Ⅵ アヤタカ 「爪弾き学」
紫の光球が昇る頃、 アヤタカ達は入学2日目として、 いよいよ本格的な授業に入っていった。 生徒たちは外の芝生の上で並び、少し寒そうに白い息を吐いていた。まだ生えたてで淡い色の芝生は、 朝焼けに包まれ黄金に染まっている。 朝の凛とした清々しい空気の中、先生がやってきた。
科目名は、通称「でこピン」。
正式な名前は「爪弾き学」。爪弾き学とは、一般的には杖と思われがちな魔法の補助道具を付け爪で行う魔法学である。
付け爪とは、 お洒落に使うような爪に貼り付ける物ではなく、 かつて清で付けられていた「指甲套」という付け爪に酷似していた。それは指にすっぽり被せて使い、 まるで鷹の爪のような形をしていた。
当然杖は存在するが、 この学園では爪弾き学をメインとしている。
爪弾きは杖よりもいささか威力は劣るものの、 杖より目立たないため暗器として暗躍していた。 そして杖よりも本人達に合わせて様々な微調整ができる。 何よりもの長所は、付け爪の数が増えれば膨大な種類の魔法が楽に使えるようになるのだ。 他にも組み合わせ次第で威力を増したり、 新しい魔法が発案しやすくなる。
アヤタカ達は初めて聞く、 爪弾きという方法に胸を躍らせた。
最初は魔法といえば、 の杖をこの学園ではほぼ使わないと聞いて皆露骨にやる気を失くしていたが、 先ほどの説明を聞いて分かりやすく目を輝かせた。
まだまだ青い学生達は、 少しの甘い情報で簡単に釣ることができる。
それをよくわかっているここの先生方は、 まずは派手なお手本を見せることが暗黙の通過儀礼となっていた。
爪弾き学の教師、 シラース先生は荘厳な付け爪を指にはめた。
イメージしていたものとは異なる、 鈍く銀に光る付け爪…。
その身には細かな装飾が施されていて、 真ん中はめられた赤い宝石も鈍く光っている。
ひと目でそこに、 膨大な魔力が秘められていることが分かった。
生徒達は息を飲み、 張り詰めた静寂が流れる。 そしてその空気を揺るがすように、 爪弾く音が高く鳴り響いた。
すると翼竜をかたどったような烈火が現れ、 火の粉と光の粒を撒き散らしながら天高く飛翔していった。 朝日により金に染め上げられた空を、 夕日と朝日が混じり合ったような炎が貫く。
そして学生達が見上げている間に、 シラース先生は懐からもうひとつの付け爪を取り出した。 今度の爪は琥珀色に透き通っており、 飾りは無いものの洗練された流麗さがあった。
それを人差し指にはめた銀製の爪の隣、 中指にシラース先生ははめた。
そして今度は中指で爪弾いた。
するとぱうっ! と不思議な音がして、 炎の翼竜は木っ端みじんに吹き飛んだ。 その欠片が、 キラキラと赤や金に輝きながら降ってくる。
「これはひとつ目の爪が炎を強化する爪、 ふたつ目は物理的な力を強化する爪だ。 そしてこのように、 魔法を組み合わせることを統合魔術いう。 わかったかし……わかったか。」
学生達はその魔法に見惚れながら、 こくこくと浅く頷いた。
「言っておくが、 複数の爪を扱うことは全員ができるという訳ではない。 爪を付けずとも統合魔術はできるが、 複数つけるよりも威力は劣る。 逆に複数付けることで威力は格段に増すが、 その分扱いが段違いに難しい。 私が知っている限りでは、 3つまでだ。」
先程彼は、 付け爪の数が増えれば膨大な種類の魔法が楽に使えるようになると言った。 しかし今の説明では複数の爪を操るのは段違いに難しいと言った。彼は心の中で、 複数の爪が『使えるようになれば』、 様々な魔法も楽に使えると言ったのであって、 爪弾きならば難しい魔法も簡単に使えると言ったわけではない、 と心の中で呟いた。
学生達がいずれ気付くであろう言葉のまやかしも、 今の彼らには見破れない。
「ここに初心者用の付け爪がある! これを一人ひとつ持っていって、 自分の一番得意な魔法を試しにやってみろ!」
学生達は木でできた、 簡素な造りの付け爪をはめ、 思い思いに爪弾いてみる。 朝日は大分輝きはじめ、 辺りは眩しい金に染まっていく。
ここで最も輝いたのはフレイヤだった。
彼は前日も何度か見せたように、 ピンクの炎を入学前ながらも自在に操れた。 今回の授業は楽そうだとフレイヤは指に付け爪をはめる。
そして試しに、 無造作に爪を弾いてみる。
グォオッ!!!
ピンク色の、 人一人分は吞みこめそうな大きな火球が姿を現した。
さすがのフレイヤも驚き、 その火球は煌々と燃えながら空中で停滞した。
「あらやだ!!!」
どこからか裏声が聞こえた。
フレイヤが振り向くと、 咳払いをしているシラース先生が後ろにいた。
怪訝な顔で見るフレイヤを尻目に、 シラース先生はいつもの落ち着いた低い声で賛美した。
「素晴らしいな…。 爪弾きは初めてか?」
長身で男らしく、 スタイリッシュでありながらダンディな先生。 フレイヤの憧れそのものの姿をした先生に褒められ、 フレイヤは少し目を伏せる。
「は、 はい…。」
「もう一度やってみろ。 今度は思いっきりだ。 みんな離れて!」
フレイヤは注目する視線を鬱陶しく思いながらも、 今度は試しにではなく真剣に指を構える。 すうっと息を吸って、 強く、 速く爪弾いた。
ゴォォッと周りの風がフレイヤ目掛けて巻き取られ、 フレイヤの髪が滑らかに揺れる。 やがて風の集まる場所に、 白く輝く発光体が姿を現していく。
次の瞬間、 ボウッと重い音をたてて、 発光体はピンク色の火球へと変わった。
風を巻き込みながら、 先程の2倍はありそうな火球が辺りをピンク色に照らす。
おぉお…と歓声が沸き起こった。
フレイヤ自身、 ここまで大きな火球を創り出したは初めてだったので驚いた。 シラース先生がぱちぱちと拍手をする。
「素晴らしい。 初日でここまでできる生徒はなかなか拝めない。 ただ、 大きいがその分威力も拡散している。 今度は威力はそのまま、 火球を凝縮するつもりでやってみろ。」
「はい…。」
シラース先生の個人指導が始まり、 学生達もまた各々の練習を始める。
一方その頃アヤタカは、 爪弾き自体に苦戦をしていた。 長い付け爪にイライラしながら、スカッ、カスッと間の抜けた音を出している。 彼は指を鳴らすことはおろか、でこピンすらできなかった。爪弾きはあまり力を入れる必要はないが、まだそれを知らない彼は思いっきり爪弾いては、 付け爪をピュンピュン飛ばしていた。
どちゃっ!!
アヤタカの背中に何かが飛んできた。 来たかあの女と心の中で呟き、 アヤタカは臨戦態勢に入る。
「わっるい!! 当たっちまった!」
しかし聞こえたのはラムーンの声では無く、 ハキハキした男の声だった。
そこにいたのは、 アヤタカの腰ほどの背丈しかないずんぐりとした少年、 大地より生まれた種族であった。 少年が朗らかな声で話を続ける。
「泥だんご飛ばしちまったみたいでさ、 きったね!」
アヤタカはその少年に昨日のアポロンと似たもの、つまり明るく魅力的な雰囲気を感じた。
そしてショウという、 泥だんごで遊んでいた少年と話が始まった。
「……ふーん、 上手く爪弾きができねーのか。」
「そう……。 な、 なんかコツとか知ってる人いないかなー……なんて……。」
アヤタカは、 この機を逃してたまるかと言わんばかりに押し、ドキドキしながら横目でちらりと見ていた。
「そうだなー。」
会話が途切れた。
これは遠回しな拒絶だろうか? とアヤタカは1人でぐるぐるし始めた。 その姿はさながら急須の中でお湯を注がれ、 飛翔と降下を繰り返し続けるお茶っ葉であった。
「オレは爪弾くどころか指が入りゃせん、 ほれ。」
差し出されたショウの指は確かに太く、 泥のついた爪も分厚い。 配られた付け爪は、到底入りそうにもなかった。
「だからほれ、 なんもできんから泥だんご作って遊んでたら……な。」
ショウは目でちらりとアヤタカの背中を見やる。
2人で目を合わせ少しの沈黙。 そして同時に笑い出した。
ショウは浅黒い色の手で、 アヤタカをばしばしと豪快に叩いて笑っている。
今のアヤタカは輝いていた。 友達ができた喜びのあまり、 頭が麻痺して異様に楽しくなってきている。
「ほら! オレ土の子だからさ、 さっきまでみんなに泥だんごの作り方教えてやってたんだ! お前にも見せてやるよ!」
「え? ツチノコ? ははははは!」
べしゃっ。
アヤタカの左頬目がけて、 泥だんごが飛んできた。
泥だんごは空を飛ぶものではないので、 通常誰かが投げ飛ばさないと横から飛んでくることは無い。
アヤタカの視線の先には付け爪をした女の子。 金髪、 くるくる、 ネームプレート「ラムーン」。
どうやら彼女はショウ達が作っていた泥だんごを、 アヤタカに飛ばした張本人だったようだ。
しかし彼女の手についているのは泥ではなく付け爪であった。
「あら? ごめんなさい。 思ったより上手に爪弾けて……。 あなたのことだから、 お得意の物体浮遊術で防げると思ってたわ。 ほら、 お返しに泥だんごを投げてきていいわよ。 手でね。」
ぴぃんっ!!
アヤタカは爪弾きを開始した。 手で投げてたまるもんか、 意地でも爪弾きで返してやるといきりたっている。
前からは高笑いが聞こえる。
どちゃっ!
「えっ……。」
ラムーンの足元に泥だんごが飛んできた。 ラムーンは顔をきょとんとさせ、 足元の泥を見たと同時にその場から飛び退いた。
アヤタカはすでにコツを掴んだらしく、 徐々にコントロールが定まってきている。 ラムーンは少し焦った顔になり、 アヤタカの付け爪目がけて泥だんごを飛ばす。
しかしアヤタカは飛んできた泥だんご目がけて泥だんごを飛ばし、 お互いにぶつけて相殺してきた。
「うそっ……、 もうこんなできるようになったの!? くそっ……!」
ばしゃんざしゅんと泥だんごがぶつかり合い、 激しく泥が飛び散る。
あたりから、 きたねーぞ、 またあいつらかと声があがった。
「素晴らしい! いきなりできるようになっている! やはりライバルの存在は素晴らしいな、ははははは!」
シラース先生はとても嬉しそうに、 満面の笑みでその様を見ている。 流れてきた泥だんごが、 シラース先生の顔面に豪快に飛び散る。
「先生っ!!?」
フレイヤは驚いて声を上げた。
ショウは、 もうとっくに別の生徒達に呼ばれていなくなっている。 友達になるチャンスはラムーンのせいで消え去った。
そのうち別の生徒達が仲裁に入って、 収まるまではしばらくかかった。
先生は最後まで嬉しそうだった。
Ⅵ アヤタカ 「爪弾き学」