ナル∪クラⅣ

ナル∪クラⅣ

第一話 ひと時

 学校の代名詞である争奪戦当日。一回戦を勝ち上がり、休憩中の篠沢春希は、休憩前より疲れていた。その隣で三島若菜が絶好調にしゃべり続けて、1時間30分が経過していた。彼女は、数日前にボサボサの長い髪からショートヘアになっていて、今では表情がよくわかるようになっていた。
「で、ですね~」
 その為、今まで知らなかった豊かな表情が見て取れた。
「そろそろ終わりにしないかな~」
 休憩は最低で2時間だったので、試合状況を確認しておく必要があった。
「あ、そうですね。もうすぐ二回戦ですもんね」
 若菜が気づいたように手を叩いた。
「うん。僕もそろそろ待機しておかないと」
 そうは言ったが、本音はこの状況から解放されたいだけだった。
「じゃあ、私もそろそろ戻ります」
 若菜は立ち上がって、椅子を元に戻した。僕もそれに倣って、椅子を元の位置に戻した。
「楽しかったですね」
 階段を下りながら、若菜が僕に笑顔を向けてきた。
「そ、そうだね」
 素直に楽しいとは言えなかったので、つくり笑顔で取り繕っておいた。
「ちなみに、ずっと呼び方変わってなかったよ」
 一応、最後にそこだけは若菜に注意しておいた。
「あ、そうでしたね。すみません」
 若菜がハッとして、口に手を当てて謝ってきた。
「これからは自重してね」
「は、はい」
 僕の指摘に恥ずかしそうに頷いた。
 校舎で若菜と別れて、指定されている運動場のリングへ向かった。
「あ、来た」
 各リングに群がっている観客の間を潜り抜けると、セミロングの島村先輩が僕を見つけて、一回り大きい胸を揺らしながら駆け寄ってきた。
「もう~、どこ行ってたのよ~」
 島村先輩は、不満そうに口を尖らせた。彼女は武活の先輩で、僕によく絡んでくる先輩だった。
「人ごみが嫌でしたから、静かな所で休憩してただけですよ」
「なるほど」
 実際は若菜がしゃべり続けていて、静かな場所ではなくなってはいたが。
「ところで、何か忘れてませんか?」
 僕は、数時間前の約束を覚えているかを確認した。
「え、何を?」
 すると、島村先輩が不思議そうに首を傾げた。彼女の記憶は、時間をおいても抹消されたままだった。
「はぁ~、僕が休部した理由ですよ」
「あ、そうだったね」
 島村先輩が今思い出したような表情をして、顔を上に向けた。
「まあ、家族が難病に掛かったって、嘘を言ったよ」
 その理由に僕の表情が強張った。
「ごめんね」
 僕の表情をよそに、軽い感じで謝ってきた。
「・・・そ、そうですか」
 平静を保とうとしたが、少しぎこちなくなってしまった。
「ねぇ~、この試合が終わったら、昼食一緒に食べようよ」
 僕の言動は気にならなかったようで、島村先輩が話を切り替えてきた。
「なんで僕を誘うんですか?」
 この島村先輩の陽気さに、少し僕の気持ちも和らいだ。
「だって、かなえは生徒会だし、みんなどこにいるか把握してないし」
「知りませんよ、そんなの」
「篠沢君は、先輩の私の誘いを断るの?」
 突然、島村先輩が高圧的な態度で詰め寄ってきた。
「久々にうざいですね」
「ひどっ!」
 いつもの僕の対応に、島村先輩が表情を歪めて叫んだ。
「僕との食事は楽しいですか?」
 僕としては、島村先輩との食事は避けたかった。
「一人より断然マシ」
 島村先輩が胸を張って言い切った。
「じゃあ、そこら辺の人を誘ってみてはどうでしょう」
 僕は、島村先輩の視野を広げるためにそう提案してみた。
「やだ」
 これに関してはからかっていると判断したようで、淡泊に一蹴してきた。
「一応言っておきますけど、僕は弁当を持ってきてますので、模擬店には行きませんよ」
「え、そうなの!」
 島村先輩の反応を見る限り、弁当は持ってきていないようだ。
「ええ、去年もそうしてました」
 栄養の偏りの酷い模擬店で、何かを買うという発想は僕にはなかった。
「だから、他を当たってください」
 これはチャンスだと思い、諦めを促してみた。
「しょうがないな。篠沢君が闘ってる間に買ってくるよ」
 しかし、諦めを一考する様子もなくそう言ってきた。
「・・・そこまで、僕と一緒に食事したいんですか?」
「う~ん。そうだね」
 少し悩んだようだが、恥じらう様子もなく笑顔を見せてきた。
「そうですか。なら、好きにしてください」
 さすがにここまで言い切られると、これ以上は無駄に思えた。
 一通りのやり取りを終え、リングに目をやると、3年生と1年生が闘っていた。
「島村先輩、この試合は二回戦ですか?」
 自分の試合を確認したくて、島村先輩に聞いてみた。
「え、知らない」
「そうですか」
 期待して聞いた分、がっかり感が強かった。
「じゃあ、闘ってる人が誰か知ってますか?」
 一人は3年生のようなので、ダメ元で聞いてみた。
「う~ん。見たことあるけど、話したことはないね~」
「名前は知っていますか?」
「知らない」
「そうですか」
 仕方なく周りを見渡して、知り合いを捜すことにした。
「どうしたの?」
 それが気になったのか、島村先輩が僕に尋ねてきた。
「この試合が二回戦かを聞こうと思いまして」
 そう言いながら、周囲を見回したが知り合いは見当たらなかった。
「いませんね。ちょっと、周りを見てきますね」
 一応、島村先輩に一声掛けてから歩き出した。
「あ、ちょっと待って」
 島村先輩が何かに気づいて、僕を呼び止めた。
「なんですか?」
「知り合いがいるから聞いてこようか?」
「え、そうなんですか?」
 これは有り難い申し出だった。
「じゃあ、お願いします」
「OK~♪」
 島村先輩が快く了承して、駆け足で知り合いのもとへ向かった。
 そして、リングの試合を観戦している3年の女子生徒と一言二言交わしてから戻ってきた。
「なんか二回戦の一試合目だって」
「そうですか」
 僕の試合までもう一試合あるようだった。
「う~~ん。時間帯的にここを離れるのは中途半端ですね」
「次の試合がすぐ終わる可能性もあるからね~」
 島村先輩はそう言いながら、リングを見上げていた。
「痛そうだね。あれ」
 1年生が殴られるのを見て、島村先輩が苦悶の表情をした。
「実際、痛いですよ」
「よくそんなことするよね~」
 完全に争奪戦を批判した言葉だった。
「篠沢君はさ。この高校のことをどう思う?」
 突然、島村先輩がリングを見上げたまま聞いてきた。
「この行事以外は文句はありませんよ」
「ははっ、私と一緒だね」
 島村先輩は空笑いした後、悲しそうに同意した。
「争わないと、人は向上しない・・・ですよ」
 いつもと違う雰囲気に戸惑いながら、この学校の教訓を口にした。
「私はね。何も争いを殴り合いに転嫁する必要はないと思うんだよ」
「さあ、どうでしょうね」
「篠沢君は、そうは思わないの?」
 僕の返答に不満そうな顔をした。
「男性の場合、痛みを知ることでわかり合うこともできますし、すべてが正しくないとも言い難いですね」
 個人的には同意できるが、ここは同級生の言葉を借りることにした。
「私にはそれが理解できないけどね~」
「だからこそ、女性は対象外にしてるんでしょう」
 これはこの学校の歴史資料に載っていたことだった。
「まあ、そうだけどね~。でも、その分女子が懸賞品として生贄みたいになってるし」
「それは否定できませんね。でも、女性のために男性が闘うのは昔からの慣例でしょう。いえ、伝統でしたっけ?」
 言い直すと、馬鹿らしく思えて吹き出してしまった。僕の世界とは全く異質で、全く理解できない伝統だった。
「ふふふっ、やっぱり篠沢君は面白いね」
 僕の態度に、島村先輩がおかしそうに笑った。
「そういう歯に衣着せぬ発言は本当に好きだよ」
 そう言って、僕の方を向いて優しい表情をした。
「どうしたんですか?この闘いに感傷でも湧きましたか?」
「そうだね。全然楽しそうじゃないし、それに痛々しい」
 島村先輩はリングを見てから、ゆっくり目を閉じた。
「それは、島村先輩の感想でしょう。ほら、周りは楽しそうじゃないですか」
「・・・そうだね。所詮、私だけの感想だね」
 周りで盛り上がっている観客を見て、島村先輩が自虐的な笑いをした。
「別にこの気持ちになるのは、島村先輩だけではありませんよ」
 それは僕にも共通することなので、否定はしなかった。
「はぁ~、やっぱり篠沢君は憎めないね」
「島村先輩に恨まれることはしてるつもりはないんですけどね」
 誤解が生じているようなので、再度訂正しておいた。
「篠沢君の無意識な言動が、そうさせてることを自覚するべきだよ」
「自覚したら建前ばかりになりそうなので、会話したくないですね」
 ただ褒めて、ただ空気を読むなんて、息苦しいだけだった。まあ、実際女子との会話は息苦しいだけだが。
「それもそうだね。自覚したら、全然篠沢君らしくないもんね」
 僕の言葉に共感を覚えたようで、自分の考えを少し変えてくれた。
「らしくない・・・ですか?」
 前宮と同じような言い回しに、少し笑いが込み上げてきた。
「何がおかしいのよ」
 僕の表情の変化に、島村先輩が嫌な顔をした。
「前宮にも似たようなことを言われたので」
「え、そうなの?」
「ええ。らしいという表現はあやふやで、僕には伝わらないんですよ」
「まあ、客観的な感想だもんね」
「そうですね」
 この話題で、ようやくしんみりとした雰囲気を変えることができた。
「でも、篠沢君は客観的な視点を持っていると思ったんだけど、違うんだね」
「僕自身の客観的な視点と、島村先輩の視点はかけ離れてますよ」
「そうかもね」
 僕の解釈に、島村先輩が笑顔で答えた。
「一人で争奪戦を見ると憂鬱になるけど、篠沢君と一緒だと気持ちが和らぐね」
「なんですか、それ?」
「同じ気持ちの人がいたら、かなり安心するんだよ」
「自分だけじゃないと認識するからですか?」
「まあ、そんな感じ」
 島村先輩が周りを見て、少し疎外感を顔に出した。
「そこまで自分の気持ちを、周りに溶け込ます必要はないと思いますけどね」
「一人だと難しいんだよ」
「他人の目を気にしすぎですよ」
「篠沢君は、少しは気にした方がいいよ」
 僕の気遣いに皮肉で返してきた。最近、島村先輩の返しが僕に似てきた気がした。
 視線を感じて横を見ると、神妙な顔をした飯村弘樹と前宮望が、ゆっくりと移動しながら、僕たちを観察していた。弘樹は短髪で、前宮は長髪の先端を括っていて、それを左肩から垂らしていた。 
「どうかしましたか」
 前宮には敬語を使っているので、この場は敬語で尋ねた。
「なんかいつもと違う雰囲気」
「そうだな」
 前宮の言葉に、弘樹も同意した。
「島村先輩が感傷に浸っていたせいですね」
「私のせい!」
 島村先輩が驚いて、自分を指差した。
「事実でしょう」
「う~~ん。考えてみると私のせいだね」
「ノリでつっこまないでください」
「なんか篠沢君に言われると、私が批判されてる気がするんだもん」
「それは被害妄想ですよ」
「日頃の行いのせいでしょう」
「僕のせいですか」
「こればかりは、完全に篠沢君のせいだよ」
 島村先輩は、不機嫌そうに言い切ってきた。
「あ、いつもの二人のやり取りに戻った」
 それを見た前宮が、ぽつりとそう口にした。
「ところで、なんの話してたの?」
 僕たちの話が気になったのか、前宮が興味深そうに聞いてきた。
「争奪戦への批判ですよ」
「あ、そう」
 これには興味が削がれたように、表情を素に戻した。
「春希の試合まであと一試合後か」
 隣の弘樹がリングを見上げて、独り言のように言った。
「そうだね」
 ここは僕が返事をしておいた。
「昼はどうするんだ?」
「ん?弁当持ってきてるから、それを食べるよ」
 僕は、さっき休憩した場所で食べることにしていた。
「そっか。じゃあ、俺は適当にぶらついて食べるかな~」
「そう。まあ、たまには別行動も悪くないね」
「そうだな」
 これには弘樹も軽い感じで同意した。
「わ、私は、お弁当持ってきてるから一緒に食べようよ」
 前宮が嬉しそうに割って入ってきた。よく見ると、手には弁当袋を持っていた。
「まあ、そうですね。一応、言っておきますけど、島村先輩も一緒ですよ」
「え、そうなの!」
 これには驚いたように島村先輩を見た。
「うん。そうだよ」
 島村先輩の笑顔に、前宮が邪魔者を見るような目を向けた。
「その顔はダメだよ」
 さすがにこれには島村先輩も困った顔をした。
「ここは察して、引いてくれませんか」
「え、嫌だよ」
「飯村を貸しますから」
 何を思ったのか、前宮が急に関係のない弘樹を引き合いに出してきた。
「え、俺!」
 さすがの弘樹もこれには驚いて、自分を指差した。
「本人が一番驚いてるようだけど・・・」
 それを見て、島村先輩が呆れていた。
「大丈夫ですよ。飯村は寛容だから。ね、飯村」
 勝手に解釈した挙句、弘樹に断りづらい振りをしてきた。
「あ、え~っと」
 これには本当に困った顔をして、僕と島村先輩を交互に見た。
「ほら、困ってるでしょう」
 島村先輩が気を利かせて、弘樹に助け舟を出した。
「前宮、強要はダメですよ」
 状況的に弘樹の方に付くことにした。
「うっ・・わ、わかった」
 僕の言葉に、前宮が瞬時に委縮した。
「悪いね。弘樹」
 これは僕が原因でもあるので、とりあえず謝っておいた。
「あ、ああ、まあ、仕方ないさ」
 弘樹は、苦笑いして許してくれた。
「それとも、島村先輩と二人でデートしてみる?」
 僕は、小声で弘樹に提案してみた。
「あ~、断るよ」
「そう」
 弘樹にとって、島村先輩は荷が重いようだ。
「何話してるのよ」
 僕たちのやり取りが気になったのか、島村先輩が険しい表情で聞いてきた。
「島村先輩には言えないことですよ」
「だから、何よそれ?」
「言えないのに、言ったら意味ないでしょう」
 わざわざ秘密だと言ったのに、追及されるのは不愉快極まりなかった。
「気になるじゃん」
「なら、気にしないでください」
「え~~」
 島村先輩が心底不満そうな顔をした。
「それとも、僕から罵倒されたいんですか」
 こうなっては引くことを考えないので、島村先輩を脅すかたちにした。
「え!それは嫌だ」
「賢明な判断ですね」
 僕は、意図的に満面の笑みを島村先輩に向けた。
「美雪先輩は、お弁当を持ってるんですか?」
 話の区切りに、前宮が島村先輩にそう聞いてきた。
「え、ないよ。だから、篠沢君が闘っている間に買ってくるよ」
「そこまで一緒に食事したいんですか?」
「一人じゃ、寂しいよ」
「まあ、そうですね」
 島村先輩の哀愁に同情して頷いた。それと同時に、周りから歓声が上がった。
「あ、終わったみたいだな」
 弘樹がリングを見上げてそう言った。つられてみると、歓声に包まれたリングに勝者が立っていた。
「それより、次の対戦相手は知ってるの?」
 前宮が僕の隣に立って聞いてきた。
「知りません」
 僕は、首を左右に振って答えた。
「確か、3年の阿野光輝だったよ」
 弘樹がトーナメント表を広げて、知らない名前を口にした。
「え、阿野君?」
 その名前に、島村先輩が眉を顰めて表情を歪めた。
「知り合いですか?」
「あ~、あまり関わりたくない人だね~。ナルシストみたいだし」
「ナルシストなんですか?」
「周りはそう言ってるよ。それに告白されてるんだよね」
 そう言いながら、少し迷惑そうに苦笑いした。
「物好きな人ですね~」
「そうですね」
 僕の意見に前宮も同調した。
「・・・そんなこと言われたのは初めてだよ」
 二人の感想に、島村先輩が複雑そうな顔で返してきた。
「断ったんですか?」
「勿論。あまり知らないし」
「そうですか」
 僕がそう返すと、リングの上では次の試合が始まろうとしていた。
「そっかー。阿野君か~」
 島村先輩が独り言のように口にした。
「私、ちょっとこの場離れるね」
 そして、少し困った顔で僕にそう言ってきた。
「何かあるんですか」
「見つかると、声掛けられそうだし」
「それがどうかしたんですか?」
 僕自身は共感できるが、社交的な島村先輩がそう言うのは不思議だった。
「あの人、会う度に告白してくるんだよ」
 そう言うと、本当に迷惑そうな顔をした。
「え、断ってるのにですか?」
「うん。しつこくて」
 今度は落ち込んだように呟いた。なんかトラウマのように感じた。
「よっぽど、美雪先輩に執着してるんですね」
 前宮が自然と会話に入ってきた。
「そうなのよ。なんでだろうね」
 島村先輩には、理解できないようで首を傾げていた。
「そうですね。巨乳フェチとかかも知れませんね」
「え!もしそうなら、かなり嫌だね」
 前宮の分析に、島村先輩が自分の胸を手で隠しながら顔を歪めた。
「美雪先輩は、その人と話したこととかはないんですか?」
「ないよ~」
「でも、急に告白されたと」
「う、うん」
 前宮の質問に困った顔で答えた。
「では体目的か、自分の評価を上げるかのどちらかかもしれませんね」
「え、なんで?」
「だって、その人はナルシストなんですよね」
「あ、うん。そうみたいだよ」
「なら、美雪先輩を彼女にして、自慢したいのかもしれませんよ」
 少し自信があるのか、得意げに臆見を口にした。
「島村先輩って、自慢になります?」
 僕は、率直な意見を前宮にぶつけた。
「ほら、好みにはいろいろあるし、それに接点がないみたいだから、外見で決めたのかも」
「ああ、それなら納得できますね」
 僕自身には理解できなかったので、前宮に便乗することにした。
「なんかこの二人酷いんだけど」
 立場的に攻撃されてると判断したようで、島村先輩が会話に入っていない弘樹を巻き込んだ。
「そ、そうですね」
 突然のことに、弘樹は動揺を隠せず応えた。
「酷いこと言いましたか?」
「さあ?」
 僕の疑問に、前宮が不思議そうに首を捻った。
「って、二人して自覚なし!」
 僕たちの反応の薄さに、二重の目を見開いて大げさに驚いた。僕は前宮と目を合わせて、再び首を傾げた。
「二人の言い回しだと外見は良いけど、内面が残念だと言ってるように聞こえるんだよ」
 弘樹は見兼ねたように、僕たちに説明してきた。
「まあ、そう言ってるからね」
 僕としては、外見が良いのはどうでもいいと思っていたが、弘樹に話を合わせることにした。
「それに心痛めてるんだ」
「え、そうなんですか?」
 これには驚いて、島村先輩に聞いた。
「そうだよ!」
 すると、怒ったように眉間に皺を寄せた。
「それはすみませんでした」
「いまさら遅いよ」
「まあ、褒めてもいるので、帳尻が合ったということで、この辺にしておきませんか」
 話の流れとはいえ、外見が良いことは同調していたので、それを利用しておくことにした。
「不服」
 が、島村先輩は険しい顔のままその一言で返してきた。
「じゃあ、もういいです」
 これを聞いて、僕は即座に機嫌取りは諦めた。これはお手上げの意味を示していた。
「また放置~」
「それ言われたら、折り合いがつかないじゃないですか」
「折り合いは、篠沢君が訂正すればつくよ~」
「・・・何を訂正するんですか?」
「見た目だけじゃなく、中身もいいって」
「じゃあ、中身もいいです」
 僕は、島村先輩の言葉を感情を込めずに棒読みで褒めた。
「じゃあって!投げやりか!」
「うるさいです」
 島村先輩の怒声に周りの人が顔を向けたので、即座に注意した。
「あ、ごめん」
 これには島村先輩が、反射的に謝ってきた。
「って、なんで私が謝るのよ!」
 が、理由まではわからなかったようで、再び声を張り上げた。
「周りを意識して、叫んでください」
「あ、そういうことね。ごめん」
 僕の視線と言葉に、島村先輩がようやく気づいてくれた。
「それより、もうここから離れた方がいいんじゃないですか?」
「え、なんで?」
 僕の促しに、島村先輩が聞き返してきた。さっきの自分の言動すら忘れてしまったようだ。
「ほら、僕の対戦相手と会いたくないんでしょう」
「あ、そうだった」
 僕に言われて、ハッとして目を見開いた。
「まあ、もう遅いけどな」
 弘樹が横を見ながらそう断言した。僕もつられて見ると、柳葉刀を持った3年の男子生徒が、こちらに近づいてきていた。彼はストレートの髪質に、耳まで隠れる長さの前髪を右側に流していた。
「あっ!」
 島村先輩がそれを見て、驚きの声を上げた。どうやら、彼が阿野光輝のようだった。
 僕は阿野先輩の足運びを見て、二回戦がかなり不安になった。
「これはこれは、美雪さんではないですか」
 阿野先輩が島村先輩に気づいて、滑らかな口調で声を掛けてきた。
「ど、どうも」
 それに島村先輩が、苦笑いして会釈した。僕たちは気を利かせて、島村先輩から離れた。
「もしかして、僕を応援してくれるんですか」
「違うよ」
 阿野先輩の言葉に被せるように瞬時に否定した。
「ち、違うんですか」
「うん」
 戸惑いながらの再確認を、一つ返事で切り捨てた。
「まあ、僕の試合を見てくれれば、気持ちも変わるかもしれないですね」
 傷心を隠すように島村先輩から顔を逸らして、声量を変えずに独白した。
「危ない人だね」
 前宮が遠目で阿野先輩を見ながら、僕に小声で言ってきた。
「ところで、いつ僕と付き合ってくれるのですか?」
 阿野先輩は前髪を掻き揚げて、再び右側に整えた。
「いや、付き合わないよ」
 何度目かということもあり、悪びれる様子もなくきっぱりとお断りした。
「強情ですね。僕なら君を幸せにしてあげられるのに」
 阿野先輩がキザな台詞を吐いた。
「気持ち悪っ」
 それにいち早く反応したのが、前宮だった。
「前宮」
 少し声が大きかったので、前宮を注意した。
「ご、ごめん」
 僕の指摘に口を押さえて謝った。
「それにしても、阿野先輩はずっと目を逸らしてるな」
 弘樹は、島村先輩たちを見ながらそう口にした。言われてみれば、阿野先輩はさっきから島村先輩と目を合わせていなかった。
「前にも言ったけど、私は誰かに幸せにしてもらいたいなんて思ったことないよ」
「そんな強がる君は、本当に素敵ですね」
 島村先輩の主張にキザな返しをしてきた。
「うわぁ」
 それに前宮が、嫌な顔で声を漏らした。
「よくあんな言葉を思いつくね。僕には到底無理だよ」
 これは凄いと感心してしまった。
「ああ、ある意味すげぇ~」
 弘樹も別の意味で感心していた。
「僕とは、思考回路が違うみたい」
「篠沢は、今のままがいいよ~」
 僕の言葉に、前宮が意見してきた。
「なぁ~、先輩がこっち見てるけど、あれって助け求めてないか?」
 弘樹が小声で、僕に確認を求めてきた。言われてみれば、島村先輩が困った顔でこちらをチラチラを視線を送っていた。
「前宮。行ってあげてくれませんか?」
 僕には無理だと悟り、前宮に頼んでみた。
「え、私!」
「ええ、ここは初対面でも物怖じしない前宮にしか頼めません」
 これは前宮に初対話の時に感じたことだった。
「私、あの人と関わりたくないんだけど」
「それは奇遇ですね、僕もですよ」
 このやり取りの中、島村先輩は口説かれ続けていた。
「あ、阿野君。私、後輩の応援してるのよ」
 あまりのしつこさに、島村先輩が強引に話を切り替えた。
「ああ、そうなんですか・・・で、誰ですか?」
 阿野先輩が意外そうな顔で、周りを見回した。
「剣棒持ってる人」
 島村先輩はそう言いながら、僕を指差した。助けてくれないので、強制的絡ませることにしたようだ。
「彼ですか」
 阿野先輩は、無関心そうに近づいてきた。その後ろから島村先輩も歩いてきた。
「そっ。次の阿野君の対戦相手だよ」
「へぇ~、それは運がないですね」
「だ、だから、お手柔らかにね」
 島村先輩が苦笑いして、僕に対しての配慮を求めた。
「手心は、必要ないですよ」
 僕は、それを拒むかたちで話に入った。
「本気で闘ってください」
「・・・ふ~ん。わかった。君の意思を尊重するよ」
 阿野先輩は、僕の表情を見てから意思を汲んでくれた。
「ありがとうございます」
 面倒だったが、先輩なのでお礼を言っておいた。
「いいよ。気にする必要はない」
 それに対して、阿野先輩は鼻で笑いながらそう言った。
「君は、なかなかの紳士だね」
 突然、阿野先輩が僕をそう評価した。
「そうですか?」
「うん。君みたいな人は初めてだよ」
 それが嬉しいことのか、阿野先輩の表情が若干緩んだ。
「そうですか」
 これにはどう返していいかわからず、かなり戸惑ってしまった。
「君には感謝するよ」
「なぜですか?」
 急にそんなことを言われる覚えはなかったので、反射的に聞き返した。
「君と闘えることで、美雪さんが観戦してくれるからね。こちらとしては、嬉しいことだ」
「あ、そうですか」
 この試合の間に、島村先輩が昼食を買ってくることは、ここでは言わないことにした。
「じゃあ、お互い全力を尽くそう」
 阿野先輩は笑顔でそう言って、リングの反対側に歩いていった。その歩き方を見た僕は、阿野先輩と正攻法で闘うことを諦めた。

第二話 二回戦

 二回戦が行われているリング周辺では、観客とメディアでごった返していて、時折歓声が上がっていた。
「ふぅ~、疲れた」
 阿野先輩から解放されたことに、島村先輩が大きな溜息を漏らした。
「大変ですね」
 それを見て、前宮が同情の声を掛けた。
「告白なんて、何度もされるとしんどいだけだね」
「え、他の人からもされてるんですか?」
 これに前宮が、驚いたように目を丸くした。
「うん。もう数えるのが面倒になるぐらい」
「それって、両手で数えられないってことですか」
「そうなるね」
「なんで誰とも付き合わないんですか?」
「だって、みんな私と目を合わせてくれないんだもん」
「それって、照れてるだけじゃないですか?」
「告白だよ。私の目を見て欲しいよ」
 島村先輩がどうでもいいことに拘っていた。
「あ、そうですか」
 これには前宮も呆れて、表情を引き攣らせた。
「これは俺が告白してもフラれるな」
 隣にいた弘樹が、僕だけに聞こえるように呟いた。
「そうなの?」
「ああ、俺も直視は無理だ」
「まあ、告白なんて恥ずかしいもんね」
「そうだな」
 ここは気を使って、一般的な意見を言っておいた。
「贅沢な人だね」
 島村先輩から一通り告白の内容を聞いていた前宮が、そんな感想を漏らした。
「そうですね。付き合うことは相手を知ることですから、知らないから付き合わないというのは変な感じがしますね」
 僕は前宮に便乗するかたちで、自分の持論を言ってみた。
「え~、違うよ~。知り合って友達になってから恋人だよ~」
 島村先輩が果敢に反論してきた。
「だから、男友達がいないんですよ」
「う、うるさいよ」
 僕の適当な憶測が当たっていたようで、答えに窮するように顔を歪めた。
「ん?美雪先輩は、男友達いないんですか?」
 これに前宮が、積極的に食いついた。
「え、うん。篠沢君しかいない」
「え、ってことは、美雪先輩の持論を当てはめると、今のところ篠沢だけしか恋人にできないってことですか」
「え、う~ん。まあ、そうなるね」
 少し悩んだようだが、笑顔で肯定した。
「ふ~ん。じゃあ、篠沢が告白したら付き合うんですか?」
 前宮が訝しげな顔で、仮定の話を持ち出した。
「え、篠沢君が?」
 それに驚いて、僕の方に見た。
「あはは~、篠沢君は告白しないよ~」
 ありえない話に、島村先輩が大笑いした。
「いえ、だからもしもの話ですよ」
 前宮は、呆れ顔で再度聞いた。
「え~、もしも~?う~ん、そうだね~」
 そう言いながら、悩ましい表情で僕を見つめてきた。
「私に従順になってくれるなら、付き合ってもいいかも」
「あ、そうですか」
 島村先輩のありえない条件に、なぜか前宮が安心したように肩の力を抜いた。
「それにしても、本気にさせて良かったの?」
 話が区切れたところで、島村先輩が心配そうに聞いてきた。
「え、何がですか?」
「ほら、阿野君に手心は加えないでって言ったでしょう」
「ああ、あれはいいんです。あの人に慢心はないようですし」
 僕の配慮を受け入れたのが良い例だった。
「まあ、過信はあるみたいですけど」
「それは断定できるね。断っても、告白してくるし」
 これには島村先輩も同意見のようだった。
「まともに闘ったら、長引く上に負ける可能性がありますね」
「え、そうなの?」
 この事実には驚いたようで聞き返してきた。
「ええ。ですから、過信の部分をついてみようと思ってます」
「どうやってよ?」
「それは闘いを見ていれば、わかりますよ」
「え~、私、昼食買わないといけないのに~」
「知りませんよ、そんなこと」
 これには呆れ声で突っぱねておいた。
「ところで、阿野先輩の武活って知ってます?」
「え?演武部だよ」
「良く知ってますね」
「最初の告白の時、5分ほど見せられたからね」
「それは嫌ですね」
「最初、何がしたいのかわからなかったわ」
 あの時のことを思い出したようで、島村先輩が苦笑いした。
「それは超引きますね」
 隣の前宮が嫌悪感をあらわにして、腕を擦りながら身震いしていた。
「弘樹。演武部って、どういう部活なの?」
 演武部がどんな武活かわからないので、弘樹に聞いてみることにした。
「え、あー、確か武器使用の踊りだな」
「武器の種類はわかる?」
「演武部は、全種類を使うんじゃないのか、多分?」
 あまり自信がないようで、発言に迷いが感じ取れた。
「二人は、演武部って知ってます?」
 とりあえず、島村先輩と前宮にダメ元で聞いてみた。
「知らない」
「望に同じ」
 二人から予想通りの答えが返ってきた。
「お、そろそろ勝敗が決まるぞ」
 弘樹がリングを見上げてそう言った。見ると、ちょうど決定的な打撃が相手に入る瞬間だった。
「うっ!」
 島村先輩もちょうどそれを見たようで、痛そうに呻き声を上げたが、周りの歓声に掻き消された。
「じゃあ、先輩は買い物でもしててください」
「が、頑張って」
 前宮が恥ずかしそうに声援を送ってくれた。
「はい。まあ、不本意ながら全力を出しますよ」
「不本意なのかよ」
 僕のやる気のない発言に、弘樹から呆れ声が聞こえてきた。
 敗者が担架で運ばれていき、勝者がリングを下りていった。それを見送りながら、どう闘うかを考えた。
 そうしていると、アナウンスで名前を呼ばれた。
 リングに上がり、阿野先輩と中央で向かい合うと、審判の教師が手順通りルールを説明してきた。
「では、始め!」
 説明が終わり一礼すると、審判はそう言いながら素早く僕たちから離れた。
「全力でやらせてもらうよ」
 阿野先輩が一定の距離を取ると、柳葉刀を構えてそう宣言してきた。
「ええ、そうしてください」
「君は、かなり強い」
 阿野先輩は、僕の仕草だけで力量を測ったようだ。やはり、彼に慢心は皆無のようだった。
「じゃあ、僕からいきますね」
 そう言うと同時に、今の状態の七割近い速度の突きを放った。
「お、なかなか速いね」
 そう軽口を言いながら、すべて打ち落としてきた。その攻防に観客の歓声が聞こえてきた。
「じゃあ、今度はこっちの番だね」
 阿野先輩が笑顔で柳葉刀を振るってきた。まるで、踊っているかのような攻撃だった。それをすべて剣棒で防いだが、思った以上に余裕がなかった。
「へぇ~、全部防ぐんだ」
 これに阿野先輩が驚きの声を上げたが、声には余裕があった。
 それからは点と線の応戦だった。周りの観客は、この攻防にうるさいほどの歓声を上げた。
 阿野先輩の袈裟斬りをかわして、剣棒でみぞおちを狙ったが、それは後ろに下がるかたちでかわされた。
 僕は追撃するようにある場所を狙って、全力の突きを放った。
「おっと」
 ガキンという音がして、阿野先輩が声を発した。
「どうしたの?急所ばかり狙っていたのに、今の一撃は全くの的外れな場所だね」
 この攻防だけで、急所狙いだとばれてしまっていた。しかし、これは経験があれば容易なことでもあった。
 僕は肩で息をしながら、中央にいる阿野先輩の周囲をゆっくりと歩いた。
「力の差がわかったのかな」
 僕の行動が気後れしてるように映ったようで、阿野先輩が少し緊張を解いた。ここまでは計画通りだった。
 僕は、阿野先輩に追い込まれたかたちでコーナーでわざと足を止めた。
「棒術士が障害物を背にするなんて、自殺行為だよ」
 この状況に、阿野先輩ががっかりしたように言った。
「まあ、もう十分盛り上がったし、ここで終わりにするかな」
 そう言うと、一気に距離を詰めてきた。正直、ここからが勝負だった。
 阿野先輩が足を狙ってきたので、剣棒を縦にして防いだ。僕はある方向の斬撃を待ちながら、必死で剣棒で凌いだ。
「なかなか粘るね」
 縦にした剣棒の防御力は、刀剣に対しては鉄壁に近いものがあった。
「横がダメなら」
 阿野先輩がそう言って、肩を狙って袈裟斬りしてきた。
 僕はすかさず剣棒を手放し、白羽取りの要領で左手を刀身に添えて、刀身の付け根部分を右の手刀で破壊した。これは今の体重でなければ、成し得えることができないことだった。
「なっ!」
 さすがにこれには阿野先輩が驚いた。その隙に相手の右手を取り、逆に捻って肩を決めに掛かった。剣棒は捨てていたので、不本意ながら関節を決めることにした。
 そのまま全体重を乗せて、相手がリングに伏せればこちらの勝ちだった。
 しかし、阿野先輩がそれを察したようで、左手をリングにつき、前方へ移動して関節を解いてきた。左手一本で体を前進させるのは、並大抵の筋力と瞬発力がないとできない芸当だった。
 そして、僕の顔に左拳を突き出してきた。僕は慌てて右手を放して、コーナーから離れるかたちでかわした。
「惜しかったね」
 阿野先輩がそう言って、落ちている剣棒を拾った。その瞬間、観客が嘆声を上げた。
「思いのほか筋力あるんですね」
 僕は、率直な感想を口にした。
「まあね」
 阿野先輩が得意げに髪を触った。
「篠沢の馬鹿~」
 僕の耳に、リングの外から前宮の声が聞こえた気がした。
「さて、武器を手放した君には降参を勧めるよ」
 剣棒を軽やかに回しながら、僕にそう勧告してきた。その間に、僕は自分の特殊能力である体重調整を行った。
「そうですね。なら、一撃でも当たれば降参しましょう」
 僕はそう宣言して、一直線に阿野先輩に向かって歩き出した。その行動は周りには異様に見えたことだろう。
「いい心構えだね。その態度、かなり好感を持てるよ」
 阿野先輩が表情を緩めて、僕に連続攻撃を仕掛けてきた。
 僕はそれを軽々と全部かわしていった。体重を軽くしているので、かわすのは容易だった。
「な、なん・・で」
 阿野先輩は困惑しながら、攻撃を続けてきた。この状態になると、攻めが単調になってきた。
 阿野先輩が剣棒を半回転させた隙を見て、棒術の最大の弱点である剣棒の中心を掴み取って、強引に奪い取った。
「なっ!」
 滑らかにして、簡易的な剣棒の奪取に阿野先輩が驚愕した。
「まだ、やりますか?」
 僕はそう言って、唖然としている阿野先輩の喉に剣棒を突きつけた。
 すると、呆然としていた観客も大歓声を上げた。
「降参」
 阿野先輩が両手を上げて、潔く負けを認めた。その瞬間、審判が僕の勝利を大声で告げた。
「どうしてかわせたんだ?」
「棒術士に棒で挑むのは自殺行為ですよ」
 本音は言えないので、それらしいことを言っておいた。
「なるほど。玄人には付け焼刃は通用しないってことだね」
「そういうことです」
 阿野先輩も納得したようなので、お辞儀してリングを下りた。一応、下りる前に体重は戻しておいた。
「やったな」
「篠沢君、凄いよっ!」
 弘樹の激励を、島村先輩の声が覆い被せてきた。
「あれ、島村先輩?昼食はもう買ってきたんですか?」
 そう聞いたが、両手は手ぶらだった。
「いや~、どう闘うのか気になって、買いに行けなかった」
「あ、そうですか」
「凄かったよ」
「はぁ~、どうも」
 なぜ島村先輩が興奮しているのか理解できず、生返事になってしまった。
「まあ、あの剣を折った時点で、僕の勝ちは確定でしたからね」
 剣棒を取られたのは予想外だったが、さほど問題ではなかった。
「もしかして、折ることだけ狙ってたの?」
 前宮が驚いたように聞いてきた。
「ええ、演武部は武器がなければ、終わりですから」
「す、凄いね」
 前宮は、島村先輩と同じように賛辞した。
「まあ、ああでもしないと、負けてましたからね」
 正直な話、武器破壊でしか勝つことを見い出せなかった。
「え、そうなの!」
 これには島村先輩が、驚きの声を上げた。
「はぁ~、あの攻防で気づかなかったんですか?」
「え、全然わかんなかった」
 島村先輩が本当に棒術部なのか疑わしくなった。
「あれ本気だったの?」
 今度は前宮が、訝しげに聞いてきた。
「勿論ですよ」
 僕は、隠すことなく頷いた。
「でも、あの手刀でよく破壊できたね?」
 前宮は、興味深そうに聞いてきた。
「ちゃんと亀裂は入れておきましたからね」
 本当は、全速力の突きで破壊しようとしたが、威力が足りずヒビを入れることしかできなかった。若菜なら、もう一度同じ場所を狙えるかもしれないが、僕にはその自信がなかったので、手刀で破壊しただけだった。
「そ、そうなの?」
「でなければ、僕の腕力で武器破壊は無理ですよ」
 これは自覚してのことだった。
「だ、だよね」
 僕の説明に、前宮が納得したように表情を緩めた。
「やっぱり、春希は頭良いな~」
 黙って聞いていた弘樹が、僕に賛辞を送ってきた。
「勝つことを考察したら、自然と導かれただけだよ」
 あまり褒められるのもむず痒いので、当然のように振る舞っておいた。
「なんか私、初めて争奪戦の試合で興奮したよ」
 何かに目覚めたのか、島村先輩が目を輝かせていた。
「応援する相手がいたからじゃないですか?」
 前宮は呆れながら、島村先輩にそう指摘した。
「ああ、なるほど。なんか納得できるね、それ」
 前宮の解釈に、島村先輩が笑顔を浮かべた。
「じゃあ、俺は模擬店をぶらつきながら食べてくるよ」
 弘樹は僕にそう告げて、観客を掻き分けていった。
「で、私たちはどうする?」
 前宮がそう言って、僕の方を見た。
「そうですね。ここはうるさいですから、静かな場所に行きましょうか」
 僕は、さっきの休憩場所に移動することにした。
「ちょ、ちょっと待ってよ。私、まだ何も買ってないよ」
 島村先輩が慌てながら引き止めてきた。
「その場所を確認してから、買いに行けばいいじゃないですか」
「え~、一緒に食べようよ~」
「え?だから一緒に食べますよ」
 島村先輩の言葉の意味がわからず、思わず復唱した。
「じゃあ、私が買ってくるまで待っててくれる?」
「え、なんでですか?」
「買ってきた時に食べ終わってたら、一人の食事と変わんないよ」
「は、はぁ~」
 そこまで拘る島村先輩に哀みを覚えた。
「しょうがないですね。じゃあ、前宮が食べずに待ってますよ」
 僕自身待つ気はないので、前宮に任せることにした。
「え、私!」
 突然の振りに、前宮が驚きの声を上げた。
「じゃあ、僕は弁当を取りに行くので、別行動にしましょう」
「私に美雪先輩を丸投げしないでよ~」
 前宮が不満そうな顔で、僕に文句を言ってきた。
「助けると思って、島村先輩の相手をしてくれませんか?」
「え~、私だって面倒だよ~」
 僕の頼みを嫌な顔で返してきた。
「ちょ、ちょっと!本人を前にして酷すぎるよ!」
 島村先輩が悲痛な叫びを上げたが、歓声に掻き消された。
「それに篠沢は、どこで食べるのよ」
「2年の校舎の屋上に続く階段の踊り場ですよ」
「校舎の奥の階段?」
「ええ、あそこです」
 特に迷うこともない場所なので、詳細に説明する必要もなかった。
「という訳で、島村先輩のことよろしくお願いします」
「え~~」
 これには物凄い嫌そうな顔をしたが、二度目の対応は面倒臭いので、足早でこの場を去った。
 二人と別れて、僕は部室に向かうために観客を避けながら歩いた。
「あ、あの」
 部室の鍵を開けようとすると、急に後ろから声を掛けられた。
 振り向くと、そこには小さな男の子がいた。
「なんですか?」
 初対面なので、敬語で答えた。
「さ、さっきの試合見てました」
 少年が声を押し出すように言った。
「そうですか」
 何が言いたいのかわからなかったが、返答だけはしておいた。
「す、凄かったです」
 その言葉からして、僕を奨励しにきたようだった。
「それはありがとうございます」
 それを僕は、複雑な気持ちで応えた。
「お、応援してます」
 少年はそう言うと、走って去っていった。僕は、それを首を傾げながら見送った。
 部室に剣棒を置いて、弁当箱の入った鞄を持って、さっきの休憩場所へ向かった。
 踊り場に着くと、若菜が椅子に座っていた。
「あ、にい・・・ではなく、篠沢先輩」
 若菜が僕に気づいて、笑顔で迎え入れた。
「あれ、なんでいるの?」
 僕は、率直な疑問を口にした。
「え~っと、その、またクラスメイトが悪ノリしてきまして、追われてるんですよ」
 若菜が頭を掻きながら、今の状況を伝えてきた。
「それより、試合はどうでした?」
「ああ、勝ったよ」
「それはおめでとうございます」
 若菜は、僕の勝利を祝してくれた。
「これから2時間の休憩ですか」
「昼食も含めるから、3時間だよ」
 二回戦が終わる頃には選手の昼食も兼ねて、1時間追加されていた。
「あ、そういえば、昼ご飯まだでした」
 これには若菜が、気づいたように言った。
「そう。僕は今からここで食べるよ」
 僕は机の上にある椅子を下ろして、その机の鞄を置いた。
「あ、じゃあ、私もここで食べていいですか?」
 若菜が嬉しそうに申し出てきた。
「でも、島村先輩と前宮もここに来るよ」
 あまり広くない踊り場なので、できれば別の場所で昼食を取って欲しかった。
「え、そうなんですか?」
「今、前宮が島村先輩の買い物に付き合っているよ」
「じゃあ、私も適当に昼食を買ってきますね」
 僕の思いは察してくれず、笑顔で階段を下りていった。
 仕方がないので、僕一人さっさと弁当を食べることにした。

第三話 基準

 弁当箱の半分ぐらい食べ終わった頃に、階段の下から声が聞こえてきた。声からして島村先輩たちだった。
「あ、もう食べてる」
 島村先輩が上ってくると同時に、僕を見て嫌な顔をした。後ろから、前宮と若菜もいて、なぜか生徒会長の前宮かなえも一緒に上がってきた。
「って、なんで人数増えてるんですか?」
 この踊り場では明らかに定員オーバーな気がした。
「いや~、たまたまかなえもお昼みたいだから連れてきた」
「それだったら、会長と二人で昼食取ればいいでしょう」
「いいじゃない、別に」
 僕の言葉に、島村先輩が不満そうに口を尖らせた。
「はぁ~、会長もなんで来たの?」
 先輩ではあったが、許可されているタメ口を使った。
「ここって人目につかないから大丈夫じゃないの?」
 会長はサイドテールを整えながら、踊り場を見回した。
「安易な考えは危険ですよ」
「む、それを言われると、つらいわね」
 会長は、釣り目を下げて困った顔をした。
「はぁ~。会長は、ここで昼食を取っていいよ」
 僕は、食べている途中の弁当箱に蓋をした。
「僕が別の場所で食べるから」
「じゃあ、私も」
 すると、前宮が僕に便乗してきた。
「あ、じゃ、じゃあ、わ、私も」
 なぜか若菜も僕の方についてきた。
「って、待ってよ!」
 この状況に、島村先輩が声を荒げて呼び止めてきた。
「なんですか?」
「この分かれ方はなんか嫌なんだけど」
「どういう意味ですか」
「う~ん、うまく言えないけど、凄い喪失感がある」
 どう表現するか悩んだ挙句、気持ちだけを伝えてきた。
「わかった。私がいなければ問題ないわけね」
 会長が今の状況を見て、その判断を口にした。
「いや、僕がいなければ問題がなくなるよ」
「いいわ。私が他の場所に行くから」
 僕の意見を無視するように、会長は階段を下りていった。
「ま、待って、私も行くよ」
 親友である島村先輩が、慌てた様子で会長の後を追った。
「大丈夫よ、私は生徒会室で食べるから、今日ぐらいは篠沢と一緒でもいいんじゃない?」
「で、でも・・・」
「大丈夫よ。今日は争奪戦だから」
「そ、そうだね」
 大丈夫の意味がわからなかったが、島村先輩は納得したように頷いた。
 最終的には四人で昼食を取ることになった。女子トークを聞きながらの食事は、居心地が悪いことこの上なかった。
 食事が終わり、僕はこの場から抜けよう椅子を後ろに引いた。
「どこ行くの?」
 すると、前宮が積極的に反応した。
「トイレに行くんですよ」
 仕方なく、この場を抜ける口実をつくった。
「あ、それはごめん」
 この理由には、前宮もさすがに引き止めることはなかった。
「逃げるんだ」
 それに対して、島村先輩は微笑ましそうな顔で僕を見送った。
 下の階のトイレに行こうとすると、生徒会書記の新島先輩が各教室を見ながら、困って顔をしていた。少し頼りなさそうな顔の新島先輩は、誰かを捜しているようだった。
 素通りしようとすると、新島先輩が僕に気づいて駆け寄ってきた。
「あ、君」
「なんですか?」
 呼び止められたので、仕方なく応えることにした。
「会長、知りませんか?」
 新島先輩が僕にそう聞いてきた。
「えっと、どうかしたんですか?」
「ええ、ちょっとトラブルがありまして。ここに入った目撃情報がありましたので、この校舎を捜してるんですよ」
「生徒会室にいないんですか?」
「お昼は別で食べると言っていましたので・・・」
「一度、戻ってみてはどうですか?」
 さっき生徒会室で食べると言っていたので、何気なく促してみた。
「・・・そうですね、戻ってみます」
 新島先輩は、少し迷いながらそう言った。
「見かけたら、生徒会室に戻るよう伝えてくれませんか」
「わかりました」
 新島先輩と別れて、トイレに向おうとすると、教室から歓声が上がり、審判の勝利宣言が聞こえた。どうやら、勝敗がついたようだ。
 教室のリングを見ると、白浜先輩がリングに立っていた。
「お、篠沢じゃねぇか」
 試合が終わり、出てくる観客の中から茶髪で天然パーマの柏原先輩が出てきた。
「白浜先輩、どうでした?」
 闘っていたのが、白浜先輩だったようなので、一応聞いてみた。
「ああ、勝ったぞ」
 そう言うと、直毛で短髪の白浜先輩が教室から出てきた。白浜先輩は試合後とは思えないほど、いつも通りのおっとりした顔だった。
「おめでとうございます」
 入り口付近では邪魔になるので、窓際に移動して白浜先輩を祝した。
「ああ、ありがとう」
 白浜先輩が表情を緩めてそう言った。
「柏原先輩は、どうでした?」
 僕は、流れで柏原先輩にも争奪戦の勝敗を聞いた。
「二回戦で負けた」
「剣道部の主力だから仕方ないよ」
 白浜先輩が柏原先輩に慰めの言葉を口にした。
「まあ、去年準優勝だったからな~」
 それに対して、柏原先輩は溜息交じりに言った。二回戦で優勝候補と当たるなんて、不運以外の何物でもなかった。
「それにしては元気ですね」
 僕は、柏原先輩を見て不思議に思った。
「ああ、剣棒を叩き落されて、降参したんだよ」
「全く、棒使いが弱点を突かれるのは、御法度だよ」
「しょうがねぇ~だろう。あんな素早い小手を狙われたら、どうしようもねぇ~よ」
 白浜先輩の指摘に、柏原先輩がアピールするように手をブラブラさせた。
「篠沢は、どうなんだ?」
「そうですね。運良く?いえ、運悪く二回戦突破しましたよ」
「変な言い回しするな~」
 これには柏原先輩が、呆れたように僕を見た。
「不本意だもんね~」
 白浜先輩は、僕の気持ちを察してそう言ってくれた。
「篠沢君は、昼食は食べたの?」
 白浜先輩が周りを見て聞いてきた。
「はい、さっき」
「そう。じゃあ、僕たちはまだだから行くね」
「あ、そうですか」
 僕は、二人に会釈してその場で別れた。
 トイレの個室で数分だけ時間を潰して、踊り場に戻った。
「あ、来た」
 前宮がいち早く気づいて、嬉しそうな顔をした。机は片づけられて、椅子を並べて座っていた。
 僕は、三人から離れた場所に椅子を置いて座った。
「さっき、白浜先輩が二回戦勝ちましたよ」
 僕は、同じ部である島村先輩に報告した。
「へぇ~、そうなんだ」
 が、あまり関心がないような答えだった。
「あと、柏原先輩は二回戦負けたそうです。なんでも剣道部の主力と当たったみたいです」
「ふ~ん。そう」
 それでも薄い反応だった。
「・・・島村先輩、少しは関心持ってくださいよ」
 僕の試合を見た興奮とは、全く正反対な態度に思わず溜息が漏れた。
「う~ん。見てないから、何も言えないよ」
「それでも同じ武活仲間じゃないですか」
「でも、ここ最近篠沢君としか組んだことないし、篠沢君のいない時はあまりしゃべってくれないんだもん」
「そういえば、嫌われてるんでしたっけ?」
「違うよ!なんか気まずいだけだよ」
 これには強く反発してきた。
「まだ去年のこと引きずってるんですか?」
 去年、先輩二人と練習中にトラブルを起こしたことがあった。
「私自身、気にしてないのに二人がたどたどしいんだもん」
 島村先輩が不満そうに頬を膨らませた。
「何かしたの?」
 前宮が気にして、話に入ってきた。
「練習で剣棒の競り合いがあるんですけど・・・」
「競り合い?」
「それで胸筋を鍛えるんですよ」
「ふ~ん。変な練習だね~」
「まあ、今はやってないですけど」
 あのトラブル以来、それは廃止になっていた。
「で、その競り合いの時に、ひ弱な島村先輩を押し倒しことがあったんです」
 その時、弾みで島村先輩の胸に触れてしまったのだった。
「な、なるほど、それは気まずいね」
 その光景を思い浮かべて、前宮が表情を引き攣らせた。
「おかげで僕が、いつも島村先輩の相手ですよ」
「なんで不満そうなのよ~」
「だって、僕たち相性悪いじゃないですか~」
「そうかな?」
 心当たりがないようで、純粋に首を傾げられた。
「まあ、今日でそれも終わりですからいいですけど」
 この争奪戦が終われば、島村先輩は武活には顔を出さないはずだった。
「え、私、武活出るよ」
「え、受験とかは?」
「別に武活しながらでも、問題ないよ」
「でも、3年生はみんな受験とか就職とかで、武活は控えるように学校から言われませんか?」
「言われるだけで、自主に任せてるよ」
「それはそうですけど」
「何!不満なの?」
 僕の表情を見て、なぜか顔を歪めた。
「い、いえ、別に」
 ここで本音を言うと、発狂されそうなので言葉は控えた。
「えっと、篠沢先輩」
 少し溜めをつくって、若菜が僕を呼んだ。
「何?」
「いいじゃないですか。島村先輩はなんか・・篠沢先輩と一緒にいたいみたいですし」
 僕の名前のところで少し間を開けてからそう言った。僕への呼び方が未だ定着していないようだった。
「え、そうなんですか?」
「うん。そうだね。篠沢君、武活以外で会ってくれないし」
 僕の素の驚きに、島村先輩は当然のようにそう言った。
「別に友達でもないんですし、必要ないでしょう」
「え!私たち友達じゃないの!」
「違いますよ。ただの武活の先輩です」
 僕は、ここできっぱり断言しておいた。
「私、友達と思ってたのに!」
 島村先輩が悲痛な叫びを上げた。
「別に、先輩がそう思ってることは知ってますよ。ただ、僕は友達とは認めてないだけです」
「そ、そんな酷いよ」
 本当にショックだったのか、目に涙が溜まっていった。
「泣くのはやめてくれませんか」
 こうなると話ができないので、いつものように宥めた。
「これは泣きますよ」
 すると、若菜が島村先輩に同情するように僕を責めた。
「いいですか、島村先輩。感情的にならずに冷静に話を聞いてもらえますか」
 僕は、島村先輩を真顔で説得を試みた。
「自分の思いが他人とは違うのは当然なんですよ。島村先輩にとっての友達の定義は親しいかどうかだと思いますが、僕の友達の定義は僕がそれを認めるかどうかなんですよ。だから、僕が島村先輩を友達だと思ってなくても、これからの対応は変わることはありません。そもそも、友達であることをそこまで重要視する必要はないですよ」
「じゃあ、友達になって」
 僕の言い分に涙を堪えながら、震えた声でそう求めてきた。
「嫌です」
「な、なんでよ」
「僕の友達は、前宮と弘樹だけです。もうこれ以上、増やす気はありません」
 自分の中ではできるだけ、友達という親しい関係をつくる気はなかった。正直、前宮も友達にするかは悩んだが、いろんな経緯と罪悪感で、友達になることを決めたのだった。
「し、篠沢」
 これに前宮が歓喜の声で、僕の名前を口にした。
「え、兄さん。私、友達じゃないんですか?」
 今度は、若菜が涙目になった。島村先輩に言った言葉が今度は若菜に飛び火してしまった。ついでに、呼び方も戻っていた。
「え、えっと・・・若菜は、後輩だから、友達とは違うかも」
 予想外の反応に本気で困ってしまった。
「まあ、そういう訳ですから、島村先輩が泣く必要はないんですよ。あと、若菜も」
 変な空気になったので、島村先輩から目を逸らして話を切った。三人いると、説得は思いのほかうまくいかないことが実証された。
「じゃあ、どうしたら友達と認めてくれるの?」
 島村先輩が少し涙声で聞いてきた。
「別に、必要ないと今言いましたよね」
 僕の話を聞き流したような意見に、少し苛立ちを覚えた。
「私には必要だよ!」
 すると、島村先輩が大声でそう主張してきた。
「じゃあ、言いますけど無理です」
「な、なんで!」
「僕は、友達にはできるだけ優しくするよう心掛けているんですが、先輩にはそれができません」
 いまさら態度を変えるのは、個人的に至難の技だった。
「な、なんでよ~」
 これには悲しそうな眼をして、僕に訴えてきた。
「・・・なんでそこまで僕に拘るんですか?」
 ここまで食い下がられると、少し引いてしまった。
「だって、かなえの次に親しいのが、篠沢君だから」
 この発言に前宮が、嫌な顔をした。
「そういえば、友達少ないんでしたね」
「そ、そんなことないよ!篠沢君が親しい部類に入ってるんだよ!」
 僕の指摘に大声で反論してきた。
「仕方ないですね。対応を変えない条件ならいいですよ」
 これでは切りがないので、たまには僕が折れることにした。
「え、いいの!」
 その言葉に、島村先輩が嬉しそうな笑顔を見せた。その隣の前宮は、不満そうな顔をした。
「ええ、今まで通りの対応は変わりませんけど」
「わかった。じゃあ、さっそく電話番号教えてよ」
「嫌です」
「なんでよ!」
「今まで通りと言ったでしょう。僕は、友達でも電話番号は教えませんよ」
「え、そうなの?」
 その事実に驚いて、前宮にそれを確認した。
「う、うん。私も教えてもらってない」
「ちなみに、弘樹にも教えてないですよ。あと、プライベートも遊んだことはありません」
 私生活まで誰かと関わりたくなかったので、先に釘を刺しておいた。
「え、それって、友達なの?」
 島村先輩が不思議そうに首を傾げた。
「だから、これは僕の友達の定義ですよ。学校以外では遊ぶことはしませんから、誘わないでくださいね」
 僕がそう言い切ると、三人が白い目で僕を見つめてきた。
「なんでそこまで言うの?」
 これには島村先輩が、代表して聞いてきた。
「それはプライベートだから言いません」
 あまり余計なことは言いたくなかったので、回答を拒否した。というか、この世界の人ではないとは、口が裂けても言えなかった。
「あ、あの、私もできれば友達として、認めてくれませんか?」
 若菜が手をゆっくりと顔まで上げて、おどおどしながら要求してきた。
「そうだね。男子と話せるようになったら認定するよ」
「あ、やっぱりですか」
 これは想定していたようで、手を下ろしながら溜息をついた。
 そのあと、三人は僕の話に切り替わってしまった。
「篠沢君がさ~。私を小馬鹿にしたような態度取るんだよ~」
 島村先輩が去年の僕の話ばかりをしているので、さっきの女子トークよりも居心地が悪かった。
「それは酷いですね~」
 若菜が興味深そうに聞き入りながら、相槌を打っていた。
「でも、私が泣きそうになったら、途端に優しくなるんだよね~」
「まあ、篠沢はツンデレですからね」
 それには前宮が、僕をそう評価していた。
「ああ、それはわかるよ~。かなえもそう言ってた」
「姉さんと同じ意見なのは癪ですね」
 前宮が視線を下に向けて、独り言のようにぼやいた。
「あの、僕の話はやめてくれませんか」
 これには耐え切れずに島村先輩にそう頼んだ。
「このメンバーだったら、話の軸は篠沢君でしょう」
「先輩は、話のバリエーションがないんですか?」
「え?そんなことないけど、今は争奪戦だしこの話題が自然だよ」
「いえ、僕がいるのにその話題は不自然ですよ」
「そうかな~」
 僕の意見に首を傾げた。
「とにかく話題にするなら僕ではなく、三人の共通の話題してください」
「え~、急にそんなこと言われても、思いつかないよ」
 じゃあ、さっきの女子トークはなんだったんだと言いそうになったが、敢えてここは言葉を呑んだ。
「模擬店の話でもすればいいじゃないですか」
 仕方ないので、僕から話題を提案した。
「私、その話は嫌」
 すると、前宮がいち早く拒否してきた。
「望先輩に同じ」
 若菜もそれに大きく同意した。
「じゃあ、各個人の趣味とかの話でもしてください」
 二人が拒否してしまったので、話題を一般的なことにした。
「趣味かー」
 すると、島村先輩が少し困ったような顔した。
「私の趣味は、あまり好評じゃないんだよね~」
「そうなんですか?」
 島村先輩の困り顔に、若菜が聞き返した。
「うん。ホラー映画鑑賞」
「あー、私苦手です」
 若菜が表情を引き攣らせて、申し訳なさそうに言った。
「私も好きじゃないですね~」
 前宮も無表情でそう言った。
「ホラーですか。流血とか好きなんですか」
「ああ、そっち系はパス。ただグロテスクなのは好きじゃないのよ」
 若菜の質問をすっぱりと否定した。
「例えばなんだけど、殺人した加害者に死人の被害者が徐々に迫ってくるとか、ああいうのが堪らなくゾクゾクするのよ~」
「死んでるのに迫るんですか?非科学的ですね」
「その非科学的だからこそ、恐怖を助長させるのよ」
 前宮のつっこみに、島村先輩が真顔で力説した。
「そ、そうですか」
 この言い分には、前宮が呆れた顔を引き攣らせた。
 結局、共通の話題が見つからないまま、時間だけが過ぎていった。
「じゃあ、僕はもう行きますね」
 時間を見ると、次の試合まで20分を切っていた。
「あ、私も行くよ」
 そう言うと、前宮が椅子から立ち上がった。
「若菜ちゃんはどうする?」
 島村先輩が若菜の方を見て聞いた。
「私は逃走中なので、ここで待機しときます」
「そう」
 これには残念そうな顔をした。
「あとで、またここに来てくれると嬉しいです」
 島村先輩に気を使ったようで、若菜が表情を緩めて言った。
「うん。結果を伝えに来るよ」
 それを察したようで、島村先輩も笑顔で答えた。
 三人で階段を下りると、横の教室から歓声が上がった。
「勝負がついたみたいだね」
 島村先輩は、興味なさそうに教室に視線を向けた。
「そうですねー」
 僕も興味なかったので、リングを見ることなく答えた。
「今度の対戦相手は勝てそうなの?」
 前宮が心配そうに僕に聞いてきた。
「対戦相手が誰か知りません」
 さっきトーナメント表を見たが、誰が勝ち上がるかは見当もつかなかった。
「まあ、可能性としては柔道部のシードが相手になりそうだね」
 前宮はそう言いながら、ポケットから折りたたまれたトーナメント表を取り出した。
「苦手なタイプですね~」
 僕の付け焼刃な組技では、確実に負ける相手だった。
「組まれたら終わりですね」
「まあ、たった1ヶ月じゃあ、勝ち目ないね」
 前宮が困った顔で、トーナメント表をポケットに仕舞った。
「どうにか剣棒の領域で倒せればいいんですけど」
「え、できないの?」
「柔道部の人たちは耐久性がありますから、易々とはいかないでしょう」
「まあ、そうだね~」
「でも、よくシードが柔道部って知ってましたね」
「美雪先輩のクラスメイトだって」
「あ、そうですか」
 僕はそう言って、島村先輩の方を見た。
「うん。話したことはないけどね」
 島村先輩が教室の方を見ながら、興味なさそうに答えた。
「凄いですね。話したこともないのに、名前を憶えてるなんて」
 僕は、関わるまでその人の名前を覚えることはなかった。
「え、クラスメイトなんだから普通でしょう」
「そうですか?僕は、話さない人の名前は覚えてませんよ」
 ここは隠す必要もないので、堂々と言い切った。
「・・・それは酷くない?」
「話しても名前は呼ばないので、大丈夫です」
「もしかして、私の名前も知らなかった?」
 前宮が不安そうな顔で聞いてきた。
「えっと、話しかけられる前には思い出してました」
 本当は弘樹から教えてもらっていたが、ちょうど弘樹もいないのでそう言い繕っておいた。
「1年も一緒だったのに、それまでは忘れてたんだ」
「ええ、覚える必要がなかったので」
 これには言い訳もできないので、正直に答えた。
「前宮は、覚えていたんですか?」
「え、うん。も、勿論」
 前宮は、少し恥ずかしそうに顔を下に向けた。
「それは凄いですね」
 僕にはできないことなので、素直に称賛した。
 僕たちは校舎を出て、次の試合のリングまで歓声の中を歩いた。
「うるさいね」
 前宮はそう言って、不機嫌そうな顔で耳を塞いだ。
「そうですね。僕の嫌いなノリですね」
 僕は、前宮に同意するように言った。
 部室で鞄と剣棒を取り替えてからリングに行くと、リングを見ていた弘樹が僕の方に顔を向けた。
「お、来たな」
「どんな感じ?」
「今、二回戦の四戦目だ」
「え、まだ?」
 時間帯的にはもう三回戦が始まっているはずだが、このリングでは試合が長引いてるみたいだった。
「なんか、前の試合で1時間近く拮抗状態が続いてたみたいでな」
「へぇ~、そうなんだ」
「なんか1年同士の有力選手みたいだったな」
「ふ~ん。それは凄いね」
 関心のないことなので、淡泊な返ししかできなかった。
「じゃあ、僕の試合は何試合目なの?」
「う~ん。今からだと四戦目だな」
「うわっ、最悪」
 この人ごみの中で待つという事実に、自然と眉間に皺が寄った。
「あ、そういえば、前宮」
 弘樹が何かを思い出したように、前宮に声を掛けた。
「何よ」
「輪島が捜してたぞ。もうとっくに休憩時間は過ぎてるってさ」
「あ、忘れてた」
 前宮が時間を確認して、苦い顔で呟いた。
「で、でも、もうすぐ篠沢の試合が始まるし」
「え、まだ三戦後ですよ」
「あ、そっか」
 それを聞いて、前宮が項垂れた。
「仕方ないか。美雪先輩、試合が始まりそうでしたら、メールで教えてもらえますか」
「え、あ、うん。いいよ」
 島村先輩が快く了承した。
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
 前宮が肩を落として、来た道を戻っていった。
「島村先輩は、模擬店とかはいいんですか」
 さっきから僕と一緒に行動しているのが不思議だった。
「私は、篠沢君の監視役だからいいのよ」
「なんですか、それ?」
「う~ん。生徒会の仕事ということにしてるのよ」
「嘘ついてるんですか?」
「まぁね。これ、内緒にしてね」
 罪悪感はあるようで、僕たちに小声で口止めしてきた。
「はぁ~、模擬店はほったらかしですか」
「え、まあ」
 島村先輩が困った顔で頬を掻いた。
「何かありそうですね」
 隣の弘樹が、何かを察したようだ。
「ん~、飯村君は知ってると思うけど、模擬店での服装の露出が高いでしょう」
「そうですね」
 弘樹も思い当たるようで相槌を打った。
「私たちの模擬店での服装は、Vネックで胸の谷間を強調するタイプなのよ~」
 本当に嫌なようで、それが表情に出ていた。
「それって、人を限定しませんか?」
 僕は、思ったことを口にした。
「私のクラスメイトは、巨乳率高いからその服装にしたのよ」
「あ、なるほど。でも、会長は無理でしょう」
 会長にはそれは無理だと思った。
「あー、まあね」
 島村先輩もそれは否定しなかった。
「でも、あの服装を提案したのは、かなえなのよね~」
 島村先輩が不思議そうに言った。
「なるほど。露出度をあげたのは、会長からの当てつけ・・か」
「なんか言った?」
 僕の独り言に、島村先輩が反応した。
「なんでもないです」
 そう取り繕うと、試合終了の歓声が上がった。

第四話 三回戦

「そういえば、対戦相手は知ってるのか?」
 試合の勝者を横目に、弘樹が僕にそう聞いてきた。
「単純に考えれば、シードの相手かな」
「まあ、普通はな」
 弘樹が言葉に少し含みを持たせた。
「でもな、今回は番狂わせがあったんだよ」
「え、負けたの?」
「ああ、負けた。相性が悪かったようだな」
 なぜかここだけかなり軽い口調だった。
「相性なら仕方ないね」
 この争奪戦を勝ち上がる一番のポイントは、相手との相性が八割がた占めていた。
「武器使用の武活だったの?」
「いや、サンボ部だよ」
「あー、それはやりにくかっただろうね」
 相性的には、力の差が露骨に出る組み合わせだった。
「みたいだな」
 結局、部は違うが組技と寝技を中心とした相手だった。
「近づかれたら、僕は終わるね」
「そうだな。瞬殺だろうな」
 これには弘樹も同意した。
「ちなみに隣のクラスの丸山だぞ」
「え、誰?」
「って、やっぱり知らないか」
「知らないね~」
 隣のクラスと言われても、久米以外は知らなかった。
「今のサンボ部は2年が中心で、だいたい十数人の武活だな」
「よく知ってるね」
「さっき駄口に会って、一方的に聞かされた」
「それは不運だったね」
「全くだ」
 弘樹が溜息交じりでそう言った。駄口は、噂好きでおしゃべりだった。
「あと、駄口から春希に伝言だ」
「え、何?」
「負けちまえ、だとさ」
「はぁ?」
「ほら、最近の春希って女子ばかりの噂が流れてるだろ」
「あ~、そうなの?」
「ああ。だから、なんか嫉妬してるみたいだ」
「迷惑な話だね」
 僕は、呆れながら頭を掻いた。
「まあ、今度の相手は接近されたら、致命的だから注意した方がいいぞ」
「そうだね」
 一応、それも踏まえたうえで、闘いに挑むことにした。
「サンボ部かー。特に印象にない部だね」
 話が区切れたところで、島村先輩が話に入ってきた。
「そうですね」
 それには僕も同調した。実際、七割近くの部は印象になかった。
「どういう風に闘うの?」
「まあ、掴まる前に倒すしかないですね」
 相手を見ていないので、順当な戦略を口にした。
「ふうん」
 島村先輩が僕を見て、何か言いたそうに見つめてきた。
「どうかしたんですか」
「なんかさ~、篠沢君って、やる時は徹底するんだね~」
「まあ、不本意ですけどね」
「はははっ、矛盾してるね」
 島村先輩が空笑いして、僕から視線を外した。
「そういえば、剣道部の選手はどうなの?」
 僕は、なんとなしに弘樹に聞いてみた。
「ん?ああ、五人とも勝ち上がってるよ」
「やっぱり強いね」
 剣道部は常に優勝候補だった。
「ああ、俺たちの代表だからな~、初戦では滅多なことで負けないな」
「僕と当たる人いる?」
 この話題にしたのも、これが一番聞きたいことだった。
「そうだなー、春希のグループじゃあ、当たらないな」
「そっか」
 それを聞いて、少し安心した。
「剣道部って、たいてい三人ぐらいは決勝トーナメントまで進むよね~」
 隣の島村先輩が、何気にそんなことを口にした。
「そうなんですか?」
「うん。去年と一昨年はそうだったよ」
「興味ないのに、よく知ってますね~」
「かなえからの情報だよ。私自身見てない」
「なるほど」
 僕はそう言って、リングを見上げた。リングでは闘いが終息しようとしていた。
「遊んでんな」
 弘樹が不愉快な顔で、リングを見上げていた。
「趣味悪いね」
 島村先輩も弘樹に同調した。リングでは満身創痍の2年生と、それを嘲笑って見下げている3年生が立っていた。
「ああいう人見てると、反吐が出るよ」
 島村先輩が不愉快な顔で暴言を吐いた。
「島村先輩、口が悪いですよ」
 僕は、即座にそれを注意した。
「あ、ごめん。思わず本音が出っちゃった」
 正義感の強い島村先輩には、刺激が強すぎたようだ。
「でも、気持ちはわかりますね」
 弘樹には共感できるようで、島村先輩を擁護した。
「だよね」
 それが嬉しかったようで、表情を緩めて弘樹を見た。
「あれは相手に対しての侮辱行為だな」
「確かにそうだね」
 少なくとも勝ち上がってきた相手に対して、失礼極まりないものだった。
「本当にむかつくね」
 島村先輩がリングを見ながら、怒りをあらわにしていた。
 それにつられてリングを見ると、今にも倒れそうな相手を弄んでいた。
「もう倒れればいいのに」
 僕は頑張っている2年生を見て、小声で呟いた。
「そうだな」
 その言葉に弘樹が頷いた。
「ねぇ~、篠沢君」
 見るに耐えないのか、島村先輩が僕に話しかけてきた。
「なんですか?」
「あの人、知り合い?」
 島村先輩は、僕の横の方を指差して聞いてきた。
「え?」
 僕は、島村先輩が指す方を見た。そこには見知らぬ男子生徒が、困った顔でこっちを見ていた。
「さっきから、こっち見てるんだけど」
 どうやら、ずっと気になっていたようだった。
「いえ、知りませんね」
 僕は、島村先輩の方を向いて首を振った。
「じゃあ、飯村君の知り合い?」
「え?」
 島村先輩の言葉に、弘樹がつられるように男子生徒を見た。
「あ~、後輩ですね」
 弘樹が呆れたような顔をしてから、島村先輩に答えた。
「あ、そうなんだ。ずっと見てるんだけど、用があるんじゃないの?」
「そうかもしれませんね」
 弘樹が再び男子生徒の方を向いた。
「ちょっと、話してきます」
 弘樹はそう言って、男子生徒の方に歩いていった。
「なんで話しかけてこないんだろう?」
「僕たちがいるからじゃないですか?」
「でも、ずっと見てるんだよ」
 僕の見解に訝しげな顔で反論してきた。
「僕みたいに内気なんでしょう」
「篠沢君が内気?」
 僕の発言に、訝しげに復唱してきた。
「それ、冗談?」
「どういう意味ですか」
「私の持論では、内気な人は毒舌じゃないんだけど」
「それは島村先輩の持論でしょう。僕は、誰にでも毒舌じゃないですよ」
「・・・えっと、それは私と親しいってことかな」
 島村先輩は、困った顔で聞いてきた。
「いえ、島村先輩の場合はこの対応になっただけですね」
「それって酷くない!」
 僕の本音に、島村先輩が噛みついてきた。
「無口の方が良かったですか?」
「もし、そうしてたら1週間は寝込んでたよ」
「そ、そうですか」
 誇張された仮想に対して、現実的な返しをされては返す言葉が見つからなかった。
「じゃあ、この対応は私だけなの?」
「まあ、そうですね」
 数少ないとはいえ、友達への対応は全員違っていた。
「島村先輩は、反応が面白いですから褒めるよりこっちの方が生き生きしてますよ」
 この話になると、すぐ怒るのであやふやな言葉で言い繕ってみた。
「なんか馬鹿にしてない?」
 少し言葉を間違えてしまったようで、訝しげな反応をされてしまった。
「してませんよ。表情豊かな島村先輩の方が可愛いと言っただけです」
 このままでは怒られそうなので、褒めておくことにした。
「そ、そう?」
 これが功を奏したようで、島村先輩が嬉しそうにはにかんだ。
「わりぃ~、ちょっと抜けるな」
 後輩と話し終えて戻ってきた弘樹が、僕にそう言ってきた。
「なんかあったの?」
「まあ、野暮用だ」
「そう」
 僕がそう返すと、弘樹が後輩とともに体育館の方へ向かった。
「何かあったのかな?」
 島村先輩が弘樹の後姿を見ながら、僕に聞いてきた。
「さあ?剣道部で何かあったのかもね」
「人数多いもんね~」
 島村先輩がそう言うと同時に、ようやく試合が終了した。
「終わったね」
 リングでは、倒れた2年生を担架に乗せていた。
「そうだね。胸糞悪い試合だったね」
 島村先輩が苦い顔で感想を言った。
「僕もああなるかもしれませんね」
 担架で運ばれている選手を見て、顔を歪めて言った。
「そうなったら、看病してあげるよ」
 何を思ったか、島村先輩がそんなことを申し出てきた。
「いりませんよ」
 これは嫌味と捉えて、強めに拒否した。
「友達なんだから遠慮しなくていいよ」
 島村先輩が笑顔でからかってきた。
「ああなる前に降参しますよ」
 横切った担架を見送りながら、島村先輩にそう言った。
「その方がいいね」
 これには島村先輩も賛同してきた。
「あと一試合ありますね」
 僕は、次の試合に向けて気を引き締めた。
「そうだね。まあ、ほどほどに頑張ってね」
「はぁ~、そうですね」
 島村先輩に応援されると、少し気が抜けてしまった。
「今日は次の試合を含めて、あと二試合ですね。まあ、勝ち上がればの話ですけどね」
「グループ決勝は明日だね」
「そこまでいけるとは思えませんがね」
「それは篠沢君の実力次第だもんね~」
「そうですね」
「でも、あんまり無理しないでね」
 僕を気遣ったのか、リングを見上げながらそう言った。リングではもう試合が始まっていた。
「まあ、勝ち上がってもメリットないですから無理はしませんよ」
「あー、そういえばそうだね」
 優勝することは会長との口約束だけなので、無理して勝つ必要もなかった。
「じゃあ、優勝したら私から何か贈呈しようか?」
「・・・は?」
 突然の申し出に首を傾げた。
「篠沢君は、何か欲しい物ある?」
「別に入りませんよ。どうせ優勝できませんし」
「だからこその褒賞なんだよ」
「そうですか」
 要するに、形だけの褒賞だった。
「じゃあ、物じゃなくてお願いでもいいですか?」
 特に欲しい物もないので、島村先輩に対して要望にした。
「・・・」
 それに対して、嫌な顔をして僕を睨んだ。
「私に?」
「ええ」
「無理難題かな?」
「いえ、無理難題ではないですよ」
「う~ん。あんまり聞きたくないな~」
 第六感が働いたのか、渋い顔で視線を逸らした。
「じゃあ、この話はなかったことにしましょう」
 島村先輩が苦悩していたので、配慮することにした。
「そ、そうだね」
 内容は知りたそうだったが、敢えて聞くことはしなかった。結局、優勝の褒賞はなくなった。
「じゃあ、逆にしようか」
「は?」
 突然、島村先輩が主語のない提案をしてきた。
「負けたら罰みたいな」
「デメリットだけの案ですね」
「篠沢君には褒賞より罰の方がやる気が出ると思ってね」
「別に無理して、やる気を出す必要はないと思いますが」
 島村先輩の言い分には少し呆れてしまった。
「私としては、篠沢君の本気を見たいだけだよ」
 これは完全に自分が楽しみたいような主張だった。
「安心してください。本気でしてますので」
「違うよ~、底力みたいのを出してほしいんだよ~」
 島村先輩が得意げに言ってきた。
「・・・底力ですか」
 聞きなれない言葉に、思わず復唱してしまった。
「なら、負けたら先輩と絶交しましょうか?」
 このままでは面倒臭くなるので、島村先輩へのデメリットを提示した。
「却下」
 予想通り、即座に棄却された。
「いえ、罰なのですから、これぐらいのことを言わないと意味ないですよ」
「私の心をえぐる罰は嫌」
 島村先輩が悲しそうに訴えてきた。
「じゃあ、僕に対しての一方的な罰もやめませんか」
「・・・そうだね」
 これでなんとか僕への罰を諦めさせることができた。
「あまり思いつきでそういうことは言わないでください」
 僕は、責めるように島村先輩を睨んだ。
「いいじゃん、別に」
 それに対して、拗ねたように口を尖らせた。
「そういう発言で自滅したことも学習してください」
「そんなの篠沢君の時だけだよ」
 島村先輩が口を尖らせたまま、不満を口にした。どうやら、日頃思いつきで会話しているようだ。
「だいたい篠沢君は、揚げ足取りがうまい上に口達者だから、私が自滅したようになるんだよ。それを考えると、篠沢君のせいだね」
「島村先輩も口達者になってきてますね」
 いつもなら一方的に怒りをぶつけるのだが、今日は冷静な分析をして、僕に対して嫌味で返してきた。
「はっ!なんか私、今篠沢君みたいだった!」
 衝撃的だったのか、目を見開いて声を荒げた。
「遂に、島村先輩も僕の影響が表面化してきましたね」
 僕は、嫌味も込めながら微笑した。
「うううっ、とうとう篠沢君に毒されてしまった」
 島村先輩は、ショックを受けたように肩を落として項垂れた。これでは、まるで悲劇そのもののようだった。
「人聞き悪いですね~。せめて感化されたと言ってください」
「同じじゃん」
「ニュアンスが違いますよ」
「私的には毒されたが表現が合ってるんだよ」
「その言葉は本人を前に失礼ですよ」
「それは篠沢君には言われたくないね」
 島村先輩は、僕を詰るように目を細めた。
「え?島村先輩に失礼なこと言いましたっけ?」
 身に覚えのないことに首を傾げた。
「言ってるよ!」
 これには語彙を強めてきた。
「そうですか。もしそうなら、不可抗力ですので、諦めてください」
「いつも諦めてるよ!」
島村先輩が心の叫びを吐露した。
「よく僕と関わってますね」
「自分でも不思議だよ」
 そう言いながら嘆息すると、試合の終了の合図とともに歓声が上がった。思ったより早く決着がついた。
「あ、終わりましたね」
 それを見て、僕は気持ちを切り替えた。
「結局、飯村君帰ってこなかったね~」
 島村先輩は、後ろを見ながらそう言った。
「そうですね~」
 それにつられて、僕も後ろを向いた。
「・・・」
 僕の後ろにさっき少年が期待の込めた眼差しで、僕を見つめていた。
「なんか見られてるね」
 島村先輩も少年に気づいて、僕に投げかけてきた。
「気のせいでしょう」
 これは見なかったことにした。
「それより、前宮に連絡した方が良くないですか?」
 僕は、さっき前宮の頼まれ事を何気なく伝えた。
「あ、忘れてた!」
 島村先輩がハッとして、慌てて携帯を取り出した。前宮にはメールで知らせるように言われたのに、当然のように電話を掛けた。
 そして、前宮と一言二言交わして、電話を切った。
「じゃあ、頑張ってね~」
 アナウンスで僕の名前が呼ばれると、島村先輩が笑顔で軽く手を振った。
「はぁ~」
 僕は溜息のような返事をして、リングに向かった。
 僕がリングに上がると、少しだけ歓声が聞こえた。それは相手選手の丸山も同じだった。
 中央でスポーツ刈りの丸山と対面すると、力強い眼差しを向けられた。心情的に負けたくないという意思が伝わってきた。
 審判である教師がルール説明を淡々としている間に、相手の力量を推測しておいた。
「では、始め」
 僕は、開始の合図とともにすぐさま間合いを取った。ここで先制されると手も足も出ないまま、敗北してしまう危険があったからだ。
 しかし、丸山も警戒しているのか、すぐには距離を詰めては来なかった。僕が中心に動くと、丸山が重心を下げて、僕の動きに合わせて足を動かした。
 僕はそれを確認してから、牽制の突きを放ってみた。
「うっ」
 これに驚いたようで、大きく後ろに飛んでかわした。丸山の反応を見る限り、剣棒の距離間が掴めていないようだった。
 ここは相手に剣棒を掴まれないように、スピード重視の突きを連続で放った。
 これには驚いた表情のまま、ギリギリでかわしてきた。サンボはポジション取りが多いせいか、かわすのは得意ではないようだ。
 必死の回避を見て、上半身の攻撃を下半身に狙いを替えてみた。これに丸山が驚きの声を上げながら、後ろに大きく飛んだ。
 僕もそれを追うかたちで一気に距離を詰めて、丸山の着地と同時に渾身の突きを放った。
「ぐっ!」
 しかし、腕で防がれてしまった。急所狙いはさっきの攻撃で感づいたようだ。
「いって~」
 丸山は、突かれた腕を擦りながら顔を歪めた。あの状況で、腕で防いだ反射神経はかなりのものだった。
 僕は追い打ちを掛ける為、さらに攻め立てた。突きから跳ね上げ、さらに足の甲を狙った下段の流動攻撃をした。この三連撃は足の甲だけしか当たらなかった。
「っ!」
 丸山が少し顔を歪めて、負傷した足を庇いながら僕から距離を取った。ここで追撃も考えたが、深追いは危険なので、相手の出方を待つことにした。
 さすがにここまで攻め込まれれば、動かなければ勝てないと悟る頃合いだった。正直、その間に倒すことも一考したが、最初の観察で諦めていた。
 丸山が意を決したような目つきになって、考えなしのように突進してきた。しかし、それは最善の行動でもあった。
 僕は、向かい打つかたちで体重を乗せた突きを放ったが、それは予想していたようで、状態を右に傾けてギリギリで回避してきた。
 それを確認した僕は、剣棒を引く力を利用して、相手に背を向けるかたちで回転した。
 そして、相手の死角の左脇腹から剣棒を突き出した。
「ぐっ!」
 僕の背中から苦悶の声が聞こえた。その瞬間、リングの外から歓声が上がった。
 僕は即座に離れながら、丸山の方を見ると、膝をついて右脇腹を抑えていた。個人的には致命的な痛手ではないと思ったのだが、彼にとって打突は慣れない痛みだったようだ。
「まだ、やる?」
 これは予想外だったが、追撃は危険な気がしたので、相手の意思を聞いた。
「当たり前だ」
 僕の言葉に少し苛立ちをあらわにして、丸山が立ち上がった。
「そう」
 僕はそう言って、即座に攻撃に転じた。
「お、っととと」
 丸山は、僕の連続の突きを必死にかわしきったが、バランスは崩してしまった。
 僕は剣棒を引き、体を回転させて、屈み込むように足払いした。
「おわっ!」
 丸山が声を上げて、リングに倒れた。本来なら、倒れた相手の上からトドメを刺すのだが、サンボ部の彼には形勢逆転のチャンスをあげるだけだった。
 しかし、立つまで待つ気は全くなく、剣棒を下段に構えて、足のスネ目掛けて思いっきり突きを放った。
 しかし、足を動かされてかわされた。やはり、僕の未熟な腕では、小さく動く的に当てることができなかった。
 ここは狙いを胴体に変えて、丸山の側面に回ったが、それを察した丸山が即座に足をこちらに向けてきた。
 倒れているが完全に臨戦態勢だった。これでは体力を回復させるので、すぐに攻撃に転じることにした。
 剣棒を前に突き立てて、自分のできる限りの跳躍をした
「なっ!」
 丸山が驚いて、上に跳んだ僕を見上げた。僕は、そのまま剣棒を彼に目掛けて、剣棒を突き立てた。
 これは危険だと察した丸山が、転がって緊急回避した。
 僕はそれを見て、即座に剣棒を一回転させて、相手の逃げた方向に剣棒を打ち下ろした。
「ぐっ!」
 その攻撃が脇腹に当たり、丸山の苦悶の声を上げた。
 相手に痛みが残っている内に剣棒を引いて、脇腹にある急所を狙って突きを放った。
「くっ」
 丸山は痛みを堪えながら、体を捻って突きを回避した。やはり、思った通りのタフさだった。
 僕は、少し息を整えるために攻撃をやめた。その間に、丸山が脇腹を押さえながら、体を起こした。
「ふぅ~」
 僕が攻撃してこないことに、丸山が気を抜くように息を吐いた。
 すると、さっきまで黙っていた観客から歓声が上がった。
 これ以上、闘いを延ばすのは個人的には避けたかったが、打たれ強い相手だと急所以外は有効打撃になりそうになかった。
「すぅ~」
 僕は息を吸って、急所のみを狙う打撃に切り替えた。
 そう決意すると、丸山が攻撃を受ける覚悟で突進してきた。どうやら、このままではジリ貧になると悟ったようだ。
 これはチャンスだと思い、僕は渾身の突きを丸山のみぞおちに放った。
「くっ!」
 その突きは、丸山の腹に深々と突き刺さったが、手応えとしては、完璧なものではなかった。その証拠に、丸山が突き刺さった剣棒を両手で掴んでいた。
 しかし、急所を突かれたことにより、丸山が苦悶の顔で動きを止めていた。
 このまま剣棒を失えば確実に負けるので、咄嗟に剣棒を手放して、後ろに下がってから剣棒の先端目掛けて、前宮直伝の前蹴りを放った。
「ぐっ!」
 剣棒を通じて、蹴りの衝撃が丸山の急所に届いたようで、さっきより苦痛な声を上げた。
 剣棒を掴み取り戻そうとすると、思いのほかあっさりと手元に戻ってきた。
 丸山が蹲ったまま動かないのを見て、追撃する前にレフリーをチラッと見てから、頭部目掛けて攻撃しようとした。
「それまで!」
 レフリーが慌てた様子で、ストップを掛けてくれた。その瞬間、うるさいほどの歓声が上がった。
 丸山が立ち上がったのを見て、一礼してからリングを下りた。
「やったね!」
 突然、横から興奮した島村先輩が声を掛けてきた。その隣に前宮もいた。
「ええ、まあ。相性が良かっただけですけどね」
「でも、凄いと思うよ」
 今度は前宮が、感心したように言った。
「そうですか」
 あまり自慢したくなかったので、適当に相槌を打った。
「剣棒、部室に置いてきますね」
 やたらと取り巻きができていることに気づき、この場から離れることにした。
「おめでとう」
 部室に向かおうとすると、目の前に白浜先輩と柏原先輩がいた。
「あ、見てたんですか?」
「ああ。勝ち方が棒術部とは思えないほどの闘いぶりだな」
 柏原先輩が笑いながら、僕にそう指摘してきた。
「異種格闘技ですから、基本通りにはいきませんよ」
「まあ、それもそうだな」
 実践を知っている柏原先輩が、納得した顔をした。
「篠沢は、徒手もできるんだね」
 白浜先輩が意外そうな顔で、僕に見つめた。
「え、ええ、まあ」
 これは武活を休んで前宮に教わったことなので、本当のことは言えなかった。 
「あれは空手か何かかい?」
「まあ、そうですね」
 一連の動作を見ればわかることなので、ここは素直に答えておいた。
「ちょっと部室に行ってもいいですか?」
 この場から早く離れたかったので、申し訳なさそうに言った。
「ああ、ごめん」
 それに気づいた白浜先輩が、謝って一歩引いてくれた。
「では」
 僕はそう言って、足早に部室へ向かった。
 人ごみを掻き分け、部室の鍵を開けて中に入った。
「はぁ~、疲れる」
 この後も試合があると思うと、自然と溜息が漏れた。

第五話 急展開

 部室に剣棒を置くと、突然頭に電波が伝わった。
 これには驚いて、部室を見回したが誰もいなかった。
『母さん?』
 僕は広範囲に飛ばすように、電波を送った。これができるのは母親以外いるはずがなかった。
『あ、届いたようね。ハルキの電波からして500メートルの範囲かな?』
 その範囲だと、母親は学校の近くに来ているようだった。母親と僕はこの世界の人ではなく、基本的な会話は電波だった。
『ど、どうしたの?』
 僕は驚きを隠せず、見えるはずのない母親を捜した。母親がこんな人の多い場所に来ることは異例中の異例だった。
『う~ん。今、建物の前にいるんだけどね。人が多くて入りたくないから、外に出てきてくれない?』
『わ、わかった』
 僕は困惑しながら、勢いよく部室から出た。
「わっ!」
 すると、外から驚いた声が聞こえた。
「び、吃驚した~」
 そこには前宮が、目を見開いた状態で立っていた。
「あれ?模擬店には戻らないんですか」
 僕は焦りを隠すように、平静を装った。
「え、う~ん、あんまり戻りたくない」
「・・・我侭言わないで、戻ってあげてください」
 前宮の渋い顔に溜息交じりに言った。
「う、うん。で、でも、結構早く終わったから、少しは大丈夫だと思うの」
「前宮、戻ってあげてください」
 母親に会いに行くので、前宮を引き連れていきたくはなかった。
「そ、そうだね。ごめん」
「僕には謝る必要はありません」
「う、うん」
 僕が拒絶していると感じたのか、落ち込んだように頷いた。
「そんな顔で戻らないでくださいよ。気が引けるじゃないですか」
 なので、軽くからかってみた。
「これは当てつけだよ」
「普通、それ言いますか?」
 どうやら、前宮は僕に対して気を引いているだけのようだ。
「だって、言わないとわかってくれないんだもん」
 前宮はそう言って、少し表情を綻ばせた。
「それは否定できませんね」
 相手の気持ちを汲むのは、僕にとっては難しいことだった。
「篠沢が言うから、戻ることにする」
「僕を理由にする必要はないでしょう」
「私は我侭だから、自分に言いきかせてるだけ」
「そうですか」
 わざわざそれを言う必要は感じられなかったが、前宮の笑顔を見ると、こちらも笑顔で返すしかできなかった。
「そういえば、部室に誰かいるの?」
 前宮が振り返って、僕にそう聞いてきた。
「いえ、僕一人ですが・・・」
「そう・・・」
 僕の答えを聞いて、前宮はそのまま歩いて行った。
 それを見送って、僕は足早に学校の校門へ向かった。
 校門に出ると、母親が周囲を警戒しながら、壁を背にして待っていた。母親は黒の長髪に少し皺を作っていて、擬態した格好だった。服装は出ていった格好と同じで、灰色のチュニックに、下は黒の七分丈レギンスパンツだった。
「どうかした?」
 ここは公共の場なので、電波ではなく声を発しておいた。
『あ、そっか。人目があるんだったわね』
 母親がすぐに察して、壁から離れた。
「見つけたわ」
「え!」
 これには本気で驚いてしまった。まさか一人でそれを成し遂げるなんて思ってもみなかった。
「すっごい嫌がられた」
 そのことを思い出したのか、物凄い苦い顔をした。これはレイの予言通りになったようだ。
「まあ、クラを選んだんだから、そうなるのは普通じゃない?」
 僕らの世界のナルではなく、このクラに戻っているのだから、嫌がられるのは仕方なく感じた。僕らは、自分の世界をナルと呼び、この世界をクラと呼んでいた。
「あそこまで嫌がらなくてもいいと思うんだ」
 母親はそう言って、寂しそうに沈んだ顔をした。
「で、どうするの?」
 父親と一緒じゃないところを見ると、一人で帰ってきたようだ。
「はい」
 母親は、おもむろに何かを差し出してきた。
「何これ?」
 見る限り携帯電話だったが、なぜ母親がそれを持ってるのかがわからなかった。
「次の日の出に会うことにはなってるけど、私は今住んでる住所知らないから、ハルキが代わりに伝えておいて」
「え、僕が父さんと話すってこと?」
「うん」
「この携帯は何?」
「なんか知らないけど渡された」
 どうやら、母親の住んでる場所がわからないので、僕にそれを聞こうと思ったようだ。わざわざ携帯を渡したところを見ると、忙しい合間に会ってしまったのだろう。
 仕方ないので、携帯の登録番号を見ると、一件だけ携帯番号が登録されていた。
 そこに掛けると、四コール目で電話が繋がった。
『もしもし』
 電話口から相手の声が聞こえた。
「あ、もしもし」
 僕は、慣れない言葉を相手に送った。
「僕は、あなたの息子の春希と言います」
『本当にいるのか』
 僕の存在に、父親らしき人から複雑そうな声が返ってきた。
『いろいろと話したいが、仕事の関係上今は会えないんだが、明日なら会えるから住所を教えてくれ』
 やはり、仕事中に母親に見つかったようだ。それは嫌な顔になるのも、仕方ないと感じた。
「会ってくれるんですか?」
『まあ、息子と言われたら、会わない訳にはいかないだろう。まさか、わざわざ捜しに来るとは思わなかったが』
「そうですね。僕は反対したんですが」
『・・・ふむ、おまえは常識があるんだな』
「2年もここにいれば、必然的にそうなりますよ」
『に、2年も捜してたのか!』
 母親から聞いていなかったようで、かなりの大声で叫ばれた。
「ええ。ですから、あまり母さんを無碍にしないでください」
 でなければ、今でも必死であがいている僕が馬鹿みたいだった。
『わかった』
 状況を汲んでくれたようで、申し訳なさそうに言った。
 僕は、今住んでいる住所を父親に伝えた。
「では、明日にその住所に来てください。あとレイさんにも話しておきましょうか?」
『レイ?ああ、あれはいいや』
 一度疑問に思ったようだが、その名前に思い当たったようで、即座に断ってきた。
『まあ、そっちに着くのは3時ぐらいになるけど、学校には通っているのか?』
「ええ、高校生です」
『は?』
 僕の答えに、父親が驚きの声を上げた。
「ですが、休めばいいことなので問題ありません」
『あ、ああ。そうなのか』
 父親が動揺を隠しきれず、たどたどしく応えてきた。
 電話を切り、母親に携帯を渡そうとしたが、使い方がわからないと言われ押し返されてしまった。
「父さんも見つかったみたいだし、僕はもう用済みかな?」
「そうね~。あとはハルキの好きにしていいわ」
「そう。じゃあ、明日で学校も行かなくてもいいんだね」
「それでいいなら、そうなるわね」
 目的は果たしたので、明日にでも適当に負けることにした。
「でも、いいの?」
「何が?」
 母親の言いたいことがわからず、素で聞き返した。
「名残惜しいとか、別れたくない人とかいないの?」
「特にいないよ。そもそも人と関わりたいと思ってないし」
 人との付き合いは神経を使い過ぎる上、僕にとってのメリットは皆無に等しかった。
「相変わらず冷めてるわね。仲のいい人とかいたんでしょう」
「集団では一人だと目立つから、仕方なく誰かといるしかなかっただけだよ」
 それが弘樹だっただけだった。彼はプライべーとまで深入りしないし、浅い付き合いでも許容してくれるので、僕にとっては都合が良かった。
「それにクラの人は、やたらと接触してくるから不快で仕方ないよ」
「あ~、確かに好きでもない人には触れられたくはないわね」
「僕には、好きという感情がよくわからないよ」
 僕自身、好きという感情は経験したことがなかったし、したいとも思っていなかった。
「生存本能の方が先にきちゃうもんね」
「触れ合えば死。それがナルでの常識だよ」
「そうね」
 母親は、達観した顔で肯定した。
「・・・不死なんて幻想、求めるものじゃないわね」
 何を思ったか、母親が遠い目をしてそんなことを呟いた。
「どういう意味?」
「ん?ああ、昔のことよ」
 母親が悟った顔で、僕にそう答えた。
「じゃあ、用件も済んだし帰ってるわ」
「うん。わかった」
 僕がそう応えると、母親が家の方に歩き出した。
「あ、そうだ。今、ここで何やってるの?」
 気になることがあったのか、母親は途中で足を止め、僕の方を振り返った。
「珍しいね。そんなこと聞くなんて」
「そうね。ただでさえ人が多いのに、今はその倍ぐらい居そうだったから、何してるのか気になっただけよ」
 母親は基本的に物事に関心は持つが、学校のような人の集まる場所での行動には、全く関心を示したことがなかった。
「前に話した学校行事だよ」
「ああ、あのよくわからないあれね」
「で、勝ったの?」
「三回は勝ったけど、頂点まではまだ先だよ」
「あ、そうなんだ。じゃあ、帰るわ」
 母親は、それだけ聞いて帰っていった。
 僕はそれを見送ってから、明日で最後になる学校を見上げた。母親の言う名残惜しいという感情はなく、ただここから解放されるという思いが強かった。退学手続やバイトのことを考えたが、もう会うこともないので黙って去ることにした。
このまま帰ってもよかったが、明日までは来ないといけないので、学校に戻ることにした。
 2年の校舎に入り、階段を屋上まで上がると、島村先輩と若菜が談笑していた。
「あ、どこ行ってたのよ」
 島村先輩が僕に気づき、椅子から立ち上がった。
「ちょっと、野暮用です」
「それだったら、一声掛けて行ってよね。私たち待ってたんだから」
「それはすみません」
 僕は階段を上りきって、空席に座った。
「三回戦突破おめでとうございます」
 若菜が僕を見て、勝利を祝してきた。
「まあ、運が良かっただけだよ」
 それに対して、謙遜の言葉で返した。
「次で最後の試合だね」
 島村先輩が僕を見て、なぜか笑顔を向けてきた。
「早く終わって欲しいですね~」
「ん?なんか清々しい顔してるね」
 僕の表情が気になったようで、島村先輩が不思議そうな顔をした。明日でここから解放される喜びが、表情に出てしまったようだ。
「ホントですね。こんな表情見るのは特訓最終日以来ですね」
 それに同調するように、若菜も不思議そうに僕を見つめた。
「そ、そうですか?気のせいでしょう」
 少し気まずくなり、二人から視線を逸らした。
「あ、珍しい。動揺してる」
 日頃見せない僕の態度に、島村先輩が興味を示した。
「なんかあるの?」
「何もありませんよ」
 ここは悟らせないように、冷静に返しておいた。
「う~ん、怪しい」
「そうですね。短い付き合いですが、今みたいに晴れやかな顔されると、気になってしまいますね」
「だよね~」
 これには島村先輩が、若菜の方を見て同意した。
『さすがに、ここを離れるとは言えないな~』
 事実を言いたかったが、敢えて電波で我慢することにした。
「え、どこかに引っ越すの?」
 すると、島村先輩が僕の電波に反応を示した。
「え、引っ越す?」
「・・・」
 島村先輩の発言に、若菜の方は不思議そうに言葉を復唱したが、僕の方は驚きのあまり声が出てこなかった。
「え、どうしたの?」
 僕たちの反応に、島村先輩が交互に視線を移した。
「・・・し、島村先輩。今、何か聞こえました?」
 僕は動揺を隠しきれず、恐る恐る聞いた。
「え?ここを離れるって聞こえたけど」
「・・・」
 これは由々しき事態だった。どうやら、僕の電波を受信したようだ。
「し、島村先輩。最近、変わったことありませんでしたか?」
「え、変わったこと?」
「例えば、誰かの声が聞こえるようになったとか」
 僕から核心部分は言いたくなかったが、焦りから自然と口に出ていた。
「え、何それ?」
 その反応を見る限り、そういったことはないようだ。
「あ、でも、たまにかなえと望の声が聞こえる気がするんだよね~。小さくて聞き取れないけど」
 それを聞いて、前宮に確認したくなり勢いよく立ち上がった。
「え、どうしたの?」
 これに島村先輩が、驚いた顔をした。
「ちょっと、確認したいことができたので」
 僕はそれだけ言って、大慌てで前宮の所へ向かった。
 3年の校舎に入り、クラスの模擬店を探した。
 見知った女子がいたので、足早にその教室に入ると、変な格好したクラスメイトに接客された。
「あれ?篠沢?」
 声を掛けたのは運営係の人だった。前掛けのフリルのエプロンに、胸を強調するような服を着ていた。それは接客している女子生徒全員同じ格好だった。
 その中に前宮がいたので、足早に近づいて声を掛けた。
「えっ!なんで来てるの?」
 これには驚きの声を上げて、服を隠すようにその場に屈んだ。
「ちょっと前宮を借りていいですか?」
 前宮の許可を取る前に、運営係の女子に許可を取った。
「え、う、うん」
 状況を呑み込めないようで、動揺しながらも許可してくれた。
「という訳で、ちょっと一緒に来てもらえませんか」
「え、こ、この格好で?」
 屈んでいる前宮が、恥ずかしそうに僕の方を見上げた。
「ええ、似合ってますから問題ありません」
 今は着替えている時間も待っていられないので、適当に褒めておいた。
「この格好を似合ってるって言われないんだけど」
 しかし、これは褒めるべき服装ではなかったようだ。
「いいから、急いで確認したいことがあるんです」
「ご、ごめん。せめて着替えさせて」
 前宮が顔を赤くして、必死な眼差しで訴えてきた。
「わかりました。早くしてくださいね」
 僕は諦めて、廊下で待つことにした。
 僕が廊下に出ると、女子たちの甲高い声が聞こえたが、今は気にしている余裕はなかった。
 数分後、隣の更衣室から着替え終えた前宮が出てきた。
「で、何の用なの?」
 前宮が髪を整えながら、恥ずかしそうにチラチラと僕を見てきた。
「最近、体調に変化とかありませんか?」
「え、何、急に?」
「体重が減ったとか、視力が良くなったとか、何か変な音が聞こえるとか」
 僕はクラの人とは違う体質を、一通り早口で列挙した。
「ど、どうしたの?」
 普段見せることのない僕の焦りに、前宮が戸惑いの表情を見せた。
「いいから、教えてください。重要なことですので」
「ん~~、急に言われても特にないと思うんだけど」
「些細なことでもいいので、何かありませんか?」
「そんなこと言われても・・・」
 前宮が困ったように首を傾げた。
「あ、最近、姉さんと美雪先輩がうるさいような感じがするかな」
「どういうことですか?」
「う~ん。姉さんの部屋が隣なんだけど、たまに声が漏れてくるのよ。しかも、会話になってない気がするし」
 そう言うと、不思議そうに首を傾げた。
「それって聞こえ方はどうですか?」
「え、聞こえ方?」
「直接、頭に響いたとか」
「ちょく・・せつ?」
 言葉に違和感を覚えたようで、訝しげな顔をした。
「そういえば、なんか変な感じだった・・気はする」
 何か思い当たることがあるのか、視線を上に向けながら考え込む仕草をした。
「前宮、少し後ろを向いてください」
 ある程度確信を持てたので、実際に電波を送ってみることにした。
「え、なんで?」
「お願いします」
「う、うん」
 僕の頼みに、前宮が戸惑いながら後ろを向いた。
『前宮』
 それを確認して、電波を前宮に送ってみた。
「何?」
 案の定、電波で振り返られた。
「侵蝕されてしてしまいましたか」
「しん・・しょく?」
 僕の言葉の意味がわからず、不思議そうな顔で復唱した。
 侵蝕とは、人との接触で細胞が相手に移ることで、それに適応しなければ、体に異常をきたして死に至ることもあると云われていた。しかし、それはある程度の時間接触しなければ移ることはないのだが、顔だけは別だった。接吻だけの短時間の接触でも侵蝕されてしまう為、ナルでは自殺か心中行為と認識されていた。
「ふぅ、困りましたね」
 このクラの人との接触では長時間でも侵蝕されないことは、レイで実証済みなので、考えられることは接吻での侵蝕だった。
「体に異常はないみたいですね」
 侵蝕の影響を少し受けているようだが、死につながるようなことはないようだった。これは僕が、クラの遺伝子を半分有していることが幸いしたかもしれないと思った。
「ど、どうしたの?さっきから変だよ」
 僕の独り言に、前宮が困った顔をしていた。
「すみません。用事が出来たので、もう行きますね」
 これは母親とレイに知らせる必要がでてきた。
「え、何それ!」
 後ろから前宮の叫びが聞こえたが、今はそれどころではないので無視することにした。
 一旦、帰ることも考えたが、まだあと一試合残っているので、電波で母親を呼び寄せることにした。そのあと、電話でレイに連絡した。
 校門で待っていると、レイが学校から出てきた。
「あれ?学校にいたんですか?」
 レイは、Tシャツにジーパンといういつものラフな格好だった。
「あなたの試合を見に来たのよ」
「ああ、そういえば忘れてましたね」
 観客が多すぎるので、レイの姿はリングからは確認できなかった。
「なかなか面白かったわ」
 レイが表情を緩めて、含みのある言葉を言った。
「それは良かったです」
「あれ?嫌な顔しないのね」
「まあ、見世物ですから。面白いのなら何よりです」
 嫌がられると思ったようだが、どう見られるかは僕には興味はなかった。
「あ、それより侵蝕が確認されたの?」
 レイは長い髪を後ろで縛りながら、状況を確認してきた。僕の焦りとは裏腹に、思いのほか冷静な態度だった。
「ええ、僕ではないんですが、僕と接触した人が僕の電波を受信しました」
「なるほど」
 レイは顎に手を当てて、深刻な顔で考え込むような仕草をした。
「話は母さんが来てからにしましょう」
「あ、呼んでるの?」
「ええ」
 僕はそう言って、さっき母親が帰った方向を見た。
「あ、それと父親が見つかったので、明日あたり帰ります」
「え、見つかったの!」
「ええ」
「嫌な顔とかされなかった?」
 レイは、意外そうな顔で聞いてきた。
「物凄くされたそうです」
「あ、やっぱり・・・」
 これには呆れた顔で呟いた。
「一応、明日会うことになってます」
「え、そうなの!」
「あと、レイさんに会うかを聞いたんですが、会いたくないと軽く言われました」
「まあ、当然ちゃあ当然の反応ね」
 昔何かあったようで、父親が会わないことに納得していた。
「いろいろお世話になりました」
 僕は、レイに感謝の意を込めて頭を下げた。
「あ、でも、それだと争奪戦の途中で帰っちゃうの?」
「そうなりますね。明日の3時に会う予定なので、準決勝あたりで帰るかもしれません」
「あ、そこまでは参加するんだ」
「ええ、まあ不本意ですが」
「で、何も言わず帰るの?」
「もう会うこともありませんし、必要ないと思いますが」
 僕としては、このクラに居るギリギリまで参加することが、最大限の礼儀だと思っていた。
「急にいなくなったら、さすがに心配するんじゃないかな」
「そのうち忘れるでしょう」
「そ、そういうものかな」
「そういうものですよ」
「でも、もし警察に行方不明届とか出されたら困るんだけど」
「まあ、そうなったらレイさんがなんとかしてください」
 そこまでする相手が思い浮かばなかったが、そうなっても僕には影響はなかった。
「そ、そこは丸投げするんだ・・・」
「嫌なら何もしなくても構いませんが」
 もう僕はクラにはいないので、そのあたりはどうでも良かった。
「な、なんかドライ過ぎない?」
「そうですか?」
 もう会うこともない相手に、そこまで気を使う必要性が僕にはわからなかった。

第六話 侵蝕

 10分後、母親が擬態した状態で歩いてきた。校門前では話せない話なので、学校の一番手前の校舎裏に入った。
「クラの人には、侵蝕しなかったんじゃないの?」
 僕の報告を聞いて、母親が壁にもたれながら腕を組んだ。
「接触では侵蝕の確認はなかったはずですよ」
 これにはレイが、母親に説明した。それはここに来て、最初に確認したことだった。
「体の接触は問題なかったけど、顔での接触は無理だったみたい」
「ああ、接吻されたんだっけ?」
 母親にそれは教えていたので、即座にそのことだと理解した。
「え、恋人ができたの?」
 これにはレイが、驚いた顔で僕を見た。
「いえ、強引にされただけです」
 あまり思い出したくない記憶なので、感情を入れず流すように言った。
「若いわね~。で、その一人が侵蝕されたってこと?」
「いえ、三人です」
「えっ!三人も?なんで?」
 状況が掴めず、レイが唖然とした顔をした。
「あれ?一人増えてない?」
 会長と島村先輩のことは話の流れで言わざる得なかったが、前宮のことは母親にも伝えていなかった。
「まあ、いろいろあってね」
 これはあまり言いたくなかったので、二人から視線を逸らすかたちで言い繕った。
「全く、クラの人は本当に変な人ばっかりね」
 母親は口に手を当てて、おかしそうに噴き出した。
「で、どうします?」
 この状況は、僕にはどう対処していいかわからなかった。
「ん~、今後のことも考えて、隔離するべきだけど、理由も明確にしないまま隔離したら、人権問題に発展しちゃうし、現状では何もできないわね」
「何を言ってるかわからないけど、がんじがらめと言う状況は理解できるわ」
「それ、間違ってないです」
 母親の解釈に、レイが敬語で肯定した。
「三人に事情を話して、協力してもらえばいいでしょう」
 別に強引に隔離しなくても、本人の同意があれば、問題は解決するはずだった。
「・・・どう説明するのよ」
 レイが頭を掻きながら、ジト目で僕を見た。
「事実をありのままに」
「信じると思う?」
「母さんを見れば、信じるでしょう」
「む、確かに」
 これにはレイが、苦い顔をした。
「でも、それを知っても、人と触れ合うことができなくなる事実は信じてくれないかもしれないわよ」
「確かに、それはありますね」
 僕自身、侵蝕は経験していないので、説得力に欠けてしまう可能性はあった。
「そこは母さんに任せましょう」
「嫌よ。そんな危険な行為できないわ」
 僕の案を、母親が即座に断ってきた。
「っていうか、ほっとけばいいじゃない。別に、死ぬわけじゃないみたいだし。電波の受信ができるだけで、他は異常はないんでしょう?そんな彼女たちから他の人に侵蝕したって、体の構造は同じなんだから死にはしないでしょう」
「でも、それは今だけかもしれない。後々、後遺症が出るかも」
 レイはそう言いながら、真剣な顔で母親を見た。
「侵蝕したからって、死ぬまでその人の面倒見る必要あるの?」
「確かに、そこまでする必要は感じないね」
 冷静になってみると、真剣に悩んでいた自分が馬鹿みたいだった。
「まあ、私にできることもなさそうだし帰るわ」
 状況を把握した上で、母親はそう判断して壁から離れた。
「え、帰るんですか?」
「侵蝕は、どうすることもできないわ。だからこそ、私たちの世界では接触はタブーなのよ」
 レイの引き止めに、母親が面倒臭そうな顔をした。ナルの人は、生存本能から接触は恐怖の象徴でしかなかった。
「・・・」
 母親の言葉に何も反論できなようで、レイが助けを求めるように僕を見た。どうやら、母親の協力が欲しいようだった。
「レイさんは、どうしたいんですか?」
 今の状況では母親の説得は無理なので、どう解決したいのかを聞くことにした。
「ど、どうって・・・」
「彼女たちの侵蝕は確認できましたが、これから死ぬまでどう影響を及ぼすかは、観察しないとわからない訳ですし、彼女たちから他の人への侵蝕の可能性も考慮すると、事情を話すか拉致して僕らの世界に強引に連れていくこともできます」
「ゆ、行方不明にするってこと!」
「ええ、一部の人しか僕らの世界を知りませんし、この世界で隔離するよりは好都合かと思います」
 だからと言って、食事を必要としている会長たちが、ナルで生きていける可能性は低かった。
「まあ、それが嫌なら、そっちの医療技術でなんとかするしかないですね」
 僕には理解できないが、この世界の医療技術が高度に発展してることは間違いなかった。
「精密検査にかけるってこと?」
「ええ、母さんの細胞をがん細胞と言っていましたから、発見できれば摘出も可能かもしれませんよ」
 僕の医療知識は図書館の本だけだったが、自分の構造を少しでも知ったので、体内生成に僅かばかり役立ってはいた。自分の体を誰かに委ねるなんて発想は、ナルでは考えられないが、自己治癒能力の低いクラの人には仕方ないと感じた。
「う~ん。確かに、がん細胞の摘出は現実味があるけど、増殖率が普通のがん細胞より極端に早いのよね~。だから、最悪の場合全身に広がってる可能性があるわ」
「何が言いたいんですか?」
「それでも生きてることが発覚したら、前代未聞のことよ」
「いいじゃないですか。世界にも広まって、研究も進みますよ」
「そ、それは・・・そうだけど」
 レイは世界に公表したようなことを言っていたので、これには特に不都合はないはずだったが、何か言いにくそうに顔を逸らした。
「ふん。世界に公表されることが怖くなったの?」
 レイの表情に、母親が呆れた様子で鼻を鳴らした。
「だ、だって、まだ何もわかってないですし」
 細胞を提供して2年半は経っていたが、未だに解明できていなかった。
「だから、公にするんでしょう。それとも、この状況の責任を負うのが嫌なのかしら」
「うっ!」
 母親の見透かしたような指摘に、レイが低い声を出してたじろいだ。
「はぁ~、これだから集団は面倒で困るわ」
 この言葉は、単独でしか動かない母親には似つかわしくなかった。
「責任を負えないのなら、この件からは手を引きなさい」
「し、知ってて身を引けって言うんですか!」
 これが不服のようで、言葉を強めて食いついた。
「私の世界でも見放したでしょう」
「そ、それは・・もう手遅れだったし、私たちにはどうしようもできなかったのよ」
 レイは物凄く申し訳なさそうな表情でどんどん声がしぼんでいった。
「貴方には何もできない。あの時と同じようにね」
 母親はそう言い残して、優雅に歩いて帰っていった。
「・・・えっと、大丈夫ですか?」
 それを見送って、落ち込んでいる様子のレイに気遣いの言葉を投げかけた。
「ははっ、研究者の限界を感じるわ」
 レイが空笑いして、泣きそうな顔を僕に向けた。
「研究者と実行者は常に同一人物とは限りませんよ。集団の場合、役割分担と言うのがあるんですから、他人に頼ってみたらどうですか」
 集団に慣れることができない僕からは、その言葉しか送れなかった。
「・・・そうね。この件は一人で抱え込むのは荷が重すぎるわ」
 少しは励まされたようで、レイが表情を緩めて顔を上げた。
「ありがとう。あなたは、ここに来てかなり変わったね」
「まあ、2年近くもいれば、多少は感化されますよ。不本意ですが」
「皮肉の方は相変わらずね」
「これは性分ですよ」
 僕は皮肉屋なので、ここは敢えておどけて見せた。
「もう戻りますね」
 話すこともなくなったので、試合まで待機することにした。
「私は、用事ができたから一旦帰るわ」
 どうやら、今の状況を誰かに相談しに行くようだ。
「最後の最後ですみません」
「あなたのせいじゃないことはわかってるし、謝る必要はないわ」
 レイはそう言って、優しく微笑んだ。
「どうしようもない時は、僕にも相談してください」
「ふふっ、本当に変わったね」
 僕の気遣いに、レイが嬉しそうな顔で言った。
「まあ、最初は私たちでなんとかしてみるわ。それでもどうしようのなくなったら一緒に考えてくれる?」
「はい」
 これは僕なりの責任の取り方だった。
「じゃあ、もう行くわ」
「僕も戻ります」
 僕はレイと別れ、時間を確認すると1時間半近く経っていた。
「微妙な時間だな~」
 僕はそう呟きながら、剣棒を取りに部室へ向かった。
 そのまま運動場に行くと、観客が多いので、校舎裏の細い路地から部室に向かうことにした。
 図書館を素通りし、校舎裏の路地に入ると、その細い路地に座り込む人影が見えた。
 それを見た僕は、引き返すことにした。
「篠沢?」
 すると、路地の方から僕の名前を呼ばれた。
 振り返ると、そこには会長が立ち上がっていた。
「何してるの?こんな所で」
「候補生って、男子生徒と極力会えないから、仕方なくここにいるのよ」
「部屋は用意されてないの?」
「生徒会もあるから、待機部屋は生徒会室になってるわ。でも、模擬店のトラブルが多くて、しょっちゅう駆り出されてる」
「で、結局、生徒会では休めなくてここにいると?」
「そういうこと」
 会長は溜息をつきながら、その場に座り込んだ。
「昼に来た所なら、ほとんど誰も来ないし、休めると思うよ」
「え?ああ、篠沢たちがいた所?」
「ええ」
「でも、篠沢の休憩場所でしょ」
「僕はこれから試合だから、当分はそこにはいないよ」
「・・・なら、使わせてもらおうかな」
 会長は制服を叩きながら、もう一度立ち上がった。
「そういえば、一つ聞きたいんだけど。最近、変わったこととかない?」
 会長とすれ違うタイミングで、会長にも変化がないか聞いてみた。
「何それ?」
 これに会長が振り返って、真顔で聞いてきた。
「体調が悪いとか、誰かの声がよく聞こえるとか」
 僕は周りの視線を警戒して、路地に入ってから聞いた。
「・・・そういえば、さっき変な雑音が入ってきた気がする」
 会長が少し黙考して、そんなことを口にした。
「そう・・ですか」
 どうやら、僕が母親を呼んだ時に使った信号を会長もキャッチしたようだ。
「でも、最近多いのよね~。空耳が」
 会長はそう言って、困ったように頭を掻いた。
「空耳?」
「特に、美雪とノゾミンの声が聞こえる気がするんだけど、本人たちは何も言ってないって言うし、どうなってるんだろう?」
 もう決定的にこの三人は侵蝕されていた。
「あ、それと、なんかここ最近体軽い気がするわ。体調が良いって言うか、目覚めが良くなったというか。なんか自分の体じゃないみたいな・・・でも、食欲はないのよね~」
 自分で言ってて違和感を覚えたのか、僕を見て首を傾げた。どうやら、三人の中では会長が自分の体の変化に敏感に気づき始めたようだ。
「っていうか、篠沢がそんなこと聞くってことは何かあるの?」
 そして、僕の問いが疑念に変わった。
「僕から話すことはないと思うけど、いずれ知る時が来るかもしれないね」
 ここで話しても、明日にはいなくなる僕にはどうすることもできなかった。
「何、そのイキった態度?ナルシストみたいで気持ち悪いよ」
 会長も前宮と同様、ナルシストは嫌いなようだった。
「あ、そうそう、優勝はできそうにもないから、先に謝っておくね」
「は?何よそれ!」
「じゃあ、そろそろ休憩時間も終わるから」
 理由は説明できないので、会長の背にして大股で歩き出した。
「ちょっと待ちなさい!」
 後ろから会長の呼び止める声が聞こえたが、無視して部室へ向かった。
 部室の前に着くと、塀越しから歓声が聞こえてきた。僕は煩わしい思いで、部室の鍵を開けて中に入った。
 ロッカーから剣棒を取って、あのうるさい運動場に向かうかどうか悩んだ。
「面倒臭い」
 僕は、溜息交じりで部室を出た。
「・・・なんでいるんですか?」
 部室の外に、さっきはいなかったはずの前宮が立っていた。
「え?さっき、部室に向かうの見えたから」
 前宮が当然のようにそう答えた。しかし、棒術部の部室は運動場側からは見えないし、細長い直線状で前宮は確認できなかった。そうなると答えは一つだった。
「もしかして、捜してました?」
「う、うん」
 その事実が恥ずかしいのか、僕から視線を外して頷いた。
「じゃあ、会長にも会いましたか」
「うん」
 やはり、会長と話した後に前宮がその場所に来て、会長に聞いて細い路地を通ってきたようだ。
「てっきり、さっきの休憩場所に戻ってると思って行ったんだけど、なかなか来ないから捜しに来たの」
「模擬店はどうしたんですか?」
「なんか知らないけど、篠沢と話して戻ったら今日はもう自由にして良いって言われた」
「なんですか、それ?」
「わからないけど、凄い微笑ましい顔で見送られた」
 それを思い出したのか、不愉快そうに顔を歪めた。
「僕を捜すなら、次の試合の場所で待ってた方が良かったんじゃないですか?」
 当てもなく捜すより、そっちのほうが効率が良いはずだった。
「人が多すぎるから、その前に見つけたかった」
「前宮は、そこまで僕と一緒に居たいんですか?」
「えっ!も・・勿論」
 前宮は少し間をあけて、恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「もし、僕が突然いなくなったら捜したりします?」
 今の前宮を見ていると、地の果てまで追ってきそうな気がした。
「うん。捜す」
 その迷いのない答えは、かなり不安を覚えてしまった。
「う~ん。前宮には言っておいたほうが良いですかね」
「え、何を?」
「あ、でも、明日でもいいか」
 今言うといろいろ面倒なので、ここを去る時にしようと思った。
「どこか引っ越すの?」
 さすがにここまで言ったら、そう推測が立つのは当然だった。
「明日、話しますよ」
 僕はそう言って、運動場に歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ~」
 前宮が慌てて、僕の後ろからついてきた。
 次の試合の場所まで行く間、前宮がしつこく聞いてきたが、周りの歓声のせいにして聞こえないふりをした。
「あ、来た」
 リングに着くと、島村先輩が僕に気づいて近寄ってきた。その後ろになぜか若菜もいた。
「もう~、何してたのよ~」
「野暮用です」
「急にどっか行ったと思ったら、戻ってこないから心配したのよ~」
 島村先輩の発言に、黙って行くのはいろいろ面倒が起きそうな気がした。
「・・・えっと、急にいなくなったら心配するんですか?」
 ここは島村先輩に一般的な答えを聞いてみた。
「そりゃあ、するわよ」
「そう・・ですか」
 島村先輩の迷いのない答えは、僕の考え方を真っ向から否定するものだった。
「まあ、いいか」
 しかし、前宮みたいに捜す行動までは至っていないので、心配するだけならそれはそれで良い気もした。
「ところで、今何試合目ですか」
 僕は話を変えて、リング上を見つめた。
「さあ~」
 どうやら、島村先輩も今来たようで試合状況はわからなかったようだった。
「今は四回戦の一試合目よ」
 声の方に振り向くと、久米詩絵がタブレットを持って歩いてきた。長い茶髪に一重の目、頬にはそばかすがあり、かなり細身な体系だった。彼女は争奪戦の実行委員で、勝敗の記録係をしているようだった。
「や、ノゾミン♪」
 久米は、前宮に笑顔で軽く手を振った。
「・・・」
 それに対して、前宮が無言を返した。
「返事ぐらいしてよ~」
 これには悲しそうに項垂れた。
「四回戦の一試合目なら、次の試合ですね」
 といっても、今の試合が終わってもまだ時間に少し余裕はあった。
「篠沢君が勝ったら、今の試合に勝った相手と闘うってことになるのかな?」
「この試合は、篠沢とはグループが違いますよ」
 島村先輩の憶測に、久米がタブレットを見ながら答えた。
「あ、違うグループなんだ」
「はい。篠沢のグループのもう一つは第一体育館で試合中ですね」
「あ、そうなんだ」
 島村先輩は納得して、リングを見上げた。
「そういえば、篠沢君の次の対戦相手って知ってる?」
「えっと、3年生の君島雪輝。武活はトンファー部ですね」
 それを聞いて、トンファーがどういう物かイメージできなかった。
「トンファーって、どういう形状でしたっけ?」
 なので、隣の前宮に聞いてみた。
「えっと、確か木の棒の横に握り手があるみたいな形状だった気がする」
 前宮も記憶が曖昧なようで、あまり自信はなさそうだった。
「こんな形よ」
 久米がタブレットを操作してから、僕に画面を見せた。
「ああ、攻防に特化した物だね」
「そうね。この部は少数だけど、グループ予選では常に上位にきてるわ」
「まあ、徒手でも武器でも対応できるからね」
 そう考えると、僕が勝てる要素は限られてきそうだった。
「じゃあ、僕はあっちに行きますので」
「あ、待機場所って、反対方向なんだ」
「ええ」
 島村先輩にそう答えて、観客の間に入っていった。その後ろから、久米以外が僕についてきた。
「そういえば、若菜は模擬店はいいの?」
「あ~、はい。あっちも諦めてくれたみたいですし、それに今日は終わりですから」
「あ、なるほど」
 時間的に模擬店は、片づけに入っている頃だった。
 リングの反対側に着くと、弘樹がリングを見ていた。
「お、来たな」
 弘樹は、僕に気づき声を掛けてきた。
「次の相手はトンファー部だぞ」
 そして、僕に次の対戦相手を教えてくれた。
「みたいだね」
「あ、知ってたのか」
「さっき、久米に聞いた」
「そうなのか」
「難しい相手だね」
「勝てそうか?」
「相手の力量次第かな」
「ここまで勝ち上がってるんだ。実力はかなりだと思うぞ」
「確かに。そう考えると、真っ向勝負では勝てないかも」
「相変わらず、冷静な分析だな」
「正直、負けてもいいと思ってるけどね」
「そして、やる気もなしか」
 僕の勝つ気のなさに、弘樹が溜息交じりに言った。
「・・・篠沢先輩は、本当に勝つ気ないんですね」
「篠沢君らしいんじゃない」
「そうですね。それでも勝ち続けてる篠沢は凄いと思います」
 横の三人がそんな話をしていたが、ここは会話に入らないことにした。
「なんか一人増えてないか?」
 弘樹が若菜を見て、僕に聞こえるような小声で聞いてきた。
「え、そうかな?」
 若菜は男性恐怖症なので、弘樹に紹介するのははばかれた。というか、観客は男性が多いのだが、集団でいる場合は特に問題ないようだった。この状況から男性恐怖症は、対面で発症するものだと勝手に解釈した。
「それより、剣道部の五強はどうなったの?」
 僕は若菜から意識を逸らす為、どうでもいい話題で凌ぐことにした。
「そうだな~、一人負けちまった」
「あ、そうなんだ。相性が悪かったの?」
「いいや、実力で負けだ」
「へぇ~、何部に負けたの?」
「空手部の一撃に沈んだ」
「あ~、それは痛そうだね」
 痛みはなかったとはいえ、前宮の一撃の重みを知っている僕からしたら、負けても仕方がないと感じた。
「剣道部は基本殺し合い前提の武術だから、打撃には弱いんだよな~」
「まあ、打撃を受ける練習はしてないもんね」
「懐に入られたら、どうしようもできん」
「それは僕も一緒だね」
 僕がそう言うと、周囲から歓声が聞こえた。
「決まったみたいだな」
 弘樹の言葉にリングを見ると、両者ともにリングに立っていた。
「どっちか降参したの?」
「春希と同じで、武器を破壊したみたいだな」
「ふ~ん。じゃあ、あの満身創痍の人が勝ったんだ」
 リングではズタボロの2年と、息を切らせているだけの3年が晴れやかな顔で会釈していた。
「肉を切らせて骨を立ったわけだな」
「明日にあれを完治できるとは思えないね」
「そりゃあ、無理だろ」
「だよね~」
 僕でもあの状態なら、2日は要する怪我だった。まあ、僕の場合は痛みはないので、動きが鈍くなるだけだが。
 結局、担架で送りだされた2年生を見て、こうはならないように心に誓った。

第七話 四回戦

 試合は終わったが、次までは5分程余裕があった。
「なんか、この待ち時間って緊張するよね」
 なぜか試合に出ない島村先輩が、僕にそう言ってきた。
「そうですね。周りのカメラと視線が鬱陶しいですね」
 待機場所はあくまで待機する場所で、仕切りはなく周りから好奇の的にされていた。
「全く、リングなんて派手な物作るなら、選手の気持ちも考えて、三方向に仕切りを用意すべきですよね」
「そ、それもそうだね」
 島村先輩が苦笑いして、少し引き気味に同意した。
 時間になり、アナウンスで僕の名前が呼ばれた。僕は、周囲から声援を送られるかたちでリングに上がった。
 相手の選手の名前が呼ばれると、反対側からトンファーを持った君島雪輝がゆったりと上がってきた。足運びを見る限り、阿野先輩と同じような実力者のようだった。
「両者、前へ」
 審判に呼ばれ、中央で君島先輩と対面した。顔の堀は深く、眉の濃くて目力があった。表情は硬かったが、場離れしているような雰囲気をかもし出していた。
 審判が前と同じ禁止事項を言い、試合の合図とともに、僕たちから素早く離れた。
 その瞬間、君島先輩が動き出した。どうやら、先手必勝を狙ったようだ。
 しかし、それは僕も同じことだった。
「なっ!」
 君島先輩が驚きの声を上げて、僕が放った下から上への剣棒をギリギリでかわすように飛び退いた。
 相手が着地すると同時に、剣棒を中段に構えて連続突きを放った。ここは敢えて急所を狙わず、君島先輩がどう凌ぐかを見る為の攻撃だった。
 君島先輩は、空手の回し受けのようにトンファーで受け流してきた。これは予想通りの防ぎ方だった。
 それがわかった時点で、突きの多用は意味がないと判断した。
 僕は構えを斜構えにして、自分から攻めない姿勢を取った。それを見た君島先輩が、一瞬だけ嫌な顔をした。
 君島先輩は、僕の射程範囲まで距離を少しずつ詰めてきたが、僕はその場を動くことはしなかった。
「ちっ!」
 これに痺れを切らしたようで、舌打ちして強引に向かってきた。
 僕はトンファーの間合いを気にしながら、君島先輩の攻撃をかわしていった。僕の攻撃を警戒しているのか、手が届くほど接近してはこなかった。
「くっ」
 自分の攻撃が単調になっていることに気づいたようで、僕から距離を取るように後ろに大きく後退した。君島先輩に苦手意識を植え付けさせたので、あとはこちらが主導権を握るだけだった。
 基本通りの攻めは相手に自信をつけさせるだけなので、変則的な攻撃をすることにした。
 僕は距離を詰めるように走り出し、君島先輩の手前で剣棒を突き立てて、上に跳び上がり、剣棒に全体重を乗せて振り下ろした。これを受けると思ったが、案の定後ろに下がって回避した。
 こうなってくると、もうあとは攻めるだけだった。上半身は防がれやすいので、下半身を重点的に狙った。
 円を描くような流れる動きで、威力を上げるために一回転多く回りながら、剣棒を払った。
 君島先輩は防戦一方で、どんどんコーナーに追い込まれていった。
「くそっ」
 この状況に、君島先輩が渋い顔をした。それを見て、わざとさっきと同じように真上に跳び上がり、全体重を乗せて振り下ろした。
 さすがにコーナーに追い込まれては、トンファーで防ぐしかできなかった。
 それを待っていた僕は、着地する前に剣棒を引いて、リングに足が着くと同時に全速の突きを放った。トンファーは頭の上にある為、腹部がガラ空きになっていた。
「くっ」
 君島先輩が必死でかわすように体をくねらせたが、それは織り込み済みだった。
「ぐっ!」
 剣棒が脇腹に深く刺さり、苦悶の表情をした。
 ここから連続攻撃を考えたが、相手の左手の初動が見えたので、その手を払うように剣棒を振るった。
 しかし、それを察した君島先輩が腕を捻って、トンファーを掠めるように剣棒を逸らしてきた。目論見が外れたので、流れた剣棒を回転させて、連続攻撃に移行した。
 しかし、回転を活かした攻撃はコーナー付近ではあまり当たらないので、攻撃パターンを替える為、すぐさま中段に構え直して、足の甲を狙う突きを放った。
「なっ!」
 これには驚いたようで、慌てた様子で足を動かした。
 数回で足への攻撃に慣れてきたようなので、変化をつけるために剣棒を上に跳ね上げた。しかし、それを待っていたのか、君島先輩が軽くかわして、トンファーを振るってきた。
 僕はそれを剣棒で受けて、すぐに剣棒を手放し、君島先輩の懐に潜り込んだ。
「な!」
 これには君島先輩が、目を見開いて声を上げた。その一驚の間に、僕は右の拳をみぞおち目掛けて振り上げていた。
「ぐっ!」
 それがみぞおちに入り、君島先輩が苦悶の表情をした。
 しかし、これだけでは倒れそうにないので、リングにワンバウンドした剣棒を拾って、すぐさま同じ所に突きを放ったが、焦っていたせいでみぞおちから少しずれてしまった。
「ちっ!」
 僕は舌打ちして、剣棒を少し引いて顎を目掛けて振り上げたが、君島先輩は怯むかたちでかわされてしまった。これは想定していなかったので、体が少し宙に浮いてしまった。
「くっ」
 君島先輩はここしかないと判断したようで、痛みに耐えるように攻撃に転じてきた。
 こうなっては態勢を整えるまで、君島先輩の攻撃に耐えるしかなかった。僕は顔だけを守ることを優先して、彼の猛攻を20秒も耐え続けた。その間、周りはうるさいほど盛り上がっていた。
 結果、何発か両肩と脇腹あたりを打撃されてしまった。もし、万全だったらもっと酷くやられていたことだろう。
「はぁー、はぁー、くそっ」
 君島先輩が息を整えながら、悔しそうな顔をした。どうやら、今の攻撃で決めたかったようだ。
 君島先輩を見る限り、かなり疲れている様子だったが、僕はあまり疲れてはいなかった。会長との特訓で、呼吸の使い方がうまくなっていた。
 体力的に優位になると、見えたくもない勝機が見えてきた。こうなっては負けることが難しくなってしまった。ここで手を抜くと、相手にも会長にも悪いので、一気に畳み掛けることにした。
「ふぅ~」
 僕は、体重調整をするために深呼吸した。体重調整は反復練習で短時間でできるようになっていた。
 数秒後、5kgほど軽くして、全速力の連続突きを放った。
「なっ!」
 今までより数段速い突きに、君島先輩が驚きながら必死でトンファーで防いできた。
 しかし、体力的に消耗している君島先輩は、僕の突きをすべて防ぐことはできなかった。
 コーナーを背にした君島先輩が徐々に膝が落ち、腕を前に出すだけの防御になっていった。こうなってはもう肩と足しか狙うところがなくなってしまった。
「勝負あり!」
 そこに照準を合わせようとすると、審判が大声で試合を止めてきた。これは予想外に早いレフリーストップだった。
 周りでは歓声が上がっていたが、僕自身嬉しさは微塵もなかった。
「馬鹿馬鹿しい」
 僕は歓声で掻き消されるように、今の心境を吐露した。
 相手に頭を下げて、気分の悪い状態でリングを下りた。
「勝ったね!」
 島村先輩がそう言いながら、興奮気味に駆け寄ってきた。
「は、はぁ」
「いや~、凄かったよ~」
「それはどうも」
 僕とのテンションの違いに、少し困ってしまった。
「ちょっと離れますね」
あまりこの場に留まると、カメラが寄ってくるので、その前に立ち去ることにした。
 僕が部室の方に歩いていると、周りの人からいろいろ声を掛けられた。ここまで勝ち上がると、嫌でも注目されてしまっていた。
「いや~、人気者になっちまったな」
 隣を歩いている弘樹が、皮肉交じりに言ってきた。
「そうだね。鬱陶しいことこの上ないよ」
「ここまで勝ち上がってるんだから、注目されるのは仕方ないよ」
 逆隣りの前宮がそう言いながら、不自然なくらい僕との距離を詰めてきた。
「まあ、今日はもう終わりですから、さっさと帰して欲しいですね」
「他の試合が終わるまでは待機だな」
 弘樹は、リングを見ながらそう言った。
「選手だけは、特例で帰宅を許可してもいいのにね」
「その気持ちはわかるわ」
 前宮が面倒臭そうに同調した。
「とりあえず、終わるまで待機するしかないな」
「僕は着替えてくるよ」
 試合も終わったので、帰り支度をしておくことにした。
「ああ、そうだな。じゃあ、俺は適当に試合を見てくるよ」
「わかった」
 弘樹はそう言って、観客の間をすり抜けていった。
「じゃあ、また後でね」
「に・・・先輩、お疲れ様でした」
 島村先輩と若菜は、二人で楽しそうに話しながら歩いていった。
 部室に向かうと、なぜか前宮がついてきた。
「あの・・前宮。なぜついてくるんですか?」
「え、一緒にいたいからだけど?」
 僕の疑問に、前宮がさも当然のように答えた。
「いえ、着替えるので時間が掛かりますよ」
「うん。だから待ってるよ」
「そう・・ですか」
満面な笑顔で言い切られると、僕からは何も言えなくなってしまった。
 仕方なく、前宮を部室の前で待たせて、手早く着替えを済ませた。
「あ、いたいた」
 部室を出ると、さっき別れた島村先輩と若菜が駆け寄ってきた。
「どうかしましたか?」
「うん。ちょっと絵里と会っちゃってね~」
「誰です?」
「いい加減覚えてよ。前に紹介した清水絵里よ」
 島村先輩が呆れ顔で指摘してきた。
「ああ、糸目の人ですね」
 フルネームよりも前に、紹介したということで思い出した。
「もしかして、またパシらされてるんですか?」
「う、うん。そんな感じ」
 これには否定できないようで、嫌な顔をして僕から視線を外した。
「あの人、なんか嫌な感じがしましたね」
 若菜が難しい顔をして、清水先輩の第一印象を口にした。
「実際、嫌な先輩よ。男漁りも酷いし」
 前宮は、嫌悪感たっぷりに毒を吐いた。
「え、男漁りですか?それは・・凄いですね」
 どう言おうか悩んだようで、言葉に少し迷いが見られた。
「会いたくないと伝えてください」
「え、そんな直接的なこと言えないよ」
「じゃあ、前みたいに会えなかったことにしてください」
「う~ん、そうしたいところなんだけど、さっき一緒に歩いているところ見られちゃったみたいで・・・」
 島村先輩が困った顔で頬を掻いた。
「用件は聞いてますか?」
「聞いてないけど、今日の争奪戦が終わったら第一体育館倉庫に来て欲しいって言われた」
「・・・島村先輩も一緒にですか?」
「う、うん」
 場所を指定したということは、他人に聞かれたくないことか、見られたくないかのどちらかと思った。
「う~ん、嫌な予感しかしませんね」
 僕は、顎に手を当てて考え込んだ。
「行かない方がいいよ。清水先輩は本当に性悪だから」
「酷い言い様だけど、あまり否定もできないね」
 前宮の毒舌に、島村先輩は困りながらも同意した。
「仕方ありませんね。会ってみましょう」
 明日でいなくなるので、最後ぐらいは島村先輩の顔を立てることにした。
「え、会ってくれるの?」
「ええ、一回限りですが」
「あ、ありがとう」
 島村先輩は、複雑な顔でお礼を言った。表情からして、そこまで嬉しくもないようだった。
「やめたほうがいいって。絶対ろくなことじゃないよ」
 清水先輩の性格をわかっている前宮は、本気で僕を止めてきた。
「安心してください。何も手を打たずに会う訳ではありません」
 嫌な予感があるのに、無防備で会うことは考えていなかった。
「え、そうなの?」
 これに前宮が、意外そうな顔をした。
「ええ、前宮と若菜に頼みたいことがあるのですが、聞いてくれますか?」
 正直、二人に頼むのはあまり気は進まなかったが、第三者がいてくれた方がいろいろ都合が良かった。
「何かするの?」
「いえ、予防線です。あっちが何もしなければ、僕たちからは何もしません」
「わかった。で、何するの?」
「私も兄さんの助けになるなら協力させてもらいます」
 二人は、快く僕の頼みを聞いてくれた。
 僕は、二人にいろんな可能性を上げて、その対応を教えた。
「篠沢君って、小心者みたいだね」
 それを聞いていた島村先輩が、呆れた顔で僕を見た。
「僕は、前から小心者ですよ」
 実際、ナルで暮していれば小心者になるのは必然なことだった。
「でも、前に仮定の話は時間の無駄って言ってなかったっけ?」
「そんなこと言ってませんよ。架空の話は無駄とは言いました」
「え、何か違うの?」
「全然違いますよ。予想と空想の違いです」
「あ、そう・・なんだ」
 いまいち言葉の意味がわかっていないのか、薄い反応が返ってきた。
「そういう訳で、争奪戦が終わるまでにいろいろ準備しておいてください」
 島村先輩はほっといて、前宮と若菜に判断を委ねた。
「わかった」
 これに前宮が、代表して応えた。
「僕と島村先輩は、なんとか糸目先輩の目的を推測しておきましょう」
「糸目先輩って・・・もしかして、もう名前忘れたの?」
「ええ、覚える気なかったので」
「も~、清水絵里だよ」
「あ~、清水先輩でしたね。数時間だけは覚えておきましょう」
「って、数時間だけなの!」
「今後、関わりたくない意志をあらわしただけですよ」
 ここは適当なこと言っておいた。どうせ、明日にはここからいなくなるので、覚える必要もなかった。
「本当に篠沢君は歯に衣着せないね」
 島村先輩は、少しおかしそうに笑顔を見せた。
「じゃあ、私たちは行くね」
「あ、はい。お願いします」
 前宮は、若菜と一緒に校舎の方に歩いていった。
「なんか二人っきりって久しぶりだね」
「お互い不本意でしょうけど、我慢してください」
「え?私は、別に嫌な意味で言ったわけじゃないんだけど・・・」
 僕の解釈に、島村先輩が困ったように僕を見た。
「あ~、そうでしたか。僕の一方的な思いでしたね」
「ん?ちょっと待って。その言い方だと、私とは一緒にいたくないと聞こえるんだけど・・・」
「え?ええ、そう言ってますから」
「って、酷い!」
「いや、二人っきりだとお互い疲れるでしょう」
「む、確かに・・って、篠沢君が私に対して暴言ばかり吐くからでしょう」
「これはお互いの見解の相違ですから、これ以上はやめましょう」
「ん、そうね。前にも押し問答になったもんね」
 珍しく、この話は島村先輩から引いてくれた。
「じゃあ、争奪戦が終わるまで糸目・・ではなく、清水先輩の性格を聞いておきましょうか」
「う、うん」
 僕の言い直しに、島村先輩が苦笑いして頷いた。

第八話 駆け引き

「まあ、こんなところかな」
 争奪戦が終わる前に、島村先輩から話を聞くことができた。というか、深く付き合いのない彼女からの情報は、さほど多くはなかった。
「そうですか。人を捻じ伏せたい人ですね」
「・・・表現が悪いよ。せめて、嫉妬とか言ってくれない?」
「嫉妬ですか・・僕にはわからない感情ですね」
 羨望はわかるが、嫉妬は意味がわからなかった。
「へぇ~、今まで他の人に嫉妬とかしたことないの?」
「ないですね~」
 ナルは他人との交流が極端に少ないので、嫉妬の感情を持っている人は見たことがなかった。
「そもそも、嫉妬って意味あります?自分が勝手に苦悩するだけでしょう?」
「う、う~ん。まあ、言われてみれば、独りよがりだよね~」
 島村先輩がそう言うと、争奪戦の終了の放送が流れた。
「あ、終わりましたね」
 この放送が流れると、生徒は自由帰宅が許されていた。
「じゃあ、行きましょうか」
「う、うん」
 島村先輩は、僕の後ろから不安そうについてきた。
「できれば、穏便にいきたいね」
「それは相手次第でしょう」
「まあ、そうだけど・・・」
 島村先輩が頬を掻きながら、僕から視線を逸らした。
「島村先輩は、僕が呼ばれる理由に心当たりはないんですか?」
「う~ん。私一人だと思い当たるんだけど、篠沢君を呼ぶ理由がいまいちわからないのよね~」
「なら、その憶測を聞いておきましょうか」
 体育倉庫まで、少し距離があるので簡略的に聞いておくことにした。
「えっ・・と、これはあんまり言いたくないんだけど・・・」
 すると、島村先輩が困った顔で言葉を濁した。
「かなえのことだと思う」
「会長ですか」
「うん。かなえは、女子からいろいろ反感買ってるから、妬む人が多いんだよ」
「あ~、そうですか。まあ、人の上に立つことはそういうものかもしれませんね、よくわかりませんが」
「他人事みたいに言うんだね。他人事だけど」
「会長が選んだ道です。同情は意味ありません」
「う・・確かに」
 これには何も言えず言葉に詰まった。
「結局、会長が原因ですか」
「いや、まだそうと決まった訳じゃないんだけど・・・」
「でも、他に思い当たらないんでしょう」
「それは・・そうだけど」
 それ以外は本当に思い当たらないようで、歯痒そうに正面の体育館を見た。
 第一体育館の入り口付近で、前宮たちを見かけたが、敢えて無視して中に入った。体育館には、人がまだ多く見られた。体育館奥の通路の先に倉庫があるので、そこまで歩いていった。
「なんか緊張してきたね」
 通路が薄暗かったからなのか、島村先輩がそんなことを言い出した。
「確かに、もう帰りたいですね」
「・・・そうだね」
 会話にはなっていなかったが、帰りたい気持ちは一緒のようだ。
 奥に二つの扉の内、一つだけ電気が点いて扉が半開していた。
「来たね」
 倉庫に入ると、清水先輩が座っていた跳び箱から飛び下りた。周りに五人の女子生徒が嫌な笑みを浮かべていた。
 扉の横にいた二人の女子生徒が扉を閉めて、なぜか鍵まで閉めた。
「で、話はなんですか」
 これは想定内だったので、鍵を閉めた理由は聞かずに、先に用件を聞いた。
「ふ~、せっかちね」
 清水先輩が笑顔を見せて、僕に近づいてきた。
「まず、最初に聞きたいんだけど、かなえとはどういう関係?」
「何が聞きたいのかわかりませんが、学校の先輩と後輩です」
「じゃあ、ノゾミンとの関係は?」
「友達です」
「最後に、美雪との関係は」
「武活の先輩後輩です」
 詮索はあまり意味なさそうなので、単調に答えることにした。
「え!友達じゃないの?」
 僕の答えに、島村先輩が過度に反応を示した。
「え?ああ、そうでしたね。今日そうなりました」
「ふふっ、面白い関係ね」
 それに清水先輩が、おかしそうに笑みを浮かべた。
「で、用はなんですか?」
 質問も終わったようなので、さっきと同じ質問をした。
「そうね。話は簡単よ。かなえと一切口を利かないで欲しいのよ」
 これには島村先輩が、嫌な顔をした。
「理由はなんですか?」
 それを横目に僕は、その理由を聞いてみた。
「最近、かなえの行動は目に余ってね」
「・・・意味がわかりません」
 清水先輩の言い分は、抽象的過ぎて僕には理解できなかった。
「調子乗ってるって意味よ」
 突然、電子端末をいじっていたショートヘアの女子生徒が、呆れた感じで口を挟んできた。
「だからなんですか?」
「・・・」
 僕の素の疑問に、彼女は不快感をあらわにした。
「ねぇ~、絵里。この子、無理じゃない?」
 彼女は清水先輩を見て、よくわからない助言をした。
「まあ、もう少し話してみてから判断しましょう」
「・・・美雪の友達って時点で、無理だと思うんだけど」
 女子生徒が面倒臭そうな顔をして、跳び箱に座った。
「篠沢君は、かなえが会長になった経緯は知ってる?」
 清水先輩は、仕切り直すように聞いてきた。
「知りません」
「でしょうね」
「何が言いたいんですか?」
「かなえはね。男をたぶらかして、生徒会長になったのよ」
「どういう意味ですか?」
「模擬店のあの服装よ」
「模擬店って、あの露出の高い服装のことですか」
「そうよ」
「・・・よくわからないですね。それと生徒会長になれたことと繋がってるんですか?」
「当然よ。それで男子生徒の大多数の票が流れてるんだから。そんな不正をして生徒会長になったのなら、引きずり下ろすのは当然だと思わない?」
「絵里!それは言い過ぎよ!」
 清水先輩の言い分に、島村先輩が怒りを面に出して叫んだ。
「あ~、島村先輩。ちょっと黙っててくれませんか」
「え!なんでよ!」
 僕の制止が意外だったようで、島村先輩が驚いた顔をした。
「感情的になると、話が進みません」
「で、でも!」
「落ち着いてください。ひとまず、相手の言い分を全部聞いてみましょう」
「わ、わかった」
 不服そうだったが、僕の意思を汲んでくれた。
「一つ聞きたいんですが、会長の根回しが不正になるなら、なぜ選管はそれを見逃してるんですか?」
「言ったでしょう。男をたぶらかしたって」
 清水先輩は、意味ありげに同じことを口にした。
「それは教師も・・という意味ですか」
「そうよ」
「証拠はあるんですか?」
「証言があるわ」
「教師のですか?」
「ええ」
「話はわかりました。なので、帰ります」
 僕は踵を返して、ここを出ようとした。
「ちょ、ちょっと、答えを聞いてないわよ」
「断ります。意味不明ですし」
「ふぅ~。まあ、こうなるか」
 清水先輩がそう言うと、扉の傍にいた女子生徒が僕の前に立ち塞がった。
「なんの真似ですか?」
 僕は清水先輩の方を向いて、意図を聞いてみた。
「もう少し話し合いましょう」
「さっきも言いましたが、あなたの言ってることは意味不明ですよ」
「何がわからないのよ?」
「・・・え、説明させるんですか?」
 さっきの会話を思い返せば、清水先輩が僕を納得させられるだけの理由を持ち合わせていないことは明白だった。
「説明してあげなよ。絵里の為に」
 島村先輩が嘲笑うように、僕に説明を促した。それに周りの女子生徒が、嫌悪感を示した。
「はぁ~、仕方ないですね」
 僕は溜息をつきながら、嫌々説明することにした。
「僕には根回しが不正とは思えませんし、その根回しが目に余る行動だとも思いません。なのに、僕に無視を強要させるなんて意味不明です」
「・・・ふぅ~、これは無理ね」
 清水先輩が諦めたように、頭を掻いて呟いた。
「だから、言ったじゃん」
 跳び箱に座った女子生徒が、清水先輩を流し見た。
「予定を変えましょう」
 清水先輩は、面倒臭そうに溜息をついた。
「あなた達、邪魔なのよね~」
 そして、威圧的な態度になり、言葉にも煩わしさを出してきた。
「こっちに加担してくれるなら、いじめの対象から外してあげるわ」
「絵里、そういうのやめようよ」
 これに島村先輩が、困った顔でそう言った。
「なら、こっちにつきなさい」
「それは無理。親友は裏切れないし、いじめるのは嫌い」
 島村先輩は、嫌悪感を出して強い拒絶を示した。
「篠沢君はどう?」
「意味不明なことには賛同はできません」
 清水先輩のやることは、僕にとって意味がわからないままだった。
「会長のやることが気に入らないなら、放っておけばいいだけですし、わざわざ関わる必要もないでしょう」
「わかっていないわね。生徒会長だから目に余ってるのよ」
「さっきから変な表現をしますね。目に余ると思っているのは先輩たちであって、僕はそう思ったことはありませよ」
「あ、私もない」
 僕に便乗するように、島村先輩がわざわざ挙手して同意した。
「なので、僕たちは帰ります」
 相手の出方を見る為、この流れで去ろうとした。
「なら、今ここでいじめてあげるわ」
 清水先輩がそう言うと、六人の女子生徒が僕たちを囲んだ。そのうち一人は、施錠した鍵を守るような立ち位置を取っていた。
「絵里、ここはお互いの為に引いてくれない?」
 島村先輩は、相手に配慮するように清水先輩の方を振り返った。
「今の状況をわかってないようね」
「絵里・・・」
 清水先輩の小馬鹿にした答えに、島村先輩ががっかりしたように肩を落とした。
「何?私たちに勝てると思ってるの?」
 島村先輩の冷静な態度に、清水先輩が勝手な勘違いをした。
「選手が私たちに手を出せば、出場停止になることぐらいわかってるよね」
 清水先輩の隣の女子生徒が、何を思ったか僕に脅しを掛けてきた。どうやら、僕が手を出すと思ったようだ。
「馬鹿馬鹿しい。僕がそんなことする訳ないじゃないですか」
「篠沢君って、面倒臭がりだもんね~」
 この返しに、島村先輩がおかしそうに笑った。
「そうですね。こんなくだらない茶番はとっとと終わらせましょう」
「そうだね。もう終わらそっか」
 島村先輩は瞬発力を生かして、倉庫の出入り口にいる女子生徒を間をすり抜け、扉に体当たりした。その動きに周りは動けずにいた。
「何が・・したいの」
 その行動に清水先輩は、険しい顔で言葉を発した。
「もう終わりにするんですよ」
 僕がそう答えると、倉庫の鍵が開錠され、扉がゆっくりと開かれた。
「な!」
 これには清水先輩たちが、驚きの声を上げた。
「ハロー、絵里。私の親友をいじめようなんて目に余る行為よ」
 会長は、皮肉交じりにそう切り出してきた。どうやら、外から会話を聞いていたようだ。
「なんで・・いるのよ」
「呼ばれたからよ」
 清水先輩の問いに、会長が馬鹿にしたように答えた。その後ろから、前宮と若菜が入ってきた。
「生徒会は、ここの管理下じゃないはずなのに・・・」
「ええ、私はここの鍵を持ってないわ。でも、その言い方だと実行委員を丸め込んだつもりだったのかしら?」
「・・・」
 会長の言葉に、清水先輩の表情が険しくなった。
「ふふっ。丸め込むのなら、実行委員の交友関係まで調べ上げるべきだったわね」
 会長がそう嘲笑っていると、後ろから久米が入ってきた。
「・・・あなた」
「すみません。ノゾミンの頼みは断れないので」
 久米はそう言って謝ったが、表情は特に悪びれる様子はなかった。
「とりあえず、姉さん。あとで殴るから」
 前宮が会長の隣に立って、睨みつけるように宣言した。発言からして、模擬店の服装の原因を知ってしまったようだ。
「・・・ん、これは絵里に八つ当たりするしかないわね」
 会長は苦い顔をした後、清水先輩たちに敵意を向けた。
「じゃあ、あとはお願いします」
 僕はそう言って、硬直している二人の女子生徒の横をすり抜けて倉庫を出た。
「という訳で、覚悟はいいかな?」
 会長が指を鳴らして、威圧的な態度で凄んだ。
「姉さんとなんの関係もない篠沢に、危害を加えようなんて許せない」
 会長に倣うように、前宮も臨戦態勢を取った。
「先輩を怪我させるのは気が引けますが、いじめは絶対に許せません」
 若菜が真棒を構えて、正義感を口にした。
「私は、もう行くから」
 久米は鍵を持ってきただけで、これには参戦する気はないようだった。
 僕は、久米の後ろに続くように体育倉庫を後にした。その後ろから島村先輩もついてきた。
「ちっ、三対六で勝てると思ってるの?」
 倉庫からそんな声が聞こえた後、喧嘩が始まる喧噪が聞こえた。
「あんまりノゾミンに迷惑かけないでよね」
 通路を出ると、久米が僕の方を見て忠告してきた。
「いや、原因は会長だから、僕を責められても困る」
「・・・それもそうね」
 久米は思い直して、僕から視線を外すように正面を向いた。
「じゃあね。篠沢君」
 後ろから島村先輩が、僕に笑顔で手を振った。
「帰らないんですか?」
「うん。かなえが心配だからね、待ってるよ」
「あんまり関わると、とばっちり喰いますよ」
「構わないよ、親友だから」
 島村先輩は、達観した顔で体育倉庫の方を見た。
「物好きですね」
「ふふっ、好きなら関わりたいのは当然だよ」
「・・・僕には理解できないですね」
「好きになればわかることだよ」
「僕には、もう少し時間が掛かりそうです」
 僕は母親を思いながら、今の心境を吐露した。
「篠沢君は、人に興味持つことを勧めるよ。見えてない所で人は繋がってるから、もう少し周りを見つめ直した方がいいかもね」
「無茶振りですね・・・それにいまさら遅いですし」
 後半は島村先輩に聞こえないように呟いた。
「無茶ではないよ。篠沢君は、周りから好かれてるんだから。じゃなきゃ、こうやって助けには来ないわよ」
 そうやって言い立ててはいたが、その助けに来た本人が原因ということを忘れているような発言だった。
「僕は、もう帰りますね」
「うん。じゃあね」
 挨拶もしたので、さっさと帰ることにした。不思議なことに久米は、まだ僕の正面に立っていた。
「本当に不思議な先輩ね」
 しばらく久米の後ろ歩いていると、久米が突然話しかけてきた。
「そうだね。でも、それが好かれている理由かもしれないね」
 ここは島村先輩の言葉を借りて、一般的な装いをしておいた。
「好かれるなんて煩わしいだけよ」
 久米が何かを思い出すように、苦虫を噛み潰したように言った。
「好かれるのが煩わしいと思ってるなら、久米は矛盾しているね」
「・・・」
 僕の言葉に、久米が驚いたように振り向いた。
「そう・・ね」
 そして、言葉の意味を理解したように下を向いた。
「ノゾミンも私のこと煩わしいと思ってるよね」
 前宮の態度を見れば、それは確認するまでもないことだった。
「そっか。私もノゾミンと同じなんだね」
 久米は何かを悟ったように、体育倉庫の方を向いて呟いた。
「篠沢って、なんか違う感じがするね」
 その発言には、一瞬だけ冷や汗が出てしまった。
「なんか人として成熟してるって言うか、大人な感じがする」
「僕は、未成年だよ」
「いや、そういうことじゃなくて・・・まあ、いいか」
 何かを言おうとしたが、考え直して言葉を引っ込めた。
「じゃあね、篠沢」
 体育館を出ると、久米が別れの挨拶をしてきた。
「あ、うん、じゃあ」
 予想外なことに、返事に動揺がまじってしまった。
「大人・・か」
 久米を見送りながら、自分が大人だという思いは微塵も感じていなかった。

第九話 選択

 家の玄関に入ると、母親がリビングから顔を出した。
『おかえり』
 母親は言葉ではなく、電波で迎えてきた。
『うん』
『元気ないね』
『四回も無意味な闘いしちゃったからね』
『体重調整、頻繁にしたの?』
『え、ああ、体重調整は二回しかしなかったよ』
『じゃあ、なんで疲れてるの?』
『気分的にだよ』
『気分・・悪いの?』
 母親にはよくわからないのか、不思議そうに首を傾げた。
『殺せない戦いって、なんなんだろう』
『ただの遊戯じゃない?』
『だよね』
 これは1年前から思っていたことだった。
『無意味なことに時間を費やすなんて、クラは暇なんだね』
『それはナルも同じでしょう』
『・・・まあ、否定はできないね』
『それに生きてること自体、無意味なことなんだから、意味なんて求めても答えはないわ。それに人の評価は、すべてにおいて共通じゃないもんね』
 母親は何かを悟った感じで、遠い目をした。
『母さんって、集団の中にいたことあるの?』
 母親の台詞は、生まれた時から単独行動していたとは思えない見解が多かった。
『そりゃあ、あるわよ。私の一世代前はクラとさほど変わらなかったわ』
『え!そうなの?』
 これは初めて訊くことだった。
『まあ、知っての通り、ここまで発展はしてなかったけどね』
『えっと、それだとその世代で接触は問題なかったの?』
『当たり前よ。そうじゃなきゃ、子孫は残せなかったからね』
『じゃあ、母さんはどうやって僕を生んだの?』
『遺伝子の結合よ』
『え!それって生成じゃあ?』
『そうなるね。私にはもう生殖器はないから、子をつくるには生成でしかできなくなってるのよ』
『そう・・なんだ』
 衝撃的な事実に、驚きの表情がなかなか戻らなかった。
『前の世代はもういないの?』
『いるにはいるけど、生存競争に負けたから、ほとんど残ってないわ』
『侵蝕で死んだの?』
『ん・・まあ、ほとんどは・・ね』
 なぜかここだけ歯切れが悪い答えだった。
『じゃあ、今は生成でしか生めなくなってるの?』
『う~ん。断言はできないわ。ただ、私は生成でハルキを生んだ、それだけよ』
『そう』
 心境的に複雑すぎて、どんな顔をしていいかわからなかった。
『ハルキはこれから時間はたっぷりあるから、自分で知っていけばいいわ。ナルでもクラでも生きれるから、他の人より自由度は高いはずよ』
『うん。でも、このクラにいると知りたくないことが多すぎて、かなり気疲れしてるよ』
『ふふっ、ナルにはここまで膨大な知識はないもんね』
『まあ、ほとんどは集団行動の規制ばかりだけどね』
 これまで必死でこの世界のことを学んだが、個人的に役立つ知識は医療と格闘術のみだった。
『集団には多数の意思があるから、集団に害になる行為は規制するのは当然ね』
『膨大な時間を掛けて、こういう世界に成っていることは凄いと思うけど、僕には遠回りしすぎると思う』
 クラの世界の成り立ちは、大まかに学んでみたが、非効率なうえ不毛なことが多い気がした。
『多数の意思を統率しようとすると、どうしても齟齬が出てくるものよ』
 母親は諦観した顔で、僕から視線を逸らした。
『だから、人は神なんて不明確なものをつくるようになるのよ』
『偶像崇拝だね』
 僕には、これは理解しがたいものだった。
『皮肉なものよね。せっかく知恵があるのに、すがるものを自分たちでつくり出すなんて』
『知恵があっても、わからないことだらけだからね』
『疑問は知的生命体の特権よ。わからないことが答えなんていくらでもある』
『そう考えると、わからないことに恐怖しているのかもしれないね』
『その考えは面白いかもね』
 僕の見解に、母親がおかしそうに笑った。
『それにしても、よく父さんを捜し当てたね』
『音波の習得のおかげね』
『あ、もしかして誰かに聞いたの?』
『まさか、そんな面倒なことはしないわよ』
『じゃあ、どうやって見つけたの?』
『えっと、トランなんとかってやつの応用よ』
『え、それを広範囲にやったの?』
『え、うん。一瞬だけね』
『・・・まあ、それで見つけたならいいか』
 あまり目立つことはして欲しくなかったが、この程度なら大丈夫だと思った。
『で、父さんとは話はついてるの?』
『ううん。忙しいとか言われて、まだ話せてない』
『そう・・・じゃあ、まだお願いしてないんだ』
『うん。多分、断られるかも』
『僕も無理だったからね』
『そうね~。無理だったらそれはそれで仕方ないね』
 母親はそう言いながら、何かを思い出すように遠い目をした。
『明日からどうするの?』
『ナルに帰るつもりだよ』
『そう・・・でも、ナルで食糧確保難しくない?』
『そうだね。でも、クラの方は制限があって生きづらいよ』
 食糧には事欠かないが、その反面規制が多すぎだった。
『まあ、それは否定できないわね』
 母親もクラの生きづらさは、身に染みているようだ。
『・・・一人で大丈夫?』
 母性が働いたのか、心配そうに僕を見た。
『もうお互い離れる時期だよ』
『うん・・・そうね。ここまで一緒なのも珍しいもんね』
 母親はそう云いながら、寂しそうな顔をした。
『ここまで育ててくれてありがとう』
 なので、とりあえずお礼を言っておいた。
『う、うん、どういたしまして』
 それに対して、少し複雑そうな顔で僕を見た。
『・・・なんか、ごめん』 
 そして、申し訳なさそうに謝った。
『え、何が?』
 突然の謝罪に、僕は思わず首を傾げた。
『う、うん。勝手に生んじゃって』
『えっと・・謝罪は違うんじゃない?』
『でも、私の我侭で生んじゃってるから・・・』
 母親が申し訳なさそうにそっぽを向いた。
『それなら、僕も謝らないといけなくなるよ』
『え?』
『だって、母さんの願い・・叶えてあげられなかったから』
『・・・』
『だから、謝らないで欲しい』
『・・・なんか、ごめん』
 結局、今度は別のかたちで謝られてしまった。
『もうやめようよ』
『そ、そうね』
 僕の気遣いに、母親が愛想笑いで同意した。
『あ~、そうだ。最後だから少しだけ戦い方教えてあげるわ』
『それはどういう意味?』
『え?生き残る術・・だけど』
 母親には意味がわからなかったようで、困惑した顔で云った。その反応は、争奪戦のことは頭から完全に消えているようだった。
『あ、そう。でも、僕は生成できないからあんまり参考にできないかも』
『安心しなさい。生成なんてなくても、ナルの人には簡単に勝てるわ。実際、臆病者ばかりだからね』
『戦い方より、逃げ方のほうが大事じゃない?』
『ん、それができれば戦い方なんて教えないわよ。ハルキには逃げられない相手がいるから教えるのよ』
『体重調整しても無理?』
『そうしてる間にやられるわね』
『え、そんなに素早い人って、ナルにいたっけ?』
『会ってないだけよ。これだけ長い時間ここにいるから、多分数も増えてるわ』
『会う確率が高まってるってこと?』
『そういうこと』
『それは厄介だね』
『だから、逃げ方よりも戦い方を教えるのよ』
『えっと、ここでするの?』
『できなくはないけど、ちょっと狭いかも。少し広い所に移動しようか』
『じゃあ、日が沈んでから移動しようか』
『ああ、そうね。人目につくのは避けなきゃね』
『でも、母さんに勝てる自信ないよ』
『戦い方教えるだけだから、本気で戦う訳じゃないよ』
『あ、そうなんだ』
 これには心から安堵した。
『どこでするの?』
『人目に着かない所かな』
『じゃあ、森とか?』
 そうは言ったが、森まではかなり遠かった。
『森より平野がいいかな~。広さは、この部屋より広ければどこでもいい』
『この辺りで探すとなると、限られてくるな~』
 遠出すると明日に影響しそうなので、近場で手短にして欲しかった。
『となると、あそこが一番いいかも』
 日が沈みかける頃、僕たちは家を出て、人けのない場所に足を運んだ。念の為、母親には擬態と声を出せるようにしてもらった。
「まあ、ここでいいか」
 母親は周囲を見渡しながら、この場所に納得した。そこは人目に付かない公園で、若菜と一緒に来た所だった。
「じゃあ、まずハルキの実力を見ましょうか」
「え?なんで?」
「は?ここ最近、特訓したんでしょう。実力を見ないと、どこまで対応できるかわからないじゃない」
「ああ、なるほど」
「あと、体重も戻しておきなさい」
「あ、そうだったね」
 もう今の体重に慣れてしまっていて、体重を戻すことをすっかり忘れていた。
「全力で来なさい。でないと、ハルキの為にならないから」
「わ、わかった」 
 正直、敵わない相手とは戦いたくなかったが、ここは教えを乞う身として、母親に今の全力を見せることにした。
 僕は体重調整をして、本気で母親に攻撃を仕掛けた。
「あー、もういいわ」
 数分後、母親が涼しい顔で僕の拳を片手で軽く叩いた。
「うん。前よりは良くなってるね。でも、攻撃が単調すぎるわ」
 前宮家であれだけ特訓をしても、母親にはまるで歯が立たなかった。
「今度は武器を持ってやってみましょうか」
 驚いたことに、母親が武器の生成をこの場で始めようとした。
「ちょ、ちょっと待って!」
 これには慌てて周囲を見渡した。
「え、何?」
「気軽に生成しないでよ」
「あ~、そうね」
 ここが公の場ということに気づいてくれたようで、生成を中断してくれた。
「じゃあ、ちょっとあの木に登って、生成してくるわ」
 母親は、近くの木を見て跳び移ろうとした。
「ちょっと待って!」
 これもクラの人ができる芸当ではなかった。
「母さんの行動は、目立つんだから気軽にやらないでよ」
「え~、そんなこと言ったら、何もできないじゃない」
「そういう時は、人目を気にして隅っこでやるもんだよ」
「はぁ~、面倒臭い」
 母親は公園の端に歩いていき、後ろを向いて座り込んだ。
「ところで、武器は何が良いの?」
 そこは失念していたようで、僕の方に振り返って聞いてきた。
「剣棒・・・僕の背丈ぐらいの円柱の棒だよ」
 剣棒といっても、母親には伝わらないので、形状で答えた。
「その成分は鉄なの?」
「いや、木材だよ」
「ふうん」
 母親はそう言うと、壁際に向いて生成を始めた。僕はその間、周りに人が来ないかを見張った。
「できた」
 母親が生成した剣棒は、円形で表面に摩擦がないような物だった。
「これじゃあ、滑って攻撃できないよ」
「あ~、本当だね。精度を上げ過ぎちゃったね。ちょっと貸して」
 母親は精度を下げる為、僕から剣棒を奪い取った。
 そして、表面を擦りながら粗く木目を作っていった。
「よし、これでどう?」
 少し表面に木目が出た剣棒を、納得した表情で僕に渡した。
「うん。悪くないよ」
 いつもの剣棒よりは、少しザラつく程度で重さも長さも申し分なかった。
 僕たちは公園の中心位置に戻って、お互い向かい合った。
「じゃあ、好きに攻撃していいよ」
 母親はそう言って、僕から少し距離を取った。どうせ結果は見えているので、今できることを母親にぶつけることにした。
 数分間、ありとあらゆる攻撃を仕掛けたが、母親の涼しい顔は変わることはなかった。
「うん。素手よりはいい感じね」
 わかりきったことだったが、剣棒を使っても母親には傷一つ付けることができなかった。
「母さん、強すぎるよ」
 これには思わず本音が漏れた。
「あ~、避けるのに集中してるからじゃない?」
 僕に気を使ったのか、言葉を選んだように返してきた。
「でも、ここまで成長しているなら、大丈夫かもしれないわね」
 母親は何かを考えながら、僕が持ってる剣棒を見た。
「一度、それ無しで攻撃をかわす練習でもしてみようか」
「う、うん。いいけど、あんまり本気ではやらないで欲しい」
「そんなことしないわよ。せいぜい、ハルキが視認できる程度よ」
「それはそれで、クラでは異常なんだけど」
「大丈夫よ。すぐ終わるから」
「じゃあ、手短にお願い」
 ここで言い合いすると、時間を無駄にするので早く終わらすことにした。
「攻撃は単調よ。攻撃パターンを読めれば、殺されることはまずないわ。問題は速さに対応できるかが重要よ」
「わかった」
 僕がそう言うと、母親が少し腰を落として臨戦態勢を取った。僕もそれに倣って、足を開いて回避の態勢を取った。
 それは一瞬だった。
「ギリギリね」
 母親の貫手は、僕の左肩をかすめていた。
「速すぎるよ」
「これくらい避けられないと、何もできず死ぬだけよ」
 母親はそう言いながら、僕から距離を取った。
「助言だけど、相手の初動を見れば、回避しやすくなるわ」
「簡単に言うね」
「・・・難しい?」
 これに母親が、不思議そうに眉を顰めた。
「まあ、やってみるよ」
「じゃあ、連続攻撃するから、これをかわせたら帰りましょう」
「う、うん」
 この速さを連続でかわせる自信はなかったが、やるだけやってみることにした。
 母親が左肩を引いたのを見て、体を傾けると母親の貫手が横をすり抜けた。回避に成功したので、次の動作を読む為、母親の両手両足を注意深く観察した。
 そこから左の回し蹴りに、その反動を利用して裏拳が飛んできた。それをかわすと、最後に右の中段回し蹴りがきたので、後ろの下がって回避した。この動作だけで一秒も掛かってなかった。
「うん。良い感じだね。ここまでかわせたら、反撃もできるわ」
 僕の動きに、母親が満足そうな顔をした。
「帰りましょうか」
「うん」
 僕たちは、日の沈んだ公園を後にした。剣棒はどうせ昇華するので、公園の隅に置いておくことにした。
「一応、武器で攻撃してくるから、そこは注意してね」
 母親は歩きながら、最後にそう忠告してきた。
「武器の種類は?」
「いろいろある」
「あ、そう・・・」
 予想していたことだが、こうもざっくり言われると深く聞いても意味がない気がした。
「あれ?篠沢?」
 向かい側から歩いてきた人が、突然僕に声を掛けてきた。
「あ」
 前宮との遭遇に思考がフリーズした。
「ぐ、偶然ね」
 隣の母親が気になったのか、言葉に戸惑いが見られた。
「ええ、そうですね」
 もうこうなっては、いつも通りの対応をするしかなかった。
「知り合い?」
 母親は、積極的に僕に顔を向けて聞いてきた。この状況で、話に入ってきて欲しくはなかった。
「まあ、友達・・だよ」
 母親の前で、こういうことを言うのは気恥ずかしかったが、前宮の顔を潰すことはしたくなかった。
「ふう~ん。それは珍しい」
 母親が感心しながら、前宮を観察した。
「あ、あの・・」
 見知らぬ人の視線に、前宮が困ったように僕を見た。
「ああ、僕の母親ですよ」
 ここは避けて通れなさそうなので、仕方なく紹介することにした。
「あ、そうなんだ」
 これには驚いたように母親を見つめた。
「は、初めまして。クラスメイトの前宮望です」
 前宮は姿勢を正して、気恥ずかしそうに会釈した。
「長い名前ね」
 すると、母親が率直な思いを口にした。
「ちょ、ちょっと!」
「あ、ごめん」
 僕の慌てように、失言だと気づいたようだ。
「今の聞かなかったことにしてね」
 母親は軽いノリで、前宮に口止めした。
「と、ところで、前宮はどこか行くんですか?」
 ここは母親に話させないよう、強引に話を切り替えることにした。
「え、うん。ちょっと、買い物頼まれちゃって」
 前宮は母親を気にしながら、僕の質問に答えた。
「そうですか。じゃあ、邪魔したら悪いですね」
 前宮の用事を利用して、自然に別れようとした。
「篠沢は、何してるの?」
 しかし、僕の意図とは反して、前宮が積極的に質問してきた。
「え・・っと、ちょっとした散歩ですよ」
「ふぅ~ん。珍しいね、親子で散歩なんて」
「多分、これで最後ですよ」
 僕は後先考えずに、ノリで口走ってしまった。
「最後?」
 これに前宮が、不思議そうに母親を見た。
「まあ、もう会うこともないと思うしね~」
 最悪なことに、母親もこの話に乗ってきた。
「え、どうゆうこと?」
「あれ?もしかして、言ってないの?」
 前宮の怪訝な表情に、母親が僕の方を流し見た。
「明日、言うつもりだよ」
「明日?ああ、帰る時ってことね」
 母親は、思ったことを普通に口にしてしまった。
「え、帰るって何?」
 前宮は、悲しそうな表情で僕を見た。ここまで聞いていれば、自然と感づいてしまったようだ。
「ねぇ~、この子って、もしかして侵蝕された子?」
 その前宮を見ながら、母親が僕に耳打ちしてきた。
「え、あ、うん」
 この流れを無視した母親の言葉に、動揺しながら小声で答えた。
「ふぅ~ん」
 すると、母親が興味深そうに前宮を観察した。
「えっと、名前なんだっけ?」
 やはり、一度で覚えられなかったようで、母親がもう一度名前を聞いた。
「え・・前宮望ですけど」
「・・・長いからマエって呼んでいい?」
「いえ、で、できれば、その、望って呼んで欲しいです」
 前宮は恥ずかしそうに、苗字ではなく名前でお願いした。
「ノゾミ・・ね。わかったわ。ところで、ノゾミはハルキが好きなの?」
 突然、母親が何の脈略もなくそんなことを聞いた。
「え!あ、はい・・大好きです!」
 それに対して、前宮が動揺を示した後、力強く言い切った。
「あ、そう。私と同じだね」
 自分と同じ境遇に、母親が嬉しそうな顔をした。
「ちなみに、どういうところが好きなの?」
 こんなこと本人の前で聞くことではないと思ったが、この理由は僕自身聞いてみたいとは思っていた。
「え!えっと・・・」
 さすがにこれには困った様子で、僕を恥ずかしそうに見た。
「な、なんか凄い孤高な人でしたから」
「孤高?」
 さすがにこの理由は僕だけではなく、母親も意味がわからないようだった。
「はい。なんか人とかけ離れているみたいで、とっても格好良いです!」
「ふ、ふ~ん・・そう」
 前宮の力説に、母親が若干引いた表情をしていた。
「転校してきて、半年もしない内に日常会話もできるようになりましたが、あまり人と深く付き合わない感じがとても素敵です」
 自分に酔ってきたのか、恥ずかしげもなく流暢に言葉が出てきた。しかし、僕としてはドン引きしてしまいそうな内容だった。
「なるほど。だから、孤高ね」
 母親の方は、少し納得した感じで何度か首を縦に振っていた。
「なかなか着眼点を持ってる子ね」
 そして、僕に対して小声でそう言ってきた。どうやら、僕がクラの人とは違うと見抜いたことを称賛しているようだった。
 そんな中、前宮が母親を興味深そうに観察していた。
「なんか、篠沢のお母さんも篠沢に似て凄く格好良いですね」
 母親の立ち振る舞いを見た前宮が、心から尊敬するような眼差しでそう言ってきた。
「え?あ、そ、そう?」
 さすがの母親も、この突然の変化には戸惑いを隠せなかった。
「ノゾミは、孤高に憧れてるの?」
「わかりません。人は支え合わなければ生きていきませんが、篠沢はそれをしなくても生きられる・・そんな風に見えます」
 それが憧れなのかは自信がないようで、少し不安そうに答えた。
「別に、人は支え合わなくても生きていけるわ。ただ・・支え合わなくなれば、集団にとって不都合が多々出てくるだけよ」
「・・・格好良い」
 母親の言葉に、前宮が何やら感動を覚えていた。
「ふふふっ、格好良い・・か。ノゾミは変わってるわね」
「そう・・ですね。生まれてきた世界を間違えた気がします」
「いいえ、ノゾミはこの世界が合ってるわ」
「え?」
「孤高なんてものは幻想よ。不死に憧れてる人と同じ。そんなものに憧れても、実現なんて不可能よ」
「えっと、その二つは違うと思いますけど」
 さすがに、不死と比較するものが違うと感じたようだ。
「なら、ノゾミはなんでハルキを好きになってるの?」
「えっ!」
「孤高に憧れるなら、好意なんて生まれないわよ」
「そ、それは・・・」
「それに孤高なんて他人からの評価でしかないわ」
 母親が達観した顔で、前宮を見つめた。
「だから・・幻想ですか」
「そういうこと♪」
 理解してくれたことが嬉しいのか、母親は優しい笑顔を見せた。
「それより、買い物はいいんですか?」
 話が区切れたところで、忘れているであろうこと思い出させてあげた。
「あ!そうだった!」
 前宮はハッとしたように、携帯で時間を確認した。
「ごめん。もう行くね。あと、篠沢のお母さんもありがとうございました」
 そして、母親にお礼を言って、慌てた様子で僕たちが来た方向に走り出した。
「私もこの世界に生まれていたら、きっと考え方も変わっていたのかもしれないわね」
 母親は前宮を見送りながら、ぽつりとそう呟いた。
「その時は、また別なことで悩んでいるだけだよ」
「悩みもまた人の特権だもんね」
「なら、もう少し生き続けてもいいんじゃない?」
「それは無理。私は死ぬためにハルキを生んで、それが叶わないからここに来たんだから」
 母親は、飽きたように遠くを見つめた。
「自分で死ねないからって、他人に頼るのは間違ってるよ」
「そうかも・・しれないね。そう考えると、私は最初から間違っていたのかもしれないわね」
 母親はそう言って、寂しそうに俯いた。
「だったら、考え直すこともできるはずだよ」
「そうね。彼が私を殺せなかったら、また別の方法を考えないといけないね」
「そうじゃないよ・・生きる方向に考え直して欲しいんだよ」
「彼がそう望むなら、生きようと思うよ」
 やはり、僕の言葉よりは愛しい人の言葉が欲しいようだった。
「多分、彼は私を殺せないと思うわ。でも、一緒にはいてくれないでしょうね」
 父親がこのクラを選んでいる時点、それは明白なことだった。
「それなら、母さんがここに住めばいいよ」
「・・・」
 これに母親が、驚いたように目を見開いた。
「まあ、これは母さんが決めればいいよ」
 その表情を見て、少し希望が見えた気がした。
「ハルキは、変わったわね」
 何を思ったか、母親が寂しそうな顔をした。
「まあ、クラにいると、嫌でも影響されるからね」
「私もここで人と接したら、変われるのかな」
「生き方自体、変わると思うよ」
 母親の死への羨望は、僕としては変えて欲しいと思っていた。
「ふふっ、こういう悩みは久しぶりね。まあ、死ねない時のことも考えるのも、有意義かもしれないわね」
 母親は晴れやかな笑顔で、月の出ている夜空を見上げた。少しは母親の考えを変えられたことに、わずかばかり希望が出てきた気がした。
「光があるのに、空が黒いって幻想的ね」
「そうだね」
 僕たちは歩きながら、月の出ている夜空を見上げるのだった。

ナル∪クラⅣ

ナル∪クラⅣ

学校行事である争奪戦の一回戦に勝利した篠沢春希は、 静かな場所で休憩しながら、後輩の三島若菜を相手にしていた。 長くつらい若菜の話を一時間半近く聞き続けた結果、 休憩前より精神的疲労に襲われてしまった。 春希はその状態のまま、次の試合に臨むのだった。 ※この作品はのべぷろ、小説を読もうで重複投稿されています。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 青春
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-26

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第一話 ひと時
  2. 第二話 二回戦
  3. 第三話 基準
  4. 第四話 三回戦
  5. 第五話 急展開
  6. 第六話 侵蝕
  7. 第七話 四回戦
  8. 第八話 駆け引き
  9. 第九話 選択