アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~法螺吹きの捧げる叙情歌~

ハローハロー、漆黒猫でございます。

アルスラーン殿下にお姉様がいらしたら、バージョン。
アルスラーン殿下の女体化バージョンではございませんので、念の為。

今回のお話は、クバード万騎長の語る昔話。

アトロパテネの会戦後、しばらくほっつき歩いてた法螺吹きサンが、
何処でどうしていたのか。
メルレインさんと一緒に、イリーナさんを護衛していたとはいえ、
その間にどんな話をしていたのか。

その辺りの時間軸の、とある一夜と思って頂ければ。

どの御方がどの時点でどんな秘密を知っていらっしゃるのか。
正確なトコがよく判らない漆黒猫です。

万騎長が12人+大将軍て、結構、人数多いと思うのですが。
アトロパテネ前は、どんな風に生きてたのかなぁっと。

カーラーン卿はリーダー格というか、中心人物だった気がします。
皆に信頼されてたし、カーラーン卿も忠誠心篤い事は間違いなかったのだと。

方向性が違ってしまっただけで。

『アル戦』自体が、彼らが死んだ所から始まるからネ、
想像の域を出ない訳ですが。

好きです、万騎長ズ。強国パルスの強さの象徴。
長所を素直に認め合い、短所も腹蔵なく貶し合える。
そんな仲だとイイなぁ・・・。

あと、『マニューチュルフ』か『マヌーチュルフ』かよく判らんです。
まぁ、発音の仕方の問題、という事でww

それでは、お楽しみ頂ければ嬉しいのです。

アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~法螺吹きの捧げる叙情歌~

『クバード、あのね、』

『はい、姫殿下。』

 無垢な信頼。
 振り向いた時、名を呼んだ時、彼から応えが返って来るのが当然だと思っている紅の瞳。光の加減でピンクにもなる紅の瞳が、彼を映す時だけ殊に優しくなる。それが、密かな自慢だった。誇りと言い換えても良い。剣の腕だけを頼みに生きてきた、自分が。
 自惚れでなく、12人居る万騎長の中でも、彼女は特段に彼を頼みにしていたと思う。

『クバード、父上からお菓子頂いたから、お裾分け。
 シャプールと一緒に食べて。ちゃんと仲直りするのよ?』

『菓子は賜りますが、仲直りはイヤです。
 むしろ姫殿下とご一緒したいものですな。』

『フフフ♪』

 彼に笑いかけた時に揺れる、銀色のサラサラストレート。
 武勇に優れた父王に、早くから戦場にも連れ出されていた彼女は滅多にその美しい銀髪を結わなかったが、むしろ結わずに流した方が綺麗だった。
 他国の姫君のように、ゴテゴテと飾り立てきつく結い上げているより、ゆったりと風に遊ばせている様を見るのが好きだし、実際似合っている。
 そう言って褒めた時、眩しそうに、消えそうに微笑んだカオが忘れられない。

『クバード、一緒に来て。』

『はい、お供しますよ姫殿下。』

 忠誠心など下らない。そう思っていた。
 だからきっとあの日の感情は、『恋』と呼べるモノだったのだろう。
 街歩きの供も、髪を梳くのも、全部自分。誰より愛おしく、誰にも渡したくない。
 そう、思っていたのだ。



 アトロパテネの敗戦後、クバードは撤退命令も出さずに戦線を離脱した王を探す気にはなれず、パルス各地を放浪していた。
 気楽な旅だ。せいぜいがルシタニア兵の目をやり過ごし、目の前で民が虐げられていれば助けるくらいで、特に気負う事も無い。義憤に駆られる事も、恐怖に震える事も。
 パルス国軍に入ったのは、完全実力主義と聞いて興味を惹かれたからだった。下層生まれの傭兵である自分が、何処まで出世できるのかと。ちょっとした興味だ。
 すぐに飽きると思っていた。
 まさか国王、大将軍に次ぐ万騎長にまで出世するとは、自分が一番思っていなかった。
 だがそれも一夜の夢。
 大敗とはいえたった一度の敗戦で、今、パルスという大国は揺らぎかけ、クバード自身も部下1人連れる事無く、傭兵暮らしに逆戻りである。
 否、部下は居ないが、同行者は居るか。

「メルレイン。今日はこの辺りで野営にしよう。」

「判った。まだ日は高いが・・・。」

 ゾット族の赤毛の青年は、素直に頷いてから、表情の乏しい顔を少しだけ傾けた。クバードの言う事だから従うが、疑問には感じる、そんな仕草だ。
 その素直さがある少女を思い出させて、隻眼の『元』万騎長は僅かに笑う。

「この辺りの地形はよく知ってる。この先に野営に適した場所は無い。
 明日は次の野営ポイントまで、少し急がなけりゃならん。その為にも、今日は早めに休んで体力を回復させておけ。不寝番は俺が引き受ける。」

「判った。
 その予定、内親王と女官長にも伝えて来る。」

「頼む。
 俺は野営の準備をしておく。」

「クバード。」

「ん?」

「・・・一度、内親王の護衛を断ろうとしたオレが言うのもなんだが・・・。
 クバードは内親王が嫌いなのか?」

「・・・・・・。」

 鋭いな、とクバードは内心で苦笑した。メルレインの瞳に他意は見えず、常から愛嬌を持たぬこの青年なりに、純粋に疑問に思い、また心配してくれてもいるらしい。
 現在、クバードはメルレインと共に、イリーナと女官長を連れてエクバターナに向かっている真っ最中である。
 妙な取り合わせだ。パルス軍人とゾット族族長代理が、曲折を経て即席コンビを組み、滅ぼされた筈のマルヤム公国内親王を、パルスの首都まで案内しようというのだから。
 内親王。王女。その言葉は、今のクバードに複雑な思いを抱かせる。

「・・・別に嫌いではない、な。あのお姫さんは王侯貴族にしては性格がいい方だし、美人だし。女官長は口うるさいが、まぁあんなモンだろ。
 特段に忠誠を誓う程の器だとも、感じていないのは確かだが・・・元々、従う義理も無いんだ。俺にはゾット族の掟も関係ないしな。イヤならとっととバックれてるぜ。」

「それにしては、内親王に思う所があるような・・・。」

「別に、『好きでも嫌いでもない』のは本当だ。
 強いて言うなら・・・『比べちまう』のさ、どうしても、俺の知ってる他の姫とな。思う所があるというか、厳しい目で見てるように見えるのは、そのせいだろう。
 別にホントに、俺はあの内親王サマ自身にゃ大した興味は無いんだがな。」

「他の姫? パルスに姫は居ない。
 万騎長とは、軍の最高幹部の1人だと仲間から聞いた事がある。国賓として護衛した他国の姫か、傭兵時代に雇われた姫か?」

「・・・パルスに・・姫殿下はおわす。
 とても麗しい・・・存在自体が奇跡のような御方がな。」

「うるわし・・きせ・・・え・・・?」

「―――っ、何だよその『コイツ頭大丈夫かっ?!』みたいなツラぁよっ!
 すげぇんだぞウチの姫殿下はっ!! 知らないからって迂闊に貶したら、叩っ斬るから取り敢えず口閉じとけっ!」

「別に貶す気はないが・・・。」

 メルレインは元々が口数の少ない男だ。見知らぬ他人の悪口を放言して、溜飲を下げるような趣味も持ち合わせてはいない。大人しく口を閉じるのは別に構わないが、このままその『姫殿下』とやらの話を有耶無耶にしてしまうのも勿体ない気がした。
 短い付き合いだがクバードの、少なくとも表面上の人となりは知っているつもりだ。己の剣1本に絶対の自信を持ち、歯に衣を着せぬ、天衣無縫の男。宮仕えなどおよそ想像もつかない男。階級に厳しく窮屈そうなイメージのある一国の軍など、すぐにでも飛び出してしまいそうな。
 この男を心酔せしめる『姫殿下』とは、一体どれ程の『器』か。

「教えて欲しい、クバード。お前の敬愛する『姫殿下』の事を。」

「・・・断る。イヤだね。」

「クバード?」

「・・・・・そんなカオすんなよ、メルレイン。
 別に、お前が嫌いだから話さないとか何だとか、そういう事じゃねぇんだから。」

 珍しく、はっきりと判るほどに表情を動かして、ショゲたカオをする青年の頭を撫でる。ガシガシと乱暴に髪をかき混ぜると、痛かったのだろうか、青年は少しだけ眉を寄せた。
 纏う紅。
 たったそれだけの事なのに、色調も全く違うのに。それでも『彼女』を思い出す。
 思い出して・・・苦しいような怖いような感情が、腹の底に溜まっていく。
 クバードの口許が見せたのは、苦すぎる微笑だった。

「俺にとって、あのヒトは本当に『特別』だったんだよ。離れて尚更身に染みる程に、な。特別だから、大事だから。だから、もうしばらくあのヒトとの思い出話は、胸に秘めておきたい。そんな簡単に、法螺を吹き慣れたこの口に乗せる事が出来んのさ。
 正直俺には『忠誠心』の持ち合わせがない。万騎長は確かに『軍の要人』で、一応、奴らの名誉とやらの為に言っておけば、他の万騎長たちはちゃんと『忠誠心旺盛』な奴らだったが・・・俺にとってだけは、『国王』はただの雇い主だった。
 元々国軍に入ったのも、興味本位だったくらいだからな。
 俺が敬意を払うのは、自分の他にただ一人。『姫殿下』だけだったんだよ。」

 シャプールは違った。彼は騎士道と礼節を重んじ、忠誠も篤い、まさに『騎士』だった。だから喧嘩が絶えなかったのだ、クバードとは。
 カーラーンやサームが呆れつつ頭を悩ませ、ハイルやマニューチュルフが苦笑し、キシュワードやダリューンがハラハラしながら見守っていた。最後はいつも、『彼女』が仲裁してくれるのだ。シャプールもクバードも、何処かでソレを期待していた。彼女に注意されるのを楽しんでいた。
 そのシャプールは、もう居ない。ハイルもマニューチュルフも。
 三つ編みが特徴的だった万騎長の最期は、パルスの民を勇気づける噂として、クバードの耳にも入っている。ハイルとマニューチュルフの生首は、エクバターナの城門外に晒されたと聞いた。とても酷い損傷だったと。
 エクバターナに居る筈の彼女も、ソレらを全て見たのだろう。
 彼女なら、きっと。目を逸らしもせず、自分を愛してくれた万騎長たちの死体を、怒りに震えながら紅の瞳に焼き付けたに違いない。
 そこにクバードの首が無い事に、気付いたろうか。
 安心しただろうか。
 いつまで経っても王都に助けに来ないクバードの事を、怒っているだろうか。
 フォルツァティーナ・・・ティーツァは。

「クバード。」

「あぁ、悪い。少しぼんやりしてた。
 長話が過ぎちまったな。
 我らがパルスの『姫殿下』の話は、いずれまたする機会もあるだろう。お前はマルヤムのお姫さんのトコに行って来い。」

「判った。そうする。」

 素直に頷くと、メルレインは馬車の方へ歩き始める。
 その先に居る女たちが、何を目指して歩みを進めているか、男2人を雇ったか。知って尚、クバードが考えるのはやはり『姫殿下』の事だ。
 彼女なら・・・彼女は、このままパルスが滅びたら、どうするだろう。
 今のエクバターナを実効支配しているのは、ルシタニア。エクバターナはただの王都ではなく、交易路の最重要の要衝だ。そこを押さえられている限り、たとえ王太子が生きていて別の場所を王都に定めて即位しようが、パルスが生き返ったとは言えない。早晩、瓦解するだろう。エクバターナとは、パルスにとってそれだけ大事な都、生命線だった。
 彼女1人なら、生きられる。
 市井に下って行方を晦まし、名もなき武人としてなり、何なり、いくらでも。剣の研ぎ方から旅の流儀まで、教え込んだのは他ならぬクバードである。
 納刀したまま、剣の柄を握り込む。込められた握力に、金属の方が悲鳴をあげる。
 判っている。彼女は、国が滅んだからといって都を捨てたりしない。逃げ出したりしない。それが義務だからとでも笑って、焼け落ちる王宮に最期まで残る。そういう女だ。本質的には、シャプールと同じ種類の人間だ。
 判っていた。旅の流儀など教えたのは・・・自分の願望だ。生きて欲しいという、唯一、それだけの。

「あの・・クバード卿。」

「・・・珍しいな。1人で馬車から降りられたのか。」

「はい。」

 我ながら世辞にも機嫌がいいとは言えない、クバードの荒っぽい口調もマルヤムの姫は受け流す。咎めもせず、素直に頷くに留める秀麗な面差しに、『元』万騎長は深々と溜め息を吐いた。
 閉ざされた瞳にすら、紅眼を想ってしまう自分に対する溜め息だ。
 女官長も連れず、1人で馬車の壁に寄り添い立つ華奢な体に向き直る。
 距離は、詰めない。膝も、つかない。

「どうかなさいましたかな? 内親王殿下。
 じきに陽も落ち、寒くなりますれば、どうぞ中へお戻りを。」

「・・・・・・。」

 逞しい両腕を、芝居がかった仕草で広げて演劇のような口調で言上する。
 武芸の心得など欠片も見当たらぬが、視力が無いせいか気配にだけは敏感な女性だ。早く会話を切り上げたいという、クバードの気分に気付かぬ筈もあるまいに・・・俯き加減だった彼女は、意を決したように顔を上げた。
 両手を胸の前で組み、必死さの滲む口調で言い出したのは、少々意外な願い事だった。

「お願いです、クバード卿。
 あなたの知る『パルスの姫殿下』のお話を、わたくしに聞かせて欲しいのです。」

「・・・・・・イヤですな。お断りさせて頂く。
 メルレインとの会話を聞いてたなら、判るでしょう。かの姫殿下は俺にとって大事なヒトなんですよ。身分の上下とか、そんなありきたりな枠組み以上の存在。
 退屈凌ぎの冒険譚なら、メルレインにでもお話させるが宜しかろう。」

「卿にとって、大事な御方だという事は、重々承知の上で申しております。私にヒルメス様が居て下さるように、クバード卿にはその姫君様がいらっしゃるのでしょう。
 だからこそ。
 わたくしは知りたいのです。滅んでしまったマルヤムと、滅びかけているパルス。同じ敵を前にした、同じ『王女』という地位に居る同士・・・その姫殿下は、どのような生き方をなさっていらした御方なのか。」

「・・・俺は愛国心も薄い方だが、それでも気分は悪いな。
 パルスは、まだ滅んでいない。王太子の首級も挙がらんうちから、亡国扱いしないで頂きたい。俺はかの王太子の事も知っている。武才の程は未知数だが、心身ともに健全な王子だ。努力家で、王族としての責任感もある。捕縛されないのは、相応に知略も回るからだろう。あるいは知略を回せる者を味方に引き込む器量があるのか。
 姫殿下だとて、王宮の内で侵略者相手に渡り合っておられる筈。そう信じられる。
 あの御姉弟ならば、パルス領から蛮族どもを叩き出す事も可能だろう。」

 ジャリッと、クバードが背を向けた足音が意外に大きく、山道に響く。
 イリーナが怖じたのが、気配で判った。機嫌の悪い彼の心には、そんな様相すら苛立ちの元になる。フォルツァティーナなら怖じたりしない。彼女なら、巨大な敵相手にたとえ恐怖心で満たされていても、表に出したりしない。矜持高く、背筋を伸ばしているだろう。
 あぁ、そうだともメルレイン。イリーナが嫌いなのではない。俺はティーツァに会いたいだけなのだ。

「内親王殿下・・・と呼ぶのも、国が滅んだ今となっては、本来は筋違いか。
 国が滅ぼされたら滅ぼされたまま、隣国に逃げ込み、男を追いかけるばかりで再興しようともしない。与えられた地位に在位していただけの貴女に、現在進行形で責任を全うしようとしている姫殿下の事を語りたくはない。
 俺に何か強要しようというのなら、まず夜中に馬車から出て、焚き火の傍に座れるくらいにはなってもらおう。
 『今の』貴女に、俺の敬愛する姫殿下の事は一言も語らぬ。この態度が気に召さぬというなら、一行から叩き出して頂いて結構だ。」

「・・・・・・。」

 クバードはマルヤムの民ではないから、不快という程ではないが。それでもずっと不思議だったのだ。何故、イリーナは最後に生き残った王族として、マルヤム公国を再興しようとしないのだろう。目が不自由と言っても、肢体は自由だし知性もある。歩くのに不自由している所は見た事が無い。
 たとえ自分に武芸が無くとも、大義を掲げて協力者を募り、女王として起つ事は出来るだろうに。そうすれば、奴隷として売り飛ばされたというマルヤム国民の数も、少しは減ったかも知れないのに・・・少なくとも『王族は最後まで見捨てないでいてくれた』という希望を、民の心の慰めとする事は出来るだろう。
 だというのにこの姫は、二言目には『ヒルメス様が、ヒルメス様に、ヒルメス様へ、ヒルメス様を』。ヒルメスの話しかしない。故国の話は一言も無いのだ。
 つまらぬ問答に時間を割かれて、野営の準備が全く進んでいない。
 内親王である・・・内親王だった自分を突き放したクバードを、イリーナは黙って見送った。



 メルレインの半眼の問い掛けを、クバードは首を真横に背けて全力で拒否した。
 そのクバードの横顔を、イリーナが一途な視線で追い掛けている。視力を持たず瞼も固く閉ざしているくせに、この姫は妙に高い眼圧を持っているのだ。
 馬車に閉じこもっている・・・というより、内親王の命令で馬車から出られない女官長の怒気が、ドアの隙間から瘴気となって滲み出ている。
 そんなに淀んだ気を発するくらいなら、内親王の命令など無視して焚き火の傍に来れば良いのだ。
 というかこの姫、誰か馬車に押し込んで来て下さいお願いします。

「クバード。」

「うっせぇぞメルレインっ!
 俺は何も言ってねぇからな?! 姫殿下の話をねだられて、お前に冒険譚でも話してもらえと突き放しただけだっ。ホントにそんだけだっ!

「でも、クバード。」

「女官長の婆さんと離れて一緒に焚き火を囲めとは言ってないっ!!
 俺は確かに女好きだ、それは認めるが、好みってモンがあるだろう?! 場だって弁えてる! 病弱系王道清楚路線よりも、俺はもっと、こう、手こずらせるくらい活発で行動力があって毒舌で我が侭で破天荒な、したたかな悪女系女子に惑わされたいんだっ!!
 左腕に傷とかあると尚、善しっ!」

「・・・クバード。
 オレは別にそんな誤解はしてないし、お前の女の好みも聞いていない。傷の場所指定とか、ピンポイント過ぎて軽く、引く。」

「引くなっ!」

「パルスの『姫殿下』は、左腕に傷をお持ちなのですか?」

「アンタも食い付くな、内親王っ!」

 どうにかして『姫殿下』の片鱗を探そうとするイリーナに、クバードは深々と息を吐いた。何だかどんどん、この姫に対する口調がぞんざいになっていっている気がする。同じ口調をアルスラーンに対してしたら、きっとダリューン辺りが怒髪天を突く勢いで突撃してくるに違いない。宮廷嫌いのナルサスでさえ、苦笑するレベルの不敬さだ。
 クバードはマルヤムではなくパルスの軍人なのだし、元々忠義立てする筋でも気性でも無いから尚更である。
 日焼けして色の褪せた金髪を、ガシガシと掻き毟る。自分も大概型破りだと自負してきたが・・・その彼を悩ませる辺り、イリーナも結構な変わり者なのかも知れない。

「何なんだ、アンタは・・・何をそんなに躍起になって、俺の『姫殿下』の事が知りたい。目の不自由なアンタにとって、焚き火すら怖いだろうに。
 さっきっから、火の粉が爆ぜる度にビクついてるぜ? 熱というより音が怖いんだろ?」

「・・・クバード卿。昼間、卿は言いましたね。
 『国も再興出来ない、役立たずの内親王』と。」

「クバード・・・。」

「言ってないっ、役立たずなんて言ってないっ!
 ただ、ヒルメス王子の事しか心に無いようにお見受けするので、祖国の事は放っておいていいのかとっ、そう苦言を申し上げただけだっ。
 家族を喪って辛いのは解る。だが、そこで立ち止まる事が許されないのが王族だろう?
 俺の姫殿下なら、絶対にっ、」

 言いさして、クバードは思い出したように口を噤んだ。こんな甘ったれた内親王に、誇り高いあのヒトの事など欠片たりとも語るものか。
 奥歯をギリッと噛みしめ、左手で左の瞼を押さえる。
 クバードの目には『世間知らずの温室育ち』に見えるマルヤムの内親王は、彼の怒気を怖れるでも咎めるでもなく、あくまで静謐だった。
 焚き火の炎に照らされる、白い肌。美しい顔立ちだが、クバードには苦さを与える。別にイリーナがどうこう、という訳ではない。彼にとっての基準、『至高』が、彼女ではないから。どうしても、フォルツァティーナと違う部分が目に付いて、ソコを否定してしまうから。違っていて当たり前なのに。
 『比べてしまう』あるいは『唯一を持つ』とは、こういう事だ。
 多分、これから先、イリーナがどれだけ素晴らしい一面を見せても、どれだけ努力しても、成長してすら。クバードがイリーナを敬愛する事はない。
 彼女は、フォルツァティーナではないのだ。

「クバード卿。
 誰が言わずとも、わたくし自身が思い知っております。わたくしには政治力などございません。軒並みルシタニアに寝返った貴族たちを、マルヤム王家の名の許に再び1つにまとめ上げ、旧領全てから、ルシタニアを一兵残らず押し返す。
 そのような途方もない・・・イチから国を興すが如き偉業を、成し遂げる才覚はないのです。誰を頼り、誰を仰げば良いのかすら判じられない有り様なのですから。」

「・・・・・・・。」

 王として起つ気なら、まず『他者を仰ぐ』という視点は捨てるべきだ。王とは従える存在。誰ぞに師事するにしても、その師ですら臣下の1人に過ぎぬのだから。
 言いかけたが、クバードは敢えて口を噤んだ。
 こういう基本姿勢を自ずから弁えるようでなくては、『再興』などという行為は出来まい。彼はこのまま成し崩し的な流れでイリーナに仕える気など、毛頭なかった。ならば中途半端な帝王学など、教え諭すのも無責任だし、無意味だ。
 彼女は『聡明な妃』には成れるかも知れないが、『救国の英雄』には成れない。

「両親もお姉様も、その点は解っておられたのでしょう。お別れ際に仰いました。『国の事は忘れて、ただ、幸せに。』と。
 その『幸せ』というのが、わたくしにとっては『ヒルメス様にお会いする事』だと思って、此処まで参りましたが・・・迷いが無い訳ではございません。
 クバード卿の言葉は、全て正しい・・・今のわたくしに、旧マルヤム領に足を踏み入れる資格は無いものと思っております。
 だからこそ、と言うべきでしょうか。わたくしは『パルスの姫殿下』に憧れているのです。クバード卿という、地位に縛られない武人から敬意を得ている『姫殿下』に。卓越した才覚を持つ部下から、自然に尊敬や忠誠を引き出した『姫殿下』に。
 遠く及ばないまでも、わたくしもかの御方にあやかりたいのです。どうしたらそう在れるのか、成れるのか。ヒントが欲しい。
 クバード卿。
 卿の気の向く範囲で構いません。あなたの『姫殿下』の事を、多少なりとも、わたくしに教えては頂けませんか?」

「クバード、滅ぼされたとはいえ王家の人間が、此処まで言うのは相当だと思う。
 少しだけ。少しだけでも、話して差し上げたらどうだ?」

「・・・・・話と言っても、何を話せばいいんだ。
 説話の中の登場人物じゃあるまいし、何より、全部俺から見た主観だぜ?」

 溜め息交じりに折れたクバードの言葉に、イリーナだけでなくメルレインまでもが喜色を顕わにする。
 イリーナがタイプなのはお前の方じゃないか、とクバードは軽く呆れ返った。



 フォルツァティーナ姫が剣の稽古を始めたのは、4つになるやならずの頃だった。
 アンドラゴラス王の手許に引き取られて、僅か3か月程しか経っていなかった。

「やぁーっ、やぁーっ、」

「握りが甘いっ。もう一本っ!」

「はい、ちちうえっ!」

 婚儀を挙げたとはいえ、常にそっけない態度を崩さないタハミーネ王妃(元・兄嫁)への寂しさとか、彼女の頑なさに対する当てつけなども、多少は含まれていたのだろう。
 アンドラゴラス王自ら、王妃の連れ子である姫君に中庭で手解きしていた。もっとも、特に最初の内など、幼女の打ち込み時の掛け声が悲鳴にしか聞こえなくて、通りすがりの侍従が何事かと顔を引き攣らせていたものだったが。
 打ち込み時の掛け声が悲鳴などでなく、気合いの声として凛と響くようになるのは、更に後年になってから、である。
 『仲睦まじい親子の鍛錬風景』と表現するには、微妙に違和感の漂う中庭を眺めながら、既に大将軍だったヴァフリーズと、親友の万騎長・バフマンが話していた。

「陛下は随分と、あの姫の、いや、姫殿下の才能を買っておられるようだ。
 守り役はワシ、ヴァフリーズだが、武芸に関してはイチからご自分で叩き込む、と仰せであった。ワシの指導は不要であるとまで。」

「成程、それで連日、中庭に連れ出しておいでか。
 学問や作法の方も?」

「いや、そちらは流石に陛下の手が回らぬから、人を付けるそうだ。だがそれも当代の一流を揃えると。侍女侍従を含め、人材に糸目を付けるなとのご指示であった。
 ただ宮廷作法の習得は、大した時間は要らんであろうよ。バダフシャーン公国での教育が良かったのかな、その辺りは大人しく、行儀の良い姫御だ。パルス風に馴染むのもそう時間はかかるまい。
 オスロエス王に暴力を振るわれていたとは、思えぬお健やかさよ。」

「判らんぞ、ヴァフリーズ。子供の心は大人が思うより複雑だ。
 実父のバダフシャーン公の投身自殺を、姫は一部始終、目の前でご覧になっていらしたと伝え聞く。次に『父』となったオスロエス王は、タハミーネ王妃の機嫌は取っても、姫殿下の事はお厭いになって離宮に押し込め、鬱憤晴らしの捌け口になさった。
 当のタハミーネ王妃はどう好意的に解釈しても、実の娘に何の関心も抱いているようにお見受け出来ぬ。
 これで『ただお健やかなだけ』である筈はあるまい。」

「バフマンよ、ワシはどうお答えして良いか判らんかったよ。
 姫殿下が仰るのだ、オスロエス王から救って下さったアンドラゴラス陛下は、英雄なのだと。カイ・ホスローより余程尊敬しているのだそうだぞ。
 本来ならば殴られる筋合い自体、なかったものを・・・まことに不敬だが、ワシは思わず孫にするように頭を撫でてしまったよ。笑っておられたが。
 姫殿下は、アンドラゴラス陛下には見捨てられたくないと必死なのやも知れぬな。」

「何とも救われぬ話よ。」

 バフマンがそう頷いた時、一際甲高い金属音が響いた。王の長剣に、幼い姫君の握る短剣が弾き飛ばされたのだ。
 中庭の真ん中から、渡り廊下の端まで飛んできたのである。一応、刃が潰されているとはいえ申し訳程度の、限りなく真剣に近い練習剣が。
 4歳手前の幼女にそんな剣を使わせる、父王も父王だが・・・。
 その剣が突き刺さったのは、バフマンの後ろに控えていた騎士見習いの足許だった。

「おお、丁度良い。おぬし、姫殿下にお返しして差し上げろ。」

「えっ、マジッスか? いきなり過ぎでしょ。
 何というか、こう、紹介とかしてくれないんですかね、バフマン様。ていうかそれ以前に、『大丈夫か?』の一言があってくれてイイんじゃないですか?
 安否の心配とか、人心掌握術の基本っしょっ。」

「うるさい黙れ、軌道を見切って微動だにしなかった奴が何を口走るか。」

「2人とも、漫才は他所でやれ。
 国王陛下、並びに姫殿下の御前である。」

「バフマンよ、ソレが例の?」

 初めで至近で拝す王の、重厚な低音に騎士見習いからチャラい雰囲気が消える。
 ヴァフリーズ、バフマン同様に跪いて垂れていた頭を、更に下げた。

「御意にございます、陛下。
 私付きの騎士見習いで、年は16になります。若輩ではございますが、私がスカウトして国軍に入れるまでは、傭兵として各地を転戦しておりました。経験値と剣の腕に関しては、同年代を遥かに凌ぎまする。
 少々ふざけた物言いをする男ではございますが、実力は確かです。生粋の騎士に持ち得ぬ臨機応変さ、応用力といい、姫殿下を守り参らせる者として、中々の適任かと。」

「左目が潰れておるな。」

「この男、左からの攻撃の方が強うございます。」

「・・・良かろう、バフマン。おぬしの推薦を容れる。
 フォルツァティーナ。お前の側役が決まったぞ。」

「姫殿下にご挨拶申し上げなさい、『元』部下。」

 片や、父王にヌイグルミのように背中を押され、前に出される4歳幼女。
 片や、『元』上司に最後の命令として肘でつつかれ、顔を上げる16歳少年。
 ファーストコンタクトの瞬間を、アンドラゴラスとバフマン、それにヴァフリーズが何となく固唾を飲んで見守る中で、まずアクションを起こしたのは騎士見習いの方だった。
 ニッコリ笑顔で、ずっと持ちっ放しだった王女の短剣を差し出す。

「初めて御意を得ます、フォルツァティーナ姫殿下。
 万騎長バフマン付きの騎士見習いをしておりました、名を『クバード』と申します。これより身命を賭して姫殿下をお守り申し上げる所存。
 どうぞ宜しくお願い致しまする。」

「・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・。」

「・・・・・・イヤ。」

「え?」

「イヤだっていったのっ! ごえいなんていらないっ、わたし、じぶんでみをまもるくらい、できるっ! ちゃんとちちうえのおやくにたてるものっ!!」

 やけに的確な文章でそう叫ぶと、幼女は修練の疲れも見せずに走り去ってしまった。大人びた目的意識を感じさせる、身軽でしっかりした足取りだ。
 てっきり従順に二つ返事で頷くと思っていた幼い姫君の、意外な反応に大人3人と少年は固まってしまった。
 流石のアンドラゴラスも意表を突かれたカオをしていたが、立ち直ったら直ったで、怒りも見せずに軽い嘆息で済ませてしまう。傲岸不遜が基本スタンスの、武王が。

「どうやら誇りを傷付けてしまったようだな。護衛を付ける件は、事前に言い聞かせていた筈なんだが。幼くとも中々の矜持の高さよ。」
 武勇で知られる王は、同時に強権独裁の傾向があるとも聞かされていたクバードは密かに驚いた。顎を撫でるアンドラゴラス王の口調も表情も、己の采配に逆らった手駒を見る目ではない。良い面だけをピックアップして強調した上でカラーリングして瞳に映す、所謂『溺愛』モードの親の目だ。
 殊の外可愛がっている、という風評もまた、偽りではなかったらしい。

「陛下、あの・・・これより先はどのように致しましょう。」

「僭越ながら、」

 恐らくバフマンは、王の指示は『護衛の件は取り消し』と予想しているのだろう。
 そうなる前にと、無礼は承知でクバードは口を開いた。何となく『武王』ではなく『父王』の時のアンドラゴラスは、ある程度のイレギュラーは許容すると踏んだのだ。
 果たしてアンドラゴラスは、僭越にも口を開いた騎士見習いを咎めず、目顔で先を促してさえ来る。

「姫殿下の護衛、是非ともこのクバードにお命じ頂きたい。」

「何故。」

「気に入ったから、でございます。
 人を疑う事を知っている御方からこそ、信を得る事に意味がある。俺はそう思ってます。父王陛下の御為に何が出来るか、懸命な御姿も可愛らしく、刺激的。
 暗愚で人任せな姫君ならば、傭兵時代に見飽きるほど見てうんざりしておりました。そこにあの利発さは、中々に魅力的でございます。是非とも我が主となって頂き、忠誠を捧げ奉りたい。
 あの姫君は大物になりますよ、陛下。」

「我が娘なのだ、当然であろう。」

 即答すると、アンドラゴラスはそれ以上は言を重ねず、背を向けてしまう。
 これは『任せる。』という事に他ならなかった。

「き、胆が冷えたぞクバードォォっ!!
 陛下を相手に何という口を叩くかっ!! コレが別件だったら確っ実に首が飛んでおるのだからなっ?!」

「はいはい、胆に銘じますよ、バフマン様♪」

「ぐぬぬ・・・わしの目が届かぬ時間が格段に増えると思うと、今から胃が痛いわ。
 これより先はそうそうすぐには庇ってやれぬ立場になるが・・・良いか? くれぐれも、よりによって姫殿下の御前で、陛下に手打ちにされるような仕儀にはならないように。
 かの姫殿下は、精神的に既に相当、傷付いておいでだ。
 その辺り、きちんとお心配り差し上げるように。それとおぬしと同じで、左に傷を持っておられる。オスロエス王に腕の骨を折られ、適切な治療が受けられずに後遺症が残ってしまった傷だ。あまり姫殿下のお体を冷やし申し上げぬように。
 姫殿下の御前で、陛下を茶化すような口は慎めよ? それから、」

「もう何度も聞きましたってっ。ちゃんと手紙、書きますから。
 姫殿下に、剣をお返ししてきますっ!」

 クバードの後見人というより、フォルツァティーナの祖父のような。バフマンのお小言とヴァフリーズの苦笑から、成りたての護衛騎士は早々に逃げ出した。
 『姫殿下』の御座所の場所なら、既に知っている。
 この後、約1年半。弟王子の誕生を機にクバードが護衛を外れて別命を賜る仕儀となって、姫殿下が『クバードじゃないとイヤッ!』と大泣きするまで、1年半である。



「そ、その1年半っ! その1年半を是非とも詳しくっ。」

「・・・今のアンタがソコを聞いても、生き方の参考にはならんと思うんだが・・・。」

 イリーナの熱心さに、軽く引きながらクバードは苦笑した。メルレインも彼女同様、意外なモノを見る目でクバードを見ている。
 このチャラい中年に、子供の世話などしていた時期があるのか、というカオだ。

「別に、大した事はしてないんだ、本当に。
 父王との修練で負った怪我を、俺が手当てしたり。武で有名だった王だし、期待もあってとにかく手加減てモノをしない御方だったから。数少ない、バダフシャーン公国での思い出話に付き合ったり。併呑されたとはいえ、矛を交えた地方の話だ。気軽にそこらの侍従には話せないわな。悪夢ばかり見て不眠症だからっつって、添い寝したり。
 俺は傭兵として糧を得てた訳だが、まぁ、基本は何でもやったよ。育ちの良いお嬢様には話せないアングラ話から、普通に要人の護衛、中には丸っきり病児保育な仕事もあってな。傭兵として雇った奴と熱出した子供を一緒の部屋に入れるかって、雇い主に呆れつつ、ガキ放り出す訳にもいかないから試行錯誤で世話してたモンだが。
 その経験が生きた訳だ。
 バフマン殿には『護衛というより乳母か何かのようだな』と呆れられた。
 ちなみに姫殿下に、リアル乳母は居ない。
 王宮には緑が多い。タハミーネ王妃が静かで涼しいのが好きだからってんで、機嫌取りの為に作られた庭園で、俺はあまり好きじゃなかったがね。
 姫殿下は草木以上に、木に集まって来る虫の方がお気に入りだった。
 普通の姫君が花房でも摘んで髪飾りにするところを、ティーツァは違う。カブトムシだのクワガタだの。格好イイ系だけじゃない、ムカデだのダンゴムシだの、毒虫や節足系の昆虫も。デカいのを採ってみせると、手を叩いて喜んでくれたモンさ。
 図書室から持ち出した図鑑で調べたり、触っちゃならん毒虫を教えたりな。
 そういえば、ティーツァは木登りも好きだった。
 そういうのを重ねてれば、自然と仲も良くなる。ティーツァだって元々、俺個人が嫌いな訳じゃなかったんだし」

「あの、卿、今、お名前が・・・。」

「ん? あぁ、俺の姫殿下は街歩きもお好きだったから。
 『フォルツァティーナ姫殿下』って、長い上に、あからさまに王侯貴族だろ。城下でこの名前は、物取りや凶手に襲って下さいと言ってるようなモンだ。
 だから縮めて『ティーツァ様』、もっと砕けて『ティーツァ』呼び。下町じゃ、姫殿下は俺の遠い親戚、って事になってたからな。預かるほど仲のイイ親戚に、様付けは違和感しかないだろ。
 最初はイチイチぶちキレてたシャプール・・他の万騎長たちも、慣れちまってな。実際に呼び易いし。皆、普段は『ティーツァ様』って呼んでたよ。父王も大目に見てたし。まぁ、敬称まで略すのは流石に俺くらいだったけど。」

 シャプールとクバード、それにサームとキシュワード。4人で酒を呑んでいて、キシュワードに泣いて絡まれた事がある。要するに、羨ましいと。
 一番最初にクバードが護衛に付いた。その次に、キシュワードが付いた・・・この時点で、一目惚れ同然にキシュワードはフォルツァティーナの崇拝者決定だ。
 その後、キシュワードも外れ、他の者に変わった。
 クバードもキシュワードも、本分は騎士。護衛を外れた後は、軍上層部=父王や大将軍の命令次第で局地戦や任地に赴き、武勲を挙げ、戦士としての経験を積む。その合間に足繁く王宮に顔を出しては、姫殿下にちょっかいを掛ける・・・もとい、交流を深める。
 そういう生活サイクル自体は、2人共同じだったのだが。
 片やクバードは王都の屋敷を拠点に動き、命に応じて出兵する日々。
 片やキシュワードは、国境線の砦に居を構え、他国に睨みを利かせる日々。
 圧倒的に双刀将軍の方が『姫殿下成分を補給できる機会』が少なかったのだ。そりゃもう歴然と。加えての『ティーツァ』呼び捨て。
 一番最初に護衛に付いたのは、確かにクバードだった。
 因果関係は証明のしようもないが、クバードが護衛だった時に『扱いが難しい子供』だったフォルツァティーナが、上手く立ち直れた事は事実である。
 父王が溺愛する姫殿下を、愛称かつ呼び捨てで許されるのは、その時の余禄のようなモノ。言わば、特権。
 キシュワードはクバードの、その特権が羨ましいと。
 子供かと思うが、他の面子としては苦笑するしかない。

「傍から見りゃ、アイツだって俺の次くらいに『特権持ち』だったんだがな。何せ姫殿下が日常的に手紙を書くのは、国境のキシュワードにだけだったんだからよ。
 同じく国境警備が多かったバフマン殿が、寂しがって拗ねてたモンだ。
 そのせいで、バフマン殿の楽しみのひとつが『年度末』になったんだよ。姫殿下が構ってくれるからな。」

「年度、末・・・年末とは違うのですか?」

「国事に纏わる地味な書類仕事。そんなモン、普通のお姫さんは知らんだろうな。」

「・・・・。」

 イリーナの頬が、無知への羞恥に赤く染まる。良い事だと、幼児を見守る感覚でクバードは思った。知らないという事を自覚する事、全ての努力はそこから始まる。
 フォルツァティーナも『あの時』、知らない事をたくさん考えたのだから。



 万騎長付き騎士見習いの仕事は、要するに『万騎長の補佐』である。
 正式な副官やら千騎長やら、千騎長との連絡・調整を担う統制官やらは居るとして・・・まぁぶっちゃけ、それ以外の諸事雑務全般。万騎長の護衛というより、万騎長にとって面倒くさい事全般を引き受けるのが、『万騎長付き騎士見習い』の仕事である。
 コレに任じられれば未来の万騎長に決定したも同然・・・とはいえ、任じられた当事者になってみれば、カオが引き攣る事請け合いである。
 理想と現実が違った時の対応能力を見極める、というまことしやかな謳い文句は、『現実』を先に教えてしまったら候補者が裸足で逃げ出すからだ。
 そう、クバードは固く信じていた。

「クシャエータ、財務申告の計算が間違ってるぞ! これでは財務省に呼び出しを食らってしまう!」

「おお、サーム感謝!
 ところで軍馬の管理記録、6月と9月が見当たらんのだが、何処にやったか知らないか?」

「あぁ、それなら私だクシャエータっ!
 次の閲兵式で使う馬を選ぶ為に借りてな、」

「あ、カーラーン様居たっ!
 会議の議事録が出来ました、ご確認をぉぉぉっ!!」

「丁度いい、クルプ、お前もう一度隊舎行って、軍馬の管理記録全部持って来い!!」

「今行ったばっかなんですけどっ?! キシュワード卿、」

「イヤですよクルプ卿、今手が離せませんっ! ていうか、行ったってカーラーン隊の隊舎の構造、複雑すぎていつも迷うんですけどっ!」

「あぁ、隊舎全壊させてイチから作り直したい・・・。」

「カーラーン様っ、しっかりっ。」

「カーラーン卿が現実逃避しかけておられる。衛生兵、衛生兵っ!!」

 負傷兵の管理記録を纏めながら、クバードはぬるくなった手拭いを清水に浸し直した。机の上は水物厳禁なので、床の上に置いている。人の出入りが激しいせいでホコリ入りまくりだが、それでも知恵熱で沸騰しそうな頭には必要な代物だ。
 固く絞り、頭の上に置き直しながら書類を眺める。
 自分の目が死んでいるのが判った。

「出来たか? 不肖の弟子。」

「出来ました。不肖の師匠。」

 短い言葉で最大限の情報を交わす、バフマンの目の死亡度合いも相当だ。
 年度末。それは万騎長たちのもうひとつの死線。
 通常業務に加え、その通常業務の締め、閲兵式・祭事の警備・次の新兵登用の準備などの諸事雑務、『に関わる書類作成』。
 ココが問題なのだ。この、『書類作成』という点が。
 ただ人を出せば良いというものではなく、組織の中では常に申請書やらの書類が付き纏う。それはもう、ストーカーも真っ青の見事な付き纏いっぷりだ。『年度末』の何が怖いと言って、何百枚もあるその申請書の締め切りが一気に押し寄せる点である。
 国賓が押し寄せる年始めも戦闘的な意味合いで気が抜けないが、真に苦労するのは文官たち。万騎長たち武官が苦労するのが、年度末。
 提出書類には、複数隊共同の物もある。
 王宮内部、大広間のひとつを使い切って、大将軍含め13の隊が合同で『事』に当たるのが恒例だが・・・。

「ヴァフリーズ様ぁぁぁっ!!!」

「どうしたマニューチュルフゥゥゥ!!!!」

 はっきり言って『過労死目前の仮想死者が残業ハイで躍り回る』地獄絵図である。
 コレで何故、毎年締め切りが守れるのか。イヤ、それ以上に何故、過労死者が出ないのか。クバードは毎年、不思議でならない。
 当時、クバードはバフマンの、クルプはカーラーンの、キシュワードはサームの、マニューチュルフはヴァフリーズの騎士見習いだった。
 この『過労死目前の仮想死者』たちが、心密かに待ち侘びているのが・・・。

「やっほー皆、元気に死んでる~?♪♪」

「姫殿下っ!!」

「ティーツァ様っ!!」

 御年7歳になられていた、彼らのアイドル『姫殿下』である。
 去年の『年度末』の惨状を目にした彼女は、その去年から慰労がてら書類整理を手伝ってくれているのだ。
 勘も物覚えも良い彼女は、初めて見る書類でもシンプルな指示で要領よく扱ってくれる。直しも必要ないので、ガチで貴重な即戦力だった。普段でもチョイチョイ通常業務に首を突っ込んでいて、最近では簡単な書類作成もこなせるようになっているというハイスペック幼女悦。

「おっ、お待ちしておりましたティーツァ様ぁぁぁ!!」

「天使・到来っ!」

「あら、ソレ軍馬の管理記録? 欠損あるのね。探して来ましょうか。」

「いえ、このクルプめが隊舎に取って参りますればっ! ティーツァ様の御為とあらば、喜んで何往復でも致しますっ!!」

「あ、待ってクルプ、皆にも贈り物があるのよ。」

 王族からの贈り物、と言えば通常、壺やらメダルやら、役に立たない・・・もとい、威厳が一番の取り柄、というようなモノと相場が決まっているのだが。
 万騎長ほぼ全員から『実務の』英才教育を施されている彼女の選択は、流石に違った。

「筆記用具大量投入~♪
 と、お弁当を作りましたっ♪ 飲み物には、倒れてすら零す心配の無い安心の蓋仕様。お弁当の具は、各人の好み完全再現♪ 嫌いなモノ避ける時間が勿体ないでしょ。書類と睨めっこしながら、何処から食べても嫌いなモノにぶち当たる心配の無い安心仕様よ。
 お腹空いてると、数字得意な人でも計算違いしたりして、効率が悪くなるでしょう?
 全部私の手作りなの、余分も作ったし、しっかり食べて、体力回復してね☆」

「何と慈悲深い・・・万騎長や副官のみならず、我ら騎士見習いの分まで・・・!」

「40食以上、しかも具の違う弁当など、さぞ手間が掛かったでしょうに・・・。
 表面でもインスタントでもない、偽らざる愛を感じる・・・。」

「姫様の手作り、姫様の手作り、姫様の・・・ん?
 時に諸兄、我らがティーツァ様に、料理をお教え奉ったのは誰だ?」

 クシャエータの疑問に、大広間が水を打ったように静まり返る。
 仕える姫に、およそ深窓の令嬢らしからぬ事を教える名人。
 全員の視線が、クバードひとりに集中した。
 そうして無邪気にのたまうのだ、彼らの姫殿下は、ニッコリと。

「うん、そう☆
 お料理の基礎はクバードに教わったの。そして食材は厨房からパクったの☆」

「クバード、貴っ様あぁぁぁぁ!!!!
 我らが姫殿下に炊事をさせるとは何事だ!!!!」

「うるせぇシャプールっ! 肉のひとつも焼けねぇで戦場が渡れるかっ!!」

「色物と白い物は、分けて洗濯するのよね、クバード。」

「殺すぞクバードっ!!!
 はっ、まさかとは思うが、おぬし『実技だ』とか申して純真な姫殿下を丸め込み、自分の洗濯物をティーツァ様に洗わせたのではあるまいなっ?!」

「させてねぇよそこまではっ! お前の発想フツーにキモいわっ!
 ていうか厨房から食材パクッてる時点で『純真』じゃねぇだろっ。仕入れ担当、今頃困ってんぞっ。」

「大丈夫よ、クバード。食材の代わりにパクった物のメモ置いてきたから☆」

「流石です姫殿下、まるで怪盗のようなカッコよさ♪」

「いや、怪盗は食い物盗まねぇし・・・キシュワード、目が濁ってんぞ。」

「あぁ、隊舎が全壊する白昼夢が見える・・・。」

「うん、全壊させましょうね、カーラーン。
 父上に大枠の建白書を提出して、裁可を頂いた所なの。隊舎の全壊・新築計画自体は許可を頂けたから、具体的な建築案はまた後日練って頂戴。
 築100年の伝統建築もいいけど、カーラーンは実務の要でもあるのだから、シンプルで実用的な隊舎の方が良いわよね。父上も私も皆も、頼りにしてるんだから。
 この年度末を乗り切ったら、デザインとか予算とか、一緒に考えましょうね。」

「我が女神・・!!」

 真っ白に燃え尽き、色素が抜けかけていたカーラーンに生気が戻ってくる。顔色悪く汗の滲んだ万騎長随一の事務名人、『年度末』に忙殺され、櫛の行き届かぬ黒髪に、フォルツァティーナは優しく苦笑して手櫛を通す。
 デザインに加えて、『予算』という単語もセットで出て来るのが、この幼い姫殿下の凄味なのだ。建て直し中、カーラーン隊が身を寄せる場所や通常業務の変更点まで、彼女の頭の中では既に考えが纏まっているのである。
 『甘やかされたお嬢様の、安直な思い付きから来るその場凌ぎのご褒美』ではない。
 そういう部分、その手の発想が無い姫だからこそ、武闘派集団・万騎長ズの思慕を獲得し得ているのだ。

「ダリューン卿。姫殿下の護衛には慣れたか?」

「ハイル卿。」

 後の『黒衣の騎士』『戦士の中の戦士』が、この頃のフォルツァティーナの護衛騎士だった。将来大成する見込みの有りそうな騎士、あるいは騎士見習いを見極める試金石。父王は人物眼と実務能力を現わしてきた娘を、その試金石として見ているような節があるのだ。当の娘自身は、『大事な役目を与えられた』と喜んでいた。
 陰から見守る護衛騎士(15歳)の、複雑な内心を現役の万騎長は全て、見透かしているらしい。

「ティーツァ様は破天荒だろう? ハイスペックさもご気性も、およそ一般的な『王女』の常識枠を、大きく飛び越えておられる。
 最初の付き人の教育が悪かったのかも知れんな。」

「ハイル卿っ、不敬ですっ。」

「ははは、この程度で慌てるとは、まだまだだな少年。
 おぬしの武才なら、いずれ万騎長となるのも時間の問題だろう。その時は年度末、共に姫殿下の弁当を食って過労死を免れようではないか♪」

「過労死が前提なんですね・・・。」

 ブラック職場乙。
 その年、フォルツァティーナの作った弁当の中には自分自身と、他ならぬダリューンの分も含まれていた。自分が手伝うのだから、護衛騎士も手伝って当然という訳だ。
 以後、本当に毎年、年度末には彼女の手弁当が振る舞われるのが恒例になった。



 焚き火が大きく爆ぜた。
 その音にビクつくのも忘れて、イリーナが落ち込んでいる。

「クバード卿・・・わたくし、己の無知を思い知りました・・・。
 お料理などした事がなくて・・・誰かが作って出してくれるモノと思っていて、誰かに作って差し上げるという発想がございませんでした・・・それも、夫でもない部下に・・・。」

「そうかい。まぁ、そうだろうな。」

 クバードは肩を竦めて同意した。
 ソレが王族だ。基本的、一般的な。やってもらって当然、してもらって当たり前。料理は料理番が作る物だし、洗濯は洗濯番がする者だし、金貨は勝手に懐に入って来る代物だし、兵士が使う隊舎など、気にも掛けない王族が大半だろう。
 事実、武王アンドラゴラスですら、増改築を繰り返した古臭い迷路の如き隊舎を使わされていたカーラーン隊と、カーラーン隊に出入りする他隊が不自由を被っている事に気付いていなかった。愛娘の進言を受けて初めて目を向けた、という程度だ。
 出兵したい時に、使える兵士がそれなりの数、居ればいいし、居て当然。
 王族の兵士観など、その程度のモノなのだ。

「だが内親王、アンタはヒルメス王子にはマジ惚れしてるんだろう?
 身分の上下に関わらず、惚れた相手が居るなら、何かしてやりたいと思うようになるのが人ってモンだが・・・ヒルメス王子に何か作ってやるって発想は無かったのか?
 目の事があって、ナイフを握れなかったっていうなら無理する事ぁないが。
 そこはむしろ、労わるのが男の甲斐性だろう。」

「それは・・・ナイフが握れない訳でもないのです・・・多分。
 物の形は、大概の物は触れば判ります。触れてはならぬ部分を教えられれば、ソコを避けて扱う事も出来ます。
 挑戦した事のない自分が情けないな、と思って・・・今ですら、手を叩いて侍女に命じて、あの御方の好物を他人に用意させて、それで自分で用意した気になる、なってしまえている自分が居る・・・。わたくし自身は、買い物ひとつした事がございませんのに。
 どうしましょう・・・改めて考えると、こんな何も出来ない女・・・国の再興どころか、ヒルメス様にすら見捨てられても仕方がないような気がして参りました・・・。」

「いや、まぁ、な。
 ひ弱な女が好み、って男も世の中には五万と居るし。」

 お前の事だと、クバードはメルレインに目配せした。
 寡黙な男はイリーナの落ち込む様に、案じるばかりで効果的な口説き文句が浮かばないらしい。頬を染めてチラチラと彼女を気にしている。
 イリーナの方は、彼に慰めてもらう気など皆無らしいが。
 だが待てよ、とクバードは考えを改めた。本当に本気で『ひ弱でお淑やか』なお姫様なら、遠路はるばるパルスに来たりしないだろう。港でクバードとメルレインが加わるまで、女官長以下、女しか居なかった一行である。
 土地勘がある訳でもなく、コレで何処に居るとも知れぬ男1人、探し出す気で居たのなら、ひ弱どころか相当に一途で芯が強く、行動力のある女性だとは言えまいか。

「・・・内親王。
 アンタがもし男で、ヒルメス王子じゃなく俺の姫殿下と、それも平和な時に何かの使節としてでも顔を合わせてたら。
 俺の姫殿下と、結構イイ雰囲気になってたかもな。」

「え? 何でございましょう急に・・・。」

「何となく、ティーツァに言い寄ってきた、他国の王子連中をツラを思い出してな。
 正直どれもロクなもんじゃなかったが、その中にもしアンタが居たら・・・、婚約くらいはイってたかもな、と思っただけだ。実際に嫁ぐかは別の話だが。」

「・・・何となく、クバード卿に阻止されていた気も致しますが。」

「あはは。否定はしない。」

 そう、否定は出来ない。フォルツァティーナを妻に迎えるには、父王アンドラゴラスの他に、クバード含めてあと13人。
 大将軍と万騎長たち全員の許可が必要だったのだ。



 開放的で明るい庭園に、弦楽の音が響いていた。
 カーラーンの琵琶(ウード)とフォルツァティーナの竪琴(ハープ)が、綺麗に絡み合い、高め合って、雲ひとつない青空に澄んだ音色を響かせる。
 曲の終わりも見事に一致した。

「流石です、姫殿下。」

「まだまだよ、カーラーンが合わせてくれてるの、判るもの。」

 御年8歳のフォルツァティーナは、己を未熟と笑いつつも楽しそうだった。紅の瞳が陽の光を受けて、オレンジ色にキラキラと輝いている。
 万騎長ともなれば、相応に音楽の素養を持つ者も多い。横笛が得意なシャプール然り、王にその歌声を褒められるマニューチュルフ然り。余人には知られていないが、カーラーンは琵琶を得手とし、仲間内でも惜しまずによく弾いてくれた。
 フォルツァティーナとの合奏は王も楽しみとする所だ。

「次は何をお弾きになりますか、ティーツァ様。」

 穏やかな春の日差しに包まれ、平和な庭園で、仕える姫と音楽を奏でる。
 苛烈な戦場で、高揚しながら武勲を立てるのとは、またひと味違う充足した時間。見守るサームとクバードにとっても至福と言って良い時間だった。
 ソレを壊したのは、侍女たちの悲鳴だ。

「お控えください、侯爵っ!!」

「姫殿下は、どなたともお会いには、きゃぁっ!」

「衛兵、衛兵は何をしているのっ!!」

 3人ともが一瞬で戦闘モードに切り替わる。
 カーラーンはスッと椅子から立つと、卓を回ってフォルツァティーナの側に寄った。左の前腕に座らせるようにして抱き上げる。右手は当然のように剣の柄だ。

「カーラーン・・・。」

「失礼、姫殿下。色々な意味で厄介な相手ですので。」

 日頃は礼節に厳しいタイプのカーラーンが、主筋の体に触れる事自体が珍しい。サームとクバードの両名は、カーラーンの両脇を固めるように控え、その手はやはり剣の柄に触れている。3人とも厳しく鋭い、戦士の表情だ。
 フォルツァティーナは不安な表情をギュッと目を瞑って押し隠すと、次に紅眼を開いた時にはもう凛として冷静な、王女のカオをしていた。3人の勇士が護るのは、無礼者を見もしない内から恐れる惰弱な令嬢ではなく、知性と風格を備えた武王の娘。そう、3人に誇りを与える為だ。
 これもまた、彼女の慈愛のひとつの形。13人の勇士が崇敬する王女。

「来るぞ、クバード卿。」

「えぇ、サーム卿。変態がね。」

 クバードが嘲笑するのには、ちゃんと訳がある。
 数日前からさる小国の使節が王宮に滞在しているのだ。正使として率いているのは、国で侯爵の地位にあるという冴えない中年なのだが・・・
 まぁぶっちゃけ、幼女好きのロリコンである。
 聡明とはいえ幼い愛娘を、王は当然、引見に同席させはしなかったのだが。それを逆手に取って、侯爵は仕事そっちのけでラブコールを送って来るのだ。最初は『国に帰る前に一目ご挨拶を』から始まって、軽い冗句、サラッとした求愛、今では重度のセクハラや、恐喝としか思えないような異常な手紙が届くようになっていた。
 50に手が届こうかという中年が、僅か8歳の幼女に、である。
 13重のセコムが発動しない筈がない。現在王都に居る万騎長、副官あるいは万騎長付き騎士見習いでルーチンを組んで、常に3人以上がフォルツァティーナの傍に詰める事。ソレは王の命令ではなく、自然発生のセイフティーだった。所謂『人徳』というヤツだ。
 果たしてその判断は正解だった。

「おぉ・・・!! 聞きしに勝る美しさ!!
 やっとお会い出来ましたな、王女殿下♪」

「お言葉を賜る必要はございません、姫殿下。
 お目を閉じ給い、お耳も塞がれますように。」

 自己陶酔に浸り切った、訛りの強い濁り声。
 すかさず言い添えたカーラーンの言葉にイチもニもなく頷くと、幼いフォルツァティーナは細腕で耳を閉じ、ギュッと目を瞑って今度は開けなかった。彼の胸に額を押し付けるようにして身を寄せる。
 怖い。本能的に。
 ほんの数秒だけサーム・クバードの背中越しに見えた、でっぷりと太った、男の影。その影から送られてきた、ベタベタと眼球で舐め回すような好色な視線。
 不快、などという軽いレベルではない。

「我らが姫殿下は、貴公の謁見をお許しにはなっておられません。
 不敬も度が過ぎましょう。下がられよ。」

 サームが強く諫言する声が聞こえる。思慮深く穏やかな人望家が、こんな声を出すのも珍しい。自分はちゃんと守られている。万騎長たちが護ってくれている。フォルツァティーナはそう言い聞かせ、彼の声にだけ集中する事にした。
 変態の声は意識して排除する。

「王はそのような事、仰せではございません。貴公の一方的な思い込みでござろう。・・・いいえ、有り得ぬ事。王もお許しになりますまい。・・・姫殿下は御年8つであらせられます。我がパルスでお過ごしになるのが最良の、・・・っ!
 控えられよっ! 我らが姫殿下の稀なる御身を、財貨で購おうと申されるか!!!」

「口の利き方に気を付けろよ、クソジジイ。嵩に着てるその地位ごと、斬り捨てたって構わないんだぜ?
 パルスと戦争すっか? あぁん?」

 クバードが抜剣する音が聞こえる。およそ躊躇いというモノが感じられない音だ。彼なら武の心得も無い変態ひとり、一刀の許に斬り捨てるだろう。
 使節を斬れば、それは宣戦布告と同義だ。ソレがあるから他の万騎長たちも、これまで剣での解決は控えてきた。護衛という防御姿勢に徹してきた、筈だ。
 止めなくて良いのか。
 迷いの生じた少女の心を、見透かしたカーラーンの右手が、少女の後頭を軽く押さえる。
彼に抱き締められたのは、この時が初めてだった。

「お止めになる必要はございません、姫殿下。
 姫殿下を下郎に投げ渡すくらいなら、戦を選ぶ。これは大将軍以下、軍幹部の総意。同時に国王陛下のご内意でもあります。」

「ちちうえ、の・・・。」

「御意。お父君は、国益にもまして、姫殿下の御身を案じておいでです。」

「このような者が侯爵の地位にある国に、我らが負ける道理が無い。」

「戦の時には、先陣は俺に下さい。カーラーン卿。」

「進言しておく。」

 サームの苦々しい声。クバードのやさぐれて酷薄な声。カーラーンの冷静な声。
 それらの声に、『下郎』が何と答えたのは聞こえなかった。聞かなかった。
 戦では万騎長たち全員参加で、皆が先を争って首級を挙げたお蔭で、超のつく早期に決着がついた。パルス戦史上屈指のスピード記録だ。
 この国が、後のパルスを更に豊かにした場所。今で言う『カファークルス地方』である。



「国を傾ける美女、というのはよく聞くが・・・。
 国を豊かにする美女、幼女? というのは、あまり聞かない、な。」

「そうだろうとも。」

 メルレインの率直な感想に、クバードは口の端を上げた。あの戦争は楽しかった。
 勝ちが見えていたからではない。『今この瞬間、この剣の一振り一振りが、全て姫殿下の御為になっている』。その充足を、戦場に在った万騎長たち全員が感じていた筈だ。
 そんな戦は珍しいし、そんな充足感を与えてくれる姫君も、そうは居ない。

「だが、皮肉じゃないか。
 『だからこそ』、母親にだけは愛されなかった、とも言えるんだ、ティーツァは。」

「・・・・・・。」

 話の途中で睡魔に勝てず、眠り込んでしまったイリーナの穏やかな寝顔を眺める。
 焚き火越しに彼女を見守る隻眼の万騎長は、この時、確かにイリーナにフォルツァティーナを重ねていた。少なくともメルレインの目には、そう見えた。
 イリーナの母は、確かに娘を愛したのだろう。亡国の淵にあって、なお生を願う程に。

「不思議なくらい、正反対だった。タハミーネ王妃と、フォルツァティーナ姫殿下は。血が繋がってるってハナシが、何かの仕込みなんじゃないかってくらいにな。
 髪色も瞳色も、声も話し方も、顔立ちだって、正直似てるようには見えなかった。2人共傾国の美女、って点は同じだが、『美』の種類がな。
 王妃は『陰ある妖艶』、姫殿下は『陽光の溌剌』。月と太陽だ。
 アンドラゴラス王は『月』に魅入られたが、俺たち万騎長は『太陽』の方が好きだった。」

 王がどれだけ広壮で、いかに豪華な庭園を造って王妃に与えても、タハミーネは表情を変えなかった。枝葉の濃く生い茂る、鬱蒼とした森のような庭を好み、そこに四阿を点在させて、そこで侍女も最小限に、孤独に時を過ごしていた。
 まるで人生という時間そのものを嫌い、身を潜めてやり過ごすかのように。
 クバードは庭園が造られた理由も嫌いだったが、何より『月の庭園』に常に漂っていた、あの鬱屈した緊張感・・・厭世感。アレが何より嫌だったのだ。アレはそのまま王妃の感情だったのだろうと思う。
 王は公平さを鑑みたのだろう、フォルツァティーナにも庭園を与えた。彼女とクバードがよく遊んだのはこちらの方だ。
 王妃のソレに比べれば、小さく、ありふれた草木の多い庭園だった。
 彼女が望んだ通りの。

「庭園というか、サンテラスだったな、アレは。王宮でも珍しい噴水があって、噴き上がる水が明るい光にキラキラと反射して、虹を作って。そりゃぁ綺麗だったんだ。
 夏の盛りなんか、水遊びにもってこいだった。頭から冷たい水に突っ込むんだ。」

 およそ、人の絶えた事のない庭園だった。彼女の人望を映すかのように。
 クバードたち武官だけではない、文官たちも。会議帰り、政務の息抜き、出張帰りの挨拶エトセトラ。何がしかの理由を付けて顔を見に来ていた。
 彼女の、美貌というより笑顔が見たかったのだ、皆。



 春先の強い風に、色鮮やかな房飾りが揺れていた。
 艶のある銀髪に、帽子に施された精緻な刺繍がよく映えている。11歳の少女がクルクルと身を翻してみせると、糸を縫い重ねて重い裾の代わりに、縫い付けられた色とりどりの組紐がフワリと舞い踊った。

「父上、父上♪
 ご覧下さいな、クルプが縫ってくれました♪♪」

「うむ。似合っておる。」

 11歳の少女を褒めるのなら、もっと他に言い様がある気がするが。常からあまり人を褒めるという事をしない武王は、しかしいつも愛娘の息災を穏やかな表情で眺めていた。常に辺りを哨戒しているかのような、鋭い目付きの武王が。
 フォルツァティーナにも父王の慈愛は伝わっていて、少女は紅の瞳を細めて微笑んだ。
 着ているのはパルスではなく、他国の民族衣装。ドレープと房飾り、それに刺繍を特徴に持つその服の国の、使節の来国が数日後に迫っていた。
 その使節には、フォルツァティーナと同年代の皇女が伴われているのだ。

「カサンドラ皇女殿下にも、このお衣裳、お見せしますね、父上。
 あの姫、以前お会いした時にあからさまに見下してきたんですもの。『兵士が強いだけの、物資の中継国』ですって。『剣を振り回すばかりで教養が無い』って。」

「我がパルスは大国。故の妬み僻みは途絶える事を知らぬ。
 いちいち根に持っていては、身が保たぬわ。」

「それでも聞き逃せぬ事はありますわ、父上。
 縫い目のひと針から刺繍の端、飾り物に至るまで全部クルプが整えてくれたこのお衣裳を着て、『ウチの万騎長は文武両道』って自慢しなくては。気が済みませぬ。」

「・・・好きに致せ。臣下の名誉を気にかけるのは、悪い事ではあるまい。」

「はい、父上っ♪」

 帽子を取った頭を、父王の大きくゴツゴツした掌が撫でていく。敬愛してやまない父王の膝に乗せてもらったフォルツァティーナは、それだけでもうご満悦の表情だ。
 父子で過ごす、のんびりした午後のひと時。
 日常の一コマ。
 見守るクバードとシャプールは、喧嘩も忘れてこの眼福で目を肥やしていた。キシュワードなど、既にして目がハートマークになっている。
 だが、今、この場で。1人だけ、機嫌を損ねているヒトが居た。

「恥ずかしい事・・・。」

「母上。」

「臣下の手縫いなど。針子ならば、宮廷に専属の者が居るものを。
 それに何です、そのデザインは。醜い傷痕が丸見えではありませんか。」

「そのお針子に『見た事のない服など縫えない』って断られたから、クルプが気を利かせて縫ってくれたのです、母上。
 彼はかの国での駐屯期間が長くて、文物にも明るいから。刺繍に込められた意味のひとつひとつまで、詳しく教えてくれました。
 それにこの民族衣装は、このデザインが基本なんです。袖に布を増やしたりしたら、違うモノになってしまいますわ。」

 懸命に言い募るフォルツァティーナの言葉を受けても、タハミーネの柳眉はまだ晴れなかった。二の腕部分に大きくスリットが入ったゆったりしたデザインが、相当、気に入らないらしい。
 より正確には娘の、左の二の腕外側に縦に走る、裂傷跡。開放骨折(骨が肉を突き破って外に飛び出している、見た目にも痛い方の骨折)の、赤黒い傷痕だ。
 慎み云々とか、そういう問題ではない。
 王妃は自分自身の為に、『醜悪な傷痕を持った娘の母親』になりたくないだけだ。少なくともクバードの目には、そうとしか映らなかった。

「上着を着るか、他の服になさい。晴れ着など幾らでも持っているでしょう。」

「暑いから上着はイヤ。他の服もイヤ。この服でないと意味がありません。
 ねぇ父上、宜しいでしょう?」

「許す。好きに致せ。」

「はい、父上っ♪」

 母親との水掛け論を早々に放棄して、絶対権力者である父親に許しを請う娘。彼女には、周りの万騎長たちにも判っていた。この父王ならば許すと。
 愛娘に『傷痕を恥じる勿れ』と教えたのは、他ならぬ父王なのだ。

「陛下っ。」

「母上ったら、こんな時ばっかり声をお乱しになって、おかしいわ。
 私がどんなドレスを着ていようが、関係ありませんでしょう? 今までロクに公務にお出になった事がございませんのに。代理で済ませられる所は片っ端から私にお任せになるばかりで、使節の引見などなさった事がない。
 父上のお役に立てるのは私も嬉しいし、色々な方とお会いして世界を広げるのは楽しいです。ですので公務を代行する事自体は、私は別に構いませんけれど・・・。
 今回も『姫殿下はお出になりますよね? ね?』って、大臣が切羽詰まったカオで確認に参りました。
 ああいう場は娘より妻がホステス(迎え役)を務めるのが常識なのに・・・。頼り甲斐の無い妻を持った父上と、言い訳させられる臣下たちがお気の毒。『王妃様は体調がお健やかならず。』って、前回と同じ国に同じ言い訳させられる気分がお判りになって?
 お人嫌いも結構ですが、度が過ぎては妃としての品位を失いましょう。ご自重なされますように。」

「・・・・・・。」

 淡白な瞳に、滔々とした口上。
 フォルツァティーナに諫言されたタハミーネは、言い返せずに美しい口許を歪めた。そんな不快気な表情すら美しいから不思議だ。まぁ、クバードの目には不健康な美としか映らず、フォルツァティーナの健全さの方が億倍好きだったが。

「口が過ぎる、フォルツァティーナ。」

「父上ったら、またそのような甘いお言葉。他の者たちも言える立場にございませんし、娘の私が言わずして、誰が苦言を呈しますか。」

「・・・使節の中には、兄皇子も居る。
 前に来た時から、はっきりとお前を妻にと公言していたが。アレはダメだ、根性が無い。教養はともかく、武芸では一兵卒にも劣る有り様よ。さりとて政治家として大成するようにも見えず、四男では皇太子の座も遠かろう。
 お前を娶るならば、自力で一国を獲れるほどの男でなくてはな。
 アレには近付き過ぎないように。この父に、お前を政略結婚に使う気はない。」

「はい、父上♪」

 常に王妃に甘い武王は、しかし一言以上、娘を窘める気は無いらしい。すぐに他の事に話を変えてしまった。
 他の者がフォルツァティーナと同じ事を言ったら、速攻その場で手打ちである。

「なんだったら、いつぞやと同じように斬り捨てても構わんぞ。
 お前は先日の狩りで、獅子狩人(シールギール)の称号を得たばかりであろう。その名が飾りでない所を見せてやれ。」

「ならば父上、使節の滞在中に、狩りを一席設けて下さいませ。
 大物を仕留めて御覧に入れますわ。この季節なら獲物には事欠きませんでしょう。」

「それは良い。
 軟弱な皇子めは胆を潰して、お前を嫁に出せなどと言う口を噤むだろう。」

「はい、父上♪
 妹皇女の方にも、父上の娘が文武両道という所を見せて差し上げます♪」

 明るく楽しそうに笑いながら、恐れげもなく父なる武王の首に抱きつく銀髪の王女。結わない長髪が風に靡くのを押さえ、撫でつけながら、父王の表情も穏やかなものだ。
 思えば、フォルツァティーナと過ごす時だけだった気がする。
 アンドラゴラスの顔から険が消えるのは。

「国王陛下。」

「うむ。父は仕事に戻るが、お前はどうする、娘よ。」

 大臣付きの侍従が呼びに来る。それが、茶会終了の合図だった。
 愛娘を膝から降ろした父王は、だがあっさり手放すでもなく今後の行動を気に掛けている証拠に問い掛けた。
 何気ない会話に聞こえるが、常に暗殺の危険に晒されている王族の事だ。常から所在を確かめておく事は、安全の為に必要な事。父王が気に掛けているという事実だけでも、誘拐や事件防止の抑止力となる。
 ともすれば無責任ともなりがちな程、甘いのはタハミーネに対してでも。より心を砕いて気にかけ、良い意味で管理しているのは、フォルツァティーナに対して。万騎長たちには、間違いなくそう映っていた。

「アルスラーンがカーラーンから、宮廷マナーを教えてもらっているのです、父上。だから2人にお菓子を持って行ってあげようと思って。」

「そうか。」

「あのね、父上、アルスラーン、凄く頑張ってるんです。努力家で、優しくて、環境の変化にも馴染もうとして、たくさんお勉強してるの。王宮を空けていた6年を取り戻そうとして、一生懸命で。物覚えが良いと、カーラーンも褒めておりました。」

「そうか。」

「父上、ヴァフリーズも感心して、」

「アレの事は、お前に任す。適当にさせておけ。」

「・・・はい・・・。」

 つい最近、王宮に呼び戻したばかりの6歳の息子に対して、アンドラゴラスは常に『武王』だった。『父王』の顔など一度も見せない。愛娘の口を通してすら、何の関心も示さないのだから徹底している。
 早々に背を向けて退出していた『母親』は尚の事、アテにすべくもない。

「守ってあげなきゃ、私が、あの子を。」

「姫殿下・・・あまり、ご無理はなされませんように。」

「シャプール。年の離れた兄弟が居るのなら、判るでしょう、この保護者意識。
 王も王妃も背を向けたとなれば、あの子は早晩、王宮内で孤立する事になる。外に出る事も侭ならない密閉空間、密室社会で。
 姉ひとりくらい、母親になるくらいの覚悟で味方になってあげなきゃ。あの子、下手したら死んでしまうかも知れないわ。逃げ場のない場所での孤立って怖いんだから。」

 キシュワードを伴って弟の許に向かう、小さな姫の背中を見守る万騎長たちの視線は、案じるが故に厳しかった。
 彼女はつい最近手許に『戻って来た』ばかりの、あの5歳違いの弟が可愛くて仕方がないのだ。下手をすると、剣を取って背なに庇いかねない程に。

「・・・クバード。ティーツァ様が無条件で耳を傾けて下さるのは、父王陛下の他にはお前の言葉だけだ。腹立たしいが。
 必要に応じて諫言申し上げろ。」

「当然だ、シャプール。
 弟殿下の犠牲になるような事はさせねぇよ。」

 後年ではまた違ってくるが、この時点ではまだまだ、彼らの『別格』は姉姫殿下。フォルツァティーナであって、急に出てきた弟殿下ではない。いずれ王太子として冊立されるのが彼だとしても、そんな事で優先順位を変える彼らではなかった。
 救いは『家族』内で唯一手を差し伸べてくれる姉の事を、弟も頼みに思ってベッタベタに懐いている事だろうか。今はまだ万騎長たちの前で、緊張して俯いている事の方が多い幼い少年は、姉の前でだけは自然な笑顔を見せるのだ。父王に愛される異父姉に嫉妬する気配もなく、二言目には『あねうえ、あねうえ♪』である。
 故にクバードは安堵した。ダリューンが、キシュワードがフォルツァティーナに一目惚れしたのと同じように、アルスラーンに一目して惚れ込んだ時に。
 あのハイスペック黒衣に任せておけば、フォルツァティーナの負担が限りなく減ると。
 そういう方向で、安心したのだ。



「王太子より姫優先とは・・・。
 クバード、お前、筋金入りの女好きだったんだな。」

「何でだよ、ねぇよっ!
 12歳違うんだぞっ?! 更に言や俺はキシュワードと違って家柄もねぇ、ダリューンと違って身内が高位ってんでもねぇ。流民同然の身上から、剣の腕を見込まれただけの傭兵上がりだ。
 『身分違い』って単語が、身に染み渡る気持ちがお前に判るかっ、メルレインっ!」

「そこまで具体的に詰めている時点で、半ば告白してるようなモノだと思うが・・・。
 『破天荒』云々って性格が好みドストライクで、見た目も絶世な美人が、自分より目上だった事を不運と嘆くべきか。それとも幼い時分に巡り合って、結果的に『若紫計画』になってしまった事を嘆くべきか。
 迷う所だな。」

「何故『嘆き節』一択っ?!
 言っとくが、ティーツァと出会って惚れ込んでからこっち、後悔した事なんて一度もねぇんだからな? 年の離れた妹か、年の近い娘みたいなモンだよ、俺にとっては。
 ただし、俺の姫殿下を抱く野郎は、俺よりイイ男でないと認めない。」

「ほほぅ、そうすると『姫殿下』をオカズにした事も、一度も無いと?」

「いや、ソコこそむしろ、ティーツァ一択だろ。」

「・・・・・。」

「待てメルレイン、そんな目で俺を見るなっ!!」

 焚き火の炎が爆ぜる。
 その晩はそのまま、東の空が白むまで。初めはあんなに渋っていたとは思えない程に嬉々として、クバードはメルレインに『俺の姫殿下』との思い出話を語り続けた。



 夜の庭園でぼんやりしていたフォルツァティーナは、来訪者の気配に顔を上げた。
 両腕投げ出して卓の上に顔を伏せていたのを、ゆっくりと背筋を伸ばして頬杖をつく。
 凪ぎ、澄んだ瞳だった。

「珍しいのね、『銀仮面卿』。お1人?」

「・・・王弟はどうした。」

「会議中。流石に私が同席する訳にはいかないわ。」

「・・・・・・。」

 ふん、と息をつくヒルメスに、フォルツァティーナも何も言わない。
 噴水の水音が静かに、眠る植物たちの間を響いている。

「・・・忘れないでいてあげてね。」

「?」

「あなたにとっては、偽朝(ぎちょう。偽王の朝廷。)だったのでしょうけれど、ね・・・その偽朝に、命を懸けた人間も居たって事。
 彼らの誇りや忠誠までもがニセモノだった訳ではないの。
 ちゃんとココに居たの。ココに、居たのよ、皆。」

「・・・・・覚えておこう。」

 たった一言の、ヒルメスの返答。その言葉に、フォルツァティーナが瞠目する。すぐに涙がせり上がって来るのを、流れ落ちる前に誇り高い王女は顔を伏せた。
 俯き、顔を覆って声を殺して泣く彼女に、仮面の王子は己がマントを着せかける。
 今日はアトロパテネで死んだ者たちの、月命日だ。

「・・・サームが心配している。」

「っ、」

 ココに、居た。
 シャプールが、ハイルが、マニューチュルフが。死んでしまった者たちが。
 サームが、カーラーンが、キシュワードが、クバードが。道をたがえてしまった者たちが。
 父が居て、弟が居た。
 彼女が愛した者たち全てが、この庭園で一度は笑っていた。
 ココに、生きていたのだ。

「・・・・・・。」

 ほんの一時だけだったが義兄であった男が、道の交わらなかった義妹だった女を見る瞳に、憎悪は無い・・・全て過去形だった故、だろうか。
 もしかしたら、彼も彼らに交じって、この庭園で笑っていたかも知れない。
 そんな未来が、有り得たかも知れない。
 流星がひとつ、夜空を下った。



                      ―FIN―

アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~法螺吹きの捧げる叙情歌~

アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~法螺吹きの捧げる叙情歌~

仄かに、クバード→フォルツァティーナ風味。元・護衛騎士で、万騎長内の『姫殿下』の保護者でもあった法螺吹き氏が語る、過去話。彼女中心に王や王妃、他の万騎長など。時間軸は王太子殿下たちとの合流前、原作で、メルレインと共に、イリーナ姫を護衛していた頃の話です。クバードさん的には、郷愁と、保護者的な愛情と、『男』としての愛情が混ざったような気分、といった所でしょうか。最後に少しだけ、『今』のフォルツァティーナとヒルメス殿下が話してます。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-13

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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