ナル∪クラⅢ
第一話 頼み事
篠沢春希は、疲労困ぱいで倒れていた。
「ぜぇー、ぜぇー」
組手40分に休憩20分での三連戦は、2週間経っても慣れることはなかった。
「いや~、美雪がいないと予定通りに進むわね~」
生徒会長である前宮かなえが独り言を呟きながら、釣り目を少し下げて笑みを浮かべていた。争奪戦まで5日を切っていた。
この2週間、三人の虐遇を受けた。会長に何度か関節を外されたり、クラスメイトである前宮望の方は、なぜか私服のまま空手の組手をさせられて、思いっきりに殴られた。後輩である三島若菜には急所という急所を打突された。
「もう二度と安請け合いはしません」
特訓を始めてからずっと満身創痍の僕は、床に倒れた状態で前宮にそう宣言した。
「その方がいいよ」
前宮はそう言って、長髪を左肩から垂らして、先端部分をゴムバンドで結び直した。今日の前宮の服装は、質素な柄のシャツと紺色のスカートに灰色のレギンスで全体的に大人びた格好だった。
「ねえ~。もう終わった?」
道場の外から島村美雪先輩が、飲み物を持ってきた。これはもう日課になっていた。
「美雪、ちょっと救急箱取って来て」
「また~。ちょっとは加減してよね~」
会長の頼みに、不満そうに文句を言った。彼女は、セミロングの平均顔だったが、胸は平均以上だった。
「しょうがないな~」
島村先輩は飲み物を置いて、救急箱を取りに道場を出ていった。
「最近、篠沢の筋肉もしっかりしてきたね~」
会長が僕の体を見ながら、そう感想を漏らした。
「え、そ、そう?」
僕は動揺から、会長の方を見れなかった。正直、これは見せかけの筋肉で、実際には前とは変わってなかった。
「でも、不思議だね。あれだけ打ち込んだのに、篠沢の体にあざが残ってない」
今度は前宮からそんな指摘をされた。
「え、あ、う」
これには言葉が出ずに、顔を下に向けた。
「ん?珍しく篠沢が動揺してる」
「ホントだね」
前宮姉妹が僕を物珍しげに見つめた。
「持ってきたよ~」
すると、タイミング良く島村先輩が、救急箱を持って戻ってきた。
「あ、ありがとうございます」
僕は前宮姉妹から逃げるように、島村先輩に駆け寄った。
「思いのほか元気だね」
しかし、今度は島村先輩から不思議そうな顔をされた。
「空元気ですよ」
僕は島村先輩から救急箱を受け取って、逃げるように離れた。
「ねぇ~、私がしてあげよっか」
救急箱を開けると、後ろから会長が余計な気遣いをしてきた。
「え、なんで?」
「そりゃ~、好きだからよ」
「僕は、さほど好きじゃないよ」
会長の雑な告白に、僕も雑に答えを返した。
「ふ、フラれた」
これにショックを受けたのか、会長が膝をついて項垂れた。
「私の初めての告白だったのに」
僕が手当てを始めると、後ろから悄然とした会長の呟きが聞こえた。
「この状況で告白って・・・」
それに島村先輩の呆れ声が聞こえた。
対応は島村先輩に任せて、僕はガーゼに消毒液を垂らした。
「って、本気で無視するんだ!」
「会長。一つ言っておきますけど、告白する相手を間違っているよ」
僕は、会長の嘆きを軽く流すように答えた。
「え~、好きなんだから間違ってないよ」
「でも、ここ毎日痛めつけてる相手に告白はありえないと思う」
とりあえず面倒臭いので、それらしいことを言っておいた。
「それは私の愛情表現だよ」
この言葉に前宮の顔が険しくなった。
「そんなことしたら誰からも敬遠されるよ」
僕は呆れながら、一般常識を教えてあげた。少なくとも、妹には敬遠されていた。
「あ~、それは事実あったね」
「ちょ、ちょっと、ノゾミン!余計なこと言わないでよ!」
前宮の告げ口に、会長が過剰な反応を示した。
「ふん。事実じゃん」
なぜか前宮が、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「ふ~ん。そんなこと言うんだ~」
この態度に会長が目を細めて、前宮を睨んだ。
二人の雰囲気が一気に険悪になり、姉妹喧嘩に発展しそうだった。
「ちょっと、やめてよ」
この雰囲気を察した島村先輩が、即座に仲裁に入った。
その間に救急箱を閉じて、応急処置を済ませたように見せた。
「じゃあ、僕は帰るよ」
時計を見ると、もう7時を回っていた。
「あ、そうだね。そういう訳だから出ましょう」
前宮は、気を利かせて三人にそう促した。
僕が着替えを済ませて道場を出ると、いつものように前宮だけが道場の外で待っていた。
「今日はごめんね」
そして、突然謝ってきた。
「何がですか?」
「姉さんが変なこと言って」
どうやら、さっきの告白のことを言っているようだ。
「気にしませんよ」
「・・・そう」
何か思うことがあるのか、言葉が少し重い感じだった。
門扉の前で後輩の三島若菜が、一人で僕を待っていた。長髪はボサボサで、前髪は顔半分隠れるほど伸ばしていた。
前宮邸を出て、若菜と並んで歩いた。
「今日は手を繋ぎますか?」
若菜が積極的にそう聞いてきた。
あれから、若菜はかなり男性恐怖症が改善していた。しゃべりも流暢になり、僕と手を繋ぐまでに成長した。しかし、視線は一度も合わせたことはなかった。
「いや、繋げるからそれはもういいよ」
「そう・・ですか」
これにはなぜか残念そうな声で顔を下げた。
「それより、もう大丈夫じゃない?」
ここまで進歩したら、あとは実践あるのみだと考えていた。
「え!それって、どういうことですか」
それに若菜が、過剰に反応を示した。
「ん?もう一緒に帰る必要ないってことだけど・・・」
「な、なんでですか!」
若菜にしては、珍しく強い口調だった。
「僕が若菜と帰宅を同行していたのは、男性恐怖症の克服の為だけだったよね」
「ち、違いますよ。一人で帰すのは危険だからでしたよ」
不思議と若菜の言い方が、かなり必死に見えた。
「あれ、そうだっけ?」
「そうですよ」
正直、それは覚えていなかった。
「でも、ここは治安も良いし、大丈夫だと思うよ」
「治安が良いからと言って、犯罪が起こらないとは限らないじゃないですか」
若菜から反論が返ってきた。見た目とは裏腹に、彼女は自己主張が強かった。
「まあ、そうだけど」
確かに犯罪の発生率は低いが、ないとは言い切れなかった。
「まあ、あと3日だし、最後まで付き合うよ」
ここまで言われると、僕が妥協することにした。
「そ、そうですか」
若菜は、少し悲しそうな声のあと嘆息した。
僕たちは、クラスメイトと会うのを避ける為、あれから遠回りして帰っていた。
「兄さん。一つ聞きたいことがあるんですけど」
ここ最近、若菜は名前を飛ばして、兄さんと呼ぶようになっていた。僕もそれに慣れたせいか、いつの間にか抵抗を感じなくなっていた。
「何?」
「この特訓が終わったら、私たちの関係も終わるんですか?」
「関係って兄妹のこと?」
「は、はい」
「まあ、終わるだろうね。学校では無意味だし」
「そうなんですか・・・」
これには本当にがっかりしたように項垂れた。
「そういえば、若菜には兄弟とかいるの?」
「え、えっと、姉がいます」
「そうなんだ」
流れで聞いただけだったので、それ以上は聞こうとは思わなかった。
「姉は気難しくて、私とほとんど口利いてくれないんです」
なのに、若菜が勝手にしゃべり出した。
「若菜は、積極的に話しかけてるの?」
「え・・っと」
「それはないようだね。じゃあ、今日にでも話しかけてみたらいいよ」
「で、でも、いまさらですし・・・」
「変なこと言うね。喧嘩したわけじゃないのに、いまさらなんてないよ。それに同じ家にいて、話さないのは居心地悪くない?」
「は、はい。私は、ほとんど自室に閉じ篭ってます」
ずいぶんと居心地の悪そうな家庭だった。
「まあ、これは若菜の問題だから、どうしたいかは若菜が決めることだね」
ちょうど分かれ道に差し掛かったので、話を強引に切った。
「じゃあね」
「また明日ですね」
若菜と別れて時間を確認すると、いつもより余裕があったので、少し寄り道して帰った。
『ただいま~』
僕は家に入りながら、電波を発した。
「おかえり~」
すると、玄関の奥のリビングから母親が出てきた。膝まである白髪の碧眼で、灰色のチュニックに、下は黒の七分丈レギンスパンツだった。
『かなり慣れてきたね』
僕ら親子は、この世界の人間ではない為、会話は電波だった。
「ふふん。まあ、本気出せばこれぐらい朝飯前よ~」
かなり上手くなった日本語を駆使して、僕に笑顔を向けた。しかし、声は手に持ったトランシーバーから流れてきた。母親には声帯がないので、トランシーバーを使って電波を音波に変換していた。
『もう日常会話は問題ないみたいだね』
日本語の周波数を教えて、2週間足らずで日常会話は覚えてしまった。相変わらず、母親の記憶能力は抜群だった。
『あとは聞き取りだけだね』
機器ではあったが、しゃべることができたので、今度は聞き取れることが必要だった。
『ん?それはもう問題ないよ』
母親が不思議そうな顔をして、電波で返した。
『え、なんで?』
『だって、これの感度を上げて、耳につければいいじゃん』
母親はそう云いながら、小型のトランシーバーを前に出した。
『でも、形が違うよ』
トランシーバーでは耳には付けれないような気がした。
『え?もう構造知ってるから、耳に入るようにすればいいだけでしょう?』
『できるの?』
『まあ、単純だからね』
『あ、そう』
僕にはそれがわからなかったので、そう返すことしかできなかった。母親は生成能力があり、身の回りの物はほとんど自分で生成していた。
『でも、ここまで物に溢れている世界って、本当に不思議よね』
『それにクラの人たちは、他人との交流を求めてるみたいだしね』
『ナルではありえないことね』
僕らはこの世界をクラと呼び、自分の世界をナルと呼んでいた。
『接触しても危険はないからね』
『つくりが変われば、人のあり方も違うもんね』
この世界が羨ましいのか、少し不満そうな顔をした。
『まあ、いいわ。とっとと変調器生成しよっかな』
母親が気を取り直すように、両手で長髪を整えた。
『じゃあ、僕はバイトに行くよ』
時間的には、もうバイトに行く時間だった。
『え、あ、そうだね』
そのことを忘れていたようで、少し戸惑いがみられた。
『じゃあ、作るの後にしよ』
『え、なんで?』
『だって、ハルキがいないと試せないじゃん』
『試すなら、自分の声でもできるよ』
『あ、そっか』
記憶力は良いが、少し足りないのも母親の特徴だった。
『そろそろ行かないと、遅刻になるから』
僕はそれだけ伝えて、早足で自分の部屋に向かった。
『いってらっしゃい』
家を出る前に、母親が笑顔で送ってくれた。
僕ら親子がこの世界に来て、2年半近く経っていた。僕は高校に通っていたが、母親はしゃべることも聞き取ることもできないので、障害者ということで生活保護を受け取っていた。それが嫌だった僕は、バイトをすることで生活保護を緩和していた。
単純作業のバイトを終えて家に帰ると、リビングから笑顔の母親が駆け寄ってきた。
『ねぇねぇ、見て見て。ちゃんと音波が聞き取れるよ』
母親は髪を掻き揚げ、変調器を見せた。たった3時間で変調器を作り上げたようだ。
「言ってることは理解できる?」
確認の為、僕が言葉を発してみた。
「うん。ばっちり」
すると、母親の口から答えが返ってきた。
『あれ?なんで口から声がするの?』
これには驚いて、電波で訊いた。
『発声機を口に設置してみた』
『え、口に?』
『うん。口だったら簡易的で小さくできるし、電源もいらないからね』
『でも、そんなことしたら呼吸しにくくない?』
『そうなのよ~。呼吸が乱れて、ちょっと生成が不安定になるのよね~』
母親が困った顔で愚痴をこぼした。それでもクラの人と話したいようだった。
『それより会話してみようよ』
『そうだね』
僕はそう云って、靴を脱いで家に上がった。玄関での立ち話は、外にも聞こえる可能性があるので、リビングですることにした。
日常会話を終えると、いろいろ気になるところが出てきた。
『う~ん。二つぐらい課題があるね』
『え、そう?』
母親にはそれがわからないようで、驚いた顔をした。
『まず、口が動いてないことと、声が僕と同じだよ』
発音は良いのだが、僕の周波数に影響を受けて、声が僕とそっくりだった。
『・・・口を動かすのはわかるけど、声が同じって何?』
『声色って云って、男女の声は年齢と共に違いが出てくるんだよ』
『え、何それ?』
『確か、喉仏があるからとかなんとか』
ここは勉強してないので、曖昧にしか答えられなかった。
『複雑な構造してるのね』
『母さんは、声帯がないからわからないのも無理ないよ』
僕は母親とは違い、ナルとクラの遺伝子を受け継いでいるので、声帯は生まれた時からあった。
『とりあえず、まずは声を高く安定させてから、口の動かし方をするべきだね』
『え~~、まだ駄目なの~』
『この状態で人と会話したら、違和感が強くて避けられるよ』
『そ、それは嫌だね』
その光景を思い浮かべたようで、母親が苦い顔をした。
『まあ、口の動かし方はすぐ覚えられると思うよ』
『そうだと良いけどね~』
僕の気休めに少し軽めな皮肉を込めてきた。
翌朝、母親にギリギリまで付き合わされて、少し寝不足になってしまった。
争奪戦まで4日になり、学校では今日から争奪戦の準備の為、すべての授業が免除されていた。会長と会う前の計画では、争奪戦の準備期間から休むことを考えていたが、会長との約束もある為、仕方なく学校に登校した。
登校途中に前宮が待っていた。もうこれは習慣になってしまっていた。
「おはよう。今日も体は大丈夫みたいだね」
前宮は、挨拶とともに僕の体調を気遣ってきた。
「ええ。まあ、もう慣れましたから」
この2週間、会長たちとの特訓のおかげで、体への負担の軽減がうまくなっていた。
「そういえば、お願いがあるんですが」
僕はそう言いながら、前宮の方を振り返った。
「ん、何?」
「久米って、確か争奪戦の実行委員でしたよね」
前に本人がそう言っていたことを思い出して、旧友だった前宮に聞いた。
「えっ、そうなの?」
これは初耳だったようで、淡泊に聞き返された。
「ええ、本人が言ってましたから」
「へぇ~、そうなんだ」
特に関心がないようで、どうでもいいような返事が返ってきた。
「それで、頼みって何?」
「久米に争奪戦での場所分けを聞いてくれませんか」
「へ、なんで?」
僕の頼みが理解できないのか、不思議そうに見つめてきた。
「争奪戦での一回戦がどの場所に当たるのかを知っておこうと思いまして」
争奪戦は三つの場所に分かれていて、二つの体育館と運動場。そして、三年校舎以外の教室で、組み合わせによって場所が決まっていた。
「でも、トーナメント表はまだ出来てないはずだけど」
「そんなの去年のトーナメント表を見れば、簡単に予想できますよ」
「え、そうなの!」
「ええ、しきたりとかに未だに拘っていますからね」
その古い体質のせいか選び方は、トーナメント表を見れば一目瞭然だった。
「それで頼まれてくれますか」
「う~~ん。姉さんにでも聞いたら?」
久米を嫌ってる前宮にとっては、彼女を頼るのは嫌なようだった。
「生徒会は模擬店で手一杯で、争奪戦自体あまり関与していませんよ」
模擬店は、女子を中心に食べ物や飲み物を提供する場だった。
「そうなの?」
「ええ。去年はそうでしたよ」
生徒会の管轄は模擬店だけで、争奪戦は実質上実行委員が取り仕切っていた。
「よく知ってるね」
「1年の時にあまりに腹が立ったので、いろいろ調べましたから」
去年、争奪戦の選抜に疑問を持ち、覚えたての文字を駆使して生徒会に申請したが、生徒会は主体の争奪戦にはほとんど関与していなかった。
仕方なく、バイトの申請をするついでに校長に直談判したが、困った顔で教育委員会に申請してくれと言われた。
僕は、言われた通り教育委員会に争奪戦のシステムを変更するようにメールで申し出をした。
すると、教育委員会から膨大な容量の画像と共にメールが送られてきた。その歴史は古く、百年は超えていることや過去の功績などが、画像とともに長々と書かれていた。
そして、結論として伝統は安易に変えられないと、一文だけが赤線を引かれて強調されていた。全く的外れのことばかり書かれていることに、僕は愕然としてしまった。
結局、どこも争奪戦のシステム改善してくれなかった。本選に出たくない僕は最終手段として、争奪戦の前に棒術部を辞めようとしたが、先輩たちに強く引き止められ、渋々部に居続けている状況だった。
「いや~、思い出すだけでイラつきますね~」
「な、何があったのよ」
「すみませんが、これは話すだけで不愉快になるので、言いたくありません」
「そ、そう・・・わ、わかった」
前宮は、僕の意思を汲んで引いてくれた。
「それで、どうですか?」
「まあ、篠沢の頼みだし聞いてみるわ」
「すみませんね。あの人、僕のこと嫌ってるみたいですから」
「そうだね。初対面であんな対応しちゃったからね」
前宮への対処で呼んだつもりが、期待外れだった久米にきつく当たってしまった為、僕への態度は刺々しいものになっていた。
「今度、前宮のお願いも聞いてあげますよ」
一方的だと不公平さを感じたので、ついそう口走ってしまった。
「本当!」
すると、前宮が物凄く嬉しそうな顔で、僕に迫ってきた。
「え、ええ、僕の出来る範囲ですが・・・」
「やった!」
前宮は、握り拳をつくってガッツポーズした。これは言わなければ良かったと後悔したが、喜んでいる前宮を見ると、もう撤回はできなかった。
「何がいいかな~」
前宮の笑顔を見て、不安感に襲われながら登校した。
第二話 憂鬱な作業
教室に入って、前宮はにやついたまま自席に座った。
「よう。毎日二人で登校なんて恋人同士みたいだな」
友達の飯村弘樹が、朝からからかってきた。
「羨ましいなら替わるけど」
僕は、嫌味も込めてそう切り返した。
「いや、やめとくよ」
前宮の性格を知ってる弘樹は、即答で拒否してきた。
「それより、予選どうだった?」
予選は争奪戦の2週間前から始まって、昨日ようやく終わっていた。
「はっはっは~。無理に決まってるだろう」
弘樹が空笑いしながら、短髪の頭を掻いた。彼が所属している部はかなりの多人数の剣道部で、部員数は約三十人。このうち二割ぐらいは女子だった。
「それは残念だったね~。やっぱりあの五人なの?」
「ああ」
弘樹は剣道部の中でも強いようだが、さすがに3年生の五強には勝てなかったようだ。
「先輩がいる限り、俺たちは予選敗退だよ。やっぱり武活は選ぶべきだったな~」
「それは大いに同意するよ」
全く異なる主張ではあったが、後悔という意味では一致していた。
「春希は、一回戦は無条件で参加だから羨ましいよ」
「そう?別に、嬉しくないんだけど。むしろ替わって欲しいね」
「意見が変わってないな~」
これは半年前から弘樹に愚痴っていることだった。
「変わる要素がなかったからね」
僕がそう答えると、本鈴が鳴った。
今日から授業はなく、全学年で争奪戦の準備だった。体育館と運動場と教室の3グループに分かれて、そこから分担作業だった。グループは自由なので、弘樹と教室での作業を選んだ。
「どこにしたの?」
前宮が少し遅れて、僕に作業場所を聞いてきた。
「教室にしました」
「じゃあ、私も」
僕と同じ場所にしようとしたが、もう教室での作業は定員オーバーだった。教室はクラスメイトだけでの作業なので、人気が集中していた。
「あっ!」
それに前宮が気づいて、悄然とした顔で僕の方を振り返った。
「残念でしたね」
「し、篠沢」
前宮が悲しそうな顔で、僕を呼んだ。
「なんですか?」
「一緒のグループになって!」
何を思ったのか、突然そんなことを言い出した。
「えっ、なんでですか?」
「お願い」
理由を聞いたが、答えてくれなかった。
「・・・もしかして、朝の見返りをここで要求しているんですか」
前宮がその言葉に、勢いよく何度も頷いた。
「わかりました」
どんな見返りかが不安だったので、ここで受けることにした。むしろ、この程度で良かったと胸を撫で下ろした。
「弘樹、悪いけど前宮と同じグループにするよ」
弘樹に謝って、委員長に前宮と同じ運動場にしてもらった。
「そうか。なら、俺もそこにしよう」
友達思いの弘樹が、僕と同じように教室から運動場に変えてくれた。
「悪いね」
「ああ、気にするな。あまり親しくない奴と作業してもつまらないからな」
弘樹が軽い感じでそう言った。
「ご、ごめんなさい」
すると、前宮が初めて弘樹に謝った。
「あ、ああ。気にすんなよ」
それに弘樹が、驚いた顔で答えた。
「前宮って、結構可愛いな」
席に戻ると、突然弘樹がそんなことを言ってきた。
「そう?会長と造形は似てるから、可愛いと思うんじゃないの?」
弘樹が会長に好意を寄せいていることは知っていたので、そう分析してみた。
「春希と人の容姿を語っていると、堅苦しくなるな」
「まあ、興味ないからね」
「そうか」
これには呆れ気味の顔をされた。
グループ分けが終わり、各自その場所に移動となった。
「はぁ~」
移動中、前宮が何度目かの溜息をついていた。
「どうかしました?」
あまりに多いので、後ろを歩いている前宮に尋ねてみた。
「あんなかたちで貸しを使ったのが、ショックで・・・」
あの見返りを未だに引きずっていた。
「借りで頼めばいいじゃないですか」
「借りの場合だと、篠沢が嫌だったら拒否するでしょ」
「まあ、受け入れられない場合は拒否しますね」
「貸しの方が要求の許容範囲も広いから。本当に残念で・・・」
そう言うと、再び溜息をついて落ち込んだ。
運動場に出ると、全学年のグループが各校舎から出てきた。
「あれ?篠沢君も運動場を選んだんだ?」
横から島村先輩が声を掛けてきた。
「あ、島村先輩もここですか」
「私は、最後に残った場所を選んだだけだよ。でも、面倒臭がりの篠沢君が、運動場を選択するなんて意外ね」
運動場の設備の準備は、広い分一番時間が掛かっていた。その為、教室と体育館のグループはそれが終わってから、運動場の準備に加勢するかたちになっていた。
「前宮に頼まれたので」
「へぇ~、望ちゃんがね~」
島村先輩が周りを見回して、前宮を探した。
「ちゃん付けはやめてくれませんか」
島村先輩の後ろから、前宮が声を掛けた。
「わっ!吃驚した」
これには島村先輩が、体をビクッと震わせて振り返った。
「姉さんと同じこと言わせないでください」
姉にも呼び名を変更するよう訴えていたが、未だにあだ名で呼ばれていた。あと、久米も。
「じゃあ、呼び捨てでいい?」
「それでいいです」
前宮が顔を逸らして、それを許諾した。
全員が学年順に並ぶと、運動場の中央の朝礼台に指示を出す担当教師が上がった。
「なあ、さっきの人って、武活の先輩なのか?」
隣に座った弘樹が、小声で聞いてきた。
「そうだね。前にも会ってなかったっけ?」
前に、会長と一緒に教室に乗り込んできたことを思い返した。
「ああ、そうだったな。会長に目がいっていたから気づかなかった」
「そう」
別に、個人の視点には興味がなかったので、聞き流す感じで答えた。
「めっちゃ胸でかいな」
結局、弘樹も目線がそこにいっていた。
「そうだね」
「しかも、結構可愛いし」
どんどん弘樹の声に張りが出てきた。
「そうなの?」
「あんなに親しく話すなんて羨ましいな~」
「そんなに気になるなら、告白でもしてみたら?」
面倒だったので、適当なことを言ってみた。
「彼氏いないのか?」
「いないよ」
「あんなに可愛いのに」
「押しに弱いから、告白したら頷いてくれると思うよ」
「本当か!じゃあ、告白してみようかな~」
弘樹はそう言って、斜め前の島村先輩を遠目で見つめた。
担当教師の段取り説明が終わり、朝礼台から下りた。
そして、全員が運動着に着替える為、一旦解散になった。
着替えが終わり、指定された場所に行くと、島村先輩もその場所で誰かと話していた。
「あ、篠沢君も一緒みたいだね~」
こちらに気づいた島村先輩が、会話を中断して僕に近づいてきた。
「そうみたいですね~」
「もしかして、武活の後輩なの?」
こちらを見ていた女子生徒が、僕たちの話に入ってきた。背中まである長髪で、一重の糸目で眼鏡を掛けていた。
「そうだよ。かなり性格悪いから。あまり話しかけないほうが身の為だよ」
島村先輩は、友人に対して忠告してきた。僕もそんなに関わりたくないので、特に反論はしなかった。
「酷い言い様だね~。結構可愛い顔してるのに」
彼女は僕を見て、そんな感想を言った。自分への評価を聞くのは、全身がむず痒くて嫌だった。
「見た目で判断したら、痛い目見るよ」
それに島村先輩が、嫌な顔で忠告した。
「さっきからどうしたの?他人を貶すなんて美雪らしくないよ」
「うっ!それはそうだけど」
この指摘には、島村先輩が苦い顔をした。
「篠沢君だよね」
それを無視するように、女子生徒が僕に声を掛けてきた。
「そうですけど。あなたは?」
不本意だったが、礼儀として名前を聞くことにした。
「私は、清水絵里。よろしくね」
そう言うと、手を伸ばして握手を求めてきた。しかし、それを遮るように前宮が間に割って入ってきた。
「清水先輩、そろそろ準備に取り掛かりましょう」
「あ、ノゾミン」
「それはやめてください」
どうやら、二人は知り合いのようだった。
「久しぶりだね。最近、全然会わないね」
「そうですね。それより早く準備しましょう」
「・・・そうだね」
清水先輩は周囲を見てから、島村先輩と少し離れて作業を始めた。
「あの人には注意して」
作業している途中に、前宮が僕にそう注意してきた。
「え、何がですか?」
「あの人、男漁りが酷いから」
前宮がそう言いながら、嫌悪感を滲ませた。
「そうなんですか。なら、注意しましょう。でも、あの人とは性格が合いませんから、話すこともありませんけど・・・」
僕は、相手との相性を第一印象で判断していた。
「初対面でそんなことがわかるの?」
「話す時の雰囲気でわかりますよ。前宮も経験ぐらいあるでしょう」
「そういえば、そうだね」
「僕の時もそうじゃなかったですか?」
「う~~ん。どっちかって言うと、親近感が沸いたかな」
「・・・そうですか」
僕とは対極的な意見にがっかりしてしまった。これはナルとクラで捉え方が違うのだろうと諦めるしかなかった。
午前の作業が終わり、昼休みになった。教室の机と椅子は片付けられている上、何人かが地べたで食事をしていた。座る場所もなかったので、運動場で昼食を取ることにした。
「篠沢君と一緒に昼食なんて初めてだね」
運動場の芝に座ると、なぜか島村先輩が僕の隣に座って弁当を広げた。
「どうしているんですか?」
「え、何が?」
僕の言葉に、島村先輩が素で聞き返してきた。
「いえ、友達はどうしたんですか」
「あっちで食べてるよ」
島村先輩はそう言って、僕の後ろを指差した。
振り返ると、三人の女子生徒が笑いながら、昼食を取っていた。その笑い方は少し下品に見えた。
「なんで友達と食べないんですか?」
「昼食はいつもかなえと一緒だよ。あの三人とは食事したことないわ」
「そうなんですか?」
「それにあの三人の話についていけなくて」
島村先輩は、三人を見ながら困った顔をした。
「でしょうね」
僕の逆隣りの前宮が口を挟んできた。
「どういうことですか?」
僕は不思議に思い、前宮に尋ねてみた。
「清水先輩の話は、下品で耐えられないわ」
「ああ、それは言えてる。ちょっとついていけないのよね~」
前宮の発言に、島村先輩も困った顔で同意した。
「そうなのか?見た目はかなり優しそうに見えるんだが・・・」
正面で惣菜パンを食べている弘樹が、そんな感想を口にした。
「あんたの意見はどうでもいいわ」
これに前宮が、弘樹に睨みながら一蹴した。
「ひどっ!」
これに島村先輩が強く反応した。
「前宮」
「ご、ごめなさい」
僕の睨みに、弘樹ではなく僕に謝った。
「あなた達って、変な関係ね」
僕ら三人を見て、島村先輩が呆れたように呟いた。
「でも、それと島村先輩が僕たちと昼食を取ることとは、無関係な気がしますが・・・」
僕は、後ろの姦しい三人を見てから話を戻した。
「確かにそうだね」
僕の意見に、前宮が頷いて同意した。
「だって、かなえは生徒会だし、他の友達は教室とか体育館に別れているから、仕方ないじゃん」
「携帯を使って、落ち合えばいいでしょう」
「残念だけど、携帯は教室のロッカーの中なのよ」
「そうなんですか。用意が悪いですね」
弁当を取りに行った時に持ってこなかったようだ。
「じゃあ、一人で食べればいいのに」
横の前宮がぼそっと毒を吐いたが、幸い島村先輩には聞こえなかったようだ。
「それより、篠沢君って毎日お弁当なの?」
島村先輩がそう言いながら、僕の弁当箱を覗き込んできた。
「ええ、下手な料理ですが、出費は出来る限り抑えたいので」
本音を言えば、売っている物が僕にとっては過剰摂取になるので、自分で調整しているだけだった。
「へぇ~、偉いね~」
島村先輩は感心して、自分の弁当と交互に見比べた。
「なんか悔しい」
そして、不満そうに顔をしかめた。
「ちょっと頂戴」
島村先輩が何を思ったか、僕の弁当箱の中の揚げ物目掛けて箸を伸ばしてきた。
「ちょ、ちょっと、何してるんですか」
突然の暴挙に、慌てて弁当箱を大きくずらして、島村先輩の略奪を阻止した。
「ええ~~、いいじゃん」
「人の弁当を取らないでくださいよ」
「じゃあ、私の弁当と交換しよう」
「嫌です」
島村先輩の弁当を見て、一言で断った。揚げ物は無く、温野菜がおかずの半分を占めていて、もう半分は肉の煮物に粒のトウモロコシが入っていた。
「じゃあ、一品だけでいいから」
「無理です」
これをすると栄養が偏るので、断固として拒否した。
「ええ~~、なんでよ~」
それに納得できないのか、拗ねた顔で不満を訴えてきた。
「諦めたほうがいいですよ」
正面の弘樹が、僕と島村先輩の仲介に入った。
「え?」
それが意外だったのか、島村先輩が弘樹に視線を移した。
「春希は、食事を誰かと分けるのを極端に嫌がりますから」
「そうなの?」
弘樹の発言の真意を知る為、わざわざ僕に横流ししてきた。
「ええ。僕は、自分の食事を人に分け与えることは、不愉快なのでしません」
ここはそう言い切って、食事を再開した。
「はぁ~、篠沢君・・・」
島村先輩は、溜息をついて言葉を溜めた。
「なんですか」
「隙あり」
僕が弁当箱から目を離した瞬間を突いて、揚げ物を掻っ攫って口に入れた。素早い見事な箸捌きだった。
「あっ!」
経験したことのない現実に、僕は絶句するしかなかった。
「味は薄いけどおいしいね。市販されてるものじゃないの?」
島村先輩は、僕の作った揚げ物をおいしそうに咀嚼して飲み込んだ。
「殴られたいんですか?」
これにはさすがに怒りをあらわにして、島村先輩を睨んだ。
「物騒なこと言わないでよ」
島村先輩が軽い調子で、僕の感情を制してきた。
「あとで見返り求めますからね」
「なんなら、これあげようか」
島村先輩は、自分の弁当の中の温野菜をお箸で差した。
「いりません」
取られた栄養とは、全く違う栄養は摂取したくなかった。
「じゃあ、見返りは体で払うよ」
島村先輩は、恥らうことなくそんなことを口にした。
「か、体で?」
これに弘樹が過剰に反応した。
「・・・なんで驚いているの?」
それが不思議だったようで、僕に尋ねてきた。
「卑猥なことを想像しているんですよ」
前宮が白けた声で、僕の代弁をした。それを聞いて、島村先輩が嫌な顔をした。
「私、そういうつもりで言った訳じゃないよ」
「す、すいません」
島村先輩の注意に、弘樹が傷ついた様子で落ち込んだ。
「いえ、これは島村先輩の言い回しが悪いです」
僕は、弘樹をフォローするかたちで口を挟んだ。
「え、私!」
「客観的に見れば、誰でもそういう思考に至りますよ。僕以外では」
念の為、自分は省いておいた。
「確かに。女子だってそういう捉え方すると思うね」
前宮が便乗するように補足した。
「そ、そうなんだ」
二人の意見に、島村先輩が自信なさそうな表情になった。
「そうですよ」
僕は、断定させるためにそう締めくくった。
「ご、ごめんね」
これは解釈の問題であって、別に島村先輩が謝る必要性はなかったが、僕たちの言葉を真に受けて、申し訳なさそうに謝罪した。
「い、いえ、いいですよ。そんな、謝らなくても」
弘樹が謙遜するように、両手を左右に振って取り繕った。
「そういえば、自己紹介まだだったね。私は島村美雪で篠沢君の武活の先輩だよ♪」
「あ、俺は飯村弘樹って言います」
「よろしく」
島村先輩は笑顔で握手を求めた。
「あ、よ、よろしくお願いします」
弘樹は、恥ずかしそうに島村先輩の手を握った。
昼休みが終わり、作業を再開した。
「さっきはありがとよ」
作業中、弘樹が僕にお礼を言ってきた。
「ん、何が?」
お礼の意味がわからなかったので、素で聞き返した。
「さっきのことだ」
「ああ、島村先輩の発言ね。あれはいつものことだから気にしなくていいよ」
「い、いつもなのか?」
「あの人、思い立ったことすぐ口にするから。あと、勘違いも多い」
「そ、そうなのか」
弘樹は、苦笑いで顔を引き攣らせた。
終了の鐘が鳴り、今日の作業は終了した。この人数では、運動場の隅に一つの舞台を作るのがやっとだった。これをあと六面作らないといけなかった。
「今日から武活も休みだな~」
弘樹が背伸びして体をほぐしていた。
「そうだね」
設備の準備が始まると、さすがに武活はできなかった。
「というか、こんな設備を充実させる癖に、なんでシステムは変えてくれないのかな」
設置したリングを見ながら、今の複雑な心境を吐露した。昔の資料では、地面に四角を紐で仕切っていただけだったが、今ではボクシングのリングの二倍の面積をロープで四方に囲っていた。
「なんの話だ?」
弘樹は、不思議そうに僕を見た。
「こっちの話だよ」
「そうか」
僕の意思を汲んだのか、特に追求はしてこなかった。
僕たちは、島村先輩と別れて教室に向かった。
教室に戻ると、机は既になく中央にはまだ未完成のリングがあった。立った状態のままHRをして帰宅になった。
「今日も前宮と帰るのか」
弘樹は、校舎での別れ際に聞いてきた。
「帰り道が一緒だからね」
僕はそう言い訳して、弘樹と別れた。
「今日は、久米と会わなかったですね~」
僕は、溜息交じりに前宮に話を振った。
「実行委員は、今日は準備の割り振りしてたから、忙しかったのかもね」
そう言われてみると、朝のHRに担任が実行委員に集合をかけていたことを思い出した。
そのあと、前宮が僕の一歩後ろから黙ってついてきた。何度か頑張って話を振ったが、単調に答えることが多い上、後ろを向かないといけないので、もう面倒になってしまっていた。
前宮邸の着き、道場で着替えてからいつものように特訓を始めた。
「今日から、最終調整よ」
運動着に着替えた会長が、タブレット端末を見ながら言った。
「何するの?」
「今日は棒術で若菜。明日は寝技で私。最後は素手の組手でノゾミンね」
「1日区切りに分けってこと?」
昨日まで、三つを三等分の時間に分けて特訓していたが、今日から一種目だけに変更するようだった。
「あと3日でようやく終わるんだね~」
僕は、肩の力を抜いて安堵した。残りの1日は休ませてくれるようだ。
「そうなるわね」
「残り3日が待ち遠しいよ」
「私は、残念だけどね」
会長が名残惜しそうな顔で、僕を見つめた。それを僕はさらっと流した。
リングに上がると、若菜が準備していた。
「よ、よろしくお願いします」
若菜は、礼儀正しく会釈した。
「こちらこそ。お手柔らかに」
僕も頭を下げて、その礼儀に応えた。
第三話 恩人
組棒を始めて20分経過すると、お互いの動きが止まってしまった。
「休憩する?」
僕は肩で息をしていたが、若菜は汗だくで激しく息切れしていた。争奪戦では時間が無制限の為、休憩せずに組棒を続けていたが、若菜はそれほど体力がなく、動き続けるのには限界があった。
「そ、そうしてくれると助かります」
若菜は、申し訳なさそうに頭を下げた。
僕たちは、リングを下りて休憩に入った。
「今日は、生徒会は大丈夫なの?」
会長は1週間前からほとんど生徒会で、特訓には途中からしか参加できていなかった。
「終わらせたから大丈夫よ」
「凄いね」
「そうでもないわ。今年から模擬店が一部統一されたからね。生徒会にとっては楽になったのよ。まあ、去年に私がそれを申請したんだけどね」
「・・・その申請が通る前ってどうだったの?」
「変な模擬店を申請する人が多かったから、去年は許可を出すのに時間が掛かっていたわ」
「去年って、会長は生徒会にいたんですか?」
「いなかったよ。ただ、忙しいからって、先輩に手伝わされただけ」
「それは災難だったね」
「本当よ。だいたい去年の生徒会は、効率がかなり悪くてね。まとめてやればいいのに、わざわざ一つの申請が来てから、動くもんだから当然時間が掛かるのよ。こういうのは前もって動いておけっての」
「それで申請したの?」
「当然。会長になるのにそんな面倒なこと最初で潰しておくわよ」
「その申請は、すぐ通ったの?」
「え、あ、うん。一つ返事で通ったよ」
「そう、それは理不尽なことだね」
争奪戦とは違い、模擬店は簡単に申請が通っていることに、かなり不愉快な気持ちになった。
「え、どうしたの?」
僕が不機嫌になったことに、会長が不思議そうな顔をした。
「なんでもないよ」
あまり話したくないので、会長から顔を逸らすかたちで話を切った。
「それにしても、結構上達したわね。なんか嬉しいわ」
「そうかな。自分ではあまり実感はないけど」
「最初の時は、滅多打ちだったじゃない」
「慣れただけだよ。上達したわけじゃない」
「慣れることは上達と同じことよ」
「そういうものかな」
会長に褒められるのは、少し複雑な心境だった。
「若菜。大丈夫?」
会長は、汗だくの若菜を心配そうに見た。
「な、なん・・とか」
そうは言ったが、完全に疲労困ぱいだった。
「これは15分は動けないね」
会長が若菜を見てそう断言した。
「それにしても、篠沢って前より持久力がついたね」
「二人のおかげでね」
前宮姉妹の持久力は半端ではなかった。30分近く休憩なしで組手をさせられた時は、若菜と同じ状態になっていた。
「いや~、昔はノゾミンと一日中組手してたからね~。わたしにとっては、それが日常になっちゃって。今じゃあ、誰も私の体力についてこれる人がいないわね~。残念なことに」
それを聞くと、なんとなく前宮が休日に外出する理由がわかった気がした。
「一日中って、よく体力が持つね」
「組手してると、自然とどこで力を抜くかがわかるからね。それを効率良くするのは難しかったけど」
「そ、そう」
僕自身、好き好んで体を動かしたいとは思ったことはなかったので、この話にはついていけなかった。
「あと20分だけいけそう?」
会長は、疲れ切っている若菜に尋ねた。
「ちょ、ちょっと・・厳しいですね」
若菜は息切れしながら、顔を引き攣らせていた。
「じゃあ、30分は私と組もうか」
会長は、僕の方を向いてそう言った。
「へ?マジで?」
「だって、若菜は当分動けないし、時間がもったいないでしょう」
会長はそう言いながら、リングに上がった。
「あんまり本気出さないで欲しいかも」
ただでさえ疲れているのに、その状態で会長と渡り合える自信はなかった。
「大丈夫、本気でするから。その代わり剣棒は使っていいよ」
しかし、僕の意見を真っ向から拒否してきた。
「お、お手柔らかに」
こんな生き生きとした会長には、何を言っても無駄だった。
僕は、剣棒を構えて会長と向き合った。
すると、会長はすぐに動き出した。それを突きで牽制したが、会長は軽く首を傾けてかわして、一気に間合いを詰めてきた。
突いた剣棒を素早く引きながら数歩後退して、さっきの数倍の速度でみぞおちを突いた。
「ぐっ!」
それが綺麗にみぞおちに突き刺さり、会長の体が九の字に曲がった。
「あっ」
もろに入った感触が、僕の手に伝わってきた。
「ご、ごめん」
剣棒を引くと、会長がお腹を押さえてうずくまった。
「大丈夫?」
剣棒をその場に置いて、会長に駆け寄った。
「い、い・・た・・い」
会長は全身を小刻みに震わせながら、こもった小声で返してきた。
「せ、成長した・・・わね」
そして、苦痛な表情で僕を褒めた。会長とは実測以来、組手には剣棒を使っていなかった。
「姉さん。少し休んだ方がいいよ」
所要で道場にいなかった前宮が、いつの間にか戻ってきていた。今日の私服は、チェックのチュニックに黒のプリーツスカートを履いていた。
「だ、大丈夫よ」
会長は、お腹を押さえて立ち上がった。
「篠沢」
「何?」
「剣棒使うのはやめようか」
剣棒の使用は確実に不利になることを悟り、苦笑いで提案してきた。
「そうだね」
僕は頷いて、剣棒を前宮に渡した。
会長の回復を待って、組手を再開した。
会長は腰を落として、真剣な表情になった。
「姉さん。ここで本気出して、負傷させるのだけはやめてよね」
それを見た前宮が、組む前の会長に釘を刺した。
「え、そ、そうだね」
これに会長が動揺を示して、前宮の方を見た。
「会長。もしかして、さっきのこと怒ってるの?」
「そ、そんなことないよ」
その反応を見る限り、怒りで手加減することは頭から抜けてたようだ。
「姉さんは、頭に血が上ると見境ないからね~」
前宮が何かを思い出したように、遠い目をした。
「何やったの?」
これが不安を煽り、会長に尋ねた。
「べ、別に大したことないよ」
僕の質問に視線を合わせないまま、ぎこちなく答えた。
「右腕の骨折。左肩の脱臼。右足の複雑骨折に左足の・・・」
「わっ、わぁ~~。そんなこと言わなくていいから!」
前宮の言葉を遮るように、会長が大声で叫んだ。
「・・・」
これには呆れてものが言えなかった。
「いや、違うの!あ、あれは事故だったのよ」
会長は、慌てて言い訳を始めた。
「あれが事故?私には意図的にしか見えなかったけどね」
前宮が馬鹿にしたように笑った。
「ノゾミン。余計なこと言わないで!」
会長は、前宮に駆け寄って叫んだ。
「なら、この組手で本気にならないでよね」
「わ、わかってるよ」
なぜか渋々といったかたちで承諾していた。
それから、指導的組手が始まった。立ち技からの寝技に持っていき方や寝技の返しを練習した。ただでさえ疲れているのに、この取り組みはかなりきつかった。
20分後には、若菜と同じ状態になっていた。
「つ、疲れた」
若菜と同じように壁にもたれ掛かり、そのままズルズルと座り込んだ。
「凄い運動量ですね」
隣に座っていた若菜が、僕に感心していた。
「そうかな。あの姉妹に比べたら、全然だと思うよ」
僕との組手の後でも元気な会長は、嫌がる前宮と寝技を掛けてじゃれ合っていた。
「あの二人は、見なかったことにしましょう」
若菜が苦笑いして、姉妹から視線を逸らした。
「そうだね」
僕もそれに同意して、目を閉じて二人を視界から消した。
「いい加減にして!」
数分後、前宮の怒りが頂点に達したようで、寝技を掛けられている状態から体重を乗せた肘鉄が会長の腹部にめり込んだ。
「ぐぅ!」
あまりの激痛だったようで、会長が技を解いてお腹を押さえて悶絶した。
「全く。悪ノリなんてやめてよね」
前宮が苛立ちながら、リングを下りた。
「僕と同じ急所を突きましたね」
「あ、そういえばそうだったね」
それに今気づいたらしく、会長の方を振り返った。
「同じ急所を・・二度も・・打突されたのは・・初めて・・・よ」
会長が全身を痙攣させながら、ロープを掴んだ。
「自業自得よ」
前宮が鼻をならして、悪びれなく言い放った。
休憩後、若菜と組棒を再開した。
「兄さん。私から最後の技を教えます。でも、これはできれば使わないことを薦めます」
「禁じ手ってこと?なら、別に教えなくていいよ。そこまでして勝ちたくないし」
僕は、迷うことなく即座に遠慮した。
「篠沢、今の発言は義務違反よ!」
会長がリングの外から不満の声を張り上げた。
「若菜。教えてあげて」
「は、はい」
会長の命令に、若菜が戸惑いながら頷いた。
「じゃあ、軽くいきますね」
そう言うと、若菜が剣棒を下段に構えた。右手で剣棒を強く握り、左手は添えるかたちだった。
「仕方ないな~」
僕は妥協の言葉を口にして、迎撃の構えを取った。
僕が少し間を取ろうとすると、若菜に一気に間合いを詰められた。下から打ち上げるのは視認できたが、反応が遅れてしまい、僕の意識は途絶えた。
「だ、大丈夫ですか」
意識が戻ると、三人が僕の顔を心配そうに覗き込んでいた。
「なんかあった?」
僕は、上半身を起こして三人を見た。
「う~~~ん。軽くやってこうなるって、やばいかもね~」
会長は唸りながら、困った顔で考え込んだ。
「やはり、やめておいた方がいいでしょうか?」
「そうだね。加減しないでやると、後遺症が残りそうだしね」
僕の質問を完全無視して、若菜と会長が話を進めていた。
「前宮。説明してくれませんか」
二人に聞くのは諦めて、前宮に話を振った。
「え、えっと。今痛いところってどこかわかる?」
頭の痛覚は遮断できないので、痛みにはすぐ気づいた。
「顎と後頭部」
頭の後ろに手を当てながら答えた。
「そういうことよ。あれは一瞬で間合いを詰めないと出せないってこと」
「いや、そういう説明ではなく、僕がどうやって倒されたかを聞いているんですが」
「教えると、そっちの二人の悩んでいることが無意味になるから言えないよ」
会長と若菜は、未だにどうするか悩んでいた。
「これはやめようか」
そして、会長が渋々といったかたちで断念した。
「私もそれがいいと思います。これは打つ箇所を間違えば、死んでしまう可能性がありますし」
「危険だね。篠沢、これは禁止ね」
話し合いの結果を会長がそう断言した。
「いや、自分がどう倒されたのかわからなかったからできないよ」
「それは好都合ね。知る必要はないわ」
会長は、強制的に話を打ち切った。
「さて、今日はこれで終わりましょう」
「え?」
時計を見ると、すでに7時5分前だった。
「僕、どれくらい気を失ってたの?」
「25分間ね。起こしても反応がなかったから、死んだかと思ったわよ」
会長がそう言いながら、安堵した顔をした。
三人が出ていき、道場で着替えを済ませて、前宮に見送られるかたちで、若菜と一緒に外に出た。
そして、いつもの遠回りの帰り道を二人並んで歩いた。
「な、なんか話してください」
若菜が沈黙に耐え切れず、話題を要求した。
「少しは異性と黙って歩けるようにもならないとね」
本音を言えば、話題がないだけだったが、それっぽく言い訳しておいた。
「私は、同性とも黙るのは耐えられません」
「じゃあ、これを機に慣れてみようか」
最近、話題を考えるのも面倒だったので、適当なことを言ってみた。
「そ、それは嫌です」
若菜は反射的に顔を向けたが、前髪が邪魔で目は見えなかった。
「じゃあ、たまには若菜が話そうか」
「え?でも、前は困ってたじゃないですか」
「だから、僕に合う話題を考えて話して」
「それ、無茶振りですよ」
「これができれば、異性とか気にせず話せるかもしれないし」
「・・・兄さん。最近、対応が雑になってませんか」
さすがに今の対応は、若菜に不信感を持たれてしまった。
「いや~、もう男性恐怖症は克服してるみたいだし、何していいかわからないんだよね~」
もうごまかすのも面倒なので、本音で話すことにした。
「いえ、まだ克服してませんよ」
「え?ここまで話せたら、もう大丈夫だって」
「実際、兄さんとしか話せてません」
「だから、これを異性に向ければいいだけだよ」
「それができれば、苦労してません」
「っていうか、そもそも若菜って男と話したいの?」
「・・・」
僕の質問に、顔を下に向けて黙考した。
「話したいと言うよりは、怯えたくないと言うのが強いですね」
「そう」
ナルでは怯えることは決して悪いことではないが、このクラでは生きにくいことは間違いなかった。
「といっても、僕にできるのは応援ぐらいしかないけど」
「そ、それはそれで励みになります」
「じゃあ、頑張って」
「はい!」
僕の声援に、若菜が両手を肩まで上げて、嬉しそうに頷いた。
若菜と別れ、自宅に足を向けた。
「おかえり」
家に入ると、玄関で母親が偉そうに仁王出していた。
「何してるの?」
それが異様だった為、かなり引き気味に聞いてみた。
「ふふん。もうこのクラでは日常会話は完璧よ」
母親は甲高い声で、得意げな顔で豪語した。
「かなりの自信だね」
「これで、もうこそこそ逃げ回ることもしなく済むわ」
本当に嬉しいようで、表情から笑みがこぼれた。
「じゃあ、少し僕と話してみようか」
「え、今日はバイトじゃないの?」
「今日から休みだよ」
「あ、そうなんだ」
争奪戦ということもあり、今日から争奪戦が終わるまで休みをもらっていた。
部屋着に着替えて、母親と簡単な日常会話をしていると、玄関のインターホンが鳴った。その音に、二人はビクッと反応してしまった。
「・・・」
「・・・」
日頃、居留守を使ってやり過ごすのだが、インターホンの鳴らし方が特殊だった。
『レイが来たようね』
母親もそれは知っていたので、誰が来たかはわかったようだ。
『ちょうどいいから練習台になってもらう?』
『う~ん。あんまり気乗りはしないね』
『なんで?』
いつもの母親はなんにでも積極的なのだが、レイに対しては消極的だった。
そうしていると、玄関から音がしてインターホンを鳴らしたはずの人物が、家に勝手に上り込んできた。
「って、いるじゃん」
入ってきた女性が僕たちを見て、言葉を漏らした。彼女はストレートの髪を後ろで縛って、服装は緩めのTシャツにジーパンというラフな格好だった。
「何か用ですか?レイさん」
「え、様子見に来たのよ」
レイはダルそうに首筋を掻きながら、部屋全体を見渡した。
「いつも思うけど、綺麗に使ってるわね」
「そうですか?」
「私の家なんて、散らかり放題よ」
レイはそう言いながら、母親の方に目を向けた。気づくと、母親は既に擬態していて、黒髪黒目の40代相応の顔に変わっていた。
「ごめん。ここ最近、忙しくて顔出せなかったわ」
「いえ、レイさんにはいろいろとお世話になってますから、これ以上はこっちで対応しますよ」
ここに来た頃は、すべてレイ任せにしていた。家に住めるようにしてくれたのも、言葉を教えてくれたのも、すべてレイのおかげだった。
「お世話になってるのはこっちも同じ」
レイは研究者で、母親が提供した細胞を解析中だった。
「それで、解析できましたか」
「ううん、このまま何もわからず、私の人生が終わりそう」
レイが空笑いで、軽口を叩いた。
「世界に公表すれば、解析も大幅に進むでしょう」
「がん細胞を公表しても、誰も注目なんてしちゃくれないわよ」
レイが視線を逸らしながら、嫌な笑みを浮かべた。
「だから言ったでしょう。無意味だって」
今まで黙っていた母親が、突然会話に参加した。
「え!」
これにはレイが、驚いて目を丸くした。
「今、話した?」
「ええ、最近覚えたのよ」
レイの驚きをよそに、母親が髪を掻き揚げながら自慢げに言った。
「声帯、なかったはずじゃ・・・」
レイが混乱を隠しきれず、声を震わして母親を凝視した。
「ほら、え~っと、なんだっけ?」
トランシーバーの名前が出ないようで、僕に助けを求めた。
「トランシーバーの構造を喉と耳に組み入れたんですよ」
仕方ないので、簡易的にレイに説明した。
「あ~、そういえば生成できるんでしたね」
一応、生成の能力は彼女も知っていることだった。
「ええ」
「便利な能力ですね~」
レイは母親に対しては、いつも敬語だった。
「そうでもないわ。時間が経てば消えちゃうし、精度によっては不良品になるわ」
「・・・それを聞くと、万能というわけでもないですね」
レイが深く考え込むように、手を口に当てて俯いた。
「ちゃんと話せるわね」
母親は僕を見て、嬉しそうな笑顔を見せた。
「日常会話は問題ないみたいだね」
会話を見てる限り、口も動いていて声の高さも調整できていた。
「じゃあ、もう外出しても問題ないわね」
「そうだね」
僕のお墨付きを得たことで、父親捜しを再開するようだ。
「ちょ、ちょっと待ってください。もう少し生成について教えてもらえませんか」
レイが慌てて、母親の腕を掴んだ。
「気安く触らないで!」
その行為に、母親の機嫌が一瞬で悪くなった。
「あ、ご、ごめんなさい」
この一喝に、レイが委縮しながら後ろに下がった。
「全く、貴方は軽率すぎるわ」
母親は呆れたように、レイを流し見た。
「好奇心を持つのは良いけど、軽はずみなことすると死ぬわよ」
「母さん。恩人を脅さないでよ」
「ただの忠告よ。一応言っておくけど、恩人だからここまでの接近は許してるんだからね」
母親もそれなりに気を使っていたようだ。
「今のは、こっちが全面的に悪かったですね」
レイが姿勢を正して、真顔でお詫びした。
「生成のことは、私には説明できないわ」
「え、どうしてですか?」
レイが意外そうな顔をして、母親に聞いた。
「私にとって、この行為は手を動かすのと同じだからよ。自分がわからないことは説明できない」
「そう・・ですか」
「それに作っても消えるから、このクラでは無意味に等しいわ」
母親の言い分に、レイは何も言えないようだった。
「じゃあ、私はもう行くから」
母親はレイの前を素通りして、家から出ていった。
「相変わらず、立ち振る舞いが美しいわ」
そんな母親を、レイは憧れの視線で見送っていた。
「それよりどういうつもりですか」
母親がいなくなったところで、レイを問い質すことにした。
「ん?何が?」
「僕たちの人探しを知ってるのに、なぜ専門業者があることを黙ってたんですか」
「あ、気づいちゃった?」
これには悪びれる様子もなく、軽く頭を掻いた。
「黙ってた理由を聞きたいです」
「見つけたら連れ戻すんでしょう?彼は、自らの意志でこの世界を選んだのよ。いまさら、会いに来られても困るだけよ」
「じゃあ、なんで僕たちをここに招いたんですか?」
「交換条件は知ってるでしょう」
「そこまで、母さんの細胞が欲しかったんですか」
「ええ、私には魅力的な条件だったわ」
「でも、それは他からでも採取できるでしょう」
ナルには母親のような体質はいくらでもいるはずだった。
「彼女は特別なのよ」
レイの態度は、いつも何かを知っているかのような口ぶりで、あまり好きにはなれなかった。
「まあ、専門業者を使いたいなら、好きにしたらいいわ。別に、私は止める気もないし・・・二人の無事も確認できたし、そろそろ帰るわ」
レイはそう言いながら、僕に背中を見せた。
「助言だけど、見つけた後のことも考えたほうがいいよ。じゃあね」
そして、それだけ言い残して出ていった。
「その目的は、もうはっきりしてるよ」
僕は、誰もいなくなったリビングでそう呟いた。
第四話 最悪の場所
準備期間の2日目の朝、前宮と一緒に教室入ると、席がないせいでみんな自由に友達としゃべっていた。
「おはよう」
弘樹が自席のある場所で、胡坐をかいて座っていた。
「ああ、おはよう」
僕は、弘樹に挨拶を返した。
「昨日から武活もないし、今日は寄り道とかしないか」
突然、弘樹が遊びに誘ってきた。
「無理よ」
それに対して、なぜか前宮が拒否した。
「そうだね。無理だね」
これは事実なので、前宮の方を見てから、弘樹の誘いを断った。
「そうか。それは残念。よく考えたら、春希と学校以外で遊んだことなかったから、誘ってみたんだが・・・」
「そこは無理に誘う必要はないよ」
あまりそういうのは望んでいないので、本音を口にした。
「淡泊だな」
「そういう人付き合いの方が、お互いにとって居心地がいいよ」
「まあ、確かにそうだな」
弘樹は、僕の言い分に賛同した。やはり、僕と似た淡泊な性格だった。
「そういえば、最近変な噂が飛び交ってるんだが」
弘樹が思い出したように口にした。
「もしかして、僕のこと?」
嫌な予感がして、自分を指さした。
「ああ、残念だが、春希のことだ」
「どんな噂?」
「おまえが三股してるって噂だ」
「誰とも付き合ってないのに、三股っておかしくない?」
「ああ、おかしいな。でも・・・噂では前宮と恋人で別の二人とも付き合っていると言われてるぞ」
弘樹は前宮の前ということもあり、少し躊躇いがちに小声で言った。
「二人って、誰のことかはわかる?」
「いや、それは知らんが、3年と1年とは噂されてるよ」
それを聞いて、島村先輩と若菜が思い当たった。
「もういいや。好きに言わせることにしよう」
噂話が広がるのは、会長に関わった時点で諦めていた。
「それが賢明だな。俺も噂話は控えるようにするよ」
弘樹もこの噂には、うんざりした様子だった。
「こ、恋人」
隣で前宮が嬉しそうに顔を赤らめていたが、これは見なかったことにした。
予鈴が鳴ったが、席がないので誰も動くことはなく談笑していた。
本鈴が鳴ると、担任が入ってきた。昨日と同じように各グループでの作業だけだったので、簡易的に担任が連絡してから各場所に移動となった。
「今日も島村先輩と一緒だな」
運動場へ向かう途中、弘樹が嬉しそうに言った。
「そうだね。面倒だね」
僕は、弘樹と対極的な感想を口にした。
「春希は、島村先輩が嫌いなのか」
「う~~ん。嫌いな時が多いかな。武活の先輩じゃなかったら、積極的に話したいとは思わないね」
ここ最近、島村先輩の対応に疲れてしまい、周りの誰かに対応してもらうことが多くなっていた。
「そうなんだ」
すると、後ろにいた前宮からそんな声が聞こえてきた。
「おまえの他人への愛着の無さは凄まじいな。少なくとも、1年からの付き合いだろう」
「不本意ながらね」
「言葉にいちいち棘があるな~」
「それほどの仲ってことだよ」
「いや、本人いないし。その言葉は不適切だろう」
「それはそうだね。珍しく弘樹に一本取られたね」
僕は、顔を綻ばせて弘樹を褒めた。
「飯村って、変なところは篠沢と似てるのね」
そのやり取りを見ていた前宮が、呆れ気味に割って入ってきた。
「そ、そうかな?」
これに弘樹が、珍しく動揺を見せた。
「は、春希と似てるのか」
そして、落ち込んだように項垂れた。
「人と付き合いがあると、その人に影響されるからね~」
「篠沢もその性格は誰かの影響なの?」
慰めの言葉を掛けている僕に、前宮が興味深そうに尋ねてきた。
「変なことを言いますね。性格なんて誰しも影響されてますよ。主に人と社会に。僕だって、例外ではありません」
ナルでは感化されることはほとんどないが、クラでの生活では避けて通ることはできなかった。
「篠沢の場合って、生まれた時からその性格だと言われても信じられるわね」
前宮がとてつもない暴論を言い出した。その説明をしている前宮は、やたらと生き生きして見えた。
「なんであからさまな嘘を信じるんですか?」
これにはさすがに呆れてしまった。
「その程度の理由で信じられるなら、前宮は宗教の信者になれますよ」
「ああ、宗教はパス」
話の流れで、弘樹が自然に話から切り離されていた。
「・・・いつの間にか俺が無視されてる」
これに疎外感を感じたのか、弘樹が悲しそうに呟いていた。
運動場に出ると、他の学年の生徒も別の校舎から次々と出てきた。
「三人ともおはよう」
昨日と同じ場所に行くと、島村先輩が挨拶してきた。三人は個々のテンションで挨拶を返した。
「美雪先輩って、可哀想ですね」
突然、前宮が島村先輩に同情の言葉を口にした。
「へっ、何?突然」
「肉体は完璧でも人間関係が希薄なんですね」
「な、何?なんのこと言ってるの?」
前宮の発言が、島村先輩をさらに混乱させた。
「前宮は、何を言ってるの?」
僕も理解できなかったので、弘樹に聞いてみた。
「さっき春希が言ったことだ。島村先輩とはあまり関わりたくないってやつ」
「ああ、あれと今の発言が繋がってるの?」
「多分な」
弘樹も断定はできないようで、曖昧な返事だった。
「でも、あれって僕だけの意見であって、島村先輩の交友関係とは関係ないと思うんだけど」
「そう言われるとそうだな」
結局、僕らには前宮の言葉の意味がわからなかった。
本鈴が鳴り、準備が始まった。
準備が進むにつれ、他の生徒たちが増えていった。どうやら、教室の準備が終わったようだ。
「あ、ノゾミン!」
10分間の休憩中、久米がこちらに気づき、嬉しそうに近づいてきた。久米は教室での作業だったらしく、それが終って運動場に来た様子だった。彼女は、一重の目に頬にはそばかすがあり、かなり細身な体系だった。
「昨日捜したんだけど、運動場での作業だったんだね」
久米は、前宮に一方的に話しかけた。
「そうだけど、教室の黒板に書いてあったでしょう」
「あ、そこは見てなかったね」
久米が頭を掻いて、恥ずかしそうにはにかんだ。
「前宮」
僕は、前宮を呼んで目配せした。それに気づいた前宮が無言で頷いた。
「そういえば、詩絵って実行委員なの?」
前宮が初めて久米の名前を呼んだ。それに久米が、驚いた顔をした。
「ノゾミンが私を名前で呼んだ」
感無量だったのか、今まで見たことのない明るい笑顔になった。
「で、どうなのよ」
前宮が少し煩わしそうに再度聞いた。
「うん。そうだよ」
「トーナメントの場所のグループ分けって、もう決まってるの?」
「え?う、うん。昨日決まったよ」
質問の意図がわからないようで、戸惑いながらも答えた。
「どういう分け方になった?」
「なんで、そんなこと聞くの?」
これには久米から、当然の質問が返ってきた。
「ちょっと気になってね。で、どうなの?」
前宮は、言葉を濁して聞き返した。
「えっと、A、C、Fグループはこの運動場で、B、D、Gグループは体育館、E、Hグループが教室だね」
それを聞いて、思わず溜息が漏れた。この区分では、一回戦は運動場で確定だった。
「そう、ありがとう」
前宮がお礼を言って、僕のところに近寄ってきた。
「どうだった?」
「最悪の場所になりそうです」
「そうなの?」
「ええ、ずっと運動場ですね」
僕は、地面を指差しながら落胆した。
「ここは嫌なの?」
「できれば、教室が良かったですね」
運動場は、広い分必然的に観客が多く、TV中継もこの場所が多かった。注目されるのが嫌いな僕にとっては、最悪の場所と言えた。
「当日、雨でも降りませんかね」
僕はそう言って、天を仰いだ。
「それだと、行事が長引くだけだよ。それに最近の天気予報は性能が良くなって、外れることがなくなってるからね」
「そうですね。こういう時こそ不測の事態に期待したいですね」
「篠沢って、争奪戦がよっぽど嫌いなのね」
僕の心境を察してくれたようで、呆れ声で苦笑いした。
「ええ、とっとと無くなって欲しいです」
「この辺じゃあ、学校選べないのが致命的だね」
「ホントですよ。いくら争奪戦が人気になったからって、学校選択制を無視するのはこの地区ぐらいですよ!」
「そ、そうだね」
僕の強い口調に、前宮が少し引いていた。
争奪戦は毎年テレビ中継される為、全国でも有名だった。この地区でも一大イベントで、全国から観戦に来る人も多かった。
「そ、そうだね。昔はこの地域に少なくとも三校はあったんだけどね。確か生徒数が少なくなったら、この行事も面白くなくなるっていう理由で、この学校と他の二校が合併したんだったけ?」
昔はこの行事は代々的ではなく、ただの行事でしかなかったが、あることをきっかけに人気になってしまい、特別処置で三校が合併して、マンモス校になったのだった。この情報は、教育委員会から送られたメールに書いてあった。
「篠沢でも熱くなることがあるんだね」
前宮は、意外そうな顔で僕を見た。
「春希は、理不尽とか不合理には凄く文句をつけるからな~」
いつの間にか隣にいた弘樹が、僕の性格の補足をした。
「でも、それも篠沢らしいのかもね」
「僕らしいですか。変な表現ですね」
「そうかな?」
「そうですよ。その言い回しは客観的な見解ですから、僕にはいまいち伝わりません。それに良いか悪いかもわからないじゃないですか」
「それは流れで察したらいいと思うよ」
「結局、判別するのは僕自身ってことですね」
「そうなるね~」
休憩が終わり、僕たちは黙々と作業を続けた。
昼休みになり、昨日と同じように芝に座って、食事を取ることにした。僕の両隣に前宮と島村先輩が、当たり前のように座った。僕の向かいに弘樹が座り、前宮の正面に久米が座った。
「今日もですか」
僕はそう言って、島村先輩を横目で見た。
「いいじゃん、こういう機会滅多にないんだし」
島村先輩が平然とそう返した。
「誰?」
久米が前宮に小声で聞いていた。
「篠沢が入部している武活の先輩よ」
いつもは突っぱねるはずが、今日は素直に久米に答えていた。
「てっきり、恋人だと思った」
「なんでそう思ったの?」
これに前宮が、久米に食いついた。
「え、えっと、なんか雰囲気が恋人みたいだったから」
久米は、少し戸惑いながら答えた。
「ふ~~ん」
何を思ったのか前宮がスッと立ち上がり、僕と島村先輩の間に割って入ってきた。
「え、どうしたの?」
島村先輩が困惑しながら、少し横にずれた。
「美雪先輩は、私の隣にいてください」
「まあ、いいけど」
これには島村先輩が、不思議そうな顔で頷いた。
「そういえば、ノゾミンのクラスって模擬店は何にするの?」
いつの間にか前宮の正面に移動していた久米が、積極的に話を振ってきた。
「・・・ここでは言いたくない」
前宮は、僕を横目に言い淀んでいた。模擬店は女子だけで決めるのだが、僕はその内容を知らなかった。
「なんで?」
「そこは察して聞かないでよ」
久米の追求に、前宮が気まずそうに言い繕った。
「あの、望。できれば、この人紹介してくれない?」
隣の島村先輩が、居心地悪そうに二人を見ていた。
「ああ、初対面でしたね。こっちは同級生の久米詩絵です」
前宮が久米を簡易的に紹介した。
「そうなんだ。初めまして、私は島村美雪。よろしくね」
島村先輩は、笑顔で手を差し出した。
「・・・すいません。私は、ノゾミン以外友達はつくらないことにしてるので」
久米はそう言って、島村先輩の握手を拒否した。
「え?」
それに唖然として、手を差し出したまま固まってしまった。
「美雪先輩。この人は変人ですから、気にしないでください」
前宮が大まかに久米の性格を説明した。
「は、はぁ~」
島村先輩が呆れながら、ゆっくりと手を引き戻した。それを脇目に、僕と弘樹は少しずつ前宮たちから距離を取った。
その後は、久米が前宮に話しかけるかたちで食事をして、島村先輩は突き放された状態になっていた。
「望、ごめん。やっぱり篠沢君の隣に行くね」
その疎外感に耐え切れなくなり、立ち上がって僕の隣に座った。
「ダメです」
しかし、前宮は再び僕と島村先輩の間に割って入った。久米も前宮につられるかたちで移動した。
「なんでよ~」
島村先輩が不満そうに抗議した。
「少しは周りの視線も気にしてください」
「ああ、噂のこと?別いいじゃん、言わせておけば」
「そういうことじゃないですよ」
「じゃあ、どういうこと?」
「う~~ん。ここまで言っても理解してくれないんですね」
わざと遠回しに言ったようだが、島村先輩には察してくれなかった。
「回りくどいことは、島村先輩には無意味ですよ」
この経験は何度もあることなので、前宮にそう助言した。
「なんか馬鹿にしてない?」
僕の言葉に、島村先輩が文句をつけてきた。
「なんでそっちは察するんですか」
これには前宮が、呆れて言った。
「日頃、馬鹿にしてますからね」
「あ!認めた!」
いつもの軽口に、島村先輩が食いついた。
「食べながら、怒鳴らないでください。周りが注目しますよ」
僕は周りを見ずに、適当に注意した。
「あ、ごめん」
本当に注目されていたようで、恥ずかしそうに謝った。
「こういう感じで、言わないと察してくれないですよ」
「なるほど。篠沢って、なんか島村先輩の飼い主みたいだね」
前宮が誤解を招く言い方をした。
「前宮。それは悪言ですよ」
島村先輩を見ると、怒る場面なのか悩んでいた。
「島村先輩、ここは怒るところです」
僕は、島村先輩に怒るように促した。
「そうなんだけど、なんか怒るに怒れなくて」
「なんでですか」
僕との対応の違いに少し腹が立った。
「傍から見たら、そう見えるのかな~って」
「なんの話ですか」
「私って、ペットだったら何に見えてる?」
よくわからないこと言いながら、島村先輩が前宮に聞いていた。
「え!ペットとしてですか」
「だって、飼われてるみたいなんでしょう」
「そ、それは言葉のあやですよ」
まさか自ら話に乗ってくるとは思っていなかったようで、前宮が戸惑いながら言い繕っていた。
「だから、その例えでどんなペットに見えるの?」
しかし、島村先輩は話を切らずに追求してきた。
「え、えっと・・・ね、猫ですかね」
これには前宮が、渋々そう答えた。
「なんで?」
その答えだけでは満足できないのか、さらに理由まで聞いてきた。
「えっと・・じゃれてる・・みたいだからです」
言いにくいのか、前宮は視線を泳がせながら答えた。
「ふ~~ん。望にはそう見えてるんだ」
島村先輩は怒ることもなく、ただただ納得していた。
「ねぇ、飯村君は私たちのことどう見える?」
今度は弘樹の方に顔を向けた。
「え!俺ですか」
これには驚いて様子で聞き返した。
「うん。客観的な意見を聞きたい」
島村先輩がノリノリでそう言った。相変わらず、島村先輩の興味はあさっての方向を向いていた。
「そうですね~。姉弟ですかね~」
「あ、そっちの方がいいね」
弘樹の意見に嬉しそうに笑った。
「最悪ですね」
架空の家族は、若菜だけで十分だった。
「なんで最悪なのよ」
これには島村先輩が、目を細めて抗議してきた。
「はぁ~、何度も言いますけど、よく考えて発言してください」
「へっ?」
「僕と姉弟って、嬉しいですか?」
ここは考えさせるために、わざとゆっくり言った。
「そう言われると、複雑だね」
「でしょうね」
「でも、最悪ではないよ」
「そうですか。まあ、個人には個人の意見がありますからね」
僕の考えとは一致してないのは残念だった。
「それだと篠沢君にとっては、最悪って聞こえるんだけど」
「ええ、だから最初からそう言ってるじゃないですか」
「ひどっ!」
僕の素直な答えに、島村先輩が嫌な顔で叫んだ。
「そ、そこは気遣うところじゃないかな」
前宮が島村先輩を庇うように口を挟んできた。
「そうだよ!篠沢君には心遣いがないよ!」
「それは失礼しました。島村先輩と話すと、つい配慮という言葉を忘れてしまいますね」
「・・・これって喜怒のどっち?」
曖昧な発言に、島村先輩が訝しがって前宮に聞いた。
「微妙ですね。親しいとも取れますし、馬鹿にしてるとも取れますね」
どっちとも取れるように言ったので、悩んでいるうちに食事を再開することにした。
「篠沢君、親しき仲にも礼儀ありだよ」
悩んだ結果、島村先輩にしては珍しく適格な指摘をしてきた。
「そうですね。これからは注意します」
もう引っ張るのも面倒だったので、ここで区切りをつけることにした。
「じゃあ、久米さんはどう見える?」
初対面で握手さえしなかった久米に、島村先輩が純粋に話を振った。
「それ、私に聞きます?」
「初対面の方が客観的な意見が聞けるし」
「そうですね。まあ、恋人みたいです」
さっき小声で言ったことを島村先輩に直接言った。
「ちょ、ちょっと!」
この発言に、なぜか前宮が焦っていた。
「う~ん。やっぱりそうも見えるんだ」
しかし、島村先輩は特に気にも留めていなかった。
「そういえば、会長もそういう見方してましたね」
僕は、話の流れでそれを思い出した。
「そうだね。でも、それって仲良しに見えるってことだよね」
「そうですね」
あくまでも他人の意見だったので、主張は控えておいた。
「まあ、それはそれでいいか」
「え!いいんですか?」
島村先輩の淡泊な態度に、前宮が驚いていた。
「他人からどう見られても、私自身あまり気にしないからね」
その一言で三人の意見を霧散させた。数週間前まではかなり気にしていた様子だったが、ここ最近はいろんな噂のせいでもう面倒臭くなったようだ。
「じゃあ、なんで聞いたんですか」
僕は呆れ気味に、島村先輩を島村先輩を流し見た。
「話の流れで聞いてみただけだよ~」
他人の意見に興味があるというより、話を聞くことが楽しいだけのようだった。
昼休みが終わり、作業が再開された。前宮は、ずっと僕と一緒に作業していた為、自然と久米とも一緒になった。
「へぇ~、篠沢って効率的に作業するんだね」
久米が感心して、そんなことを言った。
「さっさと終わらせたいからね。それにしても、隣の舞台づくりは非効率だよね」
僕たちの組み立てより半分も進んでいなかった。
「そうだね。あっちはずっとしゃべってるからね」
久米も呆れ顔で、隣の舞台を見た。視線の先では、指導する教師も楽しそうに生徒と話していた。
「指導者がああだと作業者も大変だね」
「そうね。頑張ってる人が可哀想ね」
作業している人は、教師やしゃべっている生徒に苛立ちをあらわにしていた。
「あっちにならなくて良かったな」
隣から弘樹が、そんなことを口にした。
「僕だったら、あの場から消えてるね」
「それは同感ね」
僕の意見に、前宮が作業しながら同意した。
舞台が四面が完成したところで、終業の鐘が鳴った。
「結局、隣の作業手伝わされちゃったね」
島村先輩が体を伸ばして、筋肉をぼぐしていた。
「ホントにとんだとばっちりでしたね」
僕は、嫌な顔で愚痴った。早く終わったことで、結局隣の舞台を手伝わされる羽目になってしまった。
「じゃあ、また後でね~」
島村先輩はそう言って、3年の校舎に入っていった。
「あの人って、不思議な人だね」
島村先輩の後姿を見て、久米がそんな感想を前宮に言った。
「そうね」
それには前宮も同意して頷いた。
「何が不思議なんですか?」
教室に着いて、久米と別れてから前宮にさっきの話題を持ち出した。
「え、何が?」
話も途切れていた為、前宮が戸惑った返事をした。
「だから、さっき島村先輩が不思議な人って言ってましたから」
「独特な人ってことよ」
「独特ですか・・・なるほど」
それには大いに納得できた。
「ちなみに、篠沢は個性的な人かな」
「そうですか」
自分への評価は特に興味もなかったので、それは聞き流しておいた。
教室に入ると、リングが完成していて、座る場所も少なくなっていた。その為、立ったまま帰りのHRをして、10分後に下校となった。
「今日は災難だったね」
「本当ですね」
下校途中、前宮が別リングの手伝いのことを話題にしてきた。
「他人のサボりを、僕たちにカバーさせるなんて理不尽極まりないです」
これは僕にとって、全く理解できない集団の特性だった。
「・・・篠沢って、そういうの嫌いなのね」
僕の感情的な意見に、前宮が意外そうな顔をした。
「ええ、まあ」
ここは明確に言うか悩んでしまい、少し声が小さくなってしまった。
「ふふっ」
「何かおかしいですか?」
前宮の意味深な笑みに、失敗したと感じて全身から冷や汗が出た。
「私もその気持ちはわかるな~って思ってね」
「・・・」
この答えには全身の力が抜けた。
そのあとは会話も途切れ、前宮家に着いた。
前宮と母屋の玄関で別れ、道場に入ると会長と若菜が楽しそうに談笑していた。
「あ、来たわね」
会長はそう言うと、若菜と一緒に道場から出ていった。
手早く着替え終わると、二人が道場に戻ってきた。
「今日は私との組技かな?」
「そうなりますね」
正直、寝技では会長に未だに勝てなかった。
「じゃあ、始めよっか」
会長がリングに上がって、僕の方を見た。その間に、私服に着替えた前宮が道場に入ってきた。上は淡い緑のゆったりした服に袖にはレースをあしらっていて、下は真っ白のレースのスカートだった。これは最初に見た私服と同じだった。
「そうですね。やっぱり、剣棒は使わない方がいいですか?」
「当たり前でしょう。組技って最初に言ったでしょう」
「まあ、そうですけど・・・」
会長との組み合いは神経を使うので、できるだけ組みたくなかった。
「さっさっと、リングに上がってよ」
会長の指示に、渋々リングに上がった。
「さてと、今日で最後だから、全力でやるから全力で凌いで反撃してね」
対面の会長が、腰を落して忠告してきた。
「ちょ、ちょっと姉さん。本気はやめたほうがいいって」
リングの外の前宮が、慌てた様子で口を出してきた。
「え?なんでよ」
「だって、姉さん。加減できないでしょう」
「大丈夫よ。決める時だけ軽くするから」
会長が軽いノリでそう言い切った。
「で、でも・・・」
それでも納得できない前宮は、僕の方を心配そうに見つめてきた。
「前宮、気遣いは有難いですが、ここは会長を信じてもいいですよ」
僕は前宮を安心させる為、表情を緩めて言い繕った。
「し、篠沢がそう言うなら」
前宮が頬を染めて、リングから離れていった。
「じゃあ、始めよっか」
それに会長が、嬉しそうに僕と対峙した。
「そうだね。一応、会長に敬意を表して、お手柔らかにお願いします」
僕は教えを乞う身として、礼儀正しくそう言った。
それから、会長との特訓が始まった。
第五話 後輩との帰り道
「篠沢君。今日は怪我してないの?」
特訓が終わり、島村先輩が道場に入ってきて、僕に対して聞いてきた。
「ええ、寝技ばかりだったのと、会長がギリギリの関節技をしてくれたので、大事には至ってないですね」
それとは別に、長時間の特訓のせいで、疲労困ぱいで過呼吸になってしまった。それに前宮がいち早く気づいて、休憩を取ってくれた。
「そっか。かなえにしては珍しいね」
島村先輩が感心して、会長の方を見た。
「篠沢。これ」
すろと、前宮が心配そうな顔で、なみなみと注いだお茶を渡してきた。
「前宮。これ以上は飲めませんよ」
しかし、これで三杯目だった。さすがにこれ以上は胃に溜まるだけで飲む意味がなかった。
「え、そう?」
「ええ、僕の胃袋は大量の水分は吸収できません」
僕はお腹をさすりながら、もう飲めないことをアピールをした。
「ですから、これは前宮が飲んでください」
そう言って、前宮にコップを返した。せっかく注いだお茶を捨てるのはもったいないので、下校からずっと水分を摂取していない前宮に飲んでもらうことにした。
「え!」
それに前宮がかなり動揺して、僕を見上げてきた。そのせいで少しお茶がコップからこぼれてしまった。
「ああ~、こぼれましたよ。早く飲んでください」
僕は、少し慌てて前宮を急かした。
「あ、うん」
前宮がそれに感化されて、勢いよくお茶を飲み干した。
「良かったね」
いつの間にか前宮の後ろにいた会長が、前宮の耳元でそう言った。
「わっ、う、うるさい」
前宮が顔を赤らめて、コップを元の場所に戻した。
「ほら、出るわよ」
前宮が何かを誤魔化すように、島村先輩と会長を道場の外に引っ張っていった。
着替えが終わり、道場を出ると前宮と若菜が待っていた。この組み合わせにはかなり違和感を感じた。
「あれ?若菜、いたの?」
道場では見なかったので、てっきり帰ったと思っていた。
「う、うん。私の役目は終わったんだけど、最後までいたくて・・・」
若菜が俯いたまま、僕に説明してきた。
「ふ~ん、どこにいたの?」
僕が歩き出すと、二人もそれに続いた。
「母屋でおばさんと話してました」
若菜は、母屋を指して言った。
「なんか、三島って男性恐怖症を克服してるね」
若菜の態度が気になったようで、意外そうな顔で話に入ってきた。
「え、あ、はい。兄さんのおかげです」
若菜が自信に満ちた声で、きっぱりそう言い切った。
「そ、そう」
それに前宮が、少し苦笑いした。
門扉で前宮と別れて、若菜と二人で帰り道を並んで歩いた。昨日より少し距離が近いように感じた。
「あと1日ですね」
若菜が正面を見たままで話を切り出してきた。
「そうだね」
内心ではかなり嬉しかったが、敢えて淡泊にそう答えた。
「名残惜しいですね」
しかし、若菜は僕とは違う意見を口にした。
「そうなんだ。なら、会長に頼んでみればいいよ」
「え、はあ、そうですね」
僕の助言に、複雑そうな顔をした。どうやら、そこは核心ではないようだった。
「それより、男子とは話せたの?」
この距離でこの空気は気まずいので、話を切り替えてみた。
「え!」
若菜は、僕の言葉に驚いて見上げてきた。
「・・・もしかして、ダメだった?」
「は、はい」
若菜が言いにくそうに顔を下に向けた。昨日は頑張ると言っていたが、すぐに実行に移すことができなかったようだ。
「そう。まあ、自分のタイミングで話してみたらいいよ」
あまり無理強いするのも気が引けるので、やんわりと言っておいた。
「は、はい」
若菜から少しこもった声の返事が返ってきた。
「でも、姉とは話せました」
突然、若菜が話をさらに切り替えてきた。
「そうなんだ」
これには少し困惑したが、あまり間を開けずに切り返した。
「で、どうだった?」
スムーズな会話をするために、とりあえず話を進めることにした。
「う~ん。微妙ですね」
「何が?」
「なんか驚いて、二度見された上にぎこちない答えしか返ってきませんでした」
「まあ、そうだろうね」
日頃話さない相手なら、当然の反応だと思った。
「やっぱりタイプが違うからでしょうか」
若菜が的外れな解釈で悩んでいた。
「いや、それは違うよ。急に話しかけてきたから戸惑ったんだよ。若菜もそんなことされたら、そうなるよね」
「・・・ああ、そうですね。何かあるのかと勘ぐってしまいます」
「姉もそれを思ったんじゃないかな」
「なるほど!」
若菜は、納得しように何度か首を縦に振った。
「だから、少しずつ話していけばいいよ。男子にもね」
このまま本末転倒になるのは避けたかったので、一応補足だけはしておいた。
「そうですね。まあ、頑張ってはみますけど、どの人と話していいかわからないですね」
それは最初の難関だとも言えた。
「一つ、聞きたいんだけど、若菜は女友達はどれくらいいるの?」
「え、そうですね。仲良いのは二人ですね」
「そう。で、その友達はどんな人たちなの?」
「どんな人・・ですか。二人とも典型的なオタクですよ」
少し言うのを躊躇ったが、顔を逸らしながら答えてくれた。
「そうなんだ。若菜もオタクなの?」
そこだけは確定しておきたかったので、気さくに聞いてみた。
「そ、そうですね。自分では自覚ないですが、傍から見たらオタクかもしれませんね」
若菜は俯いたまま、僕に聞こえる程度の声で言った。
「なら、話しかけるのはオタクみたいな男子でいいじゃないかな」
「ええ~~、嫌ですよ!」
この提案に、心底嫌な声を出して拒否してきた。最近、若菜の主張が激しくなった気がする。
「そこまで嫌なの?」
「はい。男女ではオタクのレベルが違いすぎます」
若菜からよくわからない解釈が飛び出した。
「オタクって、レベルがあるの?」
初めて聞く言葉に思わず聞き返していた。
「あります」
それに若菜が、堂々と言い切った。
その後、若菜が流暢にオタクのレベルについて説明してくれた。
「という訳で、男子の場合はレベルが高いんですよ。その作品について、どうでもいいことまで評価するので」
「・・・そ、そう」
その生き生きとした若菜にかなり困惑してしまった。
「あ、今、ドン引きしましたか」
その態度に、若菜が過敏に反応した。
「そうだね。ついていけないと感じたよ」
ここで言い繕うのは若菜の為にならないので、正直に答えることにした。
「でも、その流暢さとテンションは好感がもてるよ」
悪いところだけを指摘するのではなく、ちゃんとフォローもしておいた。
「そういう話をできる人と話した方が楽しいでしょう」
「それは、そうですけど・・・」
何か不満があるようだったが、言葉は続かなかった。
「どうしたいかは、若菜に任せるよ」
ここで深入りするのも面倒なので、そこは個人に委ねることにした。
「兄さんは、導き方がうまいですね」
若菜は感心したようだったが、表情は相変わらず見えなかった。
「一つ、助言させてもらっていいかな」
余計なお世話とも思ったが、これだけは直した方がいいと感じた。
「なんですか?」
「まず、髪でも切ってみたら?」
このボサボサの髪で表情が隠れている状態では、話をすることさえ難しかった。
「やっぱり、そう思いますか?」
これは自分でも思っていたようで、髪を触りながらそう言った。
「話す相手の表情は、見えた方が会話がスムーズになるから」
これは若菜と話していて、実感したことだった。
「それにショートヘアの若菜は可愛かったよ」
正直、初対面での若菜の顔は覚えていなかったが、建前として褒めておいた。
「そ、そうですか?」
すると、俯いた若菜から嬉しそうな声が聞こえてきた。やはり、女性は褒められることが好きなようだ。
「兄さんは、ショートカットが好きなんですか?」
「・・・え?」
突然の質問に言葉が出てこなかった。
「えっと・・・質問が悪かったですか?」
困惑している僕に気づき、申し訳なさそうに言った。
「そうだね。髪型で好き嫌いを決めたことはないよ」
「・・・えっと、そういうことではなくて、兄さんの好みを聞いているんですが」
少し呆れ気味の声で言い直してきたが、意味合いは同じだった。
「その質問の答えはさっきと一緒だよ」
「そ、そうですか」
僕の答えが不満だったようで、顔を俯かせた。
「一つ聞きたいんですが、兄さんって人に無関心なんですか?」
何を思ったが、若菜が僕の本質をついてきた。男性恐怖症の若菜と何か通じるものがあったようだ。
「まあ、そうだね」
これは隠すこともないと思ったので、素直に肯定しておいた。
「できれば、関わる相手は少なくしたいとは思っているね」
「ど、どうしてですか?」
若菜が少し声を震わしながら、僕の方を見上げてきた。
「理由は特にないよ。ただ一緒にいると、気を使わないといけないから」
「それが理由じゃないんですか?」
「それは理由じゃないよ。ただ、今はそう思ってるだけ。今は自分のことで手一杯なんだ」
このクラでボロを出さないようにするのに必死で、他人に配慮する余裕はあまりなかった。
「何か問題を抱えてるんですか?」
「ここから先は、プライベートだから言わない」
これ以上は深入りして欲しくなかったので、強制的に話を切った。
「そう・・ですか」
僕の拒絶に、落胆したように項垂れてしまった。
「あ、あの・・・わ、私で良ければ、相談に乗るので、なんでも言ってください」
少し躊躇いが見られたが、俯いたままその言葉を口にした。僕に対して、気を使ってくれたようだ。
「若菜は、優しいね」
この言葉は、素直に受け止めた方が無難だと思いそう返した。
「でも、大丈夫だよ」
あまりこの話を引っ張りたくないので、この場を収めるために言い繕っておいた。
「僕に対して、それだけ言えるならもう男性恐怖症も克服できたかもしれないね」
そして、話を戻すことにした。
「え、えっと、そうですかね?」
僕の解釈に、若菜が自信なさそうに疑問符を付けてきた。
「自信を持ってもいいと思うけど・・不安な気持ちも理解できるね」
あまり押し付けるのも気が引けるので、最後にそう付け加えておいた。
分岐点に着いたので、若菜に別れを告げると、立ち止ったまま僕の方をじっと見た。
「どうかした?」
このまま帰ろうと思ったが、何かを言いたそうにしていたので、気を使って僕からそう尋ねた。
「明日で最後ですね」
「そうだね」
「さ、さようなら」
そう言うと、若菜は走って帰っていった。その行動に首を傾げながら、母親のいない家に帰宅するのだった。
争奪戦の準備の3日目の朝、僕は重い足を引きずりながら、登校路を歩いていた。
「おはよう」
十字路に着くと、前宮が笑顔で挨拶してきた。
「おはようございます」
返事をする気分ではなかったが、礼儀として挨拶を返しておいた。
「なんか今日は不調みたいだね」
僕の顔色を見て、前宮が気遣ってきた。
「そうですね。気が重いです」
気も重かったが、気だるさで体の方が重かった。
「ごめんね。姉さんが無理させたみたいで」
「前宮は、僕に対してだけ優しいですね」
あまり頭が回らない状態で、今思ったことを口にした。
「えっ!」
すると、かなりの動揺を顔に出していた。
「と、友達だから当然だと思うよ」
恥ずかしいのか、顔を赤くして声が上擦った。
「そ、そういえば、篠沢の所属している武活って、棒術部だったっけ?」
前宮が気まずそうに話題を変えてきた。
「ええ、そうですけど」
「争奪戦が終わったら、私も入部してもいいかな?」
「はっ?」
突然の申し出に立ち止まり、前宮の方を振り返った。
「な、なんでですか?」
そして、表情を引き攣らせながら理由を聞いた。立ち止っていたせいで、登校中の生徒から注目されてしまった。
「ちょうど、空手もやめるし、棒術も面白そうと思ったし」
後半は声が小さくなって、僕から視線を逸らした。
「空手、本当にやめるんですか」
「うん。これは決定事項だよ」
「そうですか」
前宮自身が決めた以上、僕からは何も言えなかった。
「別に、女子の部活は必須ではないですから、再入部しなくてもいいんじゃないですか?」
前宮が空手をやめる理由は、筋肉がつくというものだったので、再び運動部に入るのは、本末転倒な気がした。
「でも、帰宅部になってもやることないし・・・」
前宮はそう言うと、寂しそうな顔で本音を吐露した。
「なら、文化部に入部したらいいじゃないですか」
一応、この学校には女子にのみ文科系の部活があった。
「・・・篠沢は、私のことどう思ってるの?」
突然、話の流れを無視した質問が前宮から飛び出した。
「・・・どうって、答えに困る質問ですね~。意地悪ですか?」
答えたくなかったので、前宮を責めるかたちで切り返した。
「え、いや、そんなつもりはないけど・・・そうだね。この質問は卑怯だね」
前宮が考え直して、自分を責める発言をした。
「卑怯とまでは言ってないですよ」
そこまで自虐されると、こっちが恐縮してしまった。
「じゃ、じゃあ、質問を変えるね」
「え、まだ何かあるんですか?」
ここで話を切ると思っていたが、積極的に質問を続けてきた。
「え、う、うん。ダメだった?」
「いえ、そうではないですが、できれば、僕の横で質問してくれませんか?」
前宮は、ずっと後ろから話しかけていたので、返事するたびに前宮の方を向くのは面倒だった。
「え、な、なんで?」
これになぜか前宮の動揺が見て取れた。
「何か問題でもあるんですか?」
「え、いや、ないけど」
そうは言ったが、委縮しながら僕の横に並んだ。
「で、なんですか?」
気を取り直して、前宮に話を振った。
「え、えっと・・・やっぱりいい」
前宮がそれだけ言って、ペースを落して後ろに戻っていった。その行動に理解できず、歩きながら後ろを振り返った。
「前から気になっていたんですが、なんで僕の後ろを歩くんですか?」
「え、なんでって・・・」
これには困った顔で、視線を左右に泳がせた。
「・・・そ、それは答えに困る質問だよ」
悩んだ挙句、僕の言葉を引用してきた。
「え、困るんですか?」
予想外の答えに、思わず聞き返してしまった。
「う、うん。困る」
「そ、そうですか。なら、やめます」
無理に聞くのは、相手に失礼なので引き下がった。
結局、学校に着くまで前宮は黙っていた。
教室に入ると、クラスメイトが自由に座っていた。しかし、リングのせいで全員は座れないので、HRまで廊下で待つことにした。
「おはよう」
教室から弘樹が出てきて、僕に挨拶してきた。
「ああ、おはよう」
「今日から男子だけで運動場の作業みたいだぞ」
「へぇ~、昨日の内に体育館の方は終わったんだ?」
「そうみたいだな」
弘樹はそう言いながら、壁にもたれ掛った。
「女子は、今日から模擬店の準備でしたね?」
「うん」
僕がそう言うと、前宮が寂しそうに頷いた。さすがに運動場で全校生徒での作業は非効率なので、女子は模擬店の準備に入ることになっていた。
HRの後、前宮と別れて弘樹とともに運動場へ向かった。
「なんかこうして二人になるのも久しぶりだな」
弘樹が落ち着いた感じで切り出した。
「そうだね。最近、前宮がひっついてくるからね」
「その言い方は酷くないか?付属品みたいだぞ」
「そう解釈した弘樹が酷いと思うよ」
弘樹の非難を冷静に切り返した。
「それもそうだな」
僕の皮肉に慣れている弘樹は、これを軽く受け止めた。
「それにしても、なんでこんなに春希に執心するんだろうな」
「それは僕も不思議でね」
「理由は、聞いてないのか」
「多分聞いても、返ってくる言葉は友達だから・・だよ」
「そっか」
運動場に着くと、まだ人はまばらだった。とりあえず、学年ごとに整列しておいた。
「前宮がいないと気が楽だね」
「確かにそうだが、それは本人の前で言うなよ」
「さすがに言えないよ」
それを言ったら、前宮に渾身の力で殴られる可能性があった。
僕らがだべってる間に、全男子生徒が集まり、作業が開始された。
「よう、久しぶりだな」
持ち場に就くと、小柄で長髪の駄口に声を掛けられた。
「あ、ああ、そうだね」
あまり会いたくない相手だったので、少し言葉に詰まった。
「あ、飯村もいるのか」
駄口は、弘樹に気づき声を掛けた。
「おう」
これに弘樹が、軽い感じで返答した。
「お、児玉もいるじゃん」
駄口は、知り合いに次々と声を掛けていった。どうやら、久米を紹介した相手は児玉という名前らしい。
「相変わらず、よくしゃべるな~」
それを見ながら、弘樹が溜息交じりに言った。
「今の内に離れておくか」
「そうだね」
駄口につかまると、面倒なだけなので距離を置くことにした。
作業を黙々としていると、遠くで駄口がの声がずっと聞こえてきた。
「あいつ、サボってんな~」
弘樹は駄口を遠目で見ながら、独り言のようにぼやいた。
「あれは性分なんだよ」
駄口のおしゃべりは、今に始まったことではないので諦めるしかなかった。
第六話 舞台の完成
昼休みになり、昼食を取ることにした。
「どこで食べようか」
弘樹が周りを見渡しながら、僕に聞いてきた。昨日の場所には、未完成のリングがあったので、適当な場所を探すことにした。
「ここにしようか」
場所は運動場の端で、僕の武活の練習場だった。
「そうだな」
弘樹も同意して、その場に座った。
「二人だと一段と落ち着くね~」
今日は気楽な昼食を取ることができそうだった。
「いや、二人での昼食にはならないと思うぞ」
弘樹が僕の後ろを見ながら、不吉なことを言った。
「ほら、前宮が必死で捜してるぞ」
弘樹が指差す方向を見ると、前宮がキョロキョロと僕たちを捜していた。その姿は不安そうに見えた。
「どうする?」
弘樹が視線を僕に戻して、困った顔で聞いてきた。
「ん~、弘樹に任せるよ」
無視することも考えたが、あんな表情を見た後ではできそうになかった。
「え、俺が!」
「うん。僕には判断できないよ」
「なんでだよ」
「正直、突っぱねたいというのもあるんだけど、前宮を前にすると、恐怖でそれができないんだよ」
特訓中に何度も前宮の打撃を散々浴びたので、彼女への恐怖心が埋め込まれてしまっていた。
「まあ、確かに。初対面の時の前宮の笑顔は怖かったからな」
弘樹が別の解釈をしていたが、特訓のことは秘密なので、勘違いさせておくことにした。
「でもな~、泣きそうになってんぞ」
そう言われて後ろを見ると、前宮が泣きそうな顔で捜していた。
「これを見て、無視したらどう思う?」
僕は、弘樹に仮定の話を持ち出してみた。
「そうだな。冷徹なやつだと思うな」
「仕方ないね」
さすがに友達にそう思われるのは不本意なので、立ち上がって前宮に気づかせることにした。
「やっぱり春希は、もてるタイプだな」
弘樹が表情を緩めて、僕を皮肉ってきた。
「あっ」
前宮が僕を見つけて声を上げた。
そして、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「えっと、なんで来たんですか?」
「だって、一緒にいたいから」
僕の質問に危うい発言をしてきた。これには焦って周りを気にしたが、誰も気に留めることもなく食事を楽しんでいた。
「あ~、質問を変えていいですか?」
「え・・・うん」
「作業場の近くでの方が効率がいいと思うんですが」
「そうだけど、篠沢と一緒にいたいから」
質問を変えたが、同じ答えが返ってきた。傍に座っている弘樹が、微笑ましい顔で僕たちを見ていた。
「あ~、もういいです」
僕はその場に座って、食事を再開した。前宮が笑顔で隣に座って、弁当箱を広げた。
「ごめん、弘樹。僕にはどうしようもできない」
僕は、前宮には伝わらないように弘樹に謝罪した。
「気にするな。これはどうしようもない」
寛容な弘樹は、僕に共感して許容してくれた。
「そういえば、前宮の模擬店はどこでするんですか?」
特に気にしていなかったが、せっかく前宮もいるので話を振ってみた。
「えっ!」
これに前宮が、予想以上に驚いた。
「どうかしましたか」
「え、いや、篠沢がそれを聞くと思わなかったから」
「そうですね。今までは聞くことはないですが、前宮がいつも黙っているので、話を振ってみたんですよ」
本音を言えば、安らぎの時間を邪魔された前宮への嫌がらせだった。
「そ、そうなんだ」
それに前宮が、はにかみながら照れていた。
「3年2組の教室だよ」
「そうですか。何を出店するんですか」
「えっと・・・喫茶店」
少し言うのを躊躇ったようだが、小声で答えてくれた。
「喫茶店・・ですか」
「う、うん」
僕がそう聞くと、前宮が暗い顔で頷いた。
「元気ないですね」
それが気になり、前宮を気遣いの言葉を掛けた。
「聞いてやるな」
突然、弘樹が僕を制してきた。
「何が?」
「多分、普通の喫茶店じゃないんだよ」
「普通?」
「ああ、服装が変わってんじゃねぇか?」
弘樹は、理由を知っているようで的確に言ってきた。
「そうなんですか」
それを前宮に横流しで聞いてみた。
「う、うん。ちょっと変な格好で・・・」
「そう・・ですか。それは気の毒ですね」
「だから、篠沢には見られたくない」
「はぁ」
なぜ僕だけなのかが不明だった。
「お願い。クラスの喫茶店には来ないで」
「え、まあ、前宮が嫌なら行きませんが」
どうせ行く気もなかったので、特に問題はなかった。
そのあとは弘樹と雑談しながら、昼休みを過ごした。
予鈴が鳴り、前宮が名残惜しそうに作業に戻っていった。
「愛されてるな~。春希は」
前宮の後姿を見ながら、弘樹が独り言のように呟いた。
「それは僕に対する皮肉、それとも羨望?」
「まあ、皮肉だな」
弘樹は、迷うことなくそう答えた。
本鈴が鳴り、作業が再開された。
「よう、聞いたか」
作業をしていると、駄口が僕に話しかけてきた。完全に警戒を解いたところを狙われてしまった。
「何を?」
仕方がないので、素っ気なく対応することにした。
「女子の模擬店だよ」
さっき前宮が答えるのを渋った話だった。
「それがどうかした?」
内容も知らない僕には、そう返すことしかできなかった。
「うむ。今年は、なかなか興味深いことが多くてな」
去年の模擬店には一切行ってない僕には、今年の模擬店との比較はできなかった。
「去年は、ほとんど制服にエプロンで売り子をやってたんだが、今年の模擬店は制服は禁止になってるんだよ」
「へぇ~、そう」
あまりにも興味のない情報に生返事になってしまった。
「しかもな、できるだけ露出の多い服装にするように、生徒会長が裏で指示してるって話だ」
「・・・あ、そう」
前宮が言いにくそうにしていたのが、なんとなく納得できた。
「よくそんな案が通ったね」
会長とはいえ、ここまで踏み込むのは危険な気がした。
「そうなんだよ。まさか、あれを本当に実行してしまうなんて驚きだよな~。なんでも色仕掛けで、教師をたらし込んだじゃないかって噂も流れてるほどだよ」
会長のあの体系で、それはないだろうと強く思ったが、それは言うことはやめておいた。それよりは暴力で捻じ伏せたか、泣き落としの方が数倍信用できた。
「それでな、3年はオリジナル衣装が可愛いとか言われてるんだよ」
露出の高い服装で可愛いという発言には違和感を感じたが、相手は駄口なので聞き流すことにした。
「あと、知ってるところじゃあ、へそ出しの服装とか、ミニスカートとか、ミニパンツ、タンクトップに水着。あと、素晴らしいことにビキニで接客するところもあるらしいぞ」
駄口が興奮気味に顔を近づけてきた。
「そ、そう。それは楽しみだね」
僕は、引き気味に話を合わせておいた。正直、興味深いことは一つもなかった。
「ああ、本当に楽しみだな」
駄口は鼻息を荒くして、作業に戻っていった。
「大丈夫だったか」
作業に戻ると、弘樹が僕に気遣って声を掛けてきた。
「何が?」
「春希の噂を妬んだんじゃないのか?」
「ん、いや、僕とは関連性のない情報ばかりだったよ」
「そっか」
それだけ言うと、弘樹が作業を再開した。僕も、それを手伝うかたちで作業を進めた。
作業終了の本鈴になり、全リングが完成した。
「なんとかできたけど、これをまた片づけると思うと、気が滅入るね」
僕は、運動場いっぱいのリングを見て、大きく溜息をついた。
「言うな。意気阻喪になるだろう」
弘樹が嫌な顔をして、僕の言葉を制してきた。
「難しい言葉使うね。辞書にでも載ってた?」
弘樹は、授業中に辞書を眺める癖があった。理由は暇だからだそうだ。
「ああ、一度使ってみたかった」
「そう。良かったね」
「春希は、難しい言葉を使っても、伝わるから嬉しいな。たいていは何それって顔をするぞ」
「まあ、そうだろうね。使わない言葉なんて、伝える手段にならなくなるもんね」
「せっかくある言葉は是非使ってみたい」
「でも、伝わることが前提でしょ」
「その点は、春希がいるだろ」
「僕だって、知らない言葉の方が多いよ」
「他の人よりは知ってるじゃん」
弘樹が嬉しそうに僕を褒めたが、このクラに来て言葉を覚えるために、必死で学んだことで他の人よりは言葉を知っているだけだった。
教室に戻ると、前宮が駆け寄ってきた。
「模擬店の準備はどうでした?」
特に聞く気もなかったが、前宮を前にすると自然と口が動いていた。
「え、う、うん。明日には終わる感じだよ」
前宮が戸惑いながら答えた。
「大変ですね」
さっき駄口から聞いたこともあり、前宮に同情してしまった。
「え、何が?」
「いえ、なんでもないです」
ここで会長のことは持ち出すと、前宮が不機嫌になるような気がしたので控えておいた。
帰りのHRを終えて、弘樹と別れてから前宮と一緒に下校した。
「明日って、男子は準備はないんだよね」
前宮は、後ろから羨ましそうに話しかけてきた。
「そうですね。明日は、トーナメント表の開示と候補生の発表。それに、テレビ向けの説明と各部の披露会がありますから」
昔は全くなかったが、この行事が人気になり始めてからできたものだった。部の紹介といっても、部員数の多い部と、有名どころばかりの紹介で、僕の棒術部は口頭だけの説明だった。
「あ、あの・・・」
校門を出ると、見知らぬショートヘアの女子生徒が声を掛けてきた。
「え、僕ですか?」
これには驚いて、自分を指差した。
「え、は、はい」
相手が戸惑った様子で、恥ずかしそうに視線を泳がせた。
「何か用ですか?」
初対面だと思って、敬語で対応することにした。後ろから嫌な気配が漂ってきたが、敢えて無視することにした。
「あ、あの・・・私、若菜です」
女子生徒が恥ずかしそうに自己紹介した。
「え!」
「えっ!」
その名前に、僕と前宮が驚きの声を上げた。昨日までボサボサの長髪で前髪で半分の表情しか見えなかったが、目の前の若菜は小顔の二重だった。
「ど、どうしたの?」
僕は校門の脇に移動して、若菜に尋ねた。
「だって、兄さんがこっちが似合うって言ってくれましたから切ってきました」
若菜が恥ずかしそうに、散髪した経緯を説明した。
「ああ、そうだね。こっちが似合ってるよ」
確かに昨日そう言ったが、まさかここまでばっさり切るとは思わなかった。
「そ、そうですか?ありがとうございます」
若菜は視線を逸らしながら、嬉しそうに髪をいじった。
「とりあえず、歩こうか」
ここで留まるのは目立つので、歩きながら話すことにした。
「あ、はい」
若菜が横につき、前宮は後ろからついてきた。
「でも、急に切ったから誰かわからなかったよ」
さっきの失態を取り戻すように、褒めるかたちで言い繕っておいた。
「そ、そうですよね。教室でも驚かれてしまいました」
「でも、その髪型だと誰かに話しかけられなかった?」
髪を切った若菜は、気軽に話しかけられそうだった。しかし、それは昨日との比較だったので、あまり自信はなかった。
「そ、そうですね。女の子ばっかりでした」
「あ、そう」
やはり、すぐに男子が話しかけることはないようだ。
「でも、これから徐々に男子と話していけば、問題は解消できるね」
「え、は、はい。すぐには無理ですけど」
未だに自信がないのか、声がどんどん弱気になっていった。
「まあ、僕にできることは今日で終わりだから、あとは自身で頑張ってみて」
今日で特訓も終わりなので、若菜との接点もこれで切れることになっていた。
「・・・」
僕の励ましに、若菜が俯いて沈黙した。
「あ、あの、わ、私、この行事が終わったら、武活に参加します」
突然、若菜が積極的に武活参加を申し出てきた。
「え?う、う~~ん。でも、柏原先輩がいるよ」
若菜は、同じ部の柏原先輩が大の苦手なはずだった。
「そ、そうですけど。でも、頑張ってみます」
僕の忠告に、さっきまでの勢いがなくなってしまった。
「そうだね。3年生が卒業すると、棒術部も廃部になるから、短い期間だけど、それまで頑張ってみる?」
3年が卒業すると、二人だけになってしまい、廃部は免れなかった。
「あ、そっか」
若菜がハッとして声を上げた。どうやら、そのことを考えていなかったようだ。
「あ、でも、誰かが入部してくれれば、問題ないわけですよね」
「え、あ、そうだね。来年の1年生が入部してくれれば、廃部はなくなるね」
「その間は二人っきりですか?」
「そうだね。3年生は受験や就職活動になるから、この争奪戦が終わったら、武活にはあまり顔を出さなくなるかもね~」
「そ、そうですか」
なぜかこれには、嬉しそうにはにかんだ。
「でも、1年が入部してくれるのは、難しいかもしれないね」
「え、どうしてですか?」
「だって、勧誘とかしないから、部員は集まらないと思う」
正直な話、勧誘活動してまで棒術部を存続させたいとは思わなかった。
「そ、それはそうですね」
若菜もそれに気づいたように肩を落とした。
「まあ、若菜もこれを機に、文化部に再入部を考えるのもいいかもしれないね」
「え?」
僕の発案に、若菜が目を丸くした。
「だって、男子苦手だから、文化部の方が気が楽じゃないかな」
「いえ、2年になってからの入部は、正直厳しいですね」
「そうなの?」
「はい、もうグループ化されてますから。つまはじきにされる可能性が高いですよ」
「じゃあ、友達のいる部にしたら?」
「そ、それはありますね」
次々と発案する僕に対して、若菜が少し困った顔をした。
「あ、そうだ。私の友達を入部させましょうか?」
若菜は、思いついたようにそう提案してきた。
「友達?」
「はい。私の友達です」
「でも、その人たちって、部活に入ってるんじゃないの?」
「ええ、でも、私と同じようにほとんどが幽霊部員です」
「じゃあ、武活に来ないんじゃないの?」
それだと、若菜と二人だけの練習になりそうだった。
「そ、そうかもしれませんね。で、でも、棒術部は存続できますよ」
その友達が来ることには自信なさそうだったが、必死でそう言ってきた。
「まあ、そうだね。それだと怠けることもできるね」
考えてみると、これは嬉しいことだった。
「え、休むんですか?」
「武活にそこまで執着してないから。毎日はしたくないし」
「そ、そうですか」
「まあ、今後のことは二人で考えていこうか」
「そ、そうですね」
若菜が嬉しそうに頷いた。
前宮家に着き、勝手口から中に入った。
「あ、来た」
母屋の玄関で、会長と島村先輩が雑談しながら待っていた。
「ん?」
「あれ?若菜ちゃん?」
会長は首を傾げたが、島村先輩はすぐに気づいた。
「え?」
それには会長が驚いた。
「髪切ったんだ」
「あ、は、はい」
若菜は、恥ずかしそうに髪を触った。
「そっちの方がいいよ」
会長が表情を緩めて、若菜を褒めた。
「あ、ありがとうございます」
若菜も嬉しそうに頭を下げた。
「これで僕の役目も終わりだね」
今日で最後ということもあり、会長にそう伝えておいた。
「そうね。少しは若菜も克服したみたいだし」
これには会長も満足そうに若菜を見た。
「そ、そうですね」
それに対して、若菜が複雑そうな顔をした。
「ん?ノゾミン、どうしたの?」
「な、何が?」
突然の振りに、前宮が動揺した。
「なんか不機嫌そう」
会長が眉を顰めて、前宮に顔を近づけた。
「気のせいよ」
前宮は、無表情で母屋に入っていった。
「なんかあった?」
それを見ながら、会長が僕を訝しげに流し見た。
「いえ、何も」
校門からずっと黙っていたので、思い当たるところはなかった。
「そぉ~」
会長は玄関を見つめながら、不安げな表情を見せた。
「あ、あの、今日はどうしたら?」
若菜が言いにくそうに、会長からの指示を仰いだ。
「そうだね。もうしてもらうこともないし、男性恐怖症の克服もできてるようだから帰る?」
「え、いえ、最後までいます」
「そ。じゃあ、昨日みたいに母屋で待ってる?」
「・・・そうします」
「じゃあ、私と話そうか」
島村先輩が嬉しそうに若菜を誘って、母屋に入っていった。
「ねぇ~、本当にノゾミンに何もしてないの?」
道場に向かう途中、会長が不安そうに再度聞いてきた。
「何もないよ」
心当たりがないことを聞かれても、そう答えるしかなかった。
「あ、そういえば、模擬店での売り子を露出の高い服にしたって本当なの?」
「あ、誰からか聞いた?」
「まあ」
駄口からの情報だったので、自然と表情が引き攣った。
「それは前宮は知ってるのかな」
「知らないわよ~。言ったら殺されるし」
会長は、軽く笑いながらそう言い切った。
「じゃあ、それが原因じゃないの?」
「え、もしかして、ばれてる?」
前宮への恐怖からなのか、会長が口元を引き攣らせた。
「さあ、僕が知った時は前宮はいなかったから、なんとも言えないけど」
「ん~、でも、それだったらあの場で罵詈雑言の後に殴られると思うんだけど」
会長が首を傾げながら、前宮から受けるであろう虐遇を平然と口にした。
「前宮は、怒らせると過激なんだね」
「う~ん。昔はそうじゃなかったんだけどね。私の寝技の練習台にされていく内に、凶暴性が増していったのよ」
原因は、完全に会長だった。
「会長は、もう少し他人に気遣うことをお勧めするよ」
「そんなことしたら、私の思い通りにならないじゃん」
これに会長が、身勝手な発言をした。
「自分のすることに、相手を巻き添えにする価値があるかどうかも、検討するべきだよ」
「そんなこと考えてたら、動けないよ」
「はぁ~、そう」
これ以上は言っても無駄だと感じたので、説得は諦めることにした。
「じゃあ、僕は着替えてくるので、誰も来ないように道場の外で見張ってくれるかな」
「わかった」
会長はそれだけ言って、道場の入り口で足を止めた。
「結局、ノゾミンの不機嫌の理由はわからないままだね」
未だに腑に落ちないのか、外から会長が話を続けてきた。
「そうだね」
僕はそれに応えながら、手早く着替えを済ませた。
「さて、最後はノゾミンだけの組手だね~」
会長がリングに座って、タブレットをいじった。
「今日で最後だね」
僕は、嬉しさのあまり表情が緩んでしまった。
「その言葉と笑顔は癪に障るわ」
「ノリノリでやってないからね。解放感が強いんだよ」
「ふ~ん。ねぇ、これから個人的に交流持たない?」
何を思ったか、突然会長がそんなことを言い出した。
「嫌」
本気で嫌だったので、表情に出して断った。
「やっぱりね」
会長が溜息交じりにそう言うと、道場に前宮が入ってきた。
「ノ、ノゾミン、どうしたの?」
いつもは私服で組手をしていたが、今日は道着姿だった。
「最後だから、今日は道着でするだけよ」
前宮が髪を後ろにして、含みのある言い方をした。おそらく、空手をやめるという意味も込めていると、僕は勝手に想像した。
「そ、そうなんだ」
前宮の言い分に、会長が訝しそうな顔で返した。
「じゃあ、始めようか」
前宮はそう言いながら、リングに上がった。
「注意した方がいいよ」
会長が僕の耳元でそう告げた。
「何が?」
「ノゾミンは、かなり機嫌悪くないと、あれ着ないのよ」
「え、そうなの?」
その事実には驚いて、会長を直視した。
「うん。あれ着ると、本気になるから気を引き締めてね」
会長も僕を真剣な顔で忠告してきた。
「は、はぁ~」
前宮はいつもの表情だったが、雰囲気からはいつもと違う好戦的な感じだった。
そして、前宮との最後の組手が始まった。
第七話 解放
組手を始めて、1時間後には休憩になった。理由は、前宮の全力の組手に僕がついていけなかったからだ。
「まだ、手が痺れてる」
僕は、左手を見てそう言った。
「ノゾミン。本気は出さないでよ。負傷したらどうするのよ」
「う、うん」
会長の指摘に、前宮はずっとそんな返事だった。
「前宮は僕に気を使って、本気で相手してるんじゃないの?」
ここで険悪になられるのは嫌なので、前宮をフォローするかたちで、会長にそう聞いてみた。
「全然違うわ」
それを目を閉じて、一言で一蹴した。
「あれは不満を篠沢にぶつけてるだけよ」
その言葉に、前宮の全身がビクッと反応した。
「言いなさい。篠沢に不満があるんでしょう」
推測なはずなのに、具体的な指摘だった。
「そ、それは・・・」
前宮は、僕を見て何か言い掛けようとしたが、言葉は続かなかった。
「ふぅ~、仕方ありませんね」
会長が追及しても言いそうにないので、僕が仲介に入ることにした。
「前宮。不機嫌な理由が僕なら話してくれませんか」
僕は前宮の正面に座って、真顔で問い質した。
「あ、えっと、う~ん」
僕の視線に、前宮がここ一番の動揺を見せた。
「前宮。話してください」
「わ、わかった」
僕の誠意が伝わったようで、渋々了承してくれた。
「えっと、篠沢が三島と楽しそうに話してるのが気に入らなくて」
「・・・ノゾミン。可愛いこと言うようになったね」
ただの嫉妬に、会長が不思議なコメントをした。
「う、うるさい」
これには前宮が、顔を赤くして睨みつけた。
「でも、嘘はダメだよ」
「な、何がよ?」
「それで不機嫌になるなら、美雪との会話でも不機嫌になるはずだよ」
「うっ!」
「本音を言ってくれないかな」
「本当だよ」
会長の追及に、前宮が気まずそうに視線を泳がせた。
「言えないみたいね」
会長が諦めたように、前宮から視線を外した。
「会長、少し外してくれないかな?」
僕としては、理由を明確にしたかったので、会長に退場するようお願いした。
「えっ、な、なんでよ」
「お願いします」
「わ、わかった」
僕の表情を見て、不本意そうに立ち上がった。
「さて、これで話せますか」
会長が出ていったことを確認して、前宮に向き直った。
「え、えっと・・・」
それでも前宮は渋った顔をした。
「もしかして、武活のことですか?」
仕方がないので、核心を突いてみた。
「あ、うん」
「そうですか。前宮は、棒術部に入部したいんですか?」
「う、うん」
前宮が恥ずかしそうに頷いた。
「そこまで一緒にいたい理由を聞いておきましょうか」
「と、友達だから」
前宮は、視線を逸らしながらそう主張してきた。
「前宮。友達というのは、そこまで一緒にいる必要はないんですよ」
「えっと、そ、そんなことないよ」
あまり自信がないのか、かなり小声になっていた。
「前宮の友達の解釈が僕とは、かなり違うようですね」
「や、やっぱりそう思う?」
「ええ」
「し、篠沢は、私のこと・・・め、迷惑かな」
かなり戸惑った様子で、僕の顔を盗み見た。その表情には怯えの感情も見て取れた。
「まあ、それぞれの友達のかたちは違いますが、前宮の言動は友達以上の行為ですよ」
建前で答えると危険なので、思ったことを口にした。
「そうかもしれないね」
すると、前宮から沈んだ声が返ってきた。
「もしかして、友達付き合いとかしたことないんですか」
「そ、そんなことないわ!」
言われたくないことなのか、僕の言葉に激しく反応した。
「前宮、落ち着いてください」
これに少し驚いたが、敢えて冷静に制した。
「ご、ごめん」
前宮が感情的になっていることに気づいて、恥ずかしそうに顔を俯かせた。
「しかし、これは問題ですね」
「え、な、何がかな」
僕が少し困った顔をすると、前宮が激しく動揺した。
「僕としては、四六時中一緒にはいたくありません」
「あ、う」
僕がそう言うと、前宮が絶望的な顔をしていた。毎日、学校で一緒にいるのは誰でも嫌だと思ったが、前宮は違うようだった。
「・・・ですが、友達の言い分も無碍にできませんし」
そんな顔をされるとは思っていなかったので、思わず親切心が芽生えてしまった。
「えっと、それはどういう意味かな」
僕の言い方が悪いのか、真意はわからなかったようだ。
「前宮は、僕がいるから棒術部に入るんですか?」
一応、ここだけは確認しておきたかった。
「え、えっと」
これには前宮が、手を擦りながら言い淀んだ。
「どうですか」
僕は、言葉に重みを込めて促した。
「う、うん」
前宮は顔を真っ赤にして、小声で頷いた。
「そうですか。仕方ないですね」
僕は、前宮を見て少し間を置いた。
「前宮」
「な、何?」
「別に、前宮が棒術部に入ることは止める気もありませんし、前宮の好きにしていいと思います。ただし、廃部の可能性は濃厚ですよ」
「か、構わないよ!」
「なら、僕に止めることはできませんね。一つ、前宮にお願いしていいですか?」
「な、何かな?」
「僕は、友達が傍にいるのに黙られるのは、かなり気が引けます。だから、僕の隣で話し相手になってくれませんか?」
「そ、それって、どういうことかな」
このお願いには、戸惑った声で聞き返された。
「要するに、僕の隣を歩いてください。話しにくいです」
これは登校中に何度も言っていたことで、沈黙になる原因でもあった。
「え、と、隣に?」
これには前宮が、不安そうな顔で聞き返してきた。
「ええ、問題あるんですか?」
その返しが不思議だったので、僕は眉を顰めた。
「え、えっと、その・・・恥ずかしいよ」
本当に恥ずかしいようで、顔を赤らめて俯いた。
「友達なんですから、隣で話しましょう」
「でも、私、話題性がないし。面白い話しなんて全然できないから」
前宮の言動は、何かトラウマでもあるような物言いだった。
「友達にそんな配慮はいりませんよ。話したいことを話せば問題ないです」
「で、でも・・・」
「僕たちは友達なんですから、そこまで気遣いは必要はありません」
僕は、安心させるように表情を緩めた。
「あ」
突然、前宮が甘い声を上げた。
「あわわ~」
そして、今まで以上に顔を真っ赤にして、素早く立ち上がった。
「ど、どうしたんですか」
これには驚いて立ち上がり、前宮を見つめた。
「わ~~~」
前宮が大慌てで、裸足のまま道場から出ていった。
「え、ちょ、っと、の、ノゾミン?」
道場の外から、会長の困惑の声が聞こえた。
「・・・」
僕はそれを見送りながら、ただ茫然とその場に立ち尽くした。
「ちょっと!ノゾミンに何言ったのよ!」
外にいた会長が、怒った顔で入ってきた。
「いえ、特には」
僕も前宮の行動は、全然理解できなかった。
「どうすんのよ!練習相手いなくなっちゃったじゃない!」
会長が僕を責めるように怒鳴ってきた。
「呼んできてもらえないかな?」
僕では呼び戻すことは無理そうなので、会長に頼んでみた。
「無茶言わないでよ!」
「無茶なの?」
あまりの強い反発に、思わず聞き返した。
「き、聞き返されたら、強く言えないけど・・・」
それに会長が、語彙を弱めて困った顔をした。
「なら、お願いしてもいいかな?僕が行くと逆効果になりそうだから」
あの逃げ方は、明らかに僕から距離を置きたい感じだった。
「そうね。ちょっと行ってくるわ」
僕の気持ちを少しは考慮したようで、道場から出ていった。
「本当に疲れるな~」
僕は、誰もいなくなった道場で一人呟いた。
しばらくして、会長だけが戻ってきた。
「もう無理だって」
そして、呆れた表情で首を左右に振った。
「何したの?あそこまで動揺してるノゾミンは、久しぶりなんだけど」
会長は、僕の言動が気になったようだ。
「いえ、特に何もしてないよ。ただ、少しお願いしてみただけ」
「それだけで、部屋に引きこもるなんてしないと思うけど」
「そんなの知らないよ」
こればかりは僕にもわからなかった。
「ふぅ~、練習相手がいなくなっちゃったのは想定外ね」
「どうしようか?もう帰っていい?」
この流れを利用して、ダメ元で帰宅を提案してみた。
「ダメよ。今日で最後なんだから」
「そうだね」
やはり、この理由だけでは帰してくれそうになかった。
「仕方ない。私が相手するわ」
「え、3日連続?」
「しょうがないじゃない。他にいないんだもん」
会長自身もあまり気乗りしないようで、面倒臭そうに言った。
「まあ、そうだけど」
「なんか不満でも?」
「いえ、特に」
お互い気乗りしないかたちで、リングに上がった。
「あんまり近距離は得意じゃないのよね~」
会長は、溜息をつきながら頭を掻いた。
「それは僕もだよ」
「まあ、お互い不得意ということで、本気でやる?」
「いえ、会長は負けず嫌いなので、七割でいいでしょう」
「なんか理由が納得できないんだけど」
「事実だよね」
「まあ、強く否定はできないかも」
僕の追及に、目を逸らして口を窄めた。
「最後だし、楽しくいきましょう」
「それもそうね」
会長が笑顔を見せて、僕の言葉に乗ってきた。
それから、休憩もはさんで1時間近く組手をした。
「今日は、もう終わろっか」
少し早い時間だったが、会長が手を止めてそう口にした。
「そうだね」
「まあ、今日までよく頑張ったわ」
最後ということもあり、会長が僕に賛辞を送った。
「本当に疲れたよ」
「お疲れ。あとは健闘を祈るだけね」
「まあ、できる限りはするけど、負けても責めないで欲しいな」
「責めないわよ。そういう条件を提示されてるし」
「それを聞くと、安心して闘えますね」
会長の配慮に少し気が楽になった。
「明日から私との接触は極力控えてね」
「候補生だからね」
候補生は明日発表なので、男子生徒との接触はできないよう規制が掛かっていた。昔、候補生が八百長を仕向けたことが発覚して、そういう規定が設けられていた。
「最後に何か言っておきたいこととかない?」
「そうだね。一つあるかな」
会長の言葉に、僕はすぐに一つ思い立った。
「勝ち目のない闘いは、すぐに降参してもいいかな」
「それはダメね。闘いに絶対なんてないから、勝つことに全力を尽くして」
「それは残念」
予想していたとはいえ、きっぱりと言われると、すぐに負けることはできそうになかった。
「というか、ここまで頑張ったのに簡単に負けるなんて嫌じゃないの?」
「は?強制的にさせといて、何言ってるの?」
会長の認識は、僕と酷く食い違っていた。
「あ~、篠沢はそういう捉え方か~」
「だから、勝つことなんてどうでもいいと思ってる」
「でも、約束したから勝つことだけ考えてね」
「それはわかってるけど、あまり無駄な闘いは避けたいんだけど」
負けるとわかっていて、勝つ努力をすることは個人的には馬鹿らしく思えた。
「ダメ♪」
「そうですか・・・」
二度の説得も了承は得られなかった。
「もう終わったの?」
気づくと、島村先輩と若菜が道場に入ってきた。
「ええ、もう終わったわ」
会長はそう言いながら、島村先輩の方を向いた。
「今日は怪我もないみたいね」
島村先輩が僕を見て、不思議そうな表情をした。
「前宮がいなくなったので、会長と軽めな組手になりました」
「そういえば、部屋にこもってるね。なんかあったの?」
「さあ~、知りません」
僕自身、その理由は皆目見当もつかなかった。
「まあ、あとで問い詰めてみましょう」
会長が嬉しそうに、島村先輩に言った。
「やめといたほうがいいんじゃない?」
「楽しいじゃない。絶対あれは色恋沙汰よ」
会長が嫌らしい笑みを浮かげて、舌なめずりをした。
「怒られても、私は止めないから」
これに島村先輩が、呆れながらそう忠告した。
「もう着替えるので、出ていってもらえますか」
早く帰りたかったので、話が区切れたところで口を挟んだ。
「あ、ごめん」
会長は軽く謝りながら、二人を連れて道場から出ていった。
着替えを終え、帰り支度をした。今日で終わりなので、剣棒は持って帰ることにした。
鞄と剣棒を持って母屋まで歩くと、会長たちが待っていた。
「じゃあね~」
「バイバイ」
会長と島村先輩に見送られながら、若菜と一緒に前宮邸を出た。
「今日で終わりですね」
外に出ると、若菜がそう切り出してきた。
「そうだね」
僕は、嬉しさから表情を綻ばせた。
「どこまでいけそうですか?」
「どこまで?」
「ほら、争奪戦の話ですよ」
「知らない」
去年は興味がなくて、誰もいない場所にいたので、全体の力量はわからなかった。
「そ、そうですか」
これには若菜も苦笑いした。
「大丈夫だよ。負けても特に問題ないから」
「もしかして、負けること前提なんですか」
「ん?勿論だよ。そもそもこの短期間の特訓で優勝できるなら、誰も苦労はしないよ」
さすがに、今まで練習してきた人を蔑ろにする発言は失礼極まりなかった。
「それもそうですね」
若菜は、僕の言い分に納得したように頷いた。
「そういえば、若菜のクラスの模擬店は何?」
あまり争奪戦の話はしたくなかったので、話題を変えることにした。
「え、私たちは焼きそばの露店ですよ」
「へぇ~、そうなんだ」
焼きそばのイメージがあまり浮かばなくて、淡泊な返事になってしまった。
「売り子はするの?」
「え、するわけないじゃないですか」
「じゃあ、裏方かな?」
「はい。材料の補充とかですよ」
「調達係かな。無難な役割だね」
「まあ、私は売り子としては向いていませんから」
昨日まではそんな感じだったが、今は売り子でも違和感がない気がした。
「あ、そういえば、売り子は制服禁止になったんですよ」
若菜が思い出したようにそれを口にした。
「ああ、そうみたいだね」
「あ、知ってましたか」
「うん。会長がそれを申請したみたいだね」
「え、そうなんですか」
これには驚いた様子で僕を見た。どうやら、そのことまでは知らなかったようだ。
その後、若菜の今日1日のクラスの反応を僕に伝えてきた。
「大変だったね」
「なんか見世物みたいで、居心地が悪かったです」
「だろうね。でも、一時的だからしばらくしたらなくなるよ」
「そう願いたいですね」
若菜が少し不機嫌な顔で言った。
「もうお別れですね」
気づくと、若菜との分岐点に着いていた。
「そうだね。じゃあ、また」
「って、軽いですね」
「ん、何が?」
「なんでもありません」
若菜は、ふて腐れたような顔でそっぽを向いた。
「兄さん。今までお世話になりました」
若菜が律儀にお辞儀してきた。
「あ、いえ、こちらこそ」
それはお互い様だったので、僕も同じように頭を下げた。
「今日で兄さんとも呼べなくなりますね」
「そうだね。僕も明日から、三島さんって呼ぶよ」
「え!兄さんは、そのままでいいですよ」
「いや、それはやめとくよ」
「な、なぜですか!」
これにはなぜか声を荒げてきた。
「え?だ、だって、学校じゃあ面識ないし、名前で呼ぶのは不自然だと思うけど」
「大丈夫です!私が頼んだことにすれば、問題はないはずです」
「でも、若菜は男性恐怖症なんだから、それはおかしくなるよ」
「大丈夫です。男性恐怖症って知ってる人は少ないですから」
「ふぅ~、まあ、若菜がそう言うならいいけど」
ここまで押してくると、さすがに拒否するのは気が引けた。
「でも、できるだけ男子と話せるように心掛けてね」
「は、はい、頑張ります」
これに若菜は、自信なさそうな声で答えた。
「じゃあ、また」
「あ、はい。さようなら」
僕が軽く手を上げると、若菜も反射的に手を上げて、挨拶を返してきた。
第八話 披露会
翌朝、いつも通りの時間に登校していたが、十字路で待っているはずの前宮が、今日は見当たらなかった。
僕は、首を傾げながら一人で登校した。
教室の前まで来ると、ほとんどの生徒が教室には入れず、廊下に溢れ出ていた。
「あれ?今日は一人か」
廊下にいた弘樹が僕に気づいて、首を傾げて聞いてきた。
「うん。前宮がいなかった」
「今日は欠席なのか」
「さぁ~、知らない」
本当に知らないので、首を捻ることしかできなかった。
「今日は、武活の披露会だね」
「ああ、そうなんだよ。緊張するよ」
弘樹は、不安そうな顔で深呼吸した。彼は人気の剣道部なので、披露会には強制的に参加しなければならなかった。
「大変だね」
TV用の披露会は、人気の武活だけなので僕には関係なかった。
「模擬試合なんて恥ずかしいだけだ」
模擬試合はあくまで見世物なので、ほとんど演武と変わらなかった。
「まあ、ほとんど型と一緒だもんね」
「そうなんだよ」
「頑張って。僕は、会場で応援してるよ」
「頑張れなんて、嫌なこと言うなよ~。嫌味のつもりか?」
「僕も実戦でTVに映るから、弘樹に声援を送ってるだけだよ」
「は?TVに映んの?」
「初戦からずっと運動場だよ」
自分でそう言いながら、意気阻喪になってしまった。
「え、今日発表なのになんで知ってんだよ」
「そんなの去年の組み合わせを見ればそうなるよ」
「そ、そうなのか」
「少しズレが生じても、確実に運動場だよ」
「それは大変だな」
「だから、弘樹も頑張って」
「それを知ると、嫌味でもなんでもないな」
僕も同じ境遇になることで、ただの声援だとわかってくれたようだ。
「あ、前宮だ」
弘樹の言葉に後ろを向くと、数十メートル先に前宮がいた。
僕の視線に前宮が気づき、体をビクッと震わせた。
「あ、お、おはよう」
そして、ある程度僕に近づいてから、たどたどしく挨拶してきた。
「おはようございます」
僕は、自然な態度で挨拶を返した。
「じゃ、じゃあ」
すると、前宮が僕から離れていった。
「なんかあったのか?」
このやり取りを見ていた弘樹が、不思議そうに聞いてきた。
「さあ?知らない」
これは昨日から疑問だった。
「そっか。嫌われたという訳じゃないみたいだな」
「なんでそう言い切れるの?」
「だって、挨拶はしたし、ずっとこっち見てるしな」
前宮の方を指差したので、僕もそっちに目を向けた。すると、前宮が僕の視線に気づき、恥ずかしそうに目を逸らした。
「やっぱり、何かしただろう」
それを見た弘樹が、僕に視線を戻した。
「心当たりがないな~」
「春希は、そういうところは当てにならんもんな」
「まあね」
僕自身、相手の気持ちを察するのは苦手だったので、言い返すことはできなかった。
「後で聞いてみた方が良いかな」
「なんで今じゃないんだ?」
「もうHRが始まる」
そう言うと同時に、本鈴が鳴った。
「なるほど」
弘樹が納得して、一緒に教室に入った。
HRが終わり、男子は体育館、女子は模擬店の準備に分かれた。
「前宮」
移動前にとりあえず声を掛けてみた。
「ふぇ、な、何かな」
声を掛けただけなのに、かなりの動揺が見て取れた。
「どうかしたんですか?」
「な、何が?」
「様子がおかしいですよ」
「そ、そうかな」
前宮は顔を赤くして、僕から目を逸らした。
「も、もう、行くね」
そして、逃げるようにそそくさと教室から出ていった。
「なんか避けられてる感じだな」
弘樹はそう言いながら、僕の隣まで来た。
「そうだね~。まあ、個人的には歓迎すべきことかな」
「まあ、俺からのコメントは差し控えるよ」
「何それ?」
弘樹の変な返しに、思わず笑ってしまった。
体育館に着くと、多くの男子生徒とメディアでごった返していた。
「相変わらず、この時期の体育館は鬱陶しいね」
「そうだな。もう少しカメラの数を規制するべきだよな」
「同感」
これには溜息交じりで共感した。
「さて、俺は舞台裏に行かないとな」
「まあ、頑張って」
「ああ、適当にやるさ」
僕の声援に軽く手を振って、舞台裏へ向かった。
クラスごとの列の最後尾に行くと、その後ろのに児玉が並んだ。
「俺たちいるのか?」
すると、児玉が不機嫌な顔で愚痴ってきた。
「いないと学校行事に見えないからじゃない?」
僕に言っているようなので、返事を返しておいた。
「ったく、こんなの前と同じような武活ばかりなんだから、使い回せよな」
「それは良いアイディアだね」
これには大いに賛同できるものだった。
「なぁ~、詩絵は、前宮と馴染んでるか?」
初めて児玉の方から、久米のことを聞いてきた。
「全然」
僕は、事実を単語で答えた。
「そ、そうか」
「というか、本人聞いたら?」
「いや、馴染みでもさすがに気が引ける」
「結果が見えてるから?」
「まあな。俺にはどうしようもできんからな」
その発言に驚いて、児玉の方に振り向いた。
「なんだよ」
「いや、そんなこと言うのが意外だったから」
「そうか?」
「うん。仲介したのは理解できるけど、心配してるのは意外だった」
彼の性格上、そういう傾向は今まで見たことがなかった。
「心配・・か。そうだな。言われてみればおかしいな」
児玉が単語を復唱して、自分で再認識していた。
「最近、詩絵の行動がおかしくてな」
「そうなの?」
「ああ、自分から実行委員になったり、積極的に篠沢に関わったり」
そう言いながら、児玉が肩をすくめた。
「最近、あいつの行動がわかんねぇんだよ」
「そう。でも、たいていはそんなものじゃないの?」
人の行動原理は、常に変化するものだと思っているので、不思議だとは思ったこともなかった。
「そういうものかな~」
「そういうものだよ」
僕は、軽く流すように答えた。
時間になり、披露会が始まった。
僕は、黙ってそれを見ていた。正直、退屈なだけだったが、弘樹も出演するので、頑張って見続けた。
1時間後、披露会が終わり、トーナメント表の公示に移った。ただでさえ人数が多いのに一つの画面に入れると、文字が小さすぎて、遠くからはうっすらとしか読めなかった。
「あれ、なんかの嫌がらせかよ」
後ろの児玉から愚痴のような声が聞こえてきた。
次に候補生の発表になり、候補生として会長が威風堂々と出てくると、歓声が上がった。
「うるさい」
僕はその歓声に耳を塞いで、思わず小声で愚痴った。
進行している教師から会長が紹介され、候補生の挨拶になった。
会長が手を振りながら壇上に上がると、周りが再び歓声を上げた。
「候補生に選ばれた生徒会長の前宮かなえです。みんなから多くの票をもらえたことを嬉しく思います。私は、強い人が大好きです」
そして、会長が少し間を置いて、息を大きく吸い込んだ。
「だから、全力で闘ってください!私をかけてっ!」
最後は煽るかたちで大声で叫んだ。その声に応じて、男子生徒の雄叫びが体育館に木霊した。僕はこのノリが大嫌いで、心底気持ち悪いと感じていた。
それからは、争奪戦の予定日時と争奪戦の歴史を淡々と校長が語っていた。
昼にはそれが終わり解散となった。男子生徒はこの為だけの登校なので、午後は自由行動だった。
自由行動でやることもないので、一度教室に戻ってみることにした。
「あ、篠沢」
戻る途中、茶髪で天然パーマの柏原先輩に声を掛けられてしまった。
「あ、どうも」
「おまえ、最近どうしたんだよ」
柏原先輩が少し困ったような顔で、僕に近寄ってきた。
「どうしたって、何がですか?」
「全然、武活来ねぇじゃん」
「あ~、それは島村先輩から聞いてるはずですが?」
致命的に気づくのが遅すぎたが、島村先輩から休部の理由を聞くのを忘れていた。
「まあ、聞いてるけどさ~」
柏原先輩としては、不満があるような物言いだった。
「争奪戦間近で休まれると、さすがに部としても風当たりが強くなるんだよ~」
「え、もしかして、顧問でも来ましたか?」
「ああ、タイミング悪く二回もな」
「そ、それはすみません」
これは本当に申し訳なかった。顧問は本当に気分でしか顔を出さないので、失念することが多かった。
「まあ、理由はちゃんと伝えてるから、なんとか大丈夫なんだけどな」
さっきからその理由が気になってしかたなかったが、自分から聞くのはおかしいので、話を合わせることしかできなかった。
「そういえばさ。この争奪戦が終わったら、おまえはどうするんだ?」
結局、理由は聞けずに話を切り替えられてしまった。
「何がですか?」
「武活だよ。俺らがいなくなったら、三島しかいねぇじゃん」
どうやら、部の心配をしているようだった。
「まあ、なるようになるんじゃないですか?」
「淡泊だな~」
「そうですね。特に武活には拘ってませんから」
「寂しいこと言うなよ~」
「はぁ~。寂しい・・・ですか」
あまり武活に愛着のない僕にとっては、その言葉が不思議だった。
「無理かもしれねぇけど、できれば存続させて欲しいな」
「勧誘とかはしませんけど、新入生の自主性に期待しましょう」
「それは、ただの待ちじゃねぇか」
僕のやる気のない発言に、呆れ顔でつっこんできた。
「僕には部を薦めるという行為はできませんよ。自分が嫌なのに」
「はぁ~、そうだな。嫌いなものは薦められないな」
僕が武活に不満を持っていることは、1年の時から口にしているので、諦めたような言い方をした。
「先輩は、争奪戦の後も武活は来るんですか?」
若菜のこともあり、一応確認しておくことにした。
「ん~、内定が決まったら、少しは顔を出すかも」
「そうですか」
争奪戦後は、学校側が大学受験や就職を推し進める為、武活は極力控えることになっていた。
「じゃあな」
「あ、はい」
校舎が別なので、柏原先輩と別れた。
教室に戻ったが、生徒もまばらだった。とりあえず、ここで昼食を取って、後の時間は適当に時間潰すことにした。
「お、ここにいたか?」
弁当を食べようとしたところで、弘樹が教室に戻ってきた。
「あれ?武活の人と一緒じゃないの?」
「ああ、なんか疲れるから逃げてきた」
「そうなの?」
「先輩たちは、自分の話だけしかしないからな」
「それはつまらないね」
「はは、率直だな」
弘樹が空笑いして、僕の隣に座った。
「あ」
教室の入り口付近にいた僕の横から声が聞こえた。顔を上げると、廊下の方に前宮がいた。
「あ、前宮も昼食ですか」
「え、あ、うん」
前宮は、戸惑いながら頷いた。
「なんか今日はよそよそしいですね」
「そ、そうかな」
昨日までの図々しい態度だったのに、今日は謙虚の塊だった。
前宮がロッカーから弁当袋だけ取って、教室を素通りしようとした。
「正直、困惑してます」
「え?」
僕がそう言うと、前宮が足を止めた。
「避けられる理由が思い当たらないのですが、理由だけでも聞かせてもらえませんか」
嫌々とはいえ、友達として許容したのに、避けられるのは不愉快極まりなかった。
「わ、私にもわからなくて」
前宮が声を震わせながら、僕に対して言い訳してきた。
「理由がわからないですか・・・」
これは本当に困る答えだった。
「俺は、わかるけどな」
二人のやり取りを見ていた弘樹が、話に割って入ってきた。
「え、そうなの?」
「ああ、まあ」
弘樹は少し言いにくそうに、前宮の顔色を窺った。
「でも、前宮本人が受け入れるのを拒否してるような気がするから、俺の口からは言えないな」
「なんか偉そうね」
弘樹の配慮に、前宮が不愉快そうな顔をした。
「一瞬で態度を変えるなよ。わかりやすすぎるぞ」
これに弘樹が呆れながら、言葉を返した。
「とりあえず、前宮はここで昼食を取ってください」
「あ、う、うん」
渋られると思ったが、思いのほかあっさりと僕の隣に座った。
「じゃあ、弘樹の憶測を聞こうかな」
気を取り直して、弘樹に聞いてみた。
「俺の話聞いてたか?」
「うん。前宮が僕を避ける理由を推察したんでしょう」
「だから、言えないって」
「前宮、話してもいいですよね?」
仕方ないので、本人に承諾を取ることにした。
「だ、ダメ」
自分でも理由がわからないはずなのに、控えめに拒否してきた。
「な、なんでですか?」
「私の思いを飯村が代弁することが、耐えられないわ」
前宮はそう言いながら、弘樹を不機嫌そうに睨んだ。
「え、理由はわからないはずじゃあ?」
「え、えっと、それは」
僕の催促に再び口を濁した。
「これじゃあ、堂々巡りですよ」
「で、でも、言って欲しくない」
「じゃあ、また僕を避けるんですか?それなら、今からでも友達をやめてもいいですよ。友達と公言して、避けられるのは不愉快です」
「あ、う。そ、それは嫌だ」
前宮が言葉を詰まらせながら、視線を僕から逸らした。
「なら、いつも通りにしてください」
「う、うん」
前宮が頬を染めながら、嬉しそうにはにかんだ。
「わかりやすいな~」
隣の弘樹が、ぼそっと呟いた。
「そういえば、春希はトーナメント表もらったのか?」
弘樹が思い出したようにそう言ってきた。
「あ、そういえば忘れてたね」
「せっかく本選出るんだから、確認しておけば?」
「どうせ、誰も知らないよ」
トーナメント表には名前しかなく、どの部かもわからなかった。
「ああ、そういうことか」
弘樹は納得して、トーナメント表を取り出した。
「初戦は、Aグループだな」
「だろうね」
これは予想通りのグループ分けだった。
「良かったな。シードとは3回戦だぞ」
シードは、基本的に6人以上の武活が予選で勝ち上がった部員だった。
「そのシード選手が勝つとは限らないよ」
「まあ、そうだな」
「わ、私も見たいな」
隣の前宮が、遠慮がちに頼んできた。
「そうですね。昼食後にしましょうか」
食事が終わり、前宮にトーナメント表を渡した。それを前宮が、食い入るように見ていた。
「初戦は、木嶋和幸だな」
「知らない人だね」
「そうだな」
これは弘樹もわからないようだった。
「前宮は、知ってます?」
「し、知らないわ」
恥ずかしいのか、僕と視線を合わせず答えた。
「前宮、こっちを見て答えてくれませんか」
あまりによそよそしい態度に、思わずそう要求した。
「え」
この頼みに、前宮が驚いた声を出した。
「なんか問題でもあるんですか?」
「あ、えっと、なんか篠沢の目、見れなくて」
「なんでですか?」
「さ、察してよ」
前宮が不満そうに口を窄めた。
「僕に対して、難題を振りますね」
「私にも難題だよ」
僕に同調するように小声で愚痴った。
「似た者同士なのかな~」
弘樹が呆れた顔で、僕たちを見ていた。
予鈴が鳴り、前宮が立ち上がった。
「じゃ、じゃあ、私は準備あるから」
そして、足早に教室を出ていった。
「俺ら、どうしようか?」
それを見送ると、弘樹が僕に聞いてきた。
「そうだね。自由行動だからね~」
「どうせなら、帰宅も許可して欲しいよな~」
「それは言えてるね。帰れないなら、選択肢を与えて欲しいよね」
「結局、できることは模擬店の準備を手伝うぐらいだもんな」
「あとは、サボるか」
「二つだけだな」
「どうしようか」
話し合っても、この二択にはどちらも選ぶのには気が引けた。
「そうだな~、前宮でも手伝うか?」
「う~ん。さっきの態度を見たら近づきにくいね」
「だな」
話し合いの結果、振り出しに戻ってしまった。
「・・・暇だな」
「・・・そうだね」
僕たちは、人の少ない教室を見回して呟いた。
「あ、いた」
突然、教室の入り口から島村先輩が顔を覗かせた。
「ねぇ~、篠沢君。今、暇?」
「何か用ですか?」
あまり良い予感はしなかったので、用件から聞くことにした。
「私は、用はないんだけどね」
「そうですか。じゃあ、出ていってください」
「相変わらず、酷い扱いね」
島村先輩が表情を引き攣らせて、僕に苦言を呈してきた。
「伝言か何かですか」
「うん。なんかね。絵里に呼んで欲しいって言われてね~」
「誰ですか?」
心当たりがない名前に首を傾げた。
「ほら、前に会ったじゃん。清水絵里よ」
「ああ、あの糸目の人ですね」
特徴のある人だったので、微かに覚えていた。
「う、うん。そ、そう」
僕の言葉に、島村先輩が少し戸惑い気味の返事をした。
「用件は、聞いてますか?」
「ん、知らない」
「なら、行きません」
「な、なんで?」
「本人を連れて来てください」
「まあ、それはそうなんだけど・・・」
島村先輩自身も呼び出すことは、腑に落ちていないようだった。
「一度しか会ってない人に呼び出されるのは不愉快です」
「言うと思った」
僕に非難されるのは、島村先輩も予想していたようだ。
「行ってやれば?」
突然、隣の弘樹が勧めてきた。
「嫌だよ。あの人とは話が合いそうにないし」
「そうなのか?」
「うん」
これは初対面で感じたことだった。
「という訳で、断りますと伝えてください」
「え~~~、せっかく呼びに来たのに」
「断ることわかっていたでしょう」
「まあ、そうだね」
これに島村先輩が、目を閉じて溜息をついた。
「でも、絵里の頼みは断りにくくてね~」
島村先輩が僕から目を合わさず、愚痴っぽく口にした。
「友達の頼みは無碍にできませんか?」
これは会長の時にも豪語していたことだった。
「ううん。かなえとは全然違うよ。ただ反発すると、実害が生じる可能性があるから」
そう言うと、困った顔で頬を掻いた。
「珍しく回りくどい言い方ですね。要はいじめられる可能性という話ですか」
島村先輩の雰囲気を察して、僕が明確化して聞いた。
「・・・まあ、そんなところ」
僕の言葉を否定はしなかったが、かなり言いにくそうに答えた。
「それは恐ろしいですね。会うことは断ります」
それを聞くと、ますます会いたくなかった。
「え~~~、そんな~」
僕の拒否に、島村先輩から不満の声が上がった。
「そもそも僕が断ったら、僕にも実害があるんですか?」
「私が嫌な顔される」
「それは知りませんね」
「はぁ~、たまには私の顔も立ててよ」
島村先輩が溜息交じりに、僕に配慮を求めた。
「これでも気遣ってるつもりですが」
「どこがよ!」
これには島村先輩が、勢いよく切り返してきた。
「それより、模擬店の準備は終わったんですか?」
このままでは機嫌が悪くなるので、話を切り替えた。
「あ、それは大丈夫。もう終わってるから」
「そうなんですか。早いですね」
「かなえの迅速な対応のおかげかな」
自分の友達の功績が嬉しいようで、誇らしげに言った。
「で、暇になったから、清水先輩に頼まれたんですか?」
「うん。まあ、そんな感じ」
島村先輩が顎で使われていた。
「はあ~、お人よしなのか、扱われてるだけなのか」
僕はそう呟きながら、島村先輩を見上げた。
「ん?どうしたの?」
僕の視線に島村先輩が首を傾げた。
「まあ多分、後者かもしれませんね」
「え、何が?」
最初の呟きが聞こえなかったので、僕の発言の意味がわからないようだ。
「いなかったことにしたらいいじゃないですか」
ここで渋られるのも面倒だったので、そう提案しておくことにした。
「あ、それいいね」
これには島村先輩も嬉しそうに乗ってきた。
「じゃあ、もう行くね」
島村先輩が手を振って、教室から出ていこうとした。
「どこ行くんですか?」
「え、どこって教室に戻るんだよ」
僕の引き止めに不思議そうな顔をした。
「はぁ~、助言しておきますけど、少し時間を置いた方がいいですよ」
「え、なんで?」
「いないと言っても、捜した時間を考慮しないと、疑われるかもしれないでしょう」
教室だけ見て、いなかったという報告はあの先輩には危険な感じがした。
「あ、それもそうだね」
それには思い当たるようで、廊下に出る前に足を止めた。
「じゃあ、こっちで時間潰しすることにするよ」
島村先輩は嬉しそうに、僕の隣に座った。
「あ、あの、一緒にいるのは危険なので、校舎を徘徊してくださいよ」
僕の助言も隣にいたら、意味をなさない気がした。
「目的もなく徘徊するのは退屈だよ~」
なのに、嫌な顔で反論してきた。
「あのですね。この状況は危険だと思うんですよ」
「あ、確かに告げ口とかされたら危険だね」
そう言うと、弘樹の方を見た。
「これ内緒にしてね。飯村君」
「あ、はぁ、わかりました」
ずっと黙っていた弘樹が、戸惑いながら頷いた。
「いえ、そうではなくて」
島村先輩の全く違う解釈に頭を痛めた。
「あのですね。周りにも生徒がいますから、できれば一緒にいないほうがいいと思うんですよ」
僕は話を戻して、危険性を指摘した。
「大丈夫だよ」
しかし、島村先輩から根拠のない返事が返ってきた。
「はぁ~、安易ですね」
「篠沢君が神経質なだけだよ」
「ここにいる必要性がわかりません」
「だって、かなえは生徒会でいないんだもん」
「別のクラスの友達とでも話しとけばいいでしょう」
「う~ん」
僕の発案に、島村先輩が困った顔で唸った。
「もしかして、会長しか友達いないんですか?」
「いるにはいるんだけど、篠沢君より積極的に話したい人はいないかな~」
これに島村先輩が、よくわからない主張をしてきた。
「あ、そうですか」
ここは深く聞かず、軽く流すことにした。
「ちょっとトイレに行ってくるので、弘樹と話しておいてください」
僕は、予防策として自ら退場することにした。
「わかった」
この配慮に、島村先輩は疑うことなく送り出した。
「弘樹、後は頼んだよ」
僕は立ち上がる前に、弘樹に小声で告げた。
「え、マジで?」
これには驚いた反応を示したが、そのまま教室を出てトイレへ向かった。
『なんで僕が、こんな気遣いしないといけないんだろう』
トイレの個室で一人電波を発しながら、しばらく時間を潰すことにした。
第九話 告白
5分後に教室に戻ると、二人は会話はしていたが楽しそうではなかった。
「あ、長かったね」
僕に気づいた島村先輩が、僕を見上げてそう言った。
「そろそろ戻った方がいいですよ」
「あ、そうだった」
僕の促しに、島村先輩が思い出したように立ち上がった。
「じゃあね。篠沢君、飯村君」
島村先輩はそう言って、笑顔で出ていった。
「どうだった?」
僕は、弘樹に感想を聞いてみた。
「う~ん、そうだな。一言いうと、視線を合わせづらい」
弘樹が頬を掻いて苦笑いした。
「そうなの?」
僕には、その感覚はわからなかった。
「でも、少しは打ち解けられたかな?」
「ああ、まあ。でも、質問ばかりで俺から何も聞けなかったよ」
「なんで?」
「なんか先輩って、沈黙の間が嫌みたいでな」
「え、そうなの?僕の時は黙ってる時もあるよ」
「そうなのか?やっぱり初対面だからかな~」
「さぁ~、僕にはわからないね」
「おまえには心を許してるのかもな」
「・・・冗談?」
話している時点で心を開いていると思っている僕には、この発言は首を傾げるものだった。
「ああ、意味合い的には真面目だ」
「んっと、それは返答に困るね」
言いたいことがわからず、本気で困ってしまった。
「要は好意とか好感の意味合いだよ」
「まあ、好意とかはともかく、付き合いは1年半ぐらいだからかもね」
「まあ、そういうことにしておくか」
弘樹は、諦めたように項垂れた。
この後、弘樹と雑談しながら時間を潰した。
帰りのHRが終わり、明日が争奪戦の本選だった。
「じゃあね」
僕は帰り支度を済ませて、弘樹に別れを告げた。
「前宮はほっとくのか」
すると、弘樹が僕にそう聞いてきた。
「本人が避けたいみたいだから」
「なるほど」
弘樹もそれには納得した。
「じゃあね」
今日は清々しい気持ち一人で帰り、家でゆっくりすることに決めていた。
「ちょ、ちょっと待って」
廊下まで出ると、前宮が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「・・・」
これには少し困ってしまった。
「なんですか?」
「い、一緒に帰る」
少し躊躇したが、なんとかそう口にした。
「僕の隣で話す勇気がありますか?」
「う、が、頑張ってみる」
「無理しなくてもいいですよ」
「ううん。友達だもん。無理なことじゃない」
「そうですか」
これ以上は無駄だと感じて受け入れることにした。
並んで歩いてはいたが、不自然なくらい離れていた。
「遠いですよ」
「そ、そうかな?」
前宮が視線を合わせずにとぼけてきた。
「はぁ~、消極的になりましたね」
一方的に友達宣言した時とは、酷く対照的な対応だった。
「もしかして、男性恐怖症にでもなりましたか?」
その消極的な態度は、初対面の若菜と似ていた。
「え、いや、それはないけど」
そう言いつつ、距離は詰めてくる様子はなかった。
「無理そうですね」
「む、無理じゃないよ」
僕の煽りに少しずつ近寄ってきた。
「なんかリハビリみたいですね」
「わ、笑いごとじゃないよ」
僕の小馬鹿にした態度に、前宮が不快感をあらわにした。
「じゃあ、なんか話してください」
ある程度まで距離が縮まったので、話を切り出すよう促した。
「え、ちょっと待って」
前宮が困ったような顔で慌てた。
「つまらなくても構いませんよ」
「その前置きは余計よ」
「その調子です」
その鋭い切り返しに、笑顔で前宮を褒めた。
「あ、う」
突然、前宮が顔を赤らめて立ち止った。
「どうかしました?」
僕も足を止めて、前宮を見つめた。
「あの、ちょっと時間くれない?」
「・・・えっと、寄り道するとかですか?」
「うん」
どうやら、僕の解釈は間違っていなかったようだ。
「まあ、構いませんけど」
結局、今日も直帰できそうになかった。
前宮が黙ったまま先頭を歩き、ひと気のない木々に囲まれた小さな公園に入った。ここは、前に若菜と来た場所だった。
「・・・」
公園の隅に連れてこられたが、前宮は黙ったまま俯いていた。
「で、話ってなんですか」
仕方なく、僕から話を振った。
「・・・えっと、わ、私と付き合って欲しいの」
前宮が思いの込めた告白をしてきた。
「え?」
「だ、だだだから、私と恋人同士になって欲しいの」
僕の反応に慌てふためきながら、再び告白してきた。
「あ~、えっと、嫌です」
どう断ろうと思ったが、率直な答えしか出なかった。
「あ、うっ」
この返事に感情が一気に沸き上がったのか、目に涙が溜まっていった。
「あ、そ、そうだよね。お、おかしいもんね」
そして、涙声でそんなことを言い出した。
「わ、私なんかが・・・誰かと付き合うとかおこがましいもんね」
自虐していくうちに、どんどん涙が溢れいてった。
「・・・えっと」
それを見た僕は、かなり戸惑ってしまった。
「ご、ごめん。この・・ことは、わ、忘れて」
泣きじゃくりながら、僕の横を通り過ぎようとした。
「まあ、待ってください」
それを引き止める為、前宮の肩を掴んだ。咄嗟とはいえ、これには自分でも驚いてしまった。クラに2年も住んでいると、相手に対して警戒心が緩んでしまったようだ。
「え?」
前宮も驚いたようで、僕の方を振り返った。
「友達に泣かれたままは後味が悪いので、全部吐き出してから帰ってください」
「な、何言ってるの?」
僕の言動が理解できないようで、前宮が涙を流したまま唖然とした。
「僕は、友達には優しくするんですよ」
「へっ?」
「だから、僕に感情を吐き出してください」
「・・・変だよ、それ」
前宮が僕に対して、泣いた状態で言ってきた。
「そうですか?友達なら普通だと思いますが?」
「だって、告白した相手にそんな対応は変だよ」
「なら、僕も前宮と一緒ですね」
「へぇ?」
もうここまで驚いたら、さすがに涙も止まっていた。
「言ったでしょう。僕と前宮の友達の解釈が違うって」
「あ、うん」
「僕は、友達に告白されても友達の縁を切るつもりはありませんよ」
「え、そ、それって」
「もし、前宮がこれで僕との友達を解消するなら、本気で軽蔑しますよ」
ここは脅しも兼ねて、前宮に白い目を向けた。
「そ、そんな言い方はずるい」
僕の視線に、気圧されたような顔で俯いた。
「僕は自分で友達と認めない限りは、友達と思ったことはありません」
「へ?」
「ですから、僕が認めた友達は、弘樹と前宮だけですよ」
「で、でも、三島とか美雪先輩は?」
「ただの武活の先輩後輩で、友達とは思ってませんよ」
「そ、そうなの!」
これには驚いたようで声を張り上げた。
「ええ」
これは事実なので、真顔で頷いた。
「そ、そうなんだ」
すると、なぜか前宮が嬉しそうな顔をした。
「悲しさは無くなりましたか」
「無理だよ。失恋の傷は深いから」
そう言うと、途端に泣きそうな顔になった。
「そうですか。困りましたね」
僕は、対話以上の慰め方を知らなかった。
「う~ん。前宮は、どうすれば気持ちが和らぎますか?」
仕方ないので、友人に助言を求めた。
「えっと」
前宮は、複雑な表情で目を泳がせた。
「あ」
そして、何かを思い立ったようで、僕の胸に飛び込んできた。
「ちょ、ちょっと、何するんですか!」
突然のことに驚いて、引き離そうとした。
「こ、こうしたら、お、落ち着くから」
前宮が動揺した声で、そう主張してきた。
「そ、それに友達を慰めるのに抱擁は普通だよ」
「そ、それは前宮の友達の解釈ですか?」
抱擁される行為は、母親さえも許容していないので、呼吸が不規則になっていった。
「う、うん」
前宮が僕の胸に顔を埋めたまま頷いた。
「やっぱり前宮は、変わってますね」
言葉は平静を保っていたが、内心嫌悪感でいっぱいだった。
「で、これはいつまで続ければいいんですか」
この状態はあまりにも耐えられないので、早口で前宮に聞いた。
「もぉ~、そこは空気読んでよ~」
すると、前宮が不満そうに僕を見上げてきた。
「できないから、聞いてるんですよ」
「あれ?なんか鼓動が早いね」
胸に顔を埋めている前宮が、僕の異常に気づいたようだ。
「異性に免疫がないから、緊張するんですよ」
その場凌ぎでそう言ったが、こんな行為は誰ともしたくなかった。なんとか呼吸を整えようとしたが、状況的に無理だった。
「ふふっ、意外だね。篠沢にも弱点あるんだ」
前宮が勝手に納得して、ゆっくりと僕から離れた。
ようやく解放されたことにより、前宮には気づかれないように深呼吸をして、鼓動を整えた。その間、前宮は何も言わず俯いていた。
「・・・もう大丈夫ですか?」
自分が落ち着いたところで、前宮にそう聞いてみた。
「う、うん」
前宮が表情を緩めて、視線を宙に泳がせた。
「もう帰りませんか?」
「そ、そうだね」
もう早く帰って、今日のことは忘れたかった。
「なんか複雑な関係になった気がするね」
並んで歩いていると、前宮が苦笑しながら言ってきた。
「そうですか?友達なのは変わらないでしょう」
「はぁ~、なんだろう?この関係」
「嫌ですか?」
「フラれたのは悲しいけど、傍にいられるのは嬉しい」
「真逆の感情が交錯してますね」
「こんなの初めて」
「これで僕に対して恋愛感情はなく、友人として接することができるんじゃないですか?」
「フラれた相手と一緒にいるのは、やっぱり変な感じ」
「いい経験をしましたね」
「う~ん。まあ、そうだね」
僕の言葉に複雑そうな顔をしたが、思い直して笑顔になった。
「でも、友人関係になると、諦められない気持ちも出てくるな~」
「その気持ちは殺してください」
「む、難しいよ~」
「なら、他に好きな人でも見つけてください」
「それはしたくない。もう少し好きでいさせて」
前宮は、顔を赤らめてそう宣言してきた。
「まあ、そこは個人の問題なので好きにしてください」
「うん。そうする」
前宮がはそう言って、嬉しそうに頷いた。
「いいですね。その笑顔」
その表情は、前宮にはあまり見たことのないものだった。
「なんか凄く吹っ切れた感じがする」
「前宮は、笑顔の方が可愛いですよ」
前宮の機嫌を良くする為、笑顔を賛辞しておいた。
「あ~、褒められると好感度が上がるんだけど」
これに前宮が、照れながら困った顔をした。
「友達だから、好感度が上がっても問題はないでしょう」
「同性なら問題ないけど、異性だったら恋愛感情芽生えるよ」
「さっきも言いましたが、その感情は殺してください」
「それ生殺しだよ」
「なら、選ぶしかないですね」
「え、な、何を?」
僕の言葉に、前宮が動揺を示した。
「友達でいるか、友達をやめるかをですよ」
「傍にいる」
この二択に、前宮は迷うことなく即答した。
「無理しなくてもいいですよ」
「・・・嫌いになったら、やめるわよ」
僕の配慮に少し不満そうな顔でそっぽを向いた。
「そうですか」
これは前宮の意志なので、尊重することにした。
「じゃあ、また明日ですね」
「うん。明日は頑張ってね」
そう自然な会話を交わして、前宮と交差点で別れた。
「なんか僕一人損した気分だな~」
そう独白しながら、僕は帰路に就いた。
抱きしめられた嫌悪感を残しながら、帰宅すると玄関の鍵が開いていた。
不思議に思いながら家に入ると、リビングでレイがテレビを見ていた。
「あ、誰もいないから勝手に上がってるわ」
レイはそう言って、ソファーからダルそうに首を傾けた。
「なんか用ですか」
合い鍵を渡したのは僕たちの方なので、その配慮は必要なかった。
「明日から争奪戦でしょう」
「ええ」
「昨年はわざと負けたみたいだけど、今回は全力で闘ってみて欲しいんだけど」
「理由を聞いておきましょうか」
会長との約束で本気では闘うが、レイの意図は聞いておきたかった。
「ほら、あなたって、二つの世界の遺伝子を掛け持つ初めての人種でしょ。そのあなたが、どこまで渡り合えるかを見てみたいわ」
「・・・個人的興味ですか」
「そうなるね~」
僕の蔑視な眼差しを軽く流すように笑った。
「まあ、いいですよ」
僕は諦めた表情をつくって、それを受け入れることにした。
「あれ、いいの?」
僕が目立つことは避けていることは、レイ自身も知っていたので、驚いた顔で聞き返された。
「ええ。どんな最低な理由でも、恩人には変わりありませんから」
「あはは~、憎まれ口叩かせたら天下一品ね」
この返しには空笑いで放言された。
「そういえば、人探しは進んでいるの?」
「まだ、依頼してません」
特訓のせいでそれどころではなかった。
「あ、そう」
これは意外だったようで、気の抜けた声で言った。
「もしかして、考え直してくれたの?」
「いえ、忙しくてそれどころではなかっただけです」
「・・・まあ、勉強は大変だもんね」
レイは、忙しい理由を勝手にそう解釈した。
「争奪戦が終われば、できる範囲で頼んでみるつもりです」
「私の助言は、受け入れてくれない訳ね」
「それは母さんが決めることで、僕たちが口を挟むことではないですよ。それに、僕に言うより母さんに言うべきです」
「・・・やめとくわ」
母親の返答が予想できたようで、視線を逸らして苦い顔をした。
「頼み事も受け入れてもらえたし、もう帰るわ」
そう言うと、テレビを消して立ち上がった。
「明日、楽しみにしてるわ」
レイは、笑顔を見せて帰っていった。
それを僕は、無表情で見送った。
『この世界は、本当に面倒臭い』
そして、静まり返った部屋で大きく溜息をついた。
第十話 準備運動
争奪戦当日、目覚めは快調だったが、気分は絶不調だった。
「はぁ~。晴れてるな~」
窓から空を見ると、予報通り快晴だった。
僕は、いつものように登校の準備をして、時間を気にして家を出た。
登校途中の十字路で、前宮が髪の先端をいじりながら待っていた。
「おはよう」
僕が近づくと、彼女は笑顔で挨拶してきた。
「おはようございます」
僕は、友達である前宮に挨拶を返した。
「元気ないね」
前宮はそう言いながら、僕の横についた。
「注目されるのは嫌いですから」
「それはわかる気がする」
「前宮も模擬店は嫌でしょう」
自分の気持ちと知って欲しくて、意図的にそれを取り上げた。
「・・・それは言わないで欲しい」
本当に嫌なようで、そっぽを向いてふて腐れた。
「はぁ~、篠沢のせいで憂鬱になってきた」
「僕のせいじゃないでしょう」
初めて前宮が、当てつけを言ってきた。
「篠沢のせいだよ。あの格好は篠沢に見られたくないから」
「その言い方だと僕以外は、気にならないと捉えられますよ」
「うん。どうでもいい」
本当に無関心なようで、真顔で頷いた。
「・・・僕にだけの羞恥心ですか?」
「好きだからね~」
前宮が恥じらうことなく、それを言葉にしてきた。
「前宮。その発言は危険なので、控えてもらえませんか」
「大丈夫よ。二人っきりの時しか言わないから」
そこは気を回してくれるようだが、僕にも気遣って欲しかった。前宮は昨日までとは打って変わって、生き生きと話し始めた。
「前宮は、こっちの方がいいですね」
しばらく話した後、僕はそう感想を漏らした。
「そうかな」
前宮が照れながら、僕を流し見た。
「沈黙の宮なんて呼び名が嘘みたいですよ」
これは1年の時に呼ばれていたあだ名だった。
「ちょっと待って。何それ?」
僕の言葉に、前宮が慌てて止めに入った。
「前宮の1年の時のあだ名ですけど?」
「え、そんなこと言われてたの?」
「あれ、知りませんでしたか?」
「う、うん」
「教師以外と話さなかったので、そう呼ばれるようになってましたね」
「そ、そう」
これには少し嫌そうに俯いた。
学校に近づくにつれ、人が多くなっていった。
「嫌な感じですね」
それを見た僕は、自然と顔が引き攣った。
「そうだね」
前宮も僕と似たような顔をした。
学校に着くと、校門前には観客が列をつくっていて、校舎前にはカメラが数台あり、レポーターがカメラを前に何かをしゃべっていた。
「これを見ると、メディアを規制した方がいいよね~」
前宮が弘樹と同じ感想を漏らした。
「学校側としては一大イベントですから、注目されたいんでしょう」
「迷惑な話ね」
「そうですね」
それには僕も大いに同意だった。
「運動場に集合だったよね」
「はい」
今日から争奪戦なので、全校生徒は運動場に集合だった。
運動場に行くと、生徒が各学年で整列していた。保護者や観戦者は一度体育館に集めて、トーナメント表を発表することになっていた。
「先、行っててもらえますか」
僕は、前宮を見てそう言った。
「なんで?」
「剣棒を部室に置いてきたいので」
僕は、家から持っていた剣棒を前宮に見せた。
「なら、一緒に行くよ」
「あ、そうですか」
そう言われると、もう何も言えなかった。
「篠沢はさ、観戦されるのは嫌いだよね」
「ええ、まあ」
「じゃあ、私は観戦しない方がいいかな?」
「どっちみちテレビに映りますから、前宮が観戦してもしなくても変わりませんよ」
「そ、そう」
僕の言葉に、前宮が安心したように微笑んだ。
部室を開けようとしたが、鍵が掛かっていた。いつもは開いているが、今日は一般の人も入るので、施錠されていた。
「鍵掛かってるね」
前宮が僕の横からドアノブを覗き込んだ。
「そうですね」
僕はそう答えて、鍵を取り出して開錠した。部室の鍵は、人数の少ない武活には全員に配付されていた。
「ちょっと待っててください」
前宮に一言掛けてから、部室に入った。
そして、手早くロッカーに鞄と剣棒を置いてから部室を出た。
「じゃあ、行きましょうか」
部室を施錠してから、前宮と一緒に運動場へ向かった。
運動場では、各学年クラスごとに並び始めていたので、前宮と一緒にクラスの最後尾に並んだ。
しばらくすると、本鈴が鳴り朝礼台に校長が立った。
「え~、これから争奪戦を開催します」
そして、争奪戦の開会宣言と校長の挨拶が始まった。
「相変わらず、長いな~」
後ろの前宮から愚痴が聞こえてきた。
数十分後、ようやく開会式が終り、その場で解散となった。
「じゃあ、私は模擬店に行ってくるから」
前宮はそう言って、笑顔で手を振った。
「はい」
僕もそれに応じて軽く手を振った。
「お、春希」
弘樹が僕を見つけて、駆け寄ってきた。
「弘樹は出場しないから、着替えなくていいんだったね」
争奪戦は公平性や不正の対策を兼ねて、全員学校指定の運動着が義務付けられていた。
「まあ、頑張れよ」
弘樹が微笑して声援を送った。
「ちょっと、着替えてくるよ」
「ん?でも、一回戦は二試合後だろ」
「秒殺の可能性があるからね」
「ああ、なるほど」
僕の言い分に納得して軽く頷いた。
人ごみになった運動場を抜けて、部室の鍵を開けて中に入った。
着替えていると、部室が開いた。
「あ、篠沢」
部室に入ってきたのは、白浜先輩だった。先輩は短髪のおっとりとした顔で、穏やかな雰囲気をかもし出していた。
「どうも」
着替えの途中だったが、返事だけはしておいた。
「久しぶりだね」
「そうですね」
「色々と大変だったみたいだね」
白浜先輩が僕を労ってきた。
「まあ、そうですね」
どう返事していいかわからず、かなり困ってしまった。
「今回も一回戦で負けるの?」
白浜先輩が着替えながら、僕にそう聞いてきた。前回の一回戦でわざと負けたのは、先輩たちには伝えていた。
「なんでそんなこと聞くんですか?」
白浜先輩自身、争奪戦には消極的な方なので、この質問には驚いてしまった。
「篠沢は筋が良いから本気でやれば、グループ突破はできると思っているよ」
「そうですか?」
「うん。篠沢は、できると思う」
白浜先輩が僕を見て、笑顔で断言してきた。
「じゃあ、試してみましょうか」
何も言わず勝ち上がると、白浜先輩と柏原先輩に訝しがられるので、レイと同じように正当化の理由をつくっておくことにした。
「え?」
これには白浜先輩が、意外そうな顔をした。
「この争奪戦が終われば、部の存続は絶望的ですし、先輩たちへのはなむけも兼ねて」
「それはいいね」
この提案に、白浜先輩も笑顔で納得してくれた。
「篠沢にしては珍しく積極的だけど、その理由は本当に嬉しいよ」
「先輩たちには、お世話になりましたから」
これは本音だったので、そのまま白浜先輩に伝えた。
「そう。なら、僕も全力で挑んでみるよ」
「その言い方だと、手を抜いてたんですか」
僕の記憶では、去年は三回戦で敗退したと聞いていた。
「まあ、篠沢と同じで僕も争奪戦には消極的だからね。力自慢は避けてるんだ。柏原は、目立ちたいだけらしいけど」
白浜先輩は、最後に柏原先輩の理由を笑いながら口にした。
「それは納得できますね」
「でも、篠沢が頑張るなら、僕もそれに応えて全力で闘ってみてもいいかもね」
白浜先輩がそう言いながら、嬉しそうに表情を緩めた。
「じゃあ、お互い不本意ながら、全力を尽くしましょうか」
「変な言い方だけど、間違ってない分、反論もできないね」
互いにそう決意表明をして、二人で部室を後にした。
「じゃあ、僕は教室だから」
「あ、そうですか」
「頑張ってね」
白浜先輩が軽く手を振って、校舎に向かって歩き出した。
アナウンスが聞こえてきて、第一回戦が始まった。僕の試合は三試合目だったが、とりあえず指定のリングで待機することにした。
「お、来たな」
弘樹が僕を見つけて近づいてきた。
「もしかして、観戦するの?」
「勿論だ」
僕の嫌な顔を無視して、力強く肯定した。
「面白くないと思うよ」
「それはわからんだろう」
「そうだね」
これは弘樹自身の見解なので、否定はできなかった。
「あ、いたいた」
僕の後ろの方から、聞き覚えのある声が聞こえた。
振り向くと、島村先輩が手を振ってこちらに近づいてきた。
「どうかしたんですか?」
「ん?頼まれたから」
弘樹もいたからか、主語は抜けていた。島村先輩にしては珍しく気を回していた。
「そうですか。信用ないですね」
「いや、信用はしてたけど気になるみたい」
「そうなんですか」
会長とは約束していたので、気になることは納得できた。
「調子はどう?」
島村先輩が笑顔で聞いてきた。
「体調はいいですが、気分は最悪です」
「あ、そう」
この答えには少し苦笑いした。
「それより、始まったぞ」
弘樹がリングを指して、僕に教えてくれた。
「いや、見てもつまらないから」
これは僕自身の感想だった。
「気が合うね。私もだよ」
これに島村先輩も共感すると、周囲から所々で歓声が聞こえた。そんな中で、後ろの方からより大きい歓声が上がった。
「お、どこか勝負がついたようだな」
弘樹が周りを見渡して、そのリングを探した。
「こっちも終わりそうだね」
僕は、リングを見上げてそう呟いた。
「え?そうなの」
島村先輩が僕に言葉につられて、リングを見上げた。その瞬間、勝負は決まり歓声が上がった。
「あ、本当だ」
それを見た島村先輩が、声を漏らした。
「じゃあ、僕は準備運動するので」
弘樹たちにそう告げて、この場を離れた。
ある程度リングから離れて、柔軟を始めた。
「柔らかいね~」
僕についてきた島村先輩が、そんなことを言った。
「試合は見ないんですか?」
「興味ないからね~」
「そう・・ですか」
僕は、膝に接触した口を開いて答えた。
「ちょ、ちょっと島村先輩。体重乗せないでください」
突如、僕の背中に異常なほどの力が加わってきた。
「なんかむかつくから」
「なんですか。その感情的な理由は!」
詰まった声でなんとか切り返した。
「あはは~、その声面白いね」
僕のことを無視した笑い声が聞こえてきた。
「早く解放してください」
「はいはい」
軽い感じで背中から手を放した。
「はぁ~、何するんですか」
足を曲げてから、体全体をほぐした。
「なんか篠沢君を見てると、悪戯したくなってくる」
「これから本番なので、あまりふざけるのはやめませんか」
「う、わ、わかった」
これには島村先輩が、申し訳なさそうに言った。
一通り柔軟が終わり、島村先輩と一緒にさっきの場所に戻った。
「終わりそう?」
僕は、試合を見ている弘樹に聞いてみた。
「ちょっと長引きそうだな」
弘樹が難しい顔で答えた。
「見た感じ互角かな」
少し相手の攻防を見て、思ったことを口にした。
「よくわかるね、そんなこと」
横の島村先輩が、リングを見ながらそう口にした。
「おおよそですけど、足運びでだいたいの力量がわかりますよ」
「へぇ~、そうなんだ」
「まあ、武活によって足運びは違いますけど」
島村先輩はすぐに真に受けるので、勘違いしないようそこは補足はしておいた。
「じゃあ、私にはわかんないね~」
これには島村先輩が、興味なさそうに頭を掻いた。
「すみません」
突然、後ろから声を掛けられた。
振り返ると、そこには運動着を着た1年生がいた。運動着は襟の部分が学年ごとに違っていたので、瞬時に判断できた。
「僕ですか?」
初対面だったので、敬語で答えた。
「ええ、もしかして篠沢春希先輩ですか?」
「そうですけど」
「あ、俺は木嶋和幸です」
相手が自己紹介してきた。
「は、はぁ~」
僕は不思議に思いながら、彼を観察した。
「春希。対戦相手だ」
「あ、そうなの?」
そういえば、昨日その名前を聞いたことを思い出した。
「棒術ですか」
木嶋が僕の剣棒を見て呟いた。
「ええ、僕は棒術部ですから」
相手を知らないと、どの部かもわからないので、それを確認しに来たようだ。
「俺は、拳闘部です。よろしくお願いします」
そう言うと、礼儀正しくお辞儀をした。
「あ、こちらこそ」
一応、相手を見習って会釈した。
「では」
木嶋は、リングの反対側に歩いていった。
「なめられてるな」
それを見ていた弘樹が、僕にそう言ってきた。
「そうだね」
木嶋の目は、確実に僕を値踏みしていた。棒術部は、どの武活よりも少数で認知度も全くなかった。
「そう?礼儀正しいと思ったけど」
島村先輩は、僕たちとは違う見解のようだった。
「でも、拳闘部ってボクシング部のサブの武活だったよな」
「そうなの?」
「ああ、人数が多いから、闘争心のない生徒と実力のない生徒を、拳闘部に転部させるみたいだな」
拳闘部は、僕みたいなやる気のない人の武活のようだ。
「人数多いなら、シードじゃないの?」
「ボクシングのサブだから、シード枠には入れないみたいだな」
「ふ~ん」
せっかく予選を勝ち上がったのに、シード枠でないことは可哀想に思えた。
「そういえば、人数が多すぎてサブの部って結構あるよね~」
島村先輩が思い出したように、口元に人差し指を当てて上を向いた。
「へぇ~、そうなんですか」
あまりに関心ないことだったので、だらけた口調になった。
「部の名前は全部違うけどね~」
島村先輩も興味ないようで、口調を緩めて言った。
「お、決着がつくな」
弘樹がリングを見て、僕にそれを伝えた。見ると、一人が悶絶した顔をしていた。
「長かったね」
審判が止めに入って、決着がついた。
「そうだな。一回戦はたいてい短時間で決着つくから、こういうのは稀だな」
「まあ、1年同士だしね」
「だな」
闘っている二人の体操着を見ると、二人とも1年生だった。
「いよいよだな」
弘樹が真面目な顔で僕を見た。
「そうだね」
僕は、それに緊張感なく答えた。
「適当に流してくるよ」
「今回も負ける気なのか」
僕の言葉に、弘樹が不安そうに聞いてきた。彼は、僕が争奪戦には興味ないことは熟知していた。
「いいや。不本意だけど、全力で闘ってみるよ」
「ま、マジで」
これには驚いた表情をした。
「うん。先輩たちのはなむけということで」
そう言って、当てつけのように島村先輩の方を見た。
「え、私の為?」
「いえ、島村先輩のせいです」
この勝手な解釈に苛立ちを覚えて、皮肉の言葉で返した。
「なんでよ!」
これには島村先輩が、即座に反応を示した。
「僕が勝ったら、白浜先輩たちが訝しがるでしょう。だから、さっき白浜先輩に正当化できる理由をつくっておいたんですよ」
ここは隠す必要もないので、事実を島村先輩に伝えた。
「ああ、なるほど」
「全く、僕の休んだ理由を後で教えてくださいね」
「え、えっと、二人から聞かなかった?」
「聞いてませんよ。内容がないままの会話になってましたから」
「まあ、あれは言いにくいもんね~」
「だから、今後のためにも内容を知っておきたいんですよ」
「わかったわ」
その返事と同時に、アナウンスで僕の名前が呼ばれた。
「じゃあ、行ってくるね」
二人にそう言い残して、1メートルの高さのリングに上がった。
第十一話 一回戦
ロープをくぐり、リングの中央に歩いた。リングは6メートル四方をロープで囲っていた。これは武器を使用する武活もある為、余分にリングを広くしていた。
リングの中央には木嶋と僕、それを仕切る教師がいた。
審判である教師が、禁則事項を淡々と説明した。目、金的以外はなんでもアリだが、武器の投擲は禁止の上、時間は無制限で休憩はなかった。その為、両者が対峙しながら、疲労回復させるのも自由になっていた。勝敗の決定は相手の降参宣言、気絶、レフリーストップの三つだけだった。
「では、始め!」
説明が終わり、一礼してから一定の距離に着くと、審判が開始の合図を叫んだ。
僕が剣棒で領域をつくると、相手が慎重に少しずつにじり寄ってきた。
「・・・」
僕はその足運びを見て、数歩下がってから、剣棒を正面に突き立ててやる気のない態度を取った。
「ふぅ~」
そして、相手を煽るようにわざと小さく溜息をついた。
すると、木嶋が不愉快そうな顔をした。それを確認して、僕は肩の力を抜いた。
それが木嶋の感情を逆なでしたようで、ステップを踏んで、一気に僕との距離を縮めてきた。
僕は、剣棒を軸に左の中段蹴り放った。これには相手が驚いて、右後ろに飛んで蹴りをかわした。
それを見て、すぐさま体を引き、左足を下ろすと同時に半分ほどの速さの突きをみぞおち目掛けて放った。
「ぐっ!」
驚きで動きが鈍ったことで、突き速度に対応できずにみぞおちに綺麗に入った。
僕は、すかさず後ろに飛び退きながら、剣棒をそのまま跳ね上げて、木嶋の顎を掠めた。
木嶋は、膝もつかずに前のめりに倒れた。まるで、失神したかのような倒れ方だった。
「勝負あり!」
審判が状態を確認せず、即座に宣言した。
僕は、相手に敬意を表してお辞儀をしてから、リングを下りた。
「すげぇ~じゃん」
「ちょっとずるかったね」
弘樹の賛辞を流すように、僕はリングを振り返って、倒れた相手を見た。
「まあ、それも戦略だろう」
「闘い慣れしてないようだったから、挑発してみたんだけど。乗ってきたのは意外だったよ」
「まあ、1年だもんな。しょうがないよ」
弘樹が僕を擁護するように言った。
「いや~、秒殺だったね」
島村先輩がここで話に入ってきた。
「まあ、初戦での長期戦は避けただけですよ」
体力を温存したいというのもあるが、一番の理由は注目されたくないだけだった。
「二回戦は、2時間後だね」
一回戦が終わると、最低2時間の休憩が規定されていた。
「じゃあ、私は報告しに行ってくるね」
島村先輩は手を振って、校舎に向かっていった。
「誰に報告するんだ?」
弘樹が首を傾げながら、僕に聞いてきた。
「さあ?」
さすがに会長とは言えないので、しらを切ることにした。
「はぁ~、それより島村先輩の記憶能力の無さには呆れるしかないよね」
「何がだよ」
「約束を完全に忘れてる」
「あ、そういえばそうだったな」
弘樹も忘れていたようで、ハッとした顔をした。
「全く面倒な先輩だよね」
「あ~、まあ、そう言ってやるなよ」
「そうだね。残念な先輩だよね」
「だから、やめてやれって」
弘樹は呆れながら、島村先輩への悪言を制してきた。
「この後どうする?」
弘樹が周りを見ながら、僕に聞いてきた。
「そうだね。まずは剣棒を部室に置いてくるから、待っててくれないかな」
「確かに、それは邪魔だな」
僕の剣棒を見て、弘樹も同意した。
部室に行くと、部室の前で白浜先輩と柏原先輩が雑談していた。
「どうしよう」
このまま行くか、引き返すかを真剣に悩んだ。しかし、あの二人の雑談は長いので、当分はあの場から離れてくれそうになかった。
「う~ん」
僕は、その場で本気で葛藤してしまった。
「何してんの?」
すると、後ろから声を掛けられた。
これには吃驚して、反射的に振り返った。そこには、タブレットを持った久米が立っていた。
「ああ、ちょっとね」
僕は動揺を隠せず、曖昧な返事をした。
「それはそうと、一回戦突破おめでとう」
褒めるのが恥ずかしいのか、一重の目を逸らしてから勝利を祝してきた。実行委員の彼女は、タブレットで勝敗を記録しているようだった。
「それはどうも」
「ふぅ~。ねぇ、一つ聞きたいんだけど」
久米が溜息をついて、嫌々な感じで尋ねてきた。
「ノゾミンにどうやって好かれたの?」
「さぁ~、僕も不思議でね」
「なんだ、本人もわからないんだ」
これにはがっかりされてしまった。
「まあ、とりあえず褒めとけばいいじゃない?」
「う~ん。それだけじゃあ、好かれそうにないけどな~」
「それは知らないよ」
適当だったので、その難癖は困るだけだった。
「というか、実行委員の仕事中じゃないの?」
さっきから久米が、持っているタブレットが気になって仕方なかった。
「あ、忘れてた」
本当に忘れていたようで、慌てて周りを見渡して、そそくさと去っていった。
久米を見送ってから部室を見たが、未だに先輩たちは話し込んでいた。
「仕方ない、一度戻るか」
僕は諦めて、弘樹の元に戻ることにした。
「あれ、部室に行かなかったのか?」
戻ると、弘樹が首を捻って聞いてきた。隣には、なぜか前宮が制服姿で立っていた。
「ああ、うん。部室前に先輩がいたから、近寄れなかったよ」
「なんだそれ?」
僕の理由に、弘樹がさらに首を傾げた。
「ところで、前宮はなんでここにいるんですか?」
「ああ、なんか春希の試合を見に来たらしいんだが・・・」
この質問には弘樹が答えてくれた。
「もう終わりましたよ」
「さっき聞いた」
前宮が不服そうに、僕の隣に立った。
「模擬店はいいんですか?」
「え、う、うん」
これには言いにくそうに頷いた。
「何かあったんですか?」
「篠沢の試合を見たいって頼んだら、なんか生暖かい目で見送られた」
クラスメイトからなんとも言い難い送られ方をしていた。
「相手、弱かったの?」
この話はしたくなかったようで、率先して切り替えてきた。
「え、ああ。弱くはなかったですが、異種格闘には慣れていない1年生でしたから」
「ふ~ん」
前宮がそれだけ言って、僕を見上げてきた。
「なんですか?」
「篠沢って、誇張とか自慢しないよね」
「意味ありませんからね」
僕は、そういう見栄は嫌いだった。
「ふふふっ、それもそうだよね」
すると、前宮が嬉しそうに笑顔をつくった。
「どうかしたんですか」
それが理解できず、思わず眉を顰めた。
「う、うん。最近、クラスメイトから気安く話しかけられるようになったんだけど・・・」
前宮の言葉からクラスメイトへの鬱陶しさが垣間見えた。
「篠沢のこと悪く言っててね。無愛想とか、偉そうとか」
前宮が嫌な顔をして、僕への陰口を並べた。
「なんか聞きたくないことを聞いてしまいましたね」
「あ、ごめん。気を悪くしちゃったね」
「いえ、別にどうでもいいです」
「でも、聞きたくないんでしょう」
「どうでもいいから、聞きたくないという意味ですよ」
「何それ?」
僕の発言が理解できないようで、前宮が首を傾げた。
「要するに、女子トークには興味ないという意味ですよ。ほとんど愚痴とかでしょう」
「さあ、知らない」
前宮も興味がないのか、淡泊な答えが返ってきた。
「まあ、女子トークなんて取るに足らないものですよ」
「なんか知ってる風な口ぶりだね」
「一度、隣の女子たちの話を聞いたことがあるだけですよ」
他人の噂話で盛り上がる女子トークは、僕には聞くに耐えないものだった。
「そうなんだ」
前宮は、納得するように表情を緩めた。
「それより、戻った方がいいじゃないですか?」
「え、あ、うん。そうだね」
僕の言葉に、前宮が足早に戻っていった。
「前宮も話しかけられるようになったんだね」
前宮の後姿を見て、弘樹にそう投げかけた。
「完全に春希が原因だな」
「まあ、そうだろうね」
話の内容的には、これは否定できなかった。
「で、それはどうするんだ?」
弘樹が話を変えて、剣棒を指差した。
「そうだね~。まあ、仕方ないから持ち歩くよ」
「邪魔だろう」
「まあね~」
僕はそう言いながら、校舎の方に歩き出した。あまりリングの近くいると、選手と間違えられるので、できるだけ離れておくことにした。
「観戦はしないのか」
弘樹が横に並んで、不思議そうに聞いてきた。
「争いは好きじゃないからね」
僕は、淡泊に一言で返した。
「闘争心のない奴だな」
「確かに、それは僕に欠けているものだね」
僕たちは、歓声が鳴り止まない運動場を出た。
「気になる試合があるなら、僕に構わず見てきていいよ」
僕は、弘樹に気を利かせてそう促した。
「そうか?」
「うん」
「じゃあ、ちょっと先輩たちの試合見てくるよ」
「うん。僕は、ひと気のないところで休んでるよ」
「わかった」
弘樹はそう言って、体育館に入っていった。
それを見送ってから、去年の争奪戦の間、一人で過ごした場所に足を向けた。
その途中、後輩の三島若菜が後ろを気にしながら、こちらに走ってきた。
「あ、兄さん」
慌てているようで、僕の呼び方を修正せずに声に出した。
「先輩だよ」
僕は、少し眉を顰めて訂正を求めた。
「あ、ごめんなさい」
若菜が謝りながら、僕の前で立ち止まった。
「何してるの?」
「ちょっと、追われてて」
「何かあったの?」
「急に、売り子やってくれって言われて」
「調達係が多かったの?」
「違いますよ~。絶対似合うからとか訳のわからないこと言われました」
「なるほど、髪を切ったせいだね」
「切るタイミングを間違えた気がします」
若菜は、困った顔で髪をいじった。
「これを機に売り子を経験してみたら?」
「嫌です!」
僕の提案を力強く拒否してきた。
「あ、そう」
予想通りとはいえ、ここまでの拒否されるともう何も言えなかった。
「まあ、頑張って逃げてね」
あまり引き止めるのは、悪い気がしたので、この辺で別れることにした。
「そういえば、兄さ・・ではなく、篠沢先輩はこの後試合ですか?」
「いや、一回戦は終わったよ」
「あ、そうなんですか」
「じゃ」
僕は、それだけ言って去ろうとした。
「なんで避けるんですか?」
若菜が勝手にそう解釈して、寂しそうな顔で言った。
「え、だって逃げてるんでしょう」
「あ、そうでした」
僕の言葉にハッとして、後ろを気にして振り返った。
「じゃあ」
三回目の別れを告げて、目的の場所に足を向けた。
「にぃ・・・篠沢先輩は、どこに行くんですか」
しかし、若菜が三度呼び止めてきた。なかなか呼び方が定着しないようだった。
「ん?試合が終わったから、休憩するんだよ」
「どこで休憩するんですか?」
「人ごみが嫌いだから、ひと気のない場所」
「じゃあ、一緒に連れていってください」
「え?」
予想外の頼みに、思わず驚きの声が漏れた。
「今、追われていますので、隠れるには都合がいいんです」
「ああ、なるほど」
「じゃあ、こっちだよ」
真っ当な理由を聞いては断ることはできないので、若菜を案内することにした。
「え、2年の校舎ですか?」
「屋上に続く踊り場は人が来ないから」
「まあ、そうですね」
これには納得して、若菜が周りを気にしながら校舎に入ってきた。
「なんか上級生の学年の校舎って、新鮮な感じですね」
「まあ、少し緊張感はあるよね」
去年、ここに入っていた時には結構な緊張感があった。
階段を上がっていくと、時折歓声が上がった。
「机がいっぱいですね」
若菜は踊り場を見て、率直な感想を口にした。踊り場には、教室に置けなくなった机がずらりと並んでいた。
「屋上に入りきらない分を、ここに置いてるんだよ」
その為、踊り場の三分の一のスペースは開いた状態だった。
僕は、剣棒を踊り場の隅に立て掛け、机に上げている椅子を下ろして、それに腰かけた。若菜もそれに倣って、僕の隣に椅子を置いて座った。
「二人っきりですね」
「そうだね」
なんか二人っきりと言われると、変な雰囲気になってしまった。
「っていうか、近くない?」
僕は、変な雰囲気の一端でもある距離を少しだけ離すことにした。実際、若菜と肩の触れ合うぐらい近かった。もう男性恐怖症とは、完全に忘れてしまうほどの接近の仕方だった。
「これも克服の一環ですよ」
若菜がそう言い訳しながら、椅子を寄せて僕との距離を詰めてきた。
この居心地の悪い状態に、僕から話を振るという余裕がなくなってしまった。
「そういえば、試合は勝ったんですか?」
すると、若菜から積極的に話を切り出してきた。
「う、うん、まあ」
距離を取ることは諦めて、若菜の質問に答えた。
「それはおめでとうございます」
若菜は形式的な言葉で、僕を祝してきた。
「どうも」
それに対して、軽く会釈で返した。
「勝った気分はどうですか?」
「あまりいいものではないね」
実際、勝利すると心苦しいだけだった。
「それは私と一緒ですね」
その気持ちを汲んだのか、若菜が優しく微笑んで共感してきた。
「私が武活に出ないのも、それが原因でもあるんですよ」
「闘いたくないかな」
「はい。闘っても勝つのは気が咎めますし、負けても苦痛なだけですから」
若菜が僕と似たようなことを口にした。
「兄さんも同じ気持ちで嬉しいです」
そして、自然と表情を綻ばせた。
「あのさ、先輩って呼ぶ癖をつけてくれないかな」
「え、あ、そ、そうですね」
僕の指摘に、少し不満そうな顔で目を泳がせた。
「あ、あの、呼び方変えなきゃダメですか?」
若菜は、遠慮がちに言ってきた。
「うん。ダメ」
それには即答で返した。
「や、やっぱりそうですよね」
すると、若菜ががっくりと肩を落とした。
「そもそも、僕と若菜は他人なんだし、第三者から見たら不思議に思うよ」
「じゃ、じゃあ、二人っきりの時は兄さんでいいですか?」
「ダメだね。さっき何度も言い直してたし、若菜の場合は癖をつけないと危険だよ」
さっきの言動を見れば、当然な措置だと思った。
「うっ!」
これには反論できないようで、眉を引き攣らせた。
「それより、その呼び名に固執するのか疑問なんだけど」
「え、えっと、そ、そうですね」
僕の疑問に苦い顔をして、視線を逆方向に向けた。
「私、兄に憧れていたんです」
「え?」
突然の独白に、僕の頭は混乱した。
「私、姉はいるんですが、兄はいないんです。だから、兄がいたらこんな感じかな~って思って」
そう言いながら、体をくねらせて恥ずかしそうに俯いた。
「そうなんだ」
この言い分には理解できなかったが、若菜の憧れなので、僕にはその返事しかできなかった。
「なら、条件を出してみようか?」
僕は、若菜に案の提示をしてみることにした。
「条件?」
「もし男性恐怖症を克服したら、僕の呼び名に規制は掛けないというのはどうかな?」
「ふふふっ、変な言い方ですね」
若菜が微笑みながらそう言った。どうやら、規制という単語がおかしかったようだ。
「克服したら、兄さんと呼んでもいいんですか」
「そうなるね」
僕がそう言うと、若菜が困った顔をした。
「わかりました。頑張ります」
若菜が意を決したように、表情を引き締めた。
「うん、頑張って」
僕は、若菜を見つめて表情を緩めた。
「・・・兄さん」
僕の視線に、若菜が恍惚な表情で甘い声を漏らした。
「直ってないけど」
それを聞いて、即座に注意した。
「あ、ご、ごめんなさい」
若菜が我に返って、すぐさま謝ってきた。
「慣れるまで僕の名前は呼ばないで、本題から入る方法もあるよ」
これは親切心での提案だった。
「いえ、それは失礼だと思います」
「僕は、気にしないけど」
「ダメです」
僕の考えに謙遜から拒否に変わった。
「なんで?」
ここまで拒まれるとは思ってなかったので、思わず聞き返した。
「尊敬する人にその対応はできません」
「尊敬?僕が?」
言われたこともない言葉に戸惑ってしまった。
「はい。兄さんは、尊敬する人です」
若菜は、恥じらうことなく堂々と言い切ってきた。
「別に、無理して褒めなくてもいいよ」
これはお世辞だと思い直し、若菜に気遣ってそう言った。
「え?」
すると、若菜が不思議そうに首を傾げた。
「さっき前宮から聞いたんだけど、僕はクラスメイトから陰口叩かれているみたいだし」
「・・・それと何か関係あるんですか」
これに若菜が、不愉快そうに聞き返してきた。僕自身、褒められることはない人間だとアピールしたつもりだったのだが、若菜には伝わっていなかった。
「いや、関係はないけど。僕を無理に褒めなくてもいいと思ってね」
「これは本音ですよ」
若菜は、拗ねたように少し頬を膨らませた。
「そうなの?」
「兄さんは、自分のことを卑下しすぎだと思います」
若菜が脱力して、僕を横目で流し見た。
「まあ、卑下してるかはわからないけど、自信はないね」
「まあ、そこも良い所でもありますけど・・・」
僕の消極的な発言に、今度は複雑そうな顔で呟いた。
「そういえば、模擬店は大丈夫なの?」
「え、う~ん。そうですね」
僕の指摘に少し考え込んだ。
「まあ、別にいいんじゃないですか」
若菜が僕を見つめて、微笑みながらそう言った。
そのあと、若菜から他愛のない話を聞かされる羽目になるのだった。
ナル∪クラⅢ