旧作(2017年完)本編TOKIの世界書四部「明し時…1」(歴史神編)
四部がスタートしました!
TOKIの話シリーズは壱の世界が現世で陸の世界が鏡の世界でしたが今作は逆になります。
陸の世界が現世で壱の世界が鏡の世界。
TOKIの世界(陸の世界バージョン)
壱…陸と反転している世界
弐…夢幻の世界、霊魂の世界
参…過去
肆…未来
伍…想像が消えた世界?
陸…現世
神々の歴史を管理する神、ナオが改ざんされたらしい神々の歴史の謎を解き明かしていく物語です。
流れ時…のロスト・クロッカーとは違う方向で話が進みます!!
よろしければ一部流れ時…もどうぞ。
ロスト・クロッカー
時計……。
人間が作った数字化した時間。
私はそれが好き。
時計だらけの部屋で一人の少女が古い和時計をなでながら小さくほほ笑んだ。
******
日本だけではなく世界にも沢山の神がいると言われている。
そのすべての神に言える事……神というものの共通点は人間が創り出した想像の者達という事。
その中には名を聞いたこともない、何をしているのかもわからない、そういう神がいた。
その神々は人の知らないところでとても重要な仕事をしている。
すべては生み出された想像のため、そしてこの世界を保たせるため……神々は人間に生かされている。
これは神々の歴史を管理する神達がこの世界に隠された歴史を暴く物語。
春の気配がする季節。時刻は午後六時四十分。
カランカランと鈴の音が響き、古そうな木の扉が開け放たれた。
「ナオさん!ナオさん!あれ?どこいった?」
声の主は男であった。端正な顔立ちの男はワイシャツに羽織袴という奇妙な格好をしていたがどこか涼しげで爽やかな印象だった。
「ナオさーん。」
男は短く切りそろえられている青色の髪をなびかせながらナオという者を探していた。ここは歴史書のみを扱っている本屋さん。店内は所狭しと歴史書が並んでいるがすべてきれいに本棚に収まっている。一見きれいそうな店内だが窓が小さく光があまり届かないのでどこか薄暗く、不気味な感じなのであった。
「ナオさーん。」
男は再び声を上げる。しかし、返答はなかった。
とりあえずレジの方まで男は足を進めた。まわりはきれいに片づけられているのだがレジの周辺だけは歴史書が積みあがっていた。
男は歴史書を横にどかした。
「あ、寝てたのか。」
歴史書をどかすと柔らかそうなクッション付きの椅子にだらしなく眠っている少女が映った。少女は外見、十六、七才くらいで紅色の髪をしていた。髪は肩先まであり毛先のみに癖がついている。そして大正ロマンのような着物に袴、ブーツを履いていた。
「寝ているところ悪いけど起きてもらおうか。」
男はそう言うと目を閉じ、すぐにすっと開けた。
「!?」
目を閉じて開いただけなのだが少女は飛び上がるように目を覚ました。
「起きたかい?ナオさん。」
「強い神力と言雨(ことさめ)っ……。」
少女、ナオは目を見開いたまま椅子からずり落ちた。
「言雨?」
男はきょとんとした顔でナオを見つめた。
「こ、言雨とは強い威圧と神力を込めて言葉を発するとそれがダイレクトに相手に伝わる術で昔からの神でないと使えないものです……。」
ナオは震える声でつぶやいた。
「いや、それは知っているけど、言雨なんて俺、出してないよ。ただ、ちょっと神力の提示をしただけで……。」
「神力の提示で言雨が流れ出たようですね……。制御できないのなら使わないでください。揺すって起こすとかその……色々他にやり方があったのではないかと思います。」
ナオは冷や汗をハンカチで拭うと再び椅子に座りなおした。
「ごめんね。揺するだけだと起きないかと思ってさ。」
「一応、揺すってみるとか試してから最終手段でさっきのをやってもらえますか?心が持ちません。」
「う、うん。ごめん。悪かった。」
ナオは大きくため息をつき、一度落ち着いた。
「それで……今日はどうなさいました?暦結神(こよみむすびのかみ)……ムスビ。」
「そのニックネームやめてくんない?ムスビって……ダサくないか……。おむすびみたいで……。まあ今はいいや。それよか、あんたに言われて調べた事なんだがスサノオ尊はやはりいつの間にか消えてしまったみたいだよ。」
男、暦結神、ムスビは早口でナオに言葉を発した。
「やっぱりそうですか。スサノオ尊はなぜだか知らない内にこの世界から消えていたと。」
「だけど、子孫はいるみたいだ。イソタケル神と大屋都姫神(おおやつひめのかみ)はいるらしい。会ったことないけど。いなくなったのはスサノオ尊の他にアマテラス大神や月読神もいるらしいよ。」
「ありがとうございます。やはり直接高天原で調べるしかないのでしょうか……。」
ナオの質問にムスビは顔を曇らせた。
「高天原ねぇ……。他の歴史神達が消えてしまった神達の行方をしらないんじゃあ、高天原の四大勢力が知っているか疑問だなあ。」
「ですが歴史神達の上に立つのは彼らです。やっぱり怪しいです。神隠しに何か絡んでいるのではと……。」
「神に隠されるんじゃなくて神が隠された神隠しか……。おもしろいね。ナイスゴットジョーク!」
ムスビは楽観的に笑ったがナオに睨まれ口をつぐんだ。
「笑っている場合ではございません!これは事件かもしれないのですよ!真面目にやってください!」
「ああ、冗談冗談。怒らないで。ナオさんは歴史神のネットワークを少しは使ったのかな?」
ナオの表情が険しくなっていったのでムスビは話題を巧みに変えた。
「使いましたよ。ですが何も収穫はございませんでした。試しにスサノオ尊についてお聞きした所、皆さま、口をそろえて概念になったとおっしゃっておりました。概念とは存在しないという事なのか、一体、そのような歴史、どこから発生したのか……。私にはわかりませんでした。」
ナオは落胆の意を見せた。
「霊史直神(れいしなおのかみ)でもわからないの?神々の小さな歴史のブレとかを修正しているんだろ。」
「わ、私にだってわからないことはあります。ですから今回の件を調べたいと思ったのです。神々の歴史を管理している私にとってこの件は異常です。」
ナオはため息をつきながらレジ周りの歴史書を片づけた。
「確かに言われてみれば神々の歴史が少しおかしい気がするね。ナオさん、これからどうするんだい?」
ムスビはナオが持っている重そうな歴史書を持ってあげながら尋ねた。
「……時神、過去神を呼びます……。」
ナオはムスビに歴史書を渡すと他の歴史書を横にどけ始めた。
「過去を守っている時神か。そいつは過去にいるんだろ?呼べたとしてもそれはやっていいの?」
「……いけません。神々の歴史が変わってしまう事があります。」
「じゃあダメだろ……。」
ため息交じりのムスビにナオはきりっとした瞳を向けた。
「ですが、神々がいなくなってしまった時点の記憶、過去を見るには過去神がいなければなりません。ですので連れてくることにします。」
「ずいぶんと……まあ、強引だね。高天原の四大勢力に罰せられるんじゃないの?俺、怖いんだけど。」
「では、私だけでこの件は行います。手伝いをさせてしまい、申し訳ありません。」
ナオは一言そういうと頭を丁寧に下げた。
「うっ……嘘だよ。全然怖くないって。俺もこの世界から消えてしまった神々の事、知りたいしさ、その……ナオさんを放っておけねぇんだよ。ナオさんはなんだか危なっかしいからさ。」
ムスビは慌ててナオに言葉を発した。
「そうですか。ありがとうございます。頼りにしております。」
「う、うん!」
ナオが向けた笑顔にムスビは何度も首を縦に振った。
「では。さっそくですが……過去神を呼びましょう。」
「ど、どうやって呼ぶんだ?ナオさん……。」
不安そうなムスビをちらりと見たナオは一冊の歴史書を取り出した。
「……それは……?」
「これは時神の記述が書いてある歴史書です。この歴史書と私の歴史監視能力を使えば現代であるこの世界に過去を守る過去神を連れてくることができます。おそらくですが。」
「な、なんだかよくわかんないが……。」
「この歴史書と私の記憶との照合、それから歴史を結ぶムスビの能力で過去神の歴史を結び、この現代に出現させるのです。」
「悪い。もっとわかんなくなった。まあ、とにかく俺は何をすればいいんだよ?俺の能力を使うんでしょ?」
「ムスビは何もなさらなくて良いです。ここにいるだけで能力が出るでしょう。」
「は、はあ……。」
ナオの言葉にムスビはぽかんとしていたがとりあえず返事だけはした。
ナオはムスビの返事を聞き流し、準備を始めた。準備といっても時神の過去神に関する歴史書を開いただけだ。
「では、行きます。」
ナオが目を閉じ、歴史書に向かい念じるとナオの周りに突然風が吹き荒れ、巻物が出現した。巻物はなんだかわからない文字を浮かび上がらせながらナオの周りをまわっていた。
「ナオさん……なんだか召喚術みたいになっているけど……。」
ムスビは目を見開いてナオを凝視していた。巻物はナオを一周するとムスビの方に飛んできた。
「うえああっ!ナオさん!なんか巻物が飛んできたぞ!」
「大丈夫です。そのままでいてください。歴史書と私の記憶を照合し、ムスビの元で結んでもらうのです。」
「わけわかんないけど俺はこのままでいいんだよな!」
冷静なナオの声にムスビは目を閉じたまま叫んだ。
「はい。そのままでお願いいたします。」
ナオの声が聞こえたと同時に風が鳴りやみ、ムスビを回っていた巻物も光に包まれて消えてしまった。
「……っ!?」
ムスビが恐る恐る目を開けようとした刹那、小さくナオの悲鳴が聞こえた。
「きゃっ……。」
「ナオさん!」
ムスビは目を開け、ナオを見た。ナオは本がたくさん積まれている部分を見つめ、固まっていた。
「ナオさん?」
ムスビは慌ててナオのそばに駆け寄った。
「うえああっ!?」
高く積まれた本の壁とその隣にある本の壁の間にわずかな隙間ができており、そこに男が倒れていた。男は茶色の長髪で髪が腰辺りまであった。
それよりなにより驚いたのがその男が素っ裸だった事だ。
ナオは頬を真っ赤にし、顔を手で覆っているが指の間からちらりちらりと目が覗いていた。
「変態だね……。こんなとこで素っ裸で寝ている奴は誰だよ!こんなやつ、さっきまでいたかい?」
ムスビはナオの照れている表情をかわいいと思いつつ、叫んだ。
「う……。」
茶髪の男が小さく呻いた。目を開いて顔だけをこちらに向ける。男は鋭い瞳を持つ、端正な顔立ちの青年だった。
「こ……ここはどこだ……。お前達は誰だ……?」
男は困惑した声でムスビとナオを見つめた。
「お前こそ誰だよ!素っ裸でこんなところで寝て……。」
「……ムスビ、落ち着いてください。この方は時神過去神であると思われます。」
「ええっ!?過去神って着物も着ずに裸なのかよ!」
「ち、違うと思います……。ムスビ……。」
なぜだか興奮しているムスビをナオが控えめに落ち着かせた。
「……俺はなぜ裸なんだ……?着物を着ていたはずなのだが……。髪紐もなくなってしまっている……。」
男はゆっくり起き上がると長い髪を触った。髪紐で一つに結んでいたらしい。
「たっ……立たないでください!」
男が立ち上がったのを見て、ナオは再び顔を手で覆う。
「す、すまん……。今着替える。」
男はナオの反応に頬を若干赤く染めると手を横に広げた。刹那、男が光に包まれた。すぐに光はなくなり、代わりに緑色の着流しに黒い袴を来た男が現れた。
腰に刀を差し、髪を総髪にしていた。
神々はそれぞれ霊的着物というものを持っている。その着物に着替えるには手を横に広げればいい。そうすれば勝手に着物が光となって体に巻き付いてくるのだ。
「お前、はじめからちゃんと霊的着物を着ていたのか?初めから裸だったのか?」
ムスビが訝しげに男を見ていた。
「なんだ?この失礼な男は……。裸で外を出歩く事などまずなかろう。そこの娘、不快なものを見せてしまったな……すまない。」
男がため息交じりにナオにあやまった。
「い、いえ……よくしまっているおきれいな体でした。ふ、不快なところなど何も……。」
「おーい……。ナオさーん……。」
真っ赤になりながら話すナオにムスビは呆れた顔を向けた。
「はっ!」
ナオは自分がトンチンカンな事を言っていると気が付き、手で口を覆った。
「で?お前は過去神なのかな?」
ナオが恥ずかしそうにしているのでムスビが代わりに質問をした。
「ああ。そうだ。俺は時神過去神、白金(はくきん)栄次(えいじ)だ。」
「じゃあ、過去から来ちゃったってわけだね……。」
「なんだ?ここは未来なのか?俺も突然の事でよくわからん。」
栄次と名乗った男とムスビがお互い首を傾げている中、少し落ち着いたナオが話に入ってきた。
「え、ええ。ここはあなたにとって未来です。私が時神過去神であるあなたをここに呼びました。まさか霊的着物まで剥がれてこちらに来るとは思わなかったのですが……色々と申し訳ありませんでした。」
ナオは冷汗をハンカチで拭いながら動揺した顔を栄次に向けた。
「……あ、ああ。俺は別に……。ところで俺はなんでこの世界に呼ばれたんだ?お前達も神なのだろう?」
栄次も戸惑った顔でナオとムスビを見ていた。ナオは慌てて自己紹介をした。
「ええ。紹介がまだでございました。私は霊史直神(れいしなおのかみ)、ナオでございます。そしてこちらの青い髪の男が暦結神(こよみむすびのかみ)、ムスビでございます。どちらも歴史神で神格はあまり高くありません。」
「ナオさーん……ムスビって紹介しないでほしいなあ……。」
ナオの言葉にムスビは頭を抱えてうなだれた。
「ナオにムスビか。俺を呼んだ理由とは何だ?俺は元の時代に戻れるのか?」
栄次が心配そうにナオとムスビに尋ねた。
「元の時代に戻る事は可能です。来ていただいた理由ですが、あなたの過去見を利用させてもらおうと思いましてお呼びいたしました。」
「過去見か……。正直、過去を見る事ができる自信はないぞ。」
「構いません。あと、図々しいお願いでございますが、私達の護衛をしていただこうかと……。」
ナオが控えめに栄次を見据え、様子を窺っていた。
「用心棒か?何をするのか知らんが……俺でよければ助けよう。」
栄次の即答でムスビは眉をひそめた。
「なあ、栄次だったかな?あんた、疑ったりとかしないの?なんでも信じちゃってさ……。」
「ああ。俺は長く存在しているからか、感情をある程度読めるようになってしまってな。嘘を言っている感じではないのでそう言ったのだ。……どうせやる事もないんでな。元の時代にまた戻れるのであれば俺はなんでもいい。」
「ふーん。そうか。感情が読めるって怖いな……。」
栄次の言葉にムスビは引け腰に会話をしていた。
「それではご協力していただけるのですね?色々と突然で申し訳ありません。」
ムスビを横目でちらりと見つつ、ナオは栄次に確認をとった。
「俺の力が必要だと言う歴史神の頼みを断る理由もない。することもないので協力しよう。」
栄次は一息つくと歴史書が連なる机をただ見つめていた。
「それではさっそく過去見を……。」
ナオがさっそく仕事にとりかかろうとした刹那、空気が歪んだような気がした。
「……っ!?」
ムスビも栄次も気が付き、辺りを見回したが歪んだように思えたのは一瞬だけであとはなんともなかった。
「なんだ……?今、全体的に何か歪まなかったかい?」
ムスビの不安げな声に栄次は眉をひそめた。
「うむ。時間が激しく歪んだな……。俺を呼んだことで起こった事なのか?」
「いえ。違います。私は時間が歪まない方法であなたをこちらに連れてきました。神々はこの世界にデータ化して生きています。ですので私はそのデータの一部をこちらに持ってきただけであなた本神をこちらに連れてきたわけではありません。歴史が狂わないごく一部のデータしか持ってきていません。」
ナオが困惑した顔で焦りながら栄次に弁明した。
「よくわからんが……違うんだな……。とりあえず、時間を確認してくれ。」
「はい!」
栄次の険しい顔に怯えながらナオは近くにあった時計を見た。
時計は午後三時を回っていた。
「……三時……?もうすぐ七時だった記憶がありますが……。」
「ナオさーん!向こうの時計は十時になっているよ。」
固まったナオに追い打ちをかけるようにムスビが本屋の奥にかかっている壁掛け時計を見ながら叫んだ。
「な……時計が急に狂って……栄次……これはどういうことなのでしょう?」
困った挙句、ナオは栄次に助けを求めた。
「……俺にもわからん。俺にとって未来の世界というここの時間管理がよくわからん。とりあえず、外に出て他の時計を確認してみるのはどうだ?原因がわかるかもしれんぞ。」
「そ、そうですね……。ムスビ、今から外へ行きます。あなたはどういたしますか?」
ナオは栄次に頷くとムスビに目を向けた。
「え?俺?外に行くの?俺は別にいいけど。ナオさん、この時計、なんで狂ったんだ?時間が直せないんだけど……。」
ムスビは壁掛け時計の針を動かそうとするが時計の針はまるで動かない。
「それを今から原因究明です。いままで狂った事のなかった時計が突然、狂ったのですから壊れたとは考えにくいです。私達がおこなったこととはおそらく関係はありませんがもし関係していたら大変ですから。」
「そうか。そんなら俺も行くわ。」
ナオとムスビと栄次はお互い頷きあうと木の扉を開き、外へと出ていった。
二話
同時期、一人の少女が戸惑いの表情で辺りを見回していた。ここは時計が沢山置いてある少女の時計コレクション部屋だ。少女が大切にしていた時計達は突然一斉に狂いだし、どれが狂っているのかもわからないありさまとなっていた。
少女は肩先まである茶色の髪と制服のスカートを揺らしながら時計を一つ一つ見て回っていた。
「……あれ……今何時だっけ?」
少女は直そうと思っていた時計を片手に固まっていた。
……えっと、高校から家に帰ってきてそれからのんびりと時計を眺めてて……外が暗くなっているから六時か七時くらいかしら?ああ、こういう時に携帯を持っていれば時間確認できるのに!
少女は窓の外を眺めた。現在は三月の後半あたりだ。日も少し長くなってきたがこの時間帯になると暗い。
……そうだわ。うちの時計が狂っているなら外の時計を見て時間を確認すればいいのよ。
少女はさっさと外へと飛び出した。少女はマンションの四階の一室を借りてひとり暮らしをしていた。とりあえず階段を降りて近くにある公園を目指した。
……公園には確か大きな時計があったはず。それを見れば時間はすぐにわかるわ。
少女は閑静な住宅街をゆっくりと歩く。辺りは暗く、街灯がポツンポツンと立っていた。
しばらく歩いているといつも閑静なはずの住宅街から声が上がった。あちらこちらで話している声が聞こえる。
……何か騒がしいわね。何かしら?
少女は何気なく耳を傾けた。
「うちの時計が全部おかしくなっちゃって……。」
「あら、うちの時計もおかしくて……。」
お隣さん同士の主婦の会話が耳に入ってきた。
それを皮切りにあちらこちらから「時計が狂っている」と叫ぶ声が聞こえた。
……何?皆も時計が狂っているっていうの?
少女は不気味に思いながら公園への道を急いだ。
しばらく歩き、公園に到着した。公園は街灯が立っていて明るかったが人が誰もいないので少し怖かった。公園は小さく、ブランコなどのメジャーな遊具しかないがここはよく子供連れの主婦達の憩いの場になっている。
少女は遊具を眺めながら時計台の前まで歩いて行った。
そしてそっと時計を見上げた。
時刻は二時三分。
……ここも狂っているわ……。
少女は茫然と時計を見上げていた。
とりあえず外に出たナオ達は時計がありそうなところを探した。
「時計……意外にないですね。」
「そうだな……。そんな外に置くものでもなかろう。」
「あんた、どこの時代から来たんだよ?」
栄次のつぶやきにムスビは首を傾げながら尋ねた。
「俺か?俺は江戸の時代だ。」
「じゃあ時計は全部置き時計の和時計だね。」
ムスビが頷いている横で今度は栄次が首を傾げていた。
「未来では先程のように置いてある時計が違うのか?」
「ああ、そうだね。実際にみてもらえばわかるかな。」
「……公園はどうでしょうか?」
ムスビと栄次の会話に割り込むようにナオが声を上げた。ナオは先程から時計がありそうなところを思い浮かべていたらしい。
「おお。公園ね。そりゃああるよ。きっと。この近くの公園は……。」
「少し行ったところに小さな公園がありましたね。そこの公園に確か大きな時計があったように記憶しております。」
「じゃあ、そこ行こう。」
ムスビとナオはすぐ近くにある公園に行く事にした。歩き出すと栄次が黙って後ろをついてきた。この世界の事はわからないからお前達に任せると言っているようだった。
三神は黙々と公園を目指し歩いた。
住宅街のあちらこちらから「時計が狂っている」などの声が聞こえてくる。
「……やはりすべての時計が狂っているようですね。」
「じゃあ公園の時計も狂っているよね。おそらくは。」
「そうですね……。」
ナオとムスビが会話をしていると公園にたどり着いた。遊具が置いてある真ん中に大きな時計台が立っていた。
「これがこの時代の時計か……。」
「……二時六分……やはりおかしいですね……ん?」
ナオが時計を見てつぶやいてからふと遊具の方へ目を向けた。ブランコの前で茶色の髪をした高校生くらいの女の子が立っていた。女の子はナオ達を見て驚いていた。
「彼女……俺達が見えるのかね?俺もナオさんも人には見えないだろう?」
ムスビはナオに話しかけながら少女の顔を見つめていた。
「……俺は人に見えるぞ。俺は人に紛れて生活している時神なんでな。」
栄次の言葉に「そうか。」と頷いているムスビだったがナオには明らかに三神を見て驚いているように見えた。
「あの子、私達も見えているのではないでしょうか。」
「嘘だァ。」
ムスビは馬鹿にしたように笑ったが少女はムスビの笑い声にびくっと肩を震わせていた。
「ほら、声も聞こえているようですよ。あの子は……もしかすると人間ではないのかもしれません。」
ナオは一言そう言うと少女に近づいていった。
ムスビと栄次もナオに続き歩き出した。
「あの……。」
ナオが控えめに少女に声をかけた。
「……!」
少女は明らかにナオ達を見て怯えていた。突然、大正ロマンのような恰好をしている二神と江戸時代の侍が夜の公園に現れたら誰でも怯えるだろう。
「大丈夫です。私達は時計を見に来ただけですから。あなたはどうしてここにいらっしゃったのですか?」
ナオはなるだけ優しく声をかけた。
「え、えっと……うちにある時計が狂ってしまったので公園の時計を確認しに来たんですよ。」
少女は強張った顔でナオに答えた。
「あなたのお名前はなんとおっしゃるのですか?」
「アヤです。」
少女、アヤはナオを見据えてから時計に目を向けた。
「アヤさんですね。私はナオです。青い髪の男はムスビで総髪の侍が栄次です。敬語は使わなくてもよろしいですよ。おそらく同じ年齢くらいでしょうから。」
ナオはアヤにほほ笑んだ。アヤもナオの雰囲気に警戒が解けてきたようだった。
「あら、そう?じゃあ普通に話すわね。ところであなた達はなんでそんな恰好をしているの?」
アヤはナオの後ろに立っているムスビと栄次も視界に入れて質問をしてきた。
「それはこれが私達の正装ですので。実は私達は神で時間が狂った原因を調査しております。」
「神って……?」
ナオの発言にアヤの顔が再び曇った。
「ナオさーん、この子、神が普通に存在していることを知らないみたいだね。やっぱり人間なんじゃないの?」
ムスビがナオを戸惑った顔で見据えた。ムスビの言葉を聞いたナオはアヤの表情を窺いながら慎重に会話を進めた。
「そ、そうですか……。申し訳ありません。とりあえず、私達は今、時計が狂ってしまっている事について調べています。何か変わった事はございませんでしたか?」
「え?えっと……そうね。私の部屋が時計だらけなのだけれどその時計が七時くらいに一斉に狂いだしたのよ。どれか一個の時計が徐々に狂っていくんじゃなくてほんと、皆一斉におかしくなってて……。」
アヤは困惑しながらなんとか言葉を発していた。
「あなたの家には時計が沢山あると……それは興味深いですね。見させていただいても?」
「えっ?」
ナオは考えるポーズをとりながらアヤに目を向けた。アヤは怯えた目でナオを見ていた。
「ナオさーん……。いきなりその子のうちに行くなんて言ったら怯えちゃうのも無理ないよ。いままでの話もそのアヤって子にはチンプンカンプンだと思うね。」
横でムスビが口をはさんだ。ちなみに栄次はそっと事の成り行きを見守っている。
「そ、そうですよね。」
ナオが残念そうに眼を伏せた。
「んん……ずいぶんお困りのようだけど……私の部屋がそんなに重要?」
「重要ではないかもしれません。しかし、重要かもしれません。」
「んん……。」
ナオの言葉を聞いたアヤは少し迷った挙句、
「じゃあ、ちょっとだけならいいわよ……。」
と部屋に上げる事を許した。
時は少し遡り、アヤがマンションの一室から飛び出すのと同時にアヤが大切にしていた家宝とも言える和時計から突然、光が漏れた。
光はアヤの部屋全体をまばゆく照らした。しばらくして光が収まると和時計の前にはかわいらしい顔つきの学生服を着た男の子が立っていた。
……あの子がいない……。
男の子は不安げにアヤの部屋を見回す。
……入れ違いかな……。
……探さなくちゃ……僕の時神としての生が奪われちゃう。
男の子はため息をつくとアヤの部屋から外へと出ていった。
三話
「では。アヤさんのお宅に上がらせてもらいます。」
公園を後にしたナオ達はアヤが住んでいるマンションにたどり着いた。
今はアヤの部屋のドアの前にいる。
「あ、あんまり片づけていないから、ジロジロみないでね。」
アヤは一言、念を押してから鍵を開けた。
「……あれ?」
アヤがドアノブを引いたがドアは開かなかった。
「今ので鍵をかけてしまったのではないでしょうか?」
「そ、そんな事ないわよ。だって私、鍵かけて出てきたんだから。」
ナオの言葉をアヤは顔色を悪くしながら否定した。
「なるほど。密室事件かな。」
ムスビは探偵気分になっているのか渋い顔で頷いていた。
「別に事件ではなかろう……。」
栄次はため息をつきながらムスビを一瞥した。
「おかしいわね……。ちゃんと鍵をかけたのに……。」
アヤは首を傾げながらもう一度鍵穴に鍵をさした。そのままドアを引いたら今度はドアは普通に開いた。近くにあるスイッチを押して電気をつけ、アヤはナオ達を中に入れた。
「……妙ですね……。」
ナオは玄関先から廊下を眺め、唸った。
「ナオさん?探偵ごっこ的な感じになっているよ?」
ムスビがナオを見てケラケラと笑っていた。
「探偵ごっこではありません!ムスビもよく見てください!」
ナオは笑っているムスビを睨みながら廊下を指差した。
「ナオさん、怒らないで。」
ムスビは慌ててナオをなだめると廊下に目を向けた。
「わかりませんか?」
「あっ!」
ナオの言葉に返答したのはアヤだった。
「廊下が汚れてるわ!きれいにしてたのに。」
廊下には靴の跡のようなものが続いていた。
「……時神の神力を感じるな……。」
栄次がふとつぶやいた。
「時神の力だって?」
ムスビが廊下の先を覗くが誰かいる感じではなかった。
「とりあえず、お邪魔させていただきます。すぐに帰りますから。」
ナオはアヤに一つ頭を下げるとブーツを脱ぎ、アヤの家に上がった。
「あなた達は入らないの?」
アヤはムスビと栄次に目を向けた。
ムスビと栄次は少し迷っているようだった。
「あ……いや……男が女の子の部屋にズカズカと入っていいもんかなーって思っちゃってさ。」
「……俺もそれで迷っている。」
ムスビと栄次は顔を見合わせ、ため息をついた。
「別にいいわよ。もう……さっさと入って終わらせて。」
アヤは無理やりムスビと栄次を中に入れた。
ムスビと栄次は渋々中に入ると履物を脱ぎ、廊下を歩いた。
アヤの部屋までくるとナオが古い和時計の前でしゃがみこんでいた。
「ナオさん?」
「ムスビ、栄次、この時計ですが……神力が漂っているように思いませんか?」
「……時神の力を感じるぞ。」
ナオの問いかけに栄次が素早く答えた。
「時神の……力ですか……。」
「ああ。時神三神の内、俺が過去神だから未来神か現代神がこの時計の前にいたというところか……。」
「ていうか、何しに人んちの時計を見に来たんだよ。」
栄次の言葉にムスビがため息交じりに突っ込みを入れた。
「しかもその時神は靴を履いています。靴の向きからしてアヤさんの部屋から外へ出ていったとみられます。この時計から時神が突然飛び出してきた……と考えてよろしいのでしょうか?」
ナオは和時計を隅々まで眺めながら栄次に話しかけた。
「時計から飛び出したかはわからんが……俺の時のように誰かに呼ばれてここに出現した可能性もあるな。」
「……時神を呼べるのは歴史神だけです。呼んだと考えるのでしたら私以外の歴史神がアヤさんの部屋に未来神かもしくは現代神を呼んだと考えるのが妥当です。その歴史神がこの事件と関わり合いがありそうですね。」
ナオが栄次の返答に大きく頷いた。
「ナオさん、とりあえずこれからどうするんだよ?」
ムスビがナオを不安げに見つめていた。なぜだか大きな事件のような気がしてムスビは自分達が過去神を呼んだから起こった事なのではないかと疑っていた。
「とりあえず、神力を辿ってこの部屋から出ていった時神を見つけましょう。……アヤさん、お邪魔しました。」
ナオは丁寧に頭を下げると廊下を渡り、外へと出ていった。
「ね、ねえ。もういいわけ?」
「はい。ありがとうございました。もう大丈夫です。ムスビ、栄次、行きますよ。」
ナオは戸惑っているアヤに笑顔を向けるとぽかんと立っている栄次とムスビにこちらへ来るように手招きした。
「な、ナオさーん!待ってよ。」
ムスビは慌ててナオの元へと走って行き、栄次はのんびりとその後ろに続いた。
「では。お邪魔いたしました。」
「え……ええ。」
嵐のように突然去って行ったナオ達をアヤは困惑した顔で眺めていた。
「ナオさーん……。これからどうするんだよ?神力ってそんなに簡単に辿れるものなの?」
ムスビがナオの顔色を窺いながら不安げに言葉を発した。
今はアヤが住むマンションから出て何の考えもなしに道を歩いている。
「神力を辿るのは私達ではなく、栄次に任せます。」
「俺か。なんとなくは感じるがなんとなくだぞ。」
ナオが期待を込めた目で栄次を仰いだので栄次は眉をひそめ、自信なさげにため息をついた。
「構いません。私も……何か神力を感じるのですが……それが時神のものかわかりません。」
「ナオさんが感じている神力は歴史神のものなんじゃない?俺も感じるよ。」
ムスビは険しい顔で道の先を睨んでいた。
「そのような気もします。近くにおりますね。」
ナオがあたりを見回していると、すぐ近くで女の子の声がした。
「おおい!おおい!お主らじゃ!おおい!」
「ん?」
ナオ達は遠くを眺めるのをやめ、声の方に目を向けた。いつの間にか目の前に外見七、八歳くらいの少女が立っており、どこか必死の表情でナオ達に声をかけていた。
少女は長い黒髪に赤い着物を着こんでいた。目は大きく可愛らしいが格好が奈良時代くらいの雰囲気が出ていた。
「ああ、やっと気づきおった。」
「あなたは……どちら様でしょうか?」
焦っている少女とは裏腹、ナオは冷静に言葉を発した。
「わ、ワシを知らんのか!ワシは人間の歴史の『ばっくあっぷ』をとっている歴史神、流史記姫神(りゅうしきひめのかみ)じゃ。ヒメと呼んでくれて構わんぞい。」
ヒメと名乗った幼女な歴史の神は腰に手を当てて胸を張ると大きく頷いた。
「ちっちゃくてかわいいな。よしよし。」
「な、なにをするのじゃ!」
ムスビがほほ笑みながらヒメの頭を撫でた。ヒメは恥ずかしそうにしていたが拒んではいなかった。
「お菓子たべるか?饅頭あるよ。」
「お饅頭?わーい!食べるぞい!」
ヒメはムスビから饅頭をもらうと幸せそうに食べ始めた。
「かわいい!かわいすぎる!」
「……ムスビ、少し落ち着きなさい。変態になりかけていますよ……。」
興奮しているムスビをナオが呆れた目をしつつ、なだめた。
「こ、こほん……。」
ムスビは咳払いをし、心を落ち着けた。
「ところで……先程焦っていたのはなんだ?」
ムスビが落ち着いた後、栄次が優しくヒメに声をかけた。栄次は目つきが鋭く、少しきつく見えるため、怯えさせないための配慮のようだった。
「あ、そうじゃった!人間の歴史が一部『ばっくあっぷ』のと違うのじゃ!」
「お前が言う、ばっくあっぷとは何だ?」
再び興奮し始めたヒメをなだめながら栄次は首をかしげた。
「元ある歴史が壊れてしまったときのために同じ記録をもう一つ作っておく事じゃ。その予備の記録の方をワシが預かっておる。」
ヒメは目を忙しなく動かし、小さくつぶやいた。ヒメは動揺しているようだった。
「ヒメさん、落ち着いてください。私は神々の歴史のバックアップを取っている神ですが、人間の管轄である時計が狂ってしまった件について調べております。」
ナオはヒメの肩を両手で抑え、ヒメを落ち着かせた。
「や、やはり、時計が狂った事と歴史が変わってしまった事は同事件なのじゃな?」
ヒメは口にあんこをつけた状態のまま、ナオを不安げに見上げていた。
「それはわかりませんが関係はあると思われます。」
「で?ナオさん、どうするんだい?」
隣でムスビがナオの判断を待っていた。
「そんな、なんでもこちらにふらないでください。そうですね……。とりあえず、栄次に時神の神力を追ってもらいましょう。」
ナオがため息をつきながらそう発した刹那、ヒメの顔に怯えが浮かんだ。
「ん?どうしたんだい?」
ムスビが心配そうにヒメを見た。
「……今、ここ数分間の歴史がバックアップと変わったのじゃ。」
「なんでまた、そう唐突に変わるんだ?歴史を変えるんなら過去に戻らないとダメじゃないか?誰かよくわからん神が過去に戻ってんのかな?」
ヒメの頭を撫でながらムスビは不思議そうにナオを見た。
「過去に戻る事は普通の神でもできませんよ。時神ならばわかりませんが。」
ナオは腕を組みながら栄次を一瞥した。
「っむ……。俺は過去戻りなどできんぞ。過去を見る事はたまにできるけどな。俺は。」
栄次は表情変わらずそっけなく答えた。
ナオが何かを言おうとした時、救急車とパトカーが勢いよくサイレンを鳴らしながらナオ達の横を通り過ぎていった。
「ん?なんだ?」
栄次はサイレンの音に耳を塞ぎながら去っていく車を不思議そうに見つめていた。
「パトカーと救急車?なんか事故でもあったのかなあ。」
「なんだかいやな予感がします……。救急車とパトカーを追いましょう。」
のんびりと遠くを見つめているムスビを引っ張り、ナオは足早に歩き出した。
「ちょっ……ナオさん!事故現場見に行くなんて悪趣味だぞ!野次馬は邪魔でしょ?」
「あの方面、アヤさんのマンションがあった所に近いのですよ。少しアヤさんの様子を見に行くだけです。」
ムスビはナオに引っ張られてナオに続いて足早に歩き出した。その後をなんとなく栄次とヒメも追った。
住宅地の道を戻り、アヤがいたマンションへと足を進める。
少し行ったところで大型トラックが電信柱にぶつかり止まっていた。運転手は無事のようだ。
ナオ達がたどり着いた時、運転手の男が警察に色々と質問をされていた。
「あーあ。やっちゃったんだね……。でも無事そうだ。誰かがとりあえず救急車をよんだのかな。」
ムスビがほっとした顔で警察官と運転手を見つめた。
ナオもほっとした顔を向けていたが少し遠くで救急隊と話している少女に気が付いた時、目つきが厳しくなった。
「あ、あの子はアヤさんではないでしょうか。」
ナオの言葉にムスビと栄次もナオが指差した前方を向いた。
「……そのようだね。救急隊があの子のケガの有無の確認をしているように見えるけど。」
ムスビが目を凝らしてアヤと救急隊員の雰囲気を伝えた。
「……この歴史が変わったのじゃ……。バックアップでは事故が起きておらん。だいたい、あのトラックはこの道を通らず、一本ずれた道を通っていたはずじゃ。」
「はずじゃってわからないけどそうなの?」
腰に手を当てて胸を張ったヒメにムスビは困惑した顔で聞いた。
「そうじゃ。」
ヒメが大きく頷いた時、トラック運転手の会話が聞こえてきた。
「この道ともう一本向こう側の道の合流部分で鉄骨が引いてあって通れなかったんです。急ぎだったのでとりあえずこちらの道を選び走行しましたが歩いている彼女に気が付かずに走行してしまい、慌ててブレーキを踏んだら電信柱にぶつかっていました。」
運転手は動転しながら警察官に話していた。
「道路に鉄骨が引いてあるって……おいおい。」
ムスビは呆れた顔で運転手を見ていた。
「……道路に鉄骨ですか……。ヒメさん、鉄骨がある状態でもう一本の道は通らないですよね。あの運転手さんがもう一本の道を通るのが本来の歴史とおっしゃっていましたね。」
「そうじゃ。故に鉄骨が道路に転がっているわけないのじゃが……。」
ナオとヒメはお互い顔を見合わせて唸っていた。
しばらく眺めているとアヤは救急隊員から解放され、近くにいた学生服の男の子と一緒に歩き出した。
「ん?あれはあの子の彼氏かなんか?」
ムスビは素早く、何気なく隣にいる男の子を見つめた。
「わかりませんが……そうなのではないですか?」
「……あれは時神か?時神の神力を感じるのだが。」
ナオの横で小さくつぶやいた栄次にナオ達は目を丸くした。
「時神!」
「いや、俺は神力をあまり感じられない故、間違いかもしれぬが……。」
「とりあえず、追いましょう。」
ナオはさっさと決断を下し、アヤと男の子の跡をつけることにした。
「あの、ワシはちょいと鉄骨が気になるのでそちらに行くぞい。」
「ひとりで大丈夫かい?暗いから俺もついてってあげる。」
「ありがとうなのじゃ。」
ムスビはほほ笑みながらヒメを撫でる。
「……ムスビ、ほどほどにしてくださいね。」
「大丈夫だって。何にもしないからさ。ただ、ひとりで行かせたらかわいそうだなあって思ったからだから。」
ナオはため息をつきながら歩き出したヒメとムスビを見つめていた。
「では。私達はアヤさんとあの男の子を追いましょう。」
ナオは頭を切り替えて栄次を仰いだ。
「俺は構わん。ついて行くぞ。」
栄次の言葉にナオは大きく頷きほほ笑んだ。
四話
トラック事故の少し前……。
アヤはお腹がすいたのでコンビニで何か買おうと思い、部屋から外に出た。
「あら?」
アヤがマンションの階段へと向かう途中、アヤと同じくらいの歳に見える小柄な男の子が廊下で座り込んでいた。
「あの……?どうしたの?」
アヤは様子がおかしい男の子に小さく声をかけた。
「あ……。君は……アヤだよね?」
男の子は弱々しい瞳でアヤを見上げた。
「なんであなたは私の名前を知っているの?お初よね?」
アヤは訝しげに男の子を見据えた。
「え?あ、ああ……えっと……お、同じ学校なんだ。君と。」
「制服が違うんだけど。」
アヤは男の子の格好を見て、目を細めた。男の子は学ランを着ていた。アヤの学校とは似ても似つかない制服で、ひと昔前のもののような気がした。
「こ、これはファッションで着ているだけだよ。そう、ファッション!」
「そ、そう。……それで……なんでマンションの廊下なんかにいるの?」
「君を探していたんだよ……。さっきはいなかったみたいだけど、うちに帰っていたんだね。」
「……よくわからないわ。なんで私を探してたの?……私達初対面じゃない。」
「うん。それは後で説明したいんだけど……今はとにかくお腹がすいていて……ここから動けないんだ……はあ……。実は三日も食べていなくてさ……。」
男の子は大きなため息をつき、うなだれた。
「三日も?一体何をしていたの?いままで。親は?……ごはんならコンビニとかで買えば……。」
「……コンビニね。今、お金を持っていないんだ。それと……しゃべりたくないことってあるでしょ?あんまり聞かないでほしいな。」
アヤの質問に男の子は陰りのある表情で答えた。
「……そう、ごめんなさい。深くは聞かないわ。……これからコンビニに行く予定なんだけど、おにぎりくらいならおごってもいいわよ。」
「ほんと!嬉しいな!ありがと!じゃあ、早くコンビニに行こうよ!」
男の子は急に元気を取り戻し、勢いよく立ち上がった。
「……切り替え早いわね……。それと元気じゃないの。あなた、名前は?」
アヤは呆れながら男の子に尋ねた。
「僕は立花こばるとって名前だよ。よろしく!」
「こばると……不思議な名前ね。」
元気に声を発したこばるとを見ながらアヤは彼にどこかであったような気がしていた。
「じゃあ、悪いけど食べ物恵んで下さい!」
こばるとは愛嬌のある顔つきでアヤに頭を下げた。
「……わかったわよ。あんまり高いのはダメだからね。」
アヤはこばるとの雰囲気に心を許し、ほほ笑んだ。そしてそのまま二人はコンビニに向かうべくマンションの階段を降りて行った。
近くのコンビニでいくつかのおにぎりを買い、帰り道である細い道路を歩いている時だった。急に背後が光った。
「……っ!?」
アヤが何かしらと振り返った時にはもう遅く、目の前にトラックの影が映った。
……トラック!?なんでこんな細い道を……っ。轢かれる!
アヤが動けずにその場に棒立ちになっているとトラックの運転手はすぐにアヤに気が付き、アヤを避けようとハンドルを切ったがそのまま電信柱に激突してしまった。
はじける音とタイヤが擦る音が閑静な住宅街に響いた。何かの破片やらガラスやらがアヤの足元に散らばった。
「……はあ……はあ……。危なかったわ……。」
アヤはその場に尻から落ちた。
「アヤ!大丈夫?」
しばらく茫然としていると目の前に心配そうな顔をしているこばるとが映った。
「ケガは?大丈夫?」
「え、ええ……私は大丈夫だけど……運転手さんは大丈夫かしら?」
アヤは冷汗をかきながら電信柱にぶつかったトラックを見つめる。トラックの運転手は外に出てこない。
「そ、そうだわ!きゅ……救急車を呼ばないと……。」
アヤは絞り出すように言葉を発したがアヤは携帯を持っていない。こばるとも何も持っていなそうだった。
「そ、そうだね!救急車か!よし!きゅーきゅーしゃあああ!」
こばるとはとりあえず原始的に救急車を呼んだ。この時のアヤは気が動転しており、こばるとに突っ込むことはできなかった。
そのうち、近隣住民の誰かが救急車を呼んだようだ。救急車のサイレンの音とパトカーのサイレンの音が同時に聞こえてきた。
頭が冷静になってきたころ、アヤはようやく救急隊にケガの有無を聞かれている事に気が付いた。
「私にケガはありません。それよりもあの運転手さんが……。」
「奇跡的に運転手もケガがないようですね。」
救急隊の人と軽く言葉を交わし、アヤは解放された。
「……じゃあ、お気をつけて帰ってくださいね……。」
「はい。すみません。」
アヤは安堵のため息をつくと隣にいたこばるとに目を向けた。
こばるとは少しずつ集まりつつある野次馬達を見つめていた。一点をじっと見つめ、どこか怯えた表情をしていた。
「……?こばると君……だったわよね?大丈夫?どうしたの?」
アヤはこばるとの様子を見て、不安げに声をかけた。
「え?あ、ああ、うん。大丈夫だよ。行こうか。おにぎり、おうちでごちそうになってもいいかな?そしてそのまま一泊させていただいたりとかは……ダメ?」
こばるとは我に返り、不安げな表情をしているアヤに向き直った。
「え?うちに来るつもりなの?あなたなら大丈夫そうだけど……見ず知らずの男性を家に入れるのは……ちょっとね。しかも泊まるって……うーん……。」
「……僕、帰る家がないんだよ……。おまけにお金もない……。」
こばるとは絶望的な表情で目を伏せた。今にも泣きだしてしまいそうだった。
「……ちょっ……泣かないでよ。わ、わかったわよ。い、一日だけなら泊まらせてあげるわよ!どうせ一人暮らしだしね。」
こばるとの表情にアヤは折れ、彼を家に入れてあげる事にした。
再びマンションへと戻り、階段を上ってアヤの部屋へとたどり着いた。
鍵を開けて自室に入る。
「上がっていいわよ。どうせ誰もいないから。」
アヤは玄関先でまごついているこばるとに声をかけた。
「う、うん。独り暮らしって大変そうだね……。」
こばるとは靴を脱ぐと小さく「おじゃましまーす。」とつぶやき、部屋に上がった。
アヤは時計が沢山ある自室の真ん中に小さいちゃぶ台を置いた。
「ごめんなさい。机がなくて、このちゃぶ台になっちゃうけど……ごはんにする?」
アヤはちゃぶ台の上にコンビニで買ったおにぎりを並べる。
「あ、お湯かけるだけの味噌汁とかならあるわよ。」
「う、うん。」
こばるとはどこか上の空で返事をしていた。
「こばると君……?あ、ごめんなさいね。私の部屋、時計だらけで気持ち悪いでしょ?これ、私の趣味なの。」
こばるとがじっと時計を見つめているのでアヤが慌てて口を開いた。
こばるとはそんなアヤにはおかまいなしに部屋にたった一つだけあった和時計を凝視していた。
「こばると君……。それはうちの家宝。江戸後期の和時計よ。」
「……。これを使って一度、彼女を連れて江戸に……。」
「……こばると……君?」
こばるとはアヤの問いかけに答えず、何かを考え込んでいた。
「……いや、もう一度、江戸に行くのは危険だ……。こっちの時計を使って五年か六年前に飛ぶのもありだね……。」
こばるとは和時計の隣に置いてある比較的新しい時計を見つめる。
「……こばると君!」
「はっ!あ、ああ、ごめん。ごめん。い、いい時計だね。これ。」
何回目かのアヤの呼びかけでこばるとは我に返った。
その時、ピンポーンと玄関先でチャイムが鳴った。
「あ、はーい。」
アヤが返事をして玄関先へ向かおうとした刹那、アヤの手をこばるとが素早く掴んだ。
「きゃあ!何?」
「あれは歴史の神だ……。さっきの野次馬の中にいたあの子達だ……。僕を追って来たんだ!」
「え……?神?……神って……どっかで……。」
アヤはついさっき会った神様だと名乗る赤髪の少女を思い出した。
「アヤ、君を巻き込んじゃう形になるけどここから逃げよう!」
こばるとはアヤの手を引くと立ち上がった。
「え?ちょっと!なんだかわからないわ!に、逃げようって……どこへ?私、関係ないわよね?」
アヤは怯えた表情でこばるとを見つめていた。玄関先のチャイムがもう一度鳴った。
「……よし。この時計でいいや。」
こばるとは一番新しそうな時計を掴むと大きく頷いた。
「ちょっと何するのよ!その時計は昨日買った新品なのよ!」
「僕達はこれからこの時計を使って昨日へ行く。」
こばるとの発言にアヤは半笑いで首を傾げた。
「あなた……頭……大丈夫?何?昨日へ行くって……。」
「僕はいたって正常だよ。……僕は時神なんだ。時を渡れるんだよ……。そして君も時を渡れる。」
こばるとは軽くほほ笑むとアヤの手を強く握り、新品の時計にもう片方の手をかざした。時計は突然輝きだしアヤとこばるとを光で包んだ。
「えっ……ちょ……なにこれ……。」
アヤの戸惑いの声を残してアヤもこばるともその場から忽然と姿を消した。
五話
マンションの廊下、アヤの部屋の前でナオは何回かチャイムを鳴らした。
「……反応が……ありませんね……。家に入っていくところまで見たので家にいるはずなのですが……。」
「……待て。時神の力を濃厚に感じるぞ……。」
ナオと一緒についてきた寡黙な侍、栄次が静かにナオに言い放った。
「時神の力……!?アヤさん!いらっしゃいますか?アヤさん!」
ナオはドアを叩き、アヤに直接呼びかけた。しかし、アヤの返答はない。
「さきほど家に入って行ったのだ……いないわけがない。だが……この扉の先から誰かがいる気配がない。」
「アヤさん……さきほどの男性と何か関係が……。」
ナオは栄次の言葉でドアを叩くのをやめた。
「……やはり、先程、あの路地で見た男は時神だったか……。」
栄次は腕を組み、男の身なりを思い出す。小柄な体で学生服を着た少年……。栄次の時代では学生服というものが存在していない。栄次からすれば洋装をしている少年だ。
ナオはダメもとでドアノブを握った。
「……あ、あら?鍵がかかっていなかったようですね……。」
「開いていたか……。どうするのだ?入るのか?」
栄次に問われ、ナオは眉間にしわを寄せた。
「……人様のおうちに勝手に入り込むのは私はしたくありませんが……ここは仕方がありません……。入ります。アヤさんが心配ですので。」
「そうか……。では俺も入る事にしよう。」
ナオと栄次は玄関先で靴を脱ぎ、物音ひとつしないアヤの部屋へと入って行った。
部屋の電気はついていた。
「アヤさん!」
ナオがアヤの自室、時計が沢山ある部屋に顔を出した。そこにはアヤの姿はなかった。
「……アヤさん……。これはずいぶんとおかしな状態になっていますね。」
ナオは部屋の様子を見て小さくつぶやいた。
電気がついており、真ん中のちゃぶ台にまだ食べていないおにぎりが置いてある。
先程までここにいたという雰囲気とぬくもりが残っていた。
「つい先程、今の今までここにいたようだ。床の一部が温かい。」
栄次がちゃぶ台付近の床の一部に手を置いていた。
「突然消えてしまったという事ですか?アヤさんもあの男の子も?」
「そういう事になる。」
「時神が時渡りをした可能性は……?」
「……時神は原則、時を渡れない。俺も時は渡れないぞ。」
栄次の答えにナオの表情が青くなっていく。
「で、では……なぜ突然消えてしまったのですか?」
「……可能性があるとすれば……あれか。」
顔色を悪くしているナオに栄次は鋭い瞳を向けた。
アヤとこばるとはアヤの部屋にいた。
「……?」
アヤは状況が理解できず、何も言葉を発することができなかった。
「ふーん。昨日の君の部屋に来たみたいだよ。」
「……?何にも雰囲気変わってないじゃないの。」
「そりゃあ変わらないさ。だって昨日の君の部屋だもの。変わっているとすれば……あれだけかな?」
こばるとは不安げなアヤにほほ笑みながら目の前の箱を指差した。
「……っ!これは昨日買った時計の箱じゃないの。捨てたはずだけど……。」
「だからここは昨日の君の部屋なんだよ。」
こばるとはため息をつきながらその場に座った。
「……昨日に戻ったって事なの?なんで?どうして?こんなこと……あるわけないわ。」
アヤは動揺し、部屋をウロウロと歩き始めた。
「ちょっと落ち着いてよ。だから僕は時の神で時を渡れるんだよ。」
こばるとが頭を抱えているアヤをなだめつつ、座るように言った。アヤは目を忙しなく動かし、戸惑っていたが素直にこばるとの横に座った。
「冗談よね……。」
「冗談じゃないよ。あー、おにぎり向こうに置き忘れちゃったね……。」
よくみるとおにぎりどころかちゃぶ台もない。アヤは普段、ちゃぶ台をしまっている。
床に散らばっているまだ片づけていない安売りのチラシもすべて昨日のものだった。
「……本当に一日ずれている……。あなた……。」
アヤは恐怖に支配された顔でこばるとを見つめた。
「そんなに怯えないでよ。それよりもお腹がすいたよ……。おにぎりは置いてきちゃったし……この辺のファミレスにでも行こうか!」
こばるとは笑顔でアヤを一瞥した。
「……行こうかって……私のお金よね……。だから。」
アヤは震えながらもかろうじて声を出した。
「お願い!」
「……まったくしょうがないわね。もう一度おにぎりを買うのもなんだか疲れるし……近くのファミレスくらいなら行ってもいいわよ。」
「やった!」
こばるとの必死の表情でアヤの恐怖感は幾分か和らいだ。
仕方なしにアヤはこばるととファミレスに行くために家を出た。外は明るく、眩しい太陽が頭上にあった。そしてぽかぽかと暖かい。
「あら……明るいわね。今何時かしら?」
「お昼の十時か十一時くらいじゃないかな。感覚的に。」
「昨日の十時か十一時って事よね?」
「そうだね。」
アヤはやっと冷静に物事を考えられるようになってきた。昨日に戻った事をなんとか受け入れる事ができたようだ。
コンビニに向かう道とまったく同じ道を歩いている途中、少し心に余裕が出てきたアヤはこばるとに質問をした。
「あなた、さっき、歴史の神に追われているみたいなことを言っていたけど何をしたのよ?」
「……それなんだけどね、正確に言えば歴史の神と一緒にいたあの時神過去神が僕を殺そうとしているんだ。理由はちょっと言えないんだけど。」
「……殺そうとって……物騒すぎるわ。時神って種類があるの?」
「うん。過去神、現代神、未来神の三神がいるよ。僕は現代神。」
こばるとがそう答えた刹那、なんだか騒がしい声が聞こえた。アヤ達は先程寄ったコンビニの少し先の交差点に来ていた。目と鼻の先にファミレスがあるがその横は工事現場だった。
「危ない!」
工事現場の誰かが叫ぶ声でアヤは工事現場に目を向けた。突然吹いた強風に鉄骨を運んでいたクレーン車が横転しかけて、クレーン部分がそのままアヤにぶつかってきた。
「ひっ!」
アヤは小さく悲鳴を上げしりもちをついた。
……ぶつかる!
アヤはそう思って目を強くつぶった。しかし、吊っていた鉄骨が近くの電信柱にぶつかりクレーン車は完全には倒れず、アームもアヤにぶつからなかった。
鉄骨の二、三本は道路に散乱した。幸い車が通っておらず、投げ出された鉄骨は誰にも当たらなかった。
「なっ……。危なかった……。こ、ここに電柱がなかったら……死んでいたわ。」
電信柱は軽くヒビが入っていたが倒れてはいなかった。
「アヤ……大丈夫!?」
こばるとが震えているアヤの元へ駆けつけた。
「だ、大丈夫よ。ケガもないし……。」
アヤが小さくつぶやいた時、クレーン車を運転していた男性が慌ててこちらに向かって来た。
「大丈夫かい!」
クレーン車の運転手は顔面蒼白のままアヤに駆け寄った。
「は、はい。私は大丈夫でした……。あの……あなたにおケガは……?」
「ああ、俺は大丈夫だよ。いきなりあんな風が吹くなんてびっくりしたよ。クレーン車が倒れなくて良かった……。とりあえず、警察と救急車を呼ぶから……。」
運転手の言葉にアヤはまたかとため息交じりに思った。
六話
夜八時を回ったか回っていないか……時計が狂っていてわからないが暗い道をムスビとヒメが歩いていた。
「鉄骨が落ちている所ってもっと先かの?」
「道の合流部とか言っていたから俺は交差点とかかなって思っているんだけどね。」
ヒメの言葉にムスビは笑顔で答えた。
「そうじゃな!もう少し歩いてみるのじゃ。」
「いいよ。転ばないようにねー。」
ムスビはヒメに優しく声をかけながら道を進む。しばらく歩くと交差点が見えた。その交差点の大通りの方に太い鉄骨が数本散らばっている。
「あれじゃな……。ム……。あの鉄骨は昨日のお昼頃に起きた事故で投げ出されたものじゃ。しかしおかしいの……、この鉄骨はもう回収されているはずじゃ……。そしてなによりおかしなことが歴史の一部が切り取られここに持ってこられている事じゃ。」
ヒメは鉄骨に近づき、戸惑った顔をしていた。これだけ鉄骨が散らばっているのに野次馬も警察も誰もいない。
「たしかにおかしいね。誰もあの鉄骨に気が付いていないなんて。」
ムスビもヒメに近づいた。
「!」
刹那、ヒメが目を見開き驚いてムスビを振り返った。
「ん?どうしたの?」
「また歴史が変わったのじゃ!」
「え?」
ムスビが慌てているヒメに向かい首を傾げた。
「今、急激に歴史が元に戻ったのじゃ!」
「歴史が元に戻った?」
ムスビは不思議そうにヒメに目を向けた後、鉄骨に目を移した。
「……あれ?」
先程までそこにあった鉄骨はなぜか跡形もなく消えていた。
「この鉄骨が元の時間軸に戻ったのじゃ……。一体何なのじゃ!いままでこんなことはなかったぞよ……。わしはどうすればよいのじゃ……。うわーん……。」
ヒメは突然起きた事象に戸惑い、泣き出した。
「な、泣かないで!ヒメちゃん。俺達がいるでしょ?一緒に何とかしよう!」
「うん……。」
ムスビは泣いているヒメに飴を一つ渡した。ヒメは泣きながら一つ頷くと素早く飴を口に入れた。
「じゃ、じゃあまずはあれだ!時神過去神の……栄次に相談してみようか。人間の過去なら彼の方が詳しいと思うし……ね?」
ムスビはヒメを優しく撫でながらほほ笑んだ。
「うん……。」
ヒメは一つ頷くと涙を拭った。
「じゃ、行こうか!」
ムスビがヒメの背中を軽く押しながら歩き始めた時、遠くで銀髪の男が走り去る姿が目に入った。着物を着ている若そうな男だった。
「ん……?あいつは確か……。」
「どうしたのじゃ?」
「え?ああ、何でもないよ。行こうか。」
ヒメが不安そうな顔をしていたのでムスビは表情を元に戻し、ヒメと手を繋いで歩き出した。
ヒメとムスビはナオと栄次に会うため、とりあえずアヤの住むマンションに向かった。
二神は細い道を黙々と歩きコンビニを越えてマンションへたどり着いた。
「ナオさんと栄次いるかな?」
「あのアヤという名の少女を追って行ったのじゃろ?ここがあの子の家ならばいるのではないかの?」
ヒメは首を傾げながらムスビに目を向けた。
「ま、とりあえず、アヤって子の部屋前まで行くか。」
ムスビは優しくほほ笑みながらヒメの手を取り歩き出した。ヒメは恥ずかしがりながらもムスビに従った。
マンションの階段を上がり、四階のアヤの部屋前まで来た。廊下部分でナオと栄次が真剣な顔つきで何かを考えていた。
「あ!ナオさん!栄次!いたいたー!」
ムスビが声を上げた時、栄次が一言ナオにつぶやいていた。
「……あるとすれば……劣化異種だ。」
「……え?」
話の内容が理解できなかったムスビは不思議そうな顔でナオと栄次を見つめた。
「……あ、ムスビにヒメさんですか。実はアヤさんが突然、例の男性と消えてしまって……。」
ナオがムスビとヒメに気が付き、困惑した表情のまま状況を説明した。
「……こちらもおかしかったのじゃ。鉄骨を調べたところ、歴史の一部が切り取られておった。」
「歴史の一部が……。そうですか……。」
ヒメの発言にナオはまた顔を青くした。
「やはりな。……あの男は劣化異種で間違いないだろう。」
栄次が勝手に自己解決してしまったのでナオ達は慌てて質問をした。
「あの……劣化異種とは何でしょうか?」
「ああ、時神の仕組みだ。時神は自分よりも力がある時神が生まれた場合、力がある時神の方が生き残り、力のない時神は消滅する……という仕組みで回っている。時神の生は人間から始まり、徐々に神になる。人間から時神に変わる神を向上異種と呼び、反対に消えてしまう時神を劣化異種という。今回は時神の内、現代神の向上異種が現れたんだろう。それがおそらくあの娘だ。あの娘はこれから時神になる。それで今存在しているあの男、現代神が劣化異種となった。」
「つまりは……アヤさんが現代神になってあの男の子が消えてしまう現代神……ということですか?なんだかデリートを押されているような仕組みですね……。」
ナオが眉を寄せ、気難しい顔で唸った。
「時神は自分の歴史を自分で動かせない。つまり自身の体の時間は止まっている。人間と共に生きなければならない時神にとって変化することは大変な事だ。人間は常に変動する。それに合わせられる神でないと時神は務まらない。おそらく今に合った時神をこの世界が選んだのだろうな。あの男の方もかなり長い年月を生きているようだった。」
栄次の言葉を聞いていたムスビが頭をポリポリとかきながら声を発した。
「その仕組みはわかったけどさ、歴史が動いたのとどう関係があるんだよ?」
「時神の生は人間から始まると言っただろう。まずは向上異種から説明しようか。人間は歴史を動かす能力を持っている。向上異種は人間の歴史を動かす力と時神の力が入り混じった状態だ。その作用か時を渡れ、人間の歴史を動かせる。次に劣化異種だが劣化異種が劣化していくのは時神の力が消えていき、逆に人間の力が戻ってくる。そして人間の力が大半を占めた時、時間が逆流し、死ぬ。時神は最低でも百年は生きている。人間が生きられる時間を凌駕しているので消えるのは仕方があるまい。その消えるまでに劣化異種も向上異種同様に時神の力と人間の力を両方持っている事となる。つまりだ……。劣化異種も歴史を動かせ、時を渡れる。」
「……。」
栄次の説明を聞いてナオ達は黙り込んだ。今の話を頭で整理しているようだ。
その中、ヒメはこの話を知っていたのか一人頷いていた。
「うむ……。向上異種を別名でタイムクロッカーと呼び、劣化異種を別名でロストクロッカーと呼ぶのじゃよ。おぬしら、神々の歴史を管理しておるのにこの事を知らなかったのかの?」
「うっ……。」
ヒメに突っ込まれ、ムスビとナオは返答に困った。
神々の歴史の管理と言ってもそんなに細かいところまでの歴史は管理していない。ナオは大雑把な神々の歴史を管理しているだけだ。細かい歴史は他の神が担当している。
「あっ、では……劣化異種……ロストクロッカーはアヤさんを連れて何をしているのでしょうか?」
ナオは突然、言いようのない不安に襲われた。
「……劣化異種の心情はおそらく、自分は消えたくないと思っているのだろうな。つまりは……。」
「……アヤさんを消そうと動いている可能性があるという事ですか!」
「そうだ。あの娘が消えればあの男はまだ時神を続けていられる。あの男はあの娘を殺そうと動いている可能性が高いだろう。」
「そんな!私達も時を渡らないとっ……。」
「それが俺達はできないだろ。」
焦っているナオの頭にムスビがポンと手を置いた。
「なっ、何をするのですか!」
「あっ……いや、少し落ち着くかなーなんて……。」
「な、なんですか……。もう……突然。」
ムスビの笑顔を見て焦っていたナオは顔を赤くしてうつむいた。ムスビは顔を赤くしているナオをかわいいと思ったが口には出さなかった。
「で……時を渡る方法だが……そこの……ヒメだったか?ができるのではないか?」
栄次が会話に割り込み、ヒメに目を向けた。
「う、うむ。ワシは人間の歴史を管理している神故、歴史神や時神なら時渡りさせてやれるかもしれぬがおぬしら本体ではなく、おぬしらの一部を過去の世界に召喚する形となるの。過去の世界は参(さん)の世界と呼ばれておるが現世であるここ、陸(ろく)の世界と過去にあたる参の世界は違う世界じゃ。絶対に参の世界を生きるおぬしらに会ってはいかぬぞ。」
ヒメが気乗りしない顔で答えた。
「ちょっと待って。そもそも、あの男とアヤって子がいつに行ったのかわからないんじゃないか?歴史を動かしたからって過去に行っているとは限らないだろ。もしかしたら未来へ行っている可能性も……。」
ムスビが慌てて声を発した。
「……その可能性もあるが……向上異種や劣化異種が未来へ行くときは未来の時計を想像して描き、行きたい未来の年代も書くことで人の持つ想像力で未来へ飛べる仕組みだ。だが、アヤとかいう小娘の部屋に紙も筆もなかった。未来に行った線は薄い。反対に過去に行くには作られた時計に触れば行ける。あの子の部屋には時計が沢山あった。あの時計の内のどれかを触ったと考えた方がいいだろう。」
栄次は特に焦った様子もなく冷静に言葉を発した。
「むぅ……もし未来へ飛んでいたらワシは何にもできんの。時神未来神をこの世界に召喚することはできるが未来へおぬしらを召喚することはできぬ。ちなみに未来の世界も過去の世界同様、別の世界じゃ。未来の世界は肆(よん)の世界と呼んでおる。」
ヒメはため息交じりに答えると頭を抱えた。
「じゃ、じゃあ、あのアヤって子の部屋の時計を調べてどこの過去に行ったのか正確に把握しないといけないってわけな。」
ムスビがナオをちらりと見ながらつぶやいた。
「このままではアヤさんが危険な可能性があります。……過去へ行きましょう。神力を辿ってどこの時計に触ったか調べる事から始めます。」
ナオは大きく息を吸うともう一度アヤの家のドアノブを握った。
アヤは再び行われた事故の質問攻めから脱出し、やっとのことでファミレスの椅子に腰を落ち着けることができた。
「はあ……なんでこんなに私……死にかけるのかしら?」
アヤは独り言を言いながら向かいに座っているこばるとを見つめた。こばるとはどこか苦しそうに目を伏せていた。
「……ねえ……こばると君……。突然どうしたの?大丈夫?……な、何でも好きなもの食べていいから元気出して。」
アヤは急に元気のなくなったこばるとにメニューを差し出し、柔らかくほほえんだ。
「アヤ……。僕はね……僕は実は……。」
こばるとはアヤに何かを言おうとしていた。店員がお冷を置いて去っていくのを見つめるとすぐにまた口を閉ざしてしまった。
「ん?どうしたの?なんか悩みでもあるのかしら?悩みがあるのなら相談に乗るわよ。」
アヤの優しい声にこばるとはさらに顔を歪ませた。
「……。」
「どうしたのよ?さっきまでの元気は?お腹すいているんでしょ?ほら、メニュー。」
アヤがメニューを再び差し出した時、こばるとが小さく声を発した。
「僕は……やっぱり君を殺せない……。殺したくない……。」
「……何?」
アヤはこばるとが発した一言に首を傾げていた。
「でも僕は……僕は死にたくない……。」
「……だから何を言っているのよ?」
こばるとはアヤの戸惑った顔を見つめた。
「いままで起きた事故は僕が歴史をいじって動かしたんだ。僕は江戸後期くらいから出現した君をそこら辺の事件事故の歴史を動かしてずっと殺そうとしていたんだ。全部、運がいいのか、かわされちゃってさ。君は……なかなか時神として覚醒しなくて何度も同じ顔で転生しているんだよ……。何度も何度も歴史を動かして君を殺そうとした……。でも、君は生き残ったままだ。」
「ちょっと待って……。何言っているかわからないわ!話が飛びすぎよ……。」
こばるとの暗い瞳を見ながらアヤはさらに困惑した顔で近くに置いてあったお冷に口をつけた。
「……君はこれから時神になる神……向上異種、別名タイムクロッカー。反対に僕はこの世界から消える時神……劣化異種……別名ロストクロッカー……。」
「ろすと……くろっかー……?」
アヤの動揺はさらに大きくなり、こばるとの瞳は徐々に光がなくなっていった。
「ねえ、アヤ、君は死んでくれって言ったら死ぬ?」
こばるとは苦しそうな表情でアヤに尋ねた。
「何言っているのよ……。そんなことを言われたって死ねるわけないでしょ。」
アヤはまったくこばるとの心情が読み取れなかった。だいたい、何を言っているのかよくわからない。
「そう。だから僕は……君を殺さないといけないんだよ……。」
「ちょ、ちょっと待ってよ。理由を聞かせてちょうだい!あなた、さっきからわけわからないわよ。」
「僕達時神の仕組みはね……自分よりも強い力を持った時神が生まれた時に弱い方が消滅する仕組みなんだ。僕は君よりも力が劣っている……。だから僕は死なないといけない。でもね……僕は死にたくないんだ。これから時神になる君を殺せば僕はずっと時神として生きていられるはずなんだ。でもね、僕がいつまでも生きていると他の時神が殺しにくるかもしれないんだ。」
こばるとの追い込まれているような表情でアヤは冗談だと笑い飛ばせなかった。
「……それって選択肢は私が死ぬかあなたが死ぬかしかないの?そういう極端な選択だけじゃなくて二人で生きる道を探すって選択はないの?」
アヤは戸惑いながらこばるとに話を合わせた。
「……それは無理だと思うんだ。」
こばるとはほぼ即答した。アヤは困惑した顔のまま、こばるとに言い放った。
「無理じゃないわ!やってみないとわからないでしょ!大丈夫。私はあなたに味方をするから。」
アヤは向かいに座っているこばるとの震える手にそっと手を置いた。こばるとはとても悲しそうな顔をしていたがなんだか安心しているようにもみえた。
「……。君は本当に優しいんだね……。やっぱり人を殺した事なんてない僕にこんなことは無理だ。僕が生きたいから君を殺すなんておかしな考えなんだ。」
「こばると……君。」
こばるとは再び目を伏せた。理由はまだよく理解していなかったのだがこばるとの瞳から涙が零れ落ちるのを見てアヤはなんとかして彼を助けてあげたいと思った。
「こばると……君……。」
「僕、死にたくないよ……。助けて!助けてよ!」
絞り出すような声を出し、こばるとはアヤの手を握り返した。
「……大丈夫よ。二人とも生きられる方法を探しましょう?ね?こばると君。」
「……アヤ……ありがとう。」
こばるとは小さくアヤにお礼を言った。アヤには目の前にいる彼がとても小さくか弱い存在に見えた。
七話
ナオ達は再びアヤの部屋に入り込み、たくさんある時計を一つ一つ調べていた。
「栄次、時神の神力、わかりますか?残念ながら何もわからないのですが……。」
ナオは首を傾げながら時計を撫でていた。
「うむ……。はっきりとはわからないのだが……この時計だけ不思議な感じがするな……。」
栄次は眉をひそめながら新品そうな時計を持ち上げた。横にいたムスビは栄次が持っている時計をまじまじと見つめていたが何もわかっていなさそうだった。とりあえず栄次はムスビに時計を渡した。
「……これ、新しそうだな。やっぱ俺にはわからないなあ。」
ムスビは一通り眺めると今度はナオの手に時計を置いた。
「そうですね……。私もよくわかりませんがまだ買ったばかりのような気もします。」
「ちょっと貸してくれるかの?」
「はい。ヒメさん、どうぞ。」
ムスビからナオに渡った時計はナオの隣にいたヒメに渡った。
「歴史の分析をした所、職人さん手作りの目覚まし時計のようじゃ。昨日完成し、この家に届いたようじゃな。値段は一万円超じゃ……。アヤは前々からこの時計を狙ってお金を貯めていたようじゃな。」
ヒメの分析にムスビは驚いた。
「そんなこともわかるのかい?」
「……わかるというか……この時計に携わった人々の歴史を見ただけじゃ。時計の事はわからぬがそれに関わった人の歴史ならば見れるからの。ワシは人の歴史を管理しておる故。」
「な、なるほど……ヒメちゃんってすごいんだね。」
ムスビは時計とヒメを交互に見つめながらつぶやいた。
「で?栄次殿、これが時渡りした時計なのかの?」
ヒメは時計から目を離し、栄次に目を向けた。
「それはわからんのだがこの時計だけ神力が宿っているように思えるのだ。」
栄次はなんとも言えない顔で首を傾げた。自信はなさそうだった。
「まあ、今の段階では少しでも可能性がある方へかけたいな。栄次の思った通りに動いてみるしかねぇだろ。な?ナオさん。」
ムスビはナオに目を向けた。
「そうですね。今はそれしか手がありませんので……。ここは栄次の時神の勘を信じましょう。」
ナオは大きく息を吐きだすと気合を入れた。
「では……この時計が示す時間に行ってみるかの?昨日の昼過ぎくらいの時間帯だと思われるのじゃ。」
「よし、じゃあそれで行こう。俺はよくわかんないからさ。」
ヒメの言葉にムスビが元気よく答えた。
「お、おい。正しくないかもしれんぞ……。」
勝手に話が進み、栄次は困惑した顔でナオ達を見ると焦った声を上げた。
「大丈夫です。間違えたら急いで戻りましょう。なにせ手がかりがないのですから片っ端からやらないといけないと思います。」
「そうか。」
ナオの発言に栄次は一言短く言うと口を閉ざした。
「では行きましょう。ヒメさん、お願いします。」
「う、うむ。いいのじゃな?それではさっそく転送するのじゃ。」
ヒメはナオの合図でナオ達を過去の世界、参(さん)に飛ばした。
ほぼ一瞬で何も考える余地はなく、ナオ達は白い光に包まれていた。気が付くと少しだけ違うアヤの部屋にナオ達はいた。昨日の日付の特売のチラシが床に散らばっており、先程触っていた時計は箱の中に入ったままだった。
「……昨日に来た……ようだな。」
栄次が小さくつぶやき、ナオとムスビはハッと我に返った。
「あ、あれ……?ヒメちゃんは……?」
頭が働きかけてきた頃、ムスビはヒメがこちらに来ていない事に気が付いた。
「もしかするとヒメさんは送る事はできますが自分が過去に来る事はできないのではないでしょうか?」
「じゃ、じゃあどうやって元の世界に……。」
ナオとムスビは顔色を悪くした。
「ん?ワシがどうしたのじゃ?」
ふと隣からヒメの声がした。ヒメは廊下の方でこちらを窺うように立っていた。
「良かったです。ヒメさんも過去に渡れたのですね。」
ナオから安堵の吐息が漏れる。ヒメは少し複雑な表情で首を振った。
「あ……えっといや……そなたらの世界で言うと……ワシは過去……えーと、参の世界のヒメじゃ。今は明日の自分とリンクしておるので一応、話はわかっているぞい。」
「え……?よ、よくわかりませんがあなたは昨日のヒメさんという事ですか?」
「うむ。そなたらからするとそうじゃな。しかし、中身は明日の自分じゃ。」
戸惑うナオにヒメは落ち着いて答えた。
「中身が明日の自分って……。」
「じゃから、記憶を明日の自分とリンクさせておるだけじゃ。」
「じゃ、じゃあ、別にさっきまで一緒にいたヒメちゃんと変わらないわけだよね?」
「そうじゃ。」
ムスビの動揺している声にもヒメは落ち着いて答えた。
「ま、まあ話が通じるのならばそれでいいです。では、行きましょうか。」
ナオはまだ戸惑っていたが徐々に落ち着きを取り戻した。
「あ、ちょっとナオさん、行きましょうってどこへ?」
ムスビがナオに手を広げて「わかりません」のポーズをとる。
「……そ、それは栄次の時神を探知する能力で……なんとか……。」
「俺か?何度も言うが……俺には自信がないぞ。」
もじもじとしているナオに栄次は呆れたようにため息をついた。
「やっぱり勢いで来たのかよ。」
ムスビは頬を赤くしているナオを楽しそうに見つめた。
「ム、ムスビ!楽しそうに笑っている場合ではございません!早くしないとアヤさんがっ……。」
「あーあー、わかったよ。少し落ち着いて。ナオさん。とりあえず、栄次に任せよう。」
「お前も結局は俺なのか……。」
ナオをなだめるムスビを横目で見た栄次は再びため息をついた。
アヤ達はとりあえず、ファミレスで春野菜を使ったセットメニューを二人でつつき、ある程度お腹をいっぱいにした。
「実はね……。」
少し安心したこばるとがアヤにひかえめに声をかけてきた。
「ん?どうしたの?」
「実は神は別に食事をとらなくてもいいんだよ。僕達はこの世界に生きているわけじゃないんだ。僕達は人間から想像して作られたプログラムのようなものだからパソコンのデータと同じなんだ。」
「あら……。そうだったの?じゃあ、こばると君はお腹がすいてなかったのね。」
アヤはもう何を聞いても驚かなかった。驚く事が多すぎて今更驚けなくなったのだ。
「うん……。まあ、食べなくてもいいんだけどやっぱりお腹はすくんだよね。電子機器の充電と同じ感じかなあ。高天原では皆、人間が想像した物を食べているね。その場にあって実はその場にない。想像物がデータ化されて置いてあってそれを体に取り込むみたいな感じ。はたからみると人間と同じように普通に食事しているように見える。」
「へ、へえ……じゃあ、私もそうなるの?私、これから時神になるのよね?」
アヤはからのお皿を店員に渡しながら尋ねた。
「時神は人間から神に変わっていくから君の場合、まだしばらくは変わらないと思うよ。と、言っても時神の生が人間から始まるっていうのも人間が想像してできたルールなんだけどね。だから君は人間の想像から人間と変わらない仕組みにされたわけだよ。えっと、つまり今の段階でも君は人であって人じゃないんだ。」
「なるほどね。私は人間に想像されて作られた人間って事ね。今は。」
「そういう事だね。」
「時神は人に見えるって言うのも人が決めたルールなの?」
「うん。『昔から時神は人に紛れて生活をしている』って人間が決めたんだよ。」
こばるとの言葉でアヤは神が人を支配しているのではなく、人の想像力が神を生み出していることを知った。
「……人は考える力でルールを作り、それで自分達を無意識に縛っているわけね。」
「ま、まあ……そう言われればそうかもしれないね。でも、この世界の人は皆けっこう楽しそうに生きているからいいんじゃないかな。それでも。」
「そうね。人は考える生き物だもの。大脳が発達しているからね。」
アヤはふふんと笑うとお冷に口をつけた。
「大脳……。こ、細かい話はよくわかんないけど、そろそろ出ようか?あ、大丈夫、もう僕は君を殺そうなんて思わないから。歴史は元に戻したよ!」
「え?あ、うん。」
必死な顔のこばるとにアヤは戸惑いながら答えた。
「僕、君といると……なんだか落ち着くんだ。同じ現代神同士だからかな。」
「……こばると君……。」
こばるとは小さくほほ笑むとそっと立ち上がった。アヤはそんなこばるとをせつなげに見つめていた。
八話
栄次はしばらく時神の神力とやらを探るべく目を閉じていた。
「栄次、どうですか?」
ナオは藁にも縋る思いで栄次に尋ねた。栄次はそっと目を開けると首を横に振った。
「すまん。……人の気配はある程度わかるが……神となると……。殺気などのむき出しの感情ならば神だろうと人だろうとわかるのだが。もしかすると近くにいないのかもしれぬ。」
栄次はすまなそうに下を向いた。
「そうですか……。では少しだけマンションの廊下で彼らが帰ってくるのを待つ……というのはどうでしょうか?戻ってくる可能性にかけるのです。」
「そうだね。どうしようもないし。そのうち、あの子達が近くを通ったら栄次レーダーが発動するかもしれないし。」
ムスビは隣で佇む栄次に笑いかけた。
「……お前達はお気楽だな……。」
栄次は呆れた顔をしていた。
「ま、とにかくじゃ。アヤの部屋にいるよりも外に出て待ち伏せしようぞ!そちらのが見つけやすいかもしれぬからの。」
ヒメに言われ、ナオ達は頷きあうとアヤの部屋を出ていった。
ナオ達が外に出た時、帰ってきたアヤとこばるとに遭遇した。
「あっ!見つけました!」
「アヤ!逃げよう!」
ナオの叫びとこばるとの声が同時にマンションに響いた。
こばるととアヤは踵を返し、走りだした。
「ま、待ってください!」
ナオが引き留めようと追いかけた刹那、逃げるこばるととアヤの前に銀髪の若い男が立ちふさがった。
「……っ!?」
こばるととアヤは驚いて立ち止まった。
パーマがかかった銀髪の若い男は着物姿だった。ムスビが先程見た、あの走り去る若い男に似ていた。
「そこまでですよ。」
銀髪の男がこばるとをまっすぐ見つめ、静かに言い放った。
「お前、やっぱり龍雷水天神(りゅういかずちすいてんのかみ)かよ。」
ナオの隣にいたムスビがため息交じりに言った。
「……あなた……僕を知っているのですか?ああ、神の歴史を管理する神々ですか。それは知っていますよね。僕の事。」
銀髪の男はムスビ達に柔らかくほほ笑んだ。アヤとこばるとはなぜだか銀髪の男を前にまったく動けなくなっていた。威圧のようなものを感じる。
「ああ、一応知っているよ。お前は龍神なのに高天原南の竜宮におらず、なぜか東のワイズ軍にいるんだよな。この時神の件はお前ら東のワイズ軍が関与する内容じゃないぞ。」
ムスビの影に隠れているナオを庇いながらムスビは威圧的に言葉を投げた。
銀髪の男はムスビの威圧を受け流しながら平然と答えた。
「あなた達は確か西の剣王軍ですね。この件は西の剣王軍の管轄でもありませんよ。時神は北の冷林軍に所属しておりますのでこの件に関与できるのは冷林軍か時神くらいでしょう。」
普通に銀髪の男と会話をしていたムスビは一つ、おかしなことに気が付いた。
「ちょっと待て。なんでお前がこの件について知っているんだよ?今は昨日なんだぞ?」
「何をわけのわからない事を言っているのです?僕はただ、そこのヒメちゃんが急に走り出して行ってしまったのでついてきただけですよ。まあ、その前から歴史が動いていたのは知っていましたから僕も元凶を捕まえようと動いていましてね。」
銀髪の男の発言でムスビは首を傾げた。
「じゃあ、あんたは昨日のあんたなのか?」
「ですから……昨日昨日とあなたは何を言っているのです?あなた達は明日から来たとでも言うのですか?未来から来たと?」
銀髪の男はナオ達が未来から来たことを知らないようだ。
「なんであんたはこの子を捕まえに来たんだ?」
ムスビは先程から黙り込んでいるこばるとを見つめ尋ねた。
「ヒメちゃんのためですよ。西の剣王軍の中で唯一、彼を裁けるのは人間の歴史を管理しているヒメちゃんです。西の剣王軍のヒメちゃんか時神か時神が所属している北の冷林軍かが彼を裁けるのです。僕は東のワイズ軍ですがヒメちゃんの手助けをしただけですよ。別に裁こうなんて思っていません。」
「ふーん。ずいぶんとヒメちゃんに肩入れしてんだな。」
ムスビは銀髪の男に目を細めた。
「イド殿はワシのお友達じゃ!」
ムスビの横でヒメが元気に声を上げた。
「……イド殿?」
「彼は井戸の神としても信仰を集めておる。故に皆、彼の事をイドさんと呼んでおるぞい。」
ヒメはムスビが眉をひそめていたので笑顔で解説した。
「そ、そうなんだね。で?友達なの?」
ムスビはヒメに優しく問いかけた。
「うむ!」
ヒメちゃんはまた元気に答えた。ヒメの反応にムスビは困惑した表情を浮かべ、銀髪の男、イドに再び目を向けた。
「……まあ、大方、西の剣王軍か北の冷林軍に借りを作るようにワイズにでも言われたんだろ。あんた。」
「どう思われてもかまいませんけどね。」
納得のいっていないムスビにイドは不気味にほほ笑んだ。
その中、ナオだけは何か違和感を覚えた。というかナオは知っていた。ナオは神々の歴史を管理している。イドとヒメがもっと深く、切り離せない関係であることをナオはわかっていた。
「イドさん……違いますね……あなたとヒメさんは……。」
ナオが言いかけた時、タイミング悪くアヤが叫んだ。
「なんだかわからないけど、こばると君には手を出させないわよ!」
アヤはこばるとを庇うように立ち、ナオ達神々を鋭い瞳で睨みつけた。
「手を出すも出さないもこれは仕方のない事なんですよ。あなたはこれから時神になるお方のようですね。」
銀髪の男、イドさんが必死のアヤを軽くあしらう。
「私にはまったく話が呑み込めないけど、こばると君には手を出させないわ。」
「ずいぶんと彼に移入しているようですが彼は歴史を動かした大罪神ですよ。あなたも殺されかけたんじゃないですか?」
イドさんは困った顔をアヤに向けた。
「……っ。」
アヤは言い返そうとしたが何も思いつかなかった。アヤがナオ達を睨みつけていると後ろにいた栄次が静かに前に出てきた。
「……俺は早く現代神をこの世界に出さないといけないのだが……こばるととやら、このままではアヤが時神として覚醒できない。言っている意味はわかるか?」
栄次はこばるとを鋭く見つめ、静かに言い放った。
「……早く消えろって事かな……?……やだね。僕はまだまだ時と共にいたいんだよ!」
こばるとは栄次に敵対の目を向けた。
「はあ……では仕方あるまいな。……斬るしかない。」
栄次はため息一つつくと刀の柄に手を置いた。
「ダメっ!」
アヤはこばるとを庇うように前に出た。
「どけ。小娘。」
「どかない!」
「アヤ……やっぱり僕が何とかするしかないようだよ。大丈夫。そこで待ってて。」
「こ、こばると君……。」
こばるとはアヤの行為が単純に嬉しかった。だが、このままだとアヤを傷つけてしまうかもしれない。こばるとはアヤをそっと横にどけるとナイフを取り出し、構えた。
「……僕はまだ時と共にいたい。だから……君に負けるわけにはいかないんだよ。」
「お前は馬鹿か……。お前の役目はもう終わったのだ。自分の寿命もわからないか?新しい現代神が出たことでお前はこの世界から役目の終わりを告げられたのだ。」
「まだ終わってない!世界から拒絶されたって僕は存在し続けてやる!」
こばるとはナイフを握り直し、栄次へと攻撃を仕掛けた。
しかし、ナイフの先は栄次に当たる事はなかった。こばるとは諦めずに何度も栄次に攻撃をしかけた。
「……そんなものでは俺を傷つける事すらできんぞ。」
栄次はこばるとの攻撃を何事もなかったかのように避けていた。
円を描いては消えていくナイフの動きに栄次の後ろにいたナオとムスビは怯えていた。
「あ、危ないですよ!こばるとさん!」
「そうだぞ!そんなもの振り回すなよ!」
ナオとムスビはヒメを庇うように立ちながら栄次の影に隠れている。ナイフが光るたびに小さく悲鳴を上げていた。
「……大丈夫じゃ……もうすぐ彼の寿命は終わるからの……。」
ふと、ヒメが悲しげにつぶやいた。
「え?」
ナオとムスビが驚いた表情でヒメを見たがヒメはそこから先何も言わなかった。そしてそのまま人差し指をこばるとに向けた。
ナオ達は恐る恐るこばるとの方に目を向けた。
「うっ……。」
気が付くとこばるとは苦しそうに呻き、栄次の前に跪いていた。ナイフがマンションの廊下に落ちる。
こばるとに外傷はない。ただ、こばるとが苦しがっているだけだ。
「うっ……うう……。力が抜けていく……。た、立てない……。」
こばるとは苦しそうに呻きながら小さくつぶやいた。
「それはそうだろう。お前は時神としての力を失っているのだ。そのうち、人間の力の方が強くなり、いままで止めていた時間が大きく動き出し、お前は消える。」
栄次は冷酷に言葉を発した。
「そ、そんな……。僕はまだ……。」
「いや……もう気が付け。お前は寿命なのだ。」
認めようとしないこばるとに栄次は諭すように言葉を発した。
「やだ……やだよ……。」
「こばると君!」
アヤがこばるとのそばに寄り、座り込んでいるこばるとの背中をさすった。
こばるとはアヤに力のない瞳を向けると悲しそうにつぶやいた。
「……自然の……摂理か……僕達、神も……運命には逆らえない……。この世界の生き物が必ず死ぬように……僕達、神も……用がなくなれば消えてしまう……。」
こばるとはもう座っている事もできず、そのまま冷たいコンクリートの廊下に倒れ込んだ。
「こばると君!しっかりして!二人で時神やるって約束したじゃない!こばると君!」
アヤはこばるとを揺するがこばるとの反応は薄かった。
こばるとはかすかに笑っていた。
「……本当は……わかっていたんだ……。でもちょっとだけ世界に抗ってみたかった。」
「まだ……まだ抗えるかもしれないわ!」
アヤの言葉にこばるとは何も答えなかった。
……どうしよう……。このままじゃこばると君が……。
「アヤさん!」
アヤが弱っていくこばるとに焦っていると不意にナオの声がした。
「……?」
アヤは顔を上げてナオの方を向いた。ナオは何かを叫んでいた。ナオの発言で周りの神が驚きの表情に変わった。アヤは動転している頭でナオが叫んだ言葉を反芻した。
彼女はアヤにこう言っていた。
……こばるとさんの事を考えて祈れ!と。
「ど、どういう事……?」
「アヤさんがなってほしいと思う神になるように祈りなさい!時神以外で!」
ナオの言葉にアヤは考える余裕もなくとりあえず、祈った。ふと、空に輝く太陽が目に入った。
……こばると君が輝けるように……そうだわ!
……こばると君を太陽神に!
そう強く願った時、アヤから強い光が飛び出した。その強い光はこばるとを覆い、包み、こばるとごと跡形もなく消してしまった。
九話
「……っ!?」
こばるとと強い光が消えた後、アヤの目の前に水色の人型クッキーのような物が浮いていた。顔と思われる部分には渦巻のペイントがしてあって体型はぬいぐるみのようだった。
「なっ……なにこれ……?」
アヤが茫然と水色の人形を眺めているとイドが大きくため息をついていた。
「はあ……北の冷林を呼んでしまいましたか……。そうですね……あなたの中にはまだ人間の力が残っているんでした。人間の信じる力が……。」
「ど……どういう事?このぬいぐるみみたいなのは……何よ!こばると君は?どこ!」
アヤはイドに向かい、慌てて叫んだ。
「まあ、落ち着いてくださいよ。説明しますから。……北の冷林とは高天原北を統括する縁神(えにしのかみ)の通り名です。縁神、冷林は人の願う力に作用し、縁を結ぶ神。あなたにはまだ人間の力が残っていたのでその部分があなたの祈りに反応して冷林が出てきたと予想します。まったく……そこの歴史神が余計なことを言いましたから……。」
イドはムスビの後ろに隠れているナオをちらりと横目で見た。
「それで?こばると君はどうなったのよ?」
「ええ。彼はおそらく太陽神になったのでしょう。あなたが祈り、信仰したからあなただけのための新しい神として生まれ変わりました。……人間が祈ればなんだって神になってしまう。反対に信仰されなくなったら消えてしまうんです。……あなたの人間の力はこれから徐々に消えていくので、あの元時神はあなたの人間の力が消えない内に他の信仰を集める必要があるわけです。あなた以外の信仰心を集められないとすぐに消える事となるでしょう。」
イドは「まあ、これもありですかね。」とつぶやき、天を仰いだ。
水色の人型クッキー、冷林は一言も発することなくさっさとどこかへ行ってしまった。
アヤの願いがかなったとわかったのでもういる意味はないと判断したようだ。
「こばると君には会えるの?」
アヤは消えてしまった冷林の事を不思議がるわけでもなく、イドに再び尋ねた。
「会えますよ。太陽に行けば。……それと……まあ、僕とかヒメちゃんと暦結神は関係ないと思いますけど、霊史直神はこれから高天原会議にかけられるか、もしかすると太陽神のトップから呼び出しがあるかもしれません。」
「……まあ、それは仕方ないので!」
ナオはどこか嬉しそうに答えた。
「ナオさん……なんであんた、嬉しそうなんだよ……。とっちめられるかもしれないんだぜ。」
ムスビが隣で呆れた目を向けた。
「ムスビ……。私達の目的は高天原の四大勢力と月と太陽に神々の歴史の確認をすることだったでしょう?普段、顔すら見る事のできない雲の上の神々と会話ができるのですよ!」
ナオは弾む声でムスビにささやいた。
「はあ……すげぇ度胸……。まあ、ナオさんが行くっていうのならついていくけど。」
ムスビは顔を青くしながらとりあえず頷いた。その隣で先程から様子を窺っていたヒメが不思議そうに重大な事を口にした。
「ああ、それからのぉ……本当に今更じゃが……なんでこの現代の時代に時神の過去神がいるのじゃ?」
ヒメは首を傾げていた。
「歴史が変わらない範囲で一部の彼のデータだけ現代に持ってきました。」
「それはまあ、違法じゃないですけど、あまり良くないんじゃないですかね?」
ナオの発言にイドは顔を曇らせた。
「まあ、どちらにしろ、高天原の会議に出られるというのですからその件も高天原面々にお話いたします。」
ナオは堂々と胸を張った。
「……だからなあ……胸を張れることじゃないんだけどなあ……。なんでナオさん、偉そうなんだよ……。」
怖いもの知らずなナオにムスビは頭を抱えた。
アヤはまだ不安げな顔をしていた。
「さてと……ヒメちゃん、歴史も戻ったようですし、僕はここでお暇させていただきますよ~。」
「うむ!ありがとうなのじゃ!」
ヒメは去っていくイドにとりあえず手を振った。
「お待ちください!」
足を出しかけたイドに向かいナオが叫んだ。
「……?なんでしょう?」
イドは出しかけた足を戻し、振り返らずにナオに尋ねた。
「あなたはこの件を東のワイズに報告するつもりなのでしょうが、あなたは龍神、本来ならば南にある竜宮の所属が適切なのではないですか?」
ナオの言葉にイドは何かを考えているようだった。こちらからだと顔が見えず、何を考えているのかはわからない。
「あなたならすべてが見えているのではないですかね?神々の歴史を見る事ができるのならば……。」
イドは感情のこもってない声でナオに答えた。
「……私はある程度のザックリした部分しかわかりません。あなたの歴史には不可解な部分が多いのです。あなたの歴史から……今は概念化したと言われているスサノオ尊の何かを感じました。私が興味を持ったのはスサノオ尊についてと、後はヒメさんの事です。」
ナオが静かにイドの背中に言い放った。刹那、イドがナオ達を振り返った。
イドは神力を威圧に変え、ナオ達を鋭く睨んだ。
重たいものが背中にのしかかってくるような感覚がナオとムスビと栄次を襲った。
ヒメにはその威圧が向いていなかったのか不思議そうにナオ達を見ていた。
アヤはイドの異様な雰囲気に怯え、その場に崩れ落ちた。
「……お前が僕と流史記姫(りゅうしきひめ)の何を知っているのか知りませんが……口を滑らすとどうなるか……今ここで教えてもいいんですよ。」
イドは先程の穏やかな感じではなく、鋭く突きさすような声音でナオ達を震え上がらせた。主に恐怖で埋め尽くされていたのがナオとムスビだった。栄次は刀の柄に手を置いたままイドを睨みつけている。
栄次はかろうじて立っているような状態だった。ナオとムスビはなぜか体が非常に重く、そのまま膝をつき、頭を地面に押し付けるような形をとらざる得なくなった。
つまり、イドに土下座をしているような状態だ。
「……か、体が動かない……。」
ムスビは苦しそうにつぶやいた。
「こ、これは……強力な言雨(ことさめ)……。」
ナオは自分から滴る汗を見つめ、体を震わせた。
「い、イド殿!やめるのじゃ!何故、いきなりナオ達にこんなことをするのじゃ!」
近くで見ていたヒメはイドを睨みつけながら叫んだ。
「ああ、すみません。ヒメちゃん。僕の神力が勝手に出てしまったようです。ヒメちゃんも西の剣王軍に色々と報告をしなければならないでしょう?僕と一緒に高天原に行きましょう?ね?」
イドは先程の雰囲気を一瞬で消し、ヒメに優しくほほ笑んだ。
「うむ……そうしたいのじゃが……彼らを元の世界に送り届けんと……。明日のワシが勢いで彼らを今日に連れて来てしまったようじゃが……ワシは明日に彼らを戻す術を知らぬ。過去には送れるが未来となると……。」
「そこは問題ないでしょう。ここには神になりかけの時神現代神がいるのですから。彼女はまだ人間の力を持っています。歴史を動かせ、人の想像力で未来にも行ける。彼らを明日に飛ばすことくらい可能でしょう。ほら、ヒメちゃん。行きましょう?」
イドはどこか焦るようにヒメに声をかけていた。
「う、うむ……。確かに報告は早い方がいいのぅ……。あ、ナオ殿、ムスビ殿、栄次殿……色々とありがとうなのじゃ!ワシはここでお暇する故、後は時神現代神のアヤになんとかしてもらうのじゃ!もしダメそうじゃったらワシが戻ってくるまでそこにいるのじゃ!」
威圧から解放されたナオ達はその場にへたり込んでいた。ヒメはそれを心配しながらもイドの呼びかけであっさりと高天原へ行く事を決めた。
「これで剣王に褒めてもらえるぞい。それから色々と有名になっていつか父上にワシを見つけてもらうのじゃ。」
「……ヒメちゃん……そろそろ行きましょう。」
ヒメは切なげにほほ笑むと複雑な表情をしているイドと共にその場から消えていった。
イドとヒメが消えてしまった後、ナオは肩で息をしながらマンションの壁に背中をつけた。
「……あの龍神は……ヒメさんとの親子関係を隠しているのですね……。どうして隠す必要なんて……。」
「ナオさん?今……なんて言った?」
ムスビも肩で息をしながらマンションの壁に背中を預けた。腕で額の汗を拭う。
「ムスビ……気づいていなかったのですか?あの二神は親子ですよ。イドさんの方は親子関係を隠したいと思っている様子でヒメさんの方は父親を知らない雰囲気でした。それにスサノオ尊も絡んでくるとは……あの二神についてはもっと調べないといけません……。」
ナオが小さくつぶやいた時、栄次の膝ががくんと動き、片膝立ちになった。あまりにも強力な神力を浴び続け、それが突然消えたため、緊張の糸が切れたようだった。
「だが……あの神は隙がなさそうだった。俺もあれほどの神力を提示されると何もできん。あれを調べるのは危険すぎるぞ。」
栄次はため息交じりに言うと頭を抱えた。
「はい……その対策は今度考えるつもりです。あれに接触するのは現状ではかなり辛いでしょう。うまく彼の歴史が見えるようになんとかしなければなりません。その前に明日に戻りましょう……。」
ナオは栄次に言葉を返すとアヤに目を向けた。アヤは震えながら頭を抱え、隅の方でうずくまっていた。
「あ、アヤさん……。」
ナオはよろよろと立ち上がり、アヤのそばまで寄った。
「な、なんだったのよ!一体!」
「あ、アヤさん……落ち着いてください。私達を明日に戻してもらえませんか?」
ナオはアヤをなだめ、元の時間軸へ戻すように頼んだ。
「……明日に戻すって何を言ってるのよ!私、そんなやり方知らないわよ!もう何?もういや!」
アヤはさらに蹲り、震える身体を自身の腕で抱いた。
「……な、ナオさん……。」
ナオとアヤの間に入り込もうとしたムスビを栄次が止めた。
「やめておけ。会話は女同士の方が良いだろう。俺達が入り込んだら余計彼女は怯えてしまうような気がするぞ。」
「そ、そっかな……。なんか俺もそんな気がしてきた。ナオさんに任せるか……。」
栄次の静かな制止にムスビは肩を落としつつ、再び壁にもたれかかった。
「アヤさん、何とか頑張って明日に戻してもらえませんか?それからあなたも戻らないといけません……。明日に戻れたらこばるとさんに会いに太陽まで行きましょう?こばるとさんは太陽神になっていますからおそらく太陽にいますよ。ね?」
ナオはアヤの肩を優しく叩き、諭すように言った。アヤはナオの言葉を聞き、顔を上げた。
「……そっか。こばると君が生きているのかちゃんとこの目で確かめないとね……。そういえばこばると君が元の時間軸に戻れるようにってこの腕時計をくれたの。この腕時計は明日、私達からすれば今日ね……に完成の腕時計なんだって。明日に完成するはずの時計が昨日にあるのはおかしいけど、これで明日に戻れるんじゃないかしら?」
アヤはピンク色のオーダーメイドらしい腕時計をナオ達に見せた。
「それで戻れるのならば私達を未来へ戻していただけませんか?」
ナオはアヤの様子を窺いながら恐る恐る言葉を発した。
「戻せるかわからないけど……とりあえずやってみるわね。」
少し元気が出てきたアヤはとりあえず、腕時計を色々と触ってみた。
ひっくり返してみたり、ベルト部分を触ってみるなど一通りやった後、アヤは静かに顔を上げた。
「……ど、どうでしょうか?」
「わからないけど……なんだかわかる気がするの。」
アヤは複雑な表情でナオを見据えた。
「もうここはアヤさんに任せます。とりあえず、ムスビと栄次を呼びますね。」
ナオは少し離れたところでこちらの様子を窺っているムスビと栄次を手招きして呼んだ。
栄次とムスビは静かにナオの元まで来た。アヤをあまり刺激しないように様子を窺っている。
「ではアヤさん、やってみてください。」
「で、できるかわからないわよ。」
自信なさそうな顔をアヤはナオに向けた。
「とりあえず……お願いします。」
ナオのほほ笑みにアヤは戸惑いながら、感覚を研ぎ澄ますために目を閉じた。
「ふう……やっぱりよくわからないわ。ダメね。」
アヤはため息をつくと同時にすぐに目を開けた。
「そ、そんな事ないようですよ。」
ナオは辺りを見回してほっとした顔をしていた。
「え?」
アヤも辺りを見回す。アヤ達はなぜかアヤの部屋にいた。チラシも散らばっていない。例の時計は箱からちゃんと出ていた。
「も、戻ったみたいだよ……?」
「そのようだな……。」
ムスビと栄次も突然の事で頭が回転していなかったが辺りを見回して戻ってきたことを知った。
「え?私、目を閉じただけよ?他は何にもしていないわ。それなのに……。」
「無意識に時神の力を使ったのではないでしょうか?なんにしても助かりました。」
ナオもよくわからなかったがとりあえず戻って来れたことを喜んだ。
十話
「じゃあ、明日になったわけだし、まずはこばると君に会いたいわ。太陽神になっているはずよね?」
アヤはそわそわと部屋を見回しながらナオを急かした。
「え、ええ。おそらく太陽神でしょう。しかし、私達は太陽神達が住む霊的太陽に行く方法がありません。」
「そんな!あなたがこばると君に会いに行きましょうって言ったのよ。何かないの?」
表情が曇るナオにアヤは焦りながら尋ねた。
「え、ええと……あるにはあるのですが……。そうですね……。この付近で太陽神の神格を持つ神がいらっしゃれば、その神が太陽への門を開いてくれるかもしれません。」
「あるわよ。」
アヤはすぐさま答えた。
「え?あるのですか?」
アヤの返答があまりに早かったため、ナオは少々驚いた。
「階段を登って本殿までは行った事ないけど階段下に石碑があってその石碑に日穀信智神(にちこくしんとものかみ)って書いてあったわ。日の文字が入るんだから太陽神よね?あなた達みたいな姿の神がいるのかしら?」
「ああ……日穀信智神は穀物の神……つまり実りの神ですね。ですが太陽神の神格も確かに持っているようです。私達も太陽に用があるので一緒に行きましょう?」
ナオはアヤの手を優しく握ると歩き出した。
「え、ええ。そうね。あなた、何で今言った神の事を知っているの?って、神様だから知ってるのは当たり前なのかしら?」
アヤは戸惑いながらナオについて歩く。
「私は神々の歴史を管理しておりますので検索すればすぐにわかりますよ。」
ナオはアヤに笑いかけたが当のアヤはさらに困惑していた。
「アヤちゃんだったっけ?ナオさんは神々の歴史を管理しているからさ、神さんがたくさんいすぎて覚えられないんだよ。だからよくわからないけど、ネットのように情報を検索してそれを引っ張り出しているんだと俺は予測しているよ。よくわからないけど。」
ムスビがナオの説明をした。アヤは余計に戸惑い、首を傾げた。
「か、神ってすごいのね……いろんな意味で。」
「いや、人間の脳の処理能力もパソコンと同じシステムだと俺は思っているけどね。だから神もおんなじだよ。」
「へえ……。」
笑顔のムスビにアヤはかろうじて返事をすると部屋から出てマンションの廊下を歩き始めた。ナオ、アヤ、ムスビの後ろで寡黙のまま栄次もついてきた。
外は過去へ行く前と同じく真っ暗だった。
「とりあえず、日穀信智神の神社へ行きましょう。」
「そうね。」
ナオの発言でアヤがそこからナオについて追及する事はなかった。
アヤのマンションからすぐ近くに例の神社はあった。神社は大きなスーパーマーケットの裏にひっそりと建っていた。
「この階段を登ると社があるわよ。」
アヤが鳥居の前にある階段を指差した。ここだけ森が残っており、街灯もなく、空は星がきれいだった。
「ていうか、夜だったっけか?」
ムスビが階段を登る前にナオ達に尋ねた。
「ええ、夜でしたね。確か、時計が狂う前は六時か七時くらいでしたから。……ん?……では、と、時計は今狂っているのでしょうか!」
ナオはムスビにのんびり答えていたがふと時計が狂っていたことに気が付き慌てて叫んだ。
「な、ナオさん落ち着いて……。そ、そういえば時計どうなったんだ?狂ったままかな?」
ムスビも時計が狂っていたことを思い出し、焦りだした。
「問題ない。」
ふと隣から静かに栄次の声が聞こえた。
「え?」
「俺とアヤが戻した。」
驚いている二神を一瞥してから、栄次はうつむいているアヤに目を向けた。
「そう……ね。戻し方がわからないはずなのに……わかるの……。わかったの……。頭の中で時計の針の音がして気が付いたら勝手に戻してた……。」
アヤは動揺した声で言った。
「そうですか……。あなたはもう時神という事ですね。世界のシステムがあなたを導いたのでしょう。」
「……私はもう人間じゃないの?」
「……あなたははじめから人間であって人間ではなかったのですよ。時神のシステムです。人々が『時神は人の生からはじまり、徐々に神になっていき、近くから人を見守っている』という想像をしたため、あなたは時神でありながら覚醒するまで人間の殻を被っていた……という事になります。ですので……。」
ナオはどこか自慢げにアヤに語ったがアヤの表情を見て口を閉ざした。
アヤはとても悲しそうな顔をしていた。
「それはこばると君から聞いたわ。」
「ど、どうしました?アヤさん……。」
ナオはよくわからず、アヤの顔を覗き込んでいた。それを見た栄次はナオにそっと声をかけた。
「俺もそうだったが……いままで人として歩んできた生を全否定された気分になったのだろう。俺達時神はお前達のように最初から神だったわけじゃないからな。……アヤもおそらく今、自分の中の時が止まっている事を実感しているのだろう。これは実感してからくる感情だ。」
「……そ、そうですか……。」
ナオは初めから神としてこの世に存在していた。故にアヤ達の気持ちがよくわからなかったが栄次の言葉を聞いてなんとなくアヤの気持ちがわかった。
つまり、生まれたての人間の子供が狼に連れ去れて、その狼に育てられて大きくなり、狼だと思って生きてきたがまわりから人間だと言われ突然人間に戻された……という話と気持ちは似ているかもしれない。
「……それでこばると君は時神の生を否定されて今は太陽神になっているの?」
「そうなりますね。」
アヤのせつない問いかけにナオは困惑しながら答えた。
「ま、とにかく……時計が大丈夫なら階段登ろうか?」
ムスビは話がこじれていく予感がしたため、とりあえず太陽へ行く事を提案した。
「そうね……。でも今、太陽じゃなくて月が出ているんだけど太陽に行けるの?」
「あ……。」
アヤの発言にナオ達は固まった。
「いけないね。他の国は違うかもしれないけど日本では霊的月と霊的太陽が交互にこの世界に来ることになっているからね。今は夜だから……こっちの世界にあるのは霊的月だ。」
ムスビは腕を組んでため息をついた。
「何よ?霊的月と霊的太陽って……こっちの世界って?」
「人間が見ているのは月と太陽です。しかし、神々が住んでいるのは霊的月、霊的太陽と呼ばれる霊的空間です。世界各国で月と太陽の感覚は違いますので世界各国で霊的空間も違うのですよ。日本では太陽にある暁の宮、月にある月光の宮が主な霊的空間です。」
ナオの説明にアヤは頭を抱えた。
「わ、わけわかんないわ。この世界っていうのはだから何?」
「この世界は六つの世界でできていると言われております。私もほとんど知らないのですが壱、弐、参、肆、伍、陸と表記するようです。この世界は陸の世界。もう一つ、鏡のように存在する世界それが壱の世界です。その霊的月と霊的太陽はこの世界陸と鏡の世界壱を交互に回っているのです。ですので今は月が出ていますからこの世界陸にいるのは月神という事になります。反対に今、鏡の世界壱には太陽神がおります。」
「……うーん……。」
アヤは信じられないといった顔をしていた。
「まあ、そのうちわかってくるでしょうから特に考えて生活する必要はないですよ。」
ナオはアヤの肩を優しく叩き、ほほ笑んだ。
「それで……どうするのだ……?」
栄次が神社の階段上を眺めながら問いかけた。
「そ、そうですね……とりあえずここの実りの神に太陽へ行くアポイントを取りましょうか?」
「そうだね。ここまで来たし。」
ムスビはナオとアヤを交互に見つめながら頷いた。
「そもそも太陽神は現在壱に行っているのではないのか?」
栄次が心配そうにナオに目を向けた。
「ここの神は元々、穀物神のようですから太陽にはおらず、ここにいらっしゃるようですよ。」
ナオは栄次にそう答えると鳥居を潜り階段を登り始めた。
アヤも栄次もムスビもなんとなくナオに従って階段を登り始めた。神社に街灯はなく、真っ暗で人っ子一人いない。
階段を登り切ると再び鳥居があり、その鳥居の奥にそこそこの社が建っていた。
「く、暗闇の神社ってやっぱり不気味よね……。」
アヤはナオの肩に手を置きながらブルッと体を震わせた。
「……ですがここにいらっしゃる神はどうやら能天気なようです。」
ナオは怯えているアヤの手をそっと撫でると社の賽銭箱の方を見るよう促した。
「……あれがここにいる神なの……?」
賽銭箱の上でだらしなく男の神が眠っていた。黄色の短い髪に狐の耳が生えており、赤いちゃんちゃんこにとび職のような裾がすぼまっている白いズボンを着ている。
仮想パーティから出てきたような格好だ。
「ふう……ちゃんと社内で寝ろよ……。風邪ひくぞ……。」
ムスビは呆れた顔をしながら気持ちよさそうに眠っている男を見つめた。
「……んあ?」
ムスビの視線に気が付いたのかよくわからないが眠っていた男が目を覚ました。
「あ、起きたわ。」
アヤがナオに目線を送る。ナオも頷き、男に近づいていった。
「ん?おたくら……誰だよ?神か?んあ~……良く寝た。」
男は大きくあくびをすると寝ぼけ眼でナオ達を見据えた。
「良く寝た……?あなた、いままで寝ていたのですか?」
ナオは目を見開いて驚いた。今は午後八時に近いと思われる。
「ん~……まあ、いつもこんなもんだぜ。」
「夜行性ですか?」
「ん?いや。夜もしっかり寝るぜ。」
男の返答にナオは頭を抱えた。
「もう封印に近いじゃないか……それ。」
ムスビも大きなため息をついた。
「で?おたくらは誰だ?俺は日穀信智神。実りの神で周りからはミノさんって呼ばれているぞ。」
男はよく見ると澄んだ青い瞳をしていた。宝石のようでとても美しい。顔つきから温厚そうなものを感じる。
「では私もミノさんと呼ばせていただきます。」
「ん?お、おう。いいぜ。……で、な、なに用なんだ?」
金髪の男、ミノさんは真面目そうな外見のナオに何か言われるのを恐れたのか少し怯えた返事をした。
「ええ、あなたは太陽神の神格もお持ちのようですので太陽への門を開いていただきたいのです。」
「太陽への門?俺、やり方知らねーぞ……。」
「え?知らないのですか!?」
ミノさんはナオの声にびくっと肩を震わせた。
「し、知らねーよ……。太陽なんて行った事ねーし……。」
「困りましたね……。」
ナオはムスビ、アヤ、栄次にそっと目を向けた。
「他に太陽神がいる神社はないのか?」
栄次がアヤに問いかけた。
「……この辺じゃあ、ないわね……。ちょっと遠いところにあるのは噂で聞いた事あるけど。」
「仕方ありません。そちらに行きましょうか。」
ナオがアヤの言葉を聞き、早急に決断した時、ミノさんが何かを思い出したようにのんびり声を上げた。
「あ、そういやあ……この紙なんだが……ここを訪ねてくるだろう神に渡してくれって昼間に太陽神から頼まれて……それっておたくらか?」
「太陽神からですか!……やはりお呼びがかかりましたか。それはおそらく私達です。お預かりします。」
ミノさんはナオに怯えつつも一枚の紙を懐から取り出し、ナオに渡した。
……明日、明け方に使いの猿をこの神社によこすのでその猿と共に来ていただきたい。
文はこの一行だけだった。
「ずいぶんと簡素な文章ですね……。まあ、よいですけど。明け方にこの神社にくればよろしいのですね。わかりました。では本日はここに泊まりましょう。」
「うえっ!?」
ナオの発言にミノさんから変な声が出ていた。
「ちょ、ちょっと泊まるって……。」
いままで人間だったアヤはナオの発言に耳を疑った。
「な、ナオさんー!ちょっとそれは……。」
元々神のムスビも動揺の声を上げた。
ミノさんの神社は泊まるというよりかは野宿に近い。
「実は……ミノさんからはイソタケル神の記憶が一瞬見えました。それで少し、お話をしたいと思ったのが本音です。イソタケル神は現在行方不明になったスサノオ尊の息子です。イソタケル神は健在ですが居場所がわかりません。故に情報収集をしたいなと……。」
ナオはもじもじとムスビに泊まろうと言ったわけを話した。
「や、やっぱりそういう感じたと思ったよ……。まあ、ナオさんがそれでいいっていうなら俺もそれでいいよ。ミノさんだったっけ……がいいならな。」
「……俺はお前達に従う。」
ムスビと栄次はため息交じりに賛成の意を見せた。
「わ、私はいやだから帰るわ。……じゃ、じゃあ私は明日の夜明けにまた来るわね。」
「ああ、じゃあ俺が送っていくよ。」
アヤが去ろうとしていたので慌ててムスビが追いかけた。
「アヤさん、ごめんなさい。また明朝会いましょう。それと……ムスビ、彼女をしっかりと送ってあげてくださいね……。」
ナオは軽く手を振っているムスビの背に追加で言葉を発した。
「まあ、俺が彼女を送り届けても良かったのだが……ここはムスビに任せようか。」
栄次はため息交じりに言うとミノさんをちらりと視界に入れた。
「お、おい……勝手に話を進めるんじゃねぇよ……。」
ミノさんは栄次の視線に怯えつつ、小さく声を発した。
「今夜だけ……お願いいたします!」
ナオはミノさんに丁寧にお辞儀をした。
「うっ……ま、まあ、敷地はそこそこ広いから……俺は別にいいけどな……。」
ミノさんは困惑したまま、とりあえず了承した。
ムスビが帰ってきてからナオはミノさんに色々と質問をしたがイソタケル神はおろか、スサノオ尊の事すら聞き出せなかった。ミノさんは何も知らないようだった。
「……あの一瞬の歴史は……なんだったのでしょうか……。」
「俺が覚えてないだけかもしれないぜ。」
ミノは色々と聞かれて疲れた顔をしていた。
「そうですか……。では少し、あなたの事を調べさせていただきますね。……あなたに関わった花泉姫神(はないずみひめのかみ)については覚えておりますか?」
「……知らねぇなあ……。誰だそれ?」
ナオは断片的なミノさんの歴史を検索するがミノさんは何にも覚えてなさそうだった。
「そうですか。ではまた別の方向で後ほど調べさせていただきますね。」
「はあ……もうそっちで勝手に調べてくれ。俺は疲れた。寝るぜ……。」
ミノさんは頭を抱えつつ、再び賽銭箱に横になった。賽銭箱が寝床なのか……。
「あ!ミノさん……まだお話が……。」
「ナオさん……こんなに質問したらあいつも疲れるだろ。きっと神の名前を覚えていないんだ。あいつ。だからこの神を知ってる?って聞いても名前がわからないから答えられないんだ。もう、こっちで頑張って調べようぜ。俺も疲れちゃったよ。」
ムスビは眠くなってしまったのかウトウトとしていた。栄次は刀を片手に座ったまま眠っていた。
「……仕方ありませんね……もう休むことにします。……と、いうか……こ、ここで眠るのですか?」
ナオは社外の賽銭箱前の三段くらいの階段に座っていた。
「そうだろ……。ナオさんが野宿するって言うから……。」
「……。」
ナオが言った事なのだが実際にここで眠るとなると少し躊躇いが生まれた。
「なんだ?寝られないのかい?だから止めたのに……。ミノさんとやらがもう寝てるから社内に入る事はできないぜ。こいつを起こせば社内の霊的空間で眠れるかもしれないけどね。この社を開く鍵はこいつだし。」
ムスビは賽銭箱の上でだらしなく寝ているミノさんを呆れた目で見つめた。
「……お、起こすのはかわいそうですね。わかりました。ここで眠ります……。」
「ああ、ナオさん、男ばっかで怖いんだろ?大丈夫だよ。何にもしないから。怖いなら俺が抱きしめて守りながら寝てあげようか?ん?」
ムスビはニコニコとほほ笑みながらナオに近づいてきた。
「あ、あなたが一番怖いです。ムスビ。」
「なんていうか……ナオさんはなんだかふわふわしてて抱き枕にちょうど良さそうな感じなんだよねー……。」
「そうですよね。あなたはそういう神でした。」
ナオは顔を青くしたまま、ムスビから少し離れた。
「冗談だよ。でも怖いなら俺が近くにいてあげるよ。」
「……ありがとうございます。でも……大丈夫です。おやすみなさい。」
「……そ。わかった。じゃ、おやすみー。」
ムスビはナオに優しくほほ笑むとナオから少し離れて横になった。
ナオはムスビの優しさを感じ、こちらに背を向けて横になっているムスビにほほ笑んだ。
最終話
結局ナオはあまり眠れなかったが神社は夜明けを迎えた。早起きしたアヤが夜明けと共にすぐさま神社にやってきた。
「おはよう。あら?ナオはなんだか寝不足のようね。」
アヤはナオの目元を見て首を傾げた。
「え、ええ……まあ、少し眠れなくて……。」
ナオは弱々しい声でアヤに笑いかけた。ムスビと栄次はもう起きていた。良く寝たのか顔はスッキリしている。
「ナオさん、やっぱり寝られなかったのかい。だから俺が……。」
「も、もういいです!大丈夫です!」
ニヤニヤしているムスビにナオはきっぱり言うとそっぽを向いた。
「……それで……この男は……。」
栄次が呆れた顔でだらしなく眠るミノさんに目を向ける。
「ま、まあ今回は猿が迎えに来て下さるというので別に今起こす必要はないでしょう。」
「そうだね。起こすのも大変そうだしな。放っておこうぜ。」
ナオとムスビがため息交じりに言った時、突然太陽から光が差した。
「お?」
光は徐々になくなり、代わりに鳥居と長い階段が現れた。その階段脇に灯篭がなぜか浮いている。階段から一人の男が降りてきた。男は頭に髷を結っていて、髪、着物、すべてが全体的に茶色だった。目は細くて見えているのか見えていないのかわからない。
「あなた方が例の神々でござるか?」
男は語尾に「ざる」をつけて問いかけてきた。ナオ達は一発で彼が猿である事に気が付いた。霊的動物は動物姿にもなれるが基本は人型をとっていると聞く。
この猿も現在は「猿」なのではなく、人型表記で表す「サル」なのであろう。
紛らわしいので人型の時の彼らを表すのはカタカナと神々の中で決まっているようだ。
「霊史直神(れいしなおのかみ)、ナオでございます。」
「暦結神(こよみむすびのかみ)だ。」
「時神過去神、白金栄次だ。」
神々はそれぞれ名乗った。
「あ……私は……えっと……アヤよ。」
アヤは名乗るのに慣れていなかったため、まごまごとしていた。
「ふむ……それでは彼の事でお話があるのでついてきていただけるでござるか?」
サルは後ろに佇む男の子に目を向けた。
「……っ!」
アヤの目が大きく見開かれた。サルの後ろに立っていたのは立花こばるとだった。
「こばると君!良かった!生きていたのね!」
アヤはこばるとを見てほっとした顔をしていた。しかし、こばるとの表情はアヤとは真逆だった。不安に満ちた顔……。
「……こばると君って僕の事?君は誰なの?」
「……え……?」
こばるとから驚くべき言葉が発せられた。アヤの表情も自然と強張った。
こばるとはあの時の学生服を着ておらず、赤と黄色ベースの着物を着ており、頭に太陽を模した冠をつけていた。
「誰って……私はアヤ……。」
「アヤ?ごめん、僕達……会った事あったっけ?僕は昨日に生まれたばかりの太陽神だ。輝照姫大神(こうしょうきおおみかみ)、サキ様からサルと共に彼らを迎えに行ってこいと言われたのでついてきただけだよ。……へえ、ここが現世なのか。今度サキ様に頼んで案内してもらおっと。」
「……あなた……何言って……。こばると君……。」
こばるとは今まで住んでいた現世を物珍しそうに眺めていた。
「こばると君って僕はこばるとって名前じゃないんだけど……。まだ名前をもらっていないからさ、何とも言えないけどコバルトよりもオレンジとかレッドとかの方がいいなあ。」
こばるとは楽しそうに笑った。
いままでの記憶すべてがなくなってしまっているようだった。
いや、記憶を無くしているというよりもまったく違う神としてこの世に突然生まれた神と言った方が正しいのかもしれない。
アヤはなんだかわからず、震え、顔を手で覆い泣き出した。
「……あ、あれ?どうしたの?僕、なんか変な事言った?」
こばるとはアヤを心配そうに見つめていた。
「やはり記憶が上書きされてしまいましたか……。アヤさん……彼はもう違う神です。違う神として生まれ変わったのですよ。ですのでもう……彼はこばるとさんではありませんし、時神でもございません……。彼は顔だけこばるとさんですがまったく別の神です。」
ナオは自分で提案をした手前、気持ちは複雑だった。
「何よ……上書きって……あのこばると君はもういないの?これじゃあ助けた事にならないじゃない!あなたがああしろって言ったのよ!」
アヤは目の前の現実を認めたくなかった。ナオを睨みつけ、鋭く叫んだ。
「……ですが……彼をあそこから救うのはこれしかなかったのですよ……。元々、彼は消えなければいけなかった神……この世界のシステムには逆らえません。この世にあるものには必ず終わりがあるのと同じです。」
「そんなの……そんなの私は認めない……。こばると君はこばると君だわ。神がこの世に存在しコンタクトが取れるのなら……この世界ともコンタクトが取れるはず。そうしたら私はこの世界のシステムと戦ってやるわよ!」
アヤは子供のように泣きながら叫んだ。
「あ、アヤさん……落ち着いてください!この世界はちゃんと意味があって動いています!矛盾などが生じないようにきれいに動いているのです!この世のシステムをどうこうするのは無理です!」
ナオはアヤの肩に手を置き、諭すように言った。しかし、アヤはナオの手を振り払った。
「私はこの世界がきれいに動いているなんて思わないわ!こばると君は絶対に救ってみせる。この世界のシステムを変えてやるわ!」
アヤはよほどショックだったのか捨て台詞を吐き、泣きながら走り去っていった。
「あっ!アヤさん!」
ナオが追おうとしたがムスビが止めた。
「心配するなって。あの子がこの世界をどうこうできるわけがないんだからさ。……おい、そこの狐神、いい加減起きろ!」
ムスビはナオをなだめるとミノさんを叩き起こした。
「んむ……なんだよ?まだ夜明けじゃねぇか……。」
ミノさんは寝ぼけながらムスビを見据えた。
「今すぐにあの女の子、アヤを追え!そして俺達の代わりに慰めてやってくれ。」
ムスビは走り去るアヤを指差し、静かに言った。
「……ん?全然状況が読めねぇが……泣いている女は放っておけないな……。」
ミノさんは寝起きだったがアヤの状態が尋常ではない事にすぐに気が付き、慌ててアヤを追い始めた。
「……あいつ、けっこういいやつだな……。」
ムスビは走り去るミノさんを満足げに見つめた。
「……ふむ。お前もいい男だったぞ。」
ムスビの判断が気に入ったのか栄次は腕を組みながら小さく頷いた。
「そりゃあどうも。……さて、じゃあナオさん、あの子はあの狐耳に任せて俺達は俺達の目的を果たそう。な?」
「……ムスビ。……そうですね……。アヤさんの事は気になりますが私達は自分の仕事をしなければなりません。……太陽に行きましょう。」
ナオは若干落ち込みながら鳥居の前で待っているサルと元こばるとに目を向けた。
「あの子はいいのでござるか?」
「ええ。あの子の事は今は忘れてください。」
「そうでござるか……それでは太陽へ案内するでござる。」
サルが促し、ナオ、ムスビ、栄次は鳥居を潜り太陽へ続く霊的空間に足を踏み入れた。
「それでは、太陽の姫君に会いに行きましょう。ムスビ、栄次。」
「そうだね。」
「元こばるとの件とアマテラス大神の件だな……。」
ナオの言葉にムスビと栄次は目を合わせると大きく頷いた。
旧作(2017年完)本編TOKIの世界書四部「明し時…1」(歴史神編)