三度目にはすべて死ぬ

みんな、みんな、そうだった。
蕾から咲いていた紫陽花も三周目の梅雨に、茎の根っこから生えてきたセロリも三度目に、飼っていた三代目のクレステッドゲッコウも冬のはじめに、みんな死んだ。仏の顔も三度まで、とか、三途の川、とか、仏教に関係する言葉に「三」という数字があるのも何かこれとの因縁だろうか。俺は仏教徒ではないが、こう思うと仏様の言うこともあながち間違っていないかも知れない。

それにしても災難だった。最初は、年収の半分をつぎこんで買った新車の中に置いてあったゴルフバッグを、窓を割られて盗られた。幸いキーは認証式だったので、車自体に被害は無かったが、俺のこれからの余生を共に過ごそうと思っていた黒いヌメ革のそれをきれいさっぱり盗られたのだった。そのショックと来たら、親戚中にあんた大丈夫、と口ぐちに言われるほどだった。共に過ごす、というのはすこし大げさかも知れない。しかし実際、それしか愉しみがなかった。その車というのも、誰かを乗せる為ではない。自分をどこか遠くに、誰も干渉しないどこかに連れて行ってくれる道具として買ったものだった。いわば冥土カーとも言うべきものだった(陳腐な名前だが、本当の名前はもっとかっこいい)。

二つめは、離れて暮らしている妻とその子供の逐一の〝世間体に倣った〟報告だった。妻は品行方正な人だった。悪く言えば、曲がっていない舗装された道を歩いてきた、あるいは植物が何の不自由もなく生えるような温室で生きてきた人だった。だから子供にもそれを求めた。子供はすくすくとまっすぐすぎるほど育ってきた。俺にはそのまっすぐさが見るに堪えない。こちらに何の悪意も遠慮もなく、子供は今度MARCHを受験する、その為に家から遠い短期合宿型の塾に通っている、というような報告を隔週おきに電話してくるのだった。疲れて帰ってきた家の留守電に、そのメッセージが一件表示されると、肩のあたりの鈍痛が酷くなった。子供も、妻も、愛しているはずだった。自分が、そういうことに躍起になりすぎて捨てられたのか、自分からドライな相手に不満を抱いたのか、もう覚えていられないほど疲労していた。子供部屋を残したままの二階は相変わらず広く、相変わらずただの空気の塊が滞る場所と化していた。

三つめの報せがやって来たのは、ちょうど役職が定年間際だというのに昇級した日の一週間後だった。昇級は所謂〝お誂え〟だった。この歳になって寄り添う伴侶もそばにいない中年に憐みを感じたのだろう。部下はこぞって俺を祝った。その祝いの席が終わり、いい感じに酔いが回っているときにその電話は鳴った。

「華ちゃんが、亡くなった」

華ちゃん。俺の姉をそうやって言うのは、俺のふたつ下の弟と、実家の近所だったニッキ飴工場で働いていた女の人だけだった。

「……そうか」

酔いが完全に醒める程の衝撃では無かった。姉は十年前から肺を悪くして、入退院を繰り返していた。空気が澄んでいる季節には元気そうにしていたが、時々容態が悪化して長期入院をしていた時もあり、俺もその都度見舞いに行っていた。この前行った時には、随分と頬のあたりが痩せていたように見えた。今わの際に吸いこそしないものの、大好きだった煙草をまるで守りのようにいつもベッド脇のボードの上に置いていた。

実家で、両親と喧嘩したときに姉が玄関で吸っていた煙草の匂いと、親父に張られて赤くなった頬、それにけっ、と唾を吐く姉の勇ましさと男らしさを、黄金色の記憶の中で思い出す。学生だった俺に姉の姿は、それはそれは恰好よく映ったものだった。なんというか、そう、豪傑だったのだ。どんな時にも、恐れを為さない人だった。だからこそ、そんな姉を誇りに思っていたし、すこし、ほんの少しだけ、血のつながった兄弟同士としてではなく異性としての、胸の高鳴りを、感じていたのだと思う。

叔母が亡くなったという話を、〝世間体報告〟の折り返しの電話で妻にした。告別式の日取りも話したが、その日はどうしても緊急手術で職場を出られないのだという。妻は看護師だった。そういう職業を選んだところも、昔の俺なら尊敬の念を抱き、今になれば辟易する部分であった。妻の仕事は、生と死という、明るみと暗さの両極端に立たなければいけない仕事であった。

告別式は実家の近くの小さな斎場で行われた。久しぶりに顔を見る親戚に交じって、茶を飲みながら各々が故人との思い出話をし、しばらくして経を読まれ、死に顔に面し、火葬場へ行き、最期の別れをした。弟は鼻水を垂らしておいおい泣いていた。その肩を抱いて俺が思っていたのは、やはり三度ですべてのものは死んでいく、ということだった。死んだ人間の前で三度念じるとその魂は上へ昇っていく。きっかり三度だ。紫陽花も、トカゲも、愛とかいうのも、三度じゅんぐりに同じことを繰り返すと無くなってしまうのだ。なんという「三」の恐ろしいことだろう。しかし、とてもきりの良い数字のように思えた。その三度の中で、一体どれほどの事を考えられるだろう。どれだけの猶予があるだろう。
生きているうちに、姉に一本だけでも煙草をもらって吸えば良かった。もらったニッキ飴を、蟻にあげずに自分達でも食べれば良かった。妻や子供をもっと愛してあげられれば良かった。自分のことを、もっと大事にしてやれば良かった。
そうやって考えているうちに、ようやく温かい涙が頬を伝った。

帰ってきたころには、外は薄墨に煙る時刻になっていた。梅雨前線が北上し、明日は強い雨がひとところに降るという報道のされているテレビを見ながら、みなに配られた心ばかりの品の中身を開ける。箱を開けるとすう、と、甘いなかにつんとした酸っぱさのある匂いが鼻をついた。そこには均等に杏がよっつ、正方形の木箱の中に行儀よく収まっていた。どこにも不揃いなところのない、完璧なる杏だった。俺はジャケットをクローゼットの前に掛け、しげしげとその杏を暗闇の中で見つめた。

これも、三日放っておけば腐るのだろうか。

どうしてか、それだけは見たくなかった。それだけは、見てはいけないような気持ちがしたのだ。そうだ、これは俺の姉への気持ちだ。この果実が、どうしようもない俺を見てその形を為してくれたのだろう。ありがとう。とても、救われた。腐る前に、〝三度〟がやってくる前に、今おまえを俺が食ってやるから。

ありがとう。

もう一度繰り返して、俺はその瑞々しい杏にかぶりついた。
みたび、熟された匂いが鼻腔を通り抜けた。

三度目にはすべて死ぬ

三度目にはすべて死ぬ

ものが死んでいく虚しさに苛まれた男の、独白と再生を書いた短編。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-11-19

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