アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~黒の王子と銀の姫~
漆黒猫
ハローハロー、漆黒猫でございます。
アルスラーン殿下にお姉様がいらしたら、バージョン。
アルスラーン殿下の女体化バージョンではございませんので、念の為。
今回のお話は、アニメネタ、というよりは、原作ネタ寄り?
あくまで『断片情報』、王妃の口走った『世迷言』を契機に、
2人がどう対処し、なんか上手く平和的に丸く互いを認め合ったか、という話です。
時間軸は、3月のザーブル城攻略寸前。その準備に追われてる段階。
3万以上の人間をイチから相応の軍隊に仕立てるには、それなりの準備というモノが必要な訳ですよ。
事務作業に追われる武人への萌え。・・・隙間ネタ好きだな自分。
原作小説未読の漆黒猫ですが、
ネットでヒルメス殿下とアルスラーン殿下の出生の秘密を両方知って、
恐れ戦きましたです、はい。
一番怖くて悪くて選択を間違えまくったのは、アンドラゴラスだと思う・・・。
クリーム・リキュール『アマルーラ』。
実在します。ネットでも手に入りますし、ご存知の方も多いかも知れませぬ。
漆黒猫は飲んだ事ありませんが、ミルキーで美味しそうな画像でございました。
ヒルメス殿下の、空白の16年。
考えると・・・妄想が止まらないッス(笑)。
すっごく長いじゃないですか、16年て。
傷が癒えてからも、戦えるようになってからも。色々思う事があったのかなって。
どこら辺の国を放浪してたのかなとか、セリカとか足伸ばしたのかなとか。
義兄弟の契りを結ぶような相手とは、出会わなかったのかなとか。
嗚呼、妄想すると指が止まらないwww
良くも悪くもプライドの高い王子様で、
なのに多分、1人で何処へでも行けちゃうであろう、旅慣れたヒルメス様。
そういう御方は大好物です、はい。
久し振りにギスカール公がちゃんと出せたのに、
全然報われてなくて申し訳ないです。
ティーツァさんの本命は王弟陛下なんです、ホントですww
それでは、お楽しみ頂けたら幸いです♪
アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~黒の王子と銀の姫~
「美しい瞳よな。おぬしの眼は。」
黒の王子の親指が、銀の姫の目許を撫でる。己が膝枕でうつらと微睡む、義妹に選んだ姫の、白い肌を。
ヒルメスには物足りぬ程に軽いロゼワインも、彼女にとっては充分な睡眠薬らしい。
「兄様の瞳も、私、好きよ?」
子供のように両の手を伸ばして、フォルツァティーナの指先も、仮面を外した義兄の目許を撫でていく。
ほろ酔い気分の彼女の舌足らずさを、抵抗なく『愛しい』と思う彼が居た。
『女¥』に対する恋情ではない。『妹』を大切に想うような、肩の力が抜けた慕情。
親しみ、だ。
「右か? それとも、左か。」
「ん・・・両方、かな。オッドアイみたいで、素敵。」
予想外の返答に、口許が緩やかに笑む。オッドアイときたか。
ヒルメス自身が厭う火傷の痕に、フォルツァティーナの左手から温もりが染み渡る。彼女のその手の先、前腕にも、裂傷がいびつな痕跡を残しているのを彼は知っていた。その傷は彼の父王・オスロエスが負わせたものなのだという。
それを知った時から、彼は彼女の前では、己が火傷を厭う事はしなくなった。そうする事は彼女も貶める事になるから。
敵対感情はあるとしても、『そういう形』で傷つけたくはなかった。何となく。
「ね、兄様。」
「なんだ、妹。」
至近で火を浴びたせいで、変質してしまった右の瞳色。
その色もまた、厭う対象ではなくなりつつある。
「カールが・・・私が、兄様に負けたら・・・。
刳り貫いて、眼球だけでも傍に置いてね、兄様。兄様が立派な『パルス王』になる所を、私にも見せて。」
「・・・・・。」
ギスカールの、あの王弟の傍を離れる気は無いのだな、と。
残念に思う感情に、ヒルメスはそっと蓋をする。
いつか東方の花園で見かけた、蓮の花色。夜明けの光を受けて輝いていた、透明感と共にどこか深みもあったロータス・ピンク。16年の流浪の旅路で見出した、数少ない感動した光景。
『あの時』を思い出させてくれる紅の瞳を、今のヒルメスは確かに美しいと思っている。だが。
刳り貫いた彼女の瞳は、ただの眼球に成り下がった『それ』は。
きっともう、そんな美色は宿さないだろう。
2人が心通わせた遠因は、意外にもタハミーネにあった。
ある日の午後の事。
ヒルメス主従、ギスカール主従。中庭のひとつに机を出して、両者で会議をしていたのだ。意外に思われるかも知れないが、彼らは武人。文官ではない。元々軍人として野営に慣れた両者の事、インクの匂いが籠もる室内よりも、気分的に外の方が仕事をし易く、また良案も浮かび易い。晴れた日に机を出す事はよくあった。
ギスカール・モンフェラート・ボードワン。ヒルメス・サーム・ザンデ。
『夫』の傍らには、フォルツァティーナの姿もあった。
「ザーブル城の、最新の見取り図だ。数年前に改築してな、・・・」
「物資の搬入予定日は・・・」
「部隊編成は・・・」
『元』大司教ボダンの立て籠もる、ザーブル城の攻略が近い。パルス人のみで構成された兵士は結構な数が集まっているが、生粋の軍人は皆無と言って良く、恐らく1割にも満たないだろう。残りの9割、ある程度は鍛えねば、ヒルメスの手足としては使い物にならぬ。
その練兵日程や部隊の割り振り、出陣・行軍の全体日程。
他にも目を光らせなければならない事は多い。
ギスカールとヒルメス。利害が一致しているだけの関係だが、だからこそ、秘密事も共有出来る。
・・・最近は、人間関係に変化もあった事だし。
「寒くないか、ティーツァ。」
「ありがとう、カール♪」
華奢な身の上の『妻』をギスカールが気遣い、外套をもう一枚着せ掛ければ、
「ティーツァ様。温かい飲み物でも如何です?」
「頂くわ、ザンデ。」
予め用意の卓から、ザンデが『想い人』の好物を盃に注いでくれる。
キシャーッ!! っと毛を逆立て合う猫耳猫しっぽの幻が『ギスカールとザンデの』身に透けて見えるようで・・・属性で言えば狐と犬の2人だ。より正確には、王弟に生えているのは狐耳狐しっぽ、勇将に生えているのは犬耳犬しっぽなのだが。
そんな事はどちらでも良い。大の男に獣耳が生えていようが萌えはしない・・・ではなく。
ヒルメスとサームとしては、どうしても遠い目にならざるを得ない。
アレが政敵かつ軍内の後見役。アレが副官で後輩。
間に立たされているフォルツァティーナの、にこやか且つ穏やかな笑みがいっそコワい。
「ザンデの妻になる気は無いのか、おぬしは。」
「それだと『罰』にならないでしょう?」
「・・・・・。」
「それより銀仮面卿。
あなた、食事はちゃんと摂ってるの? ヒルメス殿下が殆ど食事を召し上がらない、一日一食程度で御身が保つのかと、ザンデが心配していたのだけど。」
「!!」
あンの脳筋、寝台の上の寝物語でナニ主君の健康心配してんだ? 口説けっ! そんな時間あったらっ!!!
常人であれば銀仮面に隠されて見逃す、『部下思いの主君』の顔を。
フォルツァティーナは『敢えて』見逃す。触れないでスルーする。
「お弁当、作ってきたの。皆の分も。
ザンデの心配事、少しでも減らしてあげようと思って。食べるでしょ?」
「・・・我が親愛なる部下に譲ろう。奴なら多少腹を下す程度で済みそうだ。」
「ちょっとっ! 一口も食べないうちからその言い草、いくら何でもヒドくない?!
7歳の時から12年っ!! 毎年の年度末、40食以上のお弁当を作ってたのは私なんですからねっ?!」
「知るかっ! 食わんっ!!」
「ヒルメス殿下、姫殿下の料理は中々ですぞ。
修羅場となる毎年の年度末。この12年というもの、万騎長と部下たちの過労死を防げたのは姫殿下の『お弁当』あったればこそでございます。
このサーム、久しぶりに頂きとうございますれば。何卒お許しを。」
「ほら、サームもこう言ってるじゃない。部下の進言は容れなくちゃ。
大丈夫、あなたの嫌いなモノは入れてないから♪」
「ますます食わんわっ!
息子の弁当作る母親かおぬしはっ!」
「ティーツァ様っ、俺の分とかあったりしますっ?♪」
「勿論よ、ザンデ。カールの分もあるけど。
それぞれ具が違うのよ? 皆の好物しか入れてないから、安心して全部食べてね?」
「流石だな、ティーツァ。
料理上手な『妻』を持つと、『毎日』旨い物が食えて嬉しいよ。」
「『10年離れてても』、好物を覚えてて下さってて嬉しいです、ティーツァ様。
『お慕いしてる御方』の手料理って、男のロマンですよね~。」
『・・・・・・。』
ヒルメスとサームは額を押さえた。
『あの』ギスカールと女を挟み、一歩も引いていないのは褒めるべきか、諫めるべきか。2人ともザンデより年上ではあるが、『人生の先輩』として迷う所である。
まぁそれでも仕事に目処は付けられたし、実際に腹も空いたという事で、フォルツァティーナの『お弁当』はありがたく頂く事にした。
だが・・・そこに近付いてきた1人の侍女に、彼女の表情が凍り付く事になる。
ギスカールとヒルメスにも見覚えがある。その侍女は、王妃タハミーネ付きの侍女。常に傍に居て、側近とも言える侍女だった。
「王妃様から・・・っ、ひ、姫殿下、に・・・申し上げます。」
「相変わらず面白いヒトね、実の娘相手に、人づてに伝言なんて。
それで、母上は何と。」
フォルツァティーナの冷ややかな声音に、ぎこちなく寄ってきた侍女は既にして半泣きになって平伏している。
彼女の繊手には、いつの間に抜いたのか鞘を取り払った短剣が握られていた。
ヒルメスは仮面の奥の双眸を細めた。母から娘への伝言に怯える侍女。母からの伝言を、刃物を構えて待ち受ける娘。この時点で、母と娘の関係が尋常でない事は伺える。
「・・・・・母上様は・・・『異父妹を探せ。』と、の、仰せ、にて・・・。」
「そう。」
白く柔らかい手から迷いも無く放たれた短剣は、真っ直ぐ侍女の心臓に吸い込まれて、血溜まりの奥に消えた。
場を沈黙が支配する中、柄まで緋色を纏った短剣を拾い上げたのはヒルメスである。
「・・・新しい色だな。」
「え?」
「いや。おぬしの瞳の色が。
感情的な殺意に染まると、そのような色になるのだな、と。」
「・・・どんな、色。」
「山火事の後の、淀んだ埋み火(うずみび)を連想させる色、か。
嫌いではない。俺はもう少し、明るい色の方が好みだがな。」
「!!」
濁った情念の色だ。
ヒルメスの選んだ形容詞に、フォルツァティーナはその紅眼をきつく閉ざす。
慰めに類する言葉は一切与えずに、彼は震える彼女の手から当然のように鞘を取る。刃を収め、しかし返しはせずに自分の帯に佩刀した。預かっておく、という意味だろうか。
「来い、フォルツァティーナ。手弁当を食わせてくれるのだろう?」
「・・・食事をする気分じゃない。」
「却下だ。俺に食えと言ったヤツの台詞ではないな。
この剣は、もうおぬしに相応しくない。俺が別のをくれてやる。」
「うん・・・。」
((『うん』て、『うん』てゆったっ! すごい従順っ?!))
((あのティーツァ様が、ヒルメス殿下相手にデレたっ!))
((ていうかヒルメス殿下、すごい漢前―――っ!!))
すれ違い様に目も合わせず、しかしヒルメスの大きな手が、フォルツァティーナの銀髪をクシャクシャっとかき混ぜていく。その掌には確かに『慈しみ』が含まれていた。
彼女の方でも『彼の言葉で』平静を取り戻してから、ギスカール相手に笑顔を見せる。
その笑顔を素直に喜べず、ギスカールもザンデも、顔の上半分がベタ塗りになってしまった。
「・・・ザンデ卿。
婚約者を取り上げられて投身自殺した、何処ぞの宰相のようにはなってくれるなよ?」
「・・・・・・いや、でも望み薄なのは今でも同じですし・・・。
敵対ルートまっしぐらよりは、『主君の妻』として俺の力で守れる立場になってくれた方が、まだ救われるかも・・・。」
「大望を抱け、ザンデ卿っ!!
男として、ソコで満足しちゃイカンだろうっ!!」
「おぬしら、何を夕日に向かって吠えておるか。」
最近のギスカールとザンデには『恋敵』を通り越して、妙な相互補完関係すら出来始めているらしい。
ヒルメスの嘆息に、フォルツァティーナは穏やかに苦笑した。
異父妹を探せ。
この言葉ひとつに、幾つもの火種が潜んでいる。
つまり『タハミーネ王妃には、アンドラゴラス王との間に娘が居る』という事。アルスラーンとは、別の子が。
アルスラーンと違って『正統』を持つ実子。パルスに於いて、王女に王位継承権は無い。とはいえ、その娘が王子を産めば、その王子には王位継承権が発生する。
それもアルスラーンを・・・ヒルメスをも差し置いて、第一位の継承権が、だ。
ヒルメスと同じで『正統』を持つ実子。直近の、現王の娘。ルシタニアという侵略者との関わりを持ち、現王を武力で以って粛清する(予定の)ヒルメスと、その手のマイナス要素を持たない、まだ見ぬ『王女』。正統が2つあれば、民が、臣下が、どちらを選ぶかは・・・明白とは言わないまでも、危険な賭け、だろう。
現在の儀典を曲げて、女王を擁立しようとする者。
権力を求めて、女王の伴侶=王配(おうはい)に収まろうとする者。
『王子』を産ませ、その後見役に収まろうとする者。
あるいは偽物の『王女』を仕立ててパルスに介入し、領土を削り取り、国を乗っ取ろうとする他国。
混迷を齎す『可能性』を挙げればキリがない。
「おぬしの話を信用した時に、可能性は考えぬでもなかった。
『弟は父の実子に非ず、故に俺の憎悪を受けるべき身にも非ず。』。あの時、おぬしは俺にそう言ったな、フォルツァティーナ。」
「えぇ、言ったわ、ヒルメス卿。
私の言葉に、あなたはこう返した。『関係ない。』と。『アンドラゴラス王の息子として、王太子として育った事に違いは無い。血に依らず、あの小倅も仇の1人だ。』と。
『王太子として自分が得る筈だったモノ、全てを独占している小倅が憎い。』と。」
「言ったな。」
短く肯定し、ヒルメスは深く嘆息した。
フォルツァティーナも同時に息を吐く。
すでに陽は落ちているが、暖炉の炎以外に灯りは点けていない。2人しか居ないのならば、互いの姿さえ見えていれば会話は成り立つ。長椅子の両端なら、そう目を凝らす必要もない。部屋自体、そんなに広くはないのだ。
『パルス王家の者』だけで話がしたい。
そう言ってギスカールたちの事も、ザンデたちの事も、人払いしたのは・・・2人どちらからともなく、だった。
「もうっ、何なのあのヒトっ!
今更『実子』なんて出てきたら、ラーニエの立場が無くなるじゃないっ。
ていうか、今の国情を理解してる?! 解ってないわアレ絶対っ! 世間知らずもココまで来ると異常よ、異常っ!!」
疲れたように華奢な体を弛緩させ、背凭れに身を預けるフォルツァティーナ。
ヒルメスもまた王妃に対する苦々しい気分を持て余しながら、彼女の首許で揺れる青い首飾りを何となく眺めていた。
「タハミーネが口から出任せを言っているだけ、という可能性は無いのか。
『異父弟』ではなく『異父妹』。
ただ一度、パルス王妃として自分が産んだ子供が男児ではなく、女児だなどと。」
「現時点では何とも言えないわ。急に言い出した理由も。
14年前、母上が妊娠していたのは事実よ。時期的に見てオスロエス王ではなく、アンドラゴラス王の子なのも、事実。
動けるうちに母上1人がフゼスターンの離宮に行って、出産報告の使いを受けてから父上が迎えに行って、男の赤子を連れて帰ってらしたの。
私はすぐ対面させて頂いたのだけど・・・『カイ・ホスローの血縁』ではないって、直感したのはその時よ。
『守ってあげなきゃ』って、咄嗟に口を噤んだのも。」
「・・・・・・。」
黒巫女の力。大地を従える姫、黒き豊穣の巫女。
彼女は軽々しく武力を行使する人間ではない。故に具体的にどのような力なのか未知数だが、カイ・ホスローの血脈が解る、という触れ込みは確かだろうと思えた。
他ならぬヒルメスの正統を、それと断じたのだから。
14年前、彼女は5歳。
物的証拠があった訳でもなし、『何故、その時に両親を告発しなかったのか』などと詰問するのは酷だという事は、ヒルメスにも判っていた。
酷だと解っていて、無軌道に苛立ちをぶつけない程度には、彼女に対しての感情は和らいでいた。
「・・・弟だと言われた子供が、偽りだと知っていたのならば。
実子の方は、どうなったと思っていた?」
「死産。てっきり死んだものと。
男児を死産して、でも父上や周囲の期待もあるし、『死んだ』とは言えないから身代わりを用意したのだと。そう思ってこの14年、正直、生きている可能性は一度も考えてこなかったの。
王宮に居る間にどんなに経過が順調でも、フゼスターンでの事は判らないし・・・健康に産まれても、取り上げ方が悪くて死亡するケースもある。王族なら、暗殺の危険だって。
男の人が思うより、子供を産むのって大変なのよ?」
「そう、なのだろうな。」
「??」
「いや、おぬしもいつか、子を産むのかと思ってな。」
「・・・・・。」
物言いたげに見下ろされたヒルメスの視線を、その先を目顔で訊ねたフォルツァティーナは半眼になって彼の右頬に左の爪を立てた。
火傷の痕を怖れない滑らかな指先は、いっそ無邪気な程に躊躇いなく、彼の肌に触れる。肩が触れ合いそうな程に寄ると、互いの体格差が際立った。
彼女の身の丈は、ヒルメスの鎖骨にギリギリ届く程度なのだと再確認する。女性の中でも背の高い方ではあるまい。弟の背が伸びれば、きっと簡単に抜かされるのだろう、彼女は。まぁ、姉の背を抜かすまでなどと、そんな時が来るまでアルスラーンを生かす気がないのはヒルメスなのだが。
ヒルメスよりも、ザンデの方が更に背が高い。彼に抱かれている時はどのような位置関係なのか。ヒルメスの脳裏にほんの一瞬、埒もなく、己が副将と彼女との公然の秘め事がよぎった。
「死んだと思っていたのならば、当然、行方なども知らぬのだろうな。」
無造作に彼女の手を払うが、ヒルメスはフォルツァティーナの指先を離しはしなかった。
彼女の左手と、彼の右手。爪の先程度の淡い接触を繰り返す。
「知らないわ。
フゼスターンから王宮に一度は戻って来たのか、それとも王宮の門を一度もくぐらないまま、何処ぞに出されたのか。
父上はどういうお考えでいらしたのか。産んだのが女児なら、何故、男児を身代りに選んだのか。腹心中の腹心だったヴァフリーズは、何処まで知っていたのか。
そういう事も、私は何も知らないの。
そういえば、ヒルメス卿は知っていて? ラーニエが市井で育てられた理由。」
「? 知らぬな。父王に疎まれたからとか、そのような理由ではないのか?」
「・・・母上が・・・ラーニエを殺そうとした事があるの。
あの子が生後6か月くらいの頃よ。乳母も侍女も、ほんの少し目を離した隙に、いつの間にかあの子の傍に居たって・・・まるで我が子を亡くした母親の怨霊みたいに。
赤ん坊の首を・・・絞めて・・・乳母が見つけて、大慌てで止めて、命に別状はなかったけれど。
医者は『育児ノイローゼ』だとか言ってたけれど、あのヒト育児なんてしてないのよ? だって乳母任せで、ロクに顔も見に来なかったのだもの。
父上は・・・異様に母上に甘いヒトだから。何も咎めなかった。
『王妃と離した方がイイ。』って、進言したのはヴァフリーズなの。それで市井に・・・正直、私は反対だったけどね。そこまで物理的な距離を取らなくても・・って。
護衛1人連れず赤子の身で、暗殺者が来たら為す術がないでしょう。
生後半年で市井に出されて、6歳で戻って来たのが、王太子に冊立された時。
ちなみに、私が市井に下る事を覚えたのはその5年半。『弟』が心配だったの。知らない間に殺されていそうで、何度も様子を見に行ったわ。
遠目にしか見守れなかったけれど。」
5歳の幼女に、そこまでの気を回させる親。
ロクな親ではないと他人事のように考えかけて、ヒルメスは銀仮面の奥の顔をしかめた。その『ロクデナシ』が自分の叔父であり、叔母(元・義母)なのだ。
「互いに・・・と言っても、おぬしは嬉しくないのだろうが。
互いに、アンドラゴラスとタハミーネには苦労させられる。」
「別に、嬉しくないって事は、ないけれど・・・。
母上の事は、私、もう随分前から『母親』だとは思ってないの。理解不能の人妖、みたいな? 父上に対しても・・・『知っている事』を『知らない』って言い張り続けて、嘘を吐き続けてきた訳で。嘘吐きで・・・『娘』になり切れなかった。
大好きな事に、違いは無いのだけど・・・いつも心の何処かに、一抹の緊張があった。
同じ嘘を、私は弟にも・・・今の私はあの子に会うのが怖いの。どんなカオをしたらいいのか、判らないから。
だから、誰かに恨み言をぶつけるって事が、上手く出来ないのだけど。
そうね。強いて言っていいなら・・・。
父上が・・・アンドラゴラス王が、私を『娘』と呼んでくれたのは。
その『異父妹』・・・『実の娘』とやらの代わりだったのかな、って。誰でも良かったの、かなって・・・。
ソコは、怒っていいのかなっ・・とは、・・・少し思う。」
「充分な非道だと思うがな、俺は。」
泣きそうだ。
紅い瞳から、透明な雫が零れる。
泣き顔を見られたくないのだろう、俯き、両手で唇を塞いで声すら押し殺す義従妹(元・義妹)の、その細い顎を。
右手の人差指1本で上げさせると、ヒルメスはフォルツァティーナの白い額に口付けた。
「っ?!」
驚いて瞳を見開くその目尻にも、唇で触れる。
次いで無防備な紅い唇にも重ねようとして、それは流石に両の掌で防がれた。
「あ、の・・ヒルメス卿・・?」
何がしたいのか判らない。どうしたら良いのか対応に困る。
そんなカオで頬を染めて、視線を彷徨わせる彼女は。
とてつもなく、そそる。
「泣く女の慰め方が、今イチ判らん。」
そう囁いて、自分の唇に宛がわれた、彼女の柔らかい掌を舌先で舐め嬲る。
途端にビクっと大きく一度、震えて離れていく右の手首を、ヒルメスの左手がしっかりと掴んだ。込められた意思を正確に読んで、フォルツァティーナの頬の赤みが増す。
「・・・ギスカール、は、ともかく・・・ザンデに知られるとマズいんじゃ・・・。
私、あなたたち主従の間に、こういう形でヒビを入れるのは・・・不本意、なんだけど。」
「この状況下で、言う台詞がソレか。」
ヒルメスは柄にもなく苦笑した。
自分自身の幸福というモノを、ハナから度外視している。常人なら無意識レベルでする、追い求めて然るべき『自分の利』というモノを、疑問も無く放棄している。
その気配は、薄々察してはいたが・・・。
ここまで重症とは。
別段、淫乱だとか、誘惑上手だとか、そういう類の女ではない。
『純真』という言葉には能わない。相応に世間ズレしているのも知っている。政治家だの外交官だのにも、向いているとは思う。
が、それでも何というか・・・天然で、無垢すぎる。
「おぬしが自分の『可愛げ』に、気付いていない所がまた、な。」
「かわ、っ、」
反論しようとした紅い唇を、わざと強引に奪い取る。なんとなく、彼女は『そういうの』が好きな気がした。上位者からの強制イベントが。
要は、無防備に過ぎるのだ。
よく馴らしもしない内に、深く、荒々しく。強いられた口淫に、しかし彼女は目尻を染めて紅い瞳を潤ませる。
せめてもと、力の入らぬ躰で睨み上げてくる『女』の色気に、ヒルメスは背筋がゾクゾクするのを感じた。こういう感覚は・・・久しぶりだ。
屈服させたい。乱したい。メチャクチャに、したい。
『仇の娘』ではなく、『フォルツァティーナ』自身を。
だが、そう思い、その衝動のまま彼女を押し倒そうとした瞬間に。
「ヒルメス卿、ヒドイ。私、卿の事、お兄様みたいに思ってたのに。」
「・・・なに?」
「義兄妹モノの薄い本みたいな事するなんて・・・。
ヒルメス卿に『義妹』に手を出す趣味があったなんて。私、ザンデやサームに何て言えば良いのかしら。」
「・・・?? ――――っ!!
安心しろ、嘘泣き女。今萎えた。すぐ萎えた。速攻で萎えた。
俺に『そういう』趣味は無い・・・おぬしの作戦勝ちだ。」
「わーい、『お兄様』♪♪
私が流されるまま、誰の相手でもすると思ったら大間違いですからね♪ ほんの僅かの期間で殆ど交流も無かったとはいえ、一度は義兄妹になった身でしょう?
そんな相手に、軽々しく手なんて出すモノじゃないわ、『お兄様』♪」
「わかった、俺が悪かったから、その呼び方はやめろ、フォルツァティーナ。」
「え~? 私、結構この呼び方、好きなんだけどな。
上の兄弟姉妹が居なかったし、弟は私が守らなくちゃって気を張って、お母様気分だったから。『お兄様』っていう響きに憧れがあるのよ。守ってくれそうでしょ?
イノケンティス王は頼りなくて、年上の弟みたいな感じだし。
ね、2人になった時だけでいいから、『ヒルメス兄様』って呼んでもいい?」
「・・・好きにしろ。
その代わり、俺がおぬしに手を出そうとした事は忘れろ。いいな? 『妹』。」
「はい、『ヒルメス兄様』♪」
何かおかしな事になった気がするが・・・ヒルメスの右腕にギュッと両腕を絡ませ、寄り添うフォルツァティーナは無邪気な程に素直な笑顔だ。きつい言葉で突き放すのが躊躇われる程に。年長の保護者からの愛に飢えているのは、本当なのだろう。
寂しいのだろうな、と大目に見る事にする。
両親には屈折した感情しか抱けず、最愛の弟とは離れて久しい。夫は得たが、引き換えに故国を失ったも同然だ。幼馴染みも臣下も失い、自責の念が心を追い込み、しかし全ては己で選んだ事と、弱音を吐く、吐けるような性格ではない。
義兄と、そう呼べる相手すら、夫の政敵。
その一事が、彼女の孤独を象徴している気がする。
呼び名ひとつ、実害のない話だ。許してやろうという気に、ヒルメスですらなる。なってしまう。
「それで、結局何の話だったか。
王妃が口走った『異父妹』の件な。
俺にとってもおぬしにとっても、邪魔にしかならぬ存在よ。『王妃がこう口走ったらしい』という噂だけでも、パルスに災厄を齎すだろう。
さて、どうするか。」
「母上の言葉の真偽は、この際、どうでもいいのよね。
たとえ実在しなくたって、他国が偽者を仕立てるのに不都合はないもの。嘘が真になってしまうのは簡単だわ。」
「おぬしにとっては母親を同じくする実の妹、だが・・・。
ココで『会いたい』とは思わぬのが、おぬしのおぬしたる所以だな。」
「さっすが『兄様』、よく判ってらっしゃる♪
私は弟がいいの。妹は要らないの。『異父妹』とやらが実在するとして、名前も知らない実妹なんかより、14年間守り抜いてきた『義弟』の方がよっぽど大切だわ?♪
『本物』がどれだけ天使みたいな子でも、『異父姉』を頼って姿を現しても。
第三者に存在が知られる前に、速攻で首を刎ねて『居なかった事』にするわよ。」
「首を刎ねて、な・・・。
妹よ。」
「なぁに、兄様♪」
その呼び名・呼ばれ方は、ヒルメスの口と耳に存外、よく馴染んだ。
佩いた笑みは悪人のソレだが、彼の唇は確かに『笑んで』いる。
「知っての通り、今の俺たちは忙しい。アルスラーンの件やらザーブル城の件やら、他の件やら色々とな。コードネーム『異父妹』探しなんぞ、やっている暇はないし、その件で他国に振り回されたり、国情を乱されたりしている時間も無い。
『異父妹』の存在が、外に漏れる前にと思うから、忙しく感じるのだ。
いつ外に漏れても、終わった事として扱えるようにしてしまえば良い。
そうは思わんか?」
「それってつまり、『存在そのものの首』を刎ねちゃえばイイ、って事?」
「この城の事は、俺よりおぬしの方が詳しかろう、妹。
人選は任せる。アルスラーンと同じ年頃の娘を1人、見繕って来い。」
「はい、兄様♪♪」
心底嬉しそうに『その単語』を口にして、フォルツァティーナが笑う。
絆されるように苦笑して、ヒルメスは『妹』の銀髪に手櫛を通した。
明けて、翌朝。
ザンデとギスカールは、揃って曰く言い難い微妙な表情をしていた。
サームはといえば、笑いをこらえるのに苦労している。純粋に心底楽しんで笑えるのは、王宮の陥落以来、実に久しぶりの事だ。
可愛い。まことに不敬ながら、可愛い。
40代半ば、フォルツァティーナは元よりヒルメスの事も幼い時分を知っているサームからすると、今、目の前に展開している光景は『可愛い』の一言だった。
「あのね、兄様♪」
「なんだ、妹。」
紅い瞳をキラキラと輝かせて、フォルツァティーナがヒルメスに呼びかける。『兄』と。
咎める所なく穏やかな口調で、ヒルメスが応える。『妹』と。
朝、挨拶を交わした時から真昼の今まで、ずっとこんな調子だ。
『御機嫌よう、ヒルメス兄さm・・ぎ、銀仮面卿っ。』
『・・・悉く予想の範疇を出ぬな、妹よ。』
2人きりの時だけの呼び名、という約束だった筈だが。
そう言う割に、不機嫌さの欠片もなく、呆れたように笑ったヒルメスの穏やかさに。主君の誇り高く苛烈な人となりを知っているザンデとサームは、驚いて顔を見合わせたものだ。いっそ何かの妖術にでも掛けられたのかと。
その心配は杞憂に終わった。
昨夜の会談を聞かされれば成程、自然な流れではあるし、何より『妹姫』が『兄王子』を見る、心底嬉しそうな瞳が全てを物語っている。
・・・ちなみにヒルメスは『手を出そうとして嘘泣きで逆襲され、沈黙と引き換えに『兄様』呼びを許した。』とは言っていない・・・言おうものなら、主君としての威厳に関わる。その辺りは適当にオブラートに包んだ。
「それでね、今、ルシタニア人の侍女から向こうのお菓子を習ってるの。
焦がさずに作れるようになったら、兄様にも作ってあげる♪」
「砂糖は控えよ。得手ではない。」
「知ってるわ♪ 兄様、甘いモノ好きじゃないってザンデに聞いたの。
お野菜を使ったお菓子でね、そんなに甘くないし、少しで栄養も摂れるの。食べるの嫌いな兄様向けだと思うから、1回食べてみて、ね?」
「良かろう。作ってみるがいい。」
「やった♪ 約束ね、兄様♪♪♪」
にいさま、にいさま。台詞の中に、1回は『兄様』という単語が出て来る。
ヒルメスの方でも悪い気はしないようで、横顔に注がれる熱い視線を遮るでもなく、傾聴している証拠に相槌まで打っていた。
愛情表現に激しく揺れるフォルツァティーナの猫耳猫しっぽと、鷹揚かつ機嫌よく揺れるヒルメスの、狼耳狼しっぽが透けて見える。
「信じられるか? ザンデ卿。
ティーツァ様はヒルメス殿下にナイフを投げた事がおありなのだ。ヒルメス殿下もティーツァ様を、『簒奪者に育てられた魔女の娘』と憎悪しておられた。
会い初めからのお2人の、変わりようといったら。」
「ナイフって・・・確かに、ティーツァ様ならなさりそうですけどもっ。
何処をどう変えたら、今のお2人になるんです? 途中経過が物凄く気になるんですが。」
「さて、何処かを変えたというより、『時の魔法』だな。
『同じ家で過ごした時間の分だけ、和らいでいらした』とでも言おうか。」
「それって・・・言いたい事は解りますけどソレって・・・!!」
サームにも、ザンデの言いたい事はよく解る。
まるで『同棲』でもしているかのような言い方だ。要するに『王宮という同じ建物に住み、利害の一致からのみ出来ている協調関係で目的を共にし、毎日顔を合わせている』だけの、シンプルなようで複雑な関係、なのだが。今この瞬間ですら、彼と彼女の最終目標は正反対だし、互いにそれをよく自覚してもいる。
それでも。
同じ家に住んで顔を合わせていれば、どうしたって小さな仕草が目に付くようになる。
性格が知れる。好みが知れる。
ソコで相手を好くか嫌うか、は分かれる所。大抵は『嫌う』方へ天秤が傾くものだが。
フォルツァティーナとヒルメスの場合、目的を自覚してさえ、互いを『兄妹』と認め合うまでに至った、という『サームから見れば』幸せな境地だ。
当然の事ながら、王弟と勇将の視点は違う。
「あの2人の場合、苦労させられてる人間がほぼ被ってるからな。
その相手に対する共同前線、仲間意識みたいなモノが基盤にあるんだろうが。
しかし・・・それにしても、何というか・・・。
俺の妻になる女なのに、本人の了解も得てる筈なのに。日々結婚への障害が増えているのは何故なのか・・・。妻を得るには、妻と仲の良い義兄弟を両方殺さねばならんとか。
どんな矛盾だ。俺は『あの』兄者ですら暗殺する気になれぬ男だぞ。
大事な事だから2度言おう、俺の妻なのに・・・!!」
「主君の妹分・・・。
確かに、敵対ルートまっしぐらよりはマシですが・・・『高嶺の花』度が増したというか、何というか。いっそ『主君の妻』だったら昔話に出来たのに・・・!!
手を出したいけど、出せる位置にいらっしゃるけど出しにくさマックス!!
この生殺し感・・・!!」
ギスカールとザンデ、各々の狐耳狐しっぽ、犬耳犬しっぽが垂れている。ヒルメス・フォルツァティーナ組の獣耳獣しっぽが揺れているのとは対照的だ。
ソレはソレで、2人より更に年上のサームには微笑ましく映る。
ココに、もしもアルスラーンが居たら。
互いを『妹』『兄様』と呼び合うヒルメスとフォルツァティーナの傍らに、あの心優しい王子が居たならば。きっと姉姫と並んでキラキラした夜空色の瞳でヒルメス見上げ、邪気の欠片もなく『兄上♪』と弾むような声音で呼び、そうして嬉しそうに笑うだろうに。
こうしてたまに、有り得ない『もしも』を考えてしまうのは、王宮陥落以来サームの悪い癖だった。
「平和ね、兄様。」
「平和だな、妹。」
兄王子と妹姫、2人の瞳はこの時、確かに同じモノを見ていた。
『黒髪碧眼の少女の生首』という、同じモノを。
アンドラゴラス王と同じ黒髪に、タハミーネ王妃と同じ空色の瞳を持つ、持っていた少女の・・・『生首』を。
「失礼致します、姫殿下。
王妃様がいらっしゃいました。」
「お通ししなさい、ディレンディッタ。」
侍女の名を呼ぶ、銀の姫。
黒の王子の傍らで、その紅の瞳が笑みを刻む。
「14年ぶりの、母と娘の対面よ。
一緒に葡萄酒でも飲みましょう。」
「おぬしは飲むとすぐ寝るだろう。
果実酒、それも湯割り辺りにしておけ。」
「兄様は赤ワインのストレートよね?
それもアルコール度数のすっごく高いやつ。父上の蔵から兄様のお口に合いそうなの選んで、かっぱらって来たの。ひとくち頂戴♪」
「ひとくちだけだぞ、妹。」
この『ひとくち』とは、当然のように『ヒルメス兄様の盃から』ひとくち、という意味だ。兄が口を付けたのと、同じ盃から飲む妹。仲が良いというか、何というか。
フォルツァティーナが手ずから、ヒルメスの盃に葡萄酒を注ぐ。時として『血』にも例えられる、真紅の酒を。
ヒルメスの手で封を開かれたアマルーラの瓶から、甘い香りが漂ってくる。
『アマルーラ』とは、マルーラという果実から作られるクリーム・リキュールだ。南方はアフリカの地で作られる酒だが、象の大好物だとかで、シンドゥラを通じてパルスにも入ってくる。ザクロやスイカと並ぶ、彼女のお気に入りの果実酒だった。
赤ワインはパルス国産の最高級品。なまじ遠路を通じて手に入れた外国産より、パルスの王位を欲する彼に相応しい酒だろう。
兄ひとり、妹ひとり。この兄妹は既に互いの趣味は知り尽くしているらしい。
「フォルツァティーナ。」
「御機嫌よう、『王妃様』♪」
石畳の上を音もなく。上品に歩んで、銀の姫に呼びつけられたタハミーネが姿を現す。
彼女の為の盃は、用意されている。
王妃に『ニセモノの実の娘の生首』を、酒肴に出来る胆力があれば、の話だが。
「眠れないのですか、アルスラーン殿下。」
「エラム、ジャスワント。」
ペシャワールの夜空をテラスから眺めていたアルスラーンは、友の声に視線を地上に戻した。ジャスワントが携えた盆には、3人分の盃とひとつの水差しが乗っている。
寂しげな瞳の王太子を、見守る2人の視線は温かい。
「『アマルーラ』のお湯割りです、殿下。ジャスワントに教わりました。
体が温まって、よく眠れますよ。」
「ありがとう、エラム。ジャスワント。」
アルスラーンを真ん中に、3人でテラスの床に座り込む。
保護者組に黙って悪戯の相談でもするかのような雰囲気が好きで、最近はこうして3人で肩を寄せ合う事が多い。ナルサス辺りは気付いていようが、比較的年長のジャスワントが面子に入っているので安心しているのだろう。
冬の夜風も、3人ならば苦にならない。
「その・・・姉上はどうお過ごしかな、と・・・。」
2人の無言の問い掛けに、アルスラーンが明後日の方向を向きながら白状する。
長い付き合いとなったエラムは正直に額を押さえ、未だ何処か遠慮のあるジャスワントは、曖昧な苦笑で素直な感情を誤魔化した。
この王太子は、寝ても覚めても『姉上』の事を心配しているのだ。まるで黒衣の騎士が彼に対してそうであるように。
アルスラーンとしても己の『行き過ぎた』シスコン具合は自覚していて、精神的に姉離れしようと努めてはいるらしいのだが。
「判っているさ、エラム、ジャスワント。
ただ、何というか・・・『この際ラジェンドラ殿が兄上でもいいかなぁ』って。」
「あの御方はいけません、殿下っ!」
「ダリューン様かナルサス様っ、せめてギーヴ様辺りで手を打って下さい殿下っ!」
王都に忍ばせている密偵からの、報告。
最愛の姉とヒルメスの急接近を聞いてから、ずっと『こう』なのだ、彼らの王太子は。
姉の夫は敵国の首魁。そう聞いた時はまだ冷静だった。『ギスカール公爵』とは未だ一目もせず、どのような人物であるのか実際の所を知らぬ。が、ヒルメスは動いている姿を、声を見聞きし、剣も合わせている。
そのヒルメスを、最愛の姉は『兄様』と可愛らしく呼んで懐いている、らしい。
ちなみに・・・アルスラーンの許に『弟の立場を守る為、フォルツァティーナがヒルメスと共に、『異父妹』に仕立て上げた貴族の娘を処刑した』という情報は齎されていない。『異父妹』が存在する可能性自体が、トップシークレットなのだ。『存在の認知』が前提となる処刑情報など、外部に漏らせる訳がない。
フォルツァティーナとヒルメス、2人がソレを行ったのは、あくまで布石。
先々『異父妹』情報が外部に漏れ、混乱の兆しが見えた時、早期に手を打てるように。
『その姫、既に鬼籍入りにつき、生存している筈もなし。』と言えるように。
未来の為の先手なのだ。
故に現時点では、詳細は闇の中。フォルツァティーナが守った、ヒルメスが結果的に守る形になった『末弟』の嘆きは、この一言に集約される。
「私も『兄上』が欲しい・・・。」
『殿下―――!!』
アルスラーンが遠い目をしている。
ペシャワールの夜空に、エラムとジャスワントの悲鳴が響いた。
―FIN―
アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~黒の王子と銀の姫~