時間猫

時間猫

「お詫びいたします。昨日、あなたさまの『時間』をこちらの手違いでお渡しできませんでした。その埋め合わせとして、一日分の『時間』をあなたさまだけに本日お渡しいたします。このようなミスがないよう我々【時間猫組合】はこれからも誠心誠意お勤めいたします」
 朝起きると、自分は『時間猫』だと喋る一匹の猫がいた。普通のとら猫だ。猫いわく、人々の一日という時間はこの時間猫たちによって毎晩枕元に届けられているらしい。時間の配達ミスにより、私の昨日という時間だけがすっぽり抜けたようなのだ。そこで帳尻を合わせるために今回このような方法に出たという。
「それでは。どうぞ今日という一日を存分にお楽しみください」
 猫は消えた。
 私はとりあえず時計を見て、今が七時だと知る。普段通り朝食をとって八時には家を出た。バス停へ行くが、誰の姿も見えない。おかしいなと思いつつバスを待つ。予定時刻を二十分過ぎても来ない。
 ふと時間猫の言葉を思い出す。私にだけ一日分の『時間』を渡すと言っていた。それでは『時間』をもらっていない他の人たちはどうなるのだろう。
 私はバス亭から離れて、ためしに近くの家を覗いてみた。人はいる。だが、奇妙な格好のまま止まっている。ある人は、朝食のパンを手にしたまま固まっていた。コンビニの店員はレジを打つ姿で。お客は財布から金を出そうとして。ゴミ袋を持ったまま止まっている女性もいた。
 私以外は動いていない。どうやら他の者は時間が止まっているらしい。ならば仕事に行っても意味はない。バスも来ないので私は家に引き返した。
 考えてみれば交通機関も止まっているのだ。今日はどこへ行きようもない。テレビをつけたがどのチャンネルも画面が止まっている。テレビの時刻は七時で止まっていた。
 やれやれ。今日一日をどう楽しく過ごせというのか。
 家の時計を見れば八時四十五分を指していた。腕時計も同じだ。私の身近では時間は動いているようだ。なんだかややこしい。
 とりあえず撮りためていたテレビの録画を見て過ごした。十二時前になると、外の陽射しが高くなっていた。太陽はいつも通りのようだ。
 ガスや水道は使えるので昼食はパスタを茹でて食べた。静かだった。道路は車が走らない。隣近所の声もしない。二軒隣の犬も吠えていない。
 私は食後のコーヒーをすすった。
「なんだかなあ」
 一日自由になったといっても、私しか動いていない世界は不自由だった。
 とりあえず午後も録画を見たり、読書をしたり、散歩をしたり、夕食をきちんと作ったり……普段ならば忙しくて手をつけないことをしてみた。ある程度は充実していた。が、何かが物足りない。
 それは周囲から聞こえてくる物音が一切ないからだ。隣から掃除機の音や洗濯物を干す音もしない。夫婦ゲンカの様子も聞こえない。帰宅するドアの開閉音もない。毎日何気なく聞き流している音がないだけで、こんなにも違う。
 まるで世界中の皆が死に絶えたような静寂。
 私はぶるっと身震いした。こんな日は早々に寝てしまうにかぎる。

 翌朝、玄関のチャイムが鳴って目が覚めた。時計を見ると八時を過ぎている。完全に遅刻だ。私は慌てて玄関へ出た。お隣のおばちゃんが立っていた。
「あら、おはようございます」
「おはようございます。どうされましたか」
「朝早くにごめんなさい。昨日から物音一つしないから心配して見にきたの。何かあったのかと思って。元気そうならいいのよ。それじゃあね」
 と言って、おばちゃんは帰った。
 なるほど。私だけ時間をもらっていなかった一昨日は、おばちゃん達にとっての昨日であるのか。そうすると昨日という一日は、私以外の皆よりも私が動いていなかったということか。はあ、ややこしい。
 とにかく『時間』は正確に配られたようで安心した。
 ああ、遅刻していたのだ。……時間猫さま、ほんの少しでいいので『時間』をいただけませんか。

時間猫

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【あらすじ】 「お詫びいたします。昨日、あなたさまの『時間』をこちらの手違いでお渡しできませんでした。その埋め合わせとして、一日分の『時間』をあなたさまだけに本日お渡しいたします。このようなミスがないよう我々【時間猫組合】はこれからも誠心誠意お勤めいたします」 朝起きると、自分は『時間猫』だと喋る一匹の猫がいた……

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-03

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