ヴァリアーの雲は翡翠色 1 【ヴァリアー+ボンゴレ】

発掘品。

ヴぁリアーにも、モスカ以外の雲って絶対居るよねー。と思って。
スクアーロさんの昔語り。

捏造設定→ヴァリアー雲の守護者(女性術者。車椅子。ザンザスさんの軍師格で、ボス超甘い。)

ヴァリアーの雲は翡翠色 1


 ヴァリアーサイドで一番このボンゴレ総本部に姿を見せるのは、実はスクアーロである。ボスであるザンザスは『あの通り』だし、彼は『作戦隊長』という肩書を持っているから・・・というか、むしろザンザスと綱吉をかち合わせない為に、スクアーロに間に入らせるべく、周囲がその肩書を与えたようなものなのだが。


「ヴぉおおぉぉぉいぃっ!! てめぇ引き篭もりも大概にしとけよぉっ!」


 だから総本部の中庭に彼の大声が響くのは珍しくない。だが。

 通りすがりの綱吉と武、それに骸も、彼の声が纏う複雑さに顔を見合わせた。その、苛立たしげな怒りを伴った、でも相手に絶対に逆らえない事も知っていて、強く出られない。そんな、いつものスクアーロらしくない、声に。

 綱吉サイドで一番繋がりのある武ですら、ボスであるザンザス相手にだってそんな声を出している彼を見た事がない。


「今回という今回は出ろっ。ザンザスが何つってテメェを甘やかしてもだっ!

 引き摺ってでも連れてくからなぁっ!!」


「よっ、スクアーロ♪」


 勢いよく叫んで電話を切ったスクアーロに、武は恐れ気もなく気楽な声を掛けた。渡り廊下から、春の陽射しが穏やかに降り注ぐベンチへ。

 スクアーロの隣へ、当然の顔で座を占める。何となく立ち去りがたいモノを感じて、綱吉も武の隣に座った。スクアーロとそれほど親しくない骸は、すぐ近くの円柱に背を預け腕組みしている。


「どうしたんだ? いつも以上にイライラしてんのな。」


「どうもこうもあるかっ。

 あの雲女、デカい作戦の前だってのに参加は嫌だと抜かしやがる。俺から言っても埒が明かねぇからザンザスに命令させようとしたら、あの野郎、この大事な時にまで奴を甘やかしやがる。

 だが今回という今回は俺も引けねぇぞぉっ。

 引き篭もり癖を叩き直して引っ張り出してやるっ・・・!! 奴だって、ヴァリアーの雲の守護者なんだからなぁっ!」


「今、雲の守護者って言ったのか?」


「ヴァリアーにもちゃんと居たんだ、」


 武の後を引き取って呟いた綱吉に、スクアーロの眼光が鋭くなる。

 ソレに助け舟を出した訳でもなかろうが、興味深げな声を出したのは骸だった。薄く微笑を浮かべて、試すような光を湛えたオッドアイでスクアーロを見ている。


「ほぅ、初耳ですね。

 何年前になるのか、リング争奪戦でゴーラ・モスカを壊されて以来、ヴァリアーサイドの雲の守護者は空席のままだと思っていましたよ。

 いつの間に補充したんです?」


「ケッ、霧の情報網も大した事ねぇな。」


「クフフフ?」


「あの雲女がゴーラ・モスカの補充なんじゃねぇ。あの女の代理がゴーラ・モスカだったんだ。『知らない奴らの前に立ちたくない。』っつーあの女の我が侭を、ザンザスが聞いてやったせいでな。ったく、人見知りキャラなんて似合わねぇ真似しやがって。

 野郎も野郎で、適当に理由こじつけてモスカを調達しやがった。」


 言ってからスクアーロの唇に、底意地の悪い笑みが浮かぶ。


「あの女が我が侭で良かったな、10代目さんよ。もし奴と雲雀恭弥がぶつかってたら、死んでたのはお前の雲の方だったぜぇ?」


「それはそれは興味深い話を聞きました♪」


 綱吉より、武より先に。

 スクアーロの話を聞いた途端に上機嫌になって、更に食いついていく骸。見れば詳しく聞き出す気満々で、自分もスクアーロの、武とは反対側の隣に移動している。

 武と綱吉は嫌な予感がして顔を見合わせた。

 どんなネタにしろ、適当に膨らませて恭弥をからかう種にする気だ。後日絶対に一悶着起こるに違いない。そしてその被害を一番被るのは、恭弥でも誰でもなく綱吉なのだ。

 そんな水面下には露ほどの興味もなく。

 相当機嫌の悪いスクアーロは、この際誰でも良いからぶちまけてしまいたいらしい。

むしろ積極的に話し始めた。


「レオーネ・ファミリー。てめぇも名前くれぇは聞いた事あるな?」


「ええ。跳ね馬のキャバッローネや紫のアルコバレーノが軍師を務めるカルカッサ同様、有力な同盟ファミリーのひとつですから。」


「ボスの名前は知ってるか?」


「確か近縁に日本人が居るとかで、ストレートの黒髪に、深みがありながら澄んだ翡翠色の瞳の、物凄い美人としか。交通事故で車椅子を使っているのでしたっけね。」


「そんだけ知ってて何で名前を覚えてねぇんだよこの変態野郎。

 奴の特上に似合わねぇ本名は『桂向院千里』。ヴァリアー在籍時には『翡翠』で登録してたから、そっちの方が通りが良いだろうがな。」


「え・・・レオーネ・ファミリーのボスがヴァリアーの雲の守護者・・・ていうか、『けいこういん・せんり』って。それってクロームの親戚ってコト??」


「・・・・・・。」


 聞いていた綱吉の瞳が見開かれる。

 骸は瞳を細めただけで何も言わなかった。

 ザンザスは呆れた瞳で肩を竦めている。


「てめぇんトコのもう1人の霧の事ぁ、こっちでも調べたぜ。世界は狭ぇよなぁ。まぁ、これ以上ねぇくれぇ直系のお前んトコと違って、アイツは傍流の傍流らしいがな。

 母親が桂向院の名を持つ日本人、父親がイタリアンマフィア・レオーネ・ファミリーの17代目ボス。女にだらしない父親が嫌で、ヴァリアーに入隊。

 どっかで聞いたような話じゃねぇか。」


「まんま獄寺君だ・・・。

 あれ? でも今はお父さんの跡を継いで18代目ボス、なんだよね? 仲良くなったってコト?」


 何の気なしに呟いた綱吉の台詞に、スクアーロの視線が再び鋭くなる。


「・・・これから先、俺が奴の引き篭もり癖を叩き直せたとしたら、だが。お前らが奴に会う機会も出てくるだろうから先に言っとくぜ。

 奴の前で父親の話をするな。

 その他の事はともかく、奴は未だに父親を憎んでるからな。下手な事口走ろうモンなら血ィ見る事になるぜぇ? 相手がボンゴレのボス様だろうが何だろうが、あの女の辞書に遠慮って文字はねぇぞ。」


「何つーか・・・まるで幼馴染みの事みたいによく知ってるのな。」


 複雑そうな口調で呟く武。ただの敵とか、ライバルとか以上の存在であるスクアーロに、自分の知らない知り合いが居るのが面白くないのだろう。

 スクアーロの方はうんざりした顔と口調で、幼馴染みの誰もが言う言葉を口にしていた。


「幼馴染みなのは俺じゃねぇ、ザンザスだ。」


「あのザンザスと幼馴染みで居られるなんて、凄い人だな・・・。」


「これを聞いたらもっと驚くぜぇ?

 あの女、翡翠は肩書を3つ持ってる。ヴァリアーの雲の守護者、レオーネ・ファミリーの18代目ボス。そんでもって『あの』ザンザスの妻だ。」


「つ、ま・・・?」


「俺、イタリア語のリスニング苦手だから聞き間違えたのかな?」


「クフフ、それが本当なら一大ニュースですよ?」


 ショック全開で絶句する綱吉、とりあえず冷静に自分の聞き間違いを疑う武、余裕ぶった笑顔のまま色違いの瞳が盛大に空を泳いでいる骸。

 3人共通で一瞬、沈黙した後。

 気付くと3人同時に叫んでいた。


『あのザンザスが妻帯者ぁっっっっ?!!!』


 やっぱそう思うよな、と。

 スクアーロは明後日の方向を見ながら彼女の事を話し始めた。


 彼ら『4人』が共通の知り合いとして揃ったのは、中学生の時だった。

 ザンザスと翡翠は、片や名門マフィア・ボンゴレの御曹司。片や妾腹ながらやはり名門マフィア・レオーネの血を引く息女。幼い頃からよく行動を共にし、気心の知れた、正に幼馴染みである。

 スクアーロに長剣を叩き込んだ師がレオーネに縁のある人物で、翡翠の学問の師も兼ねていた。分野は違えど姉弟子と弟弟子だ。

 翡翠が招待状を渡したパーティーで、初めてスクアーロはザンザスと出会った。

 翡翠とスクアーロが進学した全寮制の学校に、嫌々ながら放り込まれていたのが後の跳ね馬・ディーノだった。翡翠とディーノは同じ部活で、先輩と後輩の間柄だ。

 ちなみにザンザスと翡翠が同い年、2歳年下なのがスクアーロとディーノである。

 接点は他ならぬ彼女。

 ザンザスには家庭教師が付いていたので進学はしなかったが、何故か、当然の顔をして学校に来ていた。わざわざ制服を着ていた所を見ると、本人的には『忍び込む』のつもりだったのかも知れない。あまりに堂々とその凶悪ぶりを見せつけていた為、彼に注意する勇敢な教師など誰も居なかっただけで、存在自体はバレバレだったのだが。

 翡翠は天性のトラブルメーカーだった。

 ザンザスと彼女が『結婚』した時もそうだった―――。


「俺が許す。今すぐコイツを殺せ。」


「ちょっとザンザスっ! それが唯一の幼馴染みに言う台詞っ?!」


 学校の寮内に、秘かに作ったスクアーロの隠れ家。そこで読書の真っ最中だった14歳の彼は騒々しい侵入者たちに半眼になった・・・師の持論は『優秀な・剣士になりたきゃ・本を読め。』だ。

 呆れはするが、驚くには値しない。

 最近知り合ったばかりの男と、姉弟同然に育った女。特に最近、この2人はプライベートルーム同然のこの部屋に、勝手に入って来るようになっていた。

 それも日常的に。何より、毎度毎度、同じような台詞を同じように吐きながら。


「で? 今日はどうしたよ?」


 解っている。悟っているのだ、1回目に。ここで黙殺した所で延々不毛な罵り合いを聞かされ続け(彼らは何故か、申し合わせたようにスクアーロの前で喧嘩をする。)、そして散々聞かされてうんざりした頃には既に、2人の起こしたトラブルの火消し役に、強制的にさせられているのだという事を。

 ならば腹を括って、パラシュートなしの空中ダイブでもするつもりで、こちらから問い掛けるしかない。即ち、絶望的な気分で。

 更に予想通りの展開として、水を向けた途端に正反対の声が返ってくる。

 聞いて欲しくてたまらない、という彼女の、弾むような澄んだ声音と。地の底で岩盤を削り取るような、不機嫌極まりない彼のハスキーな声音と。


「あのねスク、」


「何も訊くな。テメェは今すぐこの女を殺りゃぁいいんだよ。」


「ザンザスっ、言うに事欠いて何て事っ! こんな可愛い子と結婚できた事をもっと喜ぶべきじゃない?」


「ふざけてんじゃねぇこのドカスっ! 勝手に人の公文書偽造しといて何抜かしてやがんだてめぇはっ。この性悪女っ。」


「・・・・・・・結婚?」


 今度こそスクアーロは絶句した。

 ここまでで一回聞いただけの彼らの台詞から、懸命に事態を推測する・・・昔から彼女のトラブルに巻き込まれ続けてきた為、スクアーロにはそういう癖が染み付いていた。

 キャスティングは、ザンザスと翡翠。気心の知れた幼馴染み。

 キーワードは『結婚』『公文書』『偽造』、そして過去形。

 それはつまり、こういう事か。


「・・・翡翠。」


「なぁに、スク?♪」


 スクアーロはそれ以前から既に、彼女の事を本名ではなく、本人が自ら決めた通り名で呼んでいた。

 そして今も、ザンザスではなく彼女に向かって語りかける。

 彼の推論が正しければ、トラブルの原因は彼女だ・・・今回も。


「つまり、だ。

 てめぇ、ザンザスに黙って婚姻届を作りやがったな? 他人の筆跡真似んのも実印偽造すんのもお得意だもんなぁ? てめぇ日本の国籍も持ってるもんな? 確か日本じゃ女は16から結婚出来るんだっけか。男は18からだから、同じ歳のザンザスの年齢は適当に誤魔化しやがったろ。んで、もう既に日本の役所で受理扱いされちまってる、と。

 ザンザスには全部終わってから事後承諾させた訳だ?」


「待てカス鮫、俺は承諾してねぇ。」


「素敵ねスクアーロ、完璧だわ♪」


 唸るザンザスをガン無視して、翡翠は両手を唇の前で組み合わせて微笑んでいる。それはもう美しく、幸福そうに。彼女の性格を知らない者が今の微笑みを見たら、幸せを掴んだ花嫁、以外の何者にも見えないに違いない。

 ・・・ザンザスと、スクアーロ。『夫』と『弟』以外には。


「で、だ。」


 スクアーロは深々と溜め息をついた。

 聞きたくない。これ以上は聞きたくないが仕方ない。


「何でそんな真似した?」


「聞いて頂戴スクアーロ♪ とっても素敵な理由があるの。

 今ね、私の周りに3人ストーカーが居るのだけど、」


 ちなみに『3』という数字は、彼女にしては少ない方だ。


「2人は情報源になる相手だから、付かず離れずで上手く扱おうと思ってるの。

 でも3人目が問題でね、色んな意味で『使えない』相手だし、縁を切りたいのに上手くいかなくって。だから『私もう結婚して、籍も入れてます。』って事にすれば諦めてくれるだろうと思って。

 それでザンザスに協力してもらったの♪」


「・・・言いたい事はそれだけか?」


「基本的には。」


「殺れカス鮫。俺が許す。」


 今まで以上に据わった瞳で、ザンザスが呟く。短く、はっきりと、殺意を込めて。

 本当は自分でやりたいくらいだろうが、まがりなりにも同盟ファミリーの縁者だ。彼が彼女を傷つけたとなると色々厄介な事になる。

 だからと言ってスクアーロに押し付けられても困るのだが。


(『あの』ザンザスを猫避け扱い、か・・・。)


 人並外れてプライドの高いこの男がどれだけ怒り狂うか判っていて、それでも『そう』扱うのである。扱えるのが、この『姉』だ。

 相性だけを取るなら、そう悪くもないのだろうが。


「応用的にはもう少しあってね、」


 ほんの少しの真剣味を帯びた翡翠の声に、現実逃避しかけたスクアーロの意識は強制的に引き戻された。いつもこの調子だ。


「ひとつ、私は私の性的嗜好を隠したい。」


「いきなり自分の為かよっ。」


 ザンザスもスクアーロも昔から自然に、彼女の所謂『女の子好き』を知っていた。それも、とても高く理想を設定していると。

 彼女の眼鏡に適う『女』など、天に住まいする女神たちくらいのものだろう。


「別に知られる事自体は構わないのだけど。でもホラ、周りに説明するのも面倒じゃない? 私の周りに居る連中、スクとザンザス以外は絶対に理解してくれないし。

 ふたつ目以降は、ちゃんとあなたたちの為でもあるの。

 目標は10代目でしょ?

 レオーネ・ファミリーの血縁を妻にしておけば、後々色々有利になるわ。バックアップ面でも、由緒の面でも。発言力の問題じゃなく、血が流れてるって事が大事なの。権威に弱い人間って、ボンゴレの中にも結構居るんだから。

 それがふたつ目。

 みっつ目。私は強いから、役に立つ。戦闘でも、それ以外でもね。

 よっつ目。ザンザスが政略結婚せずに済むわ。

もう少ししたら絶対にうるさく言われるようになるわ、あの子はどうだ、この子はどうだ、どの子が役立つ、エトセトラエトセトラ。事ある毎に自分の嗜好、イチイチ説明するのも面倒でしょ? 適当な子選んでも、その子が事情を割り切れない子だったら面倒だし。

 その点私なら自由恋愛OK。絶対にザンザスを愛さない自信あるし。

 どう?

 これが私の、真面目な理由。」


「どんな理由があろうが、公式行事でてめぇを横に連れ歩くなんざ真っ平御免だ。

 想像しただけで怖気が走る。」


「言うわね~♪ でも大丈夫。『病弱な妻で・・・。』とか言って欠席させとけばいいのよ。私も目立つの嫌いだから、家でのんびり出来るし。一石二鳥♪」


「嘘だってすぐバレんだろうが。

 お前の何処に病弱要素があるよ? 運動なんざあらかたやり尽くしてんじゃねーか。」


「ホントかどうかは問題じゃないんだってば。

 そこまで気にしてる人間なんて居ないわよ。」


「同盟ファミリーの連中はまだしも、ボンゴレの連中に引き合わせない訳にゃいかねーだろ。ジジイにバレるのも、ジジイにてめぇを紹介するのも絶対に断る。」


「それくらい自分で上手く立ち回れるわよ♪ 9代目の事はよく知ってるし。

 まぁでも大丈夫よ、3人目のストーカーを追い払うまでだから。無事に追い払えたら、偽造部分を消して綺麗な戸籍を返してあげるわ。」


「記録は消せても記憶は消せねぇだろうが。」


「平気平気♪ 人の記憶なんて曖昧で儚いモノよ♪」


((絶対嘘だ。))


 この時ザンザスもスクアーロも直感していた。2人共その程度には、彼女の嘘に慣れている。それは裏返せば2人を、『あの』ザンザスをさえも、今までの彼女がどれだけ翻弄し振り回してきたか、の証明でもあるのだが。

 かくして、一騒動の後にストーカーを抹殺してからも。

 何やかやと理由をつけて、彼女はザンザスの戸籍上から自分の名前を消していない。今、この瞬間も。


「何か、・・・個性的なお姉さん、だね・・・?」


 言い寄ってくる嫌いな男を『恋人が居るから。』と一芝居打って遠ざけるのはよくある話だ。が、役所に本物の書類を提出する、そんな規模でやる女性はまず居ないだろう。スケールが大きいというか、何というか。

 現時点での綱吉の感想に、ザンザスは血走った目をカッと見開いた。


「個性的なんじゃねぇ、性格が悪いんだ。それと姉貴じゃねぇ、たまたま同じ師匠に拾われたってだけだ。」


「う、うん。ソレは判ってるけど・・・。」


 マフィアの間では、別に珍しい事ではない。孤児の中から才覚の有りそうな子供を引き抜いて、形ばかりの養子、実質の弟子にして色々と教え込むのだ。それは『実子がボスになった時の右腕にする為』もあれば、『己の手で教育を施し、有力者の元へ送り込んで自分の出世の足掛かりにする為』でもある。スクアーロの場合は後者だ。そして、翡翠の場合は前者だろう。

 翡翠自身も17代目の実子には違いないのだろうが、妾腹故に、父親は正妻の子の部下にするつもりでスクアーロの師に預けたのかも知れない。

 そう解釈した綱吉の前で、スクアーロは乱暴にベンチの背凭れに肩を預けると、そのまま疲れたように寄り掛かった。

 その瞳が遠い過去を見ている。


「昔っからトラブルの絶えねぇ女だったぜ。

 スラムを歩けばレヴィを拾ってくるわ。

 ベルの野郎の入隊時には、入れる入れねぇでザンザスの副官と揉めるわ。

 わざわざ野戦病院まで格闘技の師匠の見舞いに行けば、そいつと同室だったマーモンと意気投合してヴァリアーに引き摺り込むわ。

 格闘技の師匠の知り合いの弟子だったルッスーリアがザンザスに興味持つように焚き付けるわ・・・。

 俺に『強くなりたきゃ、その時の自分の実力よりほんの少し上の相手と戦うのが一番だ。』とか常識的に『聞こえる』事吹き込んで、名のある剣士に片っ端から喧嘩吹っ掛けるように助言してきたのもあの女。わざわざ剣士のリストまで作って寄越しやがった。

 あいつが動くと必ず後々にまで響くような騒ぎが起きやがる。」


「クフフ、その話もまた、何処かで聞いた事のある働きぶりですね。

 赤ん坊にそっくりだ。」


「うん、まるでリボーンみたいだ・・・。

 ザンザスの部下って、殆どお姉さんがスカウトしてきたって事だろ?」


「だから姉貴じゃねぇっつの。

 要は策士なんだよ。

 レヴィの時は・・・あんま行った事ねぇっつーから、スラムに連れ出してやったんだよ、俺とザンザスで。そうしたら、少し目を離した隙に不良どもに絡まれやがって。

 自分で幾らでも殺せるくせに、何故か通りすがりのレヴィを巻き込みやがった。マジで通りすがりの、ただ通りがかっただけの、一度も会った事ない相手だぞ?

 で、本人も自覚しないままに、結果的に幼馴染みを助けた・・・助けさせられたレヴィの野郎を、ザンザスが褒めた訳だ。

 野郎はソレだけでザンザスにイチコロよ。たった一度褒められただけだぜぇ? 俺には一生かかっても理解出来ねぇ感覚だぜ。

 あの女はと言やぁ、何事もなかったかのような澄ました笑顔で連絡先渡してやがった。

 レヴィは次の日の朝イチで入隊だ。」


「お姉さんの格闘技の師匠も、アルコバレーノなの?」


「姉貴じゃねぇよ、何度も言わすな。

 奴の基本はスナイパーだ。暗器も含めた銃火器全般と、サバイバルナイフを使った変則格闘技と、鞭と、・・・まぁ色々だな。」


「鞭・・・ディーノさんみたいな?」


「みたいなっつーか、そもそも跳ね馬に鞭を使わせたのは翡翠が最初だぞ。」


「そうなの?!」


「ザンザスのパシリに出来ねぇかと狙ってたみてぇだが、リボーンの登場でアテが外れたな。あの女に基礎を叩き込まれてたからこそ、赤ん坊は鞭を跳ね馬の武器に選んだんだ。今度訊いてみな。

 翡翠の格闘技の師匠も、アルコバレーノじゃぁねぇよ。あの強欲野郎と気が合う辺り、常人離れしてるのは確かだがな。

 野戦病院で同室っつっても、マーモンの野郎、怪我してた訳じゃねぇんだぜ。金にならねぇ戦いからバックれて、潜伏してた先がたまたま病院だったってだけだ。

 翡翠が大量の書類を偽造してやがったのを覚えてる。

 今度は何の書類だと思って見てたが、今思うとマーモンを行方不明者リストに載せる為の書類一式だったんだな。」


「・・・ええと、もしかして、リボーンにも直接会った事ある、とか・・・?」


「『怖い人』だと、言っていたな。」


「リボーンを?」


「あぁ。

 『人の邪悪な部分を見つけるのが上手で、下手に立ち回ると仮面を剥がされそうで怖い人』だと。あの女にも『恐怖』なんて感情があるのかと、意外だったからよく覚えてるぜ。翡翠が他人を怖がったのを聞いたのは、アレが唯一だな。」


「俺はリボーンを、そんな風に感じた事はないけど・・・。」


「安心しろ。アイツは邪悪だからそう思うんだ。」


「・・・・・・ええと。

 ルッスーリアを巻き込む様子は、何となく想像出来るんだけど。」


 恐らくリボーンが了平を巻き込んだのと同じような感じだろう。


「ベルフェゴールは? だって『戦闘では一番の天才』だろ? 大喜びで迎えられたんだと思ってたんだけど・・・入隊の時に揉めるなんてあったんだ?」


「・・・当時のヴァリアーには、チキンで軟弱な自称『常識的な大人の男』が居やがったからな。」


「??」


 武の肩越しに、何も知らぬ綱吉が小首を傾げる。9代目が後継者に選んだ男が。

 そうだ。『あの男』も9代目が選んだ野郎だった―――。


「私は反対です! お考え直し下さい、ザンザス様っ!!」


「その反対には根拠がないわ。黙って頂戴、副隊長さん♪」


「・・・・・・。」


 『婚姻届』騒ぎから程なくして、翡翠とスクアーロはザンザス率いるヴァリアーに入隊した。その頃には既にレヴィもマーモンもルッスーリアも居て、そして周囲から幹部と目されていた。・・・当時のヴァリアーは、今程はっきりとは、幹部とその他との区別を付けていなかったが。

 残る『未来の幹部』はベル1人。

 そのベルの事で、今、2人の男女が言い争っていた。机に両足投げ出して偉そうに座す、ヴァリアーのボスの目の前で。

 片や、ストレートの長い黒髪に翠の瞳が印象的な、『綺麗』なタイプの美少女。

 片や、薄い眼鏡が物静かな印象を与える、栗色の髪をオールバックに撫で付けた『知的』なタイプの青年。

 翡翠と、昔からザンザスの護衛の1人で、今はヴァリアー副隊長として彼を支える男・オッタビオだ。

 穏やかなカフェテラスで本を読み、名作の感想でも言い合っているのがお似合いな美男美女である。その2人を争わせる理由、それは。


「まだ、たったの8歳なのですよ? ヴァリアーに入れるには若すぎ、いえ、幼すぎます。その才能も未知数に過ぎる。今は同年代より出来るとしても、成長してからもそうであるとは限りません。

 入れるにしても、もう少し外での経験を積ませてからにすべきです。」


「要は『若い』ってだけでしょ? でも入隊条件は年齢について触れていないわ。

 彼の体技試験はあなたも見た筈よ。『同年代』の枠を大きく超えた逸材だわ。頭もいい。心理試験は確かに偏ってたけど、それはヴァリアーなら当たり前。

 ベルフェゴールは自分の才能を活かせる場を探しているの。

 『外での経験を積ませてから』なんて悠長な事言ってたら、このヴァリアー本部を出てすぐ他のファミリーに取られちゃうわよ?」


「それならそれで、自然な流れというものではないかな?」


「馬鹿言わないで。

 有能な人材は押さえとかなきゃ。何年か後に、戦場であの子と会うのは私は嫌よ。」


 齢8つのベルフェゴールを、ヴァリアーに入れるか、入れないか。

 半ば投げ遣りとも取れるオッタビオの台詞に即座に返した翡翠は、強い瞳に彼を捉えて睨みつけた。口調に蔑む色が混ざる。


「あなたには関係ないかしら。

 ロクに戦場にも立たない人は会わないでしょうからね。」


「まっ♪」


 隅のソファで聞いていたルッスーリアが、翡翠の嫌味に唇を歪める。オッタビオは暗殺部隊の副隊長という立場でありながら、滅多に前線に出て来ない事で以前から部下の不満を買っているのだ。

 ルッスの笑いを嘲笑と受け取ったらしいオッタビオもまた、眼鏡を押し上げながら口角を上げる。


「本当に口の悪いお嬢さんに成長したものですね。

 その悪口は、迷宮の鼠にでも教えてもらったのかな?」


「・・・なんですって?」


 喧嘩腰ながら殺気はなかった彼女の気配に、攻撃的な色が混ざる。

 ルッスと同じく隅で見ていたレヴィとスクアーロは強張った顔を見合わせた。まずい。オッタビオの奴、翡翠の地雷を踏みやがった。

 と、その時、黙っていたザンザスが口を開いた。


「おい、カス共。」


 2人が同時に振り向く。

 面倒そうに瞑目したまま、ザンザスは不機嫌な声で口を開く。


「入隊基準をクリアしてんなら、入隊させりゃいいじゃねぇか。

 それで実は使えねぇ野郎でしたってんなら、勝手に死ぬか俺が殺す。」


「ザンザス様っ。」


「やった♪

 素敵な考えね、ボスっ♪♪♪」


 喜ぶ翡翠を真っ青な顔で睨みつけると、オッタビオは足音荒く出て行った。

 10代ばかりの幹部の中で、彼は唯一の成人男性である。9代目からも何か言い含められているらしく、ザンザスのお目付け役を自負しているオッタビオは妙にプライドが高い。16の『小娘』である翡翠に言い負かされるのも、彼女と同列に扱われるのも。どちらもこの上ない屈辱なのだ。ましてボスが自分ではなく、彼女の意見を採用するなどと。

彼の行く先は、恐らく。

 後ろ姿を見送って、翡翠が笑っている。


「また9代目に泣きつきに行くのかしら。面倒な人ねぇ。」


「・・・下んねぇ嫌味なんざ言うからだ。らしくもねぇ。」


 脈絡なさげに聞こえるザンザスの台詞を、正確に汲み取って今度の翡翠は苦笑した。

 彼は、さっきの彼女の台詞の事を言っている。


「だって私、あの人嫌いなんだもの。

 人の過去を知ってるからって、それを傷付ける方向にしか使わない人。」


「同族嫌悪か。」


「何でよっ。」


「で? 当のベルは何処に居る。」


「図書室。マーモンと一番相性が良いみたいで、一緒に遊んでるわ。」


「・・・図書室で何して遊ぶって?」


「お勉強。

 今ね、私が勉強教えてるのよ。学科試験は全科目満点だったし、何処までイケるのかなって思って。試してたの。任務が入るようになったら、学校なんか行く暇なくなるし。

 8歳なのに中学生レベルは軽くクリアしたわ。

 そしたらマーモンが対抗心燃やしちゃって、高校生レベルのクロスワードパズルを、先に完成させた方が勝ちってゲームしてる。あ、制限時間はナシの方向で。」


「クロスワードパズルだぁ? 相変わらずテメェの教育方針はよく判んねぇな。」


「そう? ウチの師匠によくやらされたんだけど。

 調べ方はもう教えてあるわ。ベルってゲームが好きみたい。あの図書室なら辞書の類も充実してるし、自分で調べる楽しさをゲーム感覚で味わえると思うのよ?」


 スラム出身のレヴィもルッスーリアも、学問は全て彼女から教わった。2人より年下の翡翠だが、知識の量は半端ではない。それもあってか、ザンザスに近付く者には片っ端から嫉妬の炎を燃やすレヴィも、彼女だけは特別扱いで妙に従順だ。

 ヴァリアーの誰もが、ザンザスの助けとなれる真の『副隊長』は翡翠だと思っていた。恐れを知らぬ平隊員の中には、オッタビオを副隊長と呼ぶ一方で、翡翠を『ボス補佐』と呼ぶ者も居る始末。

 オッタビオが翡翠を目の敵にする理由には、絶対その辺りも関係しているだろう。


「それじゃ、ボス。

 ベルフェゴールは入隊って事で良いのよね。この書類は事務方に回しとくわね。」


「好きにしろ。」


「了解♪」


 分厚い書類を全部一度に抱え上げて、楽しそうに出て行く黒髪の少女。その分厚さは、そのまま彼女のベルフェゴールへの期待の大きさだった。

 ルッスーリアが、さも今気付きました、という顔で呟く。


「ボスって、翡翠相手の時だけは口数が多くなるのよね。」


「あの女がザンザスの呼吸をよく知ってるだけだぜぇ。口車に乗せられてやがる。」


「なぬっ、貴様ボスへの悪口は許さんぞっ。」


「ヴぉおおぉぉぉぉいっ、やろうってのかぁ?!」


「もぉ~、おやめなさいよ2人共♪♪」


 ぎゃんぎゃん言い合う2人の間で、ルッスーリアが適当に宥めている。

 本当にまずくなったら翡翠に止めてもらえばいいのだ。彼女の言う事なら皆、大抵の事は素直に聞き入れるのだから。

 平隊員たちの判断は、正しい。

 真にザンザスを補佐するのは、間違いなく翡翠だ。


「なんだか意外だな。完全なトップダウン方式っていうか、ヴァリアーって全員ザンザスの言う事しか聞かないんだと思ってた。」


 別名を独裁政権とも言う。

 ある意味失礼な、飾らぬ綱吉の素直な言葉にスクアーロは目を細めた。おべんちゃらを嫌う彼女が聞いたなら、何と言うだろうか。喜ぶだろうか、それとも『お前に言われたくない』とでも、ムキになって文句を言うだろうか。

 誰もが、あのイロモノ幹部やザンザスでさえ、彼女を信頼している。特にザンザスなど、『信用』『評価』『利用』。そのいずれでもなく『信頼』しているのは、彼女だけであろう。それ程、翡翠という存在はヴァリアーの中で大きいのだ。


「あの女だって、結局はザンザスの言う事しか聞かねぇんだ。間違った認識でもねぇよ。正確でもねぇがな。」


「お姉さ」


「ヴォイィ??」


「・・・翡翠、さんは、何の理由があって・・・。

 ヴァリアーは皆、自分たちの理由があってザンザスに懸けてるんだろ? なら、彼女は何を思ってそこまでザンザスに尽くすんだろう。」


 リボーンが綱吉の家庭教師をしたのは、9代目の依頼があっての事だった。では、そのリボーンと似た働きをしたという彼女は、『あの』ザンザスから『信頼』を勝ち得た彼女は、どんな思いが彼に対してあったというのだろう。

 一番自然なのは、やはり。


「何やかや言って、やっぱり『好き』だからなんじゃ、」


「ない。それはない。絶対にない。有り得ない。」


 速攻で否定してから、スクアーロは小さく溜め息をついた。

 彼女の女性愛は本物だ。それは最も近くで見てきた自分が一番よく判っている。

 今にして思えば、彼女は当時から見抜いていたのだろう。弟分とボスの間に起きる事を。マフィアの間では珍しくもない事だが、より確実に成就するように、ザンザスにより良い形になるように。その策略の小道具に婚姻届を使ったのだろう。本当の『真面目な理由』など、本人たちに知られれば止められるのは判り切っている。だから、偽装した。

 そういう女だ。

 まぁ、綱吉がどう誤解していても彼女は笑って流すだろうからそれは良い。

 が、あのクソボス(と書いてザンザスと読む。)は怒り狂うだろう。

 だろうから、それは避けねばならない・・・後が面倒だ。

 どうせここまで話したのだ、彼女の『理由』まで教えておいた方が良いだろう。未来の自分の為に。


「翡翠は、ザンザスの存在を『光』と言っていた。

 自分が初めて見た、光だと。」


「ええと、お姉さんてもしかして目、悪い?」


「言うようになったなクソガキがよぉ。」


「ひぃ―――っ。」


「ったく。

 レオーネはボンゴレ以上の歴史を持つマフィアだ。その総本部の地下には、下水施設に繋がる大水道がある。真っ暗闇の通称『迷宮』がな。

 翡翠がそこに放り込まれたのは、奴が1歳になる前だった。」


「え・・・幽閉・・・って、事?」


「そんな可愛いモンじゃねぇ。

 17代目はとにかく女癖の悪い野郎だった。実子が30人以上居た。翡翠は上から数えて24番目だ。23人居る上の兄弟の誰かが、赤ん坊の翡翠を殺す気で乳母ごと迷宮に放り込んだんだよ。

 母親は翡翠を産んですぐ死んでるし、父親も子供が居なくなって気付くようなタマじゃねぇ。

 衛生状態の悪さに、乳母はすぐおっ死んじまった。

 迷宮の門番は、赤ん坊にまで死なれるのは寝覚めが悪いと思ったらしい。1日1食メシを運んで来た。野良猫に残飯やるような感覚だがな。その門番も翡翠の死を願う側の人間だった。一応メシはやってる、これで17代目にバレた時も面目は立つ、と。

 だが、翡翠は生き延びた。

 4年間。

 5歳まで生き延びた年、迷宮の扉を開けて翡翠を見つけたのがザンザスだった。」


「ザンザスが、レオーネに?」


「ボンゴレ9代目がザンザスを養子として引き取った年だ。

 ジジイは大喜びで、ザンザスを人に見せたくてたまらなかったらしいな。奴を連れて、同盟ファミリーのレオーネにも挨拶に行きやがった。

 大人同士の話なんてのぁ、ガキには退屈だろ? 庭を歩き回ってるうちに迷宮の入口を見つけたザンザスは、恐れ気もなく開けて、すぐに猛烈に汚いガキを見つけ出した。

 それが翡翠だ。

 ザンザスはそいつが名門マフィア・レオーネ17代目のご令嬢だとは思わずに、紛れ込んだ浮浪児だと思ったそうだ。連れ出して大人たちに見せに行った。

 周囲は大慌てよ。

 親父のレオーネ17代目は、今更そんな娘には用はねぇってんで、俺の剣の師に養子に出しやがった。任せる、生かすも殺すも売り飛ばすも、好きにしろとよ。

 俺が翡翠に会ったのはその2年後、年相応の健康を取り戻して、教育も施されてからだ。」


「年相応、って・・・。」


「4年以上暗闇の中だぜぇ? 目もイカレてりゃぁ、栄養も足りねぇよな。

 それ以前に、話し相手が居なかったから言葉が話せねぇ。知ってるだろ? 赤ん坊ってのは周りから掛けられる声で言葉を覚えるんだってよ。

 教える野郎が居ねぇから礼儀もねぇ、遊ぶ相手が居ねぇから社会性もねぇ。

 5歳のデカい赤ん坊だよ。」


「・・・・・・。」


 言葉が見つからなくて黙ってしまった綱吉に、スクアーロはケケッと内心で舌を出した。嘘は言っていない。全部本当の事だ。加虐の意図はなかったが、綱吉の『そういう顔』はスクアーロの嗜虐心を中々に満足させてくれた。散々煮え湯を飲まされてきた相手だ。


「翡翠の野郎、まともな記憶は5歳かららしい。

 迷宮の扉を開いたザンザスが振り向いて、扉からの逆光を受けて、自分に手を差し出してる光景。

 だから、翡翠の中でザンザスは光なんだ。

 野郎の望みを叶える為。その為に、あの時自分は迷宮から出てきたんだと。そう言っていた。」


 それが、彼女の理由。

 必要とあらば策略でも何でも巡らせる彼女の、唯一持っている、ソレが真実。

 故にこそ、闇に敏感なヴァリアーたちも彼女の事を信じている。


(てめぇに同じ事が出来るかよ?)


 その存在ひとつで、人を救う事が。

 確かにあの時、ザンザスは翡翠を救ったのだ。光という名がある事さえも知らなかった彼女に、存在そのもので光を示してみせた。

 言葉の出ない綱吉と武の傍らで、しかし骸は薄く微笑んでいた。彼もまた、他人の存在に、沢田綱吉という男に救われてここに居る。


「腑に落ちませんね。現に彼女はレオーネの18代目として君臨している。中々に有能なボスだと聞いています。部下の扱いが上手いと。

 不思議な女性だ。

 自分にそんな仕打ちをした連中を、わざわざ生かし、赦し、導いてやるなど。

まるで聖母の如き御業ですね。そんな女性を重用するとは、あの男も存外甘い所がある。」


「よぅ変態。」


「あの、ソレが名前みたいな言い方やめてもらえません?」


「変態。

 あの女は、翡翠は何も赦しちゃいねぇよ。父親の事も、兄弟の事も、ファミリーの事も、何ひとつな。

 翡翠が18代目を継いだのは、揺り籠の後だ。

 ザンザスが氷漬けにされてから極端に制限された俺たちヴァリアーに、あの女はひとつ『頼み事』をした。何だと思うよ?」


「さぁ? 僕は彼女の行動が読める程、レオーネ18代目の事を存知上げている訳ではありませんのでね。」


「『ファミリーを全員殺して欲しい。』だ。」


「・・・・・。」


「俺たちは依頼通り、レオーネに連なる名前を全員消した。兄弟連中、血縁者は勿論の事、末端の構成員に至るまで全ての人間を。翡翠が上手く立ち回って、ボンゴレサイドには何も漏れちゃいねぇがな。

 今翡翠の側に居るファミリー連中は、その後秘かに募集して雇った人員だ。」


「っ! どうしてそんな・・・だって、自分のファミリーだろっ?!

 ボスを継ぐって、そう決めたんだろ?!」


 動揺する綱吉の瞳を、スクアーロはいっそ静かな瞳で見返している。


「翡翠が決めたのは、ヴァリアーを辞めて親父の後釜になる事なんかじゃねぇ。

 『ザンザスの率いたままの』ヴァリアーを守る。その為に持つモノ全てを最大限に利用する。自分の血だろうが恨む相手だろうが、利用出来るなら利用する。

 それがあの女の覚悟だ。」


「そんな・・・。」


「まぁ、『無私に勝る狂気は無い』、それがあの女の持論だからな。

 半分はザンザスの為、もう半分は自分の復讐の為。ヴァリアーのバックアップに付けた自分のファミリーに、看板だけレオーネの名を掲げる。それがあの女の復讐なんだろ。

 死者に鞭打つたぁこの事だぜ。

 俺たちは大助かりだったがな。事実上の無期活動停止食らって、ロクに修練も出来ねぇ状態で、8年も居りゃぁ誰でも腐る。特にまだガキで未完成だったベルフェゴールはな。俺たちが腐らなかったのは、レオーネっつーデカいアジトがあったからだ。

 アレが無かったら、いくら俺たちでもヤバかっただろうぜ。」


「本当に、ザンザスの為に全てを捧げたんだ・・・。」


「より正確には『ザンザスに懸けた自分の為に』だ。今のヴァリアーは、ザンザスと奴とで創り上げたようなモンだからな。思い入れも半端じゃねぇんだろうよ。

 その思い入れが無ければ、あんな怪我もしなかっただろう。あんな怪我をしなきゃぁ、引き篭もりにもなんなかった筈なんだが。」


「怪我? って、交通事故の?」


「・・・・・・。」


 ほんの数瞬、黙って綱吉を見下ろしたスクアーロ。その瞳にはいつもと違う強い感情が籠もっていた。

 敵意とは違う。怒りや悲しみとも、見下すのとも違う。筆舌に尽くし難い、恐らく本人も何と何が混ざっているのか判らないであろう、でもとてつもなく強い、感情。

 感情をいつでも爆発させている彼が、こんな押し込めた瞳をするのは珍しい。

 綱吉の怯えを感じ取ったか、スクアーロはやがて自分から視線を外した。


「・・・知らねぇ方がいい。『大好きな9代目』の間違いなんざな。」


「え・・・?

 何それ、どういう事? 気になるよ、ねぇっ。スクアーロ!」


「うっせぇ気安く呼ぶなカス野郎がっ。

 いいか、こんだけ話してやったんだから有り難く思え。そして翡翠に会っても、絶対に家族ネタなんざ口にすんじゃねぇぞぉっ!」


「は、はい―――っ!」


 始まりと同じように勢いよく怒鳴りつけて、そのまま足の力だけで立ち上がる。

 武にも骸にも何も言わせないまま、スクアーロはヴァリアー本部に立ち戻って行った。


 たった一度だけ、間違えた。

 眠りながら彼女は考える。

 でも、何処で間違えたのかがよく判らない。何年経っても、未だに。

 あの男をボスの副官として受け入れた時か。あの男に反乱計画を告げた時か。

 でも9代目の命には逆らえなかったし、ヴァリアーとして動く時に、副隊長にだけ教えない訳にはいかなかった。てっきり賛成するものとばかり思っていたし。

 レオーネからの呼び声が聞こえた時、黙殺しておけば良かったのか。

 でもあと4日で反乱を実行に移すという大事な時に、余計な雑音を立てられたくなかった。下手をすれば反乱当日に使者が来て、内部抗争の現場を見られかねない。そうなれば足許を見られるのは必至だ。ザンザスを10代目として戴いたばかりの、新生ボンゴレの。

 どうすれば、良かった。

 どうしていれば、私も揺り籠に参加できたのだろう―――。


「だから、それだけは絶対ダメだって言ってんでしょっ!」


 揺り籠事件4日前。

 朝食を終え、幹部たちの溜まり場になっている執務室にやってきたベルの耳に、16歳特有の高い声が響いた。腕に抱えていたマーモンと、顔を見合わせる。

 珍しい。

 8歳年上の『ボス補佐』は、軽い口調で『やめといた方がいいんじゃない?』と言う事はあっても、強制口調で怒鳴りつけるという事は絶対にしないタイプなのだが。軽い口調で止まらないメンバーには問答無用で拳を叩きこむのだ。そういう面では、よく似ていた。ザンザスと、翡翠は。

 まさかボス相手に怒鳴った訳ではあるまい。

 そぉっと慎重に扉を開けた先で、翡翠と言い争っていたのは案の定オッタビオだった。


「しかし翡翠、これはボンゴレ全体に関わる問題です。

 9代目に指示を頂かない事には、」


「絶対に、ダメ。

 まさか忘れた訳じゃないでしょう? 私たちは4日後、その9代目を殺してボンゴレを奪う計画の真っ最中なのよ?」


「・・・・・・。」


「9代目もその守護者たちもいい感じに油断してる。ヴァリアーに殆ど関心を向けてない。反乱の成功には理想的な状態だわ。

 なのに。

 同盟ファミリー・レオーネのボスが後継に指名したのが、独立暗殺部隊・ヴァリアーの一隊員だなんて知れたら。どうなると思う? 干渉される絶好の口実じゃないの。

 反乱が成功に終わるまで、レオーネからのどんな動きもボンゴレ9代目の耳に入れたらダメ。ましてやこちらから情報提供して指示を仰ぐなんて論外よ。」


 レヴィ、スク、ルッスの傍に寄り、スクアーロの袖を引っ張るベルフェゴール。

 無言でもソレで通じたらしい。スクアーロもまた、黙って1枚の書状を渡して寄越した。ベルとマーモンが黙読で追った字が伝えるのは、要するにこういう事である。


『実父であるレオーネ・ファミリー17代目が死病の床にある。今すぐどうこうという事はないが、先が長くないのは確かだ。

 レオーネ17代目は後継者に、桂向院千里を指名した。

 ついては未来のレオーネ18代目は、4日後の12時までに本部に来るように。』


「ナンセンスだね。」


「しししっ、上から目線が超・ムカツク~。」


「スクアーロ、翡翠って兄弟居たんじゃなぁい? そっちはどうなのよ?」


 ルッスーリアのもっともな意見に、幹部たちの視線が集まる。

 眉根を寄せた『彼女の弟』は、大きな声を出来得る限り低めて吐き捨てた。


「継ぐ資格を持つ34人中、半数以上が潰し合いで死亡。残る奴らもボンクラ揃い。

 慌てた17代目は今頃になってやっと、一番出来が良いのが翡翠だと気付いたらしい。ファミリーの大半が反対する中で、今朝になってこの書状を送って寄越しやがった。

 翡翠を18代目になんて、言ってんのは17代目と腹心だけだ。エロ親父の後釜なんざボンクラ兄弟に継がせときゃいいんだよ。」


「よね~。

 ああ良かった。彼女に抜けられたら、ヴァリアーは困っちゃうもの♪」


 一安心、というルッスの台詞に、皆が無言で頷いている。己一番で仲間意識など滅多に見せない彼らだが、シビアな目を持つ彼らだからこそ、素直に認める事が出来る。彼女の存在が必須だと。

 それだけの働きを、今までの翡翠が見せているからだ。

 レヴィが当然という顔で呟いた。


「4日後と言ったら、本番当日だ。行きようもない。

 電話で連絡して適当に引き延ばしたらいい。」


「ところが、だ。

 もう電話したが、レオーネ17代目の部下は相当焦ってるらしい。今すぐ発てと。翡翠は『任務で忙しいから1週間待て。』と言ったんだが、連中は『待てない。』とよ。反対派の動きが活発で、叶うなら今すぐにでも継承させたいそうだ。」


「やぁねぇ勝手な男共って。そんな状態で18代目になって、ウチの翡翠ちゃんが苛められたらどうしてくれるのよ~。」


「誰がウチの翡翠ちゃんだっ。

 そもそも継がねぇよっ。」


「スクアーロ、君の話じゃないだろ。ムキになるなよ。

 やれやれ、前から思ってたけど本当、君ってつくづくシスコンだよね。」


「だぁれがシスコンだぁ? マーモン、てめぇ3枚に下ろされてぇのかっ!」


「だったら一緒に来ればいいじゃない。」


 スクアーロの台詞に答えるようなタイミング。

 全員の注目を一身に浴びて、だが翡翠が見ているのはオッタビオである。


「私が直接行って話してくるって言ってるのに、反対するのは私がどんな約束を取り付けてくるか判らないからでしょ? レオーネ側と。

 だったらあなたも一緒に来て頂戴、オッタビオ。

 悪い話じゃない筈よ。私の監視も出来るし、レオーネ・ファミリーが何を考えてるのか、副隊長として自分の目で確かめる事が出来る。」


「監視などと、物騒ですね。

 私はただ、翡翠の身を案じているだけですよ。」


「ありがとう副隊長殿、そこまで心配してくれていたなんて感激だわ。

 だったら余計、一緒に来て頂戴。是非。敵地同然の場所に私を1人で行かせたくない、という解釈で良いのでしょ?」


「・・・ザンザス様。」


 困惑の表情で、瞑目して沈黙を守るザンザスに判断を求めるオッタビオ。

 美しい面に電流のように苛立ちを走らせた彼女もまた、ザンザスに言い募った。


「許可を頂戴、ボス。

 私とオッタビオでレオーネ・ファミリー本部へ行って来るわ。18代目の件はきっぱり断って、レオーネとボンゴレの連絡が途絶えるように立ち回ってくる。

 折角今まで上手くいってるのよ、こんな所で雑音なんか立てられたくない。

 良いでしょう?」


「・・・許可する。」


 一瞬、彼女と目を合わせたザンザスは至極あっさりと許可を与えた。

ホッとした表情の翡翠、黙って眼鏡を押し上げるオッタビオ。

 ザンザスもオッタビオも、2人共彼女の狙いに気付いているのだろうか。自分の不在時にオッタビオが計画に水を差すのではないか、という、彼女の懸念に。

 両者共、とりあえず言葉にして表に出す事はなかった。

 そして、悲劇が近付いてくる。


「初めてですね、一緒に旅行するのは。」


 翡翠が乗車券を用意した寝台列車は、予定時刻を寸分違わず出発してくれた。

 ちなみに彼女は、この手の事を部下任せにしない。自分でやるのが一番早いと、身軽に列車の予約を取り、旅に出る。同行者は大抵ルッスーリアかベルフェゴールだ。昔はよくスクアーロを付き合わせていたものだが、最近『いい年して一緒に旅行なんてっ。』という『思春期の弟』な気分が芽生えたスクアーロには、誘ってもずっと断られっ放しだった。

 レオーネ本部までは1泊2日の小旅行だ。

 列車の見取り図を頭に叩き込んでいた翡翠は、オッタビオの感慨深げな言葉に顔も上げない。


「そうね。」


 返す声は、酷く素っ気ないものだった。

 だから、彼女は気付かない。

 オッタビオの視線が含む、複雑さに。熱に。苦しげな、その瞳に。


「気になっていたのですが・・・。」


「?」


「入隊以来、ずっと付けているそのペンダント。

 任務中も肌身離さず身に付けて、随分大切にしているようだ。誰かからの贈り物ですか?スクアーロや、もしやザンザス様からの?」


「ボスは女に贈り物なんかするタイプじゃないわよ。スクだって。」


 見取り図から離したその翠瞳が、映すのはやはりオッタビオではない。笑みを帯びた声を向けるのも、ここに居るオッタビオではない。

 ブラウンの革紐にしっかりと結わえ付けられた、翡翠の円環であり、その贈り主。

 美しい翡翠だった。それほど大きくはなく、彼女の薄い掌に包み込めるくらいだ。丁寧に削られた石肌は滑らかで、その色は内側から仄明るい光を放っているかのような、純粋な翠緑。濃く、ムラのない、柔らかな色彩は一見して良い品だと判る。


「ルッスーリアに貰ったの。」


 ピクリと、オッタビオの瞼が震える。


「レヴィとマーモンとルッスは、先に入隊してたでしょ? 私も出入りはしてたけど。

 次が私とスクアーロで、最後がベル。

 半年前、私が入隊した時にね、ルッスがくれたの。『入隊祝いよ♪』って。私の瞳の色や通り名に合わせて翡翠を選んでくれたのよ。綺麗でしょう? 気に入ってるの。」


「・・・そうですね。とてもよくお似合いですよ。」


「ありがとう♪」


 それから彼女は、少し肩を竦めて苦笑した。


「オッタビオに褒められると調子が狂うわ。」


「いつも喧嘩ばかりですから。

 でも私はあなたの聡明さを買っているのですよ。ザンザス様への忠誠心も。これでもう少し、穏健路線を歩んでくれたなら申し分ないのですが。」


「私もあなたの交渉能力を尊敬しているわ。戦闘能力も低くない。これでもう少し、思い切りというものを身に付けて過激な発想も出来るようになってくれたらね~。」


「私にはザンザス様の過激さを、あなたが無用に助長しているような気がしますがね。」


「それは考え方の違いだわ。私はボスの望みに道筋をつけているだけ。

 やめましょう、ここまで来て不毛な言い争いは。止めてくれる人も居ないし。」


「・・・その『止めてくれる人』は、ルッスーリアの事ですか?」


「??」


 微かに何かの変わったオッタビオの口調に、翠瞳が初めてまともに彼の顔を映す。

 彼の濃い青色の瞳に、くっきりと、いっそ無防備なほどきょとんとオッタビオを見つめる彼女の姿が映っている。

 翡翠の瞳は、すぐに困惑に染まった。


「ルッスかも知れないし、スクかも知れないし。ベルが引っ掻き回しに来るかも知れないし、機嫌の悪いボスに強制終了させられるかも知れない。

 別にルッスーリア1人に限定したつもりはないけれど。

 ルッスがどうかしたの?」


「・・・いえ。」


 オッタビオが言葉を濁した時、唐突に列車のスピードが上がった。

 明らかに異常な速度だ。のどかな外の風景が、朧な姿を見せながら流れていく。上昇は留まる所を知らず、フィルムの早回しレベルにまで上がり、そこで一応の固定を見せた。が、本来有り得べからざる危険な速度には違いない。

 秘かに理由を察し、眼鏡の逆光で表情を隠すオッタビオの傍らで。

 困惑を深める翡翠は嫌な予感がして窓から目を剥がした。


「私、乗務員に訊いて来る。」


「待ちなさい、翡翠。」


「?!」


「・・・あなたは、此処に居るべきだ。」


「?? 今日のあなたはつくづくいつもと違う事を言うのね、オッタビオ。あなたが私の心配なんて珍しい。他のファミリーの継承に巻き込まれたからって、緊張してるの?」


「そういう訳では・・・。しかし、」


「大丈夫よ、ちゃんと最悪を想定して行くから。」


「最悪?」


 オッタビオの目の前で、彼女は『出る準備』を整えていく。

 着ていたのは、元々ヴァリアーの制服だった。防刃・防弾その他各種機能を付けられるだけ付けた特製品だ。そこに更に、翡翠だけの個別装備。

 皮手袋の上から手甲を嵌め、腰に巻いたホルダーにサバイバルナイフを2本、投擲用のナイフを1本、短めの鞭を1本、そして何故か、500ml入りのペットボトルに入れた水をそれぞれ収めていく。両の胸ポケットには4本ずつ計8発の閃光弾。分厚いブーツにも、何か刃物が仕込まれているようだ。

 常人なら戦闘どころか、付けただけでバランスを崩して椅子に逆戻りしかねないアンバランスな装備だ。それを彼女は平気で付け、具合を確かめるように飛び跳ねていた。

 全て漆黒に纏めた中で、最後にすっぽりと全体を覆ったのは、明るい色の綺麗なマントだった。別にお洒落で着た訳ではない。客用列車に急に軍服仕様の女が現れては不自然。それ故、怪しまれないよう、偽装の為に選んだコートだ。

 徹頭徹尾『暗殺者』の出で立ちだった。


「何か判ったら連絡するから、無線は耳に付けておいてね。」


「翡翠、」


「??」


「・・・いえ。銃は、持っていかないのですか?」


「レオーネ側の反対派が起こした列車ジャックの可能性がある。

 密室の中で飛び道具はかえって危険だわ。列車が壊れても困るし。犯人を制圧するには、ハンドガンじゃなく鞭の方がいい。

 いざとなれば、私には『これ』があるし。」


 そう言って、翡翠はペットボトル越しにその中の水を撫でた。

 彼女のもっとも得意とするのは銃火器だ。ザンザスも銃を使うが、特定の銃限定の彼と違って、彼女の場合はライフルからハンドガン、ニードルガン、カード式レーザー銃、ガトリングガン、手榴弾に時限爆弾。爆発物なら何でもござれのエキスパートである。

 でも、翡翠にはそれ以上に頼みにしている己の能力があった。


「幸運を。」


「・・・ヴァリアーにあるのは、悪運だけよ。」


 オッタビオが贈った、どこまで本気判からない言葉に皮肉で返して、翡翠は彼の横をすり抜けていった。

 それが、最後。

 翡翠とオッタビオ。ヴァリアーという同じ組織で、作戦の度に正反対の判断を下しては、毎日のように言い争いに明け暮れていた。年の離れたライバルとも言うべき2人が、最後に交わしたのもやはり皮肉を含んだ会話だった。

 個室を出た彼女の傍を、青い顔をした客室乗務員が通りかかる。


「あのぉ、すいませ~ん♪♪」


 異変を確信しつつ、わざと『今時の若い女』風の声を出す。

 面倒そうに立ち止まった男は、しかし翡翠の美貌に瞬く間に釘付けになる。『ボス補佐』としての凛とした美ではなく、偽りの、人を包み込み癒す優しげな美に。


「列車の到着時間を」


 記憶はそこで、一度途切れている。

 次に翡翠が目覚めたのは、投げ出された線路の上だった。

 風の音以外、何も聞こえない。

 その風に、血の匂いが濃い。

 全身が、熱い。


「・・・・・。」


 砕け散った窓ガラス。

 こめかみの下敷きになっていた、大きめのガラス片に自分の血が、溜まり込んで太陽の光を反射しているのを、翡翠は虚ろな瞳で見つめていた。

 骨が一部砕けているのだろう。動かない指を引き摺るようにして力を込めて、掌の中にある物を確認する。

 翡翠の円環。

 ここに、ある。

 この掌の痛みは、そういう事だ。罅割れひとつなく、しっかりと輪郭をなぞれる。


「・・・ッス、・・・」


 裂けた咽の隙間から、空気が漏れる。

 太陽に背を向けている筈なのに、寒気が背中から包み込んでくる。質の悪いストールのように。

 死を予感する中で、思い浮かぶのは晴の守護者の事で。

 もう一度あの翡翠を見たかったが、もう体を起こす力もない。

 彼女は静かに翠瞳を閉じた。


「・・・ひ・・い。・・・翡翠。起きてくれ、翡翠。」


「・・・・・マーモン?」


 次に翡翠を起こしたのは、マーモン。金銭に貪欲な、ザンザスの霧の守護者。

 彼女が着ているのは、青緑の手術着。

 横になっていたのは、手術台。

 2人を照らすのは、目が痛くなる程真っ白い手術用のライト。

 前後の記憶が曖昧で、ぼやけた頭のまま何となく体を起こし、手術台の端に座った翡翠。少し離れた所に立っている、黒フードを目深に被った成人男性は常と変わらぬ醒めた口調で、彼女に向かって語りかけてくる。

 翡翠はその姿を見た事があった。以前にマーモン本人から、アルコバレーノの呪いを受ける前の彼の写真を見せてもらった事があるのだ。その写真の男性が、今、目の前に居る。いつもの高い声とは違うが、確かに何処かで聞いた事のある、懐かしい男の声。

 この強欲術士の声を『懐かしい』と感じるなど、自分は大分疲れているらしい。

 自身に呆れて、彼女は淡く微笑んだ。


「やぁ、翡翠。気分はどうだい?

 列車の暴走事故に巻き込まれるなんて、さぞ驚いただろう。」


「暴走、事故・・・。」


 眠そうに呟いた俯き加減の彼女は、次の瞬間全てを思い出した。

 そして強い光を取り戻した瞳でマーモンを見上げ直す。ヴァリアーのボス補佐を務める聡明な頭脳によって、翡翠は自分の置かれた状況をほぼ完璧に把握していた。

 マーモンの唇が笑みを刻む。それでいい、と。


「幾つか確認したいから、教えて。

 レオーネに向かう列車が脱線事故を起こし、私は今、生死の境に居る。」


「イエス。」


「ここは私が運ばれたヴァリアー所属の病院の、手術室を模した夢の中。マーモンは術によって私の意識に入り込んでいる。」


「イエス。」


「ボスには既に連絡がいっていて、レオーネとの交渉は無傷のオッタビオが担当している。更に言えば、9代目サイドには内密に出来た。」


「イエス。」


「そう。それならいいわ。

 答えてくれてありがとう、マーモン。」


「なんだい、もういいのかい? 死にかけの割に随分淡白だな。」


「ボスが無事で、スクやあなたが生きてるのよ。計画には何の問題もないわ。

 未練も後悔もそれなりにあるけど、今言っても仕方ないでしょ。そう割り切れる程度には、その時出来る最善の選択をしてきたつもり。

 意識のない私の処遇は、ボスであるザンザスが決めてくれるでしょう。

 自分がどんな怪我をしたかは大体察しが付いてる。あの傷で『戦う人』で居続けられる訳がない。『こんな使えねぇ奴要るかっ。』っていつもの調子で言われても、反論の余地はないわよ。」


「翡翠。

 君、持論は『無私に勝る狂気は無い』じゃなかったっけ?」


「覚えててくれて嬉しいわ。

 私の『これ』は滅私奉公じゃないわ。本当はね、私はボンゴレの事なんてどうでもいいの。全部自分の為なの。

 迷宮から出してくれたザンザスの力になる事で、私はちゃんとあの暗闇から出たのだと、確認し続けていたかった。生きてる間中、ずっと。

 それが確認出来なくなる事は、私にとって文字通り『死ぬより怖い事』。

 そんな体は、誰より私が一番要らないのよ。」


「・・・・・・。」


 黙り込んだマーモンだが、それは困惑したとか、彼女の話に気圧されたとか、そういう事ではないようだった。

 この金の亡者が、他人のメンタリティに影響されるなど。

 土台有り得る事ではないのだ。

 この半年間、肌身離さず身に付けていた翡翠の円環に。触れようとして無い事に気付き、微笑みを崩さない翡翠は代わりのように胸に強く爪を立てた。

 マーモンはそんな彼女を静かな瞳で見つめている。

 ややあって出した彼の声は、やはり静かなものだった。


「さっきは君の質問に答えたから、今度は僕が話をしよう。」


「えぇ。」


「幾つか客観的な事実を教えるよ。

 翡翠。まず君にとって最も残酷な現実からだ。予想通り君の体は、前線に出られる状態ではない。」


「で、しょうね。

 傷の具合くらいは聞いておきましょうか。」


「被害甚大で、とても一言では言えないな。

 壁に叩きつけられた右腕は上腕が派手に開放骨折してる。手甲に守られていたから前腕に外傷はないが、左右とも筋組織の傷みが激しい。

 窓ガラスが突き刺さった首からは出血も大量だ。頚動脈こそ外れたが、他の太い動脈を綺麗に切り裂いていったよ。失血死しなかったのが不思議なくらいなんだ、実際。

 肋骨が刺さった内臓はひとつだけだが、そのひとつはもう使い物にならない。それに、車体の破片の下敷きになった足もね。

 ここで一命を取り留めても、この先一生、車椅子は必須だろうよ。」


「そう。私の時間は、ここで終わりなのね。」


 まるで他人事のように冷静に、耳を傾ける翡翠。

 マーモンは何か言いかけて、しかし言葉をすり替える。芝居がかった仕草で感嘆してみせた。


「死者420人以上っ! 車体は完全崩壊っ!

 乗員乗客全て合わせても、君とオッタビオだけだよ、生き残ったのは。治療困難とはいえ君は生きてる。オッタビオに至っては君に守られて全くの無傷ときた。

 流石はヴァリアーの『フィオーレ・ア・アックア』だ。」


 その名の意味は『水の花』。

 桂向院の血、なのだろうか。翡翠には異能があった。マーモンのような術能力とは違う、力が。

 水を操る力・・・水操能力。

 生物内の水こそ無理があるが、純粋に水単体は勿論、無機物内の水も。いかなる状況下、いかなる形状であろうとも抽出し、収束させ、形と成し、攻撃・防御・その他あらゆる事に応用して遣う事が出来る。持ち物検査で殺しの道具がいくら取り上げられようとも、氷の一欠片でもあれば充分なのだ。あるいは空気中の水分を凝集させて遣う事も可能である。

 ある意味、最強の暗殺者だ。


「綺麗すぎるわ。

 フワフワしてて強そうじゃないから、あまり好きな2つ名じゃないのだけど。」


「いいじゃないか。僕が言うのもなんだが、翡翠はもう少し綺麗な物を綺麗と言う感性を身に付けた方がいい。」


 大真面目なマーモンの台詞に苦笑する翡翠。『お洒落なんて金の無駄さ。』、そう公言して憚らないこの強欲術士が言うのだから、余程そう見えるのだろう。

 ちなみに『フィオーレ』・・・『花』には、イタリア語で『最高の人』という意味もある。そんな自慢じみた2つ名を、喜んで自ら名乗るようになったらお終いだ、色々と。

 笑ってから、ふと、別の言い回しが気になった。


「ねぇ、マーモン。

 オッタビオが無傷なのはどうして?」


「?? どうしてと、君が訊くのかい? オッタビオを守った、君が。」


「・・・私、守ってない。」


「なんだって?」


「私は、オッタビオを守ってない、って言ったの。

 あの事故の時、私は個室から出て廊下に居た。不自然に速度を上げた列車に危険を感じて、乗務員に情報収集してたの。列車ジャックの可能性を疑ったわ。

 オッタビオは個室に残った。無線を付けて私からの連絡は待っていた筈。でも・・・。

 個室の扉は完全に閉まってた。

 あの一瞬の大事故で、私の水がオッタビオまで届く事は有り得ないわ。」


「・・・・・。」


 沈黙したマーモンは、黙ったまま手術台まで歩いてくると翡翠の右隣に腰掛けた。翡翠は沈思黙考しているマーモンを、愁いを帯びた瞳で見上げている。

 改めて並ぶと、大人マーモンは背が結構高い事が判る。彼女の背丈は157cm。そう高い方ではないが、それを差し引いても。今の座った状態で、彼女の頭より彼の肩の方が20cmは高いのだ。

 翡翠はマーモンの左袖をギュッと握った。

 彼はそれを、放せとは言わない。


「マーモン。

 『自分を守ったのは翡翠だ。』って、オッタビオがそう言ったの?」


「あぁ。ボスにそう言った。

 『激震が来たと思ったら、水流が正面全体に拡がって、呑み込む様に自分の体を包んだ。ソレが晴れた時には視界いっぱいに凄惨な事故現場が広がっていた。気付いた時には全て終わっていた。』と。

 病院に駆けつけた全員の前で、青い顔してそう言っていた。」


「不自然だわ。」


「翡翠?」


「仮に私が、無意識に力を使ったのだとしても。

 激震が来た後に水流が来たのなら、水は揺さぶられるオッタビオの側面か、背後から包み込んできた筈。

 それに私は、事故の真っ最中の記憶がない。辛うじて列車が横倒しになった感覚はあるけれど、肝心な部分では気を失っていた。マーモン、あなたなら判るでしょ? あの力は、どんな暴走状態にあったとしたって、術者が意識を失えば解かれてしまう類の物よ。

 『真っ最中に、意識のない私の水に守られていた。』。そのオッタビオの主張は、明らかに不自然だわ。」


「だが、実際にヤツは無傷で生き残っている。

 何故だ?」


「揺れるのを知っていたから・・・。

 事故が起こる事も知っていたし、自分が無傷で居られるように手を打っておいたから。」


「何故。ヤツはどんな手を打った?」


「あくまで、事故が人為的なものだと仮定するなら、だけど・・・。

 事故を、引き起こした連中が居る。その連中と事前に情報を共有していて、自衛法までその連中に確保させていたのかも・・・。」


「どんな連中だと思う?」


「・・・武装した敵の気配は感じなかったわ。幻術の気配も。

 術者・・・それも私と同じような、自然操作系の、術者、かも・・・。」


 言ううちに、翡翠の表情がどんどん強張っていく。

 9代目は今回の騒ぎに気付いていない。ボンゴレサイドには、オッタビオが使えるような術者は居ない。

 気付いてしまった。彼が、誰と、何をしたのか。


「レオーネの、能力者・・・?」


「君を敵に売ったのか、あの恥知らずっ!!!」


 真摯だった声が一瞬で怒声に変わる。

 ビクッと震え、驚き目を瞠る翡翠に気付いたマーモンは、すぐに声を落として彼女の肩に触れた。


「悪かった。

 元々激しやすいんだ、僕は。昔はよく些細な事でキレては、感情の侭に力を使って人を遠ざけた。呪いを受けてからは一応、収まってたんだが・・・。」


 翡翠は黙って首を振る。マーモンの手に、自分の両手を重ね合わせて。

 この霧の術者が、取引に対する違約を極端に嫌うのは以前から知っていた。それは勿論、己の許に確実に金を引き寄せる為、というのが基本にあるのだが。自分に対する取引だけでなく、他人同士の取引でも、違約した者に対して強い嫌悪と怒り、それに軽蔑を示す。

 彼の中に、『仲間』という甘い感傷はない。

 だが、取引に対する誇りはある。ヴァリアーという組織に所属し、ボスとしてザンザスを仰ぐという事は、同格の幹部に対する保護責任も一定量負う、という事だ。

 オッタビオはその点でザンザスとの取引に違約した。

 レオーネ・ファミリーの、18代目候補たる翡翠を亡き者にしようと画策する者たちに列車の情報を流し、彼女が事故に遭うように仕向けた。

 自分はしっかりと安全圏に居ながら。

 傷付き、倒れ伏した彼女をあざ笑っていたのだ。


「オッタビオは・・・。」


「翡翠?」


「オッタビオは、ボス・・・ザンザスの事も裏切るのかしら。」


「・・・・。」


「私の事は・・・良くもないけど、ショックはないの。元々仲が悪い相手だったし、私が彼を危険視するように、彼も私を危険視している。そう感じていたから。

 でも、一度人を裏切った人間は、二度目にその機会が訪れた時に躊躇わない。

 ザンザスにとっては、これからが敵の多くなる時期よ。絶対出てくる。彼の部下を誘惑して、裏切らせようとする連中が。

 そういう連中にとって、きっとオッタビオは格好の餌食・・・。」


 その時、オッタビオは目の前の『判りやすいご褒美』に耐えられるか。

 ザンザスを、裏切らずに居られるか。


「無理だろうね。」


「っ!」


「奴にあるのは出世欲と他人の命令だけだ。その上裏切りの味を知ったとなれば、耐えるかどうかも怪しい所さ。

 3年、いや1年以内に裏切るね。」


「でもっ、・・・でも、大丈夫よね? だってあなたたちが居るんだもの。

 守護者でもないオッタビオが何をしたって、守護者のあなたたちが居るわ、ヤツがザンザスに出来る事なんて、何も無いわよね?」


「それも、無理だろうね。」


「ちょっとマーモンっ?! 何でソレが無理なのよっ。」


「適性が無いからさ。」


「・・・・・・。」


「自慢じゃなく客観的な事実だが、僕は術士としての自分は上位ランクだと自負してる。何と言ってもアルコバレーノだ、『選ばれた7人』に恥じない力は持ってる。

 というか、そうでも思わないとやってられないよ、こんな体。」


「大丈夫よ、そんな無理矢理思い込まなくても。

 知ってるわ、だから私もヴァリアーに誘ったんだし。」


「ところがだ、例えば僕に剣を持たせて、スクアーロの前に立たせてご覧よ。一瞬で殺られるから。まぁ逆もまた然り、なんだけどね。

 判るかい?

 適性の有る無しっていうのは、つまりそういう事さ。

 他の連中もそれぞれの分野で、オッタビオなんか足許にも及ばない力は持ってる。だが、こと謀事や策謀という面でヤツの行動を見抜ける者は居ないだろう。今回の件がいい例だ。現に僕は、君に指摘されるその瞬間までヤツの証言の不自然さに気付かなかった。

 ボス自身で自衛は出来るだろうが、ボスに至るまでの壁は無に等しい。」


「そんなの・・・そんなのダメじゃない。

 じゃぁ誰が守ってくれるの? ザンザスを・・・私のボスを、誰が・・・っ!」


 見る間に真っ青になって、鮮やかな翠瞳から透明な涙を溢れさせる翡翠。

 新鮮な感情、あのメンバーを仕切れる精神力、芯の強い忠誠心、明晰な頭脳。やはり、とマーモンは確信した。やはり、ヴァリアーに相応しい雲の守護者は彼女を置いて他には居ない。

 俯く彼女の頭を撫で、ゆっくりとその耳に言い聞かせる。


「君だよ、翡翠。君しか居ないんだ、雲の守護者は。」


「でも、だって私の体はもう、」


「迷宮から出してくれたザンザスが、大事なんだろう? 自分の居場所を、確認し続けていたいんだろう?

 このまま死んで、それで本当に良いのかい? あの世でまた独りぼっちに逆戻りか?」


「こんな、時に・・・ヤな事、言わないでよ・・・っ、」


「僕は問い掛けているだけだ。答えを出すのは君だよ、翡翠。

 大事な物は自分で守れ。誇りを貫きもしない内から捨てて死ぬつもりか?」


「・・・っ、そんな事今更言われたってっ!

 じゃぁ私にどうしろって言うの? 車椅子の暗殺者なんて聞いた事ないわっ!」


「聞いた事がないなら、君が成って名を広めればいい。」


「・・・・、」


「今までもそうしてきただろう? したい事をやるのにいちいち手段は選ばないってトコ。そういうトコ、君とボスとはよく似ているよ。

 他ならぬ君自身がボスの霧の守護者にと見込んだ、コレが『マーモン』の判断だ。『アルコバレーノのバイパー』じゃなくて、ね。

 君は生きるべきだよ、翡翠。」


「・・・・・ザンザスは・・・ボスは、何か言ってた・・・?」


「さてね。

 あの通りの性格だから、口に出しては何も言わないけど。

 『客観的な事実』の続きを教えよう。

 致命傷を負った君をすぐ病院に収容できたのは、乏しい第六感を働かせたスクアーロが、部下を5人ほど列車の尾行に付けていたからだ。

 スクアーロのその判断がなかったら、君の怪我では確実に失血死していただろう。

 君の状態を正確に理解した上で、ボスは手術同意書にサインした。勿論翡翠、君を生かす為の手術の、だ。

 知ってるかい? 手術同意書には近親者しかサイン出来ないって。続柄のトコに『夫』って書いた時の、心底嫌そうなボスの顔ったらなかったね。

 それでもボスはサインした。

 お誂え向きに、臓器移植バンクから適合臓器も見つかった。

 それにベルの奴が騒いでる。シスコン鮫が八つ当たりで『お子様は勉強して寝ろ。』って嫌味を言ったら、過剰反応してさ。『翡翠以外に勉強教わる気はない。』とか口走っているよ。アレは結構本気だね。このままいくと、ベルフェゴールの知能は何万年経とうが高校1年止まりだ。

 ホラ、現時点でもうこんなにエラーが出てきてる。

 死なれると色々困るんだよ。レヴィとルッスも含めたあの5人を置いて逝く気かい?」


「『6人』でしょ?」


「・・・・・。」


「私は臓器バンクに登録してないし、事故直後に誰かがしたんだとしても、待機者に先に回されてしまう。

 密売組織から買ってくれたのね。」


「・・・ふん。高くついたよ。」


「起きてから払うわ。ここまで迎えに来てくれた手数料と一緒にね。」


「ボスがカンカンだよ、翡翠。

 何とか手術は成功したらしいのに、心拍が戻らないって、医者が血相変えてるんだ。

 ボスはすぐに君の精神状態を察して『あのドカス、死を受け入れやがっただとっ?!』って凄い勢いで怒ってる。

 君は放っておくと本当に死んでしまいそうだったし、仕方ないから僕が術を使ってあげたって訳さ。僕にまでボスの怒りが飛び火しそうだったからね。

 怒り狂ったボスを止められるのが君だけだなんて、本当、難儀な事さ。

 ま、瀕死の重傷なんだから殴られはしないだろうけど。目覚めるまでに相応の覚悟はしておくんだね。」


「その事なんだけど・・・。」


「何か問題でも?」


「・・・目覚め方が判らないの。」


 盛大に溜め息をつく大人マーモン。

 翡翠は顔を真っ赤にして、思わず上目遣いになった。水操能力の事で助言を受けているせいもあって、彼女にとって彼は師匠のような感覚がある。文武ともに常に首席で通して来た翡翠は今初めて、『出来の悪い弟子』の気分を味わっていた。


「だって、『死を受け入れた』とか言っても無意識での事だしっ。

 生きる事にしたはいいけど、『じゃぁ生きます。』って思っても全然目覚めそうにないんだもの、仕方ないじゃないっ。」


「そうやって気を乱すんじゃない。『道』が見えなくなる。」


「道・・・マーモンには見えているの? 私も見えるようになる?」


「・・・君は見なくていい。術士じゃないんだから。というか、見ようとして見えるものでもない。

 まぁいいさ。今は僕が居るんだから、導いてやる。」


「別料金、よね?」


「当然だ。」


「・・・・。」


 肩を落としてから、翡翠はクスリと笑った。コレでこそ、マーモンだ。

 大人マーモンが彼女に掌を差し出す。彼女がいつも身に付けている、翡翠の円環。それが乗った、掌を。


「大切な物なんだろう?

 現実世界に実在し、自分が強く執着している物を思い浮かべる。今は僕が出したけど、居ない時は自分でイメージして出すんだ。君なら出せる。

 コレに触ってご覧。

 そのまま瞳を閉じて、現実世界に在るもうひとつの、本物の円環を意識する。より強く本物を思い出して、克明に思い描くんだ。暗闇に翡翠の円環が輝いているイメージだ。

 そして、その中心に君の意識は近付いていく。

 どんどん近くなって、大きくなって・・・円の中心に、」


 導かれる侭に動いていた翡翠の体が、不意に強い白光に包まれた。


「吸い込まれる。」


 彼がそう囁いた時には、彼女の体は消え失せていた。

 意識が肉体に戻ったのだ。


「やれやれ・・・。」


 同時に、マーモンの周りが漆黒で塗り潰される。あの手術室は、彼女の意識下で作り出され、形を得ていた幻だ。ソレが消えたという事は、翡翠が無事、抜け出せたという何よりの証拠である。今頃は心拍も戻っている事だろう。

 マーモンの唇に、自虐的な笑みが広がる。


「・・・・・。」


 掌の石を見つめる。

 彼女の瞳のように輝く緑の鉱物。翡翠はルッスを。ルッスは翡翠を。それはとても曖昧で、漠然として、不確かで、透明で。だがそれ故に、強い絆。どこからどう割って入ったら良いのか、見当も付かないくらいの。

 自分も翡翠を。そう思っても。いくら思っても。

 不毛な事だ。金にならない感情など、自分には必要ないというのに。

 もし今すぐ、呪いが解けたなら。現実の体が、今のこの『大人の男』の体に戻れたなら。

 ・・・そうしたら、彼女は。

 でも、だとしても彼女が対象とするのは男ではない訳で。


「転換手術なんて金のかかる事、僕はしないよ?」


 現実世界に戻る時の自分が、いつも何を、誰を思い浮かべているのか。彼女が知る事は一生ないし、きっとそれが自分たちの正しい姿、本来の関係性なのだろうと思う。

 マーモンの姿が消え、闇は静寂を取り戻した。

 それから数日後、反乱計画は実行に移された。

 だが。


『行ってらっしゃい。』


『あぁ。』


 珍しくボスが、ザンザスが行きがけに言葉をくれた。

 まさかそんな些細な事が、暗示だったとは思いたくないが。


「っ、」


 ベッドで浅い眠りに身を委ねていた翡翠は、妙に重苦しい気分で目を覚ました。心臓が圧迫されるような嫌な気分だ。このヴァリアー本部でこんな気分になるなど。

 何かがおかしい。

 左腕でベッドを押しやるようにして、体を起こす。首の裂け目が引き攣れて、鈍い痛みが体を駆け巡る。が、今はそんな事を言っている場合ではない気がした。

 猛烈に嫌な予感がする。

 扉の前で聞き慣れた足音がした。


「・・・ボス? お帰りなさ」


 ドアを開いたのは、確かに仲間たちだった。但し、満身創痍の。

 ベルフェゴールが黙ってベッドに駆け寄って来る。少年に手を差し伸べながらも言葉を失う翡翠の前で、レヴィの肩を借りたスクアーロが悔しさに叫んだ。


「計画が漏れていやがった・・・っ!」


「なん、ですって?!」


「途中まで上手くいってたんだ。だが最深部に食い込んだ辺りで奴ら・・・。

 あの動きは、事前に計画を知ってやがったに違いねぇっ!」


「まさか、オッタビオが・・・?」


 怪我のせいでなく掠れた翡翠の言葉に、沈黙が降りる。この場の誰もが彼を疑っていた。レオーネとの交渉に行ったまま戻らない、ヴァリアーの副官を。幾ら反対しているからといって、反乱計画が大詰めを迎えたこの時にボスの傍を、副官が離れて良いものか? 離れるものか?

 病院でザンザスに事故当時の報告をして、すぐオッタビオはレオーネに向かった。表向きはレオーネに不審を抱かせない為、隙を作らない為だったが、反乱当日になっても彼はヴァリアー本部に帰って来なかった。ザンザスが例の調子で脅しつけても、だ。

 元々オッタビオは戦力外として計画を立てていたので、支障が出なかった事もある。

 計画は全ての事に優先する。その方針の許、誰より翡翠が望んで、オッタビオが彼女の怪我に関わったかどうかの『裁判』は成就の後、という事でとりあえず保留扱いされていた。

 そういう諸々があって、誰も彼の不在を気に掛ける者は居なかったのだが。

 それが、仇になったのかも知れない。

 凍りつく彼女に、誰も何も言えない。言いたくない。

 認めたくない、ボスを敵地から連れて帰れなかった、などと。

 そこへ乱入してきたのは9代目の部下だった。


「ボス補佐以下ヴァリアー幹部だなっ?!

 お前たちのボスは眠らせた。観念して大人しくしろっ!!」


 『眠らせた』。

 その言葉に、翡翠の瞼がピクリと震える。


「何を、したの・・・。」


 長い黒髪が、ふわりと風を含む。

 傷のせいで思うように出せない、掠れた声が今はいっそ優しげに響く。

 纏った紫炎はベルフェゴールの小さな手を簡単に弾き飛ばした。


「ザンザスに、何をしたの・・・っ!」


「よせっ! それ以上力を使うなっ!!」


      パァ・・・ンッ


 止めるマーモンの切羽詰まった声と、9代目の部下の発砲音とが響いたのは、同時。

 ベッドに崩折れる翡翠、その姿がスローモーションのように周囲の眼に焼き付く。撃ち抜かれた左肩から、流れ出た彼女の血が虚空に線を描き、まるで髪に飾ったリボンのように揺らめいて、そして消えていく。


「翡翠ッ! 貴様らよくもっ!!」


 レヴィが放った一閃で、その部下は永久に沈黙した。

 全治何年という重傷で暴走する所だった彼女は、喰らった銃創に息も絶え絶えの状態だ。だが、青い顔で受け止め支えるルッスーリアの腕の中で、額に脂汗を滲ませた翡翠は仲間たちにこう告げた。


「レオーネに向かいましょう。今すぐに。」


「ヴぉおぉぉいっ!

 お前を殺そうとした連中だぞっ?! 協力する訳ゃぁねぇだろうがっ。」


「乗っ取るに決まってるじゃない。」


「っ、」


「いい? 私は思うように体を動かせない、というかぶっちゃけ自力で動けないから、連れて行ってもらうしかない。それに意識のない時間も長くなると思うから、今の内に大筋を話しておくわ。皆、よく聞いてね。

 9代目が何を考え、どんな処分を寄越すにしても。一度ボンゴレとは距離を置く必要があるわ。この本部も既に敵地同然。ここに居たらどさくさに紛れて殺されかねない。

 早急に次のアジトが必要よ。

 たとえレオーネ17代目が、門を閉ざしたって構うものですか。

 侵入も暗殺も私たちの十八番。

 一度は18代目候補になった私がレオーネ本部に居ると判れば、幹部連中は放っておけない。少数は阿り、大部分は抗議しにやってくるでしょう。

 主だった幹部が揃った所で、説明会を開くと偽って一堂に集めるの。そうしたら、全部消して頂戴。全員、ひとり残さず、よ。勿論レオーネ17代目もこの時までに殺すの。

 それと、私とスクの師匠。あの人もこの時までに消しておきたいわ。あの人は私たちの戦い方を知り過ぎてる。危険よ。

 そこまでやれたなら、ひとまず息はつける。

 何処かから、何かの用で使者が来ても、適当に誤魔化して幹部クラスの誰にも会わせず、追い返せばいいの。内部抗争なんてこの世界じゃ日常でしょ。言い訳が必要なら、全てが終わってから幾らでも辻褄は合わせられるわ。

 その他大勢の力の無いファミリーは、ゆっくりじっくり消せばいい。人員が足りなくなってファミリーの体裁が保てなくなったら、それはボンゴレにバレない所から内緒で募集しましょう。」


 気丈な言葉を重ねる彼女は、荒い息の中、それでも更に言葉を継いだ。


「同じ敵地なら、より自分らしく生きられそうな場所で戦わなくちゃ。

 レオーネで傷を癒しつつ、まずは9代目の出方を見ましょう。

 そして必ずザンザスを取り戻すの。ボスを取り上げられたくらいで大人しくなる程、私たちは可愛い集団じゃないでしょう?」


 彼女の言葉に、全員が頷いた。

 頭であり、行動指針そのものであったザンザスを失い、どう動くべきか途方に暮れて、とりあえずはと戻って来たヴァリアー本部だった。

 でも、彼女が居た。

 翡翠なら、このボス補佐のになら、導きに従える。

 彼女だけが、ザンザスの代行に成り得る唯一の人間だ。

 マーモンが満足そうに微笑む。


「どうやら迎えに行ったのは正解だったようだね。」


「あの時はありがとう、マーモン。

 二度と死を受け入れたりしない。もう一度ボスに会うまで、必ず生き残ってみせるわ。」


 強い瞳でそう言い切る翡翠は、間違いなくヴァリアーの一員だった。

 その後も何度か、綱渡りの場面はあった・・・スクアーロたち目線で言うなら『重傷の翡翠だけに戦わせねばならない場面』が。

 ボンゴレ9代目との交渉に、車椅子の彼女を送り出した時も。

 形ばかりで役に立たなかったオッタビオのせいもあって、キツいお達しが下りそうになったのを、9代目とその守護者たちにヴァリアーの存続を認めさせたのは彼女の機知あっての事だ。

 噂で聞こえてくる『レオーネ18代目』の行動に、危惧を感じて会見を申し込んできたキャバッローネ10代目・・・ディーノの前に、翡翠1人を送り出した時も。

 思わぬ再会に動揺する彼を『ボンゴレとレオーネの揉め事に、無関係なキャバッローネが口を出すな。』と一喝し、黙らせたのだ。

 集中治療室に居てもおかしくない状態の彼女を、寝台列車で1泊2日もかかる所に連れて行く事自体が、そもそもひとつの賭けだった。

 レオーネを乗っ取り、努力によって『車椅子の暗殺者』となった彼女。

 その望みは、やがて叶う。

 もう一度ザンザスに会い、その手足として動きたい。8年間願ってきたその望みを、彼は確かに叶えてくれたのだ。


「ひ・す・い♪ 起きてちょうだ~い♪♪♪」


「・・・ルッス。」


 浅い眠りから目覚めた翡翠は、掠れた声で、自分の髪を撫でる男の名を呼んだ。

 ここはレオーネ本部・執務室。つまりは、翡翠の『表の』仕事場だ。この世界自体『裏社会』な訳だが、彼女の意識では己の真の姿=『裏の顔』は、心は今でもヴァリアーの雲担当である。事故に遭う前と何ら変わらない。

 明かりを消し、薄い毛布を掛けて、ソファに横になっていた彼女。

 ルッスーリアの手を借りて、何とか身を起こして座り直す。あの8年の内に、腕の方は日常に障りない程度には動くようになっていた。それでも撃ち抜かれた左肩は、後遺症で多少のぎこちなさが残っているが。

 未だ眠そうに目をこする彼女をよそに、絨毯に両膝ついて、眠る彼女を覗き込んでいたルッスーリアは甲斐甲斐しく薬の準備をしていた。

 臓器移植を受けた彼女の体は、1日3回、沢山の薬を必要とする。そのどれもが、1回でも飲み忘れると危険な、大事な薬だ。


「結構寝ちゃった・・・。」


「疲れてるのよ。最近、働き過ぎじゃない?」


 携帯電話のディスプレイで時間を確認し、呟く翡翠に、ルッスも苦笑している。

 彼が用意してくれた薬を、いつも通りの順番で口に含んでいく。

 常はちゃんと自分で準備し、1人でもしっかり飲むのだ。が、眠る彼女を起こすのは忍びないと思ったらしい。ルッスがそう思う程、翡翠は疲れた顔でソファに沈んでいた。

 彼女は柔らかく微笑んでいた。


「そう見える? スクアーロは相変わらず、むしろ出ろ出ろと口うるさいけれど。」


「見えるわよ、そりゃぁ。」


 というか、最近とみに疲れ易くなっているように思える。

 ・・・とは、言わない。『認めて』しまうのが、怖いから。

 ルッスーリアは膝をついたまま黙って、座る彼女の首に両腕を絡めた。それでもルッスの頭の位置の方が高い。そんな翡翠の小さな体を、ルッスはギュウッと抱き締める。

 自然、翡翠の声は戸惑い気味になった。


「ルッス・・・?」


「スクは不安なのよ。私も不安だから判るわ。

 まるであなたが、自分の死期を悟ってスクアーロを後釜に教育してるみたいで。」


「・・・・・。」


「天才軍師と呼ばれたあなたの後任が務まるか、とか。雲の守護者なんだから戦場に居るべき、とか。そんな安っぽいプレッシャーや、理屈じゃないの。

 スクがあなたを表に引っ張り出そうとするのは、奥へ奥へと引っ込み続け、裏方に徹し続けてる内に、あなたがいつの間にか居なくなってしまいそうだから。隠れんぼしてる内に、何処にも居なくなっちゃいました、みたいな。」


「その例えホラー過ぎ。神隠しじゃあるまいし。」


「私たちにとっては現実的な恐怖だわ。」


「・・・・・・。」


「スクアーロはツンデレ属性だけど、私は素直に口にするつもりよ。

 私たちはあなたが大事。翡翠を失いたくないし、身辺整理みたいな事してるトコも見たくない。」


「してないわ、身辺整理なんて。」


「してるように見えるのっ。全くもう・・・。

 お願いだから長生きしてよね、翡翠。ヴァリアーの誰にとっても、あなたは『特別』なんだから。」


「うん・・・。この翡翠も、まだまだルッスに返したくないしね♪」


「またそういう事を言う。その翡翠は貸したんじゃなく、あげたのよ。あなたの身に何かあったら、一緒にお墓に埋めてあげるわよ。」


「勿体ないわ。マーモンが言ってたの。元は良質なだけのただの石だったんだけど、私が水操能力の媒体に使ってるうちに、特別な物になったんだって。

 破魔や退魔系統の力もあるらしいから、私が死んだらルッスにあげるわ。

 ルッスも、ルッスの大事な人も、両方守ってくれるかも知れないでしょう?」


「・・・私の大事な子なんて、あなた以外には居ないわよ。」


 翡翠を抱き締めるルッスの腕に、力が籠もる。

 彼女は目を伏せて、顔の見えない彼の肩に指先を触れた。


「ごめんなさい、ルッス・・・。怒った・・・?」


「別に~? 怒ってなんかないわ。」


 そう。本当に、ルッスは怒ってなどいなかった。耐え難い恐怖から、彼女から手を放せなかっただけで。

 有り得る筈はないのに。

 今、此処に居るのは翡翠が水で創り上げた影のようなもので、本当の彼女は既に居なくて。この腕を解いたら、瞬く間に崩れてしまう、などと。このソファも、絨毯も、ルッスも全部水浸しにして、動く翡翠を二度と見られなくなってしまう、などと。

 そんな事、有り得ない、のに。

 何故だか、たまらなく不安になるのだ。


「ルッス、ごめん・・・薬が飲めない。」


「あら失礼♪♪」


 いつの間にか本格的に抱き締めていたようだ。格闘家のルッスーリアに強く拘束されて、翡翠が動ける筈がない。彼女も格闘技は遣ったが分野が違うし、何より今の病んだ体で彼の力には抗えない。

 残りの薬を順調に飲み終えるまで。

 ルッスーリアは隣に座し、心配そうに眉根を寄せてずっと彼女の横顔を見つめていた。

 カプセル薬の空き袋を片付けながら、翡翠が苦笑している。


「ルッスーリア、私の事がそんなに心配?」


「・・・翡翠は怖くないの? 私たちと・・・私と離れる事が。」


 さりげなく自分1人に限定した、ルッスーリア。

 翡翠はそんな彼に、静かに寄り添っていた。鍛え抜かれた腕に触れ、安心し切った表情で側頭を預ける。


「怖くないわ。」


「翡翠・・・。」


「怖くない。だって、絶対また会えるって、信じてるから。」


「東洋で言うソウル・リィンカーネーション(輪廻転生)? 六道骸が居る以上、実証はされてるんでしょうけど。」


「近いけど、ちょっとニュアンスが違うかな。

 ルッスはこの世界、何で出来てると思う?」


「? 何って・・・。判らないわ、そんなの。」


 拗ねて呟く彼を見上げて、翡翠は透明な笑顔で優しく微笑んだ。


「私はね、死んだ生き物の魂で出来てると思う。」


「そっちこそ例えがホラー過ぎよっ。」


「知ってる? 無機物だって分子レベルで見れば細かく振動してるのよ。完全に静止してるモノなんてない。有機物と無機物の違いなんて、本当はそんなにはないの。

 それに、完全に無になって消えてしまう物質も無い。理科の実験で何かを燃やしても、必ず底に何か残るでしょ? 揮発したって、それは空気に紛れただけ。消えてはいない。

 このソファに使われてるコットンの蛋白質が、100年前は農家の鶏の風切羽だったかも知れない。

 このコップの硝子に含まれる強化剤が、200年前には高原に咲いてた花のミネラル分だったかも知れない。

 全ては巡っているの。

 だから、私とルッスも、必ずまた会えるわ。何百年後、何千年後になるか判らないけど。ルッスの一部だった何かを持った誰かと、私の一部だった何かを持った誰かが。

 絶対また会える。会えない確率の方が低い。

 だから、私は怖くない。」


「・・・・・でも、その時その『私の一部を持った誰か』は、自分が出会ったのが『翡翠の一部』だとは気付かない。」


「そうね。」


「やっぱり、嫌だわ。それじゃ会えた事にならないじゃない。」


「そうかな。意識には上らないけど、無意識下では絶対何かを感じて、『ルッスの一部を持った誰か』が物凄く大切になると思うんだけど。

 本当に大事な事って、そういうものじゃない?」


「まったくもう、私が喜ぶ言葉をよく知ってるんだから。」


「ふふふっ、だってルッスの事なら、私が一番よく知ってるんだから♪♪」


 やれやれと笑うルッスーリアも、そこは否定しない。

 あながち誇張でもない。彼女はヴァリアー銘々の個性を本人たち以上に理解し、そして愛している。だからこそ上位者にはうるさい彼らは、彼女の指示に従うのだ。きめ細やかな彼女の指示に従うのが、楽しいから。


「ねぇ、ルッス。

 沢田綱吉と会う時はあなたも居てね。」


「ボンゴレ10代目? 勿論いいけど・・・。

 急にどうしたのよ。今までずっと、適当に逃げ回ってたじゃない?」


「・・・なんとなく、かな。

 そろそろ会っておいた方が、後々私たちのボスの為になるような気がするから。根拠はない。強いて言うならいつもの第6感よ。」


 そう言って含み笑う翡翠の表情は、16時分と何も変わらない。優しく、綺麗な笑顔。たおやかで、穏やかな、およそ荒事とは無縁の人生を歩んできたかのような。

 だが、その慧眼が外れた事は、これまで一度としてないのだ。

 今度は何を見抜いたのやら。まぁどんなトラブルが舞い込んで来ても、翡翠とザンザスだけは守り切ってみせるが。

ルッスーリアはもう一度彼女を抱き締めた。


                          ―FIN―  

ヴァリアーの雲は翡翠色 1 【ヴァリアー+ボンゴレ】

ヴァリアーの雲は翡翠色 1 【ヴァリアー+ボンゴレ】

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-06

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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