騎士物語 第三話 ~夏休み~
第一章 お祝い
兄弟や姉妹がいるってのはどういう感じなんだろうか。
小さい頃、家に帰ると一人遊びしかできない一人っ子にとっちゃいつも傍らにいる遊び相手ってのは嬉しい限りだ。実際、私もそんな他人を見て羨ましく思っていた。
大人になっても、一切の気兼ねなく互いをブーブー言い合いながらも「友情」や「愛情」ってのとは種類の違う絆でつながってる光景を見ると、やっぱりいいなぁと思う。
だが同時に、そんな相手を失った者は――これまた種類の違う落ち込み方というか……ちょっと違う感じになる。友達や恋人は……言ってしまえば新しいモノを作れる。だが兄弟や姉妹ってのは替えが無い。加えて自分と歳が近いって事で、人によっちゃ両親よりも失った時のショックが大きい場合もある。
ちょっと前に戦闘の指導をしてやったとある上級騎士も、どうやらそういう類だったらしい。他の国は知らないが、少なくとも私が住んでるこの国じゃ間違いなく史上最年少のその上級騎士は、記憶によると表情豊かじゃなかったその顔をニッコリと崩しながらその過去を語った。
当時、彼女は八歳だった。この国の隅っこにある小さな村で、父親と母親、そして一つ上の兄と一緒に暮らしていた。
これと言った特産もない質素な村、生徒の数が少ない小さな学校、どうしても首都と比べちまう私だが、彼女にとってそこは幸せがあふれる場所だった。
大きな街に思いをはせ、いつかこの村を出ていくと言っていた子供もいたらしいが、彼女はそうじゃなかった。何故なら彼女には大好きな兄がいたからだ。
すごくケンカが強いとか、すごく頭がいいとか、そんな特別な何かは全然無い、村の男の子Aみたいな普通の兄だったが――人間関係ってのの大半が損得だけで決まらない、フィーリングの世界って事もあるわけで――一緒にいるといつも楽しくて、幸せで、笑顔にしかならない……彼女にとって彼は最高の兄だった。
兄がいればどこでだって幸せ。そこに父親と母親がいればこれ以上、何があるというのか。彼女にとってはその家族こそが全てだった。
そして彼女は、そんな家族と死別した。
ある夜の事だった。何もない村なのだからそこを狙ったのは連中の気まぐれなんだろう、突然盗賊と呼ばれる集団がやってきた。
何かを要求するでもなく、ただただ村を蹂躙していくそいつらから子供たちだけでも守ろうと、彼女の両親は彼女ら兄妹を床下の物置に押し込めた。
耳を塞いでも聞こえてくる下品な笑い声と知っている人の悲鳴。そこに混じる両親の最後の声。連中が満足して村から出て行った後、物置から出た二人には何もなかった。
色々なモノが壊された家の中、血まみれの両親にすがりつきながら泣く兄妹。もしもこの夜がそこで終わっていたなら、二人は両親と村の人たちのお墓を作り、そして兄妹で力を合わせて生きていくという道を辿っただろう。
しかし夜は終わらなかった。枯れない涙を流し続ける二人の耳に、森に入る時は気を付けなさいと言われていた生き物――野生の獣の遠吠えが響いたのだ。
村に充満している血の香りに誘われて獣がやってくる。二人は急いで家から出た。
兄も彼女も、両親を残していく事に一種の罪悪感を覚えていたが、それ以上に迫る危険から逃げる事に必死だった。
だが、両親の血がついた服を着ている二人を獣らは見逃さなかった。月だけが光源として存在する広い草原で、二人は背後に迫る奴らの気配を感じた。
子供の脚が獣の脚に敵うわけはない。それを理解したからか、彼女の兄は彼女に背を向け、獣らの方を向いた。木の枝を手にし、彼女の兄は――彼女に逃げろと言った。
子供とはいえ、そこで兄を残して行くことがどういう結果になるかは理解できた。彼女は泣きながら兄にしがみついたが、今まで見た事のないこわい顔と怒鳴り声で叫ぶ兄に押され、彼女は泣きながら走り出した。
どれほど走ったのか。子供の脚なのだから、大した距離ではないのだろうが……彼女にとっては果てしない距離のように思えた。
ふと、前方に誰かが見えた。馬に乗ったその人物は彼女を見ると馬から降り、彼女のもとへ駆けてきた。
その人物は自分を騎士と言った。以前、村を魔法生物の侵攻から守ってくれた人たちもそう名乗っていたのを思い出し、彼女は助けを求めた。
兄を――助けて欲しいと。
彼女の話を聞いた騎士は彼女を抱きかかえ、そして彼女が走って来た方へ馬を走らせた。
五分とかからない内にあの草原に辿り着いた騎士だったが、そこには誰も――何もなかった。あるのは草原の一か所を色づける血の色。それを見た彼女はそれ以上考える事ができなくなり、騎士の腕の中で気を失った。
後日、国王軍だったその騎士の要請で数名の騎士が村に出向いた。荒らされた家屋、何もいなくなった家畜小屋、掘り返された畑――そして、村中に横たわる村人の遺体。出向いた騎士ら全員が怒りと悲しみを覚えて歯を食いしばったという。
村人の墓をたてる上で、遺体の数と村人の数が合わない事に気づいた騎士たちは付近を捜索し、そして森の中へと続く血の跡を見つけた。彼女の話の通り、盗賊が去った後に野生の獣がやってきて――いくつかの遺体を持ち帰ったのだ。
草原に残っていた血が誰の血なのかという事はわからないが、少なくとも人間のモノである事がわかり、加えて遺体を持ち帰っているという現状から――騎士たちは、彼女の兄の結末を考えてやりきれなさを感じた。
確率はほとんどゼロではあるが、彼女のために騎士は草原付近の獣の巣を片っ端からあたり、彼女の兄を捜索したが……結局、彼女の兄がすでに死に、その遺体も食べられてしまったという結論を強めるだけだった。
たった一晩で全てを失った彼女。そして――すぐ近くにいたにも関わらずそれを防げなかった事に責任を感じた騎士。騎士は彼女をひきとる事にした。
しかし、八歳という年齢で全てを失った彼女は一日中ふさぎ込み、子供を育てた事もないその騎士は困り果てていた。私からすれば随分と間違った事――例えば、家族の死を受け入れて前を見なければとか、逃がしてくれた兄の為にも精一杯生きなければとか、その騎士は……きっと正しいのだろうが、それでも傷ついた彼女には酷な事を言ってしまったという。
そして――今でこそ結果オーライだからいいものの、その騎士は最大の間違いをしてしまう。
死んだ者を甦らせる魔法の存在を、彼女に教えてしまったのだ。
第五系統、土の魔法の一つ……『死者蘇生』。文字通り、死者を生者に戻す魔法だ。
こういう類の魔法は禁術だとか、とんでもない代償を必要とするとかいうのがありがちだが、生憎この魔法はそうじゃない。別に使っても罪には問われないが――強いて言えば……「できるものならやってみろ」という類の魔法だ。
というのも、この魔法にはいくつかクリアしなければならない条件がある。
一つ目。これは第五系統の中で最高難易度を誇る魔法――故に第五系統の土を得意な系統とする者でなければ使えない。その上で、並々ならない修行を積んでやっとできるレベルの魔法だ。
二つ目。甦らせる者は術者の血縁でなければならず、三代以上離れると効果が無い。つまり、この魔法を使えるようになったとしても、蘇らせる事が出来るのは自分の両親か子供。もしくは兄弟姉妹だけなのだ。
三つ目。術者は甦らせる者の所持品を捧げなければならない。この所持品というのはつまり故人の愛用品なのだが――要求される「愛用」のレベルがかなり高い。故人がそれを手にしてから毎日触れ、それを使っていた事。だがだからといって食器とか、必要だから使うようなモノではなく、例えばお気に入りのお人形とかそういうモノが求められる。
生き返って欲しい相手――家族がいる人間がいたとして、この魔法を使おうと思っても、まず一つ目をクリアするのが難しい。得意な系統であり、かつ十二騎士クラスの使い手になる必要があるからだ。そして意外と難しいのが愛用品で、具体的にどれくらいの愛用品なら成功するとか失敗するとかがハッキリしないから、これだと思って捧げたモノでは「愛用」度が不足で失敗――なんて話はよくある。
失敗を想定して故人の遺品を全て保管し、第五系統を得意な系統とし、その上で世界最強に到達できるほどの才能と努力を必要とする魔法……歴史上、成功した人間は片手で数えられる程度しかいないという。
だが彼女にとって、この魔法の存在は生きる希望となった。
大好きな兄を想い、ボロボロになった家から兄の持ち物を片っ端から回収して部屋に並べていた彼女は、既に三つ目をクリアしていたと言っていい。
そして騎士に頼んで調べてもらったところ、彼女の得意な系統は第五系統と出た。あとは彼女自身が魔法の腕を上げて『死者蘇生』を行えるようになればいい。
それからの彼女は、周りから見ると異常そのものだった。
朝から晩まで魔法の専門書を読みふけり、たまに外に出てきたかと思えば倒れるまで魔法の練習をし、起き上がったと思えばまた倒れるまで練習する。ふと一日中眠っているかと思うと信じられない量の食事をして再び部屋にこもる。
ひきとった騎士は、彼女に普通の生活をして欲しいと思っていたが……彼女の心の内を知っているため、それを止めることができなかった。
そんな生活を数年続けたかと思うと、彼女は騎士に体術を教えて欲しいと言った。理由を聞くと、魔法の上達には実戦が一番だと悟り、その為に国王軍に入るのだという。
一日中部屋にこもるよりは身体を動かしてくれた方がいいし、国王軍に入って多くの人間と触れ合えば――また何か変わるかもしれない。正直なところ、人を育てる事に関しちゃ全くの役立たずな騎士はそんな風に思い、彼女の望みを叶えていった。
そして今から二年前。十三歳という若さにも関わらず、実力を認められて国王軍に入った彼女は、半年で中級騎士となり、そこから一年で上級騎士になってしまった。
現在十五歳。史上最年少の上級騎士として有名になった彼女は、相変わらず危険な任務をすすんで引き受けながら実力を着々と上げ、これは史上最年少の十二騎士が誕生するんじゃないかと言われていた今日この頃、首都が侵攻されるという事件が起きた。
彼女としては私と同じ最前線で戦闘に参加したかっただろうが、王宮の警護という任務を受けてしぶしぶ城内で待機していたところ、『滅国のドラグーン』っつー強敵を前にワイバーンの侵入を許してしまった私らの代わりに生徒たちが守る街へ出撃した彼女は、一人の男の子に出会った。
「あー……うん、他の部隊からの連絡が入った。無事に倒したってさ。」
彼女が受け持ったワイバーンの足止めをしてくれた二人の学生。その内の女の子の方としゃべっていると、男の子の方がそう言いながら近づいてきた。
その瞬間、彼女の全身に衝撃が走った。最後に見た時から七年経ってはいるが、その顔や雰囲気というものを彼女が見間違えるわけはなかった。
「……とりあえず髪が爆発してるわよ、ロイド。」
女の子が男の子の名前を呼んだ。それは彼女の兄の名前だった。
「どわっ!?」
なんと表現すればいいのかわからない感情に飲み込まれ、彼女は男の子に抱き付いた。七年ぶりに感じるこの匂いは、大好きな兄のモノだった。
「えぇっ!? あ、あの、どどど、どうしたんですか!?」
慌てふためく兄の声を聞き、彼女はすっと顔をあげた。そしてきっと、彼女が感じた衝撃を男の子も感じたのだろう。彼女の顔を見た瞬間に表情が固まった。
「……!? え? ……パム?」
これで百パーセント間違いない。彼女の兄と同じ顔、雰囲気の男の子が兄と同じ名前で――彼女の名前を呼んだのだから。
こうして、互いに死に別れたと思っていた兄妹は再会したのだった。
「――と、いうことなんだと。」
口調はいつもの野暮ったい感じだけどちょっと涙ぐんでる先生は、まるで感動的な小説を読み終わった後みたいなすっきりした顔でふーと息をはいた。
「ちなみに、あいつを引き取った騎士ってのがウィステリアっつー頼りなさそうなおっさんでなぁ……それで一応、パム・ウィステリアってなってたんだな。養女とは聞いてたが……そうかそうか、サードニクスのなぁ。」
首都防衛戦の次の日。学校とかも全部お休みになって、代わりにところどころ壊れたりした街の修復をするって事になった今日、ロイド以外の『ビックリ箱騎士団』は学院の職員室で先生の話を聞いてた。
「……ワイバーンを殴り飛ばした二人のもとに駆けつけてみたらロイドくんが女性に抱き付かれていていたからな……驚いたものだが……そうか、妹さんだったのだな。」
やれやれっていう顔でため息をつくローゼル。
「で、でもすごいんだね……あ、あたしたちより一つ下なのにもう上級騎士なんて……」
純粋に「すごいなー」って顔をしてるティアナ。
「それだけ尋常じゃない努力をしたってことだね。ロイくんを生き返らせる為にさ……」
いい話だねって風だけど、なんか企んでるみたいな顔のリリー。
三人とも結構普通な顔だけど、あたしはそうはなれなかった。だって昨日――
「む? どうしたんだエリルくん。いつもの三割増しくらいでムスっとしているが……」
「なによ三割増しって……昨日あのあと、あの――パム? がそのまま部屋に来たのよ。それで……その……」
あたしが昨日の事を思い出してると、ローゼルがだんだんと深刻な顔になっていく。
「な、なにがあったのだ……?」
「……あの子、ロイドと一緒に寝たのよ……」
「んな!?」
ローゼルを含んで三人の眼が丸くなる。
「そ、それってお、同じお、お布団でって……意味……?」
「そうよ……」
「ななななんだそれは!」
「ロイくんの布団……」
三人がわらわらする横で、先生は眼鏡を外して涙をふく。
「七年ぶりの家族の再会だぞ? ふふ、それくらいはしてもいいんじゃないか? 話を聞く限り、二人は仲良し兄妹だったわけだしな。」
「いくら仲いい兄妹でも……や、やるかしら、あんなの……」
「ずっとそうだったからな。」
ふと気が付くと、いつの間にかロイドが職員室に入って来た。
「おお、サードニクス。ウィス――じゃないか。パムはどうした?」
「なんか国王軍の偉い人に呼ばれたとかなんとかで……」
「くっくっ、あいつ朝からお前にべったりだったもんな。感動の再会とはいえ、さすがに上級騎士としての仕事もあるからなぁ……んま、またすぐ会えるだろ。気を落とすなよ、サードニクス。」
「はぁ……」
「そ、それよりもロイドくん! ずっとそうだったというのはどういう事だ!?」
「いや、うちそんなに広くなかったから、オレとパムは一緒の布団で寝てたってだけで……」
「し、しかしもう互いにそこそこの年齢――……というかロイドくん、なんだか疲れているように見えるのだが……」
確かに、パムの方はロイドに会えてものすごいテンションだったけど、ロイドはずっとドギマギしてる感じね。
「なんだサードニクス。嬉しくないのか?」
「い、いえ、嬉しいですよ? ただ――」
と、ロイドは顔を赤くしてぼそぼそと……
「なんかえらい美人になってるから――昔みたいにくっつかれると正直ドキドキして……」
「ロイくんってば、まさか実の妹に……?」
リリーが大げさにドン引く。
「えぇ!? いやいや、そういう事では!」
「しょうがないんじゃないか? 七年っつったら結構な年数だ。兄妹が互いの性別を気にし出すのがいつなのかは知らないが……外見的には子供から大人になってっからな。「兄妹です」ってきっぱり割り切れないところだろ。」
「そ――そうなんですよ! パムだって事は確実で理解できるんですけど、オレの中のパムと今のパムの差があり過ぎててんてこ舞いなんですよ!」
なんかロイド、テンションが変だわ。それぐらいロイド本人も困惑してるってことかしら。
「んま、この私もあいつの豹変ぶりにはビックリしてるしな。」
「豹変? え、パムは昔から元気な子ですけど……」
「そうなのか? ウィステリア――あー、つまりパムといやあ、あの歳で上級騎士になった天才って事で有名だけど無表情で無愛想なもんだから誰も近づかない感じだったんだぞ?」
「ほう、エリルくんみたいだな。」
「あんたねぇ……」
「しかし……そうか。あの表情の裏には兄を甦らせるっつー目的があったわけか。そう思うとなんだか印象が変わ――」
「お兄ちゃん、ここにいた!」
ものすごい勢いでドアが開いて話題のパムが入って来た。そしてロイド以外にあたしたちがいることに気づくとゴホンゴホン言って姿勢を正す。
「兄さん、ここにいましたか。」
「パム? あれ、なんか呼ばれたとかなんとか言ってなかった?」
「別の騎士に押し付け――頼んできました。さぁ、兄さん。話す事が山のようにあるのですから、部屋に帰りましょう。なんなら自分の部屋でも構いませんし。」
「というかパム。なんだか昨日と、あと数秒前と口調が違うんだけど……」
「はて、なんのことでしょうか。」
さすが兄妹というか、すっとぼけた顔がそっくりなパムは国王軍の軍服に上級騎士の証の白いマントを羽織ってる、昨日と同じ格好だった。
ロイドと同じ黒い髪でロイドと同じくらいの長さだけど、くせ毛なのか左右にピョンピョンはねてる。背はやっぱりあたしより小さくて、軍服とかマントがただ背伸びして着てるだけにも見えそうなくらい。あのゴーレムを見てなかったら、きっとあたしは迷子の女の子かしら? とか思うと思う。
「おいおい、ウィステリア。私の中でお前のイメージが絶賛崩壊中なんだが――仕事をほっぽって来たのか?」
「いえ、他の騎士に任せてきたのです。」
「あんまかわんねーよ……」
いつもあたしたちと接する時とはちょっと違う――少しだけ厳しい感じの顔をパムに向ける先生。
「死んだと思ってた兄貴に会えたんだから嬉しいのはわかるが……お前には上級騎士っつー立場があって、サードニクスにも学院生っつー立場がある。七年の空白を埋めるのは結構だが、代わりに七年間の結果をダメにするのは違うだろ?」
「……」
すごく丁寧な口調だったから、ワイバーンを倒した時の第一印象的には真面目な人をイメージしたんだけど、先生に怒られるパムはなんだか可愛らしいふくれっ面だ。
「会うなとは言わないが――程度っつーか節度をほどほどにしろよ。それにほれ、あともうちょっとで学院は夏休みに入るし、防衛戦の事後処理が済めば下級、中級はともかく上級騎士にはそんなすぐに任務は来ないだろ。それからゆっくり話をすればいい……違うか?」
「……わかりました。一先ずは自分の仕事を片付けます……ですが一つだけ――確認を。」
ふとあたしの事を見るパム。
「エリル・クォーツ……あなたがどうして騎士の学校に――という事は正直どうでも良いのですが……なぜあなたとおに――兄さんが同室なのですか?」
「えぇ? エリルは昨日も部屋にいたのに……今更?」
ロイドが「えぇ?」って言う時にするまぬけな顔をするとパムはそっぽを向きながらこう言った。
「き、昨日はお兄ちゃんと会えたのが嬉しくてそれどころじゃなくって……でもよく考えたらどうしてなのかなーって……」
ああ……こっちがパムの本来の口調なのね……
「オレとエリルが同室なのは部屋が余ってなかったとか色々あるけど……強いて言えば髭のじーさん――学院長の決定だな。あ、でも大丈夫だぞ? オレとエリルは……そう、清く正しいお付き合いって感じだから。」
まるで覚えたての言葉を使いたがる子供みたいにロイドはそんな事を言――
「つ、付き合ってなんかないわよ!」
慌ててそう言ったけど、パムの視線は氷のようだった。
「……詳しい事は後日ゆっくり聞きますね、兄さん。」
「いたたたた!」
ロイドのほっぺをつねった後、パムはしずしずと職員室から出て行った。
「ま、まさかパムにまでつねられるなんて……これって最近の女の子の流行りなのか?」
ほとんど手伝える事はなかったけど街の修復に協力した後、先生が街の防衛お疲れ様会――みたいな打ち上げを学食でやるって言うから、あたしたちはそれまで部屋で待つ事になった。
「昨日はごめんな、エリル。バタバタと。」
あたしが入れたアップルティーを飲みながら、テーブルを挟んであたしと向かい合ったロイドは申し訳なさそうな顔でそう言った。
「……一緒にお風呂に入ろうとした時はびっくりしたけど……まぁ、七年ぶりの再会なんだからあたしの存在が見えなくなるくらい喜ぶのはしょうがないんじゃない?」
「ご、ごめん……」
「……でもなんか……」
「うん?」
あたしは、パムに再会した時からロイドがたまに見せる変な表情を思い出しながら聞いてみる。
「ロイドはあんまり嬉しくない――わけじゃないと思うけど、なんか困ってるっていうか……迷ってない?」
あたしがそう言うと、ロイドはちょっと驚いた顔になる。
「……顔に出てたか?」
「ていうか、パムとの温度差っていうのかしら。一体どうしたのよ。」
「うん……さっきの先生の話――つまり、パムが話したっていう昔の話……オレのと合わないんだよ。」
「?」
ふっとうつむいて、自分の両手を見つめるロイド。
「あの日……血まみれの家族の前で泣いたオレは……家族の遺体を埋めてお墓を作……ったはず……なんだよ……三人分の……」
「! それって……パムもってこと?」
「ああ……変だよな……オレ、パ、パムの身体を抱きかかえてさ……あ、穴に入れて……つ、土をかぶせた……んだよ……」
ロイドの顔色が見る見るうちに白くなっていく。
「でも――よく考えたらおかしいよな……なんでオレだけが生き残ったんだ? 両親がかばってどこかに隠したとかなら、パムの話の通り……ふ、二人を一緒に隠すだろ? なんでオレの中じゃパムが死んでるんだ? オレ……オレの記憶は……あの血の海は――」
あたしは思わずロイドを抱きしめた。少し震えてるロイドの身体……見た事のない困惑顔と、聞いたことのない不安な声……
なんとかしなきゃ。そう思った。
「――ロイドの……その、記憶がどうなってるとか、真実はどうだったとかは――一先ず置いとけばいいじゃない。だってパムは生きてるんだから。それを――それだけをまず喜びなさいよ。あんたの妹はあんたに会えてものすごく喜んでるのよ? あんたもそうじゃなきゃ――パムが不安がるじゃない。お兄ちゃんが妹を不安にさせるなんてダメよ、ロイド。」
顔は見えないけど、真っ青な雰囲気がじんわりといつものロイドに戻っていく。
「……ほんとに、なんかエリルには迷惑かけてばっかだな……オレ。」
十二騎士の弟子とか、すごい剣術を使えるとか、ロイドはなんかすごい人みたいに見られるようになってきたけど、その正体は同い年の男の子だって事を、あたしは知ってる。だって部屋で話すのは他愛もない雑談とどうでもいい笑い話。
あたしがこうなったら、ロイドもきっとこうしてくれるから、あたしはこうする。
「……ありがとう、エリル。」
震えが止まったロイドを離してその顔を見る。ちょっとまだいつもの顔じゃないけど……まぁこんなもんじゃないかしら。
「ふ、ふん。これくらいなんでもないわよ……」
「昨日今日と、なんかパムに押されっぱなしだったけど――よし、オレもちゃんと喜ばないとな。実際、すごく嬉しいんだし。」
「……また一緒に寝るわけ……?」
ふと昨日の――カーテンの向こうから聞こえてきた嬉しそうに泣くパムとそれをなだめるロイドの声を思い出す。兄妹だし、ロイドの言う通り昔やってたみたいに、ただ一緒に寝ただけで……その、あ、あれな感じはなかったけど……でもやっぱりあれよ……あれなのよ……
「い、いや、さすがにもうやんないかな……き、昨日は特別――みたいな感じだよ……オレも恥ずかしいというかなんというか……」
「……ロイド、パムはあんたの妹よ?」
「わ、わかってるよ!」
顔を赤くしてワタワタする珍しいロイドを見て、あたしは笑う。それにつられてなのか、ロイドもあははと笑いだして――
「青春だな?」
二人分の笑い声しか聞こえないはずなのに別の声が――聞いたことのある声で聞いたことのあるセリフが聞こえた。
「セルヴィアさん!」
いつの間にか真横に座ってるセルヴィアに、ロイドはのけぞりながら驚く。
「お、いい反応だなタイショーくん。」
「セルヴィア! あんたはそうやってでしか登場できないの!?」
あの――お色気鎧じゃない、田舎者姿のセルヴィアは体育座りでニッコリと笑う。
「まぁ……いたずらだよ。」
「そんなくだらない事に時間魔法使うんじゃないわよ! ていうかただでさえ身体に負担が大きい魔法なんでしょ!?」
「いやいや、だからこそだよエリル姫。日頃から使う事で身体をその負担に慣れさせ、そしてゆっくりと身体を魔法に合ったモノへとしていくのだ。筋肉をつけるために辛いトレーニングをするのと同じ事さ。」
「え、それで身体って慣れていくものなんですか?」
「勿論だ。エリル姫のような魔法に合った体質というのは、後天的に決して手に入らないモノではないのだよ。だからタイショーくんも頑張るといい。」
「は、はい!」
いつの間にか十二騎士からの指導になってるこの状況に、あたしはげんなりした。
「――で、何でここに来たのよ。」
「うん。私が学院に来たのは『雷槍』殿に打ち上げをやるから顔を出せと言われたからだが、この部屋に来たのは二人に話があるからだ。」
「だからその話の中身を聞いてるのよ……」
「なに、簡単な事さ。二人を――いや、『ビックリ箱騎士団』を褒めに来たのだ。」
「なによそれ……」
「あ、もしかしてワイバーンの事ですか?」
「そうだ。聞いた話によると、一撃で気絶させたそうじゃないか。」
あの時、壁を越えて街に入って来た八体のワイバーン。城に待機してた騎士が駆けつけるまで足止めをするっていうのが、あの時のあたしたちの仕事だった。
でも、相手はAランク寄りのBランク。二年生や三年生でもいきなり来たあんなデカいのと戦う準備なんか何もなくて、八体のうち六体は大した足止めができなかったらしい。
足止めが成功したのは一体……そう、あたしたちが止めた奴だけ。侵攻の経験者が二人いたけど、それでも一年生のチームがそれをやったって事で、なんだが話題になってるみたい。
それはそれで――まぁうれしいんだけど、もう一体の話を聞いた時にはあたしたちなんてまだまだじゃないって思った。
もう一体を担当したのは学院の生徒会がメンバーになってる騎士団。とんでもない事に、その騎士団は足止めを通り越して倒してしまったらしい。
ワイバーンを気絶させたパンチをしたあたしの腕は、別に痛くなかったんだけどロイドが一応って言うから検査してみたら骨にひびとか入ってた。筋肉もいくらか千切れてたとかで、意外と重症だったけど……保健室の先生に魔法で治してもらったから今はもう何ともない。
ただ、ロイドがフィリウスさんからもらったあの剣をあたしに渡してなかったら、もっとひどい事になってたかもしれないって言われた。それを聞いたロイドがすごく謝ってきたけど……あたしは別に怒ってない。
生徒会の話を聞いて……今のあたしは、ロイドとかの力を借りて、その上本当なら腕がめちゃくちゃになるくらいの全力で攻撃して――やっと気絶させただけなんだって事に気づいた。
「みんなの力を借りて、結構振り絞った一撃だったけど……気絶で終わっちゃったわ。」
「ははは、エリル姫は欲張りだな。確かに倒してしまったチームがいたそうだが……あれは三年生だろう? 彼らと『ビックリ箱騎士団』の間には二年という時間の差があるのだから仕方がない。君たちくらいの年齢において、二年の差というのは相当なものだ。」
「そうだぞエリル……あんなちっちゃかった妹が敬語を話す上級騎士になるくらいなんだから……」
「あんたのは七年もあるじゃない……」
何となくモヤモヤし出したあたしの頭の中は、ロイドのすっとぼけた顔で晴れていった。
「ま……気持ちばっかり焦ってもしょうがないものね。」
「その通りだ。何かを上達させようと思ったら、どうしても時間というモノがかかってしまう。それを短縮する方法は色々あるだろうが――少なくとも、そこに焦る事は含まれないだろう。」
嬉しそうにニコニコするセルヴィアに、なんとなく恥ずかしくなったあたしは話題を変える意味もあってこう言った。
「――ていうか、セルヴィア。ワイバーンを気絶させてすごかったって言うためにここに来たわけ?」
「さっきそう言ったと思うが……」
「そんなの、この後の打ち上げでさらっと言えばいいじゃない。」
「ふむ……そう言われるとそうだが……正直な所、こうして私がここに足を運んだのはちょっとした企みがあるからだ。」
「企み? 何よそれ。」
「言葉にしづらい――というか秘密にしておきたいのでな……強いて言えば――」
町娘の格好のセルヴィアだけど、その時だけ……なんだか騎士としての先輩の顔っていうか、十二騎士としての迫力っていうのか、そんな雰囲気を感じた。
「――つばをつけているのだな。」
「はぁ?」
あたしはそう言ったんだけど、セルヴィアはふふふと笑って目の前から消えた。
セルヴィアさんの言った事に首を傾げたまま、オレとエリルは学食に来た。いつもと違う配置で並んでいるテーブルと、その上に置かれたたくさんの料理……イメージでしか知らないけど、きっとこういうのを立食パーティーとか言うんだろう。
「ロイくーん。」
さすがというかなんというか、結構な人がいてガヤガヤしているこの学食の中でも、商人のリリーちゃんの声はよく通った。
「えぇっと……これって、もしかしてチームごとに集まっているのか?」
リリーちゃんの所に行くと、ローゼルさんとティアナもいた。
「そ、そういうわけじゃないよ……ほら、防衛戦には出なかった人もたくさんいるし……」
「まぁ、これは防衛戦の打ち上げだからな。チームを組んだ者であればチームで祝いたいと思うのは当然さ。」
ワインとかが注がれる感じのグラスを片手にほほ笑むローゼルさんは、制服姿なんだけどものすごくオシャレと言うか……マッチしているというか、ピッタリだった。
「さすがローゼルさん。」
「? なにがだい?」
と、ローゼルさんが頭の上に?を浮かべた時、周りの生徒たちがワッと騒がしくなった。
「な、なんだ?」
「ふむ、生徒会がやってきたようだ。」
周りの生徒たちが彼らの為に道をあけるからよく見える、独特の雰囲気を持った五……六人の一団。制服は同じだし、学年によって色が違うネクタイとかリボンもオレたちと一緒だ。だけどただ一つ、左腕に巻かれた腕章に光る生徒会という文字が、一般生徒ではないという事を示している。
あれがワイバーンを倒してしまったチームか。
「……オレ、初等の途中から旅に出ちゃったから中等の経験なくて……だから生徒会って話でしか知らないんだけど……やっぱこう……すごいのか?」
オレのざっくりとした質問にエリルが答える。
「ぼやけた質問ね……そのすごいっていうのが強いって意味なら――ま、強いと思うわよ。」
「へぇ……やっぱりこう、強い人を上から順番に選んだりするのか?」
「ははは、それは少し違うぞロイドくん。」
「えぇ? だって強いんだろう?」
「それは、ここが騎士の学院だからそうなってしまうという感じだな。」
「?」
「ここの生徒会も普通の学校と同じように選挙で決めるのだ。大抵は……カッコイイとかかわいいと言った外見や真面目な性格などが票を得やすいだろう。しかし騎士の学院で生徒の代表を選ぼうとすれば、みんなが見るのはどうしても実力になる。加えて、この学院では立候補の他に推薦も認められている……だから候補者として出そろうのは強い者ばかりで、選ばれるのも強い者となるわけだ。」
なるほど。つまりあそこを歩いている生徒は、自分はともかくとして、少なくとも周りは強いと認めている人たち――って事だ。
「まぁ、ざっと説明はしたが――わたしだって選挙は未経験だからな。話に聞いた以上の何かをしているかもしれないが……」
「ふふふ、それ以上の何かというのは無いよ。」
ふらりと、オレたちに近づきながらそう言ったのは……なんだかんだ服を着ている姿を初めて見る知り合い――
「デルフさん。」
「やぁ、サードニクスくん。」
お風呂場でしか会った事がないデルフさんは、その銀髪をすとんと下ろしていた。ローゼルさんほどじゃないけど結構長い銀髪で、もしも女の子用の制服を着ていたらそうなんだろうと思ってしまうけど、本人が言っていたように男の子用の制服を着ている。そして、オレとは色の違うネクタイをしていた。
オレの視線に気が付いたのか、自分のネクタイをつつきながらデルフさんは笑う。
「おや、ついに僕の学年がバレてしまったね。」
「やっぱり上級生でしたか。」
「ああ、僕は三年生だよ。それより――」
デルフさんはスッと、生徒会の人たちを指差した。
「彼らに――生徒会に興味があるのかい?」
「興味と言いますか……初めて見るので……」
「そうか。まぁ、この時期だとそれくらいか。ああやって、多くの生徒が道をあけるという、まるで貴族を前にした庶民のような行動も、もしかしたら不思議に見えるかもしれないね。」
言われてみれば……変な光景だ。別に先生が来ても道をあけようとは思わないだろうし。
「あそこで生徒会のメンバーを眺めているのはほとんど二年生と三年生だ。彼らは、生徒会に選ばれたという事がどういう意味なのか……今目の前にいる人物がどれほどの存在なのかを知っているから、ああやって道をあけるのだよ。」
「意味?」
「普通の学校において、きっと生徒会というのは堅いイメージのある面倒な仕事をする役職という感じかもしれない。しかしここにおいては――十二騎士のような称号としての意味が強いのだよ。」
「称号……」
「生徒会に選ばれる……これはこの学院において最上級の強さの証なのだよ。ランク戦で彼らの実力を知った一年生の多くは、自分もその域に達したいと思う。だから生徒会というのは――いわゆる憧れなのだよ。」
「そんなに……違うモノですか?」
「ふふふ、ワイバーンを倒す倒さないくらいの差はあるね。」
「それは――納得ですね。」
「ふふふ、しかし生徒会に選ばれた段階ではそんなに差はないのだ。入ったあと、生徒会という名を背負うという責任感がメンバーを強くする。心や環境の変化による強さの上昇というのは、単なる精神論ではないという事実が生徒会というチームだね。」
「ちょっとロイくん。」
デルフさんの話を聞いていると、リリーちゃんがオレのほっぺをツンツンしてきた。
「……リ、リリーちゃん?」
「二人で話し込んじゃったらこっちがつまんないよ。そっちの銀髪美青年はだぁれ?」
美青年って言うから、やっぱり女の子だからカッコイイ人には興味が湧くのかなとリリーちゃんの顔を見たけど、なんか……知らないから聞いただけで全く興味はないって顔だった。
「ああー、えっと、オレのお風呂友達のデルフさん。」
「やぁ、よろしく。」
この流れだとみんなにも紹介した方がいいなと思い、オレはエリルたちの方を見た。すると妙な事に、エリルとローゼルさんとティアナは――唖然としていた。
「? どうしたんだみんな。そんな顔して。」
オレがそう言うと、エリルの顔が「まただわ……」って顔になる。そしてローゼルさんがコホンと咳払いをしてやれやれという顔でオレを見た。
「ロイドくん、その人が誰か知っているのか?」
「えぇ? だからデルフさん。」
「そうではなくてだな……その人は――」
「会長ー!」
さっきのリリーちゃんの声みたいに、これまたよく通る声が響いた。
「なんでそんな所にいるんですか! なんで一人だけ先に行っちゃうんですか!」
つかつかと近づいてくるのは小柄なツインテールの女の子――ってあれ? あの人さっき生徒会の中にいた人じゃ……
「しかしね、レイテッドくん。あんないかにもな登場をしてしまったら話したい人と話せなくなってしまうのだよ。だから先に話したい人と話をしておこうと思ってね。」
「話したい人……?」
怪訝な顔を向けられるオレ。
「ともかく、会長は挨拶するんですからこっち来てくださ――っていうか腕章はどうしたんですか!」
「ポケットだよ?」
「して下さい!」
なんやかんやとガミガミ叱られながら、デルフさんは自分よりも背の低い女の子に引きずられて去って行く。
「サードニクスくん! またお話しよう!」
「はぁ……」
力なく手を振ったオレは、エリルたちの表情の意味を理解しつつもローゼルさんに確認する。
「えぇっと……デルフさんが?」
「そうだ。現生徒会長、デルフ・ソグディアナイトその人だ。」
「ソグディア……ああ、防衛戦の時に生徒会長って言ってた……あれデルフさんの声だったのか……全然わからなかった。」
「なんというか……実はお姫様だったり実は十二騎士だったり、ロイドくんは実はすごい人と仲良くなるのが上手いのだな。」
「……今のうちに聞いておくけど、ローゼルさん――は騎士の名門だったっけか。ティアナも実はすごい人だったりする? リリーちゃんは?」
「あ、あたしは普通だよ……お爺ちゃんまでがガルドに住んでたってくらいで……」
「ボクは――実はも何も商人だよ。」
ただのお風呂友達と思っていた人が生徒会長だったとは。というか、だとするとデルフさんは自分で自分の所属する生徒会の説明をしていたわけか。
そして、あのデルフさんが……ワイバーンを倒したチームの一人――というかリーダーなのか。
「ソグディアナイト――ありゃ卒業する頃には上級騎士クラスになってるだろうな。」
またもやふらりと、オレたちの傍に今度は先生がやってきた。
「やっぱりすごく強いんですね。」
「そりゃな。でも今はほれ、お前ら自身の事を気にした方がいいと思うぞ、『ビックリ箱騎士団』。」
「えぇ?」
「一年生だけのチームでワイバーンを殴り飛ばしたんだぞ? でもってサードニクス、お前はA級犯罪者を撃退したってのもある。ぶっちゃけ……次の選挙で会計か書記には推薦されるんじゃないか?」
「えぇ!?」
と驚くと、先生は結構真剣だった顔を崩してあははと笑う。
「だがまぁ、そうは言っても私も選挙は見た事ないからな! 実際どうなるかは知らん。」
「驚かさないで下さいよ……」
そして先生は、笑いながら生徒をかきわけて用意されていたお立ち台みたいな所に立った。
「注目! 打ち上げを始めるぞ!」
なんとなくそうなんだろうなとは思っていたけど、先生はかしこまった感じとか格式ばった感じが苦手みたいで、この――首都防衛戦お疲れ様パーティーも一応ぐらいの心持ちでデルフさんに挨拶をさせた後は、まるで酒場で騒ぐフィリウスみたいに乾杯と叫んでお立ち台から降りた。
先生がそんな感じだったからか、学食に集まったみんなはガヤガヤとご飯とおしゃべりを楽しみ始めた。
「えぇっと……これって好きな料理をとって食べていいんだよな……?」
「そうよ。あっちにお皿があるわ。」
一番大きなお皿を手に、オレは料理が置かれたテーブルを端からまわる事にした。
この学院に来てこの学食でご飯を食べるようになってから、毎日見た事のない料理をたくさん食べてきたが、今日並んでいる料理はいつものとは雰囲気が違っていて――ちょっと豪華だ。
「なんだこりゃ? おお、上手い! この変なのも変な味で上手いな! こっちはなんだ?」
オレは――人と比べてたくさん食べる方ってわけでもない……まぁ普通の胃袋の持ち主だ。だけどこれでもかって感じに美味しそうな料理が並ぶと全部食べたくなる。
「お、美味しそうに食べるね。」
モグモグとほっぺをふくらませていると、隣にティアナがやって来た。
「――んぐ。んまぁ、美味しいから。」
「ふふ……作ってる人が聞いたら喜ぶね。」
「作ってる人……そういえばオレ、この学食でコックさんを見た事ないんだけど……いつもどこにいるんだ?」
学食では、注文をすると変な機械からその料理が出て来る仕組みで――前々からどうなっているのか気になっていた。
「この学院には……いないよ。どこかにお料理を作ってる場所があって、そこから……魔法で送られてくるっていう仕組みだから……」
「そうなのか。それじゃあコックさんに美味しかったって言えないな。」
「そ、それなら……確かお手紙は送れたはずだよ……」
「ホントか! 今度送ろう。」
「そうだね……あ、あのね、ロイドくん……」
「うん?」
手を止めてティアナの方を見る。ティアナは、真っ白なお皿で口元を隠すようにしてなんだか恥ずかしそうにしゃべりだした。
「えっとね……あ、あたし、ロイドくんにお礼を……言おうと思ってて……」
「お礼?」
「うん……その……なんていうのかな……この防衛戦でね、あ、あたしに……役割をくれて……ありがとう……」
「役割を? そんなん言ったらオレこそありがとうだ。ティアナの援護射撃でどれほど助けてもらったか……」
「うん、つ、つまりその、役に立てる役割をくれて……ありがとうって……」
いまいちわからなくて首を傾げると、ティアナは少し目線を逸らして話を続けた。
「あ、あたしね……武器があれだから……じゅ、授業とかの……模擬戦とかじゃあんまり……上手に戦えなくて……」
「んまぁ……模擬戦って基本的に一対一で正面からぶつかるからなぁ。遠距離が得意なティアナだとあんまり活躍できない……かもね。」
「うん……き、近距離でも戦えるようにならないとっていうのは……わかるし、せ、先生があ、あたしの得意な事を……理解してくれてるのも知ってるんだよ? でも……なんだか自信がね、その、無くなってたんだ……それにあの……形状の暴走もあって……あ、あたしは駄目だなぁって、思ってたの……」
……この国じゃ滅多に見ないあんなスナイパーライフルを持ってて、しかも魔眼の持ち主。相性ばっちりのそんな二つだけど……そうか、それが活きる場面というのに今まで遭遇しなかったのか。
「だけど……この防衛戦で、あ、あたしはみんなの役に立てるんだ……あ、あたしもちゃんと頑張れるんだなって……そう思えたから……ありがとう、ロイドくん。」
「……そっか。ティアナの……悩み? を解決できたのなら良かったよ。」
「うん。」
「……ちなみに、なんならティアナも朝の鍛錬に参加する?」
「へ?」
「いやほら、オレがエリルと――あと時々ローゼルさんとやっている朝練みたいなの。銃の事は何も教えられないけど、身のこなしとか、そういう程度ならそれなりに……どうだ?」
「う、うん……め、迷惑じゃないなら……」
「そんなことないよ。ティアナが来てくれたら、オレは嬉しい。」
「そ、そう……」
とうとうお皿で顔を全部隠してしまったティアナ。その光景がなんだか面白く、つい笑ってしまった瞬間――
「青春だな?」
再び突然現れたセルヴィアさんにびっくりしたオレは出かかった笑いが変な所で止まったせいでむせた。
「おや、大丈夫かタイショーくん。」
「げほっ! ごほっ! お、驚かさないで下さいよ!」
「? 今回は魔法を使っていな――ああ、つい気配を消して近づいてしまったか。」
「どんな「つい」ですか……」
オレが呼吸を整えていると、お皿から顔を出したティアナがオレの服の袖を引っ張る。
「ロ、ロイドくん、この人は……?」
「む、この格好だとわからないかな。私だ、《ディセンバ》だ。」
そう言われてセルヴィアさんの顔をじっと見つめたあと、ティアナもようやく気付いたようで相当驚いた。
「な、なんで!?」
「なんで? 『雷槍』殿に呼ばれたからだ。「お前も飯を食ってけ」とな。」
「あ、あのいつもの……鎧は……」
「戦勝パーティーに武装して参加はしたくないのでね。」
と、町娘格好のセルヴィアさんは――たぶんそんなんだからここに《ディセンバ》がいるって事に誰も気づいていない。
「それより先ほどの話……ティアナくんだったかな? 近接戦闘もある程度かじった方が良いとは思うが、基本的には遠距離を――その狙撃の腕を磨くといい。」
唐突に十二騎士アドバイスを始めたセルヴィアさんに、ちょっとびっくりしつつもティアナが真剣な顔を向けた。
「誰にだって向き不向きがある。私なんか第十二系統――時間の魔法しか使えないのだ。ティアナくんみたいに遠くの敵を攻撃する手段もないし、タイショーくんみたいに多くの武器を同時に振り回す力もない。だが、だからといってそれらを出来るようになりたいとは思わない。」
「思わない……んですか?」
「ああ。何故ならそっちはそっちで専門家がいるからだ。一人で放浪するタイプはともかく、騎士というのは基本的にチームで動く。私ができない事は誰かがやってくれる。その代わり、誰かができない事を私がやるのだ。」
「チーム……」
ティアナがオレの方を見る。
「極端な話、ティアナくんが世界一のスナイパーになったなら、近接戦闘が全くできないとしてもティアナくんの力をかして欲しいという要請はたくさん来るだろう。みんなにはそれができないからだ。」
手近な料理をつまみ、モグモグした後ニッコリと笑ったセルヴィアさんは自分の事を指差した。
「十二騎士なんてその最たるモノだよ。その系統に関してなら任せておけ。ただ、他はよくわからないぞという連中なのさ。だから、自分の得意な事を誰よりも得意だと言い張れるようになるといい。」
「――はい! あ、あたし頑張ります! せ、世界一になれるかは……わからないけど……」
「ふふふ、ま、それはモノの例えさ。もっとも――」
まるでいたずらっ子のように笑いながらセルヴィアさんはこう言った。
「世界中のみんなからよりも、たった一人の誰かから求められるだけで良いというのなら、世界一など二の次で良いだろうさ。」
よくわからない事を言ったセルヴィアさんだったけど、なぜかティアナは再びお皿で顔を隠してしまった。
「まったく、つくづくタイショーくんはフィリウスの弟子なのだな。」
「はぁ……」
「そういえば、結局夏休みはどうするのだ?」
あたしみたいに他の生徒から距離を置かれてない『水氷の女神』ことローゼルが今回の活躍について色々聞かれて色々話した後、お皿に料理をのっけてあたしの所に来たかと思うといきなりそんな事を言った。
「どうって……?」
「だ、だからその……ロ、ロイドくんをクォーツ家に連れて行く――のだろう?」
「ま、まぁ……ロイドがお姉ちゃんに会いたいって言うから……」
「というと……カメリア様か。そもそもだが、こういう事は許可されるのか?」
「……普通ならダメでしょうね。特に一番上の姉さんがああなった事もあるから、その辺は厳しいはずよ。だけどこの前電話でお姉ちゃんに聞いてみたら、むしろ連れてきなさいって言われたわ。」
「なぜ?」
「……あたしをプロゴから守ったお礼がしたい――らしいわ。」
「そうか……そうだな。よくよく考えたら、ロイドくんは王族を賊から守ったわけなのだから……勲章の一つもあっておかしくない――はずだが……?」
「守った相手があたしだもの。」
「……エリルくんはそんなに家で嫌われているのか?」
「そうじゃないけど……騎士の学校に行くって事に賛成してくれたのはお姉ちゃんだけだったし。なんとなく家の恥とかそんなんじゃないかしら。」
「ふむ……つまり他の王族はそうでもないが、エリルくんを応援しているカメリア様からしたら、ロイドくんにはお礼の一つも言いたいという感じか。」
「……たぶん。」
「なるほどな。ではやはりわたしも行こう。」
「な、なんでそうなるのよ!」
「わたしだってプロゴと戦ったのだぞ? まぁ、蹴られてお終いだったが……ついでにお礼を言われるくらいはいいはずだ。」
らしくないくらいのがめつい理屈を、たぶん自分でもそう思ってるんだろう妙な顔で言うローゼル。
「……なんでそんなに必死なのよ。」
「……必死にもなる。」
そう言いながらローゼルが視線を向けた先にはいつからいたのやら、田舎娘モードの《ディセンバ》と何かを話してるロイドとティアナ。
「……よし、ついでにわたしの家にも招待するとしよう。」
「は!?」
「実のところ、ロイドくんは騎士のなんたるかをあまり知らないだろう? 名門と呼ばれるリシアンサス家でその辺りを教えるのは、わたしを鍛えてくれているお礼としてはまずまずではないだろうか。」
「あんたねぇ……」
「大変だね、二人とも。」
あたしとローゼルがそんな事を話してると、目の前にリリーが現れた。
「うわ! 急に現れるな! びっくりするだろう!」
「だぁって、レベルの低い企み合戦が聞こえるんだもの。」
「ど、どういう意味よ……」
たぶんあたしとローゼルしか見た事のないわっるい顔をしたリリーはふふんと勝ち誇る。
「夏休みって、だいたいみんな家に帰るんだろーけど……ボクとロイくんにはそれがないんだよ。ついこの前まで旅人だったんだから。つまり、夏休みでもずっとここにいるって事。そりゃまぁ、エリルちゃんやローゼルちゃんの家に遊びに行くくらいはあるかもね? だけど基本的にはここの寮――基本的にはボクと二人っきりなんだよ!」
「ふ、二人っきりって――ほ、他の生徒だっているわよ!」
「ふふふー、そういう意味じゃないってわかってるくせにー。」
ロイドの事をす――好き……って言ったリリーのことだから、ロ、ロイドが部屋に一人でいるならきっとやってきて……ふ、二人に……
「……よし、では夏休み中はわたしの家で過ごしてもらおう。」
「「は!?」」
リリーと二人ではもった。
「リリーくんの言う通り、ロイドくんは一人になってしまうのだからな。ゆ、友人としてひと月以上も寂しい思いをさせるのはどうかと思うのだ。」
「だ、だからってなんであんたの家なのよ!」
「だから、ボクがいるからいいんだってば!」
「いやいや。どうせなら名門の騎士の家で有意義な夏休みを過ごして欲しいではないか。」
セルヴィアさんとちょっと話した後、オレはティアナと一緒に美味いモノ探しを続けた。
「お、カレーがある――ってなんだこりゃ? 緑色だぞ? あれ、におい的にはカレーなのに。」
「グ、グリーンカレーだよ。正確にはカレーじゃないん……だけどね。」
「そうなのか? ん、上手い。」
初めての味を堪能しながら、横で同じようにグリーンカレーなるものを食べるティアナにたずねる。
「ティアナは料理得意だけど……好きなのか?」
「うん……お、美味しいって言ってもらうのが……嬉しくて。」
「そっか……この前聞きそびれたからついでに聞くけど……それならなんでコックさんじゃなくて騎士に?」
「コックさん……にも憧れたけど、あ、あたしはそれよりも騎士に……憧れたの。えっと……なんでかって言うとね……あの……わ、笑わないでね?」
「? うん。」
「か、かっこいいなぁって……思ったの。」
「……騎士が?」
「《ディセンバ》さんとかみたいな……か、かっこいいじょ、女性騎士に――あ、あたしもなれたらいいなぁ……って……む、無理かもだけど……」
かなり大人しい性格のティアナが騎士を目指す理由なのだから、きっと人助けがしたいとか――もしくはこう……大変な事情があるのかと思っていたけど、実はただの憧れなのだと言う。
素朴――って言うと悪いかもだけど、なんというか……
「可愛い理由だな。」
つい口から出たその言葉に、ティアナは一瞬の間の後、瞬時に顔を赤くした。
「あ、ごめん。えっと、あれだぞ? バカにしてるとかそういうんじゃなくて――なんていうか……一番そうあるべき理由のような気がしてさ……うん、いいんじゃないかな。」
「う、うん……」
しかし……かっこいいからか。フィリウスとかが同じことを言いそうだ。んまぁ、「モテるしな!」ってのが追加されそうだけど。
「あ、あれ? ロゼちゃんたち……」
ふとティアナが指さす方を見ると、エリルとローゼルさんとリリーちゃんがギャーギャー言い合っている。
「どうしたんだろう?」
ティアナと一緒に三人に近づき、声をかける。
「何やっているんだ? 三人で料理の取り合いか?」
「ロイドくん! うちに遊びに来るといい!」
「えぇ!? なんだいきなり!?」
「い、嫌か!?」
「嫌じゃないけど……どうせオレ、何もなければ学院にいる事になる――あーいや、でも確かフィリウスが来るとか言っていたか。」
「え、フィルさん来るの!?」
「休みになったら様子見に来るとは言っていたけど……」
オレがそう言うと三人が顔を合わせる。
「そ、そもそもそういう事なのではないか!」
「フィルさんの事だし……夏は修行とか言ってもおかしくないよ……」
「……とりあえず、フィリウスさんが来てからね……」
ふぅとため息をついた三人は、ふとオレを――というかティアナを見る。
「……そういえばティアナ、もしかして今までずっとロイドくんと……?」
ローゼルさんの「なんてことだ」って感じの顔での問いに対し、ティアナは目をパチクリさせた後、やんわりと目を逸らした。
「とんだ伏兵だよ! もう、二人がどうでもいい事話してるから!」
「あたしたちのせい……?」
「一番食いついていたというのに……」
「……なんかわからないけど……ちゃんと食べているか? 料理無くなっちゃうぞ?」
セイリオス学院にて祝勝会が開かれている頃、そこから遠く離れた場所にある一件のレストランで同じように祝いと称して上等な肉料理を食べている女がいた。ナイフはあるが、一枚の高級なステーキを切り分けずにフォークで一刺しし、かぶりついている。
「まったく……ありゃ何年ぶりだ? 百か? 二百か?」
『百年と少しだな。』
「思想だけじゃねぇ、力までこのあたいを楽しませる……やっぱいいなぁ。」
『まさかあんなのが趣味だったとはな。』
女はもりもり食べているのに対し、女の横に立つ長身のフードの人物はただ立っているだけだった。
「長生きしてると常に新しい刺激が欲しくなるが……まさか長生きしてるからこそ得られる刺激を受ける事になるたぁな。あの剣術を「懐かしい」と思ってんのはあたいらだけだろうぜ。」
『もう何人かはいそうだが。』
「かもな。何にせよ、この素晴らしい出会いに乾杯だ。お前も食え。食いもんならそこに転がってるだろ?」
『私のは食事とは言わない。エネルギー補給――バッテリーを充電するようなモノだ。それに――人間はこの前取り入れた。できれば次は鉱物が望ましい。』
「注文の多い客だな。おい、お前は人間食った事あるか?」
女の質問はフードの人物ではなく、女の正面……テーブルを挟んで向こう側に立っている丸々太った男に対してのモノだ。その体格からして太った男の存在感は相当なモノなのだが、萎縮しているのか畏まっているのか、太った男は遠慮がちにそこにいた。
「へぇ、ありやすが。」
「どうだった? 美味いのか?」
「その質問は……難しいでさぁ。」
「あん?」
「そこらの安肉でもプロにかかれば一品になりやすから……食べ方次第でさぁ。まぁ、どの肉にも言える事ではありやすが……」
「お前が食った時は?」
「そりゃああっしはプロっすから。美味しく食べやしたよ。」
「そうか。」
前にも横にも腹の出ている太った男は、察するに相当な大食いだが……目の前で女が食事をしているというのに自分は何も食べていない。
というのも、太った男は立っているというよりは――壁に張り付けにされているのだ。恐らくこのレストランの掃除用具なのだろう、箒やモップといったモノが太った男に何本も突き刺さっている。太った男の足元には血だまりが出来ているし、それは今も広がり続けている。その上、位置的には肺や心臓を貫かれているはずなのに、太った男は苦しそうでも痛そうでもない。
切断マジックのように、ただそう見えるだけなのではと疑いたくなる光景だった。
「――んで、バーナード? 別にお前から来なくてもすぐに殺しに行ってやったっつーのに何で来た?」
「それは勿論――もう一度チャンスをもらいに来たんでさぁ。」
「ああ……あれだろ? 映画で見た事あるぞ。ヘマやらかしたチンピラが自分のボスに言うんだよな……もう一度だけチャンスをって。だが――」
モグモグと、下品ではあるが頬を膨らませて非常に美味しそうに肉を食べる女は大して興味も無さげに太った男を見る。
「最初に言ったろ? どうせ後で殺すって。そもそもあたいは襲えっつっただけだから成功も失敗もねぇーんだ。だからチャンスがどうとかいう話じゃねーんだよ。」
「わかってやす。あっしの命を姉御に捧げられるならそれは嬉しいんすが……このまま死んだらあっしは十二騎士から逃げてきた男で終わるんでさぁ。あっしとしては、デキる部下だったっていう認識で殺して欲しいんでさぁ。」
「ロマンチックだが、あたいには何も利益がねぇ話だ。」
「まさか、利益のない話はしやせんぜ?」
「はぁん? 結構な自信じゃねーか。」
空になった皿を乱暴に払ってテーブルから落とし、陶器の割れる音を聞きながらワインを片手に両脚をテーブルに乗せる女。かなり大胆なスリットの入ったドレスを着ている為、その姿勢だと脚がかなり露わになるのだが、恐らくそんな女を見て欲情する者はいない。それを飲み込むほどの圧倒的な狂気や殺気といった負のオーラが女からにじみ出ているのだ。
「んじゃ話してみろバーナード。あたいがお前を殺すのを先延ばしにするだけの価値がある話をな。」
「へぇ。今の話を聞いた感じ、姉御はあの街の――学生にご執心みたいすね?」
「ただの学生じゃねーぞ? 昔の《オウガスト》の曲芸剣術を操る上に、停滞してたあたいに道を示した男だ。」
「そいつをどうするつもりかは知りやせんが……殺す以外の何かをするつもりなら、あっしの力は姉御の選択肢を増やせるでさぁ。」
「と言うと?」
「あっしの形状の魔法は戦闘には勿論の事、精神的な搦め手攻めにも使えるんでさぁ。」
「……そうなのか?」
女は隣のフードの人物を見る。
『第九系統の形状の魔法は変身を可能にする。バーナードのようにドラグーンと呼ばれるような姿に変身する事は勿論、別人に変身する事も可能だ。家族か何かに変身して精神的にいたぶった後に殺す――なんてことを趣味にしている形状使いもいるほどだ。』
「はぁん、そりゃ出来る事が多そうだな。」
「そうなんす。姉御がよく使ってるあの眼鏡よりも面白い事がたくさんできるんでさぁ。」
「なるほどな……よし、いいだろう。」
テーブルを蹴り飛ばし、グラスを捨てて立ち上がる女。ツカツカと太った男に近づくと箒やモップを抜き出した。
「ありがとうごぜいやす。このバーナード、必ずや姉御が満足のいく結果を――」
「だがなぁ、バーナード。」
最後に一本。その突き出た腹を貫く箒を残して女は一歩下がる。
「猶予はやる。でもって今回の件、さっきも言ったが別に成功も失敗もねぇ。あたいとしちゃ特に思うところはねーんだが……お前は逃げ帰った自分を否定してーんだろ? なら、そんなバカをやらかした自分にどんな罰を与えんだ?」
「……罰……それは是非、姉御に決めて欲しいでさぁ。」
「あぁん? んじゃ、ちょうど刺さってる事だしな……」
そう言って女は太った男の腹に手を置いた。
「知ってるか、バーナード。魔法っつーのは便利だが、そもそも人間には無い能力を無理やりできるようにしてっから、身体としては嫌な事なんだよ。」
「へぇ……」
「だからな、どんな魔法の達人でも――身体のどっかじゃあ魔法を否定してんだ。」
「――! ……わかりやした。やってくだせぇ。」
「はん。半日くらいでこれは抜けるようにしとくから耐え抜いたらアジトに顔出せ。死んだら来なくていいけどな。」
女が太った男の腹に手を当てたまま、もう片方の手で箒をピンと弾いた瞬間――
「ぐああああああああっ!!」
今の今まで平然としていた太った男が苦痛の悲鳴をあげた。それを聞いてニンマリとした女は太った男に背を向けてレストランの出口に向かう。
「ああそれと、とりあえず次はイェドの双子にやらせっから、お前はのんびりしてていいぞ。」
酒のせいか、元々そうなのか、ふらふらした歩き方で店を後にする女とそれについて行くフードの人物。
残ったのは、大量の死体と叫び続ける太った男を最後の客として迎えたレストランだけだった。
第二章 師匠と妹
試験の結果はまぁまぁだった。ローゼルさんが学年で五本の指に入る成績を出した以外、我ら『ビックリ箱騎士団』は真ん中とか、真ん中よりちょっと上とかそんな感じだった。個人的にビックリなのはついこの間入学したばっかりのリリーちゃんもそんな感じの成績だったって事だけど、本人に聞いてみたらニッコリ笑うだけだったから深くは聞かない事にした。
そんでもって今日は夏休み前最後の登校日。休み中の注意事項を聞いたり宿題をもらったりして学校は午前中に終了。みんながいつもよりテンション高めに校舎から出ていく中、何故か我ら『ビックリ箱騎士団』はちょっと残れと先生に言われた。
「先生、オレ、カンニングはしてないですよ?」
「なんだその、いかにもやりましたって感じの否定は。この学院でカンニングなんてできるものならやってみろ。成功した時点で全教科満点にしてやるよ。」
「で、なんであたしたちが残されたのよ。」
「私に文句を言うなよ。言ったのは私でも残したのは私じゃない。」
と、先生が嫌な顔して教卓に座りながらそんなことを言うと教室の扉がガラッと開いた。
「あれ? デルフさん。」
「やぁ、サードニクスくん。」
教室に入って来たのは銀髪美青年のデルフさん――と、この前デルフさんを叱っていたツインテールの女の子。
「今日はいつも裸の付き合いをするデルフさんじゃなく、生徒会長のソグディアナイトとして来たのだよ。ちなみ、彼女はヴェロニカ・レイテッド。二年生で副会長だ。」
デルフさんに紹介されたツインテールの女の子――レイテッドさんはぺこりと頭を下げた。
個人的に、ツインテールと聞くと元気な女の子みたいなのをイメージするんだけど、レイテッドさんの髪の色はなんだかすごく上品な紫色で、加えてその表情はローゼルさんみたいなキリリッとした感じ。その上副会長というのだから、元気な女の子というよりはデキるレディ。オレの中のツインテールイメージを改めなければならないな。
「さて、残ってもらったのは『ビックリ箱騎士団』のメンバーで、残したのは生徒会長である僕。とくれば、話すことは決まっているというものだね。」
と、ニコリと笑うデルフさんなんだが――オレにはさっぱりだ。
「ずばり――君たち、生徒会に入らないか? というお誘いだね。」
「えぇ? なんでまた……」
「なんでも何もないと思うけどね。A級犯罪者を撃退したサードニクスくんと、そんな君が毎朝特訓しているという『ビックリ箱騎士団』。その実力はワイバーンの件で確認済み……他の生徒が強いと認めるには充分ではないかな。」
「ほらみろ、私の言った通りになったぞ。」
この場で唯一の外野である先生が教卓にあごをのせた状態でニンマリする。
「で、でもデルフさん。そのお誘いを受けたとしても、すぐに入れるわけじゃないでしょう? 選挙でみんなに認められて初めてなるん――ですよね?」
「そうだね。だから、もしも君たちが承諾してくれたなら――僕が生徒会長として君たちを推薦する。」
「……という事はえっと……?」
ちょっと追いついていないオレに、優等生モードのローゼルさんが説明してくれた。
「学院の皆が最も強い生徒だと認めている生徒会長という人物に推薦される。その影響はとても大きいものです。最早、当選確実でしょうね。」
「そういう事だ。どうかな?」
「どうもこうもないねー。」
オレが何かを言う前に、リリーちゃんが不満そうな顔で不満そうに言った。
「一応さ、生徒会に入るって事がどういう事なのかはこの前聞いたよ? でも、まだランク戦ってゆーのも経験してないボクたちにその価値はわかりづらいよ。そういうあんまりちゃんと理解できてないボクたち相手に話をするんだから、もっとわかりやすい利益を示してくれないと、縦にも横にも首がふれないんだけど?」
「さすがは商人。手厳しいがその通りだね。僕がこの前言ったのは――そう、いずれ君たちも憧れるであろう存在が生徒会……という程度だ。確かにこんな霞がかった利益じゃあお客さんは手を出さないね。であれば――うん、まだどこにも所属していない君たちにこの学院に存在する組織について説明し――」
「会長、組織についてであれば入学時に配布される冊子に記載があります。」
デルフさんが意気揚々と説明しようとした瞬間、レイテッドさんがそう言った。
「しかしね、レイテッドくん。僕から誘っている以上、最低限の説明は――」
「それにそろそろ時間です、会長。休み中の生徒会の日程の話合い等を行うため、既にメンバーが生徒会室にそろっています。」
「で、でもねレイテッドく――」
「いーんですよ、もう! 会長が生徒会に誘っているという事実だけ伝える事ができれば! それが何を意味するかなんて調べればすぐにわかる事です! わざわざ会長が説明する程ではありません!」
……うん……どうやらレイテッドさんという副会長さんはデルフさんの監視役というかお世話役というか、そんな感じなのだろう。
「それにそこの商人! 何やらビジネスじみた考えで会長に意見しましたが、それ以前に生徒会や委員会の価値くらい把握しておきなさい! 学院生相手に商売する人間がそんなのではどうかと思いますね!」
リリーちゃんに文句を言った後、レイテッドさんはデルフさんを引きずって教室から出ていった。
「……んま、そういうことらしいし……解散な。」
そして先生も、あの二人のやりとりを見慣れているのか、大して表情を変えずにふらふらと教室から出ていった。
「……締まらない最後で休みに入る事になってしまったな。」
ぼそりと、いつもの感じに戻ったローゼルさんがそう言った。
「えぇっと……ちなみにローゼルさんはデルフさんが説明しようとした事って知ってる?」
「大体は。しかしあの生徒会長から直に説明されるとなると、もっと詳しい事を知れるのかと思っていたのだが……まぁ、それこそロイドくんにお風呂で「デルフさん」に聞いてもらうとしよう。」
とは言いつつも、実際あんまり興味なさそうな顔のローゼルさんがさらりと説明してくれた。
「ざっくりと言うと……この学院には生徒会や委員会というちょっとした組織があるのだ。図書委員会とか風紀委員会とか……まぁ、騎士の学校でなくても同じ名前の委員会はあると思うが、やはりここのそれは特殊なのだ。」
「せ、選挙するとか?」
「いや、委員会は希望して入る。ただ、どの委員会にも入るための試験があるのだ。魔法の技術を試したり、純粋な戦闘力だったりと様々だが。」
「ふぅん。」
これまた興味なさげにリリーちゃんが相槌を打つ。
「つまり、一定以上の実力が要るってことなんだね。でもってそこまでして入るわけだから、入ったらいい事がある……そうでしょ?」
「ああ。例えば図書委員なら、一般生徒では閲覧できない貴重な文献を読めたりする。加えて、卒業後も進みたい先によっては優遇もあるとかないとか。」
「えぇ? 卒業した後にも影響力があるのか。ということは、生徒会にも特典があるって事か……なんだろう。」
「正直、その辺りが明確にならないと判断できないところだな。」
むぅ。これは確かに、お風呂場で聞いてみるしかないな。
「――それはそうとリリーちゃん。」
「? なぁに?」
「いや……さっきレイテッドさんが言った事がオレも気になって。」
「?」
「オレの中だと、リリーちゃんって結構やり手の商人ってイメージがあるから……この学院の事なら何でも知っているって言われても納得できちゃうくらいだったんだけど……」
「……商人のボクがそういう事情を把握してないからなんでだろーって事?」
「そうそう。」
「ふぅん……ロイくんってば――」
そこで何故かリリーちゃんはほっぺを赤らめて意地悪に笑う。
「そんなにボクの事が知りたいんだ?」
「えぇ!? いや、そういう事では――」
「うぅーん、どうしようかなぁー。でもまぁ、ボクは商人だからね。ロイくんが払うモノによっては、教えてあげてもいいけど?」
「えぇ……例えば?」
「た、例えば?」
何故か要求したリリーちゃんが動揺している。
「そそそ、そうだね……ボクの情報をあげるんだから、もらうのはロイくんの情報――かな?」
「オレの情報? 好きな食べ物とか?」
「そ、そうだねー。好きな本とか好きな動物とか――」
珍しくあたふたしているリリーちゃんは、顔を赤くして目を逸らしながら続きを言った。
「好きな人――とか?」
教室の中が凍り付いた。別にローゼルが魔法を使ったわけじゃないんだけど……あたしたちはリリーの言葉を聞いて固まった。
ロ、ロイドのすきな……ひ、ひと……
べべべ、別にロイドがだだだ……誰を好きでもいいけど……そうよ、いいわよ! で、でもほら、あたしはロイドの友達だから、そういうのはやっぱり気になっちゃう感じよ、そうなのよ。
「オレの好きな人?」
「た、例えばだよ、例えば!」
あははと笑うリリーだけど、横目な感じでロイドを見つめる。ちなみにローゼルもティアナもそんな感じ。
「うーん。それは言えないなぁ。」
「ええ!! いるの!?」
ロイドの発言にリリーは立ち上がり、あたしは心臓が飛び出るかと思った。
「それも言えないかな。」
「ななな、なんで! どーして!?」
なんかもう必死なリリー。
あたしも……なんか信じられないくらいドキドキしてる……
「フィリウスとの旅で、昔恋愛マスターに会ったんだけど――」
「れ、恋愛マスター??」
この空気の中に飛び出してきたへんちくりんな単語にリリーがへんちくりんな顔をしたけど、ロイドの方は至って真面目に話を続ける。
「その人が言うに、恋心ってのはそれが向かう相手は勿論、それが有るか無いかも含めて、最初に伝えるべきは意中の相手だ! って。オレもフィリウスもその人のマスターぶりには驚いたもんでね。だからきっとそうなんだろうと思って――」
「ちょ、ちょっとまってロイくん。恋愛マスター?」
「うん、恋愛マスター。占い師の美人のお姉さんなんだけど――」
「美人のお姉さん!?」
「髪の長い褐色の肌のお姉さんで、占いがよく当たるって噂を聞いて――」
そこから先、フィリウスさんとの旅で出会った色んな――お、女の人の話がひょいひょい出てきて、一つ一つにリリーがものすごい反応するっていうやりとりが十分くらい続いて……
「……おい、お前ら。いつまで教室にいるんだ?」
――っていう、戻って来た先生のツッコミで、あたしたちはようやく校舎を出た。
ローゼルもティアナもリリーも何となく顔が赤くて、なんとなくロイドの方をじっと見ていて、きっと色んな事を考えて頭の中がぐるぐるで……たぶんあたしと同じ感じ――じゃないわよ!
な、なんであたしがロイドのいいい、色恋沙汰に一々反応しなきゃ……いけないのよ……
「あ。」
いきなりロイドがそう言ったから、てんやわんやなあたしたちはいつも以上にビックリしながら立ち止まる。
「な、なによ、どうしたのよ。」
「いや、ほらあれ……」
ロイドが指差したのは女子寮の方。なんか入口の前に女子生徒の人だかりができててわーわー騒いでる。
「なぁにあれ? 痴漢でも出たのかな?」
「……この学院にはいくつもの罠が仕掛けてあるし、《ディセンバ》によってそれは完璧なモノとなっているはずだ。そういう輩の侵入は不可能だろう。」
ってローゼルが言ったんだけど、近づくにつれて聞こえて来る女子生徒の叫び声は――
「変態!」
「ち、痴漢よ!」
「……リリーの予想通りみたいね。」
「へ、変態さんが……?」
ティアナがすごく不安気な顔になるのと、ロイドが一歩前に出るのは同時だった。
「ロイド?」
「一応、オレ男だし……もしそうならなんとかしないと……」
そう言ってスタスタと人だかりに近づき、一番外側にいる生徒に声をかけるロイド。
「あ、ロイドくん!」
一人がその――なんか安心した風な口調でそう言うと女子生徒の人だかりが開いて真ん中が見えるようになった。
「んな……」
ロイドが微妙な声を出す。追いついたあたしたちはロイドの後ろからそれを見た。
そこにいたのは布きれ一枚だけを腰に巻いたほぼ全裸の男だった。
「だ、だから誤解だ! 変態でも痴漢でもない! こう見えても俺様は立派な騎士だぞ!」
裸の男は腰に手を当ててキリッとしたポーズをとるけど、まるで――その鍛え抜かれた筋肉質な身体を女子生徒にみせつけてるようにしか見えなくて――
「やっぱり変態じゃない!」
寮の部屋から武器を持ってきた生徒に刃を突き付けられた。
そんな変な男を前に、何故かロイドはげんなりした顔で、ついでになんでかリリーまで呆れ顔だった。
「こんなとこで何してんだよ……」
ロイドがそう言ったのを聞いてクルッとこっちを向いた裸の男はニカッとものすごくいい笑顔になった。
「大将! とリリーちゃんか? 大将はともかく何故にリリーちゃんまで――というかやっぱりかわいかったか! なんだ、学院に入れるまでもなく俺様は大将に出会いを与えられていたわけか! しかし、驚くべきはそれをモノにする大将の手際だな!」
「いやいや、何言ってんのかさっぱりだけど、とりあえずなんでそんな格好でここにいんだよ……」
ロイドが――なんだかあたしたちと話す時とはちょっと違う感じの雰囲気でそう言った。
「いや、聞いてくれよ大将! 今日が終業式ってのは知ってたから、部屋で待ち伏せて大将をビックリさせてやろうと思って学院に侵入したんだが……」
「なんで正面からこねーんだよ。」
「どうせならあの髭仙人も驚かせようと思ってな。だがいざ侵入してみたらトラップの場所とか種類がガラッと変わって、しかもより凶悪になってたんだ。命からがらここまで来た時、ふと気が付くと俺様は布きれ一枚になっていたわけだ。」
「なんじゃそりゃ……」
「あ、あのロイドくん……こ、この人は?」
ティアナがなるべく裸の男を見ないようにしながらロイドに聞くと、ロイドはその場にいる全員に聞こえるように言った。
「こいつはフィリウス。今の……《オウガスト》だ。」
「《オウガスト》……!? 変態さんが?」
フィリウス――ロイドを拾い、育て、強くした十二騎士の一人。ロイドの話に何度も登場するその人が、今目の前に立っている。……裸で。
「え、《オウガスト》……?」
さすがにざわつく女子生徒たち。あまりの事にあたしもついて行くのがやっとだったその時――
「こんの変態がぁぁぁぁぁっ!!」
空高くからそんな声が聞こえたかと思うと、あたしたちには少しも余波が来ない一本の雷がそのムキムキの身体に落ちた。
「まったく、年頃の女子生徒に何というモノを見せておるのじゃ。」
「何を言うかと思えば。惚れさせるの間違いではな――痛い! 教官、痛い!」
「黙ってろ筋肉だるま。」
結構な顔ぶれを前に、あたしたちは学院長の部屋にいた。雷と一緒に落ちてきた先生の一撃を受けて頭にたんこぶ乗っけたフィリウスさんがそのまま連行されたから、なんとなくあたしたちもそれについていったところ、そんなに広くない学院長の部屋に五人と三人で八人も集まった。
「それで――終業式のこの日に塀を乗り越えた理由はなんじゃって?」
「大将と、ついでに学院長を驚かせようと思ってな! そしたらあんな恐ろしい罠に変わっているのだから、いやー、まいった。やっぱり女子高ともなると厳しくなるんだな……」
「? 何を言っておるのじゃ。」
「? 知らない間にセイリオスは女子高になったんだろ?」
「誰からの情報じゃ……」
「いや、だって大将、女の子に囲まれてるぞ?」
ロイドが拾い集めた服を着て、きっといつもの格好っていうのになってるフィリウスさんがロイドを指差す。
「大将は別にナヨナヨのまるで女の子ーって感じの男ってわけじゃないからな。女の子に間違えられる事はない。なのに女友達しかいないってんなら、こりゃ学院に男がいないって事だろう?」
「どういう理屈じゃ……そもそも、女子高であったなら彼は入学できんじゃろうが。」
「そこは大将お得意の女装で何とかしたんだろ。なぁ?」
「なぁ? じゃねーよ! んなわけあるか!」
あたしたちの前じゃこうはならない――男の子っぽい口調でロイドが言った。
「え……じゃ、じゃあなんだ? 大将はその――モテるのか? 四人もはべらせてるのか!?」
「は、はべらせてるんじゃねーよ! 友達だ! 変な事言うな!」
「一応聞くが大将、男友達はいるのか?」
「いるわ!」
ってロイドは言ったけど、たぶんそれってデルフの事で――デルフしかいない。
「そうか、今日はたまたまか。俺様はてっきりこの七年間で恐ろしい女ったらしを育ててしまったのかとひやひやしたぞ。」
…………実は大正解かもしれないわね…………
って、なに考えてんの、あたし……
「あー……わかったわかった。儂は充分驚かされた。あとは弟子との久しぶりの再会を楽しむといい……」
「そうか? んじゃあこれで。」
ニカッと笑ったあと、フィリウスさんはスタスタと部屋から出ていった。
「まったく、相変わらずじゃが――元気そうでなにより。」
学院長の部屋がある建物から出たあたしたちは、その正面でフィリウスさんと対峙した。
「さて、久しぶり――と言っても一か月とちょっとか。元気だったか、大将。」
「……んまぁ、いきなり入学させられた割には頑張ってるよ。」
「みたいだな。ざっと……五本か? 回せるのは?」
「んな……」
ロイドが驚く。たぶんフィリウスさんが言ってるのは、ロイドが風を使って回転させる事ができる剣の本数……確かに、今のロイドは五本が最大だけど……
「見ただけでわかるのか?」
「そりゃな。『セカンド・クロック』の襲撃の話とかも聞いたから、大将がその剣術の本来の姿に辿り着いたのは知ってる。それを踏まえてみると――大将の身体の成長具合的にはできて五本。無理をすれば――八か九ってところだ。」
「成長? 別に背は伸びてないけど……」
「魔法を使う時に負担がかかる部分だ。人間の身体には痛みや負荷に対して、次に同じダメージが来てもいいように強くなる力がある。だからその部分を見れば魔法の熟練度がわかるってわけだ。ま、俺様が見て理解できるのは第八系統で負荷がかかる場所だけだがな。」
そこまで言うと、フィリウスさんはその大きな手をロイドの頭に乗っけた。
「着実に成長してる。こりゃ卒業する頃が楽しみだ。」
「フィリウス……」
ロイドが――なんか照れてるようなそうじゃないような微妙な顔でフィリウスさんを見上げた。
「もう聞いた――っつーかさっき大将自分で言ってたもんな。改めて――実は俺様、十二騎士の一人、《オウガスト》を任されてる騎士だったのだ! すごいだろ!」
「……なんで黙ってたんだ、それ。」
「黙るも何も、騎士について何も知らない――と言うか教えてない大将に言ってもしょうがないだろ? できれば、他の騎士はどんな奴なんだろうとか、十二騎士ってどれくらいすごいんだろうとか、余計な事を考えないで剣術の修行に集中して欲しかったんだ。曲芸剣術は、それだけを極める者にしかできない剣術だからな。」
「ああ……聞いたよ。」
「俺様も最初はそっちがやりたかったんだが――根本的に不器用でできなかったんだ。だから見込みのある大将をそうしようと思った。悪いな、なんとなく俺様が出来なかった事を勝手に託しちまった。」
「……別にいいさ。おかげで大事な人を守れる。」
「そうか。んなら気兼ねなく俺様の夢を言っておくぞ?」
「?」
「いつか大将が俺様に挑んで、でもって――《オウガスト》を俺様から奪っていく。これが俺様の夢だ。」
息がつまった。あたしのなのかロイドのなのか……わからないけど、きっと今この瞬間が……誰かの人生の大きな……ターニングポイントとか転機とか、そんな感じのモノだ。
そんな何かすごい瞬間を見たような……そんな気がしたんだけど――
「……」
当のロイドはローゼルみたいな半目顔で――
「なんで?」
と言った。対してフィリウスさんは――
「大将……俺様だっていつかは引退する日が来るんだぜ? それが自分の弟子に奪われる――いや、託していくなんて――渋過ぎるだろ! モテるぞー、これは!」
台無しだわ。なんか一瞬感動したあたしがバカみたい。
というか……なるほどね。フィリウスさんって人は要するにこんな人なのね。
「よし、大将との再会は果たした! 次はそっちのお嬢ちゃんたちだな。」
ヒョイと、ロイド越しにあたしたちを見るフィリウスさん。
「紹介しろよ、大将。名前と――あと大将から見て好みのポイントを。」
「ああ――って、なんだって?」
「あるだろう? 別に恋仲でなくたって、男なら女を見た時、「ここがいいなぁ」って思うとこが。まぁ、嫌いな女相手にんな感想持たないかもだが、友達レベルならあるはずだ。俺様としちゃあ同年代の異性との出会いが少なかった大将にそういう目っつーか感覚がちゃんとあるのか気になってるんだ。もしも女に興味が無いとかいうのになってたら育てた俺様の責任って事になるからな。」
冗談なのかそうじゃないのか。割と真面目な顔でフィリウスさんがそう言った。
「リ、リリーちゃんがいただろ……同年代の異性……」
「顔も見た事なかったリリーちゃんはそういう出会いに入らんだろ。だが今ならカウントに入るってもんだ。さぁ、大将。」
ロイドが少し顔を赤くしながらあたしを見た。
ちょ、ちょっと……そんな顔で見ないでよ……
て、ていうかなんであたしからなのよ……
「え、えっと、この赤い子が――エリル。あ、エリル・クォーツ。」
赤い子って……間違ってないけど……
「ああ。大公の方のクォーツ家の末っ子だろ。騎士になろうってんだから、なかなかガッツのあるお姫様だよな。そういうの、俺様は好きだぜ。んで? チャーミングポイントは?」
数秒前の真面目顔から一気にへらへらした――明らかに楽しんでるフィリウスさんのニヤニヤ顔が視界の隅っこに入るけど、今のあたしの頭の中を占めてるのはロイドの真っ赤な顔だった。あたしも、自分の顔にものすごい勢いで血が流れて行ってるのを感じる。
「エ、エリルの……い、いいところは……」
視線が合う……すごく気まずくてすごく恥ずかしいのに――目がそらせない。
ロイドの……次の言葉が気になってしょうがない……な、何を言うのかがすごく気になる……!
だ、だめだわ……し、死ぬほど顔が熱い……! どうになりそう……!
「そ、その――」
「ぶべらっ!」
あたしとロイドが死ぬほど――アレな状態になってたら、いきなりフィリウスさんがそんな声をあげた。
「兄さんに何をやらせているんですか、このゴリラは。」
数メートル離れたところに転がるフィリウスさん。そして今までフィリウスさんがいた場所には、あたしよりも小さな女の子が白いマントをなびかせて立っていた。
「パ、パム!?」
ロイドが赤い顔のままビックリすると、パムの表情が冷たいそれからぱぁっと明るくなるんだけど、ぶんぶんと首が振られて冷静な顔に戻る。
「おに――兄さん。今日で一学期は終了ですよね? 自分も自分に課せられた任務はしっかりこなしてきました。さぁ兄さん。この夏休みは……その、自分と……」
「俺様に蹴りを当てるとは並じゃないと思ったが……おい、大将。その上級騎士のお嬢ちゃんは知り合いか?」
ほっぺを押さえながら起き上がるフィリウスさん。
「あー……オレの妹だ。パム、こいつはフィリウス……というか《オウガスト》だ……」
「? ああ、確かによく見れば《オウガスト》ですね。十二騎士がこんな所で何を?」
まるで興味ない感じのパムに対して、フィリウスさんはすごく驚き顔。
「妹……? 大将の妹は七年前に――」
「あ、ああ。そうなんだけど……生きてたんだ。」
「本当か! そりゃあ良かったな!」
自分の事みたいにすごく嬉しそうな顔になるフィリウスさんに、パムは怪訝な顔を向ける。
「兄さん? 《オウガスト》とはどういう関係なのですか?」
ロイドの腕にギュッと抱き付いてるパム……! を見てニヤリと笑ったフィリウスさんはものすごく偉そうなポーズをとった。
「ふふ、何を隠そう、七年前に大将を拾ってここまで育てたのは俺様だ!」
その発言に今度はパムが驚き顔になる。ロイドの方を見たパムはロイドが頷くのと同時に、まるで王様に謁見に来た人みたいな低姿勢になってフィリウスさんに頭を下げた。
「兄さんを助けてくれて、ありがとうございました。」
「お、おお……あまりの変わり身に俺様もビックリだが……気にすんな……」
逆に戸惑うフィリウスさんがなんだか面白い。
……ロ、ロイドのあたしたちの紹介……ロイドがなんて言おうとしたのかが気になるけど、とにかく続けさせまいと思って、あたしはいきなりやってきた二人に聞いた。
「それで……はれて夏休みになったんだけど……フィリウスさんが来たのは挨拶する為だけ? それともこの夏は修行の旅にでもロイドを連れてくの? でもってパムは何する予定なのよ。」
「修行? んな事しないぞ? 俺様が教えたい事は教えたし、この先俺様が教えられる事と言ったら俺様自身の戦い方ぐらいだが……今や俺様と大将は全然違う剣術の使い手だからな、大将にはむしろ邪魔になる教えになっちまう。俺様はただ、七年間鍛えてこの間お披露目した俺様の弟子の顔を見に来ただけさ。」
ニカッと笑うフィリウスさんと照れくさそうなロイド。
フィリウスさんの前だと、あたしの知らないロイドがころころ出て来るわね……
「自分は兄さんを迎えに来たのです。兄さんには自分の家に来てもらって、兄妹水入らずで過ごすのです。」
「んまぁ、それはいいけど……オレ、エリルやローゼルさんの家に遊びに行く予定が……」
「構いません。自分もついて行きます。」
ぎゅーって音が聞こえるんじゃないかってくらい抱き付いてるパム……! に少しおどおどしながらロイドがあたしたちに困った顔を向ける。
「ふむ。入学して初めての夏休みだ。ここはしっかりと計画を立てて遊ぶべきだな。寮でその辺りを話そうではないか。」
若干引きつった笑顔でローゼルがそう言ったから、とりあえず寮に向かって歩き出した時、フィリウスさんがロイドの頭を掴んだ。
「大将を少し借りていいか? 俺様、もうちょっと大将と話がしたいんだ。男同士でな!」
右腕を圧迫するパムの――なんか柔らかいモノから解放されたオレは、フィリウスについて少し歩く。
「お、丁度いい噴水があるな。いつの間にか学院もオシャレになったもんだ! 大将、とりあえずあそこに座るぞ!」
噴水の縁に並んで腰かけると、馬車に乗ってる時はずっとそうだった状況――フィリウスと並んで座るって事が随分と懐かしく思えた。
「で、大将。お姫様のいいところはなんなんだ?」
「それの続きを話すのか!?」
「本人の前じゃハードルが高過ぎたかと、こうして二人になったんだろ? ま、話しておきたい事があるにはあるんだが、まずはそっちだ。」
何というか……異性の好みとかたまらないポイントについて語る時のノリノリの顔だった。これは話さないと先に進まないな……
「……エ、エリルのいいところは……」
「おうおう!」
「すごく――頑張り屋さんなところかな。」
「ほうほう!」
「騎士になってやりたい事がはっきりしてて……そのために努力をし続けてるんだ。フィリウスに教わった体術とかをエリルにもそのまま教えたりしてるんだけど……すごく真剣で。んまぁ、そのせいかいつもムスッとした顔なんだけど、そこがまたかわ――」
ふとフィリウスの、過去に類を見ないニヤニヤ顔が視界に入ったから、オレは慌てて言葉を止めた。
「何を言いかけたかを追求したいところだが――ま、今日のところは及第点にしてやろう! だがな、大将。ああいうムスッとした顔もいいと思うって事は、そうじゃない顔を知ってるって事だ。だからこそ、他から見たらただの仏頂面も可愛く見える! なるほど、大将とお姫様はなかなか親密なのだな!」
「へ、部屋が一緒だから……た、たまたま知ってるというか……」
「だっはっは! 部屋が一緒でもそんな顔を見せるくらいに気を許してる異性ってのはたまたまでは済まんさ! 大将は……なんつったか。《ノーベンバー》がいうところの――そうだ、ツンデレ好きなんだな!」
「なんだそれ?」
「だっはっは! 都会じゃ一般的な言葉だぞ? 今度お姫様にでも聞いてみろ。でもって次だ!」
「えっと……青い人がローゼルさん。ローゼル・リシアンサス。」
「リシアンサスか。これまた名門だな。槍とか薙刀とか、長い武器を専門に使うとこだ。」
「そうなのか? ローゼルさんもトリアイナって武器を使うぞ。それに第七系統の水を合わせて氷をこう、巧みに使って攻撃する感じだ。」
「水が得意系統か。ちなみにお姫様は――まぁ火だろうな。クォーツ家の連中は何か知らんが全員火が得意だ。」
「得意な系統って遺伝するのか?」
「さてな。ま、だからこそ《エイプリル》がすすんで護衛についてるんだが――それは今はおいておこう。で、あのナイスバディちゃんのいいところは?」
「ナ、ナイスバディって……」
「んん? 出るとこ出てるのに加えて美人顔だ。ああいうのをナイスバディと言う。」
「た、確かにローゼルさんはスタイルいいけど……」
「ほう? やっぱ大将も男だったか! そこがいいと!」
「い、いや、ロ、ローゼルさんは……その、すごく親切なんだ。オレの知らない事を色々教えてくれる。すごく優秀だし――び、美人だし? 憧れる人も結構いると思う。」
「大将もか?」
「いや、オレは――そんなローゼルさんが実は結構めんどくさがり屋なことを知っているからな。だけど……そう、本性――っていうとアレだけど、それでもついつい面倒見ちゃうみたいなところが好きだな。一回りしてやっぱり親切――いや、優しいのかな。あといつもはクールだけど時々あたふたするところも好きだ。」
「ほう、大将はギャップに弱いタイプか。」
「よ、弱いとかそんなんじゃ……」
「まーまー。ほれ、次は?」
「……あー、金髪の子がティアナ・マリーゴールド。ああ見えて魔眼を持ってて、その上ガルドのとこのライフルを使うんだ。」
「あの――おどおどした感じなのにか? そりゃまた大将好みのギャップっ子だな。」
「なんだよギャップっ子って……ティアナは――すごく純粋だな。なんだかキラキラしてて、守ってあげたくなるんだけど本人は自分の力で頑張ろうとしているから、それを応援したくなる。なんとなく癒される感じだな。でもって料理が上手で、あの四人の中だと一番「女の子」って感じで……近くにいるとホッとするとこがいいな。」
「なるほど、ほんわかした魅力ってのがあるわけだ。しかし、つまり大将にとっての「女の子」ってのは家庭的なイメージなんだな。」
「んー……それとはちょっと違う気がするんだけど……表現するとなると「女の子」としか思いつかないってのが正解かな。」
「ははぁん。よし、最後はもう一人のナイスバディのリリーちゃんだ。」
「……そればっかだな、フィリウス。」
「リリーちゃんはいっつもグルグル巻きだったからな! 俺様にとっちゃ驚きのナイスバディだ! 大将もそうだろ?」
「オ、オレはバ、バディよりも素顔にビックリしたな。」
「ふむふむ! 確かにありゃ可愛い顔してるな! そんなリリーちゃんの真ん丸な眼とかキュートな唇がたまらんと。」
「な、なんでそうなるんだ! リ、リリーちゃんは……なんか一番知っているはずなのに一番謎が多いミステリーな女の子だな。」
「ほう? あの元気っ子なリリーちゃんをミステリアスガールと言うか!」
「ちょこちょこと……か、からかわれたりイタズラされたりして……きょ、距離が一番近いとは思うんだけど、ところどころ裏が見えるというか、だけどそれを教えてはくれないというか。でも基本的に笑顔がかわ――似合う元気な女の子だな。振り回されてる感じもちょっと楽しいし……一緒にいると色々な意味で賑やかになるとこがい、いいかな。」
「そうかそうか!」
こうしてオレの友達である四人の女の子に対するかなり恥ずかしい事を言い終えたオレは、とても満足そうなフィリウスを睨みつける。
「くそ、楽しそうな顔しやがって……」
「だっはっは! これは楽しいというよりは嬉しいだ! ちゃんと大将も恋ができそうでよかったよかった!」
「こ、恋ぃ!?」
「おうともよ! お嬢ちゃんたちが何を考えてるか知らないが、俺様は俺様なりの余計な事をして大将の人生を華やかにしてやろうと思ったわけだ! 人生の師である俺様の親心よ!」
「わ、わけのわからん事を……」
「だっはっは! 青春しろよ、大将。」
やり切った感のあるすがすがしい笑顔でそう言うフィリウス――だったんだが、ふと真面目な顔になった。
「んじゃあもう一つ、大将に伝えておきたい事がある。」
「な、なんだよ、改まって。」
するとフィリウスは一枚の布きれをオレによこした。何かのシンボルだろうか、その布にはなにやら怖い感じの真っ赤なヘビが描かれていた。
「大将、アフューカスって知ってるか?」
死ぬほど恥ずかしかった。
寮に戻って、とりあえず全員があたしとロイドの部屋に来てそれぞれがペタンと座った瞬間、パムの方からロイドの声が聞こえてきた。
パムが不思議な顔で声のする方――ポケットに手をつっこむと、そこから小さな……ラッパみたいのが出てきた。リリーが言うには、これは二つで一つの道具で一方が拾った音をもう一方に届けるモノらしい。
そしてその道具から聞こえて来るのがロイドとフィリウスの声って事から、今二人がしてる会話が聞こえてきてるんだってわかった。あたしたちは勿論、パムにも心当たりがないこの道具から聞こえて来る会話を聞く事数分……パムを除く……あたしたち四人は顔を真っ赤にしてた。
『お嬢ちゃんたちが何を考えてるか知らないが、俺様は俺様なりの余計な事をして大将の人生を華やかにしてやろうと思ったわけだ!』
半分くらいはあたしたちに向かって言われたこの言葉で、犯人がフィリウスさんだとわかったんだけど……ほっぺを膨らませてわなわなするパム以外はそれどころじゃないくらいに――恥ずかしさでいっぱいだった。
が、頑張り屋さんとか、ムスッとした顔がかわ――……!!
こ、これからどんな顔でロイドに……!
「あのゴリラ……お礼なんて言うんじゃありませんでしたね……」
一人だけ顔色が変わってないパムがあたしたちをじろりと睨みながらそう呟いた。
「んじゃ、またその内顔出すからな、大将。」
そう言って、オレをこのセイリオス学院の門の前に置いて行った時みたいな気楽さでフィリウスは帰った――いや、別にどっかに家があるわけじゃない……と思うから、また旅にでも出たんだろうか。
今となっては妹しか家族のいないオレだけど、ああやって時々でも様子を見に来るような奴がいるっていうのはうれしいし――それだけでフィリウスはオレにとって家族みたいなモンなんだろう。
立ち位置としては、親戚のおじさんって感じだが。
「ただいまばぁっ!?」
みんながどこにいるのかわからないからとりあえずオレとエリルの部屋に戻って扉を開けた瞬間、パムが飛びついてきた。
「お兄ちゃんはいつからそんなんになっちゃったの!?」
「そんなん!?」
何のことやらわからず、首にパムをぶらさげながら奥に入るとみんながいた。
「えっと……?」
エリルとローゼルさんとティアナが俯いていて、リリーちゃんが満面の笑みというこれまたわけのわからない光景だった。
「な、夏休みの予定はどうなった……? なんか話した?」
「んふふー、まだだよロイくん。」
「そ、そうか。じゃあ早速――」
「あ、でもねーロイくん。」
「ん?」
「今はちょっと無理かなー。とりあえずさ、夏休みだーって事で美味しいモノでも食べようよ。計画はそのあとでも――んふふ。」
「な、なんか良い事あった?」
「んふふー! んもぅ、ロイくんってば!」
なんでかバシバシ肩を叩かれ、ついでにぶら下がるパムにほっぺをつねられるという攻撃を受けたオレは、きっと我ながら面白い顔をしていたに違いない。
大抵の「学校」と呼ばれる施設が長期の休暇に入るその頃、一年を通して特筆すべきイベントのないとある場所で、それが起きたと発覚するのが少し先の事になる事件が起きていた。
その場所は海の真ん中に建てられており、中に入った者は許可を得ない限り外に出ることができない。
世界に数ある同種の施設の中でも特に凶悪な者を迎え入れる場所として悪党らに恐れられているその場所は――俗にいう監獄である。
街のスーパーで万引きをした程度では付かないが、そこそこの規模の犯罪をすると犯罪者としての級が付けられる。A級ともなればそのほとんどが全世界指名手配となり、この監獄はそんな大物を閉じ込める監獄の一つである。
そんな監獄の一室、数メートル四方の灰色の部屋に男はいた。極悪人だらけのその場所では浮いてしまうだろう若さの青年。髪が栗のように尖っている事以外は特徴のないその男は、監獄の中にいつもと違う空気が流れている事に気が付いた。
いつもそこそこに喧しい監獄内なのだが、少し種類の違う騒ぎがなんとなく聞こえたかと思うとそれが段々と近づき、とうとう男がいるフロアに悲鳴がこだました。
「……誰かが脱獄でもしたとするなら、騒ぎが下からこの上のフロアまで来るのは変な話だ。わざわざ上のフロアにいる悪党を解放してやろうってモノ好きはそういないからな。となると誰かがこの監獄にやってきたという方が現実味があるか。基本的に上のフロアにいる奴が悪党としての格が高い。でもって俺がいるこのフロアは最上階。自分で言うのもなんだがこの監獄じゃ最悪の連中がいるわけだ。そして、騒ぎがここまで来たって事はそんな最悪の誰かを目当てに監獄に襲撃をかけた馬鹿がいるって事だ。」
誰かに説明するわけでもなく、かなり長々とした独り言を呟いた男は自分の隣の部屋の――名前も覚えていない誰かの悲鳴を聞き、次は自分かと鉄格子の外を見た。
「おぉ、やっと見つけたぞ。」
「ふぅん? パッとしない男ね。」
鉄格子の向こうに立ったのは一組の男女。特に見覚えのない二人だったのだが、男の方のセリフからすると目当ては自分だったらしい。男は首を傾げながら二人に話しかけた。
「……時間魔法が入用なのか?」
裏でも表でも、『セカンド・クロック』という名前で通っていた男――プロゴにしてみれば、見知らぬ誰かがわざわざ監獄まで来る用と言ったらそれくらいしか思いつかなかったのだが……
「いや? それに、そうだったとしたら普通にもう一人の方の所に行くさ。」
「いやな通り名よね? 一番じゃないからセカンドなんでしょう? まぁ、低級な連中でもお手軽に頼めるっていう意味じゃいいのかもしれないけれど。」
「……つまり、自分たちは低級じゃないって事か。ま、結構強い騎士とか看守がいるこの監獄を下から上まで突っ切って来たあんたらは確かに強いんだろうな。しかし、時間魔法じゃないとなると見知らぬあんたらがここに来た理由がさっぱりだ。俺がどこぞの巨大な組織に属してたとかいうならその辺の情報を求めてってのもあるかもだが、生憎俺は個人経営だったしな。もしかして、今までに俺がヤッた誰かに関する情報か? もしそうだったとしても――俺はそんなに頭よくないから大抵の事は覚えてないぞ? 残念だが役に立たない。」
「噂通りよくしゃべる男だな。おしゃべりな男は女の子に嫌われるぜ? 男は黙ってその花のような唇からこぼれる魅惑の声に耳を傾けるもんさ。男は飾り、世界は女の子で出来ているのだから。」
誰かを口説くわけでもないのにキザな事をすらすらと言う男を、プロゴは甘すぎるココアを飲んだ時の顔をしながら眺めた。
金髪の――言うなれば「美男子」というところか。オールバックならぬハーフバックとでも呼ぶべき奇妙な髪型――プロゴから見て左側を後ろに持っていき、右側は前に垂らすという愉快な頭をしているのだが、その美形な顔には良く似合う。むしろ、プロゴが疎いだけで最近の流行りなのではと疑いたくなるくらいだった。
服は上下ともホストのようで、それだけならきっと職業はホストで間違いないのだが、この男の仕事が接客でないと言える点が一か所だけあった。
それは肩にかける形で男が背負っている巨大な何か。外見的には銃のようで、持ち運び可能な大砲か何かかと思ったのだが、それにしては形が奇妙な鉄の塊。では一体何なのかと問われてもどう答えたら良いのかわからない、少なくともプロゴは見た事のない代物だった。
唯一直感的に……武器である事はわかったが。
「いやだわ、愛でるだけなんて。相手を自分の情熱で飲み込んでこそでしょう? 男なら女を泣かせるくらいでないといけないわ。」
そんな男に呆れる女だったが、こっちも相当だなとプロゴは思った。
男と同じ金髪で髪型はショートカット。これまた一言で表現するなら「美女」となるだろう美しい顔立ち。腕を袖に通さない形で上着を羽織り、小さいのかそういうデザインなのかわからないが、胸元が大きく開いていてへそが丸出し、その上ボタンが一つしかないという色っぽいシャツを着ていた。
かなり胸が有る為、そのボタンには相当量の力がかかっているだろうから、ちょっとした事でボタンがとび、その胸が露わになるのではと男心にプロゴは思った。
下はホットパンツにブーツだが、後付したと思われるスカートのように長い布が腰から伸びている為に生足はそこまで見えない。が、その左脚にある赤い蛇の刺青の主張は大きかった。
そして何より目を引くのは腰の左右にぶら下がるホルスターに入った拳銃。パッと見で言うなら、ずばりこの女はガンナー。二丁拳銃の使い手だろう。
「飲み込む上に泣かせる? おいおい、妹よ。それじゃあただの陵辱じゃないか。せめられて喜ぶのは極々一部の人間だぞ? 花は愛でるモノであって食べ物ではない。」
「わかっていないのはあなたよ、弟。痛みを伴う責めは兎も角、そこに快楽が付随するのであれば大方の人間は責められたい側よ?」
自分を蚊帳の外にしての二人の恋愛観に関する会話にため息をつきながら、プロゴは思った事を口にする。
「こんな所まで来て結論の出ない個人差の話をするとは。しかしまぁ随分とデコボコなコンビだな。同じなのは髪の色だけ――」
そこまで言って、プロゴの頭に目の前の二人が何者かという事に対する一つの心当たりが生じた。
「金髪の美男美女のペア……互いの妙な呼び方……巨大な得物と二丁拳銃……聞いたことがあるな。騎士にとっての十二騎士のような存在――俺たち悪党にとっての一つの憧れみたいなモノでもあるS級犯罪者の中にそんな二人組がいると。確か通称――『イェドの双子』。」
プロゴが半ば独り言のようにそう言うと男の方が鼻を鳴らす。
「正解だ。ちなみにイェドというのはボクらの故郷の名前だ。覚えておくといい。」
「故郷が通り名に使われるのか。住んでいる者がみな殺し屋とか、そういう危険な故郷なのか?」
なんとなく思った事を言うと、女が笑った。
「あはは! まさか、普通の町よ。あなたもそうであるように、名が上がると二つ名とか通称みたいなのが付くでしょう? でもあのデブ饅頭みたいに『滅国のドラグーン』とかいう品の無いのをつけられてもたまらないから、あたしたちが自分でそう名乗っているだけよ。」
「故郷としてはいい迷惑だろうな。世界的犯罪者の通り名に町の名前が使われるのだから。」
「そうでもないわ。もしも町に手を出そうものなら、『イェドの双子』が黙っていない――ほら、町は名をかかげるだけで色々とお得でしょう? きっと誇らしく思っているわ。故郷へ錦を飾るってこういう事よね?」
「少し違う気がするがな。」
騎士の連中が勝手につけた格付けだが、実際A級の自分がS級のこの二人と戦って勝てる道理はなく、意味もなく殺されるという可能性も充分ある。プロゴはとりあえず命を諦め、改めて二人に尋ねた。
「――で、俺に何の用だ?」
「情報さ。」
「……さっきも言ったが、俺はそんなに――」
「関係ない。お前の口から聞こうってわけじゃないからな。とりあえず、ボクらについて来てもらうぜ。」
「聞くわけではないが欲しいのは情報ときたか。となると、何らかの方法で俺の頭の中でも覗こうってわけか。恐らく拒否権はないだろうし、しようがしまいが俺の末路は見えている。ならば、残りの人生ってのをもう少し長くしてできるだけ謳歌するとしよう。」
「長々とした返事だが……了承って事でいいだよな? ならこれを首につけろ。」
牢の中に放り込まれたのは鉄の首輪。イメロか何かか、妙な色の石がくっついている変な首輪だった。
「これは……?」
「時間魔法で逃げないようにする為のモノさ。」
イェドの双子の後ろをトボトボ歩きながらだいぶ早まった出所をするプロゴは、この双子が自分の所に来るまでに倒した――いや、殺したのだろう多くの看守や騎士、そして囚人の死体を眺めていた。
襲撃したのが二人なのだから当然と言えば当然に、監獄内の死体には二種類あった。
一つは全身に銃弾を浴びせられた死体。まるで親の仇か何かに対するモノのように頭のてっぺんから足の先まで銃弾の跡が散りばめられている。ただ妙な事に、何故かその銃弾の跡は死体の背中にまであった。
普通、銃で相手を撃ち殺すというのであれば弾が当たるのは相手の一面のみ。大抵相手は自分の方を向いているから基本的に銃弾の跡は相手の前面に残る。それが背中――背面にまで来ているという事はつまり、相手の後ろからも銃弾が来たという事。
相手の周りをグルグル走り回りながら銃を乱射したのか、はたまた何かの魔法なのか。何にせよ、イェドの双子の女は普通とは少し違うガンナーのようだ。
そして死体のもう一つのパターン。こちらは逆に、刃物――恐らく剣や槍で心臓や頭といった急所を一突きされている。それ自体におかしな点は無いのだが……消去法的にこっちの死体を作ったのが男の方だとすると少し妙だ。何故なら男はそういった武器を持っていない。
氷や砂で作った剣の使い手なのかもしれないが、だとすると背中の得物は何なのか。
さすがというべきか、女もそうなら男の方も、少し変わった戦闘スタイルを持っているようだった。
夏休みになった。んまぁ、正確に言えば昨日の午後からそうだったんだけど。
街に出てちょっと豪華な夕飯を食べた後、オレたちは夏休みの計画を立てた。とは言っても、みんなの家族がこの休みに何かをしようとしている――例えば旅行とかを計画している可能性はあるわけで、その辺を一度確認しないと計画を考えるのは難しい。
ただ、唯一エリルの家に行くというイベントは日時が決まっていた。エリルのお姉さんの都合なのか、夏休みに入ってからちょうど一週間後を指定する電話がエリルにかかってきたのだ。
もしかしたらその日に何かをする予定をいれている家もあるのでは? と思ったのだが、ローゼルさん曰く、その日に何かを予定していようとも、王家の招待を断る騎士の家はないとのこと。
「家の誰かが死んだりしない限り、何をおいてもこの招待は受けろと言われるだろうな。」
「そうか……オレとしては友達の家に遊びに行く感覚だけど、騎士からしたら王家へのご招待なわけか……一大事だな。」
「一応招いてるのはお姉ちゃんだから……そういうつもりはないと思うけど。」
なにはともあれ、エリルの家に行くイベントは最早強制イベントみたいなものになった。
「ふむ、ではこうしよう。皆はそれぞれの実家に帰り、そこで予定を確認する。そして一週間後にエリルくんの家でその予定を合わせ、他の皆の家に遊びに行く日を決めるのだ。」
「え、てゆーか全員の家にお邪魔するのは決定なの? ボクとロイくんは無いとして、クォーツ家とリシアンサス家とマリーゴールド家に?」
「クォーツ家がエリルくんを救ってくれたお礼をロイドくんにするのなら、リシアンサス家――というよりはわたしは、わたしを強くしてくれたロイドくんにお礼をするのさ。騎士を目指すのなら、名門と名高い我が家を見ておいて損はないはずだ。」
「あっそ……」
「あ、あたしは別に良いよ……ちょっと遠いけど……」
と、きっとこういうのをなし崩しと言うんだろうけど、みんなの家にお邪魔する事が決まった。
「おお……なんだかすごく楽しくなってきたぞ。」
こうしてひとまず一週間後の予定が決まり、始まった夏休みにウキウキしていたオレは次の日の朝、いつの間にかオレの荷物をまとめていたパムに引っ張られ、慌ただしくもエリルにちょっとの間のお別れの挨拶をした後、パムの家にやってきた。
パムの家は普通に同じ街にあるんだけど……そうは言ってもここは天下の首都。結構広いわけでちょっと遠出すると風景が変わって同じ街とは思えない感じになる。
街の真ん中の王宮を挟んでちょうどセイリオス学院とは反対側の方向にオレの妹の家はあった。
「家って言うよりは国王軍の寮って感じだけどね。」
もちろん、二人一部屋のセイリオス学院の寮と比べれば部屋は小さいけど、一人暮らしとすると結構広い。
「もしかして……上級騎士だからこんなに広い部屋とか?」
「そうだね。軍って上と下の区別がいい意味でも悪い意味でもはっきりしてるんだよ。」
「そっか。すごいんだなぁ、パムは。お兄ちゃんびっくりだよ。」
と、何となくそう呟くとパムが凄く驚いた顔になり、そしてすぐに目をキラキラさせた。
「それ、すっごく懐かしい! っていうかやっと聞けたっていうのかな。お兄ちゃんってばなんか他人行儀だったから、パムちょっと心配だったんだよ?」
なんの話だろうと一瞬思ったけど、そういえばオレはパムと話す時、自分の事を「お兄ちゃん」と呼んでいた。
「そりゃあ……ほら、パムが随分美人になっているから……」
「お兄ちゃんもかっこよくなっててビックリしたよ!」
そう言いながらパムは台所で何かを淹れ、壁際に置いてあるソファの前のテーブルのそれを二つ並べて自分はソファに沈み込んだ。
「はい、お兄ちゃんはこっちね。」
「?」
自分の隣をバシバシ叩くパムに従い、オレはパムの隣に座る。
「! これハチミツ茶?」
「うん! お母さんがよく淹れてくれたよね。」
オレに寄りかかりながらそれを飲むパム。オレもそれを飲み、その懐かしい甘さにほっこりする。
「さぁ、お兄ちゃん。たくさんお話しよう。」
「話……」
「この七年間、パムが何をしてたのか、お兄ちゃんが何をしてたのか。とりあえず一週間あるからね!」
一週間もしゃべる予定なのか……
「そうだね。んじゃあ、お兄ちゃんからしゃべろうかな。」
オレがそうだからたぶんパムもそうだろうと思い、オレはあの夜の事は話さずにフィリウスに拾われた所から話を始めた。
後悔とか未練とか、そういう後ろ向きなモノを全て筋肉に変えてしまったんじゃないかってくらいに豪快なフィリウスに拾われたからか、オレは一週間くらいで……とりあえず笑えるようになった。
そこからさらに数日の間、オレはフィリウスの横にいるだけの子だったんだが、ある日ふとフィリウスがオレに仕事を頼むようになった。
仕事と言っても、例えばまきを割ったり魚を釣ったりと子供にもできる――というか、そういうことを日頃やっていたオレには教えられなくてもできる事だった。
「お兄ちゃん、釣りがすごく上手だもんね。結局村の誰にも負けなかったでしょ?」
「うん。フィリウスはあれで狩りの技術を全く持ってない奴だったから……大抵ご飯は魚だったな。たまに何かの偶然で獣がとれると嬉しかったもんだよ。」
そうやって横にいる子から一緒に旅をしている子になったくらいで、オレはフィリウスの旅の目的が気になった。だけど聞いたらフィリウスはこう言った。
「特に無いぞ? 強いて言えば、旅をする事が目的の旅だな!」
その時はただの放浪好きかと思ったけど、今にして思えば十二騎士として普段目の届かない地方を見てまわっていたのかもしれない。
でもってたぶんオレがその質問をした頃だったと思うが、フィリウスはオレに戦い方を教え始めた。確かに、それまでに何度か盗賊とか危険な野生生物にも遭遇したから、そういうモノへの対処の仕方っていうのを覚える事は大事だなと思ったオレはフィリウスの教えに耳を傾けた。
最初にやったのは基礎的な身体作り。体力や筋力は何においても基本だからと、走ったり腕立てしたりした。それに身体が慣れてくると、今度は戦い方の基本みたいなのを教えてくれた。
獣と戦う時、剣を持った相手と戦う時、自分より大きい敵、飛び道具の使い手――色んな相手を想定し、その時の自分の動き方をなんだかたくさん教えられた。
「十二騎士のマンツーマン……お兄ちゃんが強くなるわけだね。」
「あれ? パムはお兄ちゃんが戦うところ見た事あるんだっけ?」
「見た事ないけど、『セカンド・クロック』の話とか聞いたもん。」
「追い払っただけだけどね……」
避け方とか素手での防御の仕方を学んだ後、今度はこっちからの攻め方かと思いきや、何故かフィリウスはオレに二本の剣を渡し、それを回せるようになれと言った。
武術とか剣術というのを全く知らないオレは、すごく強いフィリウスの言う事だから何かあるんだろうと思い、とにかく回す練習をした。
片手ではなんとか安定して回せるようになったくらいで、ようやくフィリウスは攻撃の仕方を教え始めた。避け方の時もよく言われた円を意識した動きを取り入れた攻め方はここでひとまず形になったのだ。
「曲芸剣術かぁ……後で見せてね、お兄ちゃん。」
「うん……パムも見た事ないのか?」
「パムもって言うか、あれを使える人って冗談抜きで今の時代はお兄ちゃんだけだと思うよ?」
「えぇ? 確かに前に先生が難しいって言っていたけど……そこまで?」
「第八系統の使い手で剣士を目指すなら、きっとみんなが一回は調べて見た事あるとは思うよ? でも古流剣術に分類されちゃってるし、名前も曲芸剣術っていう如何にも駄目そうな名前だし。初めて剣を握る人が最初に選ぶ剣術じゃないんだよ。そして、他の剣術を学んじゃったらあれは出来なくなっちゃう。だからお兄ちゃんみたいになんにも知らない時にそれしか教えられなかったとか、そういう場合でもない限りあれの使い手になる事はないんだよ。」
「そっか……」
その後、フィリウスとまわったあっちこっちでの色んな思い出を話し、オレはオレの六……七年間の話を終えた。
旅の話は笑いながら聞いていたパムだったけど、学院に入ってからの事……特にエリルやローゼルさんとかとの出会いは何でか詳しく聞かれた。
「んもぅ、お兄ちゃんは。」
「な、なにが?」
「昔はそんなにアレじゃなかったのに。まぁでもお兄ちゃんはカッコイイから大人になればこうなるかもとは思ってたけど。」
「なんの話だ、パム。」
「まったくもぅ……誰をお嫁さんにするのかは知らないけど――」
「お、お嫁さん!?」
「そうだよ。別にあの中の誰かってわけじゃなくても、いつかは誰かをお嫁さんにするでしょう? その時はちゃんとパムに紹介してね。」
「そ、そりゃ勿論……」
「お兄ちゃんのお嫁さんにふさわしいかチェックするから。」
「こ、小姑だね。」
「そのかわり、お兄ちゃんもパムのお婿さんのチェックをするんだよ?」
「も、もちろん……」
まだ十五歳なのにもう結婚の話とは気が早いなぁ。
と、そんな感じでオレの話をした後はパムの話になったんだけど……パムがあの夜から今日までどういう経緯で今に至ったのかって言う事の大体は聞いたから、オレがパムに色々尋ねるって形になった。
「パムは――第五系統の土の使い手なんだよね。」
「うん。」
「ゴーレムっていうんだっけか。砂の巨人を一瞬で作ってたけど……あれってすごいんだろう?」
魔法に関しては相変わらずわからない事の多いオレは、パムのすごさを確認しがてらそんな事を聞いた。
「巨人を作るっていう事ならあれくらいは誰でもできるかな。でもそれを制御するのが大変な砂で作れるパムはすごいって色んな人に言われたよ。」
自慢したいんだけど自分で言うのもあれだからそんな風な言い回しをしながらオレの事を横目で見るパムは昔と変わらない。
「そっか。パムはすごいな。」
昔を思い出しながら頭をなでると、パムは変わらない笑顔を見せた。
「普通は岩とか石でやるって聞いたけど……やっぱり砂の方が細かい動きとかできるから砂で作っているのか?」
「うーん……パムが砂で作るのは別に戦いを意識してじゃないんだよ。」
「?」
「えっとね……『死者蘇生』の魔法のこと、前に話したでしょ? その時にあれをやるための条件を話したと思うんだけど、その中の一つの――第五系統の使い手……しかも相当な達人じゃないとできないって所なんだけど、それに関係して……実はもう一つ条件があるの。」
「四つ目?」
「うん……別に必須じゃないんだけ、大抵は必須かな。」
「?」
「『死者蘇生』を簡単に説明するとね、あの世に行った故人の魂を呼び寄せて、土で作った新しい身体に定着させるっていう魔法なの。」
「えぇ? じゃあ復活した人は――土でできた身体なのか?」
「最初はね。でも魂の影響を受けて土の身体はだんだんと人間の身体になっていくの。だいたい一、二年くらいかかるけど、そうなればちゃんと成長もするしケガもするんだよ。」
「なるほど。」
「でね、ここが大事なんだけど、その土の身体って人の形って事と、性別さえあってれば他は何でもいいの。」
「? というと……?」
「例えばパムがお兄ちゃんを甦らせたときに《オウガスト》みたいなマッチョな身体を用意してたら、お兄ちゃんはムキムキの姿で復活するんだよ。」
「えぇ!?」
「岩や石レベルでゴツゴツしててもさっき言った事をクリアさえしていれば魂は定着しちゃうみたいでね……だから術者にはどうしても、蘇らせる人の生前の身体をきれいに再現できるくらいの技術が必要なの。……まぁ、ゴツゴツでもいいって言うなら別にそれでもいいんだけど。」
「そっか……じゃあパムはお兄ちゃんの身体をきれいに作る為に……その、ゴーレムの練習を?」
「うん。正直、あれでもまだまだなんだ。シルエットはきれいでも、顔の――目とか鼻ってなると結構難しいの。」
「そっか。なにはともあれ、会えてよかったよ。」
再会しなかったら、パムはずっと魔法の修行を続けて、そして『死者蘇生』をやって――オレは生きているわけだから失敗する。それを目標に頑張ってきたパムがそうなったらどうなっていたか……それを想像し、オレは隣のパムを抱きしめ――
「びゃあっ!?」
――たら突き飛ばされてソファから転げ落ちた。
「おおお、お兄ちゃん!? パムはお兄ちゃんの妹だよ!?」
なんかそれ、前に似たのを聞いた気がするな。
「いや……こう、再会の喜びをもう一度実感して自然とって感じだったんだけど……」
「あ、そ、そっか! ごめんなさい!」
のっそりとソファに戻ったオレはなんかエリルみたいな顔したパムを横目に呟く。
「――でもパム。この前一緒に寝たわけだし、そもそもお風呂にも入ろうとしたよね……」
「パ、パムからするのはいーんだよ! 妹なんだから!」
「お兄ちゃんからやるのはダメなのか……」
「妹がお兄ちゃんに甘えるのはあるけど、逆はないでしょ?」
「おお、なるほど。」
妙に納得してしまった。
「だからいきなりああいうのはやっちゃダメだよ? せめてやる時はやるよって言ってくれないと……パムにもこ、心の準備があるんだから!」
年頃の妹とのコミュニケーションは色々と難しいようだ。
「よ、よし。話題を変えよう。オレを育ててくれたのはフィリウスなわけだけど、パムを育ててくれた――ウィステリアさんっていうのはどういう人なんだ? 騎士って事は教えてもらったけど。」
「おじさん? おじさんはねぇ――」
朝起きて、部屋の真ん中のカーテンを開けたらパムがロイドの首根っこを掴んで窓の方に向かって歩いてて、あたしが目を丸くしてたらロイドが「ま、またなエリル!」と言って、庭に出たパムがロイドを掴んだまますごいジャンプをして視界から消えてから数時間後、あたしはあたしの荷造りを終えた。
お昼過ぎくらいに迎えをよこすってお姉ちゃんが言ってたからそれまで暇だわ。
「……ホントにロイドって私物が無いわね。」
ベッドに座ってなんとなく眺めてたロイドのエリアには今やロイドの私物は何もない。二本の剣とボロい服とちまちました小物と数着の服。それがロイドの私物の全部で、あたしみたいに時計を置いたりとかしてないから……一人でこの部屋を使ってた時に戻った感じね。
「……」
ちょっと前、リリーが来てこの部屋で殺気をばらまいた時……あの子はロイドの布団にくるまってた。
「…………」
ふと立ち上がって、ちょっと歩いて、あたしはロイドのベッドに座り――
「………………」
そのまま倒れた。あたしのベッドと別に変らないクッション――そりゃそうだわ。
「……ん。」
仰向けからうつ伏せに向きを変える。そうしたってあたしのベッドと何も変わらない。
ただ一つ――
違うのは――
ロイドのにお――
「何やってんのあたし!」
ガバッと起き上がる。だぶん顔真っ赤だ。
だけど誰もいないし誰も来ないし……
「……んぐ。」
リリーがやってたみたいに布団の中にもぐりこんで丸まる。
なんか変な気分だわ。
だ、だいたいロイドのにお――なんてこの前……青い顔したロイドを抱きしめた時――
「――!!」
今更色々恥ずかしくなったあたしはゴロゴロ転がる。
――ロイドが来てからこんなことばっかりだわ。うちに来るっていう話も、なんか一難ありそうに思うし。
「でも――あんまり嫌じゃないのが不思議ね……」
そこまで一人で呟いたところで誰かが扉をノックした。飛び起きたあたしは布団をなおして深呼吸してから扉を開けた。
「……ローゼル。」
扉の向こうにいた、大きな荷物を持った私服のローゼルはあたしを見てその表情をみるみる――あの半目への字に変えた。
「な、なによ。」
「……ロイドくんは?」
「朝早くにパムに連れてかれたわ……」
「じゃあ今は一人か。」
「……そうよ。」
「そうか……すると、その髪の毛のグシャグシャ具合はなんなのだ?」
「え――こ、これは……ね、寝癖よ!」
「ほう。まるで布団の中でゴロゴロ転がったかのようにその赤い髪が身体に巻き付いているし、そもそも服装がパジャマではないという事は――その格好で昨日寝たのか? でないとすると着替えた後、寝癖とやらがついたことになるが?」
「う、うるさいわね! どうだっていいでしょ、そんなこと! そんなことより何の用よ!」
「なに、わたしはそろそろ行くぞと、一先ずの挨拶に来ただけだ。」
「あっそ。じゃあ一週間後にね。」
「そうだな……それはそうとエリルくん。」
「な、なによ。」
「夏休みだからと言って、あまり羽目を外さないようにな。特にそう……ひと夏の経験とか。」
「ななな、なんの話よ!」
「さて、何の話かな。」
そう言い残して、ローゼルは荷物をゴロゴロ転がしながら寮を後にした。
その後しばらくしたら今度はティアナも来た。
「エリルちゃんは、まだ帰らないの……?」
「あたしも帰るわよ。お昼くらいに迎えが来るの。」
「そう……なんだ。えっと、ロイドくんは?」
「パムに連れてかれたわ。」
「そ、そうなんだ……えっと、じゃ、じゃあまたね。一週間後に……」
「ええ、またね。」
例のスナイパーライフルが入ったバッグとローゼルのみたいなカバンを引きずりながら、ティアナも出発する。
これで寮に『ビックリ箱騎士団』のメンバーはあたしだけになったわねと思った時、ふと気が付いた。
「そういえばリリーってどこの部屋なのかしら? 部屋がもう無いからロイドがあたしのとこに来たわけだし……」
「ボクはとりあえず宿直室だよ。」
独り言を部屋で呟いたら来るはずのない返事が来たんだけど、なんとなくそうなるような気がしてたあたしはそんなに驚かないで声の主を見た。
私服……なんでしょうね。商売人としての格好でも制服でもない普通の服のリリーがロイドの机に座ってる。
「あんた、ドアをノックするって習慣がないわけ?」
「ここは特別かな。エリルちゃんとロイくんが何してるか知っとかないといけないからね。」
「な、なにもしてないわよ!」
ついさっき潜ったロイドの布団をチラ見して、あたしは話題をそらす。
「それより宿直室ってどういう事よ。」
「んっとね。夏休み中に工事して学食に購買を作るんだけど、ボクの部屋はそこに併設される予定なんだよ。だからとりあえず、そこができるまでは宿直室。」
「ふぅん。」
「そんなことよりロイくんは? パムちゃんが連れてっちゃった?」
「朝早くにね。」
「そっか……」
そう言いながらリリーは小さなメモ帳を取り出してそれを開いた。だけど何かを書くわけでもなく、ただ眺めただけですぐにしまった。
「さて……ボクも商会に行こうかな。また一週間後にね、エリルちゃん。」
「……ええ。」
何しに来たのやら、そう言ってパッと消えるリリー。
「……結局全員が挨拶に来たわね……」
部屋の場所的に寄り易いっていうのはわかるんだけど……こんな風に挨拶されて夏休みに入るなんて、ロイドが来る前なら思わなかったわね。
「……」
こうして寮に一人になったあたしは……いつもなら間抜けな顔でそこにいるルームメイトの事を考えて、そいつのベッドを見て、ついさっき自分がそこでしてた事を思い出して――
「――――!!」
自分の枕に顔を埋めた。
第三章 王族の家
「大将、アフューカスって知ってるか?」
十二騎士の一角、《オウガスト》を襲名した男、フィリウスが彼の弟子である青年に語った話は、半ばおとぎ話になりつつあるモノであった。
その名前が今の騎士にあたる正義の執行者の間に広まってから優に百年単位の時間が過ぎ去っているが、名前が指しているモノは変わっていないし、代わってもいない。
アフューカスとはとある人物――女性の名前である。
曰く、壮絶な過去を持つが故に世界を憎んだ少女。
曰く、自然発生した悪という名の災害。
曰く、最上位にして最悪の魔法生物。
人間である事は確かなはずだが、時にそれ以上の存在として様々に語られる彼女が行った事は単純明快――悪い事である。
人を殺してはいけないと言われれば小高い死体の山を作り、自然を保護しよう言われれば広大な森林地帯を焼き尽くす。触れてはいけない秘宝があれば遺跡を破壊して宝を撫で回し、起こしてはならない魔法生物がいれば尻尾を引きちぎって大都市にけしかける――彼女の行為はその全てが悪行の一言で語る事ができるとさえ言われている。
彼女がどういう方法で数百年の時を生きているかは不明だが、問題はそんな彼女を歴史上の正義と呼ばれる者たちが一度たりとも粛清できていないという点だ。
大小に関わらず全ての悪行を行う彼女は当然それを可能にする力を持っている。今の十二騎士に相当する当時最強の正義らが彼女一人に返り討ちにされたという話もあり、その実力が桁外れなのは確実だ。しかし、その時々の正義の使者が彼女を恐れ、そして倒すことが出来ない最大の理由は彼女自身の実力ではなく――彼女のとある才能にある。
それが『世界の悪』と呼ばれる彼女の――悪としてのカリスマ性である。
その時代時代にて名を轟かせる悪党を心酔させ、従わせる力――魅力が彼女にはあるのだ。自らの悪道に従って悪逆に走る者を惹きつけるモノとはなんなのか。それこそ悪党にしかわからない事である為に具体的なモノはわからないが、一人いるだけでも手を焼く大悪党を複数人束ねてしまうその力にこそ、世の正義は戦慄しているのだ。
彼女が束ねる悪党。彼女のこだわりなのか、その人数は決まって七人である。彼女が率いる集団は、その七人と彼女、それに彼女の傍に常に立つ一人を加えて九人で成り立っている。
悪の道を行き、ある程度まで歩を進めた者らは、個人差はあるものの、その七人に入る事に憧れるようになる。悪の道を進めば進む程に彼女の偉大さと魅力が理解できるのだと、とある悪党が語ったという記録もあったりする。
紅い蛇をシンボルに掲げるその集団が引き起こす悪事は、そのどれもが国や世界を揺るがすモノであり、実際、過去に二度ほど世界は滅びかけたと言われている。
正義を志す者――いや、世界が避けて通れぬ最凶最悪の悪である彼女なのだが……ここしばらくの間は何もしていない。常に彼女への警戒を行っていた正義の者らは、油断してはいけないと思いながらも何も起きない平和な世界を前にホッとしていた。
共通の敵が無くなったからなのか、国家間のいざこざが多くなってきた為に正義の者たちもそちらに忙しく――次第に彼女の名前は伝説となっていった。
『悪い事をしているとアフューカスに食べられる』などという本来の意味も知らずに子供を叱りながらその名を使う世代も出てきた程で、彼女の名前はおとぎ話に出て来る悪魔か何かの名前にまで成り下がった。
アフューカスという名前の人物がどういう存在なのか。これを知る者は現在、上級以上の騎士と各国の一部の為政者のみとなっている。どこかの誰かが討伐した、ついに寿命を迎えたなどかなり希望的な憶測で片づけてしまっているが、だからと言って来ない相手に無駄に怯える事もない。十二騎士や各国の情報部が目を光らせ、国民は知らずに過ごす。そんな状態がしばらく続いていたのだが――
「姉御、風邪引きますぜ?」
「お前……あたいが風邪引くように見えんのか?」
ダンスパーティーの一つも開けそうな広い部屋。見るからに高そうなソファに座る女を部屋の隅っこでピザを切り分けずに食べる太った男が案じたが、女は太った男を見ずに本を読みながらそう言った。
太った男が心配するのもそのはずで、女はタオル一枚を身体に巻いているだけなのだ。その上いつもなら波を打っている髪も濡れていて、顔や腕などにはりついている。状況的に、風呂上りに髪も乾かさずにいるというところだろう。
「あっしも男なんすが……」
「知ってる。だがなぁ、バーナード。女って生き物は目の前に肉の塊があるから裸にはなれないなんて言わねーんだ。」
「へぇ……」
太った男が油でテカテカした指でほほをポリポリかく。
『要するに、男として認識されていないのだな。』
小さなタオルとドライヤーのようなモノを手に、長身のフードの人物が部屋に入って来た。そして女の後ろに立ってその髪を乾かし始める。
『しかしバーナード、お前にも性欲はあるのだな。てっきり食欲となけなしの睡眠欲だけで動いているのかと思っていたが。』
「ぶはは! 良い事言うな、アルハグーエ! どうなんだ、バーナード。」
「さっきのは一応言ってみただけでさぁ。アルハグーエの言う通り、あっしにあるのは主に食欲でさぁ。」
「はぁん? んじゃあお前には裸の女が何に見えるんだ?」
「柔らかそうな肉でさぁ。」
恐ろしい会話が飛ぶその部屋に、さらに二人が入って来た。
「! お姉様! あたしはまだ任務を完了していないのにもうご褒美を下さるのですか!?」
「ぐああ! 妹、どうしてボクの目を潰した!」
両手をわなわなさせながらタオル一枚の女をよだれを垂らしながら見つめる金髪の女と、その女に目つぶしをされて両目を覆う金髪の男。そんな二人を見てタオル一枚の女はため息をつく。
「ポステリオール……お前はどっちかつーと男を食う方だよな? なんであたい相手の時だけ同性愛に目覚めんだ気色悪い。」
「性別なんて関係ありませんわ! お姉様が美し過ぎ――いやだわ、鼻血が……」
嬉しそうにティッシュを取り出す金髪の女――ポステリオールの横で金髪の男は目をしぱしぱさせる。
「あー、やっと見えてきたな……あれ、姉さんお風呂上りですか? 相変わらず美しい。普段の女神の如きウェーブも良いですが、そのストレートをつたう水滴が宝石のように煌めく姿も甲乙付け難く。加えて雪のような素肌も露わとあれば、姉さんをボクの腕の中に抱きしめてその美を堪能したいという禁忌を思い描かずにはいられません。あぁ、うやましいぞアルハグーエ。その御髪に触れるその役目、あと数分早く到着していればこのボクが引き受けたモノを……」
『ウェーブ? あの髪型はただの壮絶なくせっ毛だぞ、プリオル。』
「手を加えずに女神という事だろう?」
キザな事を口から垂れ流した金髪の男――プリオルは爽やかな笑顔をフードの人物に見せた。
「美しいだの女神だの――誰をつかまえてんな事言ってんだったく――あ? おい、アルハグーエ。こりゃ何の真似だ。」
髪を乾かし終えたフードの人物がタオル一枚の女の周りを、どこから出したのかカーテンのようなモノで覆い隠し、彼女がいつも着ている黒いドレスをその中に放り込んだ。
「生娘じゃあるまいし、誰に裸見られたって構やしねーぞ?」
『知ってはいるが、このままいつも通りに堂々と着替えられるとポステリオールが鼻血を吹き出して倒れるだろうし、プリオルが延々とお前の美を言葉にするだろ? 話が進まなくなる。』
「めんどくせぇ……」
カーテンの中でゴソゴソと着替え、そして出てきた女は首から下げた逆さ髑髏を揺らしながらソファにドカッと座った。
「――で、何がわかったんだ?」
タオル一枚から、真っ黒なドレスになった女がそう言うと、ポステリオールが頭を下げた。
「申し訳ありませんわ、お姉様。正直、『何もわからないという事がわかった』という感じです。」
「あぁん?」
「セイリオスに入る前の記録がごっそりないのです。故郷もあの剣術を教えた者も不明なのですわ。」
「まるで公的機関に一切関わらない生活をしてきたかのような記録の無さ……生まれてからずっと放浪の旅でもしていたのですかね、この少年。」
プリオルが調査した事をまとめたのであろう資料をスッと出しながらそう言った。
『資料に残らない人生を送って来たとなると、これは本人やその周囲を直に観察する必要があるな。それこそバーナードの力を借りて誰かを誰かに変身させて傍につけるか……』
黒いドレスの女が動かない為、一歩前に出て資料を受け取ったフードの人物がそう言うと部屋の隅の太った男が口を開く。
「誰かを変身させて学院の学生とか教師に紛れ込ませるのは無理でさぁ。さすがのあっしも、あの爺さんが発動させた防御魔法を騙せる自信はないんでさぁ。」
『――となると結局外から眺めるだけだな。今と状況が変わらない。』
「面目ないでさぁ……」
フードの人物と太った男が悩む中、プリオルが不思議そうな顔でドレスの女にたずねた。
「そもそも、どうしてこんな面倒な方法を? いつもの姉さんならとりあえず学院を襲撃していらない連中を片付けてからゆっくりと捕まえて、欲しい情報を吐かせるでしょうに。」
「そうですわ。人目をはばかるなんてお姉様らしくないと言いますか……」
金髪の双子の疑問を受けたドレスの女は、ため息交じりにそれに答えた。
「あたいが欲しいのは情報じゃなく、思想――考え方なんだよ。」
「思想……姉さんが欲しがる程の悪の考えをそいつが?」
プリオルがフードの人物の手にある資料に載っている青年の写真を怪訝な顔で見る。するとドレスの女は、その場にいる全員が見た事のない艶のある表情で語りだす。
「予想も予感もねぇある日に見つけたんだ。色んな奴から悪って呼ばれて満足してたあたいに一喝! 身体中に衝撃が走るってのはああいう感覚なんだな。セイリオスの生徒っつーから、とりあえず死にはしねぇし街も崩れない程度の魔法生物をこの前ぶつけた。こういう世界に生きてるんだ、まずは実力が知りたいだろ? したらまさかの――くっくっく! ますます興味が湧いた。んで、そんな思想と実力を身につけるに至った理由が気になったっつーことだ。」
ドレスの女の見た事の無い表情によだれを垂らしながら、ポステリオールは質問する。
「で、ですがそれなら尚更、さらって聞きだせば……」
「馬鹿、生き物ってのは環境が変わると思想とか人格も変わんだろ? お前らも悪党やってんなら見た事あるはずだ。」
「それは勿論……家族とかを奪われた男や女の変わりようときたら見ていて可笑しくなるほどですわ。まぁ、あたしたちが生む狂乱なんて、お姉様が生む凶乱に比べたらままごとですけど。」
「要するに、いつもの方法でやっちまうとあたいの欲しい考え方が手にはいんねーんだよ。傷なくゲットする為にはそもそもどういう奴なのか知っとく必要があんだが……ったく、それがわかんねーってんだろ? くそが。」
『慣れない事はするものじゃないな。せめて学院の外に出てくれれば、じっくり観察できるモノを。』
「なら今は丁度いい時期だろ。」
ドレスの女でも、フードの人物でも、太った男でも、金髪の双子でもない誰かの渋い声が広い部屋に響いた。見ると部屋の入口の扉が開いており、そこに一人の男が立っていた。
頭頂部には何もないのに頭の両側には翼のように白い髪が伸びているという、高い山とは逆の色合いをした頭にしわの目立つ顔。背中はピンと伸びているが、その顔や肌の具合からして老人と表現できる年齢だろう。
クリーニングしたてかと思うほどにパリッとした白衣に両の手を突っ込んで葉巻をふかしており、科学者のような格好ではあるが渋みがある。
「ケバルライ? おまえ、なんでここにいんだ?」
ドレスの女がそう言うと、老人は――奇妙な事に直立不動のまま部屋に入って来た。まるで浮いて移動しているかのようにドレスの女のところまで来ると、老人はぷはぁと煙をはいてにやりと笑う。
「ワレらがヒメサマが恋する乙女になったという連絡を受けたら何をおいても駆けつけるだろ。あのヒメサマが恋愛だぞ?」
「おいおい。あたいだって恋の一つもした事あんぞ?」
「昔の話だろ。今のヒメサマを惚れさせる男なんざ、天変地異の中心に仁王立ちするくらいのポテンシャルは前提であると考えられるからな。」
「……連絡したのはおまえか、アルハグーエ。」
『ついでに、私たちを殺したがっているという事も伝えた。全員にな。当然だろう?』
「めんどくせぇことしやがって……」
苛立ち顔で組んでいた脚を組みなおすドレスの女。それを正面から見ていたポステリオールが鼻血を吹き出すのを横目に、プリオルが老人に尋ねた。
「それでケバルライ。丁度いいというのは?」
「まったく……生まれた時から悪党やってる奴はこれだから。学校に一年だけでも通っていればこの時期がどういう時期かすぐに理解できるんだがな。」
『ん? そうか、夏季休暇か。』
フードの人物がそう言うとドスドスと近づいてきた太った男がポンと腹を叩いた。
「今なら全員学院の外って事か。こりゃお目当ての学生にも近づけるってモンでさぁ。」
「あぁん? んならイェド、おまえらが引き続き見てこい。」
「了解です、姉さん。」
「わ、わかりましたわ、お姉様……」
金髪の双子が床に血痕をつけながら部屋から出ていくと、老人が白衣のポケットから小さなケースを取り出してドレスの女に渡した。
「修理した。踏んづけても壊れないくらいにはしたぞ。」
ケースを受け取り、中身を取り出したドレスの女はニヤッと笑った。
「ったく、おまえもケバルライと同じくらいの頭はあるはずなんだがな?」
ドレスの女の横目を受けたフードの人物はやれやれと肩を落とす。
『魔法が絡むモノを私にどうにかさせるというのは無理な話だぞ。』
ドレスの女はソファから立ち上がり、ケースに入っていた物――眼鏡をかけた。するとその容姿がみるみる内に清楚な女性のそれになっていき、ドレスの女は上品に笑った。
「楽しくなってきましたわ。」
エリルの家に遊びに行くにあたり、オレはパムから王族について色々な事を教えてもらった。
とりあえず、オレが今いてオレたちサードニクス兄妹が生まれた所でもあるこの国の名前はフェルブランド王国。首都はセイリオス学院のあるラパンという街――都だ。
そしてラパンの中心に建つ王宮にこの国の王様がいる。その名はザルフ・クォーツ。本当ならもっと長い名前らしいのだけど、大抵これで通っている。
ザルフ・クォーツは御年七十のおじいちゃんなのだが、小さい子供なら泣き出すくらいの迫力がある王様らしく、まだまだ現役だとか。
そんな王様にはキルシュ・クォーツという弟がいる。地位は大公というモノになるらしい。
それが普通なのかは知らないが、王様であるザルフ・クォーツが政治を、大公であるキルシュ・クォーツが軍事を主に担当しているとか。
威厳たっぷりの王様の弟で軍事担当とあれば王様以上の風格――かと思いきやそうではないらしく、二人を見た諸国の王様方はどうして逆じゃないのかと首を傾げるそうだ。
しかし外見は逆でも、キルシュ・クォーツという人はその柔らかな雰囲気からは想像できない程に才能ある指導者――軍の指揮官なのだとか。
そして……んまぁ、ここからが本題なのだが、このキルシュ・クォーツには息子が一人いて、その息子さんには子供がいる。つまりキルシュ・クォーツの孫……全部で五人いるその孫たちの一番下――長男、次男、長女、次女、三女の三女がつまり、エリル・クォーツという女の子だ。
エリルはまだ学生だが、他の兄弟は皆何かしらの地位について国の為に働いていて……そんな中、長女は賊に襲われて命を落とした。結果、賊が襲うくらいに重要度の高い地位にそのまま繰り上がる形で次女がついた。
この次女というのがエリルの守りたい相手であり――これはオレの印象だけどエリルが尊敬もしている人、カメリア・クォーツ。オレたちを王家に招待した人物だ。
軍を指揮する立場ならともかく、悪い言い方をすれば使われる側である騎士になりたいと言ったエリルに対する風当たりが強い中、このカメリアさんだけはエリルを後押し、結果エリルは王家の人間ながらセイリオス学院に通う騎士見習いとなった。
出会いに運命以外のめぐり合わせ的な歯車みたいのを考えるなら、エリルとの出会いを感謝する相手としてカメリアさんという人はかなり大きい。エリルを守ってくれたお礼がしたいという事で招待されたけど、オレとしてはその辺りのありがとうを言おうと思ってやってきた。
やってきたのだが家の前に立つや否や、オレは王家の迫力に開いた口が塞がらない。
「おに――兄さん。口を閉じてください、みっともないですよ。」
上級騎士ともなれば身分の高い人の護衛もやったりするのだろう、目の前の豪邸に驚きもしないパムに注意されたオレは、都会の賑やかさに目を丸くするおのぼりさん気分をなんとか押しとどめる。
初めは正装という事で制服でここに来るつもりだったのだが、エリルからの連絡でカメリアさんが私服でと言っている事を知り、少し気を楽にして私服でやってきた事を若干後悔し始めたオレは一緒に門の前に並んでいる他の面々を横目で見た。
「はっはっは。これが実家なのだから、寮の部屋は犬小屋くらいにしか見えなかったのではないか?」
私服と言ってもラフな感じではない、お散歩するお嬢様みたいにその容姿に合った服を着て相変わらず美人なローゼルさん。
「お、お庭でスポーツできそうだね……」
部屋着だとダボダボの服装だけどちょっとオシャレをして一層可愛くなっているティアナ。
「こういうとこに住む人が欲しがる物ってなんだろうね。」
オレとしてはとても安心できるオレと同じ感じの普通の服だけど商人の目を光らせるリリーちゃん。
「ほら兄さん、誰か来ましたよ。しゃんとしてください。」
国王軍の騎士という身分上、私服では行けないと言って今日も軍服のパム。
指定された場所から馬車に拾われて美術館みたいな豪邸の前に降ろされて立ち尽くす事五分程、門が開いて一人の女性がぺこりと頭を下げた。
「ようこそおいで下さいました。」
ローゼルさんのとはちょっと違うフリフリのついたカチューシャを頭の上に乗っけて、エプロンみたいな服を着た女性……なんということか、この人は――
「メ、メイドさん!? 本物!?」
オレがそう言うと、ローゼルさんが不思議そうな顔をこっちに向ける。
「そんなに驚く事か? 別に王家でなくとも、そこそこの身分の家であれば使用人の一人や二人いるものだ。わたしの家にもいるしな。」
「えぇ!? オレ、今が人生初メイドさんなんだけど……」
「どれだけ田舎も――いや、ロイドくんは田舎者だったか。」
「あ! まさか執事も!? 執事も実在するのか!?」
オレがここ最近で一番のテンションでそう言うと、メイドさんがくすくす笑った。
首から下はオレのイメージの中にいるメイドさんと変わらないから、このメイドさんを他のメイドさんと区別するモノは首から上になる。
遠目には黒に見えそうな濃い赤色の髪の毛をスカートの裾あたりまで伸びたポニーテールにまとめている、デキる女性っぽいけどキリッとしているというよりはほんわかした優しい笑顔のメイドさんだ。
「おりますよ。勿論、こちらのお屋敷にも。メイドも私だけではありませんし。」
「ほ、本当ですか!」
「ええ。どうぞ中へ。」
メイドさんに導かれ、オレたちはエリルの家の敷地内に入る。門から建物まではそこそこあって、綺麗に整備された庭を眺めながら歩いていると、何故かふくれっ面のリリーちゃんがオレのほっぺをつねりながら聞いてきた。
「ロイくんてば、メイドさんに会えたのがそんなに嬉しいの?」
「うん。セイリオス学院に入る前は絵本にしか出てこない人ってくらいにしか思ってなかったんだけど……大切な人を守る騎士を目指している今のオレにはメイドさんとか執事さんを他人とは思えないんだ。」
「? どーゆーこと?」
「メイドさんとか執事さんって、「この人は」って決めた人に仕えて色々手助けする人だろ? んまぁ、全員が全員そうじゃないかもしれないけど――大切な人の為に何かをしてあげるんだから、そりゃあもう騎士みたいなもんでしょ?」
「確かに……中には護衛を兼ねてる使用人もいるからね。そういう意味じゃ騎士って呼べるメイドさんとか執事さんもいるかもしれないね。」
「別に戦う力なんてなくても――いや、戦う力はあるのか。ただそう……世に言う騎士とは戦場が違うだけなんだよ。」
我ながらうまい言い回しだと思い、キリッとした顔でリリーちゃんを見たのだけど、リリーちゃんは目をパチクリさせて「ふぅーん」と言うだけだった。
そうこうしている内に両開きの大きな扉に到着。メイドさんがそれを開くと、そこには――それこそ絵本とかでしか見た事のない豪華な世界が広がっていた。ピカピカの照明とかキラキラの装飾品とか……まさにお屋敷だ。
「あ、あのぅ……」
オレがそんな眩しい物にびっくりしていると、ティアナがメイドさんに尋ねた。
「ぶ、武器を回収したりしないん……ですか?」
騎士たるもの自分の武器は肌身離さず、そうでなくても常に手の届く所に置いておくべき――という事をオレたちは先生から言われている。実際、現役の騎士はみんなそうしているらしく、イメロのついた武器が騎士である証みたいなモノなのだとか。んまぁ、どうやってかは知らないけどイメロを手に入れた悪い人もいるから、それとは別に騎士の免許書みたいなモノもあるらしいのだが。
ともかく、オレたちは今それぞれの武器を手にここまでやってきたのだ。だけどここは王族の家。騎士の卵として教えに従うものの、きっとどこかのタイミングで回収されるだろうと思っていたのだが、何もなく建物の中まで来てしまったのだ。
「回収は致しません。どうぞそのまま。」
しかしメイドさんはニコリとそう言った。
「ふむ……わたしたちを信用してか、あるいは――わたしたちがこの武器を手に何かをしようとしてもそれを完全に防ぐ事ができるということか……」
何か仕掛けでも探す風にまわりを見るローゼルさんに、リリーちゃんがため息をつく。
「ここには《エイプリル》がいるんでしょ? ボクたちひよっこが何したってどうとでもできちゃうよ。」
《エイプリル》……十二騎士の一人で第四系統の火の頂点。エリルのお姉さんの護衛をしていて、たぶんエリルが色々な所をお手本にしている人だ。エリルの話によると《エイプリル》も殴る蹴るの徒手空拳が主体らしい。エリル以上に燃え盛るファイターなのだろう。
「理由はいくつかありますが、主たる要因は皆様が騎士であるからです。」
「……まだ卵ですけど。」
「成熟未熟に関係なく、騎士の方から武器を取り上げるという行為は大変失礼な事なのです。騎士の誇りを取り上げる事になりますから。」
「そういうモノですか……」
あまり馴染みのない風習というか文化というか、今のオレには不思議に思えるそんな考えをぼんやり頭に記録していると、正面の豪華な階段を一人の女性が下りて来るのが見えた。
「あらあら、間に合わなかったのね。」
綺麗な人だった。エリルと同じ色の髪の毛を特にいじらずに背中へ降ろし、パーティードレスと私服ワンピースの間ぐらいの服を着たその人は足早に階段を下り、オレたちの所にやってきた。
「ごめんなさいね。普段嫌がって着ないものだから、いざ着るとなると手間取っちゃって。騎士の学校に行って心身強くなって帰って来る事は嬉しいけど、女の子らしさも磨いて欲しいところだわ。」
「そう思うでしょ?」という風な表情をオレたちに向けるその女性の顔は、なんでかどこかで見た事がある気がした。するとメイドさんがやれやれという顔でその女性をたしなめた。
「昨日からそうですが、普段のおしとやかさがどこかへ行ってしまっていますよ、カメリア様。」
「! カメリア様……エリルのお姉さんか!」
ついそう呟いたオレの横で、こっちもやれやれという風にローゼルさんがオレの腕をつつく。
「その前に、この国の政治に関わっておられる偉いお方だぞ、ロイドくん。」
そう言いながら頭を下げようとするローゼルさんに、なんと当の本人であるカメリア様がチョップをお見舞いした。
「!?」
目をパチクリさせるローゼルさんに、カメリア様はニッコリ微笑む。
「それよりも前に私はエリーのお姉ちゃん。自分の妹の友達に頭を下げられる姉なんて、私は嫌だわ。それでもそうはいかないと言うのなら命令するわね? 私の事はカメリアさんと呼ぶこと。少しでも高い身分の人間に行うような態度を見せたらあなたを打ち首にするわ。」
笑顔で処刑を言い渡されたローゼルさんが過去、類を見ない困惑顔をオレに向ける。とりあえずオレはグッと親指を立ててニッと笑った。
「……まぁ、そういう事なら……そうするか。」
優等生モードに成りかけたローゼルさんが普段の顔に戻ると、カメリア――さんはとても満足そうに笑った。……しかしこの人、初対面なのにどこまでも気を許してしまいそうになる安心感みたいのがあるな……
「改めて。私はカメリア・クォーツ。エリーのお姉ちゃんよ。」
「えっとオレは――」
「ロイドくんでしょう? それとローゼルちゃん、ティアナちゃん、リリーちゃん、ロイドくんの妹さんのパムちゃん。エリーから大抵の事は聞き出し――聞いたわ。」
「そ、そうで――あ、エリ――ル?」
「なんで疑問形なのよ!」
カメリアさんがやってきた階段を、同じように下りて来るのは確かにエリルだ。首から上はいつものエリルなのだが、首から下はそうじゃない。ジャージや制服ではない、髪の色に合った赤いドレスを着ているのだ。
「あらあらエリー、やっと着られたのね?」
「な、なんでドレスなんか着る必要があるのよ!」
「お客様をお迎えするのよ? 当然だわ。」
「で、でもお客って言ったって――」
「そうね。お友達を迎えるのにめかしこむのはちょっと変だけど……そのお友達の中に、ねぇ? あらあら、全部言わせる気なの、エリー。」
「なんの話よ!」
よくローゼルさんとこんなやりとりをしているエリルだけど、ローゼルさんよりもカメリアさんの方が強いようだ……
オレたちの前まで来たエリルはばつの悪そうな顔でドレスの裾をいじっている。
「えーっと……大丈夫だぞ、エリル。見慣れてないからビックリしたけど似合っているから。」
「――!!」
髪と服が赤いのに、その上顔まで赤くなっていよいよ色塗りしたら赤の絵の具が空になりそうな感じになるエリルと、最早お約束のようにローゼルさんにほっぺをつねられるオレ。
「あらあら。」
カメリアさんがふふふと笑うと、メイドさんがため息をつく。
「立ち話もなんですから、どうぞ奥の部屋に。お茶をお持ちしますから。」
小型の体育館じゃないかと思うくらいの広い部屋にふかふかのソファがいくつか並び、真ん中にテーブルが置いてあるだけの――いや、壁に絵とか鎧とか並んでいるんだけどそういう装飾を除けば応接室という感じの部屋にオレたちはやってきた。
「くつろいでね。お昼まではまだ少しあるから、お話しましょう。」
「お話ですか。」
「そうよ。でもその前に――」
ソファに沈み込んでいたオレの前にそそっと立ったカメリアさんは、オレの両手を握ってぺこりと頭を下げた。
「エリーを助けてくれてありがとう。」
つい数秒前とは口調の違う真剣な声。そういえばそれが理由でここに招待された事を思い出し、オレも真面目に答えた。
「オレが助けたかったから助けたんです。お礼と言うならむしろ――エリルがセイリオスに入る事を後押ししてくれてありがとうございます。」
オレの言葉に、きょとんとした顔を見せるカメリアさんだったが――どういう風に捉えてくれたのか、満面の笑みでオレに抱き付い――いぃいぃ!?
「なんていい子! 私がもらおうかしら!」
「お姉ちゃん!」
エリルが叫ぶとカメリアさんはゆるゆると力を抜いてオレから離れた。
「あらあら、冗談よ。」
カメリアさんがととっと自分が座っていた場所に戻り、オレはいきなりの事に停止した頭を再起動させた。エリルに真っ赤な顔で睨まれるオレは慌てて話題を変える。
「え、えっと……そ、そうだ! 他の兄弟の方は――今日はいないんですか?」
「いないわよ。学生は夏休みでも大人の大半はまだまだお仕事だからね。」
「……カメリアさんは……」
「私は今日の為に頑張ったから今日はいわゆるオフなのよ。」
「お茶が入りました。」
カメリアさんの仕事というのが具体的にどういうモノなのかよくわからないが、そりゃあお休みの一つもあるかと当たり前の事に納得していると、さっきのメイドさんが紅茶を持ってきてくれた。
「あらあら、アイリスさん。あなたも一緒にお茶しない?」
メイドさん――アイリスという名前なのか。
「私ですか? いえ、私は――」
「今からロイドくんたちに学校でのエリーの様子を聞こうと思うの。興味あるでしょう?」
「そ、それはそうですが……」
「それに、ロイドくんたちもあなたの話を聞きたいはずよ。」
んん? なんでオレたちがメイドさんの話を? エリルのお屋敷での様子を聞けるとかか?
「あらあらふふふ。きっと知っているのだろうけど、こんなんだから気づかないわよね。」
カメリアさんはニッコリ笑ってメイドさんをこう紹介した。
「こちらこの家の使用人をまとめているアイリスさん。もしくは《エイプリル》さん。」
……
? えいぷりる?
「――えぇ!?」
オレが驚くのはまぁいつもの事だけど、ローゼルさんたち――なんとパムまでビックリしていた。オレはともかくローゼルさんやパムなんかは十二騎士の顔とかは知ってそうなのに……
そう思ってローゼルさんを見ると、オレの疑問に気づいたのかさらっと答えてくれた。
「本や新聞で顔は見た事あるから会えばわかると思っていたが――まさかメイドをしているとは思いもよらなかった……い、言われてみれば確かに《エイプリル》だ……」
「あらあら。アイリスさんはどちらかと言うとこちらが本職なのよ?」
「えぇ? それはどういう……」
「十二騎士の一人である《エイプリル》にメイドをしてもらっているんじゃなくて、メイドのアイリスさんが《エイプリル》になっちゃったのよ。ほらほら、あなたから説明してあげて。」
カメリアさんがソファをポフポフ叩き、メイドさん――アイリスさんはため息をついた。
「……私の家は代々、貴族や王族に仕える使用人を生業としておりまして……私の母もメイドでしたし、父は執事でした。勿論、祖母と祖父もその先代も。」
代々使用人の家系……んまぁ、代々騎士の家もあるし、街に出れば代々お肉屋さんという家だってあるだろうから……別に変な話じゃない。
「そういう家系は私の家の他にもいくつかありますが、私の家はいざという時に主人を守る事ができるようにと、使用人としての技術に加えて戦う力も教え込まれておりまして……家の者全員がある一定の強さを持っているのです。」
なるほど、さっきリリーちゃんが言っていたみたいな戦う事もできる使用人……の家系というわけか。
「主人を守る為に心身を鍛え、一人前のメイドとなった私は――縁あってこのクォーツ家にお仕えする事が決まりました。」
「アイリスさんの家は優秀な上に頼もしい使用人を育てる事で上の方の人たちの間じゃ有名なの。その頃うちは長く仕えてくれた使用人が引退された事もあってね。だからおじいさまがアイリスさんを指名したのよ。」
王族から指名されるって事は……使用人の世界じゃ名門という事か。
「ご指名を頂いた事は嬉しかったのですが……何せ王族ですから。きっと敵も多いのだろうと思いまして……お屋敷に入る前に自身の修行と実力の確認を兼ねて――その、十二騎士を決める大会に出場したのです。」
「……えぇ? まさか……」
オレが呟くとカメリアさんがくすくす笑い、アイリスさんが少し恥ずかしそうにこう言った。
「結果――《エイプリル》の称号を得てしまったのです……」
すごい事なのに経緯が経緯だから唖然とするオレたち。そしてローゼルさんが信じられないという顔でアイリスさんがした事をかみ砕く。
「で、ではこういう事か? 正真正銘のメイドさんが凄腕の騎士たちを蹴散らしてうっかり優勝してしまい、その上当時の《エイプリル》に勝利してしまったと……」
「そうなのよ! こうして前代未聞、騎士じゃない十二騎士が誕生したの! しかもそれ以来アイリスさんは《エイプリル》であり続けているわ。」
本当にすごい事なのに、本人ですら恥ずかしそうに――申し訳なさそうにしている。というか――
「じゅ、十二騎士って騎士じゃなくてもいいのか?」
「あ、ああ。身分がはっきりしていて、悪党でないのなら誰にでも十二騎士になる資格はある。しかし大抵は戦う事を本業とする騎士がなる……当然、強いからな。だがそんな騎士たちを超える強さを持っているのなら……極端な話、お花屋さんでも十二騎士になれる。」
「ふふふ。騎士からしたら面目丸つぶれだけどね。おかげでうちは十二騎士の一人を使用人として迎え入れる事ができたし、アイリスさんの家は十二騎士クラスの使用人を育てるという事でさらに有名になったわ。」
メイドさんが第四系統の火を得意な系統とする騎士――ああいや、人たちの頂点。第四系統の使い手が他の系統の使い手からバカにされそうな話だけど……たぶん、そんな事を言っていられないくらいにアイリスさんが桁外れに強いのだろう。その気も無かった人がその気満々だった騎士たちを倒してしまうのだから、相当な強さのはずだ。
「わ、私の話はこの辺にしましょう。エリル様の学院でのご様子や――《オウガスト》様のお弟子さんのお話も聞きたいです。」
せっかく話題がアイリスの方に行ったのに、とうとうあたしになった。
王族の子供がする事……偉い人が集まるパーティに出るだとか、国民にいい笑顔を向けるだとか、そういう事は兄や姉がやっちゃってたから、あたしはそういう世界とちょっと離れたところにいた。だから全然着慣れないドレスなんかを着て、あたしは居心地悪くソファに座ってる。
当たり前と言えばそうだけど、学院でのあたしの事を聞こうとしてお姉ちゃんが質問する相手は相部屋のロイド。ロイドは――変な事は言わないけどそのまんま話すから、あたしはいちいち恥ずかしくなってギャーギャー言うはめになった。そのたんびにローゼルがボソッと変な事を言って、それに乗っかってリリーも変な事を言って、ついにはティアナまで――たぶんそうとは思ってない感じに変な事を言う。会ってから全然経ってないパムだけは何も言わないけど、時々ロイドの事をしゃべって――ロイドが恥ずかしい思いをする。
結局、九対一くらいの割合であたしとロイドが恥ずかしい目にあっていった。
「あらあら。でも良かったわ。色々あったみたいだけど、今は楽しそうだし――幸せそうだもの。」
「お、大げさよ、お姉ちゃん。」
「でも、せっかくそういう相手ができたんだから、ドレスくらいささっと着られる女性になって欲しいわねぇ。ここぞって時に攻められないじゃない。」
「なんの話よ!」
あたしがそう言うと、ロイドがふむふむって顔しながらあたしを見た。
「学院じゃあともかく、エリルの実家の部屋にはドレスがたくさんあるんだろうなぁと、思っていたんだけど……案外とそうじゃないんだな。」
「悪かったわね……」
「別に悪くないよ。ただ――なんかこう、ゴージャスエリルが見られるのかなと思っていただけだ。んまぁ、今の服でも充分豪華だし、オレとしては満足だけど。」
「そ、そう……」
さっき似合ってるって言われたのを思い出してドキドキするあたしを見て、お姉ちゃんがニパッとひらめく。
「そうよ、そうよね! 日頃見ている女の子の華麗な変身って、男の子にはウキウキよね!」
「カ、カメリア様?」
アイリスがおずおずとそう言うと、お姉ちゃんが真剣な顔でアイリスに命を出した。
「アイリスさん! 女の子たちをドレスルームに! 今日のお昼は豪華なドレスで優雅に食べましょう!」
「お、お姉ちゃん!?」
「エリー、あなたもよ! ゴージャスエリルを見せてあげなさい! 勿論ロイドくんもおめかしよ! ダンディーロイドになるのよ!」
時々兄弟全員を振り回すお姉ちゃんのフィーバーしたテンションに驚くみんなをよそに、お姉ちゃんは部屋の扉をバーンと開いた。
「さぁ、変身よ!」
お姉ちゃんのドレスをしまってる部屋につれてこられたあたしたちは、どう見たってお姉ちゃんとはサイズの合ってないのまであるたくさんのドレスの前に立った。
「参ったな。ゴージャスエリルくんは慣れているかもしれないが、わたしはドレスで会食なんて初めてだぞ。」
「その呼び方やめなさいよ!」
「で、でも綺麗なお洋服を着せてもらえるなら……う、嬉しいな。」
「うわぁ……これだけで自分のお店を持てるよ、これ。」
「好きなモノを選んでね。なんなら速攻でサイズも合わせるわ!」
何度か来たことはあるけど自分が着るのを選ぶのは初めてなあたしは、他の三人といっしょに部屋の隅から隅までドレスを眺めながら歩いた。
「? パムはどこ行ったのよ。」
「パ、パムちゃんならロイドくんの方に行ったよ……」
「ロイくんの方!? ききき、着替えを覗きに!?」
「リリーくん、二人は兄妹だぞ。きっとあのお兄ちゃん子のパムくんのことだ……自分を綺麗にするよりも自分の兄をかっこよくする方に興味があるのだろう。」
ロイドが着る服を楽しそうに選ぶパムを思い浮かべて、これはありそうな光景だわと思うあたしは、ふと同じ色のドレスが並ぶ場所で立ち止まった。
「え……お姉ちゃん、これって……」
今あたしが着てるのよりもっと豪華で動きにくそうなドレス。それは真っ白で……ところどころにレースがあって……
「そ、ウェディングドレスよ。」
「な、なんでこんなの持ってるのよ! け、結婚するの?」
「ふふふ、まだそういう話はないわね。」
ウェディングドレスの一つを手に取ってくるくる回るお姉ちゃん。
「こんなに素敵なのに結婚式の時にしか着ないなんて勿体ないじゃない? だからオシャレな服として着ているのよ。」
「へぇ。変わった趣味だね……ま、服職人からしたら、そんな高い服をこんなに買ってくれるんだからいいお客だけど。」
「そうだ! みんなでこれを着ましょう! 丁度男の子がいるわけだし、豪華な変身ならこれ以上はないわ! みんなで結婚式ごっこするのよ!」
「お、お姉ちゃん!? 何言ってるのよ!」
「ロ、ロイドくんとけ――い、いやしかし……うぅん……」
「花嫁さんかぁ……憧れるよね……」
「あはは。ボクはいいよ。」
「ダメよ商人ちゃん! あなたも着るの! 王族命令よ!」
「い、いいよ……ボ、ボクにはほら、似合わないし……キャラじゃないし……」
「キャラも何もないわ! 女の子は生まれた時からお姫様なんだから!」
「でも……」
なんでか、知ってる事をわざと教えないでニタニタしてるような意地の悪いリリーがみるみるしおらしくなっていって――
「ボ、ボクが花嫁衣裳だなんて…………ロイくんに笑われちゃうよ…………」
最後にはイジイジした乙女になった。
そういえばこんなリリーを前に見たわね。初めて知り合ったあの日、結構露出のある商売衣裳を初めてロイドに見られたとかで馬車の後ろで恥ずかしがってた時もこんなんだった。
あのリリーがことロイドが絡むとこんなんになるのはたぶん、リリーがロイドを好――だからなんでしょうね……
……なんかアレだわ……
「そうかしら? 見たところ、ロイドくんは素直に褒めそうだけど。」
お姉ちゃんの言う通り、たぶん褒めるわ……ロイドは。
「そ、そうかな……褒めてくれるかな……」
なにこのリリー。
「さぁさぁ、男の子を待たせるのは女の子の特権だけど、あんまり新郎を待たせちゃいけないわ。パパッと変身よ!」
パム以外の女の子勢がつれていかれた後、そそっと戻って来たアイリスさんがオレとパムを別の部屋につれていった。
「ロイド様はこちらで。」
様付けで呼ばれてビックリしながらその部屋に入ると、パリッとした素敵な服が視界いっぱいに広がった。
「わぁ、すごいねお兄ちゃん!」
「そうだね。」
「しばらくしたら呼びに来ますので。」
アイリスさんが扉を閉め、着る本人よりもテンションの高いパムが部屋の中を駆けだした。
「これも――それもあれも! わぁ、どれも似合いそうだよ、お兄ちゃん!」
「なんでパムの方がお兄ちゃんよりもウキウキなのさ……」
「だって、お兄ちゃんにちゃんとした服を着せるチャンスなんだもん。」
くるっとこっちを向いたパムはふくれ顔だった。
「お兄ちゃんはちゃんとすればカッコイイ人なのに、小さい時から服は適当なんだもん。オシャレすればモテモテだよ?」
「そ、そうかな。というか、パムはお兄ちゃんにモテモテになって欲しいの?」
「カッコイイお兄ちゃんを自慢したいだけだよ。ほらお兄ちゃん、これとこれとこれ着てみて。」
一着一着がきっととてもいいお値段なんだろうと思えるステキな肌触りの服を大安売りで買い込むみたいに重ねてオレに渡すパム。正直、着かたもよくわからないそれらを、オレは一つ一つ着ていった。
数分後、オレは……スーツっぽいけどそれよりはパーティー向けのような気がする名前も知らない種類の服をまとっていた。
「いいよお兄ちゃん! こっち向いて!」
どこから出したのやら、カメラを持って絶賛するパム。それと丁度いいタイミングで戻って来たアイリスさんが「お似合いですよ。」と言ったからきっと変ではないんだろうけど自分でそれがわからないというのは奇妙な気分だ。
「早く行くよ、お兄ちゃん!」
新しいおもちゃを見せびらかしたい子供みたいな顔のパムに引っ張られるオレだったが――
「ロイド様、少しよろしいでしょうか。」
ふとアイリスさんに呼び止められた。
「お嬢様方はもう少しかかるかと思いますから……少し、私の話を聞いていただけませんか?」
「? はい……」
こういう時に使うのかわからないが、廊下に何故か設置されているベンチっぽい椅子に促され、オレたちは腰かけた。当然のようにアイリスさんは立ったまま。
「まずはお礼です。」
「お礼?」
「ええ。先ほど、ロイド様は嬉しい事を言って下さいました。」
「えぇ?」
「エリル様から聞きましたが、ロイド様は地方……俗な言い方をしますと田舎の方の御出身だとか。」
「はい……」
「その上、《オウガスト》殿とこれまた地方を旅され、首都のような大きな街からは離れて生活されていたとか。エリル様が大袈裟に言っているのでしょうと思っていましたが、使用人を初めて見るとの事で……ふふふ、失礼ながらその――「田舎者」の程度がよくわかりました。」
くすくす笑うアイリスさんだったけど、別にバカにしている感じではない。
「しかしだからこそのあの言葉なのでしょう。『騎士と使用人は戦場が違うだけ』というあの言葉。」
リリーちゃんに流されたやつか……あれが嬉しい事?
「騎士と聞くととても立派なお仕事という印象を持つ方がほとんどです。対して使用人と聞くと――それしか出来ないからそれをしているという、どこか下に見るような――そうですね、空気が残念ながらあります。」
「そう……なんですか。」
「……事実、とある国では使用人という言葉が奴隷と同義だったりしますから、そうでないこの国でもそういった空気が漂う事は仕方がないのかもしれません。ですが、使用人にも使用人の誇りがあって主にお仕えしているのです。その辺りを勘違いされている方が……特に騎士には多いのです。加えてそういう考えは次の世代にも受け継がれてしまいがち……使用人に対する認識はなかなか良くなりません。」
残念そうにため息をつくアイリスさんだったけど、ふと笑顔になってオレの手を握った。
「しかしロイド様は違います。私たち使用人にとって嬉しい考え方をお持ちです。」
「は、はぁ……」
「その上、ロイド様は《オウガスト》殿のお弟子様。エリル様をお守りした実績までありますから、ロイド様が将来騎士として有名になる事は必定かと思います。」
「えぇ!?」
「ロイド様のような方が騎士の中でも上の立場になれば、使用人への認識にも変化が生じるでしょう。私はそう思っているのです。」
「そ、そうですかね……」
「ですから、先ほどの嬉しい一言のお礼と、この先の成長の為の応援を送ります。」
手を握ったままペコリと頭を下げるアイリスさん。まったく同じ光景をカメリアさんバージョンで見た気がするな。
「ど、努力します……」
「ありがとうございます。」
手を離し、さっき立っていた場所にススッと戻ったアイリスさんはニッコリ笑顔をパッと真剣な顔にした。
「そしてもう一つ。これはお願いです。」
「は、はい。」
「《オウガスト》殿から話を聞いているかと思いますが……アフューカスについてです。」
「!」
「そしてこれは……極秘扱いなので聞いてはいないでしょうが、先日エリル様を襲撃した者たちの大元を辿ると彼女に行き着きます。」
「な!?」
オレは思わず立ち上がった。あの時間使いとあいつをけしかけた奴はもう捕まっていて、他にもエリルを狙う輩はいるかもしれないものの、一先ず片が付いたと思っていたのに……
「じゃあやっぱりまだエリルは……」
「……幸い……と言うのは少し違う気がしますが……確かに大元はアフューカスなのですが、おそらくエリル様は単なる暇つぶしです。」
「暇つぶし? エリルの誘拐が!?」
「あの時、他の国でも高貴な方やそのご子息、ご息女が狙われる事件が起きていたのです。」
「じゃ、じゃあエリルは……その中の一人に過ぎなかったって事ですか……?」
「そうです。何か目的がある場合は彼女が自分で動きますが、特に目的がなくて暇なだけの場合……ただ騒ぎを起こしたい時は裏から扇動してそういう大事件を引き起こす……それがアフューカスという人物だそうです。」
「そんな……」
「……これだけだったなら、アフューカスにとってエリル様はそれほど重要でないのだろうと、油断はしないものの少しは安心できました。ですが先日の魔法生物の侵攻を考えるとそうも言っていられません。」
「え……」
「《ディセンバ》殿から聞きました。あの騒ぎを引き起こした者の名はバーナードというS犯罪者で……その背後にはアフューカスがいます。」
「あ、あれもアフューカスの!?」
「それ、パム――自分も初耳ですけど……」
人前モードになったパムが驚く。
「そうでしょうね。十二騎士の中で極秘として話された事ですから。」
「えぇ? そんな事オレなんかに話しちゃっていいんですか?」
「私は、十二騎士の前にクォーツ家に仕える使用人です。なので主を守る事を優先します。」
再び頭を下げるアイリスさん。
「アフューカスの目的は未だ不明です。しかしどうであれ、王家の人間に危機が迫っていると考える事は早計ではないはずです。王宮には《ディセンバ》殿を始めとする多くの騎士が、この家には私がいます。ですがエリル様だけは……私の目の届かない所にいるのです。ですからロイド様、どうか……これからもエリル様をお守り下さい。」
顔は見えないけど、さっきのお礼の時とは明らかに空気が――重みが違う。
そういえばエリルが言っていた。一番上のお姉さんは《エイプリル》――アイリスさんの目を盗んで出かけた先で命を落としたと。エリルはどこか自業自得のように言っていたけど、使用人のアイリスさんからしたら言い訳のできない失敗。きっと二度と起こさないと、オレの想像以上の決意で思っているはず。
「……勿論です。オレは、大切な人を守る騎士を目指していますから。」
「……ありがとうございます。」
「あらあら? ロイドくんがいないわね。」
よく立食パーティーをやる庭園に来たあたしたちは、てっきりあたしたちよりも早く来てると思ってたロイドがいなくて少しホッとした。
四人が四人とも、式場に直行できる格好。ブーケまで手に持っている。
「ダメねぇ。新郎が後から来る結婚式なんて聞いた事ないわ。みんなこんなに素敵に待ってるのに。」
お姉ちゃんに強引に着せられたウェディングドレス。結婚する相手がいない状態で着ることになるなんて思ってもみなかったけど……確かに素敵ね。動きにくいし座るのだって一苦労だけど、そういうのを全部無視して綺麗さだけを形にしたみたいな服。
「あぁあぁぁあああぁぁ……」
恥ずかしがってたけど結局着て、それでやっぱり恥ずかしくなって「あ」しか言わない生き物になってるのはリリー。いつもは結んでる髪をほどいてちょっと大人っぽくみえて……あたし的には似合ってると思うんだけど、リリーは鏡を見てからずっとこんなだ。
「だだだ、大丈夫だリリーくん。ロイドくんは人の服を見て笑う人ではないよ。」
リリーを落ち着かせるローゼルだけど、表情はこわばってる。真っ白なウェディングドレスにローゼルの紺色の髪は対照的ですごく映えるし……四人の中で一番お嬢様っぽいわね。
「えへへ。」
唯一素直に喜んでるのはティアナ。その嬉しそうな顔とティアナのやわらかい雰囲気で、今にも両親に涙の手紙を読みそうな……すごく幸せそうに見える。なんていうか、パーフェクト女の子だわ。
「あらあら。心配ないわよエリー。あなたもとってもかわいいから。ロイドくんも胸キュンよ!」
さっきからテンションが高いままのお姉ちゃんは日頃言わない事をペラペラ言う。まぁ、あたしにとってはこのお姉ちゃんがお姉ちゃんなんだけど、仕事をしてる姿しか見た事ない人からしたら別人に見えるわね。
「これは、お待たせして申し訳ありま――」
庭園にあたしたちがいるのに気づいて早足でやってきたのはアイリス。だけどあたしたちの格好を見て唖然とした。
「カカカ、カメリア様!? これは一体……」
「あらあら。どうせならあなたにも着せたかったわね。アイリスさんのメイド服じゃない姿ってそういえば見た事ないわ。まさかと思うけどクローゼットの中はメイド服だけ? パジャマメイド服とかもあるの?」
「ありませんよ……しかしこれは……」
「うわ! なんですかこれ!」
アイリスの後ろから出てきたのはパム。服は変わらず軍服。
「ま、まさか兄さんと!? 自分は許可してませんよ! だいたい四人て――」
「あらあら。どうやら新郎と結ばれるには小姑を何とかしないといけないみたいね。鬼千匹以上の強者かもしれないわ。」
真面目に「まずいわね」っていう顔をするお姉ちゃん。そして――
「どうしたんだ?」
のろのろとパムの後ろから出てきたのはロ――イド? え、あれロイドよね……
「あらあら! 見違えたわねロイドくん! やっぱり私がもらおうかしら。」
制服が白いから余計だけど、今の黒いロイドはかなり新鮮だわ。ダンスパーティーに出る男性が着るみたいなパリッとした服を着て、髪も少し整えて……きちっとした格好すればこれくらいになるだろうなって思ってたのをかなり上回る感じ。
しょ、正直――すごくカッコイイ。
……ロイドのくせに。
「わ、わ! ロイくんてばわ! あ、あとで写真撮っていいかな?」
やっと「あ」以外の言葉をしゃべったリリーは今日一番のいい笑顔だった。
「すごく……かっこいい。ロイドくんかっこいいよ。」
素直にそう言うティアナが少しうらやましいんだけど、その隣のローゼルは……逆に無言だった。
「……」
ほんのり顔を赤らめてぼーっとロイドの事を見るローゼル。ああいうのを……見とれるって言うのね……
「あらあら。ロイドくんをビックリさせるつもりがこっちがヤラレタ感じになったわね! 嬉しい意味で。さぁさぁロイドくん、こちらの花嫁たちを見た感想はどうかしら?」
お姉ちゃんにそう言われたロイドは……なんか、いつもなら素直に驚いたり恥ずかしそうになるだろうところを、そうはならなくて……顔を赤くするでも喜ぶでもなく、ロイドの顔はみるみる――「なんてことだ」って顔になっていった。
「? どうしたのよ。」
ちょっと予想外の表情にあたしがそう聞くとロイドはおろおろし出した。
「ど、どうって――あぁ、ど、どうしよう……」
「なんでそんなに慌ててるのよ。」
「ま、前にクレイネレっていう村で結婚式を見物した事があって……で、その時に神父様に教えてもらったんだよ……」
「な、なにをよ。」
「男性はともかく、女性にとっての――その、ウェディングドレスっていうのは特別な服だから、その服を着たところを最初に見る男性は――その人の夫でないといけないって……」
それは……そうかもだけど……別に気にしないわよ――って言おうと思ったら続けてロイドはとんでもない事を言った。
「だ、だから、ある女性のウェディングドレス姿を見た男性はその女性と結婚しなきゃいけないって……」
「……は?」
あたしと同じように他の三人もポカンとする。だけどロイドだけは真剣な顔で慌ててた。
「カ、カメリアさん。」
「ぷふ――なぁに?」
笑うのをこらえるお姉ちゃん。
「この国って、一夫多妻はいいんでしたっけ?」
「は、ちょ、ロイド! 何言ってん――」
「認められてるわけじゃないけど、認められていないわけでもないわ。要するに、特に何も決まってないの。だからやれない事はないはずよ?」
「そ、そうですか。よし……」
くるっとこっちを向いたロイドは、ウェディングドレス姿のあたしたちに――
「オ、オレは立派な騎士になって、四人を幸せにするぞ!」
プロポーズしてきた。
「ほぇ!? い、いやいやロイドくん、何を言っているのだ!」
「オレじゃ嫌かもしれないけど――オレ頑張るから! 安心してくれローゼルさん!」
「うぇぇ!?」
ギュッと両手を握られたローゼルはあたしの髪くらいに真っ赤になった。そのまま式場に行きそうなロイドだったけど、赤いローゼルがなんとかしゃべった。
「ま、まへまへ――待つのだロイドくん! 少なくとも、わたしたちはそういうシキタリを聞くのは初めてだぞ! そ、そんな話聞いた事ない!」
「えぇ?」
ここで初めて、ロイドの顔がいつもの顔に戻りかける。
「お、落ち着こうではないか。そのなんとか村というのは――もしかして物凄く田舎の方にあるのではないか?」
「クレイネレ村? んまぁ……国の隅っこだし……そもそもこの国でもないけど……だ、だけど神父様が言ったんだし、世界共通のルールなんじゃあ……」
「し、しかし、世界中の神父様が同じ場所に集まってその道の修行や勉強をするわけでもないからな……どうしても地方の風習は出るものだよ……」
「ち、地方の風習!? じゃ、じゃああれはあの村だけの……」
「お、おそらくな……」
相変わらず手を握られたままのローゼルはそれに気づいてまた少し赤くなるけど、握ったままのロイドはそのまま大きくため息をついた。
「な、なんだよかった……と、というかそうだよな。もしもあのルールがあったら、みんなこの服は着ないよな……あぁビックリした……いやぁ、よかったよかった……」
「ロイくん、いつまでローゼルちゃんの手を握ってるの?」
「ん? わっ! ご、ごめんローゼルさん!」
「か、構わないさ……」
慌ててたロイドは結構早く、ケロッといつものすっとぼけた顔になって、お姉ちゃんはお腹を抱えて静かに笑って、パムが面白くなさそうな顔でふくれて、アイリスはやれやれっていう呆れ顔で――でもあたしたちはホッとしたようなざんね――と、とにかく複雑な顔で赤かった。
ロ、ロイドと結婚なんて……今の寮生活と大して変わんな――って何考えてんのよあたし!
「そ、それで――ふふふ。ロイドくん、こちらの花嫁たちを見た感想は?」
ただでさえいっぱいいっぱいなのにお姉ちゃんが追い打ちをかけてきた。
「? そりゃあ――」
「これ以上なんも言わなくていいわよ!」
部屋で二人の時の勢いでロイドの口を塞ぎにかかるあたしだったけど、動きにくい服の王様みたいなドレスでそれをやったから見事に裾を踏んづけてバランスを崩して――
「あらあら! エリーったら、お姉ちゃん嬉しいわ! いつからそんなに積極的になったのかしら?」
気が付くとあたしは――
「……だ、大丈夫かエリル……」
ロイドに抱き――し、しがみついてた!
「アイリスさん、写真よ! 写真を撮るのよ! タイトルは『花婿の胸に飛び込む花嫁』!」
パシャリと、どこから出しのかよくわからないカメラのシャッターを切るアイリスは、撮った後にふぅとため息をついた。
「確かに良い画ですが……ロイド様の服は花婿とは少し違いま――」
「ななな、なに撮ってんのよ!!」
ロイドを突き飛ばしてアイリスのカメラを奪おうとするけど、また裾を踏んで倒れるあたしを後ろからロイドが支える。
「お、落ち着けエリル。その格好で素早い動きは無理だぞ……」
あたしの肩をつかまえて上から覗き込むロイド――!!
「みゃあああああっ!」
「うわっ!」
目つぶしをよけて「危なかった」って顔でホッとするロイドと、頭がぐるぐるのあたしをほっこりした笑顔で見つめるお姉ちゃんとアイリス。
でもって、それぞれにちょっと怖い顔をしたローゼルとティアナとリリー。
「エリルちゃんだけずるいんだ。ボクも記念写真撮って欲しいな。」
そういってロイドの腕に抱き付くリリー……!!
「リリリ、リリーちゃん!? な、なんか! ほら、あれが! 腕に!」
「わ、わたしも……き、記念だしな。」
「あああ、あたしも写真……」
そのまま写真大会になって、一人から集合写真まで色んな写真を撮ったり撮られたりした。我慢が限界になったのか、途中からパムも参戦してカオスな事になっていく中で一足早くお昼ごはんを食べ始めたお姉ちゃんとその横に立ってるアイリスがこんな会話をしてた。
「見てアイリスさん。これが青春という奴よ。」
「はい。」
「私もあなたも、お家柄素通りしてしまった時間ね。」
「カメリア様……」
「でもやっぱり、そうであってはいけない時間よね……姉様の件でそれに気づいて……エリーの話で確信して……それで今日、決心したわ。」
「! ではあの話……」
「ええ。進めようと思うわ。あれは形にしなきゃいけないことなのよ。手伝ってくれるかしら?」
「勿論です。」
「ふふふ、ありがとう。」
ドタバタしながらもちょっと食べた事のない美味しいお昼ごはんを食べて、やっぱり動きづらいから着てきた服に戻ったオレたちが庭園のベンチみたいなとこでくつろいでいると、ドレスじゃない服になったエリルにアイリスさんがこう言った。
「エリル様。食後の運動でもいかがですか?」
「……その内やろうとは思ってたわ。待ってて、すぐに取ってくるわ。」
数分後、庭園――の外側と言えばいいのだろうか。この家の庭である事は確かだけど、特に囲われていないだだっ広い草の上で、ガントレットとソールレットを装備したエリルと、変わらずにメイド服のアイリスさんが向かい合った。
「……なるほど。エリルくんの師匠はアイリスさん――《エイプリル》だったのか。お姫様にしては形になった格闘術だと思っていたが……」
ローゼルさんの納得顔に対し、アイリスさんが「とんでもない」という顔で首をふった。
「師匠と言うほどではありませんよ。使用人としての仕事もありますから……エリル様の質問に答えたり、見かけた時に少し手助けをしたりという程度です。実のところ――」
いつもの構えになって炎を吹き出すエリルを見てニッコリ微笑み――
「エリル様の強さの九割はエリル様の努力と才能です。」
「はぁっ!」
叫びと共に、得意の爆発的な加速で一気に距離を詰めたエリルは、アイリスさんに拳をつきだす。
「! 一段と速くなりましたね。」
しかしそこはさすがの十二騎士、難なくかわす。そこからのエリルのブレイズ・アーツの猛攻もするりするりと……
「あれ……?」
……変だな。そこまで余裕そうには見えない? いや、実際かなり余裕でかわしているんだけど……なんでかそこまですごく感じない?
「ガッカリさせてすみません。」
あの炎の中、ぼーっと見ているオレの表情が見えているのか、アイリスさんは申し訳なさそうにそう言った。
「聞きましたよ。セイリオス学院で《ディセンバ》殿が模擬戦をしたとか。ですからきっと、十二騎士は全員が《ディセンバ》殿のような動きが出来ると誤解してしまっているのですよ。」
「えぇ? ご、誤解?」
エリルの攻撃を避け、大きくさがったアイリスさんは可愛く首を傾げてこう言った。
「現在の十二騎士において、『一対一』という条件下であれば最も強いのは《ディセンバ》殿なのですよ。」
一対一なら最強は《ディセンバ》――セルヴィアさん?
そういえばフィリウスがいつだったか言っていたな。戦いで起こり得る状態……『一対一』と『一対多数』、『多数対一』、『多数対多数』は――その全部が全く違うモノだって。
世界最強の男がいるとしても、きっとそいつはそのどれかにおいて最強なだけだと。
「《ディセンバ》殿は時間の使い手ですから、そもそもにして一対一で戦いたくない騎士ではありますが……それを除いても彼女の戦闘スキルは群を抜いているのです。」
と、セルヴィアさんをすごいと褒めるアイリスさんもたいがいで、オレにそんな事を教えながらエリルの攻撃を避けている。
「――しかしこれは驚きです。ロイド様に体術を教わっているとは聞きましたが、これほどとは。さすが《オウガスト》殿のお弟子さんというところですか。」
「それだけじゃないわよ!」
大きく炎を巻いてアイリスさんの視界を覆ったエリルは、一歩下がりながら拳を引き――
「これはどう!?」
至近距離で炎のガントレットを発射した。あの距離であれを受けたら――いや、普通に死んでしまう攻撃なのだが、エリルは遠慮も何もない全力。
一瞬ヒヤッとしたオレだったが、その直後……さすがに十二騎士をなめすぎかと改めて思った。
目にも止まらない速さで迫るガントレットは、アイリスさんの手前で――まるで何かに弾かれたみたいに真横に飛んでいった。
あの威力を完璧に殺して横に飛ばすとなると相当なパワーのはず……だけどアイリスさんの周りには炎一つない。《エイプリル》であるアイリスさんだから強力な火の魔法かと思ったんだが……
「これはこれは……これを使わせるとは、本当にお強くなられました。」
そう言いながらアイリスさんは……んん? 特に何もないのだが、まるでそこに何かあるみたいに片手を広げている。風の魔法なのか……?
「あらあら。やっぱり初めてだとよくわからないのね。」
オレが目を細めていると隣にカメリアさんが並んだ。
「得意な系統って、別に遺伝するわけでもないんだけどね。なんでかクォーツ家に生まれる人の得意な系統は第四系統の火。そんな我が家に《エイプリル》が来るっていうんだからピッタリと思ったのだけど……ふふふ、アイリスさんはちょっと違っててね。」
「違う……?」
「火の使い手って、ボーボー燃えて派手な感じを想像するでしょう? でもアイリスさんは……そうね、きっと史上最も地味な第四系統の使い手よ。」
「ロ、ロイドくん……」
相変わらず首を傾げると、オレの服をティアナが引っ張った。
「あの、アイリスさんの手の上あたりがね……その、すっごく……熱くなってるの。」
金色の眼で何かを捉えたのかと、もう一度アイリスさんの手の平の上を凝視する。言われてみれば少し……風景が歪んでいる気がする。つまり蜃気楼のように。
「今の《エイプリル》は熱の使い手なんですよ、兄さん。」
さすがの上級騎士は最初から知っていたらしく、アイリスさんの技を教えてくれる。
「彼女は特定の場所や物の温度を上昇させる事を得意としています。燃焼が始まるよりも早く、物が膨張して破壊されてしまうくらい急激に。なので彼女の魔法には火が出ないのです。」
「た、確かに地味だな……でも見えないだけですごく熱いっていうのは結構……」
「ええ。彼女と戦う者にとっては恐ろしい限りです。例えば空気などは元々火を出しませんからね。彼女に攻撃しようと不用意に近づけば、実は数百度になっている彼女の周りの空気に突っ込んでしまうなどという事もあるわけです。」
「なーるほどー。さっきエリルちゃんのパンチを弾いたのは急に熱くなって膨張した空気。つまりは炎のない爆発だったんだね。」
「おお、そういう事だったのか。リリーちゃんよくわかったね。」
「すごいでしょー。」
ウェディングドレスを着てから妙に――オ、オレにくっついてくるリリーちゃんはオレの腕にギュッと抱き付いてきた。
「リ、リリーちゃん!?」
「なぁに?」
「な、なぁにじゃなくて……」
あるとすればフィリウスの剛腕のヘッドロックだったオレのちょっと前までの人生にこういう柔らかさは稀も稀。最近妙にこの感触を覚える時が多い気がす――
「ほらロイドくん。アイリスさんが攻撃の態勢に入ったぞ?」
ほっぺに走る痛み。稀って程じゃなかったけれど、最近の頻度は異常だな、これ。
リリーちゃんのムスッとした顔が見えたけど……んまぁ、おかげで頭の中に消しゴムをかけてしまう恐ろしい感触から離れて冷静になれた。
「――って、えぇ?」
防御から攻撃に転じたアイリスさんはエリルが言ったようにパンチキックなのだが――
「見切りや避け方も上達されましたね。」
口調は変わらず、動き自体はおしとやかなメイドさんの流れるような挙動。だというのに空振りした拳は何にも触れていないのに周囲の地面をえぐるのだ。
「あらあら。お庭がどんどん耕されていくわね。野菜でも育てようかしら。」
エリルが避けるたびに緑色だった地面がみるみる茶色に染まっていく。
「ア、アイリスさんが攻撃するたんびに……一瞬だけだけど手とか足の周りがすごく熱くなってるよ……」
「そうか。パンチやキックのインパクトの瞬間に高温による空気の膨張を重ねているのだな。」
「よ、要するに全ての攻撃が爆発するって事か……」
エリルのブレイズ・アーツも炎の爆発でとんでもない威力になってるけど、たぶんそれ以上のパワーがある。しかも攻撃範囲が広い。
「今の《エイプリル》の必勝パターンとして有名なのは、高温の空気を周囲に展開させた状態で相手に迫り、起爆する拳で攻撃というモノです。第四系統の使い手は同時に高温耐性の魔法の使い手でもあるはずですが、彼女の作り出す高温は桁違いだそうです。殴られる前に炭になるか、大やけど状態で巨人の拳のような一撃を受けるか。大抵はその二択ですね。」
近づいて戦うタイプは手の届く場所までそもそも近づけなくて、遠くから何かを発射するタイプでも――例えばティアナの銃弾やオレの剣はアイリスさんの手前で溶けてしまうんだろう。
うわ、どうやったら勝てるんだ?
「ところでああやってえぐれた地面は誰が直すんだろーね?」
爆発で威力の増した格闘戦を繰り広げる二人の足元はもはや荒地だ。
「心配いらないわ。すぐに直せるから。」
そう言ってカメリアさんは使用人の人に電話を一本かけさせた。
「急いでかけつけてみればまったく……たまに可笑しな事をなさりますね、カメリア姫。」
アイリスとの久しぶりの手合せが終わって、気が付くとデコボコになってる庭を見て顔を青くするアイリスだったけど、いつの間にかお姉ちゃんの隣に立ってた《ディセンバ》がため息交じりに庭の時間を戻した。
そして、いい汗をかいたあたしとアイリスがシャワーを浴びると言ったらお姉ちゃんが「みんなでお風呂よ!」って叫んだ。
そんなこんなで、まだ午後の明るい時間なのにあたしたちはそろってお湯の中にいた。
も、もちろんロイドは男湯に。
「いいじゃない。たまには。」
王様のザルフ・クォーツの子供や孫はみんな男の子なのに対して、そのザルフ・クォーツの弟のあたしのお爺様の子供や孫には女の子が何人かいる。そのせいなのか、《ディセンバ》は女性騎士としてうちの方に来る事が結構あるらしい。
あたしが会ったのは学校でが初めてだったけど。
「でも残念だわ。ロイドくんもこっちに入ればよかったのに。」
「何言ってるのお姉ちゃん!」
「だって彼あっちで一人よ? さみしいわ。」
壁の向こうにいるはずのロイドの方を見るお姉ちゃん。
「ロイドくんか……ここにはいないし別人とはわかっているのだが――一瞬ドキッとしてしまうな。二人は双子だったりするのか?」
そう言いながら、ローゼルはパムの方を見た。
普段はクセ毛なのかあっちこっちがぴょんぴょんはねてる髪型なんだけど、今は濡れてペタッとしてる。だから今はロイドの髪型にそっくりで、しかも兄妹だからか顔のラインとかがどことなく似てて……目とかを見れば違うってわかるんだけど、横顔とか後ろからだとロイドに見える。
「自分と兄さんは双子じゃないですよ。でもまぁ、普通の兄妹よりは似ていると思います。」
「タイショーくんの妹さんか。まさかあの天才騎士と呼ばれる子がそうだったとは。」
「自分も、《ティセンバ》と兄さんが知り合いだったとは驚きです。《オウガスト》の弟子になっているだけで充分驚きなのに。」
初対面ってわけじゃないみたいだけど、知り合いって言う程でもなかった二人が軽く挨拶をする。そしたら、なんでかローゼルがスーッとあたしたちから遠ざかって「ふむ」って顔をした。
「お風呂場にお姫様が二人に十二騎士が二人に天才と呼ばれる上級騎士が一人。そんな中にわたしもいるというのは……やれやれ、セイリオスに入った頃には考えもしなかったな。」
「ロゼちゃんだって……め、名門の騎士の人だよ……あ、あたしがビックリだよ。」
「あはは。そんな事言ったらボクなんてただの商人だったんだけどな。」
入学した頃は家のせいで結構面倒だったのに、今じゃそういうのを感じないくらいに普通に話せる相手が周りにいる。
あの田舎者が来てから……
「あらあら、私の目の錯覚じゃなかったのね。」
あたしがしんみりしてたらお姉ちゃんがそんな事を言った。
「どうかしたのですか、カメリア様。」
「遠近法のせいかと思っていたのだけど、こうやって離れて見てもやっぱり大きいわ。」
お姉ちゃんが見てるのはローゼル……というかローゼルの――
「な! ど、どこを見ているのですか!」
ザブッと首から下をお湯に沈めるローゼル。
「これだけ女の子がいて、しかも大人の女性もいるってゆーのに……それでもローゼルちゃんのインパクトは強烈だね。やっぱりそれ反則だよ。」
「あらあら。これじゃあロイドくんもイチコロね。」
「ロ、ロイドくんが……? い、いや、しかしこの前そういうのでは判断しないと言っていた。ロイドくんは――そ、そういう男ではないから……し、しかし……」
ぶつぶつぶくぶく言いながら口も沈めるローゼル。なんとなく自分のを見て気分が沈んだけど、お姉ちゃんを見てちょっと元気になるあたし――ってなんの話よ!
「あらあらそうなの? 大きいのも小さいのもオッケーって感じなの? ロイドくん。」
まるでロイドに話しかけるみたいにそう言ったお姉ちゃん。そしたら――
『みんなの事を見づらくなる質問やめて下さい。』
と、ロイドの声がお姉ちゃんの方から聞こえてきた。
「ロ、ロイドくんの声……? どこから……」
「おや。実は近くにいたのか、タイショーくん。どこだい?」
『そんなわけないじゃないですか。ちゃんと男湯にいますよ。』
みんながビックリする中、お姉ちゃんがコップみたいな道具をお湯に浮かべた。
「うふふ。ちょっとした電話みたいなものよ。ほら、糸電話ってあるじゃない? あれの糸無しバージョンよ。」
お姉ちゃんが浮かべたマジックアイテム。これと同じのが今ロイドの方にもあるらしく、会話ができるようになってるんだとか。
「みんな恥ずかしがっちゃって一緒に入らないから、せめてこれくらいはしないと――やっぱりさみしいわよね、ロイドくん。」
『んまぁ……』
「さみしくってローゼルちゃんの胸元に飛び込みたいわよね。」
『だ、だからそういう質問は……』
「わわわ、わたしに――!? 飛び込む!?」
基本的に偉そうか悪そうな顔のローゼルは、ものすっごくワタワタする。この前のフィリウスさんのいたずらでロイドの――お、思ってる事を聞いた時みたいに。
「あ、なんなら映像も送りましょうか? 一応そういうのもあるんだけど。」
『ダ、ダメですよ! 燃やされる前に鼻血で死にますから!』
「燃やす……ってことはロイくん。今真っ先にエリルちゃんの事を想像したの?」
ちょっと怖いトーンのリリー。
『えぇ!? あ、いや、そういうわけじゃ……エ、エリル、違うぞ! オレはちゃんとみんなの事を想像――ああ! もっとひどいじゃないか!』
リリーが変な事言うから顔が熱くなったんだけど、糸無し電話の向こうで一人バタバタしてるロイドを想像したらくすっと笑ってしまった。
「あらあら? エリーったらいい笑顔ね。きっと恥ずかしがるところよ?」
「な、べ、別にあたし……」
それはもちろん恥ずかしいんだけど……だってロイドだし。
「なんていうか、ルームメイトもちゃんとできてる上に仲もいいって事は、お互いに信頼があるって事よね。それってとっても素敵な事よ。」
柔らかく笑うお姉ちゃん。
「ねぇロイドくん、あとでちゃんと言うけど――これからも私の妹をよろしくね。」
『はい。オレからもよろしくです。』
「それでロイドくん。」
『はい?』
「式はいつ挙げるのかしら?」
「お姉ちゃん!!」
第四章 騎士の家
男にはルールがあった。必ずすると決めたルール――信条と言った方が良いかもしれない。
町や村に来た時、そこが初めての場所だろうと来たことのある場所であろうと、最初に目に留まった女性をお茶に誘うというのがそれである。
田舎者の青年がお風呂場で不思議なアイテムを使って女湯の面々と会話をしている頃、少し離れた町で、男はそのお茶を終えて連れとの待ち合わせ場所に向かっている所だった。
見知らぬ男に突然お茶に誘われるなど、警戒して然るべきだが大抵の女性は男の誘いを受ける。なぜなら男は――簡単に言うと美男子であるからだ。
今も、待ち合わせ場所に向かって歩く男とすれ違った女性らは足を止めてその男に見とれている。
その女性が誰かの妻であろうと、彼女であろうと。
連れとの待ち合わせ場所であるとある喫茶店まで来た男は、連れを見つけてため息をついた。
男の連れであるその女は、テラス席に座ってフランクフルトを食べている。ケチャップとマスタードをたっぷりかけたそれを――いや、食べるというよりはなめていた。
片手で髪をかき上げ、眼を潤ませ、口から糸を引きながら艶めかしくフランクフルトをくわえている。
その女が例えば幼い少女だったなら、マナーが良いとは言えないが遊びながら食べているとも見えるかもしれない。もしくは、その女が老婆だったなら、入れ歯が外れたのか、もしくは忘れたのかと思うかもしれない。
だがその女は若く、しかも美女と呼んで差支えない容姿だった。そんな女がそんな事をしているのだから、それに気づいた男性らが視線を奪われるのは仕方のないことだ。
その男性が誰かの夫であろうと、彼氏であろうと。
「はしたないぞ、妹。」
男――プリオルが席につきながらそう言った。
美女の隣にそれに釣り合うと誰もが納得する美男子が座ったことで、見とれていた男性らは我に返ってそそくさとその場から遠ざかった。
「……あと二十秒もすれば男が釣れたのに。邪魔しないでよ、弟。」
女――ポステリオールは大切になめていたフランクフルトにあっさりと歯をたてて噛み千切った。
「男なんかどうでもいいが、見とれる男の妻や恋人である女性たちの胸の内を考えると黙ってもいられない。下半身に脳みそがついてる男共は、今一度自分の傍らに立つ女神の存在を知るべきさ。」
「女神ねぇ? あなたがお茶してきたあのババアもそうだっていうわけ?」
「自身が女性であると認識した瞬間から死を迎えるその時まで、女性は美しい。あのご婦人はそれはそれは美しい方だった。」
「へぇ? 生まれた時からじゃないのね。」
「身体で女性を認識するならそうだが、あいにくボクは心で判断するからな。生まれたての人間なんて、よくわからない何かでしかない。」
「はぁ……あなたがそんなんじゃなければ今頃クォーツの家に、襲撃はしなくても何かできたでしょうにね。」
「それはすまないと思っているさ。そこが王家であろう宮殿だろうと、あの少年を調べる事がボクらの仕事だからな。盗聴器の一つもしかけに行きたいところだが――あそこには《エイプリル》がいるし、《ディセンバ》もよく出入りしている。もしも勘付かれて戦闘となった場合は妹だけで最悪二人の十二騎士と戦う事になるからな……少し分が悪い。」
「だからあなたも戦えって話よ。」
「馬鹿を言うな。女性と戦えるか。あ、すみません――」
もう一つの信条を語り、ポステリオールに呆れられるプリオルは店員に声をかけてコーヒーを注文した。
とある町の喫茶店。コーヒーが来るまで道行く女性を眺めて時に手を振る金髪の男と、残りのフランクフルトを口に放り込む金髪の女。そんな美男美女のペアは多くの男女の目を引くが、この二人に別の意味で目を止めた人物がいた。
「動くな!」
テラス席でまったりとする二人の前に、巨大な槍――ランスを構えた女性が現れた。この国の軍服に身を包み、黒いマントをはためかせるその女性は、マントの色でその階級をわけている騎士において言えば、中級騎士であった。
突然の物騒な空気に他の客や店員が距離をとる中、二人はのんびりと顔をあげた。
「女性騎士……いつ見ても美しいな。女性はか弱いという考えを否定しはしないが、その中に隠れた凛とした強さは男のそれとはまるで別物だ。それを表に出した女性の美しさはボクの口でその程度を語る事が畏れ多いほどさ。やぁ、レディ。ボクに何かご用ですか?」
「決まっている! 貴様らを捕らえるのだ、『イェドの双子』!」
「あら、よくわかったわね。上級の連中ならともかく、あなた中級でしょう?」
「私はか弱き人々を貴様らのような悪から守る為に騎士となった! 指名手配されている悪人らの顔は全て頭に入っている! S級犯罪者ならばなおのこと!」
S級犯罪者――その単語が出たことで少し離れているだけだった周囲の人々が一斉に逃げ出した。時にたった一人で街を一つ滅ぼす、もはや犯罪者というよりは災害とくくった方がいい連中につくその称号を冠する『イェドの双子』であるところのプリオルとポステリオールは、これといった反応もせずに女性騎士を眺めている。
犯罪者がこのような態度をとれば、騎士の方はなめられていると感じて実力行使に入ることだろう。だが今回はそうではない。二人は女性騎士をなめているのではない。
「真面目な騎士もいたものね――で、あなた……この後はどうする予定なのかしら?」
「そろそろ一分かな? 援軍を呼ぶならぜひ男にして欲しいところだ。でないと全員が妹と戦うことになるからな。ボクがヒマになってしまうよ。」
二人はその女性騎士を――自分らに害をなす存在とは思っていない。倒すべき敵とも思っていない。
「――っ……!」
女性騎士は一歩後ずさる。
自分たちが強いから余裕があるとかそういうレベルではない。
戦って勝敗を決めるなどという事にまったく意味がないと思う程に――「話にならない」程の実力差が女性騎士と二人の間にはあるのだ。
「かたまっちゃったわね。あなたの勇気は打ち止めかしら? 残念だけど、あんまり意味がなかったわね。」
すっと立ち上がったポステリオール。一瞬の後の自分の死を予感した女性騎士が、せめて一矢報いようとランスの握りを強めた時――
「おお、最近じゃ稀に見るガッツの持ち主だな!」
豪快な声でそんなセリフが聞こえた瞬間、女性騎士のこわばりはゆるみ、二人の表情が変わった。
「まいったな。男にしてくれたのは嬉しいけどまさかあれほどの援軍を……」
女性騎士の隣に立ち、その肩をポンと叩いて男は――漢は気持ちのいい笑顔を見せた。
「いい根性だ! 今回は無謀で終わったその勇気はこの先たくさんの人を助ける! その時の為に、今は悔しい思いをしろ! で、ついでに近くの駐屯所から王宮の《ディセンバ》を呼んでくれ。」
「りょ、了解です、《オウガスト》殿!」
くるっと背を向けた女性騎士に対してポステリオールがピクリと動いたが、漢の睨みでその動きを止めた。
「《オウガスト》……あの女、随分な奴を呼んでくれるわね。」
「呼ぶ? 俺様がこの町にいたのはちょっとした買い物だ。んま、町中で戦闘の気配を感じたからこの場所に来たわけだし、そういう意味じゃあの騎士が俺様を呼んだと言えるか。」
駆けていく女性騎士の背中を眺め、金髪の二人に視線を移したフィリウスは双子を見てため息をついた。
「にしても変装もしないでティータイムか。一応お前ら全世界で指名手配されてるんだぞ?」
「だから正体を隠して町に来いと? はは、ボクらがそんな三流に見えるのか?」
「三流? なんの。」
「悪の、さ。」
一体いつからそこにあったのか、いつの間にかテーブルの傍にある巨大な銃のようなモノを手に取りながら、プリオルは呟く。
「悪人は正義に追われる身になるなんて、当たり前の事さ。それを中途半端に善人のふりしてやり過ごす? そんな悪になり切れないようなビビリと同じに思われるのは心外だぜ。」
立ち上がり、ゆっくりとフィリウスに近づくプリオル。
「ははぁん。一流の悪党ともなるといつでも正面突破ってか?」
「そりゃあ目的があれば変装もするわよ? でも騎士から隠れるとか逃げる為の変装っていうのは、平穏な生活を望んでる証拠じゃない。」
二丁の銃を抜き、くるくると回すポステリオール。
「悪の道に平穏なんてないし、それを望んでそうなったはずだろう?」
「いつでもどこでも正義に襲われる――それは悪の醍醐味よね。」
大剣を背負ってはいるものの、腕を組んでいるだけのフィリウスを左右から挟む双子。
「姉さんに選ばれたボクらがそこらの三下みたいな事するわけないだろう?」
「お姉様に選ばれたあたしらがそんな三下みたいな事するわけないじゃない。」
先ほどの女性騎士相手の時とはまるで違う、完全な戦闘態勢の二人。
「……悪ってモノに対する騎士道みたいな信念……なるほど、これが噂のアフューカスの思想ってやつか。さて?」
組んでいた腕をだらんとさせるフィリウス。
「一番近い駐屯所まで――あの騎士の脚なら二分もないだろう。王宮に直通電話して――今がどこにいるかわからないが、緊急の連絡はつながるようにしてるだろう。あの騎士が走り出してから《ディセンバ》のとこに話が行くまでざっと三、四分。でもって悪についてのご高説で一、二分は経ったか。」
「……《ディセンバ》は時間使い……知らせを聞いてからこの場所に来るまで時間を止めて動けばタイムラグはゼロだし、そもそもボクは彼女とは戦えない。」
「つまり、あなたとやれるのはあと一分かそこらって事ね。」
強大な力を持った三人の臨戦態勢はしかし、とても静かなモノだった。
「熱い展開だな! こういうのは嫌いじゃない! 一つタフなセリフをはきたいところだな!」
右腕を背中の大剣にそえるフィリウスと、それと同時に互いの武器を構えた双子。
「一分で俺様をやれるとでも!?」
プリオルの武器は巨大な銃のようなモノでポステリオールは二丁拳銃。互いに遠距離武器であるのだから、大剣を構えるフィリウスからはまず距離を取るのが定石だろう。確かにプリオルはそうしたが――ポステリオールは違った。
拳銃を手にしたままポステリオールが入ったのは格闘戦の距離。大剣の間合いに入っていることなどお構いなしに接近した彼女は銃を持ったままフィリウスに殴りかかった。まるでナイフでも扱うように銃を突き出すポステリオールは、それをしながら引き金を引く。
本来、遠く離れた所から視認不可能な速度で相手を貫くはずの銃弾が、フィリウスの目の前で発射されたのだ。
どう考えても回避不可能な距離と速度の銃弾だったはずだが、その巨体からは想像もつかない速さでフィリウスはそれを避けた。
「! これはすごいな!」
そう言ったのはフィリウス。だがポステリオールの銃の変な使い方に驚いたわけではない。
避けたはずの銃弾が自分の背後に迫っているのに加えて、いつの間にか全方位から迫る無数の銃弾に囲まれている事に驚いたのだ。
空いている左腕で風の魔法を放ち、迫る銃弾を全て吹き飛ばした後、その強靭な脚の一踏みでポステリオールから距離を取るフィリウス。
だがそうして離れた場所に着地した瞬間、目の前に剣による突きが迫っていた。プリオルが近づいてきたと思い、風で剣を吹き飛ばした後に二撃目に警戒したフィリウスは少し驚いた。
剣は確かに自分の目の前にあったのに、それを自分に突きだしてきたはずのプリオルがいない。
「……噂通りってわけか。あべこべだな。」
豪快なフィリウスにしては珍しい小声での呟きだった。その視線の先には巨大な銃のようなモノを構えて少し離れた所に立つプリオル。外見的には非常に重そうなその武器を細腕一本で構えている。
「合わせろよ、妹。」
「あなたがね、弟。」
短い会話の後、プリオルがその武器を空に向け、引き金を引いた。
巨大な銃のようなモノから射出されたのは銃弾や砲弾ではなく――剣だった。しかも、明らかにその武器には収まらない数の剣がマシンガンのような速度で放たれていく。
それを合図に走り出すポステリオール。そのまま真っ直ぐ駆けて来るかと思われたその瞬間、ポステリオールの姿は消え、いつの間にか二つの銃口はフィリウスの背後に迫っていた。
それに気づいてフィリウスが自分の後ろに視線を移す頃には、その拳銃の装填数を遥かに超える数の銃弾が放たれ、右や左、真上から真下まで、ありとあらゆる方向からそれらが彼に向かってきていた。
先ほどよりも強力な風の魔法で銃弾の包囲網を片付けたフィリウスは、迎撃した後の隙にピッタリとタイミングを合わせて落ちて来る無数の剣にも風をぶつけようとしたが――
「おっと。」
落ちて来る剣の形が一つ一つ異なる事に気づき、フィリウスはそれらの迎撃を止めて、風の魔法で高速離脱した。
直後、落下した剣の一本が地面に刺さるや否や、その場所に凄まじい威力の雷が落ちた。続けて突き刺さった二本目は爆炎を噴き上げ、三本目は地面から針の山を突き出す。剣が一本刺さるごとに高位の魔法が発動しているようだった。
しかしその嵐の中を喜々とした顔でポステリオールが駆けて来る。
一本目の剣が刺さった場所からはかなり離れた所に退避したフィリウスだったが、ふと上を見れば自分に迫る剣が見える上に、今度はプリオルから直接こちらに放たれる剣も無数にあった。
フィリウスへと駆けながら銃を乱射するポステリオールだが、しかしその銃弾は何故かフィリウスを囲み、プリオルが放つ剣はポステリオールに一切危害を与えず、むしろ銃弾を後押しするくらいのタイミングで魔法を炸裂させ、その無数の刃はこれまた全方位からフィリウスを狙う。
本来遠距離から放つはずの銃を近距離で振り回し、本来近距離で振り回すはずの剣を遠距離から放つ。そうしてばらまかれる大量の銃弾はいつの間にか相手を全方位から狙い、無数の剣は強力な魔法を発動させながらその切っ先を相手へと向ける。
一人いれば同時に数十人の相手と戦う事と同義であり、二人そろったなら一つの軍勢を相手にしている事に等しい。この双子の脅威が騎士の間に広まった当初はそれにちなんだ様々な二つ名で彼らは呼ばれていた。だが本人たちが自分たちの呼び方を決めてそれを広めた為に当初の呼び名はもう使われない。
結果、どういう二人なのかイマイチ理解せずに戦いを挑み、人ではない何かに形を変えられてしまった騎士は多いと言う。
それが全世界指名手配のS級犯罪者、通称『イェドの双子』である。
「嫌だわ、案外とやるわね。」
「そろそろ時間だ。正義を前にせっせと逃げるのも悪というのが残念だな。」
銃弾と剣の嵐が十数秒続いた後、二人はため息交じりにそんな会話をした。そして一際派手な魔法が炸裂したかと思うと、粉塵が消える頃には二人は消えていた。あとに残ったのは――人で言うならフィリウスが残り、建物などで言うなら瓦礫だけが残った。
そして数秒後、フィリウスの隣に女性が現れた。
「やっぱり間に合わなかったか。」
かなりきわどい鎧の着こなしをしているこれまた金髪の女性。フィリウスほどではないがこちらも大きな剣を手にしている。
「ホントに来るとは思わなかったぞ、《ディセンバ》。ここまで来たって事は……相当広範囲で時間の停止をしたんだろ? 大丈夫か?」
「なんだ、緊急連絡までしておいて。」
「あいつらに《ディセンバ》を呼んだと思ってもらえれば別に本当に来ることはなかったんだ。何の下準備も無しにあんなんと戦ってちゃんと勝てるとは思わないし、それはたぶんあっちも同じだ。だから制限時間を設ければ自然に撤退でおあいこになる。」
「だがもしも間に合えば……S級二人に対してこちらは三人だった。下準備というのには同意するが、決して不可能ではなかっただろう。」
「三人?」
「ついさっきまで《エイプリル》もいたのだよ。まぁ、もう双子がいない事を確認したらすぐにクォーツ家の方に戻って行ったが……さすが第四系統の頂点。爆発による高速移動は恐ろしい速さだな。」
「ああ、あれか。位置魔法を除けば最速かもな。」
「位置魔法といえば――どうだった、『イェドの双子』は。こちらで連中と戦った事があるのは《オクトウバ》だけで、第十系統の位置魔法の頂点であるところのその《オクトウバ》がかなりの位置魔法の使い手だと評価していたが?」
「さてな。俺様は位置魔法全然使えないからああいう使い方が難しいのかどうなのかもよくわからん。ただ、魔法の速度が異常だったな。」
「《オウガスト》殿ー!」
もはや廃墟と化した町の中をビックリした顔で走って来るのは先ほどの女性騎士。
「! 《ディセンバ》殿! さ、さすが時間の使い手ですね……もういらっしゃるとは。」
「連絡をありがとう。結局間に合いはしなかったが――しかし来た意味はあったよ。」
そう言うと《ディセンバ》は、すぐにでも野菜を育てられるほどに耕された庭を元に戻したのと同じ魔法を町にかけた。ちらばった瓦礫がパズルのように組みあがり、そうして町は女性騎士が駆けだした頃の姿に戻った。
「《エイプリル》を誘えたって事はクォーツ家にいたって事か?」
「そうだ。ついさっきまでお風呂に入っていた。」
「こんな昼間っからか?」
「色々あってな。ちなみにタイショーくんもいたんだぞ。」
「大将と風呂に入ったのか!? ちょっと見ない間に《ディセンバ》にまで……」
「「と」ではなく「も」だな。彼はきちんと男湯にいたよ。」
「はぁん? クォーツ家ってことは、あのお姫様絡みで遊びに来てたとかだろうな。なんだ、夏休みを楽しんでるなぁ、大将! いいことだ!」
「そうだな。ところでフィリウス。」
第十二系統の使い手である《ディセンバ》は他の系統の魔法を使えないはずだが、彼女はパッとその姿を普段着である――町娘のそれに変えた。時間を止めて着替えたにしても、鎧と剣はどこへいったのか。
「フィリウスが無事という事は《エイプリル》がタイショーくんに伝えてくれるだろう。せっかくこうして会ったのだから、食事にでも行かないか?」
「あん? いや、俺様は――」
「この辺りには美味しいトマトを出す店があるのだ。高級と言うわけではないが肉料理もあるし、酒もリンゴもある。」
「まてまて。最近妙に、俺様の好物ばかり持ち出してくるな……」
「おや、相手の好物を熟知しているとは素敵な事だ。これは良き妻になるのではないだろうか、なぁフィリウ――」
「そういえば確かに腹が減ったな! よし、その店に案内してくれ《ディセンバ》!」
「この格好の時は名前で呼んでほしいな。親しみと愛情をこめてセルヴィアと――」
「行くぞ、キャストライト!」
すたすたと歩き出すフィリウスと、それをすすすっと追うセルヴィア。
騎士の頂点に立つ十二人の内の二人の夫婦漫才一歩手前の会話を聞いた女性騎士は目をパチクリさせていた。
列車に乗ってちょっと遠くに移動し、駅で迎えてくれたローゼルさんに連れられて、オレたちはリシアンサス家にやってきた。
エリルの家を見たあとだからどんな家でも驚かないぞと思っていたのだが、実際、オレは驚いていた。
「おかえりなさい、お嬢様!」
「お疲れ様です、お嬢様!」
メイドさんとか執事さんのお出迎えとは少し違うものの、下手すればクォーツ家よりも広い敷地の中を歩いているとそんな感じに挨拶をしてくる人にかなりの頻度で遭遇した。
ひらひらと手を振って挨拶を返すローゼルさんの代わりに、エリルが理由を教えてくれる。
「名門って呼ばれるような家には、その技術を学ぼうと門を叩く見習い騎士がたくさん来るのよ。だから大抵、家の敷地内に修練所とか、門下生が寝泊まりする寮みたいな建物とかもできて、結局すごく大きな家になるの。」
「な、なるほど。じゃあローゼルさんに挨拶をしているあの人たちは――リシアンサス家のお弟子さんか。」
「そんなところよ。彼らからしたらローゼルは師匠の娘さんだもの。ああいう態度にもなるわ。」
「でも今のローゼルさん優等生モード――だよな? もしかして家ではずっとあのモードなのか? 本当のローゼルさんを知っている人はいるのかな……」
「残念ながらいないよ。」
先頭に立ってあっちこっち向きながら挨拶していたローゼルさんが後ろにさがってきた。
「父さんはともかく、母さんがそういうのには厳しくてね。この家にいる間、わたしはずっと優等生を演じて――というかロイドくん。優等生モードと呼んでいるのか? わたしのこれを。」
「え、あ、いや……気を悪くしたなら謝るよ。」
「別に構わないが……ふふ、それだと本来のわたしは優等生ではない――つまりおちこぼれという意味合いになってしまわないか?」
「あ……べ、別にローゼルさんをバカにしているわけじゃないぞ! ローゼルさんは実際頭いいし運動もできるし普通に強いし……だ、だから優等生モードっていうのはその、振る舞いという意味というか……」
「そうかそうか。では本来のわたしの振る舞いは言い表すとどうなるのかな?」
「えぇ?」
普段のローゼルさんを思い浮かべる。大抵、腕を組んで色んな事を教えてくれる。
「――色々教えてくれる年上のお姉さん……かな。」
「……わたしは老け顔か……」
「いやいやそうじゃなくて! 大人びていて、こう、仕草? っていうのかな。そういうのが美人さんのそれで、だからさらに大人な感じに見えて……」
「び、美人さんか……前から思っていたが、ロイドくんはそ、そういう事をさらりと言うな……」
髪の毛をくるくる指に巻くローゼルさん。
「どうせフィリウスさんの教えとかなんでしょ……」
エリルがムスッと呟く。
「ま、まぁ……で、でもオレだって思っている事全部言うわけじゃないぞ! 恥ずかしいから。」
例えばこの前フィリウスに言ったみんなの良い所なんかは問い詰められたりしない限りは言わないだろう。
「そ、そうだな……恥ずかしいな……聞く方も恥ずかしいからな……」
どこにそういうポイントがあったのか、ローゼルさんだけでなく他の三人もそっぽを向きながら顔を赤くした。なんなんだ?
「まったく、あのゴリラの適当な教えのせいで兄さんが……」
一人だけ顔色が変わってないパムがプンスカ怒る。
「さ、さて。そろそろ我が家なのだが――一応言っておくぞ。」
エリルの家が豪華な感じの豪邸なら、ローゼルさんの家は歴史を感じる――やっぱり豪邸だ。
「父さんや母さん、その他諸々の人の前では、わたしはロイドくんの言うところの優等生モードでいるからな。」
「それ、自分で言うのね……」
「習慣となっている猫かぶりなのだから仕方がない。」
そう言いながら扉を開けるローゼルさん。するとその向こうで一人の男性がオレたちを待っていた。
「おかえり、ローゼル。」
男性と言っても執事さん的な人じゃ勿論ない。かといって、じゃあこの豪邸の主たる堂々たる格好かと言うとそうでもない。無地の上下をだるーんと着ている無精ヒゲなその人は言うなれば――休日のお父さんだ。
「ただいま帰りました、父様。」
そんな庶民的な人を父様と呼ぶお嬢様なローゼルさんの組み合わせは妙――というか今「父様」って呼んだのか。
数秒前に父さんって呼んでいたような……
「紹介しよう、現リシアンサス家の当主でありそしてわたしの父だ。父様、彼らがわたしの友人です。」
「どうもどうも、ローゼルの父です。」
気の抜けるのほほん笑顔のお父さんがぺこりとお辞儀した。
「? 父様。そういえば――母様は? てっきり、こうして出迎えて下さるのは母様かと。」
「うん? 母さんは出かけているよ。戻ってくるのは明後日か……その次の日だろうね。」
と、ヒゲをいじりながら答えたローゼルさんのお父さんだったが、ローゼルさんは目を丸くして驚いた。
「母様が!? ですが……その、クラスメイトとはいえクォーツ家の人間が来るというのに母様が顔を出さないというのは珍しいと言いますか……」
「ははは。それは、単に父さんが母さんにその事を伝えてないからだよ。教えてしまったら、母さんはすごく気合いを入れてもてなしてしまうからね。それじゃあ折角のお泊り会が貴族のパーティーになってしまう。」
そう……エリルの家の時はカメリアさんの都合もあって日帰りだったけど、今日はローゼルさんの家でお泊り会なのだ。
「しかし、友人が泊まりに来る事は話しているのでしょう?」
「それくらいはね。ただ、その友人の中に男の子がいるという事は話していないよ。話してしまったら騎士としての心得だなんだと長い説教が始まってしまうし、その子だけ遊びに来れなくなってしまう。」
「確かに……母様ならそうでしょうね。」
ここにはいないお母さんについてしゃべる父と娘を見ていたエリルが、軽くため息をついた。
「なるほどね。今のでローゼルの母親がどんななのかわかった気がするわ。」
「えぇ? 今のでか。」
「さっき母親が厳しいって言ってたし……たぶん、当主は父親でも、実際にこの家を運営してるのは母親なのよ。」
「運営って……店じゃないんだから。」
「似たようなモンよ。リシアンサスくらいの名門になれば貴族とかとのつながりも結構あるだろうし、色々とあるのよ……国で言う外交的なモノが。」
ムスッとエリルがそう言うとお父さんがいやはやと手を頭にまわす。
「お恥ずかしい事ですが、そういう方面は不得手でしてね。妻に任せきりなのですよ。情けない夫で申し訳ない。」
「でも――」
ローゼルさんのお父さんがどんどんと小さくなっていく中、パムが後ろからひょっこりと顔を出す。
「普通に上級騎士だし、普通に凄腕ではないですか、リシアンサス。」
「! ウィステリアの……! 何故ここに!?」
「自分は、あなたの娘の男友達の妹なのですよ。」
そう言ってオレを指差すパム。
「そうか。父様は上級騎士ですから、知り合いで当然ですよね。わたしとした事がうっかりしていました。」
「いやいや、別にあらかじめ教えてもらっていてもいなくてもどうせ驚いたよ。しかしそうか……ウィステリアの天才騎士のお兄さんか。それは安心だ。」
「? 何が安心なのです?」
「ははは。娘が帰って来たと思ったら男の子を連れてきたのだ。母さんでなくたって色々言いたくなるというモノだよ。」
優等生モードながらも少し赤くなるローゼルさん。その横でオレ以外の人がいる時のモードであるキリッとしたパムが腕を組む。
「しかしリシアンサス。別に責めるわけではありませんが……セイリオス学院における友人という事は、王族でなくても同等の名門の可能性もあるわけです。王族がいないのなら顔を出さずとも良いというあなたの奥方は、いささか礼を失している気がしますね。」
「やれやれ、相変わらず年齢に合わない厳しさですね。しかしこれはこれで仕方がないのです。」
のほほんとしているお父さんが、その時だけ妙に……そう、大切な人を思い浮かべるような優しい顔になった。
「王家の方が来るというくらいの事がなければ……彼女は、娘の友人にどんな顔で接すれば良いかわからないのですよ。」
騎士の家の中の騎士の家……そんな名門リシアンサス家を見てまわる前に、とりあえず荷物を置きに応接室に来たあたしたちは、あたしたち以外部屋にいないからかコロッといつもの態度に戻ったローゼルの大きなため息を聞いた。
「ここ最近は素でいる事が多かったからな……猫をかぶるのが大変だ。」
「ね、猫をかぶるって言っちゃうのが……ロゼちゃんらしいね……」
げんなりするルームメイトを見てくすくす笑うティアナは少し残念そうな顔をした。
「でも……ロゼちゃんのお友達として、こうしておうちに来たんだから……お母さんにも挨拶したかったな……」
「よせよせ。さっきの会話だとこの家の為に頑張る母親のような印象だろうが、実際は単なるガミガミ魔人だぞ。学院に来られて良かったと思う一番のポイントは母さんから離れられたこと――」
そこまで言ってローゼルはハッとし、ロイドとパムを見た。あたしも時々やってしまうこれだけど――
「? いいよ、ローゼルさん。気にしてないから。」
って、大抵ロイドは言う。
「そ、そうか……」
それでも何となく――というか一人で勝手に気まずくなったローゼルはあははと笑いながらこんな事を言った。
「し、しかしわたしから見ると母さんはアレな感じだ。父さんから告白して結婚したらしいのだが、しかし一体何に惹かれたのかさっぱりだよ。」
たぶん冗談のノリでローゼルはそう言ったんだと思うし、あたしもそうだと思ったんだけど――
「そりゃあ、好きになったからだろう。」
って、真面目に答えたのはロイドだった。
「さっきのローゼルさんのお父さん、そういうところも好きなんだよなぁって顔してたぞ。」
「と、父さんがか? しかしそうだとしたらわたしの父ながら中々に酔狂だな。」
「かもね。でも、他の人からしたら欠点でも、その人を好きな人からしたらチャームポイントの一つになっちゃうっていうのがきっと、好きになるって事――いや、こういうのは後付けか。」
荷物を置いて、ロイドのくせに妙にカッコイイポーズであごに手を置きながらロイドはキリッする。
「好きな理由を言葉に出来る人はたくさんいると思うけど、『これ』って理由は特にないのに好きになる場合もあるんだよ。強いていうなら『なんとなく』。でもってその人の色んな事が好きな理由になっていく……きっとお父さんはお母さんにひとめぼれしたんだな。」
似合わない恋愛話なんてのを披露したロイドに――少し……ドドド、ドキっとしたけどそれだけよ! たまに変な事言うわね、この田舎者は!
って、あたしが心の中で叫んでたらふと目に入ったのはローゼル。
その時のローゼルは今までに見た事のない顔だった。
「――」
照れてるわけでも、恥ずかしがってるわけでも……勿論半目でもないし偉そうなニヤリ顔でもない。顔は少し赤くて、でも真っ赤じゃない。
ちょっと風邪引いたかしらってくらいのほんのり赤いほっぺに少し光った瞳。それだけなら別に大したことない気がするけど……だけど違う。何か、今までとは決定的に違う何かがローゼルの中で起きた――そんな顔だった。
「? ローゼルさん? なんか――表現しにくい顔だけど……大丈夫?」
それに気づいたロイドが心配そうな顔をすると、ローゼルはハッとして自分の顔を両手で覆った。
「――! にゃ、なんでも――なんでもないぞ! ロ、ロイドくんが変な事言うから……ほ、呆けてしまっただけだ……」
そのままロイドに背を向けたローゼルは……位置的に近くにいたあたしがやっと聞き取れるくらいの声でこう言った。
「――帰る家を見つけた気分だ――」
リシアンサスはたくさんの上級騎士を輩出して来た家で、その力をこの国――フェルブランドだけで振るってきた。名門って言っても、何かの縁があって外国の騎士団に騎士を送る家もあるんだけど、リシアンサス家で学んだ者はフェルブランドで騎士になることしか許されてない。うわさだと、この決まりを破った者には当主が直々に引導を渡しに行くとか。
そんな忠節を持ち、しかも騎士の起源にあるランスとかの長い武器を専門にするこの家は騎士の鑑とか言われて人気が高い。
「へぇー。それでこんなにたくさん人がいるんだな。」
「これだけの規模はそうそうない――って、なんであたしが説明してるのよ。あんたが説明しなさいよ、ローゼル。」
「…………」
荷物を置いて、とりあえず敷地内を散歩してみようって事で家の外を歩いてるあたしたちだけど、肝心のガイドがさっきから上の空。
「あれ? イメロをもらえるのは学校で勉強した人だけなんだろ? てことはここで頑張っても騎士の証がもらえないってことになるけど……あの人たちはどうするんだ、ローゼルさん。」
「…………」
「ロ、ローゼルさん?」
ロイドがぼーっとしてるローゼルに近づいて肩を叩くと――
「きゃあっ!」
って、ローゼルっぽくない変な高さでローゼルっぽくない声をあげた。
「だ、大丈夫? ローゼルさん。」
「な、や、わ、わたしは――大丈夫だ! もちろんだ!」
「そ、そう?」
「す、すまない、ぼーっとしていたよ、ははは! で、な、なんだいロイドくん。」
挙動不審なローゼルにビックリしながら、ロイドは質問を繰り返した。
「あ、ああ、それか。確かにイメロをもらえるのは騎士の教育機関だけだ。だからここで修行を終えても騎士にはなれない。他の名門も同じくな。」
「えぇ? じゃあどうするんだ?」
「そういう人の為の特別な試験を行っている学校があるから、そこで試験を受けるのだ。年に一回あって――国内一の名門校である我らがセイリオスもそれを実施しているよ。」
「つまり……学校で勉強しなくてもその試験をクリアできればいいって事なのか?」
「まぁそういう事になるが――試験を受ける際に今までどこで修行したか、誰に技術を教わったかを明らかにしなければならないし、学校側でそれが嘘でないかの調査も行われる。一人で修行していましたという者は、あいにくだが試験を受ける事ができない。」
「信用ある人のとこで修行してないと駄目って事か。」
「そうだ。しかもその試験の難易度は普通に入学した者が卒業する時に受ける事になる卒業試験を遥かに超える難易度だと聞く。極端な話だが、ただ騎士になるのであればどこかの学校に入学する方が楽だ。」
「それでも……こうやって人が集まるって事は、やっぱ名門の教えはすごいんだな。」
「実際、そうやって騎士になった人は強いからな。」
「んー? でも、それならどーしてローゼルちゃんはセイリオスに入ったの?」
「ん? そういえばリリーくんには言ってなかったか。そもそも、わたしは騎士になりたいと思ったわけじゃないのだ。この家に生まれたから騎士を目指す事に「なってしまい」、「仕方なく」修行していて――少しでもそんなモノから離れる為になんやかんやと理由をつけて学院に入ったのだ。」
「ひどい志ですね……」
リリー同様、ローゼルの本音を初めて聞く現役の騎士のパムが眉をひそめた。
「ま、自分も兄さんを生き返らせる為の修行の一つとして騎士になったわけですけどね。誰かを守る為だなんて思ったことありません。」
ニヤリと笑うパム。
「で、でも今はロゼちゃん、騎士を目指してるんでしょ……?」
「ま、まぁな……」
照れた顔で――ロイドをチラ見するローゼル。そんでチラ見されたロイドはふと思い出す。
「そういえばフィリウスからリシアンサスの人は長い武器を使うって聞いたけど……あれはなんでなんだ?」
「あ、ああ。それは初代の当主――いや、その頃はただの一騎士だったわけだが、最初の一人が槍の使い手だったからだな。それはそれはとんでもない達人で――」
そこまで言ってローゼルがにこりと笑った。
「見てみるか?」
意地悪――というかドッキリをしかけた人みたいな顔のローゼルにつれられて来たのはローゼルのお父さんの部屋だった。
「? どうしたんだい、ローゼル。」
「『あの人』の技を皆に見せたいと思いまして。」
なんのことかよくわからないあたしたちを置き去りに、ローゼルのお父さんは「ふむ」って顔になる。
「勿論、未来の騎士にあの技を見せてあげたいし、そもそもそういう目的で作られたモノではあるけど……一応リシアンサス家の家宝だからね……」
「家宝!? い、いやローゼルさん、そんな大事な物を見せてもらうわけには……」
ロイドがわたわたしていると、それを見た――というかロイドを見てローゼルのお父さんが何かを思い出したみたいにポンと手を叩いた。
「! そういえばロイドくん――は、曲芸剣術の使い手だとローゼルから聞いている。よし、それを見せてもらう代わりというのであれば等価値だろう。」
「と、等価値!? オレのあれがこの家の家宝と!?」
「かつてのとある騎士が生み出した技術という意味では同じだよ。それを使える者が今はいないという点でもね。」
椅子に座ってたローゼルのお父さんはスッと立ち上がって軽く腕を振った。そしたら、たぶん袖に忍ばせてたんだろう――二十センチくらいの棒が出てきてそれを掴んだ。
「『あの人』の技は、もはやあれでしか見ることが叶わず、そして曲芸剣術は……記録はあるものの使える者が一人もいなかった。生で見ることができるならあれに釣り合うとも。さ、ロイドくん、外へ出ようか。」
「! 父様、まさか……」
「部屋の中でするわけにはいかないだろう?」
というわけでいきなり……リシアンサス家現当主と田舎者代表ロイドの手合せが行われる事になった。
軽く戦えるように整備されてる敷地内の一角で向かい合う二人。しかも、当主が戦うって事でその時近くにいた弟子たちが勢揃いして結構なギャラリー。
「すまないね。皆にも、歴史上最強と言われる《オウガスト》の剣術を見せてあげたいのだ。」
「そ、そこまでのモノじゃあないんですけど……」
二本の剣を手にしたロイドの前にはさっきの棒を手にしたローゼルのお父さん。だけど構えた瞬間、その棒からキリ状の刃……っていうよりは針? が飛び出した。やり投げ用の槍っていうか、大きなアイスピックっていうか、そんな感じのちょっと変わった武器だった。
「リシアンサス! 兄さんにケガの一つもさせたら許しませんからね!」
「やれやれ、それでは手合せができないではないか。」
苦笑いのローゼルのお父さんにペコリと一礼して、ロイドは剣を回し始めた。
「これは……いや、驚いた。人間、それだけに注力すればそんなに美しく剣を回せるようになるのか……」
なんていうか、ロイドがやる回転は見る人が達人であればあるほどに驚かれるような気がする。あたしなんかは「すごいなぁ」くらいにしか思ってないんだけど……あの回転はレベルが違うらしい。
「ふっ。」
ロイドが短く息を吐くと、二本の剣はその手を離れて宙に浮く。そしてくるくると、回転しながらロイドの周りを回転し出す。
「兄さん、これも。」
パムがパンと手を叩くと、ロイドの足元の地面からズズッと……剣の形をした砂がせりあがった。
「曲芸剣術を見たいのであれば、その真髄を見るべきでしょう? ならば剣は多い方がいいですから。いいですね、リシアンサス。」
「構わない。というかありがたい。あいにくこの家には剣がないからね。」
砂で出来た剣……普通の剣とは勝手が違うんでしょうけど、ロイドはこくりと頷いて――まるで演奏を始める前の指揮者みたいに両手を挙げた。すると地面からはえてきた剣が宙に舞い、回転を始める。初めの二本を合わせて剣は合計十本――
「え? ちょっとロイド、あんた剣が増えてるじゃない。」
思わずそう言うとパムが――ちょっと偉そうに答えた。
「兄さん、体術や剣術――まぁ回転ですけど、そっちはかなりのモノなのに魔法がまだまだでしたから、自分が色々指導したのです。クォーツ家にお邪魔するまでの一週間の間に。」
「あんたが……?」
「兄さんとは逆に、自分は魔法の方をメインに鍛えた口ですからね。もっと効率の良いマナの使い方や風を操る際のイメージ、その辺りにアドバイスをしたのです。結果、操ることのできる剣の本数が増えたわけです。」
「……ま、上級騎士が直々に指導したんなら納得ね。」
……魔法に関してはあたしが色々教える役だったのに――って、別に誰が教えたっていいわよ!
「ただ……」
ふっと、パムが難しい顔でこう言った。
「自分にはあれ以上増やす事が出来るとは思えないのですよね……」
パムの呟きの直後、ロイドが消え――た!?
キィンッ!
ハッとして見ると、迫りくる回転剣をアイスピック――えぇっと一応槍か。槍で弾くローゼルのお父さんが見えて、その上、空中にロイドがいた。でもそのロイドはまたふっと消える。
あの消え方は見た事がある。前に《ディセンバ》との模擬戦でやった風による高速移動。ワイバーンを殴る時にもやったあの移動方法がさらに速くなってる。
「……あれもあんた?」
「そうです。兄さんは……特別魔法が上手なわけでも、あなたのような魔法に恵まれた体質というわけでもありません。ですが魔法を使ってやろうとしている事に少しでも『回転』の要素を組み込めるなら、兄さんは常人以上にそれを使いこなします。イメージがモノを言う魔法において、兄さんの『回転』に対するそれは――言ってしまえば異常ですから……使い方さえ指導すればこの通りです。ちなみに、もう空も飛べますよ。」
たった一週間……でもってあたしの家に来てから今日まで四日。ほんのちょっと会わなかっただけで、ロイドは一段階強くなってる。目指す騎士に近づいてる。
前にロイドは言った。同室になるなら、他の誰よりも騎士を目指してる人がいいって。だからあたしが同室なのはいいことだって。
それはあたしもそうだ。色んな技術を教えてくれるし、すっとぼけた顔のくせにしっかりと騎士を目指すロイドみたいのがルームメイトで良かった。
でもってそんな相方は今日もまた、一歩騎士に近づいてる。
負けられないと思える。
頑張ろう、あたし。
「……なにを嬉しそうな顔をしているのですか?」
「! なんでもないわよ!」
結局、ローゼルのお父さんに魔法の一つも使わせる事ができなかったロイドだったけど――
「正直冷や汗ものだったよ。魔法の方がまだまだだったが……逆に言うとそれだけ伸び白があるという事だ。剣があと二本も増えたら――いよいよ魔法に頼らざるを得なかっただろう。」
って、ローゼルのお父さんが褒めた。
さっきの部屋に戻って来たあたしたちは――曲芸剣術を体験できてそんなに嬉しいのか、ウキウキしてるローゼルのお父さんが持ってきた小さな箱を見下ろしてた。
「これが我がリシアンサス家の家宝だ。」
そういってローゼルのお父さんが箱を開けたんだけど……中に入ってたのは途中で折れた木の棒だった。
「……どんなすごいのかと思ったら……なぁにこれ?」
露骨にガッカリするリリー。
「ははは。この棒そのものにはガラクタ――いや、ごみとしての価値しかないとも。しかしこれに込められている記録が宝なのだ。」
「? じゃーこれマジックアイテムなわけ?」
「その通り。その昔、初代の技を後世に伝えようと彼の友人だった騎士がとある一戦を映像としてこの棒に記録したのだ。……棒と言うか、一応は槍だったのだけどね。さ、手を出したまえ。」
言われてあたしたちはリシアンサス家の家宝というごみの上に手をかざした。
「これが、史上最高の槍の使い手だ。」
直後、視界がどこかにとんだ。部屋の中じゃなくて外。この家の敷地じゃないどこかの荒野。
自分じゃない誰かの視界……その真ん中にいるのは一人の男。どこにでもありそうな普通の槍を手にした背の高いその人物の前に立つのは――巨大な魔法生物。二……三メートルはある熊みたいなその生き物と男の距離は数メートル。
本当に視界だけで音はない。だから何がキッカケで戦いが始まったのかわからないけど……突然両者はその距離をつめた。
その魔法生物は……まるで熟練の格闘者みたいな動きで男に迫った。あの巨体でそんな動きをされると人間じゃどうしようもない気がする。だからたぶん、男は魔法で応戦する。そう思ったんだけど、男は槍だけを手にそれに向かって行った。
そこから先は……時間にするとほんの数秒だったと思う。
魔法生物をある一定の距離から先には一歩も近づけず、振り回される巨大な腕を避けたり防いだりせずに全て貫き、そうして生まれるスキを逃さずに急所と思われる場所に神速の一撃を刺して槍を構え直す。
曲がった軌跡を一切描かず、ただただ真っ直ぐな一撃が空気に溶けてなくなってしまったのかと思うくらいの滑らかさと、相手が血を流す事でやっと攻撃をしたのだとわかるくらいの速度で放たれる。
気づけば、その男は最初の一撃を放った場所から一歩も動かずに魔法生物を倒してしまった。
いつの間にか、視界に映るのはかざしてる手。記録の再生は終わった……だけど、頭の中で焼き付いたみたいに繰り返される槍の軌跡。
『突く』……その攻撃方法の頂点だと確信できるその映像はしばらく頭の中で再生され続けて……我に返った頃にはソファーに沈みこんでお茶を飲んでた。
「すごかっただろう。幻術を見せられたわけでもないのに頭があの技に魅了される感覚……つまり、あれこそが――というわけだ。どうだい、リシアンサスの家宝の実力は?」
自慢げに笑うローゼルのお父さん。そして同じくニッコリ笑う優等生モードのローゼル。
初めてのモノに混乱するあたしたちの中で、最初に口を開いたのはロイドだった。
「すごいモノを見せてもらいましたけど……オレじゃあこの経験を活かせない気がしますね。」
残念そうにするロイドに、ローゼルのお父さんが頷いた。
「確かに……曲芸剣術にはそうかもしれないな。」
「? どうしてです、父様。」
「先ほどの手合せで気づいたよ。曲芸剣術では剣で行う事の出来る攻撃の……ある一つを使用不可能にしてしまうのだと。わかるかい、ローゼル。」
「……もしかして……いえ、そうですね。曲芸剣術では――『突き』ができません。」
「その通り。『あの人』の技とは真逆の性質なのだよ、曲芸剣術は。しかし――」
ローゼルのお父さんがポンとロイドの肩に手を置いた。
「それ以外の何か――具体的にこれとは言えないが、全くの無意味にはならないとも。どこかで役立つ時が来る。」
「……はい。」
「……ところでだがロイドくん。」
「はい?」
「今の《オウガスト》の弟子という話をローゼルから聞いているが本当かい?」
「はぁ……フィリウスが《オウガスト》っていうのを知ったのは最近ですけど。」
「ほう。では――少し失礼な言い方をするが、そんな、騎士の世界で言えば将来の活躍が大いに期待できる若者である君が遠い田舎の村の出身というのも本当かい?」
「は、はい……もう……ないですけど。」
「父様!」
「や、これはすまない。しかし大事な事なのだ。ロイドくん、もう一つ確認させてくれ。」
「……?」
なんでか突然真剣な顔でロイドに質問を始めたローゼルのお父さんは最後にとんでもない事を聞いた。
「君には将来を誓い合った女性はいるのかい?」
「父様!? な、なにを聞いているのですか!」
その質問にあたしたちはかなり動揺した。一体どういう意味で聞いたのか――というかロイドの答えは……?
「そ、それって結婚する人って事ですよね? い、いませんよそんな人……」
「なるほど……」
「何がなるほどなのよ!」
あたしがそう言うと――だけど相変わらずローゼルのお父さんは真面目な顔で答えた。
「貴族や王族であれば、次の世代を担う者――つまり自分の子供の結婚相手というのは家柄を重視するモノだ。自分の家をさらに反映させる為に、今の自分たちよりも高い地位の家を選んだりする。王族であれば、より広い領地を持った他国の王子や王女といった具合に。」
「そ、そうだけどそれがなんなのよ。」
「いえ、そちらは問題でなく、話は騎士の世界ではという事です。」
「騎士の? 騎士だって――例えばこの家だったら同じくらいの名門とつながりたいと思うものでしょ? 同じじゃない。」
「少し違います。結婚相手に名門の子を選びたいのは、その子が名門の子だからではなく、名門故に強いからです。」
ローゼルのお父さんは思わず立ち上がったあたしたちとは逆に深く座り込んで難しい顔で目を閉じた。
「全ての騎士の家系が家柄の維持に力を入れているわけではありません。真に愛した相手と結ばれて欲しいと我が子に願っている者もいるはずです。しかしできれば強い方と結ばれ、強い子を生み、家を大きくして行って欲しいと思う者もいれば、単純に強い者でなければ結婚したくないという騎士もいます。男女問わずにね。」
「……なぁんか、ローゼルちゃんのお父さんの言いたい事がわかってきたよ……」
「なによ、どういう事よ。」
「今のロイくんの状況を言葉にするとさ……十二騎士の一人の《オウガスト》の唯一の弟子で、歴代の《オウガスト》の中でも最強って呼ばれてる人の剣術を使えて、しかももう、一年生でA級犯罪者を撃退したっていう実績がある。その上騎士の名門のリシサンサス家の娘や、王族のクォーツ家の娘と知り合いで……妹は天才上級騎士。」
「そ……そうね……」
「で、これがミソなんだけど、そんなすごいロイくんなのに出身は普通。高貴な生まれでもないし、名門でもないし……もちろん許嫁もいない。つまりロイくんは……」
「オ、オレは……?」
「誰にでも手が出せるのに価値はすごく高い、超お買い得商品って事だよ。」
お買い得商品……まぁ、リリーだからそういう表現なんだろうけど……変な言い方をすると、ロイドと結ばれればかなり高い確率で将来安心……的なことよね……
そういえば、この前フィリウスさんが素っ裸で女子寮に来た時、ロイドが来たらみんな安心してて……他の女の子たちから結構信頼されてる感じだったわ。ローゼルの話じゃそこそこ人気もあるらしいし……そういうことなわけ……?
「と、父様もそう思っているのですか……?」
ローゼルがおそるおそる聞くと、難しい顔をコロッと柔らかい表情に変えてうんうん頷いた。
「きっと母さんも許してくれるだろう相手だ。二人にその気があるならお父さんも良いと思うけれど……」
「な! 何を言っているのですか、父様!」
「おや……そんなに顔を赤くするローゼルは初めて見たね。学院に入って随分女の子っぽくなったのだなぁ……」
「――!!」
優等生モードが崩れそうなローゼルは、顔を赤くしたまま部屋からダッシュで出ていった。
「……ローゼルちゃん、これで家族への紹介も済んで許可ももらって……壁になりそうなモノを全部クリアした状態だね……」
「きょ、許可ってなによ!」
「ロ、ロイドくん……ロゼちゃんと……?」
「あの、オレの意見は……」
「うん? ロイドくんには意中の相手がいるのかい?」
「えぇっと……秘密です……昔恋愛マスターからそうするべきだと言われて……」
「?? まぁ、無理に聞きはしないが。好きに青春するといい。私と母さんもそうだったからね……」
いつの間にかローゼルさんの両親の青春の思い出話を聞かされたオレたちは、走って行ったローゼルさんを探す事にした。とりあえずローゼルさんの部屋の場所を教えてもらい、そこへ向かう。
「そういえば……この前はカメリアさんに捕まって色々やってたせいでエリルの部屋を覗き忘れたな。」
「な! あ、あたしの部屋なんて見てどうしようって言うのよ!」
「どうって……単にどんな部屋か気になっただけだけど……」
「あたしの部屋ならいつも見てんでしょ!」
「えぇ? あれはエリルの部屋と言うかオレとエリルの部屋で……」
「人の部屋の前で何をやっているのだ。」
ドアの前でエリルとそんなやりとりをしていたらぬっとローゼルさんが出てきた。
「ロ、ロゼちゃん大丈夫?」
「だ、大丈夫だ。さっきは――父さんがあんなことを言うから驚いてしまっ――」
ふとローゼルさんと目が合う。するとローゼルさんの目が丸く見開かれ、直後ものすごい早さでドアが閉まり、がちゃりと鍵がかかった。
「えぇ? ちょ、ローゼルさん?」
「もー、めんどくさいなー。」
そう言いながらリリーちゃんがオレの手を握る。すると景色が一瞬で変わり、目の前にベッドにくるまるローゼルさんが見えた。
「ななな! 位置魔法とは卑怯だぞ!」
「ほら入ってー。」
リリーちゃんが内側から鍵を開け、結局全員がローゼルさんの部屋の中に入った。
豪邸の一室という事で結構広い。寮の部屋くらいは普通にありそうだ。
寮の時と同じでだいたいが青色。ベッドがあってテーブルがあってタンスやらクローゼットがあって――ていうかデザインが違うだけで寮と大して変わらない。違うところは――んまぁ、棚とかが多くて本とかもたくさんあるってくらいか。
「こ、こら! 人の部屋をじろじろと見るな!」
ボケッと立っていたオレにベッドの中から飛び出したローゼルさんが飛びかかる。さっきまでの優等生モードのローゼルさんからは想像できない――目をぐるぐるマークにして顔を真っ赤にしたローゼルさんの突進を、頻繁にこうやって襲い掛かって来るエリルの相手をしている事で慣れているオレはその勢いを殺して受け止めた。
「ふっふっふ。甘いぞ、ローゼルさん。」
と、してやったりの気分で言ったのだが……よく考えるとそれはローゼルさんを抱きとめる事になっていて、つまりオレはローゼルさんを軽く抱きしめ――
「は、離れなさいバカ!」
直後真横から迫ったエリルのパンチを受け、オレはローゼルさんを残して殴りとばされた。
「痛い! エリル、今の結構本気だっただろ!」
「当たり前よ! な、なにしてんのよ!」
「え、あー……い、いや確かに思ってたのと違う感じになったけど――ロ、ローゼルさん! そ、そんなつもりじゃあ――」
「……」
オレから離れたローゼルさんはペタンと座り込んでこっちを睨んでいた。
「ロ、ローゼルさん? お、怒ってますか?」
「……怒ってなど……いないさ。ロイドくんがそういう人ではない事を知っているし――時々こうなることも知っているよ……」
「……ごめんなさい……」
「ああ……」
ふらりと立ち上がったローゼルさんは深呼吸を二、三回してむんと両手を腰にあてた。
「さて、ここがわたしの部屋だ。別に変わったモノはないだろう?」
スイッチを入れたみたいにいつもの感じに戻るローゼルさん。
「む、難しそうな本がいっぱいあるね……ロゼちゃんって読書好きなの? そういうところあんまり見た事ないけど……」
「嫌いではないが好きでもないな。それに、あの難しそうな本の半分はカバーをかぶせただけの漫画だ。」
「なぁにそれ。エッチな本を隠す男の子みたいだね。ねぇ、ロイくん。」
「ちょ、変なふりをしないでよ……」
「ははは。ロイドくんは、そういうのを隠すのが下手そうだ。」
「そうですね。兄さん、嘘つくの下手ですから。」
「う、上手いよりはいいだろぅ……」
みんなに生温かい顔で笑われるオレはふと窓際に立った。
「おお。庭――っていうのかな? 訓練するとことかがよく見える。……ホントに全員長い武器を振り回してるな……」
「正しく言うと、棒状の持ち手の武器だがね。棒の先っぽに刃物がついていたりトゲ付き鉄球がついていたり、むしろ何もついていなくてもいいのだが、例えば身長を超えるような長い剣の使い方などは教えていない。」
「つまり――両手で、しかも左右の手をある程度離して持つような武器ってことよね……まぁ、初代のリシアンサスがあんなんだものね。」
「す、すごかったね……まだ……なんか頭に残ってるよ……」
銃使いのティアナが槍を構えるような仕草をした。それを見てふと思う。
「そういえば、ティアナはペリドットがあるわけだから他の人よりもあの技がはっきり見えたんじゃ……?」
「み、みんなと変わらないと思うよ……も、元々あの映像ってあの人の友達が見てる光景を、ま、魔法で記録したモノだから……」
「粗い写真をいくらズームしても粗いだけという事ですね。」
パムのわかりやすい例えに納得しながら外を眺める。さっきあの辺を歩いた時は男の人にしか会わなかったけど、ちゃんと女の人もいる。
「……ホント、騎士は男女どっちも同じくらいいるんだなぁ……」
「今更なに言ってるのよ。」
「いやさ……やっぱり遠くの方の村とか行くと男が戦って女を守るって形がまだまだ一般的だからさ……そういうのを見てきたオレには――もうそうじゃないってのは知っているんだけど不思議な気分だよ。」
「で、でもあ、あたしは……絵本みたいな、お姫様と騎士様みたいの……いいなって思うよ……?」
「だそうだぞ、お姫様。」
「知らないわよ。そういうあんたはどうなのよ。ここにいる連中からはお嬢様って呼ばれてたじゃない。」
「そーだね。『水氷の女神』のローゼルちゃんだし、ローゼルちゃんの事大好きになっちゃってる騎士見習いもいるんじゃないのー? 将来、自分はローゼルちゃんを守る騎士になるんだー的なさ。」
「さてな。そんな事を言ったら、学院で大人気の『商人の女の子』たるリリーくんにも、いつもムスッとしている一人ぼっちのお姫様だったエリルくんにも、外見に似合わず大きな銃を担いでいるティアナにも、天才上級騎士たるパムくんにも、大好きになっちゃってる人はいるかもしれないだろう?」
「……あたしだけ悪口なのは気のせいかしら?」
エリルがムスッとした顔でムスッと呟く。
「という事は、オレにもいたりするのかな。」
と、別に変ではないはずの一言を口にした途端、全員が微妙な顔でオレを見た。
「えぇ? なんだその顔は……」
「兄さんの事は自分が大好きですからそれで満足してください。」
「ど、どういう満足だよ……」
リシアンサス家の散策もしたし、家宝も見せてもらったオレたちはいつもやっているみたいにおしゃべりをした。せっかくのローゼルさんの家のローゼルさんの部屋だけど思いつく事はやり切ったし、あとする事と言ったら家を話のタネにローゼルさんの話を聞くくらいだった。
そんな感じで話していると時計はいつもよりも早足でくるくる回り、ローゼルさんが両親に内緒で漫画を買いに行った時の話を聞き終えた辺りでメイドさんがオレたちを夕飯に呼びに来た。
「ここのメイドさんも――やっぱり強いのか?」
「メイドさんに興味津々だな、ロイドくん。」
「誤解を招く言い方をしないで下さい……」
「ふふふ。この家の使用人は普通の使用人だよ。つまり、戦闘技術は持っていない。ま、敷地内に騎士を目指す者がわんさかいるのだから必要ないというのが本音かな。」
かなり長いテーブルに並んで座り、豪華な夕食に思わず「おお!」と言ってしまったオレは隣に座ったパムにため息をつかれながらいただきますをした。
「いやはや。クォーツ家にお邪魔した後となると質素に見えるかもしれないな。」
「そんな事ないです。美味しいです。」
「そうかい? そういえばロイドくんはずっと旅をしていたのだったね。普段はどんな食事を?」
「それはわたしも興味がありますね。」
「興味を持たれても……食事って言うほどちゃんとしたのは稀で、大抵は釣った魚を焼いて塩ふって食べたり、リンゴかじったり、パンを頬張ったり……料理はほとんどしないでそのまんま食べてましたよ。」
「なるほど。しかし《オウガスト》殿と言えば大層な酒好きとして有名だが……君も飲まされたりしたのではないか?」
「まぁ、一度だけ。でもオレはお酒に弱いみたいでグデングデンに酔っぱらっちゃいまして。それ以降、フィリウスがオレにお酒を飲ませる事はなくなりました。」
「それは不幸中の幸いだね。若くして飲兵衛の出来上がりでは将来が心配というものだ。さて、話は変わるが――」
親というのは、自分の目の届かない所で子供がどんな風に過ごしているのか気になる性分のようで……んまぁ、エリルの場合はお姉さんだったけど、カメリアさんと同じようにローゼルさんのお父さんも学院でのローゼルさんの暮らしを聞いてきた。
ちなみに、今回主に答えていたのはルームメイトのティアナで……初めて会った時の印象だとか、オレは見た事が無いクラス代表の仕事をしている時の様子だとかを話していた。
そして――んまぁ、当然と言えばそうなのだが、この国一番の騎士の学校であるセイリオス学院のOBでもあるローゼルさんのお父さんは、学院の話を聞きながら懐かしそうな顔をする。
「そういえば、夏休みが開けたらランク戦ではないか。やれやれ、懐かしいな。実は母さんと最初に出会ったのも――」
「ランク戦――大体の事は聞いていますけど……父様、どのような事をするのでしょう?」
出会いの物語を娘にバッサリと聞き流されたローゼルさんのお父さんは、少ししょんぼりしながらローゼルさんの質問に答えた。
「学年ごとに行われる全員参加のトーナメント戦だよ。初めの数戦は学院の色々な場所で行われ、準決勝――かその前辺りから闘技場で戦うこととなる。ランクはA、B、Cの三段階で、勝利した回数でランクが決まるのだ。」
「じょ、上位の人がAランクってこと……ですね……」
「ふぅん? でもそれじゃー、初戦がすっごい相性悪い相手だったら、ホントは結構強いのにCとかになっちゃうかもしれないんだね。」
「それは確かに。しかしチャンスはもう一回あるからね。それまでに苦手を克服しなさいという意味合いもあるのだ。」
「あれ? でもさー、学年ごとって事は三年間同じ連中とランクを競うって事?」
「基本的にはね。ただAランクになった者は上の学年のトーナメントへの参加権を手にするから、希望すれば一年生の二回目のランク戦の時期に三年生の――実質最後のランク戦に混じる事ができる。お勧めはしないがね。」
強くなるには強い奴と戦うのが一番だとフィリウスは言っていたけど……セルヴィアさんが言っていたように、一年や二年の差っていうのはたぶん相当大きい。しかもセイリオス学院というトップレベルの騎士の学校における一年や二年……ローゼルさんのお父さんの言ったチャレンジは半分無謀かもしれない。
しょんぼりからだんだん回復し、そして少し楽しそうな顔になるローゼルさんのお父さん。
「他の学校がどうかは知らないが、セイリオス学院は一年生の二学期から始まると言ってもいいくらいだよ。」
「えぇ? 二学期から――授業とかが本気になるって事ですか?」
「ふふふ。一年生の一学期はあの学院の――空気と言うのかな。そういうものに気づきにくいのだよ。しかしランク戦を終え、みんなのランクが出ると――ようやくセイリオス学院へようこそという感じになる。」
イマイチ意味がわからず、オレは前にエリルから聞いた事を思い出す。
「あ、そういえばランクでクラスが分かれるって聞きました。それの事ですか?」
「うん? それは少し語弊があるね。今ロイドくんたちが在籍しているクラスが解体されるような事はないよ。ただ、ランクに合わせて授業内容が変わるからその時だけ別の教室に行くというイメージかな。」
「そうなんですか。てっきりAランクのクラスとかができるのかと。」
「兄さん。そんな事したらダメな騎士が出来上がりますよ。」
黙々と食べていたパムがふと口を開いた。
「上級中級下級と、騎士もランクがついていますけど、国王軍はそれら全てを含めて国王軍です。下級騎士と言えど、得意分野に限定したら上級騎士を遥かに超えるという場合もありますしね。」
「その通り。上位のランクを得た者に求められるのはランクに見合った強さは当然として、それよりも下のランクの者たちが最大限の力を発揮できる場所を作り上げるという事だ。だからセイリオスもクラスを分けはしないのだろうね。」
なるほど。言われてみればそうか。
「私が言いたかったのはそれの事ではなくてね。そう……例えばAランクというのはランク戦の上位……はて、何名だったかな。とにかく限られた者にしか与えられない称号だ。時に現役の騎士と共に任務についたりもするそんな者たちは――学院に名が知れ渡る有名人となる。」
「有名人……ですか。」
「そうだ。強くてカッコイイとか、美しくて優雅とか、そんな感じにファンクラブが出来上がったり、委員会から誘いが来たりと面白い事になる。そういう青春溢れる若者の空間が一年生の二学期、ランク戦終了後から始まるのだ。」
「ははぁ。でもそれならローゼルさんにはそういうの、もうありそうだな。『水氷の女神』だし。」
「ご謙遜ですね、『流星の指揮者』殿。」
「……? え、えぇ? それオレ?」
「元々そういう校風だというなら納得です。A級犯罪者を撃退し、《ディセンバ》に一瞬とは言え本気を出させたロイドくんに二つ名の一つもないわけがありません。」
「オ、オレそんな風に呼ばれてるのか?」
思わずエリルを見ると、ムスりを一・五倍くらいにした。
「もしくは『コンダクター』。あんたの、回転する剣を操る姿でそう呼ばれてるのよ。」
「知らなかった……は、恥ずかしいな……」
口で言う以上に恥ずかしい。だからそんな恥ずかしさを紛らそうとローゼルさんのお父さんを巻き込んだ。
「ち、ちなみにローゼルさんのお父さんは――Aランクでしたか? 二つ名とかは……」
「一年生の頃はBだったかな。二年と三年はAだったね。二つ名は『シルバーブレット』。」
「ブレ――え、弾丸? 槍使い……ですよね……?」
「ああ。しかし私の槍は見た通り特殊なモノでね。」
「リシアンサスの槍は伸びるのですよ、兄さん。それこそ弾丸レベルの速さで。」
「それは怖いな……」
なんというか、さっきの手合せもかなり余裕が見えたし……こんな優しそうなお父さんが実際ものすごく強いというのは納得できるけど……底が見えない強さだな……
夕食を終え、当たり前のように出てきた食後のお茶を飲んだ後に残っているイベントは……んまぁ、お風呂しかない。
しかし……友達の家に行く度にその家のお風呂に入るというのは普通なのだろうか。そんな事を思いながらオレは一人、広いお風呂に入っていた。
エリルの家でカメリアさんが言っていたように、確かに……みんながあっちでわいわいお風呂していると思うと一人ぼっちは寂しいが、こればっかりは仕方がない。仕方がないのだが――実際、旅をしていた七年間は大抵傍にフィリウスがいたから、一人のお風呂というのはレアだった。
「……こんなに広いと余計にアレだなぁ……」
「広いお風呂は嫌いかい?」
独り言のつもりが誰かが返事をした。
「! ローゼルさんのお父さん!」
「やぁロイドくん。ご一緒して良いかな?」
腰にタオルを巻き、柔らかく笑うローゼルさんのお父さんだったが、その身体は――なんというかすごかった。
服の上からでは目立たなかった凄く引き締まった筋肉と、ところどころにある傷痕。歴戦の勇者の風格が漂っている。
だけどお湯につかり、首から上だけをのぞかせたローゼルさんのお父さんはただのお父さんにしか見えなくなった。
「一つ、男同士の裸の付き合いといこうではないか。」
「はぁ……」
「ずばり、娘のローゼルとはどんな関係だい?」
「どんな!? ロ、ローゼルさんには良くしてもらっていまして、えーっと……友達というか戦友というか――お、お世話になってます!」
「ふふふ、お世話になっているのは果たしてどちらなのやら。君の指導のおかげでローゼルも随分と強くなっているようだし。それに、どうやら君はローゼルに素敵なモノを与えてくれたようだ。」
「えぇ? オ、オレがですか?」
「ああ。誰にでも与えられるモノではなく、誰にでも手に入れられるわけではないというのに、きっと人生には必要不可欠なモノだ。ありがとうロイドくん。ローゼルは立派に女の子をしているようだ。」
「??」
「私もね、母さん――ああ、つまり妻からそれをもらったのだ。一生をかけて返そうと思っているよ。」
「は、はぁ……」
ぼんやりと返事をすると、ローゼルさんのお父さんは――たまにローゼルさんが見せるいたずらっ子のような笑顔でこう言った。
「さっきも言ったが、とりあえず私は――君にお義父さんと呼ばれても構わないからね?」
「おと――えぇ!? で、でもそれはオレが――いや、ローゼルさんが――!!」
「我が娘ながら美人に育ったし、武も魔法も才能がある。礼儀も正しいし――どうだい?」
「ななな、なにを言ってるんですか!」
じたばたするオレを見て笑うその姿はまるでローゼルさん。さすが親子だ……
「ま、いずれその時が来るだろうから、その時に決断してくれたまえ。良い返事を期待するよ。」
いたずらを成功させて一人笑うローゼルさんのお父さんは、再び穏やかな顔になる。
「さて、今の話もメインだが、もう一つ話しておきたい事があったのだ。」
「な、なんですか……」
「確かローゼルや君たちはアドニス教官の指導を受けているのだったね?」
「え、あ、はい。」
「という事は、技名をつけろと教わっただろう。」
「はい……その方がイメージが強くなるとか技の出が早いとかで。」
「ふふふ。私もその教えを受けた一人でね。初めの頃は恥ずかしさがあったが――慣れると気分が良いものだ。」
教えを受けた? 先生よりも年上に見えるローゼルさんのお父さんが? やっぱりすごい人なんだな……先生。
「名前というのはそのイメージをより鮮明にする。だから君に教えておきたかったのだ……『あの人』の槍の名前を。」
「『あの人』……初代のリシアンサスさんですか? え、槍の名前? 本人ではなくてですか?」
「そうだ。『あの人』の名前を覚えてしまうと、あの槍の技術は『あの人』のモノだというイメージがついてしまう。それはつまり、自分にはできないという考えにつながってしまいかねない。名前の力がマイナスに働くパターンだね。」
「……槍の名前ならそうはならないという事ですか?」
「『あの人』の槍……気づいただろう?」
オレはリシアンサス家の家宝に記録された技を繰り出していた槍を思い出す。
伝説の槍だとかそういう風じゃない……どこにでもある一般的な槍。
「なんていうか……あの技に釣り合わない普通の槍と言いますか……」
「その通り。あれは大量生産された……軍の支給品のようなモノだ。いや、それよりも質素かもしれない。戦いとは無縁な国民でも簡単に手に入る。」
「もしかして……あれですかね。特別な槍を使っていると、もしもそれが壊されたら実力が発揮できなくなるから――あえてそういうどこにでもある槍を使ったとか……」
「そう考えた者も多かったがね。『あの人』の理由はそうではなかった。」
「一体どんな……」
「あの槍はね。『あの人』が小さかった頃、父親から渡されたモノだったのだよ。これで家族を守れとね。」
「家族を……」
「詳しい事はわからないが、父親は何かの理由で死地に赴いたのだ。魔法生物の討伐か、敵軍への応戦か……とにかく、『あの人』の父親は槍を渡した後、すぐに他界した。」
「それは…………そうか。そういう槍だと言うのなら……使い続けるのもわかります。」
「ああ。そして『あの人』は、最低の性能でありながら最も重たい使命を刻まれたその槍で己を磨き、あの域に達した。中にはその貧相な装備を笑う者もいたそうだが……少なくとも、当時の槍使いであの武器を笑った者はいなかったという。そしてこう伝えた……あの槍こそが『あの人』の象徴であり、魂であると。ならばあの槍にはそれ相応の名がついて然るべきだと。」
「名前ですか。」
「そうだ。彼らは、あのどこにでもある普通の槍をおとぎ話に登場する伝説の槍の名前で呼んだのだ。『神槍・グングニル』と。」
「グン……グニル……」
その名前を呟くと同時に、オレの頭の中で再生されるあの軌跡。全てを貫く一撃……あの槍の名前は……グングニル……
「その名前と共に『あの人』の技を覚えておいてほしい。神の槍は、きっと君を強くする。」
またこの面子でお風呂に入ってる。今度はお姉ちゃんやアイリス、セルヴィアとかはいないけどまたこの五人。
「またというか、エリルくんの家で入ったことがどちらかと言うとイレギュラーだったのだが。」
「汗かいたんだからしょうがないでしょ……」
「この後はこの前みたいなパジャマパーティーだね。そーいえばボクたち、今夜はどこで寝るの?」
「客間に用意した。わたしもそっちに行くつもりだよ。枕投げというのをやってみたいモノだ。」
「ロイくんも一緒?」
「な、なに言ってんのよ! ロイドは別の部屋でしょ!」
「何を焦っているのだエリルくん。いつも一緒の部屋で寝ているだろうに。」
「い、いつもロイドくんだけ別だと寂しいから……お布団並べて寝るくらいなら……いいと思うけど……」
「人の兄をどうするつもりですか、あなたたち……」
いつもと変わらない会話にパムが加わったあたしたちのおしゃべりが始まったんだけど、それをコホンってわざとらしい咳払いでローゼルが止めた。
「ところで――ちょうどいいので一つ皆に伝えて置く事があるのだ。」
「なによいきなり。」
大事な事を聞くような態勢でもなかったあたしたちは――そんな状態でこんな一言を聞いた。
「わたしはロイドくんが好きだ。」
………??
え、今……
「勿論、男性としてだ。わたしは今――ロイドくんに恋しているのだ。」
たぶんあたしだけじゃない、ローゼル以外の全員の頭をしばらく止めたローゼルの――告白。そんな止まった空気を動かしたのは――
「どういう事かな、ローゼルちゃん。」
ローゼルがたまにやる笑ってない笑顔でリリーがローゼルを――たぶん、睨みつけた。
「ボク言ったよね? ロイくんを見つけたのはボクが先だって。ボクが先に好きになったんだって。」
「ああ、聞いたよ。ついでに、もしも敵対するようなら覚悟しろとも言われたな。」
「そうだよ? ボクからロイくん盗ろうっていうなら容赦しないからね?」
「ふふふ。随分と怖い事を言うな。だが――悪いなリリーくん。この前はあいまいにしてしまったが今ならはっきりと言える。わたしも本気だ。」
「ふぅん?」
「だからわたしも、リリーくんがそういう手を使うというなら容赦はしないさ。」
「へぇ? どうするっていうの?」
「リリーくんが隠している事を――ロイドくんに教えてしまうよ?」
ロ、ロイドを好きだとかなんとか、そういう話だったと思うんだけど、そんなものよりももっと怖い雰囲気になる二人で……リリーはローゼルの一言で顔色を変えた。
「……ハッタリでしょ……」
「そうでもない。あの日、君から感じた黒い気配を気のせいで済ますわけはないだろう? リシアンサスの力を存分に使って調べたのさ……いいのかな? わたしがどうにかなってしまった場合、わたしがそれについて調べていた事実があるからね……もちろん疑われるのは君だ。」
リリーの顔が――なんていうか、怖い雰囲気のそれからどんどん……絶望的な顔になっていく。
「やめてよ……そ、それ……ロイくんに言ったら……ゆ、許さないから……」
「リリーくんが何もしなければ何もしないさ。」
冷たい表情だったローゼルだったけど、ふといつもの意地の悪い顔になる。
「そう深刻な顔をしなくていい。そんな気はないのだ。ただ正々堂々と――恋敵をしてくれればね。まぁもっとも……」
お湯の中に沈めてた両腕を胸の下で組み、まるでその――む、胸を強調するみたいな、これまでにないとんでもなく偉そうなポーズでローゼルは笑った。
「果たして、本気になったわたしに勝てるかどうかだがね?」
「な、なにそれー!」
顔を真っ赤にして勢いよく立ち上がるリリー。
「そそそ、そんなのロイくんは関係ないって言ったもん! 昔から仲良しのボクとローゼルちゃんじゃ話にならないんだからね!」
それに対抗するみたいにスッと立ち上がるローゼル。
「どうかな? そんなモノ、先にロイドくんと――そ、そういう関係になってしまえばただの思い出話でしかない!」
「カンケー!? この変態! スケベ!」
「事あるごとにロイドくんにくっついている君に言われたくはないぞ!」
「あれはただのスキンシップだもん! だ、だいたいボクはロイくんとチューだって済ませてるんだから! カンケーなんて手遅れだもん!」
「チュ!? ――いや、嘘はよすんだなリリーくん! 本当だとしてもどうせほっぺたとかだろう! それに手遅れと言ったが残念だったな! わ、わたしはロイドくんにスカートめくられた事があるんだぞ!」
「それこそどーせ風魔法の練習中とかの事故でしょ! ふ、ふん! じゃあもう今からロイくんに告白して恋人になっちゃうもんね!」
「それが出来ないから今までずっと『商人の女の子』だったのだろうに! いざとなったら言葉が出て来なくなる君が目に浮かぶぞ! ロイドくんにくっつくのだって本当は相当に恥ずかしがっているくせに! お見通しだ!」
「そ、それはローゼルちゃんもでしょ! そうやってクール気取ってるくせに、ロイくんに近づかれたら顔真っ赤じゃな――」
「静かにっ!!」
二人が素っ裸で取っ組み合いを始めそうになったその時、二人の間に水柱――お湯柱が立った。
「ちょっと黙ってください。」
って言って二人を黙らせたのはパム。
「とりあえず、前も隠さずにわーわー言い合うのははしたないです。お湯に浸かってください。」
二人が互いを睨みつけながらお湯の中に戻ると、パムは大きなため息をついた。
「まったく、そういう言い合いを渦中の男性の妹の前でしますかね……」
もっともだわ……
「二人の気持ちはわかりました。ですが自分は妹……たった一人の家族である兄さんには幸せになって欲しいと願っている身です。ですから兄さんのお相手は自分がしっかりと見定めて――」
「関係ないよ! ロイくんが好きって言った人が相手になるんだから!」
「うむ。パムくんはせいぜい、ロイドくんが悪い女に騙されないように見張るくらいで充分だ。」
「な!?」
小姑全開でその場を治めた感じだったのに、勢いそのままの二人に軽くあしらわれたパムはものすごいショックな顔。そしてそんなパムを置き去りに二人の会話は進む。
「だが……うむ。一先ず落ち着くのは確かに大事だな……今後のために一度整理しよう。」
「整理する事なんてないよ。ロイくんはボクの。」
「整理というよりは確認だ。わたしはロイドくんが好きで、リリーくんも好き。そしてロイドくんが誰を好きなのか、そもそも好きな人がいるのかも不明だ。」
「ふん、誰かを好きでいたって関係ないもん。ボクがその気になればロイくんのハートは鷲づかみだもの。」
「わたしもそうだ。要するに、さっき言ったみたいな裏の手段は使わず、正々堂々たる勝負で――最終的にロイドくんを自分に振り向かせる。恨みっこは無しだ。」
「勝負ねぇ? ボクに勝てると思ってるの?」
「ふん、そっちこそ。」
バチバチ火花を散らすローゼルとリリー。ショックから戻らないパム。そして――
「ふ、二人も……そうだったんだ……」
いつもオドオドしてるっていうか、引っ込み思案なのに――少し勝気な……「負けない」っていう顔をあたしの隣でひっそりとしてるティアナ。
……ふん。そんなことだろうと思ってたわよ。
そんでもって、あたしはどうなんだろうなんて事も――とっくにわかってる。
今、それを口にするのもありなんでしょうね。
でもしないわ。だってロイドが言ってたもの。
こういうのを最初に伝える相手は――意中の相手であるべきだって。
「お兄ちゃぁぁん!」
お風呂から出るのを待ち構えていたのか、いきなり飛びついてきたパムをオレは受け止めた。
「ど、どうしたんだ?」
「みんなにいじめられたぁぁぁ!」
小さい頃はどっちかっていうと元気溢れるタイプで泣かされる方じゃなかったパムがグスグス泣いている。
「ひ、人聞きの悪い事を言うな! 違うぞロイドくん!」
水玉パジャマのローゼルさんが慌ててそう言った。
「いや、それはそうだろうとは思うけど。しかしまたなんで泣いてるのやら……よしよし。」
女の子同士はたまに怖い事になるとフィリウス――と恋愛マスターが言っていた。こういう時は深く聞かない事だ。
「これはこれは。兄に甘える妹……ウィステリアの天才騎士にもこんな一面があるのですね。」
一緒に入っていたのだから当然一緒に出てきたローゼルさんのお父さんはオレの胸に顔を押し付けるパムを見てほほ笑んだ。
「これ、他の騎士に教えてもいいでしょうかね?」
律儀にパムに許可を求めるローゼルさんのお父さん。対してパムは意外な答えを返す。
「別に構いませんよ。むしろ、自分がこういう騎士であるという認識を持っておいて欲しいところです。」
「と、言いますと?」
「例えばですけど、上級騎士の総力を持って挑まなければならない事件が起きたとして、同じ時に兄さんが風邪を引いたなら、自分は兄さんの看病をします。」
「なるほど。」
……え、えぇ? ローゼルさんのお父さん納得しちゃったぞ。
「そ、それでいいんですか?」
「良くはありませんが……君の妹さんは特殊なのですよ、ロイドくん。」
「?」
「国と家族を天秤にかけた時に家族の方に傾く騎士は少なくないでしょう。しかし――言ってしまえば『誤解』だったとはいえ、一度全てを失った事のある者にとっての家族の重みは経験の無い者のそれとは比較になりません。ロイドくんも――そうでしょう?」
やんわり笑うローゼルさんのお父さんだったけど――その眼はオレたち兄妹の現状をばっちり見抜いていた。
パムみたいに表には出さないけど、オレもきっとそういう選択をする。
「ふふふ。これは頑張らないといけないね、ローゼル。」
「そうですね……い、いえ、何の話ですか父様。」
ローゼルが言ったように、客間……なの? これ。普段何に使ってるのかよくわかんない広い部屋に布団を敷き詰めた状態。そんな部屋にあたしたちはいた。
あたしとロイドとローゼルとティアナとリリーとパム……人数は六人だから布団も六つ。三と三が向かい合う感じに並んでる。
「じゃあロイくんこっちの端っこね。ボクが隣に寝るから。」
「えぇ? いや、普通隣はパムじゃ……」
「ロイくん、パムちゃんはロイくんの妹だよ?」
「わ、わかってるよ……だから隣にするんだよ。パム以外が隣に来たらオレは緊張して眠れない。」
「やーん。ロイくんのえっち。」
「えぇっ!?」
「ふむ。ではロイドくんがこっちの真ん中で、片方にパムくん、もう片方にわたしが来れば解決だな。」
「ローゼルさん? それ何が解決したの?」
「では誰の隣がよいのだ?」
「だ、だからパム――」
「パムくん以外なら?」
「えぇ!? そ、そうだな……エリルかな。」
さっきのお風呂場の続きが始まったかと思ってたらいきなり巻き込まれてローゼルとリリーに睨まれるあたし。
「な、なんであたしなのよ!」
「他の三人よりはまだ……な、慣れてるかなぁと。」
「ほう……しょっちゅう一緒に寝ていると?」
「同じ部屋でって意味だよ!?」
なんやかんや、結局隅っこにロイドが来てその隣にパム。それで――どうしてそうなったのか、ロイドの正面にはティアナがひょっこりおさまった。
「あ。そうだ、日課を……」
そういってロイドは布団の上であぐらをかいて木の棒をくるくる回し始めた。
「あんた、本当にそれ毎日やってるわよね……」
「六……七年続けてきた日課だから。」
「ふむ? 今更だが……その棒でなくとも、いつの間にか左手でも自在に回せているな。」
初めて会った頃は左手ではまだ苦手って言ってたけど、確かに今のロイドは両手でくるくるできてる。
「吹っ切れたというか何と言うか……あの時間使いとの戦いの時に風で回すって事をやってからコロッとできるようになったんだよね……その上ほら。」
木の棒を置いて、ロイドは枕を手に取る。するとまるでピザ職人みたいにロイドの手の上で枕がくるくる回り始めた。
「片手で持てる程度の重さなら何でも回せるようになったんだよ。よくわかんないんだけど。」
「それは――もちろん風でもできてしまうのだろう?」
「うん……」
「そ、それって……例えばロゼちゃんのトリアイナみたいのでも回せるの……?」
「たぶん。パムの魔法で色んな大きさの武器を作ってもらって色々回してみたけど、フィリウスの剣みたいな馬鹿デカいのでなければ大抵は回せるよ。」
「そういうのって時々あるわよね。ある時突然できるようになるやつ。ま、元々風で回すのが基本スタイルの剣術なんだから、一回それをやってコツを掴んだって感じじゃないの?」
「おそらく、実力は充分だったものの、あともう一押しが足りなかったという状態だったのだろうね。ちょっとしたキッカケが。」
「キッカケか……そういえば、ローゼルさんのお父さんとお母さんの出会いの話は聞きそびれちゃったな。」
「やめてくれ。わたしがこっぱずかしい。」
「な、なんだかステキな話のような……気がするね……」
「ティアナまで……」
はぁとため息をついたローゼルは、チラッとリリーを見たあとロイドにこんな事を聞いた。
「キッカケと言えば。わたしとエリルくんとティアナはともかく、ロイドくんとリリーくんの出会いの話も知りたいな。思えばそれだけ知らない。」
「リリーちゃんとの出会い? そんなん……道でばったりだよ。」
昔を思い出すみたいに、腕を組んで少し上を見るロイド。
「商人さんとの出会いは大抵、田舎道をゴロゴロ進んでてバッタリ会うか、町でたまたまタイミングが合うかのどっちかだからね。そんな感じで他の商人と同じように出会って――なんでかそれからよく会うようになったんだよ。」
「ほう……それは不思議だな。なぁリリーくん。」
ローゼルにじろりと見られたリリーは笑いながら――目を逸らす。
「そ、そうだね。きっと運命的なモノでつながってたんじゃない? 特定のお客さんによく会うって話は他の商人からも聞く話だし。」
「ほお。何らかの方法でロイドくんらの現在地を知り、その付近に位置魔法で移動して、さも偶然のように手を振って現れていたというわけではないのだな。」
「ははは……そ、そんな事できたら商人のボクとしては嬉しいねー……」
「リリーちゃんならできそうだけどね。」
「で、できないからね!? そんな――こと……」
「おやおや。随分と動揺しているな、リリーくん。」
「……ローゼルちゃん……」
お風呂場の続きは確かに始まってた。
その後は――いつもみたいなくだらない会話をして、最後はローゼルのしたがってた枕投げをした。
……リリーの瞬間移動枕とロイドの曲芸枕が猛威をふるう変な枕投げだったけど。
第五章 鍛冶屋の家
あたしたちがいる国はフェルブランド王国。四大国に数えられる大きな国で、主に魔法が発展した国。魔法について勉強できる学校が、騎士の学校の他にも……例えば純粋な魔法使いを育てる学校とか、仕事に使う魔法限定で教える学校なんかがある。しかも、別に学校に行かなくても使う人が単純に多いから、小さい子はそれを見て覚えちゃうなんて事もあって、だから国民のほとんどが魔法を使えるっていう状況になってる。
ま、ロイドが旅してたような田舎の方だとそうでもないのかもしれないけど、魔法を使える人の割合は他の国と比べて圧倒的に多い。
あたしたちにとってはそういう状況が普通だけど、他の国はそうじゃない。
そしてそういう国は――あたしたちにとって普通じゃない状況を普通としてる。
たぶん、その一番の例がガルドっていう国。ティアナの家――マリーゴールド家が元々あった国で、そこはフェルブランドとは逆の発展をしたと言える。
実際なんでもできちゃう魔法だけど……得意な系統とか、体質とか、あと単純に才能とか、とにかく個人差が出ちゃうのが欠点と言えば欠点。
その個人差を出来るだけなくしたい――誰がやっても同じ結果が得られるような技術を生み出すっていうのをモットーとしてるのがガルドって国。
だからガルドは――主に科学技術が発展した。
馬も無しに走る車に、大空を舞う鉄の塊。全ての家に電力が供給されて、大抵の事がスイッチ一つで出来る。
フェルブランドが『剣と魔法の国』って呼ばれるのに対して、同じ四大国の一つのガルドは『金属の国』って呼ばれてる。
そんな国だからティアナのスナイパーライフルみたいに複雑な構造の武器が沢山あって、しかもちょっと練習すれば誰でも使える。
すごく便利な社会が出来上がってて、誰でも強さを手に入れられて……これだけ言うとガルドって国が一番なんじゃないかって思うけど、実はそうじゃなかったりする。
ガルドは街を大きく、便利に開発してる代わりに自然が少なくなってるんだけど……その限られた自然にも魔法生物は生息してる。しかも、街の開発の副産物っていうか、空気とか水の汚染っていうのが起きてて……それの影響を受けてなのか、ガルドの魔法生物はフェルブランドに生息してるのと比べて――同じ種類でも凶暴性とか強さが違う。
魔法生物の侵攻も時々起こって、それに対してガルドは技術の粋を集めたすごい兵器で応戦するんだけど――大抵、効果が薄い。
科学で生まれた力は魔法生物に効かないってわけじゃない。問題はそれの威力。
すごい技術で生まれたビーム兵器とかがあっても、そこから発射されるビームは魔法生物が使ってくる魔法の十分の一にも満たないし、しかも同じレベルのビームを、中級騎士なら一人で何十発も撃ててしまう。
ボタン一つで誰でもそれができるんだけど、そうする為には時間がかかったり、すごい量のエネルギーを消費する必要がある。
つまり、科学で魔法と同じことをしようとすると……マナや術者の才能とかを必要としない代わりに大量の何かが必要になってしまう上に、科学じゃ再現できない魔法もある。この辺が科学技術の欠点。
だからやっぱり、技術者だけじゃなくて魔法の訓練をして使いこなせるようになった人っていうのがガルドにも必要になる。
もちろん、こういうのはガルドだけじゃない。国ごとにそれぞれが伸ばしてきた技術とか文化があって、他の国とは全然違う風景だったりするんだけど――どこかの場面でやっぱり魔法が必要になっちゃうのが現実。ま、大抵は魔法生物が原因なんだけど。
だから――文化も何も違うんだけど、どの国にも『騎士』って呼ばれる人たちが必ずいるってわけ。
そしてそうなると――どうしても魔法が発達したフェルブランドの騎士っていうのが世界的には優秀で、十二騎士になる確率も高い。
「いつのまにかフェルブランド最高! という話になったな。さすがフェルブランドのお姫様だな、エリルくん。」
「う、うっさいわね。ていうかなんで説明しなきゃいけないのよ! ロイドは言った事あるんでしょ、ガルド。」
「あるけど――そういう騎士事情を聞いたのは初めてだよ。聞いてみて良かった。」
「うむ。やはり国レベルの話を説明するなら王族のエリルくんが一番だな。」
「……仕方なく覚えさせられただけよ……」
普通ならガルドに行った事ないあたしやローゼルに行った事のあるロイドやリリー、ティアナが色々説明するもんなのに……
「べ……別にガルドに行くわけじゃないけどね……あ、あたしの家に行くだけだし……」
「でもティアナちゃんの家系は元々ガルドに住んでたんでしょ? てゆーことは、家の中にはガルドの文化がいっぱいって事だからねー。マリーゴールド家なら余計にそうだと思うし、知らない人にはちゃんと教えておかないと。」
「だから、それならあんたがあたしに説明しなさいよ……」
「あ、兄さん。車掌さんが来ましたから切符を。」
「切符? あれ、どこやったかな……」
「さっき財布代わりの巾着袋に入れてたじゃない。」
「あ、ホントだ。ありがとうエリル。」
「ほう……よく見てたな、エリルくん。まるで常に見ているかのようだ。」
「た、たまたまよ……」
ローゼルの家に行った時よりも長い時間列車にゆられてるあたしたちが向かってるのはもちろん、ティアナの家――マリーゴールド家。元々ガルドにいたけど、ティアナのお爺さんの代でフェルブランドにやって来た。
ティアナの話によると、マリーゴールドの家は鍛冶屋だったらしいんだけど、今ティアナのお父さんは騎士をしてるとか。
あたしたちにとってガルドの科学技術が……こう、すごくて面白いモノに見えるのとおんなじで、ガルドの人たちからはこっちの魔法技術がそう見える。だからガルドから魔法技術を求めてこっちに来るっていうのは珍しくないし、その流れでこっちの騎士になるってのもよくある話。
そうやって騎士になったティアナのお父さんは、こっちじゃお目にかかれないすごい銃を持って騎士として活躍してるみたい。
「そういえばティアナはあれからずっとローゼルさんの家にいたんだろう? いつの間にか槍とかの達人になってたりしてない?」
ティアナの家は遠いから、ローゼルの家にみんなで行った時からずっとローゼルの家に泊まって、それで今日、あたしたちを案内しながら家に帰るって感じになってる。
「し、してないよ……と、と言うかいつもと変わらないし……」
「そりゃそうか……ルームメイトだもんな……」
「そ、そういえばロゼちゃんに頼まれて……料理を教えたりしたかな……」
「そうなのだ。いや、これが料理の事となるとティアナは厳しくてな。」
「だ、だってロゼちゃん、意外と適当なんだもん……分量とか……パスタはコックさん並に上手なのに……」
「適当……そういえばティアナ。ずっと気になってたんだけど、あなたの私服って……なんかいつ見てもサイズが合ってない気がするんだけど。」
「え……あ、うん。一つ上のサイズだよ……そ、その……形状の魔法が暴走した時に……変な角が生えちゃったり、脚が太くなったりしたから大きいのを着てたの……」
「……ごめんなさい。嫌な事思い出させたわ……」
「も、もういいの……大丈夫だから……」
一瞬だけ――ロイドの方を見て笑ったティアナは話を続ける。
「それで……大きいサイズって楽チンだなーって……それからずっとこうなの……」
「いくら言っても戻らないのだ。まるで学院に来たての頃のロイドくんのようだぞと何度も言っているのだがな。」
「ローゼルさん? それはもしや……」
「べ、べつにいいよ……むしろ……うれ――」
下を向いて顔を赤くするティアナ――の事なんか気にしもしないでロイドが「えぇ!?」って顔をする。
「よ、よくないぞティアナ。まるで物乞いのようだと言われてるん――ひどいな、ローゼルさん。」
「あはは。そっちの意味合いじゃないよ。ぶかぶかの服を着ているとなんだか間が抜けて見えるという意味さ。」
「どっちにしろひどいぞ……エリル、オレってそんな風に見えてた?」
「……最初の頃はね。服もひどかったし。だけど今は――まぁ服がまともになった分、ちょっとましになったわ。相変わらず抜けてるように見えるけど。」
「ひ、ひどい……パム、お兄ちゃんはマヌケ面だそうだよ……」
「言い方の問題ですね。よく言えばのほほん顔です。」
「えぇ? それは一体どういう顔なんだ……」
しゅんとするロイド。
……別に顔そのものがどうってわけじゃない。顔は――だ、だってそこそこ……アレだし。問題は雰囲気よ、雰囲気。なんか気が抜けるっていうか、安心するっていうか……ちょっとお姉ちゃんに似てる雰囲気なのよね、ロイドは。
建物よりも緑の方が増えてきたあたりで列車を降りて、いい天気の中を軽いハイキング気分でしばらく歩いた所にティアナの家はあった。
その家以外にはなんにもない、森の中にぽっかりあいた空間。そこに広がる大きな湖のほとりにその家は建ってた。
「お、お爺ちゃんがこっちに引っ越しを決めたんだけど……老後は自然の中でのんびり過ごしたいって言って……」
「この国は自然がいっぱいだもんな。それにしても――大きな家だ。」
周りの景色に溶け込むみたいに木で出来たその家は、街の中に建てたら豪邸って言われてもおかしくない大きさだった。
「と、土地が安いからって……」
「生々しい話だが……確かに、これだけの家を例えばラパンに建てようものなら相当お金がかかるだろうな。」
「いや、あの、ローゼルさん。リシアンサス家はこれより大きくて街中に建ってますけど……」
「うむ。つまりそれだけお金持ちなのだ。気づいてないかもしれないが、騎士の名門と呼ばれるような家の財力は貴族に劣らない。もしもわたしと結婚したなら玉の輿の逆さま版だぞ、田舎者のロイドくん。」
「そ、そうですか……」
「ボ、ボクも実は結構稼いでるんだからね!」
「そ、そうですか……」
「…………あたしの場合、王族の仲間入りになっちゃうわね。」
二人が変な戦いを始めたから、なんとなく――そう、別に意味はないわ! ちょっとボソッと呟いてみたらローゼルとリリーに睨まれた。
「た、ただいまー……」
「おお、帰ったか!」
木の香りのする家の中にぞろぞろと入ったあたしたちを迎えたのは一人のお爺さん。たぶん元々はティアナみたいな金髪だったんだろうけど、少し色が抜けた感じの髪の毛を、だけどふさふささせた少し腰の曲がったそのお爺さんは、健康そうな笑顔をあたしたちに向けた。
「おお、おお、ティアナの友達か! えっと確か……お姫様がいるんじゃったかの。粗末な我が家にようこそ!」
って言ってお爺さんがぺこっと頭を下げたのはローゼルで……
「失礼、ご老人。雰囲気的にわたしかと思ったのでしょうが――ぷぷ、ほ、本物はあちらの赤毛の彼女でして……」
「あれま。すみませんね……未だ、この国の偉い方の名前と顔とが一致しませんで……」
「別にいいわよ……」
それよりも笑いをこらえるローゼルをどうにかしたいわ。
「お爺ちゃん、お母さんは……?」
「買い物じゃ。ティアナの友達が来るからと言って張り切っておるのじゃよ。みなさんも期待してくだされ。息子の嫁の料理の腕はちょっと格が違いますのでな!」
「む? という事は、ティアナの料理の師匠はティアナのお母さんという事か。もしやプロの料理人か何かなのか?」
「ち、違うよ……お母さんは……えっと、普通の主婦だよ……」
お爺さんとの挨拶を一通り済ませた後、あたしたちはティアナの案内で二階の客間にやってきて荷物を置いた。この前ローゼルの家でやったみたいに全員分の布団を並べる余裕は十分にある広い部屋で、手作りっぽい木のテーブルとか椅子が置いてあった。
各自荷物を置いて、結構歩いてきたから一息つこうと思ったらローゼルが腰に手を当ててなんかやる気な顔になった。
「よし。ひとまずティアナの部屋だ。ティアナの部屋に行くぞ。」
「ロゼちゃん? な、なんでそんなに張り切ってるの……」
客間から廊下を数歩行ったところ、ティアナっぽいかわいい――表札みたいのがぶら下がってる扉をローゼルが開いてズンズンと中に入る。きっと、ティアナが恥ずかしがるような何かを求めて部屋に入ったんだろうけど、ローゼルは部屋の中でピタリと動きを止めた。
「そんなとこで立ち止まるんじゃないわよ。邪魔じゃ――」
そんな風に文句を言いながら部屋に入ったあたしは、ローゼルが立ち尽くした理由を知った。
「おお、かわいい部屋だな、ティアナ。」
「そ、そうかな……」
ティアナは――あたしたちの中じゃ一番……なんていうか普通の女の子。王家の人間たれって育てられたあたしや、騎士の名門の人間たれって育てられたローゼル。商人としてあっちこっち放浪してたリリーや魔法の修行にあけくれたパムとは違う……一番一般的に育った女の子。
そんな……ロイドの言うところの「一番女の子」なティアナの部屋はぬいぐるみだらけだった。
「お母さんがね……こういうのも作るのが上手なの……あ、この辺はあ、あたしが作ったんだけどね……」
圧倒的なかわいい空間の中でモジモジするティアナに対し、すっとぼけロイドは「スゲー!」って顔でそのぬいぐるみを手に取った。
「これが手作り! あ、ごめん、勝手に触っちゃって。」
「べ、べつにいいよ……」
「そういえばパムも昔はぬいぐるみをいつも――あれ? 今もそうか。確か部屋に昔のに似たのがいくつかあったな。」
「ば――お兄ちゃん! そういう事は人前で言っちゃだめだよ!」
色んな動物が丸っこいぬいぐるみになってあっちこっちに座ってて、壁紙とかカーテンとかはお花柄で、普通の小物すらかわいいデザイン。
「な、なんてことだ……ティアナにこんな秘密兵器が……し、しかし今思えば寮の部屋にもわずかながら片鱗が……」
「寮……? う、うん。あそこでの生活にも慣れたから、そろそろ何か置こうかなぁって思ってるよ。」
「そ、そうか……い、いいんじゃないか?」
文字通り、ティアナの女の子女の子の世界にたじたじのローゼル。
……あたしもだけど……
「これは予想以上だね……さっきのお金持ちがどうとか以前の強敵だよ……」
リリーも若干引きつった笑みを見せてた。
「で、でもあ、あたし……こういうの、男の子は嫌なの……かなって思ってたけど……?」
「そんな事ないよ。あー、世間一般はどうかわかんないけど、オレはいいと思うよ。こういうふんわりしたの。」
「そ、そう……なんだ……」
ニッコリ笑うロイドと照れながら笑うティアナ……!!
あ、あたしの部屋は今どうなってたかしら……
「お、部屋の窓から湖が見えるんだな。いい天気だし泳げそう――あ、もしかしてそのために水着を持ってきてって言ったのか?」
「う、うん。な、夏休みだから……う、海じゃないけどいいかなって……」
ティアナの家に遊びに行くにあたり、あたしたちはティアナから水着を持ってくるように言われてた。近くに海でもあるのかしらって思ってたけど……こういう事だったのね。
「――! その上水着で追い打ち! ティアナちゃんってば恐ろしい子!」
「え、え?」
当のティアナは困惑顔。
「よし! ティアナのお母さんの料理の為に、たっぷりとお腹を空かそう!」
という事で、あたしたちは休む間もなく湖で泳ぐことになった。
「反則だよ、ルール違反だよ、有罪だよローゼルちゃん!!」
ロイドとわかれて着替えをしてたあたしは、ティアナの部屋に圧倒されたのと同じように……ローゼルの水着に圧倒された。
「はて、なんの事やら。わたしはわたしの水着を着ただけさ。ま、この日の為に新調したのは確かだがね。」
ローゼルの水着は――つまりいわゆる……ビ、ビキニだった。しかも、濃い青色の上下に加えて麦わら帽子をかぶって、ついでにパレオを巻いて……なんなのよ! 雑誌のモデルじゃない!
ていうか問題はそこじゃなくて! ローゼルの――む、胸が……ビキニなもんだからこう……圧倒してくるところが大問題よ!
「これでロイドくんも悩殺というものだ。悪いな諸君。」
あたしたちの前でロイドのことをす……好きって告白してから何かが吹っ切れたのか知らないけど、今のローゼルはなんか生き生きしてるわ……
「ロ、ロゼちゃんってば大胆だね……」
あたしもそうだけど、同じ女なのにローゼルのそんな格好にドキドキして顔が赤いティアナは、さっきの部屋の通り、上にも下にもふりふりしたのがついてて下はミニスカートっぽいかわいい水着だった。色はもちろん黄色。
「ふ、ふん! あんまりそんなんだとロイくんだって……え、えっちな女の子だと思っちゃうんだからね!」
リリーの水着は……あれはなんなのかしら。あたしは見た事が無いタイプで……リリーが商売する時に着る服を水着に改造したような、そんな感じだった。
「だ、だから妹の前で兄を誘惑する算段をしないで下さい……」
パムのは……ローゼルの誘惑――み、見せる水着じゃなくて泳ぐための水着って感じ。泳いだら速そうなのだった。
「さあさあ、泳ぎに行こうではないか!」
「ローゼルさん!?」
先に湖に来てボケッとつっ立ってたロイドは、あとから来たあたしたち……というかローゼルを見て目を丸くした。
「おや、どうしたのだロイドくん。」
計画通りって顔でにやにやしてるローゼルに対してロイドは顔が真っ赤。
「どうしたって……い、いや、その、ローゼルさんみたいなス、スタイルの人がそういうのを着ると、目のやり場に困るというか……つい目が……その、見てしまうというか……」
すごい勢いで慌てるロイドは、目を逸らしながらチラチラとローゼルの胸を――
「――ってそんなわかりやすく見てんじゃないわよ、バカロイド!」
「ご、ごめんなさい!」
「……」
いつも通りのバカ正直な反応をするロイドを見て、それを狙ってやったクセに段々と顔が赤くなっていくローゼル。
「そ、そんな正直に見られると……恥ずかしいな……ス、スケベロイドくんめ……」
「あぁ……ご、ごめん……」
胸とかを隠しながら少しモジモジしたローゼルは――突然、顔を赤くしたままムリヤリに胸を張った。
「ま、まぁロイドくんも男の子だからな! し、仕方あるまい!」
「ごめんなさ――えぇ?」
「た、ただしあれだ! ぎょ、凝視されるのはこ、困るぞ! だから――チ、チラ見程度ならゆ、許そう……」
「えぇ!?」
「わ、わたしはロイドくんを信頼しているからな! と、突然……その、ええええっちなことをしたりはしないだろう……?」
「し、しないよ!」
互いに顔を真っ赤にしてそんな会話をした二人の間にリリーがぬっと入って来た。
「はい! この話終わりだよ! ロイくん!」
「ふぁ、ふぁい!」
「ボクは? ボクの水着の感想は?」
「感想!? え、えっと、オレ、水着の事はよくわかんないけど――め、珍しい水着? のような気がするね……あの、リリーちゃんの、商人モードの時の服に似てて……その……か、かわいいです……」
「やーん。ホントー? ありがとー。」
すっごく嬉しそうなリリーがピョンピョンはねながらロイドから離れると、今度はティアナが来た。
「あ、あたしはどうかな……」
「う、うん。すごくティアナっぽくていいと思うよ……かわいい。」
「えへへ。」
「兄さん、自分はどうですか?」
「パム? パムはなんというか……速そうな水着だな。水泳選手みたいだけど……パム、泳げるの?」
「む、昔のままだと思わないで下さい!」
だんだんといつもの調子に戻って来たロイドは、ふとあたしを見て――なんか知らないけどふふって笑った。
「な、なによ……」
「いや、何というか、エリルっぽいなぁと。」
「あたしっぽい?」
あたしが着てるのは赤――というよりはピンクに近い色のワンピースタイプの水着なんだけど……これがあたしっぽい?
「……もしかして、寝間着に似てるからとか?」
「違うよ。その……上品だなと。」
「上品? これが?」
「うん。んまぁ、そういうタイプを上品な水着と言うのかはわからないけど、オレにはそういう印象だな。だからエリルっぽい。」
「それって、あたしが上品って事? 自分の言うのもなんだけど、あたしはそんなお姫様っぽくないわよ。」
「んまぁ……オレも最初はそう思ってたんだけどさ。ちょっと前――あー、夏休み入る前な。――にふと気づいたんだよ。」
さっきまで顔を赤くしてたロイドは、妙にまったりした――なんか嬉しそうにも見える顔になる。
「エリルはさ、確かにお姫様って感じじゃないよ。服とか雰囲気とかね。でも実は細かい所に気を配ってるというか、こだわりがあるというか、すごくピシッとしてるんだよ。制服も含めて、着てる服にはしわが一つもないし、袖とか裾の長さも、注意して見るといつも同じ長さでそろってるのがわかる。サイドテールの長さも、リボンもそうだ。爪とか肌とか……そうだ、まつ毛とかも。そういうのをひっくるめるとさ、エリルは……お姫様とは違うかもだけど、上品だなぁって。」
「ちょ、ちょ! なんなのよ! なんでそんなに細かく見てんのよ!」
「さぁ……何かにふと気づいたのがキッカケで、気づくと色々わかったってだけだよ。んまぁ――」
いきなりあたしを褒めだしたロイドは、最後にこんな事を言った。
「オレはエリルをいつも見てるからな。」
ローゼルさんの水着姿に頭の中をぐるぐるにされてだいぶ混乱状態だったんだが、エリルと話して落ち着いた。
ローゼルさんだけじゃなくて、他のみんなの水着姿――もちろんエリルのもドキドキしたのだけど、さすがルームメイトというべきか、エリルがいるとオレはいつもの調子にすっと戻れる気がする。いや、実際戻ったわけだが。
「いつも――ってな、なに言ってんのよバカ!」
「だってそうじゃないか。起きてから寝るまでなんだかんだ一緒にいる事になるだろ?」
「そ、そうだけど……」
「まだ一か月とちょっとだけだから、まだわからない事もたくさんあるけど、だけどわかった事もたくさんあるんだ。」
「な、なによそれ……あ、あたしだってあんたの事色々わかってるわよ……? 実はピーマン苦手とか。」
「…………バレてたか……んまぁ、食べ物の好き嫌いはわかりやすいか……」
「食べ物以外にもあるわよ? たまにベッドから落っこちて寝直してる事とか……」
「な、なんでそんな事知ってるんだよ! てかなんで起きてるんだよ!」
予想外の攻撃に結構恥ずかしくなったオレを見て、エリルはふふんと笑う。
「ボディソープとシャンプーを時々間違えてる事も知ってるわ。」
「エ、エリルだって寝ぼけ状態だと朝の紅茶をお茶碗に淹れたりしてるだろ!」
「ちょ、ちょっと間違えただけよ! な、なによ、あたしを起こすのに五分くらいベッドのまわりをおろおろしてるクセに!」
「んなっ!? き、気づいてるなら起きろよ! 寝てるエリルを起こすのって緊張するんだぞ! い、いろいろと!」
「あたしだって起こされる時――」
なんかどうしてこうなったのかよくわからないまま色々言い合ったオレたちは、変な気分と変な顔で互いの顔を見ていた。
「つ、つまりこういう事だ! エリルがオレの事色々知ってるのと同じようにオレも知ってるわけだ!」
「そ、そうね……と、当然よね。ルームメイトだもの……」
ケンカでもなんでもないモノを終え、オレとエリルはどちらからともなくふふっと笑い――
「おほん。」
いつの間にかオレとエリルの間に入っていたローゼルさんが咳払いをした。
「あー、二人とも。今の会話、妙な点があったな? はて、いつからエリルくんはロイドくんに起こしてもらうようになったのだ?」
「な……さ、さぁ、いつからかしらね……」
「ロイドくんはどうして五分もおろおろするのだ?」
「そ、それは……その……」
「やれやれ。これはクラス代表として、しっかりと現状を把握しなければな。」
「な、なんの現状よ……」
「そ、そうだ! そんなことよりローゼルさん! お、泳ごう!」
「そうだな。競争でもしようか? わたしが勝ったら全て話してもらう。もっとも、湖という水だらけの場所でこの第七系統を得意な系統とするわたしに勝てるわけはないのだが。」
「魔法使う気満々じゃない!」
「ローゼルちゃん、手伝うよ?」
「リリーちゃんまで!?」
冷たい顔をした二人の手によって湖に放り込まれたオレとエリルは魔法を使った水泳競争を挑まれ、湖をあっちへこっちへと泳ぎ回ることとなった。
ちなみに、どうも泳げなかったらしいティアナはいつの間にか泳げるようになっていたパムに泳ぎ方を教わっていた。
「く、予想外だった……いや、しかしよく考えてみれば当然か……」
日も落ちてきてちょっと涼しさを覚えたくらいで、あたしたちは湖から上がってティアナの家のリビングにいた。
正確には――ティアナとパムとロイド以外、あたしとローゼルとリリーはソファとか絨毯の上に転がってた。
「んまぁ、これでもあのムキムキお化けに六……七年鍛えてもらったからな。体力にはそこそこ自信があるよ。」
水泳は全身を使うからすごく疲れる。その上魔法まで使ってたあたしたちはもうヘトヘトなんだけど、ロイドは割とケロッとしてた。
ロイドの水着姿……というかああいう風に服を脱いだとこを初めて見たけど、別にフィリウスさんみたいにマッチョでもなかった――わね。太っても無ければ痩せても無いって感じかしら。言ってしまえば普通なんだけど……きっと必要な筋肉が必要な分だけついてるんだろうなって気のする――引き締まった身体だった。
「それにしてもロイくんてばいい身体してるんだね。さすが鍛えてるだけあるよ。」
ロイドの身体を思い出してたところにリリーのそんな言葉が飛んできて、あたしはドキッとする。
「そうかな……個人的にはもうちょっと――んまぁフィリウスまでとはいかないけどたくましくなりたいけど。」
照れた顔でそんな事を言ったロイドだったけど、その言葉のせいであたしたちはフィリウスさんの半裸姿を思い出してゲンナリした。あれはなんていうかやり過ぎだわ……
「! お母さんだ。」
フィリウスさんみたいになったロイドを想像して嫌な気分になったところで、ふとティアナがそう言った。何を見てそう言ったのかと思って顔をあげたあたしは、あんまり聞いたことのない音が段々近づいてくるのに気が付いた。
「何の音よ、これ。」
「この音――まさかエアロバイク!?」
「ほぉ。知っとるのか?」
バッと立ち上がったロイドに、お茶を持ってきてくれたティアナのお爺さんがそう言った。
「随分前ですけど、ガルドに行った時に見ました。え、まさかティアナのお母さんが乗ってるんですか!? 操縦難しいって聞きましたけど……」
「乗ってるだけで乗りこなしてはおらんよ。何せわし特製の自動操縦じゃからな。」
目をキラキラさせたロイドと一緒に外に出たあたしたちは、この家に向かう一本道を何かが走って――飛んで? 来るのを見た。
「あらら? どうしたの、みなさん外に出て。」
地面から二十センチくらい浮いた状態で飛んできた――なんて言えばいいのかしら。自転車をもっとゴテゴテさせてタイヤの変わりに風を噴射する装置をくっつけたみたいな……そう、前に本でみたガルドのバイクって乗り物のタイヤをとっちゃった感じ。
エアロバイク――とかいうモノに乗ってたティアナのお母さんは鎧のヘルムみたいに顔を覆う被り物を脱いで不思議そうな顔であたしたちを見た。
「ロ、ロイドくんがね、エアロバイクの音を聞いて見てみたいって言って……」
「そうなの? ふふ、こんな格好でなんですけど、みなさんこんにちは。ティアナの母です。」
「あ、えっと、ロイド・サードニクスです。」
エアロバイクを――車庫? に戻しながらあたしたちの自己紹介を聞くティアナのお母さんは、なんだかすごく嬉しそうだった。
「ティアナにこんなにお友達が……お母さん嬉しいわ。」
あたしのお姉ちゃんがなんか変なテンションだったのと、ローゼルのお父さんがのほほんとしてるクセにすごい達人だったのを考えると、ティアナのお母さんは本当に普通のお母さんって感じだわ。
……まぁ、町までの買い物にガルドのマシーンで出かける人ところはあれだけど。
「ふふふ、これだけお客様がいると腕が鳴るわ。早速お料理するわね。」
キッチンに入って、慣れた手つきで調理道具を並べていくティアナのお母さん。そんな後ろ姿を、何故かロイドがニヤニヤした顔で見てた。
「ロイド……あんた顔が気持ち悪いわよ?」
「ひどいな!」
「言っとくけど、ティアナのお母さんなんだからお父さんもいるのよ?」
「なんだと思ってるんだ……いや違うんだよ。なんていうか、ああいう――家庭的って言うのかな。光景が……懐かしいというか何と言うか……」
ロイドのニヤニヤ顔がちょっとしんみりした顔になる。
「兄さんの言いたい事、自分にもわかりますよ。」
ロイドと同じような顔でにっこり笑うパム。
一般的な、どこにでもあるような……料理をするお母さんの後ろ姿。だけどこの兄妹にとっては……
そうか……二人は自分のお母さんを思い出してるんだわ……
あたしやローゼルの家はそういうのとちょっとずれた所だったから余計かもしれないわね。
「あらやだ!」
自分の親が料理をしてるところなんて見た事ないあたしも、こういう雰囲気っていいわねと思ってほっこり眺めてたエプロン姿のティアナのお母さんが突然そう呟いて、キッチンの棚をあっちこっち開き始めた。
「あれ切らしてたのね……みなさんごめんなさい。調味料を一つ買い忘れちゃったわ。」
エプロンを脱いでいそいそと出かける準備を始めたティアナのお母さんにロイドがあわてて尋ねる。
「えっと、大事な調味料なんですか? 料理のメインで使うとか?」
「いいえ。最後のちょっとしたアクセントに。」
「そ、それなら、別になくてもオレたち――」
「ダメです!」
優しいお母さんの雰囲気が一片、すごく厳しい目の女性になった。
「料理は初めから終わりまで、全てに意味のある芸術的な公式のようなモノなの。あれがない状態はピースの一つないジグソーパズルみたいなモノ……未完成の料理を人様にお出しするなんてできませんわ。」
「……わたしに料理を教えている時のティアナの迫力の原点はここにあったか……」
料理人モードのティアナのお母さんにビックリするロイドの後ろでローゼルがぼそっと呟いた。
「そ、それならその調味料、オレが買ってきますよ。最後って言うなら間に合うんじゃないですか?」
「え、ええ……確かに、諸々含めますと一~二時間はかかりますから買って帰ってきてというのは可能ですけど……お客様にそんな事……」
「いいんです。というか……正直、これを機会にエアロバイクに乗ってみたいなぁ、なんて……」
「あら……そんなにあれに興味がおありで?」
「じ、自動操縦だそうですからオレにもできるかなと……ダメですかね……」
「はっはっは! わかる! わかるぞい! 男であればあれに憧れるのは当然じゃの!」
まるで仲間を見つけたみたいに笑うティアナのお爺さんは楽しそうに玄関に向かう。
「ちょっと調整するかの。ほれ、まぁ男のちょっとした憧れを叶えるついでにお買い物を頼むだけじゃよ。堅い事はなしじゃ。」
「お義父さんたら……それじゃあ……お願いしていいかしら?」
「任せて下さい!」
うわ、このロイドすごく嬉しそうだわ。やっぱり男の子ってああいうガチャガチャしたのが好きなのね。
「ならティアナ。一緒に行ってあげて。」
「え、あ、あたしも……?」
「町まではエアロバイクが連れてってくれるけど、お店の場所がわからないでしょう? はい、この調味料を買ってきてね。」
ぴらっとメモを渡されたティアナは、お爺さんについて外に出るロイドとメモを交互に見て――それからひっそりとあたしたちを見た。
「じゃ、じゃあ行ってくるね……」
ティアナのその微妙な「間」の意味をなんとなく察したローゼルは慌てて手をあげた。
「……わ、わたしも行こう!」
「ご、ごめんねロゼちゃん……あれ、二人乗り……なの……」
「な!?」
なんかティアナ、ここぞってところで色々持ってい――べ、別に気にしてないわよ!
「おお……かっこいい……」
早速エアロバイクにまたがってるロイドは小さい子みたいな顔をしてるんだけど、後ろに乗ったティアナにしがみつかれて――!!
「うぇ!? ティ、ティアナ!?」
「ロ、ロイドくん、お店の場所わからないでしょ……だから……」
「あ、ああ、そ、そうだな、確かにそうだな……」
こうして、二人を乗っけたエアロバイクはヒュインと浮いて走り――飛び出した。
「ティアナちゃん……本当に恐ろしい子だね……」
パムに教えてもらって初めて空を飛んだ時も面白かったけど、ヘルメット越しに見るエアロバイクからの景色はまた違って楽しい。楽しいのだが――それと同じくらい、背中にくっついているティアナの体温が気になって、楽しさ半分あわてふためき半分という感じだった。
「ご、ごめんね……」
「い、いや……落ちないようにな……」
実際、結構な速度で森の中の一本道を進んでいる。
しかし自動操縦とはまさにそのままで、オレはハンドルを握っているだけなのだがエアロバイクはくねくねと道を走り抜けていく。ティアナのお爺さんの特製という事だから……きっとただの鍛冶屋じゃないぞ、あのお爺さん。
そして――んまぁ首都のラパンほどじゃないけど結構にぎやかそうな町に到着した。
いつも止めている場所なんだろう、公共の自転車置き場みたいな所にやって来たエアロバイクは空いている場所に入り、ゆっくりと車体を地面に降ろした。
「ロイドくん、そこの……赤いボタンを押して……」
ティアナに言われるまま、ボタンをポチッと押してエアロバイクから降りたのだが――ん? ボタンを押しても何も起きない……
「? あのボタンって……?」
「えっと、イメロ……に使われてる魔法と同じ……感じのだよ……今、あのバイクを動かせるのはボタンを押したロイドくん……だけなの……」
「鍵の代わりって事か。」
「バ、バイクでそのまま行ければ早いんだけど……危ないからここからは……ちょっと歩くよ。」
危ないというのはつまり、結構人が歩いているこの大通りをエアロバイクで爆走するのが危ないという事だろう。
もちろん店の場所を知らないオレは、ひょこひょこ歩くティアナの後ろをとぼとぼと歩き、そういえば名前も知らないこのにぎやかな町を進んでいった。
フィリウスと旅をしていた頃からそうだが、知らない町や村に入ると少しワクワクする。見慣れているモノが一つもない風景というのは、色々な事を期待させてくれるからだ。
「あ、あれがお店だよ……」
「おお――えぇ? み、店? どっちかって言うと貴族のお屋敷だけど……」
「昔この土地を治めてた……偉い人のおうちをお店に改装したんだって……」
ホントだ……近づくにつれて「五パーセント引き!」とかの垂れ幕が見えてきた……
ロイドたちを待つあたしたちは正直ヒマで、料理の手伝いをしようかとも思ったんだけど……料理中のティアナのお母さんの目にも止まらない包丁さばきというか、お鍋さばきというか、なんかレベルの違う光景を見て諦めた。ただ、そんなスゴ技にも昔を思い出すのか、パムだけはその後ろ姿をじっと眺めてた。
何もできそうにないあたしがぼんやりとソファに座ってお爺さんが出してくれたお茶を飲んでたら、家の中をぐるぐる見回してるリリーがふと呟いた。
「あれ? マリーゴールド家なんだよね、ここ。」
「大丈夫かリリーくん? ちょっと目を離した隙に頭でも打ったのか?」
「そんなわけないでしょ! ……だってここ、銃が一つもないんだもん。」
「普通、リビングにそんなものは置かな――ま、まぁうちの場合槍が置いてあるからアレだが、普通はないだろう?」
「でも、ガルドのマリーゴールドって言ったら有名なガンスミスの家系だよ?」
「ほぉ、よく知っとるのう。」
さっきも同じような事を言ったティアナのお爺さんが同じようにお茶を飲みながらかっかっと笑う。
「ボク、こう見えても商人だからね。」
「ガンスミスと言うと、銃の鍛冶屋という事か。元々ガルドの家系だからあんな銃を持っているのかと思っていたが……そもそもそういう家の娘だったわけか、ティアナは。」
「その中でもとびっきりの家だよ。ガルドじゃ武器と言えば銃ってくらいに銃が普及してるからガンスミスもたくさんいるんだけど、その中で五本の指に入る家系だったのがマリーゴールド家なの。」
「ほっほ! そう言われると照れるのう!」
ティアナのお爺さんは懐かしそうな顔でお茶をすする。
「お嬢ちゃんの言う通り、わしらの家はガンスミスの家系。先祖代々銃ばかり作っとる家じゃった。じゃが……ある時から婆さんが体調を崩しての。お医者様に診てもらったら、どうもガルドの空気がよくないという事じゃったんじゃ。」
ガルド特有の公害ね……
「それで自然が豊かで空気のうまいこっちに引っ越したんじゃ。」
「ティアナちゃんのお婆ちゃんの療養でこっちに来たんだね。えっと……今はどこにいるの?」
「ほっほ、今は空からわしらを見守っておるよ。」
「あ……ご、ごめん。」
「いいんじゃ。最後の二年、婆さんは元気に過ごしたからの。」
ガンスミス……そうであるなら、この家のどこかに工房があるのかもしれないけど……たぶんこのお爺さん、もう銃は作ってないわね。
お婆さんのために、金属の国でもトップレベルのガンスミスっていう肩書きを捨てて、このフェルブランドにやってきたんだわ……きっと。
コンコン。
お爺さんの話を聞いて少ししんみりしたところで、玄関のドアをノックする音が聞こえた。
「む、ロイドくんたちか?」
「? いや……さすがに早過ぎるわい。やれやれ、予定外の来客とは珍しいのう。」
オレにはそれが何でどういう味がするのかわからない調味料を買い、お屋敷――ではなくてお店をあとにしたオレとティアナはエアロバイクを止めた場所に向かってさっき歩いた道を逆走していた。
「そういえば……魔眼の調子はどう? あれ以来ずっと発動させた状態で過ごしてるんだろう?」
「うん……でもロイドくんのアドバイス通り……だんだんと慣れてきて、使うのも大変じゃなくなったよ……」
自分の眼を指差しながらオレに顔を向けたティアナ。その金色の眼はやっぱりきれいだった。
「そっか。旅の中で色んな専門家さんに会って随分とマニアックな事ばっかり教わった気がするけど……役に立つ知識があって良かったよ。」
「せ、専門家と言えば……あ、あたし気になってるんだけど……その、恋愛マスターって人のこと……」
「うん?」
「あ、あたしは聞いた事ないんだけど……す、すごい人なの……? その、ロ、ロイドくんはその人の教えを守ってる……みたいだから……」
「すごいかどうかは正直わかんないな。旅の途中、その人の言う通りにすると恋が成就するって噂される占い師が近くの村に来てるって話を偶然聞いてね。そんな占い師の話は初耳だったけど、面白そうだから会ってみようって事になったんだ。」
「それで……ロ、ロイドくんは何かを占ってもらって……あのアドバイスを……?」
「いや……そう――じゃなかった気がするな……というか実はオレ、その時の事をはっきり覚えてないんだ。会ったって事は確かだし、この前話したみたいなアドバイスをもらったのも確実なんだけど……あいまいで。だけどあの人のアドバイスは信じられるというか真実――いや、真理? なんかそうと言っていいような印象を受けたような気もするような……」
あれ? なんかいざちゃんと思い出そうとすると色々思い出せない。
「うーん……今思うとなんか不思議過ぎる人だったんだなぁ……恋愛マスターは。」
「少年も彼女に会ったのかい?」
自転車置き場に止めたエアロバイクが見えてきたあたり、町の入口付近で誰かにそう話しかけられた。見ると、自転車置き場の隣にあるお店の前……別にそのために置いてあるんじゃないと思う樽の上に腰かける男がいた。
なんかこういう感覚が最近多い気がするけど、同じ男のオレでもドキッとする――美形のお兄さんだった。ティアナと同じ金髪に、なんだかオシャレな服装。大きな街にたまにあるホストクラブというお店にいそうなその人は、そんなんだから周りの――主に女の人の視線を集めている。
だけど一つだけ、この金髪の男の職業がホストだと断言するのはちょっと早いかなと思ってしまう要素がある。
「なんという偶然。いや、しかし彼女が絡んでいるとなると運命なのかもしれない。」
金髪の男の傍には、巨大な銃のようなモノが立てかけてあった。
第六章 S級犯罪者
「話しかけるつもりはなかったんだ。本当だとも。だけど――彼女に出会った事があるということじゃあスルーはできないというモノ。やれやれ、姉さんに怒られるかもしれないな。」
オレはもちろん、ティアナも首をふる事から知り合いではないその男が話しかけてきたのは、どうやら恋愛マスターが理由らしい。
「それに彼女に会った事のある人は何人か知っているけど、ボクのようにその力を受けた人に会うのは初めてだ。」
そして金髪の男は――そんな二人が出会ったなら、二人の会話はこの質問から始まるのが当たり前という感じに、オレにこう尋ねた。
「少年は何を願ったんだい?」
願い? 恋愛マスターに……占い師に何を願ったのかを聞かれたのか? いや、占い師というのは道を示してくれるような人のはずで、願いを叶えるタイプの人じゃないような……
「えっと……あの、すみません。恋愛マスターに会った事があるのは確かなんですけど……その、記憶が妙にぼんやりしてまして……」
オレがそう言うと金髪の男は驚いた顔をした。
「覚えていない? 彼女と会った記憶が曖昧というのは信じられないな。その上自分の願いを忘れ――ああ、なるほど。つまり少年の代償はそれだったというわけか。」
「だ、代償? あの、なんの話を……」
「いや、いいんだ。それならボクの話をしつつ教えてあげよう。恋愛マスターと呼ばれる女性についてね。」
「い、いえ、でもオレたち――」
「まず前提として、彼女をボクらと同じ存在だと考えてはいけない。魔法を超えた不思議な力を使う――『存在』だ。」
ぼんやりごまかしてこの場から去ろうとしたのだが、金髪の男は話を始めてしまった。んまぁ、なんでか記憶がぼやけているその人の事をもう一度知る機会だし……
チラッとティアナを見て「ごめん」と言うと、ティアナは首をふって「いいよ」と言ってくれたので、オレは金髪の男の話に耳を傾ける。
「彼女は会いたいと思って会える人じゃない。言い方は悪いが、事故に遭うように出会う事が普通だろう。そして、彼女に願いを叶えてもらうとなるとその確率はさらに低くなる。ボクや少年は……言うなれば選ばれたんだ。」
「れ、恋愛マスターは……その、どんな願いでも叶えてくれるんですか……?」
「まさか。その名の通り、彼女が叶える事のできる願いの種類は恋愛――色恋に関わる願いに限定される。まぁ、要求される代償や副作用はそれに限らないけどね。」
「代償……さっきも言っていましたね。な、何かを捧げるとか……?」
「それだと語弊があるかな。代償は選べないのだから、奪われると言うのが正しいだろう。」
「副作用というのは……」
「その願いを叶える為に必要な状況を用意した際に……どうしても起きてしまう意図しないモノだね。副作用に関しては、常に悪い事とは限らないけど。」
さらっと笑う金髪の男がそうする度に、付近の女性が頬を赤らめるのが視界のすみに見える。
「例えばボク。ボクの願いはね、『沢山の女性との沢山の素敵な出会い』だった。」
「へ?」
「出会いさ、少年。この世界には素敵な女性が大勢いるというのに、普通に生きているだけではそのほんの一握りにしか出会えない。それはとても悲しい事だ、そう思わないかい? だから出来るだけ多くの出会いをボクは願った。そして――それは叶った。」
「か、叶ったんですか……」
「ああ。普通、そんな所で出会いはないと思えるような場所、状況でも何故か素敵な出会いが起き、街に出かけようものならボクが求める限り様々な出会いがこちらにやって来る。夢のようさ。」
「ぜ、全員と……その、こ、恋人みたいになるんですか?」
「違うよ。出会い、お茶をし、会話を楽しむ――それだけさ。そうやってボクはたくさんの美しさに触れたという経験を得ていくのさ。そこらの女好きや腰を振るだけの獣と同じように思ってもらっては困るぜ?」
「は、はぁ……」
女ったらし……というわけではないらしい。
「そして、そんな願いの代償は魔法の力だった。」
「えぇ!? じゃ、じゃあ魔法が一切……?」
「全部と言うわけじゃない。人には得意な系統というモノがあるだろう? ボクはね、時間使いでもないのに得意な系統しか使えなくなったのさ。」
つまり、この人は第十二系統以外のどれかの系統しか使えないって事か。
「そして副作用は……まぁ当然だが、唯一の女性に出会えない事。」
「唯一?」
「さっき少年が言ったような恋人や――奥さん。互いが互いをただ一人の相手と見るような関係を女性と築けないのさ。」
「ああ……確かに、その願いだとそうなる――ような気がしますね。」
「ま、一生を共にする女性なら生まれた時から傍らにいるから構わないのだがね。」
「?」
「ふふ、こちらの話さ。さて、次は少年だね。」
「オレは……で、でもその前に、オレが何かを叶えてもらったとは限らないんじゃ……」
「悪いが断言できるよ。彼女に会った記憶が曖昧だなんてことはあり得ない。さっきも言ったけど彼女はボクらを遥かに超える『存在』だ。そんな彼女が放つ強烈な印象の記憶が消える――いや、消せるのは彼女以外にいない。」
オレたちを超えた存在……? んまぁ、人の願いを叶えるとかいうのなら、なんかの神様みたいだしなぁ……
「少年は何かを願った。色恋関係――つまり女性が関わってくる願いを。そしてその代償として記憶を奪われた。どれくらいの期間分か、もしくは何かに関わるモノか……どういう記憶かはわからないけどね。」
「で、でもオレ別に……恋愛マスターの事以外は特に……」
「ふふ、奪われた記憶によっては記憶が無い事に気づけない場合もあるからね。おそらくそういう類なんだろう。」
「まさか……」
「そして副作用も起きている――いや、起きていないかもしれないのか。少年の願いが既に叶っているのか、これから叶うのかもわからないから副作用もどうなっているかわからない。」
「……なんにもわからないですね……」
「ただ……これはボクの想像だけど、少年が望んだ願いそのものの記憶はあると思うんだ。それを奪ってしまったら本末転倒のような気がするから。」
「……と言うと……?」
「簡単な事さ。少年が願った事というのは、今も少年が望んでいるこ――」
瞬間、金髪の男の顔が険しいモノになり、素早い動きでポケットから何かを取り出した。
直後視界に広がる閃光――オレは思わず目をつぶった。
「予想以上に面倒な事になったな……」
おそるおそる目を開いたオレは予想外の光景に驚いた。時間的には夕方で、少し暗くなってお店の明かりがちらほらと光っていたノスタルジーな風景が一変、青い世界になっていた。
「なんだ……これ……」
オレは青いドーム状の――膜というかバリアーというかそういうモノの内側にいた。ドームは透明で向こう側が見えるのだが、ついさっきまでオレの横にいたはずのティアナはそこに――ドームの外側にいた。その上――
「! フィリウス!?」
どういうわけか、ティアナの横にフィリウスがいた。しかもその隣にはちょっと怖い顔をしたセルヴィアさん――鎧姿だから《ディセンバ》さんか――もいる。
フィリウスは何かを叫びながらドームをドンドン叩いているんだが、声も叩く音も聞こえてこない。
「やってしまった。十二騎士が三人で少年の連れが女性とあっては選択肢が少年だけだったわけだが……これは姉さんに怒られる――だけじゃ済まないかもな……」
さっきまで樽に座っていた金髪の男もオレと同じようにドームの内側にいたんだが……今のセリフの意味は……
「名乗る気も無かったんだけどね……こうなっては仕方ない。初めまして少年。ボクはプリオルという者だ。」
「……? な、なんですかいきなり――」
「こう言えば理解が早まるかな。ボクはプリオル――S級犯罪者に認定されている『イェドの双子』の片割だ。」
「S級!?」
そう聞いて思わず距離を取った。
S級犯罪者!? そ、そんなのがなんでこんなところに……!
「あれ、見えるかな少年。あの建物の上に立ってるの。あれが《オクトウバ》だよ。」
「え?」
敵とわかった相手の指差した方を見るなんて隙を生むだけなんだけど、十二騎士の名前が出て思わず見てしまった。
少し遠いけど……周りよりも少し高い建物のてっぺんに人が立っている。
いつだったか、どこかの町にいた祭司さんの格好に近い、ゴテゴテと色んな飾りのついた服を着た――たぶん男。あれが《オクトウバ》……?
「ボクが負けるとしたらあいつにだと思ってたんだけど……まさか本人は完全サポートで他の十二騎士にやらせるとは思わなかった。」
一体何の話をしているのかさっぱりわからないオレは、騎士の心得通り腰にぶら下げていた二本の剣を――フィリウスからもらった剣をとりあえず構えた。
「このドームは……あんたが出したのか? どうしてオレを……」
「…………普通ならそんな事聞かれてもわざわざ答えないけどね……そもそも殺せないし、こうなったらこれを機会に一歩成長してもらって……そうすればまだ姉さんへの説明がつくかな?」
金髪の男――プリオルはやれやれという顔で両手を広げる。
「何をすればS級っていうランクが付くのかは知らないけど、少なくともそんなボクを捕まえる為に十二騎士が三人もやって来た。少年の前に立っているボクという人間はそれくらい強いという事だ。規格外の《ディセンバ》と天敵である《オクトウバ》がいないなら、十二騎士だろうとドンと来いという自信もある。」
「……大層な自信だな……」
「悪党ならそれくらいの大口を叩かないとね。だが残念、あそこにはボクが例外とした男が立っていて――今あいつは全力でボクの魔法を封じている。」
「封じる……?」
相手の魔法を封じる魔法なんてのがあることを初めて知ったけど……《オクトウバ》というのは第十系統の頂点に立つ騎士に与えられる十二騎士としての称号。
第四系統の火とかなら第七系統の水が苦手っていうのはわかるけど、第十系統は事象とか概念とか呼ばれる系統の一つ。それが最も影響を与える――封じる事ができる系統と言えば……同じ系統しかないと思う。
つまり――
「あんたは――位置魔法の使い手ってことか。」
「その通り。例え十二騎士クラスの騎士が百人集まったって戦えるし、逃げ切れると思うけど――悔しい事にボクよりも使い手としての格が上の《オクトウバ》が相手だとどうもね。だから――さっきも言ったけど、ボクが負けるとしたらあの男と戦う時だろうと思っていたんだ。しかし参ったね。まさかあいつはボクの力を削ぐことに全力を使い、肝心のトドメは別にやらせようって言うんだから。悪党のボクが言うのもあれだけど、正々堂々のせの字も無い。」
「要するにあんたは……《オクトウバ》に位置魔法を封じられ、その上十二騎士が二人も来たから――とっさにこんなドームの中に避難したってわけか。」
「うんうん。そこまで理解出来ればまずは半分だね。」
ちょっと臆病者のような行動をしたプリオルだが……よく考えると物凄い事をしている。
オレと会話している時に位置魔法が封じられたのを感じ取り、その上他の十二騎士の存在も感知――いや、むしろ位置魔法が封じられた時点でそういう状況を予想したのか。たぶん、ほんの一瞬対応が遅ければ時間魔法の使い手である《ディセンバ》さんが、プリオルが何かをする前に倒してしまっていたのだろう。
プリオルにしたら何の前触れもなくチェックメイトの状態にされたようなモノなのに、それを脱したという事……十二騎士が直々に倒しにくる相手だけはあるって事か。
「それじゃあ残りの半分。このフィールドの説明だね。」
そう言いながらプリオルがポケットから取り出したのはカードのようなモノだった。
「知り合いのギャンブラーが作ったマジックアイテムでね。名を『決闘だ!』という。」
「決闘……?」
「ネーミングについては何も言わないでくれよ? ボクが付けたわけじゃないから。」
マジックアイテム……ということは、これはやっぱりバリアーか何かなのか? でもそれならどうしてオレだけ中に……
「これはね、使用者と使用者が選んだ相手を強制的に一対一の状況に放り込むアイテムなんだ。外からの手出し口出しは一切できない。ま、観戦はできるけど。」
ドームの外、フィリウスたちが武器や魔法をドームにぶつけているのが見えるけど、やっぱりこっちには何も聞こえないし、ドームはびくともしない。
「オ、オレと一対一になんかしたってなんにもならないぞ。オレを倒したって外にはフィリウスたちが――」
「そりゃあ、決闘しておしまいのアイテムなら使わないよ。勝った方にご褒美が出るから使ったのさ。程度はあるけど、勝者の願いをなんでも叶えてくれるんだ。」
「な……」
というかまた願いか。
「叶うなら外の《オウガスト》と《オクトウバ》の死を望むところだけど、生憎そこまで万能じゃない。だからボクが望むのは――無事にこの場から逃げる事。おそらく、一定時間ボク以外は身動きが取れなくなったりするだろうね。」
「そんな……都合のいいアイテムがあるわけ……」
「いや、そんなに都合よくはないよ。これを使う前とフィールドに隔離した後で、使用者と選ばれた者はその状態が一切変わらない。呪い系の魔法をかけられているなら、例えその魔法が本来なら数秒しか影響のないモノだったとしても、このフィールド内では効果を発揮し続ける。強化系の魔法でも同様だから……タイミングをミスるとだいぶ困った事になる。」
「……やっぱり都合がいいじゃないか。相手の魔法が切れた時とか、こっちが呪いをかけた時に使えば――」
「残念ながら、たぶんそういう時には発動できない。これは、自分が不利な時にしか使えないんだ。」
「な、なんだそれ。なんでそんなモノ……」
「勝利した時に得られるご褒美の自由度なんかを考えると、これくらいのデメリットがないとこんなマジックアイテムは生み出せないんだよ。この辺は魔法を組み立てる際の条件や限定による強化の話だけど……授業ではまだみたいだね。」
「……なんでオレが学生だと……」
「その若さで現役の騎士はそういないぜ?」
肩に背負っていた巨大な銃のような武器をおろしながらプリオルはやれやれとため息をつく。
「もうダメだって時に一発逆転を狙い、その場の誰かとの一対一の勝負に全てをかける――言ったろう? ギャンブラーが作ったって。」
「……状況はわかったけど……なんだってオレなんだ。」
「……純粋に勝てる相手を選ぶならあそこの大きな銃を持っている金髪のレディーにしただろう。あんな超遠距離型の銃、このフィールドレベルの広さじゃ意味がないからね。しかし残念、ボクは女性とは戦わない主義だ。」
こいつ……女性との出会いを願っただけあるというか……さっきも何気に《ディセンバ》さんの死は望まなかったし……そういう性格なんだろう。
「それで――そうか。この場にいる男と言ったら、十二騎士二人を除くとオレだけだ。」
「そういう事だ。ちなみに今回の場合は死を勝利の条件にしていないから安心するといい。」
「……?」
「勝利条件もある程度決められるんだよ。いつもなら相手を殺す事を勝利条件にするところなんだけど……そんな事したらボクは失望されてしまう。」
勝利条件……しかし、オレは何をもって安心すればいいのかさっぱりわからない。それに失望されるって一体誰に……
「さて、少年の望みはどうする?」
「オ、オレは……」
「まぁ、もしもオレに勝ったら――その時考えるといい。」
勝つ……勝つ? 十二騎士が三人も出て来るような相手――S級の犯罪者に?
「ふぅむ。」
相変わらず建物のてっぺんに立っている《オクトウバ》をチラッと見たプリオルは、パッと開いた手の平に一本の剣を出現させ――えぇ!? 封じられたんじゃないのか!?
「なるほど? 剣をギャラリーから移動させる事はできても、一度この場所に移動させてしまったらその先は何もできないようだね。戻せないし、位置も操れない。その上ボク自身の移動も封じられたとあっては――これは、ボクの強さというモノが何段階かランクダウンだな。」
……封じられたと言うよりは制限されているのか。
しかし、《オクトウバ》の全力でもちょっとだけ使えてしまうプリオルがすごいのか、プリオルの魔法をこのレベルまで制限してしまう《オクトウバ》がすごいのかわからないな……
んまぁ何はともあれ、プリオルはそんな微妙な状態のまま、このドームの中でオレとの一対一を迎えたわけか……
もしかしたら勝機もあるか……?
「少し勝つ気になったのかな? でも確かに、本来なら埋める事のできないボクと少年の実力差がきっといい具合になっている。不幸中の幸いと言うのか……恋愛マスターに選ばれた者同士、記憶に残る剣戟を交わすことができそうだね。」
剣戟と言ったクセに巨大な銃のような武器をガチャンと構えたプリオルは、かなり絵になるポーズで声を張り上げる。
「さて、一対一だからね。普段ならこんな事しないけど――ふふ、恋愛マスターの縁となると少し礼儀を重んじたくなる。ボクは、姉さんが従える七つの星が一輝、『イェドの双子』の片割――プリオル!」
そうして――まるでオレにもそういう風に名乗りをあげろと言わんばかりのニヤリ顔をする。本来ならそんなノリに乗る必要はないのだが――強そうではあるけどちっとも悪党には見えない爽やかなプリオルがそれをしたせいか、何となく乗ってしまうオレだった。
「オレは……えっと、セイリオス学院、一年A組の……あっと……コ、『コンダクター』、ロイド・サードニクス……!」
言った後でかなり恥ずかしくなったが、プリオルはにやりと笑う。
「カッコイイじゃないか。ボクは好きだぜ?」
「そ、そうかよ……」
「じゃ――行くぞ少年!」
S級犯罪者を前にいつもとあまり変わらない雰囲気で会話をしていたオレだったが、直後――この金髪のキザな男を倒すために十二騎士が何人もやってくるその理由の一部を垣間見た。
両手でがっしり構えて使うのだろうと思えるくらいに重厚な雰囲気の巨大な銃を、まるでそこらの木の棒を扱うように軽々と振り回しながら――その銃をあっちこっちに向けて乱射したのだ。
銃撃を警戒して回転させた剣を身体の正面に配置していたオレは、あさっての方向に放たれた銃弾の先を見てゾッとした。
発射されたのは弾ではなかった。そんなモノよりももっと大きく、上を見上げたオレの視界を埋め尽くさんばかりに、今まさにオレに向かって落下を始めようとしているそれは――無数の剣だった。
「――っ!」
降り注ぐ剣から逃れるため、風による加速でその場から離れたオレの目の前に、プリオルから綺麗な弧を描いて迫る無数の剣が現れた。
とっさの風魔法と剣での防御をしながらその攻撃を乗り切ったオレの行き先には――まるでオレの動きが完全に読めているかの如く、絶妙なタイミングで剣が降り注ぐ。
位置魔法が使えないはずなのに、まるで曲芸剣術のような軌跡で全方位から迫る無数の剣を避けたり防いだり弾いたりしているオレをよそに、銃を撃つ――というよりは舞っていると言った方がしっくりくるプリオルはそうしながら一人語りだす。
「やれやれ。いつものボクなら三手目くらいで少年をハリネズミにできていたのだが――銃を振り回しながら撃つ事で軌道を曲げるのには限界があるからね。イマイチイメージ通りに飛んでいかないよ。」
――つまり、この悪夢のような全方位攻撃は、プリオルの銃の腕だけで作り出されているという事か!
「その上――一度撃った剣を戻せないせいでボクのコレクションが散らばる一方だ。だが――いや、これはこれで美しいね。少年も――声は届かないだろうが外の十二騎士たちも見てくれ。これがボクのコレクションさ。」
プリオルが言った通り、オレとプリオルの周囲には次々と剣が並んでいく。一本一本が形の違う――まさにコレクションが。
「よっと。」
そう呟き、プリオルは剣の乱射を止めた。いつものオレなら好機と思って攻撃を仕掛けただろうけど――
「はぁ……はぁ……」
風の魔法で急発進急停止を繰り返した事に加えて、あの巨大な銃のような武器から放たれる剣の威力は相当高く、一つ弾くだけでもかなりの力が要る。
結局、一分にも満たない――しかもただの防戦で、オレの体力は大幅に削られてしまった。
「すまないが、少し聞いてくれるかい? 少年が何かを集めているならわかるだろうけど……コレクターは、自分のコレクションを自慢したいものだ。」
満身創痍の、今なら簡単にとどめを刺せる状態のオレをそのままに、プリオルは剣を一本手に取り、うっとりと眺めながら自慢話を始めた。
「ボクはこの剣という芸術品に目が無くてね……ある時からコレクションを始めたのだよ。遺跡の奥底に眠る伝説の剣。持ち主を呪い殺すという曰く付きの剣。とある刀匠が生涯をかけて生み出した剣。ボクの琴線に触れたモノは全て手に入れてきた。」
剣のコレクター……でもそれだけなら……正直どこにでもいる。酒とか皿とか、何かを集めている人の話なんかは旅の中でもよく聞いた。
女性を敬う、そんな半分騎士道みたいな生き方をしているこの男は、何故S級の犯罪者として恐れられてい――
「しかし困った事にね。全ての剣には既に持ち主がいるのさ。」
その言葉を聞き、オレはゾッとした。その一言で、一瞬前に疑問に思った事の答えを理解してしまった。
「ボクのモノにするという事は、持ち主がボクにならなくてはいけない。つまりね、奪ったり盗んだりってだけだと持ち主はボクになってないのだよ。だから殺す必要があった。遺跡の奥底に眠っている剣なら、その遺跡を守る魔法生物や部族を。呪われた剣ならそれを世に出すまいと封印していた者を。生涯をかけて誕生した剣ならその刀匠を。奪った剣で元の持ち主を切り殺し、その剣に深紅のドレスを着せる事でボクは初めてその剣の蒐集を遂げ――あぁ、美しいと思わないかい? そう、それこそが剣の美しさ!」
恍惚とした表情のプリオルは突然――手にした剣で自分の手の平を突き刺した。
「あぁ、素晴らしい! 一点の曇りもない金属光沢を覆う鈍い紅。故に輝きを増す刃と血の調和……そしてその血が持ち主のモノだというのであれば完璧さ! 垂れ流される主の命を浴びる時、剣の美しさは頂点に達する!」
剣を伝う自分の血をなめるプリオルは――そう、今なら納得がいく。この男がS級犯罪者と言われてそうだと頷ける狂気が、そこにあった。
「そうして集めた八百四十九の剣はボクの秘密のギャラリーに保管し、時々こうして呼び出してこの銃――『剣銃』から撃ち放って血のドレスを着せているのさ。他人のドレスであるところが残念でならないんだけどね。もしもボクがたくさんいたなら、一つ一つをボクに突き刺したいよ。」
「は、八百……!?」
狂気的な発想はともかく――なんて数だ。そしてプリオルの言うことが事実なら――少なくとも八百を超える数の人間を、この男は殺害している事になる……!
いや――きっとそれ以上……千を、超えている可能性すら……
「どうだい、美しいだろう? ボクのコレクションを人前でこんなに並べるなんて事、位置魔法が封じられてなきゃしないからね?」
「――というより、伝説の剣がそんなにたくさんこの世にあったって事にオレは驚いたよ……」
深呼吸を重ね、少し回復した体力を全身にまわしながら、オレは特に意味もなくそう言った。
「ははは。そんなわけはないさ。言っただろう? ボクの琴線に触れたモノだと。」
「なに……?」
「大量生産の剣でもね、美しさが宿る時があるのさ。例えばこの剣。」
プリオルの手元に新たな剣が出現する。
「これはとある女性騎士が使っていた剣でね。着せた悪党のドレスの数は千を超えたという。これ自体はそこそこ良い剣というくらいのモノだが……ふふ、千のドレスを着こなしたとあっては、ボクも無視はできないさ。」
「ま、待て……女性騎士? あんたは、女性には手を出さない主義なんじゃないのか?」
「ははは、少年よ。何を言う。」
その美貌に真っ黒な狂気を重ねてプリオルは笑った。
「剣の美しさに勝るモノなんて、この世にはないよ。」
なんて男だ。確かにこいつは――女性を大切にする性格なんだろう。自分の有利を捨ててこの決闘にティアナを選ばなかったり、不利な事なのに《ディセンバ》さんの死を望まなかったりするくらいには。
だけどそこに剣が関わってきたら、こいつは剣を優先する。大量殺人鬼に命がどうとか今更教えようとは思わないけど、自分の性格さえ超える蒐集欲――こいつは純粋に狂ったコレクターだ。
「……なるほど、確かにS級なんだな……」
ゆっくりと立ち上がり、周囲を見る。この場に何本の剣があるかなんてわからないけど……八百発以上も放てるワケだし、弾切れなんて望めない。そもそも、そんなのプリオルが一番よく理解しているだろうし。
つまり……現状はこうだ。前にリリーちゃんが言っていたみたいに、おそらくプリオルのコレクションにはあらかじめ魔法による印がつけられていて……だからプリオルはそんな大量の剣をどこにいても呼び出せる。
だけど今、この場所は《オクトウバ》の力で位置魔法が制限されている。呼び出すことはできてもその先は操れない。だから呼び出された剣はそのまま、この場所に放置される。
そしてオレの曲芸剣術は――無数の剣を扱う剣術だ。
「物欲しそうな目だね、少年。ボクのコレクションを回転させたいのかな? 少年が使っている剣術は俗にいう曲芸剣術なわけだから当然だろうけど。」
「知ってるのか……」
「これでも十二騎士に追われる身だからねぇ? 連中に関する事はある程度調べるさ。その剣術を使えるという事がどれほどすごいかという事も理解しているつもりだ。その真髄が無数の剣を操る事にあるのもね。しかし――そう、プロゴをお手本に現状を口に出してみるといい。それは無理だよ。」
「プロゴ……? ああ、あの時間の……知り合いなのか?」
「だった、だね。ほら。」
そうやってまた現れた二本の剣は……
「プロゴの剣だった剣だ。少年はこれに斬られた事があるのだろう? その時気づいたかな? この二本、微妙に長さが違っていてね。ふふ、時間使いの自分とかけて長針と短針のつもりだったのかもしれない。」
ほんの軽い笑い話みたいにしゃべるプリオルだが……その剣がプリオルの手元にあるという事は、プロゴは既に……
「……それも琴線に触れたってわけか……」
「止まった時間の中で振るわれ続けた剣……グッとくるだろう?」
「さぁな……」
二本の剣の回転はそのまま、オレは周囲に突き刺さる無数の剣に向けて風を――
「!」
直感のようなモノを感じて横に跳んだオレ――がいた場所に剣が降り注いだ。
「少年の魔法はまだまだ未熟だよ。やろうと思ってからそれが生じるまでにだいぶラグがある。ボクは、それを待つほどいい人じゃないというわけだ。さて……」
再び上を向いた銃口。そして放たれる一発――一本の剣。
「ここからが本番だよ。」
今までの剣よりも重たい――存在感みたいのを感じ、さっきよりも大きく避けたオレの背後、剣が地面に突き刺さった瞬間、その場所に雷が落ちた。
「なっ!?」
「それは、ある国の王宮の宝物庫に保管されていた宝剣。振るわれる度に落雷を起こすというマジックアイテム的な剣だ。」
――! そういうのもあるか!
「さあさあ、ここからはボクのコレクションの中でもお気に入りの剣ばかりだよ!」
さっきと同じように全方位から迫る剣。だけどさっきと違い、地面に突き刺さるや否や爆発し、弾いたと思ったら強烈な光を放ってこっちの目をくらませ……まるでたくさんの魔法使いを相手にしているみたいだった。
「ぐあっ!」
脚に走る高熱の空気。腕を燃やす火炎。どこからともなく放たれるカマイタチや雷……気づけばオレは――
「――っあ……ぐ……」
脚を止めて膝をついていた。
「あそこの《オウガスト》は全て風で吹き飛ばしていたけど……やっぱりあれができるのは十二騎士クラスだからなのだね。少し安心だ。ほら、今度は紅蓮の炎をまき散らす剣だよ!」
真っ直ぐに放たれた剣。動くのもやっとの身体を強風でとばしてそれを避け――
「と、いうのは嘘だ。」
風で飛んだ先、着地しようとしている地面にトンと突き刺さる一本の剣。
「そっちが、そうだ。」
視界を埋め尽くす紅蓮。勢いも殺せず、オレはその中に飛び込んでしまい――
「ぐああああああっ!」
熱さ――というよりは痛み。身体の内側から何かが破裂しようとするような圧迫感と柔らかく動いていたはずの四肢が硬くなる感覚。
意識も朦朧と、オレは炎による爆風で剣の突き刺さる地面に転がった。
夕方の、ティアナのお母さんがまさにそれをしてるんだけど、夕飯を作り始めるようなそんな時にマリーゴールド家のドアをノックしたのは一人の女だった。
「はて……どちら様じゃ――」
ティアナのお爺さんが言い終わる前に、その女はいきなりお爺さんを抱きしめた。
「わかるわ! あなたがマリーゴールドのガンスミスよね? 会えて嬉しいわ!」
腰の曲がったティアナのお爺さんと比較的背の高い女っていう位置関係だったから、ティアナのお爺さんは女の――ロ、ローゼルみたいな胸に埋もれた。
「なななぁ!? なんじゃいなんじゃい!」
いきなりな事にジタバタするティアナのお爺さんと、反応に困るあたしたち。
つまり……昔ガンスミスとして有名だったマリーゴールド家にやってきた銃の愛好家とかコレクターってところかし――
「離れて下さい!」
なんの前触れもなく、あたしの背後からその女に向かって何かが飛んでった。そして気づくと――その女はティアナのお爺さんを残して消えていた。
「お爺さんとお母さんは家の奥へ! 他の皆さんは戦闘の用意を!」
そう言って外に飛び出したのはパムだった。展開が早過ぎて頭がついてかないけど、パムの声色的に緊急事態って事は理解出来たから、あたしたちは武器を手に取ってパムの後に続いた。
「出会い頭に随分ねぇ? そんなにがっつく女は男に好かれないわよ?」
空が暗くなって、明かりがティアナの家から漏れる光だけっていうこの森の中……星空を映した湖をバックに女は立っていた。
ティアナと同じ金髪を短くそろえた……女のあたしが言うのもなんだけど、かなり美人。肩にのっけてるだけの、今にも落ちそうな上着を羽織ってて……胸元がかなり開いてる上にへそが丸出しのシャツを着てる。しかも一つしかないシャツのボタンが胸のせいでかなり引っ張られてて……胸を強調するみたいな格好だから見ててイライラす――べ、別に知らないわよどうでもいいわよ、そんなこと。
下は……これまた生足が目立つホットパンツなんだけど、ローゼルのパレオみたいな長い布が腰から伸びてる上にブーツをはいてるからそこまで露出は――いえ、高いわね。
そんな……ちょっと危ない格好をした女なんだけど、それよりもあたしたちが注目したのは腰からぶら下がってる二丁の拳銃で――あれ?
あの女の左脚の刺青……どっかで見たわね……
「そんな欲求不満なあなたに偉大な人の言葉を贈るわ……男は、釣った魚に餌をやらないものよ。」
「どうしてお前みたいのがこんなところに……!」
女と会話をする気のないパムは敵意がむき出しの――というよりは、強敵を前にした歴戦の勇者って顔をしてた。
ロイドの前だと、ちょっと背伸びしてる女の子って感じだけど――それでもパムは立派な上級騎士なのよね……
「それに……なるほど? 今の七人の中にはお前も入っているわけですか……」
「ああ、これね? いいでしょう? お姉様自らいれてくれたのよ……」
うっとりした顔で自分の左脚――刺青をなでる女。
「……それで、パム。あいつはなんなのよ。」
あたしがそう聞くと、パムは女の刺青を睨みつけた。
「兄さんから話を聞いたはずですよ。あのマークの事も。」
「……!」
夏休みに入る前――初日って言うほうが合ってるかもしれないわね。パムに連れて行かれる前に、ロイドはフィリウスさんから聞いたアフューカスっていうやつの話をあたしたちにも教えてくれた。
大昔から存在する『世界の悪』とかいう大悪党と、そいつに付き従う七人の悪党。
そうだわ……あの女の刺青の――紅い蛇。あれがそのアフューカスの一派の証なんだったわ。
「つまりなにか? あの金髪の女は――世界最悪の犯罪者の部下の一人というわけか?」
トリアイナを構え直して、改めて警戒を強めるローゼル。
「そのようですね……そうだという事は今初めて知りましたけど。」
そしてパムは、余裕のある雰囲気でニンマリ笑う女を指差してこう言った。
「あの女の名はポステリオール。S級犯罪者、『イェドの双子』の片割です。」
「え、S級だと!?」
思わず叫ぶローゼル。無理もないわ……だってS級の犯罪者って言ったら十二騎士が対応するレベルの敵なんだから……
「なんでそんなすごいのがこんな所に来てるのさ……」
あたしとローゼルが驚いて、パムが緊張した顔の中――なんでかすごく落ち着いた感じでリリーがそう言った。
「なんで? ふふ、あたしは別に弟みたいなコレクターじゃないけど……これでも銃使いだもの。今や伝説になってるマリーゴールドの家があるって聞いたら来ないわけにはいかないじゃない?」
「狙いはお爺さん――それとも、マリーゴールド最後の作品でもあると思って来たわけですか!」
「あったら嬉しいわね。でも今はまぁ別にいいわ。そこのお爺様をもらう事は確かだけど。」
「お前の為に銃を作るとでも思ってるのか?」
「思ってないわ。いいのよ、別に。あのお爺様の知識と経験だけ抽出できればあとはいくらでもマリーゴールドの銃が作れるんだから。」
「な……何を言って……」
「知り合いに、そういう技術を持った奴がいるのよ。」
想像したくない酷い事を平気でやろうとしているこの女――ポステリオールのS級っぽさが見えたところで、パムがあたしたちに指示を出す。
「メインには自分が戦いますので、皆さんは援護を――いえ、援護だけにとどめて下さい。チャンスと思っても攻撃を仕掛けないように。」
「……わかったわ。」
本当なら一緒に戦うって言いたいとこだけど……あんなの相手じゃ足手まといもいいところよね……
他の二人もそれは理解してるから、あたしたち三人は一歩下がった。
「別に殺す予定はないんだけど……邪魔されたなら、きっと正当防衛ってやつよね?」
構えもしないで笑うだけのポステリオールは――次の瞬間、パムの目の前にいた。
至近距離で響く銃声。攻撃が終わって、やっと攻撃が起きたって事に気づいたあたしの正面では、パムの頭から一メートルも離れてないところに銃を構えてるポステリオールと、微動だにしてないパム。
そして――
「さすが。やるわね?」
二人の間には土で出来た腕が地面から伸びてて、その指に一発の銃弾を掴んでた。
パムの――今の目にも止まらない速さの攻撃に反応できるとこはすごいけど、それ以上に驚きなのは、そんな超速に追いつく速度で魔法を使ったって事ね……
「……今となっては極める必要もなくなった技術ですが……悪党を減らす事には貢献できそうですよ。」
そう言いながらパムがポステリオールの方に身体を向けると、人間サイズのゴーレムが呪文もなしに一瞬で数十体出現した――いえ、したというよりは出現してすぐにポステリオールに飛びかかった。
「男に囲まれるのは好きだけど、泥人形は嫌よ?」
位置魔法――だと思う瞬間移動を繰り返すポステリオールを囲む無数のゴーレムは素手、もしくは同じように土で出来た剣とか槍を手にして攻撃してる。だけどただ振り回してるだけじゃなくて――
「そうか、そういう利点があったか。」
ボソッと呟いたのはローゼル。
「『死者蘇生』を行う為に人間の形を忠実に再現する事に力を注いできたパムくんの、騎士としての強みはなんだろうと思っていたのだが――その答えがあれか。」
ポステリオールに攻撃を仕掛けるゴーレムたちの動きは、熟練の武闘家や武器の達人みたいに洗練されたモノだった。
「ゴーレムと言ったらできるだけ大きく頑丈に作り、そのパワーで攻撃というのが基本だろう。しかしパムくんのゴーレムは人間の形を精密に模している。それ故、普通のゴーレムでは出来ない……武術の再現ができるわけだ。」
ワイバーンを真っ二つにした時みたいに、もちろん大きくて頑丈なのも作れるんでしょうね。そしてパムの場合は、そこに『技』をプラスできる。
「その上……普通、真似をしようと思ったらそれに特化した訓練などをして身体を作り込む必要のある技も、土で出来ているゴーレムには関係が無い。パムくんの頭の中にその技――動きのイメージがありさえすればゴーレムはそれを再現できてしまうのだ……何とも感想に困るが、ちょうどあんな感じに……」
ローゼルが指差したゴーレムは槍を持ってて、その攻撃の軌跡――手元から敵まで一直線に走る神速の一撃はローゼルの家で見た初代リシアンサスの技だった。
「無論、百パーセントの再現度というわけではないのだろう。しかしそれでも、そんな使い手が同時にこんなに大勢かかってきたらどうしようもないな。」
しかもゴーレムだから――例えば身体のどこかを切断するとか爆破するとか、そういう攻撃をして形を崩さないと達人技は止まらないし……一度そうしてもすぐに元通りになる。
上級騎士のパムはきっと、今までに色んな敵と戦ったんだろうし、色んな味方にも会って来たはずで……そうやって出会った人たちの動きを覚えておけばゴーレムに同じ事をさせることが出来る。
今パムが指揮をしてるゴーレムは、パムが見た事のある達人たちの技を再現しながら不死身の身体で突き進む軍団ってところね……
「達人ってゆーなら、あの女も相当なもんだよ……」
S級の犯罪者を前に、むしろいつもより冷静なリリーがそう言った。
ポステリオールは見た感じ第十系統の位置魔法の使い手。ゴーレムの攻撃を瞬間移動でかわしながら銃を――ゴーレムでもパムでもない方向に乱射してる。だけどその銃弾は全部のゴーレムをすり抜けてパムまで届く。
パムは地面から生やした土の腕でそれを全部防いでるけど、その腕の動きを見ると、銃弾はパムを中心にした全方位からとんできてる事が分かる。たぶん、適当な方向に撃った銃弾をパムのところに移動させてるんだわ。
中には――パムの肌、ゼロ距離のところに移動してるっぽい銃弾もあるんだけど、それでさえ移動して来た瞬間に土の腕が捉えてる。
正直、達人技を披露するゴーレムと神がかった魔法速度を見せるパムがすごすぎてポステリオールはそれほどすごいと思えないんだけど……
「そう――なのか? わたしは第十系統の魔法が苦手で全くと言っていいほど出来ないからよくわからないが……エリルくんは?」
「……目に見える範囲で小物を動かすくらいが精一杯よ……」
第十二系統の時間みたいに、それを得意な系統としてないと使えないわけじゃないけど、概念系の一つの第十系統の位置魔法はあたしやローゼルにはかなり難しい魔法になる。
「……自分の移動、発射した銃弾の移動、加えてここじゃないどこかに保管してると思う銃弾を移動させて銃の中への装填……同時に三つの位置魔法を制御してるっていうのは異常だよ……」
「い、異常? それほどすごい事なのか?」
「位置魔法って、周りから見るとすごく便利な魔法に見えるけど……やってる本人にはすごく大変な魔法なんだよ……三次元的な位置の定義と測定、ゼロ点の固定に自分の移動を重ねた計算……実はかなり頭を使うんだ……」
「じ、次元?」
さすがのローゼルもわけがわからないって顔をする。
あたしもだけど。
ていうかリリー、雰囲気が変わり過ぎじゃないかしら……たまに見せる黒い感じよりももっと――冷たいわ……
「加えて、位置魔法は位置魔法の邪魔をすごく受ける……二人とも、そろそろ援護するよ。」
「う、うむ。」
「そうね……」
状況的に遠距離からの援護になるから、あたしはガントレットを、ローゼルは氷を飛ばす構えになったんだけど……リリーはどうするのかしら。
「ボクは干渉に専念するよ。」
もらったイメロを装飾みたいにくっつけた短剣を持ってはいるけど構えはしないで、ただ片手をポステリオールの方に向けた。
「あら?」
そしたら急にポステリオールがふらついた。今まで完璧に避けてたゴーレムの攻撃を受けそうになったんだけど――ものすごい体勢から身体を回転させながら、銃を叩きつけるように発砲――ゴーレムはお腹を中心に粉々になった。
「ちょっとちょっと、同業者がいるなんて聞いてないわよ。」
どうやらリリーの――干渉っていうのが効いてるらしい。瞬間移動を止めて体術で避けるようになった――んだけど、それでも尋常じゃない動きするわね、あの女。
「いい援護です、リリーさん!」
ポステリオールには怖い顔のパムが一瞬だけ笑ってこっちを見た。
「よし、わたしたちもやるぞ!」
瞬間移動をされると自信なかったけど、普通の体術で動くならあたしたちにも攻撃を当てられるはず……!
伊達に毎朝、避けるのが上手いロイドを相手にしてないわ。
「あらら? そっちの二人も結構――ちょ、ちょっと休憩しない?」
ゴーレムの猛攻、ローゼルの氷の雨、あたしのガントレットを体術だけでかわす事になったポステリオールはそんな事を言った。
「お二人もその調子でお願いします!」
もしもあたしが同じ立場だったら五秒ももたない気のする猛攻の嵐の中を走りまわるポステリオール。このまま行けば……!
「一対四だなんて、正義の騎士としては卑怯なんじゃないの?」
「知らないな、そんな事。正直に言えば、お前が一人でよかったと思っている。『イェドの双子』が双子の状態で現れていたら自分ではどうしようもない。んまぁ、逆にどうしてお前は一人なのかが気になるが。」
「仕方がないわ。あたしたちの仕事はあっちだけど、あたし的に見逃せないマリーゴールドがこっちなのだもの。」
「仕事? あっち? 近くにプリオルもいるのか。」
「あら、やっぱり弟が気になる? あなたも女ねぇ?」
「プリオルがいた場合、リリーさんがしてくれている位置魔法への干渉が通じなくなるからな。互いに互いの位置魔法の制御を防御しながら効果の増加も行うという神業を平気な顔でする双子だと、以前が言っていた。」
「そうね。だけど一応言わせてもらうわ……」
直後、避けるだけだったポステリオールが方向転換、パムの方に走り始めた。
「あなたたち騎士がS級っていうランクを付けたのは――」
襲い掛かる無数のゴーレムを、瞬間移動をしているんじゃないかと思うくらいの速度で一体一体撃ち砕きながらパムに迫り――
「あたしと弟の両方、一人ずつによ?」
土の腕を蹴り倒し、無防備になったパムにゴーレムに撃ち込んだのと同じような撃ち方――叩きつけるように発砲。パムの身体が弾け飛んだ。
「パ――」
思わず叫びそうになった声が引っ込んだのは、飛んでいったパムの身体が砕けて土になったからで――
「そんな事は知ってる。」
ポステリオールの背後、地面の中からバッと飛び出したパムがロッドを振るう。完全に死角だったはずなのにそっちを見もしないで迫るロッドを片方の拳銃で防いだポステリオールはパムから距離をとる。
「ふぅん? やっぱりあっちの同業者を片付けないと面倒ね……」
ため息交じりにあたしたち――というかリリーの方を見たポステリオールは、急に目を見開いた。
「あら……? ちょっと、もしかして?」
驚きの顔がだんだんと嬉しそうな顔になっていくポステリオールは突然笑い出した。
「あっははは! 今日はすごい日ね! マリーゴールドを見つけた上に――うふふ! どうりで位置魔法の干渉が上手いわけだわ! そりゃそうよね!」
「戦いの最中に何を思い出し笑いしたのか知らないが笑い終わるのを待ちはしないぞ。」
笑っている間に、ポステリオールの周りにはさっき以上のゴーレムが出現してて、今にも飛びかかりそうだったんだけど――
「ねぇ、上級騎士さん? あたしも相当だけど、あの子も捕まえなくていいの? うふふ!」
という、ポステリオールの言葉にパムは少し眉をひそめた。
そして――そう言うポステリオールに指をさされたのはリリーだった。
「――!」
そしてそのリリーは――今まで見た事もないくらいに怖い顔になった。
「あら、なぁにその顔? あ、もしかして秘密だった? ああ、わかるわ。秘密は女を美しくするものね? だけどこの場合――面倒なあなたに意地悪した方があっちの騎士とやりやすくなるのよ。だから悪いわ――」
ポステリオールは何かを言い終わる前にその場からパッと消えた。そしてポステリオールがいた場所には――あたしの隣にいたはずのリリーがいた。
「すごいわね……位置魔法の早撃ちであたしに追いつくなんて《オクトウバ》以来だわ。」
少し離れた所に移動したポステリオールがニンマリしながら首を傾げる。その首筋にはうっすらと血がにじんでた。
それはまるで――首を切りに迫った攻撃を紙一重でかわしたみたいな……
「……」
怖い顔でポステリオールを睨むリリーの手に握られた短剣がぎらりと光る。
「リリーさん……あなたは一体……」
「あら、じゃああたしが教えてあげるわ。」
ケラケラ笑いながら、ポステリオールはリリーの持つ短剣を指差した。
「位置魔法を使うあたしたち側の人間なら誰もが知ってるわ。その短剣――一見普通に見えるけどその実、位置魔法の使い手の為にあらゆる工夫が組み込まれた特注のそれを使う連中の伝説をね。」
「! まさか! あの組織は《オクトウバ》が壊滅させたはずだ!」
「うふふ。何にでも生き残りっていうのはいるものよ? 大体、位置魔法を極めた連中の全員を捕らえられると思ってる時点でダメよね。そうでしょう、えっと――リリー?」
「……黙れ……」
「いいじゃない。文字通り、あたしとあなたは同業者だったのよ。」
心当たりのあるパムと……あたしの隣で苦い顔をしてるローゼル――そういえばローゼルはリリーの秘密を知ってるとか言ってたからこの話がわからないのはあたしだけ……?
「そこの赤毛の子だけはちんぷんかんぷんって顔だから、やっぱり教えてあげなくちゃね?」
やらしい笑みを浮かべたポステリオールはこう言った。
「その子はね、その構成員が全員位置魔法の使い手にして暗殺者っていう、今はもう無い伝説の暗殺者集団――『ウィルオウィスプ』のメンバーなのよ。」
暗殺者――集団……
「……ウィルオ……? なんか聞いた事ある……わね……」
お姉ちゃんがなんか気を付けなさいとかなんとか言ってた気がするわ……
「王族のエリルくんなら、どこかで聞いた事があってもおかしくないだろう……」
苦い顔をしてるローゼルはぽつぽつと――リリーの秘密を話し始めた。
「その筋じゃ知らない者のいない最も有名にして最も腕の立つ暗殺者集団……要人暗殺の為、貴族やどこかの王でさえ依頼をした事があると言われている組織だ。その構成員は全員が位置魔法の使い手で……成功率は大袈裟でもなんでもなく百パーセントと言われていた。」
暗殺者……リリーが……?
「だ、だが誤解するなよエリルくん。リリーくんは――その、悪者ではないのだ。彼女も……被害者のはずだから……」
「どういうことよ……」
「『ウィルオウィスプ』は世界中から第十系統を得意な系統とする子供……いや、赤ん坊をさらい、位置魔法と暗殺の英才教育を施して冷酷な暗殺者へと仕立て上げてきたのだ。十歳になる頃には仕事をこなせるようになっていたという……」
「赤ん坊!? そんな事……」
「噂によると、いつどこに生まれて来る子供がそうなのかを知る事の出来るマジックアイテムを持っていたらしい。そうして暗殺者として育った者は忠実に仕事をこなし、ある程度の年齢になると組織を動かす側の人間になり、また赤ん坊をさらう。そうやって百年以上続いてきた組織なのだ。」
「そうなのよ、すごいわよね?」
ローゼルの隣に立ってるあたしにだけ話したような事が遠くにいるポステリオールにどうして聞こえたのかわかんないけど、あたしたちとは反対にすごく――嬉しそうな顔をした。
「その話を聞いた時は、もしかしたらあたしたちもメンバーになってたかもしれないわねって弟と笑ったものよ。ほとんどのメンバーが子供のくせにとんでもない使い手だらけで騎士の連中も捕まえられなかったっていうもんだから、あたしたちも見習わないとって思ったのを覚えてるわ。」
「で、でももう、無いのよね。その組織……」
一人だけその組織を褒めるようにしゃべるポステリオールに少しイラつきながら、あたしはローゼルに確認した。
「ああ。今の《オクトウバ》が《オクトウバ》になった年に壊滅した。今から五年前の話だ。」
「! そんなに昔でもないじゃない……」
つまり……ロイドがフィリウスさんと旅を始めた頃、リリーは商人じゃなくて――暗殺者だったってこと……?
「勿体ないわよね。今までの《オクトウバ》がダメだったのか今の《オクトウバ》が別格なのか知らないけど、こっちの世界じゃ大騒ぎになったのよ? でもよかったわ――生き残りがいたんだもの。」
ポステリオールは銃をくるくる回しながらリリーに笑いかける。
「ねぇ、今からでもこっち側に来ない? それであなたが組織を復活させるのよ。例のマジックアイテムはないかもだけど、あなたには『ウィルオウィスプ』百年の技術が詰まってるんだもの。」
「あんた少し黙りなさいよね!」
思わずそう叫んだあたし。
だってリリーが……すごく辛そうな……悔しそうな顔をしてるから。
「うふふ、怖い怖い。お姫様も怒る時は怒るのね。」
「! あんたあたしの事……」
「そりゃそうよ。あなたはこの国の――」
そこまで言って、ポステリオールは何かを思いつき――悪人の顔をした。
「ついでに言うと他も知ってるわ。特に今一番興味があるのはあの男の子よねぇ……ロイド・サードニクス。」
「! お前、なぜ兄さんのこ――」
その名前に反応したパムが叫ぶと同時に、背筋が凍るものすごい殺気が一帯に広がった。
「うふふ。今回の仕事はあの子を眺める事だもの。こうやって接触する気なんてさらさらなかったんだけど――マリーゴールドの魅力に負けた結果こうなったのよ。あらあらそういえば、あの子をロイくんって呼んで随分親しそうだったわよね――リリーちゃん?」
内臓が締め付けられるみたいな、今にも吐きそうな感覚。そんな黒い気配の中心にいるは――
「ロイくんに――何する気?」
獰猛な獣でさえ怯えて逃げ出すんじゃないかってくらいの怖い目でポステリオールを睨みつけるリリー。
「言ったじゃない、眺めるって。何かをするとすればお姉様であってあたしじゃないわ。だけどそうねぇ……あたしがこうやって接触しちゃったわけだし……今頃あっちに行ってる弟が何かしてるかも――ってちょっとちょっと待ちなさいよ、つれないわね。」
ポステリオールの話の途中でリリーが身体の向きを変えたんだけど、なぜかそのまま動かなくなった。
たぶん、ロイドのところに移動しようとしたリリーに――今度はポステリオールが干渉したんだわ。
「今となっては過去の組織だけど――確か『ウィルオウィスプ』って、集団単位でS級犯罪者扱いだったわよね? ほら、お互いにS級とか呼ばれちゃってる極悪人で位置魔法の使い手――ちょっと遊びましょうよ。」
「……わかったよ……」
くるりとポステリオールの方に向き直ったリリーの顔は氷のようだった。
「お前を殺してからロイくんの所に行く。」
「! これはこれは……プロゴの情報通りだな。それがその剣の力か。」
閉じかけていた視界がパッと開く。痛みはあるものの、一瞬前よりは遥かに楽になり、そしてなり続ける身体。止めてしまった回転を再開させ、二本の剣を周囲に展開し、オレは構え直した。
「てっきり持っていなければ効果がないのかと思っていたけど……まぁ、曲芸剣術を前提にしているのなら手から離れても効果があるのは必然というところか。しかしきっと、その手から離れても効果が続くのは持ち主だけなのだろうね。」
「……そうか、この剣の……」
たぶん、さっきの一撃で終わっていただろうオレの戦いがそうならなかったのは持ち主の傷を治すこの剣の――フィリウスのおかげだ。
「ふむ。その剣――欲しいな。」
すぅっと、プリオルの目が細くなる。狂ったコレクターに目をつけられてしまったが……どっちにしても戦いは続くのだから関係ない。
「悪いけど、やれないな。」
「悪いけど、もらうよ。」
巨大な銃――さっき『剣銃』と呼んでいた武器を上に向け、剣を一――いや、二本撃ち出すプリオル。
「あっちの剣はね。刃こぼれという剣の宿命みたいなのをどうにかしようと一人の男が作った剣なんだ。刃こぼれしても自動再生する――ずばり少年の剣のようなモノを目指したんだけど……出来上がったモノはもっとすごいモノだったという偶然の産物さ。」
『剣銃』を肩にかけ、プリオルがパンと手を叩くと、撃ち出されたその剣が分裂――いや、増殖した。それもかなりの数に。
「なんとあの剣、使い手の魔法の力量に応じて無数に増えるようになったんだ。しかも、増えて出来上がった剣はどれも新品同様の輝きに戻るという――本来目指した特性は確かにあるけど、それよりもすごい事が起きてしまったわけだね。」
二回、三回と手が叩かれる度に数を増す剣が上昇をするのを止めて落下に入ろうと弧を描き始める。そのまま落下するだけならなんとかしようもあったのだが――
「でもってもう一本はね、さっきも何回か見せたけど――爆発するんだ。」
「――!」
プリオルの狙いを悟り、思わずプリオルに視線を移したオレは、さっきよりも遠くに離れたプリオルがオレに手を振るのを見た。
「これで決着だけど安心するといい。勝敗は気絶した瞬間に決まるから死ぬことはない。」
その言葉を合図に、無数の剣のさらに上に位置する一本の剣が起爆した。
爆風によって加速された無数の剣。
あれだけの速さの剣を吹き飛ばす風を即座に起こすことは――今のオレにはできない。
この場から離脱する為の風を起こすことも間に合わない。
すぐに生み出せるけど威力の足りない風でできることは――
「お兄ちゃんはちょっともったいないかもしれないよ?」
この夏休みの間ちょくちょくやっているパム先生の魔法教室でオレはそんな事を言われた。
「普通じゃできないくらいにきれいに風をまわせるんだから、ちょっと進化させてみようよ!」
「回転の進化?」
「うん。今のお兄ちゃんはくるくるを固定したままだけど、それを移動させるんだよ。」
「んん? どういうこと?」
「回転するモノを軸の方向に移動させたらどんな軌跡になる?」
突然難しい単語を口にするパムに驚きつつ、しかしそう言われてもパッと答えられないオレは、手近にあった鉛筆を回転させながら横に動かした。
「えっと……らせんって言うんだっけか……」
「そう! じゃあ、その螺旋がどんどん小さくなっていったら?」
らせんが小さく……えーっと……
「……うずまきマーク?」
「それだよお兄ちゃん!」
「えぇ? お兄ちゃん、全然わかんないよ……」
「つまり巻き込む力だよ。お兄ちゃんてば、今は自分で作った風だけをくるくるさせて剣とかくるくるさせてるんだけど、そこに渦を組み込むと周りの――お兄ちゃんが操ってるわけじゃない、そこにあるだけだった空気まで風になって回転してくれるんだよ。お得でしょ?」
「それ……別にきれいに回せなくてもできるんじゃ……」
「やってみると難しいみたいだよ? 渦って回転の半径をいじって作るんだけど、大抵は大雑把に大きな竜巻を作るのが限界なんだって。細かく制御するとなると――たぶんお兄ちゃんくらいに回転のプロフェッショナルじゃないとできないよ。」
「そう……なのか……ていうかパム、第八系統に詳しいんだね。」
「だってお兄ちゃんが使うんだもん。パムもちょっとできるようになりたいなって思って最近勉強してるの。えらいでしょー?」
「うん、えらいえらい。」
小さな風でも周囲の空気を巻き込めば巨大な風になる――今こそこれを実践する時――
回転させながら、前に進めながら、半径を小さくしながら――
そう、例えるならドリルだ。回転しながら突き進むイメージを――
『その名前と共に『あの人』の技を覚えておいてほしい。神の槍は、きっと君を強くする。』
「なにっ!?」
それはオレのセリフでもあった。
上手くいくかもわからない、切り札とも言えない――最後に掴んだワラだった。
なのになんだこれは?
「くっ!」
オレから遠くに離れ、降り注ぐ剣の雨の外にいたプリオルは両手に剣を出現させ――自分に降り注ぐ無数の剣を弾き始めた。
対してオレの所には何も来ない。
なぜなら、オレが必死の思いで作った風の渦がオレの頭上を中心に剣の雨を吹き飛ばしたからだ。
いや――あれは渦だったか?
というかどうしてだろうか……ドリルをイメージしようとしたオレの脳裏にパッと浮かんだのはローゼルさんの家で見たあの技――『あの人』と呼ばれていた初代のリシアンサスの神槍。
ドリル状に回転させた風で貫くというのを考えようとしたから、あまりにも印象が強い――『貫く』という行為の最高峰の技をイメージしてしまったのかもしれない。
ドリルなんてもんじゃない神速の一撃――とっさにあのイメージを元に風の渦を作った結果、こうなったのか?
「……驚いたよ、少年。」
半ば呆然としていたオレはハッとしてプリオルの方へ構え直す。オレに降るはずだった無数の剣――その一部だったとしても、全てを二本の剣で弾き落としたらしいプリオルは無傷だった。
やはり、剣のコレクターを名乗るだけあって剣の腕も相当なものらしい。
「相手を切断する事に特化した少年の曲芸剣術に『突き』は存在しないはずだ。しかしまさか……あんなとんでもない風の槍を隠していたとはね。」
今初めてやったとは言えない……
「……魔法はそんなに得意じゃないからな……あんまり使わなかっただけだ。」
「勿体ない事だね。それだけ美しく剣を回転させることのできる風だ……少し向きを変えるだけで恐ろしい武器になるというのに。まぁ、今のがそれなわけだけど。」
……パムに教えてもらって初めて知った事を、このプリオルはオレの曲芸剣術を見た瞬間に思っていたという事か……
「精密な回転を作れるという事は、風を巻き込む精密な螺旋を維持できるという事だからね。あれだけの風の槍……いや、正確には渦になるのか。あまりに速すぎる速度と回転なものだから一閃の槍にしか見えなかったわけだけど……あれは誰にでも作れるモノじゃない。」
「……急に褒めても手加減はしないぞ……」
思いもよらず、敵であるプリオルの口から自分でも何をしたのかわからなかった一撃の解説を聞いたオレは――どうやら気持ち的に余裕が出てきたようだ。ついさっきまで絶望的な猛攻にクタクタだったのにな……『あの人』に感謝だ。
それに――
「! これはこれは……」
小さな風でも渦を巻けば大きな風になる……つまり、剣を回すのに必要な風を作る時間を短縮できるということ――あれ……?
「ボクのコレクションが宙を舞っている――美しいな……」
オレが回せる剣の本数はかなり頑張って十本くらいが限界だった。だけど今、オレは……地面に突き刺さる、数で言えば百を超えていただろうプリオルのコレクションの……半分以上を同時に回転させていた。
これ以上は無理じゃないかと思っていたのにどうして突然こうもあっさりと……?
「しかし……今随分と素早くその状態になったね。なるほど、風の渦を使ったのはさっきの一撃が初めてだったわけか。もしもこれが最初からできていたなら、さっきまでのボクと少年の攻防はもっと違う光景になっていただろうし。」
……もうバレた。
「あの攻撃で少年を追い詰めた事で、少年は実戦で使おうとは思っていなかった――もしくはその域に達していないと思っていた事を行い、ああなった。実力はあったけどキッカケがなかったパターンだな。ボクは、そのキッカケになってしまったわけか……」
……なんだ? なんか……うまく言えないのだが、プリオルの雰囲気が少し変わってきている気がする。
「運がいいとか偶然だとか、きっとそこらの人は言うだろう……だけどボクは、今ここで少年が何かしらの力に目覚めることに納得しているよ。これはまだ教えていなかったけど、恋愛マスターが願いを叶える相手――つまり選ばれた者というのはね、別に恋愛マスターの趣味や気まぐれでそうなったわけじゃないんだ。」
さっきまでのプリオルはかなり余裕だった。こっちは全力なのにそれがその人の準備運動にもなっていないような……この前さんに挑んだ時の感覚に似ていた。
「恋愛マスターが――いや、彼女を含む三人の王が選ぶ相手というのは、何らかの形で何かを成す者なんだ。それは良い事であれ悪い事であれ、多くの人の注目を集める。例えばS級犯罪者として名をはせてみたりね。」
でも今のプリオルからは……ちゃんとした敵意みたいなモノを感じる。なんというか、ようやく敵として認められたというか……
「少年はなんだろうか。もしかしたら未来の《オクトウバ》かもしれない。であれば、ボクとの戦いで一段階成長する事は充分あり得た……まぁ、どことなくそんな所が気になってしまってね……正直、さっきまで手抜きもいいところで少年を眺めていたよ。」
……手抜きであれ……いや、むしろ当たり前か……オレは学生で、相手は十二騎士クラスの悪党なんだから。
「ボクは、魔法を封じられて本来の実力の半分も出せない状況。だというのに相手は今、曲芸剣術の真髄をお披露目している。いい勝負になるかもとは言ったけれど、勝って当然と思っていた戦いが――全力を尽くさないと勝てなさそうな戦いになった。」
「別にオレはあんたが手抜きでもいいんだが。」
「ふふふ、負けて十二騎士に捕まり、正義の鉄槌を受けるというのは悪党のロマンだけど、選べるなら死神は姉さんがいいからね。だから――」
片手に『剣銃』、片手に剣を構えたプリオルから今までにない迫力が発せられた。真剣な顔つきになった金髪イケメンだが、この迫力じゃあ女の人も慌てて逃げ出すだろう。
今のオレは……疲労はあるものの、普段以上の実力が発揮されている状態だ。いきなり五十を超える剣を操れるようになった理由はわからないけど、一本一本をちゃんと捉えられている。剣の回転も周回もいつもより楽に、その上キレよくできている。絶好調のさらに上と言ったところ。
対してプリオルは魔法を封じられ、残ったのは残り七百ほどの剣を発射できる銃と剣術。言ってしまえば体術のみの状態。
だけど、そんなオレに「騎士の学校の生徒」という所属を、プリオルに「S級犯罪者」という肩書を加えると……それで二人はようやく同等だろう。
「姉さんも言っていた。特別でもなんでもない日に出会いがあったと。ボクにとっては、今がそれかもしれない。だから少年……ここからは全力でいくよ。」
プリオルがそう言い終わると同時に、様々な方向に剣が発射された。その軌道は上から横からオレを目がけている。
だけど――さっきは二本で、今は五十だ。
「はああぁっ!」
いくらかを防御に、いくらかを攻撃に、いくらかを何かの予備にして剣を展開。オレはプリオルに向かって走り出す。
全方位から迫る剣を弾きながら、相手がやっているのと同じように無数の剣をプリオルに向けて飛ばす。ただしオレの剣は高速で回転している上に自由にコントロールできる……!
「――っ」
オレが放つ剣を――敵ながらあっぱれと言うか、とんでもない動きでさばいていくプリオル。風を動かしているオレにはその位置がわかるけど、傍から見たらオレが操る剣はかなり速くて見えないはずだ。
それを時に『剣銃』で撃ち落とし、時に手にした剣で叩き落とす。風の動きと、時折光る剣の金属光沢だけを頼りにプリオルは反応し、その上でオレへの攻撃も同時にこなす。
こんなのが位置魔法を使い始めたらそれはもう化け物と呼ぶしかないな、これは……
「剣が増える程に実力が上がる剣術……かつての《オウガスト》は百単位を操ったというが、確かにそんな事になったらこっちとしてはどうしようもない。」
そんな事を言いながら突如としてオレの方にダッシュするプリオルの速度は位置魔法なんじゃないかと思うほどで、気づいた時には接近戦の距離にいた。
「剣本来の間合いだと、曲芸剣術はどんな芸を見せるんだい?」
フィリウスからもらった二本の剣を手に戻して斬りかかってくるプリオルを迎え撃つ。
曲芸剣術の性質上、鍔迫り合いにはならないオレとプリオルの戦いは弾ける剣戟の応酬だった。プリオルは『剣銃』を背中に回して二刀流。対してオレは手に二本と周囲に無数の剣。同時に何本もの剣で斬りかかったり、前からと同時に背後から剣を仕掛けたり、プリオルからしたら一対多数のようなものだろうに、それを二本の剣で防いでいる。
――ダメだ――
「はっ!」
プリオルの頭上にかなりの数の剣を降り注がせる。さすがに捌き切れないと判断したのか、プリオルはエリルの爆発ダッシュみたいな加速でオレから離れた。
そしてオレは、遠距離での攻防を再開させる。
なぜなら――たぶん、あのままやっていたら負けていたから。
オレとプリオルは今の状態でようやく互角かと思ったけど、実際はまだプリオルの方が上だ。戦闘スキルのレベルが違い過ぎる。
それでも……いや、もう通じないかもしれないけど……さっきの風の渦――槍にはプリオルも驚いていた。オレがプリオルに勝てる一撃があるとすればそれだ。
問題はどうやって当てるか……
そういえばプリオル、あれをしなくなったな……これを利用できればなんとかな――
「考え事かい?」
正面に迫る圧力。何も見えてはいなかったけど、無我夢中に剣を飛ばしたオレの左肩に走る激痛と視界に映る赤いモノ。
「――っ!」
ちょっとした隙……プリオルを倒す方法を考える為、そっちに少しだけ集中を傾けたその瞬間、そこそこの距離を一瞬で詰めたプリオルの一太刀――適当に飛ばした剣がプリオルの姿勢を少し崩していなければ、激痛が走っていたのはもっと致命的な場所だっただろう。
「傷口の修復が既に始まっているのは驚きだけど、あまりに深いと完治に時間がかかるのは情報通りだな。」
迫るプリオルをけん制している間に段々と動くようになっていく左肩。だけど完治まではもう少しかかるだろうし……こんな好機をプリオルが逃すわけはない……
あれを狙うなら今しかない……!
オレは防御に使っていた剣の半分を攻撃に追加し、プリオルに出来る限りに猛攻を仕掛け――
「あんたの姉はどこにいる!」
と言った。それに対し、プリオルはさっきよりも激しくしたオレの攻撃をまだまだ危なげなくかわしながら答える。
「姉? ボクに姉はいないさ! いるのは双子の片割――妹だ! どうしてそんな事を聞くのかな!」
剣を発射して剣を撃ち落とし、剣を振るって剣を叩き落とす――じりじりと距離を詰めて来るプリオルから離れつつ、だけど一定の距離を保ちながら会話を続ける。
「あんたを倒した後、近くにいるならそっちとも一戦する事になりそうだからな! しかし――さっきから『姉さん』って言ってるからあんたは弟なんだと思ってたよ!」
「それは彼女に敬意を示しているからさ! ボクが姉さんと呼ぶ人は――ふふ、少年も知っていると思うが――アフューカスという女性だよ!」
アフューカス!?
通称『世界の悪』と呼ばれ、その時々の強力な犯罪者を従わせて犯罪を行う人物――
いや、それよりも――エリルを狙ったあの事件の本当の黒幕――!
「おやおや! 攻撃にさらに力が入ったな、少年! 騎士としては許せぬ悪に燃えるところかい!?」
「あんたらはどういう目的であんな――一体何がしたいんだ!」
「ふふふ! その質問、尋ねる相手を間違えているな! ボクら従う者と姉さんとではその行動理由が全く違うからね!」
エリルの事を思い出し、力が入って粗くなったオレの攻撃をさっきまでよりも軽々と弾くプリオル。
だめだ、集中するんだ――
「姉さんに従う者の目的なら、それはただ一つ! 姉さんに認めてもらう事さ!」
「――! そんな理由で!!」
「悪の道を歩んでいない者に理解はできないさ! しかしこっちはわかるかもしれないな! 歴代の従僕の中でも今の時代のそれたるボクらにはもう一つ目的がある! 長く停滞していた姉さんは今、更なる高みに進化しようとしているのさ! ボクらはそれを目撃できるかもしれない!」
「悪の進化なんて見たくないけどな!」
指揮を振っているようだと言われているらしい腕の振りで無数の剣を移動させ、プリオルに降り注がせる。
きっと例の《オウガスト》は腕なんか振らなくても剣をコントロールできたんだろう。言ってしまえば、腕を振るのは未熟の証だ。だけど今は――だからこそ不自然さがない!
「何を言っているのやら! 姉さんの進化の可能性は少年だというのに!」
「なんのはな――」
瞬間、肩に走る激痛。それはそうで、肩がパックリと切れているのに腕を振り回しているのだからそうなるのは当たり前。そしてその痛みにオレの動きは一瞬止まる。
わざと止まっても良かったけど、プリオルに演技だとバレるような気がしたから本当に痛くなるのを待った。
そしてその甲斐あって――そのオレの隙をプリオルは見逃さず、とどめの一手に入った。
プリオルは銃口を少し下に向けて『剣銃』を放った。放たれた剣は当然地面に突き刺さり――そしてそれと同時にオレの足元が凍り付いた。
氷は滑る。当たり前の事で、いきなり踏ん張りの効かなくなった地面にオレはよろける。
――と、思ったのだろう。
そう、ここぞという時にはマジックアイテムの剣が出て来るだろうと思っていた。オレが五十もの剣を操り出す前はたくさん使っていたのに急に使わなくなったのはきっと、その存在をオレの頭の隅っこに追いやる為。
その上今発動したのはさっきまでの中には登場しなかった氷の効果を持つ剣。仮にマジックアイテムの剣への警戒をオレが忘れていなくても、炎や雷を連発していたさっきの状態から氷を警戒するのは難しい。実際予想外だ。
だけど――たぶんこういう時に言う言葉なのだろう――『天はオレの味方をした。』
夏休みに入った今はご無沙汰だけど、休みに入る前は毎朝――オレは氷使いとの朝稽古をしていたのだから。
「――!!」
『剣銃』を放つと同時にそれを肩から降ろし、身軽になった状態で最速の一撃をお見舞いするためにオレに向かって跳んできたプリオルの顔は驚愕で埋まった。
滑ってよろけるはずのオレがしっかりと踏ん張り、突撃した自分にカウンターの一撃を放とうとしているのだから。
もしも最後のとどめを直にではなく『剣銃』で決めようとしていたら、オレの反撃は避けられていただろう。
氷の剣を射出すると同時に本人が飛び出すというのが……プリオルほど素で速く動ける人にとっては一番ロスなく攻められる手だったんだろうけど――オレの曲芸剣術をかいくぐる為なのか、最速を求めた結果……いや、求めてくれた結果、オレはこれを当てられる……!
『あの人』の神槍を元に出来上がった風の槍。そのらせんに剣を――プリオルのコレクションをのせて放つ。ドリルの上にさらに回転する剣がくっついているような――絵に描けば、昔ガルドで見たトンネル用の掘削機になるだろうか。
だけどオレは、この一撃にこの名前をつける。
「『グングニル』っ!!」
オリジナルのキレにはまだまだ及ばないけど、銀色のらせんを描くその槍は――
「やれやれ――」
向かって来た呆れ顔のプリオルを貫いた。
「――!?」
貫いた――はずだった。一体何が起きたのか……オレの攻撃が当たったと思った瞬間、まるで今までの戦いが夢だったかのような感覚を覚え、気が付くとオレは剣を腰にぶら下げたままで立ちつくしていた。
まだ治っていなかったはずの肩の傷は――むしろ無かった事になり、身体の疲労もゼロになっていた。
「言ったろう? 死にはしないって。決着がついた時点で、このマジックアイテムはこのフィールドで行われた戦闘を無かった事にするんだよ。」
驚いたことに、地面に大量に突き刺さっていた剣のコレクションがいつの間にか無くなっていて、プリオルは傷一つない状態だった。
「死んだ人間を甦らせる事はできないけど、今回設定した勝利条件は死ぬ事じゃないからね。あの技を受けて死ぬ事が確定した時点で勝敗が決したから、ボクはこうして生きている。」
「……死ぬ事が確定……?」
突然の現象に戸惑う中、プリオルが口にした言葉を……オレは思わず繰り返した。
「ふふ、もしも少年が――相手が悪党ならば例え原型をとどめない肉塊になっても構わないという考えの持ち主ではないのなら、あの技は人間には使わない事だ。このマジックアイテムによる巻き戻しがなかったら、少年の前にはかつてボクだった何かがぐちゃぐちゃと散らばった光景が広がっていただろう。あの技はそういう技だよ。」
「……」
「まぁ、それ以外なら……例えば頑丈な鱗を持つ魔法生物とか、悪党が立てこもった建物の壁とか、そういうモノにならガンガン使うといい。たぶん、あの技に貫けないモノはそう無いだろうからね。」
「……急になんなんだ……何が起きたのかわからないけど……オレもあんたも無傷で、結局ふりだしってことか……?」
「違うよ。決闘は終わった。ボクの負けで少年の勝ち。試してみればわかるけど、ボクも少年も、今は魔法はもちろん武器すら持てない。そういう仕組みだから。」
何を言っているのかと思いながら剣に手をかけたオレは、それを鞘から全く抜けない事に気が付いた。風を起こそうとしてもやっぱり無理で、まるでマナを得るための場所にふたをされたような感覚だ。
「それでもまだこのフィールドが閉じないのは、少年が勝者としての願いを言ってないからだ。」
「……オレは別に……」
「そうかい? ならボクが勝者の景品を贈呈しよう。」
そう言ったプリオルの手に剣が一本出現――
「! 魔法は使えないって――」
「ははは、これは景品をあげるための行為だから特別さ。」
そう言いながらプリオルが放り投げ、オレの足元に突き刺さった剣は――
「少年を串刺しにするはずだった剣であり、少年の槍を目覚めさせた剣だよ。」
手を叩く事でその本数が増加した剣だった。
「それがあれば、少年はいつでも大量の剣を出現させ、曲芸剣術の力を最大限に引き出せるようになるだろう。」
「……一体なんのつもりだ……」
「お礼さ。」
「……なんの……」
「ふふ、少年の最後の一撃だけどね、あれは美しかったよ……ボクのコレクションがボクの前でダンスをしながらボクの命を着飾りに迫るあの光景……素晴らしい……あれを見れた、それだけでボクは少年と戦えてよかった。きっと最後だろうからね……」
「……そうだな。」
なにはともあれ、どうやらこのドームの中で起きた不思議な決闘にオレは勝つことができ、そして負けたプリオルは叶えようとしていた安全な逃走を得られず、フィリウスたちに捕まる。
つまりプリオルにとってオレが最後の敵に――
「さて、それじゃあそろそろ帰ろうかな。」
……
……ん?
「帰る……な、なにを言って……」
「んん? なんだい少年、もしかして――ボクが負けたら大人しく捕まるとでも思っていたのかい?」
「な、だ、だってそうだろ! 魔法を封じられたせいで逃げられなくなったから、この切り札のマジックアイテムで最後の勝負にかけたんじゃ……」
「切り札なんて言った覚えはないよ。むしろ、それは今から使うのさ。」
ドームの色がだんだん薄くなっていき、そろそろこのマジックアイテムも効果が切れるという中、プリオルは金色の指輪を指にはめた。
「この結構面倒な状況から抜け出す方法は二つあった。これを使うか、決闘するか。できればこっちは使いたくなかったから決闘を選んだだけさ。」
「なら最後っていうのは――」
「こんなミスをしたボクを姉さんが許すわけはないし、十二騎士に捕まっても待つのは極刑。どちらにしても死ぬ事になるんだけど……さっきも言ったように、ボクの死神は姉さんであって欲しいからね。だから、最後にありがとうなのさ。」
「ちょっと待――」
ドームが消え、耳にフィリウスの声が聞こえて来た頃には……プリオルはその場から消えていた。
あたしやローゼルはしょうがないけど、パムまでも置き去りにして第十系統の使い手の戦いは繰り広げられた。
「ふふふ! 暗殺者のくせに派手な攻防を演じるじゃない!」
位置魔法だから「速い」わけじゃないんだけど、気づいたら全然違う場所にいる二人の戦いは目で追えるモノじゃない。ポステリオールの銃が放つ銃声と火薬の光、それとリリーの短剣が空気を切り裂く音だけが二人の戦いの様子を知る情報になってた。
幸い、外れた銃弾が地面にめり込むことはあっても血がとび散ったりはしてない。時々聞こえる金属音はたぶん短剣で銃弾を弾いてる音だろうから……リリーにはまだ一発も当たってないみたいだった。
ポステリオールが相変わらず余裕の口調だからそっちも無傷なんだろうけど……それでもこの女とこれだけの戦いができるリリーの強さは相当なモノよね……
「ロイくんの名前出しただけでそんなに怒るなんて――もしかして恋かしら? 愛かしら? いやだわ、お姉様に恋敵なんて。」
無言で斬りかかってるリリーに対してポステリオールのテンションの高い声があっちからこっちから聞こえてくる。
「《オクトウバ》の襲撃から逃げ出す事に成功しつつも、暗殺者としての自分が何かできるわけでもなく途方に暮れて……そんな時に出会った運命の男の子! そーんなところかしら? ロマンスねぇ。ひとめぼれ? 告白はしたの?」
「うるさい。」
リリーの冷たい呟きが聞こえたかと思ったら――その瞬間、全然見えてなかったあたしの目に久々に映ったリリーは五人に増えてた。
「あら。」
囲まれたせいか、足の止まったポステリオールに同時に襲い掛かる五人のリリー。だけどその全員に目にも止まらぬ連射で銃弾をお見舞いしたポステリオールは、背後に現れた六人目の短刀を銃身で受け止めた。
「位置の複製なんてやるわね? 生き残ったのには生き残ったなりの理由があったってことかしら?」
互いの武器をぶつけ合った二人はその場から消え、リリーはティアナの家側、ポステリオールは湖側に立った。
「ふぅん、なるほどね。これが暗殺方面に特化した位置魔法……とにかく魔法の気配を読ませない静かな攻撃っていうのはなかなか面白いわ。」
あたしの目にはすごい激戦だったんだけど、当のポステリオールは疲れも見せずにうんうんと頷くだけだった。
「でも――残念ね。暗殺勝負なら絶対あなたの方が上でしょうけど、こういう一対一じゃああたしの方が上だわ。ほら、あなたの攻撃の結果って最初のこの首の傷とあたしの服の端っこを切った程度よ?」
確かに、いつの間にかポステリオールの服には裾とか袖の先っぽあたりに切れ目ができてるんだけど本人には傷一つないし、息切れもしてない。一方、リリーは――こっちも傷はなさそうだけど若干肩で息をしてて疲労がたまってる感じだった。
位置魔法は便利だけど疲れるって前に言ってたし――でも、それならポステリオールはなんであんなに元気なのよ……
「リリーさん! 一人では危険ですから、協力しましょう!」
「……」
隣に立ったパムを少し睨むリリー。
元とはいえS級犯罪者として指定されてた組織のメンバーだったリリーを上級騎士で国王軍のパムがどうするのか……リリーの睨みはそういう意味合いの探りだろうし、あたしも気になったんだけど――
「……詳しい事はあとでしっかり聞かせてもらいますけど、どうであれ自分がリリーさんを捕まえるとか他の騎士に報告するとかはしませんから。」
「……なんで……? あなた騎士なんでしょ……ボクは……」
「そんな事したら兄さんが悲しみます。」
何につけても行動基準がロイドになってるパムらしい答えに……少しだけど、リリーの顔が緩んだ気がした。
「協力ねぇ。別にいいんだけど――あたしは『ウィルオウィスプ』の技と遊べたし、もう満足なのよね。だからマリーゴールドの技術をもらってそろそろ帰ろうかと思うんだけど?」
「逃がすわけがないでしょう。」
キッとポステリオールを睨みつけるパム。
「うふふ、わかってないわね。どっちかって言うとそっちが見逃してもらうって感じよ? あなたが強いのはわかったけど、あたしの敵じゃないわ。将来もう少し厄介になったら殺しておきたいって思ってあげる。」
「……なめられたものですね……」
「だってまだ普通の銃弾しか使ってないあたしといい勝負になっちゃってるじゃない。話にならないわよ。」
――! 普通の銃弾? 本当ならもっと特殊な銃弾も使うってこと……!?
「弟と違って、あたしは他の魔法もそこそこ使えるのよ? 見せてもいいけど、そしたら折角興味ないあなたたちの命もうっかり奪っちゃう結果にな――」
その時……よくわからない事が起きた。
「――はぁっ!? あのバカ、何やらかしたのよ!」
いきなりポステリオールの身体が光りだして……てっきり何か強力な魔法を撃ってくるのかと思って身構えたあたしたちをよそに、本人は急に怒り出した。
「ふざけないでよ! あいつのバカのせいであたしが欲しいモノを置いて退散だなんてそんなのお姉様が許さ――」
そうして何かを言い終わる前に、ポステリオールはその場から消えた。
「……なによ、今の。」
「……さあ……」
全然理解できない現象にそろってポカンとするあたしとローゼルだったけど、パムとリリーには何が起きたのかわかってるみたいだった。
「今のは――他の誰かからの強制的な位置移動だね……本人の意思に関係なく移動したみたいだから、たぶん予め誰かとそういう魔法のかけあいをしてたんじゃないかな……」
「となると発動させた者として考えられるのはプリオルですね……おそらくあちら側に何かしらの危機が迫ったため、プリオルがポステリオールを呼び寄せ――まさか!」
「! ロイくん!」
再びロイドの所に移動しようとしたリリーだったけど、そのリリーの目の前にいきなり誰かが現れたせいで……リリーはそいつにぶつかった。
「なによ! 急いでんの――」
かなり怖い感じでリリーが怒鳴ったそいつは――
「ご、ごめん、リリーちゃん……」
こっちの騒ぎを知らなそうな、相変わらずのすっとぼけ顔のロイドだった。
「あ、あのね、リリーちゃんにぶつかるつもりはなか――」
「! ロイくん!」
「お兄ちゃん!」
いきなり登場したロイドはリリーとパムに飛びかかられてそのまま倒れた。
「えぇ!? な、なんだどうしたんだ!?」
二人に左右から抱き付かれて顔が真っ赤のロイドの横に、今度はティアナ――となんでかフィリウスさんが現れた。
「んおぉ!? 大将、やるな!」
「あ、あれ……もしかしてこっちも、なにかあったの……?」
ゴーレムが崩れてあちこちに土の塊が出来てる異様な光景と戦闘態勢のあたしたちを見てティアナはおどおどする。
「こっちもという事は、そっちもあったのだな、ティアナ。」
ルームメイトのもとに駆け寄ったローゼルは、押し倒されたロイドを見てムッとした。
そんないつものローゼルの顔を見たせいか、あたしは終わったんだなと思って大きく息を吐いて、ローゼルと同じように少しむくれ――ないわよ、なんでよ。
「んん? 心なしかいい匂いがするな! もしや飯の時間だったか? なら丁度いい! 腹を満たしながら話をしよう!」
だっはっはと笑うフィリウスさんはティアナの家に「邪魔するぞ!」と言いながら突撃し、そして背が高過ぎるせいでドアをくぐる前におでこをぶつけた。
第七章 嵐の前
「うまい! 前にガルドの酒場で食った料理だが、こっちの方が断然うまい! 良い腕してるな!」
「うふふ。そう言ってもらえると嬉しいです。おかわりありますからね。」
いつものように豪快に――すごく美味そうに飯を食うフィリウス。オレも懐かしい味にしみじみしているのだが……
「……リリーちゃん? 大丈夫?」
隣に座ってるリリーちゃんの元気がない。どうやらあのプリオルの妹のポステリオールというのと戦ったらしいのだが……
「うん……ボク……」
しゅんとしているリリーちゃん。それを見たフィリウスがおほんと咳払いをし、少し真面目な顔になった。
「モヤモヤは早く片付けるに限るな。とりあえず今回の件、なんであいつらがここに来たのか、その経緯を説明するぞ! 食べながら聞いてくれ!」
自分も飲みながら話を始めるフィリウス。
「始まりは大将たちがクォーツの家に行ってる時だ。その時、《エイプリル》と《ディセンバ》が急にいなくなっただろ?」
「……フィリウス、オレを見て「だろ?」って言われても、その時はお風呂に入ってたからオレは二人がどうしたか知らないぞ……んまぁ、セルヴィアさんが帰ったってのは聞いたけど……」
説明を託す意味でエリルを見る。エリルはオレの意図に気づき、その時の事を話してくれた。
「……急に電話のベルみたいのが聞こえてセルヴィア――《ディセンバ》が何かして、そしたら二人が消えたわ。それで五分もしない内に《エイプリル》だけが戻ってきて……なんか犯罪者を見つけたんだけど、《オウガスト》――フィリウスさんが解決したから問題ないって……」
「その犯罪者ってのが『イェドの双子』だったわけだ。クォーツの家からちょっと離れた町で呑気にお茶してんのに俺様が遭遇しちまってな。正直、なんの準備も無しに双子とやりあうのは厳しかったから、《ディセンバ》に応援を頼んだってわけだ。ま、《ディセンバ》が来る前に逃げられたんだけどな。」
「役に立たない筋肉ですね。」
なんでか知らないけど、フィリウスに対して厳しいパム。
「無茶を言うなよ、妹ちゃん。でもま、折角神出鬼没の双子を見つけたんだし、できる限りはしようと思ってな……前にあいつらと戦った事のある《オクトウバ》に連絡をとった。普段ならそんなこと知るかって態度なんだが、やっぱ双子相手だと無視できないらしくてな。こうして俺様たちは魔法の痕跡を辿りながら、双子を追いかけ始めたってわけだ。」
「そんな簡単に追えるもんなのか?」
「簡単じゃないぞ? 《オクトウバ》だからこそできる芸当だ。しかも途中で見失った。」
「え、見失ったのか?」
「ああ。追われてる事に気づいたのか、完全に痕跡を断たれた。だがそこまで追って……気づいたんだ。何故かしらんがあいつら、大将の夏休みの計画と同じ動きをしてるってな。」
「えぇ?」
「初めはクォーツの家の近くで、次はラパンに行ったと思ったらリシアンサスの家の近くに行きやがった。」
「待ってください! それじゃあ連中は自分と兄さん――いえ、兄さんを?」
「らしい。」
すっと集まるオレへの視線。しかしそんなに見られても心当たりがない。
「だから俺様は大将を探す事にして……見つけたと思ったらビンゴもビンゴの大当たり。大将とプリオルが世間話してたんで――とっさに攻撃を仕掛けたってわけだ。」
「……それでそれに気づいたプリオルがオレとの一対一を……」
「一対一!?」
と、驚いて叫んだのはそれを知らなかったエリルたち全員だった。
「あ、あんたS級犯罪者と一騎打ちしたわけ!?」
「俺様のミスだ。《オクトウバ》があいつの魔法を封じるところまでは成功したんだが、それでヤバイって感じたプリオルが特殊なマジックアイテムを使ってな。」
「えっと……その場にいる誰かと一対一の勝負をして、もしも勝てれば――限度はあるけど願いがなんでも叶うっていうアイテムで……その場にいた一番弱い男って事でオレになったんだ。」
「プリオルは女と戦わない主義だからな。」
あのドームの説明をし出すと長いからさらっとそう言ったけど、エリルたちは信じられないという顔だった。
「じゃ、じゃあ何か? い、今ここにいるという事は、ロイドくんは――《オクトウバ》の力で魔法を使えなくなっているとはいえ、S級犯罪者――あのポステリオールと同等の実力を持った者と戦い……か、勝ったのか?」
ローゼルさんがハラハラしながら聞いてきた。
オレが戦ったプリオルは魔法を使えない状態だったけど、ローゼルさんたちが戦ったポステリオールという相手は全力の状態だったらしいから……S級犯罪者の化け物っぷりをオレよりも体感しているわけで……こんなに心配そうな顔をしてくれるのはそういうわけだろう。
「あれを勝ったと言っていいのやらって感じだけど……パムの魔法のアドバイスと、なんでか急にたくさんの剣を回せるようになったのと……あとはローゼルさんのおかげかな。」
「わ、わたしの?」
「リシアンサスの家宝……あれで見た槍の動きをイメージして……あー、また今度詳しく話すよ……」
あのドームと同じで話すと長いし、なによりオレもちゃんと整理できてないところがある。
「ちなみに、いきなり大将が曲芸剣術の本領を発揮できたのは風の渦を使ったからだぞ?」
「えぇ?」
今度ゆっくり考えようと思ってた急な進歩の答えを、フィリウスがなんでもないようにしゃべりだす。
「単純な話だから気づくかどうかってポイントなんだがな……今まで大将は一本の剣を回すのに一個の風を使ってたんだ。十本なら十個って具合に。だがそれじゃあ――俺様だって二十くらいが限界だ。だから、一個の風で複数の剣を回すイメージが必要だったんだ。渦って、それを描いてる線は一本なのに円がいくつもできるだろ? そういうことだ。」
「なるほど……って知ってたんなら教えろよ……」
「だっはっは! 七年間で理解してるだろ? 俺様、そんなに親切な師匠じゃないぞ?」
「……そうだな。」
言われてみればそうだと、昔を思い出しているとまだ驚いたままのローゼルさんが続きをせかす。
「そ、それでどうなったのだ? 勝ったという事は、プリオルを捉えたのか?」
「いや……なんか、できれば使いたくなかった切り札――を使って、魔法を封じられてるはずなのに位置魔法で消えたよ……」
「《オクトウバ》が言ってたが、あれは双子の間で相互にかかってる特殊なもんらしい。片方がボロボロで魔法も何もできない状態に追い詰められたとしても、もう片方が元気なら――その元気な方の力を強制的に使って魔法を行うんだと。」
「そういう事だったんですね……ではこちらにいたポステリオールが急に消えたのはプリオルがそれを使ったから……つまり、自分らは兄さんがプリオルをボコボコにしてくれたから助かったわけですか。」
「助かった? え、そんなに危なかったのか、パム。」
「……もう少し通用すると思ってたんですけどね。」
「だっはっは! 世界は広いな、妹ちゃん。しかしよくわからんな。俺様たちも、プリオルが一人だったから《オクトウバ》の魔法封じができたようなもんであれは有難かったんだが、そもそもなんでポステリオールはこっちに?」
「パ、ム、です。どうやらマリーゴールドの銃を求めて来たみたいでした。」
「ははぁん。それで今まで大将を追いかけてた二人が分かれたわけか。ん? んじゃ大将、プリオルはなんで大将に話しかけてきたんだ? それとも大将が?」
「いや、あっちからだ。恋愛マスターの事で――」
「まじか!」
フィリウスが……思っていた以上に反応した。
「そうか、つまりそういう事なのかもな! やっと仮説が一個できあがったぞ!」
「? なんだよ急に、なんの話だ?」
「大将が連中――つまりは『世界の悪』、アフューカスに狙われる理由だ。」
「! オレが――そ、そんなのに狙われる!?」
「おいおい、話を聞いてたか、大将。双子は大将を追いかけまわし、その双子はアフューカスの部下だって事をプリオルが言ってたんだろ?」
「ポステリオールにも紅い刺青がありましたから、まず間違いありません。そしてそうだとすると双子は『世界の悪』の忠実な僕。連中の仕事というのはつまりアフューカスからの命令だったはずです。」
「そんな……な、なんでオレが!?」
「だからそれがわかったかもって話だ。ま、理由は相変わらずわからんが、キッカケはここじゃないかってのの検討がついた。」
「な、なんだよそれ……」
「話の軸は恋愛マスターだ、大将。」
「ちょ、ちょっと待ってくれないか? 恋愛マスター……というのはロイドくんが昔出会ったという占い師の事……だろう? なぜそんな者がキーになるのだ。」
ローゼルさんの疑問はエリルたちも思っているだろうから、オレはプリオルから聞いた事を話した。願いと、代償と、副作用について……
「記憶がない……?」
あたしは思わず呟いた。もしかしてパムを死んだと思ってたのと関係あるのかしら……
「ない……らしいだ。オレにもどういう記憶がどれくらいないのかわからないし……」
「いや大将。どれくらいかはわかるぞ。」
「えぇ!? いや、そうか! もしかしてフィリウスも願いを?」
「いや、あの時願いを叶えてもらったのは大将だけだ。俺様は隣で見てただけ。」
「じゃ、じゃあ……記憶を無くす前後のオレを知ってるからか。オレは一体何を忘れてるんだ?」
「何を、は俺様も知らない。実のところ、俺様も少し記憶を奪われてるくさいんだ。たぶん大将が無くした記憶に関連する何かなんだろうな。」
「フィリウスも!?」
「ああ。だがそれで困った事はまだない。大将もそうだったから――ま、無理に話さなくてもいいかと思って言わなかったんだが……まさかこうなるとはな。」
「……それで、どれくらいかはわかるってのは……」
「それはな――」
ポリポリと頭をかきながら、フィリウスさんは突然こんな事を言った。
「なぁ大将。俺様と旅をしたのは何年間だ?」
「へ? 六……七年だろ?」
いつものロイドの回答。だけどフィリウスさんは首をふった。
「違うな。年数で言えば七年間。正確には七年と五か月だから……大将みたいな言い方をするなら、七、八年ってのが正しい。どうやったって六って数字は出てこない。」
「!? ……てことは……オレは少なくとも五か月以上の記憶を……?」
「それでも足りない。だって大将は無くした事に気づいてないんだぜ? 無くした後も違和感なく過ごしてんだ……特に、季節とかに疑問を抱くことなく。」
「おい……それじゃあオレは……」
ゆっくりため息をつきながら、フィリウスさんは「どれくらい」の量を告げた。
「大将の頭の中からは――俺様と旅した七年と五か月の内の一年間がそっくり抜けてるんだ。」
「一年間……そ、そんなにオレは何かを忘れてるのか……?」
いつもすっとぼけてるロイドもさすがにショックなのか、少し顔が青くなった。
「ま、待ってよ! ま、まさかその一年間にボクとの記憶が入ってたりは――」
今までしゅんとしてたリリーが焦り顔になる。
「それは大丈夫だ。恋愛マスターに会ったのはリリーちゃんに会う前だからな。」
「そう……よかった……」
すごくホッとするリリー。
「で、でも一年て……さすがに何かで気づくだろ……そりゃまぁ季節はそうかもだけど……フィリウスは覚えてるわけだから……ほら、会話がかみ合わないとか……」
「それがそうでもないんだ、大将。例えば大将につけた修行だが、たぶん一度教えたって記憶をうまいこと奪われてるんだ。妙に大将の覚えがよかったモンがいくつかあったから、たぶんそれは大将と俺様にとっては二回目だったんだ。そしておそらく、その一年間で出会ったはずのどこぞの商人とか、俺様たち以外の人間からもうまい具合に記憶を奪ってるだろう。」
「そんなピンポイントに奪う事が……しかも十二騎士のフィリウスからも……」
「十二騎士ってのは関係ないぞ。俺様は第八系統で凄いってだけだし、相手は未だにその存在がよくわかってない恋愛マスターだ。ま……ものすげーレアな魔法生物に襲われてものすげーレアな魔法をかけられたみたいなモンだ。」
ロイドの話に出てきただけの変な名前の変な占い師ぐらいにしか思ってなかったやつがとんでもない存在になったもんだわ……
「そして――これはもしかしてってレベルだがな、アフューカスが興味を示すような何かがその一年間であったとしたら?」
「…………そういうことか。でもそれならアフューカスからだってオレの記憶が奪われてるんじゃ……」
「アフューカスは何百年も生きてる化け物だからな。あれもあれでよくわからん存在だし、記憶を奪えなかったのかもしれない。まぁ、ならなんで今になってとか色んな疑問はあるが、あり得る仮説としてはまず上々だろう。まぁ、大将がごく最近に見るからに悪党で見るからに頭のネジがとんでそうな女に会ったってんなら話は別だが。」
「会ってねぇよ、そんなん……」
「……きっかけはともかく、ロイドは――その、これからも狙われるのよね……? どこか安全な場所に避難とか……」
「命の危機ってわけじゃなさそうだが、だぶんな。だが――大将には悪いが俺様たちにとっては好機だからそのままにするぞ。普通に学院に通ってもらう。」
「な、なんでよ!」
「今回の双子もそうだが、ある日突然どこぞに現れて最悪を振りまく大悪党が七人、アフューカスに下にいる。つまり、ほっとけば大将の周りにその七人が現れる可能性が高いわけだ。もちろん、アフューカス本人もな。」
「! ロイドはおとりってこと!」
思わず立ち上がったあたしの目に……これまでの豪快な様子からは想像しにくい厳しい顔のフィリウスさんが映った。
「そうする事が解決に一番近いからな。それに、安全な場所という意味じゃセイリオスより安全な場所はない。世界最高の魔法使いと《ディセンバ》が結界を張った学院だ。」
「……この前全裸で侵入してたじゃない。」
あたしがそう言うとフィリウスさんはその厳しい顔を緩めた。
「だっはっは! 侵入する奴を全員問答無用ってんじゃ二流の結界だ! その辺の調節もできるから俺様はあの程度で済んだってわけだ! 真面目な話、俺様が何か良くない事を考えながら侵入してたらなら――塀を乗り越えた辺りで骨になってるぞ?」
大笑いしながら、だけどすごく優しい顔であたし――いえ、あたしたちを見るフィリウスさん。
「心配するな。大将には指一本触れさせないと、十二騎士が一人、この《オウガスト》が保証する。だから安心して青春してくれ。」
たぶん、これ以上はないっていう安心に場の空気が和む。
これで今回の『イェドの双子』の件の発端、アフューカスの狙いがわかった。
あとは――
「さて、俺様からできる話はここまでだ。あとは何か言わなきゃいけないことがありそうなリリーちゃんの番だぞ。」
すでに知っているような気もするフィリウスさんにそう言われたリリーはビクッとなり、まだ何も聞いてないロイドとティアナがリリーの方を見た。
「リリーちゃん、やっぱり何か……大丈夫?」
「げ、元気ないから……何が、あったの……」
無理に言わなくてもいい気がするけど――でもやっぱり言った方が……言っちゃった方がすっきりすると思う。
「ボク……ボクは……」
いつもの元気がない沈んだ声のリリー。何か言葉をかけようとしたとき、それをしたのはローゼルだった。
「なぁリリーくん。わたしはリリーくんの秘密をネタに色々言ったが……正直、意味はないのだ。」
「えぇ? 何の話?」
「ロイドには関係ない話よ。」
「えぇ……」
「言ったところで、だからリリーくんなんて嫌いとでも――ここにいる誰かが言うと思っていたのか? 特にそこの田舎者が。」
「えぇ!? ほんとに何の話!?」
……ロイドを好きって言ったくせに結構言うわよね、ローゼル……
「……わかってるよ、そんな事……ローゼルちゃんよりも……ボクの方が仲良しなんだから……」
ローゼルへの対抗心なのか、グッと顔をあげたリリーは誰にってわけでもなく話始めた。
ある所に……一人の女の子がいたの。どこにでもいそうな普通の――だけど物心つく頃には短剣一本で獣を狩れてしまうような、そんな女の子がね。
その女の子の周りには同じような子供がたくさんいてね。みんな女の子と同じ事ができてた。
なんでかって言うと、子供たちの周りには色々な事を教えてくれる大人がたくさんいたの。体術、戦術、短剣の扱いに魔法の技術。
そして――生き物を動かなくする方法。
ある日、その場所から出た事のない子供たちは初めて――外に連れて行ってもらったの。大きな町とか見た事ない面白い物……色んなモノがキラキラしててね、女の子は勿論他の子もそれに夢中になったの。
そしたら色々な事を教えてくれる大人が言ったの。
お仕事をすれば、ご褒美に好きな物をあげるよって。
それからちょっとあと、女の子は初めてお仕事をする事になったの。ある場所に言って、誰にも見つからないようにある人を――動かなくする。
教えてもらった事をそのまんまやったらそのお仕事は簡単にできてね。女の子はご褒美に甘いお菓子をもらったんだ。
他の子も同じようにお仕事をして同じようにご褒美をもらってた。子供たちはそうやって嬉しい毎日を過ごしてたんだよ。
でも……誰だったかわからないけど、お仕事で外に出かけて外の人たちを見ていて思った子がいたの。
子供たちのお仕事が――悪い事なんじゃないかって。
ちょっと気になった子供たちは大人に聞いてみたの。そしたら大人が言ったの。
そろそろかって。
そのあと、子供たちは広い部屋に集められてね。何をするのかなーって思ってたら、勉強する時に大人が立つ場所に知らない大人が連れて来られたの。
腕を縛られてて、服もボロボロであっちこっちにケガしてるの。どうしたのかなって見てたら……そのボロボロの大人が子供たちを見て叫んだの。
この人殺し! 悪魔め! って。
何を言ってるのか全然わからなかったんだけど、大人たちがその場で色んな新しい事を教え始めたの。
子供たちが勉強したモノが何をする為のモノなのか。
子供たちのお仕事を違う言葉で言うと何なのか。
子供たちが動かなくした人たちがどうなったのか。
それでその後……色んな事を叫んでたボロボロの大人を色々な事を教えてくれる大人が動かなくしたの。
お部屋に戻った子供たちは頭の中がぐるぐるしてて、どういう事なのか全然わからなくてどうしたらいいのかもわからなくてね。
それから少しあと、新しいお仕事をするようにって子供たち全員が言われたの。
しかもそのお仕事は――ある事が選べたの。
いつも通りお仕事をしてご褒美をもらうか。
お仕事をしない代わりにその場所から追い出されちゃうか。
それで子供たちは二つに分かれたの。残る子と出ていく子に。
女の子は、悪い事をしたくはないけど、でも出て行ってもどうやってご飯を食べていけばいいのかわからなかったから残る方にしたの。
そしたら、残った子たちに大人たちが言ったの。
君たちはとりあえず合格だ。それじゃあ、お仕事をしようかって。
そうやっていつもみたいに、動かなくする相手の事が書いてある紙をもらった子供たちはビックリしたの。
だって、そこに書いてあるのは出て行った子供たちだったから。
子供たちが何も言えずにいたら、大人たちが――今までと違う雰囲気で言ったの。
ターゲットはお前らと同等の実力を持った者たち。この仕事が成功したら、お前らは正式に我ら『ウィルオウィスプ』のメンバーとなる。
いつもなら三日なんだけど、今回は手強い相手だからって言って一週間が子供たちに与えられて……その間にお仕事を――友達だった子を殺さなきゃいけなくなったの。
中には一日目にお仕事を終えた子もいてね……将来が楽しみだって大人たちに褒められてたの。
だけどほとんどの子は――女の子も含めて迷ったままだった。
そうやって段々と期限が近づいてきて、もうやるしかないのかなってなった時にね、一人の男の人がその場所にやってきたの。
「『ウィルオウィスプ』――その悪しき魂に鉄槌を――」
見た事の無いすごく変な格好をした人だったんだけど、大人たちは大騒ぎしたの。
十二騎士が来たって。
子供たちの何倍も強い大人たちが次々にその変な人にやられていってね。それを見て子供たちは気づいたの。
大人たちがよく、「騎士には気を付けろ」って子供たちに言っててね。だからてっきり悪い人たちなんだって思ってたんだけど……悪いのは自分たちだったから、騎士っていうのは正義の味方なんだって。
そこでも子供たちは二つに分かれたの。
正義の味方が来てくれたから、自分たちはもう悪い事をしなくていいんだって言う子と、悪い事をしてきたから自分たちも捕まっちゃうんだって言う子に。
女の子は――自分も捕まっちゃうって思った方でね。それでそう思った他の子たちと同じようにそこから逃げようと思ったの。
だけど女の子はちょっと寄り道したの。外に出てもどうすればいいかわからないから残る方にしたんだから、今逃げてもやっぱりどうすればいいかわからない。
だから何か――外に出てもなんとかなるようになるモノを探しに行ったの。
その場所には、大人たちが大事にしてる宝物がしまってある倉庫があってね。逃げようとする大人たちが宝物を持っていこうとするのに混じっていくつかの宝物を袋につめて――それから逃げたの。
そうして女の子は一人で――その場所の外に出てきたの。
最初の頃は持ってきた宝物を売ったお金で食べ物を買ったり宿に泊まったりしたんだけど、それじゃあいつか何も買えなくなっちゃうって思ってね。だからなんとかしてお金を稼がないとと思ったんだけどどうやったらいいのかわかんなくて、残りの宝物に何かいいモノはないかなって調べたの。
なぜかって言うと、大人たちがしまってた宝物のほとんどがマジックアイテムだったから。
使い方もわからなかったから、見た目高そうなモノは最初の方に売っちゃっててね。残ってるのはどこにでもありそうな普通の道具ばっかりだった。
だけど女の子は残った中から――この手帳を見つけたの。
そこまで話したリリーは、ポケットから――事あるごとに取り出して中を眺めてるメモ帳を出してテーブルの上に置いた。
「! まさか、『ポケットマーケット』か!」
フィリウスさんが驚いた顔でそう言うとリリーちゃんがこくりと頷いた。するとまるで貴重な骨董品でも見るみたいにフィリウスさんはじろじろと、触れないように手帳を眺めた。
「これがそうなのか。初めて見たが、確かに知らないと捨ててしまいそうなほど普通の手帳だな!」
「知ってるのか、フィリウス。その……なんか可愛らしい名前の手帳。」
「ああ。騎士でこれが欲しいって奴は稀だが、商人なら誰もが欲しがるマジックアイテムだ。ま、これを作ったのがそもそも商人だったしな。」
「商人向けの効果がある手帳ってことか?」
「そうだ。これはな、その場所で今何がどれくらい求められているのかを知る事ができるんだ。例えば――あっちの町じゃそろそろ祭りだからもち米を求めてるだとか、そっちの町じゃ大きな災害が起きたばかりだから包帯とか薬を求めてる――みたいな感じに。」
「ふむ。つまり、指定した場所における需要がわかるわけか。」
ローゼルがさらっとまとめた。
でも、そんなさらっと言える効果だけど商人にとっては喉から手が出るくらいに欲しい情報だわ。求められてるモノを求められてる分だけ用意して商売できるなんて、売れ残りとかのリスクがないって事だもの。
初めは何が書いてあるのかわからなかったけど、クギって書いてある場所に行ったら新しい家をたくさん建ててたり、水って書いてある場所に行ったら井戸が壊れてたり……そうやって女の子は書かれてる事の意味を理解していったの。
それである日、女の子は決意したの。
商売をする人をやろうって。
手帳以外の宝物を売ったお金と自分の位置魔法。それと手帳を手に女の子は商売を始めたの。
小さい女の子がそんな事って思うかもしれないけど、手帳の力はすごくてね。それに危ない事が起きても女の子には逃げる方法があったし、そもそも――結構強かったからね。
結局一度も失敗することなく女の子はお金を稼いでいって、その内に女の子は馬車であっちこっちを旅する立派な商人になってたの。
騎士の学校との定期的な契約なんかもして、お金にも食べ物にも困らないようになった女の子だったんだけど、ある日……
「……? どうしたのリリーちゃん。」
「な、なんでもないよ……と、とにかくボクはそうやって……今、ここにいるの。」
「んん? えらく中途半端だが、今のが今まで謎だったリリーちゃんの昔話だったわけだ! どうだ、大将?」
「どうって……なにが?」
ロイドのその微妙な反応に困ったのはリリーだった。
「だ、だってロイくん……ボ、ボクはその……たくさん人を……」
リリーの困り顔はもっともで、あたしも困惑してる。
要するに、普通の商人だと思ってた女の子が実はその道の英才教育を受けた元暗殺者で、仕事もいくつかこなしてきた。
つまり――
「昔の事情はどうあれ、リリーさんが人殺しだったという話ですよ、兄さん。」
その場の誰もが口に出さないと思ってた言葉を突き刺したパム。
「ちょっとパム! あんた言葉を――」
「選んでもしょうがないですよ。事実は変わりません。」
厳しい顔のパムは目をつぶって淡々と――その「事実」を述べていく。
「こういう場合、リリーさんに具体的な罰が下る事はないでしょう。『ウィルオウィスプ』の特性上、リリーさんが連中に拉致されたのは赤ん坊か、それに数か月上乗せした程度の頃でしょうから、それが普通だと教育されたら誰だってそうなります。」
「? あれ、ということは――リリーちゃんの親は……」
「拉致された赤ん坊の両親は大抵殺されますよ、兄さん。」
「パム!」
思わずそう叫んだあたしだったけど、パムは表情を変えない。
「連中がリリーだなんて可愛らしい名前をつけるとは思えませんから、おそらくそこは本名なのでしょう。まぁ、単純に連中が考えるのを面倒に思っていたか、その内名前で縛る魔法でも使う予定だったのかは知りませんけど……とにかくですね、兄さん。」
「うん?」
「天涯孤独の身である彼女からしたら、一番古い普通の――友達が兄さんなのです。その兄さんが今の話を聞いてリリーさんへの態度を変えてしまうのではないかと……そういう心配をしているという話です。」
「ああ……そういうことか。」
なんていうか、すっとぼけるのにもほどがあるロイドに少しイラついてきたあたしだったんだけど、「そういうことか」って言ったロイドの優しい顔を見て、あたしはそんなロイドを理解した。
「あー、えっとリリーちゃん。」
「……な、なぁひ!? な、なんへほっへを……」
「リリーちゃんがひどい事考えるからだよ……オレの今の正直な気持ちを言うとね、いやー、やっぱりリリーちゃんはただ者じゃなかった、これはこれからも色々と頼りになるぞ、って感じだよ。」
「ふぇ……」
「もしかしたらリリーちゃんにとっては忘れたい事かもしれないけど、この前の侵攻の時みたいにリリーちゃんの技術は頼りになるんだよ。だから忘れたり捨てたりしないでガンガン使って欲しいね。そんなリリーちゃんから教わりたい事もあるし。」
「へ、へほ……」
「昔何してたかなんて知らないよ。オレなんて一年間、どこで何してたかもわからないって事がさっきわかったわけだし。」
「ほ……で、でもそれとこれとは違うもん! ボクは――」
ロイドのほっぺ引っ張りをほどいたリリーを、ロイドはギュッと抱きしめ――!?
「ロ、ロイくん!?」
「泣きそうな女の子にはこうしてやれって、そこの筋肉ダルマに言われたんだけど――確かにそうするべきだなって今思ったからそうするよ。」
あたしとローゼルとティアナが思わず立ち上がって抱きしめるロイドと抱きしめられるリリーを見てる中、フィリウスさんが成長した自分の子供を見るお父さんみたいな顔をしていた。
「あのね、リリーちゃん。あんまりオレを見くびらないで欲しいんだ。そんな事で友達を嫌いになるように見えたのなら結構ショックだよ。もしも――今でもリリーちゃんが暗殺者だったとしても、オレは友達のままリリーちゃんにデコピンしてダメだよって叱るくらいはできるつもりだ。」
「――!!」
ロイドの肩に顔を乗っけるリリーの目がうるむ。
「一回、色々無くした――つもりになったオレだからね……一度つながった相手からはそう簡単に離れないよ? 厄介なやつと友達になっちゃったと、ため息ついて諦めてね。」
「――ロイくん…………うん、ボク諦めるよ……ありがとう……」
嬉しそうに泣くリリーはロイドの背中に手を回し、その涙を隠そうとロイドの肩に顔をうずめる。
そう……要するに、ロイドにとっては今の話、どうでもよかったんだわ。
「大将、俺様は嬉しいぞ!」
「な、なんだよいきなり……」
しばらく泣いてたリリーがスッキリした顔になって、ティアナのお母さんが「いいモノみたわ」って顔で料理を運んできた頃、フィリウスさんが大きな声でそう言った。
「確信を得た! もしも俺様に子供ができたとしても、立派に育ててやれるという自信を持った! 俺様はいい男を育てる事ができたようだからな!」
「……セルヴィアさんとのか……?」
「なんでそこで《ディセンバ》が――あぁ! まさかあいつに入れ知恵したのは大将か! おかげで会うたんびにトマトづくしなんだぞ!」
「いいじゃないか。フィリウスだってそろそろそういうのを考えてもいい歳なんじゃないのか?」
「いや、俺様には――」
珍しく苦手そうな顔をするフィリウスさんはふとあたしを見て――そして言い訳をする人みたいに焦った感じでこう言った。
「そ、そうだ大将! 言いそびれてたが、大将が恋愛マスターに願った事を知りたくないか?」
「そうか、オレは忘れてるけどフィリウスは……え、覚えてるのか? フィリウスだってところどころ記憶が無いんだろ?」
「残念ながら、何を願ったのかは覚えてるぞ?」
焦り顔がだんだんと、ロイドをいじる時の顔になっていくフィリウスさんだけど――正直あたしも気になる。
「れ、恋愛マスターに願ったという事はつまり――その、恋愛関係の願いだったという事なのだろう?」
興味なさそうなフリを全力で装うローゼルも、手を止めてフィリウスさんの言葉を待つティアナも、隣のロイドを横目に見ながらさっきまでの泣き顔はどこにいったのやら緊張した顔のリリーも、ついでにパムもロイド本人も、誰もが気になる事だったから、そこで全員の食事の手が止まった。
それにあたしの場合、もう一つ気になる事……ロイドの――パムの生死に関する記憶が事実と違ったって事にも関係してるんじゃないかと思ってるんだけど……
「それで――オレは何を願ったんだ? 一年間の何かの記憶と引き換えに……それは叶ったのか? 副作用は……」
「生憎、副作用に関しちゃ俺様もわからん。あれは恋愛マスターが設定したわけじゃないから本人にも叶えてみてからじゃないとわからんのだとさ。」
ずいぶん無責任な副作用もあったもんね……
「んで大将の願いは――ま、大将らしいっちゃらしいアレなんだがな。」
「?」
「大将が願ったのはな、『家族が欲しい』だった。」
「――!」
ロイドの表情がハッとした。まるで――図星を言い当てられたみたいな。
「別に好きな女の人がいるわけじゃないからあれだけど、願いを叶えるというのならオレは家族が欲しい……大将はそう言っていた。あの時は妹ちゃんも死んでたと思ってたわけだからな……天涯孤独の大将の願いとしちゃ理解できるモノだろ?」
え? その時もうパムは死んでる事になってたの……? じゃあ記憶違いは恋愛マスターのせいじゃないみたいね……
「だが恋愛マスターはあくまで恋愛関係しか叶えられない。これは本人が言ってた言葉だが――例えばお前にパッと両親や兄弟を用意するなんて事はできない。だからお前の願いを少し曲解する事とする――ってな。」
「曲解? 家族が欲しいって願いを別の意味として考えるってことか?」
「そうだ。つまり、大将が望んだ「家族」ってのを大将が作るモノと考えたんだ。結婚して子供ができて、ついでに孫までできたりなんなりな。さてそうなった場合、幸せな家族を作る時に一番大事なのは――最初の家族になる大将の結婚相手だろ?」
「ま、まぁ……」
「そこで恋愛マスターはこう言った――『家族が欲しい』という願いを、『運命の相手と出会う』という事に曲解し、お前の願いを叶える――とな。」
「運命の相手?」
「ああ。恋愛マスターによるとな、全ての人間には――かゆくなる話だが、運命の赤い糸で結ばれた相手がいるんだと。だがその相手に出会えるかどうかは運次第。なにせ海を越えた遥か遠くの国にいるかもしれないからだ。そんな相手――大将にとっての運命の相手に必ず出会えるようになるってのが、恋愛マスターが願いを叶えた結果大将に起きた事だ。」
「……なんというか、ずいぶんふわっとした話だな……運命の相手って……もしかして出会った瞬間そうだとわかるとか?」
「そうでもないらしい。この先の人生、大将が誰かを選んで結婚したとして、その相手を選んだ理由がなんであれ、恋愛マスターが叶えた以上、その相手が運命の相手だったってわけだろうな。」
「叶ったかどうかわかんないのか……」
「確かに、具体的なモノは何もない。だが、運命の相手と出会って結婚した二人ってのはとにかく幸せであり続けるんだと。おそらく、その結婚相手がそうだったと確信するのは死ぬ瞬間だろうな。」
「……死ぬときわかる願いか……なんというか、いい事なんだろうけど……微妙だなぁ。」
イマイチスッキリしないロイド――とあたしたちだったけど、フィリウスさんはチッチッチッと指を振った。
「恋愛マスターだって願いを叶えてもらったーっつー実感を相手に味わって欲しいもんだ。いや、まぁ本人がそう言ってたんだが。」
「?」
「いいか大将。運命の相手に出会うのが、例えば五十を過ぎたじじいになってからってんじゃ意味ないだろ?」
「んまぁ……」
「結婚して、子供を作って、その先の孫を見ようってんならそれなりに早く結ばれないと駄目だ。しかし出会ってわかる相手じゃないとなると――本当にこの人なのか? って疑問を覚えて、折角出会っても結ばれる事をためらうかもしれない。」
「それ、恋愛マスターのせいだけどな。」
「その辺も考慮済みって事さ。恋愛マスターはな、宣言したんだよ。大将が一体いつまでにその相手に出会えるのかってことを。」
「い、いつだ、それは!」
――って、一番反応したのはローゼル。その反応を見てフィリウスさんがニンマリ笑う。
「運命の相手というのなら、そうだとわからずとも知らず知らずにお互いに惹かれ合うモノ――よって、恋愛マスターが宣言したその時期を過ぎた頃に大将とラブラブしてる相手がそれって事になり……そしてその時期は!」
「妙に引っ張るなフィリ――」
「ロイくん、ちょっと静かにして。」
「ご、ごめん……」
当の本人を置いてけぼりにし、フィリウスさんがバーンと発表した。
「十八の春!」
「……えっと? オレが十八歳になった時の春って事か? つまり……」
「ロイドの誕生日って確か八月よね……」
「そうだけど――って、なんで知ってるんだエリル。」
「学生証に書いてあるじゃない。」
「八月に誕生日を迎えるロイドくんの十八の春ということは……今が十六なわけだから、三年生の最後――いや、セイリオスを卒業する時になるな。」
「が、学院を卒業する時に……ロイドくんと……そ、そういう関係の人が……」
「ロイくんの運命の相手……」
ざわついた空気の中、ロイドはあたしたちを眺めて少し顔を赤くし――ちょ、ちょっと……
「んお? 大将も気づいたか?」
「ゴリラ、そのにやけ面を止めて下さい。」
ニヤニヤ顔のフィリウスさんと威嚇するパムを横目に、ロイドがぼそっと呟く。
「……ここにいる誰かかもしれないって事だろ……?」
さらにざわつく空気。そういう事をロイドが言うのは珍しい――というか初めてなんじゃないの!? って感じだから余計にドキドキ――そ、そういう空気だからなんとなくドキドキしてるだけよ!
「……そうとはわからなくたって、やっぱりそうなる運命ってあると思うよ?」
なんとも言えない空気の中――ティアナのお母さんとお爺さんまでハラハラしてあたしたちを見てるそんな前代未聞の空気の中、リリーが呟いた。
「リリーちゃん……?」
「ボク……さっき話を切っちゃったけど、言っておいた方がいいかなって……うん、きっと今がいいと思うんだ……」
隣に座るロイドにリリーが向けた顔は、赤くて、うるんでて、すごく――変な気分になる顔だった。
「ある日ね、女の子はとある田舎道でムキムキの男の人と、女の子と同じくらいの歳の男の子に会ったの。」
「あ、ああ……あれの続きはオレとフィリウスの話か……」
「折角だから軽く商売をしたんだけど……その時女の子はそれまでに感じた事のないモノを感じたの。」
「えぇ?」
「直感っていうのかな。この人たちには何かあるんじゃないかって……それで『ポケットマーケット』のもう一つの機能を使ったの。」
「もう一つの機能――ちょ、リリーちゃん……」
ゆっくりと、リリーがロイドに寄って行く――
「全部で三人までなんだけど、お得意さんの登録っていう事ができてね。これに登録するとその人が今どこにいて、何を求めてるかがわかるようになるんだよ。」
「な、なるほど……それにオレたちを登録したから……オレたちが行く先々でリリーちゃんに会ったんだね……」
「どこにいても居場所がわかるようになったその人たちの所に、その人たちが何かを欲しがればそれを見つけて売りに行く――のを口実に会いにいったの。」
「あ……会いに……?」
段々とロイドに近づいてくリリーと、それから離れようとするロイドだけど、椅子に座ってる以上限界があって――
「何度も会ってる内に直感の意味がわかってきてね。そうなんだって思ってからは女の子なりに色々したんだ。ちょっと――そんな風な事を意識したモノを売ってみたりしてね。」
「へ、へぇ……」
「でもある時急に『ポケットマーケット』が場所を示さなくなったの。ムキムキの人の方はわかるんだけど、肝心の男の子の方がね。しかもそれからしばらくムキムキの人も大きな街にいるばっかりで――今まで田舎道でバッタリっていう風に会ってたからいきなり会いに行くのも変だと思ってね……しばらくの間悶々としてたんだよ?」
「ちょ、ちょっとリリー、あんた、ち、近いわよ……」
「そ、そうだぞ、リリーくん……ロイドくんが後ろに倒れてしまうぞ……」
ロイドの胸に手を置いて、すぅっと首を伸ばすリリー。
「そしたらビックリ、契約してる騎士の学校にいたんだよ。会えてよかったーって思ったらなんかルームメイトとかいちゃったりするし、つい魔法使っちゃったから学院側にバレて入学する事になるし……大変だったよ。でも今は――話せなかった事も話せたし、もう何もなしに一緒にいられるね……」
「リ、リリーちゃ――」
そうしてリリーは、流れるようにロイドにキスをした。
「んぐ――!?」
椅子から落ちそうなギリギリな姿勢のまま、身体を預けてきたリリーを捕まえるロイドの背中に手をまわしてさらに密着するリリーは、自分の唇をロイドのそれにさらに押し付け――
「ななななにやってんのよ!!」
思わず手近にあったコップを投げつけたけどキスをしたままでリリーはそれを受け止め、そしてゆっくりとロイドから離れた。
「リ、リリーひゃん……はの、へっと……」
顔を真っ赤にして目をぐるぐるさせるロイドに、リリーはニッコリ笑ってこう言った。
「ロイくん、ボクはあなたが大好きです。」
「よくやったな、プリオル。飴をやろう。」
怒られる――もとい殺されるつもりで黒いドレスの女の前に跪いた金髪の男は、誰かに何かを与えているなんてところを見た事が無い黒いドレスの女の予想外の上機嫌さに口をポカンとさせていた。
「なんだ、食わせて欲しいのか? ほれ、あーん。」
仕舞いにはあいた口に飴玉を放り込まれる始末。隣で同じように跪く金髪の女が発狂しそうな顔でそれを見ていた。
「――んん――!?」
あまりの事に頭がついていかない金髪の男だったが、突如口の中に――まるで強い酸性のモノでも入れられたかのような熱を感じて咳込んだ。
しかし放り込まれた飴玉はすでになく、残らず溶けて金髪の男の体内へと流れて行った。
「安心しろ、毒じゃねーから。」
「ごほっ……で、では今のは……」
「飴っつったろ? 元々はイチゴ味だったが……あたいの血を少し混ぜてあっから味はしねぇだろうが。」
「! 姉さんの血……!」
「あと数分もしたら効果が出始めるだろうよ。一週間ほど魔法はおろか歩くこともできなくなるだろーが、お前は一段階化け物になる。」
「……それは褒美という事ですよね……姉さん! ボクは少年に接触し、一戦交えた上、十二騎士に囲まれておめおめと逃げ帰って――」
「あー、あー、そーだな。正義の前からとんずらかますのは悪の矜持として……接触なんかしたら折角の思想が変わっちまうかもな? 確かに、その点はお前を殺すに足る理由だ。だがな――」
跪く金髪の男に身を屈めて顔を近づける黒いドレスの女。本来ならその距離感は嬉しく思うところだったが、金髪の男の目に映る黒いドレスの女の狂気の瞳は冷や汗を流させるのみだった。
「お前は重要な情報を手に入れた。ロイド・サードニクスっつー人間がその昔――恋愛マスターに会って願いを叶えてもらってるって情報をな。」
「!? 姉さんは恋愛マスターをご存知で!?」
「あれがそう呼ばれる前からな。懐かしいな、アルハグーエ。」
『あれはそう……言うなればお前たちの先輩にあたる。』
「先輩……? まさか、七人の内の一人だったと言うのか!? で、では姉さんは三人の王の内の一人までも配下に……」
「目覚める前だったがな。確かあれもお前と同じコレクターだったぞ?」
「なんと……」
心の底から嬉しそうな顔をする金髪の男だったが、すぐに謝罪する顔に戻る。
「……恋愛マスターと会った事があるという事実がどれほど重要な情報なのか、ボクにはわかりかねますが……しかし姉さん。少年――いえ、主に十二騎士と接触した事で、おそらくあちら側にバレてしまいました。ボクらが……『世界の悪』が少年を何らかの理由で狙っている事が。」
「そうだな。だが今となっては問題ない。一先ず放っとけ。」
「! 少年をですか?」
「ああ。どうせ夏休みが終わったらあのじじいがいる学院に戻っちまうしな。こそこそ観察もできなくなる。」
「で、では……」
「ターゲットを変更する。今度は眺めるんじゃなく捕まえて連れてこい。イェドだけじゃなく、全員動いてな。」
『全員? それはやりすぎじゃないのか?』
「あれでも王になった女だぞ? あたいやお前ならともかく、七人の場合は七人じゃねーと無理だろ。」
黒いドレスの女が腰かけるソファにのみ照明があたるその暗くて広い部屋の中、ソファの前に跪く金髪の双子と黒いドレスの女の横に立つフードの人物以外の複数の気配が暗がりの中でうごめき、ソファを囲んで並び立つ。
すっと立ち上がった双子を合わせ、黒いドレスの女とフードの人物を囲む気配は合計で七つ。
「んじゃお前ら……恋愛マスターをあたいの前に。」
いつもならもっと賑やかな学院が今は静まり返っている。生徒はもちろん、教師のほとんどがいなくなっている夏休みの学院において、一人黙々と大量の資料に目を通している老人がいた。
その老人がいる場所は、普段老人がいる場所ではなく学食。
本来であればたくさんの生徒が座る長机の上を大量の資料で埋め尽くし、本人は隅っこに座っていた。
「学院長、なんでこんなところで……」
付き合いの長い商人の女の子からキスをされた田舎者が「金髪のにーちゃん」と呼ぶ男がお盆にうどんを載せて老人の隣に立った。
「儂の部屋じゃあ机の面積が足りんのじゃ。」
「別にやらなくちゃいけない事じゃないでしょう?」
「何を言う。スポーツの試合だって、どの選手がどういう事が得意なのかを知っておいてから観戦した方が面白いじゃろう?」
「ランク戦を楽しく観戦する気満々ですね。」
「特に今年は面白い生徒がそろったからの。彼女の一人も無く、夏休みだというのにここでうどんを食べているのならついでに見ていくといいじゃろう。」
「はぁ――って何気に酷い事言いましたね!?」
老人の隣、うどんの男は座って資料を手に取った。
「今年はって、つまり一年に有望株が多いって事ですか?」
「長い事学院をやっておるとたまにあるのじゃよ……面白い生徒が集中する年がの。今年がそれじゃった。」
「まぁ、パッと思い浮かぶのは『ビックリ箱騎士団』っすかね。王家のクォーツ、名門のリシアンサス……加えてその筋じゃ伝説って言われてるガンスミスのマリーゴールド家。あとは俺が反対したのに学院長がオッケーだしちゃった『ウィルオウィスプ』の生き残りに――《オウガスト》の弟子っつー田舎者。」
「確かに。ロイドくんを中心に集まったこのメンバーは非常に有望じゃ。実際、現状の実力も相当なモノな上、更なる成長も期待できる。じゃが――何もそれだけじゃないのが今年の新入生じゃよ。」
「ああ……なんか田舎者が目立ってるからあんまり話に上がらないっすけど凄い奴がいましたよね。」
「目立たないというよりは運じゃな。《ディセンバ》との手合せの時は前日に力を使ったばかりじゃったし、侵攻の際はその性質上出撃できんかった。」
「『リミテッドヒーロー』っすか……噂じゃ現役の上級騎士三人と戦っていい勝負したとか。」
「他にも『ホワイトナイト』や『スクラッププリンセス』なんてのもおる。」
「いや、学院長。それ生徒がつけたあだ名じゃないっすか。なんで知ってるんですか……」
「儂だって、まだまだ心はナウでヤングな若者でありたいと思っておるのじゃよ。」
「ナウでヤングな奴はナウでヤングなんて言いませんけど――あぁ! なんで俺のうどんのあげをとるんすか!」
「モフモフ……一年生もそうじゃが、彼らを狙う各委員会の面々も熱が入って来る頃じゃな。」
「あげが……えぇ、確か生徒会――デルフの奴も『ビックリ箱騎士団』に声かけてたとか……」
「既に委員会への入会手続きを終えた一年生もいるようじゃしの。」
「気の早い……ま、委員会は直に将来につながるっすからね。委員会同士の競り合いもあるし、有望なのは早めにゲットってことっすかね。そういやアドニス教官――じゃなくて先生はどこの顧問になるんすか?」
「まだ決めとらん。エリルくんの扱いもそうじゃったが、彼女の扱いも儂を悩ませおるわい。国王軍の指導教官が環境美化委員会の顧問とかじゃ冗談にしか聞こえんじゃろ?」
「え、美化委員なんすか?」
「例えばの話じゃ……まぁ、確かに彼女は元美化委員じゃったが……」
「……悩みついでっすけど、なんか最近をよく見るんすが……まさかあれって勧誘してるんすかね……?」
「彼女はまだ持っておらんからな。」
「まぁ、第十二系統っすからね。おかげでどの代も混合部隊になるとか。」
「ふむ……まぁ、そこは十二騎士の話じゃから儂らは何とも言えんがの。」
ずっと座りっぱなしだったのか、老人は立ち上がって伸びをし、大量の資料を眺めてふふっと笑った。
「毎年の事じゃが、やはりここからがこの学院は本領発揮じゃな。」
「ランク戦後が終わってから、ようやく『ようこそセイリオスへ』でしたっけ?」
「誰が言ったんじゃったか忘れたが、うまい事言いおるの。」
「俺らもこっからが大変っすよ。」
「楽しいの間違いじゃろうて。」
くるりと向き直り、窓から見える景色――学院を眺め、老人は微笑む。
「嵐の前の静けさというのも、そろそろ終わりじゃよ。」
つづく
騎士物語 第三話 ~夏休み~