中身を知ってしまえば、例えば趣味や性格、ペットの話、学生時代の失敗談。そういう身近な部分を知る事が出来れば、何か変わるのではなかろうか。少なくとも、殺そうとする時に『○○ファミリーのボス』ではなく、ちゃんと名前が出てくるようにはなるだろう。

 それ自体で何も変わらずとも、変わる一助くらいには、なれば。

 それに、インタビュアーとして綱吉自身が訪問すれば、ボンゴレと同盟ファミリーとの結束も強くなる。

 そういうコンセプトで始めた機関紙だった。同盟ファミリーの海千山千のボス連中には鼻で笑われるかと思ったが、意外な程好評で、発行は無事に何十号と続いてきていた。

 そして迎えた今回の相手は―――レオーネ・ファミリー18代目ボス・桂向院千里。

 またの名を、ヴァリアーの雲の守護者・翡翠。

 彼女についての一端は、先日スクアーロから聞かされたばかりだ。


「でも、受けてもらえて本当に良かった。

 本来なら規模や歴史的に、キャバッローネの次にと思ってたんですけど・・・。断られてる内に何十号も来てしまったから。気になってたんです。」


「昔っからそうなんだよ、翡翠の奴。

 トラブルメーカーの癖に、目立ちたがらない。だから翡翠が起こした事件は知ってても、翡翠自身の事は姿すら知らねぇって奴が結構居る。」


「学生時代から、ですか?」


「あぁ。巧妙に姿を隠して、後始末はスクアーロにさせてたからな。

 翡翠にその気はないんだろうが、翡翠の起こした騒ぎをスクアーロが起こした物と勘違いしてる奴も多かったぜ。」


「それって損しか無い役回りなんじゃ・・・。あのスクアーロがよく引き受けてましたね。」


「まぁ、本人は嫌がってたけどな。

 翡翠がやらせるというか・・・『後始末せざるを得ないような状況に追い込む』というか。」


「・・・ホンット、個性的なお姉さんですよね。」


「な? だからツナ、今からでも引き返さないか?」


「あはは、ダメですよディーノさん?♪」


 今回はとある事情から、骸とクロームを先にレオーネ領に送り出している。今更綱吉が取りやめるなど、誰が許しても骸が許さないだろう。

 そんな不毛な会話を重ねるうちに、ヘリは無事に目的地に到着した。

 ヘリポートで降りた2人を、出迎えたのは2人の人物。

 車椅子の女性と、もう1人―――。


「ザンザスッ?! え、何で・・・どうしてお前が此処にっ・・・・!!」


「耳障りだ、黙れ沢田綱吉。

 俺の部下が俺の傍に居る。それが何か不自然か?」


「『俺の部下が』って、その人はレオーネの18代目で、」


 言いかけて、綱吉はハッと口を噤んだ。

 あくまで自分中心に語るザンザスの、その不必要なまでの威厳に気を取られて見落としていた。彼の右横、半歩下がる位置に座っている彼女の、その胸元に光るペンダントを。

 頑丈なチェーンに通されていたのは、1本のリング。

 雲の、ヴァリアーリングだ。


「『ボンジョルノ』より『こんにちは』の方が馴染み深いでしょうね。

 こんにちは、沢田綱吉さん。」


 綱吉が戸惑っているうちに、その女性は微笑みを湛えた唇で続けた。


「はじめまして。そして、ようこそレオーネ・ファミリーへ。

 来て下さってありがとう。私の体調のせいで、こんな離れ小島でやる事になって申し訳ないと思っています。」


「お気になさらないで下さい。此処はレオーネ・ファミリーの聖地だと伺ってます。

 聖地に呼んで頂けて、こちらこそ光栄です。」


「そう言って頂けると嬉しいわ。

 私の事は『翡翠』とお呼び下さいね。本名は捨てて久しいもので。」


「捨て・・・え?」


「それと、物凄く遅くなってしまったけれど、戦勝のお祝いを。

 リング争奪戦、雲戦勝利おめでとう。そしてウチのボスを差し置いての10代目就任、おめでとうございます。ボンゴレ10代目?♪」


 流石に絶句する綱吉の前で、翡翠はニッコリと日向の匂いのする微笑みで笑っていた。

 美しい女性だ。

 以前写真で見せてもらった事のある、隼人の母。彼女の美貌にも、成程マフィアのボスに一目惚れされる筈だと感心した。だが今、目の前に居る人はその遥か上を行く美を備えていた。

 よく櫛が通された癖のない黒髪は、風を含んでフワリ、という擬音が聞こえてきそうな柔らかい曲線を描いている。翠髪、と称するに相応しい艶を持った髪だ。肌理の細かい肌には化粧っ気など欠片もないのに、瑞々しい透明感がある。むしろ質の悪い粉など付けてはかえって美を損なうだろう。

 瞳の色は濃いグリーン。最上級の翡翠を何度も何度も磨いていけば、こんなに深い翠色になるだろうか。普通、瞳の色というのは遠目からではよく判らないものだが、この人の翠瞳はとてもくっきりとしている。宿っている意志の光のせいだろう。

 紺無地のロングスカートに細かいレース飾りのついた桜色のブラウス、というシンプルな出で立ちが、彼女の美を更に引き立てている。余計な飾りは必要ないのだ。彼女はもう充分に美しいのだから。

 女性を褒め慣れていない綱吉の口から零れ出る言葉など、ひとつしかない。


「綺麗な人だなぁ・・・。」


 一瞬、翠瞳が大きく見開かれた。

 ディーノとザンザス。綱吉の発言に何故かげんなりした半眼になる、男2人は視野の外で。彼女は盛大に笑いだした。両の掌で口許を押さえていてもなお、澄んだ笑い声が周囲に響き渡る。


「素敵っ♪

 これだけストレートに嫌味言われて、キレもせずに相手を褒めるなんてっ・・・ふふっ、なんて面白い人ッ♪♪♪」


「ええと・・・。」


「でも残念♪」


 言葉に迷う綱吉だったが、笑い収めた彼女の次の台詞にもう一度凍りついた。

 微笑みと共に、彼女はこう言ったのだ。


「手でも上げてくれたら、正当防衛が成立したのに。」


「・・・・・。」


「自戒の念が表面だけで、ホントは慢心してるようなお馬鹿さんなら今、すぐ此処で楽にしてあげたのにね。」


 血相を変えたディーノが、何か言うより先に彼女は続けた。どうやら人の機先を制すのが好きらしい。


「沢田綱吉。

 付いていらっしゃい、少し遊んであげる。あなたの部下はもう来ているわ。」


「18代目、」


「翡翠。」


「?」


「『翡翠と呼べ』と言ったでしょ? 何度も同じ事を言わせる子は嫌いよ、坊や。

 次に呼んだら痛くお仕置きしてあげる。」


「ひぃ―――っ!!」


 背を向け、2人に構わずとっとと進み出す彼女に、ディーノと共に手に手を取って震え上がるしかない綱吉。

ただ、取り繕った最初の挨拶より、今の彼女の方が生き生きして見えるのは確かだ。地を出す程度には認めてもらえた、と思って良いのだろう。思いたい。

 だが、ここにはもう1人ザンザスも居る訳で。


「おい、ドカス共。俺が何故ここに居るのかと訊きやがったな。」


「うん・・・?」


「あの性悪女が暴走しねぇよう見張る為だ。」


「っ、ちょっと待って、俺一体何されるのっ? 暴走するとどうなるのっ?! ていうかザンザスにすら危険視される暴走状態ってどんななっちゃうのあの人―――っ!!?」


「うるせぇドカス。」


 軽くパニックに陥った綱吉は、一言の許に殴られた。


「言っとくが俺には、てめぇを殺す理由は山程あるが生かす理由は何もねぇ。これっぽっちもな。俺があの性悪女を見張るのは、レオーネっつー使える道具が壊れねぇようにであって、てめぇが死なねぇようにじゃねぇ。

 せいぜいあいつに、てめぇを殺す口実を与えねぇようにな。」


 言いたい事だけ言い切って、悠然と彼女についていくザンザス。その堂々とした様は『従う』というより『先導されてやっている』といった趣だ。

 朝早いのに、綱吉の後ろには侘しげな長い影が伸びている。


「ディーノさん・・・。」


「ツナ?」


「俺の周り、俺を生かす理由ない人多過ぎ・・・。」


「しっかりしろツナっ、まだ来たばっかなんだぞっ。」


 ちなみに、何やかや言いつつディーノが綱吉にくっついて来たのは、やはり翡翠を警戒しての事だった。一端なりとも彼女を知っている者として、翡翠と綱吉を会わせるなどと何という暴挙。ある意味ザンザスと綱吉を一室に閉じ込めるよりも危険だと思う。

 嫌な予感は的中した。ディーノの目の前で、翡翠は既に1回綱吉を殺そうとしている。

 自分が弟分を守らなければ。

 今日のディーノは悲壮なまでの決意を胸に秘めていた。


「家庭教師がアルコバレーノじゃ、流石にあの程度の安い挑発には乗らないわね。」


「お前の家庭教師もアルコバレーノみたいなモンだろ。」


「フフフッ♪」


「気に入ったのか。」


「殺す相手としては、退屈はしなさそうね。」


 綱吉と、ディーノ。最初に脅したのが効いたらしい2人は、彼女を恐れて距離を取ってついて来る。

 翡翠と、ザンザス。麗らかな陽射しが差し込む廊下を、2人で歩いて密談するには良い距離だ。ちなみにザンザスが彼女の車椅子を押した事は一度もない。揺り籠後、8年間を経て再会してからただの一度も、だ。

 今も。

 平然と隣を歩くザンザスを見上げて、彼女は楽しそうに笑っている。


「ディーノの方は上手い事言い包めて、部下を連れて来させずに済んだ。クローム髑髏にも、既にトラップは張ってある。

 今が9時だから、次のステップは13時までの4時間、六道骸と沢田綱吉。2人の距離を適当に取らせておく事。そうすれば全て上手くいくでしょう。」


「全て、な・・・。」


「ボスは随分あの子を評価してるみたいね。殺すのは構わないのでしょ?」


「フン、てめぇにあのガキが殺せんならな。」


「ボスったら♪ 殺すのは私じゃなくて地球。私はあくまで、タイミングを合わせるだけ。

 大自然の猛威に対して無力なのは、カタギもボンゴレもおんなじよ。」


 それはまるで、これから来る『大自然の猛威』を、その種類を知っているかのような。


「沢田綱吉。

 私に『今以上に』嫌われる前に、死なせてあげるわ。」


 ブラウスの上から、下に隠したもうひとつのペンダントに触れる翡翠。

 ザンザスはそんな彼女を、黙って見下ろしていた。


「あら、六道骸は?」


 ボスである翡翠直々に案内され、通された部屋に、綱吉とディーノは軽くギョッとした。

 ヴァリアーが居る。

 全員揃って居る。

 彼女に答えたのはマーモンだった。


「クローム髑髏が時計を開けたよ、翡翠。

 だが悲しいかな、彼女には少々過ぎた贈り物だったようだ。体力を根こそぎ奪われて、意識を失った。今はルッスが案内した2階の部屋で休んでる。

 六道骸はその付き添いさ。」


「残念っ。彼だって黒曜一党を率いるボスなんだから、色々お話出来ると思ったのにね。」


 通されたのは1階の、奥まった客間。

 深い紅色の絨毯が敷かれ、重厚な暖炉があり、机も椅子も何もかも、上質の調度で調えられている。流石はボンゴレ以上の歴史を誇るレオーネ、と言った所か。

 スクアーロ以下ヴァリアーの面々は、そんな高級ホテルのような一室を、まるで我が家の居間のような気安さで使って思い思いに体を伸ばしていた。・・・ボスであるザンザスが居るのだから、部下である彼らが居ても何の不思議もない、筈なのだが。

 ここがレオーネ、他のファミリーだという事を忘れそうになる。


「翡翠、さん? あの、時計って何の事ですか?」


 流石に不安になった綱吉が訊くと、客人に椅子を勧める彼女は悪戯っぽく微笑んだ。


「こうなると思っていなかったのは本当よ、沢田綱吉。悪く思わないでね。

 私、あなたが来る前に、クローム髑髏にひとつ贈り物をしたの。普段使い出来て、割と安めで頑丈な懐中時計。人伝えに聞いて、彼女が欲しがっているって知っていたから。

 でも相手は同盟ファミリーの守護者よ。いくら縁戚関係にあるとはいえ、通販で買った懐中時計だけっていうのも失礼になるでしょう?

 だから、その時計にサプライズを付けたの。

 時計の中・・・蓋の内側に、私が術で創り出した使い魔を封印したわ。クローム髑髏が蓋を開けば、自動的に封印が解け、その使い魔は彼女の物になる。使い魔は彼女を守り、沢田綱吉、あなたを守る一助になってくれるでしょう。

 それでこそ、時計は同盟ファミリーの守護者に相応しい贈り物となる。

 彼女が蓋を開けたなら、その時点でサプライズ大成功♪ と思ったのだけれど・・・。」


 邪気の無い笑顔と、裏腹の台詞にディーノの瞳がきつくなる。


「まさか、蓋を開くのがやっとの力しかないとは思わなかったから。」


「っ、翡翠っ!

 お前まさか、2人をツナから引き離す為にわざと仕組んだんじゃないだろうなっ?!」


「まさかまさかまさか♪

 私、彼女と会うのは今回が初めてなのよ? マーモンと戦った時のデータが使える訳もなし、どの程度の力量で、どの程度の体力の持ち主なのか。

 そんなの知る訳ないでしょう?

 それに現実、私の創った使い魔は確かに彼女の物になった。今は馴染まずとも、じきに使い魔の方で彼女の力に馴染むでしょう。

 本気で敵対するつもりなら、敵に力を与えるような真似、私はしないわよ。」


「・・・・・。」


「ホント、あんたって子は昔っから、私にだけは猜疑心め一杯なんだから。

 沢田綱吉、クローム髑髏の様子を見に行くなら案内するわよ?」


「いえ・・・骸が付いてるなら、クロームは大丈夫だと思いますけど・・・。」


「そう。ならお席へどうぞ、沢田綱吉。キャバッローネ10代目。

 インタビューを始めて頂戴。」


 何故だろう、この人は何処かザンザスに似ている。

 綱吉はボイスレコーダーを出しながら、チラッと翡翠の隣を見る。かつて座を争った男・ザンザスを。閉ざした瞳の裏で何を考えているのか、彼はいつもの仏頂面で瞑目し、椅子の背凭れに広い肩幅を預けて沈黙していた。


 高熱に苦しむクロームの手を握りながら、骸は考えていた。


(まさかこれ程の力とは・・・。)


 レオーネ・ファミリー18代目。コードネーム『翡翠』。

 延々綱吉との接触を避け続けていたし、同じヴァリアー所属の幻術士・マーモンを遥か昔に下した事もあって、油断していた感は拭えない。骸は確かに、彼女を甘く見ていた。

 知っていたのに。

 『翡翠の魔女』と呼ばれる使い手が、裏社会に居る事は、知っていたのに。

 18代目=翡翠の魔女、と結び付けて考える事が、何故か出来なかった。


「・・・むくろ、さま・・・。」


「クフフ、大丈夫ですよ、僕の可愛いクローム。

 苦しいのは今だけです。じきに楽になるし、その時お前は新たな力を手に入れている。」


「はい・・・。」


 ホッとした表情で、しかし、すぐにまたぐったりと眠り込んでしまうクローム。

 翡翠の魔女。

 姿を見た者は殆ど居ない。自ら『翡翠』と名乗っている事、東洋系の呪術を使う事、数々の武勇伝。伝わっているのはそれくらいだ。

 だがしかし、骸は悟っていた。時計に使い魔を封じた者=18代目=翡翠の魔女、だという事を。クロームが蓋を開けた途端、彼女の中に飛び込んで来た使い魔。その一瞬感じた18代目の『力の気配』は、確かに『翡翠の魔女』のモノだった。

 骸が6つの時に出会った、翡翠の魔女の。

 否、『出会った』という言い方には語弊がある。

 エストラーネオ・ファミリーを滅ぼした後、あちこち流れて軒下を借りる生活をしていた骸たちは、偶然とあるファミリーの軒下を借りた。そして同じ夜に1人の少女がやって来て、そのファミリーを、文字通り一夜にして壊滅させた。

 骸はただ、その様を物陰から見ていただけだ。

 圧倒的な強さだった。

 まだ10代半ば程と見える、華奢な少女。

 垣間見た影では、足元は『日向』の女の子が履くような、お洒落な編み上げサンダル。着衣はシンプルで、ワンピース一枚に見えた。結わずに流した腰までの黒髪が、彼女が動く度に闇を舞って、大層美しく見えたのを覚えている。その少女は、夜だったし、記憶がかなり古いので定かではないが、何か『白く光る鞭』を使っていたように思う。

 立ち向かう男たちの手には、銃も剣もあった。だが、彼女には通じなかった。


(あの時、確か・・・。)


 そう、あの時確かに、骸は彼女の声も聞いている。


『ヴォおぉぉぉいっ、仕事は終わったのかよ? 『翡翠の魔女』さんよ。』


 骸たちが隠れていた部屋で、最後だったらしい。

 血塗れで動きを止めた少女に、銀髪の、彼女より少し年若そうな少年が声を掛けていた。

 ヒスイ。

 当時まだ日本語を知らなかった骸の耳に、慣れない響きの単語は、妙に美しく響いた。


『えぇ、スクアーロ♪』


 記憶を辿る骸の瞼が、ピクリと動く。

 あの時確かに、少女の声は『スクアーロ』と紡いでいた。


『私の狩り損ねに、止めを刺す。それが今回のあなたの役目でしょ?

 どう、居た? 生き残りさんは。』


『居る訳ねぇぞぉ、そんな奇特な野郎は。

 そういうお前の索敵には、誰か引っ掛かるのかよ?』


『そうねぇ・・・。』


 見られた、と思った。

 あの時確かに、彼女は粗末な壁越しに骸の背中を捉えたのだ。


『全部殺したわ。『ファミリーは全部』ね。』


『? そうかよ。ま、てめぇがそう言うんなら、俺もそれでいいぜ。』


 2人組の少年少女は、速やかに撤収していった。

 骸も犬と千種を連れて、すぐにそこから離れた。翌日裏社会で出回った新聞で知った。蛇蝎の如く嫌われていた凶悪マフィアの本拠地が、たった一夜で崩壊した事。死体は全て、鋭利な刃物で切り裂かれていた事。犯人など、勿論見つからないであろう事も。

 彼女の得物は鞭ではなかったのか。

 そう不思議には思ったが、わざわざ追い掛けてまで確かめる事でもない。すぐに忘れたし、彼女と接触したのも、それ一回きりだった。


(因果は巡る、ですか。)


 本当に、何という因縁だろう。

 6歳の骸と、15歳の翡翠と、13歳のスクアーロ。3人はあの晩、確かに同じ部屋で数秒を過ごした。その9年後、日本は並中という公立校で、互いの誇りを懸けて戦った・・・翡翠があの場に居なかったのは我が侭などではなく、家光率いるチェデフ対策の為、イタリアに残っていたからだと聞いた。

 更に今、こうしてひとつ同じ屋根の下に集っている。あの時とはまた微妙に違った看板を背負って。


「さて、この事を綱吉君に伝えるべきか・・・。」


 だが、彼に伝えると言っても、言葉にすればただの思い出話にしかならないのだが。

 だが、しかし。

 何かが引っ掛かる。何故、己はこのタイミングで、あの時の事など思い出したのか。

 術士の勘には必ず意味がある。思い当たるのは、彼女の得物。当時の骸が不思議に思った、あの『白く光る鞭』。アレが鞭でないとしたら。正体不明の武器を使って、翡翠が綱吉を害そうとしているのだとしたら。

 話をぶつけるとしたら、綱吉にではなく翡翠本人に、だろうか。


「っ、むくろ、さま・・・っ、」


「クローム。」


 傍を離れようと思った途端に、クロームの体が跳ね上がって仰け反る。すかさず彼女の心臓に手を置き、骸は精神を集中して使い魔を押さえつけた。

 翡翠の魔女。彼女の精密な遠隔操作に瞳を細める。

 今、クロームの中には、翡翠の創った使い魔が居る。

 翡翠が綱吉に語った言葉に嘘は無い。使い魔はいずれクロームの力と同調し、馴染んで、クロームの言う事だけを聞くようになるだろう。

 いずれ・・・1週間もすれば。

 だが、今はまだ、使い魔は翡翠の支配下だ。今はまだ、翡翠の力の塊、という異物が、クロームの中に入り込んでいる状態だ。今のクロームは、凄まじい激痛が体内を駆け巡っている筈。骸が外から干渉して使い魔の動きを制限しなければ、下手をすればショック死しかねない。

 今頃翡翠の魔女は、何も知らぬ綱吉からインタビューを受けている頃合だろう。

 綱吉とディーノに違和感を持たせず会話し、一方では、骸がクロームの傍を離れようとする度に、クロームの中の使い魔を刺激して暴れさせ、彼の足止めをする。

 翡翠の行動が、ただの嫌がらせで終わるとはとても思えない。


(頼みは跳ね馬・・・。)


 しかし今のディーノには部下が居ない。腹心のロマーリオすら。どうやら上手く翡翠の口車に乗せられてしまったらしい。部下の居ないディーノが、昔馴染みとはいえ、こんな緻密な策を巡らせる相手に勝てるのか。

 となると、残る手立ては。


(あの男を、呼びますか。)


 ポケットの中の携帯電話に触れる。

 クロームの容態に変化がない事を確認すると、骸は素早くその男の番号を押した。


 当初の目的は順調に進んでいた・・・綱吉と、翡翠。どちらの『目的』も。

 事前に募集した質問を綱吉が読み上げ、それに対して翡翠が答えていく。


「次の質問です。

 『絶世の美女として有名な翡翠さんですが、好みのタイプはどんな人ですか?』。

 ありがちネタでスミマセン。」


「ふふっ、こういうインタビュー受けると、必ず訊かれるのよね~。」


「でも実際、モテるでしょう? こんな美人が奥さんじゃザンザスもしんぱ痛い痛い痛い、」


「たまには素直にかっ消されろドカス。」


「何でだよ、一度かっ消されたら終わりだろっ。」


「そうねぇ、私より強い人。で、優しくて、まぁ、医者じゃなくてもいいんだけど、私の体の事があるから、医療にはそれなりの関心がある人。肉体年齢の上下には拘らないわ。精神年齢が高ければ。あと、ザンザスの役に立つ人。

 そういう、女の人。」


「はい・・・え、女?」


「記事にする時はただの『人』にしといてね、面倒だから。

 他にも細かい条件はあるのだけどね。つまりは、ホラ、」


 のんびりした口調で紅茶を含んでから、翡翠は事もあろうに隣のザンザスを指差した。


「『強い』ってトコ以外は、ザンザスと正反対の人よ。」


「しししっ、ボスって医者とかそういうのマジで興味ないもんな♪」


「ボスはソレでいいのさ。金さえあれば腕の立つ医者なんて幾らでも雇えるんだからね。」


 ベルとマーモンが笑っている。

 綱吉と翡翠の対談に、ごくたまにザンザスが綱吉的に痛いツッコミを入れ、ディーノがはらはらしながら見守り、外野のヴァリアーが茶々を入れる。

 今の所はそんな感じで進行していた。

 面白半分のベルフェゴールが口を滑らせそうになる。


「逆質問行きま~す♪ 俺らヴァリアーの中に、」


「ベル♪?

 今日の夕飯、人参ブロックで入れられたくなきゃ黙ってなさい。」


「・・・は~い♪」


「貴様まだ食べられんのか。」


「てめぇ味覚の成長8歳で止まってんじゃねぇのか?」


「うるせぇっ。」


 レヴィに鼻で笑われ、スクアーロに見下される切り裂き王子。

 翡翠の存在は最近知ったばかりだから当然としても、綱吉は曲がりなりにも昔から知っているヴァリアーたちに、まだまだ自分の知らない時間が沢山ある事に気が付いた。


「ベルフェゴールって、人参ダメなんだ?」


「悪ィかガキっ。」


「そうなのよ、沢田綱吉。

 ヴァリアー入隊の時に、簡単な聞き取りをするのよね。希望の聴取というか、添えるかは別として。『仕事場に求めるものは?』っていう質問に、この子何て書いたと思う?

 普通はお給料の事とか、更衣室がどうとか、寮の部屋とか、そういうの書くトコなんだけど。」


「ええと・・・?」


「普通っ、王子普通っ。」


「『人参だけは残しても怒らないで下さい。』ですって。

 学科は満点、体技はトップ、そんな子が『人参だけは』って。どんだけ嫌いなんだって思うでしょ? それ見た時私は、ああこの子は大丈夫だなと思ったわよ。こんだけストレートに弱点書けるなら、寮で孤立することもなく、社会性も問題なかろうと。

 後で周りから『人参王子』とか呼ばれてたけど。」


「周りからじゃねぇよ、レヴィのムッツリ野郎が勝手に呼んでただけだって。」


「当時の嵐担当の幹部がザンザスの目の前でそう呼んで、それにキレたベルがその幹部を殺して、それでザンザスの目に留まって、空いた嵐担当の幹部に抜擢されたのよね。」


「この俺に感謝するがいい。」


「あぁするとも、人参になっ。」


「なぬっ、」


「沢田綱吉、次の質問は?」


(なんか最後、とっても格好よくいい話にまとまってた気がするけど・・・。)


 ベルの社会性についてのお話。

 翡翠という女性がどれだけヴァリアーをきめ細かな視線で見つめ、メンバーを操縦し、上手にザンザスを補佐していたのかが察せられる話だ。


「次の質問です。

 『金魚愛好家として有名な翡翠さんですが、お家には何匹の金魚が居るんですか?』。」


「きゃ―――っ、待ってました『金魚系質問』っ♪♪♪」


「壊れたわ。」


「壊れたな。」


「しししっ♪、これからもっと壊れんぜ?」


 ルッス、スク、ベルが揃って最初から匙を投げる。

 ザンザスは嫌そうというより既にうんざりした顔だ。

 綱吉がどういう切り口で広げていくべきか迷う内に、彼女は勝手に喋り出している。唇は緩み、頬は紅潮し、瞳をキラキラさせ、胸の前で指を組み、それはもう心底楽しそうに。全ての反応が『歓喜』の一点に集中していた。

要するにマニアだ。


「金魚はいいわ、もう超可愛いんだからっ♪

 ちっちゃいし、可愛いし、色んな種類が居るのよ? 和金とか琉金とかオランダ獅子頭とかランチュウとか、」


「琉金とランチュウって、同じ物かと思ってました。」


「フフフ、甘いわね沢田綱吉。

 200年位前に中国から沖縄経由で日本に伝わったのが、琉球金魚、略して琉金。全体的に丸っぽいのはランチュウと同じなんだけど、頭が小さくて口が尖ってるのが特徴。それに、背鰭があって、尾鰭が長く綺麗にスラッと伸びるの。泳ぎは得意じゃないんだけど、ゆったり水に浮かんでるのがまた可愛いの♪♪

 ランチュウっていうのは、背鰭がなくて、頭に鱗が変形した瘤が付いてる品種。横からよりも上から見た方が格好いい種類ね。ずんぐりむっくりして尻尾も短いクセに、泳ぎは上手でとっても速いの♪♪」


「へ、へぇ・・・。」


「でも私が一番好きなのは、一番シンプルなタイプ。」


「シンプル?」


「そ。

 黒目で素赤でフナ尾で5cm未満の小さな和金。それが私のドストライクゾーン。」


「素赤・・・フナ尾・・・。」


「金魚って色にも沢山種類があるのよ。

 目だけでも赤・黒・白・アルビノタイプの4種類。

 体は更紗っていう紅白とか、黒、白、黄色、桜、三色、キャリコ、それに成長によっても変わってくる。素赤っていうのは、その中でも頭から尾の先まで全部がオレンジっぽい赤の個体。更紗の赤とはまた違った印象の赤で、優しい色合いが気に入ってるの。

 尾にも種類があるのよ。三つ尾とか四つ尾とか孔雀尾とか朱文金尾とか吹き流し尾とか蝶尾とか平付反転尾とか」


「早口言葉みたいですね。」


「フナ尾っていうのは、その名の通りフナみたいな尾って事。吹き流し尾より切れ込みが浅い、大元になった緋ブナに近い尻尾。

 それが『黒目で素赤でフナ尾』の意味なの。その5cm未満の小さな子を、ご飯上げて20cmとか30cmとかまで大きくするのが楽しいのよ。」


「5cmから20cmですか。何年くらいかかるんですか?」


「個体にもよるけど、数ヶ月よ。和金はよく動くしよく食べるから、成長が早いの。

 でもね、シンプル過ぎて中々居ないのよ、そういう子。

 金魚好きは皆、もっと尾が複雑で、より珍しい子に行っちゃうもんだから。たまに見つけても、肉食熱帯魚の活き餌扱いで、特価100匹1000円とか付いてるしね。『飼育用には買わないで下さい』って書いてあったんだけど、一度思い切って買った事があるの。」


「え・・・100匹ですか?」


「そう、100匹。

 壁1面水槽を2つ作って、」


「改築・・・?」


「そう、改築。作って、50匹ずつ放したの。それで様子見たんだけど、結局看板通り、短期間で全部死んじゃって。

 肉食熱帯魚にそんな病弱な活き餌あげていいのかよって思ったんだけど。

 折角の壁一面水槽が勿体ないから、消毒してから買い直したの。1匹400円の、更紗模様の和金。150匹買って75匹ずつ放したわ。」


「400×150って、」


「6万円? でもご飯代とかヒーターの電気代とか水草代とかエアレーション代とか考えるとね。改築費用も金魚代の一部みたいなモンだし。」


「金魚の為にそこまでしますか。」


「『した』わよ~? マニアだもの♪

 金魚の居ない人生なんてっ♪♪♪」


「翡翠ってホ~ント金魚好きよね~。レオーネを乗っ取った直後だって、一番最初にしたのは楽天市場に登録する事だったんだから。」


「え・・・楽天?」


 ルッスーリアの感嘆口調に、綱吉は一瞬耳を疑った。


「イタリアじゃ金魚って珍しいじゃない? 熱帯魚店にも置いてないのよね。確実に手に入れるならやっぱり、盛んな日本から買えるようにしとかないと。

 この子ったら重傷で、起きてるの自体危険な状態だったクセに、そういうトコ妙に行動が早くて。動かない手で一生懸命キーボード叩いてるから、代わりに登録してあげちゃったわよ。」


「あの時はありがとう、ルッス。感謝してるわ♪

 一種のアニマルセラピーよ。自分で金魚を世話出来るようになりたくて、リハビリ頑張ったトコあるから。」


「ヴぉおぉぉぉい、思い出したぞぉっ。

 お前が起きられるようになるまで、俺が水替えやらされてたんだった! ヴぉおぉい!」


「やっぱり直接的な欲求を満たす物というか、自分へのご褒美がないとね~。」


「ね~♪♪」


「ヴぉおぉぉいっ、話をそーらーすーな――――っ!!!」


 何で俺だったんだ、と翡翠に吠えるスクアーロ。紅茶を飲みながらほのぼのと顔を見合わせるルッスーリアと翡翠。

 綱吉が更なる質問を投げ掛けようとした時、突然電子音が響いた。


「時計ですか?」


「えぇ、12時の。ちょっと失礼して薬を飲ませて貰うわね。

 時間ピッタリに飲まないと、色々危険なものだから。」


「どうぞどうぞ。」


 綱吉が勧める目の前で、翡翠は車椅子の一部からビニール袋を取り出した。表面に日付が書かれ、中身には白や青の錠剤、顆粒薬、それにカプセル薬も入っている。それら全てを一度に飲まねばならないらしい。

 見慣れない薬の数々を、するすると飲み干して行く翡翠に綱吉は目を瞬かせた。


「なんか・・・薬だけでお腹一杯になっちゃいそうですね。」


「そうね、でもどれも必要な薬だから。飲まないと上手く体が動かないのよ。」


「どんな薬があるのか、聞いてもいいですか?」


「別に、他の臓器移植患者が飲むのと同じ薬よ。免疫抑制剤とか。私の場合、足の神経が麻痺してるから、神経系統を活発にする薬とか。完全に麻痺してるから、再生は難しいと思うんだけど・・・医者が勧めるから一応ね。

 それに血管も足のが脆くなってるから、血管の壁を補強する薬も。これは飲まないといけないの判るのよ。飲まないと、内出血ですぐ足が痣だらけになっちゃうから。」


「神経の薬も大切よ、翡翠。腕の神経も傷付いてるんだから、そっちの再生に役立つわ。」


「・・・この薬が一番苦くて嫌い。」


 諭す声音のルッスーリアに、翡翠は致し方なくという感で掌中で弄んでいた粉薬を一気に流し込んだ。薄茶色の粉が彼女の細い咽に消えていく。

 それを最後に薬が無くなったのを確認した綱吉が、質問を再開しようと、手元のメモ帳に視線を戻す。翡翠も何気ない動作で、水の入ったコップを


            ―――――――――ッ!!


 後々誰に聞いても、この時の音は千差万別ではっきりしない。ただ、物凄い音がした事、その音の中に硝子のコップが割れる甲高い音がした事が共通しているだけだ。

 下から突き上げてきた衝撃に大きく飛ばされた綱吉は、空中で何とか踏み止まって壁を蹴ると、無事に絨毯の上に着地した。飛んできた岩塊のお陰で体中がギシギシ痛む。

 顔を上げて愕然とした。


「ディ、ディーノさんっ?! 翡翠さん・・・ザンザスッ!」


 何処を見ても瓦礫、瓦礫、また瓦礫。

 なまじ広い部屋だっただけに、荒涼感が半端ではない。上を見ると、2階の床ほぼ全てが1階に落下していた。

 だがリボーンのスパルタ教育を受けた綱吉の事、愕然としてばかり居られないのは判っている。すぐに辺りを探索し始めた。

 細かい余震が続いている。

 揺れと瓦礫、両方に足を取られて綱吉がよろめいている頃、同じ室内の離れた場所で、ヴァリアーたちは密議を交わしていた。倒れたディーノを真ん中に置いて。


「思ったより早かったな。」


「自然のやる事だもの。1時間内外の誤差は想定内よ。」


 『弟』の台詞に澄まして答える翡翠。目の前の大地震などなかったかのように車椅子に座す彼女と、脇腹から血を流して仰向けに寝かされたディーノ。それに、ディーノの傷を晴孔雀で治療するルッスーリア。

 3人を取り囲むようにして、ザンザスたち他のヴァリアーメンバーが無傷で揃っている。

 喘ぐディーノが、薄っすらと目を開いた。


「ひ、すい・・・やっぱりお前、」


「ディーノ。『お守り』持ってるレヴィの近くに居て、何で瓦礫の直撃を受けるのかしら。本当に昔っから相変わらず運動神経の鈍い子ね。『部下の前でしか力が出せない。』なんて致命的な体質、いつまで持ってるつもり?

 そんな事だからこういう時、すぐに脱落するのよ。弱点は克服する物よ。あなたの行動、私には理解に苦しむわ。」


「翡翠・・・何で今更・・・ツナに、俺の弟分に手を出すな・・・!」


 弟分。

 その言葉に、彼女の『弟』は義手を、その先に付けた剣先を、無造作にクラスメイトの傷口に突き立てた。ルッスーリアも敢えて止めない。

 醒めた瞳のスクアーロを、止めたのは当の『姉』だった。


「スク。」


「・・・チッ。」


 それだけで通じてしまう2人に、荒い息の許、複雑な顔をするディーノ。

 翡翠はそんな昔の『部活の後輩』に、ゆっくりと不自由な腕を伸ばす。


「少し眠ってもらうわ、『キャバッローネ10代目』。目撃者は少ない方がいいから。」


 腕の先、掌が握っていたのはガラスの小瓶。4~500年前の毒薬のようなレトロな形の、透明な。その中に入っていたのは、どす黒い色をした細かい砂。

 蓋を開けて、傾けて。

 逆さにされて地に吸い込まれる筈の砂は、しかし自由落下せず、風にも乗らず、空中に道を作って真っ直ぐにディーノの口に侵入していく。辛うじて開いていた精悍な鳶色の瞳は少しの間抵抗していたが、やがて苦しそうに閉じられた。


「お休みなさい、ディーノ。いざとなったら、キャバッローネも私が乗っ取ってあげるわ。レオーネの連中にしたようにね。」


 代わりに小瓶を満たしたのは、金色の光。液体のように瓶の中をたゆたっている。

 クスクスと笑いながら呟く翡翠に、サングラスの奥のルッスの瞳に一瞬、不安げな光がよぎった。


「あ、居たっ! 翡翠さん、ザンザスっ!!」


「沢田、綱吉。」


 彼女の唇から冷たい声が漏れる。ザンザスが無言で目を細めた。

 広いと言っても限られた部屋の事。なのに中々誰も見つからない事に焦っていた綱吉は、一度に全員を見つけられてホッとした笑みを浮かべた。背中を向けている彼女の気配には気付いていない。


「良かった、無事だったんですねっ♪ 急にこんな大地震、びっくりしました。

 部下の人達は大丈夫なんですか?」


「今日、この島にも屋敷にも、誰も居ないわ。私たち以外には。

 基本的に、身の回りに不特定多数を置くのは嫌いなの。」


「そうですか・・・って、ディーノさんっ?!」


「大丈夫、気を失っているだけよ。

 瓦礫の直撃を受けてしまってね。今、ルッスに治してもらっている所。」


「あ、骸の様子を、」


「待ちなさい、沢田綱吉。」


「はい・・・?」


 ようやく振り向いた翡翠に、その日向の笑顔に。

 綱吉は簡単に気を緩めた。


「六道骸なら、自分で判断して動けるでしょう。今頃は危険な屋内になど居続けないで、クローム髑髏を連れて安全圏に避難している筈。恐らく彼の捜索には時間がかかるわ。

 ここは危険よ。私たちも離れましょう。

 もしかしたらそこで六道骸に会えるかも知れない。」


「・・・でも、」


「行きましょう、沢田綱吉。

 建物内部は危険だわ。中庭へ。案内するから着いて来て。」


「はい。」


 綱吉は躊躇いながらも、結局頷いた。ここはレオーネの領内なのだ。レオーネのボスの判断に従うのが筋だと思ったのだろう。翡翠の、というより、ヴァリアーの後を素直に着いて来る。

 足早に進む途中で、さりげなく彼女の膝に身を寄せたマーモンは小声で確認した。


「タイミングは?」


「バッチリよ。もうすぐ中庭に『第二波』が来る。そして中庭に六道骸は居ない。」


「君の目論見通りという訳だ。」


「もうすぐよ、マーモン。」


 涼やかな彼女の声に、憎悪が混ざる。


「もうすぐ、氷漬けになった沢田綱吉を見せてあげられるわ。」


 色のない声音に、赤ん坊の眉が僅かに顰められる。

 だが結局、マーモンは彼女を止めなかった。


 動物は、好きな方だと思う。特に小さい生き物系統は・・・部下にも野生動物のような男が居ることだし。そんなに嫌いな動物は居ない。

 居なかった。今までは。


「クフフ・・・まったく、悪夢のような光景だ。」


 骸は声もなく唸ると、眠るクロームによじ登ろうとした蜘蛛を一匹、摘まみ上げて手袋の上から握り潰した。

 指の隙間から落ちるのは蜘蛛の欠片ではなく、崩れて形を失った雲属性の炎。

 翡翠が雲属性の特徴『増殖』を、恐らく最大限活かして作り出した大量の蜘蛛。それが今、骸の周りを取り囲んでいた。崩壊の危険を避けて部屋を飛び出した骸と、昏睡とも言える深い眠りにつき、荒む廊下とその壁にL字型に寝かされたクローム。

 2人を、取り囲んでいる。

 直径20cmはある大型の蜘蛛と、もう一種類。


「蜘蛛はまだしも、金魚のボックス兵器とはまた風変わりな。

コレが彼女の本質・・・。大きく隔たる二面性。共通項の無い合わせ鏡、と言った所ですか。」


 大分体力を消耗した骸が、軽く溜め息をつく。

 彼らを取り囲むのは、数百からの蜘蛛と、そして金魚だ。

 灰黒色の剛毛に覆われた体と大きな牙、それに青黒い8つの瞳を爛々と輝かせた蜘蛛。鮮やかなまでに明るい紅白の更紗模様に、光を弾く鱗、それに空中を美しく舞うフリルのような尻尾を持った、こちらも20cm程と見受けられる金魚。

 黒蜘蛛と、更紗和金。それが廊下を埋め尽くして、骸とクロームを爆死させようと狙っている。彼らは特攻宜しくぶつかってきて、弾けるように爆発するのだ。

 またひとつ、大きな振動があった。

 段々余震が大きくなってきている。もう一度大きな揺れが一発、来るのかも知れない。この廊下もいつ上階の下敷きになるか判ったものではないので、とっとと外に出てしまいたいのだが。

 蜘蛛と金魚が、それを許してくれない。

 階段を降りるどころか、一歩移動しようとするだけで地雷のように爆発するのだ。


(翡翠の魔女、何を考えている・・・?)


 骸を殺す為に、この2つを配置したのではない筈だ。

 殺気もないし、足止めと考えるのが自然だろう。

 だが、何の為に。いつまで。

 綱吉殺害に骸が邪魔なら、もっと確実に自由を奪う手段は幾らでもある筈なのだが。


(早く合流しなくてはいけませんね。)


 あの男は、まだ到着しないのだろうか。

 そう思って割れた窓ガラス越しに空を見上げ、ふと、中庭に目を転じた時―――。


「綱吉君っ?!」


 大地に飲み込まれる綱吉の姿が見えた。


「ここまで来れば安心よ、沢田綱吉。」


「良かった・・・ありがとうございます、翡翠さん。」


「・・・・・。」


 曇りのない瞳で礼を言う綱吉に、翡翠は黙って優しく微笑んだ。

 ヴァリアーたちから少し離れた場所に居た彼女は、その白い手でスイッと綱吉を手招きした。トントン、と、指先で背凭れを叩いて車椅子の後ろを示す。


「お願いがあるの、沢田綱吉。

 車椅子の後ろにリュックがあるの。それを開けてくれないかしら。中に通信機が入ってるわ。それで島外に居るフネラーレに連絡を取るから。」


「フネラーレ?」


「ボンゴレには外部諜報機関のチェデフと、独立暗殺部隊のヴァリアーが居るでしょう。レオーネにも居るのよ、そういうのが。チェデフとヴァリアーを足して2で割ったような組織。そちらの2つと違って完全にレオーネ傘下なのだけど。

 私の命で、今は1人残らず島外に出ているわ。ちょっと用を言い付けていて。

 この島に長居は無用。

 連絡して、普段使っている島外の本拠地に避難しましょう。フネラーレにヘリを必要分用意させるから。」


「フネラーレって、葬儀屋って意味でしたっけ・・・。」


「そうね。暗殺を自然死に偽装するのが得意だから、そう呼ばれてる。」


 何故、自分などより余程親しいヴァリアーに頼まないのか、とは、思わなかった。綱吉は何処までも素直に彼女の言葉を信じている。言われた通り車椅子の背後に回り、通信機が入っていると思しきリュックサックへ手を伸ばす。


「翡翠さん、これですよね?」


 翡翠に手渡そうとしたその時、再び大きく足許が揺れた。今度は押し上げられる縦揺れではなく、獣が身震いするような細かい横揺れだ。条件反射的に下がろうとした綱吉は、しかし爪先ひとつ動かない足許を見て驚いた。

 足首に太い蔦が食い込んでいて、ピクリとも動けない。


「翡翠さん、」


「さようなら、沢田綱吉。」


 大きな余震が来る。足許が崩れて大穴が開く。グラリと傾いで足から穴に吸い込まれる。

 綱吉はそれらに何一つ抵抗できずに、一瞬で地底湖に落下した。


(翡翠さん、ひす、い、さん・・・。)


 湖の底は深く、水は異様に冷たい。水流が生き物のように手足に絡み付く。

 必死で足掻く綱吉が、最後に見上げた彼女は笑っていた。

 高さにして14~5mと言った所だろうか。地上に開いた直径2m程のアメフトボールのような形の穴から、下を、溺れる綱吉を覗いて。

 逆光の中の彼女は、意識を失っていく綱吉を見て、確かに笑っていたのだ。


「沢田綱吉の意識不明を確認したよ、翡翠。」


「ありがとマーモン。」


 翡翠に請われる侭、術を使って綱吉の状態を確認するマーモンに、スクアーロが半眼になっている。この霧のアルコバレーノは彼女限定で物凄く甘いのだ、価格設定が。『見込みがある』だの何だのと言っては、妙な術を色々伝授しているらしい。

 クローム髑髏はアルコバレーノの使命の一環として相手をしたし、向こうが勝手に彼の作った教材を使って強くなっているようだが、翡翠は違う。マーモンは自ら家庭教師役を買って出るくらい、彼女の事を気に入っていた。

 その翡翠はと言えば、綱吉に向けていたのと変わりのない笑顔で綺麗に微笑んでいる。


「このまま放っておいても死ぬでしょうけど、仕上げとして1つ念を入れましょう。」


 ブラウスのボタンを外して、下に隠していたペンダントを出す。

 革紐に結わえ付けられた、翡翠の円環。

 彼女が両の掌で包み込むと、真昼の太陽の下で鈍く輝き始めた。雲属性の紫の炎だ。


「これで、終わり。」


「いいえ、僕が居る。」


 介入者の声に、ヴァリアー全員の眼光が鋭くなる。己が背後を振り返った彼らの視線の先に、佇んでいたのは他でもない、綱吉の霧の守護者。

 駆けつけた骸に、しかし翡翠の表情は落ち着いていた。唇に冷笑を浮かべている。


「思ったより随分消耗してるのね、六道骸。他人の策に嵌まるなんて、らしくない事。

 妹さんは残して来て良かったのかしら。」


「彼女なら問題ありません。ちゃんと結界を張ってきましたから。」


「あらそう、素敵ね。

 でもその結界大丈夫? 大地震の後よ、いつまた大きな余震が来るかも知れないのに、建物が崩れても浮かんでられるタイプ? それに使い魔対策、していないのを感じるのだけど。もし今、私が使い魔を操ったら・・・彼女、どうなるかしらね。」


「・・・・・・。」


 骸は答えない。色違いの瞳が、かつてない程激しい険を含んで彼女を射抜いている。

 散々蜘蛛と金魚の爆撃を喰らったのだろう、彼のスーツがくすんでいるのも、所々破れてさえいるのも初めてだ。普段からお洒落に気を遣う骸の着衣を、初対面の翡翠は策略と武力で以って、相対しさえしないまま簡単に乱してみせた。

 翡翠は冷酷に、骸に対して『命令』する。


「そこで見ていなさい、六道骸。

 今度はあなたのボスが氷漬けになる番なんだから。」


「氷漬け? 綱吉君に何をしたんですっ!」


 叫ぶ骸に、彼女は低く笑って答えない。

 代わりに持ち掛けてきたのは、ひとつの取引。車椅子に付いた沢山のポケットの中から、小瓶を取り出して彼に見せる。掲げられたそれには金色の光が閉じ込められていた。


「これ、何だと思う?」


「綱吉君の物でない事は判ります。」


「キャバッローネ10代目、ディーノの意識よ。」


「・・・・・・。」


 ルッスーリアの足許に視線を走らせる骸。ピクリとも動かないディーノの体は、確かにルッスの足許に無造作に置かれている。彼が運んで来たのだろう。

 翡翠は小瓶を弄びながら、淡々と告げた。


「今のディーノの体は、私の血から作った薬で内側から支配してるの。この金色の光は、体から追い出されたこの子の意識、魂に近い成分よ。

 瓶を壊せば、この子は魂を失って簡単に死ぬ。」


「だから?」


 冷淡さでは骸の声も負けていない。ルッスは自分の運んで来た男が少々可哀想になって苦笑した。


「キャバッローネのボスなど、生死に興味はありませんよ。僕相手の人質にはならない。」


「素敵な台詞ね、身も心も『霧の守護者』ってトコかしら。」


「・・・何が言いたいんです。」


「あなた最近、志を忘れてない? 『標的』だの何だの言って、結局沢田綱吉が大事なんじゃないの。

 私がしているのは『恐喝』じゃなく『取引』よ。

 沢田綱吉を殺す私の行動を、このまま黙認なさい。そうすれば、あなたにキャバッローネ10代目の体をあげるわ。三叉槍で傷付けて契約し、彼の体を使って抗争でも世界大戦でも、好きなように事を起こせばいい。私の薬が効いてる今なら、それが出来る。」


「僕が欲しいのはボンゴレですよ。ボンゴレより大きなマフィアでなくては。」


「あなたは君臨したいんじゃなくて、戦いを起こして世界を滅ぼしたいのでしょう?

 それなら最強の組織よりも、少しだけ規模の小さい組織を使った方が効果的だわ。最強だったら皆恐れをなしてすぐに平伏する。内実はともかく、戦いは収束してしまう。

 でも、勢力差が適度にある組織同士の抗争なら、戦いは長引いてより陰惨な血が流れるでしょう。そしてそういう血ほど、呼び水のように次の血を呼び寄せる。

 その方があなたの目的には沿うのじゃなくて?」


「ディーノよりザンザスの体が欲しいのですが。」


「それはダメ♪ ヴァリアーの雲担当として正式にお断り♪

 あなたの率いるキャバッローネが攻めて来ても、加減せずに潰すからそのつもりでいてね。構わないでしょ? その方があなたにとっても好都合だものね、抗争が広がって。

 キャバッローネ10代目の体が死んでも、その前に他のファミリーのボスに憑依すれば済む事だし。

 どうかしら。この取引受けてくれない? あなたにとってマイナス要素がひとつもない素敵な取引だと思うのだけど。手伝えとは言わない、ただそこに黙って立っていてくれたらいい。」


「ボンゴレの霧担当として正式にお断り、です。」


「早いわね~、一考の余地なし?」


「そもそもクロームを傷付けた時点で、あなたは僕自身の敵ですよ、『翡翠の魔女』。」


「懐かしい呼び名ね。台所の隅に隠れてた男の子が、言うようになったわ。」


「ほぅ、僕の事を覚えておいでで?」


「覚えてるわよ。

 15で潰したファミリーの、台所の隅っこで雨露を凌いでた妙な気配を持った幼い子。初見で判った、あの時の子だって。」


「クフフ、随分幼いイメージで僕を捉えているようだ。」


「今だって充分幼いじゃない? 妹1人の命さえ、私から取り戻せないんだから。」


 骸が氷点下の殺気を纏う。

 翡翠が2つのボックス兵器を出す。先程の蜘蛛と金魚、その本体を出す気なのだ。

 向かい合う両者の間に割って入ったのはマーモンだった。彼女の視界から骸を追い出すような中空に、小さな体が浮かんでいる。


「コイツの相手まで君がする必要はない。」


「マーモン、でも。」


「力を分散させ過ぎだ、翡翠。

 館に散らせた蜘蛛と金魚も引っ込めろ。もう必要ない。君はクローム髑髏の中の使い魔と、沢田綱吉を凍らせる事。この2つに集中しろ。」


「了解♪」


「待ちなさい、綱吉君を凍らせるって一体」


「怒鳴らないで頂戴、今見せてあげるわ。」


 骸に背を向けた翡翠が、余裕綽々の口調で進行方向に手をかざす。

 するといきなり、美しかった庭園が砂と化して消え去った。比喩でも何でもなく、芝生に覆われ花壇で整えられていた庭が、サラサラした薄黄色の砂になり、自重に耐えかねて落下したのだ。下の、中空になった部分に。

ほんの一部、風に乗って舞い上がった砂が晴れていく。

 仄明るい地底の湖と、その真ん中に聳え立つ、神秘的なまでに美しい氷の柱。地上からの光を受けて輝く様は、神代の時代の剣のようだ。

 出てきた光景に骸は目を瞠った。


「これは・・・。」


「レオーネ本部の地下に、迷宮があるのは知ってるでしょ?

 アレはレプリカなの。此処の、ね。

 この島は石灰岩質で、元々島中に穴が開いてて、天然の洞窟が出来てるの。それを初代が気に入って、少し手を加えたのが今のこの島。館なんて、薄い岩盤の上に楔を打ち込んで建ててるようなものよ。そりゃ地震にも弱くなるわよね。」


「・・・・・・・。」


「この地底湖、綺麗だから気に入ってるの。

 沢田綱吉を殺すなら此処がいいって、ずっと思ってたのよ?」


「綱吉君は、あの氷柱に・・・?」


「えぇ。ただの氷じゃないわ。閉じ込めたのは私の力。私が望まない限り、あの氷が溶けることは無い。

 今は死ぬ気の炎で体をコーティングしてるようだけど、無駄な抵抗よ。体温が下がれば炎も出せなくなるでしょう。」


「綱吉君の炎は大空属性の炎。雲属性の増殖の炎を、いくら水に含ませても鼬ごっこですよ。体力で劣るあなたの方が、いずれ不利になる。綱吉君は自力で出てくるでしょう。」


「アレが、本当に『そう』ならね。

 なら、大空属性の炎で『調和』させられて、滴1滴届かないでしょう。」


「・・・?」


「私の力に気付かない限り、あなたに沢田綱吉を救う事は出来ない。

 守護者ごっこはもう終わりにして、本来の目的に向かって動き出したらどう? 『取引』、受ける気になってくれると嬉しいのだけど。」


「どうにも、あなたとは意志の疎通が難しいようだ。

 言いませんでしたか? あなたは僕自身にとっての敵なのだと。」


「そう、残念ね。」


 車椅子越しに翡翠が肩を竦めたのが判る。元々の仕様なのだろう、車輪から死ぬ気の炎を噴射してエアバイクのように浮かぶと、そのまま自ら開けた穴へ飛び込んでいく。

 ザンザスとスクアーロも。


「ヴぉおぉぉいっ、きっちり足止めしとけぇっ!」


 それを追おうとする骸にはワイヤー付きのナイフが飛んできた。


「ひゅ~、バッカで~♪ 翡翠の用意してくれた取引に、乗っときゃ良かったのにさ♪」


「折角の機会を不意にしたね。金以外を見るからそうなるのさ。」


「疲れた体で私たちの相手なんて、出来るのかしら? がっかりさせないでよね。」


 残ったのはレヴィ、ベル、マーモン、そしてルッス。

 消耗した状態でこのメンバーを、しかも4対1で退けなければならない。それにスクアーロの残した指示は『足止め』。恐らく4人ともまともに戦っては来ないだろう。集団戦に相応しい戦い方で翻弄してくる筈だ。それに翡翠が残した言葉も気になる。『体温が下がれば・・・。』。あまり、時間を掛けてもいられないようだ。

 骸の頬に、何年か振りの冷や汗が流れた。


 絶対零度に近い空間だった。


「ヴぉおぉぉい、下げ過ぎじゃねぇのか?」


「少しでも早く、沢田綱吉の体温を奪ってしまいたいの。下げ過ぎて過ぎる事はないわ。」


 ただでさえ気温の低い地底の事、彼女の力も加わって寒くなる一方の空間に、ボックス兵器・暴雨鮫に乗ったスクアーロは文句たらたらだ。

 そして彼は、氷柱に触れようとした翡翠の左手も止めさせる。

 横から握り締めた彼女の指先は、ぞっとする程冷たかった。


「スク?」


「てめぇ、低温火傷って言葉知ってっか?」


「知ってるわ、言葉も意味も、あなたに教えたの私だもの。

 放して、スクアーロ。直接触るのが一番強く力を作用させられるの。」


 彼女の『弟』は答えない。苦虫を噛み潰した鋭い瞳のまま、翡翠をじっと見つめ続ける。

 譲ったのは翡翠だった。

 指先から抜かれた力に、スクアーロが手を放す。翡翠が両手を挙げて、降参というように指先をヒラヒラさせる。どこか互いに、2人の間で慣れ親しんだ儀式のような仕草でもあった。

 ザンザスは黙って見ている。


「ほらよ。」


「ありがとスク♪」


 無造作に脱がれたスクアーロのコートが、薄着だった翡翠の肩に掛けられる。桜色のブラウスと漆黒のコートとのコントラストが鮮やかだ。

 軽い口調で礼を言った翡翠は、日向の笑顔で両襟を引き寄せる。袖を通せれば良いのだろうが、両腕共に古傷のせいで上手く動かせない彼女は、服を着るのがとても苦手だった。

 改めて円環を両手で包み込み、瞳を閉ざす翡翠。

 祈りを捧げる巫女姫にも似たその横顔を、少し下がって眺めるスクアーロに、ザンザスが初めて口を開く。


「オイ、カス鮫。」


「ンだよ。」


「計っとけ。5分経ったら出るぞ。その時の状況がどうでも、だ。」


「・・・おう。」


 ったく、この男は。ボス補佐の体調なんざ気にも掛けねぇツラしやがって、肝心なトコは締めてきやがる。

 作戦隊長の内心など頓着しなさげな横顔に、スクアーロは溜め息をつきたくなった。

 今回の事は、全て翡翠の望みから始まった。

 彼女には異能がある。水を操る能力、水操能力が。骸の持つ術能力とは違う、マーモンの持つサイキック能力と同質の、力が。故にマーモンは彼女を気に入っている。家庭教師紛いの指導すらする程に。

 ただ強いだけではない。有り余る強大な力にアルコバレーノの指導も加わって、表現としては『水素分子を操る』という言い方が相応しい高いレベルだ。

 その翡翠が、ひとつの地震を予知した。

 彼女の日課は、地下水脈の観測。力を適度に使って慣れる為だが、数ヶ月前のある日、彼女は無数の支流のひとつが微妙に水位を変えている事に気が付いた。

 岩盤に歪みが生じ、ズレている為だ。

 つまりは、地震の予兆である。

 普通の女なら驚き慌て、怖がって逃げる算段に入るのだろう。だが翡翠は違った。何と言っても彼女は『あの』ザンザスの補佐であり、『ヴァリアーの』一員なのだ。

 この地震を好機と捉えた。

 勿論、綱吉を殺す為の。

 より詳しく水を読み、地震計なども併用して具体的な地震発生の日を弾き出した。

 そのうち、折り良く当の綱吉から打診が来た。機関紙に載せるインタビューをしたい、今回こそ受けてくれないか、と。

 彼女は二つ返事で了承し、そして、体調が悪いから静養しているのだと、この島を指定し、更に地震発生の日を指定した。

 まったくの嘘、ではない。彼女の体調は1年中悪いのだ。

 遠くに連なる縁者として、じっくり話をする時間が欲しい、とクローム(と骸)を先に呼び寄せたのも翡翠。綱吉との時間差を作り、時計という策を張った。

 彼女を警戒したディーノが同行を申し出た時、むしろ歓迎すると返事したのも翡翠。大人数で来られると疲れるからと、体調を理由にディーノ1人に限定させた。

 これらも、嘘ではない。

 骸がクロームにかかり切りになったのは、翡翠にとって予想外だった・・・都合の良い方向に。もっとドライな人物像を思い描いていたのだが。その甘さのお陰で、労せずして綱吉から彼を引き離す事が出来た。

 あとは常に地下水脈に気を配り、ベストなタイミングで綱吉をこの地底湖の上に連れ出せれば8割は成功である。

 予め中庭にばら撒いておいた蔦植物の水分を操り、爆発的に成長させて、綱吉の動きを封じる事にも成功した。

 綱吉は翡翠の目論見通りに動いてくれた。今、この瞬間、氷柱に囚われる事さえも。

 今こそ、仕上げの時。

 このまま翡翠の力で、綱吉を閉じ込めた氷柱の密度を上げていく。叶う限りの硬度を与え、冷やし、彼が中で凍死するように導いていけばいい。


『超直感信仰、みたいなのあるじゃない? 私アレ嫌いなのよね。』


 作戦を説明する時、翡翠は仲間たちに言った。


『要は未来視に近い異能でしょ。

 異能者だったⅠ世の血が、もっとも強く出た子孫に継がせるシステム。それが『ブラッド・オブ・ボンゴレ』を持つ者しかボスになれないっていう、つまんない掟の真相よ。

 そんなモノをいつまでも有り難がって縋ってたら、いつか敵に足許を掬われる。

 直感に長けた人材が要るなら、側近にそういうのを入れればいいの。ボス自身が異能者である必要は欠片もない。

 超直感が働くのは生身の人間が吐く嘘だけ。

 なら、自然現象の起きる場所に、嘘を吐かず、真実だけを口にして上手く誘導すれば、見抜けず、警戒もされずに殺せる筈。

 超直感がいかに脆いものなのか、沢田綱吉の死で証明してやるわ。』


 強い瞳でそう言い切った翡翠に、ザンザスは一言『やってみろ。』と告げただけだった。


「そろそろ2分半だぜ。」


「・・・・・・。」


 氷の中の綱吉は、オレンジ色の燐光を発して見える。本当に体が光っている訳ではない。完全に凍らされる寸前、身に死ぬ気の炎をベールのように纏って冷気を防いだのだ。

 骸の言う通りだ。

 この水が雲属性の炎なら、大空属性の炎に阻まれて、薄皮一枚のラインで死を回避され続けるだろう。そしてそのうち、彼女の薬の時間が来て綱吉は解放される。

 だがこの水は物理現象だ。視覚化された生命エネルギーではなく、ただの氷。溶かすには、ただの炎か、翡翠以上の水操能力者を持ってくるかしかない。

 リングでの戦闘やボックス兵器が一般化した昨今、ただの水や炎で戦うなど随分レトロな戦法と言わざるを得ない。

 だが実際、目下綱吉は死に瀕している。

 これで翡翠の言う通り、『超直感の脆さ』を証明した事になるのだろうか。

 そろそろ3分経つ。

 綱吉を覆うオレンジの光は、大分薄くなってきた。


(そういえば・・・。)


 スクアーロは、ふと思う。5歳の時からずっと共に生きてきた『姉』を見守りながら。

 そういえば翡翠が15の時、確かに、とある凶悪マフィアを全滅させた事があった。師の命令だった・・・師が誰に命令されたかは、知らないが。

 標的は全部殺した。

 なのに、帰ってから師に、酷い暴行を加えられた。彼女だけ。

 理由は『子供を3人狩り損ねた』から。目撃者が居たのだという。2人が撤収した直後、子供が逃げて行ったと。

普段から彼女にだけ当たりの厳しい師だったが、その時は格別だった。

 彼女が謝らなかったせいかもしれない。

 当時も、彼女が失敗したとは、どうしても思えなかった。今改めて思う。彼女は確かに完遂してみせたのだ。逃げた子供とは、骸たちの事だろう。彼らは確かにあのファミリーではなかったのだから。


「おい、翡翠?」


「平気。大丈夫だから・・・続けさせて、スクアーロ。」


 車椅子の上で、いつの間にか背中を丸めていた翡翠。

 咄嗟に暴雨鮫を横につけると、スクアーロは彼女の顔を覗きこんだ。翠瞳が帯びる強い光に、ほっとする。それでも傍は離れられない。

 力が枯渇し始めたのではない。体温調節が上手くいかなくなり始めたのだ。

 『あの時』・・・オッタビオの裏切りで、事故に遭った時。地面に叩きつけられた彼女の体は、衝撃で手足の神経が千切れかけた。腕の神経は辛うじて残っているが、自律神経系、特に体温調節に後遺症が残った。

 スクアーロは唇をかんだ。

 この場の冷気は、8割が彼女の起こしたモノ。

 なのに、誰より彼女の体がその冷気に耐えられない。


「あと、2分だ。」


「スク?」


「クソボスの命令だぜ。5分経ったらどんな状況だろうが上がる。

 リミットまで2分だ。」


「・・・判ったわ。」


 ザンザス大事な彼女は、彼の名を出せば大抵素直に言う事を聞く。やれやれと安心したのも束の間、


「燕特攻っ!」


 スクアーロの目の前で、その技は車椅子に直撃した。


 ルッスーリアの拳を避けた傍からレヴィのサーベルが前髪を掠めて、千切れた黒髪に骸は顔をしかめた。別に髪が命とは言わないが、あまり見栄えの悪い髪型にするのはやめてもらいたい。

 ベルフェゴールのナイフも上手くいなした彼に、マーモンが語りかけてくる。


「特別講義だ。君の弱点を教えてあげるよ、六道骸。」


 お遊びで話しているのではない。これも立派な戦略だ。被術者の意識を自分に向けさせ、五感を支配し易くする為の。


「ほぅ? 僕にそんなモノありますか、先生。」


「あるね。簡単な事さ。

 確かに君の言う六道スキル、たとえば地獄道の幻術能力、修羅道の格闘能力などは警戒に値する。が、一度に出せるのはひとつの能力だけだ。

 例えば地獄道の使用中に修羅道を出す事は出来ない。

 それなら話は簡単だ。各能力を凌駕する使い手が、一度に攻めればいいのさ。僕の相手をしている時に、ルッスの蹴りが躱せるかい?」


 マーモンの幻術が骸に襲い掛かる。それに構えを取る間も与えず瞬時に骸の背後を取ったルッスーリアが、鋼鉄の膝蹴りを彼の脇腹に叩き込んだ。

 込もうとした、その刹那。


「燕特攻っ!」


 顔色の変わった4人の様子に、骸が怪訝そうに瞳を眇める。

 彼は気付いていた。4人が本当に反応したのが、車椅子の弾け飛ぶ金属音だという事を。


「翡翠っ。」


 骸への攻撃をやめてまで、ルッスーリアが慌てて穴の縁に走り寄る。

 他の3人はルッスと骸の間に入って警戒してはいるが、骸を攻撃しようとはしない。骸など眼中にない程の懸念事項があるようで、穴の縁に両膝ついて覗き込むルッスーリアの言葉を待ちかねている。

 片手を口に当てて、ルッスは声を張り上げた。


「ちょっとスクアーロっ! 今の音は何っ?!

 翡翠は無事なんでしょうねっ?!」


「ヴぉおぉぉぉぉいぃっ!!

 ガタガタうるせぇぞこの変態野郎がぁっ! 無事に決まってっだろーがっ。」


 義手を振り回して存在を主張する剣士よりも、その足許に座り込んでこちらを見上げ、頷いている翠瞳の女性の姿に安堵する。首元に深手を負って以来、翡翠は大きな声が出せない。だから、声が聞こえない事を心配する必要はない。


「無事なのねっ?! 良かったわ~♪」


「山本武は俺が処理する。

 お前らはもう1人の変態野郎を、絶対こっちに下ろすなよぉっ!」


「は~い、了~解♪♪♪」


 翡翠の無事を確認した途端、上機嫌で立ち上がるルッスーリア。

 自分の存在を忘れたかのように緊張を解く他の3人に、流石の骸も苦笑して思わず三叉槍の切っ先を下げてしまう。


「クフフ、随分と彼女にお優しいじゃありませんか。

 ヴァリアー随一のお姫様、と言った所ですか。ザンザスの妻というのも、あながち戸籍の上だけでもないようですね。」


「ししし、ボスに聞かれたら殺されるぜ、あんた。」


「そのネタ、ボスの前じゃ禁句だからね。『それ』は確かに戸籍だけさ。

 でなきゃ今頃、ヴァリアーは昼ドラの世界に突入だよ。」


「昼ドラ?」


「愛憎渦巻く四角関係。」


「あぁ・・・。」


 マーモンの台詞に納得しかけた骸は、ふと余計な事を考える。

 ザンザスとスクアーロの事は知っている。それに翡翠を加えて、三角関係。では4つ目の『角』は誰だろう?

 埒もない骸の思考を、引き剥がしたのもマーモンの声だった。


「山本武を呼んだのは君かい?」


「クフフ。

 えぇ、僕です。地震の前、クロームの看病中に電話をね。何か引っ掛かりがあったものですから。彼が一番、自然且つ冷静に動けそうでしたので。

 そちらの作戦隊長殿と、一番縁がありそうですし?」


 骸が暗に言いたい事を察して、マーモンは唇を歪めた。


「ウチの作戦隊長なら、そっちの雨に手心を加えるだろうって?

 甘い考えだ。むしろ今回は相手が・・・背中に置いてる相手が悪かったね。」


「背中に置いてる相手?」


「スクアーロにとって、翡翠は従うべき姉であり、守るべき妹であり、教えを受けた師匠でもある。いくら才能を買っているからって、翡翠の行動を邪魔するなら山本武であろうと容赦はしないさ。その執念たるやボスの時以上でね。」


「そ~そっ♪ つまりは『シスコン』ってコトなのよね~♪」


「しししっ、シスコンの執念怖ぇ~。」


「貴様もだろうが。」


「てめぇもな、変態雷親父っ。」


「レヴィの場合は『頼りになる妹』で~、ベルの場合は『優しいお母さん』よねぇ?

 だから『マザコン』よ。」


「何でだよっ、マザコンじゃねぇっ!」


「僕の場合は『見所のある面白い弟子』で、ルッスの場合は『オとしたい相手』だろ。

 そういえばオとせたんだっけ?」


「もぉ~、マーモンたら、そぉんな無粋な事訊くもんじゃないわ~♪♪」


「成程。」


 短く息を吐いて、骸は今度こそ納得した。四角関係の四角目は、ルッスという訳だ。

 納得した所で、改めて三叉槍を構え直す。


「ヴァリアーにとって、翡翠の魔女はザンザスと同じくらいの重要人物という訳だ。

 ならば尚の事、押し通らせてもらいます。そんな危険人物と綱吉君を、いつまでも同席させておく訳にはいきませんのでね。」


「通った所で、六道骸、君に彼女は倒せない。

 ここで大人しく待っているんだね。自分のボスが氷漬けになるのをさ・・・っ!」


 マーモンの力が爆発的に跳ね上がる。本気を出し始めたのだ。

 4人からの同時攻撃に、骸は僅かに自嘲の笑みを浮かべた。


「燕特攻っ!」


 声が聞こえた時、スクアーロは反射的に翡翠を抱き寄せていた。その身柄を車椅子から引き抜くようにして暴雨鮫に移すと、滅多に出さない全速力で距離を取る。視界の隅には、ひしゃげた車椅子が落下していく様がはっきりと映っていた。

 この地底湖には大昔に落ちてきた巨大な岩塊が無数にあって、湖面から生えたような形でその突端を現している。露出部分が比較的平面に近い手近な岩に、スクアーロが翡翠を降ろした時。

 片手を口に当てて、地上に残ったルッスーリアが声を張り上げてきた。


「ちょっとスクアーロっ! 今の音は何っ?!

 翡翠は無事なんでしょうねっ?!」


「ヴぉおぉぉぉぉいぃっ!!

 ガタガタうるせぇぞこの変態野郎がぁっ! 無事に決まってっだろーがっ。」


 乱暴に答えて足許の翡翠に視線を流す。彼女はルッスに、黙って大きく頷いていた。


「無事なのねっ?! 良かったわ~♪」


「山本武は俺が処理する。

 お前らはもう1人の変態野郎を、絶対こっちに下ろすなよぉっ!」


「は~い、了~解♪♪♪」


 この上骸に来られては、明らかに面倒だ。

 そう。この男・・・山本武、だけでも面倒だというのに。


「スクアーロ・・・。」


「よぅ腰抜け、よく来たじゃねぇかぁ。」


 現れたのは黒スーツに日本刀を持ち、右顎に剣創のある男。

 武は辛そうに唇をかみ、目を細めていた。スクアーロは構わずに続ける。


「大方、上の変態野郎に呼ばれて来て歩いてたら、地震で下に落っこちたってトコだろうがな。一足も二足も遅かったぜ。

 見えるか? お前のボスは氷漬けだぜ。もうじき心臓も止まる。ざまぁねぇな本当によ。」


「・・・骸からは詳しい事は訊いてねぇ。ただ、ツナの身に何か起こってたら、それは、その力の源は『翡翠』っていう女の人だって言ってた。翡翠を殺せばツナは助かるだろう、ってな。もしそんな場面に出会ったら、躊躇なくその人を殺せと。」


「口八丁の弁舌屋にしちゃぁ、随分短く纏めた説明じゃねぇか。

 その通りだ。お前のボスは翡翠の罠に掛かって湖に落ち、翡翠の力で氷漬けにされてる。氷を溶かすには、実質翡翠を殺すしかねぇ。」


「でも、その前にお前を殺さないといけないんだろ?」


「ハッ、まるで俺が殺せるなら、翡翠なんざもっと簡単に殺せる、とでも考えていそうな面だな。言っとくがお前に翡翠は殺れねぇぜ。」


「『俺が殺させない。』の間違いだろ? お前ってホント、素直じゃないのな。」


 寂しげな武の台詞に、スクアーロの口許から笑みが消える。

 無言で義手を構えた。


「あぁ。」


 それまでのガラの悪さとは、打って変わった真剣な声音。見上げる翡翠が、その翠瞳が愁いを帯びる。彼の覚悟の源を、彼女は知ってしまっているから。

 一足飛びに打ち込んできたスクアーロの、その太刀筋の鋭さに武は目を見開いた。

 至近で合わせた白銀の瞳に、湛えられた気迫にも。


「翡翠は俺が殺させねぇ。」


 惑う武の腹を、思いっ切り蹴り飛ばした。


「お前が相手なら余計になぁっ!!

 死ね山本武!」


 一刀の許に斬り捨てるべく、体勢の崩れた武の肩にスクアーロの一閃が煌めく。未だに迷いの濃い武は、骸の期待には沿えそうにない。スクアーロ大事さに防御に徹する事も、綱吉の為に攻撃に転じる事も、出来る精神状態ではないのだから。

 吠えるスクアーロの肩越しに、氷柱が見える。

 振り下ろされた両刃剣に、光が映っている。氷柱の輝きを反射して、銀色に輝いているのだ。

 銀色、否、銀色がかったオレンジ色、に。

 武が見開いた瞳の中で、氷柱に背を向けているスクアーロは異変に気付かない。


「ツナ、」


「遺言は聞かねぇぞぉっ!!」


「スク、危な・・っ!」


       ゴゥッ・・・!!


 切っ先が武を捉えるその刹那に、オレンジの光は間に合った。何が起こったのかスクアーロが理解するより先に、武は本能で射線上から離脱する。

 『姉』の掠れ声を聞きつけていたスクアーロは、残してきた翡翠へ顔を向ける。スクアーロが見たのは、彼を守る翡翠の姿。氷柱に囚われたまま放たれた綱吉のX-バーナーを、スクアーロの背後に水壁を作る事で遮断していたのだ。

 翡翠が守らねば、スクアーロは綱吉のX-バーナーで灼かれるところだった。

 そのスクアーロの目の前で、見る間に翡翠の顔色が悪くなっていく。


(なんて・・・強い火力・・・!)


 身を氷柱に、翡翠の力の真ん中に置いたままでこの力だ。

 壁を創った傍から、どんどん水を蒸発させられてしまう。常に最大限の力で操っておかなければ、すぐに突破される。一瞬たりとも気が抜けない。朝からずっと水の気配に耳を澄ませ、硬い氷柱を創り、異能を限界まで使い続けてきた体にはきつい火力だ。

 氷柱に向けていた力が、緩み始める。力配分を変えねばならない程の、圧倒的な炎。

 でも、今は壁の方が大事だ。

 壁を創り続けなければ。水を操り続けなければ、弟が殺されてしまう。

 目が霞む。音がよく聞こえない。

 スクアーロが何か言っているが、地鳴りが酷くて掻き消されてしまう。


(ボス・・・。)


 ただ、役に立ちたいだけだったのに。

 意識が遠のく。

 体が冷気に包まれる。

 己の身が水中に落下した事を察しながらも、今の彼女に、浮上させるだけの力は残っていなかった。


「もういい、翡翠っ!」


「悪いが行かせられねぇのな。」


「クソがぁっ!」


 スクアーロが射線上から外れてもなお、水壁を創り続ける彼女に舌打ちする。意識混濁が始まっている証拠だ。それに5分など、疾うの昔に経っている。とっとと彼女を地上に上げて休ませなければ。

 武の邪魔立てに苛立つスクアーロ。

 その時、何度目かの余震が起こった。大した事のない大きさだ。この程度なら穴も開かないだろう程の。

 だが、彼女が揺らぐには充分だった。

 彼女の身が、揺らいで傾いで、水中に落下するのには。


「げっ、」


「翡翠っ!」


 徹し切れない武の剣が、その切っ先が予想外の事に動揺して下げられる。青くなったスクアーロが飛び込むより先に、行動したのはザンザスだった。

 それまで静観していた男が、零度以下となった氷水に躊躇いもせずに飛び込んで、すぐに気を失った彼女を横抱きに抱いて浮かび上がってくる。岸辺へ走り寄ったスクアーロに翡翠の体を渡すと、黙って武を睨みつけた。

 この冷気の中、ずぶ濡れの体を拭おうともせずに堂々としている様は、威厳というより畏怖の念を人に抱かせる。


「沢田綱吉が翡翠から自由になるまで、まだ少し掛かる。

 その前に奴の守護者の1人くらい、かっ消しておくか。」


「・・・アンタが人の名前、まともに呼んだの初めて聞いたぜ?」


 武の頬に、冷や汗が伝う。その汗すら、この冷気の中では火傷しそうなくらいに熱い。

 銃身が濡れて使い物にならないのだろう。ザンザスの手に直接、憤怒の炎が灯る。

 その時。


          リィ・・・ッン


 鈴の音のような音を響かせて、綱吉が氷柱を突破した。


「不完全燃焼、というのが一番近いんだろうね。」


 温かい紅茶を啜りながら、マーモンがしみじみと呟いている。


「揺り籠直前に事故に遭って、『前線に立って戦う』事が出来なかった。中心になって立案したのは彼女だから、充分『参加した』とは言えると思うんだけど。

 リング争奪戦の時も、彼女以外にチェデフを押さえられる人間が居なかったから、必要に迫られてイタリアに残った。9代目の影武者はビジュアル重視で選んだからねぇ。ボンゴレ本部で命令したり、チェデフ相手の作戦を指揮したりする人間が必要だったのさ。

 翡翠は武力には相当自信があったし、今もある。そしてその武力は、一重にボスの為にのみ磨いてきた力だ。

 そんな人間が、満足に力を揮う機会にも恵まれないまま、ボスが座る筈だった椅子に他の人間が座っているのを見続けようものなら・・・。

 そりゃぁ、ストレス溜まって暴走したくもなるよねぇ。」


「クッフフフ、言いたい事は要するに、『だから仕方ないよNE☆』って事ですか。

 そうそう都合よくはいきませんよアルコバレーノ。綱吉君の命を狙うのは、僕だけの専売特許と決まっているのですからね。」


「フン、六道骸。お前こそいい気になるなよ。

 翡翠が伏せたカードは、まだ2枚残ってる。クローム髑髏とキャバッローネ10代目の命は、まだ彼女が握っている事を忘れるな。」


「・・・・・・。」


 マーモンが突きつけた事実に、流石の骸も黙らざるを得ない。

 綱吉が氷柱から復活してから、後。

 彼の復活に見向きもしないザンザスと、翡翠を抱き上げたスクアーロは迅速に地上に上がった。勿論ルッスーリアに彼女を診せる為だ。

 話が今イチ見えず、急にザンザスの凶手から解放されて戸惑う武と、同じくずっと氷漬けで誰を敵として良いのか今イチピンと来ていなかった綱吉・・・X-バーナーを放ったのは、武の危機を察した本能のようなものだ。とりあえずザンザスたちの後を追って地上に上がった2人に、事情を説明したのは骸だった。

 ざまぁみやがれ、とばかりに翡翠に止めを刺そうとする骸を、事情を飲み込んだ綱吉はしかし押し留めた。

 武の加勢もあって骸の足止めに成功している内に、翡翠の身は危険のないレベルにまで回復させられ、そして崩壊した客用館とは別の、私用館の方へ運ばれた。普段使っている彼女の部屋へ、だ。

 今はルッスの晴孔雀が、付きっ切りで彼女を癒している。

 別室に寝かされているクロームとディーノには、武と、武の監視にスクが付いている。

 骸はこの居間で、レヴィ、ベル、マーモンを、形の上では監視している。監視、の筈なのだが、開き直った3人の様子にただの茶飲み話になってしまっているが。

 翡翠の部屋には、ルッスの他にザンザス、それに・・・綱吉。


「物好きだな、君のボスは。」


「綱吉君、ですか。」


 マーモンの台詞に、骸は苦笑している。


「今回は山本武の登場に挫かれたが、あのまま行っていたら確実に沢田綱吉の首が獲れていた筈さ。翡翠の計画は完璧だった。

 自分を殺そうとした人間相手に、咎めるどころか看病までするなんて・・・。

 聖女気取りかい? 逆にちょっと引くよ。」


「まぁ、看病というのは、ザンザスやスクアーロの心配ぶりに影響されてでしょうけど。知り合いが心底案じている人間です。自分も知らない仲じゃない気分になっているのでしょう。それに・・・。

 初めてじゃないんですよ、インタビュー先のファミリーに殺されそうになるのは。」


「初めてじゃない?」


「『ボンゴレのボス自らの訪問』を、綱吉君を殺す絶好の機会と捉えたのは翡翠の魔女が初めてではありません。

 1回目はディーノのキャバッローネでしたから、まだ楽だった。

 2回目以降、数えれば3分の2くらいは危機的状況が複数回ありましたからね。」


「多過ぎる。」


 ボソリと呟いたレヴィの台詞に、骸は明後日の方を向いて滂沱の涙を流している。


「そう、多過ぎます。まったく、9代目までの歴代は何をしていたのやら・・・。

 毒殺の危険は毒蠍・ビアンキの協力を仰いで何とか凌いできました。銃殺、つまり狙撃の危険も、赤ん坊のツテで腕利きのスナイパーを雇って回避してきました。色仕掛けは効果がないから一番安心です。誘拐の危険も致命的なのは避けてきました。それでも避け切れず、10回以上は誘拐に遭ってます。

 『暗殺しようとしたから』という理由で相手ファミリーを処罰していたら、同盟なんかとっくの昔に崩壊してます。

最近では『暗殺計画してもお咎めなし企画』とまで陰口を叩かれる始末。」


「へ、へぇ・・・。」


 合いの手を入れるベルの声が引き攣っている。


「もういい加減この企画やめましょうと、何回も言ってるんですが頑固な綱吉君・・・。

 ソレを鑑みれば、今回の翡翠の行動など可愛いものです。」


「可愛い?」


「損得、欲得、裏切り、エトセトラ。透けて見える暗殺理由の中で、彼女の理由はかなりマシって事ですよ、アルコバレーノ。

 純粋にザンザスの為、ザンザスに懸けた自分の為。

 ブレない忠誠心と聡明な頭脳は、一目置くに値する。それに最後は綱吉君を殺す事ではなく、スクアーロを守る事を選んだ。僕から見れば、意外と彼女と綱吉君は気が合いそうに思うのですがね。」


「・・・その言葉、翡翠の前で言うんじゃないよ。」


「えぇ、判っていますとも。」


 したり顔の骸が頷いた時、


「とっとと帰れこの偽善者っ!!!」


 翡翠の大声が居間まで響いてきて、マーモンと骸は顔を見合わせて苦笑した。


 包まれ慣れた光と温もりに、彼女はぼんやりと目を開けた。

 知っている。この世の何よりも安心出来る光のひとつだ。瞳を開けば、そこにはルッスが居てくれる筈だ。

 ルッスと、ザンザスと・・・。

 ザンザス。

 光を取り戻した翡翠は、顔面蒼白で跳ね起きた。


「ザンザスッ! ごめん、ごめんねザンザス、あなたを危険に晒すつもりじゃなかったのだけど・・・。ごめんなさいっ。」


「うっせぇドカス。それ以上謝ったらかっ消す。」


「でも・・・私、失敗しちゃった。

 皆に沢山手伝ってもらっといて、『超直感信仰なんて崩してやる』とか啖呵切っといて、失敗した。ボスの事も、スクの事も危険に晒して・・・。」


「だ~いじょうぶよ、翡翠♪」


「ルッス・・・。」


「実はね、皆心配してたのよ? あなたの体が、沢田綱吉憎さの心労に蝕まれてるんじゃないかって。ストレスって侮れない病魔じゃない?

 最近下降気味の体調で、力を使わせるのがあなたの為なのか。あなたの計画に乗るのがあなたの為なのか判んなかったんだけど、心労を溜めて体を壊すよりは、ってね。

 だから私たち的には、最後に翡翠が無事なら成就は二の次ってトコだったの。

 その方針の上で、最後はボスが許可したのよね~?♪」


「ボス・・・。」


「誰もてめぇの為になんざ動いちゃいねぇんだよ、図に乗んな性悪が。」


「っ、うんっ!

 私、次はもっと上手くやるから。見ててねボス♪♪」


「その前にあなたは体を治さないとね、翡翠。濡れたままの服を着替えましょうか。」


「うん、」


「あ、じゃぁ俺は外に・・・。」


 気まずげに上ずった綱吉の声に、色々丸く収まったかと思われた場の雰囲気が、氷点下まで凍りつく。扉近くに佇んでいた綱吉を、彼女は据わった翠瞳で睨みつけた。

 冷気の元は・・・100%、翡翠だ。


「沢田、綱吉・・・。」


「ひぃ―――っ!」


「先に薬よ、ひ・す・い♪」


「・・・ルッスが言うなら。」


 慣れた手付きで、サイドテーブルから薬箱を取り出すルッスーリア。4段の引き出しになっているその箱には、1段につき1回分の薬が収められているらしい。引き出し丸ごと出して引っくり返すと、水差しの水をコップに注いで翡翠に差し出した。


「しばらく水操能力は使っちゃダメよ、翡翠。マーモンからのお達し。足りなくなったら汲んで来るから、異能で増やすのはよして頂戴ね。」


「はーい。」


 彼女が大量の薬を飲んでいるうちに、やはり慣れた手付きで、クローゼットから着替え一式を選び出しにかかるルッスーリア。

 綱吉はマーモンの言葉を聞いていないが、これだけ眺めていれば察しはつく訳で。インタビューの時に彼女が言っていた『条件』に、当て嵌まるのはヴァリアーの中でも彼しか居ない。あの時ベルが言おうとしたのもこの事だったのだろう。


(あれ? でもルッスーリアって、温泉でも男湯だったよな?)


 限りなく女性的な比率が高い男、という事になるのだろうか、分類としては。

 色々余計な事を考えてしまいそうになって、しかも折悪しく翡翠と眼が合ってしまった綱吉は慌てて話題を探した。


「ええと、薬、飲むの大変ですね。マーモンが幻術で臓器を創れたら良かったんですけど。」


「それはそっちの六道骸みたいに、って事かしら。

 1回くらい運良く逃げられたからって、言うようになったわね沢田綱吉。」


「違いますって、俺は純粋に、」


「それにマーモンが創ってくれるって言っても、こっちからノーサンキューよ。

 幻術能力を100%遮断する結界や空間って、結構簡単に創れるのよ。幻術で臓器を創ったりなんかしたら、そういう空間に誘い込まれただけで致命傷になる。

 過去のクローム髑髏の戦歴を見ても、その弱点を突かれた例は多い。」


「でも裏返せば、そこさえ防御しとけば大丈夫、って事ですよね?」


「広域戦の煩雑さより、局地戦の致命的不利を取るって事? そんな戦い方ばっかりしてると長生きしないわよ。

 あなたの短命を願う私は、そっちの方がいいけど。」


「だから何故そういう話に・・・。」


 つくづく『戦う人』、生粋の軍師タイプなんだな、と思う。

 だからこそまだ、伏せカードを持っているのだ。


「あの、ディーノさんとクロームの事なんですけど・・・。」


「クローム髑髏の事は、心配しなくていいわ。言った言葉に嘘はない。使い魔は2日3日もすれば彼女の体に馴染むでしょう。今から取り上げる方が危険なくらいよ。

 あの程度のランクの使い魔、私の敵じゃないもの。そろそろ私の力も届かなくなる頃合だし、言う事聞かない玩具に興味はないわ。あげるわよ。」


「じゃぁ、ディーノさん、は・・・?」


「・・・・・・。」


 ルッスーリアが耳をそばだて、ザンザスが興味なさげな顔で見守る中、翡翠は飲み終わった薬の袋を弄びながら俯いた。

 薄い唇から、細い声が漏れる。


「・・・たら、・・・」


「え?」


「今回の件を不問にするなら返してあげるって、そう言ったのっ!」


 彼女が投げたコップは、見事に綱吉の頭にヒットした。半病人とは思えないくらいの、相当の剛速球だ。


「それなら大丈夫です。この企画、『暗殺計画してもお咎めなし企画』なんて呼ばれてるくらいですから。

 骸も山本も解ってくれてるし、レオーネと喧嘩になる事なんてない」


「わっかんない人ねっ!

 レオーネの事なんてどうでもいいのっ。私が大事なのはザンザスとヴァリアーなんだから、レオーネがどうでもザンザスとヴァリアーを傷付けるなら、跳ね馬なんて今すぐぶっ殺すわよっ?!」


「どうでもって、翡翠さんボスでしょうがっ。」


「いいのっ、私にとってレオーネは玩具箱、ヴァリアーは宝物なんだから。

 玩具箱はまた作ればいいけど、宝物は壊したら元通りにはならない。跳ね馬を殺す事で玩具箱が壊れても、宝物が守れるなら私は跳ね馬を殺す。

 兄貴分が大事なら、今すぐ言質を寄越しなさい、沢田綱吉っ!」


「今回の事は無かった事にします、はいっ!」


「宜しい。

 ちゃんとテープレコーダーに録っといたから、変更なんか効かないんだからねっ。」


「はいっ。」


 いつの間にか・・・というより、常時仕込んでいるのだろう。枕の下から薄く、長方形で銀色をした機械を出してみせた翡翠に、綱吉は目を丸くする。

 ソレで黙れば良いものを、つい、彼は口を滑らせた。


「何というか・・・翡翠さんって、可愛い人ですね。」


「とっとと帰れこの偽善者っ!!!」


 真っ赤になった翡翠が、鬼の形相で怒鳴りつける。今度綱吉に投げつけたのは例の小瓶。ディーノの意識を封じた、透明ガラスの毒薬じみた。

 ぶち撒けられて霧散した中身に、泡食って『兄』の病室に向かう綱吉を、翡翠は最後の最後まで睨みつけて送り出した。


「翡翠~、あまり大声出しちゃダメよ? 傷痕、痛むでしょ?」


「・・・だってアイツむかつくんだもの。」


 肩で息をする翡翠は、動かし難い指先を何とか動かして、濡れて肌にへばりつくブラウスのボタンを外した。襟に隠された首許には、消える事のない傷痕がある。

 いびつな凹凸は痛みの記憶を喚起し、見えなくても触るだけで彼女を憂鬱にさせた。


「私、ボンゴレの事がなくても沢田綱吉が嫌い。

 大事な物なんて何一つ失くした事ありませんって顔が大嫌い。いつも、どんな状況でも助けてくれる優しい人が現れて、誰かが一緒になって守ってくれる。致命的な後悔とか、取り戻せない絶望感とか、誰も助けてくれない孤独感とか、理不尽な屈辱に黙って耐えるしかない瞬間とか。

 どれも何も、味わった事ないんだわ。

 何か1つでもいい、大事な物をぶち壊しにして、あの笑顔をズタズタに引き裂いてやりたくなる・・・っ!」


「翡翠・・・。」


「こんな事聞かせてごめん、ルッス。

 スクや皆には言わないでね、心配させるだけだから・・・。」


 ルッスーリアは黙ってベッドの端に腰掛けると、固く握り締められた翡翠の拳を、掌で包み込んだ。反対の腕で彼女の肩を抱き寄せ、あやすように背中を撫でる。

 胸中で何を思うのか、ザンザスは黙って部屋を出、外の銀髪の作戦隊長を連れて部屋を離れた。


 ボンゴレ本部は今日もいい天気だった。


「10代目、ご機嫌ですね。」


「獄寺君。

 うん、レオーネの翡翠さんから、手紙が来たんだ。」


 見る? と渡された、今時珍しい紙の手紙。

 読んだ隼人のこめかみに、見る間に特大の青筋が立っていく。内容は要するに。


『いいっ?!

 これからは可能な限り集まりにも顔を出すし、ある程度は味方にもなってあげる。でもそれは『ザンザスの居る』ボンゴレの為であって、沢田綱吉を10代目だなんて、断じて認めないんだからねっ!

 あなたはあくまで次点、最もボンゴレボスに相応しいのはザンザスなんだからっ。

 絶対にあなたを『10代目』なんて呼んであげない。

 少しでもザンザス率いるヴァリアーを冷遇しようものなら、生まれてきた事を後悔させてやるから覚悟しておきなさいっ!』


「・・・あンの魔女、果たす。」


「魔女なんてそんな呼び方、獄寺君まで。」


「油断しちゃいけません、10代目。『翡翠の魔女』って言ったら、ファミリー潰しで有名になった女なんですから。」


「ファミリー潰し?」


「怪我する前の話ですけどね。1人で何十っていうマフィアを皆殺しにしたって話です。いつの間にか本拠地に侵入しては、銃もナイフも爆薬も、一切の攻撃を妖術で防いで正面から突っ込んできたそうで。

 撃っても斬っても効果がない様は、まるで水面に揺れる雲みたいだったとか。」


「う~ん・・・ただの金魚マニアだったよ?」


「10代目ぇっ!!」


 滔々と言って聞かせる右腕に、のほほんと返す『ボンゴレ10代目』。

 が、いつもと変わらぬマイペースなだけ良いのかも知れない。落ち込んで帰って来られるよりは。隼人はふと、レオーネから帰って以来様子がおかしい剣士の事を思い出した。


「そういえば、帰って来て以来、野球馬鹿がいつまでも落ち込んでるんですけど・・・。」


「あはは・・・。山本は、まぁ、大丈夫だよ、うん。」


「そうですか?」


 首を捻る隼人に、笑って誤魔化す綱吉。

 意識のないディーノと、昏睡状態だったクローム髑髏。2人に付いている間スクアーロと2人きりだった武は、その間に、あの銀髪の剣士に相当冷たくされたらしいのだ。一瞬前までの事は全て過去、という信念の許、あまり引き摺るという事をしない武にしては、珍しく数日経った今でも落ち込んでいる。何をどう言われたのかは、本人が話さないので綱吉も知らないのだが。

 まぁ、スクアーロと武の間には、余人の立ち入れない絆が確かにあるのだ。彼は大丈夫だろう。

 綱吉と武が話す執務室、常時開いたままのその扉を、わざわざノックしたのは紅と蒼のオッドアイが鮮やかな長身の人物。

 骸が手に紙束を持って微笑んでいる。いつもの捉え所のない笑みで。


「綱吉君。

 今月号の機関紙が刷り上がって来ましたよ。」


「? 10代目、インタビューは向こうのボスの体調不良で、途中で終わったんじゃありませんでしたっけ?」


「質問集を渡しておいたんだ、調子が良ければ送って下さいって。

 間に合って良かった♪」


 胸中でのみ、『嘘ついてゴメン。』と謝る綱吉は、骸と苦笑の顔を見合わせた。レオーネでの騒ぎは、武も含めた3人の中での秘め事である。

 また、会いたい。

 きっと彼女は、鬼の形相で物を投げつけて来るだろうけれど。


「さて、次回は誰に会いに行こうかな。」


 執務机に戻った綱吉は、大きく伸びをしてから仕事を再開した。



                               ―FIN―

ヴァリアーの雲は翡翠色 2 【ヴァリアー+骸綱】

ヴァリアーの雲は翡翠色 2 【ヴァリアー+骸綱】

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-06

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二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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