長い引き籠もり

三雲倫之助

統合失調書で30年の引き籠もりと家族との和解

長い引き籠もりは私を救った

  長い引きこもり
          
   序
 精神を落ち着かせる薬四錠、抗鬱剤一錠、催眠剤一錠、鎮静剤二種類二錠、このカクテルを作るのに十年ほど費やしている。だがそれは怯えを止めることはできない、現状維持ぐらいのものだ。意識が有ればいつでもどこでも怯えている、生きた心地がしない状態だ。
私は精神科医に一度だけ質問したことがある、私はどうして自分を脅かす声と戦う勇気がないのでしょうか。
「患者さんで戦う人が何人かいますが、自分を血塗れにするか、誰かを血塗れにするかです。そうなると警察沙汰になります。今のままでいいんです、暴れても怯えは治まりませんから。じっとするのも大変なことですよ」
 そうですかと私は頷いた。
 怯えに反抗もせず、そのまま受け止めて、息をしている、ずっとずっと。

 三十年前、私は統合失調症を罹患し東京の私立の大学を中退し、ここ那覇空港に降り立った。
 沖縄の方言で私を罵る声が聞こえてきた。
「東京まで行ってバカになって戻ってきたのか、親は学費を払って、あれクルクルパーは堪ったものじゃないな」
「それなのに外に出しておいていいのかよ。無差別殺人でもしでかしたらどうするんだ。閉じ込めておくべきだよ。人刺しちゃってから、病気だから無罪じゃあ、盗人に追銭だろう」
「あいつオカシイように見えるか、普通だよな、見分けが付かない」
「羊の衣を被ったオオカミだよ、天国だろうな、周りは獲物だらけで、気づきもしないで寛いで幸せ百パーセント、オオカミは大喜び」
 古里に戻れば治るかも知れないと私は勝手に思い描いていた。
『きっと東京は自分に合わなかった、だからストレスでこんな風になってしまった。だが古里とも合わなくなっていた。宙ぶらりんの男になってしまった』
 父が車で迎えに来た。心配そうに私を運転席から見上げ乗るように言った。
「元気そうで何よりだ」
『これで病気か、東京が嫌になって、戻ってきただけじゃないか。そんなに痩せているわけではない、目つきが可笑しいわけじゃない。でも、頭が可笑しくなって帰ってきたのですでは、世間体が悪いな、どう言えばいいのかな。これが肺炎や足の骨折なら、言いやすいのだが。神経症で帰ってきました。
 と言いますとの質問が。
 ええっと、ちょっと頭の具合が悪いもんで、実に説明しにくい病気だ』
 父は私を一瞥し、車を走らせた。

 帰ってから、一年と半年が立ったが、四六時中、年がら年中、罵倒され続けて、怯えるだけで、生きた心地がしない。しかし家族会議で肉体労働をさせたら治るだろうとのことで、そろそろ私を働かせることになったらしい。
 私は反対することができなかった。ひょっとしたら治るかもと私にもかすかな望みはあった。それは真っ暗闇の怯えではたとえわずかな点滅する光でも見えてしまうからだ。それは私の浅はかな望みでしかなったことを後で思い知らされることになる。
『私は人の意見に嫌だ、NOと言えない、言えば怖さが、怯えがその人の声で何倍にもなり、私は罵られることに菜からだ。私は他人が怖くてしようがない。私には皆が罵倒するのが聞こえるのです、それは私を怯えで凍り付かせます。それはひたすら怖い。とにかく怖い、恐ろしい。しかし、肉体的に攻めることはけしてしない。証拠が残るような真似はけしてしない。狡猾さと残忍性で、言葉で追い詰めるのです、真綿で精神の首を絞める、そんな感じです、私は家族の皆に向かって訴えているのですが、声には出しません。何を言われるか、反撃が怖いからです。
《それでは意味がない、分かるわけないだろうが、バカ》
 私は誰に向かって喋っているのか、分からなくなることが多々ある。
 ごくたまに、私は神様にこの怯えを取り除いて下さいと嘆願する、しかし願いは叶えられない。それでもお願いする、自分ながら呆れる。死んだ方がどんなに楽だろうか。死ぬのは一回だけで澄むからだ、二回目は絶対にないからだ』
 工場で六年は働き、皆に罵倒される勤務時間とリアルな人間の雰囲気に怯えは倍増された。
 これは辞めるか、入院するかの二者択一しかないと思い、私は辞める決心をした。だが家族それを言い出すの、家族に混じって、知人友人の罵り声まで聞こえる中でのきっと一生に一度あるかないかの緊張と不安に飲み込まれた。だが私も溺れる者の藁である「私は会社を辞めます」という言葉を掴んだ。

 私は中二の時、三島由起夫が割腹自殺をした翌日、彼の小説を読むことから私の読書は始まった。
 そして病になって少なくとも何かをやったと確認できる足跡を残すために唯一できる読書を再び開始するしかなかった。
 田山花袋、泉鏡花、芥川龍之介、川端康成、坂口安吾、石川淳、太宰治、埴谷雄高、武田泰淳、三島由起夫、初期の大江健三郎とドストエフスキー。しかし、怯えは本に呪縛をかけていた。
「馬鹿ですね」という文字が私を罵倒した、「別れを告げた」、私に死ねと暗に言い、「愛しています」とあれば、お前のような奴を死ぬほど愛せるだと、冗談でしょう、バカにされていることが分からないのか、鈍いね、「明日はいいお天気になりますね」、君にはどんな日も黒い雲が覆い被さっているだろう、それに天気など、気にしたこともないだろう、お前は普通じゃないんだから、そのことは忘れるなよ、「いらっしゃいませ」、あなた何もしてないのだから暇でボケッとしているだけだから来たのでしょと言っているのだ、一事が万事です。
 テレビもラジオも同様に嘲笑罵倒する、できるなら音のない世界に住みたい。
 だがそれもよくよく考えると無駄な試みであることがわかる。呪縛は私の頭、又は心の中に直接、土足で上がり込んでくるからだ。

 昨日、暇潰しに自転車を低速で走らせ東浜を回っていると、どこからともなく抗しがたい声が聞こえた。
「人類を救え」
 自転車を止めて辺りを見回したが誰もいなかった、ただ買い手を待つ雑草があちこちに生えた広い空き地が続いていた。
『人類を救う、何という難問だろうか、これまでで人類を救った人間など一人もいない、なのに人類を救え、神様でさえ一つではないのに、人類を救え。きっと空耳だろう。
 アメリカでさえイラクを纏めきれないのに、この個人に全世界を救え、つまり、私にキリスト教、イスラム教、仏教、神道を束ねろ言うのか、それは無理難題というものだ。
 人類を救え、私は自分さえ、親さえ養えない、もっと砕くと、自分の妻さえ見つけられない男である。私はバカだがそれぐらいのことは分かる。
「人類を救え」
 だが私に大いなる者はなぜそのような命令をするのか、何か意図があるに違いない、だがどうしても思いつかない』
「人類を救え」
 私の考えは山の上から転げ落ちる雪ダルマのように大きくなり雪崩となり私を飲み込み、何が何だか分からないような不安定な状況に陥れた』
「人類を救え」
「どのように実行するのか教えて下さい」
「これだけも分からないのか、バカ者め、お前は選ばれた救い主だぞ」
「それは間違いです。誰も私を笑いものにしても、私に従おうとする者は一人もいません」
「布教して回るのだ、それが救い主の第一歩だ」
「それは無理です、人間は一人残らず、私を罵倒し、蔑んでいるのです、死ぬのはいいのですが、それには耐えきれません、恐ろしいほどの内容と異様で禍々しい響きの毒で私の満身を蝕むのです、それは怯えの泥沼です。どうか布教はさせないで下さい」
「泣き言か、現実を変えるんだ、お前は人類のただ一人この世に使わされた救世主だ。
 人類を救え、そして崇められよ」
「いいですか、何事も起こらず平穏な日々を過ごしていた私に、或る日突然、現実が私に、世界が私に、人々が私に牙を剥き出して、罵詈雑言、嘲笑、侮蔑、ありとあらゆる悪意を投げつけるようになったのです。
 私はたった一人の救世主ではなく、世界にたった一人の一番不幸で惨めな人間です」
 それは世界という恐怖の海に一人で泳いでいるようなものです、そして人々はその海に沈み込むのを十年過ぎても待ち続けているのです。人々は、あいつらは諦めることを知らないのです、なぜなら私の凍り付く顔が見たくて見たくて堪らないのです、それは健康によいヘロインのようなもので、とても手放す気にはなれないものです。
 言い換えれば、人類は私の敵なのです、私には直接手を下さず私を自殺に追い込もうとしているのです。そしてその理由がまったく分からないのです。強いて言えば、面白いから、砕いて言えば、全人類の私に対する虐めです、それが私の一番の不可解です」
 もう一つの追い込みはある意味で自殺より非情だ。
 先日、横切った野良犬が囁いた。
「お前、それでも人間か、プライドを持て、戦うんだよ、さもないとこのまま怖じ気づいたままで死ぬしかないぞ、人間の一生は八十年だぞ、長いぞ、苦しいぞ、ただ苦しいだけだ、仕事なんてできないぞ、世間は、他人は四六中お前を罵倒する、眠れないぞ、分かるか、お前の両親はお前を怠け者だと叱りつける、居場所がない、どうする、どうする、お前は犬じゃないから分かるだろう」
 私は犬が喋るのに驚いたが、言っていることは当を得ていたので、とうとう人間だけでなく犬も喋るようになったのかと溜息を吐いた。力がすとんと抜けて、その場に尻餅を突き、そのままぶるぶる震えた。
 私は意を決して立ち上がり、前から近づいてくる、罪人、殺人犯らしいスーツの男の顔を思い切り殴り逮捕し改心させてやろうととすると、天の声が聞こえた。
「それにしてはならぬ、それでは公安の思う壺だ。
 人間を殴れば、警官に身柄を拘束され、精神鑑定とやらを受けさせられ、病院に拘束される、つまり強制入院だ。
 社会からのお前の隔離、社会的に抹殺する、それが彼ら公安の常套手段だ。
 石でも木でもゴキブリでも何でも喋ることがある。無論、軽蔑的な言動に限られる、賞賛の声はない。
 お前は地球上の全てが敵に握られていることを知らなければならない。その様々な挑発をはね除け、お前は社会より排除されないようにしなければならない」
 とどのつまりが私は全ての声に雁字搦めにされてまったく身動きが取れず、独り言を言うしかない、それにさえ声はいちゃもんを付けてくる、声はどこまで追いかけてくるストーカーだ。

 私は恐竜公園で自転車を止めて、ベンチに坐り、今後の身の振り方を考えた。気が滅入るだけだった。世界の声を止めろ。人類を救えと同じくらいに無理難題だ。溜息ばかりが出てくる。思考がぐるぐる回るだけで結論など出てこない。大声で叫びたくなったが、理性の土俵際で押し留めた。
 水色のジャージを着た女が突然笑顔で話しかけてきた。一瞬、何が起こるのかと恐怖で凍り付いてしまった。
「私よ、私、高校で同じクラスだった旧姓真栄城美香子」
「元気だった」
「元気、元気、あのガリ勉だった砂川尚美、豹変して、最近、三度目の離婚をしたのに、幸せそうで、ケロッとしていて、私びっくりしたわよ。
 芸能人と同じで、浮気する代わりに結婚するのよ、尚美が何回結婚するか楽しみだ」
「高校卒業しておおよそ二十年だろう、人も変わるさ」
「安室奈美恵、歌にダンスに、今の子は凄い、大活躍よね」
「安室奈美恵か」
「韓国の女性はね、ほとんどが整形手術しているのよ、だから幼い時の写真がないらしいの、怖いわよね」
「それは怖い」
「私のお隣さん、三十代で子供の通っている保育士さんとできちゃって、それが旦那にばれて修羅場、修羅場、怖い、怖い」
「そう」
「昨日のロケット打ち上げ見た、成功よ、日本も宇宙時代に突入かな、無重力は経験してみたいわよ、デブでも重さがなくなるでしょう、不思議よね」
 私は頷いた。
「隣の犬が夜中に吠えて、眠れないのよ。私こう見えて、眠りには神経質なのよ、それでお隣さんに苦情を言うと、逆ギレされちゃって、開いた口がふさがらなかったわよ。だから耳栓して眠っているのよ。あのバカ犬、バットで殴り殺してやりたいわよ。ついでにあのバカ夫婦も殴ってやりたいわ。愛犬家、聞いて呆れるわよ。
 夫婦揃って、御犬様の散歩、お揃いのジャージ、その内に、この暑い沖縄で、犬にまでジャージを着せるんじゃないの。極寒に住むイヌイットでさえ犬に服を着せてるのを見たことないわよ」
 美香子は息継ぎをした。
「オレオレ詐欺、バアさんが七百万騙し取られた言うけれど、家に七百万のキャッシュがあるのが犯罪のような気がするわ。バアさんが七百万、眠る前に札束を並べて眺めながらにやついているのかしら。ぞっとするわ。時期に死ぬのだから、ぱっと使えばいいのに。毎晩眺めて、おいしい食事を目の前にしたように、涎を垂らしているのかしら。想像を刺激するのよね、小金持ちバアさんが死んで遺産が相続できるとラッキー、だけどそんなバアさんはいない。現実って残酷よね」
「残念」
「知ってる、昨日北朝鮮が日本海に向かってミサイルを発射したのよ。怖いわよね。独裁者は。刃向かう者は皆銃殺。私たち日本に生まれてよかったわね。
 アメリカでは貧乏人は病院にも入れず、死ぬしかないらしいのよ。盲腸で三百万かかるらしいわ。なにがアメリカンドリームよ。日本で平凡に会社員の奥さんでいたほうが、ずっといいわよ。
 隣のジイさん、鶏小屋で卵を取る時に、ハブに咬まれて、死にそうになったのよ。生き延びたけどね。このジイさん偏屈で近所の嫌われ者なのよ、少しはお灸代わりになったでしょう、こういうのって因果応報って言うのよね。
 銀行員になった新(あら)垣(かき)直彦、交通事故で死んじゃったのよ、可哀想だけど、奥さんはハッピーかもね、なんせ保険金が一億円ぐらい入ったらしいの、それに子供もいないの。第二の人生は楽しみばかりだわ。一億円と旦那とどちらを取ると言われたら、一億を取るわね。死んでも半年ぐらい悲しめばいいでしょう。新垣も随分遊んだらしいし、それくらいで帳尻は合うわ、夫婦の関係ってそれくらいのものよ、罰は当たらないわ、当然よ。内の旦那は浮気はちょこちょこするけど、健康で死にそうにないわ。だけど臍繰りから保険を掛けようかな、一千万で十分だわ。
 内の旦那、禿げてるの、十数年前から見た目はジジイ、結婚したらすぐに禿げたのよ。分かる、ショックで三日三晩泣いたわ。カツラを付けてたのよ。結婚前は泊まって行かずに必ず帰るのよ。ああ、ケジメのある人だなと思っていたの。それが単にカツラがばれるのを恐れていたからなのよ。それだけは許せない、今でも騙されて結婚したような気分になるの。
 でもこれが普通の家庭なのよ、周りを見てもそうだもの。それと、私が吉永小百合じゃないように、彼は田村正和じゃなかった、現実は厳しい」
「ゴメン、携帯がなってるから」と私が嘘を告げると、美香子は軽く右手を挙げて、ウォーキングを始めた。無論携帯など持ち歩きはしない、かけてくる人がいないからだ。だが携帯は持っている。電話をかけるのに便利だから。最低使用料金の月二千円だ。
 人間と長時間話し続けていると、極度の緊張のために眠気が襲ってきて体がだるくなる。一体、美香子は何を話したかったのだろうかとあれこれ推測してみたが分からなかったので、何でもいいから話したかったのだと思うことにした。
 しかしそのような会話の進め方があってもいいものかと訝った。
 向かいの二人の主婦の声が聞こえだした。
「あの人、ちょっとオカシイ、アブナイ人らしい、突然何をしでかすか分からないわよ、何かをしでかしても無罪の人なのよ。野放しにしていいのかしら、それなりの場所に保護すべきよね、それが彼らの幸せなのよ、それにただで三度の食事付きよ、願ったり叶ったりで入るべきよね、とことがそれを嫌がるの、自分がどんなに危険な人なのかまったく気づいていないのよ、それってとても危険、それに彼らは世の中の役に立ってないもの、いなくても損失はないから、ちょっと端っこへ行ってもらってもいいじゃない。それに美的じゃないでしょう、風景の美観を損ねるのよね。居ても居なくてもいい者のなら、自主的に移動して欲しいのよね。こういう人って、『獅子身中の虫』って言うんでしょう、昔から居たのね。彼らは外にだけ居るんじゃない、見分けが付かないほど世間の中に隠れて、いつ爆発するか知らない時限爆弾を抱えている、爆発すれば周りの者が害を被る、無差別、この残酷な行為を見過ごしてはならない」
「無職、無能、銭喰い虫、穀潰し…」
 ひっそりと家では家族の顔色を窺い、外では見ず知らずの人の顔色を窺いながら生きる。
 人殺しの逃亡犯のようだ。
 それでも生きている私に生きている意味があるのだろうか、それよりもまず、生きて苦しむだけでそれでも生きたいのか、私に問いたい。今まで生き続けた、だから生き続ける。それが答えなのか。なんと退嬰的な答えだろうか。
 なんの希望も持てずに、生き続けてきた私は神も仏も信じない。人間は尚更信じない、だが父母と住んでいる、彼らの扶養家族になっている。それは父母を信じているのか、単に彼らの経済的保護がなければ生きていけないから、一緒に住んでいるのではないか。他人よりは近い関係にある、父と母、そのためだろう。

 月に一度の診察の日で、この日は私が家族以外の者と話す日である。
 病院の診療室の前の待合室で自分の番を待っている。
 私は二〇番で、十一番が呼ばれた。
 グランドに出て、ベンチに坐った。そこへ高校生ぐらいの女の子が来て、横に坐った。 空いているベンチに坐ればいいものをと苛ついた。
 女の子は空を見ながら喋った。
「人が悪魔に見えるんです、悪いことばかりするんです。私を見張っているんです、殺そうと思っているんです、今日は晴れです、あいつらの活動が活発化するので大嫌いです。雨の日だと、外で濡れて私を見張るんです、風で高熱を出し、死ねばいいのに。
 悪魔はみんな死ねばいいのに」
「私も皆が悪口を言うんです、それも証拠が掴めないようにです。だから誰にも相談ができないんです」
 そんなことはないですよとは、ここに来る人は言わない。実際そう聞こえるし、そう見えるからだ。
「どのぐらい通っているんですか」
「二十年になる」
「長いですね」と女の子は険しい表情をして、何も言わずに去った。
 私はなぜか疲れ、大きな溜息を吐き、待合室に戻り、テレビの置いてある薬剤室の前の最後列のソファの右端に坐った。
 短いジャージのパンツに白いランニングシャツを着た十代後半の丸刈りの男が黙って薬剤の窓口の横に立っている。
 いつ頃からか分からないが、ずっとそこにいたはずだと思えた。私が通い始めた以前から。古い感じがした。なぜ、今日気づいたのか不思議だった。その男は背が高く痩せていた。前を向きずっと立っている、けして近くにあるソファに坐ろうとともしなければ、声も発しない。
 最前列ソファの中年の男が声をかけた。
「コーヒーでいいか、半分、私が飲んでからだ」男は財布を取り出し、百十円を渡した。
 丸刈りの男は表情を変えずに、お金を取り自販機のある外へ出て行った。
 しばらく呆気に取られていたが、お供え物はいつ誰が何を呉れようが呉れまいが、一切気にせず、そこに、薬剤室の前に黙って立ち続ける地蔵のように思えた。

 黄色いワンピースを着た二十前後の女性が麦わらで編んだハットを被っていた。清々しかった。美しかった。
 たとえ怯えの中でも、美醜は以前と変わらず残った、奇麗な人が好きだ。
 でもこの子も神経を患っている。どこにいても針の筵なのだ。
 一時の休息があれば、救われるのだが、それを全く与えないのがこの病の特質なのである。これに巣くわれたら、ひたすら平安を求めても怯えの蟻地獄に沈んでゆくだけである。二十四時間怯え続けるしかない。
 赤い靴履いてた女の子、異人さんに連れられて行っちゃったと私は口ずさんでいた。
 ここにいる人たちは皆連れられて行った者たちだ。見れば、薄皮一枚隔てた現実の隣でどこか遠いとこをみている。
「南妙法蓮華経」と女の唱名がフロア内に響く。
 私は一年ほど般若心境を原稿用紙に写経して、どうか怯えから救って下さいと祈願したが、何の効果も現れず、仏やキリストに頼るのを諦めた。それから東洋思想の「気」や老子荘子の「無」にも傾倒してみたが、全く私に変化はなかった。
 ただ「無用の用」という言葉は社会に対して引け目を持つ「何もできない者」と攻め続ける私の心にへばり付いたのは確かだ。「無用の用」、ポジティブだった。それは夢のような、憧れの私の思いだった。宇宙に無駄なものは存在しえない、無駄に見えるものはその本質を知らず、使いこなせないという、コミュニケートできないという不徳であり、能力の欠如を示すものである。

「暴力反対」と叫ぶ女に母親と思われる女性が「私がビンタをした、言うことを聞きなさい」
「暴力反対」
 騒ぎを聞きつけてきた女性看護師に母親は告げた。
「退院してから、すぐに悪くなって、暴れるし、それに車道を歩くのでとても危ないのです」
 その間も、暴力反対と母親を突き放し暴れ出した。二人の屈強な男性看護師二人が、喚く娘の両脇を抱えて病棟に連れて行った。
「暴力反対」と声だけが響いた。
 突如、男のけたたましい声が廊下を駆け抜けた。公衆電話をかけていた。
「母さん、私は精神病じゃないよ、なぜ、迎えに来ない、私は魔物(マジムン)じゃないよ、母さんの息子だよ、分かる、分かるか、いつ迎えに来る、いつ来るか」
 男は何度も電話をガシャンと切り、お金を入れずに、受話器を取り、同じ言葉を叫んだ。
 私は空いている通路のソファに横になって、目を閉じた。
 ソファに横になれるようになってそう長くはない。以前は横たわっているのを見ると不愉快になった。そこは坐るところであり、横になって一人で占領するものではない。
 だが横たわっている者が一人か二人はいつもいた。席が空いているのだから、体のだるい者や、気分の優れない者は横になればいいのである。ここはショッピングモールではなく、メンタルホスピタルである。それにソファーは余るほど置かれ、ここならではの自由がある。

「統合失調症ですが、付き合ってもらえないでしょうか」
 言いかけてけして言えなかった言葉である。しかし、言ってしまえば、その重みで緊張し怯え、けして付き合える状態ではいられなかっただろう。
 私は怯えていても人を好きになるという感情はどこから生まれいずるのだろうと思った。苦しいが、怯えとは違った切なさがそこにはあった。それは私の頭の中で始まり、頭の中で終わった。それも思い出と呼ぶのだろうか。
 だがそれは男の友人にも言えることだ。私は彼らに統合失調症であることを告げることはなかった。普通に接してくるが、それは私にとって脅威であり怯えであった。余りにも肉迫してきて、私を圧倒し、私は引きつるしかなかった。だが彼らは高校からの友人であり、私を遊びに誘った。私はいつも一緒に遊びに行き、飲みにも行った。それは私は嫌だと言えなかったからだ。言えば友達の呪詛が一人の私を蝕んでゆく、それは次に友人に会う日まで続くことになる。会えば、あれは思い違いだと納得するが、どのような時でも会った友の顔色を窺いながら接する、何を言われるかが怖いからだ。
 いつからとなく、私の友人や知人の間では「私は笑わなくなった」との評判になっていた。
 私は笑わないのではなく、笑えない、いつも怯えているからだ、統合失調症が原因だと叫びたくもなるが、それを実行したことは一度もない。その結果が悲惨な結末を生むだろうとしか思わなかったからだ。常に怯えとネガティブ、それが私の一切合切だ。
 どんなに高尚な小説を、哲学書を、宗教の本を読もうが、私はいつも追い込まれていた。いつも笑っていた高校時代までの私は確実にあるのだが、それが表に出せないでいる。その葛藤も結局は怯えへと変質してしまう。私は私という皮膚に包まれた怯えであった。

 長く暗い籠もりの部屋の日々の中で、一番の重大な変化はパソコンとインターネットであった。
 部屋に居ながらも世界を見ることができる。望めば匿名で、ニックネームでメールの遣り取りもできる。便利になった。
 最も大きな変化は同人誌の会に入ったことだ。感想はサイトで自由に書き込むことができる。書いて投稿する怯えに対して、同人誌はその意義を与えてくれた。そこには私の足跡が見えるような方になっていた。
 少なくとも掲載され作品を批評されることで、私は赤の他人にまだまともだと証言されているようで、それは私をかなり励ました。
 私事を、全くの虚構を発表できる場は私に現実の怯えの鎖は付いているが思考に自由の翼を与えてくれた。
 発病から三十年後に、驚くほど緩慢に怯えの声が消えた。その時にはすでに五十を超えていた。
 それを確かめに、綿パンにアロハで可笑しくないようにめかして、二千円を持って外に出た。
 まずは公園へ行きベンチに坐った。
 子供連れの母親が二組に、営業マンらしきスーツの男性もいる。彼らの話す声が聞こえたが、私の内部にまで侵入しては来なかった。
 これが本当の私のこと全く知らない赤の他人の本来有るべきはずの姿なのだ。
 彼らはもはや言葉の裏側に私の誹謗中傷を乗せることはない。それらは透き通っていた。怯えを伴わない他人の、第三者、私と無関係なの声だった。手を伸ばして深呼吸をした、雀の鳴き声さえ初めて聞くかのように新鮮だった。
 私は満席のショッピングモールのレストランに入った。
 ラーメンと餃子を食べる。すぐ隣に坐る両脇の客からも、向かいの客からも、後ろの客からも私を脅かす声は聞こえなかった。
 ざわめく人、人、人の中でも怯えなかった。私に張り付いてこない他人は素晴らしかった。こんなにも違う人間がいること気づき、思わず涙が出そうになった。
 もう他人の声が私を脅かすことはないのだと確信した。
 チャーシューもゆで卵も麺も汁も餃子も、初めて味付けをした料理を口にしたかのようにおいしかった。
 レストランを出ると、タバコを歩きながら吸っている若者を見つけた。
 このクソガキ、歩きながらタバコを吸うなと頭の中で怒鳴った。何も跳ね返っては来なかった。毒づけば反対に何十もの罵りの言葉が戻ってくるはずだった。
 この瞬間までの三十年間、私は他人に怒ることができなかった。やっと皆と対等になったのだと嬉しくなった。

 だがそれも一年が経つと、有り難みは消え、怯えさえ消えれば、何でも出来ると思ってい
、だが何もできなかった、スーパーマンになったわけではないからだ。
 三十年は怯えの月日であり、時は巻き戻せない。後悔の発作は時々思い出したかのように起こるが、それで又、後悔で時を過ごすには非生産的であると思いながらも、どうしようもない思いに沈んでしまう。
 友人たちは家族を持ち、子供は二十歳を過ぎていた。三十年、人間が生まれて大学を卒業して家庭を築くまでの年月だ。大きな溜息とともにどうしようもない失望感が沸き起こって、行き場のない怒りが込み上げ悲しみに変わった。 
 怯えの時は家族や社会的地位など思いもしないことだった。ひたすら怯えが消え去ることを願い、願うことさえ忘れ怯える日々だった。
 この三十年の間に起こった同級生の歩みに、生活への羨望が胸を押し潰しそうになった。それらは元来私も持つはずだった、だが全てが無い物ねだりだった。そう私の人生であるはずだったで終わる。天を呪うべきか、自分を呪うべきか、私は私を呪うしかない、簡単なことだ、そうなっている者は誰でもなく自分でしかないからだ。だが、だがが胸の内で何度も続く。
 現在、無職、未婚、資格もなく、金もない。せめて、大学を卒業してから、結婚してから、子供が出来てから、発病すればよかったのに。
 そのような悶々とした日々が一年ほど続き、私は正常に、つまり病的怯えはない状態で悩むことに疲れ、買い求めた救いの本を読むことにも疲れて、その本を部屋中に投げ散らかしこれでもかこれでもかと生きた人間なら死ぬくらいの力で踏みつけた。息切れがして蹲っていると、自分のしていることに我ながら呆れてしまった。
 デスクに向かい、ワープロを開き表示画面を見ながら、ここは冷静になろうとした。
 後悔先に立たずと言うが、すっきりと後悔を捨てきれるものではない。私は三十年の怯えのことでは悩みたくはない、三十年間病気で動けなかった、病人だった、それをどうしろと言うのだ。今頃頑張って、どうポジティブに脳天気に解釈しようと、病気なので日常の生活ができなかった。いわゆる三十年の人生の病欠だった。立派な理由はあったが、納得しない私に苛立っている。それなら今からの人生を泣いて過ごすのか、これこそ愚か者がすることである。そうは口では言うものの、内心では納得していない。だがその原因を誰のせいにしようが、何のせいにしようが、過去は変わりはしない、一回限りである。
 しかし、それでも幸福だ。怯えてはないからだ。正常に悩んでいる。三十年も怯えて過ごし、その三十年という時間を普通に過ごせなかったことに後悔するのは当然だ。
 浦島太郎は若い時に竜宮城にゆき乙姫の接待を受け、歓楽に酔いしれた。
 それから古里に戻ると知り合いは皆亡くなっていた。浦島はきっと享楽の三十年、或いはもっと長い年月を後悔したに違いない。私は怯えで浦島は楽しみだ。浦島の落差はすさまじいものだったに違いない。私の場合は周りの人は皆生きていた。
 どちらが幸福だろうか。いや、どちらがより不幸だと比べている、卑しいことだ。
 普通に結婚し子供育て家族に囲まれて老いる。だが今となっては叶わない夢だ。普通にとは後悔しないものだろうか、大多数がそうであるから納得する。
 いい加減なものだ。
「私一人の人生だ」
 そうだ誰の者でもない私個人の人生だ。
 三十年の怯え、統合失調の症状の時間の長さにおいて、それを締めくくるに相応しい言葉などない事を知った。私はひたすら自分を納得させるであろう金言、名句を探し求めていただけだ。怯えの日々が労働と同じように価値あるものとし評価できるように。
 だが病気とは元来ネガティブなものであるのを人生の鍛錬の場であるかのように見るのは病気をしてない第三者の勝手である。
 病気はやはり苦しいので、一日も早くそこから抜け出したいと思っているのである。それを鍛錬だと認めるお目出度い病人はいない。
 私は私の怯えの歳月を納得した。後数年で年金が貰える年になる、年を取ったことを納得した。
 しかし、三十年の年月が解決してくれたものもある。
 それは家族関係だ。父や母が何かにつけて働いてくれるような言いぐさをしなくなったことだ。それから兄姉も無職でいることを気にしなくなった。つまり、私たちは働いているのにお前は一日中寝たり起きたりのいいご身分かとなどと比較せずに、無為徒食の私を当たり前のように受け止めるようになった。
 これは兄姉が年を取り、退職し、冷めた目で世間を見るようになり、あらゆる事への執着が希薄になったためだ。
 両親はもう八十五を過ぎ、世間を気にするよりあの世を気にする年となったからだ。そして私を叱るエネルギーもなくなった。
 それとただ一人両親と同居している私は年老いた両親の見張り役にもなるので、安心していられることだ、死んでも分からなかったからでは済む問題ではないからだ。無論、私の本意ではないが結果として役立つことになった。
 私が寛解したのも、同級生と比べて、全てに於いて先を超されてしまったことに対する心の奥底に潜んでいたマグマのような敗北感が三十年という年月で熱を失ったことによるものだ。それが私の怯えが消えた最も主要な原因だと思っている。
 私の怯えは去ったが、完全に病が治ったわけではない。それが証拠に薬は見続けている。
 もし怯えがぶり返せば私はもう怯えに耐えきれないだろう。平安というものがどんなにかけがえの無い素晴らしいものか味わってしまったからだ。だからある意味で私は用心しながらこの平安を享受している。人付き合いで無理をしないことと睡眠は十分に取ること、この二点を特に心がけている。
 私の見る風景は変わった。どこまでも穏やかで延びている。このような風景を見ることができると思ったことはなかった。皆と同じ場所に住みながら、私は異様な世界に住み続けていたからだ。肉体的病気か不慮の事故で死にたいと願ったが、そのようなことは起こらなかった。怯えが理由で自殺だけはしたくなかった。なぜだか知らないが、それだけは頑なに守り続けた。三島由起夫のように大義をもって死ぬ、そのような勇ましさはなかった。太宰のようなナルシズムも弱さもなかった。怯えに追い込まれた窮鼠ではあったが、死ななかった。何かの漫画の台詞のように、「あらゆる失望を上回る希望があったからだ」、そのようなものはない、希望など怯えの餌で、失望してどんどん怯えを太らせていっただけだ。
 きっと私が唯一誇れることは自らの命を絶たなかったことだ。
 そして神様は不幸のどん底でどんなに泣いて頼もうと、きっと幸福の絶頂の時に頼もうがその態度は変わらない、そして同じ言葉を口にするのだと確信した。何度お願いしては、口から出る言葉は開いた口が塞がらない言葉だった。
 君の言い分は分かると言いたげな、「それでも」、に続く決め台詞に「生き延びよ」、慰める言葉は一言もない、今までの苦労を哀れむ言葉もない、苦しみに負けないように励ます言葉もない、それに慈愛に満ちた声でもなく、冷めた声でもなく、隣の小母さんが学校へ行く私に声を掛けるような重みのない声であった。
 よくよく考えたのだが、私の神様は「それでも生き延びよ」という言葉そのものであるという結論となった。それだけのものなので、神様と呼ばれて期待されても困るということだろう。
「それでも生き延びよ」

長い引き籠もり

統合失調症と一人だけの挑戦、読む、書く、死なない。

長い引き籠もり

統合失調症、身を守るために引き籠もって、30年の軌跡と引き籠もりからの脱出、その後。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-08

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted