〈風鈴の帆〉

〈風鈴の帆〉

「……おい、 客に向かってその態度はなんだ。」
「……しゃいませぇー。」
「まあ、 いいけどさ……。 挨拶くらいちゃんとしろよ、 リコのお嬢ちゃん。 あ、 これくれ。」
「はい、 さようなら。」
「……。」

 夜のとばりが降りた頃、 月が輝きだすと同時にとある草地に無数の光が灯りだす。 すると先程まで何もなかったところに、 屋台のような露店が並んでいる。 川の隣をなぞるように立ち並んだ灯し火。 それはまるで死者の魂を慰める、 灯籠流しのよう。
 ここは夜の市場。 月明かりでしか咲かない花、 店主が吸血鬼、 後ろ暗い商品……。
 夜にしか現れることのない妖しい市場。 朝になれば、 炎が揺らぐように消えゆく一夜の夢。
 暗い水辺に舟を浮かべて、 ぬるい風に風鈴を揺らす。 舟の上にある双子のお店。 小さな舟には売り子の妹と、 無造作に積まれた商品でいっぱいだった。 兄は品物の調達係をしているため、 普段は舟の店にはいない。
 帆の代わりに吊り下げられているのは、 桃色の可愛らしい風鈴。 あしらわれた花の模様は、 磨りガラスでできている。 市場の人たちは、 その風鈴を双子のお店の目印にしていた。
 だからそのお店は、 〈風鈴の帆〉と呼ばれている。

リクとリコ

 それですか? その蛍みたいにふわふわ浮いてる弱い光。 あぁ、 お客さんの周りに集まってきましたね。 懐かれてるのかって? そうかもしれませんね、 それは水子の怨念です。 水子って分かりますか? 望まない妊娠の末に殺された赤ちゃんですよ。 あぁ、 知ってる? お客さんの周り、 水子の怨念でいっぱいですね。 ……何を驚いてるんですか? 商品の話ですよ。 ほら、 うちの商品があなたの周りに飛び交っているでしょう? ……ホッとしたって?心当たりでもあるんですか?



 …………。



 ……水子の怨念、 ひきとりましょうか? ええ、 商品の方ではなく、 あなたに憑いている方です。 よろしく頼むって? 分かりました。 それでは頂きます。 ところで、 この商品が何に使えるかまだ話していませんでしたね。 聞きたくないですか、 呪いです。 呪いをかける時、 このような怨念を用意しておくことで効果が上乗せされます。 ……この子たちは親に殺された怨みを晴らせず、 長い間過ごしていた子が多いですからね。 鬱憤でも溜まっているのか、 術者によく従ってくれます。 特に、 呪いをかける相手が水子を作ったことがある人なら尚更ね。
 ……ちなみに、 怨念を浄化するサービスもあります。 商品を10個まとめてお買い上げ頂いた方限定ですが……。 あ、 水子の怨念10個お買い上げ? 毎度ありがとうございます。 あなたの水子12体、 それと今お買い上げになった水子の怨念も浄化しておきますね。 またのお越しを。
 ……え? なに? お兄ちゃん。 あんなサービスやってたのかって? やってないよ。 さっきの商品に並べてた水子の怨念は、 全部あの人の。 あの子たちが直接お願いしに来たの。 自分たちを水子にした父親が来るからって。 だから、 今日だけ商品にしてあげたの。 ……別に、 買って行かなくたって全員浄化してあげたよ。 そもそも、 あの子たち怨念じゃなかったし。
 え? じゃあ、あの子たちは何をお願いしに来たのかって? あー。 お父さんに、 少しでも自分たちのこと思い出してほしかったんだって。

〈夕焼けの蜜〉

 ~瓶の中に、 夕日の光が入っている。 それは花の蜜のようにとろとろしている、 金色の甘い蜜。 水の中に落っこちた夕日の光が、 水に冷やされて蜜のように固まったもの。 瓶の中には金色の蜜以外にも、 ビーズのようなきらきらしたものが入ってる。 それは太陽の光に当たって輝いた、 魚のうろこや実る果物の光が混じったもの。 見る角度によってちらりと光る、 桃色や水色の輝きは水に映った花の像。〜


 はい、 早く帰ってくださいね。 ……え? そのビン詰めが何かって? そこにある説明書きを読んでくださいよ。 ちっ……。 は? これは何に使うのかって? 植物を咲かせるんです。 別に食べてもいいですけどね。 太陽の光の結晶みたいなものですから。 この蜜をかければ、 暗い場所でも花や草を咲かせることができます。 だから人に育ててることを知られたくないようなハーブとかを、 地下で育てることもできるんですよ。 あ、 お買い上げ? 毎度ありがとうございます。 はい、 おかえりください、 さようなら。

〈ホウセキコビト〉

 〜鳥かごの中で、 何かがかしゃかしゃ動いてる。 針金で作った棒人間のような生きもの。 そして、 その針金には色とりどりの大きな宝石が括り付けられている。頭にいっこ、 体に に、 さんこ。 腕や足にも宝石がついているコビトもいて、 宝石は全部違う色や形をしている。 宝石は闇夜の中で薄ぼんやりと光りを放ち、 美しくキラキラ輝いてる。〜


 いらっしゃいいらっしゃいらっしゃーい! リクの冒険譚、 間も無く開幕だよー! はいどーぞお客さんこちらへ! はいそっちのお客さんも! はいいらっしゃい! 〈風鈴の帆〉へようこそ! どーぞどーぞごゆっくり! あっお客様にはこれなんかどうですか!  〈虚しき愛欲〉! どんなにもてなくてもこの薬さえ使えば……え? 違う? あ、 その鳥かごのやつですか! お目が高いですね〜! そう、 この小っちゃい奴らはホウセキコビトって言ってね、 昼間はふつうの針金のおもちゃ。 なのに夜になると踊って戦ってきらめいて! まるで舞踏会? それとも武闘会だっひゃっひゃっひゃ! 小さな子供とか喜ぶと思いますよー!
 え? どこで手に入れたのかって? よくぞ聞いてくれました! 〈風鈴の帆〉 兄こと店主、 リクの幻の道具を求めて! 冒険譚のはじまりはじまり〜!

 ホウセキコビトは、 ある魔女が作っていた試作品でした。 おそろし〜〜い魔女でね! 人の心を操っちゃおうとか企んでる悪い魔女なんです! でもおれは逃げなかった! 妹を庇いながら、 勇敢にもおれは言った! 「ください!」そうしたら、 魔女はこう言った。 幻術の冠が欲しい。 幻術の冠? おれは聞いた! その幻術の冠とは、 かつて昔、 世にも恐ろしい女王が付けていたという魔法の冠……! それを取ってきてくれたのならばこのホウセキコビトだけにとどまらず、 これからも取り引きに応じてやろう。 魔女はそう言った。 これは大きな取引先を得るチャンス到来! 早速その冠を求めて旅の準備!
 幻術の冠がある場所は滅びた城跡。 冠の持ち主、 女王は自ら戦地に赴いては、 敵の軍に恐ろしい幻覚を見せる女術師だった! その幻術の恐ろしさに心を壊した兵士、 味方を化け物だと思わされ、 同じ釜の飯を食った仲間を殺しあった兵士! ああ非道! 果てしなく非道! そんな冷酷無慈悲な女王が何故!そこまで強い幻術を使えたのか……! それは、 冠。 かつて献上品として捧げられた冠は、 凄まじい魔法のみなぎるすんごいお宝だった!それを女王は、 自分の得意とした幻術の魔力を込め続けたんです。 そうしてできたのが、 すさまじい魔力を帯びた幻術の冠! しかし恐ろしいのはそれだけでは無い! その女王は戦争により、 とうとう最後には殺されてしまいました。 しかし! 女王の亡霊が冠にとり憑き! 未だに城に近づくものを殺し続けている! という! 話なん! です!!
 危険な旅になるからと、 魔女もいくつか魔法の道具を貸してくれました。 それは、 今実際に取り扱っている商品でもあります。 どれか、 というのは話の途中に出てきますので、 お楽しみに! さあ、 ごく普通の非力な子どもがどうやってそんな恐ろしい亡霊相手に戦えたのか? それは奇しくも、 恐ろしい魔女の作った優れた道具のおかげでした……。

 まず、 城の入り口にはたくさんの兵たち。 とは言っても、 中身は全てがらんどうです。 骨ぐらいは入ってるかもしれませんが……。 つまり落ち武者ですね。 冠の力は城の外まで張り巡らされていて、 その猛威を振るっていたのです。
 え? 冠の力は幻術ではないのかって?いやいや、 それはもちろんそうなのですが、 それは女王が主とした魔法。 冠の魔力を長い間浴び続けているうちに、 その城に関するもの全てが魔力を帯びる魔法の道具となってしまったのです!
 さあ、 ここを突破する方法はひとつ! 空です! 空を飛ぶのです! 魔女は言っていました。あの城を守る無数の落ち武者たちのこと。 そしてその時こそ、この〈天狗の下駄〉を使いなさいと! ご覧ください、 この摩訶不思議な形をした履物を……これをこの通り、 履いて跳ぶとほらっ! よっ! ほっ! どうです? 体がこんなに軽くなって、 少しジャンプをするだけで人の5人分は軽々と飛び越えられるんです! ほっ! よっ! ありがとうございます、 拍手の方、 ありがとうございます! ふう。 しかし、 盛り上がるのはまだ早いですよ。
 おれはその城の前で、 この天狗の下駄を履きました。 そのまま敵陣に向かって真っしぐら!からんからんからん!!! 襲い来る落ち武者たち! おれは地を蹴る! 跳ぶ! 体はぐんぐんと高く上がってく! やがて体は下へと落ちてゆき、 おれは落ち武者の兜の上に着地! そして思い切り踏みつけては、また空へと飛び上がる! 落ち武者たちを踏み台にして、 ジャンプジャンプジャンプ!! いよいよおれは、城の庭園へと飛び込んだ! そして着地!
 奴らの体は空っぽ、つまり頭も空っぽ。能無しどころか脳なしのあいつらに、 見えなくなった敵を探すという脳は無いのです! そうしておれはようやく、 城の中へと潜り込みました。

 城の庭園にたどり着いたおれは、 持ってきたのり巻きを食べようと木の根元に腰を下ろしました。 包みを開けて、 いただきます!
 ……しかしふと、 そこで視線を感じました。 右を見る、 左を見る。 なにもいない。
 ぁああああ!!!!!
 ……おれは驚いた。 何故って? 耳に、 息を吹きかけられたから……そう! その視線の正体はおれのすぐ後ろ、 木だったんです! 何ということでしょう。 おれが腰かけた枯れ木にはよく見ると枝ではなく、 無数の手や足が生えていたのです! そして顔! 丁度おれのあたまの後ろに、 老いた男のような首がめり込むように生えていました……!
 おれは聞きます。 なに、誰? その木のおばけはゆっくりと口を開け、 ぎしぎし、 ぎしぎし軋んだ音をたてながら答えました。
 私はかつて、 この朽ちた城に調査へ来た調査員だった。 しかしおかしな甲冑に襲われ、 気付いたらこの木に埋め込まれていた。 共にきた調査員たちも同じく埋め込まれていて、 時々新しい人間が、同じようにこの木に埋め込まれる。 どのくらいの時間が経っただろう、 他の皆は少しずつこの木に取り込まれ、同化していき、 このように手だけになった。 私は何故かずっとこのように、 これ以上は取り込まれずに顔だけ残っている。 私より後から来た者はとっくに取り込まれてしまったというのに……。
 老人はそう喋っていた。 おれはその間、 南南東を向いてのり巻きを食べていた。
 うなだれている老人におれはそっと言いました。 大丈夫、 人間に戻る方法をおれは知っている。 老人は悲しげに返します。
 そんなものはあるわけない、 お前さん、 魔法でも使えるのかね。
 おれはバッグの中を漁り、 老人にあるものを差し出しました。 老人は、これは何だとおれに聞きます。 おれは笑顔でこう言いました。 今から何でも願いをひとつだけ叶える道具の使い方を教えます。 まずそのまじないの間はひとことも喋っちゃいけない。 願いを心の中で途絶えさせることなく唱え続けなくちゃならない。 そして、 これを南南東に向かって食べるんだ。 今年の恵方は南南東だから。 あ、 噛みちぎっちゃだめだよ、 一気に食べてね。 おれは恵方巻きを老人に差し出しました。 ぽかんと口を開けた老人の口におれは恵方巻きを差し込み、 そのまま城へと走ったのです。
 老人のヨタ話に付き合ってはいられない、 そもそもあれが幻覚な可能性の方がずっと高い。 おれは冷静であり、 優先順位もしっかり分かっている。 そういう人間なんです。

 さてさて、 城に向かったこのおれ。 城の中には、 魔女から聞かされていた無数の罠! そこで大活躍、 この冒険譚に登場する道具たち!

 まずはお約束、 無限部屋! 襖を開くと大部屋、 また襖を開けば大部屋! こういうのは基本的に、 同じ場所を何度も歩かされているというのがお決まりです。 そう、 その城での無限部屋の仕組みは、 部屋自体が丸い輪になっているという巧妙かつ単純なからくりだったのです! 幻覚を使って、 直進に進んでいるように見せかけてね。
 ではそこから抜け出すには? 目には目を、 歯には歯を。 そこで使ったのがこの、 ホウセキコビト! なんとこれ、 おもちゃや飾りにだけではなく、 囮としても使えるんです! このホウセキコビトの恐ろしいところは、 本人にとって都合のいい解釈をさせてしまうところ。 あたかもホウセキコビトがその相手のように感じてしまうのです! 幻覚の部屋にもまた然りです。 そのうち部屋はそのホウセキコビトをおれだと錯覚してしまう! そう、同じように騙してしまうのです。 そのホウセキコビトを無限部屋で走らせて、 おれはその間、 まるで部屋の置物のようにじっとしている。 そうしていると幻覚を見せる対象がおれからホウセキコビトへと変わるのです。
 すると! 気づくと直進だった部屋は、 ぐにゃぐにゃのおかしな部屋に変わっていた。 そう、 幻覚はホウセキコビトのおかげで解けたのです!

 次に待ち構えていたのは主を失くした名刀! 血を欲して彷徨うそれは、 おれを斬りかかりに一直線! そして登場、 〈母の錦〉! ご覧くださいこの一見みすぼらしい着物を! これは名前の通り、 子を持つ母親が来ていた衣でね。 この母親は子をかばって死んでしまった、 深い慈愛の持ち主だったんです。
 そしてこれを刀の前で、 バッ! と広げる! 迫り来る刀! ドスッ……!
 …………腹に向かって突き刺してきた刀。 しかし、 当たってはいるもののおれの腹は切れてはいません。 そう、 これが〈母の錦〉のすごいところ! これをまとえば、 刀どころか爆弾からすらも守ってくれる最強の盾!
 ……しかしこれ、 子どもしか守ってくれないのです。 なので、 お買い求めの際は子どもがいる方の方がいいかと……。
 さて、 話の続きですが、 おれの腹に飛び込んできた刀をそのままその錦でぐるぐるぐるーっと巻いて、 あとはてきとうな紐で縛れば、 もう刃も柄も出ない! 誰にでもできる! そう、 この〈母の錦〉ならね!

 ……無数の罠をくぐり抜け、 おれはとうとう辿り着きました。 女王のいた、 そして冠の鎮座する本丸御殿に。冠はそれは美しく、 恐ろしいものでした。 おれはその《冠の間》に足を踏み入れる。 ぐちゃ。 何かおかしなものを踏んだ。 下を見ると、 そこはいつの間にか真っ黒の沼の中! さらにその沼からは、 溶けかけたような真っ黒の手や顔がうごめき、 這い出てきている! 幻覚といえども感触もあり、 それはそれは恐ろしかったです……! そうしておれは、 魔女から手渡された最後の道具を手にする! その道具とは、 この皆さんの目の前にあるホウセキコビトたちを閉じ込めている〈黒水晶の檻〉!
 黒水晶は、 非常に強い魔除けの石と呼ばれています。 しかし、 黒水晶の魔除けというのは魔力を跳ね返すのとは少し違うのです。 黒水晶は……魔力を、 消してしまいます。 それこそ魔法のように魔力は、 どこかへ。 ……消えてしまうのです。
 この〈黒水晶の檻〉は魔女が特別な魔法をかけて作ったもの。 魔消しの檻、 なんて名前でも良かったくらいです。 この檻の中に閉じ込めさえしてしまえば、 いくら魔力を放出しようと、 その魔力が外に届くことは無い……。

 ……そうしておれは冠の入った檻を持ち、 その城を後にしました。 すると、 後ろからおーい、 おーいと声が聞こえる。 後ろを振り向くと、 どこか見覚えのある老人がこっちに駆け寄ってきました。 彼はぜいぜいと息を切らしながら、 涙を流してこう言いました。
 ありがとう、 君のくれた魔法の食べ物のおかげで私たちは元の姿に戻れたよ。 最初は半信半疑だったんだけどね、 まさかだよ。 食べてしばらくしたらあの大きな木が枯れて……! みんなも助かったんだ! 疑って悪かった、 ありがとう、 本当にありがとう!
 なんとそれは、あの枯れ木に閉じ込められていたあの老人だったのです!おれは思いました。 あれは適当にごまかしただけの口からでまかせだったのに。 それにそれはきっと恵方巻きではなくて、 この冠を回収したからだろうな、 と。
 しかし、 それを言うのは野暮な気もしてやめました。 おれはそのまま名も告げずにその場を去り、 幻術の冠を巡る冒険は幕を閉じました……。

 ……さあ!この冒険譚に出てきた品の数々!〈天狗の下駄〉! ではまず10から! はい12! 13! おっ、20! 20です、 他にいませんか? おっと30! 他には? 他の方は? ……30! 落札しました!!
 では次の商品、 〈母の錦〉! こちらは15から! いきますよ!…………


 お疲れリク。 相変わらず口が上手いわね。 しかも詐欺すれすれ。 魔女が罠を知り尽くしていたって嘘もなかなかだったと思うわよ。 そうすれば、 罠に合った道具があってもおかしくないし。
 ……何よ、 だって最初に冠を取りに行った時、 道具なんて使わなかったじゃない。 全部殴り倒すか破壊して力任せ。 先に城に行って冠があるところまで行ってから引き返す。 それで魔女に仕掛けられてた罠を説明して、その罠への助けになりそうな品を無理やりこじつけて選んで……。 しかもその道具を持ってもう一回その城に行くし。 それで使えることを確認して、 あたかも道具を使って冠を手に入れたかのように話をでっちあげてるじゃない。 こういうのも出来レースっていうのかしらね? 違う? ああそう。
 まあ、 嘘すれすれでもいいんじゃない? 冒険譚を織り交ぜた方が競りでも高い値がつくし。
 え? 幻術の冠をあの魔女はどうしてるのかって?
 さあね。 大方どこかのカモを騙すのに使っているんでしょ。 あのエメルジェって魔女が人を陥れることができたとしたら、 それはきっとあの冠のおかげでしょうね。

〈虚しき愛欲〉

 〜小さなブドウ色の瓶。 中にはオーロラのような光の帯が揺蕩っている。蓋を開ければ、 オーロラ色の気持ちが外へと舞い上がる。〜


 ……へぁ? さっきのですか?あぁ!虚しき愛欲!はいこれはですね〜!報われない恋や好きな人に会いたくてたまらない!そんな想いを抱いた人たちが、 夜に発する念!それを集めて凝縮してこのビンにつめた、 思念の塊です!!
 ほんでもってこれはですね〜、 惚れ薬になるそうなんです!このビンを〜、 キュポッと開けて好きな相手に嗅がせると!他人の抱いていた虚しい愛欲に感化されて、 あなたのことを好きになっちゃう!おひとついかがですか!!
 え?どうやって念なんか集めたのかって?う〜……。 それは妹の分野というか……、 妹に聞かなきゃ分かんないというか……。 すみません、 珍しいものとかを調達してくるのは俺の役目なんですけど、 それを商品にしたり、 はたまた詳しい使い方、 交渉とかは全部妹なんですよね〜。
 え?どういうことかって?いやあのねですね、 例えばこの影のマントとかは魔女からもらったもので、 崖に生える薬草を取ってくる代わりにもらったんですよ。 で、 その取ってくる役目はおれなんですけど、 その商品の情報とか、 魔女の居場所とか、 どうやったらその珍品を分けてくれるかを交渉するのはみーんな妹なんですよ!念の塊シリーズはうちで作っているものなんですが、 製造方法とかはおれよく分かんなくて〜。 すみません、 妹が店番の時とかにでも聞いてみてくれませんか。 ありがとうございます!


 お早く買ってお早くおかえりくださーい。 ……何ですかあなた。 うちの商品じっと見て。 え、 うちの念の塊の商品?はぁ、 兄に……。 すみません、 馬鹿な兄で。 はあー……。 で? 商品の説明をしてほしい? それも虚しき愛欲。 何で、 買うわけでもないあなたに説明をするんですか。 お帰りくださいお客様。 うちはひやかし専門でもお喋り茶屋でもありません。 ……ちょっと、 なんですか。 暴力を振るう気ですか?お止めくださいお客様、 私が迷惑です。
 …………。
 はあー。

 (ちりん ちりん。)

 (がらん がしゃがしゃ どっぽん。)

 ありがとうございましたー。


 はーいらっしゃーい!!あっ!お客さーんどうでしたかー妹に聞けましたー?え、 毒を吐かれた?はぁ、 更に川に落とされた……。 すみません、 無愛想な妹で。 はあー……。
 え?なになに? ふむ、 掴みかかろうとしたら風鈴を鳴らした。 そしたらいきなり殴られたみたいに体が吹っ飛んで、 そのまま池に落ちた。
 あぁいつっ!またやったんだっ!やー、 すみませんお客さん!それ、 たぶん結界です。 うちのぶら下げてる風鈴って、 風に吹かれても音は鳴らないじゃないですか。 妹やおれが触った時だけ音が鳴って、 その風鈴を鳴らすことでこの船に結界を張るんですよ。
 ほらー、 妹って礼儀を知らないじゃないですか!それにお客さんみたいにガラの悪い大人もいることですし、 危ないからって店を構える際に取り付けたんですよ。 そしたらもー付け上がる!うちの商品は珍しいから、 ここでものを買わなきゃならないお客さんがいることもあいつ分かってるんですよ。 そこに相手が自分に手を出せないような道具があれば鬼に金棒? 全く笑っちゃいますよ あっはっはっは!
 ……うん?何ですか?こんな目にあったんだからお詫びの品くらいよこせ?いや〜お客さん!冗談きついですよ〜!もー、 それとこれとは話がべ、つ!さっ!お帰りはあちらですよー。 うん?この店を立ち行かなくしてやろうか?あはっ心配はご無用!うちの自慢の珍品、 嫌でも買いに来るお客さんはそこそこ居ますし〜!無理ですよ、 それは。 えー?こんなチンケな商品、 買いに来る奴はいない?いますいます!これ、 確かにガラクタに見えますけど、 結構珍しいんですよ〜!だからお帰りやがれこの顔面福笑いが!
 (ばきっ。 がらがしゃ。 どっぽん。)
 おい、 えぇ?こっちが下手に出てりゃいい気になりやがってよ、 てめえ福笑いで遊んだ後みてぇな顔しやがって。 お?おれも遊んでいいか?顔のパーツの位置を変えてやるよおるぁ!! 何だてめぇ、 怖がってんのか?はっはー。 こちとらたかだか12のガキだぞ?何怯えてんだよ。 笑え。 お前福笑いだろ? 福笑いが笑わないでどうするんだよぉ〜、 笑え!!?水から上がってこいよ。 ほら、 頭を踏みつけてるこの足をどかさないと、 溺れ死ぬぞ?えー? 何言ってんのか聞こえねぇよ、 このクズ。 あぁ!!?

 (ちりん ちりん。)

 (がらん がしゃがしゃ どっぽん。)

 ……何やってんのよ馬鹿リク。 全く、 少し店を開けてみればろくな事があったもんじゃない。 すみませんねお客様、 うちの馬鹿が。 しっかり躾けておきますので。 これどうぞお詫びに、 粗品ですが……。 え? いらない、 つけあがってごめんなさい、 私は福笑いです。 ……左様でございますか。 ではせめて上がって、 体だけでもお拭きください、 このタオ……。 ありがとうございましたー。 泳いで逃げてっちゃった。
 ……さて。 まったく何やってんのよ馬鹿。 お客さんにあんな態度とっていいと思ってるの? ほら、 いつまでも川にいないで、 上がっておいで。 最近は落ち着いてきたと思ったら……。 あんたまだその癖治ってないのね。 接客態度は身についたのに……。 だからあんたに店番は任せられないのよ。 いつそれに戻るか分かったもんじゃない。  ……なに?ほらふてくされてないで、 上がっておいで。 ふむ、 商品をバカにされて悔しい。 よしよし、 あんたの揃えた商品は立派よ。 あんなの負け犬の遠吠えだから気にしなくて良いの。 ……ほんと?って、 ほんとよ。 ほら、 上がっておいで。

 ……全く、 手のかかる双子ね。

〈夜のとばり〉

~手にしようとすれば指のすき間から流れてしまうほど、 なめらかですごく薄い布。 先が透けて見えていて、 まるで本当に影をはがしたかのよう。 あまりにも儚くもろそうなそれは、 感触もあいまいで、 重みも分からない。 まるで本当の影のように実体がつかめない。~


 お早く買ってお早くおかえりくださーい。 ……何か用でもあるんですか? うちの商品をじろじろ見て。 はあ、 商品を買いに来た……? ふぅん、 そうですか。
 ……何ですかさっきから。 話しかけてこないでくださいよ。 え? その商品? 説明書き読んでください。 ……えっ、 無い? ……ちっ。
 はぁ――はいはい、 それはですね。 〈夜のとばり〉です。 簡単に言えば、 影を紡いで作った布ですね。 は? 意味がわからない? ……はあ。

 …………。

 何ですか、 まだ何か用があるんですか? 私、 いま新聞のクロスワードパズル解いているんですけど……えっと、 「い」……。 ああはいはい。 分かりましたよ、 ……んどくさいのがきたなー……。 は? 何も言ってませんよ。
 ええっとですね、 夜のとばりは夜にしか存在しない布なんです。 つまり、 朝が来れば消えてしまう布。 でも、 また夜が来ればそこに現れるんです。 だから日中の移動は不可能。

 …………。

 え? それで何だって? 以上です。
 以上。
 ……使い方?  知りません。 使いどころがあるかなんて知りませんよ。 無いんじゃないですか?
 うん? 見つかりたくないお宝とかを、 夜のうちにこの布にくるんで。 それで日中の間だけ隠すのに使えるんじゃないのかって? あー……。
 はしゃいでいらっしゃるところ申し訳ないのですが、 そんなん宝石だけそこに残ってとばりだけ消えますよ。 話聞いてました?
 ……あーはいはい、 失礼申し上げましたー。 ちょっと、 船が揺れるのでこっちに重心かけてくるのやめてください。 風鈴鳴らしますよ。
 ……ご協力ありがとうございます。 で、 お買い上げは?

 …………。

 冷やかし、 と認識していいですね。

(ちりん ちりん。)

(がしゃん がつっ どっぽん。)

 ありがとうございましたー。

〈親殺しの血〉

 ~そこにあるのは英雄の血や偉人の血。透明な、花をかたどった入れ物の中に、ルビーのような血が注がれている。そうして商品として並んだ姿はまるでガラス細工でできた真っ赤な百合。夜の市場のおぼろげで、さまようような灯に照らされて輝く姿は、何とも危うい美しさで人間を取り込もうとしてくる。~


 ……はあ、そうですよ。昔から「血をひいている」とか「血を受け継ぐ」って言うじゃないですか。才能の媒体として血に目を付けたんですよ。  ……どういう意味かって? まあ、本来才能とかは遺伝子が関係したものですけど、血液そのものにも才能の欠片のようなものが含まれているんじゃないかって思ったんです。……まあ、実際には血に才能を期待できるほどの結果は無かったんですけど……。でも、考え自体は良かったらしく、近いものに影響が見られたんです。
 性格です。
 血には思念というか、その人本人の性質が含まれているらしいんです。知っていますか? これは臓器移植の例なんですけど、臓器移植を受けて性格が変わった、って話、時々あるんです。食べ物の趣向が変わったり、趣味が変わったりって例もあります。だからもともと、血でも同じことになる可能性はあるんじゃないかって思ってはいたんですけどね。
 え? 何で臓器にしなかったのか? いや、臓器って気軽に手に入らないじゃないですか。血だったらその人本人が居れば居るだけ取れるし。
 なので、英雄の血なら英雄らしい気力や胆力。偉人の血であれば、研究への意欲、芸術への興味。などなど……。その名に相応しい恩恵を受けられます。
 才能が手に入るっていうわけではないので、やる気だけって感じですけども……。まあ、ちょっとしたやる気スイッチのように思っていただければ幸いです。
 やりたくない、自分の専門ではないことをしなくてらならない時……例えば、美術の課題が出たとしましょう。その時に芸術家の血を使えば、実力が上がるわけではないですが、やる気やアイディアを得る助けにはなると思います。
 いろいろな血がありますよ。良かったら……。
 え? はい、何ですか? うん?
 今日は機嫌がいいって?

 ………………。

 ……別にそういうのでは無いんですけどね。機嫌が良いと愛想が良くなるって言いたいんですか? べつに……。機嫌自体はいつもと変わらないんですけどね。血の方ついては、勝手に見といてください。

 ……え? 〈親殺しの血〉は何に使うか?
 ちっ。
 知りませんよ……人を殺したい時とかじゃないんですか?

 ………………。

 お客さん。私は今、あなたのことを無視してるんですよ。察してください。
 ……あぁはいはい。どこで手に入れたのか質問するなんて、お客さん、いやに不粋ですね。そういうのはうち、言いませんから。
 ……何です? 機嫌が悪くなったから教えてくれない、機嫌の良い時に聞けば教えてくれたろうになーって意味ですか? それ。でしたら、どうぞお帰りくださいお客さま。
 じゃあ分かりました。〈親殺しの血〉だけ元を教えてあげましょう。私のですから。

夜のとばりに恋して

 おれの名前はサバオ。夜の市場に店を構えている親父がいる。そしておれはいつもその手伝いをさせられているんだ。
 こんな場所に子どもがいる、なんて珍しいから、おれは近くの店の大人たちからわりと可愛がられていて、周りからはサバ、なんて呼ばれたりしている。
 おれの仕事は主に掃除とかの小間使いのような真似と、注文した商品を取りに行くこと。それと、はっきりとは言われてないけど、周りの店と仲良くしておくこと……。
 子どもだからか、みんな割と簡単に心を許してくれる。いざという時のために仲良くしておけ、と親父にやんわり言われたことがある。
 小さいころ、主催者にお中元を持って行けと言われたときは怖かったなあ……。だってあの主催者、スイカを被ってるんだよ。黒いマントみたいなもので体を覆ってるし。小さいころはスイカのおばけだーなんて泣いて騒いで、近くで店をだしていた頭だけのおばあちゃんにしがみついたっけ……。にしても、そのおばあちゃんの生首が転がってっちゃって、助けようとした主催者がうっかり体からスイカの玉をこぼしちゃって。スイカだかおばあちゃんの生首が転がってるんだか分からなくなったって話は、良い思い出だなあ。
 おっとごめん、話がそれちゃったな。
 ともかく、おれはそんな夜の市場で、天使と出会ったんだ。
 君が悪魔でもいい。可愛い小悪魔。君はビターなテイストでぼくを冷たい湖のなかに叩き込んだね。そう、あの水しぶきの音は、 ぼくが恋に落ちた音だよ……。
 初めて会ったのは月がきれいな夜。
 おれは親父に頼まれて、下流にある遠い店まで商品を取りに行かされたんだ。その時は、若干いやいやだったんだけどな……。ありがとう親父。大好きだよ親父。親父。親父……。
 そのお店は川に小さな船を浮かべてやっている、風鈴が目印の店らしい。分かりにくくて不親切だ、あの頃のぼくは、親父にそう文句を言っていたね。親父は言った。たしかに。あの店は無愛想だし親切とは程遠い。でも、取り扱っている商品がすごいんだ。だからどんなに分かりにくくても、行きたくないような店でもみんなそこに行く。そんなわけだが、売り子の子には気をつけろ。兄が店番の日だったらいいな、だっはっは。まあでもそんな日は稀だ。期待しないほうがいい。まあとりあえず、さらっと終わらせるのが一番だな。その売り子の子は、とにかく面倒くさがりだから。
 おれは若干構えながら、君のもとに辿り着いた。もう一度言おう。するとそこには、天使がいた。君が悪魔でもいい。可愛い小悪魔。
 思いがけず、同じ年頃くらいの女の子がいて、おれは驚いた。細くて、体も小さいのにすごく大人っぽい。
 彼女はリコちゃん、と言うらしい。まるで鈴の音のような名前だ。おれが近づいた時に向けた気だるそうな、鋭利なあの目。ふれるもの皆殺しそうだ。とても可愛い。
 おれは注文の品を取りに来た、と出来る限りの低めな声で言った。はあ、という気のなさげな返事すら愛しく思えた。
 おれは正直言って、自分に自惚れてたさ。こんな年でもうこんな場所に出入りして、それどころか働いてるんだぜって。周りの同い年の奴らよりも優越感に浸っていた。しかし君は違う。仕事の手伝いではなく、聞けば仕入れから交渉まで全てやっている、本当に自分たちで店を経営しているそうじゃないか。それも相棒は大人ではなく、双子。おれは負けたと思うどころか、すごいと感動した。同じ歳でもうそこまで、と、圧倒的な何かを感じた。
 おれの普段周りにいる子たちとは全然ちがう。そして距離は違えども、自分と同じ道にいる子だ。
 そして可愛い。何より可愛い。
 おれは彼女が取り出し、差し出してきた小包を受けとった。どさくさに紛れて指にふれちゃおうと思ったが、受け取る位置が浅すぎたのか、届かなかった。
 そのまま何もなかったかのように前へ向き直り、また気だるそうにうちわを仰ぐその姿。見えないはずなのに、おれは花火大会で浴衣を着て座っている可愛いその姿が見えた気がした。
 いつまでも君にみとれていたおれに、君はあのなじるような目を向けてくれた。
 なんですか、何かまだ用でもあるんですか。
 ああ、髪を耳にかけるその仕草。可愛い。というか、セクシー。
 おれは親父の忠告も忘れて、自己紹介、そして世間話をしようと試みた。あの時は気がつかなかったけど、今なら分かる。あの時、市場全体の空気は凍りついていっていたんだね。
 それに気づかないあの頃のおれは、一生懸命自分について話したさ。身を乗り出して、少しでもそのきれいな目を覗いてみたかったんだ。
 彼女は顔を歪めて、右手を空へと伸ばした。
 ちりん。
 ん? 風鈴? なんで今……
 その瞬間、おれは何か圧のかかった壁に押し出された心地がした。風とも違う、空気の圧。そうして世界が反転して、自分が冷たい水の中に落ちる音、それが聞こえた。
 その時おれは確信したんだ。
 ああリコちゃん、おれは君に恋してしまったんだ。って……
 長くなってしまったが、これが今までの話だ。そしておれは今、風鈴の帆へと向かっている。水辺に浮かぶ小さな船、きゃしゃな人影。
これなら例えるものは妖精でもいい。その水辺にひそむ妖精はおれを見るや否や、ひどく顔を歪めて、おもむろに、てらうように手元にあった新聞を読み始めた。
 おれが側に寄る。無視をする君。やあ。話しかけるおれ。

 お早く買ってお早くおかえりくださーい。

 君のいつもの挨拶を聞いて、胸がときめく。商品を見る振りをしながら話すタイミングをうかがう。君を盗み見る。
 あ、まつ毛長い。
 すると彼女はすごい目でこっちを睨んできた。何か用でもあるんですか。いつもの気だるげな声、殺気を放つ瞳。
 おれは急いで、嘘でいいから何かの商品に興味を持ったそぶりを見せよう、と近くにあった商品を指して、これはどんな商品なんですか? と聞いてみた。心臓が太鼓を打ち鳴らすかのように鳴り響いている。今日の叩く人ははきっと達人だ。ものすごいスピードでおれのハートを打ち鳴らしてくる。お祭り騒ぎになったおれの心の太鼓。すると。

 説明書き呼んでくださいよ。

 しまった、失敗した。
 しかし、天使が……いや、天使は目の前にいるか。神がおれに微笑んだ。説明書きがないのだ。
 おれは嬉々としてその旨を告げた。彼女はひどく顔を歪めて、まるで小鳥のさえずりのような舌打ちをした。
 そして、彼女は説明を始めた。ああ、鈴の音のようだ。なんと耳に心地よい……。
 はっと我に帰ると、彼女はもう新聞に目を戻していた。なんと説明は一言だった。
 こんなんじゃ、おれの心の太鼓は満足しない。ちょっとよく分からなかったかな、と、非常にやんわり聞いてみる。君と話すためといえども、彼女のことを否定なんてひと欠片もしたくない。
 政治の法案について書かれた記事をひらいていた君が、なんですか、私今クロスワードパズルやってるんですけど。と言ってくる。
 あれは諦めなかった。やがて諦めたように君は顔を上げてくれた。ああ、可愛い。どんな表情をしていても可愛い。
 彼女は丁寧にこの商品についての説明をしてくれた。これは話を膨らませるチャンス、と使い方について質問している。

 使い方? 知りません。使いどころがあるかなんて知りませんよ。無いんじゃないですか?

 なんと! ならばおれがその使い道を導き出せば、彼女は まあ、そんな発想はなかったわ! と感激してくれるんじゃないだろうか!?
 なのでおれは考えた。
 ……布が消えるっていやらしいな……。服にしたら……。いいやだめだ、とばりが消えてしまうのは日中なんだ。夜じゃないと意味が……。や、そもそもこんなこと言えるか! もっと気品を感じさせるようなものというか、せめて、こう、利発さが際立つような……。
 するとまたもや神はおれに笑いかけた。

 そうだ、宝石を……。

 ……このアイディアはだめだったらしい。二度目の神の微笑みは、単なる幻覚だったようだ。
 すると冷水よりも冷たい彼女の声が、氷のように冷たく鋭利な鎌を、おれの頭の上に振り下ろすも同然のような言葉を織りなした。

 話聞いてました?

 話……。
 あああ! このままでは、物を考える頭すらなく、さらには人の話すら聞けない……いいや、理解すらできない愚鈍なアホとして彼女の目にうつってしまう!
 おれは焦った! またもやおれは思わず彼女の方に身を乗り出し、自己弁護を始めてしまう!
 彼女の桜色をした、薄い唇が小さく動く。彼女の声はとても落ち着いたものだった。

 風鈴鳴らしますよ。

 おれはいつの間にか船にかけてしまっていたらしい足を外して、そのまま後ろに下がった。君の行いは全て受け入れるつもりだが、さすがにあれはあまりくらいたくない。
 彼女はまた髪をかきあげるあの仕草する。

 ご協力ありがとうございます。で、お買い上げは?

 今日初めて、彼女はおれが自らアクションを起こさずとも自分から口を開いてくれた。
 天国からのファンファーレが聞こえる。おれは嬉しかった。泣きたいほどに感激した。親父、やったよおれ。おれ、ひとつ大人の階段登ったよ!
 しかし、単なる買い物と見られてしまっては何の意味も成さなくなってしまう。
 おれは勇気を出して言った。
 買うために来たんじゃない、実はおれ、君と話すために来たんだ。

 冷やかし、として認識していいですね。

 彼女の冷たい声が頭の方から聞こえたかと思うと、感じたのは、風鈴の音と反転する世界だった。
 飛んでいる最中、おれは体のどこかをぶつけたような気がしたがもう覚えていない。
 どっぽん。と、自分が水に落ちた音がした。
 水の中へと沈んでいくこの感触は、きっとおれがずぶずぶとはまっていく、恋の沼の感触だ……。

〜fin〜

帆を持たない船Ⅰ

 生きることに意味なんてない。
 私たちはただ生まれたから生きて、そして死ぬまで生きてるから生きるだけ。

 生きることに意味なんてない。



 沼の生臭い匂い、草のまとわりつくような匂い。
 掃き溜めみたいなあの場所には、クソみたいなあいつがいた。
 沼のほとりに建つ、古びた粗末な小屋。
 建物に使われている木の板は腐っていて、今にも床が抜け落ちそう。
 あいつはいつも大きないびきを立てて眠っていた。
 私たちはいつも、部屋の埃っぽい物陰に隠れながら、あいつに見つからないように生きてきた。
 あの小屋の部屋はひとつ。あとは、屋根裏に近い二階。
 でも危なくて二階には行けない。ほとんど床板が腐りかけてるから、いつ床が抜けるか分からない。だからやっぱり一階のどこかで逃げ回るしかない。
 この家には、ご飯もお金も無い。だから、自分たちで荷物運びや案内人とかの仕事を見つけては、日銭を稼ぐしかなかった。でも、あいつが寝ている間じゃないとだめ。
 だって、もし起きてきたあいつが私たちを呼んだ時にいなかったら、烈火のごとく怒り狂うから。
 そのくせ、呼んでいないにも関わらず私たちが視界に居るようなことは、あいつの世界ではあってはならないことらしい。瓶を頭に投げつけてきて、でていけ目障りだと叫んでくる。
 父親様の用が無いのに、辺りをうろつくようなことがあればお仕置き。用があるのに呼んでも来ない、いない時にもお仕置き。ひどい時は、自分に用があるのを察して側にいなかったからお仕置き。
 呼んで無いのに、居たらお仕置きって今言わなかったっけ。
 あんな奴の思考回路が、私たちの血にも流れてるんだよ、気持ちわるっ。
 そうして父親様がお呼びの気分にも関わらず、すぐ来れないような不届き者にはお仕置きの時間。街を狂ったように叫んで探し回る。そうしてもし見つかったら、あの薄汚い小屋に連れ戻される。あいつが思う存分、私たちの顔や腹を蹴ったり殴ったりして気が晴れたら、あとは二人して長い間吊るされる。
 うす暗い蔵の中、首を縛られて、足がギリギリつく高さで吊るされる。
 少しでも気を抜けば首がしまる。足が疲れ果てて、もげそうなほど辛くなってても絶対に足を休ませることなんてできない。
 首にはその瞬間にも縄が食い込んできているのだ。
 暗さのあまり、相手の怪我がどれぐらいかも分からない。喋りたくとも、喉が閉まって言葉にならない。時間が分からないことは、――かった。
 でもそれは時間についてだけ。
 死んだって、あいつに対して――いなんて思いたくない。
 とにかく、呼んだらすぐ来る、自分が望む時には時は絶対に居ること。それがあいつの中での絶対の掟らしい。だから私たちはあいつの起きる時間、寝る時間に気をつけて外で稼いでいた。
 他に食べる手段といえば、食べることが禁止されている、家にあるものをこっそり食べるとか。
 あいつが食糧の残りとか把握してるわけないし、少しくらいなら分かる可能性は低いけど。でもそうなると、食べられる量はほんの少しだ。
 やっぱり自分たちで食べものを手に入れる必要がある。
 あいつに見つからないように生きながら、あいつが望む時にはすぐ側にいることを心掛けて生きる。
 これが私たちの生きる意味ならば、私はどうやって自分の生を受け入れればいいんだろう。
 生きることに意味なんか、ありませんように。
 どうか私の命が、あいつに楽させるために生まれた命だなんて思わせないで。
 あいつ曰く、私たちは二匹で一個らしいから、どっちか片方が気に入らないことをすれば両方お仕置きだった。
 それが何もしていない方だけに絞る時もあるし、まあ一番多いのがやっぱり、気に入らないことをした方だけをなぶることだよね。
 それでも、まだ隠れながら住む日常は楽なものだった。
 あの日々はもっとひどい。
 あいつはどっかのゴロツキの下っ端で、ボスの気にいる余興さえ披露すれば、この家を自分のものにして好きなように暮らしていていいという約束でここに住んでいた。更には、暮らせるだけの食べものをその時に持ってきてくれるから、働きさえしなくていい。
 ボスに気に入られたあいつの余興とは、実の子どもをいたぶるショー。
 とは言っても、ただ単純に殴ったり蹴ったりするだけじゃ何も面白く無い。そんな安直なこと、つまらなすぎてショーになんてならない。私だってできる。
 あいつのしていたことは、自分の家族を死なない程度に、どこまで、どんな面白い手でいたぶるのかを追求した末にできるひとつのショー。
 刺激的なショーを披露できるかどうかは、そのアイディアと工夫にかかっている。
 だから例えば、足の肉を削いで骨を露出させたままにしたらどうなるか、とか。
 ちなみにこれは、私たちを産んだ母親がされたこと。もう死んだけどね。骨はさすがにだめだったみたい。
 母親が死んだら少しは私の溜飲も下がると思ったけど、せっかくそうなったのに別に嬉しいってこともなかった。熟れるのを待ち望んでた果物が、大して熟れてもいなくてがっかりって感じだったね。
 でも、母親が死んだあとに、自分たちがされたことを思い出してもそこまで苛つかなくなったので、少しはあれも私の中で得になったのだろう。
何はともあれ、死んでしまったら次のショーができないから殺さない。
 逃げられても次のショーができなくなるから殺さない。
 子どもを工夫していたぶるショーしかあいつはできないから、私たちがいなくなればあいつの唯一の利用価値もなくなって、その先はもう見えている。
 だから必死。死なせないようにいたぶることに必死ってなに。でも、必死って必ず死ぬって書いてあるよね、死ねよ。
 あの日も余興がはじまった。あれが私の中で、未だに大きなしこりとなって残っている。
 あの日に披露していた余興。
 双子の兄を、腕も足も折り曲げて、体を曲げればやっと入るような、小さな樽に押し込める。
 竹筒のようなものをさして、空気の通り道だけ作る。
 それを土に埋める。
 三日間、身動きも取れない狭いところで、何も与えられずに生き抜けたらショーは成功。
 あの時の男たちの下卑た笑い声。汚い、汚い、汚らわしい。
 「おぅい、三日ってさすがに死んじまうだろぃ。」
 「生きてたら、いつもの何倍も褒美をやる!」
 「だぁっははは。本当にひでぇよなぁ、狂ってやがる!」
 そう言われて、誇らしげに顔を輝かせているあいつを蹴とばしてやりたい。
 あいつが意気揚々と片割れに近付いていって、ああ、いよいよショーが始まろうとしている。
 「汚ねぇんだよさわんじゃねぇ! 離せ! ふざけんな、殺してやる……絶対に殺してやる!!」
 吠えるリクを、図体のでかい、人間の形をした汚いいきものが抑えつける。たくさんで踏みつける。片割れにつばを吐く。
 動かなくなる。水をかけられて、意識を戻す。
 そうして、樽に詰めた。


 手下たちが見張りながら、ほんとうに、ほんとうに埋められたまま、たべものも音もひかりも無い世界に私の片方は閉じ込められた。三日という時間が、ほんとうに過ぎようとしていた。
 ――くて――くて、二晩をすぎてあと一晩という時。見張りが寝ている隙をついて、私はそこに忍び寄った。水と食べものを持って、見張りの寝息に耳をひそめながら、音を立てないように双子がいる所へとかけよった。
 足が震えて走りにくかったけど、その時はもう必死で、そのことは気付きさえしなかった。
 土に頬をつけ、お腹の底から空気をぜんぶ絞りだすような心地でささやき声を叫ぶ。
 「……お兄ちゃん、お兄ちゃん! 生きてる? 私!」
 「いき、てる……。あぁ……あ……。」
 土の底から、死にそうに弱々しいけれども声が。確かにそこで声がする。それが聞こえた時は泣きそうになった。
 震える手で、焦る手で水筒のふたを開けようとする。上手く力を込められず、何度も指を無駄に滑らせた。
 「待ってて、筒から、少しずつだけど水を……」
 「……て。」
 「え?」
 「たす……けて……」
 私はあの瞬間を忘れられない。
 私の片割れの、「たすけて」。
 たすけて、なんて言ったこと無いよ。だって助けてくれる人なんていないもん。
 そんな建前の理由が、心のなかでぺりぺりと音を立て、薄く薄くはがれ落ちる。
 そんなんじゃない。
 助けを求める、ということはきっと負けだから。
 どんなに辛い時であっても、プライドだけは捨てたくない。
 助けてなんて絶対に言いたくない。
 心の中で、過去の私が叫ぶ。
 片割れは、私のもう片方だから同じことを感じているはず。
 それなのにそう言った私の片割れ。
 水筒を持っていられなくなる。
 土に左手をついて、頬とひざに支えられた水筒を、包むようにくっつけている右手で顔を覆う。
――いったいこの二日間、どれほど辛かったのだろう、どれだけ孤独だったのだろう。
――どんなに私に向かって、助けを求め続けたのだろう。
 その言葉を聞いた時、胸が潰れそうなほど辛くなった。
 そして初めて聞いた片割れの弱音が聞こえた時、私の心が叫びだしたんだ。
 こわい。
 怖い、怖い、怖い!
 隠れるのが、吊るされるのが、殴られるのが蹴られるのが。あいつが、あいつといるゴロツキが、片割れが――もう一人の自分が痛めつけられることが!
 ずっと心のどこかに閉じ込めて隠して、気がつかないようにしていた。無意識に押さえつけていたふたが開いてしまった、もう取り返しがつかない。
 「うっ……」
 ぱた。
 「うぇっ……えっ、ひっく……う、うえぇ……」
 ぱたぱた、ぽた。
 涙が、涙が土に当たる。
 私の片方が埋まる場所へと、落ちていく。
――泣いてる場合じゃない、泣いてる場合じゃないのに。
――声を出したらあの見張りたちが起きてしまう。早くしないと。とにかく、水だけでもあげなければ。
 頭はそう叫んでるのに、なのに何で心は違うことを感じてるの。
――たすけてあげないと。
――助けてあげないと! 私の、私のもう片方が苦しんでる。はやく、はやくここから出してあげなきゃ!
 分かってる、土から掘り起こしてお楽しみを台無しにしまえば、もっとひどいことになる。
 私が今やるべきことは、片割れに声をかけて落ち着かせること。励ましてあげること。そしてこの細い筒からほんの少しずつ水を入れて、なめさせてあげること。
 筒は細い。食べものを入れてしまえば詰まってしまうかもしれない。
 とにかく片割れに穴の位置を聞いて、昼間に光の差していた場所を聞いて。樽の中で体はどういう体制になっているのか。この状態で水を流しても大丈夫そうか。
 それを、それを聞かなくてはいけない。私が口にすべきはそのことだ。
 なのに。
 「お、にいちゃん……。お、にい、ちゃぁあ……!」
 馬鹿、馬鹿、馬鹿!!!
 泣くな馬鹿!それどころじゃない、助けたいなら今すぐ冷静になって行動しろ!
 「うぁ、ああぁ……。」
 「う、うぇ……ひっく……。」
 兄も泣いている。二人で、土越しに泣いている。
 爪を立てて土を、ざり、ざりとひっかく。
 まるで、掘り起こそうとでもしているかのように。
 結局、水すらもあげることができずに私は見つかって引き離された。
 引きずられて、泣きながらお兄ちゃんと叫んで。
 今思うと、あれはかえって良かったのかもしれないと思う。
 だっていつもふてぶてしい態度の私たち。その片方が泣いて叫んでいるんだもの。
 余興の一環としてはかなり満足させられたと思う。それもあってか、報酬も多かった。だから、あそこから出た時片割れに、たくさんの食べものを食べさせてあげられた。
 それを思うと、本当に良かった。
 次の日。泣き腫らして赤い目をした私を押さえつけながら、男たちが片割れの埋まる土を掘り起こそうとする。
 勝手に助けて、余興を台無しにしようとした私をあいつは烈火のごとく怒り狂っていたが、私の泣いている姿にゴロツキたちは気を良くして、ご機嫌に笑っていた。
 結果的にはあいつも「よくやった、お前がやってくれた余興のおかげで報酬もたんと増えた」と言っていたし、何とか助かった。
 もう私の泣き腫らした姿だけで、ゴロツキたちはかなりおもしろいものが見れたという顔をしていた。土を掘り起こしている間、その様を見ながら、ちらちらうすら笑いをして私を見てくるゴロツキたち。
 どんな反応をするのか、さも楽しみという顔だ。
 そしてようやく、樽が土から持ち上げられた。
 胸がきゅっと締め付けられた。
 注目がそこに集まる。
 緊張の中、ふたが開いた。
 「生きてる!!」
 笑い声に似たはやし声がたてられる。
 生きてる。
 生きてる、生きてる!
 私は押さえつけていた男の手を思い切り噛み切ろうとした。あの時歯に当たっていた何やら硬いものは、たぶん骨だ。
 私は土へと叩きつけられて、何とか上手く男の手から逃れられた。
 視線も構わず、震える足に鞭打ってそこまで猛然と走る。
 そこにいた男たちをつき飛ばさん勢いで、樽へと駆け寄る。
 「……! お兄ちゃん!!」
 そこからは、凄まじまい臭気。そしてただでさえ痩せていたのにさらにガリガリになり、傷という傷が膿んだ兄の姿。
 そのあまりの痛々しさに、また涙が出た。
 その様を見て愉快そうにしている男たち。
 死ね。
 樽を引き上げた男が、これ見よがしに樽を蹴り飛ばして横に倒した。
 その衝撃で、樽から片割れの体がずるっとでてくる。
 私は泣きながら死体のようなそれに駆け寄り、抱きかかえて片割れのことを呼び続けた。
 「お兄ちゃん……! お兄ちゃん!」
 うっすらと開いている目と口。口が、「い」の形に動こうとする。
 ばっ!と、体に縛って隠していた、ほんの少しの水が入った筒を体から取り外す。片割れの首を膝で支えて、頭を抱え上げる形で水を飲ませる。
 咳き込みながら、必死に飲む。
――ああ、水が足りなすぎる。
 周りを見ると、賭けの結果とやらでやんややんやと盛り上がっており、誰も私たちをもう見ていない。
 賭けに助けられた。
 そう思って、見つからないように、急いで家へと運ぶ。
 もう、誰も私たちのことなんか構やしない。
 汚いけど、まだきれいな方のシーツに寝かせて水を飲ませる。
 かきこむように飲んで、やっと一息ついた。ほんの少し安らいだような顔になる。すぐにこのために洗ってきれいにしておいた服に着替えさせて、水を張った桶と布を持ってくる。
 傷口を洗う間、片割れは膿んだ所が染みるのを頑張って我慢してくれた。
 薬なんてないから、とにかく傷口だけはきれいにして、これもまたこのためにきれいにしておいた布で傷を覆う。
 よく我慢したね、の意味をこめて、一回だけ頭をそっと撫でる。
 脱がせた服を抱え、洗いに行こうとすると、片割れのかすれ声が聞こえた。
 すぐに振り向き、そばに駆け寄る。
 「どうしたの、お兄ちゃん。痛いの?」
 片割れからの反応は無い。
 辛抱強くじっとしていると、片割れの口がかすかにひらいた。
 「もう……や、だ……。」
 胸の奥で、何かが弾けた。
 涙が、涙が溢れた。
 片割れもまた、力なくすすり泣いている。
 二人で同じように息を殺して、静かに泣いている。
 片割れの辛そうな姿が、こんなにも見ていて辛いものだなんて思ってもみなかった。
 私は片割れの手をぎゅっと握って、「よくがんばった、よく、がんばったね……。」と、言い続けた。
 鼻と喉が時々詰まって声が出なくなったが、それでも、懸命に片割れのことをいたわり続けた。
 その後、さっきも言った通りいつもよりたんともらった報酬を、珍しくあいつは私たち双子へと分け与えた。当然、それをこっそり多めに盗むことも忘れずに。床下に隠して数日かけて消費させ、片割れの体力が戻るまで食べさせてあげられた。



 運命の日がやってくる。
 リン、ゴン、リン、ゴン。
 不思議なハンドベルの音が、臭気に満ちたこの街に鳴り響く。
 これは一体何の音なのか。どこか遠くの場所で鳴っているように聞こえるのに、頭の芯に響いてくる。
 兄と顔を見合わせた。
 周りの浮浪者たちは聞き慣れた音なのか、この音には何の反応も示さない。
 でも、私たちもこの街で暮らしていることには変わり無いのだから、それはあり得ない。だとしたらもう後に考えられるのは、ここの人間たちの不感症でしかない。いかにもといった風情だし。
 浮浪者たちのことはすぐにどうでも良くなり、兄とこの音の出所を探した、いや、分かっていた。
 何故かは分からないけれども、そのハンドベルの音がどこから鳴っているのか、そしてその音を追わなければならないことも分かっていた。
 私たちは走る。この音が途切れる前に。出口が閉ざされる前に。
 急いで急いで、辿り着いたのは、あいつの住みついた元空き家があるあの むっとした匂いがする沼。
 いつの間にか二人で手をつないでいたらしい。息を切らしながら、片割れが片割れを引っ張るようにして、ざくざくと色褪せた葦の葉を踏み倒す。
 西の空には、リンチで殺されたゴロツキの皮膚から見えた、肉片の赤を思い起こさせるような色が浮いている。
 その上から、じょじょに降りていく夜のとばり。
 あの頃はそんな言葉、知らなかったけど。
 夜のとばりが完全に降りた頃。
 それまで何もなかったところに、無数の光が輝きだす。
 水の匂い。草の匂い。
 顔に当たるぬるい風。
――ここはどこ?
 こんな川は見たことがない。こんなに澄んだ、美しい水を私たちは目にしたことがない。
 辺りを見渡すと、いつの間にか川の隣をなぞるように屋台のような露店が立ち並んでいる。それはまるで灯火。死者の魂を慰める、灯籠流し。
 さっきまで何も無かったのに。すぐそこにたくさんの露店が明かりを灯して立ち並んでいる。
 それは見たことのない初めての光景。
 しかし最も初めてだと感じたのは、この穏やかな空気だった。
 たくさんの人がごちゃごちゃと歩いていて、店の人は商品を手前に置いたままなのに、何やらパイプをふかしたりしてゆったりくつろいでいる。
人がたくさんいるにも関わらず、穏やかで、和やかな空気。
 活気づいた呼び込みや、話し声や笑い声に満ちている。
 こんな、こんな平和そうな世界は存在するんだ。
 何故かどうしようもなく涙が出そうになり、二人で手を握ったまま、何も言わずに立っていた。
 そしてすぐ鼻についたのが、初めて嗅ぐ香ばしいにおい。
 見て、あそこに肉みたいなのがある。
 本当だ、おいしそう。
 食べたことないね。
 食べたことない。
 露店売りなんかしているくせに、見えにくそうなかぶりものなんか被ってぼけっとしている、何かの肉を売る店主。
――絶好の獲物だ。
 何も言わず、顔も見合わせずにどちらともなく握っていた手を離す。肌に感じるお互いの空気が意思を酌み交わす。
 あの店主が、次に動きを見せた時――
 「だめですよ、そんなことしたら。いくら私でも、夜の市場での盗っ人は庇えないですから。」
 唐突に、頭の方で聞こえた声。
 驚いて、片割れと左右前方に飛び退く。着地と同時にその声がした場所を振り向く。
 男とも女とも分からない、ただ子どもではない大人の声だった。
 体を覆い隠す真っ黒のローブ。ローブに隠され体の形は見えず、細いかガタイが良いのかさえよく分からない。
 そして頭身を崩す不恰好な……
――スイ、カ……?
「それにあの肉は多分、人間の肉ですね。」
 彼だか彼女は、頭に大きなスイカを被っていた。
 瑞々しくてツヤがある、みどりのスイカ。目、鼻、口のところにはまるで顔を模したかのようにくり抜かれた穴があって、その穴の奥には暗闇の空間が広がっていた。でも何よりも、くり抜いた穴の隙間から見える、赤く熟れたスイカの身。
 それだけじゃない、このスイカ頭からは、甘い甘い匂いがする。恐らくこれは、スイカの匂い……。
 ざりっ。
 鼓膜が、私の片割れが足をかすかに動かした音を捉えた。
 神経が一瞬にして張り詰める。
――そう、お兄ちゃん。あなたも……。さすが、私の半身。
 片割れと意思の疎通ができたことを確信したらしく、すぐさま私の片割れが動き出した。
 片割れが、低い体勢で右側に回るようにして素早く走る。その時、地に指をかすらせた。
 スイカ頭の目――ふたつのほら穴が、走っている片割れの姿を滑るように追う。
 そして私の片割れは、大きなアクションで、落ちていた石をスイカの実に向かって思い切り投げる。
 スイカの頭は、それを体を反らすような形で避けた。
――ここだ!
 私はその曲げられた膝の裏に、思い切り回し蹴りをくらわせた。
 スイカ頭のバランスがぐらりと崩れる。
 「おぉっと。」
 私は手に、尖った大きな石を持っている。
――スイカ!!!
 食べたことのない果物。
 甘くて、おいしそうな食べ物!
 あの様子じゃ、あの皮の周りにはまだ赤いところがたくさんついている。
 いつも拾っていた、捨てられた腐りかけの野菜の皮。
 新鮮な皮を食べられるだけでもご馳走なのに、さらにあれには実が!
 全身全霊で鋭利な石を振りかざし、勢い余るほどの力でスイカを打ち砕いた。
 「はあ、はあ……。」
 肩で息をして、すぐさまその破片を拾おうとする。
 「……あれ……?」
――中身が……無い。
 スイカの話じゃない、スイカを被っていたはずの誰かの頭が中に無いのだ。
 スイカの中身をくり抜かれてはいるのに。では一体……?
 「スイカ割りなんかしたら、世界60億のスイカが黙っていませんぜ、お嬢さん。」
 心臓が跳ねる。頭の上で声。また。
 後ろを見ると、その誰かは割ったはずのスイカをまた被っている。同じように目も、鼻も口の形もくり抜かれていて。
 しかし私の足元には砕かれたスイカの赤い汁と、白や緑の破片が散らばる。
 見下ろした際に、甘そうな汁のかかった自分の足が目に入る。うっすら赤くて、ひとの血みたい。
 「何なんだ、てめえ」
 スイカ頭をはさんで私の向かいにいる片割れが、唸るような声を出す。犬歯を剥き出しにして、睨みつけている。よかった、もう完全に元どおりだ。
 しかしスイカ頭はそんな敵意を気にする様子もなく、その上何やらマントの中の体がごそごそしだした。
よく見ると、あのスイカの帽子はさっきと少し形が違った。さっきのがまん丸ならばこっちは楕円だ。もしかしたらさっきの被り物は、このスイカ頭の一張羅だったのかもしれない……
 そんなことを考えていたら、被ったスイカを肩の上でぐらぐらさせながら、スイカ頭が聞いてきた。
 「お腹が空いたのなら、私の自慢のスイカを振る舞ってあげますよ。まあ、いつでもスイカ限定ですけどね。」
 いつの間にか、スイカ頭の手には大きくてまん丸の、とても美味しそうなスイカ。



 切り分けられたスイカは本当に真っ赤で、甘い良い香りがいっぱいした。
 あんなに甘くて美味しいものを、私は、そして私の半分は食べたことがなかった。
 この世界で一番美味しいものだって、本気で思ったもの。
 私と片割れは何も言わずに、がむしゃらになってそれを食べた。
 たくさんたくさん食べさせてくれて、いつ振りなんだろうと思えるほど満腹になった。
 私たちは今、少し小高い丘のようなところで、青々とした草はらに座っている。
 左が私、右が片割れ。そして真ん中でスイカの頭がぐらぐらしてる。
 目の前にたゆたう市場の光をぼんやりと見つめながら、そっと聞き逃したことを聞いてみた。
 「あなたは…誰?」
 「私はここの市場の主催者です。」
 間髪入れずに答えるスイカの主催者さん。
 「ここは……どこ?」
 それを聞くと、顔は見えないけれどもスイカの主催者さんがにんまりと笑ったような気配がした。
 ゆらりと立ち上がって、芝居がかった聞き惚れるような声で言葉を紡ぎ出す。
 「ここは夜の市場。
 市場に在るは、月明かりでしか咲かない花、 店主が吸血鬼、 後ろ暗い商品……。」
 くるりと回って、市場を背にする。
 歌うように、そのひとは朗々とうたい文句をそらんじだした。

 よってらっしゃい、みてらっしゃい。
 ここに来ればなんでもそろうよ。
 そろわないのは、お日さまが苦手な商品だけさ。

 昨日のものも、未来のものも、希望だって絶望だって、
 生き物だって概念だって、
 よくよく探せばみつかるものさ。

 そのままもう一度くるりと回って、私たちの方を向きながら、ぺこりとお辞儀。また芝居がかった動作もついてきてて、右と左の足を反対側のばってんにする。右手を振りかざすように上げて、頭と一緒に手も下ろす。
 「……私はあなたたちがここに来たい、と叫んでいたので、この場所を教えただけです。
 ハンドベルの音は、ここの場所を告げる良い道しるべにもなりますからね。まあ、このハンドベルは星がつかめそうな夜の市場からの借り物ですが、はは。」
 スイカの中で、誰かが笑っている。
 「……私、ここに来たい、なんて言ってない……。こっちも。
 だって、夜の市場なんて聞いたこともない」
 片割れの方を見て、互いに頷きあう。
 主催者さんは頭をぐらぐらさせて、何を考えているのか全くわからない顔の偽物をこっちにむけてくる。
 「ここでは、表の世界では売れないような後ろ暗い商品もある。
 あなた方はこの市場で売りたいものがあるらしくてここに来た。そう言っていましたよ。
 私は主催者ですから、もうこれ以上は何もしてあげられません。
 私の役目は店を出す知らせを受けること。
 そして、それを許すこと。
 とにかく私は、あなたたちから店を出す契約を求められました。
 今ここで、私はスイカに誓ってあなた方を夜の市場の出店者として認めることにします。
 あとは店を開くもたたむもご自由に……。」
 そう言うと、主催者さんはまるで夜の闇に溶けていくかのように見えなくなってしまった。
 闇に目を向けたままで、風に頬を撫でられる私と片割れ。すると。
 「そうそう、お二人の名前は?」
 闇の中から響くような声がした。そこにいるのか、それとも本当に消えてしまったのか。
 「名前なんて、無い。」
 私はその闇に向かって声を投げた。その声は、まるで闇に吸い取られるように、残響を残して消えていった。

〈風鈴の帆〉

〈風鈴の帆〉には、 愛想の悪い売り子の妹さんと、 仕入れ係の賑やかな兄がいる。 双子の兄妹の浮かべる船には、 今夜も不思議な品が詰まれている。

ちりん ちりん。

毎度、 ありがとうございました。

〈風鈴の帆〉

夜の市場に出店するのは、 小さな船の上でお店を構える双子の兄妹。 仕入れ係の賑やかな兄、売り子をやってる愛想の悪い妹さん。 とても珍しい商品には逸話がたくさん詰まってる。 制作秘話から手に入れる過程。 妹さんの気さえ向けば色んな話を聞かせてくれる。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-15

CC BY-ND
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CC BY-ND
  1. リクとリコ
  2. 〈夕焼けの蜜〉
  3. 〈ホウセキコビト〉
  4. 〈虚しき愛欲〉
  5. 〈夜のとばり〉
  6. 〈親殺しの血〉
  7. 夜のとばりに恋して
  8. 帆を持たない船Ⅰ