アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~銀花は黒狼の傍に咲く~

ハローハロー、漆黒猫でございます。

アルスラーン殿下にお姉様がいらしたら、バージョン。
アルスラーン殿下の女体化バージョンではございませんので、念の為。

今回のお話は、兄と妹の関係性、のような。
お互いがお互いの理由があって、『義』兄妹となりました、という。
そのようなお話です。

ヒルメス殿下のボッチ属性を封じ込め、
殿下にいかにお幸せになって頂くか、という修正作業の一環、みたいな?

先の事は考えてません。←ヲイ
考えてませんが、とりあえず魔道士どもを殿下のお側から排除せねば、と。

少ぅしずつ、公式準拠じゃ『なくなる』部分が増えていき、最終的には、
ヒルメス殿下陣営をこれ以上失わず(なぜ死んだカーラーン卿!!)、
某草原の国から来た忠臣すらも『追加』して、
ヒルメス殿下には幸せになって頂く予定(は未定。)。

途中、ギーヴ卿の首がマジで飛びそうになって焦りました・・・。

アルスラーン殿下にも幸せになって欲しいよっ!
八方美人上等だよ!←え

それでは、お楽しみ頂ければ幸いです♪

アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~銀花は黒狼の傍に咲く~

 何がどうしてこうなった。

「お久しぶり、ヒルメス兄様♪
 お土産はこのコの生首よ☆ 目の前で生け作りにして差し上げるわ♪」

「久しぶりだな、仮面の色男・・・。
 っの野郎っ!! 一体妹にどんな教育してやがるっ!!」

『・・・・・・。』

 銀髪紅眼の美人妹が連れて・・・否、『縛り上げて』『その細腕で引き摺って』来たのは、いつぞや地下水路で噛みついてきた、流浪の楽士。
 ヒルメスは軽い立ちくらみを覚え、銀仮面越しに額を押さえた。



 ザーブル城。
 栄えあるパルス王宮の優美さには程遠いが、住めば都というヤツか、この武骨な城も大分ヒルメスに馴染んできた。出撃の準備も着々と進んでいる。
 気がかりなど皆無、とまでは言わないが、順調な方だろう。
 そんなある日、王弟ギスカールからの王都招集をガン無視し続けていたヒルメスの許に、客人が訪れた。貴人、それも実質人妻でありながら従者の1人も連れず、文字通り『単身』で彼の許を訪れたのは―――。

「何をしに来た、フォルツァティーナ。」

「お久しぶり、ヒルメス兄様♪
 お土産はこのコの生首よ☆ 目の前で生け作りにして差し上げるわ♪」

「久しぶりだな、仮面の色男・・・。
 っの野郎っ!! 一体妹にどんな教育してやがるっ!!」

『・・・・・・。』

 銀髪紅眼の美人妹が連れて・・・否、『縛り上げて』『その細腕で引き摺って』来たのは、いつぞや地下水路で噛みついてきた、流浪の楽士。
 ヒルメスは軽い立ちくらみを覚え、銀仮面越しに額を押さえた。両脇に控えるザンデは瞳を歓喜の色に染め、サームはといえば、穏やかに苦笑している。
 『城の外に、銀髪紅眼のとんでもない美女を発見。入りたそうにしているが、この不審な旅人を入れても良いでしょうか。(入れたい、入れてあんなコトやこんなコトのお相手を願いたい・・・!!)』。
 下心の透けて見える物見からの報告を、聞いた時からイヤな予感はしていたのだ。
 銀髪紅眼のとんでもない美女。
 貴人のクセに従者ひとり連れずに荒野を行く、破天荒な女。
 ヒルメスの関係者で、そんな女はフォルツァティーナしか居ない。

「おぬしならば判っていよう、妹よ。
 王弟ギスカールの下には付かぬ。アレの許で剣を揮う気は無いから、そう心得よ。」

 とりあえず、旅の楽士・ギーヴを縛り上げて床に転がしている件には触れない。
 彼を縛るモノが、荒縄ではなく、何故か太い蔦なのだとしても。
 そんな疑問は全力で後回しにする。

「お考えは存知上げてるわ、兄様。
 パルスの王族として、仮にも虜囚扱いの私が王都を出られた理由はあくまで『建前』。
ギスカールには一応『ルシタニア人の説得がダメでも、パルス人の妹なら試してみる価値はあるかも。』って言ってあるけど、兄様が動かない事はカールも予想済みだから。
 もう何人も失敗してるコトだし、『私も頑張ったけどやっぱり駄目でした。』でも大丈夫。カールの不利益にはならないから平気♪」

 『平気』とは、何がどう平気なのか。
 そんな疑問も、全力で後に回す。というか、忘れる。
 どうせこの聡明な妹は、ヒルメスが自分を人質として扱う事くらい、余裕で見越して行動しているのだ。

「ルシタニアの最高権力者も、妻女の我が侭には屈するか。
 ならば猶の事、重ねて問おう。何をしに来た、妹。」

「魔道士に会いに。」

「魔道士?」

 城主の座に悠然と収まるヒルメスを、視界に収めてフォルツァティーナは微笑んでいる。真紅の瞳を細めて、楽しそうに口許を緩ませて。両の指先を胸の前で組んでいる。
 怪訝なカオを見せる『兄王子』に、『妹姫』はその微笑を崩さないまま願い続けた。

「兄様のお耳元で、折に触れて何事か囁き続ける、魔道士たちに会わせて頂きたいの。
他ならぬ兄様ご自身の御前(おんまえ)で、彼らに直接、訊ねたい事があって。
 『黒巫女が会話を望んでいる。』とお申し付けになれば、彼らはすぐに悟る筈。
 誰か1人で宜しいの、大したお時間は取らせませんから。」

「・・・黒巫女として、か。俺を兄と呼ぶようになって以来、何かしてくれと言ってきたのは初めてだな。
 良かろう。
 俺の目の届く範囲で、俺の部下と、俺の妹が会う。別に不自然な事はあるまい。
 ザンデ、奴らの中で暇そうにしているヤツ、適当に引っ張って連れて来い。」

「御意っ♪」

「感謝致します、兄様♪」

「・・・・。」

 王宮以来久しぶりに愛しい王女の為に動ける、その事に意気揚々と出て行く勇将。
 妹からの感謝に、敢えて渋面を作って答えないが、仮面の上からでも赤面が判る兄王子。
 あれ、何だろうコレ。
 ギーヴは既にして帰りたくなっていた。ファランギース相手に、『しばらく戻るつもりはない。』などと格好を付けたのは他ならぬ自分だが・・・存在を忘れ去られている今の内に、消えてしまいたい。
 床の上からチラリと、『銀仮面卿の妹姫』を見上げる。
 目が合った。

「あとね、この子はホントに、兄様へのお土産♪
 最初は別のモノにしようと思ってたのだけど・・・デマヴァント山近辺で単独行動してるのを見つけたから、とっ捕まえて来ちゃった。」

「デマヴァント・・・ルクナバードか。」

「十中八九、ナルサスの考えでしょう。血縁上の正統が無いラーニエが即位するには、英雄王の宝剣が必要になるかも知れないから。
 兄様も、魔道士たちから囁かれてるのでしょう? 『ルクナバードへ手を伸ばせ。』って。
 でもあの山、もう入れないの。私が結界を張ったから。」

「解け。
 ・・・と、この兄が言ったら、おぬしは応じるか?」

「兄様は仰らないわ。魔道士たちの本心を知れば、少なくともルクナバードへの関心は半減なさると思うの。」

「理解者気取りか、小賢しい妹め。
 まぁ良い。今はな。取り敢えず、その『魔道士たちの本心』とやら。確かめてみるとしよう。」

「はい、兄様♪♪」

 城主の座に在るヒルメスを、見上げる『彼女』の紅眼に淀みは無い。キラキラと澄んで、深みに沈んだ二心(ふたごころ)の影など微塵も感じさせぬ、真紅の瞳。
 ダリューンから聞いていた通りの瞳だと、ギーヴは思った。
 光の加減、時節によって色を変える不思議な眼。
 現在と未来、過去。3つの風景を同時に見遥かす、観測者の眼。
 欲の見えない眼。

『ラーニエの従者・・・変わった毛色ね。』

 山の中腹で声を掛けられた時、隙を見せてしまったのは、その真紅の深みに気を取られたからだった。
 成程、ダリューンのような武人肌の男が、畏怖を感じる訳だ。
 それは太古の昔、剣の力で勝る英雄たちが敢えて『巫女』に表敬し、膝を屈したのと同じ種類の畏怖であったろう。

「来たわね、魔道士。」

「・・っ、・・師が・・・お許し下さい、ザンデ卿っ!
 黒巫女の御下問など、畏れ多くて浅学非才の身には、」

「ええい、グダグダとうるさいっ!
 要請されたのはティーツァ様でも、ご判断なさったのはヒルメス殿下なのだっ! 殿下の麾下に居るおぬしらが、殿下の出頭命令に何故応じんのかっ!!
 ヒルメス殿下が来いと仰せなのだ、来いっ!!!」

「ひぃぃっっ!!!」

 響く大音声に、床上で直接振動に晒されるギーヴは閉口した。
 言っている事は間違っていないが・・・うるさい。
 まぁ、主君はじめ周囲は既に慣れているようだが。慣れってコワい。

「グルガーン、と申したな。魔道士よ。」

「ヒルメス殿下・・・。」

「よく来た・・と言いたい所だが、あまり無様を晒してくれるな。
 俺の妹は、婿にルシタニアの王弟を欲する変わり者でな。仮にも俺の麾下に居るのなら、ギスカールに知られて笑われるような振る舞いをするな。
 斬り捨てるぞ。」

「も、申し訳ございません、殿下・・・。」

「グルガーン?」

「ひぃっ!」

「私は・・・『黒巫女』は、そんなに怖い?」

「・・・恐ろしゅう、ございます・・・蛇王ザッハークの妹・イールギットの末裔。かの王を裏切りし、常闇(とこやみ)の巫女の後裔よ。
 どのような故があって、この身を御前にお引き据えになられるか。」

「蛇王も妙な仕掛けを遺したものね。イールギットからすれば『こうするしか止める方法が無かった。』でも、ザッハークからすれば『よくも裏切ったな。』でしょうに。
 自分を信奉する魔道士たちに、裏切り者の妹への『絶対服従』を誓わせたままだなんて。」

「それが・・・蛇王のご遺志なのです。共にご苦労なさった妹君を、その血統を継ぐ姫君を守れと。ですがイールギット様は・・・イーラ様は、ご自身にのみ向けられる蛇王の慈愛を・・・良しとはなさらなかった。
 フォルツァティーナ様、否、イーラ様。今からでも我らと共に、」

「フォルツァティーナ。」

「兄様。」

「委細は知らぬし、知る気も無い。
 おぬしの望み通り、接見の場を設けたのだ。俺に聞かせたい質疑があるのだろう? 俺を待たせるな。」

「♪ ごめんなさい、ヒルメス兄様♪♪」

『・・・・・。』

 あっるぇえぇぇ?
 何だろう、兄妹の間に吹き抜けもせず漂う、このフローラルな空気は。世馴れたギーヴをして思わず巻き舌にせしめる、甘ったるい雰囲気は。
 『兄王子』が常以上にしかめっ面なのは、所謂アレか。『自分の知らない愛妹の一面』を感じ取って妬いてるとか、そういうアレなのか。
 『妹姫』が彼に飛ばすハートマークが、これまで以上に巨大化・且つ大量化した気がする。

「あのね、あのね、グルガーン♪」

「っ、はい、黒巫女・・・。」

「バダフシャーンの書庫で習ったの。
 あなたたち魔道士は、黒巫女の命令に絶対服従なのでしょう? 黒巫女の発する質問に対して、偽りは許されないのよね?」

「御意、に、ございます・・・巫女様。」

「ならば訊くわ♪
 グルガーン、あなたが忠誠を捧げるのは、だぁれ?」

「・・・っ、っっ・・・我が・・尊師でございます、・・っ巫女、」

「あら、上手く逃げるのね。
 では、あなたの尊師が忠誠を捧げるのは?」

「っ・・・・・・・へ、びおう・・・へ、・・か・・・。」

「あなたたち魔道士の、最終目的は?」

「・・・・・・蛇王・・・・ザッハーク陛下のご復活・・・っ、」

「その『最終目的』の中で、ヒルメス兄様はどんなポジションなのかしら。
 一言で言ってみて?」

「・・・・っ、・・・・・・っ、・・・。」

「言いなさい、グルガーン。兄様の御前で。
 黒巫女の命令よ。」

「・・・ぐぅ・・・・く、ろ、みこぉおぉぉぉっ!!!」

『ティーツァ様っ!』

            ザシュッ・・!!

 追及に堪りかねた魔道士の刃が、『黒巫女』に迫る。
 サームもザンデも間に合わない中、錯乱したグルガーンの短剣からフォルツァティーナを守ったのはヒルメスだった。
 崩れ落ちるグルガーンの姿が、他ならぬヒルメスの肩越しに、紅眼に映る。

「にいさま・・・。」

「主の断を待たずして、妹の抹殺を謀るか。
 軽挙の極みだな。」

 長剣を鞘に収める『兄』の動きが、僅かに硬いのをフォルツァティーナは見逃さなかった。砕けてしまえとばかり、強い力で鞘を握り込む左手を、そっと両の掌で温める。
 彼を見上げる紅眼は、今は静かに暗紫色に沈んでいた。

「・・・私の許に、魔道士が参ったのです。プーラードと名乗っていました。
 ヒルメス殿下がルクナバードを抜けば、蛇王が復活する。その時は黒巫女として、かつてのイールギットと同じように、蛇王に仕えないかと。
 だから私は、応急処置としてデマヴァント山を封印したのです。」

「プーラードはどうした。」

「・・・殺しました。
 デマヴァントまでの道案内をさせ、ルクナバードの現物を確認してから。
 すぐに兄様にお知らせしようと思ったのですけど・・・ザンデやサームよりも長く手足となり、相応に重用している者の事。魔道士たちの裏切りを、ストレートに奏上しても敵対者からの攪乱作戦と、信を置いては下さらない筈。
 だから、黒巫女の立場を利用したのです。
 兄様・・・お怒りですか? 魔道士たちの本心を暴いた妹を・・・。」

 本当は、王都で待つつもりだった。ギスカールの傍で。
 だがフォルツァティーナは、座していて自分自身の願いが成就するとも思っていなかったし・・・純粋に、イヤだったのだ。兄と慕う男が、王家の歴史の闇そのものの如き者たちから、良いように傀儡扱いされる事が。
 だから彼女は、王都を出る道を選んだ。男に頼るのではなく、自分の足で、歩き始めた。
 夫と敵対する事になると、賭けの危うさを解っていても。

「にいさま・・・ヒルメス卿、」

「俺の妹ともあろう者が、情けない声を出すな。
 来い、フォルツァティーナ。腹が減った、何か作れ。」

「♪ はいっ、ヒルメス兄様♪♪♪♪」

 不器用なデレを見せる『兄王子』に、『妹姫』の双眸が明るい朱色に染まり上がる。
 彼の左腕に、己が両腕をしっかりと絡める・・・というより、左腕を大事そうにギュゥッと抱き締める美女の図。思慕に溢れた、その喜色満面の笑顔といったら。
 男なら誰でも憧れる状況なのだろうが・・・、床の上に転がされたギーヴは、素直に羨望出来ない。

「ええと、俺の扱いは?」

「おぬしなんぞ後だ、後っ。
 ティーツァ様が、久しぶりにヒルメス殿下の御許に戻られたのだからなっ!♪♪」

「折角ヒルメス殿下が食事を召し上がる気になって下さっているのだ。アルスラーン殿下の従者の件など持ち出して、水を差したくない。
 さりとて、主君の断もないまま、敵対者の直臣を処刑する訳にもいかぬ。
 地下牢に放り込んでやるから、残りの時間をネズミとでも語らうが良い。」

「ネズミ、ね。」

 サームの言い様には閉口したが、まぁ確かに『あの』ヒルメスと差し向かいに相対して、命があるだけ奇跡なのだろう。それも縛られ、武器も無い状態で。
 ふと、ギーヴの脳裏に彼女の銀髪がよぎる。
 アルスラーンの銀髪は、白に近い。一度光を吸収してから柔らかく押し返すような、かの少年の性格を表すかのような、穏やかな色合いだ。
 対してかの姫の銀髪は、どちらかといえば黒みが勝っている。はっきりとした金属光沢。正に『銀』という色合いで、キラキラと輝きながら流れ落ちる腰までの長髪は、さながら水の流れのよう。
 まるで水飛沫を纏い、その反射光で身を守らせているかのようだ。光を通さず、さりとて弾き返しもせず。

(何を考えておられるのやら。
 もう少し、知りたいよなぁ・・・。)

 ココに来るまでの道すがらは、話しかけてもロクに返事をくれなかった。そういえば姉姫様は何故、ギーヴが弟の従者だと見抜いたのだろう。名乗る前に捕縛されていた。
 美女を見ると気を惹きたくなるのは、色男の性だ。
 地下牢に引き立てられながら、ギーヴは逃走ではなく、逢瀬の目算をつけていた。



 ヒルメスの毎日は、実に穏やかで規則正しかった。
 元々、彼は決して扱いにくい主君ではない。誇り高くはあっても神経質とは違い、苛烈ではあっても情緒不安定とは違い、部下に礼節を求めはしても、グダグダと細かい所に拘ったりはしない。武勇に優れる一方で、地味な書類仕事もきっちり仕上げる。
 朝は夜明け前に起き、着替えなども当たり前のように自分でこなす。
 決まった時間に腹心たちと食事を摂り、ザンデに任せている練兵を見、サームに任せている物資関連の書類を見、2人と共に戦略を立てる。
 そして。

「袖、落ちてるぞ。」

「兄様、クルってして、クルって♪」

「仕方あるまい。」

 大鍋の煮込み料理を、かき混ぜるフォルツァティーナの袖口をヒルメスが上げてやる。
 他の者相手ならば『は? 自分でやれYO!』の一言で済ませる所だが・・・『妹』には弱い。
 『男所帯に女1人、兵士に襲われでもしたらどうする。』と自分の隣に部屋を与え、軽々にドレスなど与えず男装させている辺りに、甘さばかりではない現実的な配慮が垣間見える。日々『兄』が板に付いていく主君に、サームなどは感動を禁じ得ないらしい。
 ともあれ、彼女が朝食を作るまでの、ひととき。
 最近のヒルメスは、雑談を交わすのが日課になっていた。そもそも、放っておくと1日1食、それもスープを飲む程度の軽食で済ませてしまう彼が、3食決まった時間に食べるようになった事自体が彼女の功績なのだ。
 『主君および幹部の3度の食事作り』という重要任務を取り上げられても、料理番が文句を言わない。それ程に本来、ヒルメスの食事嫌いは重度なのである。
 常人より大食いのザンデなどからすると、拒食症レベルに見えて心配になるらしい。

「兄様。
 今日だけは1日、朝から5人分作るのよね?」

「あぁ。」

「兄様とサーム、ザンデ、それに私は判るのだけど。
 あと1食はどなたの分なの? 兄様と同じ具にしてしまったけど、食べて頂けるかしら。」

「痩せ犬の如き流れ者だ。好き嫌いなどあるまいよ。」

「そう? なら宜しいのだけれど・・・。
 どのようなお客様? 兄様のお知り合い?」

 幹部の食事を作る為だけの、専用の炊事場の・・・こんな場所が実在するのだから、軍部とは恐ろしい。流浪の身が長かったヒルメスは心底そう思う。
 その炊事場の柱に凭れながら、彼はきょとんとする妹相手に苦笑した。

「知り合いといえば、知り合いよな。
 妹よ。おぬし、自分が捕まえてきたアルスラーンの従者の件、忘れているだろう。」

「?? ていうか、あの子はもう、ザンデ辺りが斬り捨てたものと。
 身柄自体、偶然手に入れただけの子だし。私がラーニエ側の人間じゃないってコトの担保に連れて来ただけだから。
 兄様のお傍から、魔道士を排除する事には成功した。
 だからもう、生死がどちらでも構わないの、私にとっては。まだ生きているのだとしても、いつ殺して下さっても構わないのですけど・・・。」

「その処刑の日取りが決まった。
 明朝だ。」

「・・・・・・。」

「正統が無いとはいえ、一国の王太子の座に在る者の従者だ。
 今日の3食と、明日の朝食。その4食のみ、我が妹の手料理を与える事にした。
 処刑は派手に、中庭ででも行おうと思う。その前に会うか?」

「会うわ、兄様。
 ご一緒して頂ける?」

「良かろう。」

 ヒルメス軍の戦意高揚の為の贄。
 アルスラーン軍の結束の贄になった次は、その従兄にして敵対者の贄となる訳だ。『そういう役回り』の一言で片付けるには、あまりに残酷だ。
 フォルツァティーナがギーヴと会うのは、実に1週間ぶりだった。

「あなたには、色々と歌って差し上げたい曲がたくさんありましたよ、姉姫様。」

 それが、ヒルメスの口から処刑を伝えられたギーヴの、最初の台詞だった。
 気障な仕草で肩を竦めて、飄々と笑う。

「弟君のお優しい瞳を思わせる、夜空を背景に愛の歌をお聴かせしたい。
 そう焦がれても、無粋な牢番に逢瀬を邪魔されましてな。残念です。」

「・・・あなたの周りのジンが言っているわ。あなたの奏でる音は、ラーニエのお気に入りなのだと。私の『弟』に優しくしてくれて、ありがとう。」

「姉姫様も、ジンの声をお聴きに?」

「えぇ。
 ファランギースといったかしら。あなたの傍のミスラの神官が、人体の『外側』に長けているのとは、ちょっと専門が違うのだけど。
 私は大地の巫女。相性が良いのは植物と虫、それに人体の『内側』よ。」

「なるほど、ジンの声に導かれて、俺の正体も見透かされた訳だ。
 アルスラーン殿下が、姉君様の御身をとても心配なさっておられましたよ?」

「そうでしょうね。きっと私はあの子を、少し優しい子に育て過ぎたんだわ。
 我が身は正統に非ずと、知った時点で姉も、冷酷な両親も、全て振り捨てて行方を晦ましてしまえば苦しまずに済んだものを。」

「・・・やはり知っておられたか。」

「14年前、赤子のラーニエと会った日から。ずっと。
 黒巫女の血脈には、英雄王の血脈が判るのよ。あの子には『それ』が無かった。」

「姉君様・・・フォルツァティーナ姫殿下。
 俺と共に来られませんか。俺と一緒に、アルスラーン殿下の許へ帰りましょう。
 殿下はご自分の出自をご承知の上で蜂起された。姉君様に関しても、もしやご存知で黙っておられたのでは、と。
 ですがそれでも構わない、姉上は私を守って下さった。今度は私が姉上をお守り申し上げたいと。そう仰せでございました。
 パルスの姫殿下ともあろう御方が、戦場に出る必要などございませぬ。
 我が主にして弟君。『アルスラーン殿下』のお側で、安んじておられれば宜しい。」

「いいえ。
 多分、もう・・・戦場以外で、私とあの子は会わない方が良いと思う。いつかは夫の許へ帰りたいと思っているけど・・・・、当分、私はヒルメス兄様の許でお力になりたいと思っているし。
 結界はいずれ破られるでしょう。私は専門家ではないし・・・。
 ルクナバードに触れられるのは、英雄王の血脈だけなの。魔道士たちは、まだ兄様に宝剣を抜かせる事を諦めていない筈。
 一番確実にお守り出来るのはこの私。黒巫女よ。」

「兄に夫に弟に。
 お忙しい事だ。」

「八方美人だと思う?
 あなたには解らないでしょうね。
 王宮に『戻って』来る前から、14年間守り続けた『弟』は捨てられない。
 一世一代の恋をした『夫』も諦められない。
 年長の身内として慕わせてくれる『兄』の傍にも居たい。
 3人共に生きていて欲しくて、七転八倒、足掻いているおバカさん。今の私はさぞ愚か者に映っている事でしょう。
 ナルサス辺りには、処刑前でも会いたくないわね。言い返せない皮肉を言われそう。」

「軍師殿は、そうでしょうね。かの御仁はアレでなかなか激情家だ。しかし美女相手に皮肉など、俺の口からはとても、とても。
 3番目、『兄上様』を断腸の思いででも諦めれば、少なくとも二択になるのでは?
 弟君への情、恋しいヒトへの狂おしい程の愛。それに比べれば『兄君』など。」

「兄様に捕まっておきながら、その台詞。あなたも大概だわ。
 言ったでしょう、あなたには解らないと。
 バダフシャーンで産まれ落ちたその時から、誰も私を『子供』として見なかった。実父も母も、先代『黒巫女』である祖母も。誰も彼もが大人としての分別を求めた。
 信じられる? 生後間もない赤子によ?
 それはパルスに来てからも変わらなくて・・・私は私で、その理不尽な期待に応えるのが当然なのだと、当たり前のように思ってた。
 19年間。
 頑張って応え続けて・・・でも国が揺らいで。
 いい加減、疲れていたのかも知れない。
 私には血縁の兄弟が居ないし、母上とも仲が悪いの。父上・・・アンドラゴラス王の事も、何をお考えか、判らなくなっちゃった。そんな状態で・・・『義』だとしても、曲がりなりにも『身内』と呼べる人の中で、私が慕えたのは、私の思慕を受け止めてくれたのも、兄様だけなのよ。兄様だけが、私を『子供』で居させてくれる。
 だから、ね。
 私は私自身の中に在る理由で、ヒルメス兄様を守りたい。
 二択だとするなら、ヒルメス兄様か、夫・ギスカール公爵か。どちらかよ。」

「アルスラーン殿下の事は?」

「ラーニエには、2人のどちらかに降ってもらうわ。
 ペシャワールから起ったという事は、確かに即位の意思がある、という事でしょう。
 でもね、楽士。
 私の『ラーニエに生きて欲しい。』と、ラーニエ自身の『生きたい。』には大きな隔たりがあるの。弟は『王として』生きたい。私は、『ただ生きていてくれるだけでいい。』。
 弟は『従者たちと共に生きて、死ぬ。』。私は『弟に蜂起を促すであろう従者たちは処刑し、弟だけを生かしたい。』。
 最初からベクトルが違っているの。
 その上での『会わない方が良い。』なのよ。」

「アルスラーン殿下を、飼い殺しになさるおつもりか。」

「最終的にはね。
 そう取ってもらって構わないわ。」

「フォルツァティーナ。」

「ヒルメス兄さ、ま・・?」

 今度こそ、ギーヴはドン引きして顔を引き攣らせた。
 『今日から暫し、特別食を与えてやろう。』、そう言ってやたら旨そうな盆を置いた時の、ヒルメスの勝ち誇った顔も無条件にイラッときたが。
 『妹』の名を呼び、その華奢な細身を無造作に抱き締めた、銀仮面の男。
 仮面の銀色と銀髪の色みが、ほとんど同一なのが、楽士の癪に妙に障る。

「『妻』に甘いギスカールはともかく、俺はまだ、アルスラーンの助命を許した覚えはない。『妹』の我が侭を全て聞いてやる気は無いのでな。
 覚えはない、が・・・。
 今後の働き次第では、褒美を与える余地はある。
 精進する事だ。『俺の許で』、な。」

「っ、はい、兄様っ♪♪♪
 魔道士からお守りする他に、何かお役目を下さいな、兄様。お弁当を作るだけでは、時間を持て余してしまいます。」

「ギスカールの許では、通訳だったか。だが俺の許に通訳は要らぬ。
 おぬしは医療の技も巧みだったな。
 ちょうど『長』の名に値する得手がおらぬと、サームと頭を悩ませていたところだ。医療部隊を任せるから、そこで働きを示すが良い。
 俺の妹とはいえ、ギスカールの許に居たおぬしに疑心を示す者も居る。そういう手合いを黙らせるにも都合が良かろう。」

「兵数で『だけ』は劣る兄様にとって、傷病兵も大事な兵士ですものね。
 後方支援は任せて、兄様♪♪」

「あぁ。任せよう、妹。」

 重要な人事案件をひとつ、あっさり片付けたヒルメスは、檻の内側でイライラキてる楽士に無言で勝ち誇ってみせた。
 フォルツァティーナは暖炉の効いた温かい部屋で、菓子を貰って喜ぶタイプの『姫君』ではない。それはよく知っていたヒルメスだが、では、どうしたら彼女を『甘やかした』事になるのか。
 サームとザンデに進言されていたのだ。姫殿下は才覚を認めて欲しがるタイプ。将の一角として兵を与える事も視野に、妹君を戦に纏わる場に置かれませ、と。ギスカールからしてみれば妻を人質に取られたようなものだろうが、人質どころか、ルシタニア軍相手に真っ向勝負させ得る位置に、と。
 実際、サームとザンデ以外に突出した将が居ないのも、ヒルメス陣営のイタい所ではあるのだが・・・。
 後ろに置いたのは、ヒルメスなりの優しさだ。
 後方支援部隊に、信の置ける者が必要なのも事実である。戦闘にかまけて医薬品の管理が甘くなり、うっかり毒殺されてはたまらない。

「それではな、楽士。
 その食事に毒は盛っておらぬ。我が妹の美味な料理を食して、多少なりとも肌色を明るくするが良い。楽を嗜む者として、少しでも美しい姿で死にたかろう?
 湯も使わせてやる。今夜は早めに眠って、明朝の処刑に備える事だ。」

「あなたの首級は進軍中のラーニエの許に届けてあげるから、そのつもりでね。
 あと3食、食べたい物があったら牢番に言って頂戴。材料次第だけど、作れるなら作ってあげる♪」

「この、ブラコンシスコン義兄妹―――っ!!」

 銀仮面の奥の瞳が、冴え冴えと語っていた。『説得の仕方を誤ったな。』と。
 ギーヴは彼女に『弟太子を王家の牙から守れるのは、ずっと一緒に居た姫殿下しかおられない。』とでも言えば良かったのだ。『弟に守ってもらえ。』ではなく。そうすれば多少なりとも彼女の迷いを、引き出す事が出来ただろうに。
 明朝、ギーヴの命の火は消える。
 代わりに灯るのは、フォルツァティーナがアルスラーンに向ける、訣別の炎なのだ。



 明けて、朝。

「どうにかして、会いに来るかと思ったわ。」

「行ける訳ないでしょ。
 アンタ大事な片恋野郎が、毎晩牢屋の前で短槍構えてんだから。」

「ティーツァ様に向かって『アンタ』とは何事かっ、ヘボ楽士!!」

「あぁ、うるさいうるさい。」

 手枷を嵌められたギーヴが、手首だけをヒラヒラさせて慨嘆する。
 この1週間というもの、ザンデが夜を徹して、ギーヴに与えられた牢屋の前で番をしていたのだ。曰く『手癖の悪い流人など、山賊で知られたゾット族よりなおタチが悪い。たとえ影だけでも檻をすり抜け、ティーツァ様相手にどんな不埒を働くか知れたものではない。俺が見張らねば云々』という事らしいが・・・。
 戦の前の将軍格が、どれほど忙しいかはダリューンを見て知っているつもりだ。それでなくてもこの1週間、中庭から聞こえてくる調練の声は、ザンデのモノが大半だった。他の事に忙しいサームに代わって、彼が実地訓練の大半を引き受けているのだろう。
 口を開けば、ヒルメス賛歌とフォルツァティーナへの想いばかり。洗脳でもするつもりかと、ギーヴはちょっと本気で怖くなった。
 連日の調練に、連夜の不寝番。それも他の男に命張ってる女の為に。
 その忠誠と侠気は本物だと、密かに舌を巻いていたのだ。絶対に口には出さないが。

「守ってくれてありがとう、ザンデ。気付かなくてごめんなさい。
 疲れてるのは調練のせいかと・・・お食事、栄養配分には気を付けていたつもりだけど。処刑が終わったら、1日身を休めた方がいいわ。」

「それこそ気にせんで下さい、ティーツァ様♪♪
 その労いのお言葉だけで、俺には過分な褒章なれば♪」

 フローラルなのはトップ兄妹の間だけかと思いきや。
 お花畑な空気が漂う勇将と妹姫の前を、半眼の楽士はサクサクと歩いた。
 しかし、マズい。極めてマズい状況だ。素直に牢屋から刑場に引き立てられているが、何か策がある訳ではない。計画の一環だとか、準備を整えた上での仕込みなどではなく、ガチでなった囚われの身なのだ。
 偽装とはいえ元々が追放の身、行軍中で移動しているであろう仲間に、連絡など取りようもなく・・・。
 非常にマズい。このままでは本気で首が飛ぶ。
 とうとう辿り着いた刑場の入り口には、サームを従えたヒルメスが居た。

「顔色は良いようだな、ヘボ楽士。」

「・・・・・・。」

「兄様相手に、最後の最後まで、その屈しない眼。
 そういうの、嫌いではないわ。褒めてあげる。」

「褒めて、ね・・・。
 ならばパルスの誇る、英明にして慈悲深き姫殿下に願い奉る。お褒めの言葉を賜るのならば、実際に褒章が頂きたい。」

「貴様、姫殿下に対して、図に乗るのも大概にせんかっ。」

「褒美はモノで寄越せと。
 宜しい。感心したのは本当だし、あなたはシャプールを解放してくれた人。言うだけ言ってご覧なさい。
 今この場、すぐに私が与えられるモノで、兄様のお許しが出たら、という条件付きで。
 ご褒美をあげるわ。」

「では姫殿下、俺と一緒に弟君の許へ、」

「ん?♪」

「・・・いやいやいや、俺とした事が言い間違えたようで。
 弟君アルスラーン殿下は、折に触れて姉君様のお話をお聞かせ下さいました。曰く、姉君様は常に、懐に横笛を忍ばせておられる。武芸に長ける一方で、教養も一流のモノを身に付けておいでだと。
 キシュワード卿曰く、春には蝶を招き、秋には鈴虫の方が音を合わせてくる程だとか。」

「キシュワードの私評は信じない方がいいわ。すぐ話を盛るんだから。
 でも横笛を持ち歩いてるのは本当よ。」

「私も楽士の端くれ、この咽が繋がっている内に、一曲歌ってから死にたいのです。
 姫殿下には、その曲の伴奏を賜りたく。
 いかがか。」

「兄様・・・。」

「そういえば一目して以来、この楽士の歌を聴いた事は無かったな。武芸達者という印象で、楽士と申す割に楽士に見えた事が一度もない。
 良かろう。歌え。
 我が妹の笛で、というのは、過分に過ぎる気もするが。
 最期の時なれば、それも許そう。」

「はい、兄様♪」

「ありがたき幸せ。
 『アルスラーン殿下の』義兄上様。」

「・・・ふん。」

 何処までも挑戦的なギーヴの物言いに、流石のヒルメスも呆れて踵を返す。とっとと死んでしまえとでも思っているのか、先頭きって刑場に足を踏み入れた。
 よしよし、ココまでは自分の望み通り。
 とはいえ、相変わらず策がある訳でもない。ナルサスならば逃走劇の脚本くらい、一瞬の即席で書き上げるのだろうが。
 腹黒軍師カモンっっ!!
 ただ、命惜しさにヒルメス相手に媚が売れないのも、それ故の落命に後悔していないのも本当だった。良い意味で『仕方ない。』と。
 あぁ、あの心優しき少年主君ならばきっと、自分を裏切ってでも生き延びて欲しいと。
 泣きそうな顔でそう言い、詰るのではなく懇願で、襟に縋りつくのだろうけれど。直接刃を向けてきたカーラーンにさえ、生きろと言った少年なのだ。
 フッと、悲壮の欠片もない微笑を浮かべたギーヴに、サームから一言だけ言葉が届く。

「シャプールの件は・・私からも、礼を言う。」

「・・・・・。」

 眉間に皺を寄せた複雑な声音に、肩を竦めて応える。
 あの最期は、確かにカッコ良かった・・・自分が片棒を担いでおいて言うのは、自画自賛のようで恥ずかしいが。
 自分はたった1本、矢を射っただけだ。シャプールと呼ばれていたあの男の、声の力強さに惹かれるようにして。自分が大事にして生きてきた無形のモノを、最後の一瞬まで守り、掲げるように誇って逝ったのだ、あの男は。ギーヴ自身もあのように死にたい、そう思わせる死に様だった。イスファーンもいつか、兄の気高さを理解してくれると良いのだが。
 自分の死も、アルスラーンの耳に届くだろうか。
 ギーヴはふと、そんな事を考えた。
 城砦の内側で死んだ楽士ひとり、噂になどはなるまいが。あるいはヒルメス辺りが、酷い言い草で語り聞かせるのかも知れない。
 ならば人生の最期に唄う歌は、アレが良い。
 アルスラーンが好きだと言ってくれた歌。お気に入りで、ウードを片手に幾度も繰り返した、あの歌を高らかに唄い上げよう。自分の死が少しでも優しく、彼の耳元を撫でるように。
 今日はよく晴れている。
 空が青い。
 かの人は今、どの辺りを歩んでいるだろう。

「皆の者、聞け!
 今から処刑を執り行うっ!!」

 ザンデの大音声に、ギーヴは優雅に一礼してみせる。
 まるで大楽団のトップを務めるソリストが、貴人に見せるような美しい礼だった。

「王太子殿下、夜分遅くに失礼致します。
 雪豹の足跡を見つけましたので、ご覧頂きたく・・・、殿下?」

「いや・・大丈夫だ、ジャスワント。」

 束の間、えも言われぬ悪寒に襲われたアルスラーンは、忠実なる黒豹の声で我に返った。
 悪寒に襲われたのは、時間にして数秒程度か。ただの『気のせい』ではない。風邪でも引いたか、では到底看過出来ぬ、第六感を踏み抜かれたような強烈な寒気だった。
 目下、直臣たち・・・旅の初期メンバーの情報収集関連は、ナルサスとジャスワントに任せている。彼ら2人と・・・かの、楽士に。
 『雪豹』とはアルスラーンが付けた、ギーヴのコードネームだ。

「私たちの雪豹に、何かあったのか?」

「いえ、それは・・・心身ともに無傷です。
 ですが、『捕えた』雪豹殿は、酷く動揺しておられます。何があったのか、あの御方には珍しく言葉が回らぬようで・・・我らもまだ、詳しくは。
 『殿下に謝罪申し上げなければ。姉君様を守れなかった。』と、」

「何事かあったのは、姉上の方だったか・・・っ!」

 掠れた声で小さく叫ぶと、アルスラーンは自らの小柄な体を、両腕で強く抱き締めた。青い顔で、閉ざした目尻には涙まで浮かんでいる。
 常に穏やかで、エラムとはまた違った意味で、年齢不相応に落ち着き払った振る舞いの出来る彼には珍しい。
 動揺する主君に戸惑い、言葉を掛けかねるジャスワント。
 彼に代わってアルスラーンを鼓舞したのは、偶然居合わせたアルフリードだった。

「しっかりしてよ、殿下。
 上の兄弟がイジメられたら、仕返しするのは下の兄弟の役目よ。まずはあのチャラい楽士をとっちめて、しっかり吐かせなきゃ。
 落ち込んでようが構いやしないわ。一番辛いのは殿下なんですからねっ。」

「・・・い・・・一緒に来て欲しい、と言ったら、呆れられるだろうか。
 アルフリード。」

「行く行く♪ 殿下大好きだから、一緒に行く。
 ファランギースにも居てもらおうよ。ジンの声も聴いてもらえるし。ついでにあのバカ、足蹴にしてもらおう?」

「足蹴は、ちょっと・・・。ギーヴには辛い役目をさせてしまったし・・・。
 ありがとう、アルフリード。お陰で少し落ち着いた。」

「いーのいーの。お姉ちゃん大好きな殿下も、あたしは大好きよ?
 ダリューン、それにこの件に関しては、ナルサスも。」

 笑顔でアルスラーンの肩を抱き、手を握って励ましたアルフリード。だが少女の目は、彼らもまた偶然居合わせて、でも口を挟めなかった騎士と軍師に向く時、その温度が氷点下になる。ナルサスなど、初めて彼女から向けられる『冷たい視線』かも知れない。

「『何かあったかも』って人伝えに聞いただけで、こんなに取り乱しちゃう程お姉ちゃんが大好きな殿下の前で、よく平気で言えたわね。『姫殿下苦手』だの『何考えてるか判んない』だの『アレはお姫様じゃない』だの・・・。
 それって騎士道的にどうなの?
 殿下にはあたしとジャスワントたちが付いてるから、アンタたちは此処で待機っ。
 後でちゃんと報告するからさ。」

「先行して、生死やお怪我の状態だけでも伺って参ります。
 殿下は雪豹卿が落ち着かれてから、ゆっくり御下問なされませ。」

 アルフリードとジャスワントは、有無を言わせず本当に、騎士と軍師を天幕の内へ置いて行ってしまった。
 不敬だ非礼だと、咎め立てする気には・・・なれない。

「やられたな。
 エラムが居たら、きっと三重奏で責められたのだろうと思うとぞっとせん。」

「アルフリードには兄、上の兄弟が居るのだったか。
 ナルサス、おぬし、アレを嫁に貰ったら尻に敷かれるぞ。」

「いやいやいや、貰わんよっ?!
 『ダメな事はダメって言える女は格好イイ♪』とか思ってないからなっ?!」

「あぁ、うん。長い付き合いだ。おぬしの好みは大体把握してる・・・。」

「遠い目をするな、ダリューン!!」

 現状を知らずに、暢気な会話が出来る最後の機会。
 2人とも心の何処かに焦りがあって、親友たちの会話は妙に上滑りして響いた。



 絶え間なく熱に晒された重い体。
 全身で激痛を訴える肉体の、ただ一点でだけ心安らぐ穏やかな温もりを感じて、フォルツァティーナは抵抗する瞼をゆっくりと押し上げた。
 ヒルメスの掌から、彼女の額へ。優しい体温が傷だらけの体に浸み込んでくる。
 闇が静かだ。

「・・・・に・・さ、ま・・・。」

「っ、意識が戻ったか、フォルツァティーナ。」

「ごめん、なさい・・・どうし・・まけ・・、」

「構わぬ。
 もう喋るな、妹。どうしてもと言うのなら、読唇の術は得ている。声を出さずに唇だけを動かせ。読んでやる。」

 それもまた、16年の内で得た苦労の賜物、という訳だ。
 フォルツァティーナは闇の中、蒼白な顔色で、それでも穏やかに微笑んだ。『兄』は本来、優しいヒトだ。
 流浪の日々を思い出すスキルはあまり使いたくない筈なのに、妹に無理をさせない為なら躊躇なく使ってくれる程に。『魔道士から兄を守れるのは私だけ。』などと啖呵を切っておいて、その魔道士の頭目に目の前で負けた妹を、一言も責めない程に。
 この兄と、あの弟がこれから殺し合うのだ。
 尊師に切り裂かれた左胸が、砕かれた鎖骨や肋骨が、酷く痛む。

『ギーヴと申しましたか。あの者はどうなりました?』

「魔道士どもが連れて行った。嫌がらせだとか申していたから、殺してはおるまい。恐らく、アルスラーンの身近に捨てに行ったのだろう。
 魔道士どもとしては、俺たちの邪魔をして溜飲を下げたかったのだろうが・・・多少腕が立つとはいえ、本業は楽士だ。アレひとり生かした所で実害はなかろう。
 むしろおぬしの重傷ぶりに、酷く動揺した様子だったな、あの楽士。」

『ごめんなさい、兄様。黒巫女の力を過信した報いです。
 弟子クラスには力押しで命令出来ても、尊師まで服従させる事が出来なかった。黒巫女として力を揮う覚悟も、実力も、全てが足りなかった。』

「構わぬと言った。我が信に、揺らぎなど無い。
 武芸達者とはいえ、おぬしは軍人ではない。本格的な戦場は知らぬ身だ。でありながら、突然の襲撃によくこの兄の前に出てくれたものだと思う。
 奴らが残していった傷痕など、浅いモノよ。兵士に動揺も見られぬと、サームから報告を受けている。むしろ兄を庇った妹を案じて、兵士どもめ、結束を強めているとか。
 有り体に言って所謂『ファンクラブ』というヤツが出来たようでな。
 何ひとつ、案じるには及ばぬ。
 おぬしこそ、傷の具合はどうなのだ。5か所の粉砕骨折に、心臓と肺腑に達する創傷、他にも細かい切り傷があると。
 即死を免れたのが不思議な程だと、医者が青くなっていたが。」

『大丈夫。
 黒巫女は、大地の巫女。再生力も生命力も、大地がくれます。今回のような大怪我の場合は、怪我した瞬間から再生が始まりますから。
 そんな簡単には死なない・・・まだ、死ねません。
 私は医療部隊の長。軍医たちの束ね。兄様をお治しする者、なのですから。』

「城に、残る気は無いのだな。」

『王宮を出た時点で、傷を負う覚悟は出来ております。
 兄様たち3人を・・・、3つの命3つ共が、争乱後も生きていて頂けるように。どうにかして保とうと必死なのです、私は。
 傷を負ってでも悲願を叶えようとなさっている、兄様たちのご意思に口出しをしようというのに、重傷を負うくらいでなくては釣り合いが取れません。
 我が願いながら、八方美人の都合の良い願いなのは自覚しております。』

「・・・八方美人とは、思わぬ。」

 兄の呟きに、妹は意外そうに瞠目し、フッと優しく笑う。
 その後もいくばくかの言葉を交わし、妹の体力を気遣ったヒルメスはサームに後を託すと、自ら彼女の部屋を後にした。

「・・・どうにも、妙な気分だな。」

「ヒルメス殿下。」

 自室に戻ってからも寝付けず、葡萄酒を舐めていたヒルメスは自分の右手を眺めていた。妹が目覚めるまで、怖くてずっと彼女の額に置いていた、右の掌を。
 そう。彼は『怖かった』のだ。彼女を喪うのが。
 身に触れた指先を、離した瞬間に彼女の温もりが消え失せてしまいそうで。『怖くて』手を離せなかった。ずっと何処かに触れていた。
 『そういう』相手は、オスロエスが唯一だと思っていたのに。
 護衛のザンデが、不思議そうなカオをする。彼の主君は何事にも好悪がはっきりしている人なので、『妙な』などという曖昧な言い方は珍しいのだ。

「・・・・・・殺す、予定の筈だったのだが。」

「っ、それは、・・・アンドラゴラスやアルスラーン、王弟の事も、ありますから・・・。」

「ソレもあるが、ソレだけではない。
 兄と呼ばれて、悪い気はしなかった。懐くばかりで困らせる訳でもなかったし。間違っても色恋沙汰に発展しない分、気安く、気楽に親しめた。
 『それ』は、この16年、終ぞ安住を得られなかった俺にとって、確かに必要な時間だったのだろうと思う。
 だが同時に・・・特にこのザーブル城に来てから、か。
 あの真紅の瞳が、酷く煩わしく、厭わしくなる瞬間があった。目の前から、記憶からすら、抹消してしまいたくなる衝動が湧いてきた。」

「何故、と・・お訊ねしても・・・?」

「・・・俺の中の復讐心を、あの真紅の瞳は和らげる。
 顔の火傷痕を、真っ直ぐ見つめてくる。怖れもせず爛れた皮膚に触れ、無理なく機嫌良く笑っている。イリーナは解るのだ。アレは盲目であったから。
 だがフォルツァティーナは、目が見えていて『それ』をする。
 他の者はどうだか知らぬ。ただそれだけの事、なのかも知れぬ。
 だが16年間だ。それだけの長年、恐怖され続けてきた俺にとっては・・・救いであり、だからこそ、消さねばならぬ者でもあった。
 復讐も憎悪も、俺には必要なモノだ。生きる理由の最たるモノだ。燃え続けていなくてはならん。」

「俺は、ヒルメス殿下こそがこのパルスの王となるべき御方だと思ってます。ヒルメス殿下を王に戴く事こそパルスの幸せであり、殿下ご自身が満たされる事にも繋がるのだと。
 ですが、今のお言葉で判らなくなりました。
 たとえ王位を回復なさっても、ヒルメス殿下は幸せになれない、救われない。むしろ救われたくないとお考えであられる。そう聞こえます。
 俺は『パルスの王族』ではなく、『ヒルメス殿下』に付いて行きたい。
 パルスの政道も大事ですが、ヒルメス殿下の御多幸は、俺にとって最優先事項です。
 どうかお教えください、ヒルメス殿下。殿下が本当に幸せだと感じる為に、俺は何をして差し上げたら宜しいのですか?」

「・・・判らぬ時に判るフリをしないのは、おぬしの美徳ではあるが・・・正直、ソレが見えなくなっているから困っている。
 もうしばらく悩ませろ。」

「っ、申し訳ございませんっ・・・!
 幾星霜でもお待ち申し上げますっ!」

「俺から憎悪を奪いかねない、あの真紅の瞳が目障りだった。
 消したかったが・・・多分、王宮でギスカールの庇護なく、目の前に突っ立っていられてさえ、俺はフォルツァティーナを斬れなかったのだろうと思う。
 今また、魔道士がアレに重傷を負わせた事で、改めて気付かされた・・・否応もなく。
 俺にとってフォルツァティーナは真実『妹』だし、妹に死なれて喜ぶ兄が居るものか。
 俺の敵は、一に簒奪者アンドラゴラス。
 二に俺を手駒扱いし、妹をも殺そうとした魔道士ども。
 三に、王位への道を阻む王弟ギスカールや偽りの王太子アルスラーンだ。
 俺にとっての『幸福』とは何か、と訊いたな。ザンデ。」

「はっ。
 僭越ながら、是非ともお聞かせ頂きたく・・・勢力図はめまぐるしく変わっております。迂闊に動いて、我が生涯の主君と思い定めた御方のお幸せを阻んではと・・・。」

「良い。おぬしはカーラーンの子。僭越とは思わん。
 未だ迷い、明確なビジョンなど、更に言葉にしようもないが・・・敵を倒した先に在るのは確かだ。
 アンドラゴラスと魔道士どもの居ない世界。フォルツァティーナが居て、おぬしとサームが居る世界。我が妃にはイリーナを迎えたい所だし、妹の嫁ぎ先はおぬしの許だとなお良いが。」

「・・・頑張ります。」

 笑みを含んだヒルメスの声音に、ザンデの声にも苦笑が混じる。
 ヒルメスはフォルツァティーナに『ザンデと添え。』などと命令は下すまい。意思を尊重し、ギスカールを喪った彼女が独身を通したいと言えば、ソレを許すだろう。
 褒美には彼女を妻に、などと考えた事もあったが、ザンデ自身がソレで嬉しいか自問すると、答えは否なのだ。兄王の命令で不本意に降嫁してきた妹姫。ザンデの愛したフォルツァティーナが、そんな役回りに素直に収まるとは思わない。そんな彼女ならば、最初から主従や敵味方、恩讐の垣根を超えてまで、熱愛などしなかっただろう。
 自力で彼女の心を得るしかないし、ザンデ自身、ソレを楽しみにもしているのだ。
 時間はまだある。
 彼女は生きている。
 しかも、傍に居てくれるのだから。



「あの、ギスカール殿下・・・。」

「何だ、ボードワン。」

「そろそろ、お休みになられた方が・・・3徹は流石に・・・。」

「・・・・・・・。」

 王都エクバターナ。
 主君愛用の羽ペンが、ボキッとイく幻覚がボードワンには確かに見えた。
 実際には、持ち主の深い溜め息と同時にホルダーに戻されたのだが・・・兄王が無理難題を言い散らす度に折られるのだ、ギスカールの所有物となった羽ペンは。彼が『王弟妃(予定)』の笑顔に癒やされていたお陰で、今代の羽ペンは大分、長持ちした方ではあるが・・・。
 やはり、長くは保つまい。
 当の『王弟妃(予定)』が戻らないのだから。

「ボードワン。」

「はいっ、殿下っっ!」

「・・・ヒルメスの奴、その後何か言って来たか。」

「いっ、いえ、何も、連絡、は、なく・・・。」

       ボキッ

 とうとう『フォルツァティーナのお陰で長持ちした羽ペン』は真っ二つに折られた。
 ・・・ボードワンは時々、主君ギスカールの握力は、この『羽ペン砕き』に支えられているのではと思う時がある。
 王弟が妻(予定)の『有象無象の伝令兵じゃダメでも、愛妹がカワイくおねだりすれば、王都で一緒に戦ってくれるかも♪♪』という上目遣いに敗け、素直にあっさりザーブル城に彼女を送り出してから。
 2週間近く、音沙汰が無い。

「すぐに新しいペンをお出ししますっ。」

「・・・ヒルメスの奴、次に会ったら問答無用で叩っ斬ってやる。」

(早くお戻り下さい、王弟妃(予定)殿下っ!!)

 すでに敬称の欠片も無く、『銀仮面卿』から『ヒルメスの奴』に格下げされて1週間以上経つ。ギスカールに、彼女への不満を直接フォルツァティーナ自身に向ける、という選択肢は存在しない。元々甘やかしたがりで、女性は礼節を保って大事にすべき存在、殴って連れ戻すなどとんでもない、と言うタイプである。
 ギスカールの中には、騙すようにして王都を出たまま戻らない妻(予定)と別れる、そういう選択肢すら存在しないのだ。
 シワ寄せは全てヒルメスに、である。

「ボードワンよ。
 俺は今寝たら、ヒルメスの奴を縊り殺す夢が見られそうだぞ。」

「それは良うございました。
 寝て下さい。今すぐに。」

 砕けた羽ペンを回収する。
 寝室も仮眠室も、ベッドメイクは常に完璧だ。
 主君の寝室に足りないのは、ただ1人。王弟妃(予定)だけである。




                  ―FIN―

アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~銀花は黒狼の傍に咲く~

アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~銀花は黒狼の傍に咲く~

ザーブル城のヒルメス殿下の許を訪れた、『妹姫』フォルツァティーナ。彼女は『お土産』と称して、ナルサスの依頼でルクナバード探索中だったギーヴの身柄をくれました☆ そして兄王子にねだるのです、魔道士に会わせて欲しい、と。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-13

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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